第132回 渡辺松雄『隕石』

青山河屠殺ををへし大父に
       渡辺松男『隕石』
 渡辺松男の句集が出たのでさっそく取り寄せて読んでみた。なかなかおもしろい。渡辺松男には『寒気氾濫』から『蝶』まで7冊の歌集があり、現代歌人協会賞、寺山修司短歌賞、釈超空賞などを受賞している押しも押されぬ歌人である。
 歌人で俳句を作る人はいるがそれほど多くはない。塚本邦雄には2冊の句集があり、俳句関係の本も書いているくらいだから、歌人の余技とは言い難い。藤原龍一郎は短歌の前から俳句を作っていたそうだ。寺山修司も高校生のときに俳句から出発し、後に短歌に移っている。
 さて掲句だが、屠殺というくらいだから鶏ではないだろう。鶏ならば「しめる」と言う。牛か豚のような大きな家畜だと思われる。農家の庭先で屠殺したのか、それとも他の場所でかはわからない。しかし屠殺を終えて戻って来た祖父は尋常ではない雰囲気を身に纏い、ひょっとしたら獣と血の匂いが漂っていたかもしれない。そんな祖父の背後に青山河が広がっているという、極めて絵画的な句である。この句を読んで森澄雄の「山の冷猟師さつをの体躯同じ湯に」(原文は正字)という句を思い出した。森の句について塚本邦雄は「湯の面を伝って荒い樹脂の香がにほひ立つやうだ」(『百句燦燦』) と評したが、渡辺の句では夏の空気の中を獣の匂いと暴力の香りが伝わって来るようだ。
 季語は青山河で夏なのだが、実はこの語は歳時記に掲載されていないのだそうだ。しかし佐藤鬼房に「ほとに生る麦尊けれ青山河」という句がある。夏の光を受けて樹木が青々としている風景を指す。
 『蝶』の批評にも書いたことだが、歌人としての渡辺の短歌の特徴は奇想とアニミズム感覚にある。それと同時に人間を宇宙的次元で捉えるスケールの大きさが感じられる。1首目と2首目は偶然にも「XはYなり」という措辞を含んでおり、認識の歌としての渡辺短歌の特徴を示している。
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
                       『寒気氾濫』
蛇なりと思う途端に蛇となり宇宙の皺のかたすみを這う
                       『泡宇宙の蛙』
あかげらにどらみんぐされている楢の こんなときわれは空へひびきをり
                            『蝶』
 では『隕石』に収録されている句はどうかというと、やはり短歌と俳句の文芸としての生理の差か、短歌に特徴的な人間と自然とが連続融合するようなアニミズム的な句は少ない。そういう世界を立ち上げるには俳句は字数が少なすぎるのだろう。
プラトンや天に止まれるままの蝶
につぽんや春昼といふ大袋
引鶴を空に消し空完成す
花むしろにんげんだけを余分とし
死にいれる鯨のゆめや青地球
 スケールの大きな句を引いてみた。1句目、天に蝶が止まることはないので、これは蝶のプラトン的形象化だろう。天空に大きな蝶が形象化されているようだ。2句目、春昼はうららかで眠気を誘う。そんな春風駘蕩の空気を日本列島をすっぽり包む大袋に喩えた句で視点が大きい。3句目、越冬を終えて鶴が北に帰る。点々と見えていた鶴の姿が消えて、空が完成するという。空が本来の姿に戻るということだろう。4句目、花むしろは桜の花が一面に散っている様であるが、「にんげんだけを余分とし」に渡辺の世界観がよく表れている。5句目は死にぎわの鯨を詠んだ句だが、この世は一尾の魚(あるいは一匹の亀)の見る夢にすぎないとする古代中国の世界観に通じるものがある。
 次は時間を詠んだ句で、時間もまた渡辺の認識の大きなテーマである。
うすらひの一秒前のごとく今
ひぐれまでまだすこしある落花かな
ででむしのきのふとけふとあしたの差
蝙蝠や〈いま〉〈ここ〉〈われ〉の飛び回る
 1句目はやや謎めいているが、薄氷が今にも張ろうとしている一瞬前の瞬間を捉えた句。〈今〉の捉え難さを詠んだ句と取る。2句目は夕方に桜が散る様を詠んだ句で、「まだすこしある」という時間の捉え方が秀逸。3句目はカタツムリの遅い移動を詠んだ句。4句目は蝙蝠の意識には今・ここ (hic et nunc)しかないとする認識の句。幸か不幸かわれわれ人間には今・ここを超える想像力と記憶力が与えられているが、蝙蝠を詠む渡辺の目にはどこか蝙蝠の方を良しとする気持ちが感じられる。
 以下、印象に残った句を挙げてみよう。
死のむかうがはのまぶしき日照雨かな
噴水のなにも手渡すことできず
たましひとそして団扇のうらおもて
くるんくる軍艦島に白日傘
白牡丹ゆめにもおもみあるやうに
手のとどく範囲が閻浮茄子の花
死ののちの父のむすうや渡り鳥
穂すすきのとなりに遅れながら揺る
秋冷が汽車のかたちで運ばるる
終極のこころを点すからすうり
1句目、死に「向こう側」があるとすればそれは何だろう。眩しいのだから輝く何かなのだろう。2句目、噴水の水はただ噴き上がり落下するのみである。吉川宏志に「噴水は挫折のかたち夕空に打ち返されて円く落ちくる」という歌があるが、短歌ではどうしても「挫折のかたち」と情意を詠み込んでしまうところ、俳句はスパッと切って余韻を残す。3句目、魂に裏表があるのかといぶかってしまうが、こう言われるとすとんと納まるところがおもしろい。4句目、非常に映像的な句で、廃墟と化した無人の軍艦島に女性のさす日傘が眩しい。私はマニアというほどではないが廃墟好きなので嬉しい句である。5句目、夢に見た白牡丹にもぼってりとした重さがあるという。夢幻的な句である。6句目、閻浮は閻浮台の略で人の住む世界を表す仏教用語。渡辺は筋萎縮側索硬化症(ASL)という難病に罹っているので、身体の自由が効かず、手のとどく範囲が自分の世界なのである。脊椎カリエスを患っていた子規が獺祭屋主人と号したのも、獺が獲った魚を並べるように、病床の枕元に必要なものを並べているからである。そういえば亡くなった父も自分のベッドで同じことをしていた。7句目、父が死んでから森羅万象に父を感じるという意味だろう。8句目、ススキが風に揺れる様を詠んだ句。  『蝶』にも「秋風に集団としてあるなかの蜻蛉ひとつを追へばすばやし」という歌があるが、ふだん気が付かない微少な現象を捉えるのは、短詩型文学の得意とするところである。確かにススキは一斉に揺れるのではなく、その揺れかたは微妙にずれる。9句目、朝早く出る列車の車内は冷えている。その冷えた空気のままに列車が走る。「汽車のかたちで」がおもしろい。10句目、からすうりの赤い実を詠んだ句である。蝋燭の画家として知られる高島野十郎に「からすうり」と題された絵がある。土壁を背景に、葉と蔓が枯れて赤く実ったカラスウリを写実的に描いた絵だが、とても美しい。確かに何かの魂がぶらさがっているようにも見える。先年、熊本を訪れたときに細川家の墓所に行ったことがあるが、墓所の岩壁にカラスウリがたくさん実っているのを初めて見た。その様を「終極のこころ」と形容するところに渡辺の境地を窺うことができるだろう。

