第164回 竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』

キャベツ色のスカートの人立ち止まり風の匂いの飲み物選ぶ
             竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』
 最近立て続けに書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの歌集を取り上げているが、今回も同シリーズの一冊である。プロフィールによれば、著者の竹内亮は1973年生まれで、東大の国文科を出て新聞社に勤務した後、弁護士に転身した人である。東直子の短歌講座を聴いたことがきっかけで短歌を作り始めて4年になるという。歌集題名のタルト・タタン (tarte Tatin)はフランス風のアップルパイで、皮が下にあり上にリンゴが載っている。言い伝えによれば、タタン姉妹がアップルパイを作った時に、うっかりひっくり返したのがきっかけで誕生したという。生クリームをホイップしたものを添えて食べることが多い。タルト・タタンの横にペリエか何か炭酸水を注いだコップがある風景は実にお洒落である。
 お洒落と言えば、この歌集全体がお洒落な雰囲気を身にまとっていて、東直子の筆による海と黒白猫の表紙の絵もなかなか洒脱だ。このお洒落さは最近あまり見ない貴重なものなので、今回取り上げることにした。
 バブル経済崩壊以後の短歌はとにかく「不景気」(by荻原裕幸)で、穂村弘が「ゼロ金利世代の短歌」と呼んだように、お洒落からはほど遠い。「どこへゆくためのやくそく水色のオープン・カーではこばれる犬」(山崎郁子『麒麟の休日』1990)のようなキラキラした歌は遠い過去である。ところが『タルト・タタンと炭酸水』には光と色が溢れていて、モノトーンか淡色の印象の歌集が多い昨今では異色と言ってよい。冒頭に挙げた掲出歌にはキャベツ色のスカートが登場する。あまりキャベツ色とは言わないところがかえってユニークだ。薄緑色のスカートだろうが、ここは春キャベツのひときわ淡い緑がよかろう。そんな人が風の匂いの飲み物を選ぶのだ。他にも次のような歌がある。
夏の午後に君の瞳のコンタクトレンズの縁の薄さ見つめる
キッチンで知らない歌を口ずさみ君は螺旋のパスタを茹でる
川べりに止めた個人タクシーのサイドミラーに映る青空
左手のライ麦パンは光ってて猫は何度も瞬きをする
なめらかな布で磨かれそのまんま夜道を照らすジェリービーンズ
ジーンズの裾に運ばれついてきたあの日の砂を床に落として
 螺旋のパスタといい、サイドミラーに映る青空といい、ジェリービーンズの鮮やかな色彩といい、わたせせいぞうの原色を多用したイラストを思い浮かべてしまった。私の世代の人間にとって、わたせせいぞうのイラストに登場するオープンカーや洒落たカフェや白いワンピースを着た女性は「明るく豊かな青春」の象徴のように思えたものだ。本歌集にはどことなく似た空気を感じるのである。
 収録された歌のなかでは、細部に目を止めた歌と喩が効果的な歌がよいように思う。
試着室で君と選んだシャツを着る羽化してすぐの蝉が鳴く夏
水色のジャージで歩く女子たちのみな丸顔になっている国
旧市街を何も話さず歩きたい足音のよい道を選んで
カーディガンの少女の横で少年は片足立ちで靴はき直す
夜の海でかすかな光探すとき夏の魚は瞼を閉じる
涼やかな朝の地面に静止する誰かが置いたような青柿
 一首目では、「羽化してすぐの蝉が鳴く夏」が、上句の試着室でシャツを着る様子の喩となっている。季節は夏の初めで、「羽化してすぐ」が恋の初めであることを表し、同時にその恋の脆さをも表現している。二首目は祖父の法要のために田舎を訪れた折の歌で、「みな丸顔になっている国」がユーモラスだ。田舎の女子高校生は丸顔で頬が赤かったりする。三首目のポイントは「足音のよい道」だろう。何も話さないのは話す必要もないほど満ち足りているからである。四首目は青春グラフィティの一場面のようだ。少年は片足立ちで、体を支えるために片手を少女の肩においているのだろう。それにしても女子校の制服以外に今どき私服でカーディガンを着る少女がいるだろうか。その意味でも昔懐かしい青春を思わせる。五首目は他とやや趣のちがう幻想的な歌だ。ほんとうならばかすかな光を探すときには瞼を大きく見開くだろうに、逆に瞼を閉じるという。心眼で探すのだろうか。ちなみに魚には瞼がないので、いっそう幻想的な歌である。六首目は地面に青い柿が落ちていたという光景だが、それが誰かが置いたように見えたのがミソである。しかし「静止する」はやり過ぎだ。
 上に引いた歌は着眼点がよく、それを言語化して定型に収めるのもうまく行っている。しかし歌歴が浅いせいか未熟な歌も多い。「夏の田の緑の中で君を待つ栞の紐の紫の色」は「の」が多すぎる。「白い空坂を登って橋の上並んで歩き声に出す『あの』」には動詞が4つもあるがこれも多すぎる。一首に動詞は最大3つまでである。おまけに結句の「あの」が意味不明。また「吹く風は地面の草を燃え立たせ口ずさむのはみことのりです」の「みことのり」は天皇の詔勅なので誤解だろう。その前には神社に参拝する歌があるので、それを言うなら「祝詞」か「真言」か「マントラ」ではなかろうか。一首だけ「石段に一枚残る花びらに触れむとすれば飛び立てり蝶」という文語の歌が混じっているのも違和感を覚える。
 竹内も口語短歌を作っているのだが、前回も述べたのと同じことが当てはまる。結句が体言止めか倒置でなければ、すべてル形で終わっているのである。
線香を両手でソフトクリームのように握って砂利道を行く
海水の透明な水射すひかり大きな鳥が陸を離れる
 「ある」「いる」のような状態動詞のル形は現在の状態を表すが、動作動詞のル形は習慣的動作か、さもなくば意思未来を表す (ex. 僕は明日東京に行く)。このためル形の終止は出来事感が薄い。何かが起きたという気がしないのである。口語短歌の多くが未決定の浮遊状態に見えるのはこのためかもしれない。
水苑のあやめの群れは真しづかに我を癒して我を拒めり
                 高野公彦『水苑』
 高野の歌では完了の助動詞「り」が使われているため、きっぱりと何かが起きた感がある。文語には過去の助動詞「き」「けり」、完了の助動詞「ぬ」「つ」「たり」「り」があり、感動助詞の「かな」や「はも」など、文末表現が多彩である。現代口語では文末が「る」でなければ「た」しかない。文末表現の貧弱さが現代口語の大きな欠点なのである。現代の口語短歌はこの課題を解決できるだろうか。
 それはさておき、『タルト・タタンと炭酸水』は今時珍しいキラキラ感のある青春歌集になっている。作者の実年齢よりも若い時代が詠われているためか、いささかの懐旧感もある。作者が中年の屈折を味わったときにどんな歌を詠むのか見てみたい気もする。

