第212回 阿部久美『ゆき、泥の舟に降る』

人を待ち季節を待ちてわが住むは昼なお寂し駅舎ある町
阿部久美『ゆき、泥の舟にふる』
 阿部久美あべくみは「短歌人会」所属で、北海道の留萌に住む歌人である。所属していた劇団で詩の朗読会をすることになり、書店で詩集を探していて偶然歌集を見つけたのが歌の始まりだという。2000年に第一歌集『弛緩そして緊張』を上梓し、道新短歌賞の候補となる。2002年には短歌人賞を受賞し、翌年に角川短歌賞の佳作に選ばれている。『ゆき、泥の舟にふる』は2016年に出版された第二歌集である。藤原龍一郎が解説を寄せている。
 粒子の粗いモノクロームの裸体写真をあしらった表紙と、中に一枚だけ挿入された後ろ姿の裸体写真が目を引く。歌集を演出するという意図が感じられる。そういえば歌集題名もいささか奇妙で、「ゆき」は「雪」だろうが、わざと仮名書きにして読点を打っている。「泥の舟」は集中の、「泥の舟漕いでいたのは夢をみてたがを外した男だったか」、「泥の舟塗っていたのは算を打つたぶらかされた女だったか」、「諸恋の貸し借り返す泥の舟しずんで春の漣おこる」の3首から取られている。この3首も物語的で演劇的と言えなくもない。
 ここであらためて掲出歌を見てみよう。「人を待ち季節を待ちて」という軽快な対句に始まる歌で、作者の住む町を詠んでいる。作者の住む留萌市は北海道北西部の海に面した町で、人口は2万人くらいである。港がありロシア船が入港する。冬の最低気温はマイナス20度にも達する厳しい気候である。鉄道が通っているので駅舎があるが、昼なお寂しいという。留萌ではないが集中に「朱文別しゅもんべつ」という地名があったので、ネットで検索してみたら海沿いの無人駅の写真があった。確かに寂しい風景である。
 藤原龍一郎は解説で、「ひとはかなしいから詩を書くのだ」という高柳重信の言葉を引用し、阿部の歌の根底に苦しさ、悲しさ、寂しさがあると指摘する。確かに次のような歌では正面から寂しさや悲しさが詠われている。
夕映えてどうしようもない峠ありここからずっと悲しいじかん
ロシア菊ひと群れ咲いている道をさびしさは来る夕立のあと
かくまでも春のたそがれ悲をひろげわたしはうすらに煤ける雪だ
冷淡な号令のあとどの人も横顔になる横顔さびし
写真うつしえに脚をそろえてわが立つをわが見るいよいよ悲しくなりぬ
 歌を作るとき、「悲しい」「寂しい」とあからさまに書いてはいけない、情景を描いて読む人がそこから悲しさ、寂しさを感じるようにするのがよいとよく言われる。「叙景を通じて叙情に至る」というのが古来の和歌以来の歌の王道なのだから、確かにそのとおりである。だから阿部のように「悲しい」「寂しい」とはっきり書くのは邪道だということになるのだが、不思議と読んでいて邪魔にならない。むしろ繰り返される「悲しい」「寂しい」という語が、まるで日常の点景としてのつぶやきか、あるいは低く唱える呪文のように聞こえてくる。
 もちろん中には次のように叙景を主とする歌もある。
夏終わるうずくまりたる砂浜のかもめは群れてみな海をむく
あしたはく靴をそろえて玄関に靴のみじかい影あるを見る
夕川に木の影とけて流るるを橋の上より見て帰りたり
花降れるごとく雪降る今の世を霊柩車発つ警笛鳴らし
エレベーター扉が開き夏野へと僧形のひと降りてゆくなり
 一首目、北国の夏は短いのだろう。砂浜のカモメが整列したようにみんな海の方を向いているというのがおもしろい。あとがきで作者は、「自分の歌は空想・幻想・捏造と感じている」と書いているが、実景を見てもそのまま写実的に詠むのではなく、どうしても景物に自分の心模様を読み込んでしまうのではないか。「うずくまりたる」に擬人化がある。二首目は短歌が得意とする細部を取り上げた歌で、揃えた靴の影を詠んでいる。ブーツなら長い影だろうが、パンプスなら短い影である。三首目、夕暮れの川面に木の影が映るのを見て帰ったというだけの歌だが、「夕」「影」「流るる」「橋」という語の組み合わせによって、寂しさの心情がかもし出されている。四首目は葬儀の風景である。いつの頃からの慣習か知らないが、出棺時に霊柩車は長くクラクションを鳴らす。それは「今の世」との別れである。五首目はなかなかおもしろい歌。エレベーターと夏野が直結しているかのように描かれているが、現実にはエレベーターのドアが開いて墨染めの衣を着た僧侶が降りて、公園か草地の方角に歩み去ったということだろう。「エレベーター」と「夏野」のミスマッチの「僧形」が演劇的である。
 作者は留萌に生まれ今も留萌に暮らしているらしい。おそらくは地元の風土に対しては愛憎半ばする感情を抱いているだろう。北海道の風土を感じさせる歌も多い。
えぞにゅうはただいたずらに高々と伸びて海など見尽くすごとし
ほのくらくうつむきながらひとびとがこぞりて雪を始末する朝
冬に裂け冬に折れたる白樺に芽吹きをさせて四月が去りぬ
毛衣のロシアの男降りてくる錆びて大きな船の腹より
咲き揺るるエゾエンゴサク沢すじに間奏曲のごとし 明るし
 一首目の「エゾニュウ」は海辺に生える植物らしい。その姿は異形である。二首目は雪かきの風景。雪との戦いは北国のならいである。三首目は「芽吹きをさせて」という語法が特徴的。冬の雪と風は白樺の枝を折るほどなのだろう。四首目は寄港したロシア船の風景。五首目の「エゾエンゴサク」というのは青い可憐な花を付ける植物で、沢地に生えるらしい。珍しく明るさを感じさせる歌である。
 しかし読んでいて目を引かれるのは何といっても、次のような「おもしろい歌」ではないだろうか。
選り分けて棄つる夏服セロニアス・モンクの憂鬱もかかるものかや
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長げえよ、なんだよ長々しいよ
十指組み頭をたれて跪きそしてこの後どんだけ待つんだ
われの愚と一国の愚と関わるか担いでやるから褌を貸せ
この冬は来る日も夜も火を守り火には事情があると知りたり
銃弾はeau de Cologneは神託はこの世の身体いちころにする
シャンプーのポンプを押せば手ごたえのそれなりにある夜更けなりけり
 一首目、古くなった夏服を捨てているのだが、なぜ突然セロニアス・モンクが出てくるのかわからない。ちなみにセロニアス・モンクは往年のモダンジャズのピアニストである。二首目、柿本人麿の歌をそのまんま引いておきながら、途中から突然伝法な口調に早変わりしている。腹の虫の居所でも悪かったのか。三首目も同工異曲で、「十指組み頭をたれて跪き」はおそらくキリスト教の礼拝だろう。「この後どんだけ待つんだ」はまるでベケットの「ゴドーを待ちながら」だ。四首目は今の政治に対する憤りの歌と読んだ。五首目、「火にも事情がある」というのが愉快。六首目のeau de Cologneはオーデコロンのこと。原義は「ケルンの水」。「銃弾」と「オーデコロン」と「神託」を並べて「いちころ」というのが痛快だ。七首目のポイントはもちろん「それなりに」。
 最後に写真と向き合うようにこれだけ一首特別な位置に置かれた歌を引かないわけにはいくまい。
わがうなじそびらいさらいひかがみにわが向き合えぬただ一生ひとよなり
 うなじ、そびら (背)、いさらい(尻)、ひかがみ(膝の裏側)と、身体の背面の部位を上から下へと列挙し、私は一生それらと向き合うことはないと詠む。鏡で見ればいいだろうという話ではない。ここにも作者の悲しみがあり、私たちの生のあり様がある。おもしろい歌集である。最後に付言すると、阿部はほぼ同時に第三歌集『叙唱 レチタティーヴォ』を上梓している。

 

