第326回 今井聡『茶色い瞳』

一枚の玻璃を挟みてそれを拭く男とわれと生計たつきちがへり

今井聡『茶色い瞳』

 おそらくゴンドラに乗った作業員がビルの窓の外側を清掃しているのだろう。歌の〈私〉はビルの中にいてオフィスワークをしている。一枚のガラスを挟んでの内と外という空間的対比は、事務職と肉体労働という仕事の対比に重ねられている。一枚の透明な窓ガラスによって人の境涯のちがいが鋭く表現されていて、印象深い歌となっている。

 今井聡は1974年生まれ。2003年にコスモス短歌会に入会し、奥村晃作を師と仰ぐ。2009年に本歌集にも収録されている連作「茶色い瞳」で第24回短歌現代新人賞を受賞している。『茶色い瞳』は今年 (2022年) 2月に上梓された第一歌集である。版元は六花書林、装幀は真田幸治、栞文は石川美南、内山晶太、奥村晃作。編年体で構成してあるが、2020年から21年の近作が集められている第III部が全体の4分の3を占めている。その割には付箋が付いた歌は歌集前半に多かった。

 今井が所属しているコスモス短歌会は、北原白秋の「多摩」を継ぐ形で宮柊二を中心に1952年に結成された結社である。宮が掲げた理念は短歌作品による「生の証明」で、その理念は師の奥村を通じて今井へと繋がっているようだ。

土中よりコンクリ片を掘り出せるショベルカーその動きくはしも

空をゆく雲のかたまり裂けはじめ千切るるほどにへりの明るむ

空疎なる会議なりしと椅子机片付くる時われは張り切る

宵闇に降りくる雨の滴々を犬はぬかに受けわれはに受く

道端の石蹴りし日はとほくして街灯のしたわが影の伸ぶ

 形式は文語定型で、文字は新漢字に旧仮名遣い、作風は写実を基本とし叙景と人事が半々くらいで感情は控え目である。一首目は工事現場を詠んだ都市詠で、「くはし」は細かい所まで行き届いて精密である様をいう。ショベルカーがコンクリート片を掘り出す動きに着目している。二首目はまるで古典和歌のような叙景歌。雲が千切れてゆくにしたがって、雲の周辺部から日光が差す様を詠んでいて、柄の大きい歌となっている。三首目は職場詠。会議は中身がなかったが、終了後に机と椅子を片づける時に、ようやく意味あることができると張り切る。四首目、降る雨は犬の頭にも降りかかっているのだが、犬が〈私〉を見上げているせいか顔に当たるのが目に止まる。一方、〈私〉はもっぱら頭に雨を受けているという歌。五首目、道端の石を蹴った少年時代は遠くに去り、現在の〈私〉は一日の労働に疲れてとぼとぼと夜道を帰る勤労者である。言葉遣いは端正でザ・近代短歌の趣があると感じる向きは多かろう。華麗なレトリックや言葉遊びには見向きもせず、実直に自らの生の現実を詠う作風は近代短歌のメインストリームと言ってよい。

 さまよえる歌人の会などで親交のある石川美南が栞文に書いているエビソードがおもしろい。師の奥村に初めて会うことになり、駅前で待ち合わせをした今井青年は真夏というのにスーツに身を固めている。そこへ自転車で現れた奥村が炎天下を疾走する後を、今井は汗だくになって追いかけたという。そのことが「おもひいづ師との出会ひは真夏の日、吾は上下共スーツ姿で」と詠まれている。実直な人柄を物語る挿話である。歌風も人柄を反映している。

人間の表情に心に点数をつけゆく仕事ああジンジロゲ

障害者雇用の部署に六年余やうやく為事を愛し始めつ

有休をいただきながらわがからだ「いつもの時間」に目覚めてしまふ

辞めゆかむひとぽつりぽつりその訳を語りて降りぬ市ヶ谷駅で

萎びたる苦瓜のごと垂れ下がり社に残りをり何かを恐る

新しき人のなやみを渋柿の渋とおもひて吾が聴きたり

 表情や心に点数を付ける仕事とは何かよくわからないが、作者はその後、障害者雇用の部署に異動になったようだ。詠まれているのは会社勤めをしている人ならば、誰しも覚えのあることだろう。このような労働詠は古典和歌には見られず、近代短歌が発掘した鉱脈である。ところが現代の若手歌人の短歌にはこのような労働詠は少なくなった。それと入れ替わるように出現したのは非正規雇用の現実を詠んだ歌だろう。

酒たばこのみ放題の方代と虚実綯い交ぜのその歌の華

『右左口』の混沌はながき時を経て『迦葉』で澄めり方代短歌

後代に「無用の人」とあらはされ黄泉に笑まふか方代さんは

素十の句一句一句を書き写す 虚子の賞せし謂われ知りたく

見たまんま俳句と時に揶揄されし素十の句師の御歌に重ぬ

 上に引いた歌にあるように、作者は山崎方代に心を寄せているようだ。「身を用なきものに思ひなして」都落ちした在原業平を始めとして、日本の文芸と無用者が切っても切れない関係にあることは、唐木順三の名著『無用者の系譜』に詳しい。山崎方代も紛れもなくその系譜に連なる歌人である。本歌集にも「安かるも善きものありて日々使ふ椀の底しろく剥げたるがよき」のように方代の境地に繋がる歌がある。今井も心のどこかで自分を無用者と感じているのかもしれない。「石塊のひとつとなりて眠りたし踏まるるもなき深き谿間に」のような歌にそんな気分が感じられる。

 高野素十は虚子門下で、水原秋桜子・山口誓子・阿波野青畝らと4Sと並び称された俳人である。虚子は「厳密なる意味に於ける写生と云ふ言葉はこの素十君の句の如きに当て嵌まるべきものと思ふ」と素十の句を真の写生と褒めた。

方丈の大廂より春の蝶  素十

まつすぐの道に出でけり秋の暮

朝顔の双葉のどこか濡れゐたる

 今井は素十の句を師の奥村晃作の短歌と重ねて見ているのである。

次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く  奥村晃作

わがめぐり次々と鳩が降り立ちて赤き二本の足で皆立つ

一定の時間が経つと傾きて溜まりし水を吐く竹の筒

 奥村の短歌はただごと歌と呼ばれ、時に認識の歌、また発見の歌と言われることもある。読んだ人は「言われてみればなるほどその通り」と感じるからだろう。しかし歌論集『抒情とただごと』(本阿弥書店、1994年)を読むと、ただありのままを詠めばよいと言っているわけではなく、一筋縄ではいかない歌人のようだ。

 本歌集に収録された歌の中では次のような歌にただごと歌の味わいがある。

あさめしにゆで卵剥きひとくちを食めばぽかりと黄味のあらはる

ミニ缶のサッポロビール黒ラベル一缶肴はうにくらげ少し

 集中では次のような歌が特に心に残った。

潦さらなる雨を受け入れて波紋生るるを跨ぎて過ぎぬ

曇天の秋の広場の陶器市うつはは内にみな陰持てり

夕どきのはかなごとわがレモン水飲みつつ一人駅階くだる

坂道をくだりくる夜のテニスボールたかく弾みてわが傍を過ぐ

みつしりと咲くアベリアの花をる足長蜂の空中静止ホバリングみゆ

晴れのなき休日のをはりゆふぐれて曇りの層の仄か明るむ

板橋区蓮根のみ空ひときはに澄みて跳ねたり雀子ふたつ

鶏頭の茎のふときを花器に活けふたつの花の鶏冠あかるし

 内山晶太は栞文で「みつしりと」の歌を引き、日常そうそうその前にとどまることがないものの前にとどまることにより、はじめて目にすることができるものがあると書いている。そしてそれらが「時間というものが本来的に備えているだろう幸福となって姿をあらわす」と続けている。なかなかに美しい分析である。

 私が上に引いた歌を読むときに強く感じるのは「現実の肌理」である。確かに上の歌では忙しく過ごす日常で、私たちがあまり目を止めないことが詠まれている。言ってみればそれはどうでもよいことである。そのような些事が適確な言葉によって陰翳深く彫琢されるとき、私たちの目の前に現実の肌理が濃密な存在感を伴って立ち現れる。それを読む私たちはふだん見過ごしていた現実の豊穣さにいっとき触れて、打たれる。一首を読む時間はごく短いので、目交に立ち現れた豊穣な現実の肌理は須臾の幻のように消えてしまう。しかしながらたとえ眼前から消えたとしても、その残像は歌を読んだ私たちの心の奥深くのどこかの場所に残り続け、それ以後、私たちが身の回りの世界を見る眼差しをどこか変えてしまう。今井の歌はそういう歌である。


 

第325回 竹中優子『輪をつくる』

ゆうまぐれまだ生きている者だけが靴先を秋のひかりに濡らす

竹中優子『輪をつくる』 

 竹中優子は1982年生まれ。プロフィールに早稲田大学第一文学部卒とあるので、てっきり早稲田短歌会の出身かと思えばそうではなく、大学を卒業して就職した二年目から短歌を作り始めたという。黒瀬珂瀾が2012年から2年間福岡に在住していた折に立ち上げた超結社歌会の福岡歌会(仮)に参加してから、本格的に作歌を始めたようだ。栞文によれば歌会の折に道を歩いていたときに、突然「未来短歌会に入ります」と宣言し、「未来」の黒瀬選歌欄に入会し選を受ける。2016年の第62回角川短歌賞を「輪をつくる」にて受賞。同時受賞は「魚は机を濡らす」の佐佐木定綱。『輪をつくる』は2021年に上梓された第一歌集である。栞文は、川野里子、東直子、黒瀬珂瀾。歌集はふつう編年体の場合でも、作った時期などでまとめて何部かに分けることが多いのだが、本歌集は部分けがなく、連作がずらっと並ぶというちょっと変わった造りになっている。

 角川短歌賞受賞作の「輪をつくる」も本歌集に収録されている。

教室にささやきは満ちクリップがこぼれてひかる冬の気配よ

目を伏せて歩く決まりがあるような朝をゆくひと女子の輪が見る

学校に来るだけでいいひとになり職員室に裸足で入る

屋上に出るためにある階段の暗さ、桜が満開だって

ホームの先に友達がいることが分かる、声で ひかりを通過していく

 この連作の作中主体は保健室登校になった女子高校生である。つまりは作者は女子高校生に擬態して〈私〉を立ち上げている。選考座談会では、作者の年齢と性別に拘る小池光が現役の女子高校生の歌と読んだと発言し、島田修三はいやもう卒業していて回想している、回想のグラフィティとしか見れないと返している。島田は立花開や野口あや子を引き合いに出して、それに較べれば高校生活の息詰まるような感じやストレスが見られず、これではまるでユーミンの卒業写真だと断じた。結果として島田の読みは正確だったわけだ。

 本歌集を通読すると、〈私〉を擬態した「輪をつくる」はやはりちょっと異色で、他の連作とは肌合いが異なると感じる。本歌集のベースラインとなっているのは次のような歌である。

さっきまで一緒だった友バス停に何か食べつつ俯いている

松たか子の写真が飾られていた部屋に電話をかければ父親が出る

慣れるより馴染めと言ってゆるやかに崎村主任は眼鏡を外す

はしゃがないように落ち込まないように会うそら豆に似た子を産んだ友に

ほそながいかたちではじまる飲み会が正方形になるまでの夜

生きていて早送りボタンの止めどころ分かる例えばエレベーターの会話

 これらの歌の〈私〉はほぼ作者と同じ等身大の人物で、歌によく登場するのは職場の同僚や上司や部下、女友達、そして父母である。それはつまり近代短歌が得意な領域とした〈私〉の近景と中景である。それを越える遠い視線の歌はほぼ皆無だ。そしてどれもなかなかにユニークな着眼点から細かいことを拾い上げて歌にしている。

 一首目はさっき別れた友人が通りの向かいのバス停でバスを待っているのだろう。かばんから取り出した何かを食べながら俯いている。それだけの歌である。しかしそこにはさっきまでにこやかに会話していた友人が〈私〉には見せない別の顔がある。それははっとするほどの発見というわけではないが、確かにかすかな違和感が残る。

 栞文で東直子が、竹中といっしょに短歌イベントに参加した折に、自分が聞き流していたカフェの店主の科白を竹中がおもしろいと報告したという経験をもとに、竹中にはこの世に漂う面白いものをキャッチする言語センサーがあると書いている。そう思って竹中の歌を見ると、なるほどと得心するところがあるのである。

