第174回 短歌研究新人賞・角川短歌賞雑感

夕焼けの浸水のなか立ち尽くすピアノにほそき三本の脚
            鈴木加成太「革靴とスニーカー」
 今年(2015年)の短歌研究新人賞は遠野真(とおの しん)の「さなぎの議題」が、角川短歌賞は鈴木加成太(すずき かなた)の「革靴とスニーカー」が受賞した。二人とも若い男性歌人である。
 遠野真は平成2年(1990年)生まれの25歳。現在、千葉大学で社会学を学ぶ現役大学生である。今年の3月から未来短歌会に所属して、黒瀬珂瀾の選を受けている。いつから作歌を始めたかはっきりしないが、おそらく歌歴は短い。短歌賞への応募も初めてだろう。
肉親の殴打に耐えた腕と手でテストに刻みつける正答
割れた窓そこから出入りするひかりさよならウィリアムズ博士たち
かたくなに固有振動数だけをまもる虫かご 夏が終わった
ささやかなやさしい詐術 担任のネイルは海のひとときを持つ
 講評で穂村弘は、「子供から大人になろうとする時期の感覚が痛みと瑞々しさ、そして生々しさを伴って描かれている」と述べ、栗木京子は、「肉親との軋轢、自殺願望、孤独といった重いテーマが被害者意識を過剰に先立てることなく詠まれていて、静かな覚悟を感じさせる」と評した。歌の中に「地学教師」「七限」「テスト」「正答」「担任」などの言葉が散りばめられていて、高校生活が歌の舞台であることに触れて、加藤治郎は、他にも高校を詠んだ応募作品があり、注目される傾向だと指摘している。
 鈴木とテーマがかぶって損をしたのが、候補作に選ばれた松尾唯花の「夏、凪いでいる」だろう。
この場所もかつて誰かのフレームで、空き教室に吹きこむ桜
冷蔵庫のひかりまぶしいキッチンでまだ真夜中の街を知らない
夏の花が好きなら夏に死ぬらしく網戸にかける殺虫スプレー
くちびるにマウスピースが触れたときどこかに遠く夏、凪いでいる
 女子の目線から高校生活をのびやかに詠っていて好感が持てる。また「つめたい」「ぬるい」「まぶしい」などの感覚形容詞が随所に使われていて、感覚に軸を置く世界把握が押さえられているのもよい。松尾は平成3年生まれの大学院生で、ポトナム・京大短歌・奈良女短歌所属とあり、おそらく奈良女子大の学生だろう。私は奈良女子大にも教えに行っているので、個人的ながら応援したい気持ちになる。
 次席に選ばれた杜崎アオの「鋏とはなびら」にも注目したい。プロフィールや所属は不明(非公表)。杜崎は平成23年にも「たまごのおんど」で応募するも受賞を逃している。『短歌研究』11月号の「新進気鋭の歌人たち」にも選ばれて十首出詠しているが、こちらもプロフィールは空白である。
気づかないうちにせかいはくれてゆく歯医者の目立つ駅前通り
帰れると思ってしまうしんしんと折りかさなってさびる自転車
鳥の家 鳥のいる家 鳥かごのある家 鳥の墓のある家
わたりゆく夜から夜へせいけつな息を止め合うふたりはそっと
人の家 人を待つ家 (ひとはみなみじかい) 人の墓のない家
川だけがまちを出てゆくゆるやかに送ってあげる霧雨のあと
 今回の応募作のなかで最も修辞力のある人だ。短歌は文芸であり詩であるので、想いの素直な吐露ではだめで、修辞の工夫がなくてはならない。漢字と平仮名の配合、字空け、リフレイン、括弧書きなどを駆使して、自分の世界を作り上げている。ただ講評ではそれがやや裏目に出たようで、架空の町を作り上げる手法はおもしろいが、あまりに抽象的すぎるという審査員の意見もあり、次席に留まったのが残念である。
 三首目は特におもしろく、「鳥の家」は意味がよくわからないが、「鳥のいる家」なら鳥が飼われている家だろうと推測がつく。「鳥かごのある家」で一気に不穏な気配が漂う。鳥かごだけがあるということは、中の鳥が死んだか逃げたかしたということだ。最後に「鳥の墓のある家」で、鳥は死んで庭に埋葬されたと知れる。リフレインを少しずつずらして最後に落とし込む手法が秀逸である。この歌が五首目と対になっているのは明らかで、「人の墓のない家」まで来るとハッとさせられる。
   角川短歌賞の鈴木加成太は平成5年(1993年)生まれで、今年22歳か23歳の大阪大学の学生である。大阪大学短歌会所属で、高校生の時に作歌を開始。平成23年にNHK短歌大賞を受賞し、平成25年の角川短歌賞で「六畳の帆船」が佳作に選ばれている。
アパートの脇に螺旋を描きつつ花冷えてゆく風の骨格
やわらかく世界に踏み入れるためのスニーカーには夜風の匂い
平日のまひるま喫茶店にいる後ろめたさに砂糖剥きおり
水底にさす木漏れ日のしずけさに〈海〉の譜面をコピーしており
エクレアの空気のような空洞をもち革靴の先端とがる
 スニーカーは若さと学生の象徴で、革靴は就職活動と社会人のシンボルである。まもなく社会に出なくてはならない若者の心情を抒情とともに描いていて、審査員全員から高評価を得た。米川千嘉子は、被害者意識とか暗い方に傾く歌が多い中で健やかな感じがするところがよいと評価し、島田修三は、もう少し文語脈を取り入れたほうが歌が締まると注文を付けている。
 次席に選ばれたのは佐佐木定綱の「シャンデリア まだ使えます」だが、私は受賞を逃した飯田彩乃(未来)の「WHERE THE RIVER FLOWS」に注目した。
ゆつくりと目を瞑つてはわたくしを瞼の裏にしまひこみたり
見る夢の端から端まで伸ばしてもオクターヴには届かない指
雨音ももう届かない川底にいまも開いてゐる傘がある
ふくらはぎは魚のごとくに瞬いて夜と闇とのあひへと還る
組み立てのテーブルは脚を与へられここにまつたき獣となりぬ
 連作の題名はおよそ「河が流れているところ」というような意味で、全体に水の流動的なイメージが基調となっている。やや抽象的で夢幻的な描き方ながら、静かな音楽かかすかな衣擦れのように、感覚的世界を立ち上げている。しかし、審査員からはイメージはきれいだが観念的で外部が描かれていないと厳しく評されている。島田修三は最後の講評で、「作者の外側に存在している現実、他者にどう向かい合っているかを考えながら読みました。現実とか他者は、我々がどう思おうが、誰の前にも確かな重さを持ってのしかかるように存る。我々はそこから逃げられない。リアルってそういうこと」と述べていて、飯田のような歌は評価していない。しかし私は小林久美子のような歌も好きなので、どうしても島田は厳しすぎると感じてしまう。
屠られるのを待つ鳥がうつくしい闇へと吐きだす口中の青  『恋愛譜』
さまよえる夢のおわりを棄てるとき飛沫があがる砂嘴のむこうに
 また佳作に選ばれた碧野みちる(平成2年生 かりん)の「鋏」も取り上げておきたい。
「神と逢ふ場所」と言ふ君われの住むベッドタウンの川に橋あり
乳ふさのまへに賢治をひらきもち母に抱かれぬひとの詩を読む
くちづけの最中にふいの雨を嗅ぐ東京の水にに麦芽がにほふ
野菜庫の底の塵みな拭きとりてなにゆゑか往き場うしなふわれは
 生後すぐに母親を失った恋人との別れまでがテーマで、相聞が少なかった応募作のなかで注目される。「みどり児の君は授乳スタンドよりミルク吸ひたり叔母の背後で」のように、他に見られない独自の視点で詠っているところに個性を感じる。
 ちなみに短歌研究新人賞次席の杜崎アオの連作は「鋏とはなびら」で、短歌研究新人賞と角川短歌賞の両方の応募作に「鋏」という語のあるのが、偶然とはいえおもしろいと感じた。これを手がかりに時代の気分を論じることもできそうだが、鋏と言えばすぐ「切断」「断絶」が想起され、ありがちな論になりそうなのでやめておこう。
 短歌研究新人賞は25歳の青年、角川短歌賞は22、3歳の青年が受賞し、いずれも現役大学生である。鈴木は阪大短歌会の所属で、近年あい次ぐ大学短歌会会員の受賞がまたひとつ増えたことになる。短歌研究新人賞はそうでもないが、角川短歌賞の予選通過者の顔ぶれを見ると、奈良女短歌会、九大短歌会、京大短歌会、外大短歌会などがずらりと並んでいる。まともに活動しているのが全国で早稲田短歌会と京大短歌会くらいだったひと昔前を思えば隔世の感がある。なぜ全国で雨後の竹の子のように大学短歌会が誕生したのか謎である。
 応募作品に「生きづらさ」を詠ったものが多いのも特徴と言える。角川短歌賞では、佐佐木定綱の「シャンデリア まだ使えます」や、ユキノ進の「中本さん」、宇野なずきの「否定する脳」がそうであり、短歌研究新人賞では、北山あさひの「風家族」、月野桂の「階段の上の子ども」が該当する。家族の軋轢、親による子供のネグレクト、不安定な非正規雇用などの問題が扱われており、世相を反映していると言えるのかもしれない。このご時世で相聞で30首または50首作るのは難しいのか、純粋な相聞が少ないのも特徴と言えるだろう。