第211回 大野道夫『秋意』

火のつかぬ松明のよう人は立ち亡き父と入りし立ち飲みは夜明け
                   大野道夫『秋意』
 大野の歌にはしばしば「父」が登場するが、それは常に回想としてであり、時代の象徴として扱われていることが多い。掲出歌においてもそれは言える。昔、父と入ったことのある庶民的な立ち飲み屋である。立ったまま酒を飲んでいる客たちは、まるで「火のつかぬ松明のよう」だという。松明は火がついてこそ松明で、燃えていなければただの木切れにすぎない。不全感と閉塞感とノスタルジーの漂う歌だ。
 『秋意』(2015年)は、『秋階段』(1995年)、『冬ビア・ドロローサ』(2000年)、『春吾秋蝉』(2005年)、『夏母』(2010年)に続く第5歌集である。律儀に5年ごとに歌集を上梓している。また歌集タイトルに季節名が入っているのも特徴だ。『秋意』は作者の造語で、「秋の意志ぐらいに思ってほしい」とのことである。
 『秋意』は3部構成になっており、第I部と第III部は所属する「心の花」や短歌総合誌に発表した歌を収録していて、間に挟まれた第II部はすべて題詠である。題詠は兼題を与えられて即興で詠む歌なので、歌集を編むときには捨てることが多い。しかし大野は捨てずに歌集に入れる。このあたりに歌人としての大野のスタンスを見ることもできるかもしれない。
 大野は1956年(昭和31年)生まれである。前年の1955年に自民党が結成され、いわゆる55年体制が築かれている。現代まで続く戦後の始まりである。大野は青年問題を専門とする社会学者で、卒業論文は東大闘争をテーマにしたという。20人くらいの元活動家にインタヴューし、その中には元全学連委員長の山本義隆も含まれていたそうだ。1960年代後半の学園紛争・新左翼運動を牽引したのは、主に戦後ヘビーブーマーの1945年から49年生まれの人たちである。大野から見れば一回り近く年長の世代である。大野たちの世代は、社会や政治に関心を持ちつつも、派手に暴れる上の世代を仰ぎ見て育った「遅れて来た世代」ということになる。「社会の中の個」という視座は社会学者という職業もさることながら、もともと持っていた社会・政治への関心に由来するものであり、また「過剰な陶酔の不在」は全共闘世代の短歌と大野の歌を隔てる大きな特徴だろう。
節電や七十七歳天皇(すめらぎ)の重ね着底の忍耐ぢから
ツインビル崩れるように死は忘れられてゆくのかその子らの死も
インクの香生徒会室雨音に問い返したりぜんきょうとう
敗戦後知識人の反戦の「反」押すように 反ゲンパツよ
(校長はフェチなんやろか?)(ボクタチの口見詰めとる?)「こけのむすまで」
 一首目は東日本大震災、東京電力福島第一原発事故による節電要請を受けて、皇居でも節電が行われたことを詠んだ歌である。天皇が暖房を止めて寒さを防ぐために重ね着をしている。二首目は2001年にアメリカで起きた同時多発テロを詠んだもの。三首目は大野の出身校である湘南高校の創立90周年を記念しての歌で、高校生時代を回想しているが、ここにも全共闘が顔を出す。四首目はF1事故後雪崩を打って反原発へ傾く知識人を皮肉る歌で、「『反』押す」は「判押す」を掛けている。五首目は学校の式典における国家斉唱問題を歌にしたもの。校長が生徒の口を見詰めているのは、ちゃんと歌っているかどうか監視するためである。
 大野の歌でやはり注目されるのは日常詠・身辺詠ではなく、上に引いた歌のように社会や政治に触れた歌だろう。どうやら大野にとって短歌形式は単なる「抒情の器」ではないらしい。ましてや短歌という楽器の特性を最大限発揮するため力を込めて打ち鳴らすということもしない。勢い韻律よりも意味が重視され、抒情よりは知に傾く歌になる。また陶酔の不在は、あらゆる問題は複雑であり多面的性格を持つことを、社会学者として知悉していることによるものと思われる。このため現代の若手歌人たちとは理由は異なれど、結果として低体温で熱量の低い歌が多くなる。
「廃」と言えぬ唇乾く冬の夜にビラは舞いたり季語「炉」を乗せて
全ての採り尽くせないかなしみの採血車は巡る列島の身を
自爆とはかく美しくきあきあと月の夜をゆく地雷除去機よ
南氷洋泳ぎし尻尾が渋谷の湯泳げり鯨しゃぶしゃぶとなり
スカイツリー見上げる都民の一厘が密かに祈るモスラの帰巣
 一首目は「廃炉」の文字を二つに分けて詠み、声高に「廃炉」を叫ぶことができない気持ちを季語に託している。このような煮え切らぬ態度を批判する向きもあろう。二首目は日本赤十字社のスローガン「献血は愛のアクション」を踏まえた歌。大野は不思議なオノマトペを操る歌人で、三首目の「きあきあ」は機械の軋む音を表している。四首目は典型的な機知の歌。詠まれているのは渋谷駅から東急本店へと続く道にある鯨料理店「くじら屋」だろう。五首目は東宝の怪獣映画「モスラ」で怪獣モスラが東京タワーを破壊したことを踏まえ、モスラが今度は東京スカイツリーに帰って来ないかと密かに願うという歌である。映画のモスラもまた水爆実験による放射能の産物だった。どの歌にも時代と社会の反映があり、渦巻く疑問と微かな悲しみと、押し込まれた破壊衝動が感じられる。
「綱」の名の男らんらん現れて埋められてゆく親族の席
蝋燃やし聴いているのかの部屋のパソコン浸す暗き泉を
溶けて降る花の粉の夜包むよう子を抱き西へ逃げしともはも
炎天の舗道を歩む妹は赤きスコップと金魚を握り
Jちゃんと舐めし膝の血「十円玉?」「五円玉の味?」舌ひからせて
 本歌集には題詠も多いが、何かの機会に作られた機会詠も多く収録されている。一首目は「心の花」主宰佐佐木由畿逝去の折りの歌である。大野は佐佐木信綱の曾孫に当たるのだ。葬儀には名に「綱」の時を持つ男がわらわらと現れるのである。二首目と三首目は東日本大震災の折の歌。「蝋燃やす」「暗き泉」というと、どうしても宗教的なものを連想してしまう。作者もこの歌を作ったときにはそのような心持ちだったのかもしれない。「母」に「とも」と読みと異なるルビを振るのも大野がよく用いる手である。戦後の55年体制とともに時代を生きた大野にとって、昭和には特別な思いがあるはずだ。四首目と五首目は昭和の時代を詠んだ歌である。妹がスコップと金魚を握っているのは、死んだ金魚をどこかに埋めるためだろう。大野に妹はいないはずなので、これは昭和という時代を感じさせる虚構である。血を舐めると鉄の味がするのは、酸素を取り込むため鉄分が含まれているからである。
 大丈夫、こういった歌に飽き足らない向きには、次のような抒情的な歌が用意されている。
夜の海鞘初めて食みしひとの舌見つつ燗を飲めば波立つ
丁寧語で母親と話す昼の雨ひかり乏しきホームの底に
ものくろーむ家族旅行の釣り堀の泥水の底ゆ跳ねし虹鱒
肌へ夏留めるように海月くらげ浮く九月の海を泳げり姉は
父へ、父へ食べさす西瓜へじうじうと降らさん死海の岸辺の塩を
片足の男と娼婦が凭りかかり液化してゆくホテルの硝子
夕に起く吾と擦れ違う黒光るランドセルの香よ雨の舗道に
コップ越しに青澄む世界亡き母の入れ歯洗浄剤を落とせば
 私はどちらかと言えば短歌を抒情詩として読んでいるので、大野が作るこのような歌が好きである。しかし歌人としての大野の真骨頂を示す歌ではないかもしれない。いずれにしても本歌集は、大きくくくれば近代短歌の王道を行く歌集と言うことができるものの、社会詠が多いという点において独自の道を歩むものである。
 最後に蛇足ながら、セレクション歌人「大野道夫集」巻末の本人による年譜を改めて見ていたら、1973年の項に「社会の中の自分について悩み、『心地死ぬべくおぼえければ』庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読む。学園紛争の高校生の一日を描いた作品に感動する」とあった。「心地死ぬべくおぼえければ」は伊勢物語である。ここでは青春の煩悶の日々を指している。おそらくこのあたりに大野の原点があるのだろう。私は大野より少し歳が上だが、私にとっても庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』は学生時代に読んで忘れがたい作品である。昔も今も若者が生き方に悩むのは同じだが、『赤頭巾ちゃん気をつけて』には確実に昭和のある時代の若者の悩みが刻印されている。小説も時代の産物なので、今ではもう読む人もいないだろうが。

 

