第114回 江田浩司『まくらことばうた』

こもりぬのそこの心に虹たちてあふれゆきたり夢の青馬
            江田浩司『まくらことばうた』
 「未来」「Es」に拠る気鋭の歌人・江田浩司がおもしろい歌集を出した。『まくらことばうた』(北冬舎)である。すべての歌の初句に枕詞を置き、頭音のいろは順に配列するという技巧的な造りである。たとえば掲出歌では「こもりぬの」(隠り沼の)は「下」にかる枕詞だが、少しずらして「そこ」にかけてある。「こもりぬの」は本来は意味のある言葉だが、ここでは「そこ」を引き出すための装置として使われている。「隠り沼の底のように私の心の奥底には」という意味だから、直喩の構造を持ちながら言語的には直喩ではない連辞となっていて、その微妙な接点に歌に立ち上がる喩の姿がある。
 あとがきには「初句の『枕詞』と、それにより導き出される『被枕詞』に触発されて創作したものである」とある。「被枕詞」とは聞き慣れない造語だが、これについては後に触れる(注)。ぱらばらと見ると「いはばしる」「ちはやぶる」「つきくさの」「ぬばたまの」などよく知られた枕詞もあるが、見慣れないものも少なくない。
をぐるまのわが身に響む鳥の声、少女をとめらのこゑ風やいたまむ
くもりびの影にもあらぬわれなればうす墨色の受難を恋へり
ちりひぢの数にもあらぬわが身にて賽の宴の流刑地ならむ
やくしほの辛き思ひに爪を立てうたの在りかとなれる千鳥よ
かやりびの下燃え蜜を垂らす世に骨太の声ひびきわたりぬ
 一首目、「をぐるまの」の「を」は「小」だから「小さな車」つまり「小さな牛車」だろう。はて、これは枕詞か。『全訳古語例解辞典』(小学館)にも片桐洋一『歌枕歌ことば』(笠間書院)にも掲載がない。おそらく江田の創作枕詞なのだろう。「くもりびの」(曇り日の)、「ちりひぢの」(塵泥の)、「やくしほの」(焼く塩の)、「かやりびの」(蚊遣り火の)なども言葉としては存在するが枕詞ではない。とするとこの歌集での「枕詞」とは、狭義の枕詞ではなく、広く歌語・歌枕と解釈すべきなのだろう。
 見ようによっては時代錯誤的な枕詞を配した歌をなぜ平成の世に作るのだろうか。短歌の方法論に自覚的な江田のような歌人が、単なる気まぐれや戯れで作ったとは思えない。以下、私の勝手な想像を交えて考えてみたい。
 明治期に近代短歌が成立したとき、それまでの和歌で多用されていた枕詞・序詞・掛詞などの修辞は古くさく不用なものとして排除された。近代短歌のモットーは「自我の詩」である。詠うべき主題は〈私〉だ。とりわけ写実は言葉とモノとの一対一の対応を前提とすることから、指示物のない枕詞・序詞・掛詞は異物である。以後、短歌を自己の真情を盛る器と見なし、言葉を〈私〉を表現するための道具とする態度が生じた。かくして言語記号は歴史・神話に深源を持つ本来の不透明性を失い、限りなく透明な媒体となった。今日、現代短歌の「棒立ち」化や短歌の言葉のフラット化が指摘されるが、この現状は近代短歌が選択した道の延長線上にあると見なすこともできる。
 さて、江田があとがきで書いた「初句の『枕詞』と、それにより導き出される『被枕詞』」に立ち戻ってみよう。
いはばしの間近き君に深むかも真水に浮かぶ天体の香よ
 「いはばしの」は「間」「近し」「遠し」にかかる枕詞である。したがってこの歌では「間近き」が枕詞によって導き出された「被枕詞」に当たる。枕詞と被枕詞の間には呼応関係があるため、枕詞に続く語の選択は自ずと制限される。歌の作り手はここで語の選択権を言語の側に譲渡する。これは近代短歌の原則に反する行為である。
 また古語辞典を繙くと、「うつせみの人目を繁みいははしの間近き君に恋ひわたるかも」という万葉集の歌が掲載されている。これは「いははしの」の用例であると同時に、江田の短歌の本歌である。つまり江田は枕詞を用いることで語の選択権を言語に譲り渡しただけではなく、大規模な本歌取りをしているのだ。これもまたオリジナルな自我の詩であれとする近代短歌のセオリーに反している。
 なぜそんなことを試みるのか。その意図は本歌集のあとがきに過不足なく述べられている。「古代の、異質な言葉の世界に刺激を受けながら、内省的な言葉との内なる出逢いを即興的に表出し、言葉自体に内在する超越的な力を創造性へと発揮させることを目的としている」とある。つまりは作歌の重心を〈私〉の側から言語の側へと転移させるということだ。いったん〈私〉を括弧に入れて、言葉が言葉を導き出し、言葉が別の言葉と呼応する膨大な関係性の網の目の律動に身を委ねるのである。
 この態度から二つのことが帰結する。ひとつは和歌の修辞が立脚していた「美の共同体」と歴史性への意識であり、もうひとつは枕詞の少なからずが地名に由来することから来る「地霊」(genius loci) の復権である。旧来の「美の共同体」はとうに崩壊しているから、江田は自力で新たな共同体をめざすのだろう。地霊については江田もあとがきで触れており、東日本大震災後に本歌集を上梓する意味のひとつとして意識している。
 おそらく江田には現代の歌語が痩せ細ってしまったという認識がある。枕詞を通じて言語の自立的な律動と呪的強度を賦活することで、新たな詩語を志向しているのだろう。次の歌はその述志とも読める。
ちはやぶる神にしあれば言の葉は明るき闇を秘めにけるかも
 神=logosに秘められた明るい闇とは、言葉に定着され陳腐化する以前の豊饒な意味の世界をさすのだろう。実際に本書を読んでいると、密教の声明か延々と続く念仏を聴いているときのように、母音と子音に分解された音のうねりに呑み込まれそうになり、ふと吾に返る瞬間がある。興味深い経験である。本歌集が現代短歌シーンでどのように受け止められるか見守りたい。