第173回 堀田季何『惑亂』

ぬばたまの黒醋醋豚を切り分けて闇さらに濃く一家團欒
                  堀田季何『惑亂』
 ふつうは何かを表現したいと願う人が、数ある表現手段のなかから短歌という短詩型文学形式を選び取るのだが、稀ではあるが逆に短歌に選ばれる人がいるのではないかと思えてならない。他の芸術に例を求めると、音楽ならモーツアルト、近代詩ならランボー、小説ならラディゲ、あるいはサガンの名が頭に浮かぶ。短歌ならば石川啄木がそれに当たるだろう。こういう人たちは、刻苦勉励努力してその芸術形式の頂点を極めたという印象がない。気がついたらいつのまにかもう頂点で遊んでいるのである。そしてその人生にどこか悲劇的な影がある点も共通している。堀田季何の第一歌集『惑亂』をさっと見て私の脳裏に去来したのはこのような感想だった。
 堀田季何(ほった きか)は1975年生まれ。中部短歌会に所属し、晩年の春日井建に師事。たちまち頭角を現して、中部短歌新人賞と第二回石川啄木賞(2009年)を受賞している。現在中部「短歌」同人。プロフィールはここで終わらない。小澤實に師事して俳句を学び、現在「澤」の同人であり、澤新人賞と芝不器男俳句新人賞齋藤愼爾奨励賞まで受賞しているのである。おまけに海外で暮らしていた中学生の頃から英語詩を書いているというのだから驚愕するほかはない。俳句を英訳して海外への普及に努めてもいるようだ。
 しかし『惑亂』のあとがきで自分の来歴を語る口調は苦痛に満ちている。自分のこまれでの人生はまさしく惑乱の日々であったというのだ。いかなる仕儀にによるものかは詳らかではないが、母一人子一人の母子家庭で長く海外で暮らし、「数十カ国の人間に接し」、「数十種の仕事に手を染め」、「数十の疾患に罹り」、「今も五指に余る疾患と五指に余る障碍を抱へてゐる」と綴られている。なるほどこれでは惑乱するほかはあるまいと納得する。『惑亂』は書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」の一巻として上梓され、中部短歌會叢書第277篇とされている。跋文は中部短歌會主宰の大塚寅彦。異色ながらブラウン大学で堀田と共に学んだ俳優の平岳大が前書きを寄せている。
 さて、世代的に堀田がどんな年代に属するかと探してみると、1975年生まれの歌人には生沼義朗、永田紅、笹公人などがいる。黒瀬珂瀾が2歳下の1977年生まれだが、『現代短歌最前線新響十人』(北溟社 2007年刊)に収録されている歌人とほぼ同世代と言ってよい。しかしながら、旧仮名遣と旧漢字を用いた文語定型という形式面でも、また美意識の面においても、堀田の孤立は際だって見える。いくつか歌を引くが、OSの関係で旧漢字を表示できず新字になっているのを断っておく。
朝なさな血痰吐けば冠したし赤ら引くてふ枕詞を
決潰の目玉をすする食卓に秋のひかりは淫のごとしも
紫貽貝の毒そのひとつドウモイ酸に脳侵さるる夢見て脳は
熱ありて白川夜船を漕ぎゆけば沈没前の(あした)のひかり
龍井(ロンジン)茶のふかきみどりを滴滴と(のみど)におとす時さはにあれ
わがむくろ土に崩れてももとせの時しめぐらば黒百合よ咲け
 衒学趣味と耽美的傾向において黒瀬にいささか似るところがあるが、口語・フラット・低体温全盛の現代短歌シーンに置いてみると、異色というほかはない。ある日、突然に外惑星から飛来して地上に落ちた隕石のようだ。その隕石はもちろん黒光りしているのである。
 あとがきに数十の疾患に罹ったとあるように、堀田は生来病弱であったようで、幼少から死を身近に感じていたにちがいない。そのことは上に引いた一首目、三首目、六首目に見てとれる。死と疾患を抱える自己の身体は、堀田の重要な主題である。また病弱な少年は読書と空想に耽溺するものだ。堀田の文学の根はそのあたりに存したと考えられる。
エジプトに緑の季節ありしころ獅身女(スフィンクス)をば撫でし神の手
彗星の回帰するたび痩せてゆくわが全身像(シルエット)レンズにさらす
ヒルベルト空間すでにおとろへてある日名残の雪降りだすも
他の天体と意味ある角度なさぬとき月は空白(ボイド)の時を(かな)しむ
銀河てふ環の断面を環の中の星より観たり銀河(びと)われ
 一首目ではナイル川の流域に緑が溢れていた古代に思いを馳せ、二首目では宇宙空間を数十年の周期で旅する彗星を思い、三首目では微分方程式を解くヒルベルト空間を持ち出すという多彩さである。四首目は占星術のことかと思うが、英語のvoidは宇宙空間・虚空を意味することも押さえてある。五首目では夏の夜空の銀漢を詠んでおり、夜空に帯のように見える天の川はレンズ状の環であり、われわれの住む地球もまた銀河の中に位置するので、その意味でわれわれは銀河人だと言っているのである。
 このような歌について、跋文を書いた大塚寅彦は、「宇宙的なスケールの思考が、そのまま自身の生命と身体性につながる思念に重なっており、従来の死生観を詠んだ観念歌とは一線を画すものと言える」と述べている。それは確かにそうなのだが、私が思いを馳せるのは、堀田がどのようにしてこのような世界観を獲得したのかということである。それはおそらく読書と空想から得たものだろう。だからブッキッシュというのが堀田の短歌のもうひとつの特徴である。ちなみに英語のbookishには、「本好きな」という意味以外に、「学者ぶった」「(実際的でなく)机上の」や、「文語調の、堅苦しい」という意味もあり、このすべてが当てはまるのである。
自らを嘘吐きと述べしエピメニデスその言説を吾は信じつ
むらきもの蛭子の神の産みのおや伊邪那美こそをにくめよ海鼠
レヴィ=ストロース読むなかれ。どの構造もよめばよむほど土台が揺ぐ
智天使(ケルビム)の不可思議の火に囲まれて楽園(エデン)は待ちをりわれの帰還を
非凡とはやがて悲しきものと()ふつきのわぐまの白化個体(アルピノ)のごと
 集中の歌の至る所にギリシア・ローマ神話や聖書や世界中の文学・伝承への言及が見られ、塚本邦雄を思わせるものがある。博覧強記の証ではあるが、人によっては衒学趣味と取る人もいよう。また上の四首目と五首目には強い自意識と矜恃が見てとれるのだが、これもまた読書に耽る知的に早熟で孤独な少年時代を過ごした人間によく見られるものである。
 異才の登場と言ってよい。堀田の短歌はその含有する微量の毒によって輝く。その肉体が抱える疾患に屈することなく、さらに詩作を続けてほしいと願うばかりである。もうひとつ欲を言えば堀田の句集を見てみたい。この願いが遠からず叶うことを願いつつ稿を閉じよう。

