第171回 西五辻芳子『金魚歌へば』

ピンホールカメラを覗くごと新国立美術館建つ夕暮れにうかびて
                  西五辻芳子『金魚歌へば』
 作者の名は「にしいつつじ」と読む。難読名前である。私の小学校の同級生に石徹白という男がいて「いしどしろ」と読んだ。大学の教員をしていると、さまざまな氏名の学生に出会うが、今まででいちばん驚いたのは「東海左右衛門」という名字だった。最近TVで見た難読名字は「四十物」で「あいもの」と読む。「あいもの」とは塩干魚の総称で、季節を問わず「しじゅうある」から洒落で「四十物」と書いたらしい。
 さて、掲出歌はいささかリズムがぎくしゃくしているが、六本木にある故黒川紀章設計の建物を詠んだ歌である。ピンホールカメラとはレンズを使わず、箱に小さな穴を開けて、穴を通過する光が倒立像を結ぶカメラをいう。ふつうピンホールカメラは覗かず、倒立像をスクリーンに映したり、印画紙に焼き付けるものである。新国立美術館は外壁が波打つガラスで覆われているユニークな概観をしている。近くに立って見上げると、遠近感がずれてしまったような感覚になる。おそらくその感覚を「ピンホールカメラを覗くごと」と表現したものであろう。「夕暮れにうかびて」というのもガラスで覆われた建物の浮遊感を表している。半透明のガラス外壁が生み出す浮遊感は、もともとは伊東豊雄が得意とした手法だが、今ではごく一般的になった。作者は絵を描く人のようで、やはり空間把握に長けているのだろう。
 西五辻芳子は短歌人会所属で、『金魚歌へば』は第一歌集。小池光、横山未来子、永田淳が栞文を寄せている。ちなみに金魚というのは作者の子供時代のあだ名だそうで、表紙には歌川国芳の「金魚づくし」の絵が配されているという凝りようである。  
短歌や俳句を読む楽しみのひとつにそれまで知らなかった物や言葉との出会いがあるが、本書の場合、それは動植物の名である。作者はよほど自然が好きらしく、見知らぬ動植物の名前が出てくるたびに、広辞苑とインターネットを引きまくる有様だった。ちょっと引いてみよう。
稚児車ちんぐるま雪どけにまた笑まふなりまた笑まふなり春は来たりぬ
人知れずあかつき闇にひらきたる美男葛の花のしづけさ
うすべにのベールの光につつまれて曼陀羅華エンゼルトランペット咲く門がひらかる
万葉苑の小小ん坊しゃしゃんぼうぼく幹うねり小雨しくしくおとかなでをり
この夏に知りそめし名は松葉海蘭まつばうんらん驕らず咲けるかそけき花ぞ
 「稚児車」「美男葛」「曼陀羅華」「小小ん坊」「松葉海蘭」、すべて植物の名であるが、よくもまあこんなに見つけてくると思うほどだ。また絵を描く人だけあって、色名もまた豊富に使われている。
首長き一羽の鳥のすばやさよ前横切るはつるばみ色に
英虞湾のゆたかな海がなぎし時コチニール色の空は燃え立つ
 「橡色」とは何でもどんぐりのかさを煮た汁で染めた色らしい。「コチニール」は貝殻虫で、これから取った色がカルミンレッドだそうだ。次のような歌もある。
あれはなんぢやもんぢやの木かとしげしげと見るわれをみる犬
虚空よりかんかん虫の音響きメリケン波止場に風ひかるかな
 「なんじゃもんじゃ」とは、もともとは関東地方でその土地では見かけない樹種を指す言い方だったようで、ヒトツバタゴ、イヌザクラ、クスノキ、アブラチャンなどを指すという。この歌では木を眺める作者を犬が見ているという視点移動もおもしろい。「かんかん虫」とはどんな虫かと調べてみたら、煙突などに虫のように張り付いて金槌で叩いて錆を落とす作業員のことだと知れた。虫ではなかったのである。
 短歌は基本抒情詩であるが、西五辻の歌には軽みや面白みのある歌が多い。きっと小池光が好きだろうと思うのは、次のような歌である。
二百円の半割メロンにかしこみ注ぐビシソワーズをかしこみ啜る
佳水園を写メールすればあらをかし床の間の上の三十糎の革靴
いさかひて「貧乏人」と吾が言へば「貧乏神」と娘正せり
ダチョウとガチョウのたまごつてききまちがへると微妙にへんだ
いくそたびとんちんかんなこたへいひけふははづかしといへるスマホよ
いつまでも「ピップエレキバン」いへず「ヒップエレキバン」てふ鸚鵡なりけり
三度聞き名前覚えし歌人なり島田幸典貌は覚えず
 半割メロンはよくスーパーの売り場に並んでいて、閉店時間が近くなると30%引の札が貼ってあったりする。その庶民感覚と、まるで拝むかのようにビシソワーズをかしこみながら啜るという対比がおかしい。ちみなみビシソワーズは、温泉で名高いフランスの町ビシー(Vichy)の名がついているが、ビシーとは何の関係もなく、アメリカで考案された冷製スープである。二首目の佳水園はおそらく京都のウェスティン都ホテル内にある村野藤吾設計になる和風別館だと思われる。床の間に30cmという大足の革靴が載っていたとはいかなる仕儀か。三首目は娘との口論で、作者が「貧乏人」と言ったのを娘が「貧乏神」と訂正したのが冷静でおかしい。五首目はおそらくスマートフォンに向かって音声で質問するソフトを使っているのだろう。ソフトがまだ不完全なので、とんちんかんな答えしか返ってこないのだ。六首目は解説不要。七首目、「塔」の歌人島田幸典氏の名前を三度聞いてようやく覚えたという。このような軽みのある歌は味わい深く、作者は手数の内にこのようなものも持っているのである。
 しかし集中で最も光るのは、次のような一見すると地味で何気ない歌ではないだろうか。
なゐののち白き花咲く坂道に登校の列駅舎より見ゆ
主亡き更地に咲きし野路菊は月の光に冴え広がれり
巨大なる千姫の墓にプーさんのぬひぐるみ座し万歳するも
道の辺の地蔵菩薩のやはらかき土に挿されし風車あり
田植ゑせし稚き苗のあはひにははつかの息が泥より出でぬ
地の涯の春の浜に出て貝ひろひ貝の穴より見ゆる国後島くなしり
 一首目の地震は1995年の阪神淡路大震災のことで、生徒たちが坂道を学校へ向かうのが駅舎から見えるというただそれだけの情景を詠んだ歌だが、その静けさが大震災の苛烈さを陰画として見せるようでもある。二首目も震災で家が倒壊した跡地でを詠んだものである。三首目に登場するのは、伝通院にある徳川二代将軍の長女の千姫の墓所である。誰かが供えたものか、大きな熊のプーさんのぬいぐるみが万歳しているのがおかしい。四首目、田舎の道だろうか、道ばたの地蔵の横に子供が置いたものか、風車が挿してある。これまた何ということのない光景だが、どこか心に沁みるものがある。五首目は観察の歌で、田植えしたばかりの苗の根元から泡が立っているというのである。おそらくは植えたときに泥に入り込んだ空気が外に出ているのだろうが、それを作者は苗の息と見たのだ。六首目は北海道旅行の羈旅詠で、浜に打ち寄せられた貝殻にあいた穴から国後島が見えるという、遠近感の強い歌である。
 とても珍しいのは次の学名を詠み込んだ歌だろう。
遊星に青きてふありはるばるとキブリスモルフォ・ディディウスモルフォ
 キブリスモルフォもディディウスモルフォも、タテハチョウ科のモルフォチョウ属に分類される蝶の学名である。写真を見ると、ディディウスモルフォは美しい青色の蝶である。この地球という遊星は宇宙という虚空を猛スピードで移動しているが、その上に青い蝶がとまっている。「はるばると」とあるので、作者にはどこか別の世界からやって来たもののように見えたのかもしれない。「キブリスモルフォ・ディディウスモルフォ」と並べると、なにやらありがたい祝詞か呪文のように聞こえる。短歌の音的側面を生かした歌といえるだろう。

