第358回 蝦名泰洋『ニューヨークの唇』

秋深し桔梗の色の海を渡る移動サーカスの象の姉妹に

蝦名泰洋『ニューヨークの唇』 

 初句の「秋深し」は、「秋深し隣は何をする人ぞ」という芭蕉の句にも使われている季語の常套句なので、この季語で歌を始めるには相当な勇気が必要だろう。季節は晩秋である。さて、次はどのように展開するのかと思っていると、「桔梗の色の海を渡る」と続く。桔梗の色は濃い紫なので、渡っている海は深い大洋だろう。ちなみに桔梗は初秋の季語。この歌のポイントは次の「移動サーカス」である。この語句で一気に意味の広がりが生まれる。トラックに乗って町から町へと移動するサーカス団は、昔は曲馬団とも呼ばれていた。次のような歌がある。

風の夜のサーカス小屋に獣らが眠れば夢にてるアフリカ

                 渡辺幸一『霧降る国』

サーカスはすでに隣の町におり閑散とせし空き地に遊ぶ

                  小塩卓哉『風カノン』

 サーカスを主に特徴づけるのは、絶えず町から町へと移動する漂泊性と芸を見せる動物だろう。小塩の歌は前者に、渡辺の歌は後者に焦点を当てている。両者はあいまってサーカスを非日常的な異界とする。超人的な空中ブランコや綱渡りも耳目を引くが、子供たちが夢中になるのは何といっても動物で、中でもライオンや虎や象はスター級だ。蝦名の歌ではサーカス団の象の姉妹が海を渡っている。大洋を行くのだから大きな貨客船だろう。結句の「象の姉妹に」まで来て、倒置法により初句の「秋深し」へと帰還する。象の大きな耳に秋風が吹いているのだ。映像のくきやかな歌だが、それ以上に私が感じるのは「物語性」である。その物語はブラッドベリのSFファンタジーとどこかで繋がっているようにも感じられる。

 『ニューヨークの唇』は今年 (2023年) 6月に書肆侃侃房から出版された歌集だが、出版に至るいささか特異な経緯に触れておかねばならない。作者の蝦名は1956年生まれ。1985年頃から作歌を始め、1991年には短歌研究新人賞候補になっている。1993年に第一歌集『イーハトーブ喪失』、1994年に詩集『カール ハインツ ベルナルト』を刊行するが、病を得て2021年に泉下の人となる。本歌集の編者の野樹かずみは蝦名と長らく親交があり、折々に蝦名から送られて来る短歌の預かり役になっていたという。蝦名の死後、残された歌稿の出版を決意し、クラウドファンディングで資金を集めて刊行に至ったという。巻末のあとがきに野樹が蝦名に寄せる熱い想いが綴られている。本歌集には野樹が編集した『ニューヨークの唇』と第一歌集の『イーハトーブ喪失』、それに二人で詠んだ両吟集から蝦名の歌を拾い挙げた「カムパネルラ」が収録されている。なお、二人の共著に『クアドラプル プレイ』(書肆侃侃房、2021年)がある。この刊行も蝦名の死後である。

 田島邦彦他編『現代短歌の新しい風』(ながらみ書房、1995年)に蝦名の『イーハトーブ喪失』から50首が収録されており、編者の一人の藤原龍一郎が短評を寄せていている。藤原は、「どの一首をとっても、この歌人が短歌型式の機能と生理を知りつくし、オリジナリティーあふれる修辞と韻律を駆使する力の持ち主であることは、すぐわかるだろう。実際、ここにあげた歌は、ニューウェーヴの代表としてしばしばとりあげられる何人かの若手歌人の作よりも、技術的にも表現意識的にも、格段にすぐれているように私には思える」と賛辞を贈っている。ちなみに『イーハトーブ喪失』と同時期に刊行された歌集には、西田政史『ストロベリー・カレンダー』、早川志織『種の起源』、大滝和子『銀河を生んだように』、尾崎まゆみ『微熱海域』、中津昌子『風を残せり』などがある。1991年は荻原裕幸が新聞紙上に「現代短歌のニューウェーヴ」という論考を発表した年で、その後、短歌シーンはライトヴァースとニューウェーヴの波に洗われることになる。そういう時代である。

 さて、『ニューヨークの唇』から何首か引いてみよう。

捨てられたヴィオラのf字孔からも白詰草の芽は出でにけり

はね橋の近くの画家は待っている見えないものが渡りきるのを

失った無人探査機を捜せ無人探査機その2で

地図屋への地図を並べる地図屋への地図を並べる地図屋はどこだ

ザムザこそ詩人の鑑胴乱に蝶入れたまま行くピクニック

海を見るたびに涙が出るようにセットされてる未成年ロイド

 いくつかのキーワードで蝦名の短歌を読んで行きたいのだが、まず強く感じられるのはすでに指摘した「物語性」である。結婚を祝うようにヴィオラのf字孔からクローバーの花が咲いたり、跳ね橋を目に見えないものが渡っていたり、人造人間が海を見ると涙が出るように設定されていたりするのは、まるで何かの物語の一部のようだ(ちみなみ「未成年ロイド」の「ロイド」は、アンドロイドの「ロイド」で、「似たもの」の意味で使われている。したがって「未成年ロイド」は未成年を模した人造人間ということになる)。

 物語性は次のような歌にも強く感じられる。

音叉庫にギリシア銅貨の墜ちる音わが鎖骨さえ共鳴りのする

いっせいに孔雀の群れが羽根ひろげる贋の銀貨が積もる広場に

貨物船に虹積む積み荷職人の太き声する朝の波止場に

 どれもまるでショート・ショートのような味わいがある。大事なのは、ここに置かれた言葉たちが、ふつう短歌で担わされる役割から解放されているように感じられることである。それはどういうことだろうか。次の歌と較べてみよう。

螢田てふ駅に降りたち一分のかんにみたざる虹とあひたり

                      小中英之『翼鏡』

無花果のしづまりふかく蜜ありてダージリンまでゆきたき日ぐれ

 小中の高名な一首目で字面が語っているのは、螢田という珍しい名前の駅ですぐに消えた虹を見たという事実だけである。しかし夏の夜に冷たく明滅する蛍火のイメージと、淡く空に消える夏の虹とが相まって、世界の美しさを前にした人の世のはかなさが水字のように浮かび出る。二首目も同じ構造で、イチジクに満ちる蜜は世界の豊かさの喩であり、遠くインドのダージリンまで行きたいと思っても、行く時間は残されていないのが〈私〉の現実である。作者は虹やイチジクを描きたいと望んでいるのではなく、それらを通して「人の世のはかなさ」「生の一回性」を詠んでいるのである。「叙景を通して叙情に至る」のが和歌以来の歌の王道であり、歌に置かれた「虹」や「無花果」という言葉は、短歌という蒸留装置を経由することで、最終的には「生の一回性」を指示するという高階の意味作用を果たしている。この高階の意味作用こそが通常の短歌において言葉が担っている役割に他ならない。読者の立場から言うと、「短歌を読む」ということはこの高階の意味を感受することだということになる。

 翻って蝦名の短歌を見ると、ほとんどの歌でこの高階の意味作用を見ることができない。たとえば上に引いた二首目の「はね橋の」の歌で、「はね橋」や「画家」や「見えないもの」といった言葉が共鳴しあって指示する高階の意味は考えるのが難しい。

 では蝦名の短歌の言葉たちはいかなる役割を与えられているのだろうか。それは言葉の組み合わせと単語が持つ豊かな共示作用によって、〈私〉の生きる現実とは異なる世界を作り出すことにある。なぜ現実と異なる世界を作り出そうとするかというと、蝦名がまちがえてこの世に生まれて来たと感じているからである。そのことを思わせる歌はたくさんあるが、二首だけ引いておこう。

影青く君の右頬照らすのはあれは地球という名の異邦

ああ天に翼忘れて来し日より踊り初めにき歌い初めにき

 一首目では〈私〉も〈君〉も地球ではない星から地球を眺めており、地球は故郷ではなく異邦である。それは作者がこの世に対して持つ違和感に由来する。二首目は堕天使の歌で、文学では貴種流離譚という形を取ることが多い。このように蝦名の短歌において、言葉は「現実の異化」という機能を果たしている。蝦名の短歌が磁力のように発する物語性はそこに由来する。言葉が高階の意味作用を持たず、現実の異化に奉仕しているということは、蝦名の本質が歌人ではなくむしろ詩人であったことを意味するように思われる。

 現実の異化から派生するキーワードがいくつかある。まず上に引いた四首目「地図屋への」に見られる迷宮への嗜好を挙げておこう。この歌では「地図屋への地図」が無限に入れ子になっており、最終的に目的の地図屋へは辿り着けない。三首目「失った無人探査機」にもその傾向があり、探査機その1を探査機その2が探し、その2をその3が探すというように無限に連鎖は続く。

 また蝦名の歌には地図や地理に関する語彙と、何かを探している人がよく登場する。

いつまでも欠けたピースを探してる空の方途を明日も真似そ

あの子は黄色い飛行機を探しているわたしもおなじことをしている

十字架が十字架を背負う言葉とはあの足跡が消える砂浜

音叉庫の一律の闇をさまよえり父がなくした母音さがして

サーカスを追って迷子になったままわれに帰路あるごとき夕焼け

地図になき市の東に生かされて身を一枚の日輪が焼く

 地図・地理への嗜好は「ここではないどこか」への憧憬と結びつき、何かを探すのは大きな物を失ったか、あるいは最初から持たない状態でこの世に生まれ落ちたからに他ならない。蝦名の〈私〉はこの世に送り込まれた流刑者なのだ。

 このような蝦名の短歌世界をよく表す歌をいくつか引いておこう。

桟橋は廃墟となりて数本の杭がかたむき僕を待っている

                 『ニューヨークの唇』

かなしみにほほえむべけれいちい樹をチェスの駒へと彫りあげる秋

病む人のゴブラン織りの膝掛けに読みさしのまま夜明けのカフカ

古い詩がふとよみがえる紫の唇の麻酔が醒める夕暮れ

信号の青に流れる曲ながら雨の中にてシュトラウス冷ゆ

渡らんとして倒れたる黒馬のあばら骨から透ける海峡

                『イーハトーブ喪失』

緑色の受話器は海に沈みつつ呼べどとこしなえの通話中

そして視野を花びら覆いめくるめく通過儀礼のごとき季節は

安住の枇杷の梢に星の実は光れりわれにかくまで遠く

街角をノアの方舟通過するごとし日蝕の午の翳りは

 野樹も挙げている次の歌は蝦名が理想とする境地をよく表している

そこにはだれもいないのにそこには詩人もいないのにそこにも白い

花が咲きそこには読者もいないのにそこにも探した跡がある

 この二首は続けて読むと一連の文章になる。歌人は一首の完結性を重んじるので、ふつうこういうことはしない。蝦名の詩人の資質がなせる業である。蝦名の夢想する天上世界には、詩人も読者もいないのに詩の白い花が咲き、しかもそれを誰かが探した痕跡が残されているという。無名の詠み人と言葉を求める人とが密やかに交錯する白い世界が、蝦名の歌の言葉たちが最終的に指し示すものである。

