第351回 大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

蓮の花ひかりほどかむ朝まだき亡き父母近し老い初めし身に

大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

 前歌集『夢何有郷』から数えて実に12年振の大塚の第六歌集である。書肆侃侃房の現代歌人シリーズの一巻として刊行され、奥付の日付は今年 (2023年) 4月8日となっている。今年の復活祭は4月9日の日曜日だったので、その前日ということになる。この日付にもまた意味が籠められているようにも感じられる。歌集題名の「ハビタブルゾーン」とは、宇宙の中で人類が生きることのできる生存可能領域のこと。

 あとがきには12年間の作から240首を選んだとある。創立100年を迎えた中部短歌会主宰の大塚ならば、この間に詠んだ歌は相当な数に上るにちがいない。その中から240首のみを選んだのは意図あってのことである。あとがきには自分では長年「相棒」と内心呼んでいた女性が6年前に他界したと書かれている。そして一冊くらい死者と自分のためにまとめたものがあってもよかろうと本歌集を編んだという。つまり本歌集は相棒とまで見なした人に捧げる鎮魂の書なのだ。世に鎮魂の書があるとするならば、本書ほどその名にふさわしい書物はあるまい。

 その中で第一部の「ハビタブルゾーン」の一連では、今は亡き父母と過去の記憶が詠まれている。掲出歌はその一連の最初の歌である。

古びたるアルバムたどるわがまみにふと宿りたり死者のまなざし

母の差す日傘のしたに影踏みて衛星のごとたましひありき

兵たりし父なりいくさ現身うつしみのかそきき創にとどめゐしのみ

棘満ちて祈りの響き立つる円筒つつオルゴール〈月の光〉零せり

メアド無きメールか短歌うたは 遺影にて君笑まふなり@heavenアット・ヘヴン

 一首目はセピア色と化した古い家族アルバムをめくっている場面である。今は亡き父母の写真を眺めていると、ふと自分もあちら側にいるかのような気分になる。二首目は幼き日の思い出で、母の回りをぐるぐる回っている幼児期の自分。三首目は太平洋戦争に出兵した父親の歌で、体に戦いの傷が残っている。四首目のオルゴールが奏でるのはドビュッシーのビアノ曲である。五首目では短歌は送信先のメールアドレスのないメールのようなものだとしている。確かに古来歌は誰かに送るものだったはずで、近代短歌は送り先のいない歌とも言える。

 本歌集の中核をなすのは第二部と第三部である。第二部の初めでは、作者の相棒の女性は癌に罹患し闘病している。

輪廻など語ることなく六道の辻を行きたり癌病む女とひと

六道の辻地蔵尊の斜向かひ〈幽霊子育飴〉ひつそりと在り

何ほどのこともあらずと死を言ひし師の心ふ病む人とゐて

息の緒をたぐる思ひか余命とふ一日一日ひとひひとひひとの生くるは

生きてある実感きみに沁みゆけと口に運べりわづかなる餉を

 一首目と二首目の六道は、京都市東山区にある六道珍皇寺とその界隈で、幽霊子育飴は、幽霊が子を育てるために飴を買いに来たという伝承があり、実際に販売されている飴である。歌意を解説する必要もないほど過不足ない言葉で、癌を病む人の残された生に寄り添う姿が詠まれていて心に迫る。

 第三部でその人とは遂に幽明境を異にすることとなる。

さくら散るときを選びし君なるや魂鎮めとも花びらの舞う

汝が願ひかなひて母の手を握り声なく逝けり睡るごとくに

火葬するけむりますぐに大空も超えて昇れよきみがたましひ

余剰なきこつの浄さよ火のなかに癌は消えたり君をせしめ

あじさゐの色うつろへど君あらぬ日々変はるなし花毬はなに降る雨

 すべては鎮魂と喪失であり、桜の花散る季節に逝った友への思いは紫陽花に降る六月の雨も流し去ることはかなわない。これらの歌はまさに送信先を失った歌であり、作者の振り絞る喉を出て虚空に響く思いがする。

 そもそも言葉には呪的機能があるとも言われているが、なかでも和歌は古来よりその性格が濃い。天皇が丘の上から都を眺め国の栄えを言祝ぐ歌には、そうあれかしという願望と祈りが籠められている。歌は誰かに贈るものだとするならば、挽歌はこの世を離れた死者に贈る歌である。そのとき歌は、近代を迎えて片隅に押しやられた暗闇の中に埋もれ忘れ去られた呪的機能を再び取り戻すがに立ち上がる。大塚の挽歌にはそのような歌の力が籠もっているように感じられる。

秋水をらして己が死を得たる三島おもひし師や病む日々に (師・春日井建)

残されしとも仰げり切れはしの虹ほのかにも架かるゆふぐれ

しろき蝶けむりの如く翔ちゆきし苑生は碑なき墓処はかどならずや

黄金おうごんの花粉の豪奢まとふ鳥待つや深紅の椿けつつ

行きなきはなびら集ふ花いかだすべきたまや待ちてたゆたふ

 一首目の秋水とは刀のこと。「我らは新たな定家を得た」という推挽の言葉を若き春日井に与えたのは三島由紀夫である。大塚の作る短歌を読んでいると、まるで精密機械のように、入念に選ばれた言葉が置かれるべき場所を得て、カチッと嵌まる音が聞こえるかのようである。二首目の虹、三首目の蝶、四首目の鳥はとりわけ死者の魂と繋がりの深いものであり、ここに選ばれているのは決して偶然ではない。鎮魂の書の一巻を編んだ作者の心を思い瞑目するばかりである。

 

第350回 小津夜景『花と夜盗』

天秤の雪と釣り合ふ天使かな

小津夜景『花と夜盗』

 『花と夜盗』(2022年、書肆侃侃房)は第一句集『フラワーズ・カンフー』(2017年)に続く小津夜景の第二句集である。『フラワーズ・カンフー』は本コラムにて2016年の年末の回に取り上げた。同句集はそののち田中裕明賞を受賞している。この間に小津は、『カモメの日の読書 — 漢詩と暮らす』(2918年、東京四季出版)『いつかたこぶねになる日 — 漢詩の手帖』(2020年、素粒社)の二冊の本を上梓している。いずれも漢詩の和訳とそれにまつわるエッセーをまとめた本で、一読すると「この人はいったい何者?」と驚嘆すること請け合いである。才人であることは疑いない。

 さて、『花と夜盗』だが、読み終えた感想は前回と同じで申し訳ないが「俳句は自由だなあ」というものだ。これは一見すると矛盾を孕んでいる。短歌には五・七・五・七・七の三十一音節(モーラ)という形式上の決まり事以外に何の制約もない。文語(古語)で詠んでも口語(現代文章語)で詠んでもいいし、漢字だらけだろうとひらがなばかりだろうと、啄木のように分かち書きしてもいい。これに対して有季定型俳句には季語が必要で、季重なりは忌避され、切れ字というよくわからないものまである。短歌に較べて決まり事だらけのように見えるのだが、逆に俳句の方が自由に見えるのがおもしろい。その昔、詩人ポール・ヴァレリーは「制約は精神の自由を生む」と喝破したが、そういうことなのかもしれない。

 『花と夜盗』の何が自由かというと、それは短詩型の形式とそれに対峙する作者のスタンスの両方に認められる。本句集は「一、四季の卵」、「二、昔日の庭」、「三、言葉と渚」という三部構成になっている。第一部はふつうの有季定型俳句だが、第二部では思い切り遊んでいる。

 「陳商に贈る」と題された一連は李賀の「贈陳商」を元にした連句による翻案だという。次のように始まっている。

長安有男児 長安の都にの子ありにけり

二十心巳朽 はやも朽ちたる二十歳の心

 「貝殻集」は武玉川調の俳句だとされている。「武玉川」とは、江戸時代中期に紀逸という人が編纂した俳諧書で、五・七・五の形式と並んで七・七の付句も含まれていたようで、その形式を指しているのだろう。最初は読むのに少しく苦労したが、短歌の下の句と思えば読みやすい。本来付句なのでまちがった読み方ではなかろう。

花降る画布に聴く手風琴

ある晴れた日の水ぬるむ壺

 続く「今はなき少年のための」は白居易の漢詩を短歌で翻案したもの。BLの匂いが香しい。

門前のものさびしくてなほのこと親しみあへり風のまにまに

花かげをかたみにふめば相惜しむ逢瀬にも似てわかものの春

 次の「ACUA ALLEGORIA」は、Paul-Louis Couchoud他によるフランス語の最古の句集 Au fil de l’eauの俳句による翻訳。原題は「水の流れのまにまに」という意味である。

Dans un monde de rêve,          夢の世を

Sur un bateau de passage,        渡る舟にて

Rencontre d’un instant.           ちよつと逢ふ

 「研ぎし日のまま」は原采蘋の「十三夜」の短歌による翻案だという。原采蘋はらさいひんは江戸後期の女性の漢詩人らしい。

蒼茫煙望難分

ぬばたまの霧蒼ざむる夜となり迷子のわけをほの語らひぬ

 続く「サンチョ・パンサの枯野道」は一転して都々逸である。

水に還つた記憶の無地を虹でいろどるフラミンゴ

 また第三部冒頭の「水をわたる夜」は訓読みが長い漢字を選び三つ組み合わせて俳句に仕立てたもの。

璡冬隣 たまににたうつくしいいし/ふゆ/となり

 ひと通り紹介するだけでこれだけ行数を費やすほど、作者はまるで浅い川の飛び石を跳んで渡るかのように、形式の間を自由自在に移動する。何物にも囚われぬこの自在さとフットワークの軽さが小津の持ち味である。それは幼い頃から引越しを繰り返し、長じてはフランス北部の港町ル・アーブルに流れ着いたという一所不住の生き方ともどこか重なる所がある。

 『フラワーズ・カンフー』を読み解くために、「音の導き」と「プレ・テクスト」という二つのキーワードを使ったが、今回は「音の導き」はあまり感じられなかった。一方、「プレ・テクスト」の方は健在で、やはり小津はコトバから俳句を作る人なのだと改めて感じた。短歌とちがって俳句の世界で「コトバ派」と「人生派」という区別はあまりしないようだが、小津は明らかにコトバ派の俳人である。それは次のような句に特に感じられる。

カイロスとクロノス共寝すれば虹

秋は帆も指すなり名指しえぬものを

パサージュの夢かたすみの虫の声

後朝のキリマンジャロの深さかな

ゲニウスロキの眠り薬の初釜よ

恋の泡ごと消えたドルフィン

 一句目のクロノスは時計で計測することができる物理的時間を表す。ではカイロスは何かと調べてみると、驚いたのは『ブリタニカ国際大百科事典』の解説である。それによるとカイロスとは、「クロノスの一様な流れを断つ瞬間時としての質的時間」であり、神学者ティリヒは「永遠が実存に危機をもたらしつつ時間の中に突入してくる卓越した瞬間」としたとある。あまり要領を得ないが、韓国ドラマに「カイロス — 運命を変える一瞬」というタイトルのものがあるところを見ると、日常的な時間の流れを断ち切るような特権的瞬間ということらしい。この句が「クロノス」と「カイロス」という言葉から発想されたのはまちがいなかろう。

