第308回 北山あさひ『崖にて』

変わりたいような気がする廃屋をあふれて咲いているハルジオン

北山あさひ『崖にて』

 北山あさひは1983年生まれ。高校の国語の時間に短歌と出会い、歌を作り始める。しばらく作歌を中断した後、2013年にまひる野に入会。翌年にはまひる野賞を受けている。2019年に第7回現代短歌社賞を受賞。受賞作がそのまま第一歌集『崖にて』として現代短歌社から2020年に出版されると、翌年第27回日本歌人クラブ新人賞と、第65回現代歌人協会賞を立て続けに受賞して注目されることとなった。『崖にて』の帯文は島田修三、装丁は花山周子。

 「現代短歌」2020年1月号に第7回現代短歌社賞の選考座談会が収録されている。選考委員は、阿木津英、黒瀬珂瀾、瀬戸夏子、松村正直の四名。「崖にて」は予備選考で最高点を取り、第二位だった森田アヤ子の「かたへら」とダブル受賞となっている。現代短歌社賞の選考では、たいてい2名ずつ2組で意見が分かれるのだが、今回は瀬戸が10点、残りの3名が9点を付け、珍しく得点に大きな開きがない。しかし松村と黒瀬は森田アヤ子「かたへら」に10点を付けたので、両者の競り合いとなった。瀬戸はのっけから「読んだときに今回はこれで決まりかな」と思ったと言い放ち、終始北山を推す論陣を張っている。曰く、「人生の経過をバランスよく詠みこむつくりになって」いて、「表現に新規性があり、構成は王道で」あると持ち上げている。これに対して黒瀬は、最初は10位以内に入れていなかったが、読み返す度に順位が上がったとする。不思議な迫力がある反面、自虐が強く表現に拙いところがあるとも述べている。松村は「芯の強さを感じさせる文体」と評し、北海道に住む地域性があり、家族を詠んだ歌もよいと評価している。阿木津は9点を付けた割にはネガティヴで、特に「ピクニック、ぶらんこ、痴漢、蝶の刺繍入りのブラジャー 春の季語クイズ」のようにシンタックス(統辞)をぶつぶつ切る文体に苦言を呈している。

 さて北山はどのような歌を詠むのだろうか。評価の高かった「グッドラック廃屋」から引く。掲出歌もここから採っている。

いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい

三十代過ぎればぽっ、ぽっ、と廃屋ばかり光って見える

湿地から漁村へ抜けてゆくバスの窓辺でわたしは演歌の女

美しい田舎 どんどんブスになる私 墓石屋の望遠鏡

約束の数だけ長く生きられる駅から光こぼれやまず

母でなく妻でもなくて今泣けば大漁旗のハンカチだろう

ハズレくじ三枚ぎゅっと丸めたら明るくなって春の曇天

 一首目は、現在置かれているつらい境涯からの脱出願望とジェンダー意識を並列した歌である。「いたい」「したい」と語尾が揃っていて、独り言感が強い。二首目、「廃屋」というのがこの連作のキーワードなのだが、それは残念なものとして捉えられている人生の側面のようだ。廃屋ばかりが目につくとは、振り返るとそのような場面ばかりが頭に浮かぶということか。三首目はどこか本音を隠して他の人を演じているようで、「私にはこんな一面もあるのよ」ということだろうか。四首目は三段切れながら話題になった歌である。最後の「墓石屋の望遠鏡」でうんと遠くへ飛ばしている。北山はこのように結句で遠くに飛ばす歌が得意なようだ。五首目はわかりやすい歌。人との約束は生きる希望であり、未来への切符でもある。最後を「こぼれてやまず」とすれば定型に収まるのだが、収めたくなかったのだろうか。六首目は30歳を過ぎてまだ家庭を持たない境涯を詠んだ歌。大漁旗ほど大きなハンカチがいるということである。七首目、何の籤かわからないが、籤に当たったことがない身の不運を嘆きつつも、最後はそれでも元気で生きて行こうという前向きの歌になっている。

 一読して気づくのは「生きづら感」だろう。黒瀬は選評で「サバイブ感」と表現している。穂村弘の言を借りれば、「生きる」と「生き延びる」の「生き延びる」の方だ。「生きづら感」は現代の若手歌人の歌に濃淡の差はあれ広く見られるものである。だから北山に特徴的というわけではない。やはり北山の短歌の特色は、黒瀬が「不思議な迫力」と表現したところにあるのだろう。黒瀬は、「現代のちょっとした諦念みたいなものが微妙に出ていて」、「読者に鋭いものを突きつけてくる」、「怖い歌集になるんじゃないかと思います」とも述べている。そのような読後感がどこから来るのか考えてみると、その原因のひとつは言葉のオブラートに包むのではなく、身も蓋もなくズバッと言ってしまう作風にあるように思われる。それは上に引いた歌では、「結婚を一人でしたい」とか、「どんどんブスになる私」とか、「大漁旗のハンカチ」とかに表れている。それが高じると、「顔面で受け止めている波飛沫ろくでなしの子はろくでなし」とか、「こうなればジャン=ポール・エヴァン五千円銀のトレイに叩きつけたろ」のように、何か心に溢れて来るものを吐き出すような歌となって表れる。歌の〈私〉が今どんな人生を送っていようとも、斜に構えたりすることなく、正面からどーんとぶつかっている感じがあり、それが黒瀬の言う迫力になっているのではないだろうか。

 現代短歌社賞の選考座談会でも評価が高かったのは家族を詠んだ歌である。

夏雲のあわいをユー・エフ・オーは行くきらめいて行く母離婚せり

父は父だけの父性を生きており団地の跡のように寂しい

紙という燃えやすきものにわが家あり戸籍謄本抱いて走る

ちちははの壊れし婚にしんしんと白樺立てりさむらい立てり

 北山の両親は離婚し北山は母親の籍に入っている。一首目は四句までは夏空を悠然と進む未確認飛行物体をゆったりと描き、結句でシーンを切り替えてストンと落としている。この手法はどちらかと言うと「未来」流なのだが、北山お得意の手法である。二首目では「団地の跡」という喩がおもしろい。高度経済成長の時代に立てられた大規模団地だろう。三首目では自分の家の根拠が戸籍謄本という紙の中にしかないという心細さが詠まれている。四首目では唐突に「さむらい」が登場するが、これは北山にとっては心を奮い立たせるときにイメージするアイテムのようだ。とてもコミック的である。

 作者は札幌のテレビ局で非正規職員として働いている。次の最初の三首は東日本大震災が起きた時のテレビ局の様子を詠んでおり、後の三首は2018年に起きた北海道胆振地方の地震の歌である。

わたくしを心臓が呼ぶ東北に緊急地震速報起てり

ブザーより一秒早く回り出すパトランプ、赤、誰か走ってる

一枚のFAX抱いて駆けて行く 字幕を作る 津波が来ると

Tさんが「カメラ回して!」と叫びつつ消えてゆく暗い廊下の先へ

バッテリーライトに照らし出されたる報道記者の顔のはんぶん

揺れていますスタジオも揺れています揺れてもきみは喋り続けよ

 震災を詠んだ歌は多くあるものの、このように災害発生時点での報道現場を詠んだ歌は少ない。体験した人にしか表せない迫力があり、証言としても貴重だ。

 笑ったのは次の連作で、どうやら作者は身代限りを企て、大金をはたいて東京は目白にある椿山荘に宿泊したらしい。明治の元勲山縣有朋の旧宅で、キッチュで豪華な内装で知られたホテルである。

北山様、北山様と呼ぶ声に痴れてゆくなりCHINZANSO TOKYO

やたらと壺、それにいちいち手を触れてキタヤマサマは非正規職員

苛立ちはざくりと兆しあの庭もこの絵も燃やしたろか 燃やせぬ

 その他に心に残った歌を挙げてみよう。

花びらのごみとなりたる一瞬にこころの水平つめたく測る

秋のあさ秋のゆうぐれこくこくと人の静脈あおざめゆくも

群青の胸をひらいて空はあるかけがえないよさみしいことも

大きさを確かめるため芍薬に拳をかざす路地仄暗し

夏薔薇はコンクリートに咲きあふるいのちに仕事も貯金もなくて

ひとりじゃないようでひとりだ梨を剥き梨に両手を濡らしていれば

さわらせてほしい背中の骨格のどこかに春のスイッチがある

遠のいてしまうとしてもがたんごとん路面電車は夕風のなか

くちづける猫のあたまの小ささよ悲しいことはヒトの領分

傘差してなお少しずつ体濡らす人々に守りきれぬものあり

帰るべき星のなければあの夏のサン=テグジュペリ空港を恋う

 断っておくが、これはあくまで私の好みに従って選んだもので、必ずしも北山の作風のベースラインを表しているわけではない。北山らしいのはむしろ、「だれもいないタオル売り場に左手を埋める尼にはどうやってなる」とか、「あかね雲グラクソ・スミスクラインのクソの部分を力込めて読む」のような歌だろう。

 こうして書き写してみると、帯文で島田修三が書いているように、作者には韻律を感受する優れた耳があるようで、定型に落とし込む手つきが確かである。最後の歌のサン=テグジュペリ空港はフランスのリヨンの空港である。昔はサトラス空港という名前だった。北山は数週間フランスでホームステイした経験があるらしい。

 謎なのは「崖にて」という歌集の題名である。崖という語は何首かの中に登場している。

お豆腐はきらきら冷えて夜が明ける天皇陛下の夢の崖にも

の中に小さく祈るちいさくちいさく心の果てに崖はひらけり

 もし崖の上にいるのなら、崖とはもう一歩退けば真っ逆さまに転落する境界となる。もし崖の下にいるのならば、それは行く手を阻む越えがたい障害となるだろう。しかし歌集を読んでもどちらかの像に収束することがない。おそらくは北山の心の中にときどき明滅する何かのイメージなのだろう。

