第268回 藤島秀憲『ミステリー』

三月のわが死者は母左折する車がわれの過ぎるのを待つ

 藤島秀憲『ミステリー』

 「心の花」所属の歌人藤島の第三歌集である。第一歌集『二丁目通信』(2009年)は現代歌人協会賞を受賞し、第二歌集『すずめ』(2013年)は寺山修司短歌賞と文部科学省の芸術選奨新人賞をダブル受賞している。第一歌集は本コラム「橄欖追放」の第50回で、第二歌集は第133回で取り上げて批評している。別に自慢するわけではないが、本コラムで批評した歌集は直後に受賞することが多い。

 第一歌集については、〈私〉を等身大より少し小さく描くことによって、虚実皮膜の異空間を作り出していると述べ、第二歌集については、濃密な空間と意味性への挽歌と表現した。第二歌集の終わりでは、作者が長年介護した父親が亡くなり、濃密な意味空間であった自宅を離れて新しい町に引っ越して、もう今までのような歌は作れないとあとがきに書かれていた。人生を画するような大きな出来事を経て、藤島はどのような境地に到ったのだろうか。

 意外かも知れないが、歌集を通読して私が抱いた印象は「等身大」である。しかも介護をしている長い間無職だった作者が、新しい職に就き、新しい町に引っ越して結婚しているのである。歌集題名の『ミステリー』は、人生は何が起きるかわからないミステリーだという気持ちから付けられたものだが、本歌集は作者の再出発の歌集となっている。

 作者の人生航路を辿る歌を歌集から拾ってみよう。

父が建てわれが売りたりむらさきの都わすれの狂い咲く家

医学生が父の解剖する午後をチラシ配りに歩くわたしは

わが部屋を君おとずれん訪れん座布団カバーを洗うべし洗うべし

これからをともに生きんよこれからはこれまでよりも短けれども

君のいる町に越さんと決めてより秋の深まり早くなりたり

お知らせがあります五月十五日今日から君を妻と詠みます

味噌汁が俺の好みに合っている なれば勤めてみよう久しく

 一首目は父親が死んで自宅を売却した折のことを思い出して詠んだ歌である。父親は献体を申し出たので、医学生が実習のために解剖する。何でも遺骨は二年後に戻されるようで、文部科学大臣から感謝状が届いたという歌もある。余談だが、本郷の東大構内を散歩していた時、旧解剖学教室の建物の裏口に古びた木製の解剖台が展示してあり、添えられた説明文に「初代解剖学教室教授の某先生と、第二代教授の某先生は、ともにその身をこの解剖台に横たえられき」と書いてあり驚いた。三首目は後に妻となる女性を初めて家に迎える時の浮き浮きした気分を詠んだ歌。「おとずれん訪れん」「洗うべし洗うべし」のリフレインがいかにも浮ついた気分をよく表している。四首目のように結婚の意思を固めて、五首目のようにお相手の住む街に越す。六首目は結婚届けを出した日の歌だ。七首目にあるように、作者は就職して働き出す。あとがきに「この時期、わたしの生活にはさまざまな変化がありました」と率直に書かれているが、確かに大きな変化である。実生活の変化と連動するように、藤島の歌風にも変化が見られる。

 いささかの自虐を含む目線の低い歌は、前歌集や前々歌集と連続している。

足の爪あすは切らんと寝る前に思えり明日の夜も思うべし

三分のたちたるチキンラーメンに箸をさしても母を思えり

「自由業ねえ」と小首をかしげつつコーヒーはまだわれに出されず

わが腰の湿布は燃えるゴミにして日曜に貼り火曜に剥がす

納豆をかき混ぜながら この低くひびける音を母も聞きしか

 足の爪を切ろうと決めてもすぐに忘れてしまう〈私〉、一人淋しくカップ麺のチキンラーメンを食べる〈私〉、就職面接に持参した履歴書の職歴欄に書いた、父親を介護していた期間に当たる「自由業」に小首をかしげられる〈私〉は、等身大より少し小さく描かれた〈私〉だ。

 しかし藤島は『二丁目通信』で次のように詠んだ父親の介護とその死という辛い現実から解放された。望む望まずにかかわらず、何事にも終わりがあるのだ。

家じゅうに鍵かけ父を閉じ込めてわれは出掛ける防犯パトロール 『二丁目通信』

たばこ屋のおばさんがもう泣いている路地より父が運び出される

二年後に父のお骨を取りに来んわたしは二歳老いた私は

 父親が建て自分が売却した親の家という濃密な意味空間から離れた作者は、何に生の根拠を求めるのかしばらく迷っているようにも見える。

越してきて五ヶ月過ぎぬ思いつつ知らせぬままにあの人もあの人も

駅から五分の町にわが住みまだ知らぬ六分の町七分の町

早春の庭をの子は駆けていん昔わが家でありたる家の

 引っ越して来た町にまだ馴染めず、知人に引っ越し通知も出していない。頭を過ぎるのは住み慣れた昔の家の楽しそうな光景である。しかし後に妻となる人との出逢いを分水嶺として、藤島の歌には冬の陽のごとく明るさが増す。

にぎやかな冬のすずめを聞きながら君と歩めりわが住む町を

それぞれの五十五年を生きて来て今日おにぎりを半分こ、、、する 

少年を追い白球は海に入り港にはもう弾むものなし

はじめての教会なれば名前のみカードに書きぬローマ字綴りで

足裏あなうらを汚さずわれは暮らしきて父の聖書をこの冬ひらく

朝の湯にさくらの香り満たしおり耳鳴りを連れて身をしずめおり

 父親の蔵書だった書き込みのある聖書を繙き、それに誘われるように初めて教会に足を運ぶという新しい経験もしている。それは母親を亡くし父親を看取った藤島の心の最奥には、死への想いが蟠踞しているからである。

引き出せば二百枚目のティッシュかな死ぬことがまだ残されている

床屋にて顔蒸されおり死んでから数ミリ伸びる髭われにあり

はるのゆきふればこごえる木々の花ふりかえりふりかえりしてわれも死を待つ

 作者の人生が滲み出るような歌も心に響くが、本歌集の中で私が注目したのは次のような歌である。

食べこぼす和菓子の栗のほろほろと木の長椅子にもみじちる秋

まなぶたを二つ持てるを幸いに日にいくたびも閉じるまなぶた

手のひらに打ち込まれたる釘の影ななめに伸びんイエスの腹を

降る花はみるみるうちに君に積むいよよ手に持つのり弁に積む

 「食べこぼす」で少し崩してはいるものの、一首目はまるで古典和歌のような正調ぶりの歌である。二首目は瞼が上下二つあり、瞼は時折閉じるという実に当たり前のことを詠んだ歌だが、当たり前のことを詠めば詠むほど藤島の歌の上手さが際立つ。ここまで来るともう何でも歌の素材になるのだ。『すずめ』のあとがきに、「もう今までのような歌は作れない」と書いた作者だが、大きな試練を乗り越えて歌の水脈を保っているのが喜ばしい。三首目は聖書を詠んだ一連の中にある歌で、倒置法を用いて「イエスの腹を」を結句に配したところが上手い。四首目も一首目と同様に「のり弁」で少し崩しているが正調の歌である。

 最後に集中で最も美しいと感じた歌を挙げておこう。

噴水を噴き出て白を得たる水白を失うまでのたまゆら

 水は本来透明である。しかし噴水から噴き上がる水が白い噴流に見えるのは、空気を取り込んだことと光が当たったことによる。水は自ら白いわけではなく、空気と光という外部の要因によって白という色を帯びるのだ。またここには時間の流れもある。噴き上がった水はやがて重力の作用で水盤に落ちて、元の透明な水に戻る。白い色を帯びるのはほんの一瞬のことだ。噴水は現代の歌人の好む素材でよく歌に詠まれるが、この歌はその中でも屈指の秀歌と言えるだろう。

 作者五十代の充実を示す歌集である。


 

第267回 小林久美子『アンヌのいた部屋』

ゆめみられるかたちになり

時をゆく

夢みる者が

きざんだ柱

小林久美子『アンヌのいた部屋』 

 本歌集は『ピラルク』(1998年)、『恋愛譜』(2002年)に続く小林の第三歌集である。第二歌集から数えて実に17年ぶりの歌集だ。私は小林の短歌がとても好きなので、包装を解くのももどかしく歌集を開いたのだが、中身を見て驚いた。四行書きの短歌とも言えないものが、一ページに二首配されているのである。

 小林は1962年生まれで「未来」所属。東直子の姉に当たる。『ピラルク』、『恋愛譜』ではポルトガル語のかな書きなども交えて、透明感のある口語短歌を作っていた。

やせた子ら夢中になって喧嘩する窓の下には夏時間あふれ  『ピラルク』

つぶる目に雨粒ふたつにじんでるきのうだまって遊んだ犬の

さいはての森のふたりをむぞうさにかこむ写真のあかいマーカー

はぐれるということを得る荷をすべて下ろしおわった船はひそかに  『恋愛譜』

みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむつのをほこって

橋の影をくぐり寄る魚うっすらと楕円にのびて陽のなかにでる

 

 『アンヌのいた部屋』から数首引くが、スペースの関係で四行書きにせず一行とする。

ひとりへのためにのみ / 炎えつきる蝋燭 / 灯のほとりに / ひとを映し

画のなかで汝が/ ほほえむ / 汝からはなれることが / できたかのように

うす塗りの画のつめたさ/ 伏し目の像のしずけさ  / こおりが張る朝の

ひっそりと / 一緒になっているところ / ながくつづいた / 二本の径が

そらをゆく鳥が迷わないように / 季の時計になる / 一本欅

 まず頭に浮かぶのは、これは果たして短歌だろうかという疑問である。試しに字数を指折り数えてみると、1首目は10+9+6+6で31字となり、以下すべて31字である。ちなみに「汝」は「なれ」と読み、「季」は「き」と読んでいる。最初は「季」を「とき」と読んでいたのだが、それだと32字になる。しかしながら総数は31字でも、いずれも5・7・5・7・7の韻律からは大きく離れている。もっとも中には短歌の韻律で読める歌がないわけではないが、少数に止まる。

ゆきすぎた / 思いを照らし気づかせる / 未熟なものによりそえる / 灯は

在ることが命であると / かたよせた皿を / 配膳台にならべる

ひだり手をじぶんの / 右の肩に掛け 夏の / 午睡にしずんで人は

 やはりこれは伝統的な意味での短歌ではなく、31字という総枠規制だけを守って中身を換骨奪胎した四行詩と見るべきだろう。もともと小林は「人生派」といよりは「コトバ派」の歌人であり、コトバへの追求を先鋭化させた末に行き着いた形式なのかとも感じる。