第210回 白井健康『オワーズから始まった。』

三百頭のけもののにおいが溶けだして雨は静かに南瓜を洗う
白井健康『オワーズから始まった。』
 作者の白井健康たつやすは静岡県に住む獣医師である。獣医師というと、私たちに馴染みがあるのは町なかの動物のお医者さんで、犬や猫などのペットを扱う人を思い浮かべる。しかし実は獣医師の大きな仕事は家畜の衛生管理と治療で、県庁や保健所で公務員として働く人も多い。おそらく白井もそういう獣医師の一人だろう。
 まだ記憶に鮮しい平成22年に宮崎県で口蹄疫が発生したとき、白井は宮崎県からの要請で現地に派遣され、防疫活動と家畜の殺処分に従事した。掲出歌は、この経験から生まれた連作「たましいひとつ」の一首である。「三百頭のけもの」は殺処分された宮崎の牛だ。これから掘った穴に埋められるか、あるいは埋められてすぐなのだろう。300頭の牛からは相当な臭いがするはずだ。雨にその臭いが混じっている。その臭いのする雨が畑に放置されたままのカボチャに降り注ぐという場面である。白井は「たましいひとつ」で平成23年の第22回歌壇で次席に選ばれている。
夏の日が忘れ去られてゆくように日照雨のひかりを餌槽に食べる
頸静脈へ薬物注射するときに耳たぶのへり蚋が血を吸う
倒れゆく背中背中の雨粒が蒸気に変わる たましいひとつ
射干玉の黒い眸はたちまちに海溝よりもかなしく沈む
二十一ナノメートルのウィルスの螺旋のなかのオワーズのひかり
青葉生うる日照雨のひかり血のひかり手のひらに掬えばいきもののみず
 宮崎の口蹄疫は3月頃発生が確認され、7月初旬に終息した。白井が派遣されたのは6月のことである。一首目、これから夏を迎えるという季節に、夏を忘れたように日照雨が降っている。殺処分される前の牛はいつものように餌を食べていて、餌を入れる桶に日照雨の光が差しているという悲しい光景である。二首目、殺処分する牛にはまず鎮静と苦痛軽減のためセラクタールという鎮静剤を打つ。その後、頸静脈に薬物を注射するという。まさにその時、牛の耳たぶでブヨが血を吸っているのを見つけている。三首目は連作の題名となった歌。地面に倒れた牛の体温はまだ高いので、降る雨が水蒸気に変わる。水蒸気が立ち上る様がまるで牛の魂が昇天するようだという歌である。四首目、殺処分された牛の眼は、たちまち生気を失い虚ろな穴となる。五首目、ナノメートルは10億分の1メートルで、二十一ナノメートルは口蹄疫ウィルスの大きさを表している。「螺旋」はDNAのことで、ウィルスはDNAに外殻を被せたようなものである。そのDNAの螺旋の中にオワーズの光があるという。オワーズはフランスの県名で、パリから北東に30Kmくらいの所にある。宮崎県で発生したO型口蹄疫のウィルスはオワーズ県で最初に確認されたのだそうだ。だから歌集の題名が『オワーズから始まった。』なのだ。
 壮絶な歌である。獣医師は本来ならば家畜の健康を維持し、病気を治療するのがその職務なのに、口蹄疫の伝染を防止するために、まだ罹患していない健康な牛を殺すというのは、獣医師にとっては苛酷な体験にちがいない。しかし上に引いた歌が示すように、白井は過度に感情に走らず冷静に、しかし鎮魂の祈りを籠めて歌を詠んでいる。口蹄疫の防疫作業に題材を得た「たましいひとつ」と「まだ動いてる」が巻頭に置かれており、その印象があまりに強烈なので、本歌集の印象が巻頭部分で決まってしまう。これには良い面と悪い面の両面があるだろう。第2部と第3部には、「未来」の加藤治郎選歌欄に掲載された歌と未発表の歌が収録されている。
 そのなかで注目したのは次のような歌である。
陽に翳すいのちが赤い海ならばメランジェールのなかに漂う
なりかけのまま消えてゆく雲だけをバルサムのなか包埋しておく
細胞がレンズの下で狂ってるヘマトキシリン・エオシン染色
メッケル憩室の午後二時窓辺から記憶の積み木が崩れるばかり
喉奥に人差し指で押し込んだシクロスポリンぴすとるが鳴る
せんせいの顔が歪んでしまうほど菜の花畑に打つケタラール
 いずれにも獣医師が使うカタカナ語が入れられている。専門用語なので素人にはわからない。私も素人なので全部インターネットで調べた。一首目の「メランジェール」は赤血球や血小板を目視で数えるためのガラス管で、一方の端が球形をしている器具。いのちの「赤い海」は血液のことである。二首目の「包埋」は「ほうまい」と読む。包んで埋めること。電子顕微鏡で観察するとき、資料の安定のためバルサム(樹脂)の中に埋め込むことをいう。三首目の「ヘマトキシリン・エオシン染色」は、顕微鏡で細胞を観察するときに行う一般的な染色法である。細胞が狂っているのだから、おそらくガン細胞なのだろう。四首目の「メッケル憩室」はドイツ人医師メッケルの名を冠した病理で、憩室とは腸などの臓器の一部が飛び出した突起物である。五首目の「シクロスポリン」は抗生物質の名前。六首目の「ケタラール」は獣医師がよく用いる麻酔剤である。
 おもしろいのはこのようなカタカナ語が短歌に読み込まれると、不思議なポエジーが発生することである。その発生源の一つが音にあることはまちがいない。たとえば「ヘマトキシリン・エオシン」は二つの単語の語尾が「リン」「シン」と[in]音で韻を踏んでいる。「シクロスポリン」も同じである。また「メランジェール」と「ケタラール」も正体は素人には分からないものの、何かイメージが湧く。ちなみに「メランジェール」はフランス語で mélangeur 「かき混ぜるもの」「攪拌機」を意味する。「ケタラール」は薬品の商品名だが、インドのどこかの州の名のようでもあり、エキゾチックな感じがある。
 ポエジーのもう一つの発生源は、これらのカタカナ語が身に纏っている理系の空気感だろう。抒情詩である短歌の中に硬質な理系の語彙が混じると、異なる意味の位相が一首の中で衝突することで、日常を離れた語彙空間が現出し、それがうまく作用すると詩が発生する。理系の人は本能的にそのことを知っているのではないか。
ケルダール分解夜に長引けり中庭に出て木の花におう  永田紅 
 白井は現代詩も書く人のようで、本歌集にも詩が何編か収録されている。また短歌の作りにもイメージの転換を重視した現代詩的手法が用いられており、近代短歌に学んだ人とは少し肌居合いの異なる歌があることも特徴だろう。最後に上に引いたものの他に心に残った歌を挙げておこう。
死はいつもどこかに漂う気のようなたとえば今朝のコーヒーの湯気
君が代は相聞歌だと思うとき手のひらのうえ震えるプディング
夏はすでにひかりのなかに椅子を置くふたりの椅子をひとつの場所へ
みつばちが瓦礫を越えて飛んでゆく除染されないひかりのなかを
眼球に点滴されて重くなる秋の窓辺や空のちゅうしん
七色の貝のボタンを外すとき八番目のだけ海からの便り
蝶の/収集家のよう少年は稽留熱の眸のままに

 

第209回 高石万千子『外側の声』

測量士冬に来たりかぎりなき雪上に紙上の文字を重ぬる
高石万千子『外側の声』
  世に「伝説の人」もしくは「生ける伝説」という人物が実在するとすれば、おそらく高石万千子がその名にふさわしいのはまちがいない。年譜によれば、高石は1929年(昭和4年)生まれで、1951年(昭和26年)の「未来」創刊に参加したとある。
 『現代短歌事典』(三省堂)を繙くと、確かに歌誌「未来」は1951年に、世田谷区にあった清水建設社宅内の近藤芳美宅を発行所として創刊されたと書かれている。参加したのは「ぎしぎし」「フェニキス」「芽」「環」などの同人誌に属していたアララギ系の若手と、「新泉」「羊蹄」「九州アララギ」などのアララギ系の地方誌の人たちだったという。出発当初はアララギの中の同人誌的性格が強かったようだ。高石は出来上がった歌誌「未来」を束ねて発送のため郵便局に運んだという。また慶応義塾大学医学部卒業間近の岡井隆を見かけたことがあるというではないか。まさに生ける短歌史である。
 高石にはすでに『旅の対位法』(1982年)、『美しい擬名詞』(1995年)の二冊の歌集がある。『外側の声』は2017年に六花書林から上梓された第三歌集である。しかし事情はもう少し複雑で、どうも本歌集では一章とされている「アンフォルメル」と「アンブレラ」は2008年と2009年にかいえ工房から少部数の私家版の歌集として出されているようだ。今回はそれらをまとめ直し新しい作品も加えて『外側の声』としたのだろう。
 序文を岡崎乾二郎という人が書いているので、誰だろうと思い調べてみたら、四谷にあった近畿大学アート・ストゥディウムという美術学校の主宰をしていた人らしい。高石はここで学ぶかたわら、大学の公開講座やカルチャースクールで哲学を学んだ経歴を持つ人である。
 そんな高石の詠む歌はひと言で言えば「哲学的思想詠」と言ってよかろう。
人棲まぬ図書館の灯のさいさいと差異の家族の棲むところまで
夕かげを堰き止めて待つあのあたり擦れちがひしか意味と出来事
旅の謂やさしけれども意味流れ「肯定装置」となりて乾けり
セクシュアリテかすかに傾斜するあたりちがふちがふとフーコーの声
少しづつ驚けよ美的持ち物になるまで家に三人みたりの女
 一首目、確かに図書館には人は住んではいない。本を読んだり借りたりする場所である。「さいさいと」はオノマトペだが、それが言葉遊び的に「差異」を引き出す。「差異」は構造主義とポスト構造主義思想のキータームである。高石は大学の講座などでフランスの思想家ジル・ドゥルーズを学び傾倒しているのだ。二首目では情景描写の中に突然挿入された「意味」と「出来事」という硬質の語が目立つ。思想詠にはしばしばこのような抽象語が用いられる。三首目、「旅」は高石にとって重要なもののようだが、人が旅行について語るとき、その言はしばしば「あそこはよかった」「あそこはきれいだった」と手放しの賛美に終わりがちである。「乾けり」に批評性が感じられる。四首目のフーコーはフランスの構造主義思想家のミシェル・フーコー。フーコーは著書『性の歴史』においてセクシュアリティーという概念を提唱した。五首目の「美的持ち物」は、恋人あるいは妻として男性の所有物となりがちな女性の立場を批判的に詠んだものだろう。なべて情よりは知に傾いた歌である。
 試しに『角川現代短歌集成』第4巻「社会文化詠」を見ると、中に「思想」が立項されている。しかし中身を見てみると、そこに収録されている歌は「革命」「デモ」「ゲバ」「主義」「シュプレヒコール」「党」などを詠んだ歌で、「思想」とは左翼思想のことだとわかる。これは高石の歌に充満している「哲学」とはいささかちがう。高石のような哲学的思索を詠む歌は珍しいのではなかろうか。
 勢い高石の歌は日常詠、身辺詠から限りなく遠ざかることになり、歌の中に生身の〈私〉が登場することはほとんどない。写実を重んじるアララギ派の「未来」に拠る歌人としては異例だろう。もっとも「未来」は岡井隆を中心とする前衛短歌の実験場となったのだから、それほど不思議なことでもないのかもしれない。高石自身も集中で、「日ぐれとも夜明けまへとも薄明かり掴みたい新しい私性わたくしせいを」と詠んでおり、従来の生活者としての個人へと収斂する私性とは異なる〈私〉の位相を模索しているのだろう。
 岡井隆にも「楕円しずかに崩れつつあり焦点のひとつが雪のなかに没して」という硬質の抽象語を用いた歌があるが、このような歌を読むときには、いたずらに歌の中に〈私〉すなわち作者に投影を探そうとせず、日常的な歌語と硬質の抽象語が一首のなかでこすれ合うことによって発生する熱を感じ取り、その傍ら言葉の意外な組み合わせを発条とする想像力の飛躍を味わうのが正しい読み方だろう。
聖橋たぶん後ろからあらはれしアンフォルメルの人手をにぎるかな
なぜなぜと思へば想ふ灰色のコギト・エルゴ・スムのま裸
曼珠沙華はなの終焉をはりののち萌ゆる「潜在性」へ庭へ水撒く
 お茶の水は作者にとって親しい場所のようだ。「アンフォルメル」はフランス語で「無定形」を意味する。「アンフォルメルの人」は「アンフォルメル絵画を描く人」のことだろう。「コギト・エルゴ・スム」(Cogiot ergo sum)は、デカルトの「我思う故に我あり」。「灰色」は脳細胞のことだろう。曼珠沙華の花が散ったということは、次の季節にまた咲くという潜在性の始まりでもある。
 「アンブレラ」の章では一首の歌を4行や5行に分かち書きしてページに配する空間的試みも行っている。
ベランダの
 ラビリントスの夏野菜に
  蝶?
   たましひか
    小さきアンブレラ落つ