 二句目を読むとどうしても、「語り得ぬものについては沈黙しなくてはならない」と言ったウィットゲンシュタインの言葉を思い出し、ついでに哲学者野矢茂樹の『語りえぬものを語る』という本まで連想が働く。三句目を見ると自然にベンヤミンの代表作『パサージュ論』が脳裏に浮かぶ。パサージュとは、19世紀に流行ったアーケード付きの商店街である。今でもいくつか残っていて、往時のパリの姿を偲ぶことができる。四句目のキリマンジャロはアフリカの山ではなくコーヒー豆の種類だろう。「深さ」とはコーヒーの苦みの深さと取ったが、その奥にヘミングウェイの短編の影が揺曳する。五句目のゲニウスロキはラテン語の genius lociで「土地の精霊」「地霊」を意味する。フランスの小説家ミシェル・ビュトールにこの名を冠した評論があり、愛読する鈴木博之の著書『場所に聞く、世界の中の記憶』(王国社)の帯には「世界の地霊ゲニウス・ロキ を見に行く」と謳われている。ここではその土地に宿る歴史的記憶の意味で使われている。六句目を読むとどうしても松任谷(荒井)由実の名曲「海を見ていた午後」を思い出してしまう。この歌の舞台は横浜の山手にあるドルフィンという喫茶店で、「小さなアワも恋のように消えていった」という歌詞があるのだ。

 思いがけず長い文章になってしまった。付箋の付いた句を挙げて締めくくろう。

ものぐさでものさびしくて花いくさ

ギヤマンに息を引きとり昼の翳

とひになる蝶湧く画布を抱きかかへ

とびとびにいとをつまびく秋の蝶

あやとりの終はりはいつも風の墓地

さへづりや森はひかりのすりがらす

夏の岬にオキーフの佇つ

砂に譜を描けば遠き汽笛かな

 三句目は「ルネ・マグリット式」と題された一連の中の句なので、シュルレアリスト的奇想である。いずれの句もはばたく詩想に支えられた句で、こうして書き写してみると小津の句は知が勝っているものの、意外と叙情的だなと感じるのである。

 最後に『カモメの日の読書』を読んでいて思わず「えっ!」と叫んだことを書いておこう。ル・アーブルはカモメの多い町だという書き出しに始まり、杜甫の詩には鳥を詠んだものが多いと続き、やがて「白鳥しらとりかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」という牧水の有名な歌を引いて、この「白鳥」がハクチョウではなくカモメであることを知ったのもこの町に住んでからであると綴られている。この一節を読んで思わず本を取り落としそうになった。ほんとうにそうなのだろうか。調べてみるとそうかんたんな話でもなさそうだ。牧水は当初「白鳥」に「はくてう」とルビを振っていたが、途中から「しらとり」に変更したと説く人もいる。樋口覚『短歌博物誌』(文春新書)では牧水の歌を引き、古代の白鳥伝説やボードレールの「白鳥」という詩に言及しており、ハクチョウであるとの前提で書かれている。「しらとり」は羽毛の白い大きな鳥を指すので、もしそうならばハクチョウでもカモメでもよいことになるのだが、どうなのだろう。ハクチョウとカモメではずいぶん印象が違うように思うのだが。

第349回 小池光『サーベルと燕』

車窓よりつかのま見えてさむざむと乗馬クラブの砂にふるあめ

小池光『サーベルと燕』

 短歌や俳句などの短詩型文学を読むことは日々の暮らしに大きな喜びを与えてくれる。もちろん短歌には楽しいこと嬉しいことばかりが詠まれているわけではない。むしろ逆で、暮らしの苦労、恋の破局、肉親との別れや災害など、悲しいことが詠まれていることのほうが多い。生老病死は近代短歌の重要なテーマである。しかしそれが短歌定型というフィルターを経ると、古代の錬金術の秘法によって卑金属が金へと錬成されるように、極めて個人的な体験が誰もが感じることのできる普遍的な類型へと昇華される。かくして姿を変えた悲しみに歌を通して触れることにより、私たちの生の理解は深みを増し、眼に映る世界の姿は陰影を深める。

 とはいうものの、短歌を読まなければ知らなかったであろう別な悲しみというものもある。歌人の訃報に接した時である。私は短歌結社や同人誌などとは無縁で、歌会に連なることもないので、個人的に面識のある歌人はごくわずかしかいない。しかし歌集を通して作者の個人生活の一面を知り、作者の思考や感情の機微に触れ、時には魂の質感までをも感じる瞬間がある。日頃ごく通り一遍の付き合いしかしていない親戚縁者などよりはるかに内面に踏み込んでいる。だからこそ幽明境を隔てることになった寂しさには他にはないものがある。

 送られて来た「短歌人」3月号の小池光の歌で、最近二人の歌人が鬼籍に入られたことを知った。

酒井佑子の原稿の文字みごとにてブルーブラックのインクひかりを放つ

酒井佑子去りて十日ののちにして有沢螢の訃報に接す

有沢螢われよりひとつ年下かとおもふまもなくゆきてしまへり

有沢螢いのちのかぎりを尽くしたり最後の最後まで歌をはなさず

 同号のあとがきによれば、酒井さんは昨年の12月24日に、有沢さんは年が明けて今年の1月9日に亡くなったという。お二人とも拙ブログにて歌集を取り上げさせていただいた。酒井さんの『矩形の空』は2008年6月16日に、有沢さんの『朱を奪ふ』は橄欖追放の前身の「今週の短歌」で2007年4月9日に読後評を書いている。有沢さんは脊椎損傷で寝たきりの状態にもかかわらず、最近になって歌集『縦になる』を刊行されている。

 実は有沢さんはお会いしたことのある数少ない歌人の一人だ。私の歌集評をお読みになられたからだろうが、『朱を奪ふ』の批評会に声を掛けていただいた。日記によると、批評会は2007年8月18日に神保町の日本教育会館で開かれた。バネリストは佐伯裕子、川野里子、藤原龍一郎、魚村晋太郎の4氏。参加者には岡井隆、小池光、佐藤弓生、黒瀬珂瀾もいた。ひとしきり発表と討論が済んだ後、最後に出席者が一人ずつひと言述べることになり、私は有沢さんの短歌に見られる原罪の意識について話した。すると会が終わった後に、有沢さんは私の所にいらして「原罪に触れていただきありがとうございました」とお礼をおっしゃったのが記憶に残る。長い苦しみから解放された有沢さんの眠りの安からんことを祈るばかりである。

     *        *         *

 この短歌ブログではなるべく初めての歌集を出したばかりの若い歌人を取り上げることにしている。短歌や俳句などの短詩型文学は、「読み」の積み重ねによってその真価を発揮するという特性がある。原石を磨いて輝くダイヤモンドにするには「読み」の積み重ねが必要なのである。若い歌人にはまだ歌を押し上げる「読み」が不足している。若い歌人を取り上げるのは、その不足を少しでも補おうとの気持ちからである。

 しかし今回その方針から外れて超ベテラン小池光の『サーベルと燕』を俎上に乗せることにしたのは、本歌集が現代短歌大賞と詩歌文学館賞をダブル受賞したことに加えて、角川短歌年鑑令和5年版のアンケート特集「今年の秀歌集」で最も多く名前が挙がったのがこの歌集だったからである。大勢の歌人が昨年を代表する優れた歌集だとみなしたことになる。

 短歌を読み始めた頃から小池光の著書は歌集だけでなく、『街角の事物たち』、『現代歌まくら』。『うたの動物記』、『うたの人物記』なども愛読している。機知と諧謔に溢れる短歌や、ユニークな視点が光る散文には学ぶ所が多い。

 小池が作風を変えたのは第三歌集『日々の思い出』あたりからだろうか。それまでのトーンの高い抒情は影を潜め、日常の何気ないことを詠むようになったのは、これがもともと日付を添えて一日一首歌を作るという『現代短歌雁』の企画によるものだったせいかもしれない。

ゆふぐれの巷を来れば帽子屋に帽子をかむる人入りてゆく

蜂蜜の壺に立てたるスプーンの 次に見てなきは蜜に沈みけむ

 何気ないことを詠みながら面白みがあるというのはそうかんたんなことではない。一首目には、帽子屋に来る人は帽子を買い求めに来るはずなのに、すでに帽子を被っているとはいかなる仕儀かという軽い疑問があり、二首目には蜂蜜の壺にスプーンを立てておいたはずなのに、ちょっと目を離しているうちにスプーンの姿が消えているというささやかな発見がある。このような作風の変化を目にして、「小池光には翼があるのになぜ飛ばないのか」といぶかしんだのは穂村弘である。『日々の思い出』のあとがきには、「思い出に値するようなことは、なにもおこらなかった。なんの事件もなかった。というより、なにもおこらない、おこさないというところから作歌したともいえる」と書かれている。この言葉に小池の短歌に対する姿勢がよく現れている。

 さて第11歌集となる『サーベルと燕』はというと、短歌定型に対する自由度が一段と増しているという印象を受ける。角川短歌年鑑の「今年の秀歌集」の三行評には、「心を過ぎるあまたの感傷を、平明な用語によって表白している」(伊勢方信)とか、「機知に富んだウィットは影をひそめ、しみじみと詠んだものが多く心を打たれる」(嵯峨直樹)などというものがあり、「平明な表現」「深さ」を語った人が多い。

 

うつしみの手首にのこる春昼はるひるの輪ゴムのあとをふといとほしむ

亡き妻の老眼鏡を手にとればレンズはふかく曇りてゐたり

四個よんこの団子つらぬく竹の串さえざえとありいざ食はむとす

観客のゐない相撲であるときも塩は撒くなりましろき塩を

その足はいためるものかぽつりぽつりとホームのうへを鳩のあゆめば

 

 肩の力の抜け具合は相当なものだが、そこは短歌巧者の小池のこと、どんな素材でも短歌に収めてしまう。特に感心するのは語順である。一首目の手首にはめる輪ゴムは何かを忘れないための印だろう。「手首にのこる輪ゴムのあと」が順当な連接だが、「春昼の」が間に割って入っているのは音数調節のためだけではあるまい。この歌のポイントは結句の「ふといとほしむ」だ。二首目は「とれば〜ゐたり」という順接ながら、「ふかく」の語が一首の翳りを深めている。三首目の初句「四個の」は「四個ある」とすれば破調にならないのだが、なぜかわざと破調にしている。団子の竹串に「そえざえと」という大げさな修飾を用いているのが愉快だ。四首目はコロナ禍で無観客相撲となった様を詠んだ歌。五首目も語順が効いている。初句二句と読むと誰か知人のことを詠んでいるのかと思うが、結句まで読んで実は鳩のことだったと知れる。この頃小池は足の指を痛めて歩行に不自由していたようで、自身の不具合を鳩に投影したものと思われる。

 本歌集を通読すると、肉親や知己知人が詠まれているのは近景を詠むのが近代短歌の常なので当然として、過去の体験や読書の記憶に結びつくおびただしい人名や地名が登場することに驚く。そしてようよう次のことに思い到るのである。小池光という人間は「小池光」という名の生身の肉体に留まるものではない。その記憶の中に保存蓄積され体験の中に刻まれている無数の事物や人物との関係の総体を指すということに。

