第144回 紫陽花の歌

あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前がうたえ
                       福島泰樹 
 今週は別のテーマで短歌批評を書くつもりだったのだが、今朝起きてふと紫陽花の歌にしようと思いついた。梅雨時の街のあちこちで紫陽花が花をつけている。この時期をおいて他に書ける時はない。紫陽花は「今週の短歌」時代に一度取り上げているので重複するが、まあかまわないだろう。
 紫陽花は近代短歌が好んで題材とした花である。小池光も『現代歌まくら』で項目に挙げていて、次の歌を引いている。
森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
                          寺山修司
色変えてゆく紫陽花の開花期に触れながら触れがたきもの確かめる
                          岸上大作
 寺山の歌はこれ以上はない寺山節の青春歌で、青春の昂揚と裏腹の暗さを紫陽花が象徴している。岸上の歌は掲出した福島の歌と遠く響き合う。小池も触れているように、紫陽花は六月の花であり、六月は60年安保の記憶と結びついて、ある世代以上の人の脳裏に刻印されている。岸上の歌では紫陽花が色を変えるという特徴に焦点を当てて、それを思想的変節と呼応させているのだろう。
 『岩波現代短歌辞典』によると、紫陽花は日本原産であり、古来から日本にあった花だが、古歌ではあまり詠まれていないという。近代になってから好んで短歌に詠まれるようになったようだ。原種は現在目にする紫陽花よりも地味な額紫陽花で、人の目につきにくかったからかもしれない。大きな花をつける今の紫陽花は品種改良の成果である。紫陽花寺と呼ばれる名所もあるくらい好まれる花だが、紫陽花には路地が似合うような気がする。民家の建ち並ぶ路地の軒先でひっそりと咲くのがふさわしい。
 『角川現代短歌集成』の第3巻「自然詠」にも、千勝三喜男編『現代短歌分類集成』にも紫陽花の歌が多く収録されているが、よく見るとほとんど重複する歌がない。それほど現代短歌では紫陽花がよく詠まれているということだろう。紫陽花で焦点化されるのは、その球形の花の様子と、花の色が変化するという特徴と、何より雨の中で咲くという点だろう。
紫陽花のその水いろのかなしみの滴るゆふべかなかなのなく
                          若山牧水
あぢさゐのおもむろにして色移るおほかたの日数雨に過ぎつれ
                             吉野秀雄
あじさいはあわれほのあかく移りゆく変化へんげの花と人のすぎゆき
                          坪野哲久
 牧水の歌では紫陽花に降る雨が「かなしみの滴る」と表現されている。吉野と坪野の歌は花の色の変化に焦点を当てている。NHK衛星放送で放映されている「美の壺」という番組で知ったのだが、紫陽花の色の変化は色素が土中のアルミニウムと結合することで起きるもので、最初は青く次第に赤に変化するそうだ。だから「ほのあかく移りゆく」なのである。
光なき玻璃窓一めんにあぢさゐの青のうつろふ夕ぐれを居り  五味保義
あぢさゐの花をおほひて降る雨の花のめぐりはほの明かりすも
                          上田三四二
紫陽花のぼくのうへなる藍いろとみどりまじはりがたく明るむ
                           小中英之
 梅雨時の雨に降り込められた庭は昼間でも薄暗い。そんななかで咲く紫陽花は明るさの点景として捉えられる。五味の「光なき玻璃窓」はまるで額縁のように紫陽花を映している。上田と小中の歌では、紫陽花がぼんぼりのように灯りを点した姿で描かれている。
戸口戸口あぢさゐ満てりふさふさと貧の序列を陽に消さむため  浜田到
どの家も紫陽花ばかりが生き生きと貧しき軒を突き上げて咲く
                           長谷川愛子
 上の二首は珍しく紫陽花の社会詠とでも呼ぶべき歌である。紫陽花が一面に咲くと玄関口の貧富の差が隠れてしまう。長谷川の「貧しき軒」が並んでいるのは、古くて小さな民家が密集して建つ路地にちがいない。余談ながら、私はタモリにならって坂道探訪を趣味としているが、最近、それに階段と路地が加わり、小林一郎『横町と路地を歩く』という本まで買ってしまった。暗渠と廃墟にも食指が動くが、なかなかそこまで手が回らない。
美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり  葛原妙子
昼の視力まぶしむしばし 紫陽花の球に白き嬰児ゐる
斑らなるひかり散りゐて紫陽花はつめたき熱の嚢とぞなる
 好んで紫陽花を詠んだ歌人に葛原妙子がいる。幻視の女王の異名を取るくらいだから、葛原の歌では視覚が優位であり、とりわけその花の球形であるところを好んだようだ。「球の透視」とは占いの水晶玉の連想だろうか。
観る人のまなざし青みあぢさゐのまへうしろなきうすあゐのたま
                            高野公彦
廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり  小池光
 高野の歌は『短歌研究』6月号で小島ゆかりが「四季のうた」で取り上げていた歌である。小島は「まへうしろなき」という発見を強調していたが、私はむしろ「観る人のまなざし青み」のほうに感心した。紫陽花を見ている人のまなざしが青みがかるというのだが、現実にそのようなことが起きるわけではない。しかしそのようなことが起きてもおかしくないほど、紫陽花の藍が鮮やかなのである。
 紫陽花というと冒頭に挙げた福島の歌と上の小池の歌が頭に浮かぶ。福島の歌を最初に見たときは「ジョジョー」が「抒情」のことだとわかるのに少し時間がかかった。小池の歌は収録されている歌集『廃駅』のタイトルにもなった歌で、小池の代表歌と言ってもよい。「廃」には、廃墟、廃市、廃校、廃坑、廃位などに見られるように、哀れさとノスタルジーが付きまとう。廃駅に咲いているのは大輪の栽培種ではなく、花の小さな草紫陽花でなくてはならない。この歌の主題は「時間」なのだが、廃駅に草紫陽花を配して時間を感じさせたところがこの歌の魅力の秘密だろう。