 

第357回 安田茜『結晶質』

かなしいね人体模型とおそろいの場所に臓器をかかえて秋は

安田茜『結晶質』

 人体模型は小学校の理科室に置かれていることが多い。理科室にはたいてい分厚いカーテンがあり、戸棚の中にはホルマリン漬の動物があったりして、ちょっと恐い雰囲気が漂っている。私の世代では人体模型と聞くとどうしても中島らもの『人体模型の夜』を想起してしまう。

 初句「かなしいね」は口語の会話体なので、誰かに話しかけているか、さもなくば独り言である。誰かがいきなり「悲しいね」と言ったら、そばにいる人は「どうして悲しいの?」と訊ねるだろう。悲しみの契機が述べられていないからである。俳句や短歌は詩の一種なので、「○○が××して△△になった」と順序立てて説明してはいけない。それでは散文になってしまう。飛躍は散文ではタブーだが、詩では金貨である。「かなしいね」と初句を読んだ読み手の頭の中には大きな「?」が灯るはずだ。ここでは倒置法が使われていて、二句以下がその疑問に答えてゆくのだが、その答もストレートではない。人間が人体模型と同じ場所に臓器を抱えているというのは逆で、人間と同じ場所に臓器があるように人体模型を作っているのである。だからここには発想の転倒があり、これもまた詩の大事な材料だ。結句を「秋は」と言いさしで終えているのも巧みである。余韻が残るからで、余韻もまた詩の素材だ。散文では言い残してはだめで、主題についてすべて言い切ることが求められるが、詩ではすべてを語ってはいけない。残余を読者にゆだね、読者の心の中でさらに膨らんでゆくのが良い詩である。

 しかし一首を読み了えても読み手の心には疑問が残る。なぜ人体模型と同じ場所に臓器があることが悲しいのだろう。同じ場所に臓器があるのは当然ではないか、と。このように世の常識を揺さぶるのもまた詩の役割である。人体模型と同じ場所に臓器があることがなぜ悲しいのか。読者はあれこれ想像を巡らせるだろう。体内の臓器の位置に至るまで自分の謎は明らかにされているのが悲しいのか、それとも模型と同じ場所に臓器を持つ凡庸さが悲しいのか、いやむしろ逆に人体の臓器の位置を示すために晒されている模型が悲しいのか、答はいくつも考えられる。その想像のひろがりが詩のもたらす効果だとも言えるかもしれない。

 安田茜は1994年生まれの若い歌人である。京都の立命館大学に入学し、何のクラブに入ろうかと考えていた時、キャンパスに置かれていた看板の短歌に衝撃を受け立命短歌会に入会したという。大学短歌会は4月の新入生入学の時期によく短歌を書いたビラなどを配って入部勧誘するが、けっこう効果はあると見える。本歌集には収録されていないが、『立命短歌』第2号 (2014年) に安田の「海と食卓」が掲載されている。

静けさにしまう写真や紙切れの本当に燃やすことなどなくて

ひかりとは手に取れぬものと言いながらあなたの部屋の本をかさねる

 安田はその後、京大短歌会に入会している。『京大短歌』22号(2015年)に初めて安田の名が見え、「twig」と題された連作を寄せている。この連作はいくつかの歌を削除して本歌集にも収録されている。

ひるのゆめ 林檎がむかれてゆくときのらせんは逆光にのびてゆく

地続きで季節はすぎる各々の木に伸びてゆくいちまいの影

 安田は塔短歌会にも所属し、2016年に塔新人賞を受賞。2022年には第4回笹井宏之賞の神野紗希賞を受賞している。現在は同人誌『西瓜』を拠点としているようだ。『結晶質』は今年(2023年)に上梓された第一歌集。白を基調とした装幀が瀟洒だ。神野紗希と江戸雪と堂園昌彦が栞文を寄せている。将来を嘱望される若手歌人という布陣である。

 若い歌人の第一歌集を取り上げて論じることには特有の難しさがある。若年故に自分の作風と文体がまだ固まっておらず、発展途上にあることが多いからである。第二歌集で化けることだってある。そのため小池光のように「第二歌集がいちばん大事」と主張する人もいるくらいだ。確かにそれは一理ある。

 本歌集を一読して私がいちばん感じたのは、作者は「言葉」と「感情」という短歌を構成する二つの極の間を揺らいでおり、「言葉」に寄せるかそれとも「感情」に寄せるか、様々な配合を試行しているのではないかということである。その「揺らぎ」がこの歌集に清新な魅力を与えているようにも感じられる。

 本歌集第II部には学生時代に作った歌が収録されている。

冬らしい冬の真昼に泣くときのなみだがぬくい とてもうれしい

感情はきづかず襞になってゆく空を切り込みとんでゆく鳶

かなしみにきっかけあれどわけはない サドルの凍る自転車を押す

 一首目にはあまり短歌的修辞は施されておらず、感情の直接的表現が未だ幼さを感じさせる。この歌は「感情」寄りで「言葉」に体重がかかっていない。二首目、「感情はきづかず襞になってゆく」に小さな発見がある。感情は時間とともに折り畳まれるのだ。下句は一転して空を飛ぶ鳶の叙景になっていて、取り合わせという修辞が用いられている。このため一首目と較べるとやや「言葉」寄りになっている。三首目も同様で、「兆す悲しみにきっかけはあっても理由はない」という思いを述べる上句と、一字空けした下句の叙景が取り合わせとなっている。しかし景は感情の映像的代替物と見なすこともまだ可能だ。

 一方、次のような歌では直接的な「感情」の表現は抑制されて、「言葉」を組み合わせてひとつの世界を描こうとする姿勢が鮮明である。

サッカーの少年たちは円になるスポンジケーキ色のゆうぐれ

ことばまでまだまだ遠いゆうぐれの小庭に忘れられたなわとび

ひとつの冬や夏をすごしたリビングに水のかたちはグラスのかたち

 一首目、市民グラウンドでサッカークラブの少年たちがその日の練習を終えて円陣を組んでいる。傾く夕日はスポンジケーキ色というから、やや黄味を帯びた色だろう。ここには特に〈私〉の「感情」は表現されておらず、「言葉」の作り出す詩情が溢れている。二首目は短歌を素材としたメタ短歌の観を呈しており、上句で「感情」が、下句で「言葉」による叙景が置かれている。「忘れられたなわとび」が喩かどうかは微妙なところだ。三首目、下句の「水のかたちはグラスのかたち」に小さな発見がある。「水は方円の器に従う」のだから、そのときに入れられた器の形が水の形である。この歌も「言葉」の持つ力によってひとつの世界を現出させようとするタイプの歌である。なお一首目には「スポンジケーキ╱色のゆうぐれ」という句跨がりがあり、三首目は初句七音で、どちらにも短歌的修辞が施されていることにも留意しよう。

 安田はこのように、歌一首の中での「感情」(想い)と「言葉」のいろいろな含有割合の間で揺らぎながら歌を作っているように感じられる。だとするとこの方法論はとても古典的な近現代短歌の手法だということがわかる。安田の作風は、現在の若手歌人の中でひとつの流れとなりつつある「口語によるリアリズムの更新」(by 山田航)とはかなり異なる場所にあるのである。

今日は寒かったまったく秋でした メールしようとおもってやめる する

                              永井祐

 永井の歌では短歌の中の〈私〉の「今」がだらだらと続いているようだ。このような時間把握に基づくと、短詩型文学に求められる結像力、つまりある情景を鮮明に描くことはほぼ不可能になってしまう。結像力は視点の固定と、それを可能にする時間の固定を前提としているからである。永井らはもちろんそれは承知の上だろうが。

たましひの夏いくたびか影れてプールの底までの鐡梯子 

                  塚本邦雄『緑色研究』

 最後に特に心に残った歌を挙げておこう。

どうしようもないことだらけ硝子壜煮沸消毒する夜もすがら

蒼穹のこころすべてを否定するちからで逃げる葦毛の馬は

きずついたゆめの墓場へゆくために銀紙で折るぎんのひこうき

橋をゆくときには橋を意識せずあとからそれをおもいだすのみ

祈りとはおおげさだけどはなびらをにぎる右手をひらいてみせて

濡れたってなんにも困らない日々にあえて差す傘 紺色の傘

象の絵がうすいグレーで描いてある灰皿 ここにもいない神様

完璧のかたちさびしく照り映えてアル=ケ=スナンの製塩工場

もう二度と閉じられない瞼のように降ってつもってゆくぼたん雪

 八首目のアル=ケ=スナン (Arc-et-Senans) の製塩工場は、フランスのブザンソン郊外に現存する18世紀の製塩工場で、世界遺産に指定されている。王室建築家のニコラ・ルドゥーの設計による美しい建物である。ルドゥーは円形の理想都市をめざしたが、主に資金不足から半円形に留まったという。完璧な形に淋しさを感じるのもまた詩心というものだろう。

 


 

第356回 久保茂樹『ゆきがかり』

子は腕に時計を画いていつまでもいつまでもそは三時を指せり

久保茂樹『ゆきがかり』 

 先日送られて来た『かばん』6月号をばらばら眺めていたら、ある同人の歌に目が留まった。「夕映えの蝙蝠」と題された一連である。

 

フラゴナールの少女が遊んでゐたやうな花満開のときは過ぎつつ

かさぶたが枯れて剥がれる傷のやうに町工場跡均なされてをり

手の甲の静脈あをくみだらなればわづかに逸れてゆく話題ある

 

 「フラゴナールの少女」とは短歌であまり見ない喩だが、その喚起するイメージは明るくくきやかだ。作者は久保茂樹といい、『ふたり歌集 箱庭の空』青磁社から抜粋と注がある。検索してみると『ゆきがかり』という歌集がありさっそく注文した。久保茂樹と小川ちとせの共著の『ふたり歌集 箱庭の空』は版元品切れのようで、『かばん』編集部を通じて作者に連絡したところ、贈呈をいただいた。短歌の世界はいまだに贈呈文化が生きている。ありがたいことである。さっそく二冊を通読した。

 心を打つ歌集にはときどき出会うし、瞠目すべき歌集もたまにはある。しかし、おもしろい歌集というのは存外少ないものだ。久保の第一歌集『ゆきがかり』(砂子屋書房、2009年)はおもしろい歌集である。プロフィールがないので経歴はわからないが、久保は「塔」に所属する歌人で、同時に『かばん』に参加している。

 さて、「おもしろい歌集」とは何か。正面切って定義せよと言われるとそれはちと難しい。あとがきによれば、巻頭歌の「自転車と妻はいづこへ行きしやら土曜午すぎ晴れのち曇り」という歌を見て永田和宏は「不用意な言葉遣いがあるけれど、ちょっとおもしろい」と評したそうだ。永田はどの点をおもしろいと感じたのだろうか。

