第62回 56回角川短歌賞雑感

 『短歌』11月号に恒例の角川短歌賞の受賞作が掲載された。今年の短歌賞は「塔」「京大短歌」所属大森静佳の「硝子の駒」が受賞した。平成元年生まれ21歳の若い歌人の受賞をまずは喜びたい。永田和宏、三枝昂之、小島ゆかり、梅内美華子の4人の選考委員全員が丸を付け、うち2人が二重丸つまり一位に推したというほぼ満票の受賞であることが、大森の歌の質を証明していよう。「時分の花」という言葉があるが、若い時にしか作れない歌というものがある。「硝子の駒」50首のように静かで控え目な恋の歌は、青春時代にしか作ることのできない歌だろう。
冬の駅ひとりになれば耳の奥に硝子の駒を置く場所がある
カーテンに遮光の重さ くちづけを終えてくずれた雲を見ている
祈るようにビニール傘をひらく昼あなたはどこにいるとも知らず
 大森の短歌は基本的には口語ベースでときどき文語が混じる文体で、きちんとした定型のなかに、一首目の三句六音、二首目の二句切れ一字空け、三首目の初句六音など、一本調子にならないように工夫がされている。端正で品のよい歌風で、選考委員の全員が推したのも無理はない。
レシートに冬の日付は記されて左から陽の射していた道
返信を待ちながらゆく館内に朽ちた水車の西洋画あり
一年と思う日の暮れ樹の匂う名前の駅で待ち合わせれば
 大森の巧さはこのような歌によく表れている。レシートにある冬の日付は過ぎ去った時間を表しており、そこに心の痛みがあることが暗示される。また「左から」の具体性がこの歌によく効いていることも見逃せない。俳句や短歌は微小な具体性に拘泥して広大な普遍に到る詩型である。二首目でメールの返信を待っている相手はもちろん恋人で、作者は美術館にいるのだが、目にしたのは朽ちた水車の絵で、それが恋の行方を暗示している。ここでは「水車」を選んだ選択と、「西洋画」というやや古風な言葉が効いている。三首目は恋人と出会って一年目の記念日なのだろう。「樹の匂う名前の駅」という表現に若さとおだやかな感情が感じられる。
 大森本人の責任ではないのだが、このような口語ベースの歌の欠点は、結句の文末表現が単調になるという点だろう。「場所がある」「雲を見ている」「君と見に行く」「背中を照らす」のような動詞の終止形は単調で、これは現代日本語の大きな欠点とされている。この単調さを避けるために体言止めにしたり、「海を呼びつつ」「壁にもたれて」「川へのバスに」など工夫がされているが、これにも限界がある。口語短歌について一考を要する課題だろう。
 今年度の角川短歌賞は水準が高かったと思うが、私が吃驚したのは次席に選ばれた小原奈実だ。
カーテンに鳥の影はやし速かりしのちつくづくと白きカーテン
仰向けに蝉さらされて六本の鉤爪ふかし天の心窩へ
水溜まりに空の色あり地のいろありはざまに暗き水の色あり
 一首目では室内からカーテンを鎖した窓を見ているのである。庭を鳥が飛び鳥の影がカーテンをよぎる。影が去った後にカーテンの白さが一層際だつという情景を詠んだものだが、その着眼点もさることながら「はやし速かりし」の疾走感のある措辞が見事である。二首目は夏が終わって路上で屍骸をさらす蝉を詠んだ歌。「心窩」とはみぞおちの部位と辞書を引いて初めて知った。極小の蝉と極大の天の対比が残酷さを際だたせる。三首目は雨が上がった後の水溜まりを三層に分けているのである。表面に空が映り、底に地面の土の色があり、その中間に溜まった水があるという。いったい誰が水溜まりをこのように三層に分けて観察することなど考えつくだろうか。つくづく感心してしまう。おまけに小原は平成3年生まれで弱冠19歳なのである。19歳にしてこの文語能力もなかなかのものだ。大塚寅彦、紀野恵らは若くして文語を駆使した短歌を作ったが、その後そのような歌人は絶えて久しい。小原には大いに期待したいものだ。
いずこかの金木犀のひろがりの果てとしてわれあり 風そよぐ
てのひらのくぼみに沿いしガラス器を落とせるわが手かたちうしなう
切り終えて包丁の刃の水平を見る目の薄き水なみだちぬ
 一首目の〈私〉を花の香りが風にのって届く境界線とする把握も秀逸である。二首目は選評で永田和宏が絶賛した歌。高校の化学実験の情景だが、フラスコかビーカーを持っているとき掌はある形をしているが、ガラス器を落としてしまうと掌が形状を保てなくなるという点に着目したのがすばらしい。また韻律もとてもよく、一読して記憶に残る。私がいちばん驚いたのは三首目の歌。俎で何かを切った後の包丁を水平に持ち鋭い刃を凝視する。そのとき眼球の表面を覆っている涙の水分が波立ったというのである。ありえないことである。しかし現実にはありえないことでも詩的真実を伝えることがある。小原はふつう人の気づかない細部に着目する能力があることに加えて、細部から一種の幻視を拡げる異能もあるようだ。頼もしい限りである。
 今年度の角川短歌賞で最も異彩を放つのは平田真紀の「サムシング」だろう。選評で永田が「選者に対する挑戦だ」と言い、審査員特別賞をあげたいとして大いに推した人である。その作風は特異という他はない。
唐茄子に見えなくもなし六畳にかれこれ三日放置されいる
剥いたまま放っておいて干からびてある日茶匙のようになりたり
やわらかになるまで長くかかりたり先端は原形をとどめず
 平田はわざと主語の「何が」を隠して作っているので、全体がなぞなぞのような不思議な感触の歌になっている。50首全部この調子なのがすごい。これで歌集を一冊編むのは苦しいだろうが、類例のないおもしろさなのは確かである。また「何が」を隠すことによって、放置された物体の不気味な存在感や茶匙のように変色した物の質感などだけが前面に出ることもおもしろい。ふつう属性は対象に帰属する。リンゴという対象が「赤い」という属性を持つのである。対象を離れて属性はない。ところが平田の歌では対象が消されているため、属性だけが空中に浮遊しているかのごとき不思議な感覚がある。異才と言えるだろう。本年度と昨年度の短歌研究新人賞に応募したフラワーしげると並んで、今後注目すべき歌人と言えよう。

第61回 遠藤由季『アシンメトリー』

澄むものと響きあいたるあきあかね君の頭上を群れて光れり
                  遠藤由季『アシンメトリー』
 まだ気温が25度を越す夏日もあるが、列島を襲った今年の記録的な炎暑はようやく去り、アキアカネの群れ飛ぶ季節となった。日本の短詩型文学の伝統に従い、季節感の合う歌を選んでみた。この歌の工夫のすべては初句・二句にある。アキアカネの群れ飛ぶ様を「澄むものと響きあいたる」と表現し、はっきりと名指すことを避けて「澄むもの」としたことで、一首に余韻と広がりが生まれている。高い空に鰯雲が薄く流れる、ピンと張り詰めたような秋の空気を感じることができる。
 遠藤は1973年生まれで「かりんの会」に所属。本書にも収録されている「真冬の漏斗」で2004年に第一回中城ふみ子賞を受賞。『アシンメトリー』は第一歌集で、坂井修一がていねいな跋文を寄せている。全体が4章からなり、「モノ」「ジ」「トリ」「テトラ」とギリシア語の数字を冠する。歌集題名は「翅ひろげ飛び立つ前の姿なす悲という文字のアシンメトリー」から採られている。雪の結晶をデザインした表紙は著者自身の手になるもので、「遠藤由季」名義で絵本もあるが同一人物かどうかわからない。
 さて、遠藤の歌の特徴を一言で言えと言われれば、それはおそらく「相聞」ということになるだろう。
想う人あるさみしさにざぼんより柚子に冬至のこころ寄せやる
ふくよかな裸身をさらすはまぐりの澄みたる椀に汝はくちづけぬ
君とわれ時おり光を投げあえり眼鏡をかけて本読む午後に
暗き星を関節ごとに灯しても春の星座となれぬふたりは
 本来、相聞は思慕の心を投げかけ合う相互的交通だが、自己表現を中心に置き〈私の歌〉となった近現代短歌では相互性は消滅して、しばしば一方通行の想いの表現となる。遠藤の歌も例外ではなく、本歌集の相聞のほとんどは相手に届かぬ想いを詠ったものである。その意味ではもはや相聞ではなく、一人称の歌と見るほうが適切なのかもしれない。たとえば一首目で心を寄せる対象は柚子という物体で、二人称は不在である。二首目と三首目には「汝」「君」が登場し、確かにここには二人称がいる。しかし四首目になるとまた二人称は星座のなかに消えてしまう。だから遠藤の相聞は実は徹底的な一人称の歌なのである。
 それは当然ではないかと思われるかもしれない。明治時代の短歌革新によって〈私〉の表現形式となった近代短歌が一人称の歌になるのは当然ではないかと。しかし、「〈私〉の表現」と「一人称短歌」とはイコールではない。事実、近代短歌をリードしたアララギが表現手段としたのは客観写生であり、そこに一人称の入り込む余地はない。だから短歌が「〈私〉の表現」であることは、歌のなかに一人称が充満することを意味しない。
 遠藤の歌にはときに過剰に一人称が溢れている。次の歌などどうだろう。
春をふくむふくよかな胸もたずして冬枝のような息ばかり吐く
いつ見ても濡れている花 約束の頓挫する日に咲く梔子
一首目の「春をふくむふくよかな胸」も主観性の濃い表現だが、何より一人称を強く感じさせるのは結句の「息ばかり吐く」である。「息を吐く」なら客観描写だが、「息ばかり吐く」は主観的で一人称的表現である。二首目の「いつ見ても濡れている花」にも一人称が強く感じられる。いつも花を見ている〈私〉がいなければ、「いつ見ても濡れている花」とは言えないからである。このような世界の見方と語法は客観写生からは遠く、セピア色に染まる古い写真のように、世界のすべてが一人称色に染まっているかのようである。
 このことは傾向の異なる他の歌人の歌と遠藤の歌を並べてみるとよく感じられるだろう。
露骨なるかんじの空にかかげ佇つ脳の奧処に海馬はありて
            鳴海宥『BARCAROLLE [舟唄] 』
しずみゆく船のようなるゆうぐれに鉄柵ありて鳥とまりおり
                 吉川宏志『西行の肺』
慎みてわれ喰まむとすうつしみを離れたる肉のさえざえとあり
                   喜多昭夫『青霊』
鳴海の歌はダリのシュルレアリズムを思わせる世界像に多分に知的なポエジーを立ち上げており、吉川の歌は確かな目による写実に静かな情感を滲ませていて、喜多は得意の飲食の歌に清冽な抒情を詠っている。いずれも「私は世界をこのように見る」という意味において「〈私〉の表現」であるが、一人称性は抑制されている。
 遠藤のように一人称性が濃厚な歌の問題点は、ややもすれば世界の把握とそれを表現する語法が甘くなることだろう。それは特に下句に表れる。
破られる運命にあり約束も紙もわたしを傷物にして
雪を掬いじんじんと熱くなりゆく手これっぽっちの心も掬えず
煩わしい約束終わりユニクロをのびのびと着る夜のわたくし
剥き出しの配管みたいな純粋さ壁に隠しておけばよかった
これらの歌の下句はあまりにそのまんまであり、歌に必要な詩的昇華を経ているとは思えない。〈私〉のストレートな表現が歌となるのではなく、〈私〉は変成と組み替えと再創造という玄妙不可思議な過程を経て初めて芸術表現となる。
 一方、遠藤の次のような歌では、この錬金術が成功しているように見える。それはこれらの歌を支える〈私〉がそのまんまの〈私〉ではなく、世界の把握と表現とを志向することで、〈私〉の普遍化の水際へと接近しているからである。
朝ごとに光のほうへ右折するバスの終点へ行きしことなく
首長きものはさみしえ白鳥の舟をふたりで漕ぐ水際まで
ぴったりと寒鮃黒く黙しいる魚屋過ぎればわが影の無く
音のすべて遠く聞きおり自転車が激しく風に倒される辺で
雨のけはい小さな町にはりつめて隣町へと洩れてゆく午後
自らの影切り放ち飛び立てる鳥の翼をひかりと見つむ
もちろん遠藤の相聞のなかにもよい歌がないわけではない。また短歌を自らの生の軌跡の私的な記録と見なす見方もあるだろう。しかし短歌を〈私〉の玩具に終わらせないためには、これらの歌が示しているような方向をめざすべきではないだろうか。