第143回 阪森郁代『ボーラといふ北風』

小余綾こゆるぎの急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭
                 阪森郁代『ボーラといふ北風』
 なかなか凝った作りの歌である。まず「こゆるぎの」は枕詞で「磯」「いそぎ」にかかる。ものの本によれば、小余綾の磯は昔の相模の国、今の神奈川県小田原市の大磯あたりの海岸を指すという。古歌に「こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪」や「こゆるぎの磯たちならしよる浪のよるべもみえず夕やみの空」などがある歌枕である。掲出歌では「急ぎ」を導く枕詞として用いられている。次に「にはたづみ」は地面に溜まった雨水の意味だが、「渡る」「川」に掛かる枕詞でもある。掲出歌では「またぎぬ」で動詞がちがうので枕詞として使われているのではなかろう。次に「片蔭」は一方だけが蔭になっている場所のことだが、特に夏の日陰を指し、夏の季語でもある。したがって、夏の暑い日中に降った夕立か何かが残した水溜まりをひょいと跨ぎ越したというだけの歌なのだが、練達の修辞の魔力によって爽やかな一首となっている。この歌のポイントは「軽く」で、体感と同時に主観性を感じさせるこの一語によって、歌の描く情景は〈私〉へと接続される。そのあたりの短歌の生理を作者は熟知しているのである。
 『ボーラといふ北風』は平成23年に刊行された著者の第六歌集である。歌集題名は須賀敦子の著書『トリエステの坂道』に由来する。あとがきに阪森が須賀作品に深く傾倒していることが書かれている。『トリエステの坂道』は、『ミラノ 霧の風景』で一躍脚光を浴びた後、『ヴェネチアの宿』に続いて須賀が刊行した三冊目の著書である。トリエステは詩人ウンベルト・サバゆかりの街で、冬になるとボーラと呼ばれる強い北風が吹くという。集中の次のような歌は須賀の作品世界に触発されたものだという。
選択肢のひとつに数へ愉しまむアドリア海に向くトリエステ
捲られてブリキ色なる冬空はボーラと呼ばれし北風の所為せい
 「野の異類」で1984年に角川短歌賞を受賞した阪森が第一歌集『ランボオ連れて風の中』を刊行したのは1988年のことである。田島邦彦他編『現代の第一歌集』は注目すべき第一歌集の抜粋を編年体で編集しているが、阪森の二人前は加藤治郎、五人前は俵万智、阪森の次は荻原裕幸という並びになっている。しかしそのような台頭するニューウェーヴの潮流などどこ吹く風と言わんばかりに、『ランボオ連れて風の中』にはスタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が多く見られる。
透明の振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝
枯野来てたつたひとつの記憶かなそびらのみづのやさしく湧ける
いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある
 年月が流れるにつれ阪森は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだ歌は減る。それに代わって増えるのは、第五歌集『パピルス』の帯に岡井隆が書いたように「作風は自由、発想は奔放」な歌である。本歌集を読んでいても、ときどき不思議な歌に出会うことがある。たとえば次のような歌である。
宛先のラベルのゆがみ何でもないことの続きにひらく旧約聖書バイブル
急ぎゆく道すがらなる夏燕ちひさき顔は借り物に見ゆ
難波行き電車に揺られ五分ごぶといふたましひの嵩を思ひき
遊覧船といふものありて人は乗る我に返るはどのあたりなる
ときをりは怪しげなれど蜻蛉は蜻蛉らしきふるまひに飛ぶ
 一首目、「何でもないこと」がラベルのゆがみを指しているのかそれとも別のことなのかわからないが、いずれにせよ旧約聖書を開くという行為との連続性が不明である。二首目では燕の小さな顔が借り物のようだと言っているのだが、これまた奇想のたぐいで、そんなことを考える人がいることに驚く。三首目、おそらく「一寸の虫にも五分の魂」という諺が電車の中でふと頭に浮かび、「五分の魂」とはどのくらいの大きさなのだろうと考えたということなのだろう。四首目、関東ならば芦ノ湖か東京湾、関西ならば琵琶湖に遊覧船が運航している。それはよいとして「我に返る」とは何のことか。「どうして自分は遊覧船などに乗っているのだろう」と我に返るのだろうか。五首目は蜻蛉の飛び方を詠んだものだが、蜻蛉が蜻蛉らしい飛び方をするのは当たり前である。しかしときおり怪しい飛び方をするとは不思議である。
 このような歌を見るにつけ、阪森の短歌の根底には「存在論的思弁」が横たわっているように思えてならない。存在論的思弁とは、この世界と自分とがなぜこのようにあるのかを問う深い思考だが、それは思弁なので、ふと湧き出すこともあり、まま誤作動することもある。上に引いた歌は、そのようにふと湧き出した思弁が生んだ歌であり、だからこそ岡井をして「発想は奔放」と言わしめたのではないだろうか。
 日常よく目にしながら気がつかないことをずばりと詠む発見の歌というのがあり、そのような歌に出会うと私たちははたと膝を打つ。しかし阪森の歌はそういう類の歌とも肌合いがちがう。発見をどうだとばかり提示するのではなく、湧き出した思弁をひとり楽しんでいるような様子が見られるのである。
わが知らぬしづけさを知るオニヤンマうつつもどきの夕暮れを飛ぶ
スクランブル交差点を行くときのあるいはきのふへ向かふ足どり
日に灼けることの無ければ日盛りを何人よりもいきいきと死者
パッケージにかるく触れつつそのひとつ卵の意思としてのひび割れ
写されしすべては遺影となるものをハロウィンなれば南瓜を写す
 付箋のついた歌を引いたが、これらの歌にも不思議な雰囲気がまとわりついている。一首目の「うつつもどき」は「まるで現実のような」を意味するが、そうするとオニヤンマが飛ぶ夕暮れは幻想ということになる。実と虚が突然反転するような不思議な感覚に襲われる。二首目のスクランブル交差点は、同時にありとあらゆる方向に歩行者が横断するので、その中には昨日に向かって時間を遡行する人もいるのではないかということだろう。三首目、死者は日に灼けることはない。それはよいとして、日盛りを死者が生者に混じって歩いているというのは空想か幻視である。四首目、スーパーで購入した卵のパッケージの中にひびの入った卵がひとつあったのだろう。しかしそれを卵が自分の意思で割れたのだと見るのは奇想である。五首目、写真はやがて遺影となるというのは人物を写した写真に言えることである。その事実と、今日はハロウィンだから南瓜を写すということに論理的関係はないはずだ。
 このように阪森の短歌の持つ独特の顔つきは、存在論的思弁がふと湧き出して来たり、あらぬ方角へと暴走したりすることによって生まれた奇想がもたらしたものだと思われる。第五歌集『バピルス』にもその傾向が見られたが、『ボーラといふ北風』に至ってその傾向が強くなっているのは、存在論的思弁は年齢を重ねるにつれて深まるからである。若い人たちは、年齢を重ねると今はわからないことがだんだんわかるようになるのではないかと思うかもしれない。社会の仕組みや人情の機微についてはそうだろう。しかし存在論に関しては、歳を取るにつれて謎はいっそう深まるばかりである。
重ねあふ空あるのみに揚げ雲雀声はたちまちかき消されゆく
夕べには夕べの速さの瀬の音す月射せば月を砕く瀬の音
はじめなく終わりも見せず蜆蝶のみを残して秋は過ぎたり
ひとつぶは房より椀がる八月の雨のち薄日の淡さの中に
音もなく射しくるものをひかりとも影とも言ひて小公園に
 美しい歌群である。これがなぜ美しいかを説明するのは私の手に余る。ひとつだけ言えるのは、言葉を扱う確かな修辞力が作品世界を支えているということである。練達の歌集と言えるだろう。

