第94回 吉岡生夫『草食獣 第七篇』

海苔フィルム外して巻いてゆくときのさみしきさみしき音を聞かしむ
                   吉岡生夫『草食獣 第七篇』
 掲出歌は言うまでもなくコンビニのおにぎりを食す時の風景である。豊葦原瑞穂の国では、いつの間にかおにぎりはコンビニで買うものになり、湿気防止フィルムのおかげで海苔はいつでも癪に障るほどパリパリだ。歌はそのフィルムを外す時の音が寂しいという。コンビニおりぎりを食べている自分が寂しいのではなく、こんな姿になったおにぎりが寂しいと取るべきだろう。ふつうは気がつかないほどの微かな音を歌に拾い上げる手つきは歌人吉岡の真骨頂と言える。
 吉岡の歌人としての特異性は歌集題名によく現れている。第一歌集『草食獣』、第二歌集『続・草食獣』、第三歌集『勇怯篇 草食獣・そのIII』、第四歌集『草食獣 第四篇』、第五歌集『草食獣・第五篇』、第六歌集『草食獣 隠棲篇』、そして昨年暮れに出た第七歌集『草食獣 第七篇』である。そもそも歌人は歌集の題名に工夫を凝らすもので、吉岡のように多少のヴァリエーションはあるものの、「草食獣」一本で通すのは珍しい。第六歌集のあとがきによれば、吉岡に團伊玖磨の「パイプのけむり」を教えたのは故・永井陽子だったという。「パイプのけむり」は團が「アサヒグラフ」に長年連載していたコラムである。単行本にまとめるとき、題名は「続パイプのけむり」次は「続々」次は「又」「又々」と延々と続いてゆく。これだと理論的にはいくらでも続けることができる。最後は『さよならパイブのけむり』でオチが着く。
 この題名の付け方は、一貫してひとつのことを追求する吉岡の姿勢をよく表している。折に触れて作った短歌がある程度集まったので、ここらで何か題名を付けて歌集を編もうかという歌人の態度とは根本的にちがうのだ。草食獣という題名が吉岡自身の発案ではなく、短歌人会先輩の小池光の命名だったことは以前のコラムに書いた。密かに肉食獣への変身を夢見ていた若き吉岡にはショックだったという。これも第六歌集のあとがきによると、分岐点は第三歌集だったとある。それまでは吉岡も変身を希求して足掻いていたわけだ。このあたりで自分にはもうこの道を突き進むしかないと覚悟を決めたのだろう。
 吉岡が腹をくくってから一貫して追及しているのは、〈雅〉を中心として展開してきた和歌・短歌から〈俗〉を回収するという作業である。このことは第三歌集から急に増加する次のような味わいの歌に見てとることができよう。
さてもをどりの名手といはむ鉄板のお好み焼きにふる花がつを
                 『勇怯篇 草食獣・そのIII』
新聞をひろげる視野のかたすみにまた組み変へるOLの脚
負けてこそヒーローならむふりかぶるときの江川の耳はピクルス
 お好み焼きの上で踊る花鰹、ミニスカートのOLの脚、野球選手の大きな耳などは、和歌の伝統的主題である花鳥風月からほど遠いのみならず、〈私〉の歌として自己確立した近代短歌が取り上げる主題の枠外にある。吉岡は和歌・短歌が意図的に見まいとした日常の卑近な些事を掬い上げ、若干のユーモアと苦みをまぶして短歌定型の歌に仕立てるのである。もちろん「世界への鋭い観察による本質の発見」(セレクション歌人『吉岡生夫集』の藤原龍一郎による解説)がこの作業の根底にあることは言うまでもない。
 『草食獣 第七篇』においてもこの姿勢は一貫して保持されている。
アルミ貨に黄銅貨まじり青銅貨ちらばる地蔵尊のあしもと
をとこらの専用車両あらばこそころやすかれあしたゆふべに
男にうまれてきたるかなしみはヘア・トニックをふる髪のなさ
舌圧子もちひて医師がのぞきこむをみなののどにあるのどちんこ
レシートをまず置き釣りを落としたり不可触賤民の手に返すごと
回転の寿司こそよけれ軍艦もイクラをのせてイラクへいかず
 地蔵に祈りを捧げる人たちも賽銭はけちって小銭ばかりを置くという観察が一首目のポイント。この歌のすべては一円玉・五円玉・十円玉と言わなかった所にある。二首目は鉄道の女性専用車両を中年男の目から見た歌で解説は不要だろう。三首目には「男にうまれてきたるよろこびはヘア・トニックを髪にふるとき」という『勇怯篇 草食獣・そのIII』の歌が詞書のように添えられていて、対をなしている。言うまでもなくこの二首の歌が作られた間に多量の毛髪が失われたのである。四首目のおもしろさはもちろん女性と口蓋垂の俗称の取り合わせにある。五首目は店員が客にお釣りを戻すときの手つきを詠ったもの。客の手のひらにレシートを置いてから、その上にお釣りを置くことで、店員の手と客の手が直接接触することを避けるのである。吉岡はすぐ次に「薬剤師なれば白衣に身を包む清潔症候群のへたれが」という歌を置いているので、店員の態度を不潔恐怖症によるものと解釈したのだろう。「へたれ」は関西方言で「弱虫、軟弱者」のこと。ちなみに最近、店によっては不快に感じる客に配慮して店員にそのように指導していると聞いたことがあるので、くだんの店員はへたれではなかったかもしれない。五首目は回転寿司の軍艦巻きを詠ったものでこれも解説は要るまい。
 〈雅〉の世界を離れて〈俗〉の復権を計る吉岡の歩みは、必然的に狂歌へと接近する。本書のあとがきでも吉岡は、狂歌を「和歌が否定した世界、書き継がれることのなかった幻の短歌史」と規定している。その成果はすでに大部の『狂歌逍遙 第1巻狂歌大観を読む』(星雲社 2010年)として結実している。いくつか拾ってみよう。
さりとてはけふまたしちにやれ蚊帳酒にそ我はくらはれにける  暁月坊
鹿の毛は筆になりても苦はやますつゐにれうしのうへてはてけり
                             雄長老
 吉岡のめざす短歌の世界と狂歌の親和性は明らかである。
 吉岡の短歌における〈俗〉の復権という目標に、近年新たな射程が加わったようだ。そのことは『草食獣 第七篇』巻末に付された「文語体と口語体」という文章にもはっきりと書かれており、本書の謹呈栞の次の文言にも現れている。原文では / で改行されている。
 「万葉集を愛すると歌人はいう / 古今和歌集を愛すると歌人はいう/ それは / 能楽師や狂言役者ではないが / 古代語で今を詠えということなのか / 憶良や家持、紀貫之がそうしたように / 今の言葉と向かい合えということではないのか / 高齢化する歌人と / 今年も歌を作ってくれたジュニア世代 / 現実は / そこに架けなければならない / あ / 虹が出ている」
 このように「歌のスタンダードは口語体なのだ」と宣言して、吉岡は「短歌人」の平成22年7月号から現代仮名遣いに移行し、次いで文語体と決別したようだ。私は「短歌人」を講読しておらず、また吉岡のホームページにも近作は紹介されていないので、口語体でどのような歌を作っているのかまだ知らない。いずれにせよ草食獣の短歌世界に新たな展開が生じたようで、その成果を楽しみに待つとしよう。
 最後に私が吉岡の屈指の名歌と思う一首をあげておこう。
サブマリン山田久志のあふぎみる球のゆくへも大阪の空
                『勇怯篇 草食獣・そのIII』

