第256回 𠮷田恭大『光と私語』

バス停がバスを迎えているような春の水辺に次、止まります

𠮷田恭大『光と私語』

 𠮷田恭大やすひろは1989年つまり平成元年生まれで、塔短歌会に所属。早稲田短歌会にいた頃は、同い年の𠮷田隼人と二人「白い𠮷田」と「黒い𠮷田」として知られていたという。『光と私語』は今年(2019年)の3月に刊行された第一歌集。高校生の頃から地元の鳥取で塔短歌会に所属して作歌を始めていた人としては、29歳の第一歌集刊行は遅いくらいだ。満を持してという言葉がぴったりの歌集である。

 ふつう第一歌集を出すときには所属結社の主宰や先輩歌人に跋文や帯文を依頼するものだが、『光と私語』にはそういうものは一切ない。代わりに𠮷田がコラボレーションを依頼したのはデザイン集団「いぬのせなか座」である。何と言う綴じ方なのかわからないが、本の背の綴じ代が丸見えでそこに固い表紙が付いている。本全体に透明プラスチックのカバーがかかっていて、そこに題名と著者名が印刷されているので、カバーを外すと背表紙の文字も消えてしまう。おまけにどこにも歌集と書かれていない大胆な装幀である。ちなみに「いぬのせなか座」は加藤治郎の最新歌集『Confusion』でもコラボしている。

 本歌集を繙くと、レイアウトも通常の歌集と異なっていることに戸惑う人もいるかもしれない。ほぼ1頁に一首で、歌と共に大小の矩形や円が配されており、歌に寄り添ったり歌を横切ったりしている。単に歌を並べた歌集ではなく、レイアウトによる視覚的効果を狙っているのは明らかだ。頁を繰ると視覚的なリズムが生まれるように感じる。

 さてでは中身の歌はというと、大方の人はどこから取り付いたらよいのかわからずに戸惑うのではないだろうか。中から一首取り上げて批評するということがとてもしにくい。栞文を寄せた堂園昌彦は、この歌集は都市そのものであるといい、𠮷田がわざと描写の解像度を落としていると指摘している。一方、荻原裕幸は𠮷田の歌を読みあぐねているような印象を受ける。世代的に堂園は𠮷田より6歳年上の早稲田短歌会の先輩で、同じ空気を吸って育っている分だけ共感がある。荻原はずっと年上の世代であるだけにギャップが大きいのではないだろうか。

 たとえば冒頭に挙げた歌を見てみよう。「バス停がバスを迎えているような」までが比喩で、実景は春の水辺である。ところが比喩だとばかり思っていた上句が、「次、止まります」というバスの車内表示を思わせる結句によって、突然反転して現実になる。するとその反動で実景だと思っていた「春の水辺」が虚の空間にはじき飛ばされる。つまりここにはメビウスの帯のように、比喩と実景、虚と実とが反転しあう構成がある。読者はどちらに焦点を当てて読めばよいのかわからずに戸惑うことになる。荻原は栞文で、「実が虚であり、虚が実であるようなこの感じ」と言い、「𠮷田の文体マジック」「マジカルな文体」と呼んでいるが、言い得て妙と言えよう。

 集中にこのような反転マジックが見られる歌が散見される。

高級なティッシュの箱のしっとりした動物の寝ている写真

お時間を指定したのは母なれど私に待たれるクロネコヤマト

路地、猫を追う君を追わない僕を、気にしなくてもいいから、猫を

 一首目は措辞の掛かり方が組み替えられており、「しっとりした」は本来高級ティッシュを修飾するものだろう。箱に印刷されている写真の動物がしっとりしているわけではない。しかし文中の修飾関係を組み替えることによって、それまで見ていたのとはちがう風景が立ち上がる。二首目にはまず発話者の入れ替えがある。「お時間」は「配達のお時間にご指定はありますか」という宅配業者の言葉で、発話主体は業者である。それを「指定したのは母なれど」という作中主体の言葉に接ぎ木している。この歌にはもうひとつ逆転があって、それは主体と客体の反転である。〈私〉がクロネコヤマトの宅配荷物を待つという能動態が本来のものだが、それを逆転してクロネコヤマトの宅配荷物が〈私〉に待たれているという受動態に変えている。これにより歌には二重の捻れが生じているのである。三首目には二重の埋め込みがあり、「猫を追う君を」とくればふつう「追う僕」と続くはずが、「追わない僕」と肩すかしをくらう。最後は「猫を」という言いさしで終わっているが、これまたメビウスの帯のように歌の最初に戻って永遠にループする感じが残る。そのループの間に猫は虚の空間に笑いながら消えてゆくようでもある。

 時間に関わる存在と非在のマジックが感じられる歌もある。

とっておきのアネクドートをこれからも使うことなく覚えてゆこう

今後とも乗ることはないだろうけどしばらく視界にある飛行船

飼いもしない犬に名前をつけて呼び、名前も犬の一瞬のこと

その角のつぶれる前のコンビニの広々として闇ではないな

 一首目、「とっておきのアネクドート」というのだから、「君に聞かせてあげよう」と続くのかと思えば、これからも使うことはないという。二首目も似ていて、視界を漂う飛行船は今では広告用とはいえ、元は人の乗り物である。しかしその飛行船に乗ることはないという。三首目では飼っていない犬に名前を付けて呼ぶという。四首目の「つぶれる前のコンビニ」にはくらくらする時間感覚を感じる。「つぶれる前」というのだから、まだつぶれておらずちゃんと営業しているのである。「闇ではない」のだから煌々と灯りが灯っているのだ。しかし不思議なことに文体のマジックによって、営業しているコンビニの背後につぶれて真っ暗になった店舗の影がちらちら見える。ここには存在と非在とが反転しあうような不思議な空間がある。

 なぜ𠮷田はこのような歌を作るのか。それはおそらく𠮷田が新しい文体の創造は新しい世界の創造に等しいと考えているからではないだろうか。𠮷田にとって短歌とは抒情詩というよりも認識の歌と見なされているのかもしれない。確かに上に引いたような歌では文体のマジックによって、従来私たちが慣れ親しんできたものとは異なる認識の型が示されていると言える。

 しかしこれで本歌集のすべてが言い尽くせたかというと、そんなことはない。

ここはきっと世紀末でもあいている牛丼屋 夜、度々通う

お互いの生まれた海をたたえつつ温めてあたたかい夕食

脚の長い鳥はだいたい鷺だから、これからもそうして暮らすから

坂道で缶のスープを散らかして笑う時代の犬になりたい

真夜中のランドリーまで出でし間に黄色い不在通知が届く

 こうした歌に描かれているのは極めて体温の低いフラットな日常である。どこにでもある牛丼屋、ささやかな二人の食卓、坂道を転がる缶スープ、コインランドリーと宅配便の不在配達通知などは、都会で暮らす若者のどこにも派手な所のない暮らしである。取り立てて言うほどのことでもないこのような日常、敢えて言うならサエない日々の暮らしをなぜ詠うのだろうか。

  2007年刊行の『短歌ヴァーサス』終刊号特集「わかものうたの行方」で、斉藤斎藤は次のように書いていた。引用中の「私」は私を外から見た客体用法、〈私〉は私を内部から感じる主体用法ということである。

 「異常であるとか天才であるっていうのとか」のほうの「特別さ」を特殊さと呼び、「ふつうに存在してるっていうことの特別さ」のほうをかけがえのなさと呼ぶことにする。「特殊さ」は「私」に、かえがえのなさは〈私〉に対応する。「私」の特殊さではなく、〈私〉のかけがえのなさをたいせつにするということが、ポストニューウェーヴのわかものうたをつらぬく特徴である。(…)ニューウェーヴでは、前衛短歌にあった大きな物語が否定/無化され、「私」の特殊さが〈私〉の特別さに接続され、「わがまま」な歌となった。そしてポストニューウェーヴ世代において、「私」の特殊さは歌から排除され、あるいは「私」まるごと歌から排除され、そして〈私〉の生きるが残った。

 また2010年6月号の『現代詩手帖』の「短詩型新時代」特集の中で黒瀬珂瀾は次のように発言している。「私性」をめぐる議論の中で黒瀬は「短歌は私性を表面張力のように極度に強くしている」という見解を示して、次のように続けている。

 その私性とは、単純な自己のドラマ化ではなく、「私」がいまここに存在して、この世界を見ているという視線の一瞬性を取り上げるという意味での私性です。(…)自分だけにしか見えない強烈なカメラアイで撮った歌、逆に言えば他人の視線を排除している歌です。かつての短歌は共感というものを重んじていたわけです。もしくは読者による作中光景の再現可能性を重んじていた。そういう詠風からは大きく変わっています。2000年代後半に出てきた若手歌人は、ある程度この視点を共有しているのではないかという気がします。

 斉藤の文章と黒瀬の発言を掛け合わせると、おぼろげながらポストニューウェーヴ世代の短歌に対する立ち位置が見えてこないだろうか。ニューウェーヴ世代は修辞の復権と「わがまま」とが短歌を駆動する原動力となっていた。しかし斉藤の言うことが正しければ、ニューウェーヴの波が引いた後に登場したゼロ年代の歌人たちには、ささやかな日常を生きる内面用法の〈私〉が歌の拠り所となった。内面用法の〈私〉とは、単に自己劇化を排除したありのままの私ということではなく、内的実感のみを拠り所とする私ということである。そのような意味において本歌集は、ゼロ年代歌人の特徴をよく示していると言えるだろう。

