第341回 辻聡之『あしたの孵化』

水と塩こぼして暮らす毎日に水を買いたり祈りのごとく

 辻聡之『あしたの孵化』 

 初句の「水と塩」は汗のことである。毎日汗をかいて暮らすのは、労働の日々を送っているからである。口に糊するには働いて対価を得なくてはならない。通勤の途中でコンビニに寄って水を買う。水を買うのは汗をかいて減った体内の水分を補うためだ。働いて減った水分を補うために、働いて得たお金を使う。気の遠くなるような徒労である。しかしそんな〈私〉でも、水を買うときに何かに祈る気持ちになることがある。祈らずにはおれないのだろう。この歌の次に「みな白き家電並びぬ わたくしは汚れるために生活をする」という歌がある。並んでいる白もの家電は洗濯機なのだろう。生活とは汚れることに他ならないという認識が根底にある。

 『あしたの孵化』(短歌研究社)は辻聡之さとしの第一歌集である。歌集巻末のプロフィールは作者の人柄を反映してか、そっけないほど簡潔だ。辻は1983年生まれ。2009年に歌林の会に入会し、2014年にかりん賞を受賞とある。2017年の角川短歌賞で「やがて孵る」50首で佳作に選ばれたことにも触れていない。栞文は荻原裕幸、松村由利子、寺井龍哉。帯文は馬場あき子が寄せている。

 一読した感想は、いかにも現代という混沌とした、しかしフラットな時代を生きる若者らしい短歌だなあというものである。

ナポレオンは三十歳でクーデター ほんのり派手なネクタイでぼくは

わたくしも誰かのカラーバリエーションかもしれなくてユニクロを出る

はつなつの表面張力 卓上のゆるきグラスにわたしは満ちる

群れながら孤島のこころ貸し切りの車内で笑う職員旅行

正論を説かるる夜の鉄網の牛ホルモンに焔立ちおり

 一首目、作者は今年誕生日を迎えていれば39歳だから不惑の入口に立っている。英雄ナポレオンは30歳でブリュメールのクーデターを起こして統領となった。それに較べて自分は平凡な生を生きている。英雄の時代は遙か彼方に去り、大きな物語の時代も過ぎ去った。しかしほんのり派手なネクタイを締めて出掛けるところに、作者のささやかな矜恃が感じられる。二首目、ユニクロは廉価な衣服で便利だが、同じ服の色違いを着ている人と出くわす確率は高い。もし出会うと少し気まずい。もっとダメージが大きいのは、自己存在の唯一性という自我の砦が脅かされることである。自分は誰かのカラーバリエーションかもしれないと疑うということは、自己存在の唯一性に疑義を抱いているのだ。三首目、グラス一杯に注がれている飲み物は、グラスの中にあるからこそ形を保っている。今にも零れてしまいそうで、もし零れると形は崩れてしまう。それはもちろん生き方のはっきりしない〈私〉の喩である。四首目を読んで思わず「わかる!」と心の中でつぶやいてしまった。作者は団体行動が苦手なのだ。たぶん遊園地よりも植物園を好むタイプだろう。五首目、焼肉屋で牛ホルモンを焼きながら、誰かに正論を説かれている。相手が言うことは正論なので〈私〉は反論することができない。しかし心の中にはホルモンを焼く焔のように怒りがふつふつと湧いている。作者は決して不感無覚の人間ではないのだ。低体温でフラットな歌が多いように見えて、実は作者の心の中には様々な感情が渦巻いていると思われる。ただそれを静かな言葉で表現しているのだ。

 辻の短歌に詠まれている素材は、身辺の半径500メートルを超えることがない。典型的な「近景」の歌で、「中景」や「遠景」の歌はまったくと言っていいほど見当たらない。重要なテーマは家族である。辻には姉と弟がいて、両親も健在のようだ。ただ父親は耳が遠くなり補聴器を付けている。

父のめまいなおなおやまずのんのんと冬の蝸牛の眠りておれば

夜ごと世界を捨て去るごとく枕辺に父の置きたる補聴器黒し

かつて吾をそらへはこびし肩車に金木犀の花ふる余白

 一首目の「蝸牛」は耳の中の三半規管のことで、そこの不調によってめまいが起きるらしい。三首目は自分が幼かった頃の壮健な父親と、弱ってしまった現在の父親を較べる歌で、誰しも感じることのある悲しみである。結句の「花ふる余白」がせめて美しい。

 集中で異色の素材は角川短歌賞佳作の作品にも詠まれていた弟の結婚である。何と長い付け睫毛を付けたギャルが嫁に来るというのである。

ギャルが嫁にくる 冗談のようなメールののちのしずけさ

ハエトリソウのごとき睫毛をひらかせて彼女は見たり義兄なるわれを

盗み見る義妹の腹にみっちりとしまわれている姪らしきもの

わたくしの見たことのないさみどりに弟とその妻が記す名

沈黙をチャイルドシートに座らせてわが弟は戻り来たりぬ

夢と思うギャルの義妹も笑わざる姪を抱きたるわれの両手も

 嫁に来たギャルのお腹には赤ちゃんがいる。やがて赤ちゃんは誕生し、今風のきらきらネームを付けられたようだが、結婚は2年で破綻し、五首目にあるように緑色の離婚届に署名することになる。元妻と娘をどこかへ送り届けて帰って来た弟の車のチャイルドシートが空っぽなのが悲しい。家庭に立ったさざ波は短期間で終熄したのである。

まんなかにちいさな鱗てさぐりで探せばきみの背きみだと思う

蛸を噛むきみを見ている上顎はぶれないきみの確かな頭骨

ぼくは右岸、左岸のきみに呼びかける千の言葉を吊り橋にして

花園橋越えて植物園に到るきみの日傘に花の重力

 松村も栞文で書いているように、歌に詠まれた作中の〈私〉はぐにゃぐにゃだが、それに比して恋人らしき〈きみ〉の姿はくっきりとしてぶれない存在感を湛えている。蛸のぶつ切りを確実に咀嚼し、日傘にかかる重力をしっかり受け止めている。

望まれるように形を変えてゆく〈主任〉はどんな声で話せば

残業のうちに破るる細胞膜わが体臭は昨日より濃く

働いてお金をもらう咲いて散るようにさみしき自覚をもちて

やってらんないすよと後輩 コピー機の排熱ほどの声に触れたり

長雨に執務日誌は湿りたりペン先の鈍く沈みてゆきぬ

 職場詠である。どうやら作者は会社内で主任に昇任したらしいのだが、なかなか役職に馴染むことができない。人間は立場や環境に応じて複数のペルソナを使い分けて生きているが、そのこと自体に違和感を感じているのだろう。多くの歌に日々の労働の疲れが滲んでいる。

 さて、ここまでは本歌集の内容、つまり詠まれた主題や素材の話である。現実の経験をそのまま言葉にしても詩にはならない。日常言語を詩的言語へと浮揚させるには工夫が必要だ。近代短歌は「写生」という方法論を開発したが、古くは和歌にも現代の短歌にも、詩的浮揚によってポエジーを立ち上げるための修辞の工夫がいろいろとある。今度はそのような歌を見てみよう。

裏返す靴の内からさらさらとふたりで踏んだ砂のささめき

雪の記憶語りて過ごす鳥たちも影へとかえる空の真下で

廃園を告ぐるプレート万緑に異界をひらくごとき白さで

種を吐く 夕餉を終えて母の剥く八朔のそのひと房の翳り

喝采まで遠き海辺に立ちながら練るほど銀にひかる水飴

 一首目は恋人と海に行った夏の記憶を詠んだ歌。二人で砂浜を歩いたのだ。どこにも海とは書かれていないが舞台は確実に海である。大事なことをぼかして表現することを緩徐法(フランス語ではlitote)と言う。これによって詩的空白が生まれる。またこの歌では「さらさら」と「ささめき」の「さ」音の連なりの擬音法が、夏の名残りの砂を表現している。

 二首目の読み方はいくつかあるだろうが、「影へとかえる」は終止形ではなく、「空」にかかる連体形と取った。すると「影へとかえる」までが長い序詞になる。実際に鳥が雪の記憶を語り合うことはないので、ここには擬人法が使われている。鳥が影にかえるのだから時刻は夕暮れである。結句の「空の真下で」は言いさしとなり、空の下で何をするのかが伏せられているため意味の余白と余情を生む。

 三首目、遊園地か動物園か植物園かわからないが、「長年ご愛顧ありがとうございました。当園は今月末をもって閉園いたします」というような文言が書かれたプレートが鉄柵に掲げられているのだ。「万緑」は中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生そむる」という句によって歳時記に載るようになった季語である。季節はもちろん草木の緑が濃くなる夏だ。この歌の修辞は「異界をひらくごとき」という直喩にある。直喩の効果は世界の二重化にある。この直喩によって白いプレートが異界の入口のように見えて、それは廃園の後のこの場所の未来の姿を予言しているようでもある。

 四首目の初句の後の一字空けは、「吐く」が次の「夕餉」に懸かる連体形と取られることを防ぐためだろう。誰が何の種を吐くのかは二句以下を読まないとわからないのでここには倒置法が用いられている。また「夕餉」は日常では用いることのない詩語だ。「母の剥く八朔」から家族の夕食の一場面であることが知れる。「八朔のそのひと房の」の「の」の連続でズーム効果が生まれて、視線は八朔のひと房に集中する。八朔の房に宿る翳りははっきりとは語られていないものの、何かの終焉を予感させる。

 五首目、「喝采まで遠き海辺」が何かの不全感か挫折感を表す喩である。〈私〉は海辺になすすべもなく佇立している。上句で景と心情が詠まれていて、下句とは所謂辞の断絶がある。「練るほど銀にひかる水飴」は、二本の箸を使って水飴を練ると、空気が入って銀色に変化する様を述べたものだが、上句と意味的な連関はなく、怒濤に白く泡立つ海の隠喩であろう。このように上句と下句を断絶させて強いイメージを立ち上げるのもまた現代短歌が開発した技法である。

 歌集題名の『あしたの孵化』は角川短歌賞で佳作となった「やがて孵る」と呼応している。佳作の一連では義妹のお腹にいる赤ちゃんがやがて産まれるという意味のタイトルだったが、大幅に組み替えられた本歌集に付けられた『あしたの孵化』には別な意味が与えられている。それは歌の中の〈私〉がまだ本当にあるべき姿に到達していないということを意味している。〈私〉はまだ成長の途上にあるというのが作者の認識なのだろう。

 

第340回 木下のりみ『真鍮色のロミオ』

軽やかに蝶白くいく灼熱の土にその影ひきずるように

 木下のりみ『真鍮色のロミオ』

 作者は1952年生まれ。「水甕」に所属し、『たゆた』(1999年)、『まんねんろう』(2010年)の二冊の歌集がある。『真鍮色のロミオ』は2022年刊行の第三歌集。栞文は小黒世茂と島田幸典が書いている。このコラムでは意識して若い人の歌集を取り上げているが、久々にベテラン歌人の歌集である。若い人の歌集を読んだ後でベテラン歌人の歌集を読むと思うところが多くある。それは後ほど書く。