第172回 尾崎朗子『タイガーリリー』

リモコンにつまづくインコ秋深みわれより親しく死を内包す
                尾崎朗子『タイガーリリー』 
 鳥籠から出されて遊んでいたインコが、床に置かれていたTVのリモコンにつまづく。人間はリモコンを踏みつけることはあっても、つまづくことはない。インコはそれほど小さくはかない生き物である。三句目の「秋深み」は、上句の叙景から下句の抒情への橋渡しをする蝶番として働いている。下句のポイントは「親しく」だろう。死がより親しいとは、死に近い、すなわち死にやすいという意味と、死に抗わず従容と受け入れるという意味も込められているだろう。われらはなべて死すべきものというメメント・モリの歌である。
 『タイガーリリー』(2015年)は第一歌集『蝉観音』(2008年)に続く尾崎の第二歌集で、第一歌集以後の351首が収録されている。栞文は、伊藤一彦、島田修三、米川千嘉子。歌集タイトルのタイガーリリーとは『ビーターパン』の登場人物で、ネイティブ・アメリカンの族長の娘の名だという。それと同時にオニユリの英語名でもある。あとがきに、「優等生的なウェンディや蠱惑的なティンカーベルよりも、義に厚く元気なタイガーリリーが子どものころから好きでした」と命名の由来が述べられている。
 第一歌集『蝉観音』への評で、職業婦人である尾崎にとって短歌とは自らを鼓舞するためのものだと書いたが、それは本歌集でも基本的に変わってはいない。しかし本歌集の底を低く流れる通奏低音は、一人生きることの淋しさであり、それにかぶさるようなそこはかとなきユーモアである。このユーモアという成分は第一歌集を読んでいた折には気づかなかったので、おそらくは年齢を重ねた故に得た資質であろう。
時刻表に鎖されしままのわが時間植物園の半券褪せて
われを待つやはらかきものはなし 母さんになれぬつばめもゐるのだらうか
福相といはるるわが手がとりこぼす幸ひをだれが掬ひゆくらん
素数蝉分かち合へないかなしみを抱へ鳴くらん 億兆の孤が
また病ひ得てしまひたるわが母に笑へ笑へとつよくいひたり
 淋しさの表向きの原因は、一首目の示すごとく叶わなかった恋であり、二首目が語るように慈しみ育てるべき子がないということである。歌を読む限り、現在の作者は母一人娘一人の境遇のようだ。その母親も二度にわたって癌を患い、作者がただ一人の家族として看病している。しかしながら歌をよく読んでゆくと、その背後に感じられるのは、この世に人が人として生きる悲しみであり、それは四首目に見ることができよう。陶芸家のルーシー・リーとハンス・コパーを詠んだ連作からの一首だが、リーもコパーもナチスドイツの難を逃れてロンドンに亡命し、コパーはその後自死している。素数蝉とは地中に素数の年月育って地上に出る蝉のことで、13年蝉と17年蝉がいるらしい。この歌の素数はともに割り切れる公約数を持たないという意味で置かれており、作者が人とは畢竟一人一人孤独なのだと考えていることを表しているのだろう。そこにすべての根があるように感じられる。
 しかし作者が感じている生きづらさはそのように抽象的な位相に由来するものだけではなく、もっと直接的に私たちが生きている社会がもたらすものでもある。
人息に曇る壺中に働いてコンビニに買ふ〈ピュア酸素缶〉
四度目の転職をしてにこにこと感じのよいふうな人になりゆく
フリースローシュートを狙ふ静謐にビルより同僚が飛び下りし朝
わたくしもきつと誰かの代役で置き捨てらるるビニールの傘
努力つて報われるのかと聞いてくる二十五歳はラーメンすすれず
 一首目はずばり現代の酸欠社会を表している。先の国会で可決した派遣法の改正案を見ても、派遣社員の立場は今までよりも悪くなるとしか思えない。二首目でわかるように作者も何度か転職を経験しているのである。三首目は同僚が飛び下り自殺したという事件を詠んだ歌で衝撃的である。五首目も若い人たちの生きづらさを詠んだものである。
 第一歌集にはあまり見えなかったのは、次のようなユーモアを含んだ歌である。
十年の先は見えねど店員に勧められたるLED電球買う
仕事だからお仕事だからとひと吠えし火の輪をくぐるサーカスの虎
サロンパスうまく腰へと貼れぬ夜「ひとりを生きる」は傲慢なるか
四十代佇むそこは造成の終はれどもなにも建たざる原野(はらの)
食卓に愛でらるるのみ姫りんご皺めばをとこ目線に眺む
 白熱電球に較べてLED電球の寿命は格段に長い。一首目では「このLED電球が切れる頃、私はどうしているのだろう」と考えているのである。二首目は火の輪くぐりをするサーカスの虎がこれも仕事だからと割り切ってこなしているという歌で、やりたくもない仕事をしている自分と重ねているのだろう。三首目は「ひとりを生きる」とがんばってみても、腰の裏側にうまくサロンパスが貼れないという歌で、誰しも経験のあるところだ。四首目は40歳を超えても不惑どころか何も成し遂げていないという慨嘆。五首目は食卓でしなびてゆく姫リンゴを男の目線で見てしまうというオジサン化を詠んだ歌である。
 そんな作者が元気をもらうのはもっぱら人間以外の生物のたくましさのようだ。
その翅に頬打たれたら痛からうアサギマダラは旅をする蝶
海渡る蝶の鼓動よわれよりもいのちの太し てふてふ一頭
八重山のヒルギ真摯にしたたかに生きて倒れてまた世に生るる
 アサギマダラは何千キロも海を旅すると言われている。そんな力強い羽ばたきに打たれる自分を想像しているのである。三首目は沖縄の西表島を訪れた折の歌で、ヒルギすなわちマングローブを詠んだもの。マングローブのなかには大きな板根を持つものもあり、汽水域の大地にたくましく生きている。
 このように尾崎の歌はおおむね骨太であり直截で、淋しさや生きづらさを感じながらも、自分を鼓舞して働いている女性が行間から立ち上がってくる。まさにタイガーリリーの名にふさわしく、これ以上ふさわしいタイトルはないと思える歌集である。

第171回 西五辻芳子『金魚歌へば』

ピンホールカメラを覗くごと新国立美術館建つ夕暮れにうかびて
                  西五辻芳子『金魚歌へば』
 作者の名は「にしいつつじ」と読む。難読名前である。私の小学校の同級生に石徹白という男がいて「いしどしろ」と読んだ。大学の教員をしていると、さまざまな氏名の学生に出会うが、今まででいちばん驚いたのは「東海左右衛門」という名字だった。最近TVで見た難読名字は「四十物」で「あいもの」と読む。「あいもの」とは塩干魚の総称で、季節を問わず「しじゅうある」から洒落で「四十物」と書いたらしい。
 さて、掲出歌はいささかリズムがぎくしゃくしているが、六本木にある故黒川紀章設計の建物を詠んだ歌である。ピンホールカメラとはレンズを使わず、箱に小さな穴を開けて、穴を通過する光が倒立像を結ぶカメラをいう。ふつうピンホールカメラは覗かず、倒立像をスクリーンに映したり、印画紙に焼き付けるものである。新国立美術館は外壁が波打つガラスで覆われているユニークな概観をしている。近くに立って見上げると、遠近感がずれてしまったような感覚になる。おそらくその感覚を「ピンホールカメラを覗くごと」と表現したものであろう。「夕暮れにうかびて」というのもガラスで覆われた建物の浮遊感を表している。半透明のガラス外壁が生み出す浮遊感は、もともとは伊東豊雄が得意とした手法だが、今ではごく一般的になった。作者は絵を描く人のようで、やはり空間把握に長けているのだろう。
 西五辻芳子は短歌人会所属で、『金魚歌へば』は第一歌集。小池光、横山未来子、永田淳が栞文を寄せている。ちなみに金魚というのは作者の子供時代のあだ名だそうで、表紙には歌川国芳の「金魚づくし」の絵が配されているという凝りようである。  
短歌や俳句を読む楽しみのひとつにそれまで知らなかった物や言葉との出会いがあるが、本書の場合、それは動植物の名である。作者はよほど自然が好きらしく、見知らぬ動植物の名前が出てくるたびに、広辞苑とインターネットを引きまくる有様だった。ちょっと引いてみよう。
稚児車ちんぐるま雪どけにまた笑まふなりまた笑まふなり春は来たりぬ
人知れずあかつき闇にひらきたる美男葛の花のしづけさ
うすべにのベールの光につつまれて曼陀羅華エンゼルトランペット咲く門がひらかる
万葉苑の小小ん坊しゃしゃんぼうぼく幹うねり小雨しくしくおとかなでをり
この夏に知りそめし名は松葉海蘭まつばうんらん驕らず咲けるかそけき花ぞ
 「稚児車」「美男葛」「曼陀羅華」「小小ん坊」「松葉海蘭」、すべて植物の名であるが、よくもまあこんなに見つけてくると思うほどだ。また絵を描く人だけあって、色名もまた豊富に使われている。
首長き一羽の鳥のすばやさよ前横切るはつるばみ色に
英虞湾のゆたかな海がなぎし時コチニール色の空は燃え立つ
 「橡色」とは何でもどんぐりのかさを煮た汁で染めた色らしい。「コチニール」は貝殻虫で、これから取った色がカルミンレッドだそうだ。次のような歌もある。
あれはなんぢやもんぢやの木かとしげしげと見るわれをみる犬
虚空よりかんかん虫の音響きメリケン波止場に風ひかるかな
 「なんじゃもんじゃ」とは、もともとは関東地方でその土地では見かけない樹種を指す言い方だったようで、ヒトツバタゴ、イヌザクラ、クスノキ、アブラチャンなどを指すという。この歌では木を眺める作者を犬が見ているという視点移動もおもしろい。「かんかん虫」とはどんな虫かと調べてみたら、煙突などに虫のように張り付いて金槌で叩いて錆を落とす作業員のことだと知れた。虫ではなかったのである。
 短歌は基本抒情詩であるが、西五辻の歌には軽みや面白みのある歌が多い。きっと小池光が好きだろうと思うのは、次のような歌である。
二百円の半割メロンにかしこみ注ぐビシソワーズをかしこみ啜る
佳水園を写メールすればあらをかし床の間の上の三十糎の革靴
いさかひて「貧乏人」と吾が言へば「貧乏神」と娘正せり
ダチョウとガチョウのたまごつてききまちがへると微妙にへんだ
いくそたびとんちんかんなこたへいひけふははづかしといへるスマホよ
いつまでも「ピップエレキバン」いへず「ヒップエレキバン」てふ鸚鵡なりけり
三度聞き名前覚えし歌人なり島田幸典貌は覚えず
 半割メロンはよくスーパーの売り場に並んでいて、閉店時間が近くなると30%引の札が貼ってあったりする。その庶民感覚と、まるで拝むかのようにビシソワーズをかしこみながら啜るという対比がおかしい。ちみなみビシソワーズは、温泉で名高いフランスの町ビシー(Vichy)の名がついているが、ビシーとは何の関係もなく、アメリカで考案された冷製スープである。二首目の佳水園はおそらく京都のウェスティン都ホテル内にある村野藤吾設計になる和風別館だと思われる。床の間に30cmという大足の革靴が載っていたとはいかなる仕儀か。三首目は娘との口論で、作者が「貧乏人」と言ったのを娘が「貧乏神」と訂正したのが冷静でおかしい。五首目はおそらくスマートフォンに向かって音声で質問するソフトを使っているのだろう。ソフトがまだ不完全なので、とんちんかんな答えしか返ってこないのだ。六首目は解説不要。七首目、「塔」の歌人島田幸典氏の名前を三度聞いてようやく覚えたという。このような軽みのある歌は味わい深く、作者は手数の内にこのようなものも持っているのである。
 しかし集中で最も光るのは、次のような一見すると地味で何気ない歌ではないだろうか。
なゐののち白き花咲く坂道に登校の列駅舎より見ゆ
主亡き更地に咲きし野路菊は月の光に冴え広がれり
巨大なる千姫の墓にプーさんのぬひぐるみ座し万歳するも
道の辺の地蔵菩薩のやはらかき土に挿されし風車あり
田植ゑせし稚き苗のあはひにははつかの息が泥より出でぬ
地の涯の春の浜に出て貝ひろひ貝の穴より見ゆる国後島くなしり
 一首目の地震は1995年の阪神淡路大震災のことで、生徒たちが坂道を学校へ向かうのが駅舎から見えるというただそれだけの情景を詠んだ歌だが、その静けさが大震災の苛烈さを陰画として見せるようでもある。二首目も震災で家が倒壊した跡地でを詠んだものである。三首目に登場するのは、伝通院にある徳川二代将軍の長女の千姫の墓所である。誰かが供えたものか、大きな熊のプーさんのぬいぐるみが万歳しているのがおかしい。四首目、田舎の道だろうか、道ばたの地蔵の横に子供が置いたものか、風車が挿してある。これまた何ということのない光景だが、どこか心に沁みるものがある。五首目は観察の歌で、田植えしたばかりの苗の根元から泡が立っているというのである。おそらくは植えたときに泥に入り込んだ空気が外に出ているのだろうが、それを作者は苗の息と見たのだ。六首目は北海道旅行の羈旅詠で、浜に打ち寄せられた貝殻にあいた穴から国後島が見えるという、遠近感の強い歌である。
 とても珍しいのは次の学名を詠み込んだ歌だろう。
遊星に青きてふありはるばるとキブリスモルフォ・ディディウスモルフォ
 キブリスモルフォもディディウスモルフォも、タテハチョウ科のモルフォチョウ属に分類される蝶の学名である。写真を見ると、ディディウスモルフォは美しい青色の蝶である。この地球という遊星は宇宙という虚空を猛スピードで移動しているが、その上に青い蝶がとまっている。「はるばると」とあるので、作者にはどこか別の世界からやって来たもののように見えたのかもしれない。「キブリスモルフォ・ディディウスモルフォ」と並べると、なにやらありがたい祝詞か呪文のように聞こえる。短歌の音的側面を生かした歌といえるだろう。

