第227回 伊波真人『ナイトフライト』

傘の柄のかたちの街灯つらねては雨の気配に満ちる国道
伊波真人『ナイトフライト』 

 東直子・佐藤弓生・千葉聡編著『短歌タイムカプセル』(書肆侃侃房)が出版された。近現代歌人115人のアンソロジーである。歌人はあいうえお順に配列されており、最初は安藤美保で最後が渡辺松男。物故者も含めて戦後から2015年までに歌集を出した人という基準で選ばれている。各人自選20首の歌と三人の編者の手による一首鑑賞が見開き2頁にコンパクトに収められている。1970年以降に生まれた若手に限った山田航編『桜前線開架宣言』(左右社、2015年)と並んで、常に机上に置いておきたいアンソロジーの好著が出たことはまことに喜ばしい。
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 今回取り上げる伊波真人いなみまさとは1984年生まれ。学生時代は早稲田短歌会に所属し、その後「かばん」に入会。2013年に「冬の星図」により第59回角川短歌賞を受賞している。同時受賞は吉田隼人の「忘却のための試論」。ちなみに「伊波」は沖縄の名字で、民俗学者の伊波普猷いはふゆうが有名だ。伊波真人も遡れば沖縄にルーツを持つのだろうが、生まれは群馬県高崎となっている。第59回角川短歌賞が発表された角川「短歌」の2013年11月号を見ると、受賞者二人の「受賞のことば」が並んで掲載されている。右ページが吉田、左が伊波で、「わせたん」出身の二人が同時受賞だ。さすがは大学短歌会の名門「わせたん」である。『ナイトフライト』は受賞作「冬の星図」を含む第一歌集で、書肆侃侃房の新鋭歌人シリーズの一巻として、昨年(2017年)のクリスマス・イブに上梓された。
 一読した印象は「鮮明な映像に切り取られた清新な青春歌集」というところだろうか。最近出版された歌集のなかでは最も青春性が色濃く、かつ露悪的でも自虐的でもない。これは昨今珍しいことと言わねばなるまい。略歴によると伊波の職業は映像ディレクター、デザイナー、フォトグラファーとなっており、映像・画像を扱うのが仕事である。そのためか短歌も映像鮮明なものが多い。歌集のあとがきにも「短歌を作るのは、カメラで世界を切り取るようだった」と書かれている。

夜の底映したような静けさをたたえて冬のプールは眠る
踊り場に落ちた窓枠の影を踏む平均台をゆく足取りで
日陰から日陰に移る束の間に君のからだは日時計になる
真夜中のカーディーラーの展示車は何の罪だかその身をさらし
もう君に会うことはない ゴダールのフィルムのなかの遠い街角

 一首目は夜の学校のプールの光景である。冬だがプールの水は抜かれずにある。だからプールの中は一層暗い。夜なので無人で照明もなく、わずかに届く光に照らされている。水の暗さがまるで夜の底のようだという歌である。二首目、階段の踊り場に窓枠の影が落ちている。窓から差し込む光と床の影のコントラストが鮮明だ。三首目は逆で、建物と建物の間か、木と木の間を通るとき、君の体が光に包まれる。ここにも鋭角に切り取られた光と影がある。四首目は深夜の都会の光景で、自動車の販売店のショーウィンドウに最新の車が展示されている。照明は落とされているが、通り過ぎる車のヘッドライトに照らされて、意味もなく磨き上げられた新車の姿が浮き上がる。五首目は恋人との別れだろうか。決別宣言に続くのは、戦後フランスのヌーベルヴァーグの旗手ゴダールの映画の光景である。きっと白黒映画にちがいない。さらに掲出歌「傘の柄のかたちの街灯つらねては雨の気配に満ちる国道」を見ると、「傘の柄のかたち」という映像的な喩が秀逸だ。この歌に詠まれた光景もまた、映画のカメラか写真機のファインダーで切り取られたかのようにピントが合っている。

僕たちはパズルのピース面積の半分ほどがベッドの部屋で
電線がひかりを弾き朝はきて天才たちはいつも早死に
この夏の予定をすべてあきらめて海のにおいの暗室にいる
海岸に借りた車を停まらせてポップソングになれない僕ら
恋人の夢のほとりに触れぬようベッドの際に浅く腰掛け

 青春性を色濃くまとう歌を拾ってみた。一首目は狭い部屋で雑魚寝をしている光景だろう。若者たちがジクソーパズルのピースのように床に寝ているのだ。二首目はその翌朝か。天才と夭折に憧れるのは青春の特権である。三首目は写真部の部活動か卒業制作のためにひと夏を暗室に過ごす青春のひとコマ。四首目、友人に借りた車を走らせて海岸に向かっても、ポップスの中のカッコいい主人公のようにはなれない。
 一読してわかるように、語法は平易で歌意にブレもなく、過不足なく言葉が使われている。「かばん」は自由な歌人集団なので、結社のように師事する歌の師がいるわけではない。伊波はどんな歌人から影響を受けたのだろうか。

てのひらのカーブに卵当てるとき月の公転軌道を思う
六月のやさしい雨よ恋人のいる人が持つ雨傘の赤
あかつきの郵便受けの暗がりは祈りのようなしずけさを持つ
空の目はそこにあるのか愛眼のメガネの看板中空なかぞらにあり
橋の名の駅をいくつもつなげては水を夢見る東京メトロ
スプーンがカップの底に当たるときカプチーノにも音階がある

 伊波の歌の魅力は言葉に過度の負荷をかけない表現の素直さにあると思う。前衛短歌の影響を受けた人は多かれ少なかれ言葉に負荷をかける。それが言葉の詩的強度となって現れることもあるのだが、伊波の歌にはそのような傾向が希薄である。今回伊波の歌と吉田隼人の歌を改めて読み比べてみると、言葉に向かう姿勢のちがいが鮮明だ。審査員に「表現のデパート」と評されたほど吉田の言葉は過剰である。それもそのはずで、仏文学徒でジョルジュ・バタイユの研究者である吉田は、「素直な表現」など薬にしたくもないにちがいない。谷崎潤一郎や三島由紀夫のように、人倫を超えた地点に美を見いだそうとするのだから、勢い言葉が過剰になるのだ。そのパワーに較べれば伊波の歌はずっとおとなしく見える。そのために損をすることもあり、角川短歌賞の選考座談会では、「一連全体に前に出てくるインパクトがなかった」とか、「強いパワーがない」などという感想をくらっている。しかしながらこれもまたひとつの個性にはちがいない。
 上に引いた歌で注目したのはまず一首目、月の軌道は円ではなく楕円であり、月は地球に近づいたり遠くなったりしている。最も近づいたときがスーパー・ムーンである。この歌では月の軌道を卵の形状に重ねている。卵の歌はずいぶん収集しているが、月の軌道に喩えた歌は初めてだ。次に二首目、男が赤い傘を持っているのは、恋人の傘を借りたせいだという内容もさることながら、薄暗い六月の雨の中に一本だけ赤い傘があるのは色彩が鮮やかだ。季節はちがうが、先頃東京で展覧会があった写真家ソール・ライターの雪道を行く赤い傘の写真を思い浮かべた。また六首目、カップにカプチーノを注いだときはまだカップが冷えているので、スプーンで叩いたときの音程が低い。しかし徐々にカップが暖まってくると音程が上がる。そういう微細な現象を捉えたところが秀逸である。
 表紙の装画は永井博、帯文はKIRINJIの堀米高樹という豪華な顔ぶれだ。伊波はデザイナーでもあるので、セルフ・プロデュースだろう。キリンジの音楽は私も昔から愛聴していて、伊波がキリンジの音楽をずっと聴いてきたということに、歌集の世界観と相通じるものを見つけたような気がして、妙に納得するのである。

 

第226回 山田富士郎『商品とゆめ』

電話ボックス工場のまへに立ちてをり歩哨のごとく廃兵のごとく
山田富士郎『商品とゆめ』
 

 近頃とんと見かけぬ物のひとつに電話ボックスがある。言うまでもなく携帯電話の普及のせいである。喫茶店に置かれていたピンク色の公衆電話ももう見かけない。若者は電話すらしなくなり、ラインでメッセージを交換している。今、都市の空中には無数の不可視のラインのメッセージが飛び交っているのである。掲歌では工場の前に電話ボックスがある。昔は工場で働いている工員が、昼休みに出て来て電話をかけることもあったろう。しかしもう今では使う人もおらず、廃兵のごとく立っている。
 近代短歌は抒情詩であり、〈私〉の表現である。歌に描かれているものはすべて〈私〉の眼を通したものであり、その意味においてすべては〈私〉の表現の一部である。なかんずく短歌で喩は、意味をずらし二重化するレトリックとして多用されていて、そこに〈私〉が最も色濃く出る。逆にいうと〈私〉を出したくなければ、喩を封印すればよいのである。使われていない電話ボックスに「廃兵のごとく」という直喩を用いるということは、自分を廃兵と認識していることを意味する。とてもわかりやすい歌だ。この認識が作者山田のベースラインである。
 山田は1950年生まれだからはや67歳になる。戦後のベビーブーマー、全共闘世代のわずかに下の世代に属する。第一歌集『アビー・ロードを夢見て』(1990年)で現代歌人協会賞、第二歌集『羚羊譚』(2000年)で寺山修司短歌賞と短歌四季大賞を受賞している。『商品とゆめ』は第二歌集から実に17年を経て上梓された第三歌集に当たる。1ページに3首配されて全部で253ページある。目次や中扉の分を引いて230ページとすると、690首程度は収録されているぶ厚い歌集である。
 一読して通奏低音のごとくに浮かび上がるテーマは、「時の流れの早さ」「消費社会への痛烈な批判」「地方都市の衰退と老齢化」「世界の悪への怒り」そして「死への予感と希求」だろう。
 あとがきによると、山田は今から30年前に東京を去って、故郷の新潟市ではなく新発田市に居を定めたという。「東京を後にした地方出身者の目」がそこにある。

ホワイトノイズ絶えずささやきかけてくる首都のねむりの時に恋しも
東京へ来て何をする声を聴く氷のしたの気泡のこゑを
灼熱の痛みをこらへ春雨のふる聖橋こえしもはるか
時雨にはかをりがあるが東京に降るのは冬の雨足す埃