 ちょっと不思議な歌集題名は「真夜中のガラスをたたくかなぶんぶん真鍮色の小さなロミオ」という歌から採られている。シェークスピアの戯曲ではロミオがジュリエットの家の窓に小石をぶつけるのだが、この歌ではガラスをたたくのはカナブンである。虫の来訪が日常的なくらい自然が豊かなことが知れる。歌集題名を見たとき反射的に思い出したのは塚元邦雄の次の歌だが、これとは関係がなかった。

ロミオ洋品店春服の青年像下半身なし***さらば青春

                  『日本人霊歌』

 さて、木下の作風だが、きっちりとした定型に端正な口語(現代文章語)に少し文語(古文)が混じるという現代の歌人の多くが採用している文体である。身めぐりのさまざまな出来事を定型に収める手腕はさすがベテラン歌人で、安心して歌に身を委ねて読み進めることができる。読んでいて感服するのは、日常のさまざまな事柄に注ぐ眼差しの確かさだ。

目の端のセンニチコウにそっと触れ揺するものあり盆の夕南風はえ

試着する春服はみどりやがて来る季節のすみにたたみ皺あり

いさなとり浜の小さなスーパーに四角く切られし鯨が凍る

オオカマキリはふと現れてとみこうみ見尽くししのち思いに沈む

野火目守る男らは面ほてりつつ影となりゆく煙の中に

 一首目、庭先か野原にセンニチコウが咲いている。ややあって花と茎がわずかに揺れる。夕方になって南風が立ったのだ。季節は八月である。二首目、春を迎える準備をしていて、緑色の春服を試着していると、服に畳み皺がある。その皺が季節の隅にあるように感じられる。三首目は捕鯨が盛んな和歌山県の港に近いスーパーだろう。冷凍ケースに鯨肉が売られている。あの巨体の鯨が小さな四角形になっているところにおかしみと哀れがある。四首目は庭先に現れたカマキリか。じっと観察していると辺りを睥睨した後に動きを止める。それがまるで哲学者のように沈思にふけっているように見える。五首目は春先の野焼きの風景。野焼きを見守る人たちが、顔を炎に照らされながら煙に隠されてシルエットと化す。これらの歌には移ろう時が閉じ込められていることにも注意したい。一首目の気付かぬうちに訪れる夕刻、二首目の春の到来、四首目のカマキリの動きと静止、五首目のやがて影となる男らが、歌の中に移ろい行く時間を表している。花や動物などの自然が多く詠まれているのは作者が和歌山県白浜の地に暮らしているからである。

 生きている時間が長くなると人との別れが増えるのは避けることのできない定めだ。本歌集にも夫の父母と愛犬との別れが詠まれた歌がある。

脳幹に血は広がりて術は無し舅の眠りはふかき水底

もう舅の世話をせずともよくなれどむなしき涙流れて止まず

つぎつぎと花屋は箱を運び込み菊の香満ちる喪の家となす

死者となりてゆらぐことなき存在は十年ベッドに動かざりし姑

治療止めし和顔の患者は医師なりき知の苦しみを持ちてありけむ

ひと日ひと日の命を抱いて過ごしたりわたしの犬の最後の十日

 一首目と二首目は舅との別れ、三首目と四首目は姑が身罷った折の歌である。五首目は死を間近にした友人の歌。友人は医師であるがゆえに自分の病状と死期が分かっていて、これ以上の治療を拒んだのだ。知ることの苦しみがそこにある。六首目は愛犬の最後を看取った折の歌。改めて挽歌は短歌の生理によく馴染むと感じる。

 作者の個性はなかんずく次のような歌によく現れているように思われる。

前歯なき子供かわゆし前歯なき大人おそろし何故ならむ

眉剃りし野球青年負けて泣くくちびる噛むとき眉毛は大事

金正恩の傲慢そうなこめかみに果敢に食い込む眼鏡のつるは

この世にて天の差配の罰ゲームもやしのひげ根ひとつずつ

かちにては遠き熊野へなめらかな道路すっとばして何しようぞ

水面より足逆立てる不可思議の美ありて人はこれを競り合う

 一首目、乳歯が永久歯に生え替わるとき、一時幼児の歯がないことがある。これは可愛らしい。にもかかわらず大人の歯が欠けているのが恐ろしいのは何故かという歌である。二首目、高校野球の選手か剃り込みを入れて眉を剃っている。しかし泣いて唇を噛むとき眉がないと様にならない。三首目、金正恩は太っているが故に眼鏡のつるが肉に食い込んでいる。その様を「果敢に」と表現するところがおもしろい。四首目はいわゆる厨歌で、食事の仕度にもやしのひげ根を取っているところである。根気のいるその作業はまるで罰ゲームのように感じられる。五首目は蟻の熊野詣と言われた熊野の地にあろうことか高速道路を通そうという工事に憤る歌。六首目はシンクロナイズドスイミング改めアーティスティックスイミングを詠んだ歌。水面から突き出している選手の足を見て、まるで映画の八墓村のようだと感じた人は多かろう。どの歌にもすっとぼけたようなユーモアがあり、関西弁で言うと「言うたらアカン」ようなことをズバリと言う肝の据わったところが感じられる。これが作者の個性だろう。

 集中で私が個人的に愉快と感じたのは「フジツボ学会」と題された一連である。

生物学者のお持たせカメノテ頭無く甲羅のなきをゆでて食せり

デンマークの国際フジツボ学会に名を連ね来し海洋学者

おみやげの鰊の酢漬けとチーズのせパン食めばデンマーク少し近づく

二十人というは多いか少ないか国際フジツボ学会参加者

 どんなものにも研究者がおり学会があるが、国際フジツボ学会は初耳だ。しかし和やかにカメノテを茹でて食べたり、鰊の酢漬けをパンに載せて食する光景はいかにも楽しそうだ。現在多くの研究者は研究費を削られ、インパクトファクターに追い立てられているが、知の喜びはそんなところにないことをこれらの歌はよく物語ってくれる。

 さて、私が本歌集を通読し巻を措いて感じたのは「生の濃密さ」ということである。本歌集に収録されたどの歌にも、濃密な日々の暮らしが感じられる。その理由のひとつは作者が紀州の地に暮らしていることにあるかもしれない。神武天皇と八咫烏の伝承、蟻の熊野詣が向かった熊野神社、熊野速玉大社、熊野本宮大社と熊野古道、青岸渡寺と補陀落渡海など、紀州には歴史の厚みがある。歴史の厚みがあるということは、そこに物語があるということだ。それに加えて紀州の豊かな自然が背景にあることは言うまでもない。

行きずりのわれを窺う射干の白連翹の黄またたきもせず

アサギマダラ見つけた報せ言いつぎて南下してゆく黒潮の町

 穂村弘は「酸欠世界」と題された文章で、飯田有子の「たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔」などの歌を挙げて、現代は酸欠世界だと断じた(『短歌の友人』河出書房新社、2007年所収。初出は角川『短歌年鑑』2003年版)。そして吉川宏志の「蜆蝶しじみちょう草の流れに消えしのち眠る子どもを家まで運ぶ」や、小島ゆかりの「花しろく膨るる夜のさくらありこの角に昼もさくらありしか」という歌を引いて、吉川や小島はこの酸欠世界の中で一人用の高性能の酸素ボンベを背負っているとおもしろい表現をした。その伝で言うならば、木下の歌の世界は紀州の森の放出する酸素に充ち満ちていることになろう。

 現代の日本が酸欠世界なのかどうかはわからない。とは言うものの、現代の若い歌人たちとっては、木下の短歌世界のような酸素の充満する濃密な生を生きることがとても難しくなってしまったように感じる。そのことは若い人たちが作る短歌に陰に陽に反映されているだろう。

 最後に特に心に残った歌を引いておく。

 

波乗りに飽きたる男のシルエット点景として秋ふかむ海

白梅にかすむ苑生は養花雨にぬれてこばめり人の気配を

巻き上がる蔓に支柱の尽きたれば深さ果てなし天上の青

高速道路延ばすとダンプ絶え間なし古道に届く仮の世の音

時を追い上り下りの特急が殴るごとくに擦れちがいたり

列島にマスクはみちて白桃はうすき皮もて水を包めり

青葱の切り口に水あふれ出て朝の光をとき放ちたり

 

 時の充実を感じさせる一巻である。


 

池田裕美子『時間グラス』書評

 『朱鳥』(1999年)、『ヒカリトアソベ』(2007年)に続く著者第三歌集である。第二歌集から15年という年月を経ているので、その間に作風が変化していることが当然予想されるが、降り積もる時は作者に大きな変化をもたらしたようだ。

 もともと池田は浜田到の天上的美の世界に傾倒し、ていねいに織り上げた言葉によって抽象に踵を接するような美を現出させる歌を得意としていた。

  薄明のはくれんくわし死をらす神があたえしきよきくちづけ

                                  『ヒカリトアソベ』

  蜘蛛の糸かぜにたわみて光りおり今生というはつかゆりかご 

 しかし『時間グラス』にはこれとは肌合いの違う次のような歌が見られる。

  デブリや汚染水フレコンバッグの汚染土と手に負えぬもの積み重なりぬ 

  六十六万余人、一万六千柱を迎え入れし引揚桟橋り出しかなし

  ちちの入善にゅうぜんははの宇奈月ふるさとは名のみとなれる墓に草生くさむ

  炉窯のごとき鉄骨ドーム残照にほめきてただれおちたる肉は

  平和のための抑止力というキャンペーン戦艦長門・大和にもありき

 一首目は東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の苛酷事故を詠んだ歌である。事故が残したものを歌に詠み込むうちに大きく破調となっている。二首目は舞鶴の引揚記念館に足を運んだ折の歌で、三首目は父母が戦後暮らした土地を訪れた折の歌。四首目はヒロシマの原爆ドーム、五首目は呉の大和ミュージアムを訪れた際の歌である。

 著者は一人旅を好むようで、その行き先は例えば吉野や須磨のようないかにも歌人らしい歌枕の地であることもあるが、それにも増して足を運ぶのは、舞鶴、広島、呉や千鳥ヶ淵の戦没者墓苑など先の戦争の記憶が残る場所である。実はその兆候は第二歌集『ヒカリトアソベ』にすでにあり、あとがきには認知症を発症した老父が戦場の幻影やうわ言を口にすることに衝撃を受けたと書かれている。そして自分が無関心に過ぎてしまったものにきちんと向き合わなくてはならないという気持ちにかられたとある。著者はこのような動機に突き動かされるように昭和史を学ぶゼミにも通っている。

  兵装の永久とわにとかれぬ不明死者おもう声明しょうみょうの和に目つむりて

  ことし還りし遺骨二三三七体をうたに迎えん「ふるさと」合唱 

  教育勅語死語をとかるるこの春のさくらの校門くぐりゆく子ら

  銃剣道教練もありていつしらに捧げつつ雨の出陣行進のため

 歌集題名の時間グラスとは砂時計のことだという。時は降り積もるものである。私の生の前には父母の生があり、その前には祖父母の生がある。作者は時間を遡行する旅に誘われたようだ。