第142回 照屋真理子『恋』

箸茶碗こともなく持ち両の手の互に知らぬ左右の世界よ
                 照屋眞理子『恋』
 黄金週間の間に不覚にも左腕を負傷して、短歌コラムを一週落としてしまった。腕を負傷したからといって、平出隆の『左手日記例言』のような名作が書けるわけでなく、ただただ不自由なだけである。おまけに負傷の原因が書斎の椅子からの転落とあっては、言うべき言葉がない。
 さて、照屋眞理子の『恋』は、『夢の岸』(1991)、『抽象の薔薇』(2004)に続く第三歌集である。前歌集以後、著者の人生には、御母堂ならびに句誌「季刊芙蓉」の主催者だった須川洋子の死という大きな出来事があった。須川の意志により、著者は「季刊芙蓉」の代表となり今日に至っている。人は誰しも長く生きていると、こちら側にいる家族・友人・知人よりも、あちら側にいる人数のほうが増えてゆく。いたしかたのないことである。そのことが本歌集に収録された歌に深い陰翳を与えている。
 第二歌集『抽象の薔薇』を取りあげた際に、照屋の短歌の特徴として、「存在にたいする理知的懐疑」と「短歌に詠われた世界の構造の複雑さ」を挙げた。この特質は本歌集でもいささかも変わらない。例えば掲出歌は、私たちが日常の食卓で、何も考えることなく右手に箸を持ち左手に茶碗を持つという事実に着目し、左右の手が独立に動き別の世界に属しているかのような不思議を詠んだもので、まずその着眼点に驚き、確かにそうだと得心する。しかし前歌集に較べてこのような形而上学的な歌が少ないのは、作者が歩んで来た人生に訪れた変化の故であろう。
 前回も触れたことだが、照屋の歌を論じるにあたって、「夢」という言葉を避けるのは難しい。「一期は夢」との認識が歌集全体にわたって通奏低音のように低く響いている。
美しい夢であつたよ中空ゆ振り返るときこの世といふは
つと視野を過ぎし螢のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき
永き永き約束の果てかりそめに我と呼ばるる生命いのちなつかし
 この感覚は照屋の句集『やよ子猫』ではもっとストレートに表現されている。
神様に寸借の身を泳がする
ああわたしたぶん誰かの春の夢
 「この世は夢」と思い定めるということは、ひるがえって「あの世」が現実味を帯びてくるということである。この世が実であることが減れば、ある世が虚であることも減る道理だ。すると何が起きるか。この世とあの世を隔てる壁が限りなく薄くなり、それと連動して、虚と実、「我」と「我にあらざるもの」の境界線もますます曖昧になる。
万物ものみなのいのち夢見る春は来て死は朧生なほなほおぼろ
わたくしはもとよりあらぬものにしてある日は君でありさへもする
私のやうな君が来て言ふ君のやうな私に逢へる夢のはかなさ
 照屋の中には自分が人の形をしてこの世に生を受けたのは偶然にすぎないという感覚が強くあるようだ。次のような存在をめぐる形而上学的歌を読むと、あらぬ空想はリルケの詩歌やモランディの静謐な絵画へとふと誘われるのである。
秋冷の玻璃のかたはら行くときも人間われに人間の影
鳥けものはた人間のかたちしていのちはあそぶ春光のうち
心ここに在らざる夕べわが猫はずしりと膝に来て「在り」と言ふ
 「我」と「我にあらざるもの」の境界線が曖昧になると、一見すると短歌を支える〈私〉の溶解を招くと思えるかもしれない。ところが逆説的なことに、照屋の歌の背後には強く一貫した〈私〉が存在する。それは「生と死は等価である」と観じ、「我と我にあらざるものは逆の関係になっていたかもしれない」と思い定める〈形而上的私〉が照屋のなかにしっかりとあるからである。
 以下、目に留まった歌を取りあげてみよう。
現し世をわが眠るときあらぬ世にたれか目覚めて汲む朝の水
 現世を生きる〈私〉の影のようなもう一人の〈私〉が別の世にいる、いや別の世の〈私〉の方がほんとうの〈私〉で、今の〈私〉はその影にすぎないのかもしれないという無限遡及の問が美しい歌となっている。
つひに言葉となるたる人が雨の日のポストに来たり遺句集『信次』
 一読してこの表現に驚いた。俳句や短歌を残してこの世を去った人は「つひに言葉となりたる人」なのである。ボオドレエルも中原中也もこの世にはいないが、言葉となって残っている。
太虚おほぞらをしづかに紺は深みつつ物に立ち来る夕暮の貌
 これまた美しい歌である。美しすぎるかもしれない。夕の訪れはまず物に表れるという発見の歌でありながら、それを発見と感じさせないほどに措辞に溶け込んでいる。「太虚を」の助詞「を」が動かしがたいほどに決まっている。
たましひを戴くごとく桃に刃をあてをり外はかがやく真昼
 桃はよく短歌に詠われる果実であり、その形状の故か「たましひ」になぞらえられることもよくある。島田幸典に「たましいを預けるように梨を置く冷蔵庫あさく闇をふふみて」(『no news』)という歌がある。照屋の歌ではほの暗い室内と屋外の真昼の明るさが、危ういまでのコントラストを作っている。
追憶の彼方の恋や夕暮れの空へ振るため人は手を持つ
 これまで歌集タイトルに触れなかったが、『恋』とは大胆な命名である。歌集なかほどに「恋」と題された章があり、上の一首のみが配されている。作者は数年間病気の母親と暮らし、その日々は「見飽かぬ夢の繭籠もりの幸せ」であったという。この歌の恋は別れた人への追慕の気持ちであろう。
まぼろしの夏至りなばおもかげに人こそ恋ひめ夢の渚を
 最後に上の歌を取りあげたい。この歌では意味が洗い流されて、言葉だけが暮れなずむ夕空にかかる薄雲のように、いつまでも中空をただよっている。ほとんど意味を失った言葉を支え、中空に浮かせているのは短歌定型である。いつぞや照屋は、「自己表現のために短歌を作りたいと思ったことは一度もない」、「定型という楽器を最大限に歌わせるために歌を作る」と語っていたことがある。「まぼろしの」一首はまさに照屋の言葉どおりの歌であり、本歌集の白眉としたい。

第141回 千葉聡『今日の放課後、短歌部へ !』

手を振られ手を振りかえす中庭の光になりきれない光たち
         千葉聡『今日の放課後、短歌部へ!』
 『飛び跳ねる教室』に続く千葉の歌集が出版された。歌集というよりも、エッセーの間に短歌が少し挟まれている構成なので、歌文集と言うべきかもしれない。千葉は1998年に「フライング」により短歌研究新人賞を受賞しし、その後、高校の国語教員になっている。前作の『飛び跳ねる教室』では横浜市の上菅田中学、今回の『今日の放課後、短歌部へ!』では戸塚高校に勤務する汗と涙の日々が綴られている。
 千葉と同じく短歌同人誌『かばん』に所属する先輩の穂村弘は、自分の社会人としての不適格ぶり(自分がいかにアウトな人間か) を自虐的に描くエッセーの名手として評価が高いが、千葉も自分に最も適した表現形式をようやく見つけたと言ってよいかもしれない。それは本書のように実録エッセーと短歌とが照らし合い響き合う形式である。帯に「青春とは、永遠の中の停止した一瞬」(東直子)、「青春とは、無名性の眩しさ」(穂村弘)と印刷されていて、巻末には「短歌には青春が似合う」と題した千葉・東・穂村の座談会が付されており、東と穂村が選ぶ青春の歌十首が添えられている。本書の主題が「青春」であることがわかる。おまけにエッセーの随所に千葉が選んだ青春にちなむ名歌が挿入されていて、これでもかというサービスぶりだ。まるでコンビニで弁当を買ったら、即席味噌汁とペットボトル入りの緑茶まで付いて来たようだ。お買い得と言えるだろう。
 本書の主な内容は中学から高校に転勤になった千葉 (生徒からは「ちばさと」と呼ばれている)の汗と涙の奮戦記なのだが、登場する教員が個性的である (キャラが濃い)。教員室のストーブで餅を焼いて、何でも「そんなことはいいんだ」で済ませてしまうフナダ先生 (フナじい)、バスケ部の鬼顧問で超体育会系のカオリ先生、そんな先生たちに囲まれ助けられながら、悩みつつ教員として少しずつ成長してゆく千葉。この構図はどこかで見たような...そう、これはちばさと版『坊っちゃん』なのである。そう思って読めば本書のキーワードが「青春」であることもうなずける。
 とりわけ印象に残るのは「ラアゲ」というニックネームの女子高校生のエピソードだ。ニックネームの由来は、自分はカラアゲが好きなので、「カ」を取って「ラアゲ」と呼んでくださいと自分から千葉に申し出たことによる。なぜ「カ」を取るのかは謎である。女子高校生には謎が多い。ラアゲはちばさとに『若草物語』『赤毛のアン』『あしながおじさん』を課題図書として与え (生徒が先生に課題図書を出すということがそもそも変だ)、読んだ後に千葉が感想を述べると、「それではまだ深く読んだとはいえません」とダメ出ししたという。そして『スウ姉さん』だけは読まないようにと釘を刺した。ラアゲが千葉に与えた課題図書はすべて、作家や芸術家になることを夢見ている主人公が、さまざまな困難を乗り越えて自分の夢を実現する物語で、『スウ姉さん』は家族のために夢をあきらめるという物語であることに千葉は気づく。千葉が歌人であることは生徒にも知られているのだが、高校に転勤になって部活動の顧問などに忙殺されて、千葉は短歌を作れなくなっていた。そのことを授業中に自虐的に生徒に話していたのだ。ラアゲは「自分の創作活動を自虐ネタにしないで、夢に向かって進んでください」と千葉に伝えたかったのである。こんな生徒を持った教師は幸せだ。
 また千葉は国語の授業の一環として、毎回黒板に自分が選んだ短歌を一首書いていたという。結局、高校には千葉が望んだ短歌部はできなかったけれど、卒業してゆく生徒の心のどこかには黒板に書かれた短歌が残るだろう。
 エピソードばかりに気を取られて収録された短歌に気が向かわないが、何首か引いておこう。
一面に風のかたちを抱きしめてすぐに手放す春のプールは
トレーニングルームに野球部五人いて今日限定で懸垂が流行る
数学を放って食堂へと急ぐ少女の肩に食いつくカバン
グラウンドを駆けゆく背中まっすぐに天空を挿すオールであれよ
一握りほどの光を海底に置くように君は頷きかえす
約束は果たされぬまま約束を信じたころのかたちで眠る
歌に詠み続けよう 今ここにある光、ため息、くちぶえなどを
 千葉の短歌では光を詠んだものが特によい。巻末の座談会で、「自分は東さんと違って、見たものとか経験したものじゃないと書けないっていうのを改めて感じました」と千葉が発言しているのに注意を引かれた。確かに「好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ」という東の歌など、現実にあったことを書いているのではなく、想像から紡ぎ出したものだろう。千葉はそれはできないと言っているのである。つまりは千葉にとって短歌は、言葉を組み合わせることで今までにはない意味の世界を作り出したり、言葉と言葉が軋み合って発光するようなものではないということだ。自分の体験と見聞きした出来事がまずあり、それをもとにして短歌を作ってゆくのである。
 本書のようにエッセーに短歌が混じる構成が千葉のスタンスに適しているのはそこに理由がある。歌集のみでひとつの自立的宇宙を立ち上げるのではなく、経験したエピソードと短歌とが響き合うというスタイルを千葉が選んだのは決して偶然ではあるまい。しかしその分だけ本書で短歌の占める比重が軽くなっているのは否めない。
 千葉が選び随所に挟み込まれた青春短歌を拾い読みするだけでもおもしろい。たくまずして若者向けの短歌入門書となっている。しかし、大辻隆弘の「結局みんな散文に行ってしまうのか」という嘆きがまた聞こえてきそうではあるが。

