第157回 父は生きていた

傘を盗まれても性善説信ず父親のような雨に打たれて
           石井僚一「父親のような雨に打たれて」
 第57回短歌研究新人賞を受賞した石井僚一の父親が生きていたことが話題になり、しばらくぶりの短歌論争の感を呈しているので、今回はこの話題を取り上げてみたい。事の起こりと時系列に沿う展開は次のとおりである。
 平成26年7月6日、選考委員の加藤治郎、米川千嘉子、栗木京子、穂村弘による選考会が行われ、石井僚一の「父親のような雨に打たれて」が新人賞に選ばれた。
 受賞は編集長からただちに本人に電話で連絡している。短歌研究編集部は翌日の7日にTwitterでこの結果をつぶやいており、マスコミ各社にも同時に連絡が行ったであろう。これを受けて地元の北海道新聞が7月10日付けの朝刊で本人のインタビューを掲載した。その中で石井は父親が生きていることを記者に明かし、「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」と語る。ただし、北海道新聞は地方紙であるため、この情報はこの時点ではわずかな人が知るのみである。
 8月21日に『短歌研究』9月号が発行され、石井の受賞作と選考座談会が掲載された。一般読者の私たちはこのとき初めて石井の短歌を目にした。同時に石井の受賞のことばも掲載されているが、石井は亡くなったのが実は祖父であることには一切触れていない。まだ虚構は保持されているのである。
 9月20日発行の『短歌研究』10月号に、選考委員の一人である加藤治郎の「虚構の議論へ 第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて」という見開き2頁の文章が緊急掲載された。加藤の文章のポイントは次の四つである。
 (1) 祖父の死を父親の死に置き換えた虚構の動機が不明である。
 (2) 肉親の死をそのように扱うのは余りに軽い。
 (3) 虚構という方法で新しい〈私〉を見出さなければ空虚だ。
 (4) 北海道新聞を読んだ人は亡くなったのが祖父であることを知っているが、『短歌研究』誌上で受賞作を読んだ人はそのことを知らない。これはフェアではない。
 加藤はこの文章を8月31日に書いている。つまり受賞作が掲載された『短歌研究』9月号発行の9日後である。加藤は受賞を本人に知らせた編集長の電話で亡くなったのが祖父であることを知り、北海道新聞を取り寄せてインタビュー記事を読んでからこの文章を書いている。『短歌研究』の記事はふつう二ヶ月前に編集部に渡さなくてはならないことを考え合わせると、加藤は短時間で急いでこの文書を書いたはずである。
 10月21日発行の『短歌研究』11月号に石井僚一の「『虚構の議論へ』に応えて」という文章が掲載された。編集部から加藤の文章への反論を書くように求められてのことである。10月1日に書かれている。
 石井の文章は混乱しているが、おおむね次のようなことを述べている。
 (1) 「父の死が事実でないことは、読者の作品の享受に影響を及ぼすと想定できる」と加藤が書いているのは、事実その通りである。父親が生きているとすれば、受賞作はそれほどおもしろくはない。
 (2) 前衛短歌と虚構をめぐる議論は、短歌の方法論に詳しくない自分にはよくわからない。
 (3) 「祖父の死を父の死に置き換える有効性があるのか」という加藤の問には、はっきりあると回答する。ただし、読者への配慮が欠けていたかもしれない。
 (4) Twitter上で不快感を示した読者には、強い〈私〉が感じられる。自分は言葉という虚構を積極的に利用する立場に立つので、もうそんな強い〈私〉を得ることはないだろう。
 同じ『短歌研究』11月号の短歌時評で江田浩司が加藤の文章に触れ、「作中人物の死が虚構であるかどうかは、現実のレベルの問題であって、テクストの価値のレベルではない。テクストの評価は、あくまでも表現のリアリティに基づいてなされるべきものでなくてはならない」と述べて、石井を擁護する立場を取っている。
 これらと前後して次のような短歌誌でこの問題が論じられた。
 『現代短歌』11月号(10月14日発売)の歌壇時評に石川美南が「虚構の議論、なのか」と題した文章を寄せて、9月19日の授賞式には石井の両親と祖母も出席していたことを明かしている。「死んだはずの父」が目撃されたわけである。石川はあくまで想像だがと断った上で、「石井の中には、父子関係に対するオプセッションが存在する。現実に目の当たりにした祖父と父との関係を自分のものとして描くことで、何十年後かに繰り返されるかもしれない父との別れを生々しく想像し、父子関係を新たな角度から見つめ直そうとしたのではないか」と、加藤が不明とした石井の虚構の動機を推測している。
 次に『角川短歌』11月号(10月25日発売)の歌壇時評で、黒瀬珂瀾が「とてつもなき嘘を詠むべし?」という文章を書いている。黒瀬は主に選考会でなされた作品の読みを俎上に上げ、自分は石井の受賞作の最初に登場する「老人」とその後登場する死んだ父は同一人物ではないという読みをしたことを紹介し、選考委員が全員「老人」=「父」という読みをしたのは、受容者(この場合は選考委員)が理想とする作品の形がバイアスとなって働いたからではないかと推測している。黒瀬の論考は多岐にわたるのでとても要約できないが、「『虚構問題』は短歌界が前近代的だから生じるのではない。短歌という定型詩型がその特質として『虚構問題』を内包していると時評子は考える」と述べているのが印象の残る。
 次に『Es 風葬の谷』28号(11月30日発行)で山田消児が「父は生きていた 新人賞選考会の憂鬱」という長い文章を書いている。山田には『短歌が人を騙すとき』という著書がある。山田は加藤の寄稿した文章に疑問を抱き、石井の受賞作には言葉遣いなどの点で欠点が多々あることを指摘した上で、作者の側から見れば、みずからの短歌観に従って自由に歌を作ればよい(従って石井の虚構に非難すべき点はない)し、読者の側から見れば、作風や短歌観の異なるさまざまな書き手の存在を念頭においた柔軟な読みが必要だ(従って選考委員たちは特定に読みに囚われすぎた)と述べている。
 この虚構問題は『短歌研究』12月号(11月21日発売)のこの一年を振り返る座談会でも話題になっている。その中で選考委員の一人だった栗木京子は、加藤が「虚構の議論へ」に書いたことにほぼ同感で、もし祖父より父の死にしたほうが作品にインパクトが出ると石井が考えたのだとしたら嫌だと述べている。栗木は作為に拒否感を呈しているのだ。もう一人の選考委員の穂村は、加藤の文章は短歌史に詳しくない人にはわからないだろうと断った上で、近代以降の「わたくし」性を軸にした文体は事実性とセットになっていて、前衛短歌が行なった「わたくし」の拡張は文体の革命とセットになっていたと加藤の発言の意図を解説している。
 次に『短歌研究』1月号の短歌時評で江田浩司が虚構問題に部分的に触れて、小説を書き翻訳を業としている人から、「短歌の世界はそんなに遅れているのか」という手紙をもらったことを紹介している。江田は11月号の時評でも述べていた「創作者とテクストの関係を二次的なものとして、基本的には表現(テクスト)のみを重視する立場」を再び強調する。江田の念頭にあるのはフォルマリズムやロラン・バルト(作者の死)など西洋の文学動向である。
 私が実際に読んだだけでもこれだけの文章で石井の虚構問題が取り上げられている。私が見ていない短歌誌や新聞やネットでは、これに倍する量の言説が見つかるだろう。(光森裕樹が運営するtankafulでいくつか読むことができる) 上に手短に紹介したように、否定から共感まで論調はさまざまだが、私はこの問題をめぐってあまり触れられていない点を取り上げてみたい。それは短詩型文学としての短歌が深いところに持つ特質である。この点については、『角川短歌』12月号の黒瀬珂瀾による時評「物語と人間」に引用された歌が役に立つ。
 青年死して七月かがやけり軍靴の中の汝が運動靴
 多くの人と同じように私は岡野弘彦の文章でこの歌を知り、手帖に書き留めて愛唱している。昭和56年、内ゲバによって國學院大學学生の高橋秀直が殺害された後、大学構内の立て看板に大書してあった歌だという。岡野は詠み人知らずと紹介している。そしてこれまた多くの人と同じように、私も鈴木英子の文章でこの歌の作者が当時國學院大學短歌研究会に所属していた安藤正という人だと知った。23年後に明かされた真実である。作者名が明かされたことは、この歌の価値を増しもせず減じることもない。
 この歌が昭和の名歌として人々の記憶に刻まれたのは、初句「青年」四音の生み出す欠落感、七月の陽光の眩しさと青年の死の暗さの対比、軍靴の重々しさと運動靴のあまりの軽さ・未熟さの対比といった作歌上の美点もさることながら、理不尽な暴力によって青年が亡くなるという悲劇を誰かが痛切に悼み、その現場に置かれた歌であるという「状況」と「物語」に支えられているからである。いや「支えられている」という受動的表現は適切ではない。黒瀬も時評で正しく指摘しているように、時の流れとともに人々の記憶から薄れたであろう「状況」を永遠化し、人々が語り継ぐ「物語」を生み出したのはこの歌である。その点にこそこの歌の価値がある。
 短歌はその短さによる制約から、小説のように空想に基づくひとつの世界を構築することができない。勢いテクストとしての自立性は弱くなる。これが、古くは韻文詩を、近代になってからは小説を文学の典型としてきた西洋と異なる点である。だから西洋の文学理論をそのまま持って来て短歌や俳句に適用するのは適切ではない。テクストの自立と言っても、西欧の小説と日本の短歌とは意味作用が異なる。どこから意味を生み出すかという機序が違うのだ。それは次のような事情による。
 短歌は人の死のような大きな事件によって召喚される。そのとき歌人は現実の状況という外部と短歌とを結びつける仲介者となる。心霊術の霊媒 (medium)とはもともと「媒介するもの」という意味で、メディア (media)の類語である(mediaはmediumの複数形)。つまり「この世」と「あの世」を橋渡しする役目に他ならない。歌人も同様に現実の状況と歌が開く文学空間とを媒介する通路となる。
 短歌が現実の状況によって召喚されることは、挽歌の例を見れば明らかである。私は昭和天皇崩御の時、フランスで暮らしていたので、その場に立ちあうことができなかったが、テレビ局に歌人が呼ばれて崩御を悼む挽歌を披露したと聞く。このたびの大震災と津波被害の後で多くの短歌が作られたのも同じ機序による。
 問題は短歌の表現が状況を永遠化し物語として結晶化するまでの強度に達しているかどうかである。もちろん人の死だけが歌を召喚するわけではない。「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ」(小野茂樹)によって永遠化されているのは青春であり恋である。私たちはこの歌が立ち上げた物語によって「青春」をイメージする。青春があるから歌が生まれるのではなく、歌が残るために私たちは青春を共同主観的に理解するのである。言葉の意味とは過去の物語から滲み出るイメージの複合体に他ならない。
 こう考えて来ると、石井が祖父の死を父の死に置き換えた虚構はたいした問題には見えなくなる。石井の身にもある状況が訪れたからである。したがって問うべきは、石井の歌にその状況を永遠化し物語を生むだけの表現の強度があったか否かである。選考委員が受賞作に推したということは、選考委員の心に届く程度の強度はあったことになる。しかし、祖父の死を父の死に置き換えた虚構という非難を押さえ込むレベルに達していたかと言うと、残念ながらそうは言えないのである。短歌を始めて一年足らずという青年にそこまで求めるのは酷というものだろう。
 石井が論争の渦中の人となったことにめげることなく、今後も前向きに短歌を作ってもらいたいと願わずにはいられない。石井のしたことが正当な文学的行為であったか否かは、石井が今後どのような短歌を作ってゆくかによって判断されるからである。