(注)「被枕詞」は万葉学者の古橋信孝氏が使った用語だとのご指摘をいただいたので、訂正したい。

第113回 高木佳子『青雨記』

刈られたる草の全きたふれふし辺りの空気あをみ帯びたり
                 高木佳子『青雨記』
 高木佳子たかぎ よしこは1972生まれで「潮音」に所属。2005年に「片翅の蝶」で「短歌現代」新人賞と「潮音」新人賞を受賞。この一連を収めた第一歌集『片翅の蝶』(2007年)で日本歌人クラブ新人賞を受賞している。『青雨記』(2013年)はそれ以後の作を収録した第二歌集である。
 確か小池光だったと思うが、次のようなことをどこかに書いていた。歌人にとって大事なのは第二歌集である。第一歌集はそれまでに作り溜めた歌を集めれば出せる。それを青春の記念や一生の思い出として、そこで終わる人も多くいる。ほんとうに歌人として立つのは第二歌集においてである。確かこんな内容だった。
 実は私は『片翅の蝶』も出版された時すぐに読んだのだが、読み進むうちに息苦しくなり、途中で巻を閉じてしまった。歌から滲み出るあまりの閉塞感に圧倒されてしまったのである。
いつよりか無援となりて驟雨にも寄るべき軒を見い出せずゐる
妻として撮らるるときに目をそらすわれの理由を誰か質せよ
父母の血は閉ざさむと若き日に立てし誓いひのかく脆きかな
われに優位を誇示するごとく高らかに笑ひ声あぐる三人子の母
脂臭き歯の向かう側その生を飲みこみて来し父よ語れよ
 『片翅の蝶』の主旋律は出産と子の成長という女性の物語なのだが、妻の座に安住する自分への不安、子を持つことへの畏れ、父との根深い確執など、負の感情が横溢する歌集だった。確かに歌集後半まで読み進めば、「をのこ児の髪はいつでもみじかくて深まりてゆく櫛のあめいろ」のように、心穏やかに子供の成長を見つめる歌もあって、閉塞から解放へ、闇から光へという構成の歌集であることが知れる。私は途中で挫けてしまったわけだ。ただそのことを差し引いても、『片翅の蝶』収録の歌には叙景が少なく、主情に大きく傾いた歌集だという印象が強い。反アララギ、反写実の立場を貫いた太田水穂の「潮音」の影響もそこには働いているかもしれない。
 ところが『青雨記』を一読して驚いた。作風ががらりと変わっているのである。
てのひらに蟻歩ましめてのひらに限りのあれば戻りきたりぬ
いちまいの花びら咬みて小鳥遊びそのはらびらのあまたなる傷
つよき陽射しうけとめかねて夾竹桃に寄れば夾竹桃にならむよ
いつくしく薄暮となりて青鷺はとけゆくごとく片脚に立つ
金木犀および少女ら香りけふの日をうしなひながら生きつつあらむ
 『片翅の蝶』の至る所に顔を覗かせていた「悩める〈私〉」はすっかり影を潜めて、対象に寄り添う視線が勝る歌になっている。歌は景物(=対象)とそれを見る〈私〉(=主体)との出会いを契機として生まれるものであるが、その際に対象の側に比重を置くか、それとも主体の側に比重を置くかで歌の性格が大きく異なる。対象に比重を置いた歌がいわゆる客観写生であるが、100%対象側ということは理論上あり得ない。なぜなら対象を認識するには主体の能動的活動が必要で、対象描写には必然的に主体の把握が混じるからである。逆に主体に比重を置いた歌はロマン的かつ抒情的性格を色濃くすることになり、その中には幻想的世界を描くものもあるだろう。『片翅の蝶』には主体に比重が置かれた歌が多く見られたが、『青雨記』では振り子が反対側に振れるように主体を離れた歌が中心となっている。
 では高木は対象に即した写実に転向したのかといえば、ことはそれほどかんたんではない。上に引いた一首目を見てみよう。自宅の庭か公園で、戯れに蟻を手の平に乗せている情景が描かれている。手の平は狭いため、端まで行った蟻がまた戻る。それだけを詠んだ歌である。これは客観写生だろうか。そうではあるまい。「てのひらに限りのあれば」は主体側の認識である。では子規の「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」はどうか。「藤の花ぶさみじかければ」も同様に主体側の認識だから同断ではないか。子規の歌の核は対象認識にあり、歌意は対象の認識と認識した主体という契機に回収されるが、高木の歌ではそこに回収されない何かが残る。それは「てのひら」の反復によって生じる非現実感である。リフレインは童謡でよく用いられる手法で、現実を虚構の世界へと転轍する作用がある。対句的定型が反復されることによって、その話は現実のことではなく昔々ある所で起きたとさ、へと変換されて時空を超える。よく見ると上に引いた二首目にも「はなびら」の反復がある。
 おまけに一首目は蟻、二首目は小鳥が嘴で花びらに付けた傷という、超微細世界である。これが高じると「つばさより鱗粉こぼれ紋白の揚がりゆくなり幾らかかろく」となって、こぼれた鱗粉の分だけ体重が軽くなっただろうというマイクログラムの世界になる。ここまで行くともはや幻視の世界である。そう考えれば「潮音」には葛原妙子がいたことが思い出されないだろうか。高木は第一歌集『片翅の蝶』の主情的歌風を脱して客観写生へと向かったのではなく、対象と主体の二項対立という図式を超える幻視の領域へと踏み出したのだろう。そう考えれば次のような歌も了解できるのである。
透きとほるそれら雨滴のふくらみてあをく動きつ傘の傾きに
しづみゆく糖の崩れを見送りぬアールグレイのその深さまで
skypeにみづうみの映ゆすぎゆきに潜水士帰らざりしみづうみ
ゆくらかに点灯夫来て空の鳥海の魚を灯すゆふぐれ
琥珀石透かすいつときゆふぐれは右の眼にのみ訪れぬ
 四首目の点灯夫の歌や五首目の琥珀石の歌はうっとりするほど美しい。高木は第二歌集に至って独自の歌の世界を確立したと言えるだろう。
 最後になったが高木は福島県いわき市の在住であり、東日本大震災で爆発事故を起こした福島第一原子力発電所による放射能被害を受けた。歌集巻末には原発事故を詠んだ歌が置かれている。
見よ、それが欠伸をすればをののきて逃げまどふのみちひさき吾ら
海嘯ののちの汀は海の香のあたらしくして人のなきがら
繊すぎる雨の降りきてをさなごのやはき身体を汚しゆくなり
 いずれも一読して沈黙するしかない歌である。あとがきに「雨は、青葉を潤すものとしての雨から、汚染される悪しき雨へと変わった」とあり、いまだに除染作業が進まない地元の現状が窺われる。この苛酷な体験が高木の短歌をどのように変えるかは今後を見守るしかあるまい。

第112回 川本千栄『深層との対話』

  2013年の第一回目は新年らしくめでたい雰囲気の明るい歌集を取り上げようかと考えたのだが、考えてみると近頃あまりめでたく明るい歌集が見あたらない。短歌が本来持っていたはずの呪的機能が失われてきたのかとも思う。年末・正月と少し時間の余裕があったので、積ん読状態に陥っていた川本千栄の評論集『深層との対話』(青磁社 2012)を一気読みした。
 川本は1963年生まれで「塔」所属。『青い猫』(2005)、『ひざかり』(2009)の二冊の歌集があり、2002年に本書にも収録されている「時間を超える視線」で現代短歌評論賞を受賞している。同じ「塔」所属の松村正直らと同人評論誌「ダーツ」を発行していたこともあり、短歌実作だけでなく評論にも力を入れている歌人である。
 川本については忘れがたい記憶がある。2010年11月7日に開かれた青磁社創立10周年記念シンポジウムで、パネリストとして登壇した川本が同じくパネリストの穂村弘に向かって、「現代短歌がこんなにフラット化してつまらなくなったのはあなたのせいではないか」という意味のことを威勢の良い関西弁で述べ立てて穂村を詰問したのである。私は歌人・評論家・文章家としての穂村をそれなりに評価しており、また現代短歌のフラット化がひとり穂村のせいというわけではないと思うが、川本の威勢の良さは印象に残った。
 『深層との対話』は川本が今まで「ダーツ」「歌壇」「短歌往来」などに書いた文章をまとめたもので、第一章「短歌にとっての近代とは」と第二章「現代短歌の問題点 – 修辞、〈われ〉、社会詠」からなる。一読して驚くのは、第一章で扱われているのが一貫して短歌と戦争の問題だということである。川本はまず明治時代に「国民」という意識を醸成するために文部省唱歌が作られ、多くの歌人たちが歌詞を書いたことから筆を起こし、先の大戦で戦死した兵士が残した辞世の歌、近代短歌に詠まれたサクラの考察、歌人の戦地体験、前田透・渡辺直己ら戦争を詠んだ歌人などを次々に論じている。
 とりわけ興味深く読んだのは「前田透 その追憶と贖罪の日々」という文章である。前田は東北大学在学中に召集され、オランダ領チモール島に経理担当将校として赴任した。そこでは大きな戦闘はなく、前田の任務が現地人の宣撫工作であったため、土地の人と親しく交わることとなったという。第一歌集『漂流の季節』には次のような歌がある。
少年はあをきサロンをたくしあげかち渡り行く日向の河を
ジャスミンの花の小枝をささげ来てジュオン稚くわれを慕へり
 ジュオンとは特に前田が寵愛した現地の少年の名で、いずれも熱帯地方の色彩豊かな風景とけだるい雰囲気が横溢する歌である。ただし、前田がこれらの歌を作ったのは現地で敗戦を迎え日本に復員して数年後なので、歌の中のチモールは追憶で美化されたチモールである。前田らの宣撫工作が実を結び、チモール人たちは日本軍に加担したが、やがて日本の敗戦とともに現地の王は敵軍協力の咎で捕縛され、前田が愛した人たちも行方不明になった。前田は昭和48年にチモール再訪を果たし、捕縛された王の後継者ガスパルの口から「日本軍に対して怒らない」という言葉を聞いて、積年の胸のつかえが取れたという。いずれも知らないことばかりで興味深く読んだ。
 川本は歌人にまつわるこのようなドラマを、資料を渉猟し丹念に読み解くことで浮かび上がらせるのだが、川本が一貫して採る態度は、このようにして明らかにした史実を短歌の読みと結びつけるということである。つまり史実自体を明るみに出すことが目的ではなく、ましてや過去の歌人の戦争責任を云々するためでもなく、残された短歌の読みをいっそう豊かにし、意味の陰翳を付与することによって、歌の背後にまで至ろうとしているのである。
 このような川本の姿勢は第二章「現代短歌の問題点 – 修辞、〈われ〉、社会詠」でも基本的には変わらない。第二章では、流行歌の歌詞と短歌の関係、加藤治郎のオノマトペ、仙波龍英、渡辺松男、河野裕子、社会詠などが論じられている。なかでは健康的な身体性の観点から取り上げられることの多い河野裕子の歌に、実は死や暗さを志向するものが多いことを明らかにした章や、ライトヴァースとひとくくりにされることのある仙波龍英の歌には重い主題が隠されていることを論じた章には、意味の表層に満足せず深層まで測鉛を降ろそうとする川本の態度がよく表れていると言えよう。
 それにしてもなぜなのだろうと思うことがある。同じ「塔」に所属する松村正直の評論集『短歌は記憶する』(六花書林 2010年)も「戦争の記憶をめぐって」という章を設けて、短歌と戦争の関わりを論じている。完全な戦後世代で戦争の記憶などない川本と松村が、そろって短歌と先の大戦を中心的なテーマとするのはどうしてだろうか。
 それはおそらく川本も松村も近代短歌を自己の創作基盤として選んだからではないだろうか。現代短歌ではなく近代短歌をである。この点が2001年の『短歌研究』創刊800号記念「うたう作品賞」や『短歌ヴァーサス』を舞台として登場した現代短歌の歌人たちとの分水嶺なのだ。後者の歌人たちは歴史意識を持たない。必然的に「時間を超える視線」もない。「今」があるだけだ。一方、近代短歌を出発点とした川本や松村は、その選択の結果として時間を遡行する視点を内在化せざるをえない。時間を遡行するとは歴史意識を持つことと同義であり、その先には先の大戦が控えているのである。
 『深層との対話』をこのような文脈に置いてもう一度眺めてみると、新しい光が当たるように思う。

