第89回 田中槐『サンボリ酢ム』

白みゆく空と消えゆく夏の声 記憶にありきこの傾きは
               田中槐『サンボリ酢ム』
 奇妙な題名のこの歌集は、『ギャザー』(1998年)、『退屈な器』(2003年) に続く田中の第3歌集である。『退屈な器』以降2009年までに作られた歌が収録されている。あとがきによれば、田中は石井辰彦が講師を務める明治学院大学の短歌公開講座に長年出席し、石井の出すハードルの高い作歌課題に挑戦し続けたという。すでに2冊も歌集を持つ歌人としては珍しいことだ。心のどこかに自分を更新したいという願望があったかと推察される。
 いつもながら鋭い斉藤斎藤が帯文に「連作ごとに『私』が起動する、短編集のような歌集だ」と書いている。言うまでもなく「起動」はコンピュータ用語で、コンピュータ本体かアプリケーション・ソフトを立ち上げることを意味する。〈私〉が起動するということは、起動される以前には〈私〉は存在しなかったということだ。〈私〉は実在論的概念ではなく、コトバの中から立ち上がる関係的概念だと言いたいのだろう。確かに本歌集は改めて短歌における〈私〉の位相を考えさせてくれる歌集なのである。ひと筋縄ではいかないこの歌集に少しく分け入ってみよう。
 歌集巻頭の「未完了過去、あるいはモノガタルわれ」という連作に、ギュツラフ訳『約翰福音之書』が引用されていてまず驚いた。
ハジマリニ カシコイモノゴザル。コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノワゴクラク。
 ヨハネ伝のこの日本語訳は、プロセインの宣教師カルル・ギュツラフが漂流民の音吉を助手として1837年に完成させたもので、シンガポールで刊行されている。ギュツラフは伝道のためイギリス船モリソン号に乗って来日しようとしたが、薩摩藩の砲撃事件に遭い来日を果たせなかった。ちなみに国語学者の藤井貞和は最近刊行された『日本語と時間 – 時の文法をたどる』(岩波新書)でこのギュツラフ訳聖書を引用して、「カシコイモノ」ではなく「カシコイコト」とすべきだったと論じている。
 田中がこの引用を連作の冒頭に配したのは、一種の態度表明であり宣言ではないかと思われる。
モノガタルわれの時制は未完了過去すべからくモノガタリユク
もの思ふもの言ふそして産み落とすモノガタリゆゑとほざかるヒカリ
ぐづぐづと文語口語をまぜながら燃えないゴミを出しにゆく朝
 つまりは田中が生み出す短歌はすべて物語であり、新共同訳では「初めにことばがあった」と訳されるヨハネ伝の冒頭の語句が示すように、物語はコトバでできていて、〈私〉はコトバから立ち上がるということなのではないか。そのように読むことができる。この歌集が極めて主題性の強い連作を中心に構成されていることは、このことと無関係ではない。
 たとえば「佐世保に雨が降る」という連作は、2004年に佐世保市立大久保小学校で起きた12歳の女子児童が11歳の女子児童にカッターナイフで斬りつけられて死亡するという事件を踏まえている。
ぺきぱきとカッターナイフの刃を折りて細切れにくる殺意の角度
ふうわりと車を降りるスニーカーが映し出されて「女児」と呼ばれる
 また「町田少年殺人事件」は、2005年に町田市在住の高校一年の女子生徒が、同じ団地に住む16歳の少年に刺殺された事件を背景としている。
心ない言葉にあなたは殺される 言葉が先にわたしを殺す
刺し傷は喉に深く、深く、深く あなたは言葉を失ひなさい
 また「渋谷から遠く、離れて」は渋谷繁華街が突然戦場と化するという荒唐無稽な想定で作られている。
この街が戦場である理由なら109マルキューで聴く175Rイナゴライダー
ゲーセンで待ち合はせして最終のプリクラ撮つて戦争に行く
 これらの歌には日常身辺詠が浮かび上がらせるような普通の意味でリアルな〈私〉は完璧に不在である。かといって事件の渦中の特定の人物、たとえば殺人を犯した少年の視点に仮想的に身を置いて世界を眺めるという態度、例えば福島泰樹のように過去の死者になりかわってその慚愧を詠うという視点が取られているわけでもない。もし近代短歌の伝統的な不動の〈私〉に基づく短歌しか認めない人が見たならば、田中の歌では〈私〉の位置取りがわからないと述懐するにちがいない。短歌の〈私〉は現実の〈私〉ではなく、虚構の〈私〉でありうるということは、言うまでもなく前衛短歌が達成したパラダイム・シフトであるが、ここにあるのは虚構の〈私〉と言えるほど一貫した〈私〉でもまたないのである。連作ごとに生成され、連作が終了すると消去される〈私〉の影のごときものはいったい何なのだろうか。
 あとがきにもあるように、三部構成からなる本書の第二部には、石井辰彦の講座に通っていたときに、課題に応えて作られた実験的作品が収められている。その課題には、「鳥渡るこきこきこきと罐切れば」という秋元不死男の俳句や、「ながく永く待ちにし春に会はむとしするどくとがる花の芽われは」という岡井隆の短歌で折句を作るとか、「春宵一刻直千金」で始まる漢詩の文句を織り込んで歌を作るなどという、修辞の技巧を極めたようなものもある。しかし修辞ではなく主題による課題もあったらしく、「朝日ジャーナル」「連合赤軍」「飯島愛」や上に引いた殺人事件は、おそらく課題ではないだろうか。つまり「町田少年殺人事件を主題とする連作を作りなさい」という課題である。それならば連作ごとに〈私〉が生成され、連作とともに〈私〉も終了するのは理解できる。作者としての私は、与えられた主題の内部に何とか入り込もうとする過程で〈私〉の変容を経験せざるを得ないからである。
 しかし、ことは単にそのように単純に理解して終わることができるようなものではない気がする。なぜなら第二部に収録されたもの以外の歌についても、ほぼ同じ印象を得るからである。本歌集全体を通読して感じるのは、一首に宿る〈私〉への信頼感の低さと、それに代わるようにして前景化する連作から析出される〈私〉の影のようなものである。
 このことは荻原裕幸が1995年以降の短歌シーンを特徴づける表現のひとつとして「題詠の時代」を選んでいることと無関係ではなかろう。荻原はブログで「必然的なテーマではなく任意の題材のレベルで何かを共有するのがスタンダードになったこと」をこの時代の顕著な特徴としている。2003年に始まったネット上の「題詠マラソン」が多くの人を集めていることもこれと関係しているだろう。題詠においては当然ながら主題が〈私〉に先行する。また、ここ十数年「短歌における『リアル』とは何か」という問題が繰り返し論じられていることからもわかるように、どうも現代の歌人にはリアルな〈私〉というものがあまり信じられなくなっているようだ。
 確かに斉藤斎藤の言うように、本歌集には「連作ごとに起動する〈私〉」がまるで短編集のように立ち現れている。しかしこれがほんとうに短歌を支える〈私〉でありうるのかというのは改めて考えなくてはならない問題である。また題詠・連作重視という作歌態度は、一首の屹立性の低さと愛唱歌の不在につながることもまた自明だろう。