 たとえば二首目、竹中と父母の関係は少し複雑なようだが、父親は一人で暮らしている。父親の暮らす部屋に松たか子の写真が飾られていたというのはどうでもよい情報だが、こうして詠まれると何かおもしろい。三首目は職場詠だが、「慣れるより馴染め」というどこかで聞いたことがあるような科白を真面目に部下に言っている場面と、崎村主任という固有名が愉快な雰囲気を醸し出している。四首目は出産した友人と久々に再会する場面。確かに新生児の頭はそら豆によく似ているのだが、「そら豆に似た子」に微量の悪意が感じられる。いじわる婆さん的なこの微量の悪意もまた竹中の短歌の味わいとなっている。五首目は職場の飲み会だろう。最初は長いテーブルの両側に並んでいるが、酒が回って来ると席を変えてかたまりとなり正方形に近い陣形となる。これも何ということはない瑣事なのだが、竹中はこういうところに気がついてしまうのだ。六首目もおもしろい。ふだんは人の会話などに注意することなく、まるでビデオを早送りするように聞き流しているのだが、同じエレベーターに乗り合わせた不倫カップルが密会の約束をしていたりすると、早送りボタンを止めて、耳ダンボ状態になるのである。

 一方、作者が親族のことを詠うとき、そこには複雑に内向し屈折した感情が垣間見られる。

小倉駅で祖母のこいびと待つ日中 金平糖を買ってもらいき

乳飲み子の姉妹とへそくり一千万円抱いて出奔した祖母の夏

ふたりの子のひとりの死までを見届けて祖母の口座の残金二万円

駅前のうどん屋を兄はあわく褒め母は嫌いと言う日曜日

言われたとおり戸棚の奥の箱に隠すテレビカードを父はよろこぶ

「まだ仕事?」と三度聞かれるそののちの解約が済んだ父の部屋のこと

 一首目は、祖母が恋人と会うために出かけるときに、孫と買い物に行くと口実を作ったのだろうか。二首目と三首目がもし事実だとしたら驚くしかない。作者が子供の時に父母は離婚したという詞書きの歌があるので、四首目は子供時代の回想だろう。五首目は父親が病気になり入院している場面。隠すのはテレビを見ることを禁じられているからか。五首目はおそらく兄との電話での会話で、父親が病院で亡くなり、住んでいた部屋を解約して片付けを業者に頼む場面だろう。

 職場詠も多くあるが、竹中の個性は登場する人物が抽象的でなく、まるで四コマ漫画のように活写されていることである。

朝の電車に少しの距離を保つこと新入社員も知っていて春

月曜日 職場に来られぬ上司のこと上司の上司が告げていくなり

派遣さんはお茶代強制じゃないですと告げる名前を封筒から消す

上手く行かないことをわずかに望みつつ後任に告ぐ引き継ぎ事項

体調が悪くて休むと言った人がふつうに働いている午後の時間

 一首目は新入社員と同じ朝の通勤電車に乗り合わせた場面。親しげに話しかけて来るのではなく、適度な距離を保つことをもう知っている。二首目、職場に来られなくなった上司はおそらくウツ病だろう。三度繰り返される「上司」がおかしみを醸し出している。三首目は非正規雇用が増えた現代らしい歌。どこの職場でもお茶代を集めるが、派遣社員は出さなくてもいいのだ。四首目にも少しの悪意がある。五首目は休みたくても休めないという労働事情の歌、

 部下らしい古藤くんという人物がよく登場する。歌から見るかぎり、古藤くんはなかなかの好人物のようだ。

残業を嫌がらなくなった古藤くんがすきな付箋の規格など言う

シュレッダーの周りを掃いている我の隣に古藤くんがじっと立つ

納得しましたから、が口癖になる古藤くんの眉間に春のひかりが降りぬ

 固有名詞を歌に織り込むこともまた、歌が抽象的になることを避ける効果がある。歌会などでよく「具体的な数字を入れるとよい」などと指導されるのも同じだ。ややもすればふわふわとどこかへ飛んで行く言葉を着地させて現実に繋留する役割がある。

額縁を壁から下ろす(そのように夕立が来る)果物屋にいて

どんな暴力に昼と夜とは巡りゆく 髪切ると決めて水から上がる

花を生かすために捨て去る水がある銀色の真夜中のシンクに

触るたび同じページがひとりでにひらくからだを生きる夕暮れ

殺したいと言うときも手は撫でていてあかるみに置く午後の人形

運動靴はバケツに浮かぶ秋の日の水の重さに押し上げられて

どの文字も微量の水を含むこと思えば湧き出でやまぬ蛍よ

 特に心に残った歌を引いた。中には押さえきれない内心の怒りを感じさせる歌もあり、竹中の短歌世界は決して単純で一様なものではない。家族、友人、職場の同僚や上司を登場させて、ユーモアを交えつつ〈私〉の近景を具体的にていねいに詠む作風は、近代短歌の王道と言えるだろう。竹中は永井祐とは一歳ちがいなのだが、その作風のちがいは大きい。この振れ幅の大きさが現代短歌シーンの特徴だろう。純粋読者としてはいろいろな作風の短歌があった方が楽しい。

 何と言っても美しいのは冒頭に引いた掲出歌だ。

ゆうまぐれまだ生きている者だけが靴先を秋のひかりに濡らす

 革靴の先が秋の光を受けてまるで水に濡れているかのようにきらきらと輝いている。それはこの世の光であり、命の輝きでもあるかのようだ。そして靴先を光らすことができるのはまだ生きている者だけだという冷厳な事実が美しく詠まれている。合掌。

 

第324回 toron*『イマジナシオン』

くちびるに触れるあたりをつと触れて盃ふたつ買う陶器市

toron*『イマジナシオン』

 書肆侃侃房から続々と刊行されている新鋭短歌シリーズの一巻として今年 (2022年) 2月に出たばかりの歌集である。ペンネームが変わっている。はてトロンとは、坂村健が作ったコンピュータOSか、ラドンの放射性同位体か、はたまた1982年に公開されたアメリカのSF映画か。ごていねいに最後にアスタリスクまで付いている。いぶかしみながら読み始めると、ぐいぐい引き込まれて最後まで一気に読んでしまった。素晴らしい第一歌集である。こんな歌集でデビューする歌人は幸福だ。通読して思ったのは、この世には詩心のある人とない人がいるということである。作者はもちろん詩心に溢れている人なのだ。

 短いプロフィールによると、作者はTwitterで短歌と出会い、「うたの日」や『小説 野性時代』の歌壇欄などに投稿するようになる。2021年の第32回歌壇賞で「犬の目線」が候補作品に選ばれている(ただしそのことはプロフィールには書かれていない)。塔短歌会、短歌ユニットたんたん拍子、Orion所属。『小説 野性時代』の歌壇欄を担当していた縁から本歌集の編集をしたのは山田航で、あとがきも書いている。タイトルの「イマジナシオン」はフランス語で想像力のこと。寺山修司から取ったそうだ。

たぶん、もう追いつけないな踊り場で見上げるきみがいつも逆光

周波数くるったラジオ抱えれば合わせるまでの手のなかは海

果てしない夜をきれいに閉じてゆく銀のファスナーとして終電

露店より買う万華鏡たわむれに街を破片にしてみる日暮れ

会うまでの日をていねいに消してゆく手帳のなかに降りやまぬ雨

 歌集冒頭付近から引いた。最初の印象は現代の若い人が作る典型的な口語短歌というものだが、詳しく見てゆくと随所にポエジーを立ち上げる工夫がしてある。一首目、「たぶん、もう追いつけないな」は作中主体の内心の独白で、置かれた読点によって初句が句割れになっており、そのせいで諦念の深度が深まる。詠まれているのは漠然とした恋の終わりの予感だろう。二首目、周波数が合っていないラジオから雑音が鳴り響いている。それを荒れ狂う海に喩えているのだが、その喩の作用で暴風雨の北の海で遭難しかけている船のイメージが重なる。たぶん〈私〉は誰かに助けを求めているのだ。三首目、銀色に輝く車体の終電がまるでファスナーのように夜を閉じてゆくと詠まれている。この終電は市街地を走っているので路面電車だろう。四首目、お祭りの縁日の露店で万華鏡を買う。万華鏡を覗くとあたりの風景がばらばらになって輝く。密やかな破壊衝動が匂わされている。五首目、恋人と会う約束の日が手帳に書かれている。その日までを一日ずつペンで消してゆくのだが、たぶん縦線で消しているのだろう。増えてゆく黒い縦線を降り続く雨に喩えている。

 まず注目されるのはきちんとした定型感覚と韻律の確かさである。五・七・五・七・七に言葉を嵌め込んでゆく感覚が優れている。そして下句の収め方がうまい。気が付いてみると全部体言止めの歌ばかり引いたが、実際に体言止めの歌が多いのである。「見上げるきみが/いつも逆光」では四・三 / 三・四、「銀のファスナー/として終電」は句跨がりだが三・四 / 三・四「街を破片に/してみる日暮れ」では三・四 / 四・三と音節が整えられていて、結句の着地の仕方が確かである。口語短歌の最大の問題は結句の文末表現の単調さにあり、実際に若い人の作る口語短歌は動詞の終止形(ル形)で終わる歌が多いのだが、toron*の作る歌は珍しくその弊から免れている。このことだけでも特筆すべきである。

 そしてtoron*の歌の最も大きな特徴にして最大の魅力は喩であることはまちがいない。そのことはあとがきで山田航も指摘している。多用されている直喩が単なるイメージの単純な衝突にとどまらず、もはや「変身」の域にまで達していると山田は書いている。「変身」とは、直喩によって喩えられた物に本当に変化しているという意味である。

 すでに見たように上に引いた歌にも喩がある。二首目ではラジオから流れる雑音が荒れ狂う海に、三首目では終電が閉じてゆくファスナーに、五首目ではペンの縦線が雨に喩えられている。山田はこのような喩が変身作用を発揮して、toron*の歌の世界をファンタジーに変えていると解説している。しかし私は喩が現実世界をファンタジーに変える装置というよりは、現実の彼方へと下ろす測鉛であり、それによってポエジーが立ち上げられているのではないかと感じるのである。

 よく知られているように、古典和歌は喩の宝庫だったが、子規による短歌革新運動によって「写生」が王道となったため喩は御法度となった。対象を正確に写生するのに喩は不要どころか邪魔になるとされたためである。喩を全面的に復活させたのは前衛短歌であり、なかんずく塚元邦雄は斬新な喩の持つイメージ喚起力を最大限に利用したことは周知の事実だ。

 短歌に限らず俳句においても詩においても、比喩はポエジーを作り出す有力な手段として使われている。たとえば松本たかしの代表句を見てみよう。

金魚大鱗夕焼の空の如きあり

 金魚鉢に一匹の大きな金魚が悠然と泳いでいる。鰭の大きなランチュウだろうか。金魚鉢も昔風の球形で、縁が切支丹バテレンの服の襟のように波打ったものだろう。球形の金魚鉢は凸レンズの働きをするので、中の金魚が実物よりも大きく見える。その様を西の空を真っ赤に染める夕焼けに喩えている。この句の眼目が「夕焼の空の如き」という直喩であることは言を待たない。アララギ派が喩を御法度としたのは歴史的に見れば例外的なことなのである。

 そのように詩や短歌にとって大事な比喩なのだが、その機能についてはあまり分析がなされていないように思う。例外は永田和宏で、第二歌論集『喩と読者』(而立書房、1986年)では第2章をまるまる比喩論に当てている。その中の「喩の蘇生」という文章で永田は「喩とは何か?」と問い掛けて、喩の効果について次のように書いている。

「これらの直喩の効果は、もともとは存在しなかった共通性を、作者の眼が独自に見つけだしてきて、それを、自分では決して直接に結びつけ得ない微妙さの中に架橋しようとしている・・・・・・・・ところにあると思われる」

 そして永田は次のように「能動的喩」を推奨する。

「世界が秘めている意味、潜在性として蔵している価値、それらを一回性のものとして剔抉してくれるような喩、それを私は、より巧みに表現するための喩と区別して〈能動的喩〉とでも呼びたいと思っている」

