第247回 惟任将彦『灰色の図書館』

ああここにも叫び続けるものがゐるほどけつつある靴紐たち

惟任将彦『灰色の図書館』

 間投詞「ああ」で始まる初句六音で「ああここにも」と言っているのだから、靴紐の他にも叫び続けているものがいるのだ。それが何かは歌の中では明かされていない。しかし近現代の短歌は最終的に〈私〉へと収斂するものとされているので、その伝で行けば叫んでいるのは〈私〉だろう。〈私〉は叫びたいような境遇に置かれているのである。そんな〈私〉が下を見ると靴紐がほどけかけている。靴紐が叫んでいるように感じるのは、ひとえに〈私〉の感情転移によるものだ。靴紐という地味なアイテムに注目して歌中には表れない〈私〉を詠むのは、ある意味で近現代短歌の王道である。

 惟任これとう将彦は1975年生まれ。「玲瓏」所属の歌人で、2018年度の玲瓏賞を受賞している。『灰色の図書館』は今年 (2018年)の8月に書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズとして刊行された第一歌集である。監修と跋文は林和清。林の跋文によれば、惟任は塚本邦雄が教授を務めていた近畿大学の学生だった時に、塚本の知遇を得て大学内の歌会に出るようになり短歌を作り始めたという。

 本歌集の全体を通して流れているのは、「書物への愛」と「孤独」である。

窓に星座の映る真夜中を読むわれもいつしか本と変はりて

仕事帰りの人々集ひ帰るまで束の間過ごすコルシア書店

待ち切れず河川敷にて本を読む少年のランドセルのみどり

灰色の図書館訪ふ白髪のホルヘ・ルイス・ボルヘスたちが

本抜けば向かう側には目がありてわれの背後を覗き込みをり

 一首目、おそらくは昼間の仕事を終えて夜中に読書しているのだろう。読んでいるうちに本と一体化して自分も本になってしまう。二首目は須賀敦子の出世作『コルシア書店の仲間たち』を踏まえた歌。三首目は新しい本を図書館から借りて家に帰るまで待ちきれず、河川敷に腰をおろして読み始める子供。「少年のラン/ドセルのみどり」と句跨がりになっている。四首目は歌集題名が採られた歌。もちろん幻想だろう。ボルヘスには『バベルの図書館』という短編がある。五首目は現実の図書館で、開架図書を一冊抜き出すと空間でできて、その隙間から向こう側の人がこちらを覗いているという光景である。書物と図書館に思い入れのある人は「うん、うん」と頷くだろう。岡崎武志の『蔵書の苦しみ』や草森紳一の『本が崩れる』にも描かれているように、書物好きも高じると大変なことになるのだが。

 一方、「孤独」は本歌集の多くの歌の底に静かに流れているが、たとえば次のような歌に明らかである。

ファミリーレストランにて一人友人と言ふべき本と語らふ時間

沸騰を知らせる湯気が上がるまで俺は薬缶に語り続けた

かなしみをはらみ海文堂書店ブックカバーの帆船進む

 海文堂書店は神戸市の元町商店街にあった実在の書店である。神戸は港町なので、海事関係の本を揃えていた。だからブックカバーも帆船なのである。書店ごとに独自のデザインのブックカバーを掛けてくれた時代が懐かしい。

 著者は野球が好きで自らマラソンにも出場するようだ。野球の歌から引いてみよう。

愛ゆえに女房役と呼ばるるかホームにて待ち構へる捕手は

三つのベースに人満ち風が砂が舞ひ打者、野手、客は投手ピッチャーを待つ

三塁線切り裂いてゆく白球を追ふアルプスの二人のゆくへ

 正岡子規が野球を好んだことはよく知られていて、「久方のアメリカひとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」という歌がある。しかし『岩波現代短歌辞典』にも『現代短歌大事典』(三省堂)にも立項されていない。『現代短歌分類集成』を見ると項目があり、子規の他にも野球を詠んだ歌があることがわかる。

すはとばかり総立ちとなればライト線僅かにそれて惜しやまたファウル  大悟法利雄

たてつづけに痛打浴びたる少年投手汗拭うさまは人生思わす  橋本喜典

 とはいえ野球を詠んだ歌はそれほど多くはなかろう。ラガーマンだった佐佐木幸綱のような例外はいるが、短歌を作る人は文弱の徒が多いためか、スポーツはあまり短歌の素材になっていない。惟任はスポーツを好む人のようなので、スポーツを素材とした歌をもっと作ってもよかろう。村野四郎の『体操詩集』のような傑作もあることなのだから。

 さらにもっと作ればよいと感じるのは、外国人が学ぶ日本語教室の歌である。惟任は日本語教師を生業としているのだ。

日本語学校入学式後の喫煙所HOPEを胸いつぱい吸ひ込んで

書き取りの最中同時に消しゴムを手に取りたるは劉氏と孫氏

ドミニクのキムを励ます日本語がこの教室の主題歌となる

アジア系、欧米系、アフリカ系の人々と擦れ違ふたまゆら

 日本語教室はさまざまな異文化がぶつかる場であり、同時にさまざまな言語が交錯する場でもある。外国人に日本語を教えてみればわかるが、「壁に地図がかかっています」と「壁に地図がかけてあります」のちがいを説明するのはそうかんたんなことではない。教室での葛藤や逡巡や軋轢を日々感じているだろうから、もっと歌にしてもよいのではないか。また上に引いた歌では「本と語らふ」とか「白球を追ふ」とか「胸いつぱい吸ひ込んで」のような既成の措辞が目立つのも気になる点だ。

 よいと思うのは次のような歌である。

青野にて首絞めし友鉄槌(かなづち)の木殺し面をわれに向けをり

走る吾のからだは海へ溶けゐつつあらむ播州加古の川沿ひ

遠街おんがいの火事にも火災報知器が鳴り響きたる飲食おんじきのとき

だしぬけに動き出したる電動の剃刀父の帰宅知らせに

顔面の皺がワイシャツ、背広へとつながる男吊革持てり

青き闇の砂丘歩めり燃え上がる二瘤駱駝の十四、五頭が

 一首目は夢か幻視の歌だろう。「木殺し面」という言葉を初めて見た。辞書には載っていないが、建築現場で使われているらしい。「殺し」という言葉が歌に迫力を与えている。二首目、兵庫県の加古川は作者が暮らしている場所だろう。体が溶けるようだという体感と具体的な地名の取り合わせが歌を支えている。三首目の「遠街」も辞書にはない単語だ。調べてみると葛原妙子の歌が出て来るが、もともと中国語のようだ。「遠街」と「飲食」という文語が並び、しかも「オン」の音で韻まで踏んでいる。四首目、「父の帰宅」が不穏に感じられるのは、電動シェーバーがひとりでに作動したからである。もちろん作者は生活派ではなくコトバ派の歌人だから、この「父」も現実の父親ではない。五首目は通勤風景の歌で、背広に皺が寄っているのだから、朝の通勤電車ではなく夜だろう。皺が顔からシャツや背広にまで続いているというのがおもしろい。六首目も幻想の歌。ラクダが14、5頭いるといえば、ただちに正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句が思い浮かぶ。ひょっとして子規へのオマージュか。しかしこちらは鶏頭ではなく燃え上がるラクダである。

 本好きだけに固有名詞が登場する歌も多い。

ある時はホームズのごと謎を追ひダートムーアへと向かはん心

砂漠の町に巨体の男ギルバート・キース・チェスタートン辿り着く

「いらないわ。ほしくないのよ」日本語で話すビデオのスカーレットは

殺し屋のアントニオ・ダス・モルテスがライフル構へ火を噴くまでに

エルキュール・ポワロ瞳に物語紡ぎたる目礼のたびに

 とはいえ固有名詞の使用にあまりひねりがなく、それほど効果を発揮していないのが残念だ。固有名詞の歌と言えば藤原龍一郎に止めを刺すが、藤原の場合は固有名詞が時代や世相のシンボルとして使われているのが特徴である。今少し工夫が欲しいところだ。

 最後におもしろいと思った歌を挙げておこう。

ミサイルの飛び交ふ下を鯉幟あぎとふそれを目守まもるみどりご

回収車に投げ込まるるゴミ死は至る所に生きて口開きをり

炭酸水蓋まはすとき音がする人ひとり死ぬほどの音が

旋風に木の葉舞ひたるその内を透明なもの回り続けて

歩道橋やうやく下りたる先に蜻蛉(あきつ)飛び交ふクリシュナ書店

 

第246回 八木博信『ザビエル忌』

わが顔を剃る人の胸かぐわしく死にたき日には来る理髪店

八木博信『ザビエル忌』

 

 第一歌集『フラミンゴ』(1999年 平成11年)以来、実に19年ぶりの第二歌集である。最近、このコラムでは久々に第二歌集を上梓した人を取り上げているが、これはただの偶然である。八木博信は1961年生まれで「短歌人」所属。第一歌集の後の2002年に「琥珀」で短歌研究新人賞を受賞。「琥珀」は第二歌集『ザビエル忌』(六花書林) の巻頭に収められている。カバーの絵はラファエロの「ベルヴェデーレの聖母」だ。ウィーンにある美術史美術館に展示されている。

 かつて私は『フラミンゴ』について次のように書き、下のような歌を引いた(2006年4月)。

 「八木の抱えるテーマは何だろうか。それは虚構の物語性の強いアイテムが散りばめられた現代の神話的空間を創生し、その中で生の残酷さや傷つけられた個の哀しみを詠うことだと思われる。」

追尾型魚雷に気づくとき遅し原潜レナの優しき乳房

南より怪獣は来る蛾に騎って歌う僕らのザ・ピーナッツ

シミばかりある背の女抱くとき激しく弾けよクロード・チアリ

壁紙の剥がれて匂いたつホテルカリフォルニアの接着剤が

地下室のメッサーシュミットお昼寝の園児が夢で帰るババリア

 『ザビエル忌』では『フラミンゴ』で顕著だった虚構に立脚する神話的世界はなりを潜め、それに取って代わるもうひとつの世界が顕現している。それはカバー絵の聖母に象徴されるキリスト教である。