 さて、本歌集に収録された歌または詩を通読するときに立ち上がって来るのは、通常の短歌の場合のような韻律と意味のアマルガムではなく、「肌合い」というか「手触り」というか表現に困るのだが、夜中に淹れたアールグレイの紅茶から室内に漂う香気のようなものである。これは伝統的な短歌を読むときにこちらに打ち寄せて来るものとはずいぶん異なるものであり、読んでいて非常に珍しい体験をした。これに似たものを記憶に探すと、旅先ですることのない雨の日の午前中に、ふと立ち寄った小さな美術館の人もまばらな展示室で、壁に掛けられた淡いタッチの水彩画を見ているときの気分に近い。小林はもともと画家であり、本歌集の歌または詩を一幅の絵画のように差し出しているのではないかと思う。たとえば次のような歌を見てみよう。

あわ雲の / 真下にひとりつ国の / 女性が立って / フェンシングする

書見台にひとり / 佇つ少女 / 袖のふくらんだタフタの / 襯衣シャツを着て

 画像が鮮明でとても絵画的だ。一首目では、頭上に薄いふわふわした雲があり、外国人女性が白い防具を着けてフェンシングの練習に励んでいる。空の青、雲と防具の白、防具からのぞく金髪の金が鮮やかだ。二首目では、書見台があるのは教会か講堂だから、聖書の一節を朗読しているのか、あるいはスピーチコンテストか。いずれにせよ高校生くらいの年齢の少女が光沢のあるタフタの服を着て立っている。「シャツ」とあるが、おそらくバルーンスリーブのブラウスだろう。薄暗い室内にタフタの光沢が映える。

 本歌集の歌を一幅の絵画のように感じるもうひとつの理由は、歌が孕む物語性である。たとえば次のような歌に描かれた情景の背後には何かの出来事があったと強く感じられる。

ひとの手に折り畳まれて / 二夜を越え / 君の手のなかに開かれる紙

消極の会話のなごり / 今はだれもいないへやの / 椅子のほとりに

古書室の壁の灯のもとで / 汝は愛の調べものに / 没頭する

 一首目に描かれた紙切れにはいったい何が書かれていたのだろうか。二首目の二人は途切れがちな会話の中で何を話していたのだろう。三首目の汝はカビ臭い古書のなかにどんな愛の秘密を探していたのだろうか。こうした歌の多くに漂っているのは喪失感である。

投げ返さなければ / ならなかったのに / 達しえないと / 分かっていても

見えていたものが / みえなくなるところ 紙に / 落とした消失点は

点景に画いた汝を / 見ておもう / 解いてはならない / 問いであったと

部屋のわずかな調度が / 汝の背景になる / もう汝はいなくても

 歌に描かれた「汝」が男性なのか女性なのかも定かではなく、歌の中の「吾」との関係性もおぼろにしかわからない。そういえば歌集題名の『アンヌのいた部屋』も奇妙だ。アンヌとは歌の中の汝なのか、それとも吾なのか、あるいはまったく無関係の人物なのか。「いた」というからにはもうその部屋にはいないのだ。ここにも喪失感がある。また技法の面では、小林は倒置法をよく用いているため、結句に言いさし感が残ることも関係しているだろう。

 最後に連作タイトルの美しさと造本に触れておきたい。目次には「素描のための右手の模型」、「鉤にかかる布巾」、「双つの塔のある小鳥の飼育籠」、「修復を終えて扉は」など、そのまま絵の題名になるような連作タイトルが並んでいる。また何という名前の紙なのか知らないが、用いられているやや黄味がかった少しざらつきのある紙は、昔のフランス装の本に使われていた用紙によく似ている。造本もシンプルで、カバーを剥がすと何も印刷されていない白無垢の表紙になる。歌集冒頭に配された「時の静かなものの巡りで」というエピグラフは、本歌集が身に纏っている空気をよく表している。

 

第266回 生駒大祐『水界園丁』

枯蓮を手に誰か来る水世界

 生駒大祐『水界園丁』

 

 先週日曜(2019年9月29日)の朝日新聞の俳句時評で、青木亮人が生駒大祐の句集『水界園丁』を取り上げて、「後生まで令和俳句の第一歩と語られるだろう」と書き、「ゆと揺れて鹿歩み出るゆふまぐれ」という句を引いていた。そこで早速版元の港の人から取り寄せた。

 まず句集の題名がよい。「水界」には、水の世界という意味と、水と陸の境界という二つの意味があるが、おそらく前者だろう。小学館の日本国語大辞典には、山水経の「世界に水ありといふのみにあらず、水界に世界あり」という件が引かれている。この句集は水がテーマなのだ。園丁はgardenerであり庭師だ。広大な庭を一つの世界として作り上げる庭園は人類の昔からの夢の一つである。園丁はその管理人であり、創造者でもある。

 次に装幀がよい。ぶ厚い厚紙を表紙に用いたハードカバーで、表紙の色は薄墨色。「水界」と「園丁」という文字が色違いで大きく圧押しされている。歌人で俳人で造本作家の佐藤りえがこの装幀について詳しく解説している。驚いたのは用いられている紙で、片側がつるつるでもう片側がざらざらの紙なのだ。佐藤によればおそらくキャピタルラップという名前の紙だそうだ。ふつうは包装に用いられるもので、本の用紙として使うのは異例らしい。装幀はセプテンパーカーボーイの吉岡秀典。1ページに二首配されて155ページある。構成は、冬、春、雑、夏、秋の部立てとなっている。

 生駒大祐は1987年生まれ。「天為」「オルガン」「クプラス」を経て現在は無所属。第三回摂津幸彦記念賞、第五回芝不器男俳句新人賞を受賞というかんたんなプロフィールが添えられている。私の印象では短歌よりも俳句の方が師系が重要である。そこで調べてみると、「天為」は元東大学長の有馬朗人によって東大ホトトギス会をベースに作られた俳誌で、師系は山口青邨とある。山口は東大工学部教授で、東大俳句会、東大ホトトギス会の創始者であり、有馬の師でもある。ということは生駒も有馬のもとで東大俳句会で活動していたのだ。したがってルーツはホトトギス系の伝統俳句ということになる。「オルガン」は鴇田智哉を中心とする同人誌で、「クプラス」は高山れおなや佐藤文香らが編集する俳句文芸誌のようだ。

 さらに調べてみると、生駒は俳句甲子園に三重県の高田高校のチームBのメンバーとして出場している。2003年の第6回大会である。生駒は「水槽に緑夜浮かびてアンデルセン」と「河童忌や火のつきにくい紙マッチ」という句を出している。その年の優勝校は俳句甲子園常連の開成高校で、大将は山口優夢。決勝戦の句は「火蛾二匹われにひとつの置き手紙」であった。

 前置きが長くなったが中身の句である。前半から水のからむ句を引く。

鳴るごとく冬きたりなば水少し

水の世は凍鶴もまたにぎやかし

金澤の睦月は水を幾重かな

初空や水とはうしなはれやすき

水の中に道あり歩きつつ枯れぬ

水は日の光に涸れてゐたりけり

二ン月はそのまま水の絵となりぬ

雪解水に溶けゐるくれなゐを思へ

水折れて野原を進む薺かな

広がりし桜の枝の届く水

 いずれも端正な有季定型句である。句意の取りやすいものを挙げると、三句目は正月を金沢に遊ぶと町を流れる川の印象が残ったか。最後の句は水面に枝を広げる桜で、例えば琵琶湖北端の海津大崎の光景が目に浮かぶ。残りの句には水が少ないとか水が涸れる様を詠んだ句が目につく。七句目も美しく、二月の風景がそのまま水の絵になったという。本句集にはよく「絵」の語彙が登場するのも一つの特徴である。

 しかし俳句の鑑賞は短歌よりも難しい。何か手がかりはと探すと、佐藤文香編『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』(左右社 2017)があった。その中で上田信治と佐藤文香が生駒について語っている。曰く、「この人は誰よりも俳句が好き」、「生駒さんは何かを踏襲して書く人。そしてそこに添加されるロマンチックさがある」、「ルービックキューブの揃っている色をがちゃがちゃにするみたいにして、言葉とかイメージをすこし複雑錯綜したものにしていくんだけど、でもモチーフは、世界に対する愛情、あるいはかって実現された俳句のよさにある」、「言葉を自己運動させて書いているんだって言い張りながら、それでもなお、ああ、と声が漏れるところに真価があるような気がする」等々。

 どうやら生駒は言葉を自己運動させて句を作ると言いながらも、過去の俳句を踏まえているという作風らしい。どこが過去の俳句を踏まえているかを論じるのは私の手に余る課題なので、虚心坦懐に鑑賞することにしよう。

真昼から暗むは雨意の帰り花

せりあがる鯨に金の画鋲かな

にはとりの首見えてゐる障子かな

霜の野を立つくろがねの梯子かな

幸せになる双六の中の人

 一句目、「雨意」は雨の降り出しそうな気配の意。真昼間に今にも雨が降り出しそうな暗い空となり、ふと見ると季節外れの花が咲いている。季語は「帰り花」で冬。暗むのは空なのだが、帰り花が暗んでいるかのように見え、そこに憂愁が感じられる。二句目はなかなかシュールな句だが、鯨は実景ではなく絵ととってはどうだろう。ならば画鋲が打ってあるのも頷ける。画鋲で壁に留めるのは子供の絵である。季語は「鯨」で冬。三句目、障子の隙間から鶏の首が見えているという句。季語は「障子」で冬。四句目、霜の降りた冬の野原に鉄製の梯子が立っているという句である。しかし梯子は自立しないので、何かに立て掛けてあるはずなのだが、それが示されておらず不思議な光景である。双六遊びは正月に親戚の子供たちが集まる折などによくする。骰子を振って駒を進めるが、これが人生ゲームだと吉凶が分かれる。しかし正月のお約束のように結末は幸せなのである。

 平井照敏編『現代の俳句』(講談社学術文庫)所収の平井照敏「現代俳句の行方」という文章は1992年に書かれたものだが、俳句を考える上で今でも参考になる。平井は近代の俳句の辿った歴史を「詩」と「俳」という二要素の相克として読み解くことを提案している。「俳」とは伝統的な俳味を守ろうとする態度で、「詩」とは伝統を打ち破り新しいポエジーを俳句に求める運動である。虚子に対する秋桜子がそれだという。降っては飯田龍太や森澄雄は俳の側、金子兜太や高柳重信は詩の側だとする。しかし時代が進むにつれて、詩と俳の二分法は複雑錯綜して分けがたくなるという。

 確かに頷ける論だが、一人の俳人が俳から詩へと移ることもあれば、一人の中に俳と詩とがある配分で共存することもあるだろう。その伝で行くと、生駒は俳に軸足を置きながらもその中に詩を求めて行くというようになろうか。

薄紙が花のかたちをとれば春

のぞまれて橋となる木々春のくれ

星々のあひひかれあふ力の弧

西国の人とまた会ふ水のあと

瓜の花冷たし水の中の手も

列車の灯糸引きて去る緑雨かな

夏の櫂冷たく差し出されにけり

 美しい句が並ぶ。一句目、何かの包装紙か、薄紙が花の形を取ると春になるという。春の花はまとこに薄紙のごとくに脆く儚い。二句目、山に立つ木が切り倒されて材木となりやがて橋となる。しかし今はまだ山に聳えており、不思議な時間の経過を感じさせる。三句目はスケールの大きくダイナミックな句である。星と星が引き合う引力を詠んでいるが、もちろん引力は目に見えない。従って写生の句ではない。作者が心の目で感じているのである。「私に初期値を与えれば、何百年後の星々の位置を計算してご覧にいれよう」と豪語したラプラスを思わせる句だ。四句目は句意が取りにくいながらもどこか魅力的な句である。俳句にはこういうことがあって、「南国に死してご恩のみなみかぜ」という摂津幸彦の句も意味がよくわからないながらに忘れがたい。六句目、雨のために列車の灯火が残像として糸を引くように流れてゆく光景。季語は緑雨で夏。

