第148回 中川佐和子『春の野に鏡を置けば』

無差別は格闘技ではなく殺傷の島国に藤の花房垂るる
           中川佐和子『春の野に鏡を置けば』 
   格闘技の無差別級は、体重制限による階級制のある格闘技で、体重を問わない階級を意味するが、実際は最重量級のことである。掲出歌は無差別殺傷事件を詠んだもので、おそらく2008年の秋葉原での事件だろう。次に「死ぬときに握っていたい手があるかダガーナイフの閃く日本」という歌が配されている。こちらはかなり直截な詠み方になっているが、掲出歌はより間接的である。日本と名指さずに島国とし、藤の花を配して季節感と死を悼む気持ちを滲ませている。この「滲ませる」というスタンスが短歌では重要で、中川はこの手法がうまい。短歌は政治的なスローガンではなく抒情詩である。作者には社会詠が少なからずあるのだが、このスタンスを外れることがないのが特徴的と言えるだろう。
 『春の野に鏡を置けば』は『霧笛橋』に続く第五歌集で、2007年から2012年までに制作された歌をほぼ編年体で納めている。中川は「未来」所属だが、「未来」の中では前衛的傾向や表現志向が薄い歌人で、「コスモス」や「心の花」所属だと言われてもおかしくはない。もともと河野愛子に憧れて短歌の道に入ったので、「アララギ」から「未来」の系譜に連なる位置にいると考えられる。
 一読して感じるのは、中川が短歌において目ざしているのは、現実(出来事)を詠むのではなく、現実(出来事)に接したときに生じる心の襞なのではないかということである。この世には自分の身に直接降りかからないことも含めて、毎日さまざまな出来事が起きている。それらの出来事はその大小にかかわらず、人の心に波紋を起こす。物理法則に作用と反作用があるごとく、出来事の作用は人の心に反作用を引き起こす。中川の短歌はそのように心に生じた波紋をていねいに掬い上げている。例えば次のような歌である。
人体に正しい野菜作りだす野菜工場よろこぶべきか
数本の管に繋がれ生終えし父を思へば明日はわれら
割箸が家にだんだん増えてゆく邪魔にならないはずの割箸
自販機にカット林檎が売り出される東京メトロ霞ヶ関駅
駅前の街路樹の雀去らしめて難民とせり冬の電飾
 一首目は無菌の野菜工場、二首目は病院で延命治療を受ける姿、三首めはコンビニ弁当を買うたびに増えてゆく割り箸、四首目は地下鉄の自販機でカット林檎が販売されるというニュース、五首目はどこの繁華街も冬には電飾を飾るようになり、そのためにねぐらを追われるスズメを詠んでいる。作者自身の体験もあれば、TVニュースのこともある。いずれも社会的な大事件ではないが、接する人の心に波が立つ。それを声高になることなく抑制して詠むところに中川の基本的スタンスがある。
 波風は作者自身に及ぶこともある。あとがきによれば、自身二度にわたる手術を経験し、夫君も同様に二度手術を受けている。
アキレス腱切ってしまってこうなればこうなるのかと病室のなか
松葉杖つく日々なれば不機嫌な四本足の生き物として
健康な人らのための駅ゆえにエレベーターまで大回りとなる
 先日私も不注意から左腕を負傷したのでよくわかるが、そうならないとわからないことがある。片腕が使えないと、食事・入浴・着替えのひとつひとつがままならない。上に引いた歌はそのような認識と狼狽がよく出ている。単に事実を述べるのではなく、コトに接した時の〈私〉が至る所にいる。それは最初に引いた歌群では、「よろこぶべきか」「邪魔にならないはずの」や、上の歌の「こうなるのか」などの措辞によく現れている。「べき」や「はず」などは、言語学ではモーダル表現と呼ばれている。文の表す意味内容に対する話し手の判断を表す言語要素である。疑問や否定などもこの範疇に入る。モーダル表現は話し手、つまり〈私〉を前景化する。読んでいて〈私〉の存在が強く感じられるのである。中川の歌を読んでいると、「自販機にカット林檎が売り出される東京メトロ霞ヶ関駅」のように表面上はモーダル表現が見られない歌においても、潜在的に「これはほんとうによいことなのだろうか」というモーダル表現が隠れているように感じられるのである。
 歌意の取れない歌が非常に少ないのも中川の短歌の特徴だろう。定型へと落とし込む技量はまぎれもない。また近くに住む母親の老いを見つめる歌も身につまされる。集中では次の歌に特に美質が現れていると思った。
この世からうすく離れてランニングマシーンに乗りぬ棚曇る午後
生きる身は犇めき合って出棺を待てり白梅ひらく真昼間
ラ・フランスの滑らかな線に沿うごとき言葉を交わす夜のはじめに
歳月の火影に見えてくる鳥よ一羽ずつその空負いながら
男物扇子が電車の席にあり春のひとつの謎のごとくに
邪魔になる感じというのがよくわかる白皿にのる疲れたパセリ

第147回 山口雪香『白鳥姫』

禽肉とりにくはすでに死屍たるひえ持てばまばたきもせず銀の塩振る
                        山口雪香『白鳥姫』
 鶏肉を調理している光景なので、いわゆる厨歌の部類に入る歌だろう。確かに売られている鶏肉は死屍であり死骸だから、死特有のの冷たさを持っている。生命とは温度である。その認識が「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿を残して」(小池光)という方向に向かえば、「死を咀嚼して生きる私たちの日常」というほのぐらさへと向かうのだが、作者が向かうのはそのような方向ではなく「銀の塩」という美的世界の方である。この方向性に作者の個性が表れていると言えよう。
 『白鳥姫』は出版されたばかりの山口雪香の第一歌集である。作者プロフィールなどという便利なものが付されていないのでよくわからないが、大辻隆弘の跋文によれば、山口は最初「未来」に拠り岡井隆の選を受けていたが、やがて姿を消し、ついで大辻の選歌欄に出詠するようになったという。その間の期間は「玲瓏」に所属していたらしい。つまり山口の短歌世界は「未来」と「玲瓏」の積集合のあたりに存在するようだ。ちなみに山口は一人芝居をする女優であり、山口椿の弟子だという。
 まず歌集の構成がおもしろい。第一章「姉珠」にはフランス語で「雪」を意味するneigeと降られている。音は「ネージュ」で、「姉珠」を「あねじゅ」と読ませてのことだろう。「雪」が作者の名に通じるのはもちろんのことである。第二章は「麗陀」にLedaと振ってある。レダとはスパルタ王の妻であり、横恋慕して白鳥の姿になったゼウスと密通した。歌集題名の『白鳥姫』がこれを踏まえたものだとすると、白鳥姫とはレダとゼウスの子であり、後のトロイア戦争の原因となった美女ヘレネだということになる。収録された歌にもギリシアを思わせるものがあり、湿潤な日本というより、陽光に満ち乾燥した南欧を感じさせる歌が多い。第二章は、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」という古典和歌の部立てになっていて、作者の古典への傾倒ぶりを感じさせる。実際、読み進むのに古語辞典は欠かせない。
 巻頭から数首引いてみよう。
たをやかになづさひ触れむ汝のうらに森のささやく羽音れなば
かがやかに汝のまみくる萌黄葉のれかへる陽光に満てり五月は
抱き来し硝子砕きし二眸ふたまみに弾くひかりは秘むべかりけり
擦り傷を舐める艶見き青い麦乳首ちちくきやかに木綿めんシャツもたげ
まみぶる翳閉ぢ白きぬか寄せてひとよ愛撫は月下に尽くさむ
 「青い麦」と題された連作で、言うまでもなくコレットの小説を踏まえている。四首目の「青い麦」は文語では「青き麦」となるところだが、小説の題名なのでそのままにしてある。文語定型で、古語それも上代語を好んで用いている。たとえば一首目の「なづさふ」は水に浮かび漂うという意味である。「たをやかに」「かがやかに」「眸寂ぶる」などの初句は、意味は有していながらも、意味よりは二句へと導く枕詞的機能が勝っているように感じられる。このような歌を読むときは、「森のささやく羽音」とは何だろうとか、「砕いた硝子」って何のことだろうなどと考えてもしかたがない。現実に対する指示機能をほとんど喪失した言葉なのだから、言葉の連接から浮かび上がるイメージと、言葉と言葉の衝突から生じる火花を味わえばよいのである。上に引いた歌から立ち上がるのは、くっきりと影を作る地中海の光、匂い立つエロス、そして不特定の「汝」に呼びかける相聞の力強さといったものだろう。
 「日々の歌」や「折々の歌」というものは影も形もない。それと平行して歌の意味を下支えする日常を生きる等身大の〈私〉もない。だからこれは、俵万智が『短歌をよむ』(岩波新書、1993)で短歌を作る際の心得として述べた「心の揺れをつかまえて」とか「感動の貯金」などという場所とは遠い地平で詠まれた歌なのである。あらためて現代短歌の振幅の大きさを思わずにはいられない。
 ではどのような場所から生まれるのかというと、可能性はふたつある。ひとつは言葉、ひとつは巫女である。ひとつ目の可能性は、現実との指示関係を最小限に抑えて、言葉を連接してゆくことで生まれる短歌世界で、要するに実生活から資材を得ずに作られた「コトバでできた歌」である。あらゆる短歌はコトバでできているのだから、語義矛盾のように聞こえるかもしれないが、言わんとするところは理解してもらえるだろう。例えば上に引いた四首目は、乳房が膨らみ始めた少女の青いエロスが主題なのだが、作者が本当に擦り傷を舐め、木綿のTシャツを持ち上げる少女を目撃したとは考えにくい。コトバが先にあり、それを組み立てることで歌ができるのである。
 もうひとつの可能性は、山中智恵子や水原紫苑がそれに近いが、「全身これ霊山」となって天から降って来るコトバを捕まえるという巫女系のケースである。ちなみに言語思想史の分野では、「異言」(glossolalia、またはgift of tongues)と呼ばれる事例が昔から報告されている。多くは宗教的恍惚のさなかに理解できない言語を話す例をさすが、それ以外にも、ある日突然、一度も学習したことのない外国語を話し始める例などもあって実におもしろい (これは私の裏テーマのひとつである。とても表では話せない)。「降って来る」人は意外に多いようだ。あとがきで作者が、あれこれ効果を考えて歌を作ったことはなく、「風が吹くように、耳の傍で海鳴りが聴こえるように、ふわりと歌は訪れる」と書いているところを見ると、山口はどちらかと言うとこっちなのかもしれない。
つばめ一閃少年のくびは細きかなトルソのペニス欲しきまひるま
逝く夏のかなしみ透かす桔梗は薄暮のやうにカノンのやうに
亡きひとの形見の絹を選りながら華やぐほどの深き夏の喪
押し花のはらりと崩れ風鈴にしまひ忘れの秋の風吹く
こゑあらねど静かに訪へる風蔭に夏いろ見えてまた水の貌
 一首目、トルソは広場に立つ少年の彫刻で、そこに燕が飛んでいるのだろう。とても日本の風景とは思えず、どこか童話風でもある。早い動きの「つばめ一閃」から、静かな「少年のくびは細きかな」の描写に移るところが見事だ。二首目、「桔梗」は音数から古名の「きちかう」と読むのがよい。本歌集の第二章が古典和歌の部立てを取り入れていることからもわかるように、どの歌にも季節がくきやかに現れている。なかでも作者のお気に入りの季節は夏のようだ。二首目は夏の中でも逝く夏、つまり夏が秋に移り変わる季節を詠んだもので、古来日本人が好んできた時候である。いつまでも暑い夏と思えば、いつのまにか秋の気配が漂うところに、移ろいのあはれを感じてきたのだろう。三首目は、真夏の形見分けの光景であり、華やぐのはもちろん夏を謳歌している自然である。華やぐ夏と喪の哀しみという外と内の対比が際立つ陰翳の深い歌である。四首目は後京極藤原良経の名歌「手にならす夏の扇と思へどもただ秋風のすみかなりけり」に通じる歌である。「しまひ忘れ」ているのはもちろん風鈴なのだが、それを秋風につなげているところに、詩的な統語転倒がある。五首目は夏と風と水の織り成すフーガのような音楽性を感じる歌であり、言葉の意味作用が最小限にまで切り詰められている。
 夏の終わりに読むのに最適の歌集と言えるだろう。

