124:2005年10月 第1週 江戸 雪
または、「ぐらぐらの私」を世界に投射する歌

薄明に水分多きかたまりと
   なるわがからだ転がしておく

         江戸雪『百合オイル』
 実はずいぶん前に江戸の歌集を読み,歌論を書こうとしたことがある。そのときいろいろなメモを取ったが江戸の短歌の本質を掴もうとして掴み切れず,あきらめて書くことを断念した。こういうことは珍しい。江戸の歌の世界に入り込もうとすると,歌はまるで弾性体であるかのように私の読みを弾き返したり,まるで液体ででもあるかのようにするっとすり抜けたりして,歌から受ける印象が拡散してしまったのだ。統一像を得ることができないというのが私の印象だった。

 今回再挑戦してみて,印象に残った歌に付ける付箋の場所が前回読んだ時とはまったくちがっていることを興味深く感じた。それは江戸の歌を読むときの読者としての私の〈構え〉が変化したためである。前回読んだときに付箋を付けたのは,たとえば次のような歌であった。

 雨はやみたとえばひとの声のするくろい受話器のような夕闇

 ぼくたちに遠くなりゆく海の音紺のセロファンのぞいてみても

 他界への坂のびてゆくにわたずみ君つまさきをじわりとのせたり

 ふたつぶの白き錠剤あかときにひとの闇へと落ちゆくをみる

 浮草のあおさつめたさ広がりて日傘まわせば陽がとびちるよ

 一首のなかに印象的な視覚像がくっきりと描かれており,叙景を通して叙情に至るという短歌的結構に忠実である。これらの歌は今でもとてもよい歌だとは思うけれども,歌集を読み進むうちにこれらは必ずしも江戸の本質を表わす歌ではないと考えるようになった。二度目に読んで付箋を付けたのは,たとえば掲出歌である。自分の身体を「薄明に水分多きかたまりとなる」と,まるで動物か家畜であるかのように突き放して表現し,「転がしておく」といささか乱暴に放り出すこの〈私〉の放り出し方にこそ,江戸と短歌のあいだにある距離感がよく表われているのではないか。これと同じような距離感を感じる歌を,第一歌集『百合オイル』から探して並べてみよう。

 こでまりをゆさゆさ咲かす部屋だからソファにスカートあふれさせておく

 たわみやすい歩道橋のうえ大声にうたうたうなり誰もいないから

 飲みほしたビールの缶をぱこぱこといわせて歩く海までの道

 思い出を確かめながら渡る橋バックシートにCDなげて

 陽のなかに蝶ひるがえるかるさなら胸に入りこよ すきまだらけさ

 アンテナの壊れた車走らせる逃げだすように逢いにいく夕

 革ジャンが硬くて君に届かない 二段とばしにのぼる階

 これらの歌には上に引用した歌群のような安定感がない。その理由は明らかで,〈私〉がぐらぐらと揺れているからである。近代の写生短歌の要諦は,静止した〈私〉の視点からの情景の切り取りであるが,江戸の短歌の〈私〉はひと所に安定して静止していない。藤原龍一郎はセレクション歌人『江戸雪集』の解説のなかで,江戸の〈私〉が静止していないさまを「スピード感」と表現し高く評価した。そういう見方もできるかもしれないが,私は少しちがうと思う。スピード感ではなくむしろ「〈私〉のぐらぐら感」とでも表現したほうがよい。ではなぜ江戸の〈私〉はぐらぐらと揺れているのか。その時々でさまざまな感情に突き動かされているからである。

 上の一首目では「だから」という理由を表わす接続詞が,上句と下句をいささかも論理的に結合していない。「こでまりをゆさゆさ咲かす部屋」と「ソファにスカートあふれさせておく」のあいだには,「だから」で結ばれるような論理的関係がない。このため「だから」を強引に用いる隠された理由がこの歌の背後にあることを読者は感じざるをえないのだが,それはおそらく感情的理由だろう。二首目では〈私〉には往来で大声で歌を歌う理由があるにちがいないが,それも明かされていない。この歌で注目すべきは「たわみやすい」という連体修飾語で,〈私〉は自分の行為が歩道橋をたわませる危険性があることを知っているのである。そこに漠然とした危機感が感じられる。四首目でなぜ〈私〉はバックシートにCDを投げるのか。ふつうなら大事なCDはグローブボックスにしまうだろう。ひとつの可能性は,誰かとの思い出のあるCDで,思い出といっしょにCDも放り出すのである。このように江戸の歌に登場する場面や行為は,〈私〉の感情に浸されている。サヴァランというフランス菓子が,甘いラムシロップに芯までびしょびしょに浸されているように。そして大事なことは,「〈私〉のぐらぐら感」はとりも直さず「世界のぐらぐら感」と直結しているということだ。

 いらだちをなだめてばかりの二十代立ちくらみして空も揺れたり

 『百合オイル』の巻頭歌であるが,ここには「自分が揺れることは世界が揺れることだ」とする強い感覚がある。つまり江戸は「〈私〉のぐらぐら感」を唯一の根拠として,世界を歌のなかに掬い取ろうとしているのである。江戸の短歌の不思議な魅力と,それと裏腹をなす統一的〈私〉の不在感は,江戸の特異な世界把握の方法論に由来する。

 小池光他編『現代短歌100人20首』(邑書林)では,自選短歌20首とともに作歌信条の寄稿を求めているが,江戸は求めに応じて「自分の中にある愛情や憎しみといった感情から自由になりたい」と書いた。こんなことを書いた人は他にはいない。他の歌人は,「言葉の持つ力を活かしながら,生を基盤とした歌を作ってゆきたい」(横山未来子)とか,「現実を通しながら,存在の奥,意識の深みにあるものを探る」(内藤明)などと信条を述べている。江戸が書いたのは信条ではなく願望だが,江戸にとって身内にうずまく制御しがたい情念は持てあましものであり,江戸がそのことにこだわっていることを物語っている。

 激情の匂いするみず掌(て)にためてわたしはすこし海にちかづく

 今日を得てまた失いてぐらぐらとはずれそうなり外れない耳

一首目は第二歌集『椿夜』の巻頭歌である。ほんとうは水に激情の匂いがあるわけではない。水は無味無臭であり,水に激情の匂いをつけたのは他ならぬ江戸自身である。二首目は不思議な感覚の歌だが,ズバリ「ぐらぐら感」に溢れている。このように江戸の世界把握は,「ぐらぐらの〈私〉」を世界に投射することによってなされるのである。

 川野里子は江戸には液体感覚が感じられるのにたいして,田中槐は固体感覚であるとした上で,両者の共通点について次のように続けている。

 「感覚を際だたせた世界へのアプローチ、対象の輪郭を消しつつ世界の歪みを感じ取る歌い方、共に人間を感情の面から鋭敏に感受している、といった要素である。(中略) 液体感覚や固体感覚は、言ってみれば世界の輪郭が崩れた後、人間が分節された後の世界把握の仕方に他ならない。これらの歌は自らを「激情」や「泣き声」といった感情のパーツとして世界に投げ出し、トータルな人間像を拒否している。しかし、それと引き替えに世界に手触りを得、感情の背後に分断されながら、しかししっかりと在る「私」を置いてゆくのだ。」(未来 2002年10月号、web版)
 川野らしい実に鋭い分析でほとんど付け加えるものがない。「自らを『激情』や『泣き声』といった感情のパーツとして世界に投げ出し」というくだりがまさにその通りなのである。私が最初に江戸の歌集を読んだときに,歌の背後から立ち顕れる統一的〈私〉のイメージを得ることができなかったのはこのためである。なぜなら一首のなかに投げ出される〈私〉は決してトータルな〈私〉ではなく,その時々の感情によりパーツ化された部分的〈私〉にすぎないからである。このようにパーツ化された〈私〉をいくら積分しても統合された〈私〉は得られない。

 しかし第二歌集『椿夜』に至って微妙な変化が見られる。江戸が出産により男児をもうけたためである。「臨月」と題された連作のあたりから,急に歌に整序感が満ちるようになる。

 砂の城くずれおわりて目覚めれば冬の陽のなか汝はおりたり

 夏雲の気配なりけりバックシートにタオルを握る色白の子は

 抱くばかり焦ってばかりの夕暮れを子の髪空へ流すベランダ

 水仙に眸ありやと見ておれば子のてのひらがひきちぎりたり

 〈私〉と世界のあいだに子供というくさびが打ち込まれたことにより,『百合オイル』に充満していた「ぐらぐら感」は影を潜めて,江戸の世界は急速に安定感を増したようだ。車のバックシートには赤子がいるのだから,もうCDを放り投げたりはしないのである。また女性歌人にとって子供を詠むというのは近代短歌の大きな主題のひとつで,江戸の歌がこの伝統的水脈に身体を添わせたとも言えるかもしれない。主題はしばしば世界の見え方を規定するからである。

 もっと最近の歌を見てみよう。

 胎児なればわれのものかも雨の夜にひきはがされてそっと焼かれき 『短歌』2004年10月号

 噴水は夜空をたかく持ち上げて明日あらばわがかなしみを消せ  

 ぐらぐらと頭の上のあかい花見えるひと出ていってください
                       『短歌ヴァーサス』4号,2004年7月

 歪みたる天より紐のたれてくる 部品はずしてのぼりゆきたり

 ひらひらと爪ふたひらを飛ばすごと蝶をみおくるまぶしき空へ 

 歌から察するに第二子を流産するという不幸な出来事があったらしい。この時期に発表された歌には子を喪った悲しみが満ちていて胸を打たれる。しかし歌に話を限定するならば,江戸の歌は確実に奥行き感を増している。『短歌ヴァーサス』の一首目に見られるように,仮に〈私〉のぐらぐら感がまだ残っていたとしても,その感覚には今や確かな理由という裏付けがあるからであり,かつてのように〈私〉のぐらぐら感を直截に世界に投射するということはなくなっている。それは江戸のなかで時間が流れ蓄積されたからであり,世界を構成する要素として新たに「過去」と「未来」が確実な重みを持つようになったからである。ひと言でいうならば,江戸は「歴史」を手にしたのである。

123:2005年9月 第4週 影山一男
または、都市生活者の静かな抒情

星のなき空めざすごと玻璃濡れて
   無人エレベーター夜を昇りゆく

        影山一男『空には鳥語』
 「星のなき空」は都市の夜の空だからこの歌は都市詠である。「玻璃濡れて」だからガラス窓を濡らす雨が降っているのだ。都市だから人がたくさんいるはずなのに,エレベーターは無人で上昇する。そこに都市の持つ空白感と寂寥感とが滲み出ている。映画評論家の加藤幹郎は私の大学の同僚だが,加藤によれば「フィルム・ノワール」,あるいはもう少し広くとってハード・ボイルド映画の特徴は,「夜と雨」だという。映画の冒頭から夜のシーンで雨が降っていたらそれはほぼまちがいなく「フィルム・ノワール」である。「フィルム・ノワール」は「都市」を舞台とした表現であり,20世紀になって人口が稠密になり産業が集積した都市が生み出したものだ。ウォルター・ヒル監督の快作『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984年公開)では,撮影のほとんどをシートで遮光して暗くした夜のセットで行なったという逸話があるくらい,都市の表現と夜とは切り離すことができない。世界屈指の密集都市となった東京の住民は星のない夜を浮遊するのだが,その足元の頼りなさと同時に,星はなくとも空へと上昇したいという密かな願望を無人エレベーターが表現している。

