第151回 鈴木英子『月光葬』

東京の水渡りゆくゆりかもめこの日も一生ひとよと墨いろに啼く
                   鈴木英子『月光葬』 
 作者の鈴木は東京都中央区の勝閧橋近くの下町に生まれ育っている。水路が縦横に通う地区であり、掲出歌の「東京の水」は住まいに近い運河の水である。ゆりかもめは又の名を都鳥といい冬の季語。「名にに負はばいざこととはむ」の在原業平と伊勢物語の影が背後に揺曳する。冬にはごくありふれた鳥である。ちなみに京都の賀茂川にも冬になると多くゆりかもめを見るが、琵琶湖をねぐらにしていて、朝になると比叡山を越えて通って来ると聞く。ゆりかもめはかもめの一種なので甲高い声で鳴く。それが作者には「この日も一生」とばかりに鳴いているように聞こえるのである。「この日も一生」とは、おそらく仏教の言葉「一日一生」から来ているのだろう。今日のこの日が一生の最後の日と思い大切に生きよという意味か、あるいは一生は一日一日の積み重ねからできているので一日を大切にせよという意味だと思われる。比叡山延暦寺の大阿闍梨で千日回峰行を二度も達成した酒井雄哉の本のタイトルが「一日一生」だった。しかしなぜ「墨色」か。そこには隅田川東岸の雅称の「墨東」が遠く揺曳していると思われる。生まれ育った風土に深く根ざした歌である。
 『月光葬』は作者第四歌集。歌集題名は集中の「殺されっぱなしが積まれどの道もイラクの夜の月光葬なり」から採られている。第三歌集『油月』が2005年刊行なので、9年ぶりの歌集である。一読しての印象は、はかない命に注ぐ暖かいまなざしと、それと相反する多くの死を見つめるまなざしが交錯する、目線低く「にんげん」を詠う歌集というものである。セレクション歌人『鈴木英子集』(邑書林)に解説を書いた藤原龍一郎が、鈴木のことを「人間愛の歌人」とすでに呼んでいるので、私の感想は後追いになるのだが、確かにそう呼ぶのがふさわしい。
 しかしそれ以上に本歌集に溢れているのは水のイメージである。すでに『油月』の巻頭で「水無月にかなしき水を湛えおり家族をつつむ東京の水」と詠んだ鈴木にとって、水は生命を育むものである。
ゆっくりとひろげれば蝶はいざなえり極彩色のみずのありかへ
大川にさくらが零すゆめのいろ水にはゆめを喰うものが棲む
ひとつ水にゆらりいのちを浮かばせて舟にいる一期一会の時間
五月には光がみずをふくらますわれも光の景を生きたし
悠々の川なれどかつて火を背負う人にあふれき東京の川
 人体の主成分は水であり、人間は胎内の羊水に浮かんで生まれる。上に引いた歌には水のさまざまなイメージがあるが、最後の歌の東京大空襲の記憶を除いて、水が生命を育むものであり憧憬の対象となっていることがわかるだろう。これが極まると次のような歌になる。
身に巡るみずを揺すらせ身をのばす次の世いかなるかたちのわれか
 ここで作者が幻視していのは水が繋ぐ生命の連鎖であり、狭い意味での今生きている〈私〉を超えるまなざしがある。
 水が流れていればそこには橋がある。水のほとりでの生活に橋は欠かせない。
橋をゆくこころはあやし みずの上をすすっと大きく滑れる気のする
どこへ行くにも橋を越えねばならぬからわたしはここで紡ぎ続ける
どこへ行くにも橋に彼岸に渡される 雨の日は雨の温度となりて
橋の上で手を合わせいる横顔のそのひとこそが亡きひとのよう
置かれたるまま少しずつ彼岸へといのちを移す橋上の花
 地元に留まる決意を述べた二首目は別にして、その他の歌にはどこか怪しい気配が漂っている。それは橋が此岸と彼岸を結ぶものであり、この世とあの世の境界が二重写しになるためである。四首目の橋の上で手を合わせる人がすでに彼岸に渡った人のようだということにも、また五首目で少しずつ萎れてゆく花を彼岸へと命を移すと表現していることにもそれが見てとれる。五首目は視覚的には、見るたびに花が少しずつ向こう岸に移動しているかのようでおもしろい。水と橋は、生があれば死があることの反照である。
 建築や都市論で使われる「地霊」(genius loci)という言葉がある。先ごろ惜しまれつつ亡くなった鈴木博之に『東京の地霊』という好著があるが、その土地の地政学的状態やら歴史的伝承やらか渾然一体となって形成する、その土地固有の「記憶」のごときものを指す。月島の近くに生まれ、結婚を機に転居するが、その後ふたたび佃に戻って来た鈴木にとって、水路の巡る東京の下町は離れることのできない地霊が呼ぶ土地なのである。転勤族の親を持ち、地霊と縁がない私のような人間には、実感することができずうらやましい気がする。もちろん土地のしがらみが負に転じることもあるのは承知の上である。
 鈴木が人間に注ぐまなざしの低さと柔らかさを示すのは次のような歌だろう。
ひとつひとつ苺に名前を与えたり生まれるはず生きているはずの子の
偏愛のあかしのように斑点を抱えるモザイク病のみどりよ
馬跳びの馬ちいさくておおきくて小学生も親も不揃い
影絵なるキツネひゅんひゅん幾匹も喜びあうようなり夏の手話
 生まれなかった子や亡くなった子の名前を苺に与えるという一首目、モザイク病の斑点を偏愛の証と見る二首目(まるで聖痕のようだ)、運動会の親子の不揃いを肯う三首目、耳の不自由な人たちの手話を影絵の狐に喩える四首目、いずれも生命をあるがまま肯定し慈しむまなざしに溢れている。
 ここに書くのは心苦しいが、このようなまなざしは鈴木の長女が自閉症の障碍児であることと無関係ではない。その子は桃の子と呼ばれている。
声が言葉にならざる桃の子六歳よゆっくりしずかにひらければよし
表現の濃い子淡い子 桃の子も母には見える心を持てり
身を預け眠る娘はじゅういちのからだにさんさいほどの脳置く
ひとりでは生きられない子を得てわれは命に執着する冬の母
人のいぬところに生きたし人の目の痛さを知らず娘といたし
 障碍児を持つ母親の心は想像を尽くしても手の届くものではないが、娘をありのままに慈しむ気持ちが感じられると同時に、五首目のひりひりするような感情もまた偽らぬ真実であろう。
   以下目に留まった歌を挙げてみよう。
十月とつきいし世を忘れざるあかしとてまなこにいまもいただく水色
 「十月いし世」とは母の胎内にいて生まれる前の時間のこと。生物学的にはすでに生命としてあるが、私たちの感覚としては生まれるまでは未生である。その時間の証が目の水色にあるとする美しい歌。
静物と描かれながら背きたくすみやかに林檎は身を腐すかな
 キャンバスに静物として描かれた自分に満足せず、背くために林檎が腐るというおもしろい歌。私は一種の自画像として読んだ。
紙折りてひらきて次元を行き来するこの指はきのう愛された指
 折り紙を折っているのだろう。「次元を行き来する」という表現がおもしろい。線は一次元、面は二次元、立体は三次元で、折り紙は平面から立体を作るので、二次元と三次元を行き来するということだろう。世界の壁をすり抜ける感覚と、昨日の性愛の記憶とが交錯している。
 こうして見ると、鈴木には単純な叙景の歌がない。どれもこれも「にんげんの歌」と言ってよい。私自身はボオドレエルの詩やジャン・ジュネの小説のように、汚穢を黄金へと転換する芸術の錬金術に最も心惹かれるので、鈴木にそのような志向が見られないことに少しく不満を覚えないではない。とはいえ「人間派」歌人として充実した一冊と言えるだろう。

