第108回 山下泉『海の額と夜の頬』

ホネガイの影ひらきゆく夕べまで傾けつくす夜の水差し
              山下泉『海の額と夜の頬』
 世評高かった『光の引用』に続く山下の第二歌集が今月ようやく出版された。『光の引用』が2005年だから7年間の歌が収録されている。版元は同じ砂子屋書房で体裁や造本はほぼ同じなのだが、違いが2点ある。第一歌集では縦書きだった歌集題名が横書きになっている。また第一歌集では1行を20字に固定した版組なので、長い歌は改行されて2行になる。ところが本書はその方式をやめて、すべての歌を1行に収めるように組まれている。これで読むときの印象がずいぶん違ってくる。個人の好みの問題かもしれないが、私には第一歌集の版組の方が好ましく感じられる。1行20字なので字間が空いており、行の高さが揃っているので整然とした印象がある。また読んでいて一首の読字時間にも差が出るように感じるのである。
 山下の歌人としての資質については『光の引用』を取り上げたコラムで述べたので、ここでは繰り返さない。第二歌集を読んで受ける印象も同じであり、大きな変化はない。しかし小さな変化はある。それについて述べようと考えているのだが、どうも考えがうまくまとまらない。その原因は那辺にありやと愚考するに、どうもそれは山下の短歌の捉えにくさに由来するのではないかと思い当たった。山下の短歌を論じた文章を私はあまり知らないが、山田航の「トナカイ語研究日誌129」では、山下の短歌は「残酷な童話」のようであり、「終わらない子供時代への憧れ」ゆえに「奇想的な世界観」を展開しているとされている。また山下は病院と画廊をよく歌に登場させるが、それをつなぐキーワードは「廊」であり、うねうねと続く無時間的な廊の迷路に読者を誘っていると続く。山田の文章を読んで、同じ短歌でも人によって受け取り方がずいぶん違うものだと驚いた。
 前のコラムにも書いたことだが、山下の歌の特質は、ドイツ文学、特にリルケへの傾倒に由来する選ばれた言葉による硬質な抒情と、現代詩へのゆるやかな接続を意識した語法にある。それが「遠き夜を手繰れば揺れる魚と蝶くぐりきし水まとえる光」のように高度に象徴的で詩的圧縮を伴う歌となって現れる。
 第一歌集との違いは、この象徴主義的語法がやや薄れ、それに比例して第一歌集ではほとんど姿を見せなかった〈私〉が顔を出す歌が増えているという点である。象徴主義的語法が薄れたせいで歌はわかりやすくなったが、その反面、第一歌集のどのページにも漲っていた浜田到ばりの天上的もしくは天使的な高踏性が薄れている。たとえば次のような風である。
うすやみに鬱金の大きな葉が揺れて、ずっと怒っていたと気づけり
鮮明に声をつかえばいつまでも父の微笑のただよう木陰
弟と話がしたい昼の底の白パンの影にさわったときは
 意図して選んだ訳ではないが、前歌集よりも口語性の強い歌が増えているようだ。〈私〉だけではなく家族も歌に登場する。そして歌の中では父君は歯科医師であったこと、弟はヘビの研究のためにインドに行く学者らしいことなども語られている。父君が病を得て亡くなられたことも、母君が介護が必要なことも、淡彩画のように描かれる。作者の歌風の変化にはこのような実生活上の大きな出来事が反映しているのかもしれない。
父の遺品にピンセット欲る人ありぬ入り日を受けて光るであろう
仏壇にあいさつをして弟はケーララへ行く蛇を調べに
父の骨は母屋をいでて墓に入り墓は宇宙の家居となりつ
茶臼山まで歩かんと誘いしがみなし子のごと母はほの昏し
目蓋から煙のように逃げてゆくかなしみは朝の奥の夕暮れ
 とはいえ伝統的な近代短歌よりは現代詩に近い言語感覚が随所に見られることは前歌集と変わらない。それは語彙の選択に表れていて、私が殊に感じ入ったのは「プルキニェ現象」と「単舎利別」という言葉である。プルキニェ現象とは、チェコの生理学者ヤン・プルキニェが発見した現象で、日中は赤色が目立って見え、夕暮れになると青色が目立つという視覚感度のずれを言う。連作の題名で歌に詠まれてはいないが、「身の粉を混ぜてつくった彫像はゆうぐれ青く目があくだろう」という連作中の歌に木霊している。単舎利別は薬剤師の用語で、白砂糖の水溶液のことらしい。「シロップよ単舎利別よ消すものは悪ではなくて悪意の欠片」という歌に登場する。いずれも色に関係しており、青と白と透明は山下の歌にはよく登場する色であり、山下の短歌世界の重要な構成要素である。
 歌集からいくつか歌を引いてみよう。
松原のとがる夜更けをわたりゆく月の光にひらく腐刻画
細密な光を浴びているのだろう子供の声のなかの地下鉄
貝寄せの風にととのう砂浜の海の額をつつしみ踏めり
迎えにゆく舟のありなん栴檀の花咲き出でて深き目蔭に
ひとりずつ暮らしていたりマグノリアの花のすきまの夜の青さに
ひったりと田に水が入り月に灯が入りて明るき夕べとなりぬ
 山下の短歌には季語があるわけではないが季節が感じられるものが多い。一首目、松原に月なら月が冴える秋が相応しかろう。腐刻画はエッチングのことだから色はなく、明度の異なる黒のみの風景である。二首目、「細密な光」というのも山下語のひとつ。晩夏になり夏の湿度が下がると、物が細部までくっきり見える魔術的な時間が訪れることがあるが、そんな光を思わせる。「子供の声のなかの地下鉄」という表現に詩的転倒がある。三首目、「貝寄せの風」とは3月下旬に吹く西風。大阪の住吉海岸に吹く風で浜辺に吹き寄せられた貝殻を集めて造花を作って四天王寺に献納したという。これは立派に俳句の春の季語となっている。四首目、栴檀の花は春に咲くのでこれも春の光景。なぜ上句に舟が登場するのかはわからないが、この歌は美しい歌である。五首目、マグノリアは木蓮のことだから、これも花が咲くのは春である。三句以下に注目しよう。「マグノリアの花のすきまの夜の青さに」には「名詞+の」が4回出て来る。これは山下の好みの語法のようで、よく使われている。助詞の「の」で結ばれた名詞から名詞へと移るのは、啄木の「東海の小島の磯の白砂に」のように焦点を絞り込んでゆく効果があるのだが、山下の場合必ずしもそうではなく、用いられる名詞の意味の位相が異なるため、名詞を辿って行くといつのまにか具体から抽象へ、現実から思念へと誘われるかのごとくである。
 ここでもう一度掲出歌に戻ってみよう。
ホネガイの影ひらきゆく夕べまで傾けつくす夜の水差し
 ホネガイとはまるで魚の骨のような棘条の突起を持つ貝で、古代フェニキアでは貝紫の原料として用いられた。形が美しいので置物として窓辺に置かれているのだろう。「ホネガイの影ひらきゆく」は日が暮れて貝の影が伸びる様で、時間の経過を表している。その様が水差しを傾けて零れた水が広がる様子に喩えられている。ホネガイは貝紫の原料なので、この歌の裏側には紫色が潜んでおり、それは迫り来る夕闇の紫と見事に呼応している。色彩と時間とが緊密な語法で詠み込まれていて美しい。山下の真骨頂はこのような歌にあると思われる。

