第305回 門脇篤史『微風域』

くれなゐを久遠に閉ざすかのごとく光をおびてゆくりんごあめ

 門脇篤史『微風域』

 先日、思い立って京都にオープンしたばかりの泥書房に行った。京都流に言うと、新町通六角下るにある京都逓信病院の向かいの狭い路地を入った所にある。路地の入口には看板も標識も出ていないので、知っている人しかたどり着けないという隠れ家的書店である。三軒長屋の一軒を改装して書店にしている。染野太朗さんが店番をしていて、ていねいに応対していただき、楽しいひと時を過ごすことができた。その折りに購入したのが門脇篤史『微風域』(現代短歌社 2019年)である。帰宅して開いてみると、著者サイン本だった。泥書房についてはまた別の機会に詳しく書くつもりである。

 本歌集は「風に舞ふ付箋紙」というタイトルで、2018年の第6回現代短歌社賞を受賞した作品である。ふつうの短歌賞は30首とか50首の短歌を募集しているが、現代短歌社賞のユニークな点は、そのまま歌集として出版することを前提に、300首の提出が求められているという点だ。300首作るのはたいへんなことと思うが、この年は104編の応募があったというからすごい。その中で見事受賞したのが門脇篤史の「風に舞ふ付箋紙」である。次席は笠木拓の「はるかカーテンコールまで」と山階基の「風にあたる」で、この2作はすでに歌集として出版されている。

 『現代短歌』2018年12月号に選考座談会が掲載されていて、これがなかなかおもしろい。選考委員は阿木津英、黒瀬珂瀾、瀬戸夏子、松村正直の4名。「風に舞ふ付箋紙」は選考委員が行なった点数制の投票で最高点を獲得している。阿木津と松村は最高点の10点、黒瀬と瀬戸は6点を入れている。松村曰く、現代の都市に生きる若い男性の、仕事の歌や日常の歌を中心に構成されていて、力のある作者であると、高く評価している。阿木津曰く、31歳にしては内面的に成熟していて、思弁的なところがよい。批評意識もあり、比喩もうまいとこちらも高評価である。おもしろかったのは瀬戸の弁だ。この作品を見たとき、「これで決まりかな、うーん、嫌だな」と感じたという。その理由が×を付けた歌が2首しかなかったというのである。他は○か△しかつかなくて、それが不気味だと続けている。日常を流れるように秀歌にしていくマシンのようで、読んでいて怖くなったという。黒瀬も瀬戸の意見に同意して、レトリックで見ればこの作品が群を抜いているが、その反面驚きがなく、世界を淡々と肯定している所に若さがある。作者の感情に世界をとりこまない潔癖さが若く、青臭いとまで言っている。

 なかなか考えさせられる発言だ。阿木津や松村が「よい歌」と考えるものと、黒瀬や瀬戸が○を付ける歌が少しずれているのである。ほんとうは黒瀬も自分ではレトリックを駆使した歌を作っているので、阿木津・松村軍勢の一員なのだが、短歌賞の選考委員という立場から、受賞作に何を期待するかという観点から発言しているのだろう。阿木津や松村は、短歌定型を基盤とし、レトリックや喩を用いて現実の出来事やそれに喚起された感情をていねいに定着する歌をよい歌としている。一方、瀬戸の目にそれは、何でも掬える柄杓、触れるだけで何でも金に変えてしまうミダス王の手 (英 Midas touch)と映るのだ。瀬戸には従来の短歌定型にたいする深い懐疑がある。それがこのような発言として表面化しているのだろう。一方、黒瀬は作者の力量を十分に認めつつも、新人を世に送り出す短歌賞に期待される新しさや破壊力がない点を残念がっている。しかしこのような選考座談会での委員の発言は、裏を返せば門脇の短歌作者としての力量が極めて安定して高いということを実証しているようなもので、本人にとっては栄誉なことと見なしてよかろう。

 前置きが長くなってしまった。作者の門脇篤史は1986年生まれ。2013年から作歌を始め、短歌投稿サイト「うたの日」に投稿する。2015年に「未来」に入会し、大辻隆弘の選を受ける。2016年に未来賞を受賞している。現代短歌社賞に応募した時は、作歌を始めてから5年しか経っていない。短期間でこのレベルの作歌能力を身に付けるとは驚きだ。作風は師の大辻と同じく端正で細やかな文語定型である。歌集冒頭のあたりからいくつか歌を引いてみよう。

曇天をしんと支ふるビル群の一部となりてけふも生きをり

ひと月を賭して作りし稟議書の分厚き束に孔を穿ちつ

紙袋ばかり増えゆく日常に低温火傷のやうな出会ひを

天上のスピーカーからこぼれ落つ死んだ男のピアノの音が

tempo rubato. 崩ゆる世界の表面を自由自在に雨は鳴らせり

 一首目は作中の〈私〉が生きる日常を詠んだ歌である。〈私〉は勤め人としてビルの中で働いている。聳え立つビル群は、まるで低く垂れ込める曇天を下から支えているようでもある。〈私〉はおほかたの勤め人と同様に、個性を剥奪された日常を生きている。結句の「けふも生きをり」に深い感慨が込められている。二首目、稟議書の作成にひと月を費やしたのである。それを綴じるためにパンチで穴を開けている。そこに〈私〉はいささかの誇りを感じつつも、稟議書がどう扱われるかに不安も抱いているだろう。三首目、買い物が入っていた紙袋なのか、それとも職場の資料を入れて保管する紙袋なのか、いずれにせよ紙袋の増加は徒労のメーターである。〈私〉の生きる日常では、燃え上がるような熱い出会いはもとより望めない。せめて低温火傷のような出会いくらいあってほしいと願う。四首目、場所は喫茶店か蕎麦屋か、BGMが流れている。往年の名曲とは、言い換えれば死んだ男の演奏ということだ。五首目のテンポ・ルバートとはイタリア語で「盗まれた時間(テンポ)」という意味。楽譜に書かれた音符・休符どおりではなく、演奏者が自由に緩急を付けるという指示である。ここでは雨音が速くなったり遅くなったりしている様を表している。集中には音楽用語を用いた歌が散見される。作者の趣味だろうか。雨は一切の制約から自由なのに、〈私〉の生きている日常は「崩ゆる世界」つまり崩れつつある世界なのだ。シオランばりの崩壊感覚と言えよう。全体として激しい感情や熱い理想とは無縁な日常が、細部に目を留めつつていねいに描かれている。

 しかしそんな作者の人生にもドラマがなかったわけではない。

両親の稼ぎで買ひし味噌を溶き火を弱めけり けふがはじまる

民法の問題集を解くことをたとへばけふの生きる意味とす

東京に打ちのめされた経験はたぶん何にもならんのだらう

最終の面接試験の日程を指でなぞりてなぞりてなぞる

暗闇に糖衣のやうに包まれて高速バスのシートを倒す

封筒を逆さにすればあらはるる鍵を差し込み扉を開く

なにもない空間ゆゑに目を閉じるあと五日間無職のわたし

前職の記憶はるけし首都高を二度と走らぬ余生と思ふ

 上に引いた歌からストーリーを読み解くと次のようになる。作者は故郷の島根県から京都の大学に進学し、卒業後おそらく東京の会社に就職したのだろう。しかしその会社に馴染めず間もなく離職する。それが「東京に打ちのめされた経験」である。故郷へ戻り、就職浪人生として両親と暮らす。それが「両親の稼ぎで買ひし味噌」である。民法の問題集を解いているのは公務員試験を受験するためだ。四首目の「最終の面接試験」は前職かそれとも公務員試験かどちらかわからない。交通費を節約するため夜行バスに乗って会場のある町に向かう。宿泊するのはおそらく民泊だろう。部屋の鍵が封筒に入って送られて来る。その部屋は何もないがらんとした空間である。その後、作者は無事公務員試験に合格し、今はどこかの地方都市で勤務している。だいたいこういうことだ。

 大学を卒業して就職した人の約3割が3年以内に離職しているそうだから、入社した会社を辞めるのはそう珍しいことではない。しかしそれはあくまで統計上の話である。本人にとっては生きるか死ぬかの大事件だ。その大事件が比較的淡々と詠まれているので、それが選考委員の黒瀬には「感情に世界を取り込まない潔癖さ」と映ったのだろう。しかし私は読んでいて少し異なる印象を受けた。確かに燃え上がるような激情や世界に対する鋭い呪詛はなく、いずれも端正な言葉の中に落とし込まれてはいるが、言葉の背後に燠火のようにくすぶる感情がちらちらとほの見える。それが「けふがはじまる」や「なぞりてなぞりてなぞる」や「首都高を二度と走らぬ」という語句にはつかに感じられるのである。

先月に辞めた同期の消しゴムを遺品のやうにまだ持つてゐる

いつからか蛍光灯は間引かれて我らを淡くあはく照らせり

わたくしをぢつと薄めてゆく日々に眼鏡についた指紋を拭ふ

権力の小指あたりに我はゐてひねもす朱肉の朱に汚れをり

地方自治法のあはひに溜まる解釈に溺れぬやうに夜を進みつ

 地方公務員として働く作者の職場詠を中心に引いた。同期入庁からすでに退職者がいるという現実。節電のために間引かれた天上の蛍光灯は薄い光しか発しない。それはまるで天国から差す救いの光も薄くなるように感じられる。日々のルーティーンワークで自分の個性がひたすら薄められてゆくように感じる。〈私〉のいる場所は権力の小指あたり、つまりは末端で、仕事と言えば書類に印鑑を押して次に回すことである。つづめて言えば「平凡な日常に耐える〈私〉」像ということになる。しかし誰にとっても現代の日常とは多かれ少なかれここに描かれているようなものではないだろうか。女優を恋人にして宇宙飛行士を目指す人のように、毎日を面白おかしく暮らしている人が世の中にそうそういるとは思えない。