炎帝を逃れて入れば教会の中まだ見えぬキリスト像が

日曜のたびに祈りて悔いなきや真夏にわれら両手冷たく

弟子の足を洗うキリスト俺もいま少女の膝の傷癒やしつつ

マリア像白き両手をひろげ立つタネも仕掛けもありませんよと

堕ちてくる者たちのため教会の絵の聖人は指さす天を

赤犬が門扉を抜けて入らんとす廃屋はわが貧しき心

 しかしこれらの歌を読んでわかるように、キリスト教に入信して一身に帰依しているというわけではなさそうだ。我が心の貧しさを感じてキリスト教に接近し、礼拝に通っても、キリスト像が見えなかったり、聖母マリア像が手品師のように見えたりと、なかなか屈折した立ち位置なのである。『フラミンゴ』では立ち上げた虚構世界が〈生の残酷さや傷つけられた個の哀しみ〉を詠う書き割りとしての背景を構成していたが、『ザビエル忌』では視線の方向が逆転して、学校生活やスポーツの場面といった日常の風景の中に〈罪の意識と救済を希求する物語〉を透視しようとしているかのようだ。その構図が最もよく感じられるのは「ペリー祭」と題された連作である。

スパイクを受け損なえば跪きて祈りのかたちするレシーバー

新しき運動靴で走りたし少年処刑を待つごとき足

棺桶のごとく並べる跳び箱に染み込んでいる汗かわきゆく

銃声で駆け出す君ら争えば百メートルの後に死がある

 生徒たちが体育祭でさまざまな競技を行なっているのだが、一首目ではアメリカンフットボールのレシーバーの姿勢に祈りを透視し、二首目では徒競走に出る少年と死刑囚の処刑が重ねられ、三首目では跳び箱と棺桶が、四首目では100m走のゴールと死とが結びつけられている。注意しなくてはならないのは、「祈りのかたち」はレシーバーの取る姿勢の喩ではあるのだが、そこには奇妙な主従の逆転現象があり、腰を落とすレシーバーが引き金となって、神に祈らずにはいられない私たちの生のあり様があぶり出されるという構図になっているのである。

 そのことは次のような歌群にさらに明らかに見てとれる。

食うためにひとつ職場に集いたるわれら貧しきさがさらしつつ

わが心貧しくどこを目指せども激しく揺れる離陸の翼

窓を拭く君のゴンドラ来て止まれわれらを救い出さぬとはいえ

獣らも俺も何かを諦めて来ている上野動物園に

粉砂糖ふりかけながら完成のケーキ地獄も雪ふるばかり

音悪きラジオに鳴ればエルヴィスとともに歌わん「明日への祈り」

 何ゆえにそのような人生観を持つに至ったかは詳らかにしないが、八木にとってこの世界は明るい未来と人々の慈愛に溢れた世界ではなく、「貧しき性をさらしつつ」食べるために働き、みんな「何かを諦めて」暮らしつつも、果てにある救済の希求を捨てることができない煉獄のような世界である。八木はそのような境涯を執拗に歌にしているのである。

 『フラミンゴ』では作者の私生活を感じさせるような歌は皆無だったが、本歌集では多くみられるのも変化のひとつである。

鮮やかに指を切られき新学習指導要領めくらんとして

伝令のように平らな胸しく水兵セーラー服で告げにくる愛

親友がたちまち敵になる少女たちの脂が溶け合うプール

「条件を満たす」のが好き数学の問題文もさびしさの詩

監獄に似て壁高き女子校の技術家庭科室の塩壺

教え子の嘘を許せばメルカトル図法の赤き日本列島

 こういった歌を読んで作者はキリスト教系の中学校か高校の先生をしているのかと思ったが、そうではないようで、あとがきによれば、作者は学習塾の講師や家庭教師を生業としていた時期があったため歌に少年少女がよく登場するのだという。いずれにしてもこのような職場詠は第一歌集には皆無だったので、歌風の変化と言えるだろう。

 もうひとつのジャンルは映画・絵画・小説などに題材を得た歌で、作者は特に映画が好きなようだ。

チャールトン・ヘストン痴呆極まれど俺の心の中の「エル・シド」

愛されぬ数かぎりなき父のためジョゼ・ジョバンニの暗黒映画

妊娠中絶の保育士点描のジョルジュ・スーラの砂場に埋もれ

うすものに守られるのみセバスチャン矢傷血小板の欠乏

「青い影」を歌い終わればスタジオの真横を過ぎる貨物列車よ

熱病死われにも来たれベニスより遠し 亜細亜の東海の磯

 「エル・シド」は1961年に制作されたアメリカ映画、ジョゼ・ジョバンニはフランスの小説家・映画監督。原作が映画化された『冒険者たち』はアラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラ出演の名作である。口笛のテーマ曲が印象的だ。ジョルジュ・スーラはフランス印象派の画家で点描画法で名高い。セバスチャンは聖セバスチャンで、矢に射られた姿で繰り返し西洋絵画に描かれている。三島由紀夫が好んだことでも知られる。「青い影」はプロコルハルムのヒット曲。最後はトーマス・マンの名作『ベニスに死す』だが、ここでは1971年に公開されたルキノ・ヴィスコンティの映画の方だろう。作者は私より年齢がひと回り下だが、ほぼ同じ時代を生きてきたので共感できる。ここに挙げられた固有名のそれぞれが発する匂いや体温があったのだ。しかし今の若い人たちが読んだら何のことかわからないかもしれない。

 最後にいつものように心に残った歌を挙げる。

野良犬の死体見てきて手をかざす焚火にゆれるわれらの影が

艦隊の南下は静か子供たちをだます授業の教師の声も

傘ひらく刹那 匂うものありて哀しみばかり昂まる朝

列車すぎ沈みしあとの枕木がもどる幽かに己の位置へ

定食屋うなだれている父たちが食らう撃ちぬかれたる蓮根

眼病の瞼を閉じている我に来よゲルニカの燃え上がる馬

デパートの地下に燃ゆるは薔薇色で腐敗をひたに待てるサーモン

わが処女地いずこにありや地図投影いかにすれども大地は歪む

 ちなみに奇しくも今日12月3日はフランシスコ・ザビエルが中国で亡くなった日、つまりザビエル忌である。

 

第245回 十谷あとり『風禽』

アルヘイ棒縞のぐるぐるをやみなく天へ汲み上げらるるたましひ

                    十谷あとり『風禽』

 

 アルヘイ棒とは、赤・白・青の縞模様が回転している理髪店の店先にあるオブジェのこと。正式名称はサインポール (signpole)というらしい。昔の有平糖という菓子に似ていることからこの名が付いた。アルヘイ棒が回転する様を見ていると、無限に上昇しているかのようだ。作者にはそれが魂が天へと汲み上げられる光景のように見えた。そのように見えたのは、作者の心の中にこの世から旅立った人たち、まさに旅立とうとしている人たちが住んでいるからに他ならない。「アルヘイ棒の回転」とせずに「アルヘイ棒のぐるぐる」とオノマトペを使ったところも効果的だ。

 『風禽』(2018年 いりの舎)は『ありふれた空』に続く十谷の第二歌集である。『ありふれた空』が上梓されたのは2003年だから、実に15年振りの歌集ということになる。第一歌集のプロフィールには、「日月」「玲瓏」所属とあったが、『風禽』のプロフィールでは「玲瓏」が削除されているので退会したのだろう。

 『ありふれた空』では現代語と古語を巧みに取り混ぜ、言葉を換骨奪胎したような歌があり、特に次の歌は今でも記憶に残っている。

父はわれを捨て給いきと気付くとき右眼のなかを翔ぶメガニウラ

病葉の二つ流れに過ぎ行きてひとつうぐいとなりて戻れり

罪なき身に六つのかすがい受けてなお自由たり得ぬ馬蝗絆ばこうはん、砕けよ

 ではそれから15年を経た第二歌集にはどのような歌があるか、いくつかランダムに引いてみよう。

皺おほく入り組む貌をもつ犬の歩み来てわれとすれ違ひたり

蓮の根のただむは甘くきしめて冬を眠らす泥はやさしも

あやふくも清しきひかり工具箱に立てかけられて曇りなき鋸

厚らかに透く板硝子砕かれて重なるときに青は生まれる

城址のなだりに咲ける水仙の白と呼ばむにつめたきひかり

 一首目、皺が多い顔の犬といえばさしずめブルドッグか。そのような犬が歩いて来て〈私〉とすれ違ったというだけの歌である。取り立てて何の事件も景もない。本歌集にはこのような趣向の歌が多いのだが、その点については後で述べる。二首目の「ただむき」は腕のこと、「枕く」は枕にするの意の古語である。泥の中の蓮根を詠んだ歌だ。蓮根を腕に見立てて腕枕しているということだろう。三首目は工具箱に立てかけられた鋸を詠んだ歌である。四首目は秀歌だ。この前にビルが解体工事されている歌があるので、板硝子はビルの窓のガラスのこと。窓ガラスは透明で無色である。しかし砕かれて重ねられているのを見ると青く見える。波長の短い青色の光がガラスの中の不純物で散乱するためらしい。発見の歌である。五首目は城跡の斜面に咲く水仙を詠んだ歌。「白と呼ばむに」は「白い水仙と呼ばれているのに」の逆接だろう。

 上に引いた歌に限らず人物はほとんど詠まれていない。叙景歌と呼ぶほど景色が詠まれているわけでもない。登場するのは道を歩く犬や鋸や砕かれたガラスのように、日常の風景の中にある何気ない事物である。またそれらの事物に託して〈私〉の心情を詠んでいるわけでもない。実際、上に引いた歌の中に託された心情を読み取ることはできない。それにもかかわらずこのような歌が歌として成立し、そこにうまく説明できない美しさを感じるのはどうしてだろうか。それはおおよそ次のようなことだと思われる。

 私たちは日常生活において〈今〉を生きていない。「何をおかしなことを言うか。私は今生きているじゃないか」と反論されるかもしれない。しかしたとえば私は今何をしているかというと、今日中にブログにアップしなくてはならない短歌批評の文章を書いているのである。つまり私は「今日中に」という未来に設定されたデッドラインのために、今という時間を消費しているのだ。もっとわかりやすいのは受験勉強をしている受験生だろう。遊びたい、音楽を聴きたい、スポーツがやりたいという欲求を抑えて勉強するのは、大学合格という未来の目標のためである。翌日の講義の準備をする大学の先生も、明日の会議の資料をまとめている会社員も、試合に備えてトレーニングするアスリートも、今晩の夕食の買い物をしている主婦もすべて同じことが言える。私たちは未来の目的のために〈今〉という時間を食いつぶしているのだ。それでなくても全き〈今〉という時間を生きることがいかに難しいかは、古東哲明の『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)に詳しい。