卓袱台をひっくりかえす荒くれの心に卓袱台なければうたを

 北山にとって短歌がどういうものかを雄弁に語る歌である。卓袱台返しは『巨人の星』の星一徹で広く知られるようになった。両親は離婚し、自分は非正規雇用という不安定な身分で働かざるをえないという状況に、怒りが爆発すると卓袱台をひっくり返したくなるのだが、いかんせん現代の生活にもう卓袱台はない。北山にとって短歌とはひっくり返す卓袱台の役割を果たしているのであろう。これもまた短歌の効用のひとつと言うべきだろうか。

 

第307回 小笠原和幸『黄昏ビール』

生は揺らぎ死はゆるぎなし夕暮れて紫深きりんだうの花

 小笠原和幸『黄昏ビール』 

 短歌総合誌の新刊歌集評をぱらぱらと見ていたら、小笠原が新しい歌集を出版したことを知り、さっそく取り寄せた。小笠原はセレクション歌人『小笠原和幸集』に収録された『馬の骨』『テネシーワルツ』『春秋雑記』の後に、『風は空念仏』『穀潰シ』という二冊の歌集を出しているようだが、そちらは見ていない。あとがきによれば、第五歌集『穀潰シ』を刊行してから12年ほどほとんど短歌を作らなかったようだ。ある日一首を得てからまた作るようになり本歌集の上梓に到ったという。岩手県に住み、短歌結社などにまったく所属しない孤高の歌人であり、短歌総合誌などで作品を見る機会がほとんどないのが残念なので、新しい歌集の出版は喜ばしい。

 あとがきで本人が、「前五歌集の作とは随分違うものになった」と書いているように、作風は少しく変化している。前の歌集には次のような歌があった。

穢土浄土秋の畑に火を焚けばほむらへだてて真向かふ父子おやこ

                   『馬の骨』

ただ二人この家に住む日が来たら継母よ蜆が煮え立つてゐる

               『テネシーワルツ』

一切は烏有に帰する悦びへ火は立ち上がる逝く秋の野に

花はただ花の世に咲き人の世の道に散るとき花また芥

                  『春秋雑記』

 小笠原の短歌の特徴は、東北の風土性、複雑な家庭環境から立ち上がる物語性、「生とは死へと到る道である」という仏教的無常感であり、そのような要素の複合から立ち上がる濃密な抒情であった。その歌は時に箴言のようであり、時に真言かご詠歌のようにも響くことがある。

 第六歌集『黄昏ビール』に到って小笠原は、肩の力の抜けた飄逸と風狂、老醜の自虐の傾向を強めたように見える。

老ゆるとは若きらに蔑さるる事かつて誰かがうしたやう

エレベーターに駈込まんと来しOLは我一名に後退りせり

履歴書に書く来し方の覚束なしその日その日を思ひ起こして

本を出すため仕度せる黄白を嘲りし人わが父にして

すれ違ふさをとめが香を心肺のキャパの限りにわが吸い込みつ

 小笠原は1956年生まれなので、今年65歳を迎えるのだが、殊更に老いを歌にしている。一首目、自分も若い頃に老人を馬鹿にしたように、今は自分が若者から馬鹿にされているという歌。二首目は、OLが駈け込んで来たエレベーターに、歌中の〈私〉一人しか乗っていないのを見て、OLが一瞬ひるむという歌である。作者は高校卒業後、上京していくつもの職を転々としたようなので、三首目のように履歴書に経歴を書こうとしても記憶が定かではないのだ。この三首には「我」「吾」の文字はひとつもないが、それでも自分を詠んだ歌であることがわかる。短歌が一人称の文学である所以だ。四首目の「黄白」は、黄金(くがね)と白銀(しろがね)から転じたお金の異称。小笠原は若き日に寺山修司の短歌を読んで寺山病に罹患した一人なのだが、四首目はまるで両親と故郷に容れられなかった萩原朔太郎のようだ。文学はある意味で業であるというのは事実だ。五首目も老残の自虐の歌で、吸い込んでいるのは香りだけではなく若人の発散する活力でもある。

老人の消し忘れたる瓦斯の青あの世とやらへ導きのあを

三回忌雨中を遠く近く来てその幾人か今日に見納め

田村家の刀自が孤独に死にゐたり遠からずわが恃む死に方

帰り来て身に塩まけば日の暮を己れが影を見定めがたし

 前歌集に引き続き「生とは死へと到る道」というメメント・モリの歌は依然としてあるものの、前歌集で見られた苛烈さは影を潜めて、歌は軽みを帯びて飄逸さが顔を出している。少し肩の力が抜けた歌い方へと変化しているのは時の作用によるものだろうか。

裏通りに口を糊する身の程のぬばたまの過去あかねさす恥

「何といふ無駄な一生だつたらう!」理解し易き中野好夫訳

生きていて何するでない一つ身はおでんの為にローソンへ向く

地下通路に来て方向を失ひぬ然して用なき空蝉ながら

ゆるやかに下る坂道思ひのほか老といふこと楽チンにして

 上に引いた歌のように、自分の人生の無為と老と貧を歌う歌にも軽妙さが漂っていて、どこか境涯を楽しんでいる節すらある。すぐに頭に浮かぶのは山崎方代の歌である。

湯呑よりしずかに湯気の立ちのぼるそれをみつめて夕餉を終る

そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか

人生をお尻に敷いてまたたびの塩辛なんどを漬けておりたり

 山崎は先の大戦で視力を大いに失い、「身を用なき者と思ひなして」一生を送った歌人である。山崎や小笠原の歌を読んでいると、『聖ジュネ』でサルトルが書いたように、文学には価値の極を転換する回転扉のような働きがあると思えてならない。

 固有名を詠み込んだ歌もおもしろい。トニー谷が広辞苑に載っているとは知らなかった。

トニー谷広辞苑には見えれども算盤のこと記憶におぼろ

その顔に生まれ変わりたしと二枚目の文士は言ひき下條アトム

谷啓にガチョーンはありき昭和まつ芸でも何でもない芸にして

てんぷくを免れて一人伊東四朗╱老境にして〈タフマン〉を

 私が特に心を引かれるのは次のように何でもないことを詠んだ歌である。内容が空疎であればあるほど定型の持つ力が前に出て来る。

一つ世の行きずりにして新聞に氏名同じき人の死を見つ

風の日に余慶はありてお向ひの美魔女のものかその娘のか

歳晩の理髪店にて思ふらくアルジェリアの位置・ナイジェリアの位置

春宵に鍵屋と電話に話す時ヲス・メスで言ふ鍵と鍵穴

 その他に心に残った歌を引く。

明け方のヘッドライトに照らされて逃げまどひつつどぶを這う靄

流れ行く紙の舟しづむ紙の舟夏の終りの灯ともし頃を

夕方の渋滞にしてわが見上ぐ進まぬ自転車バイクフロアに漕ぐを

これの世の秋のあはれを犬のふん拾ふと屈むペディキュアは見ゆ

何切ると云ふにあらねど折折は光に見入るカッターナイフ

宵闇の墓に線香せんこの火をつけるまだ生きてゐる者のともし火

死ぬ前に目を瞠りたりその時に初めて見たる何かがありて

 集中で出色の抒情的な歌は二首目だろう。飄逸と皮肉と露悪が主低音の歌集の中にこのような歌を見つけると、まるで泥田に咲く蓮の花のように見える。

 

第306回 中沢直人『極圏の光』

言葉淡き地上にあれば手は常に強く握れと教えられたり

中沢直人『極圏の光』

 上句の「言葉淡き地上にあれば」はまるで何かの書物の一節のようだ。「我ら衆生の暮らすこの世は言葉の淡き世界である」、つまり言葉が頼りにならず約束も消えてしまいがちな世界ということである。そんな世界にあって人と人との繋がりを保とうとするならば、手を強く握れと教えられたという。教えたのは父親かもしれないが、作者はキリスト者なので、通っている教会の牧師の言葉かもしれない。師の岡井隆は中沢を「アフォリズム好き」と評しているが、その面目はこの歌にもよく現れていると言えよう。

 私の心を魅了してくれる歌人を探知すべく日頃からアンテナを張っているつもりなのだが、そこは個人の限界があり、いまだ出会えていない歌人も数多くいる。先日、拙宅に届いた『かばん』5月号をばらばらと見ていたら、中沢の「ネロリウォーター」という連作が目に留まった。寡聞にして私には未知の歌人だったが、二首ほど読んですぐにネット検索し、古書店から『極圏の光』を取り寄せた。2009年に本阿弥書店から上梓された中沢の第一歌集である。

 プロフィールによれば中沢は1969年生まれ。東京大学法学部を卒業後、ハーバード大学法科大学院 (Law School) を修了し、現在は東京の私立大学の法学部の教壇に立っている。キャリアから見るとバリバリのエリートである。1999年に「かばん」と「未来」に入会。「未来」では岡井隆に師事する。2003年に第14回歌壇賞と未来年間賞を受賞。本歌集『極圏の光』で2010年に第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞している。ちなみに中沢直人は筆名なので、大学で中沢の講義を受講している学生は、教壇の人物を憲法と英米法の先生としか認識していないだろう。そう思うとちょっと愉快である。