原形をたもち続けて雑踏にマーブルチョコのひとつぶはあり

反故を裂き密かに作るメモ用紙きりえきりえと音を立てつつ

青ねぎは屈葬されて真つ暗な野菜室にて冷たくなれり

蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと

押しピンを抜きたるのちに穴ひとつ消ゆることなき穴ひとつ見ゆ

 観察と措辞が冴える歌を引いた。一首目、繁華街か地下街の人通りの多い道路に、なつかしい明治製菓のマーブルチョコがひと粒落ちている。マーブルチョコは様々な色の糖衣にくるまれている。まずその鮮やかな色が目に飛び込む。ふつうなら行き交う人の靴に踏まれて潰れてしまうのだが、なぜか奇跡的に原形を留めている。そこに作者は目を付けた。けなげに原形を保っているマーブルチョコは、世の荒波に揉まれて遭難しそうになる〈私〉の喩とも読める。二首目、役所の書類作りでは大量の反故紙出る。私も教室で学生に配るプリントが必ず余るので、余った分は持ち帰り、鋏で切ってメモ用紙にしている。作者も同じことをしているのだが、この歌のポイントは「きりえきりえ」である。「きりえ」は「切り絵」に通じ、また鋏の音のオノマトペとも取れるのだが、この裏には「キリエ、エレイソン」が隠れている。「主よ、憐れみ給え」というキリスト教の祈りである。私が本歌集を通読して強く感じたのはこの「祈り」である。短歌は祈りに近づくほど人の心の琴線に触れる。門脇の歌には祈りがある。三首目、スーパーで葱を買うと、長すぎて袋に入らないので二つに折ることが多い。冷蔵庫の野菜室に入れるときも同様である。それを「屈葬」と表現した所がこの歌のポイントだ。そこにはもちろん死のイメージが揺曳する。四首目、まず「自分のために」によって、歌の〈私〉が一人暮らしであることがわかる。作者は結婚しているので、たまたま妻が他出した日と取れなくはないが、ここは結婚前の一人暮らしの時期と取りたい。蟹缶は高価なものだ。一人暮らしの男性がふつう開けるものではない。その日に何かあったのだろう。もうひとつのポイントは、缶詰のなかの汁を「海」と表現している点にある。孤独な儀式のようでありながら、海と繋がるところに救いがある。五首目のような押しピンの穴を詠んだ歌が他にないわけではないが、この歌では「穴ひとつ」がリフレインにように反復されていることがリズムと効果を生んでいる。

臨時記号。雨に降らるるけふの日ははつかに移調するごとく濡る

ハムからハムをめくり取るときひんやりと肉の離るる音ぞ聞ゆる

なにもなき日々をつなぎて生きてをり皿の上には皿を重ねて

たましひを抜き取るやうに一本の薄荷煙草をきみから貰ふ

ゆくりなく沈没しさうな軍艦ゆ皿に降りたる魚卵ぞ赤き

生きるため坐るデスクの片隅にインクの切れたペンは立ちをり

ダイソーで買ひし湯呑みの欠けたれば我が悲しみの対価を思ふ

真ん中に穴の空きたるキャンディに傷つきてゆくやはらかき舌

ひえびえと異国のみづに満たされてペットボトルはひかりのうつは

 特に印象に残った歌を引いた。一首目の「臨時記号」は、シャープ(#)やフラット(♭)のように半音の上げ下げを指示する記号のこと。ふつう使う言葉ではないので、門脇は音楽に詳しいのだろう。二首目は選考座談会で阿木津が「思弁的」と褒めた歌。バック入りの薄切りハムを一枚剥ぎ取るという日常的瑣事までが短歌に詠まれるところに、瀬戸の言う「修辞マシン」の本領が発揮されている。しかしここでも「めくり取る」という言葉の選択の確かさに注目したい。また五首目のように対象を名指しすることなく詠む技量も抜群である。これは回転寿司店でイクラの軍艦巻きからイクラがこぼれた様を詠んだもの。軍艦巻きを本物の軍艦に見立てた上句から下句への運びが手練れである。

 歌集題名の『微風域』もよく考えられて付けられている。歌の〈私〉のいる場所は暴風が吹き荒れるほどの所ではない。吹いているのは微風なのだが、そこに生きる青年が日々感じる真綿で首を絞められるやうな閉塞感や焦燥が歌集全体に通底するテーマだろう。楠誓英、阿木津英、内藤明が文を寄せた栞はあるものの、あとがきがない。作者渾身の第一歌集を世に問うのならば、志を述べたあとがきはあってもよかったのではなかろうか。充実の第一歌集である。


 

第304回 本川克幸『羅針盤』

鉢の上にブーゲンビリアの苞落ちぬ思慕燃え残るごときむらさき

本川克幸『羅針盤』

 ブーゲンビリアは華やかな花を咲かせる熱帯性の植物である。その名は『ブーガンヴィル航海記』を著したフランス人探検家ブーガンヴィルにちなむ。色鮮やかな花と思われているものは実は苞葉で、ほんとうの花は中央にある小さな白い部分だという。掲出歌では鉢植のブーゲンビリアの苞葉が時を得てはらりと落ちた情景が描かれている。その苞葉の紫色が遠い人への思慕が燃え残るような色だという。静かな中に秘めた情熱を感じさせる歌だ。「ごとき」を用いた直喩がポイントの歌で、作者は喩に特徴がある人である。

 2017年に砂子屋書房から刊行された『羅針盤』は本川克幸の遺歌集である。本川は2012年に「未来」に入会し作歌を始め、佐伯裕子の選を受けていた。詠草は遠い北海道の地から送られて来たという。それから4年後の2016年に本川は51歳で急逝する。あとがきを書いた夫人によると、砂子屋書房から歌集を上梓するのが夢だったという。その夢は夫人と編纂の労を採った佐伯の手によって死後に叶えられた。

 遺歌集を読むときは少し特別な心持ちになる。若い歌人の第一歌集を読むときは、その清新さの向こう側に、この人の短歌は今後どのように展開してゆくのだろうかという未来への期待がある。しかし遺歌集には当然ながらそれがない。そのことが独特な佇まいを一巻に与えている。もうこの人がこの先歌を詠むことはないという事実が、立ち籠める霧のように一巻を静かに満たすのである。

 しかしながら私が本歌集に惹かれたのには別な理由がある。本川は現職の海上保安官だったのだ。僅かの例外を除いて歌人はふつう職業を持っている。だから本川が職に就いていても不思議はないのだが、海上保安官は珍しい。海上保安官とは、海の上での安全と治安を維持する役目を持つ公務員で、海難救助に携わり密航などを取り締まる海の警察官でもあり、時には武器を所持することもあるという。ばりばりの実務系の職業で、あまり短歌などの文芸には縁がないように思える。しかしながら本歌集を一読すると、本川は繊細な心を持った詩心溢れる人だったことがわかる。

 本川の赴任地は北海道の東端の根室であった。冬期には海が荒れて雪が降りしきる厳しい自然の地である。そんな自然を詠んだ歌がまず目に付く。

東洋の果てなる国の北側の角地のような岬におりぬ

凍りつくポブラも樹氷にならぬ木もしんと静まる朝焼けである

海鳴りにひれ伏しながら眠る夜に回り続けている羅針盤

大時化をしのいだ後の海に飛ぶ鳥よおまえも此処にいたのか

衝撃を受けつつ越ゆる海峡の六メートルの波、けわいしね

まだ冬の風を抱うる港内に浮かび合う白き鳥黒き鳥

 詠まれていのは冬の北の海の厳しさである。しかしながらこのような歌は、漁業関係者など海に携わる仕事をしている人なら詠むこともあるだろう。でも次のような歌はちがう。

ただ青き海原が見ゆせめぎ合う領海線のあちらとこちら

「飛び乗って取り抑えよ」と指示を出すとりもなおさずわれの声音で

本当は誰かが縋っていた筈の救命浮環を拾い上げたり

右腿のケースに銃を差し入れて「彼ら」と呼ばれているそのひとり

〈海に死ぬ〉インドネシアの青年の瞳はこんなに美しいのに

パスポートの凜々しき写真 青年を心肺停止のまま見送りぬ

硝煙の匂は此処に届かねど樟で彫られたるマリア

 一首目、北の海だから領海線の向こう側はロシアである。線を越えた漁船が拿捕されることもあるが、実際に見えるのはただ青い海ばかりである。二首目は緊迫感が漂う歌で、おそらくは日本の領海侵犯をした船を拿捕するために飛び移るように部下に指示をしているのだろう。一歩まちがえば下は冷たい海だ。三首目は波間に漂う救命浮環を拾い挙げた場面。誤って船から外れたものかもしれないが、遭難した船員が縋っていたのかもしれない。その昔、海は「板子一枚下は地獄」と言ったものだ。四首目も緊張感が漂う。領海侵犯した船か、密輸している船か、臨検のために武装しているのである。相手は自分たち海上保安官を「彼ら」と呼んでいる。五首目は海難救助に場面で、助けたインドネシアの青年が努力の甲斐もなく死亡したのである。六首目はその続き。七首目はやや場面がわかりにくいが、相手は密漁船か何かでこちらに向けて発砲しているのだ。木造船の船首には木彫りのマリア像が飾られている。聖母マリアは船乗りの安全を守ってくれると慕われているのである。