第131回 秋月祐一『迷子のカピバラ』

模型飛行機のやはやはとした羽根ごしにたわむ世界はみどりを帯びて
                  秋月祐一『迷子のカピバラ』 
 模型飛行機は軽く作る必要があるため、素材にはバルサのような軽量木材を用い、羽根には薄くて丈夫な和紙を張る。超軽量飛行機には台所用のラップのような樹脂素材を使うらしい。だから上句の「模型飛行機のやはやはとした羽根」のように、頼りない印象を与える。そして半透明の羽根ごしに見える世界がたわむという。これは幾通りにも解釈できるだろう。大空を飛ぶ飛行機を希望の象徴と取れば、世界は希望に満ちた方向にたわむだろう。しかし模型飛行機の脆さや飛行時間の短さに着目すれば、逆に世界はマイナス値の方へと歪むことになる。しかし作者の中では緑という色は美と結び付いているようなので、プラス方向かマイナス方向かという二者択一的価値判断ではなく、模型飛行機の羽根ごしに見る世界は日常から離脱して美しく見えると解釈しておきたい。
バルサの木ゆふべに抱きて帰らむに見知らぬ色の空におびゆる
                   小池光『バルサの翼』
 同じように模型飛行機に用いるバルサ材を詠んだ歌を引いたが、小池の歌には見知らぬ色に染まる空に怯える思春期の少年としての〈私〉がいる。見知らぬ色の空とは言うまでもなく、少年の眼前に横たわる不確定な未来である。一方、秋月の歌にはそのような意味での〈私〉が見あたらない。これが近代短歌と現代短歌を分かつ最も大きな分水嶺だと言えよう。現代短歌とは取りも直さず〈私〉の変容なのである。
 秋月は1969年生まれ。「未来短歌会」の彗星集で加藤治郎の選を受けている。『迷子のカピバラ』は今年4月に刊行された第一歌集である。栞には加藤治郎、あがた森魚、天野天街、諏訪哲史、ハービー・山口、森雅之が寄稿していて、作者の交友関係の多彩さが窺われる。
 本書を手にしてまずその造本の凝り具合に驚く。横長の判型で厚紙製の帙に入っている。中は1ページ3首組で、作者自身の撮影した写真と自作と思われるコラージュが散りばめられており、美術品の詩画集のような造りになっている。ここから窺うことができるのは、作者は美意識に上位の価値を与える人間だということである。ならば「未来短歌会」に入会する前は「玲瓏の会」に所属していたという来歴も合点がいく。口語短歌なのに旧仮名遣いなのも同じ理由によると思われる。
スクリャービンのソナタみたいな夜だからちよつと酸つぱいきみの青梨
ぼくのなかで微睡んでゐた合歓の木をよびさますやうに夕立がくる
梅雨寒のホット・バタード・ラム熱しやけどの舌をちろつと見せて
ずつと海を見てゐるきみと溶けてゆく冷凍みかんが気になつてゐる
言へずじまひに終つたことば捨てにゆく水曜の午後、地下鉄メトロで海へ
  巻頭から数首引いた。「スクリャービン」や「ホット・バタード・ラム」、他の歌には「アイスワイン」「ジェラート」などの現代的なアイテムが並び、どうやら恋人らしい「君」との淡い関係が詠われている。微かに性愛の匂いがするが決して露骨に詠うことがない。そのお洒落で現代的で醒めた様子に、思わず西田政史の『ストロベリー・カレンダー』(1993年刊)を思い出してしまった。
戸惑つてゐるとききみの左眼がうすむらさきになるからこはい
                西田政史『ストロベリー・カレンダー』
コカコーラの壜の破片がこのゆふべわが道標なしてちらばる
水槽にグッピーの屍のうかぶ朝もう空虚にも飽きてしまつた
水晶のかけら投げ合ひからうじて恋愛といふ王国まもる
 1993年と言えば少し前に崩壊したバブル経済の気分がまだ濃厚に漂っていた時代である。西田は盟友・荻原裕幸とともに記号を駆使した短歌を作り、青春の倦怠と空虚を滲ませる歌を詠んだ。しかし秋月の短歌にはこの倦怠と空虚の気分は見られない。それに代わって感じられるのは穏やかで静かな美意識である。
地球空洞説にかぶれた兄さんが逆立ちをしてにらむ北極星ポラリス
祭りつづきで浮かれた街に三日ゐてまたゐなくなる薄荷商人
いつまでも冷めない紅茶いぶかれば遠くかすかにいかづちの音
 目次もなくパートに分けられてはいるものの、連作としての連続性やテーマは特に感じられない。これは前回取り上げた堂園昌彦の『やがて秋茄子へと至る』にも共通して言えることだが、一首が額縁で区切られたひとつの世界を作っていて、読む人は展覧会である絵の前に立ち止まり、やがて次の絵へと移動して行くように、一首一首の歌を他とは孤絶した世界として鑑賞することになる。このテーマ性と連作意識の低さは、現代短歌における〈私〉の変容と深い所でつながっているのだろう。テーマ性や連作を内側から支えるのは〈私〉の連続性だからである。
「見ないまま重ね録りされ消えてつた推理ドラマの刑事みたいね」
地底湖に落としたカメラ ぎこちないきみの笑顔を閉ぢこめたまま
水平がわづかに傾ぐくせのあるきみの写真に右下がりのぼく
 先ほど秋月の短歌には西田のような倦怠と空虚の気分は見られないと書いたが、大学を卒業する頃にバブル経済が崩壊し、その後の失われた20年を生きた秋月にも何らかの感慨はあるだろう。見られることなく重ね録りされて消えたドラマの刑事や、笑顔を閉じ込めたまま湖に沈んだカメラや、恋人の写真に右下がりに写る自分などにその片鱗をわずかに見ることができるかもしれない。
 『ストロベリー・カレンダー』の歌を引用するために、『現代短歌の新しい風』(ながらみ書房 1995)を書架から引っ張りだしたら、田島邦彦が書いた序文がたまたま目に入った。戦後生まれの歌人について来嶋靖生は『短歌現代』(1995年5月号)に次のように書いたという。「人間いかに生きるべきかといった思想・大状況に関わる歌は少なく、総じて現状否定・反権力・反権威の精神に乏しい」一方で、「表現の巧みさと繊細さが加わり、口語の巧みな使用、言語感覚の鋭さ新鮮さが見られる。」これが1995年当時の来嶋の目に映った短歌の状況であるが、それから20年が経過した。思想・大状況に関わる歌が少なく現状否定・反権力・反権威の精神に乏しいどころか、そのような歌が皆無となった現状を見て来嶋は何と言うだろうか。先ごろ鬼籍に入った石田比呂志のように、こんなものを短歌と認めるくらいなら、東京は青山墓地の茂吉先生の墓前に馳せ参じて皺腹かっさばいてくれるわと言うかもしれない。その反面、今の現代短歌は来嶋が指摘した「表現の巧みさと繊細さ」を研ぎ澄ます方向に進んでいるように見える。
 『迷子のカピバラ』に収録された歌を読むと、確かに繊細な感覚と選ばれた言葉があって、ある種の優しく静かなポエジーを醸し出してはいるのだが、それだけでいいのだろうかと感じる。もう少し表現と格闘した痕跡や、〈私〉の煩悶がなくてよいのだろうか。収録された100首をあっという間に読み終わって、そのような感想を持った。

第130回 堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

夕暮れが日暮れに変わる一瞬のあなたの薔薇色のあばら骨
           堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
 堂園昌彦の第一歌集が出版された。堂園は1983年生まれ。「コスモス」「早稲田短歌会」を経て、「pool」同人、ガルマン歌会を主催している。まだコスモス短歌会に所属しているかどうか知らないが、伝統的な結社を経験しているので、純粋なネット系歌人とは言えないのだが、同じ早稲田短歌会の五島諭と同じくそのような文脈で語られることが多い。若手歌人には人気があり、この歌集も出版から日を置かずに重版の運びと聞く。
 版元は角川短歌賞を受賞した光森裕樹の『鈴を産むひばり』と同じ「港の人」である。歌集出版に実績のある出版社ではなく、光森はネットで検索してこの版元を選んだそうだ。渋い瀟洒な装幀で、内扉が紫色なのは歌集題名の秋茄子にちなんでのことだろう。1ページに1首という贅沢なレイアウトで、なんと活版印刷である。やはり活版印刷は文字の風格がちがう。帯文なし、栞文なし、簡潔なあとがきのみという清楚な造りには、書き手の姿勢が現れている。
 堂園は若手に人気がある歌人であるにもかかわらず、あまりきちんと批評されていないという印象がある。ネットで探してみても的を射た批評は見つからないし、年齢が上の世代の歌人が堂園の短歌について語ることもあまりない。どうしてだろうか。それは堂園の短歌の批評のしにくさに原因があるように思われる。
球速の遅さを笑い合うだけのキャッチボールが日暮れを開く
目覚めればやがて夕凪、夕凪の後に貰いに行く飾り箱
はみだしてしまう命を持つ人と僕も食べたよふたつ鯖缶
死ぬことを恐れて泣いた子供たちと交わした遠い春の約束
追憶の岸辺はかもめで充ち続けひかりのあぶら揺れてかなしい
 これらの歌に短歌の通常の読みを適用すると、一首目だと、友人同士で脱力のキャッチボールをしているという何気ない日常風景が詠まれているのだが、結句の「日暮れを開く」という措辞にやや詩的修辞が感じられるだけで、どこに読みのポイントがあるのかわからない。穂村弘の言う「短歌のくびれ」が感じられず、くびれのない寸胴体型の印象である。二首目では、昼寝の後か、午後遅く目覚め、やがてあたりは夕凪になるという。だから舞台は海岸だろう。夕凪の後、つまり夜になってから飾り箱を貰いに行くというのだが、それが何の飾り箱なのか、誰に貰いに行くのかさっぱりわからない。三首目の「はみだしてしまう命を持つ人」は、自殺願望があるのか、それとも死病を得た人なのか不明だが、それは置くとして、一緒に鯖缶をふたつ食べたというのが何を意味するのかこれまた要領を得ない。残りの二首についてもほぼ同じことが言える。
 このように堂園の作る短歌は、従来の伝統的な短歌の読みのコードを拒否するのである。このことは近代短歌の文脈内で作られた歌と比較するとよくわかるだろう。
樹の中を水のぼりつつ冷えてゆく泪のごとく花ひらきたる  大谷雅彦
学生が踏む銀杏にむせ返る青春期アドレッセンスをやや過ぎたれど
                             大野道夫
円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる  吉川宏志
 大谷の歌では「樹の中を水のぼりつつ冷えてゆく泪のごとく」までの長い助走が結句の「花ひらきたる」を導き出すために奉仕している。樹の幹の導管を伝って登る水の上昇する様が初句から四句までの流れを作り出していて、助走から開花への変化が見事である。また大野の歌は上句「学生が踏む銀杏にむせ返る」の情景描写と、下句「青春期をやや過ぎたれど」の主情とが「合わせ鏡」の構造を成していて、それぞれの句の存在理由と役割が明確である。吉川の歌では、「円形の和紙に貼りつく赤きひれ」が写実で、「掬われしのち金魚は濡れる」が発見である。ポイントは水の中では金魚は濡れているように見えず、水の外に出た時に初めて濡れるという逆説的真実の提示にある。吉川はこういう短歌のポイント作りが実にうまい。いずれの歌も近代短歌が前提とする読みのコードによって意味を受け取り、それを味わうことが可能である。これらの歌が手渡そうとしているものははっきりしている。
  翻って堂園の歌を改めて眺めてみると、短歌の造りと言葉の質の位相が異なることに気づく。とりわけ言葉がなぜその場所にあるのかという理由がちがうように思われる。堂園の歌ではなぜ言葉がそこにあるのか。その謎を解く鍵は歌集巻末の簡潔なあとがきにある。ある日、代々木公園に行くと、五月の陽光のなかで子供達が芝生の上を駆け回ったり、じゃんけんをしたりして、楽しそうに遊んでいる。それを見た作者は次のように続けている。
 この子たちは今日の光を覚えているだろうか。私は覚えていられないだろう。目の前の景色がどんなにうつくしくとも、いずれ日は翳り、季節は過ぎて、記憶は次第にあいまいになっていく。だから子供たちよ、どうか長生きをしておくれ。長生きをしてたくさんのことを忘れておくれ。せめて私は君たちが忘れてしまったほほえみや苦しみを拾い集めて小さな墓をつくり、その周りに賑やかな草花が咲くのを、長く、長く長く待っていようと思う。
 この文章を読めば、『やがて秋茄子へと到る』という歌集そのものが「小さな墓」であることが感得できるだろう。だからこそ版組や装幀をできるだけ美しくしようとしたのも理解できる。同時に上の文章からは、遠からずこの世を去ろうとしている人の息遣いが感じられる。こう言ったほうがよければ、人生は須臾の間であり、私は移ろう存在であると深く感じている人である。そのような人の目に映るすべては美しく見える。遊ぶ子供たちや咲く花だけでなく、軒先にかかる蜘蛛の巣も使い古した茶碗のひび割れでさえ美しく見えるだろう。
 別の比喩を用いると、これは望遠鏡を逆さまに覗いた時の映像に似ている。望遠鏡を逆に覗くと、風景が奇妙に遠くよそよそしく見える。望遠鏡を正しく覗くと、遠くの物が近くにはっきりと生々しく見えるのと逆である。それはどこか遠い風景であり、私とは関わりのなくなってしまった懐かしい風景のようにも見える。
 堂園の短歌にくびれがなく読みのポイントを絞れないのは、そこに原因があるように思う。作り手の側から言うと、近代短歌の修辞を駆使して、「ここがポイントですよ」と提示する作り方をしていない。堂園の短歌の言葉たちは、そのような目的に奉仕するのではなく、「小さな墓」に納めておく忘れがたい記憶を定着するために使われているのである。「キャッチボール」も「飾り箱」も「鯖缶」もそのように納められたアイテムであり、何かの修辞力を発揮するようにそこに置かれた言葉ではない。だから堂園の短歌を読む人は、修辞のポイントを探すのではなく、目の前を通り過ぎて行く歌の列を、薄いパステルで描かれた淡彩画か詩画集のように味わうのが正しい読み方ということになろう。
 中部短歌会の「短歌」2013年10月号で、菊池裕が『やがて秋茄子へと到る』を論評している。菊池は、「論理よりも審美を優先することに躊躇しない」「近年、稀に見る高潔な詩編である」と高く評価し、「修辞の鎧を纏わない」「ファイティングポーズはとらない」が、「表現のおだやかさに反して、洒脱な熾烈さ、よるべない狂おしさに特徴がある」と評している。堂園の短歌が修辞の鎧を纏わないのは、上に述べたように言葉が修辞に奉仕するために使われているのではないからであり、また「よるべない狂おしさ」が感じられるとすれば、それは堂園が世界を末期の眼で眺めているためだろう。
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
あなたは遠い被写体となりざわめきの王子駅へと太陽沈む
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
過ぎ去ればこの悲しみも喜びもすべては冬の光、冬蜂
春の船、それからひかり溜め込んでゆっくり出航する夏の船
 付箋を付けた歌のなかからランダムに選んだが、期せずして春夏秋冬の四季がすべてあり、またすべての歌に「光」がある。これは決して偶然ではなく、作者が世界の光を強く希求しているためだろう。

