第177回 大口玲子『桜の木にのぼる人』

樹皮削られ水かけられて除染といふ苦しみののちのりんご〈国光〉
                 大口玲子『桜の木にのぼる人』
 今年(2015年)の9月に刊行された大口玲子の第5歌集である。2012年から2014年に制作された歌が編年体で並ぶ大部の歌集だが、読み進むにつれて次第に引き込まれてゆき、最後まで一首一首味わいながら読了した。旅をして豊かな時間を過ごした感がある。最近読んだ歌集のなかで最も心に深く響いた歌集と言ってよい。それは大口の思索と歌の世界が深化しているからである。
 宮城県に暮らしていた大口にとって、2011年に起きた東日本大震災と、東京電力福島第一原発の過酷事故は、生活を根底からひっくり返す大事件であった。幼い子を持つ大口は、水素爆発によって撒き散らされた放射性物質の被爆を逃れるために、宮崎県に移住した。だから『桜の木にのぼる人』は震災後の世界、原発事故後の世界を生きる作者の歌なのである。
 大口が樹木にことのほか愛情と共感を寄せていることはよく知られている。掲出歌は、放射性物質にまみれてしまった東北のリンゴの木を詠んだものである。樹皮を削られ水をかけられるという試練に遭ったにもかかわらず、例年と同じ果実を実らせたリンゴの木を愛おしく感じているのだが、この歌の歌意はそれに尽きるものではない。樹木にこのような苦しみを与えた当事者への怒りがもちろん根底に流れている。しかし私はそれ以上に、リンゴの木が経験した試練を〈受難〉として捉える視線を感じる。それはこの歌集に多く収録されているキリスト者としての歌のせいでもある。
 歌集を出すたびに何かの賞を受賞している大口の歌力の確かさは今更言うまでもないのだが、大口の歌の何が人を引きつけるのかを考えると、なかなか答えを出すのが難しい。私はそれは「ためらい」と「受け止める力」ではないかと思う。赤瀬川原平の『老人力』以来流行している「…力」を使って造語するなら、「ためらい力」と「受け止め力」と言ってもよいかもしれない。
宮崎への移住を迷ひ泣く人に触れえずコップの縁を見てをり
「福島から来たお母さん」「宮崎のお母さん」どちらでもなくわれは立つ
 私はこのような歌に大口の「ためらい」を感じるのである。移住すべきか迷って泣いている人の背中をなでてあげたり、励ましてあげたりするのが良き行いなのかもしれないが、作者はそれをためらっている。また自分は福島から来た母でもあり、宮崎に住む母でもあるのだが、自分をそのどちらかの立場に規定することをためらっている。「ためらい」は決断の回避であり迷いであるので、ふつうは脱すべき心理状態で、否定的価値を付与されるものだろう。しかしためらうことにも肯定的な価値がある。憎い人を殴ることをためらったり、人に安易にラベルを貼ることをためらうのは、短絡的な行動を抑制し理性的な行動を促して、「ひるがえって自分はどうなのだろう」と自問する自己省察に導く道でもある。
倒さるる木々のいつぽんいつぽんがわが内に倒れ込みくる真昼
 この歌には大口の「受け止め力」が感じられる。この歌の前には「全体重かけて樹木を押し倒す刹那の人を間近に見をり」という歌があるので、樹木伐採の現場を見ているのだろう。切り倒される木が自分の内に倒れ込むという発想をふつう人は持たないが、大口はまるで自分の中に飛び込んで来るかのように受け止めるのである。大口にはこの他にも「何かが自分の中に入って来る」という感覚を詠んだ歌が散見される。「受け止める」というのが作者の基本的なスタンスになっているようだ。
 「3.11後の世界」を生きる大口の大きなテーマは、3.11後の東北と避難して暮らす宮崎での生活である。短歌研究賞を受賞した連作「さくらあんぱん」の冒頭には、「悩みのパンを食べなければならない。あなたが急いでエジプトの国を出たからである」という聖書の申命記の一節が置かれている。被爆被害を避けるために宮城県を離れた自分と重ねているのは明らかである。
宮崎より遠望すればスローガンの〈「東」は未来〉今もまぶしき
「福島を返せ」と叫ぶほかなしとデモに三人子(みたりご)を伴ひきたる
まだわれに声あらば声あぐるべし春の虹立ちたちまちに消ゆ
おびただしき取材の中で仙台に戻らぬ理由はつひに問はれず
容赦なく美談にからめとられゆく脇の甘さに酔ひて気づける
 これらの歌には、東北の被爆による健康被害を訴えたいという気持ちと、自分だけが遠く離れた宮崎にいるという後ろめたさと、震災・原発事故報道や被災者支援に対する違和感などがないまぜになって表れている。大口の場合、それが激情や声高な非難攻撃とはならず、自己省察を交えた理知的な歌として表出されているところが大きな特徴と言えるだろう。
 とはいえ内に秘めた熱い思いがないわけではないことは、本歌集に登場するジョバンニ・パスコリ、ディートリッヒ・ボンヘッファー、フランシスコ・ザビエルという三人の人物を見ればよくわかる。
肉親の死の痛み降りそそぎけむジョバンニ・パスコリその生の綺羅
国家ではなくキリストに従へとただキリストに従へときみは
総統は三週間後に自殺して五月この世の夏のはじまり
聖フランシスコ・ザビエル日本語に苦しみて周防の夏の雲仰ぎけむ
 パスコリは社会主義に傾倒したイタリアの詩人、ボンヘッファーはヒットラー暗殺を企てて死刑になったルター派の牧師で、ザビエルは言うまでもなく布教のために来日したイエズス会の神父である。世界を動かそうとしたこれらの人々に作者が静かに思いを馳せるのは、ただ単にその事蹟を忍ぶためだけではなく、自分を鼓舞するためでもあるだろう。
 入信してキリスト者となった大口は、本歌集にキリスト教に関係する歌を多く入れている。
復活のイエスに手首つかまれて立ち上がり春の汗ぬぐふべし
わが聖書へ投げ込むやうに強引にはさみこまれし木の栞あり
花の水かへむと今宵近づけば蛇踏みて立つ聖マリア像
信仰の薄き者よと言はれたる夕べのわれは鍋を焦がして
となふるべき祈りのことば今日はありて黙祷はせず声揃へたり
 静かで内省的な本歌集が、にもかかわらず弱さではなく、逆に強さを感じさせるのは、大口が得た信仰のためかもしれない。最後に特に心に残った歌を挙げておこう。
きみが摘み子に渡したる野の花を子はためらはずわれに渡しぬ
突風に煽られながら低く飛ぶとんぼの影がわが影に入る
マスクしてわれを見る人の目がすこし遠くなりたる朝をかなしむ
光撒くやうにおがくづをこぼしつつ木を切る人の孤独鋭し
はなびらが桜を離れ地に落つるまでの歓喜よ人に知らゆな
寒月の大きくひくくのぼる夜の狩られゆく鹿の声に覚めたり
桜のみ冴えてくぐもる人の声すでに銃後の町を歩めり
 今年一年を振り返り、来たるべき新しい年に思いを馳せる歳晩のこの時期に読むのに相応しい一冊である。