 影山一男は1952年(昭和27年)生まれ。高校生であった影山に短歌の手引きをしたのは,社会科教師の奥村晃作だったらしい。大松達知も確か奥村の手引きを受けたはずだ。短歌との出会いは人との出会いだと改めて知る。宮柊二の知遇を得て「コスモス」入会。89年から96年まで「歌壇」編集長を務め,後に柊書房を起こしている。こう書いてきて柊書房の「柊」の字は,師の宮柊二から取ったものだと初めて気が付いた。歌集に『天の葉脈』(1987),『空には鳥語』(1996),『空夜』(2001)がある。今回は『空には鳥語』を読んだ。

 影山の短歌を一口で表現すれば,「都市に住む生活者としての生を静かに見つめる歌」だと言える。「都市」と「生活」は重要なキーワードであり,現代人の多くが都市住民の給与生活者となりおおせた現代にあっては,サイレント・マジョリティーの心情を代表するものだろう。

 都心部の夜の暗澹に螢光し交信を待つ電話ボックス

 赤と黄の電車並べる地下駅の時の窪みに漂ふわれは

 櫛比(しつぴ)せるビル群の上の一つ星あをく照らせり神話なき世を

 しづかなる激湍(たき)のごとしとわがいのち想ふときあり都市に生きつつ

 鴉一羽鳴きてあそべるくさはらに樹の影ふかくわが影あはし

 川越えて東京の夜ぞら青白しわれよりはやく世紀老いゆく

 はつなつの旅の家族の眠る辺にグレゴール・ザムザのごとくわがゐる

 一首目,やはり都市の夜である。夜の暗さを背景として明るく照明されている電話ボックスは,都市の孤独の象徴である。二首目は詞書きに赤坂見附とあるから,地下鉄丸の内線と日比谷線だろうか。地下駅で乗り換えるわずかな時間はまるで時間の窪みのようであり,生の充溢した時間からはほど遠い時間のボロのようなものだ。ここにも都市生活者の浮遊感が色濃く現われている。三首目,高層ビル群の上に輝く星は天狼星か。星はかつてのように地上を神話的に照らすのではなく,ただ青く光るだけである。四首目,都市に生きるみずからの生を滝に喩えているが,わざわざ「激湍」の字を当てている。「湍」は水流の早いことを表わすので,「激湍」は激しく早い流れを意味する。単に静かな滝ではなくその底に激しいものを秘めていると言いたいのである。五首目のポイントは「わが影あはし」で,濃い影を落とす樹木の傍らで淡い影しか持たない〈私〉の希薄さが詠われている。六首目は個人としての時間の流れと世の中の変化を対比した歌で,自分の老化よりも時代の疲弊が深まっていると見ているわけだ。七首目は家族のなかでの自分をカフカの『変身』の主人公ザムザになぞらえている。昆虫に変身したザムザのように,家族のなかでの異質感を感じているということだろう。

 このように自分を見つめる視線が周囲に向けられると,次のような歌になる。

 流れには乗りきれず渋谷中央街脚長蜂の群に揉まるる

 浦安駅駅前喫茶「黒猫」(シヤ・ノワール)女子高生等,主婦等棲息

 ノンポリとシラケ世代と呼ばれきて今朝の鏡に濃き髭を剃る

 死語となる言葉のひとつバリケード燠火のごとく胸に明るむ

 くわんぜおんぼさつつぶやくごと聴こゆウォークマンより洩れくるこゑは

 居酒屋に男靴女靴(をぐつめぐつ)の乱れては多く女靴が男靴の上に

 渋谷センター街に溢れる足の長い若者にはついてゆけず,一服しようと駅前喫茶に入るとそこは女子高校生と主婦の溜まり場である。中年のオジサンにはかくも居場所がない。1952年生まれの影山の世代は東大安田講堂攻防戦があった1969年には17歳で,大学に入学したときにはすでに学生運動は下火になっていた。ここより下の世代には政治的無関心が広がり,ノンポリ世代・シラケ世代と呼ばれたこともある。また現代において死語となったのは「バリケード」ひとつではない。このように中年の男の歌には「苦さ」が漂うが,この「苦さ」が「志」と表裏一体の関係にあることは言うまでもない。思えば明治以来の近代短歌は,少なくとも男性陣においてはこの「志」と「苦さ」の綾なすものとして展開してきた。このことを了解するには石川啄木の短歌を思い出してみればよい。短歌に限らず明治以来の近代文学は,「地方出身者が東京に出て志を得んとするも挫折する物語」という側面を強く持ってきたのである。文学の底に降り積もる「ウラミ」の根源はここにある。村上春樹の文学が若者に支持されたのは,村上文学がこの「ウラミ」と無縁な所に成立していたことも大きな理由のひとつだろう。この文脈で考えれば,村上の文学は近代文学と切れていて,影山の短歌の世界は明治以来の正統的な近代文学の系譜に連なるものなのだ。

 おもしろいのは五首目の歌である。電車で隣合わせた若者のウォークマンから低く音が洩れているのだが,それを「くわんぜおんぼさつつぶやくごと聴こゆ」と表現している。ひとつには若者が目を瞑って一心に聴き入る様が,まるでありがたい神託に耳を傾けているようにも見えるからであり,また洩れて来る歌の歌詞が聴き取れず,意味不明のお経のように聞こえるためでもある。この歌を次の歌と比較してみよう。

 ヘッドホンに耳掩ひたる若者がパスの片隅にひとり笑いす  高嶋健一

 ヘッドホンの裡なる界をさまよえる少女の瞳かすかに淫ら  澤辺元一

 高嶋の歌には若者に対する強いいらだちがある。一方,澤辺の歌にはコクーニングする少女の内界への想像による浸透が生むエロティシズムがある。しかし影山の歌にはそのどちらもなく,「ありがたや」と思わず隣の若者に向かって合掌していまいそうなユーモアがある。

 また六首目はよく引用される歌で,居酒屋のあがり口に履き物が散乱しているのだが,なべて女の靴が男の靴の上にあるという風景を詠んでいる。しかしこの歌にもフェミニズムを揶揄するような意図は毛頭なく,ただ日常のユーモアとして詠まれている。ややもすれば影が薄くなりそうな都市生活者の中年男性にとって,このようなユーモアは手強い現実に対処する手段として有効なのだ。そのことは吉岡生夫の歌を見るともっとはっきりしていて,このことは別に書いた。

 さて,影山は宮柊二に師事したことからも知れるように,写実を基本としつつ生活者の抒情を綴るという近代短歌の継承者である。その作風は手堅く破綻がない。しかし破綻がないというところに不満を感じる向きもなくはなかろう。若い歌人たちが技法の面でもテーマの面でも,短歌表現の意図的な拡大を図って様々な実験を試みている現代にあって,影山の近代短歌がいささか古びて見えるのは事実である。しかし影山はそんなことは百も承知だろう。

 『空には鳥語』で私がもっとも心を惹かれたのは次の歌である。                     

 鹹水(かんすい)のごときこの世に漂へば鳴くかなかなよ真水のこゑよ

 「彼の世より呼び立つるにやこの世にて引き留むるにや熊蝉の声」という吉野秀雄の絶唱が頭に浮かぶが,こちらは熊蝉ではなくもっと静かなカナカナである。都市生活者として日々の塵埃にまみれる私たちにとって,短歌は「真水のこゑ」と影山は言いたいのかもしれない。

122:2005年9月 第3週 塩野朱夏
または、同一律を畏怖する境界の病

娘の肩の蝶結びほどけばぱたぱたと
   蝶は逃げゆき子と秋老いぬ

       塩野朱夏『そして彼女は眼をひらいた』
 『そして彼女は眼をひらいた』は平成16年に沖積舎から刊行された歌集で,私は歌誌「短歌人」の広告で見て入手した。だから塩野は「短歌人」会の会員であることはまちがいないのだが,それ以上の情報がまったくない。歌集に付き物のあとがきや著者紹介もない。帯文は塚本邦雄,表紙イラストは宇野亜喜良という豪華さで,造本の瀟洒さもさりながら,何より私が惹かれたのは題名である。前にも「歌集の題名」の章で少し書いたが,私は文の形をしている題名に弱い傾向があり,『そして彼女は眼をひらいた』にも心を惹かれた。「そして」は前接の接続詞だが,何の結果「そして」なのか,なぜ彼女はそれまで眼を閉じていたのか,等々という疑問が沸々と湧いてくる。そしてこの歌集は題名に負けず劣らず謎と疑問に満ちた歌集であり,作者もそれを意図して作り上げていると思われる。残された数少ない手がかりをもとに,この歌集の世界を読み解いてゆこう。私は自称シャーロック・ホームズであり,この歌集はひとつの犯罪現場である。

 目次裏には「登場人物」とあり,次の3人の人物名が並べられている。

 ジキル博士……医師。手帖の持ち主

 ハイド夫人……その妻。本編の書き手

 夫妻の娘……氏名不詳 

 続いて詞書きがあり,この書物は不可解な死を遂げたジキル博士とハイド夫人の遺品のなかから発見されたものであり,ジキル博士の備忘録とハイド夫人の手記からなる,と説明されている。各章の扉裏には,ジキル博士のメモと短歌が一首掲げられており,それが各章の主調を告げている。本体の短歌はハイド夫人の手になるものという設定である。

 さて,もうこの段階で幾重にも仕掛けが施してあることに気づくだろう。まず『ジキル博士とハイド氏』は ,善人のジキル博士と殺人犯のハイド氏が同一の人物であるという二重人格を題材にしたR.L.スチーブンソンの小説である。ここから「人格の二重性」がこの歌集のひとつのテーマであることが判明する。このことを思わせる次のような歌がある。

 糺(ただ)されて鋭(と)く尖りゆく神経叢,午(ひる)出歩く女 “昼顔”のような母

 薄青のジェルにて洗えばあともなく排水孔へ失せゆくわがペルソナ

 寝化粧す二分(ふたわ)かる顔の条目(すじめ)をくっきりと,あ,左右たがえてしまった

「昼顔」はJ.ケッセルの小説で,ルイス・ブニュエルが映画化しC.ドヌーヴの演技が妖艶であった。ふだんは貞淑な外科医の妻で昼間だけ娼婦となる女の物語である。二首目は虚構性の少ないごくふつうの歌としても十分読める。一日の終わりに化粧落としのジェルで化粧を落としている女性の光景であるが,剥がれてゆく化粧をペルソナ(仮面・人格)と捉えているところに人格の二重性の意識がある。三首目は逆に寝化粧する姿だが,頭髪の条目ではなく顔の条目をつけているのだから,ふつうの人間ではあるまい。狐狸妖怪の類にちがいないが,顔が左右で異なるのはもちろん人格の二重性の象徴的表現である。この事実を本件の証拠物件その1として提出しよう。

