第2回 野樹かずみ『路程記』

花びらはしずかにながれすぎにけり水のおもてのわれを砕いて

                野樹かずみ『路程記』
 野樹は1963年生まれで、1991年に第34回短歌研究新人賞を受賞している。同年の同時受賞は尾崎まゆみの「微熱海域」。『路程記』は2006年に歌葉叢書から出版された第一歌集で、20年余りにわたって詠んだ歌をまとめたものだという。長期間にわたって詠んだ歌を構成的に配置してあるので、読後感もおのずとそれに感応することになり、最後のページを閉じた時、作者に同行して長い旅をしたという感想を抱く。そんな歌集である。
 歌風を乱暴に分類すると、「上をふり仰ぐ歌」と「うつむく歌」、「外に流れ出る歌」と「内へと向かう歌」のような分類ができようが、野樹の歌風はまちがいなく「うつむく歌」「内へと向かう歌」である。なぜうつむいて内向するかと言うと、野樹の存在の最深部に〈世界に対する違和〉が盤踞しているからである。
 永遠の眠りを眠る始祖鳥の夢かもしれぬ世界に棲めり
 故郷からわたしから逃れゆく夜の列車にわたしの顔だけ映る
 遠ざかる光景ならば愛せるかオペラグラスは逆からのぞけ
 死んでゆく母だけ味方いまは本を読むさえ父に憎まれていて
 風景の危うくゆれる街をゆく人それぞれの義眼のなかに
 透かしみる写真のネガにもくっきりとわたしのかたちの欠落がある
 地下鉄の轟音として迫り来るおぼえていない過去から闇が
 私は誰かの見る夢の中に生きているという一首目の感覚は、生の実感の乏しさに由来する。自らの生きる生の全体を我が物として感得できない不全感は、程度の差こそあれ現代人が共通して持つものであり、それ自体は珍しいものではない。しかし野樹の歌が表現しようとしているのは、「現代人の置かれた状況」のような一般化できる感情ではなく、もっと個人的なものであり、他者と共有することのできない感覚のようだ。この歌集が発散する意味は極めてパーソナルな「極私的」意味である。読んでいると狭い私的圏内に吸い込まれてゆくかのような感覚に捕らわれるのはそのためだ。
 その「極私的」意味は、掲出句の最後の「地下鉄の」が示すように、どうやら過去からやって来るようだ。二首目「故郷から」に見られる故郷遁走や、四首目の親との確執も、テーマとしては珍しいものではないが、野樹に重くのしかかっているらしい。三首目「遠ざかる」もまた遁走の主題の変奏である。オペラグラスを逆からのぞけば、風景は縮小される。矮小化され自分から隔絶したものとならねば愛することができないほど、野樹は過去に違和感を抱いているのである。五首目も同種の主題だが、この歌では違和感が歌の中の〈私〉へと収斂せず、「人それぞれ」へと投射されている分だけ、共有の地平へと放たれた歌となり得ている。六首目の「透かしみる」では、〈私〉が世界の中の欠落と見なされており、野樹の抱える違和感の深さが窺える。
 野樹の存在の根底に盤踞する違和は、もしかすると次の歌群と深く関係するのかもしれない。
 どんな深い海峡があっていまわれに隔てられている名もなき故国
 わが国と呼ぶ国もたずかりそめの胸の大地はいま砂嵐
 奪われてしまうものならはじめからいらないたとえば祖国朝鮮
 汚れたるビニール紐が足首にからまるいたるところに国境
   故国喪失が根深い欠落感を生むのは当然のことであり、最後の「汚れたる」の歌が示しているように、どこに住もうとも不可視の国境が存在するのもまた現実である。このような場所から放たれたと思われる次のような歌もある。
 退屈に寝転んで蹴る地球儀のアジアはわたしの足の面積
 焼き捨てる思い出の品にまぎれて地図帳いまはアジアが燃える
 「内へと向かう歌」の多いこの歌集の中では例外的に空間的広がりを持つ歌である。内なる違和と不可視の国境に絡め取られることを拒否して視野を拡大すれば、このような歌が生まれる契機となるのだろうが、残念ながらこのような視座に立つ歌はこの歌集には少ない。しかし野樹はフィリピンのスモーキー・マウンテンを訪れた体験から、フィリピンでフリースクールを運営する活動に関わっているようだから、掲出歌のような視野を実生活において実現していることになるだろう。
