133:2005年12月 第1週 吉浦玲子
または、ハードな日々を働くママは喩を嫌ってモノへと

真より偽へブール変数ひるがへす
      ただ一行をつかまへかねつ

          吉浦玲子『精霊とんぼ』
 作者の代表歌というわけではないが,おもしろい歌である。「終日,デバッグ」と詞書きがあり,電機メーカーでコンピュータ関係の仕事をしている作者の日常のひとコマだろう。ここで言う「真」「偽」は日常的な意味ではなく,コンピュータ・プログラムを構成している命題関数の外延として数学的な意味で使われている。歌意としては「バグのあるプログラムの行が見つからない」というだけのことなのだが,それを「真より偽へひるがへす」と表現しているのである。たったひとつのバグを修正すると,まるで奇跡のようにプログラムが動作するという切り替わる感覚を「ひるがへす」という言葉で捉えようとした。私たちは動植物や生活雑貨に触れるとき,そこに何らかの感覚を生ずるのだが,今日の電脳社会ではコンピュータ内の仮想空間に触れるときにも,やはり何らかの感覚を覚える。空間自体はヴァーチャルでも,私たちが覚える感覚は現実のものである。短歌の世界はそのような領域にまで広がるのかもしれない。

 吉浦は短歌人会所属で『精霊とんぼ』は2000年に上梓された第一歌集である。跋文は短歌人会の先輩である小池光。プロフィールによれば,故郷の長崎県へ佐賀県から国見峠を越えていたとき,突然短歌を作ろうと思ったという。『精霊とんぼ』を取り寄せたら,「第一歌集への道」という吉浦の文章のコピーが挟まれていて,これがめっぽうおもしろい。歌集出版までの経緯を日録風に記述したもので,これから歌集を出そうと考えている人には参考になるだろう。やはり作り溜めた歌の取捨選択に大いに悩む姿がある。作り始めた頃の拙い歌を冒頭に持って来ることにためらいがあるのに,編集者から「あなたの歌は編年体がいい」と勧められたという話や,「あとがきが大事。あとがきで一発カマすつもりで書き,作品で(一定)の裏打ちをすること」という小池光の名セリフなど,歌集製作の裏側を見るようで興味は尽きない。

 吉浦自身は,「自分自身は〈思い〉を短歌で言いたいと思ったことはない。〈思い〉がない,ところから歌いだしたといってもいい」と述べている。この言葉が意味するのはおそらく,〈まず主題があって歌を作る〉というテーマ主義ではなく,日々の生から歌が滲み出して来る,そのような態度を短歌に対して取りたいということなのだろう。このようなスタンスから打ち出される吉浦の短歌は,当然のことながら日常の身辺に想を得たものであり,「折々の歌」というニュアンスの濃いものになる。

 ずぶ濡れのスカート重し唐突に虹と出会ひし陸橋のうへ

 吊革に身を寄するとき血のかすかにじめる爪のあはひに気づく

 論の上に論継ぎてゆくゆふぐれの窓の外(と)に猫の尻尾よぎりぬ

 ハンマーにて打ち砕きゆくパソコンは十年かけて作りこしもの

 クリップして書類置くとき身のうちにぬるくて甘きもの兆しくる

 「愛」に始まり「悪」へと続く教育用漢字データを入力しゆく

 駅のホームにフルーツ牛乳立ち飲みすいかなる果実の味かは知らず

 これらはまあ職場詠と呼んでよかろう。おそらく作者が一日のうちの最も長い時間を過ごす場所であり,当然歌の題材となることが多い。作者はハードな仕事の日々を送っているようで,「〈思い〉を短歌で言いたいと思ったことはない」という言葉とは裏腹に,なかなかに苦い思いが歌から滲み出ている。

 缶ビールわが開くるときかたはらにいねし子すこし身じろぎしたり

 人ごみを子に守られて揺られゆく風船ほどの幸と不幸と

 親権はわれにあれども子の籍は夫の籍に残ると言はる

 かたはらでなにかを言ふ時少年はキャンディの香の残る息をせり

 ふたり暮らしはさみしいなあと子は言ひてベーコンエッグのしろみを残す

 土下座して「茶髪にさせてください」と小学五年生言ふ真つ昼間

 次に多いのは子供を詠んだ歌である。結婚して子供ができ,離婚して母子ふたりの家庭になったことがわかる。働くシングルマザーの日々はハードだが,子供を見つめる眼差しは柔らかい。

 これらの歌を読んで気づくのは,近代短歌の定石となった上下句の照応と,前衛短歌以来の技法である短歌的喩を吉浦はほとんど用いていないという点である。「上下句の照応」とは次の有名な歌に見られる技法であり,永田和宏が「問と答の合わせ鏡」と呼んだものである。

 灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ  岡井隆

 さんざん論じられたことだが,この歌では上句「灰黄の枝をひろぐる林みゆ」に詠まれた光景が,下句の情意の短歌的喩となっているとされる。しかるに吉浦の歌ではどれを取ってもよいのだが,例えば「論の上に論継ぎてゆくゆふぐれの窓の外(と)に猫の尻尾よぎりぬ」は頭から一気に読まれるべき歌であり,一首のなかに〈切れ〉がなく,当然ながら上下句の照応は成立しない。窓の外を横切る猫は単に猫であり,何の喩にもなっていない。「上下句の照応」もしくは「問と答の合わせ鏡」は一首のなかに強い緊張関係を生み出し,現実とは解離した短歌の美的世界を虚数空間に描き出す効果がある。前衛短歌でこの技法が好まれたのはその故であることは言うまでもない。「上下句の照応」を峻拒して読み下しの歌を作るスタンスは,したがって前衛短歌とは逆の指向であり,現実を遊離せず逆に現実に降下しようとする意志を表わしていると言ってよい。喜多昭夫が「ズルムケ感」と表現した感覚に近いのである。跋文で小池光が,「どこをどう切っても徹底して〈現実的〉で観念の匂いがしない」と評しているのは,このことを指しているものと思われる。吉浦のこのような態度が「上下句の照応」と喩の不在として実現されていることに注意しておくべきだろう。

 集中でおやと目を留めたのは次のような歌である。

 舌の上にいまのりてゐるトローチの真中の穴の作用は知らず

 こらふるとしまし見えしが屑籠は書類の束を抱きて倒るる

 同じ短歌人会の先輩である草食獣吉岡生夫の歌集にあってもおかしくない歌で,歌に詠まれた題材のあまりの「そのまんま感」がかえってユーモアとなり笑いを誘うものとなっている。この「そのまんま感」は上に引用した歌に見られる「どこをどう切っても徹底して〈現実的〉で観念の匂いがしない」感覚と通底していて注目される。かつての抒情的世界を敢て壊し,たただごと歌 (と見まがう歌) に転じた小池光も大いに推奨するところだろう。

 困難な状況にある現代短歌の進む道のひとつとして,このように「そのまんま感」を前面に押し出すことで,歌のなかに少なくとも現実の手触り感を確保しようという「橋頭堡作戦」が有効であるという主張は認めてもよいかもしれない。ただ私は個人的には姿勢を低くして現実を詠う歌よりも,現実を突き抜けた別の空間へ届く歌の方が好きなので,『精霊とんぼ』では次のような歌に注目した。

 さんぐわつに逝きにし人の黒ぶちの眼鏡もぬくき地より芽ぶかむ 

 ふた粒の緋色の錠剤おつるときほのか灯らむ器官のうちら

 水の面を切らば楽しもうすあをき布をひろげて裁つゆふまぐれ

 たましひにとほく生活(たつき)に苦しみてさ夜更けに飲む「六甲の水」

 朝(あした)来し千石西町路地の果て朝顔に会ふ運命のごとく

 キャバレーの電球ネオン昼なれば電球の形くまなく晒す

 給水塔銀色くらく立ちてをり少年野球の球のかなたに

 一首目では眼鏡が地中から芽吹くという想像のおもしろさもさることながら,「さんぐわつ」の平仮名表記と「ぬくき地」の照応が心地よい。二首目は自らの身体の内部を覗き込む歌で類歌は少なくないが,錠剤の緋色と「ほのか灯らむ」の色彩描写がよいと思った。三首目は集中では珍しく幻想に遊ぶ歌で,時間を超越したような静かな世界がなかなか美しい。「そのまんま感」の対極にある歌であり,「ゆふまぐれ」の好きな私としては気に入りの一首である。四首目は「たましひにとほく」という表現に切実な想いが感じられて惹かれた。五首目は「千石西町」という固有名が効果的で歌に表情を与えており,「運命のごとく」という直喩も所を得ている。六首目は「電球の形くまなく晒す」に発見がある。七首目は巻末歌で,明るい未来を暗示する「少年野球の球」と,給水塔の「銀色くらく」という描写が鋭い明暗の対比をなしていて,一首の中に奥行きある対位法を形成している点に技がある。

 吉浦の近作は自身のホームページに掲載されている。いくつか拾ってみよう。

 梅雨の雨やみたるあはひ街路樹のしたに広がりゆかむ地境は 

 黄色なる線のうちらにゐよといふ天啓ならめ朝に聞きつつ

 泣かしても泣かされぬやう愛恋のみづのかたへにとどまりてゐよ

 足首まで水は浸すとおもひつつ電飾の彼の岸まで渡る

 荒びたる風の夜にて渡りゆく橋の下なる水のしづけさ

 これらの歌を見る限り,吉浦の作歌触手の伸びる範囲は確実に広がっているようである。職場詠・生活詠の多かった第一歌集とは異なり,これらの歌には現実を出発点としながらも,現実に還元しえない何物かが異物として歌の核を形成している。吉浦は確実に歌境を深めているようだ。

吉浦玲子のホームページ「シンプル短歌生活

132:2005年11月 第5週 花山多佳子
または、現実の背後にコワイものを感じてしまう感受性

乳母車押しゆく五月かたわらの
    花叢をはや過去となしつつ

         花山多佳子『楕円の実』
 花山の歌のほとんどは端正な定型短歌であり、措辞に特に難解なものがあるわけでもなく、奇抜な比喩もないので、歌意の理解に苦しむようなものは少ない。また一首のどこに焦点があるのかもはっきりしている歌が多い。しかしよく読むとどこか不思議な感覚に捉えられることがある。掲出歌もそうである。産まれた子供を乳母車に乗せて道を歩いているという日常の情景で、道端に花が咲いている。ここまでは何と言うこともない。〈私〉がその傍を通るとき、花群は過去のものとなると詠っている。前に見ている花群は、確かに通り過ぎれば後ろに退く。当たり前のことである。しかしそのことが「はや過去となしつつ」と詠われると、「はや」という副詞の効果も与って何か有り得ない不可思議のことのように感じられてしまう。花山が歌の題材にするのはどれもこれも日常生活のありふれた光景なのだが、慣れ親しんだ人の顔でもじっと見つめていると見たことのない人のように思えてくることがあるように、花山は時に異常と言ってもよいほど鋭い感受性で日常の中に不可思議を発見するのである。

