第344回 島楓果『すべてのものは優しさをもつ』

罪を知り海を知らないあの場所でかすかに揺れている水たまり

島楓果『すべてのものは優しさをもつ』

 「ナナロク社 あたらしい歌集選考委員会」で2021年1月に306名にのぼる候補から選ばれ出版された二冊の歌集のうちの一冊である。選考委員は岡野大嗣と木下龍也が務めている。ナナロク社はこのように非常に戦略的に歌集を売り出そうとしており、これは短歌界の新しい動向と言ってよいだろう。装幀は名久井直子、帯文は木下龍也。木下は島の短歌の100発100中の精度に舌を巻いたという。島は1999年生まれで富山県在住としか書かれていない。ネットで検索すると出て来る画像は髪の長い若い女性である。驚きは巻末のあとがきに隠されているのだが、それは後で触れよう。

 収録されている短歌は定型の口語(現代文章語)短歌で、「けり」も「かな」も「はも」もひとつもない。歌われている題材は日常生活でふと出くわす小さな物語である。たとえば次のようなものだ。

ファミマから出てきたばかりの軽四の屋根に乗ってるアイスコーヒー

さっきまで海の一部分だった両手を洗う薬用ミューズ

鳥よけのためにぶらさげられているCDが聴く鳥の鳴き声

渦巻きに火をつけたときから生の入れ物に注ぎ込まれてゆく死

親切で端に寄ってくれた人の後ろに欲しい干し芋がある

 一首目、コンビニの駐車場から道路に出て来る車の屋根の上にアイスコーヒーのプラスチックカップが載っているという光景。運転している人はたぶん右手にカップを持ち、左手にかばんか何かを持っていたのだ。両手がふさがっているので、車のキーを取り出すためにカップを一時的に車の屋根に置き、そのまま発車したのである。これは「あるある系」の短歌である。二首目、「さっきまで海の一部分だった両手」にポエジーがある。さっきまで海の中に手を入れて何かをしていたのだ。薬用石鹸という一般名ではなく「薬用ミューズ」という具体的な名を入れたところがよい。三首目もよく見る光景だ。効果があるのかわからないが、カラス除けにいらなくなったCDを紐で吊してある。鳥よけのためのはずのCDに鳥の声が降り注いでいるところに、ちょっと素敵な反転がある。四首目、作者は物の名を直接名指さないことの詩的効果をよく知っているようだ。「渦巻き」はもちろん蚊取り線香である。だから「生の入れ物」は蚊を意味する。五首目も「あるある系」だろう。スーバーかコンビニで棚の前にいる人が親切で横に寄ってくれたのだが、自分が欲しいものがその後ろにあるという場面で、ここでも「干し芋」の具体性が光っている。

 前回取り上げた岡本真帆の『水上バス浅草行き』と共通しているのは完全口語(現代文章語)と緩い定型意識であり、これは今の若い歌人に共通した文体意識と言っていいだろう。ちょっとちがうのは、岡本には「安物の花火まぶしい 最後かな 虫鳴いてるね 遠い星だね」のような会話体の歌が混じっているが、島の歌集にはひとつもない。「嬉しい」「悲しい」といった喜怒哀楽を詠んだ歌もほとんどない。どの歌も作者が目を見開いて観察した細部を詠んだもので、近代短歌の写実に通じる所がある。「観察」こそが作者の生命線なのだ。これは大事なポイントである。

 集中で一番多く見られるのは、上に引いた一首目や五首目のような「あるある系」の歌である。

何度飲み込もうとしてもとどまっている一錠を手のひらに出す

パトカーを見かけた途端ふたりして無口になって座高が伸びる

貼って寝た腰の湿布が明け方の布団の痛みを和らげていた

 一首目もよくあることだ。錠剤を飲み込もうとて、どうしても飲み込めない一錠がある。二首目はたぶん車を運転している場面だ。疚しいことはないのに、パトカーを見かけた途端、前をじっと見て姿勢がよくなる。三首目もよくあることで、腰に貼ったサロンパスが寝ている間に剥がれて布団に貼り付いている。

 言われてみれば当たり前のことにハッと気づく「ハッと系」の歌もある。

空っぽのコップが倒れたテーブルにコップの中の空気は満ちる

行くときはあちらを見ていた人形が帰るときにはこちらを見てる

スプーンでお茶に浮かんでいるコバエすくうときだけ立ってる小指

鮭を取り出されたあとの魚焼きグリルが焼き続けている空気

 一首目、コップに水が入っているとき、コップを倒せば水がテーブルにこぼれる。同じように空のコップを倒したら、入っていた空気がテーブルにこぼれているはずだ。しかしふつう私たちはそのように認識しない。コップは空であり、中の空気は中身ではないからである。これは吉川宏志の有名な「円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる」に匹敵する発見の歌である。なかなか作れるものではなく、すばらしい。作者が現実を知的に処理することに長けていることがわかる。二首目は読んだままの当たり前の歌。三首目もいかにもありそうなことだ。四首目はコップの歌と発想が似ている。焼けた鮭を取り出した後のグリルには空気しか残っていない。火を消すまでのしばらくの間、グリルを空気を焼き続けているというわけだ。

 注目すべきなのは「トホホ系」の歌も少なからずある点である。

トースター開けたら昨日のトーストが入ったままでゆっくり閉じる

くっきりと枕の跡がついていて今日は丹下左膳で生きる

10ホールブーツのままで忘れもの取りに廊下を膝立ちで行く

噛みちぎれなくて無理やり引っ張った干し芋が持ち帰った前歯

 焼いたトーストを取り出すのを忘れる、頬に枕の跡をくっきり付ける、ブーツを履いてから忘れ物に気づいて脱ぐのが面倒なので膝立ちで室内を移動する、干し芋に前歯を取られる〈私〉は情けない私である。このように低い目線で自己を詠うのは近代短歌のセオリーに適っている。それ以外に私が特に注目したのは、作中の〈私〉と他者との関係性に焦点を当てた歌である。

ファインダー越しにわたしが見ていたあなたはわたしを見ていたあなた

立ちくらみから覚めるころ見えてないわたしを見ていた人が見えだす

店員とわたしの人生を交差させる十円玉とレシート

 写真を撮るとき私がファインダー越しにあなたを見ると、あなたは私を見つめている。当然のことなのだが、〈私〉はあなたを初めとする関係性の中でしか成立しない概念であることをよく示している。二首目では立ちくらみに襲われた〈私〉には周囲にいる人が見えない。しかし立ちくらみが収まると、徐々に回りの人が見えてくる。回りの人はずっとそこに居て、私に見えていなかっただけなのだ。三首目では、店で何かを買い、お金を支払っておつりとレシートを受け取る。何でもない光景だが、作者は〈私〉と店員の人生が交差したと感じるのである。このような歌は、日頃から周囲の人との関係性に悩みを抱えている人が作る歌のように思う。

 そのような思いを強くするのは、集中に次のような気になる歌があるためである。

なにもせずに終わった今日をどうにかこうにか延ばそうとして起きている

夕暮れの中で開いた目は映す今日の日記のような天井

したいことだけして生きるしたいこと特にはなくて息をしている

無風でもわたしは揺れて揺らがないはずのものなどなくしてしまう

 これは「自分は空っぽ系」の歌だ。はっきりとした輪郭を持ち、明確な意思と目標を持つ〈私〉をどうしても描くことができない。あとがきを読んでその理由がようやく理解できた。文ひとつごとに改行されている長いあとがきには、幼い頃から自分に違和感を感じ、学校を休みがちになって、高校を一ヶ月で中退して「わたしは終わった」と感じたことが率直に綴られている。美容院を営む母親と二人暮らしでずっと家に居たが、歌集を読むようになり自分でも短歌を作り始めた。その後、出会ったのが種田山頭火である。作者は山頭火の俳句を読むことで生きる意思を取り戻し、なにもないように見える生活の中に今あるものを生かすという生き方を教わったのだ。短歌を作り始めてから、それまで見えていなかったものが見えるようになったという。そして島は書いている、「新しい世界はずっとここにあった」と。何とすばらしいことだろう。これほど心に沁みる言葉はそうそうあるものではない。

 私はかねてより短歌や俳句は人を救うことがあると思っていたが、島が本歌集出版に到るまでの歩みはそのことを実証している。セーラー服歌人鳥居と並び島は「救済としての短歌」を体現していると言ってよい。

 山頭火と聞いて、なるほど次のような歌のルーツはそこにあったのかと思い到る。

紙パックたたんだことでたたまれた紙パックから礼を言われる

持ち上げた箱が思っていたよりも軽くて腕を疑っている

溜めるとき落ちたであろう米粒が一番風呂をいただいている

 短歌は形式(音、韻律)と内容(意味)とが分かちがたく混じり合ったところに成立する韻文形式である。それから考えると、島の短歌は内容(意味)に傾きすぎていて、形式(音、韻律)がおろそかになっており、知的に過ぎると感じる人もいるかもしれない。それももっともな感想である。とは言うものの、短歌が座の文芸としての性格を弱め、活字で一人読むものとなった現在では、形式(音、韻律)面の弱まりは当然の傾向とも考えることができる。

 「没入するほど深く見つめて、すべてもものに秘められた優しさを暴く。あなたほと優しい天才に僕は出会ったことがない。」と帯文に木下は書いている。それはそうなのだが、その「優しさ」が作者の天性の資質ではなく、幼少期からの苦闘の末に出会った短詩型文学に教えられたものだということが、島に降り注いだ恩寵なのである。

 

第343回 岡本真帆『水上バス浅草行き』

死にたいとそっと吐き出すため息の軽さで少し進む笹舟

岡本真帆『水上バス浅草行き』

 昨年話題になった「短歌が流行っている」現象の台風の目のひとつとなった歌集である。初版一刷は2022年3月21日で、私が購入したのが5刷で6月10日の日付になっている。『短歌研究』8月号に掲載された版元のナナロク社社長村井光男のインタビューによれば、その時点までで五刷、合計13,000部出ているという。発売から三ヶ月で五刷はすごい数である。なんでも村井社長は木下龍也と岡野大嗣とLINEグループを作り、歌集を一万部売ることを目標にしたという。それを見事に達成しているのが何ともすごいことだ。

 『水上バス浅草行き』の造本にも戦略が感じられる。大きさは新書より少し大きいくらいで、女性のバッグにすっぽりと入る。ハードカバーだからバッグの中の他の物とこすれてぐちゃぐちゃになることがない。それにおそろしく軽い。計ってみたら200グラムしかない。紙質も上質紙ではなく、わざとやや質の落ちる紙を使っていて、全体としてカジュアル感を出している。たとえばバスを待っている時などに取り出してちょい読みできるようにするのがねらいだろう。

 歌集巻末のプロフィールには、岡本は1989年高知県生まれで、未来短歌会「陸から海へ」出身とだけ書かれている。「陸から海へ」は「未来」の中の黒瀬珂瀾の選歌欄である。ネット上には岡本のインタビュー記事がいくつかある。それによれば会社員として勤務しながら作歌を始め、最初は雑誌『ダ・ヴィンチ』の穂村弘の短歌コーナーに投稿していたらしい。しかし雑誌は次の号が出るまでひと月かかるのでそれが待ちきれず、ネット上の短歌サイトに投稿するようになったという。そこで評判になった (いわゆるSNSでバズった)のが、本歌集にも収録されている次の歌である。ある日、自宅の傘立てにビニール傘がたくさん入っているのを見て思いついた歌だという。確かに急な雨に降られてコンビニでビニール傘を買うことが続くと溜まっていまう。誰しも思い当たる経験だろう。

