第161回 田中濯『氷』

光年を超える単位を我ら持たず秋のナナカマド濡れていて
                     田中濯『氷』 
 第一歌集『地球光』(2010年)で第17回日本歌人クラブ新人賞を受賞した田中濯の第二歌集が出た。題名は何と『氷』で、盛岡暮らしを終えた作者が一番印象に残っているものだという。それにしてもシンプルなタイトルだ。このシンプルさに作者の現在の心のあり様が現れていると感じるのは深読みのしすぎか。
 『地球光』の評にも書いたことだが、田中は初期歌篇においては独特なシンタックスを用いた歌を作っており、その後「歌の別れ」を経て再開した歌では極めて平明な歌風に変化している。その傾向は本歌集にも顕著に見られ、全体を一読した印象は「体温の低さ」もしくは「熱量の少なさ」である。
夏去りて戻りし雪はさらさらと放置されたる自転車に降る
レシートを返す箱にはレシートがあふれおり白き花束のごと
ガムテープひときれ壁に残る夜を印刷室に淡き光源
週末のあるひとときは里者のただなかにいて憩うことあり
 田中の基本は近代短歌のリアリズムで、抒情は最低限に抑えられている。一首目、夏が去ってすぐ雪が来るというのは東北の自然なのだろう。情景を淡々と描いていて主情は希薄である。二首目はコンビニの風景か。レジに不要のレシートを入れる箱が置いてある。「白き花束のごと」という見立てに詩情はあるがこれまた極めて淡い。三首目はリアリズム短歌の王道である細部への着目が生かされた歌だが、これまた温度は低い。四首目は週末になって町に出て、喫茶店にでも入っている場面だろう。いずれも極めて淡々と事実を描くことに徹していて、「景」と「情」の組み合わせであるはずの短歌で「情」の含有率が低いのである。
 田中は理系の研究者であり、癌細胞が研究テーマのようだから、細胞生物学者ということになるのだろう。研究生活に題を得た歌も少なからずある。
細胞はディープ・フリーザより取り出され再分裂す 新年はじめ
科研費ののこりを精算するために購いし刷毛たおやかなりき
先のない我が研究に関わりなく宇多田ヒカルが歌辞めるらし
一本のバナナで耐えし三時間シャーレの底に細胞沈む
一年が任期削ってゆくときに深く狂いたる研究者たち
研究が五年残らぬ時代なり緑茶を淹れる間にも古びて
 田中はなかなか厳しい研究生活を送っているようだ。理科系では任期付きのポストが増えていて、三年とか五年しか同じポストに留まれない。更新なしの場合は、任期が切れたら次の場所に移らなくてはならない。なかには「深く狂う」人も出てくるだろう。短期間で成果を出すために、研究不正行為も後を絶たない。二首目は思わず笑ってしまったが、科学研究費は単年度予算なので、支給された研究費はその年度内に使い切ってしまわなければならない。そのために年度末になると特に必要でもない物品を購入して、帳尻を合わせるのである。
 田中が盛岡にいる間に東日本大震災が発生した。本書は二部構成になっていて、第一部は震災前の歌、第二部は震災後の歌が収録されている。しかし盛岡は直接の被害が少なかったせいか、震災をストレートに読んだ歌はない。
布団だけ敷きっぱなしにして店にゆけば百人すぐ列をなす
「釜石にいくためにガソリンが欲しい」リツイートできず涙流しぬ
どうやって仕入れたのだろう今週の「ジャンプ」が積まれ今日は月曜
原発の神があらぶるしずけさは眼にはみえないひかりのゆえに
汐とみなみかぜ浴びついにけがれたる尊き松を灰に還せ
 これらの歌には現場的緊迫感と動転する心の動きが表れている。そんななかでも本屋に積まれた「少年ジャンプ」に着目するところはやはり歌人である。五首目は、津波で倒れた松を京都の五山の送り火の薪にしようと計画したところ、放射能を怖れる住民からの反対で実現しなかったという出来事に憤る歌で、珍しく激情が迸る歌となっている。震災と原発事故関連の歌では、次のように出来事から少し時間をおいて、黙示録的想像力をめぐらせた歌にすぐれたものがある。
ひとならぬ忌み神占める土地ひろがり雲雀の声はふかくなりたり
あおぎみる天は燃えおり可視外の炎ともなう放射性降下物フォールアウト
濡れ髪に染むセシウムもくくられて月光に照る馬の尻尾ポニーテイル
融け落ちし炉心秘仏のごとくしてそらはかぶさる伽藍のように
 集中で異彩を放つのは、病を得て入院した折りの歌と、東電OL殺人事件の歌である。
病棟は左手ゆんで使えぬ人多し右手めてが利き手が大半なれば
よろぼいて詰所に薬うけとりに行くわれらいま月面にいる
カミソリは禁止もちろん紐状のものも厳禁自死防ぐため
一度きりくるしみて死ぬ初春の円山町のくらやみのした
切り込みの深き渋谷の谿に降る雨はあなたの鬢を濡らして
 東電OL殺人事件の歌は、東電福島第一原発が事故を起こしたことにより思い出されたものかと思う。ここへ来てあらためて感じるのは、本歌集を貫いているのが「死への思い」ではないかということである。田中は巻頭に「死は通りぬけるのがひじょうにむずかしい門です、傲慢なものが通れるようにはできておりません」というベルナノスの『田舎司祭の日記』の一節をエピグラフとして掲げているのである。
 最後に心に残った歌を挙げておこう。
ドーナツに糖のかがやき 並びたるひとに秘かな汗にじみけん
ハゼノキの蝋燭、蝋はそらに融けかすかに薫るこのゆうぐれに
マウスから血を絞るときわたくしのたなごころよりたちのぼる湯気
骨流れつく秋の入り江にたたずみしゾウの群れには古代の夕陽
セシウムのはつか含まれたる雨に打たれてすごすこの新世紀