第156回 三島麻亜子『水庭』

目覚むればこの世の果てより曳ききたる光はよわく落花にのこる
                     三島麻亜子『水庭』
 これは何度も書いたことだが、短歌との理想的な出会いは、ある日ふらっと立ち寄った書店で偶然手に取った歌集、あるいは、一面識もない著者からある日届いた献本の歌集、それをぱらぱらとめくって歌に出会う、そういうことだと思う。三島麻亜子の『水庭』は後者で、一読して深く印象に残った。
 短いあとがきによると、三島は「短歌人」会に所属して11年になるという。『水庭』は第一歌集である。「みづには」と読み、著者の造語らしい。佐藤弓生、奥田亡羊、斎藤典子が栞文を寄せているが、いずれもどこか書きあぐねているような風情が漂う。三島の歌の資質が奈辺にあるのかを見極めるのに難渋しているようにも見える。
 その鍵はあとがきに見える著者の次の言葉にあると思う。「創作においては、つねに認識の範囲の外に対する沈黙と、形而上の世界を言葉に表現するという相反する作業のあいだで、(中略)多くの壁に突き当たってきたような気がします」。「認識の範囲の外に対する沈黙」とはまるで、「語ることができぬものについては沈黙しなくてはならない」というウィットゲンシュタインの言葉を彷彿とさせる。私たちは語ることができるものについてしか語ることができないのである。しかし三島はそれを超えて「形而上の世界」、すなわち通常の言葉が届かない世界を表現しようとする。こういうことではなかろうか。
 ここで改めて掲出歌を見てみよう。朝の目覚めの光景である。覚醒の直後だから庭の風景ではなく、室内に活けてあった花が床に散っているのだろう。そこに窓から差し込む朝日が当たっている。「この世の果てより曳ききたる光」とはただの太陽光ではあるまい。太陽は地球から約1億5千万キロメートル離れているが、天文学の世界ではこの世の果てではなくすぐそこである。落花に実際に当たっているのは太陽光という形而下の光なのだが、それを見た作者にはまるでこの世の果ての形而上の世界から差し込む光のように感じられたということだろう。
 栞文でこのあたりを捉えているのが奥田で、奥田は本歌集を一読して陶然とした気分になり、「批評文めいた感じで客観的に論じたり」したら、「何か大切なものを置き忘れて行ってしまいそうな気がする」と述べ、三島の歌を読むと、「詩が完結して」「しずかな余韻だけを手渡されるような思いがする」と続けている。確かに、語ることができぬものについては沈黙しなくてはならないのだが、語ることができぬものを指し示すことはできる。三島の歌の指し示す指先が一首の余韻として残るのだろう。
腐葉土のうへに今年の葉の落ちてかぐろきものとなるを待ちをり
蘭展より帰りこしひと夕映えのしづけきもだをわれに向けたり
ひと房の巨峰は卓に残されて近景だけがはや暮れかかる
鳥影はわが右頬をかすめつつ山のなだりにまぎれゆきたり
春の雨、音なく降ればわが傘の青褐あおかちのいろ深みゆくなり
   一首目、庭の腐葉土の上に落葉が堆積している。それが目に映じた光景、すなわち形而下の世界である。しかし作者の指先が指すのは、やがてそれが「かぐろきもの」と変じる時間である。二首目、蘭の展示会から帰って来た人が、夕映えの静けさのような沈黙を私に向けるという歌であるが、「蘭展」から連想される豪奢さや華やぎと夕映えの静けさとの対比から起ち上がる何かが一首の眼目である。この「何か」を名指すことはできない。名指すとそれは形而下のものとなるからである。三首目、夕暮れのテーブルに巨峰が置かれている。家の外はまだ残照が残るが、テーブルの付近はすでに夕闇に包まれるという光景が描かれている。描かれているのはそこまでだが、それだけで語り尽くすことができないものが歌に含まれている。四首目、頬をかすめる鳥影が現実の鳥のものなのかそれとも幻想の鳥なのかも定かではない。鳥影が後に残す何かの予感のようなものが後に残る。五首目、春の柔らかい雨で傘の青褐あをかちがいっそう深みを増したという歌である。手許にある『色の手帖』によれば、青褐は正倉院文書や延喜式にもある色の古名で、青みの強い藍色だという。傘の色としてはずいぶん粋な色である。
 引用歌を見てわかるように、三島の歌は「叙景を述べて叙情に到る」という古典和歌の作法ではなく、「〈問〉と〈答〉の合わせ鏡」(永田和宏)という近代短歌の骨法とも異なる造りによる。心情を述べるのが眼目の歌ではないので、歌のどこを味わえばよいのか迷う人もいるだろう。味わうべきは奥田の言う「余韻」、つまり一読の後に残る名付けることのできないものであり、表現しようとしてされずに残った形而上の世界である。
 歌のなかに恋を思わせるものもある。
茄子紺をほこる古布展まだなにか始められるとしたら方恋
晩秋の雨は寂しと君に打つメールはわづか相聞めきて
ひとおもふゆゑの憎しみ緩やかに糸はボビンに巻かれはじめる
引き寄せてしまひし人を放つときこの冬の雪はつか狂ひぬ
 しかしこれも現実の恋というよりは、三島の目指す形而上の詩の世界へと辿り着くための方略のようにも見え、そこに新古今和歌集との親近性を感じる。そういえば本歌集の構成は、秋の歌に始まり四季を経て秋の歌で終わるという、季節の移ろいに基づく循環的世界観で統一されている。
 歌人の中には上句が上手な人と下句が上手な人がいるようで、たとえば大塚寅彦の歌を読んで舌を巻くのは下句の巧さである。その伝で言えば三島は圧倒的に上句が上手い。
薔薇園は濃き体臭を吐きやまずこれまでのことこれからのこと
夜の気に冷やされてゆく香壺あり何に引き替へたる残年
 下句はなくてもよいようなもので、ここから三島の歌には俳句的な骨格が潜んでいると奥田は述べている。そうかもしれない。ついでながら私が感じるのは、おそらく三島は源氏物語に深く傾倒している人だろうということで、読んでいて随所にそれを感じた。
ゆずの花、咲いてゐるよと君呼べばそのたまゆらをにほふ柚の花
ブラウスは弱き日差しを集めゐてダム湖官舎の早陰る庭
ファックスのインクをやうやく補へば未完の過去をふるへつつ吐く
 一首目は本歌集屈指の美しい歌である。漂う柚子の花の香りはもちろん現実のものではなく、「咲いているよ」という言葉によって現出したものである。二首目、庭が早く陰るのは、山に囲まれたダムのほとりに家があるからで、おそらく官舎には若い妻が夫と暮らしているのだろう。三首目は「未完の過去」という捉え方がおもしろい。ファックスはすでに届いているのだから過去に属するが、いまだ全貌を表していないという意味で未完である。そこに一瞬頭がくらっとするような時間のずれがあり、それが作者の指し示したいものなのだろう。
 沈黙に耳を傾ける人に捧げられた歌集である。

