松岡秀明『天啓 ハンセン病歌人明石海人の誕生』書評

 本書は一九三九年に上梓され、ベストセラーとなった明石海人の歌集『白描』を論じた評論である。明石は当時癩病と呼ばれていたハンセン病に罹患し、その病気のありさまと患者の置かれていた苛酷な境遇をつぶさに歌に詠んだ。『白描』は発表当初から評判を呼び、岩波文庫や各種の文学全集にも収録され、明石の評伝も多く書かれている。本書の著者松岡秀明がめざしたのは、『白描』に収録された短歌をていねいに読み解く作業を通じて、なぜ『白描』がベストセラーになったのかを解明することだという。

 『白描』は第一部「白描」と第二部「翳」の二部構成になっており、第一部が発病から死の直前までの明石の生涯を編年体で描いている。本書もその順序に従って歌を読みつつ、加療ため転々と居所を変え、国立療養所長島愛生園で最後を迎えた明石の歩みを辿っている。

 本書のユニークな点は、明石の残した短歌を読み解く手法と視点にある。著者の松岡は医師であると同時に文化人類学者でもあるという他に類を見ない経歴の持ち主である。松岡が参照する社会学者アーサー・フランクは、著書『傷ついた物語の語り手』で、「病む人は病いを物語にすることによって、運命を経験に変える」と説く。フランクの考える病者の物語には三つの類型がある。「回復の語り」は病気に罹った人が健康を回復することを願う。第二の「混沌の語り」は、慢性病や治癒の見込みのない病に罹患した人が混乱して苦しみを語る。最後の「探究の語り」では。病者は病を受け入れて、それを探究につながる旅の契機とする。松岡は、明石もまたこの「探究の語り」に辿り着いたのであり、自分の言葉で語ることによって生を立て直したのだとする。この見方は、病者に限らずなぜ人は物語を必要とするのかという問への答のひとつとなりうる。「探究の語り」を補助線として明石の短歌を読み解く本書は、今までに多く語られてきた『白描』へのユニークなアプローチだと言えよう。

 ただし、『白描』の第二部「翳」は、本書の第七章でわずかに触れられているのみなのが残念である。前川佐美雄の「日本歌人」に所属していた明石は、新しいポエジイ短歌をめざしていた。塚本邦雄が『殘花遺珠』で『白描』のピークと断じたのは次のような歌であった。

わが指の頂にきて金花蟲(たまむし)のけはひはやがて羽ひらきたり

心音のしましおこたる日のまひるうつつに花の散りまがひつつ

 塚本は「だがかつて、ほとんど、これが正當に評價された例を知らぬ」と記している。第二部「翳」を短歌史の中に位置づけて読み直す作業が待たれる。

 

『短歌研究』2023年7月号に掲載

第376回 楠誓英『薄明穹』

父を憎む少年ひとりをみつめゐる理科室の隅の貂の義眼は

 楠誓英『薄明穹』

 理由は定かではないが、父親を憎悪している少年がいる。少年は放課後に居残っているのか、人気のない理科室に一人でいる。時刻は薄暗い夕方だろう。理科室には人体模型や動物の剥製などが埃っぽい棚に並んでいる。隅には貂の剥製が置かれており、キラリと光るガラスの眼が少年を見つめている。この歌は俳句で言えば一物仕立てということになるが、倒置法が効果的に用いられている。それは下句で「理科室」→「隅」→「貂」→「義眼」という視野の絞り込みを可能にしているからである。この下句の絞り込みが一首の緊張感を生み出している。

 楠誓英くすのきせいえいは1983年生まれの歌人で所属結社なし。2013年に第1回現代短歌社賞を受賞。それを歌集として出版した『青昏抄』で第 40回現代歌人集会賞を受賞している。本歌集は第二歌集『禽眼圖』(2020年)に続く第三歌集で、川野里子と小説家の榎田尤利えだゆうりが栞文を寄せている。

 前回『禽眼圖』の評で、楠は目に見えるものよりも目に見えないものに心を惹かれていると書いた。そのような世界観を持つに至った理由のひとつは、12歳の時に阪神淡路大震災に遭遇し兄を亡くしていることだろう。本歌集にも震災に材を得た歌がある。

おそらくは玄関があった地震なゐののち潮風を長くそこにとどめて

階段は途切れて鳥ととびたてば須磨の海ゆく帆船の見ゆ

名も顔もみな忘れはて草のなか茶碗のかけらも墓標となれり

うすく濃くかげの重なる林にて樹になる前の亡兄あににあひたり

まなうらの兄の姿もくづれゆく魚鱗うろくづの雲ひとり見てゐる

 大震災は住んでいた町もそこに住んでいた人も彼方へと連れ去り、もう元の姿を目にすることは叶わない。大震災から29年の時が流れた。西宮北口から阪急今津線に乗って車窓から見える風景には古い木造家屋は一軒もない。すべて震災で破壊されたからである。復興した現在の町の姿の背後には、二重写しのように震災前の町が透けてみえる。作者の世界観の背後にはそのような事情があるかと思う。

 楠の歌の世界では可視と不可視がせめぎ合うだけではない。それと平行して、いやそれよりもさらに色濃く生と死とが踵を接している。

雨ふくみを傾ける紫陽花の地中にひかる納骨堂は

いま路地をかよへる死者は吾が頬のとがりに露をのこしてゆけり

水兵のねむりを眠れ早朝のプールの底をふれし身体よ

死んだこと気づかぬ人も立つてゐる緑濃き山のカーブミラーに

時々はあの世へ行くのに使はれて非常階段に花蕊たまる

 一首目、地上は梅雨時に咲く紫陽花のある寺の境内、地下は死者たちの眠る納骨堂で、生と死は垂直に重なって同時に存在する。雨に濡れて頭を垂れる紫陽花の花は死者に黙祷を捧げているようでもある。二首目はもっと生と死が近い。路地を歩いていて死者と擦れ違うのだ。三首目、夏の早朝に学校のプールで泳いでいる。息を吐いて沈み水底に触れる。その様は先の大戦で南洋に沈没した戦艦の乗組員の水漬く屍のようだというのである。「海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も水夫も」という塚本邦雄の歌を髣髴とさせる。四首目、曲がりくねった山道のカーブミラーには、この場所で自動車事故で亡くなった人が死んだことに気づかずに映っている。五首目、ふだんは使われることの少ない非常階段は、投身自殺に使われることもあるという。風に吹かれて溜まっているのは桜の蕊にちがいない。

 クナーベンリーベ(少年愛)を感じさせる歌は第二歌集『禽眼圖』にも散見されたが、本歌集にも引き続き見られる。

ひかがみに淡き闇ため立つたまま眠れる少年こずゑとなりて

うたれしは手首と聞ける少年の青白き筋にナザレはありて

水の藻にからまり果てし少年の踵みえたり暗渠のおくに

少年をながめしジッドの眼鏡がんきやうは毀れた雲をうつしつづけて

消しゴムを拾へばはつかふるへゐる少年のしろき踝がある

 一首目の「ひかがみ」は膝の裏側のくぼみのことで膝窩ともいう。『狭き門』の作者アンドレ・ジッドはアルジェリア旅行で少年愛に目覚めた。本歌集第III部の「Eternal yesterday」と題された連作は、榎田尤利の小説『永遠の昨日』に基づく。惹かれ合う男子高校生の一人が交通事故に遭うという筋書の小説で、TVドラマ化もされているようだ。

きみだけにあだ名で呼ぶこと許させてコンパスの針にとどめ刺す蝶

背伸びしてキスを交わせば肩の向かう夜にみちゆく白さるすべり

耳朶を噛む ふるへるきみの咽喉のみどには翡翠の皺のガラリヤ湖あり

逝くことのわかりてをれば初恋のあぎとのくらく尖りてゆくを

忘れてくれ あの世に半身残したまま街をゆく半透明のひと

 男子高校生同士の愛情がこの上なく純粋なのは、男女の愛恋と違って終着点がないからだ。それを詠う楠の歌も匂い立つように美しい。

面ざしを闇に与へようつむける人のかたちは正座をつづけ

供へ花いつもあたらし喪失をかかへしものの永遠のとき

刻まれし子らの名前にとまりたる紋白たかく高くそひゆけ

 「坂多き町」と題された連作から引いた。2001年に起きた明石花火大会歩道橋事故の現場を詠んだ一連である。楠はあとがきに次のように書いている。「歌には、体験の有無に拘わらず、その場所に生きていたひとの姿や風の匂い、木々の揺らぎを蘇らせ、とどめる力があるのではないか」と。それはまさにゲニウス・ロキ(羅典語でgenius loci)、つまり「地霊」である。ゲニウス・ロキとは、その土地に長年住み続けた何世代もの人々の集合的記憶であり、土地が発する磁場のごときものだ。バルテノン神殿があるアテネのアクロポリスの丘や、オーストラリアにあるアボリジニの聖地エアーズ・ロックや比叡山を思い浮かべればよい。そのような広く知られた場所だけでなく、ごく身近な所にも場所の記憶というものがある。楠はまるで呼び出されるように場所を訪れて、そこに積み重なった記憶に感応するように歌を詠んでいる。それが楠の歌に独自の陰影と奥行きを与えているように感じられる。

 1983年生まれの楠と同世代の歌人といえば、同じ年生まれに堂園昌彦、1982年生まれに笹井宏之と山崎聡子、1981年生まれに永井祐がいる。口語(現代文章語)を基本とするこれらの歌人と並べてみると、文語(古語)で旧仮名遣いの楠の短歌はひと時代前のもののようにも見える。まさに遅れて来た文学青年の面目躍如というところか。

 歌集巻頭にはパウル・ツェランの「迫奏」(ストレッタ)の一節がエピグラムまたはエピタフのように引用されている。その意味するところは紛れもなく「メメント・モリ」であろう。

 最後に心に残った歌をいくつか引いておく。

足もとに影を集めて立ちつくす昏き歩哨と夏の木立は

掌をふかくひたしてすくふとき沈没船のごとく豆腐は

うつ伏したきみの頭蓋か卓上にひそとおかれて在る晩白柚

埋められし鯨の心臓冬を越え真紅の蝶とならむ時まで

生と死に惹かれ在ることの苦しさを春の嵐に鉄塔はたつ

死者もやがて老ゆる日の来む崖下の廃園の夜のドクダミは咲き

永遠はこの世になくてまつしろなリラの花みたす小舟を遠くへ

 

【追記】

 ゲニウス・ロキに興味をお持ちの方には次の書物をお奨めする。

・鈴木博之『場所に聞く、世界の中の記憶』王国社、2005.

