第138回 野口る理『しやりり』

薄氷に壊れる強さありにけり
          野口る理『しやりり』
 俳句は発見の文芸という一面を持っており、掲出句の魅力はひとえに発見の斬新さにある。冬の日、水溜まりか池の表面に薄氷が張っている。その厚さは実に薄く、表面の光の反射具合で水面ではなく氷が張っているのだと認識できる程度である。試しに木ぎれで表面をつつく。すると木ぎれはすっと水中に入るかと思えば、氷を割り、割れた氷は硬質の氷片となって散る。こんな薄い氷にも木ぎれの加える力に抗して割れるだけの強さがあったんだ、という発見である。ちなみに水溜まりの氷を木ぎれでつつくというのは、子供が冬の朝によくやる行為である。この無邪気さとまっすぐな好奇心が野口の俳句の魅力のひとつだろう。
 最近、若手俳人の活躍が目立つが、野口はその一翼を担う一人で、1986年生まれ。邑書林の俳句アンソロジー『俳コレ』に参加し、『しやりり』は第一句集。野口はプラトンを研究する哲学の徒で、修士論文の題目は「『パイドン』におけるミュートス - プラトン哲学の再考」だという。御大高橋睦郎が栞文を寄せている。句集題名は集中の「友の子に友の匂ひや梨しやりり」から。梨を齧る時の擬音語である。句集は編年体で編まれており、2003年から始まっているので、17歳の作である。あとがきによると、高校生の時に瀬戸内寂聴の文学塾に参加して初めて作った俳句を瀬戸内に褒められたが、「俳句なんてやめて小説を書きなさい」と言われたのに反発したのが俳句の道に入るきっかけだったという。「やめろ」と言った瀬戸内に感謝すべきかもしれない。
 さて、野口の俳句は王道を行く有季定型・旧仮名遣で、句風は清新な感受性を迸らせるなかにも、どこか留守番を命じられて無人の部屋で一人遊びしているような邪気のなさを感じさせるところがある。
 2003-2006の章より。
抱きしめるやうに泳ぐや夏の川
ひつじ雲もう許されてしまひけり
串を離れて焼き鳥の静かなり
遠くから見てゐるものに春の海
うららかにしづかに牛乳捨てにけり
バルコンにて虫の中身は黄色かな
海賊のやうにメロンをほほばれる
出航のやうに雪折匂ひけり
 韻律は悪いがおもしろいのは三句目で、串に刺されているときは並んで枝に止まる鳥のように見えても、串から外されると単なる鶏肉片に見えるということか。四句目は年齢を感じさせないほどの完成度で、栞文に高橋が書いているように「春の海」は動かない。六句目は野口の無邪気な好奇心を感じさせる句で、バルコニーに落ちていた虫の死骸を試しに踏んづけたら、にゅっと黄色い中身が出たのだろう。『俳コレ』の選を担当した関悦史が解説文に書いていた。いっしょに吟行に行った際にカマキリの卵を見つけ、野口が「これ潰したらどうなりますか」と聞いたので慌てて止めさせたという。最後の句は高柳克弘が特に好きと推した句。
 2007-2010の章より。
初雪やリボン逃げ出すかたちして
御影供や黄な粉は蜜に馴染み初む
茶筒の絵合はせてをりぬ夏休み
象死して秋たけなはとなりにけり
秋川や影の上には魚のゐて
襟巻となりて獣のまた集ふ
 一句目は自選十句にも入れているので自信作なのだろう。意味を問われると詰まってしまうが結像が美しい。二句目の御影供みえいくは弘法大師の忌日である3月21日に大師の図像を飾って行う供養で春の季語。茶店で食べた菓子にかかっている黄粉と黒蜜である。粉体である黄粉は粘りけのある黒蜜と最初は混じらないが、時間が経過するとやがて黒蜜と混じり合う。微細な変化と時間の経過が詠まれている。三句目が冒頭に書いた無人の家で一人遊びしているような空気の句で、特に意味のないところが好きな句である。四句目、確かに動物園の人気者である象が死ぬのは秋がふさわしい。五句目、ほんとうは水中に魚がいるから水底に影ができるのだが、その順序関係を逆転することによって知覚主体の発見が表現されている。
 2011-2013の章より。
吾のせゐにされたし夏のかなしみは
ふれずとも気配ありけり種袋
霧吹きの霧となるべし春の水
はつなつのめがねはわたくしがはづす
己身より小さき店に鯨売られ
一指にて足る六花殺むるは
 野口も年頃となりこの頃恋人ができたらしい。それまでの句のほとんどは事物の句であったが、このあたりから人が登場する。一句目の悲しみを抱いているのはもちろん私ではない。四句目の眼鏡も自分の眼鏡ではなかろう。微妙にエロティックな句である。五句目の「己身」は「おのがみ」と読むのかと思ったら、「こしん」という読みがあるらしい。「鯨」は「げい」と読みたい。小さな魚屋で鯨肉が売られている情景だが、自分の体より小さな店というところにおかしみがある。おかしみは俳句の大切な要素である。六句目の「六花」は雪の結晶のこと。ポイントは「殺むる」にある。ちなみに北海道にある六花亭のマルセイバターサンドは美味しい。
 野口は神野紗希・江渡華子と三人でスピカというグループを結成して活動している。栞文で高橋が書いていた鈴木真砂女のお店をときどき手伝っているという俳句三人娘というのはこの三人のことだろう。『しやりり』をスピカのオンラインショップで購入すると野口ま綾 (姉と思われる)の特製ポストカードがおまけで付き、句集には野口の揮毫が入るのだそうだ。しまった。私はふらんす堂で買ってしまったので何も付いてこなかった。スピカのサイトで買えばよかった。

第137回 小高賢追悼

ポール・ニザンなんて言うから笑われる娘のペデイキュアはしろがねの星
                      小高賢『本所両国』
 小高賢が2月11日に亡くなった。小高は1944年生まれなので享年69歳になる。毎年「短歌研究」の12月号は巻頭で一年を回顧し、鬼籍に入った歌人を掲載しているが、今年の年末の号には小高の名も載るのだろう。
 小高の短歌についてはすでに書いたことがあり、それ以上付け加えることはないのだが、訃報に接して今回取りあげることにしたのは、その少し前に「短歌研究」2月号に掲載された川野里子の「時間について」という読み応えのある短歌時評を読んでいて、少しく思うところがあったからである。
 川野は角川「短歌年鑑」26年版の座談会「秀歌とは何か」で、参加者の岡井隆、米川千嘉子、永井祐があげた秀歌の条件から筆を起こす。岡井のあげる「展開するイメージ (視覚的なるもの)の美」「一首の韻と律のこころよさ」や、米川の「くきやかな韻律・文体の味わいが渾然となって、豊かに感情や認識が表現されている」といった条件は、微妙な差を除けば地続きと感じられるのにたいして、永井のあげた「面白い」「すごい」「見たことない」と前二者のあいだはふっつりと切れたところがあるとする。永井のあげた条件から公約数を取るとそれは「驚き」であり瞬間的なものである。このように「時間」ではなく「瞬間」に重心が移っていることがふっつりと切れた印象の原因だという。川野はそこから論を広げて、私たちの生活から「時間」という要素が希薄になってきていて、私たちは過去から未来へと向かう「時間」を失いつつ生きているのであり、永井はそうした時代の空気の体現者のイメージがあるとする。さらに川野は過去から未来へと向かう時間軸を夢想するのは共同体であり、今時間が失われつつあるとすれば、それは共同体そのものがなくなっているか、あるいは大幅な再編期を迎えているからだと鋭く指摘している。 
 小高に話を戻すと、小高の歌人としての履歴はいささか変わっている。講談社の編集者として馬場あき子と知り合い、「あなたも短歌を作りなさいよ」と言われて「かりん」創刊に参加したのが1978年、小高34歳の年である。この事実はふたつのことを意味する。ひとつは小高が青春の陶酔に基づく短歌を経験していないということである。短歌と青春は相性が良い。しかし小高が作歌を始めたのはすでに分別のつく大人になってからである。だから第一歌集『耳の伝説』(1984年)刊行時において、小高の歌はすでに大人の歌であった。
いつか超ゆる壁とおもいき幅ひろき父の背中を洗いしときは 
                        『耳の伝説』
的大き兄のミットに投げこみし健康印の軟球ボールはいずこ
壮年の本郷菊坂炭団坂夏に埋めおくことばさがせり
 もうひとつは小高が前衛短歌の毒を浴びていないということである。前衛短歌の時代は昭和20年代末から30年代であり、小高の歌人としての出発はずっと後なので、小高は前衛短歌の衝撃をリアルタイムで体験していない。これが何を意味するか。
 三枝昴之は『岩波現代短歌辞典』の「近代短歌と現代短歌」の項で、近代短歌と現代短歌を分かつ時代的境界線をどこに引くかについて、3つの説を紹介している。前川佐美雄の『植物祭』に現代短歌の起点を見る島津忠夫は昭和5年、合同歌集『新風十人』が前衛短歌技法の出発点だとする菱川善夫は昭和15年、前衛短歌こそが現代短歌の幕開けだとする篠弘は昭和20年代末に境界線を引く。しかしいずれの説も前衛短歌の表現の革新と私性の更新に近代と現代を分かつ道標を見ている。しかし後段になって三枝は短歌百年のマクロな視点に立って、近代短歌と現代短歌の区別を相対化する。このような視座から改めて眺めれば、小高の短歌には表現技法の革新と私性の更新という側面は極めて薄く、現代短歌というよりは近代短歌の名がふさわしいのである。
 また本名鷲尾賢也としての編集者の経歴も看過できない。政治学者丸山真男に私淑し、思想的には左寄りのリベラルであった小高はまぎれもない近代主義者であった。ここで言う近代主義とは、過去の反省と批判を基盤として、民主主義的な市民社会の成熟と自由の保証に価値を置く態度を言う。
〈英雄でわれらなきゆえ〉朝ごとのひげそりあとの痛き「エロイカ」
                           『家長』
 この歌の底に流れているのは英雄になれない自分への慨嘆ではない。小高が信じた戦後民主主義とは、そもそも英雄を生まない社会システムだからである。
 ぐるっと回って冒頭に触れた座談会「秀歌とは何か」に戻ると、岡井・米川と永井の立場がふっつりと切れているように見えるのは、手短に言えば前二者が近代短歌の文脈に位置しているのにたいして、永井はピカピカの現代短歌派だということに尽きる。両者を分かつのは、三枝が重視した表現の革新と私性の更新というよりも、川野が指摘した「時間」かそれとも「瞬間」かという時間意識のちがいであろう。最近、陸続と若手歌人の歌集が刊行されているが、そのいずれを繙いてみても、小高の短歌に見られるような重く沈潜する時間を見いだすことはできない。近代は遠景へと遠ざかり、「時間」は死につつあるのだ。
 小高は在職中に講談社現代新書や選書メチエの編集に携わっている。私の書斎にもどちらもたくさん並んでいるが、小高が編集した本はないかと探してみたら見つかった。鈴木晶『グリム童話』(1991)のあとがきに、「講談社の鷲尾賢也氏に心から感謝の意を表したい。氏の『愛の鞭』がなかったら、本書はできあがらなかった」と記されていた。改めて冥福を祈りたい。