第170回 永守恭子『夏の沼』

天降あもりくる光の無量か載りてゐむ天秤かたむくガラス戸の内
                         永守恭子『夏の沼』
 もう廃業した何かの店舗だろうか。ガラス戸というのも昭和の香りがする。その中にうち捨てられた天秤が残されている。左右に受け皿があり、分銅を乗せて重さを計る秤である。その天秤が平行ではなく、どちらかに傾いでいるという光景である。シャッター商店街かどこかのうら寂しい景色なのだが、作者はそこに降り注ぐ光の重量を見ている。その作者の視線と想像力によって、うら寂しい光景がまるで祝福されたかのようだ。わずか31文字の短歌が世界の一隅を切り取り照らす様は、まことにかくのごとくである。どんなにありふれた世界の一角であろうとも、それをしっかりと把握し適切な言葉の中を通過させると、聖別されたもののような存在感を持つ。ちなみに「天降りくる」は「あもりくる」と読む。蛇足ながら、現代の量子力学の教えによれば、光にも重さがあるという。
 作者の永守恭子は和歌山市在住の歌人で「水甕」同人。「水甕」は大正3年に尾上最柴舟らによって創刊された伝統ある歌誌である。『夏の沼』は第一歌集『象の鼻』に続く第二歌集。本書は水甕叢書の一巻としてKADOKAWA (旧角川書店)から刊行されている。
 あとがきに自分の視線は自然や植物に向くことが多く、身辺のささやかなことばかりを材料にしているとあるように、夫と二人の子供を家族に持つ作者の歌のほとんどは身めぐりの歌である。作風は端正な文語定型で、これに有季と付け加えたくなるほど季節感に溢れている。たとえば次のようである。
油照る真昼にポストは立ち尽くす駆け出したからむいななきをあげて
筍の皮剥くときの感触に日差しを受くる腕が毳立つ
熟れてゐるところより皮を剥きてゆく水蜜桃の夕焼けの窓
柘榴裂け呵々とわらへるその下に菊は白猫のやうにかたまる
 ランダムに挙げたが、一首目は油照りの盛夏で、このポストも昭和の懐かしい円柱形の赤いポストにちがいない。あまりの暑さに走り出しそうだという。二首目は比喩とはいえタケノコだから春先である。タケノコの皮に生えている和毛にこげからの連想か。早春の弱い日差しである。三首目は桃で、実るのは夏なのだが秋の季語だという。そういえば朝顔も秋の季語である。この歌は「あるある」で、確かに熟していると桃の皮はつるりと剥けるので、熟れているところから剥きがちだ。何かに押されていたのだろう。その場所だけが夕焼け色をしている。関西人に馴染みの白桃である。四首目は柘榴と菊だからもちろん秋。赤いザクロの実と白い菊の取り合わせが絵画的で日本画を思わせる。
 なぜ季節にこだわるのか。四季がはっきりした日本の詩歌の伝統だというだけではない。四季の巡りとはすなわち時間の経過と同義である。作者は自分が時間という河を行く旅人であることを自覚しているのだろう。いずれは過ぎ去り消えるものと思えば、どんなものも愛しく感じられる。身めぐりの些事を掬い上げる作者の手は細やかで優しい。
もう駄目とあきらめかけしボールペンなかなか残り時間しぶとく
車前草おほばこの道に凹凸あるところ梳きたる犬の毛がただよへり
美術室のカーテン揺れて陽がさせばトルソの胸に傷が浮き出づ
冷えて反る橋 あかときにはみでたる右の腕より目覚めて思ふ
照りとほる夜の道のうへたれか眼をうつすら開けてゐる水溜まり
 一首目のようにうっすらユーモアの漂う歌も作者の手の内にある。インクが切れかけていてもうだめかと思ってもまだ書けるボールペンは、もちろん喩として読んでもよいのだが、そのままでもおもしろい。二首目、「車前草」は植物のオオバコのこと。踏みつけに強い雑草なので、道ばたによく生えている。凹凸のある道なので、舗装されていない道路だろう。漂う犬の毛に気づくのも細かい観察である。三首目は子供の通う学校を訪れた折の一連にある歌。外から美術室の中を窓越しに眺めているので、ほんとうにトルソの傷が見えたのかという疑問が湧かないでもないが、これも細かい所に着目した歌である。四首目は布団からはみ出た腕が寒くて目が覚めたというだけの歌なのだが、初句の「冷えて反る橋」が出色の修辞である。五首目は月の夜道に水溜まりがあったという歌だが、他の歌に較べて言葉と修辞が勝っている。私の好きな歌に大辻隆弘の「まづ水がたそがれてゆきまだそこでためらつてゐる夜を呼ぶそつと」という歌があるが、この歌を思い出した。
 家庭婦人ならではの歌に厨歌があるが、本歌集にも厨歌は多く、いずれもおもしろい。生活に密着した場面であり、登場する食材も多様で、工夫のしがいがあるのだろう。
玉葱のスライスさらす水の面にかたちにならぬ淡きひかりよ
肩寄するエリンギ一家をばらばらにして手を払ふゆうづつのころ
ずつしりと重き大根さげもてば生きゆく力は腕より来たる
漲れるトマトのどこへ刃を入れむそのつくらゐの悩みなれども
ためらはず斬るとふ胸のすくことを大根のみが許しくれたり
 二首目にあるように、確かに市販されているエリンギは、大きなものと小さいものが同じ株にくっついている。「エリンギ一家」というのが「清水次郎長一家」のように聞こえて愉快である。また五首目で「切る」ではなく「斬る」という字を使っているのは、もちろん時代劇で武士が相手を刀で斬るのを連想しているからである。
 注目した歌をいくつか挙げておこう。
夕ぐれの町を行きつつ家家の引き出しにしまふハンカチ思ふ
仁王像のあはひ桜がはすかひに流るるかなた二上山あり
シャッター街にかすか潮の香流れをりその先に海ある確かさに
自動ドア鏡となりてけふ懈き全身かがやきたるのち裂かる
ジャコメッティの細い彫像日の暮れを影濃くゆけり自転車として
自が存在つよく感じをり今しがた煮てゐし魚が身より臭へば
日に一度かぎろふ刻ある唐辛子乾ける束に夕光が差す
 特におもしろいのは四首目で、自動ドアに映った自分の身体が、ドアが開くことによってふたつに裂かれたように見えたという歌である。着眼点もさることながら、表現が確かである。五首目のジャコメッティは私には思い入れのある美術家で、極限まで細く伸びた人物彫像で知られる。夕暮れの自転車がジャコメッティの彫像のように見えたのだが、その関係性を逆転して表現している。ちなみにジャコメッティはよく歌に詠まれる芸術家で、「照りかげる砂浜いそぐジャコメッティ針金の背すこしかがめて」(加藤克巳)や、「削ぐことが美の極限とは思はねどジャコメッティはやはり美し」(外塚喬)などの例がある。七首目も厨歌だが、私はこの歌を読んでとっさに世界遺産に登録されているアッシジの聖フランチェスコ教会の下の階層にある、ピエトロ・ロレンゼッティの「たそがれの聖母」という絵を思い出した。美しいルネサンス期の絵画だが、聖堂の東の壁面に描かれているので、夕暮れになって陽が傾くと夕日が差し込んで金色に輝くのでこの名で呼ばれている。ひょっとしたら作者はこの絵のことを知っていたのかもしれない。いずれにせよ一日に一度だけ輝く唐辛子の束に注ぐ作者の目は一期一会を見ているのである。読んで心が豊かになる充実の歌集と言えよう。

