第315回 立花開『ひかりを渡る舟』

傘のまるみにクジラの歌は反響す海へとつづく受け骨の先

立花開『ひかりを渡る舟』

 この歌集を読んでいくつか新しい単語を覚えた。「受け骨」もそのひとつである。「受け骨」とは、傘の布やビニールを支えているホネのことだという。『広辞苑』には立項されていないので、おそらく業界用語なのだろう。

 掲出歌は初句七音である。TV番組「プレバト」の毒舌先生こと夏井いつきも言っているように、増音破調は初句に置くのがいちばん無理がない。傘の丸みからドームやパラボラアンテナへと連想が飛ぶ。そこに反響するのが鯨の歌というのだから、スケールが大きい。おもしろいのは下句である。湾曲した傘の受け骨の先端が海へと続いているという。先端が物理的に海まで伸びていることはないので、海まで続いているような気がするという見立てである。作りが大きく、作者の想いが遠くへと飛ぶ歌で、いかにも若い人が作る歌という印象を受ける。

 立花はるきは1993年生まれ。まだ高校生の2011年に第57回角川短歌賞を受賞して話題になった。受賞作の「一人、教室」は本歌集の最初に収められている。

君の腕はいつでも少し浅黒く染みこんでいる夏を切る風

うすみどりの気配を髪にまといつつ風に押されて歩く。君まで

やわらかく監禁されて降る雨に窓辺にもたれた一人、教室

 選考委員の中で二重丸を付けて推したのは島田修三と米川千嘉子で、島田は「ひりひりするような感覚を捕まえている」と評し、米川は「生々しくて痛々しい感じが非常に印象的だ」と述べている。立花が受賞となり、次席は藪内亮輔の「海蛇と珊瑚」となった。立花の受賞は小島なおに次ぐ最年少受賞であった。

 記憶が曖昧なのだが、たしか誰か「若年の栄光は災厄」と言った人がいる。若いうちに栄光を手にするのは、本人の将来にとって必ずしもよいことではないという意味である。その見本はフランスの小説家フランソワーズ・サガン (Françoise Sagan) だろう。若干19歳で書いた小説『悲しみよこんにちは』(Bonjour tristesse) が文学賞を受賞して富と栄光を手にしたサガンは、その後、度重なる恋愛遍歴、スピード狂による自動車事故、アルコール中毒、コカイン中毒など、多彩で波乱に満ちた人生を送った。そこまでは行かなくとも、若年で手にした栄光にその後苦しむ人は多い。立花の場合がどうだったかは詳らかにしないが、受賞を重荷と感じたこともあったのではないか。『ひかりを渡る舟』は今年 (2021年) 9月に角川書店から刊行されたばかりの第一歌集である。帯文は島田修三。「十年の歳月をかけて、生の根源に触れる深々とした立花短歌の魅力になった」という言葉を寄せている。

 本歌集の前半を読むと、やはり多くの人にとって短歌は「感情を盛る器」なのだなと改めて感じる。自分の思いの丈を三十一文字にこめるのだ。

 

三月の君の手を引き歩きたし右手にガーベラ握らせながら

鍵盤にとても優しく触れたなら届くでしょうか私の鼓動パルス

その唇にさびしきことを言わせたい例えば海の広遠などを

さみどりのグリーンピースのたましいよ憧れのまま蓋する心

去年より毛羽立つマフラー巻きつけた中でしかもう君の名を呼べぬ

 

 このような歌から伝わって来るのは、思春期を迎え、自分の手に負えないほど広い世界と異性に出会った俯きがちな少女が心に抱いた孤独な想いである。これらの歌では歌の中の〈私〉の輪郭と作者の輪郭はほぼ重なり、作者と歌の距離がとても近い。引き出しの奥にしまってある日記帳に、夜更けに紫色のインクで日々の想いを綴るのとそれほど変わらない。「作る」という意識よりも「表す」という意識の方が勝っていると言えるだろう。作者と歌の距離の近さから、「ひりひりする感じ」や「痛々しいさ」が伝わってくる。

 短歌にたいしてはこれとは異なるスタンスもある。『玲瓏』所属の歌人であり、俳句誌『芙蓉』主宰でもあった照屋眞理子は、「短歌を自己表現の手段と考えたことは一度もない」と生前常々言っていた。照屋にとって短歌を詠むということは、短歌定型という古くから伝わる楽器をできるだけ美しく響くように鳴らすことであった。

 

雪にまぎれ天降あもるまなこは見るものか地に眠りゆく哀しみのさま

                      『抽象の薔薇』

アルペジオ天の楽譜をこぼれ来て目のまぼろしを花降りやまず

 

 『ひかりを渡る舟』は五部構成になっており、おそらく編年体で編まれている。第1部は角川短歌賞受賞作の「一人、教室」と、確認はしていないがたぶん受賞後の第一作の「世界の終点」だけが置かれている。作者自身にとっても若い頃の作ということとで切り離しておきたいのだろう。

 歌集を順に読み進むうちに、歌の表情が変化してくることに気づく。歌集なかほどで場所を占めるのは相聞である。

二回目にみる花水木咲き始めだす道君を忘れゆく道

夕焼けで稲穂が金に燃えさかるどの恋もわたくしを選ばない

足踏み式オルガンに合わせ呼吸する 眠ればあなたに弾かれる楽器

呼び合うようにあなたの骨も光ってね龍角散飲み干す夜に

最後ゆえ華やぎ終われぬ会話なれば私からやめることを切り出す

 立花の歌がにわかに陰翳を帯びて来るのは、歌集ほぼ中程の第三部「夕陽に溶ける」あたりからである。

 

生きる世はまばゆしと人は言うけれど躰をまるめるだけである影

眼鏡なく浜を見やれば老犬は夕陽に溶ける美しき駒

果ての惑星ほしにキリンの檻は溢れおり こうしてばらまかれた生と死は

濡れたものはより朽ちやすく握られた右手で白い食器を洗う

初冬の浴そう磨く 水が揉む私といういつか消えてしまう影

 

 一首目と二首目は老衰で亡くなった愛犬を詠んだ歌である。人は生の輝きと言うけれど、老いの果ての愛犬はただ丸まる影にすぎないという現実がある。生老病死は近代短歌の変わらぬ主題である。立花はあとがきに、ここ数年で家族や知人を立て続けに失ったと書いている。家族では祖母、祖父、鳥と犬と猫で、自死した知人もいたようだ。喪失で失うのは命だけではなく、それが起きる前の自分の世界や言葉も失われるとも書いている。立花の言う通りだ。祖父母と交わした何気ない会話や、犬猫に話しかけた言葉は、その死とともにどこかに消えてしまう。

 三首目は読んでしばらく考えてから、「果ての惑星」とはこの地球のことだと気づく。ということは地球から遠く離れた視点から見ていることになる。動物園にはキリン舎が必ずと言っていいほどある。方舟は地球だったという歌もあり、確かに地上には生命が溢れている。しかしそれは同じ数だけの死でもある。そのことは自分もまた死ぬべき存在と自覚する五首目にも表れている。

 角川短歌賞受賞時に高校生だった立花はその後成長したのだが、成長するということはまた別れを経験することでもある。幾多の別れを通過することで、立花にとっての短歌は「感情を盛る器」から「思索をうながす器」へと変化したようだ。嬉しい、悲しいといった日々の感情を歌にするのではなく、歌を詠むという営為によって、自分と他者や世界との関係を探るという姿勢へと知らず知らずのうちに変わっているのである。

 

白魚の天麩羅噛めば小さけれど意思あるものの脂の味す

言葉とは重たいだろう淡き想い持つものだけが空へ近づく

この世の何処に眼はあるか くるりくるりと誰かのカレイドの中にいて

生き継いできたのに。今日の我が影もあなたの死後の冷感がある

赦しがない世界のかげをまだ知らぬ眩しき群れに目を細めたり

 

 一首目、白魚の天麩羅を食べて感じる脂の味は、生きていた時の白魚が自分の意思を持って行動していた証だという歌である。飲食の歌の体裁を取りながら、小さな命へのまなざしを語っている。二首目、言葉は重いもので、放ったとたん地上へ落下してしまうが、淡い想いを持つ人のみが空へと浮かぶことができるという。いろいろな解釈ができる歌である。三首目は、自分は誰かの万華鏡の中でくるくる回っている存在ではないかという想いを詠んだ歌である。万華鏡はきらきらと輝くが、その運動は外部の誰かの手によるものだ。私は果たして意思をもって生きているのだろうかという疑問を歌にしたものだろう。四首目、「生き継ぐ」というのはあまり使わない言葉だが、「継ぐ」とは絶やさないように続けることを言う。自分は人から生をもらい、それを続けてきた。しかし自分の影に恋人の死後を感じている。命の光と影を詠んだ歌である。五首目は幼い子供たちを前にした想いを詠んだもの。子供の世界には罪がない。しかし大人の世界には赦しのない罪もあると感じている。立花の歌の力点が、自分の想いを詠むというスタンスから大きく変化し、歌を作ることを通して自分と世界の距離を測り関係を探る方向に向かっていることは明らかだろう。

 

夏に咲く花々のこと眼裏に息づかせ今はただ広い海

でも触れてあなたを噛んでわたくしを残す日の万華鏡のかたむき

疚しさから裂けて溢れるやさしさの、くらぐらと瞼も思考の裂け目

ただひとつの惑星ほしに群がり生きたれどみな孤独ゆえ髪を洗えり

初夏の空がどの写真にも写り込みどこかが必ず靑、海のよう

だれの傍にも死はにおえども 発光する秋穂に触れる風が薫りぬ

黙という深き林檎を割る朝よ死者にも等しくこの光あれ

 

 歌集後半から印象に残った歌を引いた。技法的には、例えば一首目の下句の「息づかせ今は/ただ広い海」のように8音・7音の句跨がり的破調や、五首目の「どこかが必ず靑/海のよう」の10音・5音のように、下句を15音にして不均等に分割する手法がなかなか効果的に使われている。一巻を通読すると、ひとりの人間の成長が感じられる歌集となっている。

 

第314回 奥村知世『工場』

ある覚悟静かに示すヘルメット血液型を大きく書いて

奥村知世『工場』 

 工場で働く作業員が被るヘルメットに自分の血液型が、たとえば「O型」とか「B型」のように大きく書かれている。なぜ書かれているかというと、事故に遭って怪我をして病院で輸血を受けなくてはならなくなったときに、血液型を調べる手間を省くためである。ということはそのような事故が十分起こり得るような、危険を伴う職場だということになる。ヘルメットに書かれた血液型が「ある覚悟」を示しているのはこのためである。

 本歌集は「心の花」に所属する作者が2021年に上梓した第一歌集である。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻として出版された。監修と解説は藤島秀憲が担当している。本歌集は現代にあって独自の異彩を放っていると言わねばならない。作者はかなりハードな業務の工場に勤務していて、本歌集に収録されている歌の多くは工場での労働を主題としているからである。

夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む

昼休み防塵マスクのゴムの跡くっきりさせて社食へ向かう

ミドリ安全帯電防止防寒着「男の冬に!」の袋を破る

油圧式フォークリフトはカクカクと冬の寝起きのオイルはかたい

男らの血管のように配管が浮き出る黄昏時の工場

 過不足なく言葉を選んで詠まれているので歌意は明確で、解説の必要はなかろう。防塵マスクが必要で、別の歌にもあるが安全靴を履いて働く職場である。

 かつて近代短歌には職場詠・職業詠というジャンルがあった。特にプロレタリア短歌では当然のことながら労働の歌が作られた。しかし現代短歌では徐々に職場詠・職業詠は少なくなっている。そのためもあってか、『短歌研究』2020年3月号では「歌人、『わが本職』を歌う」という特集を組んでいるほどだ。ちなみに本歌集の作者奥村もこの特集に寄稿している。自らの仕事の現場を詠う職場詠・職業詠が減少したのは、生活即短歌というアララギ的リアリズムが重んじられなくなったためだろう。生活と短歌の距離は時代によって小さくも大きくもなるが、ニューウェーヴ短歌・ポストニューウェーヴ短歌を経た現在では、生活と短歌の距離はかつてなく離れている。そんな中で自らの労働現場をリアルに詠う奥村の短歌は、ひときわ異彩を放っていると言えるのである。

 上に引いた五首目のように、夕暮れ時に照明で煌煌と照らされた工場の景観を詠んだ歌がないわけではない。今で言うなら「工場萌え」である。

銀色に装置かがやき工場は城なせり惨苦茅屋ヤンマーヘーレンの彼方

                   前田透

川上は長く夕光をとどめつつ迷彩剥げし工場群見ゆ

                  宮地伸一

 しかしながら近代短歌に散見されるこのような歌は、産業の振興とともに出現した工場群やコンビナートという新しい風景を詠んだ都市詠である。工場の中で働いているという職場詠・職業詠ではない。そこがちがう点だろう。