【追記】  2月19日の朝日新聞朝刊に「名編集者 早すぎる別れ」と題して鷲尾賢也の逝去を悼む記事が掲載された (執筆は朝日新聞編集委員の吉村千彰)。鷲尾は講談社の名物編集者として知られていたという。「僕は講談社の中で岩波書店をやってるんだ」という鷲尾の言葉が紹介されていて、なるほどと得心した。選書メチエを立ち上げた鷲尾にしてみれば、新書がどんどん学術から実用へと流れて行くことに危惧を感じていたのだろう。14日に執り行われた葬儀で文芸評論家の加藤典洋が「もう、褒めてもらえず、ここはダメだよとも言ってもらえない」と声を詰まらせたという。作家の信頼篤い編集者だったことがわかる。このコラムには編集者の鷲尾賢也が歌人の小高賢であったことは触れられていない。(2月19日追記)

第136回 澤村斉美『galley』

冬鳥の過ぎりし窓のひとところ皿一枚ほど暮れのこりたり
              澤村斉美『ガレー galley』
 「黙秘の庭」で2006年に角川短歌賞を受賞し、第一歌集『夏鴉』で現代歌人集会賞、現代短歌新人賞を受賞した澤村の第二歌集である。題名の「ガレー」は、古代西洋の手漕ぎ軍船「ガレー船」を意味すると同時に、活版印刷時代から用いられている「ゲラ刷り」をも指す。両者の関係は詳らかにしないが、活字を組んだ組版を入れておく箱をもともとgalleyと呼んだらしく、澤村はそこから想像の翼を羽ばたかせ、ゲラ箱に並ぶ活字の群れと軍船を漕ぐ漕ぎ手を結びつけている。新聞社の校閲部に勤務する作者にとってゲラは日常馴染み深い物であり、ゲラ箱に並ぶひとつひとつの活字が、群衆の中の一人一人の人に見えるのだろう。ここには作者の世界観が如実に表れている。それは自分を選ばれた特別な人間と見なすのではなく、通勤電車に揺られる勤労者群衆の一人にすぎないとする見方である。
 第一歌集『夏鴉』の評において、澤村は近景 (=私)と遠景 (=世界)の中間に属する中景すなわち家族・職場・友人・同僚などが構成する「世間」をていねいに詠んでいると書いたが、その印象は第二歌集においても変わらない。「地味に生きている」自分の日常を淡々と歌にしている。いささか淡々としすぎるほどだと言ってよい。
 一巻を通読して読みとることができたテーマは「時の移ろい」で、目についたキーワードは「窓」である。作者は大学を卒業し、新聞社に就職して結婚するという人生の節目を通過したわけだが、そのような節目が殊更に歌に起こされているわけではない。ここで「時の移ろい」というのは、何気ない日常における時間の経過をいう。たとえば次のような歌にそれを感じることができるだろう。
月、火と雨が降りをり水曜はしづくのひかるゑのころを思ふ
思ひがけず車内を照らす月のひかりけふの仕事も過去になりゆく
すりがらすを薄く光が満たしたり朝は無人の職場の扉
一夏を立ち尽くしたる蓮の茎は骨折するもたふれきらざる
朝の窓に白く前向く鳥居あり夫はいつしか見なくなりたり
テーブルに置き手紙増ゆ味噌汁のこと客のこと電池なきこと
 一首目では一昨日、昨日と二日続いて雨が降り、今日は降らないという天気の変化が詠まれているが、それ自体は取り立てて言うほどの大事ではない。ここでのポイントはそのような時の移ろいを感じている〈私〉であり、それが下句に表されている。二首目、深夜帰宅するタクシーの中だろうか。今日の仕事が過去になったとは、おそらく深夜を挟んで日付が変わったということか。ここにも時の移ろいが刻印されている。三首目、新聞社では朝刊を作る深夜が最も忙しい時間帯で、早朝は無人なのである。四首目は敗荷を詠んだ歌で、敗荷は秋の季語である。作者が暮らすアパートの前には神社の鳥居があるらしく、いくつか関連する歌があるが、その鳥居をよく見ていた夫はいつしか見なくなったという変化が詠まれている。五首目、共働きの夫婦の間では置き手紙が増えるという歌。
 どの歌を見てもそこに表れる時の移ろいは日常のものであり、決して大きな変化ではない。ふつうならば気づかず通り過ぎるような移ろいである。だから一首だけ取り出して見ると、なぜこんなことを歌に詠むのかといぶかしむ気持ちすら湧いて来る。しかし歌集一巻を通読すると、作者が歌で表現したかったのは、このような淡々とした時を生きている〈私〉なのかなと思えるのである。
 澤村の歌には窓がよく登場する。仕事場の窓、自宅アパートの窓、それから電車の窓である。
ハンガーにカーディガン揺れ夏の窓はおとろへてゆくばかりの光
窓に立ちて外をながめる心などを思へり廊下のつきあたりの窓に
窓の外に白い袋が浮いてをり部長の頭ごしに見るそのふくろ
踏切を過ぎてゆく窓、くもり窓 かほの並んでゐる窓もある
天象をかかはりのなきものとしていとほしむなり十一階の窓に
 記者ならば外出も多いだろうが、校閲部に所属する作者はずっとデスクでひたすら文字を読むのが仕事である。当然ながら外界とのつながりは窓を通して外を見るということになる。そういう職場の事情もあろうが、どうもそれだけではないような気もする。澤村の歌の特徴のひとつにアイテムの象徴化の不在がある。歌に詠まれている事物に象徴的な意味が付与されていることはほとんどない。しかし窓だけは作者にとって、外界との通路、ひいては人と人の交通の象徴としての意味があるのではないかと思う。
 読んでいておもしろく感じたのは、校正という仕事に関する歌である。
遺は死より若干の人らしさありといふ意見がありて「遺体」と記す
「被爆」と「被ばく」使ひ分けつつ読みすすむ広島支局の同期の記事を
人を刺したカッターナイフを略すとき「カッター」か「ナイフ」か迷ふ
七行で済みし訃報の上の方、五十行を超えて伝へきれぬ死あり
 「遺体」と書くか「死体」と書くかで迷っているのが一首目で、二首目は「被爆」と「被曝」の使い分けである。「曝」は常用漢字にないので平仮名で記されている。「被爆」とは原水爆や放射能の被害を受けることを、「被曝」は放射能にさらされることを言う。私も校正で山ほど訂正された経験があるが、新聞社や大きな出版社の校閲部はどんな小さな誤字・誤用でも見逃さない。
 近代短歌では仕事の歌が多く詠まれたが、現代短歌ではずいぶん減っている。それは現代短歌の社会性の喪失過程とおそらく平行した現象だろう。短歌はどんどん私的になったのである。歌集を読んでもどんな仕事をしている人かまったくわからないことが多い。『ガレー galley』には職場詠と仕事の歌がかなり見られ、それは澤村と同年代の若手歌人には見られないことである。それはよいのだが、ほとんどすべてが日々の折々の歌で占められており、もう少し主題性のある歌に挑戦してもよいのではないかとも感じる。
 最後に私的な感慨で恐縮だが、次の歌に思わず目を止めた。
師匠島崎健 弔ふと出町柳「あじろ」にて夜を更かしをり夫は
「けふの講義、不調だった」と落ちこめる島崎健とあじろの夕日
 島崎健は私の同僚の国文学者で、研究室も目と鼻の先にあった。体を壊して定年退職の一年前に辞職し、その後一年くらい経った頃に訃報が届いて驚いた。島崎の講義には熱心なファンがついていたという話を後ほど耳にした。澤村の夫君は島崎さんの教え子だったのか。冥福を祈る。