第88回 キリンの歌 Part 2

屋根高き春の麒麟舎、折りたたみきかぬきりんを睡らすために
               杉崎恒夫『パン屋のパンセ』
 小池光『うたの動物記』(日本経済新聞出版社 2011年)が出版された。小池が日本経済新聞に連載したコラムを集めたものである。小池にはすでに産経新聞の連載コラムを集めた『現代歌まくら』(五柳書院 1997年)があり、こちらはわが枕頭の書となっている。『うたの動物記』の出版もまことに喜ばしい。私は三月書房で買い求めたが、あとで京大生協のブックショップにも並んでいるのを見つけて驚いた。
 新聞のコラムには厳しい字数制限がある。しかも連載だから原稿を落とすわけにはいかない。少ない行数で読者を引きつける瞬発力と、長期間にわたって書き続ける持続力という相矛盾する能力が要求される。だから向き不向きがあり、向かない人というのもいると思うのだが、小池はもちろん向いている人である。無駄な装飾を削ぎ落とした文体で、一気に対象の本質に迫ったり、意外な小道に読者を誘う筆致は、もはや名人級と言ってもよかろう。小池に導かれて歌の世界をうろうろと彷徨うのは他では得難い快楽である。
 本コラムの前身「今週の短歌」2005年6月の「キリンの歌」で、キリンはいつごろ日本に伝来したのだろうかと書いたが、『うたの動物記』に答えがあった。なんと明治40年 (1907年) のことだという。ラクダや象などよりもはるかに遅いのである。年代から考えて樋口一葉も正岡子規もキリンを見ていないという。さらに驚くのはその和名の由来で、ジラフとして伝来した動物に和名を付けるときに、伝説上の生物である麒麟になぞらえた中国の故事を思い出して、当時の上野動物園長が命名したという。あの動物をキリンと呼ぶのは日本と韓国だけらしい。この来歴の故にキリンは昔の和歌に登場することはなく、完全に近代短歌の歌まくらとなっているわけである。2005年に書いたコラム以来、手帳にキリンの歌が溜まってきたので、「キリンの歌 part 2」を書いてみたい。
 動物に限らず短歌に登場するすべてのアイテムは、意味から無垢であることはない。万葉の昔から短詩型文学は寄物陳思を型としてきた。すなわち物に寄せて思いを述べるのである。したがって短歌に詠まれたアイテムには、本来の存在に加えて意味という負荷がかかっている。その負荷の多くは作者の心情の外的投影である。寄物陳思のためにどのようなアイテムが選ばれるかは、そのアイテムの顕著な特徴に依存する。この顕著な特徴を最近の言語学では認知的プロファイリングにおける際立ち (saliency)と呼ぶ。これを逆方向にたどると、私たち読者は短歌に詠まれたアイテムの際立ちに着目し、そこから陳思すなわち作者の心情へと遡行する読みを行うことになる。
 キリンの際立ちがその異常な首の長さにあることは衆目の一致するところだろう。このため短歌に詠まれたキリンでは、その首がポイントとなることが多い。杉崎の掲出歌でも動物園のキリン舎の屋根の高さに着目して、「折りたたみきかぬ」とユーモアを交えて表現している。
 次にあげる歌でもやはり首の長さが焦点化されている。
夏の風キリンの首を降りてきて誰からも遠くいたき昼なり
                   梅内美華子『若月祭』
谷中より風ながれゆく晩夏おそなつのキリンをみあぐ夕暮れにけり
                    小高賢『耳の伝説』
いづへよりくるしく空の垂れ来しや麒麟ひつそり立ちあがりたり
             阪森郁代『ランボオ連れて風の中』
あをぞらの加減を鼻でふれてみてきりんはけふも斑のもやう
                 山崎郁子『麒麟の休日』
 梅内の歌でキリンの首は、夏の爽やかな風が吹き降りてくる通路として捉えられており、肯定的な把握である。下句の「誰からも遠くいたき昼なり」の若者に特有の愁いが、それに少しの翳りを加えている。小高の歌には「谷中」とあるので、これは上野動物園のキリン。梅内の歌と同じく季節は夏であり、爽やかな印象を残す。阪森の歌ではキリンが立ち上がる動作を空が垂れて来ることへの反応として描いている点がユニーク。「キリンが立ち上がる」が寄物で、「くるしく空の垂れ来しや」が陳思であり、首の長さにネガティヴな意味を付加している。山崎の歌はおそらくキリンを最も肯定的に詠んだ歌のひとつ。首の長さゆえ青空に触れることができるという特権を与えており、80年代の時代の明るさを感じさせる。ちなみに山崎の歌集題名は麒麟を冠しているが、蒔田さくら子にも『さびしき麒麟』という歌集がある。
麒麟この異形のものがゆつくりと首めぐらしてわれを見おろす
                 蒔田さくら子『さびしき麒麟』
どこに立ちてもこのにつぽんの風景をはみ出してしまふあはれ麒麟は
 次の歌は首の長さゆえキリンが前脚を大きく開いて首を傾けるという独特の姿勢に着目した歌である。
水飲むとあをあをと深き首垂れてキリンがかたむく夕べの水へ
                     川野里子『青鯨』
両脚をひらきておのれ身を低め地のものを食むときの麒麟よ
                    柏原千恵子『彼方』
 上に引用した蒔田の歌にも言えることだが、なぜかキリンは悲劇性において捉えられることが多いようだ。それは遠くアフリカのサバンナから運ばれて、動物園で一生を送るという理由のみによるものではなかろう。それならライオンもトラもカバも同じことだからである。また夕暮れの情景において詠われることも多い。
楠若葉すでに夕映 屋上にわれはキリンの視野を寂しむ
                 一ノ関忠人『群鳥』
キリン舎にキリンは帰り夕暮れの泥濘に黒きキリンの足跡
               三井修『アステカの王』
横顔のきりんの睫毛長くして空の中にて痛くまたたく
              前田康子『ねむそうな木』
分節はいたく苦しもゆるやかにキリンの舌が枝にからまる
               加藤治郎『ハレアカラ』
人群れて白き階段登りゆく 空にキリンの首折れている                      嵯峨直樹『神の翼』
 一ノ関の歌では、一人屋上に来て、この高みにいるのが自分だけであることをキリンの視野に投影しており、強く孤独が感じられる。三井の歌では「キリン」が3度出て来ることが注目される。しかも詠まれているのは足跡であり、キリンは姿を消しているのである。字数の限られた短詩型文学では語の重複を嫌うが、この歌では「キリン」を3度反復することによって、かえって不在のキリンを現前させている。前田の歌で焦点化されているのはキリンの睫毛で、大事よりは小事、全体よりは細部という短歌の生理を遺憾なく発揮している。長い睫毛を「痛くまたたく」と表現するところに、キリンの悲劇性に寄せる思いが感じられる。加藤の歌の「分節」はarticulationの和訳なので、キリンの長い首のつらなる関節を指している。「いたく苦しも」という表現のなかにキリンの苦しみが滲み出ている。嵯峨の歌では象徴的表現ながらはっきりとキリンの首が折れたとされていて、やはり長い首が悲劇的な見立てに関係していることがわかるだろう。
 キリンをこれ以外の相のもとに捉えた歌も少なからずある。
半信のダーウィンの本中空へ伸びる麒麟の黒長き舌
              大野道夫『秋階段』
子の運ぶ幾何難問をあざやかに解くわれ一夜かぎりの麒麟
                  小高賢『太郎阪』
睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月
                   大塚寅彦『声』
ひいやりと動くキリンの脚つきは君と震わす音叉のように
            野口あや子「短歌研究 2008.3」
一日の終わりに首を傾けて麒麟は夏の動力降ろす
      小島なお『サリンジャーは死んでしまった』
 大野の歌は相当に知的な内容を含んでいる。この歌はダーウィン進化論の自然淘汰説への懐疑がベースになっているが、その陰にあるラマルクの進化論がキリンと結びつく。ラマルクは用不用説を唱え、生物のよく使われる器官が発達し、その獲得形質が子に遺伝するとした。キリンはよくその事例としてあげられる動物である。高い木の葉を食べようとして首が長くなったという説明は子供にもわかりやすいが、現代ではダーウィン説が優勢でラマルク説は劣勢にある。小高の歌のキリンは動物園のキリンではなく、伝説の神獣の方だろう。一夜限りの英雄となった父の姿で、同じ作者の「ポール・ニザンなんていうから笑われる娘のペディキュアはしろがねの星」という歌と並べると味わいが増す。大塚はキリンの首の長さを天へと向かう高さと肯定的に捉えている。キリンはどんな夢を見るのだろうか。最後の2首はとびきり若い歌人の歌。野口の歌ではキリンの細長い2本の脚が音叉に喩えられている。固有振動数の近い2台の音叉を近づけると共振を起こす。このため短歌の中で音叉は恋人との共鳴の喩としてよく用いられる。野口の歌もその系譜につらなる。小島の歌はキリンをクレーンに喩えたものだろう。クレーンのような無機物をキリンのような生物に喩える見立ての比喩は多いが、その逆は少ない。それを敢えて行うのは、キリンにどこかロボットめいたところがあるからだろうか。
 最後に極めつけのキリンの歌を2首あげておこう。
思想とやはかなきものを音たててああゆるやかにキリンは歩む
                    小池光『廃駅』
あきかぜの中にきりんを見て立てばああ我といふ暗きかたまり
                  高野公彦『汽水の光』
 『廃駅』は小池の第2歌集で、『汽水の光』は高野の第1歌集だが、奇しくもどちらもも35歳の年に上梓されている。この年齢が上の2首に苦みと翳りを付与していることはまちがいない。小池の歌で詠まれているのは動物園の高い柵のなかを歩むキリンだが、歌の眼目は思想の虚しさを噛みしめながらキリンを眺めている〈私〉である。中年にならないとこういう歌は作れない。高野の歌は前回の「きりんの歌」でも引用したが、キリンの歌と言えばこれが思い浮かんでしまうので再掲する。〈私〉を「暗きかたまり」と認識させるのがキリンであるところに選択の妙があり、これは動かない。どちらの歌にも「ああ」という詠嘆の間投詞が用いられていることもおもしろい。
 これからの若手歌人がどのようなキリンの歌を見せてくれるのかも楽しみだ。

第87回 渡辺松男『蝶』

粥を食みつゆさきほどの時間さへとりもどせねば粥どこへおつ
                     渡辺松男『蝶』
 短歌は俳句と並んで極小の詩型であるが、この小体な型式の中にも時間を封じ込めることができる。掲出歌は粥を食べている情景を描いている。粥はすすり込むため、食べるのに要する時間はわずかである。しかし、そのわずかな時間でさえも、過ぎ去ってしまえば取り戻すことがかなわない。それを「粥どこへおつ」という自問の形で表現している。もちろん粥は胃の中に納まったのだが、実は作者は粥の行方を問うているのではなく、粥を通して失せてしまった時間の行方を問うているのである。渡辺はこのように生活上ぶつかる当たり前のことを取り上げ、それを形而上学的疑問へと昇華させる技に長けている。
 渡辺松男は1955年生まれ。「かりん」所属。1995年「睫毛はうごく」で歌壇賞受賞。1998年第一歌集『寒気氾濫』で現代歌人協会賞、2000年『泡宇宙の蛙』でながらみ現代短歌賞受賞。『蝶』は第七歌集にあたる。
 渡辺松男は非常にユニークな歌人である。『現代短歌最前線』(北溟社 2001年)に解説を書いた花山多佳子は、渡辺を「遅れてきた新人」と呼び、『寒気氾濫』を評して「最近のもっともユニークな歌集であった」と述べている。それは渡辺の短歌が「奇想に近い歌の連続」だからである。
キャベツのなかはどこへ行きてもキャベツにて人生のようにくらくらとする                               『寒気氾濫』
直立の腰から下を地のなかに永久(とわ)に湿らせ樹と育つなり
地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
木は開き木のなかの蝶見するなりつぎつぎと木がひらく木の胸
                          『泡宇宙の蛙』
子を孕みひっそりと吾は楠なればいつまでも雨のそばにありたり
足跡からつぎつぎと消されゆくのですねどのひともやがて地上から浮く
 二首目と四首目の木の歌と三首目の茸の歌は、渡辺の世界観をよく表している。渡辺は『寒気氾濫』のあとがきに「幼いころ木になりたかった」と書いたほど、樹木とそれに代表される自然への畏怖と敬愛が深い。人間を万物の頂点とする西欧的世界観とは反対に、人間は地上の「吹き出物」に過ぎないとする、近代の自我意識とはまったく位相を異にする世界に住んでいる。渡辺の短歌が描く世界は、人間と自然の境界線が揺らいでいつしか一体となり、万物が交感する世界である。また文体的には「くらくらとする」や「むくむく」のような口語的言い回しを大胆に用い、文体に弛みを作り出すことで、おもしろいリズム感やそこはかとないユーモアを生み出している点も注目されるだろう。
 『蝶』においてもこのような渡辺の世界観は変わらず維持されているのだが、初期の歌集とはいくつかのちがいが認められる。表現の面では旧仮名に変わり、また平仮名を多用するようになっている。
色はそくかたちあるもののいひなればあいちやくは桃たべてをはりぬ
やぶかうじ赤き実はわがふらふらとなんじかんもなんにちもありくゆめのあしもと
あかげらにどらみんぐされている楢の こんなときわれは空へひびきをり
わたぐもに さうね つつまるるこの感じ うえつとどりいむはあけがたにあり
ほどよきがよしほどよきはこはるびのひるからカスカラサグラダふふふ
 全部がこのような歌ではないので、いささか恣意的に拾い出したのだが、旧仮名表記と平仮名の多用のため、文節の境界が判別しにくく読みに時間がかかる。「どらみんぐ」「うえつとどりいむ」のような外来語も平仮名表記されているのでなおさらである。このような表記の生み出す効果は複数あると思われる。まず、ただでさえ平仮名表記は読字時間が長いうえに、読者は文節の切れ目を探して行きつ戻りつして読むため、結果的に一首の中に長く滞留することになる。これを作者の技法という観点から見れば、時間のコントロールと考えることができよう。また、漢字は結像力が高く意味に直結するが、平仮名は音に傾くため歌の記号性が増大する。記号性が増えるというのは、歌の質感や量感など、物体としての手触りが増すことをいう。
 しかし、何よりも注目されるのは、初期歌集に比べて歌のぐにゃぐにゃ感が増していることだろう。もともと渡辺の歌にあった意図的な文体の弛みが、ここへ来てさらに高じている。そのことは上に引いた二首目の「なんじかんもなんにちもありく」という14音もある四句目にも見え、また五首目の文体にはさらに顕著である。ちなみに「カスカラサグラダ」とはスペイン語で「聖なる樹皮」を意味し、クロウメモドキ科の樹木の樹皮で緩下剤に用いられるという。「ほどよき」の繰り返しによるリズムと、「ひるから」「カスカラ」の「から」の重なりが言葉遊び的に歌を支えている。このようにぐにゃぐにゃ感にある脱力系の歌がかなり見られるのだが、これが本歌集の大きな魅力になっている。文体のぐにゃぐにゃぶりは決して欠点とはならず、むしろ歌のおもしろみを高めているのである。
 また渡辺の歌には、日常の当たり前のことを描いてハッとさせるものも多く見られるのも特徴と言えるだろう。
時のすぎゆくのはかげのうごきにてかげさしてにはか赤い欄干
秋風に集団としてあるなかの蜻蛉ひとつを追へばすばやし
城址にはつねゆれている竹叢のしなはざるあれば死にて立つ竹
すずめにも足跡のあるいとしさは風ふれど砂にしばらく消えず
竹刀ふりくうかんにだんりよく感ぜしはくうかんに亀裂はひるちよくぜん
 一首目では影の動きで時間が知れるとし、影に入って欄干の赤が一際よく見えるという鋭い観察がある。この歌にも流れ去る時間という意識が色濃く反映されている。二首目、トンボの群れは風に流されるようにふらふらと飛んでいるかに見えながら、その中の一匹を追うと、とたんにすばやく逃げる。言われてみれば確かにその通りで、はたと膝を打つ。三首目、風に吹かれて揺れる竹林のなかに揺れない一本があると、それは枯れた竹だというのである。なるほど枯れた竹は生命に特有の弾力性を失い直立する。四首目、あんなに軽いスズメにも足跡は確かにあるはずだ。特に感服したのは五首目である。竹刀を振って空間を切り裂くとき、空間の弾力を手に感じるのは、竹刀を振り下ろす直前だという。竹刀のような弾性体は静止から動に転じるその瞬間にしなるのであり、また空気抵抗もそのとき最大になる。これは時間と運動をめぐるメタフィジカルな歌であり、このような歌に渡辺の真骨頂を見るべきだろう。
 先に渡辺の歌の世界は、人と自然が万物交感するアニミスム的世界であると書いたが、この歌集では自己離脱感がさらに高まっているように見える。
もうひとりあけがたの木に啼く鳩のほの白くみたるあたりがわれか
自販機のまへにてなにかつぶやきしそこまではわれでありにし記憶
わが感覚すすき野のへにありしかどこのかろさ死後のごとく気づけり
ちやわんの縁の蝿がいつぴき来てゐたりほんとはおまへが俺だとも言ひ
 幽体離脱のように自分の体を抜け出している感覚というか、自己と世界を隔てる皮膚が透過性を増して、皮膚を抜けて外にこぼれ出しているような感じがある。もともと渡辺は人間を頂点とする西欧的世界観と、それを支えた主客二元論とは対極にある世界観に立脚しているので、それも不思議ではないかも知れない。
 もうひとつこの歌集を貫いている感覚は、人の一生は賜り物にすぎず、須臾の間に消え去るものだという痛切な感覚である。
がほんのすこしのわすれものなれや苜蓿うまごやしのへにあそぶわが生
寒の朝卵をいだきぬ産みたてのこのあたたかさがまぼろしのすべて
たれもすこしのあひだしか生きられはせずそのあひだのこのときの片栗
死にゆくなどじぶんのこととしおもへねば今日にてもずいぶんのぶる水飴
 それは歌集巻末に近い「ひまはりの種テーブルにあふれさせまぶしいぢやないかきみは癌なのに」という歌からうかがえるように、最愛の伴侶が癌に冒されたという体験によってより深くなった想いではあろうが、渡辺の初期の歌にも低く聞こえていた声でもある。簡潔なあとがきによれば、残念ながら夫人は癌によって死去されたらしく、あろうことか渡辺自身も筋萎縮側索硬化症(ASL)という難病の宣告を受けたという。快癒を祈るばかりである。