 本歌集には男ばかりの職場でいわゆるリケジョとして働く違和感を詠んだ歌も散見される。

実験室の壁にこぶしの跡があり悔しい時にそっと重ねる

労災の死者の性別記されず兵士の死亡のニュースのごとく

プレハブの女子更衣室に女子トイレ暗い個室に便座はピンク

実験の組成の相談ひとさじの試薬を砂金のごとくにすくう

職場では旧姓使用 家族とは違う名字のゼッケン付ける

 作者はどうやら実験室で研究開発を行う部署で働いているようだ。うまく行かない時は壁を拳で叩く人もいるのだろう。労災の死者はまるで戦死者のようだというところに労働環境のシビアさがうかがえる。

 本歌集に収録された歌は上に引いたような職場詠が多いのだが、もうひとつの幹を成すのは家族詠である。作者は働きながら二人の子供を産み育てているのだ。

保育園のにおいする子を風呂に入れ家のにおいにさせて眠らす

子の影をはじめて作る無影灯長男次男は手術で生まれ

太陽を抱えるように二歳児は水風船を両手で運ぶ

スリッパが私の分だけ傷みゆく主婦とは主に家にいるもの

父親のみ「不存在」という項もあり保育園申請理由記入書

 子供を育てた人ならばわかるが、保育園のにおいというのは確かにある。無影灯は手術室で用いられる照明。影のない胎内から生まれた我が子の初めての影を作ったのが無影灯だというところには、ハッとさせられる発見がある。保育園の申込書には、理屈の上では「母不在」もありうるのだが、実際にあるのは父不在の項目だけだという。育児の負担が母親に局在している証左だろう。

 理科系の人ならではの歌もある。

近づけばよりひかれあう寂しさはファンデルワールス力の正体

はなかなる水平線を切り取って実験台に置くメニスカス

 ファンデルワールス力とは分子間に働く引力のこと。メニスカスは試験管などに液体を入れたとき、壁面に当たる部分が表面張力によって盛り上がる現象をいう。このように理科系の専門用語から発想を飛ばして抒情を発生させる手法はとてもよい。ちなみに上の二首は、2017年の短歌研究新人賞の候補作になった「臨時記号」の中にあり、目にした記憶があった。

工場の道路に花びら降り積もりフォークリフトの轍がのびる

嘘という臨時記号よ二歳児の言葉のしらべに黒鍵混じる

フライパンにバター落として溶けるまでふと長くなる十月の朝

投げられた花びらはすぐ掃除され花だけを吸う掃除機がある

ひそやかに温湿度計ふるわせて私の吐く息課長の吐く息

噴水に子どもが次々入りゆく夏に捧げる供物のように

 職場と日々の仕事をリアルに歌に詠むときに問題となるのは、いかにして抒情詩としてのポエジーを立ち上げるかである。労働のシビアさは読む人の共感を得ることはあっても、それだけでポエジーは発生しない。何らかの言葉の技法が必要である。上に引いた一首目では、フォークリフトといういかにも無骨な運搬器具と桜の花びらの「取り合わせ」がポエジーを生む。二首目では幼子の嘘をピアノの黒鍵に喩える「喩」である。三首目のポイントは「ふと長くなる」にある。物理的時間が長くなることはないので、これはその折りの作者の心理を表している。四首目は何の情景だろうか、「花だけを吸う掃除機」に意外性がある。ゴミパックを捨てるために取り出すと、中には花びらがぎっしり詰まっているのだろうか。五首目では部屋にいる人の吐く息に湿度計が反応するという微細な点がポイントである。六首目は子供を夏の神に捧げる供物に喩えた「喩」だ。

 こうして見ると奥村は明らかに「人生派」の歌人で「コトバ派」ではない。言葉の統辞法を日常のそれとは違ったものにしたり、本来は共存しない言葉をぶつけて発する火花をポエジーに昇華したり、言葉の意味を脱臼することで非日常の空間にダイブするということがない。そのような手法を少し試してみると、表現の幅が拡がるように思う。

 

角川『短歌』9月号歌壇時評 「くびれ」と「ずん胴」

 先月号の歌壇時評で「口語によるリアリズムの更新」について書いたところ、「短歌研究」七月号で「二〇二一『短歌リアリズム』の更新」という特集が組まれた。企画と問題提起は山田航である。時評子が先月号の時評を書いていた時点では、「短歌研究」のこの号はまだ出ていなかったので、同じ話題が相前後して取り上げられたのはまったくの偶然である。この特集では、自分の経験を交えた山田の問題提起に続き、永井祐、手塚美楽、𠮷田恭大、穂村弘との対論が収録されている。

 その中で永井は、「写生」と「リアリズム」は違うと前置きして、写生的な短歌というのは「読む主体が作る主体を内面化するようにして作品を享受する」、「読む主体が作る主体の中に入る(…)特徴的なコミュニケーション」だと述べている。これは読者が作者の作中視点へと視点移動して、作者の体験を追体験するということだろう。興味深いのは、写生の描写方法をシューティングゲームに喩えたくだりである。主人公の目にカメラを置いたFPS(ファースト・パーソン・シューター)と、主人公の「頭上後方からの見下ろし視点」にカメラを置いたTPS(サード・パーソン・シューター)があり、近代短歌は基本的にTPS方式で作られているという。これにたいしてゼロ年代のリアル系短歌は、徹底してFPSを採用していると永井は述べている。この喩えはとてもわかりやすい。例えば岡井隆の次の歌はTPS方式で作られている。憎しみに酔うようにパンをひたすら咀嚼する〈私〉の孤影を見下ろす目が感じられるからである。

夕まぐれレーズンパンをむしりむ憎悪に酔ふがごとしひとりは                            『神の仕事場』

一方、今橋愛の次の歌は完全にFPSである。

もちあげたりもどされたりするふとももがみえる

せんぷうき

強でまわってる          『O脚の膝』

 山田との対論の中でとりわけ興味深く感じたのは、永井の次の発言であった。

「FPSが果たしてリアルかというと難しいというか、ふつうに五感をもって存在している段階で、斜め上からの認識というものがすでにあるという感じもするんです。TPSのほうが、人間のもっている感覚に対して自然なものな気がする。逆にカメラアイのみが突出した状態ってけっこうおかしな状態って思うというのかな」

 文体派の永井としては、山田がそう言うことを期待したように、単純にFPSがリアルだと認めるつもりはないようで、なかなか複雑な問題であることを示唆している。「写生」と「リアリズム」を別物だとする永井の見解は注目に値するように思われる。

 先月の時評で時評子は、現代の若手歌人の歌に見られる〈今〉の多元化に触れたが、この問題を扱った文章がもう一つあったので紹介しておきたい。斉藤斎藤の「文語の〈われわれ〉、口語の〈わ〉〈た〉〈し〉」(「短歌研究」二〇一四年十一月号)である。この文章で斉藤は、中世・中古の和歌においては、一首の中で複数の時間が並存するのがふつうだったとする。たとえば紀貫之の〈袖ひちて掬びし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ〉では、水を掬った夏、それが凍った冬、溶け出す春の三つの時点が並存している。短歌改革者の子規はこれを嫌い、助動詞を排することで名詞中心の視覚的で映像的な写生を確立したという。こうして〈今〉は一元化されたのである。ところが斎藤茂吉はこれに飽き足らず、眼前の〈今〉以外の遠い時点を歌に取り込もうとしたというのが斉藤の見立てである。斉藤は大辻隆弘の論を引いて、〈わたつみの方を思ひて居たりしが暮れたる道に佇みにけり〉という歌では、海の方角を想像していた大過去、呆然と我を忘れる過去、そのことに気づいた今という三つの時点が、「ゐたりしが」「たる」「にけり」という助動詞によって表現されているとする(大辻の論考は「多元化する『今』 ―近代短歌と現代口語短歌の時間表現」『近代短歌の範型』所収。ただし、斉藤が右の文章を書いた時点ではツイッターの投稿)。これは単一の〈今〉を保持しつつ、遠い過去や近い過去を歌に取り込む手法であり、斉藤は近代の文語短歌の時間組織は英語のシステムに近いと述べている。この指摘は興味深いが、さらなる論究は別の機会に譲りたい。

 おもしろいのは、斉藤によると、〈白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう〉(永井祐)のように、一首の中に複数の〈今〉が並立する歌は、中世・中古時代の和歌への先祖返りとみなすことができるということである。ただし、貫之の和歌では「き」「り」などの助動詞によって時間軸が一本化されている点が、動詞の終止形が連なる現代の短歌と異なる点であろう。

    *      *      *

 「現代短歌」二〇二〇年一月号から川野芽生が「幻象録」という連載を続けている。時評という枠を超えた独自の視点があるコラムである。二〇二一年五月号で川野は、睦月都の歌壇時評「抑止する修辞、増幅しない歌」(角川『短歌』二〇一九年十月号)に触れており、興味深い論考となっているので少し見てみたい。

 この時評で睦月は、近代短歌は永田和宏の説くように、一首の中の求心力と遠心力の相克によって意味の増幅に向かうものだが、近年になって増幅ではなく抑止・制限に向かう修辞を見るようになったと述べている。睦月はそのような歌をどう読めばよいか、当初はわからなかったと述懐している。これはどこにも盛り上がりのないフラットな歌を目にしたときに、多くの人が抱く感想ではないだろうか。

 睦月はそのような修辞傾向が見られる現代の若手歌人の歌をいくつか引いて、次のように述べている。

夏の本棚にこけしが並んでる 地震がきたら倒れるかもね                                 五島諭

そのへんのチェーンではないお店より安心できる日高屋だった                               鈴木ちはね

とても軽そうな子犬が前足に落ち葉を絡めて歩いていった                               谷川由里子

 このような歌で作者は、自分が意図しない方向に勝手にイメージが溢れないように慎重に言葉を置いている。読者は言葉の向こうに抒情性や心理的屈折という「何か」を探すのだが、それは見つからないと睦月は書き、最後に次のように締めくくっている。

「長い歴史の中で培われてきた短歌のインデックスを利用することもなく、言葉に必要以上の感情を乗せることもない。そこにあるのはシンプルな定型だ。かれらは潔癖ともいえるほどにていねいに言葉を削ぎ落とし、安易なポエジーを躱す。これらの行為は短歌の所与性、ハイコンテクスト性、あらゆる『短歌的なもの』を照らし、問い直しているように思う」

 この睦月の発言を受けて、川野は第三回笹井宏之賞を受賞した乾遥香の「夢のあとさき」から歌を引いてさらに考察を進める。

飛ばされた帽子を帽子を飛ばされた人とわたしで追いかけました

レジ台の何かあったら押すボタン押せば誰かがすぐ来てくれる

 なぜこのように修辞の増幅を抑えて、リフレインを多用するかというと、省略を利かせて省かれた部分を読者に補完してもらうのではなく、読みのぶれを最低限に抑えようとしていて、歌の背後には書かれていないことなど何もないと意思表示しているのではないかと川野は考えている。なぜそこまで解釈をコントロールしたいかというと、それは「読者を信用していない」からであり、「解釈共同体を信用していない」からだとする。短歌で多くのことを表現しようとすると、共有された読みのコードに頼って意味を補完することになる。それは便利な手段ではあるけれど、マイノリティの排除にもつながると川野は続けている。現代の若手歌人の歌が、あたりまえと見えることをわざわざ反復してまで表現するのは、説明抜きで共有されることを拒むからだというのが川野の考えである。

 川野の論考は多岐にわたる問題を含んでおり、その中には短歌の本質に関わるものもある。そのすべてを論じることはこの時評では到底無理だが、その一角だけでも考えてみたい。

 問題を考えるキーワードとして「くびれ」と「ずん胴」を選びたいと思う。「くびれ」は穂村弘が『短歌という爆弾』(二〇〇〇、小学館)で提唱した用語である。穂村はまず短歌が人を感動させる要素に共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)があるとする。共感とは「そういうことってあるよね」と感じてみんなに共有される想いであり、驚異とは「今まで見たこともない」と目を瞠るような表現をさす。人々に愛唱される歌の多くは、共感の中に驚異が含まれており、それを穂村は「短歌のくびれ」と呼んでいる。それはちょうど砂時計の狭くなった場所に相当する。たとえば〈砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね〉(俵万智)という歌のくびれは「飛行機の折れた翼」で、読者はここで「えっ? 飛行機の折れた翼?」という自分自身の体験とはかけ離れた衝撃に出会う。もしこれを「桜色のちいさな貝」に置き換えると、上から下まで円筒形のズンドウになってしまう。読者は短歌のくびれで思いがけない衝撃に出会い、それを通過することで深い感動を得て、より普遍的な共感の次元へと運ばれることになるというのが穂村の解説である。穂村はもともと塚本邦雄の短歌に衝撃を受けて短歌に手を染めた人なので、基本的に共感より驚異を重視する立場であることも押さえておきたい。なお穂村は、穂村弘×東直子÷沢田康彦『短歌はプロに訊け!』(二〇〇〇、本の雑誌社)でもほぼ同じことを述べている。