 もともとは同一人物であるジキル博士とハイド氏が,この歌集ではジキル博士とハイド夫人という別々の人物とされている。このひとりの人物の二重化に,男性・女性という性の区別が重ね合わされていることに注目しよう。これが本歌集のもうひとつのテーマである。この男女というテーマは「対称形,あるいは二重生活 (デュアルライフ)」の章で集中的に展開されている。

 人間に雌雄のありて秤られている塵灰(あくた)の嵩とか肋骨の数とか

 対称とはつめたき体制(システム),両手にカトラリー駱駝に二つ瘤あるむごさ

 ふくよかに愛らしければ無性生殖マトリョーショカは棚につねに微笑みいて

 あけがたの両性具有の夢羞じて枕をかえす真白き骸(むくろ)を

 一首目の肋骨の数というのは,イヴがアダムの肋骨から作られたとする説話への言及である。男と女は常に比較され区別されているという現状を詠ったものだろう。二首目は,右手にナイフ,左手にフォークという対称性に始まり,ラクダの瘤の数にまで言い及んでいるが,もちろんこれは誇張法。それを「むごい」と感じるのが作者の認識である。三首目のマトリョーショカは中から次々とより小さな人形が出てくるロシアの民芸品。その様を無性生殖に喩えているのだから,作者には男女の性差を超克したいという願望があることはまちがいない。そのことは四首目の「両性具有」の夢に明らかである。以上の事実を本件の証拠物件その2として提出しよう。

 次に「対称形,あるいは二重生活 (デュアルライフ)」の詞書きに「F医師へTELすること,Hの治療経過の件」とある。ハイド夫人は医師から治療を受けているのだが,どうやらそれは精神の病であるらしい。

 心療内科出て還るはマグリット描く深夜かも知れぬ青空のもと

 躯(み)と心(しん)の岐たれ苦しくなされけり分裂症発見はデカルトの後(のち)

 病名は『境界型……』か電線が空を劃(わり)おりその境界にも雪

 ベルギーのシュルレアリストであるマグリットの絵は日本でも広く知られているが,この歌に詠み込まれているのは,玄関には明かりが灯って夜の暗さなのに,上をみると昼の青空が広がっているという絵だろう。不思議な非現実感の漂う絵であり,それは精神の病がしばしば生み出す症状としての現実遊離感に対応している。二首目はなかなか哲学的な歌で,デカルトが提唱し近代思想の礎となった心身二元論がその内容である。心と身体を分けるという近代の発明のはるか後に,精神分裂症(現在では統合失調症)が発見されたと詠んでいるが,心もさらにふたつに分裂したというほどの意味だろう。三首目の『境界型……』は境界型人格障害のことで,昔は神経症と精神病の境界線上にある症例をさす用語として使われていた。

 またハイド夫人は娘との関係にも問題を抱えていたようだ。次の一首目には娘を救えなかったという自責が感じられ,二首目は説明の要もあるまい。

 「ずぶずぶと沼のなかへ……,持ち帰れませんでした。あの娘の紅い鞜(くつ)とあわれみの心」

 熱ありて発光せり額の真中の『幼児虐…』黒四文字が

 ジキル博士とハイド夫人の不可解な死という事件に,ハイド夫人の心の病が関係しているという推理が成り立つだろう。以上の事実を本件の証拠物件その3として提出しよう。

 さらにこのハイド夫人の手稿には,しきりに夢の記述が出てくる。

 手斧もち巷さまよう夢覚めば寝間着(ネグリジェ)の紅(あけ)さがしておりぬ

 あかあかと覚めたる夢よむらさき色の手でぎゅっと塵芥(ごみ)袋結ぶ

 夢ならば誰とでも寝るわたしがいて夢のなかの梔子(くちなし)の大いなること 

 一首目は夢のなかで殺人を犯しているのではないかと目覚めて不安になる様子。二首目は「むらさき色の手」というのが尋常でない。三首目は「昼顔」の歌と同工異曲であり,これもまたハイド夫人の現の世界と夢の世界における二重性あるいは分裂の様相を表わしていると考えてよかろう。以上の事実を本件の証拠物件その4として提出しよう。

 結局ハイド夫人は何を病んでいたのか。それはひとことでいえば「同一性」と「境界」の病である。本来はひとりの人物であるはずのジキル博士とハイド氏とが,ふたりの人物に分裂する。こうして原初的全体性と同一性は崩壊する。また分裂したふたりの人物は男性であるジキル博士と女性であるハイド夫人として具現化される。こうして「男女の対称性」とその「境界」が派生するが,これもまたハイド夫人を苦しめるのである。こうして「同一性」と「境界」の病を病んだハイド夫人は,「昼顔」の主人公のように昼と夜の二重性と,現の世界と夢の世界の二重性を生きるようになる。その傍証となるのが次の歌である。

 初冬吉日,難き解析に成功せり痛みの構造は《A=A。》

 ハイド夫人が遂に辿り着いた痛みの構造は,アリストテレスの「同一律」であった。つまり,すべてのものは自己と同一であるという,論理学の基本となる法則である。これは「なぜ私は私であり,あなたであることはできないのか」という疑問を誘発することになる。これがハイド夫人の根元的問いであり,彼女の病の原因なのだ。ハイド夫人の抱えたこのような疑問と葛藤の果てに、巻末歌「泣き叫んでいるのはわたし頽(くずお)れんとしつも熱激しき手に斧ふりかざし」のような惨劇がもたらされたものと思われる。

 以上が私なりのこの歌集の謎解きである。この歌集は今まで述べてきたことからもわかるように,周到に計画され組み立てられたものであり,主題性と構成性がきわめてはっきりしている。歌集によくある「あとがき」や歌集を編むに至った経緯の説明や著者略歴が一切ないのは,この歌集が「日々の歌」をまとめたものではなく,明確な意図のもとに構成された「作品」であり,作品として自立するためには著者に関する情報は不必要であるばかりか邪魔になるとの判断に由来するものだろう。

 主題性の強さはしばしば観念過剰となり,歌に生硬な語彙を挿入せざるを得なくなる。このため短歌本来の「調べ」は犠牲になり,意味過剰の歌になりがちである。本歌集を構成する歌もまた,この弊害を逃れているとは言い難いのは事実であるが,従来の近代短歌が扱ってこなかった主題に果敢に挑戦し,短歌の表現領域を拡大しようとするその意図は評価されるべきだろう。

 最後に本歌集の主題と必ずしも直接関係しない歌のなかに,印象に残る歌があった。

 とおき空に断食月の月盈てりわれはわれの他なる生を知らず

 廃園と決まりし『ドリームランド』一瞬にして生いたつ背高きりん草

 杭と杭夕映えに赤く沈みおりかくもわれらの祈りへだたる

 無花果のみのらぬ花を見ていたりレム睡眠の荒れ野の果てに

 逃げのびて自ら括る舫(もや)い舟 夜の水におうわたしという舟

121:2005年9月 第2週 笹 公人
または、読者との交通をめざす抒情する念力

校廊のどこかで冷える10円玉
    むらさき色に暮れる学園

        笹 公人『念力家族』
 Googleで「笹公人」と入力して検索すると3万件を越えるヒットがある。たいへんな数であるが,笹がテクノポップバンド・宇宙ヤングとして活動している他,作詞家・ラジオDJなど多方面で活躍しており,「露出度」が高いことを考えればそれほど驚くにはあたらない。「歌人」という肩書きは笹の活動のひとつにすぎないのである。第一歌集『念力家族』は演出家・蜷川幸雄の帯文に岡井隆の跋文を添え,このたび刊行された第二歌集『念力図鑑』はコピーライター・糸井重里の帯文に小池光の跋文が付されているという豪華さである。歌壇外の人から推薦文をもらっているところがポイントだ。装丁も変わっていて,1ページに1首・大活字で3~4行書きされていて,本の大きさも聖書サイズである。「1ページに1首」というのは歌人の憧れだが,「大活字で3~4行書き」というのは,北原白秋の『桐の花』と同じ組み方なのだそうだ。笹は意外に「知っているヒト」なのである

 笹は1975年 (昭和50年) 生まれ。17歳の頃に寺山修司の短歌を読み,衝撃を受けて短歌を作り始めたという出発点を持つ。「未来」短歌会に所属。第一歌集『念力家族』に収録された歌のほとんどは高校生と浪人生の時代に作ったものだという。まずはその異色の笹ワールドを紹介しよう。

 注射針曲がりてとまどう医者を見る念力少女の笑顔まぶしく

 ベランダでUFOを呼ぶ妹の呪文が響くわが家の夜に

 組体操のピラミッドの上(え)に立ちたれば太陽神を拝む弟

 時間割の余白に「相撲」と書き込めばふんどし姿のクラス一同

 落ちてくる黒板消しを宙に止め3年C組念力先生

 無口なるクラスメートを訪ねれば黒ミサ中の部屋の闇濃き

 歌の舞台のほとんどは家庭と学校なのだが,「念力」「サイキック」などの超常現象がごく普通に起きている世界であり,これはひとことで言って「高校生の授業中の妄想」の世界である。つまらない授業を受けているときに,教科書の余白に鉛筆でいたずら書きしながら,「今こんなことが起きたらおもしろいだろうな」と考える,そのような妄想である。妄想は目の前の現実からの逃避なのだが,それは同時に文学の種でもあり揺籃ともなりうる。青森県に生まれ故郷からの想像力による脱出を夢見たのは寺山修司であり,天井桟敷を舞台とする寺山の活動はすべて彼の妄想と言えないこともない。この意味において,笹は寺山の直系の子孫である。事実,笹の短歌には寺山を下敷きにしたものもある。

 立たされたまんま死にたる子のために建立されし廊下地蔵や

 しろたえの美穂さんいないファミレスのブレンドコーヒーかくまでにがし

 一首目は寺山の「間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子」を,二首目は「ふるさとのなまりなくせし友といてモカコーヒーはかくまでにがし」を意識して作られたものだろう。

 『短歌ヴァーサス』第5号の「新鋭歌集の最前線」という特集で,笹の『念力家族』を取り上げた藤原龍一郎は,短歌がサブカルチャーをどのように取り入れるかという現状分析を尻目に,サブカルチャーそのものとして出現したところにこの歌集の価値があると述べた。そして笹の短歌においては,「私性」とか「虚構性」などという歌壇でかまびすしく論じられた問題は軽々と超越されており,「笑芸」としての短歌というまったく新しいジャンルを切り開いたと結論づけている。