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘がこんなにたくさんあるし。

 このような歌がネットで評判を呼び、岡本はナナロク社に歌集刊行を打診したらしい。こうして第一歌集『水上バス浅草行き』が世に出ることになった。

卵かけごはんの世界から人が消えれば卵かけられごはん

にぎやかな四人が乗車して限りなく透明になる運転手

パチパチするアイス食べよういつか死ぬことも忘れてしまう夕暮れ

だいたいの30cm示すとき手と手にまぼろしの竹定規

さわれないたとえのひとつ反対の車線を走り去るターャジス

 岡本の短歌の特徴は「リーダビリティの高さ」と「あるある感」だろう。「リーダビリティの高さ」とは、一読して意味を理解できる表現の透明度で、「あるある感」は、「そう、そんなことってあるよね」という共感指数の高さである。それに加えて、誰もがうすうす気づいていたかもしれないことを指摘する「ハッと感」もある。「リーダビリティの高さ」と「あるある感」と「ハッと感」をほど良いバランスで兼ね備えているのはそうそうあることではない。岡本の短歌の人気の秘密はそのあたりにありそうだ。

 一首目、「卵かけごはん」は食べる人が卵をかけるからそう言う。しかし食べる人が消えれば卵をかける動作主体が消失するので、ごはんの側から見れば「卵かけられ」となる。主体の消失によって能動態が受動態に転換される。言われてみれば確かにそうだ。二首目は乗客の数と様子に応じて、タクシーの運転手が存在感を消すことに気づいて作った歌だという。乗り込んで来た乗客の話が盛り上がっているので、運転手はまるでそこにいないような人になる。これは「あるある」だろう。三首目はちょっと趣のちがう叙情的な歌で、このようなテイストの歌がところどころに挟まれているのも魅力だ。四首目、「だいたいこれくらいね」と30cmの長さを両手を広げて示すときに、そこに小学校で使った竹製の定規が見えるという歌。五首目は声に出して読めない歌だ。コーヒーフレッシュなどを製造販売しているスジャータめいらくが製品を運ぶ緑色の車の胴体に書かれているロゴは、車の左側には「スジャータ」、右側には「ターャジス」と書かれている。右側のロゴは右から読むのだ。五首目の歌の車は反対車線を走っているので右側のロゴが見えているのだ。この書き方は変だと思いつつもそれはもう変えられないと詠んでいる。ちなみにスジャータめいらくでは、2018年から新しい車では右側のロゴが「スジャータ」に順次変更されているそうだ。万物は流転するのである。

 定型意識が緩いこともまた岡本の短歌の特徴のひとつだろう。たとえば音節数が一首目では5・9・7・10、二首目では5・9・5・7・5となっていて、どちらも合計すると31音になるのだが、定型には収まっていない。これは岡本の短歌の敷居を下げる方向に働いていると思う。短歌を作り慣れた人や読み慣れた人にはもはや想像しにくいかもしれないが、一行に書かれている文を5・7・5・7・7の定型に区切って読むのは決して自然な読み方ではなく、とんでもなく人工的な読み方である。それは読み手の中に定型意識があって初めて可能なことだ。しかし岡本の短歌はそのような内的韻律の意識なしで読み下すことができる。それは広告のコピーの感覚に近い。岡本は実際広告のコピーを考えたり、アーティストのプロデュースをする仕事をしていたようなので得意技なのだ。

君の名を呼ぼうとすれば薄氷の上で春へと瓦解してゆく

花かんむり一輪ぬけばたちまちにこぼれてしまう時計のように

金木犀わからないまま生きていく星のかたちに出るマヨネーズ

五分後は他人に変わる三叉路で一番好きな歌の話を

半身が足りないままで生きていく心はレモンサワーのくし切り

 短歌なので岡本の作品にも言語の詩的浮揚を実現するべく修辞が用いられている。一首目では「春へと瓦解してゆく」に軽い詩的圧縮がある。表現されているのは縮めることができない好きな人との距離感だろう。二首目では「時計のように」が直喩だが不思議な喩だ。ふつう時計はこぼれたりしないからである。この違和感がミソだろう。三首目は上句と下句の意味的連関が切れていることにより、書かれている以上の意味が発生する。四首目のポイントは「三叉路」で、こういう言葉の選び方は実にうまい。私と君はこれからは別の道を行くのである。五首目の「半身」はbetter halfの恋人を指すので失恋の歌である。恋に破れた心を居酒屋のレモンサワーのグラスに添えられているくし切りのレモンに喩えている。レモンの残りはどこかに行ってしまったのだ。瀬戸夏子は『はつなつみずうみ分光器』の中で、口語短歌の文体に対する東直子の影響力の大きさを力説しているが、上に引いたような歌の文体にも東の遠い影響が感じられる。

 口語短歌の弱点は文末表現の貧弱さなのだが、ここに引いた歌ではいろいろな工夫がされていて単調さを免れている。一首目は終止形の「ゆく」だが、二首目は倒置法を用いて連用形の「ように」で終わり、三首目は体言止め、四首目は言いさしの不完全文で格助詞「を」で終わり、五首目も体言止めとなっている。

回送の電車の中でねむるときだけ行き着けるみずうみがある

締めていたはずのキャップを炭酸は抜けて潮風いつか忘れる

揺れながら一人のバスで目を閉じる波打ち際の君のサンダル

火にかけて殺めることをためらえばゆっくりと死ぬ真水のあさり

立ち止まる季節と思う青になるまでの時間に降り注ぐ秋

何度でもめぐる真夏のいちにちよまたカルピスの比率教えて

戸を開けて出て行く人のそれぞれの額にそれぞれ注ぐ陽光

 特に心に残った歌を引いた。書き写していて気づいたのだが、一首目に句跨りがあるものの、ほぼ定型に収まっている歌ばかりだ。やはり私も定型感覚にすっかり染まってしまっているのだろう。本歌集を手に取った人の多くが立ち止まる歌はこのような歌ではないような気がする。

 かつて穂村弘は現代短歌の方向性として、「驚異」(ワンダー)と「共感」(シンパシー)のふたつを挙げた。穂村自身は塚本邦雄の短歌に衝撃を受けて短歌の世界に誘われたのだから本来は「驚異」派である。しかし評論においては「棒立ちのポエジー」「短歌の武装解除」「一周回った修辞のリアリティ」といった用語を用いて「共感」派の短歌に応援を送り続けた。そのためもあってか、非結社系・ネット系を含む現在の広い短歌シーンでは「共感」派が圧倒的に優勢である。岡本の短歌もその主成分は「共感」であり、そこに多くの読者が引かれるのだろう。

 歌集に挟まれた読者カードがちょっとおもしろい。質問に「お住まいはどのあたりでしょうか。町の名前はお好きですか」というのがある。もちろん購入者の地理的分布を知るのが出版社の目的なのだが、町の名前が好きかというのは本来必要のない質問だ。京都市上京区勘解由小路町に住んでいる人ならば「好き」と答えるかもしれない。「本を手にとってくださったあなたはどのような方ですか」という質問には「映画好きの会社員で2匹の猫の飼い主です」という解答例が付されている。購入者の属性を知るための質問項目だが、このような解答例を付しているところから、ナナロク社がどのような読者をターゲットとしているかがわかる気がする。


 

第342回 岡野大嗣『音楽』

しっぽだけぶれてるphotoのそうやってあなたに犬がそばにいた夏

岡野大嗣『音楽』 

 私は京都市左京区に住んでいるのだが、自宅から歩いて5分ほどの所に恵文社という書店がある。三月書房が惜しまれつつ閉店した現在、京都で最もユニークな本屋であることはまちがいない(実はもう一軒、恵文社の元店長が開いた誠光社という個性的な書店がある)。落ち着いた色調の板張りの床に、背丈の低めの書架が並べてあり、ところどころに置かれたアンティークの机にテーマごとに本が平積みされている。英文学を研究する友人が、「まるでイギリスの本屋のようだ」と評したことがある。そのとおりで、書店というよりは愛書家の古い書庫に入り込んだような印象を受ける。

 外観と店の雰囲気も重要だが、恵文社のユニークさは選書にある。一冊一冊、目利きの書店員が選んだ本ばかりが並べてある。小沼丹と山田稔の小説がいつでも買える書店はめったにない。山尾悠子と澁澤龍彦の本もいつも置いてある。ずいぶん前になるが、ふらっと店を訪れると、山尾悠子の歌集『角砂糖の日』の古本が10冊くらい積まれていて仰天したことがある。私はすでに一冊持っていたのだが、捨て置けず3冊買ってしまった。新装版で再刊されるずっと前のことだ。また「美しい本」というフェアでは、紀野恵の『フムフムランドの四季』(砂子屋書房)を買った。若くして亡くなった元同僚の法哲学者那須耕介君の本をずっと置いてくれているのもうれしい。

 さて、ここからが本題なのだが、先日恵文社に行くと、詩歌の棚が増えているばかりか、机の上にも歌集が平積みされているではないか。うれしくなってしまった。『短歌研究』8月号の「短歌ブーム」特集で、編集部からのアンケートに答えた恵文社の書店員の韓千帆さんによると、一昨年あたりから短歌の本が動き出し、20代30代の人がよく手にとっているという。韓さんは続けて「しずかに、かつ確かに短歌(を含めた短詩形文学)への関心が広がっているように思います」と答えている。詩歌の棚の充実もこのような動きを反映してのことだろう。恵文社では堀静香と大森静佳のトークイベントも開催している。

 そのときは散歩の途中で立ち寄っただけなのに歌集を6冊買ってしまった。その折に買った歌集をこれからしばらく続けて取り上げることにする。

       *          *          *

 岡野大嗣の『音楽』が手許の書架に並んでいるのは上のような経緯による。歌集巻末のプロフィールによると岡野は1980年大阪生まれ。短歌にときどき関西弁が混じるので関西出身だろうなとは思っていた。第一歌集『サイレンと犀』、第二歌集『たやすみなさい』の他、木下龍也との共著歌集『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』がある。共著を除けば『音楽』は第三歌集である。版元はナナロク社。

 今年の短歌シーンの大きな話題は「短歌が流行っている」であることに異論はないだろう。『短歌研究』8月号はズバリ「短歌ブーム」という特集を組んだ。全国の書店員へのアンケート調査の「どんな歌集が売れているか」という質問に多かった答は、岡野大嗣、木下龍也、岡本真帆らの歌集だった。それに加えて岡野大嗣へのロングインタビューと、版元のナナロク社の村井光男社長へのインタビューまで収録されている。今年の「短歌ブーム」の原因はいろいろあるだろうが、その中心に近い位置に岡野とナナロク社がいることはまちがいない。とはいうものの岡野自身は「短歌のコアな作者や読者のほうからは、岡野大嗣もこの軽薄なブームに加担している一人と思われているかもしれないな、と思ってやるせなくもなります」と発言しており、意外に醒めた見方をしている。

 岡野は2014年の短歌研究新人賞で次席に選ばれている。この年に新人賞を受賞したのは石井僚一の「父親のような雨に打たれて」で、この連作がその後物議を醸したことは記憶に新しい。ちなみに次席には岡野と青井杏の二人が選ばれたが、候補作には山階基、工藤吉生、北山あさひ、法橋ひらく、工藤玲音、フラワーしげるらがずらっと名を連ねていて、まるでオールスターのようだ。