 短歌や俳句のような短詩型文学は、このような「目標志向的時間」から逸脱することを可能にしてくれる。例えば上に引用した「あやふくも清しきひかり工具箱に立てかけられて曇りなき鋸」という歌を見てみよう。工具箱に磨き上げられた鋸が立てかけられているというだけの歌である。しかし歌の中の〈私〉が鋸を見つめている時間は「目標志向的時間」の外にある。これから何かする目的があって鋸を見ているわけではない。鋸を見ている〈今〉は未来の目標に奉仕する〈今〉ではない。それは歌の中に擬似的に創出された全き〈今〉である。歌を読む読者は、歌の中に作り出された擬似的な〈今〉を追体験することによって、この「目標志向的時間」から逸脱した時間に触れることができる。何でもない些細な事物が的確に描写された歌に私たちが魅力を感じるのはこのような理由によるのだと考えられる。

 作者は現在奈良に在住のようだが、生まれ故郷は大阪である。大阪を詠んだ歌におもしろいものがある。

ゴミ袋ゆたかに満たす紙屑の色に暮れゆくおほさかの空

クレヨンが紙をはみ出る勢ひに海へ海へと伸びるおほさか

さかのぼる曳船いくつ運河にも流れはありぬ見えがたきまで

歩行者の渡れぬ橋のまた一つ架かりて向かう岸は遠のく

電器店と法律事務所のあはひより大正琴の聞こえきてやむ

神様またこんなところに肘ついて 桜あんぱん凹んでしもた

 いささかのノスタルジーとともに回想される大阪の風景である。大阪はその昔八百八橋と称されるほどの運河と橋の町だったが、その多くは埋め立てられてしまった。路地の奥から大正琴の聞こえる風景も現在のものではなかろう。

 作者は家族について複雑な感情を抱いていることが、次のような歌からわかる。

まとめて洗ふ四膳の箸からからと家族うからの骨のふれあふ響き

ふりむけばとほざかるのにゆくてにはいつもわたしを待つ母のかほ

父は無言に立ち上がりたりわたくしの見えぬところで母を撲つため

亜土ちやんのタオルを噛みて眠りけり茶碗割れてしのちの無音を

父の妻のふるさとを過ぐ秋雨の飛沫しろじろと散りゐる神戸

 しかしこのような歌は本歌集の主調音をなしているわけではなく、ときどきフラッシュバックのように挟み込まれているだけである。歳月はあらゆる物を変える。

 十谷は近現代短歌の誰の系譜に連なる歌人なのだろうかと考えてみても答が見つからない。「玲瓏」に所属はしていたものの塚本邦雄の歌風からはほど遠い。結局のところ類例のない独自の個性を持つ歌人ということなのだろう。

 最後に特に心に残った歌を挙げておく。

ひとの骨をうつしゑあまた揺らしつつレントゲン車は橋を渡りぬ

車庫前の路面に深き窪みあり日毎にバスの踏むひとところ

水底に夏の日は差す砂色の魚にまつはるうをの影あり

ホッチキスのふとも緩めば針切れて紙に残れる空しき歯形

はなびらの白きいくつを留めつつたたまれて傘夜を傾く

揺るさまのひとつ異なるきんぽうげ小さき蛙茎に飾りて

曇り日のウィルキンソンが卓に曳くかげあり水に昏き翳あり

第244回 服部真里子『遠くの敵や硝子を』

白木蓮はくれんに紙飛行機のたましいがゆっくり帰ってくる夕まぐれ

服部真里子『遠くの敵や硝子を』

 

 服部真里子の第二歌集が今年 (2018年)の10月に出版された。第一歌集『行け広野へと』(2014年)以来4年ぶりの歌集である。第一歌集を出してから次の歌集がなかなか出ない歌人も多い中で、中四年というのは旺盛に創作活動をしている証左だろう。版元は書肆侃侃房で、装幀は間村俊一、帯文は金原瑞人。間村は「落下 ― 服部真里子に」というコラージュをわざわざ制作して表紙に使っている。

 掲出歌を見ておこう。白木蓮は春先に大きな白い花をつける。小舟のような形をした花弁は一枚ずつはがれて散る。その有様を紙飛行機に喩えたのだろう。「ゆっくり帰ってくる」という句に花弁が散る速度があり、夕まぐれは木蓮の花の白が映える時分である。時間の経過と生命の流転と季節の移ろいが視覚的に描かれていて美しい。「ゆっくり帰って/ くる夕まぐれ」の句跨がりも心地よい。

 『行け広野へと』を取り上げて論じた折に、服部は歌を豊かなものにするのに必要な、皮相な表面的現実を超える多元的・重層的視線をすでに獲得しているようだと書いた。まさにそのとおり、第一歌集は日本歌人クラブ新人賞、現代歌人協会賞を受賞し、服部は注目される新人歌人となった。第二歌集『遠くの敵や硝子を』ではその技法と歌境をさらに研ぎ澄まし深化している様が見て取れる。

わたくしが復讐と呼ぶきらめきが通り雨くぐり抜けて翡翠かわせみ

蜜と過去、藤の花房を満たしゆき地球とはつか引き合う気配

肺を病む父のまひるに届けたり西瓜の水の深き眠りを

夕映えは銀と舌とを潜めつつ来るその舌のかすかなる腫れ

羊歯を踏めば羊歯は明るく呼び戻すみどりしたたるばかりの憎悪

 歌集冒頭の「愛には自己愛しかない」から引いた。一読してその短歌世界にぐっと引き込まれるが、一首ごとに見ると読みは決してたやすくはない。一首目でまず誰もが立ち止まるのは「復讐」だろう。誰に対してどんな理由で復讐しようとしているのか、歌の中に手がかりはない。「復讐」の単語の強さとイメージだけが宙吊りになる。さらに通り雨という具体的なものときらめきという視覚的印象が続き、結句で翡翠に着地する。すると水辺に住む翡翠と水のイメージ、きらめきと翡翠の羽の輝きが一首の中で呼応し、それが「復讐」へと反照してそのイメージを華麗に増幅する。

 服部は自分が「名詞萌え」であると語っている(『現代短歌新聞』2015年8月号)。名詞とそれが喚起する映像力を重視したのは前衛短歌である。服部も自分が心を引かれる名詞を中心に据えて、そのイメージを拡大し縁語を配することで歌を組み立てているようだ。服部は「人生派」ではなく「コトバ派」の歌人なのだ。だとすればその作品の鑑賞に当たっては、歌の中に過度に人生的意味を求めるのではなく、コトバとコトバがぶつかり合い反響い合う遠い木霊に耳を澄ませ、水面の揺らぎのような心のざわめきを味わうのが正しい読み方ということになろう。

 二首目にも服部の名詞派の特徴が出ている。本歌集の小題にも「黄金と饒舌」「塩と契約」などがあり、収録されている歌にも「水仙と盗聴」という話題になった歌がある。つまり「名詞と名詞」のように2つの名詞を「と」で結ぶ二物衝撃が好きなのだ。二首目では「蜜と過去」である。蜜が藤の花房を満たすというのはわかる。一方、過去が藤の花房を満たすというのは一読してわからない。私は忘れようとしても過去がひたひたと近づいて来るという喩かと読んだが、他の読みもあるだろう。

 三首目は父を詠んだ歌である。服部の人となりを知るいちばんよい資料は、喜多昭夫の個人編集短歌誌『Sister On a Water』の創刊号 (2018年6月)の服部真里子特集である。喜多による一問一答のインタヴューの中で、「初恋は?」という問に服部はためらうことなく「父。」と答えている。この号には「道をそれて」という服部のエッセイが収録されており、その文章がとてもおもしろい。それによると理系出身で会社勤めをしていた服部の父は、ある時会社という組織のあり方に疑問を抱き、会社を辞めて組織論を学ぶべく大学院に入学したという。『行け広野へと』にも父親の歌が多いことを指摘したが、本歌集にも多く収録されており、父恋いの歌集と読むこともできる。服部の父は3年前に他界している。三首目は病に伏せっている父親に西瓜を届けたという歌だが、届けたのが「西瓜の水の深き眠り」としたところに詩的転倒がある。

 四首目、今度は「銀と舌」である。喜多昭夫は服部は葛原妙子の系譜に連なる歌人だという意見で、だとすると服部もまた幻視の人ということになる。しかし私には服部はきわめて意識的かつ理知的に言葉を配置しているように見える。「銀」は夕映えの雲の輝きと結びつけることができるが、「舌」はどうしても夕映えとは結びつかない。ここにあるのはは幻視ではなく、イメージの詩的飛躍だろう。一種の異化効果である。一首目でも「復讐」という抽象語から「翡翠」という具体物への飛躍がある。この飛躍に着いて行けない人は理解不能となるだろうが、イメージの飛躍に詩的純度を感じることのできる人はいるだろう。同じことは五首目の「羊歯」と「憎悪」にも言える。これもまた抽象語と具体物の組み合わせである。

 服部の歌に奥行きと深みを与えている要素のひとつにキリスト教がある。歌の中によくキリスト教の語彙が登場する。

床に射す砂金のような秋の陽がたましいの舌の上に苦くて

風の日にひらく士師記は数かぎりなき報復を煌めかせたり

神さまのその大いなるうわのそらは泰山木の花の真上に

ふいの雨のあかるさに塩粒こぼれルカ、異邦人のための福音

空の見える場所でしずかに手をつなぐラザロの二度目の死ののちの空

 士師記ししきは旧約聖書の一部で、ユダヤ民族と他民族の抗争を描く歴史である。これらの歌に登場する語彙はキリスト教へと接続して、特有の含意と連想を生み、歌にもう一つの次元を付け加えている。先に触れた喜多昭夫のインタヴューで服部は、自分にとって宗教はライフハックだと述べている。「ライフハック」(life hack)、つまり知っていると生きやすくなる知恵ということだ。