第170回 永守恭子『夏の沼』

天降あもりくる光の無量か載りてゐむ天秤かたむくガラス戸の内
                         永守恭子『夏の沼』
 もう廃業した何かの店舗だろうか。ガラス戸というのも昭和の香りがする。その中にうち捨てられた天秤が残されている。左右に受け皿があり、分銅を乗せて重さを計る秤である。その天秤が平行ではなく、どちらかに傾いでいるという光景である。シャッター商店街かどこかのうら寂しい景色なのだが、作者はそこに降り注ぐ光の重量を見ている。その作者の視線と想像力によって、うら寂しい光景がまるで祝福されたかのようだ。わずか31文字の短歌が世界の一隅を切り取り照らす様は、まことにかくのごとくである。どんなにありふれた世界の一角であろうとも、それをしっかりと把握し適切な言葉の中を通過させると、聖別されたもののような存在感を持つ。ちなみに「天降りくる」は「あもりくる」と読む。蛇足ながら、現代の量子力学の教えによれば、光にも重さがあるという。
 作者の永守恭子は和歌山市在住の歌人で「水甕」同人。「水甕」は大正3年に尾上最柴舟らによって創刊された伝統ある歌誌である。『夏の沼』は第一歌集『象の鼻』に続く第二歌集。本書は水甕叢書の一巻としてKADOKAWA (旧角川書店)から刊行されている。
 あとがきに自分の視線は自然や植物に向くことが多く、身辺のささやかなことばかりを材料にしているとあるように、夫と二人の子供を家族に持つ作者の歌のほとんどは身めぐりの歌である。作風は端正な文語定型で、これに有季と付け加えたくなるほど季節感に溢れている。たとえば次のようである。
油照る真昼にポストは立ち尽くす駆け出したからむいななきをあげて
筍の皮剥くときの感触に日差しを受くる腕が毳立つ
熟れてゐるところより皮を剥きてゆく水蜜桃の夕焼けの窓
柘榴裂け呵々とわらへるその下に菊は白猫のやうにかたまる
 ランダムに挙げたが、一首目は油照りの盛夏で、このポストも昭和の懐かしい円柱形の赤いポストにちがいない。あまりの暑さに走り出しそうだという。二首目は比喩とはいえタケノコだから春先である。タケノコの皮に生えている和毛にこげからの連想か。早春の弱い日差しである。三首目は桃で、実るのは夏なのだが秋の季語だという。そういえば朝顔も秋の季語である。この歌は「あるある」で、確かに熟していると桃の皮はつるりと剥けるので、熟れているところから剥きがちだ。何かに押されていたのだろう。その場所だけが夕焼け色をしている。関西人に馴染みの白桃である。四首目は柘榴と菊だからもちろん秋。赤いザクロの実と白い菊の取り合わせが絵画的で日本画を思わせる。
 なぜ季節にこだわるのか。四季がはっきりした日本の詩歌の伝統だというだけではない。四季の巡りとはすなわち時間の経過と同義である。作者は自分が時間という河を行く旅人であることを自覚しているのだろう。いずれは過ぎ去り消えるものと思えば、どんなものも愛しく感じられる。身めぐりの些事を掬い上げる作者の手は細やかで優しい。
もう駄目とあきらめかけしボールペンなかなか残り時間しぶとく
車前草おほばこの道に凹凸あるところ梳きたる犬の毛がただよへり
美術室のカーテン揺れて陽がさせばトルソの胸に傷が浮き出づ
冷えて反る橋 あかときにはみでたる右の腕より目覚めて思ふ
照りとほる夜の道のうへたれか眼をうつすら開けてゐる水溜まり
 一首目のようにうっすらユーモアの漂う歌も作者の手の内にある。インクが切れかけていてもうだめかと思ってもまだ書けるボールペンは、もちろん喩として読んでもよいのだが、そのままでもおもしろい。二首目、「車前草」は植物のオオバコのこと。踏みつけに強い雑草なので、道ばたによく生えている。凹凸のある道なので、舗装されていない道路だろう。漂う犬の毛に気づくのも細かい観察である。三首目は子供の通う学校を訪れた折の一連にある歌。外から美術室の中を窓越しに眺めているので、ほんとうにトルソの傷が見えたのかという疑問が湧かないでもないが、これも細かい所に着目した歌である。四首目は布団からはみ出た腕が寒くて目が覚めたというだけの歌なのだが、初句の「冷えて反る橋」が出色の修辞である。五首目は月の夜道に水溜まりがあったという歌だが、他の歌に較べて言葉と修辞が勝っている。私の好きな歌に大辻隆弘の「まづ水がたそがれてゆきまだそこでためらつてゐる夜を呼ぶそつと」という歌があるが、この歌を思い出した。
 家庭婦人ならではの歌に厨歌があるが、本歌集にも厨歌は多く、いずれもおもしろい。生活に密着した場面であり、登場する食材も多様で、工夫のしがいがあるのだろう。
玉葱のスライスさらす水の面にかたちにならぬ淡きひかりよ
肩寄するエリンギ一家をばらばらにして手を払ふゆうづつのころ
ずつしりと重き大根さげもてば生きゆく力は腕より来たる
漲れるトマトのどこへ刃を入れむそのつくらゐの悩みなれども
ためらはず斬るとふ胸のすくことを大根のみが許しくれたり
 二首目にあるように、確かに市販されているエリンギは、大きなものと小さいものが同じ株にくっついている。「エリンギ一家」というのが「清水次郎長一家」のように聞こえて愉快である。また五首目で「切る」ではなく「斬る」という字を使っているのは、もちろん時代劇で武士が相手を刀で斬るのを連想しているからである。
 注目した歌をいくつか挙げておこう。
夕ぐれの町を行きつつ家家の引き出しにしまふハンカチ思ふ
仁王像のあはひ桜がはすかひに流るるかなた二上山あり
シャッター街にかすか潮の香流れをりその先に海ある確かさに
自動ドア鏡となりてけふ懈き全身かがやきたるのち裂かる
ジャコメッティの細い彫像日の暮れを影濃くゆけり自転車として
自が存在つよく感じをり今しがた煮てゐし魚が身より臭へば
日に一度かぎろふ刻ある唐辛子乾ける束に夕光が差す
 特におもしろいのは四首目で、自動ドアに映った自分の身体が、ドアが開くことによってふたつに裂かれたように見えたという歌である。着眼点もさることながら、表現が確かである。五首目のジャコメッティは私には思い入れのある美術家で、極限まで細く伸びた人物彫像で知られる。夕暮れの自転車がジャコメッティの彫像のように見えたのだが、その関係性を逆転して表現している。ちなみにジャコメッティはよく歌に詠まれる芸術家で、「照りかげる砂浜いそぐジャコメッティ針金の背すこしかがめて」(加藤克巳)や、「削ぐことが美の極限とは思はねどジャコメッティはやはり美し」(外塚喬)などの例がある。七首目も厨歌だが、私はこの歌を読んでとっさに世界遺産に登録されているアッシジの聖フランチェスコ教会の下の階層にある、ピエトロ・ロレンゼッティの「たそがれの聖母」という絵を思い出した。美しいルネサンス期の絵画だが、聖堂の東の壁面に描かれているので、夕暮れになって陽が傾くと夕日が差し込んで金色に輝くのでこの名で呼ばれている。ひょっとしたら作者はこの絵のことを知っていたのかもしれない。いずれにせよ一日に一度だけ輝く唐辛子の束に注ぐ作者の目は一期一会を見ているのである。読んで心が豊かになる充実の歌集と言えよう。

第169回 宇佐美ゆくえ『夷隅川』

にりん草いずれか先に散りゆきて残れる花に夕日ただよう
                 宇佐美ゆくえ『夷隅川』
 ニリンソウは春に二輪一対の白い花を咲かせるありふれた花である。作者は農作業をしていて、近くの土手に咲くニリンソウの一輪だけが先に散っていることに気づく。時刻はそろそろ農作業を終えようかという夕暮れである。どこといって取り立てて特別なものは何もない。ありふれた日常の小さなものに寄せる愛情が感じられ、心地よい余韻が残る歌だ。
 この歌集を腰を据えて読んでみようという気になったのは、巻末の著者略歴を見たときである。
1923年生まれ 千葉県大多喜郡小谷松出身
1946年 宇佐美二三男と結婚
1967年 大多喜町学校給食センター勤務
     大多喜町立保育園給食室勤務
1981年 退職
 これだけしか記されていない。ふつう略歴には歌人としての履歴を書くことが多い。○○結社所属とか、○○の指導を受けるとか、○○賞候補になるとか、そういう履歴である。しかしこの略歴にはそのようなことが一切書かれていない。職業はいわゆる給食室のおばさんである。こういう人が文芸にいそしみ、歌集を出す。日本以外の国ではとうてい考えられないことである。
 歌集に添えられていたカードを見ると、もう少し情報が得られる。歌集題名となった夷隅川いすみがわは、千葉県の房総半島南東部をぐねぐねと蛇行しながら流れる川だそうだ。作者はその川のほとりに70年住んで農作業をして来たという。給食室勤務のかたわらの兼業農家なのだ。もう一枚のカードには、歌集編纂を担当したこずえユノが「私の母の歌集です」と紹介している。こずえユノは「かばん」同人の歌人である。跋文は雪舟えまで、版元は最近歌集出版が多い鎌倉の「港の人」。
 さて、700首に迫ろうとする収録された短歌をすべて読み終えて巻を置いたとき、深い感動を覚えた。ここには黙々と働き、子供を育て、両親と夫を看取り、草花と動物に分け隔てのない愛情を注ぐ、無名の人の真実の人生がある。通読すると、作者がどのような人生を送ってきたか、また日々どのような感慨を抱いてきたかが、まるで手に取るようにわかる。それは一巻の小説を読むようであり、また一編の映画を観るようでもある。
揚水の早や始まりて暁の野を光りつつ水の走れり
給食の作業はじまる水槽に舞い入りて浮く花のいくひら
身弱なる夫をたよりに来し方の心細きもいつか忘れぬ
この川のほとりに住みて大方の思い出はみな水にかかわる
川上に生家も母もありし日の思い出さるる橋渡りおり
 文語基調の定型を守り、写実を基本とする衒いのない詠み方である。これだけの歌を読んだだけですでにいろいろなことがわかる。まず、作者は夷隅川のもう少し上流から嫁いで来たのだが、すでに母親も他界し生家も今はない。無住となって取り壊されたのだろう。一首目の揚水は田に水を張る準備で、周囲に広がる農村の風景が目に浮かぶ。二首目は勤務する給食室の情景で、どこからか紛れ込んだ桜の花びらが水槽に浮いている。結婚した夫は身体の弱い人だった。あとでわかるが、夫もまた短歌を作る人であった。四首目にあるように、この歌集に収録された歌のどこかに必ず川があり橋がある。
明日もまた草刈りせむと夕やけの土手にかがまり鎌を研ぎおく
たがやせば土に寄りきてついばめる小鳥らとひねもす冬畑にいる
梅もぎやじゃがいも用と籠を編みならべて足らう寒の灯のもと
もぐら除けを背負いてゆけば頭上にてプロペラ廻り何故かおかしき
山畑にひと日はくれぬ紫蘇の実をこきし匂いの指に残りて
彼岸会の鐘なりくれば泥の手を合わせていのる山の畑に
 畑を耕し、籠を編み、家で大釜一杯味噌を炊くというのは、若い人にはまるで「日本昔話」の世界のように見えるかもしれないが、ほんの50年くらい前の農村ではふつうのことだった。私も子供の頃、山口県に住んでいた祖父母の家に行くと、よく味噌作りを手伝わされた。「もぐら除け」というのは、風で回るプロペラに棒を付けて地面に突き刺すものらしい。もぐらは音に敏感だという性質を利用したものだという。いずれも昔から続く農村の暮らしをていねいに描いていて、こうした懐かしい風景が急速に失われつつある現在、このまま冷凍保存しておきたい気持ちになる。六首目を読んだとき、これはほとんどミレーの描く世界ではないかと思った。鳴り響く鐘はアンジェラスではなく、彼岸会を告げる寺の鐘ではあるが。
いく世代続きしものか組という縁も解きて村を去る兄
水難の甥に流せし灯籠の遠くにゆきてなおもまたたく
牛飼いをやめると言いて妹の持ちきし牛乳ちちをおしみつつ飲む
わが家に終のぞうりをぬぎ逝きて貧しき母の形見となりぬ
麻痺の夫湯ぶねに支え合う子らの背中の汗の光りつつ落つ
ゆるやかにトビ舞い澄める浜の朝旅立つ夫に子らとすがりぬ
ケアーバス待つ身となりぬわが門の桜吹雪を浴びてたたずむ
 兄は村を去り、妹の息子は水難で死亡、近くに住む妹は牛飼いを止める。母親を看取って送り、やがて夫は認知症が進んで全身麻痺になる。懸命に夫を介護しやがて見送る。自分は一人暮らしとなり、やがてデイケアに通い始めるといった人生の節目が詠まれていて、胸に迫るものがある。
雑魚しじみ子らと掬いし日もはるかこの川べりに一人くらすも
光つつ流れて止まぬ夷隅川ひとのみ老いて橋をゆき交う
 歌集巻末近くに置かれた歌で、作者の人生が川と橋とともにあったことがよくわかる。
 それにしても、写実と実相観入の「アララギ・パッケージ」はすごいと改めて感じざるをえない。作者は夫君とともに歌会で研鑽を積んでおり、また自身ていねいに物を観る観察眼を持っていることも確かなのだが、それをこのような歌にすることができたのは「アララギ・パッケージ」の力によるものである。誤解を恐れずに言うならば、「アララギ・パッケージ」とは、とりわけ文学の天才ではないふつうの生活者でも、文学の世界に参入して人の心を打つ歌を作ることができるためのアプリケーションである。
 近代短歌の本流を形成したアララギに刃向かい短歌を革新しようとした陣営が、「アララギ・パッケージ」に代わる方法論を提示しえたかというと、それは心許ない。例えば塚本邦雄の前衛短歌は、塚本の芸術全般にわたる博学と独自の言語感覚に支えられた個人芸であって、他の人が容易にまねすることができるものではない。
 この歌集を読むと、短歌という文芸の根底が、市井に暮らすごくふつうの人々によって支えられているのだということがあらためて感じられる。そう感じさせることがこの歌集の力である。