 確かに笹の短歌は笑える短歌である。

 すさまじき腋臭の少女あらわれて仏間に響く祖母の真言

 ケイタイに甘い囁き残されてアコムの前に立ち尽くす兄

 秋晴れにかがやく背中の文様のカムニひとりで勝てる紅組

 一首目は「すさまじき腋臭の少女あらわれて」で始まる連作「魔除け少女」から。これはほとんど不条理マンガの世界である。二首目ではキャバクラにはまった兄とサラ金の取り合わせという設定がリアルで笑えない向きもあるかもしれない。三首目は「転校生はガワン族」という連作から。転校生がニューギニアの奥地に住むガワン族だという設定で,カムニ君はずば抜けた身体能力と呪術の力で紅組を勝利に導くのである。ちなみにこれは諸星大二郎の傑作マンガ『マッドメン』に想を得た連作である。

 短歌の発表媒体として笹は所属する歌誌「未来」以外に,ファンタジー系の少女マンガ誌「ネムキ」に念力短歌道場として4コママンガと短歌のコラボレーションを発表したりしているので,藤原の言うようにサブカルチャーと親和性が高いことは事実である。また自分のホームページでもグラビアアイドル眞鍋かをりを讃える短歌を一般から募集したりしている。笹のふたつの歌集の出版元も「宝珍」と「幻冬社」でふだん歌集出版とはあまり縁のない出版社である。砂子屋書房に持ち込んでも出版してもらえなかったかもしれない。しかし笹の短歌を藤原のように「お笑い短歌」というジャンルに入れてしまうのはどうだろうか。

 私が笹の歌集を読んで考えたのは「読者」の問題である。笹は高校時代に短歌を作り始めたというから,きっと大学ノートの余白に思いついた歌を書いていたのだろう。しかし作った歌を書き留めただけではなく,きっとクラスメートにその短歌を見せたはずだ。そしてクラスメートから「おもしろい」と言われて喜んだはずだ。笹の短歌には身近な「読者」がいたのであり,その場で返ってくる読者の反応を喜びとしてさらに歌を作ったはずなのである。ここには表現の「現場性」があり,作者と読者の「交通」がある。この「現場性」と「交通」とは近代短歌が文学となるにしたがって,徐々に失われてきたものであることもまた事実なのである。だから笹の短歌は文学と成りおおせた近代短歌が失ったものを回復する試みと捉えることができる。

 「すばる」10月号の「短詩型文学の試み」という特集で,清水哲男が誘われて句会に通い始めたときの衝撃を文章にしている。かいつまんで言うと,俳句は座の文学であり俳句には必ず読者が存在するということが,長年現代詩を作ってきた自分には新鮮な驚きだったという内容である。清水によれば,現代詩とは「まるで虚空にむけて鉄砲を撃つような案配だから,詩の書き手にとっては,俳句での座が夢のように思われてしまう」という。現代詩が袋小路にはまり込んだように見えるのは,「虚空にむけて鉄砲を撃つ」ようなことを続けてきたからである。

 こう書くと短歌には歌会というものがあり,そこでは持ち寄った歌を披露しあって批評するのだから,作者と読者のあいだの交通はちゃんとあるという反論が返ってくるかもしれない。しかし歌会に出席しているのはみんな歌を作る人であり,批評も「ここはこうした方がいい歌になる」方式のものだから,それは純粋な読者ではない。いってみればプロの料理人が閉店後の店に集まって互いの料理を味見し合い,研鑽を積んでいるようなものだ。一般客はとっくに帰宅しているのである。

 笹の短歌が想定しているのはこのような読者ではない。ノートの切れ端に書いた歌を見せたら,その場でおもしろがってくれるような読者である。家族・学校など身近な場から採った題材や,徹底した「内面」の不在といった笹の短歌の特徴は,この表現の「現場性」と読者との「即時的交通」という笹の短歌観から直接に由来するものである。

 藤原の言う「笑芸」としての笹短歌という見方に賛成できないもうひとつの理由は,笹の短歌がしばしば醸し出す抒情性である。私は笑える短歌よりも,むしろこちらの方に注意を引かれた。

 モノクロの写真でいつか見た人がわれに微笑むお盆の夜に

 中央線に揺られる少女の精神外傷(トラウマ)をバターのように溶かせ夕焼け

 自転車で八百屋の棚に突っ込んだあの夏の日よ 緑まみれの

 空襲の夜の紅(くれない)にさざめきぬ一升瓶の底の米たち

 ゆうぐれの電柱太し ベレー帽の少年探偵裏に隠して

 今宵祖父の命日なればまぼろしの暴れ馬いま部屋をよぎれり

 死者たちの団欒映すテレビジョンは涙に濡れて月燃え上がる

 これらの歌はお笑い路線とは異なる波長の歌であり,上質の抒情が漂っている。若い頃に寺山修司に傾倒した笹の資質はこのような歌に最もよく顕れていると言える。そしてこのような歌においても,笹短歌の特徴である場面設定の明確さと語法の洗練による「わかりやすさ」はきちんと実現されており,抒情はあっても過剰な内面はない。

 一首目は,「またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく」という岡野弘彦の歌とどこかで通底するものを持っており,「モノクロ写真」「お盆」といった用語に昭和の懐かしさが感じられる。二首目のトラウマ少女が乗っているのは中央線だが,中央線は飛び込み自殺者が多いところにその必然性があることにも注意してよいだろう。ちなみに笹の短歌で「バターのように」のような喩はごく稀にしか使われていない。三首目は青春短歌としても秀逸。四首目を読んでなぜ一升瓶の底に米があるのかと若い人は不思議に思うかもしれない。戦時中はやっとのことで手に入れたヤミ米を一升瓶に入れて棒で突いて精米したのである。底に少ししか米がないところもポイントのひとつ。五首目は江戸川乱歩を下敷きにしたもの。六首目・七首目は着想の元がよくわからないのだが,ともに死者を詠って秀逸である。どこかに下校時の夕焼けのようなレトロな懐かしさが漂うところも笹短歌の大きな魅力である。

 笹の短歌を単なる「色モノ」としてではなく,真面目に取り上げて論じるほうがよいと思う。もっとも笹本人はおもしろがってもらえれば本望なので,あまり真面目に論じられるとかえって迷惑かもしれないが。最後にひとつだけ不満を述べれば,『念力家族』も『念力図鑑』もどちらも15分で読んでしまった。今度はもっと楽しみが長く続くことを期待したい。

笹公人のホームページへ

120:2005年9月 第1週 今野寿美
または、世界に耳を澄ませて身内の音楽を聴く

光芒の水に折れゆく見てあれば
      調絃の音ほのかにきざす

           今野寿美『花絆』
 大学は夏休みというのに我慢大会のような長時間の会議に出席して,脳の皺が伸びてつるつるになったような気になった。こうなるともう何も考えることができない。こういうときには歌集を読むに限る。今野寿美の『花絆』を手に取って読み始めると,言葉に寄り添うように脳のなかに快いリズムが刻まれ,つるつるの脳に陰翳の濃淡が生まれて,灰白質の皺が再生するのが感じられる。

 掲出歌では,降り注ぐ光の屈折を見ているうちに,オーケストラの調絃の音が耳に聞こえて来ると詠まれているが,この音はもとより現実の音ではない。光という外的刺激を契機として,身内に鳴り響く音楽である。〈私〉は〈世界〉に耳を澄ませる。すると身体の内に音楽が聞こえて来る。今野は世界に耳を澄ませる存在であり,鳴り響く音楽は魂の調べでもあろう。解説を寄せた塚本邦雄はこの歌を,今日までの今野の最高作と断定しているが,確かに作者の深い資質をよく表わしている歌であり,私も文句なく付箋を付けた一首である。

 今野は1952年(昭和27年)生まれ。馬場あき子に師事し,「まひる野」から「かりん」に参加,その後夫君の三枝昂之とともに歌誌「りとむ」を創刊している。第一歌集『花絆』(1981年),第二歌集『星刈り』(1983年),第三歌集『世紀末の桃』(1988年 現代短歌女流賞) 以下,第七歌集『龍笛』(2004年 葛原妙子賞) までがある。今回は入手しやすい雁書館の「2 in 1 シリーズ」で『花絆』と『星刈り』のみを読んだ。今野は大学で古典文学を専攻し,卒業論文で源氏物語を取り上げただけあって,豊かな古典の素養から自在に繰り出される言葉は馥郁として典雅で,現代の文語による女歌を代表する歌人といってよいだろう。

 今野の歌を虚心坦懐に読んでまず感じるのは,歌のなかに確かなリズムが刻まれ,そこに沈黙の音楽が流れているという感覚である。集中のどの歌を取ってもよい。試しにいくつかランダムに引用してみよう。

 陽の重さ瞳の重さはかりをりひそかにひとを想ふといふこと

 夕暮れをほたほたと花の散る庭に硯の底の墨ながしたり

 渡らざる橋のかなたはあかるくて今宵放恣にさくらばな散る

 はなやかな錯誤をひとつ持つことも肯ひて春の雨を見てをり

 かなしみの量(かさ)のやうなるこぶ負ひてらくだは膝をおもむろに折る

 一見すると流れるような自然な措辞のようにも見えるが,例えば一首目の「陽」「瞳」「ひそかに」「ひと」の「ひ」音の連続,「陽の重さ瞳の重さ」の対句的表現,三句目の切れによる切断など,自在な言葉の選択に支えられた修辞的工夫を凝らしてこのリズムが実現されていることがわかる。「最も優れた人工とは自然にしか見えない人工である」という金言を地で行くようだ。二首目では「ほたほたと」とわざと「と」を加えて二句めを8音に増音して微妙な時間の伸びを生んでいる。下句「硯の底の墨ながしたり」も厳密に言えば句跨りなのだが,「墨ながし」という表現にも支えられて,ほとんど句跨りを感じさせない。上にあげた他の歌についても同じようなことが言える。句と句の接続に断層がなく,言葉と言葉の繋がりに無理がないため,読んでいて定型という拘束を忘れそうにすらなる。

 そこに音楽が生まれる。それは沈黙の音楽である。みずから声高に声を発することなく,世界の沈黙に耳を澄ます。すると身内に音楽が流れる。それが自らリズムを刻んで定型の器に収束する。そんな感じがする。

 きみの抱(いだ)く青年の海光満ちてわれにほのかな潮騒の音

 満潮の海のさやぎと還りくる漁舟の響きときみの鼓動と

 指の先かすかに湿る夏の午後分散和音(アルペジオ)低く流れ落ちたり

 このように今野の作る歌のなかには,音の響きを詠み込んだものが少なからずある。恋人の抱く海から響いて来る潮騒の音,漁船のエンジンの音に混じる恋人の鼓動,夏の午後に幻聴のように鳴り響くアルペジオ。今野の歌にある音は,「世界のどこからか響いて来る音」であり,みずからが立てる音ではない。この音に耳を澄ますことによって〈世界〉に形を与える。そのように事は運ばれているように思える。

 では今野という主体は外部から音を受容するだけの受動的存在かというと,決してそうではない。『花絆』の主要なテーマのひとつは,女性歌人の第一歌集の多くがそうであるように相聞なのだが,今野の歌には次のような激しさもまたあるのである。