 歌人のなかには上句が魅力的な人と下句の処理がうまい人がいる。その分類で言うと服部は下句が魅力的な歌人のようだ。

灯のもとにひらく昼顔おなじ歌を恍惚としてまた繰り返す

今宵あなたの夢を抜けだす羚羊れいようの群れ その脚のしき偶数

 例えば一首目の「恍惚としてまた繰り返す」は、「恍惚として/また/繰り返す」と分けられる。「恍惚として」で七音、残りが七音なのだが、「また」の後に軽い区切りが入る。そのリズムが心地よい。二首目では「群れ」が句割れで上句に入り、一字空けで下句が大きく二つに割れる。古語を使わない現代語の短歌では結句が単調になりがちだが、服部の場合そういうことはなく、結句が多彩で結句に着地する感覚が魅力的だ。

 最後に特に心に残った歌を挙げておきたいのだが、たくさん付箋が付いたので一部に留めておく。

愛を言う舌はかすかに反りながらいま遠火事へなだれるこころ

災厄を言う唇が花のごとひらく地上のあちらこちらに

近代の長き裾野の中にいて恍とほほえみ交わすちちはは

火は常に遠きものにてあれが火と指させば燃え落ちゆく雲雀

テーブルに夕陽はこぼれ芍薬の死してなおあまりある舌まがる

水を飲むとき水に向かって開かれるキリンの脚のしずけき角度

傘を巻く すなわち傘の身は痩せて異界にひらくひるがおの花

 『行け広野へと』を取り上げたコラムでは、名前をまちがって「真理子」と書いてしまった。お詫びして訂正したい。

 『遠くの敵や硝子を』という珍しい歌集題名は、服部が子供の頃から聞かされていた「遠くの敵は近くの味方より愛しやすい」という言葉から取ったという。なかなか含蓄のある言葉である。

 

第243回 黒田京子『揺籃歌』

月草のうつろふ時間たぐり寄せたぐり寄せつつゆく京の町

黒田京子『揺籃歌』

 

 あとがきによれば黒田が短歌に手を染めたきっかけは、伊藤園が募集する俳句大賞だったという。ある日、缶入りのお茶を手にしたら、缶の表に俳句が印刷されていた。それを見て自分でも作ってみたいと思ったという。それから短歌講座に通うようになったらしいが、なぜ俳句に触発されて短歌に行ったかというと、単純に十七字より三十一字のほうが表現できそうに思ったからだという。恐ろしいことである。黒田は藤井常世の短歌講座に通い、藤井の主宰する「笛の会」に入会。それ以来「笛の会」を中心に活動している。短詩型文学との出会いは思いがけない所にころがっているものだ。

 あらためて調べてみると、藤井常世の父君は折口信夫門下の国史学者の藤井貞文で、藤井常世の弟は国文学者・詩人の藤井貞和とある。それは知らなかった。私は日本語文法の研究もしていて、藤井貞和の本にはお世話になっている。なかでも『日本語と時間』(岩波新書)は名著である。

 『揺籃歌』は2018年に六花書林から刊行された黒田の第一歌集で、跋文は「笛の会」の難波一義が書いている。黒田は難波に「私の歌を歌集にまとめて読んでもらう価値がありますか」と何度もたずねたという。こういう心がけから生まれた第一歌集は初々しい。文体は端正な文語定型で、藤井常世からは情念の世界は学ばなかったとみえる。

短か日の日暮華やぐひとところ露天商人〈とちおとめ〉売る

少年の蹴る缶の音冬空に高くひびくを我は聴きをり

ふくらめる胸をやさしみ我のこと僕と呼びにき少女期われは

指先に残る蕗の香エプロンに拭ひつつ思う古きノラのこと

薄ら日も届かざる隅さみし気なひと木にあをく芽の尖りをり

 一首目、「短か日」なので夕暮れが早い冬の日だ。次第に物が色を失ってモノトーンとなる刻限である。そんななか路上で苺を売っている。その一角だけが苺の赤色で華やいでいる。色彩感覚が鮮やかな一首だ。二首目、黒田の歌にはよく少年少女が登場するのだが、それは現実の男子女子ではなく、追憶と憧憬の中に形象化された存在のようだ。この歌の季節も冬だ。少年が一人で缶蹴りをしている。そのカーンと響く音を聴いている。そこには「私はもう少年少女の年齢ではない」という思いがある。三首目、今ではマンガの影響もあって、少女が自分を「僕」と呼ぶのはごく普通になった。少女期の作者は自分の女性性に違和感を感じていたのだろう。四首目は厨歌だ。台所で蕗の皮を剥いている。蕗の皮を剥くと指先が黒ずみ蕗の強い香りが手に移る。嗅覚は記憶を刺激する。作者が思い出しているのはイプセンの『人形の家』の主人公ノラである。ノラは男性に従属しない新時代の女性だ。作者は女性の置かれた社会的立場にも違和感を抱いているのだろう。五首目、日のあまり当たらない隅にある庭木にも新芽が芽吹いているのを見つけるという春隣の歌で、弱者への優しい眼差しを感じさせる。自分の見たことや想い・想像を適切な言葉に落とし込んで歌にする技量には確かなものが見受けられる。

 個性を感じさせる歌を少し見てみよう。

なよらかに揺れつつ芯のかたきまま風の星座に我は生まれて

見た目にはやはらかさうな山茱萸の触れて知りたるその実のかたさ

曖昧に笑ふ術もて生きむとす煮ゆるかぶらの黄味がかる白

媚ぶることを覚えし日より違和感を感じそめたる我が口の中

輪の中にあらば易きか カンナ黄色き焔を放つ

群れゆくは息苦しきか一羽二羽群れを離るるひよどりの見ゆ

 一首目、風の星座とは双子座、天秤座、水瓶座をいう。ホロスコープによる性格診断は知らないが、作者には自分の中にはかたくなな所があると感じている。付和雷同を嫌って周囲に同調せず、徒党を組まず孤立を恐れない。そういう性格である。だから二首目のように山茱萸の実の硬さに自分を投影してしまう。三首目では不本意ながら曖昧に笑ってごまかす自分が、蕪の真っ白ではなく黄味がかった曖昧な白に投影されている。五首目では黙って輪の中に入れば生きやすいと感じつつも、作者の心の中にはカンナの如き激しい火が燃えるのだ。この歌は珍しく字足らずの破調になっている。案外激しいものを内蔵している人かもしれない。六首目の群れを離れるひよどりも言うまでもなく作者の分身である。

 作者には子供がいない。そのことをめぐる想いの歌がある。

子のなきも欠けたるひとつ母となる勇気持てずに我は生き来し

どくだみが十字を切りて迫りくる我に母性の兆したるとき

かたはらに眠れる吾子を持たざればうたふべし 我がための揺籃歌ララバイ

線路沿ひの家の窓辺にプーさんの黄色い背中が大きく見える

いのちあまた生まるる季節うまざるを選びし我の生受けし春

いちじくを漢字に書きて物思へば天使降り立つごとき夕影

 四首目、通勤電車の車窓から沿線の民家を眺めると、窓際にくまのプーさんの縫いぐるみが置いてある。子供のいる家なのだ。六首目、いちじくを漢字で書くと無花果、すなわち花なくして実る果実となる。花がなければ交配ができず子孫を残せない。夕暮れに降り立つ天使は受胎告知の大天使ガブリエルか。それでも作者は三首目のように、子守歌を歌う子がいなければ自分に向かって詠うと気丈に心を立て直すのである。ここへ来て歌集題名の「揺籃歌」は「ララバイ」と読んでほしいと知れる。

 作者にも思う人はあるがどうやら片恋のようである。

かくまでも我に近くて遠ききみ幼なじみは哀しきものを

きみの〈今〉を我は知りたし少年と少女の日々を懐かしむより

逢ひたし戻りたし きみと町思ひかもめ見てゐる山下埠頭

 このようにいろいろな主題を歌にしている作者だが、歌集一巻を通読して改めて感じるのことは、短歌に滲み出るのは〈時の移ろい〉だということだ。たとえば冒頭の掲出歌「月草のうつろふ時間たぐり寄せたぐり寄せつつゆく京の町」は自分が生まれた京都を再訪した折の歌である。「ちちははに我の生まれて家族といふかたち整ふ 京都市左京区」という歌もある。作者は長女で初めての子なのだ。「月草の」は「うつろふ」にかかる古語の枕詞。作者は子供の頃の記憶を辿って京都の町を歩いている。しかし建物は建て代わり昔の面影のない場所もある。それを記憶の海をたゆたうように記憶をたぐり寄せるのだ。またすぐ上に引いた片恋の歌にも、戻しようもなく経過した時間が深く刻印されている。〈時の移ろい〉は短歌の一番奥底に仕舞われた核のごときものかもしれない。

 最後に特に好きな歌を挙げておこう。

モディリアーニのくらき妻の顔泛び出づ黒き細身の傘閉づるとき

バジリコのひと葉に落つる花の影晩夏のひかり衰へゆかむ

冬の川流れゐるべし夜深くバカラグラスに水を満たせば

銅色あかがねいろを帯ぶるみづきのわかき葉に流るるごとくあをき葉脈

 一首目、35歳の若さで世を去った薄幸の画家モディリアーニの妻ジャンヌ・エピュテルヌはモディリアーニの死の2日後に投身自殺している。細身の傘を閉じるときにふいにその顔が脳裏に浮かんだという歌だ。写真に残るジャンヌの黒い服からの連想と思われる。二首目、三首目の、バジリコと晩夏の光、バカラグラスと冬の川の清冽な水の組み合わせにも、色彩と光の取り合わせが感じられる。四首目の遠くからズームインして虫眼鏡レベルの映像で終わる描写も印象的である。

 

第242回 脳と短歌とオノマトペ

海鳥の羽先はさはさ拡げつつ果てなく海を抱かむとせり

春日真木子

 

 短歌にはオノマトペが使われていることがある。掲歌では「はさはさ」というオノマトペが大型の鳥のゆったりした羽ばたきを表している。スズメのような小型の鳥や、ツバメのように高速で飛ぶ鳥に「はさはさ」はそぐわない。また「羽先」と「はさはさ」の「はさ」という音が同じで「はさきはさはさ」という反復によるリズムも効果的だ。