 花山は1978年(昭和53年)に第一歌集『樹の下の椅子』で短歌界に登場した。あとがきには、それまで短歌を読むことすらなかったのに、「京都での大学在学中、寮生活から下宿に移った頃、唐突に短歌を作り始めた」とある。しかし花山の父は歌人・玉城徹であり、家庭のなかには短歌が大きな存在を占めていたと推察される。『樹の下の椅子』には、60年代の後半から70年代の始めにかけての学生運動が影を投げかけている。花山が学生運動にどの程度関わったのかはわからないが、花山が在学していた同志社大学はいわゆる過激派の拠点のひとつだった。「意識不明の友の病室出でくれば炎天に笑み私服待ちいる」のような歌は、時代背景を考えなければ今ではその意味を読み取ることすら難しいだろう。「爆弾がわが手にあらば真昼この都市は静けく来たらんわれに」のように勇ましい歌もあり、青春を感じさせる相聞歌も集中にはあるが、どうしても目が行ってしまうのは次のような歌群である。

 空間に半開きの扉(と)のある夢を怖れて時に現実(うつつ)に見たり

 紺青の空をかきわけかきわけてゆく手の遂に重たかりき

 ランボーの詩片埋めし一季節いづれの窓も半開きにて

 語り合いし未来のように手より落ちにおいなつかし饐えし果実は

 数珠つなぐ如く未来はさびしかり古典的なるジャズ聴きながら

 がらんどうの午後の電車の明るみに閉ざされており外はしぶきて

 しかたなく洗面器に水をはりている今日もむごたらしき晴天なれば

時代背景という物差しを当てて歌を読み解く人ならば、昂揚した学生運動が水を浴びせられたように収束した閉塞状況に置かれた青春の歌と見るかもしれない。そのような読み方も確かに可能である。青春のシンボルともいえる詩人ランボーも詠み込まれており、未来は決して明るいものと捉えられてはいない。しかし時代というファクターを捨象しても、これらの歌には花山の歌人としての感性の核のようなものが見てとれる。『樹の下の椅子』に跋文を寄せた師の高安国世は、花山の「異常に近い感受性」を指摘し、「閉ざされた中から外を想像し、あるいは望見している趣の歌が多い」と述べているが、花山を近くから見守っていた人だけにさすがに鋭い指摘である。

 花山の歌には半開きの戸や窓がよく登場する。上にあげた歌の一首目と二首目がそうだ。第二歌集『楕円の実』にも、「抽出しはみな少しずつ開(あ)いている真昼の部屋に入る蔓の先」という歌がある。ここでテーマ批評に踏み込むとすると、半開きの戸や窓が象徴しているのは何だろうか。それは一種の現実恐怖ではないかと思う。半開きの戸の向こう側には何があるかわからない。また半開きの戸からは自己が承認したくないモノが入ってくるかもしれない。そのような漠然とした恐怖感が根底にあるのだと思う。錠前と鍵のように、また手と手袋のように、〈自己〉と〈現実〉とが隙間なくぴったりと重なり合う関係を一応理想的状態とおくならば、ここには〈自己〉と〈現実〉との間に埋めがたい隙間があるという感覚、また〈自己〉と〈現実〉の間を半透明な膜が隔てているという感覚がある。この隙間が作者を言いしれぬ不安に駆り立てているようだ。

 果肉のごとつまる頭を支えつつ歩む春なりまっしろの空

 午後遅き光かすかに熱もちて線路にさせば何か不穏なり

 脳髄にひしめく蔓のはみ出してゆくと触(さや)れば闇に髪あり

 ベンジャミン・ゴムの葉影は秋の夜の曇りガラスに拡大しており

 「果肉のごとつまる頭」や「脳髄にひしめく蔓」という表現は尋常ではない。少しばかり神経症的な感じがするくらいである。「すこやかに厨に伸びし異母妹(いもうと)の脚触れがたし生まれきしより」、「光ささぬ机の痕(きず)を粘土もて型とりおれば佇ちし父の影」、「父母がわれの傍えに在りしこと嘘のごとくに記憶のあらず」などの歌に見られるように、父親が家族を捨てて去ったという経験を持つ作者であるから、これらの歌に見られる現実恐怖や不安感の原因をその経験に求めることもできるが、それはあまりに安直な俗流心理学だろう。

 さきに花山の歌は歌意が明確で難解なものはないと書いたが、実はよくわからない歌もある。

 中空を皿が割れてすべり落ちてくる白い白い音もなく白い

 薄暗き硝子戸のそと紐流れ朝より寒くなりし頭蓋か

 睦月二日怒り兆して鎮まれるのち曇天に巻貝想う

 中空に皿が割れるというのは夢なのか幻視なのか定かでない。ガラス戸の外を紐が流れるというのもふつうではないし、曇天と巻貝の連想もよくわからない。日常的な現実描写を基本とする花山の歌のなかにこのような歌を発見すると、何か意識がフッと飛んでしまう瞬間に立ち会っているようだ。黒瀬珂瀾は自身のホームページで、花山の短歌にはコワイ歌があると述べているが同感である。実は現実を緊密に描写していると一見思える歌を読んでいても、コワイ歌があることに気づく。

 すがたなき鳥声充つる団地のなか耳澄ます子はとがりゆくなり

 紫陽花の葉うらにいたる少さき蜘蛛すばやく降りぬわが眼前を

 くさはらの低き一樹にびっしりと鳥あつまれば木の顫え見ゆ

 団地のなかに姿の見えない鳥の声が充満するという場面設定からして、ヒッチコックの映画のようだ。その声に耳を澄ませる子供が次第に尖ってゆくのは感覚的表現であるとしても、どこかにコワイものが感じられる。紫陽花の葉の裏にいるクモを詠んだ二首目も、視覚が異常に拡大されているために、単なる写実とは感じられない。三首目も鳥の歌で、小さな木に多くの鳥が留まれば木が揺れることもあろうし、この歌はその情景をそのまま詠んだものと取ることもできるのだが、描写の奥に何かヒンヤリした感覚が残ってしまう。

 これが高安の喝破した「異常に近い感受性」なのだろうか。絵画表現において現実をあたかも写真のように微細に再現するハイパー・レアリズムという技法があるが、ハイパー・レアリズムで描かれた絵をじっと見ていると、あまりに写真的であるがために逆に幻想絵画のように思えてくる瞬間がある。花山の短歌を読んでいると、それと同じ感覚にふと捕われることがある。それが作者の意図したことなのかどうかはわからない。おそらくそうではないのだろう。しかし結果的にこの不思議な感覚が花山の短歌の大きな個性となっていることは否定できないのである。

131:2005年11月 第4週 高木 孝
または、文体の模索者はどの井戸を掘るか

茹で加減よろしきパスタ半分こ
      模様のちがふ皿に移しぬ

           高木孝『地下水脈』
 アルデンテに茹で上げたパスタを盛りつけているのだが,自分と妻の皿は模様がちがう。新婚で持ち寄った食器がばらばらなためか,それとも二人の趣味が異なるためか,理由はわからないがとにかく二人の皿の模様がちがう。模様の異なる皿からパスタを食べていても二人の心は通い合っていると読むこともできる。共に暮らしていても深いところで好みがちがうと読むこともできる。文語脈に「半分こ」という親愛関係を共示する口語を混入して作られたこの歌は,文語と口語の混在の中に男女の関係性の淡さのようなものを流し込んでいて,今の短歌界の空気感をほどよく反映しているように見える。

 高木孝は1968年 (昭和43年) 生まれで,同人誌「ぱにあ」同人。『地下水脈』は2004年に刊行された第一歌集である。564首の歌が収録されており,歌集としてはかなり大部の本である。歌集を刊行するときには,ふつうは作り溜めた歌のなかから取捨選択し,編年体なり逆編年体なりテーマ別構成なりのなんらかの編集作業を施して出版する。そのなかで最も難しい作業は歌の取捨選択だろう。どれを採りどれを落とすかに歌人は頭を悩ませる。聞くところによると,編集者から「もう少し歌を刈り込んだらどうか」と勧められたとき,高木はそれを拒んだそうだ。それは作者の意志であるが,そのためにこの歌集にはさまざまな文体が並列され,通読したときに一人の作家のイメージに収斂することなく逆に拡散する結果になっている。それを瑕疵と見るか豊饒と見るかは人によって異なるだろう。

 高木の文体の振幅は有り得ないほど大きい。それは「アララギに前衛にライトヴァースに間に合はずほのぼのと遅刻者」という,歌人としての出発点で直面した時代的状況の認識に基づいているのだろう。明治以来の近代短歌の作歌法と,それを前提とする感受性に寄り添うようにして作られた歌がある。これらを「旧短歌回路」の歌群と呼んでおこう。

 海浪は無へ急き立つる底知れぬ習ひありとて両肩冷ゆる

 妻はわが腕に縋りてウェディングドレスの裾が見ゆと船尾に

 白じろと骨明かりする珊瑚礁むれ行くうをの衣装かなしき

 濡れそぼつ白樺木立いちめんに尾根越えかねしむら雲の霧

 手あつれば水面となりて奔流の奥処に目覚めたるいのちあり

 最初の3首はモルジブへの新婚旅行の折りの歌,残りは上高地旅行に際に詠まれた歌である。どうも高木は旅行詠になると「旧短歌回路」の感受性が発現するらしく,このタイプの歌が多く見られる。特に4首目の「濡れそぼつ」などはアララギばりの叙景歌であり,レーモン・クノー風の文体練習かあるいはパスティーシュを試みているのではないかという疑念を払拭することができない。

 かと思えばずっと口語脈に接近した次のような歌もある。

 あの,思ひ出すと少しく胸傷むホットケーキさおいしかつたね

 たづたづし林檎剥く手に成されゆくでこぼこ道をきみとあるかう

 ぼくたちは何思ひ出し夕渚をかしなくらゐ泣きじやくつたね

 ポケットから林檎の芯が そんな目で俺を見るなよ仕方ないんだ

 栞文を書いた荻原裕幸は「1990年代以降のある種の傾向をまねてみせた,という印象がある」と評しているが,そのような感想を抱くのは無理からぬところである。このような傾向を「新短歌回路」と呼んでおこう。歌集を通読すると,高木の歌は「旧短歌回路」と「新短歌回路」とに分裂しているように見える。ふたつの回路を意識的に転轍あるいは架橋しようと意図は,この歌集を読む限り見えてこないのである。

 さらに「ブルレスケ」と題された歌群がある。こちらはマンガばりのユーモアと諧謔が満載で狂歌に近い。

 缶詰そのものの味して起ちあがるそれでもいいが何この値段

 コロンビア豆の挽きたてよりあなた最後に風呂に入つたのいつ

 舗装したばかり山茶花散らしては相撲取り集団でジョギング

 クリスマスライト華やぐ家見れば電気コードは延びる隣家へ

 なぜ高木の歌の文体はこのように多面体を成しているのだろうか。思うにそれは,歌を生み出す感性の核となるべき〈私〉の位置を,高木がまだ定めかねているためだろう。上に引用した歌にもあるように,高木には「ほのぼのと遅刻者」の自覚がある。近代短歌,前衛短歌,内向の世代,体性感覚,ライトヴァース,記号短歌など,さまざまな歌の意匠が出尽くした後に高木は作歌を始めた世代である。この世代の歌人には,自分たちは廃墟から出発せざるを得なかったという思いがあるのかもしれない。