 二〇〇〇年代のリアル系の若手歌人の歌には共通してくびれがなく、フラットで高まりがない。どうしてこんな普通のことを歌に詠むのか首を傾げる向きもあろう。

なんか知らんが言われるままにキヨスクの冷凍みかんをおごってもらう                               宇都宮敦

なんとなく知らない車見ていたら持ち主にすごく睨まれていた                               鈴木ちはね

おろしてはいけない金をゆうちょからおろす給料日が火曜日で                                 山川藍

 このような歌を見て感じるのは、時代がワンダーからシンパシーへと大きく舵を切ったということである。穂村はシンパシーの中に含まれる微量のワンダーが秀歌を生むとした。しかし二〇〇〇年代のリアル系若手歌人には、その微量のワンダーが作り物に見えて嘘臭く感じられるのではないだろうか。このような歌はもはや秀歌をめざしていない。彼らはワンダーを生み出す天才に憧れて身悶えするよりも、等身大の日常にシンパシーが静かに漂うほうを好む。「長い歴史の中で培われてきた短歌のインデックス」を参照し、「解釈共同体」を梃子としてワンダーを生み出す必要がないので、それらは歌に要請されることがないのではないだろうか。

 「ねむらない樹」別冊の「現代短歌のニューウェーブとは何か?」(書肆侃侃房、二〇二〇)に永井祐が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。永井は歌葉新人賞でこの回がベストだったとする。〈それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした〉という歌を作った笹井宏之は「遠いところを目指す」歌で、〈牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ〉の宇都宮敦は「近いところの見方を変える」歌だとする。この対決は一種の「スタイルウォーズ」、つまり文体の対決だったと永井は総括している。笹井は言葉を極限まで純化することで誰も真似することのできないワンダーをめざしたのにたいして、宇都宮はシンパシーに立脚して日常に微妙なずれを生み出す戦略ということになるだろうか。宇都宮の文体は意識的に選ばれたものである。そのことは斉藤斎藤が「書きたくないことは書かないで」(「短歌研究」二〇一二年七月号)の中で、「ずんどう鍋を磨きあげる」という宇都宮の言葉を引用していることからも明らかだ。宇都宮は穂村の「くびれ」に対抗する文体を模索したのである。その結実は『ピクニック』(現代短歌社、二〇一八)に見ることができる。

 川野の言うように、二〇〇〇年代のリアル系歌人が「解釈共同体を信用していない」かどうかは疑問の余地があるが、信用しないまでも必要としていないことは明らかである。そのちがいはカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)のちがいに喩えることができるかもしれない。旧教では教皇が神の代理人で、教会という共同体を通して信者は神とつながるが、新教はそれを否定し、一人一人の信者が直接に神とつながるとする。結社や歌会として表れる解釈共同体は、旧教の教皇や教会と同じように信者と神の媒介として働く。リアル系若手歌人の多くは結社に所属せず、一人で歌と向き合う。〈私〉と神とが直接につながるように、〈私〉と歌の間に媒介を必要としない直接的な回路があるかのようだ。その回路はある意味で歌の純度を担保する役割を果たすかもしれない。しかしその一方で、媒介を拒否する態度は、短歌から座の文芸としての性格を奪うことはまちがいない。その結果として、彼ら・彼女らの歌が、成層圏の群青の空に向かって放たれる孤独な叫びとならないだろうかという一抹の危惧を拭い去ることができないのである。

第313回 永井祐『広い世界と2や8や7』

横浜はエレベーターでのぼっていくあいだも秋でたばこ吸いたい

永井祐『広い世界と2や8や7』

 2020年に左右社から上梓された永井の第二歌集である。永井が2002年に第一回北溟短歌賞で次席に選ばれて短歌シーンに登場した時は、「トホホ短歌」「緩い短歌」の代表格と見なされて、年長歌人たちからずいぶん叩かれたものだ。しかし、その後の時間の流れの中で、永井が作る短歌の本質の理解はずいぶん進んだ。そのような変化の契機は大きく3つあったように思う。

 一つ目は2005年に行われた第4回歌葉新人賞である。この回の新人賞は笹井宏之が「教えてゆけば会えます」で受賞した。次席は宇都宮敦の「ハロー・グッバイ・ハロー」である。書肆侃侃房から「ねむらない樹」別冊として刊行された『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。永井は全部で5回行われた新人賞の選考会では、第4回がベストだったと書いている。その理由は、笹井と宇都宮の対決は「一種のスタイルウォーズだった」からである。 

 少し抜き出して引用してみる。

「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮の歌。表現の飛躍が魅力の笹井に対して、一字空けの間や『とりあえず』『ふつうに』などの言い回しから葛藤や空気感を伝える宇都宮」。「笹井の歌は一首での引用に向いている」が、「宇都宮の歌は三十首の流れやうねりにキモがある」。「その対立は口語短歌の行方にとって本質的である」、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた。」

 宇都宮の「ハロー・グッバイ・ハロー」には次のような歌が含まれていた。これも年長の歌人の目から見れば相当な「緩い歌」と見えるだろう。選考委員で宇都宮を推したのは穂村弘一人だったという。

真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは

それでいてシルクのような縦パスが前線にでる 夜明けはちかい

牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ

 明らかに宇都宮は永井と同じ方向性をめざしていた。キラキラした言葉ではなく、近いところの見方を変える歌という永井の言は、そのまま自身の短歌の特徴を語っていると見てよい。

 『短歌研究』2020年6月号は「永井祐と短歌2010」という特集を組んでいる。そのインタビューの中で永井は次のように語っている。歌を作り始めた頃は、穂村弘の影響が大きかった。しかしそれではだめだと感じて、自分の持っているものを自覚して文体に落としていく作業に時間がかかった、と。聞き手の梅崎実奈は、第一歌集の『日本の中でたのしく暮らす』に北溟短歌賞の「総力戦」が収録されているが、穂村っぽい部分が全部カットされていると指摘すると、永井は、テンションの高さやキラキラした部分はカットしたのだと明かしている。永井の短歌の文体は自覚的に作り上げたものであることがわかる。

 永井の評価の潮流が変化した第二の契機は、永井が何をやろうとしているかについての年長歌人の理解が深まったことである。たとえば『レ・パビエ・シアン II』2012年9月号の「若手歌人を読む」という特集に、大辻隆弘が「新しき『てにをは派』」という永井論を書いている。大辻は2011年7月に長浜ロイヤルホテルで開かれた現代歌人集会の「口語のちから・文語のチカラ」というシンポジウムに登壇した永井が語った言葉に瞠目したと明かしている。永井は、口語・文語・外来語といった様々な言語を「ツール」として選ぶという言語観を否定する。言葉とは、自分の存在を規定している「身体の延長」であり、口語は「自分が生まれた国」であるとする。またニューウェーヴ世代の短歌の不自然な口語と文語の混交に違和感を感じていたとも述べている。詳しく引くのは避けるが、大辻は永井の文体のキモは「てにをは」つまり助詞であり、助詞の選び方に永井独自の工夫があると熱く語っている。これはユニークな視点である。

 第三の契機は、ゼロ年代のリアル系歌人と呼ばれる若手に永井フォロワーが増えたことである。試しに『現代短歌』2021年9月号の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」から引いてみよう。

特別な何かを手に入れたとしても幸せになれるかは、わからない

                          中野霞

気をつけてねと送り出されたこの道で死ねば気をつけなかったわたし

                          乾遙香

てきとうな感じで生きている人がいたっていいしいたってふつう

                         中澤詩風

 このような若者のしゃべり言葉に限りなく近い口語短歌は、永井や宇都宮が始めたものである。前衛短歌が積み残した使命として現代短歌の口語化を挙げる加藤治郎の短歌と較べてみると、そのちがいは一目瞭然だろう。

やりなおすことはできないどこからもどこからも鈍器のひかりあれ

                        『噴水塔』

韻律の香りのなかに言葉ありさよふけぬれば風は囁く

ひらがなの流れるような雲がゆくふるえるばかりひとひらの舌

 加藤の歌は美しいとは思うが、永井が違和感を感じたという文語と口語の混交とはまさにこのような文体を指すのだろう。日常の生活で、「さよふけぬれば」とか、「ふるえるばかり」なんて言う人はいない。

 「口語によるリアリズムの更新」という問題意識は、加藤治郎らのニューウェーヴ世代にもあったが、永井の特徴は、一見ハードルが低そうで、つい真似をしてみたくなるところにあると穂村弘は指摘している(『短歌研究』2020年6月号所収「作り手を変える歌」)。永井が北溟短歌賞でデビューしたときにはそれと意識されていなかった「リアリズムの更新」というテーゼが、その後時間が経つにつれて短歌シーンに徐々に浸透していったということになろう。

 前置きが長くなったが『広い世界と2や8や7』である。まず数字に意味があるのかと考えてしまう。合計すると17になるが、俳句ではないのでこれには意味はあるまい。収録されている連作のタイトルにも、「それぞれの20首」「7首ある」「12首もある」のようにとぼけたものがある。永井は意識的に不必要な意味を消去しているのだ。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

オレンジ色に染まってる中央通り 市ヶ谷方面 酒屋を右に

雪の日に猫にさわった 雪の日の猫にさわった そっと近づいて

待てばくる電車を並んで待っている かつおだしの匂いをかぎながら

 永井は単に歌を不自然な文語から解放して、若者の日常のしゃべり言葉で書こうとしているわけではない。日常の言葉を写しただけでは詩にならないからである。できるだけ口語で書いてポエジーを発生させるには文体の工夫が必要である。永井は意識的な文体派なのだ。穂村の言うように、ハードルが低そうでつい真似をしてしまう人とのちがいはそこにある。

 一首目は巻頭歌である。ここには手の込んだ倒置法が使われている。正置に戻すと、まず三句目までと残りを「ジャケットでジャケットでしないことをするからよれよれにジャケットがなる」とひっくり返し、次に「よれよれにジャケットがなる」を「ジャケットがよれよれになる」とまたひっくり返す。残りは「[ジャケットでしないこと]をジャケットでするから」と入れ子構造になっているという複雑な文になっている。穂村と山田航はこの歌を「これはやりすぎだね」と評しているが無理もない。

 二首目の工夫は「青いから」にある。ライターを手の中で回すのは、人が無意識によくする行為だ。しかし「青いから」と「そこでなにかが起こったような」の間に論理的連関はない。論理的連関を断ち切ることによって意味の脱臼が起こり、言葉は日常の地平を離れて浮遊し始めるのである。三首目は意図的に助詞と述語を省略することによって、言葉の連接を疎外して、「言いさし感」と「言い足らず感」を浮上させている。四首目は永井を「てにをは派」とする大辻ならば喜びそうな歌である。「雪の日に猫にさわった」の「雪の日に」は時間指定を行う連用修飾句であり、文全体に掛かる。一方、「雪の日の猫にさわった」の「雪の日の」は「猫」に掛かる連体修飾句であり、「雪の日の猫」という大きな体言内部で完結している。「雪の日に猫にさわる」という体験を通して、猫は単なる猫ではなく「雪の日の猫」という一回限りの特性を帯びることになる。言わば外部が内部へと浸透するのである。五首目は通勤のために駅のホームで電車を待っている光景だろう。かつおだしの匂いというのは、駅のホームにある立ち食い蕎麦の店から漂う匂いだろうか。この歌でおもしろいのは「待てばくる」だろう。駅なのだから待てば来るのは当たり前である。当たり前のことをわざわざ言うのはどこかおかしい。そのどこかおかしい感が日常の言葉と少しずれを生んでいる。

 永井の短歌のもうひとつの特徴を挙げておきたい。ものすごく乱暴に短歌を二分すると、「名詞中心の歌」と「動詞中心の歌」に分けられる。名詞中心の歌の代表格は何と言っても塚本雄だろう。

煮られゐる鶏の心臓いきいきとむらさきに無名詩人の忌日

                   『日本人霊歌』

ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の脚

                    『緑色研究』

 名詞は基本的に動きを表さず、時間性を内包しない。このため名詞中心で描かれた光景は、あたかも一幅の絵画のごとく凍り付いたように空間に固定される。それゆえ結像性が高く、読む人の心に視覚的印象が深く刻まれる。永井の歌集にこのような歌は一首もない。永井は動詞中心派なのである。