 「AのようなB」という直喩では、もともと遠い関係にあったAとBと結びつけるのだが、それは「お盆のような月」のような陳腐なものではだめで、作者の独自の目線が発見したものであり、それによって私たちの世界の見方が新しくなるような喩でなくてはならないと永田は述べているのである。それは確かにそのとおりなのだが、永田の文章でも比喩の機能が言い尽くされているとは言いがたい。詩や短歌に限らず私たちは日常の言葉でも比喩を使う。「錆び付いた鉄の扉を開けるような音がした」などと表現することもある。そもそもなぜ比喩は必要なのだろうか。

 私見によればその答は文化人類学者レヴィ=ストロースが提唱したブリコラージュ  (bricolage)という考え方にある。ブリコラージュ とはフランス語であり合わせの材料と工具でする日曜大工を意味する。レヴィ=ストロースはいわゆる未開民族の文化を詳細に分析して、彼らの文化の特徴をこの用語で特徴づけた。ブリコラージュ的思考では用途に合ったものを一から作るのではなく、身近にあるありあわせの物を利用して用を足す。重要なのは私たちが話している言語には、まさにこのブリコラージュ的な性質があるという点である。私たちが語ろうとする世界は無限に多様なのに、言語が提供する手段は有限だからである。

 例を挙げよう。人類は古くから航海していたので、船に関する語彙は豊富にある。しかし宇宙飛行はたかだか半世紀前に始まった新しい事態だ。このため宇宙飛行に関する語彙は、宇宙船 (space ship)、船長 (captain)、乗組員 (crew)、母船 (mother ship)など航海時代の語彙を転用している。古い語彙で新しい事態に対応する。これはまさしくブリコラージュである。フランス語で自動車の運転手はchauffeurという。これは蒸気機関の時代の釜炊きをさす語である。今のガソリンエンジン車ではもう石炭はくべないが、この語は「ボイラーを熱する」という元の意味を失い、乗り物を運転する人という意味に特化して生き延びた。ソムリエが曰く言い難い微妙なワインの味を表現するとき、その芳香を直接に表す語彙はないので、「苔とリンゴ酢の混ざったような香り」などと言い表すのも同じことだ。

 比喩が重要な働きをしているのはこのためである。初めて目にした光景や、心の中に湧き上がった経験したことのない感情に、既存の言葉を当てることができないとき比喩は輝く。例えば次の安永蕗子の歌の直喩がそうだろう。

つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が降り来る

 詩や短歌や俳句において比喩が重要な役割を果たしているのは、比喩が既知の現実の外部に拡がる広大な未知の領域に向かって垂らす測鉛だからである。toron*の歌において比喩はこのような働きをしているように思われる。

拳へと固めた指をひとつずつほぐしてやるよう百合根を洗う

その喉に青いビー玉ひと粒を隠して瓶はきっと少年

きみもまた降りるイメージで語るのか螺旋階段を死に喩えれば

何処にもない国の祈りの所作に似る石鹸で手を洗うそのたび

 たとえば一首目、なぜ百合根が握り締めた拳に見えたかたというと、作中の〈私〉が激しい怒りを感じる体験があったからである。ここではその体験を直接に語らず喩へと昇華している。二首目はラムネの瓶を詠んだ歌。近頃ではプラスチック製の瓶もあるが、ここは緑色に輝くガラス瓶と取りたい。ラムネ瓶の口に封入されているビー玉を少年の喉仏に喩えているのだ。そんな比喩は今まで見たことがない。三首目は比喩そのものを歌にしている。螺旋階段を人の死に喩えると、限りなく天上に上昇してゆくイメージもあるはずなのだが、君は他の人たちと同じように降りてゆくイメージで語るという。そこに一抹の落胆と諦念が感じられる。四首目はコロナ禍の日常を歌にしたもの。石鹸で手を洗う動作を祈りの所作に喩えることで、私たちの心に灯る祈りの気持ちを表現している。それぞれを言葉にすれば、怒り、青春性、諦念、祈りとなるのだが、歌はそのような既知の言葉では捉えることのできない明滅するような感情の襞を表現している。

 第32回歌壇賞の候補作となった「犬の目線」は、第4章に独立して収められている。冒頭に寺山修司の『地獄篇』がエピグラフとして付け加えられている。

雨だね、とざらつく点字を撫でているまだ眼の見えている子供たち

百匹の犬ひき連れている母が受け止めていたあたらしい雨

山折りを谷折りにして蝶になる。そうだろう、そんな眼に合わせたら

飲み干したデカビタの瓶、重たくていつか捨てたくなるのか犬を

 選考座談会では、東直子と水原紫苑が○を付けている。東は「犬の歌だけどピックアップしてみるといろんな読み方ができる」と評し、水原は「強烈なイメージと言葉の組み合わせがおもしろい」と述べている。一方、吉川宏志は「比喩を重ね塗りしすぎているところがありわからなくなっている歌がある」と言い、三枝昻之は「『犬』が必要だっだたろうか」と疑問を呈している。

 本歌集に収録された他の歌と明らかにテイストがちがう。思うにtoron*は歌壇賞に応募するために連作を作らねばならないと考えて、軸となる主題を立てようとしたのだろう。それが「犬」だったわけだが、あまり成功しているとは言い難い。toron*のように一首ごとに喩を入れることで歌の地平を拡大しようとする作風は、結果的に一首の屹立性が高くなり、一首ごとに新しい物語が立ち上がるので連作には不向きなのだ。他の章に収録された歌のほうが断然いい。

花びらがひとつ車内に落ちていて誰を乗せたの始発のメトロ

鯖味噌煮定食だったレシートが詩に変わりゆく古本のなか

ベツレヘム。生まれてきてから知ることの遅さで届くこの遠花火

やわらかく抗うひとを思い出す目地の通りに割れぬ板チョコ

青缶のニベアを仕舞うそうやって夏のいつかをまた思い出す

はつ雪と同じ目線で落ちてゆくGoogleマップを拡大させれば

ぼくよりも濃い夏がありタイトルの茶色に焼けた岩波文庫

 二首目のようにレシートを詩集の栞に使うとそれが詩に変わるという発想や、六首目のマップのズームインを雪の降下に喩えた喩は新鮮だ。三首目もいろいろな読み方ができるが不思議と魅力的な歌である。

 最後に老婆心ながらtoron*という筆名はあまりいただけない。性別もわからない無機的な筆名は歌の想像力を刺激しない。短歌はどんなに遠くへ放っても、最終的にはブーメランのように人へと戻ってゆくので、できれば実在性のある名前のほうがよいと思うのだがどうだろう。

【追記】

 『短歌研究』2023年11月号の山田航との対談でtoron*は筆名の由来を明かしている。プレステ用ゲームの「どこでもいっしょ」に登場する「井上トロ」というキャラが好きでそこから取ったという。アスタリスクを付けたのは単にかわいいと思ったかららしい。「ラドンの放射性同位体」などと的外れの推測をしてご本人に迷惑をかけたとしたらお詫びする。(2023年11月4日)


 

第323回 松野志保『われらの狩りの掟』

ガラス器の無数の傷を輝かすわが亡きのちの二月のひかり

松野志保『われらの狩りの掟』 

 第一歌集『モイラの裔』(2002年)、第二歌集『Too Young To Die』(2007年)に続く著者の第三歌集である。第二歌集から実に14年の歳月が流れているので、久々の歌集ということになる。そっけない散文的なタイトルが多い昨今の流れに逆らうように、ロマンチシズムに溢れた題名である。「われら」とは誰なのか、何を「狩る」のか、想像が膨らむ。ヘミングウェイが前もって何通りもの小説の題名を用意していたのは有名な話だが、作品のタイトルは重要である。歌集のタイトル論を一度書きたいくらいだ。

 ある人がどんな場所に立っているかは、現在いる場所だけを観察していてはわからない。以前どこにいたのか、そして今後どこに向かおうとしているのかという変化を見ることで、今いる場所がわかる。人の本質は変化の中にこそ顕現するという側面があるからである。

 松野の短歌と言えばBLと打てば響くように答が返って来そうなくらいだが、本歌集を一読してBLの香りが薄れていることに驚いた。第一歌集では自分を「ぼく」と呼ぶ少女とやおいの世界との関係の緊張感が歌集を一貫して流れていて、第二歌集ではそれが「二人の少年」の紡ぐ物語へと変化していた。『われらの狩りの掟』ではそのどちらも影を潜めているのだ。もっとも歌誌『月光』の2021年12月号の特集で、松野はインタヴュアーの大和志保に、今回のBLの元ネタは「戦国BASARA」と「テニスの王子様」と「ゴールデンカムイ」だと明かしているので、私がその方面に鈍くて気づかないだけかもしれない。しかし松野は同時に「メイン食材ではなく隠し味程度に入っている」とも語っているので、やはりBLの香りは前作に比べれば少なくなっているのだろう。とはいえ次のような歌に依然としてそれを感じる人はいるかもしれない。

盲いても構わなかった蝶が羽化するまでを君と見届けたなら

プールのあと髪を乾くにまかせてはまだ誰のものでもないふたり

死もかくのごとき甘さと言いながら口うつされる白い偽薬プラセボ

 本歌集を読みながらあらためて私が感じたのは、「自分の世界」を持っている歌人とそうでない歌人がいるということだ。「自分の世界」と言うとすぐ頭に浮かぶのは、塚本邦雄、井辻朱美、紀野恵、松平修文、といった歌人たちである。初期の黒瀬珂瀾を加えてもいいかもしれない。その世界の立ち上げ方はそれぞれ異なる。塚本は古今東西の文学や映画についての博覧強記と日本の古典への造詣によって、他の追随を許さない美の世界を創り上げた。井辻はファンタジー文学を梃子としてどこにもない世界を描いているし、紀野も古典に立脚しながらフムフムランドという架空の国を作って君臨している。松平は絵画的な幻想に満ちたしかしどこか懐かしい世界を密やかに紡いだ。初期の黒瀬が立ち上げた世界はサブカルを梃子としている。大まかに言うと、このような歌人たちは近代短歌のメインストリームである「写実」と「リアリズム」に背を向けた人たちである。

 一方、近代短歌のメインストリームの上質な部分が実現しようとしているのは、写実を通しての現実の更新だろう。

円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる

                  吉川宏志『青蝉』

石段の深きところは濡らさずに雨は過ぎたり夕山の雨

             吉川宏志『鳥の見しもの』

立ち読みをしているあいだ自転車にほそく積もりぬ二月の雪は        

 いささか古い例を持ち出して恐縮だが、こういう業の冴えで吉川の右に出る人はいない。「円形の和紙」は金魚すくいで使うポイだがそうとは言わず、「赤きひれ」というメトニミーで金魚を表す技巧もさることながら、この歌のポイントは、金魚が水中では濡れているように見えず、水から出て初めて濡れて見えるという発見である。同じことは石段の深い所までは濡らさず過ぎたということで驟雨の短さを表した二首目にも、雪が自転車のパイプの上部だけに細く積もっているという三首目にも言える。普段から見ている光景をこのように表現されると、いきなり焦点のピタリと合った眼鏡に掛け替えたように、目の前の現実が今までとは違ってみえる。これが「現実の更新」効果である。

 一方、「自分の世界を持っている人」がなぜ現実とは異なる世界を立ち上げるのかというと、その主な理由は端的に言って「浪漫を追い求める」ことにある。時に「浪漫」は「美」と置き換えてもよい。私たちが日常暮らしている日々にほぼ浪漫の影はない。唯一の例外は激しい恋である。浪漫を追究するためには、埃臭い現実を離脱して別の世界に行かなくてはならない。だから自分の世界を言葉によって立ち上げることになる。

 前置きが長くなったが、松野はもちろん自分の世界を持っている歌人である。松野は本歌集のあとがきに、「私にとっての短歌とはずっと、失われたもの、決して手に入らないものへの思いを注ぎ込む器だった」と書いている。決して手に入らないものの代表格は絶対的な愛への希求である。それに手が届かなければ届かないほど、遠くにあればあるほどそれは激しく美しく輝く。松野がやおいやBLに傾倒するのは、やおいやBLが描く世界が、女性である松野にとって決して手の届かないものだからに他ならない。