第160回 『かばん』新人特集号

引き上げしスワンボートの首はづし杭に懸けおく冬のみづうみ
                嶋田恵一「スワンボート」
 「かばん」の新人特集号が出た。vol.6となっていて、前のvo. 5は2011年に出ているので、4年ごとの企画と思われる。前号まではB5版だったが、今号からはひと回り小さいA5版に変わっている。活字の様子も変化していて、vol. 5ではいかにもワープロで打ったものを複写したような誌面で、昔の名残か黒々としたゴチック体が目立っていたが、vol.6では標準的な活字と組版になっていて読みやすい。昔、「かばん」のゴチック体は目にきついので何とかならないかと苦言を呈したことがあった。しかし、こうして標準的な活字・組版になってみると、いかにも同人誌的でアナーキーな外観が薄れたことに一抹の淋しさを感じるのだから、人間とは勝手なものである。
 vol. 5の新人のなかには、2009年に角川短歌賞を受賞した山田航や、2013年に同じく角川短歌賞を受賞することになる伊波真人がおり、vol. 6には2015年に同賞を獲得した谷川電話がいる。どうやら「かばん」は角川短歌賞と相性がよいらしい。「かばん」の新人特集号は外部から招いた評者の豪華さでも際立っており、今回も加藤治郎・松村正直・笹公人・米川千嘉子・奥村晃作・堂園昌彦・光森裕樹などが名を連ねている。外部評は仲間褒めにならないので、苦言を述べたり添削する人までいて、それもおもしろい。ざっと読んで注目した人、感心した人が何人かいたので、少し書いてみたい。
 いちばん驚いたのは冒頭に挙げた嶋田恵一しまだ けいいちである。プロフィールによれば、短歌を作り始めて10年になるという。外部評の米川千嘉子が新聞歌壇でときどき目にしていた名前だと書いているが、私は知らなかった。驚いたのは嶋田の作る短歌が「かばん」調でなく、写実を基調とする文語定型であることだ。
ピアニスト退場ののち残りたるピアノと椅子とマズルカの影
父乗せし霊柩車ゆく飾られて祭りの準備すみたる街を
母と妻惑星ふたつの重力にしづかに歪むゆふぐれの虹
広がりし野火踏み消せば靴底のゴムの焦げたる匂ひのぼり来
恐竜の鳥となりし夜羽毛ある雛にまばゆき天空の川
あかねさす蟹のはさみのあひだほど海かがやけよぼくの発つ朝
 掲出歌「引き上げしスワンボートの首はづし杭に懸けおく冬のみづうみ」はおそらく実景と思われる写実である。シーズンオフの冬になり、行楽地の湖のスワンボートの首の部分だけが取り外されて、湖畔の木の杭に懸けれらているという光景で、叙景に徹していて心情は述べられていないものの、詩情が漂う歌になっている。上の一首目は、コンサート終了後の心地よい余韻を「マズルカの影」で表現したもの。二首目は、祭りの飾り付けが施された街と父親を乗せた霊柩車の対比がポイント。三首目は妻帯者にとっては膝ポン短歌で、母親と妻は楕円のふたつの焦点のように、子であり夫である自分を間に挟んで重力波を送りあうのだ。それを虹が歪むほどだと表現したところがコワい。四首目はアララギにでもありそうな叙景歌で、ここにも心情は述べられていないが、確かな感覚で捉えられた世界が立ち上がる。五首目は写実ではなく空想の歌で、最近になって羽毛のある恐竜の卵が発見されたいうニュースに触発されたものかもしれない。鳥になったものの、まだヒナなので空を飛ぶことはできないが、成長すれば空の住人となるのであり、夜空に輝く銀漢がまるで祝福しているかのようである。六首目は連作の最後の歌で、枕詞の「あかねさす」は「蟹」にはかからないが、蟹の赤さを表現したものだろう(余談だが、カニは茹でないと赤くならない)。「あかねさす蟹のはさみのあひだほど」までが「(ほんの少しの)あいだ」を導く序詞的に働いている。結句の「海かがやけよぼくの発つ朝」は、今どき珍しく明るい決意表明で、さわやかに連作を締めくくっている。
 米川も嶋田が「かばん」新人特集のメンバーと知って驚いたと書いているが、風景のなかからポイントとなる点を取りだして、それを核として歌を組み立てる手腕は実に達者な手さばきである。意味不明な歌がないものよい。
 次は川合大祐かわい だいすけの「グッド / バッド モーニング / ナイト」。
手のなかに握りしめたい虹がある三日月の下噴水浴びて
手をほどく眠りに噴き出す無意識をほんとうの無へ返せるように
海を見るための地図買うローソンで真黒い窓の自分は見ない
TV点けそこに映らぬ人生を噛みしめるようブロッコリー噛む
何もかも見えすぎる朝水盤に手指浸ければもう見失う
 嶋田とは真逆の作風と言ってよい。川合の関心事は「自分」すなわち〈私〉である。それは上の二首目、三首目、五首目に表れている。眠りに就くと無意識が頭をもたげる。それはもう一人の自分である。川合はそれを本当の無へ返したいと願っている。夜のコンビニの窓に映った自分の姿は見ないようにする。鏡像もまたもう一人の自分である。朝起きると、知覚・思考が研ぎ澄まされて見えすぎるという感覚に襲われるが、洗面するだけでその感覚は去る。川合は「短歌は短くて長い叫びである」と書いているが、そこに川合が短歌に向き合う真摯な思いがこもっているのだろう。連作題名の「グッド / バッド モーニング / ナイト」も、二値的な極を行き来する自分の喩と思う。
 次は桐谷麻ゆききりたに まゆきの「日と火と灯」。
天窓が割れるくらいのあかるさでそれでも迫りくる寒気団
寄宿生のように駅舎を行くひとはみんな揃いのつむじをつけて
夕映えのサラダボウルに異国語の名しか持たない野菜は群れて
平原の面影のこしその麦の宿命どおりに焼けあがるパン
パレードに踏みしだかれてゆったりと腐るつばさのかたちのレタス
パパ、あのひとはパパとよばれて雨粒は半濁音をひらかせて咲く
 内部評を山田航が書いているが、桐谷は山田と同郷で北海道出身らしい。山田によれば北海道の冬は明るいのが特徴で、それが桐谷の短歌によく出ているという。また札幌という街の「空白性」も反映していて、桐谷の歌には「中身のないからっぽのあかるさ」が感じられるとしている。
 言葉の選択と素材の配置に清新な詩情が漂う。たとえば三首目、「夕映えのサラダボウル」と情景を設定し、そこに「異国語の名しか持たない野菜」を配するのはなかなかである。具体的な野菜名を挙げずに表現しているところがよい。そういえば最近は八百屋にルッコラとかチコリとかロマネスコなどという野菜が並んでいて、「あなたはいったいどこの誰?」と思うことがある。「異国語の名しか持たない野菜」という表現に淋しさが滲む。四首目もおもしろい。麦はパンになって焼かれる宿命を宿していたという発想である。ただし「焼けあがる」は「焼きあがる」だろう。外部評を書いた堂園昌彦がこの歌を取り上げて、渡部泰明の『和歌とは何か』とからめて論じた文章がおもしろい。堂園がこんな本を読んでいるのが意外だった。五首目では「ゆったりと」が気になる。怖かったのが六首目で、これは妻子ある男との不倫の歌だろう。男の家族との団欒を物陰からこっそり見ている。舞台は雨の遊園地かショッピングモールの屋上がよかろう。初句の七・七・五が二音で切れるところに切迫性があり、結句の「半濁音をひらかせて咲く」という喩も美しい。美しいがコワい歌である。
 次は睦月都むつき みやこの「雲雀のワイン」。
八月の君の午睡が醒めぬよう街につめたく満ちるはちみつ
さざなみに揺れる琥珀の古代湖へ静かに垂らしてゆく栞紐
レプリカと呼ばれるときも微笑めば私を欠けさせてゆく様式美
帽子屋の娘の花ふる婚姻へ送るちいさなちいさな迷路
日々のことを素数をかぞえるようにしてたとえば豆腐を切り分けている
 独自の不思議な世界を展開している人である。三首目の「娘」に「レプリカ」とルビを振っているあたりに告白的な私性を感じるが、全体としてひとつの物語に収斂するわけではない。しかしながら詩情溢れる世界観で、どこか小林久美子の世界にも通じるところがあり、魅力的な歌人だ。
 巻末で総合評を書いた井辻朱美が、ある同人の歌を取り上げて、「この意識のあり方はツイッターのようだ」と書いているのが目に留まった。近代短歌のセオリーは「対象化」にある。日々の歌でも空想の歌でもよいが、ある情景なり出来事なりをいったん自分から切り離して対象化し、たとえ描く情景に自分自身が含まれていたとしても、それをもう一人の自分が視ているように描く。斉藤斎藤の言い方を借りれば「私性とはななめうしろから撮ること」ということになる(『短歌ヴァーサス』vo. 11所収「生きるは人生とは違う」)。対象化には必然的に一旦停止がある。しかしTwitterは「○○なう」が示すように、一旦停止のないなまの生きている時間をだらだらと垂れ流すものだ。近代短歌では詠まれた出来事時 (t1)とそれを詠んだ作歌時 (t2)の間に対象化に必要な時間が経過している(t1<t2)。しかしTwitterではその時間差がないのである(t1=t2)。今度の新人特集号を読んでいると、確かにTwitter的な、一旦停止のない歌、つまりは対象化のない歌が多いと感じる。それが現代の若い歌人の作る歌の潮流となっているかどうかは私にはわからない。それが主流となって新しい現代短歌の定型を作るかはもっとわからない。が、とまれ、近代短歌を愛する私にはあまり好ましいことではない気もするのである。

【補記】
 本日(2015年3月16日)の朝日新聞朝刊大阪版に掲載された短歌時評を読んで、穂村弘もついに「共感」から「ワンダー」に舵を切ったかと思うと、感慨ひとしおである。

第159回 藤田喜久子『青い仮象』

夏木立新緑の樹のたまきはるいのち濡れをり村雨の後
               藤田喜久子『青い仮象』


 作者の藤田は青森在住の「玲瓏」会員で、『青い仮象』は第一歌集である。「仮象」は哲学用語で、ドイツ語のScheinに当たり、客観的な実在を持たない主観的表象をさす。歌集題名に選んでいるところから、作者の歌世界を読み解くキーワードだと思われる。
 巻末に「玲瓏」の重鎮・島内景二が「『いのちの海』へ注げ」という長い解題を寄せている。島内は、世界の新羅万象を「仮象」と見ることで、世界を存立せしめている根拠としての「実在」を、自分自身の「生と死」として結晶させようとする試みが、『青い仮象』の本質だと論じている。
 まずいくつか歌を見てみよう。

過去すぎゆきをぬばたまの夜に塗りこめてほのかにしらむ東雲しののめの空
思ひそむたかむらの苔は深けれど翳をたたへて秋のおとづれ
楽譜なくほろびる茎にこぞのごと北より流る秋の口笛
窓あかり薔薇のつぼみは咲きいそぎ人なき部屋に時間ときなりわたる
いそのかみ古き藤蔓乾びてはむらさきの翳何かかなしき

 歌の基本形は旧仮名・文語体で、ここではそのような典型的な歌を選んだ。「ぬばたま」「しののめ」「こぞ」など、古典和歌の用語を多用しており、石上神宮が奈良県天理市布留にあることから「いそのかみ」が「ふる」に掛かるという伝統的な枕詞も使っている。「玲瓏」の創始者・塚本邦雄がモダニズムから一転して古典和歌の世界に詩魂を遊ばせたことを思えば、本歌集も塚本が開いた歌の世界の延長上にあると言えるだろう。
 島内も指摘していることだが、本歌集に頻出する語は「翳、影」である。ランダムに選んだ上の五首のうち二首にそれが見える。なぜ「翳、影」なのか。それは歌集題名にもなっている「仮象」に由来すると思われる。本来、「仮象」とは、鏡像や虹のように、見えはするが実在世界に対応物を持たない表象をさすが、それを拡張してすべての物は〈私〉の主観の中に結像する表象にすぎないと考えれば、万物は仮象と化す。藤田の歌に詠まれた事物に実在感が薄いのはおそらくそのためであり、例えば上に引いた歌にある「竹叢」や「薔薇」は、作者が実際に眼差しを注いでいる実体というよりは、根拠なく中空に浮遊する物、あるいは作者が幻視した虚像であるかのようだ。上に引いた五首目ではそれがはっきりしており、藤の蔓は干からびているのだから花は咲いていないはずで、「むらさきの翳」は藤の花の虚像である。このように本歌集で詠われている事物はすべて影を帯びているのであり、ややもすれば実体よりも影の方が前景を占めるのである。
 このことは次のような歌においては一層明白である。