 一首目はバックグラウンドノイズが絶えることのない首都の夜を懐かしむ歌。二首目は上京して間もない頃を回想して詠んだ歌だろう。三首目、聖橋はお茶の水にある神田川にかかる橋。四首目は東京の雨の香りのなさを詠んだもの。
 地方に暮らし自然と親しむ生活を送るのは、都市生活者にとっては憧れかもしれない。しかし山田が地方での生活を選択したのは、東京の余りに早すぎる時間の流れと留まるところを知らない消費社会に抵抗するためだと思われる。

効率を追つてここまで来しわれらわれらの子供植松聖は
商業主義いなごのごとく侵入し食ひ尽すらしわれらのたま
パルコまだ御洒落なビルでありし日のある朝硫黄の臭ひ漂ふ
焼成のすめば手遅れ精神を低温で焼くサブカルチャーは
超高層の代表取締役室のがらすをやぶる礫あるべし
ジャズ喫茶デューク盲腸のごとくにて雪ひひとふる石川小路

 一首目には「津久井やまゆり園、19人死亡26人負傷」という詞書きが添えられている。記憶に新しい衝撃的な事件である。犯人の植松は経済効率を至上の目標としてきた私たちが生み出した子供だと山田は言っている。二首目ははっきりと商業主義に対する敵意を表明したもの。三首目、渋谷のパルコがお洒落なビルだったのは、1980年代のことである。その渋谷界隈に硫黄の臭いが漂うとは、その後のバブル経済の崩壊を予感させる。四首目はハイカルチャーの衰退とサブカルチャーの台頭に警鐘を鳴らす歌。人間を焼き物に喩えて、サブカルチャーで焼かれてしまうともう手遅れなのだよと言う。五首目は現代のグローバル経済の勝ち組の象徴である超高層ビルの社長室のガラスを破る礫を希求する歌で、その敵意の鋭さに驚く。六種目は往時のジャズ喫茶の衰退を嘆く歌。デュークはもちろんデューク・エリントンから採ったものだ。
 一連の歌から浮上するのは「硬骨漢」あるいは「義の人」という山田の肖像である。山田の第一歌集『アビー・ロードを夢見て』と相前後して登場した加藤治郎、西田政史、俵万智らは、80年代に爛熟した大衆消費社会の空気を短歌に取り入れてライト・ヴァースや口語短歌の口火を切った。それとは対照的に山田はそのような社会の変化に異議を唱え、やがてきっぱりと背を向けるのである。このコラムで『アビー・ロードを夢見て』を取り上げたとき、「この倫理性から流れ出て来る歌集の主調は、神の不在とそれに取って代わろうとした近代の神話の無効性であり、世紀の悪意に耐える日常である」と書いたが、そのスタンスは『商品とゆめ』でも変化していない。
 しかしながら、電車に乗るやいなや、一斉にスマートフォンを取り出して黙々と液晶画面を見詰める通勤電車の風景を苦々しく思う人間は(私もその一人だが)、必然的に時代から取り残される存在とならざるをえない。無論山田もその例外ではない。

白鳥をつかのま窓が切りとるも親指せはしなき人ばかり

 本歌集には掲歌の廃兵に代表されるように、時の流れに抗することかなわず、時代遅れになった自分を痛感する歌が多くあり、その味は苦い。

LPの反りを矯正する法とともにわれらの世代は消えむ
やすんじて時代遅れとなれよかしまつすぐに降りてゆけ星宿へ
「マック」と「ケンタ」死ぬまで入らぬと決めしよりアメリカの使ひし爆弾何噸
走りゆく回転木馬たのむから一頭くらゐは逆行をせよ
この国につひの狼死にし日をしばしばおもふ町あゆみつつ

 時代に取り残された自分を自覚しつつも、「百舌ひくく榛の疎林をとびされり滅びの世紀をきよらに生きむ」と山田は低くつぶやくのである。
 山田の眼に映る地方都市は、人口減少による過疎化と経済の停滞に苦しんでおり、そのような現状を詠んだ歌もある。また世界の悪を憎む歌もある。

そちらでは滅ぶのは何送電線のこちらで死ぬのは集落と田
人呼べる枯葉集団つどひきてけふもダンスに興ずるあはれ
野葡萄の実のうつくしきこのあたり残れる家に葬儀あひつぐ
パレスチナの民の恐怖を理解するアメリカ人のいくばく増えむ
雨雲の垂れさがりくるにほひ充ち世界の悪に飲み込まれさう

 もともと山田の歌には社会性と思想性が顕著に見られたので、このような歌は驚くには値しないのだが、本歌集を特徴づけるのは死への想いを詠んだ歌だろう。

心臓を夜ごとはづして寝るわれにちかづきてくる翼しろがね
鏡像のよもつひらさか桃なげて鏡のなかに死んでゆくわれ
白鳥といつか一緒にゆくのでせう気がつくとはや翼をひろげ
暁闇に珈琲を飲みまちをりき純白の死の羽音をききて

 山田の短歌世界ではしばしば死は白鳥として形象化されている。新潟は日本有数の渡り鳥の飛来地であり、瓢湖の白鳥はとくに名高い。白鳥に姿を変えた死は決して恐ろしいものではなく、優しく山田を迎えに来るかのように詠われている。
 しかしながら集中でいちばん心に響いたのは、上に挙げたような歌ではなく、時代とも怒りともかかわりのない次のような自然詠だった。

蜜柑のはな咲きたるあさの耳ふかく時のながるるおとのきこゆる
雲はやく山を越えきて桜の葉もみあふおとのまだやはらかし
てのひらにこぼす錠剤つめたけれ鉄塔のなかに沈むオリオン
鳴く鳥のすがたさがせばおほいなるかやよりしたたるしづくのひかり
無縁墓頭を寄せあへるあたりにはかすかにきぞの雪のこりたり
かはたれの田におりて鳴く雲雀らのこゑかしかましひだりにみぎに
ふゆぞらに天使あらはれ鳩に影ひとびとに飢渇あまねく配れ
ききやう咲くかたへの岩にやすらへるこのひとの体臭は擦文のにほひ
空をさす尾のやはらかくうちあへりポインター二頭雪にあゆめる
垂線はかぜにたわみて降りてくる雲雀は弥生のあはき青より
枳殻からたちのぬれたる刺のみづみづし淡雪たちまちやみたる街に
蝉をとらへ仔にあたへたる母猫の眼の金色の永遠の夏

 なぜ心に響くかと言えば、これらの歌は世界の豊かさを感じさせてくれるからだ。長くなるので一首ごとに鑑賞するのは控えるが、たとえば一首目の時間の流れは大衆消費社会の人を追い立てる時間ではなく、ゆっくりと蜜柑の実を熟させる太古からの時である。五首目の榧の木から滴り落ちる光は、光であると同時に鳥の鳴き声である。最後の歌の母猫の眼に反射する夏の光は、何万年も変わらぬ真夏の陽光である。このような歌にこそ山田の短歌の美質を見るべきだろう。

 

第225回 杉谷麻衣『青を泳ぐ。』

花の名を封じ込めたるアドレスの@のみずたまり越ゆ
杉谷麻衣『青を泳ぐ。』

 誰しもメールアドレスを選ぶときには、@より前の文字列に工夫を凝らす。この歌の作者のメールアドレスには、jasminとかhortansiaなどの花の名前が使われているのだろう。琥珀の内部に昆虫が封じ込められていることがあるように、花の名前がアドレスの中にある。その名とプロバイダを示す文字列を@が隔てている。@は円の中にaが封じ込められていて、水溜まりの水紋のようにも見える。それを「みずたまり越ゆ」と表現している。文字に機知を懲らした美しい歌である。ちなみに@を「アットマーク」と呼ぶのは日本だけの習慣で、英語ではat signと呼び、フランス語ではarrobaseという。
 杉谷麻衣は1980年生まれ。『青を泳ぐ。』は2016年9月に書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻として上梓された第一歌集である。監修は光森裕樹が担当している。プロフィールには「京都市出身、大阪市在住」とだけ簡潔に記されている。結社には所属せず、インターネットや同人誌で作品を発表しているものと思われる。
 歌集を一読した印象はずばり「色彩」である。まず歌集タイトルに「青」があり、章のタイトルに「色彩の散弾」があり、また集中に次のような歌がある。

爪に残る木炭ばかり気になって完成しない風の横顔
イーゼルには描きはじめの夏がいる空はまだ無地テレピンの香が 

 作者はかなり専門的に絵を描く人なのだと思われる。高校生のときはたぶん美術部に所属していただろう。
 時系列にはこだわらず編集したとあとがきにあるが、第一章「空の絵を」は明らかに高校時代を回想して詠んだ歌群である。

教室に向かう廊下は今日もまた私が歩くときだけ螺旋
理科室に火を放つ夢 ちりぢりにお逃げ友情ごっこはやめて
制服の下に君との夏かくし地理の時間は潮風を聴く
晩秋のプールの水の色をした廊下に浮いている下足のあと
さよならはシンメトリーな水彩画せいいっぱいの卒業をする

 あとがきには、小学生の頃、たまたますれ違った人の物語を勝手に作る遊びをしていたとあるが、杉谷の作る歌にもまた物語が感じられる。おおむね学校生活に馴染めなさを抱えつつも、青春の光と影とが交錯する若さを感じさせる歌である。一首目、私が歩くときだけ廊下が直線ではなく螺旋になるという鬱屈。二首目、理科室に火を放つという内面の感情の激しさ。三首目は一転して淡い恋心を抱く「君」との青春の思い出。四首目はまた色彩がありなかなか美しい。ちなみに「下足」は旅館や銭湯などの人が集まる場所で履き物を脱ぐことなので、ここではふさわしくないだろう。五首目、「シンメトリーな水彩画」はありふれていて味わいに乏しい。これは連作の最後に置かれた歌で、きちんと卒業までの起承転結がついている。
 次に置かれた「夏の鋭角」は時間的にはもっと後に作られた歌を収めており、「白衣の君」が登場する。

まなうらを流れる星の鋭角よ たしかにすきなひとがいた夏
あたらしい蛍光灯のまばゆさで白衣が君のことばを照らす
深海の珊瑚のことをおもいつつ指は探せり君の背骨を
ワイパーがぬぐい残した雨つよく光るね駅へ近づくほどに
冬のひとでしたあなたは 背景の余白をうみの色に染めても