第135回 本多稜『惑』

シメコロシノキに覆はれて死んでゆく木の僅かなる樹皮に触れたり
                       本多稜『惑』
 短歌人会所属の本多稜の第四歌集である。本多は1967年生まれ。『蒼の重力』(2003年 現代歌人協会賞)、『游子』(2008年 寺山修司短歌賞)、『こどもたんか』(2012年)がある。『惑』は編年体で、2007年に始まり、2011年までに作られた短歌を収録している。あとがき・跋文・栞文など一切なし。私が惹かれたのは表紙で、古萩茶碗の銘「蒼露」の貫乳がカバー一杯に写されている。箱書きは「朝まだきいそぎ折つる花なれど我より先に露ぞおきける 其心庵」とある。其心庵とは茶道遠州流11代目の小堀宗明。歌集題名の「惑」は不惑から「不」の字を削り、まだまだ不惑の境地には達していないという意味かと思われる。
 一読してまず驚いたのは収録歌の数だ。1ページに5首印刷で281頁ある。目次や中扉や余白、それに長歌など形式の異なる歌の分を差し引いて、少なめに200頁と見積もっても1,000首である。これだけの量の言葉を生み出す膂力に圧倒される。
 本多は外資系の金融関係の会社に勤務し、世界中を飛び回って金融ビジネスの第一線で働いている。グローバル化し国境という概念が溶解しつつある現代世界の最前線を生きているような人である。そういう現実まみれの世界に生きている人と短歌という伝統詩型の結び付きは珍しい。おまけに本多は忙しい日々の間を縫うようにして、世界中の山に登り海に潜るという行動の人でもある。また家に帰れば三人の子供を持つ子煩悩な家庭人である。短歌には文弱の徒というイメージがあり、また短歌・俳句などの短詩型文学には不幸の影も付きまとうのだが、その一切がない短歌というのは極めて珍しい。
 『蒼の重力』の評にも書いたことだが、もともと短歌人会には男歌の系譜があり、本多はその系譜に連なる歌人である。最近の短歌シーンでは大学の短歌会所属歌人が各賞を受賞し、若手歌人の歌集も陸続と出版されているが、その歌風の主流はおおむね女性的か中性的であり、血と汗が飛び散るような男歌は皆無に近い。そもそも身熱を感じさせる歌が少ない。宗教学者の山折哲雄が『「歌」の精神史』で嘆いたとおりである。そんななかで骨太の男歌を作り続ける本多は貴重な存在と言えるだろう。
 いくつか歌を引いてみよう。
水の音は涼し煙の沁みわたり身ぬち微かに泡立つ水煙草シーシャ
山海関はたより見ればタンカーを連ね伸びゆく長城があり
中央駅グラセンまで送つてもらふ「この次に飲むのは多分金融街シティーですかね」
山をなすハイビスカスの花の下山羊の血の川流れてゐたり
アララトに頭預けて昼寝せむ脚は大草原へ投げ出し
羅漢果のお茶の甘さにチワン族の歌への期待ふくらむばかり
水平線ひろがりをれど波はなしラプラタこれも河なると知る
雲裂けて大運河カナル・グランデの灰色にラピスラズリの青み差したり
鮮やかにいのちみつしり珊瑚礁勝ち抜きて勝ち残りてかがやくものら
風そよぐ草原に足踏み入るるごとくソグドの文字を目に追ふ
 一首目は現在のチュニジアにあるカルタゴを訪れた折りの歌で、二首目は中国の杭州、三首目はニューヨーク、四首目はインドのコルカタ、五首目はトルコのアララト山、六首 目は中国の少数民族壮族の歌海という催しを見に行った折りの歌、七首目は南米、八首目はヴェネチア、九首目はマレーシアのコナキタバルの海、十首目は中央アジアのサマルカンド。読み進むうちにまるで世界一周秘境ツアーに紛れ込んだような気になり、頭がくらくらするほどである。これほどの行動力と体力がいったいどこから生まれるのか、絵に描いたような文弱の徒である私には謎である。
 集中の圧巻はボルネオ島のムル山の登頂だろう。一帯はグヌン・ムルとして世界遺産にも登録されており、山頂の海抜は2,377mという。4日間の登頂の過程を21頁にわたって詠んだ長大な連作である。
リュックの奥に腕時計しまひムル山とわれの時間を合はせて歩く
振り下ろすナタの角度の冴え冴えとわが行く道を新たに伸ばす
ムル山に容れともらへど雨ふればたちまち泥の川となる道
腹に脚にヒルの総攻撃を受け森を抜けんとする風われは
宙の午後。この世に音のあることを時折鳥が教へてくれる
生乾きのシャツに沁みたる火の匂ひ 今日この山と決着を付けむ
ボルネオの空の高みに入りゆくカエルの声に包まれながら
ムル山頂。腹の底より叫びたれば天涯にわがこゑの泡立つ
   熱帯の密林の中をナタで植物を払って進み、スコールに見舞われれば登山道は泥の川となるという困難な登山で、読んでいて筋肉の軋みが聞こえて来るようだ。私が不思議に思うのは、本多はこの歌をいつ作ったのだろうかということである。登山の経路に従って展開する連作は具体性と体感に満ちている。夜にテントの中でアルコールランプの光でこれだけの分量の歌を作るのは体力的に難しいだろう。しかし、帰国して書斎の机で作ったにしては記憶が鮮明で描写が具体的なのである。
 『蒼の重力』の栞文で小池光が、「この歌集には折々の歌というものがない」と書いていた。折々の歌というのは日々の生活で何かに触れて、ふと心をよぎったことを詠む歌である。折々の歌がないということは、裏返せばすべてが主題を持つ歌だということだ。折しも『短歌研究』の昨年12月号の短歌展望で、佐佐木幸綱が「主題を持つことの重要性」を説き、今は主題を持ちにくい時代になっていると指摘している。主題を持って詠う歌人が少なくなったという。もしそうだとするならば、本多のようにほぼすべてが主題を持つ歌という歌人は貴重な存在と言えるだろう。
 もうひとつ本多の歌を読んでいて気づくのは、ほとんどの歌が〈今・ここ〉に視点を置いた歌だという点である。上に引いたグヌン・ムル登頂連作をもう一度読み返してみればよい。短歌の〈私〉と〈今・ここ〉とが隙間なく密着していて、両者の間にずれがない。これは本多が思弁の人ではなく行動の人であることの自然な帰結なのだ。〈私〉と〈今・ここ〉の間にずれがある歌というのはたとえば次のような歌をいう。
古りにたるわが身にも迫りやまぬかな闇つたふ梔子の花のかをりは 
                         木俣修
 直接的に詠まれているのは夜に漂う梔子の香りで、これは確かに〈今・ここ〉に存在するのだが、作者が見ているのは実はそれではない。作者の視線の先にあるのは自らの老いであり、今までの人生の来し方である。本多の歌にこのような造りのものがないのは上に述べた理由による。しかし逆に言えば〈私〉と〈今・ここ〉とが隙間なく密着しているということは、作風がワンパターンで単調になる弊害を招くのも事実である。このことを意識してか、集中には日本語の短歌と漢詩とハングルの歌が並んでいる連作がある。ハングルは読めないし漢詩にも不案内なので、三者の関係がよくわからないが、表現の幅を広げるための実験と思われる。〈私〉と〈今・ここ〉との距たりは時に歌に奥行きを与える。本多の課題は案外このあたりにあるのかもしれない。

