第187回 千種創一『砂丘律』

このストールを巻くたびに遭うかなしみの砂漠へ放つ、一羽の鷹を
                      千種創一『砂丘律』
 昨年 (2015年)12月に上梓された千種の第一歌集のなかから、いちばんカッコいい歌を引いた。切れの多い文体が特徴の作者にしては珍しく四句まで切れがなく、立ち上がる映像も鮮明である。砂漠でストールが必需品なのは、絶えず風に乗って運ばれる砂が鼻や口に入るのを避けるためだ。私の世代だと砂漠に白いストールというと、ピーター・オトゥール主演の名作「アラビアのロレンス」を思い浮かべてしまう。千種が砂漠に放つ鷹の背後には、寺山の句「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」が揺曳していよう。青春歌として申し分ない愛唱性を持つ歌である。
 千種は1988年生まれだから今年28歳の歌人である。東京外国語大学で卒業生でもある三井修の「短歌創作論」を受講し、その縁で塔短歌会に入会。「外大短歌会」の創立に参加する。2013年に塔新人賞を受賞、2015年に歌壇賞次席に選ばれている。東京外国語大学でアラビア語を専攻し、現在中東のレバノンで働いているという経歴は、先輩の三井と同じだ。めきめき頭角を現している若手歌人である。
 その千種が上梓した第一歌集は、まずその造本と装幀が話題になった。ペーパーパックのような荒い紙質と縦長の版型、何と呼ぶのか知らないが漫画雑誌のような背の綴じ方、背表紙から表紙にかけて張られたガーゼのような布地、「千種創一歌集 砂丘律」と印刷された黄色のラベル。その一見するとぞんざいな造本は、「この歌集が、光の下であなたに何度も読まれて、日焼けして、表紙も折れて、背表紙も割れて、砂のようにぼろぼろになって、いつの日か無になることを願う」というあとがきの言葉と照応しあう。
 さて、歌集の中身だが、あらゆる言語は形式と意味の結合であることを反映して、千種の歌も形式面と意味面においてきわだつ特徴を持っている。基本はゆるやかな定型意識に基づく口語短歌であるが、定型から逸脱することもしばしばである。
瓦斯燈を流砂のほとりに植えていき、そうだね、そこを街と呼ぼうか
マグカップ落ちてゆくのを見てる人、それは僕で、すでにさびしい顔をしている
砂の柱にいつかなりたい 心臓でわかる、やや加速したのが
窓のすきまから春風が、灯油くさい美術室舞う、羽根っすかこれ
なつふくの正しさ、あとは踊り場の手すりに挿していったガアベラ
 編年体ではないという歌集の冒頭付近から引いた。一首目は巻頭歌で、三句目まではふつうに進行するが、四句目で突然転調して会話体になり人の声が響く。この響く声が千種の歌に特徴的である。三句の終わりに大きな切れがあり、一首はふたつに分断されている。二首目もよく似た構造をしており、最初は叙景かと思えば、やはり三句目の終わりに転調が待っている。三首目は定型の韻律からかなり外れていて、三つに分断された句が島のように浮かんでいる印象を与える。四首目も読点がなければひとつの流れとして読むことも可能なのだが、わざわざ読点を付して切れを作っている。また結句の「羽根っすかこれ」で突然声が響くのは一首目と共通である。五首目で二句目の句割れを引き取る「あとは」の使い方は、現代短歌でもあまり見られない用法だろう。
 読む側の印象としては、スナップショットを並べて構成しているようにも見える。その結果、一首全体が流れるように一つの情景を描いたり、一つの意味を浮かび上がらせることがなく、心象もまた分断される。おそらくこのような作り方は意図的なもので、近代短歌のコードとは異なる歌法を模索しているのではないかと思われる。
 意味の面における特徴は、千種が暮らす中東という日本とは対極的な風土の景物だろう。
難民の流れ込むたびアンマンの夜の燈は、ほらふえていくんだ
新市街にアザーンが響き止まなくてすでに記憶のような夕焼け
林檎売る屋台のそばの水たまり静かだ、林檎ひとつを浮かべ
たましいの舟が身体と云うのなら夕陽のあふれている礫砂漠
骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな
 湿潤な日本の風土とはまったく異なる乾燥と砂漠の中東である。一般に旅行者の羇旅詠は、目にした景物の物珍しさに引きずられて景物のみが前景化するきらいがあるが、千種の短歌がその弊を免れているのは、旅行者ではなく生活者だからである。一首目の増えてゆく灯火、二首目の祈りを促すアザーンの響き、三首目のリンゴ屋の屋台、四首目の礫砂漠、五首目のラクダの骨、これらに注ぐ眼差しは、中東に暮らし中東の風土を内在化した人でなければ詠えないものだろう。
 中東は戦火の絶えない地域であり、中東に暮らす人は戦火ともまた無縁ではいられない。
北へ国境を越えればシリアだが実感はなくジャム塗りたくる
召集の通知を裂いて逃げてきたハマドに夏の火を貸してやる
映像が悪いおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉に見える
君の村、壊滅らしいとiPhoneを渡して水煙草に炭を足す
ちまみれの捕虜の写真の載る面を裏がえすとき嗅ぐオー・デ・コロン
 とはいえ自分は戦争の直接的な関係者ではない。だから煙草の火を貸すとか、水煙草に炭を足すとか、オー・デ・コロンの香りを嗅ぐといった、ごく日常的な仕草でしか関わることができない。このような歌を取り上げた吉川宏志は、「異国の他者の死を、自分の文学の中で扱っていいのか、という問いが、つねに心の中にあるのではないか」と分析しているが(ブログ「シュガークイン日録3」)、確かにそのような「畏れ」は感じることができる。
 「短歌研究」5月号の作品季評で、穂村弘・水原紫苑」吉岡太朗が『砂丘律』を俎上に乗せて論じているのがおもしろい。水原は「みずべから遠くでマッチを擦っているおととい君を殴ったからには」とか「美しく歳をとろうよ。たまになら水こぼしても怒らないから」といった歌を取り上げて、「すごくむかついた」と発言している。要するにマッチョで上から目線の女性差別ではないかという趣旨なのだが、そこを突くかという気がしないでもない。穂村は「今までに見たことのない何かがあるという印象は僕も持ったんだけど、それが何なのかはっきりわからなかった」と述べて、千種の短歌の新しさは認めつつその魅力のありかは言い淀んでいる。おそらくその新しさは、上に書いたように千種の短歌の形式面と意味面の特徴が相乗して生まれたものだろう。
 最後に印象に残った歌を挙げておこう。
焦点を赤い塔からゆるめればやがて塔から滲みでた赤
図書館も沈んだのかい沿岸に漂う何千という図鑑
海風を吸って喉から滅ぶため少年像は口、あけている
どら焼きに指を沈めた、その窪み、世界の新たな空間として
エルサレムのどの食堂にもCoca-Cola並んで赤い闇、冷えてます
油絵の前大統領閣下(ちち)の笑顔にかこまれて君の羽根ペンの落下は静か
駅前に受け取る袋いっぱいの梨の重さへ秋はかたむく
世界を解くときの手つきで朝一、あなたはマフィンの紙を剥ぐ
燃えはせず朽ちてゆく木の電柱のその傾きに降る冬の雨