第111回 野口あや子『夏にふれる』

フローリングに寝転べばいつもごりごりと私は骨を焦がして生きる
                  野口あや子『夏にふれる』
 『くびすじの欠片』(2009年)に続く野口の第二歌集である。まず驚くのはその分厚さで、まるで小説の単行本のような造本になっている。収録歌数も多い。花山周子の『屋上の人屋上の鳥』が出版されたとき、収録歌数860首は茂吉以来と評判になった。『夏にふれる』の収録歌数は記載されていないが、歌のあるページが315ページあり、1ページに3首配されているので、表題のページや白紙を除いても、800首を超えるだろう。あとがきに「もともと多作で」、「自らの詩歌とのじゃれあいを、卑俗や下等なものとして切り捨てることなどわたしにはとうていできなかった」とある。要するに作った歌をほぼ全部収めたということで、「選ぶ」つまり「捨てる」作業を通じて自分の作品世界を純化するという発想は野口にはないのだろう。このあたりに野口の歌人としてのスタンスが露呈しているようだ。 本書には野口が愛知淑徳大学の文化創造学部に在籍していたほぼ4年間に作られた歌が収録されている。あとがきは愛知淑徳大学教授・小説家の諏訪哲史が書いている。ちなみにこの大学の学長は島田修三である。野口の歌では「シマシュー」とルビを振られて登場している。野口は学長みずから担当する短歌ゼミには入らず、諏訪の小説ゼミに所属したという。一筋縄ではいかないということか。
 野口の短歌をひと言で特徴づけるとすれば、キーワードは「危うさ」だろう。今にもどこかが壊れそうな危うさ、限界を超えてしまいそうな危うさである。たとえば掲出歌を見てみよう。「骨を焦がして生きる」に驚く。骨は身体の最も深部にある構造体である。骨を焦がすというと、その前に肉も焦げていることになる。用心深い人、小心な人、穏やかな暮らしをモットーとする人は、とてもそんなことはできない。感情の強度と激しさを求める人だけが踏み込む道である。
血のにおい忘れ去られてメンタムが行ったり来たりたてじわの口唇くち
林檎嬢がヒールでガラスを割るのなら頭突きで割りたいわたくしである
くろぶちのめがねおとこともてあそぶテニスボールのけばけばの昼
ゆうぐれの淡さに腋にあく汗のわかいおんなは息苦しいね
もっともっともっと痩せなきゃいけなくてあばらぼねからずたずたになる
差し入れて抜いて気がつく鍵穴としていたものが傷だったことを
 一首目、日常的に解釈すれば「血」は唇が荒れて切れたため出たものだろうが、それだけではない何か不穏な響きがある。それと同時にほのかにエロチックな感じがただよっている。二首目、「林檎嬢」は歌手の椎名林檎。「本能」というタイトルの歌のミュージックビデオで、看護師の扮装をして大きな板硝子をハイヒールで蹴破るという印象的なシーンがあった。自分ならば頭突きで割るというところに捨て身の激しさがある。三首目、「くろぶちのめがねおとこ」が誰なのかは不明だが、全体に漂う雰囲気は「不穏」である。四首目は説明の必要がないほど歌意は明白で、「生きづらさ」が野口の短歌の大きなテーマであることが知れる。その背景には、不登校、拒食症、リストカットなどがあるようで、五首目はそれを端的に示している。六首目にも野口の世界に対する立ち位置がよく表われている。『くびすじの欠片』を取り上げたときに、「野口は世界の歪ませ方がうまい」と書いたが、今から思えばそれは正確ではなく、野口は世界に自分の主観をあられもなく投影するために、このように見えてしまうと言った方がよいかもしれない。「鍵穴」が「傷」だというのは短歌レトリックとしての見立てなどというものではなく、感情が外に流露したものであり、これはこれでリアリズムなのだ。
定型を上と下から削りましょう最後に残る一文字ワタクシのため
わたくしをなみなみ注ぎ容れたいと思っては鋭角曲がりきれずに
定型から零れてしまうわたくしもそのままとして、夏のなみだは
 この二首は野口の作歌姿勢を詠んだ歌と思われる。定型を削りに削って最後に残るのが〈私〉であるというのは近代短歌が歴史的に選択した道の終着点ではあるのだが、その強度と徹底ぶりは歌人によって千差万別である。二首目にあるように、野口は短歌に〈私〉をなみなみ注ぎ容れたいと考えているのだから、野口は現代短歌の〈私〉派の最右翼ということになるだろう。
とっぷりと湯船に浸かって髪を解くひろがることはいつでもこわい
他意はなくひらきっぱなしの自我をまた恥じつつ続けるほかなき自我か
 問題はその〈私〉のあり方である。誰だって自分に〈私〉があるとふつう考える。しかし〈私〉とは、〈私〉においてのみ把握されるものではなく、他者との関係性において規定されるものでもある。絶海の孤島で一人で暮らしていたら、おそらく〈私〉という概念は限りなく希薄になり、ついには雲散霧消してしまうだろう。なぜなら私は〈あなた〉や〈彼〉との関係と軋轢という局面においてのみ、意識的に浮上するものだからである。
 上の二首を見ると、野口は「ひろがる」ことに畏れをいだいているように見える。「ひろがる」とは〈私〉が他者と触れることである。そこにいやおうなしに摩擦と軋轢が生じる。今、仮に〈私〉を粗っぽく、「独りでいるときの私」(即自的存在)と「誰かといるときの私」(対他的存在)に二分すると、野口の〈私〉は圧倒的に後者だと言えるだろう。だから野口の短歌世界はたやすく「対他的存在の煉獄」の観を呈するのである。
 しかし本歌集の途中から少し印象が変わる。ほぼ編年体で配列されていると思われるのだが、後半の4分の1あたりから文語が増えて、「危うさ」が抑制されている印象の歌が目につくようになる。まだ若い作者なので、これから変わってゆくのかもしれない。
なめらかに生きんと語を継ぐ頁ありさりとて青き付箋を貼るも
1ダースチョコひとつずつ置いていく友のてのひらそれぞれのおん
わたくしは、と言いさすみだりがわしきを頬に揺れたる前髪やわし
古びたる写真は木の葉、笑むままに掃きあつめられふいに拾わるる
いきながらえてあわくあやめる爪なれば小雨のごときしろさを持てり
 野口の開きっぱなしの〈私〉と短歌定型の修辞の要求する抑制とがほどよくバランスをとっていて、しかも口語がよく生かされているは次のような歌ではないだろうか。
死は水が凍るときにもありというわずかに膨張したるましかく
ひかりってつぶやくときのひかりとはそのときどきにわずかにちがう
ひらひらとライターの火はひかりつつ他意があろうとなかろうとあお
見なくてもいいと子の目を塞ぐため持たされたのかこのてのひらは
腋かすか湿りはじめてゆうぐれの商店街のビーチサンダル
 一首目は水の凍結と人の死を重ね合わせた歌だが、結句の「ましかく」がなかなか効いている。二首目の上句は口語ライトヴァースにありがちな語法ではあるものの、微少な差異を詠うのは今までのような感情の強度を求める姿勢とはちがう着眼点を示している。三首目は音がおもしろく、「ひらひら」「火」「ひかり」のhi音、「ひらひら」「ライター」のra音、「他意」「あろうと」「なかろうと」「あお」のa音がリズミカルな世界を作っている。四首目は今現在の自分ではなく、未来に生まれる子を思っている点が新しい。五首目、夏の夕暮れの情景だが、「腋」「商店街」「ビーチサンダル」の組み合わせが、体感的ながら〈私〉のみに収束しない世界を押し上げていて、他者への架橋が感じられる。
 野口はこれからまだ変化してゆくだろう。『夏にふれる』の収録歌は完成した歌ではない。発展途上の歌である。言い換えればまだ伸びしろがあるということでもある。それはある意味でとてもうらやましいことなのだ。