 生駒の俳句はこのように写生の句ではない。コトバから作る句である。しかし葛粉を作るときに、何度も何度も水で洗って不純物を流して精製するように、コトバを洗って濾過して抽象化する一歩手前で留め、それを使って廃園の園丁のように世界を組み立てる、そのように感じるのである。

天体のみなしづかなる草いきれ

夕凪の水に遅れて橋暗む

流されて靴うしなへる氷旗

水澄みて絵の中の日も沈むころ

七夕待つ水のおもてを剪り揃へ

次の絵に変はれば秋の揚羽蝶

 

第265回 相原かろ『浜竹』

通らない時にもレールがあることの表面に降り濡れてゆく雨

相原かろ『浜竹』

 去る8月24日に、京都の宝ヶ池にあるグランドプリンスホテル京都で開催された塔のシンポジウム「言葉と時間」に足を運んだ。シンポジウムは二部構成で、第一部は高橋源一郎の講演会である。東京から新幹線に乗る前に弁当を買い忘れ、京都駅に着いて何か腹に入れようと思ったら、塔の人に拉致されて会場まで連れて来られたので、ハイチュー一つしか食べていないという話に始まり、大阪にいる弟と久しぶりに会ったら、墓をどうしようかという話になったとか、二転三転するヨタ話が続いてどうなることかと思ったら、フィリピンで戦死した伯父の足跡を辿る旅のあたりから真面目な話になり、結局「過去からの声を聞くことの大事さ」に着地する話芸はなかなかのものだった。第二部は「古典和歌の生命力」と題した吉川宏志と小島ゆかりの対談で、小島の話のうまさに舌を巻いた。会場には短歌関係の出版社もブースを出していて、たくさんの歌集・歌書が販売されていた。塔は大きな結社だから一大イベントなのだ。

 そんな「塔」の結社誌を読んでいて、いつも感心するのは相原かろのユニークさだが、その相原が第一歌集を出した。版元は青磁社で、装幀は「塔」の花山周子である。ふつう第一歌集を出すときには本人も力が入っていて、結社の主宰か重鎮に跋文や帯文を書いてもらったり、栞文を寄せてもらったりするものだが、そういうものは一切ない。今気がついたが帯もない。あとがきと略歴も実に簡素である。そこに作者の人柄を見る。

 相原の短歌のどこがユニークかは、何首か読めば誰でもわかるだろう。

満員の電車のなかに頭より上の空間まだ詰め込める

アンコールし続けている手の平がかゆくてかゆくて出てこい早く

椅子の背にタオルを一枚かけますとあなたの椅子になるわけですね

いま闇に点っているのは蚊を落とす装置の赤いランプそれだけ

屋根のあるプラットホームに屋根のないところがあってそこからが雨

 一首目、満員の通勤電車にも頭上に空いた空間がある。それはそうなのだが、「まだ詰め込める」と言われてもそれは無理だ。「満員寿司詰め」で「立錐の余地もない」電車にも実は空いた空間があるという当たり前のおかしみがある。二首目、コンサートの最後に観客がアンコールの拍手をしている。ところが演者がなかなか再登場しないので、拍手のしすぎで手がかゆくなるというあるあるだ。三首目、座席を取る時、あるいは中座する時に持ち物を置く。掛けられたタオルは「これは私の席です」というサインである。ただの椅子が「私の椅子」になるのは、大げさに言えば存在論的変容である。四首目、何と言うのか知らないが、電動の蚊取り装置が作動している。作動中であることを示す表示ランプが点灯している。ただそれだけを詠んだ歌である。五首目、プラットフォームの屋根のある部分には雨が降っていない。屋根が雨を遮断しているからである。ところが一部に屋根のない部分があって、そこには雨が降っている。本当はどこにも雨は降っていて、ただ屋根が雨を防いでいるだけで、そのことは誰もが知っているのだが、結句で「そこからが雨」と言われると、「雨の降っている世界」と「雨の降っていない世界」とが並立して存在しているように思えて、頭の中でコトリと音がする。

 特に短歌の素材となるとは見えない日常の些細な事柄を取り上げて、それを実に真面目に増幅して詠うところにそこはかとないユーモアが漂う。一見すると奥村晃作の「ただごと歌」と似ているように見えるかもしれない。

これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり  奥村晃作

あのとりはなぜいつ来ても公園を庭のごとくに歩いてゐるか

一定の時間が経つと傾きて溜まりし水を吐く竹の筒

 しかし奥村が『抒情とただごと』(本阿弥書店 1994)に書いているように、奥村にとって最も重要なのは抒情であり、近代短歌の写実は方法論として破綻したという認識から、それに替わる方法としてただごとを選択しているのである。ところが相原の短歌を読んでいると、相原にとっていちばん重要なのが抒情だとはあまり思えないのである。では相原にとって何がいちばん重要なのか。それを明確に特定するのは難しいのだが、「世界がかくあることを改めて認識する」ことと、「かくある世界の手触り」ではないかと思う。ただ、これは相原の短歌を読んだ私の勝手な想像なので、本人から「いや、私はそんなつもりで短歌を作っているのではない」と否定されるかもしれないが。

 とにかく尋常でないのは肩の力の抜け方である。

階段を松ぼっくりが落ちてきてあと一段の所で止まる

男子用公衆トイレ掃除する女性の横で男性はする

ポケットの中で紙片の手ざわりを小さく固く折りたたんでゆく

透明なケースに画鋲に犇めいてどれもどこにも刺さっていない

新しい年になったが手のほうが去年の年を書いてしまった

 近年「脱力系短歌」という言葉が使われるようになった。永井祐や笹公人らの短歌を指すことがあり、しばしば否定的な意味で用いられている。相原の短歌も広い意味では脱力系に入るのかもしれない。しかし「脱力系」などというラベルを貼ってひと括りにしても何がわかるわけでもない。

 例えば上に引いた一首目である。あと一段落ちれば地面に到達できたのだが、そこで止まってしまった松ぼっくりは、挫折した人生の喩と読むことも可能だろう。しかし二首目の公衆トイレの歌や、四首目の画鋲の歌はどう見ても何かの喩ではない。ましてや五首目をやである。もしそうだとすると、一首目の松ぼっくりも何かの喩で、それが作者の感情を表していると読むべきではないだろう。おそらく相原は松ぼっくりがあと一段の所で止まったという事実を事実として詠んだのであり、それ以上でも以下でもない。ではこういう歌のどこがおもしろいのか。それは誰も注目しないような細かいことを歌にすることによってそこに生じる「世界の手触り」もしくは「存在の肌理」のようなものが感じられるからである。それはたとえば次のような歌によく感じ取ることができるだろう。

用水路に膝まで入れた両足が生み出している水のふくらみ

枇杷の葉のかたさを指でかるく曲げ戻ろうとする力に触れる

 私はイタリアの画家モランディの絵が好きなのだが、モランディは次のようなことを述べている。曰く、私たちは物を見るとき「これはコップだ」と概念を通して見ている。もし「コップ」という概念を取り払って見ることができたならば、それは抽象的で非現実的なものとなる、と。おそらくそこに顕ち現れるものは、言葉以前の「存在の肌理」のようなものなのである。

 かと言って相原の歌に抒情や感情の吐露が皆無だということはない。

 

くっついた餃子と餃子をはがすとき皮が破れるほうの餃子だ

煌々とコミュニケーション能力が飛び交う下で韮になりたい

履歴書の空白期間訊いてくるそのまっとうが支える御社

吊り革を両手で握りうつむいて祈る姿で祈らずなにも

前任の方は大変いい人であったそうですそのあとの俺

今日からは二十五分で一台を作れと言われ作れてしまう

将来をあきらめたふうする日々にちにちをわれ歯磨きの習いをやめえず

 

 どうやら相原は雇用の不安定な職業に就いているようである。一首目の餃子は言うまでもなく〈私〉の喩である。このように自己を低く捉える歌を読むと、自然と石川啄木の歌が思い浮かぶ。相原の歌には啄木に通じるペーソスがある。おそらく相原も啄木が好きなのではないだろうか。奥村晃作もどこかで啄木は脱力系だと書いていた。

象の目は濡れていたのか横ざまに倒れたときの風はもうない

みぎひだり重なり合うことない耳が傾けているそれぞれの雨

炎天下を駅まで歩く道の辺にひるがおの花、花のひるがお

サイレンが鳴り出す前はわずかなる空気の引きがありて怖れる

雪の死はいつからだろう既にして見られてしまった時かもしれぬ

この犬のあるじこの世にもうおらず犬の中にも過ぎるか時は

憎しみは蜜柑の皮の剥きかたもつかまえてくる季節を越えて

枯れながら生えている草かぜ吹けばうつつに在りて線路のわきの

 印象に残った歌を挙げた。一首目と二首目は続きの歌で、耳は象の耳である。象の大きな左右の耳が雨を傾けているというのはおもしろい捉え方だ。相原の歌は一見すると棒立ち短歌にも見えるが、きちんと短歌的修辞は押さえている。たとえば三首目の「ひるがおの花、花のひるがお」という逆転リフレインや、八首目の結句の「線路のわきの」のいいさしのような置き方は工夫されたものである。

 とりわけおもしろいのが連作のタイトルだ。「ずっとパン生地」「強制的にゴリラ」「くりぬいた日のソネット」「いい夫婦落ちています」「まさか助六」」といった具合だ。どうやって作っているかというと、たとえば「強制的にゴリラ」だと次の二首から語句を切り取って貼り付けているのである。

止まったら強制的に電源を切って再び入れれば直る

幼稚園のゴリラ先生とすれ違うもうゴリラではなくなっていた

 最後に二首とても美しい歌を引いておこう。

水面に吸い付きやすく花びらはついぞ流れの底に届かず

夢のそとにも降っていたかと覚めぎわを降る雨の音さかのぼる

 

第264回 安井高志『サトゥルヌス菓子店』

秋はひとりまぶたをとじて耳を澄ます 雨のなかに隠した音楽

安井高志『サトゥルヌス菓子店』

 

 中部短歌会の『短歌』8月号をばらばらと読んでいたら、雲嶋聆の「ゆらぎの抒情」という文章が目に止まった。その文章の中で雲嶋は、安井高志という人の『サトゥルヌス菓子店』という歌集に触れている。破調のもたらす欠落感が生み出す「ゆらぎ」をキーワードとして、浜田到の短歌と比較して論じた文章である。浜田到との比較はひとまず措くとして、そこに引用されていた安井高志という歌人の歌にちょっと引かれるものがあった。

