200:2007年5月 第1週 現代短歌のゆくえ
または、『新響十人』

 おぼつかない足取りで書き続けてきた「今週の短歌」も、早いもので200回を迎えた。第1回が2003年4月28日の日付になっているので、ほぼ丸4年にわたって連載したことになる。できるだけ毎週掲載を心掛けたが、週末の学会出張や父の死などで休載したことも何度かあった。最初は自分の読書ノートのような気持ちで気軽に書き始めたのだが、思いがけず多くの人に読んでいただくようになり、その分だけ肩に力が入るようになったのは否めない。その一方で、この連載を通じて歌人の方々と交流が生まれたのは望外の喜びだった。なかにはご自分の歌集を贈呈してくださる方もおられて、そんなときはありがたく拝領した。ふだんは歌集・歌書の「大人買い」をしているので、歌集購入にかける出費は馬鹿にならないのである。しかも買った歌集はあっと言う間に狭いわが家の書架一台をまるまる占領してなおその版図を拡大しつつあり、これも頭が痛いことである。

 連載をしていていちばん困ったのは歌集の入手だった。歌集はたいてい500部程度の小部数印刷され、その大部分は著者買い取りで贈呈に回される。だから一般の書籍の流通経路には乗らない。贈呈の輪という人的回路に加わっていないと、最初から入手できないのである。ならば古書ということになるが、神田の古書店街を回って判明したのは、八木書店など歌集・詩集を扱っている書店が取り扱うのは、古書価の高い有名歌人の初版本に限られるということだ。私が焦点を当てていたのは、1980年以降に登場した比較的若い歌人なので、こういった人達の歌集は古書店の店頭には並ばない。それでもこまめにインターネットの海を渉猟すると、海風舎とか石神井書店など歌集・詩集に強い古書店が見つかり、ずいぶん多くの歌集を古書で買うことができた。なかには松平修文『水村』、仙波龍英『わたしは可愛い三月兎』、三枝昂之『水の覇権』、山尾悠子『角砂糖の日々』など、今では入手の難しい歌集も含まれている。たかだか500部くらいしか印刷されなかった歌集の一冊が、巡り巡って私の手許にあることを考えると、深宇宙で小隕石と遭遇するような出会いの偶然を思わずにはいられない。

 毎回取り上げた歌人の選択は多分に偶然による。たまたま手に入った歌集を時を置かずに論じたことも多い。それでも新人とベテランの配分には多少は配慮した。塚本邦雄や岡井隆や山中智恵子などの大歌人を取り上げなかったのは、ひとえに当方の力不足の故である。塚本や岡井を論じようなどと思ったら、半年間休職でもして専念しなければ無理な相談だ。しかし半年間休職したら妻子が飢えてしまうので、それは叶わないのである。

 私は近代文学批評を確立した小林秀雄と畏れ多くも同意見で、けなす批評よりほめる批評が批評の神髄だと考えているので、できるだけ作者の立ち位置に内側から身を沿わせるように作品世界を眺めるべく心掛けた。しかし心ならずも作者に苦言を呈したことも何度かある。不快に思われたことがあれば、素人の妄言としてご海容いただきたい。

 最終回に何を取り上げようかとしばらく思案した結果、特定の歌人を論じるのではなく、最終回らしく総括めいた論にしようと決めた。折しも北溟社から『現代短歌最前線 新響十人』と題された精華集が刊行された。このような短歌の精華集としては、過去に『新風十人』『新唱十人』などの例があるが、『新星十人』(立風書房)まで長らく空白期間があった。『新星十人』は1998年の出版だから、今からほぼ10年前になる。収録歌人は、荻原裕幸、加藤治郎紀野恵、坂井修一、辰巳泰子、林あまり、穂村弘水原紫苑吉川宏志米川千嘉子の10人。最年長の坂井が1958年生まれ、最年少の吉川が1969年生まれだから、刊行時には30歳から40歳の歌人たちということになる。油の乗り始めた若手という位置づけだろう。精華集の惹句は「現代短歌ニューウェーブ」となっていて、1980年代の終わり頃から台頭した口語や記号を多用するライトな感覚の短歌が、ほぼ10年を閲して歌壇の中心を占めるようになったわけだ。今回、『新響十人』に集った歌人は、石川美南生沼義朗黒瀬珂瀾笹公人島田幸典、永田紅、野口恵子、松野志保松村正直、松本典子の10人である。最年長の松村正直と松本典子が1970年生まれ、最年少は1980年生まれの石川美南である。27歳から37歳までの歌人を集めたことになる。10年前の『新星十人』に集った歌人たちは、今では歌壇の中核を担うベテランとなり、彼ら抜きの短歌シーンは想像できないほどである。それから10年後の『新響十人』の歌人たちは、現在は若手の位置取りだが、将来は確実に歌壇を牽引する役割を担うものと思われる。この10人のうちの多くを「今週の短歌」で既に取り上げて紹介した。松本典子の『いびつな果実』は歌集が見つからず断念した。野口恵子はこの精華集で初めてその歌業に触れた。『新響十人』の歌人たちの歌を2首ずつ引いてみよう。