 このような状況に置かれたとき,人はさまざまな態度を採りうる。「過去なんか知らないもんネ」と尻を捲るならば,歴史性とは完全に断絶した短歌を作り始めるだろう。このような「超・新短歌回路」にのみ通電して歌を作っている人たちもいる。しかし高木はどうやらそうではないらしい。図書館に通って短歌総合誌や歌集などを読み耽っては,ひとりで短歌を作ってきたという。またあとがきでは,「歌作は孤独な行為だが,自分の井戸を掘り下げることで他に井戸を掘っている人たちとつながりたい」という意味のことが書かれている。だから高木は決して歴史性と断絶した「自分だけの回路」を作ろうとしているのではない。これはある意味で実に正統的な態度なのだが,このような方略を採用することで高木のなかに「旧短歌回路」と「新短歌回路」が併存するという状態が帰結したと思われる。そして「もう少し歌を刈り込んだら」という編集者のアドバイスを拒んだということは,高木は「現時点においてはこの状態でよい」という選択をしたのだろう。それは作家の責任においてであるからそれでよい。しかしいつまでもそのような状態を続けて行くわけにもゆくまい。いずれはどの井戸を掘るのかを選ばなくてはならない。そのとき初めて他の誰のものでもない高木の〈私〉が多様性の中から立ち上がるはずである。

 高木の「旧短歌回路」への歴史意識は,選択された定型文語形式と頻出する古語・枕詞に見てとれる。

 さねさし相模のまこもかる大野かはらぬひとに会ふ心地する

 あしきひの猟夫(さつを)がむかし踏みき妻も胎にゐる子も視よ深き山

 あまつかぜ親の都合といふ櫂が宿命的に子を振り回す

このような古語の意識的再生(リサイクル)は,現代短歌の若手歌人に散見される現象で,沢田英史江田浩司らがその代表格だろう。

 たまかぎるゆふべの雨の水たまり秘話のごとくに草蔭を占む 沢田英史

 夕空の櫂漕ぎゆくは月草のかりなる命曳きゆくわれら  江田浩司

 沢田の場合は意識的に古語・枕詞を使用することで,現代を描く一首のなかに遙か時間を遡る時代を透かし彫りにすることで,意味の重層性を増そうとする意図が見られる。また江田の場合は現代詩をも視野に入れた様々な文学的試行の一環として古語・枕詞の使用がある。ひるがえって高木の場合はどのような意図のもとになされているのかというと,今ひとつわからないというのが実状である。この面においても高木の歌には,文体練習あるいはパスティーシュの感がつきまとうのである。

 さあれここまで振幅の大きな文体で書き分けるというのは,並々ならぬ膂力と勉強の蓄積のなせる業であることはまちがいない。今度は統一感のある自分の文体で登場してもらいたいものだ。文体の発見とは〈私〉の発見に他ならない。『地下水脈』のなかでは次のような歌に最良の部分があると思う。

 古代メソポタミアの廃墟に吹く風か会話の少女降りし車両に

 張り初めし氷のうへを行くわれの耳たぶうすき生と思はむ

 ものがたり明日には消えむ時じくの雪ふる肌に肌を重ねつ

 名くはしき青葉区青葉台まこと銀紙貼りしごときさみしさ

 またきみと巡り合ふため眉しろきメリーゴーランドの馬に乗る

 蔵出づればたそがれ回し読みしたる雑誌と指に沁みるひぐらし

 差異はつかなれど一滴づつ落ちる雨のよろこび全身に受く

130:2005年11月 第3週 内藤 明
または、依るべきものなくして今を生きる〈私〉の歌

象さんの鼻となりたるわが弓手(ゆんで)
     背には殺意の馬(め)手遊ばする

          内藤明『壺中の空』
 おもしろい歌である。左手が象さんの鼻になっているというのだから,たぶん幼い子供と遊んでいて左手を振り上げ「ゾウさんパオーン」をしているのだろう。日曜日の家族の穏やかな風景である。ところがその反面,右手は背中に廻されて殺意を秘めている。団地暮しの平凡な勤労者としての私の中にも,内面深く仕舞われた志がある。この日常と理想という対比を弓手と馬手という古語に配分して,古格の香りの漂う一首に仕立てあげている。この歌に形象化された日常と理想との葛藤は,内藤の短歌の深層に流れる海流であり,内藤の歌はいかなる形態を取ろうともある意味で述志の歌なのである。

 内藤明は1954年 (昭和29年) 生まれで,早稲田大学文学部を卒業したのち,高校教員を経て現在母校早稲田の教員として日本文学・文化を教えている。第一歌集『壺中の空』(1991年),第二歌集『海界の雲』(1996年),第三歌集『斧の勾玉』(2003年,芸術選奨文部大臣新人賞・寺山修司短歌賞受賞)がある。今年 (2005年) になって邑書林のセレクション歌人シリーズ『内藤明集』が出版された。解説は藤原龍一郎。『内藤明集』では第一歌集『壺中の空』が完本収録されており,第二歌集『海界の雲』と第三歌集『斧の勾玉』は抜粋でわずかの歌しか載せられていない。セレクション歌人シリーズのようなアンソロジーの場合,どの歌集を重点的に採録するかが問題となるが,歌人にとって出来映えに自信のある近作に重点を置く傾向がある。『内藤明集』では第一歌集に極端な配分が見られるが,この選択にはプロデューサーである藤原の意向が強く働いたと考えるのが妥当だろう。あとがきには第一歌集は内藤本人の手許にも一冊しか残されていないとあり,入手困難になっているという事情がまずある。しかしそれよりも,歌人としての内藤の資質が第一歌集においてすでに十全に開花していることを世に示したいという選択があったと推察される。

 巻末に収録された藤原龍一郎の解説は,内藤が生きてきた「時代」に重点を置いたものである。1954年生まれだから,大学紛争に終止符を打った東大安田講堂攻防戦のあった1969年には15歳,三島由紀夫自決の年1970年に16歳,連合赤軍浅間山荘事件の1972年に18歳,ベトナム戦争終結の1975年に21歳である。60年代の終わりから70年代の初頭にかけて青春時代を過ごした世代には,積極的に参加したかは別として左翼運動や社会運動に心情的に親近感を覚えた人が少なくない。内藤もまたその一人であり,短歌的出発は1975年21歳の頃であるが,70年代という時代の刻印は痛いほど内藤の短歌に刻まれていて,同時代を生きた人間にはそれがよくわかる。

 イルカショー見つつ終はれり英雄をもたざるわれらの裏切りの夏

 青春を追ひてそのまま帰らざる君を探しにゆく地下酒場

 仁王立ちとなりて得意のポーズの子いまだ歩行を知らざり,知るな

 三人の家族が囲む卓上に切られざるまま梅雨越す檸檬

 橋越えて町に入りゆく夕まぐれわが友ユダの血は身をめぐる

 からつぽの手をぶらさげてゆふぐれを帰りてゆかむ一人の海へ

 身を賭して戦はざりし悔しみを哄笑の中に飼ひ慣らしゆく

 一首目の「英雄をもたざるわれら」は時代の旗として掲げるべき理想を喪失した状態をさしており,「裏切りの夏」はかつてあり得た理想に背を向けた罪悪感の反映である。二首目は寺山修司を思わせる青春短歌で,地下酒場ではかの国の民謡が歌われていたのかもしれない。三首目はまだ満足に歩けない我が子を詠んだものだが,結句の「知るな」という厳しい呼びかけが胸を突く。本来ならば立てば歩めの親心なのだが,逆に歩くなと願うのは,歩くようになると争いを知り挫折を知るようになるからである。四首目は梶井基次郎の檸檬の本歌取りだが,内藤の歌では檸檬は爆発する気配は一向になく,梅雨時の卓上で虚しく腐敗してゆくのである。同じ檸檬を詠っても,江畑實の「下宿までいだく袋の底にして發火點いま過ぎたり檸檬」では青春の蹉跌を詠いながらもそこには甘い感傷がある。内藤の檸檬に沈殿する自己の不全感と苦さとはかなり位相が異なるだろう。五首目では自分をキリストを裏切ったユダに比定しており,その意味するところは明らかである。六首目の「からつぽの手」が示す徒手空拳の想い,七首目の「身を賭して戦はざりし悔しみ」も,魂に染みる同じ黒点に発するものである。このように『壺中の空』全編を通じて通奏低音のように響いているのは,「拠るべきものなくて現在を生きる〈私〉」であり,「日は暮れ時は澱む」という想いである。

 このように内藤の短歌には時代が深く刻印されているのだが,同時代的体験を持たない読者が読んでも十分に共感できるだけの一般性を備えている。「拠るべきものなくて現在を生きる〈私〉」は私たちの大部分が現在置かれている情況そのものであると言えよう。しかしこのような視座に立ちながら,内藤の短歌は過度に情緒に流されたり,ことさらに偽悪的態度を取ることがなく,自己の現実の位相を誠実にまた知的に見つめようとする態度に貫かれている。

 一匹の孤狼であれば聴こえぬか風よ悲傷のマンドリンはや
                     福島泰樹『柘榴盃の歌』

 不義にして富むニッポンの俺である阿阿志夜胡志夜(ああしやこしや)こは嘲笑ふぞ
                     島田修三『晴朗悲歌集』

 内藤より10歳年長の福島は炸裂する抒情と酒のなかに自己を溶かし込むことで,この世の流れに拮抗しようとしている。内藤と1歳ちがいの島田は偽悪的態度の醸す毒を辺り構わず撒き散らすという戦略で,時代の毒に毒をもって対抗している。内藤の短歌はこういった戦略とは異なる視座から生み出されているため,おとなしく地味だという印象を与えることがあるかもしれない。第一歌集『壺中の空』は確かにその印象は拭えない。

 内藤の歌は〈私〉と時代とがこすれ合うところに生まれるものであるから,おのずから文明批評的性格を帯びることになる。

 ダーウィンの呪文のままに過ぎゆきし近代と呼ぶ鉄器の時代

 「滅びるね」― 軽々言ひし先生と会ふこともなく世紀は昏るる

 白き傘を親子がかざすバルコニー放射能入りのチョコは溶けゐむ

 「ダーウィンの呪文」とは適者生存であり,鉄器とはもちろん武器をさす。近代は発達した武器による大量殺戮の時代である。二首目は夏目漱石への言及で,明治時代に漱石が登場人物に語らせた文明批評は今でも有効なのだという認識がここにある。三首目は核時代を生きる我らの上に吊されたダモクレスの剣を詠っている。 

 森深くきらめくものに歩みより欠けし鏡にわが影を見る

 骨二本折れたる傘を差してゆく春の長雨(ながめ)の止むところまで

 「欠けし鏡」とは失墜した理想であり,自分の姿は欠けた鏡にしか映らない。このように内藤の歌のほとんどは自画像であり,ネガティヴな形を取りながらもまぎれもない述志の歌なのである。