・鈴木博之『東京の地霊』ちくま学芸文庫、2009.

・Michel Butor, Le génie du lieu, Editions Grasset, 1958.

 一部は『現代フランス文学13人集 / 4』新潮社、1966に翻訳収録されている。


 

第375回 丸山るい

 朝日新聞夕刊の2面の隅に「あるきだす言葉たち」という小欄がある。現代詩や俳句や短歌の若手作家の作品を紹介している。4月10日の夕刊(大阪版)に丸山るいという人の短歌が掲載されていた。次の8首である。

埋めた骨のながくみつからない犬のこころのままに街を歩いた

吊り革を祈るかたちに握る手のほどけて雨のなか消えてゆく

あけがたの雪の気配よ なつかしい顔は夢へとかきあつめられ

円環のそとへゆきたしくりかえし輪ゴムを切ってあそんで猫は

描かれた松をふたつの影で見る 千年なんてあっというまの

ベビーカーにベビーのいない空白をみたして夜の空気のふるえ

青海波 かがやく部位をひとつずつ指さしてゆく春の午餐よ

顔認証するたびうすくなるような気のする顔にふるひかりたち

 一読して「ああ、いいな」と思った。それは歌の随所に翳りが感じられたからである。その翳りは一首目では初句から続く喩にある。後で食べようと犬が土を掘って骨を埋めるが、やがてその場所を忘れてしまう。そんな気持ちとは、何か大事なことを置いてきたような気持ちだろう。二首目で吊革を握る手の形を祈りに喩えているのは、心の中に何か祈りたいことを抱えているからだ。三首目で描かれているのは輪ゴムで遊ぶ猫だが、そこに〈私〉の願いが投影されている。円の外に出られぬというのは塚本の次の歌にも見られる喩である。

少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓驅けぬけられぬ

                 塚本邦雄『日本人霊歌』

 六首目の赤ん坊のいないベビーカーは不毛と空虚の喩であり、八首目の顔認証するたびに薄くなる気がする自分の顔は、漠然とした存在の不安を表しているのだろう。

 丸山は1984年生まれで「短歌人」所属の歌人である。昨年の第66回短歌研究新人賞で候補にもなっている。まだ歌集は出していないようなので、寄贈していただき書庫に収蔵してある「短歌人」のバックナンバーを見ることにした。

雨の降るまえの匂いがやってきて実を剥くようにグラスを拭いた

夕暮れの遊具ウィンクしたままでこの世を褪せていく長い犬

                『短歌人』2022年9月号

足裏をはるかな死者とあわせては花の季節のながい信号

夢よりも夢の匂いがながれだす路面に濡れている宝くじ

               『短歌人』2022年10月号

そのさきに花野なけれどカーテンを九月の胸の前にひらいて

燃えた家の煤の匂いのマスカラを塗って出かけるバスがくるから

               『短歌人』2022年11月号

 二首目の「この世を褪せていく長い犬」というフレーズがユニークでおもしろい。おそらく塗装の剥げた公園の遊具を指しているのだろうが、喩の力によってまるで少しずつ姿が薄れてゆく犬がほんとうにいるように感じられる。三首目の足裏を死者と合わせるというのは、交差点で信号が変わるのを待っているのだが、私の足の下の土の中には遠い昔の死者が眠っているかもしれないと感じているのである。東京大空襲で多くの死者を出した台東区あたりを歩けば、決して非現実的な想像ではない。六首目の燃えた家の煤の匂いのするマスカラというのもユニークだ。楽しかるべき外出の背後に燃えさかる家が揺曳する。多くの歌に「匂い」が登場するのは、作者の世界構築に嗅覚が重要な役割を果たしているからと思われる。

歯の数のふいにただしくないような気がする夜の居酒屋にいて

入り口に白い鳥居のある森がみえる速度のなかの九月に

口ごもるからだが夜の植え込みへ落とす影にも咲く萩の花

動物のかたちはどれもおもしろくこの世の影をかさねるあそび

                『短歌人』2022年12月号

 ここまでは習作風の歌が多く見られたが、この時期に丸山は自らの作風を確立したようだ。一首目、何かものを食べていて、歯の数が正しくないような気がふとするというのは、自分の実在性に投げかけられた懐疑である。二首目でおもしろいのは詠まれている素材ではなく、歌の統語法だ。「入り口に白い鳥居のある森がみえる」の最後の「みえる」が終止形と連体形の間をふわふわと浮遊する。終止形と取ればそこに句切れがあるが、そうすると次の「速度」の収まりが悪くなる。連体形と取れば「速度」にかかる連体修飾句となるが、「森が見える速度」とはいったいどんな速度なのか不思議だ。しかも「速度のなかの九月に」と続き、ぐるっと回って初句に帰るようにも取れる。ここで作者が試みているのは、統語法の惑乱によって意味の十層性を生み出すことだと思われる。四首目は動物の形をしたピースを嵌め込むゲームだろう。そのピースを「この世の影」と表現しているところに心引かれる。

天と地がそうあるように藤棚の下に四月のつめたい砂場

はつなつの眠りの階をおりてゆく夢に陶器の手触りがある

グラシン紙ふいにやぶれるさみしさの低声とおくなる靑葉闇

               『短歌人』2023年7月号

対岸にあかるさだけの見えているだれかとだれかのしている花火

裏庭のさびた盥へ雨水のふえてなくなるだけの八月

               『短歌人』2023年10月号

雲はすぐ秋のかたちになりかわる グラムへ切り分けられて牛たち

うつくしい泥のながれてくるような会話に耳の濡れている午後

               『短歌人』2023年12月号

 三首目のグラシン紙とは、本のカバーなどに使われる半透明のつるつるした紙のこと。「グラシン紙ふいにやぶれるさみしさ」や「うつくしい泥のながれてくるような会話」などの喩がユニークだ。どの歌にも若干の空虚があり、ふと肩が冷たく冷えるような感覚が感じられるところに独自のものがある。

       *       *       *

 彫刻家の舟越桂が亡くなった。今年の3月29日のことである。新聞記事で訃報を知って驚き悲しんだ。舟越は、香月泰男、有元利夫、磯江毅(グスタボ磯江)らと並んで、私が最も愛する美術家の一人だったからである。

 舟越の父親の舟越保武も、東京藝術大学教授を勤めた高名な彫刻家で、キリスト者であった。舟越桂は父親と素材の違う木彫の道に進み、木彫に彩色するという独自の技法に辿り着いた。その彫刻世界は唯一無二のものである。

 2003年に東京都現代美術館で開かれた舟越桂展に行った。広い展示室にぽつぽつと置かれている木彫を見て回っていると、まるで深い森に誘い込まれるような気がした。モネのような人気作家の展覧会には、友達同士や団体で見に来ている人が多く賑やかだが、舟越の展覧会には一人で来ている人がほとんどで、静かに鑑賞し次の作品へと移動する様子には古代の敬虔な儀式を思わせるものがあった。彫刻作品と並んで創作ノートが展示されていた。見ると夥しい言葉が書き連ねられている。舟越は言葉の人でもあったのだ。2008年に東京都庭園美術館で開かれた「舟越桂 夏の庭」には行くことができなかったが、親しくしている学生さんが図録を送ってくれた。

 現代アートの主流はコンセプト重視である。舟越のように具象と想像力とを結合させて、存在の謎を詩にまで昇華した人はめったにいない。作者は泉下の人となったが作品は残る。芸術家はそうして不滅となる。フランスのアカデミー会員が「イモルテル」(immortel 不死の人) と呼ばれるのはそのためである。瞑目。

 

 

 

 

第374回 第35回歌壇賞

カーブする数秒間を照らされて蕾のようにひらく左眼

早月くら「ハーフ・プリズム」 

 第35回歌壇賞の受賞作が『歌壇』2月号で発表された。受賞作は早月はやつきくらの「ハーフ・プリズム」である。早月は1992年生まれで、2021年に作歌を始めたというから、始めてまだ3年しか経たずでの受賞である。短歌同人「絶島」所属。第9回詩歌トライアスロン三詩型融合部門でも受賞しており、詩も書くようだ。主に「うたの日」などで短歌を発表している。

しなやかなめまいがあって手をついた場所から果樹が広がってゆく

ほんとうを言わない喉のつめたさに無花果ふかい紅色をして

水道のゆるさつめたさ行き来して洗面台をひたす季節は

 選考委員の三枝昻之と水原紫苑が◎、東直子が○を入れている。吉川宏志は取っていない。選評で三枝は、どんな仕事をしてどんな暮らしをしているかが見えないが、ひとつひとつの場面への反応に詩的なセンスがあると評している。水原は、表現力勝負の作風で、言葉によって世界を組み替えることを目的としていると、いかにも水原らしい意見を述べている。三枝が、どこか着地していない宙吊り感が詩になっているという評に注目した。確かにひとつひとつの場面を克明に描かず、わざと言いさし感を残す詠み方で、そこに余情が生まれている。