 夕立が世界を襲ふ午後に備へ店先に置く百本の傘  石川美南
 カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしゃみする秋

 ペリカンの死を見届ける予感して水禽園にひとり来ていつ  生沼義朗
 初夏の東京の空切り裂かれ襤褸となって水は落ちくる

 黒悍馬溶けつつ駆ける 青年のそびらに彫りしメビウスの輪に  黒瀬珂瀾
 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく

 憧れの山田先輩念写して微笑む春の妹無垢なり  笹公人
 すさまじき腋臭の少女あらわれて仏間に響く祖母の真言

 首のべて夕べの水を突く鷺は雄ならん水のひかりを壊す  島田幸典
 晩夏(おそなつ)に潜める秋のようなもの以仁王(もちひとおう)のその馬の鞍

 ああそうか日照雨(そばえ)のように日々はあるつねに誰かが誰かを好きで  永田紅
 下敷きの青さ加減を日に透かすコスモス上下に揺れている午後

 暗雲に呑まれる世界で君と聞くダリア花咲く傘の雨音  野口恵子
 地下鉄にぐるり縛られ東京は浅黒き血が滲んでいたり

 青い花そこから芽吹くと思うまで君の手首に透ける静脈  松野志保
 花びらのようであったかこの夜のどこかで剥がれ落ちた爪さえ

 イタリアンレストランにはイタリアの国旗が垂れて、雨となりたり  松村正直
 だから言わんこっちゃないとの口ぶりの社説を読みてパン二枚買う

 ゆづられぬ恋と思はむ時にこそわが取り出す〈陵王〉の面  松本典子
 初がつを旬のいのちの煌きをかなしめり舞ふときの眼をして

 この精華集に集った歌人たちは、20年前の短歌界の大事件・サラダ現象以後に作歌を開始した人たちであり、歩み始めた時には1980年代に始まった加藤治郎の言う「修辞の時代」の華々しい短歌群が眼前にあったはずだ。彼らは兄の世代の短歌群を滋養として育つのだが、80年代に展開された過剰とも言える修辞的傾向は、滋養として吸収されつつも本来の姿とは形を変えてこの世代の作歌に生かされているように見える。たとえば松本典子の歌風は古典的と言えるほどで、文語脈に生き生きと感情を通わせる手法はニューウェーブ口語短歌からかなり離れた位置にある。また島田幸典の知的で静謐な作風は、欧州の政治史研究者としての歴史的視界により広がりを与えられ、ややもすれば個的感情の表現に収斂しがちな現代短歌にあって独自の位置を占めている。また黒瀬珂瀾の絢爛たる耽美的作風は、師の春日井の作品世界から青年性と同性愛的志向を継承しながら、言葉への衒学的なまでのこだわりによってニューウェーブを軽々と飛び越し、塚本邦雄らの前衛短歌に連なる系譜を感じさせる。黒瀬が世代を越えて継承したもののうち最も重要なのは、前衛短歌の〈思想性〉であろう。80年代の短歌が華々しかっただけに、その次に生を受けた世代は、ひとつ前の世代の短歌から何を吸収し、どのようにそれを乗り越えるかという課題に直面したはずである。これらの歌人はニューウェーブ短歌から滋養を吸収しつつも、それとは異なる独自の道を選択したように感じられる。

 生沼義朗と野口恵子は同じ年1975年に生まれている。この世代は1991年2月に始まるバブル経済の崩壊を15~16歳という多感な時期に経験し、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件を19歳で目撃してしまった世代である。爛熟した大衆消費社会の中での停滞感漂う「失われた10年」は、「盛塩が地震(ない)に崩れる。神々ももはや時間を使い果たした」(生沼)という感覚をこの世代に刻印した。この世代が明るく伸びやかな青春歌を持ち得なかったのは当然のことである。「大きな物語」(リオタール)が消滅したと誰もが感じる時代にあっては、信じることができるのは細分化された個人の感覚だけであり、ときにそれすらも偽物感が付きまとう。生沼の神経症的都市詠はこの世代が感じる世界への違和感をよく表現している。