第146回 久野はすみ『シネマ・ルナティック』

海沿いのちいさな町のミシン屋のシンガーミシンに砂ふりつもる
           久野はすみ『シネマ・ルナティック』
 ショウウィンドーに並べてある売り物のミシンに砂が積もっているのだから、廃業したミシン屋か、廃業同然の開店休業状態にある店だろう。「海沿いのちいさな町」という提示の仕方に、どこかメルヘンのような、この世のものではない気配がうっすら漂う。そしてそれとは逆に「シンガーミシン」という銘柄が実に効果的に使われている。
 私くらいの年代の人間の子供時代には、どこの家庭にもミシンがあった。最初は足踏み式で、次第に電動式が普及した。シンガーミシンは最大手のメーカーで、うちにあったのもシンガーだったと思う。洋裁が家庭婦人の必須教科で、どこの家でも子供服は自分で縫っていた時代である。
 久野はすみは「未来短歌会」所属で、『シネマ・ルナティック』は第一歌集。跋文を岡井隆が書いている。題名のcinéma lunatiqueはフランス語で「気まぐれな映画館」の意味。昔、月の満ち欠けは人間の精神状態を支配すると考えられていた。英語でlunaticはもっと強い意味を持ち、頭の働きが正常でないことを言う。ちなみに題名は実在の映画館の名前から取ったそうだ。
 長いあとがきで語られているが、作者はもとは演劇の世界にいて演出家をめざしていたが、結婚・出産を契機に郷里に戻り演劇界を離れた。作者が短歌に出会ったのは小林恭二『短歌パラダイス』(1997、岩波新書)、略称「短パラ」だという。短歌を志す人でこの本を読んだことがない人はいないだろう。私も姉妹編の『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』と並んで、何度読み返したかわからない。ちなみに俳句編が二冊出ているのに、短歌編が一冊しか出ていないのは、句会と比較して歌合を開催するのがいかにたいへんかを物語っている。それにしても「短パラ」をきっかけに生まれた歌人とは感慨もひとしおである。
 さて、久野の作風であるが、さすがに演劇をめざしていた人だけあって、一首の中にドラマがある。たとえば次のような歌である。
春を待たずして行方しれずになりしとぞ喫茶きまぐれ髭のマスター
伝書鳩もどらぬゆうべ一片のパンにてぬぐうジビエのソース
どのドアも朽ちてしまってアンティークショップに並ぶ真鍮の鍵
知らなくていいことを知るゆうまぐれダム放流をサイレンは告げ
耳たぶのかたちの似たる父と子を乗せて進めり遊覧船は
 一首目、喫茶店に髭のマスターとはお約束のようだが、行方知れずとは穏やかでない。その裏側に何か人間ドラマが隠れているようだが、作者はそれには直接触れないのである。二首目、放った伝書鳩が戻って来ないのは事件である。そんな不穏な夕べに〈私〉はフレンチレストランでのんびりとジビエ料理を食べている。ジビエ(gibier)とは、狩猟で仕留めた獲物の総称で、主にイノシシ、シカ、キジ、カモなどがある。もちろん伝書鳩は食用にはしないが、皿の上のジビエとどこか不穏な照応をなしている。三首目、事実としてはアンティークショップに古びた真鍮の鍵が並んでいるということだけなのだが、かつてその鍵が開けたであろうドアは、時代を経てすでに朽ちているのである。四首目、知ってしまった「知らなくていいこと」とは何なのか、ぐっと興味をそそられる。そんな時にダム放流のサイレンが鳴る。上流で雨が降ったため、ダムの決壊を防ぐために放流するのである。そうすると下流で増水して、洪水を引き起こすこともある。五首目、父と子の相克は永遠の文学的テーマだが、この父と子にも何か激しいドラマがあったのだろう。しかし二人は黙って遊覧船に乗っているのである。耳の形が切っても切れない血縁を象徴している。
 このような歌を読んでいて気づくのは、背後にドラマを感じさせるためには、ドラマを暗示するアイテムを配するだけに留めて、直接ドラマを語ってはいけないということである。なぜ髭のマスターは出奔したのか、なぜ伝書鳩は戻らないのか、知らなくていいこととは何か、伏せられているからこそ、その背後に読者はドラマを感じるのだ。さすがに演劇畑の出身だけあって、押すべきツボを心得ているというべきだろう。
 また歌集題名に『シネマ・ルナティック』を選ぶだけあって、歌が映像的であることも指摘しておこう。これは掲出歌にも顕著である。「まるで映画の一場面のような」という形容がぴったりする。
 本歌集には上に引いたようなドラマを感じさせる歌が多くあり、単純な叙景歌は少ない。それは久野が表現を目ざしていて、想像力を駆使して歌を作っていることを意味する。あとがきで久野は、演劇と短歌に共通するのは「大きな嘘」だと述べている。両者ともに虚構の上に小さなリアルを積み重ねるのであり、また読者の側にも想像力を要求するところも似ているとする。
 とはいえ短歌は私性を逃れることはできず、そのことを最も感じさせるのは母を詠った歌である。
ゆるぎなく母である人おもたくて総菜の皿をわれは取り落とす
母というかたちふうわりと広ぐればただいちまいの布となりたる
娘とはほのぐらき沼ふかぶかと母を沈めて平らかである
貝印カミソリいつもしまわれて鏡台は母のしずかな浜辺
両うでにダイヤ毛糸を巻かれた日、その日より母の呪縛が解けぬ
 巻末近くに配されているこれらの歌は、映画的なドラマを感じさせる歌ではなく、より私性が滲み出ている。近頃、「重すぎる母」が話題になることもあるが、母娘関係もなかなか大変なようだ。しかしこれらの歌でも「貝印カミソリ」「ダイヤ毛糸」という固有名が効果的に用いられていることに留意しよう。これが「虚構の上に積み重ねるリアル」を担保するのである。
またひとつひみつができて裏庭の茱萸の実くちにふくむ初夏
いきものの匂いを部屋に持ちこめば終わりがすこし近付くような
ゆうぐれのじゃんけんのごとく消えゆけり観覧車その役目を終えて
はみ出した何かを引いているようだ駅構内を行き交うキャリー
遠くより眺むる花火すこしだけ遅れて届く哀しみのあり
 一首目は音が美しい。「ひとつ」「ひみつ」の頭韻と脚韻、「茱萸の実くちにふくむ」のク音、ミ音の連続、「ふくむはつなつ」のフからハへの移行と、ツの連続がそれである。二首目、部屋にペットの犬か猫を入れるのだろうが、動物そのものを消して匂いだけを提示している。生き物の匂いは即生命へと繋がり、生命の有限性は私たちに時間の支配を強く感じさせる。三首目、夕暮れは逢魔が時、消える観覧車は決してマジックではない。廃業した遊園地の観覧車が取り壊されたと取ってもよいのだが、ここでは一夜にして移動する移動遊園地と解釈した方が楽しい。レイ・ブラッドベリの小説にも登場するが、ヨーロッパやアメリカには移動遊園地というものがある。大きなトラックで機材を運び、町の駐車場のような空き地を借りて、遊園地を作るのである。小規模ながらジェットコースターや観覧車やメリーゴーラウンドなどもある。数日営業したら解体してまたトラックに乗せて次の町に行く。一夜にして消失する遊園地である。四首目、確かにキャリーバッグをゴロゴロと引きずって歩いている人は、体に納まり切らずにはみ出した何かを引いているようにも見える。五首目、光と音の伝達速度の違いに着目した歌である。花火がパッと開いて、数秒経ってから爆発音が届く。それを哀しみの速度に喩えたものである。
 いずれも美しい歌で、作者の作歌の力量と着眼点をよく示している。あとがきで、制作年代にはこだわらず短編集を編むように構成したとあり、想像力を駆使する作風と一首にドラマを盛り込む演出から言えば、連作に向いているかとも思う。
 余談ながら版元の砂子屋書房の造本はあいかわらず瀟洒で美しい。わが家の近くに恵文社という、おそらく京都で最もよく知られた書店があり、いつぞや「美しい本」の特集展示に紀野恵が砂子屋書房から出した歌集が何冊か並べられていた。砂子屋書房の本は、昔は金井印刷、製本は並木製本だった。製本は今でも変わらないが、印刷所が長野印刷商工に変わったのは金井印刷が廃業したからか。活版ができる印刷所は今では貴重である。いつまでも続けてほしいと望むばかりだ。