第186回 吉田隼人 『忘却のための試論』

岸にきてきしよりほかのなにもなくとがびとのごと足をとめたり
               吉田隼人『忘却のための試論』
 2013年(平成25年)に第59回角川短歌賞を受賞した吉田隼人の第一歌集である。同時受賞は「かばん」の伊波真人。「はやと」と「まさと」で韻を踏んでいるのがおもしろい。何かのコンビを組めそうだ。帯文は高橋睦郎、表紙の長岡建蔵のアニメ風イラストが歌集としては異色である。仙波龍英の『わたしは可愛い三月兎』の表紙に吾妻ひでおのイラストが使われたときはみんなを驚かせたが、もうこのくらいはふつうになったということか。
 吉田隼人は1989年つまり平成元年生まれである。俊英才媛居並ぶ早稲田短歌会で「白い吉田」と「黒い吉田」として知られる二人の吉田の一人である。もう一人の黒い吉田は塔短歌会所属の吉田恭大。現在、早稲田大学仏文科の博士課程に在籍しており、フランスの作家・思想家ジョルジュ・バタイユの研究をしているというばりばりの文学青年である。私も仏文出身なので同業者ということになる。バタイユと言えば「死」と「エロス」が代表的なテーマだが、吉田もバタイユ学徒として師のラインを継承していると言えるだろう。
 角川短歌賞の対象となった連作からまず引いてみよう。旧字が新字になるのはご容赦いただいたい。
死の予期は洗ひざらしの白きシャツかすめてわれをおとづれにけり
曼珠沙華咲くのことを曼珠沙華咲かぬ真夏に言ひて 死にき
あるひは夢とみまがふばかり闇に浮く大水青蛾(おほみづあを)も誰かの記憶
まなつあさぶろあがりてくれば曙光さすさなかはだかの感傷機械
恋すてふてふてふ飛んだままつがひ生者も死者も燃ゆる七月
棺にさへ入れてしまへば死のときは交接(まぐはふ)ときと同じ体位で
いくたびか掴みし乳房うづもるるほど投げ入れよしらぎくのはな
サイモンとガーファンクルが学習用英和に載りてあり夏のひかり
思ひだすがいい、いつのか それまでの忘却(わすれ)のわれに秋風立ちぬ
 どうやら短歌仲間であったらしい恋人の女性が自死した経緯を、訃報が届く予感から告別式まで時系列に連作に仕立てたもので、このように歌にすることには様々な意見があった。選考座談会では島田修三が強く推し、永田和宏や小島ゆかりが疑問符を付けるという形で進行している。島田は過去の文芸からいろいろなものを借りてきて、口語にも文語にも挑戦していて、時々はコケているが全体としてはすごいパワーだと評価する。一方、永田は上に引いた六首目「棺にさへ」に強い拒否感を示し、「言わないで言えることがある。ここまで言ったらお終いだよという気がぼくはする」と述べている。永田は角川短歌賞の授賞式のスピーチでもこの点に触れ、「この作者には過剰なところがある」と苦言を呈したらしい。
 島田が選考座談会で指摘しているように、吉田の短歌には借り物が多く見られる。「まなつあさぶろ」は村木道彦の世界だし、「恋すてふ」は百人一首、「投げ入れよしらぎくのはな」は漱石の「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」、「思い出すがいい」は来生たかおの「夢の途中」、「秋風立ちぬ」もヴァレリーか堀辰雄かあるいは松田聖子か。冒頭の掲出歌の「岸にきてきしよりほかのなにもなく」にも定家の「花も紅葉もなかりけり」が遠く響いているようにも見える。
 先行する文芸から素材や発想や表現を借りることはよくあることだ。しかし下手をすればパッチワークのようになり、「こういう歌を目指しているという、歌の基軸のようなものが最後まで見えない」という小島ゆかりの感想につながる。小島は「表現のデパート」とまで言っている。
 確かに評価は分かれるかもしれない。とはいえ、マラルメ、ポー、リルケ、ニーチェ、スピノザ、グラックなどを自在にエピグラフに引用して展開されるその短歌世界は、久々の文学青年系の大型新人と言えるだろう。ライトヴァースの影もないその重量級の文学の重みは、黒瀬珂瀾以来かもしれない。「遅れて来た文学青年」という趣さえ漂う。なぜ「遅れて来た」かというと、今時重量級の文学は流行らないからだ。文学部の英文科、独文科、仏文科に学生が来なくなって久しい。
 本歌集は三部構成になっており、第一部が2011年、第二部が2011年以前の若書き、第三部が2011年以後という時代区分がなされている。第二部、第一部、第三部の順番に読むと、吉田の短歌が確実に変化していることが感得される。第二部には次のような歌がある。
鉱物の蝶は砕けて消えてゆき魚類の蝶は溺れゆくかも
キャロル忌のスカートゆるる、ゆふやけとゆふやみ分かつG線上に
人形義眼(ドールアイ)なべて硝子と聞きしかばふるさと暗き花ざかりかな
姉はつね隠喩としての域にありにせあかしやの雨ふりやまず
顕現の神とおもへりものみなが影濃き夏の(ゆうべ)に入りて
 なぜ歌集が2011年を境に分かれているかというと、その年に東本大震災と福島原発事故が起き(吉田は福島県の出身)、また連作「忘却のための試論」に詠まれた恋人の自死があったからである。まさに人生最大の危機である。したがって上に引いた歌は「それ以前」の歌だ。一読して分かるように、青年らしい観念的なきらいはあるものの、吉田はすでに短歌の韻律と骨法を完全に会得している。二句切れ、三句切れ、倒置法、「かも」「かな」による詠嘆、「人形義眼」という寺山的主題、魅力的な「隠喩としての姉」など、角川短歌賞にこちらを出したほうが審査員の評価が高かったかもしれないと思われるほどの完成度である。したがってそれ以後の吉田の短歌は、2011年の試練の強い影響下にある試行であり、いったん完成したものを再び壊しているということになる。おっと、「試行」は「試論」と同じで、フランス語ではessaiになるのだった。歌集題名の『忘却のための試論』には、Un essai pour l’oubliというフランス語が添えられている。
 2011年以後の第三部を見ると、吉田の歌はまた変化している。それまでのさまざまな試行は影を潜め、ある振れ幅に落ち着いているようだ。「表現のデパート」という印象はもうない。
名のうちに猛禽飼へば眠られぬ夜に重み増す羽毛ぶとんは
ちり紙にふはと包めば蝶の屍もわが手を照らしだす皐月闇
ここかつて焼け尽くしたる街にしてモビイ・ディックを横抱きの夏
夏の鳥 夏から生まれ消えてゆく波濤のやうな鳥の影たち
青駒のゆげ立つる冬さいはひのきはみとはつね夭逝ならむ
 青年の憂愁と死への憧憬が美しく表現されており、デビューの頃の大塚寅彦を思わせる。2015年に角川「短歌」に発表された「流砂海岸」ではまたさらに変化を見せている。
さざなみはすなをひたせど海彼よりみればわれらはこのよのはたて
しぬるはうのめぐりあはせにあるひとの水死体くろき外套(こおと)きてをり
おのおののしたしきかほによそほひて死はわれら待つ うみにやまにまちに
こなゆきのしろきおもてをさらしつつ少年睡りやすくゆめやれがたし
ぺるそな を しづかにはづしひためんのわれにふくなる 崖のしほかぜ
 平仮名を多用し、歌のしらべもより古典的になっている。「ひためん」とは「直面」と書き、能で小面を付けず素顔で舞うことをいう。帯文を書いた高橋睦郎はこの歌を引いている。なるほどと思う選択である。
 歌集のあとがきは「Epilogue または、わが墓碑銘(エピタフ)」と題されており、16歳で自殺を試みるも果たせず、その後10年生きた墓碑銘がこの歌集だと書かれている。これが墓碑銘である以上、作者は冥府に降っており、本歌集に収めたような歌はもう決して生まれないだろうと綴られている。これを受けてか、高橋は「『歌のわかれ』を口にするはまだしも、軽々に実行に移されざらむことを」と釘を刺している。
 角川短歌賞での吉田のスピーチがFacebookで読める。そこで吉田は「短歌と言葉が嫌いだ」と繰り返し強調していて、おそらく会場の顰蹙を買ったことだろう。しかし当会場に居合わせた人と同じく、私もにわかに吉田の言葉を信じる気にはなれない。このスピーチの中で吉田はフランスの哲学者ブリス・パランに触れて、「言葉は個人的、パーソナルなものであるか否か」という問いを紹介している。墓碑銘を書く覚悟があるくらいなら、本気でこの問いに挑戦してみてはどうだろう。かつてウィットゲンシュタインは「私的言語」なるものは存在しうるかと問い掛け、その可能性には否定的であった。「言葉は個人的なものでありうるか」という問いを徹底的に考え抜けば、10年くらいはあっという間に経つ。学問は人生の虚無をやり過ごす最良の薬である。ポオと同じく現身の自分は煉獄につながれていると感じているのならば、煉獄の番人となって学問すればよかろう。
 それからこの歌集には至る所にフランス語が散りばめてあるのだが、老婆心ながら言うとこれはやめたほうがよい。私も20代の頃、気取って同じことをさんざんやった。しかし歳を取って振り返ると、若気の至り以外の何物でもなく、今ではものすごく恥ずかしい。もしタイムマシンがあれば、その頃に戻って全部消して回りたいくらいである。

第185回 北村薫『うた合わせ 北村薫の百人一首』

サブマリン山田久志のあふぎみる球のゆくへも大阪の空
            吉岡生夫『勇怯篇 草食獣・そのIII』
 今日は北村薫『うた合わせ 北村薫の百人一首』(新潮社)を紹介したい。いや、ぜひ読むことをお勧めしたい。ここで私は心情と言葉の間を隔てるあまりの距離に身もだえするのだが、本書をまだ読み終わっていないことを告白して、その不足を補填したい。読んでいる途中であまりの楽しさに読むのを中断した。ひと息に読んでしまうのはあまりにもったいない。夜に仕事を終えた後で、シングルモルト・ウィスキーか芳醇な赤ワインをちびちびと舐めながら、50章のうち1章か2章だけを読んで味わうのがよい。そしてまだ読む残りがこれだけあると満足して眠りに就くのが理想だ。そのような本にはめったに出会えるものではない。
 本書は今年 (2016年)の4月20日に刊行されたばかりの本である。今日は5月1日なのでわずか10日前のことだ。新聞で広告を見てすぐ取り寄せた。それは北村薫が無類の読書家であり、『詩歌の待ち伏せ』(文藝春秋 2003年)、『続 詩歌の待ち伏せ』(文藝春秋 2009年)という古今東西の詩や短歌を論じた楽しい本を出しているからだ。その北村が近現代短歌で百人一首を編むという。あとがきによれば、百人一首の本来の姿は二首一組の短歌アンソロジーだとする安東次男の指摘に触発されたものだという。
 掲出歌は第15章「その秋」に置かれた歌。北村は『詩歌の待ち伏せ』でもこの歌を取り上げている。山田久志は往年の阪急ブレーブスの投手で、下手投げの名手であったためサブマリンの異名を取った。野球ファンの北村は、昭和46年10月15日の日本シリーズ第3戦で、中2日で登板した山田が無失点で迎えた9回に、巨人軍の王貞治に逆転サヨナラスリーランホームランを打たれてマウンドにくずおれた場面に重ねてこの歌を鑑賞している。そのとき山田の頭上に広がっていたのは大阪の空ではなく後楽園球場の青空だったのだが、北村はそれを知りつつも、この歌を昭和46年10月15日の出来事を下敷きにした普遍の「ある試合」の歌だと締めくくっている。だから「その秋」なのである。
 北村が吉岡の名歌と取り合わせるのは次の歌である。
三島死にし深秋われは処女(おとめ)にて江夏豊に天命を見き 
                   水原紫苑『あかるたへ』
 私は知らなかったのだが、水原は大の江夏ファンで、江夏に目覚めたのが昭和45年、小学五年の年だという。『星の肉体』所収の「椿の崖」という二頁ほどの短いエセーのなかで、水原が好きになるのは決まって三船敏郎や江夏豊のような男らしい男なのだが、なぜか水原が夢中になると例外なく無惨に墜ちて行くと書いている。
 北村が吉岡の歌と水原の歌を取り合わせ対としたのは、山田久志と江夏豊の野球つながりかというとそうではない。そちらが本命ではなく、昭和46年10月15日の日本シリーズ第3戦から遡ること一年前、昭和45年11月25日に市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で起きた三島割腹事件が本命である。だから「その秋」なのである。このことに気づいた時、二首の取り合わせから心に静かに広がるものがないだろうか。王に逆転サヨナラHRを打たれた阪急は脱力したように負けを重ねて日本一の王座を逃した。「その時」が運命の分かれ道だったのだ。江夏は水原がファンになった年の夏に心臓発作を起こし、その後ずるずると墜ちて覚醒剤使用で服役した。才気に溢れていた三島由紀夫も次第に小説を書けなくなり、クーデター未遂で割腹して果てた。江夏にも三島にも運命の分かれ道となる「その時」があったはずである。北村が書いていないことだが、後楽園球場と市ヶ谷の防衛省を隔てる距離を地図で見てみると、2.5kmくらいしか離れていない。
 もう一章紹介しておこう。
加賀をすぎ能登に出でゆく夜しぐれのま闇のなかの折口信夫
                   安永蕗子『冬麗』
かげろうは折口信夫 うす翅を わが二の腕にふせて 雨聴く
                   穂積生萩『松虫』
 この二首の取り合わせから北村が記憶とエピソードを紡いでゆく手つきは、まるで一編の掌編小説を編むかのようである。北村の父は民俗学者で折口の弟子だったという。折口の名は子供の頃から耳にしていた親しいものであった。安永の歌にある能登は、折口の養子の藤井春洋の生地であり、また二人の遺骨が納められた墓のある場所でもある。北村の目はこの歌に続く歌に注がれる。
白鳥の羽咋の音もはりはりと雪の小骨を噛みつつあらむ
 羽咋(はくい)は能登の地名で、「はくい」という音は「羽喰」に通じるという。そこから北村は凍てつく寒気の中で羽繕いをする白鳥の嘴から零れる凍り付いた雪が白い小骨のようだと幻想を広げている。
 穂積生萩は秋田県出身の歌人で、折口に傾倒し『私の折口信夫』という著書がある。女性嫌いだった折口の唯一の女性の弟子だったとされる。その穂積の師の骨を食べる歌というのが「こりこりと乾きし音や 味もなき師のおん骨を食べたてまつる」である。宗教学者の山折哲雄はかねてより日本にあったという「骨かみ慣習」に注目しており、秋田時代に実際に父親の骨を食べたことを穂積から聞き出している。しかし折口の骨を食べたかどうかについては答をはぐらかしたという。
 上に引いた安永の「白鳥の」の歌がこのエピソードを踏まえたものだとは北村は考えてはいないものの、「全てを咀嚼した安永は、闇の歌に続け、白い自然の中に《折口信夫》を溶かし込んだのではなかろうか」と締めくくっている。すべてのエピソードがカチリと繋がる様はさすがはミステリの書き手である。
 私にも「骨かみ慣習」についてひとつ思い出したことがある。ずいぶん昔のことになるが、俳優の勝新太郎の父親が亡くなり墓に納骨する時に、勝が骨壺から父親の骨を一片取り出してかじった。すると隣にいた妻の中村玉緒がみっともないことをするなとなじって止めたという出来事があった。私は「なんてことをする人だ」とその時思ったが、山折が考えているように、昔の日本に広く「骨かみ慣習」があったとすれば、勝の行為はごく自然な肉親の死を悼む行為であったことになる。私の記憶には墓の前に喪服で佇む勝夫妻の映像が残っているのだが、TVで見たのだろうか。それとも記憶の塗り替えが起きたのだろうか。それは謎である。
 『うた合わせ 北村薫の百人一首』には他にも、塚本邦雄と石川美南、東直子と尾崎翠、大野誠夫と加藤治郎、斉藤斎藤と葛原妙子など、意外とも思える取り合わせの歌が収められており、それぞれに味わい深い文章が添えられている。巻末には穂村弘と藤原龍一郎との鼎談まであるという豪華さだ。
 短歌は北村というよき読者を持って幸せである。また本書に登場する歌人名に読み仮名が振ってあるのも親切だ。読み方のわからない歌人は多いからである。私など長らく杜澤(とざわ)光一郎の名字は「もりさわ」と読むのだと思っていた。
 本書の巻末に収めきれなかった組み合わせの歌が並べてある。百人一首が二巻あるというのもおかしいかもしれないが、ぜひ続編を期待したいものである。