第140回 榮猿丸『点滅』

ビニル傘ビニル失せたり春の浜
          榮猿丸『点滅』
 短歌と比較した場合の俳句の最大の魅力は、日常を一瞬にして詩に昇華する魔術のごとき業だろう。短歌では、上句と下句が反射し合い、相関し合って抒情詩としての詩的世界を作るので、意味の比重が大きくなる分だけ、世界の立ち上げに時間がかかる。短歌は意味の世界なのである。これにたいして俳句では意味の比重がぐっと軽くなり、それに反比例して視覚性が高まる。居合のように、光景をスパッと切り取って提示する。しかも有季定型俳句では、切り取った光景のどこかに季節を感じさせる季語が入っていなくてはならない。
 掲出句ではそれはもちろん春の浜である。春なので浜辺には人がいない。天気のよい日で、海はゆったりと波を寄せている。浜辺にビニールを失って骨組だけになったビニール傘がころがっている。コンビニで200円くらいで売られていて、使い捨てられる傘である。骨のいくつかは折れ曲がっているだろう。まるで現代美術のオブジェのように日光を浴びて砂地に細く影を落としている。
 およそ芸術に描かれるような美しいものではない。それが季語を与えられ、定型にはめこまれ、作者の愛情によって磨かれると、日常性は詩的昇華を遂げて美の世界が現出する。絵になる素材を求めて歌枕に吟行するのではなく、私たちがふだん暮らしている日常の中から自分の目で詩的素材を発見する。これが作者榮猿丸のポリシーと見た。
 榮猿丸は1968年生まれ。國學院大學で哲学を学んでいる時に俳句と遭遇するが、その時は短期間に終わり、後に「澤」に入会して小澤實に師事する。二年後に編集に参加し、編集長も務めている。『点滅』は榮の第一句集。正木ゆう子の栞文によると、2008年に榮が「とほくなる」50句で角川俳句賞に応募したとき、審査員だった正木は榮を受賞者に推したのだが、長谷川櫂が反対して激論になったらしい。結局、榮は次席になり、受賞したのは阿倍真理子。選考の経過と受賞作を載せた「角川俳句」の号の表紙には「3時間以上に及ぶ大激論!」という惹句が印刷されて、榮はかえって名を知られることになる。
 高柳克弘が栞文で書いているように、榮の俳句を読んでまず最初に気づくのは、詠まれた素材の新奇さである。宗匠帽を被って縁側で句をひねる風流人ならばおよそ取りあげないような素材を榮は好んで詠む。
しやぶしやぶ鍋真中の筒や葱くつつく
箱振ればシリアル出づる寒さかな
フライドポテトの尖にケチャップ草萌ゆる
山晴れていなりずし照る暮春かな
ガーベラ挿すコロナビールの空壜に
ダウンジャケット継目に羽毛吹かれをり
 一句目、中央に筒が立つしゃぶしゃぶ鍋は、確かに肉や野菜がうっかり筒にくっつくことがある。筒は高温になっているので、そのままじゅっと焦げ付いてしまう。後の手入れが大変だ。二句目は冬の朝食の風景。朝食用のシリアルは確かにたいていの人が箱から振り出している。シリアルが皿に当たる硬質な音が冬の寒さを感じさせる。三句目、ハンバーガーショップのフライドポテトにケチャップやバーベキューソースをつけて食する習慣はいつ頃から始まったものか。ポテトにべったりとケチャップをつけるのではなく、尖端だけに少量つける。ここがポイントである。四句目は解説の必要もないほどそのままの句。春の終わりの光量の増した日光にいなり寿司が照り映えている。穏やかで平和な光景である。五句目のコロナビールは、壜の口からライムをぎゅっと搾って口飲みするのがお洒落とされた都会的アイテムだが、空壜に花を挿して飾るのは、いかにも独身男性の一人住まいを感じさせる。六首目、もうずいぶん長く着ているダウンジャケットなのだろう。身頃と袖の継ぎ目がほつれて中の羽毛がはみ出している。わずかな羽毛に気づいたのだから、ダウンジャケットの色はたぶん黒だろう。
 このように都会に暮らしている私たちの日常の中で、誰でも出会いそうな取るに足らない微細な事象を掬い上げて句にしている。思わず「あるある」とつぶやいてしまいそうだが、このあるある感は日常の中で成立する感覚で、いったん俳句の世界に視座を移すと他にあまり類を見ない句風である。『超新撰21』で榮の解説を書いたさいばら天気はその理由を、榮が俳句の国に暮らしているのではなく、現実という当たり前の世界から「俳句の国」に出かけるからだとする。つまりは俳句の外部から内部へと手を伸ばしているからだという。興味深い見方である。
 私たちが暮らしている現実という当たり前の世界には、カタカナ語が氾濫している。カタカナ語を使わずには一日たりとも過ごすことができないだろう。榮の俳句にカタカナ語が多いのは、奇をてらって素材の新奇性を求めているからではなく、現実の私たちの生活にカタカナ語が氾濫しているからにすぎない。しかし榮の俳句ほどカタカナ語の多い句は珍しいようで、角川俳句賞の選考会でもこのカタカナ語の多さは批判されたという。
 朝日新聞の俳句時評で本句集を取りあげた田中亜美は、俳句は恋愛を詠むのが苦手な形式だが、珍しく恋の句が多いと評しており、それはまた多くの評者の指摘するところでもある。
春泥を来て汝が部屋に倦みにけり
裸なり朝の鏡に入れる君
別れきて鍵投げ捨てぬ躑躅のなか
わが手よりつめたき手なりかなしめる
愛かなしつめたき目玉舐めたれば
髪洗ふシャワーカーテン隔て尿る
われを視るプールの縁に顎のせて
 多いと言ってもこれくらいである。若い人の作るうきうきした恋の句ではなく、苦みの混じった大人の恋である。衝撃的なのは五句目で、ふつうの性愛の動作に飽きたらず相手の目玉を舐めるというのは、愛の切なさと同時に近い別れを予感させる。ボオドレエルの「sed non satiata」(されど我なお飽き足らず)という詩を連想する。栞文でこの句を含む榮の恋の句を取りあげた高柳克弘は、「榮猿丸の相聞句は、まだ信じるに足る愛というものが、この世界に存在していることを教えてくれる。貨幣にも情報にも還元されることのない、かけがえのない愛が」と締めくくっている。
 印象に残った句をあげておこう。
片影や画鋲に紙片のこりたる
若芝に引く白線の起伏かな
ランボー全集全一巻や青嵐
按摩機にみる天井や湯ざめして
ダンススクール西日の窓に一字づつ
トイレタンクの上の造花や冬日差す
ピカソの眼勁し生牡蠣啜りたる
ペットボトル握り潰すや雲の峯
 ちなみに「愛されずしてTシャツは寝間着になる」は藤田湘子の名句「愛されずして沖遠く泳ぐなり」の本歌取りか。高柳克弘の栞文のすばらしさも印象に残った。ちなみに句集題名の『点滅』は、『超新撰21』の巻末合評座談会で師の小澤實が「一句の中で何かが明滅しているような印象です。変わっています」と述べたのを受けての命名か。