 実は私は本コラムの第359回(2023年9月4日)の「『西瓜』に集う歌人たち」で早月の歌を三首引いているのだ。

窓際にひかりを溜めて不在とはまばたくたびに影を見ること

冬の陽がやわらかいのはシーグラスとよく似た仕組み 遠い眼球 

みなぞこは此処 薄明るい真昼間の壁に映画を浅くうつして

 どれも独自の清新なポエジーがある。二首目のシーグラスとは、浜辺に打ち上げられたガラス瓶などの破片のこと。「人魚の涙」とも呼ばれていて、独特な味わいがあり愛好家もいるようだ。この歌にも「眼球」という言葉が使われていて、作者は眼や光やガラスに親和性を感じているようだ。受賞の言葉によると、最初は自己表現として写真を撮っていたようなので、それも関係していると思われる。

 選考座談会で選考委員の誰も「ハーフ・プリズム」という連作タイトルに触れていないのでちょっと驚いた。ハーフ・プリズムとは、入射した光線の方向を45度あるいは90度変えるプリズムである。望遠鏡や光学式カメラのファインダーで使われている。これも光の縁語で、連作タイトルとしては出色だと思う。

 次席には福山ろかの「白昼」が選ばれた。福山は2004年生まれの若い歌人で、東京大学Q短歌会所属。2023年と2022年の角川短歌賞で連続して次席となっている。今回の歌壇賞も次席だったので、本人はさぞかし口惜しいことだろう。これにめげず頑張ってほしいものだ。

その胸に確かなくうを保ちつつ恐竜類の骨は立ちおり

まばたきのたびに途切れているはずの、まなうらを降り続ける雪の

姪っ子のためにわたしがめくるのはみな過去形でかかれた絵本

 吉川が◎、水原が○を付けている。吉川は、細かい所に着目してとても歌がうまいが、これまでの現代短歌の方法をよく吸収していて、そこが淡さにもなっていると評している。水原も歌のうまさは認めつつ、自意識の出し方に少し既視感があると言い、三枝は歌の上手さに新しさが少し欠けていると、東は比喩に驚きがなくどこかで見た気がするものが多いと評している。確かに、「森にいてよく見える雨 たましいが硝子細工のように冴えくる」の直喩などはもう少し工夫が必要かもしれない。

 以下は候補作である。坂中真魚まなは1986年生まれで、相田奈緒・睦月都と神保町歌会を運営している。

雨みんな海に降り終え貝がらを集めた手のひらひらく弟  「時計草」

切り株を踏めば足裏にやわらかく死を言祝いでしまうひととき

シーツ洗えば薄く時間の傷口がひらくあしたを丁寧に縫う

 東一人が◎を付けている。「引かれる手 波のちからを浴びながら春に父は海に連れられ」や「じゃないほうの子供に生まれて彼のみが父となり祖父と呼ばれる今は」などの歌を引いて、作中の〈私〉の父親は事情のある生まれで、祖母は父親と心中未遂をしていて、いろいろな人の孤独を描いた複雑な構成の連作ではないかと読み解いている。これにたいして残りの三人の選考委員は声を揃えて、これは東日本大震災を背景とする歌だと述べたので、東は驚いて絶句している。私は東とまったく同じ読み方をしたので私も驚いた。東日本大震災という読みはないのではなかろうか。そうだとすると、「眠たくなるような孤独をまなざしに 家族の誰もあなたに似てない」のような歌の収まり所がなくなる。連作タイトルの「時計草」は、パッションフルーツの生る植物の仲間で、十字形の花序が磔刑の十字架に似ていることから、「受難」を意味するパッション (passion) という名が付いた。だとすればこの連作の背景にも「受難」と「受苦」が隠されているはずだ。

 松本志李しりは1985年生まれで「塔」所属の歌人である。

馬よりは扱いやすき750ccナナハンで夕空の下ひとりとなれり

                  「海のもの、山のもの」

流れ弾でありしかわれは 一灯のヘッドライトに死ぬる虫見ゆ

かなしみは地を這いいるかひっそりと窓に張り付くニホンアマガエル

 三枝と水原が○を付けている。短歌に賭けている人特有の病んだ感じや暗さがないところがおもしろかったという水原の評に思わず笑ってしまった。確かに健康的で暗さのない歌だ。水原がこういう作風の歌に点を入れたのは少し意外だ。女性ながらナナハンを駆って東北地方を一人で旅する羇旅詠で、明るい青春歌である。吉川も○は付けなかったものの、印を付けていた作と言い、ていねいに読み解いている。しかしバイカーあるあるが時々見られるという東の評言も当たっている。

 乃上のがみあつこは1976年生まれで「玲瓏」所属。

朝礼前 集うわれらのときめきは新色リップの発色具合 「confidential」

エレベーター閉まり切るまでお辞儀する「さすが銀座」と小さく聞こゆ

一時間の通訳終えし空腹を銀巴里跡の蕎麦屋へ運ぶ

 三枝と吉川が○を入れている。この一連は職業詠で、作者は銀座の美容院で中国語の通訳をしている人らしい。正規職員ではなく通訳として働く外部スタッフという微妙な立場や、増えている中国人の客への対応など、短歌としては珍しい素材が詠まれている。タイトルのconfidentialは「部外秘」の意味。吉川は、具体的にうたわれていて、業界の細かいところが伝わるのがおもしろいと評し、三枝は現場の確かな手触りが歌のおもしろさになっていると吉川に同意している。

 これは一種の現代短歌の最前線へのアンチテーゼとなっているという水原の評になるほどと思った。現代短歌の最前線を行く若手歌人たちは、歌が描く場面の具体性をできるだけ削ぎ落とす方向に進んでいるからである。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

                    永井祐『広い世界と2や8や7』

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

 こんな現代短歌の動向に照らしてみると、乃上のように場面に具体性を持たせた職業詠は逆に珍しいものに見えるのである。

 からすまぁは2003年生まれで、東京大学Q短歌会とひねもす所属。昨年のU-25短歌選手権で優勝した記憶も鮮しい。

玄関の隅に埃は堆く〈登山家〉ではなく〈山屋〉の父よ  「追憶」

なぜという切り傷のような問いがある 答えは父の心音だった

そそり立つ岩壁のよう 面談の平たき椅子に父の不在は

 東と水原が○を付けている。水原は山という舞台があってうたわれている感じがいいと評し、東は学生生活を登山で捉えているのが特殊だと述べている。一連を読むとわかるが、山登りが趣味だった父親は、〈私〉が中学生か高校生で、妹がまだ幼かった頃に山で亡くなったのである。二首目の「なぜという問い」とは、「お父さん、あなたはなぜ私たちを残して山で死んだのですか」という問である。ユニークなのは、東も述べているように、トラバース、ポータレッジ、岩壁、アイゼン、ビレイといった登山の縁語を駆使して自分の学生生活を描写している点である。これはなかなかの力業だ。しかし吉川は、「追憶」というタイトルがよくなくて、これではもしかしたら若い人ではなく学生生活を振り返っているのかなと思ってしまうと述べている。よく理解してもらえなかったようで、〈私〉は父の死という傷がまだ癒えない若い人なのだが、その死はすでに手の届かない追憶の彼方にあるということなのだろう。

 はづき(早瀬はづき)は2003年生まれで、「京大短歌」所属。2023年の第2回U-25短歌選手権において「可逆」で予選通過している。連作タイトルのカストラートはイタリア語で、声変わりしないように去勢した男性歌手をさす。

調弦をすればそのあと手にのこる木のにおいごとひく二胡の弓 「カストラート」

わたしは利き手をきみは利き手じゃないほうの手をつないだら一対の羽

影の脚は足からのびて きみがいないふたつの冬がわたしにはある

 東と吉川が○を付けている。東は恋愛感情と身体性が印象に残り、喜びと絶望が表裏一体になっているのが特徴と述べ、吉川は男性同士の恋愛と読み、繊細でユニークな表現があると指摘している。吉川の言うとおりだとすると、これはBL短歌ということになるのだが、「おたがいに隆起のゆるい喉元を前世にふれるようにふれあう」という歌を見ると、女性同士の恋愛とも取れる。しかし性を超えることを指向しているのだから、どちらかに限定する必要もなかろう。この連作で「負晶」という言葉を初めて知った。なんでも結晶のなかにもうひとつ結晶が封じ込められている水晶だという。とても繊細な言葉選びが印象に残る連作である。

 荒川梢は1988年生まれで、「まひる野」所属。

もうこれは葬儀依頼の声だけど依頼されるまでファの声通す

                    「火をよせる」

十五分早いのですが始めましょう人より花のあふれる式場

地獄すらいけないだろうな御目閉ざすお守りとしてアロンアルファを

 三枝と東が○を付けている。葬儀社に勤めている人の歌である。三枝は現場の手触りがきちっとある一連もやはり選びたいと思ってこの歌にしたと述べ、東は葬儀という人間の一番最後の時を過ごす手伝いをするなかで見えてくる人間性が読みどころだと評している。明治時代の短歌改革以来、生老病死は近代短歌の重要な主題である。いずれも誰も避けて通ることのできない宿命で、葬儀は人の一生の最後に待ち受ける儀式だ。そんな特大の主題ながら、自分の職業からやや距離を取って、時には批判的に眺める眼差しが印象に残る。

 この他に、今紺しだ「コペルニクス的な」、乙木なお「降り積もる文字」、斎藤君「ナイトフィッシュ」、木村友「記念日」も候補作品に選ばれている。応募総数は397だったという。これだけの人が短歌を作り応募して来ることに改めて驚く。選考座談会でもそういう意見があったが、力作の多い回だったと思う。

 

第373回 川本浩美『起伏と遠景』

白壁にあかく日の差す丁字路の突きあたりまであゆみつつをり

川本浩美『起伏と遠景』

 白壁なので倉のような漆喰塗りの壁だろうか。あかく日が差しているのだから、晴れた日の午後か夕方だろう。おおまかに場所と時間が書かれている。〈私〉は丁字路の突きあたりに向かって歩いている。突き当たれば右か左に曲がるしかない。いったい何の用があってそこを歩いているのだろう。それはわからない。ただ〈私〉が他ならぬその場所を歩いているという感覚のみが詠われている。