 まず歌集の題名を見てみよう。「ゆきがかり」とは、『日本国語大辞典』によれば、「行きかかるついで、行く途中」、「行ってその場にさしかかること」、「物事がすでに進行していること、また、進行している物事に関係してすでにやめられない状態であること」を意味する。本歌集の題名はこのうち三つ目の意味に該当すると思われる。一見するとこの題名は集中の、「ゆきがかりなればそのまま往き過ぎるしばし泣く声の耳にのこるも」という歌の初句から採られているように見える。その前には「をさな子とその母らしきが揉めてをり立ち止まるなく過ぎゆきにけり」という歌が置かれていて状況がわかる。母親と幼い子供が何かで揉めている場面にたまたま行き会わせたのだ。しかし歌集題名の『ゆきがかり』はこの歌のみならず、歌集全体に漂う作者の人生観を象徴するものとなっている。それは「この世のことはなべてゆきがかり」という達観である。それは次のような歌に感じられる。 

悶えつつ足をちぢめてゆく烏賊を屋台に我はひとりみてをり

「ひどい」から「ひとでなし」までゆつくりと天動説の空は夕映え

 一首目では夜店の屋台の鉄板の上で丸ごとの烏賊が焼かれている。烏賊は鉄板の熱で悶えるように身をよじる。その様子が見ている〈私〉の喩かというと、そうとも感じられない。烏賊が鉄板の上で焼かれるは烏賊の事情であり、それもゆきがかりなのだ。二首目はたぶん女性に罵られているのだろう。最初は「ひどい」から始まって、やがて「ひとでなし」へとエスカレートしてゆく。その様子はまるで天球がひと晩かけて東から西へとゆっくり移動するかのようだ。どちらの歌にも何かを嘆いたり憤慨したりする様子はなく、「そういうものだ」と受け入れる姿勢が感じられる。本歌集の解説を書いた笠原芳光は、この歌集には独自の思想性、新鮮度、ユーモアがあると評している。確かにそのとおりだ。しかしその思想性は、ヘーゲル哲学のように体系的に構築されたものではなく、体感によって会得した町場の哲学である。

 「この世のことはなべてゆきがかり」という姿勢からは、「24時間戦えますか」というような頑張りや目標に向かって邁進する努力は生じにくい。作者の姿勢はその対極にあり、いい感じの脱力とユーモアはその重要な成分である。 

うらやまし畳のあとがついてますと宅配の人わが頬を指す

清原が三振したるときのまも売り子は声を変えることなし

いまだ日のあたりゐるらし出来たてのエビシウマイのやうな浮き雲

ディテールにこだはる国のゆふぐればあと五分ですと風呂がいふなり

円居といふ死語に句点を打つ如し電子レンジのその終止音

前かごのティッシュ五箱を盾として警告色のスパッツが来る 

 一首目では宅配の配達員に今まで昼寝をしていたことを見抜かれている。二首目は球場での野球の試合風景。ビールの売り子には清原がホームランを打とうが三振しようが自分の商売には無関係だ。空の雲を眺めても頭に浮かぶのは詩的な感興ではなく、まるで蝦焼売のようだという俗な連想である。四首目以下には軽い文明批評も感じられる。最近は風呂や冷蔵庫がしゃべるのだが、はたして湯が満ちるまで「あと五分です」というアナウンスは必要か。電子レンジで冷凍食品をチンするようになり、家庭の円居は消滅した。ちなみに現在では電子レンジの終了音は「ピー、ビー」という電子音で、もはや「チン」とは言わない。六首目は作者の住む東大阪のおばちゃんの姿である。どの歌にもユーモアが含まれていて、読むとついニヤッとしたくなる。

 そのような姿勢は身の回りの人たちを詠んだ歌にも感じられる。何と言ってもおもしろいのは妻を詠んだ歌だろう。 

ラーメンをただに鍋からたべをれば扉に倚りて妻ゐたりけり

浴室を古き歯ブラシに研ぎをる妻よ細部にこだはる勿れ

メモの字の踊らむばかりのありさまのかほども妻を縛つてゐたか

わたくしのことは今日からぜつたいに歌にしないで 今朝言はれたり

きみが逝くと困るたとへば銀行の暗証番号は誰に聞くんだ

 三首目は友人と出かけるという妻のメモが残っていたという歌。中年に差し掛かった男にとって妻は最大の鬼門である。心当たりある人は多かろう。「私のことは歌にしないで」ときつく言われても、三首目のように歌にしてしまうのが歌人の業というものだ。

 本歌集には近代短歌の王道の写実に徹した歌も少なくない。 

パンの耳なくなり鳩ら飛びゆくに片足のなき一羽残れり

おほ鬼の臍の緒のごとひからびてひね大根が捨てられてをり

烏賊を洗ふやうに子どもの手をあらふ軟骨のゆび透きとほるまで

車道側の枝はきびしく払はれて街路樹はみなうしろむきなり

ささぶねの杭に堰かれてゆつくりと艫を捩らせ流れゆきたり

 どの歌にもふだん注目されることなく話題にされることもない、弱いもの、幼いもの、小さなものへ深い愛情が感じられて心を打たれる。「この世のことはなべてゆきがかり」であるからこそ、見過ごされがちなものもまた私に関わりのあることなのだろう。

 『ふたり歌集 箱庭の空』からも何首か引いておこう。

 

エアコンが壊れてゐたりエアコンは春をしづかに壊れてゐたり

湯舟より出てゆくひとのあかあかとそびらに水の文字流れたり

老人の見送りたるは誰ならむ喪服の裾に躾糸みゆ

助手席に雨の匂ひときみが乗りたちまちこゆくなるひだり側

みどり色は好きな色だよきみの手の用紙はうすく透けてゐたりき

 

 五首目の緑色の用紙はもちろん離婚届である。塚本邦雄の歌に登場するのはうすみどりの頼信紙だが、久保の手にかかるとこのように変身する。この目線の低さが久保の持ち味だろう。『ふたり歌集 箱庭の空』の小川ちとせの歌には触れる余裕がなかった。またの機会を待ちたい。

 

第355回 鯨井可菜子『アップライト』

鋤跡のわずかに残る冬の田をパンタグラフの影わたりゆく

鯨井可菜子『アップライト』

 電車が郊外の田園地帯を走っている。車窓から見える田畑に作物の緑はなく、地面には鋤の痕跡が平行に走っているという冬枯れの景色である。その鋤跡の残る土の上に電車のパンタグラフの影が射している。その影は地面の凸凹のせいで少し折れ曲がっているだろう。歌全体を包む季節感と移動の感覚がパンタグラフの影によって表現されている。詠まれているのはつまるところ時間の流れであり、その時間を生きる〈私〉もその背後に淡く揺曳している。

 もし上句を「鋤跡のはつか残れる冬の田を」とすれば文語(古語)の歌になり、いかにも和歌風の結句「わたりゆく」との相性がずっとよくなる。しかし作者の鯨井は基本的に口語(現代文章語)で歌を詠む歌人なので、もしそのように書き換えると個性がなくなってしまうだろう。

 穂村弘は『短歌ヴァーサス』2号(2003年)に書いた「80年代の歌」第2回で、紀野恵の「晩冬の東海道は薄明りして海に添ひをらむ かへらな」や、大塚寅彦の「をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪」などの歌を挙げ、「このような高度な文体を自在に使いこなす若者は彼らを最後に絶滅した」と断じた。そして理由はわからないが、「80年代の終焉とともに若者たちは非日常的な言語にリアルな想いを載せるということが出来なくなったようだ」と続けている。その結果として、「それ以降の若者の歌はいわば想いと等身大の文体の模索に向かってゆくことになる」と指摘している。今から20年前に書かれた文章だが、穂村の指摘はまるで予言のようだ。手本とすべき先達を失った若者たちは今も自分の文体を模索しているというのが現状だろう。ちなみに大塚寅彦は1961年生まれで、紀野恵は1965年生まれである。このあたりがどうやら文語(古語)を駆使して作歌する歌人の下限らしい。

 鯨井可菜子は1984年生まれで、すでに第一歌集『タンジブル』(2013年、書肆侃侃房)がある。『アップライト』は昨年(2022年)上梓された第二歌集である。

 80年代に現れたライト・ヴァースとニューウェーヴ短歌がもたらした最大の変化は短歌の口語化(現代文章語化)だろう。もはや過去の助動詞「き」「けり」や完了の助動詞「ぬ」「つ」「たり」「り」とか、助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」の係り結びなどを使いこなす必要はなくなり、作歌のハードルはぐっと下がった。この文体上の変化と軌を一にして、短歌が描く主題の世界もまた多様化した。だが逆接的に聞こえるかもしれないが、主題の多様化によって、短歌が本来めざすものが影絵のようにあぶり出されたという気がしなくもない。鯨井の短歌が好んで描くのは、「自分の時間を懸命に生きる等身大の姿」である。

大戸屋のばくだん丼は早口のごゆっくりどうぞを背に受けながら

編集部にりんごとみかん配られてお地蔵さんのように働く

プレス証ぶら下げたまま大ホールの椅子のひとつにねむる試み

校正紙ひと月かけてめろめろになりゆくまでを働きにけり

会議室にダイオウイカの横たわり残業を減らすための会議よ 

 一首目、大戸屋のばくだん丼とは、鮪の刺身・納豆・オクラ・根昆布・山芋などのねばねば食品がてんこ盛りの丼である。スタミナが欲しい人が注文するものだ。店員は「ごゆっくりどうぞ」とマニュアル通りに客に言うが、昼食時で忙しいので早口になる。その声を背に受けて丼をかき込む。二首目、作者は医療関係の出版社に勤務している。社員の実家からダンボール箱で送られて来たのだろうか、りんごとみかんがみんなに配られる。会社でよくある風景だ。りんごとみかんを机に置くと、まるで道端の地蔵にお供え物をしたようになる。三首目は医学関係の学会に取材しに行ったのだろう。朝早く起きたせいか、研究発表が行われているホールの片隅で居眠りしている。四首目、雑誌の編集部の主な仕事は割り付けと校正だ。私も短歌誌などに原稿を書くと、校正刷がまっ赤になって戻って来ることがある。塚本邦雄の「塚」が異体字であることは知っていたが、「邦」も異体字であることはさる編集者の指摘で知った。校正のプロはかくも恐ろしい。五首目の「ダイオウイカ」は力なく座っている自分のことだろうか、それとも会議室に漂う妖気のようなムードの喩か。いずれにしても残業を減らすための会議が延々と続くのは虚しい。

 ことほど左様に現実というものはやり切れないものである。関西弁なら「やってられへん」とつぶやくところだ。鯨井の作る短歌はこのようなやり切れない現実にぶつかってもがく〈私〉を好んで主題にする。それは現代短歌が口語化(現代文章語化)してハードルが下がり大衆化するのにともなって、新たな感性を呼び込んだためだろう。そのような変化を背景とする鯨井の短歌は、ひと言で言うならば「フツーの私が現実を生き延びるための応援歌」という性格が顕著だ。