花摘みてピレネー越えしやベンヤミン
あ、 
アレゴリー
か、
鞄の中身
 蝶はギリシア語でプシケーだがそれはまた「霊魂」を意味することが踏まえられている。「花摘みてピレネー越えしやベンヤミン」はまるで一句の俳句のようでもある。これまた歴史的事実を踏まえてある。
 最後に集中屈指の美しい歌を引いておこう。
通過する駅流れ語り得ぬままに沈黙の美しさ冬いちご手に
 「語り得ぬままに沈黙」あたりにウィットゲンシュタインの亡霊も感じるが、そんな姑息なことは抜きにしても、韻律といい明滅するイメージといい美しい歌である。

 

第208回 國森晴野『いちまいの羊歯』

親指はかすかにしずみ月面を拓くここちで梨を剥く夜
國森晴野『いちまいの羊歯』
 短歌に登場する果物でいちばん人気があるのはおそらく桃だろう。ブドウも捨てがたく、梨もなかなか健闘している。
暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき  小池光
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり  春日井建
たましいを預けるように梨を置く冷蔵庫あさく闇をふふみて 島田幸典
 掲歌の舞台は梨を剥く秋の夜である。日中の残暑は収まり、窓の外からは虫すだく音が聞こえている。月の比喩があるので、剥いている梨は幸水などの赤梨系統ではなく、色白の二十世紀梨がよかろう。この歌のポイントは「親指はかすかにしずみ」で、剥くために梨をつかむと親指がかすかに果肉に沈むというのだ。果肉には弾力があるので、確かに指が沈むかもしれないが、それはごくわずかなものである。そのわずかな沈みに着目したところがこの歌の手柄だ。次に「月面を拓くここち」とあるので、未踏の大地に足を踏み入れる、あるいは人類初の偉業を成し遂げる、といった心持ちが感じられる。たかが梨を剥くだけなのに大げさなと思われるかもしれないが、作者にはそのように表現すべき理由があったのだろう。
 『いちまいの羊歯』は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一冊として今年 (2017年) 3月に刊行されたばかりの歌集である。プロフィールによれば、作者の國森晴野は2010年からNHK文化センターで東直子の短歌講座を受講して作歌を始めたようだ。東北大学工学部の大学院で土木工学を学んだ理系女子、いわゆるリケジョである。監修と解説は東が担当している。
 あとがきによれば、東の短歌講座を受講する少し前の2007年に、東と穂村の共著『回転ドアは、順番に』を手に取ったのが短歌との出会いだったという。やはり今の若い人たちの多くは、東と穂村を入り口として短歌に触れるようだ。國森の作風も、東や穂村と同じく口語定型文体を採っている。
 ただし、同じ口語定型と言ってもその内実は多様である。國森の作る短歌は、「言葉の選択」、「定型のリズム感」、「結句の着地感」の三点において際だって優れており、伝統的短歌に固執する頭の固いオジサンにも抵抗なく受け入れられるだろう。私も感心しながら最後まで楽しんで読んだ。そうたびたびはない経験である。新たな才能の出現と言ってもよかろう。
 短歌は抒情詩なので、短歌で用いられる言葉は詩の言葉でなくてはならない。しかし詩の言葉といっても、特別な言語があるわけではなく、私たちが日常用いている言葉と素材は同じである。素材は同じでも、詩の言葉になっている場合と、そうでない場合があるのはなぜか。それは置かれた場所がちがうからである。少し専門的に言うと、置かれた場所とは「文脈」で、新たな文脈に置かれることで新しい言葉の組み合わせが生まれ、意味が生まれるのである。國森の場合はどうか。いくつか歌を引いてみよう。
コンナコトキミダケデスと囁いた舌のうえにはいちまいの羊歯
バーナーの炎がつくる真円しんえんに降るものはなくきよらかな円
真夏日の街をまっすぐゆく君が葉擦れのように鳴らすスカート
さよならのようにつぶやくおはようを溶かして渡す朝の珈琲
せかいにはもういらないの糸鋸であなたのかたちを切り抜く真昼
 一首目は歌集題名にもなった歌。「コンナコトキミダケデス」が片仮名表記されているのは、直接話法であるからだけではなく、恋人同士のあいだでだけ通じ耳に届く秘密の言葉だからである。舌の上に置かれた羊歯が何の象徴かという謎が歌に奥行きを与える。二首目は実験室の情景で、「真円」という非日常語が効果的に使われている。炎に上から降る資料などがあるときは真円は乱れる。今は何も降っていないので炎は真円を保っている。真円はこの時の作者の心を現しているのだろう。三首目はピンと背筋の伸びた現代女性の肖像。「葉擦れのように」と表現することで、女性の身体とスッと立つ森の木立が二重写しになる。着ているのはきっとタイトスカートだろう。四首目は恋愛関係の終わりを予感しているカップルの歌。実際にコーヒーに溶かすのは砂糖かクリープなのだが、それを「おはようを溶かして渡す」と表現するところに詩的転倒と逸脱がある。五首目は一読して驚いた歌。恋人と別れたら、いっしょに写した写真から相手だけ鋏で切り取るという話は聞いたことがあるが、この歌では糸鋸である。糸鋸が衝撃的だ。ベニヤ板かプラスチック板に拡大した二人の写真が貼り付けてあるのだろうか。  
「言葉のセンス」と言ってしまえば身も蓋もないのだが、國森は文脈に即して適切な意外性のある言葉を選び取る感覚が優れている。また「定型のリズム感」と「結句の着地感」は密接に関係しているのだが、短歌の印象は下句で決まることが多い。上に引いた歌の下句を見てみると、「舌のうえには / いちまいの羊歯」は、音数が3・4と5・2となっており、ほぼ左右対称であることが着地感を生み出している。二首目は「降るものはなく / きよらかな円」で、5・2と5・2で今度は同じ音数の反復がリズムを作る。三首目は「葉擦れのように / 鳴らすスカート」で4・3と3・4、四首目は「溶かして渡す / 朝の珈琲」でまた4・3と3・4、五首目は「あなたのかたちを / 切り抜く真昼」で4・4と4・3。四句が増音されている五首目を除けば、いずれも左右対称型か同音数反復型である。國森が意識してそうしているのか、それとも無意識のうちに短歌のリズムを感得しているのか定かではないが、内的韻律に欠けることが多い現代口語短歌のなかでは、古典的な印象を受けるくらいに國森の短歌は韻律が優れている。
 集中で特に個性が光るのはリケジョならではの次のような歌だろう。
無いものは無いとせかいに言うために指はしずかに培地を注ぐ
コロニーと呼べばいとしい移民たち生まれた星を数える真昼
蛍光を放つかすかな色調を96けつプレートに置く
鈍色のきりんの群れが鉄を食む足元をゆく工場の朝
ナトリウムイオンの量でかなしみを測るあなたは定時に帰る
 一首目は菌を培養するためにシャーレに寒天培地を流し込む作業を詠んだ歌である。科学者は何かが存在することを証明するためではなく、存在しないことを証明するために実験をすることもあるのだ。二首目の「コロニー」は増殖した菌の塊のことで、顕微鏡で菌の数を数えているのである。菌を星に喩えたところに対象に対する愛情が感じられる。三首目では「96穴プレート」という専門用語が効果的。なぜ96かというと、8×12コの穴が並んでいるからである。四首目は工場の風景で、鉄骨を持ちあげるクレーンをキリンに喩えている。クレーンをキリンに喩えるのは常套手段ではあるが、「鉄を食む」にリアル感がある。五首目のナトリウムイオンはおそらく涙に含まれたイオンのことだろう。いかにも化学分析を職業とする理系人間の使いそうな言葉だ。
 「かたおもい」と題された連作には折り句が集められている。
正解をみつけたことを知らせずにぐいと飲みほす檸檬サイダー  せみしぐれ
読まれずに砂に埋もれた手紙には枇杷の葉ひとつ綴じられており  よすてびと
向こう岸 手を振るひとに告げぬままポラロイドには海だけのこし  むてっぽう
 折り句であることを忘れても十分に鑑賞に耐えるよい歌で、作者が言葉の斡旋に長けている人であることがよくわかる。才能に溢れた歌人の出発を喜びたい。最後にいつものように心に残った歌をいくつか挙げておこう。
千葉行きの車輌で向かいあうひとのつまさきばかりひかる二時半
うすがみに包まれているはつなつをひらいて僕らは港へ向かう
ゆうやけを縫いつけてゆくいもうとの足踏みミシンはちいさく鳴いて
指先にかすかな色をのこしつつ今日がひらいてゆく青の町
薄氷うすらいの蝶は遙かなひとからの手紙のようで触れたらひかり
色つきのひよこは知らない明日など見ずに空だけ見て鳴いている

 