第169回 宇佐美ゆくえ『夷隅川』

にりん草いずれか先に散りゆきて残れる花に夕日ただよう
                 宇佐美ゆくえ『夷隅川』
 ニリンソウは春に二輪一対の白い花を咲かせるありふれた花である。作者は農作業をしていて、近くの土手に咲くニリンソウの一輪だけが先に散っていることに気づく。時刻はそろそろ農作業を終えようかという夕暮れである。どこといって取り立てて特別なものは何もない。ありふれた日常の小さなものに寄せる愛情が感じられ、心地よい余韻が残る歌だ。
 この歌集を腰を据えて読んでみようという気になったのは、巻末の著者略歴を見たときである。
1923年生まれ 千葉県大多喜郡小谷松出身
1946年 宇佐美二三男と結婚
1967年 大多喜町学校給食センター勤務
     大多喜町立保育園給食室勤務
1981年 退職
 これだけしか記されていない。ふつう略歴には歌人としての履歴を書くことが多い。○○結社所属とか、○○の指導を受けるとか、○○賞候補になるとか、そういう履歴である。しかしこの略歴にはそのようなことが一切書かれていない。職業はいわゆる給食室のおばさんである。こういう人が文芸にいそしみ、歌集を出す。日本以外の国ではとうてい考えられないことである。
 歌集に添えられていたカードを見ると、もう少し情報が得られる。歌集題名となった夷隅川いすみがわは、千葉県の房総半島南東部をぐねぐねと蛇行しながら流れる川だそうだ。作者はその川のほとりに70年住んで農作業をして来たという。給食室勤務のかたわらの兼業農家なのだ。もう一枚のカードには、歌集編纂を担当したこずえユノが「私の母の歌集です」と紹介している。こずえユノは「かばん」同人の歌人である。跋文は雪舟えまで、版元は最近歌集出版が多い鎌倉の「港の人」。
 さて、700首に迫ろうとする収録された短歌をすべて読み終えて巻を置いたとき、深い感動を覚えた。ここには黙々と働き、子供を育て、両親と夫を看取り、草花と動物に分け隔てのない愛情を注ぐ、無名の人の真実の人生がある。通読すると、作者がどのような人生を送ってきたか、また日々どのような感慨を抱いてきたかが、まるで手に取るようにわかる。それは一巻の小説を読むようであり、また一編の映画を観るようでもある。
揚水の早や始まりて暁の野を光りつつ水の走れり
給食の作業はじまる水槽に舞い入りて浮く花のいくひら
身弱なる夫をたよりに来し方の心細きもいつか忘れぬ
この川のほとりに住みて大方の思い出はみな水にかかわる
川上に生家も母もありし日の思い出さるる橋渡りおり
 文語基調の定型を守り、写実を基本とする衒いのない詠み方である。これだけの歌を読んだだけですでにいろいろなことがわかる。まず、作者は夷隅川のもう少し上流から嫁いで来たのだが、すでに母親も他界し生家も今はない。無住となって取り壊されたのだろう。一首目の揚水は田に水を張る準備で、周囲に広がる農村の風景が目に浮かぶ。二首目は勤務する給食室の情景で、どこからか紛れ込んだ桜の花びらが水槽に浮いている。結婚した夫は身体の弱い人だった。あとでわかるが、夫もまた短歌を作る人であった。四首目にあるように、この歌集に収録された歌のどこかに必ず川があり橋がある。
明日もまた草刈りせむと夕やけの土手にかがまり鎌を研ぎおく
たがやせば土に寄りきてついばめる小鳥らとひねもす冬畑にいる
梅もぎやじゃがいも用と籠を編みならべて足らう寒の灯のもと
もぐら除けを背負いてゆけば頭上にてプロペラ廻り何故かおかしき
山畑にひと日はくれぬ紫蘇の実をこきし匂いの指に残りて
彼岸会の鐘なりくれば泥の手を合わせていのる山の畑に
 畑を耕し、籠を編み、家で大釜一杯味噌を炊くというのは、若い人にはまるで「日本昔話」の世界のように見えるかもしれないが、ほんの50年くらい前の農村ではふつうのことだった。私も子供の頃、山口県に住んでいた祖父母の家に行くと、よく味噌作りを手伝わされた。「もぐら除け」というのは、風で回るプロペラに棒を付けて地面に突き刺すものらしい。もぐらは音に敏感だという性質を利用したものだという。いずれも昔から続く農村の暮らしをていねいに描いていて、こうした懐かしい風景が急速に失われつつある現在、このまま冷凍保存しておきたい気持ちになる。六首目を読んだとき、これはほとんどミレーの描く世界ではないかと思った。鳴り響く鐘はアンジェラスではなく、彼岸会を告げる寺の鐘ではあるが。
いく世代続きしものか組という縁も解きて村を去る兄
水難の甥に流せし灯籠の遠くにゆきてなおもまたたく
牛飼いをやめると言いて妹の持ちきし牛乳ちちをおしみつつ飲む
わが家に終のぞうりをぬぎ逝きて貧しき母の形見となりぬ
麻痺の夫湯ぶねに支え合う子らの背中の汗の光りつつ落つ
ゆるやかにトビ舞い澄める浜の朝旅立つ夫に子らとすがりぬ
ケアーバス待つ身となりぬわが門の桜吹雪を浴びてたたずむ
 兄は村を去り、妹の息子は水難で死亡、近くに住む妹は牛飼いを止める。母親を看取って送り、やがて夫は認知症が進んで全身麻痺になる。懸命に夫を介護しやがて見送る。自分は一人暮らしとなり、やがてデイケアに通い始めるといった人生の節目が詠まれていて、胸に迫るものがある。
雑魚しじみ子らと掬いし日もはるかこの川べりに一人くらすも
光つつ流れて止まぬ夷隅川ひとのみ老いて橋をゆき交う
 歌集巻末近くに置かれた歌で、作者の人生が川と橋とともにあったことがよくわかる。
 それにしても、写実と実相観入の「アララギ・パッケージ」はすごいと改めて感じざるをえない。作者は夫君とともに歌会で研鑽を積んでおり、また自身ていねいに物を観る観察眼を持っていることも確かなのだが、それをこのような歌にすることができたのは「アララギ・パッケージ」の力によるものである。誤解を恐れずに言うならば、「アララギ・パッケージ」とは、とりわけ文学の天才ではないふつうの生活者でも、文学の世界に参入して人の心を打つ歌を作ることができるためのアプリケーションである。
 近代短歌の本流を形成したアララギに刃向かい短歌を革新しようとした陣営が、「アララギ・パッケージ」に代わる方法論を提示しえたかというと、それは心許ない。例えば塚本邦雄の前衛短歌は、塚本の芸術全般にわたる博学と独自の言語感覚に支えられた個人芸であって、他の人が容易にまねすることができるものではない。
 この歌集を読むと、短歌という文芸の根底が、市井に暮らすごくふつうの人々によって支えられているのだということがあらためて感じられる。そう感じさせることがこの歌集の力である。