第168回 春野りりん『ここからが空』

イチモンジセセリ一頭の重さあり指に止まりて羽ばたく須臾に
                 春野りりん『ここからが空』
 日本語には物を数えるときに用いる類別詞 (classifier)という語種があり、敷居の低い言語学の話をするときに話の枕に使うことがある。刀剣は「一振」、箪笥は「一棹」、烏賊は「一杯」、論文は「一本」、神様は「一柱」、ウサギは「一羽」で、チョウチョウは「一頭」と言うとたいていの学生は驚く。ふだんは「一匹」としか言っていないからである。類別詞の背後には、日本語を超えた名詞クラス (noun classe)という一般言語学的問題が横たわっているのだが、それはさておき、掲出歌では正しく「一頭」と表記されている。イチモンジセセリは本州全土に分布する小型の蝶で、一頭の重さはどれくらいあるだろうか。ほんのわずかであることはまちがいない。それが指に止まって羽ばたく瞬間に、私の指にその重さが感じられるというのである。尋常ならざる感受性によって計量された蝶の重量とは、心で感じた一頭の蝶の命の重さに他ならない。その命のはかなさが仏教用語である「須臾」によってくきやかに彫琢されているところに一首の価値がある。また「一頭」と表記することによって、蝶の重さが増すように感じられるのもポイントである。この歌は「短歌人」2010年1月号に掲載された初出時には結句がちがっていて、「イチモンジセセリ一頭の重さあり指に止まりて羽ばたきをれば 」であったという。歌集に収録するに当たって改作したのだろう。成功した改作例と言えよう。
 春野りりんは1971年生まれで、「短歌人会」同人。作歌を始めて10年間の作品を収録したのが第一歌集『ここからが空』(本阿弥書店 2015)である。栞文は林望・黒瀬珂瀾・三井ゆき。「りりん」は古代ヘブライ語で夜の精霊の呼び名だと博識の黒瀬が書いているが、むしろ私には春の音を表すオノマトペのように聞こえる。
 さて、春野の歌集を一読して、何がこの歌人の特質かと考えると、それは一首に閉じ込めた世界のスケールの大きさではないかと思われる。
大神が弓手に投げし日輪を馬手に捕らへてひと日は暮れぬ
めじろ来て「地球は球」と啼くあしたまだ闇にゐるひとをおもへり
あめつちをささふるものかあさあけにふとくみじかき虹はたちたり
待ち針のわれひとりきり立たしめて遊星は浮く涼しき闇に
あさがほの黒くしづもる種のなかうづまき銀河は蔵はれてあり
 一首目はまるで古代の神話世界のようで、太陽が東から昇り西に沈む様を、神が太陽を右手で投げて左手で受け止めるようだと表現している。このスケール感は尋常ではない。二首目、「地球は球」は流布しているメジロの聞きなしかと思ったが、そうではないようだ。メジロは朝早く人家の近くに飛来して美しい声で啼く。その声を愛でながら、作者は地球の裏側にいて眠っている人に思いを馳せるのである。三首目では虹を天地を支える柱に見立てている。その発想もさることながら、「あめつち」「ささふる」「あさあけ」の[a]音の連続が広・大・開を暗示し、「ふとく」「みじかき」「虹」の[u]音、[i]音が狭・小・閉を共示する上句と下句の音的対比が印象的で、実際に声に出してみるとそのことがよくわかる。また「虹」一字を残してすべて平仮名表記にすることで、「虹」が平仮名部分の天空を支えているかのような視覚的印象も生み出している。四首目、作者はバスか友人を待って独りぼつねんと立っているのだろう。その様を「待ち針」に喩えるのはそれほど独創的とは言えないかもしれないが、いきなりカメラが引きの画像になり、人工衛星から映したような、虚空に浮かぶ地球の絵に切り替わるのは独創的である。「遊星」は「惑星」と同義だが、コノテーションが異なり、「さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥き遊星に人と生れて」という山中智恵子の名歌に繋がる点でも短歌的匂いのする語彙と言えるだろう。五首目は純粋な想像の歌で、朝顔の黒い種の中に発芽してぐんぐん伸びる蔓の萌芽が入っているというのだが、伸びる蔓がやがて宇宙に渦巻く銀河へと至るスケール感に並々ならぬものがある。
 このような歌柄の大きさは、ややもすれば等身大的日常を詠うことに傾きがちな現代短歌シーンにおいては貴重な資質である。かといってスケールが大きい歌だけでなく、冒頭に挙げたイチモンジセセリの歌のように、微細なものに寄せる眼もまた持ち合わせている。
 面白いと思ったのは次のような歌である。
ガウディの仰ぎし空よ骨盤に背骨つみあげわれをこしらふ
ヒトの目に見えざる色のあることを忘れて見入る花舗のウィンドウ
子を抱きて夕映えの富士指させばみどりごはわが指先を見る
今日ここにわれら軌跡をかさねあふ注げよ花火銀冠菊
ふくびくうを花野としつつ朝の気は身のうちふかくふかくめぐりぬ
息継ぎをせざる雲雀ののみどより空へと溢れつづけるひかり
 一首目、ガウディはバルセロナの聖家族教会を設計した異色の建築家で、空へと屹立するゴシックの尖塔と脊柱の椎骨とを二重写しにした歌である。ガウディの建築が生物を思わせる形をしているところから生まれた連想だろう。二首目、「ヒト」と片仮名書きしてあるのは生物種としてのホモ・サビエンスを意味する。花屋には色とりどりの花が売られているが、改めて考えてみると、それらはすべてヒトに見える色である。色は物体が反射する光なので、可視光線ということになる。歌には「忘れて」とあるが、それは作者の仕掛けた工夫で、そう言われることによって改めて思い出す作用がある。三首目、親は指さした夕映えの富士を見てもらいたいのだが、子は親の指先を見る。大人が見ている世界と子供が見ている世界は同じようでちがうというずれを歌にしたもので、はっとさせられる。四首目の「銀冠菊ぎんかむろきく」とは菊の花びらのように広がって流れ落ちる打ち上げ花火のこと。「今日ここにわれら軌跡をかさねあふ」とは、見知らぬ人が今日ここに花火を見るために集っているという一期一会の思いと、流れ落ちる花火の火が交差しあう様子を重ねたものだろう。「花火の歌」を集めるとしたらぜひ入れたい歌である。五首目、朝の空気に漂う花の香りを詠んだ歌だが、ポイントは初句の「ふくびくう」だろう。漢字にすれば副鼻腔で、鼻腔すなわち鼻の穴の横の骨にある空洞をさす。「ふくびくう」と平仮名書きにすると、何やら異国のお伽話に出て来る人物のようにも聞こえる。「ふくびくう」「ふかくふかく」と一首に [hu]音と[ku]音が連続するのも工夫だろう。六首目は揚雲雀の歌で、息継ぎも忘れて天空高く囀る雲雀の喉から光が溢れ出ると詠んでいる。高野公彦の名歌「ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器」とどこか呼応するようにも見える歌である。
 このような歌以外にも、相聞歌や厨歌や母親の視線で子供を呼んだ歌なども収録されていて、主題や作歌法の幅の広さも魅力的だ。また東日本大震災の後に南相馬を訪れた折に「とどめようもなく生まれた歌」には鬼気迫るものが感じられる。
方舟に乗せてもらへぬ幼らの悲鳴のやうな朝焼けを浴ぶ
黄揚羽のとまりゐるわが脇腹より土地の負ひたる悲しみは入る
水鏡ゆきあへるひとみなわれにみゆるたそがれ手触れむわれに
折鶴の天よりくだるこゑは地にあふれて白き木蓮となる
 最後に私が集中で最も美しいと感じた歌を挙げよう。
はつなつのやはらかきしろつめくさをかすかに沈めむくどり翔てり
 初夏の公園かどこかに青々と広がる絨毯のようなクローバーの群落からムクドリが飛び立つ様を活写した歌で、ポイントはもちろん「かすかに沈め」にある。羽ばたくときに生じる下向きの風圧で、クローバーの葉と花がわずかに沈む。このような歌を読むと、ふだんは何気なく眺めている世界に、突然、高解像度の望遠鏡か顕微鏡が向けられ、同時に時間の流れも緩やかになって出来事が精緻に微分されるような感覚に捕らわれる。これがポエジーの持つ「世界を新しくする力」である。また初句の「はつなつの」から「かすかに」までを平仮名書きすることによって、音読時間が長くなるように韻律を調整し、ムクドリが飛び立つまでの準備時間をあたかもスローモーションのように感じさせているのも作者の工夫だろう。