第176回 山中もとひ『〈理想語辞典〉』

あるときは斜めに生きておもしろし御笠の川みず浅く流れる
             山中もとひ『〈理想語辞典〉』
 初めて接する歌人の歌集を読むときは、こちらの感受性のダイヤルをこまめに回して、作者の基本波長を捉えようと試みる。読み始めて間もなく波長が合うこともあれば、合うまでに時間がかかることもあり、どうしても合わないので途中で投げ出してしまうこともたまにある。それと平行して、その歌人の作品世界をよく表すキーワードを探す。本歌集の場合、それは「斜交いの視線」ではないかと思い始めたときに、掲出歌に出会った。「斜めに生きておもしろし」とは、最短距離を行く直線を敢えて外れる生き方をするということである。作者の姿勢をよく表す歌だと思う。
 作者の山中は、結社に所属したことがなく、詩歌探求社の歌誌「蓮」に作品を発表している人である。平成26年に現代短歌社賞次席に選ばれている。『〈理想語辞典〉』は第一歌集で、跋文は「蓮」の石川幸雄が寄せている。歌集題名は「〈理想語辞典〉連想語辞典をよみちがえしばし思えり理想の単語」という歌から採られたもの。
 さて「斜交いの視線」とは何かと言えば、それは敢えて普通とは異なる角度から物事を眺めるということだ。日常見慣れているものであっても、普段見ない角度から見ると思いもよらない姿が見えることがある。
春あさき朝間ひと無き畳屋の鋼鉄(はがね)の機械まだ働かず
わからないもののひとつに鶴亀算なにことさらに脚を数える
地と水と空気を汚すにんげんのひとりは食うぶこの卵飯
渡るかもしれない人のためにある歩道橋をひとり渡れり
かの街にほかにも人のあるものを赫犬ボビー浮かぶ面つき
鏡餅うら白譲り葉橙とプラスチックを重ねる歳旦
 一首目、早春の早朝、畳屋の前を通りかかる。畳作りに用いる機械が店内に見えるが、早朝とあってまだ動いていないという歌である。そりゃ朝早いので始業前だから、機械が動いていないのは当たり前である。タダゴト歌に類する歌だが、このように詠まれると、まるで機械に生命があり、「さあ、ひと仕事するか」とばかりに自律的に働くもののように見えてくる。二首目、鶴亀算は小学校で習う算術で、鶴と亀の合計数と脚の合計数から、鶴と亀それぞれの数を割り出すというものである。しかし考えてみれば、なぜ脚の数を数えなくてはならないのか理由がわからない。そういうものだと思えば気にならないのだが、ひとたび気にし始めると不可解なのである。三首目、「地と水と空気を汚す」までが一首の序詞として働いている。「にんげんのひとり」はもちろん作中の〈私〉である。卵かけご飯を食べるという些細な行為も、どこかで地球を汚染することにつながっているという歌。四首目、モータリゼーションの時代に多く作られた歩道橋は、昨今非常に評判が悪い。景観を破壊することと、老人や病人・障害者などの弱者に苦痛を強いる装置だからである。場所によってはほとんど渡る人がいないこともある。だから「渡るかもしれない人のためにある」なのだが、作中の〈私〉は歩道橋を渡っているので、〈私〉がその「渡るかもしれない人」だというわけである。いささか認識論的ねじれを感じる歌となっている。五首目は読んだままの意味で、他に思い浮かべる人もいるだろうに、赤犬の面構えがつい浮かんでしまう。六首目は、正月の鏡餅の飾り付けをする場面を詠んだもの。昔は松が取れる頃には、鏡餅には赤や黄色の黴が生えていたものだが、今では餅は衛生的にプラスチックで包装され、他の飾り物もすべてプラスチックでできているという歌。正月の鏡餅を詠むならば、ふつうは新春を迎える目出度さに目が行きそうなものだが、あえて裏街道を行く斜交いの視線なのである。
 このような視線で物事を詠むとどうなるか。プラスの効果としては、思いがけない発見の歌ができるということと、どこかユーモアを滲ませた歌になるという点を挙げることができる。逆にマイナスの効果としては、名歌になりにくいことがあるだろう。正攻法ではないサイドスロー、あるいはアンダースローの投手のようなもので、なかなか大リーグの名投手に名を連ねるのは難しい。もうひとつのマイナスは連作に向かないという点がある。山中の歌のほとんどには一首ごとに独自のの視線があるため、一首の独立性が非常に高い。いきおい連作のなかで意味を発揮したり、他の歌に対して地歌となるといった相互作用が生まれにくいのである。
 実際の作歌において斜交いの視線を支えているものは、日常感じるごく些細な違和感だと思われる。山中においてはこの違和感が歌を生み出す原動力になっているようだ。
親なくて生まれたるものはかつて無しエッグクラフト専用卵
きりきりと捲く庭ホース縒れやすき「問題ケース」と呼ばるる老人
つづまりは好きと嫌いでわけて行く獣の命夏服の柄
何にせよスマホに相談する作法けしてふたりになれない二人
囲炉裏とか日溜まりだとか温き名の車輌に回収されゆく老い人
コールセンター語と名づけてみんか過剰なる敬語あやつる電話の女
 一首目、エッグクラフトとは卵を使った工芸で、たとえば復活祭の彩色卵などを作るものだろう。そのための専用卵があるとは知らなかった。本来は命を生み出すための卵がクラフト専用になっているという違和が感じられる。二首目、庭に水撒きするためのホースは、確かに捩れやすく扱いにくいことがある。それを介護施設かどこかで「問題ケース」と呼ばれている老人になぞらえた歌。三首目、関西の婦人は豹柄の服好きで知られているが、服の柄にどんな動物を選ぶかは好みであり、つまるところ人間のエゴである。私はこの夏、四条大橋で、ムーミンに登場する不思議な生物ニョロニョロと毒蜘蛛柄の着物を着た上品なご婦人とすれ違って目が点になったが、それもまた好みというものだ。四首目、近頃はスマホで検索するときに、文字を打ち込むかわりに音声で入力するソフトが登場したようだ。何でもスマホに相談するので、決して二人きりになれない恋人たちである。私たちはもう電化製品とネットなしには生活できない生物になり下がった感がある。自己家畜化(self-domestication)も行き着くところまで来たか。五首目、老人介護のためのデイケアセンターの車が老人を拾って行く光景だが、確かにそういうセンターは「日溜まり」とか「ひまわり」とか「たんぽぽ」などといった施設名が多い。作者はそれに違和を感じているのである。六首目、購入した製品に対する苦情や質問のためにコールセンターに電話することがあるが、そのとき電話に出た人の過剰敬語に反応した歌。いずれも些細な違和感が核になっているため、社会や文明を批判的に見る歌となっている。
購入(かいもの)廃棄(ごみすて)の較差(こうさ)生活の嵩であるかな 微かな私
捨てられたペットボトルの浄水に混じることなく夜の雨降る
都市バスの後部席から見るときに人みな持つは後頭部なり
親の死は二回までが普通にて初めてのことお終いのこと
 これらの歌では違和感というよりは、着眼点のユニークさが光る。一首目、私たちは毎日たくさんの物を買い、たくさんゴミを出す。その差し引きが生活の嵩だと言われると、なるほどと得心する。両者の差分がエネルギーとして吸収されるか、もしくは備蓄されるのである。二首目、飲みかけのペットボトルが捨てられている。中に入っているのは無菌に近い天然水だが、降りかかる雨には黄砂やら煤煙や窒素酸化物やらが混じっていることだろう。その2種類の水が混じり合うことなく併存している様が実に奇妙に感じられてくる。三首目は奥村晃作ばりのタダゴト歌で、このように当たり前のことをそのまま詠われるとそれなりの衝撃力を持つ。四首目も読んでハッとする。一人目の親が死んだときは初めての経験であり、もう一人が死んだときは最後の経験だと言われると、なるほどそういうものかと深く納得するのである。
 スルメのように噛むほどに味わいの出る歌を作る、なかなかの歌人だと言えよう。あと漢字へのこだわりとか、ユニークなオノマトペとか、取り上げて論じるべき点はまだあるのだが、長くなりすぎるので、付箋の付いた歌を紹介して論を閉じるとしよう。
巷間を歩みて悲しどの窓もひとつひとつの空間を持つ
頭より尾の先までが尺四寸晩夏の猫は一文字に寝る
寝て醒める数は畢竟等しけれ始めに起きつ終いには眠る
病む人の去りたる後は濯ぎもの少なくなりて干し場明るむ
どの家も鬼一匹を棲まわせて夕べのあかりの色のなつかし