咲きみつるまぼろしの花さくら樹に枯れ枯れてゆく秋の深まり
底しれぬ孤独の仮象ひかりさす青磁の壺に牡丹一枝

 一首目は秋に葉が枯れてゆく桜の木に満開の花を幻視している。二首目について解題を書いた島内は、「牡丹一枝」は実際には存在せず空の青磁の壺だけがあるという読みを提示している。もしそうだとすれば牡丹は非在の仮象ということになるだろう。
 このように本歌集は古典和歌に多くを学びつつ、万物を仮象と観じることによって自らの生の実相を詠んだものと見ることができる。
 しかし読んでいて気になる点もないわけではない。

まぼろしの砧のおとに夢をみて涙にぬるる袖の月影
夜ふかく秋はかなしき久方の月に妻恋ふさをしかの聲
ながむれば中空さむく夢かよふ風に追はれる雪のひとひら
風わたる思ひのうちの悲しけれさむしろに待つ秋の夜の月

 このような歌ではあまりに古典和歌の型を使いすぎていて「嵌め込み感」が強い。今どき冬の夜なべに衣服を打つきぬたの音が聞こえるとは思えないし、「さむしろ」も現代では見るのが難しいだろう。これらはすべて古典和歌で使い込まれた語であり、その型を用いて言葉を嵌め込んでいる感じがしてしまう。そうするとよく出来た古典和歌のパスティーシュのようになり、作り物感が強く感じられるのである。
 もうひとつ気になるのは文語と口語の混淆体である。現代の歌人の多くは文語と口語の混じった文体を用いているので、口語混じり文語、あるいは文語混じり口語は珍しいものではない。むしろ一般的と言うべきだろう。しかしながらその場合にも、文語と口語の違和感のない融和が文体にも求められる。島内は、現代の話し言葉(口語)を殺し、古典の書き言葉(文語)をも殺すことで、新しい言葉の秩序が生まれていると評価しているが、私にはそうは思えない。藤田に限らないことだが、文語と口語の混淆のなかでも気になるのは助詞の「が」の使用である。

空たかく高層建築ビルがたちならぶ都会の秋の葉の美しさ
大いなる欅の列に極まれる秋のおとづれ雨が降りしく

 古典和歌の文語では「が」を主語として用いている例はない。「が」もともと属格であり、主語としての使用は近世のものである。だからこのように主語の「が」が用いられていると、「あかねさす」とか「あづさゆみ」が並ぶ世界から一気に近代にワープする。上に引いた歌などは完全な口語短歌にしか見えないのである。

ぬばたまの夜寒にならぶ街路樹に月かげさして蒼く夢燃ゆ
雪の精無の世界からまよひこみ水辺の鳥にふたたび出会ふ

 藤田の歌世界はこのあたりに最もよく表れているのだろう。ほとんどすべての要素がそろっている。雪が無の世界から降って来るという観想は美しく、水鳥に「ふたたび」出会うとところに、深い思想を読むべきなのだろう。

第158回 梶原さい子『リアス / 椿』

ああみんな来てゐる 夜の浜辺にて火を跳べば影ひるがへりたり
                  梶原さい子『リアス / 椿』
 作者の梶原は塔短歌会所属の歌人で、宮城県で高校の教員をしている。昨年 (2014年)の5月に上梓された『リアス / 椿』は第三歌集。作者は勤務先の高校にいたときに、東日本大震災に遭う。実家は気仙沼市唐桑にあり、一帯は大きな震災被害を受けた。本歌集には震災前に作られた歌と後にできた歌が、第一章「以前」と第二章「以後」の二章に別れて収録されており、あの震災と津波によって作者の人生が「以前」と「以後」にきっぱりと二分されたことを強く窺わせる。
 本歌集の圧巻は地震と津波到来時の様子を詠んだ「その時」と題された一連だろう。
来る。来る、来る、重き地鳴りにこみ上ぐる予感なりただ圧倒的な
倒れうるものはたふれて砕けうるものはくだけて長き揺れののち
校庭に地割れは伸びて雪の飛ぶ日暮れを誰も立ち尽くしをり
津波、来てゐる。確かに、津波。どこまでを来た。誰までを、来たのか。
 作者は塔の歌風である写実に立脚した端正な文語定型歌を作る歌人なのだが、「その時」の一連の歌のなかには大きく定型を外れたものがあり、それがかえって「その時」の緊迫感を強い臨場感とともに伝えている。一首目と四首目にそれが強く出ており、特に四首目の結句の「誰までを、来たのか」には、実際に津波被害に遭った人でなくては書くことのできない生々しいリアル感がある。
甥つ子を二階の窓より投げて受けて山を上へと駆けのぼりたり
地獄だと言ひてそののちおとうとの携帯電話は繋がらざりき
お母さんお母さんと泣きながら車で行けるところまでを行く
安置所に横たはりたるからだからだ ガス屋の小父さんもゐたりけり
配給のエビカツやつて来たりけり白身の中に赤身の混じる
 思わず息を呑む歌だが、重大な体験を詠むなかにも、作者が確かな短歌的技術を凝らしていることにも注意すべきだろう。たとえば一首目の「投げて受けて」の動詞のテ形の連続や「山を上へと」という表現によって、津波が迫っていて時間がないという緊迫感がよく出ている。また五首目の「白身の中に赤身の混じる」のリアル感覚は、日頃からモノに即した観察による写実を旨とする作者ならではだろう。
 この歌集を全体的に俯瞰すると、いろいろ問題を抱えながらもそれなりの日常を送っていた作者が、「その時」によって非日常の奈落に突き落とされ、時間とともに少しずつもとの日常を取り戻してゆく展開になっている。そのプロセスで重要なのは慰撫と鎮魂であり、そのいずれにも短歌が大きな役割を果たしていることには意味がある。人は思いを吐き出すことによって慰撫され、鎮魂の祈りを捧げることで悲しみを昇華するからである。これこそが文学の魂に他ならない。
ありがたいことだと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしことを
入学式ができるしあはせ言ひながら式辞・祝辞・代表のあいさつ
流れ着くすべてのものがあの波の記憶のままに目開きてをり
受け取ることの上手ではなき人々があらゆるものをいただく苦しみ
 一首目、せめて遺体が上がるのがありがたいことだと言う人の悲しみに胸を突かれる。二首目のように、4月を迎えて入学式はなんとか行うことはできたが、いまだ日常は遠いかなたにある。四首目は読んではっとする歌だ。震災の後、全国から救援の手が差し伸べられたが、人からもらう苦しみを詠えるのは当事者だけにちがいない。
 この歌集を通読して最も心を打たれるのは、鎮魂の果てに悲しみが昇華され、それが神話的な空間に結晶したかに見える歌である。
潮を汲む 透きとほりたる腕を足をひらきしままのくちびるを汲む
従叔父をぢはこなた従叔母をばはかなたの湾の底 引き上げられて巡り逢ひたり
夜の浜を漂ふひとらかやかやと死にたることを知らざるままに
水底に根を降ろしたる死者たちのほのかに靡くひとところあり
 一首目は震災から半年ほど経た秋の神社の祭りの様子である。お神輿を船に載せて潮を汲む儀式を詠っている。津波に流されて戻って来ない人々が、「透きとほりたる腕を足をひらきしままのくちびる」と形象化されているのが美しく悲しい。二首目はもうほとんど神話の世界で、上句の対句構造が歌の神話性を高めている。最初に上げた掲出歌もこの部類に入り、上の三首目と似ていて、死者たちが亡霊となってこの世を彷徨っている姿である。岡野弘彦の「またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく」という歌を彷彿とさせる。四首目は実は震災前の歌で、三陸海岸は過去に幾度も津波被害を受けており、その犠牲者に思いを馳せた歌なのだが、たくまずして過去の死者を詠って現在の死者に捧げる歌となっている。
 このように本歌集は、亀裂と修復、つまりは魂の死と再生の書であり、これこそが古今東西の文学が追究してきた永遠のテーマである。文学に効用ありとせば、この一点を措いて他にはない。この歌集を読むと、歌が魂の死からの再生にいかに力を持つかを実感することができる。それを前にしては、新しい表現の追求など何ほどのこともない。
 このように感じるのは最近胸ふたぐことが多いからかもしれない。私は昨年秋から大学で役職に就いたため、文部科学省や中央教育審議会など、要するに「お上」と「省庁」の情報にじかに触れることになった。阿倍政権下で大学は「日本経済再生の資源」と位置づけられて、「国立大学ではもう文科系の学部はいらない」などと公然と語られているのである。大学は経済界に使いやすい人材を供給すればよいということなのだ。「大学は学問の府であり、経団連のご用聞きではない」とじかに言ってやれないのが口惜しい。そんなときに本歌集を繙くと、荒野に泉を見つけたごとくに、あらためて文学の持つ大きな力に勇気づけられる思いがするのである。