第155回 大松達知『ゆりかごのうた』

風のなき夜の十字架のもとにしてわがみどりごは生まれたりけり
                大松達知『ゆりかごのうた』
 初めて授かった子供の誕生を詠んだ歌である。分娩室に十字架があるのはキリスト教系の病院だからなのだが、「わがみどりご」という語彙からどうしてもベツレヘムの馬小屋でのキリストの誕生を連想せずにはおかない。「風のなき夜」なので、きっと空には星も輝いていることだろう。礼拝する博士はおらずとも、作者は新しい生命が誕生する神秘に打たれているのである。それが茂吉由来の「たりけり」という詠み収めとあいまって、静かに喜びを噛みしめるような力強い歌となっている。
 『ゆりかごのうた』は大松の第四歌集。作者の不惑前後の歌を収録しており、第19回若山牧水賞の受賞が決定している。『ゆりかごのうた』という歌集題名からわかるように、子供の誕生をめぐる歌が中核をなす歌集である。
 かつて『短歌ヴァーサス』5号(2004年)の新鋭歌人特集で大松を担当した小池光は「ざぶとん在庫なし」と書いた。誰かがうまいことを言ったときに「ざぶとん一枚」とやるあれのことだが、大松の短歌が一首で勝負を賭けていて、ぴたりと決まったときには思わず「ざぶとん一枚」と言いたくなり、歌集の終わり頃にはもうざぶとんの在庫がなくなるほどだという意味である。一見邪道とも見えるこのような短歌の読み方は、案外正統的な読み方なのだと小池は続けている。一首で決まるということは、一首で意味が完結し、かつ読者が「そうそう」と得心する内容を含んでいるということで、決してたやすいことではない。また一首で決まるということは、意味の支えとしての外部を必要としないということであり、基本的に連作には向かないということでもある。
〈終〉の字がせり出して来る小津映画〈冬〉の最後の点が上向き
われに入りて酒でなくなる酒たちの今際のこゑをつつしみて受ける
左手にはおん、右手にはじきありて拍手は顔の筋肉でする
クリーニング師免許証見ゆこの人の本籍地佐賀、おれより若い
〈短歌の人〉といへる括りがわが家にはありてもろもろがすんなり通る
 一首で決まる歌を挙げてみた。一首目、映画のエンドマークの「終」の文字の旁の「冬」の下の点が上向きにはねているという、どうでもよいような観察を歌にしたものだが、確かになるほどと思う。短歌はこのような小さなことを掬い上げるのに適した形式で、この歌も「ただごと歌」の系譜に連なるものだろう。二首目、作者がこよなく愛するのは仕事から帰宅しての晩酌で、この意味でも若山牧水賞はぴったりかもしれない。この歌のポイントは「われに入りて酒でなくなる酒たち」で、確かにアルコールは体内で分解されて、アセトアルデヒドを経て排出される。酒による私の変化ではなく、私に入ってからの酒の変化に着目したところがおもしろい。三首目は野球観戦の歌。左手にビールのコップを持ち、右手にはホットドッグか何かを掴んでいるのだろう。両手がふさがって拍手ができないというのもよくある状況である。私はこの歌を読んで、アヌイの戯曲『オンディーヌ』の「右手めてに忘却、左手ゆんでに虚無」という名台詞を思い出したが、これは考えすぎか。四首目、洗濯物を出しているクリーニング店の店主が自分よりも若いことに驚いている。本籍地佐賀はおまけだ。伊丹十三だったか、街で出会う警官が自分より若いことに気づいたときに自分の老化を意識すると言っていたが、不惑を迎えた作者ももう若くないと自覚しているのである。五首目は読んで思わず笑ってしまった。実はわが家も同じで、知らない人から葉書や手紙が来て家人が「この人誰?」とたずねたとき、「短歌の人」と答えるとそれで得心するのである。
 もうひとつ他に得がたい大松の歌の特色は何と言ってもユーモアだろう。
死んでのち鮮度うんぬんされてをり食はれちまった鰺は聞かずも
なにゆゑに妻の引きたる〈夕化粧〉ぬばたまの辞書の履歴に残る
あるときに一喝されてそれ以来大きい肉を妻に与へる
空砲なのか実弾なのか匂ひすればムツキを開ける斥候われは
 いずれも説明不要で意味明快、かつにやりとしたくなる歌である。電子辞書の履歴に「夕化粧」が残っていたら、確かにコワい。ユーモアは単なるおどけとは違って、冷静な自己観察と自己の相対化を必要とする。私が大松の歌を読んで最も強く感じるのは、自分を突き放して冷静に観察するこの自己相対化である。それがよく発揮されているのは、この歌集の中核をなす子供の誕生の歌だろう。誰でも待望の子が生まれれば嬉しい。大松も天にも昇るがごとく喜んでいるのだが、同時にそのような自分を観察していて、それが歌をほほえましいものにしている。
〈ホルモンの乗り物〉として在るのみの今宵の妻に雁擬をひとつ
くらぐらとああぐらぐらとわが子なりトゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子を抱く
五年目のカメの甲より大き顔もちて生れたるわが娘はも
太陽ソレイユと名前を付けるバカ親のバカのこころをいまはうべなう
お父さんのくつした臭い、なんてまだ言わない口をミルクで塞ぐ
孕めよと祈り生まれよとも祈り育てよともまた祈るなりけり
「ざぶとん一枚」系とユーモアのただごと歌系が多い歌集だが、短歌本来の叙情歌もあり、それらもまたよい。
はつなつの栞のやうにそつと来てわれを照らせり夜のカマスは
ゆふやみが濃闇となりてゆくころをあやめの立てり左打席に
みづいろの付箋を貼つてさざなみのやうに明日へとわたしを送る
ひとつひとつの卵に日付けシールあり孵るべき日にあらぬ日付なり
春の日のトンネル過ぎて振り返る吾子にもすでにすぎゆきのあり
 二首目は野球観戦の歌で、「あやめ」とは女優の剛力彩芽に似ていると評判の日本ハムファイータズ所属の谷口雄也選手のこと。最後の歌はとりわけ心に響く。子供の誕生から一年が経過した頃の歌である。トンネルが時間の喩であることは言うまでもない。

第154回 松村正直『午前3時を過ぎて』

生きている者らに汗は流れつつ静かな石の前に集うも
           松村正直『午前3時を過ぎて』
 「生きている者」とわざわざ言うことにより、その背後に「死んだ者」の存在が浮かび上がる。ここに言葉の不思議があると私は深く思う。生きているから真夏の炎天下に集う人々に汗が流れる。死者は汗をかかない。「静かな石」も不思議な表現で、石は声を出したり音をたてないので本来静かである。それをわざわざ「静かな石」と置くことにより、普通の石よりもさらに静けさをまとう特別な石であることがわかる。もちろんこれは墓石を指す。この一首に込められているのは死への思いである。私はこの歌集から死への思いを強く感じ取った。
 『午前3時を過ぎて』(2014年)は、『駅へ』(2001年)、『やさしい鮫』(2006年) に続く松村の第三歌集で、第一回佐藤佐太郎短歌賞を受賞することが決まったそうである。評論集『短歌は記憶する』で第9回日本歌人クラブ評論賞も受賞している。大所帯の結社『塔』の編集長を務め、短歌実作・評論の両方で活躍しており、油の乗った年齢に差しかかっていると言えるだろう。
 短歌は文体である。その点から言えば、松村は第一歌集『駅へ』、第二歌集『やさしい鮫』から今回の第三歌集『午前3時を過ぎて』へと到る過程で大きく変化した。
温かな缶コーヒーも飲み終えてしまえば一度きりの関係 『駅へ』
波音に眠れないのだ街灯が照らす私も私の影も
ああ君の手はこんなに小さくてしゃけが二つとおかかが三つ

