第128回 斉藤真伸『クラウン伍長』

デニーズをひとつ過ぎれば夕暮れのすべての海は死者たちのもの
                 斎藤真伸『クラウン伍長』
 書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズ第2回配本で3冊の歌集が出た。斎藤真伸『クラウン伍長』、天道なお『NR』、笹井宏之『八月のフルート奏者』の3冊である。今回はまとめて読む時間がなかったので、斎藤の歌集を単独で取り上げる。
 斎藤真伸さいとう まさのぶは1971年生まれ。「みぎわ」短歌会と「未来」に所属。後に「未来」を離れて、今は「みぎわ」の活動に専念している。斎藤の師は「みぎわ」主宰であった上野久雄であり、上野との出会いが斎藤を短歌の道に導いたことがあとがきにある。解説は「未来」時代に斎藤が彗星集で選歌を受けていた加藤治郎が書いている。
 本歌集にはおびただしい人名が登場するのだが、歌集題名のクラウン伍長もそのひとつである。歌集にはていねいな注が付されており、クラウン伍長とは名作アニメ「機動戦士ガンダム」の敵軍ジオン軍の兵士の一人だという。主人公アムロ・レイがガンダムに乗って地球の大気圏に突入する際にガンダムに攻撃を仕掛けるも、大気圏の摩擦熱で燃え尽きる兵士である。そんな端役にも名前が付いていたことに驚くが、もうひとつの驚きはこれを歌集題名にするよう勧めたのが上野だったということである。端役であり、志なかばで死んだ人物であることに意味があるかと思う。解説を書いた加藤も、「かき上げのところどころに桜えび言うなれば死はすべて討死」という歌を引いて、「この雲のように掴み所のない現在、討死は、斎藤真伸の矜恃ではないか」と書いている。
 試みに固有名の詠み込まれた歌を拾ってみると次のごとくである。
郷土史にその名なけれど甲斐のひと説教強盗妻木松吉
たったひとつのやりかたとしてその夫のあたま撃ち抜くアリス・B・シェルドン
ケーキ箱脇に抱えて風を受く「杉野はいずこ、杉野はいずこ」
刑死せる勝蔵のゆめ四つ辻のねこやなぎに沿う馬頭観音
靴ひもがすぐにほどける間道を落ちのびてゆく劉備のように
 斎藤は山梨県の生まれである。一首目の妻木松吉は戦前に名を馳せた強盗で、押し入った家で防犯の心得を説いたことからこの名が付いた。二首目のアリス・B・シェルドンは、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.の筆名で作品を発表した米国のSF作家。認知症になった夫をかねてよりの合意に基づき射殺し、自分も自殺している。三首目の杉野孫七は広瀬武夫とともに旅順港封鎖作戦に参加した兵士で、乗艦福井丸に爆薬を仕掛けて脱出用舟艇に乗り移ったとき、爆薬掛であった杉野の姿が見あたらず、広瀬は福井丸に戻り「杉野はいずこ、杉野はいずや」と呼ばわったことが文部省唱歌にもなっている。四首目の黒駒勝蔵は甲州出身の博徒で、戊辰戦争に官軍兵士として参加し後に刑死している。五首目の劉備は説明不要。
 これらの人物は有名無名を問わず、激しい生を生き、歴史にくきやかな影を残した人たちである。斎藤はこのような人物たちに心を寄せている。その動機を推察するのはそれほど難しいことではない。現代に生きる私たちは、もうそのような手応えのある生を生きることができない。彼らの残した影の濃さに較べて、私が舗道に落とす影のなんという薄さよ、というわけだ。そのことは上に引いた三首目に鮮やかに示されている。家族のためにケーキを買って帰るのはマイホームパパの象徴である。しかしそのかたわら、斉藤はまるで呪文のように「杉野はいずこ」と唱えるのである。次のような歌も同じ水脈にある。
いつの日かくびられかねぬ身とはいえ明日は歯医者へゆかねばならぬ
小雨降るホームにすするきつね蕎麦あるいは完全水爆のゆめ
サービス券数えていればだんだんと親しくなっていくんだ死は
一日のおわりにひとり麦チョコをたべている 猫が呼ぶこえ
爆弾を仕掛ける場所がないじゃない薄さを誇る液晶テレビ
 これらの歌に揺曳する気分を言い表せば、それは「生の不全感」だろう。一首目、「いつの日かくびられかねぬ身」とは、想像上で大胆なことをしでかしている自分だが、それは虫歯治療のため歯科医に通う日常に打ち消される。斉藤の文体の基本は口語なので、わざわざ時代小説のような物言いを擬している。二首目の立ち食い蕎麦と完全水爆の対比も一首目同様の構図である。三首目、行きつけの店がくれるサービス券は使わなければどんどん増える。「まだこれだけ使える」という未来は、「もうこれだけしか使えない」という有限性へとたやすく転化する。四首目、大の大人がひとりで麦チョコを食べている図には幼児性が漂うが、それは幼児回帰願望も混じっているのかもしれない。五首目、最近の薄型TV は薄すぎて爆弾を仕掛けることもできないという感慨には、もはやリクールの云う「大きな物語」を生きることができない現代の日常感覚がある。つまりは「どえらいことをしでかす」という生のあり方を、あらかじめ奪われているということだろう。
現実が油煙にかすむラーメン店バターが味噌のスープに溶ける
農協ののぼりを濡らすはだれ雪ひとは生きるか雑用のため
 ま、しかしそれでも人は生きねばならぬ。というわけで、今日も取り立てて何もない日常を生きているわけだが、 そんな日々にもささやかな楽しみがないわけではない。斉藤の場合、それは模型、サブカル、時代小説である。
とりあえず模型の市だといっておくぬるいコーラを売っているけど
ブルーシートの海原を征く艦隊は喫水線より下をもたざり
とりどりの仮装コスプレのなか献血のマイクロバスが日陰をつくる
頭巾にて顔を隠すはお銀様八ヶ岳やつの颪にとまどうばかり
 特に作者は中里介山『大菩薩峠』全41巻の世界に耽溺したようで、歌集巻末には「大菩薩峠」に想を得た50首が配されているほどである。それから、模型・サブカル・時代小説という三題噺に並べるのはあまりに失礼なので別扱いとするが、ともに暮らす妻もまた現実という砂漠に置かれた泉である。夫人を詠んだ歌にはどれも愛情がこもっている。「ラブプラス」とは恋愛シミュレーションゲームのこと。
生活の木のパンフレットは顔のした妻が居眠る午後のテーブル
ワインラベル剥がさんとしてこの妻はわれの知らざる器具を取り出す
わが妻に「ラブプラス」の講釈すなんという刑罰ぞこれは
妻というものが私の家にいてドーナッツなど食べる不可解
 私は初めての歌人の歌集を読むとき、最初のうちはダイヤル式のラジオのチューニングのように、ダイヤルを微調整してその歌人の波長を探り当てるように読む。しばらく読み進むと、だいたいその波長が掴めて、以後はその作品世界に苦労せず入ってゆくことができるのだが、それと平行して貼り付ける付箋の数が減るのが常である。それはその世界に私が慣れたということで、勢い類想が多く感じられるということをも意味する。しかし、『クラウン伍長』では思いがけずそのような予定調和的経路は辿ることなく、読み進むうちに逆に付箋が増えて来た。これはいかなることかと思うに、斉藤独自の韻律感覚に体が馴染んで来て、ローカル線に揺られているような快感を感じるようになったのではなかろうか。
透かし浮く和紙の面に天麩羅の衣のはじが残りて二月
歯ブラシの毛先はゆるくひろがって洗面台に春の朝かげ
西国のあらぶる神ぞ川底ゆ引き揚げられしサンダース氏は
かすかなるカルキが匂う脱衣場にたましいまで脱ぐわれかも知れず
わが指の隙をこぼれるとぎ汁のその行く末をいまは思うな
 歌の造りにも言葉遣いにも奇をてらうところがないので、すらすら読めてしまうのだが、こうして書き写してみると上手い歌だとあらためて思う。最初に読んだときより二度目の方が、二度目より三度目の方がよい歌だと感じる。文節と韻律の間の橋渡しの隙のなさがこの水準まで達成されているのは珍しい。
 集中でやはり心を打たれるのは師の上野の死に際しての連作である。
病院ゆ戻る夕べのくらきみち神の壊れた玩具かヒトは
死に髭を奪い取られて先生は白き布団にいま横たわる
柿よ柿なぜに実るか先生はもはやおまえを食えぬというに
 トレードマークであった髭を剃られ、好物の柿がもはや食べられなくなったという、普通の細かいことを詠いながら心に染みる。短歌の王道と言えよう。
 歌の完成度から言って、『クラウン伍長』が著者の第一歌集とはほとんど信じ難い。手練れの名人芸を見せられているようにすら感じる。瞠目すべき歌集であることはまちがいない。