 さくらばな降りやまぬ日にきみわれを奪(と)らむとやまさに風上に立ち

 かくれなき愛となりたるその日よりなほまかがやけわが牽牛星(アルタイル)

 集中に収められた歌には,作者の日常風景と,父母・弟・恋人という作者を取り巻く限られた人数の人間しか登場しない。それは今野にとっての〈世界〉が抽象的・観念的に把握された世界ではなく,日常の実感を伴って手に触れられる世界であり,現象学で言うところの「生活世界」だからである。このため今野が歌のなかで描く世界は実に細やかで,時に微少な図形の投げかける陰翳が空間中で移動する軌跡を観察しているような印象すら受ける。

 『花絆』はほぼ編年体に編まれているようなのだが,後半の終わりにかけてそれまでの歌と微妙に印象が異なって来る。心理的屈折が増大してくるのである。

 はけ口のあらぬ思ひに来しわれをとぼとぼ追うて三丁目の犬

 満開の季(とき)なれば母よわれにいまだ子なきこともしばしは言ふな

 言ふほどの何の矜持かからびたる赤唐辛子はりはりと裂く

 親族(うから)とは冥き絆を紡ぎつつもの食(は)めばましてあはれなりける

 この屈折はそのまま第二歌集『星刈り』へと引き継がれてゆき,この歌集の大きなテーマとなる。日常生活の折節に兆す心理屈折のさまざまな綾目を31文字の調べに乗せる大規模な実験を行なっているようで,歌のトーンがやや低くなる分だけ,作者の〈私〉の影が濃くなる。

 欲しきものさしあたりなく数行のやさしき手紙も久しく書かず

 貪欲に夏,ぼつてりと太りたる仙人掌(さぼてん)といふをなぜか好めぬ

 おろかしく花をあふぎしことのみに見すかされたるわれの夕暮れ

 黒白をつけねばすまぬ父に似て今日またひとついさかひてくる

 執着はせねどこの道いづこかで間違へしままなるやもしれず

 ここにあるのは第一歌集『花絆』の主調であった〈世界に耳を澄ます〉というスタンスではなく,〈言葉を私の心理に引き寄せる〉という態度である。作者の〈私〉が顔を出す度合いが増えた分だけ個人的要素が注入されて,歌意と読む人のあいだに隔たりが生まれている。その隔たりをよしとするか否かは微妙な問題だろう。私はまだ世評の高い第三歌集『世紀末の桃』以後の今野の歌集を読んでいないので,この微妙なスタンスの変化がその後どのように展開を見たかはわからない。わからないだけ楽しみである。「まだ読んでいない本がある」というのは楽しいことだ。「まだ書いていない本がある」という楽しみには及ばないかもしれないが。

 最後に特によいと思った歌をあげておこう。

 つばめ わが視界を越えて翔びゆけり永遠(とは)に未完の詩稿のごとく  『花絆』

 降りさうで降らぬいち日水無月を張りつめている夜のピアノ線

 夢のかけら記憶の闇などこぼしつつ母が押しゆく花売車

 流れくる水泡のごとき虚(こ)のごときいかに花降るわれのみなかみ

 おぼほしき四月の空(うつほ)咲きのぼる花序の無限も何につながむ

 烏賊の肝(うろ)ずるりと引き抜く手わざなど累ねて夏をしたたかに越ゆ  『星刈り』

 死者のためうたひしことはまだなくてひしとこの世の冬踏みしだく

吉岡生夫歌集『草食獣 隠棲篇』書評 :隠棲するにはまだ早い草食獣への手紙

 吉岡生夫の『草食獣 隠棲篇』は著者の第六歌集である。第一歌集『草食獣』、第二歌集『続・草食獣』、第三歌集『勇怯篇 草食獣そのIII』、第四歌集『草食獣 第四篇』、第五歌集『草食獣・第五篇』と、すべての歌集に「草食獣」という題名がつけられているのは異例なことである。著者のこだわりが透けて見えるようだが、意外なことに著者自身による命名ではない。「短歌人」の先輩にあたる小池光がとある酒の席ではからずも名づけ親となったらしい。『草食獣 隠棲篇』の異例に長いあとがきで、吉岡は「炯眼恐るべし。私は肉食獣への変身を夢見ていただけにショックだった」と述懐している。「炯眼恐るべし」とは、初めての歌集を出そうとしていた当時二十八歳の吉岡の短歌を見て、小池が「君の本質は草食獣だ」と喝破したということを意味する。そしてこれを聞いた吉岡は「逃れようのないことを知った」という。吉岡は歌人としての出発点において、しかも二十八歳という若さで、青春期の一時の情熱に曇らされない冷徹な眼をもって、自己の本質を受け入れたのである。これは珍しいことと言わねばならない。誰しも青春期には肥大した自己と過剰な自意識を抱えていて、正確な自己認識を持つことはむずかしい。膨れあがった自意識は、天空へ飛翔するがごときハイトーンの抒情を生み出すことがある。その一時の煌めきは青春の特権と言えるだろう。二十歳の頃の吉岡もこのような青春の煌めきと無縁だったわけではない。

 ちちははのいのりのごときうみなりのなかをゆくとき血こそかがやけ

 海ゆかばみづくかばねとなるものを生かされてわがのる遊覧船

 しかし吉岡は自らを草食獣と規定して歌人としての歩みを始めた。そこには自己認識と引き替えに引き受けた断念がある。第一歌集『草食獣』には年齢相応の清新な抒情を感じさせる歌が見られるかと思えば、年齢にそぐわない老成の香りの漂う歌もあり、読後の印象が散乱する感は拭えない。

 妹は尿してをりかたはらにさく竜胆の花はむらさき

 盲腸の跡がのこれる下腹部をさらす女もわれも敗者か

 吉岡が自分の短歌世界に自信を持ったのは、第三歌集から第四歌集にかけての頃だという。次のような歌が吉岡の歌境の深化を証している。 

 さてもをどりの名手といはむ鉄板のお好み焼きにふる花がつを

 かみさまも裏側ゆゑにせはしくて縫目のあとのしるき陰嚢

 その特徴を一言で言えば、生活の些事を掬い上げる目線の低さと、アンチ自己劇化であろう。この特徴はこのたび刊行された第六歌集『草食獣 隠棲篇』でも健在である。

 朝夕のわれのかひなをはなさざるテルモ電子血圧計嬢

 をのこまたをみなおなじく水泳のガッツポーズの脇に毛のなし

 ぷらすちっくの豚のそこひゆたちのぼるベープマットの夏はきにけり

 「テルモ電子血圧計」「ベープマット」という商品名から滲み出る市井の生活感、「をのこ」「をみな」の古語と「ガッツポーズ」というカタカナ語の取り合わせの生み出すズレがこれらの歌のポイントであり、この手の手法に関して吉岡は名人の域に達している。短歌の韻律が本来内蔵している「雅」と、目線低く掬い上げられた生活の些事という「俗」の巧みな結合と配分により生み出されるこれらの歌には、現代短歌において他に類を見ない手触りと味わいがある。それはひと言で言うと大人の味わいである。

 大病を経験した吉岡にとって死はすでに身近なものかもしれないが、この歌集では死は今までよりも静謐感のなかに描かれていることも注目される。

 死んでゆく最明寺川みづあまく螢とびかふ六月の夜

 たいざうかいたいざうまんだら湯に入りて荒井注氏のおもむくところ

 手にかこふほたるのひかりなかぞらに尾をひくひかり草生のひかり

 秋風にすわれば風がわたりをりこれだけの生これだけのこと

 しかし、と私はすんでの所で立ち止まって考える。これは「野仏の微笑」の境地と紙一重ではないか。吉岡の年齢でこの境地に踏み込むのはまだ早すぎる。ここはぜひとも今しばらくこちら側に踏みとどまって、「雅」と「俗」のあわいから繰り出される絶妙のユーモアのまぶされた人生の哀感を歌にしてもらいたい。そう願うのは私ひとりではないはずだ。吉岡短歌の愛読者として、草食獣の歌境のさらなる展開を待望する所以である。



「鱧と水仙」25号 (2005年)掲載

119:2005年8月 第5週 目黒哲朗
または、光のなかに生のかたちをくきやかに描く

水鳥のつばさを奪ふ シャッターを
       切りて時空の網を放てり

             目黒哲朗『CANNABIS』
 目黒哲朗は掲出歌を含む写真撮影を題材とした連作「つばさを奪ふ」で、平成5年度の歌壇賞を受賞している。写真は一瞬の時間を切り取り、印画紙に定着する。その行為を「時空の網を放てり」と表現しているのである。時間だけでなく空間もまたここに含まれるのは、時間を固定すると対象は空間的にも動くことができなくなるからであり、このように時空は私たちが生きる四次元世界において連動するパラメータとなっている。一字空けがあるのは、初句・第二句を「シャッター」にかかる連体修飾語と読まれたくないからであり、「水鳥のつばさを奪ふ」の隠された主語は〈私〉である。

 目黒哲朗は1971年(昭和46年)生まれ。「原型歌人会」会員で斉藤史に師事している。『CANNABIS』は2000年に出版された著者の第一歌集である。歌集題名のCANNABISは大麻草のこと。『短歌ヴァーサス』5号に掲載された伊藤一彦の文章によれば、歌壇賞の選考の際、選考委員のほぼ満場一致で受賞作に推されたという期待の大型新人である。

 伊藤は同誌の評のなかで、目黒の短歌の「みずみずしさ」と「少年性」に言及しているが、確かに本書を一読した人がまず抱く感想は、きらきらした夏の光のなかで息づく少年性であろう。それは次のような一連の歌のなかに特に強く感じられる。

 夏の蝶を捕へむとして逆光の父の背中を追ひかけてゐた

 夏草の茂る径(こみち)を父が踏みそして幼きわれが踏みたり

 ポケットに揺るる毒瓶みづいろのカミキリムシを眠らせてある

 夏の蝶の美しさとはかなさは少年時代の象徴であり、少年は蝶を毒瓶に封入するようにやがて少年時代を封印する。そのさまが逆光のなかの記憶として定着されている。宮崎駿監督の名作「となりのトトロ」で最も印象的だったのは、田舎家で父と暮らす姉妹の世界に溢れる光である。確かに昔を振り返ってみても、子供の目で見た世界には光が溢れていた。味を感じる舌の味蕾は年齢とともに減少してゆき、味に対する官能度が低くなるというが、視覚についても同じことがあるのだろうか。子供の眼球は大人よりも光刺激にたいする官能度が高いというような生理学的事実があるのかもしれない。目黒のこの一連の歌は、そのような官能度の高い少年の目で見た世界である。