第129回 天道なお『NR』

姉であることを忘れるウエハースひとひら唇に運んでもらう間
                      天道なお『NR』
 10月になると町中が香りに満ちる。金木犀の香りである。昔、熊本大学に集中講義に行ったとき、ちょうど10月初めの時期で、熊本の町には金木犀と同じくらい銀木犀があり、強い香りを放っていた。折しも今日 (10月6日) の朝日新聞の天声人語に次の歌を見つけた。
木犀のかをりほのかにただよふと見まはせど秋の光のみなる  窪田空穂
 いい歌だ。ポイントは「秋の光」である。現在の天声人語の筆者は短詩型文学に造詣が深いらしく、よく短歌や俳句を引用している。金木犀というと、2011年角川短歌賞次席の小原奈実の次の歌も思い出す。
いずこかの金木犀のひろがりの果てとしてわれあり 風そよぐ
 さて、掲出歌は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズとして出版された天道なお『NR』から取った。母親にウエハースを食べさせてもらっている幼児期の記憶が主題である。ウエハースの美味しさは姉であることを忘れるほど、つまり妹・弟の存在を忘れるほどだというのだが、この歌の魅力はウエハースと唇だけが焦点化されているところから生じる。俳句や短歌のような短詩型文学は言うまでもなく短いのが特徴だから、テーマや情景のどこを切り取るかというトリミングの芸術である。情景全体にピントが合っていると歌としての切れがない。穂村弘のお好みの言葉を用いるならば「短歌のくびれ」である。
 ウエハースの歌というとどうしても次の歌を思い出してしまう。
子の口腔くちにウエハス溶かれあは雪は父の黒き帽子うすらよごしぬ
                      小池光『バルサの翼』
「ウエハス溶かれ」という破格の文法と、「父の黒き帽子」の9音が強い印象を残す。口の中で溶けるウエハースと帽子の上で溶けるあわ雪の照応、子の無垢と父である自分の汚れの対比が見事としか言いようがない。
 さて、天道なおの歌集に話を戻す。天道は早稲田短歌会在籍中の2000年に『短歌研究』800号記念臨時増刊号『うたう』で作品賞候補となって注目された。この臨時増刊号は現代短歌のメルクマールとなった雑誌で、ここから盛田志保子、雪舟えま、佐藤真由美、石川美南、柳澤美晴、今橋愛(赤本舞名義)らが世に出た。私は今でもこの号を大切に保存している。
 天道なおはタイ旅行に想を得た「天使の都クルンテープへ」という連作を寄せた。「天使の都」はバンコクの雅名である。
落葉を重ねるようにシャツ脱げば雨の残香部屋中に満ちる
凍りたるマンゴスチンを溶かすため窓辺に置けば月光のこう
海月らが波のまにまに愛し合う 氷菓窓辺でくずれる夕べ
 作品賞を受賞した盛田志保子よりも、私は天道の連作に強い魅力を覚えた。旅行詠はややもすれば見聞の新しさに引き摺られ、珍しいアイテムを並べるだけの歌になりがちだが、天道の連作はその弊を逃れており、熱帯地方の空気感や熱を帯びた体感をよく表現している。
 それから13年の年月を経て、第一歌集『NR』が上梓された。歌集題名のNRは職場の予定表に書くノーリターン、つまり出先から会社に戻らずそのまま帰宅するという意味の略号だという。昔は直帰と書いたものだ。大学を卒業して就職し、結婚・出産を経てワーキング・マザーとなり、夫の転勤に伴い新しい町に住み、やがて退職するまでがほぼ時系列で綴られている。
恋文を読み上げるぎこちなさにて製品企画書読み合わせており
白シャツの衿尖らせて帰宅せり真水に浸しただ眠るべし
この土地に夫以外の知己はなく無地のカーテン揺れる休日
ひっそりとヒトのかたちにしずもりて熟れゆく果実わが宮にあり
ながながと午後の会議にブラウスの奥処で乳房ひとひと張りぬ
記すべきものを記していちまいの退職届用紙のかるさ
 一首目は会社勤めの職場詠だが、上句「恋文を読み上げるぎこちなさにて」に女性らしさが滲む。二首目では会社勤めの疲労感を「白シャツの衿」が形象化している。三首目、上に書いた短歌のトリミングに即して言えば、ここでトリミングされているには「無地のカーテン」で、まだ住み慣れない新居の味気なさを表しているのだろう。四首目は、「十月、十日」という妊娠期間を題とした連作にあり、ひと月に一首または二首を配して出産までの経過を詠んでいる。連作の最後は「みどりごは新世界より来たる人ましろき切符手に握りしめ」で終わる。五首目は子育てしながら働く母親の情景で、六首目は巻末の「離職の日」からの一首である。
 「天使の都」を読んだ目で眺めると、ご本人には申し訳ないが、物足りないと言わざるをえない。その印象はどこに由来するかと言うと、おそらく作者には「自分の気持ちをわかってほしい」という想いがあるのだろう。今、短歌を作る若い人たちの多くは同じ気持ちから作歌しているのではないかと思う。その想いは否定しないが、問題はそれをどのように歌へと形象化するかである。
 歌の二大分類である正述心緒と寄物陳思を持ち出すまでもなく、短歌では物に寄せて詠う。寄せた物が穂村の言う「短歌のくびれ」である。寄せた物が主題と離れていればいるほど歌は衝撃力を持つ。この点から見れば新生児と「ましろき切符」は付きすぎていると言わざるを得まい。
平穏無事に五月過ぎつつ警官のフォークを遁げまはる貝柱  塚本邦雄
 「警官」「フォーク」「貝柱」には本来何の連想関係もない。それらがひとつの歌に詠み込まれることによって、それまで存在しなかった意味が浮上する。これが文芸としての短歌の醍醐味である。そのとき歌人は既存の想いを歌で表現するのではなく、発見した新たな意味関係という磁場のなかで、新たな自分へと変貌する。短歌は自己表現ではなく、自己発見の旅なのである。