第93回 『俳コレ Part2』

指を嗅ぐ少年蝶を放ちしか
             谷口智行
 『塔』2月号に松村正直さんが銀月アパートメントのことを書いていて驚いた。私のいつもの散歩コースにあり、春には庭に一本だけ立つ枝垂れ桜を見るのを楽しみにしている場所だ。京都市左京区の疎水のほとりにある古びた木造アパートだが、建築当時のハイカラな西洋風の意匠が施してあり、年月の経過も加わって独特の味わいがある。映画「デスノート」や「鴨川ホルモー」の撮影に使われたというのもうなずける。松村によると、このアパートはマンガの世界における「トキワ荘」のようなものだったらしい。昭和21年に創刊され、後の「塔」「未来」の母体にもなった先鋭的な同人誌「ぎしぎし」のメンバーが住んでいて、活動の場所にもなっていたという。散歩でいつも立ち寄る古びたアパートが、こんなに現代短歌と深く関わっていたとは知らなかった。まことにこの世界はワンダーに満ちている。
     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆
 前回に続いて俳句アンソロジー『俳コレ』後半を読む。岡野泰輔おかの たいすけは1945年生まれで「船団の会」所属。撰は鳥居真里子。
ピアニスト首深く曲げ静かなふきあげ
宇宙船錆びるともなく浮くともなく
その夏のダリアの前に父がいる
目の前の水着は水を脱ぐところ
蒸鰈国家傾いたりもして
 この手の句は手強い。座談会で岸本尚毅が「いわば大リーグボール3号俳句ですね。わかる人にはわかるという句です」と発言しているのが、そのあたりを語っているのだろう。こういう句は虚心に読むに限る。一句目の「静かなふきあげ」はピアニストの指から湧き上がる音楽と読めば美しい。二句目はナウシカあたりの未来世界で放置された宇宙船を思い浮かべればよく、錆びもせず浮上もしない宇宙船にうっすら悲しみが漂う。三句目、その夏に何があったかは語られないが何かドラマがあったのだろう。総じて箴言と洒脱の句風と思われる。「世界のスキマに名前をつける」と語る信条がその句風を表している。
 山下つばさは1977年生まれ、「街」「海程」所属。撰は島田牙城。
お彼岸の鋏に映る足の裏
絹さやを包むグラビアアイドルで
空蝉の踏まれずにある池袋
非常口開け鬼灯を揺らしけり
虫の声絶頂鉄の匂ふとき
 ひとつ前の岡野が「理知の句」であるのに対して、山下は読者の感覚を鋭く刺激する句が多い。たとえば一句目は鋏の反射である。鋏に足の裏が映る状況と言えば、畳の上に裁ち鋏が置かれていて、その上を人が跨いで通るといった状況が考えられる。足は裸足にちがいない。ここには視覚に訴える鋏の反射と、触覚を刺激する足の裏がある。また五句目では聴覚と嗅覚が組み合わされている。鉄の匂いは幻臭かとも思うが、生命の横溢と死の隣り合わせを描いて間然とするところがない。写実を基盤としつつも情感を漂わせる句風である。
 岡村智昭おかむら ともあきは1973年生まれで、「豈」「狼」「蛮」所属。撰は湊圭史。
れんこんのなおも企む日暮かな
夏蝶に咎ありコインランドリー
きさらぎがこわい牛乳瓶の立つ
崇徳院詣でのカラスアゲハかな
川光る天動説は母のもの
 これまた「わかる人にはわかる」系の句である。岡村は影響を受けた人に摂津幸彦を挙げているが、幸彦の華麗な言語世界ともまた異なる作風だ。写実からは遠く言葉をぶっきらぼうに投げ出すような詠み方である。句の意味は徹底的に脱臼されているので、言葉の意外な組み合わせに身を委ねて読むしかない。それをどこまで楽しめるかだろう。座談会で関悦史が「現代川柳っぽい書き方だ」と発言してなるほどと思った。
 次の小林千史こばやし ちふみは1959年生まれで「翔臨」所属。撰は山西雅子。
指させばその指よりの霧まみれ
猪垣に加へられたり割れ鏡
仔を呼べるとき白鳥の白極む
逝きて夏帽にいびつなるへこみ
群衆のひとりの指の春の雪
 好きな句が多く丸がいくつも付いた。目で見た光景にズームをかけて細部の一点へと絞り込む句が注目される。たとえば一句目、あたり一面の濃い霧の光景だが、その霧の深さが一本の指に集約されているところが巧みである。また二句目、「猪垣」は畑を荒らすイノシシを防ぐ柵で、そこに割れた鏡の欠片が加えられているという光景。鏡のキラリと光る反射という一点に視線が集中する。四句目の帽子のへこみにも同じことが言える。俳句はこのように「世界のスキマ」的なものに着目し、それに的確な言語表現を与えたときに、最も飛翔力のある詩的昇華が実現される。
 渋川京子は1934年生まれ、「頂点」「面」「明」所属。1997年に現代俳句協会新人賞、2011年に現代俳句協会賞を受賞している。撰は小川楓子。
夏夕べ鏡みずから漆黒に
夜が二つ出逢へり朱欒手にのせて
捨て頃の街なり日傘よく回る
この街に生まれたるごと水を打つ
麦の秋人体ただしく焼かれけり
 座談会で池田澄子が、「この人はこう書かずにはいられない人なんですね」と言い、岸本尚毅が「言葉だけで走らせることはなくて、責任を持って句の行方を見届けようとする」と述べている。叙景だけでなくその中に境涯を差し入れる句風か。たとえば三句目、「捨て頃の街」がおもしろく、「この街もそろそろ捨て頃か」と感じている。四句目、それに続くようにこの街で生まれた者ではない違和感が表現されている。五句目の「ただしく」にも驚く。「二人の自分がいて、片方の自分が後ろめたさを持ち続けることが、一句を成立させている」と作者自身が語っている。自分を見つめるもう一人の自分が意識されているところから、このように陰影に富む句が生まれてくるのだろう。味わいの深い句が多い。
 阪西敦子は1977年生まれ。「ホトトギス」同人。2010年に日本伝統俳句協会新人賞を受賞している。撰は村上鞆彦。
早春やカルボナーラを巻き上げて
あじさゐの方へ逸れゆく話かな
引越の捨て荷の中の金魚鉢
松分けて来たる光は秋の海
呼びもせぬエレベーター来神の留守
 若い作者らしく明るくのびやかな句が多い。たとえば一句目、カルボナーラはベーコンと卵で作るパスタだが、ア音の連続が明るい印象を与えて早春にふさわしいと納得させられる。思わず菜の花を皿に添えたくなる。四句目は座談会でみんなが採った句。「松分けて」が動きを感じさせる。五句目もおもしろい。呼んでいないのにエレベーターが来て止まり、目の前で扉が開く。そういうことはある。「神の留守」は神の計画に沿って正しく動いているはずのこの世界に、ふっと生じた偶然という隙間をさしている。座談会では関悦史が「本人は全部由緒正しい俳句だと思って作っている可能性が高いんですけど」と発言している。ということはあまり伝統的な俳句ではないのだろうか。
 津久井健之つくい たけゆきは1978年生まれ。「貂」同人。撰は櫂未知子。
ものの芽と安全ピンの光り合ふ
隕石の落ちてにぎはふ春野かな
うすき虹ひびかせてゐる音叉かな
紙くづのきらきらするや夏休み
休講と知りてぎんなん匂ひだす
 撰者の櫂未知子は、詩を日常に見いだす人と非日常に見いだす人がいるが、津久井は前者だと述べている。本人は「あっさりした素朴な句を作りたい」と言う。どれも淡々とした描写のなかに巧みにポイントが配されている。エピファニー(公現祭)に食べる王様のガレットに忍ばせてある空豆のようだ。一句目の安全ピン、三句目の音叉、四句目の紙くずの折り目、五句目の銀杏がそれに当たる。これらのポイントを核としてひとつの世界を立ち上げる手つきに揺るぎがない。
 望月周もちづき しゅうは1965年生まれ。「百鳥」所属。2010年に角川俳句賞を受賞。撰は対馬康子。
春の夜の魚影の吹雪水族館
蜘蛛の膝死してするどく立ちにけり
闘鶏の日輪を背に飛びかかる
一面の雹を歩める孔雀かな
金閣や鷹は遠目を見開ける
 ひとつ前の津久井の日常的なさりげなさから一転して絢爛豪華な句風である。水族館のガラス一面に広がる魚影、日輪を背にした闘鶏、雹の中を歩く孔雀、また金閣と鷹。金閣に日輪というとどうしても三島由紀夫を思い浮かべてしまう。短歌では初期の春日井建だろう。かと思えば「一番小さき時計を信じ秋澄めり」「薄氷の下なる泥のけむりかな」という繊細な句もあり、豪放と繊細のどちらにも振れることのできる人かと思う。
 谷口智行は1958年生まれで「運河」「里」「湖心」所属。撰は高山れおな。
まりの主ぢぢのばばのと春の畦
黴の医書よりひときれの新体詩
ラヴホテル出でし検死のわれに雹
露草や廃船一夜にして傾ぐ
遺影見ゆ簾名残の散髪屋
 谷口が新宮で育ち熊野で医者をしているという知識は、谷口の句を読むときにはどうしても外せない。熊野の風土が匂うような句が多い。三句目の示すように、地方在住の医師として警察から変死の検死を依頼されることも多いのだろう。「小牡鹿さおしかの食むは天台烏薬の芽」のように、字すら読めない植物名も多い。天台烏薬てんだいうやくはクスノキ科の常緑樹で、漢方では健胃薬として用いるという。風土性に根ざした独特な俳句世界である。
 津川絵理子は1968年生まれで「南風」同人。2007年に俳句協会新人賞と角川俳句賞を受賞している。撰は片山由美子。
腕の中百合ひらきくる気配あり
サルビアや砂にしたたる午後の影
革靴の光の揃ふ今朝の冬
水仙や折り目をかたく手紙来る
ストーブの遠く法要すすみけり
 感覚の清新さと表現の緻密さは抜群で、句集『和音』は俳句の世界で高く評価されているらしい。「見えさうな金木犀の香なりけり」は歳時記にも載っているという。座談会でもみんなベタ褒めなのだが、俳句とはおもしろいもので、岸本尚毅など、こういう十分うまい句は早く卒業していただいて、少し愚直な句とか変な句を開拓してほしいと注文をつけている。うまいといって叱られるというのもおかしな話だが、このあたりが俳句という文芸の奥の深さなのだろう。茶道の茶碗でも歪みや割れや釉薬の思わぬ窯変を珍重するようなものか。
 掉尾を飾る依光陽子は1964年生まれ。「屋根」「クンツァイト」所属。1998年角川俳句賞受賞。撰は高柳克弘。
手の甲をつめたく流れ梨の皮
盆梅を置くや彼方に在るごとく
時間にも凪そのとき茄子の苗
秋の蝶たたかひながらうち澄める
とぶ鳥の胃袋に魚みなみかぜ
 相当に練られて重層的に作られた句だなと感じる。たとえば一句目は梨の皮を剥いている光景で、剥いた皮が一続きに垂れて手の甲に当たっているというのだから、単純な写実と取ることもできる。しかし二句目はそうではない。「置くや」は「置くや否や」と読むと、盆梅をある場所に置いた瞬間に、遠近法が生まれて遠くにあるように見えるということである。ここには盆梅を置いた瞬間と、一気に遠ざかった瞬間とが二重写しになっている。三句目の「時間にも凪」は、絶えず流れる時間にも一瞬淀むときがあるとの意だろう。なぜ茄子の苗かはわからないが、このような相において捉えられた苗は、この世にありながらこの世の外にあるような存在と化する。四句目の激しく戦いながらも静謐な相を呈する蜂も同じだ。決して単純な描き方ではなく、その重層性がおもしろい。
 昨年の暮れには本書に収録された作者と撰者が一同に会して「俳コレ竟宴」という集まりが催されている。Spicaのページに野口る理と神野紗季による実録ルポが掲載されていていて、実に楽しそうだ。
 総勢22人の計2200句を通読するのはなかなか骨が折れるが、現代俳句の新しい傾向がよくわかる。俳句のブログを見ると、今の俳句は作家性へと向かう方向にあるらしい。確かに本書は作者の個性が浮き出ていて、『新撰21』と並んで俳句入門には格好の一冊である。