 ところが内藤の歌は第二歌集・第三歌集と進むにつれて,性格が微妙に変化している。今回はセレクション歌人シリーズ『内藤明集』のみを読んだため,第二歌集以降の歌数が少なく物的証拠にいささか乏しいのだが,解説を担当した藤原も,第二歌集では発想の自在さが現われており,第三歌集では「存在の不全感」が昇華されて自然体とでも呼ぶべき新たな認識に至っていると論じているので,私の受けた印象もあながち間違っているとも言えまい。

 獅子の肝(かん) 山羊の胆(たん)などもちたらば楽しかるらむ心(しん)はいかにせむ 『海界の雲』

 白黒(シロクロ)の路地より出でて神田川越えむかきのふの恋にあふべく

 世紀二つ跨ぎて帰るゆふまぐれ鉄路のわきに揺るるコスモス

 みづがみづをうつおと聞こゆひむがしの青かぎりなき空の奥より    『斧の勾玉』

 一人(いちにん)が目を遣り二人が見下ろしてわが覗き込むホームの側溝

 水辺に棲みゐし遠き朝のごと空のどこかが開かれてゆく

 二度三度帽子の位置を正したりその中心に死を迎ふべく

 確かにやや発想にワンパターンの感のあった第一歌集と比較すると,歌を汲み上げる発想の源に多様性が見られるようになっている。また自己不全感を基調とする自画像の歌も少なくなっている。例えば「一人が」の歌を見ると,側溝に何があるのか知らないが,一人が目をやれば周りで電車を待っている人もつられて見てしまうという日常の光景を詠んでいるのだが,だからといって大上段に何かを批判しているわけでもなく,どこかおかしみが漂う歌になっている。そこに大人の余裕が感じられる。内藤は〈私〉と〈時代〉のこすれ合いという身を削る現場から,一段階メタレベルへと視点を上昇させる視座を獲得したようだ。それが歌の変化となって現われているのである。

 しかしだからといって「拠るべきものなくて現在を生きる〈私〉」という情況が変化したわけではない。ポール・リクールの云う「大きな物語」が消滅した今では,私たちは手を替え品を替えて,その場その場で局地戦を戦うしかない。あるいは外部に「拠るべき体系」が不在であるとしたら,それを内部に求めるか作り上げるかしなくてはならない。内藤がこの問いにどのような答を出すのか,それを見てみたい気がするのである。

129:2005年11月 第2週 柏原千恵子
または、物と出会う〈私〉は関係性の網の中

とぶ鳥を視をれば不意に交じりあひ
    われらひとつの空のたそがれ

        柏原千恵子『七曜』126号
 柏原千恵子の歌を知ったのは,角川『短歌』2004年8月号の特集「101歌人が厳選する現代秀歌101首」においてである。紀野恵が掲出歌を秀歌として推薦し,弟子が師に寄せる暖かい文章を寄稿していた。私はこの歌の圧倒的な美しさに打たれてしまった。最初は空を飛ぶ鳥とそれを見ている〈私〉とが客体と主体として独立に存在しているのだが,両者は〈見る・見られる〉という関係性を梃子としてある時ふと合一し,その後にはただたそがれの空だけが残されている。このように解釈したい。この歌を伝統的な古典和歌の世界観である人間と自然の融合の延長線上にあると見ることももちろん可能である。しかし私はそれよりも,〈見る・見られる〉という関係性が内的に孕んでいる「〈私〉の滲み出し」と考えてみたいと思う。なぜ〈私〉が滲み出すのか。それは,〈私〉が対象を見て認識することにより,〈私〉と対象とのあいだに一回性の抜きがたい関係が生まれるからである。この関係性が一旦確立すると,関係の一端にある対象は〈私〉を構成する要素と認識されるようになる。だから〈私〉は世界へと滲み出すのである。短歌という形式は他のどのような文学形式にも増して,この「〈私〉の滲み出し」が強く働いており,この「滲み出し」を弾機として一首のなかに世界を立ち上げる,そのような構造になっている。

 柏原千恵子は大正9年生まれで,『未来』と『七曜』に所属し,徳島に住んで歌を作り続けている。私は第三歌集である『飛来飛去』のみを読んだのだが,これ以外に歌集が二冊というのは寡作の歌人である。

 柏原の歌の特徴は,上に述べたような意味での「〈私〉の滲み出し」による〈私〉と対象との関係性の濃密さにあり,ここから立ち上がる世界の実在感に真似のできない独特なものがある。

 ひと去(い)にて忘れてゆきしハンカチはひとり不思議な在りやうをする

 拾はねばいつまでもそこに菊の葉の落ちてゐて夜の疊となりぬ

 圓筒の紙屑入れはいくばくの疊の距離の夕さりに立つ

 さるすべり花の重みに撓みゐるこの眼前(まなさき)のぬきさしならぬ

 その觸(さや)りまだてのひらにありながら水切りの石水切りて無し

 戸棚よりゆふべとり出す藍の濃き皿繪の魚と深くあひあふ 

 一首目の置き忘れられたハンカチ,二首目の畳に落ちている菊の葉は,それ自体を取り出せば何でもない物体でありながら,対象を認識する〈私〉との関係性の網の目に補足された途端に「不思議な在りやう」をするようになる。読者はここにひとつの世界が立ち上がる瞬間を感じるだろう。三首目の屑籠もまた,〈私〉から「いくばくの距離」に立つことにより〈私〉との関係性に搦め捕られて,まるで個性を付与されたかのような実在感を帯びるようになる。四首目のさるすべりの歌は,まさにこの〈私〉と対象との「ぬきさしならぬ」相互規定性の重みを詠ったものと解釈できる。五首目はたった今まで掌の中にあった石の不在が詠まれており,これもまた同じ文脈で理解できよう。六首目は特に心を打たれた歌である。掲出歌の「われらひとつの」と通じあう「深くあひあふ」という結句の重さのなかに,作者が対象と向き合うときの一回性の関係の深さが感じられる。

 作者は老齢ながら毅然と独り暮らしを続けていて,何かの手術も経験したらしいことが歌から読みとれる。しかし自らのそのような日常を視る眼差しは静謐の一語に尽きる。

 生きのこり生きのこれるは日常の底ひに冷ゆる桃をはみをり

 内蔵の缺けしところをあたらしき闇とぞなして身を運ぶなり

 待つなくて待たるるなきはましづかにいたくかそかに溢れていたり

 鰈の身まふたつに切る一隅がありてひとりにわが住まふなり

 テーブルを拭ふわが手の動きをり動けりひとつ永遠のなか

 鹽少し小瓶に殘りあかねさすこの人界の朝の食卓

 待つ人もなく人に待たれることもなく過ぎる一日,台所で鰈に包丁を入れる動作,テーブルを拭く自分の手の動きといった何でもない日常の些事が詠われているが,この実在感と一首に流れる空気の濃さはどうだろう。「物と逢う」ことは取りも直さず「〈私〉と逢う」ことに他ならないという事実をこれほど感じさせてくれる歌は少ない。塩入れに少し残った塩という些事すらも歌になる。短歌界ではときおり短歌における「主題性」をめぐる議論がかまびすしく行なわれることがあるが,柏原のこのような歌を読んでいると洒落臭いとしか思えなくなるのである。

 川端康成に確か「末期の眼」というエッセーがあり,末期の眼で眺めた世界は今まで見たこともないような新鮮な表情をしているという趣旨のことが書かれていたと記憶する。いかにも文藝の根幹に死を据えた川端らしい物言いである。『飛来飛去』に収録された歌のなかには,まるでこの末期の眼で見たかのように感じられるものがある。それはまるで夕立に洗われて磨かれた清々しい黄昏の大気のようだ。

 ひたすらにひとつ蝉なき澄み入るは死後のはろけき時のなかにや

 すでに世を離れしもののごとく来て雪敷く飛騨の町に眠りぬ

 われ在りてこの現世(うつしよ)の夕ぐれの水に浮く茄子しづめるトマト

 もののかげ忘じをはりて初夏未明ただしろがねの水ならむとす

次の歌は柏原の歌人としての覚悟を示すものと受け取りたい。

 詩ありきそれはほとんど水の聲この惑星に興(おこ)れるものの

 ともし火をかかげきぬればかかげたる歌ことごとく返し歌なる

 詩はほとんど水の声とは,この水惑星に遍在しながら形を自在に変え静かに流れ行くものに詩を喩えたものだろう。また自分の歌はすべて返歌であるとは,ひとつには過去の膨大な歌の世界の存在を意識すれば自分が新たに作る歌もその大きな世界への呼応でしか有り得ないという意味であり,もうひとつには歌とは〈私〉と世界の事物が織り上げる網の目の中で,呼ばれ呼び返すという関係性を通してしか立ち上がって来ないものであるという意味だろう。

 このような視座に立って歌を作り続ける柏原が生み出す最も上質な世界は,たとえば次のような歌が具現している。

 小流れをうづめつくせる大葦にここのみの時間(とき)が動くゆるらに

 川の流れにゆっくりと揺れる葦に流れているのは「ここのみの時間」,つまり反復することのできない一回性の時間である。それは今この瞬間に立ち会う以外には経験することのできない「現在」である。この歌が内包している「ここのみの時間と」は,作者と眼前の対象の間に一時的に確立された関係の一回性の謂に他ならない。たまゆらの仮なる命を生きゆく私たちに,この関係の一回性がかくまで鮮やかに開示されるとき,柏原の短歌はひとつの啓示であると同時に限りない慰藉を与えてくれるものでもある。

意味は形式の階段を駆け上がり普遍の空へ(特集:短詩形文学の試み──定型とは何か)

 詩や俳句や短歌などの短詩型文学における定型とは何か。これはなかなか難しい問題である。そもそも短詩型文学はなぜ定型を必要とするのか。この問題に答えるためには、詩歌における言語の役割から考えてみなくてはならない。

 透徹した詩論を残したポール・ヴァレリーの文章のなかに、詩の発生する瞬間を捉えた美しい一節がある。あなたは煙草の火を借りるために、かたわらの人に「火をお持ちですか」Avez-vous du feu ? と言う。その人はあなたに火を貸してくれる。あなたの発した「火をお持ちですか」という短いフレーズはその命を終えて消えてしまう。言葉が行為に置換され、あなたは望んだ火を手に入れたからである。これが私たちが日頃経験している普通の言語状況である。ところがなぜか、役割を終えたにもかかわらず、私のなかにその短いフレーズをもっと聴きたいという欲求が生まれることがある。私はそのフレーズを、抑揚を変え速さを変え何度も反復する。そのフレーズは言葉の行為への置換という実用性を超えて生き延びたのだ。これがヴァレリーの描く詩の発生する機序である。

 ヴァレリーの言おうとしたことを現代言語学的に言い換えると、「詩歌の特徴はシニフィアンへの固着である」と要約できる。シニフィアンとシニフィエは現代言語学の父ソシュールの提案した用語で、言語記号を構成するふたつの面をさす。かんたんに言えば、シニフィアンは音、シニフィエは意味と考えればよい。意味の伝達を旨とする散文の世界ではシニフィエが全面的に君臨するが、詩歌の王国においてはその支配力は後退し、シニフィアンが頭をもたげ、時にシニフィエを凌駕する。

 あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと捨てたかちちはは捨てたか  川野里子

 この歌の魅力が下句に凝縮されていることに異論はないだろう。音数的には七・七となるべき下句が八・八と破調になっているが、「ふるさと」「ちちはは」の対句的表現と「捨てたか」のリフレインによってむしろ安定感が増し、わらべ唄のような効果を生みだしている。この下句の魅力は意味によるものではない。四音の規則的連続と「捨てたか」の反復というシニフィアンへの固着によって、呪文のような効果を生みだしている。この魔術的な下句と比較すれば、上句は下句を導き出すための導入部にすぎない。

 作者の個人的な体験や思い入れにすぎないものを定型という鋳型に流し込むと、あら不思議、それは個人的地平を離れて公共性のレベルへと浮上する。川野の短歌は老いた両親を地方に残して上京し、都会生活者となりおおせた多くの日本人の心情を代表する。意味は形式の階段を駆け上がることで、普遍の高みへと達するのである。意味の一回性を保持しつつそれを公共化するという、個的意味から普遍的意味へのこの魔術的変換に、定型が決定的役割を果たしていることは疑いない。

 同じことは消費者への訴求力を必要とするCMコピーにも当てはまる。CMコピーの要諦は耳に残り多くの人々の好意的共感を得ることにある。

 すかっとさわやかコカコーラ
 セブンイレブンいい気分
 インテルはいってる

 「すかっ」「さわやか」「コカコーラ」の無声破裂音「カ」の反復は、歯切れのよいリズムを生み出し、炭酸飲料の刺激的な爽快感とよくマッチしている。「セブンイレブンいい気分」は三音・四音・五音と漸増する各句の末尾に「ブン」が反復されることで、弾むようなリズムが生まれている。「インテルはいってる」は、英語版のコピー Intel Inside の頭韻を日本語に置き換えるときに「てる」の脚韻に変えるという工夫されたコピーだが、日本語の定型の基盤である音数リズムに乗っていないのが惜しい。「インテル○○てるはいってる」となっていれば完璧だっただろう。「○○」の部分には、たとえば「インテルイケてるはいってる」のように二音を入れる。もっともこの改作が広告コピーとして「イケてる」かどうかは別の話だが…。かくのごとく定型は私たちの日常生活の至るところに溢れている。また日本語の定型は頭韻や脚韻などの韻(rime) によるのではなく、五・七・五などの音数 (正確にはモーラ数)によって成立することを、このインテル社のコピーは教えている。

 G.M.ホプキンズは韻文を「同じ音文彩を全面的にまたは部分的に反復する発言」と定義した。これは韻を基本とする欧米の詩に当てはまることである。学者のモットー Publish or perish. 「論文を出版するか、さもなくば消えてゆけ」も -ish の反復があるから極小の韻文である。欧米の詩が強弱リズムと韻を定型の基本要素としているのにたいして、日本語の詩が音数形式を定型の基礎としたのは、日本語が「ウイーンっ子」を、「ン」も伸ばす音もつまる音も含めて六拍として発音する等拍性の言語であることと、同音語が多くて韻の効果が出ないからである。ではなぜ五・七・五(七・七)が定型として現代まで生き延びたのかという疑問については、坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館書店)に説得的な論証が展開されているのでそちらに譲る。その骨子は、日本語の基本リズムは二音一拍であり、五音と七音を基本とする組み合わせに語彙がもっとも乗りやすいというものである。

 ここでもうひとつ難しい問題が生じる。五・七・五(七・七) の音数律を守れば定型詩ということになるのだろうか。

 枡野浩一の提唱する「かんたん短歌」の生み出したスター加藤千恵に、「あの人が弾いたピアノを一度だけ聴かせてもらったことがあります」という口語短歌がある。五・七・五・七・七の音数律が厳密に守られている。しかしこの歌が一行書きされていたら、誰も短歌だとは思わないだろう。それは上句と下句の切れをはじめとして、一首の内部に内的リズムを生み出す仕掛けが一切ないからである。これを次の創作都々逸と較べてみる。

 椿つや葉樹(ばき)つんつら椿めのう細工と見てござる 渡辺光一郎

都々逸は七・七・七・五形式だが、それさえ守ればよいというわけではない。初句の七音は調子よく始めるために「●○○○|○○○○」でなくてはならない(●は半拍の休止を表わす)。だから最初は三音の単語になる。渡辺の作品を見ると「●つばき|つやばき∥つんつら|つばき●∥●めのう|ざいくと∥みてござる●●●」と、三音と四音がリズミカルに交代して、内的リズムを作り出していることがわかる。内的リズムは語句どうしを凝集させ離反させることで、定められた音数律の内部に緩急を生み出す。この内的リズムがなければ、たとえ全体として音数を守っていても定型とは言い難い。またこうして生み出された緩急のリズムに意味をどのように乗せてゆくかが歌人の腐心するところである。

 しかし歌人とは因果なものだ。定型があればそれを逸脱しようとする力学がどこかに働く。穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ) 』には次のような歌が並んでいる。

 「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士

 『ウは宇宙船のウ』から静かに顔あげて、まみ、はらぺこあおむしよ

 この歌集に収録された歌は、若干の例外を除いて三十一音で書かれている。しかし定型感覚は無惨なまでに打ち砕かれている。戦後の第二芸術論、特に小野十三郎の「奴隷の韻律」論を受けて、塚本邦雄が句割れ・句跨りを駆使して「オリーブ油の河にマカロニを流したような」短歌の韻律を意図的に革新しようとしたように、穂村もまた新たに定型を撓める実験を試みているのだ。その試みが成功しているかどうかはまた別の話である。また逆に解釈すれば、これほどまでに撓めてもその残滓が残るほどに、伝統詩の定型は日本語の生理そのものに根ざしたものだとも言えるのではないだろうか。



「すばる」(集英社)2005年10月号掲載

128:2005年11月 第1週 香川ヒサ
または、目からウロコの逆転思考は存在の根源へ

尖塔の建てられてよりこの街の
     空は果てなき広さとなりぬ

          香川ヒサ『PAN』
 掲出歌は香川の特色である逆転思考をよく表わしている。塔が建てられる前と後で空は同じ広さである。物理的に考えれば空の広さが変化するはずがない。ところが塔が建てられることによって,空の広大無辺さと尖塔の先端の小ささの対比が生じ,私たちの物の見方に変化が生まれる。つまり,私たちが何かを「広い」と感じるのは,それと対比される「小さい」ものの存在が不可欠なのだ。香川はこのように「広さ」は空に帰属する性質ではなく,私たちの物の見方に依存することを示した。読者が一瞬虚を突かれるような,あるいは盲点を指摘されたようなこの「認識の更新」は,知的傾向の強い香川の短歌の特徴としてよく挙げられる。

 香川は1988年に「ジェラルミンの都市樹」50首により角川短歌賞を受賞し,歌壇にデビューした。第一歌集『テクネー』,第二歌集『マテシス』,第三歌集『ファブリカ』,第四歌集『パン』,第五歌集『モウド』に至るまで,アルファベットか片仮名の題名である。今回は第四歌集『パン』を読んだのでこれを中心に論じてみたい。題名のPANとは,航空会社のPan Americanとか pantheism「汎神論」に使われているギリシア語源の接頭辞で,「全,汎」などを意味する。語の一部である接頭辞が歌集の題名になるのは珍しい。

 上にも書いたように,香川の短歌は知的で思索的であると評されることが多い。たとえば,『現代短歌事典』(三省堂)の香川の項目(花山多佳子執筆)では代表歌として「一冊の未だ書かれざる本のためかくもあまたの書物はあめり」が引用されていて,「バラドックスに満ちた,作者の歌の典型例である」と締めくくられている。これもよく引用される「人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター枡目の中の鬱の字ほどに」では,満員のエレベーターを「鬱」という字画の多い漢字になぞらえていて,発想のおもしろさという点で評価されることが多い。

 確かに香川の短歌は人の認識の虚を突くようなものが多く,その点に注目が集まることもまたしかたのないことかもしれない。しかしそれは皮相な見方である。香川の独特な発想の根源はずっと広くて深いのである。

 墓碑あまた並ぶを見るに名前こそ死すべきものの証しにあらめ

 聖堂の丸天井を支へをり一挙に崩れるための力が

 尖塔を目ざし石道歩きだし尖塔までの距離が生まれつ

 はじめから本物ならず本物は本物となる偽物ありて

 イカルガの声を何度か聞き止めた今日わたくしの見なかつたもの

 一首目,立ち並ぶ墓碑に刻印された名前を見て,名前が必要なのは死すべきものであり,死なないものには名前が必要ないという。確かに死んで存在が消滅しても記憶に留まるためには名前が必要である。死なないものは永遠にそこに在るのだから,記憶を新たにする必要がなく,従って名前も要らない。二首目,聖堂のドームを支える力はいつか崩れるためにあるというのだが,これは現在の聖堂を見て遙か未来に廃墟になった姿を幻視しているのである。つまり,未来に視点を移動してその地点から現在を逆に見ていることになる。三首目,かなたにある尖塔までの距離は歩き出して始めて生まれるという逆転の発想である。物理的距離は最初から存在していても,私たちが実際にその距離を歩いて「長いなあ」と感じなければ,主観的には距離は存在しない。果して「距離」は対象に帰属する性質か,それとも観察し行動する主体に帰属するのか。これは永遠に続く唯物論と観念論の論争に他ならない。四首目,本物は初めから本物であるのではなく,世に偽物が出現して初めて本物となる。これまた眼からウロコが落ちそうな指摘で,言われてみれば確かにそのとおりである。ここで言われているのは,「本物」という属性はモノ自体に帰属するのではなく,他に比較される対象があって初めて「相対的に」張り付けられるラベルにすぎないということだ。

 このように香川の短歌はまるでエッシャーの騙し絵のように,あるいはメビウスの帯のように,「視点のずらし」「図と地の反転」「時間の跳躍」「遠近感の逆転」などの技法を駆使して,私たちのふだんの世界の見方がいかに固定されているかを暴いてみせる。これが単なる頭の体操のような「知的な発想のおもしろさ」に留まるものではなく,もっと根元的な「世界の見方」に関わるものであることは,上に引用した五首目から明らかである。私はイカルガの声を聞いたがその姿は見なかった。この日常の些細な事実をもとにして,私の視線は「自分が見たもの」の僅少さから「自分が見なかったもの」の無限さへと彷徨いだす。これは「図と地の反転」の見事な例だと言えよう。この世界の圧倒的大部分は「私が見たもの」ではなく,「私が見ていないもの」から構成されているのだ。この事実を指摘されて衝撃を覚えない人はいないだろう。

 香川自身が自分の方法論の背景について次のように述べている。

 「日常生活は共同体の論理の中にある。そして気づかぬうちに,その論理の結果を普遍的なものとみなすようになり,見えるものさえ見えなくなっている。その中にある限り何を言おうと,だれもが楽しめる程度の差異を生むだけであり,それはすぐに共同体の承認を得る。」(現代短歌『雁』14号)
 このような共同体が是とする物の見方から出来る限り身を引き剥がすこと。これが香川の戦略であり,このような戦略を採る人は例外なく孤独な道を歩むことになる。香川の短歌に時として醒めた孤独感が漂うのはこのような理由からである。