デニーロをかっこいいと思ったことは、本屋のすみでメールを書いた

目をつむり自分が寝るのを待っている 猫はどこかへ歩いて行った

とおくから獅子舞を見る 駅ビルの階段の上でゆっくりうごく

 永井が動詞中心派なのは、ふつうの世界に生きている〈私〉の「今」を表現したいからだろう。一首目や二首目のように過去形の「タ」で終わる歌もあるが、三首目のように非過去形の「ル」で終わる歌も多くあり、この歌のように一首の中に動詞が複数使われているものもある。それが〈私〉の「今」とどうつながるかは、別の所に書いたのでここでは繰り返さない。

 文体派の永井の面目躍如の歌集である。本歌集は今年の大きな話題となるだろう。

 

第312回 山下翔『温泉』

檀弓まゆみ咲くさつきのそらゆふりいづる母のこゑわれにふるへてゐたり

山下翔『温泉』

 山下翔は1990年(平成2年)生まれで、2007年頃から作歌を始めたという。17歳だからまだ高校生か。九州大学理学部に入学後、しばらくしてから短歌に力を入れるようになり、九州大学短歌会を創設して代表になる。第一歌集『温泉』に収録された50首の連作「温泉」は、『九大短歌』第4号 (2006年) に掲載されている。他の会員が10首や20首の出詠の中で、50首の連作は異例である。早くから連作を構成する技量を持っていたことがうかがえる。山下が注目されたのは、現代短歌社賞で二度にわたって次席になったことによる。第1回目のタイトルは「湯」、第2回目が「温泉」であった。選考委員だった外塚喬は、「二十代の若者ならもう少しかっこいいタイトルを付けてもよいだろうと思った」と栞文に書いている。

 『温泉』は2018年に現代短歌社から上梓された第一歌集である。栞文は島田幸典、花山周子と外塚喬。本歌集は第44回現代歌人集会賞、第63回現代歌人協会賞、福岡市文学賞を受賞している。現在「やまなみ」所属。

 瀬戸夏子は『はつなつみずうみ分光器』で山下を紹介する文章を「いぶし銀の新人の登場であった」と始めている。「現代短歌ではなく、近代短歌の継承者が突然姿を現した」、「とにかくいい意味でいまどきの若者らしくない」と続けて、「大物だ」と締めくくっている。どうやら、いまどきの若者らしくない近代短歌というのがキーワードのようだ。さてその作風はというと、なかなかに個性的で確かにおおかたの現代の若手歌人の短歌とはひと味ちがうのである。

店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである

厚切りのベーコンよりもこのキャベツ、甘藍キャベツ愛しゑサンドイッチに

そんなに握りつぶしてどうするまた展く惣菜パンの袋であるに

みりん甘くて泣きたくなつた銀鱈の皮をゆつくり噛む夏の夜

食べをへた西瓜の皮のうつすらと赤みがかつて夕空かるし

 一首目、熟れた枇杷の実の橙色が飲み屋街の店の灯りのようだと述べる韻律のよい上句は突然分断され、下句はつぶやくような口語の感慨へと転じている。この転調は山下の得意技である。二首目はキャベツとベーコンを挟んだサンドイッチの歌で、後でも述べるが山下には飲食の歌が多い。山下はよほどキャベツが好きなのか、キャベツの歌が他にもある。この歌では特に統辞の工夫に注目したい。三句目で体言止めして、「甘藍愛しゑ」といったん感慨し、最後にサンドイッチという正体を明かす。この出し方に工夫がある。三首目は口語脈で独り言のような歌で、惣菜パンを入れた袋を強く握りすぎているという瑣事を詠む脱力系である。こういうとぼけた味わいの歌も多い。四首目は男一人の飲食の歌に侘しさが漂う。侘しさは短歌によく似合う。高額の宝くじに当選したという短歌は見たことがない。五首目は三句目までが「赤み」を導く序詞のように作られていて、山下はこのような技法を好んでいるようだ。次のような歌もある。

朝食のふぐのひらきのしろたへのウエディングスーツきみも着るのか

 栞文で島田幸典は「この歌集で最も輪郭濃く描かれた登場人物は、お母さんである」と述べている。確かに島田の言うように、本歌集には両親を詠んだ歌、とりわけ母親を詠んだ歌が多くあり味わいが深い。

母がまだ煙草を吸つてゐるとしてやめようよなんて言つてはいけない

母の日を過ぎてそろそろ誕生日の母をおもへど誕生日知らず

母の通ひ詰めたるパチンコ店三つひとつもあらずふるさと日暮れ

四十代さいごの年を生きてゐむ母にさいはひあるならばあれ

会はないでゐるうちに次は太りたる母かもしれず 声を思へり

 歌に描かれた母は、パチンコ屋に通い煙草を吸うというなかなか豪快な女性である。これらの歌にとりわけ味わいがあるのは、何か事情があって母親は作者と離れて暮らしているからである。「母にかはつてとほくから来るバスを見きつぎつぎに行き先を母へ伝ふる」という幸福な子供時代を回想する歌もあり、母親は作者にとって記憶の中に生きている思慕の対象であるようだ。

 記憶があやふやだが、永井祐の作る短歌は舞台が東京でないと成立しないと山田航がどこかで書いていた。それはひょっとしたら西田政史の『ストロベリー・カレンダー』(1993年)あたりからはっきりした傾向となって、現在まで続いているのかもしれない。無機質で風土性の欠如した都市空間は様々なものを漂白して提示する。どこまでも続くユークリッド空間のように凹凸と陰翳がない。しかし山下の歌には強い風土性が感じられ、これも現代の若手歌人にはあまり見られない特色となっている。

この墓がどこに通じる友人の精霊しやうろう流しの手伝ひに来て

新盆の家をまはると細き路地に船押す人と曳く人とあり

母がしてゐたやうに花買ひ水を買ひ生家の墓へと坂をのぼりつ

鬼灯を今年は買つてまぜてみる墓に冷たく祖父が来てゐる

ふるさとに見過ごすもののおほきゆゑ今年は咲いて百日紅あり

 お盆に故郷で墓参りをする光景が描かれていて、九州なので精霊流しの船もある。生家の近くには先祖の墓があり祖父も眠っている。私の世代ならごく普通の景色だが、現代の都市に暮らす若い人たちには「日本昔ばなし」の世界だろう。こういうところにも山下が近代短歌の血脈を継ぐと言われる理由があるのかもしれない。

 先にも書いたように本歌集には飲食の歌が多く、どれもおもしろい。

それでキャベツを齧つて待つた。焼き鳥は一本一本くるから好きだ

戻り鰹のたたきの下のつましなれば玉ねぎのうすらうすら甘かり

円卓をまはせばここに戻りくる あと一人分の酢豚をさらふ

ざく切りのキャベツちり敷く受け皿にまづバラが来てズリ、皮、つくね 

ほの甘いつゆにおどろくわが舌がうどんのやはきにもおどろきぬ

 どの歌もいかにもおいしそうに詠まれていて、作者にとって飲食が楽しみであることが伝わってくる。四首目は焼き鳥の歌だが、「回転の方向はそれ左回り穴子来て鮪来てイカ来て穴子」という小池光の回転寿司の歌を想起させる。「つましなれば」をさらりと潜ませるなどなかなかの腕だ。このような飲食の歌もまた、近代短歌に通じるところがある。よく知られているように、斎藤茂吉もまた食べることに人一倍執着があり、大好物は鰻だったというのは有名な話である。

ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは樂しかりけり

 山下は本歌集の巻頭に、「山道をゆけばなつかし眞夏まなつさへつめたき谷の道はなつかし」という斎藤茂吉の『つゆしも』の歌を引いているくらいだから、茂吉の短歌世界に引かれているのだろう。『現代短歌』2021年9月号の「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」で山下は、最も影響を受けた一首として「たくさんの鉢をならべて花植ゑし人は世になし鉢ぞ残れる」という小池光の歌を挙げて、助詞の「ぞ」による係り結びにことに打たれると書いている。いまどきこんなことを書く若手歌人は他にはいない。

 本歌集で特に印象に残った歌を挙げておこう。

 

はつなつのものみな影を落としゐる真昼もつともわが影が濃し

橋ひとつ渡りをへたるかなしみは朝、後ろから抜けていく風

前に出す脚が地面につくまへの、ふるはせながら人ら歩めり

追ふともう二度と会へなくなるんだよとほく原付のミラーひかつて

ほとんど平らな橋の広さを見下ろせば雪のゆふぐれに人は行き交ふ

思ひ出すだけならあなたは死者になる冬の終はりの長い長い雨

真中なるもつとも長きひと切れのロースカツ食べつ春はさみしよ

スケートボード足に吸はせて跳ね上がる六月はじめの空あかるくて

たれの死にもたちあふことのないやうなうすい予感に体浮くことあり

 

 『温泉』のモノトーンの表紙は良く言えば渋く、悪く言えば地味だ。中の紙も上質紙ではなく、わざとざらつきの多い粗悪な感じの紙を使っていて、装幀にもポリシーが感じられる。瀬戸夏子は目を懲らして見ると、表紙には斎藤茂吉の写真がシルエットになっていると書いているが、私はいくら目を懲らしても見えなかった。目が悪いのだろうか、確かに老眼ではあるけれど。山下は第二歌集『meal』を準備中だという。タイトルから想像するに、全篇飲食の歌だろうかとも思うが、まさかそんなことはあるまい。

 蛇足ながら山下は九大短歌会の代表を辞していて、後任は石井大成だという。石井はいくつかの短歌賞で佳作・次席になり、「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」にも取り上げられているので少し引いておこう。

はたはたとティッシュ舞う夏の洗濯よ不在は在の、あなたの影だ

雪見だいふくだとあまりにふたりで感なのでピノにして君の家に行く 月

気持ちはもう思い出せずにただ白い箱が窓辺で日を浴びている


 

角川『短歌』8月号歌壇時評「口語によるリアリズムの更新」

 永井祐の第二歌集『広い世界と2や8や7』(左右社)が昨年(二〇二〇)十二月に出版された。第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(二〇一二)以来八年振りである。第一歌集はBookParkからオンデマンド出版され、すでに入手不可能になっていたが、昨年春に短歌研究社から同じ装丁で再刊されている。『広い世界と2や8や7』はさっそく『短歌研究』の今年六月号の作品季評で取り上げられていて、評者の穂村弘、佐藤モニカ、山田航が縦横に論じている。

 季評の冒頭で山田は、「口語のリアリズムということで言えば、いま最先端のことをやっているのはやはり永井祐ではないかと思っています」と発言し、それを受けて穂村は、「永井さんがデビューしたときはまだはっきりとは見えていなかった作家性が徐々に短歌の世界に浸透して」きたと指摘し、永井の作る短歌が「リアリティの捉え直しというか、そういうメタ的な精度を短歌に導入した」と述べている。

 山田は最近しきりに穂村の唱える「口語によるリアリズムの更新」に言及している。たとえば『ねむらない樹』第六号(二〇二一、書肆侃侃房)の「二〇二〇年の収穫」というアンケートで山田は、「二〇二〇年の短歌のキーワードは、穂村弘が提唱した『口語によるリアリズムの更新』だろう。永井祐、宇都宮敦、仲田有里、山川藍など二〇〇〇年代以降に登場した口語歌人たちの中に、単に現代語を用いているというだけではなく、日本語の自然なしゃべり言葉の語順に近づけようとする志向が表れていることを指摘した」と書いている。

 思えば、「わがまま派宣言」「短歌のくびれ」、「棒立ちのポエジー」、「一周回った修辞のリアリティ」、「圧縮と解凍」など、現代短歌を語る上でよく用いられるキーワードを数々提案してきた穂村が提唱する新しいキーワードがこの「口語によるリアリズムの更新」である。

 穂村は『短歌研究』二〇二〇年六月号の「『永井祐』と『短歌2010』」という特集に、「作り手を変える歌」という文章を寄稿している。穂村は、俵万智、林あまり、加藤治郎、そして自分が初期に作った口語作品は口語短歌の模索時期に当たり、一九九〇年を越えて口語で短歌を作ることがふつうになって次のステージが開けたと回顧している。その幕を開けたのが永井らの若手歌人であり、短歌固有の口語表現の追究は、リアリズムの更新というアプローチを採ることになったとする。

 『短歌研究』六月号の作品季評に戻ると、穂村は永井の「携帯のライトをつけるダンボールの角があらわれ廊下をすすむ」という歌を取り上げて、臨場感があり自分もやってみたいという誘惑にかられると述べている。続けて山田は、「永井さんは自分を斜め上から見ている感じではなく、カメラそのものはずっと主体の目についていて、実況中継をしているような感じがありますね。スマホで動画撮影しながら歩いているときの視点だなと思います」と応じている。つまり「口語によるリアリズムの更新」が意味するところは、作歌にあたって自分を上から俯瞰する視点を取らず、臨場感を大切にして、「携帯のライトをつける」→「ダンボールの角が現れる」→「廊下をすすむ」のように、作中の〈私〉が知覚した順番どおりに場面を並べる表現方法ということになる。