第150回 資延英樹『リチェルカーレ』『NUTS』

右クリック、左ワトソン並び立つ影ぞ巻きつる二重螺旋に
              資延英樹『リチェルカーレ』 
 右クリックといえば、誰でもパソコンのマウス操作を思い浮かべるだろう。ところが「左ワトソン」と続くので肩すかしを食らう。作者はこの肩すかしをしてやったりと楽しんでいるのである。クリックとワトソンは1953年にDNAの二重螺旋構造を解明したことで有名な学者である。「並び立つ」とあるので、どこかに銅像が立っているのだろう。「影ぞ巻つる」にも「蔓」との懸詞があるのかもしれない。なにせ油断がならないのである。銅像に影が二重螺旋に巻き付いているなどということは現実には考えられないことだが、二人の科学上の業績を象徴しているのだろう。ちなみに1953年に科学雑誌Natureに投稿された二人の論文がわずか2ページだったことはよく知られている。真理は短かく語れるのだ。
 資延英樹(すけのぶ ひでき)が第一歌集『抒情装置』で短歌界に颯爽と登場したのは 2005年のことであった。私は当時この歌集を取り上げて批評を書いた。それ以来なりを潜めていた資延が2013年に『リチェルカーレ』と『NUTS』という歌集を2冊同時に上梓したのだが、あとがきを読んで驚愕した。作者は2010年に突然昏倒して病院に運ばれ、半月の間意識不明になったという。いったん退院するが再入院したところ「鍋から噴きこぼれる勢いで」歌が生まれたという。『リチェルカーレ』は病魔が襲うまでに「未来」誌上に発表した歌をまとめた歌集で、『NUTS』は病院で溢れ出た歌をまとめたもので、性格をまったく異にする2冊だという。
 まず『リチェルカーレ』だが、一読して驚くのはその文体の多様性である。そもそも資延は、岡井隆が千里カルチャーセンターで開いていた短歌講座で短歌を学んだのだが、古典和歌の偽作を作ってみたいという動機があったという。だから換骨奪胎とパスティーシュはお手の物なのである。
激しかる議論の二ツ三ツありてやうやうすぎゆく年とこそ思へ
くれゆくにまかするほかに道はなし花散る方のそらを見てゐし
夜をこめて滲み出だしたる珈琲の香ぞ聞こえくるあさのひととき
夏風邪と共に去りぬといへばこそ亡きひと恋ふれ宿の秋風
 一首目の「激しかる」「年とこそ思へ」、二首目の「花散る方」、三首目の「夜をこめて」、四首目の「宿の秋風」などはお馴染みの古典和歌の語法であり、短歌の随所に散りばめてある。おまけに「夏風邪と共に去りぬ」は、夏風邪と名画「風と共に去りぬ」を懸けてあり、機知の歌と言ってよいだろう。このような機知は随所に見てとれる。
秋の田のカリフォルニアの保弖留よりFAX一枚届きにけりな
花水木しげる青葉の下闇の境港を鬼太郎がゆく
アングルのせいゐとばかりは言へないさ彼のオダリスクの陰淡くして
ほかならぬ堅いお菓子ぞわが師にはおこしひとつも奉らむか
             (原文では「おこし」は漢字表記)
 一首目は言うまでもなく、百人一首巻頭歌の天智天皇の御製「秋の田のかりほのいほの」のパスティーシュで、イーグルスの名曲ホテル・カリフォルニアと懸けてある。二首目はゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげるが詠み込まれている。三首目のアングルは、絵を描く角度という意味と画家のアングルが二重になっている。四首目の「堅いお菓子」は師の岡井隆のアナグラムである。才気溢れる歌の作りで、作者は情よりは知に傾むく人と見える。
 一方『NUTS』はまるでがちがう。次のように身に降りかかった出来事をそのまま詠んだ歌があるが、印象はとにかく饒舌というものである。『リチェルカーレ』には多く見られた古典和歌のパスティーシュは影を潜め、口語体の歌が多くなり、定型に収まらないものも多くある。
全然覚えてゐないそこから車椅子で運ばれたなんてどつこにもこれつぽつちも
霧多き三田さんだの町の丘の上にあるサナトリウムにかくまはれて
啄木は病気なりしとたれかいふ吾も五〇〇首を日に詠みたれば
二回目の入院にして慢心の創意のもとに書きをりわれは
処置室に心電図計測を待つひとしきりふぶいたあとの窓はしめられ
 三田は神戸から六甲山を越えた北側にある町である。サナトリウムに入院したことからトーマス・マンとの連想が働いたり、三首目のように啄木を連想したりしている。啄木は立身出世のために小説家をめざすも志を得ず、短歌だけは呼吸するように口をついて出てきたという。一日に500首とはさすがに多すぎると思うが、鍋から吹きこぼれるように歌が生まれたというのは事実なのだろう。それは一種の興奮状態である。脳の機能が亢進しているので、「もの凄く頭の冴えて吹く風の手前に青のあきかぜぞ吹く」という歌が示すように、感覚が異常に鋭敏になって、風の色の違いまでも知覚する(と信じる)ようになる。また頭の中でもの凄い勢いで連想がぐるぐる回っているのではないかと思える歌もある。
パイポパイポパイポノチューリンゲン、ゲッティンゲンに黒鳥を見た
また雪が降つてくれればアダモ喜ぶついでにサッチモ聴きたくもあり
ナガサワと思ひて入るもさにあらでキング・サニー・アデの名出でつ
桂木洋子さん似のところでつまづいてあとが出てこぬその某の
 一首目は落語の寿限無の「パイポパイポパイポのシューリンガン」からチューリンゲンへ、ゲッティンゲンへととめどなく連想が滑ってゆく。三首目のキング・サニー・アデはナイジェリアの音楽家、桂木洋子は往年の映画女優。
 『NUTS』は稀な体験から誕生したものなので、評価の難しい歌集だと思う。しかし読んでいて不思議なリアル感を感じることもまた事実である。

第149回 真中朋久『エフライムの岸』

生者死者いづれとも遠くへだたりてひとりの酒に動悸してをり
                真中朋久『エフライムの岸』 
 私が好きなマンガに『孤独のグルメ』(原作久住昌之、作画谷口ジロー)というのがある。TV東京で実写ドラマ化されていることを知り驚いたが、中年サラリーマンの主人公が仕事で他出した先で、一人で食事をするというだけのマンガである。食べるのは贅を尽くしたグルメではなく、山谷のぶた肉いためライス、デパート屋上の讃岐うどん、神宮球場のウィンナ・カレーなど、庶民的なものばかりだが、それが実に旨そうに描かれているのである。「食」は人間の根源的営みであり、B級グルメにも旨さを求めるのだ。
 掲出歌を読んだときこのマンガを思い出した。歌の〈私〉はどこかの酒場で一人で酒を飲んでいる。「をばちやんビールもらふよと言ひ正の字のいつぽんをまた書き加えたり」という歌があるので、そんな庶民的な酒場だろう。〈私〉は生者とも死者とも遠く隔たっていると感じる。死者はあの世に去った人たちだから、〈私〉から遠いのは当たり前だ。だから〈私〉が生者から遠いと感じていることがポイントである。なぜそう感じるか。心に鬱屈する思いがあり、〈私〉を周囲と同調させることができないからだ。この思いが真中の短歌を貫く通奏低音と考えてよかろう。
 真中は1964年生まれで、すでに『雨裂』(現代短歌協会賞)、『エウラキロン』 『重力』(寺山修司短歌賞)の三冊の歌集があり、「塔」の選者を務める幹部会員である。京都大学理学部修士修了の理系歌人で、気象予報士でもあるという。『エフライムの岸』は第四歌集。歌集題名のエフライムは旧約聖書に登場する地名である。あとがきに最初は「シイボレト」と付けようと考えたが、あれこれ考えてエフライムを選んだとある。旧訳聖書の「士師記」(ししき)によれば、ギレアドの人がエフライムの人を打ち破り、逃走する者を殲滅せんとして、エフライムの人がどうか見分けるために、「シイボレト」と言わせ、正しく発音できない者を殺したという。過去の物語と片付けることができないことに気づき戦くエピソードである。この一節から歌集題名を採ったところにも、真中のこの世にたいする姿勢が現れていると言えよう。
 一読しておもしろいと思ったのは、理系出身であるためか、技術職に就いているためか、ふつう短歌には登場しない硬質の用語が用いられていて、それが短歌の重量感を増していることである。
復旧費見ればおほかたは読み取れる鋼柱を深く打ちし地すべり
誘導雷防ぐ工夫を説きはじめし老技師の手のペンよく動く
導波管這ひのぼりゆく鉄塔はあまた茸(くさびら)のごときをつけて
筆算に誤差伝播を解いてゆくいくたびか桁をまるめて
 「鋼柱」は軟弱地盤の強化のために打ち込む鉄の柱で、「誘導雷」は近くに落ちた雷のせいで電磁界が変化し電圧・電流が生じる現象、「導波管」はマイクロ波通信などで電磁波の伝送に用いる管で、「誤差伝播」とは計算上の誤差が雪だるま式に大きくなることをいう。抒情詩である短歌ではあまり用いないし、用いにくい硬質の漢語である。作者がどのような仕事をしているのか詳らかにしないが、次のような歌があるところを見ると、治水や護岸工事などの土木関係の仕事かと思う。二首目のエレベーターは、地上から上に上がるためではなく、地下の工事現場に行くためのものである。
蜂が群れてゐるごときかな今週は圧送ポンプが生コンを揚げる
エレベーター満員なれば階段を駆けおりてゆく安治川の底へ
 真中の作風はずばり骨太の男歌である。女性歌人が多く、男性でも繊細な写実歌を作る人の多い「塔」では珍しい。詠み方に特徴的なのは、蛇行して流れる川のような重いリズムを作り出す字余りの多い文体である。
二十年後におまへはここにゐるだらうと福部さんが言ひきわれはここにゐる
父母の戸籍に三つある抹消のそのひとつわれは新戸籍作りしゆゑに
壁に並べ貼られたるマッチのラベルなど見あげなにとなく夏の日過ぎし
ところどころ層序を乱し堀りかえす積みたるなかにあるとおもへば
冬のグラスに色うつくしき酒をそそぎふるき死者あたらしき死者をとぶらふ
 一首目はまあ定型に納まっているほうだが、七・七・六・九・八の三十七音で、特に下句の九・八のあたりが、土俵を割るかと思えば粘る力士のように、終わるかと思えば終わらず、まだ言い残したことがあるとつぶやくような重量感を生んでいる。五首目を意味で区切ると、七・七・六・五・十二となり、大きく破調である。第二歌集『エウラキロン』ではあまり目立たなかったこのような文体が、『エフライムの岸』では顕著に見られることから、作者の中で何かが醸成され生み出された文体であるらしい。壮年の男の日々の鬱屈を表現する文体としてこれよりふさわしいものは考えられない。日々の鬱屈は次のような歌に読み取れる。
こゑたかく言ひあふを聞きそののちをナショナリズムの谷をゆくわれは
資本主義の世に生きるゆゑ避けられぬとひとを諭しつつたかぶりゆきぬ
民業を圧迫しつつ生き残らんとするか 俺に相談するな
解雇告げるこゑ隣室にしづかなりしづかなればなほ響きくるなり
元請の社名にさんをつけて呼ばれわが知らぬ不手際を責めらるる
自重せよと言ひて言ふのみにありたるは見殺しにせしことと変はらず
 この世に生きて仕事をしていればいろいろな問題を抱え込む。作者はなかなか見過ごしたり軽く流したりできぬ性格のようで、いちいち突っかかるのである。角川『短歌』の1月号増刊で「今年の秀歌集十冊」を選ぶ座談会が企画されていて、『エフライムの岸』もその中に選ばれているのだが、永田和宏が真中を評して「不器用な男で、自分の中にある正義観がうまく世の中と調和しない」と述べている。上に引いた歌を読めばさもありなむと思えるのである。
 かと思えば静かで細やかな写実の歌も味わいがある。
すこし前に過ぎたる船の波がとどき大きくひとつ浮橋をゆらす
赤き実をついばんでゐる鳥かげのしばらくは磨硝子のむかうに
あけがたのひかりに窓の反映の見ゆ対岸にひとのくらしあり
もつれあひながら日なたをゆく蝶の朱いろは枝にふれずひらめく
あしたから煙突のさきゆらめいて見えねども熱きガスを吐きをり
 おもしろいもので、心中を吐露するような歌の間にこのような静かな写実の歌が混じると、それだけ静謐さが増すようで効果的に感じられる。これらの歌に共通するのは、はつかな「ゆらぎ」とそれに気づく〈私〉である。通り過ぎた船から届く波、磨硝子の向こう側の鳥影、対岸の窓ガラスの燦めき、もつれあいながら飛ぶ蝶、煙突から出るガス、これらは微細な空気のゆらぎのようなもので、それに気づいて定型に定着する繊細さも作者は持ち合わせているのである。
築地活版のながれをくみしいくつかの明朝のなかの石井茂吉版
排気筒出でし物質の拡散はおほかたは海のうへのことなる
両手ゆびにちからをこめてしたたらすみどりのしづく火のごときみどり
わたしではなくてお腹をかばつたといまも言ふあれは冬のあけがた
 雑誌の編集作業から思いを馳せる活字についての一首目、震災前に東海村の原子炉を見学した折りの二首目、また三首目のような飲食の歌、四首目の家族を詠む歌も集中には混じっており、歌の素材に変化を与えている。
 最後に私が読んでいちばんよいと感じた歌をあげておく。
夕陽照る河口にみづのながれありなかばはさかのぼるごとき動きに
雨のあとの螺鈿のやうなみづたまりたましひに少し遅れ跳び越す
 写実と深い思いとが見事に結合した歌と見る。とはいえ「なにげなく残しし歌が選歌欄評に引かれて起ち上がりたり」という歌を作る作者のことだから、私が引いた歌にも憤激して起ち上がるかもしれない。そうならないことを祈るのみである。