第139回 川崎あんな『あんなろいど』

はゞたける空あるやうにひらきをる貝殻骨の ゆふかたまけて
              川崎あんな『あんなろいど』
 貝殻骨は肩胛骨の異称で、左右に広く開いているのが見えているのだから、誰かの後ろ姿を見ているか、さもなくば自分の背中を鏡に映しているのだろう。前者の方が想像を誘う。貝殻は海のものだが、それが空を羽ばたいていると見立てるところに、対立物の衝突から生まれる詩的感興がある。おまけに時刻は夕暮れ時である。空は茜色に染まっていることだろう。貝殻の帯びる薄いピンク色と夕焼け空の色は、今度は位相を同じくするものとして響きあう。上句に連続するア音によって、のびやかな空間の広がりをも感じさせる美しい歌である。
 掲出歌を選ぶとき、どうしてもこのような美しい歌を選んでしまいがちなのだが、このような歌が本歌集を代表する歌というわけではない。むしろ逆で、このような歌のほうが少数派である。では本歌集の基調をなす歌はどのようなものかといえば、次のような歌だと思われる。
花の向き直し遣りてもふたたをみたびを傾ぐはなの向きの
今しがた手向けられにしことと ぴんとひらけるゆりのはなに
 両親の墓参りに行った時の歌である。すぐに分かることだが統辞が異様である。一首目の「花の向き直し遣りてもふたたをみたびを傾ぐ」までは順当な接続だが、結句の「はなの向きの」が宙に浮く。助詞「の」は、「花の色」のように属格を表す用法と、「鐘の鳴る丘」のように「が」に代わって主語を表す用法があるので、結句は「はなの向きが」と取れば「傾ぐ」の主語と取れなくはない。しかしそれよりも「の」の解釈は属格と主語との間を限りなく揺曳するかのごとくである。二首目の「今しがた手向けられにしことと」も中途で切断されている。本来なら「ことと気づく / 思う」と続くはずである。このように多くの歌で倒置法が用いられていることに加えて、「の」終わりの歌が異様に多く、かつ述語が欠落している歌も少なくない。この特徴的な統辞が意味の決定を時に阻害もしくは遅延するため、一首は茫漠とした虚空を散る桜の花びらのように漂う印象がある。しかしそれが瑕疵かと言えばそのようなことはなく、これこそが本歌集の最大の魅力なのである。
 本歌集は『あのにむ』(2007年)、『さらしなふみ』(2010年)、『エーテル』(2012年)に続く川崎の第四歌集である。題名の『あんなろいど』は作者の名「あんな」と、「類似したもの」「まがいもの」を表すギリシア語源の接尾辞 -oid を合成したもの。android, humaoid, celluroid のように用いる。つまりは作者そのものではなく、作者の類似品ということである。本歌集もあとがきなし、作者のプロフィールなしの徹底した〈私〉の消去が貫かれている。
   『エーテル』について2012年に批評を書いたところ、ややあってご本人から簡潔なお礼の電子メールが届き、前後して美術本が送られてきた。彫刻の写真集である。これにより川崎あんなは彫刻家であることを知った。ただしこの写真集も解説なし、プロフィールなし。開いてみると石膏の塑像が多い。中にはポンペイの遺跡で見た人体像のような塑像あり、聖母マリアを思わせる像もあり、ジャコメッティのような細長い像もある。そのすべてが永遠に未完成の雰囲気を漂わせ、紺碧のエーゲ海の底から引き揚げられたかのような風情である。
 前回『エーテル』について書いたとき、「評価に迷う一冊である」という吉川宏志の書評に言及し、独特の言い差し感は平井弘に学んだものだろうと書いたが、浅薄な見方だったと思う。ここまで来ると誰かに学んだものではなく、川崎独自の生理に基づく語法なのだろう。そう思えるほど類例のない統辞である。いくつか引いてみよう。原文は旧仮名遣いで本字なのだが、パソコンの制約で新字にせざるをえず、大いに興趣を損ねるのだがご容赦いただきたい。
線香のけぶりながるるそのさまの 見るともなしに見てゐるものの
うつせみのひとは冠れる夏帽子、鍔はさえぎるふづきのひかり
ダイヴするひとは見えゐつ八月の昼をう゛いんせんととおます橋を
不思議といへばふしぎにて口にするやなぎはらみよこさんちのぷらむ
塩まみれとなりし超瓜しろうりの仕立てられむとしつゝ其のとき
昏睡のひとのかたはらをゐるのも二三分のこと。それよりはむしろ
 歌の意味内容が希薄であればあるほど表現部(シニフィアン)が前景化し、意味の錘から解き放たれた音と文字が定型の空間を漂うかのごとき印象がある。かと思えば現実と対応する歌もあり、三首目のヴィンセント・トーマス橋は2012年に映画監督のトニー・スコットが投身自殺した場所である。
まつぷたつにせかいはれて〈おやき〉からあふれた油炒め野沢菜の
せしうむのすとろんちうむのおびただしくふるなかをする湖畔のさんぽ
感覚にそらはめくられ 清浄の夜をふりしきる千の星々
 これは福島第一原発事故を詠んだ歌で、一首目の「おやき」は爆発した原子炉の喩だろう。集中で特に美しいのは次のような歌である。
パラソルはやゝかたぶけて立ちをりぬ復たあゆみ出でるまでのあはひ
サングラスしづかに措かれ いちはやく夕暗は来む黒いレンズに
渉りつゝ目にうつりをるぎんいろを川の小波とおもふまぼろし
樫の木と樫の木のあひだ翔びながら夕空にするそらのぶらんこ
絡まりてフェンスに咲ける昼顔の昼を見えないひかりのやうに
透明もて此のせろふぁんは隔てをる花束のうちと花束のそと
 これらの歌に共通するのは「非在に注ぐ眼差し」である。三首目の小波のまぼろし、四首目の空のぶらんこ、五首目の不可視の光のように咲く昼顔、六首目の透明セロファンなどはいずれも非存在の存在であり、このようなものが作者の心を捉えて離さないのである。自在な古語の使用もあいまって、古典和歌の世界にも通じるものがあると言えるだろう。