第207回 松岡秀明『病室のマトリョーシカ』

眉の無い男の背の磔刑図を背景として羽斑蚊ハマダラカ飛ぶ
松岡秀明『病室のマトリョーシカ』
 眉がなく背中にキリスト磔刑図の刺青をしている男は、まちがいなくその筋の人である。作者は医師をしているので、診察に来る患者の中にはその筋の人も当然いるのだ。病は人を選ばない。病を得たら人皆患者である。ここまででもギョッとするのだが、何と磔刑図を背景としてハマダラ蚊が飛んでいるというのだ。単に蚊ではなく、ハマダラ蚊と生物学的に正しい名で呼ぶ所がさすがに医師なのだが、日常を超えたディテールの正確さがかえって歌に非日常性を与えている。おもしろい歌である。
 作った松岡は「心の花」所属の歌人。『病室のマトリョーシカ』は第一歌集である。50歳の時に突然短歌を作り始めたというのが2007年のことだから、今年還暦を迎える年齢だろう。精神科医であると同時に文化人類学者でもあるという。本歌集にも収録されている「解剖棟」で心の花賞の俵万智賞を、その数年後「病室のマトリョーシカ」で心の花賞本賞を受賞している。本歌集の前書きは俵万智、あとがきと編集は藤島秀憲が担当している。
 昔から医師にして文学者という人は数多い。しかし本歌集を一読して驚くのは、作者松岡の活動の幅広さと奥深さである。松岡は精神科医として終末期ホスピスに勤務しているらしく、医療の現場を題材とした歌が多くある。作者にとっては職業詠である。
ホスピスへの入院希望を書く紙に誰の意志かをただす欄あり
患者らの漕ぐ車椅子ゆつくりと森の方へと光をはこぶ
罫線も活字も美しき赤なるは麻薬を処方するための紙
Fの音わづかに低い古ピアノ患者弾きをりその思ひ出を
サングラスをかけぬ写真はないといふ女のひとみ深井のやうに
 一首目、「誰の意志かを質す」にドキッとする。当然ながら本人の意志ではなくホスピスに入る人もいるのだろう。「紙」がいささか気になる。二首目、ホスピスは死にゆく人が入る場所なので、海のほとりや森の中のような自然の豊かな美しい場所にあってほしい。松岡の勤務するホスピスも蝉やヒヨドリが鳴く山近い場所にあるようだ。「光をはこぶ」に明るさが感じられる。三首目、終末期の痛みの軽減のためにモルヒネなどの麻薬を用いることがある。目的は何であれ麻薬なので、一般の処方箋と区別するために赤くしてあるのだろう。医療従事者にしか知り得ないディテールが歌のリアリティを生み出している。四首目、患者が弾くためにホスピスにはピアノが置かれている。患者が弾いているのは「思い出のグリーン・グラス」(Green, green grass of home)である。実はこの歌は処刑前夜の死刑囚の歌なのだ。「低い古ピアノ」は「低き古ピアノ」でよいと思うが。五首目、視線恐怖症の患者を読んだ歌である。世の中には実に多くの病があることに驚く。
 若い医学生だった頃の解剖実習を詠んだ「解剖棟」にも、「実習を行なふ棟は空母のごとし 遺体二十五われらを待てり」、「回盲部に探し当てたる神経の光見紛ふ古き白磁と」など印象的な歌がある。
 職業を離れた松岡の関心が向くのはひとつには音楽である。レコードを多数所有しているようで、ジャズに詳しいらしいがクラシックの素養も相当なものだ。「五千ほどあるレコードのほとんどを記憶してゐるどうだ俺」と題された連作があるほどだ。
Harmonia mundi世の調和などてふことは鍋のなか(のみに!)顕はるるものとこそ知れ
幼子が持ち来るレコードを手に取れば〈世のおはりのための四重奏曲〉
無伴奏ヴィオラは降りて最弱音ピアニッシモ つひに二人に浄夜は来たり
 Harmonia mundiはクラシック愛好家には馴染みのフランスのレーベルである。二首目の幼子は作者の娘。「世のおはりのための四重奏曲」はオリヴィエ・メシアンの作品。子が持って来たレコードが「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」であればよかったのだろうが。ちなみに私はパリのトリニテ教会でのクリスマスミサでメシアンの弾くパイプオルガンを聴いたことがある。メシアンはこの教会付きのオルガニストだった。三首目の「浄夜」はシェーンベルクの弦楽六重奏曲。
 松岡はまたサッカーのブレーヤーでもあり、審判員の資格も有しているという。下の三首目と四首目はロンドンでアメリカの女子サッカーチームと対戦した折の歌である。
敵のミッドフィルダーの袖引つ張れば鎖骨のしたにキスマークふたつ
落ちてくるボールをめざし走るときわれとわが身は空へ溶けだす
薔薇園のベッカムといふくれなゐのかなたボールの上がり落つる見ゆ
ポニーテールの赤毛なびかせルーシーはギャロップにかへわれを抜き去る
 さらに松岡は自ら料理の腕を振るう人でもある。集中に「平日の晩餐をなすはわれにあり」と題された連作があるほどだ。
俎板に障泥烏賊あふりいか五杯のつたりと砥石の音に聞き入りてをり
豚バラをオーヴンに入れ火をば点け〈紫の煙パープル・ヘイズ〉を口ずさむ、ふと
挽肉を捏ね俎板へ叩きつけ叩きつけして時は流るる
出刃菜つ葉中華肉切りそれぞれの光のなかで秋は更けゆく
牛尾鍋テイルシチュウ情事アフェアーに通ずるものあらば肉を喰らふといふことならむ
 四首目にあるように、出刃包丁、菜切り包丁、中華包丁、肉切り包丁を揃えているらしい。しかも砥石を使って自分で研ぐのだから本格的だ。実は私も我が家の料理人で、菜切り包丁、出刃包丁、柳刃に砥石3種は備えているが、さすがに中華包丁までは持っていない。脱帽である。
 このように松岡の活動の幅広さと奥深さにまず目が惹かれてしまうのだが、ここで立ち止まって松岡の歌の美質を考えてみると、そのひとつは「連作の力」であることはまちがいない。〈一首の屹立〉、つまり「名歌主義」を目指すのではなく、連作を構成することによって歌の力を発揮させるということだ。受賞対象となった「解剖棟」も「病室のマトリョーシカ」も連作によってドラマが生まれている。
 また医療現場に材を得た歌は、確かに素材の目新しさに新奇性があるのだが、二度読み返してみると、何気ない歌におもしろいものがあることにあらためて気づく。たとえば次のような歌である。
膝裏に静脈透かせ娘らが手をつなぎ来て噴水の夏
牛を積む車と洋式霊柩車が権田原交差点を行きすぎにけり
髪形はひとの悩みを現はすと説く占ひ師頭髪はなし
高名な眼科教授の卓上に源氏パイひとつぼつねんとあり
ネクタイを買ふために行く伊勢丹へ そのためにだけネクタイをせり
 一首目は青春性が輝くような歌だが、ポイントは膝裏に透ける静脈である。身体の部分への注目はやはり医師ならではだろう。二首目は牛を運ぶ輸送車と霊柩車の取り合わせに、「権田原交差点」という固有名が効いている。三首目は人を喰ったような歌でこれはこれで味わいがある。四首目も「眼科教授」と「源氏パイ」の組み合わせが愉快。五首目、ネクタイを買いに行く時にしかネクタイを締めないのならば、そもそもネクタイは何のためにあるのかという存在論的疑問が浮かぶ。
 最後にいつものように付箋の付いた歌をいくつか挙げておこう。
エビスビールの空き缶蹴れば冥府へとひとを誘ふ軽き音せり
アイスパック瞼におけば浮かびくる地に崩れゆくチャウシェスク夫妻
わがうちに失語症の女一人ゐて「希望」の類語おほかた食めり
鎌となり向日葵一反刈りぬべしエル・グレコ描く冴ゆる夕べに
われもまた影持つゆゑに患者らの影と影とが遊ぶを見詰む
野に花をそしてわれらに永訣を運びゐし秋の陽冷えゆけり
 『病室のマトリョーシカ』は晩成の第一歌集ながらも、内容充実し近年珍しい男歌の歌集である。
 蛇足ながら、連作の題名が「八月の芝のピッチや濤しづか」、「平日の晩餐をなすはわれにあり」、「晩餐に対をなすものあまたあり」のように俳句になっていたり、「夏風邪でわが祖母の家のガラス窓のごとくかすかにわれは波打つ」、「病院のなかを駆けづり回つてもブラックジャックはどこにもいない」、「またとない十二時半は檜町公園の芝で喰らふバーガー(自家製)」のように短歌になっていたりして楽しい。中年男には遊びが必要である。

 