 最後に心に残った歌を挙げておこう。

カロリーをジュールに変えてゆく日々の暮らしが骨と骨の隙間に

なくした傘には出会えなくても終電は外回り、遠回り、まみどり

砂像建ちならぶ海際から遠く、あなたの街もわたしも眠る

朝刊が濡れないように包まれて届く世界の明日までが雨

名前から覚えた鳥が金網を挟んでむこう側で飛んでいる

恋人がすごくはためく服を着て海へ 海へと向かう 電車で

旧い海図を封筒にしてまひるまの埃きらきら立ち上がる部屋

 ちなみに本歌集には「雷乃発声 /区境を越える」と題された特性ペーパーがある。半透明のプラスチック用紙に短歌が印刷されていて、「ともすると什器になって」という連作のページに重ねると、あらたな連作とレイアウトが現れるという工夫である。詩歌に印刷上のレイアウトを加えることを初めて行ったのはたぶんマラルメだと思うが、短歌でも岡井隆とか石井辰彦の試みや、最近出た加藤治郎の『Confusion』の例もある。これをおもしろいと感じるか、それとも短歌には不要と見なすかは人それぞれだろう。


 

第255回 田口綾子『かざぐるま』

をはりゆく恋などありて春寒の銀のボウルに水をゆらせり

田口綾子『かざぐるま』

 

 田口は1986年生まれ。高校生の時に読んだ俵万智の短歌に触発されて作歌を始める。早稲田大学に入学と同時に早稲田短歌会に入会。在学中の2008年に「冬の火」で第51回短歌研究新人賞を受賞。「まひる野」所属。『かざぐるま』は2018年(平成30年)に上梓された第一歌集。本歌集で第19回現代短歌新人賞を受賞。帯文は早稲田短歌会会長の仏文学者堀江敏幸が書いている。全体は5部構成で、歌の配置の原則は不明だが、後半になるにつれて生活感が濃厚に表れているので、ほぼ編年体かと推測する。V部は初期歌編で、短歌研究新人賞受賞作の「冬の火」と「闇鍋記」が収録されており、番外編という位置づけである。

 「冬の火」は口語・新仮名遣いで書かれているが、本歌集に収録された歌のほとんどは文語・旧仮名になっている。早稲田大学で修士課程まで進み国文学を学んだ田口は、現在高校で古文の非常勤講師をしているようなので、表記の変化にはそのことも関係しているかもしれない。さすがに専門だけあって、文語の使い方が巧みで歌にびったりはまっている。最初の方から引いてみよう。

うらがへしあて名を書かば砂となりこぼれてしまひさうな絵はがき

身のうちにうをを棲まはせええ、ええ、と頷くたびにゆらしてをりぬ

がらすだま昏きをひとつみづくさの陰にかくして顔をあげたり

みづくさのそやそや揺るる水槽のごときこころをたづさへてゆく

石庭の苔やはらかく雨に濡れ告げてはならぬことひとつあり

 描かれているのははっきりと言葉にできない陰影を帯びた心情で、それを砂や水や雨といった流動体に託して詠んでいる。たとえば一首目、宛名を書こうとすると絵葉書が砂になるというのは、宛名の人と〈私〉との関係性を象徴しているのだろう。はっきりと言葉を届けることがためらわれる相手ということか。支配的なのは雨と水のイメージである。「まひる野」のインタヴューで田口は、歌集をまとめてみて、水と雨がよく登場するのに自分でも驚いたと述懐しているので、作者は意識していなくてもあるイメージに囚われていたのだろう。水と火と光は特に若手歌人の好むアイテムである。

 私は本歌集をとても楽しく読んだのだが、その理由の一つは、田口が日本語に無理に圧をかけることなく、短歌の韻律に寄り添って歌を作っていることによる。

 他の言語と比較して日本語の特異な点は、音節が100%「母音」または「子音+母音」の開音節であり、促音「っ」、撥音「ん」と長音「-」もまた一つの音節を作ることにある。仮名文字は音節を表す音節文字であり、表記に音節文字を用いているのは世界でも珍しい。和歌も短歌も俳句も、日本語の短詩型文学は仮名という音節文字を用いているからこそ生まれたものである。

 もう一つ特異なのは文節である。文節は国語学者橋本進吉が提唱した概念で、学校の国語教育でも広く使われている。基本的には、名詞・動詞・形容詞などの「内容語」に助詞・助動詞などの「機能語」が付いたものが文節である。これは日本語が膠着語であることに由来する。日本語の文を構成する単位は音節である。試みに上に引いた田口の歌を文節に分けてみると次のようになる。

がらすだま/昏きを/ひとつ/みづくさの/陰に/かくして/顔を/あげたり

 文節が五・七・五・七・七に過不足なく収まっていることがわかる。しかしこれだけでは短歌の韻律は生まれない。五・七・五・七・七の中に緩急がある。初句「がらすだま」は内容語のみで機能語がないのでここで切れる。続いて「昏きを/ひとつ」は読みの速度が上がる。「昏きを」の助詞「を」が連接する語を要求するからである。三句「みづくさの」でリズムは緩やかになり、ジェットコースターの最高地点に到達した時のように休止が生まれる。そこからは下りで速度が増し、連用修飾の「陰に/かくして」から述語の「顔を/あげたり」へと一気に落ちてゆくという具合である。

 ちなみに短歌研究新人賞受賞作の「冬の火」では、このような文節と韻律の呼応が実現されてはいなかった。田口が「冬の火」を初期歌編と位置づけたのはこのような理由によるものと思われる。

 集中には恋の歌も多い。恋の歌になると平仮名が多くなるのは平安朝からの伝統かもしれない。

燃えやすきたばこと思ふそのひとが吸ふこともなくしづかに泣けば

これは火より生るることばか昨夜きぞの熱をさまらぬまま君に向かへば

片恋のをはりに砕く飴ひとつくちばし持たぬいきものとして

半身に左右のあるをさびしみて人は抱きあふならひを得しか

とほりあめ 傘持たざらむひととしてあなたの早足を思ひをり

 いずれも静かな情感や時に激しい感情がたおやかな言葉に乗せられていて、さながら古歌を読む心地さへする。五首目の「持たざらむ」は、否定の助動詞「ず」の未然形「ざら」に推量の助動詞「む」が付いたもので「~ではないであろう」の意だが、ここまで古語を駆使するのはさすがである。

 身分の不安定な非常勤講師の境涯を詠んだ歌もある。

せんせい、と呼ばるるときにわがうちの恩師いつせいにわれを見る

非常勤なれば異動といふことば使わぬままに別れを言へり

便覧には載らじと思ふわが生にからあげクンを購ひ帰る

(代はりなどいくらでもゐる)冷蔵庫の卵置き場にみんなでならぶ

 一首目は教壇に立って日が浅い頃の歌だろう。私にも覚えがあるが、それまで授業を受けている側だったのに、突然教壇に立って「先生」と呼ばれると、中身が伴っていない気がして面はゆいものだ。思わず噴き出したのは次のような男子校での国語の授業風景を詠んだ歌だ。

それはいい質問ですが脚注を見ないおまへにカノジョがゐない

万葉集の「人妻」なるにさつきからエロいエロいと騒ぎやまずも

色気がないと先生わたしを笑ふおまへらにくれてやる色気などあるかは

いもなどとわたしを呼ぶな大声でおまへが言ふと芋になるから

「女御」の読み問へば「おなご」と答へゐて一枚めくればそこには「あねご」

空欄しろ×あか、あはれむやみにあかるくて授業内容をわれはうたがふ

 中学・高校くらいの男子は一生でいちばんアホな時期なので、相手をする先生も大変だ。五首目は小池光の秀歌「雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ」のパロディである。田口にはユーモアのある歌を作る才能があるようで、巻末の「闇鍋記」が抱腹絶倒だ。ある日、早稲田短歌会の歌会の後で闇鍋をした折りのことを詠ったもので、メンバーは五島諭、服部真里子、平岡直子、吉田隼人、吉田恭大らと豪華なのである。

次々と野菜は切られ家中の鍋にボウルに盛り上げられる

服部さん魔法使いのような笑みあさりの水煮一缶を手に

唐突に平岡さん女神現れ三日月のように真白きバナナを投ず

魔法使いが鍋に再びやってきてためらいもなくきなこを投ず

ごほごほと喉につかえるきなこ味ひとり残らずむせこんでおり

 いつものように最後に特に心に残った歌を挙げておこう。

まだこゑのきこゆるやうなあまあひのそらにはしろき椅子をたむけぬ

こころより遅れて眠りにつく耳になほ降りつづく雨の名を知る

けだものにあらざるわれら流水にあぶらまみれの箸を洗へり

未来とは思ひ描くものでしかなく水切り籠に食器を重ぬ

ものがたりにやがてをはりのくることを青空のブックカバーにくるむ

そこに直れ、歌にするから歌になりさうなポーズを今すぐに取れ

水音であなたがわかるきつといま菜箸を洗ひ終へたるところ

すすぐたびきちんと止める水道のレバーにまとひつくらむ泡は

八月ののどに流せば夏の先へすこし冷えゆくビールと思ふ

 六首目はどうしても歌ができずに、同居人に歌になりそうなポーズを取れという無理難題をふっかけているという歌でおもしろい。歌集を通読して私が集中で最も良いと感じたのは次の歌である。