第86回 穂村弘『短歌ください』

夕やけよあらゆる色を駆逐せよ 頬が冷めてくモザイクの街
                  めぐみ・女・21歳
 穂村弘の『短歌ください』(メディアファクトリー、2011年)は、雑誌『ダ・ヴィンチ』誌上で穂村が連載している「短歌ください」に読者から投稿された短歌を集めたものである。あとがきによると、最初は作品が集まらないのではないかと心配しながら始めた企画だったが、蓋を開けてみればたくさんの優れた短歌が寄せられたという。穂村が選歌をして、選んだ歌に短いコメントを付けている。
 言うまでもなく穂村弘と加藤治郎と荻原裕幸は、1980年代の後半から後にニューウェーブ短歌と呼ばれるようになる短歌の潮流を牽引してきた3人である。しかし、時代がページを一枚めくってポスト・ニューウェーブ短歌の時代を迎えたとき、3人の歩みはかなりちがってきたようだ。加藤は「未来」に「彗星集」という選歌欄を持ち、結社内結社の主宰となっている。荻原はニューウェーブ短歌のプロデューサー的役回りを演じたためか、ポスト時代になって活動が目立たなくなった。一方、穂村はもともと同人誌「かばん」に拠って活動していたため、加藤や荻原とちがって結社の経験がない。最初からフリーランスだったようなものだ。しかしそのため選歌欄を持つことがなかったが、『ダ・ヴィンチ』の連載は、いわば穂村の選歌欄のような機能を果たしたようだ。投稿してきた人たちも、そのような意識で出詠したと思われるフシがある。
 穂村にはすでに、東直子・沢田康彦との共著で『短歌はプロに訊け!』と『短歌があるじゃないか』がある。こちらは沢田の友人を中心に結成された素人のFAX短歌会「猫又」の活動記録である。この2冊はほんとうにおもしろくて何度も読み返しているのだが、その大きな原因は素人の作る短歌の衝撃力にある。
ああいたい。ほんまにいたい。めちゃいたい。冬にぶつけた私の小指(←足の。)               千葉すず(水泳選手)
ビール狂体に悪いと改心しワインに変えるもアンドレは死す
                  ターザン山本(プロレスラー)
われを抱く荒々しきかいなありジャーマンスープレックスホールドということばのなかに                肉球
めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ
                  鶯まなみ(女優・本上まなみ)
 千葉すずのとって付けたような(←足の。)という掟破りといい、肉球の大幅な字余りといい、プロの歌人なら絶対しないような型破りなおもしろさがある。『短歌研究』の「うたう」短歌賞のときも、「愛って奴はWOWOWOその心を育てるさベイビイそして恋におちたときアイラブユーそこがパラダイス。ウー」という作品を葉書に書いて送ってきた人がいたそうだが、その桁外れの勘違いぶりに感動すらしてしまう。
 こういう伏線があるので、『短歌ください』にも素人ならではの楽しい勘違いでドキューンとこちらの胸を撃ち抜く歌が見つかるかと期待しつつ繙くと、実はそんなことはないのである。数ページ読んだところで、「ちょっと待った」と頭をリセットして新たな目で読むことにした。投稿している人はド素人ではなく、逆に相当な手練れが混じっている。歌集『ゆっくり、ゆっくり、歩いてきたはずだったのにね』の辻井竜一や、2009年の短歌研究新人賞を受賞し、歌集に『ミドリツキノワ』があるヤスタケマリも投稿している。他に題詠2011などで主にネットで活動している虫武一俊、古屋賢一、冬野きりん、木下侑介(木下一)らも名を連ねている。変名で投稿している人のなかに、既に名を知られている歌人がいないとも限らない。全部がそうだとは言えないが、どうやらネットを中心に活動しているポスト・ニューウェーブ世代の歌人が大挙して『ダ・ヴィンチ』の穂村選歌欄に出詠したようだ。この本はそのような受け取り方をして読むべきだろう。
 とはいえなかにはプロの垢にまみれていない素人ならではの歌もある。
好きでしょ、蛇口。だって飛びでているとこが三つもあるし、光っているわ                       陣崎草子
四十肩 三段腹に 二重あご 一重まぶたで ツルツルあたま 
                         水野川順平
かまわないでかまわないわよかまってよ(フリルのついた鎌振り下ろす)
                             峰子
あんかけのあん煮立つような音させてぼこりと夫が寝入る木曜 
                           てこな
イカ墨のパスタを皿に盛るように洗面器へと入れる黒髪
                         麻倉遥
一秒でもいいから早く帰ってきて ふえるわかめがすごいことなの
                          伊藤真也
 一首目のように水道の蛇口を詠った歌はあまり目にした記憶がない。「飛びでているとこが三つ」というのは手で回す栓の部分を言っているのだろうが、これも奇妙な表現である。だいたい人に「蛇口が好きでしょ」などと訊くだろうか。二首目は逆順のかぞえ歌で最後がゼロになっているところがミソ。「無い」ということを表現するのは案外難しいのだ。三首目は男女の言い合いだろうが、「フリルのついた鎌」というのが恐ろしい。「かまう」と「鎌」の音を合わせているので、短歌的修辞も意識しているのである。四首目もヘンな歌で、人が寝入るときに音がするものだろうか。それをあんかけの餡に喩えているところもおかしい。しかし筆名が「てこな」なので、ひょっとしたら短歌に詳しい人なのかもしれないから、滅多なことは言えないが。五首目もプロの歌人なら絶対に作らない歌だろう。和歌の時代から女性の黒髪は何度となく歌に詠われてきたが、髪をイカ墨パスタに喩えるとは! しかし定型への言葉の落とし込み方が堂に入っているので、この人も案外短歌を作り馴れている人なのかもしれない。六首目の「ふえるわかめ」は理研の乾燥ワカメで、これで失敗したことのある人は多いだろう。とにかく水を加えると体積がものすごく増えるのである。そのワンダー感を若妻から夫への電話という形で表現しているところが秀逸である。世界は驚異に満ちているということを実感させるという意味で、短詩型文学の潜在的パワーを十全に発揮した例と言えるだろう。
 投稿作品の中には「コワイ系」と呼べる歌が数多くあり、選者の穂村も何度も述べているように、コワイ歌は良い歌なのである。いくつか引いてみよう。
「ほんとうは誰も愛していないのよ」ペコちゃんの目で舐めとるフォーク                           ゆず
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
                       冬野きりん
生態系食物連鎖をくつがえしあたしがあなたをたべる日が来た
                      小玉裕理子
今二匹蚊を殺したわ息の根を止めましたこの手あなたをさわる手
                         森響子
 一首目、食事をしている男女の会話と思われる。語尾からして発言者は女性だろう。こう言い放った後、その女性がペコちゃんの目をしてフォークに残った食べ物を舐めとるという場面である。コワイのは発言から窺える愛の不実さではなく、「ペコちゃんの目」のほうだ。二首目は「可愛さ余って憎さ百倍」を地で行く屈折した愛の歌。三首目と一首目に共通するのは、性愛が飲食のメタファーを用いて語られることが多いという点である。だから「あたしがあなたをたべる」には当然意味の二重性が伴うのだが、文字どおり解釈すればホラーの世界となる。四首目もコワイ。女の手が男の首にゆっくり伸びてゆくのが目に見えるようだ。
 短歌と言えば恋愛である。というわけで恋の歌も数多く投稿されている。
あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに
                   木下侑介
忘れてく思い出たちは優しいと午後四時半の物理実験室
                      イマイ
ひそやかな祭の晩に君は待つ コンビニ袋に透けるレモンティー
                        ちゃいろ
蝉が死んでもあなたを待っています バニラアイスの木べらを噛んで
                           ゆず
昨年の夏に野球を共に観た女子はファウルをよけられなくて
                     ハレヤワタル
 一首目、僕と貴方だけでなく、夏までもが一直線に並んでいたという感覚が新しい。一瞬と永遠とが実は踵を接していることをあらためて想わせてくれる。二首目、「忘れてく」は「思い出たち」にかかる連体修飾節ととる。この歌のポイントは「午後四時半」という放課後の半端な時間と「物理実験室」の具体性である。三首目、コンビニの袋に入っているペットボトル飲料はまったく詩的なアイテムではないのに、それを美しく感じさせるところに技がある。「ひそやかな」の使い方といい、言語感覚の優れた人のようだ。作者のちゃいろさんは21歳の女性ということだが、この人の歌に多く付箋が付いた。超初心者らしいが、ちょっと小林久美子を思わせる作風の人だ。四首目、「蝉が死んでも」というのは夏が終わってもということなので、バニラアイスの必然性がある。少し歪んだ感じも魅力的。五首目、歌人はあまり歌の中で「女子」という言葉を使わないだろう。その点も新鮮だが、ファウルがよけられないというところに女性の可愛さが表現されている。
 最後に注目した歌をあげておこう。こうして見るといずれも素人の歌ではなく、ほとんどは相当作り慣れた人たちであることがわかる。『ダ・ヴィンチ』の連載がポスト・ニューウェーブ世代の歌人たちの発表の場となったようだ。
スカートにすむたくさんの鳥たちが飛び立つのいっせいに おいてかないで                       ちゃいろ
電子レンジは腹に銀河を棲まわせて静かな夜に息をころせり
                      陣崎草子
こんにちは私の名前は噛ませ犬 愛読書の名は『空気』です
                       冬野きりん
マヨネーズ時計ではかるゆうぐれの時間は赤いところへ降りる
                      やすたけまり
卵らが身を寄せあってひからびる二十時の回転寿司銀河
                      古屋賢一
献血の出前バスから黒布の覗くしずかな極東の午後
                      虫武一俊
旅先で僕らは眠るすべてから知らない街の匂いをさせて
                     ソウシ
 もし「電子レンジの歌」を集めることがあったら、陣崎の歌は文句なく取ることになろう。電子レンジのなかに銀河を見る発想は秀逸である。また冬野の世界に対する敵意に満ちた視線も注目される。やすたけの歌は「赤いキャップ」と言わなかったところがミソ。古屋の歌では、「銀河」は店の名前ととってもよいし、くるくる回転する寿司コンベアの喩ととってもよい。虫武の歌は静かな光景を描きながら、どこかに危険な感じを出しているところがポイント。ソウシの歌はとても好きな歌で、未知のものに体全体で浸る若さをこの上なく表現している。
 このように『短歌ください』には素人の勘違いが炸裂するおもしろい歌が意外に少ないのだが、まあそれは選歌の過程でふるい落とされたのかもしれない。ふるいを無事くぐり抜けた歌をあげておこう。いずれも突き抜けた疾走感がすてきな歌だ。
少しだけネイルが剥げる原因はいつもシャワーだよシャワー土下座しろ!
                           古賀たかえ
毛を刈ったプードル怖いと言う彼にあれは唐揚げと思えと伝えた
                          モ花