第175回 学生短歌会

これの世に咲き残れるもあはれにて祈りのやうに秋薔薇剪りぬ
      安田百合絵「風景のエスキース」『本郷短歌』vol. 3
 前回、学生短歌会のことを話題にしたので、今回はその流れで学生短歌会の会誌を取り上げてみたい。『外大短歌』vol. 5の巻頭の三井修の文章によれば、『外大短歌』を出している東京外国語大学短歌会以外にも、北海道大学短歌会、釧路公立大学短歌会、東北大学短歌会、慶應義塾大学短歌会、東京大学本郷短歌会、東京工業大学短歌会、山梨学生短歌会、大阪大学短歌会、岡山大学短歌会、九州大学短歌会などが近年陸続と誕生し、立命館大学短歌会のようにしばらく休止していたのが活動を再開した団体もある。ちょっとしたブームの観を呈しているのである。その理由はいろいろと考えられるが、ブログ・SNS・ツイッター・LINEなどのITツールによって人と人とが繋がりやすくなったこと、またそもそも短歌のような短詩型はツイッターのようなツールに向いていることが挙げられるだろう。メールやツイッターが文字を綴ることへの抵抗を減らしたことも否めない。また穂村弘や東直子が短歌参入の敷居を低くしたこともまちがいない。学生短歌会に参加している人の多くが、短歌を始めたきっかけとして穂村の名を挙げており、穂村の『短歌ください』(メディアファクトリー)のような試みが多くの潜在的歌人を掘り起こしたことは大きい。
 学生短歌会の最大の弱点は卒業である。中心的役割を果たしていた人が卒業してしまうと、がくっと活動が弱体化し、やがて立ち消えになる団体も少なくない。名門の早稲田短歌会のように、継続して活発に活動している団体は稀である。せっかくこうして発足した学生短歌会なのだから、できるだけ長く活動を続けてほしいと願う。
 さて、いくつか短歌会の会誌を取り上げる。最初は東京外国語大学の『外大短歌』5号である。東京外国語大学短歌会は卒業生の三井修を顧問格とし、石川美南の働きかけで誕生している。さすがに外大だけあって、メンバーは、ドイツ語科、ヒンディー語科、ペルシャ語科、日本語科など多彩だ。
かつて父を殺さんとした包丁も厨にあれば水菜をきざむ
                      山城周
棺桶のようだと訪問入浴のバスタブ嫌う背骨の脆さ
かりかりに油まわして鶏を焼く よりよく生きる誓いのように
                       黒井いづみ
昨日からいろいろあったこととかの全部うそだと言いたくて晴れ
 山城の歌はいささか剣呑だが、初句六音もはまっていて姿のよい歌になっている。ちまちまと細い水菜という選択も効いている。二首目は祖父の歌のようで、確かに機械入浴のバスタブは棺桶を思わせる。素材に個性が見られる。一方、黒井は軽々とした口語短歌で、言葉が弾んでいるようだ。しかし黒井も現代の多くの口語短歌と同様に、結句の最後が「歩む」「嬉しい」「よこす」「紅茶飲む」のように、用言の終止形ばかりで、出来事感が薄く単調になるきらいがあるので、工夫が必要だろう。
 次は岡山大学短歌会の『岡大短歌』3号である。編集後記を見ると、メンバーはわずか4人のようだ。がんばってもらいたい。
季語のない教室に来る日々がある 画びょうに積もるチョークの埃
                        山田成海
ハンバーガーの「バー」のあたりをこぼしつつあなたが語る唯物史観
捨てられてしまったような一室の絵画の中のパリは夕暮れ
                        川上まなみ
過去になる人が君にも私にもいてしんしんと降りつもる雪
 山田はなかなか達者な詠み手である。一首目はたぶん高校時代の回想だが、短歌では細かいものが大切なことをよく知っている。二首目の「バー」のあたりもおもしろい。こちらから見たハンバーガーの真ん中あたりということだろう。川上の一首目はそれこそ絵画のような歌で、絵の中が夕暮れなのか、それとも絵が置かれた部屋が夕暮れなのか、一瞬迷うところがよい。二首目の「いてしんしんと」は句跨がりになっているが瑕疵ではない。
 立命館短歌会にはかつて清原日出夫、坂田博義、安森敏隆といった歌人が在籍していたことがあるが、しばらく活動を休止していて、このたび第5次立命短歌会として活動を再開した。創刊号と第3号に宮崎哲生が書いている「立命短歌史」に会の消長が詳しく書かれており、なかなかの労作である。第3号には先輩諸氏も寄稿していて、144ページの大部である。
つむじ風 小春日和と名をつけたスカートゆるくはらみてゆけり
                         稲本友香
私たちとても自由で夜の街へたとえばドーナツを買いに行く
塔のある街に暮らせばさえざえと座標となりぬきみもわたしも
空咳のたびにうしなつた扁桃腺を思ひ出すゆふまぐれ
                         村松昌吉
座らせてあなたに缶を手渡せばあらゆる花としてさくらばな
新設の書架のひかりを浴びながらレーニン全集 とほい呼吸よ
                         濱松哲朗
明け渡す春のロッカー僕たちの叶はなかつた苗床として
 稲本は非常にうまい。言葉の柔らかく無理のない連接で、等身大の若者の感覚を詠っている。ただし、一首目の「はらむ」は「帆が風をはらむ」のように使う動詞なので、本来は「スカートが風をはらむ」でなくてはいけないのが逆になっているのが惜しい。村松の一首目は、意味で区切ると五・八・七・五・五となり、リズムが悪いがなかなかよい歌である。「ゆふまぐれ」は村木道彦以来青春のシンボルとなった感がある。村松には他に「うすきひかりをまとふジレット」とか、「水面に指ひたすごと文字を打つ君」など魅力的なフレーズがあるので、もう少し歌の姿にこだわるとよいだろう。濱松もまた青春歌だが、「叶はなかつた苗床」は意味はわかるがつながりがやや飛びすぎではないか。
 次は『本郷短歌』4号である。
明晰の涯にきらめく絶望を充たして『バンセ』の頁あかるし
                         安田百合絵
この雨はシレーヌの嘆息(いき) しめやかな細き雨滴に身は纏はるる
浜風にもろきともし火 まばたけば闇夜の海と空溺れあふ
                        小原奈実
冬鴉空のなかばを曲がりゆきひとときありてとほく来るこゑ
雪折れの多き植物園ゆけりやがて古びむ傷を数へて
                       川野芽生
折りたたみ傘のしづかな羽化の()に雷のはるかなるどよめき
海ぎはの街をちひさき廃船と思へばわれら夜ごと出できぬ
 『本郷短歌』は歌のレベルの高さで飛び抜けており、なかでも安田はほんとうにうまい。安田は「心の花」にも所属していて、59回の角川短歌賞において「静かの海」で予選通過している。その魅力はなんといっても言葉の柔らかさと清新な感受性だろう。小原もたいへん実力のある歌人なのだが、最近は文語度を深めて技巧的な歌を作るようになり、少し技巧が行き過ぎかなと感じることがある。平成22年の角川短歌賞に次席入選した折の「水溜まりに空の色あり地のいろありはざまに暗き水の色あり」とか「いずこかの金木犀のひろがりの果てとしてわれあり 風そよぐ」のような歌が私は好きなのだが。川野も59回の角川短歌賞において 「紙の透度」で予選通過を果たしている。川野もまた文語で姿のよい歌を詠むが、句をまたぐごとに屈折するような陰影が魅力である。本郷短歌会には2014年に現代短歌評論賞を受賞した寺井龍哉もおり、評論にも力を入れているのが頼もしい。
 さて、最後は京大短歌21号である。早稲田短歌の44号には及ばないが、継続的に会誌を刊行している。
死に花の花の名前を教えてよ せめて遠くに投げるバレッタ
                        坂井ユリ
ゆっくりとあなたが櫂を動かすとすでにあなたは夕映えの(よく)
駅前でハンサムなおとこのひとがビンタされててそのうつくしい弧
                          橋爪志保
その腕をかかげて夕陽を遮ればあなたはあなたの静かな水際
                        牛尾今日子
曲がらなかった道だったけど植え込みに椿のはなびらは朽ちてゆく
 京大短歌の歌は京大生と同じく自由でばらばらであり、定まった歌風というものはない。みなそれぞれに歌を詠んでいるものと思われる。坂井の歌の死に花という花はもちろん存在しない。下句が良くて採った歌である。バレッタはあまり見かけなくなったが。一首目の「せめて」と二首目の「すでに」という副詞の置き方がよい。このような副詞は出来事にかかるので、時間的あるいは認識的な奥行きが短歌に生まれる。橋爪の歌は上句が破調になっていて惜しい。「そのうつくしい弧」で採った歌。牛尾の「その腕を」という入り方はよい。ソの指示対象が宙づりになるので、歌に緊張感が生まれる。21号に寄稿している京大短歌会の先輩諸氏の名を見ると、大森静佳、藪内亮輔、吉岡太朗、吉田竜宇、黒瀬珂瀾、島田幸典、林和清とそうそうたる顔ぶれだ。現役学生会員にもがんばってほしいものだ。
 卒業し就職して短歌から離れるとしても、学生時代の数年間短歌と濃密に付き合ったことは得がたい経験となるだろう。誕生して間もない学生短歌会に Bonne continuation ! (どうぞしっかり続けてください)と呼びかけよう。