日ざかりのそらのやうなるいろ見せてほのほはおのれのほのほを焼けり

 平仮名を多用しているため読字時間が長く、歌の内部空間に大きな広がりが感じられる。意味が勝つ歌は読んだ時は面白くても耳に残らない。耳に残り舌がひとりでに何度も繰り返すのは、意味と調べとが捩り合わされた二本の糸のやうに互いを支え合い、どちらかと言えば調べが勝つ歌だ。上に引いた歌は青白く燃える炎を詠んだもので、「炎が燃えている」という以外のことは何も言っていない。極小の意味が極大の歌を作るという手本のような歌である。このような歌に出会うとき、しみじみと短歌という短詩型文学の良さを味わうのである。

 

第254回 佐藤りえ『景色』

飽きられた人形と行く夏野かな

 佐藤りえ『景色』

 佐藤りえは2003年に歌集『フラジャイル』を上梓し、このコラムの前身「今週の短歌」で取り上げたことがある。そのときは知らなかったが、佐藤は10代の頃から俳句を作っていて、短歌よりも俳句の方が手を染めたのが早いらしい。初めは独学だったようだが、現在は「豈」同人とあるので本格的に俳人なのである。攝津幸彦記念賞若手推薦賞を受賞している。

 俳句と短歌は生理がずいぶんちがう。塚本邦雄や藤原龍一郎(藤原月彦)のように、短歌も俳句も作って句集まで出している人がいないわけではないが、陸上競技の100m走と球技のバレーボールのように使う筋肉がちがうので、両方をうまく操るのは難しかろうと思う。佐藤はどうかと言うと、なかなか俳人なのである。

 俳句は17音(正確には17音節)しかないので、31音ある短歌と較べると、ストーリーや作り手の主情を入れ込む余地が少なく、スパッと切った写実の切れ味や二物衝撃による驚きで勝負しがちだが、佐藤の俳句には物語が感じられるものが多くておもしろい。

探偵の衣嚢に桜貝はあれ

開拓史用箋燃やす夏の庭

ロボットの手をふる庭や系外銀河

花闇に蓄光塗料の指の痕

夏来ぬといへばジョージの胸毛かな

 一句目、探偵というだけで物語ができそうだが、衣嚢というからには現代の探偵ではなく、大正か昭和初期の江戸川乱歩の匂いが立ち上る。その衣嚢の中に探偵には似つかわしくない桜貝がある。そこにどんな物語が隠されているのだろうとあれこれ想像するのが楽しい。季語は桜貝で春。二句目、開拓史でまっさきに頭に浮かぶのは北海道の開拓の歴史だろう。その昔、開拓の拠点があった古い建物が目に浮かぶ。用箋は昔の机の引き出しに黄ばんで残されていたものだろうか。それを雑草の生い茂った庭で燃やしている。三句目、佐藤の俳句には宇宙ものが多いのだが、これもその一つ。ロボットが手を振るというと、「天空の城ラピュタ」が連想される。「系外銀河」とは私たちが住む銀河から遥かに遠く離れた銀河なので気宇壮大なのである。四句目、花闇なので桜の季節である。蓄光塗料は日光のエネルギーを溜めて発光する塗料。昼間のうちに近くで蓄光塗料を塗る作業をしていたのだろう。作業員の指に塗料が付着して、それが思わぬ場所に指跡を残す。昼間は気づかないのだが、夜になって暗くなると指の痕がぼーっと光るのである。五句目は回想の歌。夏が来たといえば思い出されるのはジョージの濃い胸毛だというのだから、ジョージはかつての恋人だろう。横須賀にいた海兵隊員かなどと想像が膨らむ。読者を想像に誘うのは良い俳句である。

地球恋しはつたい粉など振りまきて

アストロノート蒟蒻を食ふ訓練

夏痩せて肘からのぞくベアリング

月世界兎が跳ねてゐるはずの

夏星に妹与へ七人も

 宇宙ものから引いた。一句目はどこかの惑星か宇宙ステーションにいるのだろう。はったい粉は麦焦がしともいう。湯で溶いて食べる懐かしい昔の食べ物である。近未来の宇宙生活と昭和ノスタルジーの対比が眼目の句。二句目はずばり宇宙飛行士だ。無重力状態で窒息しないようにコンニャクを嚥下する訓練をしているのか。宇宙にまで出かけてコンニャクを食べることはないような気もするところにおかしみがある。三句目はアンドロイド。夏痩せしたので関節のベアリングが見えているのだ。四句目は月に到達した宇宙飛行士がウサギがいないのでがっかりという句。五句目は2017年に発見された地球によく似た外惑星に寄せた句である。

 短歌とちがって俳句には脱力の文芸という一面がある。「三月の甘納豆のうふふふふ」という坪内稔典の有名な句を見てもそれは明らかだろう。

焼き網の焦げを落としてゐる春夜

溶けてきて飲み物となるくらげかな

豆のいろうつすらさせて大福は

コッペパンになづむ一日や春の雪

さいたまにいくつの浦和バスに乗る

 たとえぱ一句目は、焼き網にこびりついた焦げをブラシか何かで落としているという句で、だから何だと言われると答えようがない。三句目だって、豆大福の中の黒い豆の色がうっすらと透けて見えるという句で、とり立てて言うほどのことはない。俳句は極小の短詩なので、大きなものを入れるには適さないかわりに、日常の小さなものを掬い上げるのに向いている。大きな声で叫ぶのではなく、小さな声を拾うのである。世に言う俳味は、滑稽、飄逸、洒脱などと言われるが、大きな感動というよりは、じわじわとこみ上げて来る味わいを楽しむものだろう。穂村弘が短歌について言うような「世界を更新する」というほど大げさなものではなく、机に置いてある花瓶の位置をほんの1cm横にずらす感じか。それでも目に映る風景が少しちがって見えるものだ。

 その他に印象に残った句をいくつか挙げる。

りりやんの穴に落ちしは春の蝿

立子忌のサラダボウルに盛るひかり

マスタング路上駐車の青蛙

西方のあれは非破壊検査光

月も灯も容れて深夜の水たまり

泥沼に仏手柑放る銀となれ

ここへ来て滝と呼ばれてゐる水よ

をぢさんが金魚を逃すその小波

 このような句で何を味わうべきか。俳句や短歌に限らず、言葉によるあらゆる文芸においては、言語が詩的用法において用いられている。詩的用法の対極にあるのは言語の日常的用法である。私たちはふだん言葉を用いて人に何かを伝えたり、指示・命令したりする。「この書類のコピーを取ってくれないか」という文は、実際にコピーを取って手渡された時点で用済みとなる。意味が伝達されたからである。そのためにはコトバは意味が理解できる組み合わせでなくてはならない。言語の詩的用法においては意味の伝達は主要な目的ではない。最も重要なちがいは、詩的言語においてはコトバは話し手としての〈私〉の〈今・ここ〉から解放されるということだ。コトバは〈私〉の〈今・ここ〉という紐帯を離れて、誰のものでもない無人称的なものへと相転移する。それがブランショの言う「文学空間」(espace litteraire)であり、永田和宏の言う「虚数空間」である。そのような空間において、コトバは日常的な統辞から解放されて、ふだんは見られない組み合わせをなかば自動的に作り出す。作者はそのコトバの自動運動に身を委ね、降ってきたものを掬い取るのである。そうして得られたのが、りりやんの穴と蝿、マスタングと蛙、沼と仏手柑という取り合わせである。読者はこうして相転移したコトバの日常言語とは異なる匂いや手触りや軋みをゆっくりと玩味する。およそこういうことではないだろうか。

 

第253回 熊谷純『真夏のシアン』

太陽へあなたの傘を広げれば昨日の午後の雨がにほへり

熊谷純『真夏のシアン』

 雨の日の翌日に傘を干すというのは、布製の傘を使っていた時代の習慣である。今は使い捨てのビニール傘を使う人が多いので、傘を干すことはないかもしれない。「あなたの傘」とあるので、同居人か恋人の傘だ。自分はビニール傘なのかもしれない。傘を開くと雨の匂いがする。それは昨日の午後に降った雨である。「昨日の午後」という具体性が歌を立ち上げる。傘を干すという何気ない行為の中に、時間の流れが封じ込められている。

 熊谷純は1974年生まれ。35歳の頃から短歌を作り始めており、所属結社はなし。主に新聞や雑誌への投稿をしてきたらしい。2014年にNHK短歌の近藤芳美賞受賞。2018年に刊行された『真夏のシアン』が第一歌集である。歌集題名は、「あざやかな思ひ出そつとひもとけば渡れる風は真夏のシアン」という収録歌から採られている。シアンはプリンタにも使われている原色の青のこと。