 さて中沢はどういう短歌を詠むのだろうか。初期作品から引いてみよう。

年を経てゆがむ鉛の穂先から斜めに水を放つ噴水

何もせぬ者には功も罪もなく国会中継見るケネディ忌

前方に横須賀ランプ 高速を降りねばならぬ日がいつか来る

スーツ着た人々の群れほの見える北窓に置く恩師の遺影

九条は好きださりながら降りだせばそれぞれの傘ひらく寂しさ

 「文京区本郷通り」と題されたこの連作は『歌壇』に掲載されたという。本郷通りは東京大学本郷キャンパスのある場所だ。あとがきによれば、この頃中沢は先の見えない研究生活の中で鬱屈していたという。一首目は噴水を詠んだ歌。老朽化して先端が曲がった噴水の穂先からは、水がまっすぐ出ずに斜めに放たれる。それが〈私〉の喩であることは明らかだ。二首目のケネディ忌は11月22日で、詠まれているのは自分はまだ何者でもないという青春の鬱屈だ。三首目もまた喩が明らかな歌である。降りねばならぬ高速とは、ポストと栄誉を求めて邁進する研究生活とも、より広く人の生とも読める。五首目の九条はもちろん戦争放棄を謳った日本国憲法の第9条である。降り出せば開く傘とは、それぞれの国を防衛する核の傘のこと。このように中沢の短歌の特徴は、歌への強い自己投影と喩の多用にあると思われる。その姿勢と技法は師の岡井隆のよく知られた「海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ」などに学んだものと考えられる。

 「歌への強い自己投影」の帰結のひとつとして、歌と作者の距離が(一見すると)近いということが挙げられる。角川『短歌』の本年(2021年)4月号の「時代はいま」という連載エッセイ欄に、堂園昌彦が「作者と定型の融和について」という興味深い文章を書いている。堂園は、吉本隆明が「夜の雨あした凍りてこの岡に立てる冬木をしろがねとしぬ」という窪田空穂の歌を引用して、空穂が取り上げるモチーフの必然性がわからないと書いたことに触れる。つまりなぜこのように何でもない光景を歌に詠むのかわからないということである。そして堂園は「短歌はテーマの選択や詠われる内容よりも、作者の定型への距離の取り方の方が問題の中心になる」のではないかと述べている。なかなかに鋭い指摘である。

 もう少し説明すると、作者の定型への距離の取り方とは次のようなことだ。吉本は空穂の歌では、「光景の写生のようにみえて、ほんとは光景の描写のなかに光景をみているものの眼や主観が入り込んでいて」、「作歌している作者とどれだけ和解しているるか計りしれない。その和解の風姿があたえる温和さ、心持(ママ)よさ」こそが短歌にとって本質的だと書いているのである。この論に基づくと、空穂の歌には表面上は〈私〉がまったく表現されていないにもかかわらず、作者と短歌定型との距離は極めて近いことになる。いや、「定型との距離」よりも「定型との親和」と言う方が的確かもしれない。堂園はこのような短歌定型が内包する特性を肯定するのではなく、むしろ否定的に捉えて警鐘を鳴らしている。

 堂園の提起した問題をどう考えるかがこのコラムの目的ではないので、中沢の歌に戻ることにする。もし「歌との距離」を上に述べたような意味で捉えると、逆接的ながら中沢の歌に見られる「強い自己投影」は、短歌定型と作者の距離を遠くしていると見ることもできる。それは短歌を「自己表現の道具」と見なすかどうかにも関わっている。中沢が若い頃に抱えていた先の見えない研究生活の鬱屈が作歌の動機となったことはあとがきから窺える。人はいろいろな機会にさまざまなやり方で短歌と出会う。その出会い方が規定することも多かろうと推測される。

 一方の「喩」は次のような歌に顕著である。

銀色の尾をふりたてて餌を探すアメリカリスの爪の鋭さ

更けゆけばすずしきジャパンタウンなり毛を刈られたる羊と歩く

決議あまた採択される金曜日すべては右に幅寄せされて

角の丸い窓と尖った窓がありどちらかに押しつけられる朝

本線を示す矢印かがやけりためらう者は省かれてゆく

 一首目は訪れたアメリカの公園の光景だが、リスの爪の鋭さには合衆国の突出した軍事力や強引な外交交渉が投影されている。二首目はたぶんシアトルの日本人街で、毛を刈られた羊とは第二次大戦後の日本の喩に他ならない。三首目はどこかの会議の光景で、右への幅寄せとは右傾化・保守化の喩である。四首目はラッシュアワーの通勤電車の光景だが、ここにも二者択一を迫られる立場が投影されている。五首目に詠まれているのは法学者としてのキャリアである。学者の王道を歩く人もいれば、そこから逸れたりはじかれる人もいる。

来なくなった仲間のことは語られずハーバード会すずしげに果つ

微分して負となるキャリアわが前にあり再校の字間なおしぬ

すがれゆくパルテノン多摩若すぎて憎まれるうちに教授になりたい

胡麻味の豆乳プリンを食べ終えて京都へは行けませんと答えつ

後輩のためにポストを取りに行く血のにおいする扇状地まで

ほつほつと水苔立ち上がる二月同期の母校帰還決まりぬ

 法学者としてのキャリアに関係する歌を引いた。一首目のハーバード会は、ハーバード大学の法科大学院の卒業生の集まりだろう。二首目の「微分して負となる」とは関数の曲線が下を向いている、つまり自分のキャリアは下降気味という意味だ。三首目はあまりのストレートさに驚く。ちなみにどこでも法学部は若くして准教授・教授に就任する人が多い学部である。四首目はたぶん京都の大学からの移籍話を断ったという歌だろう。五首目も表現の激しさにびっくりする。六首目は少し説明が要る。東大を出ても学者としてのキャリアの振り出しは、たいてい地方大学や私立大学である。研究業績を積んだ人の中から母校の准教授や教授に迎えられる人が出る。するとそれ以外の同期の人が母校に戻れる可能性はなくなるのである。

ほの暗い谷間のポスト軽くなで静かに落とす別れの手紙

あたたかな沼地へ続く緩傾斜すべり出すとき光るスポーク

最後までこれほど甘いはずがない ほどほどでやめにするカプチーノ

胸の奥に壊れたカメラひとつずつ持つ者たちを招く裏門

ひと息に引くクレヨンの赤い線ほつりと森に消える自転車

 中沢の好む技法を示す歌を選んで引いた。上句で叙景や感興をまず述べて、下句は〈連体修飾句+体言〉という体言止で終えるという技法である。上句と下句の間には意味的な関連性があることもないこともある。一首目は関連性のある例で、「ポストをなでる」と「手紙を落とす」は一連の動作である。しかし五首目のクレヨンの線と自転車の間には意味的な紐帯はない。この場合、下句は「遠くへ飛ばした」状態となり、上句との付け合わせの妙が鍵となる。

エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を映す水面静けし

穏やかな同僚といて間違いにはっきり気づく夜の地下鉄

ぬけぬけとココアはぬるく言い訳として語られる鬱に倦む春

木の床のところどころが擦り切れていてこんなにも父に似たバス

軋みつつしぶしぶ開く木の扉たゆたし日暮れのクィーンズカレッジ

自転車で駆け抜けたあと思い出す背の高い司書が住んでいた村

少年の潜熱あわく椅子の背にカーディガンしたたる二階席

重なった師とわれの影うすくなる曇り日の午後信号を待つ

 特に心に残った歌を引いた。一首目の「合理人」は造語だろう。経済学では理性的判断によって自己の利益を最大化するよう行動する人を「経済人」(ホモ・エコノミクス)と呼ぶが、それにならったものか。三首目の「ぬけぬけと」は次の「ココアはぬるく」に係るのではなく、それを飛ばして「言い訳として」に係るのだろう。七首目の「潜熱」は物理学の用語で、固体が液体に、また液体が気体に相転移するときに発生する熱をさす。この歌では少年が大人へと成長する過程を相転移になぞらえたものか。結果として選んだのは、歌への強い自己投影も喩もない歌ばかりで、これは個人的な好みの問題なのでいたしかたない。

 第一歌集刊行からすでに12年を閲している。次の歌集を期待したいところだ。

 

第305回 門脇篤史『微風域』

くれなゐを久遠に閉ざすかのごとく光をおびてゆくりんごあめ

 門脇篤史『微風域』

 先日、思い立って京都にオープンしたばかりの泥書房に行った。京都流に言うと、新町通六角下るにある京都逓信病院の向かいの狭い路地を入った所にある。路地の入口には看板も標識も出ていないので、知っている人しかたどり着けないという隠れ家的書店である。三軒長屋の一軒を改装して書店にしている。染野太朗さんが店番をしていて、ていねいに応対していただき、楽しいひと時を過ごすことができた。その折りに購入したのが門脇篤史『微風域』(現代短歌社 2019年)である。帰宅して開いてみると、著者サイン本だった。泥書房についてはまた別の機会に詳しく書くつもりである。

 本歌集は「風に舞ふ付箋紙」というタイトルで、2018年の第6回現代短歌社賞を受賞した作品である。ふつうの短歌賞は30首とか50首の短歌を募集しているが、現代短歌社賞のユニークな点は、そのまま歌集として出版することを前提に、300首の提出が求められているという点だ。300首作るのはたいへんなことと思うが、この年は104編の応募があったというからすごい。その中で見事受賞したのが門脇篤史の「風に舞ふ付箋紙」である。次席は笠木拓の「はるかカーテンコールまで」と山階基の「風にあたる」で、この2作はすでに歌集として出版されている。

 『現代短歌』2018年12月号に選考座談会が掲載されていて、これがなかなかおもしろい。選考委員は阿木津英、黒瀬珂瀾、瀬戸夏子、松村正直の4名。「風に舞ふ付箋紙」は選考委員が行なった点数制の投票で最高点を獲得している。阿木津と松村は最高点の10点、黒瀬と瀬戸は6点を入れている。松村曰く、現代の都市に生きる若い男性の、仕事の歌や日常の歌を中心に構成されていて、力のある作者であると、高く評価している。阿木津曰く、31歳にしては内面的に成熟していて、思弁的なところがよい。批評意識もあり、比喩もうまいとこちらも高評価である。おもしろかったのは瀬戸の弁だ。この作品を見たとき、「これで決まりかな、うーん、嫌だな」と感じたという。その理由が×を付けた歌が2首しかなかったというのである。他は○か△しかつかなくて、それが不気味だと続けている。日常を流れるように秀歌にしていくマシンのようで、読んでいて怖くなったという。黒瀬も瀬戸の意見に同意して、レトリックで見ればこの作品が群を抜いているが、その反面驚きがなく、世界を淡々と肯定している所に若さがある。作者の感情に世界をとりこまない潔癖さが若く、青臭いとまで言っている。