第134回 大和志保『アンスクリプシオン』

驟雨ななめにまちを疾りて匂ひたつ魂ぞしとど〈歓喜ジョイ〉てふ
               大和志保『アンスクリプシオン』
 自宅に届いた歌誌『月光』No. 32を開いたら、月光の会に黒田和美賞が創設され、その第一回受賞者に富尾捷二『満州残影』と大和志保『アンスクリプシオン』が選ばれ選評が掲載されていた。『満州残影』は未読だが、『アンスクリプシオン』は手許にあり、今回改めて通読してみた。
 大和志保は1964年生まれ。『アンスクリプシオン』は2012年刊行の著者第一歌集で、月光文庫の第1巻として刊行されている。歌集題名の「アンスクリプシオン」はフランス語のinscriptionで、記銘、碑銘、登記、登録などの意味がある。石などに刻みつけるというイメージがあり、著者の強い意志を感じさせる題名である。歌の配列は逆編年体で、造本は簡便な紙装になっている。解説は福島泰樹。
 さて作者の歌風であるが、それは収録された歌を少し眺めれば感じられよう。
被傷性ヴァルネラブルとたわやすく置換せるかな 揺れながら歩む孔雀と皇女と
魔術師の掌に花湧きいだし地を指すヨハネ口角をあぐ
氷上に錐揉みする青年のたましいよ垂直に錘せよ
灰色の緞帳払われて朝 新河岸大橋の塗りたてのさみどり
たましいを曳く羊飼い在らざる迷宮に飼い殺したし ミノ わたしの男
 敢えて系譜を求めるならば、イメージの鮮烈な語句の選択と硬質の思想性において前衛短歌の水脈に連なると言えるが、ヒリヒリするような皮膚感覚とエロスがそこに加わっている。しかしその歌の造りにおいて難解の誹りを免れることはできず、しばしば読者を置き去りにする。上に引いた三首目はおそらくフィギアスケートの演技で、四首目の新河岸大橋は東京と埼玉の境を流れる川にかかる橋だがらわかりやすいが、一首目の皇女、二首目の魔術師、五首目のミノタウロスは純粋に作者の想像力が紡ぎ出したものである。
 ではそれはゼロからの想像力かというと、どうやらそうではなく、元になるものがあり、それを端緒として想像力によってどんどんずらしていったもののようだ。その手法を象徴するような歌がある。
われ・なれ・ずれと視界翳みて窃視するヴィとぞ言葉すでにえゆく
われ (我)、なれ(汝)という一人称・二人称に続くのが「ずれ」なのである。実際、本歌集には文学や音楽や他の芸術作品に対する言及がたくさんある。
蛇腹のあたしが巻きとられる頃ブエノスアイレスは午前零時をまわる
酔いどれの朝の祈り 忘却の船底に燃えあがるランボオ詩集
百日紅剥落しつつ湧きいだしおり大野一雄の口腔の闇
愛と汚辱の境朧の月光に鏡文字なる「重力と恩寵」
水面の油膜虹いろにさざめきアダージォ聴こゆ 遠きヴェニスの朝に死すとき
 一首目の蛇腹はアルゼンチン・タンゴのバンドネオンだろう。背景にアストル・ピアソラの音楽が流れる。『ブエノスアイレス午前零時』は藤沢周の小説の題名である。二首目は明らかにランボーの「酔いどれ船」を分解したもの。三首目の大野一雄は現代舞踏家。私はこの歌を読んで前衛華道家の中川幸夫を連想したが、確か大野と中川かコラボした作品があったはずだ。この歌はそれから生まれたものかもしれない。四首目はもちろんシモーヌ・ヴェイユ。五首目はトーマス・マンの名作『ヴェニスに死す』で、名匠ルキノ・ヴィスコンティの手で華麗に映画化された。大和はことのほかポピュラー音楽が好きらしく、ロックやポップスの言葉もまたずらされて歌に紛れ込んでいると思われるが、ポップスには疎い私にはそれはわからない。
 このように大和は文学・芸術・音楽などを資源とし、そこに想像力によるずらしを施して短歌を発想していると思われる。ということは、大和にとって「世界は言葉でできている」のである。
 では言葉を介さない身体と世界との接触は不在なのかというと、そうでもないところが不思議と言えば不思議である。本歌集で何度も反復される特徴的な単語は「皮膚」と「剥落」だろう。
空より剥落しくねもの白く被衣かつぎして帝都はあわれ眠り給えり
百日紅剥落しつつ湧きいだしおり大野一雄の口腔の闇
地の上を爆ぜて転がる鼠花火よ さみしき皮膚の受けし愛撫は
皮膚の下のことなど知らざる蒙昧の肉の裡なる二十一グラム
ゆらり揺れほろり剥がれ落ちるものわれとわが身の軟弱な恋など
皮膚いちまゐに自我は籠れり昏睡のこよひひらかれて鮮し
 一首目の剥落は雪の喩だが、二首目ではサルスベリの樹皮が剥げ落ちているし、五首目は自分の身体から何かが剥落する感覚を描いている。シオランの『崩壊概論』ではないが、「毎日毎日が私たちに消滅すべき理由を新しく提供してくれるとは素敵なことではないか」というシオランの言葉を大和に贈りたい気がする。
 身体を皮膚において感得するとは、皮膚を自分と外界との境界と認識することに他ならない。また「隙間だらけのはらわた縫い閉じてひとの象(かたち)に成りたるが歩けり」という歌があるように、人体を皮膚という袋に内臓と血を詰め込んだものというように見ているようだ。かのボオドレエルにも似たような感覚があり、腐肉のようなおぞましいものを彼は好んで詩の題材としたが、それは新しい美を創造するという目的があったためである。この点において大和はいささか異なるようで、そのことは巻末近くに配された初期歌篇にすでに次のような歌があることから知れる。
エロス・タナトスあやめわかたぬわが夜々にあやしくOのくちひらく刻
きみとわれのさかひにくらき淵あるとうめゐの糸曳き剰れる舌
   一首目は祖母の死に際しての歌で「Oのくち」とは嵌められていた呼吸器のことである。肉親の死に際しての歌としては異色である。「暗き淵」というと聖書の詩編とバッハのコラールを思い出すが、ここでも我と君の境は皮膚として感じられている。そこに何かヒヤリとするような即物的認識がある。
 私が注目したのは東日本大震災の後に作られた次の歌である。
行き交うものみな柔らかきものに見ゆ 地の揺れしのちひとと逢うとき
 こう歌うとき大和にとって世界は言葉でできているものではあるまい。実感として感じたことを比較的素直な言葉で詠んでいる。このような歌がもっとあれば、言葉でできた歌もさらに生きるのではないかなどと感じてしまうのである。