 熊谷は結社に所属せず師も歌友もなく、独力で短歌を学びあちこちに投稿してきたようなので、歌集を出版するというのはなかなかに決心の要ることだろう。素っ気ないほどかんたんなプロフィールにもあとがきにも、独学で短歌を作るに到った経緯などは書かれていない。しかし読む進むうちに熊谷の辿って来た人生が浮かび上がる。歌の背後に「たった一人だけの人の顔が見える」短歌ならではのことである。

 熊谷は広島で大学を卒業した後、職を転々としている。そして現在は主にコンビニのアルバイト店員として生計を立てているようだ。

いくつものバイトと四つの会社辞し街には元の職場があふる

わが家から最寄りのコンビニにてレジを打ちては帰るもうすぐ七年

 非正規雇用の労働者で、中年フリーターという言い方もあるらしい。当然ながら生活は不安定で、未来を描くことができない。歌集を一読してまず感じるのは、非正規労働者が置かれている厳しい現実だ。特に職場のコンビニを詠んだ歌が多い。

ほほ笑みを仕舞つた若き蝶たちが光を求める夜のコンビニ

努力して夢をかなへた人たちの「夢はかなふ」がのしかかる夜

春風に時をり抗はうとするむすび百円セールののぼり

潔く命の期限を前面に押し出して待つ棚の弁当

窓外の景色を白く阻むのは指名手配のポスターの裏

真夜中にいつもと同じパンを買ふ人の名前も憂ひも知らず

あたたかきものの居場所はせばめられ夏に向かひて走るコンビニ

絶え間なく代謝のつづくコンビニで老廃物のやうに働く

平等に流るる時の真ん中で平等でない命を削る

 一首目、夜のコンビニに買い物に来る人はたいてい仏頂面である。ニコニコして買い物する人はいない。二首目、世の中には夢は叶うというメッセージが氾濫しているが、コンビニのアルバイト店員にはそれは重圧でしかない。三首目、時々春風に抗おうとする幟は作者の分身である。四首目、コンビニでは消費期限の管理が大切で、期限が切れた商品はゴミ箱に行く。それを「命の期限」と表現したところに軽いショックを覚える。五首目は店内で働く人にしか作れない歌だろう。コンビニに指名手配犯の写真を掲載した貼り紙があるのだが、外から見えるように貼られている。だから店の内側から眺める人には白紙である。六首目、いつも立ち寄る常連客との間でも、「暖めますか」とか「500円です」のような定型化した会話しか交わされない。七首目、村上春樹は『ランゲルハンス島の午後』で、現代の都市で季節感を感じられるのはデパートの売り場だと書いたが、時代は移りそれはコンビニの中となった。冬になるとおでんや肉まんの売り場が幅をきかせ、暖かくなると消えてゆく。八首目、代謝されるのは売り場に並ぶ商品だけではない。店員もまた新しい人が入ってくる。しかし自分だけは代謝されない老廃物のようだという歌である。九首目、時間は万人に平等に流れる。しかし個々人の命と生活のあり方は平等ではない。

 夢を持つことができない非正規労働者の現実である。近年、現代社会の生きづらさを詠んだ歌が増えている。角川『短歌』の2019年版短歌年鑑でも、「生きづらさと短歌」という座談会が企画されたほどだ。『塔』2019年3月号の時評で濱松哲朗が苛立っているように方向性のよくわからない座談会だったが、「生きづらさ」が現代のキーワードのひとつであることはまちがいない。

 しかし見方を少し変えれば、上に引いたような熊谷の短歌は、戦後の日本が貧しく人々の暮らしが厳しかった時代に多く作られた労働歌・生活歌の系譜に連なると考えることもできる。

吾帰る四畳半の家あることがいつしかあはれになりて歩める  出崎哲郎

夜は吾の寝台となる陳列台今日は干物を仕入れて並べる  富永正太郎

雪道の街灯の下にかぞへたるこまかき銭に鰯買ひたり  野本郁太郎

卑屈にまでこびて働きなりはひの無組織かなし大工われらは  高橋駆橘

 戦後のこの時代にはこのような労働詠がたくさん作られた。現代のコンビニのアルバイト店員はまさに無組織労働者であり、大いに通じるところがある。現代短歌シーンでは労働詠は少ないが、熊谷の短歌はこのような視点から評価することも可能だろう。

 このような環境で日々働く作者は、必然的にそのような境涯にいる自分を見つめることになる。

明確な使命を抱いて生きてゐるサラブレッドが我をみつめる

とりあへずあさつてまでは生きてみてその日に決めるそのあとのこと

めとりたることなき我の手が握る雨傘の柄はやや熱を帯ぶ

何もかも捨て去る時の喜びを知るゆゑ捨つるために拾へり

今日でバイトを辞めると言ふ君をもう羽ばたけぬ我はうらやむ

 走るという明確な使命を持って生きるサラブレッドと、何の使命もなく毎日を生きるだけの自分との対比、結婚することなく家族を持たない自分、会社を辞める時の開放感を知ってしまった自分。短歌は熊谷にとって、表現の手段であるに留まらず、自己を見つめる手段ともなっているのだろう。

 そのような日々を生きる熊谷とて、日々の暮らしの中で自分をとりまくものに何かを感じないわけではない。

ゆく道のあちらこちらで落ちてゐる小さなもののただ一度の死

平日の雑踏のなか目を閉ぢる助けを求める声が聞こえる

日めくりのまだまだ尽きぬ今日の日も誰かが誰かを生み落とした日

靴ひもを固くむすびてあざやかな苔のむしたる遊歩道ゆく

 一首目はおそらく晩夏にそこここに見られる蝉の死骸だろう。自分が置かれた境遇ゆえか、世界の中で助けを求める小さな声にも鋭く反応する。今日という平凡な日も、世界の片隅で誰かが生を受けた記念すべき日かもしれない。非正規という労働環境は厳しくとも、世界は私とは関わりなく美しい。集中に「うつし世の荒き波間をこぎ渡る三十一文字はたましひの舟」という歌がある。確かに熊谷にとって短歌は「たましひの舟」なのだろう。

 その他に心に残った歌を挙げておこう。

映画館の真下の本屋で君を待つポップコーンの香に包まれて

両肩に別別の鳥憩はせて今日も真顔の銅像は立つ

降る雨をまづ手のひらに確かめて四月の街を急ぐ人びと

道のべにはりつく軍手に近づきて後出しなれど挑む左手

真夜中にひつそり開くごみ箱に春には春のごみがあふるる

あなたのために流しし涙の道すぢをこよひ静かにたどる目薬

とりどりのサラダの並ぶコンビニに蝶が舞ひこみさうな夕ぐれ

 特におもしろいのは四首目である。歩いていると道端に手袋が、それも決まって片方だけ落ちていることがある。世に「片手袋」といって、写真に撮って集めているサイトもあるくらいだ。落ちていたの手袋とじゃんけんをするという歌で、ユーモアが感じられる。六首目もおもしろい。コンビニから出るゴミにも季節感があるという歌で、言われてみればそうだろうが、ふつうは気がつかないことである。七首目もなかなか美しい。陳列棚に並んだ色とりどりのサラダがお花畑となって、その上を蝶がひらひらと飛ぶという想像は新鮮だ。

 ただし気になるのはかなり口語を取り入れているのに、旧仮名遣いを用いていることである。会話的な口語を旧仮名で書くのは違和感がある。新仮名のほうがふさわしいのではないか。

【註記】
 熊谷以外の引用短歌は、篠弘『現代短歌史 I  戦後短歌の運動』(短歌研究社)による。

 

第252回 工藤玲音『わたしを空腹にしないほうがいい』

てんと虫よ星背負ふほどの罪はなに

工藤玲音『わたしを空腹にしないほうがいい』

 今回は久々に短歌ではなく俳句である。工藤玲音くどうれいんは1994年、岩手県の盛岡市生まれ。石川啄木の生地である旧渋民村に生を受けたと聞く。私が最も印象深く記憶したのはその名前である。工藤玲音は本名で、Twitterは#rain。生まれ故郷といい、その名前といい、文芸に運命づけられたとしか言いようがない。現在盛岡で一番の有名人らしい。盛岡三高で文芸部に所属し、その頃から投稿少女だったようだ。2012年には岩手日報随筆賞を最年少で受賞。宮城大学に在学中は東北大学短歌会に所属。卒業後、盛岡に戻り、社会人として働くかたわら、母校の盛岡三高文芸部で後輩を指導し、2018年には短歌甲子園で準優勝に輝いている。俳句結社「樹氷」と「コスモス短歌会」に所属。

 さっそく話題の『わたしを空腹にしないほうがいい』(Book Nerd)を取り寄せた。小ぶりな小冊子に俳句とエッセイが収録されている。また雑誌「ソトコト」2019年1月号に工藤が取り上げられていると知り、それも取り寄せた。長文のインタヴューが載っている。工藤の短歌も読んでみたいと思い、「コスモス」の事務局に連絡し、最新号を含めて過去の5号分の歌誌を購入した(事務局は狩野一男さんで、ていねいに対応していただいた。お礼を申し上げる)。掲載された歌を虱潰しに調べたが、工藤の短歌は見つけることができなかった。どうやら定期的に出詠しているわけではないようだ。