第157回 父は生きていた

傘を盗まれても性善説信ず父親のような雨に打たれて
           石井僚一「父親のような雨に打たれて」
 第57回短歌研究新人賞を受賞した石井僚一の父親が生きていたことが話題になり、しばらくぶりの短歌論争の感を呈しているので、今回はこの話題を取り上げてみたい。事の起こりと時系列に沿う展開は次のとおりである。
 平成26年7月6日、選考委員の加藤治郎、米川千嘉子、栗木京子、穂村弘による選考会が行われ、石井僚一の「父親のような雨に打たれて」が新人賞に選ばれた。
 受賞は編集長からただちに本人に電話で連絡している。短歌研究編集部は翌日の7日にTwitterでこの結果をつぶやいており、マスコミ各社にも同時に連絡が行ったであろう。これを受けて地元の北海道新聞が7月10日付けの朝刊で本人のインタビューを掲載した。その中で石井は父親が生きていることを記者に明かし、「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」と語る。ただし、北海道新聞は地方紙であるため、この情報はこの時点ではわずかな人が知るのみである。
 8月21日に『短歌研究』9月号が発行され、石井の受賞作と選考座談会が掲載された。一般読者の私たちはこのとき初めて石井の短歌を目にした。同時に石井の受賞のことばも掲載されているが、石井は亡くなったのが実は祖父であることには一切触れていない。まだ虚構は保持されているのである。
 9月20日発行の『短歌研究』10月号に、選考委員の一人である加藤治郎の「虚構の議論へ 第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて」という見開き2頁の文章が緊急掲載された。加藤の文章のポイントは次の四つである。
 (1) 祖父の死を父親の死に置き換えた虚構の動機が不明である。
 (2) 肉親の死をそのように扱うのは余りに軽い。
 (3) 虚構という方法で新しい〈私〉を見出さなければ空虚だ。
 (4) 北海道新聞を読んだ人は亡くなったのが祖父であることを知っているが、『短歌研究』誌上で受賞作を読んだ人はそのことを知らない。これはフェアではない。
 加藤はこの文章を8月31日に書いている。つまり受賞作が掲載された『短歌研究』9月号発行の9日後である。加藤は受賞を本人に知らせた編集長の電話で亡くなったのが祖父であることを知り、北海道新聞を取り寄せてインタビュー記事を読んでからこの文章を書いている。『短歌研究』の記事はふつう二ヶ月前に編集部に渡さなくてはならないことを考え合わせると、加藤は短時間で急いでこの文書を書いたはずである。
 10月21日発行の『短歌研究』11月号に石井僚一の「『虚構の議論へ』に応えて」という文章が掲載された。編集部から加藤の文章への反論を書くように求められてのことである。10月1日に書かれている。
 石井の文章は混乱しているが、おおむね次のようなことを述べている。
 (1) 「父の死が事実でないことは、読者の作品の享受に影響を及ぼすと想定できる」と加藤が書いているのは、事実その通りである。父親が生きているとすれば、受賞作はそれほどおもしろくはない。
 (2) 前衛短歌と虚構をめぐる議論は、短歌の方法論に詳しくない自分にはよくわからない。
 (3) 「祖父の死を父の死に置き換える有効性があるのか」という加藤の問には、はっきりあると回答する。ただし、読者への配慮が欠けていたかもしれない。
 (4) Twitter上で不快感を示した読者には、強い〈私〉が感じられる。自分は言葉という虚構を積極的に利用する立場に立つので、もうそんな強い〈私〉を得ることはないだろう。
 同じ『短歌研究』11月号の短歌時評で江田浩司が加藤の文章に触れ、「作中人物の死が虚構であるかどうかは、現実のレベルの問題であって、テクストの価値のレベルではない。テクストの評価は、あくまでも表現のリアリティに基づいてなされるべきものでなくてはならない」と述べて、石井を擁護する立場を取っている。
 これらと前後して次のような短歌誌でこの問題が論じられた。
 『現代短歌』11月号(10月14日発売)の歌壇時評に石川美南が「虚構の議論、なのか」と題した文章を寄せて、9月19日の授賞式には石井の両親と祖母も出席していたことを明かしている。「死んだはずの父」が目撃されたわけである。石川はあくまで想像だがと断った上で、「石井の中には、父子関係に対するオプセッションが存在する。現実に目の当たりにした祖父と父との関係を自分のものとして描くことで、何十年後かに繰り返されるかもしれない父との別れを生々しく想像し、父子関係を新たな角度から見つめ直そうとしたのではないか」と、加藤が不明とした石井の虚構の動機を推測している。
 次に『角川短歌』11月号(10月25日発売)の歌壇時評で、黒瀬珂瀾が「とてつもなき嘘を詠むべし?」という文章を書いている。黒瀬は主に選考会でなされた作品の読みを俎上に上げ、自分は石井の受賞作の最初に登場する「老人」とその後登場する死んだ父は同一人物ではないという読みをしたことを紹介し、選考委員が全員「老人」=「父」という読みをしたのは、受容者(この場合は選考委員)が理想とする作品の形がバイアスとなって働いたからではないかと推測している。黒瀬の論考は多岐にわたるのでとても要約できないが、「『虚構問題』は短歌界が前近代的だから生じるのではない。短歌という定型詩型がその特質として『虚構問題』を内包していると時評子は考える」と述べているのが印象の残る。
 次に『Es 風葬の谷』28号(11月30日発行)で山田消児が「父は生きていた 新人賞選考会の憂鬱」という長い文章を書いている。山田には『短歌が人を騙すとき』という著書がある。山田は加藤の寄稿した文章に疑問を抱き、石井の受賞作には言葉遣いなどの点で欠点が多々あることを指摘した上で、作者の側から見れば、みずからの短歌観に従って自由に歌を作ればよい(従って石井の虚構に非難すべき点はない)し、読者の側から見れば、作風や短歌観の異なるさまざまな書き手の存在を念頭においた柔軟な読みが必要だ(従って選考委員たちは特定に読みに囚われすぎた)と述べている。
 この虚構問題は『短歌研究』12月号(11月21日発売)のこの一年を振り返る座談会でも話題になっている。その中で選考委員の一人だった栗木京子は、加藤が「虚構の議論へ」に書いたことにほぼ同感で、もし祖父より父の死にしたほうが作品にインパクトが出ると石井が考えたのだとしたら嫌だと述べている。栗木は作為に拒否感を呈しているのだ。もう一人の選考委員の穂村は、加藤の文章は短歌史に詳しくない人にはわからないだろうと断った上で、近代以降の「わたくし」性を軸にした文体は事実性とセットになっていて、前衛短歌が行なった「わたくし」の拡張は文体の革命とセットになっていたと加藤の発言の意図を解説している。
 次に『短歌研究』1月号の短歌時評で江田浩司が虚構問題に部分的に触れて、小説を書き翻訳を業としている人から、「短歌の世界はそんなに遅れているのか」という手紙をもらったことを紹介している。江田は11月号の時評でも述べていた「創作者とテクストの関係を二次的なものとして、基本的には表現(テクスト)のみを重視する立場」を再び強調する。江田の念頭にあるのはフォルマリズムやロラン・バルト(作者の死)など西洋の文学動向である。
 私が実際に読んだだけでもこれだけの文章で石井の虚構問題が取り上げられている。私が見ていない短歌誌や新聞やネットでは、これに倍する量の言説が見つかるだろう。(光森裕樹が運営するtankafulでいくつか読むことができる) 上に手短に紹介したように、否定から共感まで論調はさまざまだが、私はこの問題をめぐってあまり触れられていない点を取り上げてみたい。それは短詩型文学としての短歌が深いところに持つ特質である。この点については、『角川短歌』12月号の黒瀬珂瀾による時評「物語と人間」に引用された歌が役に立つ。
 青年死して七月かがやけり軍靴の中の汝が運動靴
 多くの人と同じように私は岡野弘彦の文章でこの歌を知り、手帖に書き留めて愛唱している。昭和56年、内ゲバによって國學院大學学生の高橋秀直が殺害された後、大学構内の立て看板に大書してあった歌だという。岡野は詠み人知らずと紹介している。そしてこれまた多くの人と同じように、私も鈴木英子の文章でこの歌の作者が当時國學院大學短歌研究会に所属していた安藤正という人だと知った。23年後に明かされた真実である。作者名が明かされたことは、この歌の価値を増しもせず減じることもない。
 この歌が昭和の名歌として人々の記憶に刻まれたのは、初句「青年」四音の生み出す欠落感、七月の陽光の眩しさと青年の死の暗さの対比、軍靴の重々しさと運動靴のあまりの軽さ・未熟さの対比といった作歌上の美点もさることながら、理不尽な暴力によって青年が亡くなるという悲劇を誰かが痛切に悼み、その現場に置かれた歌であるという「状況」と「物語」に支えられているからである。いや「支えられている」という受動的表現は適切ではない。黒瀬も時評で正しく指摘しているように、時の流れとともに人々の記憶から薄れたであろう「状況」を永遠化し、人々が語り継ぐ「物語」を生み出したのはこの歌である。その点にこそこの歌の価値がある。
 短歌はその短さによる制約から、小説のように空想に基づくひとつの世界を構築することができない。勢いテクストとしての自立性は弱くなる。これが、古くは韻文詩を、近代になってからは小説を文学の典型としてきた西洋と異なる点である。だから西洋の文学理論をそのまま持って来て短歌や俳句に適用するのは適切ではない。テクストの自立と言っても、西欧の小説と日本の短歌とは意味作用が異なる。どこから意味を生み出すかという機序が違うのだ。それは次のような事情による。
 短歌は人の死のような大きな事件によって召喚される。そのとき歌人は現実の状況という外部と短歌とを結びつける仲介者となる。心霊術の霊媒 (medium)とはもともと「媒介するもの」という意味で、メディア (media)の類語である(mediaはmediumの複数形)。つまり「この世」と「あの世」を橋渡しする役目に他ならない。歌人も同様に現実の状況と歌が開く文学空間とを媒介する通路となる。
 短歌が現実の状況によって召喚されることは、挽歌の例を見れば明らかである。私は昭和天皇崩御の時、フランスで暮らしていたので、その場に立ちあうことができなかったが、テレビ局に歌人が呼ばれて崩御を悼む挽歌を披露したと聞く。このたびの大震災と津波被害の後で多くの短歌が作られたのも同じ機序による。
 問題は短歌の表現が状況を永遠化し物語として結晶化するまでの強度に達しているかどうかである。もちろん人の死だけが歌を召喚するわけではない。「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」(小野茂樹)によって永遠化されているのは青春であり恋である。私たちはこの歌が立ち上げた物語によって「青春」をイメージする。青春があるから歌が生まれるのではなく、歌が残るために私たちは青春を共同主観的に理解するのである。言葉の意味とは過去の物語から滲み出るイメージの複合体に他ならない。
 こう考えて来ると、石井が祖父の死を父の死に置き換えた虚構はたいした問題には見えなくなる。石井の身にもある状況が訪れたからである。したがって問うべきは、石井の歌にその状況を永遠化し物語を生むだけの表現の強度があったか否かである。選考委員が受賞作に推したということは、選考委員の心に届く程度の強度はあったことになる。しかし、祖父の死を父の死に置き換えた虚構という非難を押さえ込むレベルに達していたかと言うと、残念ながらそうは言えないのである。短歌を始めて一年足らずという青年にそこまで求めるのは酷というものだろう。
 石井が論争の渦中の人となったことにめげることなく、今後も前向きに短歌を作ってもらいたいと願わずにはいられない。石井のしたことが正当な文学的行為であったか否かは、石井が今後どのような短歌を作ってゆくかによって判断されるからである。