第174回 短歌研究新人賞・角川短歌賞雑感

夕焼けの浸水のなか立ち尽くすピアノにほそき三本の脚
            鈴木加成太「革靴とスニーカー」
 今年(2015年)の短歌研究新人賞は遠野真(とおの しん)の「さなぎの議題」が、角川短歌賞は鈴木加成太(すずき かなた)の「革靴とスニーカー」が受賞した。二人とも若い男性歌人である。
 遠野真は平成2年(1990年)生まれの25歳。現在、千葉大学で社会学を学ぶ現役大学生である。今年の3月から未来短歌会に所属して、黒瀬珂瀾の選を受けている。いつから作歌を始めたかはっきりしないが、おそらく歌歴は短い。短歌賞への応募も初めてだろう。
肉親の殴打に耐えた腕と手でテストに刻みつける正答
割れた窓そこから出入りするひかりさよならウィリアムズ博士たち
かたくなに固有振動数だけをまもる虫かご 夏が終わった
ささやかなやさしい詐術 担任のネイルは海のひとときを持つ
 講評で穂村弘は、「子供から大人になろうとする時期の感覚が痛みと瑞々しさ、そして生々しさを伴って描かれている」と述べ、栗木京子は、「肉親との軋轢、自殺願望、孤独といった重いテーマが被害者意識を過剰に先立てることなく詠まれていて、静かな覚悟を感じさせる」と評した。歌の中に「地学教師」「七限」「テスト」「正答」「担任」などの言葉が散りばめられていて、高校生活が歌の舞台であることに触れて、加藤治郎は、他にも高校を詠んだ応募作品があり、注目される傾向だと指摘している。
 鈴木とテーマがかぶって損をしたのが、候補作に選ばれた松尾唯花の「夏、凪いでいる」だろう。
この場所もかつて誰かのフレームで、空き教室に吹きこむ桜
冷蔵庫のひかりまぶしいキッチンでまだ真夜中の街を知らない
夏の花が好きなら夏に死ぬらしく網戸にかける殺虫スプレー
くちびるにマウスピースが触れたときどこかに遠く夏、凪いでいる
 女子の目線から高校生活をのびやかに詠っていて好感が持てる。また「つめたい」「ぬるい」「まぶしい」などの感覚形容詞が随所に使われていて、感覚に軸を置く世界把握が押さえられているのもよい。松尾は平成3年生まれの大学院生で、ポトナム・京大短歌・奈良女短歌所属とあり、おそらく奈良女子大の学生だろう。私は奈良女子大にも教えに行っているので、個人的ながら応援したい気持ちになる。
 次席に選ばれた杜崎アオの「鋏とはなびら」にも注目したい。プロフィールや所属は不明(非公表)。杜崎は平成23年にも「たまごのおんど」で応募するも受賞を逃している。『短歌研究』11月号の「新進気鋭の歌人たち」にも選ばれて十首出詠しているが、こちらもプロフィールは空白である。
気づかないうちにせかいはくれてゆく歯医者の目立つ駅前通り
帰れると思ってしまうしんしんと折りかさなってさびる自転車
鳥の家 鳥のいる家 鳥かごのある家 鳥の墓のある家
わたりゆく夜から夜へせいけつな息を止め合うふたりはそっと
人の家 人を待つ家 (ひとはみなみじかい) 人の墓のない家
川だけがまちを出てゆくゆるやかに送ってあげる霧雨のあと
 今回の応募作のなかで最も修辞力のある人だ。短歌は文芸であり詩であるので、想いの素直な吐露ではだめで、修辞の工夫がなくてはならない。漢字と平仮名の配合、字空け、リフレイン、括弧書きなどを駆使して、自分の世界を作り上げている。ただ講評ではそれがやや裏目に出たようで、架空の町を作り上げる手法はおもしろいが、あまりに抽象的すぎるという審査員の意見もあり、次席に留まったのが残念である。
 三首目は特におもしろく、「鳥の家」は意味がよくわからないが、「鳥のいる家」なら鳥が飼われている家だろうと推測がつく。「鳥かごのある家」で一気に不穏な気配が漂う。鳥かごだけがあるということは、中の鳥が死んだか逃げたかしたということだ。最後に「鳥の墓のある家」で、鳥は死んで庭に埋葬されたと知れる。リフレインを少しずつずらして最後に落とし込む手法が秀逸である。この歌が五首目と対になっているのは明らかで、「人の墓のない家」まで来るとハッとさせられる。
   角川短歌賞の鈴木加成太は平成5年(1993年)生まれで、今年22歳か23歳の大阪大学の学生である。大阪大学短歌会所属で、高校生の時に作歌を開始。平成23年にNHK短歌大賞を受賞し、平成25年の角川短歌賞で「六畳の帆船」が佳作に選ばれている。
アパートの脇に螺旋を描きつつ花冷えてゆく風の骨格
やわらかく世界に踏み入れるためのスニーカーには夜風の匂い
平日のまひるま喫茶店にいる後ろめたさに砂糖剥きおり
水底にさす木漏れ日のしずけさに〈海〉の譜面をコピーしており
エクレアの空気のような空洞をもち革靴の先端とがる
 スニーカーは若さと学生の象徴で、革靴は就職活動と社会人のシンボルである。まもなく社会に出なくてはならない若者の心情を抒情とともに描いていて、審査員全員から高評価を得た。米川千嘉子は、被害者意識とか暗い方に傾く歌が多い中で健やかな感じがするところがよいと評価し、島田修三は、もう少し文語脈を取り入れたほうが歌が締まると注文を付けている。
 次席に選ばれたのは佐佐木定綱の「シャンデリア まだ使えます」だが、私は受賞を逃した飯田彩乃(未来)の「WHERE THE RIVER FLOWS」に注目した。
ゆつくりと目を瞑つてはわたくしを瞼の裏にしまひこみたり
見る夢の端から端まで伸ばしてもオクターヴには届かない指
雨音ももう届かない川底にいまも開いてゐる傘がある
ふくらはぎは魚のごとくに瞬いて夜と闇とのあひへと還る
組み立てのテーブルは脚を与へられここにまつたき獣となりぬ
 連作の題名はおよそ「河が流れているところ」というような意味で、全体に水の流動的なイメージが基調となっている。やや抽象的で夢幻的な描き方ながら、静かな音楽かかすかな衣擦れのように、感覚的世界を立ち上げている。しかし、審査員からはイメージはきれいだが観念的で外部が描かれていないと厳しく評されている。島田修三は最後の講評で、「作者の外側に存在している現実、他者にどう向かい合っているかを考えながら読みました。現実とか他者は、我々がどう思おうが、誰の前にも確かな重さを持ってのしかかるように存る。我々はそこから逃げられない。リアルってそういうこと」と述べていて、飯田のような歌は評価していない。しかし私は小林久美子のような歌も好きなので、どうしても島田は厳しすぎると感じてしまう。
屠られるのを待つ鳥がうつくしい闇へと吐きだす口中の青  『恋愛譜』
さまよえる夢のおわりを棄てるとき飛沫があがる砂嘴のむこうに
 また佳作に選ばれた碧野みちる(平成2年生 かりん)の「鋏」も取り上げておきたい。
「神と逢ふ場所」と言ふ君われの住むベッドタウンの川に橋あり
乳ふさのまへに賢治をひらきもち母に抱かれぬひとの詩を読む
くちづけの最中にふいの雨を嗅ぐ東京の水にに麦芽がにほふ
野菜庫の底の塵みな拭きとりてなにゆゑか往き場うしなふわれは
 生後すぐに母親を失った恋人との別れまでがテーマで、相聞が少なかった応募作のなかで注目される。「みどり児の君は授乳スタンドよりミルク吸ひたり叔母の背後で」のように、他に見られない独自の視点で詠っているところに個性を感じる。
 ちなみに短歌研究新人賞次席の杜崎アオの連作は「鋏とはなびら」で、短歌研究新人賞と角川短歌賞の両方の応募作に「鋏」という語のあるのが、偶然とはいえおもしろいと感じた。これを手がかりに時代の気分を論じることもできそうだが、鋏と言えばすぐ「切断」「断絶」が想起され、ありがちな論になりそうなのでやめておこう。
 短歌研究新人賞は25歳の青年、角川短歌賞は22、3歳の青年が受賞し、いずれも現役大学生である。鈴木は阪大短歌会の所属で、近年あい次ぐ大学短歌会会員の受賞がまたひとつ増えたことになる。短歌研究新人賞はそうでもないが、角川短歌賞の予選通過者の顔ぶれを見ると、奈良女短歌会、九大短歌会、京大短歌会、外大短歌会などがずらりと並んでいる。まともに活動しているのが全国で早稲田短歌会と京大短歌会くらいだったひと昔前を思えば隔世の感がある。なぜ全国で雨後の竹の子のように大学短歌会が誕生したのか謎である。
 応募作品に「生きづらさ」を詠ったものが多いのも特徴と言える。角川短歌賞では、佐佐木定綱の「シャンデリア まだ使えます」や、ユキノ進の「中本さん」、宇野なずきの「否定する脳」がそうであり、短歌研究新人賞では、北山あさひの「風家族」、月野桂の「階段の上の子ども」が該当する。家族の軋轢、親による子供のネグレクト、不安定な非正規雇用などの問題が扱われており、世相を反映していると言えるのかもしれない。このご時世で相聞で30首または50首作るのは難しいのか、純粋な相聞が少ないのも特徴と言えるだろう。

第173回 堀田季何『惑亂』

ぬばたまの黒醋醋豚を切り分けて闇さらに濃く一家團欒
                  堀田季何『惑亂』
 ふつうは何かを表現したいと願う人が、数ある表現手段のなかから短歌という短詩型文学形式を選び取るのだが、稀ではあるが逆に短歌に選ばれる人がいるのではないかと思えてならない。他の芸術に例を求めると、音楽ならモーツアルト、近代詩ならランボー、小説ならラディゲ、あるいはサガンの名が頭に浮かぶ。短歌ならば石川啄木がそれに当たるだろう。こういう人たちは、刻苦勉励努力してその芸術形式の頂点を極めたという印象がない。気がついたらいつのまにかもう頂点で遊んでいるのである。そしてその人生にどこか悲劇的な影がある点も共通している。堀田季何の第一歌集『惑亂』をさっと見て私の脳裏に去来したのはこのような感想だった。
 堀田季何(ほった きか)は1975年生まれ。中部短歌会に所属し、晩年の春日井建に師事。たちまち頭角を現して、中部短歌新人賞と第二回石川啄木賞(2009年)を受賞している。現在中部「短歌」同人。プロフィールはここで終わらない。小澤實に師事して俳句を学び、現在「澤」の同人であり、澤新人賞と芝不器男俳句新人賞齋藤愼爾奨励賞まで受賞しているのである。おまけに海外で暮らしていた中学生の頃から英語詩を書いているというのだから驚愕するほかはない。俳句を英訳して海外への普及に努めてもいるようだ。
 しかし『惑亂』のあとがきで自分の来歴を語る口調は苦痛に満ちている。自分のこまれでの人生はまさしく惑乱の日々であったというのだ。いかなる仕儀にによるものかは詳らかではないが、母一人子一人の母子家庭で長く海外で暮らし、「数十カ国の人間に接し」、「数十種の仕事に手を染め」、「数十の疾患に罹り」、「今も五指に余る疾患と五指に余る障碍を抱へてゐる」と綴られている。なるほどこれでは惑乱するほかはあるまいと納得する。『惑亂』は書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」の一巻として上梓され、中部短歌會叢書第277篇とされている。跋文は中部短歌會主宰の大塚寅彦。異色ながらブラウン大学で堀田と共に学んだ俳優の平岳大が前書きを寄せている。
 さて、世代的に堀田がどんな年代に属するかと探してみると、1975年生まれの歌人には生沼義朗、永田紅、笹公人などがいる。黒瀬珂瀾が2歳下の1977年生まれだが、『現代短歌最前線新響十人』(北溟社 2007年刊)に収録されている歌人とほぼ同世代と言ってよい。しかしながら、旧仮名遣と旧漢字を用いた文語定型という形式面でも、また美意識の面においても、堀田の孤立は際だって見える。いくつか歌を引くが、OSの関係で旧漢字を表示できず新字になっているのを断っておく。
朝なさな血痰吐けば冠したし赤ら引くてふ枕詞を
決潰の目玉をすする食卓に秋のひかりは淫のごとしも
紫貽貝の毒そのひとつドウモイ酸に脳侵さるる夢見て脳は
熱ありて白川夜船を漕ぎゆけば沈没前の(あした)のひかり
龍井(ロンジン)茶のふかきみどりを滴滴と(のみど)におとす時さはにあれ
わがむくろ土に崩れてももとせの時しめぐらば黒百合よ咲け
 衒学趣味と耽美的傾向において黒瀬にいささか似るところがあるが、口語・フラット・低体温全盛の現代短歌シーンに置いてみると、異色というほかはない。ある日、突然に外惑星から飛来して地上に落ちた隕石のようだ。その隕石はもちろん黒光りしているのである。
 あとがきに数十の疾患に罹ったとあるように、堀田は生来病弱であったようで、幼少から死を身近に感じていたにちがいない。そのことは上に引いた一首目、三首目、六首目に見てとれる。死と疾患を抱える自己の身体は、堀田の重要な主題である。また病弱な少年は読書と空想に耽溺するものだ。堀田の文学の根はそのあたりに存したと考えられる。
エジプトに緑の季節ありしころ獅身女(スフィンクス)をば撫でし神の手
彗星の回帰するたび痩せてゆくわが全身像(シルエット)レンズにさらす
ヒルベルト空間すでにおとろへてある日名残の雪降りだすも
他の天体と意味ある角度なさぬとき月は空白(ボイド)の時を(かな)しむ
銀河てふ環の断面を環の中の星より観たり銀河(びと)われ
 一首目ではナイル川の流域に緑が溢れていた古代に思いを馳せ、二首目では宇宙空間を数十年の周期で旅する彗星を思い、三首目では微分方程式を解くヒルベルト空間を持ち出すという多彩さである。四首目は占星術のことかと思うが、英語のvoidは宇宙空間・虚空を意味することも押さえてある。五首目では夏の夜空の銀漢を詠んでおり、夜空に帯のように見える天の川はレンズ状の環であり、われわれの住む地球もまた銀河の中に位置するので、その意味でわれわれは銀河人だと言っているのである。
 このような歌について、跋文を書いた大塚寅彦は、「宇宙的なスケールの思考が、そのまま自身の生命と身体性につながる思念に重なっており、従来の死生観を詠んだ観念歌とは一線を画すものと言える」と述べている。それは確かにそうなのだが、私が思いを馳せるのは、堀田がどのようにしてこのような世界観を獲得したのかということである。それはおそらく読書と空想から得たものだろう。だからブッキッシュというのが堀田の短歌のもうひとつの特徴である。ちなみに英語のbookishには、「本好きな」という意味以外に、「学者ぶった」「(実際的でなく)机上の」や、「文語調の、堅苦しい」という意味もあり、このすべてが当てはまるのである。
自らを嘘吐きと述べしエピメニデスその言説を吾は信じつ
むらきもの蛭子の神の産みのおや伊邪那美こそをにくめよ海鼠
レヴィ=ストロース読むなかれ。どの構造もよめばよむほど土台が揺ぐ
智天使(ケルビム)の不可思議の火に囲まれて楽園(エデン)は待ちをりわれの帰還を
非凡とはやがて悲しきものと()ふつきのわぐまの白化個体(アルピノ)のごと
 集中の歌の至る所にギリシア・ローマ神話や聖書や世界中の文学・伝承への言及が見られ、塚本邦雄を思わせるものがある。博覧強記の証ではあるが、人によっては衒学趣味と取る人もいよう。また上の四首目と五首目には強い自意識と矜恃が見てとれるのだが、これもまた読書に耽る知的に早熟で孤独な少年時代を過ごした人間によく見られるものである。
 異才の登場と言ってよい。堀田の短歌はその含有する微量の毒によって輝く。その肉体が抱える疾患に屈することなく、さらに詩作を続けてほしいと願うばかりである。もうひとつ欲を言えば堀田の句集を見てみたい。この願いが遠からず叶うことを願いつつ稿を閉じよう。