第167回 フラワーしげる『ビットとデシベル』

性器で性器をつらぬける時きみがはなつ音叉のような声の優しさ
              フラワーしげる『ビットとデシベル』
 ついにフラワーしげるの歌集が出た。これは取り上げて論評せずばなるまい。「新鋭歌人シリーズ」を出している書肆侃侃房から「現代短歌シリーズ」の刊行が始まっていて、フラワーしげるの歌集はこの一巻として上梓された。ちなみにこのシリーズからは、千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』、松村由利子『耳ふたひら』、笹公人『念力ろまん』、佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』がすでに刊行されている。出版のテンポといい歌人の顔ぶれといい、書肆侃侃房は文句なしに今いちばん元気のある歌集出版社である。
 さて、フラワーしげること西崎憲は、「かばん」購読会員を自称しており、「かばん」を購読はしているが、短歌の寄稿はしていない。フラワーしげるが短歌シーンに登場したのは、2007年『短歌ヴァーサス』11号の第5回歌葉新人賞の応募作品「惑星そのへん」である。「フラワーしげる」という人を食った筆名と同様に、「惑星そのへん」というタイトルも実に適当だ。ちなみにこのとき荻原裕幸が「短歌にたいする悪意を感じる」と選評に書いているが、本人はそんなつもりは微塵もなかったので、これを読んでびっくりしたという。
 フラワーしげるは続いて、2009年の短歌研究新人賞に「ビットとデシベル」、翌2010年に「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」、2014年に「二十一世紀の冷蔵庫の名前」で応募し、候補作まで残ったが受賞は逃している。今回の歌集はそれらの応募作品を中心に編まれたものと思われるが、『短歌研究』誌に応募作品の全数が掲載されているわけではないので確認はできない。
 一読して気づくのは、短歌研究新人賞応募作には含まれていたのに、歌集を編む際に落とされた歌がたくさんあることである。
ただひとりの息子ただひとりの息子をもうけ塩のなかにあるさじの冷たさ
                      「ビットとデシベル」
死の影には驚くところはなにもなくただ病院の廊下をやってきて連れていった
南北の極ありて東西の極なき星で煙草吸える少女の腋臭甘く
ここが森ならば浮浪者たちはみな妖精なのになぜいとわしげに避けてゆく美しい母子よ
待つものも待たざるものもやがてくる花粉で汚れた草の姫の靴
                「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」
この機は黒いヒタチだと痩せた声が言いエレベーター狩りの子ら去る
むかしガールスカウトを失格したきみの肩がプールをすこし隠して
網から逃げてゆく人間が手にもつビニール袋に見える人間
棄てられた椅子の横を通りすぎる 誰かがすわっているようで振りむけない
                    「二十一世紀の冷蔵庫の名前」
オレンジのなかに夜と朝があって精密に世界は動いていた 私はそこで生まれた
わたしが世を去るとき町に現れる男がいまベルホヤンスク駅の改札を抜ける
 もったいないなあと思う。いずれもフラワーしげるの歌の中でも良質なものだからだ。邪推するならば、「ビットとデシベル」で落とされた歌は、新人賞の選評で取り上げられた歌で、選考委員によってあれこれ分析されたため、色が付くことを嫌って落としたとも考えられなくはない。「ビットとデシベル」の三首目「南北の」は前回フラワーしげるをこのコラムで取り上げたときに掲出歌として選んだもので、「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」の三首目「むかしガールスカウトを」も抒情的で好きな歌だ。落とされたのが残念でならない。
 「ビットとデシベル」の選考会で加藤治郎は、フラワーしげるの短歌は思想詠であると規定し、過去の口語自由律短歌とのちがいがどこにあるかと言うと、たとえば前田夕暮のころは、自分の生活感情を忠実に再現したいという動機があったが、フラワーしげるの場合は、はなから自分の生活感情を表現したいなどとは思っていない点だと述べている。また、「世界の終わりとそのとなりの社員食堂」の選評で穂村弘は、フラワーしげるの歌は結局は散文で、短歌に散文的資産が投入されているのではなく、散文に詩的資産を投入したものだと述べ、短い小説のように見えてしまうと締めくくっている。いずれも鋭い指摘であり、加藤と穂村の指摘をメルクマールとして以下に論を進めたい。それは「なぜフラワーしげるの短歌は長くなるのか」という問いである。
 この点で自由律俳句は自由律短歌と逆のベクトルを示しているのがおもしろい。自由律俳句は17音より短くなることを指向する。ミニマリスムに傾斜するためである。
墓のうらに廻る  尾崎放哉
春風の思い扉だ  住宅顕信
 逆に自由律短歌は31音よりも長くなるのが通例である。しかしそうはいってもフラワーしげるの短歌の長さは群を抜いている。次の歌など48音もある。
小さなものを売る仕事がしたかった彼女は小さなものを売る仕事につき、それは宝石ではなく  『ビットとデシベル』
 しかしこれだけの長さがあっても散文になっていないのは、「小さなものを売る仕事」が二度反復されることで内的なリズム感が滲み出るからだろう。呪文や民謡や唱歌を例に引くまでもなく、反復は詩的言語の原初的特性である。反復されることで言語は意味のくびきから解放されて、音の位相を自由に羽ばたく。
 さて、ではなぜフラワーしげるの短歌は長くなるのだろうか。穂村の指摘するように、短編小説を短歌の詩型に押し込もうとしたならば、31音に入る意味量には限界があるので、はみ出すのは当然だと考えることもできる。ではもう一歩進めて、なぜフラワーしげるは短編小説を短歌の詩型に押し込めようとするのだろうか。それはつまるところフラワーしげるが「セカイ系」だからではないだろうか。
 「セカイ系」とは、2000年代の初めころからサブカルチャーを論じるネット批評などを中心に使われるようになった用語で、〈私〉を巡る恋愛や悩みといった個人的問題が、世界的規模の最終戦争とか、宇宙からの来襲による地球の危機などの、個人を超えた人類レベルの問題に直結する物語群を指すとされている。中学生がある日気づいたら、人類の命運の鍵を握る戦士になっていたというような物語である。
 近代短歌の中核は〈私〉すなわち「個」であり、〈私〉が日々暮らす中でぶつかる問題や心情を詠むのが王道である。〈私〉の周囲には〈あなた〉や家族・学校・職場などがあり、これらは「近景」を構成する。「近景」のもう少し先には「中景」がある。「中景」は近景より少し大きなレベルの視野で、地域や国家が射程に入り、国と国との政治的摩擦や国を超えた環境問題や生物保護などもある。追い込み漁で捕獲したイルカを水族館で飼うことができなくなったなどというのは、典型的な中景問題である。その先にあるのが「遠景」で、もっと大きな世界史的レベルの出来事や世界経済・イデオロギー・思想・宗教がこれに属し、その特徴は生活実感から遠く抽象的だという点にある。「セカイ系」とは、「近景」が「中景」をすっとばして、いきなり「遠景」に接続する物語だと定義できるだろう。
 「セカイ系」という言葉ができてかれこれ15年経過して、この用語が意味する風景が日常普通に見られるようになったことに驚く。そのひとつは「世界観」という用語の氾濫であり、いまひとつは音楽グルーブ「SEKAI NO OWARI」のような、まるでRPGのような楽曲が人気を博していることである。
 フラワーしげるの短歌がこの流れの中にあるとは思わないけれども、西崎憲時代にファンタジーを書いていること、また近作の小説『飛行士と東京の雨の森』も大人向けの童話のような味わいがあることを考えても、フラワーしげるが近代短歌・私小説・自然主義と対局に位置していることは明らかである。「セカイ系」で行こうとしたら、一首の中にひとつの世界を作り出さなくてはならない。バラメータの設定が必要になるのだ。
登場人物はみなムク犬を殺したことがある 本の向こうに夜の往来を見ながら
ぼくらはシステムの血の子供 誤字だらけの辞令を持って西のグーグルを焼きはらう
底なしの美しい沼で泳ぎたいという恋人の携帯に届く数字だけのメール
 一首目、不吉な小説か芝居のト書きのようで、ここでは上句と下句の接続不良が詩的圧縮を生み出している。夜の往来を見ながらムク犬を殺すのではなかろうから、下句には夜の往来を見ている別の主体が想定されているのだろう。二首目は最も設定効果が高い歌のひとつで、「システム」「西のグーグル」あたりに近未来的SFが透けて見える。三首目は、底なしの美しい沼で泳ぎたいと言っているだけで、別に恋人がほんとうに底なしの美しい沼にいるわけではないのだが、上句の光景が残像のように残って下句の意味を支配する。確かにボエジーはまぎれもなく、まるで往年の夢の遊眠社の舞台で幕切れに野田秀樹が叫ぶ詩的な科白を思わせる。
 かと思えば掲出歌や、次のように設定より抒情が勝る歌もある。私はこういう世界を愛しているので、もう少しこのラインの歌があればとも思う。
小さく速いものが落ちてきてボールとなり運動場とそのまわりが夏だった
夜の回送電車ゆっくりと過ぎひとりで乗っている死んだ父
アコーディオンは昼の光に 捨てるから庭でそのまま父は弾く
 野田秀樹のことを書きながら考えたのだが、フラワーしげるのやたら長い短歌は舞台での朗読に向いているのではないだろうか。近代短歌の31音の韻律に縛られないフラワーしげるの短歌を、緩急・強弱のリズムを付けて朗読したら、紙の上で読んでいるときとはまたちがったボエジーが生まれるような気がする。また緩急を付けることによって、ひょっとしたらふつうに朗読した場合の31音の尺になんとか収まるかもしれないなどと考えたりもするのである。