第156回 三島麻亜子『水庭』

目覚むればこの世の果てより曳ききたる光はよわく落花にのこる
                     三島麻亜子『水庭』
 これは何度も書いたことだが、短歌との理想的な出会いは、ある日ふらっと立ち寄った書店で偶然手に取った歌集、あるいは、一面識もない著者からある日届いた献本の歌集、それをぱらぱらとめくって歌に出会う、そういうことだと思う。三島麻亜子の『水庭』は後者で、一読して深く印象に残った。
 短いあとがきによると、三島は「短歌人」会に所属して11年になるという。『水庭』は第一歌集である。「みづには」と読み、著者の造語らしい。佐藤弓生、奥田亡羊、斎藤典子が栞文を寄せているが、いずれもどこか書きあぐねているような風情が漂う。三島の歌の資質が奈辺にあるのかを見極めるのに難渋しているようにも見える。
 その鍵はあとがきに見える著者の次の言葉にあると思う。「創作においては、つねに認識の範囲の外に対する沈黙と、形而上の世界を言葉に表現するという相反する作業のあいだで、(中略)多くの壁に突き当たってきたような気がします」。「認識の範囲の外に対する沈黙」とはまるで、「語ることができぬものについては沈黙しなくてはならない」というウィットゲンシュタインの言葉を彷彿とさせる。私たちは語ることができるものについてしか語ることができないのである。しかし三島はそれを超えて「形而上の世界」、すなわち通常の言葉が届かない世界を表現しようとする。こういうことではなかろうか。
 ここで改めて掲出歌を見てみよう。朝の目覚めの光景である。覚醒の直後だから庭の風景ではなく、室内に活けてあった花が床に散っているのだろう。そこに窓から差し込む朝日が当たっている。「この世の果てより曳ききたる光」とはただの太陽光ではあるまい。太陽は地球から約1億5千万キロメートル離れているが、天文学の世界ではこの世の果てではなくすぐそこである。落花に実際に当たっているのは太陽光という形而下の光なのだが、それを見た作者にはまるでこの世の果ての形而上の世界から差し込む光のように感じられたということだろう。
 栞文でこのあたりを捉えているのが奥田で、奥田は本歌集を一読して陶然とした気分になり、「批評文めいた感じで客観的に論じたり」したら、「何か大切なものを置き忘れて行ってしまいそうな気がする」と述べ、三島の歌を読むと、「詩が完結して」「しずかな余韻だけを手渡されるような思いがする」と続けている。確かに、語ることができぬものについては沈黙しなくてはならないのだが、語ることができぬものを指し示すことはできる。三島の歌の指し示す指先が一首の余韻として残るのだろう。
腐葉土のうへに今年の葉の落ちてかぐろきものとなるを待ちをり
蘭展より帰りこしひと夕映えのしづけきもだをわれに向けたり
ひと房の巨峰は卓に残されて近景だけがはや暮れかかる
鳥影はわが右頬をかすめつつ山のなだりにまぎれゆきたり
春の雨、音なく降ればわが傘の青褐あおかちのいろ深みゆくなり
   一首目、庭の腐葉土の上に落葉が堆積している。それが目に映じた光景、すなわち形而下の世界である。しかし作者の指先が指すのは、やがてそれが「かぐろきもの」と変じる時間である。二首目、蘭の展示会から帰って来た人が、夕映えの静けさのような沈黙を私に向けるという歌であるが、「蘭展」から連想される豪奢さや華やぎと夕映えの静けさとの対比から起ち上がる何かが一首の眼目である。この「何か」を名指すことはできない。名指すとそれは形而下のものとなるからである。三首目、夕暮れのテーブルに巨峰が置かれている。家の外はまだ残照が残るが、テーブルの付近はすでに夕闇に包まれるという光景が描かれている。描かれているのはそこまでだが、それだけで語り尽くすことができないものが歌に含まれている。四首目、頬をかすめる鳥影が現実の鳥のものなのかそれとも幻想の鳥なのかも定かではない。鳥影が後に残す何かの予感のようなものが後に残る。五首目、春の柔らかい雨で傘の青褐あをかちがいっそう深みを増したという歌である。手許にある『色の手帖』によれば、青褐は正倉院文書や延喜式にもある色の古名で、青みの強い藍色だという。傘の色としてはずいぶん粋な色である。
 引用歌を見てわかるように、三島の歌は「叙景を述べて叙情に到る」という古典和歌の作法ではなく、「〈問〉と〈答〉の合わせ鏡」(永田和宏)という近代短歌の骨法とも異なる造りによる。心情を述べるのが眼目の歌ではないので、歌のどこを味わえばよいのか迷う人もいるだろう。味わうべきは奥田の言う「余韻」、つまり一読の後に残る名付けることのできないものであり、表現しようとしてされずに残った形而上の世界である。
 歌のなかに恋を思わせるものもある。
茄子紺をほこる古布展まだなにか始められるとしたら方恋
晩秋の雨は寂しと君に打つメールはわづか相聞めきて
ひとおもふゆゑの憎しみ緩やかに糸はボビンに巻かれはじめる
引き寄せてしまひし人を放つときこの冬の雪はつか狂ひぬ
 しかしこれも現実の恋というよりは、三島の目指す形而上の詩の世界へと辿り着くための方略のようにも見え、そこに新古今和歌集との親近性を感じる。そういえば本歌集の構成は、秋の歌に始まり四季を経て秋の歌で終わるという、季節の移ろいに基づく循環的世界観で統一されている。
 歌人の中には上句が上手な人と下句が上手な人がいるようで、たとえば大塚寅彦の歌を読んで舌を巻くのは下句の巧さである。その伝で言えば三島は圧倒的に上句が上手い。
薔薇園は濃き体臭を吐きやまずこれまでのことこれからのこと
夜の気に冷やされてゆく香壺あり何に引き替へたる残年
 下句はなくてもよいようなもので、ここから三島の歌には俳句的な骨格が潜んでいると奥田は述べている。そうかもしれない。ついでながら私が感じるのは、おそらく三島は源氏物語に深く傾倒している人だろうということで、読んでいて随所にそれを感じた。
ゆずの花、咲いてゐるよと君呼べばそのたまゆらをにほふ柚の花
ブラウスは弱き日差しを集めゐてダム湖官舎の早陰る庭
ファックスのインクをやうやく補へば未完の過去をふるへつつ吐く
 一首目は本歌集屈指の美しい歌である。漂う柚子の花の香りはもちろん現実のものではなく、「咲いているよ」という言葉によって現出したものである。二首目、庭が早く陰るのは、山に囲まれたダムのほとりに家があるからで、おそらく官舎には若い妻が夫と暮らしているのだろう。三首目は「未完の過去」という捉え方がおもしろい。ファックスはすでに届いているのだから過去に属するが、いまだ全貌を表していないという意味で未完である。そこに一瞬頭がくらっとするような時間のずれがあり、それが作者の指し示したいものなのだろう。
 沈黙に耳を傾ける人に捧げられた歌集である。