 こういう歌の魅力を説明するのはむずかしい。私はこの歌を読んで、まるで茂吉だと思った。「雪の上にかげをおとせる杉木立その影ながしわれの来しとき」(『白き山』)という歌と造りが似ている。叙景歌かと言えばそうなのだが、景色に還元することのできない何かがある。それは歌の中を移動している〈私〉の感覚である。これが古典和歌とのちがいで、「あふち咲く外面の木陰露落ちて五月雨晴るる風わたるなり」という藤原忠良の歌にはそういう意味での〈私〉が不在である。描かれた絵の中に〈私〉の感覚や身体に関わる情報が埋め込まれていない。たとえ潜在的にでも歌の中に〈私〉を内包したのが近代短歌と言えるだろう。

 川本は1960年生まれ。藤原龍一郎の歌集『夢見る頃を過ぎても』(1989年)を読んで短歌を作り始めたという。1990年に「短歌人」に入会。二年目に新人賞(現在の高瀬賞)を、1998年には短歌人賞を受賞して注目される。その後、「関西短歌人会」などで活躍するが、2013年に52歳で死去。『起伏と遠景』は、その早すぎる死を惜しみ、歌業を世に残すべく短歌人会の歌友が2013年にまとめたのが本歌集である。解説を藤原龍一郎が、川本の紹介を歌友の斎藤典子が書いている。

 本歌集は、2012年に始まり1991年で終わる逆編年体で構成されている。佐々木実之の『日想』もそうだったが、逆編年体で編まれた歌集を繙くとき、一抹の哀愁にとらわれる。正岡豊『四月の魚』のような例外はあるが、始まりの年以後、作者にはもう時間が流れることがないことを思い知らされるからである。望遠鏡を逆さまに目に当てたときのように、レンズの向こうの風景が拡大されるのではなく、逆に縮小されて見えるような気がする。

 本歌集を読み始めると、川本の作品世界にすぐ引き込まれた。何という手練れだろう。よいと思った歌に付箋を付けてゆくと、あまりに付箋が多いために、歌集の天はハリネズミのごとき観を呈する有り様である。読み進むにつれて、作者の人柄や、ものの感じ方や、人生観から日々の暮らしぶりに至るまで手に取るようにわかる。読み終えると、極上の歌集を読んだ満足感と同時に一抹の哀切が胸を過ぎった。それは川本の歌が「この世に在ることの悲しみと淋しさ」を詠んでいるからである。

わが稼ぎ乏しきを嘆きこのあした確定申告ほ書きをへにけり

糖衣錠ひとつぶがたたみに落ちてゐてさみしいわれは呑まむとしたり

ひとりきりタコの滑り台をすべらむとするわたくしはいま世界の外

「超高層マンション建設予定地」と大書せり就中その「超」あはれ

ひともとのさくらまづしくアパアトの「しあわせはいつ」に散りかかりをり

送電線はるかにわたるくもりぞら人のおこなふことのさびしさ

 美術大学を出た作者は、フリーでイラストレーターをしていたという。一首目は収入の少なさを嘆く歌である。近代短歌と貧乏の歴史は長い。二首目は孤独の歌で、孤独は短歌の伴侶と言ってもよい。貧乏と孤独は個人がたまたま置かれる偶有的な状態なので、収入のよい職業に転職したり、恋人ができたり結婚したりすれば、その状態は解消される。しかし川本が感じていた悲しみや淋しさはもっと根源的なものだったと思われる。三首目は、よい歳をした中年男が平日の昼日中、児童公園の蛸形の滑り台を滑っている光景を詠んでいる。その時、〈私〉はこの世界に属してはおらず、世界の外にいる。このようにふらっとこの世の外に出てしまう感覚が川本の歌にはある。四首目は人の営みの虚しさを詠う歌である。高層マンションは今ではタワマンと呼ばれることが多い。タワマンの最上階は勝ち組の住居である。高層マンションの頭に「超」を付けて人々の欲望をさらに煽るのがこの世のならいである。五首目には言葉遊びがある。アパートの名前は「幸せハイツ」なのだが、ひらがなで書かれているために、「しあわせは、いつ」と読めてしまうのだ。六首目にも人の営みの淋しさが詠われている。高圧送電線は遠くの発電所から市街地まで電気を送る。なぜ高圧にするかというと、電流は長い距離を走る間に減衰するのだが、高圧にすると損失率が低く押さえられるからである。そんな送電線を人類の英知の賜物と見る人もいるだろう。しかし川本にはそれが人の営みの淋しさと見えてしまうのである。

 川本がとりわけ才を発揮するのは、道端の異景・不思議を発見する能力である。

石材展示場無人のひるにして何も彫られざる石碑はそびゆ

冬の日暮の生前戒名普及会ここなる門をわれ入らざらむ

すれちがふ下校の子らのひとむれゆ「冷凍ネズミ」と言ひをる聞こゆ

ゆきずりの川のほとりの「故池田警部殉難之碑」も記憶の栞

軍人墓域に花嫁人形飾りありたりあなあはれ夢の景色ごとく

梅田空中庭園にしろき灯はともり神の水母くらげはそこに顕ち来も

 一首目の石材は、いずれ死者の名が彫られる墓石だが、展示場なのでまだ誰の名も彫られていない。確かに不思議な光景である。ネットで調べてみると、二首目の生前戒名普及会は実在する団体である。その門の前を通りかかるのは、冬の日暮れという絶妙な時刻だ。三首目は子供が何か言ったのを聞き違えたのかもしれないが、実際に蛇を飼う人は冷凍ネズミを餌に与えるらしい。四首目の碑は池田警部殉職碑といい、大阪の生野区にある。昭和21年に起きた事件だという。五首目、旧日本軍人の墓に飾られている花嫁人形は、若くして結婚する前に散華した兵士を哀れに思って置かれたものである。六首目の梅田空中庭園は、1993年に竣工した建築家原広司設計の梅田スカイビルの屋上庭園で、大阪のランドマークのひとつとなっている。そんな建物も川本にかかるとまるで佇立する神の依り代である。

 何より川本の作歌技術が光るのは、トリミングの巧さと、最小限の的確な言葉で情景を描出するその能力だろう。

塀のうへブリキ煙突のあたま見ゆそのH字の影のゆふぐれ

午前より剣道のおとひびきけり夏椿咲く警察署うら

白シャツの影座れるは少年か泌尿器科医院のガラスとびら

とほりかかる一瞬にしてびはの木よりびはの実落ちぬその水の音

ももいろに褪せたる文字の皮フ科のフざわりゆらめく棕櫚の葉かげに

 塀の上に突き出たH字煙突が道に落とす影、剣道の練習をする声が響く警察署の裏に咲く夏椿、泌尿器科の医院の磨りガラスに映る少年の影、枇杷の実が落ちるその瞬間、医院の看板の「皮フ科」のフの字が色褪せた様子。どれも絶妙な切り取り型でトリミングされ、よく選ばれた言葉で描き出されている。

 

鳥の影ふともよぎりて西窓はあはき春陽はるひを容れゐたるのみ

コスモスの花のため降るひでりあめ市立授産場の庭にうつろふ

ケイタイの灯にうつむけるかほはぬ牡丹灯籠の女のごとく

とほく咲く白さるすべり小用の便所の窓ゆ見つつかなしも

ひしひしと夏空あをし煙突掃除のひとりの影ののぼりゆくとき

おとろへてゆくあさがほがしぼりだす赤紫色せきししょくのはな雨は撫でをり

 

 付箋の付いた歌からほんのごく一部を引いた。いずれも言葉の斡旋よろしく、その歌の想は心に沁みる。川本のような優れた歌人の歌業が広く人に知られることを願うばかりである。


 

第372回 笹公人『シン・短歌入門』

何時までが放課後だろう 春の夜の水田みずたに揺れるジャスコの灯り

笹公人『念力ろまん』

 先日、用もないのに近所の書店に行くと、新刊書籍の棚に短歌の入門書が三冊も並んでいたので、思わず全部買ってしまった。笹公人『シン・短歌入門』(NHK出版)、榊原紘『推し短歌入門』(左右社)、我妻俊樹・平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』(書肆侃侃房)である。新刊書籍の棚に短歌入門書が三冊並ぶというのは、滅多にあることではない。帰宅してパラパラめくって見ると、いずれもひと癖ある入門書でおもしろい。榊原の本は、「推し」をキーワードに書かれている。「推し」とは、自分が特にひいきにしている歌手・俳優や、マンガのキャラクターをさす。我妻と平岡の本は、短歌をめぐる二人の対談形式で書かれている。短歌入門書では例歌を挙げて説明することが多いが、この二冊は最近の若手歌人の歌をよく引いているという点でも特徴的である。これにたいして笹の本では、昔の歌から最近の歌までまんべんなく引かれていていちばんオーソドックスである。今回は笹の本を取り上げてみたい。

 『シン・短歌入門』は、2020年から22年まで「NHK短歌」のテキストに連載された文章をまとめて加筆修正したものである。タイトルの『シン・短歌入門』はもちろん、「シン・ゴジラ」や「シン・仮面ライダー」など、最近の邦画で流行っている「シンもの」に乗っかったものである。

 サービス精神の旺盛な笹だけあって、本書には読者を飽きさせずいかに短歌へ導くかという工夫が凝らされている。まず本人は、アイドルグループ「アララギ31」のプロデューサー「笹P」として登場し、アイドルの明星コトハがアシスタントを務めるという設定だ。サングラスを頭に押し上げ、セーターを肩に巻く似顔絵は、1990年代のトレンディードラマのプロデューサーそのもので、レトロ感が強い。 