紀水章生歌集『風のむすびめ』書評:光と風と時の移ろい

 歌集を手にするとき、とりわけ作品を初めてまとめて世に問う第一歌集を読むときは、作者がどのような立ち位置に身を置いて世界を眺めているのか、世界を構成する素材のうち何に着目しているのかという切り口で歌を読むと、その作者の拠って立つ世界観が見えてくることが多い。そのような目で本歌集を眺めると、作者の眼差しはとりわけ光と風と時間の移ろいに注がれていることがわかる。
水滴は濡れる春野の乳色を映し子どものやうに揺れをり
花群は蜂の羽音に開きゆくスローモーションビデオのやうに
水底の珊瑚の砂にゆらゆらと光の網が絡み揺れをり
ふるふると震ふシャボンの薄膜に空渡りゆく秋の映ろふ
 歌集冒頭近くに並んでいる歌を引いたが、これらの歌に通底する感性を感じることができる。一首目、春の雨粒か露の水滴にクローズアップする視野があり、水滴に乳色の春の野が映っている。水滴が揺れているのは微風があるからだろう。静止画でありながら、水滴の揺れによって微細な時間の経過が感じられる。二首目はもっとはっきり時間の流れがあり、蜂の羽音に促されるように花が開く様が詠まれている。ここにあるのは都市に暮らす現代人の性急な時間ではなく、ゆったりと流れる時間である。三首目にもまた揺れがあるが、今度は光である。太陽光の届く浅い海底かと思われるが、このように歌われることによって、媒体なくして存在しえない光が自立的に存在するかのようだ。四首目、子どもの遊びか、シャボン玉の球面に秋が映っている。シャボン玉の震えが表す小さな時間と、「空渡りゆく」というおおらかな措辞が示す大きな時間の両方が封じ込められており、詩的完成度が高い歌である。
みぬちなる音盤ディスクは風にほどけゆき雪ふる空のあなたへ還る
しぼんでた紙ふうせんをふくらます五月の明るい風をとらへて
あのころの風が写ってゐるやうだすぢ雲のある青い空には
 風が詠まれている歌を引いた。見てすぐわかるように、風は作者にとって肯定的価値を持つアイテムである。体を凍えさせたり、思い出を吹き飛ばしたりするような、否定的価値を持つものではない。このことは歌集に『風のむすびめ』というタイトルを付けていることからもわかる。作者にとって風は、内なる音楽をかき立てたり、紙風船を膨らませたり、懐かしい子供時代や青春期に頭上を吹いていたりするものである。
 さてここで『風のむすびめ』というタイトルについて考えてみると、詩的でありながら不思議なタイトルである。風は大気の運動であり、物理的実体を持つものではない。そんな風にむすびめがもしあるとするならば、それは風という客体側にあるものではなく、風を感じている主体側、すなわち〈私〉の側にあると推測される。感じる主体としての〈私〉の側から見れば、風は常に〈私〉に吹いている。確かに遠くの葉群が揺れていれば、「あそこに風が吹いている」と知ることはできるが、それは認識であり体験ではない。〈私〉が感じる風は常に〈私〉に向かって吹く風である。だから「風のむすびめ」とはとりもなおさず、四方八方に吹く風の結節点としての〈私〉にほかならない。そしてそれは単に風のみに留まるものではなく、作者が歌に詠む光や雨や水の流れにも言えることであり、つまるところ森羅万象が一点に収斂する焦点としての〈私〉ということになろう。作者の歌における立ち位置とはこのようなものである。
 短歌史という大きな流れの中に置いてみると、紀水の短歌は自我の詩としての近代短歌の中に位置づけられるとまずは言えよう。しかしながら明治・大正・昭和初期の近代短歌に見られる抒情の主体もしくは生活の主体としての輪郭のくっきりした〈私〉は紀水の歌には希薄なようである。
あふぎみる花梨の空の深みまでしんと冷やせりのど飴ひとつ
ゆふやみへ消ゆる鴉のフェルマータ呼ぶ声たかくとほくをはりぬ
ハクチョウは飛ぶ舟のやう散らされたひかりのなかを昇りゆきたり
 これらの歌を読んで後に残るのは、ただ残像としての喉の冷えや鴉の声や白鳥の光であり、それらを感じているはずの〈私〉は光や声の中に溶解してしまうかのようである。それは紀水が〈私〉を世界を高みから睥睨する不動の地点として捉えているのではなく、風が吹けばそこにしばらく生じてまた消えてしまう「むすびめ」と感じているからであろう。そのような把握においては、〈私〉は近代思想の根底をなすデカルト的主体ではなく、〈私〉もまたひとつの現象とみなされることになる。これが紀水の短歌に通底する認識ではないかと思われる。
 紀水が光や風や時の移ろいにとりわけ惹かれる理由もこれでわかる。これらは特に現象的特質が顕著だからである。しかしさらにもう一段階考察を進めてみれば、近代以前の古典和歌の作者たちもまた、〈私〉とは現象にすぎないと考えていたのではなかろうか。もしそうだとすれば、紀水の短歌は近代短歌を飛び越して、古典和歌の世界へと架橋するものと見ることもできる。短歌が千数百年にわたって連綿と続いてきた短詩型であることを考えれば、それも不思議なことではない。