 とはいえ次のような変わらず美しい歌もまた本歌集の魅力である。

  そらに爪立てたるような掻き傷が祈りに向かう朝にありたり

  砂時計を時間グラスとよぶときのすいせんの香をこめて雪ふる

  末枯れ咲く紫陽花の毬を剪りてゆく からまわりするせかいのまひる

  さくらさくら仰ぐかたわらに死者はきてわれより若き髪をそよがす

  くれないのくずれし薔薇そうびすてるとき花瓶の水ににげるひとひら

 

『短歌人』2022年9月号

第339回 歌人の名前と匿名性と

 最近ちょっと気になることがあるので、今回はそのことを書いてみたい。そのひとつは歌人の名前である。

 角川『短歌』の短歌年鑑平成17年度版に、小池光が「名前について」という文章を寄稿している。小池によれば、かつて歌人の名前はたとえ前衛歌人であっても、「岡井隆」とか「塚本邦雄」とか「寺山修司」のようにごく普通の名前であり、健康保険証や定期券に書いてあってもおかしくないものだった。ところが最近見るのは「謎彦」「ひぐらしひなつ」「イソカツミ」「斉藤斎藤」のように、健康保険証や定期券上ではあり得ない名前である。かといってペンネームとも微妙にちがう。ペンネームは実生活とは異なる芸術創作の主体を示すものである。しかし上に挙げたような名前は統合される主体を回避しようとするものであり、ほんとうは名前など付けたくないのだが、それでは区別するのに不便なのでやむなく付けた感がある。小池はこのように書いている。

 その上で小池はその年に亡くなった春日井建、島田修二の名を挙げて、これらの名前は唯一無二のものであり、作品と分離されることがない。名前とはその究極に死を包摂するものである。しかるに人は「斉藤斎藤」という名前で死ねるものだろうか。死と言わずとも、2年3年なら「斉藤斎藤」という名で歌人をやれるだろうが、10年は難しく、30年は不可能だと結んでいる。

 斉藤斎藤が「ちから、ちから」で第2回歌葉新人賞を受賞したのは平成15年(2003年、発表は2004年の『短歌ヴァーサス』第4号)のことである。第一歌集『渡辺のわたし』は翌16年にオンデマンド版で出ている。すると斉藤斎藤はデビューから現在まで19年間ずっとその名前で歌人として活動していることになるので、小池の予測は外れたことになるだろう。

 現代短歌のターニングポイントとなった『短歌研究』の創刊800号記念臨時増刊号の「うたう」(平成12年、2000年)は、その後活躍する多くの若手歌人を輩出した伝説的企画であるが、候補作一覧の作者名を見てもそれほどブッ飛んだ名前はない。この企画は応募者と選考委員のメールでのやり取りを前提としているので、ひょっとしたら名前に制約があったのかもしれないが。

 新傾向の名前の始まりはやはり『短歌ヴァーサス』が企画した歌葉新人賞ではなかろうか。小池光が挙げている「謎彦」もこの賞で出た人だ。第2回の受賞者が斉藤斎藤で、この回には鈴木二文字という人もいる。第3回の受賞はしんくわで、第5回にはフラワーしげるの名がある。

 記号的なペンネームが花盛りなのは『かばん』である。『かばん』は結社誌ではなく同人誌なので、怖い師匠もいないし比較的自由に振る舞えるからだろう。イソカツミ、フラワーしげる、杉山モナミなど古くからのメンバーに加えて、最近は屋上エデン、大甘、ゆすらうめのツキ、ちば湯、アナコンダにひきという人もいる。これはまさしくハンドルネームのノリである。

 しかし何と言っても衝撃的だったのは toron*『イマジナシオン』(書肆侃侃房、2022年)だ。まず読み方がわからない。(*)記号は「アステリスク」または「アスタリスク」と呼ぶので、「トロン・アステリスク」と読むのだろうか。歌会などで本人に呼びかけるときはどうするのだろうと余計な心配までしてしまう。またアステリスクはワイルドカードで任意の文字列を表す。もしそうだとすると、toron- の後はどんな文字列が来てもよいことになり、作者の任意性と匿名性が増す。ちなみに『イマジナシオン』は今年の収穫ベスト上位に数えてもよいくらい優れた歌集だったので、余計に作者名が気になるのである。このようなペンネームの質的変化は現代短歌にとって何を表しているのだろうか。

 もうひとつ気になることは記号的な名前の影にほの見える作者の匿名性だ。YouTubeなどで楽曲を発表するミュージシャンは素顔を隠す人が多い。人気絶頂のAdoを始めとして、「ヨルシカ」、「ずっと真夜中でいいのに」といった人たちは素顔を出さない。yamaはTV出演の時は仮面を被っているし、URUもYouTubeでは顔の半分しか映らないようにしていて、TV出演時も照明の工夫で顔がはっきり見えないようにしていた。このような人たちには生身の素顔を見せることに抵抗があるのだ。

 角川『短歌』の令和4年度版短歌年鑑の「価値観の変化をどう捉えるか」という座談会で黒瀬珂瀾は次のように発言している。

「ネットリテラシーが広まって顔出し名前出しを控える空気感がある一方で、若い人の歌集の刊行は増えている。歌人としてこの世に存在したい、詠み人知らずじゃなくて著名性を帯びたいという欲望は色濃くある。(…)歌に〈私性〉を出すことで自分の人生に他者からあれこれ言われるのは嫌だけど、作者としては世に出たい。」

 もし今時の若い歌人たちの心情的な傾向について黒瀬の言うことが的を射ているのならば、現代短歌は大きく変質せざるを得ないにちがいない。言うまでもなく近代短歌は〈私性〉を軸にして展開して来たからである。

 永田和宏はよく「わが家は短歌界の磯野家なんですよ」と言う。磯野家とは言わずと知れたマンガ『サザエさん』一家のことである。新聞連載の『サザエさん』によって磯野家の人たちの日常は、恥ずかしい失敗談に至るまで余すところなく日本全国津々浦々まで知られている。それと同じように永田家の日常は、永田和宏や河野裕子、娘の永田紅、息子の永田淳らが作る短歌によってあまねく知られているという意味である。しかし最近の若手歌人たちの短歌に、このような意味での〈私性〉は限りなく薄い。

琥珀色の宝石みたいな水ぶくれ 七回撫でたらちょっとだけ秋

        上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』

風呂場の髪の毛さえも愛しいよ編んで月光を捕まえに行く

      手塚美楽『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』

ていねいな暮らしに飽きてしまったらプッチンプリンをプッチンせずに

             水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』

 もちろんいわゆる短歌における〈私性〉が、「作者イコール作中の〈私〉」という図式を背景とした身辺詠に還元されるわけではない。しかしこれら若手歌人の短歌には、歌の背後にその存在が感じられる統一感のある人物像へと収斂されるべき情報がほとんどない。そのことは昨今のミュージシャンが素顔をさらすことを嫌うこととどこかつながっているように思えるのである。

 このことと並んで角川『短歌』の令和2年度版短歌年鑑に黒瀬珂瀾が書いている「歌の罪を見つめて」という文章がずっと気になってしかたがない。黒瀬は前年に起きた京都アニメーション放火殺人事件に触れ、犯人の動機が光の当たる場にいる創作者への怨念だとする。そして門脇篤史、𠮷田恭大、川島結佳子、山階基、笠木拓の歌集から歌を引用している。

なにもなき日々をつなぎて生きてをり皿の上には皿を重ねて

                  門脇篤史『微風域』

お互いの生まれた海をたたえつつ温めてあたたかい夕食

                 𠮷田恭大『光と私語』

ショッピングモールはきっと箱船、とささやきあって屋上へ出る

           笠木拓『はるかカーテンコールまで』

 その上でこのような歌の背後に透けて見える若手歌人の立ち位置を次のように分析している。

「これら五冊の第一歌集から感じられるのは、具体的抽象的・身体的精神的などの差異はあろうが、発話者の存在を、そのまま等身大であることに最大限の注意を払ってトレースしようとする試みである。

 劇化、ドラマ化をもたらし、〈吾〉を拡大、肥大させたりする過剰な修辞は排除される。そして最もストイックに行われるのは、短歌そのもの以外を参照して得られる個人情報や文脈、社会的ルールやマジョリティにより無自覚に構築された価値観にできるだけ寄りかからないようにしようとする態度だ。そこには、歌を紡ぐことで誰かにダメージを与えることは避けたいという感情があるのではないか。」

 黒瀬はこのような作歌方法を「低コストな生活感覚を透明感のある修辞でフラットに描写」するやり方と表現し、おそらく現代短歌においてまだまだ続き、さらなる作者を生み出すだろうと予言している。

 修辞の力で世界を異化したり、歌の〈私〉を美化し拡大することなく、あくまで等身大の日常をフラットに低体温で描く。かといってプライバシーの暴露は入念に避けて、〈私〉が世界へコミットすることは決してない。こういうスタンスを取る限り、作者の名は唯一無二であり、作者の名と作品とが一体となって切り離されることがないという小池の指摘は、どこか遠い世界で起きていることのようにすら感じられる。

 バブル経済崩壊以後の失われた10年がやがて30年になろうとしている現在、ゼロ金利とデフレが日常となり、非正規労働者が全体の3分の1を占めるこの国では、小池が挙げた春日井や島田のような濃い影を曳く生き方は限りなく難しいのではないかと思えるのである。

 

第338回 U-25短歌選手権

これからのことを話せばしめやかに崩されていくチョコレートパフェ

中牟田琉那「死んで百年」

 この夏はほぼ丸ごと秋学期の講義の準備に終わった。たくさんの論文を読んで考えをまとめて講義録を書く。秋学期のテーマは「フランス語の無冠詞」である。しばらく前から講義録をHPで公開しているので、秋学期の分も学期が終了したら公開するつもりだ。興味のある方はどうぞご覧あれ。

 そうこうしているうちに時間が経過してしまったが、今回は角川『短歌』8月号で発表された「U-25短歌選手権」を取り上げてみたい。角川『短歌』は4月号で「よし、春から歌人になろう」という特集を組み、全国大学短歌会動向MAPで31の大学短歌会(うち一つは超大学短歌会)をリストアップした。最近の学生短歌会の隆盛ぶりには目を瞠るものがある。活発に活動しているのが早稲田短歌会と京大短歌会ぐらいだった20年前と較べると隔世の感がある。この特集の最後に思いついたかのように「U-25短歌選手権」の臨時開催が予告されている。応募者には25首提出することを求めているのだが、何と締め切りはひと月後の4月25日という無茶な企画である。予告では選考委員は公表されていない。その結果発表が8月号であった。蓋を開けてみると、選考委員は栗木京子、穂村弘、小島なおで、角川が一枚噛んでいる大学短歌バトルの選考委員と同じ顔ぶれになっている。締め切りまでひと月しかなかったのに、応募は98点あったという。若い人たちの短歌熱は相当なもののようだ。

 選考の結果、優勝は中牟田琉那なかむたるな「死んで百年」に決まった。中牟田は、ひねもす・いわて故郷文芸部ひっつみの所属となっている。平成16年生まれなので、現在17歳か18歳という若い歌人である。

