淀みが生み出す別の時間 高橋みずほ『白い田』

 加藤克巳の「個性」終刊後、結社に属さず独自の活動を続ける高橋みずほの第八歌集である。題名の『白い田』は集中の「白い田に父の寝息が届くよに息をひそめているなり」から。老齢の父が住む北国の冬の田である。

 高橋の父君は東北大学名誉教授の植物学者高橋成人。本歌集のテーマの一つは父親の晩年とその死である。父恋の歌が胸を打つ。

すずなすずしろしろきにねむれ父ゆきてしろきにねむれ

父の椅子いなくなりてしばらく欅大樹の木漏れ日をのせ

  高橋の歌には字足らずなど破調の歌が多く、本歌集も例外ではない。

ときおり少年の振り返りつつ丸まる影の頭なく

白い田に二本の轍ゆるき曲がりの畦の道

 高橋が字足らずの歌に拘り定型をあえて崩すのは、ややもすれば定型の流れに乗って出来事と出来事を結ぶ時間に注がれがちな眼差しを、出来事の間に潜み奥へと沈む別の時間に導くためである。高橋はそれを「縦軸の時間」と呼ぶ。

うつくしき玉と思うまどいつつおちる面にてゆくさきざきへ雨の玉

染みわたる今日のおわりのひかりに鱗ひと片輝く形

満月にすこしかけたる白月が朝顔蔓の輪に入りつ

 あるときは歌の韻律の流れが抵抗に遭って澱み、またあるときは早い流れに思いがけず遠くまで運ばれる。そこに韻文ならではの濃密な時間と意味の広がりが立ち現れる。消費される言葉の対極にある本歌集は、とりわけじっくりと味わわれるべき歌の花園である。

 

『うた新聞』2018年8月号(第77号)に掲載

透明なクリアファイルのように 笹井宏之

 笹井宏之は一九八二年生まれ。二〇〇四年から主にネット上などで作歌を始める。歌歴一年足らずで二〇〇五年に第四回歌葉新人賞を受賞。この新人賞はニューウェーヴ短歌の荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘らが創刊した『短歌ヴァーサス』の企画で、受賞のご褒美は歌集の出版である。第一歌集『ひとさらい』はオンデマンド出版で二〇〇八年に刊行された。その一年前の二〇〇七年に笹井は「未来」に入会し、加藤に師事している。同年未来賞を受賞。

 『ひとさらい』のあとがきは、「療養を初めて十年になります」という文章から始まる。笹井は重い身体表現性障害に罹患していて、自宅で療養生活を送っていたのである。第一歌集出版からちょうど一年後の二〇〇九年に風邪をこじらせて逝去する。享年二十六歳の若さであった。

 死後、師の加藤と歌友の編集で第二歌集『てんとろり』が書肆侃侃房から上梓され、同時に第一歌集『ひとさらい』も改めて出版された。この他に、両歌集からの抜粋を集めた『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』がPARCO出版から出ている。これが笹井作品のすべてである。

 笹井は二〇〇〇年の『短歌研究』創刊八〇〇号記念臨時増刊の企画である「うたう」作品賞をきっかけとして陸続と現れたポスト・ニューウェーヴ世代の一人である。この世代の短歌の主な特徴として、日常的話し言葉と平仮名の多用、緩い定型意識、特定の視点の不在、短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情が挙げられる。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどの明るさでした

 これらの歌を近代短歌のコードで読み解くことはできない。近代短歌では歌に詠まれた風景や事物は作中の〈私〉の心情の投影であり、歌の中で喩としてたった一人の〈私〉を照射する。しかるに笹井の歌では水田に散乱した譜面や畳まれたデッキチェアは何の喩でもなく、歌の中でボエジーを押し上げるものとしてそこにある。笹井は定型による詩の創出ではなく、ひたすら言葉の詩的純度を高めることを目指したように思える。

折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ

 羽を切り落とされた折鶴や空から剥がれてゆく雲には詩情が漂うと同時に、どこか哀切で悲劇的なものが感じられる。それは必ずしも私たちが夭折歌人と知って笹井の歌を読むからではなく、笹井の短歌世界に内在する資質であろう。

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

 とまれ私たちには笹井の二冊の歌集が残されている。その透明で純度の高い抒情はこれからも愛され読まれ続けるだろう。

 

 短歌総合新聞『梧葉』2017年10月 Vol. 55 「夭折歌人を読む」15として掲載

時の重量 佐久間章孔『州崎パラダイス・他』書評

 『州崎パラダイス・他』は『声だけがのこる』から三十年振りに刊行された佐久間の第二歌集である。『声だけがのこる』が出版された一九八八年は、リクルート事件が世を騒がせ、竹下内閣によって消費税が導入され、昭和天皇の重い病状が報じられた年だ。わずか一週間で終わった昭和六四年を除けば実質的に昭和最後の年と言ってよい。『州崎パラダイス・他』はそれから三十年目の今年(2018年)上梓された。奇しくも今上天皇の退位によって平成は三十年をもって幕を閉じることになる。つまり第一歌集と第二歌集を隔てる空白がぴったり平成と重なっているのだ。『州崎パラダイス・他』が平成最後の年に刊行されたことに、不思議な暗合を感じないわけにはいかない。

 本歌集は三部構成からなる。第一部「州崎パラダイス」、第二部「ニッポン」、第三部「残照」である。州崎は現在の東京都江東区東陽町一丁目の旧町名で、明治時代から遊郭が置かれていた。終戦後は州崎パラダイスという名の赤線地帯となり、一九五八年の売春防止法で姿を消した。第一部の主要なテーマはこの赤線地帯の思い出と、佐久間の故郷と思われる鬼怒川流域の村の遠い記憶である。

胸を病む出戻り女の洗い髪見知らぬ世界があやしく匂う

早熟の男子二人が月に舞う謎のあなたに手招きされて

こわごわと綱に手をかけ暗い声で「足が冷たい、おろしてやろう」

あの町は陽炎のなか バラックの低い家並みと白い埃の

鬼怒の里に月出るころ川番の小屋の戸が開く 暗く軋みつつ

自転車の錆びたチェーンを替えたくて兎を全部売ったさ ごめん

 一見すると昭和ノスタルジーと思われるかもしれないが、まもなく終わろうとする平成の世を間に挟んで眺めると、望遠鏡を逆さにして眺めたような神話的世界のように見える。本歌集の底を流れているのは『声だけがのこる』を染め上げていた「残党の抒情」(田島邦彦他編『現代の第一歌集』の「刊行のころ」)から神話世界への飛翔である。

 本歌集にも、「ぼくたちは永久反対運動装置 時代遅れのハモニカ吹いて」「綿火薬の製造法のなつかしさ額にぬるりとヤバイ汗流れ」のように、戦後という時代の殿艦たらんとする思想兵の述懐がないわけではない。しかしもはやそれは遠い残響として届くにすぎない。

 本歌集で異彩を放つのは第二部「ニッポン」である。萩原朔太郎の「日本への回帰」の引用をエピグラフとし、「舞神」「埋神」「戦神」「境神」「無言神」「鬼神」「喪神」など佐久間の想像による神を題とする歌が並ぶ。

燃ゆる火を踏みつつ踊れ荒舞を舞初めてよりはや幾年

切っ先の紅を拭きとり目を閉じる 海原千里越え来しものを

戦舟が海の向こうで燃えている押して渡れと告げたばかりに

生き恥をさらして待てどこの胸に深き御声は二度と届かぬ

神々は隠れませども歌うがごとく祈りは残る 花は菜の花

 時代を撃つ思想兵として歌集全体をひとつの喩とした『声だけがのこる』から三十年を経過すれば、さすがにもはや今は戦後ではない。佐久間がさまざまな神を招喚するのは、ある時は時代を劫火で焼き尽くし、またある時は慚愧の念を刃に変えて振り下ろし、戦後の昭和という時代に引導を渡して荘厳するためである。こうして初めて佐久間は戦後という呪縛から自由になる。