 分類からすれば職業詠ということになろうが、その職業が特殊なものであるために、他に類を見ない歌となっている。明治以来の近代短歌には民衆の詩としての性格がある。現在でも全国紙の新聞には歌壇の欄があり、毎週何千通という投稿が送られて来る。短歌を作っているのはごくふつうの市井の人だ。これは世界的に見てもとても珍しいことである。昔は自分の職業を歌にした職業詠はふつうにあったが、近年の歌集にはあまり見られない。どんな暮らしをしている人が詠んだ歌なのか、ちっともわからない歌が多い。そんななかで本歌集は一際異彩を放っていると言えよう。

 任務に就くと海に出て一定の期間家族と離れて暮らすことが多いためなのか、本川が作る歌には遠くにある手の届かないものに思いを馳せるものがよく見られる。

秋の日の言葉を包む封筒に百舌の切手を貼る「飛んでゆけ」

便箋をひらけばわれに届きたるほんの少しの愛に似たもの

再会を願う手紙も書かぬまま心地よくまた夏がすり抜ける

はるかなる手紙に記す空のいろ空のいろはるかなる手紙に

君のいる街が遠くに見えている雪のなか君の街がとおくに

 最後の歌は海上から陸を遠望している歌だが、その他は誰に宛てたものなのか手紙の歌である。機密保持のために携帯電話やメールの使用が制限されているのだろうか、とにかく手紙の歌が多い。そのためか、人との繋がりが古典的と言ってもよいものとなっていて、あらためて短歌にはSNSより手紙がよく似合うと思わされる。

 わずか4年足らずの歌歴なのだが、その歌風に変化がないわけではない。解説を書いた佐伯も触れているが、編年体の歌集後半に差し掛かるあたりから、翳りを帯びた歌が多くなる。

海の上に凱旋門のごとく立つ虹 透明にくずおれてゆく

逃避する水路をすでに持たざれば溢れ続けているわれは壺

言葉さえやがて烟らん弔えば窓から抜けてゆく影ぼうし

船室の浅き眠りに夢を見き死神の髪がまだ濡れている

傍らで黙り続けている君の記憶からわれが消えてしまう日

 本川の心に何が忍び寄ったのか定かではないが、負のベクトルへと心が向かう有り様が歌の向こうに透けて見えるようだ。修辞に少し触れておくと、本川は「~のごとく」という直喩を好んで用いる。上の一首目の「凱旋門のごとく」がそれである。直喩は陳腐な喩のときはマイナス点になりやすいが、凱旋門は合格だろう。海に浮かぶ楼閣のように聳え立つ凱旋門はまるで海市のようにも見える。

 次も直喩の歌である。

切れ目なく防潮堤のめぐる島スメルジャコフの素顔のように

晩夏よりうみのいろ濃しベルリンで貨車に積まれた絵具のように

 一首目のスメルジャコフはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の登場人物で、私生児であるために召使いのように使われている男である。その内実が見えないことの喩として使ったのだろうが、スメルジャコフには驚いた。二首目のおもしろい点は、湖の青色が濃いという描写よりも、喩として出された「ベルリンで貨車に積まれた絵具のように」の方に濃厚な物語性があって、歌の主従が逆転しているところである。短歌における喩の機能について改めて考えられさせる。

 最後に特に心に残った歌を挙げておこう。

地に降りて水へと戻る束の間の白きひかりを「雪」と呼び合う

夕焼けの見える浜辺へ抱えゆくフリューゲルホルンに翼があれば

善と悪が戦い続ける物語読みつつ暮れてゆく半夏生

チェロ弾きの空のケースが床にあり舟のように柩のように

為し遂ぐるべきこと為し遂げられぬこと路肩の雪はゆるらかに消ゆ

消ゆるとき影の残れり沖合で船から眺めたる遠花火

読みさしのミステリー枕辺に置いて待てども夢に来ぬ黒揚羽

 実生活における作者と短歌は切り離して見るべきであるという意見がある。確かにそのとおりだ。短歌は文芸でありテクストがすべてだという人もいる。それも至極もっともな意見だ。しかしながら、そのように割り切ってもどうしても割り切れぬ残余が残るのが短歌というものだ。『羅針盤』は作者の本川克幸がこの世に残した生の記録であり、そのように読まれるべきものであろう。


 

第303回 工藤玲音『水中で口笛』

燃えている色の紅葉を踏むときの燃え尽きた音 駅まで歩く

工藤玲音『水中で口笛』 

 あの工藤玲音の第一歌集が出た。今からちょうど1週間前の2021年4月12日付けで左右社刊。左右社は最近よく歌集を出していて、近江瞬『飛び散れ、水たち』、谷川由里子『SOUR MASH』、永井祐『広い世界と2や8や7』など続々と出ている。

 今さら著者紹介する必要もないだろうが、工藤玲音は1994年生まれの俳人で歌人。石川啄木と同じ渋民村で育ったという。玲音れいんは本名で、本歌集には「父親がわたしにペンネームのような名前をつけた霧雨の朝」という歌がある。俳句結社「樹氷」に所属して俳句を作り始める。2011年に16歳で岩手日報随筆賞を受賞して注目される。スタートはエッセイだったわけだ。今でもエッセイが得意で、『うたうおばけ』(2020年、書肆侃侃房)は丸ごと一冊エッセイである。同年盛岡短歌甲子園で団体優勝しているので、俳句と平行して短歌も作っていたのだろう。東北大学に入学して短歌会に所属する。句文集『わたしを空腹にしないほうがいい』(2018年、BOOKNERD)刊行。大学卒業後は郷里に戻って会社員をしているようだ。雑誌の「ソトコト」2019年1月号や、「ねむらない樹」5号(2020年)で工藤の特集が組まれている。結社「コスモス」に所属し、一時同人誌「Cocoon」に参加していたが、今は名前が消えているので辞めたらしい。

 『水中で口笛』のあとがきが愉快だ。歌集は満を持してゆっくり出そうと思っていたが、はっと気づくと自分は石川啄木が死んだ年齢に近づいている。これはいかんと啄木の命日までには出版しようと急いだという。啄木と短歌で張り合おうとしたというから威勢がよい。本書は石川一に捧げられている。啄木の本名である。本歌集には高校生のときから作り貯めてきた短歌が収録されているので相当な数がある。帯文は小島ゆかりとミュージシャンの柴田聡子。

 『わたしを空腹にしないほうがいい』の評に、工藤の強みは何物をも蹴散らしてしまう若さであると書いた。俳句は五・七・五と短く、景物をスパッと一瞬で切り取る鮮やかさが求められるため、踏ん切りのよい若さは大きな武器となる。それは「ねむらない樹」5号所収の近作にも現れている。特に三句目がいかにも工藤らしい。

洗顔のたび濡れなおす夏の嘘

文具屋に海を知らないサングラス

淋しさを背泳ぎならば追い抜ける

なりたくてたりなくて来る夏の丘

 しかし、五・七・五の後に七・七と14音を付け足すだけで事情はがらりと変わる。スパッと切るだけではその14音は埋まらない。様々なものを納めることができるが、中でも短歌らしいのは内省だろう。五・七・五で外の景物を捉えた視線が、七・七で反転して内側を向く。近代短歌が「自我の詩」として佇立することができたのは、この視線の反転によるところが大きい。

 さて工藤の短歌はどうだろうか。いつもとは逆に付箋の付いた歌から引いてみよう。

見開きのわたしで会いにゆくからね九月の風はめくれ上がって

雪の上に雪がまた降る 東北といふ一枚のおほきな葉書

花束のように抱きとめられたいよ 髪留めの上で溶ける淡雪

燃やされた手紙の文字は何処へいくの ごみ収集車はみんな空色

くちづけはいつ来てもよしきらきらと研げばひかりに満ちる生米

たましいが果実であればこのくらいグレープフルーツ迷ってかごへ

生きるとは湯気立てること深くふかく菜箸を鍋底に突き立て

観覧車まるく晩夏を切り取ってちがう戦場抱えたふたり

 書き写していて気が付いたが、工藤はどうやら五・七・五で想いを述べて、七・七で情景を付けるのが得意らしい。一首目、「見開きのわたし」とは、雑誌を見開きにするように両手を拡げることの喩だろう。会いに行くのはもちろん恋人である。「九月の風はめくれ上がって」はちょっと変で、九月の風で雑誌のページがめくれ上がるのが正しいだろう。若さの充溢する歌だ。二首目は上の七・七が情景で、句跨がりを含む残りが想いとなっている。自分が暮らす東北地方を葉書に喩える喩がおもしろい。真っ白な葉書に自分が何かを書いて届けたいということか。この歌だけ旧仮名である。三首目も恋の歌。上句が想いで下句が情景で、四句は八音の破調になっている。「上」を「へ」と読めば七音だが、工藤はたぶんそうは読まないだろう。四首目はちょっとメルヘン調の歌。三句目を「何処へ行く」とすれば定型だが、「の」を付けることで呼びかけとなる。五首目の「くちづけはいつ来てもよし」もなかなか潔い。三句以下が情景となっていて、食べ物ネタが多い工藤らしい歌になっている。「生米」はちょっと生硬か。六首目もおもしろい歌だ。スーパーマーケットで買い物をしている。グレープフルーツを買おうかやめようかと迷っているのだが、そう言えば魂の大きさはこれくらいかという考えがふと浮かぶ。七首目、「生きるとは湯気を立てることだ」というのはすごい独断だが、確かに私たちは食事の準備やお茶を淹れるのに毎日のように湯を沸かす。シャワーを浴びる時にも湯気は出る。その向こうに頭から湯気が出るほど怒っている場面も見え隠れする。八首目の観覧車は歌人の好む主題である。私は観覧車の歌を見つけると書き留めているが、ずいぶんな分量になる。上句の「観覧車まるく晩夏を切り取って」が情景で、観覧車を遠くから見る絵になる。下句では一転して観覧車のゴンドラの中に視線が飛び、乗っている二人に焦点が結ばれる。ちがう戦場を抱えているとは、分野は異なれ同じように毎日奮闘している若い二人ということだろう。