第85回 大塚寅彦『夢何有郷』

蜜といふ黄昏いろのしづもれる壜ひてふと秋冷ふかむ
                       大塚寅彦『夢何有郷』
 大塚寅彦の第5歌集が上梓された。前作『ガウディの月』以来、実に8年振りである。題名は荘子の「無何有郷むかゆうきょう」(むかゆうきょう)にちなむ。本来は人為を加えないありのままの自然という理想境を表したもので、「無」の字を「夢」に置き換えてある。どこにもない夢のユートピアという意味だろう。8年の空白は長いが、2004年に師の春日井建が逝去し、その後を襲って中部短歌会の実質的主宰として歌誌「短歌」の刊行の責を担うという大きな変化があったことも、その原因のひとつと思われる。本歌集の刊行により、短歌を好む人がこうして大塚の歌を読む喜びをまた味わうことができるのは嬉しいことである。繊細な感性と、師の建譲りの美意識と、細やかに言葉を操る高度な技法は、この歌集においても健在で、読者は現代短歌の精髄をページの至る所に見いだして、その美酒に酔うことができる。
 新しい歌集を通読して改めて感じるのは、大塚の歌の姿の美しさと一首の屹立性である。例えば冒頭の掲出歌を見てみよう。詠まれているのは、とある店に立ち寄って蜂蜜をひと壜買ったという、ありふれた日常のひとコマである。蜂蜜の色を「黄昏いろ」と詩的に表現し、「しずもれる」と受けることで、落ち着いた秋の静けさと、柔らかな光を放つ蜜の芳醇さが香ってくる。さらに、下句のかすかな句割れ・句跨りを媒介として、結句の「秋冷ふかむ」に落とし込むことで、一首の描き出す情景が、秋冷を感じている表現されていない〈私〉へと収斂する。その様は蝶がふわりと、しかし確実に望んだ花にとまるかのようである。
 もう少し見てみよう。
飼ひ犬に曳かれて人ら皆あゆむ新興住宅街のゆふぐれ
藁婚の女男めを立ち去りて残りたるストロー二本ふれあひもせず
死はつねにぴかぴかであれ花季はなどきのコイン洗車を霊柩車出づ
 多くの場合、大塚の歌が描くのは、吉野の桜や天河の能舞台のような、チャクラを刺激する特別な場所や歌枕ではなく、ごくありふれた卑俗な都市風景である。一首目の舞台は郊外に造成された新興住宅地だ。「新興住宅街」のように、一見すると歌に詠みにくい単語を使っている点も注目してよい。これまたありふれた光景なのだが、それを歌に落とし込む技法が光る。特に下句の造りの巧みさには感心させられる。「新興住宅/街のゆふぐれ」のような句割れ・句跨りは、一見納まりが悪そうに見えて、実は歌の着地を確かなものにしている。これは大塚が好む技法で、例えば『ガウディの月』に次のような歌がある。
理に生くる者らさびしむペコちやんのを撫でゐたり不二家ゆふぐれ
 邑書林のセレクション歌人『大塚寅彦集』の解説を書いた藤原龍一郎は、この歌の結句を捉えて、「こんな小気味のよい句割れはめったにない」と書いた。本歌集にも類例がある。句跨りの有無は別として、いずれも同じ句割れの手法である。
〈善行〉とふ犯人の名の曇りつつテレヴィもの憂し拉麺屋ひる
〈はだいろ〉の今はあらざる絵の具箱さむしも文具店ひるさがり
ピザ運ぶ原付サンタのくれなゐに雪降りをり街路ゆふぐれ
 先に引いた3首に戻ろう。2首目のポイントはもちろん「藁婚」と「ストロー」の縁語関係にある。藁婚式とは結婚2年目の記念日。飲み終えたグラスにささるストローが触れあいもしないとは、早くも二人の間に隙間風が立っていることを感じさせる。まるで短編小説のように鮮やかに一場面を切り取っている。このことは3首目にも言えよう。街角にあるワンコインで自分で洗車ができる施設から霊柩車が出てくるという、めったに目にすることのない光景である。「花季」とあるので、霊柩車に降りかかった桜の花を洗ったのか。「死はつねにぴかぴかであれ」は、もちろん文字通りの作者の願いではなく、この不思議な光景を目にして作者が抱いた、「死はつねにぴかぴかであれということか」という得心の表現である。
 このように大塚の歌に登場するのは、「ペコちゃん」や「原付サンタ」や「新興住宅街」のように卑近な素材なのだが、それが言葉の魔術によって詩的に昇華され、鮮やかに切り取られた印象的な一場面と化する。その納め方が余りに鮮やかなので、一首が完結して屹立性が非常に高い。これが端正な文語定型と相俟って、歌の姿を美しくしているのである。
 大塚は1961年生まれだから、世代的には1959年生まれの加藤治郎、62年生まれの荻原裕幸というニューウェーブ短歌の旗手と同世代である。この世代は前衛短歌の手法を吸収して、さらに修辞に工夫を凝らした世代である。一見手堅く古風に見える大塚の短歌もこの時代の潮流とは無関係でなく、絢爛たる言葉の技法を駆使した歌がある。
もののふのあづさゆみ春ひたごころたゆませし花咲ける城あと
口紅の色のもみぢの散りぬるをわが思いなほ果てぬゆふぐれ
夢のなかわが愛容れて茶を淹るる想い出せないほどのビューティー
れたきに狂れ得ぬこころ金きらのいてふ降らせる葉つぱ踏み踏み
六月の七彩うつる八仙花ここの辻にも十あまり咲く 
ZOOゆかば水漬く河馬寝かばねのうらうらと戦ひの夢或は見をらむ
 1首目、「あづさゆみ」は「張る」などに係る枕詞だから、「張る」と「春」の掛詞になっている。だから「あづさゆみ春」は、「梓の木でできた弓を張るような」という裏の意味を揺曳させつつ、時間副詞となって背景へと退き、「もののふのひたごころ」という主旋律に場所を譲る。歌意はしたがって、「かつて戦に向かう武士のひたむきな心を和ませた桜の花が咲いている城址」ということになるが、「たゆませし」までは花を導く序詞である。ものすごく手のこんだ修辞なのだが、それだけでなく調べの美しさにも注目すべきだろう。2首目の「散りぬるをわが」は、いろは歌からの引用。3首目には「容るる」と「淹るる」の同音語の遊びがあり、また「ビューティー」という大胆なカタカナ語の使用も注目される。これも先に触れた文章で藤原が指摘していることだが、大塚は「屋上ルーフ」「想像イマジン」「理容店バーバー」のように、漢語に外国語のルビをよく振る。本歌集でも「菜食主義者ヴェジタリアン」「淡紅ピンク)」「十字架クロス」「精神スピリット」など、その技法は健在である。形は違え、ニューウェーブ短歌がめざした表現の拡大と修辞の復活という大きな流れにあるものと言える。4首目は、「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」という、大橋巨泉が出演し1969年に放映された万年筆のCMからの引用である。狂いたいのに狂うことができないという上句の重い内容と、下句の言葉遊びとの対比がポイントだろう。5首目の「八仙花はっせんか」は紫陽花の異名だそうだ。この歌の眼目は六・七・八・十と数字を並べて、「ここのつじ」に九を隠した点にある。数え歌になっているのだから「十」は「じゅう」ではなく、「とう」と読んでほしい。言葉だけでできている歌と言えるが、これも言語空間に独自の美を築くことを目指した師の春日井の教えに従っていると言えるのかもしれない。6首目はもちろん「海ゆかば水漬く屍」という旧海軍の軍歌の名曲の換骨奪胎で、「ZOOゆかば水漬く」までが河馬を導く序詞となっている。実に絢爛たる修辞なのだが、修辞に溺れることなく歌の意味と姿に奉仕している。
 とまあ、このように語り出したらきりがないほどで、どの歌にも工夫と鑑賞ポイントがある。これだけ質の高い歌が並んでいる歌集も珍しい。読者諸賢はその美と同時に、その微量の毒もまた味わわれるがよい。
 簡潔なあとがきに、春日井が逝去して「短歌」の編集発行人を引き継ぐに当たって、多くの別れを経験したその思いが、控えめながら行間に滲んで読める。集中にも50歳を迎え、人生の残り時間を意識する境涯の苦みの漂う歌が多い。なかでも繰り返し歌われるのは、独りの飲食おんじきの歌である。最後に一首引いておこう。
ひやかなる牡蠣をぬるりと呑みしとき遠空の雲いなづま孕む