 ちょっと歌集を開いてみれば、オノマトペを使った歌に出会うことは難しくない。

風は溶け風で梳かして風を解け蜻蛉ひりひり前ばかり見ている                               盛田志保子

しんしんとみどりたたふる瞳を持ちて生まれ来るゆゑに人はかなしき

                       永井陽子

蜜を垂らしているのはきっとゆめですね/じゅうんと窓をやぶる洪水

                       加藤治郎

石 その寡黙を笑え カラカラと狂気含んだ風落ちる時

                      佐藤通雅

トンパラリと髪ほどきたり向かい合う鏡に青き一日ついたちの空

                      早川志織

 『現代短歌事典』(三省堂)の「オノマトペ」の項に小池光が書いているように、慣用表現化したオノマトペはどのような対象に接続するかが決まっている。小川は「さらさら」流れ、雷は「ゴロゴロ」鳴り、風は「ひゅうひゅう」吹き、炎は「めらめら」と燃え上がる。余りに陳腐なオノマトペは、言語感覚の覚醒と革新をめざす短詩型文学では避けなくてはならないとされる。いきおい歌人は創造的なオノマトペを創作しようとする。

いずこより凍れるらいのラムララム だむだむララム ラムララムラム

                             岡井隆

 オノマトペは短歌に音のリズムを作り出し、感覚性を高める働きがあるとされる。それは短歌を作る側の歌人から見たオノマトペの効果である。では短歌を読む側から見るとオノマトペはどのように受容されているのだろうか。

 私たちは言葉を発したり理解したりするときには脳を使っている。脳は言語の座である。人間の大脳は左半球と右半球に別れており、両者を脳梁という橋のようなものが結んでいて情報を交換している。大脳には一側性という特徴があり、右半球は体の左半分を統御し、左半球は右半分を統御している。このため脳の右半球に脳出血を起こすと、体の左側に麻痺などの障碍が出る。

 私たちが言葉を話したり理解したりするときに働いているのは大脳の言語中枢である。ブローカ野は言語の産出にかかわる運動性中枢で、ウェルニッケ野は言語の理解にかかわる感覚性中枢である。言語中枢もまた局在している。言語中枢は右利きの成人の95%で左半球にある。左利きの人の7割は言語中枢が左半球にあり、1割5分は右半球にあり、残りは優位差がないという。左利きの人は人口全体の7%程度なので、大部分の人は左半球優位ということになる。

 右脳と左脳の機能差については俗説が多い。人に話すときは右耳に話しかけるほうがよく言葉が届くというのもそのひとつだ。先頃終了した野島伸司脚本、石原さとみ主演のTVドラマ『高嶺の花』でもこれが使われていた。右耳から入った音は脳梁を通って左脳に届く。一方、左耳から入った音は脳梁を通っていったん右脳に行き、もう一度脳梁を通って左脳で言語処理される。だから右耳から入った言葉のほうが伝わり方が早いというのである。この説を支持する研究もあるようだが、脳内のニューロンを伝わるのは電気信号である。脳の横幅20cm程度で伝達速度に大きな差が出るとは思えない。

 一般に、左脳は言語中枢があるために、言語、論理的思考、演算などで働く優位半球であり、右脳は空間認識、図形認識、音楽などの優位半球であると言われている。優位半球を使うタスクを2つ同時に被験者にしてもらうとこれを確かめることができる。たとえば、ヘッドフォンから絶えず言葉を流しながら計算をしてもらうと、たいていの人は能率が落ちる。言語処理と計算はどちらも左脳を使うからである。一方、ヘッドフォンから歌詞のないクラシック音楽を流しながら計算をしても能率は落ちない。計算は左脳だが、音楽は右脳で処理されているため脳の負荷が増えることがないからである。最近は機能的核磁気共鳴装置(fMRI)という大がかりな装置で、非侵襲的に脳内の血流の増加を観察できるようになっている。

 さてオノマトペである。慶応義塾大学の認知科学者の今井むつみが著書『ことばと思考』(岩波新書 2010年)で自身が行なった興味深い実験を紹介している。人が様々な動き方で動いている様子を撮影したビデオを被験者に見てもらう。同時に画面に「ずんずん」「はやく」「歩く」などの言葉がテロップとして提示される。被験者には動きのビデオとテロップの両方を見てもらう。そのとき脳のどの部分が活発に働くかをfMRIで測定した。

 「はやく」という副詞や「あるく」という動詞を提示したときは、左半球の言語中枢のある部分が活性化したという。言葉として処理しているのだから当然だろう。ところが「ずんずん」という擬態語を提示したときに限り、左半球の言語野に加えて、右半球の運動を知覚したり、これから行なう運動をプランニングする場合に使われるMT野という部位も活性化したという。

 これは何を意味するか。「ずんずん」は動きの様子を表す擬態語であり言語の一種である。しかし「勉強机」のような名詞や「ぶらさがる」のような動詞が持つ語彙的意味を持たず、私たちが何かの動きから受ける印象をそれ自体は無意味な音連続を用いて表現したものである。「大型冷蔵庫」のような概念的表象ではなく、動きを模したミメーシス的な「演技」に近い。そのために通常の語彙的・概念的意味を処理する左半球の言語野ではなく、運動を知覚するときに活動する右半球が活動したのである。乱暴にまとめてみれば、ふつうの言語は左脳で処理されるが、擬態語は右脳で処理されるということだ。

 残念ながら今井はオノマトペ(擬音語)についての実験は行なっていない。しかしながら非言語音の音楽はふつう右半球で処理されることを考え合わせると、オノマトペも擬態語と同様に右脳を活性化させると推測することは許されるだろう。

さゐさゐと辛夷ゆすりて過ぐる風傷うけしあの春も薄れぬ

                     横山未来子

 私たちはふだんの生活で右脳を使っているか左脳を使っているかを意識することはない。しかし上に引いた横山の歌を読むとき、初句の「さゐさゐ」を除く部分は左脳の言語中枢で意味を処理しているのにたいして、オノマトペの「さゐさゐ」を読むときだけは、通常の意味処理を行なう部位ではなく、図形や運動や空間を知覚する部位を活性化させて受容しているのである。つまり私たちが「さゐさゐ」と読むとき、脳内に作り出されているのは語彙的・概念的意味表象ではなく、風が辛夷の枝や花を揺する動きそのものなのだ。

 このように考えるならば、擬音語・擬態語など非概念的な言語記号は、うまく織り交ぜて使うとき、短歌の世界を重層的にすると同時に、より感覚的・運動的な歌の受容を可能にすることがわかるだろう。

 

第241回 ユキノ進『冒険者たち』

午後ずっと猫がふざけて引きずった魚のまなこが見上げる世界

ユキノ進『冒険者たち』

 魚を食べずに戯れて引きずるとは、よっぽど猫も腹が減っていなかったのだろう。でなければすぐに食べてしまったはずだ。魚も猫の腹に収まってその血肉となれば成仏もできようが、おもちゃにされたのでは浮かばれない。しかしそんな魚にもその目に映っている世界がある。それは私たちが見ている世界とも、猫が見ている世界ともちがう世界だ。自分の視点を離れて異なる対象の視点に立って世界を眺めてみる。作者はそういうことができる人なのだろう。

 ユキノ進は1967年生まれで、結社に所属していない歌人である。『冒険者たち』は書肆侃侃房の新鋭歌人シリーズの一巻として上梓された第一歌集である。解説と編集は東直子。ユキノは福岡県の出身だから侃侃房は地元の出版社だ。

 東が選考委員を務めている歌壇賞と角川短歌賞の選考を終えて作者名が明かされると、候補作のリストにはいつもユキノの名があったと解説で東が書いている。2014年の第25回歌壇賞では惜しくも次点に選ばれている。ちなみに2017年の短歌研究新人賞では、「弔砲と敬礼」で候補作に(新人賞は小佐野弾)、2017年の角川短歌賞では「朝が来るまで」で予選通過(短歌賞は睦月都)、2018年の歌壇賞では「冒険者たち」で候補作に選ばれて東から二重丸をもらっている(歌壇賞は川野芽生)。本人ならずとも実に惜しいのである。

 さてユキノの作風はというと、基本は口語定型短歌だが、掲歌を見てもわかるように日常の話し言葉を生かした口語というよりは、文語定型の代替として選択した口語であるようだ。だから口語定型というよりも現代語定型と言ったほうがふさわしいかもしれない。

葉の裏の暗いところにみっしりと蝶を眠らせ樹は覚めている

水鳥が嘴をみずに挿す刹那しずかに終わる一生がある

ぶちまけたビー玉が床を這うようにスクランブル交差点をおれは

誰かの手を離れる風船 世界から失われゆくひとつのかたち

複葉機の仕組みを話している人の白い手のひらにかかる揚力

 第25回歌壇賞で次点に選ばれた「飛べない男」が本歌集では「複葉機の仕組み」と改題されて歌集冒頭に置かれている。ユキノとしても自信作なのだろう。その一連から引いた。

 一首目、蝶が葉裏にびっしり留まっているというから、亜熱帯か熱帯地方の風景だろう。蝶の睡りと樹木の覚醒、葉裏の暗さと樹木が浴びる光のコントラストを思い浮かべるとよい。アンリ・ルソーの絵を思わせる風景である。もとより写実ではなく想像の産物だ。二首目、水鳥が嘴を水に入れるのは餌となる小魚や貝を食べるためである。水鳥にしてみればそれは日常的な捕食行為だが、食べられる小魚や貝の立場からすればそれは一生の終わりである。ここにも掲歌と同様の視点移動が見られる。三首目、「ビー玉が床を這う」という表現にはいささか抵抗があるが、下句の「スクランブル交差点を(這うように進む)おれは」との連接を意識したものだろう。ビー玉を床にこぼすとビー玉は四方八方にころがる。その様がスクランブル交差点を行く歩行者の歩みと似ている。「ぶちまけた」という強い表現に作者の心情が滲んでいる。四首目、公園や商店街で、幼い子供がもらったばかりの風船をうっかり離してしまう。すると風船は風にゆらゆらと上昇しもう手の届かない所に行ってしまう。よく見る光景である。ユキノはそれを「世界からひとつのかたちが失われる」と感じるのである。五首目、複葉機の飛ぶ仕組みの解説に身振り手振りが混じる。すると手のひらにわずかな揚力が生じるというのだ。揚力は飛行機を浮上させる主な力である。

 上に引いた歌を見てもわかるように、ユキノは静かな口調で歌を詠む人で、その主な関心は「いのち」をめぐる「世界のかたち」にあるようだ。掲歌の魚への視点移動に見られるように、あくまで〈私〉を中心として世界を把握する「自我の歌」としてではなく、自在に移動する風となって「世界のかたち」を確かめているようにも感じられる。ユキノは集中でフランスの作家ル・クレジオの『地上の見知らぬ少年』一節を引用している。そこにある「大空にまで、彼方にまで、海にまで至るような言葉で」はおそらくユキノの信条だろう。