第133回 藤島秀憲『すずめ』

置時計よりも静かに父がいる春のみぞれのふるゆうまぐれ
                  藤島秀憲『すずめ』
 『すずめ』は第一歌集『二丁目通信』で現代歌人協会賞を受賞した藤島秀憲の第二歌集である。『二丁目通信』という町内会紙のような題名も散文的だが、こんどは「すずめ」だ。ありふれて色も地味な鳥である。岩手医科大学の三上修くらいしか研究者がおらず、寿命もよくわかっていないという。表紙には「す」と「ず」の横棒に一羽ずつすずめが止まっている。すずめに代表される日常卑近な小さきものに向ける藤島の愛情がぎっしり詰まった歌集である。
もうみんな大人の顔つき体つき冬のすずめに子供はおらず
 歌集巻頭の歌である。よくすずめを観察していることがわかる。すずめは晩春から夏にかけて何度か産卵する。わが家のベランダにもよくすずめが来るが、巣立った子供を連れた親鳥が来ると、もうそんな季節かと感じる。巣立ったばかりのヒナは羽毛がボサボサですぐわかる。自分で餌をついばむことができないので、羽根をバタバタさせて親鳥に餌をねだる。やがて羽毛も生え替わり、冬になるともう一人前である。確かに冬のすずめに子供はいない。
 『二丁目通信』の出版時には父親の介護をしていた作者の身に大きな変化が訪れる。19年にわたった父親の介護が父の死をもって終了し、作者は住み慣れた家を離れて新しい町に住む。そこは団地が多くすずめがいない町だという。あとがきで作者はもう今までのような歌は作れないと書いている。今までの自分に別れを告げる歌集となっている。
 目線低く小さなものに目を向け、また自分を実際よりも少し小さく描く歌の詠み方は第一歌集と変わらないが、通読して第一歌集よりも切実なものを感じた。それはこの歌集が失われて行くものを丹念に描いているからだろう。それは「濃密な空間」である。
 私は散歩が唯一と言ってよい運動なので、家の近所をよく歩き回る。好んで歩くのは大きな道路ではなく、民家が建ち並ぶ狭い道で、なかでも路地・袋小路・切り通し・階段を好む。街路樹の根方に花が植えられていたり、民家の玄関先にプランターが置かれて葱が栽培されていたりする場所を見ると、そこが濃密な空間だとわかる。生活臭が漂い、人が長く暮らして来た跡があちこちにある。灯点し頃には外で遊んでいる子供を呼ぶ母親の声が聞こえ、あたりに味噌汁の匂いが漂う。
水仙の薫る小路を抜けてゆく朝の焼きたてコッペパンまで
かすみ草の種はいずこに蒔かんかなここ百日草ここ金魚草
焦げているとなりの煮物春の夜の窓と窓とが細目にひらく
青梅雨のひかる路地裏すれ違うたびに左の肩先は濡れ
あついあついと隣の家族帰り来て、となりはこれがいいという声
父の匂い、わが家の匂い、わが匂い、分かちがたくて蝉しぐれ聞く
 作者が40年暮らしたという家もやはり濃密な空間に囲まれている場所である。植物の好きな作者はとりわけ庭に愛情を注いでいたようで、上に引いた二首目のように花の種を蒔いていた。そこは三首目が示すように、隣家の煮物の匂いがわかるくらい家と家とが寄り添うように建てられている町内である。まさに濃密な空間なのである。
 濃密という意味は単に狭い空間に暮らしているということではなく、空間の隅々までが意味化されているということである。まだ人が住んでいない新築のマンションを思い浮かべてみよう。建築家の設計によって、玄関・台所・トイレ・浴室などはあらかじめ用途が決められた空間なので、最低限の意味化を受けてはいる。しかしそれ以外の空間は、住む人が「ここは居間」「ここは夫婦の寝室」「ここは子供部屋」と決め、新聞やTVのリモコンや財布などの置き場所が決められることで、細かく意味化されてゆく。空間に住み手にとっての意味が生じ、他の場所と差別化されるのである。高齢者が長く住んだ住宅は怖ろしいほどに意味化されている。これに対して郊外の団地は、室内もそうだが建物周囲の空間も意味化が希薄である。そんな場所にあまり住みたいとは思わない。上に引いた藤島の歌が描いているのはまぎれもなく濃密な空間なのである。
 作者はそこで認知症の父親の介護をして最後を看取る。
鳥籠に小鳥のいない十二年 父の記憶を母は去りたり
今朝からは冬場のコース「ふじさん」と父が何度も立ち止まる道
家じゅうに鍵かけ父を閉じ込めてわれは出掛ける防犯パトロール
たばこ屋のおばさんがもう泣いている路地より父が運び出される
太田光に似ている医師の腕時計正確ならん父は死したり
二年後に父のお骨を取りに来んわたしは二歳老いた私は
 自宅で心停止して救急車で病院に運ばれた父親は病院で死亡が確認される。遺体の献体を申し出たらしく、最後の歌はそのことを述べているのだが、献体が二年後に遺骨となって返還されるとは知らなかった。父親の死とその後を描く歌は冷静ながらも慟哭に満ちていて心を打つ。
 藤島が描く濃密な空間は自宅とその周辺に留まらない。
西洋人ふたりだけいる仲見世の猿がしゃかしゃかシンバルを打つ
権太郎坂ののぼりの日面で赤いバイクに三度抜かれつ
道のほとりのほたるぶくろをのぞきこみ谷中に合った時間を歩く
ゆうがおの咲きても暮れぬ墨東に賀茂茄子田楽あつあつが来る
名の由来聞けばなるほど炭団坂五十二段を並ばずおりる
 仲見世、権太郎坂、谷中、墨東、炭団坂など、これらの歌に詠まれた地名は単なる地名に留まらず、歴史や関わりのある人名を連想させる意味の塊でもある。若手歌人の現代短歌には地名や固有名が少なく、それがしばしば具体性のあるイメージ喚起力の欠如となっているように感じることが多い。藤島の短歌はその逆で、地名や固有名を詠み込むことで具体性を出していると言えるだろう。
 『すずめ』は濃密な空間とそれに結び付いた意味性への挽歌のように立ち現れるのである。