 この連作にもはっきりと出会いと別れの物語がある。連作冒頭の一首目、「たしかにすきなひとがいた夏」は過去形であり、過去の恋であることが明かされる。君は白衣を着ている。白衣を着る職業は、理科系の大学院生か研究者か、理科の高校教師か、医者のいずれかである。
 監修に当たった光森は巻末の解説で、杉谷の歌における「背景」の重要性に触れている。短歌では限られた音数に中に何を取り上げるかが重要だが、それと並んで重要なのは取り上げたものをどのような背景に置くかだと光森は言う。確かにそのとおりである。
 四首目、白衣の彼の運転する車の助手席に乗って駅まで送られてゆくデートの終わりである。運転している彼は前方の道路を見ている。一方、作中の〈私〉はフロントグラスに光る雨粒を見ている。彼は遠景を、〈私〉は近景を見ており、クローズアップされた雨粒が駅という背景に置かれることで、すでに別れが予感されている。五首目にはもっとはっきりと背景が登場する。彼は冬の人であり、その背景には鈍色の冬の海が配されてなお余白が残る。余白は埋めることがかなわなかった二人の間のすれちがいだろう。
 次の「ロド」と題された章にはもっと物語がある。時間的には高校時代に戻っている。

吹き上がるさくらの白きひらひらに宙返りするきみ重ねおり
ロドリゲス・ロドリーゲスは愛そそぐため付けらりし車椅子の名
インターハイの夢ききおれば薄紙の空を破って蝉の声降る
車椅子ロドをこぐ摩擦の傷よてのひらはきっと憶えている大車輪
〝あのころ〟のフィルムにいないわれのごと千羽のなかのぎんいろ一羽

 作中の君は高校の体操部に所属してインターハイ出場をめざしていたのだが、練習中に大怪我を負って車椅子生活をしている。級友たちは千羽鶴を折って回復を願うのだが、おそらくもう競技には戻れないのだ。「宙返り」「大車輪」とあるので鉄棒の選手だろう。ちなみに車椅子の愛称に選んだロドリゲスとは、フランスのダニー・ロドリゲスの「前振り上がり上向き中水平」という吊り環の技だそうだ。五首目は、級友たちが送った千羽鶴に銀色の鶴が一羽混じっていて、それが彼と出会う前の彼を囲んだ集合写真に〈私〉が写っていないのと同じように感じられるという軽い嫉妬の歌である。この連作もまた「引越しの荷物崩れて行く春にしたたる虹となる千羽鶴」という別れで終わっている。作者は高校を卒業して、大学か専門学校進学のために地元を離れたのである。
 残りの「色彩の散弾」「44 minutes」「海の音色・雨の音いろ」には、描かれている時代も特定できず、それほど物語色の濃くない歌が集められているので、物語を追うにはここらで止めて、目に留まった歌を取り上げてみたい。

背の高きひとから秋になることをふいに言われぬ晩暉の橋に
かなしみの多き橋かないくえにも手のなる音を聴くゆうまぐれ
傘もまた骨のみ残すいきものか憶えていたき日はすべて雨
むらさきの花の名前を挙げてゆくあそびの果てのようにゆうぐれ
約束をほのめかしつつ開かれた少女のコンパクトの照り返し

 「はなと橋」と題された詞書き付きの京都連作から引いた。一首目には「送り火を見た松尾橋」の詞書きがあるので、この歌の橋は嵐山にある松尾橋である。「晩暉」は落日だから送り火が始まる前のことだ。「背の高い人から秋になる」とはずいぶん不思議な表現だ。山は気温の低い山頂付近から紅葉が始まるので、それを人に当てはめたものか。二首目には「一条戻り橋 鬼と魂がすれ違うような」という詞書きがある。一条戻り橋は堀川一条にかかる橋で、死者の魂が甦るという伝承がある。陰陽師の阿部清明がこの橋の下に式神を飼っていたとも言われる。三首目には「知恩院の忘れ傘」という詞書きが付されている。「傘もまた」とは人間と引き比べての物言いである。四首目、杉谷のいちばん好きな色は青で、次は紫らしい。「むらさきの花の名前を挙げてゆくあそびの果てのように」まで来て、ここまでが「ゆうぐれ」を導き出す序詞のような喩である。「ゆうぐれ」の実に出会うと、それまでが反転して一気に虚へと転ずる美しい歌である。五首目、約束をほのめかすだけではっきりと言わないところに、年齢にそぐわない女性の手管が見える。座り直すとちょっと横を向いて、化粧を直すためにポーチからコンパクトを取り出すのだが、その金属製の蓋に夕陽が照り返す。その照り返しは女性の驕慢の色のようでもある。下句の「少女のコンパ・クトの照り返し」が七・八音の結句増音と句割れ・句跨がりになっていて、まるで塚本邦雄ばりの前衛短歌風である。
 歌集のもう少し前の部分からも引いてみよう。

つんと蹴ればラムネの瓶はとじ込めし光をあおくして撒き散らす
言いかけてやめた言葉はストローの先にはじけて散るしゃぼん玉
傘をさす手を奪われて夕立のほのかにぬるい世界を泳ぐ
霧雨の点描せかいを埋めるまで触れておりたしの傷あとに
遠のいていくざわめきが一色の水絵の空のようです 四月

 どの歌にも色と光が溢れている。一首目の季節は夏だろう。ラムネの空き瓶が青い光を撒き散らしている。二首目もシャボン玉遊びをする夏がふさわしい。三首目は「ロド」の中の歌で、傘が差せなくて濡れているのは車椅子を押しているからである。四首目の手の傷も車椅子の車輪を押してついた傷。「ほのかにぬるい」「霧雨の点描」「一色の水絵」などの表現が、一首の中に鮮明に世界を立たせている。
 やわらかな感性が捉えた世界を色をうまく使いながら繊細に表現していて、とても好感の持てる歌集となっている。注目の歌集である。

 

第224回 服部崇『ドードー鳥の骨』

日の落ちてわづかに残すあかねいろの千切れ雲見ゆ旅の車窓に
服部崇『ドードー鳥の骨』
 

 服部たかしは1967年生まれ。「心の花」所属の歌人で、『ドードー鳥の骨』は今年 (2017年)の9月にながらみ書房から上梓されたばかりの第一歌集である。帯文は佐佐木幸綱、解説は谷岡亜紀、装幀は間村俊一。美麗な箱入りで、著者の意気込みが感じられる。
 異色なのは著者の経歴である。東大を出て経済産業省に入省、ハーバード大学修士、東京工業大学博士、経済産業省大臣官房所属。2005年から2008年までシンガポールのAPECに出向し、2013年から2016年までパリのIEA(国際エネルギー機関)で勤務。COP21の締結に向けての仕事をしている。要するにバリバリのキャリア組のエリート官僚である。
 実社会の最前線で働いている人にとって最も大事なのは、損得、生き死、出世など現実世界での勝ち負けであり、文学、なかでもいちばん実益とは縁がない短歌などに興味を抱くのは稀だ。メーカーに長く勤務し、部長で定年退職して、時間ができたので短歌を始めるという例はよくある。しかし服部のように多忙な官僚が短歌に手を染めるのはあまり聞いたことがない。お役所というとちんたら働いている暇な職場というイメージがあるかもしれないが、実際は霞ヶ関は明かりが消えることのない不夜城で、官僚の残業時間はブラック企業も裸足で逃げ出すほどである。
 本歌集には「巴里歌篇」という副題が付されており、2013年から2016年までのパリ滞在期間に制作された歌が中心となっている。題名は集中の「こんな日は博物館を訪ひてドードー鳥の骨かぞへたし」という歌から採られている。
 一般的に言って海外詠は難しい。特に羇旅歌の場合、海外旅行で目にした名所旧跡や珍しい事物にスポットを当てて詠むと、通り一遍の観光案内パンフレットのようになってしまう。おまけに短歌や俳句などの短詩型文学は、温暖・湿潤で四季のはっきりした温帯モンスーン気候の日本で発達したものなので、湿り気と季節感を必要とする。ヨーロッパは大陸性気候で、地中海周辺を除けば乾燥・低温である。パリの年間降雨量は500ミリで、1500ミリある大阪の三分の一しかない。煎餅を放置してもしけることがなく、パンは一晩で乾燥してかちかちになる。
 さてそんなパリで服部はどのように短歌を詠んでいるのだろうか。街を歩いているのである。解説を書いた谷岡は服部に「路地裏の散歩者」という異名を進呈しているほどだ。この歌集には観光客が訪れるエッフェル塔もノートルダム大聖堂もサクレ・クール寺院もほとんど登場しない。描かれているのは市井の暮らしと街角で出会った風景である。

路地裏の蔦の館に道化師の白き化粧の絵の掲げあり
助手席のドア外れたる自動車の置き捨てられて朝の始まる
胴体を切り離されしメルルーサ氷のうへにかしらをさらす
きみを待つ広場に落ちて桐の花うすむらさきの雨に濡れをり
サンマルタン運河は夏のきらめきを注ぎて白き船を持ち上ぐ

 一首目、蔦の絡まる館というと何か物語を秘めているようだ。そこに白塗りの道化師の絵があることで、いっそう謎めいて見える。二首目、ドアの外れた自動車が放置されているのだから、そこは観光客が行く繁華な界隈ではなく、庶民が暮らす街角である。三首目は市場の風景。日本では魚は頭を左にして横に並べるが、フランスでは頭を上にして縦に並べる。四首目は珍しく雨の風景で、日本の風景と言っても通るだろう。薄紫なのは雨ではなく桐の花である。五首目、サンマルタン運河はセーヌ右岸の庶民的な界隈を流れている。船を持ちあげるのは水位を調整するための閘門である。
 とりわけ面白いのは街角の人々を描いた歌だ。

白く顔を塗りたる男ふたり来て薄暮に去りぬ白きその顔
夏の日のバスのをとこはてのひらに水晶玉を回し続ける
もの乞ひの男乗りきてなめらかに四か国語を駆使してみせる
ヒナギクの花を背負ひて老婦人駅の扉を押しひらき去る
上半身裸となりて裸婦像に少年しきりにみづをかけをり
我を向き通りすがりに青年は井戸の在り処を教へむとせり