泣くときはかならずきみが先でしたトートバッグに混ざるはなびら

面接のあとの身体でベーグルがねじ曲げられてる動画みている

冗談で言ったことばはサイダーの匂いあとからあとから立って

 トートバッグ、ベーグル、サイダーなどのアイテムの詠み込み方がうまい。また結句の処理も、一首目は体言止め、二首目はテイル形、三首目はテ形とバリエーションがある。

 ちょっと調べてみると、中牟田は盛岡第三高校の文芸部所属である。ということは工藤玲音の直系の後輩だ。盛岡第三高校は高校生万葉短歌バトルの上位入賞常連校で、第6回は優勝しており、このときは中牟田も参加している。だから若いながらも昨日今日短歌を始めたという素人ではないのだ。そのことは手慣れた感のある歌の造りから感じられる。「いわて故郷文芸部ひっつみ」は2015年に工藤玲音が立ち上げたグループである。ちなみに「ひっつみ」とは、小麦粉を練ったものを汁に入れるすいとんに似た郷土料理のこと。「ひねもす」という歌人グルーブについては、角川『短歌』6月号の田中翠香の歌壇時評でくわしく紹介されている。大学や結社というわく組みを越えてネットでつながる集団ということだ。地方の高校の文芸部が元気に活動して、中牟田のような注目株の歌人を生み出しているのは実に喜ばしいことである。

 準優勝作品には永井貴志の「たそがれのいじわる」が選ばれた。永井は平成12年生まれ、21歳か2歳の歌人である。

通り歩いておなかすいたらぱらぱらとはだいろの雪が降ってきた

はなびらのちょくせんすぎる「すき」にぼくいっぱいいっぱいになりました

花びらの好きでした そして夜でした きれいにひらかれた額です

 平仮名を多用して意図的に幼児性を演出した文体と、「花びらの好きでした」のような破格の助詞の使用によって日常言語の文体をずらそうとした工夫がある。小島なおが最高点の5点を入れて、「自分の心を信じる力があまりに強すぎて世界を変えてしまうある意味強引なところが、マジカルでおもしろかった」と評している。これにたいして穂村が「今なおさんが仰った『自分を信じる力があまりに強すぎて世界を変えてしまう』人は、感性重視で破調を恐れないスタイルになりがちですね」とコメントしている。

 しかし穂村の杞憂は無用である。現在は所属なしとなっているが、かつて永井は京大短歌会に所属していて、次のような歌を作っている。

猫じゃらしを取って遊ぶをひらりひらり思い出したり葉の落つるごと

一人なる旅人のごとしん、と静か羽ばたかず鳥が岩に止まれり

真夏日に太き声聞こゆ聞こゆ校舎の明かりの薄暗さかな

          「暁のいろへ」『京大短歌』25号(2019年)

 やや生硬ではあるものの文語(古文)の短歌を作っていて、「自分の心を信じる力があまりに強すぎて世界を変えてしまう」ようなところは微塵もない。準優勝作品の文体は意図的に工夫して作ったものだろう。もちろんそれは悪いことでも何でもない。受賞を目指す戦略というものだ。

 以下は選考委員が最高点を付けた作品が、その委員の名を冠した受賞作品となる。栗木京子賞は酒田現の「神戸にて」が選ばれた。酒田は平成9年生まれである。

花は咲く どんな顔をして歌ってたんだろうな 街に重なる街で

自転車で海まで行けるこの街の生まれる前の震災のこと

この街が墓そのものと気付くとき途端に鮮やかな常緑樹

 自分が生まれる前に起きた阪神淡路大震災を、現在の神戸の街を重ね合わせるようにして詠んだ歌である。選考委員も指摘していたが、今回のU-25選手権には時事的なテーマを詠んだ歌が少ないなかで、酒田の連作はやや異色と言える。酒田は「かりん」に所属していたようだが、現在は所属なしとなっている。

 穂村弘賞は今紺いまこんしだの「summerly」が受賞した。今紺は平成13年生まれ。

ビーカーは割れたる面の凹凸に初夏の鋭き光を呼べり

まつすぐに立てしレモンに包丁を当つ六十度づつに切りたし

雲が切れアガバンサスの柔らかき花は鋭き影を落としぬ

 今回のU-25選手権に応募したほとんどの作品が口語(現代文章語)短歌なのだが、今紺の作品だけは文語(古語)・旧仮名で異彩を放っている。言葉に厳格な栗木から「ときおり」は間違いで「ときをり」が正しいと指摘されているが、これもご愛嬌だ。今紺は京大短歌会の所属で理系の現役大学生である。ふだんは口語(現代文章語)・新仮名で歌を作っているようだ。だからU-25選手権に出した連作はがんばってトライしたものなのだ。

窓という窓が鏡に切り替わる夜景の中へ滑り出すとき

まだペテルギウスは在るか着信にこもる想いも過去の光だ

栞紐は昨日のままにしておこう 「待たせた?」の声に閉じたページで

      「From Heart To Heart」『京大短歌』27号(2020年)

 若くみずみずしい感覚の横溢する作品である。驚いたのは今紺の作品に5点を付けたのが穂村弘で、他の二人はまったく点数を入れていないことだ。今紺の作品は応募作の中でいちばん伝統的な近代短歌に見えるからである。穂村は短歌賞の選考委員になったときは革新的で現代を感じさせる作品を推すことが多い。ところが今回はそうではないのでいささか意外だった。

 小島なお賞は中川智香子の「バンドやってる友達」が受賞した。中川は平成14年生まれだから、今年19歳か20歳である。東京大学Q短歌会所属。

違う人の臓器で生きてきたのかも ライブハウスを出たあとの夜

本来は西日が強く差すビルの五階で内田クレペリン検査

飲み屋から出た友達が自転車で描いた円が大きすぎる気が

 この作品に4点を付けた小島は、「心象を緻密に描いている作者が多いなかで、自分が生身で存在しているという実体感、観念じゃなくてそこにある物に触れている感覚が伝わって好感を持ちました」と述べている。

 東大には川野芽生、小原奈実らを輩出した本郷短歌会があったが数年前に解散している。東京大学Q短歌会は2018年にできた若い団体で、顧問は東大副学長の坂井修一となっている。

 今回応募した総勢98名のうち、結社・大学短歌会・同人誌などに所属のある人が39名、所属なしが59名だったという。25歳以下という若い年齢層ということもあるが、特定のグループに属さない独立系歌人が増えていることはまちがいないようだ。応募した人のうちの多くは、ツイッターなどのSNSを使って短歌を発信している。

 現在は所属なしとなっていても、大学短歌会に所属していて、卒業とともに会を離れた人もいる。たとえば今回は残念ながら受賞を逃したが、黒川鮪くろかわまぐろ神野優菜こうのゆなは元九州大学短歌会所属だ。

さくらばな例年通りに咲くでしょう暮らしはまばたきよりもたやすい

まちなみはお墓の気配 ほの高い公衆浴場からのぼる湯気

      黒川鮪「たちまちに」『ねむらない樹』第3号(2019年)

神野優菜は次の歌で2019年の第5回大学短歌バトルで佐佐木幸綱賞を受賞している。

わけがないと会えない人のせわしさの積もるばかりの雪に触れたい

 また『現代短歌』2021年9月号のAnthology of 60 Tanka Poets born after 1990にも歌が収録されている注目の新人である。

 九州大学短歌会は『温泉』の山下翔によって設立され、二代目代表は石井大成が務めているが、活発に活動しているようで頼もしい。

 最終選考に残った村上航は元岡山大学短歌会の所属である。

生存は円の遊びを許すこと 射し込む朝日とただのフラミンゴ

母親が楽しそうにするタミフルでバグった時の息子の話

               『岡大短歌』10号 (2022年)

 今回のU-25短歌選手権では大学短歌会所属の人とOBの活躍が目立った。こういう人たちのなかから次の短歌の方向性を示すような優れた歌人が出て来ることだろう。U-25短歌選手権はよい企画なので、角川には今回で終わらずに定期的に開催してもらいたいものだ。

 

第337回 木下こう『体温と雨』

さらさらとさみしき冬日 花の茎ゆはへて水にふかくふかく挿す

木下こう『体温と雨』

 本書は砂子屋書房から2014年に刊行された著者の第一歌集である。プロフィールが添えられていないので、本人の経歴や年齢はわからないのだが、大辻隆弘の解説によれば、木下は2007年頃に大辻が参加していた「三重山桜の会」という集まりに顔を出すようになり、やがて大辻らの同人誌「レ・パビエ・シアン」に参加し、未来に加入して大辻の選を受けるようになったという。2011年には未来年間賞を受賞している。

 なぜ本歌集を取り上げることとなったかというと、『現代詩手帖』2021年10月号の「定型と/ の自由」という短詩型の現在を問う特集のアンケートで、「刺激を受けた歌集・句集」という編集部の問に答えて、H氏賞詩人の高塚謙太郎が本歌集を挙げていたからである。藪内亮輔『海蛇と珊瑚』、平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』、笹井宏之『えーえんとくちから』など話題になった有名な歌集を挙げる人が多いなかで、高塚の挙げた『体温と雨』はひときわ異彩を放っていた。しかも高塚は「絶唱」とまで評しているのである。

 高塚が同アンケートで短歌の特性を述べた次の言葉がおもしろい。

短歌は、言葉(日本語)の、意味の上をいったんは、さっとすべりおちた韻律、その流れてやまない韻律(韻律は流れの最中でしか機能しないのですから)のみを、日本語として書いたものです。もちろん韻律は、調べ、です。

 高塚はブラジル生まれなので、殊更に日本語の韻律を意識するのかもしれない。この言葉の中に『体温と雨』が選ばれた理由がはからずも露呈しているように思われる。何が高塚の詩人の琴線に触れたのだろうか。

樹のかをり満ちくるやうなとひかけに金貨こぼるるごと頷きぬ

窓がみなゆふぐれである片時のアビタシオンに人のぼりゆく

エスパドリューつめたい波に濡らしゆく ちからまかせに引き寄せられて

透けやすき絹にあなたをとぢこめて満ちしほまでの時間を過ごす

木の床になにかけだるきものとして脱ぎ捨てられしままのシャツある

 歌集冒頭付近から引いた。木下の短歌を一首ごとに鑑賞するのはとても難しい。歌の精髄と思われるものが、説明しようとする言葉をひらりとかわしてすり抜けていくからである。それがなぜなのかはおいおい論じるとして、とりあえず歌の表層だけ見てみよう。

 他の人にない木下の短歌の特徴のひとつに喩がある。一首目には直喩がふたつもある。「樹のかをり満ちくるやうな」と「金貨こぼるるごと」である。これはふつうあり得ないことだ。本来、喩の役割は、歌の本旨をくきやかに浮き上がらせることにある。

反響のなき草原に佇つごときかかる明るさを孤独といふや 尾崎左永子

 「孤独」は形のないものである。味も手触りもない。それを「反響のなき草原に佇つごとき」という直喩が支えることによって、孤独の持つ果てしのない空虚感を知覚可能なものに変えている。