第132回 渡辺松雄『隕石』

青山河屠殺ををへし大父に
       渡辺松男『隕石』
 渡辺松男の句集が出たのでさっそく取り寄せて読んでみた。なかなかおもしろい。渡辺松男には『寒気氾濫』から『蝶』まで7冊の歌集があり、現代歌人協会賞、寺山修司短歌賞、釈超空賞などを受賞している押しも押されぬ歌人である。
 歌人で俳句を作る人はいるがそれほど多くはない。塚本邦雄には2冊の句集があり、俳句関係の本も書いているくらいだから、歌人の余技とは言い難い。藤原龍一郎は短歌の前から俳句を作っていたそうだ。寺山修司も高校生のときに俳句から出発し、後に短歌に移っている。
 さて掲句だが、屠殺というくらいだから鶏ではないだろう。鶏ならば「しめる」と言う。牛か豚のような大きな家畜だと思われる。農家の庭先で屠殺したのか、それとも他の場所でかはわからない。しかし屠殺を終えて戻って来た祖父は尋常ではない雰囲気を身に纏い、ひょっとしたら獣と血の匂いが漂っていたかもしれない。そんな祖父の背後に青山河が広がっているという、極めて絵画的な句である。この句を読んで森澄雄の「山の冷猟師さつをの体躯同じ湯に」(原文は正字)という句を思い出した。森の句について塚本邦雄は「湯の面を伝って荒い樹脂の香がにほひ立つやうだ」(『百句燦燦』) と評したが、渡辺の句では夏の空気の中を獣の匂いと暴力の香りが伝わって来るようだ。
 季語は青山河で夏なのだが、実はこの語は歳時記に掲載されていないのだそうだ。しかし佐藤鬼房に「ほとに生る麦尊けれ青山河」という句がある。夏の光を受けて樹木が青々としている風景を指す。
 『蝶』の批評にも書いたことだが、歌人としての渡辺の短歌の特徴は奇想とアニミズム感覚にある。それと同時に人間を宇宙的次元で捉えるスケールの大きさが感じられる。1首目と2首目は偶然にも「XはYなり」という措辞を含んでおり、認識の歌としての渡辺短歌の特徴を示している。
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
                       『寒気氾濫』
蛇なりと思う途端に蛇となり宇宙の皺のかたすみを這う
                       『泡宇宙の蛙』
あかげらにどらみんぐされている楢の こんなときわれは空へひびきをり
                            『蝶』
 では『隕石』に収録されている句はどうかというと、やはり短歌と俳句の文芸としての生理の差か、短歌に特徴的な人間と自然とが連続融合するようなアニミズム的な句は少ない。そういう世界を立ち上げるには俳句は字数が少なすぎるのだろう。
プラトンや天に止まれるままの蝶
につぽんや春昼といふ大袋
引鶴を空に消し空完成す
花むしろにんげんだけを余分とし
死にいれる鯨のゆめや青地球
 スケールの大きな句を引いてみた。1句目、天に蝶が止まることはないので、これは蝶のプラトン的形象化だろう。天空に大きな蝶が形象化されているようだ。2句目、春昼はうららかで眠気を誘う。そんな春風駘蕩の空気を日本列島をすっぽり包む大袋に喩えた句で視点が大きい。3句目、越冬を終えて鶴が北に帰る。点々と見えていた鶴の姿が消えて、空が完成するという。空が本来の姿に戻るということだろう。4句目、花むしろは桜の花が一面に散っている様であるが、「にんげんだけを余分とし」に渡辺の世界観がよく表れている。5句目は死にぎわの鯨を詠んだ句だが、この世は一尾の魚(あるいは一匹の亀)の見る夢にすぎないとする古代中国の世界観に通じるものがある。
 次は時間を詠んだ句で、時間もまた渡辺の認識の大きなテーマである。
うすらひの一秒前のごとく今
ひぐれまでまだすこしある落花かな
ででむしのきのふとけふとあしたの差
蝙蝠や〈いま〉〈ここ〉〈われ〉の飛び回る
 1句目はやや謎めいているが、薄氷が今にも張ろうとしている一瞬前の瞬間を捉えた句。〈今〉の捉え難さを詠んだ句と取る。2句目は夕方に桜が散る様を詠んだ句で、「まだすこしある」という時間の捉え方が秀逸。3句目はカタツムリの遅い移動を詠んだ句。4句目は蝙蝠の意識には今・ここ (hic et nunc)しかないとする認識の句。幸か不幸かわれわれ人間には今・ここを超える想像力と記憶力が与えられているが、蝙蝠を詠む渡辺の目にはどこか蝙蝠の方を良しとする気持ちが感じられる。
 以下、印象に残った句を挙げてみよう。
死のむかうがはのまぶしき日照雨かな
噴水のなにも手渡すことできず
たましひとそして団扇のうらおもて
くるんくる軍艦島に白日傘
白牡丹ゆめにもおもみあるやうに
手のとどく範囲が閻浮茄子の花
死ののちの父のむすうや渡り鳥
穂すすきのとなりに遅れながら揺る
秋冷が汽車のかたちで運ばるる
終極のこころを点すからすうり
1句目、死に「向こう側」があるとすればそれは何だろう。眩しいのだから輝く何かなのだろう。2句目、噴水の水はただ噴き上がり落下するのみである。吉川宏志に「噴水は挫折のかたち夕空に打ち返されて円く落ちくる」という歌があるが、短歌ではどうしても「挫折のかたち」と情意を詠み込んでしまうところ、俳句はスパッと切って余韻を残す。3句目、魂に裏表があるのかといぶかってしまうが、こう言われるとすとんと納まるところがおもしろい。4句目、非常に映像的な句で、廃墟と化した無人の軍艦島に女性のさす日傘が眩しい。私はマニアというほどではないが廃墟好きなので嬉しい句である。5句目、夢に見た白牡丹にもぼってりとした重さがあるという。夢幻的な句である。6句目、閻浮は閻浮台の略で人の住む世界を表す仏教用語。渡辺は筋萎縮側索硬化症(ASL)という難病に罹っているので、身体の自由が効かず、手のとどく範囲が自分の世界なのである。脊椎カリエスを患っていた子規が獺祭屋主人と号したのも、獺が獲った魚を並べるように、病床の枕元に必要なものを並べているからである。そういえば亡くなった父も自分のベッドで同じことをしていた。7句目、父が死んでから森羅万象に父を感じるという意味だろう。8句目、ススキが風に揺れる様を詠んだ句。  『蝶』にも「秋風に集団としてあるなかの蜻蛉ひとつを追へばすばやし」という歌があるが、ふだん気が付かない微少な現象を捉えるのは、短詩型文学の得意とするところである。確かにススキは一斉に揺れるのではなく、その揺れかたは微妙にずれる。9句目、朝早く出る列車の車内は冷えている。その冷えた空気のままに列車が走る。「汽車のかたちで」がおもしろい。10句目、からすうりの赤い実を詠んだ句である。蝋燭の画家として知られる高島野十郎に「からすうり」と題された絵がある。土壁を背景に、葉と蔓が枯れて赤く実ったカラスウリを写実的に描いた絵だが、とても美しい。確かに何かの魂がぶらさがっているようにも見える。先年、熊本を訪れたときに細川家の墓所に行ったことがあるが、墓所の岩壁にカラスウリがたくさん実っているのを初めて見た。その様を「終極のこころ」と形容するところに渡辺の境地を窺うことができるだろう。

第131回 秋月祐一『迷子のカピバラ』

模型飛行機のやはやはとした羽根ごしにたわむ世界はみどりを帯びて
                  秋月祐一『迷子のカピバラ』 
 模型飛行機は軽く作る必要があるため、素材にはバルサのような軽量木材を用い、羽根には薄くて丈夫な和紙を張る。超軽量飛行機には台所用のラップのような樹脂素材を使うらしい。だから上句の「模型飛行機のやはやはとした羽根」のように、頼りない印象を与える。そして半透明の羽根ごしに見える世界がたわむという。これは幾通りにも解釈できるだろう。大空を飛ぶ飛行機を希望の象徴と取れば、世界は希望に満ちた方向にたわむだろう。しかし模型飛行機の脆さや飛行時間の短さに着目すれば、逆に世界はマイナス値の方へと歪むことになる。しかし作者の中では緑という色は美と結び付いているようなので、プラス方向かマイナス方向かという二者択一的価値判断ではなく、模型飛行機の羽根ごしに見る世界は日常から離脱して美しく見えると解釈しておきたい。
バルサの木ゆふべに抱きて帰らむに見知らぬ色の空におびゆる
                   小池光『バルサの翼』
 同じように模型飛行機に用いるバルサ材を詠んだ歌を引いたが、小池の歌には見知らぬ色に染まる空に怯える思春期の少年としての〈私〉がいる。見知らぬ色の空とは言うまでもなく、少年の眼前に横たわる不確定な未来である。一方、秋月の歌にはそのような意味での〈私〉が見あたらない。これが近代短歌と現代短歌を分かつ最も大きな分水嶺だと言えよう。現代短歌とは取りも直さず〈私〉の変容なのである。
 秋月は1969年生まれ。「未来短歌会」の彗星集で加藤治郎の選を受けている。『迷子のカピバラ』は今年4月に刊行された第一歌集である。栞には加藤治郎、あがた森魚、天野天街、諏訪哲史、ハービー・山口、森雅之が寄稿していて、作者の交友関係の多彩さが窺われる。
 本書を手にしてまずその造本の凝り具合に驚く。横長の判型で厚紙製の帙に入っている。中は1ページ3首組で、作者自身の撮影した写真と自作と思われるコラージュが散りばめられており、美術品の詩画集のような造りになっている。ここから窺うことができるのは、作者は美意識に上位の価値を与える人間だということである。ならば「未来短歌会」に入会する前は「玲瓏の会」に所属していたという来歴も合点がいく。口語短歌なのに旧仮名遣いなのも同じ理由によると思われる。
スクリャービンのソナタみたいな夜だからちよつと酸つぱいきみの青梨
ぼくのなかで微睡んでゐた合歓の木をよびさますやうに夕立がくる
梅雨寒のホット・バタード・ラム熱しやけどの舌をちろつと見せて
ずつと海を見てゐるきみと溶けてゆく冷凍みかんが気になつてゐる
言へずじまひに終つたことば捨てにゆく水曜の午後、地下鉄メトロで海へ
  巻頭から数首引いた。「スクリャービン」や「ホット・バタード・ラム」、他の歌には「アイスワイン」「ジェラート」などの現代的なアイテムが並び、どうやら恋人らしい「君」との淡い関係が詠われている。微かに性愛の匂いがするが決して露骨に詠うことがない。そのお洒落で現代的で醒めた様子に、思わず西田政史の『ストロベリー・カレンダー』(1993年刊)を思い出してしまった。
戸惑つてゐるとききみの左眼がうすむらさきになるからこはい
                西田政史『ストロベリー・カレンダー』
コカコーラの壜の破片がこのゆふべわが道標なしてちらばる
水槽にグッピーの屍のうかぶ朝もう空虚にも飽きてしまつた
水晶のかけら投げ合ひからうじて恋愛といふ王国まもる
 1993年と言えば少し前に崩壊したバブル経済の気分がまだ濃厚に漂っていた時代である。西田は盟友・荻原裕幸とともに記号を駆使した短歌を作り、青春の倦怠と空虚を滲ませる歌を詠んだ。しかし秋月の短歌にはこの倦怠と空虚の気分は見られない。それに代わって感じられるのは穏やかで静かな美意識である。
地球空洞説にかぶれた兄さんが逆立ちをしてにらむ北極星ポラリス
祭りつづきで浮かれた街に三日ゐてまたゐなくなる薄荷商人
いつまでも冷めない紅茶いぶかれば遠くかすかにいかづちの音
 目次もなくパートに分けられてはいるものの、連作としての連続性やテーマは特に感じられない。これは前回取り上げた堂園昌彦の『やがて秋茄子へと至る』にも共通して言えることだが、一首が額縁で区切られたひとつの世界を作っていて、読む人は展覧会である絵の前に立ち止まり、やがて次の絵へと移動して行くように、一首一首の歌を他とは孤絶した世界として鑑賞することになる。このテーマ性と連作意識の低さは、現代短歌における〈私〉の変容と深い所でつながっているのだろう。テーマ性や連作を内側から支えるのは〈私〉の連続性だからである。
「見ないまま重ね録りされ消えてつた推理ドラマの刑事みたいね」
地底湖に落としたカメラ ぎこちないきみの笑顔を閉ぢこめたまま
水平がわづかに傾ぐくせのあるきみの写真に右下がりのぼく
 先ほど秋月の短歌には西田のような倦怠と空虚の気分は見られないと書いたが、大学を卒業する頃にバブル経済が崩壊し、その後の失われた20年を生きた秋月にも何らかの感慨はあるだろう。見られることなく重ね録りされて消えたドラマの刑事や、笑顔を閉じ込めたまま湖に沈んだカメラや、恋人の写真に右下がりに写る自分などにその片鱗をわずかに見ることができるかもしれない。
 『ストロベリー・カレンダー』の歌を引用するために、『現代短歌の新しい風』(ながらみ書房 1995)を書架から引っ張りだしたら、田島邦彦が書いた序文がたまたま目に入った。戦後生まれの歌人について来嶋靖生は『短歌現代』(1995年5月号)に次のように書いたという。「人間いかに生きるべきかといった思想・大状況に関わる歌は少なく、総じて現状否定・反権力・反権威の精神に乏しい」一方で、「表現の巧みさと繊細さが加わり、口語の巧みな使用、言語感覚の鋭さ新鮮さが見られる。」これが1995年当時の来嶋の目に映った短歌の状況であるが、それから20年が経過した。思想・大状況に関わる歌が少なく現状否定・反権力・反権威の精神に乏しいどころか、そのような歌が皆無となった現状を見て来嶋は何と言うだろうか。先ごろ鬼籍に入った石田比呂志のように、こんなものを短歌と認めるくらいなら、東京は青山墓地の茂吉先生の墓前に馳せ参じて皺腹かっさばいてくれるわと言うかもしれない。その反面、今の現代短歌は来嶋が指摘した「表現の巧みさと繊細さ」を研ぎ澄ます方向に進んでいるように見える。
 『迷子のカピバラ』に収録された歌を読むと、確かに繊細な感覚と選ばれた言葉があって、ある種の優しく静かなポエジーを醸し出してはいるのだが、それだけでいいのだろうかと感じる。もう少し表現と格闘した痕跡や、〈私〉の煩悶がなくてよいのだろうか。収録された100首をあっという間に読み終わって、そのような感想を持った。