【余談】
 穂村弘の近刊『ぼくの短歌ノート』(講談社)を購入したら、表紙ともう一枚紙をめくった場所に、「はいしゃにいっていませんね?」という文と著者のサインが万年筆で書かれていた。インク吸い取り用紙まで挟んであるので、直筆だと思われる。穂村ほどの人気作家ならば、初版3000部は印刷するだろうが、ひょっとして全部に直筆で書いたのだろうか。それとも何冊かだけに書いてあって、当たった人はラッキーなのだろうか。また、全部に同じ文句を書いたのではなく、一冊一冊書く文句を変えたのだろうか。ちなみに「はいしゃにいっていませんね?」を読んでドキッとした。そういえば最近さぼって歯医者に定期検診に行っていない。どうして知っているのだろう。

第166回 河野美砂子『ゼクエンツ』

プルトップ引きたるのちにさはりみる点字の金色きんの粒冷えてをり
                    河野美砂子『ゼクエンツ』
 必ずしも河野の作風を代表する歌ではないのだが、一読して思わず「アッ」と叫んだ歌を掲出歌に選んだ。そうだったのか。プルトップの横のブツブツは点字だったのか。調べてみると、視覚障碍者がアルコール飲料とジュースなどの非アルコール飲料とを区別するために付けてあるのだという。知らなかったという衝撃がおさまると、あらためてこの歌を味わうことができるようになる。作者はピアニストなので、指先の感覚が一般人よりも遙かに鋭いと思われる。ピアノでは、指先で鍵盤を押すタッチが音楽のすべてを生み出すからである。ふつうの人はプルトップの横にブツブツがあることなどには気がつかない。たとえ指先が偶然触れても、一般人の指先の感覚は鈍いので知覚すらできまい。作者の感覚の鋭敏さをよく表す一首である。
 『ゼクエンツ』は第一歌集『無言歌』から11年の時を経て上梓された第二歌集である。題名の「ゼクエンツ」はドイツ語で、音程などを変えながら反復されるパッセージをさす。英語の sequenceに当たる。
 誰でもそうだと思うが、私は歌集を読むときに、すっと歌集の世界に入って行けることもあれば、入り口で行きつ戻りつを繰り返し、なかなか入って行けないこともある。歌のどの部分に波長を合わせればよいのかがわからず、何度も調律をやり直すのである。しばらく我慢して読み進むと、たいていはその歌人の基本波長と思われるものに行き当たる。そうしたら、その波長をベースラインに設定しておき、そこから上下への変化を感得することができる。河野の場合はどうかと言えば、なかなか入って行けない部類に属する。読者は言葉の世界の中で五感のセンサーを研ぎ澄まして読むことを求められるからである。
 河野の感覚の鋭敏さを示すのは次のような歌だろう。
階段の木が古いのですのぼりゆく音のむかしのその足の次
飼犬がしつぽをまるめ籠もりをり匂いはつかにいかづちがくる
ひらかれたノートの上をうすうすとよぎる翳あり魚の匂ひす
ゆびさきに凹凸感ず秒針のひびき影なす漆喰壁に
ひややかにローションのびてなにかしらてのひらうすくめくれるここち
骨切りの身にほのかなりこう透きて生身の鱧をしっとりと置く
植物に水をあたへてしばらくを耳すましをり濡れてゆく音
 一首目、木の階段がギシギシ鳴るのを聞いているのである。音感の鋭い作者ならばひとつひとつの音程を聴き分けることもできるだろう。「むかし」とあるから、過去にまで遡って音を記憶しているのだろうか。二首目、犬はたいてい雷を怖がるが、作者は雷に伴うオゾン臭に敏感に反応している。私は雨の匂いはよく感じることがあるが、雷の匂いは感じたことがない。三首目、「よぎる翳」が何をさすのか判然としないが、ここでもふと漂う魚の匂いが感覚されている。四首目、漆喰壁のわずかな凹凸を感じるのはピアニストの鋭敏な触覚だが、この歌にはもうひとつ「秒針のひびき影なす」という読みのポイントがある。素直に読めば「秒針の影」とは、秒針が文字盤に落とす影となるが、実は影を落としているのは秒針ではなくその「ひびき」である。常識的には音が影を作ることはないので、これは共感覚的表現ということになろう。五首目、手のひらにローションを伸ばして塗ると、手の皮が薄くめくれたような気持ちがするということは、手のひらの感覚がより鋭敏になったということだろう。六首目、はもは夏の京都を代表する食材だが、小骨が多いため、細かく骨切りしなくてはならない。骨切りしたら湯でさっとゆがいて、氷水に入れて身を締める。この歌では骨切りされた透き通るような白身にわずかに血の赤が滲んで見えると詠っている。繊細な観察と言えよう。七首目は驚くべき歌で、植物が濡れてゆく音が聞こえるというのである。想像もつかないがそのような音があるのだろうか。だとしたら河野ひとりに聞こえる音にちがいない。
 和歌には伝統的に、正述心緒と並んで寄物陳思という技法があり、形を変えつつも近代短歌に引き継がれている。物に寄せて思いを詠む方法であり、近現代短歌で重要な位置を占める喩はそのヴァリエーションと言ってよい。ところが河野の歌においては、詠まれている事物は自らの心情を仮託する対象ではない。「生クリームのやうな濃い闇ひとところ梔子匂ふ一角を過ぐ」という歌を例に取ると、「生クリームのやうな」という直喩は「濃い」にかかるが、その意味作用は局所的で歌全体に及ばない。また「濃い闇」や「梔子」が何かの短歌的喩として置かれているわけではなく、「暗闇から梔子が匂った」というのは、経験された事態そのままであって、それがもう一度位相を変えて別の意味作用を起こすことはない。
 このように河野の短歌では、事物から心情へと達するベクトル構造が不在なのだ。それでは河野の短歌世界を構成する基本構造は何かと言えば、それは「万物に感応する知覚の結節点としての〈私〉」というものではないだろうか。歌に詠まれたすべての景物は〈私〉の知覚というフィルターを通したものであり、〈私〉のフィルターでいったん漉されて再構成された世界に読者は立ち会うことになる。このため読者は感覚の肌理きめの目盛りをその世界に合うように微調整しなくてはならない。読みの際に強いられるそのような調整操作が、河野の短歌の世界を入りにくいものにしているように思われる。
 河野の短歌のベースラインは上に引いたような鋭敏な知覚を核として構成された歌なのだが、歌集後半になると少し趣の異なる歌が散見される。次のようにどこか奇妙な歌である。
舟を焼く歌書きしのち秋が来て呼びさうになる呼ばなくなつた名を
ふくざつな雲のすきまに六月のひかりさし貝釦かひぼたんをすてる
百合樹ゆりのきがあなたの夜に咲いてゐて門灯を消す一本のゆび
水平に耳に来てゐる夕暮れの橋を渡りぬ遠くなる耳
枯れ枝で春の地面に輪を描いてたれか入りゆけりその輪のなかに
 一首目、まず「舟を焼く歌」という出だしがよい。何か過剰な感情を感じさせる。呼ばなくなった名とは、別れた恋人の名と取るのが順当かもしれないが、他のどんな名であってもまたよかろう。意味を一意的に追い込むのではなく、下句に多義性を残すことによって謎めいた魅力を生んでいる。このことは二首目にも言えて、なぜ貝釦を捨てたのかを語らないため、いつまでも消えない残臭のように読後に空虚が揺曳する。三首目、電灯のスイッチを切るときは人はたいてい指一本で切るが、その指をことさらにクローズアップすることで何かの過剰が生まれている。四首目、夕暮れが耳に水平に来るという認識にまず驚く。そのうえ橋を渡ると耳が遠くなると言われると、どこかに耳を置いて来たようにも感じられてすこぶる奇妙である。五首目は奇妙というよりもミステリアスな歌で、地面に描いた輪の中に人が入って消えてしまうという。これらの歌は鋭敏な感覚を軸とする世界の再構築というラインとは方向性のちがう歌で、河野のもうひとつの可能性を示すものかもしれない。
 最後に心に残った歌を挙げておこう。

街なかにぶあつい昼の響きつつときをり井戸のかげ冷ゆる街
ふれがたく黒白の鍵盤キイ整列す美しい音の棺のやうに
ふかくさす傘のうちがは冥ければ新緑のあめうをびかりする
ついらくの距離やはらかく抱きよせて雨ふれり地に人に時間に
魚に降る雪はるかなれふる塩のなかにゆめみる鱈といふ文字
咲きかけの花しろじろととどけらる時かけて死は位置をるのに
橋の上に曇り大きな喪の野あり百合鴎らはなまなまと飛ぶ
道しろく風死んでをり秋蝶のはたたく音の聞こゆるまひる