 上に引いたような歌は、従来の近代短歌のコードできちんと読むことができる。そしてよく考えられて作られたよい歌だと思う。しかしこれが工藤玲音らしい歌かというと、それはいささか疑問なのである。一巻を通読して私は上に引いたような歌よりも、次のような歌に工藤らしさを感じてしまう。

将来は強い恐竜になりたいそしてかわいい化石になりたい

まっさきに夏野原きて投げキッスの飛距離を伸ばす練習をする

缶詰はこわい 煮付けになろうともひたむきに群れつづけるイワシ

死はずっと遠くわたしはマヨネーズが星形に出る国に生まれた

青春にへんな音する砂利がありその砂利を踏むわざと、いつでも

啄木を殴りたい日のもろもろと手許に零れる紅茶マフィンは

苛立った友がわたしを批判するお昼の海苔が付いたくちびる

自転車のハンドルすこし湿っている五月最初の早退日和

 一首目、将来は恐竜になりたいとはどういうこと? 恐竜は何千年も前に絶滅した生物である。恐竜には過去しかなくて将来はない。続けて化石になりたいときては卒倒しそうになる。二首目、東北地方の夏は短い。短い夏に野原に来て、投げキッスの練習をするというところに圧倒的な若さがある。三首目もお得意の食べ物ネタで、犇めいて缶詰に詰められているのはたぶんオイルサーディンだろう。つぶつぶや小魚などの密集を怖れるのにはトライポフォビア(集合体恐怖症)という名前が付いているそうだ。四首目、若い人にとって死は遠くに霞んで見えない。また確かにマヨネーズが星形に出る国は日本くらいのものだろう。日本はなくてもよい気配りに溢れた国である。関係のないこのふたつを繋げたところがおもしろい。五首目、変な音がする砂利とはできれば避けて通りたい事態の喩だろう。避けようと思っているのに踏み込んでしまうことは誰にもある。工藤なら特にありそうだ。六首目、「啄木を殴りたい日」は乱暴だが、この辺がいかにも工藤らしいのである。七首目、自分を批判する友人の唇に弁当の海苔がこびり付いているという些末事が短歌らしい。八首目は学校に行きたくないという青春の憂愁を、少し湿った自転車のハンドルで表していて秀逸。

 最初に引いた付箋の付いた歌とどこがちがうか。付箋の付いた歌では、「想い」と「情景」とが五・七・五と七・七に振り分けられていて、外を向く視線と内を向く視線の両方があるために、一首の中に屈折と奥行きがある。そういう意味では「お行儀のよい歌」である。これにたいして次に引いた歌は「想い」の分量が増えて、歌によってはそれだけで押し切ろうとしているものもある。だからこそパワーがあって、青春の熱量を感じ取ることができる。上に書いたような意味ではお行儀がよくない歌なのだが、誰が工藤にお行儀の良さを求めるだろうか。もちろんこれは実生活における行儀のことではなく、創作における話である。という訳なので、工藤には変にお行儀よくならず自分の道を貫いてほしいと願うのは、言うまでもなく老婆心にすぎない。

たわむれに月の磁石をつけられて大きな梨を抱く冷蔵庫

とっておきの夏がわたしを通過する鎖骨にすこしだけ溜めておく

葉桜の葉言葉は「待つ」三つ折りのメニューをお祈りみたいに閉じて

雨上がり父がわたしに投げ上げるひかりまみれの鍵の凹凸

Eternal loveと訳され庭園の看板さびている花言葉

日没に間に合うために駆けるとき滅びたがっているわたしたち

 その他に心に残った歌を引いた。三首目の「葉言葉」は工藤の造語だろう。喫茶店かファミレスの椅子に座って恋人を待っているのだ。五首目と六首目は珍しく翳りを帯びた歌である。

 「ねむらない樹」5号に工藤を知る人がその人となりを綴った文章が集められている。その中に千種創一が𠮷田恭大と連れだって仙台に行き、東北大学短歌会の面々と会った思い出を書いたものがある。工藤は「エネルギーに溢れる人物」だったという。そうだろう。それは俳句やエッセーを読めばわかる。『水中で口笛』もまたそんな工藤のエネルギーを感じることのできる歌集となっている。

 

第302回 神野紗希『すみれそよぐ』

すみれそよぐ生後0日目の寝息

神野紗希『すみれそよぐ』

 掲句は句集タイトルが採られた句である。隣で眠る赤子は生まれたばかりでまだ1日も経っていない。その赤子の寝息は菫の花をそっと揺らせるほどのかそけさである。耳をすませないと聞こえないくらいの寝息でも、そこには確かな生命が感じられる。出産から30分後に手術台の上で詠んだ句だというから驚く。

 『すみれそよぐ』 (2020年11月) は『星の地図』『光まみれの蜂』に続く著者の第三句集である。2012年から2020年までの8年間に作った句のなかから344句が収録されている。この時期は作者の20代から30代半ばに当たり、結婚・出産・育児という人生の大きな出来事が起きた時間がこの句集に納められている。おそらく編年体で編まれているので、句集の冒頭付近に置かれてある句は20代前半に作ったものだろう。

くちづけは一秒サイネリア全部咲いた

突堤に自転車春は二ページ目

細胞の全部が私さくら咲く

どこへでも行けるアスパラガス茹でる

あたらしい水着のはなしサラダバー

 季節が春から初夏ということもあって、明るく若々しい句が並んでいる。一句目は恋人とのキスの印象を、鉢植のサイネリア(シネラリア)が一気に咲くという喩で詠んでいる。二句目は港の突堤に自転車を停めている場面。強い風が吹いているだろう。まだ春は二ページ目にしかならない寒さである。三句目、細胞の全部が私だと断言できるのが清々しい若さである。溢れる活力は四句目にも見られる。五句目は女友達とファミレスのサラダバーで夏の前に買った水着の話をしている場面。どれも神野の俳句の特色である若々しくしなやかな感性がよく出ている句だ。

マリッジブルー屋根から雪の落ちる音

春氷薄し婚姻届ほど

飛花落花中庭パティオに燕尾服の父

蜜蜂もくぐれよエンゲージリング

引越し完了かさ立ての春日傘

 やがて作者は結婚して新居に越して新生活が始まる。多少のマリッジブルーはあれども、明るい新生活を予感させる句が並んでいる。そして次のような句が続く。

新妻として菜の花を茹でこぼす

お義母さんよりのメロンや木箱入り

絶海や水母ふたつが並び浮く

金柑を載せ新婚の鏡餅

夫の呼ぶ我が名かがやく冬すみれ

 初々しい新婚生活を詠んだ句である。絶海に浮かぶ二つの水母は新婚夫婦の二人の喩であろう。そして妊娠・出産の句があとに続く。

抱く便器冷たし短夜の悪阻

雲ぽこぽこ羊水ぬるむ水温む

春光に真っ直ぐ射抜かれて破水

担架から仰ぐ青空風光る

いぬふぐり花びらほどの爪を切る

ハンカチの薔薇の刺繍も乳くさき

 まるで実況中継のようだが、予定日前に破水し、救急車で病院に運ばれて帝王切開で出産したという。赤子は呼吸が弱いため、集中治療室に一時置かれたらしい。これ以降は赤子の生命を感じ優しく見つめる歌が続く。

 おそらく人が最も懸命に神仏に祈るのは、出産を待つ時だろう。「どうか無事に生まれてくれ」という願いは神や仏に向ける以外に術がない。また人がいちばん神を感じるのは、生まれた赤子を見たときだろう。私も娘が誕生したとき、10本の指先に桜貝ほどの爪がちゃんとあるのを見て、神は何一つお忘れにならなかったと感謝したものだ。作者もあとがきに、子供が生まれて生命の愛おしさを感じると同時に、世界はもろく壊れやすいものだと実感したと綴っている。おそらくは出産を経て新しい感覚が体内に新しく生まれただろう。この後、子育てに奮闘する句が続く。

 ところが、である。読み進むうちに次のような句に出会ってドキリとした。何やら不穏な気配が漂っているではないか。

梨ざらりいつより我に触れぬ指

愛なくば別れよ短夜の鏡

抱き合える火事の夫婦の愛羨し

 そしてまことに残念なことに私の感じた予感は的中し、この後に次のような句が続くのである。

寒紅引け離婚届にくちづけよ

もう泣かない電気毛布は裏切らない

Tシャツの干し方愛の終わらせ方

行き止まりなれば空見る春隣

人生ゲーム抜けてさくらのすべり台

オルゴール必ず止まる雪柳

 女性歌人の第一歌集の場合、一冊の中に恋愛、結婚、出産、育児、離婚という女性の一生の縮図が詰まっていることがときどきあるが、句集ではあまり見ないような気がする。俳句は短歌ほど作者の境涯を映し出さないのだが、本句集に限っては句と作者の距離がとても近い。子供の誕生が詠まれていることもあり、巻を一読して何か大きなものに立ち会ったような読後感が残る。