第163回 五島諭『緑の祠』

大いなる今をゆっくり両肺に引き戻しつつのぼる坂道
                 五島諭『緑の祠』
 坂道を登っている。両方の肺に引き戻すことができるのは空気に限られるので、「大いなる今」と喩的に指示されているのは空気にちがいない。坂道の傾斜が急なので、息が切れているのである。しかしなぜ空気が「大いなる今」なのか。ここでは指示が微妙にずらされている。それが歌人の修辞である。空気自体が「大いなる今」なのではなく、ぜいぜいと息を切らせて坂を登っている〈私〉の交換不能な現在性が「大いなる今」なのだ。この感覚には見覚えがある。「実存」である。そう考えると五島の歌のほとんどが現在形で書かれており(正確には動詞の終止形。日本語動詞に現在形はない)、また不動の定点があるように感じられることにも納得がゆく。掲出歌は句跨がりもなく、定型にぴしっと収まっている点においても、秀歌性の高い歌だと言えるだろう。
 五島諭ごとう さとしは1981年生まれで、早稲田短歌会の出身。現在は同人誌「pool」に参加して、超結社のガルマン歌会のメンバーでもある。『緑の祠』は2013年に刊行された第一歌集である。前回のコラムで取り上げた中畑智江の『同じ白さで雪は降りくる』と同じく、書肆侃侃房の新鋭歌人シリーズの一冊で、跋文はシリーズ編者の東直子。
 五島と永井祐は同年の生まれで、堂園昌彦は2歳下なのでほぼ同年代である。三人とも早稲田短歌会に所属していて、現代短歌シーンにおいてほぼ同じストリームの中にいると言える。ニューウェーヴ短歌を主導した加藤治郎・荻原裕幸・穂村弘の三人のうち、荻原と穂村は1962年生まれだから、ニューウェーヴ短歌と五島たちの間には20歳の年齢の開きがあることになる。20歳と言えばもう少しで親子の開きである。世代論的に見ても、五島・永井・堂園はポスト・ニューウェーヴ短歌と見なしてさしつかえない。その特徴をおおざっぱに言えば、口語短歌・低体温・フラット性とまとめることができるだろう。キャッチコピーを作るのがうまい穂村は、「ゼロ金利世代の短歌」と呼んでいる。
 本歌集を短歌ブログ「トナカイ語研究日誌」で取り上げた山田航は、五島の歌を評して、「限界を突き破れない不全感」と「時に世界を破壊する反転攻勢」というキーワードを使っている。「不全感」はバブル経済崩壊以後の短歌シーンに広く漂っている特徴なので、五島独自のものとは言えないし、「反転攻勢」に見られる攻撃性については、いまひとつピンと来ない。ポスト・ニューウェーヴ短歌にはどこか批評しにくいところがあるようだ。
 このことは『短歌研究』の2014年5月号の作品季評にも見て取れる。穂村と花山多佳子と小島なおが『緑の祠』を俎上に上げて批評しているが、三人とも五島の短歌を捉えあぐねている。小島は「これまでの短歌の良し悪しの基準では、うまく捉えられない、評価の難しい、新しい印象の作品」と述べ、穂村も「もっとつかめるつもりで読み始めて意外に捉えられなくてちょっと焦った」と言い、それを受けて花山も「けっこうわかるなと思ったり、結局のところわからないと思ったり」と読みに迷いがあったことを告白している。なぜ五島の短歌は捉えにくいと感じられるのだろうか。小島は穂村の問いかけに答えて、具体的な生活の場面のような、読者との通路になるものが五島の歌には希薄で、「ひとり別の世界に住んでいるような」気がすると述べている。
 小島が言っていることをさらに進めると、今までさんざん議論されてきた「短歌における〈私〉」と「リアル」の変容をめぐる議論につながるのだが、ここではその方向は控えて別の観点から五島の歌を見てみたい。それはポエジーの力点という観点である。
 短詩型文学としての近代短歌は抒情詩であり、その基本構造は永田和宏の言う「問いと答えの合わせ鏡」にある。
冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生のごとし
                  岡井隆『神の仕事場』
 上句の「冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵(の)」までが問いである。もう少し正確に言うと、それは〈私〉の外部に対象化された物や事象で、物や事象自体は問いを発することはない。〈私〉がそれに注ぐまなざしが問いを浮上させるのである。だからほんとうを言えば問いは〈私〉の内部にある。そして下句の「だまされて来し一生のごとし」が答えである。答えは〈私〉の感情・感慨であり、問いである物や事象が鏡のように〈私〉の感情を照射するところに抒情詩が成立する。読者はこの過程をみずから辿ることによって、作者の感情を追体験し、それに共感したりカタルシスを感じたりするのである。岡井の経歴を知る人ならば、下句を読んで日本共産党の六全協を思い浮かべたりするかもしれない。近代短歌におけるポエジーの力点は、問いとしての物や事象が〈私〉の感情を前景化するその関係にあり、それは同時に歌におけるリアルの源泉としても働くのである。
 このような近代短歌の読みに慣れた人にとって五島の歌が捉えがたく感じられるのは、ポエジーの力点が異なるからに他ならない。穂村の表現を借りると、同じOSのヴァージョンちがいではなく、そもそもOS自体が異なるということである。
美しくサイレンは鳴り人類の祖先を断ち切るような夕立
触れることのできるあたりに喋らない鸚鵡と水泳少年がいる
くもりびのすべてがここにあつまってくる 鍋つかみ両手に嵌めて待つ
息で指あたためながらやがてくるポリバケツの一際青い夕暮れに憧れる
はじめから美しいのだこの手からこぼれていったポップコーンも
 歌集冒頭の「サウンドトラック」という連作から引いた。いずれもなかなか美しい歌だと思う。一首目は近代短歌のOSでもいちおうは読める。それは「人類の祖先を断ち切るような」という喩があるためである。喩は問いと答えの合わせ鏡構造における答えの受け皿として働く。激しい夕立を見て、人類の祖先を断ち切るようだと〈私〉が感じたと読むことができ、そこから作者が抱いていると想像される孤独感や断絶感を感じ取ることができるからである。ところが残りの歌についてはそのような読みは成立しない。二首目は一首一文の形式で鸚鵡と少年の存在を述べるに留まり、仮にその全体が問いだとしても、その問いが照射すべきもうひとつの鏡がない。読者は鸚鵡と少年をはいと差し出されて、それをどうすればよいのかわからない。短気な関西人なら「どうせえちゅーんじゃ」と怒り出すところである。他の歌にもほぼ同じことが言える。
 ポエジーの力点がちがうのである。五島の短歌のポエジーの力点は、問いが答えを照らし出すという関係性にあるのではない。「五島さんの歌には、感情の浮き沈みや喜怒哀楽がほとんど出ていない」という小島なおの感想は鋭く本質を突いている。五島の短歌には、問いの鏡が照らすべき答えの鏡が不在なのだ。対象化された物や事象が〈私〉の心に問いを生み出し、その問いによって〈私〉の感情が照射されるという構造が欠けている。岡井隆が言った意味での、短歌の背後にいるたった一人の〈私〉という構図が成立しないのである。
 では五島の歌においてポエジーの力点はどこにあるのか。それは端的に言って言葉の組み合わせが生み出す美である。ここでもう一度上に引いた歌を見てみよう。一首目のポイントは美しく鳴るサイレンと激しい夕立の取り合わせである。何か危機的な状況が連想されるが、それは語られていない。二首目は喋らない鸚鵡と少年の組み合わせがポイントで、この歌は映像的にもとても美しい。鳥籠に入れられた極彩色の鸚鵡と、プールで一人黙々と泳ぐ白帽の少年の取り合わせは、まるでシュルレアリスムの絵画のようである。三首目は、雷の実験をしたフランクリンか、ニコラ・ステラを連想させる。曇天の日に丘の上に登って、両手に鍋つかみを嵌めて、まるで超自然の力を呼び寄せようとしているかのような場面が目に浮かぶ。四首目は修辞的にも凝っている。「やがてくるポリバケツの一際青い夕暮れ」の「やがてくる」は「ポリバケツ」に係るかと思えば、そうではなく「夕暮れ」に係るし、「ポリバケツの一際青い夕暮れ」は「ポリバケツの(ような)一際青い夕暮れ」の大胆な省略だろう。この修辞の工夫によって歌の言葉は日常語の地平を離れる。五首目は「あらかじめ失われている不全感」というキーワードを用いて近代短歌のOSでも読めそうな作品だが、ここでもやはり眼目は「手からこぼれたポップコーンが初めから美しい」という表現自体にあると思われる。
 堂園昌彦の『やがて秋茄子へと到る』を読んだときに、堂園の短歌と絵画の親近性を感じたが、五島の短歌も同じ匂いがする。別な比喩を使うと、からっぽの室内のどこにテーブルを置くか、そのテーブルは何色にするか、ソファーはどこに配置するか、白い壁にはどんな絵を掛けるかというインテリア計画を入念に考え抜いて、美しい室内を作る、そして出来上がった室内に座って静かな時間を過ごす。そんな感じと言えばよいだろうか。五島の短歌はこのようにして選び抜かれた詩語によって組み立てられた小世界である。
 五島はたぶんジョゼフ・コーネルが好きだろう。コーネルは繊維商のかたわら美術作品を作り続けた日曜美術家で、アメリカのシュルレアリスムの元祖とも言われている人である。コーネルの作品は、木製の小さな箱の中に、雑誌から切り抜いた写真やどこかで拾って来た人形などを配したコラージュで、手作り感の溢れる作品ながら、その前に立つといつまでも眺めていたい気になる不思議なものである。2010年に千葉県の佐倉市にある川村記念美術館で展覧会が開かれた。高橋睦郎が讃を寄せ、フランス装の凝ったカタログが作られた展覧会で、企画したキュレーターの意気込みが感じられた。
 失われたもの、美しいものの探求。魂の都市、ニューヨークと同じ空間を占める見えない都市を往くコーネル=オルフェウス。
 ネルヴァルは言った。「人類は永遠の美をじわじわと千もの断片に破壊し切り刻んでしまった」。コーネルはそれらの断片を都市のなかで見つけ、組み立て直した。
          (チャールズ・シミック『コーネルの箱』)
 コーネルの箱の中に〈私〉はない。ゴッホの厚塗り絵の具のうねるようなタッチを見ると、そこにまぎれもない画家の個性が感じられるが、コーネルはあちらこちらで見つけた郷愁を感じさせる品物を組み合わせて配置して独自の小宇宙を作った。
 五島にとってのポエジーの力点が〈私〉の前景化による抒情にはなく、詩語の選択と配置による作品世界の構成にあると思って読めば、本歌集にはたくさん美しい歌があることがわかる。
どこか遠くで洗濯機が回っていて雲雀を見たことがない悲しさ
寄せてくる春の気配に文鳥の真っ白い風切羽間引く
デニーズでよい小説を読んだあと一人薄暮の橋渡りきる
死のときを毎秒察知するようにホースの中を水が走るよ
頬から順に透きとおりつつ八月の水平線を君が歩くよ
目玉焼きを食べられないでいる間にも印刷されてゆく世界地図
やがては溶けるかき氷にも向けているひと差し指の先の銃口
雨の日にジンジャーエールを飲んでいるきみは雨そのもののようだね
 確かにゼロ金利世代のムードがうっすらと作品全体に漂っているのは事実であり、発火しにくい低体温と、試みる前から諦めているような諦念が滲んでいるのも事実である。遠くに押し殺した悲鳴が聞こえるような気もする。その点に着目すれば、山田の言うように、今まさにそのような青春を送っている若者が五島の短歌を支持しているのはもっともである。そのような読み方を否定するものではないが、ポスト・ニューウェーヴ世代に属する五島の歌が目指しているのは、詩語の組み合わせによる新しい美の創出にあるように思えてならないのである。