 なかなか考えさせられる発言だ。阿木津や松村が「よい歌」と考えるものと、黒瀬や瀬戸が○を付ける歌が少しずれているのである。ほんとうは黒瀬も自分ではレトリックを駆使した歌を作っているので、阿木津・松村軍勢の一員なのだが、短歌賞の選考委員という立場から、受賞作に何を期待するかという観点から発言しているのだろう。阿木津や松村は、短歌定型を基盤とし、レトリックや喩を用いて現実の出来事やそれに喚起された感情をていねいに定着する歌をよい歌としている。一方、瀬戸の目にそれは、何でも掬える柄杓、触れるだけで何でも金に変えてしまうミダス王の手 (英 Midas touch)と映るのだ。瀬戸には従来の短歌定型にたいする深い懐疑がある。それがこのような発言として表面化しているのだろう。一方、黒瀬は作者の力量を十分に認めつつも、新人を世に送り出す短歌賞に期待される新しさや破壊力がない点を残念がっている。しかしこのような選考座談会での委員の発言は、裏を返せば門脇の短歌作者としての力量が極めて安定して高いということを実証しているようなもので、本人にとっては栄誉なことと見なしてよかろう。

 前置きが長くなってしまった。作者の門脇篤史は1986年生まれ。2013年から作歌を始め、短歌投稿サイト「うたの日」に投稿する。2015年に「未来」に入会し、大辻隆弘の選を受ける。2016年に未来賞を受賞している。現代短歌社賞に応募した時は、作歌を始めてから5年しか経っていない。短期間でこのレベルの作歌能力を身に付けるとは驚きだ。作風は師の大辻と同じく端正で細やかな文語定型である。歌集冒頭のあたりからいくつか歌を引いてみよう。

曇天をしんと支ふるビル群の一部となりてけふも生きをり

ひと月を賭して作りし稟議書の分厚き束に孔を穿ちつ

紙袋ばかり増えゆく日常に低温火傷のやうな出会ひを

天上のスピーカーからこぼれ落つ死んだ男のピアノの音が

tempo rubato. 崩ゆる世界の表面を自由自在に雨は鳴らせり

 一首目は作中の〈私〉が生きる日常を詠んだ歌である。〈私〉は勤め人としてビルの中で働いている。聳え立つビル群は、まるで低く垂れ込める曇天を下から支えているようでもある。〈私〉はおほかたの勤め人と同様に、個性を剥奪された日常を生きている。結句の「けふも生きをり」に深い感慨が込められている。二首目、稟議書の作成にひと月を費やしたのである。それを綴じるためにパンチで穴を開けている。そこに〈私〉はいささかの誇りを感じつつも、稟議書がどう扱われるかに不安も抱いているだろう。三首目、買い物が入っていた紙袋なのか、それとも職場の資料を入れて保管する紙袋なのか、いずれにせよ紙袋の増加は徒労のメーターである。〈私〉の生きる日常では、燃え上がるような熱い出会いはもとより望めない。せめて低温火傷のような出会いくらいあってほしいと願う。四首目、場所は喫茶店か蕎麦屋か、BGMが流れている。往年の名曲とは、言い換えれば死んだ男の演奏ということだ。五首目のテンポ・ルバートとはイタリア語で「盗まれた時間(テンポ)」という意味。楽譜に書かれた音符・休符どおりではなく、演奏者が自由に緩急を付けるという指示である。ここでは雨音が速くなったり遅くなったりしている様を表している。集中には音楽用語を用いた歌が散見される。作者の趣味だろうか。雨は一切の制約から自由なのに、〈私〉の生きている日常は「崩ゆる世界」つまり崩れつつある世界なのだ。シオランばりの崩壊感覚と言えよう。全体として激しい感情や熱い理想とは無縁な日常が、細部に目を留めつつていねいに描かれている。

 しかしそんな作者の人生にもドラマがなかったわけではない。

両親の稼ぎで買ひし味噌を溶き火を弱めけり けふがはじまる

民法の問題集を解くことをたとへばけふの生きる意味とす

東京に打ちのめされた経験はたぶん何にもならんのだらう

最終の面接試験の日程を指でなぞりてなぞりてなぞる

暗闇に糖衣のやうに包まれて高速バスのシートを倒す

封筒を逆さにすればあらはるる鍵を差し込み扉を開く

なにもない空間ゆゑに目を閉じるあと五日間無職のわたし

前職の記憶はるけし首都高を二度と走らぬ余生と思ふ

 上に引いた歌からストーリーを読み解くと次のようになる。作者は故郷の島根県から京都の大学に進学し、卒業後おそらく東京の会社に就職したのだろう。しかしその会社に馴染めず間もなく離職する。それが「東京に打ちのめされた経験」である。故郷へ戻り、就職浪人生として両親と暮らす。それが「両親の稼ぎで買ひし味噌」である。民法の問題集を解いているのは公務員試験を受験するためだ。四首目の「最終の面接試験」は前職かそれとも公務員試験かどちらかわからない。交通費を節約するため夜行バスに乗って会場のある町に向かう。宿泊するのはおそらく民泊だろう。部屋の鍵が封筒に入って送られて来る。その部屋は何もないがらんとした空間である。その後、作者は無事公務員試験に合格し、今はどこかの地方都市で勤務している。だいたいこういうことだ。

 大学を卒業して就職した人の約3割が3年以内に離職しているそうだから、入社した会社を辞めるのはそう珍しいことではない。しかしそれはあくまで統計上の話である。本人にとっては生きるか死ぬかの大事件だ。その大事件が比較的淡々と詠まれているので、それが選考委員の黒瀬には「感情に世界を取り込まない潔癖さ」と映ったのだろう。しかし私は読んでいて少し異なる印象を受けた。確かに燃え上がるような激情や世界に対する鋭い呪詛はなく、いずれも端正な言葉の中に落とし込まれてはいるが、言葉の背後に燠火のようにくすぶる感情がちらちらとほの見える。それが「けふがはじまる」や「なぞりてなぞりてなぞる」や「首都高を二度と走らぬ」という語句にはつかに感じられるのである。

先月に辞めた同期の消しゴムを遺品のやうにまだ持つてゐる

いつからか蛍光灯は間引かれて我らを淡くあはく照らせり

わたくしをぢつと薄めてゆく日々に眼鏡についた指紋を拭ふ

権力の小指あたりに我はゐてひねもす朱肉の朱に汚れをり

地方自治法のあはひに溜まる解釈に溺れぬやうに夜を進みつ

 地方公務員として働く作者の職場詠を中心に引いた。同期入庁からすでに退職者がいるという現実。節電のために間引かれた天上の蛍光灯は薄い光しか発しない。それはまるで天国から差す救いの光も薄くなるように感じられる。日々のルーティーンワークで自分の個性がひたすら薄められてゆくように感じる。〈私〉のいる場所は権力の小指あたり、つまりは末端で、仕事と言えば書類に印鑑を押して次に回すことである。つづめて言えば「平凡な日常に耐える〈私〉」像ということになる。しかし誰にとっても現代の日常とは多かれ少なかれここに描かれているようなものではないだろうか。女優を恋人にして宇宙飛行士を目指す人のように、毎日を面白おかしく暮らしている人が世の中にそうそういるとは思えない。

原形をたもち続けて雑踏にマーブルチョコのひとつぶはあり

反故を裂き密かに作るメモ用紙きりえきりえと音を立てつつ

青ねぎは屈葬されて真つ暗な野菜室にて冷たくなれり

蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと

押しピンを抜きたるのちに穴ひとつ消ゆることなき穴ひとつ見ゆ

 観察と措辞が冴える歌を引いた。一首目、繁華街か地下街の人通りの多い道路に、なつかしい明治製菓のマーブルチョコがひと粒落ちている。マーブルチョコは様々な色の糖衣にくるまれている。まずその鮮やかな色が目に飛び込む。ふつうなら行き交う人の靴に踏まれて潰れてしまうのだが、なぜか奇跡的に原形を留めている。そこに作者は目を付けた。けなげに原形を保っているマーブルチョコは、世の荒波に揉まれて遭難しそうになる〈私〉の喩とも読める。二首目、役所の書類作りでは大量の反故紙出る。私も教室で学生に配るプリントが必ず余るので、余った分は持ち帰り、鋏で切ってメモ用紙にしている。作者も同じことをしているのだが、この歌のポイントは「きりえきりえ」である。「きりえ」は「切り絵」に通じ、また鋏の音のオノマトペとも取れるのだが、この裏には「キリエ、エレイソン」が隠れている。「主よ、憐れみ給え」というキリスト教の祈りである。私が本歌集を通読して強く感じたのはこの「祈り」である。短歌は祈りに近づくほど人の心の琴線に触れる。門脇の歌には祈りがある。三首目、スーパーで葱を買うと、長すぎて袋に入らないので二つに折ることが多い。冷蔵庫の野菜室に入れるときも同様である。それを「屈葬」と表現した所がこの歌のポイントだ。そこにはもちろん死のイメージが揺曳する。四首目、まず「自分のために」によって、歌の〈私〉が一人暮らしであることがわかる。作者は結婚しているので、たまたま妻が他出した日と取れなくはないが、ここは結婚前の一人暮らしの時期と取りたい。蟹缶は高価なものだ。一人暮らしの男性がふつう開けるものではない。その日に何かあったのだろう。もうひとつのポイントは、缶詰のなかの汁を「海」と表現している点にある。孤独な儀式のようでありながら、海と繋がるところに救いがある。五首目のような押しピンの穴を詠んだ歌が他にないわけではないが、この歌では「穴ひとつ」がリフレインにように反復されていることがリズムと効果を生んでいる。