 そのようなことがよく感じられるのは、たとえば「担々麺」と題された日付のある歌である。日付は省略する。

スカートのホックゆるめて二十五時担々麺の汁全部飲む

落ちている片手袋を見ておればワゴン車の来て二度踏んでゆく

午後三時 今日は有休なんですと前髪切られながら答える

「本当に出るんですか?」と問われおり予想問題集の読者に

つらければやめたっていいと君は言う春の川辺にわたしはしゃがむ 

 作者はよほど担々麺とインド映画の『バーフバリ』が好きなようだが、それはまあよいとして、歌の描く〈私〉は平日に美容院に髪を切りに行ってやましさを覚えながら、今日は有休なんですと言い訳し、医師の国家試験の問題集の予想問題が本当に出題されるのかと読者から電話で詰問されてぐっと詰まるというような日々を送っている。穂村弘は『はじめての短歌』(河出文庫、2016年)などでしきりに、「生きる」と「生きのびる」はちがうと説き、短歌は「生きる」ためにあるものだとしているが、鯨井の短歌を読むとその手前の「行きのびる」ステージで奮闘しており、短歌はそのステージをクリアするための応援歌のように見えるのである。余談ながら二首目の「道に落ちている片手袋」の愛好者はけっこういて、ネット上にサイトがいくつもある。現代のトマソンのひとつかもしれない。

 本歌集は編年体で構成されているのだが、第5部はちょうど新型コロナウィルス感染が広がった時期の歌を収録している。

トイレットペーパーこんもり送られて母は香りつき叔母は香りなし

パソコンを立ち上げて歯をみがきつつ勤務開始のメールを送る

レッスンの動画が届く 先生のうしろに映る部屋のカーテン

次亜塩素酸水配るお知らせが日焼けて残るスナックのドア

 一首目を読んで「そうだった」と記憶を新たにした。新型コロナウィルスの感染が広がった頃、買い溜め騒ぎが起きて、まるで1970年代のオイルショックのようだと報じられた。地方のスーパーにはまだ製品が残っているので、親戚に頼んで買って送ってもらうのだ。二首目は在宅勤務の一コマ。三首目は小池都知事が放ったStay homeのかけ声でみんな外出を控えるようになり、することがないので自宅でZoomで何かレッスンを受けているのだ。四首目はマスクと並んで一時品薄になった手指の消毒液の配布のお知らせである。

 当時は新聞歌壇でもこのような歌が山のように投稿された。短歌には「時代の記録」という性格があるので、時局や大事件に反応した短歌は常に作られている。しかし時代が刻印された歌は時が経ると理解が難しくなる。20年後の若者に一首目の歌を見せたらまず理解してもらえないだろう。現代歌人協会は『2020年 コロナ禍歌集』(2021年)、『続コロナ禍歌集 2011年〜2022年』(2022年)を相次いで刊行している。このようなアンソロジーは時代の記録として貴重である。巻末に添えられた大井学の手によるコロナ禍をめぐる出来事の年表は記録として価値が高く、私たちがいかにすばやく物事を忘れるかを思い知らせてくれる。

 鯨井は名歌をめざしているわけではないので、集中で特によいと思った歌を選び出すことには意味がない。そのかわりにいちばん鯨井らしいと感じた歌を一首引いておこう。

玄界灘の波濤めがけて走り出すともだちのいま生きている背中

 ここには「むきだしの〈今〉」と、その〈今〉を生きている〈私〉がある。現代の若い人たちの作る短歌の動向のひとつは、このような「むきだしの〈今〉」をコトバで定着することにあるようだ。

 

第354回 澤本佳步『カインの祈り』

患いて街を離れたわたくしをやさしく照らすヤコブの梯子

澤本佳步『カインの祈り』

 本歌集の巻頭歌である。ヤコブの梯子とは、冬の日に空を覆う厚い雲の切れ目からスポットライトのように地上に差し込む一条の陽光をいう。それは天国へと続く梯子のように見える。この歌とこれに続く「この病は主の栄光を現すと語ったイエスに縋りつくのみ」という歌によって、作者の置かれた境遇がほぼわかる。簡明にして十分な自己表現であり、歌集の序章としてこれに優るものはなかろう。

 作者の澤本は1972年生まれ。あとがきによると、歌集出版に至る経緯がいささか特異である。澤本はどうやら一人で短歌を作っていたらしいが、通っている教会員から歌集出版を薦められたという。教会のパンフレットなどに短歌を掲載していて、それが教会員の目に触れたのだろう。やがて歌集『ダスビダーニャ』の作者の西巻真とネット上の交流があり、その薦めもあって同じ明眸社から刊行するに至ったという。堀田季何、富樫由美子、西巻真が栞文を寄せている。歌集題名は集中の「幾人を煩わせたか省みるほどに切なるカインの祈り」から取られている。カインは旧約聖書の登場人物で、アダムとイブの子供であり、神に愛された弟のアベルを嫉妬から殺した人である。カインは罪人の原型として捉えられており、その名を歌集題名に入れた作者の心情も窺うことができる。

 献本を頂いた折に添えられていたお手紙にもご自身が精神の病を患っていると記されており、本歌集のあとがきにもそう書かれているので、それを踏まえて本稿でもそのことに触れる。澤本の短歌を理解するために欠かせない要素だからである。しかし言うまでもないが、それが短歌の評価を左右することはない。また上に引用した歌からもわかるように、作者はキリスト者であり信仰に生きる人である。この「病と信仰」が澤本の短歌を刻印する二つの大きな印章である。

健常に見えると励ますやさしさの底を流れる偏見を嗅ぐ

展望を問うのひかり稼がねば無為に過ごしているとばかりに

死を希うつぶやき口に押し戻し浴槽みがく新涼の昼

充血の眼にて追うハンセン病歌集に見えるめしい生活たつき

 一首目、自らの病を告げた人から「健常者に見える」という言葉が返って来て、その背後に精神病者に対する偏見を感じたという歌である。二首目は将来の展望を訊ねる人の残酷さを詠んだ歌である。このように病は自身の体の内部に留まるものではなく、周囲の人たちとの関係性という側面も持っていることがよくわかる。三首目は希死念慮の歌。死を願う暗い想念と、磨き上げられた浴槽の輝きや新涼の候の清々しさの対比がまばゆい。四首目のハンセン病はかつて癩病と呼ばれていて、病状が進行すると失明することがあった。そんな人はどのように暮らしを立てていたか知りたくて目が充血するほど歌集を読むという歌である。いずれも切れば血が出るような歌であり、読んでいて一瞬言葉に詰まる。

 精神の病ではかかる医師が重要な役割を果たすと聞く。ここにもまた病と周囲の人々との関係性がある。医師の診療を受ける場面を詠んだ歌も少なくない。

教会はほどほどにとの墨付に煙たがりつつ安堵も少し

信心と妄想分かてぬ医師に就き九年目に聞く父君ふくんが僧と

いずれ来る死を主のもとへ帰る日と恐れぬわれに医師の頷く

教会を排した亡き院長と真逆にわれの信仰を褒む

マンモという語が出てこずに合わせる手 無花果めきて主治医の前に

 一首目にあるように、信仰もけっこうだがほどほどにするようにと忠告する医師がいるのだろう。病は入信のきっかけとなることも多い。一首目の医師と同じ人だろうか、二首目の医師は宗教を妄想だと考えている。しかし聞いてみれば何と父親が僧侶だったという。医師にも親への反発があるのだろうか。三首目では医師は作者の信仰を否定することなく受け容れている。四首目にあるように、先代の院長は信仰は精神疾患に有害だと断じていたが、現在の院長は宗教を認めているようだ。作者は乳癌を発症して片方のリンパ節を切除している。検査のためにマンモグラフィーを受診しようとしているのだが、名前が出てこないので、乳房を両側から挟む仕草で伝えようとしている。両手を合わせた形がイチジクに似ているというが、イチジクは聖書にも登場し、キリスト教と馴染みの深い果物である。

 作者は病のため一般の就職を諦めて作業所に通っている。次は作業所での労働詠である。

スプーンの検品をしてかじかんだ手が編み物の毛糸を慕う

百円の工賃の重み噛みしめる仕事を終えてジュース買うとき

ダンボールの組み立てさえも褒めてくれる作業所にいて優しさに馴る

生き死にを茶化せるわれを遠のいて昼餉の卓につく僚友メンバー

 いずれも歌意は明らかで説明の用はない。バブル経済が破綻してからの低成長社会を生きるゼロ金利世代(by穂村弘)は非正規雇用が多く、そのような社会事情を背景として「生きづらさ」を詠む短歌が一時増えた。鳥居の言う「生きづら短歌」で、映画化もされた萩原慎一郎の『滑走路』がその代表格だろう。しかし生きづらさの原因はいじめや貧困や非正規雇用だけではない。病もまたその原因のひとつである。上に引いたような作業所の歌を読んでいると、まるで現代版の『蟹工船』を目の当たりにしているような錯覚を覚える瞬間がある。

 私が本歌集を通読して頭に浮かんだのは旧訳聖書の「ヨブ記」である。ヨブは義の人であるにもかかわらず、次々と災厄に見舞われる。「神がもし私を愛しているのならば、なぜ私にこのような試練をお与えなるのか」というのは答のない問である。

 病に苦しむ澤本が向かうのは神への信仰である。

クリスマスギフトを夫君ふくんに選びつつ迷う信徒の眼差やさし

身内にも「気が狂った」と言われた主イエスはわれと痛みを分かつ

御言葉みことばを繰りつつ卑語に親しんだわが舌の罪知るラリるれろ

橋わたる車のフロントガラスへと神の指が刷きゆくすじ雲を

 教会にはさまざまな人が集う。教会は裁きの場ではなく赦しの場である。教会員との交流と教会活動は作者にとってかけがえのない大切なものだろう。二首目は大工だったイエスが突然神の福音を説き始めた時、周囲から気がふれたと見なされたというエピソードに自らの境遇を重ねた歌である。

 自ら望まぬ境遇に陥ったとき、人が辿る道程にはいくつかのパターンがあるという。まずは怒りである。自分はちっとも悪くないのに、なぜこんな目に遭うのかと、社会に怒りをぶつけ天を呪う。二つ目は自責と迷いである。こんなことになったのは、あの時のあの行動が原因なのではないかと、思念の迷路を彷徨し自分を責める。三つ目は受容であるが、ここに至る道は平坦ではない。「自分がこうなったことには私には知り得ぬ意味がある」という境地に達するにはある種の悟りが必要だろう。宗教がその用をなすことは言うまでもない。ヨブもまたこれは神が私に与えた試練だと考えたのである。

 ここまで主に作者の置かれた境遇を軸に歌を見ていたが、それを離れて純粋に歌を眺めても見るべき点は多い。それは物事の細やかな観察と、それを歌へと組み立てる技倆である。

 

作業所の南瓜をもらい帰りくる重みに幾度も持つ手を換えて

ギャルソンのワンピースに空く虫食いに遠ざかりゆく春の後姿うしろで

陽炎のうごく路へと持ち出したトラクトにある教の字いびつ

単4の電池はずせば後方しりえうくヴォイスレコーダーは添水そうずのように

幻聴の顕ちては消える速さもて検索かける午睡のiPhone

 