第172回 尾崎朗子『タイガーリリー』

リモコンにつまづくインコ秋深みわれより親しく死を内包す
                尾崎朗子『タイガーリリー』 
 鳥籠から出されて遊んでいたインコが、床に置かれていたTVのリモコンにつまづく。人間はリモコンを踏みつけることはあっても、つまづくことはない。インコはそれほど小さくはかない生き物である。三句目の「秋深み」は、上句の叙景から下句の抒情への橋渡しをする蝶番として働いている。下句のポイントは「親しく」だろう。死がより親しいとは、死に近い、すなわち死にやすいという意味と、死に抗わず従容と受け入れるという意味も込められているだろう。われらはなべて死すべきものというメメント・モリの歌である。
 『タイガーリリー』(2015年)は第一歌集『蝉観音』(2008年)に続く尾崎の第二歌集で、第一歌集以後の351首が収録されている。栞文は、伊藤一彦、島田修三、米川千嘉子。歌集タイトルのタイガーリリーとは『ビーターパン』の登場人物で、ネイティブ・アメリカンの族長の娘の名だという。それと同時にオニユリの英語名でもある。あとがきに、「優等生的なウェンディや蠱惑的なティンカーベルよりも、義に厚く元気なタイガーリリーが子どものころから好きでした」と命名の由来が述べられている。
 第一歌集『蝉観音』への評で、職業婦人である尾崎にとって短歌とは自らを鼓舞するためのものだと書いたが、それは本歌集でも基本的に変わってはいない。しかし本歌集の底を低く流れる通奏低音は、一人生きることの淋しさであり、それにかぶさるようなそこはかとなきユーモアである。このユーモアという成分は第一歌集を読んでいた折には気づかなかったので、おそらくは年齢を重ねた故に得た資質であろう。
時刻表に鎖されしままのわが時間植物園の半券褪せて
われを待つやはらかきものはなし 母さんになれぬつばめもゐるのだらうか
福相といはるるわが手がとりこぼす幸ひをだれが掬ひゆくらん
素数蝉分かち合へないかなしみを抱へ鳴くらん 億兆の孤が
また病ひ得てしまひたるわが母に笑へ笑へとつよくいひたり
 淋しさの表向きの原因は、一首目の示すごとく叶わなかった恋であり、二首目が語るように慈しみ育てるべき子がないということである。歌を読む限り、現在の作者は母一人娘一人の境遇のようだ。その母親も二度にわたって癌を患い、作者がただ一人の家族として看病している。しかしながら歌をよく読んでゆくと、その背後に感じられるのは、この世に人が人として生きる悲しみであり、それは四首目に見ることができよう。陶芸家のルーシー・リーとハンス・コパーを詠んだ連作からの一首だが、リーもコパーもナチスドイツの難を逃れてロンドンに亡命し、コパーはその後自死している。素数蝉とは地中に素数の年月育って地上に出る蝉のことで、13年蝉と17年蝉がいるらしい。この歌の素数はともに割り切れる公約数を持たないという意味で置かれており、作者が人とは畢竟一人一人孤独なのだと考えていることを表しているのだろう。そこにすべての根があるように感じられる。
 しかし作者が感じている生きづらさはそのように抽象的な位相に由来するものだけではなく、もっと直接的に私たちが生きている社会がもたらすものでもある。
人息に曇る壺中に働いてコンビニに買ふ〈ピュア酸素缶〉
四度目の転職をしてにこにこと感じのよいふうな人になりゆく
フリースローシュートを狙ふ静謐にビルより同僚が飛び下りし朝
わたくしもきつと誰かの代役で置き捨てらるるビニールの傘
努力つて報われるのかと聞いてくる二十五歳はラーメンすすれず
 一首目はずばり現代の酸欠社会を表している。先の国会で可決した派遣法の改正案を見ても、派遣社員の立場は今までよりも悪くなるとしか思えない。二首目でわかるように作者も何度か転職を経験しているのである。三首目は同僚が飛び下り自殺したという事件を詠んだ歌で衝撃的である。五首目も若い人たちの生きづらさを詠んだものである。
 第一歌集にはあまり見えなかったのは、次のようなユーモアを含んだ歌である。
十年の先は見えねど店員に勧められたるLED電球買う
仕事だからお仕事だからとひと吠えし火の輪をくぐるサーカスの虎
サロンパスうまく腰へと貼れぬ夜「ひとりを生きる」は傲慢なるか
四十代佇むそこは造成の終はれどもなにも建たざる原野(はらの)
食卓に愛でらるるのみ姫りんご皺めばをとこ目線に眺む
 白熱電球に較べてLED電球の寿命は格段に長い。一首目では「このLED電球が切れる頃、私はどうしているのだろう」と考えているのである。二首目は火の輪くぐりをするサーカスの虎がこれも仕事だからと割り切ってこなしているという歌で、やりたくもない仕事をしている自分と重ねているのだろう。三首目は「ひとりを生きる」とがんばってみても、腰の裏側にうまくサロンパスが貼れないという歌で、誰しも経験のあるところだ。四首目は40歳を超えても不惑どころか何も成し遂げていないという慨嘆。五首目は食卓でしなびてゆく姫リンゴを男の目線で見てしまうというオジサン化を詠んだ歌である。
 そんな作者が元気をもらうのはもっぱら人間以外の生物のたくましさのようだ。
その翅に頬打たれたら痛からうアサギマダラは旅をする蝶
海渡る蝶の鼓動よわれよりもいのちの太し てふてふ一頭
八重山のヒルギ真摯にしたたかに生きて倒れてまた世に生るる
 アサギマダラは何千キロも海を旅すると言われている。そんな力強い羽ばたきに打たれる自分を想像しているのである。三首目は沖縄の西表島を訪れた折の歌で、ヒルギすなわちマングローブを詠んだもの。マングローブのなかには大きな板根を持つものもあり、汽水域の大地にたくましく生きている。
 このように尾崎の歌はおおむね骨太であり直截で、淋しさや生きづらさを感じながらも、自分を鼓舞して働いている女性が行間から立ち上がってくる。まさにタイガーリリーの名にふさわしく、これ以上ふさわしいタイトルはないと思える歌集である。