第138回 野口る理『しやりり』

薄氷に壊れる強さありにけり
          野口る理『しやりり』
 俳句は発見の文芸という一面を持っており、掲出句の魅力はひとえに発見の斬新さにある。冬の日、水溜まりか池の表面に薄氷が張っている。その厚さは実に薄く、表面の光の反射具合で水面ではなく氷が張っているのだと認識できる程度である。試しに木ぎれで表面をつつく。すると木ぎれはすっと水中に入るかと思えば、氷を割り、割れた氷は硬質の氷片となって散る。こんな薄い氷にも木ぎれの加える力に抗して割れるだけの強さがあったんだ、という発見である。ちなみに水溜まりの氷を木ぎれでつつくというのは、子供が冬の朝によくやる行為である。この無邪気さとまっすぐな好奇心が野口の俳句の魅力のひとつだろう。
 最近、若手俳人の活躍が目立つが、野口はその一翼を担う一人で、1986年生まれ。邑書林の俳句アンソロジー『俳コレ』に参加し、『しやりり』は第一句集。野口はプラトンを研究する哲学の徒で、修士論文の題目は「『パイドン』におけるミュートス - プラトン哲学の再考」だという。御大高橋睦郎が栞文を寄せている。句集題名は集中の「友の子に友の匂ひや梨しやりり」から。梨を齧る時の擬音語である。句集は編年体で編まれており、2003年から始まっているので、17歳の作である。あとがきによると、高校生の時に瀬戸内寂聴の文学塾に参加して初めて作った俳句を瀬戸内に褒められたが、「俳句なんてやめて小説を書きなさい」と言われたのに反発したのが俳句の道に入るきっかけだったという。「やめろ」と言った瀬戸内に感謝すべきかもしれない。
 さて、野口の俳句は王道を行く有季定型・旧仮名遣で、句風は清新な感受性を迸らせるなかにも、どこか留守番を命じられて無人の部屋で一人遊びしているような邪気のなさを感じさせるところがある。
 2003-2006の章より。
抱きしめるやうに泳ぐや夏の川
ひつじ雲もう許されてしまひけり
串を離れて焼き鳥の静かなり
遠くから見てゐるものに春の海
うららかにしづかに牛乳捨てにけり
バルコンにて虫の中身は黄色かな
海賊のやうにメロンをほほばれる
出航のやうに雪折匂ひけり
 韻律は悪いがおもしろいのは三句目で、串に刺されているときは並んで枝に止まる鳥のように見えても、串から外されると単なる鶏肉片に見えるということか。四句目は年齢を感じさせないほどの完成度で、栞文に高橋が書いているように「春の海」は動かない。六句目は野口の無邪気な好奇心を感じさせる句で、バルコニーに落ちていた虫の死骸を試しに踏んづけたら、にゅっと黄色い中身が出たのだろう。『俳コレ』の選を担当した関悦史が解説文に書いていた。いっしょに吟行に行った際にカマキリの卵を見つけ、野口が「これ潰したらどうなりますか」と聞いたので慌てて止めさせたという。最後の句は高柳克弘が特に好きと推した句。
 2007-2010の章より。
初雪やリボン逃げ出すかたちして
御影供や黄な粉は蜜に馴染み初む
茶筒の絵合はせてをりぬ夏休み
象死して秋たけなはとなりにけり
秋川や影の上には魚のゐて
襟巻となりて獣のまた集ふ
 一句目は自選十句にも入れているので自信作なのだろう。意味を問われると詰まってしまうが結像が美しい。二句目の御影供みえいくは弘法大師の忌日である3月21日に大師の図像を飾って行う供養で春の季語。茶店で食べた菓子にかかっている黄粉と黒蜜である。粉体である黄粉は粘りけのある黒蜜と最初は混じらないが、時間が経過するとやがて黒蜜と混じり合う。微細な変化と時間の経過が詠まれている。三句目が冒頭に書いた無人の家で一人遊びしているような空気の句で、特に意味のないところが好きな句である。四句目、確かに動物園の人気者である象が死ぬのは秋がふさわしい。五句目、ほんとうは水中に魚がいるから水底に影ができるのだが、その順序関係を逆転することによって知覚主体の発見が表現されている。
 2011-2013の章より。
吾のせゐにされたし夏のかなしみは
ふれずとも気配ありけり種袋
霧吹きの霧となるべし春の水
はつなつのめがねはわたくしがはづす
己身より小さき店に鯨売られ
一指にて足る六花殺むるは
 野口も年頃となりこの頃恋人ができたらしい。それまでの句のほとんどは事物の句であったが、このあたりから人が登場する。一句目の悲しみを抱いているのはもちろん私ではない。四句目の眼鏡も自分の眼鏡ではなかろう。微妙にエロティックな句である。五句目の「己身」は「おのがみ」と読むのかと思ったら、「こしん」という読みがあるらしい。「鯨」は「げい」と読みたい。小さな魚屋で鯨肉が売られている情景だが、自分の体より小さな店というところにおかしみがある。おかしみは俳句の大切な要素である。六句目の「六花」は雪の結晶のこと。ポイントは「殺むる」にある。ちなみに北海道にある六花亭のマルセイバターサンドは美味しい。
 野口は神野紗希・江渡華子と三人でスピカというグループを結成して活動している。栞文で高橋が書いていた鈴木真砂女のお店をときどき手伝っているという俳句三人娘というのはこの三人のことだろう。『しやりり』をスピカのオンラインショップで購入すると野口ま綾 (姉と思われる)の特製ポストカードがおまけで付き、句集には野口の揮毫が入るのだそうだ。しまった。私はふらんす堂で買ってしまったので何も付いてこなかった。スピカのサイトで買えばよかった。

第137回 小高賢追悼

ポール・ニザンなんて言うから笑われる娘のペデイキュアはしろがねの星
                      小高賢『本所両国』
 小高賢が2月11日に亡くなった。小高は1944年生まれなので享年69歳になる。毎年「短歌研究」の12月号は巻頭で一年を回顧し、鬼籍に入った歌人を掲載しているが、今年の年末の号には小高の名も載るのだろう。
 小高の短歌についてはすでに書いたことがあり、それ以上付け加えることはないのだが、訃報に接して今回取りあげることにしたのは、その少し前に「短歌研究」2月号に掲載された川野里子の「時間について」という読み応えのある短歌時評を読んでいて、少しく思うところがあったからである。
 川野は角川「短歌年鑑」26年版の座談会「秀歌とは何か」で、参加者の岡井隆、米川千嘉子、永井祐があげた秀歌の条件から筆を起こす。岡井のあげる「展開するイメージ (視覚的なるもの)の美」「一首の韻と律のこころよさ」や、米川の「くきやかな韻律・文体の味わいが渾然となって、豊かに感情や認識が表現されている」といった条件は、微妙な差を除けば地続きと感じられるのにたいして、永井のあげた「面白い」「すごい」「見たことない」と前二者のあいだはふっつりと切れたところがあるとする。永井のあげた条件から公約数を取るとそれは「驚き」であり瞬間的なものである。このように「時間」ではなく「瞬間」に重心が移っていることがふっつりと切れた印象の原因だという。川野はそこから論を広げて、私たちの生活から「時間」という要素が希薄になってきていて、私たちは過去から未来へと向かう「時間」を失いつつ生きているのであり、永井はそうした時代の空気の体現者のイメージがあるとする。さらに川野は過去から未来へと向かう時間軸を夢想するのは共同体であり、今時間が失われつつあるとすれば、それは共同体そのものがなくなっているか、あるいは大幅な再編期を迎えているからだと鋭く指摘している。 
 小高に話を戻すと、小高の歌人としての履歴はいささか変わっている。講談社の編集者として馬場あき子と知り合い、「あなたも短歌を作りなさいよ」と言われて「かりん」創刊に参加したのが1978年、小高34歳の年である。この事実はふたつのことを意味する。ひとつは小高が青春の陶酔に基づく短歌を経験していないということである。短歌と青春は相性が良い。しかし小高が作歌を始めたのはすでに分別のつく大人になってからである。だから第一歌集『耳の伝説』(1984年)刊行時において、小高の歌はすでに大人の歌であった。
いつか超ゆる壁とおもいき幅ひろき父の背中を洗いしときは 
                        『耳の伝説』
的大き兄のミットに投げこみし健康印の軟球ボールはいずこ
壮年の本郷菊坂炭団坂夏に埋めおくことばさがせり
 もうひとつは小高が前衛短歌の毒を浴びていないということである。前衛短歌の時代は昭和20年代末から30年代であり、小高の歌人としての出発はずっと後なので、小高は前衛短歌の衝撃をリアルタイムで体験していない。これが何を意味するか。
 三枝昴之は『岩波現代短歌辞典』の「近代短歌と現代短歌」の項で、近代短歌と現代短歌を分かつ時代的境界線をどこに引くかについて、3つの説を紹介している。前川佐美雄の『植物祭』に現代短歌の起点を見る島津忠夫は昭和5年、合同歌集『新風十人』が前衛短歌技法の出発点だとする菱川善夫は昭和15年、前衛短歌こそが現代短歌の幕開けだとする篠弘は昭和20年代末に境界線を引く。しかしいずれの説も前衛短歌の表現の革新と私性の更新に近代と現代を分かつ道標を見ている。しかし後段になって三枝は短歌百年のマクロな視点に立って、近代短歌と現代短歌の区別を相対化する。このような視座から改めて眺めれば、小高の短歌には表現技法の革新と私性の更新という側面は極めて薄く、現代短歌というよりは近代短歌の名がふさわしいのである。
 また本名鷲尾賢也としての編集者の経歴も看過できない。政治学者丸山真男に私淑し、思想的には左寄りのリベラルであった小高はまぎれもない近代主義者であった。ここで言う近代主義とは、過去の反省と批判を基盤として、民主主義的な市民社会の成熟と自由の保証に価値を置く態度を言う。
〈英雄でわれらなきゆえ〉朝ごとのひげそりあとの痛き「エロイカ」
                           『家長』
 この歌の底に流れているのは英雄になれない自分への慨嘆ではない。小高が信じた戦後民主主義とは、そもそも英雄を生まない社会システムだからである。
 ぐるっと回って冒頭に触れた座談会「秀歌とは何か」に戻ると、岡井・米川と永井の立場がふっつりと切れているように見えるのは、手短に言えば前二者が近代短歌の文脈に位置しているのにたいして、永井はピカピカの現代短歌派だということに尽きる。両者を分かつのは、三枝が重視した表現の革新と私性の更新というよりも、川野が指摘した「時間」かそれとも「瞬間」かという時間意識のちがいであろう。最近、陸続と若手歌人の歌集が刊行されているが、そのいずれを繙いてみても、小高の短歌に見られるような重く沈潜する時間を見いだすことはできない。近代は遠景へと遠ざかり、「時間」は死につつあるのだ。
 小高は在職中に講談社現代新書や選書メチエの編集に携わっている。私の書斎にもどちらもたくさん並んでいるが、小高が編集した本はないかと探してみたら見つかった。鈴木晶『グリム童話』(1991)のあとがきに、「講談社の鷲尾賢也氏に心から感謝の意を表したい。氏の『愛の鞭』がなかったら、本書はできあがらなかった」と記されていた。改めて冥福を祈りたい。