 岡野の次席作の「選択と削除」には次のような歌が見られる。

人のなりした環境依存文字たちをダイヤ通りに運ぶ地下鉄

ダンボールの口があいているのが視野に入って中に肉らしきもの

社是唱和 白いセミナー室にいてわたしは生まれなおされている

骨なしのチキンに骨が残っててそれを混入事象と呼ぶ日

塾とドラッグストアと家族葬館が同じにおいの光を放つ

 無機質で抑圧的な都市風景と、フラットな日常生活に息苦しさを感じている作中主体の〈私〉を想定すべきか迷うほどに、事象自身が自らを語るかのような文体で描かれているが、全体を浮遊するテーマは「世界との違和」だろう。岡野は2011年に作歌を始めたらしいので、短歌研究新人賞へ投稿した時は始めて2年半そこそこであることを考えると驚くべき上達ぶりだ。岡野は木下龍也の短歌に触れたことがきっかけで作歌を始めたようだが、「ただいまより他のお客様のご迷惑になりますご注意ください」のような歌を見ると、中澤系の影響を強く受けているようにも思える。

 岡野は短歌研究新人賞次席に選ばれた直後の2014年12月に第一歌集『サイレンと犀』を刊行している。準備には半年はかかるだろうから、短歌研究新人賞応募と並行して進められていたにちがいない。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻で、監修は東直子である。解説によると、東が担当していたラジオ番組への短歌投稿が歌集を編むことになったきっかけだったらしい。

くもりのちあめのちくもりくちべにをひく母さんの手つきはきらい

                       『サイレンと犀』

ひとりだけ光って見えるワイシャツの父を吐き出す夏の改札

フェンスから逃げ出すように咲いているたぶん金糸梅を撫でに近づく

ぎりぎりの夕陽がとどく二段階右折待ちする僕の胸まで

もしそれを愛と呼ぶなら永遠に続く閉店セールも愛だ

ここじゃない何処かへ行けばここじゃない何処かがここになるだけだろう

 東は解説で「根底にあるこの世への不条理感が歌を作る動機になっているように思う」と書いている。短歌研究新人賞次席の「選択と削除」に較べると、幼少期を回想する歌や日常詠も混じっていて、より幅広く世界と接するスタンスになっているようだ。しかし作品の底を流れる音楽は沈鬱な音色を奏でるものが多い。

 では『音楽』はどうかと言うと、一読した印象はかなり異なるものだ。歌集の中核をなしているのは次のような歌である。

借りたままの古いゲームのサントラと貸したままのそのカセットのこと

買った夜にはいなかった部屋にいて部屋着にしてるバンドTシャツ

かっぱよく似合ってますね、を飼い主に 似合ってるね、を犬に話した

月をみる こんな真上にあったから気づかなかった時間の後で

つらいね、のいいねをつける これしきのことで救った気になって消す

 岡野の変化は、「否定・懐疑から肯定へ」、「暗さから明るさへ」、「対立から慰撫へ」、「文章語から話し言葉へ」というキーワードで表すことができるだろう。岡野はどこかで世界と和解する方法を見つけたのである。岡野の描く世界はそれまでに較べてずっと穏やかで優しいものになっている。

 岡野の短歌が多くの人を引きつける秘密は、岡野の短歌が普遍的な「小確幸」を描いているからではないだろうか。私の記憶が確かならば、「小確幸」とは村上春樹が安西水丸との共著『ランゲルハンス島の午後』(1986年、光文社)で使った言葉で、「人生における小さくはあるが確固とした幸せのひとつ」を略したものである。この本は村上の文章に安西のイラストが添えられた瀟洒な本で、愛蔵している。ちなみにTV大阪で放映された「名建築で昼食を」というドラマで、田口トモロヲ扮する建築模型士が友人の喫茶店のマスター(三上寛)に「小確幸」を紙に字で書いて説明する場面があった。彼もまた「小確幸」の人なのだ。

おやすみ、で終わる手紙がやってきて読めるぬいぐるみという感じ

セーターに首をうずめて聴いているラジオの声を暖炉みたいに

これも聴いてみる?を聴いていて外の流れる町に春をみている

明日からは最寄りではない駅前で買った明日のパンあたたかい

ベランダに夜を見にいく飲みものを誰かが買っていく音の夜

 このような歌に描かれているのは取り立てて何ということもない日常の一場面である。最後におやすみと書かれている手紙、セーターに首を埋めて聴くラジオ、人に勧められてイヤホンで聴く曲、駅前で買ったパン、自販機で誰かが飲み物を買う音。いずれも特筆すべき大きな出来事ではない。私たち一般の人間の日常は、取り立てて言うほどのこともない小さな出来事の連続だ。岡野はそれをひとつひとつ丁寧に拾い上げて、ほらと読者に差し出すのである。

 差し出し方に工夫があることは言うまでもない。一首目では、「手紙が届いて」ではなく「やってきて」という擬人化と、「読めるぬいぐるみ」という喩と擬動物化が施されている。結句の「感じ」も話し言葉的でやわらかい。二首目には「暖炉みたいに」が喩で、「ラジオの声を暖炉みたいに」が倒置されている。三首目は会話体で始まり、「これも聴いてみる?を聴いていて」に大胆な省略がされている。本来ならば「『これも聴いてみる?』と薦められた曲を聴いていて」だろう。「外の流れる町」にも軽い詩的圧縮がある。四首目では「明日からは」と「明日のパン」の対比が眼目だ。作中の〈私〉は引っ越すので、今まで駅前の店でパンを買っていた最寄り駅は最寄り駅でなくなる。もうこの店でパンを買うこともないかもしれない。そこに軽い別れの寂しさがある。五首目、ベランダに出るのは洗濯物を干すためか、何かを見るためだ。「夜を見にいく」ことはふつうはしない。ふつうはしないことを作中の〈私〉がしているのは、心の中に何かが溜まっているからである。近くに設置されている自販機で誰かが飲み物を買う「ガチャン」という音がする。結句の「音の夜」にも軽い詩的転倒が感じられる。

 このように岡野の短歌には喩や詩的圧縮などの修辞が施されているのだが、喩の跳躍距離や詩的圧縮率がほど良く押さえられていて、一般読者を置いてきぼりにすることがない。歌人に限らず芸術家は一般に、独自の境地を追究するあまり難解な作品を作ることがある。

春三月リトマス苔に雪ふって小鳥のまいた諷刺のいたみ

                  加藤克巳『球体』

驛長愕くなかれ睦月の無蓋貨車處女をとめひしめきはこばるるとも

                     塚元邦雄『詩歌變』

中空ふかくナイフ附きの梨のまま

          安井浩司『四大にあらず』

 いずれ劣らず高踏的な作品で、読者の安直な解読を峻拒する。このような作品は読者を選ぶ。このような極北と比較するのも申し訳ないが、これに較べて岡野の詩的修辞は読者を置き去りにすることがない。『サイレンと犀』のあとがきで岡野は、歌集を世に送るのは「自分が『忘れたくない』と思った何かを、見知らぬ誰かにも伝えたいという願いからだと思う」と書いている。また『音楽』の帯には「わずかにでも感情を動かした時間と光景」と書かれている。岡野の短歌が多くの読者に届くのは、岡野がこのようなスタンスから作品を作っているからだろう。

当時まだ昭和を知っていた犬と平成の雪をはしゃいだ写真

音楽は水だと思っているひとに教えてもらう美しい水

夜のもうほとんど暗いほとんどを拒んで湾岸線のオレンジ

イヤフォンを外す 目だけでは真夏だと信じてしまう雲を見つけて

かごの影きれいで自転車をとめる春より春な冬のまひるに

だいどこ、と呼ぶ祖母が立つときにだけシンクにとどく夕焼けがある

交差点の小雨を夜に光らせて市役所前のうつくしい右折

犬の顔に虹が架かって辿ったらとうふ屋さんのおとなしい水

 岡野は犬と音楽が好きなようで、犬と音楽を詠んだ歌が多くある。一首目はもうこの世にいない愛犬を詠んだ歌。二首目は集中屈指の歌で歌意の説明は不要である。五首目の歌も好きだ。六首目は岡野の代表歌にしてもよい。

 実は岡野の短歌の特徴のひとつである「話し言葉性」についても触れようと考えていたのだが、長くなったので別の機会に譲ることにする。

 

第341回 辻聡之『あしたの孵化』

水と塩こぼして暮らす毎日に水を買いたり祈りのごとく

 辻聡之『あしたの孵化』 

 初句の「水と塩」は汗のことである。毎日汗をかいて暮らすのは、労働の日々を送っているからである。口に糊するには働いて対価を得なくてはならない。通勤の途中でコンビニに寄って水を買う。水を買うのは汗をかいて減った体内の水分を補うためだ。働いて減った水分を補うために、働いて得たお金を使う。気の遠くなるような徒労である。しかしそんな〈私〉でも、水を買うときに何かに祈る気持ちになることがある。祈らずにはおれないのだろう。この歌の次に「みな白き家電並びぬ わたくしは汚れるために生活をする」という歌がある。並んでいる白もの家電は洗濯機なのだろう。生活とは汚れることに他ならないという認識が根底にある。

 『あしたの孵化』(短歌研究社)は辻聡之さとしの第一歌集である。歌集巻末のプロフィールは作者の人柄を反映してか、そっけないほど簡潔だ。辻は1983年生まれ。2009年に歌林の会に入会し、2014年にかりん賞を受賞とある。2017年の角川短歌賞で「やがて孵る」50首で佳作に選ばれたことにも触れていない。栞文は荻原裕幸、松村由利子、寺井龍哉。帯文は馬場あき子が寄せている。

 一読した感想は、いかにも現代という混沌とした、しかしフラットな時代を生きる若者らしい短歌だなあというものである。

ナポレオンは三十歳でクーデター ほんのり派手なネクタイでぼくは

わたくしも誰かのカラーバリエーションかもしれなくてユニクロを出る

はつなつの表面張力 卓上のゆるきグラスにわたしは満ちる

群れながら孤島のこころ貸し切りの車内で笑う職員旅行

正論を説かるる夜の鉄網の牛ホルモンに焔立ちおり

 一首目、作者は今年誕生日を迎えていれば39歳だから不惑の入口に立っている。英雄ナポレオンは30歳でブリュメールのクーデターを起こして統領となった。それに較べて自分は平凡な生を生きている。英雄の時代は遙か彼方に去り、大きな物語の時代も過ぎ去った。しかしほんのり派手なネクタイを締めて出掛けるところに、作者のささやかな矜恃が感じられる。二首目、ユニクロは廉価な衣服で便利だが、同じ服の色違いを着ている人と出くわす確率は高い。もし出会うと少し気まずい。もっとダメージが大きいのは、自己存在の唯一性という自我の砦が脅かされることである。自分は誰かのカラーバリエーションかもしれないと疑うということは、自己存在の唯一性に疑義を抱いているのだ。三首目、グラス一杯に注がれている飲み物は、グラスの中にあるからこそ形を保っている。今にも零れてしまいそうで、もし零れると形は崩れてしまう。それはもちろん生き方のはっきりしない〈私〉の喩である。四首目を読んで思わず「わかる!」と心の中でつぶやいてしまった。作者は団体行動が苦手なのだ。たぶん遊園地よりも植物園を好むタイプだろう。五首目、焼肉屋で牛ホルモンを焼きながら、誰かに正論を説かれている。相手が言うことは正論なので〈私〉は反論することができない。しかし心の中にはホルモンを焼く焔のように怒りがふつふつと湧いている。作者は決して不感無覚の人間ではないのだ。低体温でフラットな歌が多いように見えて、実は作者の心の中には様々な感情が渦巻いていると思われる。ただそれを静かな言葉で表現しているのだ。