 さて内容はというと、驚くほどオーソドックスで、若干ふざけ気味の設定とは裏腹に、直球勝負のアドバイスが並んでいる。短歌入門書にはそれを書いた人の短歌観がよく出る。笹は念力短歌やオカルト短歌を書くアブナイ人と思われているが、実は正統派の歌人なのだ。

 本体は短歌のQ&A形式になっていて、短歌初心者から出そうな質問に笹Pが答えている。たとえば「歌を作るには何から始めたらいいですか」という質問には、「定型さえ守ればいいのです」「巧い下手にはこだわらず、最初の二、三年は、モノマネでいいので、どんどん歌を詠んでみてください」と答えており、「短歌ができないときはどうしたらいいでしょうか」という質問には、歌は非日常体験から生まれることが多いので、「電車で知らない駅に降りることをお勧めします」と答えて「乗越しし駅のベンチに何するとなく憩へれば旅のごとしよ」という高野公彦の歌を引いている。

 私が知らないことも書いてあった。上句で情景を、下句で心情を述べるという短歌の基本形式は、平安時代中期の廷臣歌人藤原公任きんとうの歌学書『新撰髄脳』に書かれたものだという。藤原公任と言えば、「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなお聞こえけれ」という『千載集』の歌がよく知られている。上句で情景、下句で心情という形式は、形を変えて永田和宏の「問と答の合わせ鏡」(『表現の吃水』)としてよく知られている。我妻・平岡の『起きられない朝のための短歌入門』でも、平岡が最初の一首の作り方として、「なにかしらの気持ちを書いたパーツと、なにかしらの物の描写を書いたパーツをまったく別々につくって、それを組み合わせる。『心情+景』または『景+心情』というのはかなりオーソドックスな短歌のかたちなんだけど、それをまずはインスタントにつくってみる、というやり方です。(…)とにかくばらばらにつくったものを最後に組み合わせることで一首を完成させる」と推奨している。もしこれが俳句ならば、「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」(草間時彦)のように、上五に季語を置き、中七・下五に遠く呼応する景を配するというのがオーソドックスな形式ということになるだろう。これから短歌を作ってみようという人には役立つ実践的なアドバイスである。

 また短歌がなぜ五・七・五・七・七の三十一字なのかは諸説あるところだが、『知っ得短歌の謎 古代から現在まで』(學燈社)の佐佐木幸綱による序文に、『冷泉家和歌秘々口伝』の説が紹介されているという。一ヶ月は三十日で終わりそれから次の月の第一日がやってくる。天をめぐる月が一周りして、さらに周りつづけてゆく「天道循環無窮」を象徴する数が三十一だというのである。天道循環無窮とは、当時は天動説なので、天体が地球を中心として永遠に回り続ける様を言い表したものである。笹によると、三十一字が天体の運行と関係しているという説は『ホツマツタエ』にも書かれているらしい。

 ここで『ホツマツタエ』が登場するとは! 『ホツマツタエ』とは、本邦最古の文献とされる『日本書紀』『古事記』より古く、漢字渡来以前に日本にあった古代文字で書かれているとされる書物である。こういう古代文字を総称して神代じんだい文字という。学会の定説としては偽書とされているが、松本善之助『秘められた古代史 ホツマツタヘ』(毎日新聞社)、鳥居礼『ホツマツタヘ入門』(東興書院)などの解説本も多く書かれている。私は言語に関係するものには何でも興味があるので、こういう文献も趣味で蒐集しているのだ。密かな裏テーマと言えるかもしれない。

 本書の終わりの方には、笹がいままでいろいろな媒体に書いた短歌論が収録されている。私が思わず笑ったのは、「誤読の可能性」という文章である。「砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている」という俵万智の歌について、「なぜ卵サンドが気になっていると思う?」と問い掛けると、元AKB48メンバーの北原里英は「夏でしょ? 卵サンドが腐っていたから」と答えたという。笹は「この子は鋭い !! と驚くとともに、コロンブスの卵的な回答だと感心した」と続けている。

 永田和宏はよく短歌の読み(意味解釈)に正解はないと言っている。確かに一首の読みは人によって大きく異なることがある。しかし北原の答は、短歌が抒情詩であるという前提から外れているので、短歌的にはややまずいだろう。

 本書の巻末には「シン・短歌ドリル」として、虫食いにした歌に当てはまる語句を選ぶというドリルがある。たとえば、

 [    ]にゆかざる男みちみちるJR線新宿駅よ (大滝和子『銀河を産んだように』)

という歌に入る選択肢は次の四つである。

 1. スポーツジム 2. 墓参り 3. 同窓会 4. 羚羊かもしか

 正解は4.の羚羊狩である。確かに四つの中ではいちばんぶっ飛んだ候補だ。試しにドリルを全部やってみたが、正答率は8割くらいだった。

 という工合で、『シン・短歌入門』には短歌の素人を短歌へと導くべくさまざまな工夫が凝らされている。笹はすばらしい短歌というものがもっと世の中に広まってほしいと願っている人なので、本書も多くの人が手に取ってもらいたいものだ。

 

第371回 吉村実紀恵『バベル』

リヤドロの陶器人形たおやかに諫死しており書架のくらみに

吉村実紀恵『バベル』 

 リヤドロはスペインの高級陶器メーカー。この少し前に「われよりも永きいのちをヤフオクで落札したり陶器人形」、「陶製のうなじは潔し恋に恋せし少女期の忌として置かむ」という歌がある。ヤフーオークションでリヤドロの陶器人形を落札し、恋に恋した昔の自分への戒めとして自室の書架に置いているのだ。それなのにまた先の見えない恋をしてしまった。陶器人形の冷たい目を見ていると、まるで諫死しているかのようだと詠っている。諫死とは、死を覚悟して王や皇帝をいさめることを言う。それでいて人形の姿はたおやかである。何かを見つめる眼差しが自分に返ってくる自己省察の深さがあり、それなりの人生経験を積んだ人にしか持ち得ないものだろう。

 吉村実紀恵は1973年生まれ。大学生の時に同人誌「解放区」に参加して歌作を始め、1997年の第40回短歌研究新人賞において「ステージ」で次席に選ばれている。そのすぐ後に第一歌集『カウントダウン』(1998年)、第二歌集『異邦人』(2001年)と矢継ぎ早に歌集を上梓した後、短歌の世界を離れている。その経緯は本歌集のあとがきに率直に記されている。

 グローバルな世界で働いてみたいとの想いから自動車メーカーに転職し、10年の間ビジネスの最前線で活躍する。「海外出張に行くことになった日の夜、空港の煌めく滑走路と、離着陸する機体を眺めながら、ようやくここまで来たという達成感に浸っていました」という言葉が当時の高揚感を物語っている。40歳を迎え思うところあって短歌の世界に戻り、「中部短歌会」に所属。『バベル』は2024年に上梓された第三歌集で、栞文は東直子が寄せている。

 第三歌集とはいうものの、前の歌集から22年の時が流れており、結社も変わり歌風も大きく変化しているので、新たな出発の歌集と捉えた方がいいだろう。というのも第一歌集『カウントダウン』はロック音楽に傾倒していた荒ぶる青春像を描いた歌集で、とても同じ作者の歌とは思えないほどだからだ。

 本歌集を通読して私が感じたのは「言葉の強度」ということである。それは何も激しい言葉遣いをするということではない。ややもすれば平板になりがちな日常言語を詩の言語へと昇華する言葉の強さというほどの意味だ。だらっと横に広がりがちな日々の言葉を、一行の詩へと直立させるにはどうすればよいかということである。

 比較的作者の顔が見える第II章から見てみよう。この章には仕事にまつわる歌が多く収録されている。

ものづくり神話の終わりゆくさまを見届ける一兵卒なりわれは

ものつくる心は知らず颯爽と〈ガイシ〉に集う若きエリート

力みつつ在庫管理を説くわれは時おり胸の社章たしかむ

灯を消せばあかるむ一脚の椅子ありき 貴女もロスジェネを生きしともがら

氷河期もリーマンも耐えて現在いまあるとグラスに移して飲むレッドブル

 一首目は自社開発を諦めて他社製品を使うことを決めた会議での感慨である。かつて日本はものづくり大国と言われていたが、新興国に押されて昔日の面影はない。二首目の〈ガイシ〉は外資系企業で、その多くは金融やITでものづくりとは無縁だ。三首目は海外出張して現地法人の従業員にレクチャーしている場面。自分は会社の代表としてここにいるという責任感が滲む。作者は就職氷河期と言われた時代に大学を卒業したいわゆるロスト・ジェネレーション、略してロスジェネ世代にあたる。就職氷河期、バブル経済崩壊、リーマンショックと続く厳しい時代を生きた世代だ。それなりの自負もあるだろう。五首目のレッドブルは「翼をさずける」というキャッチコピーで知られる栄養ドリンクで、残業して働くサラリーマンの必需品である。自らの置かれた立場を外から冷静に眺める視線を持つ良い職業詠だが、特に吉村ならではの個性というものはない。

 栞文で東が取り上げている身体性を表す歌を見てみよう。

何をもて天与の性と和解せむ遂にいのちを産むことなくて

海とひとつづきとならむ抱擁に肌をさすらうあまたの水母

水底にしづもれるごと抱き合えり君を鎧えるものを剥がして

人間の味するらしと柘榴食む惰性で愛を交わしたあとに

鳥の羽ほどの重さでうえになる君の心音にふるえるほどの

 子を成さぬ女性であることへの想いを詠う一首目、抱擁された体の感覚を無数の水母に喩える二首目、愛を交わすことを水底に沈むようと詠う三首目、交情の後の懈怠を柘榴に喩える四首目、自らの身体を鳥の羽に喩える五首目。いずれも女性の身体性と大人のエロスを詩的な言葉で表現している。このような歌も東が言うように、歌人吉村の個性を表すものと言えるかもしれない。