第107回 神野紗季『光まみれの蜂』

影よりも薄く雛を仕舞う紙
     神野紗季『光まみれの蜂』
 神野紗季こうのさきにはすでに20歳の折に編んだ『星の地図』という句集があるが、『光まみれの蜂』は『星の地図』からも数句を取り入れて出版された第一句集である。『星の地図』は初期句集という位置づけで、作者自身が若書きと捉えた結果だろう。俳句甲子園の出身で、2002年に芝不器男俳句新人賞坪内稔典奨励賞という長い名前の賞を受けて以来、期待の新人として注目されてきた。待望の第一句集で、楽しみかつ感心しながら読んだ。
 多くの人の指摘するところだが、神野の句の特徴は若々しく伸びやかで繊細な感性にある。例えば掲出句は、桃の節句を過ぎ、雛人形がその役目を終えて、また一年の睡りに就く場面を詠んでいる。人形をていねいに薄葉紙でくるむのだが、その紙が影より薄いというのである。人形の影はわずかなものだが、その影に着目し、また薄葉紙と対比させるのは細やかな注意力と感性と言えるだろう。
 テーマ批評的に捉えるならば、この句集は光の句集である。
ブラインド閉ざさん光まみれの蜂
光る水か濡れた光か燕か
団栗にまだ傷のなき光かな
さざなみのひかり海月の中通る
秋蝶と小指の爪の光かな
校舎光るプールに落ちてゆくときに
 一句目は陽光が眩しいのでブラインドを閉じようと窓に近づいたときに、窓枠に蜂が留まっているのに気づいた場面だろう。その蜂が光まみれだというのだが、ひょっとしたら蜂は死にかけているのかもしれず、そこに一抹の暗さが感じられる。二句目は目の前をすばやく飛び去る燕の印象を、光る水か濡れた光かと詠んだもの。濡れた光とは燕の羽の艶やかさを言い当てたものだろう。三度繰り返された「か」に速度が感じられる。三句目は説明不要で、地に落ちて間もない団栗である。後にまた触れるが、神野の句には時間の経過を感じさせるものがあり、この句もそのひとつである。ポイントは「まだ」という副詞で、やがて風雨に曝された団栗が光を失う予感がそこに込められている。この予感から広がる想いがあり、見かけよりも奥行きの深い句である。四句目は半透明のクラゲの中を光が通過するといういささか幻想的な句だが美しい。六句目は高飛び込みの場面を詠んだもの。いかにも若々しい躍動感が感じられ、この素直さが神野の身上だろう。
 もちろん光があれば暗さがあり、光と影はその意味で一体のものである。本句集には影を詠んだ句もある。
シンク暗し水中花の水捨てるとき
桃咲いて骨光りあう土の中
靴音を聞きつつ死んでゆく兎
食べて寝ていつか死ぬ象冬青空
ある星の末期の光来つつあり
 とはいえ影はまだ抽象的でそれほど具体的で生々しくないのは若さの故だろう。二句目は不思議な味わいの句で、桃の木の下に埋まっているのは死者の骨か。最後の句は億光年の彼方から地球に届く光を詠んだものだが、もちろん光が到達する頃にはその星はもうないのである。若い頃には星空を見上げてこういう想いに捕らわれることがある。
 神野の俳句の魅力のひとつは、句に詠まれた出会いの新鮮さと、それを捉える感覚の清新さにあるのではないかと思う。
ライオンの子にはじめての雪降れり
船上のひとと目の合う氷菓かな
冬林檎椅子の曲線とも違う
人類以後コインロッカーに降る雪
 一句目のライオンの子は動物園産まれだろう。日本生まれのライオンの子はこの冬に初めて雪を見るのである。ここにはライオンの子と雪とのお初の出会いがあるが、私たちが感心するのは、見慣れたはずの雪を見て作者がこのことに気づいたという点にある。見慣れたものを新しく見せてくれるのが短詩型文学の魅力のひとつだ。二句目は川岸のベンチか何かに座ってアイスクリームを食べている光景か。すると川を行く船に乗る人とふと目が合った。もちろん知らない人で、船は進んで行くから人も視界から遠ざかる。目が合うのは一瞬のことである。そのことに特に意味はない。しかしこの句にはその一瞬の出会いを掬い上げる心がある。三句目はテーブルの上のリンゴの丸みと食卓の椅子の背か脚の曲線とを比較している場面。上の方は曲率が大きく下に行くほど小さくなるリンゴの絶妙な形状にただ感嘆するのではなく、それを椅子の曲線と較べるところがやはり出会いなのである。四句目もまた雪の句だが、人類の出現以前にはコインロッカーに降る雪という風景は存在しなかったことに想いを馳せている。この句の背後に数万年から数百万年にわたる時間を幻視することもできよう。
 あからさまではないが「船上のひとと目の合う氷菓かな」にも時間の経過が潜在している。船は進み人は視界からやがて消えるからである。この時間は溶けてしまうアイスクリームにも表現されている。団栗の句でも触れたが、神野の俳句にはときおり時間を強く感じさせるものがある。
ゆるゆる捨てる花氷だった水
すこし待ってやはりさっきの花火で最後
 花氷とはよくパーティー会場で見かける生花を封じ込めた氷柱や彫刻のこと。パーティーが終わり後片付けをする頃には、もう氷は溶けてぐたぐたになった花しか残っていない。その水を流しに捨てるのである。この句のポイントは「だった」の過去形で、この過去形が美しくパーティー会場に鎮座していた花氷の過去と、もはや単なる水と化してしまった現在とを一句の中に共存させている。二句目は打ち上げ花火を見ている場面。威勢良く何発もの花火がボンボンと夜空に打ち上がる。さて次の花火はと待つ少しの時間がやがて長い時間へと変化し、もう花火大会は終わりだとわかる。これが最後の花火だとわかるのは、その花火を見ている時ではない。次が上がらないことがわかった時に、時間を遡ってあれが最後の花火だったのだと悟る。まるで私たちの人生のようではないか。自分が幸福だったと知るのはその幸福が過ぎ去った時だからだ。神野はこのように、複数の時間を一句に共存させたり、意識のなかで時間を遡行させたりしている。俳句は字数が少ないため、ひとつの場面・情景を活写することに腐心するのがふつうだが、時間の経過を取り込む神野の工夫は注目されるところである。
 好きな句はたくさんあり、その多くはすでに上に引いたが、残る何句かを挙げておこう。本句集に収められた句のいくつかが私の愛唱句になることはまちがいない。
ひきだしに海を映さぬサングラス
目を閉じてまつげの冷たさに気づく
淋しいと言い私を蔦にせよ
天の川かすかに雪の匂いして
これほどの田に白鷺の一羽きり
石鹸玉小さきものの遠くまで
紙雛張り合わせたるところ透く
ひとところ金魚巨眼となりて過ぐ
キリンの舌錻力ブリキ色なる残暑かな

第106回 川崎あんな『エーテル』

思ひきり苦いやさうは刻み込むどれつしんぐのはるさらだなる
                 川崎あんな『エーテル』
 何事に出会うにも予備知識なしの出会いに及くものはない。この歌集を知ったのは、砂子屋書房のいつも元気なタカハシさんから送られてくるメールマガジンだった。歌集の紹介とともに歌が二首引かれていて、おやっとすぐに目を引かれた。その歌人の個性を見抜くには二首もあれば十分だ。さっそく版元から取り寄せたところ、期待を裏切らないすばらしい歌集だった。