臨時記号。雨に降らるるけふの日ははつかに移調するごとく濡る

ハムからハムをめくり取るときひんやりと肉の離るる音ぞ聞ゆる

なにもなき日々をつなぎて生きてをり皿の上には皿を重ねて

たましひを抜き取るやうに一本の薄荷煙草をきみから貰ふ

ゆくりなく沈没しさうな軍艦ゆ皿に降りたる魚卵ぞ赤き

生きるため坐るデスクの片隅にインクの切れたペンは立ちをり

ダイソーで買ひし湯呑みの欠けたれば我が悲しみの対価を思ふ

真ん中に穴の空きたるキャンディに傷つきてゆくやはらかき舌

ひえびえと異国のみづに満たされてペットボトルはひかりのうつは

 特に印象に残った歌を引いた。一首目の「臨時記号」は、シャープ(#)やフラット(♭)のように半音の上げ下げを指示する記号のこと。ふつう使う言葉ではないので、門脇は音楽に詳しいのだろう。二首目は選考座談会で阿木津が「思弁的」と褒めた歌。バック入りの薄切りハムを一枚剥ぎ取るという日常的瑣事までが短歌に詠まれるところに、瀬戸の言う「修辞マシン」の本領が発揮されている。しかしここでも「めくり取る」という言葉の選択の確かさに注目したい。また五首目のように対象を名指しすることなく詠む技量も抜群である。これは回転寿司店でイクラの軍艦巻きからイクラがこぼれた様を詠んだもの。軍艦巻きを本物の軍艦に見立てた上句から下句への運びが手練れである。

 歌集題名の『微風域』もよく考えられて付けられている。歌の〈私〉のいる場所は暴風が吹き荒れるほどの所ではない。吹いているのは微風なのだが、そこに生きる青年が日々感じる真綿で首を絞められるやうな閉塞感や焦燥が歌集全体に通底するテーマだろう。楠誓英、阿木津英、内藤明が文を寄せた栞はあるものの、あとがきがない。作者渾身の第一歌集を世に問うのならば、志を述べたあとがきはあってもよかったのではなかろうか。充実の第一歌集である。


 

第304回 本川克幸『羅針盤』

鉢の上にブーゲンビリアの苞落ちぬ思慕燃え残るごときむらさき

本川克幸『羅針盤』

 ブーゲンビリアは華やかな花を咲かせる熱帯性の植物である。その名は『ブーガンヴィル航海記』を著したフランス人探検家ブーガンヴィルにちなむ。色鮮やかな花と思われているものは実は苞葉で、ほんとうの花は中央にある小さな白い部分だという。掲出歌では鉢植のブーゲンビリアの苞葉が時を得てはらりと落ちた情景が描かれている。その苞葉の紫色が遠い人への思慕が燃え残るような色だという。静かな中に秘めた情熱を感じさせる歌だ。「ごとき」を用いた直喩がポイントの歌で、作者は喩に特徴がある人である。

 2017年に砂子屋書房から刊行された『羅針盤』は本川克幸の遺歌集である。本川は2012年に「未来」に入会し作歌を始め、佐伯裕子の選を受けていた。詠草は遠い北海道の地から送られて来たという。それから4年後の2016年に本川は51歳で急逝する。あとがきを書いた夫人によると、砂子屋書房から歌集を上梓するのが夢だったという。その夢は夫人と編纂の労を採った佐伯の手によって死後に叶えられた。

 遺歌集を読むときは少し特別な心持ちになる。若い歌人の第一歌集を読むときは、その清新さの向こう側に、この人の短歌は今後どのように展開してゆくのだろうかという未来への期待がある。しかし遺歌集には当然ながらそれがない。そのことが独特な佇まいを一巻に与えている。もうこの人がこの先歌を詠むことはないという事実が、立ち籠める霧のように一巻を静かに満たすのである。

 しかしながら私が本歌集に惹かれたのには別な理由がある。本川は現職の海上保安官だったのだ。僅かの例外を除いて歌人はふつう職業を持っている。だから本川が職に就いていても不思議はないのだが、海上保安官は珍しい。海上保安官とは、海の上での安全と治安を維持する役目を持つ公務員で、海難救助に携わり密航などを取り締まる海の警察官でもあり、時には武器を所持することもあるという。ばりばりの実務系の職業で、あまり短歌などの文芸には縁がないように思える。しかしながら本歌集を一読すると、本川は繊細な心を持った詩心溢れる人だったことがわかる。

 本川の赴任地は北海道の東端の根室であった。冬期には海が荒れて雪が降りしきる厳しい自然の地である。そんな自然を詠んだ歌がまず目に付く。

東洋の果てなる国の北側の角地のような岬におりぬ

凍りつくポブラも樹氷にならぬ木もしんと静まる朝焼けである

海鳴りにひれ伏しながら眠る夜に回り続けている羅針盤

大時化をしのいだ後の海に飛ぶ鳥よおまえも此処にいたのか

衝撃を受けつつ越ゆる海峡の六メートルの波、けわいしね

まだ冬の風を抱うる港内に浮かび合う白き鳥黒き鳥

 詠まれていのは冬の北の海の厳しさである。しかしながらこのような歌は、漁業関係者など海に携わる仕事をしている人なら詠むこともあるだろう。でも次のような歌はちがう。

ただ青き海原が見ゆせめぎ合う領海線のあちらとこちら

「飛び乗って取り抑えよ」と指示を出すとりもなおさずわれの声音で

本当は誰かが縋っていた筈の救命浮環を拾い上げたり

右腿のケースに銃を差し入れて「彼ら」と呼ばれているそのひとり

〈海に死ぬ〉インドネシアの青年の瞳はこんなに美しいのに

パスポートの凜々しき写真 青年を心肺停止のまま見送りぬ

硝煙の匂は此処に届かねど樟で彫られたるマリア

 一首目、北の海だから領海線の向こう側はロシアである。線を越えた漁船が拿捕されることもあるが、実際に見えるのはただ青い海ばかりである。二首目は緊迫感が漂う歌で、おそらくは日本の領海侵犯をした船を拿捕するために飛び移るように部下に指示をしているのだろう。一歩まちがえば下は冷たい海だ。三首目は波間に漂う救命浮環を拾い挙げた場面。誤って船から外れたものかもしれないが、遭難した船員が縋っていたのかもしれない。その昔、海は「板子一枚下は地獄」と言ったものだ。四首目も緊張感が漂う。領海侵犯した船か、密輸している船か、臨検のために武装しているのである。相手は自分たち海上保安官を「彼ら」と呼んでいる。五首目は海難救助に場面で、助けたインドネシアの青年が努力の甲斐もなく死亡したのである。六首目はその続き。七首目はやや場面がわかりにくいが、相手は密漁船か何かでこちらに向けて発砲しているのだ。木造船の船首には木彫りのマリア像が飾られている。聖母マリアは船乗りの安全を守ってくれると慕われているのである。

 分類からすれば職業詠ということになろうが、その職業が特殊なものであるために、他に類を見ない歌となっている。明治以来の近代短歌には民衆の詩としての性格がある。現在でも全国紙の新聞には歌壇の欄があり、毎週何千通という投稿が送られて来る。短歌を作っているのはごくふつうの市井の人だ。これは世界的に見てもとても珍しいことである。昔は自分の職業を歌にした職業詠はふつうにあったが、近年の歌集にはあまり見られない。どんな暮らしをしている人が詠んだ歌なのか、ちっともわからない歌が多い。そんななかで本歌集は一際異彩を放っていると言えよう。

 任務に就くと海に出て一定の期間家族と離れて暮らすことが多いためなのか、本川が作る歌には遠くにある手の届かないものに思いを馳せるものがよく見られる。

秋の日の言葉を包む封筒に百舌の切手を貼る「飛んでゆけ」

便箋をひらけばわれに届きたるほんの少しの愛に似たもの

再会を願う手紙も書かぬまま心地よくまた夏がすり抜ける

はるかなる手紙に記す空のいろ空のいろはるかなる手紙に

君のいる街が遠くに見えている雪のなか君の街がとおくに

 最後の歌は海上から陸を遠望している歌だが、その他は誰に宛てたものなのか手紙の歌である。機密保持のために携帯電話やメールの使用が制限されているのだろうか、とにかく手紙の歌が多い。そのためか、人との繋がりが古典的と言ってもよいものとなっていて、あらためて短歌にはSNSより手紙がよく似合うと思わされる。

 わずか4年足らずの歌歴なのだが、その歌風に変化がないわけではない。解説を書いた佐伯も触れているが、編年体の歌集後半に差し掛かるあたりから、翳りを帯びた歌が多くなる。

海の上に凱旋門のごとく立つ虹 透明にくずおれてゆく

逃避する水路をすでに持たざれば溢れ続けているわれは壺

言葉さえやがて烟らん弔えば窓から抜けてゆく影ぼうし

船室の浅き眠りに夢を見き死神の髪がまだ濡れている

傍らで黙り続けている君の記憶からわれが消えてしまう日

 本川の心に何が忍び寄ったのか定かではないが、負のベクトルへと心が向かう有り様が歌の向こうに透けて見えるようだ。修辞に少し触れておくと、本川は「~のごとく」という直喩を好んで用いる。上の一首目の「凱旋門のごとく」がそれである。直喩は陳腐な喩のときはマイナス点になりやすいが、凱旋門は合格だろう。海に浮かぶ楼閣のように聳え立つ凱旋門はまるで海市のようにも見える。