 こう考えればなぜ第三部が「残照」と題されているのか納得がいく。時代の熱はもはや灰の中の埋み火でしかない。

終焉いやはての身に降り注ぐ薄ら日よ幼年の庭にわれをかえせよ

行く先は何処か知らず 減じゆく薄ら日に白く晒されながら

光る海に散らばるさき島々の破船(ふね)は入江に打ち上げられて

 第一歌集が時に俗謡めいて剽軽な調べを帯びていたのに較べると、本歌集の調べはなべて重い。それはとりも直さず佐久間が生きて来た時間の重さである。友達どうしのおしゃべりのようなポップでライトな口語短歌が溢れる現代にあって、佐久間の歌い口の重さは異質に感じられるかもしれない。しかし本歌集を読む人は必ずや歌の底に流れる時間の重量を感じ取ることだろう。

 

『月光』2018年12月 57号掲載

第249回 二三川練『惑星ジンタ』

うつくしい島とほろびた島それをつなぐ白くて小さいカヌー

二三川練『惑星ジンタ』 

 さんさんと陽光の降り注ぐポリネシアあたりの南洋の海が思い浮かぶ。真っ青な海に小さな島が点在するが、そのなかには美しい島もあれば滅びた島もある。滅びた島は放棄されもう人間は住んでいないのだろう。植物だけが繁茂して鳥の楽園となっているにちがいない。南洋の楽園にも時の流れがあり栄枯盛衰はある。島と島を繋ぐのは小さなカヌーであり、そこにのみ人間の営みが感じられる。空から俯瞰しているように静謐で透明で物音がなく、どこか滅びへの憧憬が感じられる歌だ。

 九州の書肆侃侃房から陸続として歌集が出版されている。『惑星ジンタ』は2018年12月に上梓された新鋭短歌シリーズの一冊である。著者の二三川練ふみかわれんは、日本大学藝術学部の学生が中心となって結成された象短歌会に所属。同学部博士課程で寺山修司の短歌と俳句を研究する学徒でもある。監修と跋文は東直子。歌集題名の「ジンタ」とは、おそらくサーカスや寄席などで音楽を演奏する少楽団のことだと思われるが、収録された歌とは直接の関係はない。

 プロフィールに生年は記されていないが、写真と博士課程に在籍中ということを考えれば20代の後半か。現在27歳だとすると平成3年生まれで、大学入学後の18歳から短歌を作り始めたとすると、ちょうど2001年になりまさに「ゼロ年代」の歌人ということになる。

 一読して感じたのは短歌の口語化はここまで来たかということである。今となっては懐かしい『短歌ヴァーサス』終刊号の2007年11月号で、加藤治郎はニューウェーヴ世代が短歌史のエポックとなった理由として次の3つを挙げている。

 1) 革新という近代の原理から自由になったこと

 2) 口語の短歌形式への定着

 3) 大衆社会状況の受容

 そして加藤らの上の世代にあたる前衛短歌の時代は口語化と大衆化を果たすことができず、加藤らのニューウェーヴ世代がこれを達成したときに、近代短歌の革新性が否応なく終焉したと続けている。

 『短歌研究』の2018年12月号には年末恒例の「歌壇展望」座談会が掲載されていて、その中で穂村弘は自分が初めて歌集を出した平成の始めを回顧して、「どういう時代だったかというと(…)口語化が発生して浸透した時代だ」と述べている。続けて「自分でも『ごとし』とある時期までやっていたものが、『ごとし』が出なくなっちゃって、『ような』『ように』と」と述懐している。ニューウェーヴ短歌の旗手の二人がほぼ10年を間に挟んで述べたことを考え合わせると、まもなく終わろうとしている平成という時代を刻印したのは急激な短歌の口語化の流れということになる。二三川の短歌もほぼ完全な口語歌である。

夏が終わる なんの部品かわからないまま灼けている道路のネジは

重力を知らないような足取りであなたが蹴りとばす砂の城

たった今生まれた街ですれちがう蝶と白紙の回答用紙

八両の電車は長い 食道を液化してゆくソフトキャンディ

 口語といえどもポエジーである以上、修辞は必要である。一首目は、初句六音の増音、一字空け、三句から四句への句跨がり、助詞「は」で終わる倒置法と、修辞を駆使している。ちなみに道路に何か落ちているというと、すぐに斉藤斎藤ののり弁の歌を思い出してしまうのはいたしかたない。二首目には目立った修辞は使われていないように見えるが、「重力を知らないような」の直喩、三句までが序詞のようになる構成、体言止めと確かに修辞はある。ただし「足取り」は歩く歩調を言うので、「蹴り飛ばす」にかかるのはややおかしい。三首目は幻想的な歌で、「たった今生まれた街」がSF的。ここでの修辞は「蝶」と「回答用紙」の類似性の関係だろう。四首目は二句切れで、二句までと三句以下とが、一字空けの構成から見ても意味から見ても断絶している歌である。そして三句以下が二句までの喩となっている。これだけ見ても二三川がかなり近現代短歌を読み込んで、短歌の修辞を習得しているのがわかる。

 平成またはゼロ年代になって顕著になったもう一つの流れは、短歌のフラット化、低体温化と〈私〉の希薄化だろう。このうちフラット化は二三川の短歌には当てはまらないが、低体温と〈私〉の希薄化は紛れもない。身を捩るような強い感情の主体としての〈私〉はまったくと言ってよいほど見られない。それと並行して作者の私生活を感じさせるようなアララギ的日常も皆無である。集中唯一の例外は祖父の死を詠んだ一連で、そこには祖父の死を悲しむ作者が確かにいる。

速乾性手指消毒ジェルを手に塗り祖父と会う準備整う

一度目はかならず違う名を呼んで二度目はちゃんと僕の名を呼ぶ

くぐもった祖父の言葉のそれぞれを時に間違えつつ訳す母

喉仏の骨は仏のかたちだと係が見せてうなずく遺族

 この一連を例外として、二三川の作歌姿勢は言葉を組み合わせて美しいポエジーを作り出すということのようだ。しかしそこは人間が作るものである以上、感情が混入しないはずがない。一巻を通底して流れているのは、「微かな喪失意識」と「遠い哀しみ」のように感じられる。

めがさめてあなたのいない浴室にあなたが洗う音がしている

捨てられた都のうえを半月が浮かんだままの夏の収束

ここじゃないどこかもやがてここになる紙飛行機はとても軽くて

心さえなかったならば閉園のしずかに錆びてゆく観覧車

法律で換言できる関係の僕らがくぐるファミレスのドア

僕が先にわすれるだろう初夏のボードゲームの勝ち負けすらも

 一首目は恋人が出て行ってしまい独りになった朝の情景だ。恋人はいないのに、浴室から恋人が体を洗う音が聞こえる。この歌は原因が具体的な喪失の歌だ。二首目はもっと抽象的で廃都が舞台である。人が去り荒れ果てた廃都の上に、それだけは変わらず半月がかかっている。本来は夏の「終息」だが、「収束」と書くと光がぐっと絞り込まれるような印象が出る。三首目、若者は常に「ここではないどこか」に向けて旅立ちたいものだ。「ここ」には陳腐な日常しかないからである。しかしこの歌の〈私〉は、祝祭と情熱に溢れていた「どこか」もやがては「ここ」と同じような日常の吹き溜まりになることを知っている。あらかじめ失われている喪失感である。「紙飛行機」は〈私〉の喩とも、〈私〉を乗せて「どこか」へ運んでくれるはずだった乗り物(思想、革命、芸術、etc. )の喩とも取れる。四首目には「心さえなかったならば」という条件節のみで帰結節がない。帰結節はおそらく「こんな悲しみを味わうことはないだろうに」という仮定法過去だろう。下句は一転して閉園した遊園地の観覧車の情景である。ここにも喪失が感じられる。五首目、「法律で換言できる関係」とは「内縁の妻」「内縁の夫」だろう。若い男女は同棲しているで家族ではないのだが、二人が入る店はファミリーレストランである。この歌は他に較べて軽く明るい。六首目、「初夏」は「はつなつ」と読みたい。ボードゲームは家族や友人や恋人たちが興じる遊びである。だからボードゲームには団欒や恋愛などの人間関係が付随している。しかし歌の〈私〉は自分が先に忘却の淵に沈むことを予感している。ここにもあらかじめ失われた喪失感が濃厚に漂っている。

 「微かな喪失意識」と「遠い哀しみ」を世代論に落とし込むのはかんたんだ。作者の二三川が誕生したのはまさにバブル経済が崩壊した頃で、その後の失われた20年もしくは30年に育ったゼロ金利世代だ。しかしその一方で、世代論に還元してしまうのも安易なようにも感じられる。