 このような文体については、永井自身が参考になる文章を同人誌『率』第五号(二〇一三)に書いている。「土屋文明『山下水』のこと」と題された文章で永井は、文明の短歌に「雨のの花に遊べる蝶襲ふとかげを見居り鉛筆けづりかけて」のように字余りの歌が多いことを指摘する。そして一見削れそうに見えるこの字余りに命が宿っており、命の雑音が歌の言葉を余らせると書いている。続けて「我がかへる道を或いはあやまつと立つ秋のよる蛍におどろく」という歌を引いて、「一首の全体を上から俯瞰して構成する手が見えない。初句が出て、二句が出て、三句が出て、四句が出て、結句が出る。一首が時間的だ。そして、なぜそういう形になるのかと言えば、私たちの生がそういう形をしているからだろう。私たちはいつも結句を知らないまま、字余りしながら生きている。文明の歌を読むと、その『歌を生きる』態度の徹底ぶりにおどろいてしまう」と述べている。

 ここからわかるように、穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」とは、単に文語に代わって口語やしゃべり言葉で短歌を作るということではない。そのような言語の位相の問題ではなく、素材となる場面を歌へと構成する作者の方法論の問題なのだ。わかりやすく箇条書きにすると次のようになる。

① 歌の素材となる体験を俯瞰的に再構成しない。

② 私たちは次の角を曲がった所に何があるか知らない。だから短歌を作る時にも同じ態度を取るべきである。

③ したがって作中主体である〈私〉の目に映った順番どおりに場面を描くことが新しいリアリズムである。

 永井はこのような表現方法を実作においてどのように示しているだろうか。『広い世界と2や8や7』の中からこのような方法論に符合する歌を引いてみよう。

電車に乗って映画見に行く 電話する おもちを食べたお皿をあらう

蚊帳のなかで寝苦しそうなお坊さん 窓よごれてる ベランダきれい

仕事するごはんを食べるLINEする 百均のレジに列ができてる

フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」をみる トーストを食べる また電車にのる

 一首目ならば「見に行く」→「電話する」→「あらう」のように並んでいる動詞は、作中主体の〈私〉が取った行動の順序を正確に反映していることがわかるだろう。

 もちろん本歌集に収録されたすべての歌がこのような手法で作られているわけではないが、「作中主体の知覚・行動の順序を遵守する」という「リアリズム」がふたつの問題を孕んでいることを見ておきたい。

 まず作中の〈私〉が移動する場合、歌の場面も切り替わるという点である。上に引いた四首目ならば、「荒川氾濫」を見たのはたぶん防災センターで、トーストを食べたのは近くの喫茶店で、電車に乗ったのは駅である。一首の中に場所が三ヶ所もある。それは歌の空間的な拡散を招く。空間的な拡散は印象の拡散につながり、一首の凝集力を低下させる。昔から一首の中に動詞をあまりたくさん入れない方がよいと言われているのはこのような理由による。

 空間的な拡散以上に短歌にとって重大になるのは時間的な拡散である。一首目を例に取ると、この歌の中には「電車に乗って」(時点1)「映画見に行く」(時点2)「電話する」(時点3)「おもちを食べたお皿をあらう」(時点4)のように、異なる時点が四つある(「おもちを食べた」は連体修飾句の中にあり、断定されていないので数えない)。空間的な拡散以上に時間的拡散は、歌の結像性を弱める。私たちはこのような歌を読むとき、明確な視覚的像を描くのが難しい。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径                                 木下利玄

たちこむる雨霧のなかしろじろと藤は円座の花のしずまり                                 坪野哲久

冬山の青岸渡寺(せいがんとじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ 

                           佐藤佐太郎

 

 近代短歌のリアリズムの原則は、右に引いた歌に見られるように、作中主体の不動の一点からの写生である。一首目ならば〈私〉は曼珠沙華が咲いている道端に立って光景を見ていることが明らかである。二首目では〈私〉はおそらく雨に濡れながら藤棚の近くに立っている。三首目では〈私〉は那智の滝を正面に遠望する寺の庭にいる。このように〈私〉が不動の一点から見ることによって歌は高い結像性を獲得する。読者は作中の〈私〉の視点に仮想的に身を置くことによって、歌に詠まれた光景を脳内で追体験する。そして描かれた光景の背後に揺曳しているはずの作者の心情に触れるのである。このように近代短歌の描く光景は「視点込み」の光景なのである。そして視点の指定を制度的に担保しているのは歌の「空間的統一性」である。ところが永井の歌に見られる空間的拡散は、これと真っ向から対立する。読者は光景を見るべき視点に辿り着くことができないからである。

 このような現代の若手歌人たちの短歌に見られる時間的拡散という傾向は、永井が『率』に文章を書くもう少し前に既に指摘されていた。『短歌ヴァーサス』十一号(二〇〇七、風媒社)に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生と違う」という文章である。この中で斉藤は、第五回歌葉新人賞で次席になった中田有里の連作「今日」から次のような歌を引用して以下のように書いている。

本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある

カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる 

「中田のわたしは、今橋のわたしよりもさらに、今ここの〈私〉の視点を徹底している。一首目。現在から出来事を整理すればたとえば、先週図書館で借りた本を返しに行く、となるのかもしれない。それを、本を持って╱帰って╱返しに╱行く、と書くことにより、本を持つ〈今〉、帰る〈今〉、返そうと思う〈今〉、行く〈今〉、と断続的に〈今〉がつらなってゆく。(…)一首のなかに、中田のわたしは生きている。中田の歌に人生はない。すっぱだかの生きるしかない。」 

 斉藤の言う断続的につらなる〈今〉とは、永井の言う「私たちの生がそういう形をしている」時間軸をそのまま反映したものであることは明らかだろう。

 永井祐の特集が組まれた『短歌研究』二〇二〇年六月号に「『日本の中でたのしく暮らす』の『時間』と『無意識』」という文章を寄稿した大森静佳も同じ点に触れている。大森は永井の歌では「複数の瞬間の把握や体感が同等に列挙される」ことがあり、永井は「『時間』を哲学する歌人だ」と述べている。続けて、現在形をいくつも連ねるタイプの文体については、大辻隆弘の『近代短歌の範型』(二〇一五、六花書林)所収の「多元化する『今』 ― 近代短歌と現代口語短歌の時間表現」に詳しいとして、大辻の議論を紹介している。

 この文章で大辻は、「近代短歌の叙述は、作者を『今』という固定された一つの時間の定点に立たしめることによって成立する」と説き起こす。そのことを茂吉の歌で確かめた後、「永井祐や斉藤斎藤ら現代の若手歌人たちの口語短歌は、この『今』という時間の定点を一箇所に固定させない」と述べて、永井祐の「白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう」という歌を引き、たばこの灰で字を書こうとした時点、いい言葉が思いつかない時点、壁にこすりつけようと思った時点というように、「今」が次々にスライドしていると分析する。そして「『今』という時間の定点を多元化し、『今』を作者自身が移動することによって一首の叙述を形作ってゆく」ところが、近代短歌と決定的に違う所だと結論づけている。

 さて、これで穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」についての議論をほぼ通観したことになる。残り少ない紙面で、果たしてこれが「リアリズム」なのかという疑問と、多元化する「今」が本当に「今」なのかという疑問について考えてみたい。

 若手歌人の歌に見られる空間的・時間的拡散は、西洋絵画史と比較すると示唆的である。西洋の古典絵画は一点透視による遠近法を用いたが、これは近代短歌の不動の視点と同じである。ところがセザンヌが机の上に林檎が盛られた静物画で複数の視点からの描写を一枚の絵に収め、これがピカソらのキュビスムの出発点となった。ピカソは正面から見た女性の顔と横顔を同じひとつの画面に描いた。これは短歌における視点の複数性に通じるところがある。しかし対象を幾何学的に分解し再構成するキュビスムの方法論は、やがて具象自体を否定する抽象絵画へと発展した。こうして視点の複数性は、やがてリアリズムの埒外へと画家を導いたのである。

 また永井らの歌で動詞の終止形が表す複数の時点は、作者にとっては実感に基づく「今」かもしれないが、読者にとってもそうであるとは限らない。読者の側の「読み」を考えるならば、読者は歌の様々な部分を手がかりにして、歌の「今」を脳内で再構成する。たとえば「精霊ばつた草にのぼりて乾きたる乾坤けんこんを白き日がわたりをり」という高野公彦の歌を読むと、鮮やかな遠近の対比の中に日輪が空を渡りゆく「今」が濃厚に感じられる。この「今」は作者の実感に基づくものではない。言葉の組み合わせと配列によって、読者の意識に中に再構成された擬似的な瞬間である。なぜ擬似的なのかと言うと、私たちにとって「今」とは原理的に捉えることのできないものだからである。比喩的に言うと「今」とは、羊羹をスパッと切った切り口のようなものだ。横から見ると切り口には幅がないため私たちの目には見えない。「今」という瞬間が私たちを絶えず逃れ去るものであることは、古東哲明『瞬間を生きる哲学』(二〇一一、筑摩選書)に詳しい。古東はこの本の中で、文学とは私たちの手をすり抜ける「今」を再構成する営みに他ならないことを、豊富な文学テクストを引いて論じている。

 角川『短歌』平成二六年版の短歌年鑑の座談会「秀歌とは何か」の中で、岡井隆は永井に向かって、永井・堂園・山田らが見事にそろって助動詞を使わないのはなぜかとたずねている。この問に永井は直接答えず、自分にとって文体は身体の延長なので、選ぶということができないと述べている。永井らが助動詞を使わないのは、助動詞が日本語の時間表現を担っているからであり、短歌において仮構の「今」を再構成する主要な手段だからだ。永井たちは擬似的な「今」ではなく、真の「今」を求めているのである。

 

 角川『短歌』2021年8月号に掲載

第311回 上村典子『草上のカヌー』

トライアングルぎんいろの海をみたしつつ少年が打つ二拍子ほそし

上村典子『草上のカヌー』

 学校の音楽の授業の場面である。男子生徒がトライアングルを鳴らしている。トライアングルは音楽室の窓から射し込む陽光に鋭く光り、そこに三角形の海があるように見える。少年は二拍子を叩いているのだが、その音はか細い。この歌のポイントは結句の「ほそし」にある。その理由は、少年が特別支援学級の生徒で、障碍を持っているからである。そのことはこの歌のある連作全体を見れば明らかだが、この一首には書かれていない。短歌は一行詩だが、その性格上、そこに書かれていない情報を補填しつつ読まれる。昨今、そのような短歌の性格に疑義を呈する向きもあるが、それは短歌の本質に関わる問題である。

 瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、2021)をおもしろく読んだ。タイトルに「はつなつ」とあるせいか、どことなく夏向きの本である。穂村弘の『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』の「まみ」のモデルが小林真実(雪舟えま)で、この歌集は二人の共同幻想から生まれたと書かれていて、そのことをまったく知らなかった私は驚いた。『はつなつみずうみ分光器』は改めて論じることにして、今回は収録されたある歌人について書くことにしたい。

 この本で取り上げられている歌集はほとんど読んでいるが、二人だけ知らない歌人がいた。『開放弦』の上村典子と、『アネモネ・雨滴』の森島章人である。森島の歌集は古書価が高すぎてあきらめた。一方、上村典子は現代短歌文庫の『上村典子歌集』(砂子屋書房、2011)があるので、それを取り寄せて読んだ。一読して、こんなに美しく切ない歌を詠む歌人がいることに驚いた。

 プロフィールによると、上村典子は1958年生まれ。高校生の時から作歌を始め、26歳の時に「音」に入会して武川忠一・玉井清弘らの薫陶を受けている。第一歌集『草上のカヌー』(1993)、第二歌集『開放弦』(2001)、第三歌集『貝母』(2005)、第四歌集『手火』(2008)、第五歌集『天花』(2015)がある。高校・中学校の教員を務めた後、郷里に戻り特別支援学校の教員として勤務している。

 瀬戸が『はつなつみずうみ分光器』に上村の第一歌集ではなく第二歌集『開放弦』を取り上げたのは、2000年以後に出版された歌集を論じるというこの本の制約のせいだろう。『上村典子歌集』には『開放弦』が抄録されているが、全篇収録されている第一歌集『草上のカヌー』の瑞々しさは圧倒的なのである。