 オフホワイトの無地の表紙に銀箔押しで歌集題名と作者名が記されている他は、一切装飾がない。あとがきも著者紹介もない。ないない尽くしでこれほど徹底して簡素な歌集も珍しい。寡聞にして作者の名にも聞き覚えがないのでGoogle検索してみたが、吉川宏志の書評がひとつあるだけで他にてがかりはない。歌歴も結社に所属しているかどうかもわからない。唯一知り得たのは、著者には『あのにむ』(2007年)と『さらしなふみ』(2010年)という歌集がすでにあるということのみ。しかしそれは作品の鑑賞に不便であるどころか、予備知識なしに純粋に作品と対峙することを可能にする理想的状態である。歌集外形からの〈私〉の徹底した消去は作者自身が望んだものだろう。
 さて、作者の作風だが、それは掲出歌によく表れている。基本の文体はゆるやかな定型意識に基づく文語・旧仮名文体で平仮名を多用している。上句はほぼ定型を遵守するも、下句に至って坂道を転がり落ちるように定型が崩れ字余りとなって、結句は動詞の連体形か連用形で止める歌が多い。掲出歌は字余りにはなっていないが、意味より音が勝っていることは感じられよう。新仮名で漢字に直すと「思い切り苦い野草」とは料理に用いるハーブのこと。下句は「ドレッシングの春サラダなる」だろう。最後の「なる」は「出来上がる」という意味の動詞「なる」の終止形ではなく、断定の助動詞「なり」の連体形と取りたい。「はるさらだなる」は解釈の多義性をたゆたうことで音の側面を浮上させる。カルタヘナ、サンタンデル、アルヘシラスなどに混じったらまるでスペインの地名のようにも響く。歌集から歌を引くが、パソコンの制約で旧漢字(本字)にならないのはご容赦願う。
すううつとエボナイトいろの線條痕のこして空は鳥の渡りに
ぷはぷはの王女まるがりいたのスカートをめくりてを弾くら・かんばねらは
やすみなくする波音にうたふやうにかんたあびれにうたふやうにかんたあびれに
こんなにもしづかでたれも居ないならとゞめをさしに来るものの夕は
かめりあとあめりかはする戦争のオイルせんさうかるいのりの
匙にすくふ紅茶のりやうの些細なるそんなことにまよひしときの
 一読して抱くのは「女手のかな文字言葉」という印象だ。前にも書いたことだが、仮名は漢字よりも読字時間が長い。漢字はパターン認識で音の層を経ずに一挙に意味に到達するが、仮名は「子音+母音」から成る音節文字であるため、日本語モーラの等拍性の原則に従って、飛び石を伝うように均等に進む。このため読者はより長く一首の中に留まることになる。加えて平仮名の連続により文節の区切り目がわからなくなり、切れ目を探して行きつ戻りつするため、さらに長く滞留する。上に引いた三首目がそのよい見本だ。作り手の側からすれば、これは一首の中に流れる時間を自在に操作することになる。
 現代言語学の父ソシュールが明確に述べたように、言語記号はその表現部(シニフィアン)と意味部(シニフィエ)という2面を貼り合わせたメダルのようなものである。表現部は書き言葉では文字、話し言葉では音だが、短歌の場合、たとえ紙面に印刷されて書き言葉の観を呈していても、その受容時に音に変換される。吉川宏志によれば、私たちが短歌を黙読しているときにも、声帯や咽頭などの発語器官はかすかに動くという。
 明治以来の近代短歌の方向性をざっくり言えば、短歌を構成する記号の意味部を重視し表現部をできるだけ透明にする試みだと考えられる。短歌は「いきのあらはれ」として感動の直接性を求めた。このため枕詞・掛詞・縁語・言葉遊びなどは、感動の直接性を損なう表現部の余剰として排除されたのである。
 ところが川崎の歌を見ていると、まるで脱近代をめざして歌の記号の表現部の復権を試みているようにも見える。表現部がぶ厚くなれば、相対的に意味部は薄くなる。だから詠われているのは激情ではなく、日常のごく些細な心の揺らぎをていねいに掬い上げるという作風になる。たとえば上に引いた最後の歌は、紅茶を淹れようとして茶葉をスプーンで掬ったときに、茶葉の分量に迷ったという日常の些事を詠っており、意味部にそれほどの重みはない。
 このような川崎の作風が、前衛短歌と80年代のニューウェーブ短歌による修辞の復権の影響下にあることはまちがいない。なかでも私が影響を感じるのは平井弘である。平井の歌の魅力は下句の何とも言えない「言いさし感」にある。
倒れ込んでくる者のため残しておく戸口 いつから閉ざして村は
                      平井弘『前線』
手をとられなくてもできて鳩それももう瞠きっぱなしの鳩を
草原にくさむすもののなきことのそれにしても兎たちのほかにも
 結句を言い納めずに言いさしにおくことで、歌の終結感が希薄になり余情を後に残す。「言われなかったこと」が後に漂い続ける。川崎は平井から多くを吸収したものと思われる。
うすいうすいみどりにけぶるフェンネルのやうにさえぎるま夏の御簾は
巾廣のぬばたまの黒ぐろぐらんりぼんは巻かれ 夏の中折れ
こんな夜は******アスタリスクが墜ちてきて朝は見つかるだろう地面に
みなしたふネオンテトラの満水のテレビのなかをいましおよげる
せうぢよらは木陰に憩ふ埋め込みしICチップを見せあひながら
めぐすりをさしてうるほふしらうめの 目のなかいまし映るしらうめ
  一首目の「御簾みす」や二首目の「中折なかおれ」は若い人にとっては死語だが、古典の世界とノスタルジーへつながるアイテムである。二首目には「黒ぐろ」から「ぐろぐらん」に続く言葉遊びがある。三首目の*の連続には「アスタリスク」とルビが振られていて記号短歌風なのもニューウェーブ短歌を思わせる。五首目は近未来SF風だが、近未来と古風な旧仮名の対比がおもしろい。かとおもうと「ぬばたまの」「みなしたふ」などの枕詞も登場し、なにやら平安朝の歌人が現代に甦ったような観もある。
 六首目に注目したい。この歌の前には「めぐすりをゆふべはさしぬ少しまへ見ししらうめの映れるこの目」という歌が置かれている。どこかに観梅に行った後、帰宅して疲れた目に目薬を差しているのである。これを受けての六首目だが、潤った目に今まさに映る白梅とは美しい残像であり、そこに時間の経過を感じさせると同時に、もう目の前には存在しない白梅を現前させる非在の美は古典に通じるものがある。
 吉川宏志は青磁社の時評で『あのにむ』を取り上げて、「評価に迷う一冊である」と書いている。その理由は川崎の短歌における〈私〉の消去にあり、「〈私〉を消していくと、『なぜ歌うのか』という問いを抱え込むことによって生まれてくる迫力を失うことになる」からだとしている。吉川は近代短歌の本流に位置しているので、そのように思えるのだろう。しかしながら、「フェンネルのやうにさえぎるま夏の御簾」の影にちらちらと揺曳する〈私〉が川崎の短歌にないわけではない。抑制され淡いながらも、日々の小さな心の揺れを薄浮き彫りのように表現する。そんな短歌があってもよいのではないだろうか。
 最後になったが造本と活字に触れておきたい。いつもながらの砂子屋書房の美しい造本で、今では珍しくなった活版印刷も好ましいが、特に活字がよい。この活字は紀野恵の『架空荘園』『午後の音楽』など一連の歌集でも用いられていた趣のある活字だ。砂子屋書房のタカハシさんに何という活字かおたずねしたところ、「イワタ明朝です」という答を得た。作者の美意識は活字にまで及んでいるようだ。