 さて『わたしを空腹にしないほうがいい』収録の俳句である。

芍薬は号泣をするやうに散る

角のなき獣に生まれオクラ茹でる

夏風邪をライバル同士分け合えば

ソーダ水すべてもしもの話でも

ファインダーとまつげの間まで薫風

はつなつを出刃包丁ではね返す

夕立が聞こえてくるだけの電話

 一句目、芍薬は夏の季語。貌佳草かおよぐさの別名があるという。芍薬は咲ききった時にどさっと豪快に散る。その様を「号泣をするやうに」と表現した句。直喩が効いている。二句目のオクラは秋の季語。「角のなき獣」は、オクラがアフリカ原産なので、アフリカの大地を疾走する獣からの発想かもしれない。「お前もアフリカに育てば草食動物に食べられたもしれないのに、日本くんだりに生まれたばかりに角を持たない私に茹でられている」ということか。三句目、ライバルと言えば高校の女子生徒同士が頭に浮かぶ。ライバルだがしょっちゅういっしょにいるので、風邪も分け合うのが微笑ましい。四句目はソーダ水が夏の季語。語っていない余白の多い句だが、おそらく喫茶店でソーダ水を飲みながら二人が話しているのだろう。恋人同士かもしれないし、女友達かもしれない。「もしもこうだったとしたら」と話していることは、実は本当のことかもしれない。あるいは逆に架空のことかもしれない。「も」と「し」の音の連続が弾けるようで楽しい。五句目、今ではデジタルカメラを使う人の方が多いので、ファインダーを覗くことは少なくなった。ファインダーと睫毛の間という微細な隙間に到るまで初夏の薫風が通り過ぎるという爽やかな句である。六句目、襲って来るのは初夏の思いかげず強い日差しだろう。それを出刃包丁を振るってはね返すという威勢のよい句である。今時出刃包丁を持っている人がどれくらいいるかと思うが、後でも触れるように工藤はたいへんな料理好きなので、自分で持っているのだろう。七句目、友人か恋人との電話か。言葉が途切れ途切れになって無言の時間が生まれ、夕立の音だけが受話器から聞こえて来るという句。携帯電話かスマートフォンでもいいのだが、昔ながらの固定電話の黒電話の方が趣がある。

 一読してわかるように、工藤の俳句の強みは何ものをも蹴散らしてしまうほどのその若さである。また四句目や七句目に見られるように、はっきりと句の中に登場しなくても、背後に友人とか恋人といった人物が感じられ、その人物との距離感にも若さが感じられる。若いときは友人や恋人との距離を詰めてもっと親しくなりたいという気持ちと、距離を詰めすぎて相手に拒絶されるのではないかという畏れが同居しているものだ。そんな微妙な心理の機微が句からも感じられる。

 関西現代俳句協会のサイトに掲載された句から引く。

パポと鳴きさうな西瓜を鳴く前に

まだまだの芒の中を救急車

点滴に月の光の混入す

病院の窓をはみ出す大花火

頷きの合間に崩す桃のパフェ

 おもしろいのは一句目だろう。西瓜がパポと鳴き出すという発想がユニークで、「鳴く前に」で留めたところも俳句的。三句目は実際に経験した人でないと作れない句だと思う。入院して夜になり、一人でベッドに寝て点滴を受けている。病室のカーテンの隙間から月光が差して、点滴のパックか輸液管をきらきらと照らしているという情景である。五句目は誰かと喫茶店かフルーツパーラー(今でもこんなものがあればだが)でパフェを食べているという句で、ここにもいっしょにパフェを食べる相手が含意されている。このように日常的な人間関係を句に詠み込んでいるのも工藤の俳句の特徴と言えるだろう。ふつうは俳句の中に対面している人物は登場しないものだ。

 『わたしを空腹にしないほうがいい』は句文集なのだが、収録されたエッセーのほとんどが食べ物話である。たとえば「夏風邪をライバル同士分け合えば」のエッセーはお粥に凝ったことがあるという話題で、もちろん米から炊くのだが、粥に添えるものが、刻んだ搾菜、カリカリに焼いたお揚げ、甘辛く炒めた蕪の葉、佃煮風の豚バラ肉と実に豊富だ。その他にも、フレンチトースト、温泉卵、給食のゼリー、トマト、コロッケ、パセリなど、食べ物の話題が満載である。出刃包丁を振るって鯛を丸ごと一尾捌いたり、圧力鍋で豚の角煮を作ったり、ホームベーカリーでパンを焼くなど、実に本格的に料理を作っているらしい。

 今後が愉しみというのは使い古された陳腐なフレーズだが、ほんとうに工藤は今後が楽しみだ。工藤の短歌を読みたかったのだが、それは叶わず残念である。またの機会を期待したい。

 

第251回 佐々木実之『日想』

本当に愛されてゐるかもしれず浅ければ夏の川輝けり

 佐々木実之『日想』

 書肆侃侃房から出ている短歌ムック『ねむらない樹』創刊号の特集企画「新世代がいま届けたい現代短歌100」はよい企画である。昔の私のような短歌の素人はアンソロジーによって初めて短歌に触れることが多く、また短歌はアンソロジーなどで何度も読まれることによって名歌として後生に残ってゆくからだ。伊舎堂仁、大森静佳、小島なお、寺井龍哉の若手4人が選んだ歌を眺めていたら、100首の最後近くに掲出歌があった。知らない歌人だが一読して引きつけられた。

 上句は句跨がりがくぐもったような効果を出しており、孤独なつぶやきか内的独白と読める。「自分はあの人に本当に愛されているのかもしれない」という独白は、裏返せば愛されているかどうか自信がないということだ。人の愛に自信がないのは若者に特有のことである。下句は一転して叙景となり、陽光に輝く夏の川の光景が詠まれている。水深が深い川は光を吸収するため暗い水の流れとなる。一方、浅い川は光が水底の砂や小石に反射してきらきらと輝く。夏の川は浅いから輝くのだ。

 座談会では選んだ4人の歌の解釈が分かれている。私はこの歌をばりばりの青春歌と読んだ。上句の「本当に愛されてゐるかもしれず」が表現しているのは青春期に特有の不安感であり、句跨がりのくぐもるような効果も与って下をうつむいている印象がある。一方、下句は開放的できらきらと明るい。この上句の「閉鎖・うす暗さ」と下句の「解放・明るさ」の対比がこの歌のよさである。夏の川は浅いから輝くという居直りにも似た堂々たる言明は、人生経験も少なく人格形成も途上にある若者は、だからこそ逆説的に輝きを発するという喩と読む。選者の寺井がつぶやいたように「完璧な結句」である。

 佐々木実之さねゆきとはどのような人なのだろうと調べてみると、「かりん」に所属していて京大短歌のOBだというではないか。がぜん興味が湧いて、『日想』を入手しようとしたがどこにも見つからない。附記で述べたような経緯でようやく読むことができた。「才と葛藤と」と題された序文を「かりん」の坂井修一が、解説を京大短歌OBの中津昌子が書いている。歌集としては例外的にぶ厚く、1ページに5首が配されていて総ページ数は341ページある。目次やあとがきや中扉などざっと40ページ引いたとして、1500首はある計算になる。なぜこんなに収録歌数が多いかといえば、これが遺歌集だからである。

 巻末の略歴によれば、佐々木実之は1968年生まれ。高校生の時に「かりん」に入会して馬場あき子に師事。京都大学経済学部に在学中は京大短歌に所属し、卒業後は三井物産に就職。1988年と1997年に短歌研究新人賞の最終選考作品となる。2007年にアンソロジー『太陽の舟』(北溟社)に参加。2012年に43歳の若さで急逝している。佐々木は真言密教の信徒であり、歌集題名の『日想』は仏教用語に由来する。密教の経典である観無量寿経には浄土を観想するための十六観法が説かれており、そのうちの一つ日想観は西を向いて太陽が沈む様を観思することだという。歌集の章のタイトルとなっている「地想」「水想」も同じく十六観法の「地想観」「水想観」から採ったものである。

 第1章には制作年代が記されていない「日想」「つばめの眠り」という二つの連作と「死者の書」という散文が配されており、残りの第2章「地想」と第3章「水想」は逆編年体で編まれている。歌集の構成は編年体か、さもなければ制作年代にとらわれず歌集として再構成するのがふつうで、逆編年体で歌集を作ることは少ない。しかし本歌集が逆編年体で編まれているのは、作者がもう新しい歌を詠むことが決してないからであり、読者は佐々木の死を起点としてその生涯を時間を遡りながら辿ることになる。これは稀な体験であると同時に、そこに一抹の悲しみを感じないわけにはいかない。