第130回 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

夕暮れが日暮れに変わる一瞬のあなたの薔薇色のあばら骨
           堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
 堂園昌彦の第一歌集が出版された。堂園は1983年生まれ。「コスモス」「早稲田短歌会」を経て、「pool」同人、ガルマン歌会を主催している。まだコスモス短歌会に所属しているかどうか知らないが、伝統的な結社を経験しているので、純粋なネット系歌人とは言えないのだが、同じ早稲田短歌会の五島諭と同じくそのような文脈で語られることが多い。若手歌人には人気があり、この歌集も出版から日を置かずに重版の運びと聞く。
 版元は角川短歌賞を受賞した光森裕樹の『鈴を産むひばり』と同じ「港の人」である。歌集出版に実績のある出版社ではなく、光森はネットで検索してこの版元を選んだそうだ。渋い瀟洒な装幀で、内扉が紫色なのは歌集題名の秋茄子にちなんでのことだろう。1ページに1首という贅沢なレイアウトで、なんと活版印刷である。やはり活版印刷は文字の風格がちがう。帯文なし、栞文なし、簡潔なあとがきのみという清楚な造りには、書き手の姿勢が現れている。
 堂園は若手に人気がある歌人であるにもかかわらず、あまりきちんと批評されていないという印象がある。ネットで探してみても的を射た批評は見つからないし、年齢が上の世代の歌人が堂園の短歌について語ることもあまりない。どうしてだろうか。それは堂園の短歌の批評のしにくさに原因があるように思われる。
球速の遅さを笑い合うだけのキャッチボールが日暮れを開く
目覚めればやがて夕凪、夕凪の後に貰いに行く飾り箱
はみだしてしまう命を持つ人と僕も食べたよふたつ鯖缶
死ぬことを恐れて泣いた子供たちと交わした遠い春の約束
追憶の岸辺はかもめで充ち続けひかりのあぶら揺れてかなしい
 これらの歌に短歌の通常の読みを適用すると、一首目だと、友人同士で脱力のキャッチボールをしているという何気ない日常風景が詠まれているのだが、結句の「日暮れを開く」という措辞にやや詩的修辞が感じられるだけで、どこに読みのポイントがあるのかわからない。穂村弘の言う「短歌のくびれ」が感じられず、くびれのない寸胴体型の印象である。二首目では、昼寝の後か、午後遅く目覚め、やがてあたりは夕凪になるという。だから舞台は海岸だろう。夕凪の後、つまり夜になってから飾り箱を貰いに行くというのだが、それが何の飾り箱なのか、誰に貰いに行くのかさっぱりわからない。三首目の「はみだしてしまう命を持つ人」は、自殺願望があるのか、それとも死病を得た人なのか不明だが、それは置くとして、一緒に鯖缶をふたつ食べたというのが何を意味するのかこれまた要領を得ない。残りの二首についてもほぼ同じことが言える。
 このように堂園の作る短歌は、従来の伝統的な短歌の読みのコードを拒否するのである。このことは近代短歌の文脈内で作られた歌と比較するとよくわかるだろう。
樹の中を水のぼりつつ冷えてゆく泪のごとく花ひらきたる  大谷雅彦
学生が踏む銀杏にむせ返る青春期アドレッセンスをやや過ぎたれど
                             大野道夫
円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる  吉川宏志
 大谷の歌では「樹の中を水のぼりつつ冷えてゆく泪のごとく」までの長い助走が結句の「花ひらきたる」を導き出すために奉仕している。樹の幹の導管を伝って登る水の上昇する様が初句から四句までの流れを作り出していて、助走から開花への変化が見事である。また大野の歌は上句「学生が踏む銀杏にむせ返る」の情景描写と、下句「青春期をやや過ぎたれど」の主情とが「合わせ鏡」の構造を成していて、それぞれの句の存在理由と役割が明確である。吉川の歌では、「円形の和紙に貼りつく赤きひれ」が写実で、「掬われしのち金魚は濡れる」が発見である。ポイントは水の中では金魚は濡れているように見えず、水の外に出た時に初めて濡れるという逆説的真実の提示にある。吉川はこういう短歌のポイント作りが実にうまい。いずれの歌も近代短歌が前提とする読みのコードによって意味を受け取り、それを味わうことが可能である。これらの歌が手渡そうとしているものははっきりしている。
  翻って堂園の歌を改めて眺めてみると、短歌の造りと言葉の質の位相が異なることに気づく。とりわけ言葉がなぜその場所にあるのかという理由がちがうように思われる。堂園の歌ではなぜ言葉がそこにあるのか。その謎を解く鍵は歌集巻末の簡潔なあとがきにある。ある日、代々木公園に行くと、五月の陽光のなかで子供達が芝生の上を駆け回ったり、じゃんけんをしたりして、楽しそうに遊んでいる。それを見た作者は次のように続けている。
 この子たちは今日の光を覚えているだろうか。私は覚えていられないだろう。目の前の景色がどんなにうつくしくとも、いずれ日は翳り、季節は過ぎて、記憶は次第にあいまいになっていく。だから子供たちよ、どうか長生きをしておくれ。長生きをしてたくさんのことを忘れておくれ。せめて私は君たちが忘れてしまったほほえみや苦しみを拾い集めて小さな墓をつくり、その周りに賑やかな草花が咲くのを、長く、長く長く待っていようと思う。
 この文章を読めば、『やがて秋茄子へと到る』という歌集そのものが「小さな墓」であることが感得できるだろう。だからこそ版組や装幀をできるだけ美しくしようとしたのも理解できる。同時に上の文章からは、遠からずこの世を去ろうとしている人の息遣いが感じられる。こう言ったほうがよければ、人生は須臾の間であり、私は移ろう存在であると深く感じている人である。そのような人の目に映るすべては美しく見える。遊ぶ子供たちや咲く花だけでなく、軒先にかかる蜘蛛の巣も使い古した茶碗のひび割れでさえ美しく見えるだろう。
 別の比喩を用いると、これは望遠鏡を逆さまに覗いた時の映像に似ている。望遠鏡を逆に覗くと、風景が奇妙に遠くよそよそしく見える。望遠鏡を正しく覗くと、遠くの物が近くにはっきりと生々しく見えるのと逆である。それはどこか遠い風景であり、私とは関わりのなくなってしまった懐かしい風景のようにも見える。
 堂園の短歌にくびれがなく読みのポイントを絞れないのは、そこに原因があるように思う。作り手の側から言うと、近代短歌の修辞を駆使して、「ここがポイントですよ」と提示する作り方をしていない。堂園の短歌の言葉たちは、そのような目的に奉仕するのではなく、「小さな墓」に納めておく忘れがたい記憶を定着するために使われているのである。「キャッチボール」も「飾り箱」も「鯖缶」もそのように納められたアイテムであり、何かの修辞力を発揮するようにそこに置かれた言葉ではない。だから堂園の短歌を読む人は、修辞のポイントを探すのではなく、目の前を通り過ぎて行く歌の列を、薄いパステルで描かれた淡彩画か詩画集のように味わうのが正しい読み方ということになろう。
 中部短歌会の「短歌」2013年10月号で、菊池裕が『やがて秋茄子へと到る』を論評している。菊池は、「論理よりも審美を優先することに躊躇しない」「近年、稀に見る高潔な詩編である」と高く評価し、「修辞の鎧を纏わない」「ファイティングポーズはとらない」が、「表現のおだやかさに反して、洒脱な熾烈さ、よるべない狂おしさに特徴がある」と評している。堂園の短歌が修辞の鎧を纏わないのは、上に述べたように言葉が修辞に奉仕するために使われているのではないからであり、また「よるべない狂おしさ」が感じられるとすれば、それは堂園が世界を末期の眼で眺めているためだろう。
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
あなたは遠い被写体となりざわめきの王子駅へと太陽沈む
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
過ぎ去ればこの悲しみも喜びもすべては冬の光、冬蜂
春の船、それからひかり溜め込んでゆっくり出航する夏の船
 付箋を付けた歌のなかからランダムに選んだが、期せずして春夏秋冬の四季がすべてあり、またすべての歌に「光」がある。これは決して偶然ではなく、作者が世界の光を強く希求しているためだろう。