第168回 春野りりん『ここからが空』

イチモンジセセリ一頭の重さあり指に止まりて羽ばたく須臾に
                 春野りりん『ここからが空』
 日本語には物を数えるときに用いる類別詞 (classifier)という語種があり、敷居の低い言語学の話をするときに話の枕に使うことがある。刀剣は「一振」、箪笥は「一棹」、烏賊は「一杯」、論文は「一本」、神様は「一柱」、ウサギは「一羽」で、チョウチョウは「一頭」と言うとたいていの学生は驚く。ふだんは「一匹」としか言っていないからである。類別詞の背後には、日本語を超えた名詞クラス (noun classe)という一般言語学的問題が横たわっているのだが、それはさておき、掲出歌では正しく「一頭」と表記されている。イチモンジセセリは本州全土に分布する小型の蝶で、一頭の重さはどれくらいあるだろうか。ほんのわずかであることはまちがいない。それが指に止まって羽ばたく瞬間に、私の指にその重さが感じられるというのである。尋常ならざる感受性によって計量された蝶の重量とは、心で感じた一頭の蝶の命の重さに他ならない。その命のはかなさが仏教用語である「須臾」によってくきやかに彫琢されているところに一首の価値がある。また「一頭」と表記することによって、蝶の重さが増すように感じられるのもポイントである。この歌は「短歌人」2010年1月号に掲載された初出時には結句がちがっていて、「イチモンジセセリ一頭の重さあり指に止まりて羽ばたきをれば 」であったという。歌集に収録するに当たって改作したのだろう。成功した改作例と言えよう。
 春野りりんは1971年生まれで、「短歌人会」同人。作歌を始めて10年間の作品を収録したのが第一歌集『ここからが空』(本阿弥書店 2015)である。栞文は林望・黒瀬珂瀾・三井ゆき。「りりん」は古代ヘブライ語で夜の精霊の呼び名だと博識の黒瀬が書いているが、むしろ私には春の音を表すオノマトペのように聞こえる。
 さて、春野の歌集を一読して、何がこの歌人の特質かと考えると、それは一首に閉じ込めた世界のスケールの大きさではないかと思われる。
大神が弓手に投げし日輪を馬手に捕らへてひと日は暮れぬ
めじろ来て「地球は球」と啼くあしたまだ闇にゐるひとをおもへり
あめつちをささふるものかあさあけにふとくみじかき虹はたちたり
待ち針のわれひとりきり立たしめて遊星は浮く涼しき闇に
あさがほの黒くしづもる種のなかうづまき銀河は蔵はれてあり
 一首目はまるで古代の神話世界のようで、太陽が東から昇り西に沈む様を、神が太陽を右手で投げて左手で受け止めるようだと表現している。このスケール感は尋常ではない。二首目、「地球は球」は流布しているメジロの聞きなしかと思ったが、そうではないようだ。メジロは朝早く人家の近くに飛来して美しい声で啼く。その声を愛でながら、作者は地球の裏側にいて眠っている人に思いを馳せるのである。三首目では虹を天地を支える柱に見立てている。その発想もさることながら、「あめつち」「ささふる」「あさあけ」の[a]音の連続が広・大・開を暗示し、「ふとく」「みじかき」「虹」の[u]音、[i]音が狭・小・閉を共示する上句と下句の音的対比が印象的で、実際に声に出してみるとそのことがよくわかる。また「虹」一字を残してすべて平仮名表記にすることで、「虹」が平仮名部分の天空を支えているかのような視覚的印象も生み出している。四首目、作者はバスか友人を待って独りぼつねんと立っているのだろう。その様を「待ち針」に喩えるのはそれほど独創的とは言えないかもしれないが、いきなりカメラが引きの画像になり、人工衛星から映したような、虚空に浮かぶ地球の絵に切り替わるのは独創的である。「遊星」は「惑星」と同義だが、コノテーションが異なり、「さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて」という山中智恵子の名歌に繋がる点でも短歌的匂いのする語彙と言えるだろう。五首目は純粋な想像の歌で、朝顔の黒い種の中に発芽してぐんぐん伸びる蔓の萌芽が入っているというのだが、伸びる蔓がやがて宇宙に渦巻く銀河へと至るスケール感に並々ならぬものがある。
 このような歌柄の大きさは、ややもすれば等身大的日常を詠うことに傾きがちな現代短歌シーンにおいては貴重な資質である。かといってスケールが大きい歌だけでなく、冒頭に挙げたイチモンジセセリの歌のように、微細なものに寄せる眼もまた持ち合わせている。
 面白いと思ったのは次のような歌である。
ガウディの仰ぎし空よ骨盤に背骨つみあげわれをこしらふ
ヒトの目に見えざる色のあることを忘れて見入る花舗のウィンドウ
子を抱きて夕映えの富士指させばみどりごはわが指先を見る
今日ここにわれら軌跡をかさねあふ注げよ花火銀冠菊
ふくびくうを花野としつつ朝の気は身のうちふかくふかくめぐりぬ
息継ぎをせざる雲雀ののみどより空へと溢れつづけるひかり
 一首目、ガウディはバルセロナの聖家族教会を設計した異色の建築家で、空へと屹立するゴシックの尖塔と脊柱の椎骨とを二重写しにした歌である。ガウディの建築が生物を思わせる形をしているところから生まれた連想だろう。二首目、「ヒト」と片仮名書きしてあるのは生物種としてのホモ・サビエンスを意味する。花屋には色とりどりの花が売られているが、改めて考えてみると、それらはすべてヒトに見える色である。色は物体が反射する光なので、可視光線ということになる。歌には「忘れて」とあるが、それは作者の仕掛けた工夫で、そう言われることによって改めて思い出す作用がある。三首目、親は指さした夕映えの富士を見てもらいたいのだが、子は親の指先を見る。大人が見ている世界と子供が見ている世界は同じようでちがうというずれを歌にしたもので、はっとさせられる。四首目の「銀冠菊ぎんかむろきく」とは菊の花びらのように広がって流れ落ちる打ち上げ花火のこと。「今日ここにわれら軌跡をかさねあふ」とは、見知らぬ人が今日ここに花火を見るために集っているという一期一会の思いと、流れ落ちる花火の火が交差しあう様子を重ねたものだろう。「花火の歌」を集めるとしたらぜひ入れたい歌である。五首目、朝の空気に漂う花の香りを詠んだ歌だが、ポイントは初句の「ふくびくう」だろう。漢字にすれば副鼻腔で、鼻腔すなわち鼻の穴の横の骨にある空洞をさす。「ふくびくう」と平仮名書きにすると、何やら異国のお伽話に出て来る人物のようにも聞こえる。「ふくびくう」「ふかくふかく」と一首に [hu]音と[ku]音が連続するのも工夫だろう。六首目は揚雲雀の歌で、息継ぎも忘れて天空高く囀る雲雀の喉から光が溢れ出ると詠んでいる。高野公彦の名歌「ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器」とどこか呼応するようにも見える歌である。
 このような歌以外にも、相聞歌や厨歌や母親の視線で子供を呼んだ歌なども収録されていて、主題や作歌法の幅の広さも魅力的だ。また東日本大震災の後に南相馬を訪れた折に「とどめようもなく生まれた歌」には鬼気迫るものが感じられる。
方舟に乗せてもらへぬ幼らの悲鳴のやうな朝焼けを浴ぶ
黄揚羽のとまりゐるわが脇腹より土地の負ひたる悲しみは入る
水鏡ゆきあへるひとみなわれにみゆるたそがれ手触れむわれに
折鶴の天よりくだるこゑは地にあふれて白き木蓮となる
 最後に私が集中で最も美しいと感じた歌を挙げよう。
はつなつのやはらかきしろつめくさをかすかに沈めむくどり翔てり
 初夏の公園かどこかに青々と広がる絨毯のようなクローバーの群落からムクドリが飛び立つ様を活写した歌で、ポイントはもちろん「かすかに沈め」にある。羽ばたくときに生じる下向きの風圧で、クローバーの葉と花がわずかに沈む。このような歌を読むと、ふだんは何気なく眺めている世界に、突然、高解像度の望遠鏡か顕微鏡が向けられ、同時に時間の流れも緩やかになって出来事が精緻に微分されるような感覚に捕らわれる。これがポエジーの持つ「世界を新しくする力」である。また初句の「はつなつの」から「かすかに」までを平仮名書きすることによって、音読時間が長くなるように韻律を調整し、ムクドリが飛び立つまでの準備時間をあたかもスローモーションのように感じさせているのも作者の工夫だろう。