第92回 『俳コレ』

初雪やリボン逃げ出すかたちして
            野口る理
 今回は短歌ではなく俳句の世界に遊びたい。週間俳句編の『俳コレ』(邑書林)が滅法おもしろい。昨年(2011年)12月23日に初版が出て、8日後の大晦日にもう再版されているので、きっとよく売れたのだろう。中身の充実ぶりを見ればそれもうなずける。
 俳句甲子園組の活躍もあって、俳句の世界がやたら元気だ。2009年12月には21世紀にデビューしたU-40世代の俳句を集めた『新撰21』(邑書林)が、翌年の2010年12月にはU-50世代の『超新撰21』(邑書林)が上梓され話題を集めた。『新撰21』と『超新撰21』は自撰100句に小論を付すという同形式で、巻末に編者による座談会が配されている。一方、『俳コレ』はいささか趣向がちがう。ウェブマガジン『週間俳句』編集部が入集作家を選定し、依頼を受けた撰者が100句を選んでいる。つまり自撰ではなく他撰なのである。小論も撰者が書いている。
 短歌や俳句などの短詩型文学の大きな特徴は撰があることだと、私はかねてより考えている。「撰ぶ」ということは「捨てる」ということを意味する。
 同じ撰でも自撰と他撰とでは意味合いが異なる。自撰は当然、作り手である自分がよいと思ったものを撰ぶのだから、撰は創作行為の最終段階である。しかし他撰はちがう。他人が作者とは異なる眼と美意識に基づいて撰ぶのだから、作者がよいと思った作品が選ばれなかったり、その逆も当然起こりうる。これは創作行為の最終段階を他人に委ねるというとである。最後まで自分で作らず、「最後はアナタにお願いネ」ということだ。
 芸術を作者の個性の発露と見なす芸術観から見れば、これは許し難い行為である。最初から最後まで一貫して自分で製作するからこその個性だからだ。他人の手が介入すれば、もうそれは純粋な一人の個性ではない。
 しかし、芸術をしばしば特異な天才である作家の個性の発露と見なす芸術観は、19世紀中葉に欧州で台頭したロマン主義が考案したもので、たかだか150年足らずの歴史を持つにすぎない。その閉塞感が20世紀になって強く感じられるようになり、ジョン・ケージの偶然性の音楽や、ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングが発明されたことは人の知るところである。
   日本の短詩型文学である和歌や俳句はもともと芸術を作者の個性の発露と見なす芸術観とは無縁だったが、短歌は明治の革新運動によってその毒を一身に浴びてしまった。その後遺症は今も続いている。ところが俳句はいささか事情がちがう。その形式のあまりの狭小さゆえ、ロマン主義的個性を入れ込む余地がなかったためだろう。
 それと比例するように撰の持つ比重も異なっており、短歌より俳句のほうが撰を重視する。おそらく俳句は多く作って多く捨てるからだろう。『俳コレ』が他撰による100句を集めていることには、上に述べたような意味合いから見てとりわけおもしろいのである。
 前置きはこれくらいにして収録された句を見よう。
 野口る理は1986年生まれで、所属なし。プラトンについての修士論文を書いている(あるいはもう書いた)哲学専攻の大学院生らしい。撰は関悦史。
襟巻きとなりて獣のまた集ふ
出航のやうに雪折匂ひけり
アネモネや動物病院あれば街
茶筒の絵合はせてをりぬ夏休み
秋立つやジンジャーエールに透ける肘
 全体として若々しく世界に対する好奇心に溢れた句が並ぶ。特に最後の句などユーミンの歌詞の一節のようだ。四句目のように、することがなくても無聊をかこつことなく、何かに楽しみを見つけているような感じがよい。掲出句の「初雪やリボン逃げ出すかたちして」も詩情溢れる句だが、二句目は座談会で高柳克弘が特に好きだと述べた句。「雪折」は雪の重みに絶えかねて折れた枝のことで冬の季語。清新という語がこれほどふさわしい句もない。
 福田若之わかゆきは1991年生まれで、現在大学生で所属なし。次の小野あらたもそうだが開成高校出身である。開成高校と言えば東京の御三家のひとつに数えられる進学校だが、俳句甲子園の優勝常連校でもある。最近『俳句のための文語文法入門』という本を出した国語教師の佐藤郁良の薫陶の賜物だろう。撰は佐藤文香。
鶴ひくに一縷の銀も残さゞる
朧夜やどれだけ磨いても遺品
歩き出す仔猫あらゆる知へ向けて
僕のほか腐るものなく西日の部屋
白鳥を三人称の距離に置く
 今回読んだ『俳コレ』前半の10人のうち私が最も注目した作者である。最初の二句を含む「あをにもそまず」は高校時代の作だという。俳句甲子園でこんな句を出されたら他の高校はたまらない。「鶴ひく」は暖かくなって鶴が北国へ帰ることで春の季語。しかし福田はこの完成度を捨てて、新たな方向に舵を切ったようだ。三句目以下は新傾向の句。従来の俳句的世界に安住せず、世界に対して知的な処理を加えている。座談会で池田澄子が「危うさが素晴らしい」と発言しているのは、そのあたりの変化を捉えたものと思われる。今後に期待される逸材と見た。
 小野あらたは1993年生まれで「銀化」所属。石田波郷俳句大会新人賞を受賞している。撰は山口優夢。
薄紙にキャラメル匂ふ花の昼
タンカーの積荷を昇る蝶白し
栗飯の隙間の影の深さかな
秋の暮カレーに膜の張りにけり
返り花新体操の濃き化粧
   小論で山口が「即物的トリビアリズム」と評しているのが的を射ている。栗飯のご飯と栗の隙間とか、カレーの表面に張った膜のように、日常のどうでもよいような細かい情景に虫眼鏡を当てるような作風である。そしてそこに投影されている主観的心情というものがない。ただ細部の描写があるだけである。
 小野の俳句を読んでいると、短歌と俳句とではおもしろがるポイントがちがうようだという感を深くする。もし短歌で「栗飯の隙間の影の深さかな」と情景描写が上句に来れば、下句では「問と答の合わせ鏡」(永田和宏)のように、その描写によって喚起される主観的心情が述べられることが多い。たとえば「行春の銀座の雨に来て佇てり韃靼人セミヨーンのごときおもひぞ」という宮柊二の歌を見れば、〈情景描写〉- 〈心情〉という構図は明らかである。下句がないと短歌にならない。この構図の上に短歌的喩が成立するのであり、たとえ一首全部が情景描写であっても、背後にはその描写が送り返す作者の心情という余剰的意味が揺曳すると読むのが短歌の約束事である。  しかし小野の句を見てもわかるように、俳句においては情景描写は単に描写であるにすぎず、いかなる心情の喩でもない。俳句ではいかに鋭利な刃物で現実を鋭く切り取るかが問われるのであり、着眼点のよさ(「そういうことってあるある」)と切り取り角度の鋭さ(「うまいっ」と膝をポン)が評価のポイントとなる。小野の「薄紙にキャラメル匂ふ花の昼」の句などを見ると、この作者にはミクロン単位の薄さとミリグラム単位の重さを素手で感じ取る異能が備わっているようにすら見える。おもしろい。
 松本てふこは1981年生まれで、「童子」同人。ボーイズラブ系のコミックを出す出版社に勤務しているらしい。撰は筑紫磐井。おそらく集中で撰の効果が最も発揮されているのは松本だろう。撰者の筑紫は「童子」ならばおそらく採らない句ばかり選んだと明言しているからである。
田楽に我等一緒に棲まむかと
下の毛を剃られしづかや聖夜の子
読初の頁おほかた喘ぎ声
飽食の時代の鴨として浮ける
永き日の汝が脇息になりたしよ
 小野の句の次に松本の句を見ると、俳句というジャンルの振れ幅の大きさに驚く。集中で最も感情のこもる作風で、放恣に流れる一歩手前。「会社やめたしやめたしやめたし落花飛花」というハチャメチャな句まである。一句目や五句目のように男女のことを詠むことが多いのも特徴だ。二句目は盲腸か何かの手術の前の病院だろうが、このように風雅に遠いアイテムも多い。四句目など藤原龍一郎が作りそうだ。筑紫が91句を選び、松本に9句は自分で撰ぶようにと言ったら、松本は「春寒く陰部つるんとして裸像」のような句を撰んでいるので、作者と撰者の阿吽の呼吸による確信犯かと思われる。
 矢口こうは1980年生まれで、「鷹俳句会」を経て「銀化」所属。撰は相子智恵。
腥き人間として泳ぎたる
脱捨しセーターわれを嗤ひをり
自殺せずポインセチアに水欠かさず
あと二回転職をして蝌蚪になる
夢の無き時代の栗を拾ひけり
 矢口のテーマはワーキングプアの生き難い時代の現実である。これもまた今の俳句の多様性を表しているのだろう。「電話なりゐたりグッピー死にゐたり」のように電話がアイテムとしてよく登場するのも、他者との繋がりへの希求かと思うと切ない。一方、「台風や隣りて家の灯り合ふ」のように暖かみのある句もある。
 南十二国みなみ じゅうにこくは1980年生まれで「鷹」同人。撰は神野紗希。
青空のうへはまつ暗揚雲雀
鏡みな現在映す日の盛
人類を地球はゆるし鰯雲
ロボットも博士を愛し春の草
遺跡ふと未来に似たり南風
 特異な作風で、宇宙的視点とジュブナイルSFを思わせる俳句である。一句目の「青空のうへはまつ暗」というのは、地球の成層圏を突き抜けて宇宙空間に出たときのことを言うのだろうが、もちろん雲雀はそこまで上昇することはないので俳句的想像である。鏡が現在を映すとか、遺跡が未来に似ているというのも、はっとさせるユニークな視点と言えよう。大柄で伸びやかな句風である。
 林雅樹は1980年生まれで「澤」同人。撰は上田信治。
春の風フジタツグハル髪がヘン
万緑や僕はキリスト君はシャカ
我を打つ女教師若し喉に汗
枯野にて曾良が芭蕉を羽交締め
ぶらんこに背広の人や漕ぎはじむ
 これはまたユニークな俳句だ。一句目のフジタツグハルは画家の藤田嗣治で、おかっぱ頭がトレードマーク。二句目の元ネタは中村光のコミック「セイント☆おにいさん」、四句目は増田こうすけの「ギャグマンガ日和」だから、コミックやサブカルを躊躇なく俳句に取り入れている。小論の上田によれば、林の俳句は顰蹙俳句と呼ばれているそうで、あえて「皮を剥いたカエル」とか「内臓の出たゴキブリ」を持って来て「お芸術」になりがちな俳句に反・芸術をぶつける作風だそうである。短歌における森本平のようなポジションか。こういう道を取る人はしんどいだろうなと思うが、どの道を行くかは人の好きずきである。読む人は奇想と諧謔を楽しめばよい。五句目は名句だと思う。「漕ぎはじむ」が効果的。
 太田うさぎは1963年生まれで「雷魚」「豆の木」「蒐」同人。撰は菊田一平。
西日いまもつとも受けてホッチキス
水遊び足の間を葉の流れ
酢洗ひの鰺も谷中の薄暑かな
都鳥よろづのみづにふれてきし
ふたしかなものに毛布の裏表
 伸びやかで姿のよい句を作る人である。引いたうちで最も俳句的なのは三句目だろう。ちなみに「酢洗い」とは、酢でしめる前に食材を酢で洗って水っぽさを抜くこと。「鰺も」の助詞「も」がいかにも俳句的で上手い。ひんやりした厨の空気まで感じられるようだ。「歪ませて過去はうるはし雛あられ」のように、少し知的に捻った句もある。
 山田露結ろけつは1967年生まれ。「銀化」同人。撰は山田耕司。
レジスター開きて遠き雪崩かな
閂に蝶の湿りのありにけり
用もなく人に生まれて春の風邪
対岸は花火の裏を見てゐたる
給油所をひとつ置きたる枯野かな
 一句目は俳句お得意の二物衝撃で、この言葉の飛躍が俳句の生理である。林雅樹の小論を書いた上田信治は、「俳句は、その出自より、挨拶性と芸術性、水平志向と垂直志向の二つの力の相克によって、思わぬ回転が加わり明後日を指して飛ぶという特質を持つ」と書いている。俳句のユニークなところは、明後日を指して飛んでしまっても、「いやぁ、えらいところまで飛びましたなあ」という態度で、そこに面白味を見ようとする点にある。そこが短歌と異なる。二句目は特に好きな句。五句目も枯野という俳句的素材に給油所を置くところがおもしろい。現代の新しい風雅か。
 雪我狂流ゆきがふるは1948年生まれ。俳号も変わっているが、作風もそれに劣らずユニークで集中随一と言ってよい。撰は鴇田智哉。
もつともだ薄荷の花が白いのは
あーと言ふあ~と答へる扇風機
昼寝にはじやまな天使の羽根であり
回りてはゆつくり沈む冬の螺子
穴と穴合へば一味や去年今年
 天然というか自在というか、あたりまえのことをそのまま詠んでおもしろいという作風である。二句目「あー」は扇風機の前での発声で、「あ~」は羽根の回転による音の変化を表す。子供がよくやる遊びで、それを大の大人がやっているところが俳句的と言えば言える。五句目は蕎麦屋の一味唐辛子入れの容器で、蓋と容器の穴が合って初めて中身が出るという様子。どの句を読んでも実に楽しく、俳句の世界は広いなあと痛感する。短歌ではこれほど楽しい歌ばかり並んでいることはめったにない。少し眉間に皺の寄る真面目な文芸になりすぎたためか。
 齋藤朝比古は1965年生まれで「炎環」同人。撰は小野裕三。
うすらひの水となるまで濡れてをり
缶切に使はぬ尖り夜の秋
ところてん敗れしごとく押しださる
羽根閉ぢて天道虫のひと粒に
裂ける音すこし混じりて西瓜切る
 座談会で編集部が「俳句の国に暮らしている人なんです」と言い、それを受けて上田が「メランコリックな味わいがあるのは、その俳句の国がすでに失われたものだという感じがあるからだ」と述べているのがおもしろい。たしかにどこかうっすらとした悲しみの漂う句風である。たとえば二句目、缶切りにはいろいろな形の刃が付いていることがあるが、たいていはいちばん大きな刃しか使わない。残りの刃は一度も使われないままになる。そこを突いた句で、冷静に観察する眼に確かにうっすら悲しみがある。そう思うと残りの句にも似たような印象が出てくる。日常の細かいことにいとおしさを見ていると思われる。
 とまあこのように現代俳句は実に多様な展開を見せていて楽しいのだが、もうすでに長くなったので後半は次回に回したい。

第91回 尾崎左永子『鎌倉もだぁん』

行きちがふ電車の窓を幻のごとく透かして照る街衢がいく見ゆ
                尾崎左永子『鎌倉もだぁん』


 自分の乗る列車と逆方向に進む列車がすれ違うとき、自分の列車の窓ともうひとつの列車の二枚の窓、計三枚の窓硝子を透かして向こう側の風景が見える。掲出歌はこのような一瞬の都市風景を詠んだ歌である。列車どうしはすれ違うのだから、窓を通して向こう側の風景が見えるのは須臾の間にすぎない。それを「幻のごとく」と表現すると、あたかも窓硝子の向こうに見えている街が、現実には存在しない幻想の街のように見えてくる。もし街が幻想ならば、それを見ている〈私〉とは何か。〈私〉もまた須臾の間しかこの世にあらぬ幻想なのではないかという想いを誘う歌である。後で述べるが、「硝子を通して世界を見る」というのは、尾崎に特有の身振りなのだ。
 尾崎左永子を第一歌集『さるびあ街』(1957)の著者松田さえこの名で記憶している人も多いだろう。1927年に生まれ、女学校の頃から短歌に親しんだ尾崎は、佐藤佐太郎に師事した。『さるびあ街』は日本歌人クラブ推薦歌集に選ばれている。これは現在の日本歌人クラブ賞に当たるという。この歌集は長らく絶版だったが、1994年に沖積舎から再刊された。再刊版には1989年時点での栞文が添えられていて、岡井隆、久保田淳、田中子之吉、吉原幸子、春日井建が文章を寄せている。
 栞文というのは帯文とならんで日本の出版界に特有の慣習だが、思いがけぬエピソードや作者の肉声が聞けることがあり、興味の尽きぬものだ。岡井は尾崎との思い出はいくつもあるが、どれも中井英夫がらみなので書きたくないと述べている。さては岡井は中井と仲が悪かったのか。春日井建の語るエピソードもおもしろい。春日井が尾崎と初めて会ったのは、日本推理小説の傑作『虚無への供物』の出版記念バーティーだったという。そこで『虚無への供物』の登場人物の奈々久生のモデルが尾崎だと、中井本人の口から聞いたという。これには驚いた。
 私が松田さえこの歌を初めて読んだのは、短歌への手引き書とした塚本邦雄『現代百歌園』(現在は絶版)だった。塚本は『さるびあ街』から次の歌を引いている。