第145回 穂村弘編『短歌ください 2』

みんな違う理由で泣いている夜に正しく積まれるエリエールの箱
                   たかだま(女・21歳)
 きっとあまり注目されないだろうから、最初にここに書いておくが、澤村斉美の歌集『galley ガレー』(青磁社)が、第48回造本装幀コンクールで最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。私も知らなかったが、このコンクールは日本書籍出版協会が、出版文化振興のために毎年開催しているのだそうだ。装幀を担当した濱崎実幸のインタビューが朝日新聞に載っていた。それによると、カバーには印刷所に嫌われることは承知で、手に吸い付くような感触の紙を用いたそうで、また単調さを避けるために、16ページごとに色の異なる紙を使ったという。改めて本の小口を見ると、確かにそうなっている。微妙な所に工夫が施してあるわけだ。ちなみにこのコンクールでは、堂園昌彦の『やがて秋茄子へと到る』(港の人)が日本印刷産業連合会会長賞を受賞している。このコラムでも造本の美しさを褒めたので、受賞は喜ばしいことである。
 こちらで受賞者一覧を見ることができるが、おもしろいことに、書名・装幀者名・出版社名・印刷所名・製本会社名だけが載っていて、作者名がない。本の中身ではなく、物理的実体としての外側だけが評価の対象になるからだろう。私たちはふだんそのような目で本を見ていないので、地軸が数度傾くような感覚を覚えるが、なるほど本は著者だけのものではないのだと納得もするのである。

 穂村弘編『短歌ください その二』が出た。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載企画から生まれたもので、2011年に最初の巻が出版され、このコラムでも取り上げた。最初の巻のあとがきで穂村が書いているが、一般読者から題詠を募集するという企画を考えたとき、ほんとうに投稿が集まるのか不安だったという。ところが案に相違して多くの投稿が集まり、第二巻まで出版されることになったのだから、世の中に潜在的短歌作者はたくさんいるということなのだろう。そのほとんどは伝統的な結社とは無縁の人である。ブンガク魂は意外に多くの人の心に宿っているということか。もちろん投稿者の全員が短歌の素人というわけではなく、第一巻には後に歌集『春戦争』を出す陣崎草子、『かたすみさがし』の田中ましろがいたし、『つむじ風、ここにあります』の木下龍也も常連である。この人たちの多くは「かばん」の同人なので、「ダ・ヴィンチ」の投稿欄が穂村の選歌欄と見なされているのだろう。読書家として知られているピースの又吉直樹も「くす玉の残骸を片付ける人を見た」という歌が一首選ばれている。短歌というより自由律俳句に近い。
 おもしろいと思った歌をいくつか引いてみよう。
どこにでも行ける気がした真夜中のサービスエリアの空気を吸えば
                       木下ルミナ侑介
顔文字の収録数は150どれもわたしのしない表情
                  一戸詩帆
ホームと車体とを他者にした闇によだれを垂らす聖者は8歳
                     冬野きりん
煮え切らぬきみに別れを告げている細胞たちの多数決として
                      九螺ささら
味の素かければ命生き返る気がしてかけた死にたての鳥に
                     九螺ささら
エックス線技師は優しい声をして女の子らの肺うつしとる
                     猿見あつき
みそ汁に口を開かぬしじみ貝はじめて母に死を教わりぬ
                     麻倉遥
だしぬけに葡萄の種を吐き出せば葡萄の種の影が遅れる
                     木下龍也
結界のように真白い冷蔵庫ミルクの獣臭も冷やして
                     高橋徹平
冬の朝窓開け放ちてあおむけば五体にひろがりやまぬ風紋
                      寺井龍哉
 付箋の付いた歌を改めて見直すと、ネット短歌などですでに活躍している人が多い。木下侑介はいつのまにか「ルミナ」というミドルネームが付いている。一戸詩帆は朝日歌壇賞の受賞者である。寺井龍哉は本郷短歌会に所属し、今年の「短歌往来」7月号の「今月の新人」欄に歌を載せている。付箋が付くのはどうしても、このような手練れの人たちになってしまう。今回いちばんたくさん付箋が付いたのは木下ルミナ侑介だった。
水筒を覗きこんでる 黒くってきらきら光る真夏の命
                       木下ルミナ侑介
カッキーンって野球部の音 カッキーンは真っ直ぐ伸びる真夏の背骨
夏の朝体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と
君の手のひらをほっぺに押しあてる 昔の日曜みたいな匂い
 いずれも爽やかな青春歌である。いつもの癖でついついこういう歌に付箋を付けてしまうが、素人投稿欄でおもしろいのは素人ならではの破壊力を備えた歌だろう。
エスカルゴ用の食器があるのだし私のための法で裁いて
                      麻倉遥
君を待つ3分間、化学調味料と旅をする。2分、待ち切れずと目を覆い、蓋はついに暴かれた。                   せつこ
鉄分が不足しているその期間車舐めたい特に銀色
                  九螺ささら
アリよ来い迷彩アロハシャツを着た俺が落とした沖縄の糖へ
                        小林晶
 一首目では自分だけの法を要求する根拠にエスカルゴ用の食器を持ち出すところがおもしろい。タコ焼きを焼くような穴のあいた陶器のことだろう。二首目は最初読んだとき、何のことだかわからなかった。穂村の解説によれば、これはカップ麺に湯を注いで3分間待てずに、途中で蓋を開けて食べてしまった場面だという。大幅な字余りと暴走感覚がすごい。三首目、妊娠中や生理のときには、味覚や嗅覚が変化すると聞いたことがあるが、それにしても車を舐めたいとは奇想天外である。「特に銀色」が効いている。四首目もおもしろい歌で、「沖縄の糖」はふつうに考えれば、沖縄名産の黒糖かサトウキビジュースか、あるいはそれらを用いたアイスクリームだろう。作者は女性なのだが、「アリよ来い」という力強い呼びかけといい、意味を読み込みたくなる歌である。