 『路程記』中程に配された「夢の羊水」は母親の死を主題とする連作で、経験の切実さからか、それまで必ずしもくっきりと焦点を結んでいなかった歌の風景が、にわかに具体性を帯び始める。そして「草故郷」の連作では主調音が一転し、故郷での少女時代の母親の姿が夢幻的色彩のなかで詠われている。詠われた風景が夢のように美しいのは、喪失した風景だからだろう。なくしたものだけが美しい。
 鳩小屋の鳩らになにをうちあけて午後のひかりのなかに笑む母
 何げない午後に見かけた陽に灼けた畳の荒野をゆく母の背を
 みるうちにわけもなくなみだぐむとおい山のふもとのうすいむらさき
 夕闇のもろこし畑の風のなか母呼ぶ声のやがて泣き声
 このように『路程記』を通読して感じるのは、稀に見る「物語が充満した歌集」ということである。現代の都市で集合住宅に住み、満員電車に毎日揺られて通勤する市井の人間は、人に語るに足る物語を持ちにくい。穂村弘の言葉を借りれば、「命の使いどころのない」(『短歌の友人』)生の平板化のなかでいかに詠うかは、現代の歌人に共通する課題だろう。しかし野樹には、海峡を隔てた祖国という空間軸と、父母・祖父母・喪失した故郷という時間軸のそこここに点在する濃密な物語がある。その物語は野樹がみずから選択したものではなく、この世に生まれ落ちた時点で押しつけられたものであり、野樹の心に闇を呼び込むことがある。野樹が歌を汲み上げる泉として、過去から押し寄せる闇を選ぶのはけだし当然と言うべきだろう。そもそも人にまつわる物語とは、自由意志で選び取るものではなく、私たちが否応なく引き受けざるをえないものだ。
 同じ闇を描いていても、野樹の描き方は例えば加藤治郎の『環状線のモンスター』などとは根本的に異なることにも注意しておきたい。
 弾丸は二発ぶちこむべしべしとブリキのように頭は跳ねて
                  『環状線のモンスター』
 誰かいっしょに死んでください鶏の小さな頭、闇にみちたり
 帯文の惹句にあるように、『環状線のモンスター』は現代の日常に侵入してくる狂気と怪物を描いた歌集だが、加藤が描くのはあくまで「時代の狂気」「現代の闇」であって、自らの内なる闇ではない。だから「べしべし」などと修辞を凝らす余裕もある。野樹の描く闇は自らの肉に食い込む闇であり、修辞を突き破って迫って来るので、読んでいてこちらが息苦しくなるほどである。
 むざむざとさらされて在る憎しみに真白にやわきむくげ花裂く
 胸に棲む鳥の羽毛をむしりやまぬわたしをだれか無理矢理とめよ
 あこがれの果てのちいさな景色なり誘蛾灯下にちらばる死蛾も
 しかし歌集の後半に至り、訪れたフィリピンのスモーキー・マウンテンに群がる子供たちに注がれる目は柔らかく、このあたりが野樹の心境の転機になったと推測される。
 ゴム草履パタパタ鳴らし少女らがサンパギータの花売り歩く
 こわれそうな小屋から子どもたちにぎやかな音符となってとびだしてくる
 ぬかるみのなかのちいさな足あとの水たまりにも浮かぶ太陽
 そして歌集の掉尾を飾る「埴輪」の連作では、新しい生命を授かったことで歌はさらに光の方向へと転調するのである。
 火星赤く われは胎児をふとらせる闇を抱えた古代の埴輪
 この星にきみ生まれけり水の匂いさやかに立ち上がる秋の朝
 みどりごの眠りをいまは抱いてゆく蛍飛び交う銀河のほとり
 朝ごとにきみに発見されている世界に一羽の鳥降りてくる