第162回 中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』

生と死を量る二つの手のひらに同じ白さで雪は降りくる
          中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』
 作者の中畑智江なかはた ともえは、1971年生まれで、中部短歌会所属。今までに歌壇賞や角川短歌賞の候補・佳作に選ばれており、連作「同じ白さで雪は降りくる」で2012年に第5回中城ふみ子賞を受賞している。連作と同じ題名の歌集『同じ白さで雪は降りくる』は、2014年9月に書肆侃侃房から新鋭短歌シリーズの一冊として刊行された第一歌集であり、中部短歌会叢書の一冊という位置づけでもある。跋文は中部短歌会主宰の大塚寅彦。
 他の新鋭短歌シリーズと同じ装幀と版組で出版されているが、中畑は他の若手歌人たちよりやや年齢が上で、また中城ふみ子賞受賞という受賞歴もあり、シリーズ内では別格の感がある。私は歌集を受領したとき、必ず中をパラバラと見て、何首かに目を通すことにしているが、このようなパラパラ読みでも中畑は別格という印象を強く持った。口語短歌全盛の中にあって、文語定型を守っていることもその理由のひとつだろう。
 一読して非常に爽やかな読後感を得たのは、作品の基調が光と明るさにあり、暗く鬱屈した歌がないためだと思われる。バブル経済が崩壊してすでに四半世紀以上経過しているが、90年代に青春期を迎えた人たちは「失われた世代」と呼ばれている。青春を謳歌すべき年齢に達したとき、すでに日本はデフレ基調の不景気に見舞われていたからである。中畑と同年生まれの嵯峨直樹は「髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた」と詠んだ。この世代の人たちは自己不全感満載の歌を詠むことがよくあるが、中畑がその弊を免れているのは驚くほどである。
レタスからレタス生まれているような心地で剥がす朝のレタスを
差し込める光くぐりて子は朝のいちばん澄んだところに座る
伸びあがる水を捕らえて飲み干せる少年たちに微熱の五月
夏やせの背中を上がりゆくファスナー 月色の服がわれを閉じ込む
淡青のひかりを水にくぐらせて小さき花瓶を洗う七月
 一首目の眼目は「レタス」の反復にある。剥いても剥いてもどこまでもレタスというあの感覚を、同語反復によって歌に移し替えている。「レタスの歌」特集を企画したらまっさきに引きたいような歌である。二首目に詠まれた子は少年である。この歌の手柄が「朝のいちばん澄んだところ」という表現にあるのは言うまでもない。朝は世界が作り直される時間だからもともと清澄なのだが、そのなかでもいちばん澄んだ場所があると感じる繊細な感覚が貴重だ。主題はもちろん少年の無垢である。一首目にも二首目にも暗い影はなく、明るい光が満ちた世界である。三首目の「伸びあがる水」とは、公園などに設置されている水飲み場で、蛇口が上を向いているものだろう。四首目は女性にしか作れない微量のナルシシズムを含有する歌で、「月色の服」とは薄いクリーム色の服だろうか。五首目にも光が溢れている。この歌では「淡青の花瓶」をその色と実体とに分解して詠んでいるところにポエジーがある。このように中畑の歌には至る所に光と明るさが満ちており、基調となる色を選ぶとすれば上の五首目にもある淡青(ライトブルー)だろうか。
 とはいえ中畑の歌に悲しみがないわけではない。この世は涙の谷であり、生きている以上、悲しみを負うことを何人も避けることができない。
幸せと言わねばならぬ虚しさに心はゆっくり折りたたまれる
君が呼ぶ旧きわが名はほうたるが向こうの岸に運びてゆきぬ
たまさかとさだめのあわい君おりて許し色なり冬のゆうぐれ
吾に九九を教えし父の唇にとぎれとぎれの九九がこぼるる
みどり子のわれを洗いし百合さんの手のひら今はひかりを抱く
 一首目と二首目は結婚生活に対する不満の歌である。集中でははっきりと詠まれてはいないのだが、三首目の歌やその直前の「合わさりて二つが一つになることも欠けて一つになることもあり」という歌を見ると、離婚を経験したのではないかと推察される。四首目は父親が脳梗塞で入院した折りの歌で、五首目は作者が慕っていた叔母が逝去したときの歌である。しかしこのような瞬間においても、作者は悲嘆に溺れることがなく、また前を向いて歩くのである。
 中畑のこの陽性の感覚は、わが子である少年を詠むときさらに輝くようだ。
湯上がりの少年 初夏の帆の音をさせて大判バスタオル使う
眼の中に巣を持つ少年はたはたと羽音のごとき泪こぼせり
あしたまた遊べばいいと片付けた玩具は今日と同じで違う
その影の濃くて短き七月にゆんと伸びたる少年の丈
流さるるそうめんほどに儚くて子はこの永き夏を疲るる
 わが子を詠むときも作者は母親としての愛情に溺れずに、冷静に観察している。その点において凡百のわが子可愛い歌とは一線を画しているのである。
海色を包みて揺れる寒天の奥には別の夏景色あり
星ひとつ消ゆる朝にも牛乳はいつもの時間いつもの場所に
橋はただ橋を続ける 夕ぐれの深度を計る物差しとして
紅鱒のまなこに地上の秋映えてすぐに閉じたる紅鱒の秋
まだ青きトマトの皮をむくような衣替えする初夏の雨ふり
向日葵のつづく坂道あの夏は昭和の消しゴムでしか消せない
しんしんとゆめがうつつを越ゆるころしずかな叫びとして銀河あり
 付箋の付いた歌を拾ってみた。これらに中畑の修辞の特徴がよく出ているように思う。 一首目、「海を包みて」ではなく「海色を包みて」とした瞬間にもうこの歌は成立している。ここにも色彩と実体の乖離があるが、これは古くから用いられて来た修辞技法のひとつである。「夏景色」という言葉もよい。稲垣潤一に「大人の夏景色」という名曲があるが、どこかノスタルジーを感じさせる言葉である。
 二首目の眼目は、毎朝の牛乳配達という日常の時間と、星が白色矮星と化して一生を終えるという天文学的な時間の対比にある。下句の「いつもの時間いつもの場所に」はもちろん日常の肯定である。
 三首目はなかなかおもしろい歌である。橋が橋であり続けるのは当たり前のことであり、橋がある日突然怪獣になったりはしない。しかし作者はこの「自己同一性の永続原理」にふと感じるものがあったのだろう。また橋は日暮れてゆくにしたがって、その輪郭を失い暗闇の中に溶解するため、それが夕暮れを計る物差しとなると言っているのだが、橋の喩としてはとてもユニークである。
 四首目はなかなか技巧的な造りの歌である。秋に産卵のために川を遡上して死を迎えるベニマスを詠んだ歌で、「すぐに閉じたる」はベニマスの死を暗示している。生命のはかなさが主題だが、結句の「紅鱒の秋」にかかる連体修飾句の中にもうひとつ「紅鱒」が含まれているため、メビウスの帯のように同じ所にまた立ち戻ってくるような循環的な印象を与える。
 五首目はひとえに喩の新鮮さにかかっている歌で、まだ梅雨寒の残る初夏に衣替えする様を「まだ青きトマトの皮をむくような」という巧みな喩で示している。
 六首目、「向日葵のつづく坂道」は追憶の中に残る子供時代の風景で、そのリアルさは昭和の消しゴムでしか消せない、つまり、もう一度あの夏にタイムスリップして、あの時代を生き直さないかぎり消すことができないという意味だろう。
 七首目は意味の取りにくい歌だが、「しんしんと」はふつう雪の降る様を表す擬音だから雪の夜。「ゆめがうつつを越ゆるころ」は寝入って夢の世界にいる時だろう。眠って銀河の夢を見ているのか。「しずかな叫びとして」も暗示的で意味が定かではないが、比較的意味の明確な歌が多いなかで、不思議に印象に残る歌である。
 巻末近くに中畑は「わが歌は今どの町をゆくらむか鳥の切手を付けて発ちしが」という歌を配している。歌人としての覚悟の表明であろう。今後ますますの活躍が期待できる歌人である。