 とまあ楽しんで読んだ一冊だったが、途中から思考はあらぬ方角へ彷徨い始めた。投稿された短歌のほとんどが、日頃読み慣れている近代短歌とどこか決定的に違うと感じたからである。投稿作品のほとんどは口語短歌だが、私が感じた違いは文語と口語の差ではない。もっと深い場所にある違いなのだが、その違いを言語化するのに時間を要した。
 投稿された短歌の多くは「あるある系」の歌なのだ。日頃注意を払うことはないが、改めて指摘されると「ああ、そういうことあるよね」と共感を呼ぶ。この共感が歌の眼目となっている歌のことだ。たとえば次のような歌がそうだろう。
ラーメンを食べてうとうとしているとゴールしていた男子マラソン
                        綿壁七春
試着室くつを脱ぐのかわからない わからないまま一歩踏み出す
                        竹林ヾ来
ドアの隙間に裏の世界が見えました線対称な隣の間取り
                        弱冷房
 「あるある系」の歌とは「共感系」の歌だと言ってもよい。その構造は「何かの出来事に遭遇した私」を中核として構成される。一首目ならばうとうとしてゴールを見逃した私で、二首目では試着室でうろうろしている私、三首目では団地の隣の部屋をドアの隙間から見た私である。一首全体が「何かの出来事に遭遇した私」という単層構造になっている。
 では近代短歌はどうか。ランダムに引いてみよう。
冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生のごとし
                        岡井隆
睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月
                       大塚寅彦
死は道に落ちていたりきあるときはこがねむしの緑光として
                       吉川宏志
 岡井の歌が描く情景は、夜の台所で冷蔵庫を開けたときの卵ケースである。この情景をAとしよう。情景が描かれているということは、潜在的に知覚主体がいるということで、知覚主体をBとする。するとB (A) という関係が成り立つ。AはあくまでBの知覚として成立する事態である。次に「だまされて来し一生のごとし」という感慨はBの抱いたもので、これをCとすると、B (C) となる。するとこの歌の構造は次のように表示できる。

 B (A)
 │
 B (C) 

 ふたつの式をつなぐ縦棒が喩である。しかもこれに加えて岡井の歌には、情景内部の主体Bのほかに、「だまされて来し一生のごとし」と感じているBを外から見ているもう一つの主体Dがある。Dがなければこれは歌にならず、一時の感慨で終わってしまう。D≒Bだが完全に同じものではない。すると上の式は次のように書き換えられる。

  ┌ B (A)
D │ │
  └ B (C) 

 大塚と吉川の歌にもほぼ同じことが言える。大塚の歌ではA=「あけぼのの月」、C=「睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむ」で、吉川の歌ではA=「こがねむしの緑光」、C=「死は道に落ちていたりき」である。要するに近代短歌、および近代短歌の流れを汲む現代短歌は、複層構造でかつ複線構造になっているのである。B (A) とB (C) とが複線であり、それらとDとが複層をなす。このような複雑な内部構造になっているからこそ、31文字という限られた言語空間に複雑な意味を盛ることができるのだ。
 これにたいして上に引いた「あるある系」もしくは「共感系」の歌は、単線構造であり同時に単層構造だということに注意しよう。これらの歌の眼目は「そんなことあるある」という共感に訴えることであり、そのためには「昨日こんなことがありました」ということを即物的に提示したほうがよいのである。大事なのはAであり、Bはいてもいなくてもよく、Dは端的に必要ない。なぜなら歌が呼び出す共感は、受け手(読み手)の側に期待されているのであり、送り手(書き手)は相手の陣地にボールを投げるだけでよいからである。
 「あるある系」の歌がしばしば構造的に平板に見えるのはこのような理由による。それは共感という意図された目的により選択された形と言えるだろう。これにたいして、近代短歌と近代短歌の流れを汲む現代短歌は、複層構造かつ複線構造を好むのだが、それは歌の目的が「あるある」という共感ではないからだろう。共感でないとしたら歌の目標は何か。それは文学空間において屹立することである。

第144回 紫陽花の歌

あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前がうたえ
                       福島泰樹 
 今週は別のテーマで短歌批評を書くつもりだったのだが、今朝起きてふと紫陽花の歌にしようと思いついた。梅雨時の街のあちこちで紫陽花が花をつけている。この時期をおいて他に書ける時はない。紫陽花は「今週の短歌」時代に一度取り上げているので重複するが、まあかまわないだろう。
 紫陽花は近代短歌が好んで題材とした花である。小池光も『現代歌まくら』で項目に挙げていて、次の歌を引いている。
森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
                          寺山修司
色変えてゆく紫陽花の開花期に触れながら触れがたきもの確かめる
                          岸上大作
 寺山の歌はこれ以上はない寺山節の青春歌で、青春の昂揚と裏腹の暗さを紫陽花が象徴している。岸上の歌は掲出した福島の歌と遠く響き合う。小池も触れているように、紫陽花は六月の花であり、六月は60年安保の記憶と結びついて、ある世代以上の人の脳裏に刻印されている。岸上の歌では紫陽花が色を変えるという特徴に焦点を当てて、それを思想的変節と呼応させているのだろう。
 『岩波現代短歌辞典』によると、紫陽花は日本原産であり、古来から日本にあった花だが、古歌ではあまり詠まれていないという。近代になってから好んで短歌に詠まれるようになったようだ。原種は現在目にする紫陽花よりも地味な額紫陽花で、人の目につきにくかったからかもしれない。大きな花をつける今の紫陽花は品種改良の成果である。紫陽花寺と呼ばれる名所もあるくらい好まれる花だが、紫陽花には路地が似合うような気がする。民家の建ち並ぶ路地の軒先でひっそりと咲くのがふさわしい。
 『角川現代短歌集成』の第3巻「自然詠」にも、千勝三喜男編『現代短歌分類集成』にも紫陽花の歌が多く収録されているが、よく見るとほとんど重複する歌がない。それほど現代短歌では紫陽花がよく詠まれているということだろう。紫陽花で焦点化されるのは、その球形の花の様子と、花の色が変化するという特徴と、何より雨の中で咲くという点だろう。
紫陽花のその水いろのかなしみの滴るゆふべかなかなのなく
                          若山牧水
あぢさゐのおもむろにして色移るおほかたの日数雨に過ぎつれ
                             吉野秀雄
あじさいはあわれほのあかく移りゆく変化へんげの花と人のすぎゆき
                          坪野哲久
 牧水の歌では紫陽花に降る雨が「かなしみの滴る」と表現されている。吉野と坪野の歌は花の色の変化に焦点を当てている。NHK衛星放送で放映されている「美の壺」という番組で知ったのだが、紫陽花の色の変化は色素が土中のアルミニウムと結合することで起きるもので、最初は青く次第に赤に変化するそうだ。だから「ほのあかく移りゆく」なのである。
光なき玻璃窓一めんにあぢさゐの青のうつろふ夕ぐれを居り  五味保義
あぢさゐの花をおほひて降る雨の花のめぐりはほの明かりすも
                          上田三四二
紫陽花のぼくのうへなる藍いろとみどりまじはりがたく明るむ
                           小中英之
 梅雨時の雨に降り込められた庭は昼間でも薄暗い。そんななかで咲く紫陽花は明るさの点景として捉えられる。五味の「光なき玻璃窓」はまるで額縁のように紫陽花を映している。上田と小中の歌では、紫陽花がぼんぼりのように灯りを点した姿で描かれている。
戸口戸口あぢさゐ満てりふさふさと貧の序列を陽に消さむため  浜田到
どの家も紫陽花ばかりが生き生きと貧しき軒を突き上げて咲く
                           長谷川愛子
 上の二首は珍しく紫陽花の社会詠とでも呼ぶべき歌である。紫陽花が一面に咲くと玄関口の貧富の差が隠れてしまう。長谷川の「貧しき軒」が並んでいるのは、古くて小さな民家が密集して建つ路地にちがいない。余談ながら、私はタモリにならって坂道探訪を趣味としているが、最近、それに階段と路地が加わり、小林一郎『横町と路地を歩く』という本まで買ってしまった。暗渠と廃墟にも食指が動くが、なかなかそこまで手が回らない。
美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり  葛原妙子
昼の視力まぶしむしばし 紫陽花の球に白き嬰児ゐる
斑らなるひかり散りゐて紫陽花はつめたき熱の嚢とぞなる
 好んで紫陽花を詠んだ歌人に葛原妙子がいる。幻視の女王の異名を取るくらいだから、葛原の歌では視覚が優位であり、とりわけその花の球形であるところを好んだようだ。「球の透視」とは占いの水晶玉の連想だろうか。
観る人のまなざし青みあぢさゐのまへうしろなきうすあゐのたま
                            高野公彦
廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり  小池光
 高野の歌は『短歌研究』6月号で小島ゆかりが「四季のうた」で取り上げていた歌である。小島は「まへうしろなき」という発見を強調していたが、私はむしろ「観る人のまなざし青み」のほうに感心した。紫陽花を見ている人のまなざしが青みがかるというのだが、現実にそのようなことが起きるわけではない。しかしそのようなことが起きてもおかしくないほど、紫陽花の藍が鮮やかなのである。
 紫陽花というと冒頭に挙げた福島の歌と上の小池の歌が頭に浮かぶ。福島の歌を最初に見たときは「ジョジョー」が「抒情」のことだとわかるのに少し時間がかかった。小池の歌は収録されている歌集『廃駅』のタイトルにもなった歌で、小池の代表歌と言ってもよい。「廃」には、廃墟、廃市、廃校、廃坑、廃位などに見られるように、哀れさとノスタルジーが付きまとう。廃駅に咲いているのは大輪の栽培種ではなく、花の小さな草紫陽花でなくてはならない。この歌の主題は「時間」なのだが、廃駅に草紫陽花を配して時間を感じさせたところがこの歌の魅力の秘密だろう。