日蝕を見上げたかたちで石となる騎士と従者と路傍の犬と

武器を持つ者すべからく紺青に爪を塗れとのお触れが届く

革命を遂げてそののち内裏には右近のからたち左近の柘榴

荒天に釘ひとつ打つ帰らざる死者の上着をかけておくため

アストンマーティン大破しておりその窓にかこち顔なる月をうつして

 松野が描く世界の特徴は、どこの国かいつの時代かがまったくわからないという点にある。たとえば一首目では騎士と従者が登場するがもちろん現代にそんな者はいない。二首目は戒厳令か武装蜂起を彷彿とさせる歌だが、これもどこの国かわからない。三首目に到っては内裏と右近・左近が出てくるので日本のことかと思うと、配されているのは桜と橘ではなくからたちと柘榴である。歌の中に散りばめられているアイテムは現実に対応するのではなく、かといって単なる心象風景を描くためのピースでもなく、思う存分浪漫を注ぎ込める世界を押し上げるために使われているのだ。その意味ではこのメソッドはRPG的想像力と姉妹関係にあると言えるかもしれない。

巻き戻すビデオグラムに抱擁は下から上へと降る花の中

さきの世のついの景色かゆらめいて水の下より見る花筏

 しかしどこの国のどの時代かわからないアイテムを積み重ねても、単純に異世界が現出するわけではない。そこには一定の工夫が必要である。その工夫のひとつは視点の転換である。たとえば一首目では、ビデオの録画を巻き戻すと、降り散る桜の花びらが下から上に向かって降っているように見えると詠われている。それはいわば時間を巻き戻しているのと同じことである。二首目ではふつう上から眺める花筏を水中から仰ぎ見るという視点の転換が衝撃的だ。作中主体が潜水しているわけではなく、おそらくエヴァレット・ミレ描くオフィーリアのように土左衛門になって流されているのである。

ウェルニッケに火を放てそののちの焦土をわれらはるばると征く

わだつみの岸にこの身を在らしめて針のごとくに降り注ぐ雪

この掌のつぶての無力ほろほろとアイスクリームの上のアラザン

 一首目は歌集の帯に印刷されている歌である。ウェルニッケ野とは大脳左半球にあり言語理解を司る部位のこと。そこに火を放つとは、この世に溢れている無意味な言葉を焼き尽くせということだろう。そうして焦土と化した原野にこそ新しい詩の言葉は生まれるという覚悟の表明である。とは言うものの作者は自らの言葉の無力さも自覚している。三首目にあるように、自分が投げつける言葉の礫は非力で、氷菓の上に散らされたアラザンのようなものだと慨嘆するのである。

 本歌集を読んで「おやっ」と思ったのは、第2部冒頭の「放蕩娘の帰還」である。

絶えるともさして惜しくもない家の門前に熟れ過ぎた柘榴が

ピンヒールのブーツで萩と玉砂利を踏みしめ帰る また去るために

井戸水にひたせば銀を帯びる梨捨てたいほどの思い出もなく

秋茄子がほどよく漬かるころ祖母の遺言状に話は及び

午後の日に背を向けて座す伯母たちの足袋はつか汚れつつあり

 どうやら作中の〈私〉は、祖母が亡くなり遺産の分配を相談する親族会議のために、長年足を向けることのなかった故郷の生家に戻って来ているらしい。ここには異世界を立ち上げるアイテムはなく、松野の短歌にはかつてないほど現実に接近している。詠まれている内容はもちろん虚構だとしても、山梨県の甲府で少女時代を過ごし、大学に進学してここを出て行きたいと切望していた過去の自分がどこか投影されていることはまちがいない。

 『月光』2021年12月号の特集を読んで、松野の卒論が森茉莉だったと知ってなるほどと得心した。また短歌を始めたきっかけが雑誌『MOE』で林あまりが選歌を担当していた短歌投稿コーナーだとも語られていた。『MOE』からは東直子も世に出ているし、穂村弘のデビューにも林あまりが深く関わっていたのだから、今の短歌シーンにとって林の果たした役割は加藤治郎と並んで大きかったのだとあらためて思った次第である。

第322回 鈴木晴香『心がめあて』

桜花コンクリートに溶けてゆくひとひらにひとひらのまぼろし

鈴木晴香『心がめあて』

 桜の花びらがコンクリートの土台か何かに散っているのだから、季節は晩春である。風が吹くと花びらはいっせいに散る。コンクリートに散った花びらは、やがて雨に打たれて色と形をなくす。歌の中の〈私〉は、色褪せて形をなくした花びらの一枚一枚に花の盛りの幻を見る。惜春の歌であると同時に、失われてゆくものたちを惜しむ歌である。下句の「ひとひらひと/ひらのまぼろし」が句跨がりになっていて、「ひとひら」の反復がリフレインのように散り続ける桜の音的メタファーになっている。散る桜を詠んだ歌は数多いが、その中でも印象に残る歌だ。

 鈴木晴香は1982年生まれ。穂村弘が選句をする雑誌「ダ・ヴインチ」の投稿をきっかけに作歌を始めたという。全3巻の『短歌ください』としてまとめられたこの投稿欄は多くの歌人を生み出した。第一歌集の『夜にあやまってくれ』は2016年に書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻として上梓された。『心がめあて』は2021年に出た第二歌集である。鈴木は一時フランスに在住し、パリ短歌会でも活動していたようだ。現在は「塔」の編集委員、「西瓜」の同人で、京都大学芸術と科学リエゾンユニットのメンバーだという。リエゾンとはフランス語で「つながり、連結」という意味。

 さっそく何首かランダムに引いてみよう。

まだ君と出会わなかったいくつかの冬に張られていた規制線

思うよりずっと遠くにあるのかもしれない雨の流れ着く先

誰ひとり未来の記憶を持たないでラストオーダー訪れている

初夏も遅夏もずっと閉じているショコラトリーから始まる九区

ブランコに坐って君を待っている天動説が新しい夜

 一首目の「君」は現実の、あるいは仮想の恋人だろう。君と出会う前の私の住む世界には規制線が張られていたという。規制線とは警察が立ち入り禁止の区域を示すために張り巡らせる黄色のテープのこと。これは〈私〉の心を縛り動けなくするものの喩だろう。〈私〉は「君」と出会うことで規制線から自由になったのだ。この歌にも「冬に張られて/いた規制線」という句跨がりがある。二首目、降った雨は地下に染み込み、排水路を通って川に流れ、やがては海に注ぐ。その行程は思ったより遠いものかもしれないという歌。字面通りに読んでもよいし、歌全体が短歌的喩だと読んでもよい。三首目、未来は字のごとくに未だ来ざるものだから、誰もそんな記憶は持っていない、ファミレスの座席に坐って飲食をしている私たちは、一瞬先すら見えない時間というジェットコースターに乗り合わせている乗客のようなものだ。そして気がつけば閉店の時刻が迫り、ラストオーダーを頼まなくてはならない。四首目はパリの歌。9区とはパリの右岸でガルニエ設計の旧オペラ座がある地区である。ショコラトリーとはチョコレート屋のことで、夏の間は店を閉めているところが多い。パリは緯度で言うと樺太くらいなので、夏でも30度を超すことは滅多にないが、それでも気温が高いのと、主要な客である富裕層がヴァカンスでパリから居なくなるためである。季節感と風物がうまく取り入れられた歌となっている。五首目、人気のない夜の児童公園でブランコに乗って「君」を待っている。恋人を待つ心は躍り、自分がいるこの地球が宇宙の中心だと感じられる。恋は地動説すら否定するのである。

 「ダ・ヴインチ」の投稿欄やインターネットで短歌を始めた人たちの短歌には、いくつか共通する特徴がある。その一つ目は短歌を自分の心を盛る器と見なしている点だ。鈴木もその例外ではなく、自らの淋しい心、悲しい心、嬉しい心を歌にしている場合が多い。俵万智も『短歌をよむ』(岩波新書、1993)で、「短歌を詠むはじめの第一歩は、心の『揺れ』だと思う。どんな小さなことでもいい、何かしら『あっ』と感じる気持ち。その『あっ』が種になって歌は生まれてくる」(p. 86)と書いているのだから、そう考えている人は多いだろう。ただし公平を期するために付け加えておくと、俵は心の揺れが種となると言っているだけで、そこから短歌が生まれるまでには長い距離がある。「あっ」をポエジーに昇華させるには技術が必要なのは言うまでもない。それがアート (art) というものだ。

 もうひとつの特徴は、近現代の短歌史から切れていることである。明治に始まる近代短歌やそれに続く現代短歌を読み、それを踏まえて自分の歌を作るということがほとんどない。近現代短歌運動は先行する世代の否定から始まる。「あんな歌はだめだ、私たちは新しい歌を作る」という運動が、モダニズム短歌や口語短歌や前衛短歌やニューウェーヴ短歌を生み出した。しかるに「ダ・ヴインチ」の投稿欄やインターネットで短歌を作る人たちには、先行世代の否定という考えはおそらくない。歌は個人消費されるに留まるのである。

 断っておくがそれが悪いことだと言っているわけではない。短歌観は多様であってよいし、人には人それぞれの短歌との接し方がある。だからそのようなものとして読むということに尽きる。

ハイウェイの入り口かもしれない道を黙って進むときのアクセル

思い出は増えるというより重なってどのドアもどの鍵でも開く

薄闇に向かって開いている扉うまれてきた日を覚えていない

雨の日のロストバゲッジほんとうのところ失われたのはわたし

 通読すると収録されている歌で最も多いのは、相手(君)に心が届かない、あるいは心がすれ違うという歌群で、その次に目に付くのは上に引いたように、自分が進むべき道を迷っているという歌群である。一首目ではさしかかった道が高速道路なのか自信が持てないのにアクセルを踏み込んでいる。二首目では誰かと過ごした日々がそれぞれ別の部屋のように記憶の中に保存されている。三首目では薄闇に向かって開いている扉がどこに続くドアなのかがわからない。それは誕生の記憶の欠落と対をなしているかのようだ。四首目は空港でスーツケースが行方不明になったのだが、実はロストなのは自分ではないかと顧みている。

奪うほどではない。冬の路上には麻酔の効いているような風

逆上がりもう永遠にしないだろう手のひらにまだ鉄の匂いが

小説を抱いたままで眠り込む白鳥を胸に乗せるかたちで

もうしばらく来ない世紀末のことを思うとき巡ってくる警備員

燃え尽きるまでが花火であるためにわたしたち青い夜の引き際

貯水池が雨を静かに受け入れるはじめからひとつだったみたいに

チョコレイト眠る冷蔵庫の中に贖罪のように白い牛乳

自転車は鉄パイプだと思うときその空洞に満ちてゆく海

記憶から滅んでゆくね指よりも多いアルファベットに触れて

 特に印象に残った歌を引いた。とりわけ八首目「自転車は」では幻想の中で自転車のパイプの中に満ちる海が美しい。九首目の「記憶から」は、アルファベットに象徴される文字を獲得したヒトという種の悲しみを詠んだ歌である。無文字社会の人たちは驚くほど記憶力がよいという。文字を得ると書き留めておけば忘れてもかまわないため、文字と引き替えに私たちは記憶力を失った。こういう主題を詠んだ歌は珍しいので注目される。

 最後に第一歌集『夜にあやまってくれ』から秀歌を一首引いておこう。

自転車の後ろに乗ってこの街の右側だけを知っていた夏

 

第321回 横山未来子『とく来たりませ』

夕風のいでたる庭を丈たかき百合揺れてをり花の重みに

横山未来子『とく来たりませ』

 次の歌集の出版が待ち遠しく、出たらすぐに読む歌人が何人かいる。横山未来子は私にとってはそんな歌人の一人だ。横山ほど短歌を読む喜びを感じさせてくれる歌人はそうはいない。第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(1998年)、第二歌集『水をひらく手』(2003年)、第三歌集『花の線描』(2007年)、第四歌集『金の雨』(2012年)、短歌日記の『午後の蝶』(2015年)、すべて読んだ。『とく来たりませ』は2021年に上梓された第五歌集である。歌集タイトルは、メシアの出現を待ち望む賛美歌から採られている。「とく」は「疾く」、つまり「早く」のこと。

 『樹下のひとりの眠りのために』について書いたコラムで私は「時間の重み」をキーワードのひとつとして挙げた。本歌集にもそれは依然として感じられるものの、一読して脳裏に浮かんだ言葉は「恩寵」である。本歌集には一首だけその言葉が使われた歌がある。