悲しみをもちて夕餉に加はれば心孤りに白き独活食む
硝子戸の中に対照の世界ありそこにも吾は憂鬱に佇つ
膚光る銀糸さよりを箸にはさみつつ幸ひはいつ吾がうちに棲む
砂糖壺に砂糖入れゐしが庇間ひあはひに鋭き月みゆこの夕まぐれ
いくばくか死より立ち直るさま見をり金魚を塩の水に放ちて

 「独活」「さより」「砂糖」「塩」「金魚」などは実に塚本好みのアイテムで、選歌に個人的嗜好が強く反映されているが、そのことはひとまず措くとして、ここで注目したいのは二首目の歌である。『さるびあ街』の主要テーマは結婚生活の破綻と別離に至るまでの作者の悲しみと苦悩なので、二首目の「憂鬱」はそのことをさす。この歌では硝子戸のなかに自分が映っていて、そのもう一人の自分もまた同じように憂鬱を抱えた存在として把握されている。この自己把握に注意したい。
 自分を映す代表的なものは鏡だが、『さるびあ街』には鏡の歌は一首もない。それに対して硝子の歌は他にもある。

きざし来る悲しみに似て硝子戸にをりをり触るる雪の音する
愛情を口にするとき虚しくて硝子戸滑る雨をみてゐし

 鏡に映るのは自分だけだが、硝子には淡く映る自分の向こう側に現実の世界がある。単純化を怖れず言えば、鏡の眼差しは自分のみに注がれるが、硝子の眼差しは自分の他に世界も見ている。鏡が自己中心的で感情的だとすれば、硝子はもう少し自分を突き放した知的で客観的な視線と言えるだろう。この冷静な眼差しが松田(尾崎)のスタンスの根底にある。『さるびあ街』が結婚生活の破綻という重いテーマを詠んでいるにもかかわらず、過度に感情に溺れることなく理知的で、むしろ明るさの印象すら与えるのはこのような理由による。
 ひるがえって冒頭の掲出歌に戻ると、列車の窓硝子に映るのは向こう側の街の風景のみで、もはや〈私〉は映っていない。二つの歌集の間に流れた歳月のためと思われる。まことに年月は多くのものを流し去るのである。
 『鎌倉もだぁん』は1994年に沖積舎から刊行された歌集で、『さるびあ街』の再刊と同年ということになる。ふらりと立ち寄った三月書房でたまたま手に取り買い求めたものである。著者は鎌倉に20年近く住んでおり、鎌倉を詠った歌を集めたものだという。春夏秋冬の伝統的な季節別の部立構成で、恋の章はない。書名から文士が住み着き、西洋館も多く残る鎌倉の景物を詠んだものかと思いきや、案に相違して作者の眼差しが向かうのは主に自然である。

あとさきもなく霧降れりものの芽の萌ゆる匂ひをこめし低山
春浅き沖の遠くに一束の光を置きて海翳りたり
珈琲店に冷えゐるわれと照り反る炎暑の街を硝子がへだつ
海の色とどむるゆゑに小鰯の光るを買ひて風の街帰る
谷戸の紅葉しぐるる夕べ肩よりぞ濡れつつおはす露座の仏は

 山と海に挟まれたいかにも鎌倉らしい歌を選んでみた。「谷戸」とは山に囲まれた谷の地形で、鎌倉では「やつ」というらしい。柴田泉『鎌倉の西洋館』(平凡社)によると、鎌倉では本来なら日当たりの悪い谷戸に好んで住宅が建てられたようだ。背後と左右を低い山に囲まれ、南に開けて海が見えるところが好立地と見なされたのだろう。
 歌の造りは端正な定型文語で古語を好んで用いている。驚くのは尾崎がすでに『さるびあ街』の時代にすでにこのような作風を確立していたことである。尾崎には短歌製作を中断していた時期があるが、数十年を隔ててその手つきはいささかも変化していない。

引潮の遺しし水に日が透り砂の色もつうろくづおよぐ
                      『さるびあ街』
青磁いろに水しづまれる潮だまり影透くごときうろくづおよぐ 
                    『鎌倉もだぁん』

 二つの歌集からよく似た歌を選び出してみたが、作風に変化のないことは驚くばかりである。いずれの歌にも色と光と動きが詠み込まれているところも同じである。
 先に尾崎のキーアイテムとして硝子戸をあげたが、それより多く見られるのは光である。『鎌倉もだぁん』は光の歌集と言ってもよいかもしれない。山と海に挟まれて坂の多い鎌倉という風土が光を産むということもあるだろう。

液体のやうに滴る光ともみえつつ海に夕日落ちゆく
海みゆる街に棲むゆゑ夕潮の光のごとき風に吹かるる
遠くにてひぐらしの鳴けりあかつきの光を刻むごときそのこゑ
野茨の青き棘など晩夏おそなつの光にものの翳鋭くなりぬ

 しかしただそれだけではあるまい。歳月を経て見いだした生の充実が、狂騒の光ではなく静かな光を目に照らすからだろう。次のような歌がそれをよく示している。

照らさるるわが過去あらん冬の海光を千々に砕くまひるま

第90回 佐藤通雅『強霜』

老いのさきに死のあることのまぎれなさ藍重くして梅雨の花垂る
                     佐藤通雅『強霜』
 昔は国立大学は12月22日頃になるともう授業を休止して冬休みに入っていた。休み明けは1月8日頃だったから、2週間程度は冬休みがあった。学生たちは郷里に帰ってクリスマスと新年をゆっくり迎えることができたものだ。
 ところが最近は文部科学省の締め付けが厳しく、私が勤務する大学では12月28日まで授業があり、年明けには1月4日からもう始まる。わずか6日しか冬休みがない。22日にはもう終業式を迎えている近所の中学校をうらめしげに横目で見ながら、今年も28日まで授業をした。この短歌コラムの更新も冬休みに入ってからと悠長に構えていたら、あっという間に新年が明けてしまった。
 2012年の第一回目にどなたの歌集を取り上げるかは、ずいぶん前に決めていた。佐藤通雅さんの『強霜こわじも』である。佐藤さんは1943年(昭和18年)のお生まれだから、今年69歳をお迎えになる。長年の歌業への敬意と、歌集題名『強霜』が表すように、厳しい冬の霜に耐える世の中であってほしいという祈念からである。以下、敬称は略す。
 『強霜』は『予感』に続く第九歌集で、2005年から2010年までに作られた歌をほぼ編年体で収録したとのことだ。表紙に使われた日本画家及川聡子の絵がすばらしい。思わず電網で検索して他の作品にしばし見入ったほどである。
 私が佐藤の歌を読むといつも、短歌固有の韻律がこれほどまで肉体化された歌は実は少ないという感に打たれる。
蜻蛉せいれいの羽のきららに一日充つわが裏にして素枯れたる墓地 
                           『薄明の谷』
ひたひたと渚に燃ゆる馬見えて 秋 遠国の死者にまじれる
忽然としてひぐらしの絶えしかば少年の日の坂のくらやみ 『襤褸日常』
薔薇革命郷愁としてわれら在る会へば互にうとみあひつつ
 「蜻蛉」に「せいれい」とルビを打つ必要もないほどで、音数律からしてこの読みしかない。同じ理由で「一日」を「いちにち」と読む人は短歌を読む感覚に欠けるだろう。「蜻蛉の羽のきららに一日充つ」という上句のなんという語感の美しさ!そして一転して下句の〈私〉への落とし込み。現代短歌のお手本を見るかのようだ。二首目は左翼革命幻想への挽歌、三首目は少年期の回想。四首目は塚本邦雄に寄せる歌。かつて前衛短歌の影響を受けた佐藤だが、芸術至上主義を掲げる塚本とは反りが合わなかったようだ。三首目「忽然と/して」の句跨りと、四首目「薔薇革命」の初句六音という軽微な破調までをも含めて、韻律にまったく揺るぎがない。単に五・七・五・七・七の三十一音に収めるという意味では毛頭なく、句を内側から支える内的韻律のことである。私はどうも韻律感覚が狂ったなと感じたときには、佐藤の歌を読むことにしている。風邪の引き始めに服用する薬のようによく効く。
 本題に戻って『強霜』を見よう。まず目が停まるのは老境に入っての述志の歌と呼ぶべきものである。
せはしければわれにとどまるひとはなしそれでよしこころおきなく過ぎゆけよひと
親の死を見届けよいしよと立ち上がるときのまぶしさわれにも残り
こだはりを貫くたびに100歩づつおくれてゆくもう万歩にはなる
かなしいばかりにひとりでやつてゐるやつと佐藤通雅は評されてをり
 佐藤は長年続けて来た個人誌『路上』を2011年に終刊した。短歌人会を脱会してからは、この個人誌を拠点として短歌や宮沢賢治論や教育論を発表してきた文字通り独行の人である。上に引いた四首はその孤独と矜恃とを詠んだもの。このような立ち位置から「人統ぶるも才のうちなり弟子たちひきつれ悠然とロビーに入り来」「たれよりも賞にこだはる人ならむ舌鋒鋭く賞を批判す」のような苦く鋭い批評の歌も生まれる。
 歌集に係累の死と老境の孤独を詠んだ歌が多いのは、年齢を考えれば当然かもしれない。
いつしかにわれも生死しょうじの奔流にはまりをりひとを送るにせわ
見舞ふたびがくがく劣化する叔父の水枕びゆろんとあるとき鳴りぬ
老兄弟来たれど廃墟の弟を見下ろせるのみそそくさ帰る
まだ生きて墓碑に花置くを許されよあつけなく身罷りし同年の友
 しかし悲しみ一色ではなく、二首目に見られるように、悲しみのなかにも些細な事実を発見する目があり、それを歌にするときのどこか制約を外された自由さが感じられる。最初に引いた初期歌集の精密機械のような韻律ではなく、伸び縮みする融通無碍な恬淡さがある。これがよく感じられるのは、次のような固有名を詠み込んだ歌だろう。
吊り広告はたふさぎ干しに似てゐるとなぜ言わぬ茂吉ならきつと言ふ
どちらかといへば夕陽の国のひと「永井陽子」を手の届く位置に
岡井隆の「隆」の存外の凡庸を許しがたかつた疾風の時代
思ほへぬ不調もわれに得がたくてがつぽりと寝て綿矢りさ読む
股間にし火鉢はさみて暖をとるかの日釧路の石川一
残り時間をうたへる歌をけふに読む 噫、河野裕子を喪ひたくない
アナログ系最後の出版人として冨士田後退戦をよく闘ひき
 一首目は、電車の中吊り広告はふんどしに似ているという歌で、その発想もおもしろいが、茂吉ならきっと言うという結句が絶妙だ。二首目は永井陽子への挽歌で、「夕陽の国の人」が美しい。手許に置くのは青幻舎版永井陽子全歌集か。三首目はいささか注が必要だろう。『薄明の谷』に「病むものの辺にかえらざるDr.R されば吐血のごとき霜月」などの歌を含む「R、どこへ行った」という連作がある。Rとは「隆」を「りゅう」と読ませたときの頭文字で、岡井隆のことである。かつての同志ゆえの歯に衣きせぬ物言いか。驚いたのは四首目にあるように、綿矢りさの小説を読もうとする若い心持ちである。私なんぞ20歳そこそこの若い女性が書いた小説を読もうという気には到底ならないが。五首目の石川一とは啄木のこと。五首目は河野裕子が病床にあった頃の歌である。その直截な表現に驚く。六首目は雁書館社主の冨士田元彦への挽歌。
 次のような生活上で出会った些細なことを詠んだ歌もまたおもしろく、このあたりに現在の佐藤の歌のポイントを求めるべきかもしれない。
女子アナが「サキグロタマツメタ」といふときの唇のうごきのほのかなるかも
女性ひと女性ひとしんになじめるスカートをひらめかす電車乗り換へるときも
ダイコンの葉を切りすてるひとのため生協内におかれをる箱
ケータイを爪弾くさまをその隣の男が歌に詠むとは知らず
それとなく見やるに化粧は微に入りて細にかれるころにてあらし
 一首目の女子アナの唇の動きや、二首目の女性のスカートを詠んだ歌には、冷徹に観察する目とどこかそれをおもしろがる心とが同居しているようだ。三首目は大根の葉を捨てることに対する批評。四首目はたぶんスマートフォンでギター演奏ができるアプリのことだろう。それを歌にした人が誰かいたのだろうか。五首目は最近よく見かける電車のなかで化粧をする女性を詠んだもの。周囲を鋭く観察する目と好奇心が歌の源にある。この飄々とした力の抜け方はやはり年齢を重ねないと出ない味わいだ。
 しかし佐藤の短歌と言えばやはりその抒情性である。集中に散見する次のような歌を見れば、佐藤の初期歌集を特徴づける抒情性が失われていないことがわかる。
たまたまに柩車のあとにしたがへば青葉は照らふ黒の車体に
しろがねの腹部さらせる川鮒はやがてながれにさからはずけり
路地裏のブリキバケツは棒杭の先に干されてかうべ)を傾ぐ
おまへにも時間ありやと問ひみるにおれが時間だとノラは応へる
乳母車とすがへるときの香の甘さ時間ときの生るるは香のところより
 一首目は巻頭歌だが静かな口調の中に諦念が感じられる。二首目にも下句に同様の感じを受ける。三首目は観察の歌とも自画像とも取れよう。四首目と五首目は特に好きな歌で、今の時点における佐藤の考え方をよく表していると言える。人間は時間を外在化したため時間に追われる存在となったが、動物は内在的時間をただひたすらに生きる存在である。動物にとって生きていること自体が時間だというのは、もって瞑すべき真理だろう。五首目は乳母車と行き会いざまに、赤子の甘い香りを嗅いだときの歌。赤子もまた動物と同じく外在化以前の時間を生きる。それを「時間の生るる」と表現したのは美しい。
 あとがきによれば、最初は2011年までに作った歌を収録するつもりだったが、3.11大震災が起きたため、突然多作になり収録できなくなったという。佐藤は仙台の在住であり、自身を含めて知人や教え子に被災した人も多かろう。お見舞いを申し上げるとともに、3.11以後の歌が世に出るのを待ちたい。