第161回 田中濯『氷』

光年を超える単位を我ら持たず秋のナナカマド濡れていて
                     田中濯『氷』 
 第一歌集『地球光』(2010年)で第17回日本歌人クラブ新人賞を受賞した田中濯の第二歌集が出た。題名は何と『氷』で、盛岡暮らしを終えた作者が一番印象に残っているものだという。それにしてもシンプルなタイトルだ。このシンプルさに作者の現在の心のあり様が現れていると感じるのは深読みのしすぎか。
 『地球光』の評にも書いたことだが、田中は初期歌篇においては独特なシンタックスを用いた歌を作っており、その後「歌の別れ」を経て再開した歌では極めて平明な歌風に変化している。その傾向は本歌集にも顕著に見られ、全体を一読した印象は「体温の低さ」もしくは「熱量の少なさ」である。
夏去りて戻りし雪はさらさらと放置されたる自転車に降る
レシートを返す箱にはレシートがあふれおり白き花束のごと
ガムテープひときれ壁に残る夜を印刷室に淡き光源
週末のあるひとときは里者のただなかにいて憩うことあり
 田中の基本は近代短歌のリアリズムで、抒情は最低限に抑えられている。一首目、夏が去ってすぐ雪が来るというのは東北の自然なのだろう。情景を淡々と描いていて主情は希薄である。二首目はコンビニの風景か。レジに不要のレシートを入れる箱が置いてある。「白き花束のごと」という見立てに詩情はあるがこれまた極めて淡い。三首目はリアリズム短歌の王道である細部への着目が生かされた歌だが、これまた温度は低い。四首目は週末になって町に出て、喫茶店にでも入っている場面だろう。いずれも極めて淡々と事実を描くことに徹していて、「景」と「情」の組み合わせであるはずの短歌で「情」の含有率が低いのである。
 田中は理系の研究者であり、癌細胞が研究テーマのようだから、細胞生物学者ということになるのだろう。研究生活に題を得た歌も少なからずある。
細胞はディープ・フリーザより取り出され再分裂す 新年はじめ
科研費ののこりを精算するために購いし刷毛たおやかなりき
先のない我が研究に関わりなく宇多田ヒカルが歌辞めるらし
一本のバナナで耐えし三時間シャーレの底に細胞沈む
一年が任期削ってゆくときに深く狂いたる研究者たち
研究が五年残らぬ時代なり緑茶を淹れる間にも古びて
 田中はなかなか厳しい研究生活を送っているようだ。理科系では任期付きのポストが増えていて、三年とか五年しか同じポストに留まれない。更新なしの場合は、任期が切れたら次の場所に移らなくてはならない。なかには「深く狂う」人も出てくるだろう。短期間で成果を出すために、研究不正行為も後を絶たない。二首目は思わず笑ってしまったが、科学研究費は単年度予算なので、支給された研究費はその年度内に使い切ってしまわなければならない。そのために年度末になると特に必要でもない物品を購入して、帳尻を合わせるのである。
 田中が盛岡にいる間に東日本大震災が発生した。本書は二部構成になっていて、第一部は震災前の歌、第二部は震災後の歌が収録されている。しかし盛岡は直接の被害が少なかったせいか、震災をストレートに読んだ歌はない。
布団だけ敷きっぱなしにして店にゆけば百人すぐ列をなす
「釜石にいくためにガソリンが欲しい」リツイートできず涙流しぬ
どうやって仕入れたのだろう今週の「ジャンプ」が積まれ今日は月曜
原発の神があらぶるしずけさは眼にはみえないひかりのゆえに
汐とみなみかぜ浴びついにけがれたる尊き松を灰に還せ
 これらの歌には現場的緊迫感と動転する心の動きが表れている。そんななかでも本屋に積まれた「少年ジャンプ」に着目するところはやはり歌人である。五首目は、津波で倒れた松を京都の五山の送り火の薪にしようと計画したところ、放射能を怖れる住民からの反対で実現しなかったという出来事に憤る歌で、珍しく激情が迸る歌となっている。震災と原発事故関連の歌では、次のように出来事から少し時間をおいて、黙示録的想像力をめぐらせた歌にすぐれたものがある。
ひとならぬ忌み神占める土地ひろがり雲雀の声はふかくなりたり
あおぎみる天は燃えおり可視外の炎ともなう放射性降下物フォールアウト
濡れ髪に染むセシウムもくくられて月光に照る馬の尻尾ポニーテイル
融け落ちし炉心秘仏のごとくしてそらはかぶさる伽藍のように
 集中で異彩を放つのは、病を得て入院した折りの歌と、東電OL殺人事件の歌である。
病棟は左手ゆんで使えぬ人多し右手めてが利き手が大半なれば
よろぼいて詰所に薬うけとりに行くわれらいま月面にいる
カミソリは禁止もちろん紐状のものも厳禁自死防ぐため
一度きりくるしみて死ぬ初春の円山町のくらやみのした
切り込みの深き渋谷の谿に降る雨はあなたの鬢を濡らして
 東電OL殺人事件の歌は、東電福島第一原発が事故を起こしたことにより思い出されたものかと思う。ここへ来てあらためて感じるのは、本歌集を貫いているのが「死への思い」ではないかということである。田中は巻頭に「死は通りぬけるのがひじょうにむずかしい門です、傲慢なものが通れるようにはできておりません」というベルナノスの『田舎司祭の日記』の一節をエピグラフとして掲げているのである。
 最後に心に残った歌を挙げておこう。
ドーナツに糖のかがやき 並びたるひとに秘かな汗にじみけん
ハゼノキの蝋燭、蝋はそらに融けかすかに薫るこのゆうぐれに
マウスから血を絞るときわたくしのたなごころよりたちのぼる湯気
骨流れつく秋の入り江にたたずみしゾウの群れには古代の夕陽
セシウムのはつか含まれたる雨に打たれてすごすこの新世紀

第160回 『かばん』新人特集号

引き上げしスワンボートの首はづし杭に懸けおく冬のみづうみ
                嶋田恵一「スワンボート」
 「かばん」の新人特集号が出た。vol.6となっていて、前のvo. 5は2011年に出ているので、4年ごとの企画と思われる。前号まではB5版だったが、今号からはひと回り小さいA5版に変わっている。活字の様子も変化していて、vol. 5ではいかにもワープロで打ったものを複写したような誌面で、昔の名残か黒々としたゴチック体が目立っていたが、vol.6では標準的な活字と組版になっていて読みやすい。昔、「かばん」のゴチック体は目にきついので何とかならないかと苦言を呈したことがあった。しかし、こうして標準的な活字・組版になってみると、いかにも同人誌的でアナーキーな外観が薄れたことに一抹の淋しさを感じるのだから、人間とは勝手なものである。
 vol. 5の新人のなかには、2009年に角川短歌賞を受賞した山田航や、2013年に同じく角川短歌賞を受賞することになる伊波真人がおり、vol. 6には2015年に同賞を獲得した谷川電話がいる。どうやら「かばん」は角川短歌賞と相性がよいらしい。「かばん」の新人特集号は外部から招いた評者の豪華さでも際立っており、今回も加藤治郎・松村正直・笹公人・米川千嘉子・奥村晃作・堂園昌彦・光森裕樹などが名を連ねている。外部評は仲間褒めにならないので、苦言を述べたり添削する人までいて、それもおもしろい。ざっと読んで注目した人、感心した人が何人かいたので、少し書いてみたい。
 いちばん驚いたのは冒頭に挙げた嶋田恵一しまだ けいいちである。プロフィールによれば、短歌を作り始めて10年になるという。外部評の米川千嘉子が新聞歌壇でときどき目にしていた名前だと書いているが、私は知らなかった。驚いたのは嶋田の作る短歌が「かばん」調でなく、写実を基調とする文語定型であることだ。
ピアニスト退場ののち残りたるピアノと椅子とマズルカの影
父乗せし霊柩車ゆく飾られて祭りの準備すみたる街を
母と妻惑星ふたつの重力にしづかに歪むゆふぐれの虹
広がりし野火踏み消せば靴底のゴムの焦げたる匂ひのぼり来
恐竜の鳥となりし夜羽毛ある雛にまばゆき天空の川
あかねさす蟹のはさみのあひだほど海かがやけよぼくの発つ朝
 掲出歌「引き上げしスワンボートの首はづし杭に懸けおく冬のみづうみ」はおそらく実景と思われる写実である。シーズンオフの冬になり、行楽地の湖のスワンボートの首の部分だけが取り外されて、湖畔の木の杭に懸けれらているという光景で、叙景に徹していて心情は述べられていないものの、詩情が漂う歌になっている。上の一首目は、コンサート終了後の心地よい余韻を「マズルカの影」で表現したもの。二首目は、祭りの飾り付けが施された街と父親を乗せた霊柩車の対比がポイント。三首目は妻帯者にとっては膝ポン短歌で、母親と妻は楕円のふたつの焦点のように、子であり夫である自分を間に挟んで重力波を送りあうのだ。それを虹が歪むほどだと表現したところがコワい。四首目はアララギにでもありそうな叙景歌で、ここにも心情は述べられていないが、確かな感覚で捉えられた世界が立ち上がる。五首目は写実ではなく空想の歌で、最近になって羽毛のある恐竜の卵が発見されたいうニュースに触発されたものかもしれない。鳥になったものの、まだヒナなので空を飛ぶことはできないが、成長すれば空の住人となるのであり、夜空に輝く銀漢がまるで祝福しているかのようである。六首目は連作の最後の歌で、枕詞の「あかねさす」は「蟹」にはかからないが、蟹の赤さを表現したものだろう(余談だが、カニは茹でないと赤くならない)。「あかねさす蟹のはさみのあひだほど」までが「(ほんの少しの)あいだ」を導く序詞的に働いている。結句の「海かがやけよぼくの発つ朝」は、今どき珍しく明るい決意表明で、さわやかに連作を締めくくっている。
 米川も嶋田が「かばん」新人特集のメンバーと知って驚いたと書いているが、風景のなかからポイントとなる点を取りだして、それを核として歌を組み立てる手腕は実に達者な手さばきである。意味不明な歌がないものよい。
 次は川合大祐かわい だいすけの「グッド / バッド モーニング / ナイト」。
手のなかに握りしめたい虹がある三日月の下噴水浴びて
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
海を見るための地図買うローソンで真黒い窓の自分は見ない
TV点けそこに映らぬ人生を噛みしめるようブロッコリー噛む
何もかも見えすぎる朝水盤に手指浸ければもう見失う
 嶋田とは真逆の作風と言ってよい。川合の関心事は「自分」すなわち〈私〉である。それは上の二首目、三首目、五首目に表れている。眠りに就くと無意識が頭をもたげる。それはもう一人の自分である。川合はそれを本当の無へ返したいと願っている。夜のコンビニの窓に映った自分の姿は見ないようにする。鏡像もまたもう一人の自分である。朝起きると、知覚・思考が研ぎ澄まされて見えすぎるという感覚に襲われるが、洗面するだけでその感覚は去る。川合は「短歌は短くて長い叫びである」と書いているが、そこに川合が短歌に向き合う真摯な思いがこもっているのだろう。連作題名の「グッド / バッド モーニング / ナイト」も、二値的な極を行き来する自分の喩と思う。
 次は桐谷麻ゆききりたに まゆきの「日と火と灯」。
天窓が割れるくらいのあかるさでそれでも迫りくる寒気団
寄宿生のように駅舎を行くひとはみんな揃いのつむじをつけて
夕映えのサラダボウルに異国語の名しか持たない野菜は群れて
平原の面影のこしその麦の宿命どおりに焼けあがるパン
パレードに踏みしだかれてゆったりと腐るつばさのかたちのレタス
パパ、あのひとはパパとよばれて雨粒は半濁音をひらかせて咲く
 内部評を山田航が書いているが、桐谷は山田と同郷で北海道出身らしい。山田によれば北海道の冬は明るいのが特徴で、それが桐谷の短歌によく出ているという。また札幌という街の「空白性」も反映していて、桐谷の歌には「中身のないからっぽのあかるさ」が感じられるとしている。
 言葉の選択と素材の配置に清新な詩情が漂う。たとえば三首目、「夕映えのサラダボウル」と情景を設定し、そこに「異国語の名しか持たない野菜」を配するのはなかなかである。具体的な野菜名を挙げずに表現しているところがよい。そういえば最近は八百屋にルッコラとかチコリとかロマネスコなどという野菜が並んでいて、「あなたはいったいどこの誰?」と思うことがある。「異国語の名しか持たない野菜」という表現に淋しさが滲む。四首目もおもしろい。麦はパンになって焼かれる宿命を宿していたという発想である。ただし「焼けあがる」は「焼きあがる」だろう。外部評を書いた堂園昌彦がこの歌を取り上げて、渡部泰明の『和歌とは何か』とからめて論じた文章がおもしろい。堂園がこんな本を読んでいるのが意外だった。五首目では「ゆったりと」が気になる。怖かったのが六首目で、これは妻子ある男との不倫の歌だろう。男の家族との団欒を物陰からこっそり見ている。舞台は雨の遊園地かショッピングモールの屋上がよかろう。初句の七・七・五が二音で切れるところに切迫性があり、結句の「半濁音をひらかせて咲く」という喩も美しい。美しいがコワい歌である。
 次は睦月都むつき みやこの「雲雀のワイン」。
八月の君の午睡が醒めぬよう街につめたく満ちるはちみつ
さざなみに揺れる琥珀の古代湖へ静かに垂らしてゆく栞紐
レプリカと呼ばれるときも微笑めば私を欠けさせてゆく様式美
帽子屋の娘の花ふる婚姻へ送るちいさなちいさな迷路
日々のことを素数をかぞえるようにしてたとえば豆腐を切り分けている
 独自の不思議な世界を展開している人である。三首目の「娘」に「レプリカ」とルビを振っているあたりに告白的な私性を感じるが、全体としてひとつの物語に収斂するわけではない。しかしながら詩情溢れる世界観で、どこか小林久美子の世界にも通じるところがあり、魅力的な歌人だ。
 巻末で総合評を書いた井辻朱美が、ある同人の歌を取り上げて、「この意識のあり方はツイッターのようだ」と書いているのが目に留まった。近代短歌のセオリーは「対象化」にある。日々の歌でも空想の歌でもよいが、ある情景なり出来事なりをいったん自分から切り離して対象化し、たとえ描く情景に自分自身が含まれていたとしても、それをもう一人の自分が視ているように描く。斉藤斎藤の言い方を借りれば「私性とはななめうしろから撮ること」ということになる(『短歌ヴァーサス』vo. 11所収「生きるは人生とは違う」)。対象化には必然的に一旦停止がある。しかしTwitterは「○○なう」が示すように、一旦停止のないなまの生きている時間をだらだらと垂れ流すものだ。近代短歌では詠まれた出来事時 (t1)とそれを詠んだ作歌時 (t2)の間に対象化に必要な時間が経過している(t1<t2)。しかしTwitterではその時間差がないのである(t1=t2)。今度の新人特集号を読んでいると、確かにTwitter的な、一旦停止のない歌、つまりは対象化のない歌が多いと感じる。それが現代の若い歌人の作る歌の潮流となっているかどうかは私にはわからない。それが主流となって新しい現代短歌の定型を作るかはもっとわからない。が、とまれ、近代短歌を愛する私にはあまり好ましいことではない気もするのである。