 「日想」「死者の書」から見てみよう。

君の影よりゆらりと来たる蚊を打てば我が手のひらにあるは君の血

青蓮の蜜吸ふ虫のあるべきをはなびらは夜を閉ぢて静けき

稲妻は鋭く到り恋はるるは老いゆくに似て梅雨今宵明く

首細く鷺飛びゆくを外に見る窓の高さに我ははたらく

蜂の巣に蜂群れてゐるまひるまを女王蜂仔を生むほかはなく

夕暮れは超高層ピルを焼く娶ること永遠になからむアトム

 一読してわかるように文語を自在に操り、短歌定型を熟知して言葉を落とし込む技量はたいへんなものである。佐々木が短歌研究新人賞の最終選考作品に選ばれた1988年の前年には俵万智の『サラダ記念日』が空前のブームを巻き起こし、加藤治郎の『ニューロマンサー』も刊行されて、ライトヴァースの波が打ち寄せていた頃である。押し寄せる口語短歌の波に抗うごとく、佐々木は古典和歌の正調を思わせる文語脈の短歌を作り続けた。それは三首目の「恋はるるは老いゆくに似て」や五首目の「蜂の巣に蜂群れてゐるまひるまを」などに看取されるだろう。恐るべきは上に引いたような歌を高校生の頃から作っていたということだ。ちなみに冒頭に引いた「本当に愛されてゐるかもしれず」は22歳の時の作である。18歳の頃の歌を見てみよう。

灌仏に花のしぶきの春風は龍神どもの清めなるらむ

夢と知りて知りて醒めざるよしもがな人の見えつるうつそみの夢

最澄請へど弘法これは貸さざりき理趣釈経を書店に買へり

無常されど雪山童子の業ゆゑに玉虫の羽根は永久とはに輝く

 とても高校生が作る歌とは思えない。坂井修一は序文を「佐々木実之は才人であった」という一文で始めている。佐々木は始めて「かりん」の歌会に来たとき、「実之の『実』は源実朝の『実』で、『之』は源重之の『之』です」と自己紹介して、主宰の馬場あき子をいたく喜ばせたという。まさに早熟の才能である。しかし早熟の才能には決まって光と影がある。坂井は序文に「われわれは、才能とか資格とか地位とかに呪縛されやすいのだが、人生そのものを思えば、そのどれにもたいした価値はないことに気づくのである。短歌のような文芸はほんらい、そのことを一瞬で思い出させてくれるものだ。佐々木も理屈ではわかっていたろうが、このことを真に納得して人生を味わう時まで生きることができなかった」と記している。人生の先達の深い言葉であるが、功名を焦る若者には届かなかったであろう。

 仏教を信仰していた佐々木にとって死と無常は親しい観念だったと思われるが、歌集を通読して強く感じるのは孤独である。

遮眼帯つけられて前へ走るといふ馬の素直を羨しみゐたり

霧の日のキセノンランプの瞬きはあんな向かうにまた焼却炉

歌も句もなさぬ兄ゆゑその妻の頭撫づるを辞世となしつ

日々われが出だせる不燃ごみなるは甲虫のごとき錠剤の殻

温室はもつとも眼鏡の曇るところああ我はかく狭きところで

眠らむと灯りを消せば暗々と指名手配犯のごとき孤独に

 私は高校生の時に中島敦の『山月記』を読んで、「性は狷介にして不羈」という言葉を覚えた。「狷介」とは人との妥協を峻拒する性格を、「不羈」とは才識優れて他人には律しがたい性格を言う。佐々木はおそらく「性は狷介にして不羈」という表現がぴったり当てはまる人だったのだろう。

 吉川宏志が『日想』刊行時 (2013年)にブログ「シュガークイン日録」に佐々木の思い出を書いている。吉川はそれまで長く休眠状態だった京大短歌会を入学して間もなく再起動した。佐々木は吉川より1歳年上だったが、一浪していたので学年は吉川と同じだった。吉川の目から見て佐々木は古典の知識は豊富にあるが、とても生意気な若者で、歌会などで他人の歌を褒めることは決してなかったという。吉川には付き合いにくい男と映ったが、それは周囲の誰にとっても同じだったと推察される。

 上に引いた一首目、回りが目に入らないように遮眼帯を付けられて走る競走馬の素直さを羨む佐々木には、自分の性格を持て余すところがあったのかもしれない。若い頃の歌に「やまあらしジレンマ」と題されたものがある。ヤマアラシのジレンマとは、相手と近づきたい気持ちがあっても、実際に近づくと自分の針で相手を傷つけてしまうという対人関係のジレンマである。また三首目にあるように、長男である兄が事故死し、自分はそのスペアであるという自覚があった。四首目の錠剤はおそらく眠剤だろう。

 歌を読む限り佐々木にとって父親の存在は大きなものだったと思われる。

亡き兄は嫡男残れる吾はスペアにてスペアタイヤはやや細くある

逆縁の悲しみに寝る父見れば布団動かし息するが見ゆ

兵たりし父の左手今きかず右より薄く伸びやすき爪

赤紙のくれなゐにほふ七月の醜の御楯と出で立ちし父

房総にただ蛸壺を掘りしのみ勅諭覚えず父復員す

兵隊に取られてからは余生だと父の言葉を我は信じぬ

 佐々木の父は先の大戦で召集され海軍の兵士となった。戦争で負傷したのか左腕が不自由だったようだ。そんな父親を介護する歌が多く収録されている。しかし佐々木が父親に注ぐ眼差しは複雑に錯綜したものである。佐々木の本家は会津にあり、倉がいくつもあるような大きな家だったようだ。佐々木も本籍は会津である。会津と言えば戊辰戦争で官軍と戦い一敗地にまみれ辛酸を舐めた藩である。それから数十年を閲して今度は政府軍の兵士として召集され、負傷して復員する。佐々木の父親の心境もまた複雑なものがあっただろう。上にも述べたように佐々木の兄は事故死している。分家とはいえ家を継ぐべき嫡男を失った逆縁の悲しみは佐々木の父の心を蝕んだにちがいない。スペアと知りつつそんな父親を介護する佐々木の心境はどのようなものだっただろうか。

月冴ゆる高野川沿ひ抜け道を通らむとしてまた迷ひたる

薄などとうに枯れたる川風や蓼倉橋にして下より吹かる

だれもあらぬ川端通りの信号の変はるを待ちて横切りにけり

馬鹿にされてゐるとは我も思はねど河野裕子にまたも笑はる

雨の夜の賀茂の川原を歩きつつ成り成りて我が余れる心

 京都大学に在学中の歌を引いた。一首目の高野川は鴨川に合流する川の一つで、寓居のすぐ近くを流れている。二首目の蓼倉橋はその高野川に架かる橋の一つ。三首目の川端通りは高野川から鴨川の東岸を通る道路である。四首目はおそらく「塔」の歌会に出席した折りの歌だろう。これらの歌が詠まれた1989年には私は既に京都大学に勤務し現在の住居に暮らしていたので、佐々木は案外近い所を歩いていたのだ。ひょっとしたらキャンパスの中で知らずに擦れ違っていたかもしれない。

 特に心に残った歌を引く。

ストローに副へらるる指蜻蛉の明るきはねをつまむごとくに

たけむらはさやさやさやけ君のまた黙りてゐたるはつなつまひる

使ひきらざるティッシュを受け取り来し我にかなしみのごとくティッシュは溜まる

けふ立夏告げてはならぬこともちて唇に冷えし檸檬水

夏牡蠣は噛みて喰らふや我が咽の奥にあてどもなき暗さある

君に我が救はるるべきこと多すぎて今朝の冷たき水飲み下す

エレベーターの扉開きて雨匂ふ外気まとひて乗り込む我は

夕闇は池の濁りに兆しつつ老いたる鯉を跳ねさしめたり

チェレンコフ光きらめくといふ滅びつつ堕天使の見し光と思ふ

大きなる耳の聡さに歩みゆくつひに名馬でなきロジナンテ

二日酔ひかそかに残る昼にして木犀さわがしきまで匂ふ

我が死なむのちを思はばほしいまま冬陽さす日曜の坂道

 ぶ厚い遺歌集の巻を置いて改めて感じるのは、短歌は人の人生と切り離すことができないという今更ながらの感想である。俳句は短いだけに短歌よりも人生を映すことが少ない。短歌でも塚本邦雄のように日常の〈私〉を峻拒し唯美主義を標榜することもできるし、実人生を排したテクスト至上主義という立場もある。しかしながら本歌集を読むときに、作者が43才の若さで泉下の人となったという事実は頭から離れない。すべての歌は佐々木の死を前提とし、その死に逆照射されるという読み方しかできない。例えば上に引いた「我が死なむ」は作者18才の歌である。この歌がまるで予言のように響くのは私たちがそれから20数年後の佐々木の死を知っているからである。佐々木実之の名を多くの人が知り、その歌を愛する人が増えることを切に願うばかりだ。

 

【附記】

 『日想』がどうしても見つからないので、日頃からブログの管理人としてお世話になっている光森裕樹さんにたずねてみた。すると光森さんも『日想』は持っておられないとのこと。しかし調べてもらうと土岐友浩さんが所有しておられるという。連絡してみると貸していただけて、ようやく読むことができた。大森静佳さんの蔵書だったようだ。こんなとき頼りになるのは人のネットワークである。光森さん、土岐さん、大森さんに心より感謝申し上げる。

 

第250回 藪内亮輔『海蛇と珊瑚』

みづのに青鷺ひとつ歩めるを眼といふ水にうつすたまゆら

藪内亮輔『海蛇と珊瑚』

 