第89回 田中槐『サンボリ酢ム』

白みゆく空と消えゆく夏の声 記憶にありきこの傾きは
               田中槐『サンボリ酢ム』
 奇妙な題名のこの歌集は、『ギャザー』(1998年)、『退屈な器』(2003年) に続く田中の第3歌集である。『退屈な器』以降2009年までに作られた歌が収録されている。あとがきによれば、田中は石井辰彦が講師を務める明治学院大学の短歌公開講座に長年出席し、石井の出すハードルの高い作歌課題に挑戦し続けたという。すでに2冊も歌集を持つ歌人としては珍しいことだ。心のどこかに自分を更新したいという願望があったかと推察される。
 いつもながら鋭い斉藤斎藤が帯文に「連作ごとに『私』が起動する、短編集のような歌集だ」と書いている。言うまでもなく「起動」はコンピュータ用語で、コンピュータ本体かアプリケーション・ソフトを立ち上げることを意味する。〈私〉が起動するということは、起動される以前には〈私〉は存在しなかったということだ。〈私〉は実在論的概念ではなく、コトバの中から立ち上がる関係的概念だと言いたいのだろう。確かに本歌集は改めて短歌における〈私〉の位相を考えさせてくれる歌集なのである。ひと筋縄ではいかないこの歌集に少しく分け入ってみよう。
 歌集巻頭の「未完了過去、あるいはモノガタルわれ」という連作に、ギュツラフ訳『約翰福音之書』が引用されていてまず驚いた。
ハジマリニ カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノワゴクラク。
 ヨハネ伝のこの日本語訳は、プロセインの宣教師カルル・ギュツラフが漂流民の音吉を助手として1837年に完成させたもので、シンガポールで刊行されている。ギュツラフは伝道のためイギリス船モリソン号に乗って来日しようとしたが、薩摩藩の砲撃事件に遭い来日を果たせなかった。ちなみに国語学者の藤井貞和は最近刊行された『日本語と時間 – 時の文法をたどる』(岩波新書)でこのギュツラフ訳聖書を引用して、「カシコイモノ」ではなく「カシコイコト」とすべきだったと論じている。
 田中がこの引用を連作の冒頭に配したのは、一種の態度表明であり宣言ではないかと思われる。
モノガタルわれの時制は未完了過去すべからくモノガタリユク
もの思ふもの言ふそして産み落とすモノガタリゆゑとほざかるヒカリ
ぐづぐづと文語口語をまぜながら燃えないゴミを出しにゆく朝
 つまりは田中が生み出す短歌はすべて物語であり、新共同訳では「初めにことばがあった」と訳されるヨハネ伝の冒頭の語句が示すように、物語はコトバでできていて、〈私〉はコトバから立ち上がるということなのではないか。そのように読むことができる。この歌集が極めて主題性の強い連作を中心に構成されていることは、このことと無関係ではない。
 たとえば「佐世保に雨が降る」という連作は、2004年に佐世保市立大久保小学校で起きた12歳の女子児童が11歳の女子児童にカッターナイフで斬りつけられて死亡するという事件を踏まえている。
ぺきぱきとカッターナイフの刃を折りて細切れにくる殺意の角度
ふうわりと車を降りるスニーカーが映し出されて「女児」と呼ばれる
 また「町田少年殺人事件」は、2005年に町田市在住の高校一年の女子生徒が、同じ団地に住む16歳の少年に刺殺された事件を背景としている。
心ない言葉にあなたは殺される 言葉が先にわたしを殺す
刺し傷は喉に深く、深く、深く あなたは言葉を失ひなさい
 また「渋谷から遠く、離れて」は渋谷繁華街が突然戦場と化するという荒唐無稽な想定で作られている。
この街が戦場である理由なら109マルキューで聴く175Rイナゴライダー
ゲーセンで待ち合はせして最終のプリクラ撮つて戦争に行く
 これらの歌には日常身辺詠が浮かび上がらせるような普通の意味でリアルな〈私〉は完璧に不在である。かといって事件の渦中の特定の人物、たとえば殺人を犯した少年の視点に仮想的に身を置いて世界を眺めるという態度、例えば福島泰樹のように過去の死者になりかわってその慚愧を詠うという視点が取られているわけでもない。もし近代短歌の伝統的な不動の〈私〉に基づく短歌しか認めない人が見たならば、田中の歌では〈私〉の位置取りがわからないと述懐するにちがいない。短歌の〈私〉は現実の〈私〉ではなく、虚構の〈私〉でありうるということは、言うまでもなく前衛短歌が達成したパラダイム・シフトであるが、ここにあるのは虚構の〈私〉と言えるほど一貫した〈私〉でもまたないのである。連作ごとに生成され、連作が終了すると消去される〈私〉の影のごときものはいったい何なのだろうか。
 あとがきにもあるように、三部構成からなる本書の第二部には、石井辰彦の講座に通っていたときに、課題に応えて作られた実験的作品が収められている。その課題には、「鳥渡るこきこきこきと罐切れば」という秋元不死男の俳句や、「ながく永く待ちにし春に会はむとしするどくとがる花の芽われは」という岡井隆の短歌で折句を作るとか、「春宵一刻直千金」で始まる漢詩の文句を織り込んで歌を作るなどという、修辞の技巧を極めたようなものもある。しかし修辞ではなく主題による課題もあったらしく、「朝日ジャーナル」「連合赤軍」「飯島愛」や上に引いた殺人事件は、おそらく課題ではないだろうか。つまり「町田少年殺人事件を主題とする連作を作りなさい」という課題である。それならば連作ごとに〈私〉が生成され、連作とともに〈私〉も終了するのは理解できる。作者としての私は、与えられた主題の内部に何とか入り込もうとする過程で〈私〉の変容を経験せざるを得ないからである。
 しかし、ことは単にそのように単純に理解して終わることができるようなものではない気がする。なぜなら第二部に収録されたもの以外の歌についても、ほぼ同じ印象を得るからである。本歌集全体を通読して感じるのは、一首に宿る〈私〉への信頼感の低さと、それに代わるようにして前景化する連作から析出される〈私〉の影のようなものである。
 このことは荻原裕幸が1995年以降の短歌シーンを特徴づける表現のひとつとして「題詠の時代」を選んでいることと無関係ではなかろう。荻原はブログで「必然的なテーマではなく任意の題材のレベルで何かを共有するのがスタンダードになったこと」をこの時代の顕著な特徴としている。2003年に始まったネット上の「題詠マラソン」が多くの人を集めていることもこれと関係しているだろう。題詠においては当然ながら主題が〈私〉に先行する。また、ここ十数年「短歌における『リアル』とは何か」という問題が繰り返し論じられていることからもわかるように、どうも現代の歌人にはリアルな〈私〉というものがあまり信じられなくなっているようだ。
 確かに斉藤斎藤の言うように、本歌集には「連作ごとに起動する〈私〉」がまるで短編集のように立ち現れている。しかしこれがほんとうに短歌を支える〈私〉でありうるのかというのは改めて考えなくてはならない問題である。また題詠・連作重視という作歌態度は、一首の屹立性の低さと愛唱歌の不在につながることもまた自明だろう。

