変わりたいような気がする廃屋をあふれて咲いているハルジオン
北山あさひは1983年生まれ。高校の国語の時間に短歌と出会い、歌を作り始める。しばらく作歌を中断した後、2013年にまひる野に入会。翌年にはまひる野賞を受けている。2019年に第7回現代短歌社賞を受賞。受賞作がそのまま第一歌集『崖にて』として現代短歌社から2020年に出版されると、翌年第27回日本歌人クラブ新人賞と、第65回現代歌人協会賞を立て続けに受賞して注目されることとなった。『崖にて』の帯文は島田修三、装丁は花山周子。
「現代短歌」2020年1月号に第7回現代短歌社賞の選考座談会が収録されている。選考委員は、阿木津英、黒瀬珂瀾、瀬戸夏子、松村正直の四名。「崖にて」は予備選考で最高点を取り、第二位だった森田アヤ子の「かたへら」とダブル受賞となっている。現代短歌社賞の選考では、たいてい2名ずつ2組で意見が分かれるのだが、今回は瀬戸が10点、残りの3名が9点を付け、珍しく得点に大きな開きがない。しかし松村と黒瀬は森田アヤ子「かたへら」に10点を付けたので、両者の競り合いとなった。瀬戸はのっけから「読んだときに今回はこれで決まりかな」と思ったと言い放ち、終始北山を推す論陣を張っている。曰く、「人生の経過をバランスよく詠みこむつくりになって」いて、「表現に新規性があり、構成は王道で」あると持ち上げている。これに対して黒瀬は、最初は10位以内に入れていなかったが、読み返す度に順位が上がったとする。不思議な迫力がある反面、自虐が強く表現に拙いところがあるとも述べている。松村は「芯の強さを感じさせる文体」と評し、北海道に住む地域性があり、家族を詠んだ歌もよいと評価している。阿木津は9点を付けた割にはネガティヴで、特に「ピクニック、ぶらんこ、痴漢、蝶の刺繍入りのブラジャー 春の季語クイズ」のようにシンタックス(統辞)をぶつぶつ切る文体に苦言を呈している。
さて北山はどのような歌を詠むのだろうか。評価の高かった「グッドラック廃屋」から引く。掲出歌もここから採っている。
いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい
三十代過ぎればぽっ、ぽっ、と廃屋ばかり光って見える
湿地から漁村へ抜けてゆくバスの窓辺でわたしは演歌の女
美しい田舎 どんどんブスになる私 墓石屋の望遠鏡
約束の数だけ長く生きられる駅から光こぼれやまず
母でなく妻でもなくて今泣けば大漁旗のハンカチだろう
ハズレくじ三枚ぎゅっと丸めたら明るくなって春の曇天
一首目は、現在置かれているつらい境涯からの脱出願望とジェンダー意識を並列した歌である。「いたい」「したい」と語尾が揃っていて、独り言感が強い。二首目、「廃屋」というのがこの連作のキーワードなのだが、それは残念なものとして捉えられている人生の側面のようだ。廃屋ばかりが目につくとは、振り返るとそのような場面ばかりが頭に浮かぶということか。三首目はどこか本音を隠して他の人を演じているようで、「私にはこんな一面もあるのよ」ということだろうか。四首目は三段切れながら話題になった歌である。最後の「墓石屋の望遠鏡」でうんと遠くへ飛ばしている。北山はこのように結句で遠くに飛ばす歌が得意なようだ。五首目はわかりやすい歌。人との約束は生きる希望であり、未来への切符でもある。最後を「こぼれてやまず」とすれば定型に収まるのだが、収めたくなかったのだろうか。六首目は30歳を過ぎてまだ家庭を持たない境涯を詠んだ歌。大漁旗ほど大きなハンカチがいるということである。七首目、何の籤かわからないが、籤に当たったことがない身の不運を嘆きつつも、最後はそれでも元気で生きて行こうという前向きの歌になっている。
一読して気づくのは「生きづら感」だろう。黒瀬は選評で「サバイブ感」と表現している。穂村弘の言を借りれば、「生きる」と「生き延びる」の「生き延びる」の方だ。「生きづら感」は現代の若手歌人の歌に濃淡の差はあれ広く見られるものである。だから北山に特徴的というわけではない。やはり北山の短歌の特色は、黒瀬が「不思議な迫力」と表現したところにあるのだろう。黒瀬は、「現代のちょっとした諦念みたいなものが微妙に出ていて」、「読者に鋭いものを突きつけてくる」、「怖い歌集になるんじゃないかと思います」とも述べている。そのような読後感がどこから来るのか考えてみると、その原因のひとつは言葉のオブラートに包むのではなく、身も蓋もなくズバッと言ってしまう作風にあるように思われる。それは上に引いた歌では、「結婚を一人でしたい」とか、「どんどんブスになる私」とか、「大漁旗のハンカチ」とかに表れている。それが高じると、「顔面で受け止めている波飛沫ろくでなしの子はろくでなし」とか、「こうなればジャン=ポール・エヴァン五千円銀のトレイに叩きつけたろ」のように、何か心に溢れて来るものを吐き出すような歌となって表れる。歌の〈私〉が今どんな人生を送っていようとも、斜に構えたりすることなく、正面からどーんとぶつかっている感じがあり、それが黒瀬の言う迫力になっているのではないだろうか。