第184回 山田航『水に沈む羊』

ガソリンはタンク内部にさざなみをつくり僕らは海を知らない
                   山田航『水に沈む羊』
 『さよならバグ・チルドレン』に続く山田の第二歌集が出版された (2016年2月)。不思議なタイトルだが、これについては後で触れる。版元は港の人。光森裕樹が第一歌集『鈴を産むひばり』を出してから歌集に縁ができた出版社である。光森はふつうにインターネットで探して見つけたところに出版を依頼したという。帯を付けないのが方針だそうで、本歌集にも帯がない。薄い水色の表紙にタイトルが印刷されている文字は、ドット数の少ないデジタル表示のように輪郭線がぎざぎざしている。デジタルだからこうなるのだが、アナログ感が漂うのが不思議だ。装丁も簡便で小体な歌集になっている。
 さて、第一歌集の批評では「抒情プラスニューウェーブ」「歌風の振り幅の大きさ」「プロデュース感覚の必要性」というようなことを書いた。第二歌集を通読して感じたのは「郊外育ちの子供」の感受性である。山田はプロフィールに「札幌生まれ札幌育ち」と書いているので現実には違うのかもしれないが、少なくともこの歌集は1970年代後半から80年代に生まれたあるボリュームゾーンを代弁している気がする(山田自身は1983年生)。
果てなんてないといふこと何処までも続く車道にガストを臨む
だだっ広い駅裏の野に立つこともないまま余剰として生きてゆく
スカートならフードコートのゴミ箱にぜーんぶ捨てたなんて言ひ出す
アスファルトに椿ひとひら腐るころ公民館に落語家が来る
ゴルフ打ちっ放しの網に桃色の朝雲がかかるニュータウン6:00
 一首目の車道は国道でガストは国道沿いによるあるチェーン店である。二首目、駅裏の野原はたぶんこれから造成と建築が予定されている空き地だろう。三首目のフードコートは大型ショッピングモールにある飲食施設で、四首目の公民館は大都市にはない。五首目ははっきりとニュータウンと書かれている。
 昔、東京都の周辺都市や神奈川県などの隣接県に生まれた子供たちは、東京に出てゆくことを熱望していた。地元はダサい地方都市で東京には何でもあるからだ。しかしある頃から若者たちは地元で幼なじみの友人たちとまったり暮らすことを好むようになったという。いわゆる「マイルドヤンキー化」である。たとえば音楽グループ「いきものがかり」は厚木や海老名への地元愛を公言していて、小田急線が大好きだという。奇しくもボーカルの吉岡は1984年生まれで、水野と山下は1982年生まれである。山田とほぼ同世代に当たる。
 山田の歌集を読んでいると、整然として明るいのだが、どこかがらんとしていて空間に陰影がない郊外やニュータウンの感覚を感じるのである。ただし大きなちがいもある。マイルドヤンキーは地元愛に溢れていて地元を離れないが、山田は地元を憎悪している。ブログで「この歌集は地元と学校を憎んでいる人のために作った」と書いていることからわかる。
 なぜ地元と学校を憎悪するのか。それは山田が感じている不全感に由来する。
鉄塔の見える草原ぼくたちは始められないから終はれない
剥き出しの肩がかすかに上下するリズムいつかは羽撃くための
濾過されてゆくんだ僕ら目に見えぬ弾に全身撃抜かれながら
ふるさとがゆりかごならばぼくらみな揺らされすぎて吐きそうになる
 「始められないから終はれない」とは、人生の第一歩を踏み出すことすらできていないという意味である。「いつかは羽撃く」は淡い希望だが、いつまでも羽撃けないことをうすうす感じているだろう。「揺らされすぎて吐きそうになる」は揺籃の地への憎悪に他ならない。読んで気づくのは、山田の短歌の一人称は「僕」や「吾」ではなく、必ずと言ってよいほど「僕たち」「僕ら」だということだ。ということは少なくとも短歌の場においては、山田は自分を特殊な人間と捉えているのではなく、ある世代、ある集団の一員とみなしているのである。
 不全感のもうひとつの源は「ふたりぼっちの明日へ」という連作に見える。
「生めない」と「生ませられない」天秤の傾ぎばかりを観測されて
葡萄色の産科医院へ告げに行くずつとふたりで生きてゆくこと
無精卵といふ語が責めてゐるものは君なのか俺なのか夕映え
 この連作のカップルは不妊で子供を作れないのだ。ここにも強い不全感の理由が見てとれよう。
 巻末に置かれた「水に沈む羊」は歌集のタイトルともなったタイトルチューンで、「短歌研究」誌に発表されたものである。なぜ水に沈む羊なのか。
水に沈む羊のあをきまなざしよ散るな まだ、まだ水面ぢやない
屋上から臨む夕映え学校は青いばかりの底なしプール
 この二首を読むと、学校がプールに喩えられており、「水に沈む羊」とは学校の中で溺れそうになっている生徒(自分)の喩であることがわかる。なぜ羊かというと、北海道はジンギスカンが盛んだからではなく、童話では羊は狼に襲われるからである。
便器の底の水の向かうにしらじらと顔を蹴られてゐる僕がゐた
溺れても死なないみづだ幼さが凶器に変はる空間もある
沈みゆく僕の身体をさする根はやさしいやさしいにせものの指
べたついた悪意とともにつむじから垂らされてゆくコカ・コーラゼロ
 学校での集団的いじめの光景である。山田が実際に学校でいじめに遭ったかどうかを詮索するのはどうでもよく、山田の目には学校がこのように映っているという点が重要だ。この連作だけ歌の末尾が頁のいちばん下に来るように配置されていて、いきおい歌の初めの位置は上がったり下がったりする。それが学校というプールの中で浮き沈みする羊のレイアウト的喩となっている。上に引いた歌では「コカ・コーラゼロ」のディテールが上手い。
 さて歌集を通読した感想はどうかというと、前歌集にはたくさんあった寺山修司的、西田政史的短歌がずいぶん減っている。たとえば次のような叙情的な歌である。
角砂糖ふくめば涼しさらさらと夏の崩れてゆく喫茶店 
              『さよならバグ・チルドレン』
自転車は波にさらはれ走り去るものみな君に届かぬ真夏
祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも
 本歌集で探すと次のような歌は見つかるが数は少なくとても残念だ。
水張田の面を輝きはなだれゆき快速列車は空港へ向かふ
花と舟と重なりあひてみづうみを同じ速度で流れゆく見ゆ
昭和製のコイン入れれば震へ出す真夏を回りつくすさざなみ
 それから山田は旧仮名遣いを採用しているのだが、旧仮名は文語脈と旧字がセットになって初めて生きるものだ。まあ旧字は無理として、山田のように口語脈で旧仮名を使うととても違和感がある。口語脈ならば新仮名でよいのではないか。
 山田は本歌集と前後して2015年末に『桜前線開架宣言 Born after 1970 現代短歌日本代表』(左右社)を上梓している。こちらは1970年以後に生まれた歌人を取り上げ、歌人論とアンソロジーを取り合わせたものである。若い歌人のアンソロジーとしては、『太陽の舟』(北溟社 2007年)、『現代短歌最前線 新響十人』(北溟社 2007年)があるが、「トナカイ語研究日誌」で文体を鍛えた手練れの山田のことである。鋭く斬り込む歌人評とアンソロジーは短歌に興味のある人たちにとって格好の導入となるだろう。短歌実作と評論の両面で活躍する山田ならではである。