中部短歌会『短歌』2014年8月号に掲載

第148回 中川佐和子『春の野に鏡を置けば』

無差別は格闘技ではなく殺傷の島国に藤の花房垂るる
           中川佐和子『春の野に鏡を置けば』 
   格闘技の無差別級は、体重制限による階級制のある格闘技で、体重を問わない階級を意味するが、実際は最重量級のことである。掲出歌は無差別殺傷事件を詠んだもので、おそらく2008年の秋葉原での事件だろう。次に「死ぬときに握っていたい手があるかダガーナイフの閃く日本」という歌が配されている。こちらはかなり直截な詠み方になっているが、掲出歌はより間接的である。日本と名指さずに島国とし、藤の花を配して季節感と死を悼む気持ちを滲ませている。この「滲ませる」というスタンスが短歌では重要で、中川はこの手法がうまい。短歌は政治的なスローガンではなく抒情詩である。作者には社会詠が少なからずあるのだが、このスタンスを外れることがないのが特徴的と言えるだろう。
 『春の野に鏡を置けば』は『霧笛橋』に続く第五歌集で、2007年から2012年までに制作された歌をほぼ編年体で納めている。中川は「未来」所属だが、「未来」の中では前衛的傾向や表現志向が薄い歌人で、「コスモス」や「心の花」所属だと言われてもおかしくはない。もともと河野愛子に憧れて短歌の道に入ったので、「アララギ」から「未来」の系譜に連なる位置にいると考えられる。
 一読して感じるのは、中川が短歌において目ざしているのは、現実(出来事)を詠むのではなく、現実(出来事)に接したときに生じる心の襞なのではないかということである。この世には自分の身に直接降りかからないことも含めて、毎日さまざまな出来事が起きている。それらの出来事はその大小にかかわらず、人の心に波紋を起こす。物理法則に作用と反作用があるごとく、出来事の作用は人の心に反作用を引き起こす。中川の短歌はそのように心に生じた波紋をていねいに掬い上げている。例えば次のような歌である。
人体に正しい野菜作りだす野菜工場よろこぶべきか
数本の管に繋がれ生終えし父を思へば明日はわれら
割箸が家にだんだん増えてゆく邪魔にならないはずの割箸
自販機にカット林檎が売り出される東京メトロ霞ヶ関駅
駅前の街路樹の雀去らしめて難民とせり冬の電飾
 一首目は無菌の野菜工場、二首目は病院で延命治療を受ける姿、三首めはコンビニ弁当を買うたびに増えてゆく割り箸、四首目は地下鉄の自販機でカット林檎が販売されるというニュース、五首目はどこの繁華街も冬には電飾を飾るようになり、そのためにねぐらを追われるスズメを詠んでいる。作者自身の体験もあれば、TVニュースのこともある。いずれも社会的な大事件ではないが、接する人の心に波が立つ。それを声高になることなく抑制して詠むところに中川の基本的スタンスがある。
 波風は作者自身に及ぶこともある。あとがきによれば、自身二度にわたる手術を経験し、夫君も同様に二度手術を受けている。
アキレス腱切ってしまってこうなればこうなるのかと病室のなか
松葉杖つく日々なれば不機嫌な四本足の生き物として
健康な人らのための駅ゆえにエレベーターまで大回りとなる
 先日私も不注意から左腕を負傷したのでよくわかるが、そうならないとわからないことがある。片腕が使えないと、食事・入浴・着替えのひとつひとつがままならない。上に引いた歌はそのような認識と狼狽がよく出ている。単に事実を述べるのではなく、コトに接した時の〈私〉が至る所にいる。それは最初に引いた歌群では、「よろこぶべきか」「邪魔にならないはずの」や、上の歌の「こうなるのか」などの措辞によく現れている。「べき」や「はず」などは、言語学ではモーダル表現と呼ばれている。文の表す意味内容に対する話し手の判断を表す言語要素である。疑問や否定などもこの範疇に入る。モーダル表現は話し手、つまり〈私〉を前景化する。読んでいて〈私〉の存在が強く感じられるのである。中川の歌を読んでいると、「自販機にカット林檎が売り出される東京メトロ霞ヶ関駅」のように表面上はモーダル表現が見られない歌においても、潜在的に「これはほんとうによいことなのだろうか」というモーダル表現が隠れているように感じられるのである。
 歌意の取れない歌が非常に少ないのも中川の短歌の特徴だろう。定型へと落とし込む技量はまぎれもない。また近くに住む母親の老いを見つめる歌も身につまされる。集中では次の歌に特に美質が現れていると思った。
この世からうすく離れてランニングマシーンに乗りぬ棚曇る午後
生きる身は犇めき合って出棺を待てり白梅ひらく真昼間
ラ・フランスの滑らかな線に沿うごとき言葉を交わす夜のはじめに
歳月の火影に見えてくる鳥よ一羽ずつその空負いながら
男物扇子が電車の席にあり春のひとつの謎のごとくに
邪魔になる感じというのがよくわかる白皿にのる疲れたパセリ

第147回 山口雪香『白鳥姫』

禽肉とりにくはすでに死屍たるひえ持てばまばたきもせず銀の塩振る
                        山口雪香『白鳥姫』
 鶏肉を調理している光景なので、いわゆる厨歌の部類に入る歌だろう。確かに売られている鶏肉は死屍であり死骸だから、死特有のの冷たさを持っている。生命とは温度である。その認識が「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿を残して」(小池光)という方向に向かえば、「死を咀嚼して生きる私たちの日常」というほのぐらさへと向かうのだが、作者が向かうのはそのような方向ではなく「銀の塩」という美的世界の方である。この方向性に作者の個性が表れていると言えよう。
 『白鳥姫』は出版されたばかりの山口雪香の第一歌集である。作者プロフィールなどという便利なものが付されていないのでよくわからないが、大辻隆弘の跋文によれば、山口は最初「未来」に拠り岡井隆の選を受けていたが、やがて姿を消し、ついで大辻の選歌欄に出詠するようになったという。その間の期間は「玲瓏」に所属していたらしい。つまり山口の短歌世界は「未来」と「玲瓏」の積集合のあたりに存在するようだ。ちなみに山口は一人芝居をする女優であり、山口椿の弟子だという。
 まず歌集の構成がおもしろい。第一章「姉珠」にはフランス語で「雪」を意味するneigeと降られている。音は「ネージュ」で、「姉珠」を「あねじゅ」と読ませてのことだろう。「雪」が作者の名に通じるのはもちろんのことである。第二章は「麗陀」にLedaと振ってある。レダとはスパルタ王の妻であり、横恋慕して白鳥の姿になったゼウスと密通した。歌集題名の『白鳥姫』がこれを踏まえたものだとすると、白鳥姫とはレダとゼウスの子であり、後のトロイア戦争の原因となった美女ヘレネだということになる。収録された歌にもギリシアを思わせるものがあり、湿潤な日本というより、陽光に満ち乾燥した南欧を感じさせる歌が多い。第二章は、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」という古典和歌の部立てになっていて、作者の古典への傾倒ぶりを感じさせる。実際、読み進むのに古語辞典は欠かせない。
 巻頭から数首引いてみよう。
たをやかになづさひ触れむ汝のうらに森のささやく羽音れなば
かがやかに汝のまみくる萌黄葉のれかへる陽光に満てり五月は
抱き来し硝子砕きし二眸ふたまみに弾くひかりは秘むべかりけり
擦り傷を舐める艶見き青い麦乳首ちちくきやかに木綿めんシャツもたげ
まみぶる翳閉ぢ白きぬか寄せてひとよ愛撫は月下に尽くさむ
 「青い麦」と題された連作で、言うまでもなくコレットの小説を踏まえている。四首目の「青い麦」は文語では「青き麦」となるところだが、小説の題名なのでそのままにしてある。文語定型で、古語それも上代語を好んで用いている。たとえば一首目の「なづさふ」は水に浮かび漂うという意味である。「たをやかに」「かがやかに」「眸寂ぶる」などの初句は、意味は有していながらも、意味よりは二句へと導く枕詞的機能が勝っているように感じられる。このような歌を読むときは、「森のささやく羽音」とは何だろうとか、「砕いた硝子」って何のことだろうなどと考えてもしかたがない。現実に対する指示機能をほとんど喪失した言葉なのだから、言葉の連接から浮かび上がるイメージと、言葉と言葉の衝突から生じる火花を味わえばよいのである。上に引いた歌から立ち上がるのは、くっきりと影を作る地中海の光、匂い立つエロス、そして不特定の「汝」に呼びかける相聞の力強さといったものだろう。
 「日々の歌」や「折々の歌」というものは影も形もない。それと平行して歌の意味を下支えする日常を生きる等身大の〈私〉もない。だからこれは、俵万智が『短歌をよむ』(岩波新書、1993)で短歌を作る際の心得として述べた「心の揺れをつかまえて」とか「感動の貯金」などという場所とは遠い地平で詠まれた歌なのである。あらためて現代短歌の振幅の大きさを思わずにはいられない。
 ではどのような場所から生まれるのかというと、可能性はふたつある。ひとつは言葉、ひとつは巫女である。ひとつ目の可能性は、現実との指示関係を最小限に抑えて、言葉を連接してゆくことで生まれる短歌世界で、要するに実生活から資材を得ずに作られた「コトバでできた歌」である。あらゆる短歌はコトバでできているのだから、語義矛盾のように聞こえるかもしれないが、言わんとするところは理解してもらえるだろう。例えば上に引いた四首目は、乳房が膨らみ始めた少女の青いエロスが主題なのだが、作者が本当に擦り傷を舐め、木綿のTシャツを持ち上げる少女を目撃したとは考えにくい。コトバが先にあり、それを組み立てることで歌ができるのである。
 もうひとつの可能性は、山中智恵子や水原紫苑がそれに近いが、「全身これ霊山」となって天から降って来るコトバを捕まえるという巫女系のケースである。ちなみに言語思想史の分野では、「異言」(glossolalia、またはgift of tongues)と呼ばれる事例が昔から報告されている。多くは宗教的恍惚のさなかに理解できない言語を話す例をさすが、それ以外にも、ある日突然、一度も学習したことのない外国語を話し始める例などもあって実におもしろい (これは私の裏テーマのひとつである。とても表では話せない)。「降って来る」人は意外に多いようだ。あとがきで作者が、あれこれ効果を考えて歌を作ったことはなく、「風が吹くように、耳の傍で海鳴りが聴こえるように、ふわりと歌は訪れる」と書いているところを見ると、山口はどちらかと言うとこっちなのかもしれない。
つばめ一閃少年のくびは細きかなトルソのペニス欲しきまひるま
逝く夏のかなしみ透かす桔梗は薄暮のやうにカノンのやうに
亡きひとの形見の絹を選りながら華やぐほどの深き夏の喪
押し花のはらりと崩れ風鈴にしまひ忘れの秋の風吹く
こゑあらねど静かに訪へる風蔭に夏いろ見えてまた水の貌
 一首目、トルソは広場に立つ少年の彫刻で、そこに燕が飛んでいるのだろう。とても日本の風景とは思えず、どこか童話風でもある。早い動きの「つばめ一閃」から、静かな「少年のくびは細きかな」の描写に移るところが見事だ。二首目、「桔梗」は音数から古名の「きちかう」と読むのがよい。本歌集の第二章が古典和歌の部立てを取り入れていることからもわかるように、どの歌にも季節がくきやかに現れている。なかでも作者のお気に入りの季節は夏のようだ。二首目は夏の中でも逝く夏、つまり夏が秋に移り変わる季節を詠んだもので、古来日本人が好んできた時候である。いつまでも暑い夏と思えば、いつのまにか秋の気配が漂うところに、移ろいのあはれを感じてきたのだろう。三首目は、真夏の形見分けの光景であり、華やぐのはもちろん夏を謳歌している自然である。華やぐ夏と喪の哀しみという外と内の対比が際立つ陰翳の深い歌である。四首目は後京極藤原良経の名歌「手にならす夏の扇と思へどもただ秋風のすみかなりけり」に通じる歌である。「しまひ忘れ」ているのはもちろん風鈴なのだが、それを秋風につなげているところに、詩的な統語転倒がある。五首目は夏と風と水の織り成すフーガのような音楽性を感じる歌であり、言葉の意味作用が最小限にまで切り詰められている。
 夏の終わりに読むのに最適の歌集と言えるだろう。