第143回 阪森郁代『ボーラといふ北風』

小余綾こゆるぎの急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭
                 阪森郁代『ボーラといふ北風』
 なかなか凝った作りの歌である。まず「こゆるぎの」は枕詞で「磯」「いそぎ」にかかる。ものの本によれば、小余綾の磯は昔の相模の国、今の神奈川県小田原市の大磯あたりの海岸を指すという。古歌に「こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪」や「こゆるぎの磯たちならしよる浪のよるべもみえず夕やみの空」などがある歌枕である。掲出歌では「急ぎ」を導く枕詞として用いられている。次に「にはたづみ」は地面に溜まった雨水の意味だが、「渡る」「川」に掛かる枕詞でもある。掲出歌では「またぎぬ」で動詞がちがうので枕詞として使われているのではなかろう。次に「片蔭」は一方だけが蔭になっている場所のことだが、特に夏の日陰を指し、夏の季語でもある。したがって、夏の暑い日中に降った夕立か何かが残した水溜まりをひょいと跨ぎ越したというだけの歌なのだが、練達の修辞の魔力によって爽やかな一首となっている。この歌のポイントは「軽く」で、体感と同時に主観性を感じさせるこの一語によって、歌の描く情景は〈私〉へと接続される。そのあたりの短歌の生理を作者は熟知しているのである。
 『ボーラといふ北風』は平成23年に刊行された著者の第六歌集である。歌集題名は須賀敦子の著書『トリエステの坂道』に由来する。あとがきに阪森が須賀作品に深く傾倒していることが書かれている。『トリエステの坂道』は、『ミラノ 霧の風景』で一躍脚光を浴びた後、『ヴェネチアの宿』に続いて須賀が刊行した三冊目の著書である。トリエステは詩人ウンベルト・サバゆかりの街で、冬になるとボーラと呼ばれる強い北風が吹くという。集中の次のような歌は須賀の作品世界に触発されたものだという。
選択肢のひとつに数へ愉しまむアドリア海に向くトリエステ
捲られてブリキ色なる冬空はボーラと呼ばれし北風の所為せい
 「野の異類」で1984年に角川短歌賞を受賞した阪森が第一歌集『ランボオ連れて風の中』を刊行したのは1988年のことである。田島邦彦他編『現代の第一歌集』は注目すべき第一歌集の抜粋を編年体で編集しているが、阪森の二人前は加藤治郎、五人前は俵万智、阪森の次は荻原裕幸という並びになっている。しかしそのような台頭するニューウェーヴの潮流などどこ吹く風と言わんばかりに、『ランボオ連れて風の中』にはスタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が多く見られる。
透明の振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝
枯野来てたつたひとつの記憶かなそびらのみづのやさしく湧ける
いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある
 年月が流れるにつれ阪森は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだ歌は減る。それに代わって増えるのは、第五歌集『パピルス』の帯に岡井隆が書いたように「作風は自由、発想は奔放」な歌である。本歌集を読んでいても、ときどき不思議な歌に出会うことがある。たとえば次のような歌である。
宛先のラベルのゆがみ何でもないことの続きにひらく旧約聖書バイブル
急ぎゆく道すがらなる夏燕ちひさき顔は借り物に見ゆ
難波行き電車に揺られ五分ごぶといふたましひの嵩を思ひき
遊覧船といふものありて人は乗る我に返るはどのあたりなる
ときをりは怪しげなれど蜻蛉は蜻蛉らしきふるまひに飛ぶ
 一首目、「何でもないこと」がラベルのゆがみを指しているのかそれとも別のことなのかわからないが、いずれにせよ旧約聖書を開くという行為との連続性が不明である。二首目では燕の小さな顔が借り物のようだと言っているのだが、これまた奇想のたぐいで、そんなことを考える人がいることに驚く。三首目、おそらく「一寸の虫にも五分の魂」という諺が電車の中でふと頭に浮かび、「五分の魂」とはどのくらいの大きさなのだろうと考えたということなのだろう。四首目、関東ならば芦ノ湖か東京湾、関西ならば琵琶湖に遊覧船が運航している。それはよいとして「我に返る」とは何のことか。「どうして自分は遊覧船などに乗っているのだろう」と我に返るのだろうか。五首目は蜻蛉の飛び方を詠んだものだが、蜻蛉が蜻蛉らしい飛び方をするのは当たり前である。しかしときおり怪しい飛び方をするとは不思議である。
 このような歌を見るにつけ、阪森の短歌の根底には「存在論的思弁」が横たわっているように思えてならない。存在論的思弁とは、この世界と自分とがなぜこのようにあるのかを問う深い思考だが、それは思弁なので、ふと湧き出すこともあり、まま誤作動することもある。上に引いた歌は、そのようにふと湧き出した思弁が生んだ歌であり、だからこそ岡井をして「発想は奔放」と言わしめたのではないだろうか。
 日常よく目にしながら気がつかないことをずばりと詠む発見の歌というのがあり、そのような歌に出会うと私たちははたと膝を打つ。しかし阪森の歌はそういう類の歌とも肌合いがちがう。発見をどうだとばかり提示するのではなく、湧き出した思弁をひとり楽しんでいるような様子が見られるのである。
わが知らぬしづけさを知るオニヤンマうつつもどきの夕暮れを飛ぶ
スクランブル交差点を行くときのあるいはきのふへ向かふ足どり
日に灼けることの無ければ日盛りを何人よりもいきいきと死者
パッケージにかるく触れつつそのひとつ卵の意思としてのひび割れ
写されしすべては遺影となるものをハロウィンなれば南瓜を写す
 付箋のついた歌を引いたが、これらの歌にも不思議な雰囲気がまとわりついている。一首目の「うつつもどき」は「まるで現実のような」を意味するが、そうするとオニヤンマが飛ぶ夕暮れは幻想ということになる。実と虚が突然反転するような不思議な感覚に襲われる。二首目のスクランブル交差点は、同時にありとあらゆる方向に歩行者が横断するので、その中には昨日に向かって時間を遡行する人もいるのではないかということだろう。三首目、死者は日に灼けることはない。それはよいとして、日盛りを死者が生者に混じって歩いているというのは空想か幻視である。四首目、スーパーで購入した卵のパッケージの中にひびの入った卵がひとつあったのだろう。しかしそれを卵が自分の意思で割れたのだと見るのは奇想である。五首目、写真はやがて遺影となるというのは人物を写した写真に言えることである。その事実と、今日はハロウィンだから南瓜を写すということに論理的関係はないはずだ。
 このように阪森の短歌の持つ独特の顔つきは、存在論的思弁がふと湧き出して来たり、あらぬ方角へと暴走したりすることによって生まれた奇想がもたらしたものだと思われる。第五歌集『バピルス』にもその傾向が見られたが、『ボーラといふ北風』に至ってその傾向が強くなっているのは、存在論的思弁は年齢を重ねるにつれて深まるからである。若い人たちは、年齢を重ねると今はわからないことがだんだんわかるようになるのではないかと思うかもしれない。社会の仕組みや人情の機微についてはそうだろう。しかし存在論に関しては、歳を取るにつれて謎はいっそう深まるばかりである。
重ねあふ空あるのみに揚げ雲雀声はたちまちかき消されゆく
夕べには夕べの速さの瀬の音す月射せば月を砕く瀬の音
はじめなく終わりも見せず蜆蝶のみを残して秋は過ぎたり
ひとつぶは房より椀がる八月の雨のち薄日の淡さの中に
音もなく射しくるものをひかりとも影とも言ひて小公園に
 美しい歌群である。これがなぜ美しいかを説明するのは私の手に余る。ひとつだけ言えるのは、言葉を扱う確かな修辞力が作品世界を支えているということである。練達の歌集と言えるだろう。