並び立つ書架にどよめく死者のこゑ樟のひかりにしずむ図書館

けふひと日海の呼吸をおもふかなほのあかりする布を纏ひつつ

ソーダ水みたし透かせるおとうとのガラスコップか春はあけぼの

はつ夏のひかりめぐりて駆けゆける自転車の輪のこぼすアレグロ

兄妹とおもはれし写真ピンで留め五たびの夏のしほの香はする

 上村の短歌の特徴のひとつは、五感に訴える描写の巧さにあり、それが清新な抒情を生み出している。一首目はおそらく大学生時代の歌だろう。図書館の書架に並ぶ無数の本に死者の声を聞き、窓外の樟の木を通して届く光を感じている。ここには聴覚と視覚の交感がある。二首目の「呼吸」は聴覚、「ほのあかり」は視覚で「布」は触覚だろう。身に付ける服が微光を放ち、潮の香を漂わせるかのようだ。三首目の「ソーダ水」からは、透明さと冷たさとパチパチと弾ける炭酸の音が聞こえてくる。かと思えば四句までは結句の「春はあけぼの」の喩であることが最後に明かされるという仕掛けになっている。四首目の「ひかり」は視覚に、「アレグロ」は聴覚に訴えることで紛れもない青春性を感じさせる。五首目では「写真」が視覚で、「潮の香」は嗅覚である。写真に写る自分と恋人は兄妹と見られてしまうほどまだ若い。

姉ならぬ母ならぬわれ透明な鋭角体の生徒にむかふ

頭ひとつわれより高き十五歳まづ坐らせて諭しはじめつ

常夜燈に坂はかがやくバス降りてわれを憎める少女を訪ねゆく

 大学を卒業して中学校の国語教師になった頃の歌である。「透明な鋭角体」とは生意気盛りで尖った中学生を表現したものだろう。生徒をまず座らせるのは、生徒が自分より背が高いため、教師としての優越的ポジションを確保するためである。三首目はおそらく家庭訪問の情景だろう。担任をしている生徒たちとの細やかな関係性がよく描かれている。

 佳品が多いのは特別支援学校に転勤してからの歌である。

スタッカートの勢ひもちて駆けてこし少年今朝のわがかほを抱く

発語なき生徒のおもてを奔りゆく音楽のごときに手触れてをりぬ

ビー玉に川がながれてゐるといふ弱視の生徒は瞳を寄せて

失禁をはぢらふ少女わが髪を掴みて指に力こめくる

プールにて抱きとるをさなき体温のどこかいたまし水の秋来ぬ

少女にはことばともりぬくちびるのア音はきよきランプのかたち

 特別支援学校に通う生徒はどこかに障碍を抱えている。その種類は様々だが、体が不自由な生徒との日常には身体の接触が多くなるのだろう。「かほを抱く」、「手触れて」、「髪を掴みて」、「抱きとる」のように、普通の学校の教員と生徒の間にはあまりない濃密な身体的触れ合いが描かれており、そのことが歌に力強さとリアリティーを与えている。六首目のみ『開放弦』から引いた。発語のなかった児童が初めて言葉を発した瞬間を詠んだ歌で、それを「灯りぬ」と表現して縁語の「ランプ」と続けている。ここにも音(聴覚)と灯火(視覚、触覚)の交感が、初めての発語という特別な時間を描いている。

 家族を詠んだ歌も多い。

雪はるか森に降れると窓に寄りわれの森なる父の告げしか

わがために母のつくりし和紙の雛いつかなくして雪降る節句

亡兄ひとり冷えゆくまでを泳ぐかな星降る夜の屋上プール

いまだ独身ひとりの弟眠る籐椅子に泳ぎしあとの髪みだす風

 作者には弟の他に、死産で生まれた兄がいる。父母と弟と亡兄が家族のすべてで、家族にたいする細やかな愛情は読んでいて羨ましいほどだ。特に弟にたいする愛情

は深いようだ。

おとうとと左右さうに坐りて連弾のあのころひと日ゆつくり過ぎき

                           『開放弦』

鎖骨より真珠をはづすさやうならおとうと婚のはつなつゆふべ

おとうとの体をめぐる透析のきらきらとして銀河の浮力

                    『貝母』

おとうとに分かたむ腎臓夜半にはつぼむ百合ほど灯りてふたつ

わが左腎右腹腔にをさめられおとうとの手指しづかに置かる

 一首目は子供の頃にピアノの連弾をした思い出である。二首目は弟が結婚した折の歌。ところが弟は腎臓病を患い人工透析を受けることになる。作者は自分の腎臓をひとつ提供して腎移植を行なうのである。肉親とはいえ大きな決断であることにはちがいない。

 こうして上村の短歌を時系列に読んでいると、つくづく短歌とは特別な文学形式だと改めて感じる。桑原武夫の第二芸術論が発表されたとき、アララギの総帥高浜虚子は「とうとう俳句も芸術になりましたか」とうそぶいたと伝えられている。俳句と同じように、短歌も文学ではないとする見解も可能ではあろう。しかし百歩譲っても短歌が言葉を綴る芸であることには変わりはない。作者の人生の軌跡と日々の思いに留まらず、家族の様子や同僚・生徒の有り様に至るまでこれほどつぶさに描かれ、そしてそれが抒情詩として成立しているという文学形式は、世界広しといえども短歌以外にはない。稀有なことと思うべきであろう。

遺影とふ触るるをこばむ笑みありてみづつるなく封じゆく生

木の階を夕光ゆふかげと折れてのぼりゆくわれが運べるものの寡し

たれまつにあらずわれへと還りゆくたそがれにがきみづくぐる刻

卓上にわたしそこねる月いろの水差カラフ砕けて夏はじまりぬ

古詩一篇脚韻ぬらすほどを降る梅雨の季果てむ夜のとほり雨

少年の体にあかずめぐりゐむこくんと陽射しうけつつ水車

うち捨てにされたる智惠の輪のやうにゆふべ路上になはとび光る

ゆふされば母撒くみづにちまよふあかねあきつのはねふるひつつ

 特に印象に残った歌を引いた。二首目のような内省の歌にも佳品が多い。歌い上げるような造りではなく、逆に内へと沈むような作風である。

 上村は何度か短歌賞の候補に残っているが、受賞は逃している。田島邦彦編『現代短歌の新しい風』(ながらみ書房、1995)の『草上のカヌー』の解説(栗木京子執筆)には、「1993年は第一歌集の当たり年で、個性豊かな歌集が出揃った感がある。それらの多彩な歌集の中にあって、『草上のカヌー』の端正な抒情はやや地味な印象を与えがちだったかもしれない」とある。確かに同じ年には、尾崎まゆみ『微熱海域』、早坂類『風の吹く日にベランダにいる』、西田政史『ストロベリー・カレンダー』、谷岡亜紀『臨界』、早川志織『種の起源』、中津昌子『風を残せり』などが出版されていて、前年の1992年には、穂村弘『ドライドライアイス』や荻原裕幸『あるまじろん』が出ている。世はライトヴァースからニューウェーヴへと雪崩を打って多彩な修辞の季節を迎えていた頃である。そんな時代の流れの中では『草上のカヌー』のような作風はあまり目立たなかったのだろう。しかしそんな時代の流行も「様々なる意匠」にすぎない。『草上のカヌー』は現在読んでも清新さをいささかも失っておらず、まるで青春をタイムカプセルに閉じ込めたような歌集である。おそらくそれは短歌には作者が生きる〈今〉が刻印されているからだろう。


 

第310回 北辻一展『無限遠点』

われの血の通いてちいさな臓器となるその一瞬の蚊を打ちりぬ

北辻一展『無限遠点』 

 夏の蚊が体に止まって血を吸っている。それが見えるのだから止まっているのは腕か足だろう。血液は蚊の口吻を通って体内へと運ばれてゆく。その有り様を、蚊が私の臓器の一部となると捉えているところがユニークだ。確かに血を吸われているときは、〈私〉の血液が蚊の内部に通うことになり、〈私〉と蚊とは一体となると見ることもできる。とはいえ次の瞬間には蚊を手で叩き殺すのではあるが。

 北辻一展は1980年生まれ。同人誌「豊作」の2006年第3号のプロフィールには「歌歴3年」とあるので、2003年頃から歌作を始めたようだ。「京大短歌会」「塔」に所属し、「アークの会」や「豊作」などでも精力的に活動している。今までは北辻千展(きたつじ ちひろ)の名前で短歌を発表していたが、本歌集から北辻一展(きたつじ かずのぶ)の筆名で活動することにしたようだ。『無限遠点』はかなり遅めに上梓された北辻の第一歌集である。解説は「塔」の主宰で師でもある吉川宏志。歌集題名の無限遠点とは、ユークリッド平面では交差することのない平行線が交差すると考えると理論的にうまくゆくことがあり、そのために考案された仮想的な点のことらしい。つまり現実には存在しない点である。大学院に在学中に量子力学に熱中していたという理系の作者らしいタイトルである。作者は理系の研究者であり、また医師でもある。研究者としてはタンパク質の制御機構の研究をしていたようだ。「塔」には元主宰の永田和宏や永田紅のような先蹤がいるが、私はかねてより理系と短歌の抒情は相性がよいと考えている者である。本歌集もそのことを実証しているように思える。

 北辻の歌風はいかにも「塔」らしく、言葉が派手に煌めくことなく、生活実感に根差した静謐な詠いぶりである。文体は文語に適度に口語が混じるという、現代の多くの歌人が採っているものだ。

吹雪の日は望遠鏡にいるようで白さの中に人吸われゆく

起きぬけのしずかなマウス裏返し腹の黒きに薬剤を打つ

早朝に起きて出てゆくのみの部屋 線描ほどの淡さを持ちぬ

会える日を告げえざるときはつ夏の立葵のごとのみどは伸びる

一日のデータをノートに記載する染色液ダイにて青く汚れた指で

 一首目は作者が北海道にいた頃の歌である。激しい吹雪は視界を閉ざしてしまう。その視野狭窄を望遠鏡の中に閉じ込められたようだと表現している。二首目は理系の研究者の歌で、実験に用いるマウスを処理している場面。ポイントは「腹の黒き」だろう。三首目、理系の研究者は長い時間を研究室で過ごす。時には研究室で毛布にくるまって寝泊まりすることもある。夜中に大学の研究棟の横を通ると、窓に煌煌と明かりが灯ってまるで不夜城のようだ。だから借りているアパートの部屋はただ寝に帰るだけの部屋となり、生活感が薄くなる。それを線描と表現しているのである。四首目は相聞歌である。恋人と別れるとき、次に会える日を告げることができない。多忙で予定が立たないのか、それとも遠方に転居を控えているのか。言いたくても言えない状態を喉が伸びると表現している。五首目も研究の場面の歌。実験データは何より重要なものである。研究者は必ず日付のあるノートに実験の結果を書き留める。第一発見者が誰か係争が生じた時のためである。

月光の香り満ちたり核磁気共鳴分光測定棟に

かたちほぐして細胞をとるぽつねんと胎児のくろき眼はのこる

放射光科学研究施設フォトン・ファクトリーよりひとは戻りくる夕立が降る気配をつれて

戦争イソスポーラは目のかたちしてわれらを見つむ顕微鏡下に

皮膚も歯もあらわな鼠ハダカデバネズミその長寿遺伝子DeBAT1(デバワン)

 理系の用語が詠み込まれている歌を引いた。一首目の核磁気共鳴装置はMRAと呼ばれていて、大きな病院では診断に用いられている。そんな装置が置かれている研究棟なのだろう。漢字が連なる厳めしい名前と月光の香りという詩情の組み合わせがよい。二首目には「マウス胎児繊維芽細胞」という詞書が付されている。繊維芽とは細胞の結合組織を形作っているもの。組織を採取した後に、黒い目だけが残ることに作者は哀れを感じているのだろう。三首目、放射光とは、陽子や電子を猛スピードで加速するシンクロトロンで生まれる光のこと。物質の成分分析などに用いられる。この歌でも放射光科学研究施設という硬質の名と夕立が降る気配という日常的感覚とが並置されている。四首目の戦争イソスポーラは寄生虫の一種で、第一次世界大戦時に流行したためにこの名があるらしい。五首目のハダカデバネズミはアフリカの地中に暮らしているネズミの一種で、文字どおり体毛がなく大きな前歯がある。ネズミの寿命がふつう2年程度なのにたいして、ハダカデバネズミは何と30年も生きる。その長寿遺伝子がDeBAT1(デバワン)なのだが、何というネーミングだろう。

祖父の死を考慮に入れて組み立てる大腸菌培養のスケジュール

焦点の合わぬまなこに呼びかければまなこはわれに焦点の合う

祖父と写るはすべて幼きわれなりき日付の赤き数字ぼやけぬ

わが顔を祖父は凝視し祖父はその記憶を持ちていずこへゆきしか

祖母がまだ生きている間に編集を急ぎぬ祖父の文学全集

 祖父の死を詠んだ一連から引いた。三首目の「赤き数字」とは、撮影した日付を写真に写し込む、昔のフィルムカメラの機能である。大人になってから祖父と写真を撮ることはなかったのだ。五首目にあるように、作者の祖父は作家だったようだ。二首目の「まなこ」と「焦点」の繰り返しと、四首目の「祖父」の反復が、どこかのっぴきならないような印象を歌に与えている。