第146回 久野はすみ『シネマ・ルナティック』

海沿いのちいさな町のミシン屋のシンガーミシンに砂ふりつもる
           久野はすみ『シネマ・ルナティック』
 ショウウィンドーに並べてある売り物のミシンに砂が積もっているのだから、廃業したミシン屋か、廃業同然の開店休業状態にある店だろう。「海沿いのちいさな町」という提示の仕方に、どこかメルヘンのような、この世のものではない気配がうっすら漂う。そしてそれとは逆に「シンガーミシン」という銘柄が実に効果的に使われている。
 私くらいの年代の人間の子供時代には、どこの家庭にもミシンがあった。最初は足踏み式で、次第に電動式が普及した。シンガーミシンは最大手のメーカーで、うちにあったのもシンガーだったと思う。洋裁が家庭婦人の必須教科で、どこの家でも子供服は自分で縫っていた時代である。
 久野はすみは「未来短歌会」所属で、『シネマ・ルナティック』は第一歌集。跋文を岡井隆が書いている。題名のcinéma lunatiqueはフランス語で「気まぐれな映画館」の意味。昔、月の満ち欠けは人間の精神状態を支配すると考えられていた。英語でlunaticはもっと強い意味を持ち、頭の働きが正常でないことを言う。ちなみに題名は実在の映画館の名前から取ったそうだ。
 長いあとがきで語られているが、作者はもとは演劇の世界にいて演出家をめざしていたが、結婚・出産を契機に郷里に戻り演劇界を離れた。作者が短歌に出会ったのは小林恭二『短歌パラダイス』(1997、岩波新書)、略称「短パラ」だという。短歌を志す人でこの本を読んだことがない人はいないだろう。私も姉妹編の『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』と並んで、何度読み返したかわからない。ちなみに俳句編が二冊出ているのに、短歌編が一冊しか出ていないのは、句会と比較して歌合を開催するのがいかにたいへんかを物語っている。それにしても「短パラ」をきっかけに生まれた歌人とは感慨もひとしおである。
 さて、久野の作風であるが、さすがに演劇をめざしていた人だけあって、一首の中にドラマがある。たとえば次のような歌である。
春を待たずして行方しれずになりしとぞ喫茶きまぐれ髭のマスター
伝書鳩もどらぬゆうべ一片のパンにてぬぐうジビエのソース
どのドアも朽ちてしまってアンティークショップに並ぶ真鍮の鍵
知らなくていいことを知るゆうまぐれダム放流をサイレンは告げ
耳たぶのかたちの似たる父と子を乗せて進めり遊覧船は
 一首目、喫茶店に髭のマスターとはお約束のようだが、行方知れずとは穏やかでない。その裏側に何か人間ドラマが隠れているようだが、作者はそれには直接触れないのである。二首目、放った伝書鳩が戻って来ないのは事件である。そんな不穏な夕べに〈私〉はフレンチレストランでのんびりとジビエ料理を食べている。ジビエ(gibier)とは、狩猟で仕留めた獲物の総称で、主にイノシシ、シカ、キジ、カモなどがある。もちろん伝書鳩は食用にはしないが、皿の上のジビエとどこか不穏な照応をなしている。三首目、事実としてはアンティークショップに古びた真鍮の鍵が並んでいるということだけなのだが、かつてその鍵が開けたであろうドアは、時代を経てすでに朽ちているのである。四首目、知ってしまった「知らなくていいこと」とは何なのか、ぐっと興味をそそられる。そんな時にダム放流のサイレンが鳴る。上流で雨が降ったため、ダムの決壊を防ぐために放流するのである。そうすると下流で増水して、洪水を引き起こすこともある。五首目、父と子の相克は永遠の文学的テーマだが、この父と子にも何か激しいドラマがあったのだろう。しかし二人は黙って遊覧船に乗っているのである。耳の形が切っても切れない血縁を象徴している。
 このような歌を読んでいて気づくのは、背後にドラマを感じさせるためには、ドラマを暗示するアイテムを配するだけに留めて、直接ドラマを語ってはいけないということである。なぜ髭のマスターは出奔したのか、なぜ伝書鳩は戻らないのか、知らなくていいこととは何か、伏せられているからこそ、その背後に読者はドラマを感じるのだ。さすがに演劇畑の出身だけあって、押すべきツボを心得ているというべきだろう。
 また歌集題名に『シネマ・ルナティック』を選ぶだけあって、歌が映像的であることも指摘しておこう。これは掲出歌にも顕著である。「まるで映画の一場面のような」という形容がぴったりする。
 本歌集には上に引いたようなドラマを感じさせる歌が多くあり、単純な叙景歌は少ない。それは久野が表現を目ざしていて、想像力を駆使して歌を作っていることを意味する。あとがきで久野は、演劇と短歌に共通するのは「大きな嘘」だと述べている。両者ともに虚構の上に小さなリアルを積み重ねるのであり、また読者の側にも想像力を要求するところも似ているとする。
 とはいえ短歌は私性を逃れることはできず、そのことを最も感じさせるのは母を詠った歌である。
ゆるぎなく母である人おもたくて総菜の皿をわれは取り落とす
母というかたちふうわりと広ぐればただいちまいの布となりたる
娘とはほのぐらき沼ふかぶかと母を沈めて平らかである
貝印カミソリいつもしまわれて鏡台は母のしずかな浜辺
両うでにダイヤ毛糸を巻かれた日、その日より母の呪縛が解けぬ
 巻末近くに配されているこれらの歌は、映画的なドラマを感じさせる歌ではなく、より私性が滲み出ている。近頃、「重すぎる母」が話題になることもあるが、母娘関係もなかなか大変なようだ。しかしこれらの歌でも「貝印カミソリ」「ダイヤ毛糸」という固有名が効果的に用いられていることに留意しよう。これが「虚構の上に積み重ねるリアル」を担保するのである。
またひとつひみつができて裏庭の茱萸の実くちにふくむ初夏
いきものの匂いを部屋に持ちこめば終わりがすこし近付くような
ゆうぐれのじゃんけんのごとく消えゆけり観覧車その役目を終えて
はみ出した何かを引いているようだ駅構内を行き交うキャリー
遠くより眺むる花火すこしだけ遅れて届く哀しみのあり
 一首目は音が美しい。「ひとつ」「ひみつ」の頭韻と脚韻、「茱萸の実くちにふくむ」のク音、ミ音の連続、「ふくむはつなつ」のフからハへの移行と、ツの連続がそれである。二首目、部屋にペットの犬か猫を入れるのだろうが、動物そのものを消して匂いだけを提示している。生き物の匂いは即生命へと繋がり、生命の有限性は私たちに時間の支配を強く感じさせる。三首目、夕暮れは逢魔が時、消える観覧車は決してマジックではない。廃業した遊園地の観覧車が取り壊されたと取ってもよいのだが、ここでは一夜にして移動する移動遊園地と解釈した方が楽しい。レイ・ブラッドベリの小説にも登場するが、ヨーロッパやアメリカには移動遊園地というものがある。大きなトラックで機材を運び、町の駐車場のような空き地を借りて、遊園地を作るのである。小規模ながらジェットコースターや観覧車やメリーゴーラウンドなどもある。数日営業したら解体してまたトラックに乗せて次の町に行く。一夜にして消失する遊園地である。四首目、確かにキャリーバッグをゴロゴロと引きずって歩いている人は、体に納まり切らずにはみ出した何かを引いているようにも見える。五首目、光と音の伝達速度の違いに着目した歌である。花火がパッと開いて、数秒経ってから爆発音が届く。それを哀しみの速度に喩えたものである。
 いずれも美しい歌で、作者の作歌の力量と着眼点をよく示している。あとがきで、制作年代にはこだわらず短編集を編むように構成したとあり、想像力を駆使する作風と一首にドラマを盛り込む演出から言えば、連作に向いているかとも思う。
 余談ながら版元の砂子屋書房の造本はあいかわらず瀟洒で美しい。わが家の近くに恵文社という、おそらく京都で最もよく知られた書店があり、いつぞや「美しい本」の特集展示に紀野恵が砂子屋書房から出した歌集が何冊か並べられていた。砂子屋書房の本は、昔は金井印刷、製本は並木製本だった。製本は今でも変わらないが、印刷所が長野印刷商工に変わったのは金井印刷が廃業したからか。活版ができる印刷所は今では貴重である。いつまでも続けてほしいと望むばかりだ。