舟遠くとおく朽ちゆく苺パフェ

ひかりからかたちへもどる独楽ひとつ

花筏光になりたくて急ぐ

ヨーグルトに透明の匙みなみかぜ

空缶にちちろ一匹分の闇

蝶触れしさざなみしずまりて産湯

はばたいた分だけ沈む秋の蝶

苗札を雀の墓標として深く

月させば水の記憶の貝釦

 特に印象に残った句を挙げた。あらためて神野はしなやかな感性で捉えた言葉を定型に収めるのが上手いと感じる。前の句集でもそうだったが、光を捉えた句が多く見られる。ヨーグルトに添えた透明のガラスの匙にも光が屈折しているのが見えるようだ。この文章を書いている今、ちょうど桜の飛花落花の季節を迎えていて、三句目のように、家の前を流れる疎水も花筏を浮かべている。

 集中の最後近くに「鯛焼きを割って私は君の母」という句がある。子供と鯛焼きを半分こする句である。ここにはこれからは君の母として生きるという決意が感じられる。作者は試練をくぐり抜けて、またひとまわり大きく成長することだろう。

 

王紅花『窓を打つ蝶』書評

 『星か雲か』に続く著者第五歌集だが、著者にとっては特別な歌集にちがいない。最愛の伴侶松平修文の逝去とその後に作られた歌を含むからである。松平は二〇一七年の十一月にほの暗い始原の地トゥォネラへと旅立った。本歌集の第一部と第二部は截然と分断されている。第一部は松平がいた世界、第二部は松平がいない世界である。

重篤の病に臥せる人の耳死に神のごと敏くあるなり

輸血停止申し出し翌る朝きみの山を眺むる水色の目よ

病院に人溢れ暗く動きをりわれら昨日までこの中にありき

凄まじき形相に向かひ合ふ時のありき死へ向かふあなたとわたし

花守となりて夜ごとに水をやる部屋に溢れてむせかへる供花

 松平と王は手と手を取り合い病と闘うが、薬石効なく松平は旅立つ。四首目を読めば二人がどのように死と向き合ったかが知れて心を打つ。

つまとよく歩きし名栗川に来てしばらく泣けり揺るる枯れ芒

死んでゐるあなたは仏間にわたくしは生きて汚した洗ひ物干す

コロッケが二つ そのなんでもないことの なんでもないそのコロッケ二つ

寝室の薔薇柄カーテン見覚えてゐるでせう夜はそこへり来よ

 最愛の人を失い作者は文字通り空洞と化したことは想像に難くない。普段ならば二人分四つ買っていたコロッケが、一人分の二つになったという些細な変化にも心が締め付けられる。想いが溢れて破調になっている。到る所に松平の影が揺曳する本歌集は文字通り慟哭の書である。

 とはいえ王の歌風の特質にも触れておかねばらならない。集中の次のような歌に立ち止まった。

毒ガスをあぐる硫黄山廻りつつ老若男女何故かにやつく

イヌシデは地方によりてアヲシデ、アカシデ、シロシデと呼ばれて

公衆浴場にひとりとなりしとき老女は犬掻きをしてみる

 硫化水素の漂う山で人々がにやついたり、イヌシデの名に地方差があったり、銭湯で老女が犬掻きしているなどというごく些細なことを王はよく取り上げて歌にする。それは王の歌の源が、何かの出来事と心が触れ合った時のかすかな摩擦感にあるからだろう。それをそのまま歌にするところに王の歌風の特質がある。結果として乾いたユーモアの漂うこのような歌に作者の目から見た世界の捉え方が透けて見えるようだ。最後に特に印象に残った歌を挙げておく。

バス停に本読む老人ひとよ桜散るこの世の何を知らむとや急く

『短歌往来』2021年3月号に掲載

盛田志保子『木曜日』書評

 二〇〇〇年(平成十二年)に『短歌研究』の八〇〇号記念として企画された「うたう」作品賞は、その後の短歌シーンの流れを作る重要な企画だった。この賞の応募者から多くの歌人が育ったが、作品賞を受賞したのは当時二十歳の大学生だった盛田志保子である。受賞作「風の庭」五〇首を含めた第一歌集『木曜日』は二〇〇三年に出版された。長らく入手困難だったこの歌集が、書肆侃侃房から現代短歌クラシックスの一巻として再刊されたのは喜ばしい。本歌集を開くと、二十歳の若さでしか詠めない歌が当時の瑞々しさのまま保存されている。

藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜

秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨

春の日のななめ懸垂ここからはひとりでいけと顔に降る花

 若者が抱く未来への漠然とした不安や、自分がまだ何者でもないという不全感が、藍色のポットや夢の中に降る雨や降り散る花という歌のアイテムに投影されている。

 「うたう」作品賞は、穂村弘の言葉を借りれば、「修辞の武装解除」「棒立ちのポエジー」というその後の短歌の流れの発端となったのだが、盛田の歌にはしっかりと修辞があることに注意したい。とりわけ結句の着地の仕方がうまい。右に引いた「ひとりでいけと顔に降る花」や次のような歌がそうである。

廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節

はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月

 のびやかな言葉の選択の中に清新なポエジーが滲んでいる。特に注目されるのは木漏れ日のような陰翳だろう。

 その後所属する結社「未来」の歌誌に発表した近作が「卓上カレンダー」と題して巻末に収録されているのも嬉しい。

かなしみは一人に一つかきごおり食べ切るころに鳴る稲光

笑いあう夏の記憶に音声はなくて小さな魚が跳ねる

※「しんぶん赤旗」2021年3月7日号に掲載

第301回 笹川諒『水の聖歌隊』

冬には冬の時間があってひとときの余白を病める土鳩のように

笹川諒『水の聖歌隊』 

 笹川諒は長崎県諫早市生まれで「短歌人」所属の歌人である。年齢は定かではないが、写真から判断するに30代と思われる。『水の聖歌隊』は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻として上梓された第一歌集で、今年 (2021年)の2月に出版されたばかりだから出来たてほやほやだ。監修と解説は「短歌人」の先輩にあたる内山晶太が担当している。

 まず歌集タイトルに引き寄せられる。「水」は「火」と並んで現代歌人のお好みのアイテムだが、「聖歌隊」との組み合わせはユニークだ。「聖歌」はカトリックの呼び方なので、荘厳な聖堂に響く歌声が連想される。作者は歌集に音楽の共鳴を与えたいと望んでいるようだ。

 掲出歌を見てみよう。「冬には冬の時間があって」では、存在の動詞「ある」のテ形(日本語学ではこのように呼ぶ)で切れている。森田良行の『基礎日本語辞典』(角川書店)によれば、助詞のテは「ある叙述から次の叙述へと移るときの橋渡しとして用いる繋ぎの語」とされている。しかるにこの歌では「あって」に繋がる次の叙述が欠落している。連接されるのは「ひとときの余白を」という動詞を欠いた目的語と、「病める土鳩のように」という直喩である。この二つは倒置法に置かれているので、正置に戻すと次のようになる。

 (A) 冬には冬の時間があって

 (B) 病める土鳩のように

 (C) ひとときの余白を

 このように並べ変えると、最後に欠けている動詞は「過ごす」か「送る」だろうと推察できる。つまりこの歌は、通常の日本語の統辞法を意図的に解体して作られたものである。頭から読む人は、あるべきものがない区切りで躓き、崖から落ちそうになり、迷路を辿るように進むことを余儀なくされる。なぜわざわざそんなことをするのか。それは統辞法を意図的に脱臼させることで、日常言語を詩的言語へと押し上げて、ポエジーを発生させるためである。そして作者はこの点について極めて意図的で計画的なのだ。

椅子に深く、この世に浅く腰かける 何かこぼれる感じがあって

どこかとても遠い場所から来たような顔を思った夏のグラスに

文字のない手紙のような天窓をずっと見ている午後の図書館

呼びあってようやく会えた海と椅子みたいに向かいあってみたくて

僕たちの寿命を超えて射すひかりの中で調弦されてリュートは

 歌集冒頭あたりから引いた。一首目は巻頭歌である。見てわかるように、どの歌も日本語の統辞法を攪乱するように作られている。特に目立つのは助詞の「て」と「は」で終わる言いさし感である。

 「言いさし感」と書いてたった今頭に浮かんだのが平井弘だ。

少年のごとしと今朝の頬を言う欺くことに誰も馴れてきて

困らせる側に目立たずいることを好みき誰も味方でもなく

あの夏はまだ友なりし若い母に仔犬のように児が抱かれて

でも今はだめためらわずその膝を汚せる傷を負いうるなどと

 笹川の歌の言いさし感はどこか平井弘のそれに似ている。ひょっとしたら影響を受けているのかもしれない。

 平井の短歌も笹川の短歌もゆるやかな定型感覚を持つ口語短歌なのだが、その言語が現在の若手歌人に広く見られる会話体口語とは異なることに留意しておきたい。会話体口語は現実にそのように話す人がいてもおかしくない言語だが、平井や笹川の口語はそんな風に話す人はいない詩的に構築された口語である。この差はとても大きい。

 笹川の作品世界にもう少し入り込んで見てみよう。

飼い慣らすほかなく言葉は胸に棲む水鳥(水の夢ばかり見る)

手のひらを窪ませるならそれはみなみずうみそして告げない尺度

あなたがせかい、せかいって言う冬の端 二円切手の雪うさぎ貼る

ソ、レ、ラ、ミと弦をはじいてああいずれ死ぬのであればちゃんと生きたい

こころが言葉を、言葉がこころを(わからない)楽器のにおいがする春の雨

 作者の心の中に住んでいると思われるアイテムは、上に引いた歌にほぼ登場している。外形的特徴から見ると、パーレン、一字空け、読点の使用によって、平板になりがちな歌の内部に段差や位相の差を生み出して重層化を図っている。これは現代の歌人がよく使う手法であり、珍しいことではない。笹川の個性は、一首の歌をまるで完結しない一行詩のように作っているところにある。一首一首の歌がまるでショートショートのようだ。蛇足ながらショートショートとは、ものすごく短くて不思議な味わいを後に残す物語のジャンルをさす。また笹川の歌では多くの場合、5Wと1Hがなく、論理的な連関が意図的に解体されている。また短歌の中で作中主体として歌のリアリティーを支える〈私〉も不在だということも、特筆すべき特徴だろう。