 辻の短歌に詠まれている素材は、身辺の半径500メートルを超えることがない。典型的な「近景」の歌で、「中景」や「遠景」の歌はまったくと言っていいほど見当たらない。重要なテーマは家族である。辻には姉と弟がいて、両親も健在のようだ。ただ父親は耳が遠くなり補聴器を付けている。

父のめまいなおなおやまずのんのんと冬の蝸牛の眠りておれば

夜ごと世界を捨て去るごとく枕辺に父の置きたる補聴器黒し

かつて吾をそらへはこびし肩車に金木犀の花ふる余白

 一首目の「蝸牛」は耳の中の三半規管のことで、そこの不調によってめまいが起きるらしい。三首目は自分が幼かった頃の壮健な父親と、弱ってしまった現在の父親を較べる歌で、誰しも感じることのある悲しみである。結句の「花ふる余白」がせめて美しい。

 集中で異色の素材は角川短歌賞佳作の作品にも詠まれていた弟の結婚である。何と長い付け睫毛を付けたギャルが嫁に来るというのである。

ギャルが嫁にくる 冗談のようなメールののちのしずけさ

ハエトリソウのごとき睫毛をひらかせて彼女は見たり義兄なるわれを

盗み見る義妹の腹にみっちりとしまわれている姪らしきもの

わたくしの見たことのないさみどりに弟とその妻が記す名

沈黙をチャイルドシートに座らせてわが弟は戻り来たりぬ

夢と思うギャルの義妹も笑わざる姪を抱きたるわれの両手も

 嫁に来たギャルのお腹には赤ちゃんがいる。やがて赤ちゃんは誕生し、今風のきらきらネームを付けられたようだが、結婚は2年で破綻し、五首目にあるように緑色の離婚届に署名することになる。元妻と娘をどこかへ送り届けて帰って来た弟の車のチャイルドシートが空っぽなのが悲しい。家庭に立ったさざ波は短期間で終熄したのである。

まんなかにちいさな鱗てさぐりで探せばきみの背きみだと思う

蛸を噛むきみを見ている上顎はぶれないきみの確かな頭骨

ぼくは右岸、左岸のきみに呼びかける千の言葉を吊り橋にして

花園橋越えて植物園に到るきみの日傘に花の重力

 松村も栞文で書いているように、歌に詠まれた作中の〈私〉はぐにゃぐにゃだが、それに比して恋人らしき〈きみ〉の姿はくっきりとしてぶれない存在感を湛えている。蛸のぶつ切りを確実に咀嚼し、日傘にかかる重力をしっかり受け止めている。

望まれるように形を変えてゆく〈主任〉はどんな声で話せば

残業のうちに破るる細胞膜わが体臭は昨日より濃く

働いてお金をもらう咲いて散るようにさみしき自覚をもちて

やってらんないすよと後輩 コピー機の排熱ほどの声に触れたり

長雨に執務日誌は湿りたりペン先の鈍く沈みてゆきぬ

 職場詠である。どうやら作者は会社内で主任に昇任したらしいのだが、なかなか役職に馴染むことができない。人間は立場や環境に応じて複数のペルソナを使い分けて生きているが、そのこと自体に違和感を感じているのだろう。多くの歌に日々の労働の疲れが滲んでいる。

 さて、ここまでは本歌集の内容、つまり詠まれた主題や素材の話である。現実の経験をそのまま言葉にしても詩にはならない。日常言語を詩的言語へと浮揚させるには工夫が必要だ。近代短歌は「写生」という方法論を開発したが、古くは和歌にも現代の短歌にも、詩的浮揚によってポエジーを立ち上げるための修辞の工夫がいろいろとある。今度はそのような歌を見てみよう。

裏返す靴の内からさらさらとふたりで踏んだ砂のささめき

雪の記憶語りて過ごす鳥たちも影へとかえる空の真下で

廃園を告ぐるプレート万緑に異界をひらくごとき白さで

種を吐く 夕餉を終えて母の剥く八朔のそのひと房の翳り

喝采まで遠き海辺に立ちながら練るほど銀にひかる水飴

 一首目は恋人と海に行った夏の記憶を詠んだ歌。二人で砂浜を歩いたのだ。どこにも海とは書かれていないが舞台は確実に海である。大事なことをぼかして表現することを緩徐法(フランス語ではlitote)と言う。これによって詩的空白が生まれる。またこの歌では「さらさら」と「ささめき」の「さ」音の連なりの擬音法が、夏の名残りの砂を表現している。

 二首目の読み方はいくつかあるだろうが、「影へとかえる」は終止形ではなく、「空」にかかる連体形と取った。すると「影へとかえる」までが長い序詞になる。実際に鳥が雪の記憶を語り合うことはないので、ここには擬人法が使われている。鳥が影にかえるのだから時刻は夕暮れである。結句の「空の真下で」は言いさしとなり、空の下で何をするのかが伏せられているため意味の余白と余情を生む。

 三首目、遊園地か動物園か植物園かわからないが、「長年ご愛顧ありがとうございました。当園は今月末をもって閉園いたします」というような文言が書かれたプレートが鉄柵に掲げられているのだ。「万緑」は中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生そむる」という句によって歳時記に載るようになった季語である。季節はもちろん草木の緑が濃くなる夏だ。この歌の修辞は「異界をひらくごとき」という直喩にある。直喩の効果は世界の二重化にある。この直喩によって白いプレートが異界の入口のように見えて、それは廃園の後のこの場所の未来の姿を予言しているようでもある。

 四首目の初句の後の一字空けは、「吐く」が次の「夕餉」に懸かる連体形と取られることを防ぐためだろう。誰が何の種を吐くのかは二句以下を読まないとわからないのでここには倒置法が用いられている。また「夕餉」は日常では用いることのない詩語だ。「母の剥く八朔」から家族の夕食の一場面であることが知れる。「八朔のそのひと房の」の「の」の連続でズーム効果が生まれて、視線は八朔のひと房に集中する。八朔の房に宿る翳りははっきりとは語られていないものの、何かの終焉を予感させる。

 五首目、「喝采まで遠き海辺」が何かの不全感か挫折感を表す喩である。〈私〉は海辺になすすべもなく佇立している。上句で景と心情が詠まれていて、下句とは所謂辞の断絶がある。「練るほど銀にひかる水飴」は、二本の箸を使って水飴を練ると、空気が入って銀色に変化する様を述べたものだが、上句と意味的な連関はなく、怒濤に白く泡立つ海の隠喩であろう。このように上句と下句を断絶させて強いイメージを立ち上げるのもまた現代短歌が開発した技法である。

 歌集題名の『あしたの孵化』は角川短歌賞で佳作となった「やがて孵る」と呼応している。佳作の一連では義妹のお腹にいる赤ちゃんがやがて産まれるという意味のタイトルだったが、大幅に組み替えられた本歌集に付けられた『あしたの孵化』には別な意味が与えられている。それは歌の中の〈私〉がまだ本当にあるべき姿に到達していないということを意味している。〈私〉はまだ成長の途上にあるというのが作者の認識なのだろう。

 

第340回 木下のりみ『真鍮色のロミオ』

軽やかに蝶白くいく灼熱の土にその影ひきずるように

 木下のりみ『真鍮色のロミオ』

 作者は1952年生まれ。「水甕」に所属し、『たゆた』(1999年)、『まんねんろう』(2010年)の二冊の歌集がある。『真鍮色のロミオ』は2022年刊行の第三歌集。栞文は小黒世茂と島田幸典が書いている。このコラムでは意識して若い人の歌集を取り上げているが、久々にベテラン歌人の歌集である。若い人の歌集を読んだ後でベテラン歌人の歌集を読むと思うところが多くある。それは後ほど書く。

 ちょっと不思議な歌集題名は「真夜中のガラスをたたくかなぶんぶん真鍮色の小さなロミオ」という歌から採られている。シェークスピアの戯曲ではロミオがジュリエットの家の窓に小石をぶつけるのだが、この歌ではガラスをたたくのはカナブンである。虫の来訪が日常的なくらい自然が豊かなことが知れる。歌集題名を見たとき反射的に思い出したのは塚元邦雄の次の歌だが、これとは関係がなかった。

ロミオ洋品店春服の青年像下半身なし***さらば青春

                  『日本人霊歌』

 さて、木下の作風だが、きっちりとした定型に端正な口語(現代文章語)に少し文語(古文)が混じるという現代の歌人の多くが採用している文体である。身めぐりのさまざまな出来事を定型に収める手腕はさすがベテラン歌人で、安心して歌に身を委ねて読み進めることができる。読んでいて感服するのは、日常のさまざまな事柄に注ぐ眼差しの確かさだ。

目の端のセンニチコウにそっと触れ揺するものあり盆の夕南風はえ

試着する春服はみどりやがて来る季節のすみにたたみ皺あり

いさなとり浜の小さなスーパーに四角く切られし鯨が凍る

オオカマキリはふと現れてとみこうみ見尽くししのち思いに沈む

野火目守る男らは面ほてりつつ影となりゆく煙の中に

 一首目、庭先か野原にセンニチコウが咲いている。ややあって花と茎がわずかに揺れる。夕方になって南風が立ったのだ。季節は八月である。二首目、春を迎える準備をしていて、緑色の春服を試着していると、服に畳み皺がある。その皺が季節の隅にあるように感じられる。三首目は捕鯨が盛んな和歌山県の港に近いスーパーだろう。冷凍ケースに鯨肉が売られている。あの巨体の鯨が小さな四角形になっているところにおかしみと哀れがある。四首目は庭先に現れたカマキリか。じっと観察していると辺りを睥睨した後に動きを止める。それがまるで哲学者のように沈思にふけっているように見える。五首目は春先の野焼きの風景。野焼きを見守る人たちが、顔を炎に照らされながら煙に隠されてシルエットと化す。これらの歌には移ろう時が閉じ込められていることにも注意したい。一首目の気付かぬうちに訪れる夕刻、二首目の春の到来、四首目のカマキリの動きと静止、五首目のやがて影となる男らが、歌の中に移ろい行く時間を表している。花や動物などの自然が多く詠まれているのは作者が和歌山県白浜の地に暮らしているからである。

 生きている時間が長くなると人との別れが増えるのは避けることのできない定めだ。本歌集にも夫の父母と愛犬との別れが詠まれた歌がある。

脳幹に血は広がりて術は無し舅の眠りはふかき水底

もう舅の世話をせずともよくなれどむなしき涙流れて止まず

つぎつぎと花屋は箱を運び込み菊の香満ちる喪の家となす

死者となりてゆらぐことなき存在は十年ベッドに動かざりし姑

治療止めし和顔の患者は医師なりき知の苦しみを持ちてありけむ

ひと日ひと日の命を抱いて過ごしたりわたしの犬の最後の十日

 一首目と二首目は舅との別れ、三首目と四首目は姑が身罷った折の歌である。五首目は死を間近にした友人の歌。友人は医師であるがゆえに自分の病状と死期が分かっていて、これ以上の治療を拒んだのだ。知ることの苦しみがそこにある。六首目は愛犬の最後を看取った折の歌。改めて挽歌は短歌の生理によく馴染むと感じる。