第145回 穂村弘編『短歌ください 2』

みんな違う理由で泣いている夜に正しく積まれるエリエールの箱
                   たかだま(女・21歳)
 きっとあまり注目されないだろうから、最初にここに書いておくが、澤村斉美の歌集『galley ガレー』(青磁社)が、第48回造本装幀コンクールで最高賞の文部科学大臣賞を受賞した。私も知らなかったが、このコンクールは日本書籍出版協会が、出版文化振興のために毎年開催しているのだそうだ。装幀を担当した濱崎実幸のインタビューが朝日新聞に載っていた。それによると、カバーには印刷所に嫌われることは承知で、手に吸い付くような感触の紙を用いたそうで、また単調さを避けるために、16ページごとに色の異なる紙を使ったという。改めて本の小口を見ると、確かにそうなっている。微妙な所に工夫が施してあるわけだ。ちなみにこのコンクールでは、堂園昌彦の『やがて秋茄子へと到る』(港の人)が日本印刷産業連合会会長賞を受賞している。このコラムでも造本の美しさを褒めたので、受賞は喜ばしいことである。
 こちらで受賞者一覧を見ることができるが、おもしろいことに、書名・装幀者名・出版社名・印刷所名・製本会社名だけが載っていて、作者名がない。本の中身ではなく、物理的実体としての外側だけが評価の対象になるからだろう。私たちはふだんそのような目で本を見ていないので、地軸が数度傾くような感覚を覚えるが、なるほど本は著者だけのものではないのだと納得もするのである。

 穂村弘編『短歌ください その二』が出た。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載企画から生まれたもので、2011年に最初の巻が出版され、このコラムでも取り上げた。最初の巻のあとがきで穂村が書いているが、一般読者から題詠を募集するという企画を考えたとき、ほんとうに投稿が集まるのか不安だったという。ところが案に相違して多くの投稿が集まり、第二巻まで出版されることになったのだから、世の中に潜在的短歌作者はたくさんいるということなのだろう。そのほとんどは伝統的な結社とは無縁の人である。ブンガク魂は意外に多くの人の心に宿っているということか。もちろん投稿者の全員が短歌の素人というわけではなく、第一巻には後に歌集『春戦争』を出す陣崎草子、『かたすみさがし』の田中ましろがいたし、『つむじ風、ここにあります』の木下龍也も常連である。この人たちの多くは「かばん」の同人なので、「ダ・ヴィンチ」の投稿欄が穂村の選歌欄と見なされているのだろう。読書家として知られているピースの又吉直樹も「くす玉の残骸を片付ける人を見た」という歌が一首選ばれている。短歌というより自由律俳句に近い。
 おもしろいと思った歌をいくつか引いてみよう。
どこにでも行ける気がした真夜中のサービスエリアの空気を吸えば
                       木下ルミナ侑介
顔文字の収録数は150どれもわたしのしない表情
                  一戸詩帆
ホームと車体とを他者にした闇によだれを垂らす聖者は8歳
                     冬野きりん
煮え切らぬきみに別れを告げている細胞たちの多数決として
                      九螺ささら
味の素かければ命生き返る気がしてかけた死にたての鳥に
                     九螺ささら
エックス線技師は優しい声をして女の子らの肺うつしとる
                     猿見あつき
みそ汁に口を開かぬしじみ貝はじめて母に死を教わりぬ
                     麻倉遥
だしぬけに葡萄の種を吐き出せば葡萄の種の影が遅れる
                     木下龍也
結界のように真白い冷蔵庫ミルクの獣臭も冷やして
                     高橋徹平
冬の朝窓開け放ちてあおむけば五体にひろがりやまぬ風紋
                      寺井龍哉
 付箋の付いた歌を改めて見直すと、ネット短歌などですでに活躍している人が多い。木下侑介はいつのまにか「ルミナ」というミドルネームが付いている。一戸詩帆は朝日歌壇賞の受賞者である。寺井龍哉は本郷短歌会に所属し、今年の「短歌往来」7月号の「今月の新人」欄に歌を載せている。付箋が付くのはどうしても、このような手練れの人たちになってしまう。今回いちばんたくさん付箋が付いたのは木下ルミナ侑介だった。
水筒を覗きこんでる 黒くってきらきら光る真夏の命
                       木下ルミナ侑介
カッキーンって野球部の音 カッキーンは真っ直ぐ伸びる真夏の背骨
夏の朝体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と
君の手のひらをほっぺに押しあてる 昔の日曜みたいな匂い
 いずれも爽やかな青春歌である。いつもの癖でついついこういう歌に付箋を付けてしまうが、素人投稿欄でおもしろいのは素人ならではの破壊力を備えた歌だろう。
エスカルゴ用の食器があるのだし私のための法で裁いて
                      麻倉遥
君を待つ3分間、化学調味料と旅をする。2分、待ち切れずと目を覆い、蓋はついに暴かれた。                   せつこ
鉄分が不足しているその期間車舐めたい特に銀色
                  九螺ささら
アリよ来い迷彩アロハシャツを着た俺が落とした沖縄の糖へ
                        小林晶
 一首目では自分だけの法を要求する根拠にエスカルゴ用の食器を持ち出すところがおもしろい。タコ焼きを焼くような穴のあいた陶器のことだろう。二首目は最初読んだとき、何のことだかわからなかった。穂村の解説によれば、これはカップ麺に湯を注いで3分間待てずに、途中で蓋を開けて食べてしまった場面だという。大幅な字余りと暴走感覚がすごい。三首目、妊娠中や生理のときには、味覚や嗅覚が変化すると聞いたことがあるが、それにしても車を舐めたいとは奇想天外である。「特に銀色」が効いている。四首目もおもしろい歌で、「沖縄の糖」はふつうに考えれば、沖縄名産の黒糖かサトウキビジュースか、あるいはそれらを用いたアイスクリームだろう。作者は女性なのだが、「アリよ来い」という力強い呼びかけといい、意味を読み込みたくなる歌である。