第60回 越境への誘い – 科学と短歌

 諏訪兼位かねのり『科学を短歌によむ』(岩波科学ライブラリー, 2007)と、松村由利子『31文字のなかの科学』(NTT出版、2009)を同時に読んだ。諏訪は名古屋大学理学部長や日本福祉大学学長を務めた地質学者で、松村は『鳥女』で現代短歌新人賞を受賞した歌人であると同時に、元毎日新聞記者で科学畑の取材をしていた人である。本書で2010年度の科学ジャーナリスト賞を受賞している。
 同じように科学と短歌の関係に焦点を当てながら、2冊の本の切り口は異なっている。諏訪の本のテーマは、科学者がどのように短歌を詠んできたかであり、科学者は短歌の作者の位置にある。引用されている歌に詠まれている題材は科学に限らない。一方、松村の本は科学が短歌にどのように詠まれているかという点に焦点を当てており、作者は必ずしも科学者ではなく、そうではない例の方が多い。しかし詠まれている素材は広義の自然科学に関わるテーマである。このように位置取りの異なる2冊の本は、一部が重なるベン図式のように、重複部分を持ちながらも独自の方向への広がりを見せていて、同時に読むことで興味が増幅される2冊だと言えるだろう。
 人間を理科系と文科系に二分するのは日本特有の習慣だと言われるが、理科系に属する人が文学に傾倒する例は珍しくない。明治時代の近代文学成立以後、いちばん多いのは医者が文学に越境するケースだろう。森鴎外に始まり、小説では木々高太郎、山田風太郎、加賀乙彦、なだいなだ、藤枝静男、渡辺淳一、北杜夫、海堂尊らがおり、短歌でも斎藤茂吉、上田三四二、原田禹雄、浜田到、岡井隆などの名前がすぐに頭に浮かぶ。医学以外の理科系の分野で短歌や俳句などの短詩型文学に手を染める人も少なくない。二足のわらじで活躍する人としては、細胞生物学者の永田和宏と娘の紅、計算機科学者の坂井修一らがいるが、諏訪の本を読むと、実に多くの理科系の人が短歌を作ってきたことがわかる。明治時代の物理学者・石原純は現代の私たちには馴染みがないが、有名どころではノーベル賞を受賞した物理学者・湯川秀樹も短歌を詠んでおり、『深山木』という歌集がある。
天地あめつちもよりて立つらん芥子の実も底に凝るらん深きことわり
わかれさす光かそけき深山木の道ふみわけし人し偲ばゆ
 「深きことわり」とは森羅万象を統べる自然法則であり、「深山木の道ふみわけし人」は果てしのない科学の探究という道に踏み込んだ研究者の喩である。「わかれさす光」は生い茂った枝の間から射す光で深山の描写だが、光の研究に没頭しニュートン・リングに名を残したニュートンとも遠く響き合うようにも感じる。湯川の短歌はこのように、自然の哲理の深奥に思いを馳せた歌となっている。
 同じ物理学者では、戦前に渡仏しジュリオ・キュリーのもとで放射線の研究に携わった湯浅年子も短歌を詠んだ人である。戦前のパリにはパリ短歌会があったそうで、湯浅も参加していたという。
帰る船なしときゝつゝ秘やかに躍る心を母許しませ
神さびてたちます老いし師の君の白き実験着の目にしるきかも
 一首目は日本に残した父の訃報に接した際に詠まれた歌で、当時は日本とフランスを結ぶのは30日かかる船旅であった。長期の留学は親の死に目に会えないことを意味したのである。「躍る心」は帰国の船がないことを口実として、研究に没頭できることを喜ぶ後ろめたさを表している。二首目は師のジュリオ・キュリーを詠んだものと思われる。
二た月を黙してすごしぬアフリカの夜のサバンナ雷鳴轟く  松沢哲郎
青そらの星をきわむとマウナケア動きそめにしすばるたたえむ
                      藤田良雄
やわらかき冬の光が身に沁みて生きよ生きよと我を温む  柳澤桂子
 松沢は京都大学霊長類研究所教授で、天才チンパンジーのアイに関する研究で知られている。この歌はアフリカでの類人猿のフィールド調査の折のもの。二ヶ月にわたる沈黙というかんたんな記述に研究者の苦労が知れる。藤田は天文学者で宮中歌会始の召人も務めた歌人。「すばる」はハワイのマウナケア山頂に建設された大型天体望遠鏡で、2000年に稼働したときの研究者としての喜びが率直に詠われている。柳澤は生命科学者で、長年原因不明の難病に苦しんだ。それゆえの生きる喜びの歌である。
 『科学を短歌によむ』は著者の諏訪の選歌にもよるのだろうが、「科学者が短歌を詠む」というタイトルの方がふさわしい。上に引用した歌の多くは、自然科学者でなくとも誰でも感じる喜怒哀楽を歌にしたものである。言うまでもなく自然科学者にも日々の感情生活があり、希望もあれば失望もある。それを歌にするとき自然科学者に特有のことはなにもないことが、本書に引かれた歌を読むとよくわかる。
 これにたいして松村由利子『31文字のなかの科学』は、自然科学がテーマとして詠まれた歌を取り上げていて、諏訪の本を補完する内容になっている。こちらからも何首か引用してみよう。
レンズ下にしく狂える細胞は”花むしろ様配列ストリフォルム“という名を持てり                                久山倫代
 「狂える細胞」とは悪性腫瘍細胞のことで、暴走して無限に分裂を繰り返す。そんな禍々しい細胞の姿に「花むしろ様配列」という美しい名があることに驚く。短歌に自然科学を詠むときに発揮される力のひとつは、このように美しいコノテーションを持つ自然科学の用語が開く世界だろう。私たちはふだんは肉眼で見、耳で音を聞く世界に暮らしているが、科学の探査プローブは肉学では見えない微視的世界や何万光年離れた世界をも射程に入れる。そこで展開される生命や自然の様相が、ふだんは日常世界に立脚している短歌の世界を広げてくれることは確かである。
検索をすればたやすくゆきあたる顔写真ありHelaその人  永田紅
 ヒーラ細胞とは1951年に培養されたヒト由来の細胞株で、爾来半世紀以上にわたって実験室で用いられている。Henrietta Lacksという女性から採取されたものだが、本人は同年に死亡しても細胞はまだ生き続けている。永田が歌に詠んだHelaその人とは、この当人のことである。検索によってたやすく顔写真までわかるのも驚きだが、それより死者の細胞が半世紀以上にわたって死後に生き続けるところに驚きがある。このワンダーを短歌がうまく取り入れることができるだろうか。
体内に海抱くことのさびしさのたとへばランゲルハンス島という島
                            大辻隆弘
 大辻が詠う体内の海とは、海水と塩分濃度がほぼ等しいという血液の循環のこと。ランゲルハンス島とは膵臓内にあってインシュリンを作る器官。それを知らずに聞くと北海のどこかに実在する島のようにも聞こえる。それを逆手にとった『ランゲルハンス島の午後』というエッセー集が村上春樹にある。安西水丸のイラストが素敵だ。大辻の歌は海という極大と身体器官という極小を対比させたなかなかの名歌だと思う。
宇宙塵いくたび折れて届きたる春のひかりのなかの紫雲英田  玉井清弘
 宇宙塵とは宇宙に浮遊している星間物質のこと。光は真空を直進するが、微小固体である宇宙塵にぶつかると散乱する。そんな散乱をどれくらいくぐり抜けて地球に到達した春の光だろうかと、作者は田んぼに咲くれんげ草を見ながら思っているのである。宇宙塵へと思いを馳せるところが歌の骨格を大きくしている。
神様とわたしどんどん遠ざかる夜ごと赤方偏移のしらべ  佐藤弓生
 佐藤はSFも書いているので、歌の発想のどこかに科学に触れるところがある。赤方偏移(redshift)とは光の波長が長い方、つまりスペクトルの赤い方へとずれることをいう。音におけるドップラー効果と同じで、光源が遠ざかっていることを意味し、星の放つ光が赤方偏移を示していることが膨張宇宙論の根拠とされた。だから佐藤の歌では私と神様がだんだん遠ざかると詠われているのだが、もちろんここには私の心が神から離れてゆくということも重ねられている。赤方偏移という言葉にはどこか悲しい響きがある。膨れ続けるこの宇宙は、いつか収縮に転じると考えられている。
時限装置のテロメア持たされ生れしゆゑ人もけものもしずかに歩め
                          松川洋子
 テロメアとは染色体の端に見つかった構造体で、回数券の綴りのように一枚ずつ使われることで、細胞の寿命を決定しているという。つまり回数券を使い果たしたら寿命が尽きたことになる。だから松川の歌では時限装置と詠われているのである。テロメアを持つのは人間も動物も変わりない。私たちはいつか使い終わる回数券を持たされて、この世に放り出されたのである。その理不尽さに対する感慨が、「人もけものも閑かに歩め」という下句に静かに表現されている。
 自然科学は顕微鏡や望遠鏡によって、肉眼では目に見えない微視的世界や巨視的世界を私たちの認識のもとに置くことを可能にした。それは同時に私たちの感覚世界が飛躍的に拡大したことを意味する。しかし肉眼を超える世界を思い描くには、いささかの想像力を必要とする。歌人たちは想像力を駆使して、このように私たちの感覚世界を広げることに成功していると言えるだろう。厳密な論理と証明を旨とする自然科学とポエジーは相容れないように見えるかもしれないが、決してそんなことはない。
 ランゲルハンス島はこの器官を発見した19世紀のドイツの医学者ランゲルハンスの名を冠しているが、人の名前が付いた科学用語は少なくない。パブロフの犬は実在の実験動物だが、実在しないものもたくさんある。「マックスウェルの悪魔」は、分子の運動に細工することで熱力学第二法則を成り立たなくする想像上の仮定で、「シュレジンガーの猫」は量子力学が前提とする確率論的世界観を表現するために考案された思考実験をさす。「ディラックの海」は物理学者のディラックが考案した陽電子で満たされた空間だが、どこかポエジーを感じさせる。巻き貝の形状を表すフィボナッチ数列など、とても詩的だと思うのだが。なかでも私が美しいと感じるのは「チェレンコフ光」である。チェレンコフ光とは、電荷を帯びた荷電粒子がその物質中での光速より速い速度で運動したときに出る青白い光をいい、ロシアの科学者チェレンコフによって発見された。その青白い光も美しいが、「チェレンコフ光」という音の響きがとても美しいと思う。
 しかし現実にはチェレンコフ光とは人を殺す禍々しい光である。1999年に東海村の核燃料処理施設で臨界事故が起きたとき、被爆した作業員がみた青白い光がチェレンコフ光であった。今野はこの事故を次のように歌に詠んでいる。
とことはにウランは少女の名であればあな青白き光不意打ち  今野寿美
 最後に諏訪の本にも松村の本にも引かれていないが、私が心打たれた歌を一首引いておきたい。1966年に起きた全日空機事故の調査報告に納得せず、独自の事故調査を『最後の30秒』という著書にまとめた東大教授・山名正夫の歌である。
はるのそら とはのなみだの ひとつゆを いまなきひとの たまのみまえに