 今回は一度読み始めて途中で止めた。どうも波長が合わない気がしたためである。もう一度読んで、結局たくさん付箋の付く歌があった。いくつか挙げておこう。

 

プレス機がドールを潰す一瞬の命にふさわしい破裂音

希望なる言葉かすれてアネモネの血で記されし少年の詩は

風を梳かす 命にふれるかなしみの櫛をはなてば白き薔薇園

ほころんだ羽をちつつ黄昏につづく母とのバドミントンは

やがて折れる塔のごとくに積まれゆく日々にかすかな鶺鴒の声

暗転の小劇場に星空の破片のような蓄光テープ

アスファルトの下に埋もれた花々の萌芽の鼓動つたう足裏

教科書を返しわすれた放課後の教科書にまである人の香

 

 どれも近現代短歌の修辞を踏まえた歌となっており、ライトヴァースに続いて出現したフラットな「棒立ちのポエジー」(穂村弘)とはちがう。やはり二三川が寺山修司の研究家であり、自分より上の世代の資産を十二分に意識しているためであろう。読み応えのある一巻である。

 

第248回 白石瑞紀『みづのゆくへと緩慢な火』

氷砂糖日ごとに溶けてゆきたるを梅のかをりのそのさきに夏

白石瑞紀『みづのゆくへと緩慢な火』

 氷砂糖が溶けているのは梅酒を作っているガラス瓶の中である。甲種焼酎と青梅で梅酒を作る人は多い。映画『海町ダイアリー』でも4人姉妹が庭の梅の木から青梅を取って梅酒を作る場面が印象的に描かれていた。梅を取るのは6月の梅雨の季節である。梅を漬け込んだ瓶の中で、ゆっくりと氷砂糖が溶けてゆく。すると梅のエキスがアルコールによって抽出されて香りを放つようになる。梅酒が出来上がった頃にはすっかり暑い夏になっている。時間の経過が氷砂糖の溶解によって示されて、その先に新たな季節が待っているという心地よい歌である。

 白石瑞紀は1968年生まれで、塔短歌会所属。藤田千鶴、永田愛とともに短歌ユニット「ととと」を作っている。『みづのゆくへと緩慢な火』は昨年(2018年)も押し詰まった12月23日に刊行された第一歌集である。なんでも平成最後の誕生日に歌集のダブル出版をしたいと思いつき、青磁社の永田淳さんに頼み込んだらしい。永田愛の『アイのオト』と同日刊行である。『みづのゆくへと緩慢な火』という歌集題名が美しい。最近ゆるい題名の歌集が多い中で出色のタイトルだ。白を基調とした濱崎実幸の装幀も素晴らしい。「水」と「火」が歌人に好まれる語だが、題名に両方入っているのは珍しいのではなかろうか。

 さて中身の短歌だが、所属結社の歌風に準じて写実と日々の想いを基盤とする、口語に文語の混じった定型短歌である。構成も編年体となっている。主題は日々の想いに加えて、自身と家族の病気に仕事の歌が加わる。

本当に疲れたるとき買い置きのリポビタンD思わざるなり

初雪を手に受けながら種としての滅びの側にわれがたたずむ

暗がりにみづは見えねどほうたるのひかりが揺らぎ水面とわかる

暮らしてはゆけない土地のうつくしく望遠鏡に見たる月面

さざんくわの咲きゐる枝の両腕を空にさしあげ雪だるまをり

 日々の想いの歌から引いた。一首目、本当に疲れたときには買い置きしてあるビタミンドリンクを飲もうという気力すらないという歌。多くの現在の歌人と同様に白石の歌も文語口語混じりなのだが、「疲れたる」や「思わざるなり」という文語色の強い表現と「本当に」のような口語の混在にはやや違和感を感じる。二首目、本歌集には自身の病や父親の死をきっかけに死を想う歌が多く収録されており、この歌もそのひとつだ。しかし個人の枠を越えて種としてのヒトの滅びにまで想いを馳せている。三首目は夏の蛍狩の光景。蛍のほのかな光で水面がわかるという歌である。近くに「ルシフェラーゼ、と言へば笑へる君のゐてひとつの歌をともに抱きぬ」という歌があるので恋人と見た蛍だろうか。ルシフェラーゼとは蛍の発光に働く酵素のこと。四首目は月面の歌。確かに月は美しいが、人はそこに暮らすことはできない。いや、暮らすことができないからこそ美しいのか。五首目、山茶花が咲いている枝を差し上げてというから何のことかと思えば、結句で「雪だるまをり」と着地しているのが秀逸。

今回は縦に切らせてもらうねと内診しつつ担当医が言う

全摘の手術をすると電話すればなぜだか母はごめんねと言う

臓器ひとつどうってことないわれはなだひかる時間の真ん中にいる

灯る火のあらざる洞にわが卵はいまもひかりを運びいるらむ

ニンゲンとならずにらんは東京に降る雪のごと消えゆくならむ

 自身の病の歌である。おそらくは子宮癌の疑いがあり、子宮の全摘手術を受けたのだろう。「今回は縦に切らせてもらうね」という具体性が生々しい。手術を告げた母親が謝ったのは、もっと健康な体に産んであげられなかったことを悔やんでいるからだ。子宮と卵巣は女性のみが持つ臓器であり、出産にかかわることから女性の想いも強いのだろう。四首目と五首目は嬰児となって誕生することのなかった卵を想う歌である。卵を想う歌はさすがに女性にしか作ることはできない。

父の食む一口のためタッパーに梨をぎっちり母は詰めたり

左手の小指から死はひろがれり紫色のこゆびさすりつ

ぬばたまの黒き衣のうから来て代わる代わるに父の顔見き

父の背がラッシュに紛れ地下鉄のどこかにあらむ黄泉平坂

 作者の父親はまだ在職中の年齢で泉下の人となったようだ。病状が重くてもう一口しか食べることができないのに、タッパーに梨をぎっしり詰める母親の気持ちは痛いほどわかる。花鳥風月が古典和歌の主題であったが、近代短歌の主題は何と言っても生老病死であり、これに恋と労働を付け加えればほぼ網羅すると言ってもよい。人は生きていれば病に罹り、やがては誰もが死ぬ。古典和歌は共有された美の世界という共通コードに立脚していたのに対して、近代短歌の基盤となったのはこの逃れることのできない人間の宿命だろう。

 作者はどうやら大学図書館に勤務しているらしい。仕事の歌も多く作られている。

天金の昏きをぬぐいやりたれば人差し指の腹がくすみぬ

襟にゆぴ入るるがごとく花布はなきれのうたりに指をひっかけて取る

三分で自動消灯する書庫にスローファイヤーがてんてんと燃ゆ

〈緩慢なる炎〉をわれも持ちおらむ紙片のごとく毀るるなにか

 「天金」とは本の小口の上(これを天と呼ぶ)のみを金色に塗装したものを言う。「かもめ来よ天金の書をひらくたび」という三橋敏雄の句がある。図書館の仕事で苦労するのは本の重さと降り積もるホコリだ。ホコリは天に積もるので汚れているのである。二首目の花布はなきれとは、本の背の上下に貼り付けた布のこと。縞柄のものが多いが、現在の製本では省かれていることが多い。三首目のスローファイヤーとは、本の用紙の酸性劣化を言うと初めて知った。古い本は酸性紙のため経年劣化でボロボロになる。それを「緩慢な火」と表現したわけだ。そこから連想して四首目では自分の中にも時間をかけて自分を蝕むものがあるのではないかと想像している。

 塔短歌会は本部が京都なので、結社と地元に関係する歌もある。

なに色のコスモス咲いているだろう岩倉長谷町三〇〇-一

どの部屋の力士なるかを知らざれど高安という四股名のよろし

その響きロシアあたりにありさうな名だと思へりエドユキスキー

くちひげのあるうをのゐて真中さん、真中さあんと呼びをれば来ぬ

通販に買ひ来しことを言ひたれば三月書房の店主微笑む

誠光社の書棚の本の背表紙がページめくれと言ふので困る

 一首目は河野裕子の死を悼む歌。住所は河野の家のある場所である。二首目の高安は塔の創設者のドイツ文学者高安国世。三首目のエドユキスキーは塔の江戸雪で、四首目の真中さんは真中朋久。五首目の三月書房は歌集を多く置いている京都の書店で、歌人の間では有名だ。六首目の誠光社は、京都の伝説的書店けいぶん社の前の店主が開いた書店。