第110回 徳高博子『ローリエの樹下に』

ゆふぐれの庭に佇つ犬尾を振れりわれに見えざるものに向ひて
               徳高博子『ローリエの樹下に』
 著者は1951年生まれで、2000年の短歌研究新人賞に「革命暦」30首で応募して候補作に選ばれる。その後、「中部短歌」に入会して本格的に短歌の道に進む。師春日井建の死とともに「中部短歌」を離れ、現在は「未来」に所属。2001年刊行の『革命暦』に続く第二歌集である。跋文は著者がその選歌欄に拠る黒瀬珂瀾が書いている。
 歌集題名のローリエ(月桂樹)は、現在の住居に引っ越した折に狭庭に植えたものとあとがきにある。だから掲出歌の「ゆふぐれの庭」はローリエの茂る自宅の庭だろう。日常見慣れた光景である。しかし作者の眼差しは犬を通じて日常の風景を突き抜け「見えざるもの」へと向かう。これが作者徳高の身に深く根ざした逃れられぬ資質であり、その資質が歌集全編に色濃く揺曳している。
きまぐれな雲のひとひら日を閉ざし脆きわが界影を失なふ
また鬼になる番が来るたそかれは前を行くひと振り向くなゆめ
けふ君はわれを想はざりしか 肌冷えて 神あらぬ空は錆朱に染まる
あらたなる逢ひをおそれず海境に消えゆく船影見つめてゐたり
花の季は悲傷の形見 地に空に滅びしものの祈りは充ちて
 一首目、日が差すと地上に自分の影ができるが、雲が日光を遮ると自分の影は消える。当たり前のことである。しかし作者は雲に「きまぐれ」を見る。私たちの生は根源的な偶然性に投げ出されているからである。また自分の立ち位置を「脆きわが界」と表現する。偶然性に支配された生は急流を流れる木の葉のようなものだからだ。この歌だけでも、徳高の短歌が写実を踏まえながら、写実を突き抜けた見えない世界を指向していることが知れよう。二首目、夕暮れの町を歩いている光景である。しかし、たそがれは逢魔が刻。振り向いた人は鬼になっているかもしれない。三首目の「神あらぬ」は徳高の歌にしばしば登場する語句である。「神去りし世」と表現されることもある。見えざる手による救済を断ち切られ、実存へと投げ出された私たちの生の有り様を言い表す言葉だろう。美しいはずの夕焼けが滅びを暗示する「錆朱」と表現されている点にも目が行く。四首目、「あらたなる逢ひをおそれず」にはっとさせられる。ふつうは海の旅は新たな出会いに希望を膨らませて出立するものだ。それをこのように表現するというのは、作者が「あらたなる逢ひをおそれて」いることを意味する。その理由はおそらく出会いは別れ・喪失へとつながるからだろう。五首目、咲き誇る桜を見ても、作者の耳には滅びたものたちの祈りが聞こえるのである。
 このような作者の資質はすでに第一歌集『革命暦』に明らかに表れている。
あめつちのあはひは銀に昏みゆき係恋のごと風花の舞ふ
刻刻と死にゆくわれら愉しげに花舗にあふるる花束として
かの岸の空に茜に染まりしかフラミンゴ憩ふこの世の汀
 端正な言葉と語法でまとめられた歌で、第一歌集とは思えないほどの完成度の高さである。短歌研究新人賞に応募したときに、当時審査員だった塚本邦雄が一位に推したというのもうなづける。感情の基調は悲しみにありながら、それを表現する方法と語彙に華麗さがある。塚本ほどには幻視と修辞に傾かず、その一歩手前で留まってはいるが、どこかふと幽体離脱のようにこの世の縁を踏み越えるような眼差しが感じられ、それが歌に奥行きと深みを与えている。
 『ローリエの樹下に』には三つの重い別れが描かれている。母の死、父の死と、師春日井建との永訣である。
逝きてのちはじめて夢に逢ひし母サングラスをかけ微笑みてゐつ
起き伏しに死を語る人の傍にゐてはや死の後の見ゆるが如し
もののふの父逝きたれば斎場にしかばね衛兵として友立てり
ちちははが気となりて棲むこの部屋は吾に遺されし小さき隠れ家
葬送の皐月の空は美貌なり今生後生とほる光に
鉄線のむらさきはつか揺らす風いづこにもいます君と想はめ
 母親はすでに他界しているので、正確に言えば別れの記憶である。父親はかつて戦地に赴き、終戦後は画家として暮らしていたようだ。徳高の歌に物の色がきめ細やかに詠まれているのはそのせいかもしれない。最後の二首は春日井建への挽歌である。鉄線は春日井が好んだ花だという。
 私はかねてより短歌の本質は挽歌によく表れると考えている。それは挽歌には他者への呼びかけがあり、また挽歌の場合、それは失われたものへの呼びかけだからである。「見えないもの」への眼差しを持つ徳高にとって、いわばすべてが挽歌と言ってもよいかもしれないが、特に肉親や師への挽歌に想いが籠もるのは当然である。
悲しみを狩る神ありて黒き九月銀翼ふたつ空に放てり
夏空に光のこゑを放ちつつ亡びつづけよ噴水のみづ
神在らぬ花降る朝かそかなる泉はありて耳そばだてる
群れてゐては生きてはゆけぬ鷺一羽いつしんに佇つ朝の汽水に
 特に印象に残った歌を並べてみたが、こうして見ると同じ基調を持つ歌であることがわかる。〈神〉 〈孤〉 〈悲〉という三つのキーワードで通分できる。〈神〉はキリスト教の神ではなく、〈私〉を超える超越的存在である。悲しみを狩る神、亡び続ける噴水、異界に耳をそばだてる泉、汽水に立つ鷺。作者はこれらを通してこの世に生きるべく定められたわれらの実存を見つめているのである。