第105回 山田航『さよならバグ・チルドレン』

りすんみい 齧りついたきりそのままの青林檎まだきらきらの歯型
        山田航『さよならバグ・チルドレン』(ふらんす堂)
 平成21年(2009年)に第55回角川短歌賞と第27回現代短歌評論賞をダブル受賞した山田航の第一歌集が出た。1ページに3首を配して100ページ余りなので、ざっと300首が収められている。解説は「かばん」の先輩で、今年『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』を山田と共著で出した穂村弘。歌集巻頭に角川短歌賞受賞作「夏の曲馬団」が置かれているが、作者のあとがきが長い割には、歌の配列が編年体なのかそれとも構成してあるのか書かれていないので、そこはわからない。おそらく構成によると思われる。
 山田についてはこのコラムですでに書いたことがあるが、第一歌集を一読してもその時に書いたことをあまり変える必要はなさそうだ。しかしこれだけの数の歌をまとめて読むと新たに発見することもあるので、今回はそのあたりを中心に書いてみたい。
 前のコラムでは山田の短歌世界に一番近いのは寺山修司で、西田政史らの短歌もよく読んでおり、これを総合すると「抒情プラスニューウェーブ」となると断じた。そのラインは変わらないけれども、一冊の歌集となると細かく見れば多面的で、短歌への立ち位置や文体において相当な幅があることがわかる。
角砂糖ふくめば涼しさらさらと夏の崩れてゆく喫茶店
雨を想ふ。大好きだつた人たちがみな消えてゆく夏になるまで
でもぼくは君が好きだよ焼け焦げたミルク鍋の底撫でてゐるけど
「いい意味で愚かですね」とコンビニの店員に言はれ頷いてゐる
 冬の長い北海道に暮らす山田には夏への憧れがあるのか夏の歌が多いが、その大部分は眩しいほどの青春の抒情である。上に引いた最初の2首はそのようなキラキラとした透明感のある歌で、山田のこういう側面を評価する人は多かろう。このような世界は定型と短歌の韻律を守った歌になっている。これに対して次の2首はニューウェーブ風で、文字こそ旧仮名だが完全に口語である。3首目はもろに西田政史風で、4首目となると短歌の韻律はほとんど感じられない。ほとんど呟きのような声の低い言葉が連なっている。
 さて、どちらが本当の山田の姿か。解説の中で穂村は、角川短歌賞を受賞した作品について、「選考委員のなかにはこの世界はつくられていると感じた人もいたにちがいない」と述べ、また「言葉の修辞レベルで甘やかにつくりこまれている」とも書いている。ただ、その背後にどうしようもない苦さが潜んでいて、突然〈私〉の表情と口調が変わったように、次のような歌が投げ出されることがあるとしている。
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る
 この辺りの事に踏み込んで考察すると、どうしても作者のプライベートと心の秘密の領域に土足で上がり込まなくてはならないのだが、幸い山田自身が長いあとがきで率直にその事情を語っている。実はこの歌集で最も驚くべきなのはこのあとがきなのである。歌集のあとがきというと、○○年から××年までの歌を集めたという制作過程とか、歌集をまとめるにあたってお世話になった方への謝辞などが、簡潔な文体で書かれているのが普通である。しかし山田のあとがきは「僕はホームランを打ちたかった」と題名まで付いており、そこには心と体をうまくコントロールができずに人間関係や就職に失敗してきた様子が率直に書かれている。そんななかで短歌に出会い、短歌ならばクリーンヒットを打てるかも知れないと言葉を紡ぎ始めたという。他の人がやすやすとしていることをどうしてもうまくできないというのは穂村弘とよく似ているが、穂村は『世界音痴』や『現実入門』などでそのような自分を突き放して戯画化し、ほとんど芸の境地にまで達している。それにたいして山田は「大丈夫かいな」と感じるほど直球で率直なのである。
 今年創刊された同人誌『率』の創刊号に山田がゲストとして参加していて、自作を解説しているのだが、そこでおもしろいことを言っている。不安モードに入ると今現在のことしか考えられなくなり、その状態の時には動詞の終止形で終わる歌が多くなる。逆に恋愛などでテンションが高い時期には体言止めの歌が増えるというのである。そう言われて見れば、上に4首引いた最後の「いい意味で」と次の「鉄道で」は終止形で終わっている。4首の最初の「角砂糖」は体言止めである。
 「さてどちらが本当の山田の姿か」という先ほどの問への答はこれで明らかだろう。どちらも山田の本当の姿なのである。ただし、不安モードでは今現在の自分のことしか考えられなくなり終止形止めの歌ができる。逆の昂揚モードの時は、あれこれ想像を巡らせ修辞を工夫する余裕ができて、体言止めの歌が増える。両方のモードの歌をもう少し引いてみよう。
たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく
突然に舗道は途切れ木漏れ日は僕を絡める蜘蛛の巣になる
いつの日か誰かわかつてくれるだらう 夕焼けもまた自閉してゆく