 一首目「火星赤く」に詠われた闇は、それまでの過去から迫って来る闇ではなく、新しい生命を育む肯定的な闇であり、軍神の星である火星が頭上にきな臭い光を放っているとはいえ、古代の埴輪の静謐な落ち着きに守られている。二首目以下の歌もそれまでの歌から滲み出る閉塞感から解放されており、野樹はここに至ってようやく、「うつむく歌」「内へと向かう歌」から「上をふり仰ぐ歌」「外に流れ出る歌」への転調を果たしたのである。気がついてみれば、読者は「抑圧」から「解放」へと構成された物語の中を歩いたことになる。
 『路程記』以降に作られた歌が野樹のホームページに「箱船」という題で掲載されている。野樹は過去から押し寄せる濃密な物語から解き放たれ、新しい歌風を模索しているようだ。「箱船」という題名がその方向をさし示しているのかもしれない。
 

 

野樹かずみのホームページへ

第1回 佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』

胸おもくまろくかかえて鳥たちははつなつ空の果実となりぬ
         佐藤弓生『眼鏡屋はゆうぐれのため』
 リニューアルした短歌コラム「橄欖追放」の第一回目に誰を取り上げようか、あれこれ思案をめぐらせた。まだ取り上げていない歌人にしようか、それとも一度論じた歌人の新歌集にしようか。こういう迷いの時間はこの上なく楽しい。いろいろ考えた結果、リニューアルしたからには自分の嗜好を押しだそうと、佐藤弓生の第二歌集『眼鏡屋はゆうぐれのため』(2006年)に決めた。佐藤弓生は「今週の短歌」で2004年8月に一度取り上げているが、その時は『世界が海におおわれるまで』 (2001年、沖積舎)が唯一の歌集だった。『眼鏡屋はゆうぐれのため』は角川書店の叢書「21世紀短歌シリーズ」の一巻として刊行されており、同じ年に角川短歌賞を受賞した作品を巻頭に収録している。淡いワインレッドの装丁に開いた白紙の手帖とルーペを配したブックデザインは、死語と化しつつある瀟洒という形容がぴったりで、収録作品の放つうっすらとノスタルジックな空気感とよくマッチしている。
 『世界が海におおわれるまで』の巻末に歌誌「かばん」の仲間である井辻朱美が解説を寄稿している。井辻がキーワードとして選んだのは「距離」であった。ここで「距離」というのは歌人の歌に対する立ち位置のことで、歌が作者の身体から見て右手前にあるのか、30センチの近距離にあるのか、それとも10メートルの遠方にあるのか、はたまた作者の身体は歌の空間の内部に含まれているのか、それとも遙か遠くから遠望しているのかといったことをさす。「視点」と呼んでもよいが、井辻は「距離」という言葉を選んでいる。その上で、「空洞を籠めてこの世に置いてゆく紅茶の缶のロイヤルブルー」のような佐藤の歌を引いて、佐藤の歌には魅力的な視点のあいまいさがあり、「距離への作者の無関心というよりも、故意におこなうずらし、ゆらぎ」が認められ、「視点人物だの仮想作者だの焦点化だのという理論の枠組みをいともかろやかにくしゃっと踏みつぶしてしまっている」と論じている。「視点人物」や「焦点化」というのは、フランスの文芸批評家ジェラール・ジュネットの理論を念頭に置いているのだろうが、佐藤の短歌はそのような小賢しい文芸理論を軽々と踏み越えているというのだ。
 「視点」が近代の産物であることは言を待たない。西欧ルネサンス初期までの絵画には視点がない。すべてを同列に置いて斜め上方から俯瞰的に描く日本の大和絵も同様である。ルネサンス時代の「人間」の発見が視点を誕生させ、視点が〈私〉と〈世界〉の距離を生んだ。これが主客二元論の発生であり、見る〈私〉と見られる〈世界〉の対立の始まりである。明治時代の近代短歌運動が西洋絵画の大きな影響のもとに成立したのは偶然ではない。見る〈私〉と見られる〈世界〉の対立は写実の基盤であり、「歌の情景を作者はどこから見ているか」が明確であることを求められる。これが近代の〈眼〉であり、現代において歌を詠んでいる歌人も、意識するしないにかかわらず、この〈眼〉を内面化させている。