芥川龍之介生誕の地を過ぎて隅田川ちかし水のにほふ

昭和史のくらやみに咲く断腸花永田鉄山伝を読みつぐ

日露のえきたたかひたりし祖父おほちちが大正三年に死んでその墓

西城秀樹六十三歳の死をおもふ野口五郎はゆふべ聞きしに

谷川雁「毛沢東」の一行がおもひだされて冬の蜂あるく

「雨の降る品川駅」をそらんじて十九はたちのわれはありたり

四百日ぶりにプールに入りたる池江璃花子にこみあぐるもの

「山科は過ぎずや」ふともよみがへり口に出でたり夜汽車の旅の

 二首目の永田鉄山は1934年に斬殺された陸軍中将。六首目の「雨の降る品川駅」は「辛よ さようなら」で始まる中野重治の詩。八首目の「山科は過ぎずや」は萩原朔太郎の詩「夜汽車」の一節である。そういえば北村薫の『うた合わせ 北村薫の百人一首』(新潮社)にこの詩に触れた文章があったなあなどと思い出すと、人名から本へ、また本から人名へと連想は跳び、文学の森の深くに入ってゆく。そのようにして本歌集を繙くのもまた一興だろう。四首目の西城秀樹や野口五郎のように、本来は雅の世界のはずの短歌の中に俗の要素を平気で詠み込むのもまた小池の自在さである。七首目の「池江璃花子」を詠んだ歌を見て、確か小池に「シャラポワに跪拝す」という歌があったなと思い出す。

「昭和十四年直木賞」の懐中時計が仏壇のひきだしの奥にありたる

父の死後五十年となり小雨の日ふるさとの墓の墓じまひせり

父恋ちちこひをすることありて下駄の鼻緒切れたるたびに直しくれにき

 小池の父親は直木賞作家であった。小池の初期歌編の中で父は大きな存在である。第一歌集『バルサの翼』には次のような歌がある。

父の死後十年 夜のわが卓を歩みてよぎる黄金蟲あり

亡父ちちの首此処に立つべしまさかりの鉄のそこひにひかり在りたり

倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ

 北村薫は『うた合わせ 北村薫の百人一首』の中の「父」をテーマとする章で、小池には父を詠んだ歌が多いと書いている。そして小池が『歌の動物記』の中で内田百閒の『冥土』という短編の一節を引き、あえて引用しなかった一行から物語を紡いでいる。しかしながら本歌集を読むと、父親の死から五十年を経てその物語は終焉したようにも見える。

 集中から愉快な歌を引いてみよう。小池にとってユーモアは短歌の重要な要素である。

 

鼻毛出てる鼻毛を切れとむすめ言ふ会ふたびごとにつよく言ふなり

泥棒にはいられたることいちどもなく七十年過ぐ 泥棒よ来よ

まな板はかならず洗つておけと説教するわが子をにくむことあり

賞味期限きれて五年のつはものが冷蔵庫の奥の奥に潜める

十二時間飛行機に乗つてフィレンツェへ行つたところでなにがどうなる

 

 二首目は「われの一生ひとよせつなくとうなくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は」という坪野哲久の歌を思わせる。もちろん小池もこの歌を意識しているだろう。年齢を重ねてますます自在になるということがあると知る一巻である。


 

第348回 千葉優作『あるはなく』

火をつけるときのかすかなためらひを共犯のやうに知るチャッカマン

千葉優作『あるはなく』

  チャッカマンは点火装置のないガスコンロや固形燃料などに火を点けるための器具である。先日、宿泊した旅館で夕食に出た一人鍋の固形燃料に火を点けるのに仲居さんが使っていた。スイッチを押すとカチカチと音がして火花が飛び着火する。掲出歌は、チャッカマンのスイッチを押して火が点くまでに少しばかりのタイムラグがあることに着目している。そのタイムラグを「ためらひ」と擬人化して表現する。チャッカマンと作中の〈私〉が「共犯」であるのは、厨で調理する〈私〉に命を奪っているという自覚があるからである。集中には「雪平鍋ゆきひらに茹でればひらくしじみから命は追ひ出されてゆくなり」という歌がある。〈私〉が食物の命を奪うことに感じるかすかなためらいを、チャッカマンは共犯として知っているというわけだ。掲出歌は集中でいちばん良い歌というわけではないが、作者の心の傾きをとてもよく表している。それはわずかな時の間に着目する着眼点の鋭さと、それを「ためらひ」と感じる共感力である。

 ふつうは歌集巻末に置かれているプロフィールがないのでよくわからないのだが、千葉は塔短歌会所属の歌人で、北海道の北部に住んでいるらしい。『あるはなく』

は昨年(2022年)の暮れに刊行された第一歌集。版元は青磁社で、江戸雪・大塚亜希・大森千里が栞文を寄せている。歌集題名は「あるはなくなきは数添ふ世の中にあはれいづれの日まで嘆かむ」という人の世の儚さを詠んだ小野小町の歌から取られている。各章の冒頭にも式子内親王や藤原良経の和歌が引用されており、古典和歌の世界に惹かれているようだ。そのせいもあってか文語(古語)・旧仮名遣いが基本で、ときどき口語短歌が混じるという文体である。

「用意」から「ドン!」のあひだの永遠を生まれなかつたいのちがはしる

 章分けとは別立てで巻頭に一首だけ置かれている歌である。本歌集を象徴する一首と作者が見なしている歌だろう。運動会の徒競走の場面である。「位置に付いて」に続き「用意」のかけ声からひと呼吸置いて「ドン!」となる。そのわずかな間に着目する感性は掲出歌のチャッカマンと同質である。現実に運動場を走るのは生まれた命たちである。しかし作者はその陰に生まれなかった命があることを感じ、走らせてあげたいと希求する。かくして生まれなかった彼ら・彼女らが眼前に繰り広げるのは非在の運動会である。千葉はこのように、存在と非在とが織り成す綾の揺らめきとたゆたいに心惹かれているように思われる。それは次のような歌に特に感じられる。

みづたまりだつた窪みのあらはれて路上に消えてあるみづたまり

営業をやめてしまつたコンビニがさらすコンビニ風の外観

半円にすこし足りない虹かかりこの世にはない残りの円弧

靴紐を解けばそこにゐたはずのまぼろしの蝶二度とかへらず

失くしたと気付かなければえいゑんに失くしたものになれないはさみ 

 一首目、道路にできた水溜まりが乾いて水がなくなり、ただの窪みになっている。もう水溜まりとは呼べないのだが、それはかつて水溜まりだった記憶の中で水溜まりであり続ける。二首目、コンビニは閉店しても外観がそのままなので、まるでコンビニであるかのようなものとして残る。三首目、存在しているのは見えている半円の虹だ。しかし空を飛ぶ飛行機から見ればわかるが、虹は実は円形である。だから残りの半分もどこかにあるはずなのだが、それは非在の虹に留まる。四首目、靴紐を蝶々結びにするとそこに蝶が現れるが、靴紐を解くとそこにはもういない。さて蝶はほんとうにいたのかいなかったのか。まるで禅問答である。五首目、「あれ、はさみはどこにいった?」と気づいて初めてはさみは「なくしたもの」になれる。気づかなければはさみは永遠に「なくしたもの」になれない。ではそのときはさみは一体何なのだろうか。優れて存在論的な問いかけと言えよう。

 このような存在と非在をめぐる作者の発想はとても個性的で、歌に他には見られない独自の色合いを与えている。さてその発想の由来はというと、「Trancendental Etudes — 超絶技巧練習曲集」と題された連作に文章が添えてあり、その中で千葉は24歳のときに塚本邦雄の短歌に出会い衝撃を受けたことを告白している。おそらく千葉は『非在の鴫』という著作もある塚本から、存在と非在の綾なす陰影の深さを学んだのだろう。塚本が「もともと短歌という定型短詩に幻を見る以外の何の使命があろう」と喝破したことはよく知られている。千葉の傾倒ぶりは次のような塚本短歌の本歌取りを作ってオマージュを捧げているほどだ。いくつか拾って本歌と並べて示す。

火夫、戦艦とともに沈んで水底に北を指しつづける羅針盤

(本歌 海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も)

みづからのこゑを絶たれし青年が月夜にかき鳴らすエレキ・ギター

(本歌 電流を絶たれ、はじめてみづからの聲なき唄うたふ電氣ギター)

そのひとをピアノに変へてしまひたり霜月の夜のはるけき火事が

(本歌 ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺)

ひつたりと冷奴あり、かつてかく陸に上がりしわれらの祖先

(本歌 突然に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士のまなこ

 千葉の歌の個性を表すものに夕暮れへの偏愛がある。千葉が一日のうちで最も好むのは夕暮れであり、夕暮れを詠んだ歌が多くある。

ずつとゆうひをながめてゐたい ほんたうに行きたいところには行けないし

あなたの声がすつかり秋だ 言の葉のしづかに燃えるゆふぐれが来る

ゆふぐれを持つわたくしにゆふぐれは鏡のごとく待たれてゐたり

われに花、言葉に雪の降る五月かなしみは火のごときゆふぐれ

 かく言う私も、コーヒーより紅茶を、犬より猫を、長調より短調を、朝日より夕日を愛好するメランコリー親和気質なのでこれはよくわかる。やがてはすべてを夜の闇に呑み込もうとする滅びの時刻には、どこか人の心を慰撫するものがある。

 読んでいて特におもしろく感じたのは厨歌である。千葉は独身らしく自ら台所に立って料理をするようで、食材と飲食を詠んだ歌におもしろいものが多い。

たまねぎを二つに切れば今まさに芽吹かんとせし芽のみどり色

手遅れの傷をわたしに向けながらキャベツ半玉売られてゐたり

冷蔵庫のなかを覗けばああこれはをととひ歌にした絹豆腐

かなしみのこころに深く潮満ちてかすかに砂を吐く二枚貝

八月の朝、行平鍋ゆきひらに透きとほる白菜がとほき羽化を思へり

 ただ食材を歌にしたのではなく、そこに自分の心持ちが投影されており、叙景と抒情とをこき混ぜたものとなっている。厨に立つ作者の心持ちの主旋律は、命のはかなさの哀しみである。

あやまちを犯す予感にひえびえと工具売り場のバールはねむる

鯖缶のぶつ切りの鯖 この鯖の身体が別の鯖缶にもある

雲はるか異界へつづくゆふぐれをかがやきながら鳥わたりゆく

あをぞらの深みへ落ちてかへらざる鳥のこゑのみゆうぞらに降る

夕焼けに奪はれしわが二つの眼この世のほかの世に燃えゐむ

またの世へかへりゆくべしにはたづみへと降りしずむやよひの雪も

 歌集後半から特に心惹かれた歌を引いた。一首目のバールの歌は、まだ起きていない未生の犯罪を幻視した歌でとりわけおもしろく独自のものがある。しかしながら千葉の視点は存在と非在から少しずつこの世と他の世へと移りつつあるようにも感じられる。そのせいか歌に深みと凄みが増している。古典和歌の言葉遣いが随所に見られるのもこのような印象を与えることに預かっているのかもしれない。充実の第一歌集である。

 