第59回 光森裕樹『鈴を産むひばり』

おたがいの母語に訳して聴いてみるおのまとぺいあミュンヘンは雨
                 光森裕樹『鈴を産むひばり』
 作者は旅行中にミュンヘンにいて、おそらくドイツ人と英語で会話をしている。話の中で擬音語が話題になり、英語でまず言われた擬音語を日本語とドイツ語にそれぞれ言い換えて自分の耳で聴いているという場面だろう。擬音語は動物の鳴き声を表す「ワンワン」や、事物のたてる音を表す「バタン」など自然界の音を模したものなので、どの言語でも共通だと思われるかもしれないが、実はそうではない。その言語の音韻体系というフィルターを通して濾過されるため、かなり異なっている。だからこの歌ではおたがいの母語に訳しているのだが、擬音語を「訳す」という発想に一瞬虚を突かれる思いがする。音と言葉に敏感な歌人ならではの発見だろう。それまでの二人の会話が止んで、それぞれ自国語の擬音語に内省的に耳を傾けている静止的な場面と、それに反比例して前景化される窓の外に降るミュンヘンの雨との対比も美しい。「おのまとぺいあ」の日本語表記が歌の意味に貢献しつつ、韻律を内部から支えている点にも注目すべきだろう。平仮名表記は読字速度を遅くする効果があるからである。
 光森裕樹は1979年生まれ。京大短歌OBで、「新首都の会」や「さまよえる歌人の会」などに参加しているが、所属結社はなし。2005年に「鈴を産むひばり」で第16回歌壇賞候補、同年「水と付箋紙」で第51回角川短歌賞次席、2008年「空の壁紙」で第54回角川短歌賞を受賞している。『鈴を産むひばり』はこれらの候補作や受賞作を収録した第一歌集なのだが、誰しも驚くのはその造本の簡素さである。カバーなし、帯なし、帯文なし、栞なし、跋文なしのないない尽くしで、巻末の経歴はたったの2行しかない。しかも版元は「港の人」という無名の出版社で、歌集を出すのは初めてだという。ふつう角川短歌賞受賞クラスの歌人なら、歌集専門の出版社から美麗な装幀で出版し、名のある歌人に依頼した栞文を添え、結社に所属していれば主宰の跋文を拝領するのが普通のやり方だろう。光森はその一切を実に軽やかに拒否してみせたわけだ。これには二つのことを感じる。まず若い現代歌人の多くは、結社のような前世紀的組織体への帰属と、その中での〈雑巾掛けから始める〉的人間関係のしがらみを嫌うということである。それはよくわかる。しかしそれと同時に感じるのは、歌人として生きる以上、人間関係的しがらみは避けようもなく、またしがらみは逆説的ながら歌を生み出すエネルギーともなるということである。爽やかにスタイリッシュに生きたい人はドロドロを嫌う。そのことは光森の歌の質に如実に反映されているように思う。
 若い歌人の短歌をひと言のキーワードで言い表すのは難しいのだが、あえて光森の短歌を形容すると、「あらかじめ傷ついていた〈私〉的気分の完全な不在」という、我ながらいささか「長すぎる」ルナール的形容になるだろう。光森が成人した頃にはバブル経済が崩壊して「失われた20年」に突入していた世代なのだが、この世代の男性歌人には珍しく「不景気な感じ」(by荻原裕幸)がない。近代短歌の王道を行く清新な抒情詩である。これが最も感じられるのが、連作「水と付箋紙」だろう。「水と付箋紙」という題名は水泳と遺稿歌集を表しており、この二つのテーマが光と影のように交錯する構成になっている。
泳ぐとき影と離れるからだかなバサロキックでめざす大空
しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年
いちにちの読点としてめぐすりをさすとき吾をうつ蝉時雨
どのように挿れるフォークもこぼすだらうベリータルトにベリーはあふれ
 バサロキックは背泳ぎのスタート時の泳法で、仰向けになり腕を伸ばして壁をキックする。バタフライのドルフィンキックと並んで力動的な泳法である。よりポピュラーなドルフィンキックを選ばなかった点に作者の工夫がある。二首目はバリバリの青春歌。三首目は特に私が好きな歌で、朝日新聞の短歌時評で田中槐もこの歌を引いていた。青春の明るさだけでなく、ふと過ぎる暗さを感じさせる。四首目に若者の不全感が若干感じられはするが、全体の基調とはならない。
だとしてもきみが五月と呼ぶものが果たしてぼくにあったかどうか
「きみ」が『われに五月を』の寺山修司であることは明らかだが、「髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた」(嵯峨直樹)のような不全感全開の方向には光森は行かないのである。
 本歌集で素材的に新しさを感じさせるのは次のような歌群だろう。
ハーケンのごとく打たれし註釈を頼りにソースコードを辿りぬ
あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず
行方不明の少女を捜すこゑに似てVirus.MSWord.Melissa
つひに巴里さへ燃えあがる夜も冷えびえと検索窓は開いているか
 作者は生き馬の目を抜くIT業界で働いている。近代小説と並んで近代短歌はこの世のあらゆる物事をテーマとしうる術を開発したが、コンピュータ・ネットワークの形成するサイバースペースも短歌で詠われるようになったのである。一首目、「ソースコード」とはコンピュータのプログラム開発の最初の状態で、コンパイルされる前の状態を言う。原作者のコメントが書き込まれており、それを頼りにプログラムを解読しようとしているのである。他人が作ったプログラムはわかりにくいのだ。原作者のコメントをハーケンに喩える喩は、おそらく短歌では初めてだろう。Google Earthはグーグル社の提供する衛星写真で、原理的に地球の昼の世界のみが写されており夜の映像はない。当然と言えば当然なのだが、改めて指摘されると夜のない地球に愕然とする。三首目のMelissaはミレニアム前後に世界的に流行したコンピュータ・ウィルスの名前。パソコンのどこかにウィルスが潜んでいないか捜索しているのである。メリッサが女性の名前であることからの連想から生まれた歌。ちなみにメリッサとは、後に逮捕された作者が贔屓にしていたストリッパーの名前だったらしい。四首目にはBrennt Paris?と詞書がある。ヒットラーの「パリは燃えているか」だが、それをウェブ・ブラウザの「検索窓は開いているか」へとずらしている。これらの歌ではコンピュータという素材の新しさに寄りかかることなく、作者の目指す知的な抒情へとうまく組み込まれていると言えるだろう。
 光森の作風は時に「クール」と評されることがあるが、確かに身を捩るような詠嘆はあまり見られない。すべての歌に知的な世界把握が勝っている。そのような世界への向き合い方は、次のような歌によく現れている。
ていねいに図を描くのみの答案に流水算の舟すれちがふ
フィラメント繋げる如く綴りゆき立ちかへりては打つウムラウト
国匡匡圧土十一くにほろぶさま一十圧匡匡国くにおこるさまけふも王が王座を吾にゆづらぬ
ほほゑみを示す顔文字とどきゐつ鼻のあたりで改行されて
指示をだすケネディ国際空港JFKを”Jack-Fox-King”と呼び替へ
 流水算は算数の問題のひとつで、「ある川のA地点からB地点に川を遡るときはa時間、下るときはb時間かかる。水の流れる速度と舟の速度は一定だとすると、それらはいくらか」というのが典型的な出題形式である。掲出歌の答案には川を遡る舟と下る舟とが描かれているが、計算と解答がないのである。学習塾の光景だろうか。答のない二艘の舟だけが答案用紙の上ですれ違うところに詩的抒情が漂う。次の二首は言葉そのものを素材にした歌。二首目のウムラウトとはドイツ語で発音を表す記号のこと。ドイツ語を筆記体で綴っているので「フィラメント繋げる如く」なのである。三首目の2文字目はほんとうは「はこがまえ」に「玉」なのだが、文字コードの制約で表示できないのでご勘弁いただきたい。「一十圧匡匡国」の5文字目も同様。「国滅ぶ様」とルビの打たれた「国匡匡圧土十一」は、漢字の画数が少しずつ減っていて、国が滅ぶ有様を視覚的に表現した一種の漢字遊びなのである。四首目は電子メールなどで使う顔文字を素材にした歌。顔文字は既存の記号を組み合わせて作るので、鼻のあたりで行末になってしまい、顔の残りが次の行に行っている。微笑みが分断されているところが哀れを誘う。五首目は、航空機のパイロットの交信で空港を表す略号JFKを伝達する際に、聞き間違いが起きないようにJをJack、FをFox、KをKingと発音して伝えている場面。悲劇の大統領ケネディが「キツネの王ジャック」になっているところにおかしみがある。いずれの歌も人生の重大な場面での喜怒哀楽を詠った歌ではなく、ふつうならば気づかれずに過ぎてゆく日常のささいな場面に静かな詩情が漂う歌になっている。これが光森の持ち味であり、そのように歌を組み上げて行く手つきは非常にうまい。
 しかし少しやり過ぎると、読んだだけではわからない考え落ちになることもある。次の歌などそうだろう。
ものの影増しゆく厚みにつまづけば八月が持つ二度のヴェイユ忌
日本語にVersionありや紅玉の名を持つ言語にゆふべ戯る
 よく知られているのは哲学者のシモーヌ・ヴェイユで、1943年8月24日に亡くなっている。戦争に反対しての自発的餓死である。その兄アンドレ・ヴェイユは有名な数学者で、1998年8月6日に死亡している。だから8月には2度のヴェイユ忌があるのだが、ふつうの人は兄の数学者を知らないので理解できないだろう。二首目には「Ruby 1.8.7」という詞書がある。Rubyは日本で開発されたコンピュータ言語の一種で、宝石のルビーの和名は「紅玉」という。これを知らないと歌の意味はわからない。詞書の「Ruby 1.8.7」はこの言語のバージョンを表しているので、「日本語にVersionありや」なのである。かなり凝った造りで、少しやり過ぎの感もないではない。
 しかしこれらの歌を見ても光森の基本的スタンスが、世界の情的把握ではなく知的把握に傾いていることがわかる。読者はその痕跡をなぞるように歌の世界に導かれ、軽い驚きと静かな抒情を味わうことになる。若手の男性歌人でこのような歌の世界を作り上げている人は少ない。その意味でもこれからますます期待される歌人と言えるだろう。本書は待望の第一歌集であり、本書を繙く人は決して期待を裏切られることはあるまい。
 最後に特によいと思った歌を挙げておこう。
ポケットに銀貨があれば海を買ふつもりで歩く祭りのゆふべ
売るほどに霞みゆきたり縁日を少し離れて立つ蛍売り
今日、星の遠心力はおだやかにして径のに揚羽蝶あり
廃線になる日は銀杏のふるさとを囲ふ踏切すべてあがる日
火にかざすべくうらがへすてぶくろの内側となる冬のゆふやけ
ビル壁面を抜けて鴉にかはりたり羽ばたく影とみてゐしものが
ドアの鍵強くさしこむこの深さならば死に至るふかさか
致死量に達する予感みちてなほ吸ひこむほどにあまきはるかぜ
 長くなるので一首ごとの読みは書かないが、二首目の蛍売りは夜の闇の中で売り物の蛍の明かりに照らされているので、蛍が減ると闇に霞んでゆくという仕組みである。ほんとうにあった光景とはとても思えないが、幻想的で美しい。三首目は前衛俳句のような味わいの歌。東経・西経を表す経線はほんとうに地球上に描かれているわけではないが、ちょうど経線上に蝶がいるという把握である。地球という極大と蝶という極小の取り合わせが前衛俳句的で歌柄の大きな歌だ。このような味わいの歌がもう少しあってもよいか。六首目は影と見えたものが実際には鴉だったという発見の歌で、これもおもしろい発想。五首目や八首目の歌の感触は、どこか村木道彦を思わせるものがある。
 最後にもう一度造本に触れておくと、活版印刷なのがよい。紙に触れたとき文字に凸凹が感じられ、活字に表情がある。コンピュータ製版のオフセット印刷の文字は平板で表情がない。ここにも作者のこだわりが感じられる。糸かがり綴じ製本も近頃はあまり見ないやり方だ。作りたいように作った歌集である。何を幸福と感じるかは人によってちがうが、やりたいようにできたというのは幸福の一つの形かもしれない。ならば作者は幸福な歌人と言えるだろう。