 2012年に第58回角川短歌賞を「花と雨」で受賞した藪内亮輔の第一歌集が角川書店から出版された。奥付の発行日は2018年12月25日となっているので、昨年のクリスマスである。備長炭のような輝きのある黒一色の装幀で、これは何と呼ぶのか帯がぐるっと本を取り巻いて袴のようになっている珍しい造りだ。帯文は岡井隆、跋文は永田和宏という錚々たる布陣を見ても、短歌界が藪内に寄せる期待の大きさが知れよう。

 藪内亮輔は1989年生まれ。京大短歌会を経て塔に所属、編集委員を務めている。角川短歌賞を受賞した時は、京都大学理学部の大学院で数学を専攻する学生だった。跋文で永田和宏も書いているが、選考会では4人の委員が全員藪内に二重丸を付け、満場一致の受賞決定だったそうだ。ふつうは選が割れて議論になることが多い選考会では珍しいことである。受賞作の「花と雨」は本歌集の冒頭に収録されている。

 帯文で岡井は、「若い世代の歌を象徴する好著です」と始めながら、「激しい賛否の中にまき込まれそうですから反響がたのしみです」と締めくくっている。確かに激しい賛否が巻き起こるかもしれない。歌に詞書きとも言えない長い散文を付したり、さまざまな表現方法を試行したり、大胆な喩を用いたりしている歌も多くあり、よい歌とそうでない歌との落差が非常に大きいからである。

 たとえば上に挙げた掲出歌を見てみよう。藪内の基本は口語を交えた文語ベースの旧仮名遣いなのだが、この歌は実に見事に文語定型にぴったりと収まっている。この歌のポイントは「眼といふ水」にあり、光景を捉える眼球を光を映す水と捉えて、「たまゆら」で締めくくり、それを私たちが生きる短い時間の中に配するという構造になっている。かと思えば「鶏の唐揚げとりからにレモンはかけて種付きのやつをきみらによそつてあげる」のようなやけくその歌もあってびっくりするのである。ちなみにこの歌のように完全口語なのに旧仮名で書かれると抵抗がある。

 掲出歌のようなラインの歌を見てみよう。

頭蓋とうがいに蝶形骨をしのばせてわれら街ゆくときの霜月

敗北はかくも静かであることのほの灯りして窓の辺の雪

おしまひのティッシュペーパー引くときに指は内部のうつほもひけり

死に近き人に馴れゆく日々のなか耳にしづかに鳴る魚がゐる

桃ひとつテーブルに割かむとす肉体といふ水牢あはれ

 一首目、蝶形骨とは鼻の奥の方にある骨の名称で、羽を開いた蝶の形をしている。だれもが頭蓋骨の中に蝶を一頭飼っているというのは実に詩的だ。「われら街ゆく/ときの霜月」が軽い句跨がり。二首目、何の敗北かはこの歌からはわからないが、青春の敗北といえば恋か受験か学業か。いずせにせよ実際に敗北してみると想像していたより心が平静なのだ。下句がこのような上句の心情の喩となっている。窓辺の雪とは実に古典的だ。三首目、ティッシュペーパーから最後の一枚を引き出すと、箱は空になる。箱に残るのは空っぽの空間なのだが、作者は最後の一枚と同時に無の空間を引き出したと感じたのである。四首目、「死」は普遍的な青春の主題であると同時に、藪内にとって親しいテーマのようだ。角川短歌賞受賞作「花と雨」にも見られたように、身近に死を体験したからだろう。四首目でも病を得たか死に近い人が近くにいる。死は個人にとって絶対的な事象であるが、身近な人は死の観念に馴れてゆく。その想いを下句で耳の中で鳴る魚という喩が受け止めている。五首目は初夏の食卓に桃を切る歌。ちなみに桃は歌人の好むテーマで、桃を詠んだ歌は数多い。

行き先に灯り仄かに点るがに白桃一個水に浮かべり  石田比呂志

暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき  小池光

 いずれも桃が希望のようなポジティヴなアイテムとして捉えられている。しかるに藪内の想念は自らの肉体に向かい、人間とは己れの肉体の内部に水牢のごとくにとじ込められていると観じるのである。豊富な語彙を多彩に駆使しつつ文語定型に収めてゆく力量は確かなものである。そこに青春期の熱情と鬱屈の想いと死の想念が陰影を加えるところに確かな詩情が成立している。角川短歌賞の審査員諸氏が唸ったのも無理はない。

 永田和宏は同じ結社なので藪内を個人的に知っている。「声は低く、無口で、おまけに愛想が悪い」と描写し、「この作者が抱え込んでいる鬱屈としてほの暗い、救いがたい洞のようなもの」を感じるという。あとがきで藪内本人は自分を「激情肌」であるといい、「歌は暗い呪いである」とまで書いている。そのような趣の歌を引いてみよう。

君も私もクソムシでありそれでよく地平線まで星で星で星で

おし花のかたちに雲がうかびをり諦めながら寄り(死ね)ゆくこころ

われのいかりは本を投げ捨て鉛筆を投げ捨てつひにわれを投げ捨つ

灰のやうに砕かれたこころであなたから最後に貰つたののしりをいとしむ

絶望が明るさを産み落とすまでわれ海蛇となり珊瑚咬む

 青春とは心の激動期であり、若い心は些細なことにも傷付く。いずれも青春の激情がほとばしるような歌で、藪内があとがきで歌は自分にとって濾過器であるというのはこういうことだろう。歌はやり場のない感情を濾過し、言葉に置換することで外部化してくれる。ちなみに二首目の下句は本来は「諦めながら寄りゆくこころ」と収めるところなのだが、その間に「死ね」という呪詛が挿入されているのである。五首目は歌集題名が採られた歌で、海蛇は自分の喩で、おそらく珊瑚は短歌の喩であろう。

 とはいえ藪内の美質は次のような歌にいちばんよく表れていると思う。

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へ出でゆく

春のあめ底にとどかず田に降るを田螺はちさく闇を巻きをり

電車から駅へとわたる一瞬にうすきひかりとして雨は降る

鉛筆を取り換へてまた書き出だす文字のほそさや冬に入りゆく

花束の茎のぶんだけせり上がる花瓶の頸のあたりの水は

 一首目と二首目は「花と雨」から。一首目は「一瞬ひとはうつむいて」がポイント。傘をさす時には、取っ手のボタンや留め具の場所を確認するために、誰でも一度下を見る。その何気ない動作が下句の「雪にあかるき街」と対比されることによって、明暗の陰影が歌に生まれている。二首目は田んぼにふる春の温かい雨と、タニシが巻き貝の奥に蔵している闇とが対比され、その闇は短歌的喩として機能する。三首目は電車を降りる場面で、電車の屋根とホームの屋根のわずかな隙間に降る雨を詠んだ歌。四首目、何を書いているのか、鉛筆の先が太く丸くなってきたので、新しい鉛筆に持ち代える。するとそれまで太かった文字がとたんに細くなる。その些細な変化を掬い上げて、「冬に入りゆく」と収めるところは見事だ。五首目、花瓶に水を入れる。次に花束を入れると、茎の体積の分だけ水が上に押し上げられる。花瓶は頸の部分が細くなっているため、その部分で水面の上昇が顕著である。いずれも的確な観察と描写を抑えた言葉遣いで表現していてよい歌となっている。

 かといってこんな歌ばかり並んでいたらよい歌集かというと、そうでもないところがおもしろい。角川短歌賞のような連作でもそうだが、歌集も一本調子では読んでいる人が退屈してしまう。起伏と陰影と思いがけない曲がり角が必要だ。本歌集にはいささか起伏が多すぎるような気はするが。

 残る歌を挙げておこう。

日々に眠りは鱗のやうにあるだらうをさなき日にも死に近き日も

幾筋か底に轍をしづめゐるにはたづみあり足裏は燃ゆ

白鷺をつばさは漕いでゆきたりきあなたのしにに間に合はざりき

眼窩には雪はふらないそれなのに眼窩にみちる雪のひかりは

川のに雪は降りつつ或る雪はたまゆら水のうへをながるる

わたしがつひにわたしで終はるかなしみも肯ふ。橋をいつぽん渡る。

向かう側の雪をうつして窓がらす静かでゐるといふ力あり

人ごとに祈るつよさの違ふこと噴水の影われを打てども

樹のなかにすずしく鳥の満ちるとき夕景はみづから始まつて

【附記】

 角川短歌賞の受賞のことばに添えたプロフィールには、「故島崎健先生の和歌の授業に強い影響を受け、京大短歌会に入会」とあり、『海蛇と珊瑚』のあとがきにも島崎健の名前を挙げている。そうだったのか。藪内を短歌の世界に導いたのは島崎さんだったのか。島崎さんは私と同僚で、京都大学の旧教養部を改組してできた総合人間学部で国文学を教えていた。私とは研究室が近かったので、廊下で擦れ違うと挨拶して二言三言言葉を交わすことがよくあった。総合人間学部の教員は全学共通科目と名を変えた一般教養科目を担当していて、あらゆる学部の学生が履修する。最初の2年間だけで姿を消す学生の心に何とか爪痕を残そうと授業をしている。島崎さんの授業は履修者こそ多くはなかったが、ファンが多く濃密な授業だったと聞く。藪内もきっとそのうちの一人だったのだろう。