 一首目、作業所からカボチャをもらって帰宅する道すがら、カボチャを持つ手をときどき換える。手の感覚がよく詠まれている。「重み」はなくてもよい。二首目のギャルソンはDCブランドのコムデギャルソンだろう。自分はもうこんなワンピースを着ることはないという寂しさが虫食い穴と逝く春で表現されている。三首目のトラクトとは、宗教や政治で訴えることを書いて配布するパンフレットのこと。「宗教」か「キリスト教」と印刷されている「教」の活字が歪んでいるのだ。四首目の「添水」は日本庭園によくある鹿威しのことで、辞書を引いて初めて知った。竹筒に水が溜まると重みで頭が下がり、元に戻るときに「カーン」と音のするものである。この歌ではボイスレコーダーの電池を外すと、まるで鹿威しのように尻が浮くことが詠まれている。よくこんな連想が働くと感心する。五首目の上句は喩なのだが、そこに使われているのが「幻聴」であることが特異である。目にも留まらぬ速さでネット検索しているのだろう。

 澤本は代読ボランティアをしている。そのことを詠んだのが次の歌である。

 

裡に読む音調いつかsyllableより山茶花になりきたる〈手のひら〉

 

 日本語のアクセントの問題で、少し解説が必要だろう。音の上がり下がりを↗と↘で表すと、標準語ではsyllableは「シ↘ラブル」で、山茶花は「さ↗ざ↘んか」となる。この歌ではもともとは「て↘のひら」と読んでいたのが、いつしか「て↗の↘ひら」と読むようになったと言っているのである。アクセントに迷った時に頼りになるのが『NHK日本語発音アクセント新辞典』(NHK出版、2016年)である。この辞典で「てのひら」を引くと、第一候補が「て↘のひら」で第二候補が「て↗の↘ひら」となっている。第一候補が最も推奨されるアクセントなのだが、第二アクセントで発音する人もいる。この細かい変化に自ら気づき、それを適格な言葉で表現していて注目した。

 何のために歌を詠んでいるのかよくわからない歌集もままある中で、歌を詠むことの切実さを強く感じられる歌集である。「文学は人を救う」と大きな声で言うことにはいささかのためらいもあるが、短歌が人を救うことがあるのはまちがいない。

 


 

第353回 水原紫苑『快楽』『天國泥棒』

美しきナイフ買ひたしページ切り天球のごときまなこ切るべし

水原紫苑『快楽』

 その昔、欧州では本は簡易製本の仮綴本で販売されていた。購入者は買った本を製本屋に出して、革表紙に金箔押しなど好みの装幀をする。仮綴本はページを裁断せずに売られていた。これをアンカット本、またはフランス装という。買った人が読む時に自分で切らなくてはならない。このために発達したのがペーバーナイフである。私が学生時代に買ったガリマール社の小説本はフランス装だった。それをナイフで切ると、大人の世界に足を踏み入れたような誇らしい気がしたものだ。今ではフランス装の本は売っていないので、ページを切るのは古書を買った時に限る。ちなみに2010年にDIC川村記念美術館で開催されたジョゼフ・コーネル展のカタログは、高橋睦郎の賛を収録したフランス装という凝った造本だった。私は千葉県の佐倉までこの展覧会を見に行きカタログも買ったのだが、もったいなくてまだページを切っていない。

 掲出歌の上句で詠われているのは、買った小説本のページを切るのに美しいナイフが買いたいということだ。一方、下句の「天球のごときまなこ」で私が思い浮かべたのは、幻想的な画風の画家オディロン・ルドンの「キュクロプス」と「エドガー・ポーへ」という作品だ。前者にはギリシア神話の一つ目の巨人が、後者には気球のように空に浮かぶ眼球が描かれている。ページを切ったナイフの返す刀で巨大な眼球を横に切り裂くという。これを喩と取れば、ページを切って小説の作品世界に参入するには、相手の眼球を切るほどの覚悟が必要だというほどの意味が浮上するが、水原の歌としてこれではあまりおもしろくない。水原の歌の魅力は、現実世界と思念の世界を強引に接続するところにある。だから下句はナイフからの連想でふと脳裏に浮かんだ思念と取っておく。

 『快楽』は2022年暮に上梓された水原の第十歌集である。標題は古語で「けらく」と読む。2020年から2022年までに詠んだ753首を収録した大部の歌集で、通読するのにものすごく時間がかかる。この歌集は第57回超空賞と第21回前川佐美雄賞をダブル受賞している。それから半年も経ないうちに『天國泥棒』が出版された。こちらはフランス堂のHPに1年間毎日連載された短歌日記をまとめたものである。標題の天国泥棒とは、それまでやりたい放題の人生を送った人が死ぬ間際に天国に行く事を願って受洗することを言うらしい。こちらには念願叶ってフランスに旅行した折の旅行詠が多く収録されている。今回は『快楽』と『天國泥棒』の二冊を続けて読んだのだが、歌の質の違いが感じられてなかなか興味深かった。

 『快楽』を読んで気の付いたことが三つほどある。ひとつはキリスト教への言及のある歌が多いということだ。歌集の表紙の写真がシテ島のサント・シャペルのステンドグラスなので、いやでもそのことを感じない訳にはいかない。

 

聖靈がをとめを犯す瞬間をいくたびも想ふ受洗戀ひつつ

もつれあひわれら入りゆくシャルトルの大聖堂へ靑き蝶たち

馬小屋のヨセフくれなゐの心臓を天に向けつつはたらきやまず

基督の妻なるマリー・マグダレナ髪ふりみだし聖母に向かふ

無原罪のマリアを生みしアンナその老いたる産道くらぐらとして

ふらんすの身軆に沁むカトリックふれなむとして黄なるてのひら

 

 かつて水原は能や歌舞伎などの日本の古典芸能に親炙していたが、現在は聖書を通じてキリスト教の世界に接近しているようだ。しかしその心理は一首目にあるように受洗を願いつつも、六首目のように東洋人である自分を自覚するという具合で、複雑に折り畳まれていることが感じられる。しかしながら信仰は魂の問題なので、これ以上触れないこととしよう。

 もうひとつ感じたのは、父母への感情の屈折である。父母を詠んだ歌も集中のそこここに散見される。

 

二・二六事件に心寄せたりしちちのみの父よ老いて天ちやんとよびき

ちちのみの父虐げし報いにやいのりの羅典語こゑとならずも

わたくしは三たび否みき 父の愛 母の愛 きみの愛 朝焼

母よりも白犬さくら愛せしよ犬のごとく死なむわれなりければ

ちちのみの父をなみせしわれは今ささがにの蜘蛛に蔑せられける

冥界ゆわが名を呼べる父のこゑいくさびとなる底昏きこゑ

 

 水原は先の大戦で父親が皇軍兵士だったことにわだかまりを抱いているようだ。しかし当時は徴兵制があり、該当する年齢の男子はみんな召集されたものだ。私の父も海軍に召集されて海防艦に乗っていた。第一歌集『ぴあんか』に、「母は北、父は南に生まれしが今宵の河のなどかげりゆく」のように父母を詠んだ歌はあるが、本歌集で詠まれた父母はより影が濃い。

 三つ目は今までの水原の歌にはあまり登場しなかった政治と時局の歌である。

 

昭和天皇いまだ裁かれずそのすゑを崇むる不條理、太陽のごと

改憲を許さじと思ふひるさがり毛蟲のたえなるフォルムに見入る

天皇制、自衛隊容認のリベラルを訝しむとき露草濡るる

戦争は海彼にあらず夾竹桃あかあかと咲く脳髄ゆ來る

そらみつ大和の僭主ティラン大和に死にてんげり あはれにあらずただあな、とのみ

裁かれて無惨の生を全うせよ それのみに希ひし延命のこと

國葬はくにを葬る秋ならばかへらざるべし血の蜻蛉島あきつしま

 

 憲法九条遵守と言いつつ天皇制と自衛隊を容認するリベラル政治勢力を痛烈に非難する歌が続く。「改憲を望まずさあれ第一条のみは認めがたしも象徴は言葉」と断じる歌もあり、水原の舌鋒は鋭い。特に驚いたのは五首目以下の安部元首相暗殺事件を詠んだ一連である。連作の題名は「僭主ティラン」という。内閣の史上最長不倒を達成し、首班を辞してからも党内に隠然たる勢力を保持していた安部元首相を古代ギリシアの僣主になぞらえたものである。

 しかし集中で最も多く詠まれているのは疑いなく愛犬さくらだ。

 

わが愛をうたがひにける白犬かさくらといふ名の罪を負はせし

白犬を喪ひしより飲食おんじきは華やぐ常に最後の晩餐

パリの橋そのいづれかに出會ふらむ亡き犬きよらなる物乞として

亡き犬の匂ひ残れるうつそみのあはれといふは雪月花のほか

亡き犬のクローンはつか夢見たるわれを罰せむ立枯れ紫陽花

亡き犬は高貴なる他者に在りにしを妻とよびたりゆるさるべしや

 

 旅立った白犬さくらに寄せる作者の愛情はひとかたならぬものであり、体に犬の幻臭を感じ、クローン技術によって犬をこの世に甦らせることを夢想すらしている。

 5月21日の朝日新聞の短歌時評で小島なおは、最も水原紫苑を感じる歌として「夏生みし虹の娘が瞬間の生にあらがふ脚のいとしさ」という歌を挙げている。今にも消えようとする夏の虹を詠んだ歌である。しかし私がいちばん水原らしいと感じるのは次のような歌だ。

 

バケツまた存在にして倒立のゆゑよし問へり師走廿日朝

 

 12月20日の朝、起きてみるとバケツが上下逆さまに置かれているのを見て、なぜ逆さまなのかと自問したという歌だ。バケツが天地逆になっているというような些末なことを存在論の謎としてかくも格調高く詠めるのは水原を措いて他にいないだろう。かと思えば「ふらんすにゆきたけれどもあかねさすふらんす文學はわれを救はず」のようにストレートな歌が時々混じっているのも楽しい。

 『天國泥棒』は短歌日記なので日々の暮らしが詠まれていて興味深い。「機中なるわれはわが家に遺言書テスタマン置きて來にけりねむらざる犬よ」という歌のある8月15日から水原はフランスに滞在していて、本書の後半はフランスの旅行詠となっている。

 

ノートルダム大聖堂は羞ぢらふその胸處むなどあたり男が登る

ルーヴルの硝子のピラミッドあやにくにかがやかずけりたれも入れぬ

 

 ノートルダム大聖堂は2019年4月に火災に遭い現在は修復工事中である。登る男は作業員だろう。ルーブル美術館の入口はイオ・ミン・ペイが設計したガラスのビラミッドだが、当日は休館日だったのだろう。今も変わっていなければ休館日は確か火曜日だった。本書は短歌日記なので、『快楽』に較べてわかりやすい歌が多い。とはいえ次のような水原らしい高踏的な歌も収録されている。

 

曼珠沙華な咲きそ咲きそ黑海にオウィディウスの泪流るる秋は

 

 『快楽』と『天國泥棒』の両方を読めば、水原の豊穣な短歌世界を満喫できること請け合いである。


 