 次も直喩の歌である。

切れ目なく防潮堤のめぐる島スメルジャコフの素顔のように

晩夏よりうみのいろ濃しベルリンで貨車に積まれた絵具のように

 一首目のスメルジャコフはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の登場人物で、私生児であるために召使いのように使われている男である。その内実が見えないことの喩として使ったのだろうが、スメルジャコフには驚いた。二首目のおもしろい点は、湖の青色が濃いという描写よりも、喩として出された「ベルリンで貨車に積まれた絵具のように」の方に濃厚な物語性があって、歌の主従が逆転しているところである。短歌における喩の機能について改めて考えられさせる。

 最後に特に心に残った歌を挙げておこう。

地に降りて水へと戻る束の間の白きひかりを「雪」と呼び合う

夕焼けの見える浜辺へ抱えゆくフリューゲルホルンに翼があれば

善と悪が戦い続ける物語読みつつ暮れてゆく半夏生

チェロ弾きの空のケースが床にあり舟のように柩のように

為し遂ぐるべきこと為し遂げられぬこと路肩の雪はゆるらかに消ゆ

消ゆるとき影の残れり沖合で船から眺めたる遠花火

読みさしのミステリー枕辺に置いて待てども夢に来ぬ黒揚羽

 実生活における作者と短歌は切り離して見るべきであるという意見がある。確かにそのとおりだ。短歌は文芸でありテクストがすべてだという人もいる。それも至極もっともな意見だ。しかしながら、そのように割り切ってもどうしても割り切れぬ残余が残るのが短歌というものだ。『羅針盤』は作者の本川克幸がこの世に残した生の記録であり、そのように読まれるべきものであろう。


 

第303回 工藤玲音『水中で口笛』

燃えている色の紅葉を踏むときの燃え尽きた音 駅まで歩く

工藤玲音『水中で口笛』 

 あの工藤玲音の第一歌集が出た。今からちょうど1週間前の2021年4月12日付けで左右社刊。左右社は最近よく歌集を出していて、近江瞬『飛び散れ、水たち』、谷川由里子『SOUR MASH』、永井祐『広い世界と2や8や7』など続々と出ている。

 今さら著者紹介する必要もないだろうが、工藤玲音は1994年生まれの俳人で歌人。石川啄木と同じ渋民村で育ったという。玲音れいんは本名で、本歌集には「父親がわたしにペンネームのような名前をつけた霧雨の朝」という歌がある。俳句結社「樹氷」に所属して俳句を作り始める。2011年に16歳で岩手日報随筆賞を受賞して注目される。スタートはエッセイだったわけだ。今でもエッセイが得意で、『うたうおばけ』(2020年、書肆侃侃房)は丸ごと一冊エッセイである。同年盛岡短歌甲子園で団体優勝しているので、俳句と平行して短歌も作っていたのだろう。東北大学に入学して短歌会に所属する。句文集『わたしを空腹にしないほうがいい』(2018年、BOOKNERD)刊行。大学卒業後は郷里に戻って会社員をしているようだ。雑誌の「ソトコト」2019年1月号や、「ねむらない樹」5号(2020年)で工藤の特集が組まれている。結社「コスモス」に所属し、一時同人誌「Cocoon」に参加していたが、今は名前が消えているので辞めたらしい。

 『水中で口笛』のあとがきが愉快だ。歌集は満を持してゆっくり出そうと思っていたが、はっと気づくと自分は石川啄木が死んだ年齢に近づいている。これはいかんと啄木の命日までには出版しようと急いだという。啄木と短歌で張り合おうとしたというから威勢がよい。本書は石川一に捧げられている。啄木の本名である。本歌集には高校生のときから作り貯めてきた短歌が収録されているので相当な数がある。帯文は小島ゆかりとミュージシャンの柴田聡子。

 『わたしを空腹にしないほうがいい』の評に、工藤の強みは何物をも蹴散らしてしまう若さであると書いた。俳句は五・七・五と短く、景物をスパッと一瞬で切り取る鮮やかさが求められるため、踏ん切りのよい若さは大きな武器となる。それは「ねむらない樹」5号所収の近作にも現れている。特に三句目がいかにも工藤らしい。

洗顔のたび濡れなおす夏の嘘

文具屋に海を知らないサングラス

淋しさを背泳ぎならば追い抜ける

なりたくてたりなくて来る夏の丘

 しかし、五・七・五の後に七・七と14音を付け足すだけで事情はがらりと変わる。スパッと切るだけではその14音は埋まらない。様々なものを納めることができるが、中でも短歌らしいのは内省だろう。五・七・五で外の景物を捉えた視線が、七・七で反転して内側を向く。近代短歌が「自我の詩」として佇立することができたのは、この視線の反転によるところが大きい。

 さて工藤の短歌はどうだろうか。いつもとは逆に付箋の付いた歌から引いてみよう。

見開きのわたしで会いにゆくからね九月の風はめくれ上がって

雪の上に雪がまた降る 東北といふ一枚のおほきな葉書

花束のように抱きとめられたいよ 髪留めの上で溶ける淡雪

燃やされた手紙の文字は何処へいくの ごみ収集車はみんな空色

くちづけはいつ来てもよしきらきらと研げばひかりに満ちる生米

たましいが果実であればこのくらいグレープフルーツ迷ってかごへ

生きるとは湯気立てること深くふかく菜箸を鍋底に突き立て

観覧車まるく晩夏を切り取ってちがう戦場抱えたふたり

 書き写していて気が付いたが、工藤はどうやら五・七・五で想いを述べて、七・七で情景を付けるのが得意らしい。一首目、「見開きのわたし」とは、雑誌を見開きにするように両手を拡げることの喩だろう。会いに行くのはもちろん恋人である。「九月の風はめくれ上がって」はちょっと変で、九月の風で雑誌のページがめくれ上がるのが正しいだろう。若さの充溢する歌だ。二首目は上の七・七が情景で、句跨がりを含む残りが想いとなっている。自分が暮らす東北地方を葉書に喩える喩がおもしろい。真っ白な葉書に自分が何かを書いて届けたいということか。この歌だけ旧仮名である。三首目も恋の歌。上句が想いで下句が情景で、四句は八音の破調になっている。「上」を「へ」と読めば七音だが、工藤はたぶんそうは読まないだろう。四首目はちょっとメルヘン調の歌。三句目を「何処へ行く」とすれば定型だが、「の」を付けることで呼びかけとなる。五首目の「くちづけはいつ来てもよし」もなかなか潔い。三句以下が情景となっていて、食べ物ネタが多い工藤らしい歌になっている。「生米」はちょっと生硬か。六首目もおもしろい歌だ。スーパーマーケットで買い物をしている。グレープフルーツを買おうかやめようかと迷っているのだが、そう言えば魂の大きさはこれくらいかという考えがふと浮かぶ。七首目、「生きるとは湯気を立てることだ」というのはすごい独断だが、確かに私たちは食事の準備やお茶を淹れるのに毎日のように湯を沸かす。シャワーを浴びる時にも湯気は出る。その向こうに頭から湯気が出るほど怒っている場面も見え隠れする。八首目の観覧車は歌人の好む主題である。私は観覧車の歌を見つけると書き留めているが、ずいぶんな分量になる。上句の「観覧車まるく晩夏を切り取って」が情景で、観覧車を遠くから見る絵になる。下句では一転して観覧車のゴンドラの中に視線が飛び、乗っている二人に焦点が結ばれる。ちがう戦場を抱えているとは、分野は異なれ同じように毎日奮闘している若い二人ということだろう。

 上に引いたような歌は、従来の近代短歌のコードできちんと読むことができる。そしてよく考えられて作られたよい歌だと思う。しかしこれが工藤玲音らしい歌かというと、それはいささか疑問なのである。一巻を通読して私は上に引いたような歌よりも、次のような歌に工藤らしさを感じてしまう。

将来は強い恐竜になりたいそしてかわいい化石になりたい

まっさきに夏野原きて投げキッスの飛距離を伸ばす練習をする

缶詰はこわい 煮付けになろうともひたむきに群れつづけるイワシ

死はずっと遠くわたしはマヨネーズが星形に出る国に生まれた

青春にへんな音する砂利がありその砂利を踏むわざと、いつでも

啄木を殴りたい日のもろもろと手許に零れる紅茶マフィンは

苛立った友がわたしを批判するお昼の海苔が付いたくちびる

自転車のハンドルすこし湿っている五月最初の早退日和

 一首目、将来は恐竜になりたいとはどういうこと? 恐竜は何千年も前に絶滅した生物である。恐竜には過去しかなくて将来はない。続けて化石になりたいときては卒倒しそうになる。二首目、東北地方の夏は短い。短い夏に野原に来て、投げキッスの練習をするというところに圧倒的な若さがある。三首目もお得意の食べ物ネタで、犇めいて缶詰に詰められているのはたぶんオイルサーディンだろう。つぶつぶや小魚などの密集を怖れるのにはトライポフォビア(集合体恐怖症)という名前が付いているそうだ。四首目、若い人にとって死は遠くに霞んで見えない。また確かにマヨネーズが星形に出る国は日本くらいのものだろう。日本はなくてもよい気配りに溢れた国である。関係のないこのふたつを繋げたところがおもしろい。五首目、変な音がする砂利とはできれば避けて通りたい事態の喩だろう。避けようと思っているのに踏み込んでしまうことは誰にもある。工藤なら特にありそうだ。六首目、「啄木を殴りたい日」は乱暴だが、この辺がいかにも工藤らしいのである。七首目、自分を批判する友人の唇に弁当の海苔がこびり付いているという些末事が短歌らしい。八首目は学校に行きたくないという青春の憂愁を、少し湿った自転車のハンドルで表していて秀逸。