 意味に踏み込むと、作者の心を捉えているのは「言葉」と「死の想念」である。上に引いた一首目と五首目にあるように、作者にとって言葉とは飼い慣らすほかないものであり、また心が言葉を呼んでいるのか、はたまた言葉が心を生んでいるのかも判然としない。このように「こころ」(=想念、意味)と「ことば」(=表現媒体)の間を浮遊することによって、明滅する心象と言葉とがない交ぜになって生まれている。

 四首目の「ソ、レ、ラ、ミ」はギターの開放弦の音程である。ミの弦は2本あるので、まだ弾かれていないのは「シ」(=死)であり、これは死への想念を詠んだ歌なのだ。集中には「食事という日々の祭りの只中に墓石のように高野豆腐は」「自分から死ぬこともある生きものの一員として履く朝の靴」という歌もあり、死への想いが作者の心を捉えていることがわかる。光があれが影があるように、生があれば死があるのは必定である。古人はそれを「われアルカディアにもあり」と言った。

平行に並んで歩けば舫われた舟のよう はるか鉄琴の音

逝く夏に画集ばかりを見るひとの眼差しはどこか伝令に似て

感情をひとつ放ればきらめいて住むことのない街のトルソー

半音階で鳴く鳥のためしばらくはみんな黙っている夜明け前

遠い国に桜ひととき降りしきるまぼろしの為に飲むズブロッカ

指差せば遠ざかるのが夏であると知っていながらゆくモロー展

きっと覚えておけると思うアラベスクいつか壊れてゆく体ごと

 歌集の残りの部分から心に残った歌を引いた。音楽は低くどこかに響いているようだ。六首目のモロー展は、昨年アベノハルカス美術館などで開催されたギュスターヴ・モロー展だろうか。

 笹川は所属する「短歌人」会が開催する高瀬賞を昨年受賞しているのだが、不思議なことに受賞作「とある帰省」は本歌集に収録されていない。受賞作が発表された『短歌人』2020年7月号を見ると次のような歌である。

手になじむ歌集とともに帰りつく「過ぐれ諫早」と詠まれた町に

久々の実家は猫に以前より長く説教する父がいる

過去の自分も一緒に歩いているような気がしてカステラは二つ買う

パルファンという唯一あった映画館が潰れて子ども食道だった

水害の被害写真をよく見ると今より建物の多い町

 『水の聖歌隊』に収録された歌とは驚くほどちがう近代短歌で、ここには5WとH1があり、しっかり〈私〉がいる。笹川はこういう歌も作れるのである。なるほどこれはテイストが違いすぎて、『水の聖歌隊』には収録できないだろう。すると「とある帰省」はこの先ずっと未収録歌として残されるのかと、人ごとながら少し心配になる。

 最期に笹川の作歌をよく示していると思われる歌を挙げておこう。

知恵の輪を解いているその指先に生まれては消えてゆく即興詩

 笹川にとってポエジーを生み出す言葉の組み合わせは、まるで知恵の輪のようなもので、指先の遊びの中からあえかな一行詩が明滅するように生まれて来るのだろう。

 

第300回 橘夏生『セルロイドの夜』

雑沓を怖るる象よゆらゆらと影のみてる夏のサーカス

橘夏生『セルロイドの夜』

 歌に詠まれている象は曲馬団で飼われていて、集まった観客の前で芸をする象だろう。しかし雑踏を怖れるようでは、大勢の観客の前に出ることはできない。しかたなくバックヤードの檻の中でひっそりと飼われている。忍び込んだ子供が象を見つけて驚くこともあったかもしれない。しかしそれもこれもはるか昔のこと。曲馬団はいつしか消滅し、檻の中の象もとうに死んでいる。昔、曲馬団が町にやって来てテントを張った空き地には夏草が生い茂り、照りつける陽射しに草いきれがする。そこに陽炎のようにゆらゆらと立ち上がるのは昔の曲馬団の幻影である。

 久々に異色の歌集を読んだ心地がする。橘夏生の『セルロイドの夜』(2020年、六花書林)である。橘夏生なつおは新しい筆名で、旧名は山中晴代という。短歌人会所属の歌人で、本歌集は第一歌集『天然の美』(1992年)、第二歌集『大阪ジュリエット』(2016年)に続く第三歌集である。巻末に長いあとがきと経歴が添えられている。それによると、アングラ劇団天上桟敷の女優になるべく上京するもオーディションに落ち、寺山修司に短歌を進められて作歌を始める。塚本邦雄を紹介されて師事することになり、『サンデー毎日』の塚本選に何度も入賞。のちに『小説JUNE』で藤原月彦(龍一郎)が連載していた黄昏詩歌館入門にも俳句を投稿する。玲瓏ではなく短歌人会に入会したため、塚本から破門されるとある(本当だろうか)。短歌のビッグネームが続々登場する経歴に驚く。「言葉は綺羅、言葉は鴉片、言葉は美貌のリビングデッド。現実など日常など、想像力の前には、卑しい下僕に過ぎない」という藤原龍一郎の帯文は、塚本ばりの唯美主義宣言である。小口が金の装幀も目を引く。

 本歌集は著者が長年詠み続けて来た「デカダンスとイノセント」の集大成だとあとがきにある。その言葉に寄せるようにして読後の印象を述べれば「猥雑にして高雅」となろうか。しかし何といっても本歌集を繙く人がまず驚くのは固有名詞の奔流である。固有名詞詠みの達人である藤原龍一郎でさえここまでの量ではない。

イミテーションぢやなきや愛せない まぼろしの東京の歌姫戸川純

サリエリがわからぬと云ふ萩尾望都 百合はみづからの重みにかたむく

苦艾酒アプサン片手にアントナン・アルトーは問ひかける「あなたはあなたの関係者ですか」

シュザンヌ・ヴァランドンのことおもふたびなまなまとわが目にひらく変化朝顔

蔵書印のしゆの懐かしもアスタルテ書房に遇へる『月下の一群』

数学者チャールズ・ドジソン撮りたるは死のにほひする少女の和毛にこげ゛

回転ドアのむかうがはには永遠に辿りつけざりノーマ・ジーンは

 一首目の戸川純はロック歌手。ボヤ騒ぎ起こしてからとんと見かけない。二首目のサリエリは映画『アマデウス』でモーツアルトへの嫉妬に狂う人物として描かれていた同時代の音楽家。萩尾望都はいうまでもなく『ポーの一族』の漫画家である。三首目のアルトーはフランスの小説家・演劇人。四首目のヴァランドンはユトリロの母親で、独学で当時珍しかった女性画家になった人。五首目のアスタルテ書房はかつて京都の三条にあった幻想文学の古書店。この店を開いたのはジョルジュ・バタイユなどの翻訳で知られた生田耕作である。私は大学一年の時、フランス語の初級文法を生田耕作に習った。『月下の一群』は堀口大学の訳詩集。六首目のチャールズ・ドジソンは『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルの本名。七首目のノーマ・ジーンはマリリン・モンローの本名である。もっと珍しい名前もある。

舞台ここで死ねいま蘇生して明日も死ねわがパフォーマー首くくり栲象たくざう

落ちし椿のあとを辿りて甲斐庄楠音かひのしやうただおと展へゆく弥生かな

〈水無月〉と書かれし箱より人形の天野可淡の少女取り出す

 首くくり栲象とは、長年自宅の前の庭で首を括るパフォーマンスを続けた人だそうだ。甲斐庄楠音は日本画家で、土田麦僊に「汚い絵」と酷評され、その後映画美術に転じた人。天野可淡は耽美的な球体関節人形を作った人形作家である。

 このように奔流のように固有名詞を詠み込んだ歌は、叙景歌や叙情歌といった従来の歌の分類には収まりにくい。強いて言うならば、何かに想いを寄せた歌ということになろうか。ということは作者の胸中には様々な想いが湧いているということで、短歌はその想いを表現する手段ということになる。

 天井桟敷の女優をめざしていたからなのか、その手つきはどこか演劇的であり、「露悪というこころのうごき 曼珠沙華くきまつすぐに花を支へて」という歌にもあるように露悪的でもある。

ごみ溜めの隅にいちりんのすみれ咲きそれはマチェクとわたしのお墓

マラー最期の浴槽とおもひ溶かすかな淡紅のざくろ温泉の素

 マチェクはアンジェイ・ワイダ監督の名作『灰とダイアモンド』の主人公で、マラーは浴槽で暗殺されたフランス革命の大立て者。自らをマチェクやマラーになぞらえているところが演劇的である。作者はこのように非業の死を遂げた人物に共感するところがあるようだ。