第127回 花鳥佰『しづかに逆立をする』

あくびする口ひとまはり大きくなり猫はおのれをいま脱がむとす
               花鳥佰『しづかに逆立をする』
 よく寝る子」だから「ネコ」と呼ぶという民間語源があるくらい、猫はよく眠る。だからあくびもする。あくびをすると、顎の関節が外れるのではと思うくらい大きく口を開く。それを「口ひとまはり大きくなり」と表現している。すると大きく開いた口から、別の実体が出て来るのではないかと作者は考える。「おのれを脱ぐ」とは、服のように身にまとっていた自己を脱皮することである。すると中から出て来るのは何だろう。もうひとつの「おのれ」なのか。それともまったく別の存在なのか。これは極めて存在論的な問いである。作者には他にも「桃の棘の芽を出すときになにかかうわがうちなるも露出すべし」という歌があり、私たちの姿形はとりあえずの仮の姿であり、内に何かを隠しているという思いが強くあるようだ。
 花鳥佰かとり ももは「短歌人会」所属。これが第一歌集だが、特に履歴などは書かれておらず、筆名を用いていることからも、自分を語ることを好まないとみえる。あとがきによれば、60歳を過ぎていて、過去に英語と日本語の雑誌編集の仕事をしており、ミステリーを書いて懸賞に応募したこともあるという。朝日カルチャーセンターで小池光の短歌講座に出席し、その縁で「短歌人会」に入会したらしい。栞文は石井辰彦、川野里子、小池光。アンリ・ルソーの絵を配した装丁に作者のこだわりが感じられる。
 まったく予備知識のない作者の短歌に接するとき、最初に気にするのは〈作者─世界〉と〈作者─短歌〉の、作者を原点とする三点測量のような関係である。とりあえず花鳥にとって短歌は自己表現の手段ではないようだ。己について語ること少なく、日々の暮らしを感じさせる歌も少ない。それよりも世界の断片に接したときに覚える好奇心とでも言うものが、花鳥の短歌の原動力になっているようだ。
ガラス越しにオランウータンとキスをする老婦人をりベルリンの昼
レオナルドの人体図のひと耳から下、あゝ体毛のことごとくなし
支那飯屋「全開口笑」に「安宅歯科」もたれ口開く香林坊に
猿のように腰を突き上げターンしてボートの尻をぐぐぐと回す
この弓の尾の毛の主の鹿毛の馬の雲のごとくに駆けるを見たり
 花鳥の歌には何かひとつ中心となるアイテムが含まれているものが多い。一首目はオランウータンである。おそらくドイツ旅行の折りに実際に目にした光景を詠んだものだろう。動物園の獣舎のガラス越しにオランウータンとキスするというのはふつうあまりしないことである。その軽い驚きが歌の核になっている。二首目は有名なダヴィンチの人体図で、よく見ると確かに髪の毛以外の体毛は描かれていない。それだけを詠んだ歌でそれ以外の意味はないのだが、事実に気づいたとき大袈裟に言えば世界が少し更新される。三首目は金沢の繁華街香林坊の光景。おそらく「全開口笑」という中華料理点かその看板に、「安宅歯科」という看板がもたれかかっているのだろう。歯医者に行くと大きく口を開けるのが、「全開口笑」という店名に通じるところがおかしいのだが、これも作者が感じたおかしみを詠んだだけである。花鳥はよほど好奇心の強い人らしく、平和島のボートレースに行ったのが四首目である。これも見たままを詠んだ歌だが、擬音のぐぐぐが効いている。五首目はヴァイオリンを修理店に持って行ったときの歌。「の」のこれでもかという連続が弓の毛の長さか、駆け去る幻想の馬の航跡を表しているかのようだ。
 栞文を書いた歌人は誰も取り上げていないが、集中で私が最も感心したのは次の歌だ。
そのゆふべ分子出でゆきはひりきて蚊柱のごとくわが立ちてをり
 花鳥はたいへんな読書家のようなので、おそらく福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読んでいるだろう。同書で福岡は生物学者シェーンハイマーを引いて、「生物とは分子の一時的淀みである」と定義している。私たちの身体を構成しているタンパク質はアミノ酸から成るが、それは食物から摂取されたアミノ酸と絶えず入れ替わっている。生物とはタンパク質の一時的な淀みにすぎず、その様はまさに「川の流れは絶えずして」だというのである。上掲の花鳥の歌では、生物のそのような有り様が蚊柱によって表現されている。蚊柱とは言い得て妙ではないか。蚊柱は蚊の集合体であり、柱の立体として見えるものの実体はない。蚊の離合集散という絶えざる運動が私たちの目に映じた幻である。
 作者の知的眼差しは〈かたち〉へと向かうようで、そのためか人間が人体部位の部分的姿で表されることが多い。
叔父の耳とわが耳のなり似るゆゑんを明かして死んだショウジョウバエよ
ご近所の歯医者へ来たりて大男の太きおゆびに歯を抜かれたり
手首から肘まで黒き毛の渦まく腕のとなりに三時間をり
五月四日『毛皮のマリー』に青年の肉うすき尻四つならびぬ
かわきたるくちに触れたるくちびるに冬鉄棒の味はるかなり
   一首目の耳の形、二首目の太い指、三首目の腕、四首目の尻にそのことが見える。五首 目でも唇がクローズアップされている。確かに冬に鉄棒を舐めると金属の鋭い味がするもので、誰しも小学校時代を思い出すだろう。
 次のような歌にも引かれる。作者の〈私〉の捉え方に独自のものを感じるからである。
履く靴の決まりわが身のなんとなくあるかたちにまとまりぬらし
われらみんな歪んでるのだしんしんと冷えたワインをかるくかざしぬ
とつぜんにあまたのにほひわれを充たすいつてきの雨落ちそむるとき
夜にゐて桃を食ぶれば桃のみづわたしの水とからんで揺るる
 栞文で石井辰彦が書いているが、若いうちに短歌に親しんで「絶対音感」ならぬ「絶対韻律感」を身につけていないためか、定型からかなり外れた歌が多い。その大部分は字余りである。
冬の夜に蛸を茹でたりトーマス・クック・ヨーロッパ鉄道時刻表の表紙の色に
 この歌など意味で区切ると、6・7・7・7・10・7で実に44音もある。この歌では三句が7音でかろうじて1音増音にとどまっているが、三句目がきっちりはまっていない歌も多い。短歌人会の大先輩の小池光が繰り返し言っているように、短歌の要は三句であり、もう少し定型を意識したほうがよいかもしれない。
 抒情詩としての短歌という枠からは多少とも外れるかもしれないが、花鳥佰『しづかに逆立をする』はなかなかおもしろく、知的刺激を受ける歌集である。