第142回 照屋真理子『恋』

箸茶碗こともなく持ち両の手の互に知らぬ左右の世界よ
                 照屋眞理子『恋』
 黄金週間の間に不覚にも左腕を負傷して、短歌コラムを一週落としてしまった。腕を負傷したからといって、平出隆の『左手日記例言』のような名作が書けるわけでなく、ただただ不自由なだけである。おまけに負傷の原因が書斎の椅子からの転落とあっては、言うべき言葉がない。
 さて、照屋眞理子の『恋』は、『夢の岸』(1991)、『抽象の薔薇』(2004)に続く第三歌集である。前歌集以後、著者の人生には、御母堂ならびに句誌「季刊芙蓉」の主催者だった須川洋子の死という大きな出来事があった。須川の意志により、著者は「季刊芙蓉」の代表となり今日に至っている。人は誰しも長く生きていると、こちら側にいる家族・友人・知人よりも、あちら側にいる人数のほうが増えてゆく。いたしかたのないことである。そのことが本歌集に収録された歌に深い陰翳を与えている。
 第二歌集『抽象の薔薇』を取りあげた際に、照屋の短歌の特徴として、「存在にたいする理知的懐疑」と「短歌に詠われた世界の構造の複雑さ」を挙げた。この特質は本歌集でもいささかも変わらない。例えば掲出歌は、私たちが日常の食卓で、何も考えることなく右手に箸を持ち左手に茶碗を持つという事実に着目し、左右の手が独立に動き別の世界に属しているかのような不思議を詠んだもので、まずその着眼点に驚き、確かにそうだと得心する。しかし前歌集に較べてこのような形而上学的な歌が少ないのは、作者が歩んで来た人生に訪れた変化の故であろう。
 前回も触れたことだが、照屋の歌を論じるにあたって、「夢」という言葉を避けるのは難しい。「一期は夢」との認識が歌集全体にわたって通奏低音のように低く響いている。
美しい夢であつたよ中空ゆ振り返るときこの世といふは
つと視野を過ぎし螢のかの夜よりこの世を夢と思ひ初めにき
永き永き約束の果てかりそめに我と呼ばるる生命いのちなつかし
 この感覚は照屋の句集『やよ子猫』ではもっとストレートに表現されている。
神様に寸借の身を泳がする
ああわたしたぶん誰かの春の夢
 「この世は夢」と思い定めるということは、ひるがえって「あの世」が現実味を帯びてくるということである。この世が実であることが減れば、ある世が虚であることも減る道理だ。すると何が起きるか。この世とあの世を隔てる壁が限りなく薄くなり、それと連動して、虚と実、「我」と「我にあらざるもの」の境界線もますます曖昧になる。
万物ものみなのいのち夢見る春は来て死は朧生なほなほおぼろ
わたくしはもとよりあらぬものにしてある日は君でありさへもする
私のやうな君が来て言ふ君のやうな私に逢へる夢のはかなさ
 照屋の中には自分が人の形をしてこの世に生を受けたのは偶然にすぎないという感覚が強くあるようだ。次のような存在をめぐる形而上学的歌を読むと、あらぬ空想はリルケの詩歌やモランディの静謐な絵画へとふと誘われるのである。
秋冷の玻璃のかたはら行くときも人間われに人間の影
鳥けものはた人間のかたちしていのちはあそぶ春光のうち
心ここに在らざる夕べわが猫はずしりと膝に来て「在り」と言ふ
 「我」と「我にあらざるもの」の境界線が曖昧になると、一見すると短歌を支える〈私〉の溶解を招くと思えるかもしれない。ところが逆説的なことに、照屋の歌の背後には強く一貫した〈私〉が存在する。それは「生と死は等価である」と観じ、「我と我にあらざるものは逆の関係になっていたかもしれない」と思い定める〈形而上的私〉が照屋のなかにしっかりとあるからである。
 以下、目に留まった歌を取りあげてみよう。
現し世をわが眠るときあらぬ世にたれか目覚めて汲む朝の水
 現世を生きる〈私〉の影のようなもう一人の〈私〉が別の世にいる、いや別の世の〈私〉の方がほんとうの〈私〉で、今の〈私〉はその影にすぎないのかもしれないという無限遡及の問が美しい歌となっている。
つひに言葉となるたる人が雨の日のポストに来たり遺句集『信次』
 一読してこの表現に驚いた。俳句や短歌を残してこの世を去った人は「つひに言葉となりたる人」なのである。ボオドレエルも中原中也もこの世にはいないが、言葉となって残っている。
太虚おほぞらをしづかに紺は深みつつ物に立ち来る夕暮の貌
 これまた美しい歌である。美しすぎるかもしれない。夕の訪れはまず物に表れるという発見の歌でありながら、それを発見と感じさせないほどに措辞に溶け込んでいる。「太虚を」の助詞「を」が動かしがたいほどに決まっている。
たましひを戴くごとく桃に刃をあてをり外はかがやく真昼
 桃はよく短歌に詠われる果実であり、その形状の故か「たましひ」になぞらえられることもよくある。島田幸典に「たましいを預けるように梨を置く冷蔵庫あさく闇をふふみて」(『no news』)という歌がある。照屋の歌ではほの暗い室内と屋外の真昼の明るさが、危ういまでのコントラストを作っている。
追憶の彼方の恋や夕暮れの空へ振るため人は手を持つ
 これまで歌集タイトルに触れなかったが、『恋』とは大胆な命名である。歌集なかほどに「恋」と題された章があり、上の一首のみが配されている。作者は数年間病気の母親と暮らし、その日々は「見飽かぬ夢の繭籠もりの幸せ」であったという。この歌の恋は別れた人への追慕の気持ちであろう。
まぼろしの夏至りなばおもかげに人こそ恋ひめ夢の渚を
 最後に上の歌を取りあげたい。この歌では意味が洗い流されて、言葉だけが暮れなずむ夕空にかかる薄雲のように、いつまでも中空をただよっている。ほとんど意味を失った言葉を支え、中空に浮かせているのは短歌定型である。いつぞや照屋は、「自己表現のために短歌を作りたいと思ったことは一度もない」、「定型という楽器を最大限に歌わせるために歌を作る」と語っていたことがある。「まぼろしの」一首はまさに照屋の言葉どおりの歌であり、本歌集の白眉としたい。