白い白いハチドリたちが降りつもる海底にまるで雪みたいに

彼岸花せめてくるしく裂けてゆけみのうちがわに秋を重ねて

砂浜に打ち捨てられた貝殻のほらいのちってこんなに軽い

 安井高志というのは聞いたことのない歌人だが、私はこういう偶然の出逢いを大事にしているので、さっそく版元のコールサック社から取り寄せて読んだ。奥付を見ると2018年6月に刊行されている。どうやら安井高志はすでに亡くなっていて遺歌集であることが、編集の労を取った友人たちの解説と、おそらく御母堂と思われる方のあとがきから読み取れる。また巻末に本人の略歴が付されている。ほんとうならば人生から入らず、まず歌を読むべきだというのは正論である。しかし、ひとたび読んでしまうと、どうしても頭から離れなくなり、それを通してしか歌を読むことができなくなる、そのような略歴というものがある、安井の略歴はまさにそのようなものなのだ。

 安井は1985年生まれ。幼い頃から合唱団に入り、中学の時にハンガリーのコダーイ国際合唱コンクールで金賞を受賞している。大学の薬学部に入学するも、分析心理学に引かれて進路を変更。印刷会社に勤務するかたわら、短歌や詩を中心とする文学活動を展開する。結社などには所属せず、活動の場は主に現代短歌舟の会、「無責任」という二人誌と、「午前二時のライナス」というbotだったという。短歌は独学だったかもしれないが、御母堂も歌人だということなのでその影響もあろう。2017年に事故により他界。享年31歳なので、安井は笹井宏之や中澤系らと同じく夭折歌人ということになる。私は特に略歴の中の「ハンガリーでボーイソプラノを失う」というくだりに目が釘付けになった。この喪失感が安井の文学活動の原点にちがいない。文芸批評家モリース・ブランショが喝破したように、「欠落 (manque)が文学を生む」のである。

終電はいってしまったかみそりはお風呂場の水のなかでねむる

マシュマロの蛍光灯のなかに消え失せた花嫁アンナの喪失

飛び降りた少女はわたしをおいていくその脳漿の熟れる八月

うしなわれた水平線に夜は果て桃は剥かれたソーダ水のアリア

バスタブに糸をたらした女の子 音楽はまだきこえてこない

 歌集の冒頭部分から引いた。口語定型を基本とするも、かなり自由な句割れ・句跨がり・字余りが見られる。現代の若い歌人たちは「ゆるい定型意識」を共通項として把持しているので、安井も同じ意識を共有しているのだろう。さて、一首ごとに意味を解説せよと言われると途方に暮れてしまう。たとえば一首目、二句目までの「終電はいってしまった」はわかる。よくある日常の出来事である。三句目以降の「かみそりはお風呂場の水のなかでねむる」も、「ねむる」を擬人化だと見なせばわかる。わからないのは両者の意味的関連性である。二首目は普通の意味ではもっとわからない。「マシュマロの蛍光灯」などというものは存在しないし、蛍光灯の中に花嫁が消えることもありえない。どう読めばよいのだろう。

 さて、ここから安井の短歌を読む方法はいくつかに分かれる。一つは、「マシュマロの蛍光灯」や「蛍光灯の中に花嫁が消える」といった日常的にあり得ないことは、現実の出来事ではなく心象風景を描いたものであり、字義どおりに解釈せず「そのような気分」を表す喩と取る方法である。このように考えた場合、安井の短歌は「ある気分」を表現しようとしたものであり、歌に登場するアイテムはその気分を醸成するために配されたものだということになる。

 二つ目は、安井の短歌を作っている言葉は、最初から指示機能を失っているとする読み方である。指示機能は言語の最も基本的な機能であり、事物や概念を指す働きである。例えば「うちの隣の犬はよく吠える」と述べるとき、「うちの隣の犬」はその犬を指示する。「ペガサス」のように現実には存在しない想像上のものでもよく、その場合は想像上で作られた事物を指しているのである。安井の短歌の言葉は指示機能を失っていると仮定すると、「マシュマロの蛍光灯」はそのような物を指しているのではないことになる。ではそれらの言葉は何のためにそこに置かれているのか。言葉と言葉の衝突と軋みによって生じる観念の火花を生み出すためだ。あるいは普段は隣り合わせることのない言葉を組み合わせることで、今まで人が見たことのない新しいイメージを脳裏に現出せしめるためである。シュルレアリスムはこれを目標とする芸術運動である。このような読み方をするときには、一つ一つ歌の意味を解釈しようとせずに、読むにつれて自分の脳の中に明滅するイメージをただ享受すればよい。

 いずれも可能な読み方ではあるのだが、私は安井の短歌の読み方はもう一つあると思う。安井が分析心理学、なかでもユング心理学に傾倒していたことがヒントになる。精神分析ではフロイトもユングも夢の解釈を重要視していた。夢には普段表に出ない深層心理、または無意識が顔を出すとされているからである。しかし目が覚めている人は夢を見ることができない。そこで使われるのが自動筆記や連想法である。思いのままに筆を走らせると思いがけない言葉が出て来ることがある。また一つの単語から連想を行うことで、その人の深層心理を垣間見ることができるとされたからである。

 安井は短歌を作るときに、このような方法を実践していたとは考えられないだろうか。もしそうだとするならば、覚醒状態で得られる論理的意味を安井の歌の中に探すのは正しい読み方ではなく、言葉の組み合わせが示唆する連想に身を委ねて、作者の深層心理へと降りてゆくという読み方が妥当だということになるだろう。一つ目の読み方と似ていると思われるかもしれないが、一つ目の読み方では歌に読まれた事象がある気分を表す喩であるのに対して、この読み方では安井の深層心理を表すシンボルというちがいがある。

カーテンは飛べないさかなすがるようにオキシドールとつぶやいた朝

みずうみの底にはしろい馬がいた鱗のはえた子をころす妹

とおくまで透きとおる音 廃線のかなたに光る人工衛星

気がつけばパジャマのままで立っている歯車だらけの灰色の街

透明なガラスのボウルあしたには魚が死んでひかる星空

先生には翅がなかった銀いろの音叉はふるえる蝋燭だった

 この読み方に身を委ねるときには、歌に頻繁に登場する語彙とイメージに注目するとよい。文学研究におけるテーマ批評と同じである。何度も登場するのは「水」と「魚」、それから「透明」と「光る」だ。水は母親の胎内回帰の願望を表すのかもしれない。「透明」と「光る」は作者が希求する世界の象徴だろう。しかしそれは何という悲しく淋しい世界だろうか。「飛べない魚」「子を殺す妹」「灰色の街」「死んだ魚」「翅のない先生」など、そこには喪失感と不全感が充満している。

 また全巻を通じて「沈む」というイメージも頻出する。

(もう二度と泣かないように)(つらいですか)夜、海底に沈めるピアノ

留守のまま帰らないひと 知ってる? 懐中時計の沈むみずうみ

永遠におちつづけてく王さま、ハチミツの底に沈めたげるね

海底に沈んだ図書館たくさんの栞がわりの白い鳥たち

ぼくは夜に水にしずんだ町ばかりおもう眠りはダムに落ちてく

真夜中の川にススキを沈める手いつかは僕もわたる鉄橋

 上昇が明るさと栄光へと進むプラスのイメージであるのに対して、「沈む」という下降のイメージは闇と敗北へと向かうマイナスのイメージである。一方、沈むものを受け止めるのが水であることから、生まれる前の無明の世界もしくは母胎への回帰を表すと取ることもできるかもしれない。

 略歴で「ハンガリーでボーイソプラノを失う」と書かれた出来事が安井の人生にとってどれほど決定的だったかは、次のような歌が雄弁に示している。

困ったら「かなしい肺魚」という名をアドレス帳からさがしてください

三月のキャベツ畑に霧ふかく眠れ失声症のアンドロイド

歌声が法律である星に立つ死刑のためのボーイソプラノ

声の出ない熱帯魚たちかなしみはどんなときでもパナナオレから

ある朝に電池のきれたロボットのかすれてしまったボーイソプラノ

 歌声が法律である場所では、声を失った者は生きてゆくことができない。まさに歌を忘れたカナリアだ。声を失った者はもはやその星では人間ではなく、ロボットかアンドロイドとなる。天使が羽をもがれて地上に失墜するのだ。自分は自由に飛ぶための羽を失った堕天使であるという思いは安井を離れることはなかったにちがいない。全巻透明な哀しみが充満する歌集を読むのはつらいことである。

 とはいえ短歌としての評価はまた別のことだ。安井の短歌は笹井宏之の歌と似ており、安井は笹井から多くを学んだにちがいないとする論考もある。確かに表面的には二人の歌は似ている所もある。しかし、笹井が短歌的喩に訴えることなく、ひたすら言葉を精錬し詩的に昇華することによって、独自の透明な天使的世界を作り出したのとは違って、安井は言葉の連想関係とシンボルを配することで自らの深層心理の世界を現出させているというちがいがある。歌と作者の距離という点では、笹井に較べ安井の方がはるかに近く、安井の歌は自身の心の内実を表していると言える。

 さらにいくつか歌を挙げておこう。

だれもいない教室の夢は椅子たちが一斉に羽化をはじめる夜

こんなにもやさしい影だぼくたちがいずれはかえる病めるシーツは

少年の五月はうれしい母を見てひばりを殺したはずの中庭

おだやかに氷はとけて檸檬水の影もとけてく七月、風よ

ぼくが言おうぼくの言葉は放たれた切り傷である八月の窓

地底湖のねむり歌声ながれつつ培養槽に沈む子供ら

内臓のくらさを知ればはちみつはクラリモンドに捧ぐソネット

 安井の短歌は空に放たれた切り傷である。傷を負ったのはもちろん安井自身だ。安井の詩心が友人たちの手によって、こうして言葉として私たちのところまで届けられたことは、かなしみのなかにあるひとつの幸いである。

 最後に収録された短歌の数の多さに触れておきたい。1ページに3首配して240ページ。単純計算で720首ある。遺歌集は作者の手によって編纂されたものではないので、とにかく発表された歌はすべて収録するという方針になりやすい。佐々木実之の『日想』もそうだった。あちこちの発表媒体から作者の歌を探し出して編集するのはたいへんな労力である。本歌集はその労を厭わなかった友人たちの努力の結晶だろう。

 

第263回 『藤原月彦全句集』

野菊までつひにとどかぬ亡兄あにの影

藤原月彦『貴腐』

 過日『藤原月彦全句集』がわが家に届いた。日頃より歌集・歌書・句集をお送りいただくことは多いが、『藤原月彦全句集』はことのほか嬉しい。藤原さんが短歌よりも早く俳句を作っていたこと、「鬱王」こと赤尾兜子の俳句結社「渦」に所属していたこと、『貴腐』など数冊の句集があるものの、もはや入手不可能な幻であることを知っていたからである。早速、一週間かけて全句を読んだ。