第128回 斉藤真伸『クラウン伍長』

デニーズをひとつ過ぎれば夕暮れのすべての海は死者たちのもの
                 斎藤真伸『クラウン伍長』
 書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズ第2回配本で3冊の歌集が出た。斎藤真伸『クラウン伍長』、天道なお『NR』、笹井宏之『八月のフルート奏者』の3冊である。今回はまとめて読む時間がなかったので、斎藤の歌集を単独で取り上げる。
 斎藤真伸さいとう まさのぶは1971年生まれ。「みぎわ」短歌会と「未来」に所属。後に「未来」を離れて、今は「みぎわ」の活動に専念している。斎藤の師は「みぎわ」主宰であった上野久雄であり、上野との出会いが斎藤を短歌の道に導いたことがあとがきにある。解説は「未来」時代に斎藤が彗星集で選歌を受けていた加藤治郎が書いている。
 本歌集にはおびただしい人名が登場するのだが、歌集題名のクラウン伍長もそのひとつである。歌集にはていねいな注が付されており、クラウン伍長とは名作アニメ「機動戦士ガンダム」の敵軍ジオン軍の兵士の一人だという。主人公アムロ・レイがガンダムに乗って地球の大気圏に突入する際にガンダムに攻撃を仕掛けるも、大気圏の摩擦熱で燃え尽きる兵士である。そんな端役にも名前が付いていたことに驚くが、もうひとつの驚きはこれを歌集題名にするよう勧めたのが上野だったということである。端役であり、志なかばで死んだ人物であることに意味があるかと思う。解説を書いた加藤も、「かき上げのところどころに桜えび言うなれば死はすべて討死」という歌を引いて、「この雲のように掴み所のない現在、討死は、斎藤真伸の矜恃ではないか」と書いている。
 試みに固有名の詠み込まれた歌を拾ってみると次のごとくである。
郷土史にその名なけれど甲斐のひと説教強盗妻木松吉
たったひとつのやりかたとしてその夫のあたま撃ち抜くアリス・B・シェルドン
ケーキ箱脇に抱えて風を受く「杉野はいずこ、杉野はいずこ」
刑死せる勝蔵のゆめ四つ辻のねこやなぎに沿う馬頭観音
靴ひもがすぐにほどける間道を落ちのびてゆく劉備のように
 斎藤は山梨県の生まれである。一首目の妻木松吉は戦前に名を馳せた強盗で、押し入った家で防犯の心得を説いたことからこの名が付いた。二首目のアリス・B・シェルドンは、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.の筆名で作品を発表した米国のSF作家。認知症になった夫をかねてよりの合意に基づき射殺し、自分も自殺している。三首目の杉野孫七は広瀬武夫とともに旅順港封鎖作戦に参加した兵士で、乗艦福井丸に爆薬を仕掛けて脱出用舟艇に乗り移ったとき、爆薬掛であった杉野の姿が見あたらず、広瀬は福井丸に戻り「杉野はいずこ、杉野はいずや」と呼ばわったことが文部省唱歌にもなっている。四首目の黒駒勝蔵は甲州出身の博徒で、戊辰戦争に官軍兵士として参加し後に刑死している。五首目の劉備は説明不要。
 これらの人物は有名無名を問わず、激しい生を生き、歴史にくきやかな影を残した人たちである。斎藤はこのような人物たちに心を寄せている。その動機を推察するのはそれほど難しいことではない。現代に生きる私たちは、もうそのような手応えのある生を生きることができない。彼らの残した影の濃さに較べて、私が舗道に落とす影のなんという薄さよ、というわけだ。そのことは上に引いた三首目に鮮やかに示されている。家族のためにケーキを買って帰るのはマイホームパパの象徴である。しかしそのかたわら、斉藤はまるで呪文のように「杉野はいずこ」と唱えるのである。次のような歌も同じ水脈にある。
いつの日かくびられかねぬ身とはいえ明日は歯医者へゆかねばならぬ
小雨降るホームにすするきつね蕎麦あるいは完全水爆のゆめ
サービス券数えていればだんだんと親しくなっていくんだ死は
一日のおわりにひとり麦チョコをたべている 猫が呼ぶこえ
爆弾を仕掛ける場所がないじゃない薄さを誇る液晶テレビ
 これらの歌に揺曳する気分を言い表せば、それは「生の不全感」だろう。一首目、「いつの日かくびられかねぬ身」とは、想像上で大胆なことをしでかしている自分だが、それは虫歯治療のため歯科医に通う日常に打ち消される。斉藤の文体の基本は口語なので、わざわざ時代小説のような物言いを擬している。二首目の立ち食い蕎麦と完全水爆の対比も一首目同様の構図である。三首目、行きつけの店がくれるサービス券は使わなければどんどん増える。「まだこれだけ使える」という未来は、「もうこれだけしか使えない」という有限性へとたやすく転化する。四首目、大の大人がひとりで麦チョコを食べている図には幼児性が漂うが、それは幼児回帰願望も混じっているのかもしれない。五首目、最近の薄型TV は薄すぎて爆弾を仕掛けることもできないという感慨には、もはやリクールの云う「大きな物語」を生きることができない現代の日常感覚がある。つまりは「どえらいことをしでかす」という生のあり方を、あらかじめ奪われているということだろう。
現実が油煙にかすむラーメン店バターが味噌のスープに溶ける
農協ののぼりを濡らすはだれ雪ひとは生きるか雑用のため
 ま、しかしそれでも人は生きねばならぬ。というわけで、今日も取り立てて何もない日常を生きているわけだが、 そんな日々にもささやかな楽しみがないわけではない。斉藤の場合、それは模型、サブカル、時代小説である。
とりあえず模型の市だといっておくぬるいコーラを売っているけど
ブルーシートの海原を征く艦隊は喫水線より下をもたざり
とりどりの仮装コスプレのなか献血のマイクロバスが日陰をつくる
頭巾にて顔を隠すはお銀様八ヶ岳やつの颪にとまどうばかり
 特に作者は中里介山『大菩薩峠』全41巻の世界に耽溺したようで、歌集巻末には「大菩薩峠」に想を得た50首が配されているほどである。それから、模型・サブカル・時代小説という三題噺に並べるのはあまりに失礼なので別扱いとするが、ともに暮らす妻もまた現実という砂漠に置かれた泉である。夫人を詠んだ歌にはどれも愛情がこもっている。「ラブプラス」とは恋愛シミュレーションゲームのこと。
生活の木のパンフレットは顔のした妻が居眠る午後のテーブル
ワインラベル剥がさんとしてこの妻はわれの知らざる器具を取り出す
わが妻に「ラブプラス」の講釈すなんという刑罰ぞこれは
妻というものが私の家にいてドーナッツなど食べる不可解
 私は初めての歌人の歌集を読むとき、最初のうちはダイヤル式のラジオのチューニングのように、ダイヤルを微調整してその歌人の波長を探り当てるように読む。しばらく読み進むと、だいたいその波長が掴めて、以後はその作品世界に苦労せず入ってゆくことができるのだが、それと平行して貼り付ける付箋の数が減るのが常である。それはその世界に私が慣れたということで、勢い類想が多く感じられるということをも意味する。しかし、『クラウン伍長』では思いがけずそのような予定調和的経路は辿ることなく、読み進むうちに逆に付箋が増えて来た。これはいかなることかと思うに、斉藤独自の韻律感覚に体が馴染んで来て、ローカル線に揺られているような快感を感じるようになったのではなかろうか。
透かし浮く和紙の面に天麩羅の衣のはじが残りて二月
歯ブラシの毛先はゆるくひろがって洗面台に春の朝かげ
西国のあらぶる神ぞ川底ゆ引き揚げられしサンダース氏は
かすかなるカルキが匂う脱衣場にたましいまで脱ぐわれかも知れず
わが指の隙をこぼれるとぎ汁のその行く末をいまは思うな
 歌の造りにも言葉遣いにも奇をてらうところがないので、すらすら読めてしまうのだが、こうして書き写してみると上手い歌だとあらためて思う。最初に読んだときより二度目の方が、二度目より三度目の方がよい歌だと感じる。文節と韻律の間の橋渡しの隙のなさがこの水準まで達成されているのは珍しい。
 集中でやはり心を打たれるのは師の上野の死に際しての連作である。
病院ゆ戻る夕べのくらきみち神の壊れた玩具かヒトは
死に髭を奪い取られて先生は白き布団にいま横たわる
柿よ柿なぜに実るか先生はもはやおまえを食えぬというに
 トレードマークであった髭を剃られ、好物の柿がもはや食べられなくなったという、普通の細かいことを詠いながら心に染みる。短歌の王道と言えよう。
 歌の完成度から言って、『クラウン伍長』が著者の第一歌集とはほとんど信じ難い。手練れの名人芸を見せられているようにすら感じる。瞠目すべき歌集であることはまちがいない。