第109回 フラワーしげる

南北の極ありて東西の極なき星で煙草吸える少女の腋臭甘く
             フラワーしげる「ビットとデシベル」
 久し振りに驚いて一人書斎で「エエッー!」と声を上げる経験をした。「かばん」の今年の6月号を拾い読みしていたときのことである。
 「かばん三兄弟」という小特集が組まれていた。それによると1999年頃、「かばん」所属の植松大雄、千葉聡、中沢直人の若手三人組は歌会から帰る方角が同じなのでよくいっしょに行動していて、「かばん三兄弟」と呼ばれていたそうだ。現在では、山田航、法橋ひらく、伊波真人の三人が「新かばん三兄弟」だという。そんな思い出を書き綴る千葉の文章を読んでいると、「西崎憲がフラワーしげるを名乗るずっと前」というくだりに出くわした。フラワーしげるって西崎憲のことだったのか! これには驚いた。西崎の小説はずいぶん前に読んだことがあったからである。
 西崎はもともとミュージシャンだが、レコードレーベルの主宰と幻想文学の翻訳家という顔も持っており、2002年に『世界の果ての庭』で第14回日本ファタンジーノベル大賞を受賞している。私は書評に惹かれて買い求めて読んだのである。なかなかよくできたファンタジーだと感じた印象以外の記憶は残っていない。この本は今でも書架のどこか奥の方を探せば見つかるはずだ。
 その西崎が最近また小説を出した。短編集『飛行士と東京の雨の森』(筑摩書房)である。置いているかなと近所の書店に行ったら、文芸の棚に平積みしてあり、書店員の手書きポッブまで添えられていて驚いた。買い求めてすぐに読んだが、なかなかよい。特に本書の3分の1を占める「理想的な月の写真」に感心した。主人公の所にある日、自殺した娘のためにCDを作ってほしいという依頼が来る。参考にしてくれと届けられたのは、子供の頃に住んでいた地方の写真、祖母からもらったリュシアン・ルロン作と思われるドレス、教会のステンドグラスを見上げる娘と覚しき写真、母親の実家にあったステンドグラスの欠片、陶製のインデアン娘の人形、文鳥の羽、オルゴールのシリンダー、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』、盲目の写真家コスタ・バルツァの写真集『理想的な月の写真』というばらばらな遺品と、「娘の日記に世界が怖いと書いてあったので、世界は怖いものではないことを教えてやってほしい」という依頼者の希望であった。主人公はこの10のアイテムをめぐって調査し友人に相談し思案をめぐらせて、最後に首尾良く依頼者の希望に叶うCDの制作に漕ぎ着けるという筋である。
 いつも小糠雨が降っているような静かな小説で、特に次の哲学的なくだりが印象に深く残った。
「確かに真に重要なものには人間は決して手を触れられないだろう。世界はそんなもので溢れている。そんな不可知にものに。けれど、人間はそれらとダンスを踊らなくてはならない。だとしたら、不可知と踊ることを楽しまなければならない。うまく踊れた時、その時に不可知のもうひとつの名前がはっきりするだろう。たぶんそれは普遍という名であるはずだ。」
 さて西崎のもうひとつの顔のフラワーしげるである。フラワーしげるは2007年の第5回歌葉新人賞選考において「惑星そのへん」で候補作品に選ばれ、その後、2009年の短歌研究新人賞で「ビットとデシベル」が候補作に選ばれて衝撃のデビューを果たした。この年の新人賞は「ナガミヒナゲシ」のやすたけまりである。フラワーしげるは新人賞は逃したが、応募作の異様な文体によって注目を浴びることになった。
工場長はきびしい言葉で叱責し ぼくらは静かに未来の文字を運んだ
壁面をなだれおちるつるばらに音はなく英国のレスラー英国の庭にいる
小さなものを売る仕事がしたかった彼女は小さなものを売る仕事につき、それは宝石ではなく
ただひとりの息子ただひとりの息子をもうけ塩のなかにあるさじの冷たさ
ここが森ならば浮浪者たちはみな妖精なのになぜいとわしげに避けてゆく美しい母子よ
振りかえると紙面のような人たちがとり囲み折れているところ破れているところ
ビットとデシベルぼくたちを明るく照らし薬指に埋め込んで近づいていく
 選考会では加藤治郎が一位に推し、「不条理な現代に生きる人々の静かな反攻と苦い官能がモチーフで、メタファーの深度は群を抜いている」と強力にプッシュしたが、他の委員の議論は次の2点に集中した。昭和初頭と20年代に口語の長い短歌が登場したがそれとどうちがうかという点と、あえて定型を壊すだけの詩的必然性が感じられるかという点である。ラップを思わせるところがあるという選考委員の指摘にたいして、定型を流動化させるところにこの人のモチーフがあると加藤が感想を述べ、五七五七七の句の中にどれだけ情報量を増やすことができるか試みをしているのではないかと穂村は応じている。
 フラワーしげるは翌2010年にも短歌研究新人賞に「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」30首で応募した。
小さく速いものが落ちてきてボールとなり運動場とそのまわりが夏だった
数人の靴ひもをあわせて結んでぼくたちはかれを降ろして世界を救った
ぼくらはシステムの血の子供で誤字だらけの辞令を持って西のグーグルを焼き払った
持つものも持たざるものもやがてやってくる花粉で汚れた草の姫の靴
謁見の時間となるが部屋干しの王の下着まだ乾かず
網から逃げてゆく人間が手にもつビニール袋に見える人間
 選評で注目されるのは、四首目では「やがて」か「やって」のどちらかを取れば定型になるがそうすると失われるものがあり、ここに「やって」を入れるのがこの作者の世界なのだという穂村の指摘である。穂村は続けて、この作者の世界は結局は散文性で、そこに詩的資産が投入されているため、短い小説のように見えてしまうと述べている。穂村らしいなかなか鋭い指摘である。
 同人誌『率』創刊号 (2012年)は、作者自身に自選歌5首の批評を書かせるという試みをしていて、フラワーしげるも自選歌に対してまるで他人のように3人称で批評を書いている。フラワーしげるの自己分析は以下の通りである。現代短歌はリアリズムを選択したときに、ある矛盾を抱え込むことになった。リアルな生活感情を歌に盛り込むためにはリアリティーのある身近な言葉を用いる必要があるが、その反面、記憶を容易にして歌に固有の呪的性格を持たせるためには定型韻律と反復性を守らなくてはならないという矛盾である。それを前提としてフラワーしげるは何を模索しているかと言うと、神話的回帰へと意図的なアプローチをすることで内容面で呪詞的要素の濃い歌を作る一方、韻律面では非定型へとはみ出して記憶に不向きなものにしている。つまり、内容において呪詞に付き、韻律面では呪詞から離れるという、大方の現代短歌とは逆の方向をめざしているというのである。
 フラワーしげるのやたらに長い短歌がひとりでに出来たものではなく、ある意図に基づいて制作されたものであることがこれでわかるだろう。「内容において呪詞に付く」というのは、フラワーしげるが小説家であることから容易に理解が及ぶ。同じ小説家といっても、フラワーしげるは私小説ではなく、『飛行士と東京の雨の森』の粗筋の紹介で触れたように、「世界」「普遍」「不可知とダンスを踊る」というような言葉を使う小説家である。日常の些事ではなく世界観を問題にするのである。一方、「韻律面では呪詞から離れる」動機を本人は詳らかにしていないが、それは内容面の選択の反作用と思われる。短歌に世界観を盛り込むには定型は短すぎ、どうしてもそこに散文性を導入しなくてはならない。勢いフラワーしげるの短歌は穂村が指摘したように、短い小説のように見えてしまうのである。これは昭和初期に登場した長い口語短歌の志向性とはまったく異なる動機に基づくものと言えよう。フラワーしげるが現代短歌シーンにおいて異彩を放つ理由がそこにある。
 ここで掲出歌「南北の極ありて東西の極なき星で煙草吸える少女の腋臭甘く」に戻って見てみよう。韻律的には「南北の / 極ありて東西の / 極なき星で / 煙草吸える / 少女の腋臭甘く」と区切ると、五・十・七・六・十の38音で字余りだが、定型をまったく無視しているわけではなく、定型を意識しつつ少しずつずらしている。だからある韻律意識を持って読むことが可能である。この揺らぎの部分をどう感じるかは人によってちがうだろう。その揺らぎが内容面の散文性を支える方向で働いている歌は、十分に短歌として読めると思う。
 フラワーしげるのこの方向性がどのような地点に行き着くのかは予断を許さない。フラワーはその後短歌研究新人賞などには応募しなくなったようだが、またどこかで近作を読みたいものだ。そう強く思う。

第108回 山下泉『海の額と夜の頬』

ホネガイの影ひらきゆく夕べまで傾けつくす夜の水差し
              山下泉『海の額と夜の頬』
 世評高かった『光の引用』に続く山下の第二歌集が今月ようやく出版された。『光の引用』が2005年だから7年間の歌が収録されている。版元は同じ砂子屋書房で体裁や造本はほぼ同じなのだが、違いが2点ある。第一歌集では縦書きだった歌集題名が横書きになっている。また第一歌集では1行を20字に固定した版組なので、長い歌は改行されて2行になる。ところが本書はその方式をやめて、すべての歌を1行に収めるように組まれている。これで読むときの印象がずいぶん違ってくる。個人の好みの問題かもしれないが、私には第一歌集の版組の方が好ましく感じられる。1行20字なので字間が空いており、行の高さが揃っているので整然とした印象がある。また読んでいて一首の読字時間にも差が出るように感じるのである。
 山下の歌人としての資質については『光の引用』を取り上げたコラムで述べたので、ここでは繰り返さない。第二歌集を読んで受ける印象も同じであり、大きな変化はない。しかし小さな変化はある。それについて述べようと考えているのだが、どうも考えがうまくまとまらない。その原因は那辺にありやと愚考するに、どうもそれは山下の短歌の捉えにくさに由来するのではないかと思い当たった。山下の短歌を論じた文章を私はあまり知らないが、山田航の「トナカイ語研究日誌129」では、山下の短歌は「残酷な童話」のようであり、「終わらない子供時代への憧れ」ゆえに「奇想的な世界観」を展開しているとされている。また山下は病院と画廊をよく歌に登場させるが、それをつなぐキーワードは「廊」であり、うねうねと続く無時間的な廊の迷路に読者を誘っていると続く。山田の文章を読んで、同じ短歌でも人によって受け取り方がずいぶん違うものだと驚いた。
 前のコラムにも書いたことだが、山下の歌の特質は、ドイツ文学、特にリルケへの傾倒に由来する選ばれた言葉による硬質な抒情と、現代詩へのゆるやかな接続を意識した語法にある。それが「遠き夜を手繰れば揺れる魚と蝶くぐりきし水まとえる光」のように高度に象徴的で詩的圧縮を伴う歌となって現れる。
 第一歌集との違いは、この象徴主義的語法がやや薄れ、それに比例して第一歌集ではほとんど姿を見せなかった〈私〉が顔を出す歌が増えているという点である。象徴主義的語法が薄れたせいで歌はわかりやすくなったが、その反面、第一歌集のどのページにも漲っていた浜田到ばりの天上的もしくは天使的な高踏性が薄れている。たとえば次のような風である。
うすやみに鬱金の大きな葉が揺れて、ずっと怒っていたと気づけり
鮮明に声をつかえばいつまでも父の微笑のただよう木陰
弟と話がしたい昼の底の白パンの影にさわったときは
 意図して選んだ訳ではないが、前歌集よりも口語性の強い歌が増えているようだ。〈私〉だけではなく家族も歌に登場する。そして歌の中では父君は歯科医師であったこと、弟はヘビの研究のためにインドに行く学者らしいことなども語られている。父君が病を得て亡くなられたことも、母君が介護が必要なことも、淡彩画のように描かれる。作者の歌風の変化にはこのような実生活上の大きな出来事が反映しているのかもしれない。
父の遺品にピンセット欲る人ありぬ入り日を受けて光るであろう
仏壇にあいさつをして弟はケーララへ行く蛇を調べに
父の骨は母屋をいでて墓に入り墓は宇宙の家居となりつ
茶臼山まで歩かんと誘いしがみなし子のごと母はほの昏し
目蓋から煙のように逃げてゆくかなしみは朝の奥の夕暮れ
 とはいえ伝統的な近代短歌よりは現代詩に近い言語感覚が随所に見られることは前歌集と変わらない。それは語彙の選択に表れていて、私が殊に感じ入ったのは「プルキニェ現象」と「単舎利別」という言葉である。プルキニェ現象とは、チェコの生理学者ヤン・プルキニェが発見した現象で、日中は赤色が目立って見え、夕暮れになると青色が目立つという視覚感度のずれを言う。連作の題名で歌に詠まれてはいないが、「身の粉を混ぜてつくった彫像はゆうぐれ青く目があくだろう」という連作中の歌に木霊している。単舎利別は薬剤師の用語で、白砂糖の水溶液のことらしい。「シロップよ単舎利別よ消すものは悪ではなくて悪意の欠片」という歌に登場する。いずれも色に関係しており、青と白と透明は山下の歌にはよく登場する色であり、山下の短歌世界の重要な構成要素である。
 歌集からいくつか歌を引いてみよう。
松原のとがる夜更けをわたりゆく月の光にひらく腐刻画
細密な光を浴びているのだろう子供の声のなかの地下鉄
貝寄せの風にととのう砂浜の海の額をつつしみ踏めり
迎えにゆく舟のありなん栴檀の花咲き出でて深き目蔭に
ひとりずつ暮らしていたりマグノリアの花のすきまの夜の青さに
ひったりと田に水が入り月に灯が入りて明るき夕べとなりぬ
 山下の短歌には季語があるわけではないが季節が感じられるものが多い。一首目、松原に月なら月が冴える秋が相応しかろう。腐刻画はエッチングのことだから色はなく、明度の異なる黒のみの風景である。二首目、「細密な光」というのも山下語のひとつ。晩夏になり夏の湿度が下がると、物が細部までくっきり見える魔術的な時間が訪れることがあるが、そんな光を思わせる。「子供の声のなかの地下鉄」という表現に詩的転倒がある。三首目、「貝寄せの風」とは3月下旬に吹く西風。大阪の住吉海岸に吹く風で浜辺に吹き寄せられた貝殻を集めて造花を作って四天王寺に献納したという。これは立派に俳句の春の季語となっている。四首目、栴檀の花は春に咲くのでこれも春の光景。なぜ上句に舟が登場するのかはわからないが、この歌は美しい歌である。五首目、マグノリアは木蓮のことだから、これも花が咲くのは春である。三句以下に注目しよう。「マグノリアの花のすきまの夜の青さに」には「名詞+の」が4回出て来る。これは山下の好みの語法のようで、よく使われている。助詞の「の」で結ばれた名詞から名詞へと移るのは、啄木の「東海の小島の磯の白砂に」のように焦点を絞り込んでゆく効果があるのだが、山下の場合必ずしもそうではなく、用いられる名詞の意味の位相が異なるため、名詞を辿って行くといつのまにか具体から抽象へ、現実から思念へと誘われるかのごとくである。
 ここでもう一度掲出歌に戻ってみよう。
ホネガイの影ひらきゆく夕べまで傾けつくす夜の水差し
 ホネガイとはまるで魚の骨のような棘条の突起を持つ貝で、古代フェニキアでは貝紫の原料として用いられた。形が美しいので置物として窓辺に置かれているのだろう。「ホネガイの影ひらきゆく」は日が暮れて貝の影が伸びる様で、時間の経過を表している。その様が水差しを傾けて零れた水が広がる様子に喩えられている。ホネガイは貝紫の原料なので、この歌の裏側には紫色が潜んでおり、それは迫り来る夕闇の紫と見事に呼応している。色彩と時間とが緊密な語法で詠み込まれていて美しい。山下の真骨頂はこのような歌にあると思われる。