かなしみはかなしみのまま透明なる恩寵の降る木の間をゆけり

 恩寵とは神が人間に与える無償の愛であり、キリスト者である横山にとっては特別な意味を持つ言葉だろう。恩寵は天からあまねく降り注ぐものであるが、たとえば掲出歌を見てもそれが感じられる。掲出歌は一見すると単なる叙景歌である。「夕風」で時間がわかり、「庭」で場所が知れる。自宅の庭に咲く百合の花が夕方の風に揺れているという光景を詠った歌である。しかしそれは歌の表面的な意味にすぎない。叙景の裏側に隠れている意味は、「かく在ることの重み」であり、「かく在ることの有り難さ」である。ここで「有り難さ」というのは、存在することが難しく稀だという元の意味で使っている。〈私〉が今ここに居て、庭の百合の花が風に揺れているのを眺めていることが奇跡であり恩寵なのだ。

 思えばそれは近代短歌・現代短歌が手を変え品を変えて表現しようとしてきたものかも知れない。それは「一期一会」と呼ばれることもあり、穂村弘はそれを「生の一回性の原理」と呼んだ(『短歌の友人』所収の「モードの多様化について」)。それは誰も人生は一度しか生きられないという当たり前のことではなく、たとえ尾羽うち枯らして落魄していようが病の床に伏せっていようが、〈私〉が今ここに在るという瞬間の輝きは失せることがないというほどの意味である。掲出歌に限らず横山のどの歌からも濃厚に感じられるのは、この意味での「生の一回性」であり、今かく在ることの有り難さである。

水に触るるごとくにかをりにふれて見る薄日のなかの梔子の白

柘榴六つすべて色づきたるを見ぬ今年の秋にわれは立ち会ひ

去年の実の黒きをあまた垂らしをりあたらしき香の花のあはひに

三輪草群れゐるあたりゆるやかにみひらくごとく届く陽のあり

八月の夕ぐれの風ひろがりて蜘蛛の巣とほそき蜘蛛をあふりぬ

 本歌集に収録された歌のほぼすべてが叙景歌なのだが、上に述べたようなことが的を射ているのならば、横山の歌は何を描いていようとも「今かく在ることの有り難さ」という根源的な主題の変奏曲だとも見なすことができよう。『現代短歌100人20首』(邑書林、2001年)に短歌が収録された折に、編集委員の求めに応じて答えた「作歌の信条」に、「言葉の持つ力を活かしながら、生を基盤とした歌を作っていきたい」と横山は書いているので、あながち的外れとも思えないのである。

 とはいうものの根源的な主題を歌に変えるにはそれなりの技法と手腕が必要である。たとえば一首目、梔子の強い香りが漂って来る。それを「水に触るるごとくにかをりにふれて」と表現していてうっとりする。二首目は庭にある柘榴の木になった実がすべて紅く熟したという歌で、ポイントは「今年の秋」にある。三首目は今年咲いた花の間に去年実った実が残っているという歌で、ここにも流れる時間意識が表れている。四首目も美しい歌で、三輪草の群れるあたりに照る日光はそのまま恩寵である。

 本歌集を通読して改めて感じたのは、微細なことに気づく横山の感覚の鋭敏さである。それはたとえば次のような歌に感じられる。

卓を垂るる檸檬の皮のゑがかれて螺旋の内にひかり保たる

かすかなる音を聞きたり紙にあたり折りかへさるる穂先の跡に

テーブルの日差しは本をのぼりきて紙にありたる肌理をうかべぬ

ひとの靴のありにしあたりまはりたる風のかたちに枯葉のこりぬ

 一首目はおそらく展覧会で見たフランドル派の写実的な静物画だろう。銀色のナイフで剥かれたレモンの皮が螺旋形に垂れているのだが、その皮の内側に光が宿っているところに注目している。二首目は書の展覧会を見た折の歌で、筆の穂先が紙に当たるかすかな音がまるで聞こえるようだと詠っている。三首目は午後の陽が傾いてテーブルに開いた本にまで届くと、紙の表面の微細な凹凸が影を得て顕わになるという歌。四首目は庭先に訪問客の靴が脱いでおかれていたのだろう。もう客は帰ったので靴はないが、靴のあったあたりだけ枯葉が落ちていないという歌である。何かがあることに気づく歌は多いが、この歌のように何かがないことに気づくのは存外難しいことだ。これらの歌の描写の微細さは、「昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつあり」と詠った幻視の女王葛原妙子を思わせるものがある。

 もうひとつ留意すきべきなのは、多くの叙景歌において歌中の視点主体の位置が明確だという点である。

肩で傘ささへてあゆむをさな子の後ろをゆけば傘の柄見ゆ

ゆふぐれは窓よりにじみゆふぐれを歩みてをらむ人をおもはす

座席よりあふぎてゐたり組みあはむとする両の手のごとき並木を

父親のせなに眠れるをさなごの靴の片方脱げゐるが見ゆ

褐色に朽ちたる花もかかげつつ幹ふとき木はわれを仰がしむ

 一首目、前を歩いている子供には傘が重すぎるので肩で支えている。すると傘が後ろに傾ぐので、傘の布面に描かれた図柄がよく見えるという歌。子供の後ろを歩く〈私〉の位置が明確である。二首目は室内にいて窓の外を眺めている歌。「ゆふぐれ」がルフランのように反復されて効果的だ。三首目では「座席よりあふぎて」によって、〈私〉が自動車の座席に坐っており、窓かルーフウィンドウを通して外を眺めていることがはっきりわかる。四首目では父親の背に負われて眠っている幼児を背後から見ているのである。五首目では結句の「われを仰がしむ」によって〈私〉が大樹の根方にいることがわかる。近年、視点主体の位置取りがわからない歌が増えたように感じるが、横山の歌ではたいてい視点主体の位置がはっきりとわかる。

 思えば明治期の短歌革新運動で、短歌が「自我の詩」と規定されたことにより、歌の中に〈私〉が入り込んだ。それと平行的に歌の主体の不動の視点が制度化されていく。このような経緯を考えると、横山の短歌は近代短歌が制度化した技法をいまだ忠実に守っている例と捉えられるかもしれない。そのためもあってか、横山が1996年に「啓かるる夏」で短歌研究新人賞を受賞したとき、選考委員の塚本邦雄に「隔靴掻痒の感がある」と評され、他の選考委員からも「新しさがない」と言われたという。新人賞では従来の短歌にはない新しさが求められることが多いので、近代短歌の王道を行くような横山の歌は新人にしてはおとなしすぎると感じられたのかもしれない。しかしながら、「新しさ」が本当に必要な美質なのかは一考の余地があろう。

 いつものように特に心に残った歌を挙げておく。

枯芝にまじるひらたき雑草に影ありてわが影につながる

アルミ箔破らむときに手にひびくあかるさとして星は死にたり

外光のふかく入る頃わがまへに置かれたる白きカフェオレボウル

滅びむとする夏としてことごとく雨に項垂るるしろき百合あり

丈ひくき草に入りたるしじみ蝶薄暮のいろの翅を閉ざしぬ

口あけたる無花果の蟻の這ふ日ぐれほろびへ向かふもののこゑせり

花のひかり落つる水面をすすみゆく水鳥に花の冷えは移らむ

木の下の落ち葉は雨にぬれずあり濡るるものよりしろき色にて

 最後の「木の下の」の歌などは、巧者吉川宏志を彷彿とさせるような発見の歌である。四首目「丈ひくき」の「薄暮のいろ」もなかなかに美しい。私が最も「恩寵」を感じ、本歌集を代表するような歌と思ったのは次の歌である。

充ちながらそこにあるべき木木のもとへ運ばむとせりけふのいのちを

 「そこにあるべき」と詠われているのだから、「そこにあるにちがいない」あるいは「そこになくてはならない」木は、今はまだそこにないのである。それは今ここに在ることに充ちている木であり、その木は自らのあるべき姿の喩として屹立している。〈私〉はそんな幻視の木に向かって今日も命を運ぶのである。


 

角川『短歌』12月号歌壇時評 短歌評論賞と書評賞

 今月の歌壇時評はまずこの話題から始めるのが順当だろう。小野田光が「短歌研究」の現代短歌評論賞と、「現代短歌」のBR賞をダブル受賞したことである。二〇〇九年に山田航が「夏の曲馬団」で角川短歌賞を、「樹木を詠むという思想」で現代短歌評論賞を受賞し、ダブル受賞となって話題になった。山田の場合は、短歌実作と評論という組み合わせだが、小野田は書評と評論のダブルというところがユニークだ。

 小野田は一九七四年生まれで「かばん」に所属しており、『蝶は地下鉄をぬけて』(書肆侃侃房、二〇一八)という歌集がある。歌集からいくつか歌を引いてみよう。

マリリンの巻き毛みたいなかつ節の光に満ちている乾物屋

シリウスに照らされながら裏門の守衛はそっとのど飴とかす 

 まず「短歌研究」の現代短歌評論賞の方から見てみよう。与えられた課題は「私性再論」である。近現代短歌の世界で私性は何度も繰り返し論じられた重要なテーマである。それは明治時代の近代短歌の成立において、短歌が「〈私〉の詩」、つまり一人称の詩型と定められたからに他ならない。このように幾度となく論じられたテーマについて評論を書く場合には、ユニークな視点が求められるだけに難しい課題である。小野田は昨年も「短歌のあたらしい責任」という課題に、「匿名化する二十一世紀の〈私〉たち」という評論で応募して候補作IIに選ばれており、二度目の挑戦で受賞したことになる。

 小野田が受賞した評論は「SNS時代の私性とリアリズム」と題されたものである。小野田はこの評論で、作中の主体を〈私〉、生身の作者と〈私〉がイコールで結ばれる場合を【私】と表記し分けている。私性をめぐる議論では、「私」と書いたとき、それが何を指しているかを明確にする必要があり、適切な配慮だろう。ちなみに大辻隆弘は『近代短歌の範型』(六花書林、二〇一五)所収の「三つの『私』」という文章の中で、「一首の背後に感じられる『私』」、「連作・歌集の背後に感じられる『私』」、「現実の生を生きる生身の『私』」と、「私」を三通りに分けることを提案している(初出は「短歌研究」二〇一四年十一月号)。また福沢将樹『ナラトロジーの言語学』(ひつじ書房、二〇一五)では、実に九層に及ぶ「私」の細かい分類が提唱されている。何通りに区別すべきかはひとまず措くとして、共通しているのは、もはや「私」は一枚岩のようなひとつの存在ではなく、多層化したものとして捉えなくてはならないという認識であることはまちがいない。

 小野田の評論の主旨は、SNSの普及によって「私」のキャラクター化が可視化している現代では、【私】の表現は成立しにくくなり、明治以来の【私】を前提とするリアリズムも変化を余儀なくされているというものである。しかしながら、昔からずっと変わらず作中主体の〈私〉イコール【私】であったわけではなく、『サラダ記念日』のサラダが実は鶏の唐揚げだったというような「演出」は常にあったとしながらも、近年は【私】のキャラクター化が進行しているとする。現代の歌人は演出やキャラクター化を前提として歌を作っているように見えるが、「個人を場に合わせる演出」を施すことによって、新しいリアリズムを志向している人もいる。また【私】を前面に出すことによって、作者個人の情報が露出することを嫌う人も出ている。事実がそこにある限りリアリズム表現は存在し、また【私】も存在し続けることになり、変化しつつも短歌で【私】が滅亡することはないと小野田は締めくくっている。

 次席に選ばれたのは早稲田短歌会の髙良真実の「私性・リアリズムの袋小路を越えて」であった。髙良は昨年の現代短歌評論賞では候補作IIになっており、一昨年は候補作Iに選ばれている。今年の評論では、リアリティへの希求が事実性への希求にすり替わるのはなぜかという問を中心に論じている。髙良は二〇〇〇年代以降の新たなリアリズムもいずれ袋小路に陥るという見通しを最後に示しており、短歌が続く限り【私】が滅亡することはないとする小野田の結論と対照的である。

 候補作に選ばれたのは柴田悠の「〈私〉をめぐる遠近法」であった。柴田はベンヤミンの芸術論を援用して、現代短歌の〈私〉を論じたようだが、抄録のため割愛された部分が多く、論旨を読み取ることができないのが残念だ。