第127回 花鳥佰『しづかに逆立をする』

あくびする口ひとまはり大きくなり猫はおのれをいま脱がむとす
               花鳥佰『しづかに逆立をする』
 よく寝る子」だから「ネコ」と呼ぶという民間語源があるくらい、猫はよく眠る。だからあくびもする。あくびをすると、顎の関節が外れるのではと思うくらい大きく口を開く。それを「口ひとまはり大きくなり」と表現している。すると大きく開いた口から、別の実体が出て来るのではないかと作者は考える。「おのれを脱ぐ」とは、服のように身にまとっていた自己を脱皮することである。すると中から出て来るのは何だろう。もうひとつの「おのれ」なのか。それともまったく別の存在なのか。これは極めて存在論的な問いである。作者には他にも「桃の棘の芽を出すときになにかかうわがうちなるも露出すべし」という歌があり、私たちの姿形はとりあえずの仮の姿であり、内に何かを隠しているという思いが強くあるようだ。
 花鳥佰かとり ももは「短歌人会」所属。これが第一歌集だが、特に履歴などは書かれておらず、筆名を用いていることからも、自分を語ることを好まないとみえる。あとがきによれば、60歳を過ぎていて、過去に英語と日本語の雑誌編集の仕事をしており、ミステリーを書いて懸賞に応募したこともあるという。朝日カルチャーセンターで小池光の短歌講座に出席し、その縁で「短歌人会」に入会したらしい。栞文は石井辰彦、川野里子、小池光。アンリ・ルソーの絵を配した装丁に作者のこだわりが感じられる。
 まったく予備知識のない作者の短歌に接するとき、最初に気にするのは〈作者─世界〉と〈作者─短歌〉の、作者を原点とする三点測量のような関係である。とりあえず花鳥にとって短歌は自己表現の手段ではないようだ。己について語ること少なく、日々の暮らしを感じさせる歌も少ない。それよりも世界の断片に接したときに覚える好奇心とでも言うものが、花鳥の短歌の原動力になっているようだ。
ガラス越しにオランウータンとキスをする老婦人をりベルリンの昼
レオナルドの人体図のひと耳から下、あゝ体毛のことごとくなし
支那飯屋「全開口笑」に「安宅歯科」もたれ口開く香林坊に
猿のように腰を突き上げターンしてボートの尻をぐぐぐと回す
この弓の尾の毛の主の鹿毛の馬の雲のごとくに駆けるを見たり
 花鳥の歌には何かひとつ中心となるアイテムが含まれているものが多い。一首目はオランウータンである。おそらくドイツ旅行の折りに実際に目にした光景を詠んだものだろう。動物園の獣舎のガラス越しにオランウータンとキスするというのはふつうあまりしないことである。その軽い驚きが歌の核になっている。二首目は有名なダヴィンチの人体図で、よく見ると確かに髪の毛以外の体毛は描かれていない。それだけを詠んだ歌でそれ以外の意味はないのだが、事実に気づいたとき大袈裟に言えば世界が少し更新される。三首目は金沢の繁華街香林坊の光景。おそらく「全開口笑」という中華料理点かその看板に、「安宅歯科」という看板がもたれかかっているのだろう。歯医者に行くと大きく口を開けるのが、「全開口笑」という店名に通じるところがおかしいのだが、これも作者が感じたおかしみを詠んだだけである。花鳥はよほど好奇心の強い人らしく、平和島のボートレースに行ったのが四首目である。これも見たままを詠んだ歌だが、擬音のぐぐぐが効いている。五首目はヴァイオリンを修理店に持って行ったときの歌。「の」のこれでもかという連続が弓の毛の長さか、駆け去る幻想の馬の航跡を表しているかのようだ。
 栞文を書いた歌人は誰も取り上げていないが、集中で私が最も感心したのは次の歌だ。
そのゆふべ分子出でゆきはひりきて蚊柱のごとくわが立ちてをり
 花鳥はたいへんな読書家のようなので、おそらく福岡伸一の『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)を読んでいるだろう。同書で福岡は生物学者シェーンハイマーを引いて、「生物とは分子の一時的淀みである」と定義している。私たちの身体を構成しているタンパク質はアミノ酸から成るが、それは食物から摂取されたアミノ酸と絶えず入れ替わっている。生物とはタンパク質の一時的な淀みにすぎず、その様はまさに「川の流れは絶えずして」だというのである。上掲の花鳥の歌では、生物のそのような有り様が蚊柱によって表現されている。蚊柱とは言い得て妙ではないか。蚊柱は蚊の集合体であり、柱の立体として見えるものの実体はない。蚊の離合集散という絶えざる運動が私たちの目に映じた幻である。
 作者の知的眼差しは〈かたち〉へと向かうようで、そのためか人間が人体部位の部分的姿で表されることが多い。
叔父の耳とわが耳のなり似るゆゑんを明かして死んだショウジョウバエよ
ご近所の歯医者へ来たりて大男の太きおゆびに歯を抜かれたり
手首から肘まで黒き毛の渦まく腕のとなりに三時間をり
五月四日『毛皮のマリー』に青年の肉うすき尻四つならびぬ
かわきたるくちに触れたるくちびるに冬鉄棒の味はるかなり
   一首目の耳の形、二首目の太い指、三首目の腕、四首目の尻にそのことが見える。五首 目でも唇がクローズアップされている。確かに冬に鉄棒を舐めると金属の鋭い味がするもので、誰しも小学校時代を思い出すだろう。
 次のような歌にも引かれる。作者の〈私〉の捉え方に独自のものを感じるからである。
履く靴の決まりわが身のなんとなくあるかたちにまとまりぬらし
われらみんな歪んでるのだしんしんと冷えたワインをかるくかざしぬ
とつぜんにあまたのにほひわれを充たすいつてきの雨落ちそむるとき
夜にゐて桃を食ぶれば桃のみづわたしの水とからんで揺るる
 栞文で石井辰彦が書いているが、若いうちに短歌に親しんで「絶対音感」ならぬ「絶対韻律感」を身につけていないためか、定型からかなり外れた歌が多い。その大部分は字余りである。
冬の夜に蛸を茹でたりトーマス・クック・ヨーロッパ鉄道時刻表の表紙の色に
 この歌など意味で区切ると、6・7・7・7・10・7で実に44音もある。この歌では三句が7音でかろうじて1音増音にとどまっているが、三句目がきっちりはまっていない歌も多い。短歌人会の大先輩の小池光が繰り返し言っているように、短歌の要は三句であり、もう少し定型を意識したほうがよいかもしれない。
 抒情詩としての短歌という枠からは多少とも外れるかもしれないが、花鳥佰『しづかに逆立をする』はなかなかおもしろく、知的刺激を受ける歌集である。