第165回 松村由利子『耳ふたひら』

時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色
               松村由利子『耳ふたひら』
 この歌集を読むとき、どうしてもこの歌を挙げずにはおられまい。島津藩から琉球処分を受け、戦後は米軍に長く占領されるという苦難を経験した沖縄を、時の為政者の都合によって切り落とされるパンの耳に喩えた歌である。「焦げ色」という形容には、山の形が変わるほど激烈な地上戦によって焦土と化した沖縄の大地への思いがこもっているのだろう。元新聞記者の作者の社会派歌人としての側面が強く出た歌である。
 全国紙の新聞社の記者であった作者がフリーとなった後に、沖縄に移住する決心をしたとき、周囲の人は驚いたが、師の馬場あき子だけは「あら、いいじゃない」と言ったという。なぜか心に残るエピソードである。『耳ふたひら』は作者の第4歌集で、石垣島に移り住んでからの歌が収められている。石垣島には俵万智と光森裕樹も移住しているので、歌人密度の高い島となっている。ちなみに東京電力福島原発1号機の過酷事故以来沖縄に移住する人が増えたのは、沖縄が環境放射能 (background radiation)が全国一低いからである。自然界にはもともと微量の放射能が存在していて、花崗岩から多く出るため、花崗岩がない沖縄が一番低いのである。沖縄で露出している岩のほとんどは珊瑚由来の石灰岩だ。
 私は10数年前に初めて沖縄を訪れた時に衝撃を受けて以来、沖縄が好きになり、その後幾度も訪れている。何も知らずにそうしたのだが、今から思えば関西空港発の飛行機で最初に石垣島に着いたのがよかった。たいていの人は沖縄本島にまず行くだろうが、本島は戦災がひどかったため古いものが残っておらず、都市化とアメリカ化が進行している。那覇のタクシーの運転手さんに那覇で観光名所はありますかとたずねたら答えに窮していた。それに比べて八重山諸島は琉球の古い文化と町並が比較的よく残っている。竹富島、西表島、小浜島、黒島、鳩間島などに、サザンクロス号に乗って次々と訪れるのも楽しい旅である。これから沖縄へ行こうという方は、本島ではなく八重山から始めるのがお勧めだ。
 さて、『耳ふたひら』に収録されている歌でまず目につくのは、本土とは異なる亜熱帯性気候の植物相と気候を詠んだものだろう。
半身にパイナップルを茂らせて島は苦しく陽射しに耐える
ねっとりと濃く甘き闇迫りくる南の島の舌の分厚さ
ハイビスカス冬にも咲きて明るかり春待つこころの淡き南島
湾というやさしい楕円朝あさにその長径をゆく小舟あり
ティンパニの中に入れられ巨きなる奏者の連打聞くごとき夜
 一首目、石垣島名産のパイナップルは、農園で即売していてその場で食べられる。島には広大なパイナップル畑があり、作者には島がそれで苦しんでいるように映ったのだろう。二首目、沖縄の夜の空気は本土とはちがい、たしかにねっとりとまとわりつくような空気である。月桃の香りがただようと一層密度が濃く感じられる。沖縄の冬は風が強く天気が悪いが、三首目にあるとおり本土に比べて四季の変化に乏しい。新しい土地に移り住んでまっさきに気づくのは気候のちがいである。四首目はとても美しい歌で、湾の長径は水平方向と垂直方向の両方の可能性があるが、ここでは水平方向と取っておきたい。鏡のように凪いだ湾を右から左に一艘の船がすべるように進んでいる。どこか本土とは異なる水深の浅い珊瑚礁の多島海の風景だ。海の色のちがいさえも感じられるようだ。五首目は台風の夜を詠んだ歌。風を遮る山のない石垣島では台風の風が直接に襲いかかる。
 しかし松村は元新聞記者である。観光客のように沖縄の自然に驚嘆するだけに終わることなく、その眼差しは移住者、すなわち余所者である自身へと向けられる。
南島の陽射し鋭く刺すようにヤマトと呼ばれ頬が強張る
島ごとに痛みはありて琉球も薩摩も嫌いまして大和は
言うなれば自由移民のわたくしがぎこちなく割く青いパパイヤ
サントリーホールのチケット購入し島抜けという言葉思えり
半身をまだ東京に残すとき中途半端に貯まるポイント
わたしくも島の女となる春の浜下りという古き楽しみ
 沖縄では地元の人のことをウチナンチュ、本土の人をヤマトンチュと呼ぶ。ヤマトは沖縄に苦難を強いてきた民族であることを沖縄の人たちは忘れていない。四首目と五首目は同じような想いを詠んだ歌で、完全に島人となったわけではない自分に対してどこかうしろめたい気持ちを抱いているのだろう。東京の店のポイントカードが残っているというのがリアルだ。六首目の浜下りとは、3月3日にみんなで浜辺に出て貝や海藻を採る伝統行事のこと。宮古島の八重干瀬やえびしが名高く、韓国にも同じ風習があると聞く。
 とはいえ集中で心に残るのは、ヤマトンチュの移住者としての葛藤を内心に抱えつつも、八重山の自然に自己を溶解させる次のような歌だろう。
アカショウビンの声に目覚める夏の朝わたしの水辺から帰り来て
月のない夜の浜辺へ下りてゆくたましい濡らす水を汲むため
鳥の声聴き分けているまどろみのなかなる夢の淡き島影
覚めぎわのかなしい夢のかたちして水辺に眠る鹿の幾群れ
海に降る雨の静けさ描かれる無数の円に全きものなし
 今まで引いた歌はみなどこか説明的な感じが残る。ところが上の歌群は説明的な部分が少ない分だけ言葉の圧力がポエジーへと向かっているように思う。説明においては視る〈私〉と視られる対象(=自然)の分離が前提となるが、ポエジーにおいては視る〈私〉と視られる対象が、時に入り交じり、時に入れ替わり、交感しあうことが必須となる。そんなことを感じさせる歌である。

第164回 竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』

キャベツ色のスカートの人立ち止まり風の匂いの飲み物選ぶ
             竹内亮『タルト・タタンと炭酸水』
 最近立て続けに書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの歌集を取り上げているが、今回も同シリーズの一冊である。プロフィールによれば、著者の竹内亮は1973年生まれで、東大の国文科を出て新聞社に勤務した後、弁護士に転身した人である。東直子の短歌講座を聴いたことがきっかけで短歌を作り始めて4年になるという。歌集題名のタルト・タタン (tarte Tatin)はフランス風のアップルパイで、皮が下にあり上にリンゴが載っている。言い伝えによれば、タタン姉妹がアップルパイを作った時に、うっかりひっくり返したのがきっかけで誕生したという。生クリームをホイップしたものを添えて食べることが多い。タルト・タタンの横にペリエか何か炭酸水を注いだコップがある風景は実にお洒落である。
 お洒落と言えば、この歌集全体がお洒落な雰囲気を身にまとっていて、東直子の筆による海と黒白猫の表紙の絵もなかなか洒脱だ。このお洒落さは最近あまり見ない貴重なものなので、今回取り上げることにした。
 バブル経済崩壊以後の短歌はとにかく「不景気」(by荻原裕幸)で、穂村弘が「ゼロ金利世代の短歌」と呼んだように、お洒落からはほど遠い。「どこへゆくためのやくそく水色のオープン・カーではこばれる犬」(山崎郁子『麒麟の休日』1990)のようなキラキラした歌は遠い過去である。ところが『タルト・タタンと炭酸水』には光と色が溢れていて、モノトーンか淡色の印象の歌集が多い昨今では異色と言ってよい。冒頭に挙げた掲出歌にはキャベツ色のスカートが登場する。あまりキャベツ色とは言わないところがかえってユニークだ。薄緑色のスカートだろうが、ここは春キャベツのひときわ淡い緑がよかろう。そんな人が風の匂いの飲み物を選ぶのだ。他にも次のような歌がある。
夏の午後に君の瞳のコンタクトレンズの縁の薄さ見つめる
キッチンで知らない歌を口ずさみ君は螺旋のパスタを茹でる
川べりに止めた個人タクシーのサイドミラーに映る青空
左手のライ麦パンは光ってて猫は何度も瞬きをする
なめらかな布で磨かれそのまんま夜道を照らすジェリービーンズ
ジーンズの裾に運ばれついてきたあの日の砂を床に落として
 螺旋のパスタといい、サイドミラーに映る青空といい、ジェリービーンズの鮮やかな色彩といい、わたせせいぞうの原色を多用したイラストを思い浮かべてしまった。私の世代の人間にとって、わたせせいぞうのイラストに登場するオープンカーや洒落たカフェや白いワンピースを着た女性は「明るく豊かな青春」の象徴のように思えたものだ。本歌集にはどことなく似た空気を感じるのである。
 収録された歌のなかでは、細部に目を止めた歌と喩が効果的な歌がよいように思う。
試着室で君と選んだシャツを着る羽化してすぐの蝉が鳴く夏
水色のジャージで歩く女子たちのみな丸顔になっている国
旧市街を何も話さず歩きたい足音のよい道を選んで
カーディガンの少女の横で少年は片足立ちで靴はき直す
夜の海でかすかな光探すとき夏の魚は瞼を閉じる
涼やかな朝の地面に静止する誰かが置いたような青柿
 一首目では、「羽化してすぐの蝉が鳴く夏」が、上句の試着室でシャツを着る様子の喩となっている。季節は夏の初めで、「羽化してすぐ」が恋の初めであることを表し、同時にその恋の脆さをも表現している。二首目は祖父の法要のために田舎を訪れた折の歌で、「みな丸顔になっている国」がユーモラスだ。田舎の女子高校生は丸顔で頬が赤かったりする。三首目のポイントは「足音のよい道」だろう。何も話さないのは話す必要もないほど満ち足りているからである。四首目は青春グラフィティの一場面のようだ。少年は片足立ちで、体を支えるために片手を少女の肩においているのだろう。それにしても女子校の制服以外に今どき私服でカーディガンを着る少女がいるだろうか。その意味でも昔懐かしい青春を思わせる。五首目は他とやや趣のちがう幻想的な歌だ。ほんとうならばかすかな光を探すときには瞼を大きく見開くだろうに、逆に瞼を閉じるという。心眼で探すのだろうか。ちなみに魚には瞼がないので、いっそう幻想的な歌である。六首目は地面に青い柿が落ちていたという光景だが、それが誰かが置いたように見えたのがミソである。しかし「静止する」はやり過ぎだ。
 上に引いた歌は着眼点がよく、それを言語化して定型に収めるのもうまく行っている。しかし歌歴が浅いせいか未熟な歌も多い。「夏の田の緑の中で君を待つ栞の紐の紫の色」は「の」が多すぎる。「白い空坂を登って橋の上並んで歩き声に出す『あの』」には動詞が4つもあるがこれも多すぎる。一首に動詞は最大3つまでである。おまけに結句の「あの」が意味不明。また「吹く風は地面の草を燃え立たせ口ずさむのはみことのりです」の「みことのり」は天皇の詔勅なので誤解だろう。その前には神社に参拝する歌があるので、それを言うなら「祝詞」か「真言」か「マントラ」ではなかろうか。一首だけ「石段に一枚残る花びらに触れむとすれば飛び立てり蝶」という文語の歌が混じっているのも違和感を覚える。
 竹内も口語短歌を作っているのだが、前回も述べたのと同じことが当てはまる。結句が体言止めか倒置でなければ、すべてル形で終わっているのである。
線香を両手でソフトクリームのように握って砂利道を行く
海水の透明な水射すひかり大きな鳥が陸を離れる
 「ある」「いる」のような状態動詞のル形は現在の状態を表すが、動作動詞のル形は習慣的動作か、さもなくば意思未来を表す (ex. 僕は明日東京に行く)。このためル形の終止は出来事感が薄い。何かが起きたという気がしないのである。口語短歌の多くが未決定の浮遊状態に見えるのはこのためかもしれない。
水苑のあやめの群れは真しづかに我を癒して我を拒めり
                 高野公彦『水苑』
 高野の歌では完了の助動詞「り」が使われているため、きっぱりと何かが起きた感がある。文語には過去の助動詞「き」「けり」、完了の助動詞「ぬ」「つ」「たり」「り」があり、感動助詞の「かな」や「はも」など、文末表現が多彩である。現代口語では文末が「る」でなければ「た」しかない。文末表現の貧弱さが現代口語の大きな欠点なのである。現代の口語短歌はこの課題を解決できるだろうか。
 それはさておき、『タルト・タタンと炭酸水』は今時珍しいキラキラ感のある青春歌集になっている。作者の実年齢よりも若い時代が詠われているためか、いささかの懐旧感もある。作者が中年の屈折を味わったときにどんな歌を詠むのか見てみたい気もする。