 ヨーロッパで暮らしていると、日本ではついぞ見かけない光景を目にすることがよくある。地下鉄の通路で楽器を演奏している人。バスに乗り込んで来て物乞いをする人。舗道に色チョークで絵を描く人。路上で彫像のように動かない芸をする人。公園で箱に乗って大声で演説する人、等々。服部も目にした人々を歌にしている。一首目は何だかよくわからないが、フランスでは2月の謝肉祭に顔に色を塗りたくり、出会った人に小麦粉をかけるという馬鹿騒ぎをするので、そんな光景かもしれない。二首目も不思議な歌だが、たぶんバスの中で芸を見せて小銭を稼いでいるのだろう。三首目は物乞いなのに四カ国語を駆使するというのがミソ。四首目も謎めいた歌で、ヒナギクを手に持つのならふつうだが、背負っているというのが変だ。五首目は明るい歌で、少年の上半身の裸と裸婦とが呼応している。六首目は一葉の井戸のようないわくつきの有名な井戸を探していたのだろうか。それならわかるのだが、そういう知識がないと唐突に井戸の場所を教えるというのは変だ。
 このように服部の歌にはどこか謎めいたものがあり、その謎が明かされない不満も残らないではないが、歌の味わいとなっているのもまた事実である。このように街を歩いて街角で目にしたものを切り取り活写することによって、服部の短歌は通常の羇旅歌が陥りがちな観光案内のパンフレットとなることを免れているのである。

行きつけのカフェの給仕と初めての握手を交はすテロの翌朝

 服部のパリ滞在中に2015年11月の同時多発テロが起きており、この歌はその翌朝を詠んだものである。不幸な出来事は人の距離を縮めて結びつけることがある。顔なじみの給仕と握手するのは、お互いに無事であることを喜びあっているからだ。
 その他、心に残った歌を引いておこう。

アンニュイの多義性について語るとき君は苺が好きとつぶやく
朱鷺色のピアノの音が聞こえくる夕べの椅子にひかりは待ちぬ
バス停に夏のバス待つゆふまぐれ樹々のなかより鳩の羽音す
神森かもりより流れきたれるせせらぎに鈴のを聞く夏のふるさと
南国の喜怒哀楽を見下ろして黄金の仏陀雨に立ちをり
かすかなる笑みを残して隣席の男が降りる〈霧の底〉駅
赤と青の子供の靴が落ちてゐる旧き館の格子のまへに

 ちなみに服部は滞在中の2014年に「パリ短歌会」を立ち上げて、会誌『パリ短歌』を発行している。パリ周辺に定住している人が主なメンバーだが、短期間パリや地方に在住する人も参加している。2017年号には守中章子(未来)や、鈴木晴香(塔)らに加えて、リヨンに留学中の安田百合絵(本郷短歌会、心の花)も参加していて、なかなか多才な顔ぶれである。パリに短歌が根付くか楽しみなことだ。

 

第223回 佐藤モニカ『夏の領域』

夕暮れの商店街にまぎれたし赤きひれ持つ金魚となりて
佐藤モニカ『夏の領域』

 佐藤モニカは1974年の生まれで「心の花」所属。佐佐木幸綱に師事している歌人である。2010年に「サマータイム」で歌壇賞次席、翌2011年には「マジックアワー」で歌壇賞受賞。『夏の領域』はこれらの作品を含む第一歌集。沖縄の小説家又吉栄喜、吉川宏志、俵万智が栞文を寄せている。栞文を読んで知ったが、何と佐藤は「カーディガン」という小説で九州芸術祭文学賞優秀賞を受賞している小説家であり、かつ詩集『サントス港』で山之口獏賞に輝いた詩人でもあるという。恐れ入る多才な人だ。
 集中に「三賢母の一人モニカの名をもちてわれはいかなる母親になる」という歌があり、モニカは筆名ではなく本名らしい。調べてみると、モニカとは教父アウグスチヌスの母親の名で、カトリック三賢母の一人ということだ。
 さて、本歌集を一読して、何とのびやかな感性を持つ向日性の人だろうと感じ入った。これほどさわやかな読後感を後に残す歌集も珍しい。『夏の領域』という歌集のタイトルも明るいわくわく感をかもしだしている。
 本歌集はほぼ編年体で構成されていて、第I部には東京で働いていた頃の歌が収められている。

夏蝶を捕らへしごとく指先に今朝のアイシャドー少し残りて
クリーニング仕上がりしシャツへ腕通す腕より仕事に入りゆくものか
顔忘れ足型覚えてゐる客の孤島のやうな足型思ふ
玉手箱の大きさほどと思ひつついただきにけり粉石鹸を
スナップが大切と思ふオムレツを作るとき君に反論するとき

 この頃、著者は靴の販売係の仕事に就いていたようだ。一首目、女性にとっては化粧も大事な仕事の一部である。ラメ入りのアイシャドーが蝶の鱗粉のように指先に光っている。仕事の辛さを詠んだ歌もなくはないが、概ね著者は前向きなのだ。二首目、仕事で着る白いシャツだろう。シャツに通す腕から仕事モードに切り替わるという歌。ここにも白の明るさがある。三首目、歯科医は患者の顔を覚えなくても、歯形でその人とわかるというが、靴を扱う人も同じように顔ではなく足型で客を認識するのだろう。「孤島のやうな」という喩に思いが込められている。四首目は、おそらくマンションの隣に引っ越して来た人が挨拶に来た折の歌か。粉石鹸は挨拶のしるしである。五首目、スナップは手首の返しで、オムレツを返したり皿に移すときに手首の返しが要る。この歌に登場する「君」は後に作者が結婚することになる相手である。元気な作者は相手のいいなりにはならず、反論するのである。

さらさらと若葉揺らしてゐるわれかスタジオを出てシャワー室まで
ティーポットに夕暮れの色たまる頃自転車を漕ぎいもうとは来る
ブラジルにコーヒー飲めば思ふなりサントス港に降り立ちし祖父
早稲田大学教育学部卒業の佐藤陸一むつひと噺家になる
グアバジュースのグアバをあかく舌にのせ結婚について語りだすひと

 第I部には東京で単身で暮らし働く女性の姿が生き生きと描かれている。残業の多さに不平を漏らしながらも、一首目のようにヨガのスタジオにも通っているのだ。「若葉揺らしてゐる」が明るい。佐藤の歌には近景に立ち現れる人物もきちんと詠まれており、その代表は家族である。二首目にあるように、妹とはよく行き来しているようだ。「夕暮れの色たまる頃」が美しい。著者の祖父はブラジル移民として渡航し、コーヒー農園を経営していたようだ。佐藤は移民の三世であり、ブラジルにルーツを持つのである。また弟は早稲田大学卒業後、柳亭市楽という落語の噺家になっている。やがて「君」と呼ばれていた沖縄出身の男性が、佐藤家を訪れて結婚の申し込みをすることになる。
 第II部は思いがけず沖縄に転勤になった夫と名護に住むようになってからの歌が中心となっている。

まだ読めぬ東恩納といふ名前遭遇するたび夫をつつく
さみしくて郵便受けをのぞく顔向かう側より見られねばよし
パインカッターぎゆうつと回す昼下がり驚くほどに空近くあり
痛みを分かち合ひたし合へず合へざれば錫色の月浮かぶ沖縄
黒猫にヤマトと名付け呼ぶ度にわれの本土が振り向きゐるか

 初めのほうには暮らし馴れない土地と妻という役割にとまどう歌があり初々しい。東恩納の読みは「ひがしおんな」だろう。大阪人の家には必ずたこ焼き器があるというが、沖縄の家庭にはバインカッターなるものがあるのだろうか。沖縄は観光で宣伝されるように明るい南の島だけではない。そこは農民が土地を銃剣で接収された米軍基地の島でもある。本土から移り住んだ作者もその現実に直面せざるをえない。
 しかし何と言っても本歌集の圧巻は、子を授かり生まれて来るまでの歌が収録された第III部だろう。

みどりごを運ぶ舟なりしばらくは心臓ふたつ身ぬちに抱へ
産み月の四月まことにあかるくて幾たびも幾たびも深呼吸する
さやさやと風通しよき身体なり産みたるのちのわれうすみどり
われを発ちこの世になじみゆく吾子に汽笛のやうなさびしさがある
人の世に足踏み入れてしまひたる子の足を撫づ やはきその足
かひなにて抱けるもののかぎられて今この時は吾子にみに満つ
みどりごの足跡未だあらぬ部屋蜜なやうなる光を抱く

 あたかも妊娠と出産を経て五感以外の別の感覚が目覚めたかのようだ。自らの身体をみどり子を運ぶ舟と感じる一首目、出産予定の四月の明るさを愛でる二首目には、女性の身体感覚がさわやかに詠まれている。三首目は特に美しい歌で、出産後の身体を薄緑と表現するところが新しい。しかし子の誕生は喜びばかりではない。身ふたつになり、やがて子は自分を離れて行くという予感もまたある。成長した子を待ち受けているのは厳しい現実かもしれない。しかし今は子を腕に抱く喜びに充たされている。七首目は読んではっとした歌である。親の腕に抱かれているか、ベビーベッドに寝ている間は、子は部屋の床に足跡を残すことがない。当たり前と言えばそれまでなのだが、赤子を腕に抱いて初めて気づくことだろう。
 本歌集を読んでいると、日々の塵埃にまみれて暮らしているうちに鈍磨してしまった感性と感覚が、干天に慈雨を受けたごとく甦る気がする。それこそ短詩型文学の効用である。これからも沖縄で暮らし子の成長を見守る中で、また新たな歌が生まれるにちがいない。楽しみに待ちたい。

 