 最初に引いた付箋の付いた歌とどこがちがうか。付箋の付いた歌では、「想い」と「情景」とが五・七・五と七・七に振り分けられていて、外を向く視線と内を向く視線の両方があるために、一首の中に屈折と奥行きがある。そういう意味では「お行儀のよい歌」である。これにたいして次に引いた歌は「想い」の分量が増えて、歌によってはそれだけで押し切ろうとしているものもある。だからこそパワーがあって、青春の熱量を感じ取ることができる。上に書いたような意味ではお行儀がよくない歌なのだが、誰が工藤にお行儀の良さを求めるだろうか。もちろんこれは実生活における行儀のことではなく、創作における話である。という訳なので、工藤には変にお行儀よくならず自分の道を貫いてほしいと願うのは、言うまでもなく老婆心にすぎない。

たわむれに月の磁石をつけられて大きな梨を抱く冷蔵庫

とっておきの夏がわたしを通過する鎖骨にすこしだけ溜めておく

葉桜の葉言葉は「待つ」三つ折りのメニューをお祈りみたいに閉じて

雨上がり父がわたしに投げ上げるひかりまみれの鍵の凹凸

Eternal loveと訳され庭園の看板さびている花言葉

日没に間に合うために駆けるとき滅びたがっているわたしたち

 その他に心に残った歌を引いた。三首目の「葉言葉」は工藤の造語だろう。喫茶店かファミレスの椅子に座って恋人を待っているのだ。五首目と六首目は珍しく翳りを帯びた歌である。

 「ねむらない樹」5号に工藤を知る人がその人となりを綴った文章が集められている。その中に千種創一が𠮷田恭大と連れだって仙台に行き、東北大学短歌会の面々と会った思い出を書いたものがある。工藤は「エネルギーに溢れる人物」だったという。そうだろう。それは俳句やエッセーを読めばわかる。『水中で口笛』もまたそんな工藤のエネルギーを感じることのできる歌集となっている。

 

第302回 神野紗希『すみれそよぐ』

すみれそよぐ生後0日目の寝息

神野紗希『すみれそよぐ』

 掲句は句集タイトルが採られた句である。隣で眠る赤子は生まれたばかりでまだ1日も経っていない。その赤子の寝息は菫の花をそっと揺らせるほどのかそけさである。耳をすませないと聞こえないくらいの寝息でも、そこには確かな生命が感じられる。出産から30分後に手術台の上で詠んだ句だというから驚く。

 『すみれそよぐ』 (2020年11月) は『星の地図』『光まみれの蜂』に続く著者の第三句集である。2012年から2020年までの8年間に作った句のなかから344句が収録されている。この時期は作者の20代から30代半ばに当たり、結婚・出産・育児という人生の大きな出来事が起きた時間がこの句集に納められている。おそらく編年体で編まれているので、句集の冒頭付近に置かれてある句は20代前半に作ったものだろう。

くちづけは一秒サイネリア全部咲いた

突堤に自転車春は二ページ目

細胞の全部が私さくら咲く

どこへでも行けるアスパラガス茹でる

あたらしい水着のはなしサラダバー

 季節が春から初夏ということもあって、明るく若々しい句が並んでいる。一句目は恋人とのキスの印象を、鉢植のサイネリア(シネラリア)が一気に咲くという喩で詠んでいる。二句目は港の突堤に自転車を停めている場面。強い風が吹いているだろう。まだ春は二ページ目にしかならない寒さである。三句目、細胞の全部が私だと断言できるのが清々しい若さである。溢れる活力は四句目にも見られる。五句目は女友達とファミレスのサラダバーで夏の前に買った水着の話をしている場面。どれも神野の俳句の特色である若々しくしなやかな感性がよく出ている句だ。

マリッジブルー屋根から雪の落ちる音

春氷薄し婚姻届ほど

飛花落花中庭パティオに燕尾服の父

蜜蜂もくぐれよエンゲージリング

引越し完了かさ立ての春日傘

 やがて作者は結婚して新居に越して新生活が始まる。多少のマリッジブルーはあれども、明るい新生活を予感させる句が並んでいる。そして次のような句が続く。

新妻として菜の花を茹でこぼす

お義母さんよりのメロンや木箱入り

絶海や水母ふたつが並び浮く

金柑を載せ新婚の鏡餅

夫の呼ぶ我が名かがやく冬すみれ

 初々しい新婚生活を詠んだ句である。絶海に浮かぶ二つの水母は新婚夫婦の二人の喩であろう。そして妊娠・出産の句があとに続く。

抱く便器冷たし短夜の悪阻

雲ぽこぽこ羊水ぬるむ水温む

春光に真っ直ぐ射抜かれて破水

担架から仰ぐ青空風光る

いぬふぐり花びらほどの爪を切る

ハンカチの薔薇の刺繍も乳くさき

 まるで実況中継のようだが、予定日前に破水し、救急車で病院に運ばれて帝王切開で出産したという。赤子は呼吸が弱いため、集中治療室に一時置かれたらしい。これ以降は赤子の生命を感じ優しく見つめる歌が続く。

 おそらく人が最も懸命に神仏に祈るのは、出産を待つ時だろう。「どうか無事に生まれてくれ」という願いは神や仏に向ける以外に術がない。また人がいちばん神を感じるのは、生まれた赤子を見たときだろう。私も娘が誕生したとき、10本の指先に桜貝ほどの爪がちゃんとあるのを見て、神は何一つお忘れにならなかったと感謝したものだ。作者もあとがきに、子供が生まれて生命の愛おしさを感じると同時に、世界はもろく壊れやすいものだと実感したと綴っている。おそらくは出産を経て新しい感覚が体内に新しく生まれただろう。この後、子育てに奮闘する句が続く。

 ところが、である。読み進むうちに次のような句に出会ってドキリとした。何やら不穏な気配が漂っているではないか。

梨ざらりいつより我に触れぬ指

愛なくば別れよ短夜の鏡

抱き合える火事の夫婦の愛羨し

 そしてまことに残念なことに私の感じた予感は的中し、この後に次のような句が続くのである。

寒紅引け離婚届にくちづけよ

もう泣かない電気毛布は裏切らない

Tシャツの干し方愛の終わらせ方

行き止まりなれば空見る春隣

人生ゲーム抜けてさくらのすべり台

オルゴール必ず止まる雪柳

 女性歌人の第一歌集の場合、一冊の中に恋愛、結婚、出産、育児、離婚という女性の一生の縮図が詰まっていることがときどきあるが、句集ではあまり見ないような気がする。俳句は短歌ほど作者の境涯を映し出さないのだが、本句集に限っては句と作者の距離がとても近い。子供の誕生が詠まれていることもあり、巻を一読して何か大きなものに立ち会ったような読後感が残る。

舟遠くとおく朽ちゆく苺パフェ

ひかりからかたちへもどる独楽ひとつ

花筏光になりたくて急ぐ

ヨーグルトに透明の匙みなみかぜ

空缶にちちろ一匹分の闇

蝶触れしさざなみしずまりて産湯

はばたいた分だけ沈む秋の蝶

苗札を雀の墓標として深く

月させば水の記憶の貝釦

 特に印象に残った句を挙げた。あらためて神野はしなやかな感性で捉えた言葉を定型に収めるのが上手いと感じる。前の句集でもそうだったが、光を捉えた句が多く見られる。ヨーグルトに添えた透明のガラスの匙にも光が屈折しているのが見えるようだ。この文章を書いている今、ちょうど桜の飛花落花の季節を迎えていて、三句目のように、家の前を流れる疎水も花筏を浮かべている。

 集中の最後近くに「鯛焼きを割って私は君の母」という句がある。子供と鯛焼きを半分こする句である。ここにはこれからは君の母として生きるという決意が感じられる。作者は試練をくぐり抜けて、またひとまわり大きく成長することだろう。

 

王紅花『窓を打つ蝶』書評

 『星か雲か』に続く著者第五歌集だが、著者にとっては特別な歌集にちがいない。最愛の伴侶松平修文の逝去とその後に作られた歌を含むからである。松平は二〇一七年の十一月にほの暗い始原の地トゥォネラへと旅立った。本歌集の第一部と第二部は截然と分断されている。第一部は松平がいた世界、第二部は松平がいない世界である。

重篤の病に臥せる人の耳死に神のごと敏くあるなり

輸血停止申し出し翌る朝きみの山を眺むる水色の目よ

病院に人溢れ暗く動きをりわれら昨日までこの中にありき

凄まじき形相に向かひ合ふ時のありき死へ向かふあなたとわたし

花守となりて夜ごとに水をやる部屋に溢れてむせかへる供花

 松平と王は手と手を取り合い病と闘うが、薬石効なく松平は旅立つ。四首目を読めば二人がどのように死と向き合ったかが知れて心を打つ。

つまとよく歩きし名栗川に来てしばらく泣けり揺るる枯れ芒

死んでゐるあなたは仏間にわたくしは生きて汚した洗ひ物干す

コロッケが二つ そのなんでもないことの なんでもないそのコロッケ二つ

寝室の薔薇柄カーテン見覚えてゐるでせう夜はそこへり来よ

 最愛の人を失い作者は文字通り空洞と化したことは想像に難くない。普段ならば二人分四つ買っていたコロッケが、一人分の二つになったという些細な変化にも心が締め付けられる。想いが溢れて破調になっている。到る所に松平の影が揺曳する本歌集は文字通り慟哭の書である。

 とはいえ王の歌風の特質にも触れておかねばらならない。集中の次のような歌に立ち止まった。

毒ガスをあぐる硫黄山廻りつつ老若男女何故かにやつく

イヌシデは地方によりてアヲシデ、アカシデ、シロシデと呼ばれて

公衆浴場にひとりとなりしとき老女は犬掻きをしてみる

 硫化水素の漂う山で人々がにやついたり、イヌシデの名に地方差があったり、銭湯で老女が犬掻きしているなどというごく些細なことを王はよく取り上げて歌にする。それは王の歌の源が、何かの出来事と心が触れ合った時のかすかな摩擦感にあるからだろう。それをそのまま歌にするところに王の歌風の特質がある。結果として乾いたユーモアの漂うこのような歌に作者の目から見た世界の捉え方が透けて見えるようだ。最後に特に印象に残った歌を挙げておく。