 しかし少年性はいつまでも光りの溢れる世界に留まることはできない。光のなかに屈折と影が生じる午後がある。その過程もまた目黒の歌には捉えられている。

 寝転びて空へ投げたる自転車の鍵はひかりを溜めて戻り来

 くれなゐを抱くかたちに少年はポストの中の闇を覗けり

 紫と青の絵の具がいちはやく終はつてゆく十八歳の夏

 パレットで火薬を溶いてゐることに少年はいつ気づくのだらう

 寝転んだまま自転車のに鍵を空中に投げるという動作には、早くも微量の倦怠が感じられる。また少年はやがて、見知らぬポストの中の闇を覗くようにもなる。パレットに溶く絵の具が実はやがて発火する火薬であることに、まだ少年は気づいていない。これらの歌は成長してから過去の少年時代を振り返る形で作られており、そこに注がれる眼差しはもはや少年性を脱したものであることは言うまでもない。

 次のような歌は青年期を迎えてからのもの。ここでは詠われている世界と詠っている〈私〉とは時間的に同時であり、まごうことなき青春歌と言える。

 新宿は土曜日の午後 目をそらしあふことがとても美しい街

 ポケットに闇ひとつかみ忍ばせてキャンパスを行く学生われは

 二十代せめてガラス器くらゐには光りてやらむ毀れてやらむ

 自転車は夏へ走るを 冥府までいくばくもなき坂を思へり

 決して譲れぬ孤独がわれにあることもしぐるる窓に伝ふひかりは

 川風に揺るるワンピースのそばでこんなに遠くきみを思へり

 一首目、長野から在来線に乗ると新宿に到着する。長野から東京に出てきた青年の目には、東京とは人々が目をそらし合うよそよよしい町に見える。ここには地方在住者の軽い屈折と同時に、微量の憧れが感じられる。二首目は二松学舎大学文学部で学生生活を送る青年の歌であり、作者の自画像だが、ポケットのなかに一掴みの闇を持たない青年の方が少ないだろう。三首目、せめてガラス器のように光りたいという想いと、ガラス器のように華やかに割れてみたいという負の願望とが同居するさまを詠んでいるが、これもまた多くの青年に共有される心情である。四首目、まだ遠くにあるとはいえ死への思いは意外に青春の近くにある。五首目と六首目は対人関係を詠んだものだが、人に近くありたいという想いと、孤高を守りたいという想いは、これまたしばしば青年のなかにふたつながらに存在するものである。対人関係を詠んだ歌はこの歌集にそれほど多くない。ほぼ同世代の横山未来子の第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』に収録された歌の多くが相聞であり、横山の世界把握の中心に対人関係があるのとは対照的である。この事実もまた目黒という歌人の資質の一面を物語るものだろう。

 次のような歌は目黒のもうひとつの資質を明らかにしてくれる。

 雛壇は女(をみな)らの手に飾られぬ土中(つちなか)に蛇めざむるころか

 晩春の疎林をゆけば自転車は骨ぼね白くわれを離れず

 六秒の露光完了 陰画紙に記憶の森は焼きつくされて

 振る雪と雪のあはひのあかるさに死の装束は織られつつゐむ

 天変はちかく来たらむスケートの刃にたましひを載せている春

 桃を食ふ桃のひかりともろともに一夏(いちげ)のわれを葬るごとく

 ペン先のひかりを空に近づけてブルーブラックの夕暮れを待つ

 薔薇の花散る無秩序が美しい町ゆゑわれの消息を問ふな

 晩秋の虹眉(まみえ)濃く立ちにけり君のそびらの大いなる死者

 これらはストレートな青春歌ではなく、もう少し成熟した大人の目で世界を眺めており、そこに複雑に折り畳まれた感性の綾を見ることができよう。一首目、女たちが飾る雛壇と土のなかで目覚めようとしている蛇のあいだには、遠いながらも同期する官能的な関係が読みとれる。二首目はとても絵画的な歌で、乗っている自転車を白い骨と感じるのは、自転車と一体化した自分も同じように骨と感じているからである。三首目は連作「つばさを奪ふ」のなかの写真の現像室での作業を詠んだもの。「記憶の森は焼きつくされて」は、「記憶にある森が陰画紙に焼き付けられる」とも解釈できるが、それとダブルイメージで「森が実際に焼きつくされる」という意味を振り払うことができず、そこに世界の故なき暴力性が感じられる。四首目・五首目・六首目は集中で特によいと思った歌だが、これらは写実の歌ではなく、世界の把握の仕方にもう少し距離感があり技巧が凝らされている。内容的には危うい生をかろうじて生きていると実感したときの戦慄だろう。七首目と八首目はもう少し観念と作り込みの方向に踏み込んだ歌。これらの歌は「言葉」から出発して作られていて、集中では他の歌とは微妙に温度が異なる。

 文語定型を駆使する目黒の歌の安定感は高く、若手歌人のなかでも群を抜いている。かつて穂村弘は、紀野恵大塚寅彦中山明ら80年代に活躍し始めた歌人のなかで文語文体を駆使する人たちを取り上げて、彼ら以後そのような高度な文体を駆使する歌人は絶滅したと述べたことがある(『短歌ヴァーサス』2号)。その理由として、「八〇年代の終焉とともに若者たちは非日常的な言語にリアルな想いを載せるということが出来なくなったようだ」と続けている。しかしながら、紀野や大塚よりずっと下の世代に属する目黒や横山未来子らは、文語文体で清新な感情を詠うことに成功している。一方おもしろいことに、目黒や横山と同じ世代でも口語文体の歌人の第一歌集は、世界の閉塞感や漠然とした虚無感・終末感が色濃く漂っていて、「清新な青春歌集」というラベルがそぐわないものが多い。このちがいはなかなかおもしろい問題ではないだろうか。

 私は『CANNABIS』を、蝉の声が弱まってやがて聞こえなくなる夏の終わりに読んだ。光と影の交錯するこの歌集は、夏の終わりに読むのがよい。そう感じさせる歌集である。

118:2005年8月 第4週 小笠原魔土
または、実験室から生まれる細胞レベルの抒情

「現象」に創りだされた「考え」が
      「現象」のことを考えている

        小笠原魔土『真夜中の鏡像』
 この歌の「現象」とは〈私〉のことである。〈私〉から生まれ出た「考え」が〈私〉のことを考えている。つまりこれは平たく言えば「私が自分のことを考えている」という日常誰でも経験する内省もしくは自省の場面を詠った歌なのだが,ここには〈私〉につきまとう〈内面性〉が決定的に欠落していることに注意しよう。近代短歌が100年以上にわたって醸成してきた〈私〉に慣れ親しんだ人のなかには,この〈内面性〉の欠落を衝撃的と感じる人もいるだろうし,独自の短歌を追求している奥村晃作のように小気味よいと受け取る人もいるだろう。〈私〉とはひとつの「現象」にすぎないという把握は,存在を実体的に把握してきた近代短歌にとって脅威となる言挙げである。作者にはもちろん近代短歌に反旗を翻す意図など毛頭ないのだが。

 歌集の奥付の略歴によれば,小笠原は1967年(昭和42年)生まれで,「個性の会」と「熾」会員。海洋学研究科という大学院を出て,現在は医療機器を開発する会社に勤務しているらしい。「小笠原魔土」という筆名では性別がわからないが女性である。

 理科系の歌人は決して少なくない。医者であった斎藤茂吉や上田三四二や岡井隆は別として,坂井修一や永田和宏は理科系の学者であり,若い歌人では永田紅や早川志織などがいる。しかし理科系の世界と短歌の間の浸透率はさまざまである。よく引用される永田和宏の「スバルしずかに梢を渡りつつありと,はろばろと美し古典力学」ではケプラーやラプラスの宇宙観を背景としつつも,歌に詠まれているのは古典力学の法則に基づいて静かに運行する天体を眺める人間の内面である。背景は理科系でも歌の世界はあくまで人文的なのだ。

 しかし小笠原の歌の世界が特異なのは,理科系の浸透率がより高く,小笠原が世界を分節する方法そのものが理科系的発想によっているという点にある。

 混沌(カオス)から引き上げられた秩序(コスモス)が法則(ロー)と呼ばれて君臨している

 囁きは弱い振動急速に大気の中で減衰していく

 さまざまな海洋物理の法則が船をこんなに揺らしているのだ

 悲しみはあなたの脳から放たれて私の目から流れ落ちてく

 セロトニン強制的に増加させ現実世界に虚像を結ぶ

 一首目・二首目の「カオス」「コスモス」「ロー」「振動」「減衰」などの理科系用語は,本来は歌語としては余りに硬質で観念的であり,抒情を基本とする短歌の文脈には乗りにくい。短歌に詠み込まれた事物は,「藤の花房」にせよ「向日葵」にせよ即物的な事物ではなく,それを通して作者の感情なり情感なりを詠むのが目的であるから,あらかじめ「情的意味」が付与されており,いわば「人文まみれ」の事物なのである。これにたいして「振動」「減衰」などの用語にはそのような「情的意味」がななく,これらを用いた短歌は即物的で非情で乾いたものにならざるをえない。近代短歌は基本的にこの「乾いた」状態を嫌う。このような用語をあえて用いているところに,小笠原の短歌の大きな特徴があると言える。

 三首目は自分が経験する船の揺れを,その原因である海洋物理の法則にまで遡って詠っている。先に挙げた永田和宏の歌でもまた,天空を渡るスバルの運動の原因を古典力学に遡っているので,歌の構造は一見同じに見えるのだが,その相違は隠れようもない。永田の歌では古典力学に思いを馳せて天空のスバルを眺めるという静かな情感が歌意の本質であり,自然を観照する〈私〉の位置は揺るぎない。ところが小笠原の歌では〈私〉の位置は安定からはほど遠く,揺れる船に乗船している〈私〉を自然法則のなかに溶解しようという姿勢が顕著である。〈私〉の消失が作者の密かな願望なのだ。

 四首目も実におもしろい。ふつうならば,「悲しんでいるあなたに共感して私が涙を流す」というように歌にするところだが,あなたの悲しみはあなたの脳が作り出したものであり,それが私に伝わると涙腺を刺激して涙が流れると,あたかも原因と結果を結ぶ自然現象のように記述されており,ここにもまた内面性は徹底的に消去されているのである。これは「細胞レベルの抒情」と呼んでよい。五首目にあるセロトニンは他の脳内物質の作用をコントロールして感情の暴走を抑え平常心を保つ働きがあるとされている。セロトニンを強制的に増加させるということは,より平常心に近づけるということであり,そうして見える現実世界を虚像だと見なす作者の視点が倒錯していることは明らかである。

 先に「〈私〉の消失が作者の密かな願望」だと書いた。このことは〈私〉を詠んだ歌を並べてみるとよくわかる。

 ふわふわのわたゴミとなり消えてゆくこの部屋にいた私の存在

 うっかりと忘れてしまった 四年前の私の演じた私の形

 波のような粒子のような私を捕えてごらん方程式で

 忘れられ廃墟でひとり茶をすする私の姿を鏡は映さぬ

 生物に課された役目を放棄するもう私は増えたくない

 もういいと誰かが許してくらたならさらさらさらと消えられるのに

 人間の張りぼてなんだ私は一皮剥けばただの暗闇

 ゴミとなりまたさらさらと消えて行きたいと繰り返し詠われている。〈私〉は確固とした意志と感情を持った個的存在ではなく,ふわふわとした希薄な存在でしかない。二首目の「四年前の私の演じた私の形」という箇所に内面性の不在があり,七首目の「人間の張りぼてなんだ」という断言にもまた作者のペシミスティックな人間観が現われている。なかなかおもしろいのは三首目で,「波のような粒子のような」というのは,素粒子が粒子としての性質と波動としての性質を併せ持つとする量子力学の物質観に依拠しているのだが,そのような存在形態を持ちながら私についての解を与える方程式はないと断じている。作者のペシミスティックな人間観はまた,「この惑星(ほし)を滅ぼすために送られた生物兵器としての人間」というような歌にも色濃く現われている。