自転車は波にさらはれ走り去るものみな君に届かぬ真夏
遊歩道に終はりの見えしとき君の口笛はふいに転調をせり
ぼくたちのこころにかくもふりやまぬ隕石を撃ち落とした輪ゴム
 要するに山田は生きるためにブンガクを必要とする人間だということだ。ブンガクは「江戸の敵を長崎で討つ」ようなものだ。実生活において幸福な家庭を持ち、社会的地位も金もある人間はブンガクを必要としない。フランスの批評家モーリス・ブランショが「文学は欠如 (manque)から生じる」と喝破したとおりである。しかし逆にこれほどまでにブンガクを必要として短歌に接近することに、一抹の危惧を覚えないわけではない。
 そのことはあとがきに見える山田のあまりの率直さにも言える。作品を作る時にはそこには多少の自己演出がある。「こう見られたい私」というものが少なからずあるはずだ。歌集をまとめるときにはそれは選歌に現れる。選ぶ歌と捨てる歌の選別の中に、「自分の短歌世界はこの方向に向けたい」という演出がある。演出と言って悪ければプロデュースと言ってもよい。本歌集にはそのような意味でのプロデュース感覚がなく、そのために読んでいて歌の世界の振幅の大きさに驚くことになるのだろう。穂村弘だって〈ほむほむの世界〉をちゃんとプロデュースしている。今後の山田の課題はこのプロデュース感覚ではなかろうかと思われる。
 「夏の曲馬団」については以前のコラムでも触れたので、それ以外の歌から印象に残ったものを挙げてみよう。
まるく太る雲のテューバにささへられソプラノで鳴る初夏の自転車
祈りではないんだらうな目を閉ぢて午後のベンチに凭れることも
水飲み場の蛇口をすべて上向きにしたまま空が濡れるのを待つ
炎天を歩くレンテンマルクにて購ひしパラフィン紙を破る
アヌビアス・ナナ水槽に揺れてゐて ナナ、ナナ、きみの残像がある
鍵穴は休符のかたちのドアを開くにふさはしき無音あれ
脈搏の数より多き星めがけ指をかけたり楕円の引金トリガ
フェルディナン・シュヴァルよ、蟻よ、かなへびよ、わがいとほしきものは地を這ふ
 2首目と3首目は作者の静かな祈りのような境地を表していて印象に深く残る。4首目にレンテンマルク、6首目にアヌビアス・ナナのようなカタカナ語が挿入されている。これらは意味よりも語感や韻律に奉仕しており、何か不思議な呪文のようにも響くところがおもしろい。レンテンマルクとはインフレ対策としてドイツで1924年から一時的に発行された不換紙幣だから、今はもう使えないはずだ。だからこれでパラフィン紙を買うことはありえない。しかしレンテンマルクとパラフィン紙の組み合わせが詩的効果を生んでいることは確かである。5首目のアヌビアス・ナナは熱帯魚などの水槽に入れる水草。ナナは女性の名のように聞こえるが、ラテン語で「小さい」を意味する語。アヌビアスからは魂を狩りに来るエジプトのアヌビス神が連想される。しかし山田の歌ではナナはまるで女性への呼びかけとして響いており、意味の浮遊感が歌柄を大きくしている。7首目「脈搏の」からは「真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり」という正岡子規の歌が連想される。ただ子規の歌では星から光が届くのだが、山田の歌では星をめがけて撃つというちがいがある。8首目のフェルディナン・シュヴァルは不思議な石の宮殿を作ったフランスの郵便配達夫。その建造物は今でもリヨンとグルノーブルの間に存在する。
 次は山田の述志の歌と読むべきだろう。
ざわめきとして届けわがひとりごと無数の声の渦に紛れよ
 歌集冒頭に「スタートラインに立てない全ての人たちのために」というエピグラフを配し、巻末の著者紹介の最後に「PUSH START BUTTON 」と書かれた矢印を作った作者にとって、本歌集は応援メッセージであると同時に、作者自身の覚悟の表明でもあるのだろう。

加藤治郎歌集『しんきろう』書評:ニューウェーブは電気羊の夢を見続けるか

 本書は『雨の日の回顧展』に続く加藤治郎の第八歌集で、平成二〇年から二四年までの歌を収録する。一読してまず前歌集との大きな落差に驚く。
 『雨の日の回顧展』には「海底の昏さに灯るアトリエに臓器を持たぬ彫像ならぶ」「石鹸の箱の穴から流れ出た絵の具で描くJ・F・ケネディ」のように、展覧会や美術制作に想を得た歌が多くあり、歌集全体を造形的構想でまとめようとする強い意思が感じられた。ところが本書にそれに匹敵するような構成的意思は不在で、それに代わって作者の仕事の現場と直接関係する日常詠が多くあり、行間には深い疲労感と鬱傾向が滲む。
残業のざんのひびきが怖ろしい漏洩前のくぼんだまなこ
職務みな忘れろという社命あれシュークリームから噴き出すクリーム
あきらめは安らぎと死の架け橋であること夜の錠剤を呑む
見知らぬ人にフォローされてる銀色の回廊にいてつぶやく俺は
 この変化の背景には、名古屋から東京への思いがけない転勤、愛弟子笹井宏之の早世、東京で遭遇した東日本大震災などの、実人生における出来事があるにちがいない。リアリズムとは一線を画する加藤の歌には、実人生の直接の反映はほとんど見られなかった。しかしこの四年間に起きた出来事は、そんな加藤の短歌にも影を落とすほど重いものであったようだ。
 主題面に目を移すと、従来の加藤の短歌の重要なテーマに、日常に降りかかる理不尽な暴力と狂気、性愛、幼児にまで遡る意識の重層性があったが、本書ではそのいずれも影を潜めており、歌の背後に見え隠れするのは等身大の〈私〉に近い。文体面では大胆な喩と修辞やオノマトペがニューウェーブ短歌と呼ばれた加藤の歌を特徴づけていたが、それも本歌集では目立たなくなっている。いずれも大きな変化と言えよう。
 何かが起きているようだ。永田和宏は『現代短歌雁』四八号に寄せた文章で、「いやそうさ時間は無垢さ」という加藤の歌の一節を取り上げ、「時間は無垢か」と逆に問いかけた。本書では無垢への希求は、押し寄せる日常と鬱によって覆い隠されているようだ。加藤はこれからも〈無垢〉という電気羊の夢を見続けることができるのだろうか。
 とはいえ本歌集にももちろん美しい歌がある。次のような歌はおそらく現代短歌のひとつの到達点ではなかろうか。
まひるまの有平棒は回りけり静かにみちてゆける血液
あるときは青空に彫るかなしみのふかかりければ手をやすめたり
ゆめのようにからっぽだけど遊園のティーカップにふる春のあわゆき
コーンで受けるソフトクリームくねくねと世界が捩れてゆくのだ、姉よ
キャラメルの内側を押すゆびさきにほのかなひかり灯るゆうぐれ



『短歌研究』2012年9月号に掲載

第104回 大道寺将司『棺一基』

まなうらの虹崩るるや鳥曇
      大道寺将司『棺一基』
 著者の大道寺将司だいどうじ まさしの名に聞き覚えがあるのは、私と同年代かそれ以上の年齢の人だろう。大道寺は1948年生まれ。新左翼過激派の活動家で、東アジア反日武装戦線「狼」を名乗り、1974年に丸の内の三菱重工東京本社ビルを爆破するという爆弾テロを起こした。このテロにより8名が死亡し、376名が負傷。大道寺はこの事件を含む三件の事件の咎により、1979年に死刑判決を受けた。この判決は1987年に最高裁で確定。以後長きにわたり死刑囚として巣鴨の東京拘置所の獄中にある。すでに句集『友へ 大道寺将司句集』、『鴉の目 大道寺将司句集 II 』があるが、既刊の句集から選んだものと新作を合わせて、このたび『棺一基 大道寺将司全句集』が上梓された。
 序文と跋文を辺見庸が書いている。辺見は単に文章を寄せただけではなく、東京拘置所に足を運んで大道寺と面会し、句集の刊行を熱心に勧めたとあるので、実質的に本書のプロデューサーであり編集者でもある。行きつ戻りつと地を這うような運動を執拗に反復し、内臓に触れんばかりに迫って来る辺見の文体を、もともと私はあまり好まないのだが、本書に限っては辺見独特の文体は、本句集の主調をなすトーンと絶妙に照応し、本句集に解説文を書くことができるのは辺見以外にありえないと思わせるほどである。句集題名は集中の「棺一基四顧茫々と霞みけり」に由来する。言うまでもなくこの棺とは、死刑囚である大道寺が入ることになる棺桶である。生と死のあわいを凝視した句で、大道寺のような境涯にいる人以外には作り得ない句であろう。
 獄中にあるという境涯と短歌や俳句などの短詩型文学との繋がりは深いものがある。一ノ関忠人は「短歌の生理 抄」(セレクション歌人『一ノ関忠人集』収録)という文章で辞世や死刑囚の歌を取り上げて、「死と短歌は不可分のものとしてある」と断じているが、同感である。狭い獄中で読書以外にできることは限られているという物理的制約もあろうが、何より死刑囚として自らの死と日々向き合うという極限的状況が、人をして短歌や俳句に向かわせるのだろう。連合赤軍浅間山荘事件の死刑囚・坂口弘の歌集『常しへの道』や、カリフォルニアで終身刑の獄にある郷隼人の歌文集『ロンサム隼人』を見てもそのことは得心できよう。辺見は序文の中で、大道寺は「俳句にいまや全実存を託したのだ」と述べているが、「実存」という現代では流行らない言葉が、本句集を読むとその重みのすべてをかけて迫って来る。その言葉の圧は他に類を見ない。
 編年体で構成された本句集の巻頭近くには、俳句に手を染めて間もないと覚しき句が並ぶ。取り立てて言うところのないふつうの句である。
蒲団干し日向の匂ひ運びけり
差し入れの甘夏薫る人屋かな
生かされて四十九年の薄暑かな
秋の蝶病気見舞ひに来る窓辺
ケバラ忌や小声で歌ふ革命歌
寒中や昼餉に食ふメンチカツ
身のうちの虚空に懸かる旱星
 有季定型という形式が常人の域を超えて作者にとって重みを持つことに留意したい。狭い独房は極限まで縮小された世界で、獄中の人はわずかにのぞく窓の隙間から吹く風や入り込む花びらによってのみ外界の変化を知る。規則で定められた単調な日常の反復のなかで、季節の変化は唯一自己の生を確認できるよすがなのだ。干した蒲団の日向の匂いや、差し入れの甘夏や、獄中に迷い込む蝶などのこの世の微細な変化や事物を掬い取るのは、俳句や短歌などの短詩型がもともと得意としていることである。歩いて数歩の狭い独房が乾坤のすべてという極限的状況は、病床六尺が世界のすべてであった子規の晩年の境涯と通じるところがある。世界の狭さと詩型の小ささとが絶妙に釣り合っていると言うべきか。
 東京拘置所では死刑が執行される。囚徒にそれが告げられることはないが、拘置所内の空気で察せられるようだ。次の一句目には「死刑執行あり」という詞書が付されている。いずれも絶句して読むほかない句である。
看守みな吾を避けゐる梅雨寒し
夏深し魂消る声の残りけり
花影や死はたくまれて訪るる
絞縄の揺れ停まりて年明くる
縊られし晩間匂ふ桐の花
 集中には「君が代を囓り尽くせよ夜盗虫」「狼や見果てぬ夢を追ひ続け」のように、左翼活動家の本懐を詠んだ句も散見されるが、作者の想いは徐々に自らが手を下した爆弾テロへの悔悟と犠牲となった死者へと向かう。
死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ
春雷に死者たちの声重なれり
ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな
夢でまた人危めけり霹靂神
わが胸に杭深々と風光る
掃苔や爆破の銘のまぎれなく
ででむしやまなうら過る死者の影
 読んでいて痛感するのは、最初は獄中の手すさびから始めた俳句だったかもしれないが、それがやがて自己を凝視する道へと意味を深化させていることである。
蚊とんぼや囚はれの身の影は濃き
汗疹して今日の命を諾へる
干蒲団死者に貰ひし命かな
揺れやまぬ生死しょうじのあはひ花芒
身ひとつに曳く影ながし九月尽
厭はれしままにて消ゆる秋の蝿
木菟啼いて吾が病臭に噎せにけり
身の奥の癌の燃え立つ大暑かな
 「俳句に全実存を託した」という辺見の物言いが決して大袈裟に感じられないのはこのような句に出会った時である。囚徒の影はなぜ濃いか。それは身の内に抱えているものが重いからであるが、同時に影を見据える眼差しが研ぎ澄まされて来るからでもある。死と向き合う作者の眼差しは「末期の眼」に似るが、実は作者が抱える死は三つある。ひとつは爆弾テロの犠牲者となった他者の死、ふたつはいつ執行されるかわからない死刑による自らの死、それに加えて獄中で発症した癌がもたらす死である。幽明の境に揺れる作者から放たれる言葉は、俳句の技術的巧拙というレベルを超えて読む人に迫って来る。
 確定死刑囚という作者の境涯とは無関係な次のような句にも、死と死が逆照射する生がくきやかに封じ込まれている。
月光のきはまりて影紛れなし
天日を隠してゆける黒揚羽
止まりてしがらみ越ゆる秋の水
滝氷柱いのちのとよみ封じをり
水底の屍照らすや夏の月
 死を思うことで私たちは生の根源に触れる。そこにこそ文学の存在理由がある。また俳句という定型の器が大道寺にこのような自己深化を可能ならしめたことは記憶に留めるべきだろう。ここで空想してみよう。大道寺が獄中で現代詩を書いたとしたならば、ここまでの自己深化を遂げることができただろうか。いや、そもそも獄中の死刑囚が形式に何の制約もない自由な現代詩を書こうと思うだろうか。想像しがたいことである。有季定型の持つ制約そのものが、極限的な不自由状況において自己深化の機縁となるのである。ここに説明に窮する不可思議な逆説があり、定型にはそのような力があることを認めねばなるまい。炎暑の葉月にそのことを今一度想起するのも悪くはなかろう。