 藤原龍一郎は『短歌の引力』所収の「ペシミズムの夕映え – 香川ヒサ」という文章で香川の短歌を論じ,その本質はペシミズムにあると喝破した。そしてこのペシミズムがどこに由来するかというと,それは香川においては「個」が常に「世界」と対峙しているからだという。藤原がこの文章を書いた当時,香川はまだ第一歌集『テクネー』,第二歌集『マテシス』までしか上梓していなかった。このふたつの歌集は比較的日常の場面に着想を得たものが多い。ところが第三歌集『ファブリカ』以後の香川の歌集は発想のスケール感を増し,まさに「個」と「世界」が対峙する様を描いており,藤原の批評はある意味で予言的ですらある。そう思わせるのは次のような歌である。

 神はしも人を創りき神をしも創りしといふ人を創りき   『ファブリカ』

 人はしも神を創りき人をしも創りしといふ神を創りき

 洪水の以前も以後も世界には未来がありぬいたしかたなく

 神の手に返りし僧院王による破壊の後の廃墟となれば   『パン』

 中空を流れゐる雲鯨にも鰐にも見えず何にも見えず

 精神を持たない犬は身体を持つこともなし唯犬である

 テーブルのグラスがグラスであることの証人としてわれ在りたぶん 

 香川の歌には一首目と二首目のように,単語を入れ替えただけのものがときどきある。どちらの歌も「神は人を創り,人は神を創った」という意味で主語がちがうだけである。つまりは神と人との相互規定性を述べたものだ。香川の歌に登場する「神」は決して信仰の対象ではなく,何のまちがいからかこの世を創ってしまった何物かの謂である。この世の成り立ちと行く末を考えるときに,「創り手」を想定しておいたほうが考えやすいという理由で勧請された神にすぎない。上に引用した歌のなかで特に注目されるのは,五首目・六首目である。空を流れる雲を何かに喩えて詠まれた歌は過去に数多い。香川はこれをキッパリ拒否する。「雲は何にも見えない」ということは,「雲は雲である」と言うのと同じことだ。つまり香川は,自然の事物や事象に人間的見方を過剰に投影する anthropomorphism を固く拒否するのだ。「人間的に汚れた見方で自然を見るな」と言っているのである。自然はただそこに在るだけなのだ。この「ただそこに在る」というのが『パン』の主調低音のひとつである。

 六首目が述べているのはこういうことである。デカルト以来心身二元論が唱えられているが,それは人間を「精神」と「身体」に二分して考える思考法である。「精神」と「身体」とは全体を構成する補完的な対立概念である。しかるに犬は動物であり,故に精神を持たないとされている。ならばそれと相互補完的関係をなす身体も持たないということになり,犬は単に犬であるだけだということになる。極めて論理的で意外な結論だ。七首目は「自分はなぜこの世界にいるか」という根元的疑問を歌にしたものだが,それはグラスがグラスであることの証人としてだという。これもまた犬の例と同じように,「グラスをグラス以外のものとして見るな」ということなのだが,この歌はそれ以上のことも少し述べている。それは「世界」と対峙したときの〈私〉の在り様であり,〈私〉は存在の即自性の確認で足るとしているのだ。人間臭い余剰の切り捨て方の潔さにおいて,香川の右に出るものはなかろう。

 香川の歌集には「日々の折々の歌」というものがない。『パン』には家族も職場も一切登場しない。「あなた」「君」という二人称もない。徹頭徹尾「個」が「世界」と向き合っている様があるだけである。この割切り方は清々しいが,これは共同体からの孤立を代償として実現されたものである。だから「個」は孤独にならざるをえない。『パン』に登場するのは人気のない廃墟と空と雲ばかりである。

 聖堂の壁に積もれる千年の光を消して光降り来る

 日照雨過ぎムーアの丘に虹立てり大洪水後いく度目の虹

 果てしなく広がる空と草匂ふ墓地をつなげる光の量は

 香川の短歌に一番よく似合うのは,見渡す限り荒れた岩と鈍色の海とパールグレーの空しか見えないスコットランド最北の風景だろう。

 心配がひとつ残るとすれば,香川のペシミズムがニヒリズムに移行しないかという点である。「世界はただ在るだけだ」という命題と,「人間はただ生まれて死ぬだけだ」という命題との距離は意外に近い。さらにひと跨ぎして「生とは徒労である」へと駒を進めると,『楢山節考』の深沢七郎のニヒリズムに至り着くことになる。今のところ香川にはその徴候はないし,たぶんこの心配は杞憂に終わるだろう。次の歌が端的に示しているように,香川は be 「在る」という永遠の謎について最初から考え続けているのであり,考えている限り人はニヒリズムには陥らないからである。ニヒリズムに陥るのは思考停止した時なのである。

 be動詞 難行苦行瞑想で越えられるやうなことではなかつた

127:2005年10月 第4週 永井陽子
または、世界への回路を遮断したウサギの歌

ひまはりのアンダルシアはとほけれど
   とほけれどアンダルシアのひまはり

       永井陽子『モーツアルトの電話帳』
 永井陽子の短歌を語るとき,その「音楽性」に言及する人は多い。事実,永井自身が短歌という文学形式を「ふしぎな楽器」と見なしており,31文字の韻律が醸し出す階調を意識的に追い求めている。掲出歌は「ひまはり」「アンダルシア」「とほけれど」の三つの語句のみからできていて,その順列組み合わせにより一首をなしているのだが,伝達すべき意味はほとんどない。三つの語句が綾なすリフレインがたゆたうような心地よさを生み出し,赤土のアンダルシアの大地と一面に咲くひまわりの黄色が一瞬だけ遠景に心象として揺曳するが,やがてリフレインの波に消えてしまう。そのように読まれなくてはならない。

 岡井隆は『小さなヴァイオリンが欲しくて』の栞に寄せた文章のなかで,永井の歌は解説しようとすると解釈がぐらぐら揺れるところがあり,えたいの知れない不透明感がある,と指摘し,「ただ歌の中を流れる音楽のやうなものに耳を傾けるだけでいいのかも知れない」と結んでいる。のちの世に愛誦歌として残るにちがいない数々の名作を世に送った永井の短歌の音楽性は誰しも認めるとして,どうして岡井の言う「えたいの知れない不透明感」が残るのだろうか。一考を要する問題である。

 『永井陽子全歌集』が今年 (2005年) 二月に青弦社から刊行された。三月書房にも三条河原町のBook 1stにも置かれていたその本を見て,買おうかどうしようか迷った挙げ句,結局買わなかったので,私が所有している永井の歌集は,『モーツアルトの電話帳』と遺稿集『小さなヴァイオリンが欲しくて』の二冊のみである。

 『モーツアルトの電話帳』は1993年に河出書房新社の「〔同時代〕の女性歌集」叢書の一冊として刊行された。この叢書からは井辻朱美『コリオリの風』,早坂類『風の吹く日にベランダにいる』,俵万智『かぜのてのひら』,干場しおり『天使がきらり』などが刊行されている。河出のような大手の書店から単行本で歌集が陸続と出版されるなど,今日では考えられないことだ。87年のサラダ現象が誘因となった短歌バブルであることは言うまでもない。

 『モーツアルトの電話帳』は各章が「あ行」「か行」のように五十音別に配列されており,収録された歌の最初がその行の音から始まるという凝った作りになっている。言葉遊び的短歌は永井の得意とするところであり,今では人口に膾炙した次のような歌がある。

 べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊

 半夏生 わたくしは今日頭上より雨かんむりをしづかにはづす

 丈たかき斥候(ものみ)のやうな貌(かほ)をして f (フォルテ)が杉に凭れてゐるぞ

 一首目は古語の助動詞「べし」の活用形が折り込まれており,二首目では漢字の部首が形象化されていて,三首目では音楽記号が用いられており記号短歌の走りである。永井は新しさを感じさせるこのような短歌の旗手として登場した。

 言葉遊び的要素は,80年代後半から90年代の最初にかけてのバブル経済の日本を覆ったヘンに明るい空気と実によく調和した。糸井重里の「おいしい生活」という西部百貨店のコピーがこの時代を象徴している。当時出版された歌集にはこの空気が漲っている。

 ぼくのサン・グラスの上で樹や雲が動いているって うん,いい夏だ
                  加藤治郎『サニー・サイド・アップ』(1987年)

 サンダルはぜったいに白 君のあと追いつつ夏の光になれり
                  干場しおり『そんな感じ』 (1989年)

 こんなにも風があかるくあるために調子つぱづれのぼくのくちぶえ
                  山崎郁子『麒麟の休日』 (1990年)

 このような時代に出版された『モーツアルトの電話帳』には,次のような歌が並んでいる。

 海のむかうにさくらは咲くや春の夜のフィガロよフィガロさびしいフィガロ

 「あらず,これには別に故あり」鴎外のゆゆしき言葉聞く秋の夜

 いづこへと男らは座を移せしや 瓶子の酒も冷えてゆくなり

 からーんと晴れた空にひばりのこゑもせずねむたさうな遮断機

 いつの日か告げたきはただ銀箔のやうなこころよゆふなみ千鳥

 長き首抱きたかりしを白鳥が去りたるのちの空のうすべに

 この歌集に収録された歌には,木管五重奏・フィガロの結婚・チェロなど音楽に関係するものや,鴎外・龍之介・モーツアルトなどの過去の人間は頻繁に登場するのだが,現実の生身の人間は一切出て来ない。そしてどうやらこれは『モーツアルトの電話帳』に限らず,永井の短歌全般について言えることのようだ。永井にとって短歌は「ふしぎな楽器」であり,その楽器をいかに美しい音色で響かせるかが肝心なのである。この楽器は日々を生活する生身の人間の喜怒哀楽を鳴らすものではない。歌として整っており,言葉が醸し出す美には圧倒的なものがあるが,直接に世界へと通じる回路が断たれている。歌の言葉の背後に言葉が送り返す現実を読み取ろうとすると,鏡のように跳ね返されてしまう。これがおそらく岡井の言う「えたいの知れない不透明感」の正体であろう。試みに岡井の『現代百人一首』〔朝日新聞社〕で永井の2ページ先に収録されている「われに棲み激(たぎ)つ危うきもののためひとりの夜の鎮花祭(はなしずめまつり)」という武川忠一の歌と比較してみれば,永井における世界への回路の不在は明らかである。

 『小さなヴァイオリンが欲しくて』の栞に,永井にとって「言葉だけが信ずるに値するものだった。言葉だけの世界が安心できる世界だった」と小池光が書いている。「小さなウサギ」だった永井にとって,生身の現実は畏怖の対象だったのだろうか。しかし,同じ栞で松平盟子は,永井が「噛みつきウサギ」と呼ばれていたというエピソードを明かしている。作品批評会などで納得のいかない意見などを聞くと必ず反論するところから,そのように呼ばれていたらしい。意外な一面であり,これを聞くと必ずしも永井が現実との衝突に消極的だったとも思えない。