 選考座談会は要約掲載されている。小野田だけが最高評価のAをふたつ取っているので、順当な結果だろう。最終候補に残った栁澤有一郎と桑原憂太郎は昨年も候補作Iに選ばれているので、残念な結果となった。現代短歌評論賞には複数回チャレンジする人が多いようだ。

    *     *     *

 さて、「現代短歌」の主催するBR賞である。BRはBook Reviewの頭文字を取ったもので「書評」を意味する。手許にある「現代短歌」二〇二〇年一月号の裏表紙にBR賞創設の趣意書が手紙の体裁を取って掲載されている。曰く、歌集を読むのは孤独なたましひとの交感のためであり、歌集の価値は作者から読者への、消費されることのない贈与にあるという。しかるに近頃の書評はまるで大売り出しの散らしのコピイのようである。書評欄にもっと紙数を割き、書評が読み捨てられないようにするために、書評に特化した賞を設けるという意味のことが記されている。署名は千歳橋渉となっているが、無論筆名であろう。千歳橋という名の橋は全国にいくつかあり、修学院離宮の庭に架かる橋もこの名である。

 書評を対象とする賞は珍しい。書評とは何か。広辞苑には、書物の内容を批評・紹介する文章とある。日本の新聞にはたいてい読書欄があり、週一度の頻度で掲載される。その内容はおおかた人文書と文学書の新刊案内である。また短歌総合誌にも新刊の歌集・歌書の紹介欄が設けてあり、書評欄と称しているものもある。それなのに、なぜわざわざ新たに書評を対象とする賞を設ける必要があるのだろうか。時評子の私見では、そこにはふたつの理由があるように思われる。

 その第一は、世に流通している書評には「仲間褒め」が多いことである。権威ある大学に在籍する研究者が、同じ大学に所属する友人の書いた本を持ち上げて紹介することがよくある。これでは書評に公平な判断と客観性が欠けることになり、信頼性が失われてしまう。イギリスのTimes Literary Supplement(タイムズ紙文芸付録)のように権威ある書評紙は、そのようなことがないために信頼されているのである。

 その第二は短歌の世界に特有の事情かもしれないが、作者と読者の外延がほぼ一致していることである。時評子のような例外を除くと、歌集を読む人は短歌を作る人に限られる。小説の場合はそうではない。小説を読む読者の大多数は、自分では小説など書かない人である。したがって小説の書評は、読むことによって読書の悦びを享受したいと願っている人を目当てに書かれる。読んだ人を書店に走らせるのがよい書評だと丸谷才一が言ったと伝えられているが、その言はこのような事情を背景としているのである。

 しかるに短歌の世界では作る人イコール読む人という図式が成立しているために、いきおい友人・知人の歌集を書評することになる。結社の先輩歌人が後輩の新人の歌集の書評を書くこともあるかもしれない。閉じられた歌壇の内部でのみ書評が流通することの意味を疑問視する人もいるだろう。

 さらに考えるならば、歌集はほぼ贈呈によって人の手に渡るので、小説のように書評を読んで書店に走るということは考えにくい。ならば書評を対象とする賞を設ける目的が奈辺にあるかは、一考を要する問題である。「現代短歌」のBR賞は、歌集の書評はいかにあるべきかを炙り出した興味深い試みとなっている。

 第一回BR賞の結果は「現代短歌」二〇二〇年十一月号に発表されているが、結果は該当作なしであった。そのため得点の多かった順に上位七本の書評が佳作として全文掲載されている。選考委員の内山晶太、江戸雪、加藤英彦、染野太朗による選考座談会が実に興味深い。四人の選考委員が高得点を与えた書評が、まっぷたつに分かれたのである。内山と江戸が最高得点の五点を入れた書評に、加藤と染野は点を入れなかった。一方、内山と江戸が無得点とした書評に、加藤は最高点を入れ、染野も三点を与えている。

 江戸は自身が推したひとつ目の候補作は、エッセイ風の書きぶりで、自分なりの読みを展開したのがよかったとする。同じ書評について内山は、確かにこの筆者は何も言っていないところがあるが、作品を自分が乗っ取らない距離を保とうとしている点が評価できるとしている。同じ書評について、染野は読者を思考停止に陥らせているとし、加藤は読者が歌集の全体像をまったくイメージすることができないとして低い評価である。

 なぜこのように対照的な評価が生まれるのか。それは銘々の「書評とは何か」という考え方が分散しているためだろう。「現代短歌」の同じ号に、「よい書評とは」という編集部の求めに応じて寄稿した詩人・批評家の添田馨は、書評は読書感想文でもなければ書籍解説文でもないと断じている。読書感想文とは、〝私〟が読書をとおして得たところを主観的に述べたもので、書籍解説文は〝私〟の主観を極力消して本の客観的特徴を述べたものだとする。私を出しすぎることも消しすぎることもなく、主観性と客観性をほどよく担保するのがよい書評だというのが添田の意見である。しかしもしそうだとすると、この「ほどよく」という部分に大いに匙加減の働く余地があり、どのような文章をよい書評と見なすかにぶれと幅が出ることになる。四人の選考委員の評価がまっぷたつに割れたのはそのためだろう。

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 第二回のBR賞の選考結果は、「現代短歌」二〇二一年十一月号に掲載されている。全部で四十七本の応募があり、そのうち十九本が予選を通過して選考に付された。選考の結果、小野田光が北山あさひの『崖にて』を書評した「単純ではない日々にて」が受賞作となった。『崖にて』は、日本歌人クラブ新人賞と現代歌人協会賞をダブル受賞した歌集で、今回の予選通過作にはこの歌集を書評したものが三本あった。

 第一回に引き続き今回も選考会議は難航した様子だ。江戸と加藤は小野田の書評に最高点の五点を入れたが、染野と内山は無得点としたからである。選考会議では丁々発止のやり取りが長時間続いたが、染野と内山が最高点を入れた書評が割れていたこともあって、最終的に小野田が受賞ということで落ち着いた。川野芽生の『Lilith』を書評した岸本瞳の「『非在の森』へ」と、『崖にて』を取り上げた乾遥香の「北・山」が次席に選ばれている。乾は第一回のBR賞でも𠮷田恭大の『光と私語』を論じた書評で最高点を獲得しているので、今回も残念な結果となった。

 BR賞が歌集の書評の質の向上に資するかどうかは今後の同賞の推移を見なくてはならないだろう。特に歌集の新刊紹介と書評がどうちがうかは、同賞に挑戦する人が身をもって示す必要がありそうだ。

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 今年の短歌研究新人賞はまひる野とヘペレの会に所属する塚田千束が「窓も天命」で受賞した。

われらみなさびしき島だ名を知らずたがいにひとみの灯をゆらしつつ

ホーローの容器に蒸し鶏ねむらせて死とはだれかをよこたえること

腕重くはらいのけずに窮屈とつぶやけばひび入る花瓶に

 塚田は旭川の病院に勤務する医師である。患者の死と向き合う仕事の厳しさも歌に詠まれているが、それだけではなく、一人の人間として生きる毎日に覚える違和感や焦燥感などが、よく選ばれた喩や修辞によって表現されている。塚田は第二回のBR賞にも応募して受賞を逃しており、江戸の敵を長崎でという結果となった。

 ちなみに短歌研究新人賞の応募締め切りが次回から一月末日に変更され、受賞作は七月号に発表されることになった。準備期間が短くなって慌てる人もいるかもしれない。「短歌研究」九月号の巻末にひっそりとお知らせが掲載されているだけなので、老婆心ながら見落とす人が出ないか少し心配だ。

 また今年の角川短歌賞は受賞作なしとの結果が発表された。受賞作なしは同賞の歴史では一九七五年以来なので、実に四十六年ぶりのことである。一九七五年といえば、南ベトナムが陥落しベトナム戦争が終結した年だから、もう歴史の彼方と言ってもよい。本稿を書いている時点ではまだ角川『短歌』十一月号は発売されていないので、どのような選考の経緯があったのかはわからない。

 第二回の塚本邦雄賞では、高木佳子の『玄牝』と並んで永井祐の『広い世界と2や8や7』が受賞した。選考会議にオブザーバーとして参加した塚本靑史が、最初の点数集計で一番だったものが落選し、最下位だったものが受賞したと明かしている。おそらく一番だったのは小島なおの第三歌集『展開図』で、最下位だったのが『広い世界と2や8や7』だろう。選考委員会での穂村弘の推薦の弁に、他の委員が耳を傾けた結果である。

 永井の受賞は大きな出来事である。永井が短歌シーンに登場したときには、「トホホな歌」、「ユルい歌」とずいぶん叩かれた。穂村らの援護射撃もあって、永井が短歌で何をめざしているのかが少しずつ理解されるようになったと言える。それより重要なのは、短歌を読む人の脳にある受信機が、永井の歌にチューニングを合わせ始めたことである。歌をめぐる時代の感性は今まさにシフトしつつあるのかもしれない。

 

【訂正とお詫び】

 雑誌版の『短歌』12月号に掲載された歌壇時評では、現代短歌評論賞で候補作に選ばれた柴田悠さんは京都大学人間・環境学研究科の准教授であると書きましたが、これは同姓同名の別の方と取り違えた間違いでした。ここに訂正しお詫びいたします。

第320回 堀田季何『人類の午後』

義眼にしか映らぬ兵士花めぐり

堀田季何『人類の午後』

 邑書林から昨年 (2021年) の8月に刊行された堀田の句集『人類の午後』が俳句の世界で評判になっているという。同時に『星貌』という句集も刊行されているが、『星貌』は第三詩歌集、『人類の午後』は第四詩歌集と銘打たれている。『星貌』には付録として「亞刺比亞」という句集が収録されている。著者の解題によると「亞刺比亞」は、日本語・英語・アラビア語の対訳句集としてアラブ首長国連邦の出版社から2016年に刊行した第二詩歌集であり、『星貌』に収録されているのはその日本語の原句だという。すると本コラムでも取り上げた歌集『惑亂』(2015年) は第一詩歌集ということになる。

 『惑亂』のプロフィールでは堀田は春日井建最後の弟子で、中部「短歌」同人となっていたが、『人類の午後』のプロフィールでは「吟遊」「澤」の同人を経て、現在は「樂園」を主宰しており、現代俳句協会幹事という肩書まで持っているという。いつの間にか句誌を主宰していて、どうやら現在は短歌ではなく俳句を中心に活動しているらしい。おまけに「樂園」は有季・無季・自由律何でもありで、日本語の他に英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語などでも投句可能だという。幼少より外国で暮らし、他言語話者である堀田ならではの自由さだ。

 句集題名の『人類の午後』からは、ブライアン・オールディスのSF小説『地球の長い午後』(1962) が連想される。舞台は太陽が終末期を迎え、自転が停止した未来の地球である。太陽を向いた半球は熱帯、その裏側は極寒となり、人類の子孫たちは巨大化した植物や昆虫に怯えながら暮らしているという黙示録的な設定である。堀田の句集もまた、決して明るいとは言えない人類の未来を幻視しようとしているかのように思われる。

 跋文で堀田は次のように書いている。「句集全體は、古の時より永久に變はらぬ人間の様々なさが及び現代を生きる人間の懊悩と安全保障といふ不易流行が軸になつてゐる。」古代より変わらない人間の性とは「愚かさ」であろう。また次のようにも書いている。「時間も空間も越えて、人類の關はる一切の事象は、實として、今此處にゐる個の人間に接續する。」つまりずっと昔の事件も、遠く離れた異国で起きた出来事も、廻り廻って今ここにいる〈私〉と地続きだという認識である。

 堀田が跋に書いたことは、句にどのように表現されているだろうか。句集を一読してまず目に止まるのは次のような句である。

水晶の夜映寫機は砕けたか

息白く唄ふガス室までの距離

片陰にゐて處刑䑓より見らる

ヒトラーの髭整へし水の秋

花降るや死の灰ほどのしづけさに

 一首目の水晶の夜は1938年の11月にドイツで起きた反ユダヤ暴動で、割られ散乱した窓ガラスの輝きからこの名が付けられたという。二首目もナチスによるユダヤ人処刑の場面で、季語は「息白く」。三首目も処刑の場面で季語は「片陰」。四首目はかのヒトラーも理容院で髭を整えただろうという句。ヒトラーの髭をあたった理容師もいたはずだ。五首目は原爆あるいは水爆の死の灰を花に喩えた句。ムルロワ環礁での水爆実験と取ってもよいが、かの地には桜はないだろうから、そうすると幻視の句になる。