第107回 神野紗季『光まみれの蜂』

影よりも薄く雛を仕舞う紙
     神野紗季『光まみれの蜂』
 神野紗季こうのさきにはすでに20歳の折に編んだ『星の地図』という句集があるが、『光まみれの蜂』は『星の地図』からも数句を取り入れて出版された第一句集である。『星の地図』は初期句集という位置づけで、作者自身が若書きと捉えた結果だろう。俳句甲子園の出身で、2002年に芝不器男俳句新人賞坪内稔典奨励賞という長い名前の賞を受けて以来、期待の新人として注目されてきた。待望の第一句集で、楽しみかつ感心しながら読んだ。
 多くの人の指摘するところだが、神野の句の特徴は若々しく伸びやかで繊細な感性にある。例えば掲出句は、桃の節句を過ぎ、雛人形がその役目を終えて、また一年の睡りに就く場面を詠んでいる。人形をていねいに薄葉紙でくるむのだが、その紙が影より薄いというのである。人形の影はわずかなものだが、その影に着目し、また薄葉紙と対比させるのは細やかな注意力と感性と言えるだろう。
 テーマ批評的に捉えるならば、この句集は光の句集である。
ブラインド閉ざさん光まみれの蜂
光る水か濡れた光か燕か
団栗にまだ傷のなき光かな
さざなみのひかり海月の中通る
秋蝶と小指の爪の光かな
校舎光るプールに落ちてゆくときに
 一句目は陽光が眩しいのでブラインドを閉じようと窓に近づいたときに、窓枠に蜂が留まっているのに気づいた場面だろう。その蜂が光まみれだというのだが、ひょっとしたら蜂は死にかけているのかもしれず、そこに一抹の暗さが感じられる。二句目は目の前をすばやく飛び去る燕の印象を、光る水か濡れた光かと詠んだもの。濡れた光とは燕の羽の艶やかさを言い当てたものだろう。三度繰り返された「か」に速度が感じられる。三句目は説明不要で、地に落ちて間もない団栗である。後にまた触れるが、神野の句には時間の経過を感じさせるものがあり、この句もそのひとつである。ポイントは「まだ」という副詞で、やがて風雨に曝された団栗が光を失う予感がそこに込められている。この予感から広がる想いがあり、見かけよりも奥行きの深い句である。四句目は半透明のクラゲの中を光が通過するといういささか幻想的な句だが美しい。六句目は高飛び込みの場面を詠んだもの。いかにも若々しい躍動感が感じられ、この素直さが神野の身上だろう。
 もちろん光があれば暗さがあり、光と影はその意味で一体のものである。本句集には影を詠んだ句もある。
シンク暗し水中花の水捨てるとき
桃咲いて骨光りあう土の中
靴音を聞きつつ死んでゆく兎
食べて寝ていつか死ぬ象冬青空
ある星の末期の光来つつあり
 とはいえ影はまだ抽象的でそれほど具体的で生々しくないのは若さの故だろう。二句目は不思議な味わいの句で、桃の木の下に埋まっているのは死者の骨か。最後の句は億光年の彼方から地球に届く光を詠んだものだが、もちろん光が到達する頃にはその星はもうないのである。若い頃には星空を見上げてこういう想いに捕らわれることがある。
 神野の俳句の魅力のひとつは、句に詠まれた出会いの新鮮さと、それを捉える感覚の清新さにあるのではないかと思う。
ライオンの子にはじめての雪降れり
船上のひとと目の合う氷菓かな
冬林檎椅子の曲線とも違う
人類以後コインロッカーに降る雪
 一句目のライオンの子は動物園産まれだろう。日本生まれのライオンの子はこの冬に初めて雪を見るのである。ここにはライオンの子と雪とのお初の出会いがあるが、私たちが感心するのは、見慣れたはずの雪を見て作者がこのことに気づいたという点にある。見慣れたものを新しく見せてくれるのが短詩型文学の魅力のひとつだ。二句目は川岸のベンチか何かに座ってアイスクリームを食べている光景か。すると川を行く船に乗る人とふと目が合った。もちろん知らない人で、船は進んで行くから人も視界から遠ざかる。目が合うのは一瞬のことである。そのことに特に意味はない。しかしこの句にはその一瞬の出会いを掬い上げる心がある。三句目はテーブルの上のリンゴの丸みと食卓の椅子の背か脚の曲線とを比較している場面。上の方は曲率が大きく下に行くほど小さくなるリンゴの絶妙な形状にただ感嘆するのではなく、それを椅子の曲線と較べるところがやはり出会いなのである。四句目もまた雪の句だが、人類の出現以前にはコインロッカーに降る雪という風景は存在しなかったことに想いを馳せている。この句の背後に数万年から数百万年にわたる時間を幻視することもできよう。
 あからさまではないが「船上のひとと目の合う氷菓かな」にも時間の経過が潜在している。船は進み人は視界からやがて消えるからである。この時間は溶けてしまうアイスクリームにも表現されている。団栗の句でも触れたが、神野の俳句にはときおり時間を強く感じさせるものがある。
ゆるゆる捨てる花氷だった水
すこし待ってやはりさっきの花火で最後
 花氷とはよくパーティー会場で見かける生花を封じ込めた氷柱や彫刻のこと。パーティーが終わり後片付けをする頃には、もう氷は溶けてぐたぐたになった花しか残っていない。その水を流しに捨てるのである。この句のポイントは「だった」の過去形で、この過去形が美しくパーティー会場に鎮座していた花氷の過去と、もはや単なる水と化してしまった現在とを一句の中に共存させている。二句目は打ち上げ花火を見ている場面。威勢良く何発もの花火がボンボンと夜空に打ち上がる。さて次の花火はと待つ少しの時間がやがて長い時間へと変化し、もう花火大会は終わりだとわかる。これが最後の花火だとわかるのは、その花火を見ている時ではない。次が上がらないことがわかった時に、時間を遡ってあれが最後の花火だったのだと悟る。まるで私たちの人生のようではないか。自分が幸福だったと知るのはその幸福が過ぎ去った時だからだ。神野はこのように、複数の時間を一句に共存させたり、意識のなかで時間を遡行させたりしている。俳句は字数が少ないため、ひとつの場面・情景を活写することに腐心するのがふつうだが、時間の経過を取り込む神野の工夫は注目されるところである。
 好きな句はたくさんあり、その多くはすでに上に引いたが、残る何句かを挙げておこう。本句集に収められた句のいくつかが私の愛唱句になることはまちがいない。
ひきだしに海を映さぬサングラス
目を閉じてまつげの冷たさに気づく
淋しいと言い私を蔦にせよ
天の川かすかに雪の匂いして
これほどの田に白鷺の一羽きり
石鹸玉小さきものの遠くまで
紙雛張り合わせたるところ透く
ひとところ金魚巨眼となりて過ぐ
キリンの舌錻力ブリキ色なる残暑かな