第103回 藤沢蛍『時間の矢に始まりはあるか』

羽ばたけるせつなひかりを零しけり天に属する若きかもめら
          藤沢蛍『時間クロノスの矢に始まりはあるか』
 久木田真紀という歌人の名を知ったのは、最近相次いで読んだ歌集の中だった。
AKB48のセンターに立つてゐる久木田真紀の亡霊
                     喜多昭夫『早熟みかん』
久木田真紀がモスクワ生まれということを(嘘とはいえど)思い出したり
                    生沼義朗『関係について』
 今をときめくAKB48のセンターと言えば大島優子か前田敦子のはず、そこに立っているという久木田真紀とは何者か、と思って調べたらすぐに判明した。インターネット文明とは怖ろしいものである。ひと昔ならば調べる方法がなく、知人友人にたずねて回るしかなかっただろう。
 久木田真紀は平成元年(1989年)に「時間クロノスの矢に始めはあるか」30首で短歌研究新人賞を受賞した。略歴には昭和45年モスクワ生まれ、平成元年から留学のためオーストラリア在住とある。昭和45年生まれなら平成元年には18歳である。すわ新しい才能の出現かとみんなが色めいたが、後にすべてが詐称だったことが判明する。18歳の女性ではなく、中年の男性だったのである。「東オーストラリアのその南、シドニーの近郊の町で受賞の知らせを受けた。この喜びをどう表現してよいかわからず、私はテーブルの上で、ハードボイルドされた卵を、何度となく回転させていた」という受賞のことばも真っ赤な嘘で、編集部に寄せられた写真は姪のものだったとも聞く。作者のプロフィールは徹頭徹尾偽装されていたのである。
 やがて短歌界は久木田を相手にしなくなり、1997年に藤沢蛍ふじさわ けい名義で刊行された歌集『時間クロノスの矢に始まりはあるか』も沿線の小石のように黙殺されたと聞く。歌人久木田真紀は葬り去られたのである。しかし短歌研究新人賞の受賞は取り消されたわけではなく、『現代短歌事典』(三省堂)巻末の短歌賞受賞者一覧にも第32回受賞者としてその名が刻まれている。
 短歌関係者なら知らない人はいない事件なのだそうだが、私はその当時、短歌のタの字もおぼつかぬ門外漢だったので、今回初めて知った。この事件の経緯については、加藤英彦が「Es コア」(第20号)に「幻の筆者への覚書 実在の作者から非在の筆者へ」という文章を書いており、この文章でおおよそのことが知れる。加藤は出版社から本人の連絡先を聞き出して、電話で本人と話までしたそうだ。私は事件そのものへの興味は薄く、どんな短歌を作った人なのだろうという一点に私の関心は集中する。作品がすべてだからである。
 さて、受賞作の「時間の矢に始めはあるか」である。
春の洪水のさきぶれ昧爽の噴水のに濡れるわが胸
〈源氏〉から〈伊勢〉へ男を駆けぬける女教師のまだ恋知らず
聴診器あてたる女医に見られおりわがなかにあるマノン・レスコー
放課後の駅で私服の刑事らと盗み見しているポルノグラフィー
ディーン忌の映画館まで走ろうよ夜の驟雨に濡れないように
白飯しらいいの湯気のけむれる味蕾にははつかさやげる氷魚をのせて
 歌の作りはなかなかの手練れで、「源氏」「伊勢」「女教師」「女医」「刑事」や「マノン・レスコー」「ディーン忌」のような意味の共示作用の豊富な語彙を散りばめて、まるで一首で完結した掌編小説であるかのような物語性を持たせる作風である。このためやや文学臭と大仰な身振りが見られる。物語性という点では池田はるみの『奇譚集』にどこか通じるところもある。六首目「白飯の」の言葉の斡旋など実に達者なものである。これを見るかぎり「時間の矢に始めはあるか」30首が短歌研究新人賞を受賞したのは不思議でも何でもない。
 受賞作と並んで新人賞を惜しくも逃した次席、候補作、最終選考上位通過作品の作者の氏名を眺めるのも一興である。この年の次席は西田政史「The Strawberry Calendar」と林和清「未来歳時記」である。西田は翌年「ようこそ!猫の星へ」で首尾よく短歌研究新人賞を受賞し、歌集『ストロベリー・カレンダー』(1993)を出版したが、その後、短歌から離れてしまった。林は数年後に歌集『ゆるがるれ』『木に縁りて魚を求めよ』を出して歌人の道を歩んでいる。候補作には白瀧まゆみ、武田ますみ、大滝和子、大野道夫の名があり、最終選考上位通過作品には弱冠20歳の枡野浩一の名が見える。
 選考座談会を読むと、春日井建は「創造力も想像力もある軽やかな作品だが、道具立てが多すぎるのではないか」と述べ、岡井は「これを一位に推した。現代短歌の通貨をうまく使っており、応えられないほどうまい」と手放しの褒めようだ。大西民子も一位に推していて、「博学でボキャブラリーが豊かで、言葉の選び方が爽やかだ」としている。馬場あき子は「上手い作者だが上手すぎるところがあり、また遊びすぎ、言い過ぎもある」とする。高野公彦は「五官を超えて感知できる世界を拡げて自由に遊んでみたという感じで、うま過ぎるのでかえって本当かしらと思わせるところがある」と評している。後から見れば鋭い評である。島田修二はやはりうまい作者だと認めた上で、「ここまで来ちゃうと、もう今の短歌というのは、もうお終いというか、変な言い方ですけどね、何か花火がぱあっとすぐ消えていく直前の華やぎを見るような感じがしたことも事実です」と述懐している。島田のこの述懐と近藤芳美の態度は看過できない重いものを含んでいると思う。近藤は最初から試合放棄の態度で、「今日は棄権しようと思って来た。全体に果たしてこんなものでいいのかという不信がある」と述べ、「この頃、自分のやってきたことは良かったのかと反省している。にぎにぎしく新人を世に出す反面、短歌というものの大事な何かを見失ったし、その手助けを自分がしたのではないか」と続けている。
 時代を考えれば平成元年は天皇崩御により昭和が終わり、ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終結するという歴史的事件が起きた年である。短歌の世界では数年間前からライトヴァースが盛んになり、1987年にサラダ現象が起きて、ニューウェーブ短歌へと道を開くという時代である。近藤や島田が体現した昭和の近代短歌の効力がまさに終わろうとしていた時代であり、近藤と島田の候補作への懐疑はこのような時代背景を反映している。このような時代の変わり目の年に、久木田が完全に偽装した〈私〉によって短歌研究新人賞を受賞したのは象徴的な出来事である。私はその暗黙の符合に深く打たれる。
 事件から8年後に出版された藤沢蛍名義の『時間の矢に始まりはあるか』は、巻頭に短歌研究新人賞受賞作をそのまま収めている。それ以外の歌はどうかというと、この評価が難しい。残りの歌の舞台のほとんどはアメリカで、一巻のほぼすべてが海外詠で占められているのである。短歌研究新人賞の偽装されたプロフィールには、作者はオーストラリア留学中とあったので、そのプロフィールの延長上に成立したアメリカ留学という意地悪な見方もできる。もしそうだとするとすべてが行ったこともないアメリカを詠んだ想像の産物だということになってしまうのである。
 私にはそれを判断することができないが、歌を虚心に読むと、海外詠の多くがそうであるように、現地に赴く前から心に抱いていたイメージを、目にした物に当てはめている歌が多い。人は旅行に行くと、あらかじめ見るつもりであったものしか目に入らないと言うが、まさにそのようなことが起きている。
機上よりMANHATTANを見下ろせばそれ文明の墓標のごとし
アメリカの大いなる虚無が建たせたるクライスラービルをしばらく仰ぐ
夏深し湾岸暴走族首領ヘッドJACKはダラス生まれの少年チキン
ニューヨーク・マフィアの情婦シルビアの七難誘う肌の白妙
この国の自由とはこれ、ガン・ショップにあまた並びていたる火器類
眠られぬ夜は朝まで聴いていよデイビス、ロリンズ、パーカーのこころ
夕立の香に囲まれているごとしバス停のわが周りは娼婦
麦秋のタラを過ぎつつ遠きかなヴィヴィアン・リーの死も夕雲も
 摩天楼を文明の墓標と見るのは珍しいことではなく、97年当時としても既視感バリバリである。暴走族のヘッドがJackで、マフィアの情婦がSylviaとは、まるで低予算B級映画の配役のようではないか。ジャズといえばマイルズ・デイビス、ソニー・ロリンズ、チャーリー・パーカーという名前が並ぶのは、1960年代の文化的教養を持っている人で、97年当時のジャズではない。作者は目の前のアメリカと向き合っているのではなく、自分の中にあるアメリカのイメージをなぞっているにすぎない。やがて作者はニューヨークを離れ『風と共に去りぬ』の舞台となった土地を訪れるのだが、やはり作者は実際の風景ではなく、過去に見た映画の記憶をたどるのである。
暴力装置の何という美しさ原潜がいま紅海へ発つ
アメリカの視野の狭さがすべからく兵をアラブへ走らせもする
行進の軍靴に蹴られ青空が見えぬ涙を流すウウェート
マリファナと銃とAIDSの輪唱がこの国を誤らせるだろう
ゆく秋やついにはげしきとうの果てに建ちたる国を美国アメリカと呼ぶ
 1990年に勃発した湾岸戦争に想を得た上のような歌もあるが、好戦的なアメリカの態度に対する非難の言葉は紋切り型で、また時局に接しての感慨を短歌定型に収めて美的昇華をしようという工夫も見られない。
 一読した中では次のような歌に注目した。
雷気しずかに降りそそぐ夏の帆のかなたはるけく見ゆる死火山
夏雲ゆ一握の銀つかみだすきみは耳うらさえもこいびと
夕暮れの樹にびっしりと花の芽が見えてまた来る六月の死者
百階の高みへ昇るエレヴェーターいま微かなる重力兆す
膝をつき地に倒れゆく兵士らを再び立ちあがらせるフィルム
遠くボルジアの血をひくイサベラの肩の高さに見える夏波
揺り椅子にゆれているのは〈時〉を漕ぎ疲れて眠るリリアン・ギッシュ
 これらの歌には向日性の感性に裏打ちされた言葉の清新さが漲っており、ときどき顔を出す〈私〉を離れた物語性もこの程度ならば適度なスパイスと受け取れる。残念なのは収録歌数800首を超える本書に上のような歌が少ないことである。
 その理由はわずか三行の巻末のあとがきにある。「本歌集は主題製作が多いということもあって歌集全体の作品配列については製作年順にとらわれず勝手気ままに再構成した」と書かれている。つまり久木田・藤沢にとってはすべてが「主題製作」なのだ。主題製作においてはまず主題が先行し、歌はその主題に沿う形で発想される。「アメリカ」という主題、「摩天楼」という主題、「ジャズ」という主題がまずあり、それに沿って歌が作られる。ならば短歌研究新人賞応募作「時間の矢に始めはあるか」30首も、「オーストラリアに留学中の18歳の女子大生」という主題で製作されたと見るのが順当だろう。しかしこれは短歌界の暗黙の禁忌に抵触した。主題設定が〈私〉の領域にまで踏み込んだからである。
 上に久木田の事件が昭和の近代短歌のセオリーが失効する潮目に起きたことは象徴的だと書いた。同じことが2012年の現在起きたとしたらどのような反応を引き起こすだろうか。東西冷戦の終焉と高度消費社会の爛熟によって、近代短歌が前提とした〈私〉が形を失って浮遊し分断化した現在においては、事件の起きた89年当時とは異なった受け取りかたをされるのではないだろうか。