 あとがきによると、藤原月彦はSF少年であった藤原龍一郎が高校生の頃に使っていた筆名だという。その後、本格的に俳句を作るようになって月彦を俳号としたようだ。本書の巻末には詳細な作者年譜が置かれている。セレクション歌人『藤原龍一郎集』にもかんたんな略歴はあるが、本書の年譜は格段に詳細である。藤原も定年退職を迎えて思うところあったのかもしれない。年譜を読んで、藤原が一時期鎌倉書房に勤務していて、婦人雑誌『マダム』編集部にいたことなど、今回初めて知った。また藤原が摂津幸彦らと俳句結社『豈』を創刊し、現在存命中の唯一の創刊同人であることも初めて知った。歌人の余技などではなく、藤原は本格的に俳句にのめり込んでいたのである。

 『藤原月彦全句集』は、『王権神授説』(1975年)、『貴腐』(1981年)、『盗汗集』(1984年)、『魔都 魔界創世記篇』(1987年)、『魔都 魔性絢爛篇』(1987年)、『魔都 美貌夜行篇』(1989年)の6冊の句集からなる。刊行年度の近さからも初出の発表媒体からも、『魔都』シリーズの3冊は一体をなすものと見なすべきだろう。読後感としては、『王権神授説』、『貴腐』、『盗汗集』と『魔都』の4部立てという印象を受ける。

 さて、月彦の俳句を味わうにはいささかの予備知識が必要だ。まずなぜ月彦が赤尾兜子の俳句結社「渦」に入会したかである。年譜によれば、「神々いつより生肉嫌う桃の花」のような異様な世界を描く赤尾の俳句に引かれたからだという。赤尾は前衛俳句の代表的な作者で、次のような句を作った人である。

ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥

帰り花鶴折るうちに折り殺す

音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢

男来て天暗くなる著莪の花

大雷雨鬱王と会ふあさの夢

 月彦の言葉からも、伝統的な花鳥風月の対極にある異様とも言える美の世界とワンダーを俳句に希求したことがわかる。もうひとつの手がかりは月彦が高校生のときSF少年であったことで、言うまでもなくSFは現実世界とは異なる異世界を描くジャンルである。また月彦は本書全体のあとがきで『魔都』シリーズに触れて、当時 (昭和末期)はこのような色合いの俳句を作っている人は他におらず、またBL俳句というジャンルもなかったと述懐している。BLとはBoys’ loveの略称で、男性同士の同性愛を描いた作品のこと。以上を勘案すると、月彦の俳句を読み解くキーワードは、「SF」「異世界」「耽美」「ワンダー」「BL」「前衛」ということになるだろう。

弾痕疼く夜々抱きあう亡兄あに亡兄あに  『王権神授説』

貝殻砕く父の追放遠からず

全山紅葉徒手空拳の正午まひるかな

致死量の月光兄の蒼全裸あおはだか

三点鐘仮死のピエロが花を喀き

他界より来てまた帰る生姜売り

双眼に虚無あふれしめ冬埴輪

 俳句の鑑賞は短歌の鑑賞より難しい。短歌より短い分だけ意味の比重が減じ、言葉自体の強度と、言葉の衝突によって生まれるイメージの火花が重要になるからである。一句ごとに意味を解説するのは野暮である。確かなのは月彦は念入りに選り分けた言葉の選択と結合・衝突によって、今まで誰も見たことのない世界を句の中に作り出そうとしたということである。それが弾痕と亡兄であり、三点鐘とピエロであり、他界から来る生姜売りなのである。読む人は脳裏に明滅する絢爛たるイメージ自体が輻射する美を感じればよい。あとがきに「現世は夢、夜の夢こそ真実 (まこと)」という晩年の江戸川乱歩が好んだという警句が引かれていることも手がかりとなろう。

 ところが第二句集『貴腐』になると、『王権神授説』の絢爛たる反世界の耽美は影を潜めて、ぐっと有季定型俳句に接近する。

夏寒し壺の中にも幾山河

わが午後の視野の限りを冬帽子

日に夜に枕つめたき生者われ

過失美し神父の独逸訛さへ

亡母ははに恋文牛の舌煮る午餐かな

天上に誰が訃かあり忘れ霜

菜殻火の昨日へ続く母郷かな

 見てわかるようにまず季語が増えている。一句目の季語は「夏寒し」で夏、二句目は「冬帽子」で冬、三句目は「つめたき」で冬、四句目、五句目は無季か、六句目は「忘れ霜」で春、七句目は「菜殻火」で夏。菜殻火とは、油を絞った菜種を燃やすこと。筑紫平野の風物詩であったようだ。加えて「幾山河」「忘れ霜」「菜殻火」といった俳句特有の語彙が駆使されていて、第一句集より切れ字も増えている。思うに月彦は第一句集以後、さらに俳句の世界に深く足を踏み入れるにつれて、反世界の耽美という表層的な主題よりも、俳句的表現を深める方向に舵を切ったのではないか。

 第三句集の『盗汗集』ではその度合いがさらに増す。俳句的語彙が格段に増えて来て、こうなると国語辞典では追いつかず、ネット検索しまくりで読んだ次第である。ちなみに句集タイトルの盗汗とは寝汗のこと。

誰か戸を叩くかはたれ血止草

またの名を名のる慣らひを敗醤をとこめし

夏古ぶ本家の仏壇返しかな

涅槃西風石見銀山売りに来る

返り花糸からくりの姉いもと

 一句目、「かはたれ」は「彼は誰時」で明け方のこと。血止草は漢方で止血に用いられた草で季語は秋。二句目の「をとこめし」はおとこえし(男郎花)のことで季語は秋。三句目の「仏壇返し」は大相撲の決まり手で「呼び戻し」のこと。四句目の「涅槃西風」は2月の涅槃会の頃に吹く西風の名称で季語は春。五句目の「返り花」は冬に狂い咲きした花のことで季語は冬である。ここには異世界のワンダーを求めるキッチュ感はもはやなく、季語を中心としたまごうことなき有季定型の本格俳句である。

 月彦はこの本格俳句路線をさらに進むのかと思いきや、読者は『魔都』シリーズに逢着して意外な展開にあっと驚くのである。まずタイトルである。『魔都 魔界創世記篇』『魔都 魔性絢爛篇』『魔都 美貌夜行篇』と並べると、まるでゲームの世界であり、そもそも『魔都』という言葉はサブカルで使い古されたものだ。

水晶球の中の人狼摩天楼  『魔都 魔界創世記篇』

宝石の名の〝少年男娼ジルベール〟黄水仙

相対死とは故郷の靑葉闇

さかしまや若衆歌舞伎も花の闇

極彩色の極悪の華アマゾネス  『魔都 魔性絢爛篇』

嗚呼春の夜は赤テント黒テント

はつ夏のあつき化粧の兄を撲つ

春は酣なぜに美少女墜つる魔都

仏蘭西の春腐敗する男役   『魔都 美貌夜行篇』

親衛隊全裸の夜の花吹雪

桜陰に兄と情夫の苦き蜜

刺青の美姫に嗜虐の秋の闇

 一読してわかるように季語と俳句特有の用語を駆使した本格俳句は影を潜め、全体的に外連味が増して、アングラ芝居の書割か、江戸川乱歩や三島由紀夫が熱愛したという絵師の月岡芳年を思わせる句すらある。

 年譜によれば、『盗汗集』刊行の翌年1985年に藤原はニッポン放送に入社して、ラジオ番組のディレクターとなる。『魔都』三部作はこの時期と重なる。その後、藤原は軸足を短歌に移して、1989年に第一歌集『夢見る頃を過ぎても』を上梓し、翌年「ラジオ・デイズ」で短歌研究新人賞を受賞し、月彦から歌人藤原龍一郎となるのである。つまり『魔都』三部作は藤原が、不眠都市東京の流行の最先端を行くマスコミの業界人というギミックをわが物とした時期と重なるのだ。そこにはすでにプロレスや日活ロマンポルノや歌謡曲の歌手の名が散見され、固有名を新たな季語とする藤原の現代都市抒情短歌の一端が覗いている。『魔都』三部作の世界は、第一歌集『夢見る頃を過ぎても』の次のような歌と地続きなのである。

つきて夢つきざれば夢いまさらに夏炉冬扇を胸に抱きて

ほろびたるもの四畳半、バリケード、ロマンポルノの片桐夕子

千代田区有楽町AM放送局午前二時あるいはわれのバンザイ岬

ワープロをかかえる椎名桜子に憐れみ受けているような夜は

紫陽花の紫にじむ雨の夜のデビル雅美のヌードもさびし

 かくして俳人月彦は消え歌人藤原龍一郎が誕生したことを言祝ぐべきかどうか、私にはわからない。われわれの手に遺された数々の秀句をただ玩味するに留めたい。

白坩堝水銀罰のごと滾る  『王権神授説』

古都曇天祖母死者のごと発光す

禁色の水脈さかのぼる破船かな

白内障そこひ病む眸に定家忌の水明かり

水中花死者の目にまず秋は来て

兄妹羽化しつつありあかずの間  『貴腐』

花崩れたましひ秋のの彼方

春昼に昔と出逢ふ磨硝子

石板に鳥彫り殺す走梅雨

日沈まば晩夏も終る海の死者

白昼に影大いなる蛇つかひ  『盗汗集』

あぶな絵の春やむかしの埃吸ふ  

裏庭のカンナ淫らに変声期

額に咲く血糊の花の浄土かな

梔子の闇かと問へば否と応ふ  『魔都 魔界創世記篇』

鶏卵に血の糸まじる冬館

夏薊大航海時代終りても

見えかくれして菜の花の中の亡兄

はつ夏の水銀あはれ世紀末  『魔都 魔性絢爛篇』

裏庭をダリア地獄と誰が呼びし  

軍服の父のみ燃ゆる夏座敷

冬晴や護謨風船に母の呼気いき

断念のごとうつくしき雪夜火事  『魔都 美貌夜行篇』

寒北斗氷砂糖に舌荒れて

寒凪に定形の毒あまきこと


 

第262回 石川美南『架空線』

友だちを口説きあぐねてゐる昼の卓上になだるるひなあられ

石川美南『架空線』

 世に取り上げて批評しにくい歌人がいる。独断だがその代表格は斉藤斎藤と石川美南ではないかと思う。その理由はいくつかあるが、箇条書きで述べると、その一、どちらも連作が中心で構成意識が強いために、一首、二首を取り出して批評がしにくい。その二、詞書きを多用するため、短歌の意味解釈に詞書きが影響し、歌を単体で批評しづらい。その三、近代短歌の私性をいともかんたんに振り切っているために、歌から〈私〉をたどりにくい。その四、連作の背後にストーリーが隠れているために、連作丸ごとでないと批評できない。その五、あちこちに仕掛けが施してあって油断できない。とまあ、こんなところになるかと思う。

 というわけで『架空線』である。本書は『砂の降る教室』(2003年)、『裏島』『離れ島』(2011年)に続く著者第4歌集。あとがきによると、この歌集はもともと『Land』というタイトルになる予定だったのが、それ以外の部分が膨らんで現在の形になったという。最初にタイトルを見たとき、「架空」とは現実でないフィクションのことかと思ったが、実はそうではない。町の至る所にある電柱に架かっている電線のことを指す実在する言葉である。こんな所にも石川の仕掛けが施してある。