 理科系の非情な眼差しは次のような実験室から醸し出される無機質の抒情を生む。

 透明なコレステロールの結晶がゆらゆら揺れてる生理食塩水(せいしょく)の瓶

 人間が体内に持つ色彩は外側よりもずっときれいだ

 人間は一皮剥けば骨だから都会はどこも骨だらけである

 実験中オゾンのにおいが鼻をつきブラインドごしに初雪を知る

 ゆらゆらと沈んでゆくのはマリンスノー私が結石(いし)を砕いて造った

 即物的な対象把握に湿った感情移入の影はない。最後の歌は腎臓結石を超音波破砕したかけらをマリンスノーに喩えたものだが,短歌のなかで腎臓結石がこのような形で詠まれたのはおそらく初めてではないだろうか。表現領域の拡大という観点から見るならば,確かに拡大されていると認めざるを得ない。

 小笠原のもうひとつの側面はオカルト指向である。これほどのオカルト短歌も珍しい。

 ロンドンは世界屈指の魔都だからドラキュラを呼ぶ 私も呼ばれた

 沈みゆく血の玉に似た太陽がサイレンたちの瞳を染めた

 死の国の王のくちづけ私は吸血鬼へと変化してゆく

 カン高いホムンクルスの嘲笑が居眠り博士をたたきおこした

 刑場へ続いた道をたどるとき残留思念が足にからまる

 吸血鬼,墓場,錬金術,聖杯,占星術,幽霊などが登場する定番のオカルト世界である。理科系の即物主義とオカルト趣味が同居しているのは奇妙に見えるかも知れないが,〈私〉の消失を希求する小笠原が「人間にあらざるもの」と「あちらの世界」に惹かれるのは当然なことだろう。中村幸一の栞文によれば,小笠原は常に黒い服を着ているということだ。まさかゴスロリではないだろうが,オカルト的雰囲気を日常生活でも実践しているというわけだ。

 さて,ここまで書いてきて気になることができてしまった。今まで私がしてきたように小笠原の短歌を読み解こうとしたら,さしたる抵抗もなくすらすらと読み解けてしまう。なぜかというと小笠原の作る短歌の多くが説明的だからである。だから表現の奥に分け入る努力をしなくても,表面を読んだだけで理解できてしまう。これはまずいのではなかろうか。

 短歌が言語による芸術である以上,そこにはかんたんに読み解くことができないような美がなくてはならないのではないか。読み解いても読み解いても何かがまだ残る歌,どこから読み解けばよいか見当もつかないのに不思議な美しさに輝く歌,意味を理解してしまった後でもいつまでも口に残る歌,意味だけ見ればつまらないのに言葉が輝いている歌,定型文学である短歌はこのような美をめざしてきた。小笠原にも腎臓結石のように不思議な光に輝く歌を期待したい。

117:2005年8月 第3週 川野里子
または、〈私〉は変化する世界の一部として

集会のお知らせの壁に黄ばむ駅
     けむりのやうに汽車を降りれば

          川野里子『太陽の壺』
 私は自分では短歌を作らないので,作歌の技術論にはあまり興味がない。私が短歌を読むときに興味を持って眺めるのは,作者が自分を取り巻く世界,自分に歌を作るようにと促す世界と,どのような位置関係を取り持っているかという一点である。この位置関係の様々な取り方により,その関係性から生まれて来る,またそこからしか生まれて来ない歌のあり様が自ずと決まることになる。おおよそそのように考えている。このような考え方に立脚すれば,コトバとは〈私〉と世界の位置関係を測定する物差しであり,〈私〉と世界との関係性を構築するための,唯一ではないが重要な手段であるということになるだろう。

 そんなことを念頭に置いて掲載歌を見てみる。「無人駅」と題された3首のみから成る連作の中の一首である。前後に次のような歌が並んでいる。

 ぽくぽくとたんぽぽ咲いて陽は咲いてふるさとに白し人のゐぬ駅

 ちちははと幼子のわれが炎(ひ)のやうに闘ひし時間(とき)よ駅に待つ父母

 作者は久しぶりに故郷を訪問している。父母が待つ駅は無人駅であり,いつ貼られたのかもわからない集会のお知らせは黄ばんでいる。自分を待つ父母は老いている。そんな駅に〈私〉は「けむりのやうに」降りる。なぜ「けむり」なのかというと,〈私〉は故郷を捨てて東京在住者となったからである。この「けむり」という単語のなかに,〈私〉と世界の関係性が凝縮されている。それは〈自省の眼差し〉であり,この眼差しが至る所に偏在している点に川野の歌の大きな特徴がある。

 川野は1959年 (昭和34年) 生まれ。現在までに『五月の王』(1990年),『青鯨の日』(1997年),『太陽の壺』(2002年,第13回河野愛子賞)の3冊の歌集と評論集『未知の言葉であるために』(2002年)がある。川野は短歌評論の面でも定評があり,その多くはホームページで読むことができる。

 田島邦彦他の編集になる『現代の第一歌集』(ながらみ書房)の跋文で,藤原龍一郎小池光の次のような文章を引用している。今では昔とちがって歌集を出版することは容易になり,第一歌集の多くはそんな感覚で編まれていると指摘したのち,小池は次のように続けている。

 「けれど二冊目まで出そうとするとき,その意欲はかなりちがった意味を帯びる。一過性の思いつきでなく,表現行為の継続ということが問われるからだ。じぶんが生き続けることと,作歌し続けることの関係性が否応なく問われる。その点,少なくとも著者自身にとって,今日では第一歌集よりもむしろ第二歌集が重要な意味をもっているといえる」(朝日新聞平成4年8月30日)

 この小池の言葉がぴったりと当てはまる歌人として,川野以上にふさわしい人はいないだろう。川野の3冊の歌集は,「じぶんが生き続けることと,作歌し続けることの関係性」への持続的な問いかけの結実であり,青春の輝きに満ちた第一歌集を上梓したのち,急速に輝きを失うタイプの歌人からはほど遠いのである。

 すでに『五月の王』において,夫の転勤のためか山形県に転居して暮らすことになった自分を詠った歌において,川野の眼差しの性格と方向性は紛れようもない。

 万の日を万の鳥来て越えざりし鳥海山にぞ視られて仰ぐ

 みどりの血垂らしかたむく楡おもひ東京をおもひやがて忘れぬ

 失語へとはこばれゆくな夏の花咲きみちてわれをゆする桟橋

 一首目にあるように,川野の歌には〈視る〉と〈視られる〉関係が両立しているものが目につく。〈私〉は鳥海山を仰ぎ見ているのだが,同時に鳥海山に視られている。「こども抱く腕のふしぎな屈折を玻璃ごしにながく魚らは見をり」という歌もあり,ここでは水族館のガラスを隔てて,〈私〉と魚たちが〈視る〉〈視られる〉関係にある。これはつまり〈私〉を特権的な存在として世界から分離して把握するのではなく,〈私〉は世界の一部であり世界の変化とともに〈私〉もまた変化してゆく存在であると見なしていることになる。このように川野の詠う〈私〉は世界に対して開かれているのであり,そのような視座から眼差しが注がれるのは〈変化〉である。川野は変化に興味があるのだ。

 夫(つま)と子と季節のはざまに変態し擬態し女らやはらかくゐむ  『青鯨の日』

 かたち変へ滅びては生(あ)るるわが夫に添ふ一本の朴訥な木は

 子の寝顔かこむ幾夜やささやかにささやかにわれら変わりゆくらし

 川野を襲った一大変化は何と言っても2年余にわたるアメリカ在住であろう。夫君は哲学者らしく,研究のため渡米し,カリフォルニア州パロ・アルトに在住することになる。同じく『青鯨の日』から。

 獅子のごとオムレツ運ぶしなやかな黒人が残す朝の確かさ

 中庭にハミングバードの翼ふるひ異語圏にあはく疲れはじめぬ

 虹色の旗飾るゲイその下階(した)にユダヤ人(びと)祈りわれが書く歌

 東洋を語り重ぬる化粧(けはひ)濃くさびしからずや遠く風の木

 沖をゆく青鯨(せいげい)よりもなほ遠く日本はありて常にしうごく

 幸ひを病める大国画面にはファインと笑ひ青年死にき

 湿った日本とは対照的なカリフォルニアの乾いた空だけでなく,川野の目はその土地で暮らす人々と,違和感を感じつつ暮らす自分にも注がれる。日本とは異なる対人関係のコード,雑多な人種と宗教が混在するアメリカ社会と接したときに自分に起きる微妙な変化に,川野の眼差しは注がれる。「幸ひを病める大国」に対して感じる違和感は,その対極にある日本を語るときに思わず施してしまう濃すぎる「化粧」への自省と同時に存在している。

 このように冷静な川野がやや感情に流されたかと思えるのが,歌集題名ともなった集中の連作「青鯨の日」だろう。 

 光粒子(フォトン)なほカリフォルニアに遍在し君は死にしか死を解けぬまま

 日本の組織離(か)れむと苦しみし青年が遺すブルージーンズ

 三十四といふ死者の歳またわが歳を怒るほかなき蜂鳥として

 カリフォルニアで知り合った日本の青年の不慮の死を詠んだ連作である。あとがきに「発表をためらって手許に置いていた」とあるのは,知人の死という個人的体験にわずかながら重心をかけ過ぎたからか。

 第三歌集『太陽の壺』では詠われる素材はバラエティーを増してゆくが,そのなかで川野に訪れた新たな変化として,父君の死と年老いた母を詠った歌が特に目につき,心を打たれる。

 父母もまた遠く来たりて遠くへと漕ぎゆかむ舟 逢ひて食む瓜

 亡骸の父にうつすら埃ふり凡百の凡の点とし父は動かぬ

 家族の家いままぼろしにかへりゆく母が背骨の透きとほる家

 はなみづき火炎の樹下の炎(も)ゆる母バスより遙かなもの待ちて立つ

 東京での暮らしのなかに父母が入り込むことで,首都と地方とを結ぶ補助線が引かれ,川野の眼差しにさらに奥行きが増しているかのようだ。それと同時に詠い口に自在さが増していることが感じられる。