 井辻の言うように佐藤がこの近代の〈眼〉を「くしゃっと踏みつぶして」いるとしたら、それは佐藤が近代短歌のセオリーからの逸脱と自由を、何らかの理由で獲得しているということである。見る〈私〉と見られる〈世界〉の対立と、そこから生ずる距離を無効化する方法は理論的にはいくつか考えられる。〈私〉100パーセントの濃縮還元ジュースを作って世界を消滅させても距離は消えるし、これよりは難度が高くなるが〈私〉をゼロにして〈世界〉100パーセントにしても同様の効果が得られる。しかし佐藤の選択した方法はどちらでもなく、「〈私〉を小刻みに〈世界〉に差し入れる」というものだと思われる。『眼鏡屋はゆうぐれのため』から何首か引いてみよう。
 乳ふさをもたない鳥としてあるくぼくを青空が突きぬけてゆく
 ふゆぞらふかく咬みあう枝のあらわにもぼくらはうつくしきコンポジション
 水に身をふかくさしこむよろこびのふとにんげんに似ているわたし
 定住のならいさびしいこの星のおもてをあゆむ庭から庭へ
 一首目で鳥は〈私〉の観察する対象ではなく、私は鳥としてあるのだから、主客の乖離はむしろ融合している。その〈私〉を青空が突き抜けてゆくという感覚もまた、主客の対峙よりは混交の感覚を表していると言えるだろう。二首目は冬空を背景としたモンドリアンの抽象絵画を思わせる歌である。三句目までは〈私〉の目から見た冬景色の通常の叙景と読むこともできるが、四句目に来ていきなり交叉する枝は「ぼくら」に転じており、一瞬頭がくらっとするような主客逆転が行われている。三首目の上句は水泳の光景を詠んでいるのだが、「水に身をふかくさしこむ」という表現が「〈私〉を〈世界〉に差し入れる」という佐藤の方法論を象徴しており、おまけに下句の「ふとにんげんに似ているわたし」が暗示しているのは、この歌の〈私〉は少なくとも意識の上では人間という種をふらふらとはみ出しているらしいということである。〈私〉が人間でなくなれば主客二元論もまた消滅する道理だ。四首目は現代短歌が獲得した新しい「視点」を示す歌。「定住のならいさびしい」という上二句は、放浪と風のような自由さに憧れる気持ちを表現している。それはよいとして、「庭から庭へあゆむ」主体が人間であるとしたら、その距離は数メートルかたかだか数キロメートルが常識だが、それにたいして「この星のおもて」と天文学的視点からの表現を配しているところに視点の飛躍がある。四首目を含む「庭から庭へ」の連作には、他に「胸に庭もつ人とゆくきんぽうげきらきらひらく天文台を」とか、「ゆく春やアインシュタイン塔をなす錆びた小ネジであったよわたし」のように宇宙的次元へとつながる歌が配されている。このような視点の取り方、もしくはこのような近代的視点の無効化は、現代短歌がある頃から獲得した手法のひとつと言えるだろう。
 吉川宏志の『風景と実感』(2008年、青磁社)の中で、正岡子規の「地図的観念と絵画的観念」という文章が紹介されていて興味深い。吉川の本や子規の文章については、またいずれ改めて詳しく論じたいと思っているが、とりあえず要点をまとめると、「地図的観念は万物を下に見、絵画的観念は万物を横に見る」のであり、子規は前者を排し後者を推奨しているのである。つまり「上から俯瞰するような視点はリアリティーを欠くのでよろしくない」と言っているのだ。近代短歌が見る〈私〉と見られる〈世界〉の対峙を基本とするならば、両者は細部が観察可能な距離に位置しなくてはならない。あまり両者の距離が開くと、〈世界〉は〈私〉の眼から逃れる抽象的存在になってしまう。子規はこれを嫌ったのである。しかし近代短歌のセオリーから脱却せんと欲する人は、これを逆手に取ればよろしい。〈世界〉を地図的にはるか上空から俯瞰する視点を取れば、主客二元論はおのずと超克される。上空から俯瞰する視点はすなわち偏在する視点であり、その原理上〈私〉の位置を一意的に定義しない。これは〈神〉の視点なのであり、この視座に立つ人は畳の上に寝起きする通常の〈私〉ではなくなるのである。