【補記】
 本日(2015年3月16日)の朝日新聞朝刊大阪版に掲載された短歌時評を読んで、穂村弘もついに「共感」から「ワンダー」に舵を切ったかと思うと、感慨ひとしおである。

第159回 藤田喜久子『青い仮象』

夏木立新緑の樹のたまきはるいのち濡れをり村雨の後
               藤田喜久子『青い仮象』


 作者の藤田は青森在住の「玲瓏」会員で、『青い仮象』は第一歌集である。「仮象」は哲学用語で、ドイツ語のScheinに当たり、客観的な実在を持たない主観的表象をさす。歌集題名に選んでいるところから、作者の歌世界を読み解くキーワードだと思われる。
 巻末に「玲瓏」の重鎮・島内景二が「『いのちの海』へ注げ」という長い解題を寄せている。島内は、世界の新羅万象を「仮象」と見ることで、世界を存立せしめている根拠としての「実在」を、自分自身の「生と死」として結晶させようとする試みが、『青い仮象』の本質だと論じている。
 まずいくつか歌を見てみよう。

過去すぎゆきをぬばたまの夜に塗りこめてほのかにしらむ東雲しののめの空
思ひそむたかむらの苔は深けれど翳をたたへて秋のおとづれ
楽譜なくほろびる茎にこぞのごと北より流る秋の口笛
窓あかり薔薇のつぼみは咲きいそぎ人なき部屋に時間ときなりわたる
いそのかみ古き藤蔓乾びてはむらさきの翳何かかなしき

 歌の基本形は旧仮名・文語体で、ここではそのような典型的な歌を選んだ。「ぬばたま」「しののめ」「こぞ」など、古典和歌の用語を多用しており、石上神宮が奈良県天理市布留にあることから「いそのかみ」が「ふる」に掛かるという伝統的な枕詞も使っている。「玲瓏」の創始者・塚本邦雄がモダニズムから一転して古典和歌の世界に詩魂を遊ばせたことを思えば、本歌集も塚本が開いた歌の世界の延長上にあると言えるだろう。
 島内も指摘していることだが、本歌集に頻出する語は「翳、影」である。ランダムに選んだ上の五首のうち二首にそれが見える。なぜ「翳、影」なのか。それは歌集題名にもなっている「仮象」に由来すると思われる。本来、「仮象」とは、鏡像や虹のように、見えはするが実在世界に対応物を持たない表象をさすが、それを拡張してすべての物は〈私〉の主観の中に結像する表象にすぎないと考えれば、万物は仮象と化す。藤田の歌に詠まれた事物に実在感が薄いのはおそらくそのためであり、例えば上に引いた歌にある「竹叢」や「薔薇」は、作者が実際に眼差しを注いでいる実体というよりは、根拠なく中空に浮遊する物、あるいは作者が幻視した虚像であるかのようだ。上に引いた五首目ではそれがはっきりしており、藤の蔓は干からびているのだから花は咲いていないはずで、「むらさきの翳」は藤の花の虚像である。このように本歌集で詠われている事物はすべて影を帯びているのであり、ややもすれば実体よりも影の方が前景を占めるのである。
 このことは次のような歌においては一層明白である。

咲きみつるまぼろしの花さくら樹に枯れ枯れてゆく秋の深まり
底しれぬ孤独の仮象ひかりさす青磁の壺に牡丹一枝

 一首目は秋に葉が枯れてゆく桜の木に満開の花を幻視している。二首目について解題を書いた島内は、「牡丹一枝」は実際には存在せず空の青磁の壺だけがあるという読みを提示している。もしそうだとすれば牡丹は非在の仮象ということになるだろう。
 このように本歌集は古典和歌に多くを学びつつ、万物を仮象と観じることによって自らの生の実相を詠んだものと見ることができる。
 しかし読んでいて気になる点もないわけではない。

まぼろしの砧のおとに夢をみて涙にぬるる袖の月影
夜ふかく秋はかなしき久方の月に妻恋ふさをしかの聲
ながむれば中空さむく夢かよふ風に追はれる雪のひとひら
風わたる思ひのうちの悲しけれさむしろに待つ秋の夜の月

 このような歌ではあまりに古典和歌の型を使いすぎていて「嵌め込み感」が強い。今どき冬の夜なべに衣服を打つきぬたの音が聞こえるとは思えないし、「さむしろ」も現代では見るのが難しいだろう。これらはすべて古典和歌で使い込まれた語であり、その型を用いて言葉を嵌め込んでいる感じがしてしまう。そうするとよく出来た古典和歌のパスティーシュのようになり、作り物感が強く感じられるのである。
 もうひとつ気になるのは文語と口語の混淆体である。現代の歌人の多くは文語と口語の混じった文体を用いているので、口語混じり文語、あるいは文語混じり口語は珍しいものではない。むしろ一般的と言うべきだろう。しかしながらその場合にも、文語と口語の違和感のない融和が文体にも求められる。島内は、現代の話し言葉(口語)を殺し、古典の書き言葉(文語)をも殺すことで、新しい言葉の秩序が生まれていると評価しているが、私にはそうは思えない。藤田に限らないことだが、文語と口語の混淆のなかでも気になるのは助詞の「が」の使用である。

空たかく高層建築ビルがたちならぶ都会の秋の葉の美しさ
大いなる欅の列に極まれる秋のおとづれ雨が降りしく

 古典和歌の文語では「が」を主語として用いている例はない。「が」もともと属格であり、主語としての使用は近世のものである。だからこのように主語の「が」が用いられていると、「あかねさす」とか「あづさゆみ」が並ぶ世界から一気に近代にワープする。上に引いた歌などは完全な口語短歌にしか見えないのである。

ぬばたまの夜寒にならぶ街路樹に月かげさして蒼く夢燃ゆ
雪の精無の世界からまよひこみ水辺の鳥にふたたび出会ふ

 藤田の歌世界はこのあたりに最もよく表れているのだろう。ほとんどすべての要素がそろっている。雪が無の世界から降って来るという観想は美しく、水鳥に「ふたたび」出会うとところに、深い思想を読むべきなのだろう。