 コトバ派の歌人にありがちな奇を衒った表現や難解な表現はなく、平明な言葉を用いて日々の感情の揺らぎをていねいに掬い取った歌が多く、好感の持てる一巻となっている。最後に心に触れた歌を挙げておこう。

百合の花肩に担ぎて大股でゼブラゾーンを渡る青年

晩秋の午前のひかり溜めているスワンボートの整列が見ゆ

うすらいのようなとんぼの翅ひかるしくあらむとしてあらざるに

地下鉄に運ばるるわがうちがはに字母ならべむとするわれのをり

自転車の鍵をさぐればポケットのなかで最初に触るるクリップ

蝉しぐれその瞬間ゆ止みけむやその夏の日のことをぞ思ふ

第247回 惟任将彦『灰色の図書館』

ああここにも叫び続けるものがゐるほどけつつある靴紐たち

惟任将彦『灰色の図書館』

 間投詞「ああ」で始まる初句六音で「ああここにも」と言っているのだから、靴紐の他にも叫び続けているものがいるのだ。それが何かは歌の中では明かされていない。しかし近現代の短歌は最終的に〈私〉へと収斂するものとされているので、その伝で行けば叫んでいるのは〈私〉だろう。〈私〉は叫びたいような境遇に置かれているのである。そんな〈私〉が下を見ると靴紐がほどけかけている。靴紐が叫んでいるように感じるのは、ひとえに〈私〉の感情転移によるものだ。靴紐という地味なアイテムに注目して歌中には表れない〈私〉を詠むのは、ある意味で近現代短歌の王道である。

 惟任これとう将彦は1975年生まれ。「玲瓏」所属の歌人で、2018年度の玲瓏賞を受賞している。『灰色の図書館』は今年 (2018年)の8月に書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズとして刊行された第一歌集である。監修と跋文は林和清。林の跋文によれば、惟任は塚本邦雄が教授を務めていた近畿大学の学生だった時に、塚本の知遇を得て大学内の歌会に出るようになり短歌を作り始めたという。

 本歌集の全体を通して流れているのは、「書物への愛」と「孤独」である。

窓に星座の映る真夜中を読むわれもいつしか本と変はりて

仕事帰りの人々集ひ帰るまで束の間過ごすコルシア書店

待ち切れず河川敷にて本を読む少年のランドセルのみどり

灰色の図書館訪ふ白髪のホルヘ・ルイス・ボルヘスたちが

本抜けば向かう側には目がありてわれの背後を覗き込みをり

 一首目、おそらくは昼間の仕事を終えて夜中に読書しているのだろう。読んでいるうちに本と一体化して自分も本になってしまう。二首目は須賀敦子の出世作『コルシア書店の仲間たち』を踏まえた歌。三首目は新しい本を図書館から借りて家に帰るまで待ちきれず、河川敷に腰をおろして読み始める子供。「少年のラン/ドセルのみどり」と句跨がりになっている。四首目は歌集題名が採られた歌。もちろん幻想だろう。ボルヘスには『バベルの図書館』という短編がある。五首目は現実の図書館で、開架図書を一冊抜き出すと空間でできて、その隙間から向こう側の人がこちらを覗いているという光景である。書物と図書館に思い入れのある人は「うん、うん」と頷くだろう。岡崎武志の『蔵書の苦しみ』や草森紳一の『本が崩れる』にも描かれているように、書物好きも高じると大変なことになるのだが。

 一方、「孤独」は本歌集の多くの歌の底に静かに流れているが、たとえば次のような歌に明らかである。

ファミリーレストランにて一人友人と言ふべき本と語らふ時間

沸騰を知らせる湯気が上がるまで俺は薬缶に語り続けた

かなしみをはらみ海文堂書店ブックカバーの帆船進む

 海文堂書店は神戸市の元町商店街にあった実在の書店である。神戸は港町なので、海事関係の本を揃えていた。だからブックカバーも帆船なのである。書店ごとに独自のデザインのブックカバーを掛けてくれた時代が懐かしい。

 著者は野球が好きで自らマラソンにも出場するようだ。野球の歌から引いてみよう。

愛ゆえに女房役と呼ばるるかホームにて待ち構へる捕手は

三つのベースに人満ち風が砂が舞ひ打者、野手、客は投手ピッチャーを待つ

三塁線切り裂いてゆく白球を追ふアルプスの二人のゆくへ

 正岡子規が野球を好んだことはよく知られていて、「久方のアメリカひとのはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」という歌がある。しかし『岩波現代短歌辞典』にも『現代短歌大事典』(三省堂)にも立項されていない。『現代短歌分類集成』を見ると項目があり、子規の他にも野球を詠んだ歌があることがわかる。

すはとばかり総立ちとなればライト線僅かにそれて惜しやまたファウル  大悟法利雄

たてつづけに痛打浴びたる少年投手汗拭うさまは人生思わす  橋本喜典

 とはいえ野球を詠んだ歌はそれほど多くはなかろう。ラガーマンだった佐佐木幸綱のような例外はいるが、短歌を作る人は文弱の徒が多いためか、スポーツはあまり短歌の素材になっていない。惟任はスポーツを好む人のようなので、スポーツを素材とした歌をもっと作ってもよかろう。村野四郎の『体操詩集』のような傑作もあることなのだから。

 さらにもっと作ればよいと感じるのは、外国人が学ぶ日本語教室の歌である。惟任は日本語教師を生業としているのだ。

日本語学校入学式後の喫煙所HOPEを胸いつぱい吸ひ込んで

書き取りの最中同時に消しゴムを手に取りたるは劉氏と孫氏

ドミニクのキムを励ます日本語がこの教室の主題歌となる

アジア系、欧米系、アフリカ系の人々と擦れ違ふたまゆら

 日本語教室はさまざまな異文化がぶつかる場であり、同時にさまざまな言語が交錯する場でもある。外国人に日本語を教えてみればわかるが、「壁に地図がかかっています」と「壁に地図がかけてあります」のちがいを説明するのはそうかんたんなことではない。教室での葛藤や逡巡や軋轢を日々感じているだろうから、もっと歌にしてもよいのではないか。また上に引いた歌では「本と語らふ」とか「白球を追ふ」とか「胸いつぱい吸ひ込んで」のような既成の措辞が目立つのも気になる点だ。

 よいと思うのは次のような歌である。

青野にて首絞めし友鉄槌(かなづち)の木殺し面をわれに向けをり

走る吾のからだは海へ溶けゐつつあらむ播州加古の川沿ひ

遠街おんがいの火事にも火災報知器が鳴り響きたる飲食おんじきのとき

だしぬけに動き出したる電動の剃刀父の帰宅知らせに

顔面の皺がワイシャツ、背広へとつながる男吊革持てり

青き闇の砂丘歩めり燃え上がる二瘤駱駝の十四、五頭が

 一首目は夢か幻視の歌だろう。「木殺し面」という言葉を初めて見た。辞書には載っていないが、建築現場で使われているらしい。「殺し」という言葉が歌に迫力を与えている。二首目、兵庫県の加古川は作者が暮らしている場所だろう。体が溶けるようだという体感と具体的な地名の取り合わせが歌を支えている。三首目の「遠街」も辞書にはない単語だ。調べてみると葛原妙子の歌が出て来るが、もともと中国語のようだ。「遠街」と「飲食」という文語が並び、しかも「オン」の音で韻まで踏んでいる。四首目、「父の帰宅」が不穏に感じられるのは、電動シェーバーがひとりでに作動したからである。もちろん作者は生活派ではなくコトバ派の歌人だから、この「父」も現実の父親ではない。五首目は通勤風景の歌で、背広に皺が寄っているのだから、朝の通勤電車ではなく夜だろう。皺が顔からシャツや背広にまで続いているというのがおもしろい。六首目も幻想の歌。ラクダが14、5頭いるといえば、ただちに正岡子規の「鶏頭の十四五本もありぬべし」という句が思い浮かぶ。ひょっとして子規へのオマージュか。しかしこちらは鶏頭ではなく燃え上がるラクダである。