第141回 千葉聡『今日の放課後、短歌部へ !』

手を振られ手を振りかえす中庭の光になりきれない光たち
         千葉聡『今日の放課後、短歌部へ!』
 『飛び跳ねる教室』に続く千葉の歌集が出版された。歌集というよりも、エッセーの間に短歌が少し挟まれている構成なので、歌文集と言うべきかもしれない。千葉は1998年に「フライング」により短歌研究新人賞を受賞しし、その後、高校の国語教員になっている。前作の『飛び跳ねる教室』では横浜市の上菅田中学、今回の『今日の放課後、短歌部へ!』では戸塚高校に勤務する汗と涙の日々が綴られている。
 千葉と同じく短歌同人誌『かばん』に所属する先輩の穂村弘は、自分の社会人としての不適格ぶり(自分がいかにアウトな人間か) を自虐的に描くエッセーの名手として評価が高いが、千葉も自分に最も適した表現形式をようやく見つけたと言ってよいかもしれない。それは本書のように実録エッセーと短歌とが照らし合い響き合う形式である。帯に「青春とは、永遠の中の停止した一瞬」(東直子)、「青春とは、無名性の眩しさ」(穂村弘)と印刷されていて、巻末には「短歌には青春が似合う」と題した千葉・東・穂村の座談会が付されており、東と穂村が選ぶ青春の歌十首が添えられている。本書の主題が「青春」であることがわかる。おまけにエッセーの随所に千葉が選んだ青春にちなむ名歌が挿入されていて、これでもかというサービスぶりだ。まるでコンビニで弁当を買ったら、即席味噌汁とペットボトル入りの緑茶まで付いて来たようだ。お買い得と言えるだろう。
 本書の主な内容は中学から高校に転勤になった千葉 (生徒からは「ちばさと」と呼ばれている)の汗と涙の奮戦記なのだが、登場する教員が個性的である (キャラが濃い)。教員室のストーブで餅を焼いて、何でも「そんなことはいいんだ」で済ませてしまうフナダ先生 (フナじい)、バスケ部の鬼顧問で超体育会系のカオリ先生、そんな先生たちに囲まれ助けられながら、悩みつつ教員として少しずつ成長してゆく千葉。この構図はどこかで見たような...そう、これはちばさと版『坊っちゃん』なのである。そう思って読めば本書のキーワードが「青春」であることもうなずける。
 とりわけ印象に残るのは「ラアゲ」というニックネームの女子高校生のエピソードだ。ニックネームの由来は、自分はカラアゲが好きなので、「カ」を取って「ラアゲ」と呼んでくださいと自分から千葉に申し出たことによる。なぜ「カ」を取るのかは謎である。女子高校生には謎が多い。ラアゲはちばさとに『若草物語』『赤毛のアン』『あしながおじさん』を課題図書として与え (生徒が先生に課題図書を出すということがそもそも変だ)、読んだ後に千葉が感想を述べると、「それではまだ深く読んだとはいえません」とダメ出ししたという。そして『スウ姉さん』だけは読まないようにと釘を刺した。ラアゲが千葉に与えた課題図書はすべて、作家や芸術家になることを夢見ている主人公が、さまざまな困難を乗り越えて自分の夢を実現する物語で、『スウ姉さん』は家族のために夢をあきらめるという物語であることに千葉は気づく。千葉が歌人であることは生徒にも知られているのだが、高校に転勤になって部活動の顧問などに忙殺されて、千葉は短歌を作れなくなっていた。そのことを授業中に自虐的に生徒に話していたのだ。ラアゲは「自分の創作活動を自虐ネタにしないで、夢に向かって進んでください」と千葉に伝えたかったのである。こんな生徒を持った教師は幸せだ。
 また千葉は国語の授業の一環として、毎回黒板に自分が選んだ短歌を一首書いていたという。結局、高校には千葉が望んだ短歌部はできなかったけれど、卒業してゆく生徒の心のどこかには黒板に書かれた短歌が残るだろう。
 エピソードばかりに気を取られて収録された短歌に気が向かわないが、何首か引いておこう。
一面に風のかたちを抱きしめてすぐに手放す春のプールは
トレーニングルームに野球部五人いて今日限定で懸垂が流行る
数学を放って食堂へと急ぐ少女の肩に食いつくカバン
グラウンドを駆けゆく背中まっすぐに天空を挿すオールであれよ
一握りほどの光を海底に置くように君は頷きかえす
約束は果たされぬまま約束を信じたころのかたちで眠る
歌に詠み続けよう 今ここにある光、ため息、くちぶえなどを
 千葉の短歌では光を詠んだものが特によい。巻末の座談会で、「自分は東さんと違って、見たものとか経験したものじゃないと書けないっていうのを改めて感じました」と千葉が発言しているのに注意を引かれた。確かに「好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ」という東の歌など、現実にあったことを書いているのではなく、想像から紡ぎ出したものだろう。千葉はそれはできないと言っているのである。つまりは千葉にとって短歌は、言葉を組み合わせることで今までにはない意味の世界を作り出したり、言葉と言葉が軋み合って発光するようなものではないということだ。自分の体験と見聞きした出来事がまずあり、それをもとにして短歌を作ってゆくのである。
 本書のようにエッセーに短歌が混じる構成が千葉のスタンスに適しているのはそこに理由がある。歌集のみでひとつの自立的宇宙を立ち上げるのではなく、経験したエピソードと短歌とが響き合うというスタイルを千葉が選んだのは決して偶然ではあるまい。しかしその分だけ本書で短歌の占める比重が軽くなっているのは否めない。
 千葉が選び随所に挟み込まれた青春短歌を拾い読みするだけでもおもしろい。たくまずして若者向けの短歌入門書となっている。しかし、大辻隆弘の「結局みんな散文に行ってしまうのか」という嘆きがまた聞こえてきそうではあるが。

第140回 榮猿丸『点滅』

ビニル傘ビニル失せたり春の浜
          榮猿丸『点滅』
 短歌と比較した場合の俳句の最大の魅力は、日常を一瞬にして詩に昇華する魔術のごとき業だろう。短歌では、上句と下句が反射し合い、相関し合って抒情詩としての詩的世界を作るので、意味の比重が大きくなる分だけ、世界の立ち上げに時間がかかる。短歌は意味の世界なのである。これにたいして俳句では意味の比重がぐっと軽くなり、それに反比例して視覚性が高まる。居合のように、光景をスパッと切り取って提示する。しかも有季定型俳句では、切り取った光景のどこかに季節を感じさせる季語が入っていなくてはならない。
 掲出句ではそれはもちろん春の浜である。春なので浜辺には人がいない。天気のよい日で、海はゆったりと波を寄せている。浜辺にビニールを失って骨組だけになったビニール傘がころがっている。コンビニで200円くらいで売られていて、使い捨てられる傘である。骨のいくつかは折れ曲がっているだろう。まるで現代美術のオブジェのように日光を浴びて砂地に細く影を落としている。
 およそ芸術に描かれるような美しいものではない。それが季語を与えられ、定型にはめこまれ、作者の愛情によって磨かれると、日常性は詩的昇華を遂げて美の世界が現出する。絵になる素材を求めて歌枕に吟行するのではなく、私たちがふだん暮らしている日常の中から自分の目で詩的素材を発見する。これが作者榮猿丸のポリシーと見た。
 榮猿丸は1968年生まれ。國學院大學で哲学を学んでいる時に俳句と遭遇するが、その時は短期間に終わり、後に「澤」に入会して小澤實に師事する。二年後に編集に参加し、編集長も務めている。『点滅』は榮の第一句集。正木ゆう子の栞文によると、2008年に榮が「とほくなる」50句で角川俳句賞に応募したとき、審査員だった正木は榮を受賞者に推したのだが、長谷川櫂が反対して激論になったらしい。結局、榮は次席になり、受賞したのは阿倍真理子。選考の経過と受賞作を載せた「角川俳句」の号の表紙には「3時間以上に及ぶ大激論!」という惹句が印刷されて、榮はかえって名を知られることになる。
 高柳克弘が栞文で書いているように、榮の俳句を読んでまず最初に気づくのは、詠まれた素材の新奇さである。宗匠帽を被って縁側で句をひねる風流人ならばおよそ取りあげないような素材を榮は好んで詠む。
しやぶしやぶ鍋真中の筒や葱くつつく
箱振ればシリアル出づる寒さかな
フライドポテトの尖にケチャップ草萌ゆる
山晴れていなりずし照る暮春かな
ガーベラ挿すコロナビールの空壜に
ダウンジャケット継目に羽毛吹かれをり
 一句目、中央に筒が立つしゃぶしゃぶ鍋は、確かに肉や野菜がうっかり筒にくっつくことがある。筒は高温になっているので、そのままじゅっと焦げ付いてしまう。後の手入れが大変だ。二句目は冬の朝食の風景。朝食用のシリアルは確かにたいていの人が箱から振り出している。シリアルが皿に当たる硬質な音が冬の寒さを感じさせる。三句目、ハンバーガーショップのフライドポテトにケチャップやバーベキューソースをつけて食する習慣はいつ頃から始まったものか。ポテトにべったりとケチャップをつけるのではなく、尖端だけに少量つける。ここがポイントである。四句目は解説の必要もないほどそのままの句。春の終わりの光量の増した日光にいなり寿司が照り映えている。穏やかで平和な光景である。五句目のコロナビールは、壜の口からライムをぎゅっと搾って口飲みするのがお洒落とされた都会的アイテムだが、空壜に花を挿して飾るのは、いかにも独身男性の一人住まいを感じさせる。六首目、もうずいぶん長く着ているダウンジャケットなのだろう。身頃と袖の継ぎ目がほつれて中の羽毛がはみ出している。わずかな羽毛に気づいたのだから、ダウンジャケットの色はたぶん黒だろう。
 このように都会に暮らしている私たちの日常の中で、誰でも出会いそうな取るに足らない微細な事象を掬い上げて句にしている。思わず「あるある」とつぶやいてしまいそうだが、このあるある感は日常の中で成立する感覚で、いったん俳句の世界に視座を移すと他にあまり類を見ない句風である。『超新撰21』で榮の解説を書いたさいばら天気はその理由を、榮が俳句の国に暮らしているのではなく、現実という当たり前の世界から「俳句の国」に出かけるからだとする。つまりは俳句の外部から内部へと手を伸ばしているからだという。興味深い見方である。
 私たちが暮らしている現実という当たり前の世界には、カタカナ語が氾濫している。カタカナ語を使わずには一日たりとも過ごすことができないだろう。榮の俳句にカタカナ語が多いのは、奇をてらって素材の新奇性を求めているからではなく、現実の私たちの生活にカタカナ語が氾濫しているからにすぎない。しかし榮の俳句ほどカタカナ語の多い句は珍しいようで、角川俳句賞の選考会でもこのカタカナ語の多さは批判されたという。
 朝日新聞の俳句時評で本句集を取りあげた田中亜美は、俳句は恋愛を詠むのが苦手な形式だが、珍しく恋の句が多いと評しており、それはまた多くの評者の指摘するところでもある。
春泥を来て汝が部屋に倦みにけり
裸なり朝の鏡に入れる君
別れきて鍵投げ捨てぬ躑躅のなか
わが手よりつめたき手なりかなしめる
愛かなしつめたき目玉舐めたれば
髪洗ふシャワーカーテン隔て尿る
われを視るプールの縁に顎のせて
 多いと言ってもこれくらいである。若い人の作るうきうきした恋の句ではなく、苦みの混じった大人の恋である。衝撃的なのは五句目で、ふつうの性愛の動作に飽きたらず相手の目玉を舐めるというのは、愛の切なさと同時に近い別れを予感させる。ボオドレエルの「sed non satiata」(されど我なお飽き足らず)という詩を連想する。栞文でこの句を含む榮の恋の句を取りあげた高柳克弘は、「榮猿丸の相聞句は、まだ信じるに足る愛というものが、この世界に存在していることを教えてくれる。貨幣にも情報にも還元されることのない、かけがえのない愛が」と締めくくっている。
 印象に残った句をあげておこう。
片影や画鋲に紙片のこりたる
若芝に引く白線の起伏かな
ランボー全集全一巻や青嵐
按摩機にみる天井や湯ざめして
ダンススクール西日の窓に一字づつ
トイレタンクの上の造花や冬日差す
ピカソの眼勁し生牡蠣啜りたる
ペットボトル握り潰すや雲の峯
 ちなみに「愛されずしてTシャツは寝間着になる」は藤田湘子の名句「愛されずして沖遠く泳ぐなり」の本歌取りか。高柳克弘の栞文のすばらしさも印象に残った。ちなみに句集題名の『点滅』は、『超新撰21』の巻末合評座談会で師の小澤實が「一句の中で何かが明滅しているような印象です。変わっています」と述べたのを受けての命名か。