八階のコピー機の裏で客死するコガネムシその旅の終わりに

暁に鳴いただろうかつやつやとハーブチキンは輪廻の途中

光る刃をあてて林檎をこの星の自転の向きにゆっくり回す

静まりゆく森を歩めば思いがけず立ち上がる昏いいのちの匂い

闇に在る光を集め灯台が少しずつ濃くするのだ夜を

 オフィスのコピー機の裏で果てるコガネムシ、ハーブチキンと化して輪廻転生する鶏、林檎の回転と地球の自転の呼応、森の下草から立ち上がる生命の匂い、光によって夜の闇を濃くする灯台、このようなものが作者によってていねいに掬い取られる。そのような表象が決して〈私〉の信条の投影としてではなく描かれている。ユキノの眼差しは〈私〉の側にではなく「世界」の側に傾いていると言えよう。

 しかし本歌集に収録された歌にはこれとは別の側面がある。それは会社員として働く人間としての側面である。

男より働きます、と新人の池田が髪をうしろに結ぶ

ランチへゆくエレベーターで宙を見る七分の三は非正規雇用

おとこらはしばし世界へ背を向けて駅のホームで立って食うソバ

あしたからしばし無職となる人を囲んで同じ課の五、六人

ストラップの色で身分が分けられて中本さんは派遣のみどり

 一首目は、男性よりも働かなくては認めてもらえない女性社員の立場を、二首目は正社員が減って非正規雇用が増えた現代の日本を詠んでいる。三首目は駅の立ち食い蕎麦の風景、四首目は契約終了となって職場を離れる契約社員、五首目は職場に厳然として存在する身分差別である。次のような歌もある。

搾取する一パーセントを敵として連帯していいのかおれも

五十円時給を上げる申請を手紙のように丁寧に書く

効率的な働き方を、ときれいごとを並べるおれに集まる視線

 作者は勤務する会社で中間管理職に就いているのだ。だから非正規雇用の社員の置かれた境遇に同情しつつも、管理職として会社の方針を伝えなくてはならない。おまけに誰かが働き方改革などと言い出したものだから、残業を減らさなくてはならない。中間管理職としては板挟みに苦吟するのである。笑った歌と衝撃を受けた歌を一首ずつ引く。

禿げ、白髪、白髪、禿げ、禿げ 光りつつ役員会議に集うたましい

一階のロビーの隅のごみ箱に花束が深く突き刺してある

 一首目は重役会議の風景で、重役になる頃にはみんな禿げか白髪になっているのだ。二首目は派遣契約が打ち切られてやめる人が送別の拍手とともにもらった花束である。「深く」突き刺してあるところに怒りの強さが滲み出ている。しばらく前から短歌の世界では「生きづらさ」を主題とする歌が増えているように感じるのだが、これら一連の歌もまたそのような系譜に連なるものと捉えることができるだろう。世界から目を転じて〈私〉へと向かうときにこのような歌になるのは辛いことである。もっとも集中には新潟に単身赴任している時に、離れて暮らす我が子に寄せる愛情深い歌もある。

 最後に心に残った歌をいくつか挙げておこう。

地底湖のみず溢れ出すキッチンでまよなか梨にナイフあてれば

夜おそく井戸の水面を揺れながら静かにわたる小さな星座

春の陽を細かく空へ返しつつひとたびきりの川の流れに

しまわれた古いカメラの内にある現像を待ちつづける風景

地下室で宝箱開ける時のごと夜のコピー機に照らされる顔

夜おそく終着駅から車庫へゆく空の車両に満ちる明るさ

 

第240回 鷺沢朱理『ラプソディーとセレナーデ』

水に書く言葉に似たるこの生をマルクス=アウレリウスも生きしと想へば

鷺沢朱理『ラプソディーとセレナーデ』

 鷺沢は1982年生まれで「中部短歌会」所属。短歌実作だけでなく評論でも活躍しており、『ラプソディーとセレナーデ』は本年 (2018年) 8月に上梓された第一歌集である。鷺沢の名はずいぶん前からあちこちで見ていたので、これが第一歌集と知って驚いた。どうやら制作にじっくり時間をかける遅作型らしい。跋文は「中部短歌会」主宰の大塚寅彦。

 まず歌集の構成がおもしろい。クラシック音楽の構成を模しており、第一部は第一楽章 Moderato grazioso, ma non troppoと題されている。「中程の早さで優美に、しかし過度でなく」を意味する。この調子で第二楽章は Larghetto, tempo rubato、第三楽章は Presto energico et passionatoなど第六楽章まで続く。歌集題名も『ラプソディーとセレナーデ』だから、短歌と音楽の交通を念頭に置いているのである。

 おもむろに歌集を繙いてみると、中身も尋常ではない。第一楽章の冒頭は「四曲一隻屏風『濃姫』」と題されている。最初の数首を引く。

「国宝の玻璃割る美学」と追放の修復師われの末路笑ふか

十余年美濃の御寺みてらの奥の院に闇を食ひつつ絵をなほしをり

信長の美濃攻めゐたる屏風より銀箔はくはがしみれば姫うかびたり

 どうやら歌の中の〈私〉は美術品の修復師らしく、美濃の斎藤道三の娘で織田信長に嫁いだ濃姫を描いた屏風を修復しているらしい。極めてフィクション性の高い設定である。

 屏風はくの字に折れ曲がる平面を畳むが、1つ1つの平面を「扇」という。扇は右から一、二、三、四と数える。扇4枚から成る屏風が「四曲」である。屏風はふつう2つが対になっており、それを「一双」と呼ぶ。対を成さず片割れだけが「一せき」である。したがって「四曲一隻屏風」とは、扇4枚から成る片割れのみの屏風ということになる。

 

壱扇「輿入」

なして父よ尾張へゆけとおつしやるか黒柿のごときうつけの嫁に

泰西の真珠呑む女王の決意もてわれ火瑪瑙ひめなうを呑むが婚をす

弐扇「信長殿」

荒梅雨にはだけたる肩うち出して泥蹴り帰る人がわが夫

信長殿のうすき胸処むなどに寄する頬琥珀のごとく染まりゆくらん

参扇「父と兄」

弘治二年美濃に報あり父道三、兄義龍に討たるるとあり

閉ぢ合はぬあにいもうとの黒蝶貝われて輝けと父よ言ひしか

四扇「稲葉山炎上」

紅蓮や紅蓮燃えて帰蝶は亡き父の山城たかく灰と散りたし

吹き荒れしひかりと花の交響ゆふと覚めみれば朝の静もり

 

 それぞれの扇から二首ずつ引いたが、濃姫の輿入れに始まり、信長との日々、道三が息子の義龍に打たれるという出来事が続き、最後に道三の居城稲葉山城が落城するまでを時系列で描いている。ちなみに「帰蝶」は濃姫の名であったとされる。

 後はこの調子で、「軸装三幅対『雪豹』、「海底洛中洛外図屏風」、「四曲一双屏風『夢葵』」など、源氏物語や伊勢物語や長谷川等伯の絵などに想を得た屏風仕立ての歌が続く。文語定型旧仮名遣の絢爛たる歌物語の世界である。

 なぜ屏風なのか。跋文で大塚寅彦も同じ問を発しているがはっきりとは答えていない。少し考えてみよう。

 私たちが知っている西洋絵画はふつう動きのないものである。教会に飾られている宗教画や世俗の静物画を見てもそこにはふつう動きはない。したがって絵の中に流れる時間はない。カラヴァッジォのようなバロック絵画は好んで劇的でダイナミックな場面を描いたが、それでもなお画面の動きはスナップショットのように凍結され時間が止まっている。絵画の中では時間は流れないのである。このような西洋絵画に革命をもたらしたのは印象派のモネだ。モネはルーアン大聖堂や牧場の積み藁の前にイーゼルを立て、早朝から夕刻まで太陽の移動に従って刻々変化する光を描いた。その光の時間的変化を一枚の絵に重ねて描いたため、絵は輪郭を失った光の集積と化したのである。そこに描かれているのは時間、より正確には表象の移ろいを通して感じられる時間である。

 これに対して日本の絵画にはもともと時間の観念が含まれていたと思われる。代表的なのは絵巻物である。絵巻物を繙くと、右から左に向かって一連の出来事が時間順に描かれている。だから絵巻物では同じ人物が何度も登場するが、見ている私たちは何の違和感も感じない。この感覚は現代のマンガにも受け継がれている。今でもマンガは右から左に向かって読む習慣が根強く残っているのは、絵巻物以来の日本の絵画の伝統のせいにほかならない。

 日本画の重要な主題は季節の移ろいである。だから一双の屏風には右に春の風景を、左に秋の風景を描いたりした。私たちは右から左に視線を移動させることで、時間の経過を感じることができる。

 ここまで来れば鷺沢がなぜ自らの短歌世界を展開する舞台として屏風を選んだのか明らかだろう。屏風は扇の集合体であり、見る私たちは右から左へと目を走らせることによって、そこに擬似的な時間を作り出すことができる。これは物語を語ろうとする鷺沢にとってまことに好都合なのである。

軸装三幅対「淡路廃帝」

怨み描く身はそそり立つ筆持ちて赤羅引く血に指も染まれり

淡路へと永久とはに逢はじのみやこ背に大炊おほひみかどふなべりに泣く

淡路とは泡のみちなれぬばたまの墨に浮くその気泡か生は

 しかしなぜ鷺沢は自らを絵画修復師や絵師に見立てて、現代とは関係のない歴史物語を描くのか。近現代短歌は「私性の文学」と言われるが、いったい鷺沢の〈私〉はどこにあるのだろうか。あとがきで鷺沢は次のように書いている。

 短歌に《美》を復権しなければならない。葛原妙子は、「歌とはさらにさらに美しくあるべきではないのか」(『朱霊』後記)と問うたが、短歌に於いてその達成はいまだ道半ばであるどころか、美への義絶はますます忌々しき問題に、いや問題にすらされない。