第58回 短歌のなかの事物たち

 短歌を読む楽しみのひとつに、歌のなかに詠み込まれた事物との出会いがある。短歌のなかには純粋に想いだけを詠んだものもないではないが、たいていは何らかの事物が詠み込まれている。
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ  北原白秋
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生  栗木京子
 誰知らぬ者のない有名な歌を二首挙げたが、白秋の歌では林檎が、栗木の歌では観覧車が、歌の生命線として働く事物として詠み込まれている。これらの歌を一度読んでしまったら、もうそれ以後は自分の頭のなかに格納された語彙貯蔵庫において、林檎と観覧車とは切り離すことのできない意味として漂い続けることになる。言語の豊かさとはそういう目に見えない意味から構成されている。
 短歌を読み始めたとき、多くの歌人の歌に繰り返し現れる事物があることに気づいて、ノートにメモするようになった。「卵」「紫陽花」「自転車」「観覧車」「噴水」「音叉 」「便器」「ハルシオン」「冷蔵庫」「きりん」などがメモされている。千勝三喜男『現代短歌分類集成』や、先頃公刊された『角川現代短歌集成』全五巻もテーマ別のアンソロジーだが、なにせ分類項目が森羅万象にわたっているので、項目ごとの収録歌数は少ない。私の理想は小池光の『現代歌まくら』(五柳書院)で、小池らしいセンスで選ばれた事物や地名の歌のアンソロジーである。なかには「菜の花」や「みずうみ」など、いかにも短歌らしい事物もあるが、「ノバヤゼムリア」とか「遮断機」のように一風変わったものもあっておもしろい。なかには「蛇崩」のように佐藤佐太郎専用の歌まくらもある。
見えざる手がやさしく廻す観覧車秋冷に死者ばかり乗せて  松野志保
青年死して七月かがやけり軍靴のなかの汝が運動靴  安藤 正
 栗木の歌では青春期の恋のアイテムだった観覧車は、松野の歌ではその甘やかさを冷徹に剥ぎ取られて、死と生の境界に回転する不吉な装置となっている。また安藤の歌では運動靴が青年の早すぎる死を悼むアイテムとして、動かせない重みを持っていることは言うまでもない。いずれも観覧車と運動靴という事物の持つ意味、つまりは私たち自身が事物に付与する意味を十全に発揮した例と言えよう。このように詠まれてはじめて事物は、歌のなかで一回性の輝きを帯びるのである。
 今改めてこのようなわかりきったことを書くのは、現代短歌のなかで事物の意味が衰弱しているのではないかと感じるからだ。それは現代短歌が穂村弘の言う「ワンダー」から「シンパシー」へと大きく舵を切ったことと関係しているだろう。「ワンダー」においては事物は日常とは異なる意味性を帯びるが、「シンパシー」は〈私とあなたは同じ〉という水平感覚に立脚している以上、日常を超えるベクトルを持たないからである。
 今年度の短歌研究新人賞受賞者が先頃発表された。京大短歌OBの吉田竜宇「ロックン・エンド・ロール」と早稲田短歌会の山崎聡子「死と放埒な君の目と」である。選考座談会で佐佐木幸綱が「これで完全口語短歌の時代になった」と感想を述べたように、口語短歌を作る若い二人の受賞となった。受賞作品にたいする批評はいろいろあるだろうが、ここではそれらを一切捨象して、事物がどのように詠まれているかという一点に絞って見てみたい。
 吉田竜宇「ロックン・エンド・ロール」から事物が詠み込まれた歌を抜き出してみよう。
[噴水、靴]
戦争がしたい 広場の噴水に誰かが靴を落としていった
[水槽]
水槽を抱えて歩くぼくたちはきっとなにかを忘れたままで
[貯水タンク]
またひとりまっさかさまを見届けて貯水タンクがふくらむ真昼
[角砂糖]
夜更かしをしても叱られないキミに預けるたくさんの角砂糖
[極楽鳥花]
殖えすぎた極楽鳥花ストレリチアを半透明のふくろに詰めている夜明け前
[観覧車]
観覧車の楕円の影にかこまれてなんども同じことをしようよ
[ビニール傘]
ところにより運命論を伴ってビニール傘に降る冬の雨
[指輪]
カーマイン・レッドを搾り出すほどの力を込めて抜かれた指輪
 一首目に詠まれている事物は「噴水」と「靴」である。噴水の歌といえば次のようなものがある。
噴水は疾風にたふれ噴きゐたり凛々たりきらめける冬の浪費よ
                      葛原妙子
水は水に触れてさざめく噴水のみづのあそびを見つつ過ぎゆく
                      古谷智子
 葛原の歌も古谷の歌も噴水の姿を独自の眼差しで捉えている。こうして吉田の歌と並べてみると、歌の作り方が決定的に変化していることに改めて気づく。葛原や古谷の歌には事物に注ぐ眼差しがある。確かに事物の向こう側に何かを見ようとする意思はあるものの、事物はその眼差しの橋頭堡として歌のなかで確かな存在感を与えられている。一方、吉田の歌で事物の存在感は、まるで書き割りのように極めて薄い。何か伝えたい想い、表現したい空気がまず最初にあり、事物はその単なる口実のように置かれている感じが拭えない。吉田の歌では噴水も靴も小道具にすぎず、そこからどのような噴水の姿も伝わってこない。短歌に詠まれた事物好きとしては、これは何とも物足りないのである。
 二首目の「水槽」はおそらく熱帯魚などを飼育する水槽だろう。「水槽を抱えて歩く」という非日常的イメージには興味を引かれるが、これも下句が表す気分に奉仕するためにある。このような事物の捉え方が今の若い人たちの歌によく見られる。
 三首目の「貯水タンク」はビルの屋上などにある給水用のタンクである。「またひとりまっさかさま」は飛び降り自殺のことだが、貯水タンクは密閉されているのでタンクに飛び込んだわけではなかろう。ならなぜ貯水タンクが膨らむのかは謎だが、都会の不気味さはよく出ているのは確かである。
 一方、四首目の「角砂糖」はかなり疑問だ。角砂糖のどのような特性が歌の意味に寄与しているのか不明であり、角砂糖を別のものに変えてもなんら変わらないように思える。
 五首目の「極楽鳥花」は一連のなかで最も非日常的なアイテムであり、また最も成功している事物の例である。極楽鳥花は鳥の頭部を思わせる特異な形状の花であり、花を袋に入れることはあるだろうが、連想からまるで鳥を袋詰めにしているイメージが湧く。「殖えすぎた」とあるので捨てるためだとすると、華麗な花の姿との対比が際だつ。どことなく、「輸出用の蘭花の束を空港へ空港へ乞食夫妻がはこび」という塚本邦雄の歌を連想されるものがある。
 六首目の「観覧車」に必然性が弱いのにたいして、七首目の「ビニール傘」はアイテムとして生きていると言えるだろう。若い人の短歌によく登場するアイテムではあるが。
 八首目の「指輪」は呪的要素(ex. トールキンの指輪物語)と婚約・結婚の象徴(その反面としての隷属)としての意味を伝統的に帯びているアイテムだが、吉田の歌は状況がはっきりしないため、指輪に付与された意味づけがわからない。一首から伝わるのはただ盲目的な熱情もしくは暴力である。事物としての指輪の結像力はここでも低い。
 次は山崎聡子「死と放埒な君の目と」から抜き出してみよう。
[マルボロ]
夕闇のきみ、指先にて湿りゆくマルボロあれを花火と呼ぼう
[ソーダー]
ソーダーのにおい仄かに立ちのぼる手首を君に押し当てている
[黒角砂糖]
「四谷っていつでも風が強く吹く」黒角砂糖たたき割る姉は
[バスタブ]
真夜中に義兄あにの背中で満たされたバスタブのその硬さを思う
[サンダル]
ペディキュアを塗っては十の足指をひたむきにサンダルに沈める
[助手席]
助手席のクーラーからは八月の土のにおいが漏れて 遠雷
[カローラ]
罪深いおしゃべりばかり溢れだす、カローラ、義兄(あに)のカローラ
[ブラウス]
八月は耳鳴り あの日校庭の日陰に埋めた白いブラウス
 書き写してみて初めて気がついたが、山崎の歌に登場する事物はカタカナものが多い。作者が女性なので当然と言えば当然である。もうひとつ気づいたのは、漢字と仮名の配合がワープロ変換通りである。ふつう漢字で書くところを平仮名で書いたり、その逆をしたりする表記上の工夫を山崎はほとんど行なっていない。
 そのことは措くとして、山崎の歌に詠まれた事物たちは吉田のそれらとは表情がちがうことにすぐ気づかされる。一首目の「きみ」は男性なので、「マルボロ」は男性性の象徴としてのアイテムである。アメリカ煙草のなかでもとりわけ男性性が強いので、意図して選ばれたアイテムであり、その意味作用は歌の読みに寄与している。
 二首目の「ソーダー」が炭酸水だとすると匂いはないはずなのだが、何かの炭酸飲料なのだろうか。手首を君に押し当てている「私」は女性だから、ふつうなら香水やオードトワレが匂うところで、そこに敢えて「ソーダー」を持って来るのは意図的なものだろう。喚起される意味は「未熟」と「夏」である。
 三首目の「黒角砂糖」は聞き慣れない単語だが、沖縄名産の黒糖の角砂糖か。ならば正六面体ではなくごつごつした不揃いな形状だろう。しかし「四谷の風」との意味的関連がよくわからない。黒糖をたたき割る姉というのは、なかなかダイナミックなイメージではあるが。
 四首目はこれだけ取り出すとわからないが、一連は作中の〈私〉が義兄に寄せる思慕がテーマになっており、この歌はけっこうアブナイ歌なのである。義兄とは三首目で黒糖をたたき割っていた姉の夫のことだ。バスタブの妄想はもちろん性的なもので、ここではステンレスなどではなく、昔風の白い陶製のバスタブであってほしい。バスタブの事物としての意味は言うまでもない。
 五首目のペディキュアをした指はもちろん義兄に見てほしいのである。「ひたむきに」と「沈める」に〈私〉の想いがよく表れていて、「サンダル」は夏のアイテムとしてありふれてはいるが必然性がある。
 六首目で〈私〉は助手席に乗っており、運転席には義兄がいる。古内陶子の名作にずばり「助手席」(Dark Ocean収録)という歌があるが、助手席は優れて女性的なアイテムである。クーラーから漏れる土の匂いと遠雷が、差し迫った危険な空気を演出している。この歌では「助手席」の持つ意味性が効果的に用いられていると言えるだろう。
 七首目の「カローラ」はポルシェやベンツではまずい。ここはカローラでなくてはならない。それは義兄がふつうの市民だからである。カローラが象徴するふつうの市民性が、一連で顔の見えない義兄にあるポジションを付与している。一首目の「マルボロ」と並んで固有名ではあるが両方とも商品名であるところに、消費社会における現代短歌ならではの軽みが感じられる。
 八首目は「校庭」とあるので高校時代の回想かと思われるが、白いブラウスを埋めるというのはあまりすることではないので、象徴もしくは暗喩と理解する。「白いブラウス」イコール「何も知らなかった純潔な私」と取るといささか陳腐で、永田和宏の言う「能動的喩」にまで至っていない。
 以上、吉田と山崎両氏の歌における事物の相貌を観察してきたが、山崎の歌の方がより事物が生きていると言えるだろう。別に紅白歌合戦をしている訳ではないので優劣をつける必要はないが、総合的な判断としてはそのように言える。
 しかし問題はそんなことではない。上にも書いたように、現代短歌ではどうも事物の意味が衰弱しているのではないかということが心配だ。それは程度の差はあれ吉田の歌にも山崎の歌にも認められるところである。
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  加藤楸邨
眼球のごとく濡れたる花氷  山口優夢
鵞肝羹フォワグラのかをりの膜にわが舌はひ ゆめかよふみちさへ絶えぬ                         塚本邦雄
子の口腔くちにウエハス溶かれあは雪は父の黒き帽子うすらよごしぬ
                             小池光
 楸邨の牡丹、優夢の花氷、塚本のフォワグラ、小池の帽子とウエハースは、それぞれ句や歌のなかで意味性を帯びつつも、意味へと解消されることなく、確かな存在感を持ってくっきりと結像している。牡丹の花を見、フォワグラを口にするとき、楸邨の句や塚本の歌を脳裏に浮かべずにはいられない。そんな風に思える事物との出会いを、句や歌に期待したいものだ。