第352回 小川楓子『ことり』

ドアノブの磨れてとほくに春の潮

       小川楓子『ことり』

  ドアノブの表面が磨れているのだから、素材はおそらく金属だろう。昔の洋館ではよく真鍮のドアノブが使われていた。無人の古いお屋敷を思い浮かべる。そこにはドアノブが磨れるほどの長い時間が流れたのだ。途中から景は一転して海の景色となる。春の大潮は3月初旬に訪れる。屋敷の窓から海が見えると取ってもいいが、ここでは洋館の一室に佇む視点人物が遠くの海に思いを馳せていると取っておく。そうすると薄暗い室内から春光溢れる海の景色へと場面が転換する。暗と明、静と動、室内と屋外の対比が感じられる。そして句の背後に何かの物語を想像したくなる。そのように読む人を誘う句ではなかろうか。

 小川楓子は1983年生まれ。「海程」に入会して金子兜太に師事する。後に山西雅子の「舞」に入会。『ことり』は2022年5月に刊行された第一句集である。版元は港の人。ハトロン紙でくるんであるが、版元の方針で帯はない。小川の俳句はすでに『超新撰』(邑書林、2010)、佐藤文香編著『天の川銀河発電所』(左右社、2017)で読んでいるが、まとまった句集として改めて読むとまた印象が少しちがう。

 通読して気づくのは季語に植物が多いことである。おそらく作者は植物が好きなのだろう。

沖まで来よスイートピーにむせながら

クロッカスになつてしまふよあなたから

あぢさゐの開きはじめの海光り

桔梗と切りつぱなしの風を待ち

皇帝ダリア雨降りさうで降らなさう

 一句目のスイートピーは晩春の季語。文久年間にすでに日本に渡来していたという。松田聖子の「赤いスイートピー」が有名だが、実はスイートピーに赤いものはないらしい。春らしい浮き浮きした気分の句で、この明るさが小川の身上だ。二句目のクロッカスも春の季語。ナルキッソスが水仙になるのはギリシア神話だが、この句ではクロッカスになるというのがおもしろい。近藤芳美に「クロッカス咲かむとしつつ黄のつぼみ光を包む如きこの夜半」という歌があるように、清新な印象を与える花である。三句目の紫陽花は夏の季語。紫陽花ほど短歌や俳句に詠まれた花はなかろう。山口優夢の「あじさゐはすべて残像ではないか」という句はよく知られている。四句目の桔梗は「きちこう」と読み秋の季語。この句には意味の転位がある。切りっぱなしなのは実は桔梗なのだが、それを風の方に付け換えたのがおもしろい。五句目のダリアは夏の季語。昔、ダリアはよく家の庭に植えられていたが、近ごろはあまり見かけない。ダリアと言えば「南浦和のダリアを仮のあはれとす」という攝津幸彦の句が頭に浮かぶ。この五句目のように会話体の話し言葉を交えるのも小川の得意技のようだ。会話体を使うと句の背後に人物と体温を感じさせる効果がある。

 季語は俳句の世界に入る回転ドアのようなもので、季語をくぐってこのように自由に連想を広げることができる。かつてフランスの文芸批評家ジュリア・クリステヴァは、テクスト同士が結び合う関係性を「間テクスト性」(intertextualité) と呼び一世を風靡したが、何のことはない、日本の韻文ではそれこそ古今集の昔から和歌は他の和歌との関係性に基づいて作られていて、読み手もそれを心得ていた。「間テクスト性」は日本の文芸の際だった特性なのである。

 小川の俳句の特徴のひとつに、まるで作者の息に合わせるかのように句が伸び縮みすることが挙げられる。集中のほとんどの句は五・七・五の定型なのだが、ときどき次のような句が混じる。

たれも想はず茶摘籠いつぱいに

胸のなかより雉を灯して来りけり

夏霧の馬車はかなしみを乗せない

わらへつて言ふから泣いちやへががんぼ

永日のきみが電車で泣くからきみが

 一句目は意味で区切ると七・五・五となる。二句目は七・七・五、三句目は句跨がりになっていて、意味で切ると五・八・四となる。四句目は五・八・四、五句目は五・七・七である。ずっと五・七・五の定型句が並んでいると、まるで自動運転の電車に乗って運ばれているような錯覚を覚えることがある。塚本邦雄が言った「オリーブ油にマカロニを流したような」状態である。しか途中に上のような句が混じっていると、読む人の定常的リズムが崩れて、舗道の敷石につまずいたようになる。そのリズムの崩れの中に、作者の息遣いと個の体温がふと感じられることがある。歌舞伎役者がよく言うように「型があっての型破り」であり、俳句でも定型あっての破調である。着物を着慣れた人は着崩すのがうまい。

 人気TV番組「プレバト」の俳句コーナーの師匠、毒舌先生こと夏井いつきがいつも言っているように、俳句には「詩の欠片」が必要である。俳人はどうやって詩の欠片を見つけ出すのだろうか。これに悩む人は多かろう。この問には三つの答が考えられる。一つ目は「詩の欠片は日常の暮らしの中にある」という答である。アスファルトの車道と歩道の間に在来種のタンポポが一輪花をつけている。朝まだき軒下に蜘蛛が掛けた巣の糸に朝露が光っている。日常の暮らしを見つめればそこに詩の欠片があるというわけだ。しかしものを見ても心が動かなければそこに詩の欠片はない。だから二つ目の答は「詩の欠片は私たちの心の中にある」というものだ。タンポポは外界という現実の世界にあるが、私たちが「あっ、タンポポが咲いている」と認識しなければタンポポというものはない。そこにあるのは単なる黄色のかたまりである。さらに進んで三つ目の答も考えられる。車道と歩道の隙間にけなげに咲いているタンポポを詩の欠片に昇華するためには、それを言葉にしなくてはならない。それも単なる言葉ではなく五・七・五の韻文に落とし込むのである。そのとき私たちが頼るのは、今までに覚えた言葉と、読んできた俳句という言葉の宇宙である。その広大無辺の言葉の宇宙の中を渉猟し、ぴたりと収まる言葉を探す。言葉と言葉が共鳴しあうことも、ぶつかって火花を散らすこともある。だから第三の答は「詩の欠片は言葉の中にある」ということになる。

 言い換えれば、一つ目の答は「現実」、二つ目の答は「現実の認知(認識)」、三つ目の答は「言語化」となる。この三つのプロセスのどれに重点を置くかで、句に向き合う姿勢に違いが生まれる。一つ目と二つ目は不要で、三つ目だけで十分だという向きもあろう。しかしいずれにしても詩の欠片が生まれるには、このプロセスを通ることが多いだろう。

開けられぬ雨の包みを木犀を

銀紙にみなふれてゆく冬帽子

わが産みし鯨と思ふまで青む

たふれたる樹は水のなか夏至近し

ありつたけの夏野菜はてしなくわたし

雨はまだゼラニウム散る駐車場

渡り鳥シーツに椅子の影落ちて

 特に気になった句を集めた。比較的わかりやすいのは五句目の「ありつたけの」や七句目の「渡り鳥」だろう。情景が想像しやすく、詩的飛躍が抑えられているので、日常的な意味との接続がまだできる。一方、一句目「開けられぬ」は言葉同士の距離が相当離れている。欠けているものを補って読むこともできるかもしれない。それは外からの物語の補填である。しかしこのまま読んで、語が喚起するイメージを摺り合わせるようにして読んでも十分に美しい。

 若葉風の時候の今、雨上がりの静かな庭で日曜日の昼下がりに読みたくなる句集である。

 

第351回 大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

蓮の花ひかりほどかむ朝まだき亡き父母近し老い初めし身に

大塚寅彦『ハビタブルゾーン』

 前歌集『夢何有郷』から数えて実に12年振の大塚の第六歌集である。書肆侃侃房の現代歌人シリーズの一巻として刊行され、奥付の日付は今年 (2023年) 4月8日となっている。今年の復活祭は4月9日の日曜日だったので、その前日ということになる。この日付にもまた意味が籠められているようにも感じられる。歌集題名の「ハビタブルゾーン」とは、宇宙の中で人類が生きることのできる生存可能領域のこと。

 あとがきには12年間の作から240首を選んだとある。創立100年を迎えた中部短歌会主宰の大塚ならば、この間に詠んだ歌は相当な数に上るにちがいない。その中から240首のみを選んだのは意図あってのことである。あとがきには自分では長年「相棒」と内心呼んでいた女性が6年前に他界したと書かれている。そして一冊くらい死者と自分のためにまとめたものがあってもよかろうと本歌集を編んだという。つまり本歌集は相棒とまで見なした人に捧げる鎮魂の書なのだ。世に鎮魂の書があるとするならば、本書ほどその名にふさわしい書物はあるまい。

 その中で第一部の「ハビタブルゾーン」の一連では、今は亡き父母と過去の記憶が詠まれている。掲出歌はその一連の最初の歌である。

古びたるアルバムたどるわがまみにふと宿りたり死者のまなざし

母の差す日傘のしたに影踏みて衛星のごとたましひありき

兵たりし父なりいくさ現身うつしみのかそきき創にとどめゐしのみ

棘満ちて祈りの響き立つる円筒つつオルゴール〈月の光〉零せり

メアド無きメールか短歌うたは 遺影にて君笑まふなり@heavenアット・ヘヴン

 一首目はセピア色と化した古い家族アルバムをめくっている場面である。今は亡き父母の写真を眺めていると、ふと自分もあちら側にいるかのような気分になる。二首目は幼き日の思い出で、母の回りをぐるぐる回っている幼児期の自分。三首目は太平洋戦争に出兵した父親の歌で、体に戦いの傷が残っている。四首目のオルゴールが奏でるのはドビュッシーのビアノ曲である。五首目では短歌は送信先のメールアドレスのないメールのようなものだとしている。確かに古来歌は誰かに送るものだったはずで、近代短歌は送り先のいない歌とも言える。

 本歌集の中核をなすのは第二部と第三部である。第二部の初めでは、作者の相棒の女性は癌に罹患し闘病している。

輪廻など語ることなく六道の辻を行きたり癌病む女とひと

六道の辻地蔵尊の斜向かひ〈幽霊子育飴〉ひつそりと在り

何ほどのこともあらずと死を言ひし師の心ふ病む人とゐて

息の緒をたぐる思ひか余命とふ一日一日ひとひひとひひとの生くるは

生きてある実感きみに沁みゆけと口に運べりわづかなる餉を

 一首目と二首目の六道は、京都市東山区にある六道珍皇寺とその界隈で、幽霊子育飴は、幽霊が子を育てるために飴を買いに来たという伝承があり、実際に販売されている飴である。歌意を解説する必要もないほど過不足ない言葉で、癌を病む人の残された生に寄り添う姿が詠まれていて心に迫る。