第126回 堀合昇平『提案前夜』、木下龍也『つむじ風、ここにあります』、鯨井可菜子『タンジブル』

雑踏の中でゆっくりしゃがみこみほどけた蝶を生き返らせる
          木下龍也『つむじ風、ここにあります』
 九州の書肆侃侃房から若い歌人の歌集を世に出す「新鋭短歌シリーズ」第1期全12冊の刊行が始まった。監修者は加藤治郎と東直子。書肆侃侃房は急逝した笹井宏之の歌集『ひとさらい』『てんとろり』を出した出版社で、その縁で今回の版元を引き受けたものと思われる。若手歌人が歌集を出すのは経済的にもなかなか難しいことなので、今回のシリーズの企画を喜びたい。第一回配本は、堀合昇平『提案前夜』、木下龍也『つむじ風、ここにあります』、鯨井可菜子『タンジブル』の3冊で、今回は3冊をまとめて取り上げる。歌集3冊の一気読みはなかなかキツいが、あとがきの隅々まで読んだ。
 堀合昇平は1975年生まれで、2008年から未来短歌会に所属して、加藤治郎の選を受けている。2011年に未来賞を受賞した実力派である。コンピュータメーカーに勤め人として勤務している。なぜ短歌に興味を持ったのか、いつから作歌しているのかは詳らかではないが、近代短歌の本流を行く堂々とした作風である。
結び目をほどけば匂い立つ汗を見果てぬ明日の手がかりとする
全身が痺れるような提案のキラーフレーズ浮かばぬ夜は
ああ我の周辺視野に口づけの角度で眠るかなしいおとこ
ああ夏は行方も知れぬ夕暮れにじいちゃんと飲むドクターペッパー
ゼリー菓子の包みをひらく指先のざわめき止まず 炉の冷えるまで
敗北の暗喩のごとき夕立のなか噛みくだすミントタブレット
 『提案前夜』の大部分を占めるのは、上に引いた最初の3首のような職場詠である。作者はコンピュータメーカーの社員として、社内で企画を提案し顧客にシステムを営業販売する仕事をしている。『提案前夜』という不思議な題名は、2首目のような社内会議での企画提案を明日に控えた眠れない夜をさす。1首目の果てしなく見返りのない労働の汗、2首目の不眠の夜の煩悶、3首目の悲しい職場風景、このようなものが作者の歌の主題である。いつから日本の会社は社員を死ぬまで働かせるようになったのか知らないが、大手企業でもブラック化しつつある現代の労働風景を執拗に歌にしている。厳しい労働環境に生きる作者にとって、短歌は心の拠り所であり、深夜、家族が眠る家に帰宅し独り歌を作ることによって、心の悪魔祓いをしているのだろう。
 4首目と5首めは、祖父の葬儀のために岩手県の海岸地方に帰郷した折りの歌である。4首目では祖父とドクターペッパーのちぐはぐな取り合わせが、祖父を失った悲しみをよく表現している。5首目は火葬場で遺体が焼き上がるまでを待つ親族たちの光景。今回呼んだ3冊の歌集に共通して登場するアイテムが、6首目のミントタブレットすなわちクリスプなのがおもしろい。時代は清涼感を求めているのか。
 堀合の作風はニューウェーブ風というより、はるかに近代短歌に距離が近く、腹にズシンと響く歌である。なかでも次のような歌に作歌技術と感性の冴えを感じる。
新月の夜の更けゆけば停止線わずかに越えて停まるプリウス
選択に余地あることの幸せは 洗顔フォームを伸ばす手のひら
たましいのごとき一枚をひきぬけば穴暗くありティッシュの箱に
 木下龍也は1988年生まれ。結社には属さず、山口県に住みながら穂村弘の「短歌ください」などに短歌を投稿している無結社、ネット系歌人である。2012年全国短歌大会大会賞受賞。男性歌人がスーツを着てグラビア雑誌よろしく写真に納まっている「短歌男子」(2013)にも参加している。『つむじ風、ここにあります』は非常におもしろく読み、付箋もたくさん付いた。
花束を抱えて乗ってきた人のためにみんなでつくる空間
中央で膝を抱える浴槽の四方のバブが溶け終わるまで
包丁を買う若者の顔つきをちゃんと覚えておくレジ係
生前は無名であった鶏がからあげクンとして蘇る
鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい
救急車の形に濡れてない場所を雨は素早く塗り消してゆく
 木下の持ち味は、平易な口語でポエジーを立ち上げる言語感覚と、見過ごしそうな生活の些事を冴えた感覚で捉えることにより、奇想の世界を瞬間的に現出させる力だろう。たとえば1首目、エレベーターか電車の車内風景である。花束が潰れないように、少しずつ譲り合って場所を空けてあげる。木下もやさしさ世代の一人である。2首目、炭酸入浴剤のバブが溶けるまで、身体を縮めて浴槽に入っているという日常の光景だが、ありそうな光景ながらなにかおかしい。3首目は無差別殺傷事件を踏まえたもの。4首目は思わずくすっと笑ってしまう歌だが、名前も付けてもらえなかったブロイラーが、唐揚げになって店頭にならぶと、「からあげクン」という名前を与えられる。一種の現代文明への皮肉としても読める。5首目では鮭おにぎりを鮭の死と表現したところがポイントである。
 木下の短歌を読んでいると、学生がゲバ棒を握って政治運動にのめり込んでいた時代ははるか遠くなったと改めて実感する。ここには「大きな物語」はいっさいない。恋人らしき女性以外は、他者は一人も登場しない。堀合の短歌が心に残すザラザラ感とは対極にある、蒸留されたような静かな世界である。この歌集から一首選べと言われたら、次の歌を選びたい。静かな悲鳴が感じられる歌である。
なぜ人は飛び降りるとき靴を脱ぎ揃えておくのだろうか鳩よ
 鯨井可菜子は1984年生まれ。「かばん」と尾崎左永子の「星座」に所属。歌集題名の『タンジブル』(tangible)は英語で「手で触れられる、手応えのある」という意味。鯨井の短歌は、現代社会で働く女性の辛さ、女性ならではの恋愛、そしてやや想像をたくましくした抒情の、3つの領域に展開している。
試されることの多くて冬の街 月よりうすいチョコレート噛む
夕闇に赤い自分を編む羊このまち統べるごとしユザワヤ
阿佐ヶ谷の画家の家にて昼下がりファム・ファタールが茹でるそうめん
お別れの茶会のあとのガレットの屑やわらかに春雨の降る
めそめそと暮らせば部屋は蛾に好かれ桔梗は枯れて茄子は腐った
朝の駅 人は群れなし大きなるカスタネットの中を歩めり
夏の朝かばんの底に二つ三つゼムクリップの散りて光れり
 1首目、現代に生きる勤労女性なら共感するだろう。「月よりうすい」という喩が効いていて、こう表現されるとまるで月が芝居の書き割りのようだ。2首目のユザワヤは手芸用品の専門店。「赤い自分を編む羊」というのは、羊がセーターになった自分を編んでいるのだろうか。不思議な感じのする歌である。3首目は想像だけで作った歌だが、阿佐ヶ谷という地名と大時代なファム・ファタール (femme fatale 宿命の女)とそうめんの取り合わせが絶妙。4首目は抒情的な歌で、後に酒瓶と煙草の吸殻の散らばる男の会合とはちがって、女性の茶会は優雅である。この歌集には女性らしい相聞の歌も多くあるのだが、5首目はそのなかでもやけっぱち感の強い歌で、こういうテイストの歌も捨てがたい。6首目の大きなカスタネットとは自動改札機だろう。通路を遮断してはまた開く様子をカスタネットに喩えた歌である。7首目は説明不要の抒情的な歌。
 鯨井の基本は口語だが、定型感覚がしっかりとしているので、同人誌系の作家にありがちな定型無視のぐだぐだ短歌は少ない。次の歌に見られるような明るく清潔な抒情が持ち味かと思う。ボードレールの詩を思い出してしまった。
窓になる前のひと日よ 麗らかに街を運ばれゆくガラス板
 ぼやぼやしているうちに第2回配本の歌集3冊が出版された。シリーズ企画はこの勢いが命だろう。この3冊はまた機会を改めて取り上げることにしたい。

第125回 松本典子『ひといろに染まれ』

この愛に根づけと絡め取られさうで跳ねる 金の鈴跳ねる 空へと
                松本典子『ひといろに染まれ』
  『ひといろに染まれ』は、2003年に上梓された第一歌集『いびつな果実』から7年を経て刊行された松本典子の第二歌集である。刊行からすでに時間が経っているが、取り上げる機会を逸していたので今回触れてみたい。
 第二歌集の重みは歌人なら誰でも知るところだ。「歌人にとってほんとうに大事なのは第二歌集だ」という意味のことを小池光がどこかで述べていた。また第二歌集は歌人のスタンスが最もよくわかる。第一歌集における歌人の立ち位置をAとし、第二歌集での立ち位置をBとする。AからBへの変化を見ることで、翻ってAがさらによく理解できるようになる。つまりAからB へと移動することによって、「ああ、あの人がもといたAとはこういう位置だったんだ」とわかるようになるのだ。静止状態は把握しにくいが、変化は目につきやすいからである。
 では松本は第一歌集から第二歌集までの間にどのように変化したか。掲出歌と歌集題名がひとつのヒントになる。『いびつな果実』には相聞歌が多く、師の馬場あき子をして、これほど人を思う歌ばかりの歌集も珍しいと言わしめたほどである。それは「ひとつの恋との出会いが、私と、私の歌とに、はげしい変化をもたらすことになった」(「濃き情念」『現代短歌最前線新響十人』)からである。ゆえに山下雅人は、「(作者は)本質的に世界を恋愛感情を通して認識する歌人であろう」と評した(同書)。
 ところが掲出歌は愛に絡め取られることを嫌い、空へと跳ね飛ぶことを希求した歌である。韻律は五・七・六・八・七と破調で、特に下句に破調感が強い。これは意図したもので、四句として「跳ねる金の鈴」と八音をなすべきところを「跳ねる 金の鈴」と割って一字空けを入れ、結句にも同じ処理を施して、鈴が跳ねる躍動感を演出しているのである。束縛からの解放を希求する歌を、類像的 (iconic)に表現している。
 また歌集題名は次の歌による。
ひといろに染まれと迫る街をいま振り切って風に飛ばすルイガノ
 歌集題名が『ひといろに染まれ』と命令形なので、そのように命令しているのかと思いきや、暗黙の圧迫のごとく身に迫る圧力を振り切り軽やかに脱出する歌なのである。ちなみにルイガノとはカナダの自転車メーカーの Louis Garneau。正しくはルイ・ガルノーと読む。ここでのルイガノはスタイリッシュなスポーツ・バイクのこと。掲出歌・歌集題名ともに、歌の基調主題が「束縛からの解放」であることは自明だろう。これこそが松本におけるA地点からB地点への変化に他ならない。もっともそれは一度の決断によって得られたものではなく、日々の逡巡のなかからようやく掴み取ったものだろう。次のような歌がそれを示している。
「ほんとうの希ひはなにか」響動とよみたる冬の汽笛にきびすを返す
拠るべなき潔さまだ持てぬわが寒風に〈ビッグ・イシュー〉をひぬ
 本歌集を一読して改めて感じるのは、松本の歌は「身熱を感じさせる歌」だということだ。これは低体温の歌が多い現代短歌シーンにおいては奇貨とすべきことである。松本が所属する「かりん」は、近代短歌と現代短歌の接続に意を払う結社であることも関係していよう。また松本が伝統芸能に関係する仕事に就いており、自らも能楽をたしなむことも看過できない。伝統芸能においては身体性が重要な役割を果たすからである。
 本歌集において松本は、歌の主題に広がりを与えることに腐心している。その結果として、第一歌集に較べて相聞は減り、それに代わって家族や職場や社会事象を主題とする歌が増えている。
 家族は老い始めた母親と子供を産んだ妹だが、すでに亡い父親も記憶の中の人として登場する。
編み棒をあやつる指のやはらかさ老母から消えひときはの寒
軍装の父にわが指とどまれば冬の陽がアルバムを熱くす
鷹羽根のやうな硬さでしろき老い棲みはじめたり母の睫毛に
なかでも妹の出産は大きな事件だったらしく、関係する歌が多く収録されている。
身籠もれるいもうとと知るわが胸の託卵したるごときをぐらさ
わが持たぬ赤ん坊にてゆふだちの熱きに熟るる牡丹の重さ
ひとの児を抱きてわが児となすこころ姑獲鳥つめたき夢にきて啼く
子から眼をはなさず左右さうに振れてゐる母性パラボラアンテナに見ゆ
ねむられず夜に触るななめドラム式洗濯機そのまあるいおなか
 妹の出産を喜び赤子を愛でる歌や、母性の発揮に感嘆する歌と並んで、自らは産まぬことを選んだ屈折した感情が「託卵」「姑獲鳥うぶめ」やドラム式洗濯機の丸みなどによって表現されている。
 次は社会事象に眼を向けた歌で、最初の二首は秋葉原通り魔事件、次の二首はイラク派兵を主題としている。
通り魔のニュースもやがて風化して路上にわれは眼鏡を洗ふ
にんげんの沸点の低さ風刺してバナメイ海老のまつ赤なスウプ
飛んでみろ、爆ぜろと栗を火に投ぐる大いなる手よ 派兵決まりぬ
くりを焼きさんま焼き秋を焼きつくすわれが知らざる焼け野のにほひ
 このような歌に果たして松本らしさが出ているかは微妙なところだが、作者としては表現の地平を拡大しようとする試みだろう。
 私がおもしろいと感じたのは、もっと何気ないことを詠んだ歌である。
建築士なるいもうとが産みし児をはからむと取りいだす矩尺かねじゃく
ときところ選べず生きて〈老祥記〉の熱きマントウ食みゐたる昼
截ちわりし摘果のすいくわまばゆくて無辜の月ともいふべき白さ
オフィス街行き交ふひとら秒針のいづれも違ふ文字盤に見ゆ
わづかのま拠るパーキング・エリアにも〈前向き〉なること求められゐつ
ひとも車もミニチュアなれば「愛せる」とおもふ東京タワーの上で
海の賊いのちを懸けて追ふゆめの在り処かたれと打つ牡蠣の殻
やがて減る家族と知らぬ幸福感IKEAへのシャトルバスに満ちゐつ
 一首目、赤子の身長を計測するのに建築に用いる矩尺を取り出すという、目的と手段のずれが何ともおもしろい。二首目の老祥記は神戸南京町の肉まんの名店(ただし関西では豚まんと呼ぶ)。人間は生まれる時と場所を選べないという実存主義的感慨と、湯気の立つ豚まんの熱さという日常性の取り合わせがポイント。三首目、間引きされた西瓜を詠んだ歌で、ポイントはもちろん「無辜の月」にある。西瓜に人生があるかどうかは知らないが、まだ小さな実のうちに間引きされたので人生に汚れておらず無辜なのだ。その裏側には年齢を重ねた自分はもはや無辜ではないという想いがあろう。四首目は、腕時計の時針と分針はみな同じ時刻を指していても、秒針だけはまちまちだという小さな発見の歌。確かに秒針まで合わせる人は少ないだろう。短歌はこのような小さな発見の表現に向いている。五首目は駐車場の壁面に「前向きで駐車してください」とある張り紙を詠んだもの。もちろん「前向き」は自動車の向きを表すのだが、何事につけ積極的にチャレンジすることが求められる現代の風潮を風刺している。六首目は誰しも一度は感じたことのある感情。上から展望した街は人も建物も車も小さくて愛おしく見える。その理由は、遠く離れた上からは小さな罪や瑕疵は見えないからであり、また少しだけ神様の視点に立つからだろう。七首目は少しトーンが異なるカッコイイ系の歌。「海の賊」とは村上水軍か。牡蠣打ちは牡蠣の殻から身を取り出すことで冬の季語である。琵琶で語る平家物語に通じるか。八首目、現在の幸福感のかなたに未来の喪失感を見る歌で、重層的な視点が歌に奥行きを与えている。
 最後に一首。虚空に投げられた帽子が一瞬にして月へと化身する瞬間が美しい。
ジャグラーが辞儀ふかくして投げあげる白帽昼の月となりたり