第206回 『桜川冴子歌集』

笑つてはいけない、いけない 眉検査に前髪を切り貼りつけて来ぬ
桜川冴子『キットカットの声援』
 一読して思わず笑ってしまった一首。作者は国語教師として女子校に勤務している。ミッション系の女子高校は校則が厳しいのだろう。服装検査の項目では髪型とスカートの長さが定番だが、眉検査というのもあるのだ。安室奈美恵のような細眉は御法度である。目の前の女子高生はそれを隠すため、自分の前髪を少し切ってソックタッチで貼り付けて来たのである。この歌の次に「髪を切りソックタッチで眉に貼る今ごろこんな生徒頼もし」という歌が置かれている。たぶんこの女子生徒はお叱りを免れたのだろう。
 作者は1961年生まれ。「かりん」に所属し、馬場あき子を師とする歌人である。『六月の扉』(1997年)、『月下壮子つきひとをとこ』(2003年)、『ハートの図像』(2007年)、『キットカットの声援』(2013年)の4冊の歌集があり、砂子屋書房の現代短歌文庫から『桜川冴子歌集』(2016年)が出ている。今回は『桜川冴子歌集』に拠った。
 桜川の短歌を読むときは、作者が福岡の伝統あるミッション系女子校の教員であること、自身もキリスト者であること、そして生まれ故郷が水俣であることが重要だろう。国語教師として生徒たちと接する日常からは、次のような瑞々しい職場詠が生まれている。
お祈りのときわれを見る生徒ゐてさりげなくわれも見て目を閉づ
太陽の母月影の父に囲まれて子はほそぼそと面談にくる
授業受くる生徒の膝に笑ふ膝怒る膝あり突き出してくる
〈わたくしを束ねないで〉と言ふやうに生徒出てゆく身を固くして
わが耳に聞こえぬ音を拾ひたる女子高生のさみどりの耳
 一首目、ミッション系の学校では礼拝の時間がある。祈るときは手を組み目を閉じるが、こっそり目を開けて先生の様子を窺う生徒がいるのだ。細かいことであるからこそ教室の様子が伝わって来る。二首目は三者面談の様子。子供の教育では母親が主役で父親は影が薄い。「子はほそぼそと」なので成績も芳しくなく自信のない子なのだろう。三首目、あまり行儀のよくない生徒は足を前に出したり、通路にはみ出したりする。生徒たちを膝で捉えたところがおもしろい。四首目、思春期の子供は周囲への同調と個我の意識の間を微妙に揺れ動く。「生徒たち」と十把一絡げにされることを嫌う気持ちが描かれている。五首目、聴覚は年齢とともに衰えるが、特に高波長音域の感度が鈍くなる。蚊の飛ぶようなモスキート音は若い人には聞こえるが、中高年には聞こえない。女子高生は何かの音に気づいてそちらに顔を向けたのだろう。「さみどりの耳」に一度切りの若さが感じられる。
 キリスト者が常に想わなくてはならないのは原罪である。我らはみな罪人であり神の赦しと救済を乞い願うところに信仰が成立する。桜川の歌の底流にはその想いが深く流れているようだ。
にんげんは人貶むるとき勢ふエルサレムのイエスの死より
花柄のハンカチ広げ草に食ぶソマリアのパンをわたしは奪ひ
菖蒲田にこころの種を蒔いてみるとき人間はやつぱりさびしい
寄せ墓の肩を寄せ合ふやうにゐる隠れ切支丹死の後もなほ
内戦に鳥はさまよひアレッポの石鹸に泡立つわれは平和か
 一首目、他人を貶めるときに勢いづく人間の性は、キリストが天に召された頃から変わっていない。二首目、草上のピクニックで私が食べるパンは、ソマリアで飢餓に苦しむ子供が食べるはずだったパンかもしれない。三首目の「人間は畢竟寂しい存在である」という述懐は深みから発せられた作者の心の声のように聞こえる。九州は布教が盛んに行われた切支丹の地である。桜川が殉教した二十六聖人や信仰を密かに守った隠れ切支丹に心を寄せるのは当然のことかもしれない。四首目は隠れ切支丹の島を訪れた際の歌。四首目、アレッポはシリアの都市でオリーブ石鹸が名産品である。アレッポ産の石鹸で手を洗いながらシリア内戦に苦しむ人たちを想っている歌だ。
 桜川の歌に眼前の景ではなく遠くに想いを馳せる歌が多いのは、我と人、あるいは我とモノの二者関係ではなく、我と人・モノと神という三者関係でこの世界を捉えているからではないかと思う。
 そして水俣である。言うまでもなく水俣では1950年代にチッソ水俣工場の廃液によって水俣病が発生し、多くの公害被害者を出した。豊かな不知火の海は有機水銀で汚染されたのである。
実験に使はれたりし水俣の狂へる猫を思ふ春月
浄土への道の法被のやうに咲く白木蓮の水俣の死者
はなびらは死を巻きながら散りゆくを首相来ざりき水俣五十年
ヘドロ埋めし水俣湾の蓮池に蒲の穂はじつと天を突くのみ
住民の亀裂を生みし水俣病人のなかにも苦海ありにき
 「人のなかにも苦海あり」とはまさに原罪の意識に他ならない。水俣に想いを寄せ苦しむ人の側に立とうとする桜川が、東日本大震災が起きたときに水俣とフクシマを重ねたのはよく理解できるだろう。
泣きながら家族を捜す被災の子見らるる者は見る者を射る
高レベル放射線廃棄物の泣くキリストが生れてまだ2011年
ミナマタの海の記憶をもつわれは眼を閉ぢてフクシマになる
かたむける壺に流るる民としてフクシマを見るわれのミナマタ
 集中で異色なのはチベットに旅し鳥葬を見た折の歌である。
青旗のヒマラヤをゆく禿鷹の臓器重く死者は沈みて
藍ふかく高き空より禿鷹は人の死待ちてその死貪る
禿鷹に食べてもらへぬわれなるか さびしい腕を空に翳せり
誰からも遠くありたし禿鷹が人の死食ふを黙し見る空
 チベット密教の信仰によれば、鳥葬は霊魂の離脱した肉体を天へと返す儀式だという。禿鷹の臓器がずっしり重いのは、人肉を食らったからである。驚くのは三首目の「禿鷹に食べてもらへぬわれなるか」だ。作者は鳥葬を恐ろしいもの、おぞましいものと見ておらず、その眼差しには清々しい憧れすら感じられる。また「誰からも遠くありたし」の句に厳しい孤絶が感じられる。強い印象を残す一連である。
 現代短歌文庫の『桜川冴子歌集』には短歌だけでなく歌論や、他の歌人による作者評も掲載されている。作者評で用いられている表現に興味を引かれた。小島ゆかりは桜川を「花曇りの人」と呼び、明るさの内外にうっすらと花曇りが立ちこめているという。また福島泰樹は桜川と乗り合わせた電車の中での「闇のように暗く深い孤独を纏った白い顔」、「一点に注がれたまま微動だにしない切れ長の目」を回想している。それはある意味当然である。短歌のような文芸を志す人は、ただ明るいだけの人ではない。ただ優しいだけの人でもない。心に深い闇を内蔵しているからこそ、深き淵から神を呼び歌を作るのだろう。
万羽鶴つと降り立ちて鏡なす水田暗めり己の闇に
 『月下壮子』の中で最も美しい歌である。鶴が自分の闇で水張田に影を作る。闇は己の内にこそある。しかし闇あっての光であることもまた言うまでもない。

 

第205回 体言止め考

ふちのない眼鏡が割れるはかなさでステンドグラスのうつる階段
小島なお
 今回は短歌における体言止めについて考えてみたい。掲歌は、「ふちのない眼鏡が割れるはかなさで」までが連用修飾句で、英語なら副詞句に相当する。ここでいったん切れがある。残りの「ステンドグラスのうつる階段」は連体修飾句「ステンドグラスのうつる」+体言「階段」という構造で、典型的な体言止めとなっている。
 一般に体言止めは倒置法などと並んで、動詞終わりになる結句の単調さを避け、結句の多様性を増す修辞的手段とされている。修辞という観点からはその認識は正しいのだが、歌における意味の生成という意味論的観点に立てば、その認識は少しく不十分である。
 言うまでもなく文の基本構造は主述関係であり、主語となる体言、たとえば「ラビ」に何らかの助詞を付し、述語となる用言と主述関係を結ぶことにより「ラビは今日寝坊した。」と文が出来上がる。「明日大学に行く?」「うん、行く。」のように主語を省略できる日本語では、文の中核は述語であり用言である。国語学では用言が陳述(何々であると断定すること)の力を持つとされている。従って文末に用言を欠く体言止めは、文として不完全だということになる。
 国語学ではこの問題に古くから関心が払われていた。なぜなら物音に気づいて「あ、メジロ!」と叫んだり、「何を探しているの?」という問い掛けに「家の鍵。」と答えることは日常よくあることで、「あ、メジロ!」も「家の鍵。」も用言を欠く不完全な文だからである。不完全なのに用を果たしているのはなぜかという問に答えなくてはならない。
 この問題を最初に考察したのは国語学者の山田孝雄よしお(1873-1958)である。山田は文の類型として「述体句」と「喚体句」を区別した。山田の「句」は「文」に当たるので、実際は「述体文」と「喚体文」と理解されたい。「述体句」とは「花は紅なり」のように主述関係が明確にあるものを言う。一方、山田が「喚体句」としたのは、「あはれうるはしき花かな」「みかさの山に出でし月かも」のように、〈体言+感動助詞〉の形式を持つものである。さらに「喚体句」は、「あはれうるはしき花かな」のように感動を表す感動喚体と、「あはれしりたる人もがな」のように願望を表す希望喚体に二分される。山田の考察によって、感動助詞の有無は措くとして、文末に用言を欠く不完全な文も立派に文の一類型として認められることとなった。
 短歌との関係で特に注目されるのは、静岡県立大学教授・坪本篤朗あつろうの「〈存在〉の連鎖と〈部分〉/〈全体〉のスキーマ – 「内」と「外」の〈あいだ〉」というやたらにカッコの多い論文だ(坪本他編『「内」と「外」の言語学』開拓社、2009)。坪本は自身が「ト書き連鎖」と命名した用法に注目する。「ト書き連鎖」とは次のような体言止めの一用法を言う。
1) レンコ、バス停に止まっていたパス飛び乗る。閉まるドア。
2) 死んだ時間を重ねる渡辺。そこに突然「生のイメージ」の笑い声が聞こえる。
 「ト書き連鎖」と呼ぶのは、この用法が芝居のト書き、写真のキャプション、物語の粗筋や解説などに多く見られるからである。このような体言止めは歌の歌詞にも用いられる。たとえばスキマスイッチのヒット曲「かなで」に次のような一節がある。