第84回 石川美南『裏島』『離れ島』

夏の夜のわれらうつくし目の下に隈をたたへてほほ笑みあへば
                          石川美南『裏島』
 練馬区立美術館で開催されている「磯江毅展」を見た。磯江は若くしてスペインに渡って写実絵画を学び、かの地で30年活躍した画家である。惜しくも2007年に57歳の若さで亡くなっている。磯江の画風は、高度な絵画技術に支えられたハイパー・リアリズムを通して、〈存在の神秘〉と〈在ることの尊厳〉へと迫るというものである。その写実力はすさまじい。しかし、「鮭・高橋由一へのオマージュ」と題された作品で、新巻鮭を縛っている荒縄が、正面は絵の具で描いたものなのに、板の側面に食い込んでいる部分は本物の縄であることに気づいた観客がどれくらいいるだろう。磯江は絵画世界(=虚構)と外部世界(=現実)とを、気が付かないほど巧妙に連接し、交錯させているのである。磯江の絵画を見て、改めて写実の迫力をまざまざと実感した。ここ数年見たうちで最も心を動かされた展覧会だった。
   *     *     *     *     *     *
 石川美南の歌集が2冊同時に刊行された。『裏島』と『離れ島』である。第一歌集『砂の降る教室』(2003年)以来だから、8年ぶりとなる。『裏島』は2002年から2011年までの393首、『離れ島』は2004年から2011年までの292首を収録している。どちらの数字も100の位と1の位が同じ数なのは偶然か。装丁は『屋上の人屋上の鳥』の花山周子。銅版画を思わせるTAKORASUの表紙イラストが瀟洒だ。魚の形や帆船の形をして空を飛ぶ街は、細密に描かれながらも現実にはあり得ない存在であり、石川の短歌世界と見事なまでに符合している。『離れ島』には主に単発作品が収録され、『離れ島』には主に連作作品が収められている。2冊同時リリースは、CDにおける両A面のようなものだろうか。多方面で活発に活動している石川ならではの意欲的な試みと言ってよい。
 石川が2冊の歌集の題名にいずれも「島」を用いたのには理由があると思われる。この歌集の扉を開く人は、人跡未踏の絶海の孤島に上陸するのであり、その島の風物は私たちが日頃慣れ親しんでいるものと似てはいるが、どこかちがっている。そのような異世界であり、島に足を踏み入れる人はもはや今までの常識が通用しないと心得なくてはならない。歌集の題名はそう宣言しているのである。だから写実を背骨とし、抒情を血液とする近代短歌の読みに慣れた人、あるいはその読みしかできない人は、この歌集に足を踏み入れると当惑するだろう。次のような歌が並んでいるからである。
壁や床くまなく水びたしにして湯浴みを終ふる夕暮れの王  『離れ島』
窓枠に夜をはめ込む係にしてあなたは凜と目を凝らしたり
憤然と顔を上げたりセキュリティチェックに引つかかる雷神は
暗緑の森から森へ続きゐる点線をつないだらく・ま・ぐ・す
かもめかもめ賢い鳥の近道はショーウィンドウの中を飛ぶこと
飛び魚を容れては吐いて燦々とながれゆくポリ袋の旅路
 歌集題名の『離れ島』とは言い得て妙というべきだろう。ここでは一首一首が離れ島であり、歌と歌をつなぐ通路がないのみならず、歌と外部をつなぐ回路も断ち切られている。歌は一首ごとに異世界を立ち上げて、結句に至って終了する。次の歌が立ち上げる世界はまた異なったものである。だから石川の短歌を読み進む読者は、外宇宙の放浪者となって、その都度、風俗習慣のみならず、住民の身体形態までも異なる星々に、次々と訪れているような気持ちになる。ページをめくるうちに、時として宇宙酔いに似た症状すら呈するほどである(宇宙酔いがどんなものか知らないが)。
 たとえば一首目の「夕暮れの王」とは何者か、何かの暗喩なのか、何か意味しているのだろうかと問うても無駄である。それは何の暗喩でもない。それは夕暮れの王以外の何者でもなく、そのような者が生きている世界がここにあるのだと得心するほかはない。言葉と想像力によって立ち上げられた異世界であり、読者はその発想の妙味と言葉の連接の美しさをただ味わえばよいという仕掛けなのである。
 思えば石川には『砂の降る教室』からすでにそのような傾向があった。
好きな野球の話をしても生返事ばかりの鯨 春になるのか
なにがあったかわからないけど樅茸もみたけがいぢけて傘をつぼめていたよ
風はうすき日かげを流れくさりたるくちなしを食べたがる弟
 本コラムの前身の「今週の短歌」で『砂の降る教室』を取り上げたときは、石川の態度を「世界を異化する意志」と規定した。石川はたぶん幼少時から本を読んで空想に耽るのが好きな少女だったのだろう。歌人のあいだでは有名な石川のキノコ好きもそのような性向と無関係ではない。キノコのなかには確かにこの世のものとは思えない色彩と形状を呈するものがある。石川が空想の延長性として営々と研ぎ澄ましたのが、世界を異化する視線である。その視線の前では寝室は熱帯植物園となり、スターバックス・コーヒー店は荒れ寺と化す。
 今回の『裏島』『離れ島』の二連発では、異化の眼差しがさらにパワーアップしている感がある。しかし、私は読んでいてどこか違和感を感じた。ふだん歌集を読むときには、よいと思った歌には付箋を付ける。しかし、『裏島』『離れ島』を読んでもなかなか付箋が減らないのだ。ひと晩寝てその理由に思い至った。それは次のようなことではないか。
   上に述べたように、石川は基本的には一首ごとに異世界を立ち上げる。それは外部との回路を断たれた孤島である。異世界を訪れる人は、しばらくその世界を歩き回って基本的特性を会得しなくては、その世界を味わうことができない。しかるに石川の歌では一首で世界が終了してしまうので、なかなかその世界に没入することができないのだ。その結果、読者は灯しては消すマッチポンプのような作業を強いられることになる。これが一首の屹立性の弱さとなって現れるのである。その結果として付箋が減らないという訳だ。
 短歌は31音節の短い詩型なので、単独で異世界を立ち上げるには短すぎる。世界が成立するめには外部からの支えがなくてはならない。古典和歌の支えは共同性に基づく美の抽象空間であり、近代短歌の支えはリアリズムに基づく〈私〉である。
 では異世界の持続時間を引き延ばし、短歌詩型の支えとして機能させるにはどうすればよいかというと、すぐに思いつくのが連作である。そして実際に石川は連作において、その実力を遺憾なく発揮しているように思える。
 『裏島』は連作中心の構成で、集中には同人誌『風通し』No.1 (2008)に発表された「大熊猫夜間歩行」が収録されている。この秀作については本コラムの「風通しの歌人たち」ですでに触れたので、ここでは繰り返さない。私が今回いちばん感心したのは、「猛暑とサッカー」だ。この連作は全段二首から成る対で構成されていて、一首目は現在学校の校庭で行われているサッカーの試合を、二首目は戦争のあった昭和を描いている。いくつか抜粋して引く。
サッカーの盛んな町だアスファルトを破って育つ夏のたましい
  警報の響き渡らぬ空の下我は盛んに汗かいてゐる

中村は町の英雄ヒーロー 輝けるアジアカップを僕は見守る
  防空壕通り抜ければ炎天のゴールキーパー手を広げをり

鼻に汗入って走るのが辛い コーナーキックの柴田がとおい
  思ひ出づることにも慣れて蝉の音に時折混じる人の死ぬ音

ディフェンスの弱いところを突破され電光石火の舌打ちをした
  校庭にもののくすぶる匂ひして見る間に燃ゆる孫のゼッケン

爆撃機素通りしをしたこの町で小石蹴りつつ過ごしてた祖父
  遠からず灰となるべき橋桁と思ひ込みにきひたと触れにき

町中のとろけるチーズとけかかりゼロ対ゼロで後半戦へ
  本当はあの日ぴかりと消えたのか我も級友たちも小石も
 石川の工夫は文体とタイポグラフィーにまで及ぶ。対の一首目は新仮名遣いの口語でゴシック体、二首目は旧仮名遣いの文語で明朝体で印刷されている。一首目を続けて読むと、熱中症患者が出るほどの炎天下で繰り広げられるサッカーの試合風景が浮かび上がる。その基調音は若さと汗と明るさである。ところが二首目を拾って読むと、空襲で爆撃されて燃え上がる町と死者の世界がある。その通奏低音は、物が焼ける臭いと死である。そしてこの対が、「昭和というあだ名の生徒会長」や「日陰の席の笑顔の祖父」などを転轍機として、時にメビウスの帯のように時空の捩れを起こすという複雑な造りになっているのである。
 この仕掛けによって石川は、短歌の世界に物語性を巧妙に持ち込むことに成功している。一首ごとに異世界をワープするようなマッチポンプのせわしさはなく、堅牢に構成された世界のなかを読者が歩き回り、その世界の果実を心ゆくまで味わうことができる。平和の平成と戦争の昭和という時間軸を対立させることで、重層的な世界構造と複眼的な視点を生み出して、短歌世界に奥行きを与えていると言えるだろう。
 このような理由で私は単発作品が中心の『離れ島』よりも、連作で構成された『裏島』の方を興味深く読んだ。そして、巻を閉じてあらためて、石川の真骨頂は物語性に富む連作にありとの感想を持ったのである。