第124回 短歌の映像性について

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる道
                 木下利玄『みかんの木』 
 短歌の魅力のひとつにその映像性がある。例としてあげた掲出歌は極めて強い造画力を持っている。舞台は田園だろう。曼珠沙華は田のあぜ道や川の土手に多く咲くからである。秋の陽が強いから時刻は午後で、道端に一群の曼珠沙華が咲いている。季節は彼岸の頃で、まだ夏の暑さが消えていない。曼珠沙華の群れのそばを一本の道が通っている。無音の静謐な光景である。ただそれだけの歌だが、一度読むと忘れられない魅力がある。それはこの歌が極めて鮮明な映像を結ぶからではないだろうか。
 おもしろいことに短歌より語数の少ない俳句は、さらに強い映像描出力を持っている。
乳母車夏の怒濤によこむきに  橋本多佳子
金魚大鱗夕焼の空の如きあり  松本たかし
 一句目では、真夏の炎天下に大波が打ち寄せ崩れる白さと、浜辺に置かれた籐製の乳母車に掛けられた幌の白さが夏の光に映えて眩しい。二句目では、大振りの金魚鉢の中を悠然と泳ぐ金魚と燃えるような夕焼け空が幻想的に二重写しになる。語数の少ない俳句の方がより強力な造画力を持つのは、考えてみれば不思議なことである。
 なぜ短歌や俳句のような短詩型文学が映像性をひとつの魅力とし、また短歌や俳句が描き出す映像に私たちはかくも引きつけられるのか。この問題に解答を与えてくれそうな本が出た。熊谷高幸『日本語は映像的である』(新曜社、2011)という本で、「心理学から見えてくる日本語のしくみ」という副題が付されている。著者は言語の研究者ではなく、福井大学教授で自閉症を専門とする心理学者である。
 熊谷がまず拠り所とする概念は「共同注視」である。もともと心理学で使われているのは「共同注意」(joint attention) という用語だが、熊谷は「注意」を「注視」に変えて用いている。幼児の発達過程のある段階において、母親が目の前にある玩具を指差すと、幼児もその玩具を視る。ここにおいて、母親(第1項)と幼児(第2項)が玩具(第3項)をともに視るという3項関係が成立する。これを共同注視という。手前に母親と幼児が横に並び、少し上方に両者から等距離に玩具があるという二等辺三角形を思い描いていただきたい。心理学において、発達段階における共同注意はその後の対人関係の発達の基盤であることが知られており、自閉症の子供は共同注意に障碍があるという。
 熊谷の本書における主張は次のように要約できる。
「日本語は、人と人とが相並んで目の前の映像を注視する、という形を基本として、ことばが組み立てられている」
 熊谷はこの主張を、日本語の指示詞コ・ソ・アの用法や、人称代名詞の豊富さや、過去・未来の表現や、助詞の「は」と「が」の用法などによって証明しようと試みている。本書は一般向けに平易に書かれたものであり、熊谷が展開している証明は必ずしも万全とは言えないが、なるほどと膝を打つことが多い。
 共同注意から導かれる日本語の図式は、話し手(第1項)と聞き手(第2項)が眼前の映像枠の中にある対象(第3項)を視るというものである。二人がソファーに並んで座り、テレビの画像を見ている図を想像すればよい。この場合、テレビ画面が映像枠となる。二人は同じ画面を見ているのだから、相手にも見えているものはわざわざ表現するまでもないので省略される。日本語は省略の多い言語である。熊谷の例を挙げておく。二人が誰かを待っている場面である。
A1 : なかなか来ないね。
B1 : あ、来た。
A2 : どこ?
B2 : あそこ。
 A1の主語が省略されているのは、誰かを待っているという場面性による。B1の主語も同じである。B1で話し手Bは待ち人の到着に気づいているが、まだこの段階では共同注視は成立していない。A2の質問にたいしてB2が「あそこ」と答えて、共同注視が成立する。この対話の表現のすべてが眼前の映像枠に支えられている。
 この対話は現場性の強いものだが、熊谷は日本語のしくみはこのような図式を基盤としていると主張する。したがって「りんごがほしい」のように現場性の希薄な発話においても、事情は同じだとされている。
 ここで重要なのは話し手の「私」は言語化されないという点だ。なぜなら二人がソファーに並んで座りテレビの画像を見ているという構図を基本図式とする日本語では、話し手の「私」も聞き手の「君」も画像には含まれないからである。「私」も「君」も画像の外側にあり、画像の表現を暗黙のうちに支えている。これにたいして英語では、I want an apple. のように、話し手 I は表現されねばならない。それは映像重視の日本語とは異なり、英語は行為者と対象との力動的関係(ビリヤード・モデル)を基軸として組み立てられているからである。
 「私」と「君」は画像(=言語で表現されたもの)の外部に立ち、共同注視という特別な関係性のもとにある。熊谷はこの仮説によって、日本語では「私」「俺」「わし」「手前」など人称代名詞が多いことや、ウチ(私と君)とソト(他人)とを区別する文化的習慣も説明できるとしているが、ここでは詳述は避ける。
 眼前の対象への共同注視という図式から想起される国語学の問題がある。山田孝雄(やまだ よしお 1875-1958)の提唱した喚体句という概念である。山田は国語の文には述体句と喚体句の二種があるとした(山田の「句」は文のこと)。述体句は「月明るし」「これは花なり」のように主述関係がはっきりとあるもので、喚体句は「うるはしき花かな」「三笠の山に出し月かも」のように述語を持たず、〈体言+終助詞〉の形式のものをいう。山田の言う喚体句をさらに推し進めると体言止めになる。体言止めは現代の文章でもよく使われる。
誰もがくつろいだひととときを過ごしている。元気に遊ぶ子供たち。木陰で繕いをする女たち。
ほおずき市の賑わいの中で佐助は小春を見つける。立ちすくむ佐助。
スキマスイッチの「奏」にも「突然ふいに鳴り響くベルの音 焦る僕 解ける手 離れてく君」という歌詞がある。体言止めは映像的なのである。この歌詞でも「ベルの音」「焦る僕」「解ける手」「離れてく君」という4つの場面が、まるで紙芝居かパラパラ漫画のように眼前に次々と展開する印象を受ける。なぜか。細かい議論を省略して結論だけ述べると、喚体句や体言止めは述語を持たず、名詞概念のみを提示するので、その意味解釈を場面性が支えて文として成立する。このため喚体句や体言止めは強い現場性を帯び、ゆえに映像的になるのだと考えられる。
 「日本語は人と人とが相並んで目の前の映像を注視するという形を基本とする」という熊谷の仮説から帰結するもうひとつの重要な点は「視点性」である。眼前の映像を注視するからには、映像枠の外にあって映像を見る視点の存在が不可欠になる。このため日本語には視点が内在化されている。映像枠の「外部に」あるということと「内在化」されているということは同じことである。
 池上嘉彦の『「日本語論」への招待』で有名になった実験がある。川端康成の『雪国』の冒頭の文章「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を、サイデンステッカーは The train came out of the long tunnel into the snow country.と英訳した。英語話者にこの文章を見せて絵を描いてもらうと、彼らは一様にトンネルから出て来る列車を上空から俯瞰した絵を描いたという。しかし原文から私たちが受ける印象はこれとは異なる。原文では視点主体である読者は、主人公のそばに身を置いて、暗いトンネルの内部から明るい雪原に出る映像変化を感じるにちがいない。
 なぜ短詩型文学が映像性を表現の強力な手段として用いるのか、もはや明らかだろう。話し手・聞き手・対象という共同注視の3項関係を基軸とし、それがために視点性の濃厚な日本語は、もともと映像性の強い言語なのである。語数の限られた短詩型文学が説明的に傾く主述関係を避けて体言止めを多用するのは、限られた語数の中にひとつの世界を屹立させんとするからである。
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ  藤原定家
 歌を読むと、詠まれた光景があたかも眼前に在るかのように私たちは感じる。それは日本語のしくみに導かれて、私たちがコトバが開く共同注視の3項関係に身を置くからである。映像枠に描出された対象を契機として、私たちは共同注視者としてもう一人の注視者である作者と一回性の2項関係に立つ。私が腰掛けているソファーの隣には作者がいて、私たちは共同注視の関係性の中で時空を超えて同じ対象を視るのである。ここに至って映像は一つの契機に過ぎず、私たちが導かれる一回性の2項関係こそが歌の本質であることが露呈する。そこに短詩型文学の奥深い魅力があるのだ。