 作者の個性はなかんずく次のような歌によく現れているように思われる。

前歯なき子供かわゆし前歯なき大人おそろし何故ならむ

眉剃りし野球青年負けて泣くくちびる噛むとき眉毛は大事

金正恩の傲慢そうなこめかみに果敢に食い込む眼鏡のつるは

この世にて天の差配の罰ゲームもやしのひげ根ひとつずつ

かちにては遠き熊野へなめらかな道路すっとばして何しようぞ

水面より足逆立てる不可思議の美ありて人はこれを競り合う

 一首目、乳歯が永久歯に生え替わるとき、一時幼児の歯がないことがある。これは可愛らしい。にもかかわらず大人の歯が欠けているのが恐ろしいのは何故かという歌である。二首目、高校野球の選手か剃り込みを入れて眉を剃っている。しかし泣いて唇を噛むとき眉がないと様にならない。三首目、金正恩は太っているが故に眼鏡のつるが肉に食い込んでいる。その様を「果敢に」と表現するところがおもしろい。四首目はいわゆる厨歌で、食事の仕度にもやしのひげ根を取っているところである。根気のいるその作業はまるで罰ゲームのように感じられる。五首目は蟻の熊野詣と言われた熊野の地にあろうことか高速道路を通そうという工事に憤る歌。六首目はシンクロナイズドスイミング改めアーティスティックスイミングを詠んだ歌。水面から突き出している選手の足を見て、まるで映画の八墓村のようだと感じた人は多かろう。どの歌にもすっとぼけたようなユーモアがあり、関西弁で言うと「言うたらアカン」ようなことをズバリと言う肝の据わったところが感じられる。これが作者の個性だろう。

 集中で私が個人的に愉快と感じたのは「フジツボ学会」と題された一連である。

生物学者のお持たせカメノテ頭無く甲羅のなきをゆでて食せり

デンマークの国際フジツボ学会に名を連ね来し海洋学者

おみやげの鰊の酢漬けとチーズのせパン食めばデンマーク少し近づく

二十人というは多いか少ないか国際フジツボ学会参加者

 どんなものにも研究者がおり学会があるが、国際フジツボ学会は初耳だ。しかし和やかにカメノテを茹でて食べたり、鰊の酢漬けをパンに載せて食する光景はいかにも楽しそうだ。現在多くの研究者は研究費を削られ、インパクトファクターに追い立てられているが、知の喜びはそんなところにないことをこれらの歌はよく物語ってくれる。

 さて、私が本歌集を通読し巻を措いて感じたのは「生の濃密さ」ということである。本歌集に収録されたどの歌にも、濃密な日々の暮らしが感じられる。その理由のひとつは作者が紀州の地に暮らしていることにあるかもしれない。神武天皇と八咫烏の伝承、蟻の熊野詣が向かった熊野神社、熊野速玉大社、熊野本宮大社と熊野古道、青岸渡寺と補陀落渡海など、紀州には歴史の厚みがある。歴史の厚みがあるということは、そこに物語があるということだ。それに加えて紀州の豊かな自然が背景にあることは言うまでもない。

行きずりのわれを窺う射干の白連翹の黄またたきもせず

アサギマダラ見つけた報せ言いつぎて南下してゆく黒潮の町

 穂村弘は「酸欠世界」と題された文章で、飯田有子の「たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔」などの歌を挙げて、現代は酸欠世界だと断じた(『短歌の友人』河出書房新社、2007年所収。初出は角川『短歌年鑑』2003年版)。そして吉川宏志の「蜆蝶しじみちょう草の流れに消えしのち眠る子どもを家まで運ぶ」や、小島ゆかりの「花しろく膨るる夜のさくらありこの角に昼もさくらありしか」という歌を引いて、吉川や小島はこの酸欠世界の中で一人用の高性能の酸素ボンベを背負っているとおもしろい表現をした。その伝で言うならば、木下の歌の世界は紀州の森の放出する酸素に充ち満ちていることになろう。

 現代の日本が酸欠世界なのかどうかはわからない。とは言うものの、現代の若い歌人たちとっては、木下の短歌世界のような酸素の充満する濃密な生を生きることがとても難しくなってしまったように感じる。そのことは若い人たちが作る短歌に陰に陽に反映されているだろう。

 最後に特に心に残った歌を引いておく。

 

波乗りに飽きたる男のシルエット点景として秋ふかむ海

白梅にかすむ苑生は養花雨にぬれてこばめり人の気配を

巻き上がる蔓に支柱の尽きたれば深さ果てなし天上の青

高速道路延ばすとダンプ絶え間なし古道に届く仮の世の音

時を追い上り下りの特急が殴るごとくに擦れちがいたり

列島にマスクはみちて白桃はうすき皮もて水を包めり

青葱の切り口に水あふれ出て朝の光をとき放ちたり

 

 時の充実を感じさせる一巻である。


 

池田裕美子『時間グラス』書評

 『朱鳥』(1999年)、『ヒカリトアソベ』(2007年)に続く著者第三歌集である。第二歌集から15年という年月を経ているので、その間に作風が変化していることが当然予想されるが、降り積もる時は作者に大きな変化をもたらしたようだ。

 もともと池田は浜田到の天上的美の世界に傾倒し、ていねいに織り上げた言葉によって抽象に踵を接するような美を現出させる歌を得意としていた。

  薄明のはくれんくわし死をらす神があたえしきよきくちづけ

                                  『ヒカリトアソベ』

  蜘蛛の糸かぜにたわみて光りおり今生というはつかゆりかご 

 しかし『時間グラス』にはこれとは肌合いの違う次のような歌が見られる。

  デブリや汚染水フレコンバッグの汚染土と手に負えぬもの積み重なりぬ 

  六十六万余人、一万六千柱を迎え入れし引揚桟橋り出しかなし

  ちちの入善にゅうぜんははの宇奈月ふるさとは名のみとなれる墓に草生くさむ

  炉窯のごとき鉄骨ドーム残照にほめきてただれおちたる肉は

  平和のための抑止力というキャンペーン戦艦長門・大和にもありき

 一首目は東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の苛酷事故を詠んだ歌である。事故が残したものを歌に詠み込むうちに大きく破調となっている。二首目は舞鶴の引揚記念館に足を運んだ折の歌で、三首目は父母が戦後暮らした土地を訪れた折の歌。四首目はヒロシマの原爆ドーム、五首目は呉の大和ミュージアムを訪れた際の歌である。

 著者は一人旅を好むようで、その行き先は例えば吉野や須磨のようないかにも歌人らしい歌枕の地であることもあるが、それにも増して足を運ぶのは、舞鶴、広島、呉や千鳥ヶ淵の戦没者墓苑など先の戦争の記憶が残る場所である。実はその兆候は第二歌集『ヒカリトアソベ』にすでにあり、あとがきには認知症を発症した老父が戦場の幻影やうわ言を口にすることに衝撃を受けたと書かれている。そして自分が無関心に過ぎてしまったものにきちんと向き合わなくてはならないという気持ちにかられたとある。著者はこのような動機に突き動かされるように昭和史を学ぶゼミにも通っている。

  兵装の永久とわにとかれぬ不明死者おもう声明しょうみょうの和に目つむりて

  ことし還りし遺骨二三三七体をうたに迎えん「ふるさと」合唱 

  教育勅語死語をとかるるこの春のさくらの校門くぐりゆく子ら

  銃剣道教練もありていつしらに捧げつつ雨の出陣行進のため

 歌集題名の時間グラスとは砂時計のことだという。時は降り積もるものである。私の生の前には父母の生があり、その前には祖父母の生がある。作者は時間を遡行する旅に誘われたようだ。

 とはいえ次のような変わらず美しい歌もまた本歌集の魅力である。

  そらに爪立てたるような掻き傷が祈りに向かう朝にありたり

  砂時計を時間グラスとよぶときのすいせんの香をこめて雪ふる

  末枯れ咲く紫陽花の毬を剪りてゆく からまわりするせかいのまひる

  さくらさくら仰ぐかたわらに死者はきてわれより若き髪をそよがす

  くれないのくずれし薔薇そうびすてるとき花瓶の水ににげるひとひら

 

『短歌人』2022年9月号

第339回 歌人の名前と匿名性と

 最近ちょっと気になることがあるので、今回はそのことを書いてみたい。そのひとつは歌人の名前である。

 角川『短歌』の短歌年鑑平成17年度版に、小池光が「名前について」という文章を寄稿している。小池によれば、かつて歌人の名前はたとえ前衛歌人であっても、「岡井隆」とか「塚本邦雄」とか「寺山修司」のようにごく普通の名前であり、健康保険証や定期券に書いてあってもおかしくないものだった。ところが最近見るのは「謎彦」「ひぐらしひなつ」「イソカツミ」「斉藤斎藤」のように、健康保険証や定期券上ではあり得ない名前である。かといってペンネームとも微妙にちがう。ペンネームは実生活とは異なる芸術創作の主体を示すものである。しかし上に挙げたような名前は統合される主体を回避しようとするものであり、ほんとうは名前など付けたくないのだが、それでは区別するのに不便なのでやむなく付けた感がある。小池はこのように書いている。

 その上で小池はその年に亡くなった春日井建、島田修二の名を挙げて、これらの名前は唯一無二のものであり、作品と分離されることがない。名前とはその究極に死を包摂するものである。しかるに人は「斉藤斎藤」という名前で死ねるものだろうか。死と言わずとも、2年3年なら「斉藤斎藤」という名で歌人をやれるだろうが、10年は難しく、30年は不可能だと結んでいる。

 斉藤斎藤が「ちから、ちから」で第2回歌葉新人賞を受賞したのは平成15年(2003年、発表は2004年の『短歌ヴァーサス』第4号)のことである。第一歌集『渡辺のわたし』は翌16年にオンデマンド版で出ている。すると斉藤斎藤はデビューから現在まで19年間ずっとその名前で歌人として活動していることになるので、小池の予測は外れたことになるだろう。

 現代短歌のターニングポイントとなった『短歌研究』の創刊800号記念臨時増刊号の「うたう」(平成12年、2000年)は、その後活躍する多くの若手歌人を輩出した伝説的企画であるが、候補作一覧の作者名を見てもそれほどブッ飛んだ名前はない。この企画は応募者と選考委員のメールでのやり取りを前提としているので、ひょっとしたら名前に制約があったのかもしれないが。

 新傾向の名前の始まりはやはり『短歌ヴァーサス』が企画した歌葉新人賞ではなかろうか。小池光が挙げている「謎彦」もこの賞で出た人だ。第2回の受賞者が斉藤斎藤で、この回には鈴木二文字という人もいる。第3回の受賞はしんくわで、第5回にはフラワーしげるの名がある。

 記号的なペンネームが花盛りなのは『かばん』である。『かばん』は結社誌ではなく同人誌なので、怖い師匠もいないし比較的自由に振る舞えるからだろう。イソカツミ、フラワーしげる、杉山モナミなど古くからのメンバーに加えて、最近は屋上エデン、大甘、ゆすらうめのツキ、ちば湯、アナコンダにひきという人もいる。これはまさしくハンドルネームのノリである。