 跋文で大塚は、古典的和歌の世界では作りごととしての花鳥風月が詠まれてきて、それは言葉が織りなす世界であると指摘した後に次のように続けている。

 つまり近代の和歌革新以降に、現実の個体と作中の「われ」との紐付けが強固になされたことによって見失われた膨大な何か、自由自在な「こころ」の住処としての形式が、まだまだ回復されてないこと、あるいは現在において失われた古典的な美意識の復権ということも鷺沢の中にあるのは明白であって、言葉本来の意味に近い些かフェティシズミックに見える拘りによってそれを実現しようとしていると思われる。

 つまりはこういうことだ。古典和歌の世界は「美の共同体」を感性の基盤としており、美しいとされる言葉の中から選んで組み合わせる技を競った。藤原俊成が「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里」と詠んだとき、その背後には誰もが知る『伊勢物語』があった。だからここには男に捨てられた女性の嘆きが聞こえるのである。それは美の共通基盤として共有された世界である。しかし近代の和歌革新の結果、短歌は「自我の詩」となり「美の共同体」は忌むべきものとして否定され失われた。代わって称揚されたのは、一回きりの生を生きる〈私〉の表現としての歌である。大塚が正しく指摘したように、鷺沢はこの現状を嘆き、短歌に美を復権しようとしているのだ。その試行が屏風仕立てによる絢爛たる物語絵巻なのである。

 しかし一抹の不安が残る。回復すべきは「美の共同体」もしくは「美の共通資源」なのだが、鷺沢個人の試行によってその共同性が回復できるだろうか。塚本邦雄は前衛短歌の時代を経て古典へと回帰し、独自の美の世界を打ち立てた。しかしそれは古今東西の芸術に通じた博覧強記と強烈な個性によって可能になったものである。また塚本自身は「共同性の回復」など目指してはおらず、むしろ孤高を愉しんだ感がある。

 本歌集の短歌すべてが屏風仕立ての絵物語ではなく、第二楽章では、上司のパワハラに遭って務めていた学習塾を辞職し、鬱病になって実家に戻り祖父の畑を耕すという現実の作者に近い〈私〉が詠まれている。

青竹のわれのこころをパキリ折る怒声の上司斧のごとしも

木にもあらぬ草にもあらぬうつ病者わが就職の笹の靡きよ

祖父に代はり手に持つ鍬の重かれどこのリハビリは効くよと祖母は

座してをられぬこの病なれうろつけば桜は耳のうしろに咲かゆ

 また第三楽章の「桜と春草のための大屏風歌」では早世した友人を詠っている。

桜咲く遠山の暮れ見つめゐる絵を描く君とそを詠ふ僕

ともに見し京の桜の散るゆめの三十五にして絵と果てし君

芸大を中途に出でて師を謗りその放埒は憎まれて死す

 これらの一連は「私性の文学」としての近代短歌のコードに基づいており、自在に詠む作者の技量は明らかなのだが、絢爛たる美の絵物語の合間にこれらの歌に出会うと、〈私〉の在り処と位相の落差にどうしても違和感が残る。作者が本歌集を題名まで含めて一巻の巧緻に織り上げられた作品としようとしているのでなおさらそのように感じるのである。

 最後に個人的なエピソードをひとつ。歌集の表紙絵は1926年に描かれた中村大三郎の「ピアノ」という京都市美術館所蔵の絵である。着物姿の女性がグランドビアノに向かって演奏している大正ロマンの漂う絵だ。ピアノにはANT. PETROFと刻印されている。チェコのアントニン・ペトロフ社製のピアノである。実は我が家にもペトロフのピアノがあった。家人がピアノを弾くので産まれた娘にも習わせたいと購入した。その際、ヤマハやカワイではおもしろくないとペトロフのアップライトを買った。ヤマハのように低音から高音まで均一に音が鳴るという点では劣る点があったものの、華やかや音色のピアノだったと記憶する。

 大塚は跋文で鷺沢のユニークさは歌壇広しといえども彼にしか見いだせないほどだと言いつつも、「かなり読者を選ぶ世界」だと評した。鷺沢の試行がどのように受容されるか注目される。

 

第239回 九螺ささら『ゆめのほとり鳥』

失った時間をチャージするためにサービスエリアがあるたび止まる

九螺ささら『ゆめのほとり鳥』

 

 不思議な歌である。場面は高速道路。下句の「サービスエリアがあるたび止まる」はわかる。不思議なのは上句である。高速道路は早く目的地に着くために走るものだ。普通の道路を走ったら6時間かかるところを2時間で目的地に着いたら、4時間得をしたと考えるのがふつうだ。しかし作者は高速道路を走ると時間を失うと感じているのだ。

 こういう風に考えてみるとわかるかもしれない。私たちの寿命が70年に決まっていると仮定してみよう。これは目的地までの距離に当たる。生き方に2コースあるとする。ふつうの時間で生きて課長まで昇進する生き方と、3倍のスピードで生きて取締役まで出世する生き方だ。後者は確かに到達する職階は上だが、速度を上げて生きたため実際には70年の3分の1、つまり23.33年しか生きていない。46.67年の時間を失っているのである。だから掲出歌ではサービスエリアがあるために止まって、そこで高速で移動したために失った時間を取り戻すと言っているのだ。逆転の発想でとてもおもしろい。

 九螺ささらの名前は新聞の短歌投稿欄や穂村弘『短歌ください』などでたびたび目にしていた。ペンネームの名字を何と読むのか長い間謎だったが、このたび「くら」と読むことがわかり、積年のつかえが解消した感がある。プロフィールによれば、九螺は2009年頃から独学で短歌を作り始めたという。それからいくらも経たないうちに2010年に短歌研究新人賞の次席となっている。その年の新人賞受賞は「ロックン・エンド・ロール」の吉田竜宇と「死と放埒な君の目と」の山崎聡子。『ゆめのほとり鳥』は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズから刊行された第一歌集である。編集と表紙絵と解説は東直子。九螺は直前に『神様の住所』(朝日出版社)という歌文集も出版している。朝日新聞の書評欄で元東大教授の哲学者野矢茂樹がこの本を取り上げて書評していたので驚いた。ちなみに「神様の住所」は九螺が短歌研究新人賞次席を取った時に投稿した連作の題名である。

 一読してすぐわかることだが九螺の短歌は誰の歌にも似ていない。きわめて独自な歌である。いくつか目についたものを引いてみよう。

(なんだろう、これは…)と呟きながら1号は自身の涙で錆びついていった

離陸したとたんはらぺこになったから空中にて鳥の肉を頼む

いまなにか消えた気がしたシューマイのグリーンピースのようななにかが

テロメアの長さがすなわち寿命らしお好み焼きにかつおぶし踊る

不要だと集められたる六千のピアノが奏でる〈乙女の祈り〉

 一首目は「ロボット」の題詠に応募した作だという。その背景を知らなくても「1号」でロボットかサイボーグだとわかる。ロボットが流すはずのない涙で錆びてゆくという歌だ、涙には塩分が含まれているので確かに錆びやすいだろう。このロボットの躯体は鉄でできているようだから、ずいぶん旧式のロボットにちがいない。そんなレトロ感も漂う。

 二首目、機内食の「Beef or chicken?」である。この歌のミソは「鶏肉」とせずに「鳥の肉」と書いた点。空を飛行中に同じく空を飛んでいる鳥の肉を食するところに、自身か猛禽類にでも化身したかのような不穏な感じがただよう。もっとも飛行機の巡航高度の1万メートル付近を実際に飛ぶ鳥はいないのだが。

 三首目はとりわけおもしろい。「今何かが消えた気がする」ことは日常ままある。その些細な感覚をシューマイのグリーンピースに喩えたところが愉快だ。シューマイは好きだが上に乗っかっているグリーンピースが嫌いだという人は少なくない。そもそもなぜシューマイにグリーンピースが乗る必要があるのか理由がわからない。つまりこれは『ハムレット』におけるローゼンクランツとギルデンスターンのような存在の不条理を詠んだ歌なのだ。

 四首目、現代生物学の教えるところによると、我々の寿命は細胞内の染色体の末端にあるテロメアによって決まるという。細胞分裂を繰り返すたびに、テロメアはバスの回数券のように1枚ずつ減ってゆくらしい。これが上句だが、下句は一転してお好み焼きにジャンプする。熱いお好み焼きに薄く削った鰹節をふると、鰹節は熱に煽られて踊り出す。それが生命の乱舞のようでもあり、またMemento Moriを忘れて踊る私たちのようでもある。

 五首目、子供が幼い時にピアノを習わせようとピアノを買う親は多い。しかしたいていの子供は単調な練習を嫌って途中でやめてしまう。こめために大量の不要ピアノが生まれる。六千台ものピアノが一斉に「乙女の祈り」を奏でる光景は壮観だが、それは無理矢理好きでもないピアノを習わせられた少女の怨嗟の声のようにも、また不要品として回収されたピアノの嘆きのようにも聞こえる。

 このように九螺の短歌は、時にSF的であり時にファンタジー/メルヘン的でもある。短歌というよりショート・ショートを読んでいる気分になる。その特徴は「奇想」と徹底した〈私〉の不在であると言ってよい。上に引いたシューマイのグリーンピースの歌に見られるように、九螺の短歌は哲学的で、なかんずく存在論的である。九螺自身も短歌は哲学や理性と相性が良いといい、また『神様の住所』のあとがきでは自身に形而上的世界を愛する「宇宙酔い」の持病があったと述べている。

大江戸線のエスカレーター上がってくこの世の時間を巻き戻しなかがら

右手用ミトンだけが三つもありこの部屋はバランスがいびつ

けのCD揺れる銀河色 四億年前の記憶のごとく

時空からしたたった泡我というかりんとう好きの有機体である

 一首目、一番最近に作られた大江戸線は他の路線を避けるために東京の最深部を通っている。このためホームまで行くエスカレーターがとても長い。この歌にも掲出歌と同じく空間的移動から時間への経過の転写がある。地下深いホームから地上に上がるのはまるで時間を巻き戻しているかのようだというのである。

 二首目、ミトンは鍋つかみのこと。確かにミトンはどこかに行きやすい。片方失くして新しいのを買ううちに、右手用が3つもある。この事態を「世界の歪み」と捉えているのだ。

 三首目、民家の軒先や畑に鳥よけのCDが吊られている光景はよく目にする。キラキラと光るのが鳥よけに効果があると考えられているのだろう。ふつうそのきらめきは「虹色」と表現するが、ここでは「銀河色」と表現されることで、一気に宇宙的スケールへと広がる。