 しかしより注目に値するのはもう少し観念性へと傾いた歌群で、そこには生と死の相克を巡る思念が貼り付いているように感じられる。

死者もろともに抱かれているのかもしれずそのまなざしの遙けさゆえに

手を取りてふたり迷えり終着はされこうべ吊されて鳴る森

しらほねをこの世に座礁した船と思えばかなし海に降る雪

そばにいてくれればいいと来世まで自殺を延期し続けるひと

あの世よりこの世に流れ込むごとしエンドロールに亡き人の名も

次の世もおんなでありたし生と死の境に赤い口紅を置く

 どこかに近松の情死の道行きの音が遠くに響いているような歌である。たとえば五首目、映画が終わるとキャストやスタッフの名前を延々と連ねたエンドロールが流れる。その中にはもうすでにこの世にいない人の名も含まれている。この世とあの世はそれほど隔絶した世界ではなく、その境界はふと跨ぎ越すものかもしれない。そんな「人間の条件」に冷徹な眼差しを注ぎ、六首目ではその境界に女性の象徴であるルージュを置くと決然と詠っている。

庇護の手をふりほどきわが見上げたる空の高みに雲雀うしなう

かなしみの核に柘榴を実らせて拾うほかなし神の布石を

執拗に果肉をつぶす先割れの匙にいびつな顔をひろげて

純血の馬馳せゆかむ空のはて少年院は取り壊されて

 日常言語を詩の言語へと昇華させる言葉の強度を特に感じるのは上に引いたような歌群である。具体的な出来事や情景が詠まれているのではない。しかし歌の背後に重大な体験や大きな感情の揺れがあったことが想像される。それらをそのまま言葉にするのではなく、抽象と思弁の水準へと転轍することによって、言葉による短歌の美を実現しているように感じられる。このような歌に特に吉村の個性を見たい。 

閉園のチャイムに押されて歩き出すゆうぐれの血をもてあましつつ

 動物園の閉園間際の光景である。作者が特に好む時間は夕暮で、好みの風景は残照らしい。歌集題名のバベルは猥雑な東京のことだろう。東京を詠んだ都市詠にもよい歌が多い。

欠番の第VI因子によるものか血を吹くほどのかなしみあるは

 人間の身体には出血を止める働きが備わっている。血液の凝固には全部で12の因子が知られているが、そのうち第VI因子は欠番となっている。つまり番号は振ったものの存在しないということだろう。だから第VI因子が欠番だから出血が止まらないということは実はない。しかしそう思えるほど身体から悲哀が噴き出すのである。

 本歌集の装幀はまさに鮮血のような深紅である。歌集のどのページを開いても血が滲むように感じられるのは、まさに言葉の強度によるものだろう。

 

第370回 鈴木美紀子『金魚を逃がす』

野の花を挿せばグラスの底よりも深く沈んでしまう一輪

鈴木美紀子『金魚を逃がす』
  野原に咲いている花を摘んで持ち帰り、グラスに挿してテーブルに置く。それはよくあることだろう。しかし挿した花がグラスの底よりも深く沈むというのは現実にはあり得ない。こういう歌を前にしたとき、解釈の道筋はいくつかある。ひとつは歌が非現実的な夢か幻想の世界、もしくは平行世界を描いていると読むやり方だ。その場合、描かれた情景は現実には存在せず、作中の〈私〉の夢か幻視の生み出したものか、そうでなくとも〈私〉のいる今・ここにはないものとなる。その場合、非現実的な情景の持つリアリティや生々しい手触りが歌のポイントとなるだろう。

 もうひとつの解釈は、描かれた情景は何かの短歌的喩だとする見方だ。「〜のごとき」という直喩によらず、歌全体が歌の外部にある何物かの喩として働く。その何物かは作中の〈私〉もしくは作者が感じている心情であることが多い。その理由は短歌が本来抒情詩だからだ。その道を選ぶと、歌が表しているのは作者が心に抱く「深く沈み込む想い」となるだろう。

 本歌集は『風のアンダースタディ (2017年)に続く第二歌集である。版元はコールサック社で、詩人の文月悠光が帯文を寄せている。歌集題名は「病室の花瓶の水を替えるとき金魚を逃がしてしまった気がして」から採られている。この歌ではそんな気がするだけで、本当に金魚を逃がしたわけではないのに、歌集題名では「逃がす」という断定形になっている。

 前作『風のアンダースタディ』では、誰かの代役として人生を生きているような感覚を軸として鈴木の歌を論じたが、本作ではそのような感覚は影を潜めている。それに代わって本歌集から感じられるのは、作者の「境界を超える感応力」である。それは次のような歌に顕れている。

快速に乗り換えて行く。もうすでに滅びてしまった星の時間を

傘の柄をそっと持ち替えあのひとの昨夜の肩を濡らしてみたい

ひったりと手錠の代わりに嵌められた腕時計にはいくつの歯車

柩には入れてはならないものばかりきらめかせてゆく生と思えり

残された時間が表示されるはず改札抜けるたびに 手のひら

 一首目、中央線だろうか。途中の駅で普通列車から快速列車に乗り換える。通勤するときに誰でもすることだ。そうすることで数分から十数分だけ乗車時間が短くなる。作者の想いはここから、数千光年の宇宙の彼方で赤色矮星となり寿命を終えた星に飛ぶ。その最後の光が地球に届いた時にはもう星は存在しない。私が快速電車に乗り換えることで得た十数分の時間と滅びた星の時間との途方もない対比がある。

 二首目、昨日の夜、恋人と思しき人とひとつの傘に入って歩いていたのだろう。私は隣にいる恋人が濡れないように、そちら寄りに傘を差し掛けている。そのために自分の肩は少し雨に濡れている。傘を右手から左手に持ち替えると、恋人の肩は濡れてしまう。〈私〉は時間を超えてどうしてもそうしたくなっているという歌だ。

 三首目、腕時計を手錠になぞらえているのだから、一応手錠は腕時計の喩である。手錠は犯人を拘束するための器具だ。では腕時計は何を拘束するかというと、〈私〉の時間を拘束する。〈私〉は腕時計の示す時刻にしたがって、これから出社せねばならず、会議に出席しなくてはならない。手錠は空間的に人を拘束するが、腕時計は時間的に拘束する。どちらも腕に嵌めるところが共通点として働いている。

 故人を火葬するときに、死出の旅路の供に杖や草鞋や、三途の川を渡るための硬貨の絵などを柩に入れることがある。その他に愛読していた本や好きだった菓子などを入れることもある。しかし、金属製の眼鏡やアクセサリーは入れてはいけないとされる。四首目は、ネックレスや指輪やブレスレットなど、柩に入れられないものばかりを光らせて〈私〉は現世を生きていると詠う。幽明の境のこちら側とあちら側との対比が鮮明だ。

 五首目は鉄道の改札の光景である。改札口にPASMOなどのプリペイドカードやスマホを触れると、引き落とし額と残額が一瞬表示される。この歌は残額の表示と同じように、私に残された生の時間が手のひらに表示されるという空想を詠んだものだ。毎日出勤のために電車に乗車するたびにPASMOの残額は減ってゆく。それは目に見える。しかし毎日出勤するごとに私の生の残り時間が減ってゆくことは目には見えない。この歌は私たちの生の真実を可視化しているのだ。

 上に引いた歌に現れる「快速」「星」「手錠」「柩」などのアイテムは、歌の中で効果的に働いてはいるが、通常の意味での喩とは少しちがう。五首目では喩たるべきプリペイドカードは詠まれてすらいない。たとえば一首目では、歌の中の〈私〉が快速に乗り換える世界と星が死滅する世界とが互いに両立しながら、天文学的な空間的・時間的距離を越えて接続されているように感じられる。他の歌では接続されるのは、今日と昨日、空間と時間、生と死、プリペイドカードの残額と残りの生だ。そしてこれらすべてから炙り出されるように浮かび上がるのは、「生の一回性」という主題だろう。 

どうしてもわたしの指のとどかない背中の留め金 夜空にひかる

珈琲のペーパーフィルターひらかせて遠い星砂あふれさせてる

濃くしてと頼めば百円増しになるレモンサワーのようなくちづけ

鬼百合のはなびらほろりと散るあわいあなたの舌の薄さを惜しむ

蘇生措置しているみたいに胸元を押し洗いするモヘアのセーター

 「境界を超える」とまでは行かなくても、鈴木の短歌では喩が大きな役割を果たしている。一首目の背中の留め金は手の届かない理想の喩だろう。二首目はドリップコーヒーを淹れている場面で、「遠い星砂」が注がれた熱湯に盛り上がるコーヒー粉の喩となっている。三首目では結句の「くちづけ」以外のすべてが喩で、一種の序詞のように働いている。四首目は鬼百合の花びらが恋人の舌の喩という珍しい例だ。五首目は直喩で、押し洗いを心臓マッサージに喩えており、ここにも生のあちこちに見え隠れする死が顔を覗かせている。

 歌と実人生の距離が近い「人生派」歌人の場合、歌集に収録された歌を順番に読んでゆくと、職場の情景や恋人との出会いや失恋などが詠まれていて、作者の暮らしと人となりが何となくわかることが多い。しかし上に引いた歌を見てもわかるように、鈴木の歌にはそういう意味での私生活がほとんど詠まれていない。地名などの固有名もまったく見当たらない。その意味で鈴木は「人生派」ではないのだが、かといって「コトバ派」かというとそう呼ぶのはためらわれる。コトバ派の歌人は、言葉の組み合わせが生み出す美を追究するものだが、鈴木の歌にそのような指向は見られない。どちらでもない第三のジャンルに名前を付けなくてはならないようで、それを仮に「生の真実派」と呼んでおく。 