謝辞
 藤沢蛍の歌集の入手が困難で、思いあまって加藤英彦さんに歌集をお貸しいただけないかとお願いしたところ、「二冊持っているので一冊差し上げる」という思いがけない返事をいただいた。おまけに短歌研究新人賞の受賞作と選評が掲載された雑誌のコピーまで送って下さった。この文章が書けるのはひとえに加藤英彦さんのお陰で、この場を借りてお礼申し上げたい。拝領した歌集の見返しページには作者自筆で「天球の青深みたる午後きみとわれとを繋ぐこころの力」という一首と久木田真紀という署名が書かれている。

第102回 生沼義朗『関係について』

リリシズムの行方いつつ烏賊墨に汚れし口を拭う数秒
                生沼義朗『関係について』
 リリシズム(lyricism)は「抒情」の意で、もともとは古代ギリシアでリラという撥弦楽器の奏でる音に合わせて歌う歌に関係する。抒情は短歌の核であり、その行方に思いを馳せているということは、短歌の未来を案じているのである。その思惟は時空間を超え、卑小な〈私〉という殻を超える。ところが下句では一転して、イカ墨パスタを食べて汚れた口を拭うという日常卑近な光景が展開し、その持続時間もほんの数秒にすぎない。上句と下句のあいだに〈公〉と〈私〉、〈離脱〉と〈回帰〉、〈永遠〉と〈一瞬〉の明確な対比がある。短歌巧者の生沼の面目躍如というところだ。しかしそれと同時に、上句と下句の「合わせ鏡」が発条のごときその反発力によって、一首を別の次元へと放り出す力が見られないことにも気づく。抒情が抛物線を描かないという意味で、現代の苦みの滲む歌の造りだとも言えるのである。
 『関係について』(2012年6月30日刊)は、第一歌集『水は襤褸に』(2002年9月13日刊)以来10年振りの生沼の第二歌集である。『水は襤褸に』については本コラムの前身「今週の短歌」を見ていただきたい。人の立ち位置は今いる場所だけからは見えなくとも、前はどこにいたかを視野に入れると見えてくることがある。その差分が立ち位置の変化を表すからである。さて10年は生沼にどのような変化をもたらしたのだろうか。
 まず気づくのは微妙な文体の変容である。文語体を基本にときどき口語が混じるのは変わらないが、『水は襤褸に』には次のような歌が散見された。
大空にゴブラン織を敷きつめよ 魔女の死臭の漂うそれを
ほろびゆく世界のために降りしきれ 墓地いっぱいのあんずのはなびら
 これはこれで美しい歌だが、大きく振りかぶった語法と語彙の選択で、いかにも想像のみで作った歌という感じがする。『関係について』ではこのような歌は影を潜め、ベースラインをなすのは次のような手触りの歌である。
人のせぬ仕事ばかりをせる日をばサルベージとぞ名づけてこなす
中二階のバレエスタジオ見て過ぐるレッスンをするその足のみを
採血をされたる腕を押さえつつ歩む姿はロボットめきぬ
 テンションの上がらない仕事の日常、街角の一角を切り取った描写、健康診断の自虐的自画像を描くこれらの歌からは、とても大きく振りかぶる姿は見えず、地を這うような目線と姿勢の低さが感じられる。
 『水は襤褸に』の栞文のなかで花山多佳子は、ちょうどバブル経済崩壊の時期に成人を迎えた生沼たちの世代論に触れ、この世代の短歌には80年代のようなレトリックやイメージの多様さはみられず、「夢から醒めたのちの澱のように『われ』が残されている」と書いた。私もこの歌集について書いたコラムの中で、生沼の短歌に漂う漠然とした終末感、都市生活者の神経症的倦怠と疲労、日常のなかで汚れてゆくという感覚を指摘した。これらの感覚は青春と背中合わせである。その基調は変わらないのだが、『関係について』で目につくのは、日常の肥大と、地を這うような日常詠からときおり立ち上るユーモアである。
日常が肥大化している。食卓にトマトソースを吸い過ぎのパスタが
年上の恋人のごとき香を立てて無塩バターは室温に溶ける
さまざまな匂い混じりては消えてゆく半年をこの部屋に身を置く
生ごみの臭気を孕み漂いて来たる風にも生活たつきを慣らす
おおむねは以下同文で済まし得る時間の束を重畳という
 一首目はずばりそのもので、肥大化した日常がソースを吸い過ぎて膨れたパスタに喩えられている。この歌集を貫く気分をよく表していよう。残りの歌も歌意は明確で解説は不要と思うが、姿勢を低くして日常を詠うということは、喩を忌避するということにも通じる。事実、上に引いた歌では二首目の「年上の恋人のごとき香」という直喩を除いて、喩に基づくレトリックが使われていない。80年代のニューウェーブ短歌が駆使した修辞はどこに行ったのかと思うほどである。第一歌集刊行時の27歳からの10年間は、生沼にとって日常の肥大化を実感する10年だったようだ。日常の肥大化とは〈私〉が日常に絡め取られてゆく過程に他ならない。それはまた中年の入り口でもある。
 現実を余りに写実的に描いた絵画がときに幻想的雰囲気を纏うことがあるように、これでもかと日常を描くとそこにユーモアが感じられることがある。作者が意図してかどうかはわからないが、次のような歌にはそこはかとないユーモアが漂う。これは『水は襤褸に』には見られなかったことである。
たわむれに飛びたしと思う衝動のおおむねそういうときは曇天
日常は単純なれど難渋で、またも昼食のメニューに悩む
東北線ひたすら下る車窓には〈これでいいのか北上尾〉とある
シーチキンをホワイトソースに入れたれば素性分からぬ食感となる
水平に荷物運ばむとするときにどうして足は差し足となる
 短歌人会の先輩にあたる小池光にもすっとぼけたようなユーモアのある歌があるが、このラインは生沼の方向性のひとつになるかもしれない。もうひとつおもしろいと感じたのは、次のように日常ふと何かに思いを馳せるという歌である。
古びたる布の文様いっせいに乱れはじめるヒトラー/エヴァ忌
草原を飛んでいく声 唐突に思うことありハイジの老後
うちつけに火の匂いする午後ありて薬子の変に連想は飛ぶ
入善とわがつぶやけば硝子戸を開けるはやさに鳥影は過ぐ
 入善は富山県にある日本海に面した町。なぜか生沼は入善に憧れているらしい。このような歌では珍しくベタベタの日常ではなく、往年のTVアニメや平安時代の政変や遠い町に想像を飛ばすことで、フラット化した世界にふと生じた裂け目のようなものを捉えている点が評価できる。
 一読して特に印象に残ったのは次の歌である。
樫のボウルにシーザース・サラダ ほろびたるもの美しく卓上にあり
啓蟄の日の潦 ひかりいるなかには他界の水も混じらむ
トマトの皮を湯剥きしながらチチカカ湖まで行きたしと思うゆうぐれ
透明なひかり満ちいる天空に鳥語圏とはどのあたりまで
五、六本ペットボトルを捨つるため纏めればなかにかろきひかりが
あるいはそれは骨を握れることならむ手を繋ぎつつまだ歩いてる
アメリカの処女地すなわちヴァージニアの地図切り裂けばオリーブこぼれる
 特に三首目のチチカカ湖の歌は、都市に暮らす現代人の焦燥とない交ぜの希求をよく表現していてなかなかの名歌だと思う。定型の韻律をずらしているのも意識的だろう。しかしなかには「永遠に来ぬ革命に焦がれつつわが口ずさむフランス国家」のようなベタな歌もあり、歌の出来は様々である。
 生沼は加藤治郎らから見て干支一回りちょっと下の世代に当たる。ニューウェーブ短歌はその全盛がちょうどバブル経済の時期に重なったことも手伝って、短歌の修辞と表現の拡大においてさまざまなことを試行した。結果的に成長した下の世代が今から見れば「やりたい放題」と見えることだろう。生沼ら次の世代は祝祭が終わった後に登場したので、主題という面でも修辞という面でも確たる方向性を見定めにくいという点で、なかなか辛い立場に置かれた世代である。『関係について』はその辛さがよく現れた賀集だと言えるかもしれない。

第101回 都築直子『淡緑湖』

夏まひるメトロ冷えをりトンネルに長鳴鳥はこゑ呼びあひて
                    都築直子『淡緑湖』
 歌集巻頭歌である。汗が噴き出す東京の夏でも、地下鉄はもともと気温の低い地下を走っており、また車内はしばしば冷房が効きすぎているため、温度が低い。それを「夏まひるメトロ冷えをり」と最少の語句で的確に表現している。長鳴鳥とは古事記に登場する常世の長鳴鳥のこと。天照大神が高天原の天の岩戸に閉じ籠もってこの世が夜のように暗くなったとき、長鳴鳥を集めて鳴かせたところ、天照大神が外に出て来たとされる。この歌にはトンネルと天の岩戸のアナロジーがあり、長鳴鳥は警笛を鳴らしながら疾走する地下鉄車輌だと思われる。世界の尖端を行く近代都市東京の地下に古事記の世界を重ね合わせた重層性がこの歌の眼目である。
 作者の都築直子は第一歌集『青層圏』(2006)で現代歌人協会賞と日本歌人クラブ賞を受賞している。『淡緑湖』は2010年に上梓された第二歌集。『青層圏』を取り上げたコラムにも書いたことだが、元スカイダイビング・インストラクターという異色の経歴から生まれた次のような歌が注目された。
わがうへにふつと途切れしセスナ機のおとの航跡よぞらにのこる
着地場の暗がりの中に聞きとめよ にんげんが夜をおりてくるおと
高層の壁の真下にわれ一人のけぞるやうにいただき仰ぐ
足もとより空に直ぐ立つ垂線をふたつまなこに追ひ飽かずけり
垂直の街に来る朝われらみな誰か生まれむまへの日を生く
 地上に縛り付けられて二次元の世界を生きているわれわれとは異なり、都築は垂直方向に伸びる視線を有していて、それが上のような歌になって現れているのである。この視線は第二歌集でも健在であり、読者はここでも都築の歌を通して垂直方向へと誘われる。
チャレンジャーの飛行士たちはその朝の七十二秒をそらへ昇りき
鳥ふたつ羽ばたきながら飛び立てり地表にのこるいちまいのみづ
はるかなる銀河につづくおほぞらへまひるのぼらは飛び出しにけり
垂直の雨ふる朝の築地川 川の面濡れて空とつながる
 一首目は発射からまもなく爆発事故を起こしたスペースシャトル・チャレンジャーを詠んだもの。二首目は飛び立つ水鳥を詠んだ歌だが、下句を見るとどう見ても水鳥の視点に立っているとしか思えない。三首目のおもしろい所は、ボラの跳躍はたかだか数十センチに過ぎなくても、それはもはや空の一部であり、その空は遙か彼方の銀河と連続しているという見方である。確かに高空からパラシュート降下したら、遙かな高空と地表から数十センチの空間は連続的だと実感できるのだろう。四首目も同工異曲の歌で、川の面に雨が降ることによって、川と空が連続すると感じている。これらの歌は日常の世界の見方を少し修正する発見の歌だと言えよう。
 それは確かにそうなのだが、今回『淡緑湖』を一読して注目したのはこのような歌ではなく、作者の歌境の深化と日本語の深みへと下降する意志を見せる歌である。
睡蓮はいつくしきかなひるふかく水面に浮かぶ言ひさしの口
てのひらのみづ蛇口より吊るされてわれはあしたのすがほを洗ふ
影ふみの影は濃きかなどの影も一世ひとよ添ふべきいちにん持ちて
甕覗の空のふかさを仰ぐときうつしみぐる血のおと聞こゆ
蛍光灯またたく下に箒ありてアンドロメダ忌の下駄箱に
日照雨ふるひかりの中のこゑならむこゑならむとして棕櫚は立ちたり
わが時計いのち終はれば文字盤に添ひこし時間ときは住み処うしなふ
 第一歌集よりも韻律がなめらかになっていることに気づく。それは言葉の斡旋と句切り技術の向上によるものと思われる。また新しい語彙や表現を貪欲に取り入れようとしている。たとえば「甕覗かめのぞき」とは、藍染の染料の入った甕をちょっと覗いた程度の極淡青色を言う。あとがきに「私という人間は、90パーセントの日本語と、10パーセントの水から出来ている」と書いた都築にとって、この4年間は日本語の海の豊饒さに気づく年月だったことが想像される。
 さて、上に引いた歌にはそれぞれ鑑賞ポイントがある。一首目は断然三句目の「ひるふかく」である。睡蓮の姿形を「言ひさしの口」に喩えた比喩もよいが、「ひるふかく」によって歌に時間的奥行きが生まれている点は見逃すことができない。ぐっと歌に差し込むことによって歌が生きる一語があるのだ。二首目は流れる水道の水を「吊るされて」と表現した点。三首目はどの人にも自分の影があるという常識を逆転して、どの影にも付き従う人がいるという見方を示したところだろう。四首目は広大な空と小さな〈私〉という空間的対比に視覚と聴覚の対比を重ねた点。これにより歌に対句的均衡が生まれている。五首目のアンドロメダ忌は埴谷雄高の忌日で2月19日。この歌ではチカチカと明滅する蛍光灯、箒、下駄箱という昭和ノスタルジーを感じさせるアイテムを揃えたところがおもしろい。ドラエモンのどこでもドアのように、下駄箱とアンドロメダ星雲とがつながっているような気すらしてくる。六首目は「こゑならむ」のリフレインによって棕櫚の希求を際立たせた点。七首目は時間を詠った歌だが、針の回転という物理的運動によって不可視の時間を形象化している時計が停止すると、時間が行き場を失ってしまうという見方がポイントである。
 作者の歌境の深化を最もよく表しているのは、次のような歌かもしれない。
肉まんを鋼箱はがねのはこに閉ぢこめて極超短波からみあふみゆ
掃除機の鼻やはらかに掃除機の胴を巻きをり水無月まひる
ひるすぎの蕨医院の床のうへスリッパはみな立つてをりたり
 言うまでもないが鋼箱とは電子レンジで、これはレンジで肉まんを温めている光景である。また二首目は掃除機を立てホースを巻き付けて片づけてあるという、どこのご家庭でも見かける光景だ。三首目は町医者の待合室である。いずれも何と言うことのない日常見慣れた風景である。しかしその日常卑近な光景が実に見事な歌の姿に納まっているところに作者の手腕がある。一首目は「閉じこめて」から「からみあふみゆ」への続き、二首目は四句で言い納めて、結句に「水無月まひる」を置いたところに工夫がある。三首目は患者のいなくなった昼過ぎという時間の選択と、「蕨」と直立するスリッパの連想関係である。
 日本語の海へと漕ぎ出すことで歌が深化する。当たり前のことだが、その作者の自覚が結実した歌集と言えるだろう。