 本好きだけに固有名詞が登場する歌も多い。

ある時はホームズのごと謎を追ひダートムーアへと向かはん心

砂漠の町に巨体の男ギルバート・キース・チェスタートン辿り着く

「いらないわ。ほしくないのよ」日本語で話すビデオのスカーレットは

殺し屋のアントニオ・ダス・モルテスがライフル構へ火を噴くまでに

エルキュール・ポワロ瞳に物語紡ぎたる目礼のたびに

 とはいえ固有名詞の使用にあまりひねりがなく、それほど効果を発揮していないのが残念だ。固有名詞の歌と言えば藤原龍一郎に止めを刺すが、藤原の場合は固有名詞が時代や世相のシンボルとして使われているのが特徴である。今少し工夫が欲しいところだ。

 最後におもしろいと思った歌を挙げておこう。

ミサイルの飛び交ふ下を鯉幟あぎとふそれを目守まもるみどりご

回収車に投げ込まるるゴミ死は至る所に生きて口開きをり

炭酸水蓋まはすとき音がする人ひとり死ぬほどの音が

旋風に木の葉舞ひたるその内を透明なもの回り続けて

歩道橋やうやく下りたる先に蜻蛉(あきつ)飛び交ふクリシュナ書店

 

第246回 八木博信『ザビエル忌』

わが顔を剃る人の胸かぐわしく死にたき日には来る理髪店

八木博信『ザビエル忌』

 

 第一歌集『フラミンゴ』(1999年 平成11年)以来、実に19年ぶりの第二歌集である。最近、このコラムでは久々に第二歌集を上梓した人を取り上げているが、これはただの偶然である。八木博信は1961年生まれで「短歌人」所属。第一歌集の後の2002年に「琥珀」で短歌研究新人賞を受賞。「琥珀」は第二歌集『ザビエル忌』(六花書林) の巻頭に収められている。カバーの絵はラファエロの「ベルヴェデーレの聖母」だ。ウィーンにある美術史美術館に展示されている。

 かつて私は『フラミンゴ』について次のように書き、下のような歌を引いた(2006年4月)。

 「八木の抱えるテーマは何だろうか。それは虚構の物語性の強いアイテムが散りばめられた現代の神話的空間を創生し、その中で生の残酷さや傷つけられた個の哀しみを詠うことだと思われる。」

追尾型魚雷に気づくとき遅し原潜レナの優しき乳房

南より怪獣は来る蛾に騎って歌う僕らのザ・ピーナッツ

シミばかりある背の女抱くとき激しく弾けよクロード・チアリ

壁紙の剥がれて匂いたつホテルカリフォルニアの接着剤が

地下室のメッサーシュミットお昼寝の園児が夢で帰るババリア

 『ザビエル忌』では『フラミンゴ』で顕著だった虚構に立脚する神話的世界はなりを潜め、それに取って代わるもうひとつの世界が顕現している。それはカバー絵の聖母に象徴されるキリスト教である。

炎帝を逃れて入れば教会の中まだ見えぬキリスト像が

日曜のたびに祈りて悔いなきや真夏にわれら両手冷たく

弟子の足を洗うキリスト俺もいま少女の膝の傷癒やしつつ

マリア像白き両手をひろげ立つタネも仕掛けもありませんよと

堕ちてくる者たちのため教会の絵の聖人は指さす天を

赤犬が門扉を抜けて入らんとす廃屋はわが貧しき心

 しかしこれらの歌を読んでわかるように、キリスト教に入信して一身に帰依しているというわけではなさそうだ。我が心の貧しさを感じてキリスト教に接近し、礼拝に通っても、キリスト像が見えなかったり、聖母マリア像が手品師のように見えたりと、なかなか屈折した立ち位置なのである。『フラミンゴ』では立ち上げた虚構世界が〈生の残酷さや傷つけられた個の哀しみ〉を詠う書き割りとしての背景を構成していたが、『ザビエル忌』では視線の方向が逆転して、学校生活やスポーツの場面といった日常の風景の中に〈罪の意識と救済を希求する物語〉を透視しようとしているかのようだ。その構図が最もよく感じられるのは「ペリー祭」と題された連作である。

スパイクを受け損なえば跪きて祈りのかたちするレシーバー

新しき運動靴で走りたし少年処刑を待つごとき足

棺桶のごとく並べる跳び箱に染み込んでいる汗かわきゆく

銃声で駆け出す君ら争えば百メートルの後に死がある

 生徒たちが体育祭でさまざまな競技を行なっているのだが、一首目ではアメリカンフットボールのレシーバーの姿勢に祈りを透視し、二首目では徒競走に出る少年と死刑囚の処刑が重ねられ、三首目では跳び箱と棺桶が、四首目では100m走のゴールと死とが結びつけられている。注意しなくてはならないのは、「祈りのかたち」はレシーバーの取る姿勢の喩ではあるのだが、そこには奇妙な主従の逆転現象があり、腰を落とすレシーバーが引き金となって、神に祈らずにはいられない私たちの生のあり様があぶり出されるという構図になっているのである。

 そのことは次のような歌群にさらに明らかに見てとれる。

食うためにひとつ職場に集いたるわれら貧しきさがさらしつつ

わが心貧しくどこを目指せども激しく揺れる離陸の翼

窓を拭く君のゴンドラ来て止まれわれらを救い出さぬとはいえ

獣らも俺も何かを諦めて来ている上野動物園に

粉砂糖ふりかけながら完成のケーキ地獄も雪ふるばかり

音悪きラジオに鳴ればエルヴィスとともに歌わん「明日への祈り」

 何ゆえにそのような人生観を持つに至ったかは詳らかにしないが、八木にとってこの世界は明るい未来と人々の慈愛に溢れた世界ではなく、「貧しき性をさらしつつ」食べるために働き、みんな「何かを諦めて」暮らしつつも、果てにある救済の希求を捨てることができない煉獄のような世界である。八木はそのような境涯を執拗に歌にしているのである。

 『フラミンゴ』では作者の私生活を感じさせるような歌は皆無だったが、本歌集では多くみられるのも変化のひとつである。

鮮やかに指を切られき新学習指導要領めくらんとして

伝令のように平らな胸しく水兵セーラー服で告げにくる愛

親友がたちまち敵になる少女たちの脂が溶け合うプール

「条件を満たす」のが好き数学の問題文もさびしさの詩

監獄に似て壁高き女子校の技術家庭科室の塩壺

教え子の嘘を許せばメルカトル図法の赤き日本列島

 こういった歌を読んで作者はキリスト教系の中学校か高校の先生をしているのかと思ったが、そうではないようで、あとがきによれば、作者は学習塾の講師や家庭教師を生業としていた時期があったため歌に少年少女がよく登場するのだという。いずれにしてもこのような職場詠は第一歌集には皆無だったので、歌風の変化と言えるだろう。

 もうひとつのジャンルは映画・絵画・小説などに題材を得た歌で、作者は特に映画が好きなようだ。

チャールトン・ヘストン痴呆極まれど俺の心の中の「エル・シド」

愛されぬ数かぎりなき父のためジョゼ・ジョバンニの暗黒映画

妊娠中絶の保育士点描のジョルジュ・スーラの砂場に埋もれ

うすものに守られるのみセバスチャン矢傷血小板の欠乏

「青い影」を歌い終わればスタジオの真横を過ぎる貨物列車よ

熱病死われにも来たれベニスより遠し 亜細亜の東海の磯

 「エル・シド」は1961年に制作されたアメリカ映画、ジョゼ・ジョバンニはフランスの小説家・映画監督。原作が映画化された『冒険者たち』はアラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラ出演の名作である。口笛のテーマ曲が印象的だ。ジョルジュ・スーラはフランス印象派の画家で点描画法で名高い。セバスチャンは聖セバスチャンで、矢に射られた姿で繰り返し西洋絵画に描かれている。三島由紀夫が好んだことでも知られる。「青い影」はプロコルハルムのヒット曲。最後はトーマス・マンの名作『ベニスに死す』だが、ここでは1971年に公開されたルキノ・ヴィスコンティの映画の方だろう。作者は私より年齢がひと回り下だが、ほぼ同じ時代を生きてきたので共感できる。ここに挙げられた固有名のそれぞれが発する匂いや体温があったのだ。しかし今の若い人たちが読んだら何のことかわからないかもしれない。