第183回 天野慶『つぎの物語がはじまるまで』

いつかまた還す日が来るからだへと黒糖入りのソイ・ミルクティー
            天野慶『つぎの物語がはじまるまで』
 この歌の魅力は上句に集中している。自分の身体をどのように感じるかという身体感覚は、単なる感覚に留まらず、時に世界観へと通底する。天野あるいはこの歌の〈私〉は、自分の身体は借り物であって、お返しする時が来ると考えている。このような感じ方は日本には古くからあるもので、まさに「この世は仮の宿」なのである。いつか返すのだから粗末に扱ってはならない。だから健康に気を使って、豆乳と波照間産の黒糖を入れた紅茶を飲んでいるのである。こう考えると歌集題名も納得がいく。〈私〉は今の物語を生きているが、それは次の物語が始まるまでなのだ。輪廻転生とか無常観などという大げさな名で呼ぶほどのものではない、うっすらとしたある感覚が全体に満ちている歌集である。その感覚を手触りとして感じるとき、深いやさしさに包まれる。
 『つぎの物語がはじまるまで』(六花書林 2016年)は、『テノヒラタンカ』(共著)、『短歌のキブン』などの歌集がある天野の最新歌集である。一ヶ月ほど前に出たばかりなので、たぶんこのコラムが最初の書評だろう。
 天野慶の名前を最初に見たのは、枡野浩一の『かんたん短歌の作り方』(筑摩書房 2000年)だったか、それとも「短歌研究」誌の創刊800号記念臨時増刊号「うたう」(2000年)だったか。どちらも同じ年に出ているのでややこしい。何度も書いているが、「短歌研究」誌の「うたう」は現代短歌史においてひとつの時代を区切った企画で、雪舟えま、天道なお、佐藤真由美、赤本舞(今橋愛)、秋月祐一、岡崎裕美子、加藤千恵、柳澤美晴、玲はるななど、2000年代になって活躍するポスト・ニューウェーヴ世代の歌人がずらりと顔を揃えていて壮観だ。当時20歳ですでに短歌人会に所属していた天野も投稿している。『かんたん短歌の作り方』では特待生扱いで、巻末に作品集が掲載されている。枡野の解説によると、天野はマスノ教布教のために短歌人会に送り込まれたスパイということになっている。つまり天野は枡野流のニュータイプ短歌も作るが、その一方で短歌人会という伝統的短歌結社にも所属しているのである。天野に短歌人会への入会を勧めたのは高瀬一誌だという。
 穂村弘がどこかで発言していたが、現代の短歌シーンにおいては、「ワンダー系」と「共感系」の2系統の歌風がせめぎあっているが、若い人には圧倒的に「共感系」が支持されているということだ。「ワンダー系」とは、それまで見えていなかった世界を読者に見せる効果を持つ歌で、たとえば次のような歌を指す。新たな世界の見え方で読む人を戦慄させるのが「ワンダー系」の真骨頂である。
体育館まひる吊輪の二つの眼盲ひて絢爛たる不在あり  塚本邦雄
神も死たまふ夜あらむ夏が死ぬ夕暮れ吾れは鳩放ちやる  紀野恵
水浴ののちなる鳥がととのふる羽根のあはひにふと銀貨見ゆ  水原紫苑
 これにたいして「共感系」とは、見慣れた世界を提示して、読む人が「うん、そうそう、そういうことあるよね」と共感できる歌を指す。たとえば次のような歌である。
投げつけたペットボトルが足下に転がっていてとてもかなしい  加藤千恵
「窒息死だけはイヤよね」ささやきの社員食堂「だけは」が多い  谷口基
台風は私にここにいてもいいって言ってくれてるみたいでたすかる  脇川飛鳥
 文語と口語の差が目立つかもしれないが、歌としての本質的差異はそこではなく、それぞれの文体でどのような世界を押し上げるかのちがいである。もう一つの大きなちがいは、「ワンダー系」にとってブンガクは基本的に孤独な作業なのだが、「共感系」にとっては逆に他の人たち、とりわけ仲間たちとつながるための営為だという点だろう。天野も「共感系」の歌人に分類することができる。本歌集においても、友人の劇作家岩本憲嗣と短歌と戯曲のコラボを、漫画家スズキロクと短歌とマンガのコラボを試みている。「共感系」のキーワードの一つは「つながる」である。
 こういう視点で『つぎの物語がはじまるまで』を読むと、この歌集に収録された歌のスタンスがよくわかり、どのような態度で読むべきかもおのずから見える。
豆を煮る とおいむかしの生き物を甦らせる作業のように
細胞にいのちの満ちる味がした登ったままで食べる枇杷の実
今はもう消滅している星たちに照らされている / 守られている
アルコール・ランプに点火するときの緊張感で(わたしにふれて)
もう電気羊の夢も醒めるころ未来の消費期限も過ぎて
 一首目の厨歌のポイントの一つは調理する〈私〉と食材との対話で、もう一つは〈私〉と料理を作ってあげる家族との「つながり」だろう。二首目では、食べ物とそれを摂取する〈私〉の関係がポイントとなる。天野の歌が平板な日常の記述に終わらずボエジーになっているのは、いずれの歌にも「遠さ」「距離感」が持ち込まれていて、しかもそれがもう手の届かない所にあるという点が重要である。一首目では乾燥豆を戻して煮る過程を昔の生物を蘇生させる作業に喩えており、二首目では狩猟採集の暮らしをしていた人類の遠い過去、あるいは平気で木登りをしていた子供時代が、今より生命感に溢れていた過去として持ち込まれている。この「遠さ」が想像力に訴えかけ共感を刺激する。このことは三首目ではいっそう明らかで、何万光年のかなたから地球に届く光を浴びる〈私〉はまさに「遠さ」の結節点にいる。四首目は相聞でつながる相手はもちろん恋人であり、テーマは恋のとば口のドキドキである。五首目では対話の相手は自分が過去に読んだ「物語」である。フィリップ・K・ディックの名作『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』へのオマージュだ。
 こうして天野の歌を改めて読んで気づくのは、歌の作り方が題詠的だということである。これは若い歌人に共通して見られる特徴かもしれない。ネット上では題詠マラソンのような企画が続いて行われていて、その影響も大きいのかと思う。
愛されるほど甘くなる桃の実にからだの糖度を思いはじめる
薬草のたくさんはいったお茶を飲む まだ透きとおるからだへ入れる
手のひらがまず母になる陽のあたる頬に触れたら朝になる
おはじきに触れた指先からめくれわたしはつるりと少女に戻る
蔦が伸び絡みつくよう目覚めると巻きついている子どもの手あし
 男は観念的な歌を作りがちだが、女性は身体感覚が敏感でそれが歌にも現れる。一首目は自分の身体を桃に喩えたもので、「からだの糖度」という発想がおもしろい。二首目は出産後の歌で、「まだ透きとおるからだ」に出産の喜びが滲み出ている。四首目は特におもしろく、指先からめくれて少女に戻るというのは、いささかホラー的ではあるがユニークな視点だ。
 最後に好きな歌を三首挙げておく。
この夏にしおりを挟む半世紀経った後にも開けるように
少年を強制終了するようにある日空き地にフェンスが立った
はじまりとおわりを告げる声がして振り向けばもう一面の凪

第182回 島田幸典『駅程』

(くど)の火に呑まれし反故のひとつかみ白もくれんは路傍に散れり

                      島田幸典『駅程』 
 この文章を書いている本日は3月20日の春分の日であり、掲出歌として季節を映す歌を選んだ。折しも路傍の白木蓮は満開を少しく過ぎて、舗道に花弁が散り敷いている。木蓮は花弁が萎れて散るとき、縁から汚らしく茶色に変色する。その様がかまどにくべた反故が火に触れて縁から燃え上がるようだと詠んでいるのである。上句が喩で下句が叙景となっており、両者のあいだに「のごとく」を補って読むのが定石だろうが、上句と下句のわずかな段差が上句を非在の光景としているようにも見える。
 『駅程』は島田の第二歌集。第一歌集『no news』(2002年)から実に13年を経て昨年 (2015年)上梓された。私は本コラム「橄欖追放」の前身の「今週の短歌」で、2004年8月に『no news』を取り上げている。今から12年前のことである。歌集題名の「駅程」は駅と駅を隔てる距離を意味する。さまざまな駅を詠っていることからこの題名を選んだとあとがきにあるが、それだけではなく、歌集を駅になぞらえてその間の時間的懸隔を振り返っているのかもしれない。
 13年という時間は長い。その間に島田にいろいろな変化が訪れている。2011年に師の石田比呂志が泉下の人となり、島田の拠る牙短歌会が解散する。そして新たな創作の場として阿久津英を編集発行人とする八雁短歌会に加わる。同じ年に歴史的仮名遣いを用いることとしたとあるので、本歌集は新仮名遣いによる最後の歌集となるはずである。全部で605首を収録してあり、ずしりと重く読み応えがある。
 私は第一歌集『no news』の評に島田の短歌の特質として、「確かな措辞に裏付けられた端正な歌の姿と、決して荒げることのない静かな声」と書いたが、その本質は本歌集においても変わらない。大事件が詠まれることはなく、激情に流されることも決してない。島田が好んで詠うのは、卑近な日常の小さな光景である。
朝戸出の右の手に鍵かけながら(とざ)されいるはわれかもしれぬ
家出でて地の涯までもついてくるカバン獣の皮を(かず)けり
出づるとき(へや)に置き来しわが愁へ勤の路にあらはれにけり
用ありていそぐ午前の舗道(しきみち)に犬の背ひかる春の日ざしに
朝戸出の風硬くして今日のわれ昨日のわれを引き継ぎにゆく
 朝の出勤時を詠んだ歌を集めてみた。一首目では家に閉じ込めたのは自分自身かも知れないと思い、二首目では通勤用の鞄が動物の皮革でできていることに改めて想いを馳せる。三首目ではふっきって家を出たつもりの憂愁が再び頭をもたげ、四首目では犬の背を照らす春の日差しを眺める。そして五首目では仕事を昨日中断したところから今日また始めると自覚するという具合であり、いずれも微細なことに注ぐまなざしがある。
 本来、近代短歌は叙情詩であり、強い情動が歌を生むという考え方がある。たとえば俵万智は次のように述べている。
短歌は、心と言葉からできている。まず、ものごとに感じる心がなくては、歌は生まれようがない。心が揺れたとき、その「揺れ」が出発点となって、作歌はスタートする。それは、人生の大事件に接しての大きな心の揺れであるかもしれないし、日常生活のなかでのささやかな心の揺れであるかもしれない。
                     (『考える短歌』新潮新書、2004)
 まず感動があり、それを契機として歌が生まれるという考え方で、門外漢にはとてもわかりやすい。歌の出自の正当性と真摯性を担保するという意味においても、好ましい作用を及ぼしてくれる。また感動を言葉に変換することのできるプロ歌人の能力の神秘性も高めてくれるかもしれない。しかしこの考え方は本当だろうか。賞に応募するために30首とか50首の連作を呻吟しながらひねり出している短歌作者には、歌以前に30コや50コの感動があったのだろうか。仮に感動が可算名詞であるとしてだが。
 こと島田に関してはこの図式は当てはまらないように思われる。島田は次のように語っている。
 詩で生活を表現するとは、詩の言葉で生活を考えるということであって、生活の言葉で詩を書くということではない。同時代性も然り。短歌における同時代性とは、同時代の風俗を言語的に複写するということとは自ずから異なりましょう。私が文語という〈場〉に踏みとどまるとすれば、古典世界に慰藉や武器を求めてではなく、今ここに在るという自意識を忘れぬためなのです。
 「けり」や「かも」だけが文語体ではありますまい。そのつど先行作品を抵抗体としながら累積してきた、肉厚な文語のエクリチュールの歴史を私自身の抵抗体とすることで、否応なく私の現在が立ち現れてくるものと存じます。
(田村元との「往復書簡による現代短歌論 2」、「りとむ」平成14年11月号所収、『現代短歌最前線 新響十人』に再録)
 「今ここに在るという自意識を忘れぬため」に「文語という〈場〉に踏みとどまる」とは奇妙に逆説的な言挙げであるように見える。私自身の理解を加味して読み解くと次のようになるだろう。
 田村との往復書簡のテーマは、「こんにち文語短歌はいかにして現代詩たりうるか」というもので、島田の発言もこの文脈で捉えなくてはならない。短歌は今までも「旧態依然とした文語では現代に生きる私たちの心情を映した詩は作れない」という批判に曝されてきた。島田は口語の使用は、安易な同時代性のコピーを生み、「今ここに在るという自意識」をかえって滅却してしまうのではないかと危惧しているようだ。膨大な過去の文語作品と向き合い、自分も文語で歌を作ることによって、逆に自らの現在を意識することができるということではないか。
 このように島田の思想は、「感動が歌を生む」というような短歌自然発生説(あるいは短歌自生説)ではなく、短歌はある方法と意識を持って作成するという短歌人為説である。「感動が短歌を生む」のではなく、逆に「短歌に詠まれたから感動がある」と言い換えてもよい。
 『駅程』に収録された605首の歌はその方法の実践であり、意識的に彫琢された作品なのである。誰しも読んで感じるのは、歌の水準の平均値の高さであり、テキトーに作った歌が一首もないという精選ぶりである。
暑き日のこころ尖りよ消化器のひたくれないに立つ真昼かな
あぱあとの壁に凭れて笑む父母のモノクロに日の白は残りぬ
用あらぬ三条ゆけば千鳥酢に流れ矢のごと酢の香は降れり
花かげの運転席に弁当をつかうひとあり光る白飯
飛び降りの死人(しびと)のありし舗石に浄めの塩の白そそりたつ
 三首目の千鳥酢とは京都三条通りに今でも蔵を構える米酢のメーカーである。脇を通るとツンと酢の香りが漂って来る。いずれも措辞に無駄がなく、助詞に至るまで言葉が動かない歌である。
 本歌集のかなりの部分は、島田がイギリスとオーストリアで2年間遊学した海外詠が占めている。この部分がなかなか読ませる。一般に羇旅歌は、見知らぬ土地の珍しい事物に接した驚きに引きずられるせいか、驚きだけが前面に出て名歌になることが少ない。島田の場合は海外滞在が長期間に及び、旅行者ではなく生活者の眼で物を見ていることと、もともとイギリスとオーストリアを中心とする政治学が専門なので、歴史的パースペクティブを内面化しているため、羇旅歌もひと味ちがうのである。
陽にうすく灼けたる顔は昼ふけの窓に映ゆあな黄色のひと
外つ国に歩むほかなく夏時間すなわちながき黄昏にあり
戦死者は白布の淡き染みのごとイギリスの日々にありてあらずも
大戦に落命せりしおおかたの名はフランツとヨーゼフなりき
みずからの暗さに水は暮れながらエイヴォン川は船載せてあり
放たれし弾みのありしありさまに羽ばたきてのち水は残れり
 一首目は海外あるあるで、窓硝子に映った自分の顔がまわりとちがう黄色人種の顔であることに気づくという場面だ。二首目、緯度の高い国では夏時間のあいだ、日の暮れるのがほんとうに遅い。パリでも午後9時を過ぎないと日が落ちない。実感がこもっている。三首目はおそらくイラク戦争の戦死者だろう。五首目と六首目は本歌集白眉とも言える歌である。結句を「船載せてあり」とすることで、エイヴォン川だけがずっしりとした存在感を持ってあとに残る。六首目は水鳥が羽ばたいて水面から飛去る光景を詠んだ歌だが、ここでも「水は残れり」の結句が、水鳥の飛翔のあとしばらく時間が経過して、波立ちが収まり平らかになった水のみを前景化して揺るぎない。
 折しも「短歌研究」4月号の作品季評で、穂村弘と水原紫苑と吉岡太朗が本歌集を取り上げて批評しているのだが、これが滅法おもしろい。水原の「吉川宏志さんの歌の文体がそのまま哲学だとすれば、島田さんの場合は哲学がもともとあって文体が出ているという感じを持ちましたね」という言葉は鋭く本質を突いており、私が上に述べたことと符合する。
 それはよいとして、水原と穂村は旧知の間柄であるせいか、タメ口でざっくばらんに話しているのがおもしろい。「この人、外国へ行ってると自分がインテリであることを恥じていないのよ。そこが好き、私。日本だと照れるじゃない、何か。知識人は知識人でいいじゃん」と水原が言えば、「それを短歌の無意識が許さないんだよ。短歌は、金持ちであることや、都会人であることや、知識人であることを許さないから、そうでない出方を要求してくる」と穂村が応じ、「何で短歌はそう貧乏たらしくなきゃいけないの? 私それすごく嫌い。金持ちだっていいじゃん」と水原が切り返す。すると「そこの配慮がないから、水原さんは女性歌人の本流になれないわけだよね。(…)そういう短歌の無意識な共感ゾーンからはみ出す紀野恵さんや水原さんや大滝さんは本流になれない」と穂村が答えている。なかなか考えさせる指摘である。  
 それはさておき13年待ったのは無駄ではない。第一歌集『no news』は現代歌人協会賞と現代歌人集会賞を受賞したが、『駅程』は第一歌集にもまして優れた歌集である。