【注と参考文献】
 ここで論じた日本語の特質は、国語学では伝統的に「陳述論」と呼ばれて議論されてきた。日本語の本質に触れる議論である。もっと詳しく知りたい方は次の文献を読まれるとよい。

  • 阪倉篤義「陳述」、『日本の言語学』Vol.3「文法 1」, 1978、大修館書店
  • 渡辺実「叙述と陳述」『日本の言語学』Vol.3,「文法 1」, 1978、大修館書店
  • 尾上圭介「語列の意味と文の意味」、尾上圭介『文法と意味』くろしお出版、2001
  • 仁科明「人と物と流れる時と – 喚体的名詞一語文をめぐって」、森雄一他編『ことばのダイナミズム』くろしお出版、2008

第123回 目黒哲朗『VSOP』

ゆふかげの糸こがねいろひともとの花をめぐりて我を遠くす
                  目黒哲朗『VSOP』
 目黒は1971年生まれ。「原型歌人会」に所属し、斎藤史の最後の弟子となる。高校生にときに近所に住んでいた斎藤を訪問し、弟子入りを乞うたという。1993年に歌壇賞を受賞、2000年に第一歌集『CANNABIS』を上梓した。セレクション歌人『目黒哲朗集』の解説で藤原龍一郎は、「本来この歌集を顕彰すべき現代歌人協会賞は明らかな取り落としをした」と当時の歌壇の不明を難じている。『VSOP』は第一歌集以来実に13年ぶりの第二歌集である。本コラムの前身の「今週の短歌」で『CANNABIS』を取り上げたのは2005年8月なので、それから数えても8年ぶりということになる。セレクション歌人『目黒哲朗集』で「CANNABIS以後」として収録されていた歌が、『VSOP』に一首も見あたらないところをみると、目黒自身の変化と選歌の厳しさがうかがえる。
 『VSOP』を一読して強く感じたのは、13年という長い時間が一人の男にもたらした奥深い変容である。作者20代の最後に世に問うた『CANNABIS』はまぎれもない青春歌集であった。
きさらぎの光あまねきレンズにはさしても極まりゆく孤独見ゆ
ポケットに闇ひとつかみ忍ばせてキャンパスを行く学生われは
桃を食ふ桃のひかりともろともに一夏いちげのわれを葬るごとく
 歌のトーンとテンションの高さ、世界とたった一人で対峙する緊張感、若者特有の孤独感とその裏返しとしての根拠のない自負、どれをとってもキラキラするような青春歌である。しかし『CANNABIS』から13年、20代の終わりだった作者は、郷里の長野に暮らし結婚して二児をもうけ、40歳を過ぎて中年を迎える。
若き日はかく過ぎなむにさにつらふ桃の実を手に包まむとしつ
今年また雨水のひかり〈東京にゐた頃〉といふ痛み遙けし
三十代を生きるとはどういふことか嘔吐のたびに声漏らしつ
夕立とわたしの中の夕立が図書館の玻璃はさみて鳴れり
叫びたい言葉ひとつも見つからず深夜の交差点を渡つた
抱き上げてやる息子まだ運命や限界といふ甘美を知らず
 一首目はずばり過ぎ去った青春という時間を惜しむ歌。「さにつらふ」は「色」「もみぢ」「紐」などに係る枕詞だが、本来「赤い顔をした」という意味なので桃の赤さを意味している。「桃」は目黒の短歌に頻繁に登場するキーアイテムで、憧憬や愛情などの象徴である。二首目は東京で二松学舎大学に通っていた時期を〈東京にゐた頃〉と表現しているのだが、その当時を思うとき心に感じる痛みももはや遠いものになったと感慨している。三首目は30代を生きる辛さを直截に詠ったもの。四首目の「わたしの中の夕立」は、日常生活の中では埋もれている自分の内部にくすぶる激しさのことだろう。同じ構図は五首目にもあり、ここには心の激しさの不発が感じられる。六首目、頑是無い息子は、自分を待ち受ける運命や自分の能力の限界をまだ知らないが、いずれ息子も知ることになるそれらを「甘美」と呼ぶところに中年の心の屈折がある。
 誰しもいつまでも青春を引き摺って生きることはできない。青春の燦めきが失せたとき、待ち受けているのは退屈な日常である。目黒はこの日常と日々格闘しているように見える。この闘争に勝利はない。勝つのは常に日常だからである。目黒の歌のあちこちに漂う苦みはそのことを証している。
 本歌集の中でかなりの分量を占めるのは、二人の子供を詠った歌である。
蝶のをつまんで遊びゐたる子が空缶に仕舞うある静けさを
あばら骨ありありと野に展げゐる獣のむくろ子に見せてやる
なんて小さな扁桃腺を腫らしつつ息子は握るトミカの緑
父として壁でありたし叩いてもたたいても胸やがて秋雷
わたしには風も時間も止められずしだるる花へを抱き上げぬ
噴水へ蜻蛉のやうに近づいて娘よ居なくなるときは言へ
 母親の歌が母子一体的傾向を見せるのとは異なり、父親が子供を詠う視線は距離と屈折を伴うのが常である。上に引いた一首目は本歌集屈指の美しい歌。子が空き缶にしまうのは蝶の屍骸である。それを「ある静けさ」と捉えた措辞がこの歌の命である。そこにやがて子も知ることになる生の真実が潜んでいるかのようだ。二首目の示すように、父親は子供に教えねばならぬことがあると考えるものだ。子供はやがて一人で世の荒波を渡っていかねばならないからである。だから父親が子供を見る視線には、常に未来が含まれていると言ってよい。三首目のトミカはミニカーの玩具。扁桃腺が腫れて寝ている子供を詠った歌で、父親の愛情が溢れている。四首目も典型的な父の歌。父が越えられない壁として子供の前に立ちはだかるのは、子供の前進を阻止するためではなく、将来出会うもっと大きな壁に備えて力を付けさせるためである。五首目と六首目は下の女の子を詠った歌で、男の子への接し方とはおのずと異なる。父は娘がこのまま成長して自分から離れていく時間を見ているのである。「子供可愛い」「孫可愛い」歌は読んでいて辟易するものだが、目黒が子供を詠う歌には適度な距離間隔があり、読んでいて好ましい。
 集中で異彩を放つのは第三章である。詞書に詳しく解説されているように、「文藝春秋」の平成23年8月臨時増刊号に掲載された東日本大震災を経験した児童の作文に着想を得た歌がかなりの数並んでいる。
ないてゐた。こたつのていぶるのしたで わたしはママをよんで、こはくて
その夜は画用紙一枚で寝たといふその画用紙のいづくゆきけむ
それを海と呼ぶしかなくて暗い外を見ると周りが海で驚く
町と私たちの心がこはされていつたその夜に渡されたプリン
塩水が入ればだめになるものが車だつたか、母を探して
 なかには児童の作文の言葉をほぼそのままに入れた歌もあれば、児童の言葉に着想を得て作ったものもあるという。震災後多くの歌が作られたが、このような手続きを踏んだものはなかったように思う。目黒がこのような方法を採った理由は次のようなものだと考えられる。現地にいて被災した人を除けば、私たちの大部分はTVなどの報道と映像によって震災を知った。そこには生の経験が欠如している。だから目黒は実際に被災した児童が書いた作文のなかにいわば入り込み、その眼と手を借りて仮想的に憑依することで、言葉が上滑りする危険性を回避しようとしたのだろう。
 集中には定型に納まらない破調の歌や、『CANNABIS』時代にはなかったような緩んだ歌も見られ、気になるところではある。次のような歌を成果としてあげたい。
ゆきもみぢかすみゆふだち 匂ひたつ死をひらがなの闇にしまへり
その先に神在るごとくつちひくく蟻は動かぬ蟻を運べり
梨の花ゆめの白さに咲き揃ひ樹のそばに人老いてゆくかな
静物画学びし夏よ玉葱の泥ざらざらと洗ひ落とせば
飲食は皿を汚してなされけり異性の指が動くみづいろ
鍵五つ持てば世界にはろばろと五枚の扉暮れてゆくかも