第347回 菅原百合絵『たましひの薄衣』

音立てずスープのむときわがうちのみづうみふかくしづみゆくこゑ

菅原百合絵『たましひの薄衣』

 スープを飲む時に音を立てないのは西洋の作法である。日本には麺などをすする文化があるので音を立てがちだ。フランス人とラーメン店に行くと驚くが、彼らはほんとうに「すする」という動作ができない。スープを飲む時に音を立てない秘訣は、スプーンを顔と平行にするのではなく、口に対して直角に当てて流し込むことである。

 それはさておき、作者はスープを飲むとき、自らの身体の裡に湖を感じるという。人体の70%は水でできているというが、これはそのような生物学的事実ではなく感性の問題だ。本歌集に収録されている歌には、外部を見る歌よりも、掲出歌のように自らの内部を凝視する歌が目立つ。これが紛れもない作者の個性である。

 菅原百合絵(旧姓安田)は1990年生まれ。「本郷短歌会」「パリ短歌クラブ」などを経て「心の花」会員。『たましひの薄衣』は今年 (2023年) 2月に刊行された第一歌集である。版元は書肆侃侃房。栞文は水原紫苑、野崎歓、星野太。野崎歓は元東大教授のフランス文学者で、著者をフランス文学研究へと導いた人である。星野太は東大准教授の哲学者・美学者。菅原は東京大学文学部仏文科に学んだ18世紀フランス文学、特にジャン=ジャック・ルソーの研究者でもある。

 思えば菅原の短歌に初めて接したのは『本郷短歌』創刊号(2012年)だった。菅原は本郷短歌会の立ち上げメンバーで、初代の代表幹事を務めている。余談ながら本郷短歌会の発足当時は俳人も歌会に参加していた。参加者の中には生駒大祐、藤田哲史、山口優夢、神野紗希らの名も見えて、今から振り返るととんでもない豪華さである。菅原は創刊号に次のような歌を寄せていた。

現し身が空蝉となるまでの間をいのちと呼びていとほしむのみ

雨降らば透くるたましひ いきものは色それぞれに淡くかがよふ

くちづけで子は生まれねば実をこぼすやうに切なき音立つるなり

をさな子に鶴の折り方示しをり あはれ飛べざるものばかり生む

花ひらくやうに心は開かねど卓にほつとり照るラ・フランス

 上に引いた歌のうち三首目から五首目までは本歌集に収録されている。そして『本郷短歌』第三号には次の歌がある。この歌は本歌集の帯にも印刷されており、自分でも代表歌と見なしているのだろう。

ほぐれつつ咲く水中花──ゆつくりと死をひらきゆく水の手の見ゆ

 これらの歌を作った当時菅原は東大の学部生だったはずである。それなのに歌の完成度の高さは驚きだ。創刊号に収録された座談会「作歌の原点、現在地」の中で菅原は、短歌を初めて作ったのはたぶん小学5年生か6年生で、当時三浦綾子の『氷点』にはまっていて、三浦の自伝『道ありき』を読みその中にあった短歌に深い印象を受けたと語っている。三浦の影響で最初から旧仮名文語で歌を作っていたということだ。文語による短歌作りには相当年期が入っているのである。

 本歌集には、『本郷短歌』時代の歌や「心の花」に出詠した歌に加えて、ジュネーブ大学とリヨン大学に留学していた頃の歌も多く収録されており、読む人によっては異国情緒が感じられたり、無国籍と感じられたりするかもしれない。しかし実は今いる場所は菅原の歌にとってあまり重要ではない。リヨン大学時代の歌の多くはパリ短歌クラブの機関誌『パリ短歌』に発表されている。パリ短歌クラブは中心メンバーだった服部崇が帰国したためか、残念ながら解散してしまった。あらためてバックナンバーを見ると、昨年(2022年)の角川短歌賞を受賞した工藤貴響もパリ短歌クラブに入っていたことがわかる。

 さて、菅原の作風は、端正な文語定型という文体を自家薬籠中のものとし、水・雨という主題の多さ、内面を見つめる眼差しの深度、そして光と影とが淡く交替するゆらめきによって特徴づけられると言えるだろう。次のような歌がそうである。

ひとを待つ道に葉叢はそよぎをり心たゆみて末葉うらばに手触る

雪なりし記憶持たねど氷片を置けばグラスに水のさざめき

午前から午後へとわたす幻の橋ありて日に一度踏み越す

この雨はシレーヌの嘆息いき しめやかな細き雨滴うてきに身は纏はらる

ちさき死の果てのおほき死 朝なさな薄氷うすらひ破るやうに目を開く

 一首目の「ひと」はもちろん恋人である。何かの理由で緊張していたのだろうか。緊張がほぐれて木の枝の先の葉に触れて手慰みをしている場面である。近年刊行される若手歌人の歌集には相聞が少ない印象があるが、菅原の歌には相聞がかなりある。二首目は軽い擬人化が施されている。元は雪だったというから、その氷は北極か南極の氷だろう。雪が圧雪され氷に変わるまでの長い時間が氷の中に閉じ込められている。作者が見つめているのはその時間である。三首目は情景のない歌でもっぱら想念の中から紡ぎ出されたものだろう。四首目のシレーヌは、その歌声で船乗りを引き寄せて難破させたというギリシア神話の怪物サイレンのフランス語読み。五首目には詞書きがあり、フランス語では眠りのことを「小さな死」(petite mort) と呼ぶことを踏まえた歌である。朝の目覚めは小さな死からの蘇りということだろう。

 歌人には大きく分けて「人生派」または「生活派」の歌人と、「コトバ派」の歌人がある。どちらに属すかを見分けるのはかんたんだ。「人生派」の歌は言葉に過剰な負荷をかけないのでルビが少ない。一方、「コトバ派」が歌の抒情を汲み上げるのは日常生活ではなくコトバからなので、日頃あまり使わない単語を用いたり、ふつうの読み方以外の読み方をするので、勢いルビが多くなる。菅原はルビの多さからわかるように、コトバ派の歌人なのである。近頃はコトバ派の歌人が少なくなり、ネオ生活派が増えているので、菅原のような歌人は貴重だと言えよう。

 文学や美術に想を得た歌が多いのも菅原の短歌の特色である。

その母はお針子なりきローランサンの灰青色ブルーグレーの深きさびしさ

『フェードル』のほむらなす恋たどりつつ聞けば総身にさやぐ葉桜

晩年のロラン・バルトの疲労ファティーグに降り積もる雪の夜を帰り来ぬ

魂は水の浅きをなづさへりうつし身ゆゑにゆけざるところ

『ハドリアヌス帝の回想』読むたびに心に霧のごとき雨降る

 ローランサンは日本でもよく知られた女性に人気のある画家である。『フェードル』は17世紀のラシーヌの戯曲。ロラン・バルトは『零度のエクリチュール』などで知られる文芸批評家。この歌では上句が序詞のように置かれている。四首目には「アンリ・マルタン『ため池のそばの少女』(Jeune fille près d’un bassin)」という詞書きが付されている。アンリ・マルタンは「最後の印象派」と呼ばれた画家である。昨年日本で「シダネルとマルタン」と題された展覧会が開かれた。歌の「なづさふ」は「水に浮かび漂う」こと。「魂」は菅原の好む語であり、この歌は詞書きを離れてもよい歌だ。『ハドリアヌス帝の回想』はマルグリット・ユルスナールの歴史小説。ユルスナールはフランス学士院(アカデミー・フランゼーズ)初の女性会員である。学士院会員はimmortel「不死の人」と呼ばれるのだが、ユルスナールの入会で初めて女性形のimmortelleが使われた。

 各章の冒頭にエピグラフが置かれているのも本歌集の特色だろう。たとえばプルーストにちなむ「花咲く乙女たち」と題された章には、「その豊かな髪が流れの間に間にたゆたって、ひとつの波をつくり出している、波打つベレニス」というミシュレ『海』の一節が引かれている。ベレニスは女性の名で、ラシーヌの悲劇にもなっている。このような工夫をペダンチックと感じる向きもあろうが、菅原のようなコトバ派歌人がどこから詩想を汲み上げているのかがよくわかる。また見ようによっては、著者によって入念に選ばれた詞華集の花園を歩いているかのごとき様ともとれる。

 

目が合ひて逸らせばやがて舟と舟ゆきかふやうにさざなみ来たる

薔薇の花くれし日ありき思ひ出は右手めてでほぐして左手ゆんでで散らす

掬ふときなにかを掬ひのこすこと〈ひかり〉と呼ぶと死ぬるほうたる

一生は長き風葬 夕光ゆふかげを曳きてあかるき樹下帰りきぬ

水面から飛花が水底へとしづむ神のまばたきほどの時の間

人置かぬふらここひとつぶら下がり不在の在のかたち見するも

 

 上に引いた六首の中に菅原の短歌世界を構成するほぼすべての要素が含まれていると言ってもよい。人と人とを結ぶ淡い波動、存在の意味を汲み尽くすことができないという諦念、生の一回性とその短さへの鋭い認識、などなどである。詠まれているのは実景の写実ではなく、作者の心象から紡ぎ出された象形である。五首目や六首目を読んでふと横山未来子の短歌の世界を連想した。確かに柔らかな言葉が生み出す律動の心地よい感覚に共通する手触りがある。横山の静謐な恩寵に満ちた世界はキリスト者としての信仰が支えとなっているのだが、菅原の短歌の世界を支えているのはおそらくは言葉への信仰だろう。短歌を読む喜びと短歌が与えてくれる慰藉を深く感じることのできる歌集である。

第346回 鈴木加成太『うすがみの銀河』

銀盆にひまはりの首級盛りて来る少女あれ夏空の画廊に

鈴木加成太『うすがみの銀河』


 鈴木は2015年に「革靴とスニーカー」で第61回角川短歌賞を受賞している。そのときは大阪大学文学部で国文学を学ぶ四回生の大学生だった。蛇足ながら関西では「四年生」ではなく「四回生」と言う。受賞作を巡って議論が沸騰することもある選考会では、審査員のうち東直子が◎、小池光と島田修三と米川千嘉子が○を付け、珍しくすんなりと受賞が決まっている。鈴木は何かに導かれるように高校生の時に短歌を作り始め、「NHK短歌」に投稿して2011年の8月第3週で一席を取り、その年の年間賞にも選ばれている。大学では阪大短歌会に所属して活動。修士課程(博士前期課程)を修了して就職し、「かりん」に入会し現在に到っている。『うすがみの銀河』は昨年 (2022年) 11月にKADOKAWAから刊行された第一歌集である。栞文は坂井修一、東直子、石川美南。装幀の川瀬巴水の夜景の版画が美しい。

 角川短歌賞受賞作の「革靴とスニーカー」は、就職活動中の大学生の日常が描かれており、見直してみると次のような歌に○を付けている。

やわらかく世界に踏み入れるためのスニーカーには夜風の匂い

水流も銀の電車もひとすじのさくらのわきを流れるひかり

二階建ての数式が0へ着くまでのうつくしい銀河系のよりみち

水底にさす木漏れ日のしずけさに〈海〉の譜面をコピーしており

 四首目の〈海〉はたぶんドビュッシーの交響詩「海」だろうから、オーケストラ部にも入っていたのだろうか。ちなみに私が学生の頃はゼロックスコピーが高価だし、パートごとの楽譜もなかったので、スコア(総譜)から五線紙に手書きで写していたものだ。ページをめくる所に休符を持って来るのが腕の見せ所だった。上に引いた歌は、若者らしい観念性はあるものの、短歌の王道を行く作りの達者な人だなと感じたことを思い出す。