第83回 杉崎恒夫『食卓の音楽』

白色のスーザフォーンを先立てて行進すれば風の不意打ち
               杉崎恒夫『食卓の音楽』
 街を楽隊が行進している。先頭には大きなスーザフォーンを抱えた奏者が歩いている。スーザフォーンは低音部を受け持つ大きな楽器なので、軽量化のために白いプラスチックで作られている。そこに突風が吹くと、大きく開いた朝顔を持つスーザフォーンが風に煽られて、奏者は大きくよろめくかのけぞってしまい、周囲の奏者もそれをよけようとして、隊列は算を乱した状態に陥る。掲出歌はその一瞬を捉えたもので、情景が目に見えるようだ。
   この歌には作者杉崎の特徴がよく現れている。まるで世界から額縁に囲まれた一幅の絵を切り取って来たかのようなフレーム感覚に溢れていて、まっさらなフレームの中には作者が入ることを許可したものだけが収まっている。その完結感と清潔感は比類がない。こうして浮揚する小世界は、メルヘンか絵本の1ページのようで、外部を持たない。テレマンの食卓の音楽のように、小品ながら明るく楽しく完結している。短歌を読む喜びをしみじみと味わわせてくれる逸品と言えよう。
 杉崎の第2歌集『パン屋のパンセ』は、昨年4月に本コラムの49回目で取り上げた。確か歌集が届いて一週間後くらいにアップしたので、おそらく日本でいちばん早く出た書評だと密かに自負している。その後、『パン屋のパンセ』は多くのメディアで取り上げられ、現在までに4刷を重ねているという。自費出版で印刷部数は500部程度、刷り増しなしというのが常識の歌集の世界では異例のことである。しばらくして湧き起こった第1歌集『食卓の音楽』を読みたいという声に押されるように、本書はこのたび同じ六花書林から新装版として出版された。嬉しいのは、前田雪子(前田透夫人)、永井陽子、井辻朱美、中山明による初版の栞文が巻末に再録されていることである。それに加えて、杉崎本人の撮影した写真が各章の扉に配されている。写真はなかなかの腕前で、歌集の空気感をさらに高めている。
 作者杉崎の紹介は本コラムの49回目に譲るとして、さっそくこの歌集の世界に入ることにしよう。一読して改めて思うのは、杉崎が短歌に向かう基本的なスタンスは、短歌を通してこの世界に「神の指跡」を発見することだったということである。ここで言う神とは特定の宗教の神ではなく、この宇宙と自然界を作った造物主 (prime mover)というほどの意味である。この点において杉崎の眼差しは、自然の法則を発見せんと務める自然科学者と変わりがない。異なるのは杉崎の場合、発見はポエジーの発生へと昇華されるところにある。
ティ・カップに内接円をなすレモン占星術をかつて信ぜず
地下鉄の窓いっぱいにきて停るコマーシャルフォトの大きな唇
江東の空わたりくる雁の列遠ければマッチ折りたるほどに
メリジェーヌの尻っぽの先とゆううつな洋傘の柄となぜにか曲る
簡潔なるあしたの図形 食パンに前方後円墳の切り口
漆黒のさくらんぼ地にこぼれいてピアノぎらいの子供の音符
 杉崎は三鷹の国立天文台に勤務していた。天体の運行はかつて数学を発達させたと同時に、宇宙の幾何学的神秘を最も感じさせてくれる現象でもある。短歌に「内接円」のような数学用語をさりげなく、そして詩的に用いることができるのは、杉崎の仕事と無関係ではあるまい。一首目、「占星術をかつて信ぜず」とあるので、現在では信じていることになるわけだが、古代において占星術と天文学とはほぼ同義であった。天体の運行は最も規模の大きな神の指跡と言えよう。二首目は動と静が逆転されている歌。地下鉄駅に列車が停車して、壁に貼られた広告が見えるのである。これも情景がくっきりと見える歌だ。三首目の素材は秋の空を渡る雁の群れという古典和歌の素材だが、雁をマッチの軸を「へ」の字の形に折ったものと見立てたところがミソ。四首目の「メリジェーヌ」は西洋中世に伝わる下半身が蛇の女性神話。メリジェーヌの尾の曲がりと洋傘の柄の曲がりとが同期している。この傘はもちろん黒のこうもり傘で、柄は昔風の竹を火であぶって曲げた柄がふさわしい。「ゆううつな」と詠っても作品世界のフレームから出ることなく、あくまで物語世界に留まっているのが杉崎の特長だろう。五首目は、食パンの切り口を前方後円墳に見立てたもので、「あっ、こんなところに前方後円墳が!」という発見の楽しさが伝わって来るようだ。六首目は地面に散らばったサクランボを楽譜の音符に見立てた歌。ポイントは「ピアノぎらいの」にあり、嫌いだから乱雑にピアノを弾くので、あちこちにでたらめに散らばっているのである。
 このように神の指跡は、紅茶茶碗に浮かぶレモンにも、道に散らばったサクランボにも、食パンの切り口にもある。私たちの日常世界の至る所に隠れているのである。それをひとつひとつていねいに拾い集めて歌に仕立ててゆくのが杉崎の得意な作業であった。このために単純な写実は少なく、また短歌にありがちな自然への自己投影もない。杉崎が切り取った情景は額縁に中に収められて、どこか重力を感じさせない浮遊する詩的世界へと昇華されるのである。
 『食卓の音楽』が刊行されたのは1987年(昭和62年)で、奇しくも『サラダ記念日』と同年である。同じ年には加藤治郎『サニー・サイド・アップ』が、翌年には荻原裕幸『日本人霊歌』が刊行され、折りしもライト・ヴァースをめぐる論争が歌壇を賑わせた頃だ。杉崎の所属していた「かばん」は、『猫、1・2・3・4』(1984年)の中山明と、『水族』(1986年)の井辻朱美がリードしており、穂村弘の『シンジケート』(1990年)はまだ出ていない。そんな時代の中に次のような杉崎の歌を置いてみると、その感覚の新しさがよくわかる。
ミスター・フライドチキンの立っている角まがりきて午後のたいくつ
一度だけ自分勝手がしてみたいメトロノームの五月の疲れ
躁鬱を疾む春の街いずこにかパウル・クレーの矢印描かれ
 「午後のたいくつ」や「五月の疲れ」は、当時のバブル景気を背景とする一過性の気分と捉えられてしまうかもしれないが、実はそうではなく、杉崎ワールドの語彙である。またパウル・クレーの詩情溢れる絵画の世界はよく杉崎とマッチする。
 本歌集を一読して次のような歌が目に留まった。
さくらんぼ彩る街となりゆけばガラスの筒に透くエレベーター
核家族と呼ばれて住めば緩慢に匙をしたたる冬の蜂蜜
とべらの果赤く爆ぜおり海光のまぶしさすぎてふと昏むとき
猫の腹に移りし金魚けんらんと透視されつつ夕日の刻を
横向きのエジプト文字の鷹をひとつ留らせておく死角の肩に
 思わず微笑したくなる歌を挙げておこう。
毒のないぼくの短歌とよくなじむ信仰心のうすいマシュマロ
 杉崎は自分の歌に毒がないということをよく自覚していたことがわかる。杉崎の短歌世界は、近代短歌の駆動装置のひとつであった貧乏とも恨みとも無縁であり、また現代短歌のキーワードになってしまった感のある痛みや生き難さとも縁がない。そんな杉崎の短歌と、口の中で溶けて手応えのないマシュマロはよく似合うというのである。マシュマロが信仰心が薄いと言われると、思わずそうかなと思ってしまう。
かなしみよりもっとも無縁のところにてりんごの芯が蜜を貯めいる
 この歌も杉崎の立ち位置をよく表しているように思う。日々を生きる者として杉崎にも悲しみがないわけではない。しかし、自然は私の悲しみとは無関係なところで営為を続け、リンゴを実らせている。その無関心さに杉崎は深い慰藉と喜びを見いだしているのである。これもまた世界が私に見せてくれる印のひとつである。
 栞文の中で杉崎と親交の深かった中山明は、杉崎は「歌人」というより「詩人」のイメージだったと述べている。確かに杉崎の短歌は近代短歌が背負ったある種の重荷から自由である。そのことが杉崎の短歌に風のような自由さと軽さを与えているのだろう。

第82回 柳澤美晴『一匙の海』

影重く垂らしてきみに逢いにゆく花に牙ある夕暮れ時を
                       柳澤美晴『一匙の海』
 柳澤の名を初めて目にしたのは、雪舟えまと同じく、『短歌研究』創刊800号記念臨時増刊の特集「うたう」(2000)だった。当時は苗字の「柳」が異体字だったが、歌集刊行を機に「柳」に変えたという。「GIRLIE」と題された連作にこんな歌が載っていた。
青年がうねらせる腰に尾は伸びて海を映した銀鱗閃く
割れそうな硝子の目をした少女在り腿に吸い付く蜥蜴磨けば
 爬虫類へのファンタスムを窺わせる語彙には秘めた暴力性が感じられるが、その一方で、後年の「硝子のモビール」に連なる透明感への希求もすでに潜在する。しかし、想像力だけで紡ぎ出した荒削りな歌という印象を否めない。当時大学4年生で作歌を始めたばかりだから無理もない。
 柳澤は「うたう」の翌年に未来短歌会に入会する。始めは岡井隆の指導を受けていたようだが、やがて加藤治郎門下に入る。2006年に「モノローグ」で未来賞を受賞、同年「WATERFALL」で49回短歌研究新人賞次席入選。その年の受賞は「カシスドロップ」の野口あや子。2008年「硝子のモビール」で歌壇賞受賞と順調に駒を進めている。その柳澤が第一歌集『一匙の海』(本阿弥書店 2011年8月)を上梓した。満を持しての感がある。跋文は彗星集主宰の加藤治郎。表紙にジョゼフ・コーネル風の箱のオブジェを配した小体な造本である。収録歌は2006年からの編年体で、それ以前の短歌は若書きとして切り捨てたものと思われる。短歌研究新人賞次席の「WATERFALL」も16首しか収録されておらず、相当な選歌の跡が見られる。選歌もまた歌人の芸である。
 加藤率いる彗星集は多士済々の若手集団だが、ニューウェーブ短歌の後衛として位置づけられ、ゆるやかな定型意識と口語という共通性がある。加藤は『短歌ヴァーサス』終巻号に寄稿した「ポスト・ニューウェーブ世代、十五人」という文章のなかで、ニューウェーブが短歌史上エポックとなった理由を三つ挙げている。1)革新という近代原理から自由になった 2)口語の定着 3)大衆社会状況の受容 である。加藤によればこのうち1)は前衛短歌によって達成されたが、2)と3)は課題として積み残された。そしてニューウェーブが2)と3)をクリアしたとき、近代短歌の革新性は終焉したという。
 しかし、ニューウェーブのレトリック主義の余波を受けて、「いかに言葉を流通させるかという方向に作家意識が変化した」(山下雅人)ことも事実であり、これは上記3)と密接に関係している。この方向を極端に押し進めたのは、ニューウェーブ後に登場した枡野浩一だろう。枡野は1968年生まれで、柳澤はちょうど10年後の1978年生まれである。柳澤らの世代はポスト・ポスト・ニューウェーブ世代に当たる。「やり尽くされた後で短歌という詩型の可能性をその外部に求めざるを得なかった」(加藤, op.cit.)ポスト・ニューウェーブ世代の後に続く柳澤らの世代は、短歌という詩型の可能性をどこに求めればよいのだろうか。彼ら・彼女らの最大の課題はそこにあったし、今もそこにある。
 ひとつの方向は『ひとさらい』の笹井宏之のように、言葉の詩的純化の方向へと舵を切ることだろう。
歯神経ふるわせながら淡雪でできた兎をゆっくりと噛む
まばたきの終え方を忘れてしまった 鳥に静かに満ちてゆく潮
 定型の持つ韻律という軸にではなく、言葉の純化・透明化によって無重力的ポエジーを発生させる笹井の方向性は、短歌を限りなく自由詩の岸辺へと打ち寄せてゆく。 
 では柳澤の方向性はどうかというと、誤解を恐れずに言えば、ある意味で近代短歌への回帰という側面が見えるのではないかと感じたのである。たとえば次の歌はどうだろう。
古書店に軒を借りれば始祖鳥の羽音のような雨のしずけさ
前髪の触れあわぬ距離にきみはいて無菌操作のあやうさを言う
火にかけたゼライス透けてくるまでの会えぬ時間を守りていたり
さびしさの骨格のごとく積み上げるセブンスターの細い吸殻
尖端の欠けてしまったピペットの春のひかりを束ねて捨てる
 一首目は雨宿りの情景だが、軒を借りるのがコンビニやファストフード店ではなく古書店であり、雨音が始祖鳥に喩えられているところに、ニューウェーブの好んだ都会的アイテムからすでに遠くにいることが推察される。二首目は相聞で、「前髪の触れあわぬ距離」に見られるおずおずとした清新さは、現代のあっけらかんとした性愛表現から遠く、ひと昔、いや、ふた昔前の男女の仲のようだ。三首目ではゼライスが透けるまでの時間で時間の短さを表現し、恋人に会いたいというはやる気持ちを抑える自制を示している。また、四首目では灰皿に積もる煙草の吸い殻が、五首目ではピペットの束が、それぞれ歌の核をなす中心的アイテムとして働いており、それらを中核として短歌が紡ぎ出されてゆく様は、近代短歌そのものと言ってよい。
 また歌中の〈私〉の位相と視点の統一性という点においてもそのことは言える。加藤治郎が試みている、意識の重層的審級に言葉を与えるような実験的語法は、柳澤の短歌には見られない。
 柳澤は同じく北海道に住む北辻千展や山田航らとともに「アーク・レポート」という同人誌を出している。第3号では「ゼロ年代を問い直す」という意欲的な特集を組んでいるが、そこに見られるのは短歌の過去に学ぼうという姿勢である。
 このことは歌集に収録された次のような歌からも窺うことができる。
塚本邦雄の訃報を告げる青年よシャツの格子のなかの棒立ち
数知れぬ針を詩史へと突き刺した評論家死す 北の果てにて
近代の目には涼しい青き火よ 茂吉─赤彦往復書簡
城戸朱理のブログの中で遠方に住む恋人と目が合う、まれに
紫外線ランプ点りぬ 永田和宏の半生を照らし続けしランプ
 一首目と二首目は塚本邦雄と菱川善夫へのオマージュ。四首目の城戸は評論集『戦後詩を滅ぼすために』で注目を浴びた詩人。五首目は理系の研究者である恋人のラボでの姿を詠んだものだが、細胞生物学者でもある永田が登場している。ニューウェーブ短歌やポスト・ニューウェーブ短歌には固有名が少ない。固有名はすでにある意味をまとっており、またそれだけで歴史への投錨点として機能する。ニューウェーブ短歌の「革新という近代原理からの解放」路線は、必然的に固有名の減少を招いた。短歌に固有名を入れるということは、肯定にせよ否定にせよ、歴史にたいしてあるスタンスを取ることを意味する。柳澤は近代に学び直そうとしているように感じられるのである。
 歌集の第III部には職場詠が多く見られるようになる。
常連の生徒数名 帰巣するように保健室に来るなり
青あざに湿布を当ててすり傷の消毒をして悩みを問えり
口つぐむ少女と向かいあう時を保健室への水圧強し
 どうやら作者は保健室の先生をしているらしい。「来るなり」の語法はいただけないが、保健室の先生にはふつうの教員とはちがった生徒との関係と役割があるのだろう。
 また父母も歌に登場する。
十字貼りされている箱に青年の父がもとめた思惟の葉がある
父に父のわたしにわたしの孤独棲むレモンの果肉をつつむ薄皮
夏の水やわらかし冬の水硬し白とうきびが母より届く
 作者は新しい職を得て、改めて家族を思い、北海道という風土に根ざして生きてゆこうとしているように見える。そのときに取られるスタンスは意外に古典的なのである。
 いかにも作者らしいと思えるのは、次のように短歌定型に賭ける決意を述べた述志の歌である。
定型は無人島かな 生き残りたくばみずから森を拓けと
光つつわれにつらなる詩語あれどうっすらひとの指紋をのこす
虚数いくつ連ねて書き継がれる史実 扉に釘の跡深くあり
一滴のまだしたたらぬ詩のために傷口はきよく保たれてあれ
 一首目は加藤も跋文で引用しているが、「定型は無人島かな」と言い放つ志はよしとすべきだろう。二首目は、まだ誰の手にも汚されていない詩語を求める決意表明。どことなく「真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり」という子規の歌を連想させる。三首目は短歌の歌ではないが、歴史の虚偽を見つめる目が確かである。
 いろいろ書いてきたが、本歌集の収録歌のなかで特に美しいと思えたものを挙げてみよう。
SUBWAYのサンドイッチの幾重もの霧にまかれてロンドンは炎ゆ
日々とは循環小数にしてうみにふるあわゆきのごとくきみとであわず
運命さだめにも模写はあるかなひる過ぎのカフェテリアにて待たされている
サイダーの泡のあおさのひとときを分かちあう冷えたからだかさねて
手首つかまれくちづけられている夜を蓮のようにひらくてのひら
札幌にふかく食い込む川ありて溶け出す刃物のようなかがやき
 一首目はロンドンの地下鉄テロを詠んだ歌らしい。相当手のこんだ修辞を用いている。SUBWAYはもちろん地下鉄のことで(地元の人は俗にtubeと呼ぶ)、それと同時にサンドイッチのチェーン店の名称でもあるので掛詞である。そして「SUBWAYのサンドイッチの」までが「幾重もの」を導く序詞になっている。「修辞ルネサンス」を標榜したニューウェーブ短歌の面目躍如というところか。二首目の循環少数とは、ある特定の数字列が無限に繰り返される少数のこと。循環小数の限りない反復と海に降る淡雪のイメージが重なって美しい。三首目、「運命」を「さだめ」と読ませるのは古風だが、「模写はあるかな」はたぶん既視感のことを言っているのだろう。いつものように恋人に待たされている情景。四首目、「サイダー」と「泡」と「冷えた」が縁語になっていて、一首の空気感を作っている。五首目、音数から言って「蓮」は「はちす」と読みたい。すると「蓮のようにひらくてのひら」は仏像を連想させ、弥勒菩薩のイメージが重なって美しい。六首目は故郷の風土を詠んだ歌だが、「溶け出す刃物」という喩に危ういムードが漂う。
 こうして見ると柳澤は、師である加藤治郎からニューウェーブ短歌の思想と手法を学び取り、自家薬籠中のものにして、そこから自分の歌を詠むべく近代短歌に学び直しているのではないかと思われる。そう考えると第一歌集『一匙の海』は何かの達成というよりも、何かへの出発と捉えた方がよいのかもしれない。