第181回 鳥居『キリンの子』

噴水は空に圧されて崩れゆく帰れる家も風もない午後
                鳥居『キリンの子』
 驚くべき本を読んだ。福沢将樹の『ナラトロジーの言語学』(ひつじ書房 2015)という本だ。著者の福沢は愛知県立大学で国語学の教授をしている。本の主たるテーマは表現主体の多層性である。日常言語で「私は今日は朝から晩まで忙しかった」と言うとき、文の主題句の「私」は発話者の〈私〉と正確に同一である。ところが文芸において「私は降りしきる雨の中を闇に沈む東京駅を目指して歩いていた」と書けば、この「私」は作者と同一ではない作中人物である。作者の〈私〉とは別に作中の〈私〉がいる、これは誰もが承知していることだろう。
 近代短歌ではこの事情はいささか複雑になる。「われのひかりに選ばむとしてのがしたる夏のひかりの潦あり」(荻原裕幸)の「われ」は、作者の荻原という現実世界を生きる生身の人物ではなく、作歌という創作行為を通して作り出され表現される〈私〉である。永田和宏が述べるように、「文体とは(…)日常的行為者としての〈私〉を、詩の構成要員たる〈私〉へ押し上げる梃子」(『表現の吃水』)なのであり、日常の私が文体を核とする創作行為によって歌の中の〈私〉へと変貌する。近現代短歌における「私性」の問題は古くて新しい問題であり、「短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の–そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです」(『現代短歌入門』)という岡井隆の言葉はあまりにも有名である。〈私〉即作者でない場合(いや、一見〈私〉即作者に見える場合も同断だが)、作者の〈私〉と詩の構成要素である作中の〈私〉があることになり、そこに〈私〉の多層性が認められる。
 福沢将樹の『ナラトロジーの言語学』では何と驚くべきことに、表現主体としての〈私〉が、作家-内在する作者-演ずる語り手-談話の語り手-文の語り手-文型の視点-判断の視点-知情意の視点-言及対象と、計9層にも分かれているのである。最後の「言及対象」は短歌に描かれる景物であるが、それが自己に及ぶときは9層となる。唖然とするほどの主体の分裂であり、もしこれが正しいとすると、言語表現において主体は、床に落としたクリスタルのグラスのように散り散りなっており、文内に響く声は決して一人のものでなく、いくつもの声が重なっていることになる。
 そのことはすでに1970年代の構造主義のテクスト論において盛んに論じられたことである。文芸批評家ロラン・バルトは、バルザックの中編小説『サラジーヌ』を解剖した名作『S/Z』の中で、声の多層性を鮮やかに描いてみせた。またテクスト論においてバルトが「作者の死」(la mort de l’auteur)を宣言したことはよく知られている。福沢の著者もまたテクスト論の延長上にある。
 ところがこのような賢しらなテクスト論など「しゃらくさい」とばかりに蹴り出したくなる迫力の歌集を読んだ。鳥居の『キリンの子』(KADOKAWA / アスキー・メディアワークス 2016)である。2016年2月3日付けの朝日新聞大阪版朝刊の「ひと」欄に、作者の写真入りでこの歌集が紹介されていた。曰く、母親が自殺、自分も自殺未遂をし、入れられた児童養護施設で壮絶な苛めに遭い、ホームレスとして公園の水を飲んで暮らす。中学校も満足に通っておらず、施設にあった新聞を辞書を引き引き読んで字を覚えたという。その後、穂村弘や吉川宏志の短歌に出会って歌を詠むようになったとある。義務教育の重要性を訴えるために、成人した現在もセーラー服を着て活動している。これはおもしろいと、さっそく歌集を注文しようとしたら、すでに版元品切れだ。やむなくAmazonで出品されているものを購入した。その後しばらく経って版元から献本が届き、奥付を見たら2016年2月10日初版、2月29日第2刷とあるではないか。発行から19日で増刷がかかったのである。こんなことは『サラダ記念日』以来のことではないだろうか。ネット情報では、予約だけで初版の発行部数を超えたらしい。帯には「美しい花は泥の中に咲く」という惹句が印刷されていて、解説の吉川宏志以外に、いとうせいこう、大口玲子が推薦文を書いているのも異例なことである。鳥居は2012年に現代歌人協会全国大会において、穂村弘の選により佳作入選を果たしているほか、本歌集のあとがきに代えて掲載されている「エンドレス、シュガーレス、ホームレス」によって第3回路上文学賞大賞を受賞している。
 さて、歌集の中身だが、構成とは別に大きく分けて、祖父母や母親と過ごした幸福な日々を詠った歌、母親の死とそれに続く虐待・ホームレス時代を詠んだ歌、それ以外の歌の3種類に分けられる。言うまでもなく最も胸を突かれるのは2番目のグループの歌である。
花柄の籐籠いっぱい詰められたカラフルな薬飲みほした母
冷房をいちばん強くかけ母の体はすでに死体へ移る
灰色の死体の母の枕にはまだ鮮やかな血の跡がある
いつまでも時間は止まる母の死は巡る私を置き去りにして
 小学校から帰宅すると、薬を飲んで瀕死の母がいた。ここで暮らせなくなると困るから騒ぎを起こさないよう言われていた鳥居は、救急車を呼ぶこともできず、死んで行く母と数日過ごしたという。冷房を強くするのは腐敗を遅らせるためである。「死体へ移る」という即物的表現に言葉を失う。母親の自死は小学生だった鳥居の時間の流れを止めてしまったようだ。
孤児たちの墓場近くに建っていた魚のすり身加工工場
全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る
虐げる人が居る家ならいっそ草原へ行こうキリンの背に乗り
次々と友達狂う 給食の煮物おいしいDVシェルター
遮断機が上がれば既に友はなく見れば遠くに散った制服
 児童養護施設を詠んだ一首目では、「魚のすり身加工工場」の生々しさが印象に残る。二首目は養護施設でのいじめを詠んだ歌で、四首目は駆け込んだDVシェルターの歌である。五首目は目の前で鉄道自殺した友人を詠んだもの。最近あまり使わない「遮断機」という字面からして重々しい言葉が効果的で、切れ切れに散った紺の制服という余りに鮮明な情景にも言葉が出ない。
コロッケがこんがり揚がる夕暮れの母に呼ばれるまでのうたた寝
鳩たちへ配って遊ぶ出掛けぎわ母が持たせてくれたクッキー
壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
みんなまだ家族のままで砂浜に座って見つめる花火大会
大花火消えて母まで消えそうで必死に母の手を握りおり
 母親が死ぬ前の幸福な子ども時代の歌では、一転して直截な表現は影を潜め、甘やかな世界が描かれている。まだ時間が流れていた時代だが、「みんなまだ家族のままで」という言い回しが悲しい。
 「海のブーツ」から「紺の制服」までの第I部は鳥居が経験した辛い体験を中心とする歌で、吐き出して表現することにある種のセラピー効果があるものと見てよい。これに対して第II部は、歌人としての自覚のもとに特異な体験から離れた歌を集めたものと思われる。分量としては第I部の4分の1程度しかないが、歌人としての鳥居の新たな歩みを示すものとして重要である。
海越えて来るかがやきのひと粒の光源として春のみつばち
噴水が止まれば水は空中に水の(かたち)を脱ぎ捨てて散る
やがて街を去りゆく蒼き春雷がかたき卵の殻にひびけり
屋上へつづく扉をあけるとき校舎へながれこむ空のあお
鉄棒に一回転の景色あり身体は影と切り離されて
デモ隊にまぎれて進む女生徒がうすく引きゆく林檎の香り
亡き祖父の庭に立ちいし柿の木のある日は夕焼け空に触れたり
 第I部の歌には、表現が稚拙なものもあり、言葉の選択が適切でないものも散見されたが、第II部に来てこの変わりようである。「けり」「たり」など文語も駆使するようになり、とても中学校すらまともに通えなかった人とは思えない。ほんとうに鳥居は頭が下がる努力の人だ。ていねいに読んでいこう。
 一首目、蜜蜂を春の光源に喩えたきれいな歌で、「来るかがやきの」の句跨がりまでマスターしている。二首目は以前から集めている「噴水の歌」に加えた。噴水は現代短歌で好まれる素材である。この歌のポイントは噴水の水が止まる瞬間を捉えた点にある。水のかたちが幻にすぎないことに改めて気付かされる。三首目ではまず「春雷」と「卵」の組み合わせに感心する。初句の七音も効果的で、俳句に仕立ててもよい好きな歌である。四首目は完璧な青春歌。校舎の屋上は様々なドラマが繰り広げられた青春のトポイである。五首目も感心した歌。確かに鉄棒をするときは、足が地面から離れるために、通常は接続している身体と影が切り離される。ジャンプしても同じことが起きるが、鉄棒の方が持続的に切断される。「一回転の景色」もよい。六首目、デモ隊の通過するときふと漂うリンゴの香りとは、まるで60年代のようだ。七首目では「ある日」と「触れたり」が表現として秀逸である。
 吉川も解説で書いているが、最初のうちは見よう見まねでぎこちなかった鳥居の歌は、急速に短歌のリズムを獲得するに至っている。その進歩の跡には瞠目すべきものがある。鳥居は今後も、母親の自死や施設で受けた虐待やホームレス生活など、少女時代の経験の特異さによって注目を浴び続けるだろうが、それは歌人としての鳥居を正しく遇することにはならない。
 さてここで最初の話に戻ろう。「表現主体の多層性」、「作者の死」、「一人の〈私〉へと収斂することのない分散する〈私〉」というテクスト論の考え方を短歌に適用することができるか。短歌も言語による文芸の一種である以上、適用することは可能だろう。問題はそれが妥当か否かである。『キリンの子』のように、一読して言葉を失うような迫力に満ちた短歌を読むと、テクスト論の鋭利さは急速に色褪せてしまい、「いやいや、やっぱり短歌は人生と切り離すことはできないでしょう」とつぶやいてしまう。短歌の〈私〉とは、つまるところ岡井の言う「作品の背後に見えるたった一人の顔」なのではないか。少なくとも『キリンの子』を読む限り、その背後に見えて来るのは鳥居という個性溢れる一人の歌人なのである。