 しかし何と言っても衝撃的だったのは toron*『イマジナシオン』(書肆侃侃房、2022年)だ。まず読み方がわからない。(*)記号は「アステリスク」または「アスタリスク」と呼ぶので、「トロン・アステリスク」と読むのだろうか。歌会などで本人に呼びかけるときはどうするのだろうと余計な心配までしてしまう。またアステリスクはワイルドカードで任意の文字列を表す。もしそうだとすると、toron- の後はどんな文字列が来てもよいことになり、作者の任意性と匿名性が増す。ちなみに『イマジナシオン』は今年の収穫ベスト上位に数えてもよいくらい優れた歌集だったので、余計に作者名が気になるのである。このようなペンネームの質的変化は現代短歌にとって何を表しているのだろうか。

 もうひとつ気になることは記号的な名前の影にほの見える作者の匿名性だ。YouTubeなどで楽曲を発表するミュージシャンは素顔を隠す人が多い。人気絶頂のAdoを始めとして、「ヨルシカ」、「ずっと真夜中でいいのに」といった人たちは素顔を出さない。yamaはTV出演の時は仮面を被っているし、URUもYouTubeでは顔の半分しか映らないようにしていて、TV出演時も照明の工夫で顔がはっきり見えないようにしていた。このような人たちには生身の素顔を見せることに抵抗があるのだ。

 角川『短歌』の令和4年度版短歌年鑑の「価値観の変化をどう捉えるか」という座談会で黒瀬珂瀾は次のように発言している。

「ネットリテラシーが広まって顔出し名前出しを控える空気感がある一方で、若い人の歌集の刊行は増えている。歌人としてこの世に存在したい、詠み人知らずじゃなくて著名性を帯びたいという欲望は色濃くある。(…)歌に〈私性〉を出すことで自分の人生に他者からあれこれ言われるのは嫌だけど、作者としては世に出たい。」

 もし今時の若い歌人たちの心情的な傾向について黒瀬の言うことが的を射ているのならば、現代短歌は大きく変質せざるを得ないにちがいない。言うまでもなく近代短歌は〈私性〉を軸にして展開して来たからである。

 永田和宏はよく「わが家は短歌界の磯野家なんですよ」と言う。磯野家とは言わずと知れたマンガ『サザエさん』一家のことである。新聞連載の『サザエさん』によって磯野家の人たちの日常は、恥ずかしい失敗談に至るまで余すところなく日本全国津々浦々まで知られている。それと同じように永田家の日常は、永田和宏や河野裕子、娘の永田紅、息子の永田淳らが作る短歌によってあまねく知られているという意味である。しかし最近の若手歌人たちの短歌に、このような意味での〈私性〉は限りなく薄い。

琥珀色の宝石みたいな水ぶくれ 七回撫でたらちょっとだけ秋

        上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』

風呂場の髪の毛さえも愛しいよ編んで月光を捕まえに行く

      手塚美楽『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』

ていねいな暮らしに飽きてしまったらプッチンプリンをプッチンせずに

             水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』

 もちろんいわゆる短歌における〈私性〉が、「作者イコール作中の〈私〉」という図式を背景とした身辺詠に還元されるわけではない。しかしこれら若手歌人の短歌には、歌の背後にその存在が感じられる統一感のある人物像へと収斂されるべき情報がほとんどない。そのことは昨今のミュージシャンが素顔をさらすことを嫌うこととどこかつながっているように思えるのである。

 このことと並んで角川『短歌』の令和2年度版短歌年鑑に黒瀬珂瀾が書いている「歌の罪を見つめて」という文章がずっと気になってしかたがない。黒瀬は前年に起きた京都アニメーション放火殺人事件に触れ、犯人の動機が光の当たる場にいる創作者への怨念だとする。そして門脇篤史、𠮷田恭大、川島結佳子、山階基、笠木拓の歌集から歌を引用している。

なにもなき日々をつなぎて生きてをり皿の上には皿を重ねて

                  門脇篤史『微風域』

お互いの生まれた海をたたえつつ温めてあたたかい夕食

                 𠮷田恭大『光と私語』

ショッピングモールはきっと箱船、とささやきあって屋上へ出る

           笠木拓『はるかカーテンコールまで』

 その上でこのような歌の背後に透けて見える若手歌人の立ち位置を次のように分析している。

「これら五冊の第一歌集から感じられるのは、具体的抽象的・身体的精神的などの差異はあろうが、発話者の存在を、そのまま等身大であることに最大限の注意を払ってトレースしようとする試みである。

 劇化、ドラマ化をもたらし、〈吾〉を拡大、肥大させたりする過剰な修辞は排除される。そして最もストイックに行われるのは、短歌そのもの以外を参照して得られる個人情報や文脈、社会的ルールやマジョリティにより無自覚に構築された価値観にできるだけ寄りかからないようにしようとする態度だ。そこには、歌を紡ぐことで誰かにダメージを与えることは避けたいという感情があるのではないか。」

 黒瀬はこのような作歌方法を「低コストな生活感覚を透明感のある修辞でフラットに描写」するやり方と表現し、おそらく現代短歌においてまだまだ続き、さらなる作者を生み出すだろうと予言している。

 修辞の力で世界を異化したり、歌の〈私〉を美化し拡大することなく、あくまで等身大の日常をフラットに低体温で描く。かといってプライバシーの暴露は入念に避けて、〈私〉が世界へコミットすることは決してない。こういうスタンスを取る限り、作者の名は唯一無二であり、作者の名と作品とが一体となって切り離されることがないという小池の指摘は、どこか遠い世界で起きていることのようにすら感じられる。

 バブル経済崩壊以後の失われた10年がやがて30年になろうとしている現在、ゼロ金利とデフレが日常となり、非正規労働者が全体の3分の1を占めるこの国では、小池が挙げた春日井や島田のような濃い影を曳く生き方は限りなく難しいのではないかと思えるのである。

 

第338回 U-25短歌選手権

これからのことを話せばしめやかに崩されていくチョコレートパフェ

中牟田琉那「死んで百年」

 この夏はほぼ丸ごと秋学期の講義の準備に終わった。たくさんの論文を読んで考えをまとめて講義録を書く。秋学期のテーマは「フランス語の無冠詞」である。しばらく前から講義録をHPで公開しているので、秋学期の分も学期が終了したら公開するつもりだ。興味のある方はどうぞご覧あれ。

 そうこうしているうちに時間が経過してしまったが、今回は角川『短歌』8月号で発表された「U-25短歌選手権」を取り上げてみたい。角川『短歌』は4月号で「よし、春から歌人になろう」という特集を組み、全国大学短歌会動向MAPで31の大学短歌会(うち一つは超大学短歌会)をリストアップした。最近の学生短歌会の隆盛ぶりには目を瞠るものがある。活発に活動しているのが早稲田短歌会と京大短歌会ぐらいだった20年前と較べると隔世の感がある。この特集の最後に思いついたかのように「U-25短歌選手権」の臨時開催が予告されている。応募者には25首提出することを求めているのだが、何と締め切りはひと月後の4月25日という無茶な企画である。予告では選考委員は公表されていない。その結果発表が8月号であった。蓋を開けてみると、選考委員は栗木京子、穂村弘、小島なおで、角川が一枚噛んでいる大学短歌バトルの選考委員と同じ顔ぶれになっている。締め切りまでひと月しかなかったのに、応募は98点あったという。若い人たちの短歌熱は相当なもののようだ。

 選考の結果、優勝は中牟田琉那なかむたるな「死んで百年」に決まった。中牟田は、ひねもす・いわて故郷文芸部ひっつみの所属となっている。平成16年生まれなので、現在17歳か18歳という若い歌人である。

泣くときはかならずきみが先でしたトートバッグに混ざるはなびら

面接のあとの身体でベーグルがねじ曲げられてる動画みている

冗談で言ったことばはサイダーの匂いあとからあとから立って

 トートバッグ、ベーグル、サイダーなどのアイテムの詠み込み方がうまい。また結句の処理も、一首目は体言止め、二首目はテイル形、三首目はテ形とバリエーションがある。

 ちょっと調べてみると、中牟田は盛岡第三高校の文芸部所属である。ということは工藤玲音の直系の後輩だ。盛岡第三高校は高校生万葉短歌バトルの上位入賞常連校で、第6回は優勝しており、このときは中牟田も参加している。だから若いながらも昨日今日短歌を始めたという素人ではないのだ。そのことは手慣れた感のある歌の造りから感じられる。「いわて故郷文芸部ひっつみ」は2015年に工藤玲音が立ち上げたグループである。ちなみに「ひっつみ」とは、小麦粉を練ったものを汁に入れるすいとんに似た郷土料理のこと。「ひねもす」という歌人グルーブについては、角川『短歌』6月号の田中翠香の歌壇時評でくわしく紹介されている。大学や結社というわく組みを越えてネットでつながる集団ということだ。地方の高校の文芸部が元気に活動して、中牟田のような注目株の歌人を生み出しているのは実に喜ばしいことである。

 準優勝作品には永井貴志の「たそがれのいじわる」が選ばれた。永井は平成12年生まれ、21歳か2歳の歌人である。

通り歩いておなかすいたらぱらぱらとはだいろの雪が降ってきた

はなびらのちょくせんすぎる「すき」にぼくいっぱいいっぱいになりました

花びらの好きでした そして夜でした きれいにひらかれた額です

 平仮名を多用して意図的に幼児性を演出した文体と、「花びらの好きでした」のような破格の助詞の使用によって日常言語の文体をずらそうとした工夫がある。小島なおが最高点の5点を入れて、「自分の心を信じる力があまりに強すぎて世界を変えてしまうある意味強引なところが、マジカルでおもしろかった」と評している。これにたいして穂村が「今なおさんが仰った『自分を信じる力があまりに強すぎて世界を変えてしまう』人は、感性重視で破調を恐れないスタイルになりがちですね」とコメントしている。

 しかし穂村の杞憂は無用である。現在は所属なしとなっているが、かつて永井は京大短歌会に所属していて、次のような歌を作っている。

猫じゃらしを取って遊ぶをひらりひらり思い出したり葉の落つるごと

一人なる旅人のごとしん、と静か羽ばたかず鳥が岩に止まれり

真夏日に太き声聞こゆ聞こゆ校舎の明かりの薄暗さかな

          「暁のいろへ」『京大短歌』25号(2019年)

 やや生硬ではあるものの文語(古文)の短歌を作っていて、「自分の心を信じる力があまりに強すぎて世界を変えてしまう」ようなところは微塵もない。準優勝作品の文体は意図的に工夫して作ったものだろう。もちろんそれは悪いことでも何でもない。受賞を目指す戦略というものだ。

 以下は選考委員が最高点を付けた作品が、その委員の名を冠した受賞作品となる。栗木京子賞は酒田現の「神戸にて」が選ばれた。酒田は平成9年生まれである。

花は咲く どんな顔をして歌ってたんだろうな 街に重なる街で

自転車で海まで行けるこの街の生まれる前の震災のこと

この街が墓そのものと気付くとき途端に鮮やかな常緑樹

 自分が生まれる前に起きた阪神淡路大震災を、現在の神戸の街を重ね合わせるようにして詠んだ歌である。選考委員も指摘していたが、今回のU-25選手権には時事的なテーマを詠んだ歌が少ないなかで、酒田の連作はやや異色と言える。酒田は「かりん」に所属していたようだが、現在は所属なしとなっている。