バス停に本読む老人ひとよ桜散るこの世の何を知らむとや急く

『短歌往来』2021年3月号に掲載

盛田志保子『木曜日』書評

 二〇〇〇年(平成十二年)に『短歌研究』の八〇〇号記念として企画された「うたう」作品賞は、その後の短歌シーンの流れを作る重要な企画だった。この賞の応募者から多くの歌人が育ったが、作品賞を受賞したのは当時二十歳の大学生だった盛田志保子である。受賞作「風の庭」五〇首を含めた第一歌集『木曜日』は二〇〇三年に出版された。長らく入手困難だったこの歌集が、書肆侃侃房から現代短歌クラシックスの一巻として再刊されたのは喜ばしい。本歌集を開くと、二十歳の若さでしか詠めない歌が当時の瑞々しさのまま保存されている。

藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜

秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨

春の日のななめ懸垂ここからはひとりでいけと顔に降る花

 若者が抱く未来への漠然とした不安や、自分がまだ何者でもないという不全感が、藍色のポットや夢の中に降る雨や降り散る花という歌のアイテムに投影されている。

 「うたう」作品賞は、穂村弘の言葉を借りれば、「修辞の武装解除」「棒立ちのポエジー」というその後の短歌の流れの発端となったのだが、盛田の歌にはしっかりと修辞があることに注意したい。とりわけ結句の着地の仕方がうまい。右に引いた「ひとりでいけと顔に降る花」や次のような歌がそうである。

廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節

はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月

 のびやかな言葉の選択の中に清新なポエジーが滲んでいる。特に注目されるのは木漏れ日のような陰翳だろう。

 その後所属する結社「未来」の歌誌に発表した近作が「卓上カレンダー」と題して巻末に収録されているのも嬉しい。

かなしみは一人に一つかきごおり食べ切るころに鳴る稲光

笑いあう夏の記憶に音声はなくて小さな魚が跳ねる

※「しんぶん赤旗」2021年3月7日号に掲載

第301回 笹川諒『水の聖歌隊』

冬には冬の時間があってひとときの余白を病める土鳩のように

笹川諒『水の聖歌隊』 

 笹川諒は長崎県諫早市生まれで「短歌人」所属の歌人である。年齢は定かではないが、写真から判断するに30代と思われる。『水の聖歌隊』は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻として上梓された第一歌集で、今年 (2021年)の2月に出版されたばかりだから出来たてほやほやだ。監修と解説は「短歌人」の先輩にあたる内山晶太が担当している。

 まず歌集タイトルに引き寄せられる。「水」は「火」と並んで現代歌人のお好みのアイテムだが、「聖歌隊」との組み合わせはユニークだ。「聖歌」はカトリックの呼び方なので、荘厳な聖堂に響く歌声が連想される。作者は歌集に音楽の共鳴を与えたいと望んでいるようだ。

 掲出歌を見てみよう。「冬には冬の時間があって」では、存在の動詞「ある」のテ形(日本語学ではこのように呼ぶ)で切れている。森田良行の『基礎日本語辞典』(角川書店)によれば、助詞のテは「ある叙述から次の叙述へと移るときの橋渡しとして用いる繋ぎの語」とされている。しかるにこの歌では「あって」に繋がる次の叙述が欠落している。連接されるのは「ひとときの余白を」という動詞を欠いた目的語と、「病める土鳩のように」という直喩である。この二つは倒置法に置かれているので、正置に戻すと次のようになる。

 (A) 冬には冬の時間があって

 (B) 病める土鳩のように

 (C) ひとときの余白を

 このように並べ変えると、最後に欠けている動詞は「過ごす」か「送る」だろうと推察できる。つまりこの歌は、通常の日本語の統辞法を意図的に解体して作られたものである。頭から読む人は、あるべきものがない区切りで躓き、崖から落ちそうになり、迷路を辿るように進むことを余儀なくされる。なぜわざわざそんなことをするのか。それは統辞法を意図的に脱臼させることで、日常言語を詩的言語へと押し上げて、ポエジーを発生させるためである。そして作者はこの点について極めて意図的で計画的なのだ。

椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって

どこかとても遠い場所から来たような顔を思った夏のグラスに

文字のない手紙のような天窓をずっと見ている午後の図書館

呼びあってようやく会えた海と椅子みたいに向かいあってみたくて

僕たちの寿命を超えて射すひかりの中で調弦されてリュートは

 歌集冒頭あたりから引いた。一首目は巻頭歌である。見てわかるように、どの歌も日本語の統辞法を攪乱するように作られている。特に目立つのは助詞の「て」と「は」で終わる言いさし感である。

 「言いさし感」と書いてたった今頭に浮かんだのが平井弘だ。

少年のごとしと今朝の頬を言う欺くことに誰も馴れてきて

困らせる側に目立たずいることを好みき誰も味方でもなく

あの夏はまだ友なりし若い母に仔犬のように児が抱かれて

でも今はだめためらわずその膝を汚せる傷を負いうるなどと

 笹川の歌の言いさし感はどこか平井弘のそれに似ている。ひょっとしたら影響を受けているのかもしれない。

 平井の短歌も笹川の短歌もゆるやかな定型感覚を持つ口語短歌なのだが、その言語が現在の若手歌人に広く見られる会話体口語とは異なることに留意しておきたい。会話体口語は現実にそのように話す人がいてもおかしくない言語だが、平井や笹川の口語はそんな風に話す人はいない詩的に構築された口語である。この差はとても大きい。

 笹川の作品世界にもう少し入り込んで見てみよう。

飼い慣らすほかなく言葉は胸に棲む水鳥(水の夢ばかり見る)

手のひらを窪ませるならそれはみなみずうみそして告げない尺度

あなたがせかい、せかいって言う冬の端 二円切手の雪うさぎ貼る

ソ、レ、ラ、ミと弦をはじいてああいずれ死ぬのであればちゃんと生きたい

こころが言葉を、言葉がこころを(わからない)楽器のにおいがする春の雨

 作者の心の中に住んでいると思われるアイテムは、上に引いた歌にほぼ登場している。外形的特徴から見ると、パーレン、一字空け、読点の使用によって、平板になりがちな歌の内部に段差や位相の差を生み出して重層化を図っている。これは現代の歌人がよく使う手法であり、珍しいことではない。笹川の個性は、一首の歌をまるで完結しない一行詩のように作っているところにある。一首一首の歌がまるでショートショートのようだ。蛇足ながらショートショートとは、ものすごく短くて不思議な味わいを後に残す物語のジャンルをさす。また笹川の歌では多くの場合、5Wと1Hがなく、論理的な連関が意図的に解体されている。また短歌の中で作中主体として歌のリアリティーを支える〈私〉も不在だということも、特筆すべき特徴だろう。

 意味に踏み込むと、作者の心を捉えているのは「言葉」と「死の想念」である。上に引いた一首目と五首目にあるように、作者にとって言葉とは飼い慣らすほかないものであり、また心が言葉を呼んでいるのか、はたまた言葉が心を生んでいるのかも判然としない。このように「こころ」(=想念、意味)と「ことば」(=表現媒体)の間を浮遊することによって、明滅する心象と言葉とがない交ぜになって生まれている。

 四首目の「ソ、レ、ラ、ミ」はギターの開放弦の音程である。ミの弦は2本あるので、まだ弾かれていないのは「シ」(=死)であり、これは死への想念を詠んだ歌なのだ。集中には「食事という日々の祭りの只中に墓石のように高野豆腐は」「自分から死ぬこともある生きものの一員として履く朝の靴」という歌もあり、死への想いが作者の心を捉えていることがわかる。光があれが影があるように、生があれば死があるのは必定である。古人はそれを「われアルカディアにもあり」と言った。

平行に並んで歩けば舫われた舟のよう はるか鉄琴の音

逝く夏に画集ばかりを見るひとの眼差しはどこか伝令に似て

感情をひとつ放ればきらめいて住むことのない街のトルソー

半音階で鳴く鳥のためしばらくはみんな黙っている夜明け前

遠い国に桜ひととき降りしきるまぼろしの為に飲むズブロッカ

指差せば遠ざかるのが夏であると知っていながらゆくモロー展

きっと覚えておけると思うアラベスクいつか壊れてゆく体ごと

 歌集の残りの部分から心に残った歌を引いた。音楽は低くどこかに響いているようだ。六首目のモロー展は、昨年アベノハルカス美術館などで開催されたギュスターヴ・モロー展だろうか。

 笹川は所属する「短歌人」会が開催する高瀬賞を昨年受賞しているのだが、不思議なことに受賞作「とある帰省」は本歌集に収録されていない。受賞作が発表された『短歌人』2020年7月号を見ると次のような歌である。

手になじむ歌集とともに帰りつく「過ぐれ諫早」と詠まれた町に

久々の実家は猫に以前より長く説教する父がいる

過去の自分も一緒に歩いているような気がしてカステラは二つ買う

パルファンという唯一あった映画館が潰れて子ども食堂だった

水害の被害写真をよく見ると今より建物の多い町

 『水の聖歌隊』に収録された歌とは驚くほどちがう近代短歌で、ここには5WとH1があり、しっかり〈私〉がいる。笹川はこういう歌も作れるのである。なるほどこれはテイストが違いすぎて、『水の聖歌隊』には収録できないだろう。すると「とある帰省」はこの先ずっと未収録歌として残されるのかと、人ごとながら少し心配になる。

 最期に笹川の作歌をよく示していると思われる歌を挙げておこう。

知恵の輪を解いているその指先に生まれては消えてゆく即興詩

 笹川にとってポエジーを生み出す言葉の組み合わせは、まるで知恵の輪のようなもので、指先の遊びの中からあえかな一行詩が明滅するように生まれて来るのだろう。