【追記】  2月19日の朝日新聞朝刊に「名編集者 早すぎる別れ」と題して鷲尾賢也の逝去を悼む記事が掲載された (執筆は朝日新聞編集委員の吉村千彰)。鷲尾は講談社の名物編集者として知られていたという。「僕は講談社の中で岩波書店をやってるんだ」という鷲尾の言葉が紹介されていて、なるほどと得心した。選書メチエを立ち上げた鷲尾にしてみれば、新書がどんどん学術から実用へと流れて行くことに危惧を感じていたのだろう。14日に執り行われた葬儀で文芸評論家の加藤典洋が「もう、褒めてもらえず、ここはダメだよとも言ってもらえない」と声を詰まらせたという。作家の信頼篤い編集者だったことがわかる。このコラムには編集者の鷲尾賢也が歌人の小高賢であったことは触れられていない。(2月19日追記)

第136回 澤村斉美『galley』

冬鳥の過ぎりし窓のひとところ皿一枚ほど暮れのこりたり
              澤村斉美『ガレー galley』
 「黙秘の庭」で2006年に角川短歌賞を受賞し、第一歌集『夏鴉』で現代歌人集会賞、現代短歌新人賞を受賞した澤村の第二歌集である。題名の「ガレー」は、古代西洋の手漕ぎ軍船「ガレー船」を意味すると同時に、活版印刷時代から用いられている「ゲラ刷り」をも指す。両者の関係は詳らかにしないが、活字を組んだ組版を入れておく箱をもともとgalleyと呼んだらしく、澤村はそこから想像の翼を羽ばたかせ、ゲラ箱に並ぶ活字の群れと軍船を漕ぐ漕ぎ手を結びつけている。新聞社の校閲部に勤務する作者にとってゲラは日常馴染み深い物であり、ゲラ箱に並ぶひとつひとつの活字が、群衆の中の一人一人の人に見えるのだろう。ここには作者の世界観が如実に表れている。それは自分を選ばれた特別な人間と見なすのではなく、通勤電車に揺られる勤労者群衆の一人にすぎないとする見方である。
 第一歌集『夏鴉』の評において、澤村は近景 (=私)と遠景 (=世界)の中間に属する中景すなわち家族・職場・友人・同僚などが構成する「世間」をていねいに詠んでいると書いたが、その印象は第二歌集においても変わらない。「地味に生きている」自分の日常を淡々と歌にしている。いささか淡々としすぎるほどだと言ってよい。
 一巻を通読して読みとることができたテーマは「時の移ろい」で、目についたキーワードは「窓」である。作者は大学を卒業し、新聞社に就職して結婚するという人生の節目を通過したわけだが、そのような節目が殊更に歌に起こされているわけではない。ここで「時の移ろい」というのは、何気ない日常における時間の経過をいう。たとえば次のような歌にそれを感じることができるだろう。
月、火と雨が降りをり水曜はしづくのひかるゑのころを思ふ
思ひがけず車内を照らす月のひかりけふの仕事も過去になりゆく
すりがらすを薄く光が満たしたり朝は無人の職場の扉
一夏を立ち尽くしたる蓮の茎は骨折するもたふれきらざる
朝の窓に白く前向く鳥居あり夫はいつしか見なくなりたり
テーブルに置き手紙増ゆ味噌汁のこと客のこと電池なきこと
 一首目では一昨日、昨日と二日続いて雨が降り、今日は降らないという天気の変化が詠まれているが、それ自体は取り立てて言うほどの大事ではない。ここでのポイントはそのような時の移ろいを感じている〈私〉であり、それが下句に表されている。二首目、深夜帰宅するタクシーの中だろうか。今日の仕事が過去になったとは、おそらく深夜を挟んで日付が変わったということか。ここにも時の移ろいが刻印されている。三首目、新聞社では朝刊を作る深夜が最も忙しい時間帯で、早朝は無人なのである。四首目は敗荷を詠んだ歌で、敗荷は秋の季語である。作者が暮らすアパートの前には神社の鳥居があるらしく、いくつか関連する歌があるが、その鳥居をよく見ていた夫はいつしか見なくなったという変化が詠まれている。五首目、共働きの夫婦の間では置き手紙が増えるという歌。
 どの歌を見てもそこに表れる時の移ろいは日常のものであり、決して大きな変化ではない。ふつうならば気づかず通り過ぎるような移ろいである。だから一首だけ取り出して見ると、なぜこんなことを歌に詠むのかといぶかしむ気持ちすら湧いて来る。しかし歌集一巻を通読すると、作者が歌で表現したかったのは、このような淡々とした時を生きている〈私〉なのかなと思えるのである。
 澤村の歌には窓がよく登場する。仕事場の窓、自宅アパートの窓、それから電車の窓である。
ハンガーにカーディガン揺れ夏の窓はおとろへてゆくばかりの光
窓に立ちて外をながめる心などを思へり廊下のつきあたりの窓に
窓の外に白い袋が浮いてをり部長の頭ごしに見るそのふくろ
踏切を過ぎてゆく窓、くもり窓 かほの並んでゐる窓もある
天象をかかはりのなきものとしていとほしむなり十一階の窓に
 記者ならば外出も多いだろうが、校閲部に所属する作者はずっとデスクでひたすら文字を読むのが仕事である。当然ながら外界とのつながりは窓を通して外を見るということになる。そういう職場の事情もあろうが、どうもそれだけではないような気もする。澤村の歌の特徴のひとつにアイテムの象徴化の不在がある。歌に詠まれている事物に象徴的な意味が付与されていることはほとんどない。しかし窓だけは作者にとって、外界との通路、ひいては人と人の交通の象徴としての意味があるのではないかと思う。
 読んでいておもしろく感じたのは、校正という仕事に関する歌である。
遺は死より若干の人らしさありといふ意見がありて「遺体」と記す
「被爆」と「被ばく」使ひ分けつつ読みすすむ広島支局の同期の記事を
人を刺したカッターナイフを略すとき「カッター」か「ナイフ」か迷ふ
七行で済みし訃報の上の方、五十行を超えて伝へきれぬ死あり
 「遺体」と書くか「死体」と書くかで迷っているのが一首目で、二首目は「被爆」と「被曝」の使い分けである。「曝」は常用漢字にないので平仮名で記されている。「被爆」とは原水爆や放射能の被害を受けることを、「被曝」は放射能にさらされることを言う。私も校正で山ほど訂正された経験があるが、新聞社や大きな出版社の校閲部はどんな小さな誤字・誤用でも見逃さない。
 近代短歌では仕事の歌が多く詠まれたが、現代短歌ではずいぶん減っている。それは現代短歌の社会性の喪失過程とおそらく平行した現象だろう。短歌はどんどん私的になったのである。歌集を読んでもどんな仕事をしている人かまったくわからないことが多い。『ガレー galley』には職場詠と仕事の歌がかなり見られ、それは澤村と同年代の若手歌人には見られないことである。それはよいのだが、ほとんどすべてが日々の折々の歌で占められており、もう少し主題性のある歌に挑戦してもよいのではないかとも感じる。
 最後に私的な感慨で恐縮だが、次の歌に思わず目を止めた。
師匠島崎健 弔ふと出町柳「あじろ」にて夜を更かしをり夫は
「けふの講義、不調だった」と落ちこめる島崎健とあじろの夕日
 島崎健は私の同僚の国文学者で、研究室も目と鼻の先にあった。体を壊して定年退職の一年前に辞職し、その後一年くらい経った頃に訃報が届いて驚いた。島崎の講義には熱心なファンがついていたという話を後ほど耳にした。澤村の夫君は島崎さんの教え子だったのか。冥福を祈る。