第129回 天道なお『NR』

姉であることを忘れるウエハースひとひら唇に運んでもらう間
                      天道なお『NR』
 10月になると町中が香りに満ちる。金木犀の香りである。昔、熊本大学に集中講義に行ったとき、ちょうど10月初めの時期で、熊本の町には金木犀と同じくらい銀木犀があり、強い香りを放っていた。折しも今日 (10月6日) の朝日新聞の天声人語に次の歌を見つけた。
木犀のかをりほのかにただよふと見まはせど秋の光のみなる  窪田空穂
 いい歌だ。ポイントは「秋の光」である。現在の天声人語の筆者は短詩型文学に造詣が深いらしく、よく短歌や俳句を引用している。金木犀というと、2011年角川短歌賞次席の小原奈実の次の歌も思い出す。
いずこかの金木犀のひろがりの果てとしてわれあり 風そよぐ
 さて、掲出歌は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズとして出版された天道なお『NR』から取った。母親にウエハースを食べさせてもらっている幼児期の記憶が主題である。ウエハースの美味しさは姉であることを忘れるほど、つまり妹・弟の存在を忘れるほどだというのだが、この歌の魅力はウエハースと唇だけが焦点化されているところから生じる。俳句や短歌のような短詩型文学は言うまでもなく短いのが特徴だから、テーマや情景のどこを切り取るかというトリミングの芸術である。情景全体にピントが合っていると歌としての切れがない。穂村弘のお好みの言葉を用いるならば「短歌のくびれ」である。
 ウエハースの歌というとどうしても次の歌を思い出してしまう。
子の口腔くちにウエハス溶かれあは雪は父の黒き帽子うすらよごしぬ
                      小池光『バルサの翼』
「ウエハス溶かれ」という破格の文法と、「父の黒き帽子」の9音が強い印象を残す。口の中で溶けるウエハースと帽子の上で溶けるあわ雪の照応、子の無垢と父である自分の汚れの対比が見事としか言いようがない。
 さて、天道なおの歌集に話を戻す。天道は早稲田短歌会在籍中の2000年に『短歌研究』800号記念臨時増刊号『うたう』で作品賞候補となって注目された。この臨時増刊号は現代短歌のメルクマールとなった雑誌で、ここから盛田志保子、雪舟えま、佐藤真由美、石川美南、柳澤美晴、今橋愛(赤本舞名義)らが世に出た。私は今でもこの号を大切に保存している。
 天道なおはタイ旅行に想を得た「天使の都クルンテープへ」という連作を寄せた。「天使の都」はバンコクの雅名である。
落葉を重ねるようにシャツ脱げば雨の残香部屋中に満ちる
凍りたるマンゴスチンを溶かすため窓辺に置けば月光のこう
海月らが波のまにまに愛し合う 氷菓窓辺でくずれる夕べ
 作品賞を受賞した盛田志保子よりも、私は天道の連作に強い魅力を覚えた。旅行詠はややもすれば見聞の新しさに引き摺られ、珍しいアイテムを並べるだけの歌になりがちだが、天道の連作はその弊を逃れており、熱帯地方の空気感や熱を帯びた体感をよく表現している。
 それから13年の年月を経て、第一歌集『NR』が上梓された。歌集題名のNRは職場の予定表に書くノーリターン、つまり出先から会社に戻らずそのまま帰宅するという意味の略号だという。昔は直帰と書いたものだ。大学を卒業して就職し、結婚・出産を経てワーキング・マザーとなり、夫の転勤に伴い新しい町に住み、やがて退職するまでがほぼ時系列で綴られている。
恋文を読み上げるぎこちなさにて製品企画書読み合わせており
白シャツの衿尖らせて帰宅せり真水に浸しただ眠るべし
この土地に夫以外の知己はなく無地のカーテン揺れる休日
ひっそりとヒトのかたちにしずもりて熟れゆく果実わが宮にあり
ながながと午後の会議にブラウスの奥処で乳房ひとひと張りぬ
記すべきものを記していちまいの退職届用紙のかるさ
 一首目は会社勤めの職場詠だが、上句「恋文を読み上げるぎこちなさにて」に女性らしさが滲む。二首目では会社勤めの疲労感を「白シャツの衿」が形象化している。三首目、上に書いた短歌のトリミングに即して言えば、ここでトリミングされているには「無地のカーテン」で、まだ住み慣れない新居の味気なさを表しているのだろう。四首目は、「十月、十日」という妊娠期間を題とした連作にあり、ひと月に一首または二首を配して出産までの経過を詠んでいる。連作の最後は「みどりごは新世界より来たる人ましろき切符手に握りしめ」で終わる。五首目は子育てしながら働く母親の情景で、六首目は巻末の「離職の日」からの一首である。
 「天使の都」を読んだ目で眺めると、ご本人には申し訳ないが、物足りないと言わざるをえない。その印象はどこに由来するかと言うと、おそらく作者には「自分の気持ちをわかってほしい」という想いがあるのだろう。今、短歌を作る若い人たちの多くは同じ気持ちから作歌しているのではないかと思う。その想いは否定しないが、問題はそれをどのように歌へと形象化するかである。
 歌の二大分類である正述心緒と寄物陳思を持ち出すまでもなく、短歌では物に寄せて詠う。寄せた物が穂村の言う「短歌のくびれ」である。寄せた物が主題と離れていればいるほど歌は衝撃力を持つ。この点から見れば新生児と「ましろき切符」は付きすぎていると言わざるを得まい。
平穏無事に五月過ぎつつ警官のフォークを遁げまはる貝柱  塚本邦雄
 「警官」「フォーク」「貝柱」には本来何の連想関係もない。それらがひとつの歌に詠み込まれることによって、それまで存在しなかった意味が浮上する。これが文芸としての短歌の醍醐味である。そのとき歌人は既存の想いを歌で表現するのではなく、発見した新たな意味関係という磁場のなかで、新たな自分へと変貌する。短歌は自己表現ではなく、自己発見の旅なのである。