第222回 田村元『北二十二条西七丁目』

この街にもつと横断歩道あれ此岸に満つるかなしみのため
田村元『北二十二条西七丁目』
 

 この歌のポイントは「此岸しがん」である。此岸は仏教用語で、迷いと煩悩に満ちた現世を意味し「彼岸」と対立する。彼岸は煩悩から解放された浄土である。此岸から彼岸に渡るには何かの手段が必要だ。それはふつう修行による悟りか仏への帰依とされる。しかし悟りにも帰依にも縁のない作者は、その願いを横断歩道に仮託している。悲しみに満ちたこの世界から脱出するために、より多くの横断歩道あれと祈る、短歌が祈りとなったよい歌だ。たまたま見たTVのNHK短歌で大松達知が紹介していて心を引かれた。
 田村はじめは1977年生まれ。北海道大学在学中に短歌を始めて「りとむ」に所属。2002年に「上唇に花びらを」で第13回歌壇賞を受賞した。『北二十二条西七丁目』は受賞作を含む第一歌集である。歌集題名は北大生のときに住んでいた札幌の住所にちなむ。札幌の道路は碁盤の目のようになっているので、直交座標のように無機的な数字で住所が表記される。三枝昂之が跋文を寄せている。
 北大法学部を卒業して会社勤務の田村の主題は、サラリーマンの哀感とそれでもなお失うまいとする詩人の矜恃である。それに群馬県という関東周辺部出身のコンプレックスと、青春時代を過ごした札幌への追慕が少し加わるという構成になっている

サラリーマン向きではないと思ひをりみーんな思ひをり赤い月見て
部屋にてもつい新聞を縦長に折りてしまへりサラリーマンわれは
俺は詩人だバカヤローと怒鳴つて社を出でて行くことを夢想す
島耕作にも坂の上の雲にも馴染めざる月給取りに一つ茶柱
日々嫌ひびいや」とアナウンス聞こゆ職場への一つ手前の日比谷駅にて
サラリーマン塚本邦雄も同僚と食べただらうか日替わりランチ

 一首目、「自分はサラリーマンに向いていない」と感じながら、それは自分一人の思いではなく皆同じように感じているのだと自覚している。この自意識の働きが田村の特徴だろう。二首目、満員電車で立ったまま新聞を読むとき、隣の人の邪魔にならないように新聞を縦長に小さく折る。自分の部屋でも思わず同じことをしてしまうという自嘲の歌である。今では電車の中でみんなスマホを見ているので、あっという間に過去の風景となってしまったが。三首目、上司から意に沿わないことを言われ、「俺は詩人だ」と啖呵を切るという夢想だが、もちろん自分はそんなことはしないと知っているのである。四首目の島耕作は弘兼憲史のマンガ『課長島耕作』の主人公で有能なサラリーマンの代表格。『坂の上の雲』は言わずと知れた司馬遼太郎の代表作で、青雲の志に満ちた明治期の青年を描いている。そのいずれにも自分は共感できないと感じながら飲む茶碗に茶柱が立つのはあまりにささやかな幸運か。五首目は田村が会社から中央官庁に出向していた時代の歌。駅名の日比谷が「ひびいや」と聞こえるのだから、相当病んでいたのだろう。六首目、塚本邦雄は金商又一という商社に勤めるサラリーマンだった。その塚本も時には食堂で同僚と日替わりランチを食べたことがあるのだろうかと自問する。以上は馴染めないサラリーマン生活を送らねばなららない自分を自嘲する歌だが、時折次のような詩人の矜恃を詠う歌も混じる。

ドトールで北村太郎詩集読み、読みさして夜の職場に戻る
わが詩句はわが生活に規定され友の前髪のやうに五月雨
節分を跨いでわれの本棚に開かれぬまま匂ひ立つ『土』

 仕事の合間にドトールという個性のないカフェで北村太郎詩集を読むのは、日々の仕事に埋没すまいという矜恃の現れだろう。自分の短歌は自分が送る生活に規定されてしまい、その枠を抜けることができない。そんな思いの中にも友の前髪のように爽やかな五月雨を感じることもある。いつか読もうと買ってある長塚節の『土』はまだ繙かれていないが、確かな存在感をもって救済のごとく書架にある。
 そんな田村を慰めてくれるのは酒らしく、集中には飲食の歌、とくに酒の歌が多い。

くれなゐのキリンラガーよわが内の驟雨を希釈していつてくれ
目黒川暗く流れてラーメンを食べるためわれは途中下車せり
酒なしでやつてゐられる人たちを横目にくぐる黄の暖簾かな
メートルを上げてそろそろわが背丈越えてゆくころ酩酊となる
酒飲めばわれと世界に接線が引かるるやうなやすらぎにあり

 飲食は飲食でも、食べ物や酒の旨さを喜ぶ歌はあまりない。物を食べるのは空腹を満たすため、酒を飲むのは汚穢の現世から身を引き剥がすためのようだ。
 山田航も『桜前線開架宣言』の田村の項で指摘しているように、生活者の立場から都市東京を詠んだ歌が少なからずある。

攻略包囲もさるるものとして首都はあり、その首都の朧夜
東京市と呼べば親しき川魚の眠りにわれは落ちて行くなり
ひとりから始めるわれの都市論のフランスパンと水を購う
ぬばたまの常磐線の酔客を支へて来たる日本、はどこだ
白地図のやうな地平に生まれ出てそれが群馬だと知るまでの日々

 東京はフランスパンと水を買う街だというところに地方出身者の抱く違和感が表明されている。しかし一読した限りでは、田村にとって都市論はまだ発展途上の主題のようで、独自の視点から十分に展開されているとは言いがたい。伊藤一彦の「東京に捨てて来にけるわが傘は捨て続けをらむ大東京を」のように、一度東京に出て故郷に戻った地方出身者の重い心情や、吉野裕之の「改札を斜めになって通りゆく男はおとこの角度を持って」のように、トリミングするごとく街の風景を切り取る洒脱な手法など、個性の光る都市論が生まれればと願おう。
 このようにサラリーマン生活の辛さと苦しさが大きなテーマとなっているのだが、そんな田村にも日々の暮らしの中で嬉しいこと、喜ばしいことがあるだろう。もっとそういうことを歌に詠めばよいと思う。最愛の伴侶を得たときにも、「旧姓を木の芽の中に置いて来てきみは小さくうなづいてゐた」という一首のみで済ませるというのはあんまりというものだ。
 最後に心に残った歌をいくつか挙げておこう。

幾筋も汗流れをりわれにまだ棄つるべきものある歯痒さよ
遮断機は色なき風を分かちたりベンガル虎の尻尾のやうに
あらがひて天へと還るひとひらもなく折り紙の銀に降る雪
訳もなく〈善意志〉といふ語が浮かび哀しみて食むわかき筍
ガラス片未明の道に散らばりて光にも欠片かけらといふものはあり
シャチハタの名字はいつも凜としてその人の死後も擦れずにあり
言葉のみ意味を背負ひてうつつにはただ一輪の梅が咲きをり

 どれも美しい歌だが、私がいちばん感心したのは次の歌である。

官僚にも〈つ〉と〈ぬ〉の区別ありわれは余所者なれば〈ぬ〉で過ごしたり

 『岩波古語辞典』によれば、「つ」は動作・作用を人為的・意志的なものとして描くのに対して、「ぬ」は自然的・無意志的に描き、話し手の関与できない自然的作用の完了を表すという。これも作者が中央官庁に出向していた時の歌で、作者は出向者という余所者なので、「ぬ」を使うというのである。「ぬ」「つ」は完了の助動詞なので、「官僚」との掛詞というわけだ。

 

第221回 今年の短歌賞雑感

壺とわれ並びて佇てる回廊に西陽入りきてふたつ影伸ぶ
睦月都「十七月の娘たち」

 今年も恒例の短歌研究新人賞と角川短歌賞の受賞作が出そろった。まず短歌研究新人賞から見てみよう。受賞したのは小佐野彈の「無垢な日本で」30首である。小佐野は昭和58年生まれの34歳で「かばん」所属。慶応義塾大学経済学部の博士課程に在学中で、台湾で企業している実業家でもある。短歌と出会ったのは中学の頃だという。

革命を夢見たひとの食卓に同性婚のニュースはながれ
ママレモン香る朝焼け性別は柑橘類としておく いまは
ほんたうの差別について語らへば徐々に湿つてゆく白いシャツ
はつ夏に袖を断たれて青年の腕は真つ赤に照らされてゐる
なんとまあやさしき社名きらきらと死にゆく友のむアステラス

 やはり注目されるのは作者がゲイであり、それを正面から歌のテーマとしている点だろう。性別をめぐる葛藤が自分の中にあり、それは内面的問題であるのだが、一方でゲイやトランスジェンダーに対する偏見が社会の中にあって、社会的問題という側面も持っている。勢いゲイの人は内と外の両面において軋轢と衝突にさらされることになる。その煩悶と痛みが歌のテーマとなっている。連作題名の「無垢な日本で」の「無垢な」には相当な重みと皮肉がこめられていると見るべきだろう。
 選考座談会での米川の発言によれば、キューバのカストロ元首相の娘はアメリカに亡命して、同性婚の合法化を求める活動をしているという。そうすると一首目の「革命を夢見たひと」はカストロで、「同性婚のニュース」はアメリカかヨーロッパでの同性婚を報じるニュースということになる。
 近現代短歌の大きなテーマは生老病死であるが、近年はそれに「生きづらさ」が加わった感がある。たとえば鳥居の短歌が代表的だが、小佐野の短歌もその系列に連なるものだろう。選考座談会でも歌のテーマをはっきり出しているところが評価の大きなポイントになっている。これに対して穂村弘が「作品にテーマや現実のアリバイがないと、短歌のメインストリームで評価されないということへの根本的な違和感がある」と発言しているのが印象に残った。
 候補作・最終選考通過作に残ったものからいくつか引いてみよう。

ずいぶんと長い昼寝をする君をみんなでフラワーマンにしていく
                 うにがわえりも「フラワーマン」
触れたことなかった部位もひとつひとつお箸でつまんでいる君の骨
複雑なかたちの急須すすぎつつあの世のことなど考えている

首都の空を飛び交うヘリが追いまわす車列にひとりだけ死者が乗る
                      ユキノ進「弔砲と敬礼」
早朝の緊急事態宣言は持ち主不明のテディ・ベアのため
渋谷空爆。瓦礫の陰に民兵を追い詰めてゆく装甲車両

近づけばよりひかれあう寂しさはファンデルワールス力の正体
                       奥村知世「臨時記号」
はるかなる水平線を切り取って実験台に置くメニスカス
子の影をはじめて作る無影灯長男次男は手術で生まれ