第81回 小島なお『サリンジャーは死んでしまった』

なつのからだあきのからだへと移りつつ雨やみしのちのアスファルト踏む
             小島なお『サリンジャーは死んでしまった』
 確かに「夏の体」というのはあるかもしれない。汗をかきやすく、日に焼けていて、暑さに慣れて適応してはいるが、体の芯にだるさが残る。では「秋の体」とはどういうものだろうか。日差しかやわらいで日焼けが少し薄くなる。朝晩の涼しさに少し体がしゃんとする。新しい服が着たくなる。そんなところだろうか。
 初句から二句を平仮名書きにして読字時間を引き延ばし、二句目を増音することでさらに、夏から秋へのゆっくりとした時間の経過をイコン的に表現している。韻文である短歌ならではの表現手法である。下二句も「あめ・やみしのちの」「アスファルト・ふむ」と、2・6/5・2のほぼ対称なリズム配分が結句の終結感を支えていて、着地感が溢れている。日本では明治期に始まった道路のアスファルト舗装は、モダニズムの頃ならば都市詠の素材になったであろうが、平成の今日ではすっかり都市の風景の一部となり、短歌に詠まれても違和感がない。羨ましいほどの若さを感じさせる一首である。
 小島なおは1986年生まれで、コスモス短歌会所属。2004年に17歳で角川短歌賞を受賞していちやく脚光を浴びた。2007年に受賞作を含む第一歌集『乱反射』が出版され、取り上げようか迷っているうちに、第二歌集『サリンジャーは死んでしまった』が上梓された。おまけに『乱反射』が桐谷美玲主演で映画化されたという。歌集の映画化は中城ふみ子の『乳房喪失』以来らしい。おりしも角川『短歌』8月号でベテランの栗木京子が年少の小島にインタビューしている。いろいろ出そろったところで、小島の歌集を2冊まとめて見てみたい。
 17歳での角川短歌賞受賞はとにかく話題になった。それまで日経新聞の高野公彦の選歌欄に投稿していたようだが、歌歴半年程度での受賞は異例である。あらためてその年の角川短歌賞の選評を読み直してみると、審査員の小池光など、「かつてない才能が現れた」と手放しの褒めようである。今読み返してみても、若さを感じさせる清新な歌が多い。今回『乱反射』を通読して、次のような歌に注目した。
かたつむりとつぶやくときのやさしさは腋下にかすか汗滲むごとし
雨すぎて黒く濡れたる電柱は魚族のひかり帯びて立ちおり
水菜食みさらさらとわれは昇りゆく美しすぎる寒の銀河へ
パイナップル食べ終えた後のまぶしさよまあるい皿に五月のひかり
風見鶏日照雨に濡れてまわりおり少年の耳燃えている夏
平泳ぎのようにすべてがゆっくりと流れゆくのみ秋の浮力に
猫の眼にかすかな水の気配して冷蔵庫には梨二つある
過去のなき空間のごとく光りおり八月の朝のコンビニの中
まだ知らぬ世界があってただ今のわれのからだに夏満ち満ちる
 一首目は角川短歌賞応募作に含まれていた歌である。選評座談会では「17歳で腋下なんて言葉を知ってるものかね」と話題になった。この歌も最後の歌もそうだが、「世界に生きる〈私〉」の若い体感を感じさせる。ある時期にしか作れない「時分の花」だろう。二首目の電柱から魚へ、三首めの水菜から銀河への連想は、適度の詩的飛躍があり、また無理がない。なべて小島の短歌には、意味解釈に首をひねるような喩や飛躍がなく、言葉に無理な負荷をかけて、摩擦によって発光させようというような前衛的態度が見られない。よくも悪くも保守的なのである。このため言葉の使い方に素直すぎるところもあり、それが物足りなさを感じさせることもある。
 ここで四首目のパイナップルの歌を見てみよう。食卓に置かれた皿に盛られたパイナップルを家族みんなで食べ終えたあと、卓には空の白い皿だけが残る。白い丸皿には五月の光が輝いているという歌である。これを小池光の次の歌と比較してみよう。
夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿を残して 『廃駅』
 小池の歌の舞台は夏至だから、本来ならば明るい光が溢れているはずだが、この歌は逆に陰翳に満ちている。皿に残った魚の血は、生きるということへの慚愧の象徴である。翻って小島の歌をあらためて見ると、小島の歌にはそのようなマイナス感情がまったくない。世の中に対して斜に構えたところもない。この「マイナス感情の不在」が小島の歌を明るくのびやかなものにしている。夏を詠った歌が多いのも、このことと密接に関係していよう。
 『乱反射』を通読すると、「永遠の夏」という言葉が脳裏に浮かぶ。どこか時間が停滞したような高校生活のさまざまな場面が詠まれていて、いつまでもこの時間が続くのではと錯覚させる。そんなところがある。
 しかし17歳で角川短歌賞を受賞するというのは苛酷な経験である。「若年の栄光は災厄である」という言葉もあるくらいだ。受賞からしばらくして『和楽』という雑誌の「母と娘で旅する」のような特集で、母の小島ゆかりといっしょに出ていたことがあった。ところが掲載された写真はすべて遠景で、おまけに娘のなおは全部後ろ向きに写っていた。明らかに「私はこんなものに出たくないのよ」とブーたれていたのである。カメラマンは困ったにちがいない。私はそれを見て、正直「こりゃ大丈夫かな」と思った。男の子ならここで確実にグレているところだ。しかしなおはその後、青山大学を無事卒業して就職し、IT関係の会社員になっても短歌を止めなかったようだ。その成果が第二歌集『サリンジャーは死んでしまった』となって世に出たことは喜ばしい。
 集中では次のような歌に注目した。
祈るごと膝をつきたる象の眼は石の優しき重さをもてり
鳩がふと飛び立ってゆくこの瞬間ときをこの幸福をいつか忘れる
足首まで水に浸かればゆっくりと老いゆくわれらの影は美し
噴水の広場に影は満ちあふれひとの群、犬の群まじわらず
各々の臓器抱えてすれちがう曇天重く垂れいる街を
いままでの罪の数など数えつつプラム食べれば濡れている舌
楽器など何ひとつ弾けぬてのひらに集まりやすしゆうべの風は
 いささか意表を突く歌集題名は、巻頭の「春風のなかの鳩らが呟けりサリンジャーは死んでしまった」から取られている。サリンジャーは永遠の青春小説『ライ麦畑でつかまえて』の作者であり、その死去は青春の終了と同義と捉えられているからある。
 第一歌集に較べて明らかに上手くなっている。同時に第一歌集にはなかった陰翳や光と影の対比が生まれている。また第一歌集では停滞していた時間が流れ出している。これには大学を卒業して社会人になったこと、祖父が認知症になり介護が必要になって、死を身近に意識するようになったことが関係していよう。次のような歌がある。
いもうととどちらが先に死ぬだろう小さな哲学満ちる三月
老いてゆくいのちのありてひるがえる祖父のずぼんが夏空へ跳ぶ
死に向かう時間を強く意識せよ祖父はいつかの獅子座流星群
 先に引用した歌に戻ると、人間が影と表現されている点に視線の深まりが感じられる。実体ではなく影と把握するのは、そこに時間が組み込まれているからである。影はいずれは消え去るものだ。また五首目にように、人間を臓器の器と表現するところにも、物事をさまざまな角度から把握する多面的視点が見られる。
 『短歌』8月号の栗木京子のインタビューでおもしろかったのは、母の小島ゆかりから「中途半端な気持ちで私の世界に入ってきてほしくない」と言われたというエピソードだ。なおは「母から言われた言葉のなかではいちばん心に響いて、ショックでした」と述懐している。親子と言えども技芸アートの道は厳しいのである。その言葉を正しく受け止めたのならば、今後もその道を歩いてゆくことができるだろう。