地上なるわれとわが子のさびしさを点景としてカラス飛びゆく
                   『やさしい鮫』
明るすぎる蛍光灯に照らされてわが肉体は影を持たざり
踊り場の窓にしばらく感情を乾かしてよりくだりはじめつ
 一所不住のフリーター生活をして日本全国を旅していた『駅へ』の時代には、口語が中心で短歌的修辞も希薄だったが、第二歌集では文語が基本となり、叙景と叙情とが一首の中に案分して配され、清潔で端正な短歌的文体へと変化している。第三歌集もその延長上にあるのだが、松村の個性がよりはっきりとして来たように感じられる。その第一は、感情の起伏がある揺れ幅を決して超えないこと、その第二は、日常のなにげない経験をただ表面的に描くのではなく、その内奥へと柔らかに入り込む心の動きである。
右端より一人おいてと記されし一人のことをしばし思うも
最後尾と書かれし札を持つ人を目指して行けば後退りゆく
ありふれた老女となりて演壇を降りたるのちは小さかりけり
抜きながらさらに外から抜かれたる自転車あわれ順位を変えず
ひっそりと長く湯浴みをしていたり同窓会より戻りて妻は
 いずれの歌においても詠まれているのは日常の些事であり、大事件はまったく登場しない。淡々と詠まれていて、身を捩るような悲しみも、火を噴くような怒りもない。何も感じていないわけではないのだが、感情の振れ幅がある一定の限度を超えないのである。またこれらの歌では特別な修辞や比喩が用いられているわけではなく、平易な単語と統辞を使いながらも歌のポイントがはっきりしている。
 一首目は集合写真に写っている人の説明に、右端より一人おいて3番目の人というくだりを読んで、一人飛ばされた人に思いを馳せている。飛ばされた人にも人生があり、得意な瞬間もあったのだろう。二首目では、何の行列か、最後尾に付こうと歩を進めるも、次々と人が並ぶため最後尾の札にたどり着けない。人生の比喩のようにも読める歌だが、作者の意図はおそらくそこにはないのだろう。三首目では、演壇で講演していた人が演壇を降りると、どこにでもいる小柄な老女になっていた。思わず「あるある」と言いたくなるが、心理学では威光暗示という。TVでよく見る有名人に実際に会ってみると思ったより背が低いと感じるあれである。四首目、競輪の情景か、前の選手を抜いて順位を上げたと思ったら、他の選手に抜かれてしまう。作者はそこに何かを感じているのだが、そこから転じて自分の感慨を述べることなく終わっている。五首目、長く風呂に浸かっている妻は、おそらく久し振りに同窓会に出席し、身に浴びた何かを洗い流しているのだろう。いずれの歌にも余計な説明がなく、作者の心情の吐露もない。一見淡々と経験を詠んでいるのだが、そのどこが作者の心の琴線に触れたかがよくわかる作りになっている。
 80年代は「修辞ルネサンス」(加藤治郎)と言われるくらい、いわゆるニューウエーヴ短歌を中心に修辞に工夫が凝らされた。修辞は言語の表現面であり、言語記号の表現面(シニフィアン)に注目が集まったのである。しかし時は流れ、現在の若手歌人は「一周まわった修辞のリアリティ」(穂村弘)へと雪崩を打ったように移行し、修辞は希薄になった。すでに述べたように松村の短歌にも特別な修辞や比喩は見られないので、現代の若手歌人の潮流の一角をなすように見えるかもしれないが、その見方は少しちがう。現代の若手歌人のフラットな文体は、いわば「宴の後」のフラットさだが、松村は宴を経験せず独自に今の文体に到達しているからである。同じような修辞の武装解除に見えても、歌の手触りがちがう。より正確に言うと、松村に修辞がないわけではないのだが、修辞の跡が見えないのだ。
古畳積みあげられて捨てられるまで数日を庭先にあり
橋の上にすれ違うときなにゆえに美しきか人のかたちは
空ビンの底に明るき陽はさして大型船の沈みいる見ゆ
明るくて降る天気雨 人生の曲がり角にはたばこ屋がある
店員にやさしく服を脱がされて少年となる春のマネキン
 一首目は小池光の歌集にあってもおかしくない歌だが、廃棄を待つ古畳が庭先に積まれているというだけの情景を詠っている。句跨りと「数日を」の助詞が効いている。二首目、橋は松村にとってキーワードとなるアイテムのようだが、確かに浮世絵版画などでも橋を行く人を描いたものが多い。絵になるのだろう。三首目は荒井由美の往年の歌を思い出させる。窓辺に置かれたボトルシップを詠んだものとも、空きビンを見ての想像ととってもよい。四首目はいささか雰囲気の異なる歌で、「人生の曲がり角にはたばこ屋がある」が箴言のように響く。五首目、服を脱がされて初めて少年になるという発見と、季節を春にしたのが効果的だ。
墓地に咲く花は何ゆえにこんなにもきれいでしょうか人もおらぬに
生前に続く時間を死後と呼ぶ咲ききわまりて動けぬ桜
てのひらに包むりんごの皮を剥く遠からず来る眠りのために
店の壁にかかる手形の朱の色を付けし右手はこの世にあらず
ベランダに鳴く秋の虫 夫婦とは互いに互いの喪主であること
薄日さす葉桜の道 死ののちに生前という時間はあって
ゆびさきに石の凹みは触れながらやがて読めなくなる文字たちよ
 死への思いを詠んだ歌を引いてみた。二首目と六首目は歌集のなかではずいぶん離れているが、こう並べてみると対をなす。「生前」という言葉は、誰かが死んで初めて使われる言葉である。「死後」も同様だ。ここに引いた歌のように直接に死を詠んでいない他の歌にも、静かな死への思いが流れているように私は感じた。
抱かれて五条の橋を渡りくる赤子と遭えり日の暮れるころ
「この道は八幡社には行きません」遠くラジオの演歌ながれて
入ってはいけない森へ入りゆくわれを探して呼ぶ兄のこえ
ゆるやかに左へ逸れてゆく道はどこへ行く道か地図にはあらず
 第一歌集『駅へ』に収録された「あなたとは遠くの場所を指す言葉ゆうぐれ赤い鳥居を渡る」「自転車が魚のように流れると町は不思議なゆうやみでした」という歌が私は特に好きで、すぐに覚えてしまったのだが、松村の歌にはときどきこのように不思議な異界を感じさせるものがあって、それがとてもよいと思っている。『午前3時を過ぎて』にも上に引いたような歌があり、ここにも橋と鳥居のある神社が登場している。一首目は京都の五条大橋の情景で、何の変哲もない日常的情景ながら、五条の魔力のせいかどこか怪しい雰囲気が漂う。
 本歌集が第一回佐藤佐太郎短歌賞を受賞することになったのは当然だろう。作者壮年の充実した歌集である。

第153回 齋藤芳生『湖水の南』

大鳥よその美しき帆翔を見上げずに人は汚泥を運ぶ
               齋藤芳生『湖水の南』
 平成19年に角川短歌賞を受賞し、第一歌集『桃花水を待つ』で日本歌人クラブ新人賞を受賞した齋藤芳生さいとう よしきの第二歌集が出た。
 この歌集ほど日付が重い意味を持つ歌集はなかろう。齋藤の故郷は福島県であり、この歌集は東日本大震災を挟んで、その前と後に作られた歌を収録しているからである。東日本大震災の津波による被害と、福島第一原子力発電所の事故による放射線被害によって、福島の人々の生活は根底から覆された。私たち遠方に住む者はこの事件の推移をTV報道によって知るしかなかったが、大学で数年間原子核工学科に籍を置いていた私は、一般の人よりも少しだけ原子力発電所について知識がある。東京電力と原子力安全・保安院のスポークスマンが、一貫して事故 (accident)ではなく事象 (incident)という用語を使って出来事を矮小化しようとしたことに、私は今でも憤りを禁じ得ない。冷却水の供給が絶たれた時点で、炉心溶融が始まっていたことはわかっていたはずだ。
 大事件は人を変える。第一歌集『桃花水を待つ』と今回の『湖水の南』を読み比べると、そのトーンの違い、なかんずく歌の深度の違いに驚かされる。齋藤は3年間中東のアブダビに日本語教師として赴任し、第一歌集はその折りの体験が核になっている。気候風土も言語も宗教も異なる土地に暮らした体験が歌の素材だが、作者は現地ではあくまでよそ者であり、物事を見る視点が内部にまで食い込むことはなく、外からの視点に留まる。海外詠の大きな問題はそこにある。『湖水の南』に収録された震災前の歌にも、依然としてそのようなことが濃厚に感じられる。
砂と風に耐えるテントに一塊の肉切り分けて家族はありき
黒衣には香を焚くべしおとこには沈黙すべし アラブの女
髭の濃きアラブの男たちの着る白き衣に日は照り返す
描かれし風のようなるアラビアの文字を見る金色の砂の上
夢に手を伸べるさみどりふるさとの音たてぬ雨よき香りして
ふるさとのやわらかき水に手を洗い香り豊けき桃を剥くべし
チョコレートの銀紙をもて鶴を折る指先より日本人に戻る
 最初の4首は2010年5月、残りの3首は5月2010年夏とあり、いずれも震災前に作られた歌である。風と砂の土地から日本に戻ったときの身体的落差は大きく、作者は故郷の豊かな緑と水に癒されている。「やわらかき水」は比喩ではなく、海外生活を経験した人はわかると思うが、日本の水はほんとうに手に柔らかい。しかしこのような美しく懐かしい故郷はあの日を境に一変するのである。
引っ越しするわけにはゆかぬ人あまた「汚染地域」の土けずるなり
紙飛行機のような軽さに燕落つふるさとの窓すべて閉ざされ
茫然と我は見るのみ墓石はすべて倒れて空を映せり
除染のためにつるつるになりし幹をもて桃は花咲く枝を伸ばせり
慟哭は慟哭としてふるさとの雨に解かるる草木の種子
木々の根が掴みて離さざる土の確かさに春の虫眠りおり
かなしみのように糖度は増してゆく桃の畠に陽の傾ぐとき
 このようなことを書くのは酷なことで気が引けるのだが、震災前の歌に見られる、故郷においてもうっすらと漂うよそ者感が一掃され、それまでの外の視点は内からの視点に変換されて、齋藤は紛れもない当事者と化している。それと同時に歌の深度が増している。心も体も出来事の内部に入り込んだからである。そのような歌の変化を目の当たりにするのは驚きであり、また同時に哀しみでもある。上に引いた歌からは、汚染地域とされてしまった故郷に暮らす人たちの労苦と悲嘆が伝わってくるが、特に二首目の「紙飛行機のような軽さに燕落つ」に、一瞬にして故郷の姿が変わってしまった衝撃が表現されており、また六首目の「木々の根が掴みて離さざる土」には、海外詠には欠けていた出来事の内側へと食い込み止まない視線があり、すごみを感じる。
 もうひとつ大きな変化がある。第一歌集『桃花水を待つ』には、いまだ人生の目標が見えない作者の自分探しという雰囲気が濃厚に漂っていた。
店頭に並ぶブーツは職業を捨てたの我の背中に尖る 『桃花水を待つ』
海ではなく大都市に流れ着くこのどうしようもなき両手を洗う
埃まみれで撤去されない自転車のように商店街に我のみ
アブダビより持ち帰り来し砂の壜ことりと光らせて家を出る
 この点においても大事件は作者を変えたのである。歌集表紙裏には「祖父たちへ。祖母たちへ。」という献辞があり、湖水の南に暮らした祖父母を詠んだ歌が歌集の中で大きな比重を占めている。
ガラスケースの中に軍用手票あり祖父おおちちの指の跡見えねども
祖父おおちちの記憶は両の腕にあり月の照る猪苗代湖を泳ぐ
ハイカラな祖母なりきああ、数百のハイヒール履かぬまま土蔵くらに積み
祖父おおちちを思えば瞼震うなり猪苗代湖に雷様らいさまが来る
祖父のつくりし幼稚園今日閉じられてペンキの剥げし遊具を運ぶ
大地震に屋根崩されし土蔵より祖父の帽子も転がり出たり
祖父おおちちに会いたし夏の農道に逃げ水浮かび近づけば消ゆ
 『桃花水を待つ』の評の中で私はかつて次のように書いた。
「自己に不全感を抱いている人は何らかの方法で自己拡大を図る。それには大きく分けて二つの方法がある。地理と歴史である。空間軸と時間軸と言ってもよい。斎藤が選択したのは空間軸の方である。」
 アブダビへ赴任したのが空間軸における自分探しであったとしたら、大震災という事件は齋藤をしてもうひとつの方法である時間軸を選ばせたのである。そのことは「祖父たちへ。祖母たちへ。」という献辞が雄弁に物語っている。この歌集は湖水の南に暮らした眷属としての自覚を宣言したものなのだ。この作者の覚悟が本歌集に収録された歌の数々に、作り物では決して出すことのできない重さと力強さを与えている。それがこの歌集の意味である。
 東京の小さな出版社で働いていた時の動物図鑑をめぐる歌や、民族学者イザベラ・バードに想を得た歌などもおもしろく、歌集に多様性を与えているが、それも上に書いた意味には及ぶまい。最後に祈りのような一首を。
欅の芽空にほどきて大いなる神の指我のまなぶたに来る