人間にふたつきりなる踵あり揃へて春の鞦韆に立つ
                    晴山未奈子「風に瞠く」
しやぼん玉まろきおもてに色うごき動きゆらめくこのたまゆらに
遠くへと退すされば見ゆるものありてわれらの上に遊ぶいとゆふ

 うにがわえりもは「かばん」「塔」所属。妻を失い寡夫となって子育てをするという一連だが、自身の体験ではなくフィクションである。しかし奇妙にリアリティがある。ユキノ進は無所属。海外での反政府軍との戦闘で自衛隊員が死亡し、それを隠蔽しようとする政府に反逆して帰還部隊が首都蜂起するという内容は、高島裕の「首都赤変」を彷彿とさせる。奥村知世は心の花所属。職業が開発研究員となっているので理系の女性である。理系らしく「ファンデルワールス力」や「メニスカス」という理系用語が散りばめられている。ファンデルワールス力は原子間に働く微少な引力で、メニスカスはピペットのような口径の細い容器内で容器壁と液体の相互作用によって生じる液体の曲面のこと。水のような液体では凹型になる。だから「はるかなる水平線を切り取って」なのである。晴山未奈子は所属なしで生年・居住地ともに不詳。私がいちばん驚いたのはこの人の歌である。今回最終選考まで残った人のなかで最も完成度が高く「短歌らしい」歌を作っている。きっちりした定型感と使っている語彙から見て、年配でそうとう短歌を作り馴れている人だろう。しかしそのあまりの「短歌らしさ」が災いしてか、選考ではあまり票を集めなかった。惜しいことである。この人の歌をもっと読んでみたいものだ。

 さて、次は角川短歌賞である。今年の賞を射止めたのは睦月都。1991年生まれの26歳で「かばん」所属。今年は短歌研究新人賞と角川短歌賞の両方を「かばん」同人が受賞した。非結社系の若手歌人が力をつけて勢力を伸ばしてきたということだろう。

腕の傷さらして小径歩むとき傷より深く射せる木漏れ日
悲し、とふ言葉がけさはうすあをき魚の骨格となりて漂ふ
ラナンキュラス床にしをれて昼われがすこし飲みすぎてゐる風邪薬
円周率がピザをきれいに切り分けて初夏ふかぶかと暮るる樫の木
わが生まぬ少女薔薇園を駆けゆけりこの世の薔薇の棘鋭からむに

 タイトルの「十七月の娘たち」というのが謎めいている。選考座談会でもひとしきり話題になった。睦月を推した選考委員の東直子が解説しているように、十七月立てば本当なら翌年の五月なのだが、年が改まることなく同じ年の中で月日を重ねているというある種の不全感の喩だろう。選考委員の小池光が評するように、歌の骨格と形の美しさが際立つ。私も付箋を付けた歌が多かった。睦月の短歌はあまりニューウェーヴ系ではなく、近代短歌の遺産をうまく吸収して清新な抒情としているように思える。
 今年の角川短歌賞は話題性の高い歌人が最終選考に残った。その一人は次席となったカン・ハンナである。韓国から来日して日本語を学んだ人で、テレビのNHK短歌でアシスタントを務めている。

東京はエレベーターでも電車でも横目でモノを見る人の街
思うより30代は怖くないと言い張る前に飲みきるコーラ
「外人は借りられぬ部屋があります」と物件探しに熱くなる耳
宛名ないチラシ噴き出す郵便受け 今日もダイヤル回して覗く
膨らんだ風船抱いて電車にもバスにも乗れぬ私の住む街

 習得した外国語で詩歌を作るのはたいへん難しく努力の要ることなのでまず感心する。日本に憧れて来日し日本語を学び、なおかつ日本では外人扱いされる現実を、比較的素直な言葉で歌にしている。それは好感が持てるのだが、引いた四首目の「宛名ない」「チラシ噴き出す」のように助詞が省かれているのがどうしても気になる。短歌はある意味で助詞の文芸なので、助詞の選択ひとつで歌のニュアンスや姿が変わってしまう。不用意に助詞を省くのはよくないだろう。
 佳作に選ばれた「ナイルパーチの鱗」の作者知花くららはしばらく前から「塔」に所属して短歌を作っているが、ミスユニバース代表にも選ばれたモデル・タレントとして有名な人である。

あのねとふ君の前歯の隙間からシリア砂漠の匂ひがした
爪を噛みオーストラリアと囁いたヒジャブの君の唇赤らむ
数錠の薬に生かさるるけふもバオバブの影が夕陽に浮かぶ
牛糞のにほふ暗き片隅に目だけこちらを見つめる子あり

 おそらくはボランティアか親善大使として難民キャンプを訪れた体験に基づいた歌である。細かい観察とディテールがなかなかよく生きており、体験を素材として歌にする力のある人なのだろう。ただきちんと五・七・五・七・七に収まっていない歌が多いのが気になる。
 佳作「やがて孵る」の辻聡之は昭和58年生まれで「かりん」所属。

弟とその妻サザエさん観ており あなたは死語として存在するギャル
盗み見る義妹の腹にみっちりとしまわれている姪らしきもの
パラサイト・シングルもまた死語であり地縛霊のごと実家に暮らす
おにいさん、とバニラの匂う声で呼ぶ義妹のながいながい睫毛よ
菜の花のとおく聴きいる春雷のどこかに姪を呼ぶ声がする

 独身のまま実家で暮らす作者の弟が金髪のギャルと結婚し、姪が生まれるが、わずか2年で離婚して姪が幻の存在と化すまでを一連の歌にしている。歌に詠まれている出来事に驚くし、弟の嫁のお腹にいる姪に思いを馳せるという、おそらく短歌で詠まれたことのない状況の新しさも目を引く。それもあるのだが、「この日々も砂絵に描かれいしものとコメダ珈琲店までを歩みぬ」のように普通によい歌がいくつもある。これからに期待したい。

 

【附記】
 読者の方から「小佐野氏はトランスジェンダーではなくゲイであり、自分でそのことを公表している」とのご指摘があった。小佐野氏のブログを見ると、確かに自分がゲイであると書かれている。ご自身の自己規定を尊重して語句を修正した。(2017年11月10日)

 

第220回 加藤孝男『曼茶羅華の雨』

一本のワインはテーブルに立ちながら垂直にして燃える歳月
加藤孝男『曼茶羅華の雨』 

 テープルに立っている瓶の中のワインはボルドーの濃厚な赤ワインだろう。「燃える」との連想から白ワインでは具合が悪い。解釈に迷うのは「立ちながら」の逆接と、「垂直にして」の「にして」の意味である。「立ちながら」はおそらく意味的に「燃える」に連接するので、「立っているのに燃えている」と解釈できる。厄介なのは「にして」で、「して」の接続助詞用法は並列・修飾・順接・逆接など種々の意味を表すとされている。逆接と取ると「立ちながら」の逆接とかぶるので、ここでは並列と取りたい。「簡にして要を得る」と同じ使い方である。すると「垂直を保ったままで燃えている」となる。
 火や炎は短歌によく詠われる素材である。『岩波現代短歌事典』の「焔」の項には、「写実的に眼前にある火そのものとして歌うだけでなく、比喩として使われることがたいへん多い」と書かれている。本歌集にも掲出歌以外に、「一群の曼珠沙華田へ傾きて火をはなつべき我執ひとむら」という火を詠んだ歌がある。火はしばしば情念の激しさを表し、またこの歌のように何かを焼き尽くすものとしても詠われる。ワインは長い時間貯蔵されて熟成するので、掲出歌では歳月の喩として働いている。作者は時間の流れの中に何か激しいものを感じているのだ。
 歌の意味の読み解きはさておき、この歌を一読して感じるのは極めてスタイリッシュだということである。邑書林のセレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の解説を書いた谷岡亜紀は、加藤の歌に見られる「意匠への関心」と「様式への志向」を指摘した。確かにこれは加藤の歌に見られる一面で、掲出歌ではそれがスタイリッシュさとして現れているのだろう。
 それより何より注目すべきなのは、書肆侃侃房の叢書ユニヴェールの一冊として刊行された本書が、加藤の18年ぶりの第二歌集だということである。加藤の第一歌集『十九世紀亭』は1999年の刊行である。あとがきにその経緯が書かれているが、第一歌集を出版して加藤の短歌への思いは一度冷めたそうだ。そんな時に篠弘に再び短歌に向き合うように強く勧められたという。ちなみに歌集題名の「曼茶羅華まんだらげ」は仏教の用語で、仏が出現するときに天上に咲く白い花のことである。
 『十九世紀亭』を取り上げたときは、加藤の歌に見られる時代に対する「脛の冷え」の感覚と、「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」を指摘した。一方、『曼茶羅華の雨』の底に色濃く流れているのは、宇宙的感覚と死への思いである。冒頭の「銀河詩篇」と「地球照アース・シャイン」から引く。

地球より離りて孤独の火となれる宇宙望遠鏡のなかの神々
神を生むひとの頭脳に左右さうありてふたつの神がはじめにありき
超新星ふたたびカオスに戻りゆく一つの星が滅ぶるときに
ハナミズキ巻けるしら花ひとひらのその渦のなか銀河はひかる
群青の水の球体浮かびゐてその網膜にひとら諍ふ

 人はいかなる時に宇宙的視点に立つか。もちろん子供が夜空の星に憧れるように、純粋に星を愛でることもあろう。しかし歳を経た大人の場合、地上の出来事はつまるところ瑣事に過ぎないと達観するか、地球上で飽きもせず繰り広げられる人間の愚かさに愛想を尽かした時だろう。加藤の歌にはその両方がある。それは『十九世紀亭』に見られた「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」の行き着く先でもある。それは上に引いた五首目などを見ても明らかである。また四首目のハナミズキの花の中に銀河を見るというのは、どこか宗教的世界観を感じさせる。上に引いた他の歌に神が登場することもそれを裏付けているだろう。集中には「かつてわれ西行のごと子を捨てて沙門の粥をすすらむとせし」という歌もある。