第171回 西五辻芳子『金魚歌へば』

ピンホールカメラを覗くごと新国立美術館建つ夕暮れにうかびて
                  西五辻芳子『金魚歌へば』
 作者の名は「にしいつつじ」と読む。難読名前である。私の小学校の同級生に石徹白という男がいて「いしどしろ」と読んだ。大学の教員をしていると、さまざまな氏名の学生に出会うが、今まででいちばん驚いたのは「東海左右衛門」という名字だった。最近TVで見た難読名字は「四十物」で「あいもの」と読む。「あいもの」とは塩干魚の総称で、季節を問わず「しじゅうある」から洒落で「四十物」と書いたらしい。
 さて、掲出歌はいささかリズムがぎくしゃくしているが、六本木にある故黒川紀章設計の建物を詠んだ歌である。ピンホールカメラとはレンズを使わず、箱に小さな穴を開けて、穴を通過する光が倒立像を結ぶカメラをいう。ふつうピンホールカメラは覗かず、倒立像をスクリーンに映したり、印画紙に焼き付けるものである。新国立美術館は外壁が波打つガラスで覆われているユニークな概観をしている。近くに立って見上げると、遠近感がずれてしまったような感覚になる。おそらくその感覚を「ピンホールカメラを覗くごと」と表現したものであろう。「夕暮れにうかびて」というのもガラスで覆われた建物の浮遊感を表している。半透明のガラス外壁が生み出す浮遊感は、もともとは伊東豊雄が得意とした手法だが、今ではごく一般的になった。作者は絵を描く人のようで、やはり空間把握に長けているのだろう。
 西五辻芳子は短歌人会所属で、『金魚歌へば』は第一歌集。小池光、横山未来子、永田淳が栞文を寄せている。ちなみに金魚というのは作者の子供時代のあだ名だそうで、表紙には歌川国芳の「金魚づくし」の絵が配されているという凝りようである。  
短歌や俳句を読む楽しみのひとつにそれまで知らなかった物や言葉との出会いがあるが、本書の場合、それは動植物の名である。作者はよほど自然が好きらしく、見知らぬ動植物の名前が出てくるたびに、広辞苑とインターネットを引きまくる有様だった。ちょっと引いてみよう。
稚児車ちんぐるま雪どけにまた笑まふなりまた笑まふなり春は来たりぬ
人知れずあかつき闇にひらきたる美男葛の花のしづけさ
うすべにのベールの光につつまれて曼陀羅華エンゼルトランペット咲く門がひらかる
万葉苑の小小ん坊しゃしゃんぼうぼく幹うねり小雨しくしくおとかなでをり
この夏に知りそめし名は松葉海蘭まつばうんらん驕らず咲けるかそけき花ぞ
 「稚児車」「美男葛」「曼陀羅華」「小小ん坊」「松葉海蘭」、すべて植物の名であるが、よくもまあこんなに見つけてくると思うほどだ。また絵を描く人だけあって、色名もまた豊富に使われている。
首長き一羽の鳥のすばやさよ前横切るはつるばみ色に
英虞湾のゆたかな海がなぎし時コチニール色の空は燃え立つ
 「橡色」とは何でもどんぐりのかさを煮た汁で染めた色らしい。「コチニール」は貝殻虫で、これから取った色がカルミンレッドだそうだ。次のような歌もある。
あれはなんぢやもんぢやの木かとしげしげと見るわれをみる犬
虚空よりかんかん虫の音響きメリケン波止場に風ひかるかな
 「なんじゃもんじゃ」とは、もともとは関東地方でその土地では見かけない樹種を指す言い方だったようで、ヒトツバタゴ、イヌザクラ、クスノキ、アブラチャンなどを指すという。この歌では木を眺める作者を犬が見ているという視点移動もおもしろい。「かんかん虫」とはどんな虫かと調べてみたら、煙突などに虫のように張り付いて金槌で叩いて錆を落とす作業員のことだと知れた。虫ではなかったのである。
 短歌は基本抒情詩であるが、西五辻の歌には軽みや面白みのある歌が多い。きっと小池光が好きだろうと思うのは、次のような歌である。
二百円の半割メロンにかしこみ注ぐビシソワーズをかしこみ啜る
佳水園を写メールすればあらをかし床の間の上の三十糎の革靴
いさかひて「貧乏人」と吾が言へば「貧乏神」と娘正せり
ダチョウとガチョウのたまごつてききまちがへると微妙にへんだ
いくそたびとんちんかんなこたへいひけふははづかしといへるスマホよ
いつまでも「ピップエレキバン」いへず「ヒップエレキバン」てふ鸚鵡なりけり
三度聞き名前覚えし歌人なり島田幸典貌は覚えず
 半割メロンはよくスーパーの売り場に並んでいて、閉店時間が近くなると30%引の札が貼ってあったりする。その庶民感覚と、まるで拝むかのようにビシソワーズをかしこみながら啜るという対比がおかしい。ちみなみビシソワーズは、温泉で名高いフランスの町ビシー(Vichy)の名がついているが、ビシーとは何の関係もなく、アメリカで考案された冷製スープである。二首目の佳水園はおそらく京都のウェスティン都ホテル内にある村野藤吾設計になる和風別館だと思われる。床の間に30cmという大足の革靴が載っていたとはいかなる仕儀か。三首目は娘との口論で、作者が「貧乏人」と言ったのを娘が「貧乏神」と訂正したのが冷静でおかしい。五首目はおそらくスマートフォンに向かって音声で質問するソフトを使っているのだろう。ソフトがまだ不完全なので、とんちんかんな答えしか返ってこないのだ。六首目は解説不要。七首目、「塔」の歌人島田幸典氏の名前を三度聞いてようやく覚えたという。このような軽みのある歌は味わい深く、作者は手数の内にこのようなものも持っているのである。
 しかし集中で最も光るのは、次のような一見すると地味で何気ない歌ではないだろうか。
なゐののち白き花咲く坂道に登校の列駅舎より見ゆ
主亡き更地に咲きし野路菊は月の光に冴え広がれり
巨大なる千姫の墓にプーさんのぬひぐるみ座し万歳するも
道の辺の地蔵菩薩のやはらかき土に挿されし風車あり
田植ゑせし稚き苗のあはひにははつかの息が泥より出でぬ
地の涯の春の浜に出て貝ひろひ貝の穴より見ゆる国後島くなしり
 一首目の地震は1995年の阪神淡路大震災のことで、生徒たちが坂道を学校へ向かうのが駅舎から見えるというただそれだけの情景を詠んだ歌だが、その静けさが大震災の苛烈さを陰画として見せるようでもある。二首目も震災で家が倒壊した跡地でを詠んだものである。三首目に登場するのは、伝通院にある徳川二代将軍の長女の千姫の墓所である。誰かが供えたものか、大きな熊のプーさんのぬいぐるみが万歳しているのがおかしい。四首目、田舎の道だろうか、道ばたの地蔵の横に子供が置いたものか、風車が挿してある。これまた何ということのない光景だが、どこか心に沁みるものがある。五首目は観察の歌で、田植えしたばかりの苗の根元から泡が立っているというのである。おそらくは植えたときに泥に入り込んだ空気が外に出ているのだろうが、それを作者は苗の息と見たのだ。六首目は北海道旅行の羈旅詠で、浜に打ち寄せられた貝殻にあいた穴から国後島が見えるという、遠近感の強い歌である。
 とても珍しいのは次の学名を詠み込んだ歌だろう。
遊星に青きてふありはるばるとキブリスモルフォ・ディディウスモルフォ
 キブリスモルフォもディディウスモルフォも、タテハチョウ科のモルフォチョウ属に分類される蝶の学名である。写真を見ると、ディディウスモルフォは美しい青色の蝶である。この地球という遊星は宇宙という虚空を猛スピードで移動しているが、その上に青い蝶がとまっている。「はるばると」とあるので、作者にはどこか別の世界からやって来たもののように見えたのかもしれない。「キブリスモルフォ・ディディウスモルフォ」と並べると、なにやらありがたい祝詞か呪文のように聞こえる。短歌の音的側面を生かした歌といえるだろう。