第100回 岩尾淳子『眠らない島』

あれは明日発つ鳥だろう 背をむけて異境の夕陽をついばんでいる
                   岩尾淳子『眠らない島』
 夕陽が差しているので時刻は夕暮れで、明日発つと言っているのだから、北国か南国に向けて飛び立とうとしている渡り鳥だろう。ここが異境なのは、越冬か子育てのために一時的に滞在する場所だからである。鳥が背を向けているのは、もうすでに心はここにないためか。つまりこの鳥はここにいて、すでにここにいないのだ。まるで淡彩画のような淡い色調で描かれた情景は、ぱっと見にはメルヘンの一場面のように見える。しかし、この歌が描こうとしているのは「ここにいて、ここにいない」、すなわち存在と非在のかすかなゆらぎのようなものだと思われる。そしてこの世が異境であるのは、鳥にとってだけでなく、その背後にいる作者にとっともそうなのではないか、と憶測は膨らむのである。
 歌集巻末の自己紹介によれば、岩尾は2002年に「眩」に入会、2006年に未来短歌会に入会。2010年に未来賞を、2012年に兵庫県歌人クラブ新人賞を受賞している。歌集の跋文を加藤治郎が執筆しているので、「未来」の加藤の選歌欄に出詠しているのだろう。『眠らない島』は2012年に上梓された第一歌集である。
 加藤治郎は『短歌ヴァーサス』11号に寄稿した文章のなかで、自身の属するニューウェーブ短歌が短歌史でエポックとなった理由を次の3点にまとめている。
 (1) 革新という近代原理から自由になったこと
 (2) 口語の短歌形式への定着
 (3) 大衆社会状況の受容
 このうち(2)と(3)は塚本邦雄や岡井隆らの前衛短歌がなしえなかったことであり、ニューウェーブ短歌がそれを実現した瞬間に、近代短歌の革新性が終焉したのだと加藤は論じている。確かに事実認識としては加藤の言う通りに、現在までの現代短歌シーンは展開して来たと言ってよい。加藤は上の3点を挙げたが、このうち自身が最も腐心しているのは(2) の口語短歌の定着だろう。加藤の選歌欄「彗星集」に拠る歌人たちもまた、師の引いた口語短歌の道を走っている。『眠らない島』もまたほぼ口語による歌集である。
 口語で短歌を作る場合には、文語にはない問題がいろいろ生じるのだが、そのうち最もやっかいな難題は韻律の平板化(フラット化)だろう。
真夜中に鳴った電話はすぐ切れて2度とかかってきませんでした
自転車の高さからしかわからないそんな景色が確かにあって
               加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』
 一首目はマンガの登場人物の科白だと言われても納得してしまうくらいの平板さである。短歌に必要な修辞がここにはまったくない。二首目は一首目よりも優れている。歌の中程に切れがあり、結句を「あって」とテ形(日本語学ではこう呼ぶ)で結ぶことで跡を引く余韻が生まれている。このような修辞上の工夫によって形式が発生し、日常言語との異和が生じ、そこに内的韻律が生まれて来るのである。
 『眠らない島』を一読して優れた口語短歌集だと思った。その理由は、口語短歌の持つ問題をよく認識し、それを回避してポエジーを立ち上げる工夫が随所に凝らされているからである。それをひと言で表現すれば統辞と意味の「ゆらぎ」だろう。
遠ざかるものはしばらく明るくて二本の白い帆を張るヨット
 例えばこの歌では、上三句を読んだ段階で動詞「遠ざかる」の主語が明らかにされていない。読者は主語をカッコに入れたまま読まざるを得ず、宙吊りの状態に置かれる。遠ざかるものはいろいろ考えられるが、それを未決定の状態にしたまま言葉を受容する。言葉はゆらいで、さまざまなものとの結合関係の中をたゆたうことになる。下句に至ってそれが海を行くヨットであることが明かされるのだが、上句のたゆたいは完全に納まることなく浮遊し続け、ヨットには収束しない意味の余剰が生まれる。この「納まりきれないもの」がポエジーである。
車窓からとおくに見えていた水の北側にある春の病舎は
 「北側にある」を終止形と取れば「春の病舎」は主語になり、単なる倒置である。しかし「北側にある」を連体形と解釈すると、四句目までは「春の病舎」にかかる連体修飾句となり、「春の病舎は」の後が省略された不完全な文となる。このような解釈の両義性は歌の瑕疵とされることもあるが、この歌ではその両義性が「ゆらぎ」として働いている。また「水」が川なのかそれとも池なのか入り江なのかも多義的で、この歌に魅力があるとすれば、それはこの未決定性による。
遠くない小さな島のきりぎしに風をおくっているてのひらの
伸びきったホースをかたく巻きながらわからなくなる光のむきを
 この二首ではどちらも結句の「てのひらの」と「光のむきを」が文の残りと文法的にどのように関わるのかが曖昧にされている。一首目では四句までを連体修飾句と取れば、結句は省略的であり「言い差し」感が強く感じられる。また二首目では結句が「光の向きが」であれば、「光の向きがわからなくなる」の倒置形と見なせるが、最後の助詞が「を」であるために、統辞法が脱臼されてそこにゆらぎが生まれている。
 言語学で「袋小路文」(garden path sentences)と呼ばれている文がある。
The horse raced past the barn fell. 
 これをthe horse (主語)、raced (自動詞)、past the barn (付加詞)と頭から読んで行くと、「その馬は納屋を通過して疾走した」となるが、最後に来てfellでつまずいてしまう。実はこれは The horse [that was raced past the barn] fell. からthat wasが省略されたものであり、「納屋を通過して走らされた馬が倒れた」という意味である。garden pathとは庭の中をうねうねと続く道であり、たどって行くと迷うことからこの名が付けられた。 統辞上のゆらぎである。
 もちろんこのゆらぎをあまり多用すると、歌の意味がわからなくなってしまい、そのときは瑕疵として批判されることになる。だから必要になるのはゆらぎを適切にコントロールする技術なのだ。『眠らない島』ではこのゆらぎが実にうまく制御されてポエジーに奉仕している。口語短歌のひとつの方向性だろう。
 内容に踏み込んで読んでゆくと、作者が好んで取り上げる主題は時の移ろいだと思われる。そのことは冒頭の掲出歌にすでに現れていよう。作者は今目の前にいる鳥を見ながら、すでに明日の非在をも見ているのである。
終わらないものなにひとつ持たないで海をうつしているわたしたち
風がありわずかに草の穂をゆらす指がぬきとるまでの時間を
からだから離れるときに触れていた鎖骨のくぼみにのこる夕映え
バスタブの湯のおちてゆく音だけを記憶にのこしてしまう部屋かも
紙コップにコーラは半分のこされて終わってしまうそれだけのこと
 一首目の二重否定による表現には強い諦念が含まれており、それは時間の作用に関わるものである。二首目では「ある」「ゆらす」「ぬきとる」という三つの動詞が時間の経過を表していて、結句の「時間を」の言い差しの宙吊り感がそれを強めている。三首目の「離れる」、四首目の「落ちる」「のこす」、五首目の「のこされる」「終わる」など、すべては状態変化動詞で、その結果招来されるのは何かの喪失と非在である。
 また本歌集には鳥を詠んだ歌が多いことも注目される。
鳥ならがこぼした声のかたむきは見えただろうか退いてゆく波
欄干に飛びたとうとはしない鳥 めぐりの声を遠ざけたまま
この鳥はいつから庭にいたのだろう 細い雨なら見ていたのだが
鳥たちのどこにもいない明るさに磯の潮は満ちようとする
 鳥はやって来てはどこかに飛び去る。存在と非在の間を往還する鳥は、何かと何かの間(あわい)に引かれてしまう作者にとって格好の主題なのだろう。
 最後の特に印象に残った歌をあげておこう。
ときどきはぴくっと動くこの鳥の最後のことをひかりのことを
どこからが花なのだろう とめどなく零れてしまうほうへ牡丹は
白桃をひかりのように切り分けてゆくいもうとの昨日のすあし
もう一歩うしろにさがって立って見る死のあとにくるつよい陽射を
問いかけはひとつのひかり弧を描いて一羽は橋を越えようとする