第122回 大森静佳『てのひらを燃やす』

忘れずにいることだけを過去と呼ぶコットンに瓶の口を押しあて
               大森静佳『てのひらを燃やす』
 この歌は集中白眉の歌ではないかもしれないが、本歌集の底深く流れる主題をよく表している。それは「時間」である。より正確に言うと「流れ去る時間に触れる悲しみ」である。「時間」は私もあなたも均並みに過去へと押し流す非情な客体であり、本来、私はそれに触れることはできない。私が触れることができるのは、私に操作可能な客体だけである。時間は私を支配するが、私は時間を支配できない。ここに何人も覆しえぬ非情な非対称性がある。
 私たちは時間に触れることはできないが、時間の流れを感じることはできる。これが〈私〉と時間とが取り結ぶ唯一の関係性である。掲出歌の上句「忘れずにいることだけを過去と呼ぶ」が意味するのは、時間はいずこかへと流れ去り消滅し、〈私〉の記憶に保存した情報のみが過去と呼ばれるということである。つまり過去とは記憶に他ならない。〈私〉が消えれば過去もまた消失するのだ。「コットンに瓶の口を押しあて」の下句が上句の観念性を希釈して、時間の流れを体感している〈私〉を押し上げる。よく出来た短歌的構造だと言えよう。
 作者が時間を強く意識していることは、次のような歌を見ればよくわかる。
蛍光ペンかすれはじめて逢えぬ日のそれぞれに日没の刻あり
日付から思い出せないものもあり柱にもたれる角度を真似る
浴槽を磨いて今日がおとといやきのうのなかへ沈みゆくころ
 大森静佳は1989年生まれ。「塔」「京大短歌」に所属。大学在学中の2010年に「硝子の駒」で角川短歌賞を受賞。審査員がほぼ満票に近い高評価を与えたことも記憶に鮮しい。その後、本人は大学院に進学し、現在は「塔」編集委員として活躍している。『てのひらを燃やす』は今年(2013年)の5月に刊行されたばかりの第一歌集。刊行から間がないのでまだあまり書評されてはいないだろう。前回取り上げた山崎聡子の歌集題名が『手のひらの花火』で、大森の歌集題名とよく似ているのは偶然とはいえおもしろい。この偶然の一致に現代の若手歌人の心の希求を読み取ることもできるかもしれない。
 角川短歌賞を受賞した「硝子の駒」50首では見ることができなかった歌人の資質が、歌集一巻を通読すると実によく見える。やはり歌集を持つのは大事なことなのだ。
 大森の短歌は現代では珍しいほど端正な定型短歌だが、『てのひらを燃やす』を特異な歌集としているのは、ほぼ全歌が相聞だということである。これは珍しい。
祈るようにビニール傘をひらく昼あなたはどこにいるとも知れず
痩身の父親として君がいつか立つという夏 カンナが光る
ワイシャツの背を流れゆく濃き葉陰わたしにばかり時間はあった
ビー玉の底濁る昼 くちづけて顔から表情を剥がしたり
栞紐のさきをほぐしぬ一月の心に踏みとどまる名前あり
 これらの歌を読んだだけでも大森の歌人としての資質がよくわかる。それは過度に自己主張しない、どちらかと言えば控えめな〈私〉と、感性に基づく世界の把握である。このうち前者は「ひとの背中を眺めるのが好きで、図書館ではいつも窓際の一番後ろの席に座っていた」という角川短歌賞受賞の言葉がよく物語っている。前に出るのではなく、後ろに下がって背中から世界を見るのを好むのである。また後者は角川短歌賞選考会で選者の永田和宏が何度も口にした「感性の重み」「感性の錘」という言葉に表れていよう。その意味するところは、自分の感性に頼ってしゃにむに突き進んだり、ただ言葉の組み合わせによってポエジーを立ち上げるのではなく、細部の具体性が感性の錘として働いて、歌に重みと具体性が加わっているということである。
 たとえば上に引いた一首目を見てみよう。下句の「あなたはどこにいるとも知れず 」は心のつぶやきで、これだけでは歌にならないが、上句のイメージの具体性が効いている。「ビニール傘」という詩的からはほど遠いアイテムと「祈るように」との組み合わせが、下句のつぶやきを発した主体の個別性を担保する。このイメージの具体性は、他の歌では夏に光るカンナであり、ワイシャツに背を流れる葉陰であり、底濁るビー玉であり、ほぐした栞紐である。
 では大森はこのような眼前の個別性にのみ目を注ぐのかというと、そうではない。
ハルジオンあかるく撓れ 茎を折る力でいつか別れるひとか
われの生まれる前のひかりが雪に差す七つの冬が君にはありき
くちと唇合わすかなしみ知りてより春ふたつゆきぬ帆影のように
遠い先の約束のように折りたたむ植物園の券しまうとき
後戻りするものだけがうつくしい枇杷の種ほど光る初夏
 ここには冒頭に指摘した大森の時間意識が色濃く滲み出ている。一首目には今自分の隣にいる人と別れることになるかも知れない未来の時間が詠まれている。つまりこの歌には「今」と「未来」のふたつの時間があり、自分はその間を漂う存在だと意識されているのである。二首目は恋人が自分より7歳年上であることを詠んだ歌だが、それを光差す7つの冬と美しく表現している。ここにあるのは未生の時間への眼差しである。三首目でふたつの春が帆影に喩えられているのは、時間の流れは捉え難いからである。四首目にはおもしろい時間の転倒がある。折りたたんでいる植物園の入場券は使用済みの券だろう。ふたりで植物園に行ったのである。だからこの券は過去に属する。しかしそれを遠い約束と意識するのは、過去と未来とを架橋するものとして自分を捉えているからである。また五首目の「後戻りするもの」とは過去にほかならない。
 このように大森の眼差しに捉えられるものは、眼前に今として存在し体感することができるものという狭いリアルだけではなく、〈私〉を流れる時間でもあるのだ。この時間意識が大森の短歌に奥行きを与えていることに注意しておこう。
 本歌集にはよい歌がたくさんあるのだが、特に印象に残った一首だけをあげておこう。
喉の深さを冬のふかさと思いつつうがいして吐く水かがやけり

第121回 山崎聡子『手のひらの花火』

セーターを脱げばいっせいに私たちたましいひとつ浮かべたお皿
                 山崎聡子『手のひらの花火』
 近年、学生短歌会の復活・創設ラッシュだという。一時は伝統ある國學院短歌会や立命館短歌会などが活動を停止し、まともに活動しているのは早稲田短歌会と京大短歌会くらいという時代もあったのだが、風向きが変わって全国で学生短歌会の活動が盛んになっている。詳しくはこちらを参照。いったいどういう風の吹き回しかと不思議に思うが、不思議に思うだけで原因に心当たりはない。いずれにしても若い人たちが短歌に興味を持ってくれるのは喜ばしいことである。当たり前のことだが、裾野が広がらなければ才能は出て来ない。また評論家の草森紳一に「才能はまとまって輩出する」という名言がある。少女マンガの花の24年組を見てもこの言が真実を突いていることは明らかで、この意味でも学生短歌会が活発に活動することで、若い人たちがお互いに刺激しあうのはよいことだ。
 若手歌人の歌集が相次いで出版され、また書肆侃侃房を版元とする「新鋭短歌シリーズ」の刊行も始まった。現代短歌シーンが少しずつ動き始めている気がする。これから何回かに分けて見ていこう。今回は山崎聡子の第一歌集『手のひらの花火』である。
 山崎は1982年生まれ。早稲田短歌会所属、ガルマン歌会・「pool」に参加。2010年に「死と放埒なきみの目と」で短歌研究新人賞受賞している。『手のひらの花火』は受賞作の一部を含む第一歌集で、栞文は日高堯子、加藤治郎、穂村弘、石川美南。装丁は「塔」の花山周子。あとがきによれば、短歌を作り始めた19歳の頃の作から最近の作まで250首を収録したという。ほぼ編年体だと思われる。
 若い歌人の歌集を読む時には、作歌技術の巧拙を論じてもしかたがない。若いのだから作歌技術に未熟な点があるのは当然だ。若い歌人の歌集を読む時に私が一番注目するのは、「言葉で構築された世界との距離の取り方」である。もちろんのこと短歌の世界はすべて言葉で構築されている。しかし、作り上げられた言葉の世界に対して、作者もしくは作者が投影された〈私〉がどのような立ち位置を取るかは人によって様々である。これは写実かそうでないかという位相とはまた異なる。
うすぐらき庭に枇杷の実ふとる夜半いさかう前に夫は眠りぬ
                後藤由紀恵『ねむい春』
りすんみい 齧りついたきりそのままの青林檎まだきらきらの歯型
             山田航『さよならバグ・チルドレン』
やはらかき手のあらはれて思ふさま入れる鋏のひびきは空に
                  鳴海宥『BARCAROLLE』
みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむ角をほこって
                    小林久美子『恋愛譜』
 後藤の歌の立ち上げる世界は〈私〉と肉薄する距離にある。作者の自宅の庭に本当に枇杷の木があるかどうかは関係ない。後藤の歌は〈私〉の歌である。これに対して山田の歌では、歌の世界と作者もしくは〈私〉はもう少し距離が離れている。歌に作者の感情が投入されているとしても、歌の世界は作者を少し離れた空間に浮遊している。鳴海の歌になるとさらにその距離は増す。言葉は〈私〉に奉仕するのではなく、短歌という文学形式を満たすことにもっぱら奉仕している。出来上がった歌は、作者を限りなく離れた空間に浮遊する。小林の歌ではさらにその度合いが進み、言葉は現実の意味をほぼ失ってポエジーを立ち上げることにのみ奉仕している。鳴海や小林の歌が漂っているのがもはや非人称と化した「文学空間」に他ならない。「言葉で構築された世界との距離の取り方」というのはこういう事情を指す。
 では山崎の『手のひらの花火』はどうかと言うと、まだスタンスが決まらないきらいはあるものの、独自の距離感を感じさせるものが確かにある。
塩素剤くちに含んですぐに吐く。遊びなれてもすこし怖いね。
理科室のホルマリンに似た甘い香が夏の土から匂い立つなり
「秘密ね」と耳打ちをして渡された卵がぐらぐら揺れるポケット
ソーダーのにおい仄かに立ちのぼる手首をきみに押し当てている
助手席のクーラーからは八月の土のにおいが漏れて 遠雷
 ここに引いた歌に共通するのは「どこか危険な香り」であり、「世界に対してロシアン・ルーレットを仕掛けているような眼差し」である。一首目は高校のプールの情景だが、殺菌のための塩素剤を口に含むのはもちろん危険な行為である。子供の無邪気な遊びというには、知りながらあえてする確信犯的な響きが感じられる。二首目、夏の土から立ち上る匂いは草いきれも混じってもっと爽やかなもののはずだが、動物の標本死体を入れたホルマリンの匂いだという。三首目には長い詞書のような散文が添えられているのだが、小学校の用務員が学校の門前のアパートに住んでいて、よく子供達を招き入れて遊んでいたという。子供に「秘密ね」と耳打ちして卵を渡しているのはこの用務員の男である。このシチュエーションだけでも十分に危険なのだが、それに加えて卵のぐらぐらである。四首目と五首目は短歌研究新人賞を受賞した連作「死と放埒なきみの目と」から引いた。この歌集には収録されていないが、受賞作には「罪深いおしゃべりばかり溢れだす、カローラ、義兄の白いカローラ」という歌があって、義兄との危険な場面だということがわかる。五首目には人物はいっさい登場しないにもかかわらず、何かが起こりそうという危機感がよく表現されている。
 これらの歌に表現された世界と作者・山崎との距離感は、20代前半の若い女性という作者の実像と照らし合わせて見れば、それほど理解が難しいものではない。子供時代は世界が大きく自分は小さい。自分は完全に受動的な立場に置かれる。大人になって経済的に自立し社会的立場を得ると、今度は能動的立場に立って社会を動かすことも多くなり、世界と自分の関係は変わる。しかし20代前半の若い女性というのは微妙な年齢である。受動と能動のきわどい均衡を利用して危険な火遊びをしているようにも見える。
 第一歌集を通読して感じるのは、山崎はこの自分と世界の距離感をよく掴んでいて、それを梃子にして短歌の世界を立ち上げているということである。そこがこの歌集の魅力だろう。ただし、歌集後半になるとさすがにそれだけでは短歌世界を支えきれなくなったのか、子供時代のノスタルジーや映画の世界や第二次大戦の風船爆弾の逸話などを素材にしているが、あまり成功しているとは思えない。山崎特有の「世界に対してロシアン・ルーレットを仕掛けているような眼差し」が感じられないからである。
 次にテーマ批評的に分析してみると、この歌集を通底するのは「匂いと湿り気」というテーマである。上に引いた五首のうち実に四首に匂いが詠まれているが、まだまだある。
虹色に塗り分けられた天井やピエロの動物じみた体臭
雨の日のひとのにおいで満ちたバスみんながもろい両膝をもつ
しっとりと湿る前髪そこに触れ泣かせてみたいと思うバスシート
演劇部顧問のあまい体臭が照明ルームの暗さににおう
右腕のつけねのやわい筋肉は夕立に似たにおいがしてる
 これは山崎が世界とどのような回路で繋がっているかをよく表している。それは匂いという嗅覚と湿り気という触覚である。世界を知的な構築物としてではなく、感覚を通して触れる知覚対象として捉えているということで、これが山崎の短歌に実感的手触りを与えていることに注意しておこう。
 細かい言葉の使い方とか、口語ベースにときどきぼつりと混じる文語表現とか、表現上気になる点はいろいろあるが、ここで言ってもしかたがない。
 歌集のなかから心に残った歌をあげておこう。
肺胞の模型図を陽に透かしつつ息をひそめて心音を聴く
ほおずきを口のなかから取り出せばいのちを吐いたように苦しい
ペディキュアを塗っては十の足指をひたむきにサンダルに沈める
放埒な光が宿るきみの目のひとなつで死に絶えるひぐらし
祖母の濁った目をおもう夏の日のそら豆のそのうすい皮膜に
小説のなか晩年を見たあとに市営プールに日陰はなくて
絵の具くさい友のあたまを抱くときわたしにもっとも遠いよ死後は
水辺にいるようなにおいだ花を抱き商店街に立ちつくす友
 これらの歌には山崎の〈私〉と世界との、一瞬後には壊れてしまうかもしれないような、危うい刹那的な関係がよく表現されている。そこが魅力なのだが、こういう世界の立ち上げ方で今後も歌を作り続けて行くのはいささか苦しいかもしれない。そのとき山崎に転機が訪れることは十分考えられるだろう。