第158回 梶原さい子『リアス / 椿』

ああみんな来てゐる 夜の浜辺にて火を跳べば影ひるがへりたり
                  梶原さい子『リアス / 椿』
 作者の梶原は塔短歌会所属の歌人で、宮城県で高校の教員をしている。昨年 (2014年)の5月に上梓された『リアス / 椿』は第三歌集。作者は勤務先の高校にいたときに、東日本大震災に遭う。実家は気仙沼市唐桑にあり、一帯は大きな震災被害を受けた。本歌集には震災前に作られた歌と後にできた歌が、第一章「以前」と第二章「以後」の二章に別れて収録されており、あの震災と津波によって作者の人生が「以前」と「以後」にきっぱりと二分されたことを強く窺わせる。
 本歌集の圧巻は地震と津波到来時の様子を詠んだ「その時」と題された一連だろう。
来る。来る、来る、重き地鳴りにこみ上ぐる予感なりただ圧倒的な
倒れうるものはたふれて砕けうるものはくだけて長き揺れののち
校庭に地割れは伸びて雪の飛ぶ日暮れを誰も立ち尽くしをり
津波、来てゐる。確かに、津波。どこまでを来た。誰までを、来たのか。
 作者は塔の歌風である写実に立脚した端正な文語定型歌を作る歌人なのだが、「その時」の一連の歌のなかには大きく定型を外れたものがあり、それがかえって「その時」の緊迫感を強い臨場感とともに伝えている。一首目と四首目にそれが強く出ており、特に四首目の結句の「誰までを、来たのか」には、実際に津波被害に遭った人でなくては書くことのできない生々しいリアル感がある。
甥つ子を二階の窓より投げて受けて山を上へと駆けのぼりたり
地獄だと言ひてそののちおとうとの携帯電話は繋がらざりき
お母さんお母さんと泣きながら車で行けるところまでを行く
安置所に横たはりたるからだからだ ガス屋の小父さんもゐたりけり
配給のエビカツやつて来たりけり白身の中に赤身の混じる
 思わず息を呑む歌だが、重大な体験を詠むなかにも、作者が確かな短歌的技術を凝らしていることにも注意すべきだろう。たとえば一首目の「投げて受けて」の動詞のテ形の連続や「山を上へと」という表現によって、津波が迫っていて時間がないという緊迫感がよく出ている。また五首目の「白身の中に赤身の混じる」のリアル感覚は、日頃からモノに即した観察による写実を旨とする作者ならではだろう。
 この歌集を全体的に俯瞰すると、いろいろ問題を抱えながらもそれなりの日常を送っていた作者が、「その時」によって非日常の奈落に突き落とされ、時間とともに少しずつもとの日常を取り戻してゆく展開になっている。そのプロセスで重要なのは慰撫と鎮魂であり、そのいずれにも短歌が大きな役割を果たしていることには意味がある。人は思いを吐き出すことによって慰撫され、鎮魂の祈りを捧げることで悲しみを昇華するからである。これこそが文学の魂に他ならない。
ありがたいことだと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしことを
入学式ができるしあはせ言ひながら式辞・祝辞・代表のあいさつ
流れ着くすべてのものがあの波の記憶のままに目開きてをり
受け取ることの上手ではなき人々があらゆるものをいただく苦しみ
 一首目、せめて遺体が上がるのがありがたいことだと言う人の悲しみに胸を突かれる。二首目のように、4月を迎えて入学式はなんとか行うことはできたが、いまだ日常は遠いかなたにある。四首目は読んではっとする歌だ。震災の後、全国から救援の手が差し伸べられたが、人からもらう苦しみを詠えるのは当事者だけにちがいない。
 この歌集を通読して最も心を打たれるのは、鎮魂の果てに悲しみが昇華され、それが神話的な空間に結晶したかに見える歌である。
潮を汲む 透きとほりたる腕を足をひらきしままのくちびるを汲む
従叔父をぢはこなた従叔母をばはかなたの湾の底 引き上げられて巡り逢ひたり
夜の浜を漂ふひとらかやかやと死にたることを知らざるままに
水底に根を降ろしたる死者たちのほのかに靡くひとところあり
 一首目は震災から半年ほど経た秋の神社の祭りの様子である。お神輿を船に載せて潮を汲む儀式を詠っている。津波に流されて戻って来ない人々が、「透きとほりたる腕を足をひらきしままのくちびる」と形象化されているのが美しく悲しい。二首目はもうほとんど神話の世界で、上句の対句構造が歌の神話性を高めている。最初に上げた掲出歌もこの部類に入り、上の三首目と似ていて、死者たちが亡霊となってこの世を彷徨っている姿である。岡野弘彦の「またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく」という歌を彷彿とさせる。四首目は実は震災前の歌で、三陸海岸は過去に幾度も津波被害を受けており、その犠牲者に思いを馳せた歌なのだが、たくまずして過去の死者を詠って現在の死者に捧げる歌となっている。
 このように本歌集は、亀裂と修復、つまりは魂の死と再生の書であり、これこそが古今東西の文学が追究してきた永遠のテーマである。文学に効用ありとせば、この一点を措いて他にはない。この歌集を読むと、歌が魂の死からの再生にいかに力を持つかを実感することができる。それを前にしては、新しい表現の追求など何ほどのこともない。
 このように感じるのは最近胸ふたぐことが多いからかもしれない。私は昨年秋から大学で役職に就いたため、文部科学省や中央教育審議会など、要するに「お上」と「省庁」の情報にじかに触れることになった。阿倍政権下で大学は「日本経済再生の資源」と位置づけられて、「国立大学ではもう文科系の学部はいらない」などと公然と語られているのである。大学は経済界に使いやすい人材を供給すればよいということなのだ。「大学は学問の府であり、経団連のご用聞きではない」とじかに言ってやれないのが口惜しい。そんなときに本歌集を繙くと、荒野に泉を見つけたごとくに、あらためて文学の持つ大きな力に勇気づけられる思いがするのである。