第139回 川崎あんな『あんなろいど』

はゞたける空あるやうにひらきをる貝殻骨の ゆふかたまけて
              川崎あんな『あんなろいど』
 貝殻骨は肩胛骨の異称で、左右に広く開いているのが見えているのだから、誰かの後ろ姿を見ているか、さもなくば自分の背中を鏡に映しているのだろう。前者の方が想像を誘う。貝殻は海のものだが、それが空を羽ばたいていると見立てるところに、対立物の衝突から生まれる詩的感興がある。おまけに時刻は夕暮れ時である。空は茜色に染まっていることだろう。貝殻の帯びる薄いピンク色と夕焼け空の色は、今度は位相を同じくするものとして響きあう。上句に連続するア音によって、のびやかな空間の広がりをも感じさせる美しい歌である。
 掲出歌を選ぶとき、どうしてもこのような美しい歌を選んでしまいがちなのだが、このような歌が本歌集を代表する歌というわけではない。むしろ逆で、このような歌のほうが少数派である。では本歌集の基調をなす歌はどのようなものかといえば、次のような歌だと思われる。
花の向き直し遣りてもふたたをみたびを傾ぐはなの向きの
今しがた手向けられにしことと ぴんとひらけるゆりのはなに
 両親の墓参りに行った時の歌である。すぐに分かることだが統辞が異様である。一首目の「花の向き直し遣りてもふたたをみたびを傾ぐ」までは順当な接続だが、結句の「はなの向きの」が宙に浮く。助詞「の」は、「花の色」のように属格を表す用法と、「鐘の鳴る丘」のように「が」に代わって主語を表す用法があるので、結句は「はなの向きが」と取れば「傾ぐ」の主語と取れなくはない。しかしそれよりも「の」の解釈は属格と主語との間を限りなく揺曳するかのごとくである。二首目の「今しがた手向けられにしことと」も中途で切断されている。本来なら「ことと気づく / 思う」と続くはずである。このように多くの歌で倒置法が用いられていることに加えて、「の」終わりの歌が異様に多く、かつ述語が欠落している歌も少なくない。この特徴的な統辞が意味の決定を時に阻害もしくは遅延するため、一首は茫漠とした虚空を散る桜の花びらのように漂う印象がある。しかしそれが瑕疵かと言えばそのようなことはなく、これこそが本歌集の最大の魅力なのである。
 本歌集は『あのにむ』(2007年)、『さらしなふみ』(2010年)、『エーテル』(2012年)に続く川崎の第四歌集である。題名の『あんなろいど』は作者の名「あんな」と、「類似したもの」「まがいもの」を表すギリシア語源の接尾辞 -oid を合成したもの。android, humaoid, celluroid のように用いる。つまりは作者そのものではなく、作者の類似品ということである。本歌集もあとがきなし、作者のプロフィールなしの徹底した〈私〉の消去が貫かれている。
   『エーテル』について2012年に批評を書いたところ、ややあってご本人から簡潔なお礼の電子メールが届き、前後して美術本が送られてきた。彫刻の写真集である。これにより川崎あんなは彫刻家であることを知った。ただしこの写真集も解説なし、プロフィールなし。開いてみると石膏の塑像が多い。中にはポンペイの遺跡で見た人体像のような塑像あり、聖母マリアを思わせる像もあり、ジャコメッティのような細長い像もある。そのすべてが永遠に未完成の雰囲気を漂わせ、紺碧のエーゲ海の底から引き揚げられたかのような風情である。
 前回『エーテル』について書いたとき、「評価に迷う一冊である」という吉川宏志の書評に言及し、独特の言い差し感は平井弘に学んだものだろうと書いたが、浅薄な見方だったと思う。ここまで来ると誰かに学んだものではなく、川崎独自の生理に基づく語法なのだろう。そう思えるほど類例のない統辞である。いくつか引いてみよう。原文は旧仮名遣いで本字なのだが、パソコンの制約で新字にせざるをえず、大いに興趣を損ねるのだがご容赦いただきたい。
線香のけぶりながるるそのさまの 見るともなしに見てゐるものの
うつせみのひとは冠れる夏帽子、鍔はさえぎるふづきのひかり
ダイヴするひとは見えゐつ八月の昼をう゛いんせんととおます橋を
不思議といへばふしぎにて口にするやなぎはらみよこさんちのぷらむ
塩まみれとなりし超瓜しろうりの仕立てられむとしつゝ其のとき
昏睡のひとのかたはらをゐるのも二三分のこと。それよりはむしろ
 歌の意味内容が希薄であればあるほど表現部(シニフィアン)が前景化し、意味の錘から解き放たれた音と文字が定型の空間を漂うかのごとき印象がある。かと思えば現実と対応する歌もあり、三首目のヴィンセント・トーマス橋は2012年に映画監督のトニー・スコットが投身自殺した場所である。
まつぷたつにせかいはれて〈おやき〉からあふれた油炒め野沢菜の
せしうむのすとろんちうむのおびただしくふるなかをする湖畔のさんぽ
感覚にそらはめくられ 清浄の夜をふりしきる千の星々
 これは福島第一原発事故を詠んだ歌で、一首目の「おやき」は爆発した原子炉の喩だろう。集中で特に美しいのは次のような歌である。
パラソルはやゝかたぶけて立ちをりぬ復たあゆみ出でるまでのあはひ
サングラスしづかに措かれ いちはやく夕暗は来む黒いレンズに
渉りつゝ目にうつりをるぎんいろを川の小波とおもふまぼろし
樫の木と樫の木のあひだ翔びながら夕空にするそらのぶらんこ
絡まりてフェンスに咲ける昼顔の昼を見えないひかりのやうに
透明もて此のせろふぁんは隔てをる花束のうちと花束のそと
 これらの歌に共通するのは「非在に注ぐ眼差し」である。三首目の小波のまぼろし、四首目の空のぶらんこ、五首目の不可視の光のように咲く昼顔、六首目の透明セロファンなどはいずれも非存在の存在であり、このようなものが作者の心を捉えて離さないのである。自在な古語の使用もあいまって、古典和歌の世界にも通じるものがあると言えるだろう。