第152回 服部真里子『行け広野へと』

光にも質量があり一輪車ゆっくりあなたの方へ倒れる
              服部真里子『行け広野へと』
 2012年に短歌研究新人賞次席に選ばれ、2013年に歌壇賞を受賞した服部真里子の第一歌集が出た。名門早稲田短歌会の俊英の待望の歌集である。ちょっとヨーロッパ中世の写本を思わせる瀟洒な装幀は名久井直子の手によるもの。名久井は錦見映理子の歌集『ガーデニア・ガーデン』の装幀も手がけた注目のデザイナーである。美しい本になっているのが嬉しい。栞文は伊藤一彦、栗木京子、黒瀬珂瀾。伊藤は歌壇賞の選考で服部を押した審査員、栗木は短歌研究新人賞の審査員、また黒瀬は服部が拠る「未来」の選歌欄の主である。ちなみに歌集題名の「広野」を私は一見して「ひろの」と読んだが、奥付を見ると「こうや」とルビが振ってあり「こうや」が正しい読みのようだ。
 歌集題名が命令形になっているのが最近では珍しい。過去には春日井建『行け帰ることなく』、武下奈々子『光をまとへ』、成瀬有『遊べ、桜の園』、佐佐木幸綱『直立せよ、一行の詩』などがあり、最近では松本典子『ひといろに染まれ』の例があるが、若い歌人の歌集題名にはあまり見られない。それはやはり今の若い人の心のありようを反映しているのだろう。命令形は力強く意志を表し、何よりもそれを投げかける相手がいる。命令形は相互行為としての言語の形態的発露なのである。
 さて、掲出歌だが上句の「光にも質量があり」が一般論で、「一輪車ゆっくりあなたの方へ倒れる」が個別の現象で、両者を並列的に接続する構造になっている。誰かが乗っている一輪車に横から光が当たっている。すると光の圧力を受けたかのように、一輪車が恋人であろうあなたの方へと倒れるのである。光に質量があるかどうかは実は難しい問題で、アインシュタインは光の質量はゼロだとした。しかし、光には運動量は存在する。だからわずかながら物体に作用を及ぼすことはできるのである。その微量の圧力を詠んだところがおもしろく、作者の知的な世界把握を感じさせる。光はこの歌集に何度も登場する語であり、作品世界を読み解くひとつのキーワードとなっている。
 若い歌人が歌を詠むとき最も重要な課題は、「言葉の斡旋によっていかに詩を立ち上げるか」だろう。そのとき用いられる技法は、日常言語の位相からは乖離した詩的圧縮と意味の飛躍である。しかしそれと並んで同じくらい重要な課題は、「いかにして世界の平板な見方から脱却するか」である。
 今、目の前に見えている現実だけが世界の姿ではない。歴史家が町を歩くとき、現代の町並みの向こう側に、江戸時代や平安時代の町の姿が重なって見えているだろう。地質学者が地形を観察するときには、何万年も前の地殻変動や火山の爆発を透視する。旅人は今日の夕食に魚を食べるとき、遙か遠いポルトガルのナザレの港で食べた魚を思い出すだろう。皮相な表面的現実を超える多元的・重層的視線が歌を豊かにし奥深いものにする。
 『行け広野へと』を一読して感じたのは、作者は歌を奥深いものにする何かをすでに会得しているということである。それは次のような歌に表れているように思う。
前髪に縦にはさみを入れるときはるかな針葉樹林の翳り
洗い髪しんと冷えゆくベランダで見えない星のことまで思う
蜂蜜はパンの起伏を流れゆき飼い主よりも疾く老いる犬
どの町にも海抜がありわたくしが選ばずに来たすべてのものよ
塩の柱となるべき我らおだやかな夏のひと日にすだちを絞る
 一首目、前髪を梳くために鋏を縦に入れると、髪と鋏は平行になり、縦方向の世界が前景化する。そこから北国の針葉樹林が想起され、作者はそこにはるかな視線を投げるのである。この「はるかな」という視線が歌に奥行きを与えている。それは大滝和子の名歌「観音の指の反りとひびき合いはるか東に魚選るわれら」と通じる視線である。二首目は説明不要で、「見えない星のことまで思う」という措辞がいささか単純ではあるが、遠すぎて見えない星もまた私たちが生きている世界の一部だという認識がある。三首目、蜂蜜とパンが並ぶと旧約聖書が思い浮かぶが、この歌の眼目は時間の流れである。蜂蜜が流れる短い時間と、犬が老いるそれよりも長い時間のスパンが等価に置かれている。四首目、どの町も海抜を持つように、どのような些細な事柄にも何かの意味がある。しかし私はどれかを選び、それ以外のものを選ばずに来た。作者の視線は選ばずに終わったものたちの上を漂う。このように服部は、見えるものより見えないものに、選んだものより選ばなかったものに眼差しを向けることで、平板になりがちな世界把握に奥行きと陰翳を与えている。五首目、塩の柱も旧訳聖書の逸話だが、ここではいつかは死すべきという意味だろう。生命に限りある私たちが夏のある日にすだちを絞っている。この情景に焦点化された「いま・ここ」の一回性が切ないほど胸に迫る歌だ。
 この歌集を一読して気がつくのは父が登場する歌の多さである。
昨日より老いたる父が流れゆく雲の動画を早送りする
窓ガラスうすき駅舎に降り立ちて父はしずかに喪章を外す
窓際で新書を開く人がみな父親のよう水鳥のよう
駅前に立っている父 大きめの水玉のような気持ちで傍へ
父よ 夢と気づいてなお続く夢に送電線がふるえる
木犀のひかる夕べよもういない父が私を鳥の名で呼ぶ
 母を詠んだ歌も数首はあるが、父の歌の方が多くこれで全部ではない。女性は一般に母親に同化し共感することが多く、娘にとって思春期以後の父親はたいてい煙たくて近寄りたくない存在である。しかし服部にとって父親はどうやらそうではないらしい。特に四首目は短歌研究新人賞の選考座談会でも評判のよかった歌で、加藤治郎は「今までの歌は、父親はもう敵で、どうしょうもない人間。こういう歌を読むと本当にほっとして」と述べ、佐佐木も「父親として読んで、いいなあ……と」と手放しである。「大きめの水玉」は父親キラーの修辞のようだ。
 付箋の付いた歌は多いが、その中からいくつか挙げておこう。
なにげなく掴んだ指に冷たくて手すりを夏の骨と思えり
雪は花に喩えられつつ降るものを花とは花のくずれる速度
いっしんに母は指番号をふる秋のもっともさびしき場所に
かなしみの絶えることなき冬の日にふつふつと花豆煮くずれる
うす紙に包まれたまま春は来るキンポウゲ科の蕊には小雨
日のひかり底まで差して傷ついた鱗ほどよく光をはじく
水という昏い広がり君のうちに息づく水に口づけている
金貨ほどの灯をのせているいつの日か君がなくしてしまうライター
   一首目、「夏の骨」というフレーズが印象的で、「なにげなく」がさりげなく上手い。二首目、「雪は」で始まるので雪の歌かと思えば、途中で転轍して花に焦点が移動する。花の命の儚さを「速度」で表しているのだろう。雪と花とが二重露光のように見える。三首目、「指番号」とは、ピアノやバイオリンの運指を表す記号のこと。「秋のもっともさびしき場所に」が、演奏する楽曲の箇所であると同時に心情も表している。四首目のポイントは花豆で、ベニバナインゲンのこと。名称に含まれた「花」が哀しみに明るさを付与している。五首目は「うす紙に包まれたまま」というフレーズが早春の雰囲気をよく表している。六首目の「傷ついた鱗ほどよく光をはじく」は実景描写とも比喩とも読めるが、伊藤一彦は栞文でこの歌を取り上げて、服部の短歌の特徴は明るさで、この明るさは今の時代には貴重だと述べている。七首目は相聞で、恋人の中に広がる水という暗がりに注目した歌。「水に口づけている」という表現が清新だ。八首目は「未来賞」を受賞した一連のうちの一首で、いつの日かなくしてしまうだろうという先取りされた喪失感と、今輝くライターの炎の対比が印象的である。
 批評を書くために何度も歌を読み返すと気づくが、歌集全体を通じての歌のレベルの高さと安定感が抜群である。おそらくは今年の収穫の一冊として記憶される歌集になるだろう。