第135回 本多稜『惑』

シメコロシノキに覆はれて死んでゆく木の僅かなる樹皮に触れたり
                       本多稜『惑』
 短歌人会所属の本多稜の第四歌集である。本多は1967年生まれ。『蒼の重力』(2003年 現代歌人協会賞)、『游子』(2008年 寺山修司短歌賞)、『こどもたんか』(2012年)がある。『惑』は編年体で、2007年に始まり、2011年までに作られた短歌を収録している。あとがき・跋文・栞文など一切なし。私が惹かれたのは表紙で、古萩茶碗の銘「蒼露」の貫乳がカバー一杯に写されている。箱書きは「朝まだきいそぎ折つる花なれど我より先に露ぞおきける 其心庵」とある。其心庵とは茶道遠州流11代目の小堀宗明。歌集題名の「惑」は不惑から「不」の字を削り、まだまだ不惑の境地には達していないという意味かと思われる。
 一読してまず驚いたのは収録歌の数だ。1ページに5首印刷で281頁ある。目次や中扉や余白、それに長歌など形式の異なる歌の分を差し引いて、少なめに200頁と見積もっても1,000首である。これだけの量の言葉を生み出す膂力に圧倒される。
 本多は外資系の金融関係の会社に勤務し、世界中を飛び回って金融ビジネスの第一線で働いている。グローバル化し国境という概念が溶解しつつある現代世界の最前線を生きているような人である。そういう現実まみれの世界に生きている人と短歌という伝統詩型の結び付きは珍しい。おまけに本多は忙しい日々の間を縫うようにして、世界中の山に登り海に潜るという行動の人でもある。また家に帰れば三人の子供を持つ子煩悩な家庭人である。短歌には文弱の徒というイメージがあり、また短歌・俳句などの短詩型文学には不幸の影も付きまとうのだが、その一切がない短歌というのは極めて珍しい。
 『蒼の重力』の評にも書いたことだが、もともと短歌人会には男歌の系譜があり、本多はその系譜に連なる歌人である。最近の短歌シーンでは大学の短歌会所属歌人が各賞を受賞し、若手歌人の歌集も陸続と出版されているが、その歌風の主流はおおむね女性的か中性的であり、血と汗が飛び散るような男歌は皆無に近い。そもそも身熱を感じさせる歌が少ない。宗教学者の山折哲雄が『「歌」の精神史』で嘆いたとおりである。そんななかで骨太の男歌を作り続ける本多は貴重な存在と言えるだろう。
 いくつか歌を引いてみよう。
水の音は涼し煙の沁みわたり身ぬち微かに泡立つ水煙草シーシャ
山海関はたより見ればタンカーを連ね伸びゆく長城があり
中央駅グラセンまで送つてもらふ「この次に飲むのは多分金融街シティーですかね」
山をなすハイビスカスの花の下山羊の血の川流れてゐたり
アララトに頭預けて昼寝せむ脚は大草原へ投げ出し
羅漢果のお茶の甘さにチワン族の歌への期待ふくらむばかり
水平線ひろがりをれど波はなしラプラタこれも河なると知る
雲裂けて大運河カナル・グランデの灰色にラピスラズリの青み差したり
鮮やかにいのちみつしり珊瑚礁勝ち抜きて勝ち残りてかがやくものら
風そよぐ草原に足踏み入るるごとくソグドの文字を目に追ふ
 一首目は現在のチュニジアにあるカルタゴを訪れた折りの歌で、二首目は中国の杭州、三首目はニューヨーク、四首目はインドのコルカタ、五首目はトルコのアララト山、六首 目は中国の少数民族壮族の歌海という催しを見に行った折りの歌、七首目は南米、八首目はヴェネチア、九首目はマレーシアのコナキタバルの海、十首目は中央アジアのサマルカンド。読み進むうちにまるで世界一周秘境ツアーに紛れ込んだような気になり、頭がくらくらするほどである。これほどの行動力と体力がいったいどこから生まれるのか、絵に描いたような文弱の徒である私には謎である。
 集中の圧巻はボルネオ島のムル山の登頂だろう。一帯はグヌン・ムルとして世界遺産にも登録されており、山頂の海抜は2,377mという。4日間の登頂の過程を21頁にわたって詠んだ長大な連作である。
リュックの奥に腕時計しまひムル山とわれの時間を合はせて歩く
振り下ろすナタの角度の冴え冴えとわが行く道を新たに伸ばす
ムル山に容れともらへど雨ふればたちまち泥の川となる道
腹に脚にヒルの総攻撃を受け森を抜けんとする風われは
宙の午後。この世に音のあることを時折鳥が教へてくれる
生乾きのシャツに沁みたる火の匂ひ 今日この山と決着を付けむ
ボルネオの空の高みに入りゆくカエルの声に包まれながら
ムル山頂。腹の底より叫びたれば天涯にわがこゑの泡立つ
   熱帯の密林の中をナタで植物を払って進み、スコールに見舞われれば登山道は泥の川となるという困難な登山で、読んでいて筋肉の軋みが聞こえて来るようだ。私が不思議に思うのは、本多はこの歌をいつ作ったのだろうかということである。登山の経路に従って展開する連作は具体性と体感に満ちている。夜にテントの中でアルコールランプの光でこれだけの分量の歌を作るのは体力的に難しいだろう。しかし、帰国して書斎の机で作ったにしては記憶が鮮明で描写が具体的なのである。
 『蒼の重力』の栞文で小池光が、「この歌集には折々の歌というものがない」と書いていた。折々の歌というのは日々の生活で何かに触れて、ふと心をよぎったことを詠む歌である。折々の歌がないということは、裏返せばすべてが主題を持つ歌だということだ。折しも『短歌研究』の昨年12月号の短歌展望で、佐佐木幸綱が「主題を持つことの重要性」を説き、今は主題を持ちにくい時代になっていると指摘している。主題を持って詠う歌人が少なくなったという。もしそうだとするならば、本多のようにほぼすべてが主題を持つ歌という歌人は貴重な存在と言えるだろう。
 もうひとつ本多の歌を読んでいて気づくのは、ほとんどの歌が〈今・ここ〉に視点を置いた歌だという点である。上に引いたグヌン・ムル登頂連作をもう一度読み返してみればよい。短歌の〈私〉と〈今・ここ〉とが隙間なく密着していて、両者の間にずれがない。これは本多が思弁の人ではなく行動の人であることの自然な帰結なのだ。〈私〉と〈今・ここ〉の間にずれがある歌というのはたとえば次のような歌をいう。
古りにたるわが身にも迫りやまぬかな闇つたふ梔子の花のかをりは 
                         木俣修
 直接的に詠まれているのは夜に漂う梔子の香りで、これは確かに〈今・ここ〉に存在するのだが、作者が見ているのは実はそれではない。作者の視線の先にあるのは自らの老いであり、今までの人生の来し方である。本多の歌にこのような造りのものがないのは上に述べた理由による。しかし逆に言えば〈私〉と〈今・ここ〉とが隙間なく密着しているということは、作風がワンパターンで単調になる弊害を招くのも事実である。このことを意識してか、集中には日本語の短歌と漢詩とハングルの歌が並んでいる連作がある。ハングルは読めないし漢詩にも不案内なので、三者の関係がよくわからないが、表現の幅を広げるための実験と思われる。〈私〉と〈今・ここ〉との距たりは時に歌に奥行きを与える。本多の課題は案外このあたりにあるのかもしれない。