【注記】
 ロラン・バルトの『S/Z』は1970年刊行、翻訳はみすず書房刊で読むことができるが、フランス語の細部にわたる分析なので、原文で読まないと理解の難しい部分もある。「作者の死」は『物語の構造分析』(1979)所収。この本はバルトのいくつかの論文をまとめた日本独自の編集。
 鳥居については、岩岡千景『セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語』(KADOKAWA / アスキー・メディアワークス)という本も出ている。また「不登校新聞」に鳥居のインタビューが掲載されていて読むことができる
 なお『キリンの子』の著者印税の10%は慈善団体に寄付されるという。鳥居のブログは こちらにある。鳥居への援助・寄付の送り先も書かれている。

第180回 森井マスミ『まるで世界の終りみたいな』

(くが)しづみ国土ちひさくなる夏のをはりても咲きみだるる朝顔
            森井マスミ『まるで世界の終りみたいな』
 第一歌集『ちろりに過ぐる』に続く森井マスミの第二歌集『まるで世界の終りみたいな』は問題歌集である。問題歌集というのは、その意図・手法・成果に関して、世間の賛否が大きく分かれるだろうという意味においてである。まず歌集題名が目を引く。「~みたいな」というのはしばしば批判の的となる若者言葉で、それをわざわざ題名にしたのは、森井の意図してのポストモダン的シミュラークルだろう。表紙カバーは白地にオレンジ色で題名が印刷されているが、カバーを取ると一面のオレンジに白で同じ題名が印刷されていて、その図と地の反転がまるで網膜に残る残像のような効果を生む。栞文は第一歌集にも文書を寄せていた藤原龍一郎。
 次に歌集の構成だが3部に分かれた本体と、本体に入れなかった歌を集めた附録があり、巻末に制作年月と関連事項が置かれている異色の構成となっている。なかでも「制作年月」が本歌集の鍵となる重要な情報である。本歌集に収録された短歌は、2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原発の事故をまたぐ期間に制作されているからだ。つまり、「あの日の前」と「あの日の後」とが、まるで深いクレバスのように時間をふたつに分断しているのだ。本歌集には、その分断された時間の狭間で苦しみに身を捩る作者の声が充満しており、読んでいて胸が苦しくなることしばしばであった。
 森井は評論集『不可解な殺意』のなかで、無差別殺人事件に象徴される現代日本社会の病根について論じ、このような社会状況のなかで文学はいかに可能かを真摯に考え続けている。そして次のように述べている。
「ところで、ポストモダンにおける物語の消滅は、一方では近代的な規範を内面化した『私』の消滅と平行している。そしてその後にやってくるものは、データベース的な想像力によって生成される、キャラクターとしての『私』であり、純文学からライトノベルへの移行が、不可逆的な流れであることは、先に述べた通りである」(p.89)
 論旨の妥当性についてはひとまず措くとして、この引用が示すように森井が文学(短歌)を取り巻く社会状況に極めて敏感であることに留意しておこう。だからこそ『まるで世界の終りみたいな』なのである。国内では震災被害と原発事故や幼児虐待、国外では戦争とテロという現実が森井をしてこの書を書かせたのであり、本書は森井が綴る現代の黙示録であると言ってよい。ポストモダン世代のアポカリプスといった観を呈している。
名も知らぬ花揺れてをり詩と歌と廃れてのちの危険区域に
kibouのキーがこはれてカーソルが点滅したまま二年が経った
悪夢なら覚めればよいが 現実と夢の境を漏れ出す汚染水
衛るべき国ほろぶれど 日本といふ棺にあまる紅白の布
「戦後」といふことばはるけしタワーマンション並びゐる卒塔婆のごとくに
 想いが溢れる余りに定型の枠をはみ出して韻律さえ失った歌も多い。
国家予算を費やせどももはや取り戻せぬ現実といふあのしるきもの
「想定範囲」外の危機など避けられぬ邦 民主主義が麻原を生んだ
踏みしめることのできない土地でなぜひとは戦ひ続けようとするのか
 その一方で、『ちろりに過ぐる』でも試みられていた過去の文学作品の換骨奪胎という手法による歌もある。次はカミュの『異邦人』に想を得た L’Etrangerという連作である。
けふ、ママンが死んだ ひとはいつ死ぬかわからぬ、いつ死んだかさへ
泥水の眠り中でけんめいに子を産み落とすママンのかはりの
棺の長すぎる釘 打つために渡された小石、彼岸に転げ た
 歌集の構成と内容の紹介はこれくらいにして、通読して感じたことを書き留めたい。ひとつは「大きな言葉で語ることの危うさ」である。「大きな言葉」とはすなわち「遠景を語る言葉」だ。
 〈私〉を取り巻く世界の構造は「近景」「中景」「遠景」に分けられる。「近景」は日々を暮らす〈私〉のごく身近な世界で、それを構成しているのは家族・友人・職場などであり、そこに流れる時間の単位は「一日」である。たとえば次の歌に描かれた空間と時間は典型的な近景と言ってよい。近代短歌は自我の詩であり同時に生活の歌であったので、近代短歌が最もよく描いた世界である。
校正室のわれに幾度も来る電話かかる忽忙をいつよりか愛す 大西民子
 「中景」は近景よりもう少し大きな空間と長い時間を持つ位相で、暮らしている地域、故郷、あるいは国がそれに含まれる。時間は数十年の単位で、家族や友人以外の見知らぬ人々を含む一人称複数の「われら」がそこに関わる。中景を描くのは例えば次のような歌である。
碓井嶺を過ぎて雪やま濃きあはき縁曳きゆくちちははのくに  島田修二
 これに対して「遠景」は、イデオロギーと世界情勢の領域であり、空間は地球規模で時間は数世紀という単位となる。SFの世界ならば、規模はさらに拡大して宇宙全体、さらにはパラレルワールドにまで広がるだろう。
 『まるで世界の終りみたいな』所収の「創世記2013」という連作に次のような歌がある。
あのひとはノアに命じて箱船を造らせるべきだつたあの時
まさかあの大事な時にあのひとがモバゲーやつてゐたなんて信じられない
ドバイ、クウェート聳えたつビル 洪水を神を呪ひて建てし塔あり
鳩はまだオリーブをくはえ帰り来ず 水がひいても線量が高い
 これらの歌の下敷きにF1苛酷事故があるのは確かだが、手法そのものは「セカイ系」である。「セカイ系」とは、アニメ「機動戦士ガンダム」に典型的に見られるように、主人公である〈私〉がひょんなことから戦闘に巻き込まれ世界の命運を背負わされるというようなストーリーで、〈私〉が近景や中景をすっ飛ばしていきなり遠景へと接続する世界観を指す。
 短歌においては、景の遠近に応じて〈私〉の大きさと言葉の大きさが反比例の関係に立つ。近景では〈私〉が大きく言葉が小さい。「言葉が小さい」というのは、身近で卑近な出来事やちょっとした感情の揺れを表す語彙だということである。一方、遠景においては言葉が大きくなり〈私〉が小さくなる。大きな言葉とは、「民主主義」とか「大衆消費社会」とか「グローバル化」のように、政治的もしくは経済学的な「概念」を表す言葉を言う。概念とはそもそも一般化であり、その前では〈私〉は小さくならざるをえない。一般化されれば〈私〉は消滅する。一般化とは私とあなたの差を捨象することであり、〈私〉とは他と交換のきかない存在論的「例外」だからである。
 よく言われることだが、短歌はその短詩型としての制約から、小さなものをすくうのに適した器である。小さなことばが歌のなかで〈私〉を押し上げる。『ちろりに過ぐる』の評において、私は森井の短歌における〈私〉の位相の危うさに触れたのだが、『まるで世界の終りみたいな』においても、異なる経路からではあるが、同じことを指摘せざるを得ない。「大きな言葉で語る」ことには常に危うさがつきまとう。そのことに留意するべきだろう。
 その意味でも本歌集で気になるのは、巻末におまけのように置かれた附録である。ここには主に3.11以前に作られた歌が配されている。「ゴーギャンあるいはParadise Lost」、「火だるま槐多」、「俊徳丸」、「凍る」、「おとうと」といった連作は、展覧会や演劇に足を運び、それらの作品に触発されて作られた歌である。あとがきのなかで森井は、「『附録』は全くの蛇足になってしまったかもしれない」と書いている。つまり森井は一首の歌の価値ではなく、歌を作るに至った背景・状況という外的要因に基づいてこれらの歌をほとんど無価値と判断したのだ。
 これらの歌の中にも小さな言葉がすくい上げたものがあるはずだ。そういうものを大事にしなければ、短歌という短詩型は存在意義をなくしてしまう。そう思えてしかたがないのである。