 人工衛星(サテライト)群れつどわせてほたるなすほのかな胸であった 地球は
 草原が薄目をあけるおりおりの水おと ここも銀河のほとり
 ゆくりなく夕ぐれあふれ街じゅうの眼鏡のレンズふるえはじめる
 ふたしかな星座のようにきみがいる団地を抱いてうつくしい街
 あしのうら風に吹かせてあたしたち二度と交わらない宇宙船
 一首目の結句の「地球は」には、字足らずになることを承知で思わず「テラは」とルビを振りたくなる。三首目は巻頭の「眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)」と呼応する歌だが、言うまでもなく地理上の一点に縛られた〈私〉には街じゅうのレンズを見ることはできないのであり、ここにも視点の浮遊とそれによって生み出された夢幻的なムードがある。五首目は佐藤史生のSFマンガのようだ。総じてこれらの歌にはSFやファンタジーやコミックスと通底する空気感が濃厚である。佐藤は短歌を作る傍ら詩人であり、英国推理小説などの翻訳家でもあり、『少女領域』『ゴシックスピリット』の著者の高原英理と共同でホームページを持っていることからもわかるように、SF・ファンタジー・幻想系に近い位置にいる。幻想系やゴシック系は反近代の先兵のようなものだから、もともと佐藤には近代の主客二元論の桎梏から自由になりやすい素地があったのかもしれない。
 いささか近代短歌論に走りすぎたようだ。『眼鏡屋はゆうぐれのため』に話を戻すと、『世界が海におおわれるまで』と比較して気がつくのは修辞の成熟である。
 敷石に触れるさくらのはなびらの肉片ほどの熱さか死期は
 腿ふとく風の男に騎られてはみどりの声を帯びゆくさくら
 風の舌かくまで青く挿しこまれ五月の星は襞をふかくす
 瞼とは貧しい衣 光を、とパイナップルに刃を入れるとき
 一首目の助詞「の」で結ばれた長い序詞は、加藤治郎の言う現代短歌の修辞ルネサンスを思わせる。二首目は一読すると謎のような歌だが、よく読むと桜の花が風に散って葉桜となるまでを詠っていることがわかる。風を腿の太い男に譬える喩に媒介された「風 – 男」「桜 – 女」の二重イメージが無限カノンのように響く。四首目では目の切れ目である瞼とパイナップルに入れられたナイフの切り込みのイメージとが二重映しになって、どこか危うい感じが漂う不思議な歌である。
 このように『眼鏡屋はゆうぐれのため』は、第一歌集から5年を経た作者の技量の成熟と同時に、近代短歌に対するスタンスまでもがはっきりと看取される充実した歌集となっている。満都の喝采を浴びることはまちがいない。仄聞するところによれば、版元品切れとなり重版がかかったようだから、洛陽の紙価を高らしむることになるかもしれない。  最後に特に印象に残った歌を挙げておこう。
 桐の花ふりてふれくるふところをおそるるにこのうすむらさきは
 生きのびたひとの眼窩よ あおじろくひかる夜空のひとすみに水
 箱蜜柑ざわめきいたり星ほどの冷えなしながら夜の廊下に
 もくもくと結び蒟蒻むすびつつたましいすこしねじれているか
 地震(ない)深し銀のボウルにたふたふとココアパウダーふりこぼすとき
 本ゆずりうけたるのちを死でうすく貼りあわされた春空、われら
 唐ひとの骨がほんのりにおうまでカップを載せたてのひら はだか
 長くなるので一首ごとに論じることは控えるが、二首目はどこかで目にして愛用のモールスキンの手帳に書き留めた歌である。どこで目にしたのか忘れてしまったが、不思議な印象忘れ難く、折りに触れて愛唱してきた。この歌集で再会できて喜ばしい。