第170回 永守恭子『夏の沼』

天降あもりくる光の無量か載りてゐむ天秤かたむくガラス戸の内
                         永守恭子『夏の沼』
 もう廃業した何かの店舗だろうか。ガラス戸というのも昭和の香りがする。その中にうち捨てられた天秤が残されている。左右に受け皿があり、分銅を乗せて重さを計る秤である。その天秤が平行ではなく、どちらかに傾いでいるという光景である。シャッター商店街かどこかのうら寂しい景色なのだが、作者はそこに降り注ぐ光の重量を見ている。その作者の視線と想像力によって、うら寂しい光景がまるで祝福されたかのようだ。わずか31文字の短歌が世界の一隅を切り取り照らす様は、まことにかくのごとくである。どんなにありふれた世界の一角であろうとも、それをしっかりと把握し適切な言葉の中を通過させると、聖別されたもののような存在感を持つ。ちなみに「天降りくる」は「あもりくる」と読む。蛇足ながら、現代の量子力学の教えによれば、光にも重さがあるという。
 作者の永守恭子は和歌山市在住の歌人で「水甕」同人。「水甕」は大正3年に尾上最柴舟らによって創刊された伝統ある歌誌である。『夏の沼』は第一歌集『象の鼻』に続く第二歌集。本書は水甕叢書の一巻としてKADOKAWA (旧角川書店)から刊行されている。
 あとがきに自分の視線は自然や植物に向くことが多く、身辺のささやかなことばかりを材料にしているとあるように、夫と二人の子供を家族に持つ作者の歌のほとんどは身めぐりの歌である。作風は端正な文語定型で、これに有季と付け加えたくなるほど季節感に溢れている。たとえば次のようである。
油照る真昼にポストは立ち尽くす駆け出したからむいななきをあげて
筍の皮剥くときの感触に日差しを受くる腕が毳立つ
熟れてゐるところより皮を剥きてゆく水蜜桃の夕焼けの窓
柘榴裂け呵々とわらへるその下に菊は白猫のやうにかたまる
 ランダムに挙げたが、一首目は油照りの盛夏で、このポストも昭和の懐かしい円柱形の赤いポストにちがいない。あまりの暑さに走り出しそうだという。二首目は比喩とはいえタケノコだから春先である。タケノコの皮に生えている和毛にこげからの連想か。早春の弱い日差しである。三首目は桃で、実るのは夏なのだが秋の季語だという。そういえば朝顔も秋の季語である。この歌は「あるある」で、確かに熟していると桃の皮はつるりと剥けるので、熟れているところから剥きがちだ。何かに押されていたのだろう。その場所だけが夕焼け色をしている。関西人に馴染みの白桃である。四首目は柘榴と菊だからもちろん秋。赤いザクロの実と白い菊の取り合わせが絵画的で日本画を思わせる。
 なぜ季節にこだわるのか。四季がはっきりした日本の詩歌の伝統だというだけではない。四季の巡りとはすなわち時間の経過と同義である。作者は自分が時間という河を行く旅人であることを自覚しているのだろう。いずれは過ぎ去り消えるものと思えば、どんなものも愛しく感じられる。身めぐりの些事を掬い上げる作者の手は細やかで優しい。
もう駄目とあきらめかけしボールペンなかなか残り時間しぶとく
車前草おほばこの道に凹凸あるところ梳きたる犬の毛がただよへり
美術室のカーテン揺れて陽がさせばトルソの胸に傷が浮き出づ
冷えて反る橋 あかときにはみでたる右の腕より目覚めて思ふ
照りとほる夜の道のうへたれか眼をうつすら開けてゐる水溜まり
 一首目のようにうっすらユーモアの漂う歌も作者の手の内にある。インクが切れかけていてもうだめかと思ってもまだ書けるボールペンは、もちろん喩として読んでもよいのだが、そのままでもおもしろい。二首目、「車前草」は植物のオオバコのこと。踏みつけに強い雑草なので、道ばたによく生えている。凹凸のある道なので、舗装されていない道路だろう。漂う犬の毛に気づくのも細かい観察である。三首目は子供の通う学校を訪れた折の一連にある歌。外から美術室の中を窓越しに眺めているので、ほんとうにトルソの傷が見えたのかという疑問が湧かないでもないが、これも細かい所に着目した歌である。四首目は布団からはみ出た腕が寒くて目が覚めたというだけの歌なのだが、初句の「冷えて反る橋」が出色の修辞である。五首目は月の夜道に水溜まりがあったという歌だが、他の歌に較べて言葉と修辞が勝っている。私の好きな歌に大辻隆弘の「まづ水がたそがれてゆきまだそこでためらつてゐる夜を呼ぶそつと」という歌があるが、この歌を思い出した。
 家庭婦人ならではの歌に厨歌があるが、本歌集にも厨歌は多く、いずれもおもしろい。生活に密着した場面であり、登場する食材も多様で、工夫のしがいがあるのだろう。
玉葱のスライスさらす水の面にかたちにならぬ淡きひかりよ
肩寄するエリンギ一家をばらばらにして手を払ふゆうづつのころ
ずつしりと重き大根さげもてば生きゆく力は腕より来たる
漲れるトマトのどこへ刃を入れむそのつくらゐの悩みなれども
ためらはず斬るとふ胸のすくことを大根のみが許しくれたり
 二首目にあるように、確かに市販されているエリンギは、大きなものと小さいものが同じ株にくっついている。「エリンギ一家」というのが「清水次郎長一家」のように聞こえて愉快である。また五首目で「切る」ではなく「斬る」という字を使っているのは、もちろん時代劇で武士が相手を刀で斬るのを連想しているからである。
 注目した歌をいくつか挙げておこう。
夕ぐれの町を行きつつ家家の引き出しにしまふハンカチ思ふ
仁王像のあはひ桜がはすかひに流るるかなた二上山あり
シャッター街にかすか潮の香流れをりその先に海ある確かさに
自動ドア鏡となりてけふ懈き全身かがやきたるのち裂かる
ジャコメッティの細い彫像日の暮れを影濃くゆけり自転車として
自が存在つよく感じをり今しがた煮てゐし魚が身より臭へば
日に一度かぎろふ刻ある唐辛子乾ける束に夕光が差す
 特におもしろいのは四首目で、自動ドアに映った自分の身体が、ドアが開くことによってふたつに裂かれたように見えたという歌である。着眼点もさることながら、表現が確かである。五首目のジャコメッティは私には思い入れのある美術家で、極限まで細く伸びた人物彫像で知られる。夕暮れの自転車がジャコメッティの彫像のように見えたのだが、その関係性を逆転して表現している。ちなみにジャコメッティはよく歌に詠まれる芸術家で、「照りかげる砂浜いそぐジャコメッティ針金の背すこしかがめて」(加藤克巳)や、「削ぐことが美の極限とは思はねどジャコメッティはやはり美し」(外塚喬)などの例がある。七首目も厨歌だが、私はこの歌を読んでとっさに世界遺産に登録されているアッシジの聖フランチェスコ教会の下の階層にある、ピエトロ・ロレンゼッティの「たそがれの聖母」という絵を思い出した。美しいルネサンス期の絵画だが、聖堂の東の壁面に描かれているので、夕暮れになって陽が傾くと夕日が差し込んで金色に輝くのでこの名で呼ばれている。ひょっとしたら作者はこの絵のことを知っていたのかもしれない。いずれにせよ一日に一度だけ輝く唐辛子の束に注ぐ作者の目は一期一会を見ているのである。読んで心が豊かになる充実の歌集と言えよう。

第169回 宇佐美ゆくえ『夷隅川』

にりん草いずれか先に散りゆきて残れる花に夕日ただよう
                 宇佐美ゆくえ『夷隅川』
 ニリンソウは春に二輪一対の白い花を咲かせるありふれた花である。作者は農作業をしていて、近くの土手に咲くニリンソウの一輪だけが先に散っていることに気づく。時刻はそろそろ農作業を終えようかという夕暮れである。どこといって取り立てて特別なものは何もない。ありふれた日常の小さなものに寄せる愛情が感じられ、心地よい余韻が残る歌だ。
 この歌集を腰を据えて読んでみようという気になったのは、巻末の著者略歴を見たときである。
1923年生まれ 千葉県大多喜郡小谷松出身
1946年 宇佐美二三男と結婚
1967年 大多喜町学校給食センター勤務
     大多喜町立保育園給食室勤務
1981年 退職
 これだけしか記されていない。ふつう略歴には歌人としての履歴を書くことが多い。○○結社所属とか、○○の指導を受けるとか、○○賞候補になるとか、そういう履歴である。しかしこの略歴にはそのようなことが一切書かれていない。職業はいわゆる給食室のおばさんである。こういう人が文芸にいそしみ、歌集を出す。日本以外の国ではとうてい考えられないことである。
 歌集に添えられていたカードを見ると、もう少し情報が得られる。歌集題名となった夷隅川いすみがわは、千葉県の房総半島南東部をぐねぐねと蛇行しながら流れる川だそうだ。作者はその川のほとりに70年住んで農作業をして来たという。給食室勤務のかたわらの兼業農家なのだ。もう一枚のカードには、歌集編纂を担当したこずえユノが「私の母の歌集です」と紹介している。こずえユノは「かばん」同人の歌人である。跋文は雪舟えまで、版元は最近歌集出版が多い鎌倉の「港の人」。
 さて、700首に迫ろうとする収録された短歌をすべて読み終えて巻を置いたとき、深い感動を覚えた。ここには黙々と働き、子供を育て、両親と夫を看取り、草花と動物に分け隔てのない愛情を注ぐ、無名の人の真実の人生がある。通読すると、作者がどのような人生を送ってきたか、また日々どのような感慨を抱いてきたかが、まるで手に取るようにわかる。それは一巻の小説を読むようであり、また一編の映画を観るようでもある。
揚水の早や始まりて暁の野を光りつつ水の走れり
給食の作業はじまる水槽に舞い入りて浮く花のいくひら
身弱なる夫をたよりに来し方の心細きもいつか忘れぬ
この川のほとりに住みて大方の思い出はみな水にかかわる
川上に生家も母もありし日の思い出さるる橋渡りおり
 文語基調の定型を守り、写実を基本とする衒いのない詠み方である。これだけの歌を読んだだけですでにいろいろなことがわかる。まず、作者は夷隅川のもう少し上流から嫁いで来たのだが、すでに母親も他界し生家も今はない。無住となって取り壊されたのだろう。一首目の揚水は田に水を張る準備で、周囲に広がる農村の風景が目に浮かぶ。二首目は勤務する給食室の情景で、どこからか紛れ込んだ桜の花びらが水槽に浮いている。結婚した夫は身体の弱い人だった。あとでわかるが、夫もまた短歌を作る人であった。四首目にあるように、この歌集に収録された歌のどこかに必ず川があり橋がある。
明日もまた草刈りせむと夕やけの土手にかがまり鎌を研ぎおく
たがやせば土に寄りきてついばめる小鳥らとひねもす冬畑にいる
梅もぎやじゃがいも用と籠を編みならべて足らう寒の灯のもと
もぐら除けを背負いてゆけば頭上にてプロペラ廻り何故かおかしき
山畑にひと日はくれぬ紫蘇の実をこきし匂いの指に残りて
彼岸会の鐘なりくれば泥の手を合わせていのる山の畑に
 畑を耕し、籠を編み、家で大釜一杯味噌を炊くというのは、若い人にはまるで「日本昔話」の世界のように見えるかもしれないが、ほんの50年くらい前の農村ではふつうのことだった。私も子供の頃、山口県に住んでいた祖父母の家に行くと、よく味噌作りを手伝わされた。「もぐら除け」というのは、風で回るプロペラに棒を付けて地面に突き刺すものらしい。もぐらは音に敏感だという性質を利用したものだという。いずれも昔から続く農村の暮らしをていねいに描いていて、こうした懐かしい風景が急速に失われつつある現在、このまま冷凍保存しておきたい気持ちになる。六首目を読んだとき、これはほとんどミレーの描く世界ではないかと思った。鳴り響く鐘はアンジェラスではなく、彼岸会を告げる寺の鐘ではあるが。
いく世代続きしものか組という縁も解きて村を去る兄
水難の甥に流せし灯籠の遠くにゆきてなおもまたたく
牛飼いをやめると言いて妹の持ちきし牛乳ちちをおしみつつ飲む
わが家に終のぞうりをぬぎ逝きて貧しき母の形見となりぬ
麻痺の夫湯ぶねに支え合う子らの背中の汗の光りつつ落つ
ゆるやかにトビ舞い澄める浜の朝旅立つ夫に子らとすがりぬ
ケアーバス待つ身となりぬわが門の桜吹雪を浴びてたたずむ
 兄は村を去り、妹の息子は水難で死亡、近くに住む妹は牛飼いを止める。母親を看取って送り、やがて夫は認知症が進んで全身麻痺になる。懸命に夫を介護しやがて見送る。自分は一人暮らしとなり、やがてデイケアに通い始めるといった人生の節目が詠まれていて、胸に迫るものがある。
雑魚しじみ子らと掬いし日もはるかこの川べりに一人くらすも
光つつ流れて止まぬ夷隅川ひとのみ老いて橋をゆき交う
 歌集巻末近くに置かれた歌で、作者の人生が川と橋とともにあったことがよくわかる。
 それにしても、写実と実相観入の「アララギ・パッケージ」はすごいと改めて感じざるをえない。作者は夫君とともに歌会で研鑽を積んでおり、また自身ていねいに物を観る観察眼を持っていることも確かなのだが、それをこのような歌にすることができたのは「アララギ・パッケージ」の力によるものである。誤解を恐れずに言うならば、「アララギ・パッケージ」とは、とりわけ文学の天才ではないふつうの生活者でも、文学の世界に参入して人の心を打つ歌を作ることができるためのアプリケーションである。
 近代短歌の本流を形成したアララギに刃向かい短歌を革新しようとした陣営が、「アララギ・パッケージ」に代わる方法論を提示しえたかというと、それは心許ない。例えば塚本邦雄の前衛短歌は、塚本の芸術全般にわたる博学と独自の言語感覚に支えられた個人芸であって、他の人が容易にまねすることができるものではない。
 この歌集を読むと、短歌という文芸の根底が、市井に暮らすごくふつうの人々によって支えられているのだということがあらためて感じられる。そう感じさせることがこの歌集の力である。