 最後にいつものように心に残った歌を挙げる。

野良犬の死体見てきて手をかざす焚火にゆれるわれらの影が

艦隊の南下は静か子供たちをだます授業の教師の声も

傘ひらく刹那 匂うものありて哀しみばかり昂まる朝

列車すぎ沈みしあとの枕木がもどる幽かに己の位置へ

定食屋うなだれている父たちが食らう撃ちぬかれたる蓮根

眼病の瞼を閉じている我に来よゲルニカの燃え上がる馬

デパートの地下に燃ゆるは薔薇色で腐敗をひたに待てるサーモン

わが処女地いずこにありや地図投影いかにすれども大地は歪む

 ちなみに奇しくも今日12月3日はフランシスコ・ザビエルが中国で亡くなった日、つまりザビエル忌である。

 

第245回 十谷あとり『風禽』

アルヘイ棒縞のぐるぐるをやみなく天へ汲み上げらるるたましひ

                    十谷あとり『風禽』

 

 アルヘイ棒とは、赤・白・青の縞模様が回転している理髪店の店先にあるオブジェのこと。正式名称はサインポール (signpole)というらしい。昔の有平糖という菓子に似ていることからこの名が付いた。アルヘイ棒が回転する様を見ていると、無限に上昇しているかのようだ。作者にはそれが魂が天へと汲み上げられる光景のように見えた。そのように見えたのは、作者の心の中にこの世から旅立った人たち、まさに旅立とうとしている人たちが住んでいるからに他ならない。「アルヘイ棒の回転」とせずに「アルヘイ棒のぐるぐる」とオノマトペを使ったところも効果的だ。

 『風禽』(2018年 いりの舎)は『ありふれた空』に続く十谷の第二歌集である。『ありふれた空』が上梓されたのは2003年だから、実に15年振りの歌集ということになる。第一歌集のプロフィールには、「日月」「玲瓏」所属とあったが、『風禽』のプロフィールでは「玲瓏」が削除されているので退会したのだろう。

 『ありふれた空』では現代語と古語を巧みに取り混ぜ、言葉を換骨奪胎したような歌があり、特に次の歌は今でも記憶に残っている。

父はわれを捨て給いきと気付くとき右眼のなかを翔ぶメガニウラ

病葉の二つ流れに過ぎ行きてひとつうぐいとなりて戻れり

罪なき身に六つのかすがい受けてなお自由たり得ぬ馬蝗絆ばこうはん、砕けよ

 ではそれから15年を経た第二歌集にはどのような歌があるか、いくつかランダムに引いてみよう。

皺おほく入り組む貌をもつ犬の歩み来てわれとすれ違ひたり

蓮の根のただむは甘くきしめて冬を眠らす泥はやさしも

あやふくも清しきひかり工具箱に立てかけられて曇りなき鋸

厚らかに透く板硝子砕かれて重なるときに青は生まれる

城址のなだりに咲ける水仙の白と呼ばむにつめたきひかり

 一首目、皺が多い顔の犬といえばさしずめブルドッグか。そのような犬が歩いて来て〈私〉とすれ違ったというだけの歌である。取り立てて何の事件も景もない。本歌集にはこのような趣向の歌が多いのだが、その点については後で述べる。二首目の「ただむき」は腕のこと、「枕く」は枕にするの意の古語である。泥の中の蓮根を詠んだ歌だ。蓮根を腕に見立てて腕枕しているということだろう。三首目は工具箱に立てかけられた鋸を詠んだ歌である。四首目は秀歌だ。この前にビルが解体工事されている歌があるので、板硝子はビルの窓のガラスのこと。窓ガラスは透明で無色である。しかし砕かれて重ねられているのを見ると青く見える。波長の短い青色の光がガラスの中の不純物で散乱するためらしい。発見の歌である。五首目は城跡の斜面に咲く水仙を詠んだ歌。「白と呼ばむに」は「白い水仙と呼ばれているのに」の逆接だろう。

 上に引いた歌に限らず人物はほとんど詠まれていない。叙景歌と呼ぶほど景色が詠まれているわけでもない。登場するのは道を歩く犬や鋸や砕かれたガラスのように、日常の風景の中にある何気ない事物である。またそれらの事物に託して〈私〉の心情を詠んでいるわけでもない。実際、上に引いた歌の中に託された心情を読み取ることはできない。それにもかかわらずこのような歌が歌として成立し、そこにうまく説明できない美しさを感じるのはどうしてだろうか。それはおおよそ次のようなことだと思われる。

 私たちは日常生活において〈今〉を生きていない。「何をおかしなことを言うか。私は今生きているじゃないか」と反論されるかもしれない。しかしたとえば私は今何をしているかというと、今日中にブログにアップしなくてはならない短歌批評の文章を書いているのである。つまり私は「今日中に」という未来に設定されたデッドラインのために、今という時間を消費しているのだ。もっとわかりやすいのは受験勉強をしている受験生だろう。遊びたい、音楽を聴きたい、スポーツがやりたいという欲求を抑えて勉強するのは、大学合格という未来の目標のためである。翌日の講義の準備をする大学の先生も、明日の会議の資料をまとめている会社員も、試合に備えてトレーニングするアスリートも、今晩の夕食の買い物をしている主婦もすべて同じことが言える。私たちは未来の目的のために〈今〉という時間を食いつぶしているのだ。それでなくても全き〈今〉という時間を生きることがいかに難しいかは、古東哲明の『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)に詳しい。

 短歌や俳句のような短詩型文学は、このような「目標志向的時間」から逸脱することを可能にしてくれる。例えば上に引用した「あやふくも清しきひかり工具箱に立てかけられて曇りなき鋸」という歌を見てみよう。工具箱に磨き上げられた鋸が立てかけられているというだけの歌である。しかし歌の中の〈私〉が鋸を見つめている時間は「目標志向的時間」の外にある。これから何かする目的があって鋸を見ているわけではない。鋸を見ている〈今〉は未来の目標に奉仕する〈今〉ではない。それは歌の中に擬似的に創出された全き〈今〉である。歌を読む読者は、歌の中に作り出された擬似的な〈今〉を追体験することによって、この「目標志向的時間」から逸脱した時間に触れることができる。何でもない些細な事物が的確に描写された歌に私たちが魅力を感じるのはこのような理由によるのだと考えられる。

 作者は現在奈良に在住のようだが、生まれ故郷は大阪である。大阪を詠んだ歌におもしろいものがある。

ゴミ袋ゆたかに満たす紙屑の色に暮れゆくおほさかの空

クレヨンが紙をはみ出る勢ひに海へ海へと伸びるおほさか

さかのぼる曳船いくつ運河にも流れはありぬ見えがたきまで

歩行者の渡れぬ橋のまた一つ架かりて向かう岸は遠のく

電器店と法律事務所のあはひより大正琴の聞こえきてやむ

神様またこんなところに肘ついて 桜あんぱん凹んでしもた

 いささかのノスタルジーとともに回想される大阪の風景である。大阪はその昔八百八橋と称されるほどの運河と橋の町だったが、その多くは埋め立てられてしまった。路地の奥から大正琴の聞こえる風景も現在のものではなかろう。

 作者は家族について複雑な感情を抱いていることが、次のような歌からわかる。

まとめて洗ふ四膳の箸からからと家族うからの骨のふれあふ響き

ふりむけばとほざかるのにゆくてにはいつもわたしを待つ母のかほ

父は無言に立ち上がりたりわたくしの見えぬところで母を撲つため

亜土ちやんのタオルを噛みて眠りけり茶碗割れてしのちの無音を

父の妻のふるさとを過ぐ秋雨の飛沫しろじろと散りゐる神戸

 しかしこのような歌は本歌集の主調音をなしているわけではなく、ときどきフラッシュバックのように挟み込まれているだけである。歳月はあらゆる物を変える。

 十谷は近現代短歌の誰の系譜に連なる歌人なのだろうかと考えてみても答が見つからない。「玲瓏」に所属はしていたものの塚本邦雄の歌風からはほど遠い。結局のところ類例のない独自の個性を持つ歌人ということなのだろう。