少年天使像つくらんとする父のためわれの背中を見せしあの頃

木塊をのみで大きくえぐるたび青年の厚き胸になりゆく

おまえのは趣味だろうがと前置きし父は語りぬ芸術論を

 北辻の父親は彫刻家の北辻良央で、その装画が歌集の表紙に使われている。一首目は父親のモデルとなった幼少時の記憶である。父親は北辻が研究者・医師をしながら短歌を作っていることを単なる趣味・余技としか見ていない。その悲しみは感じつつも、芸術論を語ることができる親子関係は羨ましいものでもある。

サイレンでプールサイドに浮上して黙祷をする長崎の夏

戦争は総力戦にて供されし馬ありそして青銅馬あり

銃声とともに畔へと倒れこみ死んだふりした幼き祖母は

列なせる島民たちの胸元に聴診器おき眼閉じたり

漁船にて往診をする医師たちと雲間より降るひかり見ており

 故郷の長崎に医師として赴任した時の歌である。長崎に原爆の記憶は消えることがなく、それを歌に詠むこともまた歌人としてのひとつの選択である。長崎には離島が多くある。四首目と五首目は離島に船で島民の健康診断に赴いた折の歌だろう。近年このような職業詠が少なくなったように感じられる。職業詠は近代短歌が生み出したジャンルであり、もっと試みられていいように思う。

袋詰めのキャベツを食めばさきの世の馬のたましいさめてゆく夜

コインランドリーの乾燥機より蝶いづる冥界からの手紙のごとく

風景の折り目のごとく目のまえに蜘蛛の糸垂れ夏は閉じゆく

わが喉ときみの耳管はうつくしい言葉を待ちぬ鮮やかな夕に

生きるとはなにか死ぬとは ハンドソープがわが手に吐きし白きたましい

寄り添いの言葉を選りて話すときマスクの内で擦れる唇

 特に印象に残った歌を引いた。北辻の歌の造りの骨格のひとつは、「ケージの隅でかたまりて寝るマウスたち桜の花片のごとき耳もつ」のように、直喩を用いた「見立て」にある。日常的に出会う事物に「見立て」の操作を施すことによって、日常の空間から詩的な空間へとワープするところにポエジーが発生する。「マウスの耳」と「桜の花片」という異なる領域に属するふたつの事物が喩によって近接することによって詩が立ち上がる。これは短歌に限らず、詩や俳句にも通じる技法だろう。

 しかし上に引いた六首目の歌は造りが少しちがう。医師として患者に寄り添う言葉を選んで語りかけている場面を詠んでいるのだが、下句がそのような言葉を発している自分にたいする違和感を滲ませている。これは他者へと向かう眼差しが自己へと戻って来る自意識の歌である。いらぬおせっかいかもしれないが、本歌集にはまだ少ないこのような歌が増えることで歌境がいっそう深まることだろうと思えるのである。

 

角川『短歌』7月号歌壇時評「日本語の底荷」

 今月号から半年の間、歌壇時評を担当することになった。私の名前を見て「いったい誰だ?」といぶかしむ人もいるかと思うのでひと言自己紹介しておくと、私はインターネット上で「橄欖追放」という短歌ブログを書いている。月に二回歌集・歌書を取り上げて批評しているが、自分では短歌を作らない純粋読者である。

 短歌や俳句のような短詩型文学の世界では「作者イコール読者」であり、作者の外延と読者の外延はほぼ一致する。自分で短歌を作るが人の短歌は読まないという人はいても、自分では短歌を作らず読む専門という人は少ない。とはいえかつては深く短歌を読んだ吉本隆明や、『終焉からの問い ― 現代短歌考現学』(ながらみ書房、一九九四)など短歌評論で活躍した小笠原賢二がいたし、同時代では好著『うた合わせ ― 北村薫の百人一首』(新潮社、二〇一六)などで自在に詩歌の世界を逍遥する北村薫がいる。とはいうものの、歌壇の外にいる人間が短歌総合誌の歌壇時評を担当するのは珍しいことかもしれない。

 ふつう歌壇時評に期待される役割は、短歌総合誌を広く見渡し、結社誌や同人誌や大学短歌会の雑誌まで目を通し、短歌賞や短歌関連のイベントにも目を配って、歌壇で今起きていることを紹介したり論じたりすることだろう。言わばそれは不易流行の流行の部分である。しかし時評は時とともに移ろいゆく流行ばかりに目を向けず、深部に横たわる不易の層にもまた目を配るべきだろう。

 そのような眼差しで見つけたのは、本誌二月号から始まった新連載「短歌の底荷」である。これは毎号二つの結社を取り上げて、ゆかりの深い歌人に紹介してもらうという企画である。たとえば第一回目の二月号では「沃野」と「白珠」が取り上げられている。私が注目したのは記事の内容ではなく「短歌の底荷」という連載の題名の方だ。この題名が歌人の上田三四二(一九二三〜一九八九)が提唱した「短歌底荷論」にちなんだものであることはまちがいない。上田は一九八三年(昭和五十八年)に「オアシス」という雑誌に「底荷」という短い文章を寄稿した。現在は上田三四二『短歌一生』(講談社学術文庫)で読むことができる(版元品切だが古書で入手可能)。その文章の中で上田はおおむね次のようなことを述べている。

 短歌や俳句は日本語の底荷である。底荷とは船の安定航行のために船底に積み込まれる荷や砂で、それ自体に商品価値はない。利益を追求するためには役立たないどころか、お荷物でさえある。しかし船が安全に航行するためにはなくてはならぬものである。短歌や俳句は日本語という船を推し進めるマストのような力は持たない。しかし日本語を転覆から救う目に見えない力になっているのである。(時評子による要約) 

 上田の文章が発表されてからまもなく四十年になろうとするが、本誌が新しく始める連載に「短歌の底荷」という題名を付けたのは、この上田の主張が短歌の不易の一部と考えてのことだろう。

 短歌の流行の面においては、前衛短歌やライトヴァースやニューウェーヴ短歌や記号短歌などなど、その意匠は時代とともに変化するが、上田の主張にはそのような流行の奥深くに沈潜することによって得られた確信という響きがある。日々の流行に目を奪われることなく、上田のように短歌の本質について考察を深めることもまた大切なことではないだろうか。

         *         *         *

 そんなことを改めて思ったのは、高等学校の国語教育が大きく変わりそうだと報道された頃なので、少し前のことになる。高等学校の教育方針を定めた「学習指導要領」は十年に一度改訂されるが、二〇一八年に告示されたものは「戦後最大の教育改革」という触れ込みだった。二〇二二年度、つまり来年度からはこの指導要領に従って教育が行われることになる。現在は必修科目「国語総合」と選択科目「国語表現」「現代文A」「現代文B」「古典A」「古典B」という分類になっている国語の教科が、新指導要領では必修科目「現代の国語」「言語文化」と選択科目「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典研究」に変わると定められている。必修科目は高校の一年目で履修し、二年目には選択科目の中から二科目選ぶことになる。必修科目の「現代の国語」には文学的な文章は一切入れないのが文部科学省の方針だという。

 大いに物議を醸したのは「論理国語」と「文学国語」という日本語としてこなれていない名称ばかりではない。そもそも国語を「論理」と「文学」とに二分するのはあまりに乱暴ではないかという意見が噴出した。そればかりではない。今回の指導要領の改訂は、大学入試の改革とセットになっている点に特徴がある。しかしその目玉であったはずの記述式問題の導入と、英語試験の民間委託が早々と頓挫したのはご承知のとおりである。

 新指導要領に準拠した大学入学共通テストの第一回プレテスト(試行)が二〇一七年度(平成二十九年)に実施され、多くの高校生がこのテストを受けた。そのテストで「国語」の試験問題として出題されたのは「青原高校の生徒会の部活動をめぐる規約」という文章であった。事前にサンプル問題として公表されていた試験問題には、「街並み保存地区景観保護ガイドライン」と「管理会社と交わした駐車場の契約書」が問題文として選ばれていたという。これを見て多くの人が驚いた。

 文部科学省が新指導要領を定めた目的は、主体的・対話的で深い学びを実現し、思考力・判断力・表現力を育てることにあるという。そのような目標に賛同しない人はいないだろう。しかしプレテストの問題文として選ばれたのは「論理国語」の文章であり、「文学国語」ではない。「論理国語」とは、契約書や法律・条例を始めとして、マンションの管理規約や電気製品の使用説明書など日常生活で出会う実用的な文章を読み解く力を養成することを目標としている科目であることは明らかである。

 二〇一八年度(平成三〇年)に実施された第二回のプレテストの国語の問題文の第一問は、鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか』、正高信男『子どもはことばをからだで覚える』、川添愛『自動人形(オートマトン)の城 人工知能の意図理解をめぐる物語』からの抜粋、第二問は「著作権法のイロハ」(ポスター)、法律の著作権法の抜粋、名和小太郎『著作権2.0 ウェブ時代の文化発展をめざして』、第三問は吉原幸子「紙」(詩)、吉原幸子「永遠の百合」(エッセー)となっている。第四問と第五問は古文と漢文なので略す。第三問でわずかに文学的な文章が出題されており、第一問は学術的なエッセーからの出題となっているが、全体的な傾向は第一回のプレテストと大きく変わらない。

 新指導要領による国語の授業では、一年次に履修する必修科目の「言語文化」で文学的テクストを少し読むことはあるかもしれない。しかし二年次になれば大方の高校生が「論理国語」を選ぶことは、プレテストの出題傾向を見ても明らかである。現役の高校の先生も、「文学国語」は開店休業状態になるだろうと言っている。漱石も鴎外も芥川もまったく読んだことのない大学生が入学して来るのである。

 少し昔のことになるが、東京大学教授の石田英敬が雑誌『世界』二〇〇二年十二月号に「『教養崩壊の時代』と大学の未来」という文章を寄稿して話題になったことがある。ある日のこと、石田が研究室で東大の院生相手にバフチンのポリフォニー理論について話していたところ、その院生がこう質問したそうだ。「先生の話に出て来たドストエフスキーって誰ですか?」と。石田は喫驚して「ついにその日が!」と叫んだという。今から数年後に、新指導要領に基づく教育を受けた高校生が大学に入学して来たときに、「漱石って誰ですか?」と質問する学生が出て来て、「ついにその日が!」と心の中でつぶやく先生がいないとも限らない。ここに書いた新指導要領の国語教育改革については、伊藤氏貴責任編集『別冊季刊文科 ― 国語教育から文学が消える』(鳥影社、二〇二〇)と、紅野謙介『国語教育の危機』(ちくま新書、二〇一八)および同著者の『国語教育 ― 混迷する改革』(ちくま新書、二〇二〇)に詳しく書かれている。

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 時評子は「高等学校の国語の教科書から文学が減るのはけしからん」と言いたいわけではない。若手歌人の中には、初めて短歌に触れたのが国語の教科書だったという人が少なからずいるようだ。だとすると国語の教科書から文学が減ればそのような機会も減ることになるので、残念なことにはちがいない。しかしそれ以上に重要なのは、新指導要領のめざす国語教育改革が日本語の底荷を減らすということである。これはゆゆしきことと言わねばならない。新指導要領には言語の存立と働きについての深い洞察が決定的に欠けていると思われてならない。

 このことを理解するためにはアラビア語を例に取るとわかりやすいだろう。もともとアラビア半島で話されていたアラビア語は、今では中東のイラクからアフリカのエジプト、アルジェリア、モロッコに到る広大な地域で使われている。日常用いる話し言葉のアラビア語(アーンミーヤ)は方言差が極めて大きい。イラクの人が話しているアラビア語とモロッコの人が話しているアラビア語はかなり異なるのである。それでも話者に自分たちが使うアラビア語は同じひとつの言語であるという強固な意識があるのは、ひとえに啓典クルアーン(コーラン)の存在による。クルアーンの言語は現代の標準的な書き言葉のアラビア語(フスハー)の基礎にもなっている。イラクからモロッコに到る広大な地域に住んでいる人たちが、「自分たちは同じひとつの言語を使っている」と感じるのは、クルアーンの言語がアラビア語の底荷として厳然と存在しているからである。

 アラビア語を使う地域の子供は、学校に上がるとクルアーンを学ぶ。彼らにとってクルアーンの言語は古典語であり、日本の子供たちが平家物語や枕草子を古典として学ぶのと同じである。ちがうのはクルアーンの言語こそが正当なアラビア語であり、疑問が生じた時には常に立ち戻るべき源泉だとされている点にある。英語ならば底荷としてあるのは聖書とシェークスピアだろう。イタリア語ならばダンテのトスカーナ方言で、ドイツならばゲーテというところになろうか。