第80回 黒田瞳『水のゆくへ』

ひとつ水脈ひきて渡れる鳥の陰ちさくうかべてあしたの川は
                 黒田瞳『水のゆくへ』
 歌との出会いは〈われ〉と歌との純粋二項対立関係が理想だ。立ち寄った書店の書棚から、偶然性に身を任せて歌集を一冊引き抜くのがよい。また作者が未知の人で、個人情報が一切欠落していることが望ましい。読者の私は短歌の言葉のみに導かれて、未踏の世界に参入する至福を味わえるからである。
 しかし、なかなかこうはいかないのが現実だ。まず書店に歌集が置かれていない。またいらぬ知識ばかりが増えて私の読みを阻害する。げにままならぬがこの世の定めだが、今回取り上げる歌集についてはほぼ理想に近い。「ほぼ」というのは、2004年3月に本コラムの前身「今週の短歌」に書いた「レ・パピエ・シアンの歌人たち」で黒田の歌を4首引いているからである。従って厳密に言えば「お初」ではなく、再会ということになる。
 黒田瞳は「未来」に所属して岡井隆の選歌を受け、同時に同人誌「レ・パピエ・シアン」でも活動している歌人である。『水のゆくへ』は第一歌集。跋文は師の岡井。2001年から2010年までの10年間に作った歌が収録されており、かなりの歌数にのぼる。
 女性歌人、それも若い女性歌人の場合、第一歌集を読むと、恋人との出会いや別れ、就職、結婚や出産など、「女の一生」的な実人生の軌跡が手に取るように読み取れることがある。この実人生との密着度の高さが、同じ短詩型文芸でも俳句との違いであり、また現代詩や小説など他ジャンルと現代短歌を分かつ大きなメルクマールとなる。「言葉の引き寄せ方」において、現代短歌は異彩を放つのである。
 しかし、もっと解像度を上げて短歌の世界を眺めると、このことがすべての短歌に当てはまる訳ではないことも了解される。〈私〉と言葉の距離は歌人によって相当に異なる。それと同時に言葉の「透過度」と「反射率」もさまざまである。言葉を観察者の〈私〉と世界を隔てる一枚のガラスに喩えてみよう。透過度が高く反射率が低いと、ガラスは限りなく透明になり、向こう側に広がる世界が忠実に〈私〉の網膜に投影される。ガラスは世界の有り様をそのまま〈私〉に伝達する。逆に透過度が低く反射率が高い場合、ガラスの存在感が増すと同時に、向こうにある世界は〈私〉に見えにくくなる。〈私〉の網膜に映ずるのは世界ではなく、ガラスに反射する光の戯れである。図式に堕すことを恐れず言うと、おおむね前者は「人生派」の歌人、後者は「言葉派」の歌人ということになる。実際にはその両極の間に無数の中間的度合いが存在することは言を俟たない。
 さて、黒田の歌集は人生派と言葉派の中間値よりもやや言葉派寄りで、短歌言語の透過度はかなり低く、反射率はやや高めである。岡井の跋文から作者が音楽科の教師をしていることは知れるが、収録された歌のなかには職場詠の類がほとんどなく、歌のみからはそのことを窺い知ることはできない。では黒田の歌の照準はどこに合わされているのだろうか。
みなぎらふものを封じて果の熟るる子の頭のほどの固さと思ふ
くだつ夜の階くらく踏みはづしたなうらに受く何のはなびら
春ははた若きのみどの洞にさすあはき蔭かも目つむりて聴く
ひとつこと拾はむとしてあまた捨つ我等おびただしう捨つふりかへることなく
秋のいを腹太うして動かざる諦念の泥しづかに澄めり
 描かれている事象はいずれも取るに足らぬ些事である。例えば一首目ではそれは熟した果実を目の前に置いているという事実であり、二首目では暗い夜の階段を踏み外したときに、手のひらに何かの花びらが落ちたという体験である。従って素材(=テーマ)の比重は限りなく低い。翻って歌の眼目が事象を目の前にした時の心の動きかというと、それもおそらく違う。歌の眼目は心情描写にもない。一首目のポイントは「みなぎらふものを封じて」という事象の知的解釈と、「子の頭のほどの固さ」という見立てにある。事象が〈私〉に見せる相貌と、その逆方向に立つ〈私〉が事象に注ぐ眼差しという二重の関係性のなかから言葉が立ち上がる。いや、今少し精確に言えば、この二重の関係性のなかで立ち上がる言葉の彼方に〈ゆらゆらと見えてくるもの〉こそが歌における〈私〉なのである。〈私〉が先験的に存在し、歌がそれを表現するのではない。
 黒田の歌には直裁な感情の吐露や現実の裁断というものがないが、その理由は歌に先立つ外的な〈私〉が限りなく少ないからである。黒田はそれに代わって事象と言葉の往還のなかから丹念に言葉を紡いでゆく。これは短歌定型に相当な信頼を置いていなければできない業である。黒田が文語、それも上代語を好んで用いることにもそれは現れていよう。
およびもてやはらになぞるみほとけのまなぶたに浮くあはき木のあや
さにはにはゆふぐれの風くちなはの綺羅うち捨てられてそよげりはつか
北辺に降りみ降らずみ降るしぐれかなしき人のわたる荒磯は
みづうみにあはくさしだすただむきのこの世にあれば桟橋と呼ぶ
いつかまた溺れ谷へと還る都市 光のほさきしばしとどめよ
うつそみはただにかなしゑたまづさの陰もなければゆく風に問う
 一首目は平仮名表記を前面に押し出して韻律の効果を高めた一首。「および」「やはら」のo-o-i、a-a-aという母音の配列や、「あはき」「あや」の頭韻が和語の滑らかな印象を生んでいる。御仏も飛鳥・天平時代の仏像かと思われる。三首目の「降りみ降らずみ」、四首目の「ただむき」、六首目の「うつそみ」「たまづさ」など、古語の語彙や語法が好んで用いられているが、これが結果として言葉の透過度を低めている。四首目は特に印象に残る歌で、前後からこの湖は琵琶湖だとわかる。ちなみに「ただむき」は腕のこと。この世とあの世の境界が淡く、王朝風の夢幻すら思わせる歌である。
 これらの歌を見ても、黒田が短歌の歴史性と共同性を信じて作歌していることがわかる。大辻隆弘は時評集『時の基底』で穂村弘の脱歴史意識に触れて、穂村は自分だけの神を信じ、自己と定型とを垂直の表現によって結びつけようとするわがまま派だと断じた。この言に従えば、黒田のスタンスはわがまま派の対極にある。このように短歌言語の共同性を踏まえてその上で表出される〈私〉は、以外に揺るぎないものとなっている。それは実人生において作者が意志強く潔く生きているからだろうと思われる。
 下に引く初めの三首のように恋愛においても、また残り四首のように父親の病と母親の死去という大きな出来事を前にしても、作者のこのような態度は変わらない
ひむがしの君想ふときたましひのあはきかたちよ放物線は
二日逢ひひとひをかけて還るなり君のこだまを確かめむため
飲みほせば別れとならむカフェオレの君の論理にうべなひながら
肺いまだみづきて濁るたらちをの昏迷つづく三晩を経ても
病み臥せる父のきびすのあをめるを湯もて浄めり懺悔のごとく
混濁のいまはのきはの母よべば泪のわけをやはらに問ひぬ
きよめ塩踏みてもどれるちちのみの父を朋とし生く明日より
 黒田の短歌を読んで感じたもうひとつのことについて触れておきたい。それは〈私〉と不即不離の関係にある〈時間〉である。斉藤斎藤は「短歌ヴァーサス」11号(2007)に寄稿した「生きるは人生とちがう」という評判になった文章のなかで、若手歌人たちの短歌における〈今〉至上主義について論じている。斉藤は「本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある」という中田有里の歌を引用し、次のように分析する。この歌は現在から過去を再構成したものではなく、〈今1〉─〈今2〉─〈今3〉のような今の連続から構成されていて、この〈私〉のそのまんま加減に敬虔な迫力を感じる。中田の歌には人生がなく、すっぱだかの〈生きる〉しかない、と。
 斉藤の分析はおそらく若手歌人の作歌姿勢の核心を突いているのだが、翻って黒田の短歌を眺めてみると、若手歌人の〈私〉と〈今〉の直列配置とは対極的な位置にあることがすぐわかる。黒田の歌にはほとんど〈今〉がなく、時間の流れすら感じられないことが多い。比較的動きが感じられる「暮れやすき街のそこひにともる灯の魚影にも似て濃くあはく揺る」のような歌を見ても、そこには近代短歌の措定した観察主体としての〈私〉は希薄で、それと連動する〈今〉感覚も限りなく薄い。どこか一幅の絵画を見ているような印象があり、時間は絵の背後に溶解するかのようである。それは黒田が近代短歌の〈個別性〉よりも古典和歌の〈共同性〉により心を寄せているためだろう。反時代的と言えば言えるのだが、反時代的というのもまたひとつの個性である。人は我が道を行くしかない。
 最後に本歌集では他の歌とやや傾向の異なる歌にも触れておこう。
史書ふかく眠りし龍と思ひしが日々喚ばはれて濁る二筋
さかしまに木を歩ませばいく千の夜世わたらむよそびら反らせて
 一首目は「バベルの蒼穹そら」という一連に納められている歌。二筋とは古代文明を育んだチグリス河とユーフラテス河のことで、アメリカ軍によるイラク侵攻を詠んだ時事詠である。時事詠の時として陥る底の浅さに比較して、歴史の厚みに想いを馳せているところに個性がある。二首目は2004年にも引いた歌だが、MIHO MUSEUMU(ママ)との詞書があるので、美術展を見ての属目だろう。MIHO MUSEUMは滋賀県甲賀市の山中にある驚異の私立美術館。見た美術作品に刺激されてのことだろうが、幻想的光景が印象的である。