第57回 浦河奈々『マトリョーシカ』

ああマトリョーシカ開ければ無上なる怖さ 人より出でてまた人となる
                   浦河奈々『マトリョーシカ』
 マトリョーシカは素朴な表情の人形の中に人形が何重にも入れ子に入っているロシアの民芸品である。作者はそれを怖いと言う。下句「人より出でてまた人となる」は出産の喩と読むこともできるので、この歌を出産恐怖の歌と解することも可能である。本歌集には子がなく母になれないことへの屈折した心理を詠んだ歌も散見されるので、あながち間違った読みとも言えない。しかし本歌は出産という地平を超えて、表層の奥に隠されたものの開示への畏れの感覚を詠んだものと取りたい。作者は「白孔雀も月下美人も生きるとは展くことなり吾はくるしゑ」のように、自己を外へと開くことへの恐怖感を執拗に歌にしているが、それは表層の奥に隠されたものが露出することへの畏れでもある。この感覚が本歌集の底を流れる主調低音となっている。
 浦河奈々は「かりん」所属。2007年に短歌研究新人賞次席に選ばれ、本歌集により2009年に第10回現代短歌新人賞を受賞している。『マトリョーシカ』は2009年刊行の第一歌集で、翌年には二刷が出ているので多くの人に読まれたのだろう。跋文は米川千嘉子。
 女性歌人の歌集を読むと、「女の一生」のようにその人の人生の軌跡を辿ることができる場合が多い。本歌集も例外ではなく、次のように結婚・就職・夫の転職・転居など確かに人生の軌跡を示している歌がある。
貝のやうな家からわれを引き剥がし異性と暮らしてみたかつたのだ
虫食いの木の葉のやうなわたくしを覆ひ隠して履歴書を書く
隣には四人の子ゐて上階にみどりご産まれし社宅より出づ
教師へと転身したる君がゆく白ワイシャツにネクタイをして
 しかしこのような歌が本歌集の根幹をなすわけではなく、むしろ逆にこのような歌が途中に挿入されたエピソードであるかのごとく見えるところに、ネガとポジが逆転したような不思議な印象を受ける。では本歌集の根幹をなす歌はどのようなものかというと、それはずばり「生の苦しさ」を歌う歌である。
スマトラオホコンニャクの巨きな巨きなスカートよ怨恨すべて吐き出したまへ
咲くことが不安でたまらぬさくらのまへ何か銜えてとびゆく鴉
ふしくれ立つた胴ひとねぢりふたねぢり桜の大樹は生きてくるしゑ
 ちょうど先頃、小石川植物園でスマトラオオコンニャクが開花したことがTVニュースで流れていた。熱帯の花で強烈な腐臭がするという。この歌にも展開と開示への畏れが見られるが、スマトラオオコンニャクが内に抱えているものを怨恨と感じるところに作者の心理がある。腐臭は怨恨の発する臭いか。ちなみに告白への焦燥のなせる業か、特に初句字余りの歌が多いことにも気が付く。二首目と三首目は桜を詠んだ歌だが、ここまで桜に自己投影した歌も珍しかろう。客観写生からも花鳥諷詠からもほど遠いスタンスに作者はおり、歌に詠まれた桜はもはや桜の姿すらなしておらず、樹木のポーズを取った自己以外の何物でもない。この強烈な自己投影が浦河の歌の有り様を決定していると言ってよい。
 「生の苦しさ」の原因はいろいろある。母になれない嘆きを歌う歌がある。
母性とふ地下水脈のみつからぬ身体にまぼろしのリュート抱きしむ
社宅には濃密な母子のいぶき満ち立ち尽くしたる新妻われは
 また心理的不安感を詠んだ歌もあり、それはただちに心療内科や眠剤へと続く。
アイロンのランプ点滅してる間にすぐそこに来てゐる鬱の穴
まざまざと髑髏をつけた女神ゐる隣に立つて米研ぐわたし
わたくしに敵なんかゐないと言ひ聞かすカウンセラーは魔女に似てゐる
錠剤をちひさく割りて半月の白きを飲めば霧に沈める (注)
 この結果として次のような自己認識の歌が生まれる。
人間じんかんにおきてみつむる自我ひとつヱチゼンクラゲのやうに漂ふ
巨いなる遠景にして墨絵なる冬枯れの浦の住人われは
 このような歌は読んでいて息苦しくなるほどだが、浦河の歌がすべてこのようなトーンかと言えばそんなことはない。万象を自我で塗りつぶすような強烈な自己投影とは異なるスタンスから作られた歌があり、むしろこちらの方に作者の個性がよく表れているとも思えるのである。
三叉路のにんじん畑さみどりの繊き葉そよぎにんげんは居ず
にんげんのこころを統べる快楽を松浦亜弥は知つてゐるらむ
白衣纏ふアッシャー家のひと想ふとき烈しく湯気を噴く炊飯器
揖保乃糸ひたすら啜り上げてゐる夕べは暑く人間とおし
脳天の白髪のあたり見られつつ宅急便にシャチハタを押す
 一首目は人気のない人参畑を詠んだ歌だが、四句目まではほぼ完全な叙景で、結句に至って転調し主観判断となる。ぶっきらぼうな物言いが描かれた光景を際だたせ、どことなくおかしみのある静かな歌となっている。二首目、かつてアイドルの頂点を極めたアヤヤこと松浦亜弥は、ファンの心をわが手に掴む快楽を知っているにちがいないという歌だが、庶民的アイドルの松浦亜弥を引き合いに出したところがおもしろい。三首目の「白衣纏ふアッシャー家の女」は、ポーの短編「アッシャー家の崩壊」で、兄に生きながら棺桶に入れられる妹のマデリンである。アッシャー家の崩壊というゴシックロマンス物語と湯気を噴く炊飯器の取り合わせの妙がある。どことなく換骨奪胎の味のある歌である。四首目はそうめんを啜る夏の夕暮れの光景で、「夕べは暑く人間とおし」の納め方がうまい。五首目は解説不要でおかしみのある歌。
 なぜ上に引いたような歌をおもしろく感じ、作者の個性が表れていると感じるかというと、作者に余裕があり、歌と〈私〉の間に適切な距離が置かれているからである。必死に作った歌は怖い。切羽詰まって余裕がなくなっているからだ。うまく行けば確かにその必死さが読者の心に届くこともある。しかしその必死さが読者の首を絞めにかかることもある。浦河の目に世界と〈私〉は、ついに解明されることなく闇に沈むワンダーと映っている。そのことが歌を読んでいてよくわかる。それが浦河の抱えたテーマである。しかし一読者としては、世界がワンダーであることを詠んだ歌よりも、作り上げられた歌そのものがひとつのワンダーであるような、そんな歌を読んでみたいと切に願うのである。