 作者はイタリアを旅しても上海を訪れても、目に映った景物よりも土地の霊に促されるように過去の人物に想いを馳せるのである。

ゆつくりと闇おしわける白き馬チェザーレ・ボルジアその死の前夜

メディチ家はいまガリレオの頭上過ぐ新星といふつひのかがやき

金子光晴上海ゆ巴里にわたる船いまし虹の輪くぐりてゆかむ

故宮にてロイド眼鏡は涼やかに愛新覚羅溥儀と名乗りつ

 そんな作者もたまさか現実に目を向けて、次のような歌を詠むこともある。

国家として節会せちえごとに唱ふなら『海ゆかば』こそ斉唱すべし

鶴彬の碑をたづねあぐねたり大阪城公園は濃き樹の匂ひ

すべての電波が途絶える夜にまぼろしの業平橋駅のホームが灯る

無人なる座席に坐るひかりあり三陸鉄道復活のまへ

給付金はユニセフにとふつまに目を瞠る受胎告知のマリアのやうに

 三首目は東京電力福島第一原発が苛酷事故を起こし、計画停電により首都を暗闇が支配した折りの歌である。業平橋駅という歌枕を思わせる優雅な駅名が東京スカイツリー駅という味気ない駅名に改名されたことに作者は憤り、幻視によって旧業平橋駅を浮上させているのである。五首目は2020年に新型コロナウィルスが流行した時に、政府が全国民に支給した一人10万円の給付金を詠んだ歌。

 このように才気溢れる歌が並ぶが、それを外連味と感じて嫌う人もいるかもしれない。私はたいへん面白く読んだ。作者の生年は不明だが、たぶん藤原龍一郎や私と同年代か少し下と推測される。若い頃に吸収したカルチャーがほぼ同じなので、同時代的共感と郷愁を感じつつ読んだ。

白魚を食めばかなしき咽喉のみどかな襟たかくしてみ冬を歩む

はつなつは氷砂糖の燦めきにりりたる四肢の少女たしむ

桐の花サドルにはらり散りかかりここ過ぎてゆくむらさきの神

下京区天使突抜てんしつきぬけ 雪晴れのさんぽはクノップフの豹をおともに

れんげはちみつひとり嘗めたり窓ごしにしみこんでゆく夜のけだるさ

バックミラーにゆふべのひかり灯るころ倒されてゐる放置自転車

鶏つぶす伯父のかひなのむらむらと黄砂の春に猛けるを見つ

トルソーに不在の首のかがよひをおもふまで碧き海に出でたり

薔薇園につゆ降りるころ交配の果てのさびしき一輪ひらく

 立ち止まった歌を引いたが、このような歌には外連味も露悪趣味もなく、ただ心に沁みてゆくばかりである。なぜか歌集後半にこのような歌が多く配されている。四首目の天使突抜は、作者のかつての師の塚本邦雄が最も美しいと愛でた町名で、京都市下京区に実在する。クノップフはベルギー象徴派の画家で、この絵はオイディプスに頬を寄せる下半身が豹のスフィンクスを描いたもの。

 この歌集を繙く読者は、猥雑にして高雅な幻視の世界を楽しまれたい。

 

第299回 高野岬『海に鳴る骨』

もの割るる音してのちに上がるべき悲鳴を聞かず春のゆふぐれ

高野岬『海に鳴る骨』

 自宅のリビングにいると、同じマンションの別の家から「ガチャン」と何かが割れる音が響く。うっかり茶碗か皿を落として割ったのだろう。ふつうなら「アアッー!」というような悲鳴が聞こえて来るはずなのに、なぜか聞こえてこない。聞こえてこないことが不穏な気配を一層強めている。結句はその雰囲気にそぐわないうららかな「春のゆふぐれ」である。この歌は、一見穏やかに暮らしているように映る日常に潜む不穏さを掬い取っている。本歌集にはこのように、波の下に隠れて見えない岩礁のような危うさが立ち籠めているのである。

 先日、送られて来た歌誌「まいだーん」第3号を見ていたら、巻末近くに同人歌評があり、その中で紹介されていた歌に心引かれるものがあった。さっそく取り寄せたのが高野岬『海に鳴る骨』(2018年、角川文化振興財団)である。例によってまったく未知の歌人なのだが、短いプロフィールによると、2011年に「塔」に入会。2017年に第7回塔短歌会新人賞を受賞している。『海に鳴る骨』は塔21世紀叢書の一巻として上梓されているので、結社期待の新人なのだろう。栞文は、加藤治郎、川野里子、三井修。三井の栞文によると、2008年頃に三井が横浜のNHK文化センターで開いていた短歌教室に高野が参加したのが始まりだという。歌歴は10年ほどということになるが、すでに自分の文体と短歌世界を持っている人である。「塔」の優秀欄の常連というのも頷ける。

 本歌集に収録された歌を読んでいると、作者がどのような日常を送っているかがよくわかる。夫婦二人暮らしで子供はおらず、犬を飼っている。以前は東京の都心に住んでいたが、思うところあって夫は会社を辞め、数年前に葉山に引っ越して、目の前に海の見えるマンションの4階に暮らしている。夫はネクタイを締めて出勤する勤め人で、絵を描くのが趣味である。本人は専業主婦のようで仕事はしていない。料理が得意なようだ。

瑠璃色と藍に分かるる湾の水波はありつつ混じらずにをり

対岸の街のガラスの一枚が今のぼりたる朝の日に燃ゆ

ひとり掛けのソファをそれぞれ持ち寄つて海ある町に二人で暮らす

真夜中の海のおもてに満月がひかりの道を我にのばせり

海見つつ我等は日々に物を食む木の椅子ふたつ横に並べて

 本歌集のベースを成すのは、上に引いたような海の見える日常を詠んだ穏やかな歌である。海は暮らしの中で大きな位置を占めていて、ダイニングの椅子を対面に置かず横に並べるのも、二人が平等に海を眺めるためである。二人掛けではなく一人掛けのソファーを持ち寄って暮らしているというところにも、相手を尊重する夫婦の関係性がよく表れている。こうして引いた歌を見ると、何と言うこともない日常詠のように見える。しかしそういうわけではない。それは集中に次のような歌が散見されるからである。

「裏駅」と呼ばるる鎌倉西口で夫待つ我は故郷もなく

春の花抱へて待てば病院のエレベーターが深き口

よその家の味噌汁飲めぬことなども我が眷属のくらさと思ふ

いさなとり浜辺にをれば老人の失踪告ぐる放送流れ来

何に効く錠剤ならむ早朝の道に落ちゐるピンクの一粒

幸福であるんだらうなと思ふとき水平に飛ぶあしたのかもめ

本来は脱落してゆく一羽かも空ゆく鳥の群れから我は

 一首目、勤め帰りの夫との待ち合わせの場面だが、〈私〉は故郷喪失者だという思いが胸の奥深くにある。二首目は入院した父親の見舞いの場面で、エレベーターの入口はどこか地中の深い所に続いている。三首目、よその家の味噌汁が飲めないのは味覚に強いこだわりがあるからか、いずれにせよそれを眷属の暗さと感じている。四首目の浜辺に流れる失踪を告げる放送や、五首目の道に落ちているピンク色の錠剤は、何気ない日常にふと顔を出す闇である。六首目では、自分はたぶん幸福なのだという思いを横切るように鷗が飛ぶ。七首目は自己の孤独を自覚する歌である。どうやら傍目には平穏な日々の暮らしを送っているように見える作者の心の奥底には、ひと筋の暗い水が流れているようだ。それは決して珍しいことではなく、心の闇や毒は文芸にとって必要な原材料でもある。フランスの作家・批評家のモーリス・ブランショはかつて「文学は欠如(manque)から生まれる」と喝破したほどだ。

 それを除いても本歌集を読んだ時の独特の感覚を言い尽くしている気がしない。加藤治郎は栞文で、「何かを喪ってゆく感じの滲む歌集である」と述べ、喪ってゆくのは未来であるとしている。そういう見方も成り立つかもしれないが、私にはちょっとちがう印象もある。堅実に日々を暮らしながらも、ふとこの世から離脱するような感じというか、終焉の日から逆算して今を眺めているような印象すらある。たとえば次のような歌にそれを感じるのである。

珈琲にさらさら砂糖を入れながら幾つの季節が過ぎただらうか

君の亡きあとも浜辺を歩くだらうその日も鷗が飛び立つだらう

遺言を書くつまけ春のうた口ずさみつつ掃除す我は

いづれわれが君を撒くとふ湾は今朝釣り舟多し秋晴れにして

真夜の卓に二人の椅子の向き合ふをごく新しき遺跡と思ふ

オットマンに読みかけの本伏せたままぽろりと死んだりしさうで男は

縁石をつよく打つ雨見つつゐて明日あすには忘るる時を重ぬる

 一首目は単に時の流れの速さを詠んだ歌と取ってもよい。しかし二首目は夫が死んだ後に視点を置いて詠んだものである。作者の夫の年齢は知らないが、遺言を書くほどの高齢ではあるまい。ここにも未来の先取りが見られる。四首目にあるように、夫が死んだら目の前の海に散骨するという約束がある。五首目は二人が暮らすリビングを新しい遺跡と見ているのだから、これも視線を遠く未来に飛ばした歌である。六首目や七首目を見ても、この世は仮初めの宿と観ずる永遠の旅人のようだ。その感覚が本歌集に独特の味わいを与えている。そのような眼で読むと、たとえば「ひとつだけ飛び出たテトラポッドがある その頂にいつも鳥がいる」というような叙景歌も、にわかに新たな意味を帯電するようにも感じられるのである。

地下道に硬貨の落つる音のして行き交ふ人の目の光り合ふ

どの季節のどの時刻にも日の射さぬ床の間の隅にこけしが二躰

照り渡る冬の日のもと我に向く犬の耳殻の赤く透きゐる

烏賊の内臓わたごふつと流しに引き出しぬ墨の袋はみづかねの色

ネクタイは太刀魚のごとひらめきて夫の灼けたる頸に巻きつく

鳶たちが旋回しつつ昇りつつ空の底へと消えてゆくまで

眩むほど水かがやきぬ街を縫ふ細き流れを朝越ゆるとき

あるあした冷えた空気の浜に満つ ずつと叫んでゐたやうな夏

 特に心に残った歌を引いた。日常の些細な光景を掬い取る視線の確かさと、それを歌の言葉に乗せる技量が感じられる。四首目のような厨歌もいくつか収録されていて、この歌では「ごふっ」という擬態語がはまっている。ここには引かなかったが、愛犬を詠んだ歌には深い愛情が感じられる。