第179回 吉野裕之『砂丘の魚』

南からやって来た船大きくて横切ってゆく ゆっくり私
                  吉野裕之『砂丘の魚』
 本書は『空間和音』(1991年)、『ざわめく卵』(2007年)、『博物学者』(2010年)、『Yの森』(2011年)に続く吉野の第5歌集である。ただし、吉野は歌の制作年代どおりに歌集をまとめていないので、時系列的には『空間和音』、『博物学者』、『Yの森』、『ざわめく卵』、そして今回の『砂丘の魚』の順番になる。歌集表紙には、灰色の背景に白抜きの魚の形が描かれており、帯を外すと図と地が逆転して、白い背景に灰色の魚になるというおもしろいデザインである。いやに幅の広い帯だなと思ったら、こんな愉快な仕掛けが隠されていたのだ。歌集をお持ちの方はぜひ帯を外してみてください。
 吉野の歌集を読むのは楽しい。歌のリズムに身を委ねていると、作者に導かれて角を曲がって路地に入ったり、橋を渡ったり、ビルの上に誘われたりして、ゆったりと町歩きしている気分になる。決して急がず歩調はあくまでゆっくりと、あちこちにおやという小さな発見や驚きがある。そんな感じがするのである。
いちじくの煮詰められゆく時間からことばをそっと選ぶあなたは
 歌に描かれた場面に流れる時間もコトコトと煮詰められてゆく無花果のようにゆるやかに流れているが、それを描く歌の時間(すなわち読者の読みの時間)もまた春の小川の流れのようにゆるやかである。
 しかし吉野の歌の魅力を言葉で語ろうとすると、これが意外に難しい。今回歌集を一読して感じたことをいくつかのキーワードで語ってみよう。
 ひとつめのキーワードは「文体」である。言うまでもないことだが、文芸のキモは文体にある。同じことを述べても、文体が違えばかたや文芸、かたや非文芸(つまり文芸のなり損ね)ということもある。
とても冷えた酒を注がれてゆくときを春の野菜が口の中にある
六月のカステラの黄のやわらかさ肯うようにフオク刺しいつ
欠伸する犀を見ながら考える不思議なことだ扉の配置
そのままがいいと思えばそのままでいいのだけれど気になっている
 吉野の文体はほぼ現代語の口語体で、定型は守りつつもいささかの破調は辞さないというスタンスである。『空間和音』が上梓されたのは1991年だが、『岩波現代短歌辞典』の巻末年表によると、1985年頃からライトヴァースをめぐる議論が盛んになり、『サラダ記念日』が出た1987年にはライトヴァースをめぐる議論が白熱とある。吉野の第一歌集『空間和音』もおそらくは、バブル経済を背景としどこか浮かれた世情と呼応するかのようなライトヴァースの流れのなかにある歌集と受け止められたにちがいない。だからこそ『空間和音』の出版記念会で、藤原龍一郎は「短歌の言葉に対する葛藤のなさ」に苦言を呈したのである。
 確かに従来の近代短歌と比較すれば「ライト」な文体であるにはちがいない。しかしながらこのような文体であるからこそ表現できるものもある。それは「軽み」である。『日本国語大辞典』(小学館)によれば、「軽み」とは芭蕉俳諧の理念の一つで、庶民性、通俗性を高揚深化し、軽快、瀟洒、直截、平淡、卑近などを芸術化することで、卑近な事象に詩美をとらえた軽妙な風体、とある。
 吉野の短歌の題材は徹底して卑近・平俗であり、大事件は決して詠まれることがない。それは吉野が日常の大事さを重んじていて、短歌は日常のささいなことを掬う器だと考えているからである。たとえば上に引いた歌では、冷えた酒を口に含んだときの印象、カステラの黄色、扉の配置、何か気になることが題材だが、いずれも日常の些事である。「軽み」の文体はこのように吉野の短歌観に根ざしたものだと言える。
 このような詩魂を持つ吉野が俳句に接近するのは自然なことで、吉野は井上雪子・梅津志保らと豆句集『みつまめ』という楽しい豆本句集を定期的に作っている。たとえば次のような句がある。
谷中から手紙来てゐる冷奴
午過ぎは大きな時間秋の貨車  2014年立冬号
落ちていて椿を逃げる形かな
グラジオラス老いたる影の真つ直ぐに 2015年立夏号
 次のキーワードは独特の「空間感覚」である。
私に任せてほしい言い切ったときの背後のそら桔梗色
ダアリアが花を咲かせるかたわらを影を乗せたる自動車が過ぐ
建て替えの前をあわあわ過ぎてゆく店ネクタイを緩めるように
夏草は遠く国会議事堂を置きつつさやぐ暑き暑き日
パイプをくわえたひとが過ぎてゆく大きな窓は私の前
 吉野の歌には歌の核となる事象だけでなく、背景・遠景が描かれているものが多い。そしてなかには事象よりも背景・遠景のほうが重要な歌もある。たとえば上の一首目、誰かが「私に任せてほしい」と言った上句は近景だが、下句では突然遠景にパンして背後の空に焦点が当たっている。二首目では、影のように顔の見えない人を乗せた車の背後に、夏の花ダリアが咲き乱れている。三首目では、建て替え中の店の前を通り過ぎているのだろう。やはり背景が描かれている。四首目では、近景の夏草の遠景に国会議事堂が置かれているという具合である。
 このように背景や遠景が描かれていることによって、歌の中に遠近感と奥行きが生まれ、歌がフラット化することを免れているとも言えるだろう。吉野は都市計画に関わる仕事をしているようなので、もともと空間的把握に秀でていることもあるかもしれない。しかしこれは以前のコラムでも触れたことだが、吉野は物事を固定的な視点から見ることを避けて、「何かが自分の前に形を取って立ち現れる」瞬間を大事にしているようで、歌にしばしば背景・遠景が描かれているのは、何かが立ち現れるにはその出現の〈場〉が要請されるからではないかと思う。
 次のキーワードは「実体と影」である。吉野の歌はゴッホの油絵のような強烈な印象を与えるものではなく、色彩の淡い淡彩画を観ているように感じることがある。その理由はなんだろうと考えてみると、しばしば実体ではなくその影が描かれているか、実体と呼べるものがほとんど登場しないのである。
ブラインドに起重機の影が動いている誰に告げればいいのだろうか
靴先に確かめてゆく春の土あるいは花のやわらかな影
王様にならなくていいといわれたる少年のようなプラタナスの影
開かれてある一冊は膝の上に大きな影を抱くしばらく
ぼくたちの場所だったはずなのにもう木の椅子がある風が揺れる
遠くから聞こえていると思うけれど空の青さと幼子の声
夏めいてくる彼の肩ゆるやかにあるいははかなげに雨のなか
 一首目ははっきりとブラインドに映る影である。実体が存在するから影ができる。ゆえに影は実体の存在を担保するはずなのだが、吉野の歌のなかでは必ずしもそうではなく、影のみとして在るかのようだ。二首目の花の影、三首目のプラタナスの影、四首目の本の影についても同じことが言える。五首目から七首目は、描かれている情景の中の実体の少なさが際立っている歌を並べてみた。五首目では確かに木の椅子はあるがただそれだけであり、後は風が吹いているだけだ。六首目になると青空に幼児の声が遠くに聞こえるだけで、実体と呼べるものはない。七首目も同様で、クローズアップされた「彼」と呼ばれる人の肩だけがあり、あとは背景としての雨のみという次第である。
 セレクション歌人シリーズの『吉野裕之集』に収録された「日常と真向かうための」という文章で、吉野は次のように書いている。
日常はいくつかの側面を持っている。たとえば、物理的側面、機能的(社会的)側面、記号的(文化的)側面といったことばで分けることができるだろう。そして、それぞれが多様な水準と相を持っている。(…)ものごとは、ひとつの視点だけで見通すことはできない。時間も空間も、けっして規則的に構成されているわけではない。日常と真向かうことによって、われわれはこうしたあたりまえのことを実感していく。
 吉野の歌では視点が固定されておらず、たった一人の〈私〉へと収斂することがないのは、このような事情によるものと思われる。また言うまでもなく「個性」で加藤克巳に師事した吉野は都市生活者のモダニストであり、本歌集はモダニストが詠んだ都市詠として読むこともできるだろう。
 最後にもっとも印象に残った歌を一首挙げておこう。
向き合って夏の話をしていたり貨車はしずかに連結を待つ
【お断り】吉野の「吉」の字は上が「士」ではなく「土」だが、テキスト形式では表示できないのでやむをえずこうしてある。ご寛恕を請う。