ゆふぐれと夜とのあはひに帰りゆくうしほのごとく生は束の間
わが死なば地に汚れたるたましひもゆかむ六等ほどなる星へ
うすやみに脚立きやたつはみえて死の順位筆頭にたつ父の背うごく
生きるとは儚きひびきさざんくわの花びらは落つ淡き地上に
ボタン一つに地上の獄を離れ行くエレベーターは最上階へ

 死への思いを詠んだ歌を引いた。特に三首目の「死の順位」には虚を突かれたような驚きがある。父親と自分と子供を並べれば、確かに最年長の父親は死の順位では筆頭に立つ。脚立には段がありそれを使って人は上に登るので、それは死の順位の喩となっている。「地上は汚穢」「地上は獄」という思いが募れば、人は天上へと行くエレベーターに憧れることになる。
 とはいえ集中にはもっと何気ない物事を詠んだ歌に引かれるものがある。

犬の蚤 猫の蚤より高く跳ぶかかる真理をつきとめし人
通勤の折に眺むる藤ばなのある日剪られて時はくらしも
置く霜のごとき錠剤をテーブルに並べて寒きひと日に沈む
家族とは茨の香りに満ちながらふとかなしみのなかに融和す
夜半に吹く野分にしをるる白萩の朝のメトロにおみなら眠る
ベビーバスに浮かぶ裸身の輝きの一糸まとわぬものの重たさ
風景を閉ぢむとて降りいそぐ雨の平針三丁目ゆく
衰微とやよりあふ皺のうつろひに水とて老ゆる夕まぐれどき

 一首目、犬につく蚤は猫につく蚤より高く跳ぶなどというどうでもよいようなことを研究している生物学者を称えている。学問の基本は無用である。二首目は誰にも覚えのあることだろう。日々通りすがりに眺めて楽しんでいた植物が、ある日、ばっさりと切られているのを見たときの落胆はや。三首目の錠剤が抗うつ剤というのは出来すぎか。「置く霜の」はもちろん百人一首の歌の本歌取りである。四首目の「茨の香り」は諍いの不穏の喩だろう。ふだんは些細なことで諍う家族だが、悲しい出来事が起きると共に悲しむのである。五首目はおもしろい。「夜半に吹く野分にしをるる白萩の」までが「おみな」を導く序詞になっている。朝の通勤風景である。六首目は娘が誕生した時の歌だろう。七首目は平針という喩と三丁目という数字が効果的。八首目は集中屈指の美しい歌である。池か沼か湖か、風に波立つ水の表を見ていると、まるで人間の顔の皺のように思えてきて、「水までもが老いるのか」という思いにかられるという歌である。
 あとがきには1999年から2013年までに制作した歌から取捨選択して本書を編んだとある。なぜ2013年までかというと、その年の四月に加藤はロンドン大学客員研究員として渡英したからである。ちなみに加藤は東海学園大学で国文学を講じる学究の徒である。渡英以前と以後とでは「生活も意識も様変わり」したという。このためそれ以後の歌は収録されていないのである。どう変わったのだろうか。
 加藤は国文学の研究の傍ら、剣道・合気道などの古武術に通じ、柳生新陰流兵法、柳生制剛流抜刀術を習っており、熱田神宮で演武まで披露する腕前である。セレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の自身の手になる略歴の平成九年の項には「もはや伝統しか信じられないと思う」と記されている。日本の伝統に深く傾倒しているのである。
 日本人が初めてヨーロッパに長期滞在するとどのような変化を被るか。大きく分けて二通りの変化が見られる。伝統主義の深化か普遍主義への転向である。ある人は憧れの対象だった欧州の文物思想に触れ、その多くが過去の遺物になり果てていることに失望し、日本回帰して伝統主義をますます深める。またある人は欧州の思想・芸術の根幹に横たわる普遍主義の息吹に触れて、それまでの日本伝統主義を相対化する目を持つようになる。だいたいこのどちらかなのだが、果たして加藤自身はどうだったのだろうか。とても気になるのである。

 

第219回 松村正直『風のおとうと』

この先は小さな舟に乗りかえてわたしひとりでゆく秋の川
 松村正直『風のおとうと』

 掲出歌は句切れのない歌である。このように句切れのない歌を三枝昻之は「流れの文体」と呼ぶ(『現代定型論 気象の帯、夢の地核』)。吉田弥寿夫によれば、句切れのない文体はモノローグ的であり、集団から疎外された単独者のものであるという(『雁』4号)。そこまで言うかという気もしないでもないが、確かにこの歌はモノローグ的であり内省的である。
 もし秋の行楽で遊覧船に乗っているとしたら、小さな舟に乗り換えて船頭も乗せずに一人で川を行くというのはちょっと考えられない。するとにわかにこの歌は幻想性もしくは隠喩性を帯びて立ち上がり、近代短歌の人生派はそこに人生の喩を読み取ることになる。そこまで行かずとも少しくメルヘン的な歌の情景と、下句に句跨がりがある歌のリズムを楽しんでもよかろう。
 『風のおとうと』(2017年)は、『駅へ』(2001年)、『やさしい鮫』(2006年)、『午前3時を過ぎて』(2014年)に続く著者の第四歌集である。短歌総合誌・短歌新聞などの媒体と、自らが編集長を務める結社誌『塔』に発表した歌、歌会に出詠した歌が編年体で収められている。
 本コラムで『午前3時を過ぎて』を取り上げたとき、松村の短歌の特徴として「感情の起伏がある揺れ幅を決して超えないこと」と、「日常のなにげない経験をただ表面的に描くのではなく、その内奥へと柔らかに入り込む心の動き」を挙げた。本歌集においてもその特徴は変わらないのだが、今回は少し違う角度から松村の短歌を見てみたい。
 そのひとつは「日常の中に潜む不穏」である。本歌集には妻の病気と義父の死という作者にとって大きな出来事を詠んだ歌群があるのだが、それを除けば詠まれているのは日常の些細なことである。しかしその中に不穏な気配を漂わせる歌があり、少しばかり目を引く。たとえば次のような歌がそうだ。

隣室に妻は刃物を取り出してざくりざくりと下着を切るも
砲弾のごとく両手に運ばれてならべられたり春のたけのこ
鎌を持つおとこと道ですれ違うおそらくは草を刈るためのかま
片道の燃料だけを積み込んでこの使い捨ての黒ボールペン
竹藪より出で来しひとの右の手に握られており長き刃物は

 一首目、古くなった下着を適当な大きさに切って靴磨きなどに使うのは、どこの家庭でもしていることだろう。しかし隣の部屋から妻が古着を切っている音が響くと、にわかに不穏な気配が感じられる。大ぶりの裁ちばさみだから、聞こえる音は濁音である。二首目、京都は筍の名産地なので、季節になると大きな筍が店先に丸ごと売られている。その形状を「砲弾のごとく」と形容するのはどこかにきなくさい戦争の気配を感じているためだろう。三首目はおそらく農作業をしている人とすれ違っただけなのだろうが、二度繰り返される「鎌」が不吉である。四首目はインクが切れたら捨てられる運命にあるボールペンを詠んだ歌だが、そこに重ねられるのは片道切符で出撃した人間魚雷の特攻である。魚雷とボールペンの形状の類似が発想を導いたものか。五首目もまた刃物の歌で、「長き刃物」が禍々しい。このような歌が生み出される背景には、やはり作者が生きている(そして私たちも生きている)現代の日本社会が影を落としているのだろう。
 もうひとつ取り上げたいのは、ほとんど「ただごと歌」に近いような次の歌である。

ひととせの後に編まれし遺歌集に死ののちのうた一首もあらず
中心でありし場所からひときれの切られしピザを食べ始めたり
道の駅の棚にならびて親のない春のこけしはみな前を向く
上流の橋を見ながら渡りゆくみずからのわたる橋は見えねば

 一首目、歌人が亡くなって一年後に遺歌集が編まれた。もう死んでいるのだから、死後の歌が一首もないのは当たり前である。しかし改めてそう指摘されると、ハッとするものがある。歌人が死ぬということは、もう歌が作れなくなるということなのだと得心する。ちなみに師が亡くなって私が感じたのは、学者の死とは膨大な蔵書がもう何の役にも立たなくなるということだ。二首目、丸いピザは誰でも車軸状に切れ目を入れて食べる。食べ始める場所はいちばん尖ったところだが、それは丸い状態のときは円の中心だった場所だ。しかし切り分けるとそれはもう中心ではない。「中心」という特性は「円」という形状との関係性のみに基づくものだとわかる。三首目、生き物ではないこけしに親がないのは当たり前である。また商品として並べられているこけしが前、すなわち客の方向を向いているのもまた当然だ。奥村晃作の「次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」を彷彿とさせるただごと歌である。四首目、自分が渡っている橋は見えないので、上流にかかる別の橋を見ながら渡る。これまた当然と言えば当然のことを歌にしている。
 ユーモアと言うほどのものがあるわけではないのだが、このような歌が放つ脱力感というか肩すかし感というか、そのようなものは決して悪いものではない。むしろ当たり前のことが詠まれているだけに、定型の持つ力が一層強く感じられるという功績もあるかと思う。
 もう少し注目した歌を見てみよう。

烏瓜の揺れしずかなり死ののちに語られることはみな物語
あぜ道の日当たりの良い場所に立つ木の電柱に木の色ほのか
ゆうぐれにドアにドアノブあることのこんなにもなつかしくて 触れたり
人形をあきなう店が地下にあると知りてよりここに階段がある
橋の上に降り出す雨は傘を持つ人と持たざる人とを分かつ
缶詰の中に知らない町がありカラフトマスの中骨がある
コースからしずかに逸れてゆく馬を見ており秋の競馬場にて
かき氷とけて器にくれないのみずをわずかに残せり日暮れ