 『うすがみの銀河』には受賞作を含む347首が章分けして収録されている。あとがきによると、第1章〜第3章までには大学を卒業するまでに新仮名遣いで作った歌が、第4章と5章には卒業・就職して「かりん」に入会した後の旧仮名遣いの歌が収録されている。ほぼ編年体だが、構成をし直した部分もあるようだ。角川短歌賞の選考会では、島田が「ちょっと文語を入れたらもっと締まるのにな、というのはこの人に一番感じた」と評しており、期せずして鈴木はそのような道を辿ったことになる。

 さて、鈴木の作風はというと、写実による生活詠という近代短歌の王道は右手で押さえつつも、左手では現実の知的処理と自由な空想を恐れずに盛り込んで、絶妙なバランスを実現しているというところだろうか。何より驚いたのは歌集全体を通じての抜群の安定感と歌の質の高さである。

エッシャーの鳥やさかなとすれ違う地下鉄メトロがふいに外に出るとき

夜のぬるいプールの匂い満ちてくる人体模型の肺を外せば

劇中葬から抜け出したように黒き傘ひらく共産党員の祖父

椅子高き深夜のカフェに睡りゆく銀河監視員の孤独を真似て

紙風船の銀のくちより吹き込みし息の翳りを手にささへをり

 歌集のあちこちからランダムに引いた。一首目は鈴木が得意とする現実の知的処理をよく表す歌。エッシャーはだまし絵の版画で名高い画家。この歌で触れているのは1938年に制作された「空と水1」という作品で、絵の下の方では魚が並んでいるが、その背景が上に行くに従って鳥の姿に変わるという版画である。図と地が反転するルービンの壺を時系列に沿って展開したようになっている。メトロが地上に出るのは、丸ノ内線の御茶ノ水駅か後楽園だろう。二首目は小学校か中学校の記憶が下敷きになっている。人体模型が置いてあるのは理科室で、人も知るように夜の理科室は怪しい空気に満ちているのだ。三首目、鈴木の祖父は鈴木が3歳の頃に忽然と姿を消したという。非合法活動のために地下に潜ったのだろうか。黒い傘にはルネ・マグリットの絵が見え隠れしている。四首目、椅子の高い深夜のカフェと言えば、それはネットカフェ以外にあるまい。銀河監視員はネットゲームと関係があるらしい。五首目は文語(古語)・旧仮名遣いに変えてからの歌。この歌のポイントは言うまでもなく「息の翳り」である。自分が吐き出した息に翳りがあることを見出している。

カーテンが光と風を孕むとき帆船となる六畳の部屋

立ち上がる一瞬野性を閃かせコンロに並ぶ十二の炎

缶珈琲のタブ引き起こす一瞬にたちこめる湖水地方の夜霧

ブラッドベリの名をつぶやけば火星より真赤き風の吹くゆうまぐれ

変声期ひと知れず終え少年の五線譜に無数のゆりかもめ

 上に引いた歌は、鈴木がどのように発想を遠くに飛ばして、その先からポエジーを掴み出しているかをよく示している。その骨法の中核は「見立て」であり、それは決して新しい技法ではなく古くからあるものである。一首目の風を孕むカーテンを帆に見立てるのは割とありふれたものだが、若書きのこの歌に作者の本質がよく現れている。自分が今いるのは狭い六畳の下宿か学生アパートの一室だが、そこから想像の翼を羽ばたかせることで今ここにはない虚空間へと手を伸ばす。するとカーテンがはためく六畳間と波を切って大海原を進む帆船とが二重映しになる。二首目ではそれはガスコンロの青白い炎と夜の森に咆哮する獣である。三首目では立ち上る缶コーヒーの香りが、イギリス湖水地方にあるウィンダミア湖に立ち籠める夜霧を呼び出す。四首目では名作SF『火星年代記』の作者ブラッドベリの名が虚空間への入口を開く呪文である。五首目では五線譜に踊る音符がゆりかもめに見立てられている。

 これらの歌に見られ見立ては、直喩や隠喩のような短歌でよく使われる喩とはいささか異なる働きをしているように感じられる。作者は右目で現実の生活空間を眺め、左目で想像上の虚空間を遠く見ているかのようだ。その様はあたかもネコに稀に見られる右目と左目の色が異なるオッドアイ(金目銀目)を思わせる。

 それが高じると次のような歌になる。

さくら夜桜芳一の耳召してくる若武者のごとき風とゆきあふ

官吏たかむら冥府の井戸をくだる夜もすいと照らしてゐしほしあかり

 一首目は怪談耳なし芳一の物語で、二首目は夜な夜な井戸から冥府に降りて地獄の閻魔大王に仕えたという小野篁の伝承がベースになっている。達者なものだが、ここまで来ると物語性が強くなりすぎて、近代短歌の試金石たる〈私〉がなくなってしまうとも考えられよう。

 付箋が山のように付いたので、その中から特に印象に残った歌を引く。

飛行士は夏雲の果てに睡り僕は目を覚ます水ぬるき夕べに

アパートの脇に螺旋を描きつつ花冷えてゆく風の骨格

街が海にうすくかたむく夜明けへと朝顔は千の巻き傘ひらく

悪夢のごとき火をたづさへて炎昼の街にアスファルト敷く舗装工

仏師の眼ほとけとなりて千年の雨を見てゐるけふも疫の世

うさぎの眼朱く点りて春雷より死よりとほくの野を知らずゐる

あをぞらを往く夏雲のほそき櫂見えざれば午后ねむき図書室

 私が驚いたのは次の歌である。

園丁の鋏しずくして吊られおり水界にも別の庭もつごとく

 鈴木は生駒大祐の句集『水界園丁』を読んでいたのだろうか。もしそうでなければ稀なる暗合と言うほかはない。本人に尋ねてみたいところだ。

 『うすがみの銀河』は爽やかな読後感を残す充実の第一歌集で、今後も語り継がれることだろう。

 

第345回 木下龍也『オールアラウンドユー』

また水に戻るときまで他者としてグラスのなかでふれあう氷

木下龍也『オールアラウンドユー』

 第一歌集『つむじ風、ここにあります』(2013年、書肆侃侃房)、第二歌集『きみを嫌いな奴はクズだよ』(2016年、書肆侃侃房)に続く第三歌集である(共著は除く)。版元はナナロク社。小振りな版型のクロス装のハードカバーで、ページの隅が丸くしてある瀟洒な装幀だ。装幀担当は直久井直子。表紙の色は5色あるそうだ。私が買ったのはグレイである。歌集のタイトルは集中の「詩の神に所在を問えばねむそうに答えるAll around you」から。詩の種は身の回りの到る所にあるという歌である。木下の作歌姿勢をよく示しているタイトルと言ってよい。

 2022年の話題は何といっても「短歌が流行っている」だったが、それをよく表す事件が木下の「情熱大陸」出演である。2022年10月2日に放映された毎日TV系の人気番組「情熱大陸」で初めての歌人として木下が取り上げられた。この番組を見た歌人は多かっただろう。もちろん私も見た。一般からのリクエストに応じて短歌を一首作って販売する「あなたのための短歌」の活動を中心に、なかなか歌ができずに悩む姿などがリアルに映されていた。こうして作られた短歌は依頼者の同意を得て『あなたのための短歌集』(2021年、ナナロク社)として刊行されている。

 このような活動に批判的な人もいるだろうが、新宿や渋谷の路上で色紙に言葉を書いて売ることは昔から行われている。何か心に引っかかりが出来た人が自分に届く言葉を求めるのは自然なことである。木下のあなたのための短歌はその変形の一種だと考えればそれほど奇異なことでもない。『短歌研究』2023年2月号の新シリーズ「『現代短歌2・0』を探して」の第一回で山田航が、『あなたのための短歌集』は現代短歌が経験しつつある「脱モノローグ」という地殻変動の象徴だと書いている。山田によれば、「あらかじめ他者性を内包した文脈」の摺り合わせによって意味が完成する短歌ということのようだが、そこまで言う必要もないだろう。古典和歌はそもそも歌を送る相手がいて、相手の文脈を詠み込むことも多かったわけだし、本歌取りや挨拶歌など他者性を取り込む技法も昔からあるのだから。

 さて木下の第三歌集に話を戻すと、その人が今現在どのような地点にいるかを知るためには、過去にどの地点にいたかを知り、ふたつの地点を隔てる距離と質の差異を測定するのが有効である。『オールアラウンドユー』の特異な点は、章立てを排したことにある。第一歌集『つむじ風、ここにあります』や第二歌集『きみを嫌いな奴はクズだよ』では、ふつうに見られるようにタイトルを冠した章に分かれていた。ところが『オールアラウンドユー』では章立てがなく、1ページに一首印刷された歌がずらっと並んでいる。それが意味しているのは、連作意識の希薄化による一首の孤立化だろう。

 連作にタイトルが付いているのは、短歌総合誌などから執筆依頼が来るときには、「今回は七首お願いします」のように頼まれ、タイトルを付けるよう依頼されるという事情が大きい。タイトルでくくられると、お互いの意味的連関がいかに薄くとも、短歌同士の横の繋がりが生まれ、読者もまたそのような文脈を想定して読むことになる。そこには濃淡はあれ主題意識が生じる。ところが連作の構成を取らずに短歌がずらっと並んでいると、主題意識が生じることがないので歌の垂直性が増す。歌は水平に意味的連関を取り結ぶことなく、一首は孤立した島と化す。隣の島と結ぶ橋はない。すると歌の意味のベクトルは限りなく純化され、垂直方向をめざすことになる。たとえば次のようにである。

風だけに読める宛名が花びらに書かれてあってあなたへ届く

                『オールアラウンドユー』

波ひとつひとつがぼくのつま先ではるかな旅を終えて崩れる

対岸へ渡したくなるたましいを皮膚一枚で引き止めていた

 連作の場合と異なり、前後の歌の意味を利用することができないので、一首はそれだけで意味が完結しなくてはならない。すると歌の意味解釈に必要な文脈もまた内包することになるため、一首がひとつの小さな物語となる傾向がある。上に引いた歌を眺めていると、まるで極端に短いショート・ショート(掌編小説)を読んでいるような気分になるのである。これが木下の作る最近の短歌の魅力となっているように思われる。木下にエピソードを届けてそれを短歌にしてもらうよう依頼する人も、多くは辛いものだった自分の体験を物語に変えてもらうことで昇華したいと望んでいるのかもしれない。

 第一歌集の頃から身の回りの様々なことに気づく多様な視点と、それを短歌に変える能力に優れていた木下だが、そこから紡ぎ出される物語にも一応は通底する主題らしきものが窺える。第一歌集のあとがきを書いた東直子は、「機知に富んでいるだけでなく、作歌の動機として、生きていることへの根本的もどかしさや圧倒的な孤独感があることも感じずにはいられない」と綴っている。もう一歩踏み込んで言うと、木下の短歌から滲み出して来るものは、この世に限りある生を受けてたまさか存在することの悲しみと、詰まるところ人は一人であるという孤独感ではないだろうか。