第178回 法橋ひらく『それはとても速くて永い』

自閉する日々にも秋の降るように惑星(ほし)は優しく地軸を傾ぐ
           法橋ひらく『それはとても速くて永い』
 本歌集は書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」の一巻として上梓された法橋の第一歌集である。法橋は1982年生まれで「かばん」所属。2014年(平成26年)の短歌研究新人賞において連作「灯台」で最終選考通過作に選ばれている。
 歌集題名の『それはとても速くて永い』は、指示詞「それ」の指示対象が明かされていないためいささか謎めいているが、私なりに謎解きをしてみると、「それ」が指しているのは、「人生」もしくは「人生に流れる時間」ではないかと思う。歌集を読み進むにつれてそのように感じられてくる。解説を寄せた東直子は、法橋の短歌に見られる「生きづらさ」に焦点を当てている。東が引くのは次のような歌である。
風に舞うレジ袋たちこの先を僕は上手に生きられますか
冬がくる 空はフィルムのつめたさで誰の敵にもなれずに僕は
 確かに短歌に詠まれた内容の面で東の指摘は正しいのだが、ここではもう少し短歌の作り方に着目して考えてみたい。
 法橋は世代的にはいわゆるゼロ年代の歌人に属する。1981年生まれの五島諭・永井祐と1歳しかちがわない。物心のつく小学校高学年の頃にバブル経済が破綻し、その後長く続く低成長とデフレの時代に青春を送った世代である。穂村弘は「ゼロ金利世代」と呼んでいる。作歌の面で五島らと共通する特徴は口語・フラット・低体温だろう。一世代上の加藤治郎らが推し進めた短歌の口語化はほぼ所期の目標を達成し、口語それも日常的話し言葉がこの世代には多く使われている。「フラット」にはいくつもの側面があるが、韻律面では内的な短歌韻律の喪失、調子の面では「歌い上げる」「ドヤ顔で決める」ことへの含羞、内容面では身近な日常の拡大が挙げられる。これは3つ目の特徴である「低体温」と密接に関連している。法橋の歌にもこれらの特徴がほぼすべて当てはまる。
上達しないいくつかのこと真っ直ぐにタトルテープを貼りつけるとか
君はもう眠れたろうかぼんやりとタイムカードを差し込みながら
優しかった雨の終わりを聴いているカーテンのそと白紙のひかり
 「貼りつけるとか」や「眠れたろうか」は若者の口語であり、どの歌にも淡い感情が表現されているものの、激しい感情の起伏や他者への訴えといったものは見られず、まるで色彩の淡い水彩画を見ているかのようだ。
 全体に生活感が希薄で、仕事や社会を詠んだ歌が少ない。ちなみに法橋は図書館に勤務しているようで、「タトルテープ」は盗難防止のために本に張るテープのことである。生活感があまり感じられない理由は、法橋の歌の世界では〈私〉がほぼ〈感じる私〉に限定されているからだろう。本来〈私〉は多面的な存在である。〈行動する私〉もあれば、〈考える私〉や〈愛する私〉も〈働く私〉もある。その多様な〈私〉の局面のそれぞれに光を当てて短歌を作れば、もっと多種多様な歌が生まれるはずだが、法橋の歌の中心は〈感じる私〉から離れることがない。その遠因はおそらく持って生まれた自意識と、心から離れることのない不全感・閉塞感だと考えられる。たとえば、次の歌の「なけないぼくら」には強い不全感があり、レジ袋は自ら進路を決めることのできない〈私たち〉の喩である。
鳴けよ海(なけないぼくらのみるひかり)廊下に立てたあのキャンバスへ
従順なレジ袋たち河口まで運ばれふいに惑いはじめる
 このような現代短歌の傾向について、穂村弘はおおむね次のように述べている。
「たくさんのおんなのひとがいるなかで / わたしをみつけてくれてありがとう」(今橋愛)のような歌では、一首全体が〈私〉の想いで、それがそのまま「うた」になっていて、想いと「うた」の間にレベルの差がない。想いに対してあまりに等身大の文体は「棒立ち」に見える。この変化は「うた」より自分の想いを重視した結果ではなく、「うた」の文体以前の、世界の捉え方そのものの変化による。90年代の後半から世界観の素朴化と自己意識のフラット化が起こり、それに合わせるように「うた」の棒立ち化が顕著になった。(『短歌の友人』所収「棒立ちの歌」、初出は『みぎわ』2004年8月号)
 つまり短歌のフラット化は、「〈私〉の想い」と「歌の姿形」の比重の変化によるものではなく、その前に世界観がフラット化した結果によるものである、という分析である。法橋の短歌は穂村の言うような「棒立ち歌」ではなく、そこには短歌的修辞が施されていて、これについては後述するが、確かに近代短歌と較べればフラットな文体であることはまちがいない。しかしそれが穂村の言うように、「世界観の素朴化と自己意識のフラット化」によるものかどうかはにわかに断定しがたい。もしそうであるならば、そのような世界観と自己意識の変化は、短歌以外の芸術や学問や社会運動の領域においても、平行的な変容をもたらしているはずで、これを検証してみなければ断定はできない。
 法橋や五島・永井らの口語・フラット・低体温短歌は若い人たちのあいだに急速に広まっており、共感と支持を獲得している。それに較べて伝統的な近代短歌の世代の人たちは、このような短歌を読みあぐねているように思われる。本コラムの五島諭の回でも触れたように、法橋や五島らのフラット短歌は近代短歌の解読コードでは十分に読むことができないようだ。その理由はどこにあるのだろうか。私はふたつの理由があると考えている。
   そのひとつはこれも五島諭の回で触れたが、フラット短歌には永田和宏の言う「問いと答えの合わせ鏡」の構造がないか、あっても非常に希薄である。次の二首を較べてみよう。
マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや  寺山修司
「先輩」と呼びかけられて返すとき左の頬がぎこちなくなる  法橋ひらく
 寺山の歌には明確な切れがある。この切れを境に、上句が問いを誘い出す契機となって下句の問いが浮上し、結句の「ありや」の反語によって答えは霧散し、再び上句の情景へと跳ね返るというのがこの歌の内的構造である。これに対して、法橋の歌では「とき」節による主節・従節構造にはなっているものの、上句は下句の時点を設定しているのみで、両者に「問いと答えの合わせ鏡」の緊張関係はなく、全体としてひとつの流れとなっている。
 なぜ近代短歌が「問いと答えの合わせ鏡」構造を磨いて来たかというと、それは近代短歌が自らを「自我の詩」と定義したためである。一首の中で「問いと答えの合わせ鏡」構造によってホログラム映像のように焦点位置に結像するものが、近代短歌における〈私〉である。もっとも近代短歌にも「問いと答えの合わせ鏡」構造を持たない歌は数多く見られる。
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ  小野茂樹
 あまりにも有名なこの歌には切れがなく、合わせ鏡の構造がない。それはこの歌が輝いていた愛への挽歌だからである。挽歌は本来死者を悼む慟哭の歌であり、挽歌を詠むとき人は〈私〉を滅して古典和歌の世界に接近するのである。
 フラット短歌では合わせ鏡構造の欠如のせいで、結像するはずの〈私〉が見えにくく希薄である。これが近代短歌に慣れた人にフラット短歌が解読しにくい理由である。
 いまひとつの理由は歌の作り方の手法にある。またまた穂村弘で恐縮だが、穂村は短歌の読みのコード(ひいては作り方のコード)として、「想いの圧縮と解凍」という比喩を用いて語っている(『短歌の友人』所収「『想い』の圧縮と解凍」、初出『文藝』2004年冬号)。ここで言う圧縮と解凍とは、コンピュータの世界で大容量のデータファイルに対して行なう操作のことである。穂村は、小説などの散文と較べて、短歌・俳句・詩などの読みが難しいのは、情報に圧縮がかかっているからで、読者は読むときにある手順に従った解凍の操作を要求されるからだとしている。次は穂村の挙げた例ではなく、手元のアンソロジーからランダムに選んだ例である。
宵々をピアノをたたく未亡人何か罪深く草に零る灯  大野誠夫
 さてこの歌のどこに圧縮がかかっているかというと、それは「何か罪深く」だろう。しかしこの圧縮の意味を十分に解凍するには、この歌が戦後間もない昭和26年に出版された歌集『薔薇祭』に収録されたもので、敗戦後の社会風俗と日本人の心情を活写したものであることを知らなくてはなるまい。
 ゼロ年代のフラット短歌では想いの圧縮という短歌的手法はきわめて希薄である。ではそれに代わって用いられる手法は何かというと、よく見られるのは「5W1H」の過剰な消去である。再び法橋の歌集から引く。
触れないことで触れてしまった核心があってしばらく窓を見ていた
だけどまた透明になる 藤棚のしたを過ぎてく夏の荷車
走っては引き戻されてそうやって春はこころを象りながら
 言うまでもなく「5W1H」とは、明快な文章に必要とされるWhen, Where, Who, What, WhyとHowのことである。しかしこれは情報伝達を目的とする散文の世界の話で、詩ではしばしば「5W1H」の一部消去という手法が用られることはよく知られている。ところがフラット短歌ではこの消去が過剰なまでに行われることが多い。短歌ではもともと作中の〈私〉は表現しないことが多いので、Whoの消去はふつうである。しかし上に引いた一首目の「触れない」の主語は〈私〉としても、それ以外の「4W1H」はまったく表現されていない。「核心」とは何の核心なのだろう。また二首目では、まさか荷車が透明になるはずはないので、「透明になる」の主語 Who / What?が不明であり、上句と下句の意味的関係よくわからない。三首目でも「走っては」の主語は〈私〉だとして、なぜ引き戻されるのか。また「こころ」とは誰の心なのか? これは「想いの圧縮」ではなく、意味解釈のために読者にとって必要な要素の「消去」である。
 仮に穂村の考えとは逆に、フラット短歌の出現が世界観の変容ではなく「〈私〉の想い」と「歌の姿形」の比重の変化によるものであり、作者が「〈私〉の想い」に重点を置いて作っているのだとしても、その目的は十分に果たされているとは言いがたい。近代短歌に慣れた読者がフラット短歌を読みあぐねているのは、このような理由によるものではないだろうか。
 少し法橋の短歌から離れた短歌論になってしまったので、再び法橋の歌集に戻る。法橋の短歌によく登場する単語は「ひかり」と「手を伸ばす」で、「生きづらさ」と「他者との交通の困難」が大きなテーマとなっている。
空がまたうすくなるから見てしまう硝子の向こう、日々の向こうを
揺れやすい姉のこころを想いつつ秤に注ぐブラウンシュガー
星のない夜にも視るよ眼裏にすずしく冴えたヘキサグラムを
叙情せよ体温計もアラームもおしなべてみな夜の無音に
Gardenの縁を歩めば音もなく雨は街灯(ひかり)の下から降れり
光るものすべてを窓と思うときみんなどこかへ帰るひとたち
ただひとり立ち尽くすとき雑踏に渦の目のごと生存はある
 一首目、「硝子の向こう、日々の向こうを」という対句に、硝子という具体物と日々という抽象物を配しており効果的である。二首目、「揺れやすい」ことを秤で形象しており、分銅を用いる天秤秤がふさわしかろう。三首目、「眼裏(まなうら)」という短歌的文語を使っている点がフラット短歌と一線を画す。作者は西洋占星術が趣味だそうで、だからヘキサグラムである。四首目は「叙情せよ」という力強い命令形の歌で、結句が「無音の夜に」ではなく「夜の無音に」と倒置されているのもよい。五首目は秀逸な発見の歌。確かに街灯の上は暗がりで雨が見えず、街灯の下で照らされているところだけ雨が見えるため、まるで雨が街灯の下から始まっているように見えるものだ。六首目、みんなが帰る先は家族の待つ自宅であると同時に、未生以前の世界なのかもしれないと思わせる歌。七首目は自己の生存の根拠を渦の目に喩えたもので、他の歌に較べてずっと力強い言挙げになっている。
 これらの歌は近代短歌のコードでも十分に読める歌であり、また若い感性を感じさせる秀歌と言ってよいだろう。しかし何と言っても私のお気に入りは、冒頭に挙げた掲出歌である。
自閉する日々にも秋の降るように惑星(ほし)は優しく地軸を傾ぐ
 地球という星に四季があるのは、地軸が公転面に対して23度余り傾いているからである。もしこの傾きがゼロであれば、一年中同じような気温になってしまうだろう。この歌はその事情を詠んだ歌だが、いくつもの工夫が凝らされていて美しい歌になっている。「自閉」とそれを慰撫する「優しさ」、「惑星」が内包する「惑う」という意味と、それを覆い隠す「ほし」というルビ、また「秋の降るように」という意味的圧縮などがそれだ。地球の公転という天文学的スケールの事象と、私の自閉という極私的な出来事が一首の中に美しく共存しており、勝手に法橋の代表歌としたい。