 余談だが、昨年(2007年)お招きを受けて歌集の批評会に二度出席する機会を得た。偶然ながら、その二度とも佐藤弓生さんにお会いして、強い印象を受けた。ひと言で言うと、地上の重力から少し解放された人という印象である。また、電脳空間を渉猟していた折りに、テキサスの教会でオルガニストをしている人のブログに行き当たった。何とその人は佐藤弓生さんと大学でオルガン仲間だったらしく、母校の立派なパイプオルガンの前で写した仲良し三人組の写真が掲載されていた。三人のうちブログの主はテキサスでオルガニストとなり、一人は歌人となり、残る一人は眼鏡屋の女主人になったというのはいささか出来過ぎた話である。そういえば『眼鏡屋はゆうぐれのため』にも何首かオルガンの歌があった。オルガンが天上的な楽器であることは言うまでもないことである。
 神さまのかたち知らないままに来て驢馬とわたしとおるがんの前
 いらんかね耳いらんかね 青空の奥のおるがんうるわしい日に


佐藤弓生のホームページへ

第0回 短歌コラム再開の弁

 2004年4月から4年間にわたって毎週ホームページに連載した「今週の短歌」は、2007年5月をもっていったん終了とした。200回という区切りのよい回数を迎えたことと、さすがに毎週書き続けるのが辛くなったためである。ある歌集批評会で藤原龍一郎さんとお会いしたとき、「毎週歌人論を書くというのはたいへんなことですね」と言葉を掛けていただいたが、書き始めた当初はそれほど覚悟があったわけではない。こんなに長期間にわたって書くとも思わなかった。
 あるときふとしたきっかけから現代短歌に惹かれた。ときどき「どんなきっかけで現代短歌に興味を持つようになったのですか」とたずねられることがある。私のように自分で作歌もせず、身の回りに短歌関係者もおらず、一人で歌人論を書く人間は珍しいのだろう。どんなきっかけだったか、はっきりと特定できるものがあるわけではない。家人が塚本邦雄の小説のファンで、自宅の書架に何冊も並んでいたが、歌集は一冊もなかった。しかし文春文庫版の『けさひらく言葉』があった。これは塚本が昭和57年9月から59年1月末まで毎日新聞一面の題字下に毎日連載したコラムを一冊にまとめたものである。博覧強記の塚本らしく、古今東西の書物から小説の一節、詩歌の断片、聖書や仏典の一句などを選び、テンションの高い簡潔な文章を添えてある。引用されたものをいくつか引いてみる。

「はじめて映画を撮る時、私は私の画面から松のかたちと緑を追放した。」
                  大島渚「松」
「堪えがたければわれ空に投げうつ水中花。」
                  伊藤静雄「夏花」
「絢爛の重みをつねに雉子翔べり」
                  三浦秋葉「絢爛」
「水くぐる青き扇をわが言葉創りたまへるかの夜に献る」                   山中智恵子「みずかありなむ」

 散文からの引用に混じってときどき俳句と短歌が引かれている。コラムの長さは200字と制限されているため、塚本の文体はいきおい贅肉を削ぎ落としたものとなり、引用もまた短いものにならざるをえない。この結果、コラム全体に極度の凝縮の負荷がかかり、日常の言語使用の場よりはるかに高い内圧を持つことになる。この高い内圧という非日常的言語環境において最も輝くのが韻文であることに、ある時私は気づいたのである。散文には高い内圧に拮抗するだけの言語の凝集度がない。韻文は音数律の制約により意味が圧縮されているため、凝縮の負荷によく耐えるのである。「慈母には敗子あり」(韓非子)のような漢文の文語読み下し文が凝縮の極北だが、俳句や短歌のような短詩型韻文もまた、内圧に負けない言語の緊密度を備えている。深さ1千メートルの深海のような高内圧の言語場という例外的な場所で、私は韻文の持つ力を感得したのである。しかしもとよりこれは後日思案した後付けの論理で、『けさひらく言葉』を漫然と拾い読みしていた当時の私は、名状しがたい言葉の輝きに漠然と魅せられていたにすぎない。
 これをきっかけに現代短歌を読むようになり、読書の里程標のような気持ちで「今週の短歌」をホームページに書き始めた。最初から特に方針があったわけではないが、いくつか指針のようなものはおぼろげながら念頭にあった。