第151回 鈴木英子『月光葬』

東京の水渡りゆくゆりかもめこの日も一生ひとよと墨いろに啼く
                   鈴木英子『月光葬』 
 作者の鈴木は東京都中央区の勝閧橋近くの下町に生まれ育っている。水路が縦横に通う地区であり、掲出歌の「東京の水」は住まいに近い運河の水である。ゆりかもめは又の名を都鳥といい冬の季語。「名にに負はばいざこととはむ」の在原業平と伊勢物語の影が背後に揺曳する。冬にはごくありふれた鳥である。ちなみに京都の賀茂川にも冬になると多くゆりかもめを見るが、琵琶湖をねぐらにしていて、朝になると比叡山を越えて通って来ると聞く。ゆりかもめはかもめの一種なので甲高い声で鳴く。それが作者には「この日も一生」とばかりに鳴いているように聞こえるのである。「この日も一生」とは、おそらく仏教の言葉「一日一生」から来ているのだろう。今日のこの日が一生の最後の日と思い大切に生きよという意味か、あるいは一生は一日一日の積み重ねからできているので一日を大切にせよという意味だと思われる。比叡山延暦寺の大阿闍梨で千日回峰行を二度も達成した酒井雄哉の本のタイトルが「一日一生」だった。しかしなぜ「墨色」か。そこには隅田川東岸の雅称の「墨東」が遠く揺曳していると思われる。生まれ育った風土に深く根ざした歌である。
 『月光葬』は作者第四歌集。歌集題名は集中の「殺されっぱなしが積まれどの道もイラクの夜の月光葬なり」から採られている。第三歌集『油月』が2005年刊行なので、9年ぶりの歌集である。一読しての印象は、はかない命に注ぐ暖かいまなざしと、それと相反する多くの死を見つめるまなざしが交錯する、目線低く「にんげん」を詠う歌集というものである。セレクション歌人『鈴木英子集』(邑書林)に解説を書いた藤原龍一郎が、鈴木のことを「人間愛の歌人」とすでに呼んでいるので、私の感想は後追いになるのだが、確かにそう呼ぶのがふさわしい。
 しかしそれ以上に本歌集に溢れているのは水のイメージである。すでに『油月』の巻頭で「水無月にかなしき水を湛えおり家族をつつむ東京の水」と詠んだ鈴木にとって、水は生命を育むものである。
ゆっくりとひろげれば蝶はいざなえり極彩色のみずのありかへ
大川にさくらが零すゆめのいろ水にはゆめを喰うものが棲む
ひとつ水にゆらりいのちを浮かばせて舟にいる一期一会の時間
五月には光がみずをふくらますわれも光の景を生きたし
悠々の川なれどかつて火を背負う人にあふれき東京の川
 人体の主成分は水であり、人間は胎内の羊水に浮かんで生まれる。上に引いた歌には水のさまざまなイメージがあるが、最後の歌の東京大空襲の記憶を除いて、水が生命を育むものであり憧憬の対象となっていることがわかるだろう。これが極まると次のような歌になる。
身に巡るみずを揺すらせ身をのばす次の世いかなるかたちのわれか
 ここで作者が幻視していのは水が繋ぐ生命の連鎖であり、狭い意味での今生きている〈私〉を超えるまなざしがある。
 水が流れていればそこには橋がある。水のほとりでの生活に橋は欠かせない。
橋をゆくこころはあやし みずの上をすすっと大きく滑れる気のする
どこへ行くにも橋を越えねばならぬからわたしはここで紡ぎ続ける
どこへ行くにも橋に彼岸に渡される 雨の日は雨の温度となりて
橋の上で手を合わせいる横顔のそのひとこそが亡きひとのよう
置かれたるまま少しずつ彼岸へといのちを移す橋上の花
 地元に留まる決意を述べた二首目は別にして、その他の歌にはどこか怪しい気配が漂っている。それは橋が此岸と彼岸を結ぶものであり、この世とあの世の境界が二重写しになるためである。四首目の橋の上で手を合わせる人がすでに彼岸に渡った人のようだということにも、また五首目で少しずつ萎れてゆく花を彼岸へと命を移すと表現していることにもそれが見てとれる。五首目は視覚的には、見るたびに花が少しずつ向こう岸に移動しているかのようでおもしろい。水と橋は、生があれば死があることの反照である。
 建築や都市論で使われる「地霊」(genius loci)という言葉がある。先ごろ惜しまれつつ亡くなった鈴木博之に『東京の地霊』という好著があるが、その土地の地政学的状態やら歴史的伝承やらか渾然一体となって形成する、その土地固有の「記憶」のごときものを指す。月島の近くに生まれ、結婚を機に転居するが、その後ふたたび佃に戻って来た鈴木にとって、水路の巡る東京の下町は離れることのできない地霊が呼ぶ土地なのである。転勤族の親を持ち、地霊と縁がない私のような人間には、実感することができずうらやましい気がする。もちろん土地のしがらみが負に転じることもあるのは承知の上である。
 鈴木が人間に注ぐまなざしの低さと柔らかさを示すのは次のような歌だろう。
ひとつひとつ苺に名前を与えたり生まれるはず生きているはずの子の
偏愛のあかしのように斑点を抱えるモザイク病のみどりよ
馬跳びの馬ちいさくておおきくて小学生も親も不揃い
影絵なるキツネひゅんひゅん幾匹も喜びあうようなり夏の手話
 生まれなかった子や亡くなった子の名前を苺に与えるという一首目、モザイク病の斑点を偏愛の証と見る二首目(まるで聖痕のようだ)、運動会の親子の不揃いを肯う三首目、耳の不自由な人たちの手話を影絵の狐に喩える四首目、いずれも生命をあるがまま肯定し慈しむまなざしに溢れている。
 ここに書くのは心苦しいが、このようなまなざしは鈴木の長女が自閉症の障碍児であることと無関係ではない。その子は桃の子と呼ばれている。
声が言葉にならざる桃の子六歳よゆっくりしずかにひらければよし
表現の濃い子淡い子 桃の子も母には見える心を持てり
身を預け眠る娘はじゅういちのからだにさんさいほどの脳置く
ひとりでは生きられない子を得てわれは命に執着する冬の母
人のいぬところに生きたし人の目の痛さを知らず娘といたし
 障碍児を持つ母親の心は想像を尽くしても手の届くものではないが、娘をありのままに慈しむ気持ちが感じられると同時に、五首目のひりひりするような感情もまた偽らぬ真実であろう。
   以下目に留まった歌を挙げてみよう。
十月とつきいし世を忘れざるあかしとてまなこにいまもいただく水色
 「十月いし世」とは母の胎内にいて生まれる前の時間のこと。生物学的にはすでに生命としてあるが、私たちの感覚としては生まれるまでは未生である。その時間の証が目の水色にあるとする美しい歌。
静物と描かれながら背きたくすみやかに林檎は身を腐すかな
 キャンバスに静物として描かれた自分に満足せず、背くために林檎が腐るというおもしろい歌。私は一種の自画像として読んだ。
紙折りてひらきて次元を行き来するこの指はきのう愛された指
 折り紙を折っているのだろう。「次元を行き来する」という表現がおもしろい。線は一次元、面は二次元、立体は三次元で、折り紙は平面から立体を作るので、二次元と三次元を行き来するということだろう。世界の壁をすり抜ける感覚と、昨日の性愛の記憶とが交錯している。
 こうして見ると、鈴木には単純な叙景の歌がない。どれもこれも「にんげんの歌」と言ってよい。私自身はボオドレエルの詩やジャン・ジュネの小説のように、汚穢を黄金へと転換する芸術の錬金術に最も心惹かれるので、鈴木にそのような志向が見られないことに少しく不満を覚えないではない。とはいえ「人間派」歌人として充実した一冊と言えるだろう。