第157回 父は生きていた

傘を盗まれても性善説信ず父親のような雨に打たれて
           石井僚一「父親のような雨に打たれて」
 第57回短歌研究新人賞を受賞した石井僚一の父親が生きていたことが話題になり、しばらくぶりの短歌論争の感を呈しているので、今回はこの話題を取り上げてみたい。事の起こりと時系列に沿う展開は次のとおりである。
 平成26年7月6日、選考委員の加藤治郎、米川千嘉子、栗木京子、穂村弘による選考会が行われ、石井僚一の「父親のような雨に打たれて」が新人賞に選ばれた。
 受賞は編集長からただちに本人に電話で連絡している。短歌研究編集部は翌日の7日にTwitterでこの結果をつぶやいており、マスコミ各社にも同時に連絡が行ったであろう。これを受けて地元の北海道新聞が7月10日付けの朝刊で本人のインタビューを掲載した。その中で石井は父親が生きていることを記者に明かし、「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」と語る。ただし、北海道新聞は地方紙であるため、この情報はこの時点ではわずかな人が知るのみである。
 8月21日に『短歌研究』9月号が発行され、石井の受賞作と選考座談会が掲載された。一般読者の私たちはこのとき初めて石井の短歌を目にした。同時に石井の受賞のことばも掲載されているが、石井は亡くなったのが実は祖父であることには一切触れていない。まだ虚構は保持されているのである。
 9月20日発行の『短歌研究』10月号に、選考委員の一人である加藤治郎の「虚構の議論へ 第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて」という見開き2頁の文章が緊急掲載された。加藤の文章のポイントは次の四つである。
 (1) 祖父の死を父親の死に置き換えた虚構の動機が不明である。
 (2) 肉親の死をそのように扱うのは余りに軽い。
 (3) 虚構という方法で新しい〈私〉を見出さなければ空虚だ。
 (4) 北海道新聞を読んだ人は亡くなったのが祖父であることを知っているが、『短歌研究』誌上で受賞作を読んだ人はそのことを知らない。これはフェアではない。
 加藤はこの文章を8月31日に書いている。つまり受賞作が掲載された『短歌研究』9月号発行の9日後である。加藤は受賞を本人に知らせた編集長の電話で亡くなったのが祖父であることを知り、北海道新聞を取り寄せてインタビュー記事を読んでからこの文章を書いている。『短歌研究』の記事はふつう二ヶ月前に編集部に渡さなくてはならないことを考え合わせると、加藤は短時間で急いでこの文書を書いたはずである。
 10月21日発行の『短歌研究』11月号に石井僚一の「『虚構の議論へ』に応えて」という文章が掲載された。編集部から加藤の文章への反論を書くように求められてのことである。10月1日に書かれている。
 石井の文章は混乱しているが、おおむね次のようなことを述べている。
 (1) 「父の死が事実でないことは、読者の作品の享受に影響を及ぼすと想定できる」と加藤が書いているのは、事実その通りである。父親が生きているとすれば、受賞作はそれほどおもしろくはない。
 (2) 前衛短歌と虚構をめぐる議論は、短歌の方法論に詳しくない自分にはよくわからない。
 (3) 「祖父の死を父の死に置き換える有効性があるのか」という加藤の問には、はっきりあると回答する。ただし、読者への配慮が欠けていたかもしれない。
 (4) Twitter上で不快感を示した読者には、強い〈私〉が感じられる。自分は言葉という虚構を積極的に利用する立場に立つので、もうそんな強い〈私〉を得ることはないだろう。
 同じ『短歌研究』11月号の短歌時評で江田浩司が加藤の文章に触れ、「作中人物の死が虚構であるかどうかは、現実のレベルの問題であって、テクストの価値のレベルではない。テクストの評価は、あくまでも表現のリアリティに基づいてなされるべきものでなくてはならない」と述べて、石井を擁護する立場を取っている。
 これらと前後して次のような短歌誌でこの問題が論じられた。
 『現代短歌』11月号(10月14日発売)の歌壇時評に石川美南が「虚構の議論、なのか」と題した文章を寄せて、9月19日の授賞式には石井の両親と祖母も出席していたことを明かしている。「死んだはずの父」が目撃されたわけである。石川はあくまで想像だがと断った上で、「石井の中には、父子関係に対するオプセッションが存在する。現実に目の当たりにした祖父と父との関係を自分のものとして描くことで、何十年後かに繰り返されるかもしれない父との別れを生々しく想像し、父子関係を新たな角度から見つめ直そうとしたのではないか」と、加藤が不明とした石井の虚構の動機を推測している。
 次に『角川短歌』11月号(10月25日発売)の歌壇時評で、黒瀬珂瀾が「とてつもなき嘘を詠むべし?」という文章を書いている。黒瀬は主に選考会でなされた作品の読みを俎上に上げ、自分は石井の受賞作の最初に登場する「老人」とその後登場する死んだ父は同一人物ではないという読みをしたことを紹介し、選考委員が全員「老人」=「父」という読みをしたのは、受容者(この場合は選考委員)が理想とする作品の形がバイアスとなって働いたからではないかと推測している。黒瀬の論考は多岐にわたるのでとても要約できないが、「『虚構問題』は短歌界が前近代的だから生じるのではない。短歌という定型詩型がその特質として『虚構問題』を内包していると時評子は考える」と述べているのが印象の残る。
 次に『Es 風葬の谷』28号(11月30日発行)で山田消児が「父は生きていた 新人賞選考会の憂鬱」という長い文章を書いている。山田には『短歌が人を騙すとき』という著書がある。山田は加藤の寄稿した文章に疑問を抱き、石井の受賞作には言葉遣いなどの点で欠点が多々あることを指摘した上で、作者の側から見れば、みずからの短歌観に従って自由に歌を作ればよい(従って石井の虚構に非難すべき点はない)し、読者の側から見れば、作風や短歌観の異なるさまざまな書き手の存在を念頭においた柔軟な読みが必要だ(従って選考委員たちは特定に読みに囚われすぎた)と述べている。
 この虚構問題は『短歌研究』12月号(11月21日発売)のこの一年を振り返る座談会でも話題になっている。その中で選考委員の一人だった栗木京子は、加藤が「虚構の議論へ」に書いたことにほぼ同感で、もし祖父より父の死にしたほうが作品にインパクトが出ると石井が考えたのだとしたら嫌だと述べている。栗木は作為に拒否感を呈しているのだ。もう一人の選考委員の穂村は、加藤の文章は短歌史に詳しくない人にはわからないだろうと断った上で、近代以降の「わたくし」性を軸にした文体は事実性とセットになっていて、前衛短歌が行なった「わたくし」の拡張は文体の革命とセットになっていたと加藤の発言の意図を解説している。
 次に『短歌研究』1月号の短歌時評で江田浩司が虚構問題に部分的に触れて、小説を書き翻訳を業としている人から、「短歌の世界はそんなに遅れているのか」という手紙をもらったことを紹介している。江田は11月号の時評でも述べていた「創作者とテクストの関係を二次的なものとして、基本的には表現(テクスト)のみを重視する立場」を再び強調する。江田の念頭にあるのはフォルマリズムやロラン・バルト(作者の死)など西洋の文学動向である。
 私が実際に読んだだけでもこれだけの文章で石井の虚構問題が取り上げられている。私が見ていない短歌誌や新聞やネットでは、これに倍する量の言説が見つかるだろう。(光森裕樹が運営するtankafulでいくつか読むことができる) 上に手短に紹介したように、否定から共感まで論調はさまざまだが、私はこの問題をめぐってあまり触れられていない点を取り上げてみたい。それは短詩型文学としての短歌が深いところに持つ特質である。この点については、『角川短歌』12月号の黒瀬珂瀾による時評「物語と人間」に引用された歌が役に立つ。
 青年死して七月かがやけり軍靴の中の汝が運動靴
 多くの人と同じように私は岡野弘彦の文章でこの歌を知り、手帖に書き留めて愛唱している。昭和56年、内ゲバによって國學院大學学生の高橋秀直が殺害された後、大学構内の立て看板に大書してあった歌だという。岡野は詠み人知らずと紹介している。そしてこれまた多くの人と同じように、私も鈴木英子の文章でこの歌の作者が当時國學院大學短歌研究会に所属していた安藤正という人だと知った。23年後に明かされた真実である。作者名が明かされたことは、この歌の価値を増しもせず減じることもない。
 この歌が昭和の名歌として人々の記憶に刻まれたのは、初句「青年」四音の生み出す欠落感、七月の陽光の眩しさと青年の死の暗さの対比、軍靴の重々しさと運動靴のあまりの軽さ・未熟さの対比といった作歌上の美点もさることながら、理不尽な暴力によって青年が亡くなるという悲劇を誰かが痛切に悼み、その現場に置かれた歌であるという「状況」と「物語」に支えられているからである。いや「支えられている」という受動的表現は適切ではない。黒瀬も時評で正しく指摘しているように、時の流れとともに人々の記憶から薄れたであろう「状況」を永遠化し、人々が語り継ぐ「物語」を生み出したのはこの歌である。その点にこそこの歌の価値がある。
 短歌はその短さによる制約から、小説のように空想に基づくひとつの世界を構築することができない。勢いテクストとしての自立性は弱くなる。これが、古くは韻文詩を、近代になってからは小説を文学の典型としてきた西洋と異なる点である。だから西洋の文学理論をそのまま持って来て短歌や俳句に適用するのは適切ではない。テクストの自立と言っても、西欧の小説と日本の短歌とは意味作用が異なる。どこから意味を生み出すかという機序が違うのだ。それは次のような事情による。
 短歌は人の死のような大きな事件によって召喚される。そのとき歌人は現実の状況という外部と短歌とを結びつける仲介者となる。心霊術の霊媒 (medium)とはもともと「媒介するもの」という意味で、メディア (media)の類語である(mediaはmediumの複数形)。つまり「この世」と「あの世」を橋渡しする役目に他ならない。歌人も同様に現実の状況と歌が開く文学空間とを媒介する通路となる。
 短歌が現実の状況によって召喚されることは、挽歌の例を見れば明らかである。私は昭和天皇崩御の時、フランスで暮らしていたので、その場に立ちあうことができなかったが、テレビ局に歌人が呼ばれて崩御を悼む挽歌を披露したと聞く。このたびの大震災と津波被害の後で多くの短歌が作られたのも同じ機序による。
 問題は短歌の表現が状況を永遠化し物語として結晶化するまでの強度に達しているかどうかである。もちろん人の死だけが歌を召喚するわけではない。「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」(小野茂樹)によって永遠化されているのは青春であり恋である。私たちはこの歌が立ち上げた物語によって「青春」をイメージする。青春があるから歌が生まれるのではなく、歌が残るために私たちは青春を共同主観的に理解するのである。言葉の意味とは過去の物語から滲み出るイメージの複合体に他ならない。
 こう考えて来ると、石井が祖父の死を父の死に置き換えた虚構はたいした問題には見えなくなる。石井の身にもある状況が訪れたからである。したがって問うべきは、石井の歌にその状況を永遠化し物語を生むだけの表現の強度があったか否かである。選考委員が受賞作に推したということは、選考委員の心に届く程度の強度はあったことになる。しかし、祖父の死を父の死に置き換えた虚構という非難を押さえ込むレベルに達していたかと言うと、残念ながらそうは言えないのである。短歌を始めて一年足らずという青年にそこまで求めるのは酷というものだろう。
 石井が論争の渦中の人となったことにめげることなく、今後も前向きに短歌を作ってもらいたいと願わずにはいられない。石井のしたことが正当な文学的行為であったか否かは、石井が今後どのような短歌を作ってゆくかによって判断されるからである。