 堀田の言う、人間に関わる一切の事象は時空を超えて今ここに接続するというのはこういうことである。これは単に歴史的事件に素材を得たり、世界史的な時事問題を句に詠み込むということとはちがう。水晶の夜やガス室や死の灰という過去の出来事と、今ここにいて呼吸している私たちとは直に繋がっているのであり、私たちは過去の出来事に不断に思いを致さねばならぬということである。

 次のような句には、大きな出来事がより間近に迫っているような緊迫感が感じられる。

 

戦争と戦争の閒の朧かな

ミサイル來る夕燒なれば美しき

ひややかに砲塔囘るわれに向く

基地抜けてやまとの蝶となりにけり

法案可決蝿追つてゐるあひだ

 

 一首目、人類の歴史は戦争の歴史であり、平和に見える現在は先の戦争と次の戦争の間に挟まれた一時に過ぎないという句。二首目、北のかの地より飛来するミサイルとも、未来の戦争と取ってもよい。三首目、自分の方向に向けられる戦車の砲塔は、迫り来る戦争の喩である。四首目、米軍基地の中を飛んでいるときはアメリカの蝶だが、基地を抜けると日本の蝶になるという句。五首目を読んで、安部内閣が国会を通過させた安保関連法案を思い浮かべる人は多かろう。

 人類を襲うのは戦争の脅威ばかりではない。自然災害もまた人類の午後の予兆でもある。

 

地震なゐ過ぎて滾滾と湧く櫻かな

花疲れするほどもなし瓦礫道

や死者のぬかからうしほの香

草摘むや線量計を見せ合つて

 

 一首目や二首目はどこの場所の光景でもよいのだが、どうしても東日本大震災が日本を襲った春に咲いた桜を思い浮かべてしまう。三首目も津波で流された人の額であろう。四首目は大震災に続いて起きた原子力発電所の苛酷事故によって大量に飛散した放射性物質を詠んだ句である。私たちはかの春にベクレルやシーベルトという聞き慣れない単位を覚えてしまった。

 このような時事問題を詠んだ句が読者にとって押しつけがましくないのは、堀田が主義主張を声高に詠むのではなく、出来事をいったん受け止めて、それを心の中で沈潜させて得た上澄みを、「花疲れ」や「草摘む」などの伝統的な有季俳句の季語の世界にまぶして提示しているからである。栞文を寄せた高野ムツオは、「言葉に蓄えられた伝統的情趣をことごく裏切り拒絶し」、「これまで誰も見たことがなかった季語世界が出現する」と評している。

 もちろん本句集に収められているのはこのような句ばかりではなく、伝統に根差した有季定型の自然詠もあるが、そこにもおのずから独自の世界がある。

 

花待つや眉間に力こめすぎず

花篝けぶれば海の鳴るごとし

一頭の象一頭の蝶を突く

戀貓の首皮下チップ常時稼働

檸檬置く監視カメラの正面に

 

 三首目は機知の歌だ。私は大学で言語学概論を講じる時、「フランス語やドイツ語にある男性名詞と女性名詞の区別を皆さんは不思議だと思っているかもしれませんが、日本語にも同じような名詞クラスはあるのですよ」と言って、物を数える時に用いる助数詞の話をすることにしている。鉛筆は一本、箸は一膳、靴や靴下は一足、箪笥は一棹、烏賊や蟹は一杯で、大きな動物と蝶は一頭と数える。大きな象と小さな象が同じ数え方をすることで並ぶ面白さである。四首目の猫の首に埋め込まれたICチップは近未来的で、五首目の町中到る所にある監視カメラは現代的光景である。

 特に印象に残った句を挙げておく。

 

小米これは生まれぬ子の匂ひ

月にあり吾にもあるや蒼き翳

匙の背に割り錠劑や月時雨

エレベーター昇る眞中に蝶浮ける

うち揚げられしいをへと夏蝶とめどなし

落ちてよりかヾやきそむる椿かな

うすらひのうら魚形うをなりこううごく

蟻よりもかるく一匹づつに影

薔薇は指すまがふかたなき天心を

人閒を乗り繼いでゆく神の旅

 

 ビルの中を上昇するエレベータに一頭の蝶が浮いているという四句目の浮遊感が美しい。また七句目は、冬の寒い日に池に氷が張り、その氷を通して泳ぐ緋鯉の紅が透けて見えるというこれまた美しい句である。私がその宇宙的なスケールの大きさに感心したのは最後の句だ。進化生物学の一部には、私たち人間を含めて生物は遺伝子の乗り物であるという考え方がある。これは個体の生と死よりも、種の存続と繁栄に重点を置く考え方だ。親から遺伝子を受け継ぎ、それを子へと伝えることによって種は存続する。川の浅瀬に飛び飛びに配置された石を飛んで渡る子供の遊びがある。これと同じように、私たちは遺伝子を後世に伝えるための置き石にすぎないというのである。置き石を飛んで渡るのは句では神と表現されているが、これはもちろんキリスト教のような人格神ではない。この世界を統べる自然科学的な原理である。

 『惑亂』の評の最後に私は「堀田の句集が読みたいものだ」と書いた。その願いは満たされたのだが、今度は堀田の次の歌集が読みたいものだ。瞑目して待つことにしよう。


 

第319回 木下侑介『君が走っていったんだろう』

目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った

木下侑介『君が走っていったんだろう』

 『短歌という爆弾』が小学館文庫になったとき、巻末の特別インタビューで穂村はこの歌を取り上げて、「1000年も残るような歌」と評したと本歌集の解説で千葉は明かしている。和歌・短歌の歴史はおよそ千年くらいなので、今から千年後にも短歌が残っているかはわからないが、誇張法による最大級の褒め言葉である。なぜ穂村がこの歌を引いたかというと、木下は雑誌『ダ・ヴィンチ』に穂村が連載していた「短歌ください」の常連投稿者だったからだ。当時木下は木下ルミナ侑介というペンネームで投稿していた。「短歌ください」は雑誌の読者からの投稿欄ということになっていたが、実際は、やすたけまり、辻井竜一、虫武一俊、冬野きりん、九螺ささらなど、その後続々と歌集を出す手練れが投稿していて、さながら穂村選歌欄の観を呈していた。投稿された短歌を集めて出版された『短歌くだいさい その二』(2014年、株式会社KADOKAWA)を読んでいちばんたくさん付箋が付いたのが木下だった。その木下が2021年に上梓した第一歌集が本歌集である。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻で、編集と解説は千葉聡が担当している。解説によると木下は千葉の歌会にも出ていたようだ。

 千葉は1985年生まれで、『短歌という爆弾』を読んで作歌を始め、「短歌ください」や東直子が東京新聞に持っている「短歌の時間」などに投稿するようになる。まさに穂村&東チルドレンと言えるだろう。したがって、木下が追究するのも「愛の希求の絶対性」であり、その歌には「キラキラした言葉」が織りこめられている。掲出歌も例外ではなく、穂村の言うように特別な言葉は使っていないものの、「夏」「光」「出会った」がその空気感を十分に伝えている。ポスト穂村世代に当たり、わざとキラキラ感を払拭しようとしている永井祐らとはいささか異なる歌となっている。しかし考えてみれば、明治の短歌・俳句の革新以後、短詩型文学は青春と相性がよい。石川啄木や寺山修司や岸上大作らの短歌・俳句は、青春性と切っても切れない関係がある。マラソン・ランナーであり、ブルーハーツ、ハイロウズの音楽をこよなく愛するという木下の作る短歌はバリバリの青春短歌なのである。

水筒を覗き込んでる 黒くってキラキラ光る真夏の命

いっせいに飛び立った鳥 あの夏の君が走っていったんだろう

あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに

カッキーンって野球部の音 カッキーンは真っ直ぐ伸びる真夏の背骨

青空は青しかないね 感情のどれもが答えじゃない夏の日も

 巻頭から引いた歌の季節はいつも真夏である。一首目の水筒は遠足や運動部のクラブ活動と縁が深い。水筒の内部は断熱のために、昔はガラス、今はステンレスの反射材が使われているので、内部が暗くともキラキラ光る。それは青春の光そのものである。二首目は歌集タイトルが採られた歌。いっせいに飛び立つ鳥は旅立ちとも終焉とも取れる。しかし「あの夏」という言葉はもう遠くなって手の届かない季節を指すので、もう彼女はいないのだろう。三首目も同じ「あの夏」の記憶で、映像はすでにややセピア色だ。四首目の「カッキーン」は硬式野球の金属バットの音である。「真夏の背骨」という表現がいい。五首目は青春の逡巡を詠んだ歌である。

目を閉じる度に光が死ぬことや目を開ける度闇が死ぬこと

順番に蝶が死んでく夜の部屋まるで誰かの子宮のようだ

押し花も死の一つだと瞬きが呟く、春の、夏の、季節の

海だけが描かれた切手 僕たちが佇んでいた性善説

生まれたら、もう僕だった。水切りに向かない石の重さを思う

 青春時代はキラキラと明るいばかりではない。光ある所に影が生まれる。思春期に誰もが取り憑かれる思いは、「なぜ僕は僕なんだろう」や、その変奏の「なぜ僕は、運動があんなに得意な / 勉強があんなにできる / 女の子にあんなにもてる 彼に生まれなかったのだろう」が代表的なものだろう。それに加えて思春期には死が思いの他身近にある。上に引いた歌はいずれもそのような青春の影を詠んだものである。一首目は光と闇の対比を生と死になぞらえた歌。「眠りは短い死である」と言った人がいた。二首目の蝶が死んでゆく部屋をまるで子宮と表現しているので、そこからまた新たに生が始まるという予感があるのかもしれない。三首目、押し花もまた一つの死であるとの認識を詠んだ歌。四首目の海だけが描かれて、そこに遊ぶ人がいない切手は喪失感の象徴だろう。無邪気に性善説を信じていた若者は、誰かに裏切られたのかもしれない。五首目は若者の誰もが抱く不全感を詠んだ歌である。これらの歌もまたまぎれもない青春歌と言えるだろう。

 集中にはこれとはやや肌合いの異なる歌も収録されている。

額縁にきれいに入れた点点を絵として飾っている美術館

ホルヘ・ルイス・ボルヘスが書いたという短歌はちょうど42文字

たくさんの遺影で出来ている青い青い青い空を見上げる

描きかけの絵本の中の目をしてる動物園で生まれたライオン

 奇想というほどではないものの、現実を少し違った目で見た歌である。一首目の絵はリキテンシュタインだろうか、それとも抽象画だろうか、ふつうの人の目にはただの点点としか見えないものも、立派な額装をして美術館に展示すれば芸術となる。二首目、調べてみると確かにポルヘスのEl oro de las tigresという詩集に6首の短歌らしきものがあるようだ。三首目、青い空が遺影でできているというのは何かからの連想か。四首目、動物園で生まれてサバンナの自然を知らないライオンは、まるで描きかけの絵本のようだというのはとてもおもしろい発想だ。まだ描かれていないのは野性だろう。

 また次のような歌はさらに発想がおもしろく注目される。

はっとして荘周であったという時にはっとしていた荘周の顔

僕達は腹話術師の人形が夢で見ている真冬の星座

トンネルを抜ければ僕がだんだんと遠ざかっていくトンネルがある

手にはもう記憶は重いからふれば花びら 僕らは僕らの花器で

 一首目の荘周とは「胡蝶の夢」の荘子のこと。夢から覚めて自分が蝶ではなく荘周だったと気づいた時に、荘周がはっとした顔をしていたということなので、当たり前と言えばそうなのだが、不思議な循環性が感じられる形而上学的な歌である。二首目はずばり、この世はどこかで誰かが見ている夢に過ぎないという歌。三首目も不思議な歌だ。ふつうはトンネルを抜けると、トンネルがだんだん遠ざかるものだ。それを僕が遠ざかると表現すると、まるでトンネルと僕とが主客逆転して入れ替わったかのようである。四首目も不思議な魅力のある歌だ。手が花びらで身体が花器そのものということだろうか。これも何やら自分と外側とが入れ替わったような感覚が感じられる。子供の頃は自我と周囲の現実とを隔てる垣根が低いので、自分と他者との交通は大人よりも盛んである。しかし上に引いた短歌はそれとも違い、形而上学性が感じられる。本歌集のベースラインは青春歌なのだが、その中に混じる上のような歌に注目した。こういう歌に木下の個性が表れているように思う。