第150回 資延英樹『リチェルカーレ』『NUTS』

右クリック、左ワトソン並び立つ影ぞ巻きつる二重螺旋に
              資延英樹『リチェルカーレ』 
 右クリックといえば、誰でもパソコンのマウス操作を思い浮かべるだろう。ところが「左ワトソン」と続くので肩すかしを食らう。作者はこの肩すかしをしてやったりと楽しんでいるのである。クリックとワトソンは1953年にDNAの二重螺旋構造を解明したことで有名な学者である。「並び立つ」とあるので、どこかに銅像が立っているのだろう。「影ぞ巻つる」にも「蔓」との懸詞があるのかもしれない。なにせ油断がならないのである。銅像に影が二重螺旋に巻き付いているなどということは現実には考えられないことだが、二人の科学上の業績を象徴しているのだろう。ちなみに1953年に科学雑誌Natureに投稿された二人の論文がわずか2ページだったことはよく知られている。真理は短かく語れるのだ。
 資延英樹(すけのぶ ひでき)が第一歌集『抒情装置』で短歌界に颯爽と登場したのは 2005年のことであった。私は当時この歌集を取り上げて批評を書いた。それ以来なりを潜めていた資延が2013年に『リチェルカーレ』と『NUTS』という歌集を2冊同時に上梓したのだが、あとがきを読んで驚愕した。作者は2010年に突然昏倒して病院に運ばれ、半月の間意識不明になったという。いったん退院するが再入院したところ「鍋から噴きこぼれる勢いで」歌が生まれたという。『リチェルカーレ』は病魔が襲うまでに「未来」誌上に発表した歌をまとめた歌集で、『NUTS』は病院で溢れ出た歌をまとめたもので、性格をまったく異にする2冊だという。
 まず『リチェルカーレ』だが、一読して驚くのはその文体の多様性である。そもそも資延は、岡井隆が千里カルチャーセンターで開いていた短歌講座で短歌を学んだのだが、古典和歌の偽作を作ってみたいという動機があったという。だから換骨奪胎とパスティーシュはお手の物なのである。
激しかる議論の二ツ三ツありてやうやうすぎゆく年とこそ思へ
くれゆくにまかするほかに道はなし花散る方のそらを見てゐし
夜をこめて滲み出だしたる珈琲の香ぞ聞こえくるあさのひととき
夏風邪と共に去りぬといへばこそ亡きひと恋ふれ宿の秋風
 一首目の「激しかる」「年とこそ思へ」、二首目の「花散る方」、三首目の「夜をこめて」、四首目の「宿の秋風」などはお馴染みの古典和歌の語法であり、短歌の随所に散りばめてある。おまけに「夏風邪と共に去りぬ」は、夏風邪と名画「風と共に去りぬ」を懸けてあり、機知の歌と言ってよいだろう。このような機知は随所に見てとれる。
秋の田のカリフォルニアの保弖留よりFAX一枚届きにけりな
花水木しげる青葉の下闇の境港を鬼太郎がゆく
アングルのせいゐとばかりは言へないさ彼のオダリスクの陰淡くして
ほかならぬ堅いお菓子ぞわが師にはおこしひとつも奉らむか
             (原文では「おこし」は漢字表記)
 一首目は言うまでもなく、百人一首巻頭歌の天智天皇の御製「秋の田のかりほのいほの」のパスティーシュで、イーグルスの名曲ホテル・カリフォルニアと懸けてある。二首目はゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげるが詠み込まれている。三首目のアングルは、絵を描く角度という意味と画家のアングルが二重になっている。四首目の「堅いお菓子」は師の岡井隆のアナグラムである。才気溢れる歌の作りで、作者は情よりは知に傾むく人と見える。
 一方『NUTS』はまるでがちがう。次のように身に降りかかった出来事をそのまま詠んだ歌があるが、印象はとにかく饒舌というものである。『リチェルカーレ』には多く見られた古典和歌のパスティーシュは影を潜め、口語体の歌が多くなり、定型に収まらないものも多くある。
全然覚えてゐないそこから車椅子で運ばれたなんてどつこにもこれつぽつちも
霧多き三田さんだの町の丘の上にあるサナトリウムにかくまはれて
啄木は病気なりしとたれかいふ吾も五〇〇首を日に詠みたれば
二回目の入院にして慢心の創意のもとに書きをりわれは
処置室に心電図計測を待つひとしきりふぶいたあとの窓はしめられ
 三田は神戸から六甲山を越えた北側にある町である。サナトリウムに入院したことからトーマス・マンとの連想が働いたり、三首目のように啄木を連想したりしている。啄木は立身出世のために小説家をめざすも志を得ず、短歌だけは呼吸するように口をついて出てきたという。一日に500首とはさすがに多すぎると思うが、鍋から吹きこぼれるように歌が生まれたというのは事実なのだろう。それは一種の興奮状態である。脳の機能が亢進しているので、「もの凄く頭の冴えて吹く風の手前に青のあきかぜぞ吹く」という歌が示すように、感覚が異常に鋭敏になって、風の色の違いまでも知覚する(と信じる)ようになる。また頭の中でもの凄い勢いで連想がぐるぐる回っているのではないかと思える歌もある。
パイポパイポパイポノチューリンゲン、ゲッティンゲンに黒鳥を見た
また雪が降つてくれればアダモ喜ぶついでにサッチモ聴きたくもあり
ナガサワと思ひて入るもさにあらでキング・サニー・アデの名出でつ
桂木洋子さん似のところでつまづいてあとが出てこぬその某の
 一首目は落語の寿限無の「パイポパイポパイポのシューリンガン」からチューリンゲンへ、ゲッティンゲンへととめどなく連想が滑ってゆく。三首目のキング・サニー・アデはナイジェリアの音楽家、桂木洋子は往年の映画女優。
 『NUTS』は稀な体験から誕生したものなので、評価の難しい歌集だと思う。しかし読んでいて不思議なリアル感を感じることもまた事実である。