 しかるに木下の歌から直喩を取り除くと、「…とひかけに…頷きぬ」しか残らない。誰が発したどのような問い掛けなのかが、おそらくは意図的に隠されている。このため歌の本旨は、大量の蒸留水で希釈された塩酸のように(これは喩である)、限りなく薄くなる。すると歌の本旨と喩の比重が逆転する。読者の脳裏には、「樹のかをり満ちくるやうな」と「金貨こぼるるごと」が残り、朝の森を歩く時に漂ってくるフィトンチットと、きらめく金貨の輝きだけが、まるで白昼の幻のように揺曳する。

 他に集中から印象的な喩を挙げてみよう。

首飾りはづしてのちのくびすぢは昼の硝子のやうにさみしい

べたればかたち失ふものならむ牡鹿の息のやうなる手紙

雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む

 二首目のポイントは、大辻も解説で触れているように「窓がみなゆふぐれである」だろう。アビタシオン (habitation) はフランス語で「住居」のことで、ここでは集合住宅だろう。フランス語にしてあるので、ル・コルビジェが設計したマルセイユのアパートなどが頭に浮かぶ。集合住宅のたくさんの窓のすべてに夕光が差している、あるいは夕焼けが映っていることを、「窓がみなゆふぐれである」と表現する詩的圧縮がある。

 三首目のポイントは「エスパドリュー」だろう。エスパドリーユとも言う。底が麻でできていて上部が木綿などの布製のサンダルをさす。地中海沿岸で広く用いられている履き物で、そのため海とは縁語である。〈私〉を引き寄せたのはもちろん恋人である。四首目は三首目と続きのような歌で、この歌のポイントは「透けやすき」だろう。

 五首目は部屋の床に脱いだシャツがそのままに置かれているというだけの歌だが、「なにかけだるきものとして」という一種の喩の作用によって、その時の作中の〈私〉の心のありようを表象するものとなっている。

 とまあこのようにふつうに歌を読み解いても、木下の短歌の魅力に1ミリも触れたことにならない。それはなぜかというと、上につらつらと書いた鑑賞は歌の「意味」に着目したものだからである。しかるに木下の短歌の精髄は歌の意味にはない。考えてみれば韻文とはなべてそのようなものであり、短詩型文学の俳句や詩も同じはずなのだ。それは散文の言語と韻文の言語の機能のちがいに由来する。

 散文は思考の乗り物であり、その役割は意味の伝達にある。「参議院議員の任期は、これを6年とする」のような法律・条例・規約の文章がその典型であり、曖昧性を排して万人に同一の意味を伝えるのが理想だ。論文や論評や批評の言語も同じである。ヴァレリーが喝破したように、散文の言語は意味の伝達が成立した瞬間にその役割を終えて消滅する。往年のTVドラマ「スパイ大作戦」で、部下のスパイに指令を与えるテープが自動的に燃え上がるごとく(これも喩である)。

 韻文の言語の機能は意味の伝達にはない。ではその機能は何かと正面切って問われると、あたりを見回しても出来合いの答は見当たらない。さしあたり口ごもりながら答えると、言葉の意味と言葉が喚起するイメージと韻律が混じり合い絡み合って、現実とは位相を異にする虚空間に彫琢され、そこを何度も訪れたくなるような形象を彫り上げることとでもなろうか。美術館に展示されている彫像、たとえばルーブル美術館の至宝「サモトラケのニケ」を思い浮かべてもよい。言葉を用いてニケを作り出すことが詩の言語の目指すところである。

 木下はこのことを深く理解しているように思われる。このことをさらに示すために歌を比較してみよう。たいへん申し訳ないが、比較の対象として新聞歌壇から歌を引く。

知らぬ間に減便廃線過疎の足返したくても返せぬ免許

     伊藤次郎(朝日歌壇2022年8月14日、永田和宏選)

きだはしを下りると雨につつまれてもう赤茶けた火のあとの蓮 

                  木下こう『体温と雨』

 伊藤の歌は、高齢者には免許の返納が推奨されているが、バスも鉄道も減便や廃線が続く地方では他に移動の手段がないという現実を描いている。現代の日本の地方都市や郡部ではどこも同じだろう。作者の主張は上手くまとめられていて、ストレートに伝わって来る。しかし、主張がストレートに伝われば伝わるほど、読んだ後に読者の頭の中に残るのはその主張であり、歌の姿は背後に隠れてやがては消えてしまう。それはこの歌が韻文の体裁を取りながら、散文の言葉と隣接しているからである。

 木下の歌の場面は池に下りる短い石段だろうか。池の水面には雨が降っていて、枯れ蓮が無惨な姿を晒している。どうということのない情景であり、特に伝えたい意味はない。しかしながら逆接的なことに、この「意味のなさ」が言葉の物質感を高めて、炉の高熱に溶けた硝子が冷えて形をなすように、歌の姿がひとつの形象となって読む人の脳裏に長く残る。意味を理解した後にも、その韻律に身を委ねてもう一度読みたいと思う。これが高塚の言う「言葉(日本語)の、意味の上をいったんは、さっとすべりおちた韻律」ということだろう。

はなびらの踏まれてあればすきとほり昼ふる雨の柩と思ふよ

梳かれつつわかれゆく髪はつなつの白きそびらを三角州デルタに変へて

火のことであらうか夢のまたたきのまぶしさのなか人の告げしは

ひえゆけば祈りの指も仄白きのかたちせむ雪ふりたまふな

枝を焼く冬のほのほの匂ひしてアルバムひらくは仄ぐらかりき

葉のすみをすこし燃やしてよごれざるままに冷えたるじふやくの白

雨の服脱ぎたるそびらや添ひをればゆふかたまけて夏終はるらむ

 たくさん付いた付箋の中から特に印象に残った歌を引いた。あらためて読み直してみると、隙なく組み上げられた言葉の韻律のため、一首の読字時間が長いことに気づく。さらにひと言付け加えるならば、木下の作る歌には永田和宏の言う「〈問〉と〈答〉の合わせ鏡」構造がほぼ見られず、その意味では近現代短歌というよりはむしろ王朝和歌に近いと言えるかもしれない。

 そういう賢しらな理屈は実はどうでもよいことである。本歌集を味読すれば、散文の言語ではない詩の言語とはどういうものであるかを、読者は十二分に感得することだろう。


 

第336回 笹公人『終楽章』

戦争で死にたる犬や猫の数も知りたし夏のちぎれ雲の下

笹公人『終楽章』

 本コラムを書き始める前にまず巻頭歌を選ぶのだが、これがけっこう楽しい作業なのだ。歌集を読むときに「これは」と思った歌には付箋を付けておくので、巻頭歌を選ぶときも付箋の付いた歌から選ぶことが多い。しかし時には付箋のない歌に目が止まりそれを選ぶこともある。あまり考察される機会のないテーマに、歌とそれを読む人の心の関係がある。その時その場のふとした心の翳りに触れて来る歌というものがどうやらあるらしい。

 日本の夏、とりわけ八月は死者に想いを致す月である。広島と長崎の原爆忌、終戦記念日、御巣鷹山の日航機墜落事故、そして死者の霊が戻ってくる盂蘭盆会と続く日々で、私たちの脳裏には顔のある死者のことも顔のない死者のことも浮かぶ。しかし巻頭歌で作者が想いを馳せるのは、戦火の犠牲となった犬や猫たちである。当然ながら飼われていた犬や猫にも空襲で死んだものがいただろう。しかし誰もその数を知らないという歌である。五・七・六・七・八という破調だが、韻律より意味が勝った結果だろう。意味が勝ると音数が増えるのはいたしかたない。

 笹公人といえば、『念力家族』『念力図鑑』に始まる念力短歌でその名を知られた歌人である。

注射針曲がりてとまどう医者を見る念力少女の笑顔まぶしく

                    『念力家族』

ベランダでUFOを呼ぶ妹の呪文が響くわが家の夜に

キムタクよ返事をしろと妹の焚く護摩のの冬空高く

                   『念力図鑑』

公園の鳩爺逝けば世話をした無数の鳩にそらに運ばれ

 ところが『終楽章』は今までの歌集とかなり趣が異なる。あとがきによれば、きっかけの一つは和田誠、大林宣彦、岡井隆という笹の三大師匠が相次いでこの世を去ったことだという。これによって笹はしばらく創作意欲を喪失した。もう一つのきっかけは父親が重篤な脳腫瘍を患って認知症となり、介護する日々が続いたことである。折から笹は『短歌研究』に三十首連作を書くように求められ、編集長の國兼秀二に現実の生活の歌を書くよう強く勧められたという。それが本歌集に収録された連作の一部となっている。いくつか引いてみよう。

居間に座す父に「どなた?」と問われれば脳内に壺の割れる音する

レントゲン写真に映るわが父の左脳に巣食うカモメの卵

真夜中に何度もトイレに行く父をエスコートする長男われは

浅き眠りの父のかたえに読みふける介護の歌なき万葉集を

流木のような足首持ちあげて最初で最後の親孝行せん

 今まで想像力が生み出した念力少女やオカルト雑誌『ムー』の世界を思わせる歌を作って来た笹も、怒濤のように押し寄せる現実を受け止めなくてはならなくなったのだろう。中学生の頃からまともに口をきいていない父親であっても、その最期は看取らなくてはならない。万葉集に介護の歌がない理由の一つは、当時はみんな早く死んだからである。平均寿命で世界のトップとなったこの国に、介護という新しい問題が生まれたということだ。

 作者の介護に対する態度も歌に向き合う姿勢も真摯であり、赤裸々に詠まれた歌は心を打つ。人生の重大事にあって歌に嘘や虚構はそぐわない。人生の重大事は常にリアルに迫って来るからであり、それには真摯に対処しなくてはならないからである。そんな怒濤のような日々の渦中にあっても、いかにも笹らしい視点の歌もある。

朝六時の母の電話に覚悟して出れば「来るときタッパー返して」

まだ遺品ではない本を整理する『完全なる結婚』の埃拭いつつ

断捨離でモーム全集捨てたこと言えずここまで来てしまいたり

エンディングノート見つけて色めくも全頁白紙のエンディングノート

引き出しに数多見つかる吾の記事の上にぽたんと落ちる涙よ

 一首目、かかって来る電話が怖くて、リンと鳴り出すとびくっと飛び上がるという経験は私もした。親が入院している病院からの知らせかと思うからだ。覚悟を決めて受話器を取ると、このあいだおかずを届けた時のタッパーを返してという母親の言葉に気が抜けるという歌。二首目の『完全なる結婚』はオランダの婦人科医師のファン・デ・フェルデが書いた夫婦生活のマニュアルである。親の本棚にあるとちょっと気恥ずかしい。三首目の断捨離はブームになった言葉だが、2009年に刊行されたやましたひでこの本で世に広まったそうだ。作者は親には内緒でモーム全集を処分したのだ。モーム全集というところに時代を感じる。四首目はくすっと笑える歌で、引き出しを片づけていたら父親のエンディングノートが見つかった。父親も意気込んで買い込んだのだろうが、結局は何も書かなかったのだ。白紙であったことに作者は心のどこかでほっとしただろう。もし何か書かれていたら、それを実行する心理的義務が生じるからである。五首目はほろりとする歌。笹の活動を認めていなかった父親が、笹についての新聞記事を切り抜いて密かに保管していたのだ。