第163回 五島諭『緑の祠』

大いなる今をゆっくり両肺に引き戻しつつのぼる坂道
                 五島諭『緑の祠』
 坂道を登っている。両方の肺に引き戻すことができるのは空気に限られるので、「大いなる今」と喩的に指示されているのは空気にちがいない。坂道の傾斜が急なので、息が切れているのである。しかしなぜ空気が「大いなる今」なのか。ここでは指示が微妙にずらされている。それが歌人の修辞である。空気自体が「大いなる今」なのではなく、ぜいぜいと息を切らせて坂を登っている〈私〉の交換不能な現在性が「大いなる今」なのだ。この感覚には見覚えがある。「実存」である。そう考えると五島の歌のほとんどが現在形で書かれており(正確には動詞の終止形。日本語動詞に現在形はない)、また不動の定点があるように感じられることにも納得がゆく。掲出歌は句跨がりもなく、定型にぴしっと収まっている点においても、秀歌性の高い歌だと言えるだろう。
 五島諭ごとう さとしは1981年生まれで、早稲田短歌会の出身。現在は同人誌「pool」に参加して、超結社のガルマン歌会のメンバーでもある。『緑の祠』は2013年に刊行された第一歌集である。前回のコラムで取り上げた中畑智江の『同じ白さで雪は降りくる』と同じく、書肆侃侃房の新鋭歌人シリーズの一冊で、跋文はシリーズ編者の東直子。
 五島と永井祐は同年の生まれで、堂園昌彦は2歳下なのでほぼ同年代である。三人とも早稲田短歌会に所属していて、現代短歌シーンにおいてほぼ同じストリームの中にいると言える。ニューウェーヴ短歌を主導した加藤治郎・荻原裕幸・穂村弘の三人のうち、荻原と穂村は1962年生まれだから、ニューウェーヴ短歌と五島たちの間には20歳の年齢の開きがあることになる。20歳と言えばもう少しで親子の開きである。世代論的に見ても、五島・永井・堂園はポスト・ニューウェーヴ短歌と見なしてさしつかえない。その特徴をおおざっぱに言えば、口語短歌・低体温・フラット性とまとめることができるだろう。キャッチコピーを作るのがうまい穂村は、「ゼロ金利世代の短歌」と呼んでいる。
 本歌集を短歌ブログ「トナカイ語研究日誌」で取り上げた山田航は、五島の歌を評して、「限界を突き破れない不全感」と「時に世界を破壊する反転攻勢」というキーワードを使っている。「不全感」はバブル経済崩壊以後の短歌シーンに広く漂っている特徴なので、五島独自のものとは言えないし、「反転攻勢」に見られる攻撃性については、いまひとつピンと来ない。ポスト・ニューウェーヴ短歌にはどこか批評しにくいところがあるようだ。
 このことは『短歌研究』の2014年5月号の作品季評にも見て取れる。穂村と花山多佳子と小島なおが『緑の祠』を俎上に上げて批評しているが、三人とも五島の短歌を捉えあぐねている。小島は「これまでの短歌の良し悪しの基準では、うまく捉えられない、評価の難しい、新しい印象の作品」と述べ、穂村も「もっとつかめるつもりで読み始めて意外に捉えられなくてちょっと焦った」と言い、それを受けて花山も「けっこうわかるなと思ったり、結局のところわからないと思ったり」と読みに迷いがあったことを告白している。なぜ五島の短歌は捉えにくいと感じられるのだろうか。小島は穂村の問いかけに答えて、具体的な生活の場面のような、読者との通路になるものが五島の歌には希薄で、「ひとり別の世界に住んでいるような」気がすると述べている。
 小島が言っていることをさらに進めると、今までさんざん議論されてきた「短歌における〈私〉」と「リアル」の変容をめぐる議論につながるのだが、ここではその方向は控えて別の観点から五島の歌を見てみたい。それはポエジーの力点という観点である。
 短詩型文学としての近代短歌は抒情詩であり、その基本構造は永田和宏の言う「問いと答えの合わせ鏡」にある。
冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生のごとし
                  岡井隆『神の仕事場』
 上句の「冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵(の)」までが問いである。もう少し正確に言うと、それは〈私〉の外部に対象化された物や事象で、物や事象自体は問いを発することはない。〈私〉がそれに注ぐまなざしが問いを浮上させるのである。だからほんとうを言えば問いは〈私〉の内部にある。そして下句の「だまされて来し一生のごとし」が答えである。答えは〈私〉の感情・感慨であり、問いである物や事象が鏡のように〈私〉の感情を照射するところに抒情詩が成立する。読者はこの過程をみずから辿ることによって、作者の感情を追体験し、それに共感したりカタルシスを感じたりするのである。岡井の経歴を知る人ならば、下句を読んで日本共産党の六全協を思い浮かべたりするかもしれない。近代短歌におけるポエジーの力点は、問いとしての物や事象が〈私〉の感情を前景化するその関係にあり、それは同時に歌におけるリアルの源泉としても働くのである。
 このような近代短歌の読みに慣れた人にとって五島の歌が捉えがたく感じられるのは、ポエジーの力点が異なるからに他ならない。穂村の表現を借りると、同じOSのヴァージョンちがいではなく、そもそもOS自体が異なるということである。
美しくサイレンは鳴り人類の祖先を断ち切るような夕立
触れることのできるあたりに喋らない鸚鵡と水泳少年がいる
くもりびのすべてがここにあつまってくる 鍋つかみ両手に嵌めて待つ
息で指あたためながらやがてくるポリバケツの一際青い夕暮れに憧れる
はじめから美しいのだこの手からこぼれていったポップコーンも
 歌集冒頭の「サウンドトラック」という連作から引いた。いずれもなかなか美しい歌だと思う。一首目は近代短歌のOSでもいちおうは読める。それは「人類の祖先を断ち切るような」という喩があるためである。喩は問いと答えの合わせ鏡構造における答えの受け皿として働く。激しい夕立を見て、人類の祖先を断ち切るようだと〈私〉が感じたと読むことができ、そこから作者が抱いていると想像される孤独感や断絶感を感じ取ることができるからである。ところが残りの歌についてはそのような読みは成立しない。二首目は一首一文の形式で鸚鵡と少年の存在を述べるに留まり、仮にその全体が問いだとしても、その問いが照射すべきもうひとつの鏡がない。読者は鸚鵡と少年をはいと差し出されて、それをどうすればよいのかわからない。短気な関西人なら「どうせえちゅーんじゃ」と怒り出すところである。他の歌にもほぼ同じことが言える。
 ポエジーの力点がちがうのである。五島の短歌のポエジーの力点は、問いが答えを照らし出すという関係性にあるのではない。「五島さんの歌には、感情の浮き沈みや喜怒哀楽がほとんど出ていない」という小島なおの感想は鋭く本質を突いている。五島の短歌には、問いの鏡が照らすべき答えの鏡が不在なのだ。対象化された物や事象が〈私〉の心に問いを生み出し、その問いによって〈私〉の感情が照射されるという構造が欠けている。岡井隆が言った意味での、短歌の背後にいるたった一人の〈私〉という構図が成立しないのである。
 では五島の歌においてポエジーの力点はどこにあるのか。それは端的に言って言葉の組み合わせが生み出す美である。ここでもう一度上に引いた歌を見てみよう。一首目のポイントは美しく鳴るサイレンと激しい夕立の取り合わせである。何か危機的な状況が連想されるが、それは語られていない。二首目は喋らない鸚鵡と少年の組み合わせがポイントで、この歌は映像的にもとても美しい。鳥籠に入れられた極彩色の鸚鵡と、プールで一人黙々と泳ぐ白帽の少年の取り合わせは、まるでシュルレアリスムの絵画のようである。三首目は、雷の実験をしたフランクリンか、ニコラ・ステラを連想させる。曇天の日に丘の上に登って、両手に鍋つかみを嵌めて、まるで超自然の力を呼び寄せようとしているかのような場面が目に浮かぶ。四首目は修辞的にも凝っている。「やがてくるポリバケツの一際青い夕暮れ」の「やがてくる」は「ポリバケツ」に係るかと思えば、そうではなく「夕暮れ」に係るし、「ポリバケツの一際青い夕暮れ」は「ポリバケツの(ような)一際青い夕暮れ」の大胆な省略だろう。この修辞の工夫によって歌の言葉は日常語の地平を離れる。五首目は「あらかじめ失われている不全感」というキーワードを用いて近代短歌のOSでも読めそうな作品だが、ここでもやはり眼目は「手からこぼれたポップコーンが初めから美しい」という表現自体にあると思われる。
 堂園昌彦の『やがて秋茄子へと到る』を読んだときに、堂園の短歌と絵画の親近性を感じたが、五島の短歌も同じ匂いがする。別な比喩を使うと、からっぽの室内のどこにテーブルを置くか、そのテーブルは何色にするか、ソファーはどこに配置するか、白い壁にはどんな絵を掛けるかというインテリア計画を入念に考え抜いて、美しい室内を作る、そして出来上がった室内に座って静かな時間を過ごす。そんな感じと言えばよいだろうか。五島の短歌はこのようにして選び抜かれた詩語によって組み立てられた小世界である。
 五島はたぶんジョゼフ・コーネルが好きだろう。コーネルは繊維商のかたわら美術作品を作り続けた日曜美術家で、アメリカのシュルレアリスムの元祖とも言われている人である。コーネルの作品は、木製の小さな箱の中に、雑誌から切り抜いた写真やどこかで拾って来た人形などを配したコラージュで、手作り感の溢れる作品ながら、その前に立つといつまでも眺めていたい気になる不思議なものである。2010年に千葉県の佐倉市にある川村記念美術館で展覧会が開かれた。高橋睦郎が讃を寄せ、フランス装の凝ったカタログが作られた展覧会で、企画したキュレーターの意気込みが感じられた。
 失われたもの、美しいものの探求。魂の都市、ニューヨークと同じ空間を占める見えない都市を往くコーネル=オルフェウス。
 ネルヴァルは言った。「人類は永遠の美をじわじわと千もの断片に破壊し切り刻んでしまった」。コーネルはそれらの断片を都市のなかで見つけ、組み立て直した。
          (チャールズ・シミック『コーネルの箱』)
 コーネルの箱の中に〈私〉はない。ゴッホの厚塗り絵の具のうねるようなタッチを見ると、そこにまぎれもない画家の個性が感じられるが、コーネルはあちらこちらで見つけた郷愁を感じさせる品物を組み合わせて配置して独自の小宇宙を作った。
 五島にとってのポエジーの力点が〈私〉の前景化による抒情にはなく、詩語の選択と配置による作品世界の構成にあると思って読めば、本歌集にはたくさん美しい歌があることがわかる。
どこか遠くで洗濯機が回っていて雲雀を見たことがない悲しさ
寄せてくる春の気配に文鳥の真っ白い風切羽間引く
デニーズでよい小説を読んだあと一人薄暮の橋渡りきる
死のときを毎秒察知するようにホースの中を水が走るよ
頬から順に透きとおりつつ八月の水平線を君が歩くよ
目玉焼きを食べられないでいる間にも印刷されてゆく世界地図
やがては溶けるかき氷にも向けているひと差し指の先の銃口
雨の日にジンジャーエールを飲んでいるきみは雨そのもののようだね
 確かにゼロ金利世代のムードがうっすらと作品全体に漂っているのは事実であり、発火しにくい低体温と、試みる前から諦めているような諦念が滲んでいるのも事実である。遠くに押し殺した悲鳴が聞こえるような気もする。その点に着目すれば、山田の言うように、今まさにそのような青春を送っている若者が五島の短歌を支持しているのはもっともである。そのような読み方を否定するものではないが、ポスト・ニューウェーヴ世代に属する五島の歌が目指しているのは、詩語の組み合わせによる新しい美の創出にあるように思えてならないのである。