前世のあなたの骨かもしれなくて時間を旅した宇宙塵ふる

〈検針済〉の小さな紙片が遺書のよう新品の綿のシーツの白さに

骨よりも白い真昼の月だからオニオンスライス真水にさらす

会話なき夕べのテーブル間引かれた水菜の蒼をしゃきしゃきと食む

みずうみで溺れてしまう夕ぐれに取り込むリネンのシーツがつめたい

 どの歌にもその背景に見え隠れしてかすかに死のイメージが揺曳している。一首目の「骨」、二首目の「遺書」、三首目も「骨」、四首目の「間引かれた水菜」、五首目の「溺れてしまう」がそうだ。二首目の〈検針済〉は、売り場に並べられた蒲団に縫い針を挿すという犯罪が起きたため、検査済で安全であることを示すラベルである。ここには日常に潜む悪意も感じられる。

 鈴木は「未来」に所属して加藤治郎の選を受けており、穂村弘の「短歌ください」にも投稿している。 

酒、みりん、醤油のようにわたしたち1:1:1の三角関係

         穂村弘『短歌ください その二』(KADOKAWA)

5歳までピアノを習っていましたとあなたの指に打ち明けるゆび

 この歌の頃はまだ鈴木の個性は顕れていないが、本歌集に収録されている歌は加藤治郎や穂村弘などの選を受けるポスト・ニューウェーヴ世代の歌のテイストとかなりちがう。「生の一回性」をめぐる「生の真実」を詠う作風は、世代を飛び越えてたとえば小池光の次のような歌に連なるようにも思われる。 

夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして

                     『廃駅』

春ほそきあめくだる園の水のうへ自然死を待つ白鳥うかぶ

ひつそりと生馬のやうな夕闇がゐたりポストのうしろ覗けば 

 『金魚を逃がす』に収録された歌にはたくさん付箋が付いた。そのうちからいくつか引いておこう。 

押しあてた胸は互いにやさしくて打ち上げ花火の遠い残響

むね肉に刃をそわせひらきゆく わたしのなかの驟雨が匂う

遅刻してスクリーンの前を横切った見知らぬ誰かの影こそ主役

アスファルト「止まれ」の文字は消えかけてペトリコールを香らせていた

括られるよろこびの果て花束をばらせば香るオープンマリッジ

 三首目には第一歌集『風のアンダースタディ』によく見られた、私は誰かの代役を生きているという感覚がまた見える。プラトンによれば、私たちはイデアの影にすぎないので、そのように感じるのには理由があるかもしれない。四首目のペトリコールとは、雨が降り出した時に匂う香りのこと。雨の降り出し時には特有の匂いがすることは感じていたが、名前が付いているとは知らなかった。五首目のオープンマリッジとは、配偶者以外の人との性的関係を許容する結婚の形態のこと。「括られるよろこび」とは結婚を指し、「花束をばらせば」とはオープンマリッジの自由な関係か、その果てに訪れる離婚を指しているのだろう。上句と下句の連接が巧みだ。どの歌にも詠まれている情景と呼応する世界があり、それが鈴木の短歌の大きな魅力となっている。

 小池光は確かどこかで「歌人には第二歌集こそ大事」と発言していた。その意味で本歌集は鈴木の歌人としての充実を示すものとなっている。

 

第369回 中井スピカ『ネクタリン』

二塁手になるはずだったマスターがシェーカーを振る腕の残像

中井スピカ『ネクタリン』

 おもしろい歌だ。シェーカーを振っているのはバーのマスターだろう。白いワイシャツに黒いベストに蝶ネクタイあたりが定番の服装だ。高校野球の選手で甲子園にまで行き、将来はプロの野球選手をめざしていたが、怪我でもしたのか願いは叶わず、今はバーのマスターをしている。しかしシェーカーを振る目にも留まらぬ腕の動きに、かつての球児の片鱗が残っているという歌である。「残像」は修辞の誇張法だが、球児の姿とマスターの姿が二重写しになる効果も認められる。歌の背後に人生のドラマがある。

 中井スピカは1975年生まれの歌人で、「塔」所属。2022年の第33回歌壇賞を「空であって窓辺」で受賞している。『ネクタリン』は受賞作を含む第一歌集。東直子、江戸雪、山下洋が栞文を寄せている。

グリーンとだけ呼ばれてる受付のグリーン三つに水を与える

北浜のビル群滲む川面にはブラックバスの背がひるがえる

退職希望慰留失敗8ポイントぐらいのフォントで隅に小さく

なかもずと千里中央往復し海溝のごとき睡眠をとる

もうあいつ辞めさせろという声響く向かいで書類の端を合わせる

 歌集の冒頭近くから引いた職場詠である。「塔」は遠くアララギの系譜に連なる結社なので、あまり〈コトバ派〉の歌人はおらず〈人生派〉が大半を占めている。中井もその一人で歌は人生にかなり近い。

 中井の文体は多少の文語(古語)が混じるものの、大部分は口語(現代文章語)である。口語で短歌を作る際の問題点は二つあって、一つは文末処理、もう一つは助詞だ。ランダムに選んだつもりだが、気づいてみれば上の五首中四首が動詞の終止形で終わっている。

 横道に逸れるが、終止形であって現在形ではない。日本語にはフランス語のような現在形がない。フランス語では (1) の現在形は習慣的現在も、今の現在も表す。

 (1) Pierre prend une douche. ピエールはシャワーを浴びる/ 浴びている。

英語では、状態動詞の現在形は今の現在を表すが、運動動詞の現在形は習慣的現在しか表せない。

 (2) Peter is sick. ビーターは病気だ。(状態動詞)

 (3) Peter takes a shower (every morning). 

   ピーターは(毎朝)シャワーを浴びる。(運動動詞)

 今現在を表すには進行形にしなくてはならない。

 (4) Peter is taking a shower.  ピーターはシャワーを浴びている。

 日本語は感覚動詞 (5) 、思考動詞 (6) 、自発のレル・ラレル (7)や、状態動詞 (8)の終止形は今の現在を表す。

 (5) 肩が痛い。

 (6) 私もそう思う。

 (7) 春の訪れが感じられる。

 (8) 机の上に猫がいる。

 しかし動詞の大部分を占める運動動詞の終止形は、これから起きることを表し、本当の現在を表すことができない。

 (9) 太郎は東京に行く。

 このため上に引いた歌の一首目「水を与える」は、これから与えるという未来の出来事か、いつも与えることにしているという習慣的現在の意味になり、今起きていることという出来事感が薄い。

 そう思って集中を探してみると、文語の助動詞を使った歌がいくつかある。

台風の逸れたあしたにユトリロの巡回展は幕を開けたり

歩道橋から見下ろせば誰も誰も虚ろな制服揺らしておりぬ

中庭を覗けば客は入れ代わり同じラム肉焼いて食いおり

 一首目は完了の助動詞「たり」、二首目も完了の「ぬ」を使って、過去・完了を表している。また三首目は補助動詞「おり」を使って動作が進行中であることを表している。どうやら中井は出来事が過去や完了の場合、意識的に文語の助動詞を使っているようだ。口語ではしにくいことを感じているのだろう。

 口語の二つ目の問題は助詞である。文語は漢文脈の影響もあって、助詞を使わないことがよくある。特に主題の「は」、主格の「が」はあまり使わない。

 昔、男ありけり。

 綸言汗のごとし。

 文語が基本の俳句も同様である。

靑嵐過ぎてなんだか小さき家  野口る理

帯解いて五体崩るる鰯雲  山田露結

 これとは逆に口語では助詞を省くといかにも省いた感が強くなる。上の四首目「なかもずと千里中央往復し海溝のごとき睡眠をとる」では、「なかもずと千里中央[を]往復し」が本来であり、音数合わせとわかる。「ごとき」という文語を使っているのでなおさらだ。やはり口語短歌の問題は助詞と助動詞に集約されるようだ。

 長くなったが中井の短歌に戻る。さきほど引いたのは職場詠だが、それに限らず中井の歌の素材は、日々の暮らしでふと感じる違和感や居心地の悪さが中心である。

代わりなら幾らでもいて赤々と脚入れかえてゆくフラミンゴ

陰口を拒めないままテーブルのアクアパッツァが冷めきっている

石膏のピエタみたいに湯に浸かる婚活っていう略語の致死量

イランイラン部屋に香らせ閉じこもる世界と折り合えない秋の縁

がむしゃらに自分が嫌い五十枚一気につらぬく穴あけパンチ

 一首目、自分の仕事の代わりならいくらでもいるという淋しさが、左右の立ち脚を交互に入れ替えるフラミンゴに投影されている。二首目は女友達とのランチの風景だろう。友達が誰かの陰口をきいていて、無視することもできないのでいやいや付き合っている。三首目、ピエタは死んだキリストを膝に抱く聖母マリアの悲嘆の図である。そんなピエタに喩えるくらいだから、作中の〈私〉は婚活に相当疲れているのだろう。四首目のイランイランはタガログ語で「花の中の花」という意味だそうだ。強い香りを持つ。その香りを漂わせた部屋に閉じこもるほどの出来事があったのだろう。五首目のような威勢の良い歌もある。穴あけパンチで五十枚の紙に穴を空けるのは相当な力がいる。

 集中で目を引くのは母との関係を詠んだ歌である。

胃に肺に土足で踏み込む母がいてそこにマティスの絵などを飾る

別々の準急に乗っているようにパラレルのまま母さん、またね

スプーンをすぐにスプーンとわからない母が自分を置き忘れそう

IHの薄さばかりを繰り返す母に教える湯の沸かし方

母はもうお金を認識できなくてエッジの効いた自由を暮らす

 近ごろは「毒親」とか「毒母」という言葉もあるようだが、作者と母親との関係はなかなか微妙なようだ。親は最も近い肉親であるだけに、距離の取り方が難しいこともある。親子だからといって、性格が合うとは限らない。しかし病を得て認知症の症状が出た母を見る眼差しは、それまでとは少し異なるようにも感じられる。金銭の観念を失った母親を「エッジの効いた自由」と表現するのも新しい。