空き缶は雨を貯めつつ唇にふれられた日の夢を見ている

雪だったころつけられた足跡を忘れられないひとひらの水

かなしみは洗練されてゆくだろう胸にしまえる鈴のサイズに

 一首目の空き缶は、第一歌集にも登場する木下好みのアイテムだ。空き缶の特徴は「用済み」ということである。そんな無用の存在も何かを夢見ることがある。二首目のまっ白だった雪は子供が橇滑りをして雪兎を作ったかもしれないが、やがては溶けてただの水と化す。三首目の悲しみは決してなくなることはなく、折節に胸の奥でチリンと微かに鳴るものとして大切に仕舞われる。静かな諦観のようなものが感じられる歌だ。

 最近話題の永井祐らによる「口語によるリアリズムの更新」とは対極にある作風と言ってよいだろう。極限まで言葉を純化することで生じる笹井宏之の天使的ポエジーと方向性に少し似た点はあるのだが、笹井の場合はポエジーが限りなく拡散する言葉の揮発性があるのに対して、木下の場合は一首による物語性の凝集力が強いという違いがあるように感じられる。

水を吸う力の尽きたとき首が生まれて花はそこから折れる

どんな色でも受け入れるために死はこれまでもこれからも漆黒

殺さずに愛せないかと考えているうちに木を燃やし終わる火

きみの影もポニーテールを失って昼の地面にはりついている

 少しダークな面も見られる歌である。必要な意味を盛り込むために短歌定型から少しはみ出している。木下は部屋に置いた花瓶に一輪の花を絶やすことがないそうで、花や花瓶の歌があるのはそのためだ。上に引いたのは物の終わりを見つめる歌で、これらの歌に見られるすべてを受け入れようとする静かな眼差しが、本歌集全体に漲っている個性である。

 私が恵文社で買ったのは第二刷で、日付は10月17日になっている。おそらく「情熱大陸」が10月2日に放映されることが事前に分かっていたので、ナナロク社が刷り増しをかけたのだろう。前にも書いたことだが、ナナロク社は戦略的に歌集を販売することをめざしている。木下の歌集がこの戦略によって世に知られ流通することが本人にとってどういう意味を持つかは時間が経たなければわからないことだろう。

 栞代わりに谷川俊太郎との対談抄録が添えられている。対談の最後に木下が「今後、僕はどうしたらいいと思いますか」と質問しているのには驚いた。谷川は「質問が新人と同じじゃん」とびっくりしながらも、「今後も短歌を作り続けてください」としごくまっとうな答を返しているのがほほえましい。


 

第344回 島楓果『すべてのものは優しさをもつ』

罪を知り海を知らないあの場所でかすかに揺れている水たまり

島楓果『すべてのものは優しさをもつ』

 「ナナロク社 あたらしい歌集選考委員会」で2021年1月に306名にのぼる候補から選ばれ出版された二冊の歌集のうちの一冊である。選考委員は岡野大嗣と木下龍也が務めている。ナナロク社はこのように非常に戦略的に歌集を売り出そうとしており、これは短歌界の新しい動向と言ってよいだろう。装幀は名久井直子、帯文は木下龍也。木下は島の短歌の100発100中の精度に舌を巻いたという。島は1999年生まれで富山県在住としか書かれていない。ネットで検索すると出て来る画像は髪の長い若い女性である。驚きは巻末のあとがきに隠されているのだが、それは後で触れよう。

 収録されている短歌は定型の口語(現代文章語)短歌で、「けり」も「かな」も「はも」もひとつもない。歌われている題材は日常生活でふと出くわす小さな物語である。たとえば次のようなものだ。

ファミマから出てきたばかりの軽四の屋根に乗ってるアイスコーヒー

さっきまで海の一部分だった両手を洗う薬用ミューズ

鳥よけのためにぶらさげられているCDが聴く鳥の鳴き声

渦巻きに火をつけたときから生の入れ物に注ぎ込まれてゆく死

親切で端に寄ってくれた人の後ろに欲しい干し芋がある

 一首目、コンビニの駐車場から道路に出て来る車の屋根の上にアイスコーヒーのプラスチックカップが載っているという光景。運転している人はたぶん右手にカップを持ち、左手にかばんか何かを持っていたのだ。両手がふさがっているので、車のキーを取り出すためにカップを一時的に車の屋根に置き、そのまま発車したのである。これは「あるある系」の短歌である。二首目、「さっきまで海の一部分だった両手」にポエジーがある。さっきまで海の中に手を入れて何かをしていたのだ。薬用石鹸という一般名ではなく「薬用ミューズ」という具体的な名を入れたところがよい。三首目もよく見る光景だ。効果があるのかわからないが、カラス除けにいらなくなったCDを紐で吊してある。鳥よけのためのはずのCDに鳥の声が降り注いでいるところに、ちょっと素敵な反転がある。四首目、作者は物の名を直接名指さないことの詩的効果をよく知っているようだ。「渦巻き」はもちろん蚊取り線香である。だから「生の入れ物」は蚊を意味する。五首目も「あるある系」だろう。スーバーかコンビニで棚の前にいる人が親切で横に寄ってくれたのだが、自分が欲しいものがその後ろにあるという場面で、ここでも「干し芋」の具体性が光っている。

 前回取り上げた岡本真帆の『水上バス浅草行き』と共通しているのは完全口語(現代文章語)と緩い定型意識であり、これは今の若い歌人に共通した文体意識と言っていいだろう。ちょっとちがうのは、岡本には「安物の花火まぶしい 最後かな 虫鳴いてるね 遠い星だね」のような会話体の歌が混じっているが、島の歌集にはひとつもない。「嬉しい」「悲しい」といった喜怒哀楽を詠んだ歌もほとんどない。どの歌も作者が目を見開いて観察した細部を詠んだもので、近代短歌の写実に通じる所がある。「観察」こそが作者の生命線なのだ。これは大事なポイントである。

 集中で一番多く見られるのは、上に引いた一首目や五首目のような「あるある系」の歌である。

何度飲み込もうとしてもとどまっている一錠を手のひらに出す

パトカーを見かけた途端ふたりして無口になって座高が伸びる

貼って寝た腰の湿布が明け方の布団の痛みを和らげていた

 一首目もよくあることだ。錠剤を飲み込もうとて、どうしても飲み込めない一錠がある。二首目はたぶん車を運転している場面だ。疚しいことはないのに、パトカーを見かけた途端、前をじっと見て姿勢がよくなる。三首目もよくあることで、腰に貼ったサロンパスが寝ている間に剥がれて布団に貼り付いている。

 言われてみれば当たり前のことにハッと気づく「ハッと系」の歌もある。

空っぽのコップが倒れたテーブルにコップの中の空気は満ちる

行くときはあちらを見ていた人形が帰るときにはこちらを見てる

スプーンでお茶に浮かんでいるコバエすくうときだけ立ってる小指

鮭を取り出されたあとの魚焼きグリルが焼き続けている空気

 一首目、コップに水が入っているとき、コップを倒せば水がテーブルにこぼれる。同じように空のコップを倒したら、入っていた空気がテーブルにこぼれているはずだ。しかしふつう私たちはそのように認識しない。コップは空であり、中の空気は中身ではないからである。これは吉川宏志の有名な「円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる」に匹敵する発見の歌である。なかなか作れるものではなく、すばらしい。作者が現実を知的に処理することに長けていることがわかる。二首目は読んだままの当たり前の歌。三首目もいかにもありそうなことだ。四首目はコップの歌と発想が似ている。焼けた鮭を取り出した後のグリルには空気しか残っていない。火を消すまでのしばらくの間、グリルを空気を焼き続けているというわけだ。

 注目すべきなのは「トホホ系」の歌も少なからずある点である。

トースター開けたら昨日のトーストが入ったままでゆっくり閉じる

くっきりと枕の跡がついていて今日は丹下左膳で生きる

10ホールブーツのままで忘れもの取りに廊下を膝立ちで行く

噛みちぎれなくて無理やり引っ張った干し芋が持ち帰った前歯

 焼いたトーストを取り出すのを忘れる、頬に枕の跡をくっきり付ける、ブーツを履いてから忘れ物に気づいて脱ぐのが面倒なので膝立ちで室内を移動する、干し芋に前歯を取られる〈私〉は情けない私である。このように低い目線で自己を詠うのは近代短歌のセオリーに適っている。それ以外に私が特に注目したのは、作中の〈私〉と他者との関係性に焦点を当てた歌である。

ファインダー越しにわたしが見ていたあなたはわたしを見ていたあなた

立ちくらみから覚めるころ見えてないわたしを見ていた人が見えだす

店員とわたしの人生を交差させる十円玉とレシート

 写真を撮るとき私がファインダー越しにあなたを見ると、あなたは私を見つめている。当然のことなのだが、〈私〉はあなたを初めとする関係性の中でしか成立しない概念であることをよく示している。二首目では立ちくらみに襲われた〈私〉には周囲にいる人が見えない。しかし立ちくらみが収まると、徐々に回りの人が見えてくる。回りの人はずっとそこに居て、私に見えていなかっただけなのだ。三首目では、店で何かを買い、お金を支払っておつりとレシートを受け取る。何でもない光景だが、作者は〈私〉と店員の人生が交差したと感じるのである。このような歌は、日頃から周囲の人との関係性に悩みを抱えている人が作る歌のように思う。

 そのような思いを強くするのは、集中に次のような気になる歌があるためである。

なにもせずに終わった今日をどうにかこうにか延ばそうとして起きている

夕暮れの中で開いた目は映す今日の日記のような天井

したいことだけして生きるしたいこと特にはなくて息をしている

無風でもわたしは揺れて揺らがないはずのものなどなくしてしまう

 これは「自分は空っぽ系」の歌だ。はっきりとした輪郭を持ち、明確な意思と目標を持つ〈私〉をどうしても描くことができない。あとがきを読んでその理由がようやく理解できた。文ひとつごとに改行されている長いあとがきには、幼い頃から自分に違和感を感じ、学校を休みがちになって、高校を一ヶ月で中退して「わたしは終わった」と感じたことが率直に綴られている。美容院を営む母親と二人暮らしでずっと家に居たが、歌集を読むようになり自分でも短歌を作り始めた。その後、出会ったのが種田山頭火である。作者は山頭火の俳句を読むことで生きる意思を取り戻し、なにもないように見える生活の中に今あるものを生かすという生き方を教わったのだ。短歌を作り始めてから、それまで見えていなかったものが見えるようになったという。そして島は書いている、「新しい世界はずっとここにあった」と。何とすばらしいことだろう。これほど心に沁みる言葉はそうそうあるものではない。

 私はかねてより短歌や俳句は人を救うことがあると思っていたが、島が本歌集出版に到るまでの歩みはそのことを実証している。セーラー服歌人鳥居と並び島は「救済としての短歌」を体現していると言ってよい。