第167回 フラワーしげる『ビットとデシベル』

性器で性器をつらぬける時きみがはなつ音叉のような声の優しさ
              フラワーしげる『ビットとデシベル』
 ついにフラワーしげるの歌集が出た。これは取り上げて論評せずばなるまい。「新鋭歌人シリーズ」を出している書肆侃侃房から「現代短歌シリーズ」の刊行が始まっていて、フラワーしげるの歌集はこの一巻として上梓された。ちなみにこのシリーズからは、千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』、松村由利子『耳ふたひら』、笹公人『念力ろまん』、佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』がすでに刊行されている。出版のテンポといい歌人の顔ぶれといい、書肆侃侃房は文句なしに今いちばん元気のある歌集出版社である。
 さて、フラワーしげること西崎憲は、「かばん」購読会員を自称しており、「かばん」を購読はしているが、短歌の寄稿はしていない。フラワーしげるが短歌シーンに登場したのは、2007年『短歌ヴァーサス』11号の第5回歌葉新人賞の応募作品「惑星そのへん」である。「フラワーしげる」という人を食った筆名と同様に、「惑星そのへん」というタイトルも実に適当だ。ちなみにこのとき荻原裕幸が「短歌にたいする悪意を感じる」と選評に書いているが、本人はそんなつもりは微塵もなかったので、これを読んでびっくりしたという。
 フラワーしげるは続いて、2009年の短歌研究新人賞に「ビットとデシベル」、翌2010年に「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」、2014年に「二十一世紀の冷蔵庫の名前」で応募し、候補作まで残ったが受賞は逃している。今回の歌集はそれらの応募作品を中心に編まれたものと思われるが、『短歌研究』誌に応募作品の全数が掲載されているわけではないので確認はできない。
 一読して気づくのは、短歌研究新人賞応募作には含まれていたのに、歌集を編む際に落とされた歌がたくさんあることである。
ただひとりの息子ただひとりの息子をもうけ塩のなかにあるさじの冷たさ
                      「ビットとデシベル」
死の影には驚くところはなにもなくただ病院の廊下をやってきて連れていった
南北の極ありて東西の極なき星で煙草吸える少女の腋臭甘く
ここが森ならば浮浪者たちはみな妖精なのになぜいとわしげに避けてゆく美しい母子よ
待つものも待たざるものもやがてくる花粉で汚れた草の姫の靴
                「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」
この機は黒いヒタチだと痩せた声が言いエレベーター狩りの子ら去る
むかしガールスカウトを失格したきみの肩がプールをすこし隠して
網から逃げてゆく人間が手にもつビニール袋に見える人間
棄てられた椅子の横を通りすぎる 誰かがすわっているようで振りむけない
                    「二十一世紀の冷蔵庫の名前」
オレンジのなかに夜と朝があって精密に世界は動いていた 私はそこで生まれた
わたしが世を去るとき町に現れる男がいまベルホヤンスク駅の改札を抜ける
 もったいないなあと思う。いずれもフラワーしげるの歌の中でも良質なものだからだ。邪推するならば、「ビットとデシベル」で落とされた歌は、新人賞の選評で取り上げられた歌で、選考委員によってあれこれ分析されたため、色が付くことを嫌って落としたとも考えられなくはない。「ビットとデシベル」の三首目「南北の」は前回フラワーしげるをこのコラムで取り上げたときに掲出歌として選んだもので、「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」の三首目「むかしガールスカウトを」も抒情的で好きな歌だ。落とされたのが残念でならない。
 「ビットとデシベル」の選考会で加藤治郎は、フラワーしげるの短歌は思想詠であると規定し、過去の口語自由律短歌とのちがいがどこにあるかと言うと、たとえば前田夕暮のころは、自分の生活感情を忠実に再現したいという動機があったが、フラワーしげるの場合は、はなから自分の生活感情を表現したいなどとは思っていない点だと述べている。また、「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」の選評で穂村弘は、フラワーしげるの歌は結局は散文で、短歌に散文的資産が投入されているのではなく、散文に詩的資産を投入したものだと述べ、短い小説のように見えてしまうと締めくくっている。いずれも鋭い指摘であり、加藤と穂村の指摘をメルクマールとして以下に論を進めたい。それは「なぜフラワーしげるの短歌は長くなるのか」という問いである。
 この点で自由律俳句は自由律短歌と逆のベクトルを示しているのがおもしろい。自由律俳句は17音より短くなることを指向する。ミニマリスムに傾斜するためである。
墓のうらに廻る  尾崎放哉
春風の思い扉だ  住宅顕信
 逆に自由律短歌は31音よりも長くなるのが通例である。しかしそうはいってもフラワーしげるの短歌の長さは群を抜いている。次の歌など48音もある。
小さなものを売る仕事がしたかった彼女は小さなものを売る仕事につき、それは宝石ではなく  『ビットとデシベル』
 しかしこれだけの長さがあっても散文になっていないのは、「小さなものを売る仕事」が二度反復されることで内的なリズム感が滲み出るからだろう。呪文や民謡や唱歌を例に引くまでもなく、反復は詩的言語の原初的特性である。反復されることで言語は意味のくびきから解放されて、音の位相を自由に羽ばたく。
 さて、ではなぜフラワーしげるの短歌は長くなるのだろうか。穂村の指摘するように、短編小説を短歌の詩型に押し込もうとしたならば、31音に入る意味量には限界があるので、はみ出すのは当然だと考えることもできる。ではもう一歩進めて、なぜフラワーしげるは短編小説を短歌の詩型に押し込めようとするのだろうか。それはつまるところフラワーしげるが「セカイ系」だからではないだろうか。
 「セカイ系」とは、2000年代の初めころからサブカルチャーを論じるネット批評などを中心に使われるようになった用語で、〈私〉を巡る恋愛や悩みといった個人的問題が、世界的規模の最終戦争とか、宇宙からの来襲による地球の危機などの、個人を超えた人類レベルの問題に直結する物語群を指すとされている。中学生がある日気づいたら、人類の命運の鍵を握る戦士になっていたというような物語である。
 近代短歌の中核は〈私〉すなわち「個」であり、〈私〉が日々暮らす中でぶつかる問題や心情を詠むのが王道である。〈私〉の周囲には〈あなた〉や家族・学校・職場などがあり、これらは「近景」を構成する。「近景」のもう少し先には「中景」がある。「中景」は近景より少し大きなレベルの視野で、地域や国家が射程に入り、国と国との政治的摩擦や国を超えた環境問題や生物保護などもある。追い込み漁で捕獲したイルカを水族館で飼うことができなくなったなどというのは、典型的な中景問題である。その先にあるのが「遠景」で、もっと大きな世界史的レベルの出来事や世界経済・イデオロギー・思想・宗教がこれに属し、その特徴は生活実感から遠く抽象的だという点にある。「セカイ系」とは、「近景」が「中景」をすっとばして、いきなり「遠景」に接続する物語だと定義できるだろう。
 「セカイ系」という言葉ができてかれこれ15年経過して、この用語が意味する風景が日常普通に見られるようになったことに驚く。そのひとつは「世界観」という用語の氾濫であり、いまひとつは音楽グルーブ「SEKAI NO OWARI」のような、まるでRPGのような楽曲が人気を博していることである。
 フラワーしげるの短歌がこの流れの中にあるとは思わないけれども、西崎憲時代にファンタジーを書いていること、また近作の小説『飛行士と東京の雨の森』も大人向けの童話のような味わいがあることを考えても、フラワーしげるが近代短歌・私小説・自然主義と対局に位置していることは明らかである。「セカイ系」で行こうとしたら、一首の中にひとつの世界を作り出さなくてはならない。バラメータの設定が必要になるのだ。
登場人物はみなムク犬を殺したことがある 本の向こうに夜の往来を見ながら
ぼくらはシステムの血の子供 誤字だらけの辞令を持って西のグーグルを焼きはらう
底なしの美しい沼で泳ぎたいという恋人の携帯に届く数字だけのメール
 一首目、不吉な小説か芝居のト書きのようで、ここでは上句と下句の接続不良が詩的圧縮を生み出している。夜の往来を見ながらムク犬を殺すのではなかろうから、下句には夜の往来を見ている別の主体が想定されているのだろう。二首目は最も設定効果が高い歌のひとつで、「システム」「西のグーグル」あたりに近未来的SFが透けて見える。三首目は、底なしの美しい沼で泳ぎたいと言っているだけで、別に恋人がほんとうに底なしの美しい沼にいるわけではないのだが、上句の光景が残像のように残って下句の意味を支配する。確かにボエジーはまぎれもなく、まるで往年の夢の遊眠社の舞台で幕切れに野田秀樹が叫ぶ詩的な科白を思わせる。
 かと思えば掲出歌や、次のように設定より抒情が勝る歌もある。私はこういう世界を愛しているので、もう少しこのラインの歌があればとも思う。
小さく速いものが落ちてきてボールとなり運動場とそのまわりが夏だった
夜の回送電車ゆっくりと過ぎひとりで乗っている死んだ父
アコーディオンは昼の光に 捨てるから庭でそのまま父は弾く
 野田秀樹のことを書きながら考えたのだが、フラワーしげるのやたら長い短歌は舞台での朗読に向いているのではないだろうか。近代短歌の31音の韻律に縛られないフラワーしげるの短歌を、緩急・強弱のリズムを付けて朗読したら、紙の上で読んでいるときとはまたちがったボエジーが生まれるような気がする。また緩急を付けることによって、ひょっとしたらふつうに朗読した場合の31音の尺になんとか収まるかもしれないなどと考えたりもするのである。

【余談】
 穂村弘の近刊『ぼくの短歌ノート』(講談社)を購入したら、表紙ともう一枚紙をめくった場所に、「はいしゃにいっていませんね?」という文と著者のサインが万年筆で書かれていた。インク吸い取り用紙まで挟んであるので、直筆だと思われる。穂村ほどの人気作家ならば、初版3000部は印刷するだろうが、ひょっとして全部に直筆で書いたのだろうか。それとも何冊かだけに書いてあって、当たった人はラッキーなのだろうか。また、全部に同じ文句を書いたのではなく、一冊一冊書く文句を変えたのだろうか。ちなみに「はいしゃにいっていませんね?」を読んでドキッとした。そういえば最近さぼって歯医者に定期検診に行っていない。どうして知っているのだろう。

第166回 河野美砂子『ゼクエンツ』

プルトップ引きたるのちにさはりみる点字の金色きんの粒冷えてをり
                    河野美砂子『ゼクエンツ』
 必ずしも河野の作風を代表する歌ではないのだが、一読して思わず「アッ」と叫んだ歌を掲出歌に選んだ。そうだったのか。プルトップの横のブツブツは点字だったのか。調べてみると、視覚障碍者がアルコール飲料とジュースなどの非アルコール飲料とを区別するために付けてあるのだという。知らなかったという衝撃がおさまると、あらためてこの歌を味わうことができるようになる。作者はピアニストなので、指先の感覚が一般人よりも遙かに鋭いと思われる。ピアノでは、指先で鍵盤を押すタッチが音楽のすべてを生み出すからである。ふつうの人はプルトップの横にブツブツがあることなどには気がつかない。たとえ指先が偶然触れても、一般人の指先の感覚は鈍いので知覚すらできまい。作者の感覚の鋭敏さをよく表す一首である。
 『ゼクエンツ』は第一歌集『無言歌』から11年の時を経て上梓された第二歌集である。題名の「ゼクエンツ」はドイツ語で、音程などを変えながら反復されるパッセージをさす。英語の sequenceに当たる。
 誰でもそうだと思うが、私は歌集を読むときに、すっと歌集の世界に入って行けることもあれば、入り口で行きつ戻りつを繰り返し、なかなか入って行けないこともある。歌のどの部分に波長を合わせればよいのかがわからず、何度も調律をやり直すのである。しばらく我慢して読み進むと、たいていはその歌人の基本波長と思われるものに行き当たる。そうしたら、その波長をベースラインに設定しておき、そこから上下への変化を感得することができる。河野の場合はどうかと言えば、なかなか入って行けない部類に属する。読者は言葉の世界の中で五感のセンサーを研ぎ澄まして読むことを求められるからである。
 河野の感覚の鋭敏さを示すのは次のような歌だろう。
階段の木が古いのですのぼりゆく音のむかしのその足の次
飼犬がしつぽをまるめ籠もりをり匂いはつかにいかづちがくる
ひらかれたノートの上をうすうすとよぎる翳あり魚の匂ひす
ゆびさきに凹凸感ず秒針のひびき影なす漆喰壁に
ひややかにローションのびてなにかしらてのひらうすくめくれるここち
骨切りの身にほのかなりこう透きて生身の鱧をしっとりと置く
植物に水をあたへてしばらくを耳すましをり濡れてゆく音
 一首目、木の階段がギシギシ鳴るのを聞いているのである。音感の鋭い作者ならばひとつひとつの音程を聴き分けることもできるだろう。「むかし」とあるから、過去にまで遡って音を記憶しているのだろうか。二首目、犬はたいてい雷を怖がるが、作者は雷に伴うオゾン臭に敏感に反応している。私は雨の匂いはよく感じることがあるが、雷の匂いは感じたことがない。三首目、「よぎる翳」が何をさすのか判然としないが、ここでもふと漂う魚の匂いが感覚されている。四首目、漆喰壁のわずかな凹凸を感じるのはピアニストの鋭敏な触覚だが、この歌にはもうひとつ「秒針のひびき影なす」という読みのポイントがある。素直に読めば「秒針の影」とは、秒針が文字盤に落とす影となるが、実は影を落としているのは秒針ではなくその「ひびき」である。常識的には音が影を作ることはないので、これは共感覚的表現ということになろう。五首目、手のひらにローションを伸ばして塗ると、手の皮が薄くめくれたような気持ちがするということは、手のひらの感覚がより鋭敏になったということだろう。六首目、はもは夏の京都を代表する食材だが、小骨が多いため、細かく骨切りしなくてはならない。骨切りしたら湯でさっとゆがいて、氷水に入れて身を締める。この歌では骨切りされた透き通るような白身にわずかに血の赤が滲んで見えると詠っている。繊細な観察と言えよう。七首目は驚くべき歌で、植物が濡れてゆく音が聞こえるというのである。想像もつかないがそのような音があるのだろうか。だとしたら河野ひとりに聞こえる音にちがいない。
 和歌には伝統的に、正述心緒と並んで寄物陳思という技法があり、形を変えつつも近代短歌に引き継がれている。物に寄せて思いを詠む方法であり、近現代短歌で重要な位置を占める喩はそのヴァリエーションと言ってよい。ところが河野の歌においては、詠まれている事物は自らの心情を仮託する対象ではない。「生クリームのやうな濃い闇ひとところ梔子匂ふ一角を過ぐ」という歌を例に取ると、「生クリームのやうな」という直喩は「濃い」にかかるが、その意味作用は局所的で歌全体に及ばない。また「濃い闇」や「梔子」が何かの短歌的喩として置かれているわけではなく、「暗闇から梔子が匂った」というのは、経験された事態そのままであって、それがもう一度位相を変えて別の意味作用を起こすことはない。
 このように河野の短歌では、事物から心情へと達するベクトル構造が不在なのだ。それでは河野の短歌世界を構成する基本構造は何かと言えば、それは「万物に感応する知覚の結節点としての〈私〉」というものではないだろうか。歌に詠まれたすべての景物は〈私〉の知覚というフィルターを通したものであり、〈私〉のフィルターでいったん漉されて再構成された世界に読者は立ち会うことになる。このため読者は感覚の肌理きめの目盛りをその世界に合うように微調整しなくてはならない。読みの際に強いられるそのような調整操作が、河野の短歌の世界を入りにくいものにしているように思われる。
 河野の短歌のベースラインは上に引いたような鋭敏な知覚を核として構成された歌なのだが、歌集後半になると少し趣の異なる歌が散見される。次のようにどこか奇妙な歌である。
舟を焼く歌書きしのち秋が来て呼びさうになる呼ばなくなつた名を
ふくざつな雲のすきまに六月のひかりさし貝釦かひぼたんをすてる
百合樹ゆりのきがあなたの夜に咲いてゐて門灯を消す一本のゆび
水平に耳に来てゐる夕暮れの橋を渡りぬ遠くなる耳
枯れ枝で春の地面に輪を描いてたれか入りゆけりその輪のなかに
 一首目、まず「舟を焼く歌」という出だしがよい。何か過剰な感情を感じさせる。呼ばなくなった名とは、別れた恋人の名と取るのが順当かもしれないが、他のどんな名であってもまたよかろう。意味を一意的に追い込むのではなく、下句に多義性を残すことによって謎めいた魅力を生んでいる。このことは二首目にも言えて、なぜ貝釦を捨てたのかを語らないため、いつまでも消えない残臭のように読後に空虚が揺曳する。三首目、電灯のスイッチを切るときは人はたいてい指一本で切るが、その指をことさらにクローズアップすることで何かの過剰が生まれている。四首目、夕暮れが耳に水平に来るという認識にまず驚く。そのうえ橋を渡ると耳が遠くなると言われると、どこかに耳を置いて来たようにも感じられてすこぶる奇妙である。五首目は奇妙というよりもミステリアスな歌で、地面に描いた輪の中に人が入って消えてしまうという。これらの歌は鋭敏な感覚を軸とする世界の再構築というラインとは方向性のちがう歌で、河野のもうひとつの可能性を示すものかもしれない。
 最後に心に残った歌を挙げておこう。