 石川が批評しにくい歌人であるさらなる理由は、巻末の初出一覧を見るとわかる。『短歌研究』『短歌』『歌壇』のような短歌総合誌や、『外大短歌』『エフーディ』のような大学短歌会の雑誌や同人誌は言うに及ばず、柴田元幸編集の『MONKEY』とか文芸誌『星座』などにも歌を発表し、さらに短歌朗読イベントにも積極的に参加するなど、歌人としては実に活動が多彩である。これが結社に所属する歌人ならば、自分が師と仰ぐ歌人の選歌欄に毎月出詠し、結社誌に歌が掲載され、それを5年分まとめて歌集を編む。すると選の結果も与って、収録された歌のトーンの振れ幅はある一定量に収まるはずだ。読む人はその幅のトーンに波長を合わせて読めばよいので楽に読める。ところが石川のように歌を発表する媒体が多様だと、その媒体に合わせた構成意識が介在する。たとえば柴田元幸編集の『MONKEY』の○○特集だったら、こんなテーマと構成で歌を作ってやろうという気持ちがきっと起きるはずだ。するとそうしてできた歌は『MONKEY』の○○特集という「場」込みのものとなる。歌をカップに喩え、場をソーサーに喩えると、カップとソーサーが揃って初めて十全な意味作用を発揮する。ところが歌集に収録するときは、カップだけでソーサーはなくなる。意味作用に必要な「場」を失うのである。構成意識の強い「場」込みの短歌は、言い換えれば一首の屹立性が低く、また名歌主義からは遠いということにならざるをえない。

 構成意識と物語性が強く感じられるのは、なかんずく集中では「犬の国」「わたしの増殖」「彼女の部分」だろう。「犬の国」は、「犬の国の案内者は土曜の夜もきちんとして黒いスーツに身を包み、市街を案内してくれる」という詞書きから始まる。

ブラックで良いと答へて待つあひだ意識してゐる鼻先の冷え

重ね着をしても寒いね、この国は、平たい柩嗅ぐやうに見る

立ち上がりものを言ふとき犬の神は肉桂色の舌を見せたり

何もかも許されてゐる芝のうへドーベルマンは銅像のふり

 歌の中の〈私〉は案内人に導かれて犬の国を見て回るという設定なのだが、「鼻先」「嗅ぐ」などの犬の縁語を見ると、どうやら〈私〉もいささか犬化しているようでもある。初出は『びーぐる』などとあるので、愛犬家向けの雑誌ではないかと思う。ならばこのテーマ設定にもうなずける。

 「わたしの増殖」には柴田元幸訳のアラスター・グレイ作『イアン・ニコルの増殖』の一節がエピグラフとして置かれている。石川は柴田と親交が深く、柴田訳の小説に想を得た連作と思われる。

嫉ましき心隠して書き送る〈前略、へそのある方のわたし〉

めりめりとあなたははがれ、刺すやうな胸の痛みも剥がれ落ちたり

へそのある方のわたしとすれ違ふパレードを持つ喧噪の中

 〈私〉が真っ二つに分裂し、へそのある私とへそのない私に分かれるという奇想天外なお話である。この連作は仙台で開催された朗読イベントで朗読されたものであり、「楽天」「パレード」「復興」などやはり短歌の「場」の影響が感じられる。「出雲へ」という連作の詞書きに、「散文を書くときは自分の声を想定してゐるが、短歌は〈誰かの声〉を取り込んでゐるという感覚が強い」と書かれており、これは石川の短歌を読み解く鍵の一つになるのではないかと思う。〈誰かの声〉とは短歌の「場」の声であり、また「わたしの増殖」のような作品では想を得た元の小説の声でもある。石川にとって短歌とは〈私〉の表現ではない。近代リアリズムと伝統的な「私性」から自由な石川にとって短歌とは、〈私〉と「場」との化学反応によって生み出される何かであり、石川はそのようにして生まれる〈私〉の変容を楽しんでいるように見える。

 「彼女の部分」にもまた多く詞書きが付されている。「姉の右の耳には穴が開いている」という一文から始まる詞書きを読むと、お姉さんの話かと思いきや、実は動物園にいる象の話なのである。

 

ヒンディー語で「慈悲」を意味する名前なり体揺らして日盛ひざかりに立つ

顔の横に耳はあるなり風吹けばすこしうるさし、はためく耳は

やはらかき足裏あうらぱ感知するといふ午後の豪雨を、遠き戦を

 

 石川のキノコ好きは有名だが、動物も好きらしく、『風通し』創刊号にも「大熊猫夜間歩行」という佳品がある(そう言えば『風通し』の第二号は出たのだろうか)。石川はあまり人間を詠むことはないのだが、動物を詠む歌においては愛情深く観察鋭い。動物歌集など出してはいかがかと思うほどである。

 とても実験的なのは、多和田葉子の『容疑者の夜行列車』を読んで書評のような短歌を作ってほしいという依頼を受けて作られた「容疑者の夜行列車に乗車」という連作である。『容疑者の夜行列車』から抜粋した文の一部を素材として作られたコラージュのような作品となっている。$で括った部分が多和田からの引用である。原文ではゴチック体になっているがうまく表示できないのでこのようにする。

男たちはわたしに恋をしないまま$黒胡麻を擂る、白胡麻も擂る。$

$透明な接着剤で貼り付けた偽の傷$から湧く偽のうみ

詰め草の野を行くときも$筆跡をただで売り渡して$はならない

 まさにこれは「〈誰かの声〉を取り込んでいる」短歌であり、まるでポリフォニーのように多声の作品となっている。改めてバフチンの名を出すまでもなく、文学作品の中に響くのは〈私〉の声ばかりではない。そのことをうすうす知りつつも敢えて見ない人がほとんどだろうが、石川のように多声性を積極的に利用しようという歌人もいるのである。

 その他にも、日本橋川の川舟乗船記「川と橋」、爬虫類カフェ訪問記「脱ぐと皮」、単語と短歌を組み合わせた「コレクション」、夜行列車体験記「出雲へ」など、いずれも主題と構成意識の明確な連作が並んでいて、日々の「折々の歌」が一首もない。これも特筆すべきことだろう。

 いつものように特に印象に残った歌を挙げておくが、上に述べたような断り書き付きでのことである。構成された連作から一首だけ抜き出すと、その歌は連作と主題という「場」を失う。おのずから歌意は変化せざるをえないことは断っておく。

皮脱ぐとまた皮のある哀しみの関東平野なかほどの夏  「脱ぐと皮」

転ぶやうに走るね君は「光源ハ俺ダ」と叫びつつ昼の浜  「沼津フェスタ」

窓は目を開き続ける 紫に染め上げられて夜といふ夜  「human purple」

春の電車夏の電車と乗り継いで今生きてゐる人と握手を  「運命ではない」

ポケットに咲かせてゐたり 国境を越えたら萎む紙の花々  「容疑者の夜行列車に乗車」

極東は吹き矢のごとく夕暮れてあなたを闇に呼ぶ ガブリエル  「声」

ぬかるみを踏めばはつかに盛り上がる泥土もしくは春の係恋  「リビングデッドの春」

恋知らぬ人と行きたり藤波と呼べば波打つ空の真下を  「朗らか」

暗ぐらと水匂ひゐき(はまゆり、)と呼びかけられて頷く夢に  「千年選手」

 

 一読してわかるように、どんな一首にも小さな物語が秘められている。石川にとっては、短歌を作ることもさることながら、この小さな物語を紡ぎ出すことが無常の楽しみなのではないかと、しきりに思えてならないのである。


 

第261回 田丸まひる『ピース降る』

星ひとつ滅びゆく音、プルタブをやさしく開けてくれる深爪

田丸まひる『ピース降る』

 田丸まひるは1983年生まれで未来短歌会所属、「七曜」同人の歌人である。第一歌集『晴れのち神様』(2004年)、第二歌集『硝子のボレット』(2014年)があり、『ピース降る』は書肆侃侃房からユニヴェール叢書の一冊として2017年に上梓された第三歌集。田丸はしんくあと短歌ユニット「ぺんぎんぱんつ」としても活動しており、実生活においては精神科医であるという。精神科医と短歌は相性がよい。歌集題名の『ピース降る』はもちろん英語のpeaceful「平和な、平穏な、安らかな」からだろう。

 田丸が結社内の未来賞を受賞していることを知り、受賞作「ひとりひとり」が『硝子のボレット』に収録されていたので、結局今回は歌集二冊読みという荒技に挑戦とあいなった。

 『ピース降る』を読んでいる途中でしきりに感じたのは、名言の宝庫穂村弘が『短歌はプロに訊け!』などでしきりに述べている「短歌のくびれ」ということである。曰く、短歌は読む人に「驚異」つまりワンダーを手渡すものである。そのためには一首の中にしぼりこんである箇所がなくてはならない。それは砂時計の途中が狭くなったくびれのようなものである。穂村は「人の不幸をむしろたのしむミイの音の鳴らぬハモニカ海辺に吹きて」という寺山の歌を例に取って、この歌のくびれは「ミイの音の鳴らぬハモニカ」だという。この歌を「人の不幸をむしろたのしむただひとり古きハモニカ海辺に吹きて」と改作すると寸胴になってしまい、ワンダーがなくなってしまう。「ミイの音の鳴らぬ」という具体性が一首にくびれを与えているという。

 いかにも穂村らしい明晰な分析である。それと同時に感じるのは、近年どっと増えた口語短歌にはこのくびれが見られない寸胴の歌が多く、また口語短歌でくびれを作るにはそれなりに工夫が必要だろうということである。たとえば掲出歌を見てみよう。この歌は二句切れとなっている。「星ひとつ滅びゆく音」は、本当にそんな音が聞こえるはずもないので、失恋の深い喪失感を表す喩だろう。下句は恋人が缶入りドリンクのプルタブを開けてくれるという実景描写である。優しくプルタブを開けて「はい」と手渡してくれるその人が、〈私〉に失恋の喪失感を与えた張本人だろう。この歌は心理を表す喩の部分と、それに呼応する実景部分とから成っていて、短歌の基本を押さえている。そしてこの歌の「くびれ」は「深爪」である。「深爪」の具体性が歌にリアリティーを与え奥行きを生み出している。田丸はこのような歌の組み立て方がとてもうまい。いくつか見てみよう。