 穂村弘賞は今紺いまこんしだの「summerly」が受賞した。今紺は平成13年生まれ。

ビーカーは割れたる面の凹凸に初夏の鋭き光を呼べり

まつすぐに立てしレモンに包丁を当つ六十度づつに切りたし

雲が切れアガバンサスの柔らかき花は鋭き影を落としぬ

 今回のU-25選手権に応募したほとんどの作品が口語(現代文章語)短歌なのだが、今紺の作品だけは文語(古語)・旧仮名で異彩を放っている。言葉に厳格な栗木から「ときおり」は間違いで「ときをり」が正しいと指摘されているが、これもご愛嬌だ。今紺は京大短歌会の所属で理系の現役大学生である。ふだんは口語(現代文章語)・新仮名で歌を作っているようだ。だからU-25選手権に出した連作はがんばってトライしたものなのだ。

窓という窓が鏡に切り替わる夜景の中へ滑り出すとき

まだペテルギウスは在るか着信にこもる想いも過去の光だ

栞紐は昨日のままにしておこう 「待たせた?」の声に閉じたページで

      「From Heart To Heart」『京大短歌』27号(2020年)

 若くみずみずしい感覚の横溢する作品である。驚いたのは今紺の作品に5点を付けたのが穂村弘で、他の二人はまったく点数を入れていないことだ。今紺の作品は応募作の中でいちばん伝統的な近代短歌に見えるからである。穂村は短歌賞の選考委員になったときは革新的で現代を感じさせる作品を推すことが多い。ところが今回はそうではないのでいささか意外だった。

 小島なお賞は中川智香子の「バンドやってる友達」が受賞した。中川は平成14年生まれだから、今年19歳か20歳である。東京大学Q短歌会所属。

違う人の臓器で生きてきたのかも ライブハウスを出たあとの夜

本来は西日が強く差すビルの五階で内田クレペリン検査

飲み屋から出た友達が自転車で描いた円が大きすぎる気が

 この作品に4点を付けた小島は、「心象を緻密に描いている作者が多いなかで、自分が生身で存在しているという実体感、観念じゃなくてそこにある物に触れている感覚が伝わって好感を持ちました」と述べている。

 東大には川野芽生、小原奈実らを輩出した本郷短歌会があったが数年前に解散している。東京大学Q短歌会は2018年にできた若い団体で、顧問は東大副学長の坂井修一となっている。

 今回応募した総勢98名のうち、結社・大学短歌会・同人誌などに所属のある人が39名、所属なしが59名だったという。25歳以下という若い年齢層ということもあるが、特定のグループに属さない独立系歌人が増えていることはまちがいないようだ。応募した人のうちの多くは、ツイッターなどのSNSを使って短歌を発信している。

 現在は所属なしとなっていても、大学短歌会に所属していて、卒業とともに会を離れた人もいる。たとえば今回は残念ながら受賞を逃したが、黒川鮪くろかわまぐろ神野優菜こうのゆなは元九州大学短歌会所属だ。

さくらばな例年通りに咲くでしょう暮らしはまばたきよりもたやすい

まちなみはお墓の気配 ほの高い公衆浴場からのぼる湯気

      黒川鮪「たちまちに」『ねむらない樹』第3号(2019年)

神野優菜は次の歌で2019年の第5回大学短歌バトルで佐佐木幸綱賞を受賞している。

わけがないと会えない人のせわしさの積もるばかりの雪に触れたい

 また『現代短歌』2021年9月号のAnthology of 60 Tanka Poets born after 1990にも歌が収録されている注目の新人である。

 九州大学短歌会は『温泉』の山下翔によって設立され、二代目代表は石井大成が務めているが、活発に活動しているようで頼もしい。

 最終選考に残った村上航は元岡山大学短歌会の所属である。

生存は円の遊びを許すこと 射し込む朝日とただのフラミンゴ

母親が楽しそうにするタミフルでバグった時の息子の話

               『岡大短歌』10号 (2022年)

 今回のU-25短歌選手権では大学短歌会所属の人とOBの活躍が目立った。こういう人たちのなかから次の短歌の方向性を示すような優れた歌人が出て来ることだろう。U-25短歌選手権はよい企画なので、角川には今回で終わらずに定期的に開催してもらいたいものだ。

 

第337回 木下こう『体温と雨』

さらさらとさみしき冬日 花の茎ゆはへて水にふかくふかく挿す

木下こう『体温と雨』

 本書は砂子屋書房から2014年に刊行された著者の第一歌集である。プロフィールが添えられていないので、本人の経歴や年齢はわからないのだが、大辻隆弘の解説によれば、木下は2007年頃に大辻が参加していた「三重山桜の会」という集まりに顔を出すようになり、やがて大辻らの同人誌「レ・パビエ・シアン」に参加し、未来に加入して大辻の選を受けるようになったという。2011年には未来年間賞を受賞している。

 なぜ本歌集を取り上げることとなったかというと、『現代詩手帖』2021年10月号の「定型と/ の自由」という短詩型の現在を問う特集のアンケートで、「刺激を受けた歌集・句集」という編集部の問に答えて、H氏賞詩人の高塚謙太郎が本歌集を挙げていたからである。藪内亮輔『海蛇と珊瑚』、平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』、笹井宏之『えーえんとくちから』など話題になった有名な歌集を挙げる人が多いなかで、高塚の挙げた『体温と雨』はひときわ異彩を放っていた。しかも高塚は「絶唱」とまで評しているのである。

 高塚が同アンケートで短歌の特性を述べた次の言葉がおもしろい。

短歌は、言葉(日本語)の、意味の上をいったんは、さっとすべりおちた韻律、その流れてやまない韻律(韻律は流れの最中でしか機能しないのですから)のみを、日本語として書いたものです。もちろん韻律は、調べ、です。

 高塚はブラジル生まれなので、殊更に日本語の韻律を意識するのかもしれない。この言葉の中に『体温と雨』が選ばれた理由がはからずも露呈しているように思われる。何が高塚の詩人の琴線に触れたのだろうか。

樹のかをり満ちくるやうなとひかけに金貨こぼるるごと頷きぬ

窓がみなゆふぐれである片時のアビタシオンに人のぼりゆく

エスパドリューつめたい波に濡らしゆく ちからまかせに引き寄せられて

透けやすき絹にあなたをとぢこめて満ちしほまでの時間を過ごす

木の床になにかけだるきものとして脱ぎ捨てられしままのシャツある

 歌集冒頭付近から引いた。木下の短歌を一首ごとに鑑賞するのはとても難しい。歌の精髄と思われるものが、説明しようとする言葉をひらりとかわしてすり抜けていくからである。それがなぜなのかはおいおい論じるとして、とりあえず歌の表層だけ見てみよう。

 他の人にない木下の短歌の特徴のひとつに喩がある。一首目には直喩がふたつもある。「樹のかをり満ちくるやうな」と「金貨こぼるるごと」である。これはふつうあり得ないことだ。本来、喩の役割は、歌の本旨をくきやかに浮き上がらせることにある。

反響のなき草原に佇つごときかかる明るさを孤独といふや 尾崎左永子

 「孤独」は形のないものである。味も手触りもない。それを「反響のなき草原に佇つごとき」という直喩が支えることによって、孤独の持つ果てしのない空虚感を知覚可能なものに変えている。

 しかるに木下の歌から直喩を取り除くと、「…とひかけに…頷きぬ」しか残らない。誰が発したどのような問い掛けなのかが、おそらくは意図的に隠されている。このため歌の本旨は、大量の蒸留水で希釈された塩酸のように(これは喩である)、限りなく薄くなる。すると歌の本旨と喩の比重が逆転する。読者の脳裏には、「樹のかをり満ちくるやうな」と「金貨こぼるるごと」が残り、朝の森を歩く時に漂ってくるフィトンチットと、きらめく金貨の輝きだけが、まるで白昼の幻のように揺曳する。

 他に集中から印象的な喩を挙げてみよう。

首飾りはづしてのちのくびすぢは昼の硝子のやうにさみしい

べたればかたち失ふものならむ牡鹿の息のやうなる手紙

雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む

 二首目のポイントは、大辻も解説で触れているように「窓がみなゆふぐれである」だろう。アビタシオン (habitation) はフランス語で「住居」のことで、ここでは集合住宅だろう。フランス語にしてあるので、ル・コルビジェが設計したマルセイユのアパートなどが頭に浮かぶ。集合住宅のたくさんの窓のすべてに夕光が差している、あるいは夕焼けが映っていることを、「窓がみなゆふぐれである」と表現する詩的圧縮がある。

 三首目のポイントは「エスパドリュー」だろう。エスパドリーユとも言う。底が麻でできていて上部が木綿などの布製のサンダルをさす。地中海沿岸で広く用いられている履き物で、そのため海とは縁語である。〈私〉を引き寄せたのはもちろん恋人である。四首目は三首目と続きのような歌で、この歌のポイントは「透けやすき」だろう。

 五首目は部屋の床に脱いだシャツがそのままに置かれているというだけの歌だが、「なにかけだるきものとして」という一種の喩の作用によって、その時の作中の〈私〉の心のありようを表象するものとなっている。

 とまあこのようにふつうに歌を読み解いても、木下の短歌の魅力に1ミリも触れたことにならない。それはなぜかというと、上につらつらと書いた鑑賞は歌の「意味」に着目したものだからである。しかるに木下の短歌の精髄は歌の意味にはない。考えてみれば韻文とはなべてそのようなものであり、短詩型文学の俳句や詩も同じはずなのだ。それは散文の言語と韻文の言語の機能のちがいに由来する。

 散文は思考の乗り物であり、その役割は意味の伝達にある。「参議院議員の任期は、これを6年とする」のような法律・条例・規約の文章がその典型であり、曖昧性を排して万人に同一の意味を伝えるのが理想だ。論文や論評や批評の言語も同じである。ヴァレリーが喝破したように、散文の言語は意味の伝達が成立した瞬間にその役割を終えて消滅する。往年のTVドラマ「スパイ大作戦」で、部下のスパイに指令を与えるテープが自動的に燃え上がるごとく(これも喩である)。

 韻文の言語の機能は意味の伝達にはない。ではその機能は何かと正面切って問われると、あたりを見回しても出来合いの答は見当たらない。さしあたり口ごもりながら答えると、言葉の意味と言葉が喚起するイメージと韻律が混じり合い絡み合って、現実とは位相を異にする虚空間に彫琢され、そこを何度も訪れたくなるような形象を彫り上げることとでもなろうか。美術館に展示されている彫像、たとえばルーブル美術館の至宝「サモトラケのニケ」を思い浮かべてもよい。言葉を用いてニケを作り出すことが詩の言語の目指すところである。

 木下はこのことを深く理解しているように思われる。このことをさらに示すために歌を比較してみよう。たいへん申し訳ないが、比較の対象として新聞歌壇から歌を引く。

知らぬ間に減便廃線過疎の足返したくても返せぬ免許

     伊藤次郎(朝日歌壇2022年8月14日、永田和宏選)

きだはしを下りると雨につつまれてもう赤茶けた火のあとの蓮 

                  木下こう『体温と雨』

 伊藤の歌は、高齢者には免許の返納が推奨されているが、バスも鉄道も減便や廃線が続く地方では他に移動の手段がないという現実を描いている。現代の日本の地方都市や郡部ではどこも同じだろう。作者の主張は上手くまとめられていて、ストレートに伝わって来る。しかし、主張がストレートに伝われば伝わるほど、読んだ後に読者の頭の中に残るのはその主張であり、歌の姿は背後に隠れてやがては消えてしまう。それはこの歌が韻文の体裁を取りながら、散文の言葉と隣接しているからである。