第155回 大松達知『ゆりかごのうた』

風のなき夜の十字架のもとにしてわがみどりごは生まれたりけり
                大松達知『ゆりかごのうた』
 初めて授かった子供の誕生を詠んだ歌である。分娩室に十字架があるのはキリスト教系の病院だからなのだが、「わがみどりご」という語彙からどうしてもベツレヘムの馬小屋でのキリストの誕生を連想せずにはおかない。「風のなき夜」なので、きっと空には星も輝いていることだろう。礼拝する博士はおらずとも、作者は新しい生命が誕生する神秘に打たれているのである。それが茂吉由来の「たりけり」という詠み収めとあいまって、静かに喜びを噛みしめるような力強い歌となっている。
 『ゆりかごのうた』は大松の第四歌集。作者の不惑前後の歌を収録しており、第19回若山牧水賞の受賞が決定している。『ゆりかごのうた』という歌集題名からわかるように、子供の誕生をめぐる歌が中核をなす歌集である。
 かつて『短歌ヴァーサス』5号(2004年)の新鋭歌人特集で大松を担当した小池光は「ざぶとん在庫なし」と書いた。誰かがうまいことを言ったときに「ざぶとん一枚」とやるあれのことだが、大松の短歌が一首で勝負を賭けていて、ぴたりと決まったときには思わず「ざぶとん一枚」と言いたくなり、歌集の終わり頃にはもうざぶとんの在庫がなくなるほどだという意味である。一見邪道とも見えるこのような短歌の読み方は、案外正統的な読み方なのだと小池は続けている。一首で決まるということは、一首で意味が完結し、かつ読者が「そうそう」と得心する内容を含んでいるということで、決してたやすいことではない。また一首で決まるということは、意味の支えとしての外部を必要としないということであり、基本的に連作には向かないということでもある。
〈終〉の字がせり出して来る小津映画〈冬〉の最後の点が上向き
われに入りて酒でなくなる酒たちの今際のこゑをつつしみて受ける
左手にはおん、右手にはじきありて拍手は顔の筋肉でする
クリーニング師免許証見ゆこの人の本籍地佐賀、おれより若い
〈短歌の人〉といへる括りがわが家にはありてもろもろがすんなり通る
 一首で決まる歌を挙げてみた。一首目、映画のエンドマークの「終」の文字の旁の「冬」の下の点が上向きにはねているという、どうでもよいような観察を歌にしたものだが、確かになるほどと思う。短歌はこのような小さなことを掬い上げるのに適した形式で、この歌も「ただごと歌」の系譜に連なるものだろう。二首目、作者がこよなく愛するのは仕事から帰宅しての晩酌で、この意味でも若山牧水賞はぴったりかもしれない。この歌のポイントは「われに入りて酒でなくなる酒たち」で、確かにアルコールは体内で分解されて、アセトアルデヒドを経て排出される。酒による私の変化ではなく、私に入ってからの酒の変化に着目したところがおもしろい。三首目は野球観戦の歌。左手にビールのコップを持ち、右手にはホットドッグか何かを掴んでいるのだろう。両手がふさがって拍手ができないというのもよくある状況である。私はこの歌を読んで、アヌイの戯曲『オンディーヌ』の「右手めてに忘却、左手ゆんでに虚無」という名台詞を思い出したが、これは考えすぎか。四首目、洗濯物を出しているクリーニング店の店主が自分よりも若いことに驚いている。本籍地佐賀はおまけだ。伊丹十三だったか、街で出会う警官が自分より若いことに気づいたときに自分の老化を意識すると言っていたが、不惑を迎えた作者ももう若くないと自覚しているのである。五首目は読んで思わず笑ってしまった。実はわが家も同じで、知らない人から葉書や手紙が来て家人が「この人誰?」とたずねたとき、「短歌の人」と答えるとそれで得心するのである。
 もうひとつ他に得がたい大松の歌の特色は何と言ってもユーモアだろう。
死んでのち鮮度うんぬんされてをり食はれちまった鰺は聞かずも
なにゆゑに妻の引きたる〈夕化粧〉ぬばたまの辞書の履歴に残る
あるときに一喝されてそれ以来大きい肉を妻に与へる
空砲なのか実弾なのか匂ひすればムツキを開ける斥候われは
 いずれも説明不要で意味明快、かつにやりとしたくなる歌である。電子辞書の履歴に「夕化粧」が残っていたら、確かにコワい。ユーモアは単なるおどけとは違って、冷静な自己観察と自己の相対化を必要とする。私が大松の歌を読んで最も強く感じるのは、自分を突き放して冷静に観察するこの自己相対化である。それがよく発揮されているのは、この歌集の中核をなす子供の誕生の歌だろう。誰でも待望の子が生まれれば嬉しい。大松も天にも昇るがごとく喜んでいるのだが、同時にそのような自分を観察していて、それが歌をほほえましいものにしている。
〈ホルモンの乗り物〉として在るのみの今宵の妻に雁擬をひとつ
くらぐらとああぐらぐらとわが子なりトゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子を抱く
五年目のカメの甲より大き顔もちて生れたるわが娘はも
太陽ソレイユと名前を付けるバカ親のバカのこころをいまはうべなう
お父さんのくつした臭い、なんてまだ言わない口をミルクで塞ぐ
孕めよと祈り生まれよとも祈り育てよともまた祈るなりけり
「ざぶとん一枚」系とユーモアのただごと歌系が多い歌集だが、短歌本来の叙情歌もあり、それらもまたよい。
はつなつの栞のやうにそつと来てわれを照らせり夜のカマスは
ゆふやみが濃闇となりてゆくころをあやめの立てり左打席に
みづいろの付箋を貼つてさざなみのやうに明日へとわたしを送る
ひとつひとつの卵に日付けシールあり孵るべき日にあらぬ日付なり
春の日のトンネル過ぎて振り返る吾子にもすでにすぎゆきのあり
 二首目は野球観戦の歌で、「あやめ」とは女優の剛力彩芽に似ていると評判の日本ハムファイータズ所属の谷口雄也選手のこと。最後の歌はとりわけ心に響く。子供の誕生から一年が経過した頃の歌である。トンネルが時間の喩であることは言うまでもない。

第154回 松村正直『午前3時を過ぎて』

生きている者らに汗は流れつつ静かな石の前に集うも
           松村正直『午前3時を過ぎて』
 「生きている者」とわざわざ言うことにより、その背後に「死んだ者」の存在が浮かび上がる。ここに言葉の不思議があると私は深く思う。生きているから真夏の炎天下に集う人々に汗が流れる。死者は汗をかかない。「静かな石」も不思議な表現で、石は声を出したり音をたてないので本来静かである。それをわざわざ「静かな石」と置くことにより、普通の石よりもさらに静けさをまとう特別な石であることがわかる。もちろんこれは墓石を指す。この一首に込められているのは死への思いである。私はこの歌集から死への思いを強く感じ取った。
 『午前3時を過ぎて』(2014年)は、『駅へ』(2001年)、『やさしい鮫』(2006年) に続く松村の第三歌集で、第一回佐藤佐太郎短歌賞を受賞することが決まったそうである。評論集『短歌は記憶する』で第9回日本歌人クラブ評論賞も受賞している。大所帯の結社『塔』の編集長を務め、短歌実作・評論の両方で活躍しており、油の乗った年齢に差しかかっていると言えるだろう。
 短歌は文体である。その点から言えば、松村は第一歌集『駅へ』、第二歌集『やさしい鮫』から今回の第三歌集『午前3時を過ぎて』へと到る過程で大きく変化した。
温かな缶コーヒーも飲み終えてしまえば一度きりの関係 『駅へ』
波音に眠れないのだ街灯が照らす私も私の影も
ああ君の手はこんなに小さくてしゃけが二つとおかかが三つ