第149回 真中朋久『エフライムの岸』

生者死者いづれとも遠くへだたりてひとりの酒に動悸してをり
                真中朋久『エフライムの岸』 
 私が好きなマンガに『孤独のグルメ』(原作久住昌之、作画谷口ジロー)というのがある。TV東京で実写ドラマ化されていることを知り驚いたが、中年サラリーマンの主人公が仕事で他出した先で、一人で食事をするというだけのマンガである。食べるのは贅を尽くしたグルメではなく、山谷のぶた肉いためライス、デパート屋上の讃岐うどん、神宮球場のウィンナ・カレーなど、庶民的なものばかりだが、それが実に旨そうに描かれているのである。「食」は人間の根源的営みであり、B級グルメにも旨さを求めるのだ。
 掲出歌を読んだときこのマンガを思い出した。歌の〈私〉はどこかの酒場で一人で酒を飲んでいる。「をばちやんビールもらふよと言ひ正の字のいつぽんをまた書き加えたり」という歌があるので、そんな庶民的な酒場だろう。〈私〉は生者とも死者とも遠く隔たっていると感じる。死者はあの世に去った人たちだから、〈私〉から遠いのは当たり前だ。だから〈私〉が生者から遠いと感じていることがポイントである。なぜそう感じるか。心に鬱屈する思いがあり、〈私〉を周囲と同調させることができないからだ。この思いが真中の短歌を貫く通奏低音と考えてよかろう。
 真中は1964年生まれで、すでに『雨裂』(現代短歌協会賞)、『エウラキロン』 『重力』(寺山修司短歌賞)の三冊の歌集があり、「塔」の選者を務める幹部会員である。京都大学理学部修士修了の理系歌人で、気象予報士でもあるという。『エフライムの岸』は第四歌集。歌集題名のエフライムは旧約聖書に登場する地名である。あとがきに最初は「シイボレト」と付けようと考えたが、あれこれ考えてエフライムを選んだとある。旧訳聖書の「士師記」(ししき)によれば、ギレアドの人がエフライムの人を打ち破り、逃走する者を殲滅せんとして、エフライムの人がどうか見分けるために、「シイボレト」と言わせ、正しく発音できない者を殺したという。過去の物語と片付けることができないことに気づき戦くエピソードである。この一節から歌集題名を採ったところにも、真中のこの世にたいする姿勢が現れていると言えよう。
 一読しておもしろいと思ったのは、理系出身であるためか、技術職に就いているためか、ふつう短歌には登場しない硬質の用語が用いられていて、それが短歌の重量感を増していることである。
復旧費見ればおほかたは読み取れる鋼柱を深く打ちし地すべり
誘導雷防ぐ工夫を説きはじめし老技師の手のペンよく動く
導波管這ひのぼりゆく鉄塔はあまた茸(くさびら)のごときをつけて
筆算に誤差伝播を解いてゆくいくたびか桁をまるめて
 「鋼柱」は軟弱地盤の強化のために打ち込む鉄の柱で、「誘導雷」は近くに落ちた雷のせいで電磁界が変化し電圧・電流が生じる現象、「導波管」はマイクロ波通信などで電磁波の伝送に用いる管で、「誤差伝播」とは計算上の誤差が雪だるま式に大きくなることをいう。抒情詩である短歌ではあまり用いないし、用いにくい硬質の漢語である。作者がどのような仕事をしているのか詳らかにしないが、次のような歌があるところを見ると、治水や護岸工事などの土木関係の仕事かと思う。二首目のエレベーターは、地上から上に上がるためではなく、地下の工事現場に行くためのものである。
蜂が群れてゐるごときかな今週は圧送ポンプが生コンを揚げる
エレベーター満員なれば階段を駆けおりてゆく安治川の底へ
 真中の作風はずばり骨太の男歌である。女性歌人が多く、男性でも繊細な写実歌を作る人の多い「塔」では珍しい。詠み方に特徴的なのは、蛇行して流れる川のような重いリズムを作り出す字余りの多い文体である。
二十年後におまへはここにゐるだらうと福部さんが言ひきわれはここにゐる
父母の戸籍に三つある抹消のそのひとつわれは新戸籍作りしゆゑに
壁に並べ貼られたるマッチのラベルなど見あげなにとなく夏の日過ぎし
ところどころ層序を乱し堀りかえす積みたるなかにあるとおもへば
冬のグラスに色うつくしき酒をそそぎふるき死者あたらしき死者をとぶらふ
 一首目はまあ定型に納まっているほうだが、七・七・六・九・八の三十七音で、特に下句の九・八のあたりが、土俵を割るかと思えば粘る力士のように、終わるかと思えば終わらず、まだ言い残したことがあるとつぶやくような重量感を生んでいる。五首目を意味で区切ると、七・七・六・五・十二となり、大きく破調である。第二歌集『エウラキロン』ではあまり目立たなかったこのような文体が、『エフライムの岸』では顕著に見られることから、作者の中で何かが醸成され生み出された文体であるらしい。壮年の男の日々の鬱屈を表現する文体としてこれよりふさわしいものは考えられない。日々の鬱屈は次のような歌に読み取れる。
こゑたかく言ひあふを聞きそののちをナショナリズムの谷をゆくわれは
資本主義の世に生きるゆゑ避けられぬとひとを諭しつつたかぶりゆきぬ
民業を圧迫しつつ生き残らんとするか 俺に相談するな
解雇告げるこゑ隣室にしづかなりしづかなればなほ響きくるなり
元請の社名にさんをつけて呼ばれわが知らぬ不手際を責めらるる
自重せよと言ひて言ふのみにありたるは見殺しにせしことと変はらず
 この世に生きて仕事をしていればいろいろな問題を抱え込む。作者はなかなか見過ごしたり軽く流したりできぬ性格のようで、いちいち突っかかるのである。角川『短歌』の1月号増刊で「今年の秀歌集十冊」を選ぶ座談会が企画されていて、『エフライムの岸』もその中に選ばれているのだが、永田和宏が真中を評して「不器用な男で、自分の中にある正義観がうまく世の中と調和しない」と述べている。上に引いた歌を読めばさもありなむと思えるのである。
 かと思えば静かで細やかな写実の歌も味わいがある。
すこし前に過ぎたる船の波がとどき大きくひとつ浮橋をゆらす
赤き実をついばんでゐる鳥かげのしばらくは磨硝子のむかうに
あけがたのひかりに窓の反映の見ゆ対岸にひとのくらしあり
もつれあひながら日なたをゆく蝶の朱いろは枝にふれずひらめく
あしたから煙突のさきゆらめいて見えねども熱きガスを吐きをり
 おもしろいもので、心中を吐露するような歌の間にこのような静かな写実の歌が混じると、それだけ静謐さが増すようで効果的に感じられる。これらの歌に共通するのは、はつかな「ゆらぎ」とそれに気づく〈私〉である。通り過ぎた船から届く波、磨硝子の向こう側の鳥影、対岸の窓ガラスの燦めき、もつれあいながら飛ぶ蝶、煙突から出るガス、これらは微細な空気のゆらぎのようなもので、それに気づいて定型に定着する繊細さも作者は持ち合わせているのである。
築地活版のながれをくみしいくつかの明朝のなかの石井茂吉版
排気筒出でし物質の拡散はおほかたは海のうへのことなる
両手ゆびにちからをこめてしたたらすみどりのしづく火のごときみどり
わたしではなくてお腹をかばつたといまも言ふあれは冬のあけがた
 雑誌の編集作業から思いを馳せる活字についての一首目、震災前に東海村の原子炉を見学した折りの二首目、また三首目のような飲食の歌、四首目の家族を詠む歌も集中には混じっており、歌の素材に変化を与えている。
 最後に私が読んでいちばんよいと感じた歌をあげておく。
夕陽照る河口にみづのながれありなかばはさかのぼるごとき動きに
雨のあとの螺鈿のやうなみづたまりたましひに少し遅れ跳び越す
 写実と深い思いとが見事に結合した歌と見る。とはいえ「なにげなく残しし歌が選歌欄評に引かれて起ち上がりたり」という歌を作る作者のことだから、私が引いた歌にも憤激して起ち上がるかもしれない。そうならないことを祈るのみである。

紀水章生歌集『風のむすびめ』書評:光と風と時の移ろい

 歌集を手にするとき、とりわけ作品を初めてまとめて世に問う第一歌集を読むときは、作者がどのような立ち位置に身を置いて世界を眺めているのか、世界を構成する素材のうち何に着目しているのかという切り口で歌を読むと、その作者の拠って立つ世界観が見えてくることが多い。そのような目で本歌集を眺めると、作者の眼差しはとりわけ光と風と時間の移ろいに注がれていることがわかる。
水滴は濡れる春野の乳色を映し子どものやうに揺れをり
花群は蜂の羽音に開きゆくスローモーションビデオのやうに
水底の珊瑚の砂にゆらゆらと光の網が絡み揺れをり
ふるふると震ふシャボンの薄膜に空渡りゆく秋の映ろふ
 歌集冒頭近くに並んでいる歌を引いたが、これらの歌に通底する感性を感じることができる。一首目、春の雨粒か露の水滴にクローズアップする視野があり、水滴に乳色の春の野が映っている。水滴が揺れているのは微風があるからだろう。静止画でありながら、水滴の揺れによって微細な時間の経過が感じられる。二首目はもっとはっきり時間の流れがあり、蜂の羽音に促されるように花が開く様が詠まれている。ここにあるのは都市に暮らす現代人の性急な時間ではなく、ゆったりと流れる時間である。三首目にもまた揺れがあるが、今度は光である。太陽光の届く浅い海底かと思われるが、このように歌われることによって、媒体なくして存在しえない光が自立的に存在するかのようだ。四首目、子どもの遊びか、シャボン玉の球面に秋が映っている。シャボン玉の震えが表す小さな時間と、「空渡りゆく」というおおらかな措辞が示す大きな時間の両方が封じ込められており、詩的完成度が高い歌である。
みぬちなる音盤ディスクは風にほどけゆき雪ふる空のあなたへ還る
しぼんでた紙ふうせんをふくらます五月の明るい風をとらへて
あのころの風が写ってゐるやうだすぢ雲のある青い空には
 風が詠まれている歌を引いた。見てすぐわかるように、風は作者にとって肯定的価値を持つアイテムである。体を凍えさせたり、思い出を吹き飛ばしたりするような、否定的価値を持つものではない。このことは歌集に『風のむすびめ』というタイトルを付けていることからもわかる。作者にとって風は、内なる音楽をかき立てたり、紙風船を膨らませたり、懐かしい子供時代や青春期に頭上を吹いていたりするものである。
 さてここで『風のむすびめ』というタイトルについて考えてみると、詩的でありながら不思議なタイトルである。風は大気の運動であり、物理的実体を持つものではない。そんな風にむすびめがもしあるとするならば、それは風という客体側にあるものではなく、風を感じている主体側、すなわち〈私〉の側にあると推測される。感じる主体としての〈私〉の側から見れば、風は常に〈私〉に吹いている。確かに遠くの葉群が揺れていれば、「あそこに風が吹いている」と知ることはできるが、それは認識であり体験ではない。〈私〉が感じる風は常に〈私〉に向かって吹く風である。だから「風のむすびめ」とはとりもなおさず、四方八方に吹く風の結節点としての〈私〉にほかならない。そしてそれは単に風のみに留まるものではなく、作者が歌に詠む光や雨や水の流れにも言えることであり、つまるところ森羅万象が一点に収斂する焦点としての〈私〉ということになろう。作者の歌における立ち位置とはこのようなものである。
 短歌史という大きな流れの中に置いてみると、紀水の短歌は自我の詩としての近代短歌の中に位置づけられるとまずは言えよう。しかしながら明治・大正・昭和初期の近代短歌に見られる抒情の主体もしくは生活の主体としての輪郭のくっきりした〈私〉は紀水の歌には希薄なようである。
あふぎみる花梨の空の深みまでしんと冷やせりのど飴ひとつ
ゆふやみへ消ゆる鴉のフェルマータ呼ぶ声たかくとほくをはりぬ
ハクチョウは飛ぶ舟のやう散らされたひかりのなかを昇りゆきたり
 これらの歌を読んで後に残るのは、ただ残像としての喉の冷えや鴉の声や白鳥の光であり、それらを感じているはずの〈私〉は光や声の中に溶解してしまうかのようである。それは紀水が〈私〉を世界を高みから睥睨する不動の地点として捉えているのではなく、風が吹けばそこにしばらく生じてまた消えてしまう「むすびめ」と感じているからであろう。そのような把握においては、〈私〉は近代思想の根底をなすデカルト的主体ではなく、〈私〉もまたひとつの現象とみなされることになる。これが紀水の短歌に通底する認識ではないかと思われる。
 紀水が光や風や時の移ろいにとりわけ惹かれる理由もこれでわかる。これらは特に現象的特質が顕著だからである。しかしさらにもう一段階考察を進めてみれば、近代以前の古典和歌の作者たちもまた、〈私〉とは現象にすぎないと考えていたのではなかろうか。もしそうだとすれば、紀水の短歌は近代短歌を飛び越して、古典和歌の世界へと架橋するものと見ることもできる。短歌が千数百年にわたって連綿と続いてきた短詩型であることを考えれば、それも不思議なことではない。



中部短歌会『短歌』2014年8月号に掲載