夏の朝 体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と

まなざしはいつも静かでまばたきは水平線への拍手のようで

お互いの傘を傾け行くときにこぼれた 雨に降る雨の音

比喩というとてもしずかに飛ぶ鳥をうつして僕ら、みずうみでした

でも、夜は拡げるだろう 塗る前の塗り絵のように僕らの街を

傘をさすようにだれかを思っても雨にはいつも問いしかなくて

 とりわけ上質なポエジーが感じられる歌を引いた。一首目の体育館の床がズックの底でキュッと鳴る音を羽ばたく鳥になぞらえたり、二首目のまなざしを拍手と捉えたりするのは清新な詩情である。遙か昔のことだが、「つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれをり」という小池光の歌を読んだときには思わず息を呑んだが、三首目の「雨に降る雨の音」の同語反復的表現もなかなか美しい。五首目の「塗る前の塗り絵」は、日が暮れて色を失った街の喩として的確だ。キラキラした青春性だけに目を奪われていると、このようなポエジーを立ち上げる措辞や喩を見落としてしまうが、木下の本領はこのような点に発揮されているように感じられる。

 

第318回 宇都宮敦『ピクニック』

水たまりに光はたまり信号の点滅の青それからの赤

宇都宮敦『ピクニック』

 宇都宮は2005年に『短歌ヴァーサス』10号誌上で発表された第4回歌葉新人賞で次席となって短歌シーンに登場した。新人賞を受賞したのは「数えてゆけば会えます」の笹井宏之である。笹井は選考委員の加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘の3人全員に候補作として選ばれた。笹井の候補作は、「ポエジーということでは際立った」(加藤)、「読んで鳥肌のたつような感覚が何度も起きました」(荻原)と評された。一方、宇都宮を推したのは穂村一人で、穂村は「言葉を使うことで、それ自身によって蓋をされて殺されてしまう『現場の生命感覚』を、一首のなかでうまく蘇生させている」、「言葉を『言葉以上のもの』として立ち上げるための工夫がこらされている」と宇都宮を高く評価した。

車窓から乗りだし顔のながい犬がみてるガスタンクはうすみどり

目をふせてあらゆる比喩を拒絶して電車を待ってる君をみかけた

イヤフォンではやりの歌を聴きながらあかるく雪ふるここで待ってる

             「ハロー・グッバイ・ハロー・ハロー」

 『ねむらない樹』別冊の『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井祐が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。その中で笹井と宇都宮の激突は「一種のスタイルウォーズ」つまり文体の戦いであったと述べている。「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮」、「表現の飛躍が魅力の笹井に対して、(…)葛藤や空気感を伝える宇都宮」と永井は書き、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた」と続けている。永井の言うキラキラした口語短歌とは、例えば次のような歌を指すのだろう。

ゼラチンの菓子をすくえばいま満ちる雨の匂いに包まれてひとり

                   穂村弘『シンジケート』

「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」

ほんたうのことはひかりにとけてゆく街角でふとみつめる左手

                 山崎郁子『麒麟の休日』

春雨は天使のためいきうすくうすくまぶたのうへにふりかかりくる

 宇都宮が2018年にようやく上梓した第一歌集が『ピクニック』(現代短歌社)である。まず歌集の見た目が衝撃的だ。版型は「少年ジャンプ」と同じ大きさで厚さは2cmあり、表紙はビビッドイエローである。どうみても電話帳にしか見えない。短歌は左ページにのみ印刷されていて、右ページは薄いペパーミントグリーンの四角形がほぼページ一杯にある。おまけに短歌は16ポイントで印刷されていて、まるで老眼の高齢者か弱視者用の大活字書籍のようだ。疑いなく最もインパクトの強い装幀の歌集である。現代短歌社もよくこんな本を出したものだ。机の上で開いて読もうとすると、開いた右側が反発で閉じようとする力が強いので、国語辞典を重石にして読む始末なのだ。

 穂村の評にあった「言葉を『言葉以上のもの』として立ち上げるための工夫」はどのような点に見られるのだろうか。宇都宮の短歌は完全な口語である。「かな」も「はも」も「けり」もない。しかし短歌は抒情詩なので、口語を用いてポエジーを立ち上げるには修辞が必要になる。宇都宮の文体の特徴のひとつは「喩を用いない」ということだろう。たとえば「東西にのびて憩へるいもうとの四肢マシュマロのごとく匂へり」(辰巳泰子『紅い花』)という歌では「マシュマロのごとく」という直喩が使われている。喩によって読者の脳内に白くてふわふわしたマシュマロを喚起することで、妹のむきだしの手足とマシュマロが二重映しとなり、手足の白さや若さや甘やかさが醸し出されるという仕掛けである。このように喩は短歌の修辞の大きな武器なのだが、宇都宮はその武器を意図的に放棄しているようだ。

長ぐつをはいた女の子が誰にするでもなくバレリーナのおじぎ

小綺麗な路地で迷った僕たちは走りぬけてく花嫁を見た

昼すぎの木立のなかで着ぶくれの君と僕とはなんども出会う

 例えばランダムに引いた歌のどこにも喩は見られない。一首目は雨上がりなのか、長靴を履いた小さな女の子が、道端かプラットホームで、バレリーナがするような足を折るおじきをしているという光景がそのまま描かれている。二首目では、路地で道に迷った〈私〉と彼女の目に、ウェディングドレス姿の花嫁が走り抜けるのが見えたという、往年の人気TVドラマ『ロング・バケーション』のワンシーンのような光景が詠まれている。走り抜ける花嫁が何かの喩ということはない。三首目では、冬枯れで葉を落とした木が立ち並ぶ公園か並木道で、〈私〉と彼女が木の陰に隠れてはまた姿を現すという遊びに興じている。

 では宇都宮は何を武器としてポエジーを立ち上げているのだろうか。一つ目はトリミングのような巧みな場面の切り取り方である。一首目のおじぎをする少女、二首目の走り抜ける花嫁、三首目の他愛ない遊びに興じる恋人たちという場面の切り取り方は、とても鮮明な像を読者の脳内に描き出す。日常の何気ない場面を鮮明に切り取ることによって、見慣れたはずの世界の見え方が少し変わる。二つ目は巧みに挟み込まれた語句である。一首目の「誰にするでもなく」や三首目の「なんども」が効果的に置かれている。「誰にするでもなく」によって、お辞儀をするという行為の無償性・無目的性が強調され、「なんども」によって恋人たちのずっと続く幸福感が高められている。永井も上に引いた文章で、宇都宮が歌に挟み込む「とりあえず」や「ふつうの」という語句が空気感を出していると指摘している。三つ目はたとえば次のような歌に見られる統辞の組み替えである。

やがて雨あしは強まり うつくしさ 遠くけぶったガードレールの

 散文ならば「やがて雨あしは強まり、遠くけぶったガードレールのうつくしさ(が心に届く)とでもなるところだが、統辞を攪乱することによって「うつくしさ」が行き場を失って宙ぶらりんになる。それによって、意味の伝達という実用に奉仕する日常言語の機能がスイッチオフされて、穂村の言う「言葉以上のもの」が立ち上がる。これは音数合わせや結句の単調さを回避するために使われる倒置法ではなく、もっと自覚的な統辞の組み替えである。

 永井がもうひとつ指摘する宇都宮の文体の特徴は一字空けだ。

対面の牌が横を向く スイングバイ軌道を外れる探査衛星

屋上でうどんをすする どんぶりを光のなかにわざと忘れる

水鳥を川にみた朝だったのに のに海鳥のでかさにびびる

 一首目は珍しく上二句と残りが喩的関係にあり、一字空けはその関係を強調しているのだろう。麻雀をしていて、対面の打ち手の牌が横を向くのが、まるで軌道を外れる衛星のようだという関係にある。麻雀の卓という小さな世界と探査衛星という大きな世界の対比が眼目となる。二首目の一字空けはこれとは少し異なる役割を果たしている。百貨店の屋上にあるフードコートで、テーブルに坐ってうどんを食べるという行動の客観的描写と、三句目以下の〈私〉の行為の説明という位相の異なる言葉を一字空けが分けている。三首目はまたこれとも違っていて、「のに」の反復で連接された川での出来事と海での出来事の場面転換が一字空けでなされている。

 本歌集を通読して感じるのは、宇都宮の描く彼女がとても魅力的に描かれていることである。

とうとつに君はバレリーナの友達がいないのをとても残念がった

左手でリズムをとってる君のなか僕にきけない歌がながれる

携帯電話に撮りためているパイロンの写真を厳選のうえ見せてくれた

コンビニへ いつものようにざっくりと君は髪ごとマフラーを巻く

君の寝まきジャージとおめかしジャージのとの違いがわからないまま夏に

 三首目のパイロンとは、工事現場などで使われてい円錐形のコーンのこと。彼女は街で見かけたパイロンの写真をスマホで撮り溜めているのである。これだけでも好きになりそうだ。宇都宮の作るこういう歌は、軽くて適度な湿度と透明感と幸福感があり、深刻になりがちな世界を少しだけライトなものに変えてくれるようだ。

 『ピクニック』の3分の2は「ウィークエンズ」と題された一つの章となっているが、残りは「ウィークエンズ拾遺」となっていて、その中に「東京がどんな街かいつかだれかに訊かれることがあったら、夏になると毎週末かならずどこかの水辺で花火大会のある街だと答えよう」という恐ろしく長いタイトルの連作がある。実はこの連作は枡野浩一の『ショートソング』という小説の中で引用短歌として使われているものである。どのような経緯でそうなったのかは詳らかにしないが、枡野のかんたん短歌と宇都宮の短歌は、地続きとは言えないまでも相性は悪くない。だから枡野も宇都宮の短歌を作中の引用歌として選んだのだろう。

 本歌集には好きな歌がたくさんあり、付箋がいっぱい付いたため選ぶのに苦労するほどだ。下に引くのは厳選した歌である。

腰のところで君は手をふる ちいさく さよならをするのとおんなじように

水面でくだける光がかなしくて世界はもはや若すぎるのだ

全自動卓が自動で牌を積む ダンスフロアに転がるピアス

冷房がきついと君がとりだして羽織ったカーディガンにとぶ鳥

ミントガムのボトルのわきに二眼レフのおもちゃが転がっている

圧倒的落葉のなかフルネームでお互いを呼び合う女の子たち

ケージの彼女は鳶色のワンピースに春を従えバットを逆手で構えた

キジトラが荷台に遊ぶガラス屋の軽トラに花びらの流れて

Tシャツの裾をつかまれどこまでも夏の夜ってあまくて白い

はなうたをきかせてくれるあおむけの心に降るのは真夏の光

炎天に拾い上げれば作業着のボタンホールに挿す鳥の羽根

 一首目は若い女性がよくする仕草で、手を上に上げるのではなく腰の横の所で振っている。「さよならをするのとおんなじように」なので、別れの挨拶ではないのだから、きっと出会った時の挨拶だろう。四首目の場面の移行が秀逸だ。夏に入った店で冷房が効き過ぎていることがある。女性はそんなときの用意にかばんに羽織るものを持っている。彼女が羽織ったカーディガンで場面が終わるのかと思えば、ズームインしてカーディガンの模様の飛ぶ鳥に着地している。また五首目のミントガムのボトルと二眼レフのカメラのおもちゃの取り合わせは、まるで安西水丸の透明感のあるイラストのようなお洒落さだ。八首目では「キジトラ」と「軽トラ」の韻が言葉遊びとなっていて、永井陽子の秀歌「あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ」を思わせる美しい歌となっている。

 集中で最も好きなのは次の歌だ。

あかんぼが抱き上げられてからっぽのベビーカーのなか充ちるアンセム

 「アンセム」(anthem) とは、一般的には教会の聖歌もしくは国家・応援歌・寮歌のようにある集団を代表する歌を意味するのだが、ここはヘビー・メタルバンドのアンセムのことだろう。一瞬、抱き上げられる前の赤ん坊が音楽プレイヤーでアンセムの曲を聴いていたのかと思うが、そんなことはないだろう。こういう不思議な展開もときどき宇都宮の歌にはある。ヘビメタではなく聖歌と解釈しても、それはそれで厳かな雰囲気が醸し出される。もっと話題になってよい歌集だと思う。