 山頭火と聞いて、なるほど次のような歌のルーツはそこにあったのかと思い到る。

紙パックたたんだことでたたまれた紙パックから礼を言われる

持ち上げた箱が思っていたよりも軽くて腕を疑っている

溜めるとき落ちたであろう米粒が一番風呂をいただいている

 短歌は形式(音、韻律)と内容(意味)とが分かちがたく混じり合ったところに成立する韻文形式である。それから考えると、島の短歌は内容(意味)に傾きすぎていて、形式(音、韻律)がおろそかになっており、知的に過ぎると感じる人もいるかもしれない。それももっともな感想である。とは言うものの、短歌が座の文芸としての性格を弱め、活字で一人読むものとなった現在では、形式(音、韻律)面の弱まりは当然の傾向とも考えることができる。

 「没入するほど深く見つめて、すべてもものに秘められた優しさを暴く。あなたほと優しい天才に僕は出会ったことがない。」と帯文に木下は書いている。それはそうなのだが、その「優しさ」が作者の天性の資質ではなく、幼少期からの苦闘の末に出会った短詩型文学に教えられたものだということが、島に降り注いだ恩寵なのである。

 

第343回 岡本真帆『水上バス浅草行き』

死にたいとそっと吐き出すため息の軽さで少し進む笹舟

岡本真帆『水上バス浅草行き』

 昨年話題になった「短歌が流行っている」現象の台風の目のひとつとなった歌集である。初版一刷は2022年3月21日で、私が購入したのが5刷で6月10日の日付になっている。『短歌研究』8月号に掲載された版元のナナロク社社長村井光男のインタビューによれば、その時点までで五刷、合計13,000部出ているという。発売から三ヶ月で五刷はすごい数である。なんでも村井社長は木下龍也と岡野大嗣とLINEグループを作り、歌集を一万部売ることを目標にしたという。それを見事に達成しているのが何ともすごいことだ。

 『水上バス浅草行き』の造本にも戦略が感じられる。大きさは新書より少し大きいくらいで、女性のバッグにすっぽりと入る。ハードカバーだからバッグの中の他の物とこすれてぐちゃぐちゃになることがない。それにおそろしく軽い。計ってみたら200グラムしかない。紙質も上質紙ではなく、わざとやや質の落ちる紙を使っていて、全体としてカジュアル感を出している。たとえばバスを待っている時などに取り出してちょい読みできるようにするのがねらいだろう。

 歌集巻末のプロフィールには、岡本は1989年高知県生まれで、未来短歌会「陸から海へ」出身とだけ書かれている。「陸から海へ」は「未来」の中の黒瀬珂瀾の選歌欄である。ネット上には岡本のインタビュー記事がいくつかある。それによれば会社員として勤務しながら作歌を始め、最初は雑誌『ダ・ヴィンチ』の穂村弘の短歌コーナーに投稿していたらしい。しかし雑誌は次の号が出るまでひと月かかるのでそれが待ちきれず、ネット上の短歌サイトに投稿するようになったという。そこで評判になった (いわゆるSNSでバズった)のが、本歌集にも収録されている次の歌である。ある日、自宅の傘立てにビニール傘がたくさん入っているのを見て思いついた歌だという。確かに急な雨に降られてコンビニでビニール傘を買うことが続くと溜まっていまう。誰しも思い当たる経験だろう。

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘がこんなにたくさんあるし。

 このような歌がネットで評判を呼び、岡本はナナロク社に歌集刊行を打診したらしい。こうして第一歌集『水上バス浅草行き』が世に出ることになった。

卵かけごはんの世界から人が消えれば卵かけられごはん

にぎやかな四人が乗車して限りなく透明になる運転手

パチパチするアイス食べよういつか死ぬことも忘れてしまう夕暮れ

だいたいの30cm示すとき手と手にまぼろしの竹定規

さわれないたとえのひとつ反対の車線を走り去るターャジス

 岡本の短歌の特徴は「リーダビリティの高さ」と「あるある感」だろう。「リーダビリティの高さ」とは、一読して意味を理解できる表現の透明度で、「あるある感」は、「そう、そんなことってあるよね」という共感指数の高さである。それに加えて、誰もがうすうす気づいていたかもしれないことを指摘する「ハッと感」もある。「リーダビリティの高さ」と「あるある感」と「ハッと感」をほど良いバランスで兼ね備えているのはそうそうあることではない。岡本の短歌の人気の秘密はそのあたりにありそうだ。

 一首目、「卵かけごはん」は食べる人が卵をかけるからそう言う。しかし食べる人が消えれば卵をかける動作主体が消失するので、ごはんの側から見れば「卵かけられ」となる。主体の消失によって能動態が受動態に転換される。言われてみれば確かにそうだ。二首目は乗客の数と様子に応じて、タクシーの運転手が存在感を消すことに気づいて作った歌だという。乗り込んで来た乗客の話が盛り上がっているので、運転手はまるでそこにいないような人になる。これは「あるある」だろう。三首目はちょっと趣のちがう叙情的な歌で、このようなテイストの歌がところどころに挟まれているのも魅力だ。四首目、「だいたいこれくらいね」と30cmの長さを両手を広げて示すときに、そこに小学校で使った竹製の定規が見えるという歌。五首目は声に出して読めない歌だ。コーヒーフレッシュなどを製造販売しているスジャータめいらくが製品を運ぶ緑色の車の胴体に書かれているロゴは、車の左側には「スジャータ」、右側には「ターャジス」と書かれている。右側のロゴは右から読むのだ。五首目の歌の車は反対車線を走っているので右側のロゴが見えているのだ。この書き方は変だと思いつつもそれはもう変えられないと詠んでいる。ちなみにスジャータめいらくでは、2018年から新しい車では右側のロゴが「スジャータ」に順次変更されているそうだ。万物は流転するのである。

 定型意識が緩いこともまた岡本の短歌の特徴のひとつだろう。たとえば音節数が一首目では5・9・7・10、二首目では5・9・5・7・5となっていて、どちらも合計すると31音になるのだが、定型には収まっていない。これは岡本の短歌の敷居を下げる方向に働いていると思う。短歌を作り慣れた人や読み慣れた人にはもはや想像しにくいかもしれないが、一行に書かれている文を5・7・5・7・7の定型に区切って読むのは決して自然な読み方ではなく、とんでもなく人工的な読み方である。それは読み手の中に定型意識があって初めて可能なことだ。しかし岡本の短歌はそのような内的韻律の意識なしで読み下すことができる。それは広告のコピーの感覚に近い。岡本は実際広告のコピーを考えたり、アーティストのプロデュースをする仕事をしていたようなので得意技なのだ。

君の名を呼ぼうとすれば薄氷の上で春へと瓦解してゆく

花かんむり一輪ぬけばたちまちにこぼれてしまう時計のように

金木犀わからないまま生きていく星のかたちに出るマヨネーズ

五分後は他人に変わる三叉路で一番好きな歌の話を

半身が足りないままで生きていく心はレモンサワーのくし切り

 短歌なので岡本の作品にも言語の詩的浮揚を実現するべく修辞が用いられている。一首目では「春へと瓦解してゆく」に軽い詩的圧縮がある。表現されているのは縮めることができない好きな人との距離感だろう。二首目では「時計のように」が直喩だが不思議な喩だ。ふつう時計はこぼれたりしないからである。この違和感がミソだろう。三首目は上句と下句の意味的連関が切れていることにより、書かれている以上の意味が発生する。四首目のポイントは「三叉路」で、こういう言葉の選び方は実にうまい。私と君はこれからは別の道を行くのである。五首目の「半身」はbetter halfの恋人を指すので失恋の歌である。恋に破れた心を居酒屋のレモンサワーのグラスに添えられているくし切りのレモンに喩えている。レモンの残りはどこかに行ってしまったのだ。瀬戸夏子は『はつなつみずうみ分光器』の中で、口語短歌の文体に対する東直子の影響力の大きさを力説しているが、上に引いたような歌の文体にも東の遠い影響が感じられる。

 口語短歌の弱点は文末表現の貧弱さなのだが、ここに引いた歌ではいろいろな工夫がされていて単調さを免れている。一首目は終止形の「ゆく」だが、二首目は倒置法を用いて連用形の「ように」で終わり、三首目は体言止め、四首目は言いさしの不完全文で格助詞「を」で終わり、五首目も体言止めとなっている。

回送の電車の中でねむるときだけ行き着けるみずうみがある

締めていたはずのキャップを炭酸は抜けて潮風いつか忘れる

揺れながら一人のバスで目を閉じる波打ち際の君のサンダル

火にかけて殺めることをためらえばゆっくりと死ぬ真水のあさり

立ち止まる季節と思う青になるまでの時間に降り注ぐ秋

何度でもめぐる真夏のいちにちよまたカルピスの比率教えて

戸を開けて出て行く人のそれぞれの額にそれぞれ注ぐ陽光

 特に心に残った歌を引いた。書き写していて気づいたのだが、一首目に句跨りがあるものの、ほぼ定型に収まっている歌ばかりだ。やはり私も定型感覚にすっかり染まってしまっているのだろう。本歌集を手に取った人の多くが立ち止まる歌はこのような歌ではないような気がする。

 かつて穂村弘は現代短歌の方向性として、「驚異」(ワンダー)と「共感」(シンパシー)のふたつを挙げた。穂村自身は塚本邦雄の短歌に衝撃を受けて短歌の世界に誘われたのだから本来は「驚異」派である。しかし評論においては「棒立ちのポエジー」「短歌の武装解除」「一周回った修辞のリアリティ」といった用語を用いて「共感」派の短歌に応援を送り続けた。そのためもあってか、非結社系・ネット系を含む現在の広い短歌シーンでは「共感」派が圧倒的に優勢である。岡本の短歌もその主成分は「共感」であり、そこに多くの読者が引かれるのだろう。

 歌集に挟まれた読者カードがちょっとおもしろい。質問に「お住まいはどのあたりでしょうか。町の名前はお好きですか」というのがある。もちろん購入者の地理的分布を知るのが出版社の目的なのだが、町の名前が好きかというのは本来必要のない質問だ。京都市上京区勘解由小路町に住んでいる人ならば「好き」と答えるかもしれない。「本を手にとってくださったあなたはどのような方ですか」という質問には「映画好きの会社員で2匹の猫の飼い主です」という解答例が付されている。購入者の属性を知るための質問項目だが、このような解答例を付しているところから、ナナロク社がどのような読者をターゲットとしているかがわかる気がする。


 

第342回 岡野大嗣『音楽』

しっぽだけぶれてるphotoのそうやってあなたに犬がそばにいた夏

岡野大嗣『音楽』 

 私は京都市左京区に住んでいるのだが、自宅から歩いて5分ほどの所に恵文社という書店がある。三月書房が惜しまれつつ閉店した現在、京都で最もユニークな本屋であることはまちがいない(実はもう一軒、恵文社の元店長が開いた誠光社という個性的な書店がある)。落ち着いた色調の板張りの床に、背丈の低めの書架が並べてあり、ところどころに置かれたアンティークの机にテーマごとに本が平積みされている。英文学を研究する友人が、「まるでイギリスの本屋のようだ」と評したことがある。そのとおりで、書店というよりは愛書家の古い書庫に入り込んだような印象を受ける。