 永井の歌は確かに音楽に溢れており,美しい言葉の世界を描くキャンバスである。しかし人は疲弊し現実は言葉を浸食する。この事実からは誰も逃れることができない。遺稿集となった『小さなヴァイオリンが欲しくて』を読むと,この事実を改めて思い知らされるようで心が痛む。

 へんくつなうさぎが来るぞほよほよと昔の風の吹く交差点

 やはらかなこころうしなひたるのちのうさぎの耳は腐れゆくなり

 閉ざされておのがこころのあづき色くつくつと煮る冬のいちにち

 くたびれたたましひたちのつばさにも似たるくつした星空に干す

 この野郎こころの内でさう思ひ恥ぢてすぐのちまた言ふ阿呆

 一首目と二首目のウサギは永井の自画像である。『モーツアルトの電話帳』では,「少女はたちまちウサギになり金魚になる電話ボックスの陽だまり」とメルヘン風に詠まれていたウサギは,耳の千切れたウサギになってしまった。三首目のような自閉感や四首目のような疲労感がますます色濃くなり,五首目のように職場の不満を詠う歌も目につくようになる。年譜によればこの時期に,不本意な職場の異動があり母親を亡くし病を得るという不幸な出来事が重なったようだ。このためか死への想いを詠んだ歌が多くなる。

 責了としたき日常くさぐさのおもひを納めがらくたも捨て

 もうながく病垂れなる内に棲むこころとおもひ人に告げざる

 錠剤を掌にかぞふれば兆しくる死の芯のやうなものあたたかし

 さびしさはみづかねいろの雲となりながれてゆきぬこの世のほかへ

 ささやかに生きたあかしの歌一首弥生の街に残さむとする

死への想いに捕われた永井は,最終的には次のような境地に立ち至ったようである。

 水のやうになることそしてみづからでありながらみづからを消すこと

 たましひのすみかといふはからーんと青く大きな瓶(かめ) さう思ふ

 これは魂の器としての生身の人間を極力消去してゆく方向性を示している。どことなく仏教的な無の匂いがするが,若い頃から日本の古典文学に傾倒していた永井だから,それも不思議ではないのだろう。「純化の果てにこの世から消滅する」というのは,結局のところ現実との衝突の回避以外のものではないのだが,『小さなヴァイオリンが欲しくて』の歌から読みとれる現実との軋轢やなかんずく心を蝕む病の果てにそのような境地に至ったというのは,余りに痛ましいとしか言いようがない。

 残念なことに『小さなヴァイオリンが欲しくて』を読んでいて,日頃好きな歌に付ける付箋はあまり多数は付かなかった。やはり永井はそれまでの音楽性と不思議な不透明感のある,生身の人間臭を消した歌によって記憶されるにちがいない。

126:2005年10月 第3週 十谷あとり
または、動物園の淋しさと乾いた眼差し

薄き血の色のマニュキュア愉しまん
     誰にも気付かれないそのことも

          十谷あとり『ありふれた空』
 作者の名前は十谷(じゅうや)あとりと読む。名前からは判断がつかないが女性である。1965年 (昭和40年) 生まれで「日月」「玲瓏」に所属し,ネット短歌「原人の海図」の運営委員を務めている。奈良県に在住し,最近小さな古本屋を開業したと聞く。『ありふれた空』は2003年に上梓された第一歌集である。略歴によれば「2000年6月から短歌を始める」とあるから,始めて3年で第一歌集出版に漕ぎつけるというのは非常に早い。収録された歌を読んで驚いたのだが,とても作歌歴3年とは思えない手練れの歌の数々が並んでいるのである。私は作者について予備知識のまったくない状態で送られてきた歌集を何げなく読み始め,思わず引き込まれてしまった。

 歌集を一貫して流れているのは静かな淋しさの感覚であり,自分を見つめるやや距離のある眼差しである。自己を客観的に眺めるこの眼差しの乾き方が読んでいて心地よい。自分に矢鱈に思い入れのある歌は読んでいるこちらがシラけてしまう。例えば掲出歌だが,女性らしいマニュキュアの化粧は薄い血の色と表現されているがピンク色だろう。マニュキュアの化粧を愉しむ自分がいるその傍らに,周囲の同僚たちがマニュキュアに気付かない事実を冷静に見る自分がいる。この乾いた視線が十谷の歌に,まるで料理にほんの少し加えた五香粉のように独特の味わいを付け加えている。

 掲出歌に見られる雨の日の動物園のような淋しさの感覚は,次のような歌にも紛れなくある。

 両の手で耳を塞いで気が付いた動物園は淋しい匂い

 空っぽなわたしのために毎食後押し破られる錠剤のシート

 ジャケットから脱け出てきたかひとひらの羽毛は空を忘れられずに

 踏切も堰き止められぬ夕陽をばごごんごごんと轢いてゆくのだ

 小さな鳥舞い降りて来てわが髪につぎつぎ止まる独りの朝

 野の鳥は野に戻るべく飛び離(さか)るその瞬間にわが手を蹴って

 身を脱けてあくがれありくわがこころ空におぼれつ鳥にしあらねば

 死ぬ時も生まれる時もひとりだと思えば何とありふれた空

 一首目,「両の手で耳を塞いで」に自分の内を見つめる自閉的感覚がある。気を紛らせる人声や物音を遮断して初めて淋しさに気が付くのである。二首目,何かの錠剤を毎食後飲むのだろうが,薬によって健康を改善すべき〈私〉が空っぽであることに,錠剤に対して申しわけのなさを感じているのだろう。三首目,この歌集には繰り返し空への憧れが詠われているが,この歌はその代表的なもの。ただしその空もまた空っぽのものとして描かれることが多い。四首目は「ごごんごごん」という擬音と,「轢いてゆくのだ」という言い切りの形がおもしろい。ここにも抑えることのできない淋しさと焦燥の感覚が感じられる。五首目・六首目・七首目にも空に憧れながら地上に縛られている自分がいるが,それは結局,歌集題名が取られた八首目に見られる孤独感へと収束するのだろう。

 「現代人はみな孤独」などと言ってしまえば身も蓋もないのだが,十谷の場合はもう少し複雑なようだ。父母に対する屈折した感情がその底に流れているらしいからである。次のような歌が歌集のあちこちに,水からふいに顔を出し航海の危険となる暗礁のように散在している。

 父母の偽りの笑みは罠にかけ明るい川に沈めに行こう

 リサイクルは複雑である父を踏み母を十字にくくらねばならぬ

 まぼろしの父母の立ち居し辺の土にしめころしの樹の種ふたつ播く

 ははそはの母なるものが穴となり地の面に口を開いていたり

 入れ子なるマトリョーシカはそれぞれにその身納むる母をうち割る

 父はわれを捨て給いきと気付くとき右眼のなかを翔ぶメガニウラ

 三首目の「しめころしの樹」は特定の植物種ではなく,他の木に巻き付いて寄生し,遂にはその木を枯らしてしまうような樹木の総称である。「しめころしの樹」の種を播くというのだから,そこには相当な恨みが感じられる。また六首目のメガニウラとは,今から3億年前の石炭紀に棲息していた巨大トンボのこと。「右目のなかをメガニウラが翔ぶ」という表現に,父が自分を捨てたという発見のもたらした衝撃の大きさがよく表われている。本来ならば愛するはずの肉親へのこのように屈折した想いは,この歌集の底を流れる一番昏い流れとなっている。

 十谷の歌のうまさが感じられるのは,次のような歌群においてである。

 つっかけたミュールと踵にはさまってぺたつくものかアカデミズムは

 瑕瑾かきんつつき回され手品なら鳩にとりかえ飛ばしたいレジュメ

 いててててわが弱さゆえ十八歳(じゅうはち)の日に友に告げたる嘘の刃よ

 喰い込んで屠りもできぬ痛みなら飼いならさんかその名虎馬

 〈当たり前〉入れれば〈不可解〉転げ出る厄介なもの両肩の上なり

 やたけにも伸びてもつれて絡まってとほほ顔なる文月のキウイ

 茄子に何の恨みなけれどこのたびもわが焦燥に黒焦げの茄子

 最初の二首は大学に在学中の歌だろう。古語と現代語を巧みに混用し,古歌の言い回しを換骨奪胎したり,日常の些事に大仰な表現を用いたりするその手法は,とても作歌歴3年とは思えない手練れなのである。人を食ったような調子が歌に軽みを与えていて,定型の持つ固有の力をかえって増幅する結果となっている。「マジメな近代文学」としての現代短歌のなかでは,このいう傾向の歌はあまり歓迎されないかもしれない。やり過ぎると狂歌になってしまうという危険性もある。しかし,ややもすれば自足的に自閉しかねない現代短歌において十谷の歌のような軽みは,自己を外部に向かって開く作用を持つこともまた事実だろう。

 集中で特に印象に残った歌を挙げる。

 うち手折り たむ ふさ手折り たむたたむ スネアドラムはたたむ 鼓動す

 病葉の二つ流れに過ぎ行きてひとつ鯏(うぐい)となりて戻れり

 やさしさに似た父の怯懦思うとき斜めに破(や)れるベルマーク2点

 罪なき身に六つの鎹(かすがい)受けてなお自由たり得ぬ馬蝗絆(ばこうはん),砕けよ

 花あかりまっさかさまに池の面へ落として白きまぐのりあかな

 水の上に花片は散る薄紅のフラミンゴ佇つその水の上に

一首目はまるで古代の長歌のようなリフレインだが,「たむ」「たむたたむ」という擬音を効果的に用いた音楽的な歌になっている。二首目も巧みな作りの歌で,「二つ」「ひとつ」の対語,「過ぎ行きて」「戻れり」の反対語をうまく配置して,愛唱性のある歌に仕立て上げている。病葉が魚になって戻って来るというイメージも美しい。三首目は父親を詠った歌だが,〈私〉は子供の小学校のために商品からベルマークを切り取ろうとしている。父の想いがよぎった時に手に力が入り,その拍子にベルマークが破れてしまったという情景である。肉親への屈折した想念とベルマークという形而下のものとの組み合わせが秀逸である。四首目は特に好きな歌で,馬蝗絆とは平安時代に中国から平重盛に寄贈され,その後,室町幕府の八代将軍足利義政の愛蔵品となった青磁の茶碗の銘。底にひびが入ったので中国に送り代わりの茶碗を求めたところ,この名品に代わるものはないということで,底に6つのかすがいを打ち修理されて戻されたという。かすがいの様が馬蝗 (大きなイナゴ) に似ていることから,馬蝗絆と銘打たれた。作者は展示された馬蝗絆を眺めて,かつては権力者の所有となり,現在は博物館に所蔵される有り様を嘆き,砕けて自由の身になれと念じているのである。五首目は花を詠んだ美しい歌。措辞にまったく隙がない。六首目は動物園シリーズの一首で,薄紅色のフラミンゴのいる水辺に薄紅色のサクラの花弁が散る様子が美しくはかない。

 近作からもいくつか挙げておこう。

 いや繁り腕に触れくる野茨の初花淡しおんあいそわか  『玲瓏』 60号 (2005.2)