 木下の歌の場面は池に下りる短い石段だろうか。池の水面には雨が降っていて、枯れ蓮が無惨な姿を晒している。どうということのない情景であり、特に伝えたい意味はない。しかしながら逆接的なことに、この「意味のなさ」が言葉の物質感を高めて、炉の高熱に溶けた硝子が冷えて形をなすように、歌の姿がひとつの形象となって読む人の脳裏に長く残る。意味を理解した後にも、その韻律に身を委ねてもう一度読みたいと思う。これが高塚の言う「言葉(日本語)の、意味の上をいったんは、さっとすべりおちた韻律」ということだろう。

はなびらの踏まれてあればすきとほり昼ふる雨の柩と思ふよ

梳かれつつわかれゆく髪はつなつの白きそびらを三角州デルタに変へて

火のことであらうか夢のまたたきのまぶしさのなか人の告げしは

ひえゆけば祈りの指も仄白きのかたちせむ雪ふりたまふな

枝を焼く冬のほのほの匂ひしてアルバムひらくは仄ぐらかりき

葉のすみをすこし燃やしてよごれざるままに冷えたるじふやくの白

雨の服脱ぎたるそびらや添ひをればゆふかたまけて夏終はるらむ

 たくさん付いた付箋の中から特に印象に残った歌を引いた。あらためて読み直してみると、隙なく組み上げられた言葉の韻律のため、一首の読字時間が長いことに気づく。さらにひと言付け加えるならば、木下の作る歌には永田和宏の言う「〈問〉と〈答〉の合わせ鏡」構造がほぼ見られず、その意味では近現代短歌というよりはむしろ王朝和歌に近いと言えるかもしれない。

 そういう賢しらな理屈は実はどうでもよいことである。本歌集を味読すれば、散文の言語ではない詩の言語とはどういうものであるかを、読者は十二分に感得することだろう。


 

第336回 笹公人『終楽章』

戦争で死にたる犬や猫の数も知りたし夏のちぎれ雲の下

笹公人『終楽章』

 本コラムを書き始める前にまず巻頭歌を選ぶのだが、これがけっこう楽しい作業なのだ。歌集を読むときに「これは」と思った歌には付箋を付けておくので、巻頭歌を選ぶときも付箋の付いた歌から選ぶことが多い。しかし時には付箋のない歌に目が止まりそれを選ぶこともある。あまり考察される機会のないテーマに、歌とそれを読む人の心の関係がある。その時その場のふとした心の翳りに触れて来る歌というものがどうやらあるらしい。

 日本の夏、とりわけ八月は死者に想いを致す月である。広島と長崎の原爆忌、終戦記念日、御巣鷹山の日航機墜落事故、そして死者の霊が戻ってくる盂蘭盆会と続く日々で、私たちの脳裏には顔のある死者のことも顔のない死者のことも浮かぶ。しかし巻頭歌で作者が想いを馳せるのは、戦火の犠牲となった犬や猫たちである。当然ながら飼われていた犬や猫にも空襲で死んだものがいただろう。しかし誰もその数を知らないという歌である。五・七・六・七・八という破調だが、韻律より意味が勝った結果だろう。意味が勝ると音数が増えるのはいたしかたない。

 笹公人といえば、『念力家族』『念力図鑑』に始まる念力短歌でその名を知られた歌人である。

注射針曲がりてとまどう医者を見る念力少女の笑顔まぶしく

                    『念力家族』

ベランダでUFOを呼ぶ妹の呪文が響くわが家の夜に

キムタクよ返事をしろと妹の焚く護摩のの冬空高く

                   『念力図鑑』

公園の鳩爺逝けば世話をした無数の鳩にそらに運ばれ

 ところが『終楽章』は今までの歌集とかなり趣が異なる。あとがきによれば、きっかけの一つは和田誠、大林宣彦、岡井隆という笹の三大師匠が相次いでこの世を去ったことだという。これによって笹はしばらく創作意欲を喪失した。もう一つのきっかけは父親が重篤な脳腫瘍を患って認知症となり、介護する日々が続いたことである。折から笹は『短歌研究』に三十首連作を書くように求められ、編集長の國兼秀二に現実の生活の歌を書くよう強く勧められたという。それが本歌集に収録された連作の一部となっている。いくつか引いてみよう。

居間に座す父に「どなた?」と問われれば脳内に壺の割れる音する

レントゲン写真に映るわが父の左脳に巣食うカモメの卵

真夜中に何度もトイレに行く父をエスコートする長男われは

浅き眠りの父のかたえに読みふける介護の歌なき万葉集を

流木のような足首持ちあげて最初で最後の親孝行せん

 今まで想像力が生み出した念力少女やオカルト雑誌『ムー』の世界を思わせる歌を作って来た笹も、怒濤のように押し寄せる現実を受け止めなくてはならなくなったのだろう。中学生の頃からまともに口をきいていない父親であっても、その最期は看取らなくてはならない。万葉集に介護の歌がない理由の一つは、当時はみんな早く死んだからである。平均寿命で世界のトップとなったこの国に、介護という新しい問題が生まれたということだ。

 作者の介護に対する態度も歌に向き合う姿勢も真摯であり、赤裸々に詠まれた歌は心を打つ。人生の重大事にあって歌に嘘や虚構はそぐわない。人生の重大事は常にリアルに迫って来るからであり、それには真摯に対処しなくてはならないからである。そんな怒濤のような日々の渦中にあっても、いかにも笹らしい視点の歌もある。

朝六時の母の電話に覚悟して出れば「来るときタッパー返して」

まだ遺品ではない本を整理する『完全なる結婚』の埃拭いつつ

断捨離でモーム全集捨てたこと言えずここまで来てしまいたり

エンディングノート見つけて色めくも全頁白紙のエンディングノート

引き出しに数多見つかる吾の記事の上にぽたんと落ちる涙よ

 一首目、かかって来る電話が怖くて、リンと鳴り出すとびくっと飛び上がるという経験は私もした。親が入院している病院からの知らせかと思うからだ。覚悟を決めて受話器を取ると、このあいだおかずを届けた時のタッパーを返してという母親の言葉に気が抜けるという歌。二首目の『完全なる結婚』はオランダの婦人科医師のファン・デ・フェルデが書いた夫婦生活のマニュアルである。親の本棚にあるとちょっと気恥ずかしい。三首目の断捨離はブームになった言葉だが、2009年に刊行されたやましたひでこの本で世に広まったそうだ。作者は親には内緒でモーム全集を処分したのだ。モーム全集というところに時代を感じる。四首目はくすっと笑える歌で、引き出しを片づけていたら父親のエンディングノートが見つかった。父親も意気込んで買い込んだのだろうが、結局は何も書かなかったのだ。白紙であったことに作者は心のどこかでほっとしただろう。もし何か書かれていたら、それを実行する心理的義務が生じるからである。五首目はほろりとする歌。笹の活動を認めていなかった父親が、笹についての新聞記事を切り抜いて密かに保管していたのだ。

 巻頭の「七転び八起き ~ 私の平成・令和仕事年表~」は、平成元年の中学二年生に始まり、令和三年の46歳までの履歴書のような連作である。一首一首に詞書きが付されている。

『寺山修司青春歌集』手にとれば歌詠みはじむ 約束のごと

岡井師も見ていたらしいレイザーラモンのコスプレで「フォ~」と叫んでいる吾を

 一首目は平成5年18歳の頃の歌である。『寺山修司青春歌集』は1971年に角川文庫から刊行されていて、中井英夫が解説を書き、寺山自身が後記を書いている。笹の出発点は寺山修司であり、笹もまた青春の寺山病に罹患した一人なのだ。二首目は平成17年の歌で、笹がNHK「日曜スタジオパーク」に出演した折のことを詠んでいる。私もたまたまこの番組を見た。お笑い芸人のレーザーラモンHGがハードゲイの扮装に身を包み、両手を上げて「フォ~」と叫ぶ芸はその頃TVでよく見かけた。笹はそのコスプレで何とNHKの番組に出演するという暴挙に出たわけだが、案の定大スベリだった。笹にはそういうところがあるが、たぶんサービス精神が人一倍旺盛なのだろう。笹は世の中に短歌をもっと広めたいという願望を強く持っている。そのために笹が始めたのは「歌人のキャラ化」だと思う。実は穂村弘も目立たないように歌人としての自分のキャラ化を行なっていると私は密かに考えているのだが。

 本歌集の他の連作にはかつての念力短歌風の歌も少なくない。

雪女溶けて残れる水たまりのみずは甘いか日本いたち

午睡するマタギの踵の角質は亀の子たわしで削られるべし

「百年は帰しませんよ」と微笑んだパブ竜宮のママのお歯黒

予定地に光の柱のぼらしめ宗教画めくマンションチラシ

さきの世でユニコーンの角に貫かれた証だという胸の黒子は

 このような歌はおそらく笹なりのロマンティシズムの発露なのだろう。ロマンティシズムの本質は、失われた世界への哀惜、手の届かない彼方にある世界への渇望である。笹の場合はそれがオカルトの方角に向けられたということだ。笹の師である岡井隆の『現代短歌入門』に次のような一節がある。もちろん笹のことを書いたわけではないが、師の慧眼は時代を超えて彼方から届くかのようだ。

 これらは、作者が、そう書きとめることによって、あるやすらぎを得、そう書きとめ、人に示すことを好んだという意味で、さまざまにあり得べき自らの姿の一つなのであり、いわば夢の実現なのである。これを、浪漫的と呼んでもさしつかえなく、生活の細部は、すべて〈浪漫的断片〉としてのみ、この定型詩にとどめられる。

 歌集後半には昭和ノスタルジーの香る歌が多く見られる。

大王との戦いに挑むマリオ氏の8ビットには映らない汗

河童みたいな名前の海外マジシャンが東京タワーを消したあの夜

富士の湯のえんとつの梯子錆びておりむかし信夫が登った梯子

サイレント映画のような悲しみが四十五歳の夏を包めり

団塊世代の青年の霊か髪長くコーラの瓶を持ちて怒れる

 二首目のマジシャンはデビッド・カッパーフィールドである。オカルトに目覚め、ノストラダムスが流行り、口裂け女の恐怖が囁かれた昭和は笹にとって発想の源泉なのだろう。そう言えば穂村弘も昭和の子供時代をよく歌に詠むようになった。どちらも相応の年齢を迎えたということもあろうが、平成を挟んで令和の世となった今、昭和という時代を距離を置いて眺めることができるようになったということなのかもしれない。昭和が歴史の一部になったということでもある。

 最後にちょっとカッコ良すぎる歌を挙げておこう。今は懐かしいオキシローの『ギムレットの海』に登場してもおかしくない場面である。しかし今の若者には刺さらないだろう。時代の感性は確実に変化したのだ。

透明な月球のごとき丸氷にバーボン注げば夏がきている

 余談ながら、今回『念力短歌トレーニング』を読み返していたら、この本の元になった「笹短歌ドットコム」に笹井宏之がよく投稿していたことを知った。

グリズリーに跳ねあげられた紅鮭の片方の眼に映る夕虹

ひとしれず海の底へと落とされた大王烏賊のなみだを思う

ひとすくいワイングラスに海をいれ夕陽のあたるテーブルへ置く

雨になるゆめをみていた シャンパンを冷蔵庫深くにねむらせて

 見覚えのある歌がある。笹井の短歌の透明なポエジーは投稿者の中では異質な輝きを放っている。