 四首目は自分を「時空からしたたった泡」と観じる存在論的な歌である。動的平衡を提唱する青山学院大学教授の生物学者福岡伸一は、私たち有機生命体はつまるところ「タンパク質の一時的な淀み」でしかないと喝破した。それを思わせる歌だ。

 誰でも子供の頃に、「地球は46億年前に生まれた」とか、「宇宙は無限で果てがない」とか、「ビッグバンで宇宙が誕生する前は無であった」などという途方もない話を聞かされると、一瞬頭がぼうっとなって思考が中止する体験があるにちがいない。太陽系は銀河系という島宇宙の片隅にあり、銀河系と同じような島宇宙が無数にあって、さらに…と考えるだけで子供心に恐怖を覚えた人もいるだろう。しかし人は大人になるにつれて感性を日常的スケールに刈り込んで行き、宇宙のことは頭から閉め出してしまう。九螺はおそらく誰もが子供時代に経験したことのある存在論的懐疑を失わずに持ち続けている人なのだろう。

 あえて短歌の世界に先蹤を求めるとすれば、香川ヒサの名が頭に浮かぶ。香川の短歌もしばしば哲学的でまたときに宇宙論的である。

角砂糖ガラスの壜に詰めゆくにいかに詰めても隙間が残る

もう一人そこにはをりき永遠に記念写真に見えぬ写真屋

棒切れをくはへて戻り尾を振りて犬として犬を在る犬がある

ビッグバンの残光およぶ地上にて小麦畑に播かれゐる種

 しかし香川の歌がどちらかと言えば知性と機知による世界の再構成という趣きがあるのに対して、九螺の短歌は存在論的懐疑が体質として体の奥にまで染み込んでいる感じがある。

「世界観が世界を造っているのです、世界が世界観を、ではなくて」

神経の集合が脳であるように存在は時空間の貯水池

「この現実」は実験室の水槽の一つの脳が見つづけている夢

 上に引いた歌ようなは短歌的昇華が不十分で、あまりに生な表現になっているように思う。「世界が世界観を作っているのではなく、世界観が世界を作っている」というのは実にその通りなのだが、そのまんまを歌にするとストレートすぎる。また中国にもこの世界は「クワン」という巨大な魚が見ている夢だという伝承があったり、有名な荘子の胡蝶の夢の逸話もあるので、私たちが現実だと信じているものは実は誰かの夢だというのはそう目新しいものではない。照屋真理子の短歌や俳句でも現実と夢の位相の逆転はずっと大きなテーマとなっている。

公園は散歩のためにある幻公園を出ると散歩が消える

横書きの樅の木を縦書きにすると樅の木はやがて縦の木になる

 どれもおもしろい歌で、特に二首目のように漢字を部首に分解する歌は九螺の好みのようだ。『神様の住所』にも「目と耳と口失ひし王様が『聖』といふ字になった物語」という歌がある。しかし惜しむらくは九螺の歌のように奇想を中心に据えると、どうしても意味中心の歌になり、短歌に必要な調べが犠牲になる。そこにいささかの不満が残る。

 しかし奇想と調べがバランスよく配合されると、次のような美しい歌となる。結句をもう少し工夫すれば定型に収まるだろう。

ひとすじに飛び込み台から落ちてゆく人の形をした午後の時間

 『神様の住所』を読むとこのような発想がどういう経路で出て来るのかがよくわかる。まだまだ暑さの去らない短夜の読書としてお奨めしておこう。

【追記】

 九螺ささらさんの『神様の住所』がこのたび第28回BUNKAMURAドゥマゴ文学賞を受賞されました。選考委員は写真家・文筆家の大竹昭子氏。受賞おめでとうございます。(2018年9月4日追記)

 

第238回 野口あや子『眠れる海』

押し黙ればひとはしずかだ洗面器ふるき卵の色で乾けり

野口あや子『眠れる海』

 

 第一歌集『くびすじの欠片』(2009年)、第二歌集『夏にふれる』(2012年)、第三歌集『かなしき玩具譚』(2015年)に続く、著者第四歌集である。書肆侃侃房の現代歌人シリーズの一巻として刊行された。短歌だけでなく、写真家三品鐘によるモノクロ写真が収録されている。野口は朗読会を開いたり、他のジャンルとの交流を積極的に進めているようで、そのような姿勢の一環だろう。

 本ブログではすでに『くびすじの欠片』と『夏にふれる』を取り上げているので、今回で3度目になる。野口はどのように変化した、あるいは変化しなかったのだろうか。

愛しては子供をつくることに触れボトルシップのようなくびすじ

秋すなわちかげろうでありきみの姓を聞いてふりむくまでの眩しさ

父の骨母の血絶つごと婚なして窓辺にかおる吸いさしたばこ

茶葉ふわり浮いてかさなるはかなさで夫と呼んで妻と呼ばれる

子はまだかとかくもしらしらたずね来る男ともだちの目に迷いなく

 これらの歌を読むと、野口は伴侶を得て結婚したようだ。しかし結婚して幸福に包まれているかといえば、どうやらそうでもないようで、互いを夫と妻と呼ぶことにも茶葉が浮く程度の現実感しか感じていない。また子をなすことにためらいがあるようで、三首目の「父の骨母の血絶つごと」は子を残さない決意のようにも感じられる。一首目の「ボトルシップのようなくびすじ」、三首目の「窓辺にかおる吸いさしたばこ」の下句のさばき方はいかにも野口流である。

 上に引いたような歌では、意味はほぼ定型の中に収まっているのだが、読んでいるとそのような歌ばかりではなく、どこか過剰で定型に収まりきらない何かがはみ出しているような印象を受けることがある。

あしのつけねのねじをまわしてくろきくろきポールハンガーたたむひととき

大きなアルミラックの上に小さなアルミラック乗せて人生、なんてわたしたち

飛ぶことと壊れることは近しくてノブを五つあけて出ていく

あ・ま・だ・れとくちびるあければごぼれゆく 赤い、こまかい、ビーズ、らんちゅう

 一首目、部屋におかれているポールハンガーを畳むというごくふつうの動作だが、「くろきくろき」と反復されることで何か過剰なものが感じられる。二首目のアルミラックも若い人たちの部屋によく見られる家具だが、大きなアルミラックの上に小さなアルミラック乗せるという前半と、「なんてわたしたち」という結句の詠嘆がうまく結びつかない。三首目、「ノブを五つあけて」というのは語法的にいささか妙で、ノブをつかんで開けるのはドアである。仮にそう解釈したとして、ドアを5つ開けて出てゆくというのもどこか過剰だ。四首目は意味がよく取れないが、唇から零れるにしても、ビーズはよいとしてらんちゅうは不思議だ。

 いろいろな歌人の歌を読んでいると、言葉と自分(作者)を隔てる距離が人によってずいぶん異なることに気づくことがある。自分と言葉の距離が大きな人にとって、言葉はいわば自分の外にあるもので、画家が絵の具を配合して絵を描くように、石工がレンガを積み上げて家を建てるように、言葉を操作し組み合わせて何かを作り出す。こうして作り出したものは自分の外部に存在する。例えば塚本邦雄はそのような歌人の代表格だろう。一方、言葉と自分の距離が小さな人にとっては、言葉は自分の外にあるものではなく、ましてや操作するものではなく、自分の内側から滲み出て来るものであり、たやすく外在化することができない。自分から言葉を無理に剥ぎ取ろうとすると、皮膚が破れて血が滲んでしまう。野口の歌を読んでいるとそのように感じることがある。

さげすみて煮透かしている内臓の愛と呼びやすき部分に触れよ

夜の底、撹拌されてあわあわと垂らすしずくのオパールいろよ

ゆきふるかふらぬか われはくずおれたむすめを内腿に垂らしておりぬ

真葛這うくきのしなりのるいるいと母から母を剥ぐ恍惚は

ひらかれてくだもののからだ味わえばおなじくいたむ嵐の中で

 このような歌を読むと、野口は言葉を道具として用いて、自分の中にある意味なり感情なりを表現しようとしているのではなく、言葉を皮膚に絡ませ、皮膚を裏返して言葉に被せ、自分と言葉の間をたゆたう関係性を、絞りだすように歌にしているようにも感じられる。

 このことはよく短歌で論じられる「私性」とはちがうことである。「私性」とは、現実を生きる作者としての私と歌の中に詠まれた〈私〉の異同の問題である。「生活即短歌」のような立場では、歌の中の〈私〉はほぼそのまま実人生の作者と取ってかまわない。しかし反写実、芸術至上主義の立場に立つと、その等式は成り立たない。「私性」は現実の私と歌の中の〈私〉の関係を言うものだが、上に野口について述べたのはそうではなく、作者としての現実の私と言葉、あるいは声との距離の問題である。これ以上うまく言えないのだが、短歌の実作者ならば感じ取ってくれるかもしれない。

 このことは野口の身体と関係しているかもしれないとふと思う。

とかげ吐くように吐く歯磨き粉の泡の木曜日がみるまに繰り上がる

芹吐けり冬瓜吐けりわたくしのむすめになりたきものみな白し

 集中にはこのように何かを吐くという歌があるのだが、野口は青春期に長く摂食障害に苦しんでいたらしい。摂食障害は自分の身体との違和である。また『気管支たちとはじめての手紙』という共著の著書もあるので、喘息の持病もあったのかもしれない。身体との違和があったり持病を抱えている人にとって、身体は透明な存在ではなく、時に自己の内部に蠢く他者ともなる。野口の歌に感じられる言葉や声との距離の近さはそのような事情と関係しているのかもしれない。

 最後に印象に残った歌を挙げておこう。

うしなったのも得たものもなく午前十時の地下鉄にいる

感情を恥ずかしむため眉引けばあらき部分に墨はのりたり

ひややかに刃にひらかれて梨の実は梨の皮へとそらされていく

ずがいこつおもたいひるに内耳うちみみに窓にゆきふるさらさらと鳴る

つよく抱けば兵士のような顔をするあなたのシャツのうすいグリーン

さみどりののどあめがのどにすきとおりつつこときれるよるの冷たさ

血脈をせき止めるごとくちづけてただよう薄荷煙草の味は

名残 いえ、じょうずに解けなかっただけ 牡丹のように手から離れる