 なにげない主題とフラットな口語性において、ニューウェーブ的語法に最も近い松村正直、自然体ののびやかな感受性を常に感じさせる永田紅、劇的な物語性のなかに裸の個の切なさを表現する松野志保、水原紫苑が「口語でも文語でもない」と評したという文体で独特な説話的世界を展開する石川美南、笑いを盛り込んだポピュラリティーの中に抒情世界を忍ばせる念力短歌の笹公人、これらの歌人もまた前の世代の短歌を滋養としつつ、それぞれ自分の短歌世界を展開している。今回『新響十人』に集った歌人以外にも、横山未来子目黒哲朗ひぐらしひなつ錦見映理子村上きわみ佐藤りえ今橋愛鹿野氷十谷あとりなど、今後の活躍が注目される歌人は数多くいる。また最近出版された歌集のなかで私に最も深い刻印を残したものとして、山下泉『光の引用』(砂子屋書房 2005年)をあげておきたい。

最終回にあたって「現代短歌のゆくえ」のような展望を書くことが望ましいのだが、私にはその膂力が不足している。そこでお茶を濁すため、いくつかのエビソードを紹介しよう。
 神戸女学院大学教授にしてフランス現代思想の研究家である内田樹は、私が愛読する書き手だが、文学部で卒業論文を書く最近の学生の傾向について、次のように述べている。彼らは特定の作家やジャンルのことはよく知っているが、自分の卒論のテーマ以外のものは読んでいない。だから寄り集まっても文学の話で座が盛り上がるということがないという。共通の話題がないからである。この状況は音楽でも似ていて、

 「ねえ、音楽、何聴いてるの?」
 「私? マリリン・マンソン。あなたは?」
 「…スピッツ」

と3秒で会話は終了してしまう。そりゃ、そうでしょう。マリリン・マンソンとスピッツとでは、あまりにかけ離れすぎている。共通分母がないのである。
 次に島田幸典氏から聞いた話。ある短歌のシンポジウムでパネラーの一人として穂村弘が壇上にいた。会場の奥の方に石田比呂志が座っていたが、途中でやおら前列に移動し、机に突っ伏して寝る姿勢を取った。「お前の話を俺は認めない」という意見を態度で示したのである。しかし穂村は何も反応せず、シンポジウムは何事もなかったかのように粛々と進行した。対話の機会は失われたのである。

 これらのエビソードから抽出できるのは何か。まずスーパーフラットな世界状況下で知識や嗜好の断片化と細分化が進行したため、私たちはごく狭い世界に暮すようになったということである。パソコンの構想の提唱者として知られるポール・ケイは、インターネットの発展によって世界はひとつの村(global village)になると予言したが、この楽天的な予言は外れたと言わざるをえない。逆説的なことに、グローバル化によって世界の断片化はむしろ進行している。世界文学全集は売れなくなった。昔は一家に一セット備えられていた百科事典は姿を消し、必要な情報はインターネットから適当につまみ食いされている。しかしその情報の質は保証の限りではなく、私は今年から学生のレポートに Wikipediaの情報を利用することを禁止したほどである。この状況は「知識のコンビニ化」である。その結果として、知識をより高い次元において統合し俯瞰するメタ知識を涵養する機会が減り、文化状況はタコツボ化したのである。

 この文化状況は短歌シーンにおいては端的に「歌論の不在」として表面化する。みんなが自分の好みの短歌を作り、歌人はそれぞれ離れた島として海中に点在するかのようだ。島と島を結ぶ橋は限りなく細い。現在、若手の歌人たちはみなそれぞれの性向と嗜好に基づいて、「自分の世界」を築いているように見える。しかしそのようにして築かれた世界どうしが、ぶつかり合ったり相互に干渉しあう場がなければ、世界は矮小化し自己模倣に陥ることになるだろう。川野里子は『短歌ヴァーサス』5号掲載の「歌論なき世代の祈りの群像」と題する文章の中ですでにこの状況を憂慮しており、私は川野の論旨を繰り返すことしかできない。塚本邦雄と岡井隆の出会いから前衛短歌が誕生したことはよく知られているが、その傍らには無二の伴走者としての菱川善夫がいた。前衛短歌運動は、実作もさることながら、短歌をめぐる論争と歌論を軸として展開されたのである。今日そのような状況は望むべくもない。短歌シーンにおける歌論と論争の興隆と、独自の批評言語を備えた短歌批評が待たれる所以である。