 第三部でその人とは遂に幽明境を異にすることとなる。

さくら散るときを選びし君なるや魂鎮めとも花びらの舞う

汝が願ひかなひて母の手を握り声なく逝けり睡るごとくに

火葬するけむりますぐに大空も超えて昇れよきみがたましひ

余剰なきこつの浄さよ火のなかに癌は消えたり君をせしめ

あじさゐの色うつろへど君あらぬ日々変はるなし花毬はなに降る雨

 すべては鎮魂と喪失であり、桜の花散る季節に逝った友への思いは紫陽花に降る六月の雨も流し去ることはかなわない。これらの歌はまさに送信先を失った歌であり、作者の振り絞る喉を出て虚空に響く思いがする。

 そもそも言葉には呪的機能があるとも言われているが、なかでも和歌は古来よりその性格が濃い。天皇が丘の上から都を眺め国の栄えを言祝ぐ歌には、そうあれかしという願望と祈りが籠められている。歌は誰かに贈るものだとするならば、挽歌はこの世を離れた死者に贈る歌である。そのとき歌は、近代を迎えて片隅に押しやられた暗闇の中に埋もれ忘れ去られた呪的機能を再び取り戻すがに立ち上がる。大塚の挽歌にはそのような歌の力が籠もっているように感じられる。

秋水をらして己が死を得たる三島おもひし師や病む日々に (師・春日井建)

残されしとも仰げり切れはしの虹ほのかにも架かるゆふぐれ

しろき蝶けむりの如く翔ちゆきし苑生は碑なき墓処はかどならずや

黄金おうごんの花粉の豪奢まとふ鳥待つや深紅の椿けつつ

行きなきはなびら集ふ花いかだすべきたまや待ちてたゆたふ

 一首目の秋水とは刀のこと。「我らは新たな定家を得た」という推挽の言葉を若き春日井に与えたのは三島由紀夫である。大塚の作る短歌を読んでいると、まるで精密機械のように、入念に選ばれた言葉が置かれるべき場所を得て、カチッと嵌まる音が聞こえるかのようである。二首目の虹、三首目の蝶、四首目の鳥はとりわけ死者の魂と繋がりの深いものであり、ここに選ばれているのは決して偶然ではない。鎮魂の書の一巻を編んだ作者の心を思い瞑目するばかりである。

 

第350回 小津夜景『花と夜盗』

天秤の雪と釣り合ふ天使かな

小津夜景『花と夜盗』

 『花と夜盗』(2022年、書肆侃侃房)は第一句集『フラワーズ・カンフー』(2017年)に続く小津夜景の第二句集である。『フラワーズ・カンフー』は本コラムにて2016年の年末の回に取り上げた。同句集はそののち田中裕明賞を受賞している。この間に小津は、『カモメの日の読書 — 漢詩と暮らす』(2918年、東京四季出版)『いつかたこぶねになる日 — 漢詩の手帖』(2020年、素粒社)の二冊の本を上梓している。いずれも漢詩の和訳とそれにまつわるエッセーをまとめた本で、一読すると「この人はいったい何者?」と驚嘆すること請け合いである。才人であることは疑いない。

 さて、『花と夜盗』だが、読み終えた感想は前回と同じで申し訳ないが「俳句は自由だなあ」というものだ。これは一見すると矛盾を孕んでいる。短歌には五・七・五・七・七の三十一音節(モーラ)という形式上の決まり事以外に何の制約もない。文語(古語)で詠んでも口語(現代文章語)で詠んでもいいし、漢字だらけだろうとひらがなばかりだろうと、啄木のように分かち書きしてもいい。これに対して有季定型俳句には季語が必要で、季重なりは忌避され、切れ字というよくわからないものまである。短歌に較べて決まり事だらけのように見えるのだが、逆に俳句の方が自由に見えるのがおもしろい。その昔、詩人ポール・ヴァレリーは「制約は精神の自由を生む」と喝破したが、そういうことなのかもしれない。

 『花と夜盗』の何が自由かというと、それは短詩型の形式とそれに対峙する作者のスタンスの両方に認められる。本句集は「一、四季の卵」、「二、昔日の庭」、「三、言葉と渚」という三部構成になっている。第一部はふつうの有季定型俳句だが、第二部では思い切り遊んでいる。

 「陳商に贈る」と題された一連は李賀の「贈陳商」を元にした連句による翻案だという。次のように始まっている。

長安有男児 長安の都にの子ありにけり

二十心巳朽 はやも朽ちたる二十歳の心

 「貝殻集」は武玉川調の俳句だとされている。「武玉川」とは、江戸時代中期に紀逸という人が編纂した俳諧書で、五・七・五の形式と並んで七・七の付句も含まれていたようで、その形式を指しているのだろう。最初は読むのに少しく苦労したが、短歌の下の句と思えば読みやすい。本来付句なのでまちがった読み方ではなかろう。

花降る画布に聴く手風琴

ある晴れた日の水ぬるむ壺

 続く「今はなき少年のための」は白居易の漢詩を短歌で翻案したもの。BLの匂いが香しい。

門前のものさびしくてなほのこと親しみあへり風のまにまに

花かげをかたみにふめば相惜しむ逢瀬にも似てわかものの春

 次の「ACUA ALLEGORIA」は、Paul-Louis Couchoud他によるフランス語の最古の句集 Au fil de l’eauの俳句による翻訳。原題は「水の流れのまにまに」という意味である。

Dans un monde de rêve,          夢の世を

Sur un bateau de passage,        渡る舟にて

Rencontre d’un instant.           ちよつと逢ふ

 「研ぎし日のまま」は原采蘋の「十三夜」の短歌による翻案だという。原采蘋はらさいひんは江戸後期の女性の漢詩人らしい。

蒼茫煙望難分

ぬばたまの霧蒼ざむる夜となり迷子のわけをほの語らひぬ

 続く「サンチョ・パンサの枯野道」は一転して都々逸である。

水に還つた記憶の無地を虹でいろどるフラミンゴ

 また第三部冒頭の「水をわたる夜」は訓読みが長い漢字を選び三つ組み合わせて俳句に仕立てたもの。

璡冬隣 たまににたうつくしいいし/ふゆ/となり

 ひと通り紹介するだけでこれだけ行数を費やすほど、作者はまるで浅い川の飛び石を跳んで渡るかのように、形式の間を自由自在に移動する。何物にも囚われぬこの自在さとフットワークの軽さが小津の持ち味である。それは幼い頃から引越しを繰り返し、長じてはフランス北部の港町ル・アーブルに流れ着いたという一所不住の生き方ともどこか重なる所がある。

 『フラワーズ・カンフー』を読み解くために、「音の導き」と「プレ・テクスト」という二つのキーワードを使ったが、今回は「音の導き」はあまり感じられなかった。一方、「プレ・テクスト」の方は健在で、やはり小津はコトバから俳句を作る人なのだと改めて感じた。短歌とちがって俳句の世界で「コトバ派」と「人生派」という区別はあまりしないようだが、小津は明らかにコトバ派の俳人である。それは次のような句に特に感じられる。

カイロスとクロノス共寝すれば虹

秋は帆も指すなり名指しえぬものを

パサージュの夢かたすみの虫の声

後朝のキリマンジャロの深さかな

ゲニウスロキの眠り薬の初釜よ

恋の泡ごと消えたドルフィン

 一句目のクロノスは時計で計測することができる物理的時間を表す。ではカイロスは何かと調べてみると、驚いたのは『ブリタニカ国際大百科事典』の解説である。それによるとカイロスとは、「クロノスの一様な流れを断つ瞬間時としての質的時間」であり、神学者ティリヒは「永遠が実存に危機をもたらしつつ時間の中に突入してくる卓越した瞬間」としたとある。あまり要領を得ないが、韓国ドラマに「カイロス — 運命を変える一瞬」というタイトルのものがあるところを見ると、日常的な時間の流れを断ち切るような特権的瞬間ということらしい。この句が「クロノス」と「カイロス」という言葉から発想されたのはまちがいなかろう。

 二句目を読むとどうしても、「語り得ぬものについては沈黙しなくてはならない」と言ったウィットゲンシュタインの言葉を思い出し、ついでに哲学者野矢茂樹の『語りえぬものを語る』という本まで連想が働く。三句目を見ると自然にベンヤミンの代表作『パサージュ論』が脳裏に浮かぶ。パサージュとは、19世紀に流行ったアーケード付きの商店街である。今でもいくつか残っていて、往時のパリの姿を偲ぶことができる。四句目のキリマンジャロはアフリカの山ではなくコーヒー豆の種類だろう。「深さ」とはコーヒーの苦みの深さと取ったが、その奥にヘミングウェイの短編の影が揺曳する。五句目のゲニウスロキはラテン語の genius lociで「土地の精霊」「地霊」を意味する。フランスの小説家ミシェル・ビュトールにこの名を冠した評論があり、愛読する鈴木博之の著書『場所に聞く、世界の中の記憶』(王国社)の帯には「世界の地霊ゲニウス・ロキ を見に行く」と謳われている。ここではその土地に宿る歴史的記憶の意味で使われている。六句目を読むとどうしても松任谷(荒井)由実の名曲「海を見ていた午後」を思い出してしまう。この歌の舞台は横浜の山手にあるドルフィンという喫茶店で、「小さなアワも恋のように消えていった」という歌詞があるのだ。

 思いがけず長い文章になってしまった。付箋の付いた句を挙げて締めくくろう。

ものぐさでものさびしくて花いくさ

ギヤマンに息を引きとり昼の翳

とひになる蝶湧く画布を抱きかかへ

とびとびにいとをつまびく秋の蝶

あやとりの終はりはいつも風の墓地

さへづりや森はひかりのすりがらす

夏の岬にオキーフの佇つ

砂に譜を描けば遠き汽笛かな

 三句目は「ルネ・マグリット式」と題された一連の中の句なので、シュルレアリスト的奇想である。いずれの句もはばたく詩想に支えられた句で、こうして書き写してみると小津の句は知が勝っているものの、意外と叙情的だなと感じるのである。

 最後に『カモメの日の読書』を読んでいて思わず「えっ!」と叫んだことを書いておこう。ル・アーブルはカモメの多い町だという書き出しに始まり、杜甫の詩には鳥を詠んだものが多いと続き、やがて「白鳥しらとりかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」という牧水の有名な歌を引いて、この「白鳥」がハクチョウではなくカモメであることを知ったのもこの町に住んでからであると綴られている。この一節を読んで思わず本を取り落としそうになった。ほんとうにそうなのだろうか。調べてみるとそうかんたんな話でもなさそうだ。牧水は当初「白鳥」に「はくてう」とルビを振っていたが、途中から「しらとり」に変更したと説く人もいる。樋口覚『短歌博物誌』(文春新書)では牧水の歌を引き、古代の白鳥伝説やボードレールの「白鳥」という詩に言及しており、ハクチョウであるとの前提で書かれている。「しらとり」は羽毛の白い大きな鳥を指すので、もしそうならばハクチョウでもカモメでもよいことになるのだが、どうなのだろう。ハクチョウとカモメではずいぶん印象が違うように思うのだが。