街なかにぶあつい昼の響きつつときをり井戸のかげ冷ゆる街
ふれがたく黒白の鍵盤キイ整列す美しい音の棺のやうに
ふかくさす傘のうちがは冥ければ新緑のあめうをびかりする
ついらくの距離やはらかく抱きよせて雨ふれり地に人に時間に
魚に降る雪はるかなれふる塩のなかにゆめみる鱈といふ文字
咲きかけの花しろじろととどけらる時かけて死は位置をるのに
橋の上に曇り大きな喪の野あり百合鴎らはなまなまと飛ぶ
道しろく風死んでをり秋蝶のはたたく音の聞こゆるまひる

第165回 松村由利子『耳ふたひら』

時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色
               松村由利子『耳ふたひら』
 この歌集を読むとき、どうしてもこの歌を挙げずにはおられまい。島津藩から琉球処分を受け、戦後は米軍に長く占領されるという苦難を経験した沖縄を、時の為政者の都合によって切り落とされるパンの耳に喩えた歌である。「焦げ色」という形容には、山の形が変わるほど激烈な地上戦によって焦土と化した沖縄の大地への思いがこもっているのだろう。元新聞記者の作者の社会派歌人としての側面が強く出た歌である。
 全国紙の新聞社の記者であった作者がフリーとなった後に、沖縄に移住する決心をしたとき、周囲の人は驚いたが、師の馬場あき子だけは「あら、いいじゃない」と言ったという。なぜか心に残るエピソードである。『耳ふたひら』は作者の第4歌集で、石垣島に移り住んでからの歌が収められている。石垣島には俵万智と光森裕樹も移住しているので、歌人密度の高い島となっている。ちなみに東京電力福島原発1号機の過酷事故以来沖縄に移住する人が増えたのは、沖縄が環境放射能 (background radiation)が全国一低いからである。自然界にはもともと微量の放射能が存在していて、花崗岩から多く出るため、花崗岩がない沖縄が一番低いのである。沖縄で露出している岩のほとんどは珊瑚由来の石灰岩だ。
 私は10数年前に初めて沖縄を訪れた時に衝撃を受けて以来、沖縄が好きになり、その後幾度も訪れている。何も知らずにそうしたのだが、今から思えば関西空港発の飛行機で最初に石垣島に着いたのがよかった。たいていの人は沖縄本島にまず行くだろうが、本島は戦災がひどかったため古いものが残っておらず、都市化とアメリカ化が進行している。那覇のタクシーの運転手さんに那覇で観光名所はありますかとたずねたら答えに窮していた。それに比べて八重山諸島は琉球の古い文化と町並が比較的よく残っている。竹富島、西表島、小浜島、黒島、鳩間島などに、サザンクロス号に乗って次々と訪れるのも楽しい旅である。これから沖縄へ行こうという方は、本島ではなく八重山から始めるのがお勧めだ。
 さて、『耳ふたひら』に収録されている歌でまず目につくのは、本土とは異なる亜熱帯性気候の植物相と気候を詠んだものだろう。
半身にパイナップルを茂らせて島は苦しく陽射しに耐える
ねっとりと濃く甘き闇迫りくる南の島の舌の分厚さ
ハイビスカス冬にも咲きて明るかり春待つこころの淡き南島
湾というやさしい楕円朝あさにその長径をゆく小舟あり
ティンパニの中に入れられ巨きなる奏者の連打聞くごとき夜
 一首目、石垣島名産のパイナップルは、農園で即売していてその場で食べられる。島には広大なパイナップル畑があり、作者には島がそれで苦しんでいるように映ったのだろう。二首目、沖縄の夜の空気は本土とはちがい、たしかにねっとりとまとわりつくような空気である。月桃の香りがただようと一層密度が濃く感じられる。沖縄の冬は風が強く天気が悪いが、三首目にあるとおり本土に比べて四季の変化に乏しい。新しい土地に移り住んでまっさきに気づくのは気候のちがいである。四首目はとても美しい歌で、湾の長径は水平方向と垂直方向の両方の可能性があるが、ここでは水平方向と取っておきたい。鏡のように凪いだ湾を右から左に一艘の船がすべるように進んでいる。どこか本土とは異なる水深の浅い珊瑚礁の多島海の風景だ。海の色のちがいさえも感じられるようだ。五首目は台風の夜を詠んだ歌。風を遮る山のない石垣島では台風の風が直接に襲いかかる。
 しかし松村は元新聞記者である。観光客のように沖縄の自然に驚嘆するだけに終わることなく、その眼差しは移住者、すなわち余所者である自身へと向けられる。
南島の陽射し鋭く刺すようにヤマトと呼ばれ頬が強張る
島ごとに痛みはありて琉球も薩摩も嫌いまして大和は
言うなれば自由移民のわたくしがぎこちなく割く青いパパイヤ
サントリーホールのチケット購入し島抜けという言葉思えり
半身をまだ東京に残すとき中途半端に貯まるポイント
わたしくも島の女となる春の浜下りという古き楽しみ
 沖縄では地元の人のことをウチナンチュ、本土の人をヤマトンチュと呼ぶ。ヤマトは沖縄に苦難を強いてきた民族であることを沖縄の人たちは忘れていない。四首目と五首目は同じような想いを詠んだ歌で、完全に島人となったわけではない自分に対してどこかうしろめたい気持ちを抱いているのだろう。東京の店のポイントカードが残っているというのがリアルだ。六首目の浜下りとは、3月3日にみんなで浜辺に出て貝や海藻を採る伝統行事のこと。宮古島の八重干瀬やえびしが名高く、韓国にも同じ風習があると聞く。
 とはいえ集中で心に残るのは、ヤマトンチュの移住者としての葛藤を内心に抱えつつも、八重山の自然に自己を溶解させる次のような歌だろう。
アカショウビンの声に目覚める夏の朝わたしの水辺から帰り来て
月のない夜の浜辺へ下りてゆくたましい濡らす水を汲むため
鳥の声聴き分けているまどろみのなかなる夢の淡き島影
覚めぎわのかなしい夢のかたちして水辺に眠る鹿の幾群れ
海に降る雨の静けさ描かれる無数の円に全きものなし
 今まで引いた歌はみなどこか説明的な感じが残る。ところが上の歌群は説明的な部分が少ない分だけ言葉の圧力がポエジーへと向かっているように思う。説明においては視る〈私〉と視られる対象(=自然)の分離が前提となるが、ポエジーにおいては視る〈私〉と視られる対象が、時に入り交じり、時に入れ替わり、交感しあうことが必須となる。そんなことを感じさせる歌である。