現代短歌社賞の選考座談会でも評価が高かったのは家族を詠んだ歌である。
夏雲のあわいをユー・エフ・オーは行くきらめいて行く母離婚せり
父は父だけの父性を生きており団地の跡のように寂しい
紙という燃えやすきものにわが家あり戸籍謄本抱いて走る
ちちははの壊れし婚にしんしんと白樺立てりさむらい立てり
北山の両親は離婚し北山は母親の籍に入っている。一首目は四句までは夏空を悠然と進む未確認飛行物体をゆったりと描き、結句でシーンを切り替えてストンと落としている。この手法はどちらかと言うと「未来」流なのだが、北山お得意の手法である。二首目では「団地の跡」という喩がおもしろい。高度経済成長の時代に立てられた大規模団地だろう。三首目では自分の家の根拠が戸籍謄本という紙の中にしかないという心細さが詠まれている。四首目では唐突に「さむらい」が登場するが、これは北山にとっては心を奮い立たせるときにイメージするアイテムのようだ。とてもコミック的である。
作者は札幌のテレビ局で非正規職員として働いている。次の最初の三首は東日本大震災が起きた時のテレビ局の様子を詠んでおり、後の三首は2018年に起きた北海道胆振地方の地震の歌である。
わたくしを心臓が呼ぶ東北に緊急地震速報起てり
ブザーより一秒早く回り出すパトランプ、赤、誰か走ってる
一枚のFAX抱いて駆けて行く 字幕を作る 津波が来ると
Tさんが「カメラ回して!」と叫びつつ消えてゆく暗い廊下の先へ
バッテリーライトに照らし出されたる報道記者の顔のはんぶん
揺れていますスタジオも揺れています揺れてもきみは喋り続けよ
震災を詠んだ歌は多くあるものの、このように災害発生時点での報道現場を詠んだ歌は少ない。体験した人にしか表せない迫力があり、証言としても貴重だ。
笑ったのは次の連作で、どうやら作者は身代限りを企て、大金をはたいて東京は目白にある椿山荘に宿泊したらしい。明治の元勲山縣有朋の旧宅で、キッチュで豪華な内装で知られたホテルである。
北山様、北山様と呼ぶ声に痴れてゆくなりCHINZANSO TOKYO
やたらと壺、それにいちいち手を触れてキタヤマサマは非正規職員
苛立ちはざくりと兆しあの庭もこの絵も燃やしたろか 燃やせぬ
その他に心に残った歌を挙げてみよう。
花びらのごみとなりたる一瞬にこころの水平つめたく測る
秋のあさ秋のゆうぐれこくこくと人の静脈あおざめゆくも
群青の胸をひらいて空はあるかけがえないよさみしいことも
大きさを確かめるため芍薬に拳をかざす路地仄暗し
夏薔薇はコンクリートに咲きあふるいのちに仕事も貯金もなくて
ひとりじゃないようでひとりだ梨を剥き梨に両手を濡らしていれば
さわらせてほしい背中の骨格のどこかに春のスイッチがある
遠のいてしまうとしてもがたんごとん路面電車は夕風のなか
くちづける猫のあたまの小ささよ悲しいことはヒトの領分
傘差してなお少しずつ体濡らす人々に守りきれぬものあり
帰るべき星のなければあの夏のサン=テグジュペリ空港を恋う
断っておくが、これはあくまで私の好みに従って選んだもので、必ずしも北山の作風のベースラインを表しているわけではない。北山らしいのはむしろ、「だれもいないタオル売り場に左手を埋める尼にはどうやってなる」とか、「あかね雲グラクソ・スミスクラインのクソの部分を力込めて読む」のような歌だろう。
こうして書き写してみると、帯文で島田修三が書いているように、作者には韻律を感受する優れた耳があるようで、定型に落とし込む手つきが確かである。最後の歌のサン=テグジュペリ空港はフランスのリヨンの空港である。昔はサトラス空港という名前だった。北山は数週間フランスでホームステイした経験があるらしい。
謎なのは「崖にて」という歌集の題名である。崖という語は何首かの中に登場している。
お豆腐はきらきら冷えて夜が明ける天皇陛下の夢の崖にも
掌の中に小さく祈るちいさくちいさく心の果てに崖はひらけり
もし崖の上にいるのなら、崖とはもう一歩退けば真っ逆さまに転落する境界となる。もし崖の下にいるのならば、それは行く手を阻む越えがたい障害となるだろう。しかし歌集を読んでもどちらかの像に収束することがない。おそらくは北山の心の中にときどき明滅する何かのイメージなのだろう。
卓袱台をひっくりかえす荒くれの心に卓袱台なければうたを
北山にとって短歌がどういうものかを雄弁に語る歌である。卓袱台返しは『巨人の星』の星一徹で広く知られるようになった。両親は離婚し、自分は非正規雇用という不安定な身分で働かざるをえないという状況に、怒りが爆発すると卓袱台をひっくり返したくなるのだが、いかんせん現代の生活にもう卓袱台はない。北山にとって短歌とはひっくり返す卓袱台の役割を果たしているのであろう。これもまた短歌の効用のひとつと言うべきだろうか。