 最後に特に心に残った歌を挙げておく。

ひとの骨をうつしゑあまた揺らしつつレントゲン車は橋を渡りぬ

車庫前の路面に深き窪みあり日毎にバスの踏むひとところ

水底に夏の日は差す砂色の魚にまつはるうをの影あり

ホッチキスのふとも緩めば針切れて紙に残れる空しき歯形

はなびらの白きいくつを留めつつたたまれて傘夜を傾く

揺るさまのひとつ異なるきんぽうげ小さき蛙茎に飾りて

曇り日のウィルキンソンが卓に曳くかげあり水に昏き翳あり

第244回 服部真里子『遠くの敵や硝子を』

白木蓮はくれんに紙飛行機のたましいがゆっくり帰ってくる夕まぐれ

服部真里子『遠くの敵や硝子を』

 

 服部真里子の第二歌集が今年 (2018年)の10月に出版された。第一歌集『行け広野へと』(2014年)以来4年ぶりの歌集である。第一歌集を出してから次の歌集がなかなか出ない歌人も多い中で、中四年というのは旺盛に創作活動をしている証左だろう。版元は書肆侃侃房で、装幀は間村俊一、帯文は金原瑞人。間村は「落下 ― 服部真里子に」というコラージュをわざわざ制作して表紙に使っている。

 掲出歌を見ておこう。白木蓮は春先に大きな白い花をつける。小舟のような形をした花弁は一枚ずつはがれて散る。その有様を紙飛行機に喩えたのだろう。「ゆっくり帰ってくる」という句に花弁が散る速度があり、夕まぐれは木蓮の花の白が映える時分である。時間の経過と生命の流転と季節の移ろいが視覚的に描かれていて美しい。「ゆっくり帰って/ くる夕まぐれ」の句跨がりも心地よい。

 『行け広野へと』を取り上げて論じた折に、服部は歌を豊かなものにするのに必要な、皮相な表面的現実を超える多元的・重層的視線をすでに獲得しているようだと書いた。まさにそのとおり、第一歌集は日本歌人クラブ新人賞、現代歌人協会賞を受賞し、服部は注目される新人歌人となった。第二歌集『遠くの敵や硝子を』ではその技法と歌境をさらに研ぎ澄まし深化している様が見て取れる。

わたくしが復讐と呼ぶきらめきが通り雨くぐり抜けて翡翠かわせみ

蜜と過去、藤の花房を満たしゆき地球とはつか引き合う気配

肺を病む父のまひるに届けたり西瓜の水の深き眠りを

夕映えは銀と舌とを潜めつつ来るその舌のかすかなる腫れ

羊歯を踏めば羊歯は明るく呼び戻すみどりしたたるばかりの憎悪

 歌集冒頭の「愛には自己愛しかない」から引いた。一読してその短歌世界にぐっと引き込まれるが、一首ごとに見ると読みは決してたやすくはない。一首目でまず誰もが立ち止まるのは「復讐」だろう。誰に対してどんな理由で復讐しようとしているのか、歌の中に手がかりはない。「復讐」の単語の強さとイメージだけが宙吊りになる。さらに通り雨という具体的なものときらめきという視覚的印象が続き、結句で翡翠に着地する。すると水辺に住む翡翠と水のイメージ、きらめきと翡翠の羽の輝きが一首の中で呼応し、それが「復讐」へと反照してそのイメージを華麗に増幅する。

 服部は自分が「名詞萌え」であると語っている(『現代短歌新聞』2015年8月号)。名詞とそれが喚起する映像力を重視したのは前衛短歌である。服部も自分が心を引かれる名詞を中心に据えて、そのイメージを拡大し縁語を配することで歌を組み立てているようだ。服部は「人生派」ではなく「コトバ派」の歌人なのだ。だとすればその作品の鑑賞に当たっては、歌の中に過度に人生的意味を求めるのではなく、コトバとコトバがぶつかり合い反響い合う遠い木霊に耳を澄ませ、水面の揺らぎのような心のざわめきを味わうのが正しい読み方ということになろう。

 二首目にも服部の名詞派の特徴が出ている。本歌集の小題にも「黄金と饒舌」「塩と契約」などがあり、収録されている歌にも「水仙と盗聴」という話題になった歌がある。つまり「名詞と名詞」のように2つの名詞を「と」で結ぶ二物衝撃が好きなのだ。二首目では「蜜と過去」である。蜜が藤の花房を満たすというのはわかる。一方、過去が藤の花房を満たすというのは一読してわからない。私は忘れようとしても過去がひたひたと近づいて来るという喩かと読んだが、他の読みもあるだろう。

 三首目は父を詠んだ歌である。服部の人となりを知るいちばんよい資料は、喜多昭夫の個人編集短歌誌『Sister On a Water』の創刊号 (2018年6月)の服部真里子特集である。喜多による一問一答のインタヴューの中で、「初恋は?」という問に服部はためらうことなく「父。」と答えている。この号には「道をそれて」という服部のエッセイが収録されており、その文章がとてもおもしろい。それによると理系出身で会社勤めをしていた服部の父は、ある時会社という組織のあり方に疑問を抱き、会社を辞めて組織論を学ぶべく大学院に入学したという。『行け広野へと』にも父親の歌が多いことを指摘したが、本歌集にも多く収録されており、父恋いの歌集と読むこともできる。服部の父は3年前に他界している。三首目は病に伏せっている父親に西瓜を届けたという歌だが、届けたのが「西瓜の水の深き眠り」としたところに詩的転倒がある。

 四首目、今度は「銀と舌」である。喜多昭夫は服部は葛原妙子の系譜に連なる歌人だという意見で、だとすると服部もまた幻視の人ということになる。しかし私には服部はきわめて意識的かつ理知的に言葉を配置しているように見える。「銀」は夕映えの雲の輝きと結びつけることができるが、「舌」はどうしても夕映えとは結びつかない。ここにあるのはは幻視ではなく、イメージの詩的飛躍だろう。一種の異化効果である。一首目でも「復讐」という抽象語から「翡翠」という具体物への飛躍がある。この飛躍に着いて行けない人は理解不能となるだろうが、イメージの飛躍に詩的純度を感じることのできる人はいるだろう。同じことは五首目の「羊歯」と「憎悪」にも言える。これもまた抽象語と具体物の組み合わせである。

 服部の歌に奥行きと深みを与えている要素のひとつにキリスト教がある。歌の中によくキリスト教の語彙が登場する。

床に射す砂金のような秋の陽がたましいの舌の上に苦くて

風の日にひらく士師記は数かぎりなき報復を煌めかせたり

神さまのその大いなるうわのそらは泰山木の花の真上に

ふいの雨のあかるさに塩粒こぼれルカ、異邦人のための福音

空の見える場所でしずかに手をつなぐラザロの二度目の死ののちの空

 士師記ししきは旧約聖書の一部で、ユダヤ民族と他民族の抗争を描く歴史である。これらの歌に登場する語彙はキリスト教へと接続して、特有の含意と連想を生み、歌にもう一つの次元を付け加えている。先に触れた喜多昭夫のインタヴューで服部は、自分にとって宗教はライフハックだと述べている。「ライフハック」(life hack)、つまり知っていると生きやすくなる知恵ということだ。

 歌人のなかには上句が魅力的な人と下句の処理がうまい人がいる。その分類で言うと服部は下句が魅力的な歌人のようだ。

灯のもとにひらく昼顔おなじ歌を恍惚としてまた繰り返す

今宵あなたの夢を抜けだす羚羊れいようの群れ その脚のしき偶数

 例えば一首目の「恍惚としてまた繰り返す」は、「恍惚として/また/繰り返す」と分けられる。「恍惚として」で七音、残りが七音なのだが、「また」の後に軽い区切りが入る。そのリズムが心地よい。二首目では「群れ」が句割れで上句に入り、一字空けで下句が大きく二つに割れる。古語を使わない現代語の短歌では結句が単調になりがちだが、服部の場合そういうことはなく、結句が多彩で結句に着地する感覚が魅力的だ。

 最後に特に心に残った歌を挙げておきたいのだが、たくさん付箋が付いたので一部に留めておく。

愛を言う舌はかすかに反りながらいま遠火事へなだれるこころ

災厄を言う唇が花のごとひらく地上のあちらこちらに

近代の長き裾野の中にいて恍とほほえみ交わすちちはは

火は常に遠きものにてあれが火と指させば燃え落ちゆく雲雀

テーブルに夕陽はこぼれ芍薬の死してなおあまりある舌まがる

水を飲むとき水に向かって開かれるキリンの脚のしずけき角度

傘を巻く すなわち傘の身は痩せて異界にひらくひるがおの花

 『行け広野へと』を取り上げたコラムでは、名前をまちがって「真理子」と書いてしまった。お詫びして訂正したい。

 『遠くの敵や硝子を』という珍しい歌集題名は、服部が子供の頃から聞かされていた「遠くの敵は近くの味方より愛しやすい」という言葉から取ったという。なかなか含蓄のある言葉である。