第168回 春野りりん『ここからが空』

イチモンジセセリ一頭の重さあり指に止まりて羽ばたく須臾に
                 春野りりん『ここからが空』
 日本語には物を数えるときに用いる類別詞 (classifier)という語種があり、敷居の低い言語学の話をするときに話の枕に使うことがある。刀剣は「一振」、箪笥は「一棹」、烏賊は「一杯」、論文は「一本」、神様は「一柱」、ウサギは「一羽」で、チョウチョウは「一頭」と言うとたいていの学生は驚く。ふだんは「一匹」としか言っていないからである。類別詞の背後には、日本語を超えた名詞クラス (noun classe)という一般言語学的問題が横たわっているのだが、それはさておき、掲出歌では正しく「一頭」と表記されている。イチモンジセセリは本州全土に分布する小型の蝶で、一頭の重さはどれくらいあるだろうか。ほんのわずかであることはまちがいない。それが指に止まって羽ばたく瞬間に、私の指にその重さが感じられるというのである。尋常ならざる感受性によって計量された蝶の重量とは、心で感じた一頭の蝶の命の重さに他ならない。その命のはかなさが仏教用語である「須臾」によってくきやかに彫琢されているところに一首の価値がある。また「一頭」と表記することによって、蝶の重さが増すように感じられるのもポイントである。この歌は「短歌人」2010年1月号に掲載された初出時には結句がちがっていて、「イチモンジセセリ一頭の重さあり指に止まりて羽ばたきをれば 」であったという。歌集に収録するに当たって改作したのだろう。成功した改作例と言えよう。
 春野りりんは1971年生まれで、「短歌人会」同人。作歌を始めて10年間の作品を収録したのが第一歌集『ここからが空』(本阿弥書店 2015)である。栞文は林望・黒瀬珂瀾・三井ゆき。「りりん」は古代ヘブライ語で夜の精霊の呼び名だと博識の黒瀬が書いているが、むしろ私には春の音を表すオノマトペのように聞こえる。
 さて、春野の歌集を一読して、何がこの歌人の特質かと考えると、それは一首に閉じ込めた世界のスケールの大きさではないかと思われる。
大神が弓手に投げし日輪を馬手に捕らへてひと日は暮れぬ
めじろ来て「地球は球」と啼くあしたまだ闇にゐるひとをおもへり
あめつちをささふるものかあさあけにふとくみじかき虹はたちたり
待ち針のわれひとりきり立たしめて遊星は浮く涼しき闇に
あさがほの黒くしづもる種のなかうづまき銀河は蔵はれてあり
 一首目はまるで古代の神話世界のようで、太陽が東から昇り西に沈む様を、神が太陽を右手で投げて左手で受け止めるようだと表現している。このスケール感は尋常ではない。二首目、「地球は球」は流布しているメジロの聞きなしかと思ったが、そうではないようだ。メジロは朝早く人家の近くに飛来して美しい声で啼く。その声を愛でながら、作者は地球の裏側にいて眠っている人に思いを馳せるのである。三首目では虹を天地を支える柱に見立てている。その発想もさることながら、「あめつち」「ささふる」「あさあけ」の[a]音の連続が広・大・開を暗示し、「ふとく」「みじかき」「虹」の[u]音、[i]音が狭・小・閉を共示する上句と下句の音的対比が印象的で、実際に声に出してみるとそのことがよくわかる。また「虹」一字を残してすべて平仮名表記にすることで、「虹」が平仮名部分の天空を支えているかのような視覚的印象も生み出している。四首目、作者はバスか友人を待って独りぼつねんと立っているのだろう。その様を「待ち針」に喩えるのはそれほど独創的とは言えないかもしれないが、いきなりカメラが引きの画像になり、人工衛星から映したような、虚空に浮かぶ地球の絵に切り替わるのは独創的である。「遊星」は「惑星」と同義だが、コノテーションが異なり、「さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて」という山中智恵子の名歌に繋がる点でも短歌的匂いのする語彙と言えるだろう。五首目は純粋な想像の歌で、朝顔の黒い種の中に発芽してぐんぐん伸びる蔓の萌芽が入っているというのだが、伸びる蔓がやがて宇宙に渦巻く銀河へと至るスケール感に並々ならぬものがある。
 このような歌柄の大きさは、ややもすれば等身大的日常を詠うことに傾きがちな現代短歌シーンにおいては貴重な資質である。かといってスケールが大きい歌だけでなく、冒頭に挙げたイチモンジセセリの歌のように、微細なものに寄せる眼もまた持ち合わせている。
 面白いと思ったのは次のような歌である。
ガウディの仰ぎし空よ骨盤に背骨つみあげわれをこしらふ
ヒトの目に見えざる色のあることを忘れて見入る花舗のウィンドウ
子を抱きて夕映えの富士指させばみどりごはわが指先を見る
今日ここにわれら軌跡をかさねあふ注げよ花火銀冠菊
ふくびくうを花野としつつ朝の気は身のうちふかくふかくめぐりぬ
息継ぎをせざる雲雀ののみどより空へと溢れつづけるひかり
 一首目、ガウディはバルセロナの聖家族教会を設計した異色の建築家で、空へと屹立するゴシックの尖塔と脊柱の椎骨とを二重写しにした歌である。ガウディの建築が生物を思わせる形をしているところから生まれた連想だろう。二首目、「ヒト」と片仮名書きしてあるのは生物種としてのホモ・サビエンスを意味する。花屋には色とりどりの花が売られているが、改めて考えてみると、それらはすべてヒトに見える色である。色は物体が反射する光なので、可視光線ということになる。歌には「忘れて」とあるが、それは作者の仕掛けた工夫で、そう言われることによって改めて思い出す作用がある。三首目、親は指さした夕映えの富士を見てもらいたいのだが、子は親の指先を見る。大人が見ている世界と子供が見ている世界は同じようでちがうというずれを歌にしたもので、はっとさせられる。四首目の「銀冠菊ぎんかむろきく」とは菊の花びらのように広がって流れ落ちる打ち上げ花火のこと。「今日ここにわれら軌跡をかさねあふ」とは、見知らぬ人が今日ここに花火を見るために集っているという一期一会の思いと、流れ落ちる花火の火が交差しあう様子を重ねたものだろう。「花火の歌」を集めるとしたらぜひ入れたい歌である。五首目、朝の空気に漂う花の香りを詠んだ歌だが、ポイントは初句の「ふくびくう」だろう。漢字にすれば副鼻腔で、鼻腔すなわち鼻の穴の横の骨にある空洞をさす。「ふくびくう」と平仮名書きにすると、何やら異国のお伽話に出て来る人物のようにも聞こえる。「ふくびくう」「ふかくふかく」と一首に [hu]音と[ku]音が連続するのも工夫だろう。六首目は揚雲雀の歌で、息継ぎも忘れて天空高く囀る雲雀の喉から光が溢れ出ると詠んでいる。高野公彦の名歌「ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器」とどこか呼応するようにも見える歌である。
 このような歌以外にも、相聞歌や厨歌や母親の視線で子供を呼んだ歌なども収録されていて、主題や作歌法の幅の広さも魅力的だ。また東日本大震災の後に南相馬を訪れた折に「とどめようもなく生まれた歌」には鬼気迫るものが感じられる。
方舟に乗せてもらへぬ幼らの悲鳴のやうな朝焼けを浴ぶ
黄揚羽のとまりゐるわが脇腹より土地の負ひたる悲しみは入る
水鏡ゆきあへるひとみなわれにみゆるたそがれ手触れむわれに
折鶴の天よりくだるこゑは地にあふれて白き木蓮となる
 最後に私が集中で最も美しいと感じた歌を挙げよう。
はつなつのやはらかきしろつめくさをかすかに沈めむくどり翔てり
 初夏の公園かどこかに青々と広がる絨毯のようなクローバーの群落からムクドリが飛び立つ様を活写した歌で、ポイントはもちろん「かすかに沈め」にある。羽ばたくときに生じる下向きの風圧で、クローバーの葉と花がわずかに沈む。このような歌を読むと、ふだんは何気なく眺めている世界に、突然、高解像度の望遠鏡か顕微鏡が向けられ、同時に時間の流れも緩やかになって出来事が精緻に微分されるような感覚に捕らわれる。これがポエジーの持つ「世界を新しくする力」である。また初句の「はつなつの」から「かすかに」までを平仮名書きすることによって、音読時間が長くなるように韻律を調整し、ムクドリが飛び立つまでの準備時間をあたかもスローモーションのように感じさせているのも作者の工夫だろう。