第162回 中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』

生と死を量る二つの手のひらに同じ白さで雪は降りくる
          中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』
 作者の中畑智江なかはた ともえは、1971年生まれで、中部短歌会所属。今までに歌壇賞や角川短歌賞の候補・佳作に選ばれており、連作「同じ白さで雪は降りくる」で2012年に第5回中城ふみ子賞を受賞している。連作と同じ題名の歌集『同じ白さで雪は降りくる』は、2014年9月に書肆侃侃房から新鋭短歌シリーズの一冊として刊行された第一歌集であり、中部短歌会叢書の一冊という位置づけでもある。跋文は中部短歌会主宰の大塚寅彦。
 他の新鋭短歌シリーズと同じ装幀と版組で出版されているが、中畑は他の若手歌人たちよりやや年齢が上で、また中城ふみ子賞受賞という受賞歴もあり、シリーズ内では別格の感がある。私は歌集を受領したとき、必ず中をパラバラと見て、何首かに目を通すことにしているが、このようなパラパラ読みでも中畑は別格という印象を強く持った。口語短歌全盛の中にあって、文語定型を守っていることもその理由のひとつだろう。
 一読して非常に爽やかな読後感を得たのは、作品の基調が光と明るさにあり、暗く鬱屈した歌がないためだと思われる。バブル経済が崩壊してすでに四半世紀以上経過しているが、90年代に青春期を迎えた人たちは「失われた世代」と呼ばれている。青春を謳歌すべき年齢に達したとき、すでに日本はデフレ基調の不景気に見舞われていたからである。中畑と同年生まれの嵯峨直樹は「髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた」と詠んだ。この世代の人たちは自己不全感満載の歌を詠むことがよくあるが、中畑がその弊を免れているのは驚くほどである。
レタスからレタス生まれているような心地で剥がす朝のレタスを
差し込める光くぐりて子は朝のいちばん澄んだところに座る
伸びあがる水を捕らえて飲み干せる少年たちに微熱の五月
夏やせの背中を上がりゆくファスナー 月色の服がわれを閉じ込む
淡青のひかりを水にくぐらせて小さき花瓶を洗う七月
 一首目の眼目は「レタス」の反復にある。剥いても剥いてもどこまでもレタスというあの感覚を、同語反復によって歌に移し替えている。「レタスの歌」特集を企画したらまっさきに引きたいような歌である。二首目に詠まれた子は少年である。この歌の手柄が「朝のいちばん澄んだところ」という表現にあるのは言うまでもない。朝は世界が作り直される時間だからもともと清澄なのだが、そのなかでもいちばん澄んだ場所があると感じる繊細な感覚が貴重だ。主題はもちろん少年の無垢である。一首目にも二首目にも暗い影はなく、明るい光が満ちた世界である。三首目の「伸びあがる水」とは、公園などに設置されている水飲み場で、蛇口が上を向いているものだろう。四首目は女性にしか作れない微量のナルシシズムを含有する歌で、「月色の服」とは薄いクリーム色の服だろうか。五首目にも光が溢れている。この歌では「淡青の花瓶」をその色と実体とに分解して詠んでいるところにポエジーがある。このように中畑の歌には至る所に光と明るさが満ちており、基調となる色を選ぶとすれば上の五首目にもある淡青(ライトブルー)だろうか。
 とはいえ中畑の歌に悲しみがないわけではない。この世は涙の谷であり、生きている以上、悲しみを負うことを何人も避けることができない。
幸せと言わねばならぬ虚しさに心はゆっくり折りたたまれる
君が呼ぶ旧きわが名はほうたるが向こうの岸に運びてゆきぬ
たまさかとさだめのあわい君おりて許し色なり冬のゆうぐれ
吾に九九を教えし父の唇にとぎれとぎれの九九がこぼるる
みどり子のわれを洗いし百合さんの手のひら今はひかりを抱く
 一首目と二首目は結婚生活に対する不満の歌である。集中でははっきりと詠まれてはいないのだが、三首目の歌やその直前の「合わさりて二つが一つになることも欠けて一つになることもあり」という歌を見ると、離婚を経験したのではないかと推察される。四首目は父親が脳梗塞で入院した折りの歌で、五首目は作者が慕っていた叔母が逝去したときの歌である。しかしこのような瞬間においても、作者は悲嘆に溺れることがなく、また前を向いて歩くのである。
 中畑のこの陽性の感覚は、わが子である少年を詠むときさらに輝くようだ。
湯上がりの少年 初夏の帆の音をさせて大判バスタオル使う
眼の中に巣を持つ少年はたはたと羽音のごとき泪こぼせり
あしたまた遊べばいいと片付けた玩具は今日と同じで違う
その影の濃くて短き七月にゆんと伸びたる少年の丈
流さるるそうめんほどに儚くて子はこの永き夏を疲るる
 わが子を詠むときも作者は母親としての愛情に溺れずに、冷静に観察している。その点において凡百のわが子可愛い歌とは一線を画しているのである。
海色を包みて揺れる寒天の奥には別の夏景色あり
星ひとつ消ゆる朝にも牛乳はいつもの時間いつもの場所に
橋はただ橋を続ける 夕ぐれの深度を計る物差しとして
紅鱒のまなこに地上の秋映えてすぐに閉じたる紅鱒の秋
まだ青きトマトの皮をむくような衣替えする初夏の雨ふり
向日葵のつづく坂道あの夏は昭和の消しゴムでしか消せない
しんしんとゆめがうつつを越ゆるころしずかな叫びとして銀河あり
 付箋の付いた歌を拾ってみた。これらに中畑の修辞の特徴がよく出ているように思う。 一首目、「海を包みて」ではなく「海色を包みて」とした瞬間にもうこの歌は成立している。ここにも色彩と実体の乖離があるが、これは古くから用いられて来た修辞技法のひとつである。「夏景色」という言葉もよい。稲垣潤一に「大人の夏景色」という名曲があるが、どこかノスタルジーを感じさせる言葉である。
 二首目の眼目は、毎朝の牛乳配達という日常の時間と、星が白色矮星と化して一生を終えるという天文学的な時間の対比にある。下句の「いつもの時間いつもの場所に」はもちろん日常の肯定である。
 三首目はなかなかおもしろい歌である。橋が橋であり続けるのは当たり前のことであり、橋がある日突然怪獣になったりはしない。しかし作者はこの「自己同一性の永続原理」にふと感じるものがあったのだろう。また橋は日暮れてゆくにしたがって、その輪郭を失い暗闇の中に溶解するため、それが夕暮れを計る物差しとなると言っているのだが、橋の喩としてはとてもユニークである。
 四首目はなかなか技巧的な造りの歌である。秋に産卵のために川を遡上して死を迎えるベニマスを詠んだ歌で、「すぐに閉じたる」はベニマスの死を暗示している。生命のはかなさが主題だが、結句の「紅鱒の秋」にかかる連体修飾句の中にもうひとつ「紅鱒」が含まれているため、メビウスの帯のように同じ所にまた立ち戻ってくるような循環的な印象を与える。
 五首目はひとえに喩の新鮮さにかかっている歌で、まだ梅雨寒の残る初夏に衣替えする様を「まだ青きトマトの皮をむくような」という巧みな喩で示している。
 六首目、「向日葵のつづく坂道」は追憶の中に残る子供時代の風景で、そのリアルさは昭和の消しゴムでしか消せない、つまり、もう一度あの夏にタイムスリップして、あの時代を生き直さないかぎり消すことができないという意味だろう。
 七首目は意味の取りにくい歌だが、「しんしんと」はふつう雪の降る様を表す擬音だから雪の夜。「ゆめがうつつを越ゆるころ」は寝入って夢の世界にいる時だろう。眠って銀河の夢を見ているのか。「しずかな叫びとして」も暗示的で意味が定かではないが、比較的意味の明確な歌が多いなかで、不思議に印象に残る歌である。
 巻末近くに中畑は「わが歌は今どの町をゆくらむか鳥の切手を付けて発ちしが」という歌を配している。歌人としての覚悟の表明であろう。今後ますますの活躍が期待できる歌人である。