 突然ふいに鳴り響くベルの音
 焦る僕 / 解ける手 / 離れてく君

 坪本の論文をざっくり要約すると、ト書き連鎖の言語学的特徴には次のようなものがあるとされている。
 (A) 知覚と存在の意味に密接に関係する。
 (B) 状況や出来事を表すことができる。
 (C) 体言に着目すればモノ、全体を考慮すればコトという両義性を内包している。
 少し解説を加えると、(A)は喚体句の特徴そのもので、「あ、雪。」とは、雪が降っていることに今気づいた時に発せられる文で、雪の存在と雪の知覚を表現したものである。ここで重要なのは、このような喚体句は知覚主体(=何かに気づいた人)と現場(=気づいた場所と時間)を内包しており、現場密着性の強い文だという点である。逆に言えばト書き連鎖を用いることで、言語表現の中に現場を作り出すことができる。
 次に(B)だが、「立ちすくむ佐八。その時、背後の風鈴がいっせいに鳴り出す。」の「その時」が示しているように、「立ちすくむ佐八。」は「佐八、立ちすくむ。」とほぼ同義で、人ではなく出来事を表している。なればこそ、それを受けて「その時」と時間副詞を用いることができる。このト書き連鎖の出来事性は、上に引いた「焦る僕 / 解ける手 / 離れてく君」という歌詞にも明らかで、駅での恋人たちの別れの場面で起きる出来事を、ストップモーションのように表している。
 しかし文脈によっては、「立ちすくむ佐八。彼をなぐさめる老人。」のように、「佐八」を「彼」という代名詞で受けることも可能で、ここから(C)のようにモノとコト、すなわち人・物という個体解釈と、出来事解釈の両義性が導かれる。
 さて、ここまでの考察を基にして、短歌でト書き連鎖的に用いられた体言止めには、次のような意味論的特徴と効果があると言えるだろう。体言止めは短歌内の〈私〉の知覚を表し、知覚の場としての現場を強く暗示する。〈私〉が知覚したのは何ものかの〈存在〉であるが、それはモノであると同時にコトでもあり、個体と出来事の両義性の間をたゆたう。掲歌の「ステンドグラスのうつる階段」を例に取れば、それは「階段」であると同時に「階段にステンドグラスがうつっている」という出来事でもある。
 いくつかト書き連鎖用法の体言止めの例を挙げてみよう。
弾く者の顔うつすまで磨かれてピアノお前をあふれ出す河  服部真理子
われらは原子炉の灯をともし黄色おうしょくの花さかさまに咲かすひまわり  藪内亮輔
ほのひかる垂線ほそくふとくほそく秋雨に濡れはじめたるビル  小原奈実
海のあることがあなたをひらきゆく缶コーヒーに寄る波の音  澤村斉美
いちにちの読点としてめぐすりをさすとき吾をうつ蝉時雨  光森裕樹
 服部の「あふれ出す河」、藪内の「黄色の花さかさまに咲かすひまわり」、小原の「秋雨に濡れはじめたるビル」、澤村の「缶コーヒーに寄る波の音」、光森の「吾をうつ蝉時雨」、いずれもここで云うト書き連鎖的に用いられた体言止めである。たとえば小原の例を取ると、短歌内の〈私〉の視線が捉えているのは「濡れはじめたビル」であると同時に、「ビルが雨に濡れはじめている」という出来事である。知覚された出来事は、その反照として出来事を知覚した〈私〉の存在を炙り出す。また服部と澤村と光森の歌では、出来事を捉えているのは視覚ではなく聴覚である。
 このように短歌においてト書き連鎖的に用いられた体言止めは、単に結句の単調さを回避する修辞的技法としてだけではなく、歌の中に知覚主体の〈私〉と知覚の場を作り出し、モノとコトの両義性を実現することによって、歌に奥行きを与えているのである。
 ただし注意しなくてはならないのは、すべての体言止めがこのような効果を持っているわけではないということだ。そもそも喚体句には、〈連体修飾句+体言〉の連体修飾句内の用言が動的な出来事を表す動詞でなくてはならないという制約がある。

 3) 流れ出す音、閉まるドア、鳴り響く鐘、降り注ぐ雨
 4) 美しい花、青い空、再結成されたバンド、外に続く廊下

 3)は動的な動詞を連体修飾句に持っているので喚体句であるが、4)は状態・属性を表す静的な用言なので喚体句ではなく、出来事を表すことができない。したがって次のような歌の体言止めは、ここで言うト書き連鎖的に用いられた体言止めではない。
「姫の役やりたい人はいませんね」決めつけられて秋の教室  笹公人
遠くまで聞こえる迷子アナウンス ひとの名前が痛いゆうぐれ  兵庫ユカ
 次のような体言止めにも注意が必要だ。
レシートの端っこかじる音だけでオーケストラを作る計画  笹井宏之
六ヶ月は死なない前提で買う六ヶ月通勤定期  岡野大嗣
 これらの歌の連体修飾句の動詞「作る」「買う」は意志的動作を表す動詞である。そもそも喚体句は、「あ、雨。」のように発話の場に(突発的に)生じた出来事を、知覚主体が知覚する様を表すものなので、その出来事は主体が観察者として観察できるものでなくてはならない。しかるに「作る」「買う」のような動詞は自分が意志的に起こす動作であり、外的に観察できる対象ではない。したがってこの類の動詞を含む〈連体修飾句+体言〉もまた、ここで言うト書き連鎖的体言止めではなく、出来事を表すことができない。
 また次の歌の体言止めもト書き連鎖的に用いられた体言止めではない。
甘い酒ばっかり飲んでいる人のキスを振りほどいたら満月  岡崎裕美子
舗装路に雨ふりそそぎひったりと鳥の骸のごとく手袋  内山晶太
死ののちのお花畑をほんのりと思いき社員食堂の昼  内山晶太
この頃思い出ずるは高校の職業適性検査の結果「運搬業」  花山周子
 一首目は「満月だ / だった」という断定の助動詞が略されたもので、二首目は「手袋があった」という存在動詞の省略、三首目は「社員食堂の昼に」の「に」省略による倒置法、四首目は「結果は運搬業だった」という文から助詞「は」と断定の助動詞を略したもので、もっぱら音数と韻律を考慮しての体言止めである。
 残る問題は、「鳴り響くベル」「離れる手」のような喚体句が出来事を表すとして、大きな体言(=名詞句)である喚体句がどうして出来事を表せるのかということだ。これは「火事」「デモ」「祭り」のような出来事名詞が出来事を表すのとは訳が違う。しかしこれは純粋に言語学の問題であり、歌人が考えることではないのでここまでにしておこう。

 

第204回 廣庭由利子『ぬるく匂へる』

夏さびて知らぬふりする月の頃ピアスをもとな揺らす間夜あひだよ
廣庭由利子『ぬるく匂へる』
 廣庭由利子は歌誌『玲瓏』と『未来』に所属する歌人で、『ぬるく匂へる』(2016)は『黒耶悉茗じやすまんのわーる』(2014)に続く第二歌集。塚本青史の帯文によると、廣庭はわずか入会2年で玲瓏賞を受賞したという。才人であることはまちがいない。
 改めて掲歌を見ると、相当に凝った造りであることがわかる。「夏さびて」は晩夏となり夏の勢いが衰えたさまを言う。「知らぬふりする月の頃」はいささか解釈に悩む。「知らぬふりする」の主語を「月」と取ることもできなくはないが、ここでは表現されない〈私〉とする。〈私〉が知らぬふりする、つまりわざと素っ気なくするのである。「もとな」の原義は「根元から」で、転じて「大いに」の意。ピアスが大いに揺れるのだから心が乱れているのだ。もとより〈私〉は恋する女性である。「間夜あひだよ」は逢い引きの間を隔てる時間、つまり恋しいあなたと会えない夜のこと。読み下すと、「夏に燃え上がった私の恋は、夏の終わりとともに勢いが衰えて、私は素っ気ない態度を取っているが、熾火のように燻る恋心はまだ消えず、あなたと会えない時間に心は乱れる」とでもなろうか。まるで一編の短編小説のように31文字から物語が立ち上がる様に驚かされる。動詞を「さぶ」「知る」「振りする」「揺らす」と4つも使っているにもかかわらず詰め込んだ感がないのは、よほど統辞の技術が巧みだからである。技巧派と呼んで差し支えなかろう。
 歌集を一読して脳裏に浮かぶキーワードは、「美」「古典」「自然」「物語」「韻律」となろうか。「美」を追求するのは塚本邦雄譲りの芸術至上主義を掲げる『玲瓏』の伝統で、「古典」に親炙することもまた塚本の遺産。自然との交感は文学に限らず日本の芸術の大きな特徴であるが、本歌集でも一首ごとに自然が詠み込まれている。著者は歌の素材と感興を求めて吟行するのが好みのようで、湯布院、知多、東北、伊勢、六甲山、京都と足を運んでいるが、視線が向けられるのは決まって自然、とりわけ草花である。
春うつつ紫羅欄花あらせいとうの花園をとびかふ蝶はひらかなに似て
咲き盛る牡丹の花の傍らをぬき足に過ぐけふのまひるま
あぢさゐは過去世の花ときめしよりあの日の深き藍を畏るる
さみどりの梅雨は晴れ間の蔓草のさやぎに萌すおもひのけぶり
千の接吻投げて散りゆく合歓がふくわんの花蘂にのこる昨夜きぞの夢解き
 一首目の「あらせいとう」、二首目の「牡丹」、三首目の「あじさい」、四首目の「蔓草」、五首目の「合歓」とほとんど一首ごとに草花が詠み込まれていて、さながら花園のごとき観を呈する。また「物語」は著者が古典に親炙しているためで、至る所に万葉や新古今の影が揺曳する。
 しかし特筆したいのは「韻律」である。五・七・五・七・七の中で歌の要となるのは三句目の五音である。三句は上句と下句を繋ぐ蝶番の役割を持ち、上句の五・七の内容を受け止め、それを下句の七・七へと受け渡す。韻律的には五・七で生じた急のリズムを五で緩めて、再び七・七の急へと振り向ける。例えば集中の次の歌を見てみよう。
土のの花の蘂踏みやはらかくけぶる暮春の月を見てゐる
 土の上に降り積もっているのは桜の花の蘂である。三句の「やはらかく」は統辞的には次の「けぶる」に掛かる連用修飾語だが、意味の上では上句の踏んだ蘂の感触をも表している。「やはらかく」が五・七を受け止め軽い淀みを作って、次の七・七へと繋げるところに短歌の内的韻律が生まれる。作者はこの点において実に巧みである。
帰りゆくひとの背中に夕まぐれ花咲く頃の色うばひつつ
くれなゐの夕日に黄色き罅ありてわが頬を焼く春のとまりは
うてなにも胸にもしづくする雨に蒼き影おく春のぬけがら
九輪草べにむらさきに咲き群れて花のいきれに野面のもせかぎろふ 注)
やはらかく灯ともる車輌に花首の折れたる薔薇を持つ男あり
 印象に残った歌を挙げた。廣庭の歌のもう一つの特質は、歌に詠まれた情景、特に時間と場所の指定が明確なことにある。例えば一首目、季節は桜の花の頃、時間は夕暮れ、場所は自宅だろう。日が暮れてあたりが薄暗くなり、桜の花の色がモノクロに推移する様が詠まれている。二首目の舞台はどこかの港である。季節は春で時刻はこれまた夕暮れだ。三首目も春だが時間は不明。四首目、九輪草が咲くのは初夏で、野面がかぎろうのだから、時間は昼間である。五首目の季節は分からないが、時刻は夜、場所は電車の中である。この歌は特に物語性が強く感じられる。花首が折れた薔薇の花束を持つ男にいったい何があったのだろうと想像力をかき立てられる。
 最後に一番印象に残った歌を挙げる。
けいとうげくわんはこぶしのほどをして剪ればいつときそらの明るさ
 鶏頭の花は鶏のトサカのような形状をしていて、確かに花としては大きい。庭に咲いた鶏頭の花を花鋏で切る。すると鶏頭の花の分だけ下から見る空が広くなり、空が明るく見える。人為と自然のつながりを感じさせると同時に、静謐な時間が描かれている佳品である。