第156回 三島麻亜子『水庭』

目覚むればこの世の果てより曳ききたる光はよわく落花にのこる
                     三島麻亜子『水庭』
 これは何度も書いたことだが、短歌との理想的な出会いは、ある日ふらっと立ち寄った書店で偶然手に取った歌集、あるいは、一面識もない著者からある日届いた献本の歌集、それをぱらぱらとめくって歌に出会う、そういうことだと思う。三島麻亜子の『水庭』は後者で、一読して深く印象に残った。
 短いあとがきによると、三島は「短歌人」会に所属して11年になるという。『水庭』は第一歌集である。「みづには」と読み、著者の造語らしい。佐藤弓生、奥田亡羊、斎藤典子が栞文を寄せているが、いずれもどこか書きあぐねているような風情が漂う。三島の歌の資質が奈辺にあるのかを見極めるのに難渋しているようにも見える。
 その鍵はあとがきに見える著者の次の言葉にあると思う。「創作においては、つねに認識の範囲の外に対する沈黙と、形而上の世界を言葉に表現するという相反する作業のあいだで、(中略)多くの壁に突き当たってきたような気がします」。「認識の範囲の外に対する沈黙」とはまるで、「語ることができぬものについては沈黙しなくてはならない」というウィットゲンシュタインの言葉を彷彿とさせる。私たちは語ることができるものについてしか語ることができないのである。しかし三島はそれを超えて「形而上の世界」、すなわち通常の言葉が届かない世界を表現しようとする。こういうことではなかろうか。
 ここで改めて掲出歌を見てみよう。朝の目覚めの光景である。覚醒の直後だから庭の風景ではなく、室内に活けてあった花が床に散っているのだろう。そこに窓から差し込む朝日が当たっている。「この世の果てより曳ききたる光」とはただの太陽光ではあるまい。太陽は地球から約1億5千万キロメートル離れているが、天文学の世界ではこの世の果てではなくすぐそこである。落花に実際に当たっているのは太陽光という形而下の光なのだが、それを見た作者にはまるでこの世の果ての形而上の世界から差し込む光のように感じられたということだろう。
 栞文でこのあたりを捉えているのが奥田で、奥田は本歌集を一読して陶然とした気分になり、「批評文めいた感じで客観的に論じたり」したら、「何か大切なものを置き忘れて行ってしまいそうな気がする」と述べ、三島の歌を読むと、「詩が完結して」「しずかな余韻だけを手渡されるような思いがする」と続けている。確かに、語ることができぬものについては沈黙しなくてはならないのだが、語ることができぬものを指し示すことはできる。三島の歌の指し示す指先が一首の余韻として残るのだろう。
腐葉土のうへに今年の葉の落ちてかぐろきものとなるを待ちをり
蘭展より帰りこしひと夕映えのしづけきもだをわれに向けたり
ひと房の巨峰は卓に残されて近景だけがはや暮れかかる
鳥影はわが右頬をかすめつつ山のなだりにまぎれゆきたり
春の雨、音なく降ればわが傘の青褐あおかちのいろ深みゆくなり
   一首目、庭の腐葉土の上に落葉が堆積している。それが目に映じた光景、すなわち形而下の世界である。しかし作者の指先が指すのは、やがてそれが「かぐろきもの」と変じる時間である。二首目、蘭の展示会から帰って来た人が、夕映えの静けさのような沈黙を私に向けるという歌であるが、「蘭展」から連想される豪奢さや華やぎと夕映えの静けさとの対比から起ち上がる何かが一首の眼目である。この「何か」を名指すことはできない。名指すとそれは形而下のものとなるからである。三首目、夕暮れのテーブルに巨峰が置かれている。家の外はまだ残照が残るが、テーブルの付近はすでに夕闇に包まれるという光景が描かれている。描かれているのはそこまでだが、それだけで語り尽くすことができないものが歌に含まれている。四首目、頬をかすめる鳥影が現実の鳥のものなのかそれとも幻想の鳥なのかも定かではない。鳥影が後に残す何かの予感のようなものが後に残る。五首目、春の柔らかい雨で傘の青褐あをかちがいっそう深みを増したという歌である。手許にある『色の手帖』によれば、青褐は正倉院文書や延喜式にもある色の古名で、青みの強い藍色だという。傘の色としてはずいぶん粋な色である。
 引用歌を見てわかるように、三島の歌は「叙景を述べて叙情に到る」という古典和歌の作法ではなく、「〈問〉と〈答〉の合わせ鏡」(永田和宏)という近代短歌の骨法とも異なる造りによる。心情を述べるのが眼目の歌ではないので、歌のどこを味わえばよいのか迷う人もいるだろう。味わうべきは奥田の言う「余韻」、つまり一読の後に残る名付けることのできないものであり、表現しようとしてされずに残った形而上の世界である。
 歌のなかに恋を思わせるものもある。
茄子紺をほこる古布展まだなにか始められるとしたら方恋
晩秋の雨は寂しと君に打つメールはわづか相聞めきて
ひとおもふゆゑの憎しみ緩やかに糸はボビンに巻かれはじめる
引き寄せてしまひし人を放つときこの冬の雪はつか狂ひぬ
 しかしこれも現実の恋というよりは、三島の目指す形而上の詩の世界へと辿り着くための方略のようにも見え、そこに新古今和歌集との親近性を感じる。そういえば本歌集の構成は、秋の歌に始まり四季を経て秋の歌で終わるという、季節の移ろいに基づく循環的世界観で統一されている。
 歌人の中には上句が上手な人と下句が上手な人がいるようで、たとえば大塚寅彦の歌を読んで舌を巻くのは下句の巧さである。その伝で言えば三島は圧倒的に上句が上手い。
薔薇園は濃き体臭を吐きやまずこれまでのことこれからのこと
夜の気に冷やされてゆく香壺あり何に引き替へたる残年
 下句はなくてもよいようなもので、ここから三島の歌には俳句的な骨格が潜んでいると奥田は述べている。そうかもしれない。ついでながら私が感じるのは、おそらく三島は源氏物語に深く傾倒している人だろうということで、読んでいて随所にそれを感じた。
ゆずの花、咲いてゐるよと君呼べばそのたまゆらをにほふ柚の花
ブラウスは弱き日差しを集めゐてダム湖官舎の早陰る庭
ファックスのインクをやうやく補へば未完の過去をふるへつつ吐く
 一首目は本歌集屈指の美しい歌である。漂う柚子の花の香りはもちろん現実のものではなく、「咲いているよ」という言葉によって現出したものである。二首目、庭が早く陰るのは、山に囲まれたダムのほとりに家があるからで、おそらく官舎には若い妻が夫と暮らしているのだろう。三首目は「未完の過去」という捉え方がおもしろい。ファックスはすでに届いているのだから過去に属するが、いまだ全貌を表していないという意味で未完である。そこに一瞬頭がくらっとするような時間のずれがあり、それが作者の指し示したいものなのだろう。
 沈黙に耳を傾ける人に捧げられた歌集である。

第155回 大松達知『ゆりかごのうた』

風のなき夜の十字架のもとにしてわがみどりごは生まれたりけり
                大松達知『ゆりかごのうた』
 初めて授かった子供の誕生を詠んだ歌である。分娩室に十字架があるのはキリスト教系の病院だからなのだが、「わがみどりご」という語彙からどうしてもベツレヘムの馬小屋でのキリストの誕生を連想せずにはおかない。「風のなき夜」なので、きっと空には星も輝いていることだろう。礼拝する博士はおらずとも、作者は新しい生命が誕生する神秘に打たれているのである。それが茂吉由来の「たりけり」という詠み収めとあいまって、静かに喜びを噛みしめるような力強い歌となっている。
 『ゆりかごのうた』は大松の第四歌集。作者の不惑前後の歌を収録しており、第19回若山牧水賞の受賞が決定している。『ゆりかごのうた』という歌集題名からわかるように、子供の誕生をめぐる歌が中核をなす歌集である。
 かつて『短歌ヴァーサス』5号(2004年)の新鋭歌人特集で大松を担当した小池光は「ざぶとん在庫なし」と書いた。誰かがうまいことを言ったときに「ざぶとん一枚」とやるあれのことだが、大松の短歌が一首で勝負を賭けていて、ぴたりと決まったときには思わず「ざぶとん一枚」と言いたくなり、歌集の終わり頃にはもうざぶとんの在庫がなくなるほどだという意味である。一見邪道とも見えるこのような短歌の読み方は、案外正統的な読み方なのだと小池は続けている。一首で決まるということは、一首で意味が完結し、かつ読者が「そうそう」と得心する内容を含んでいるということで、決してたやすいことではない。また一首で決まるということは、意味の支えとしての外部を必要としないということであり、基本的に連作には向かないということでもある。
〈終〉の字がせり出して来る小津映画〈冬〉の最後の点が上向き
われに入りて酒でなくなる酒たちの今際のこゑをつつしみて受ける
左手にはおん、右手にはじきありて拍手は顔の筋肉でする
クリーニング師免許証見ゆこの人の本籍地佐賀、おれより若い
〈短歌の人〉といへる括りがわが家にはありてもろもろがすんなり通る
 一首で決まる歌を挙げてみた。一首目、映画のエンドマークの「終」の文字の旁の「冬」の下の点が上向きにはねているという、どうでもよいような観察を歌にしたものだが、確かになるほどと思う。短歌はこのような小さなことを掬い上げるのに適した形式で、この歌も「ただごと歌」の系譜に連なるものだろう。二首目、作者がこよなく愛するのは仕事から帰宅しての晩酌で、この意味でも若山牧水賞はぴったりかもしれない。この歌のポイントは「われに入りて酒でなくなる酒たち」で、確かにアルコールは体内で分解されて、アセトアルデヒドを経て排出される。酒による私の変化ではなく、私に入ってからの酒の変化に着目したところがおもしろい。三首目は野球観戦の歌。左手にビールのコップを持ち、右手にはホットドッグか何かを掴んでいるのだろう。両手がふさがって拍手ができないというのもよくある状況である。私はこの歌を読んで、アヌイの戯曲『オンディーヌ』の「右手めてに忘却、左手ゆんでに虚無」という名台詞を思い出したが、これは考えすぎか。四首目、洗濯物を出しているクリーニング店の店主が自分よりも若いことに驚いている。本籍地佐賀はおまけだ。伊丹十三だったか、街で出会う警官が自分より若いことに気づいたときに自分の老化を意識すると言っていたが、不惑を迎えた作者ももう若くないと自覚しているのである。五首目は読んで思わず笑ってしまった。実はわが家も同じで、知らない人から葉書や手紙が来て家人が「この人誰?」とたずねたとき、「短歌の人」と答えるとそれで得心するのである。
 もうひとつ他に得がたい大松の歌の特色は何と言ってもユーモアだろう。
死んでのち鮮度うんぬんされてをり食はれちまった鰺は聞かずも
なにゆゑに妻の引きたる〈夕化粧〉ぬばたまの辞書の履歴に残る
あるときに一喝されてそれ以来大きい肉を妻に与へる
空砲なのか実弾なのか匂ひすればムツキを開ける斥候われは
 いずれも説明不要で意味明快、かつにやりとしたくなる歌である。電子辞書の履歴に「夕化粧」が残っていたら、確かにコワい。ユーモアは単なるおどけとは違って、冷静な自己観察と自己の相対化を必要とする。私が大松の歌を読んで最も強く感じるのは、自分を突き放して冷静に観察するこの自己相対化である。それがよく発揮されているのは、この歌集の中核をなす子供の誕生の歌だろう。誰でも待望の子が生まれれば嬉しい。大松も天にも昇るがごとく喜んでいるのだが、同時にそのような自分を観察していて、それが歌をほほえましいものにしている。
〈ホルモンの乗り物〉として在るのみの今宵の妻に雁擬をひとつ
くらぐらとああぐらぐらとわが子なりトゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子を抱く
五年目のカメの甲より大き顔もちて生れたるわが娘はも
太陽ソレイユと名前を付けるバカ親のバカのこころをいまはうべなう
お父さんのくつした臭い、なんてまだ言わない口をミルクで塞ぐ
孕めよと祈り生まれよとも祈り育てよともまた祈るなりけり
「ざぶとん一枚」系とユーモアのただごと歌系が多い歌集だが、短歌本来の叙情歌もあり、それらもまたよい。
はつなつの栞のやうにそつと来てわれを照らせり夜のカマスは
ゆふやみが濃闇となりてゆくころをあやめの立てり左打席に
みづいろの付箋を貼つてさざなみのやうに明日へとわたしを送る
ひとつひとつの卵に日付けシールあり孵るべき日にあらぬ日付なり
春の日のトンネル過ぎて振り返る吾子にもすでにすぎゆきのあり
 二首目は野球観戦の歌で、「あやめ」とは女優の剛力彩芽に似ていると評判の日本ハムファイータズ所属の谷口雄也選手のこと。最後の歌はとりわけ心に響く。子供の誕生から一年が経過した頃の歌である。トンネルが時間の喩であることは言うまでもない。