 巻頭の「七転び八起き ~ 私の平成・令和仕事年表~」は、平成元年の中学二年生に始まり、令和三年の46歳までの履歴書のような連作である。一首一首に詞書きが付されている。

『寺山修司青春歌集』手にとれば歌詠みはじむ 約束のごと

岡井師も見ていたらしいレイザーラモンのコスプレで「フォ~」と叫んでいる吾を

 一首目は平成5年18歳の頃の歌である。『寺山修司青春歌集』は1971年に角川文庫から刊行されていて、中井英夫が解説を書き、寺山自身が後記を書いている。笹の出発点は寺山修司であり、笹もまた青春の寺山病に罹患した一人なのだ。二首目は平成17年の歌で、笹がNHK「日曜スタジオパーク」に出演した折のことを詠んでいる。私もたまたまこの番組を見た。お笑い芸人のレーザーラモンHGがハードゲイの扮装に身を包み、両手を上げて「フォ~」と叫ぶ芸はその頃TVでよく見かけた。笹はそのコスプレで何とNHKの番組に出演するという暴挙に出たわけだが、案の定大スベリだった。笹にはそういうところがあるが、たぶんサービス精神が人一倍旺盛なのだろう。笹は世の中に短歌をもっと広めたいという願望を強く持っている。そのために笹が始めたのは「歌人のキャラ化」だと思う。実は穂村弘も目立たないように歌人としての自分のキャラ化を行なっていると私は密かに考えているのだが。

 本歌集の他の連作にはかつての念力短歌風の歌も少なくない。

雪女溶けて残れる水たまりのみずは甘いか日本いたち

午睡するマタギの踵の角質は亀の子たわしで削られるべし

「百年は帰しませんよ」と微笑んだパブ竜宮のママのお歯黒

予定地に光の柱のぼらしめ宗教画めくマンションチラシ

さきの世でユニコーンの角に貫かれた証だという胸の黒子は

 このような歌はおそらく笹なりのロマンティシズムの発露なのだろう。ロマンティシズムの本質は、失われた世界への哀惜、手の届かない彼方にある世界への渇望である。笹の場合はそれがオカルトの方角に向けられたということだ。笹の師である岡井隆の『現代短歌入門』に次のような一節がある。もちろん笹のことを書いたわけではないが、師の慧眼は時代を超えて彼方から届くかのようだ。

 これらは、作者が、そう書きとめることによって、あるやすらぎを得、そう書きとめ、人に示すことを好んだという意味で、さまざまにあり得べき自らの姿の一つなのであり、いわば夢の実現なのである。これを、浪漫的と呼んでもさしつかえなく、生活の細部は、すべて〈浪漫的断片〉としてのみ、この定型詩にとどめられる。

 歌集後半には昭和ノスタルジーの香る歌が多く見られる。

大王との戦いに挑むマリオ氏の8ビットには映らない汗

河童みたいな名前の海外マジシャンが東京タワーを消したあの夜

富士の湯のえんとつの梯子錆びておりむかし信夫が登った梯子

サイレント映画のような悲しみが四十五歳の夏を包めり

団塊世代の青年の霊か髪長くコーラの瓶を持ちて怒れる

 二首目のマジシャンはデビッド・カッパーフィールドである。オカルトに目覚め、ノストラダムスが流行り、口裂け女の恐怖が囁かれた昭和は笹にとって発想の源泉なのだろう。そう言えば穂村弘も昭和の子供時代をよく歌に詠むようになった。どちらも相応の年齢を迎えたということもあろうが、平成を挟んで令和の世となった今、昭和という時代を距離を置いて眺めることができるようになったということなのかもしれない。昭和が歴史の一部になったということでもある。

 最後にちょっとカッコ良すぎる歌を挙げておこう。今は懐かしいオキシローの『ギムレットの海』に登場してもおかしくない場面である。しかし今の若者には刺さらないだろう。時代の感性は確実に変化したのだ。

透明な月球のごとき丸氷にバーボン注げば夏がきている

 余談ながら、今回『念力短歌トレーニング』を読み返していたら、この本の元になった「笹短歌ドットコム」に笹井宏之がよく投稿していたことを知った。

グリズリーに跳ねあげられた紅鮭の片方の眼に映る夕虹

ひとしれず海の底へと落とされた大王烏賊のなみだを思う

ひとすくいワイングラスに海をいれ夕陽のあたるテーブルへ置く

雨になるゆめをみていた シャンパンを冷蔵庫深くにねむらせて

 見覚えのある歌がある。笹井の短歌の透明なポエジーは投稿者の中では異質な輝きを放っている。

 

第335回 短歌と幻想

 近頃、短歌がはやっているという。にわかに信じがたいことである。しかし『短歌研究』8月号は「短歌ブーム」という特集を組んでいるし、『文學界』5月号は「幻想の短歌」という特集を組み、その冒頭に「最近、『短歌が流行っている』と耳にするようになった」と書いている。確かに検索してみると、『産経新聞』や『静岡新聞』が短歌の流行を取り上げた記事を掲載し、錦見映里子のインタビューなどが載っている。どうやら短歌がはやっているようなのである。

 とはいうものの、『短歌研究』8月号の「短歌ブーム」特集は、岡野大嗣を大きく取り上げた内容になっている。どうやら岡野の歌集『サイレンと犀』(2014年)『たやすみなさい』(2019年)、『音楽』(2021年)、木下龍也の『あなたのための短歌集』(2021年)、岡本真帆『水上バス浅草行き』(2022年)などの売れ行きが好調なのだという。

地球終了後の渋谷の街角に聞こえる初音ミクの歌声

              岡野大嗣『サイレンと犀』

サイダーのコップに耳をあててきくサイダーのすずしい断末魔

              岡野大嗣『たやすみなさい』

犬の顔に虹が架かって辿ったらとうふ屋さんのおとなしい水

              岡野大嗣『音楽』

 どこかに淡い諦念のようなものを漂わせた静かな抒情を感じさせる作風だ。文体は完全口語で、ポップでライトな感覚である。1996年に岡井隆の言挙げなどで論争となったライトヴァースの完成形のひとつと言ってよいかもしれない。

 折しも8月14日付けの朝日新聞(大阪版)の短歌時評で、山田航が岡本真帆の『水上バス浅草行き』を取り上げている。なんでも1万部を越える売れ行きだという。

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし傘もこんなにたくさんあるし

                    岡本真帆『水上バス浅草行き』

帰りつつ家賃の歌をつくったら楽しくなって払い忘れた

外に降る雪の様子をみてるからあなたは鍋の様子をみてて

 山田は岡本の歌の不器用な人を全肯定する明るさが応援歌として受け止められたとした上で、かつて穂村弘が指摘した「わがまま」の現在形なのではないかと述べている。これは穂村が1998年の角川『短歌』9月号に寄せた「〈わがまま〉について」という文章を踏まえているのだが、長くなるので詳細は省く。

 特集の中で天野慶が「『短歌ブーム』に誰が火をつけたのか」という文章を書いていて、書肆侃侃房、左右社、ナナロク社が共同で短歌フェアを開催するなど、出版社の戦略も大きく貢献していることを指摘していて、おそらくそうなのだろうと思う。またTwitterやInstagramなどのSNSと短歌の短さが相性が良いことも周知の事実である。岡本の歌は誰かに向けたものというよりはつぶやきのようなものであり、そのような歌の質もSNS向きなのかもしれない。

   *          *          *

 『文學界』5月号の「幻想の短歌」はなかなか読ませる内容だった。しかし一読した感想は、「短歌と幻想はまずまず相性が良いが、俳句と幻想はまったく馴染まない」というものだ。

 今回の特集の看板は「幻想はあらがう」という座談会で、大森静佳・川野芽生・平岡直子の三人が参加している。もうひとつは「短歌の幻想、俳句の幻想」と題された生駒大祐・大塚凱・小川楓子・堂園昌彦の座談会である。いずれも自分が幻想的と判じた短歌・俳句を五首・五句提出し、それをもとに論じるという形式である。堂園は「八十岐やとまたの園」と題して、幻想短歌80首のアンソロジーを編んでいる。

 しかし問題は何を幻想的ととるかである。これは人によって異なる。大森は「自分の身体から逃げ出すというか、現実の身体との距離感が遠いほど幻想と私は認識している」と述べて、自分の身体との距離感を幻想の基準に挙げている。一方、川野は「私は幻想というのは両目をカッと開いて対象を観察していく中でむしろ見えてくるものだと思う」と述べている。これは川野が挙げた「水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合わさりき」という葛原妙子の有名な歌を念頭に置いたものだろう。しかし座談会でも発言があったが、葛原の歌は写実と見ることもできる。葛原が時に「幻視の女王」と呼ばれるのは、「昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつをり」のように、ふつうは眼に見えないものを微細に描くためである。人間の感覚は不思議なもので、ハイパーリアリズムの絵画のように、画布全体に焦点が当たっていて超細密に描かれたものはかえって現実離れして見える。逆にベラスケスの描く紳士のレース飾りのように、遠くから見ると実に写実的に見えても、近くによってみると荒いタッチで描かれていることがある。

 『広辞苑』によれば「幻想」とは、「現実にないことをあるように感ずる想念。とりとめもない想像」とあり、あまり要領を得ない。言葉の意味に迷うとき、一つの手は外国語にどう訳されているかを見ることである。試しに『ライトハウス和英辞典』を見ると次のように書かれている。

 (夢うつつで見る理想的な幻想)vision

 (正しそうに見えて実は誤っている考え・錯覚)illusion

 (実現したいと考えている夢)dream

 (気まぐれな空想)fancy

 (夢のような途方もない空想)fantasy

 このうちvisionは「幻視」に近い。フランス語でvisionnaireは「幻視者」という意味になる。上の方は現実ではないものを現実だと思い込んでいるという意味だが、下半分は現実ではないことを知りながら空想しているということになろう。

 自分にとって誰が幻想的な作風の歌人かを考えてみるのも一興である。幻想と言われて私ならすぐに頭に浮かぶのは、まず松平修文、井辻朱美、水原紫苑の三人だろう。

床下に水たくはへて鰐を飼ふ少女の相手夜ごと異なる

                松平修文『水村』

ねむくなりしひとが乗りこむ真夜中の電車は地下のみづうみへゆく

干涸びた赤い蠍をその髪にかざり土曜日のゆふぐれに来る

                    『夢死』

心臓が透明な男ヴィオロンをひきつつ冬の角を曲がりたり

               井辻朱美『コリオリの風』

このゆい水晶のなかをあるくから大天使ガブリエルさえ風邪の目をして

                   『水晶散歩』

ノンシャランと夢をかおよりふりおとすとおいユラ紀の銀杏のカノン

胸びれのはつか重たき秋の日や橋の上にて逢はな おとうと

                  水原紫苑『びあんか』

白き馬うまに非ざるかなしみに卵生の皇子みこは行きてかへらぬ

方舟はこぶねのとほき世黒き蝙蝠傘かうもりの一人見つらむ雨の地球を

 ただしこの三人の歌人の中では幻想の分量と成分がいささか異なる。松平の歌に写実はほぼ皆無であり、その目が見つめるのは現実ではなく、脳裏に去来するほの暗い想念である。その意味で幻想が歌の主成分であると言える。一方、井辻の歌は幻想というよりファンタジーと呼ぶ方がふさわしい。ジュラ紀の恐竜や中世の騎士が登場する異世界に遊んでおり、その世界はRPGのように設定されたものである。水原の歌は、高野公彦が「現実と幻想の、どちらともつかぬ、そのあはひの簿明にあそぶたましひの歌」と評しているように、現実と幻想の「あはひ」、つまりその境界線あるいはインターフェイスにポエジーを求めるところに特徴がある。