第126回 堀合昇平『提案前夜』、木下龍也『つむじ風、ここにあります』、鯨井可菜子『タンジブル』

雑踏の中でゆっくりしゃがみこみほどけた蝶を生き返らせる
          木下龍也『つむじ風、ここにあります』
 九州の書肆侃侃房から若い歌人の歌集を世に出す「新鋭短歌シリーズ」第1期全12冊の刊行が始まった。監修者は加藤治郎と東直子。書肆侃侃房は急逝した笹井宏之の歌集『ひとさらい』『てんとろり』を出した出版社で、その縁で今回の版元を引き受けたものと思われる。若手歌人が歌集を出すのは経済的にもなかなか難しいことなので、今回のシリーズの企画を喜びたい。第一回配本は、堀合昇平『提案前夜』、木下龍也『つむじ風、ここにあります』、鯨井可菜子『タンジブル』の3冊で、今回は3冊をまとめて取り上げる。歌集3冊の一気読みはなかなかキツいが、あとがきの隅々まで読んだ。
 堀合昇平は1975年生まれで、2008年から未来短歌会に所属して、加藤治郎の選を受けている。2011年に未来賞を受賞した実力派である。コンピュータメーカーに勤め人として勤務している。なぜ短歌に興味を持ったのか、いつから作歌しているのかは詳らかではないが、近代短歌の本流を行く堂々とした作風である。
結び目をほどけば匂い立つ汗を見果てぬ明日の手がかりとする
全身が痺れるような提案のキラーフレーズ浮かばぬ夜は
ああ我の周辺視野に口づけの角度で眠るかなしいおとこ
ああ夏は行方も知れぬ夕暮れにじいちゃんと飲むドクターペッパー
ゼリー菓子の包みをひらく指先のざわめき止まず 炉の冷えるまで
敗北の暗喩のごとき夕立のなか噛みくだすミントタブレット
 『提案前夜』の大部分を占めるのは、上に引いた最初の3首のような職場詠である。作者はコンピュータメーカーの社員として、社内で企画を提案し顧客にシステムを営業販売する仕事をしている。『提案前夜』という不思議な題名は、2首目のような社内会議での企画提案を明日に控えた眠れない夜をさす。1首目の果てしなく見返りのない労働の汗、2首目の不眠の夜の煩悶、3首目の悲しい職場風景、このようなものが作者の歌の主題である。いつから日本の会社は社員を死ぬまで働かせるようになったのか知らないが、大手企業でもブラック化しつつある現代の労働風景を執拗に歌にしている。厳しい労働環境に生きる作者にとって、短歌は心の拠り所であり、深夜、家族が眠る家に帰宅し独り歌を作ることによって、心の悪魔祓いをしているのだろう。
 4首目と5首めは、祖父の葬儀のために岩手県の海岸地方に帰郷した折りの歌である。4首目では祖父とドクターペッパーのちぐはぐな取り合わせが、祖父を失った悲しみをよく表現している。5首目は火葬場で遺体が焼き上がるまでを待つ親族たちの光景。今回呼んだ3冊の歌集に共通して登場するアイテムが、6首目のミントタブレットすなわちクリスプなのがおもしろい。時代は清涼感を求めているのか。
 堀合の作風はニューウェーブ風というより、はるかに近代短歌に距離が近く、腹にズシンと響く歌である。なかでも次のような歌に作歌技術と感性の冴えを感じる。
新月の夜の更けゆけば停止線わずかに越えて停まるプリウス
選択に余地あることの幸せは 洗顔フォームを伸ばす手のひら
たましいのごとき一枚をひきぬけば穴暗くありティッシュの箱に
 木下龍也は1988年生まれ。結社には属さず、山口県に住みながら穂村弘の「短歌ください」などに短歌を投稿している無結社、ネット系歌人である。2012年全国短歌大会大会賞受賞。男性歌人がスーツを着てグラビア雑誌よろしく写真に納まっている「短歌男子」(2013)にも参加している。『つむじ風、ここにあります』は非常におもしろく読み、付箋もたくさん付いた。
花束を抱えて乗ってきた人のためにみんなでつくる空間
中央で膝を抱える浴槽の四方のバブが溶け終わるまで
包丁を買う若者の顔つきをちゃんと覚えておくレジ係
生前は無名であった鶏がからあげクンとして蘇る
鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい
救急車の形に濡れてない場所を雨は素早く塗り消してゆく
 木下の持ち味は、平易な口語でポエジーを立ち上げる言語感覚と、見過ごしそうな生活の些事を冴えた感覚で捉えることにより、奇想の世界を瞬間的に現出させる力だろう。たとえば1首目、エレベーターか電車の車内風景である。花束が潰れないように、少しずつ譲り合って場所を空けてあげる。木下もやさしさ世代の一人である。2首目、炭酸入浴剤のバブが溶けるまで、身体を縮めて浴槽に入っているという日常の光景だが、ありそうな光景ながらなにかおかしい。3首目は無差別殺傷事件を踏まえたもの。4首目は思わずくすっと笑ってしまう歌だが、名前も付けてもらえなかったブロイラーが、唐揚げになって店頭にならぶと、「からあげクン」という名前を与えられる。一種の現代文明への皮肉としても読める。5首目では鮭おにぎりを鮭の死と表現したところがポイントである。
 木下の短歌を読んでいると、学生がゲバ棒を握って政治運動にのめり込んでいた時代ははるか遠くなったと改めて実感する。ここには「大きな物語」はいっさいない。恋人らしき女性以外は、他者は一人も登場しない。堀合の短歌が心に残すザラザラ感とは対極にある、蒸留されたような静かな世界である。この歌集から一首選べと言われたら、次の歌を選びたい。静かな悲鳴が感じられる歌である。
なぜ人は飛び降りるとき靴を脱ぎ揃えておくのだろうか鳩よ
 鯨井可菜子は1984年生まれ。「かばん」と尾崎左永子の「星座」に所属。歌集題名の『タンジブル』(tangible)は英語で「手で触れられる、手応えのある」という意味。鯨井の短歌は、現代社会で働く女性の辛さ、女性ならではの恋愛、そしてやや想像をたくましくした抒情の、3つの領域に展開している。
試されることの多くて冬の街 月よりうすいチョコレート噛む
夕闇に赤い自分を編む羊このまち統べるごとしユザワヤ
阿佐ヶ谷の画家の家にて昼下がりファム・ファタールが茹でるそうめん
お別れの茶会のあとのガレットの屑やわらかに春雨の降る
めそめそと暮らせば部屋は蛾に好かれ桔梗は枯れて茄子は腐った
朝の駅 人は群れなし大きなるカスタネットの中を歩めり
夏の朝かばんの底に二つ三つゼムクリップの散りて光れり
 1首目、現代に生きる勤労女性なら共感するだろう。「月よりうすい」という喩が効いていて、こう表現されるとまるで月が芝居の書き割りのようだ。2首目のユザワヤは手芸用品の専門店。「赤い自分を編む羊」というのは、羊がセーターになった自分を編んでいるのだろうか。不思議な感じのする歌である。3首目は想像だけで作った歌だが、阿佐ヶ谷という地名と大時代なファム・ファタール (femme fatale 宿命の女)とそうめんの取り合わせが絶妙。4首目は抒情的な歌で、後に酒瓶と煙草の吸殻の散らばる男の会合とはちがって、女性の茶会は優雅である。この歌集には女性らしい相聞の歌も多くあるのだが、5首目はそのなかでもやけっぱち感の強い歌で、こういうテイストの歌も捨てがたい。6首目の大きなカスタネットとは自動改札機だろう。通路を遮断してはまた開く様子をカスタネットに喩えた歌である。7首目は説明不要の抒情的な歌。
 鯨井の基本は口語だが、定型感覚がしっかりとしているので、同人誌系の作家にありがちな定型無視のぐだぐだ短歌は少ない。次の歌に見られるような明るく清潔な抒情が持ち味かと思う。ボードレールの詩を思い出してしまった。
窓になる前のひと日よ 麗らかに街を運ばれゆくガラス板
 ぼやぼやしているうちに第2回配本の歌集3冊が出版された。シリーズ企画はこの勢いが命だろう。この3冊はまた機会を改めて取り上げることにしたい。

第125回 松本典子『ひといろに染まれ』

この愛に根づけと絡め取られさうで跳ねる 金の鈴跳ねる 空へと
                松本典子『ひといろに染まれ』
  『ひといろに染まれ』は、2003年に上梓された第一歌集『いびつな果実』から7年を経て刊行された松本典子の第二歌集である。刊行からすでに時間が経っているが、取り上げる機会を逸していたので今回触れてみたい。
 第二歌集の重みは歌人なら誰でも知るところだ。「歌人にとってほんとうに大事なのは第二歌集だ」という意味のことを小池光がどこかで述べていた。また第二歌集は歌人のスタンスが最もよくわかる。第一歌集における歌人の立ち位置をAとし、第二歌集での立ち位置をBとする。AからBへの変化を見ることで、翻ってAがさらによく理解できるようになる。つまりAからB へと移動することによって、「ああ、あの人がもといたAとはこういう位置だったんだ」とわかるようになるのだ。静止状態は把握しにくいが、変化は目につきやすいからである。
 では松本は第一歌集から第二歌集までの間にどのように変化したか。掲出歌と歌集題名がひとつのヒントになる。『いびつな果実』には相聞歌が多く、師の馬場あき子をして、これほど人を思う歌ばかりの歌集も珍しいと言わしめたほどである。それは「ひとつの恋との出会いが、私と、私の歌とに、はげしい変化をもたらすことになった」(「濃き情念」『現代短歌最前線新響十人』)からである。ゆえに山下雅人は、「(作者は)本質的に世界を恋愛感情を通して認識する歌人であろう」と評した(同書)。
 ところが掲出歌は愛に絡め取られることを嫌い、空へと跳ね飛ぶことを希求した歌である。韻律は五・七・六・八・七と破調で、特に下句に破調感が強い。これは意図したもので、四句として「跳ねる金の鈴」と八音をなすべきところを「跳ねる 金の鈴」と割って一字空けを入れ、結句にも同じ処理を施して、鈴が跳ねる躍動感を演出しているのである。束縛からの解放を希求する歌を、類像的 (iconic)に表現している。
 また歌集題名は次の歌による。
ひといろに染まれと迫る街をいま振り切って風に飛ばすルイガノ
 歌集題名が『ひといろに染まれ』と命令形なので、そのように命令しているのかと思いきや、暗黙の圧迫のごとく身に迫る圧力を振り切り軽やかに脱出する歌なのである。ちなみにルイガノとはカナダの自転車メーカーの Louis Garneau。正しくはルイ・ガルノーと読む。ここでのルイガノはスタイリッシュなスポーツ・バイクのこと。掲出歌・歌集題名ともに、歌の基調主題が「束縛からの解放」であることは自明だろう。これこそが松本におけるA地点からB地点への変化に他ならない。もっともそれは一度の決断によって得られたものではなく、日々の逡巡のなかからようやく掴み取ったものだろう。次のような歌がそれを示している。
「ほんとうの希ひはなにか」響動とよみたる冬の汽笛にきびすを返す
拠るべなき潔さまだ持てぬわが寒風に〈ビッグ・イシュー〉をひぬ
 本歌集を一読して改めて感じるのは、松本の歌は「身熱を感じさせる歌」だということだ。これは低体温の歌が多い現代短歌シーンにおいては奇貨とすべきことである。松本が所属する「かりん」は、近代短歌と現代短歌の接続に意を払う結社であることも関係していよう。また松本が伝統芸能に関係する仕事に就いており、自らも能楽をたしなむことも看過できない。伝統芸能においては身体性が重要な役割を果たすからである。
 本歌集において松本は、歌の主題に広がりを与えることに腐心している。その結果として、第一歌集に較べて相聞は減り、それに代わって家族や職場や社会事象を主題とする歌が増えている。
 家族は老い始めた母親と子供を産んだ妹だが、すでに亡い父親も記憶の中の人として登場する。
編み棒をあやつる指のやはらかさ老母から消えひときはの寒
軍装の父にわが指とどまれば冬の陽がアルバムを熱くす
鷹羽根のやうな硬さでしろき老い棲みはじめたり母の睫毛に
なかでも妹の出産は大きな事件だったらしく、関係する歌が多く収録されている。
身籠もれるいもうとと知るわが胸の託卵したるごときをぐらさ
わが持たぬ赤ん坊にてゆふだちの熱きに熟るる牡丹の重さ
ひとの児を抱きてわが児となすこころ姑獲鳥つめたき夢にきて啼く
子から眼をはなさず左右さうに振れてゐる母性パラボラアンテナに見ゆ
ねむられず夜に触るななめドラム式洗濯機そのまあるいおなか
 妹の出産を喜び赤子を愛でる歌や、母性の発揮に感嘆する歌と並んで、自らは産まぬことを選んだ屈折した感情が「託卵」「姑獲鳥うぶめ」やドラム式洗濯機の丸みなどによって表現されている。
 次は社会事象に眼を向けた歌で、最初の二首は秋葉原通り魔事件、次の二首はイラク派兵を主題としている。
通り魔のニュースもやがて風化して路上にわれは眼鏡を洗ふ
にんげんの沸点の低さ風刺してバナメイ海老のまつ赤なスウプ
飛んでみろ、爆ぜろと栗を火に投ぐる大いなる手よ 派兵決まりぬ
くりを焼きさんま焼き秋を焼きつくすわれが知らざる焼け野のにほひ
 このような歌に果たして松本らしさが出ているかは微妙なところだが、作者としては表現の地平を拡大しようとする試みだろう。
 私がおもしろいと感じたのは、もっと何気ないことを詠んだ歌である。
建築士なるいもうとが産みし児をはからむと取りいだす矩尺かねじゃく
ときところ選べず生きて〈老祥記〉の熱きマントウ食みゐたる昼
截ちわりし摘果のすいくわまばゆくて無辜の月ともいふべき白さ
オフィス街行き交ふひとら秒針のいづれも違ふ文字盤に見ゆ
わづかのま拠るパーキング・エリアにも〈前向き〉なること求められゐつ
ひとも車もミニチュアなれば「愛せる」とおもふ東京タワーの上で
海の賊いのちを懸けて追ふゆめの在り処かたれと打つ牡蠣の殻
やがて減る家族と知らぬ幸福感IKEAへのシャトルバスに満ちゐつ
 一首目、赤子の身長を計測するのに建築に用いる矩尺を取り出すという、目的と手段のずれが何ともおもしろい。二首目の老祥記は神戸南京町の肉まんの名店(ただし関西では豚まんと呼ぶ)。人間は生まれる時と場所を選べないという実存主義的感慨と、湯気の立つ豚まんの熱さという日常性の取り合わせがポイント。三首目、間引きされた西瓜を詠んだ歌で、ポイントはもちろん「無辜の月」にある。西瓜に人生があるかどうかは知らないが、まだ小さな実のうちに間引きされたので人生に汚れておらず無辜なのだ。その裏側には年齢を重ねた自分はもはや無辜ではないという想いがあろう。四首目は、腕時計の時針と分針はみな同じ時刻を指していても、秒針だけはまちまちだという小さな発見の歌。確かに秒針まで合わせる人は少ないだろう。短歌はこのような小さな発見の表現に向いている。五首目は駐車場の壁面に「前向きで駐車してください」とある張り紙を詠んだもの。もちろん「前向き」は自動車の向きを表すのだが、何事につけ積極的にチャレンジすることが求められる現代の風潮を風刺している。六首目は誰しも一度は感じたことのある感情。上から展望した街は人も建物も車も小さくて愛おしく見える。その理由は、遠く離れた上からは小さな罪や瑕疵は見えないからであり、また少しだけ神様の視点に立つからだろう。七首目は少しトーンが異なるカッコイイ系の歌。「海の賊」とは村上水軍か。牡蠣打ちは牡蠣の殻から身を取り出すことで冬の季語である。琵琶で語る平家物語に通じるか。八首目、現在の幸福感のかなたに未来の喪失感を見る歌で、重層的な視点が歌に奥行きを与えている。
 最後に一首。虚空に投げられた帽子が一瞬にして月へと化身する瞬間が美しい。
ジャグラーが辞儀ふかくして投げあげる白帽昼の月となりたり