 (1) 一回に歌人を一人取り上げる
 (2) 同じ歌人は二度取り上げない
 (3) 一人の歌人を取り上げるときはできるだけ多くの歌集を読む
書き始めてみて気づいたが、これはかなり縛りのきつい指針である。「水の歌」のようなお題シリーズを除いて(1)と(2)はほぼ守ったつもりだが、(3)は歌集の入手の難しさもあって守れないことが多かった。
 再開するにあたって制約を緩めるため、この指針は反古にすることとした。もう少し気楽に短歌について語りたいという気持ちからである。また歌集だけでなく歌書・歌論も折りに触れて話題にしてみたい。毎週連載は負担が大きいので、原則として月二回の連載とし、第一月曜と第三月曜に掲載することにした。
 つぎはこの短歌コラムの題名である。「今週の短歌」はいかにも散文的で芸がない。歌人の方々のホームページを拝見すると、それぞれに固有の言語感覚を駆使して工夫を凝らした名前を付けておられる。黒瀬珂瀾氏の「moonlight crisis」、穂村弘氏の「ごうふるたうん」、中山明氏の「翡翠通信」、桝屋善成氏の「迷蝶舎」、春畑茜さんの「アールグレイ日和」、村上きわみ+なかはられいこさんの「きりんの脱臼」、大辻隆弘氏の「水の回廊」、横山未来子さんの「水の果実」などが特に印象深い。「光」と「水」のイメージにつながる名前が多いのは、現代に生きる歌人に共通する内的希求ゆえだろう。
 しかし名前の付け方には注意が必要である。その昔、三島由紀夫が文壇にデヴューしたとき、当時の文壇の長老が「三島由紀夫という筆名は若い名前だ。歳を取ったときどうするつもりだろう」と周囲に漏らしたという。三島は45歳で割腹自殺したので老後の心配は杞憂となった。しかし若い時のセルフイメージに駆動されてあまり若い名前を付けると、後で困ることになるのは確かだ。かといって逆にそれ程の歳でもないのに、「梧桐亭日乗」のような「根岸の里の侘び住まい」風の悟りすました名前を付けるのも嫌みである。このあたりの加減が難しい。
 前にも書いたことだが、私は本のタイトルはかなり気にする方だ。しかし、私が今まで出した本の書名は、すべて担当の編集者が付けたものである。向こうは気を遣ってくれて、「ご希望のタイトルはありますか」といちおう聞いてはくれるのだが、私が提案したタイトルはことごとく却下されてしまった。ついに私は諦めの境地に達して俎板の鯉と化し、自分にはタイトルを考案する才能が欠如しているのだと苦い結論を出した。
 しかし再開する短歌コラムは毎週は書かないことにしたのだから、「今週の短歌」という題名は具合が悪い。いずれにせよ新しい名前が必要だ。というわけで愛用のモールスキンの手帳に、思いつくままに20余りのタイトルを書き付けた。その結果選んだのが「橄欖追放」である。自解自註は野暮の極みとは承知しているが、誤解のおそれもあるのでちょっと解説しておく。
 古代ギリシアのアテナイでは、僭主となる危険性のある人の名前を陶片(ostrakon)に書いて投票し、最多得票者を追放する「陶片追放」(ostrakismos)という制度があった。のちにこれを「貝殻追放」と誤訳したのは、ローマ帝国のハドリアヌス帝に重用されたギリシア人の歴史家Flavius Arrianusだと言われている。2,000年近くも経っていまだに誤訳をあげつらわれるのは気の毒というほかはない。一方、同じ頃のシラクサではオリーブの葉(petala)に追放する人の名を書くpetalismosという制度が行われていた。オリーブは日本では誤って橄欖と呼ばれることがある。それを承知の上でpetalismosを「橄欖追放」とした。こうすることで古代ギリシアの僭主追放の制度にふたつの誤訳が重なることになり、興趣が倍加される。実のなかに微量の虚が混じるからである。誰もが知るように、微量の虚は日常言語を詩へと押し上げる酵母となる。
 というわけで4月から新短歌コラム「橄欖追放」を開始するのでご愛読を願う。