地上なるわれとわが子のさびしさを点景としてカラス飛びゆく
                   『やさしい鮫』
明るすぎる蛍光灯に照らされてわが肉体は影を持たざり
踊り場の窓にしばらく感情を乾かしてよりくだりはじめつ
 一所不住のフリーター生活をして日本全国を旅していた『駅へ』の時代には、口語が中心で短歌的修辞も希薄だったが、第二歌集では文語が基本となり、叙景と叙情とが一首の中に案分して配され、清潔で端正な短歌的文体へと変化している。第三歌集もその延長上にあるのだが、松村の個性がよりはっきりとして来たように感じられる。その第一は、感情の起伏がある揺れ幅を決して超えないこと、その第二は、日常のなにげない経験をただ表面的に描くのではなく、その内奥へと柔らかに入り込む心の動きである。
右端より一人おいてと記されし一人のことをしばし思うも
最後尾と書かれし札を持つ人を目指して行けば後退りゆく
ありふれた老女となりて演壇を降りたるのちは小さかりけり
抜きながらさらに外から抜かれたる自転車あわれ順位を変えず
ひっそりと長く湯浴みをしていたり同窓会より戻りて妻は
 いずれの歌においても詠まれているのは日常の些事であり、大事件はまったく登場しない。淡々と詠まれていて、身を捩るような悲しみも、火を噴くような怒りもない。何も感じていないわけではないのだが、感情の振れ幅がある一定の限度を超えないのである。またこれらの歌では特別な修辞や比喩が用いられているわけではなく、平易な単語と統辞を使いながらも歌のポイントがはっきりしている。
 一首目は集合写真に写っている人の説明に、右端より一人おいて3番目の人というくだりを読んで、一人飛ばされた人に思いを馳せている。飛ばされた人にも人生があり、得意な瞬間もあったのだろう。二首目では、何の行列か、最後尾に付こうと歩を進めるも、次々と人が並ぶため最後尾の札にたどり着けない。人生の比喩のようにも読める歌だが、作者の意図はおそらくそこにはないのだろう。三首目では、演壇で講演していた人が演壇を降りると、どこにでもいる小柄な老女になっていた。思わず「あるある」と言いたくなるが、心理学では威光暗示という。TVでよく見る有名人に実際に会ってみると思ったより背が低いと感じるあれである。四首目、競輪の情景か、前の選手を抜いて順位を上げたと思ったら、他の選手に抜かれてしまう。作者はそこに何かを感じているのだが、そこから転じて自分の感慨を述べることなく終わっている。五首目、長く風呂に浸かっている妻は、おそらく久し振りに同窓会に出席し、身に浴びた何かを洗い流しているのだろう。いずれの歌にも余計な説明がなく、作者の心情の吐露もない。一見淡々と経験を詠んでいるのだが、そのどこが作者の心の琴線に触れたかがよくわかる作りになっている。
 80年代は「修辞ルネサンス」(加藤治郎)と言われるくらい、いわゆるニューウエーヴ短歌を中心に修辞に工夫が凝らされた。修辞は言語の表現面であり、言語記号の表現面(シニフィアン)に注目が集まったのである。しかし時は流れ、現在の若手歌人は「一周まわった修辞のリアリティ」(穂村弘)へと雪崩を打ったように移行し、修辞は希薄になった。すでに述べたように松村の短歌にも特別な修辞や比喩は見られないので、現代の若手歌人の潮流の一角をなすように見えるかもしれないが、その見方は少しちがう。現代の若手歌人のフラットな文体は、いわば「宴の後」のフラットさだが、松村は宴を経験せず独自に今の文体に到達しているからである。同じような修辞の武装解除に見えても、歌の手触りがちがう。より正確に言うと、松村に修辞がないわけではないのだが、修辞の跡が見えないのだ。
古畳積みあげられて捨てられるまで数日を庭先にあり
橋の上にすれ違うときなにゆえに美しきか人のかたちは
空ビンの底に明るき陽はさして大型船の沈みいる見ゆ
明るくて降る天気雨 人生の曲がり角にはたばこ屋がある
店員にやさしく服を脱がされて少年となる春のマネキン
 一首目は小池光の歌集にあってもおかしくない歌だが、廃棄を待つ古畳が庭先に積まれているというだけの情景を詠っている。句跨りと「数日を」の助詞が効いている。二首目、橋は松村にとってキーワードとなるアイテムのようだが、確かに浮世絵版画などでも橋を行く人を描いたものが多い。絵になるのだろう。三首目は荒井由美の往年の歌を思い出させる。窓辺に置かれたボトルシップを詠んだものとも、空きビンを見ての想像ととってもよい。四首目はいささか雰囲気の異なる歌で、「人生の曲がり角にはたばこ屋がある」が箴言のように響く。五首目、服を脱がされて初めて少年になるという発見と、季節を春にしたのが効果的だ。
墓地に咲く花は何ゆえにこんなにもきれいでしょうか人もおらぬに
生前に続く時間を死後と呼ぶ咲ききわまりて動けぬ桜
てのひらに包むりんごの皮を剥く遠からず来る眠りのために
店の壁にかかる手形の朱の色を付けし右手はこの世にあらず
ベランダに鳴く秋の虫 夫婦とは互いに互いの喪主であること
薄日さす葉桜の道 死ののちに生前という時間はあって
ゆびさきに石の凹みは触れながらやがて読めなくなる文字たちよ
 死への思いを詠んだ歌を引いてみた。二首目と六首目は歌集のなかではずいぶん離れているが、こう並べてみると対をなす。「生前」という言葉は、誰かが死んで初めて使われる言葉である。「死後」も同様だ。ここに引いた歌のように直接に死を詠んでいない他の歌にも、静かな死への思いが流れているように私は感じた。
抱かれて五条の橋を渡りくる赤子と遭えり日の暮れるころ
「この道は八幡社には行きません」遠くラジオの演歌ながれて
入ってはいけない森へ入りゆくわれを探して呼ぶ兄のこえ
ゆるやかに左へ逸れてゆく道はどこへ行く道か地図にはあらず
 第一歌集『駅へ』に収録された「あなたとは遠くの場所を指す言葉ゆうぐれ赤い鳥居を渡る」「自転車が魚のように流れると町は不思議なゆうやみでした」という歌が私は特に好きで、すぐに覚えてしまったのだが、松村の歌にはときどきこのように不思議な異界を感じさせるものがあって、それがとてもよいと思っている。『午前3時を過ぎて』にも上に引いたような歌があり、ここにも橋と鳥居のある神社が登場している。一首目は京都の五条大橋の情景で、何の変哲もない日常的情景ながら、五条の魔力のせいかどこか怪しい雰囲気が漂う。
 本歌集が第一回佐藤佐太郎短歌賞を受賞することになったのは当然だろう。作者壮年の充実した歌集である。

第153回 齋藤芳生『湖水の南』

大鳥よその美しき帆翔を見上げずに人は汚泥を運ぶ
               齋藤芳生『湖水の南』
 平成19年に角川短歌賞を受賞し、第一歌集『桃花水を待つ』で日本歌人クラブ新人賞を受賞した齋藤芳生さいとう よしきの第二歌集が出た。
 この歌集ほど日付が重い意味を持つ歌集はなかろう。齋藤の故郷は福島県であり、この歌集は東日本大震災を挟んで、その前と後に作られた歌を収録しているからである。東日本大震災の津波による被害と、福島第一原子力発電所の事故による放射線被害によって、福島の人々の生活は根底から覆された。私たち遠方に住む者はこの事件の推移をTV報道によって知るしかなかったが、大学で数年間原子核工学科に籍を置いていた私は、一般の人よりも少しだけ原子力発電所について知識がある。東京電力と原子力安全・保安院のスポークスマンが、一貫して事故 (accident)ではなく事象 (incident)という用語を使って出来事を矮小化しようとしたことに、私は今でも憤りを禁じ得ない。冷却水の供給が絶たれた時点で、炉心溶融が始まっていたことはわかっていたはずだ。
 大事件は人を変える。第一歌集『桃花水を待つ』と今回の『湖水の南』を読み比べると、そのトーンの違い、なかんずく歌の深度の違いに驚かされる。齋藤は3年間中東のアブダビに日本語教師として赴任し、第一歌集はその折りの体験が核になっている。気候風土も言語も宗教も異なる土地に暮らした体験が歌の素材だが、作者は現地ではあくまでよそ者であり、物事を見る視点が内部にまで食い込むことはなく、外からの視点に留まる。海外詠の大きな問題はそこにある。『湖水の南』に収録された震災前の歌にも、依然としてそのようなことが濃厚に感じられる。
砂と風に耐えるテントに一塊の肉切り分けて家族はありき
黒衣には香を焚くべしおとこには沈黙すべし アラブの女
髭の濃きアラブの男たちの着る白き衣に日は照り返す
描かれし風のようなるアラビアの文字を見る金色の砂の上
夢に手を伸べるさみどりふるさとの音たてぬ雨よき香りして
ふるさとのやわらかき水に手を洗い香り豊けき桃を剥くべし
チョコレートの銀紙をもて鶴を折る指先より日本人に戻る
 最初の4首は2010年5月、残りの3首は5月2010年夏とあり、いずれも震災前に作られた歌である。風と砂の土地から日本に戻ったときの身体的落差は大きく、作者は故郷の豊かな緑と水に癒されている。「やわらかき水」は比喩ではなく、海外生活を経験した人はわかると思うが、日本の水はほんとうに手に柔らかい。しかしこのような美しく懐かしい故郷はあの日を境に一変するのである。
引っ越しするわけにはゆかぬ人あまた「汚染地域」の土けずるなり
紙飛行機のような軽さに燕落つふるさとの窓すべて閉ざされ
茫然と我は見るのみ墓石はすべて倒れて空を映せり
除染のためにつるつるになりし幹をもて桃は花咲く枝を伸ばせり
慟哭は慟哭としてふるさとの雨に解かるる草木の種子
木々の根が掴みて離さざる土の確かさに春の虫眠りおり
かなしみのように糖度は増してゆく桃の畠に陽の傾ぐとき
 このようなことを書くのは酷なことで気が引けるのだが、震災前の歌に見られる、故郷においてもうっすらと漂うよそ者感が一掃され、それまでの外の視点は内からの視点に変換されて、齋藤は紛れもない当事者と化している。それと同時に歌の深度が増している。心も体も出来事の内部に入り込んだからである。そのような歌の変化を目の当たりにするのは驚きであり、また同時に哀しみでもある。上に引いた歌からは、汚染地域とされてしまった故郷に暮らす人たちの労苦と悲嘆が伝わってくるが、特に二首目の「紙飛行機のような軽さに燕落つ」に、一瞬にして故郷の姿が変わってしまった衝撃が表現されており、また六首目の「木々の根が掴みて離さざる土」には、海外詠には欠けていた出来事の内側へと食い込み止まない視線があり、すごみを感じる。
 もうひとつ大きな変化がある。第一歌集『桃花水を待つ』には、いまだ人生の目標が見えない作者の自分探しという雰囲気が濃厚に漂っていた。
店頭に並ぶブーツは職業を捨てたの我の背中に尖る 『桃花水を待つ』
海ではなく大都市に流れ着くこのどうしようもなき両手を洗う
埃まみれで撤去されない自転車のように商店街に我のみ
アブダビより持ち帰り来し砂の壜ことりと光らせて家を出る
 この点においても大事件は作者を変えたのである。歌集表紙裏には「祖父たちへ。祖母たちへ。」という献辞があり、湖水の南に暮らした祖父母を詠んだ歌が歌集の中で大きな比重を占めている。
ガラスケースの中に軍用手票あり祖父おおちちの指の跡見えねども
祖父おおちちの記憶は両の腕にあり月の照る猪苗代湖を泳ぐ
ハイカラな祖母なりきああ、数百のハイヒール履かぬまま土蔵くらに積み
祖父おおちちを思えば瞼震うなり猪苗代湖に雷様らいさまが来る
祖父のつくりし幼稚園今日閉じられてペンキの剥げし遊具を運ぶ
大地震に屋根崩されし土蔵より祖父の帽子も転がり出たり
祖父おおちちに会いたし夏の農道に逃げ水浮かび近づけば消ゆ
 『桃花水を待つ』の評の中で私はかつて次のように書いた。
「自己に不全感を抱いている人は何らかの方法で自己拡大を図る。それには大きく分けて二つの方法がある。地理と歴史である。空間軸と時間軸と言ってもよい。斎藤が選択したのは空間軸の方である。」
 アブダビへ赴任したのが空間軸における自分探しであったとしたら、大震災という事件は齋藤をしてもうひとつの方法である時間軸を選ばせたのである。そのことは「祖父たちへ。祖母たちへ。」という献辞が雄弁に物語っている。この歌集は湖水の南に暮らした眷属としての自覚を宣言したものなのだ。この作者の覚悟が本歌集に収録された歌の数々に、作り物では決して出すことのできない重さと力強さを与えている。それがこの歌集の意味である。
 東京の小さな出版社で働いていた時の動物図鑑をめぐる歌や、民族学者イザベラ・バードに想を得た歌などもおもしろく、歌集に多様性を与えているが、それも上に書いた意味には及ぶまい。最後に祈りのような一首を。
欅の芽空にほどきて大いなる神の指我のまなぶたに来る