第124回 短歌の映像性について

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる道
                 木下利玄『みかんの木』 
 短歌の魅力のひとつにその映像性がある。例としてあげた掲出歌は極めて強い造画力を持っている。舞台は田園だろう。曼珠沙華は田のあぜ道や川の土手に多く咲くからである。秋の陽が強いから時刻は午後で、道端に一群の曼珠沙華が咲いている。季節は彼岸の頃で、まだ夏の暑さが消えていない。曼珠沙華の群れのそばを一本の道が通っている。無音の静謐な光景である。ただそれだけの歌だが、一度読むと忘れられない魅力がある。それはこの歌が極めて鮮明な映像を結ぶからではないだろうか。
 おもしろいことに短歌より語数の少ない俳句は、さらに強い映像描出力を持っている。
乳母車夏の怒濤によこむきに  橋本多佳子
金魚大鱗夕焼の空の如きあり  松本たかし
 一句目では、真夏の炎天下に大波が打ち寄せ崩れる白さと、浜辺に置かれた籐製の乳母車に掛けられた幌の白さが夏の光に映えて眩しい。二句目では、大振りの金魚鉢の中を悠然と泳ぐ金魚と燃えるような夕焼け空が幻想的に二重写しになる。語数の少ない俳句の方がより強力な造画力を持つのは、考えてみれば不思議なことである。
 なぜ短歌や俳句のような短詩型文学が映像性をひとつの魅力とし、また短歌や俳句が描き出す映像に私たちはかくも引きつけられるのか。この問題に解答を与えてくれそうな本が出た。熊谷高幸『日本語は映像的である』(新曜社、2011)という本で、「心理学から見えてくる日本語のしくみ」という副題が付されている。著者は言語の研究者ではなく、福井大学教授で自閉症を専門とする心理学者である。
 熊谷がまず拠り所とする概念は「共同注視」である。もともと心理学で使われているのは「共同注意」(joint attention) という用語だが、熊谷は「注意」を「注視」に変えて用いている。幼児の発達過程のある段階において、母親が目の前にある玩具を指差すと、幼児もその玩具を視る。ここにおいて、母親(第1項)と幼児(第2項)が玩具(第3項)をともに視るという3項関係が成立する。これを共同注視という。手前に母親と幼児が横に並び、少し上方に両者から等距離に玩具があるという二等辺三角形を思い描いていただきたい。心理学において、発達段階における共同注意はその後の対人関係の発達の基盤であることが知られており、自閉症の子供は共同注意に障碍があるという。
 熊谷の本書における主張は次のように要約できる。
「日本語は、人と人とが相並んで目の前の映像を注視する、という形を基本として、ことばが組み立てられている」
 熊谷はこの主張を、日本語の指示詞コ・ソ・アの用法や、人称代名詞の豊富さや、過去・未来の表現や、助詞の「は」と「が」の用法などによって証明しようと試みている。本書は一般向けに平易に書かれたものであり、熊谷が展開している証明は必ずしも万全とは言えないが、なるほどと膝を打つことが多い。
 共同注意から導かれる日本語の図式は、話し手(第1項)と聞き手(第2項)が眼前の映像枠の中にある対象(第3項)を視るというものである。二人がソファーに並んで座り、テレビの画像を見ている図を想像すればよい。この場合、テレビ画面が映像枠となる。二人は同じ画面を見ているのだから、相手にも見えているものはわざわざ表現するまでもないので省略される。日本語は省略の多い言語である。熊谷の例を挙げておく。二人が誰かを待っている場面である。
A1 : なかなか来ないね。
B1 : あ、来た。
A2 : どこ?
B2 : あそこ。
 A1の主語が省略されているのは、誰かを待っているという場面性による。B1の主語も同じである。B1で話し手Bは待ち人の到着に気づいているが、まだこの段階では共同注視は成立していない。A2の質問にたいしてB2が「あそこ」と答えて、共同注視が成立する。この対話の表現のすべてが眼前の映像枠に支えられている。
 この対話は現場性の強いものだが、熊谷は日本語のしくみはこのような図式を基盤としていると主張する。したがって「りんごがほしい」のように現場性の希薄な発話においても、事情は同じだとされている。
 ここで重要なのは話し手の「私」は言語化されないという点だ。なぜなら二人がソファーに並んで座りテレビの画像を見ているという構図を基本図式とする日本語では、話し手の「私」も聞き手の「君」も画像には含まれないからである。「私」も「君」も画像の外側にあり、画像の表現を暗黙のうちに支えている。これにたいして英語では、I want an apple. のように、話し手 I は表現されねばならない。それは映像重視の日本語とは異なり、英語は行為者と対象との力動的関係(ビリヤード・モデル)を基軸として組み立てられているからである。
 「私」と「君」は画像(=言語で表現されたもの)の外部に立ち、共同注視という特別な関係性のもとにある。熊谷はこの仮説によって、日本語では「私」「俺」「わし」「手前」など人称代名詞が多いことや、ウチ(私と君)とソト(他人)とを区別する文化的習慣も説明できるとしているが、ここでは詳述は避ける。
 眼前の対象への共同注視という図式から想起される国語学の問題がある。山田孝雄(やまだ よしお 1875-1958)の提唱した喚体句という概念である。山田は国語の文には述体句と喚体句の二種があるとした(山田の「句」は文のこと)。述体句は「月明るし」「これは花なり」のように主述関係がはっきりとあるもので、喚体句は「うるはしき花かな」「三笠の山に出し月かも」のように述語を持たず、〈体言+終助詞〉の形式のものをいう。山田の言う喚体句をさらに推し進めると体言止めになる。体言止めは現代の文章でもよく使われる。
誰もがくつろいだひととときを過ごしている。元気に遊ぶ子供たち。木陰で繕いをする女たち。
ほおずき市の賑わいの中で佐助は小春を見つける。立ちすくむ佐助。
スキマスイッチの「奏」にも「突然ふいに鳴り響くベルの音 焦る僕 解ける手 離れてく君」という歌詞がある。体言止めは映像的なのである。この歌詞でも「ベルの音」「焦る僕」「解ける手」「離れてく君」という4つの場面が、まるで紙芝居かパラパラ漫画のように眼前に次々と展開する印象を受ける。なぜか。細かい議論を省略して結論だけ述べると、喚体句や体言止めは述語を持たず、名詞概念のみを提示するので、その意味解釈を場面性が支えて文として成立する。このため喚体句や体言止めは強い現場性を帯び、ゆえに映像的になるのだと考えられる。
 「日本語は人と人とが相並んで目の前の映像を注視するという形を基本とする」という熊谷の仮説から帰結するもうひとつの重要な点は「視点性」である。眼前の映像を注視するからには、映像枠の外にあって映像を見る視点の存在が不可欠になる。このため日本語には視点が内在化されている。映像枠の「外部に」あるということと「内在化」されているということは同じことである。
 池上嘉彦の『「日本語論」への招待』で有名になった実験がある。川端康成の『雪国』の冒頭の文章「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を、サイデンステッカーは The train came out of the long tunnel into the snow country.と英訳した。英語話者にこの文章を見せて絵を描いてもらうと、彼らは一様にトンネルから出て来る列車を上空から俯瞰した絵を描いたという。しかし原文から私たちが受ける印象はこれとは異なる。原文では視点主体である読者は、主人公のそばに身を置いて、暗いトンネルの内部から明るい雪原に出る映像変化を感じるにちがいない。
 なぜ短詩型文学が映像性を表現の強力な手段として用いるのか、もはや明らかだろう。話し手・聞き手・対象という共同注視の3項関係を基軸とし、それがために視点性の濃厚な日本語は、もともと映像性の強い言語なのである。語数の限られた短詩型文学が説明的に傾く主述関係を避けて体言止めを多用するのは、限られた語数の中にひとつの世界を屹立させんとするからである。
駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮れ  藤原定家
 歌を読むと、詠まれた光景があたかも眼前に在るかのように私たちは感じる。それは日本語のしくみに導かれて、私たちがコトバが開く共同注視の3項関係に身を置くからである。映像枠に描出された対象を契機として、私たちは共同注視者としてもう一人の注視者である作者と一回性の2項関係に立つ。私が腰掛けているソファーの隣には作者がいて、私たちは共同注視の関係性の中で時空を超えて同じ対象を視るのである。ここに至って映像は一つの契機に過ぎず、私たちが導かれる一回性の2項関係こそが歌の本質であることが露呈する。そこに短詩型文学の奥深い魅力があるのだ。