胸骨にくちをつければ笑い出すきみが片手で飲むVolvic

心臓をさわってみたいあたらしい牛乳石鹸おろす夕刻

生まれたかった季節のことを言いながら冷凍果実つまむ指先

昨日まで戦前でしたゼラニウムオイルを髪になじませる朝

半年は死ねないように生き延びるために予定を書く細いペン

 一首目は恋人と戯れる日常の場面。「胸骨」はやや医学的語彙だが、それよりもこの歌のくびれは結句の「きみが片手で飲むVolvic」だろう。これを「きみが片手で飲む鉱泉水」とか「きみが飲み干すミネラルウォーター」などとするとぐっと歌の解像度が落ちる。二首目は掲出歌と同様二句切れで、「心臓をさわってみたい」までが心理で残りが実景である。この歌のくびれは「あたらしい牛乳石鹸」だ。三首目は「私は9月に生まれたかったな」などという恋人とのたわいない会話から始まる歌で、くびれはもちろん「冷凍果実つまむ指先」である。ただの果物ではなく冷凍果実とすることによってリアリティーが生まれる。また結句に向かって指先という微細な場所にズームインする効果も高い。四首目、「昨日まで戦前でした」というのだから、今日からどこかで戦争が始まったのだろう。それは遠い国の本当の戦争かもしれず、また人間関係や内心の葛藤の喩かもしれない。この歌では「ゼラニウムオイル」でくびれている。五首目は生き延びるために予定表に予定を書くという歌で、この歌のくびれはもちろん「細いペン」だ。ペンの細さが予定の実現の危うさを表しているということもある。これがもし「モンブラン」だったら台無しだ。こうして歌を並べてみると、田丸はどうやら結句で歌のくびれを作って着地させるのが巧みなようだ。

 未来賞受賞作の「ひとりひとり」からも引いてみよう。

美しい傘をいっぽん抜き取って空とふたりを遮断する夏

こいびとはひとりでもいい傾いた電信柱にもたれるように

人型を濡らして歩くわたしから永遠に鳴る鍵束の音

きりのない反射 皮膚からこぼれ出す熱を確かめ合う午後三時

花飾りつきのヘアピンすべり落ち冷たい床で待つ絶頂期

 選考会で岡井隆は「知的な処理をやった歌ですね」と発言したという。岡井の発言の真意はわからないが、おそらくは歌にしたい感情をそのまま言葉に置き換えるのではなく、言葉を選んで再構成する処理を施しているということではないかと思う。たとえば一首目、一本の傘の中に入って二人だけの世界に籠もるという恋愛感情の高まりを詠んだ歌だが、それを「空とふたりを遮断する」と表現し、その前段に恋愛感情とは直接関係しない「美しい傘をいっぽん抜き取って」を置く構成となっている。岡井はこのような構成意識に注目したのではないか。

 精神科医としての仕事を詠んだ歌もある。

傷痕は表皮に残るだけというきみのたましいが終えるパレード 『ピース降る』

先生も切ってみろよとカッターを突きつけられて吐く白い息

一生眠れる薬ほしがる女子生徒に言い返せない 夕立ですか 『硝子のボレット』

「別に。彼と電話しながら突き刺した」シャーペンの芯残る太もも

明日こそ死ぬ約束をいつまでも更新させて生き延びたいね

 精神科医や心療内科の医者は人の心に直接触れる仕事なのでたいへんな職業である。多く詠まれているのは自傷行為をくり返す少女だ。上に引いた歌は解説が不要で、批評するのもためらわれるほど重い内容である。『ピース降る』と『硝子のボレット』を読み較べてみると、『硝子のボレット』の方に精神科医としての仕事に想を得た歌が多く、また苦しみを吐き出すような歌も多く見られる。人の立ち位置は移動することによって初めてわかる。田丸も変化したのかもしれない。

 最後にいくつか心に残った歌を挙げておく。

こころには水際があり言葉にも踵があって、手紙は届く  『ピース降る』

また老いを口にするねと笑われて天然水で飲むロキソニン

書きかけの手紙を伏せて眠るときだれかを待っている雨後の森

ポケットの奥の荒野に文庫版詩画集を入れ抜ける改札

言い訳の作法もうつくしいひとのゆりのストラップがゆれている

いつの日か官僚になる友達をジギタリス咲く裏庭で抱く  『硝子のボレット』

ひだまりににおいの秘密聞かされるときゆるやかに上がる体温

わたしより重い臓器をつめこんだ男のひとと選ぶ白菜

おとうとのカルピスは濃くこいびとのカルピスはやや甘くする朝

 『ピース降る』に「借りていた傘を返しに行くときの時雨『カフェー小品集』を鞄に」という歌があり、懐かしくて思わず目を止めてしまった。『カフェー小品集』は2001年に刊行された嶽本野ばらの短編集である。やや背表紙が焼けているが今でも書架にある。

 『硝子のボレット』にも『ピース降る』にも、岡井の言う「知的処理」がなされておらず、感情が生の形で露頭している歌や、言葉が甘く口語のポエムになっている歌がある。しかし適切な構成意識が発動するとき、田丸の短歌は上質の口語短歌となっている。


 

第260回 西川啓子『ガラス越しの海』

なだらかに底を見せたる泥の上を鷺は歩めり影揺らしつつ

西川啓子『ガラス越しの海』

 

 京都市右京区嵯峨に広沢池という大きな池がある。昔から観月の名所として知られていて、多くの歌が詠まれた歌枕である。「更級も明石もここにさそひ来て月の光は広沢の池」という慈円の和歌がある。広沢池では一年に一度池の水を抜くかいぼりをする。すると普段は見えない池の底が見える。掲出歌はその様を詠んだ歌である。池の底のなだらかな泥という場所、歩く鷺という対象、そして鷺が歩く様と生まれる影が、過不足ない措辞で詠まれている。

 作者の西川啓子は1956年生まれで「塔」の所属。『ガラス越しの海』は2018年に上梓された第一歌集で、跋文は「塔」の真中朋久が寄せている。あとがきによると、作者は河野裕子の歌との出会いを契機として短歌を表現手段に選び、家族の歌を残したいと念ずるようになったという。その言葉どおり本歌集の大きな主題は家族である。同居する父母、成人して独立した二人の息子、息子たちの妻たちとその子供たちが、季節の移ろいとともに様々に詠まれている。

黒豆が皺なく炊けたと言うときの呪術師めきてははそはの母

薬害の原告団に投げられし生卵にも触れし一節

社史にのみ残りし社屋にただ一度父と入りたり半ドンの午後

リクルートスーツ着なれてずぶずぶとうつつに入りゆくを見ており

また一つ嘘ついて子は離れゆくリュックのように哀しみ背負って

だれにでも抱かれるときは短くて代わる代わるに双子抱きあぐ

いまだ子の仕事に躊躇い持つことを言いてその父挨拶を終える

丹前の袖ほどくとき零れ落つ祖父の遺しし「いこい」の粉よ

 一首目は正月の準備に黒豆を炊く年老いた母親を詠んだ歌である。黒豆が皺なく炊けて快心の笑みを浮かべたのだろう。作者の父は製薬会社に勤めていたようだ。二首目は退職して自分史を執筆しているというくだりの一首。三首目は、取り壊されて現存しない父が働いていた社屋を詠んだ歌。半ドンは土曜日のこと。昔はこのように、子供を自分が勤めている会社や工場に連れて行くということがあったが、今はどうなのだろうか。次の二首は子の歌である。就職して最初は着慣れないスーツもだんだん体に着いてくる。それは社会人としての経験値が上がったということなのだが、作者は現実にずぶずぶと入って行く危うさも感じている。五首目は親離れする子の歌だ。息子の一人には双子が誕生する。生まれた子が一人ならば長く抱いていることができるが、双子なので平等に代わる代わる抱かなくてはならない。勢い一人を抱く時間は短くなるのがせつない。七首目は息子の結婚式の締めくくりに父親、つまり作者の夫が挨拶した場面の歌。「躊躇い」については後に触れる。最後はもうこの世にいない祖父の歌である。祖父が着ていた丹前の袖から煙草の粉が零れ落ちたという。その世代の人は帰宅すると冬には丹前を着ていた。「いこい」は代表的な当時の煙草の銘柄である。私の祖父も「いこい」を吸っていた。

 このように作者の祖父から孫に到るまで、五代に及ぶ家族の暮らしが丹念に詠まれており、まさに作者の言のとおり家族の歌となっている。またそれぞれの場面の折々に作者が感じたこと、思いを馳せたことが詠み込まれていて、あらためて短歌は民衆の詩であることを思わせられる。

 家族が本歌集の表の主題ならば、裏の主題はさしずめ原発ということになろう。作者の息子の一人は、原子力発電所を製造している会社に技術者として勤めているのである。

原発を責める連作二作ありそれのみ読みて書棚に戻す

いくたびもチェルノブイリを言いしかど核エネルギーに魅せられて子は

辞めろとも帰れとも言えず「あのさぁ」と問う燃料棒の仕組みなど

福島の桃あまた食みし夏ありき詫びたきような廉価のままに

原子の灯と大きく書かれしEXPO70エキスポの夜の灯のなか昂ぶりて歩みぬ

電池ばかり設計したという人の手触り感を子はうらやみぬ

 東京電力福島第一発電所の苛酷事故の前から作者は危惧を抱いていたようだが、その危惧は現実のものとなった。1979年のスリーマイル島、1986年のチェルノブイリと並び、2011年の福島第一発電所はまさに悪夢のような事故だ。先に引いた歌で新郎の父が述べた「躊躇い」とは息子の従事している仕事をさす。巨大な技術となった原子力発電所では、誰もがそのごく一部にしかタッチしていない。上の六首目はそのことを詠んだ歌で、勤務する息子もまた巨大な機構の歯車となっているのだ。五首目は大阪万博の跡地を訪れた折の歌と思われる。広島と長崎で原爆の惨禍を経験した戦後の日本において、忌避の対象となるはずの原子力が、「原子力の平和利用」の名のもとに希望の光へと転化する奇妙な捻れがどのようにして起きたのか不思議でならない。

 作者は家庭においては妻であり母であり主婦なので、日々の生活に材を得た歌や厨歌も多くある。私は食いしん坊のせいか食べ物が登場する歌に特に引かれる。

アンペイドワークばかりの10000日そら豆のスープきょうは作りぬ

跳ね上がる泥土のように思いたり主婦にしてはと言われるたびに

あいまいに厨に立ちて出汁を取る海に棲みいしものの中から

父と夫の首締め来たるネクタイをほどきて作る座布団カバー

冬のひかり閉じ込めたような柚子ジャムの瓶を並べて恍惚とせり

 主婦業が給与が支払われず社会的評価の低いアンペイドワークであることに誰しも倦むことがあるだろう。二首目のような歌を見るときいつも思い出すのは、「マニュアルに〈主婦にもできる〉といたはられ〈にも〉の淵より主婦蹶起せよ」という島田修三の歌である。上に引いた四首目はなかなかおもしろい。スーツとネクタイは会社人としての男の象徴である。そのように記号性のあるネクタイを再利用して座布団カバーを作りその上に座るという行為は、密やかな復讐とも見ることができるだろう。その一方で、ネクタイが父親と夫の首を窮屈に絞め続けて来たということ憐れみも感じているのである。