 

第243回 黒田京子『揺籃歌』

月草のうつろふ時間たぐり寄せたぐり寄せつつゆく京の町

黒田京子『揺籃歌』

 

 あとがきによれば黒田が短歌に手を染めたきっかけは、伊藤園が募集する俳句大賞だったという。ある日、缶入りのお茶を手にしたら、缶の表に俳句が印刷されていた。それを見て自分でも作ってみたいと思ったという。それから短歌講座に通うようになったらしいが、なぜ俳句に触発されて短歌に行ったかというと、単純に十七字より三十一字のほうが表現できそうに思ったからだという。恐ろしいことである。黒田は藤井常世の短歌講座に通い、藤井の主宰する「笛の会」に入会。それ以来「笛の会」を中心に活動している。短詩型文学との出会いは思いがけない所にころがっているものだ。

 あらためて調べてみると、藤井常世の父君は折口信夫門下の国史学者の藤井貞文で、藤井常世の弟は国文学者・詩人の藤井貞和とある。それは知らなかった。私は日本語文法の研究もしていて、藤井貞和の本にはお世話になっている。なかでも『日本語と時間』(岩波新書)は名著である。

 『揺籃歌』は2018年に六花書林から刊行された黒田の第一歌集で、跋文は「笛の会」の難波一義が書いている。黒田は難波に「私の歌を歌集にまとめて読んでもらう価値がありますか」と何度もたずねたという。こういう心がけから生まれた第一歌集は初々しい。文体は端正な文語定型で、藤井常世からは情念の世界は学ばなかったとみえる。

短か日の日暮華やぐひとところ露天商人〈とちおとめ〉売る

少年の蹴る缶の音冬空に高くひびくを我は聴きをり

ふくらめる胸をやさしみ我のこと僕と呼びにき少女期われは

指先に残る蕗の香エプロンに拭ひつつ思う古きノラのこと

薄ら日も届かざる隅さみし気なひと木にあをく芽の尖りをり

 一首目、「短か日」なので夕暮れが早い冬の日だ。次第に物が色を失ってモノトーンとなる刻限である。そんななか路上で苺を売っている。その一角だけが苺の赤色で華やいでいる。色彩感覚が鮮やかな一首だ。二首目、黒田の歌にはよく少年少女が登場するのだが、それは現実の男子女子ではなく、追憶と憧憬の中に形象化された存在のようだ。この歌の季節も冬だ。少年が一人で缶蹴りをしている。そのカーンと響く音を聴いている。そこには「私はもう少年少女の年齢ではない」という思いがある。三首目、今ではマンガの影響もあって、少女が自分を「僕」と呼ぶのはごく普通になった。少女期の作者は自分の女性性に違和感を感じていたのだろう。四首目は厨歌だ。台所で蕗の皮を剥いている。蕗の皮を剥くと指先が黒ずみ蕗の強い香りが手に移る。嗅覚は記憶を刺激する。作者が思い出しているのはイプセンの『人形の家』の主人公ノラである。ノラは男性に従属しない新時代の女性だ。作者は女性の置かれた社会的立場にも違和感を抱いているのだろう。五首目、日のあまり当たらない隅にある庭木にも新芽が芽吹いているのを見つけるという春隣の歌で、弱者への優しい眼差しを感じさせる。自分の見たことや想い・想像を適切な言葉に落とし込んで歌にする技量には確かなものが見受けられる。

 個性を感じさせる歌を少し見てみよう。

なよらかに揺れつつ芯のかたきまま風の星座に我は生まれて

見た目にはやはらかさうな山茱萸の触れて知りたるその実のかたさ

曖昧に笑ふ術もて生きむとす煮ゆるかぶらの黄味がかる白

媚ぶることを覚えし日より違和感を感じそめたる我が口の中

輪の中にあらば易きか カンナ黄色き焔を放つ

群れゆくは息苦しきか一羽二羽群れを離るるひよどりの見ゆ

 一首目、風の星座とは双子座、天秤座、水瓶座をいう。ホロスコープによる性格診断は知らないが、作者には自分の中にはかたくなな所があると感じている。付和雷同を嫌って周囲に同調せず、徒党を組まず孤立を恐れない。そういう性格である。だから二首目のように山茱萸の実の硬さに自分を投影してしまう。三首目では不本意ながら曖昧に笑ってごまかす自分が、蕪の真っ白ではなく黄味がかった曖昧な白に投影されている。五首目では黙って輪の中に入れば生きやすいと感じつつも、作者の心の中にはカンナの如き激しい火が燃えるのだ。この歌は珍しく字足らずの破調になっている。案外激しいものを内蔵している人かもしれない。六首目の群れを離れるひよどりも言うまでもなく作者の分身である。

 作者には子供がいない。そのことをめぐる想いの歌がある。

子のなきも欠けたるひとつ母となる勇気持てずに我は生き来し

どくだみが十字を切りて迫りくる我に母性の兆したるとき

かたはらに眠れる吾子を持たざればうたふべし 我がための揺籃歌ララバイ

線路沿ひの家の窓辺にプーさんの黄色い背中が大きく見える

いのちあまた生まるる季節うまざるを選びし我の生受けし春

いちじくを漢字に書きて物思へば天使降り立つごとき夕影

 四首目、通勤電車の車窓から沿線の民家を眺めると、窓際にくまのプーさんの縫いぐるみが置いてある。子供のいる家なのだ。六首目、いちじくを漢字で書くと無花果、すなわち花なくして実る果実となる。花がなければ交配ができず子孫を残せない。夕暮れに降り立つ天使は受胎告知の大天使ガブリエルか。それでも作者は三首目のように、子守歌を歌う子がいなければ自分に向かって詠うと気丈に心を立て直すのである。ここへ来て歌集題名の「揺籃歌」は「ララバイ」と読んでほしいと知れる。

 作者にも思う人はあるがどうやら片恋のようである。

かくまでも我に近くて遠ききみ幼なじみは哀しきものを

きみの〈今〉を我は知りたし少年と少女の日々を懐かしむより

逢ひたし戻りたし きみと町思ひかもめ見てゐる山下埠頭

 このようにいろいろな主題を歌にしている作者だが、歌集一巻を通読して改めて感じるのことは、短歌に滲み出るのは〈時の移ろい〉だということだ。たとえば冒頭の掲出歌「月草のうつろふ時間たぐり寄せたぐり寄せつつゆく京の町」は自分が生まれた京都を再訪した折の歌である。「ちちははに我の生まれて家族といふかたち整ふ 京都市左京区」という歌もある。作者は長女で初めての子なのだ。「月草の」は「うつろふ」にかかる古語の枕詞。作者は子供の頃の記憶を辿って京都の町を歩いている。しかし建物は建て代わり昔の面影のない場所もある。それを記憶の海をたゆたうように記憶をたぐり寄せるのだ。またすぐ上に引いた片恋の歌にも、戻しようもなく経過した時間が深く刻印されている。〈時の移ろい〉は短歌の一番奥底に仕舞われた核のごときものかもしれない。

 最後に特に好きな歌を挙げておこう。

モディリアーニのくらき妻の顔泛び出づ黒き細身の傘閉づるとき

バジリコのひと葉に落つる花の影晩夏のひかり衰へゆかむ

冬の川流れゐるべし夜深くバカラグラスに水を満たせば

銅色あかがねいろを帯ぶるみづきのわかき葉に流るるごとくあをき葉脈

 一首目、35歳の若さで世を去った薄幸の画家モディリアーニの妻ジャンヌ・エピュテルヌはモディリアーニの死の2日後に投身自殺している。細身の傘を閉じるときにふいにその顔が脳裏に浮かんだという歌だ。写真に残るジャンヌの黒い服からの連想と思われる。二首目、三首目の、バジリコと晩夏の光、バカラグラスと冬の川の清冽な水の組み合わせにも、色彩と光の取り合わせが感じられる。四首目の遠くからズームインして虫眼鏡レベルの映像で終わる描写も印象的である。