【注と参考文献】
 ここで論じた日本語の特質は、国語学では伝統的に「陳述論」と呼ばれて議論されてきた。日本語の本質に触れる議論である。もっと詳しく知りたい方は次の文献を読まれるとよい。

  • 阪倉篤義「陳述」、『日本の言語学』Vol.3「文法 1」, 1978、大修館書店
  • 渡辺実「叙述と陳述」『日本の言語学』Vol.3,「文法 1」, 1978、大修館書店
  • 尾上圭介「語列の意味と文の意味」、尾上圭介『文法と意味』くろしお出版、2001
  • 仁科明「人と物と流れる時と – 喚体的名詞一語文をめぐって」、森雄一他編『ことばのダイナミズム』くろしお出版、2008

第123回 目黒哲朗『VSOP』

ゆふかげの糸こがねいろひともとの花をめぐりて我を遠くす
                  目黒哲朗『VSOP』
 目黒は1971年生まれ。「原型歌人会」に所属し、斎藤史の最後の弟子となる。高校生にときに近所に住んでいた斎藤を訪問し、弟子入りを乞うたという。1993年に歌壇賞を受賞、2000年に第一歌集『CANNABIS』を上梓した。セレクション歌人『目黒哲朗集』の解説で藤原龍一郎は、「本来この歌集を顕彰すべき現代歌人協会賞は明らかな取り落としをした」と当時の歌壇の不明を難じている。『VSOP』は第一歌集以来実に13年ぶりの第二歌集である。本コラムの前身の「今週の短歌」で『CANNABIS』を取り上げたのは2005年8月なので、それから数えても8年ぶりということになる。セレクション歌人『目黒哲朗集』で「CANNABIS以後」として収録されていた歌が、『VSOP』に一首も見あたらないところをみると、目黒自身の変化と選歌の厳しさがうかがえる。
 『VSOP』を一読して強く感じたのは、13年という長い時間が一人の男にもたらした奥深い変容である。作者20代の最後に世に問うた『CANNABIS』はまぎれもない青春歌集であった。
きさらぎの光あまねきレンズにはさしても極まりゆく孤独見ゆ
ポケットに闇ひとつかみ忍ばせてキャンパスを行く学生われは
桃を食ふ桃のひかりともろともに一夏いちげのわれを葬るごとく
 歌のトーンとテンションの高さ、世界とたった一人で対峙する緊張感、若者特有の孤独感とその裏返しとしての根拠のない自負、どれをとってもキラキラするような青春歌である。しかし『CANNABIS』から13年、20代の終わりだった作者は、郷里の長野に暮らし結婚して二児をもうけ、40歳を過ぎて中年を迎える。
若き日はかく過ぎなむにさにつらふ桃の実を手に包まむとしつ
今年また雨水のひかり〈東京にゐた頃〉といふ痛み遙けし
三十代を生きるとはどういふことか嘔吐のたびに声漏らしつ
夕立とわたしの中の夕立が図書館の玻璃はさみて鳴れり
叫びたい言葉ひとつも見つからず深夜の交差点を渡つた
抱き上げてやる息子まだ運命や限界といふ甘美を知らず
 一首目はずばり過ぎ去った青春という時間を惜しむ歌。「さにつらふ」は「色」「もみぢ」「紐」などに係る枕詞だが、本来「赤い顔をした」という意味なので桃の赤さを意味している。「桃」は目黒の短歌に頻繁に登場するキーアイテムで、憧憬や愛情などの象徴である。二首目は東京で二松学舎大学に通っていた時期を〈東京にゐた頃〉と表現しているのだが、その当時を思うとき心に感じる痛みももはや遠いものになったと感慨している。三首目は30代を生きる辛さを直截に詠ったもの。四首目の「わたしの中の夕立」は、日常生活の中では埋もれている自分の内部にくすぶる激しさのことだろう。同じ構図は五首目にもあり、ここには心の激しさの不発が感じられる。六首目、頑是無い息子は、自分を待ち受ける運命や自分の能力の限界をまだ知らないが、いずれ息子も知ることになるそれらを「甘美」と呼ぶところに中年の心の屈折がある。
 誰しもいつまでも青春を引き摺って生きることはできない。青春の燦めきが失せたとき、待ち受けているのは退屈な日常である。目黒はこの日常と日々格闘しているように見える。この闘争に勝利はない。勝つのは常に日常だからである。目黒の歌のあちこちに漂う苦みはそのことを証している。
 本歌集の中でかなりの分量を占めるのは、二人の子供を詠った歌である。
蝶のをつまんで遊びゐたる子が空缶に仕舞うある静けさを
あばら骨ありありと野に展げゐる獣のむくろ子に見せてやる
なんて小さな扁桃腺を腫らしつつ息子は握るトミカの緑
父として壁でありたし叩いてもたたいても胸やがて秋雷
わたしには風も時間も止められずしだるる花へを抱き上げぬ
噴水へ蜻蛉のやうに近づいて娘よ居なくなるときは言へ
 母親の歌が母子一体的傾向を見せるのとは異なり、父親が子供を詠う視線は距離と屈折を伴うのが常である。上に引いた一首目は本歌集屈指の美しい歌。子が空き缶にしまうのは蝶の屍骸である。それを「ある静けさ」と捉えた措辞がこの歌の命である。そこにやがて子も知ることになる生の真実が潜んでいるかのようだ。二首目の示すように、父親は子供に教えねばならぬことがあると考えるものだ。子供はやがて一人で世の荒波を渡っていかねばならないからである。だから父親が子供を見る視線には、常に未来が含まれていると言ってよい。三首目のトミカはミニカーの玩具。扁桃腺が腫れて寝ている子供を詠った歌で、父親の愛情が溢れている。四首目も典型的な父の歌。父が越えられない壁として子供の前に立ちはだかるのは、子供の前進を阻止するためではなく、将来出会うもっと大きな壁に備えて力を付けさせるためである。五首目と六首目は下の女の子を詠った歌で、男の子への接し方とはおのずと異なる。父は娘がこのまま成長して自分から離れていく時間を見ているのである。「子供可愛い」「孫可愛い」歌は読んでいて辟易するものだが、目黒が子供を詠う歌には適度な距離間隔があり、読んでいて好ましい。
 集中で異彩を放つのは第三章である。詞書に詳しく解説されているように、「文藝春秋」の平成23年8月臨時増刊号に掲載された東日本大震災を経験した児童の作文に着想を得た歌がかなりの数並んでいる。
ないてゐた。こたつのていぶるのしたで わたしはママをよんで、こはくて
その夜は画用紙一枚で寝たといふその画用紙のいづくゆきけむ
それを海と呼ぶしかなくて暗い外を見ると周りが海で驚く
町と私たちの心がこはされていつたその夜に渡されたプリン
塩水が入ればだめになるものが車だつたか、母を探して
 なかには児童の作文の言葉をほぼそのままに入れた歌もあれば、児童の言葉に着想を得て作ったものもあるという。震災後多くの歌が作られたが、このような手続きを踏んだものはなかったように思う。目黒がこのような方法を採った理由は次のようなものだと考えられる。現地にいて被災した人を除けば、私たちの大部分はTVなどの報道と映像によって震災を知った。そこには生の経験が欠如している。だから目黒は実際に被災した児童が書いた作文のなかにいわば入り込み、その眼と手を借りて仮想的に憑依することで、言葉が上滑りする危険性を回避しようとしたのだろう。
 集中には定型に納まらない破調の歌や、『CANNABIS』時代にはなかったような緩んだ歌も見られ、気になるところではある。次のような歌を成果としてあげたい。
ゆきもみぢかすみゆふだち 匂ひたつ死をひらがなの闇にしまへり
その先に神在るごとくつちひくく蟻は動かぬ蟻を運べり
梨の花ゆめの白さに咲き揃ひ樹のそばに人老いてゆくかな
静物画学びし夏よ玉葱の泥ざらざらと洗ひ落とせば
飲食は皿を汚してなされけり異性の指が動くみづいろ
鍵五つ持てば世界にはろばろと五枚の扉暮れてゆくかも