第120回 後藤由紀恵『ねむい春』

隊列のほどける時にきわやかに鳥のかたちを取り戻したり
                 後藤由紀恵『ねむい春』
 何の鳥だろうか。隊列を組むのだから雁だろうか。隊列を組んでいる間は、飛行する速度や姿勢は他の鳥に従う。隊列が崩れて孤に戻る時に、鳥は本来の鳥の形を回復すると歌は云う。作者の心の深くに潜む希求を反映した心象風景で、写実ではあるまい。感情を形象に託した歌で、その感情の基調は〈不全感〉である。作者の後藤はこのように、日常の濃やかな感情の波立ちを具象化して言葉に落とし込む技に巧みである。
 『ねむい春』は2013年刊行の第二歌集。2004年の第一歌集『冷えゆく耳』で現代短歌新人賞を受賞してからの歌をほぼ編年体に収録している。かつて『冷えゆく耳』について、「後藤の歌の主題は同居する両親と祖母から構成される家族という舟だ」と書いたが、本歌集においてもその基本的姿勢は不変であり、収録された歌のベースには日々の暮らしが常にある。だから順番に読んでゆくと、まるで作者の人生行路を指でなぞるのように克明にたどることができる。後に触れるように、本歌集に収録された歌が作られた期間にはいろいろな出来事が作者の身辺に起きているのだが、歌は淡彩の絵のようにそれらを淡く描いている。粒がそろった真珠の首飾りのように、一首一首の粒がそろっているために印象が淡く見えるのだが、粒がそろっているということは歌の技術的レベルがそれだけ高いということだろう。逆に言えば集中でこの歌というように、一首を代表歌として挙げることがむずかしい。それは作者が短歌をあくまで生活に即したものとして捉えているということでもある。芸術派ではないということだ。
 さて収録された歌を順に見てみよう。
転倒をくりかえす祖母をささえつつ廊下を歩くわれのスリッパ
しずかなる馬の眼をもてかなしみを語らぬままに老いてしまえり
淡々と事実を告げられ病人になりゆく父とわれら家族と
胸にある葉の枯れゆくを指し示す医師の声のみしんと響いて
 第一歌集ですでに老いの兆していた祖母は、介護が必要になり認知症の傾向が出ている。父親は突然肺ガンの宣告を受け、入院し手術を受ける。このような家族の変化も大きいが、いちばん大きな出来事は大学の事務職員だった作者が結婚したことだろう。
うめさくら冬から春へうごきゆく季節に君と暮らしはじめつ
うすがみに筆圧つよく名をきざむ作業ののちに婚はととのう
薬屋とカラスの多き町と知るひとつの季節を君と暮らして
 やがて祖母は泉下の人となり、作者は新しい町で派遣社員として働き始める。また長年営業した実家の居酒屋は閉店することになる。
いくたびも撫でし額を死ののちもふたたび撫でるわれのてのひら
派遣会社ことなるわれら時給には触れずランチはなごやかに過ぐ
この春に店を閉めると一行の母のメールに風雲の立つ
 結婚生活も順調とは言えず、夫との間に越えがたい心の壁が出来ているようだ。
うすぐらき庭に枇杷の実ふとる夜半いさかう前に夫はねむりぬ
寄り添いて添わぬこころを冬ざれの馬橋公園のベンチの上に
夫という輪郭を持つとうめいな壁とわれとに冬の陽の射す
玄関のドアをあければ夫という夜の湿原われを待ちおり
 歌集の批評においてもこのように作者の実人生をたどらざるを得ないのは、それを離れては作者の短歌が意味を持たないからである。それはそれで短歌に対するひとつの態度であるので、文句をつける筋合いはない。
 後藤の短歌の特色として注目すべきなのは、濃やかな情感の表現と、体感を掬い上げるように言葉に落とし込む表現力だろう。
君の声しずむ身体もてあましひねもす春をふかく眠らな
六人の女のあしもと冷えてゆく事務室に置く硝子のりんご
背中からみどりに濡れてゆく午後のベンチにふたりとりのこされて
耳ふかく気圧は変わりトンネルを抜ければ夏の空だけがある
しびれるまで冬の真水にさらしおく十指につかむこの先のこと
緋の色の革手袋のうちがわに指先の知るくらやみがある
執拗に水切りしたる豆腐もて白和えつくる二月の厨
 一首目の「君の声しずむ」に見られる音声と重力を結びつける表現、二首目の冷えゆく室内と硝子のリンゴの呼応、三首目の色彩と濡れる感覚の照応など、身体感覚を何かと結合することでいっそう際立たせている。四首目の気圧の変化による耳の感覚や、五首目の指の感覚などにも同じことが言える。とても微細な身体感覚を掬い上げて、感情の表現へと昇華させているところが巧みである。読んで歌意が取れないという歌がほとんどない。七首目はいわゆる厨歌で、女性が得意といるところだが、「執拗に」という初句の副詞に圧がかかっているところが歌のポイントだろう。
 『ねむい春』はこのように表現力のレベルの高い歌集で、読者は読み進むうちに作者の感情の起伏や細かい襞に至るまでを、寄り添うようにたどることができる。本歌集の本来の批評はここまでである。残りは雑感で、私の勝手な感想である。
 読み終えた後に「しかし」という思いが残る。本歌集を通読して感じるのは〈閉塞感〉である。それは女性として妻としての社会的役割がもたらす閉塞感だろう。歌集巻末近くに、東日本大震災の後で津波に洗われた写真洗浄のボランティアに赴いた折りの歌がいくつか配されていて、〈私〉の枠を超えた社会的回路が感じられるが、それも僅かである。
 文学表現の理想は、個を描いて普遍に至ることだろう。個に閉じられることなく普遍への通路を開くことで、表現は共有され共感される。そのためには個を克明に描きながらも、どこかに普遍を意識しなくてはならない。普遍への回路を組み込むことで、文学表現は〈私〉の表現から〈私たち〉の表現へと変貌する。
 普遍への回路が組み込まれていると私が感じるのは次のような歌である。
軋みつつ人々はまた墓碑のごとこの夕暮れのオールを立てる
                 寺井淳『聖なるものへ』
観音のおゆびの反りとひびき合いはるか東に魚選るわれは
             大滝和子『人類のヴァイオリン』
まづ水がたそがれてゆきまだそこでためらつてゐる夜を呼ぶそつと
                   大辻隆弘『夏空彦』
 普遍への回路は、実生活においてはいざ知らず、少なくとも言語表現においては閉塞感から解き放たれるひとつの通路である。