 とまあ楽しんで読んだ一冊だったが、途中から思考はあらぬ方角へ彷徨い始めた。投稿された短歌のほとんどが、日頃読み慣れている近代短歌とどこか決定的に違うと感じたからである。投稿作品のほとんどは口語短歌だが、私が感じた違いは文語と口語の差ではない。もっと深い場所にある違いなのだが、その違いを言語化するのに時間を要した。
 投稿された短歌の多くは「あるある系」の歌なのだ。日頃注意を払うことはないが、改めて指摘されると「ああ、そういうことあるよね」と共感を呼ぶ。この共感が歌の眼目となっている歌のことだ。たとえば次のような歌がそうだろう。
ラーメンを食べてうとうとしているとゴールしていた男子マラソン
                        綿壁七春
試着室くつを脱ぐのかわからない わからないまま一歩踏み出す
                        竹林ヾ来
ドアの隙間に裏の世界が見えました線対称な隣の間取り
                        弱冷房
 「あるある系」の歌とは「共感系」の歌だと言ってもよい。その構造は「何かの出来事に遭遇した私」を中核として構成される。一首目ならばうとうとしてゴールを見逃した私で、二首目では試着室でうろうろしている私、三首目では団地の隣の部屋をドアの隙間から見た私である。一首全体が「何かの出来事に遭遇した私」という単層構造になっている。
 では近代短歌はどうか。ランダムに引いてみよう。
冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生のごとし
                        岡井隆
睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月
                       大塚寅彦
死は道に落ちていたりきあるときはこがねむしの緑光として
                       吉川宏志
 岡井の歌が描く情景は、夜の台所で冷蔵庫を開けたときの卵ケースである。この情景をAとしよう。情景が描かれているということは、潜在的に知覚主体がいるということで、知覚主体をBとする。するとB (A) という関係が成り立つ。AはあくまでBの知覚として成立する事態である。次に「だまされて来し一生のごとし」という感慨はBの抱いたもので、これをCとすると、B (C) となる。するとこの歌の構造は次のように表示できる。

 B (A)
 │
 B (C) 

 ふたつの式をつなぐ縦棒が喩である。しかもこれに加えて岡井の歌には、情景内部の主体Bのほかに、「だまされて来し一生のごとし」と感じているBを外から見ているもう一つの主体Dがある。Dがなければこれは歌にならず、一時の感慨で終わってしまう。D≒Bだが完全に同じものではない。すると上の式は次のように書き換えられる。

  ┌ B (A)
D │ │
  └ B (C) 

 大塚と吉川の歌にもほぼ同じことが言える。大塚の歌ではA=「あけぼのの月」、C=「睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむ」で、吉川の歌ではA=「こがねむしの緑光」、C=「死は道に落ちていたりき」である。要するに近代短歌、および近代短歌の流れを汲む現代短歌は、複層構造でかつ複線構造になっているのである。B (A) とB (C) とが複線であり、それらとDとが複層をなす。このような複雑な内部構造になっているからこそ、31文字という限られた言語空間に複雑な意味を盛ることができるのだ。
 これにたいして上に引いた「あるある系」もしくは「共感系」の歌は、単線構造であり同時に単層構造だということに注意しよう。これらの歌の眼目は「そんなことあるある」という共感に訴えることであり、そのためには「昨日こんなことがありました」ということを即物的に提示したほうがよいのである。大事なのはAであり、Bはいてもいなくてもよく、Dは端的に必要ない。なぜなら歌が呼び出す共感は、受け手(読み手)の側に期待されているのであり、送り手(書き手)は相手の陣地にボールを投げるだけでよいからである。
 「あるある系」の歌がしばしば構造的に平板に見えるのはこのような理由による。それは共感という意図された目的により選択された形と言えるだろう。これにたいして、近代短歌と近代短歌の流れを汲む現代短歌は、複層構造かつ複線構造を好むのだが、それは歌の目的が「あるある」という共感ではないからだろう。共感でないとしたら歌の目標は何か。それは文学空間において屹立することである。

第144回 紫陽花の歌

あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前がうたえ
                       福島泰樹 
 今週は別のテーマで短歌批評を書くつもりだったのだが、今朝起きてふと紫陽花の歌にしようと思いついた。梅雨時の街のあちこちで紫陽花が花をつけている。この時期をおいて他に書ける時はない。紫陽花は「今週の短歌」時代に一度取り上げているので重複するが、まあかまわないだろう。
 紫陽花は近代短歌が好んで題材とした花である。小池光も『現代歌まくら』で項目に挙げていて、次の歌を引いている。
森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
                          寺山修司
色変えてゆく紫陽花の開花期に触れながら触れがたきもの確かめる
                          岸上大作
 寺山の歌はこれ以上はない寺山節の青春歌で、青春の昂揚と裏腹の暗さを紫陽花が象徴している。岸上の歌は掲出した福島の歌と遠く響き合う。小池も触れているように、紫陽花は六月の花であり、六月は60年安保の記憶と結びついて、ある世代以上の人の脳裏に刻印されている。岸上の歌では紫陽花が色を変えるという特徴に焦点を当てて、それを思想的変節と呼応させているのだろう。
 『岩波現代短歌辞典』によると、紫陽花は日本原産であり、古来から日本にあった花だが、古歌ではあまり詠まれていないという。近代になってから好んで短歌に詠まれるようになったようだ。原種は現在目にする紫陽花よりも地味な額紫陽花で、人の目につきにくかったからかもしれない。大きな花をつける今の紫陽花は品種改良の成果である。紫陽花寺と呼ばれる名所もあるくらい好まれる花だが、紫陽花には路地が似合うような気がする。民家の建ち並ぶ路地の軒先でひっそりと咲くのがふさわしい。
 『角川現代短歌集成』の第3巻「自然詠」にも、千勝三喜男編『現代短歌分類集成』にも紫陽花の歌が多く収録されているが、よく見るとほとんど重複する歌がない。それほど現代短歌では紫陽花がよく詠まれているということだろう。紫陽花で焦点化されるのは、その球形の花の様子と、花の色が変化するという特徴と、何より雨の中で咲くという点だろう。
紫陽花のその水いろのかなしみの滴るゆふべかなかなのなく
                          若山牧水
あぢさゐのおもむろにして色移るおほかたの日数雨に過ぎつれ
                             吉野秀雄
あじさいはあわれほのあかく移りゆく変化へんげの花と人のすぎゆき
                          坪野哲久
 牧水の歌では紫陽花に降る雨が「かなしみの滴る」と表現されている。吉野と坪野の歌は花の色の変化に焦点を当てている。NHK衛星放送で放映されている「美の壺」という番組で知ったのだが、紫陽花の色の変化は色素が土中のアルミニウムと結合することで起きるもので、最初は青く次第に赤に変化するそうだ。だから「ほのあかく移りゆく」なのである。
光なき玻璃窓一めんにあぢさゐの青のうつろふ夕ぐれを居り  五味保義
あぢさゐの花をおほひて降る雨の花のめぐりはほの明かりすも
                          上田三四二
紫陽花のぼくのうへなる藍いろとみどりまじはりがたく明るむ
                           小中英之
 梅雨時の雨に降り込められた庭は昼間でも薄暗い。そんななかで咲く紫陽花は明るさの点景として捉えられる。五味の「光なき玻璃窓」はまるで額縁のように紫陽花を映している。上田と小中の歌では、紫陽花がぼんぼりのように灯りを点した姿で描かれている。
戸口戸口あぢさゐ満てりふさふさと貧の序列を陽に消さむため  浜田到
どの家も紫陽花ばかりが生き生きと貧しき軒を突き上げて咲く
                           長谷川愛子
 上の二首は珍しく紫陽花の社会詠とでも呼ぶべき歌である。紫陽花が一面に咲くと玄関口の貧富の差が隠れてしまう。長谷川の「貧しき軒」が並んでいるのは、古くて小さな民家が密集して建つ路地にちがいない。余談ながら、私はタモリにならって坂道探訪を趣味としているが、最近、それに階段と路地が加わり、小林一郎『横町と路地を歩く』という本まで買ってしまった。暗渠と廃墟にも食指が動くが、なかなかそこまで手が回らない。
美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり  葛原妙子
昼の視力まぶしむしばし 紫陽花の球に白き嬰児ゐる
斑らなるひかり散りゐて紫陽花はつめたき熱の嚢とぞなる
 好んで紫陽花を詠んだ歌人に葛原妙子がいる。幻視の女王の異名を取るくらいだから、葛原の歌では視覚が優位であり、とりわけその花の球形であるところを好んだようだ。「球の透視」とは占いの水晶玉の連想だろうか。
観る人のまなざし青みあぢさゐのまへうしろなきうすあゐのたま
                            高野公彦
廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり  小池光
 高野の歌は『短歌研究』6月号で小島ゆかりが「四季のうた」で取り上げていた歌である。小島は「まへうしろなき」という発見を強調していたが、私はむしろ「観る人のまなざし青み」のほうに感心した。紫陽花を見ている人のまなざしが青みがかるというのだが、現実にそのようなことが起きるわけではない。しかしそのようなことが起きてもおかしくないほど、紫陽花の藍が鮮やかなのである。
 紫陽花というと冒頭に挙げた福島の歌と上の小池の歌が頭に浮かぶ。福島の歌を最初に見たときは「ジョジョー」が「抒情」のことだとわかるのに少し時間がかかった。小池の歌は収録されている歌集『廃駅』のタイトルにもなった歌で、小池の代表歌と言ってもよい。「廃」には、廃墟、廃市、廃校、廃坑、廃位などに見られるように、哀れさとノスタルジーが付きまとう。廃駅に咲いているのは大輪の栽培種ではなく、花の小さな草紫陽花でなくてはならない。この歌の主題は「時間」なのだが、廃駅に草紫陽花を配して時間を感じさせたところがこの歌の魅力の秘密だろう。