第349回 小池光『サーベルと燕』

車窓よりつかのま見えてさむざむと乗馬クラブの砂にふるあめ

小池光『サーベルと燕』

 短歌や俳句などの短詩型文学を読むことは日々の暮らしに大きな喜びを与えてくれる。もちろん短歌には楽しいこと嬉しいことばかりが詠まれているわけではない。むしろ逆で、暮らしの苦労、恋の破局、肉親との別れや災害など、悲しいことが詠まれていることのほうが多い。生老病死は近代短歌の重要なテーマである。しかしそれが短歌定型というフィルターを経ると、古代の錬金術の秘法によって卑金属が金へと錬成されるように、極めて個人的な体験が誰もが感じることのできる普遍的な類型へと昇華される。かくして姿を変えた悲しみに歌を通して触れることにより、私たちの生の理解は深みを増し、眼に映る世界の姿は陰影を深める。

 とはいうものの、短歌を読まなければ知らなかったであろう別な悲しみというものもある。歌人の訃報に接した時である。私は短歌結社や同人誌などとは無縁で、歌会に連なることもないので、個人的に面識のある歌人はごくわずかしかいない。しかし歌集を通して作者の個人生活の一面を知り、作者の思考や感情の機微に触れ、時には魂の質感までをも感じる瞬間がある。日頃ごく通り一遍の付き合いしかしていない親戚縁者などよりはるかに内面に踏み込んでいる。だからこそ幽明境を隔てることになった寂しさには他にはないものがある。

 送られて来た「短歌人」3月号の小池光の歌で、最近二人の歌人が鬼籍に入られたことを知った。

酒井佑子の原稿の文字みごとにてブルーブラックのインクひかりを放つ

酒井佑子去りて十日ののちにして有沢螢の訃報に接す

有沢螢われよりひとつ年下かとおもふまもなくゆきてしまへり

有沢螢いのちのかぎりを尽くしたり最後の最後まで歌をはなさず

 同号のあとがきによれば、酒井さんは昨年の12月24日に、有沢さんは年が明けて今年の1月9日に亡くなったという。お二人とも拙ブログにて歌集を取り上げさせていただいた。酒井さんの『矩形の空』は2008年6月16日に、有沢さんの『朱を奪ふ』は橄欖追放の前身の「今週の短歌」で2007年4月9日に読後評を書いている。有沢さんは脊椎損傷で寝たきりの状態にもかかわらず、最近になって歌集『縦になる』を刊行されている。

 実は有沢さんはお会いしたことのある数少ない歌人の一人だ。私の歌集評をお読みになられたからだろうが、『朱を奪ふ』の批評会に声を掛けていただいた。日記によると、批評会は2007年8月18日に神保町の日本教育会館で開かれた。バネリストは佐伯裕子、川野里子、藤原龍一郎、魚村晋太郎の4氏。参加者には岡井隆、小池光、佐藤弓生、黒瀬珂瀾もいた。ひとしきり発表と討論が済んだ後、最後に出席者が一人ずつひと言述べることになり、私は有沢さんの短歌に見られる原罪の意識について話した。すると会が終わった後に、有沢さんは私の所にいらして「原罪に触れていただきありがとうございました」とお礼をおっしゃったのが記憶に残る。長い苦しみから解放された有沢さんの眠りの安からんことを祈るばかりである。

     *        *         *

 この短歌ブログではなるべく初めての歌集を出したばかりの若い歌人を取り上げることにしている。短歌や俳句などの短詩型文学は、「読み」の積み重ねによってその真価を発揮するという特性がある。原石を磨いて輝くダイヤモンドにするには「読み」の積み重ねが必要なのである。若い歌人にはまだ歌を押し上げる「読み」が不足している。若い歌人を取り上げるのは、その不足を少しでも補おうとの気持ちからである。

 しかし今回その方針から外れて超ベテラン小池光の『サーベルと燕』を俎上に乗せることにしたのは、本歌集が現代短歌大賞と詩歌文学館賞をダブル受賞したことに加えて、角川短歌年鑑令和5年版のアンケート特集「今年の秀歌集」で最も多く名前が挙がったのがこの歌集だったからである。大勢の歌人が昨年を代表する優れた歌集だとみなしたことになる。

 短歌を読み始めた頃から小池光の著書は歌集だけでなく、『街角の事物たち』、『現代歌まくら』。『うたの動物記』、『うたの人物記』なども愛読している。機知と諧謔に溢れる短歌や、ユニークな視点が光る散文には学ぶ所が多い。

 小池が作風を変えたのは第三歌集『日々の思い出』あたりからだろうか。それまでのトーンの高い抒情は影を潜め、日常の何気ないことを詠むようになったのは、これがもともと日付を添えて一日一首歌を作るという『現代短歌雁』の企画によるものだったせいかもしれない。

ゆふぐれの巷を来れば帽子屋に帽子をかむる人入りてゆく

蜂蜜の壺に立てたるスプーンの 次に見てなきは蜜に沈みけむ

 何気ないことを詠みながら面白みがあるというのはそうかんたんなことではない。一首目には、帽子屋に来る人は帽子を買い求めに来るはずなのに、すでに帽子を被っているとはいかなる仕儀かという軽い疑問があり、二首目には蜂蜜の壺にスプーンを立てておいたはずなのに、ちょっと目を離しているうちにスプーンの姿が消えているというささやかな発見がある。このような作風の変化を目にして、「小池光には翼があるのになぜ飛ばないのか」といぶかしんだのは穂村弘である。『日々の思い出』のあとがきには、「思い出に値するようなことは、なにもおこらなかった。なんの事件もなかった。というより、なにもおこらない、おこさないというところから作歌したともいえる」と書かれている。この言葉に小池の短歌に対する姿勢がよく現れている。

 さて第11歌集となる『サーベルと燕』はというと、短歌定型に対する自由度が一段と増しているという印象を受ける。角川短歌年鑑の「今年の秀歌集」の三行評には、「心を過ぎるあまたの感傷を、平明な用語によって表白している」(伊勢方信)とか、「機知に富んだウィットは影をひそめ、しみじみと詠んだものが多く心を打たれる」(嵯峨直樹)などというものがあり、「平明な表現」「深さ」を語った人が多い。

 

うつしみの手首にのこる春昼はるひるの輪ゴムのあとをふといとほしむ

亡き妻の老眼鏡を手にとればレンズはふかく曇りてゐたり

四個よんこの団子つらぬく竹の串さえざえとありいざ食はむとす

観客のゐない相撲であるときも塩は撒くなりましろき塩を

その足はいためるものかぽつりぽつりとホームのうへを鳩のあゆめば

 

 肩の力の抜け具合は相当なものだが、そこは短歌巧者の小池のこと、どんな素材でも短歌に収めてしまう。特に感心するのは語順である。一首目の手首にはめる輪ゴムは何かを忘れないための印だろう。「手首にのこる輪ゴムのあと」が順当な連接だが、「春昼の」が間に割って入っているのは音数調節のためだけではあるまい。この歌のポイントは結句の「ふといとほしむ」だ。二首目は「とれば〜ゐたり」という順接ながら、「ふかく」の語が一首の翳りを深めている。三首目の初句「四個の」は「四個ある」とすれば破調にならないのだが、なぜかわざと破調にしている。団子の竹串に「そえざえと」という大げさな修飾を用いているのが愉快だ。四首目はコロナ禍で無観客相撲となった様を詠んだ歌。五首目も語順が効いている。初句二句と読むと誰か知人のことを詠んでいるのかと思うが、結句まで読んで実は鳩のことだったと知れる。この頃小池は足の指を痛めて歩行に不自由していたようで、自身の不具合を鳩に投影したものと思われる。

 本歌集を通読すると、肉親や知己知人が詠まれているのは近景を詠むのが近代短歌の常なので当然として、過去の体験や読書の記憶に結びつくおびただしい人名や地名が登場することに驚く。そしてようよう次のことに思い到るのである。小池光という人間は「小池光」という名の生身の肉体に留まるものではない。その記憶の中に保存蓄積され体験の中に刻まれている無数の事物や人物との関係の総体を指すということに。

芥川龍之介生誕の地を過ぎて隅田川ちかし水のにほふ

昭和史のくらやみに咲く断腸花永田鉄山伝を読みつぐ

日露のえきたたかひたりし祖父おほちちが大正三年に死んでその墓

西城秀樹六十三歳の死をおもふ野口五郎はゆふべ聞きしに

谷川雁「毛沢東」の一行がおもひだされて冬の蜂あるく

「雨の降る品川駅」をそらんじて十九はたちのわれはありたり

四百日ぶりにプールに入りたる池江璃花子にこみあぐるもの

「山科は過ぎずや」ふともよみがへり口に出でたり夜汽車の旅の

 二首目の永田鉄山は1934年に斬殺された陸軍中将。六首目の「雨の降る品川駅」は「辛よ さようなら」で始まる中野重治の詩。八首目の「山科は過ぎずや」は萩原朔太郎の詩「夜汽車」の一節である。そういえば北村薫の『うた合わせ 北村薫の百人一首』(新潮社)にこの詩に触れた文章があったなあなどと思い出すと、人名から本へ、また本から人名へと連想は跳び、文学の森の深くに入ってゆく。そのようにして本歌集を繙くのもまた一興だろう。四首目の西城秀樹や野口五郎のように、本来は雅の世界のはずの短歌の中に俗の要素を平気で詠み込むのもまた小池の自在さである。七首目の「池江璃花子」を詠んだ歌を見て、確か小池に「シャラポワに跪拝す」という歌があったなと思い出す。

「昭和十四年直木賞」の懐中時計が仏壇のひきだしの奥にありたる

父の死後五十年となり小雨の日ふるさとの墓の墓じまひせり

父恋ちちこひをすることありて下駄の鼻緒切れたるたびに直しくれにき

 小池の父親は直木賞作家であった。小池の初期歌編の中で父は大きな存在である。第一歌集『バルサの翼』には次のような歌がある。

父の死後十年 夜のわが卓を歩みてよぎる黄金蟲あり

亡父ちちの首此処に立つべしまさかりの鉄のそこひにひかり在りたり

倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ

 北村薫は『うた合わせ 北村薫の百人一首』の中の「父」をテーマとする章で、小池には父を詠んだ歌が多いと書いている。そして小池が『歌の動物記』の中で内田百閒の『冥土』という短編の一節を引き、あえて引用しなかった一行から物語を紡いでいる。しかしながら本歌集を読むと、父親の死から五十年を経てその物語は終焉したようにも見える。

 集中から愉快な歌を引いてみよう。小池にとってユーモアは短歌の重要な要素である。

 

鼻毛出てる鼻毛を切れとむすめ言ふ会ふたびごとにつよく言ふなり

泥棒にはいられたることいちどもなく七十年過ぐ 泥棒よ来よ

まな板はかならず洗つておけと説教するわが子をにくむことあり

賞味期限きれて五年のつはものが冷蔵庫の奥の奥に潜める

十二時間飛行機に乗つてフィレンツェへ行つたところでなにがどうなる

 

 二首目は「われの一生ひとよせつなくとうなくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は」という坪野哲久の歌を思わせる。もちろん小池もこの歌を意識しているだろう。年齢を重ねてますます自在になるということがあると知る一巻である。