第119回 内山晶太『窓、その他』

よみがえるこころ、車窓を信号機のうつくしく過りゆく転瞬を
                 内山晶太『窓、その他』
 集中の最上の歌ではない。短歌として韻律のよい歌でもなく、結句の文法的な繋がり方も曖昧だ。しかし一読したときにまず惹かれた歌である。
 一日の仕事の果て、疲弊して夜の郊外電車に揺られている。空いている座席はなく、立ったまま吊革を握っている。仕事の澱と日々の塵埃に心は重く淀み、眼球は埃を被った玻璃のように鈍く曇っている。やがて電車は信号機のある踏切に差しかかる。赤く明滅する信号機を車窓から眺めたとき、作者の心にふいに転瞬が訪れる。闇に明滅する赤い光に、枯れかけた花が水を得たように心に生気が甦る。その一瞬を鮮やかに切り取った歌である。この歌には世界に対する作者のスタンスがよく顕れている。それをひと言で言おうとすると〈失墜と恩寵〉という言葉が頭に浮かぶ。失墜は私たちが生きる日々であり、恩寵はたまさか訪れる光である。掲出歌には微かな祈りすら込められているように感じる。
 内山晶太は1977年生まれ。「短歌人」「pool」所属。1998年に「風の余韻」で短歌現代新人賞を受賞している。『窓、その他』は2012年出版の第一歌集。タイトルは「まど、そのほか」と読む。タイトルに読点が含まれているのは珍しい。跋文はなく、プロフィールによれば作歌歴は20年になるという。満を持しての第一歌集と見た。それにふさわしい中身の濃い歌集である。
 内山の短歌世界はどのようなものか。まず次のような歌が並んでいる。
通過電車の窓のはやさに人格のながれ溶けあうながき窓見ゆ
「疲れた」で検索をするGoogleの画面がかえす白きひかりに
湯船ふかくに身をしずめおりこのからだハバロフスクにゆくこともなし
陸橋のうえ乾きたるいちまいの反吐ありしろき日々に添う白
口内炎は夜はなひらきはつあきの鏡のなかのくちびるめくる
自販機のひかりのなかにうつくしく煙草がならぶこのうえもなく
 この歌集に登場するのは都市・東京に労働する勤め人である。勤め人はいくばくかの対価のために労働を提供し、長い通勤時間を耐える。一首目はその通勤電車を詠ったものだが、電車の速度のため乗客の人格が溶けて見えるという。「ながき窓」の表現に、人間が溶けて固まったような不気味な印象がある。古典的な用語を使えば、これは「疎外」に他ならない。二首目、「疲れた」で検索する人は現実にはいないだろうが、思わずしてしまうほど疲れているのだ。集中全編にこの疲労感が漂っており、本歌集のライトモチーフのひとつとなっている。三首目、本当にハバロフスクに行きたいわけではなく、ハバロフスクは閉塞状況からの脱出の象徴に過ぎない。四首目、陸橋は鉄道を跨ぐ跨線橋だろう。酔漢が前の晩に吐いた反吐が乾いている。ありふれた都市風景だが、作者はその乾いた反吐の白に心を寄せている。「しろき日々」は平板な日常であり、自分をこの反吐と同じようなものと観じている。五首目は日常の細かなものに着目する作者の姿勢を表す歌。口内炎を「夜はなひらき」と表現したところがささやかに美しい。六首目は煙草の自動販売機を詠んだ歌で、都市生活者の乾いた抒情である。
 このように日々の労働と塵埃にまみれる都市生活者の日常と、そこに訪れる微かな希望と湧き上がる祈りとが、内山の短歌世界の中核を形成していると思われる。
 同じ短歌人会の生沼義朗とは2歳違いのほぼ同世代で、都市生活者の抒情を核にしている点は共通しているものの、生沼の神経症的傾向とサブカル好みは内山にはない。男歌の系譜を辿れば、先輩格の藤原龍一郎と小池光が控えているが、藤原のギミックと固有名の氾濫と慚愧、小池の韜晦と軽みともまた、内山は対照的である。内山には内省的という形容がふさわしい。
 本歌集のタイトルが示すように、内山には窓を詠んだ歌が多い。
四階の窓のむこうに老人の気配の綿毛ひかりつつ浮く
列車より見ゆる民家の窓、他者の食卓はいたく澄みとおりたり
閉ざしたる窓、閉ざしたるまぶたよりなみだ零れつ手品のごとく
夕闇の気配ひろがる午後五時の澄明、ひろき窓を隔てて
昼といえどうすぐらき部屋のひとところ泉に出遭うごとき窓あり
 なぜ窓なのだろうか。二首目を見てみよう。通勤列車から見た風景である。沿線の民家の窓の中にダイニングキッチンの食卓が見えている。食事時は過ぎており、テーブルに人はいない。特別な食卓ではないのに、「いたく澄みとおりたり」と作者には見える。なぜか。望遠鏡を逆さまに見た光景だからである。試してみたことはないだろうか。ふつう望遠鏡を覗くと遠くのものが近くに大きくみえる。望遠鏡を逆にして見ると、近くのものが遠くにあるように見える。それは身近にある親しいものが、妙に遠くに離れてしまい、私の属する世界の外にあるように見える奇妙な感覚である。
 二首目の作中の〈私〉と民家の食卓は別の世界に属しているのだ。移動する〈私〉と不動の民家はやがて離れてゆくという意味において別の世界に属している。それは内山が〈私の一過性〉を深く内面化していることに由来する。
 もっとも内山にとっての窓は決して一義的存在ではなく、多様な意味を与えられている。上に引いた一首目には別の世界という意味はなく、また三首目は窓と眼のアナロジーがあり、四首目や五首目では〈私〉を世界に開いたり、泉のような清新さを与えるものとして捉えられている。
 とはいえ逆さ望遠鏡の比喩が示すように、世界から一歩引いた立ち位置は内山の基本姿勢のように思える。
人界に人らそよげるやさしさをうすき泪の膜ごしに見き
夕闇のおさなき闇よ、かすみ草さわだつごとく人は群るるを
くびすじに触るる夜風を人としてすずしき肉をふかく憐れむ
いつか泣く日々ちらばりて見ゆるなり木の間隠れの街の明かりが
みずからを遠ざかりたし 夜のふちを常磐線の窓の清冽
 同じ連作から並んでいる五首を引いた。静かで内省的な抒情の漂う美しい歌群である。目の前の風景を「人界」と呼び、木の間隠れに遠くから街を眺めるのは、〈私〉がこの世界に含まれていないと感じているからである。それは単純な現代社会の疎外感とか離人感から来るものではなく、内山がキリスト者だからではないだろうか。
濁ることのふかさといえど雑居ビル四階のミサにこころ涵すも
にんげんの顔のゆがみを忠実にヨセフ描かるヨセフ物語に
コラールを聴く夜おのずとひらきゆく指よりコラールはあふれたり
福音のひびき及ばぬわが部屋を光にしみて朝のパンあり
 内山の聴くコラールはマリー=クレール・アランの演奏するバッハの「我深き淵より」だろう。部屋にころがるパンがキリストの肉の象徴であることは言うまでもない。宗教者とは、自分をこの世のみに属するものではなく、いつか行くあの世にも属する者と捉える人であり、ひいてはこの世よりもあの世に属していると捉える人である。こうしてあの世からこの世を眺める眼差しを内在化してゆく。内山の歌に見られる世界への距離感はここに起因するように感じられる。次の歌などはこのことをよく表している。
晩年のまなざしをもて風うすきプラットホームに鳩ながめおり
 内山の歌全体に漂う寂寥感と静かな内省、そして深い場所から湧き上がる祈りのような言葉は、内山が若くして「末期の眼」を持ったことによると思われる。私を「いつか死ぬ存在」と捉え、終点からこの生を逆向きに眺める。これが内山の逆さ望遠鏡の秘密である。
 しかし考えてみれば、私を過ぎゆくはかない存在と見る態度は、古典和歌の「あはれ」の基盤をなす世界観である。この意味で内山の歌は現代短歌でありながら、遠く古典和歌の精神に連なるものと見ることもできよう。
 次のような歌に特に心を惹かれた。
ドーナツの穴の向こうに見えているモルタルの壁はなみだあふれつ
帰宅とは昏き背中を晒すこと群なしてゆく他者の背中は
オランダにかなしみのある不可思議を雨の彼方の観覧車まわる
彼岸花あかく此岸に咲きゆくを風とは日々のほそき橋梁
ただよえる花ひとつずつ享け止めつしめやかにして水を病む河
人生はひとつらの虚辞ふる雪の降り沈みゆくまでを見守れば
高みへと吹き上げらるるはなびらへ手を振りながらなお生は冷ゆ
薄紙がみずに吸いつくときのまを何処の死者か肉を離るる
 いずれも内山の美質がよく現れた歌である。『窓、その他』は2012年度の収穫として記憶されるだろう。