 この三人に加えて挙げたいのは大津仁昭、小林久美子、そして石川美南だ。

改札に君現はるるまでを待つそのまま死後の出会ひのかたち

                   大津仁昭『霊人』

水含み重なりあへる吸殻に涼しき君の初夏の霊

あふ向けに砂に埋もれて目をひらく少女とわれの睡り重なる

解剖台のうえのミシンと女郎蜘蛛 出糸腺からあふれだす歌

                 小林久美子『恋愛譜』

大熊座から降りてきた妖精ニンフひと夜 若草いろにカーディガン手に

みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむつのをほこって

きのこたちに月見の宴に招かれぬほのかに毒を持つものとして

                 石川美南『砂の降る教室』

迷ひたる賢治に道を教へきと大法螺吹きの万年茸は

なにがあつたかわからないけど樅茸もみたけがいぢけて傘をつぼめてゐたよ

 大津は歌集タイトルを見ても、『異民族』『異星の友のためのエチュード』『霊人』『爬虫の王子』と異世界のオンパレードである。小林はポエジーの発想の根元に空想がある。また石川は好んで物語の世界に遊んでいる。

 最後に倉阪鬼一郎の『怖い短歌』(2018年、幻冬社新書)という本を挙げておこう。作者の目に怖い短歌と映ったものを集めたアンソロジーである。全部が幻想というわけではないが、幻想的な短歌も多く収録されている。酷暑の消夏によいかもしれない。

むらさきの指よりこの世の人となりこの世に残す指のむらさき

                        有賀眞澄

窓口に恐怖映画の切符さし出す女人の屍蝋の手首

                   江畑實

 ちなみに同じ著者に『怖い俳句』(2012年、幻冬社新書)という類書がある。

 思いがけなく長い文章になったので、「俳句と幻想はまったく馴染まない」ことを書く余裕がなくなった。

第334回 なかはられいこ『くちびるにウエハース』

火曜日の手首やさしい泥の中

なかはられいこ『くちびるにウエハース』

 川柳作家なかはられいこの第三句集が出た。第二句集『脱衣場のアリス』から何と21年振りだという。本コラムで『脱衣場のアリス』を取り上げたのが2008年だから、それから14年の月日が経ったことになる。14年と言えば生まれた子供が中学2年生になるまでの時間だと思うと気が遠くなりそうだ。今回も瀟洒なイラストによる装幀で、ちがいと言えば版元が北冬社から左右社に変わったことくらいだろう。『脱衣場のアリス』では巻末に川柳作家の石田冬馬・倉本朝世と歌人の穂村弘・荻原裕幸の座談会が収録されていた。今回は盟友の荻原裕幸の解説が添えられている。

 『脱衣場のアリス』は7つの章立てに分けられていて、それぞれ冒頭に「からだとこころ、こころとからだ、うそをつくのはいつでもこころ。」のようなエピグラフが添えられていた。『くちびるにウエハース』はエピグラフなしの普通の章立てになっているが、唯一の例外が「2001/09/11 」と題された9.11のアメリカ同時多発テロを詠んだ連作である。そこには「その日の夕食に秋刀魚を食べた」と始まる短文が添えられている。

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ

炎(息が)黒煙(できない)青い空

落下する、ひと、かみ、がらす、コップを倒す

ゆびのすきまはさみのすきまかみさまは

ほうふくとつぶやいてみる酢の匂い

 荻原の解説によれば、柳壇のみならず短詩型文学の世界で話題になったのは上に引いた一句目であったという。テロによるワールドトレードセンタービルの崩壊の様子を、句の統辞的分断と読点による分割を用いてアイコニックに表そうとした実験的作品だ。また二句目ではパーレンを用いることで句の内部に異なる発話主体を埋め込んでいる。現代短歌ではニューウェーヴ以来、よく用いられている手法である。しかしなかはらの愛読者には、これらの句が話題になったとしても、いかにもなかはららしい句だとは感じられないのではなかろうか。なかはららしい句はむしろ上に引いた中では四句目や五句目だろう。

 前句集に続いて本句集でも、身体部位、特に手足を詠んだ句が多くある。

踵から頭のてっぺんまでギニア

はじめてがいまだひそんでいるからだ

左腕から右腕へ舟はたどりつく

二の腕もすすきも月に触れたがる

つまさきは波打ち際の夢をみる

空に満月くちびるにウエハース

かろうじてかたち保っているからだ

 身体へのこだわりはなかはらの詩想の特徴だが、それは手足などの身体部位が詩的な発想や連想の起点となっているからではないだろうか。よく子供が手を使って狐の形を作ったりして遊ぶことがある。子供にとって手は最も身近な玩具だ。それと同じように、なかはらにおいては身体部位がどこかに向けて想いを向ける出発点になっているように思える。たとえば上の三句目では、左腕と右腕は川の両岸の喩と取ることもできる。そのとき舟は渡し船である。しかし子供が一人遊びをしていて、何かを舟に見立てて左腕から右腕へと移動しているのかもしれない。その両方がダブルイメージとなって、句の意味の未決定性を生み出している。

 一方、五句目はもう少しわかりやすい。私たちが波打ち際に立ったとき、波が真っ先に触れるのはつま先である。したがってつま先と波打ち際の間には隣接性 (contiguity) の関係がすでにある。しかしながらその関係がすでにあることが、句から新鮮味を奪っていることも指摘しておかなくてはならない。

 身体部位を詠んだこれらの歌と、上の二句目・七句目は少しちがうように思える。生まれたばかりの赤ちゃんにとっては何もかもが初めてだ。少し成長しても、初めて海を見た日、初めてタンポポの綿毛を吹いた日、初めてネコを撫でた日のように、「初めて」が一杯ある。ところが大人になると「初めて」は急速に減少する。しかしある日のこと、「私にもまだ初めてがあったんだ」と気づくことがある。そういう想いを詠んだ句だ。七句目は仕事で疲労困憊したか、あるいは失恋して落ち込んでいる時を詠んだものだろう。これらの句は身体部位ではなく身体全体の感覚を詠んでいる。このため句の意味が解釈しやすい。ということは何らかの現実の事態に対応しているということであり、その分だけ詩的飛躍力が少ないということでもある。

 なかはらの句に鳥を詠んだものが多いのも特徴のひとつだ。

ちゅうごくと鳴く鳥がいるみぞおちに

ポケットを出るまで指は鳥でした

びっしりと鳥が詰まっている頁

かろうじてキーホルダーの鳥の青

名簿からふいに飛び出す鳥一羽

 『短歌ヴァーサス』3号(2004年)になかはらは「『思い』は重い」という文章を寄稿している。それによれば、俳人と句会を開いた時に「砂時計」を詠んだ句が出詠された。なかはらが砂時計は川柳では「人生の残り時間」を表すと発言すると、俳人たちに大いに驚かれたという。俳句では砂時計は砂時計としてしか読まないからである。このエピソードを紹介したなかはらは、川柳は「思い」を読むものだとされていることに疑問を呈している。

 なかはらが書いているエピソードから判断すると、どうやら川柳の主流(と、なかはらが判断している傾向)は短歌に近いものらしい。短歌は抒情詩であり、物や出来事にこと寄せて作者の「思い」を詠むものだとされているからである。

 一方、俳句はどうもちがうようだ。『文學界』の今年の5月号は「幻想の短歌」という特集を組んでいる。この特集については別に書くことにして、生駒大祐・大塚凱・小川楓子・堂園昌彦の座談会「短歌の幻想、俳句の幻想」での小川の次の発言がおもしろかった。小川は俳句は最終的に「物」に着地すると述べている。小川は最初は短歌を作っていて、後に俳句に転じた人である。小川が俳句を始めた頃のこと、「水鳥の水離りゆくさびしさよ」という句を出したら、「そのポエジーは歌人には理解されても、俳人にはなぜ寂しいかわからない」と先生に言われたそうだ。そのとき小川は、俳句においては感情よりも物体としての「物」に着地することが衝撃だったと述懐している。

 この小川の発言と『短歌ヴァーサス』になかはらが書いていることを較べると、両者は同じベクトルを示していることがわかる。俳句において「物」は作中主体である〈私〉の感情の喩ではないのだ。

金魚大鱗夕焼の空の如きあり  松本たかし

天金こぼす神父の聖書秋夜汽車  齋藤慎彌

 松本の句において金魚は作者の心情を表す喩などではない。大ぶりの金魚が金魚玉の中で悠然と泳いでいる存在感が句のすべてである。能の家元の子として生まれながら、身体虚弱ゆえに家を継ぐことが叶わなかった作者の心情がどこかに投影されているのではない。同じく齋藤の句でも神父や聖書が何かの喩として置かれているわけではない。一方、次の小池の歌では、倒れた向日葵は若き小池が乗り越えようとする父親の喩であり、家を貧窮させた父親に向かう負の感情が顕わである。向日葵は単なる「物」として置かれているのではない。

倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ  

                  小池光『バルサの翼』

 このように、最終的に「物」に着地する俳句と、否応なしに「心情」へとなだれ打つ短歌の生理の差は明らかである。

 したがって上に引用したなかはらの句に現れる「鳥」は何かの喩と取るべきではない。たとえば「ポケットを出るまで指は鳥でした」では、男の子のポケットという素敵な秘密の場所にいる時は鳥だったのに、ポケットから外に出すとふつうの手の指になってしまったという読みができるのだが、だからと言って「鳥」が何かの喩というわけではなかろう。とはいえ空を天翔る鳥はなかはらにおいては、何かの憧れを象徴しているようではあるが。

約束を匂いにすればヒヤシンス

ドアノブに雌雄があって雪匂う

まれびとと桜浅草十二階

ちょっと死ぬ銀杏並木の途切れ目で

付箋貼る(わすれるための)名前に空に

看板の欠けた一字はたぶん春

笊の目を豆腐はみでる十二月

 好きな句を挙げてみたが、句集を読み返して困った。最初に読んだ時と立ち止まった句がちがうのである。しかしそれは自然なことなのかもしれない。こちらの体調や心の有り様によって心に響く句はちがって当然である。上に引いた中では最後の「笊の目を」はもはや川柳と言うよりも俳句である。逆に解釈の容易な意味が充満しているのは「付箋貼る」の句だろう。それにしてもとても折口信夫的な「まれびと」と、かつて浅草にあった高層建築の浅草十二階を取り合わせたレトロ感溢れる「まれびとと」は若い読者にはわかりにくいかもしれない。大正ロマンの世界である。