 大学の教員・研究者の中には志を得ないで終わる人もいる。実験用のラットから細菌感染して療養を余儀なくされ、実験ができなくなった人とか、根源的問題を考え続ける内に迷路に入り込んでしまい、一本も論文を書くことなく定年を迎えた人もいる。島崎さんは在職中に病を得て早期退職し、その一年後に亡くなった。きっと残念だったにちがいない。しかし島崎さんが講義を通じて播いた種が藪内君の中で実を結んだことを知ったら、島崎さんも天国で喜んでいるだろう。

 

淀みが生み出す別の時間 高橋みずほ『白い田』

 加藤克巳の「個性」終刊後、結社に属さず独自の活動を続ける高橋みずほの第八歌集である。題名の『白い田』は集中の「白い田に父の寝息が届くよに息をひそめているなり」から。老齢の父が住む北国の冬の田である。

 高橋の父君は東北大学名誉教授の植物学者高橋成人。本歌集のテーマの一つは父親の晩年とその死である。父恋の歌が胸を打つ。

すずなすずしろしろきにねむれ父ゆきてしろきにねむれ

父の椅子いなくなりてしばらく欅大樹の木漏れ日をのせ

  高橋の歌には字足らずなど破調の歌が多く、本歌集も例外ではない。

ときおり少年の振り返りつつ丸まる影の頭なく

白い田に二本の轍ゆるき曲がりの畦の道

 高橋が字足らずの歌に拘り定型をあえて崩すのは、ややもすれば定型の流れに乗って出来事と出来事を結ぶ時間に注がれがちな眼差しを、出来事の間に潜み奥へと沈む別の時間に導くためである。高橋はそれを「縦軸の時間」と呼ぶ。

うつくしき玉と思うまどいつつおちる面にてゆくさきざきへ雨の玉

染みわたる今日のおわりのひかりに鱗ひと片輝く形

満月にすこしかけたる白月が朝顔蔓の輪に入りつ

 あるときは歌の韻律の流れが抵抗に遭って澱み、またあるときは早い流れに思いがけず遠くまで運ばれる。そこに韻文ならではの濃密な時間と意味の広がりが立ち現れる。消費される言葉の対極にある本歌集は、とりわけじっくりと味わわれるべき歌の花園である。

 

『うた新聞』2018年8月号(第77号)に掲載

透明なクリアファイルのように 笹井宏之

 笹井宏之は一九八二年生まれ。二〇〇四年から主にネット上などで作歌を始める。歌歴一年足らずで二〇〇五年に第四回歌葉新人賞を受賞。この新人賞はニューウェーヴ短歌の荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘らが創刊した『短歌ヴァーサス』の企画で、受賞のご褒美は歌集の出版である。第一歌集『ひとさらい』はオンデマンド出版で二〇〇八年に刊行された。その一年前の二〇〇七年に笹井は「未来」に入会し、加藤に師事している。同年未来賞を受賞。

 『ひとさらい』のあとがきは、「療養を初めて十年になります」という文章から始まる。笹井は重い身体表現性障害に罹患していて、自宅で療養生活を送っていたのである。第一歌集出版からちょうど一年後の二〇〇九年に風邪をこじらせて逝去する。享年二十六歳の若さであった。

 死後、師の加藤と歌友の編集で第二歌集『てんとろり』が書肆侃侃房から上梓され、同時に第一歌集『ひとさらい』も改めて出版された。この他に、両歌集からの抜粋を集めた『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』がPARCO出版から出ている。これが笹井作品のすべてである。

 笹井は二〇〇〇年の『短歌研究』創刊八〇〇号記念臨時増刊の企画である「うたう」作品賞をきっかけとして陸続と現れたポスト・ニューウェーヴ世代の一人である。この世代の短歌の主な特徴として、日常的話し言葉と平仮名の多用、緩い定型意識、特定の視点の不在、短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情が挙げられる。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどの明るさでした

 これらの歌を近代短歌のコードで読み解くことはできない。近代短歌では歌に詠まれた風景や事物は作中の〈私〉の心情の投影であり、歌の中で喩としてたった一人の〈私〉を照射する。しかるに笹井の歌では水田に散乱した譜面や畳まれたデッキチェアは何の喩でもなく、歌の中でボエジーを押し上げるものとしてそこにある。笹井は定型による詩の創出ではなく、ひたすら言葉の詩的純度を高めることを目指したように思える。

折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ

 羽を切り落とされた折鶴や空から剥がれてゆく雲には詩情が漂うと同時に、どこか哀切で悲劇的なものが感じられる。それは必ずしも私たちが夭折歌人と知って笹井の歌を読むからではなく、笹井の短歌世界に内在する資質であろう。

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

 とまれ私たちには笹井の二冊の歌集が残されている。その透明で純度の高い抒情はこれからも愛され読まれ続けるだろう。

 

 短歌総合新聞『梧葉』2017年10月 Vol. 55 「夭折歌人を読む」15として掲載

時の重量 佐久間章孔『州崎パラダイス・他』書評

 『州崎パラダイス・他』は『声だけがのこる』から三十年振りに刊行された佐久間の第二歌集である。『声だけがのこる』が出版された一九八八年は、リクルート事件が世を騒がせ、竹下内閣によって消費税が導入され、昭和天皇の重い病状が報じられた年だ。わずか一週間で終わった昭和六四年を除けば実質的に昭和最後の年と言ってよい。『州崎パラダイス・他』はそれから三十年目の今年(2018年)上梓された。奇しくも今上天皇の退位によって平成は三十年をもって幕を閉じることになる。つまり第一歌集と第二歌集を隔てる空白がぴったり平成と重なっているのだ。『州崎パラダイス・他』が平成最後の年に刊行されたことに、不思議な暗合を感じないわけにはいかない。

 本歌集は三部構成からなる。第一部「州崎パラダイス」、第二部「ニッポン」、第三部「残照」である。州崎は現在の東京都江東区東陽町一丁目の旧町名で、明治時代から遊郭が置かれていた。終戦後は州崎パラダイスという名の赤線地帯となり、一九五八年の売春防止法で姿を消した。第一部の主要なテーマはこの赤線地帯の思い出と、佐久間の故郷と思われる鬼怒川流域の村の遠い記憶である。

胸を病む出戻り女の洗い髪見知らぬ世界があやしく匂う

早熟の男子二人が月に舞う謎のあなたに手招きされて

こわごわと綱に手をかけ暗い声で「足が冷たい、おろしてやろう」

あの町は陽炎のなか バラックの低い家並みと白い埃の

鬼怒の里に月出るころ川番の小屋の戸が開く 暗く軋みつつ

自転車の錆びたチェーンを替えたくて兎を全部売ったさ ごめん

 一見すると昭和ノスタルジーと思われるかもしれないが、まもなく終わろうとする平成の世を間に挟んで眺めると、望遠鏡を逆さにして眺めたような神話的世界のように見える。本歌集の底を流れているのは『声だけがのこる』を染め上げていた「残党の抒情」(田島邦彦他編『現代の第一歌集』の「刊行のころ」)から神話世界への飛翔である。

 本歌集にも、「ぼくたちは永久反対運動装置 時代遅れのハモニカ吹いて」「綿火薬の製造法のなつかしさ額にぬるりとヤバイ汗流れ」のように、戦後という時代の殿艦たらんとする思想兵の述懐がないわけではない。しかしもはやそれは遠い残響として届くにすぎない。

 本歌集で異彩を放つのは第二部「ニッポン」である。萩原朔太郎の「日本への回帰」の引用をエピグラフとし、「舞神」「埋神」「戦神」「境神」「無言神」「鬼神」「喪神」など佐久間の想像による神を題とする歌が並ぶ。

燃ゆる火を踏みつつ踊れ荒舞を舞初めてよりはや幾年

切っ先の紅を拭きとり目を閉じる 海原千里越え来しものを

戦舟が海の向こうで燃えている押して渡れと告げたばかりに

生き恥をさらして待てどこの胸に深き御声は二度と届かぬ

神々は隠れませども歌うがごとく祈りは残る 花は菜の花

 時代を撃つ思想兵として歌集全体をひとつの喩とした『声だけがのこる』から三十年を経過すれば、さすがにもはや今は戦後ではない。佐久間がさまざまな神を招喚するのは、ある時は時代を劫火で焼き尽くし、またある時は慚愧の念を刃に変えて振り下ろし、戦後の昭和という時代に引導を渡して荘厳するためである。こうして初めて佐久間は戦後という呪縛から自由になる。

 こう考えればなぜ第三部が「残照」と題されているのか納得がいく。時代の熱はもはや灰の中の埋み火でしかない。

終焉いやはての身に降り注ぐ薄ら日よ幼年の庭にわれをかえせよ

行く先は何処か知らず 減じゆく薄ら日に白く晒されながら

光る海に散らばるさき島々の破船(ふね)は入江に打ち上げられて

 第一歌集が時に俗謡めいて剽軽な調べを帯びていたのに較べると、本歌集の調べはなべて重い。それはとりも直さず佐久間が生きて来た時間の重さである。友達どうしのおしゃべりのようなポップでライトな口語短歌が溢れる現代にあって、佐久間の歌い口の重さは異質に感じられるかもしれない。しかし本歌集を読む人は必ずや歌の底に流れる時間の重量を感じ取ることだろう。

 

『月光』2018年12月 57号掲載