 愛縛のこころありけん阿修羅像抱き炎を逃るる僧に

 マンゴスチンのすべりやすさよくちびるにあやうく受けとむるはまごころ

 魚の骨取り残されてもう波の寄することなき小皿の渚

 相変わらず言葉を様々に操る術に巧みである。この人はたぶん要請に応じて,異なる文体の歌を同時に作ることができるのだろう。注目すべき歌人である。

125:2005年10月 第2週 重信房子
または、獄中のグラジオラスは誰の心を照らすのか

独房の闇なき夜の壁際に
    光源のごとカサブランカ咲く

       重信房子『ジャスミンを銃口に』
 2000年11月8日に大阪で潜伏中に逮捕された日本赤軍リーダーの重信房子の歌集が出版された。重信は公判中の身で,現在小菅の東京拘置所に収監されている。東部鉄道伊勢崎線に乗って草加市方面に向かうと,荒川を越えた所に遠望できる東京拘置所は最近改築され,屋上にヘリポートまで備えたハイテク拘置所になった。その超近代的佇まいは荒川周辺の牧歌的風景にははなはだしく不調和だ。近くを通るたびにそう思う。

 この歌集に収録された短歌を作ったのは重信房子だが,この歌集を編んだのは本人ではない。重信の弁護を担当している大谷恭子弁護士である。重信は改築前の東京拘置所の独房にいた時に,房の前にあるサクラの木を歌に詠んで大谷弁護士に送って来たという。それが始まりとなり,その後作られた短歌の数は3,548首に及ぶ。『ジャスミンを銃口に』は大谷弁護士の選歌という作業と,編集者によるプロデュースという作業を通過して,幻冬舎から世に出ることとなった。この点には注意が必要である。

 重信は現在未決囚として収監されているのだから,歌集に収められているのは「獄中の歌」である。歌の内容は,(1) バレスチナ解放闘争で中東に闘った日々 (2) 未決囚として獄中に暮らす日々 (3) 学生時代・子供時代の思い出 に分かれる。それぞれ歌を引用してみよう。

 ぬばたまの闇かきよせる掌の中で火を隠し喫う戦場のタバコ

 撃ち尽くし挟撃されて戦士らがジェラシの土地を血に染めし夏

 すでにもう街には棺はなくなりて布一枚で地に還る友


 花蘇芳 雨に燃えたつ獄庭にユーアーマイデスティニー静かに聴きし

 鉄格子の模様の影を浴びながら光とあそぶ秋の晴天

 湯船から片手のばして格子越し秋の落葉の一片拾う


 御茶ノ水駅降りたてば水仙のかすかに匂う二月のバリケード

 くつひもを何度も結び躊躇した君のかすかな笑み忘れられず

 福助の足袋買いしわれ七歳の夜道を帰る母の日ありし

分量的には (1)と(2)が大部分を占めていて,(3)は巻末に母への挽歌とともにわずかに収録されているに留まる。この歌集は本人が編んだものではないため,この主題別の割合が重信が今までに作った短歌の割合を正確に反映しているのかはわからない。もし仮にそうだとしたら,重信の心を占めているのは解放闘争の日々と獄中の今の生活だということになるが,自分の行為が裁かれている公判中の身の上としては,それも当然のことだろう。

 中東での闘争の日々を詠んだ歌に表われるのは,おびただしい死者と花である。「死者と花」はこの歌集全編を通してのテーマだと言ってもよい。

 この街で暮らしていくと決めた朝きみと別れてジャカランタ仰ぐ

 銃口にジャスミンの花無雑作に挿して岩場を歩きゆく君

 君が骸この両腕にいだくまで時空を走るわが銀河鉄道

 拷問にて果てし骸を抱けもせず君のパジャマを弔いし夜

 相聞・挽歌・辞世の三つは短歌永遠のテーマである。重信の歌には辞世こそないものの,相聞と挽歌を大きな主題としていて,この意味では短歌の王道を歩いていると言ってよい。重信の家庭環境に短歌があったかどうかはわからないが,少なくとも短歌をどこかで習った節はない。にもかかわらず短歌の王道を歩いているのはなぜだろうか。重信が短歌という表現形式を選んだというよりは,短歌が重信を選んだのではないか。だとすれば最初から王道を歩いているのは当然なのである。ではなぜ短歌が重信を選んだと言えるのか。それは重信が独房という特殊で極限的環境に置かれたからである。目前に死を意識すると辞世の歌を作りたくなるのと同じである。短歌が自分を呼ぶのである。かくまでに,死を頂点とする極限状況と短歌とは深い所でつながっている。この暗い水面下の深い結託を抜きにしては,短歌の本質を理解することはできないと私は考えている

 極限状況の極北は死刑囚という身の上である。佐藤友之に『死刑囚のうた』(現代書館)という著書があるが,死刑の宣告を受けて短歌を作り始める人は多いと聞く。死刑囚でこそないが,カリフォルニアの刑務所で終身刑に服している郷隼人の『ロンサム・ハヤト』(幻冬舎)という獄中歌文集もある。死刑囚の歌で比較的記憶に新しいのは,1972年の連合赤軍浅間山荘事件で死刑判決を受けた坂口弘だろう。坂口については以前に一度書いたことがある。坂口は刑務所のなかで短歌を作り始め,朝日歌壇の常連投稿者となった。最初は短歌作りのイロハも知らず,見かねた刑務官が作歌の手ほどきしたという。この刑務官はアララギ派で短歌を作っていた人のようだ。私はこのエピソードを聞いたとき,日本における短歌の裾野の広がりを実感し,その根が広く深くにまで及んでいることに一種の感動を覚えた記憶がある。例えばアメリカの刑務所の刑務官で,時間のある時にポエムを作り,それを文学雑誌に投稿しているという人がいるとは考えにくい。

 リンチせし皆が自分を総括すレモンの滓を搾るがごとくに

 床下に縛りし彼女も死にゆきぬ重石に拉がれ吾声も出ず

 リンチ死を敗北死なりと偽りて堕ちゆくを知る全身に知る

 彼の人も処刑の前に聞きしならん通勤電車に地の鳴る音を

 そを見ればこころ鎮まる夜の星を見られずなりぬ転房ありて

 坂口のこのような歌を従来の短歌の基準で評価して,その作歌技術の未熟さを批判することには意味がない。これらの歌の持つ一種異様な迫力を感じることがまず肝要である。そして次に「なぜ短歌を?」という問いかけをしなくてはならない。なぜならば,小説なり俳句なり短歌なりの表現様式を現代において実践することは,「なぜその様式を選んだのか」という自覚的問いかけなしには成立しないからである。坂口は死刑囚として独房内で小説でも俳句でもなく,短歌という表現様式を選択した。「それはなぜか」という問こそが,今日「短歌とは何か」を考える上で重要なのである。

 岡部隆志は『言葉の重力』1(999年洋々社)所収の「短歌の地上性について」という文章のなかで,坂口の短歌を題材として歌の成立する根拠に深く降りてゆこうとしている。まず岡部は凄惨な同志リンチの場面などを含む過去の記憶に獄中の坂口が正面から向き合うことを可能にしたのは,短歌という定型の持つ作用のおかげであるという点に着目する。岡部はそこに定型の力を認めている。そして「なぜ短歌なのか」という点について岡部は次のように述べている。

 「文学作品は言語表現として純粋に自立しているなどという幻想が,例えば古典の作品を読むような場合でも,本当に純粋に自立した虚構の世界として読んでいるのかどうか自身に問うてみれば,いかに根拠のない幻想であるかすぐにわかるだろう。言語表現以前に沈み込んだ生成の事情への関心なしに,われわれは言語表現としての作品に向かえないのだ。
 さて,そうであるならば,何故坂口弘は短歌という表現様式を選んだのか。それは,短歌という言語表現の様式が,言語表現以前に沈み込んでしまう生成の事情を,言語表現と同等の重さでよく伝える詩形であるからだろう。」
 つまり短歌を読むときに私たちは,文学の世界に属する言語表現としてその意味を味わうだけでなく,誰がどんな状況でどんな思いから短歌を作ったのかということもまた,「同時に」読んでしまうということだ。岡部が注意深く「言語表現以前に沈み込んでしまう生成の事情」と呼んでいるものを,ここではあえて作者の「境涯」と呼ぶことにしよう。

 短歌において境涯が最も際立つのは言うまでもなく辞世である。

 かねてより君は母とに知らせんと 人より急ぐ死出の山路  原惣右衛門

 百にても同じ浮世に同じ花 月はまんまる雪はしろたへ  油煙斎貞柳

 原惣右衛門は赤穂藩足軽頭で,討ち入りに参加して56歳で切腹した人。油煙斎貞柳は大阪の狂歌師で81歳で病没した人。これらの歌が辞世であることを知って読むのと知らずに読むのとでは受け止め方がまったくちがう。同じように「失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ」という中城ふみ子の歌も,中城が乳ガンで早世したという境涯と切り離して読むことはできない。

 岡部は先に引用した文章のなかで,短歌における「言葉の重力」が生じる秘密を次のように分析している。岡部によれば短歌の機能は「ローポジションとハイテンション」だという。「ローポジション」とは私たちがこの地上に縛り付けられているという事情をさす。「ハイテンション」とはそのような事情故に生まれる感情の迸りや抒情をいう。そして「ローポジションとハイテンション」機能を発揮するには俳句の17文字は少なすぎ,短歌の31文字が必要なのである。

 さてここからは岡部の発想を元にした私の勝手な空論なのだが,地上に縛り付けられているという「ローポジション」の最たるものは獄中だろう。囚人は文字通り狭い房に「縛り付けられている」からである。坂口の短歌を読んで感じる異様な迫力は,この究極の「ローポジション」に由来する。

 目覚むれば胸底までもひびき入る蛇口のしずくは乱れもなしに

 死刑囚はいつ処刑されるかわからない。そのような境涯がこのように厳しく自己を見つめる透徹した心境を生む。

 では重信の短歌はどうだろうか。同じく獄中にあっても坂口が死刑囚として自分の行ないに対して贖罪と鎮魂の祈りとも言うべき歌を詠んでいるのにたいして,重信は過去の闘争を正当なものと主張して公判中であり,この境涯のちがいが歌の差となっている。重信は獄中にあるという場所的意味では「ローポジション」にいるが,心理的にはいまだ解放闘争を続行中だと認識しているため「ハイポジション」にいる。だから「ローポジション」から「ハイテンション」を虚空に投げ上げるという短歌的抒情の構図にはなっておらず,「ハイポジション」から「ハイテンション」を詠うのである。このような視座から生まれる歌は,自らの過去の行為の正当化であり,パレスチナ解放運動へのエールでしかありえない。解放闘争で銃弾に斃れた同志を詠む歌は,言葉の本当の意味での挽歌になっていない。死はあくまで英雄としての死と把握され描かれているからである。重信がみずからを「ハイポジション」ではなく「ローポジション」に置いたとき初めて、人の心に響く歌が生まれるにちがいない。

 31文字という極小の詩形において,作者の自己認識がかくまで鮮やかに暴かれるというのは考えてみれば不思議なことである。そこに短歌が今日まで命脈を保って来た秘密の一端があるのだろう。