第88回 キリンの歌 Part 2

屋根高き春の麒麟舎、折りたたみきかぬきりんを睡らすために
               杉崎恒夫『パン屋のパンセ』
 小池光『うたの動物記』(日本経済新聞出版社 2011年)が出版された。小池が日本経済新聞に連載したコラムを集めたものである。小池にはすでに産経新聞の連載コラムを集めた『現代歌まくら』(五柳書院 1997年)があり、こちらはわが枕頭の書となっている。『うたの動物記』の出版もまことに喜ばしい。私は三月書房で買い求めたが、あとで京大生協のブックショップにも並んでいるのを見つけて驚いた。
 新聞のコラムには厳しい字数制限がある。しかも連載だから原稿を落とすわけにはいかない。少ない行数で読者を引きつける瞬発力と、長期間にわたって書き続ける持続力という相矛盾する能力が要求される。だから向き不向きがあり、向かない人というのもいると思うのだが、小池はもちろん向いている人である。無駄な装飾を削ぎ落とした文体で、一気に対象の本質に迫ったり、意外な小道に読者を誘う筆致は、もはや名人級と言ってもよかろう。小池に導かれて歌の世界をうろうろと彷徨うのは他では得難い快楽である。
 本コラムの前身「今週の短歌」2005年6月の「キリンの歌」で、キリンはいつごろ日本に伝来したのだろうかと書いたが、『うたの動物記』に答えがあった。なんと明治40年 (1907年) のことだという。ラクダや象などよりもはるかに遅いのである。年代から考えて樋口一葉も正岡子規もキリンを見ていないという。さらに驚くのはその和名の由来で、ジラフとして伝来した動物に和名を付けるときに、伝説上の生物である麒麟になぞらえた中国の故事を思い出して、当時の上野動物園長が命名したという。あの動物をキリンと呼ぶのは日本と韓国だけらしい。この来歴の故にキリンは昔の和歌に登場することはなく、完全に近代短歌の歌まくらとなっているわけである。2005年に書いたコラム以来、手帳にキリンの歌が溜まってきたので、「キリンの歌 part 2」を書いてみたい。
 動物に限らず短歌に登場するすべてのアイテムは、意味から無垢であることはない。万葉の昔から短詩型文学は寄物陳思を型としてきた。すなわち物に寄せて思いを述べるのである。したがって短歌に詠まれたアイテムには、本来の存在に加えて意味という負荷がかかっている。その負荷の多くは作者の心情の外的投影である。寄物陳思のためにどのようなアイテムが選ばれるかは、そのアイテムの顕著な特徴に依存する。この顕著な特徴を最近の言語学では認知的プロファイリングにおける際立ち (saliency)と呼ぶ。これを逆方向にたどると、私たち読者は短歌に詠まれたアイテムの際立ちに着目し、そこから陳思すなわち作者の心情へと遡行する読みを行うことになる。
 キリンの際立ちがその異常な首の長さにあることは衆目の一致するところだろう。このため短歌に詠まれたキリンでは、その首がポイントとなることが多い。杉崎の掲出歌でも動物園のキリン舎の屋根の高さに着目して、「折りたたみきかぬ」とユーモアを交えて表現している。
 次にあげる歌でもやはり首の長さが焦点化されている。
夏の風キリンの首を降りてきて誰からも遠くいたき昼なり
                   梅内美華子『若月祭』
谷中より風ながれゆく晩夏おそなつのキリンをみあぐ夕暮れにけり
                    小高賢『耳の伝説』
いづへよりくるしく空の垂れ来しや麒麟ひつそり立ちあがりたり
             阪森郁代『ランボオ連れて風の中』
あをぞらの加減を鼻でふれてみてきりんはけふも斑のもやう
                 山崎郁子『麒麟の休日』
 梅内の歌でキリンの首は、夏の爽やかな風が吹き降りてくる通路として捉えられており、肯定的な把握である。下句の「誰からも遠くいたき昼なり」の若者に特有の愁いが、それに少しの翳りを加えている。小高の歌には「谷中」とあるので、これは上野動物園のキリン。梅内の歌と同じく季節は夏であり、爽やかな印象を残す。阪森の歌ではキリンが立ち上がる動作を空が垂れて来ることへの反応として描いている点がユニーク。「キリンが立ち上がる」が寄物で、「くるしく空の垂れ来しや」が陳思であり、首の長さにネガティヴな意味を付加している。山崎の歌はおそらくキリンを最も肯定的に詠んだ歌のひとつ。首の長さゆえ青空に触れることができるという特権を与えており、80年代の時代の明るさを感じさせる。ちなみに山崎の歌集題名は麒麟を冠しているが、蒔田さくら子にも『さびしき麒麟』という歌集がある。
麒麟この異形のものがゆつくりと首めぐらしてわれを見おろす
                 蒔田さくら子『さびしき麒麟』
どこに立ちてもこのにつぽんの風景をはみ出してしまふあはれ麒麟は
 次の歌は首の長さゆえキリンが前脚を大きく開いて首を傾けるという独特の姿勢に着目した歌である。
水飲むとあをあをと深き首垂れてキリンがかたむく夕べの水へ
                     川野里子『青鯨』
両脚をひらきておのれ身を低め地のものを食むときの麒麟よ
                    柏原千恵子『彼方』
 上に引用した蒔田の歌にも言えることだが、なぜかキリンは悲劇性において捉えられることが多いようだ。それは遠くアフリカのサバンナから運ばれて、動物園で一生を送るという理由のみによるものではなかろう。それならライオンもトラもカバも同じことだからである。また夕暮れの情景において詠われることも多い。
楠若葉すでに夕映 屋上にわれはキリンの視野を寂しむ
                 一ノ関忠人『群鳥』
キリン舎にキリンは帰り夕暮れの泥濘に黒きキリンの足跡
               三井修『アステカの王』
横顔のきりんの睫毛長くして空の中にて痛くまたたく
              前田康子『ねむそうな木』
分節はいたく苦しもゆるやかにキリンの舌が枝にからまる
               加藤治郎『ハレアカラ』
人群れて白き階段登りゆく 空にキリンの首折れている                      嵯峨直樹『神の翼』
 一ノ関の歌では、一人屋上に来て、この高みにいるのが自分だけであることをキリンの視野に投影しており、強く孤独が感じられる。三井の歌では「キリン」が3度出て来ることが注目される。しかも詠まれているのは足跡であり、キリンは姿を消しているのである。字数の限られた短詩型文学では語の重複を嫌うが、この歌では「キリン」を3度反復することによって、かえって不在のキリンを現前させている。前田の歌で焦点化されているのはキリンの睫毛で、大事よりは小事、全体よりは細部という短歌の生理を遺憾なく発揮している。長い睫毛を「痛くまたたく」と表現するところに、キリンの悲劇性に寄せる思いが感じられる。加藤の歌の「分節」はarticulationの和訳なので、キリンの長い首のつらなる関節を指している。「いたく苦しも」という表現のなかにキリンの苦しみが滲み出ている。嵯峨の歌では象徴的表現ながらはっきりとキリンの首が折れたとされていて、やはり長い首が悲劇的な見立てに関係していることがわかるだろう。
 キリンをこれ以外の相のもとに捉えた歌も少なからずある。
半信のダーウィンの本中空へ伸びる麒麟の黒長き舌
              大野道夫『秋階段』
子の運ぶ幾何難問をあざやかに解くわれ一夜かぎりの麒麟
                  小高賢『太郎阪』
睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月
                   大塚寅彦『声』
ひいやりと動くキリンの脚つきは君と震わす音叉のように
            野口あや子「短歌研究 2008.3」
一日の終わりに首を傾けて麒麟は夏の動力降ろす
      小島なお『サリンジャーは死んでしまった』
 大野の歌は相当に知的な内容を含んでいる。この歌はダーウィン進化論の自然淘汰説への懐疑がベースになっているが、その陰にあるラマルクの進化論がキリンと結びつく。ラマルクは用不用説を唱え、生物のよく使われる器官が発達し、その獲得形質が子に遺伝するとした。キリンはよくその事例としてあげられる動物である。高い木の葉を食べようとして首が長くなったという説明は子供にもわかりやすいが、現代ではダーウィン説が優勢でラマルク説は劣勢にある。小高の歌のキリンは動物園のキリンではなく、伝説の神獣の方だろう。一夜限りの英雄となった父の姿で、同じ作者の「ポール・ニザンなんていうから笑われる娘のペディキュアはしろがねの星」という歌と並べると味わいが増す。大塚はキリンの首の長さを天へと向かう高さと肯定的に捉えている。キリンはどんな夢を見るのだろうか。最後の2首はとびきり若い歌人の歌。野口の歌ではキリンの細長い2本の脚が音叉に喩えられている。固有振動数の近い2台の音叉を近づけると共振を起こす。このため短歌の中で音叉は恋人との共鳴の喩としてよく用いられる。野口の歌もその系譜につらなる。小島の歌はキリンをクレーンに喩えたものだろう。クレーンのような無機物をキリンのような生物に喩える見立ての比喩は多いが、その逆は少ない。それを敢えて行うのは、キリンにどこかロボットめいたところがあるからだろうか。
 最後に極めつけのキリンの歌を2首あげておこう。
思想とやはかなきものを音たててああゆるやかにキリンは歩む
                    小池光『廃駅』
あきかぜの中にきりんを見て立てばああ我といふ暗きかたまり
                  高野公彦『汽水の光』
 『廃駅』は小池の第2歌集で、『汽水の光』は高野の第1歌集だが、奇しくもどちらもも35歳の年に上梓されている。この年齢が上の2首に苦みと翳りを付与していることはまちがいない。小池の歌で詠まれているのは動物園の高い柵のなかを歩むキリンだが、歌の眼目は思想の虚しさを噛みしめながらキリンを眺めている〈私〉である。中年にならないとこういう歌は作れない。高野の歌は前回の「きりんの歌」でも引用したが、キリンの歌と言えばこれが思い浮かんでしまうので再掲する。〈私〉を「暗きかたまり」と認識させるのがキリンであるところに選択の妙があり、これは動かない。どちらの歌にも「ああ」という詠嘆の間投詞が用いられていることもおもしろい。
 これからの若手歌人がどのようなキリンの歌を見せてくれるのかも楽しみだ。