注)「いきれ」は旧字で表示できないのでご容赦いただきたい。

 

第203回 蒼井杏『瀬戸際レモン』

縦向きの見本見ながら横向きに落ちてくるのを待つ缶コーヒー
蒼井杏『瀬戸際レモン』』
 一読して「アッ!」と思った歌だ。なるほど言われてみれば確かに自販機の缶入り飲料の見本は縦向きにディスプレイされている。しかし金を投入しボタンを押して出て来る現物は横向きである。当たり前と言えばそうなのだが、「なるほど言われてみれば」感が強い。短歌はこのように日常の些細なことを取り上げて「アッ」と思わせるのに適した詩型だ。そして一首の明意 (explicite meaning)、語用論で言うところの「言われたこと」(what is said)の解釈が一応終了すると、一首は「短歌的喩」の作動によって暗意 (implicite meaning)のレベルへと跳躍する。掲出歌で言えばそれは、「外見と内実の相違」「理想の夢と現実とのくいちがい」ということになるのだろうが、たぶんこれは深読みのしすぎで作者の意図はそこにはあるまい。「作者の意図」をどうして私が推察できるのかは語用論の永遠の課題なのだが。
 蒼井杏『瀬戸際レモン』は昨年2016年6月に書肆侃侃房から新鋭短歌シリーズの一冊として刊行された。編とあとがきは加藤治郎。作者の蒼井杏については、2015年に「未来」に入会し加藤の選を受けるというプロフィールの記述以外不明。「空壜ながし」で2014年に中城ふみ子賞を受賞、同年「多肉少女と雨」で短歌研究新人賞次席に選ばれている。この年の新人賞は石井僚一の「父親のような雨に打たれて」である。
 「多肉少女と雨」は選考委員の米川千嘉子に高く評価された。曰く、「はかないもののニュアンスが面白く描き分けられている」、「雨と多肉植物のイメージをうまく使って自分の孤独や淡い悲しみをうまく出している。」
 たとえば次のような歌である。
百足の上履き駆けてゆく廊下 / おいてきぼりの / 目覚めれば、雨
ピーターの絵本のように函入りの記憶がありますひもとけば、雨
花びらをうまく散らせぬ木があってもう少しだけ見ています、雨
この世からいちばん小さくなる形選んで眠る猫とわたくし
生きているわけです死んでいないので目覚めたときの天井のしみ
 一方、穂村弘は「自己完結性が魅力ではあるけれども、ややマイナス方向に勝手に行ってしまうところがある」と指摘する。栗木も「結句を淡くまとめすぎているところがある」と述べ、結句に終止形と体言止めが多くヴァリエーションに乏しいと苦言を呈している。
 歌を読むときにはよい点を見つけるというのが私の方針なので、今回もそれに従うことにすると、いいなと思ったのは「口語のしらべの柔らかさ」と「リズムとオノマトペ」である。口語を使って短歌的しらべを作るのはかんたんそうで実はむずかしい。それが比較的うまくできているように思う。上の歌でいうと、一首目の上句「百足の上履き駆けてゆく廊下」で体言で切り、さらにスラッシュを使って区切りを強調し、下句は「おいてきぼりの」で切って意味を宙づりにして、結句も「目覚めれば」の五音で区切り、読点を隔てて「雨」で終わる。作者はおそらく音の感覚の鋭い人で、しらべとリズムの組み立て方に工夫がある。
 オノマトペを拾うと次のようなものがある。
マヨネーズのふしゅーという溜息を星の口から聞いてしまった
ひとりでに落ちてくる水 れん びん れん びん たぶんひとりでほろんでゆくの
とらんぽりん ぽりんとこおりをかむように月からふってくるのだこどくは
百までをとなえつつわたし猫になる なーに、なーさん、なーし、なーご
くしゅくしゅと洗濯ネットにブラウス入れて洗うのあわあわうふふ
やきとりの串をんんっとはずしつつこういうふうにしみてゆくんだ
 一首目、マヨネーズのチューブから空気が漏れるときの音を「ふしゅー」と表現しているが、確かにそういう音がする。二首目は雨だれのおとを「れん びん」としていて、これはもちろん「憐憫」の音を借りたもの。三首目では「とらんぽりん」は体操競技のトランポリンで、後半の「ぽりん」だけを取ってオノマトペにしている。四首目、数を数えるとき「ななじゅうに」ではなくぞんざいに「なーに」と発音しているのだが、「ななじゅうご」が「なーご」になって猫になる。五首目には「くしゅくしゅ」「あわあわ」「うふふ」と3つオノマトペがある。六首目、焼き鳥の串を外すとき箸に力を入れるがそれを「んんっ」と表現しているのだ。これらのオノマトペはなかなか効果的に使われて、やはり作者は音感の鋭い人かと思う。
 印象に残った歌をもう少し拾ってみよう。
板チョコをぱきっぱきっと割りながらたましいの重さ考えている
空壜が笛になるまでくちびるをすぼめるこれはさびしいときのド
かなしみは縦に降るから日傘さすななめの影をじっと見つめる
ひとつずつだれかに見せたい夕焼けを閉じ込めている電信柱
シャンプーの入った耳をとんとんと世界中をうらがわにして
タラップをおりてゆくときてのひらをひらいた場所から雨になります
 一首目ではどこからポエジーが発生しているかというと、前半の「板チョコを割る」という日常的風景と、後半の「たましいの重さを考える」という非日常的な形而上的思索が一首の中に取り合わせられているところにある。魂にもし重さがあるとすれば、それは割った板チョコひとかけらくらいかと考えているのだ。不可視のものを形象化できるのが短歌の手柄である。二首目、作者はよほど空壜が好きなのかよく登場する。子供の頃によくやったように、空壜の口に唇を着けて息を吹き込むと、壜が「ボー」と霧笛のように鳴る。「笛になるまで」に表現上の工夫がある。三首目は特に好きな歌で、上句の「かなしみは縦に降るから」が秀逸。雨かと思うと日傘が出て来るところにも意外性もある。四首目、電信柱に夕焼けが閉じ込められているという空想がおもしろい。私の世代だと電柱と言うと別役実を思い浮かべる。五首目、髪を洗っていてシャンプーが耳に入ってしまった。片足で立ってとんとんと跳んで耳から出そうとする。そのとき意識は耳の内部に集中するため、耳の中が前景化され、逆に外の世界が反転して裏側になる。その感覚をうまく歌にしていて秀逸。六首目、どこかの地方飛行場で飛行機から降りているのだが、折しもボツリと雨が降り始める。誰しも確かめるために思わず手の平を上に向ける。そうして雨を感じた場所から雨が降り始めるという捉え方がおもしろい。世界の造りは私の感じ方に依存しているのだ。
 とはいえ気になるところもある。これは蒼井ひとりの問題ではなく、口語短歌全体の問題なのだが、ひとつは助詞の処理である。「百足の上履き駆けてゆく廊下」や「日傘さす」では、「上履きが駆けてゆく」「日傘をさす」の助詞ガやヲが省略されている。口語で助詞を省くとはしょった言い方という感じを拭えない。文語ではたとえば「丘ひとつ崩さるる日々まつぶさに驚くばかり空広くなる」(大島史洋)のように「丘が」や「空が」のガは省く方がふつうで、省いてもはしょった言い方にはならない。これはおそらく漢文の影響で、漢文では「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」のように、助詞の省略はふつうのことである。文語の背後には漢文脈が透けて見える。口語短歌では音数合わせのためにどうしても助詞を削らなくてはならないことがあり、それがはしょった感覚を残してしまうのだ。
 もうひとつは短歌研究新人賞の選考座談会で栗木が指摘したように、結句の単調さである。体言止めでなければ、「竹輪をかじる」「生まれたかったな」「ゆっくり潰す」のように終止形または終止形+感動助詞ばかりで、どうしても単調になってしまう。またこれは既に書いたことだが、終止形は辞書形であり、英語で言うと動詞の原形(活用していない形)に相当する。つまりは文を作る素材の段階に留まっているので、出来事感、つまり何か出来事が確かに起きたという感覚に乏しい。出来事感が希薄な結句は勢い結像力も弱い。このため全体として色彩が薄く、ふわふわした淡い印象を与えてしまうのである。
 しかしぐるりともう一周して考えてみると、このような文体は低体温でフラットな若手歌人たちの作歌姿勢に妙にフィットしていると見ることもできなくはない。もしそうだとしたらあまり言うことはなくなってしまい、かのウィットゲンシュタインが言ったように沈黙するしかないのだが。