第143回 阪森郁代『ボーラといふ北風』

小余綾こゆるぎの急ぎ足にてにはたづみ軽くまたぎぬビルの片蔭
                 阪森郁代『ボーラといふ北風』
 なかなか凝った作りの歌である。まず「こゆるぎの」は枕詞で「磯」「いそぎ」にかかる。ものの本によれば、小余綾の磯は昔の相模の国、今の神奈川県小田原市の大磯あたりの海岸を指すという。古歌に「こよろぎの磯たちならし磯菜つむめざしぬらすな沖にをれ浪」や「こゆるぎの磯たちならしよる浪のよるべもみえず夕やみの空」などがある歌枕である。掲出歌では「急ぎ」を導く枕詞として用いられている。次に「にはたづみ」は地面に溜まった雨水の意味だが、「渡る」「川」に掛かる枕詞でもある。掲出歌では「またぎぬ」で動詞がちがうので枕詞として使われているのではなかろう。次に「片蔭」は一方だけが蔭になっている場所のことだが、特に夏の日陰を指し、夏の季語でもある。したがって、夏の暑い日中に降った夕立か何かが残した水溜まりをひょいと跨ぎ越したというだけの歌なのだが、練達の修辞の魔力によって爽やかな一首となっている。この歌のポイントは「軽く」で、体感と同時に主観性を感じさせるこの一語によって、歌の描く情景は〈私〉へと接続される。そのあたりの短歌の生理を作者は熟知しているのである。
 『ボーラといふ北風』は平成23年に刊行された著者の第六歌集である。歌集題名は須賀敦子の著書『トリエステの坂道』に由来する。あとがきに阪森が須賀作品に深く傾倒していることが書かれている。『トリエステの坂道』は、『ミラノ 霧の風景』で一躍脚光を浴びた後、『ヴェネチアの宿』に続いて須賀が刊行した三冊目の著書である。トリエステは詩人ウンベルト・サバゆかりの街で、冬になるとボーラと呼ばれる強い北風が吹くという。集中の次のような歌は須賀の作品世界に触発されたものだという。
選択肢のひとつに数へ愉しまむアドリア海に向くトリエステ
捲られてブリキ色なる冬空はボーラと呼ばれし北風の所為せい
 「野の異類」で1984年に角川短歌賞を受賞した阪森が第一歌集『ランボオ連れて風の中』を刊行したのは1988年のことである。田島邦彦他編『現代の第一歌集』は注目すべき第一歌集の抜粋を編年体で編集しているが、阪森の二人前は加藤治郎、五人前は俵万智、阪森の次は荻原裕幸という並びになっている。しかしそのような台頭するニューウェーヴの潮流などどこ吹く風と言わんばかりに、『ランボオ連れて風の中』にはスタイリッシュに心象風景を詠んだ歌が多く見られる。
透明の振り子をしまふ野生馬の体内時計鳴り出づれ朝
枯野来てたつたひとつの記憶かなそびらのみづのやさしく湧ける
いちめんの向日葵畑の頭上には磔ざまに太陽のある
 年月が流れるにつれ阪森は徐々にスタイルを変え、このような心象風景を詠んだ歌は減る。それに代わって増えるのは、第五歌集『パピルス』の帯に岡井隆が書いたように「作風は自由、発想は奔放」な歌である。本歌集を読んでいても、ときどき不思議な歌に出会うことがある。たとえば次のような歌である。
宛先のラベルのゆがみ何でもないことの続きにひらく旧約聖書バイブル
急ぎゆく道すがらなる夏燕ちひさき顔は借り物に見ゆ
難波行き電車に揺られ五分ごぶといふたましひの嵩を思ひき
遊覧船といふものありて人は乗る我に返るはどのあたりなる
ときをりは怪しげなれど蜻蛉は蜻蛉らしきふるまひに飛ぶ
 一首目、「何でもないこと」がラベルのゆがみを指しているのかそれとも別のことなのかわからないが、いずれにせよ旧約聖書を開くという行為との連続性が不明である。二首目では燕の小さな顔が借り物のようだと言っているのだが、これまた奇想のたぐいで、そんなことを考える人がいることに驚く。三首目、おそらく「一寸の虫にも五分の魂」という諺が電車の中でふと頭に浮かび、「五分の魂」とはどのくらいの大きさなのだろうと考えたということなのだろう。四首目、関東ならば芦ノ湖か東京湾、関西ならば琵琶湖に遊覧船が運航している。それはよいとして「我に返る」とは何のことか。「どうして自分は遊覧船などに乗っているのだろう」と我に返るのだろうか。五首目は蜻蛉の飛び方を詠んだものだが、蜻蛉が蜻蛉らしい飛び方をするのは当たり前である。しかしときおり怪しい飛び方をするとは不思議である。
 このような歌を見るにつけ、阪森の短歌の根底には「存在論的思弁」が横たわっているように思えてならない。存在論的思弁とは、この世界と自分とがなぜこのようにあるのかを問う深い思考だが、それは思弁なので、ふと湧き出すこともあり、まま誤作動することもある。上に引いた歌は、そのようにふと湧き出した思弁が生んだ歌であり、だからこそ岡井をして「発想は奔放」と言わしめたのではないだろうか。
 日常よく目にしながら気がつかないことをずばりと詠む発見の歌というのがあり、そのような歌に出会うと私たちははたと膝を打つ。しかし阪森の歌はそういう類の歌とも肌合いがちがう。発見をどうだとばかり提示するのではなく、湧き出した思弁をひとり楽しんでいるような様子が見られるのである。
わが知らぬしづけさを知るオニヤンマうつつもどきの夕暮れを飛ぶ
スクランブル交差点を行くときのあるいはきのふへ向かふ足どり
日に灼けることの無ければ日盛りを何人よりもいきいきと死者
パッケージにかるく触れつつそのひとつ卵の意思としてのひび割れ
写されしすべては遺影となるものをハロウィンなれば南瓜を写す
 付箋のついた歌を引いたが、これらの歌にも不思議な雰囲気がまとわりついている。一首目の「うつつもどき」は「まるで現実のような」を意味するが、そうするとオニヤンマが飛ぶ夕暮れは幻想ということになる。実と虚が突然反転するような不思議な感覚に襲われる。二首目のスクランブル交差点は、同時にありとあらゆる方向に歩行者が横断するので、その中には昨日に向かって時間を遡行する人もいるのではないかということだろう。三首目、死者は日に灼けることはない。それはよいとして、日盛りを死者が生者に混じって歩いているというのは空想か幻視である。四首目、スーパーで購入した卵のパッケージの中にひびの入った卵がひとつあったのだろう。しかしそれを卵が自分の意思で割れたのだと見るのは奇想である。五首目、写真はやがて遺影となるというのは人物を写した写真に言えることである。その事実と、今日はハロウィンだから南瓜を写すということに論理的関係はないはずだ。
 このように阪森の短歌の持つ独特の顔つきは、存在論的思弁がふと湧き出して来たり、あらぬ方角へと暴走したりすることによって生まれた奇想がもたらしたものだと思われる。第五歌集『バピルス』にもその傾向が見られたが、『ボーラといふ北風』に至ってその傾向が強くなっているのは、存在論的思弁は年齢を重ねるにつれて深まるからである。若い人たちは、年齢を重ねると今はわからないことがだんだんわかるようになるのではないかと思うかもしれない。社会の仕組みや人情の機微についてはそうだろう。しかし存在論に関しては、歳を取るにつれて謎はいっそう深まるばかりである。
重ねあふ空あるのみに揚げ雲雀声はたちまちかき消されゆく
夕べには夕べの速さの瀬の音す月射せば月を砕く瀬の音
はじめなく終わりも見せず蜆蝶のみを残して秋は過ぎたり
ひとつぶは房より椀がる八月の雨のち薄日の淡さの中に
音もなく射しくるものをひかりとも影とも言ひて小公園に
 美しい歌群である。これがなぜ美しいかを説明するのは私の手に余る。ひとつだけ言えるのは、言葉を扱う確かな修辞力が作品世界を支えているということである。練達の歌集と言えるだろう。