 短歌や俳句が日本語の底荷であるという主張にはもうひとつの側面がある。現代に生きる私たちの感性は、多少とも短歌や俳句によって水路づけされている。桜の花が散るのを見ると、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌が思い浮かぶし、夏の朝に朝顔が咲いているのを見ると「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という句を思い浮かべない人はいないだろう(ただし朝顔は秋の季語)。先人の作った短歌や俳句の中にはいわば「感性の型」がレコード盤に刻まれた溝 (groove) のように彫琢されている。私たちは無意識のうちにその溝にガイドされるように物事を感じているのである。だからこそ歌人・俳人は先人が彫り込んだ溝を脱却して、新しい溝を刻むべく刻苦するのである。

 さらにもう一歩踏み込んで考えることもできる。ことは感性に留まらず、私たちが現実を捉えるやり方(認知 cognition)は言語によって規定されているという考えがある。この考えを主張したのはイェール大学教授の言語学者のエドワード・サピア(一八八四〜一九三九)と弟子のベンジャミン・リー・ウォーフ(一八九七〜一九四一)で、二人の名前を取ってサピア・ウォーフの仮説と呼ばれている。彼らは次のように主張した。

 言語は私たちの思考を条件づけている。私たちは言語が定める線に沿って現実を分割して、意味の世界を作り上げている。私たちが現実の世界と見なしているものが私たちを離れて客観的に存在すると思うのは幻想である。私たちが現実の世界と見なしているものは、言語の習慣の上に作り上げられたものである。(時評子による要約)

 新指導要領がめざしているのは、法律の条文や契約書や電気器具の使用説明書のような実用的文章を読み解く力、つまり現実に適切に対処する能力の涵養である。文学を含むさまざまな言語の形に触れることによって私たちの感性が形作られ、現実を認知する力、つまり「心」が育まれるという視点が見落とされているのである。

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 今年の三月二十日に町屋の並ぶ京都市の中心部に泥書房という新しい書店がオープンした。短歌・俳句・詩を専門に扱う書店である。京都にはかつて伝説的な三月書房という歌集・歌書を多く置く書店があった。京都を訪れる歌人が一度は足を運んだ場所である。古書店と見紛うばかりの外観が異彩を放っていた。ところが残念なことに三月書房は二〇二〇年の六月に閉店してしまい、短歌関係者の嘆きは大きかったのである。京都で学生時代を過ごした青山学院大学教授の生物学者福岡伸一が閉店を惜しみ、店主と相談のうえで店のシャッターに店内の風景の騙し絵が残されている。

 三月書房の閉店からそれほど間を置かずに泥書房が開店したことはまことに喜ばしい近年の快事である。泥書房の一角は販売コーナーとなっており、まだ点数は少ないものの歌集・歌書が販売されている。新刊書だけでなく古書もある。それより面積が広いのが隣の図書室で、ここには歌集・歌書だけでなく、短歌総合誌、結社誌、同人誌、個人誌などが壁一面に収蔵されている。短歌について何か文章を書くときに、調べ物をするのに絶好の場所だ。図書室は三百円の入室料を支払って会員になると利用できる仕組みになっている。

 泥書房は短歌総合誌『現代短歌』を発行する現代短歌社(一般社団法人三本木書院)が運営しており、本社の所在地でもある。現代短歌社は二〇一七年に解散し、事業譲渡を受けた三本木書院が目白を拠点として運営を続けていたが、二〇二〇年十月に思うところあって本社を京都に移転したそうだ。今後は短歌関係のイベントも続々と開催する予定のようだから、これから歌人が集まる拠点となることだろう。

 

  角川『短歌』2021年7月号に掲載

第309回 平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

きみにしずむきれいな臓器を思うとき街をつややかな鞄ゆきかう

平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

 上句の発想がユニークな歌だ。ふつうは体の中に臓器があると捉える。この歌では「きみ」と呼びかけられるおそらく異性の人体に臓器が沈んでいると捉えている。「沈む」と言うと、まるで人体が容器か湖のようだ。下句では一転して町の風景が描かれているが、町を行き交うのは人ではなく鞄である。それは上句で人体ではなく臓器に焦点が当たっていることと呼応している。臓器のぬらぬらする照りと鞄の艶やかな表面とが、人体の内と外との照応として描かれていておもしろい。

 平岡直子は1984年生まれ。早稲田短歌会を経て、同人誌「率」「町」に参加し、現在は「外出」同人。2012年に「光と、ひかりの届く先」で第23回歌壇賞を受賞して注目される。この年の応募者の中には、服部真里子、佐佐木頼綱、𠮷田恭大、笠木拓、春野りりんなど、後に名を上げる歌人がいるのだが、このような面々を押さえての受賞である。選考委員の東直子と今野寿美が二重丸を付け、内藤明と道浦母都子は一重丸で、伊藤一彦は無印となっている。選考座談会でいちばん強く平岡を押したのは東である。曰く、「自分が見ている世界から、丁寧に探っていって、見えないものも言葉で探ろうとしている」、「一首一首の中で『生きる』ということをうたおうとしていて、その生きることの中に死が含まれている」、「この人は言葉から作っていく作者代表みたいな作り方ですが、その中でも現実感とかリアルさを手放していない」。さすがは東で、平岡の短歌の本質をずばり突いていて、あまり付け加えることがないほどだ。

 『みじか髪も長い髪も炎』は歌壇賞受賞作を含む第一歌集で、今年(2021年)4月に本阿弥書店から刊行された。栞文は水原紫苑、正岡豊、馬場めぐみ。装丁は名久井直子。ポップな色の多角形と紐模様が組み合わされた瀟洒なデザインである。水原の栞文は熱い。本歌集の出版は「ひとつの事件」であるとして、平岡の歌には「儚く純粋な他者への希求」と「灼けつくような孤独な魂の呼びかけ」があり、平岡は「歌に呼ばれた狂おしい魂」だと断じている。このような最大級の賛辞とともに世に出る歌人はそうはいない。山田航は『桜前線開架宣言』の中で、平岡は論じることが難しい歌人だとして、弱者が最後の砦として言語表現を選んだというタイプの歌人とはちがうと述べている。言葉によって「生きる」ことに活路を見出そうとしたのではなく、「生きる」ことにすら不器用なのだとしている。確かに平岡は輪郭を捉えにくい歌人のようだ。それはなぜだろうか。

動物を食べたい きみのドーナツの油が眼鏡にこすれて曇る

遊びおわったおもちゃで遊ぶ冬と夜 きみに触れずに雨がとおった

ああきみは誰も死なない海にきて寿命を決めてから逢いにきて

王国は滅びたあとがきれいだねきみの衣服を脱がせてこする

裸眼のきみが意地悪そうな顔をしてちぎるレタスにひかる滴よ

 歌集の最初のほうから引いた。一首ごとの鑑賞と解釈は、平岡の歌の場合、あまり役に立たない。むしろ有害であるとさえ感じる。その理由のひとつは、短歌に描かれた情景が何かの現実の場面を指しているとか、実生活の体験に基づいているということがないからである。上に引いた歌にはすべて「きみ」が含まれているが、この「きみ」は特定の人物ではなく、平岡が歌を差し出す相手を指す無人称的な「きみ」だろう。同じように歌に散りばめられた「ドーナツ」「おもちゃ」「レタス」などのアイテムも、何かの喩として用いられているのではない。平岡の短歌で使われている言葉は、短歌的な喩としての機能をあらかじめ封じられているように見える。

 では平岡の歌の言葉は何に奉仕しているか。それは平たく言えばある「感じ」を表現するためではないだろうか。「感じ」とは、作者が実生活の生きづらさを覚えたり、死の予感に怯えたり、他者との関係性において遠さや軋みに苦しむとき、心に去来する光や影のゆらめきである。それはもう少し抽象度の高い思惟の領域で明滅する何かのこともあるだろう。上に引いた歌でそれは、日常のささいな場面で感じる不全感や喪失感や死の予感や他者への希求だと思われる。本歌集のあとがきに平岡は、「歌を生きる頼りにしたことはないけれど、歌に救われた経験がないといえば嘘になる」、「歌集として差し出せるのも自分のみている幻覚ばかりである」と書いている。「幻覚」とは平岡独特の表現で、日常の場面に必ずしも対応しない、心に明滅する表象ということだろう。もしそうであるならば、平岡の短歌を読むときは、無理に意味の脈絡を探したり、「このレタスは何を表しているのだろう」などと詮索せずに、言葉の流れに身をゆだねて、言葉が心をこする度ごとにスパークする光を感受すればよいということになる。こういう短歌の読み方はかんたんそうに見えるが、慣れていない人には案外難しい。

 詩や絵画では、形に表すことのできない感情や観念を具象を用いて表現する技法を象徴主義(サンボリスム)と呼ぶ。詩のボードレール、絵画のギュスターヴ・モローやオディロン・ルドンなどがそれにあたる。平岡の短歌も言葉を組み合わせ連接することで、直接的に表現できないある「感じ」を表現しようとしているとするならば、それは一種の象徴主義と見なすこともできる。そう考えると、水原紫苑があれほど平岡の短歌を高く評価し、「ひとつの事件」とまで呼んでいることも理解できる。水原もまた対応する現実を持つ写実によらず、言葉によってひとつの美の世界を現出させようとしている歌人だからである。

花の奥にさらに花在りわたくしの奥にわれ無く白犬棲むを

                水原紫苑『あかるたへ』

巻貝のしづけく歩む森に入りただひとりなる合唱をせり

                   『さくらさねさし』

回廊のごとくにをのこ並びゐる水底みなそこゆかむ死の領布ひれもちて

 平岡の歌をもう少し見てみよう。

震えてきれいなきれいなきれいな虫の羽きれぎれにこの世界

きみの骨が埋まったからだを抱きよせているとき頭上に秒針のおと

きみが思うわたしの顔を思うときそこにぽっかりあく空洞の

手をつなげば一羽の鳥になることも知らずに冬の散歩だなんて

飛車と飛車だけで戦いたいきみと風に吹かれるみじかい滑走路

 一首目では三回繰り返される「きれいな」が感情の強度を示している。歌の言葉が指し示しているものを敢えて言葉で表せば、それは「崩れゆくもの」への哀惜だろう。二首目はもう少しわかりやすくて「命の有限性」の悲しみだ。三首目は君が思っている私の顔を私が思うという捻れがすでに関係性の複雑さを感じさせる。一首が立ち上げる「感じ」は〈私〉という存在の希薄さだろう。四首目、歩く二人が手をつなぐと二つの体が大きな二枚の羽のようになる。比翼連理の喩えである。表されているのは関係性への希求とその不全である。五首目の「飛車と飛車だけで戦いたい」も感情の激しさを表している。歩や香車には見向きもせずに、最強の駒である飛車だけで勝負したいというのである。ここにも激しい関係性への希求があるが、「みじかい滑走路」が表しているように、その気持ちは空へと離陸することができないのである。

夢の廃墟が見ている夢に響かせるように額へきみのてのひら

夜と窓は強くつながるその先にひとりぼっちの戦艦がある

この朝にきみとしずかに振り払うやりきれないね雪のおとだね

魂に沿わないからだの輪郭をよろこびとしてコーンフレーク

ひかりふるあめふるおちばふる秋のあわいできみはのどをふるわせて

そしていつかきみを剥がれおちるものたち内臓を抱きしめる骨

冬には冬の会い方がありみずうみを心臓とする県のいくつか

燃えあがる 床を拭くとき照らされる心に地獄絵図はひらいて

 特に印象に残った歌を引いた。平岡の短歌には「夢」と「魂」という語がよく登場する。それは平岡が目に見える現実(と私たちが見なしているもの)に飽き足らず、現実を超えるもの、不可視の領域に心を引かれているからだろう。東が選考座談会で「目に見えないものを探っている」と評したのは当を得た見方だ。短歌史で目には見えないものを追究した前例を探すと、まず頭に思い浮かぶのは幻視の女王と呼ばれた葛原妙子だろう。不可視の領域への親和性という点において、平岡は2000年代のリア系若手歌人と一線を画していると言えるだろう。

 集中で私が最も美しい実現と感じたのは次の歌である。

きみの指を離れた鳥がみずうみを開いていけば一枚の紙

 「きみの指を離れた鳥」とは、指に留まっていた小鳥が飛び立ったともとれるが、ここでは君が折った折り紙と取りたい。折り紙の小鳥が飛び立って湖を開くというのは幻想の世界である。鳥が飛び立つことよって、眼前に森の中の湖が現出するのである。しかしやがて飛翔を終えた鳥は元の一枚の紙に戻る。現実と幻影とが一首のなかに混在し、ふたつの世界が「いけば」という接続表現によって折り合わされている美しい歌である。