 私が本歌集を読んでいちばん感心したのは、西川の鋭い観察力とそれを歌にする的確な描写力である。それが最も感じられるのは次のような歌だと思われる。

電線をひょいと上げるもバイトなりその下をゆく神輿の矛先

点描で育ちゆく葉よ春楡のあわいに閉じてゆく空が見ゆ

看護師に夜勤明けかと問われたる医師は小さきゴミ提げており

窓の向こう藪の迫りてときおりに風とは違う枝の揺れあり

水張田に揺らめくひかり区切られて影のようなる細き道あり

扇の骨辿りしような水脈引きていく艘か見ゆひかり放つ海

 一首目は10月に北野天満宮で行われるずいき祭りを詠んだもの。神輿の矛先が電線に触れるのを避けるために、長い棒で電線を持ちあげる係がいるのだ。それをユーモラスに詠んでいるのだが、電線で読者視線を上に誘導し、次に視線を下げて巡行する神輿を登場させるのが巧みである。二首目は楡の葉の成長を印象派の点描になぞらえた歌で、葉が成長するにつれて下から見える空が小さくなってゆくという視点がおもしろい。三首目はなにげない病院の場面だが、夜勤明けの医師がおそらく夜食に食べたコンビニおにぎりかサンドイッチのゴミを手に持っているところに注目するのが鋭い観察眼である。四首目は家の窓から見える庭の光景で、風と違う揺れをする枝があるのは小鳥が停まったり飛び立ったりするからだ。小鳥を詠まずに、枝の揺れで小鳥の存在を詠んでいるのが巧みである。五首目、水田の畦道が水に反射する光を区切るという描写と、畦道が光に挟まれて影のように見えるという描写が鋭い。六首目は船の航跡を放射状に広がる扇の骨に喩えているのだが、「扇」「骨」「水脈」「海」のとり合わせが典雅だ。いずれの歌も言葉に無理な圧をかけることなく、過不足ない措辞で詠まれている。そのことを特筆しておきたい。

 最後に個人的な思い入れのある歌を挙げる。

伐りくれし葡萄の枝を鉢に挿す 京大農場わが街より消ゆ

 作者は高槻市に在住している。阪急電車で京都から高槻駅に近づくと、沿線に京都大学の附属農場が見える。長い並木道の向こうに、左右に細長く伸びる二階建てのレトロな建物がある。私は古い建物を見るのが好きなので、一度訪れてみようと思っているうちに、農場は移転し跡地は公園になるという。あの建物がどうなるのか気がかりだ。

 

第259回 木ノ下葉子『陸離たる空』

「神の救ひ」見えぬ誰かに説く横で少年の送球宙繋ぎたり

木ノ下葉子『陸離たる空』

 掲出歌は不思議な歌である。「少年の送球」とあるので、公園か学校のグラウンドで野球かキャッチボールをしているのだろう。その場に神の救いを説く人がいる。布教は人の多い駅前などの街頭か、個別に家を訪問してすることが多い。公園で布教しているのか、あるいはミッション系の学校の一角で神父さんが生徒に話しているのか。いずれにせよ神の救いについて話している相手が視界の外にある。この場面の切り取り型が特異である。そして下句では一転して、少年がボールを投げる場面が描かれているが、「宙繋ぎたり」という措辞が秀逸だ。上句と下句は「横で」という場所句で接続されてはいるものの、両者が描く場面には同時にほぼ同じ場所で起きたという以外の関係性はない。にもかかわらず一首は緊密なまとまりを持って成り立っている。どういう発想から生まれたのか知りたくなるような歌だ。

 巻末のプロフィールによれば、作者は1980年生まれで「水甕」同人。『陸離たる空』は2018年に上梓された第一歌集である。版元は港の人。光森裕樹が歌集を出して以来、港の人は歌集出版に縁ができたようだ。今回も社の方針で帯はない。ちょっと変わっているのは栞文である。第一歌集を出すときには結社の主宰や重鎮メンバーに栞文を依頼することが多い。ところが本歌集の栞文を執筆しているのは岐阜女子大学教授の助川幸逸郎という人である。どうやら作者が助川教授の講義を受講したことが短歌の道に足を踏み入れるきっかけとなったようだ。

 まったく知らない人の歌集を読むときは、助走に少し時間がかかることが多い。なにしろ全然知らない人なので、どういうスタンスで作歌しているのかわからない。作者のスタンスにこちらの波長を合わせるチューニングの時間が必要となる。しかし『陸離たる空』は読み始めていきなり引き込まれてしまった。こちらの胸倉をぐいとつかむ力が木ノ下の歌にはある。巻頭から引いてみよう。

もう二度と逢へない人の貌をして或る日するりと降りてくる蜘蛛

空の底ぞつとするほど露出して逆上がりさへ無理せずできる

現在を過去へ押し遣るやうにして定まらぬ夜のアクセルを踏む

葉のあひに透けて見えゐる青いろを疑ひてみきそらと言ふもの

我がおもて体内よりも赤からむ完膚なきまで朝日を浴びて

 一首目、軒先から蜘蛛が糸を垂らして降りて来ることはよくある。しかしその蜘蛛が二度と会えない人のような顔をしているという見立は特異である。二首目は「ぞつとするほど露出して」という措辞が荒々しく迫力に満ちている。雲一つなく晴れ渡って天頂が深く見える様を描いているのだろうが、「ぞつとするほど」という形容によって禍々しいことにも見える。三首目、現在を過去へと押し遣るのは何か忘れたいことがあるからだろう。「今」を逃れたい。しかし〈私〉が踏むアクセルは踏み込みが定まらない。「定まらぬ夜の」の字余りが魅力的だ。四首目も不思議な歌だ。木の葉の間に見える青空を見て、これが本当に空というものだろうかと疑っている。どうやら作者には自己と周囲の事物への存在論的不安があるようだ。五首目は朝日を正面から浴びている場面である。体内をめぐる血潮よりも朝日に照らされている顔の方が赤かろうと詠んでいながら、実は作者の意識は体内の血潮の方に向かっているのではないか。いずれも発想のおもしろさ、措辞の大胆さ、視点の独自性が感じられる歌である。木ノ下の詩魂はまぎれもない。

特急のパンタグラフの削りゆく西つ空より血汐したたる

水無月の雨はあまねし電柱に後から濡れる面のありたり

阿弥陀籤辿りてゆけば枯れ枝はこたへ空へと投げ出だしたり

四枚の影を蜻蛉の翅のやうに羽ばたかせ蹴るナイトゲームよ

迫り上がるガラスの窓は運転席の君を消しつつ夕映えてゆく

繰り返し互ひの軌跡を消し合ふもひとつところへ帰るワイパー

 一首目のパンタグラフが空を削るという発想が独特だ。血汐がしたたる西の空はまるでムンクの絵のようである。二首目は発見の歌。吹き降りの時は雨が垂直ではなく斜め方向から降るので、電柱の雨が当たる面は濡れるが、反対側は濡れない。しかし風向きが変わるとその面もいずれは濡れる。「後から濡れる面」に発見があり時間が内包されている。三首目は枯れた木の枝を下から上に辿る阿弥陀くじに見立てている。木の枝の阿弥陀くじを辿ってゆけば、あるいは探している答が見つかるかという期待は裏切られる。結句の「投げ出だしたり」が絶妙の選択だ。作者の心の中には答の見つからない問があるのである。四首目はサッカーのナイトゲームの場面である。四方向から照明を浴びた選手の足元には自分の影が4つできる。それを蜻蛉の四枚の羽根に見立てている。「蹴る」の一語でサッカーの場面であることがわかるようにできているのも秀逸だ。五首目は視点の独自性が光る。開いている車の運転席の窓がゆっくりと閉じてゆく。すると窓のガラスに夕陽が当たり、ガラスは夕映えの赤に染まる。ここにも時間が閉じ込められており、また〈私〉が車の外にいる別れの場面であることもわかる仕掛けになっている。六首目も車の歌だが、今度はワイパーである。ワイパーが作動すると、フロントグラスに扇形の跡が残る。しかしその跡は反対側のワイパーが拭うことで消えてしまう。左右のワイパーはお互いの跡を消し合うのだ。しかしそのワイパーもスイッチを切ると定位置に収まる。おもしろい所に目を付けた着想の歌である。

 その一方で、次のように危ういバランスを感じさせる歌がある。

真つ直ぐなものの基準としてあをき水平線を心に持ちつ

海面をのたうつ光のくるしみを凪ぎゐるなどとゆめのたまふな

意志・希望の助動詞運用するきはに脳裏を過ぎる自動詞あるも

三本目の触角として我を刺す蝶標本の胸の虫ピン

蜘蛛の糸とは斯くも頼りなきものか白衣の袖より糸屑の垂る

 三首目の意志・希望の助動詞とは「む」で、脳裏を過ぎる自動詞とは「死ぬ」だろう。いずれも心のバランスの危うさを匂わせる歌である。あとがきによれば、作者は幼少期から胸の中に溜まるエネルギーのやり場に苦しんでいたということである。栞文を書いた助川も木ノ下の病に触れており、ここには引かないが入院加療の歌も収録されている。行き場のないエネルギーを短歌に振り向けることで、短歌は作者にとって「苦しみ方を変える変圧器」の役割を果たしているという。

 本歌集のあとがきを読んで改めて考えるところがあった。ひとつは短歌に選ばれた人がいるということである。木ノ下は心のバランスに苦しむ過程で短歌に出会った。その出会いは運命的なものであったにちがいない。木ノ下が短歌を選んだというよりも、短歌が木ノ下を選んだのかもしれない。もうひとつは短歌によって救われる人がいるということである。セーラー服歌人の鳥居の歌集を読んだときにも強く感じたことだが、短歌や俳句は家庭の主婦の習い事や退職老人の暇つぶしなどではない。文学には迷える魂を救済する力があるのだ。詩人の荒川洋治が『文学の空気のあるところ』で述べているように、文学は物の役に立たない虚学ではなく立派な実学なのである。『陸離たる空』を読むと改めてそのことに得心がゆく。

 最後に印象に残った歌を挙げておこう。

われが我に飽きくる心地ややありて夕べのバスに小銭を探る

ゴムバンド締まりてをらむ十字路の電信柱に供花のなき夜

ただなかを読点打たず走り抜け振り返るとき夏は句点だ

はららかぬやうに電線に搦めたし今年仕舞の秋虹ならば

水面に浮くもの何れも静もりてその影のみが揺らぎて止まず

銀色の差し出し口に手の甲を滑らせ放つ夏への手紙

世界地図挟みし塩ビの下敷きの端に肘つくボリビアの上

きみの名に忌と続ければ唐突に君は死にたり陸離たる空

校正の部屋の窓辺の百日紅ああイキてゐるそのママである

入口はこの白きドアのみなればいつの日か此処を出口となさむ

 九首目は言葉遊びの歌で、印刷原稿の校正作業をしたことのある人ならばわかるだろう。「イキ」とは、一度修正した箇所の修正を取り消して原文どおりに戻すこと、「ママ」とは「原文のまま」の意で、編集者から修正の提案があった時などに、「そのままにしてください」と指示するために使う。十首目は否が応でも喩としての読みを誘う歌だが、「この白きドア」とは何だろうか。病室のドアともまた短歌とも取れる。多様な読みを誘うのもまたよい歌である。