第87回 渡辺松男『蝶』

粥を食みつゆさきほどの時間さへとりもどせねば粥どこへおつ
                     渡辺松男『蝶』
 短歌は俳句と並んで極小の詩型であるが、この小体な型式の中にも時間を封じ込めることができる。掲出歌は粥を食べている情景を描いている。粥はすすり込むため、食べるのに要する時間はわずかである。しかし、そのわずかな時間でさえも、過ぎ去ってしまえば取り戻すことがかなわない。それを「粥どこへおつ」という自問の形で表現している。もちろん粥は胃の中に納まったのだが、実は作者は粥の行方を問うているのではなく、粥を通して失せてしまった時間の行方を問うているのである。渡辺はこのように生活上ぶつかる当たり前のことを取り上げ、それを形而上学的疑問へと昇華させる技に長けている。
 渡辺松男は1955年生まれ。「かりん」所属。1995年「睫毛はうごく」で歌壇賞受賞。1998年第一歌集『寒気氾濫』で現代歌人協会賞、2000年『泡宇宙の蛙』でながらみ現代短歌賞受賞。『蝶』は第七歌集にあたる。
 渡辺松男は非常にユニークな歌人である。『現代短歌最前線』(北溟社 2001年)に解説を書いた花山多佳子は、渡辺を「遅れてきた新人」と呼び、『寒気氾濫』を評して「最近のもっともユニークな歌集であった」と述べている。それは渡辺の短歌が「奇想に近い歌の連続」だからである。
キャベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする                               『寒気氾濫』
直立の腰から下を地のなかに永久(とわ)に湿らせ樹と育つなり
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
木は開き木のなかの蝶見するなりつぎつぎと木がひらく木の胸
                          『泡宇宙の蛙』
子を孕みひっそりと吾は楠なればいつまでも雨のそばにありたり
足跡からつぎつぎと消されゆくのですねどのひともやがて地上から浮く
 二首目と四首目の木の歌と三首目の茸の歌は、渡辺の世界観をよく表している。渡辺は『寒気氾濫』のあとがきに「幼いころ木になりたかった」と書いたほど、樹木とそれに代表される自然への畏怖と敬愛が深い。人間を万物の頂点とする西欧的世界観とは反対に、人間は地上の「吹き出物」に過ぎないとする、近代の自我意識とはまったく位相を異にする世界に住んでいる。渡辺の短歌が描く世界は、人間と自然の境界線が揺らいでいつしか一体となり、万物が交感する世界である。また文体的には「くらくらとする」や「むくむく」のような口語的言い回しを大胆に用い、文体に弛みを作り出すことで、おもしろいリズム感やそこはかとないユーモアを生み出している点も注目されるだろう。
 『蝶』においてもこのような渡辺の世界観は変わらず維持されているのだが、初期の歌集とはいくつかのちがいが認められる。表現の面では旧仮名に変わり、また平仮名を多用するようになっている。
色はそくかたちあるもののいひなればあいちやくは桃たべてをはりぬ
やぶかうじ赤き実はわがふらふらとなんじかんもなんにちもありくゆめのあしもと
あかげらにどらみんぐされている楢の こんなときわれは空へひびきをり
わたぐもに さうね つつまるるこの感じ うえつとどりいむはあけがたにあり
ほどよきがよしほどよきはこはるびのひるからカスカラサグラダふふふ
 全部がこのような歌ではないので、いささか恣意的に拾い出したのだが、旧仮名表記と平仮名の多用のため、文節の境界が判別しにくく読みに時間がかかる。「どらみんぐ」「うえつとどりいむ」のような外来語も平仮名表記されているのでなおさらである。このような表記の生み出す効果は複数あると思われる。まず、ただでさえ平仮名表記は読字時間が長いうえに、読者は文節の切れ目を探して行きつ戻りつして読むため、結果的に一首の中に長く滞留することになる。これを作者の技法という観点から見れば、時間のコントロールと考えることができよう。また、漢字は結像力が高く意味に直結するが、平仮名は音に傾くため歌の記号性が増大する。記号性が増えるというのは、歌の質感や量感など、物体としての手触りが増すことをいう。
 しかし、何よりも注目されるのは、初期歌集に比べて歌のぐにゃぐにゃ感が増していることだろう。もともと渡辺の歌にあった意図的な文体の弛みが、ここへ来てさらに高じている。そのことは上に引いた二首目の「なんじかんもなんにちもありく」という14音もある四句目にも見え、また五首目の文体にはさらに顕著である。ちなみに「カスカラサグラダ」とはスペイン語で「聖なる樹皮」を意味し、クロウメモドキ科の樹木の樹皮で緩下剤に用いられるという。「ほどよき」の繰り返しによるリズムと、「ひるから」「カスカラ」の「から」の重なりが言葉遊び的に歌を支えている。このようにぐにゃぐにゃ感にある脱力系の歌がかなり見られるのだが、これが本歌集の大きな魅力になっている。文体のぐにゃぐにゃぶりは決して欠点とはならず、むしろ歌のおもしろみを高めているのである。
 また渡辺の歌には、日常の当たり前のことを描いてハッとさせるものも多く見られるのも特徴と言えるだろう。
時のすぎゆくのはかげのうごきにてかげさしてにはか赤い欄干
秋風に集団としてあるなかの蜻蛉ひとつを追へばすばやし
城址にはつねゆれている竹叢のしなはざるあれば死にて立つ竹
すずめにも足跡のあるいとしさは風ふれど砂にしばらく消えず
竹刀ふりくうかんにだんりよく感ぜしはくうかんに亀裂はひるちよくぜん
 一首目では影の動きで時間が知れるとし、影に入って欄干の赤が一際よく見えるという鋭い観察がある。この歌にも流れ去る時間という意識が色濃く反映されている。二首目、トンボの群れは風に流されるようにふらふらと飛んでいるかに見えながら、その中の一匹を追うと、とたんにすばやく逃げる。言われてみれば確かにその通りで、はたと膝を打つ。三首目、風に吹かれて揺れる竹林のなかに揺れない一本があると、それは枯れた竹だというのである。なるほど枯れた竹は生命に特有の弾力性を失い直立する。四首目、あんなに軽いスズメにも足跡は確かにあるはずだ。特に感服したのは五首目である。竹刀を振って空間を切り裂くとき、空間の弾力を手に感じるのは、竹刀を振り下ろす直前だという。竹刀のような弾性体は静止から動に転じるその瞬間にしなるのであり、また空気抵抗もそのとき最大になる。これは時間と運動をめぐるメタフィジカルな歌であり、このような歌に渡辺の真骨頂を見るべきだろう。
 先に渡辺の歌の世界は、人と自然が万物交感するアニミスム的世界であると書いたが、この歌集では自己離脱感がさらに高まっているように見える。
もうひとりあけがたの木に啼く鳩のほの白くみたるあたりがわれか
自販機のまへにてなにかつぶやきしそこまではわれでありにし記憶
わが感覚すすき野のへにありしかどこのかろさ死後のごとく気づけり
ちやわんの縁の蝿がいつぴき来てゐたりほんとはおまへが俺だとも言ひ
 幽体離脱のように自分の体を抜け出している感覚というか、自己と世界を隔てる皮膚が透過性を増して、皮膚を抜けて外にこぼれ出しているような感じがある。もともと渡辺は人間を頂点とする西欧的世界観と、それを支えた主客二元論とは対極にある世界観に立脚しているので、それも不思議ではないかも知れない。
 もうひとつこの歌集を貫いている感覚は、人の一生は賜り物にすぎず、須臾の間に消え去るものだという痛切な感覚である。
がほんのすこしのわすれものなれや苜蓿うまごやしのへにあそぶわが生
寒の朝卵をいだきぬ産みたてのこのあたたかさがまぼろしのすべて
たれもすこしのあひだしか生きられはせずそのあひだのこのときの片栗
死にゆくなどじぶんのこととしおもへねば今日にてもずいぶんのぶる水飴
 それは歌集巻末に近い「ひまはりの種テーブルにあふれさせまぶしいぢやないかきみは癌なのに」という歌からうかがえるように、最愛の伴侶が癌に冒されたという体験によってより深くなった想いではあろうが、渡辺の初期の歌にも低く聞こえていた声でもある。簡潔なあとがきによれば、残念ながら夫人は癌によって死去されたらしく、あろうことか渡辺自身も筋萎縮側索硬化症(ASL)という難病の宣告を受けたという。快癒を祈るばかりである。

第86回 穂村弘『短歌ください』

夕やけよあらゆる色を駆逐せよ 頬が冷めてくモザイクの街
                  めぐみ・女・21歳
 穂村弘の『短歌ください』(メディアファクトリー、2011年)は、雑誌『ダ・ヴィンチ』誌上で穂村が連載している「短歌ください」に読者から投稿された短歌を集めたものである。あとがきによると、最初は作品が集まらないのではないかと心配しながら始めた企画だったが、蓋を開けてみればたくさんの優れた短歌が寄せられたという。穂村が選歌をして、選んだ歌に短いコメントを付けている。
 言うまでもなく穂村弘と加藤治郎と荻原裕幸は、1980年代の後半から後にニューウェーブ短歌と呼ばれるようになる短歌の潮流を牽引してきた3人である。しかし、時代がページを一枚めくってポスト・ニューウェーブ短歌の時代を迎えたとき、3人の歩みはかなりちがってきたようだ。加藤は「未来」に「彗星集」という選歌欄を持ち、結社内結社の主宰となっている。荻原はニューウェーブ短歌のプロデューサー的役回りを演じたためか、ポスト時代になって活動が目立たなくなった。一方、穂村はもともと同人誌「かばん」に拠って活動していたため、加藤や荻原とちがって結社の経験がない。最初からフリーランスだったようなものだ。しかしそのため選歌欄を持つことがなかったが、『ダ・ヴィンチ』の連載は、いわば穂村の選歌欄のような機能を果たしたようだ。投稿してきた人たちも、そのような意識で出詠したと思われるフシがある。
 穂村にはすでに、東直子・沢田康彦との共著で『短歌はプロに訊け!』と『短歌があるじゃないか』がある。こちらは沢田の友人を中心に結成された素人のFAX短歌会「猫又」の活動記録である。この2冊はほんとうにおもしろくて何度も読み返しているのだが、その大きな原因は素人の作る短歌の衝撃力にある。
ああいたい。ほんまにいたい。めちゃいたい。冬にぶつけた私の小指(←足の。)               千葉すず(水泳選手)
ビール狂体に悪いと改心しワインに変えるもアンドレは死す
                  ターザン山本(プロレスラー)
われを抱く荒々しきかいなありジャーマンスープレックスホールドということばのなかに                肉球
めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ
                  鶯まなみ(女優・本上まなみ)
 千葉すずのとって付けたような(←足の。)という掟破りといい、肉球の大幅な字余りといい、プロの歌人なら絶対しないような型破りなおもしろさがある。『短歌研究』の「うたう」短歌賞のときも、「愛って奴はWOWOWOその心を育てるさベイビイそして恋におちたときアイラブユーそこがパラダイス。ウー」という作品を葉書に書いて送ってきた人がいたそうだが、その桁外れの勘違いぶりに感動すらしてしまう。
 こういう伏線があるので、『短歌ください』にも素人ならではの楽しい勘違いでドキューンとこちらの胸を撃ち抜く歌が見つかるかと期待しつつ繙くと、実はそんなことはないのである。数ページ読んだところで、「ちょっと待った」と頭をリセットして新たな目で読むことにした。投稿している人はド素人ではなく、逆に相当な手練れが混じっている。歌集『ゆっくり、ゆっくり、歩いてきたはずだったのにね』の辻井竜一や、2009年の短歌研究新人賞を受賞し、歌集に『ミドリツキノワ』があるヤスタケマリも投稿している。他に題詠2011などで主にネットで活動している虫武一俊、古屋賢一、冬野きりん、木下侑介(木下一)らも名を連ねている。変名で投稿している人のなかに、既に名を知られている歌人がいないとも限らない。全部がそうだとは言えないが、どうやらネットを中心に活動しているポスト・ニューウェーブ世代の歌人が大挙して『ダ・ヴィンチ』の穂村選歌欄に出詠したようだ。この本はそのような受け取り方をして読むべきだろう。
 とはいえなかにはプロの垢にまみれていない素人ならではの歌もある。
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ                       陣崎草子
四十肩 三段腹に 二重あご 一重まぶたで ツルツルあたま 
                         水野川順平
かまわないでかまわないわよかまってよ(フリルのついた鎌振り下ろす)
                             峰子
あんかけのあん煮立つような音させてぼこりと夫が寝入る木曜 
                           てこな
イカ墨のパスタを皿に盛るように洗面器へと入れる黒髪
                         麻倉遥
一秒でもいいから早く帰ってきて ふえるわかめがすごいことなの
                          伊藤真也
 一首目のように水道の蛇口を詠った歌はあまり目にした記憶がない。「飛びでているとこが三つ」というのは手で回す栓の部分を言っているのだろうが、これも奇妙な表現である。だいたい人に「蛇口が好きでしょ」などと訊くだろうか。二首目は逆順のかぞえ歌で最後がゼロになっているところがミソ。「無い」ということを表現するのは案外難しいのだ。三首目は男女の言い合いだろうが、「フリルのついた鎌」というのが恐ろしい。「かまう」と「鎌」の音を合わせているので、短歌的修辞も意識しているのである。四首目もヘンな歌で、人が寝入るときに音がするものだろうか。それをあんかけの餡に喩えているところもおかしい。しかし筆名が「てこな」なので、ひょっとしたら短歌に詳しい人なのかもしれないから、滅多なことは言えないが。五首目もプロの歌人なら絶対に作らない歌だろう。和歌の時代から女性の黒髪は何度となく歌に詠われてきたが、髪をイカ墨パスタに喩えるとは! しかし定型への言葉の落とし込み方が堂に入っているので、この人も案外短歌を作り馴れている人なのかもしれない。六首目の「ふえるわかめ」は理研の乾燥ワカメで、これで失敗したことのある人は多いだろう。とにかく水を加えると体積がものすごく増えるのである。そのワンダー感を若妻から夫への電話という形で表現しているところが秀逸である。世界は驚異に満ちているということを実感させるという意味で、短詩型文学の潜在的パワーを十全に発揮した例と言えるだろう。
 投稿作品の中には「コワイ系」と呼べる歌が数多くあり、選者の穂村も何度も述べているように、コワイ歌は良い歌なのである。いくつか引いてみよう。
「ほんとうは誰も愛していないのよ」ペコちゃんの目で舐めとるフォーク                           ゆず
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
                       冬野きりん
生態系食物連鎖をくつがえしあたしがあなたをたべる日が来た
                      小玉裕理子
今二匹蚊を殺したわ息の根を止めましたこの手あなたをさわる手
                         森響子
 一首目、食事をしている男女の会話と思われる。語尾からして発言者は女性だろう。こう言い放った後、その女性がペコちゃんの目をしてフォークに残った食べ物を舐めとるという場面である。コワイのは発言から窺える愛の不実さではなく、「ペコちゃんの目」のほうだ。二首目は「可愛さ余って憎さ百倍」を地で行く屈折した愛の歌。三首目と一首目に共通するのは、性愛が飲食のメタファーを用いて語られることが多いという点である。だから「あたしがあなたをたべる」には当然意味の二重性が伴うのだが、文字どおり解釈すればホラーの世界となる。四首目もコワイ。女の手が男の首にゆっくり伸びてゆくのが目に見えるようだ。
 短歌と言えば恋愛である。というわけで恋の歌も数多く投稿されている。
あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに
                   木下侑介
忘れてく思い出たちは優しいと午後四時半の物理実験室
                      イマイ
ひそやかな祭の晩に君は待つ コンビニ袋に透けるレモンティー
                        ちゃいろ
蝉が死んでもあなたを待っています バニラアイスの木べらを噛んで
                           ゆず
昨年の夏に野球を共に観た女子はファウルをよけられなくて
                     ハレヤワタル
 一首目、僕と貴方だけでなく、夏までもが一直線に並んでいたという感覚が新しい。一瞬と永遠とが実は踵を接していることをあらためて想わせてくれる。二首目、「忘れてく」は「思い出たち」にかかる連体修飾節ととる。この歌のポイントは「午後四時半」という放課後の半端な時間と「物理実験室」の具体性である。三首目、コンビニの袋に入っているペットボトル飲料はまったく詩的なアイテムではないのに、それを美しく感じさせるところに技がある。「ひそやかな」の使い方といい、言語感覚の優れた人のようだ。作者のちゃいろさんは21歳の女性ということだが、この人の歌に多く付箋が付いた。超初心者らしいが、ちょっと小林久美子を思わせる作風の人だ。四首目、「蝉が死んでも」というのは夏が終わってもということなので、バニラアイスの必然性がある。少し歪んだ感じも魅力的。五首目、歌人はあまり歌の中で「女子」という言葉を使わないだろう。その点も新鮮だが、ファウルがよけられないというところに女性の可愛さが表現されている。
 最後に注目した歌をあげておこう。こうして見るといずれも素人の歌ではなく、ほとんどは相当作り慣れた人たちであることがわかる。『ダ・ヴィンチ』の連載がポスト・ニューウェーブ世代の歌人たちの発表の場となったようだ。
スカートにすむたくさんの鳥たちが飛び立つのいっせいに おいてかないで                       ちゃいろ
電子レンジは腹に銀河を棲まわせて静かな夜に息をころせり
                      陣崎草子
こんにちは私の名前は噛ませ犬 愛読書の名は『空気』です
                       冬野きりん
マヨネーズ時計ではかるゆうぐれの時間は赤いところへ降りる
                      やすたけまり
卵らが身を寄せあってひからびる二十時の回転寿司銀河
                      古屋賢一
献血の出前バスから黒布の覗くしずかな極東の午後
                      虫武一俊
旅先で僕らは眠るすべてから知らない街の匂いをさせて
                     ソウシ
 もし「電子レンジの歌」を集めることがあったら、陣崎の歌は文句なく取ることになろう。電子レンジのなかに銀河を見る発想は秀逸である。また冬野の世界に対する敵意に満ちた視線も注目される。やすたけの歌は「赤いキャップ」と言わなかったところがミソ。古屋の歌では、「銀河」は店の名前ととってもよいし、くるくる回転する寿司コンベアの喩ととってもよい。虫武の歌は静かな光景を描きながら、どこかに危険な感じを出しているところがポイント。ソウシの歌はとても好きな歌で、未知のものに体全体で浸る若さをこの上なく表現している。
 このように『短歌ください』には素人の勘違いが炸裂するおもしろい歌が意外に少ないのだが、まあそれは選歌の過程でふるい落とされたのかもしれない。ふるいを無事くぐり抜けた歌をあげておこう。いずれも突き抜けた疾走感がすてきな歌だ。
少しだけネイルが剥げる原因はいつもシャワーだよシャワー土下座しろ!
                           古賀たかえ
毛を刈ったプードル怖いと言う彼にあれは唐揚げと思えと伝えた
                          モ花