 「まいだーん」第3号に歌集評を書いた同人の為永憲司は、「昼下がりの静かな街で、昨日の雨をもう忘れている空を眺めているような、ここちよい空漠」と歌集の読後感を表現したが、なかなかに言い得て妙である。歌集には栞文の一部を引用した半透明の幅広の帯がかけられている。それをめくると表紙に描かれた絵が見えるのだが、描かれているのはオキーフばりの動物の骨である。歌集巻末近くに次のような歌がある。

犬のねむる海がこの夜鳴り止まずベランダに出て「おやすみ」と言ふ

の海に白く筋立て波の寄す いづれ我らの帰りゆく国

 愛犬は寿命を迎え、目の前の海に散骨されたのだろう。そこは時が満ちれば自分も帰って行く場所である。やはり本書はメメント・モリの歌集なのだ。

 「まいだーん」第3号の高野の近作とエッセイを読んで驚いた。どうやら葉山の住まいを引き払って、今度は信濃の山に転居したらしい。次のような歌を寄せている。

朝の日が毛を透かすから枝を走る栗鼠の体のほそさが分かる

山雀がぺこりぺこりと水を飲むどこかにあつたそんな玩具が

 どこかに漂白の想いがあるのか、一所不住と決めているのか。それはわからないが、海に代わって山の歌がたくさんできることはまちがいあるまい。


 

第298回 永田淳『竜骨もて』

由比の海に対える如月朔日に身は乾きゆく午後をしずかに

永田淳『竜骨キールもて』

 本歌集は『1/125秒』(2009年)、『湖をさがす』(2011年)に続く第三歌集なのだが、あとがきによれば『湖をさがす』はふらんす堂の求めに応じて書いた1年間の短歌日記をまとめたものなので、本人の意識としては本書は第二歌集に当たるという。2007年から2014年の間に作った歌から499首を選んで編まれた大部の歌集である。作歌と出版の間にタイムラグがあり、直近の歌は収録されていない。前二作の版元はふらんす堂だったが、今回は砂子屋書房から出版されている。

 私が永田淳に会ったというより見かけたのは、今から10数年前のことだ。当時短歌を読み始めた私は、二ヶ月に一度くらいの割で、寺町二条にあった三月書房に歌集を買いに出かけていた。歌集の棚は勘定場にいる店主の背後にあるので、店主の斜め正面に立って眺めることになる。ある日のこと、そうして棚を見ていたら、ジーンズ姿の青年がふらりと現れて店主と親しげに話し始めた。店主は青年に「お父さん、テレビに出てたで。小泉今日子の隣でうれしそうにしてはったわ」と言ったので、私はすぐにわかった。確か小泉今日子が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、永田和宏も受賞して並んで登壇する姿がテレビに映っていた。すると横に居るのは子息の永田淳さんにちがいないと気づいたのである。今はなき三月書房が歌人の聖地だった頃の話だ。

 ほぼ編年体で編まれていると思しき本歌集の題名は、「極北を目指す逸りの竜骨キールもて70mphマイルに水をわけゆく」という歌から採られている。竜骨とは、船の先か船尾までいちばん下を支えている部材で、その形状が竜の骨を思わせるところから命名されたものである。元は釣り雑誌の記者をしていて、オートバイや自動車や船が好きな作者らしい題名である。本歌集に収録された歌は、大きく分けて「人事」「景物」「日常」「家族」「述志」に分類することができる。あとがきによれば本歌集の前半の時期に永田は佐藤佐太郎に傾倒していて、叙景歌しか作らないと公言していたという。しかしその方針を変更せざるを得なかったのは、主に「人事」と「家族」の故である。そしてその多くが死に関係している。

 まず本歌集には家族を詠んだ歌が多く見られる。

降りしきる雪の大原越え行きて腫瘍見つかりし祖母に見えき

「お母さん」の母の呼びかけに口を開けわずかに「あ、あ」と漏らしたりけり

死をも孕んでしまった肉叢が自らの死に呻くが聞こゆ

死の後に死の影とうはなくなりぬ実家の庭に転がる青柿

母の居ぬこの世の川面に風の吹きこの世の時間が流れるばかり

遠き日にわが使いいしグローブが子の手にありて軟球を受く

 この時期に作者は母方の祖母、父方の祖父、そして母親の河野裕子を亡くしている。一首目と二首目は歌人であった祖母を詠んだ歌で、三首目から五首目は母の死を詠んだものである。歌数としては多くはないものの、河野裕子の逝去は作者のみならず、永田家の家族全員にとって大きな出来事であったにちがいない。作者には四人の子がいるので、六首目のように子供を詠んだ歌も少なくない。歌の素材を近景、中景、遠景に分けるならば、家族は典型的な近景であり、永田にとって歌はまず身めぐりから発するものであることがわかる。

 人事にも人の死が関わるものが少なからずある。

歌会にて母の引きえぬブルタブを常に空けくれし真中朋久

あごひげをちょぼちょぼはやし無口なり冬でもサンダル藪内亮輔

釣り仲間亡くしたことは二回目で 十二歳ひとまわりうえの遺影を見上ぐ

死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき

ひとたびを会いたるのみにて訃に触れぬ母と同年美しき人なりき

 一首目は塔短歌会の重鎮の真中朋久で、二首目は同じく塔の若手の藪内亮輔を詠んだ歌。ふだんは歌集を通してしか知らない歌人がこのように描かれると、急に人間臭く見えるものでおもしろい。三首目は年上の釣り仲間の死、四首目は小高賢の訃報に接して詠んだ歌である。〈私〉が生きる「今」が際だって表れていた第一歌集『1/125秒』から年月を経て、作者も年齢を重ね人との別れが増えることは避けられない。人生に降り積もる歳月の嵩である。

 たいていの人がそうであるように、永田にとっての日常はほぼ家族と仕事で埋められる。何気ない暮らしのひとコマがていねいに掬い取られて詠われている。

妻と子の家に寝ぬるが力なり夜のローソンにビールを買いつ

灯を点すごとくにゲラに朱を入れつ沫雪の降る午の窓辺に

わが妻をかばうがごとき物言いの息子とおでんの鍋をつつきぬ

ひと日とて同じはなきを子に夏の一日過ぎゆく川風の中

夜の卓に自我についてを訥々と話す息子に付き合う半刻

 数こそ少ないものの、次のような述志の歌にも注目される。

「死刑」とは記号なれども彼の前に置かれし時の意味をや知らね

クレームをうまくさばけてはいけないと切り泥みおり午後の電話を

勝つたびに万歳唱うる国に生れわが両腕の重たき晩夏

今だからまだ言えるはず 日本に巨き五つの鎖来るな

交戦権と呼ばざることのそしてまた明らに交戦権であることの

 一首目は山口県光市親子殺人事件の判決に触れた歌で、四首目は東京五輪の開催が決まった時の歌である。コロナ禍がいっこうに終息の気配を見せない今から振り返って見ると、この歌には予言のような趣すらある。二首目のような歌を見ると、仕事をルーティーンとしてこなしているのではなく、心に熱いものを抱えていることがわかる。

 本歌集を読んで最も注目されるのは何と言っても叙景歌である。付箋を付けた歌には叙景歌が多い。

川の面に映れる月のゆたゆたと流されずして少し欠けいる

萩の穂の枯れいる空き地のひとところ冬日のながく四角く射しぬ

草紅葉まじる賀茂川土手の上を冬の日しろく渡りつつあり

満開といえど疎にして山ざくら海松茶の枝の骨格の見ゆ

おちこちの下草のなか紫のアサマフウロは時を揺らして

浅間岳その稜線のながながといずれいずべに線の果つべし

稲架の上に二重にかかる稲の穂の数本は揺る雀のかろ

由比ヶ浜に兆しそめたる春潮の波待つ頭の黒く浮く見ゆ

 叙景歌の鑑賞と批評は難しい。古代歌謡以来、叙景歌は日本の韻文詩の伝統であるが、いくら叙景といってもそこに叙情の影がゆらめくことは避けられないからである。上に引いた歌でもそのことは言える。一首目は水面に映った月を詠んだものであるが、「ゆたゆたと」というオノマトペが穏やかな波を表しており、「流されずして少し欠けいる」に微量の心情を読み取ることができる。ちなみにオノマトペは主観的表現である。一方、二首目や三首目はほぼ純粋な叙景で、二首目では「四角く」に発見があり、三首目では「渡りつつあり」に時間の経過が感じられる。四首目は「といえど」という逆接表現が主観に属する。逆接と判断した主体が想定されるためである。六首目の「時を揺らして」は本来は叙景歌に場所を持たない叙情的表現だろう。七首目は浅間山の雄大な稜線を詠んだ柄の大きな歌だが、「いずれいずべに」と推量の助動詞「べし」に主観が見られる。というように叙景歌にも叙情は付きものであり、その配合によって歌の言葉が立ち上がることが肝要なのだろう。

 読んでいて私が立ち止まったのは次の歌である。

繰り返し歌うべきものとして我に近しき死者たちはあり

 あとがきに永田は「歌い続ける決意」のようなものが固まったと述べているが、そのような決意を導いた要因のひとつはこの歌に表されているものかもしれない。