第106回 川崎あんな『エーテル』

思ひきり苦いやさうは刻み込むどれつしんぐのはるさらだなる
                 川崎あんな『エーテル』
 何事に出会うにも予備知識なしの出会いに及くものはない。この歌集を知ったのは、砂子屋書房のいつも元気なタカハシさんから送られてくるメールマガジンだった。歌集の紹介とともに歌が二首引かれていて、おやっとすぐに目を引かれた。その歌人の個性を見抜くには二首もあれば十分だ。さっそく版元から取り寄せたところ、期待を裏切らないすばらしい歌集だった。
 オフホワイトの無地の表紙に銀箔押しで歌集題名と作者名が記されている他は、一切装飾がない。あとがきも著者紹介もない。ないない尽くしでこれほど徹底して簡素な歌集も珍しい。寡聞にして作者の名にも聞き覚えがないのでGoogle検索してみたが、吉川宏志の書評がひとつあるだけで他にてがかりはない。歌歴も結社に所属しているかどうかもわからない。唯一知り得たのは、著者には『あのにむ』(2007年)と『さらしなふみ』(2010年)という歌集がすでにあるということのみ。しかしそれは作品の鑑賞に不便であるどころか、予備知識なしに純粋に作品と対峙することを可能にする理想的状態である。歌集外形からの〈私〉の徹底した消去は作者自身が望んだものだろう。
 さて、作者の作風だが、それは掲出歌によく表れている。基本の文体はゆるやかな定型意識に基づく文語・旧仮名文体で平仮名を多用している。上句はほぼ定型を遵守するも、下句に至って坂道を転がり落ちるように定型が崩れ字余りとなって、結句は動詞の連体形か連用形で止める歌が多い。掲出歌は字余りにはなっていないが、意味より音が勝っていることは感じられよう。新仮名で漢字に直すと「思い切り苦い野草」とは料理に用いるハーブのこと。下句は「ドレッシングの春サラダなる」だろう。最後の「なる」は「出来上がる」という意味の動詞「なる」の終止形ではなく、断定の助動詞「なり」の連体形と取りたい。「はるさらだなる」は解釈の多義性をたゆたうことで音の側面を浮上させる。カルタヘナ、サンタンデル、アルヘシラスなどに混じったらまるでスペインの地名のようにも響く。歌集から歌を引くが、パソコンの制約で旧漢字(本字)にならないのはご容赦願う。
すううつとエボナイトいろの線條痕のこして空は鳥の渡りに
ぷはぷはの王女まるがりいたのスカートをめくりてを弾くら・かんばねらは
やすみなくする波音にうたふやうにかんたあびれにうたふやうにかんたあびれに
こんなにもしづかでたれも居ないならとゞめをさしに来るものの夕は
かめりあとあめりかはする戦争のオイルせんさうかるいのりの
匙にすくふ紅茶のりやうの些細なるそんなことにまよひしときの
 一読して抱くのは「女手のかな文字言葉」という印象だ。前にも書いたことだが、仮名は漢字よりも読字時間が長い。漢字はパターン認識で音の層を経ずに一挙に意味に到達するが、仮名は「子音+母音」から成る音節文字であるため、日本語モーラの等拍性の原則に従って、飛び石を伝うように均等に進む。このため読者はより長く一首の中に留まることになる。加えて平仮名の連続により文節の区切り目がわからなくなり、切れ目を探して行きつ戻りつするため、さらに長く滞留する。上に引いた三首目がそのよい見本だ。作り手の側からすれば、これは一首の中に流れる時間を自在に操作することになる。
 現代言語学の父ソシュールが明確に述べたように、言語記号はその表現部(シニフィアン)と意味部(シニフィエ)という2面を貼り合わせたメダルのようなものである。表現部は書き言葉では文字、話し言葉では音だが、短歌の場合、たとえ紙面に印刷されて書き言葉の観を呈していても、その受容時に音に変換される。吉川宏志によれば、私たちが短歌を黙読しているときにも、声帯や咽頭などの発語器官はかすかに動くという。
 明治以来の近代短歌の方向性をざっくり言えば、短歌を構成する記号の意味部を重視し表現部をできるだけ透明にする試みだと考えられる。短歌は「いきのあらはれ」として感動の直接性を求めた。このため枕詞・掛詞・縁語・言葉遊びなどは、感動の直接性を損なう表現部の余剰として排除されたのである。
 ところが川崎の歌を見ていると、まるで脱近代をめざして歌の記号の表現部の復権を試みているようにも見える。表現部がぶ厚くなれば、相対的に意味部は薄くなる。だから詠われているのは激情ではなく、日常のごく些細な心の揺らぎをていねいに掬い上げるという作風になる。たとえば上に引いた最後の歌は、紅茶を淹れようとして茶葉をスプーンで掬ったときに、茶葉の分量に迷ったという日常の些事を詠っており、意味部にそれほどの重みはない。
 このような川崎の作風が、前衛短歌と80年代のニューウェーブ短歌による修辞の復権の影響下にあることはまちがいない。なかでも私が影響を感じるのは平井弘である。平井の歌の魅力は下句の何とも言えない「言いさし感」にある。
倒れ込んでくる者のため残しておく戸口 いつから閉ざして村は
                      平井弘『前線』
手をとられなくてもできて鳩それももう瞠きっぱなしの鳩を
草原にくさむすもののなきことのそれにしても兎たちのほかにも
 結句を言い納めずに言いさしにおくことで、歌の終結感が希薄になり余情を後に残す。「言われなかったこと」が後に漂い続ける。川崎は平井から多くを吸収したものと思われる。
うすいうすいみどりにけぶるフェンネルのやうにさえぎるま夏の御簾は
巾廣のぬばたまの黒ぐろぐらんりぼんは巻かれ 夏の中折れ
こんな夜は******アスタリスクが墜ちてきて朝は見つかるだろう地面に
みなしたふネオンテトラの満水のテレビのなかをいましおよげる
せうぢよらは木陰に憩ふ埋め込みしICチップを見せあひながら
めぐすりをさしてうるほふしらうめの 目のなかいまし映るしらうめ
  一首目の「御簾みす」や二首目の「中折なかおれ」は若い人にとっては死語だが、古典の世界とノスタルジーへつながるアイテムである。二首目には「黒ぐろ」から「ぐろぐらん」に続く言葉遊びがある。三首目の*の連続には「アスタリスク」とルビが振られていて記号短歌風なのもニューウェーブ短歌を思わせる。五首目は近未来SF風だが、近未来と古風な旧仮名の対比がおもしろい。かとおもうと「ぬばたまの」「みなしたふ」などの枕詞も登場し、なにやら平安朝の歌人が現代に甦ったような観もある。
 六首目に注目したい。この歌の前には「めぐすりをゆふべはさしぬ少しまへ見ししらうめの映れるこの目」という歌が置かれている。どこかに観梅に行った後、帰宅して疲れた目に目薬を差しているのである。これを受けての六首目だが、潤った目に今まさに映る白梅とは美しい残像であり、そこに時間の経過を感じさせると同時に、もう目の前には存在しない白梅を現前させる非在の美は古典に通じるものがある。
 吉川宏志は青磁社の時評で『あのにむ』を取り上げて、「評価に迷う一冊である」と書いている。その理由は川崎の短歌における〈私〉の消去にあり、「〈私〉を消していくと、『なぜ歌うのか』という問いを抱え込むことによって生まれてくる迫力を失うことになる」からだとしている。吉川は近代短歌の本流に位置しているので、そのように思えるのだろう。しかしながら、「フェンネルのやうにさえぎるま夏の御簾」の影にちらちらと揺曳する〈私〉が川崎の短歌にないわけではない。抑制され淡いながらも、日々の小さな心の揺れを薄浮き彫りのように表現する。そんな短歌があってもよいのではないだろうか。
 最後になったが造本と活字に触れておきたい。いつもながらの砂子屋書房の美しい造本で、今では珍しくなった活版印刷も好ましいが、特に活字がよい。この活字は紀野恵の『架空荘園』『午後の音楽』など一連の歌集でも用いられていた趣のある活字だ。砂子屋書房のタカハシさんに何という活字かおたずねしたところ、「イワタ明朝です」という答を得た。作者の美意識は活字にまで及んでいるようだ。