 酷暑の夏の消夏法としては、『くちびるにウエハース』の世界に遊ぶのは悪くない選択である。本句集を携えて軽井沢あたりに行くことができれば申し分なかろう。書を開けば、凝り固まった脳のシナプスを柔らかく解きほぐしてくれる句が並んでいて、連想の飛躍と大胆な詩想が織り上げる言葉の世界にひととき遊ぶことができる。


 

第333回 『AI研究者と俳人 ― 人はなぜ俳句を詠むのか』

西行の爪の長さや花野ゆく

AI一茶くん

 川村秀憲×大塚凱『AI研究者と俳人 ― 人はなぜ俳句を詠むのか』(dZERO,

2022年)を読んだ。とてもおもしろかったので、今回はこの本について語りたい。

 川村秀憲は1973年生まれのAI研究者で、北海道大学大学院情報科学研究院教授。調和系工学研究室を主宰し、2017年から俳句生成人工知能の「AI一茶くん」を開発している。山下倫央、横山想一郎と共著で『人工知能が俳句を詠む』(オーム社、2021年)という著者がある。大塚凱は1995年生まれの若手俳人。俳句甲子園で活躍し、現在、俳句同人誌「ねじまわし」発行人。佐藤文香編著『天の川銀河発電所』から大塚の句を引く。

そのみづのどこへもゆかぬ火事の跡

腕時計灼けて帰つて来ない鳥

いもうとをのどかな水瓶と思ふ

 本書は理系のAI研究者と文系の俳人の対談という形式を採っているが、「人の知能とは何か」と並んで「人はなぜ俳句を作るのか」という問いにも肉薄していて興味が尽きない。しかしAIに不案内な向きにおいては、次のような疑問が頭に浮かぶにちがいない。

  ・AIがどうやって俳句を作るのか。

  ・AIに俳句を作らせて何がおもしろいのか / 何の役に立つのか。

  ・AIが生成した文字列をほんとうに俳句と呼べるのか。

 本書はこのような問いに次々と答えてくれるのだが、私なりに理解したことをまとめておこう。

 現在は第3次AIブームと言われている。AIの定義はさまざまだが、ここでは「自分で考えて課題に解答を出すコンピュータ・プログラム」としておこう。AIブームが再び到来した理由は、大量データの機械学習の手法の確立と、2006年に提唱されたディープ・ラーニング(深層学習)による。

 コンピュータに何かを判断させるとき、判断の基準となる特徴量をあらかじめ人間が与えてやる必要がある。たとえば果物の画像を見せてそれがリンゴか梨かを判断させる場合には、形はよく似ているため特徴量とはならず、リンゴは赤いか薄緑色で、梨は黄土色か茶色という色のちがいが特徴量となる。しかし人間がいちいち特徴量を教えるのでは手間がかかってしかたがない。AIはそれを大量データの機械学習でクリアした。また、ディープ・ラーニングとは学習した知識を階層化することをいう。「AI一茶くん」では教師データとして過去の俳句作品と、それだけでは言葉の組み合わせが不足するので散文データも使っているという。おそらく「AI一茶くん」はブログラミングに従って、読み込んだ言語データをまず文節に区切り、次に体言と助詞、用言の活用形と助動詞などに分解して、その組み合わせと出現頻度を学習するのだろう。

 さて、AIに俳句を作らせて何がおもしろいかである。人間と同じようなことができるコンピュータ、もしくは人間を超える能力を持つコンピュータを作ることは、コンピュータ工学者の長年の夢である。チェスの試合で人間に勝ったディープブルーは話題になった。川村のスタンスは少し異なる。川村が興味を抱いているのは「人間の知能とは何か」という問題であり、俳句はその課題にアプローチするためのひとつの手段だという。たとえば直立二足歩行をするロボットを作ろうとすると、人間がいかに複雑にして精妙な姿勢制御をしているかがわかる。それと同じように、AIに俳句を作らせることによって、人間がどのように知識を処理し言語を操っているかが少しずつ可視化されるということだ。これはAI研究者の立場からの答えである。

 では俳人の目から見たとき、AIに俳句を作らせて何か得られるものがあるのだろうか。大塚は次のように述べている。

 「AI一茶くん」が俳句をつくるとき、あらかじめ「こんなことを詠みたい」という動機のようなものはありません。季語、そして名詞や動詞、助詞などのさまざまな語が、いわば数式によって組み合わされ、一句として出てきます。動機のなさ、演算による句の生成、この二点だけを見ても、人間の俳句の作り方とはずいぶんちがっていると思う人が多いでしょう。けれども、私自身が俳句を作るときのことを考えてみると、「こんなことを詠みたい」と考えて俳句をつくるわけではないのです。ことばを使ってイメージを描くというよりも、イメージがことばに落としこまれていく。ことばが引っ張られて出てくる。イメージがことばを紡ぎ出すといえばいいでしょうか。そんな状況が頻繁に頭の中で、しかも無意識の次元で起こっています。そう考えると、「AI一茶くん」と自分はそれほどかけ離れているわけではない。むしろ共通する部分が多いのではないかと思います。(p.p.21~22)

 つまり俳人が作句するとき、あらかじめ表現意図があるのではなく、ぼんやりとしたイメージが言葉を引っ張り出すのであり、それはほとんど無意識の領域で行われているということである。創造の秘密は作者の手中にはない。だとすればブラックボックスの中で何が起きているのか、作者としても知りたくなるのは道理である。大塚は「AI一茶くん」がそれを知る手がかりになると考えているのだろう。

 では「AI一茶くん」の実力はどの程度のものだろうか。

初恋の焚火の跡を通りけり

てのひらを隠して二人日向ぼこ

ひとの世の遊びのれんの白絣

夢に見るただの西瓜と違ひなく

水洟や言葉少なに諏訪の神

ゆづられて月下美人にふれ申せ

栗の花少年の日の水たまり

シャガールの恋の始まる夏帽子

白鷺の風ばかり見て畳かな

 季語を一つ入れるとか、五・七・五の韻律を守るといったルールは教えてあるので、あとは何と何を組み合わせるかの問題である。また極端に無意味な句ははじいてあるそうなので、「AI一茶くん」がコンスタントに上に引いたような句を生成できるわけではない。比較的よい句だけを選んであるのだが、それを差し引いてもなかなかの実力である。「ひとの世の」や「栗の花」や「シャガールの」などの句は、誰かの句集に入っていてもおかしくない。

 本書の対談で明かされたことでいちばんおもしろかったのは、「AI一茶くん」は選句ができないということである。コンピュータは疲れを知らないので、動かしている限り無限に句を吐き出す。しかしその中から秀句を選ぶことができないのだ。本書に掲載されている句はすべて人間が選んだものである。

 上に述べたように、コンピュータに何かを判断させようとすると、判断の基準となる特徴量を与えなくてはならない。つまり秀句と秀句でないものを区別する基準を数値化して教える必要がある。ところが川村によれば、これはAIでことごとく失敗してきたことだという。

 そりゃそうだろう。秀句性を言葉で説明せよと言われても「うっ」と詰まってしまう。ましてや数値化するなど不可能事だ。たとえば私は次のような句を愛唱しているが、どこがよいのか説明せよと言われてもできない。

南国に死して御恩のみなみかぜ  摂津幸彦

愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子

天文や大食タージの天の鷹を馴らし 加藤郁乎

 俳句は「多作多捨」と言われている。たくさん作ってたくさん捨てる。選句とは捨てる行為である。高浜虚子は「選は創作なり」と言ったと伝えられている。大量に作句するとさまざまな言葉の組み合わせを得る。そのなかから「これはよい」と選ぶこともまた句作の一部なのである。創作の秘密に肉薄するこの作業はコンピュータで置き換えることが難しいようだ。

 本書を一読して大いに共感したのは、川村が句作における「共有」の重要性を指摘している部分である (p.p. 26~27)。川村が季語の重要性について俳人に聞いて回ったときに、季語の背後にある情報を俳人が共有していることに気づいたという。俳人は季語だけでなく、現在までに作られた膨大な句を知っている。この意味で俳句の世界はとんでもなく「高文脈文化」(high-context culture) なのである。

 このことは言語学や哲学にも大きな意味を持つ。これは「共有知識問題」と呼ばれている。〈A〉という情報を相手が知っている(あるいは知らない)ということを私はどうやって知ることができるかという根源的な問題である。読心術でもないかぎり、他人の頭の中を直接に知ることはできないはずだ。しかし私は常日頃から、言語コミュニケーションには共有知識が大きな役割を果たしていると考えている。極論すれば言語コミュニケーションとは、話し手と聞き手の間の共有知識の調整過程である。哲学の小難しい議論を俳人が日常の句作や読みにおいて苦もなくクリアしているのは痛快この上ない。

 短歌の世界では『短歌研究』2019年8月号に「歌人AIの歌力」という題名で、短歌を作るAIの開発の経緯が語られている。短歌研究社のHPにはすでに「恋するAI歌人」というページがあり、初句を入力するとAIが短歌を生成してくれる仕掛けだ。

 折しも朝日新聞が去る7月6日・7日(大阪版)に、「AIと創作の未来」と題して自社で開発した短歌AIの紹介をしている。それによると、任意の言葉を入力すると、それに続けて短歌を生成するプログラムらしい。また俵万智の句集を教師データとして覚えさせたものもあり、「二週間前に赤本注文す この本のこときっと息子は」などいう歌を生成するという。俵は「AIに名歌をつくってもらう必要はない」と否定的だが、永田和宏は、歌は作者だけのものではない、一番言いたいことは読者に引き出してもらうと述べて、読者論を展開する歌人らしく「読み」の重要性を改めて指摘している。

 本書であまり語られていないが、AIが俳句を作る際に大いに問題となりそうなのは、AIが詩的飛躍と詩的圧縮の度合いを判定できるかだろう。たとえば「抽象となるまでパセリ刻みけり」(田中亜美)という句がある。これがもし「粉々になるまでパセリ刻みけり」では俳句にならない。言葉の連接がふつうだからである。「抽象となるまで」と残りの部分の取り合わせの意外性と飛躍がポエジーを発生させている。AIにこの匙加減が判定できるとは思えない。

 最後に大塚によれば、AIが短歌を作る時の問題は短歌における「作者性」だという。俳句とは異なり、短歌は作者性が強く働く詩型である。果たしてAIは「歌の背後にみえるただ一人の顔」という一貫した人格までも生成することができるだろうか。それは難しいように思える。もっとも短歌にそのようなものを求めないという立場もある。日頃から「言葉だけの存在になりたい」と願っている井上法子のような歌人ならば、自分が作る短歌とAIが生成する短歌が並べて置かれることに抵抗はないかもしれない。

 しかし、短歌を読んで感動したとして (あまつさえ涙ぐんだとして) 、その後で作者が実はAIだったと知ったとき、あなたがどう反応するかが最終的な問題だ。「私の感動を返せ」という反応もあるだろう。AIが句会や歌会に参加する日がいずれ来るかもしれない。そのときに問われるのは、大阪大学のロボット工学者石黒浩が人間そっくりなロボットを作って試しているように、人間がロボット (コンピュータ) という生命のないものにどのような感情的反応をするかだろう。