第85回 大塚寅彦『夢何有郷』

蜜といふ黄昏いろのしづもれる壜ひてふと秋冷ふかむ
                       大塚寅彦『夢何有郷』
 大塚寅彦の第5歌集が上梓された。前作『ガウディの月』以来、実に8年振りである。題名は荘子の「無何有郷むかゆうきょう」(むかゆうきょう)にちなむ。本来は人為を加えないありのままの自然という理想境を表したもので、「無」の字を「夢」に置き換えてある。どこにもない夢のユートピアという意味だろう。8年の空白は長いが、2004年に師の春日井建が逝去し、その後を襲って中部短歌会の実質的主宰として歌誌「短歌」の刊行の責を担うという大きな変化があったことも、その原因のひとつと思われる。本歌集の刊行により、短歌を好む人がこうして大塚の歌を読む喜びをまた味わうことができるのは嬉しいことである。繊細な感性と、師の建譲りの美意識と、細やかに言葉を操る高度な技法は、この歌集においても健在で、読者は現代短歌の精髄をページの至る所に見いだして、その美酒に酔うことができる。
 新しい歌集を通読して改めて感じるのは、大塚の歌の姿の美しさと一首の屹立性である。例えば冒頭の掲出歌を見てみよう。詠まれているのは、とある店に立ち寄って蜂蜜をひと壜買ったという、ありふれた日常のひとコマである。蜂蜜の色を「黄昏いろ」と詩的に表現し、「しずもれる」と受けることで、落ち着いた秋の静けさと、柔らかな光を放つ蜜の芳醇さが香ってくる。さらに、下句のかすかな句割れ・句跨りを媒介として、結句の「秋冷ふかむ」に落とし込むことで、一首の描き出す情景が、秋冷を感じている表現されていない〈私〉へと収斂する。その様は蝶がふわりと、しかし確実に望んだ花にとまるかのようである。
 もう少し見てみよう。
飼ひ犬に曳かれて人ら皆あゆむ新興住宅街のゆふぐれ
藁婚の女男めを立ち去りて残りたるストロー二本ふれあひもせず
死はつねにぴかぴかであれ花季はなどきのコイン洗車を霊柩車出づ
 多くの場合、大塚の歌が描くのは、吉野の桜や天河の能舞台のような、チャクラを刺激する特別な場所や歌枕ではなく、ごくありふれた卑俗な都市風景である。一首目の舞台は郊外に造成された新興住宅地だ。「新興住宅街」のように、一見すると歌に詠みにくい単語を使っている点も注目してよい。これまたありふれた光景なのだが、それを歌に落とし込む技法が光る。特に下句の造りの巧みさには感心させられる。「新興住宅/街のゆふぐれ」のような句割れ・句跨りは、一見納まりが悪そうに見えて、実は歌の着地を確かなものにしている。これは大塚が好む技法で、例えば『ガウディの月』に次のような歌がある。
理に生くる者らさびしむペコちやんのを撫でゐたり不二家ゆふぐれ
 邑書林のセレクション歌人『大塚寅彦集』の解説を書いた藤原龍一郎は、この歌の結句を捉えて、「こんな小気味のよい句割れはめったにない」と書いた。本歌集にも類例がある。句跨りの有無は別として、いずれも同じ句割れの手法である。
〈善行〉とふ犯人の名の曇りつつテレヴィもの憂し拉麺屋ひる
〈はだいろ〉の今はあらざる絵の具箱さむしも文具店ひるさがり
ピザ運ぶ原付サンタのくれなゐに雪降りをり街路ゆふぐれ
 先に引いた3首に戻ろう。2首目のポイントはもちろん「藁婚」と「ストロー」の縁語関係にある。藁婚式とは結婚2年目の記念日。飲み終えたグラスにささるストローが触れあいもしないとは、早くも二人の間に隙間風が立っていることを感じさせる。まるで短編小説のように鮮やかに一場面を切り取っている。このことは3首目にも言えよう。街角にあるワンコインで自分で洗車ができる施設から霊柩車が出てくるという、めったに目にすることのない光景である。「花季」とあるので、霊柩車に降りかかった桜の花を洗ったのか。「死はつねにぴかぴかであれ」は、もちろん文字通りの作者の願いではなく、この不思議な光景を目にして作者が抱いた、「死はつねにぴかぴかであれということか」という得心の表現である。
 このように大塚の歌に登場するのは、「ペコちゃん」や「原付サンタ」や「新興住宅街」のように卑近な素材なのだが、それが言葉の魔術によって詩的に昇華され、鮮やかに切り取られた印象的な一場面と化する。その納め方が余りに鮮やかなので、一首が完結して屹立性が非常に高い。これが端正な文語定型と相俟って、歌の姿を美しくしているのである。
 大塚は1961年生まれだから、世代的には1959年生まれの加藤治郎、62年生まれの荻原裕幸というニューウェーブ短歌の旗手と同世代である。この世代は前衛短歌の手法を吸収して、さらに修辞に工夫を凝らした世代である。一見手堅く古風に見える大塚の短歌もこの時代の潮流とは無関係でなく、絢爛たる言葉の技法を駆使した歌がある。
もののふのあづさゆみ春ひたごころたゆませし花咲ける城あと
口紅の色のもみぢの散りぬるをわが思いなほ果てぬゆふぐれ
夢のなかわが愛容れて茶を淹るる想い出せないほどのビューティー
れたきに狂れ得ぬこころ金きらのいてふ降らせる葉つぱ踏み踏み
六月の七彩うつる八仙花ここの辻にも十あまり咲く 
ZOOゆかば水漬く河馬寝かばねのうらうらと戦ひの夢或は見をらむ
 1首目、「あづさゆみ」は「張る」などに係る枕詞だから、「張る」と「春」の掛詞になっている。だから「あづさゆみ春」は、「梓の木でできた弓を張るような」という裏の意味を揺曳させつつ、時間副詞となって背景へと退き、「もののふのひたごころ」という主旋律に場所を譲る。歌意はしたがって、「かつて戦に向かう武士のひたむきな心を和ませた桜の花が咲いている城址」ということになるが、「たゆませし」までは花を導く序詞である。ものすごく手のこんだ修辞なのだが、それだけでなく調べの美しさにも注目すべきだろう。2首目の「散りぬるをわが」は、いろは歌からの引用。3首目には「容るる」と「淹るる」の同音語の遊びがあり、また「ビューティー」という大胆なカタカナ語の使用も注目される。これも先に触れた文章で藤原が指摘していることだが、大塚は「屋上ルーフ」「想像イマジン」「理容店バーバー」のように、漢語に外国語のルビをよく振る。本歌集でも「菜食主義者ヴェジタリアン」「淡紅ピンク)」「十字架クロス」「精神スピリット」など、その技法は健在である。形は違え、ニューウェーブ短歌がめざした表現の拡大と修辞の復活という大きな流れにあるものと言える。4首目は、「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」という、大橋巨泉が出演し1969年に放映された万年筆のCMからの引用である。狂いたいのに狂うことができないという上句の重い内容と、下句の言葉遊びとの対比がポイントだろう。5首目の「八仙花はっせんか」は紫陽花の異名だそうだ。この歌の眼目は六・七・八・十と数字を並べて、「ここのつじ」に九を隠した点にある。数え歌になっているのだから「十」は「じゅう」ではなく、「とう」と読んでほしい。言葉だけでできている歌と言えるが、これも言語空間に独自の美を築くことを目指した師の春日井の教えに従っていると言えるのかもしれない。6首目はもちろん「海ゆかば水漬く屍」という旧海軍の軍歌の名曲の換骨奪胎で、「ZOOゆかば水漬く」までが河馬を導く序詞となっている。実に絢爛たる修辞なのだが、修辞に溺れることなく歌の意味と姿に奉仕している。
 とまあ、このように語り出したらきりがないほどで、どの歌にも工夫と鑑賞ポイントがある。これだけ質の高い歌が並んでいる歌集も珍しい。読者諸賢はその美と同時に、その微量の毒もまた味わわれるがよい。
 簡潔なあとがきに、春日井が逝去して「短歌」の編集発行人を引き継ぐに当たって、多くの別れを経験したその思いが、控えめながら行間に滲んで読める。集中にも50歳を迎え、人生の残り時間を意識する境涯の苦みの漂う歌が多い。なかでも繰り返し歌われるのは、独りの飲食おんじきの歌である。最後に一首引いておこう。
ひやかなる牡蠣をぬるりと呑みしとき遠空の雲いなづま孕む