 ががんぼが足を垂らして浮かぶときしづかに方位を帯びる夕空

 人間(ひと)生(あ)れし宇宙はさびしく乳臭く裸子植物はならぶ歩道に

 草千里踏みしめて牛は立ち上がりわたしくはなんと重たい夢か

 どこか遠くで象が鳴きたり象も吾(あ)もひとつづつ己が柩を背負ふ

 このように抑制の効いた詠い口と抒情を特徴とする川野の歌には破綻というものがあまり見られない。また同じ理由で「この一首」という代表歌を選び出すことも難しい。強いてあげれば字余りの次の歌を『青鯨の日』から選びたい。

 かく生きしわれがかく生きむわれに合図するいつせいに青葉うらがへるとき

 「かく生きしわれ」は過去の自分であり,「生きむ」を意志と取っても推量と取っても「かく生きむわれ」は未来の自分である。だから「かく生きしわれ」が「かく生きむわれ」に合図する瞬間とは,過去と未来の分水嶺としてのみ存在する全き現在にほかならない。ここには現在というたゆたう小舟に乗って時間の河を流れてゆく〈私〉の変化と連続性をふたつながらに見据えて行こうという覚悟のようなものが感じられて印象に残るのである。

川野里子のホームページへ

116:2005年8月 第2週 仙波龍英
または、うす紅色に咲くサクラはすさまじき修羅の花

どんぶりに桜花(あうくわ)をもりて塩ふりぬ
       朝焼け激しき食卓なれば

         仙波龍英『墓地裏の花屋』
 読みたくてもどうしても手に入らない歌集というものがある。私の場合、その筆頭はさしずめ仙波龍英の『わたしは可愛い三月兎』だろう。1985年に詩人荒川洋治の個人出版社である紫陽社から出版されている。表紙の装画は吾妻ひでおの筆になる。吾妻ひでおといえば、可愛い少女とマスクにレインコートという典型的な変態姿の男が登場する不条理マンガで一世を風靡した漫画家である。1989年11月のある朝のこと、吾妻は「煙草を買って来る」と家人に言い置いて家を出て、それっきり失踪した。最近出版された『失踪日記』によると、ホームレス生活を送りアルコール中毒で強制入院されていたという。漫画家は時に激しい人生を送るものだ。仙波龍英の第一歌集の装画を吾妻ひでおが描いていたという事実に、なにかしら暗合めいたものを感じてしまうのである。

 仙波龍英は1952年生まれ。早稲田大学在学中に、同級生の藤原龍一郎にすすめられて短歌を作り出したという。藤原と同じ「短歌人」会に入会している。また仙波はホラー小説の作家としても知られていて、何冊かの著書がある。インターネットの古書検索でひっかかるのはたいていホラー小説のほうである。『墓地裏の花屋』は1992年にマガジン・ハウスから出版された第二歌集で、荒木経惟の撮り下ろし写真と短歌のコラボレーションとなっている。最近でこそコラボレーションは増えて来たが、当時としては珍しい試みだっただろう。

 『墓地裏の花屋』は入手し読むことができたが、最初にも書いたように『わたしは可愛い三月兎』は読んでいないので、これから書くことは勢い不完全なものにならざるをえない。その欠落をいくらかでも補ってくれるのが、関川夏央『現代短歌そのこころみ』(NHK出版) の記述である。『わたしは可愛い三月兎』から次のような歌が引用されている。

 〈ローニン〉の大姉〈ポンジョ〉の姉ふたり東洋の魔女より魔女である

 スティングレーのりまはす姉ワルキューレ狂ひのおほあね撲りあふ朝

 一首目には「’61 葉山・姉21歳と19歳、少年は9歳」という詞書きがある。仙波は歳の離れたふたりの姉を持つ末っ子として育った。ふたりの姉は腹違いだったようだ。大姉は医学部志望で〈ローニン〉を重ねて精神の安定に異常をきたす。下の姉は〈ポンジョ〉すなわち日本女子大に進学している。「東洋の魔女より魔女」というだけあって、姉たちは激しい性格だったようだ。小児結核を患った経験を持つ仙波は、このような姉たちに囲まれる「可愛い兎」であった。仙波は3月生まれである。

 二首目には「’65 / 田園調布5の37の2・姉25歳ローニン、23歳アソビニン、少年は13歳」という詞書きがある。田園調布に自宅があり、葉山に別荘がある。仙波の父親は亡くなったとき、新聞の訃報欄に記事が掲載されるような人だったという。葬儀の際には妾腹の子がどこからか現われた。姉は女子大生の身分で高価外車シボレー・コルベット・スティングレーを乗り回し遊び回っている。仙波はこのような家庭環境に育った。修羅という言葉がふと頭に浮かぶほど、すさまじい家庭環境である。

 『わたしは可愛い三月兎』の解説に小池光は次のように書いているそうだ。「’52年生まれの仙波は、常道ならばこの一冊で青春のドラマを展開しなければならない。愛と別れ、反抗と挫折、生活と幻想といった青春抒情を、である。ところが仙波は全くそれをやらない」 仙波における青春の輝きの圧倒的な不在は痛ましい。おそらく仙波は愛する前に別れ、反抗する前に挫折し、生活を凝視できずに幻想の世界に没入したのだろう。

 『墓地裏の花屋』の最も私小説的作品は母親の死を詠んだ部分であり、その毒は紛れもない。しかしその毒が仙波の内部にあったのか外部にあったのかはもはや知ることが難しい。 

 ひら仮名は凄(すさま)じきかなはははははははははははは母死んだ (享年七十二歳)

     「坊さん三人つけること !」病院で姉が叫ぶ
 あはれなり死ぬよりはやく葬儀屋の手配などされははそはの母

     とにかく煙草ほどのけむりも出ないのだつた
 まる焼きの、かんぺきにまでまる焼きの母はいまだに母であらうか

     それからやがて、骨肉の争ひは起るのである
 葬式のをはりを飾る姉の見栄・憎悪ふたつが眩く眼を指す

 仙波の短歌には詞書きが多いのが特徴である。詞書きといっても、上に引用した二首目以下のように、短歌の前に短い文章が添えられていて、いかにも伝統的なスタイルを模倣しているものもあれば、一首目のように短歌の終わり、しばしば次の行末にカッコに入れて付け足しのようにしているものもある。

 小池光は「詞書きはなぜ叱られるか」(『街角の事物たち』所収)のなかでかなり皮肉っぽく、詞書きが結社で嫌われるのは、納入した会費と投稿できる文字数の計算が狂うからであり、伝授教育ができず添削もできないからであると書いている。これをどこまで真面目に受け取ってよいかはさておき、仙波の詞書きに触れて、それが伝統的なものではないことを指摘している。「一首の理解を助ける手段ではなく一見それらしい体裁に配置された何ものかである」とし、このような態度に通底するのは短歌という伝統的詩型への絶対的信頼感の喪失だと結論している。

 上に引用した母親の死をめぐる一連の歌の場合、詞書きはそれに続く短歌と意味的に関連しており、歌が作られた現実の背景を説明する役割を果たしている。したがってこれはまだ「一首の理解を助ける手段」だと言ってよいだろう。しかし次のようなケースについては話がちがう。「水洗便器の逆襲」と題された一連である。

   袋小路ではない。 
 清掃歴二十余年の小母さんの温もり残る便座を恐る

   まして花瓶のはずがない。
 美しき尻のためのみ在るとして腰をおろすほどの勇気はありや

   もちろん山手線とは違ふ。
 上蓋は都市的叙情に汚れつつ存在理由を問はれつづける

   あるいは宇宙船かもしれない。
 終日を丸井愛子の尻ばかり乗せて便器は氾濫したり 

 文語定型の短歌と対比して、詞書きの部分は歌と歌のあいだで低くささやかれた個人的なつぶやきのようである。並べられた歌は一段低いつぶやきの泥田に咲いた模造花のように連なる。このいかにも造りモノめいた感じが、荒木経惟の写真とよく合っているのである。

 小池は仙波の短歌を評して、「短歌をヤッテない人はおもしろがるが、短歌をヤッテる人は、十中八九まで、たぶんいやな顔をする」と述べている。それはなぜかというと、仙波の歌にはどこかしら短歌定型に対する悪意を感じさせるところがあるからだろう。仙波のなかには短歌定型に納まり切らない余剰があり、それが「詞書きらしきもの」として滲み出し、短歌に対して時に悪意を滲ませる眼差しとして現われる。それが「マジメな」歌人の神経に触るのだろう。

 もっとも次のようないかにも短歌らしい短歌もないわけではない。

 ひたひたと水の寄せくるごとく春北上してはししむら濡らす

 窓硝子すべて激しく共鳴す桜の蕾ひらきゆくとき

 海舟の墓に花降りかたはらにモダンバレー踊る少女などゐる

 さみしさのそのゆくすゑを描きゐる銀杏(ぎんなん)ひとつ雨にうたれて

 しかし仙波がこのような歌の世界に満足できたとはとても思えない。身に溢れるほど浴びてきた修羅の毒と世界への悪意はどうしようもなく噴出するのである。

 住職の妻臨月の腹ゆらし空にさらすは満月の顔

 いつからか住職の妻と「デキテイタ」墓地裏の花屋の居候

 わが骨の置き場所としてある若葉二丁目あたりあゆみゆくかな

 われといふ時計は疾うに停止して「なぜにおまへは生きてゐるのだ?」

 三首目・四首目は「骨の置き場所 / I.D.を落として」と題された連作に含まれている。40歳にして「この世は骨の置き場所」と観ずるのは尋常ではない。四首目は『墓地裏の花屋』の掉尾を飾る歌である。「われといふ時計は疾うに停止して」と感じざるをえないところが痛ましい。

 『現代短歌事典』(三省堂)の仙波の項目を執筆した藤原龍一郎は、『わたしは可愛い三月兎』所収の次の歌を代表歌として出している。おおかたの賛同するところだろう。

 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで

 『わたしは可愛い三月兎』が出版された1985年といえば、前年に貿易収支黒字額が過去最高となり、日本経済がバブルにさしかかっていた頃である。渋谷の公園通りでは西部デパートが「劇場型消費社会」を実現すべく市街整備を進めていた。糸井重里の「おいしい生活」というコピーや、石岡瑛子の力強いポスターなどが記憶に残る。このように時代の寵児になろうとしていた西部PARCOを三基の墓碑として、渋谷に降り注ぐ陽光を滅びの夕照として描くのは、もちろん歌人の幻視なのだが、セゾングループの置かれている現状を考え合わせると、ほとんど予言的とすら思えてくるのである。繁栄のただなかに滅びを幻視する。考えてみればこれは古来詩歌がなしてきたことのひとつであり、仏教の無常観を輸入して以来日本人の感性の底に流れてきた心の構えでもある。この意味においては、仙波の歌が示している感性は、意外に日本の伝統的感性の正統的嫡子であるのかもしれない。仙波の短歌の露悪的なケレン味を剥ぎ取ってみたら、また新しい読み方ができるのではないだろうか。

 仙波は2000年4月15日に48歳の若さで急死している。歌集を読んでからこんなことを言うのは後付けの理屈にすぎないが、仙波の歌にこれでもかと盛りこまれた修羅の毒を満身に浴びれば、これ以外の結末はなかったような気すらしてくるのである。