(注)「飲む」はほんとうは異なる漢字なのだが、文字コードの関係で表示できないのでご容赦いただきたい。

第56回 高柳克弘『未踏』

一月やうすき影もつ紙コップ
             高柳克弘『未踏』
 作者は一句における漢字と平仮名の配合、ひいては漢語と和語のバランスに腐心しているようだ。「うすき」「もつ」を漢字で「薄き」「持つ」としたら、「一月や薄き影持つ紙コップ」となるが、そうすると句の与える印象がかなり変わってしまう。平仮名で書くことによって、コップの影が柔らかくはかなげになり句の印象は深まる。また漢字よりも平仮名の方が読字時間が長いため、句は時間的長さを獲得し、一月の低い日光が作る影がテーブルに長く伸びた感じが内的に強化される。前衛短歌は雅語とは縁遠い生硬な漢語を歌に取り入れることによって、伝統的和歌に染みついた「奴隷の韻律」を克服し思想性を獲得することをめざしたが、高柳の行く道はそれとは逆で、俳句に柔らかな抒情性を回復することのようだ。
 掲句の描く場面は日常的なもので、取り立てて珍しいものはない。テーブルの上に紙コップが置かれているのだが、中身は飲んだ後で空と見たい。紙コップは部分的に光を透過するので、もともと濃い影はできない。加えて一月の陽光は弱々しく、ただでさえ薄い影がさらに薄くなっている。ただこれだけを詠んだ句なのだが、深い印象を残すのはなぜだろう。なぜだろうと問うところに、文芸としての俳句の拠って立つ根拠を露わにする弾機がある。そのひとつはありふれたことの発見だろう。ありふれていて誰も取り立てて言わなかったことを指摘されると、「ああ、そうか」と思う。自分が何も見ていなかったと気づく。焦点の合った眼鏡に掛け替えたような思いがする。しかしそれだけではない。ありふれた光景を新たな角度から眺めることによって、私たちは世界と存在についての認識を少し深める。認識が深まるということは、親和性が増すということである。私たちは前よりもほんの少し深く世界に参入することができる。その意味で掲句は、形象と存在について深い思索を残したモランディの静物画を思わせる雰囲気を湛えていると言ってよかろう。
 高柳克弘は1980年生まれ。「鷹」に入会して最晩年の藤田湘子の薫陶を受ける。23歳の最年少記録で俳句研究賞を受賞し、弱冠25歳で「鷹」の編集長に就任。2009年に上梓した『未踏』で第一回田中裕明賞を受賞している。「鷹」主宰の小川軽舟が行き届いた序文を寄せていて期待のほどを窺わせる。構成は俳句研究賞を受賞した2003年から2008年に至る編年体。巻頭の句「ことごとく未踏なりけり冬の星」が一時俳壇で議論の的になったようだ。冬空に輝く星に人類はまだ一度も到達していないという神野紗季のナイーブな読みから、星は句界に燦然と輝く俳句の先達を象徴し、作者は先人の境地に至らんとする若々しい抱負を述べているという解釈まで乱れ飛び、もし後者ならばそんな句をぬけぬけと巻頭に置くのはいかがなものかという意見まで出たようだ。『未踏』は青春句集である。作者はあとがきで「20代の墓碑として一集を編むことにした」と書いている。青春の墓碑とは常套句であるが、作者が本集を青春句集と認識していることを示している。冒頭の句もその文脈で理解すべきだろう。
 これ以外にもいかにも青春句という句が多くある。
卒業は明日シャンプーを泡立たす
大会の近づくクロールのしぶき
大欅夏まぎれなくわが胸に
わが拳革命知らず雲の峯
マフラーのわれの十代捨てにけり
イカロスの羽根冬帽に挿したきは
うみどりのみなましろなる帰省かな
 変に斜に構えずに正面から青春を受け止めるところに作者の美質を認めるべきだろう。「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」「夏井戸や故郷の少女は海知らず」などの句を残した寺山修司の例を引くまでもなく、近代俳句は青春性に彩られている。もともと近代短歌も青春の文学なのだが、短歌の世界で本集に匹敵するような青春歌集が出にくいところに、今の短歌が置かれている困難な現状が察せられる。
 しかし『未踏』は単なる若書きの青春句集ではない。小川軽舟は序文の末尾で、「やがて高柳君は、波郷や湘子がそうしたように、青春詠の時代を遠い故郷として捨て去り、見晴るかす荒地に足を踏み出すだろう」と書いているが、高柳はこれらの青春詠の局面をすでに脱しており、敢えて捨てずに収録したのはまさに墓碑とするためだと思われる。  高柳の俳句の特質は、揺らぎのない目で形象を捉え、そこに柔らかな抒情を乗せてゆく確かな措辞にある。冒頭で述べた漢字と平仮名のバランス感覚はそのひとつの現れである。そのことをよく示す句を引いてみよう。
ゆびさきに蝶ゐしことのうすれけり
雨よりも人しづかなるさくらかな
やはらかくなりて噴水了りけり
白桃の舌のちからにくづれけり
 いずれも平仮名の含有率が高く、それに平行するように内容も無音の微細な感覚を詠んでいる。蝶を指でつかむとき、潰さないように注意して力を込めないので、蝶をつかんでいる感覚自体が薄いものだが、蝶を放した後の指の感覚はさらにはかない。そんな極小の感覚を句にするところに、作者の世界に対する向き合い方が見える。二句目では雨の中の花見が詠まれているが、人語は絶えて無音の景が広がる。三句目は閉園時間を迎えて公園の噴水が停まる一瞬を詠んだものである。最後に噴き上がった水が後続を断たれて力なく落下する様を、「やはらかく」と表現したところがミソである。「了」の字もまた事が納まる様をよく表している。四句目は完熟した白桃を口に含んだときの感覚を詠んだもので、やはり微細な口中の感覚を取り立てている。高柳の拠る句誌「鷹」は「二物衝撃」という句作法を理論化した本家だそうだが、高柳の作風は強引な取り合わせや意味の飛躍からはほど遠く、無理のない自然な言葉の流れの上に細やかな抒情を漂わせている。無理のない言葉の流れの裏側に、どれほどの技巧が隠れているかは言うまでもない。
蝶ふれしところよりわれくづるるか
大景に雪降りわれに雪降りけり
てふてふや沼の深さのはかれざる
キューピーの翼小さしみなみかぜ
人形の頭のうしろ螺子寒し
 集中にとにかく蝶の句が多く、作者の偏愛を表している。一句目は蝶を詠んで〈私〉の危うさに及ぶ他とはやや趣を異にする句。二句目は広がる大景と極小の〈私〉の対比が眼目で句の丈が高い。四句目は私が特に愛する句だが、摂津幸彦の「南国に死して御恩のみなみかぜ」という名句を思い出す。キューピーの翼が存外小さいという発見と、これでは実際に飛ぶことはできまいという思いに、穏やかな南風が重なるところに軽い悲しみの情が漂う。六句目も人形の頭の後ろのネジという目につきにくい細かな物の発見が句の静かな抒情を支えている。
死に至るやまひの蝶の乱舞かな
キャラメルの角のゆるくて水澄める
春昼の卵の中に死せるもの
ランボオの肋あらはや蝶生る
缶詰の蓋に油や冬の滝
 一句目は「乱心のごとき真夏の蝶を見よ」という阿波野青畝の句を思わせる。本歌取りではないものの、作者も意識しているのかもしれない。「死に至る病」とは孤独の謂である。二句目は「水澄める」が秋の季語なので秋の景なのだが、まだ気温が高くキャラメルの角が柔らかいのだろう。「ゆるくて」と表現したところがミソ。四句目は「あばら」と「あらわや」に言葉遊びがある。五句目は『新撰21』の座談会で小澤實が絶賛していた句。ハイキングの昼食で開けた缶詰の蓋の裏側に油がついているのだが、このささやかな発見と山中の凜とした冬の滝の取り合わせが眼目なのだろう。いかにも小澤實風なのだが、私は高柳の句ではもう少し抒情的な句の方が好みである。
 『現代詩手帖』2010年6月号の特集「短詩型新時代」の城戸朱理・黒瀬珂瀾との鼎談で、高柳は「先代から受け継がれたものを後代に受け渡すことを自分の責務とするのか、それともいままでのものを打ち壊すべきなのか、もっと大衆に降りていってその叡智を拡散するのか、……いろいろなスタイルをとれるところがあって、それによって作家性というものが決まってくる」と述べた後で、自分としては表現史というものを意識して、自分の立ち位置を表現史のなかに求めていきたいと決意を述べている。その言葉やよしである。『未踏』ほど清新という言葉がふさわしい句集はあるまい。俳句の若手が元気だということを証明してくれる句集である。