第152回 服部真里子『行け広野へと』

光にも質量があり一輪車ゆっくりあなたの方へ倒れる
              服部真里子『行け広野へと』
 2012年に短歌研究新人賞次席に選ばれ、2013年に歌壇賞を受賞した服部真里子の第一歌集が出た。名門早稲田短歌会の俊英の待望の歌集である。ちょっとヨーロッパ中世の写本を思わせる瀟洒な装幀は名久井直子の手によるもの。名久井は錦見映理子の歌集『ガーデニア・ガーデン』の装幀も手がけた注目のデザイナーである。美しい本になっているのが嬉しい。栞文は伊藤一彦、栗木京子、黒瀬珂瀾。伊藤は歌壇賞の選考で服部を押した審査員、栗木は短歌研究新人賞の審査員、また黒瀬は服部が拠る「未来」の選歌欄の主である。ちなみに歌集題名の「広野」を私は一見して「ひろの」と読んだが、奥付を見ると「こうや」とルビが振ってあり「こうや」が正しい読みのようだ。
 歌集題名が命令形になっているのが最近では珍しい。過去には春日井建『行け帰ることなく』、武下奈々子『光をまとへ』、成瀬有『遊べ、桜の園』、佐佐木幸綱『直立せよ、一行の詩』などがあり、最近では松本典子『ひといろに染まれ』の例があるが、若い歌人の歌集題名にはあまり見られない。それはやはり今の若い人の心のありようを反映しているのだろう。命令形は力強く意志を表し、何よりもそれを投げかける相手がいる。命令形は相互行為としての言語の形態的発露なのである。
 さて、掲出歌だが上句の「光にも質量があり」が一般論で、「一輪車ゆっくりあなたの方へ倒れる」が個別の現象で、両者を並列的に接続する構造になっている。誰かが乗っている一輪車に横から光が当たっている。すると光の圧力を受けたかのように、一輪車が恋人であろうあなたの方へと倒れるのである。光に質量があるかどうかは実は難しい問題で、アインシュタインは光の質量はゼロだとした。しかし、光には運動量は存在する。だからわずかながら物体に作用を及ぼすことはできるのである。その微量の圧力を詠んだところがおもしろく、作者の知的な世界把握を感じさせる。光はこの歌集に何度も登場する語であり、作品世界を読み解くひとつのキーワードとなっている。
 若い歌人が歌を詠むとき最も重要な課題は、「言葉の斡旋によっていかに詩を立ち上げるか」だろう。そのとき用いられる技法は、日常言語の位相からは乖離した詩的圧縮と意味の飛躍である。しかしそれと並んで同じくらい重要な課題は、「いかにして世界の平板な見方から脱却するか」である。
 今、目の前に見えている現実だけが世界の姿ではない。歴史家が町を歩くとき、現代の町並みの向こう側に、江戸時代や平安時代の町の姿が重なって見えているだろう。地質学者が地形を観察するときには、何万年も前の地殻変動や火山の爆発を透視する。旅人は今日の夕食に魚を食べるとき、遙か遠いポルトガルのナザレの港で食べた魚を思い出すだろう。皮相な表面的現実を超える多元的・重層的視線が歌を豊かにし奥深いものにする。
 『行け広野へと』を一読して感じたのは、作者は歌を奥深いものにする何かをすでに会得しているということである。それは次のような歌に表れているように思う。
前髪に縦にはさみを入れるときはるかな針葉樹林の翳り
洗い髪しんと冷えゆくベランダで見えない星のことまで思う
蜂蜜はパンの起伏を流れゆき飼い主よりも疾く老いる犬
どの町にも海抜がありわたくしが選ばずに来たすべてのものよ
塩の柱となるべき我らおだやかな夏のひと日にすだちを絞る
 一首目、前髪を梳くために鋏を縦に入れると、髪と鋏は平行になり、縦方向の世界が前景化する。そこから北国の針葉樹林が想起され、作者はそこにはるかな視線を投げるのである。この「はるかな」という視線が歌に奥行きを与えている。それは大滝和子の名歌「観音の指の反りとひびき合いはるか東に魚選るわれら」と通じる視線である。二首目は説明不要で、「見えない星のことまで思う」という措辞がいささか単純ではあるが、遠すぎて見えない星もまた私たちが生きている世界の一部だという認識がある。三首目、蜂蜜とパンが並ぶと旧約聖書が思い浮かぶが、この歌の眼目は時間の流れである。蜂蜜が流れる短い時間と、犬が老いるそれよりも長い時間のスパンが等価に置かれている。四首目、どの町も海抜を持つように、どのような些細な事柄にも何かの意味がある。しかし私はどれかを選び、それ以外のものを選ばずに来た。作者の視線は選ばずに終わったものたちの上を漂う。このように服部は、見えるものより見えないものに、選んだものより選ばなかったものに眼差しを向けることで、平板になりがちな世界把握に奥行きと陰翳を与えている。五首目、塩の柱も旧訳聖書の逸話だが、ここではいつかは死すべきという意味だろう。生命に限りある私たちが夏のある日にすだちを絞っている。この情景に焦点化された「いま・ここ」の一回性が切ないほど胸に迫る歌だ。
 この歌集を一読して気がつくのは父が登場する歌の多さである。
昨日より老いたる父が流れゆく雲の動画を早送りする
窓ガラスうすき駅舎に降り立ちて父はしずかに喪章を外す
窓際で新書を開く人がみな父親のよう水鳥のよう
駅前に立っている父 大きめの水玉のような気持ちで傍へ
父よ 夢と気づいてなお続く夢に送電線がふるえる
木犀のひかる夕べよもういない父が私を鳥の名で呼ぶ
 母を詠んだ歌も数首はあるが、父の歌の方が多くこれで全部ではない。女性は一般に母親に同化し共感することが多く、娘にとって思春期以後の父親はたいてい煙たくて近寄りたくない存在である。しかし服部にとって父親はどうやらそうではないらしい。特に四首目は短歌研究新人賞の選考座談会でも評判のよかった歌で、加藤治郎は「今までの歌は、父親はもう敵で、どうしょうもない人間。こういう歌を読むと本当にほっとして」と述べ、佐佐木も「父親として読んで、いいなあ……と」と手放しである。「大きめの水玉」は父親キラーの修辞のようだ。
 付箋の付いた歌は多いが、その中からいくつか挙げておこう。
なにげなく掴んだ指に冷たくて手すりを夏の骨と思えり
雪は花に喩えられつつ降るものを花とは花のくずれる速度
いっしんに母は指番号をふる秋のもっともさびしき場所に
かなしみの絶えることなき冬の日にふつふつと花豆煮くずれる
うす紙に包まれたまま春は来るキンポウゲ科の蕊には小雨
日のひかり底まで差して傷ついた鱗ほどよく光をはじく
水という昏い広がり君のうちに息づく水に口づけている
金貨ほどの灯をのせているいつの日か君がなくしてしまうライター
   一首目、「夏の骨」というフレーズが印象的で、「なにげなく」がさりげなく上手い。二首目、「雪は」で始まるので雪の歌かと思えば、途中で転轍して花に焦点が移動する。花の命の儚さを「速度」で表しているのだろう。雪と花とが二重露光のように見える。三首目、「指番号」とは、ピアノやバイオリンの運指を表す記号のこと。「秋のもっともさびしき場所に」が、演奏する楽曲の箇所であると同時に心情も表している。四首目のポイントは花豆で、ベニバナインゲンのこと。名称に含まれた「花」が哀しみに明るさを付与している。五首目は「うす紙に包まれたまま」というフレーズが早春の雰囲気をよく表している。六首目の「傷ついた鱗ほどよく光をはじく」は実景描写とも比喩とも読めるが、伊藤一彦は栞文でこの歌を取り上げて、服部の短歌の特徴は明るさで、この明るさは今の時代には貴重だと述べている。七首目は相聞で、恋人の中に広がる水という暗がりに注目した歌。「水に口づけている」という表現が清新だ。八首目は「未来賞」を受賞した一連のうちの一首で、いつの日かなくしてしまうだろうという先取りされた喪失感と、今輝くライターの炎の対比が印象的である。
 批評を書くために何度も歌を読み返すと気づくが、歌集全体を通じての歌のレベルの高さと安定感が抜群である。おそらくは今年の収穫の一冊として記憶される歌集になるだろう。