 歌集後半で作者はパートナーとなる人と出会い、やがて一緒に暮らすようになり結婚する。

唇の色もそれぞれ違うこと君に言いつつコーラル選ぶ

ふたりでもふたりの孤独 たまご二個スジとちくわは一つと頼む

イの音で始まり終わる君の名を呼べば形は笑う口もの

帰る場所をなくしてふたり顔を寄せ洗濯機の配置を話し合う

七回がダブルプレーで終わるころ婚姻届の判子が乾く

 おでんの注文や洗濯機の配置などに生活感が漂う。「ああやっと親の戸籍を去ってゆく私に夏の逆光よあれ」という歌に作者の実感が溢れている。

なめされて表紙となったヤギ達が最後に鳴いた夏のくさはら

天辺へゆけば鳥にも届くだろう時を刻んで鳴るハイハット

遺伝子が引き継がれずに消えるとき遙か砂地でウミガメ孵る

少年と呼ばれてみたい夏の日の膝のかさぶたまためくっては

秋の花ひとつピアノに閉じこめてそれからずっと雨の木曜

逞しきグラファイトその翼持ちカラスが天にとても近い日

 付箋の付いた歌を引いた。こう並べてみて気が付いたが、どうやら私は眼前の現実そのものよりも、それを起点として遠くに想いを飛ばす歌が好きなようだ。歌の中に時間的あるいは空間的な広がりがあり、私たちが生きるこの世界の広さが感じられるからだろう。それは私の個人的な好みである。本歌集には現実にぶつかり、現実にぶつけるタイプの歌が多いが、それもまた作者の好みである。

 


 

第368回 正岡豊『白い箱』

あの夏の拾い損ねたおはじきがためてるはずの葉擦れのひかり

正岡豊『白い箱』

 なんと30年振りの歌集だという。正岡の第一歌集『四月の魚』は1990年にまろうど社から刊行された。要望に応えて10年後に再刊されたものの、まもなく入手困難な幻の歌集となった。荻原裕幸の尽力により、『短歌ヴァーサス』6号 (2004年) に誌上歌集という珍しい形で再び世に出た。これがもう20年前のことである。続いて2020年に書肆侃侃房から現代短歌クラシックスの一巻として刊行され、ようやく多くの人の目に触れることとなった。数奇な運命を辿った歌集といえる。

 『四月の魚』の後記には、1979年ごろから作歌をはじめ、1989年に歌をやめるまでの十年間の作品を収めたとある。正岡は1962年生まれなので、17歳から歌を作り始め27歳で歌の別れをしたことになる。

 同じ後記に、歌集刊行と前後して安井浩司の句集『中止観』を読んでショックを受けたとある。その後、正岡は俳句の道に進んだようで、1992年に桐野利秋名義で第五回俳句空間新人賞を受賞している。そんな縁からか、歌集『白い箱』には俳人の高山れおなが帯文を寄せている。高山にとって正岡はまずもって、「沼になる寸前をきみにみられてしまう」、「鷹としてふいにけむりをさけるかな」の作者だという。『四月の魚』の中の連作題名の「その朝も虹とハモンド・オルガンで」も俳句になっている。『燿』という句集も出しているらしい。

 ちなみに安井浩司の『中止観』とは次のような句がある句集である。

山河の父よりかえる蟲の寺

夕空に稚児のまなこの無数かな

朱膳喰うはるかはるかな敗荷やぶれはす

 さて本題の『白い箱』である。30年振りに歌集を刊行することになった経緯は書かれていないが、いったんは短歌から離れたものの、その後作歌を再開して「かばん」に所属していた時期もあったようだ。版元は現代短歌社で装幀は花山周子。「白い箱」というタイトルはなかなか意味深長だ。私は現代芸術のミニマル・アートを思い浮かべた。歌集や短歌に過剰な意味付けを避けようとする態度が見て取れる。

音のない世界はなくてひとびとにしろがねのハモニカの午後の陽

鹿はもう撃たれて猪は食われ山小屋のけむりのうすみどり

みたこともないのにぼくの心臓のいろのゆうべの天の橋立

そこからは空の匂いや味がして黙って両足は水を掻いて

北斗七星 六つまで見つけられたのにそこまでで失明したような日々

 歌集冒頭付近から引いた。第一歌集『四月の魚』と基本的には連続する文体で、1990年当時このような文体で短歌を作るのは今から思えばとても先進的な試みだったように思われる。一首目では下句が「しろがねのハモ / ニカのごごのひ」と句割れになっていて、正岡が前衛短歌の遺産の継承者であることを示している。二首目も同様で「やまごやのけむ / りのうすみどり」が句割れだ。また五首目の初句は七音になっていて、下句は破調である。1990年というと、穂村弘の『シンジケート』が上梓され、ライトヴァースが話題になった頃だ。翌1991年には加藤治郎の『マイ・ロマンサー』が刊行され、荻原裕幸が新聞紙上に「現代短歌のニューウェーヴ」という文章を発表している。ニューウェーヴ短歌は、修辞の復権と記号短歌とバブル経済を背景とする明るさや洒脱さが特徴だが、正岡の短歌の文体はそれとはちがっていて、独自の道を開拓しているように見える。

 正岡はあとがきに次のように記している。短歌の世界では「韻律」や「定型」という概念が共有されているが、1980年前後から1990年あたりまで漠然と感じていたそれらの定義のようなものが何か別のものになったという感覚がある、と。近代短歌の基盤である韻律や定型という概念が溶けだしたことを肌で感じていたということだろう。

おぼえていねから生きていけたりするわけじゃないわ 木肌を這う残り蝉

たとえば火星が木星に恋をしたのなら いきなり泳ぎだすオウム貝

書くことがついに昨日の三日月に届く クジラがはねる海原

わたしはあなたと別につながりたくはない 弁当箱につめる白飯

ありがとうやさしい気持ちにしてくれて たて続けに割る三枚の皿

 読んでいて俳句との親和性を感じるのは上に引いたような歌だ。いずれも上句で意味の取れることを詠んでおき、下句でポーンと遠くへ飛ばす。上句は〈私〉の想いで下句は叙景となってはいるものの、両者に関連性はない。その意味の遠さの中に詩のタネを探しているものと思われる。

 俳句ではこのように言葉を遠くに飛ばすことがある。沖積舎版の『攝津幸彦全句集』から引いてみよう。

夏山のどの抽斗も位牌なり

喪の家の階段すべるヴァイオリン

春深し稀ににはとり死者に肖て

 こういう句を読んだときに私たちの脳内では何が起きているのだろうか。脳細胞のシナプスはカリウムチャンネルを使って電気信号を流す。何度も信号が流れたシナプスは電気信号が流れやすくなる。それは私たちの迅速な認知と記憶の強化につながる。「お盆のような月」や「雪のように白い肌」のような言葉の組み合わせは、陳腐で何度も見聞きしているせいで、脳内ですばやく理解され処理される。ところが「喪の家の階段」と「ヴァイオリン」の組み合わせは新奇なため、今まで流れたことがないシナプス回路に電気信号が流れる。その処理の結果は、慣れ親しんだ既存の意味のストックに回収されず、異物として留まる。それは私たちが日常抱いている世界像をごく僅かに揺らす。意外な言葉の組み合わせは、使ったことのないニューロンを発火させ、世界像を更新するのである。

 上に引いた正岡の歌はすべて体言止めであることにも留意しよう。見かけ上は上句の〈私〉の想いを下句の叙景が受け止める形式になっているものの、両者の間には大きな断絶がある。まるで下句は単独で俳句として歩き出そうとするかのようだ。

 『白い箱』はまた愛の歌集でもある。正岡はあとがきでパートナーの入交佐妃に対する愛情と感謝の念を述べ、この歌集のいくつかの歌は佐妃との波のような月の満ち欠けのような日々の暮らしから生まれたと続けている。それはおそらく次のような歌を指すのだろう。

きみよりの言葉の雨か はつなつの木の花はみずみずしくひらき

いちはつの根で煮たタオルわたされる夏のひかりのようなくらしを

まるまったアサギマダラの幼虫よ 年ごとに増える二人の食器

伊吹山 重装備の登山の人とすれ違うコンビニにでも行くような妻

萩はすなわちかぜききぐさよほうき星みたいに自転車で妻がゆく

 イチハツの根は鳶尾根といい、漢方薬として使われる。五首目の「風聞草」は萩の古名。

 さて、正岡はこのような短歌を通じて何をなそうとしているのだろうか。再びあとがきを見ると、「それでもまだ『短歌』から自分が離れずにいるのは、結局『言葉では書けないものを言葉で書く』というところに、ひたすら執着しているからだと思う。何かわからないものがそこにある、という、その感覚。または直感。」と書かれている。つまりは、正岡にとって短歌とは、世界に満ちる静かな響きに感応する魂たらんとすることなのだろう。次のような歌にそれを強く感じるのである。 

六月の森の交響楽曲の一音として落ちるヤマモモ

山海にこの姿では通れないかがやく蝶の道あるという

四季咲きのベランダのその黄薔薇にはカメラにはうつらない光が

虹の口語 詩のリアス式海岸の波打ち際でわたす あなたに

 最後に特に心に残った歌を挙げておく。

ぼくらが明日海に出たとしても王宮の喫茶室では黒い紅茶が

ミツバチはささやいたりはしないから鎖骨の海で泳がす人魚

巨人ノ月ハ沈没船ノ丸窓ヲテラセリソノ奥ノ映写技師

月はわが街の記憶のうたかたの細部を照らしうちしずみゆく

雪渓はいまここにこの花もなき桜の下のわれののみどに

こころとは見えぬ虚空の水仙の夏の没日に逃げ惑う蝶

天道を牛車牽かれてゆく夏のわれらのまぶたのうちなるみどり

敦盛草の鈍き朱色を六月の雨はうてどもうてども静か