 外観と店の雰囲気も重要だが、恵文社のユニークさは選書にある。一冊一冊、目利きの書店員が選んだ本ばかりが並べてある。小沼丹と山田稔の小説がいつでも買える書店はめったにない。山尾悠子と澁澤龍彦の本もいつも置いてある。ずいぶん前になるが、ふらっと店を訪れると、山尾悠子の歌集『角砂糖の日』の古本が10冊くらい積まれていて仰天したことがある。私はすでに一冊持っていたのだが、捨て置けず3冊買ってしまった。新装版で再刊されるずっと前のことだ。また「美しい本」というフェアでは、紀野恵の『フムフムランドの四季』(砂子屋書房)を買った。若くして亡くなった元同僚の法哲学者那須耕介君の本をずっと置いてくれているのもうれしい。

 さて、ここからが本題なのだが、先日恵文社に行くと、詩歌の棚が増えているばかりか、机の上にも歌集が平積みされているではないか。うれしくなってしまった。『短歌研究』8月号の「短歌ブーム」特集で、編集部からのアンケートに答えた恵文社の書店員の韓千帆さんによると、一昨年あたりから短歌の本が動き出し、20代30代の人がよく手にとっているという。韓さんは続けて「しずかに、かつ確かに短歌(を含めた短詩形文学)への関心が広がっているように思います」と答えている。詩歌の棚の充実もこのような動きを反映してのことだろう。恵文社では堀静香と大森静佳のトークイベントも開催している。

 そのときは散歩の途中で立ち寄っただけなのに歌集を6冊買ってしまった。その折に買った歌集をこれからしばらく続けて取り上げることにする。

       *          *          *

 岡野大嗣の『音楽』が手許の書架に並んでいるのは上のような経緯による。歌集巻末のプロフィールによると岡野は1980年大阪生まれ。短歌にときどき関西弁が混じるので関西出身だろうなとは思っていた。第一歌集『サイレンと犀』、第二歌集『たやすみなさい』の他、木下龍也との共著歌集『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』がある。共著を除けば『音楽』は第三歌集である。版元はナナロク社。

 今年の短歌シーンの大きな話題は「短歌が流行っている」であることに異論はないだろう。『短歌研究』8月号はズバリ「短歌ブーム」という特集を組んだ。全国の書店員へのアンケート調査の「どんな歌集が売れているか」という質問に多かった答は、岡野大嗣、木下龍也、岡本真帆らの歌集だった。それに加えて岡野大嗣へのロングインタビューと、版元のナナロク社の村井光男社長へのインタビューまで収録されている。今年の「短歌ブーム」の原因はいろいろあるだろうが、その中心に近い位置に岡野とナナロク社がいることはまちがいない。とはいうものの岡野自身は「短歌のコアな作者や読者のほうからは、岡野大嗣もこの軽薄なブームに加担している一人と思われているかもしれないな、と思ってやるせなくもなります」と発言しており、意外に醒めた見方をしている。

 岡野は2014年の短歌研究新人賞で次席に選ばれている。この年に新人賞を受賞したのは石井僚一の「父親のような雨に打たれて」で、この連作がその後物議を醸したことは記憶に新しい。ちなみに次席には岡野と青井杏の二人が選ばれたが、候補作には山階基、工藤吉生、北山あさひ、法橋ひらく、工藤玲音、フラワーしげるらがずらっと名を連ねていて、まるでオールスターのようだ。

 岡野の次席作の「選択と削除」には次のような歌が見られる。

人のなりした環境依存文字たちをダイヤ通りに運ぶ地下鉄

ダンボールの口があいているのが視野に入って中に肉らしきもの

社是唱和 白いセミナー室にいてわたしは生まれなおされている

骨なしのチキンに骨が残っててそれを混入事象と呼ぶ日

塾とドラッグストアと家族葬館が同じにおいの光を放つ

 無機質で抑圧的な都市風景と、フラットな日常生活に息苦しさを感じている作中主体の〈私〉を想定すべきか迷うほどに、事象自身が自らを語るかのような文体で描かれているが、全体を浮遊するテーマは「世界との違和」だろう。岡野は2011年に作歌を始めたらしいので、短歌研究新人賞へ投稿した時は始めて2年半そこそこであることを考えると驚くべき上達ぶりだ。岡野は木下龍也の短歌に触れたことがきっかけで作歌を始めたようだが、「ただいまより他のお客様のご迷惑になりますご注意ください」のような歌を見ると、中澤系の影響を強く受けているようにも思える。

 岡野は短歌研究新人賞次席に選ばれた直後の2014年12月に第一歌集『サイレンと犀』を刊行している。準備には半年はかかるだろうから、短歌研究新人賞応募と並行して進められていたにちがいない。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻で、監修は東直子である。解説によると、東が担当していたラジオ番組への短歌投稿が歌集を編むことになったきっかけだったらしい。

くもりのちあめのちくもりくちべにをひく母さんの手つきはきらい

                       『サイレンと犀』

ひとりだけ光って見えるワイシャツの父を吐き出す夏の改札

フェンスから逃げ出すように咲いているたぶん金糸梅を撫でに近づく

ぎりぎりの夕陽がとどく二段階右折待ちする僕の胸まで

もしそれを愛と呼ぶなら永遠に続く閉店セールも愛だ

ここじゃない何処かへ行けばここじゃない何処かがここになるだけだろう

 東は解説で「根底にあるこの世への不条理感が歌を作る動機になっているように思う」と書いている。短歌研究新人賞次席の「選択と削除」に較べると、幼少期を回想する歌や日常詠も混じっていて、より幅広く世界と接するスタンスになっているようだ。しかし作品の底を流れる音楽は沈鬱な音色を奏でるものが多い。

 では『音楽』はどうかと言うと、一読した印象はかなり異なるものだ。歌集の中核をなしているのは次のような歌である。

借りたままの古いゲームのサントラと貸したままのそのカセットのこと

買った夜にはいなかった部屋にいて部屋着にしてるバンドTシャツ

かっぱよく似合ってますね、を飼い主に 似合ってるね、を犬に話した

月をみる こんな真上にあったから気づかなかった時間の後で

つらいね、のいいねをつける これしきのことで救った気になって消す

 岡野の変化は、「否定・懐疑から肯定へ」、「暗さから明るさへ」、「対立から慰撫へ」、「文章語から話し言葉へ」というキーワードで表すことができるだろう。岡野はどこかで世界と和解する方法を見つけたのである。岡野の描く世界はそれまでに較べてずっと穏やかで優しいものになっている。

 岡野の短歌が多くの人を引きつける秘密は、岡野の短歌が普遍的な「小確幸」を描いているからではないだろうか。私の記憶が確かならば、「小確幸」とは村上春樹が安西水丸との共著『ランゲルハンス島の午後』(1986年、光文社)で使った言葉で、「人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ」を略したものである。この本は村上の文章に安西のイラストが添えられた瀟洒な本で、愛蔵している。ちなみにTV大阪で放映された「名建築で昼食を」というドラマで、田口トモロヲ扮する建築模型士が友人の喫茶店のマスター(三上寛)に「小確幸」を紙に字で書いて説明する場面があった。彼もまた「小確幸」の人なのだ。

おやすみ、で終わる手紙がやってきて読めるぬいぐるみという感じ

セーターに首をうずめて聴いているラジオの声を暖炉みたいに

これも聴いてみる?を聴いていて外の流れる町に春をみている

明日からは最寄りではない駅前で買った明日のパンあたたかい

ベランダに夜を見にいく飲みものを誰かが買っていく音の夜

 このような歌に描かれているのは取り立てて何ということもない日常の一場面である。最後におやすみと書かれている手紙、セーターに首を埋めて聴くラジオ、人に勧められてイヤホンで聴く曲、駅前で買ったパン、自販機で誰かが飲み物を買う音。いずれも特筆すべき大きな出来事ではない。私たち一般の人間の日常は、取り立てて言うほどのこともない小さな出来事の連続だ。岡野はそれをひとつひとつ丁寧に拾い上げて、ほらと読者に差し出すのである。

 差し出し方に工夫があることは言うまでもない。一首目では、「手紙が届いて」ではなく「やってきて」という擬人化と、「読めるぬいぐるみ」という喩と擬動物化が施されている。結句の「感じ」も話し言葉的でやわらかい。二首目には「暖炉みたいに」が喩で、「ラジオの声を暖炉みたいに」が倒置されている。三首目は会話体で始まり、「これも聴いてみる?を聴いていて」に大胆な省略がされている。本来ならば「『これも聴いてみる?』と薦められた曲を聴いていて」だろう。「外の流れる町」にも軽い詩的圧縮がある。四首目では「明日からは」と「明日のパン」の対比が眼目だ。作中の〈私〉は引っ越すので、今まで駅前の店でパンを買っていた最寄り駅は最寄り駅でなくなる。もうこの店でパンを買うこともないかもしれない。そこに軽い別れの寂しさがある。五首目、ベランダに出るのは洗濯物を干すためか、何かを見るためだ。「夜を見にいく」ことはふつうはしない。ふつうはしないことを作中の〈私〉がしているのは、心の中に何かが溜まっているからである。近くに設置されている自販機で誰かが飲み物を買う「ガチャン」という音がする。結句の「音の夜」にも軽い詩的転倒が感じられる。

 このように岡野の短歌には喩や詩的圧縮などの修辞が施されているのだが、喩の跳躍距離や詩的圧縮率がほど良く押さえられていて、一般読者を置いてきぼりにすることがない。歌人に限らず芸術家は一般に、独自の境地を追究するあまり難解な作品を作ることがある。

春三月リトマス苔に雪ふって小鳥のまいた諷刺のいたみ

                  加藤克巳『球体』

驛長愕くなかれ睦月の無蓋貨車處女をとめひしめきはこばるるとも

                     塚元邦雄『詩歌變』

中空ふかくナイフ附きの梨のまま

          安井浩司『四大にあらず』

 いずれ劣らず高踏的な作品で、読者の安直な解読を峻拒する。このような作品は読者を選ぶ。このような極北と比較するのも申し訳ないが、これに較べて岡野の詩的修辞は読者を置き去りにすることがない。『サイレンと犀』のあとがきで岡野は、歌集を世に送るのは「自分が『忘れたくない』と思った何かを、見知らぬ誰かにも伝えたいという願いからだと思う」と書いている。また『音楽』の帯には「わずかにでも感情を動かした時間と光景」と書かれている。岡野の短歌が多くの読者に届くのは、岡野がこのようなスタンスから作品を作っているからだろう。

当時まだ昭和を知っていた犬と平成の雪をはしゃいだ写真

音楽は水だと思っているひとに教えてもらう美しい水

夜のもうほとんど暗いほとんどを拒んで湾岸線のオレンジ

イヤフォンを外す 目だけでは真夏だと信じてしまう雲を見つけて

かごの影きれいで自転車をとめる春より春な冬のまひるに

だいどこ、と呼ぶ祖母が立つときにだけシンクにとどく夕焼けがある

交差点の小雨を夜に光らせて市役所前のうつくしい右折

犬の顔に虹が架かって辿ったらとうふ屋さんのおとなしい水

 岡野は犬と音楽が好きなようで、犬と音楽を詠んだ歌が多くある。一首目はもうこの世にいない愛犬を詠んだ歌。二首目は集中屈指の歌で歌意の説明は不要である。五首目の歌も好きだ。六首目は岡野の代表歌にしてもよい。

 実は岡野の短歌の特徴のひとつである「話し言葉性」についても触れようと考えていたのだが、長くなったので別の機会に譲ることにする。