 一首目は高島野十郎の絵を彷彿とさせる歌だ。壁から垂れ下がった蔓に真っ赤に熟れた烏瓜の実が静かに揺れている。その情景が下句で箴言のように述べられる言葉に諦念を滲ませる。二首目、都会ではもう木の電柱は珍しい。田畑のある農村の情景である。結句の「木の色ほのか」に対象に分け入る目が感じられる。三首目は山崎方代を思わせる歌で、下句が大破調のように見えて実は18音である。四首目は認識の転倒の歌。階段はずっと前からそこにあったのだが、地下の店を知って後に私の認識にその存在が書き込まれる。認識は存在に先行するのである。五首目は動きのある歌。突然の雨に傘を持っている人はおもむろに傘を開いて歩みを変えることはない。一方、傘を持たない人は雨宿りができる場所を求めて駆け出す。「橋の上」が効いている。物陰がないからである。六首目、カラフトマスだから北海道の近海かオホーツク海の遠洋で捕獲され、漁港の工場で缶詰にされたのだろう。そこに知らない町の物語を見ているのだが、この歌では「中骨」が効いている。七首目はいかにも松村らしい歌。場所はのどかな地方の競馬場だろう。他の馬のようにゴールを目指して一直線に走ることができず、コースを逸れる馬に共感を感じているのである。八首目はとりわけ美しい歌だ。かき氷が溶けて器に水が残っているというだけの情景を詠んでどうしてこんなに美しい歌になるのか。あとがきに松村は、「本当の歌の良さというものは、説明したり分析したりできるものではないことを、あらためて強く感じる」と書いているが、そのとおりである。そもそも美とは沈黙を強いるものだからだ。
 一巻を読んで季節は秋が多く時刻は夕暮れが多いことにあらためて気づく。著者不惑の充実を実感させる歌集である。


 

第218回 大室ゆらぎ『夏野』

地図に散る島のかたちのそれぞれに夜明け飲み干す水の直立
大室ゆらぎ『夏野』

 夜明けに喉が渇いて目覚め、台所に行きコップに水を汲んで飲むという日常よくある光景である。一読して「カッコいい歌だなあ」と思ったが、よく考えると意味が取りにくい。上句と下句の間に詩的跳躍があるからだ。「地図に散る島のかたちのそれぞれに」までは、瀬戸内海のような多島海を思い浮かべる。地図上でここに小豆島、ここに直島、あそこに手島と島が点在している。ところが下句では一転して台所のステンレスシンクの前で水を飲んでいる場面に切り替わる。このような場面転換を伴う詩的跳躍で最もよくあるのは、どちらかがどちらかの暗喩になっているというケースだろう。
 私は次のように解釈した。ステンレスシンクに蛇口から水を流して止めると、流れきらずにシンクの底面に水が残る。残った水は表面張力のためにわずかに盛り上がり、まるで地図上の島のような体裁を見せる。それを多島海に喩えたのだろう。
 では「水の直立」とは何か。ふたつの解釈がある。ひとつはコップに汲んだ水のことで、コップは縦長だから中の水は直立していると言える。もうひとつは蛇口から垂直に流れ落ちる水である。しかし「水の直立」には「夜明け飲み干す」という連体修飾句がかかっているので、結果的にコップの水に軍配が上がる。溜まり水の水平とコップの水の垂直とが幾何学的に対比され、定型に落とし込まれた技巧的な歌である。
 歌集巻末のプロフィールによると、著者の大室は1961年生まれで、短歌人会の会員。結社内で数々の賞を受賞しており、2017年には本歌集のタイトルともなった「夏野」30首で短歌人賞の栄誉に輝いている。短歌人会入会前に『海南別墅』という第一歌集があるので、『夏野』は第二歌集ということになる。まったく知らない歌人であるが、手に取り表紙を開くよう私を誘ったのは造本の美しさである。永田淳さんの青磁社の刊行になる本書は上製本で、水色の花布と同色の栞紐が付けられている。近頃栞紐は珍しい。カバーは半透明で、少し緑がかった水色で大きく「夏野」と印刷されており、爽やかな風が吹き抜けるような美しい造本である。
 収録されている歌は旧仮名による文語定型で、編年体で編まれている。いくつか引いてみよう。

蓮の骨浅く沈めて澄みわたる冬しづかなる水生植物園
消えやらぬ昨夜よべの声々沼水にいよよ吸わるるみぞれ雪の影
草の刺触れて鋭しつぶらなる子牛のまなこにまつはる狭蝿さばへ
川の辺のおほきあふちの木の花の濃き香至りて宵を苦しむ
午後二時われに眠りの差すときにうつつにひらく睡蓮のはな

 一首目の上句「蓮の骨浅く沈めて澄みわたる」を見ただけで、著者は古典和歌に親炙していることがわかる。文語の手練であることは、詩語の選択だけでなく、その連接、斡旋においていっそう明らかだ。一首目、「蓮の骨」は枯蓮の残った茎で、人気のない冬の水生植物園の清明な空気感がよく感じられる。二首目、「消えやらぬ昨夜の声々」は前夜の何かの議論の声だろうか。沼の水に吸われてゆくのが雪ではなく雪の影だとしたところに工夫があり詩が感じられる。三首目は「触れて鋭し」に目が行く。草の刺が鋭いのは触れる前からそうなのだが、触れて初めて鋭いことが感じられるという表現である。狭蝿さばえは陰暦の五月頃に群れなす蝿のことで、夏の季語。四首目に詠まれている「おうち」は栴檀せんだんのことで、五月頃に花をつける。「栴檀は双葉より芳し」と言われた木である。五首目は初句「午後二時」が珍しく四音で軽い切れがある。眠りの夢と現実の睡蓮が対比されているのだが、逆にまるで夢の中で睡蓮の花が開いているようにも感じられるところがおもしろい。
 本歌集に帯文を書いた小池光は、大室の短歌は韻律がさわやかでイメージが美しく、確立された様式美があるとして、「これはまぎれもなく『新古典主義』の一巻である」と断じた。つまり古典和歌の世界を現代に現出させたものということで、確かに小池の言うとおりだろう。
 ではその新古典主義により描き出されている短歌世界はどのようなものかというと、「身体を通じた世界との交感」と言えるだろう。そこから大室の歌に刻印されている季節の移ろい、動植物など小さきものへの愛情、枯れたものや骨への偏愛、そして人間界と自然界の境界のゆらぎなどが生まれる。

木のうろに入りしばかりにおもむろにあはれあはれわれは蔓草になるぞ
片靡く枯れ葦原に立ち交じりかくも吹かれて人外じんぐわいにをり
かひ覆ふ青葉の界に参入す いささかわれを失はむとして
薄暮光けふは世界に触れ過ぎた指が減るまで石鹸で洗ふ
沼に湧く菱を覗いてゐるときもわれを出で入る呼気と吸気は

 一首目にあるように、作者は木の虚や藪の中などを好み、しばしば足を踏み入れる。そうすると人間界と自然界の境界はゆらぎ始め、人と草木が一体化する。そのときは「いささかわれを失う」のだが、それは不快なことではなく逆に作者の望むことなのである。しかし世界との交感が限度を超えると、たましいのメーターがレッドゾーンに入ってしまうこともある。この世界との交感が決して観念的なものではなく、五首目からわかるように身体を通して触れあうことによってなされていることにも注目しよう。勅撰和歌集の部立てが示しているように、季節の移ろいと自然との交感は古典和歌の根幹をなすテーマである。この意味においても大室の短歌は新古典主義と呼ぶにふさわしい。
 しかし読んでいて気づくのは、集中に桜の花を詠んだ歌が一首もなく、月もわずかしか登場しないということだ。登場するのは枯れ蓮や荒草や野茨や反魂草のように、ふだんはうち捨てられているような目立たない草木ばかりである。このあたりに作者の好みがよく現れている。

身は朽ちて流れ着きたり砂の上に清く連なる頸の骨かも
けだものの骨かと見えて川砂のうへに砕けている蛍光灯
さらされてさきけものの頸の骨三つばかりのしろき歯残る
狸の骨があると分かつてゐる道をけふも通れば目はそれを見る
欄干が低過ぎる橋きのふから砂にまみれて死んでゐる蛇

 作者は動植物や自然物のなかでも、小さきもの、毀れたもの、死んで骨となったものへの愛着が深い。このような歌がよく表しているように、いくら新古典主義といっても、雪月花と花鳥風月ばかりではなく、もう少し剥き出しの自然を詠んだ歌も多くあるのである。

叢にむくろさらしてゐるわれを荒くついばむ鳥にあてがふ
蔓草に口のうつろを探らせて喉の奥まで藪を引き込む
延びてゆく髪と蔓草しろき根に吸はれてわれは蔓草になる

 自分の遺体を鳥葬に付しているところを想像した一連である。日本の文化・文芸の特徴のひとつが自然との一体化であることに異論はあるまい。日本の伝統的家屋の室内と庭の連続性を見てもそれはわかる。しかしそれはあくまで風雅の世界での観念的一体化である。ところが上に引いた歌が示しているのは、もう少し荒々しいレベルでの一体化で、自我と自然の境界を強引に踏み越えようとしているように見える。この一連を読んで私は日本画家の松井雪子の絵を思い浮かべた。

たましひを揺らしに行かうむつちりと青き胡桃の生る下蔭に

 作者の世界をよく表している歌だ。お好みの木の下蔭が登場する。そこに人に見られないよう潜り込むのは「たましいを揺らす」ためである。
 すべてが自我の詩、〈私〉の表現となっている短歌はつまらない。私は見ず知らずのあなたの自我などには何の興味もないからである。歌が個から出発しながら個を超えて、普遍的レベルに昇華したとき、初めて歌は人の心に届くものになる。大室の歌で言うならば、身体を通した〈私〉と世界との往還、〈私〉と自然の「あいだ」のゆらぎ、人間界と自然界の境界の揺れに見るべきものがある。おっと、そう言えば作者の名前は「ゆらぎ」だった。これは果たして偶然の一致か。
 最後にいつものように心に残った歌を引いておこう。

沈黙をわれと分かちて朝を歩む雉のかうべに降れる水雪
人ひとり失せしこの世の蒼穹を夏へとよぎる一羽のつばめ
おびただしき羽黒とんぼは立ち迷ふ林の果てにひらく水明かり
真葛這ふカーブミラーの辺縁に歪んで映るわれと犬たち
烏さへ黙つてゐるあさ北半球なかば熟れたる桃は落ちたり
川土手にジグソーパズルは燃やされてジグソーパズルのかたちの灰は残りぬ
野づかさの墓地のはづれに束のまま捨てられてをり枯れた仏花は
蚊柱に入りて出づれば以前とはいくらか違ふわれとはなりぬ

追記 : この評をアップした後で、本歌集が第43回現代歌人集会賞を受賞したことを知った。喜ばしいことである。