第55回 『新撰21』

 今回の「橄欖追放」は短歌ではなく俳句なので、橄欖追放は短歌コラムを自称するのをこの際止めて、短詩型コラムと改称したほうがよいかもしれない。それはさておき今回取り上げる『新撰21』(邑書林)は昨年12月に刊行されて大いに話題を集めた若手俳人アンソロジーである。21人の作者は年齢順に配置されており、最年少は18歳、最年長は40歳。各人について俳人による小論が付されていて、巻末には選者の筑紫磐井・対馬康子・高山れおなにゲストの小澤實を加えた選評座談会がある。何でも小澤は2000句を超す収録句のゲラを徹夜して一晩で通読し、座談会に臨んだそうだ。私は本書を二日かけて一気読みしたのだが、ものすごく疲れた。作風の振幅の大きい作者が並列されていると、作品の世界にピントを合わせるために脳を酷使するのが原因だろう。
 座談会での発言によると、俳句の世界では「平成無風」という言い回しがあるそうで、平成の世を迎えて20年間俳壇にはたいした事件もなく無風と言われているらしい。しかしどうして本書を読むと、若手で才能のある作者がたくさん現れていることがわかる。ひとつには、松山市青年商工会議所主催の俳句甲子園や、愛媛県文化振興財団主催の芝不器男俳句新人賞のような新人発掘の場が増えたことが原因だろう。事実、本書に収録されている作者の中で年少の人たちのうち、藤田哲史・山口優夢・谷雄介は俳句甲子園、佐藤文香・神野紗希・富田拓也は芝不器男俳句新人賞で入賞している。松山生まれや松山在住の人も多い。さすがは俳句の聖地である。翻って短歌はと考えると、盛岡で開催されている短歌甲子園という催しはあるものの、それほどの知名度はなく、新人発掘の場に乏しいのではないか。角川短歌賞や歌壇賞や短歌研究新人賞のハードルはおそろしく高い。それを除けばあとは結社誌の若手を対象とする賞しかないのではないか。俳句の若手が元気なのは、こんなところに原因がありそうである。また『新撰21』の刊行を記念して大規模なシンポジウムが開催されたらしい。ブログで見聞記を見ると、ベテランと若手が入り交じって登壇して議論する趣向だったようだ。俳壇全体として若手を育てようという心意気が感じられる。短歌界はと振り返って考えると、1987年に俵万智が『サラダ記念日』で一大ブームを巻き起こしたとき、激しいバッシングが起きたことは記憶に鮮しい。どうも俳句とは様子が違うようだ。
 本書に収録された21人の作者を一人一人論じるのは無理なので、通読して感じたことを二三書いてみたい。まず一読して吃驚したのは、平成の世に失われて久しいと思われていた風狂無頼が、ガラパゴスのように俳句の世界で生き残っていたことである。まずは1985年生まれの谷雄介。
金屏風倒れ北方の春のごとし
レコードの針立ち尽くす晩夏かな
白魚に腸といふ翳りあり
春深し折鶴卓より落ちゆくとき
梨丸し銀河と銀河はなれつつ
 飯田哲弘の手になる小論によると、優等生であった谷は俳句と出会ってから、豚小屋のごとき寮の一室に閉じ籠もり新宿ゴールデン街に入り浸る自堕落詩人になってしまったという。これには谷が師と仰ぐ北大路翼の影響が大きいようだ。その北大路がまた小学校5年生で山頭火の自由律俳句に出会いのめり込んだというとんでもない人物で、北大路も『新撰21』に選ばれている。北大路の師は今井聖だから、北大路は加藤楸邨の孫弟子ということになる。師系は否めぬものである。
迷子センターアロハの父が謝り来
足上げてふぐり冷やしぬ夏の月
たましひの寄り来ておでん屋が灯る
 私の勝手な想像だが、短詩型文学の世界には型式が短くなればなるほど人生派の傾向が強まり、それが高じると風狂無頼の道に至るという法則があるような気がする。和歌の世界では西行を嚆矢として風狂の例は多いが、近代短歌になってからは若山牧水のような放浪歌人はいるものの比較的おとなしい。ところが俳句の世界では新興俳句・自由律俳句が世捨て人だらけで、種田山頭火・尾崎放哉・住宅顕信らがその筆頭だろう。谷雄介と北大路翼は明らかにこの系譜に連なる悲惨と栄光の道を歩む俳人である。その道でがんばってもらいたいものだ。
 次に驚いたのは読んでまったく意味の取れない句を作る人がいて、また巻末の座談会の選者たちがそれを一向気にする風情もなく、「これはわかりませんね」などと言いつつ選に入れていることである。その最右翼は1983年生まれの外山一機とやまかずきと1970年生まれの九堂夜想くどうやそうだろう。
どの路地もむかし御国の浮き寝鳥   外山一機
千年をころがる母や桜餅
兄を吊る眉間にπを輝かし

白骨の反りと冬虹と揺らげよ     九堂夜想
くちなわよ酢を手遊びの天皇すめらぎ
天位ふと蝶の重心崩れおり
 外山には「シルル紀を来て雨具屋のうすみどり」、九堂には「みずうみへ子はかくし持つ蝶の骨」のように、ときどきハッとするような印象的な句がある。しかしおおむね難解である。ところが座談会では九堂について、「現代俳句の若手作家に、意味のわからない句を作る元気がまだ残っているという、その意味でも貴重な人でしょう」と高山が言い、「意味がわからないとをあえて続けることが大事ですね」と小澤が受けている。意味がわからなくてもよいのである。これは短歌ではちょっと考えられない。歌会では出詠歌の意味が取れないとか、読む人によって意味がブレるというのはマイナス点と見なされる。意味のわからない歌を評価する評価軸が存在しないのである。これには新興俳句・無季俳句によって俳句が大きな表現上の転換を経験したことが大きく関わっているだろう。また俳句はその型式上の短さから飛躍を本質的に内包しており、どれほど遠い地点に着地できるかが句の丈と格に関わるという事情もあろう。そこから句が一つのイメージを結像することなく、異質のコトバとコトバが軋み合う場に発光する美と立ち上がる詩にすべてを賭けるという外山や九堂のような作風も生まれるのだと思われる。
 21人の異なる作風の俳句を読んで大いに楽しんだが、なかでも強く印象に残ったのは田中亜美である。田中は1970年生まれで「海程」に所属し金子兜太に師事している。ドイツ文学の研究者で、パウル・ツェランが専門だと聞く。
はつなつの櫂と思ひしかひなかな
地下水のやうなかなしみリラ満ちぬ
日雷わたくしたちといふ不時着
舌深く差し込める闇蝶凍つる
アルコール・ランプ白鳥貫けり
 透明感のある詩情と微かなエロスの場に〈私〉を強く打ち出す作風で、おそらく俳句王道の本格俳句とはかなりずれるものだろう。本格俳句とは集中で老成すら感じさせる村上鞆彦の「棺桶の畳つづきの冬野かな」のようなものと思われる。小澤實は田中について「花鳥諷詠からは一番遠い作者」と評したそうである。さもありなん。しかし田中の句の立ち上げる詩情は素晴らしく、鉛筆で丸を付けていたら丸だらけになってしまった。まだ句集がないようで、まとまった句を読むことができないのが残念である。句集刊行が待たれる。
 集中で句界のプリンスの風情を漂わせる高柳克弘については、別の稿で論じたい。また今年の年末を目途に、同じ選者によるU50の『超新撰21』の刊行が準備されているようで楽しみだ。短歌の世界では2007年に『太陽の舟 新世紀青春歌人アンソロジー』(北溟社)が刊行されているが、それほど話題を集めたとも思われない。短歌界でも若手新人にもっと光を当てる企画が待たれるところである。