第105回 山田航『さよならバグ・チルドレン』

りすんみい 齧りついたきりそのままの青林檎まだきらきらの歯型
        山田航『さよならバグ・チルドレン』(ふらんす堂)
 平成21年(2009年)に第55回角川短歌賞と第27回現代短歌評論賞をダブル受賞した山田航の第一歌集が出た。1ページに3首を配して100ページ余りなので、ざっと300首が収められている。解説は「かばん」の先輩で、今年『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』を山田と共著で出した穂村弘。歌集巻頭に角川短歌賞受賞作「夏の曲馬団」が置かれているが、作者のあとがきが長い割には、歌の配列が編年体なのかそれとも構成してあるのか書かれていないので、そこはわからない。おそらく構成によると思われる。
 山田についてはこのコラムですでに書いたことがあるが、第一歌集を一読してもその時に書いたことをあまり変える必要はなさそうだ。しかしこれだけの数の歌をまとめて読むと新たに発見することもあるので、今回はそのあたりを中心に書いてみたい。
 前のコラムでは山田の短歌世界に一番近いのは寺山修司で、西田政史らの短歌もよく読んでおり、これを総合すると「抒情プラスニューウェーブ」となると断じた。そのラインは変わらないけれども、一冊の歌集となると細かく見れば多面的で、短歌への立ち位置や文体において相当な幅があることがわかる。
角砂糖ふくめば涼しさらさらと夏の崩れてゆく喫茶店
雨を想ふ。大好きだつた人たちがみな消えてゆく夏になるまで
でもぼくは君が好きだよ焼け焦げたミルク鍋の底撫でてゐるけど
「いい意味で愚かですね」とコンビニの店員に言はれ頷いてゐる
 冬の長い北海道に暮らす山田には夏への憧れがあるのか夏の歌が多いが、その大部分は眩しいほどの青春の抒情である。上に引いた最初の2首はそのようなキラキラとした透明感のある歌で、山田のこういう側面を評価する人は多かろう。このような世界は定型と短歌の韻律を守った歌になっている。これに対して次の2首はニューウェーブ風で、文字こそ旧仮名だが完全に口語である。3首目はもろに西田政史風で、4首目となると短歌の韻律はほとんど感じられない。ほとんど呟きのような声の低い言葉が連なっている。
 さて、どちらが本当の山田の姿か。解説の中で穂村は、角川短歌賞を受賞した作品について、「選考委員のなかにはこの世界はつくられていると感じた人もいたにちがいない」と述べ、また「言葉の修辞レベルで甘やかにつくりこまれている」とも書いている。ただ、その背後にどうしようもない苦さが潜んでいて、突然〈私〉の表情と口調が変わったように、次のような歌が投げ出されることがあるとしている。
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る
 この辺りの事に踏み込んで考察すると、どうしても作者のプライベートと心の秘密の領域に土足で上がり込まなくてはならないのだが、幸い山田自身が長いあとがきで率直にその事情を語っている。実はこの歌集で最も驚くべきなのはこのあとがきなのである。歌集のあとがきというと、○○年から××年までの歌を集めたという制作過程とか、歌集をまとめるにあたってお世話になった方への謝辞などが、簡潔な文体で書かれているのが普通である。しかし山田のあとがきは「僕はホームランを打ちたかった」と題名まで付いており、そこには心と体をうまくコントロールができずに人間関係や就職に失敗してきた様子が率直に書かれている。そんななかで短歌に出会い、短歌ならばクリーンヒットを打てるかも知れないと言葉を紡ぎ始めたという。他の人がやすやすとしていることをどうしてもうまくできないというのは穂村弘とよく似ているが、穂村は『世界音痴』や『現実入門』などでそのような自分を突き放して戯画化し、ほとんど芸の境地にまで達している。それにたいして山田は「大丈夫かいな」と感じるほど直球で率直なのである。
 今年創刊された同人誌『率』の創刊号に山田がゲストとして参加していて、自作を解説しているのだが、そこでおもしろいことを言っている。不安モードに入ると今現在のことしか考えられなくなり、その状態の時には動詞の終止形で終わる歌が多くなる。逆に恋愛などでテンションが高い時期には体言止めの歌が増えるというのである。そう言われて見れば、上に4首引いた最後の「いい意味で」と次の「鉄道で」は終止形で終わっている。4首の最初の「角砂糖」は体言止めである。
 「さてどちらが本当の山田の姿か」という先ほどの問への答はこれで明らかだろう。どちらも山田の本当の姿なのである。ただし、不安モードでは今現在の自分のことしか考えられなくなり終止形止めの歌ができる。逆の昂揚モードの時は、あれこれ想像を巡らせ修辞を工夫する余裕ができて、体言止めの歌が増える。両方のモードの歌をもう少し引いてみよう。
たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく
突然に舗道は途切れ木漏れ日は僕を絡める蜘蛛の巣になる
いつの日か誰かわかつてくれるだらう 夕焼けもまた自閉してゆく

自転車は波にさらはれ走り去るものみな君に届かぬ真夏
遊歩道に終はりの見えしとき君の口笛はふいに転調をせり
ぼくたちのこころにかくもふりやまぬ隕石を撃ち落とした輪ゴム
 要するに山田は生きるためにブンガクを必要とする人間だということだ。ブンガクは「江戸の敵を長崎で討つ」ようなものだ。実生活において幸福な家庭を持ち、社会的地位も金もある人間はブンガクを必要としない。フランスの批評家モーリス・ブランショが「文学は欠如 (manque)から生じる」と喝破したとおりである。しかし逆にこれほどまでにブンガクを必要として短歌に接近することに、一抹の危惧を覚えないわけではない。
 そのことはあとがきに見える山田のあまりの率直さにも言える。作品を作る時にはそこには多少の自己演出がある。「こう見られたい私」というものが少なからずあるはずだ。歌集をまとめるときにはそれは選歌に現れる。選ぶ歌と捨てる歌の選別の中に、「自分の短歌世界はこの方向に向けたい」という演出がある。演出と言って悪ければプロデュースと言ってもよい。本歌集にはそのような意味でのプロデュース感覚がなく、そのために読んでいて歌の世界の振幅の大きさに驚くことになるのだろう。穂村弘だって〈ほむほむの世界〉をちゃんとプロデュースしている。今後の山田の課題はこのプロデュース感覚ではなかろうかと思われる。
 「夏の曲馬団」については以前のコラムでも触れたので、それ以外の歌から印象に残ったものを挙げてみよう。
まるく太る雲のテューバにささへられソプラノで鳴る初夏の自転車
祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも
水飲み場の蛇口をすべて上向きにしたまま空が濡れるのを待つ
炎天を歩くレンテンマルクにて購ひしパラフィン紙を破る
アヌビアス・ナナ水槽に揺れてゐて ナナ、ナナ、きみの残像がある
鍵穴は休符のかたちのドアを開くにふさはしき無音あれ
脈搏の数より多き星めがけ指をかけたり楕円の引金トリガ
フェルディナン・シュヴァルよ、蟻よ、かなへびよ、わがいとほしきものは地を這ふ
 2首目と3首目は作者の静かな祈りのような境地を表していて印象に深く残る。4首目にレンテンマルク、6首目にアヌビアス・ナナのようなカタカナ語が挿入されている。これらは意味よりも語感や韻律に奉仕しており、何か不思議な呪文のようにも響くところがおもしろい。レンテンマルクとはインフレ対策としてドイツで1924年から一時的に発行された不換紙幣だから、今はもう使えないはずだ。だからこれでパラフィン紙を買うことはありえない。しかしレンテンマルクとパラフィン紙の組み合わせが詩的効果を生んでいることは確かである。5首目のアヌビアス・ナナは熱帯魚などの水槽に入れる水草。ナナは女性の名のように聞こえるが、ラテン語で「小さい」を意味する語。アヌビアスからは魂を狩りに来るエジプトのアヌビス神が連想される。しかし山田の歌ではナナはまるで女性への呼びかけとして響いており、意味の浮遊感が歌柄を大きくしている。7首目「脈搏の」からは「真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり」という正岡子規の歌が連想される。ただ子規の歌では星から光が届くのだが、山田の歌では星をめがけて撃つというちがいがある。8首目のフェルディナン・シュヴァルは不思議な石の宮殿を作ったフランスの郵便配達夫。その建造物は今でもリヨンとグルノーブルの間に存在する。
 次は山田の述志の歌と読むべきだろう。
ざわめきとして届けわがひとりごと無数の声の渦に紛れよ
 歌集冒頭に「スタートラインに立てない全ての人たちのために」というエピグラフを配し、巻末の著者紹介の最後に「PUSH START BUTTON 」と書かれた矢印を作った作者にとって、本歌集は応援メッセージであると同時に、作者自身の覚悟の表明でもあるのだろう。