第54回 『現代詩手帖』特集「短詩型文学新時代」

 『現代詩手帖』6月号が「短詩型新時代 詩はどこに向かうのか」という意欲的な特集を組んでいる。黒瀬珂瀾編の「ゼロ年代の短歌100選」と高柳克弘編の「ゼロ年代の俳句100選」も掲載されており、ここ10年の短歌界と俳句界を俯瞰するのに好適なアンソロジーとなっている。また岡井隆・松浦寿輝・小澤實・穂村弘の座談会、城戸朱理・黒瀬珂瀾・高柳克弘の鼎談、平田俊子・穂村弘の対談という豪華なラインナップに加え、多くの若手歌人・俳人・詩人の論考とエッセーが収録されており、読み応え十分な内容である。
 現代詩では短歌・俳句を短詩型文学と捉えて領域横断的に俯瞰することで、詩に活力を取り戻そうという動きがある。現代詩は自由詩で形式の約束事がなく、一方短歌・俳句は伝統的定型詩というちがいがあるので、ポエジーを発生させる回路が異なり、そこが詩の拡大につながるのだろう。また詩人のなかには俳句を作る人がけっこういて、清水昶のように本格的な句集を持つ人もいる。最初の出発点は新聞俳句の投稿だったという人も多い。今回現代詩の側からの提案でゼロ年代の短歌と俳句を俯瞰する試みが行われたのはおもしろいことである。短歌の側からの提案で同様の試みができないのだろうか。座談会で岡井は短歌界と現代詩の交流がほとんどないことを嘆いている。
 ゼロ年代はおそらく最初は批評の世界で使われ始めた用語で、2000年から2010年を指す。新世紀を迎えた2001年に9.11同時多発テロが起きたことは象徴的で、世界はグローバル化と液状化とが同時進行しているようにも見える。この10年間に作られた短歌と俳句にはそれがどのように反映されているだろうか。
 黒瀬は、戦後の第二芸術論を乗り越えるために提唱された土屋文明の「生活即短歌」と近藤芳美の「今日有用の歌」というアララギ戦略と、これに対抗する前衛短歌という流れがあり、それを引き継いで行く形で修辞の変革が起きたというのが昭和30年代から60年代までの様相だとまとめた後に、肯定するにせよ否定するにせよ共有されていたそのような戦後短歌の価値観が分散してきたのがゼロ年代の特徴だとしている。つまり戦後短歌のテーゼが共有されていた時代から一歩違う位相に突入したということである。このような認識を踏まえて黒瀬はゼロ年代を過渡期と捉え、新旧の価値観が併存していることを示すように選歌したという。発表年代順に並べられた100首の短歌は、確かに作者の年齢層もばらばらで、伝統的な文語定型もあれば完全口語の歌もある。
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔
                 飯田有子『林檎貫通式』01年1月
おそらくはつひに視ざらむみづからの骨ありて「涙骨オス・ラクリマーレ」                      塚本邦雄『約翰傳偽書』01年3月
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき
        穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し〈ウサギ連れ〉』01年7月
神はいづこぞ晴れわたりたる海境にちかちかと千の針降りやまず
                雨宮雅子『昼顔の譜』02年7月
 最初期から何首かを引いた。これだけでも歌姿の多様性に頭がくらくらするほどである。完全口語の飯田の歌、前衛短歌の技法をほとんど留めない塚本の歌、加藤治郎が「短歌の死」と形容した穂村の話題作、これぞ伝統定型という雨宮の歌。こうして並べてみると、互いにほとんど接点がないようにすら見える。一首一首は読んだことのある歌でも、10年間という切り口で年代順に並べることで初めて見えて来る歌の風景というものがある。その意味で興味尽きないアンソロジーと言えるだろう。
 同時に100首に選ばれた作者のなかに物故者が多いことにもいやおうなしに気づく。斎藤史、塚本邦雄、上野久雄、高瀬一誌、春日井建、前登志夫、中澤系、近藤芳美、笹井宏之、竹山広、森岡貞香らはこの10年間に亡くなっている。このうち中澤系と笹井宏之は若くして亡くなっているが、他は名実ともに戦後短歌の担い手であった人たちである。世代交代が進んだことで、戦後短歌という認識が薄れたと黒瀬が言うのもうなずける。
 短歌界の混迷と対比的に驚かされるのは、俳句界の盛況ぶりである。「ゼロ年代の俳句100選」の選句を担当した高柳克弘は、先頃句集『未踏』で第一回田中裕明賞を受賞している。この賞は惜しまれつつ2004年に45歳の若さで他界した田中裕明を顕彰するために創設された賞であり、清新な高柳の句集はまことに第一回受賞にふさわしい。高柳の選句は今の俳句界の全体的傾向を表しているわけではないが、形式の可能性を拡大した句、つまり従来の表現史に新しいものを付け加えたものを意識して選んだと述べている。
《蝶来タレリ! 》韃靼ノ兵ドヨメキヌ  辻征夫『貨物船句集』
わたくしに烏柄杓はまかせておいて     飯田晴子『平日』
揚雲雀空のまん中ここよここ     正木ゆう子『静かな水』
にはとりの血は虎杖に飛びしまま      中原道夫『不覺』
気絶して千年氷る鯨かな    富田拓也『青空を欺くために雨は降る』
台風がいすわるウィトゲンシュタインも  坪内稔典『水のかたまり』
 一見してベテランも若手も新しい俳句表現に挑戦していることがわかる。その多彩さは混迷からはほど遠く、読んでいて楽しい限りである。城戸朱理と黒瀬珂瀾との鼎談で高柳は、自分の上の世代は伝統的な結社中心で、下の世代は俳句甲子園出身が多く結社とは離れた所で句作しており、自分はその裂け目を繋ぎたいと抱負を述べている。また自分はあくまで俳句の表現史というものを意識したいと続けている。「表現史を意識する」とは、それまでの表現技法をただ踏襲するのではなく、また歴史性をまったく無視してゼロから始めるのでもなく、歴史性を踏まえた上で自分がそれに何を付け加えることができるかを考えるということである。何という健全でまっとうな態度だろうか。俳句の将来は明るい。若手を中心とした論考とエッセーでも、歌人に較べて俳人の方が表現に踏み込んだ文章を書いている。ここでもどうも短歌の方が劣勢なのだ。奮起してもらいたいものである。
 俳人のエッセーで特におもしろかったのは、1969年生まれの関悦史の「現代詩読者から俳句作者への漸進的横滑り」だった。最初は現代詩を作り短歌も作ったことがある関は、最終的に詩と短歌を放棄して俳句のみを作るようになったという。その理由として関は次のような俳句特有の生理を挙げている。
「俳句は自由詩に比べ、世界とむき出しで対峙せずに済ませることも容易に出来る。結社や師弟といった制度を引きずり、前近代的技芸の枠に引きこもれるからばかりではない。説話論的持続を最低限に減殺し、断裂・飛躍を呼び込む形式自体に『世界対私』という枠組みを明るみへと溶融させる契機があるからである。それを初心者向け教育法に仕立てたのが高濱虚子の『花鳥諷詠・客観写生』で、これはいわば出来合いの自我・感情を去勢・無頭化した上で詠み手の真の主体を『花鳥』の擬似世界へと開かせるカリキュラムである。わずかな例外を除いて詩人・小説家の俳句が陳腐なのはこれに相当する手続きを怠り、既成の自我にじかに語らせた『短い短歌』にしてしまうからだ。(…)大我なり他界なりへと主体が開けていれば良い。自我が直接対決しないことがそのまま世界への向かい合いとなり得る回路もこの形式にはおそらくある」
 さすがは第11回俳句界評論賞を受賞した論客である。用語・概念の自分への引き寄せ方の強引さに説得力がある。上の文章で関は、短歌が基本的に私語りであるのに対して、俳句は出来合いの自我をいったんカッコに入れた上で、花鳥の擬似世界へと開く回路を用意しているという。関の言う花鳥の擬似世界とは、永田和宏が短歌創作における「虚数世界」と呼んだものとおそらくは同じものである(『表現の吃水』所収「虚数軸について」)。だとすれば短歌もベタな私語りであるはずもなく、新たな〈私〉への回路をその形式の裡に秘めているはずである。しかし関も言うように、短歌においてそれをなし続けるためには「作者の側に断固たる世界観とそれをリアライズする修辞を組織し続ける執念が必要」だというのもまた、認めなくてはならない事実だろう。短歌と俳句とはそのあたりの生理が異なるということか。
 インターネット上では俳句批評のホームページやブログが花盛りだそうである。短歌はそれほどでもない。どうも俳句の方が隆盛を迎えているらしい。これから少し俳句に目を向けてみようと思いつつ、短歌も負けないようにがんばってほしいと、短歌応援団の読者としては考えてしまうのである。

第53回 一ノ関忠人『帰路』

わが居間の鏡にむかひひとり踊る狂へるにあらず狂はざるため
                 一ノ関忠人『帰路』
 時刻は家人の寝静まった深夜だろう。居間の鏡に向かって一人踊る。狂人のごとき振る舞いに見えるが、そうではなく自分を狂気から守るためだという。作者は重病に罹り、いつ終わるとも知れぬ療養生活を余儀なくされている。絶望したり自暴自棄になる時もあろう。そんな時に自らを押し止めるために鏡に向かって踊る踊りは、さぞやひょうげたものにちがいない。集中屈指の鬼気迫る歌である。
 一ノ関忠人は國學院大學に学び岡野弘彦に師事した歌人。『帰路』(2008年 北冬舎)は、『群鳥』『べしみ』に続く第三歌集である。後記によれば、一ノ関は2005年9月に悪性リンパ腫を発症、突然入院を命じられ長い療養生活を送ることになる。『帰路』はこの療養生活のあいだに作られた作品をまとめたものである。題名の『帰路』は、「此ノ生ノ帰路愈茫然タリ」という蘇東坡の詩から取られたもの。いつまでも往路と信じていたら、もう帰路を歩いていたという思いが籠められている。
 療養と短歌といえばすぐに子規が頭に浮かぶが、一ノ関もそのことを意識していて、次のような歌を作っている。
わが病牀六尺の歌頭髪の脱毛始まれば笑ふほかなし
一畳ほどのベッドがわれの栖なりおとろへたれどわれ此処にあり
病牀六尺こそ我が世界のすべてという境遇に心ならずも置かれた作者にとって、歌の持つ意味を改めて噛み締めた日々だったにちがいない。本書には短歌以外に、長歌と独吟による連歌に加え、幼い娘に読み聞かせたと覚しき童話風の散文詩も収録されている。
 一ノ関はもともと万葉集以来の和歌の伝統を踏まえた古格漂う歌を作る歌人だが、悪性リンパ腫という命に関わる病を得たことにより、自分と歌の距離がさらに縮まったのではないかと思われる。「死と短歌は不可分のもの」という短歌観を持つ作者なので、にわかに死が身近に迫るものとして意識されることで、〈私〉と歌が不即不離の関係に立つことになったのであろう。自ら望んだことではないものの、そこに反復することのかなわぬ生の一回性が濃厚に漂うことになったのは事実である。そのような地平から立ち上がる歌はことごとく絶唱である。
右脇よりドレインに抜ける濁り水わが胸に棲む夕やけの色
断崖に立つはわれなり覗き込む淵は色なくぞつと寂しき
点滴の針より落つるひとしづくふたしづく命の水のごとしも
内視鏡に胃の腑さぐられゑづくなりわが秘めしものあばかれゆかむ
やがてこの髪も抜け険しき表情にわが笑むときは子よ近づくな
 病を得たやり場のない怒り、療養の淋しさ、絶望感などを盛る器として、文語定型の持つ力を感じさせる作品である。内なる深淵を覗き込むような歌とならんで、病床からわずかに見える風景を詠んだ歌もある。
きのふよりけふ稲の穂の重く垂れ刈りしほ近し窓に見てをり
新館の屋上に二羽のセキレイが秋の日を浴びきらめきて見ゆ
ベランダの小さき水盤に雀二羽あたり窺ひしばしして去る
やがて太りゆく月しろもなほ寒き姿に青き空わたりをり
杖つきて立ち止まりあふぐ青き空いつもの時間に飛ぶ一機見ゆ
 いずれも情景を素直に詠んだ写実的短歌であり、作者の病気を思わせるような語句は一切ない。にもかかわらずこれらの歌が集中に置かれたとき、心に染み入るような重い意味を持つのはどうしてだろうか。一首目の「きのふよりけふ」により、作者は毎日窓外の稲田を見つめていることがわかる。五首目の「いつもの時間」も作者が毎日同じ空を見ていることを示している。これらはすべて作者が同じ場に縛られていることを暗示する。二首目のセキレイと三首目の雀の歌もまた、作者が狭い空間に縛られていることを表すと言ってよい。たとえふだんから見慣れた光景であっても、自由を制限された境遇から改めて眺めると、そこに自ずから自由への希求の念が込められるのだろう。しかしこれらの短歌の読みが提起するものはそれだけではないようだ。
 『現代短歌の全景 男たちの歌』(1995年 河出書房新社)の座談会で、小池光が「おもむろに夜は明けゆきて阿蘇山にのぼる煙を見ればしづけき」という歌を引いて、このような歌がポンと出されたとき、どのような読みが成立するかと問いかけている。歌意は明らかで歌そのものの中に意味はありそうで実はない。作者の伊藤保が19歳でハンセン病療養所に入所した最初の夜に作った歌だという背景に置かれたとき、全然違う歌が出て来る。それが短歌の内部構造だと小池は言う。何かを受けて返すという構造が短歌の内部論理であり、何かとの落差で詩型が成り立っていると小池は続けている。
 これは長歌に対する反歌として和歌が成立したという歴史的経緯にその深源を求めるべきかもしれない。伊藤の歌の場合、受けるのは自らが置かれた境涯であり、返された歌の写実的風景は受けたものを地とすることで、初めて図として成立するということになろう。上に引いた一ノ関の写実的な歌が、描かれた風景を超えて何かの意味を放射するものとして読むことができるのも、小池の言う「受けて返す」という詩型の構造が発揮されているからと考えられる。
 療養生活でのささやかな喜びを詠んだ歌もまた同じ構造に基づくことは言うまでもない。
アンパンの臍噛みなにかうれしくて妻と語りぬ冬の夜の部屋
心地よくわれは聞くなりコトワザのたぐひ唱ふる子の声のリズム
賜はるはぶんたん表皮の黄色の輝り春よ早く来よ飛ぶやうに来よ
ふつうアンパンの臍を噛んで喜ぶようなことはしない。そんなことが嬉しいのは病気という境遇に置かれているからである。短歌や俳句のような短詩型はその短さゆえに、大きなことを詠みづらく小さなことに向いている。小さなことの喜びが十全に歌われた歌である。
 歌集最初の章は「2005/9/17」と病気の告知を受けた日付のみから成り、作者にとってのこの事実の重みを物語っている。『群鳥』で挽歌に冴えを見せた作者は、本歌集で療養歌に新境地を開いたと言ってよい。一日も早い快癒を願うばかりである。