黒瀬珂瀾歌集『黒燿宮』書評:〈絶対的不可能〉を希求する悲劇性

 まず表紙のデザインが目を引く。黒一色で、蔓植物に首を絡まれた長髪の美青年の絵がある。蔓植物は青年の首を絞めようとしているのだが、青年は抗うどころか恍惚として迫り来る死を受け入れている。この表紙絵の青年は、黒い服、とりわけJ.P. ゴルティエを好んで着るという黒瀬本人だろう。いや、このように言うことは著者が周到に張り巡らした陥穽に陥っていることになる。表紙絵の青年は、著者が「他者からこのように見られたい」と望む自己像であり、黒瀬が入念に作り上げた「歌人黒瀬珂瀾」という〈虚構の私〉に他ならない。歌会に化粧をして現われ、NHKの番組にスカートをはいて登場したという黒瀬は、髪型や服装もまた歌人の構成要素であると考える演劇的歌人であり、黒瀬の作り上げた短歌宇宙はひとつの劇場なのだ。表紙の絵はそのことを教えてくれる。

 表紙絵には作品世界のテーマの主音も現われている。青年特有のナルシシズムと死への誘惑と官能である。

 The world is mine とひくく呟けばはるけき空は迫りぬ吾に

 わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を

 からみあふぼくらを常に抱く死とは絶巓にして意外と近し

 「巴里は燃えてゐるか」と聞けば「激しく」と答へる君の緋き心音

 復活の前に死がある昼下がり王は世界をご所望である

 「世界は我が物」と呟くのは青年の倨傲である。これを声高に叫んだらヒトラーになってしまう。しかし青年は低く呟く。世界が我が物であるのは、自らの主観の中でしかないことを知っているからである。青年は「わがために塔を」と叫ぶ。塔は世界を統べる権力の象徴である。しかし、その塔が建つのは打ち捨てられた廃園の中なのである。これらの歌は、黒瀬の作品世界を貫くひとつのベクトルを示している。それは「あらかじめ失われた愛」であり、「瓦解するべく建てられた塔」である。これは〈絶対的不可能の希求〉と言えよう。絡み合う二人が死を間近に感じるのは、快楽の頂点が死と触れ合うように、プラスの頂点がいきなりマイナスに転じるという逆説的構造がそこにあるからである。世界を支配する権力への渇望が、全世界を焼き払う破壊衝動に転じるのもまた、同じ理屈による。同性愛のモチーフが頻出するのも、それが結婚というゴールのない〈不可能な愛〉だからに他ならない。黒瀬が縦横に引用する三島由紀夫、ジル・ド・レ、サド、バタイユらの文学もまた、〈絶対的不可能の希求〉を重要な縦糸としたことを想起すればよい。

 黒瀬の描く短歌世界には、パゾリーニやヴィスコンティの映画、マーラーの音楽、バルテュスの絵画と並んで、若者のサブカルチャーがよく登場することも特筆に値する。

 エドガーとアランのごとき駆け落ちのまねごとに我が八月終る

 June よ June、君が日本に一文化なる世を生きてわが声かすむ

 darker than darkness だと僕の目を評して君は髪を切りにゆく

 エドガーとアランは、萩尾望都の少女マンガ『ポーの一族』に登場する不死を運命づけられた吸血鬼の少年。Juneは1978年創刊の雑誌で、美少年同性愛もの(いわゆる「やおい」)の舞台となった。darker than darknessはヴィジュアル系バンド BUCK-TICHが1993年にリリースしたアルバムのタイトルである。このようにハイカルチャーとサブカルチャーが同じ地平で扱われていることに、世界で最も大衆化された消費社会である現代日本の典型的な光景を見る思いがする。

 ではこのような世界に住む歌人にとって抒情とは何か。ここにもアンビバレントが顔をのぞかせる。絶対的不可能を希求する矜持と、自らの営為の不毛性の自覚が背中合せに同居することになるからである。ここに歌集の主調低音である悲劇のトーンが生まれる。

 穢れ、時にきらびやかなり。汝は傷を受け燔祭におもむきたまふ

 血の循る昼、男らの建つるもの勃つるものみな権力となれ

 ふと気付く受胎告知日 受胎せぬ精をおまへに放ちし後に

 砂漠なる雨のごとしも指の間ゆ自涜の果ては落ちて冷めゆく

 『黒燿宮』の代表歌として「地下街を廃神殿と思ふまでにアポロの髪をけぶらせて来ぬ」を挙げた菱川善夫に、硬派の批評家である山田富士郎は激しく反発した(季刊『現代短歌雁』五六号)。いかにも黒瀬が意図した劇場的で耽美的意匠を施したこのような歌ではなく、山田は歌集後半に多い「少女らは光の粒をふりまきぬクラミジアなど話題にしつつ」のようなおとなしい歌を代表歌としている。では黒瀬本人はどうかといえば、同じ号の特集「わたしの代表歌」では意外なことに、「明け方に翡翠のごと口づけをくるるこの子もしづかにほろぶ」を挙げている。華麗な耽美的意匠の少ない静かな歌である。黒瀬の短歌に溢れる演技性と耽美的装飾は、おそらくは計画的にデザインされた意匠なのであり、その背後には等身大の二十代の青年の清新な抒情が隠されているのではないだろうか。私が集中で最も心に沁みると感じるのもまた、このような歌なのである。

 ピアノひとつ海に沈むる映画見し夜明けのわれの棺を思ふ

 線路にも終わりがあると知りしより少年の日は漕ぎいだしたり

 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく

 女学生 卵を抱けりその殻のうすくれなゐの悲劇を忘れ

 

『短歌』(中部短歌会) 2004年2月号掲載

036:2004年1月 第4週 飲食の歌

 短歌的には「飲食」は「いんしょく」ではなく「おんじき」と読む。『岩波現代短歌辞典』によれば、飲食はプライベートな側面が強いので、古典的和歌の世界ではあまり詠われることがなかったという。そう言えば源氏物語などの古典の世界では、女性が物を食べている姿を人に見られることは恥であったと高校時代に習った。近代短歌になって、歌の世界が花鳥風月から個人の内面へと移行することで、本来プライベートであるべき飲食の場面は、にわかに前面に出ることになった。飲食は個的行為であり、そこに個人の内的生活を投影させるには絶好の素材だからである。

 飲食は本来、生命維持のために不可欠の行為であるが、もちろん生活のささやかな楽しみでもある。だから純粋に飲食の快楽を詠んだ歌も数多い。

 味噌汁尊かりけりうつせみのこの世の限り飲まむとおもへば
                        斎藤茂吉

 寒鮒の肉を乏しみ箸をもて梳きつつ食らふ楽しかりけり  
                        島木赤彦

 また家族で食卓を囲む場合は団欒の象徴であり、恋人同士がふたりでいるときは、親密な関係を記号化することもある。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
                          俵万智

 サキサキとセロリを噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず
                        佐佐木幸綱

 俵の歌はあまりにも有名な『サラダ記念日』の題名にもなった歌だが、食材がステーキや味噌汁ではなく、サラダという都会的で軽い副食だという点がポイントである。サラダが記号化するのは、深刻にならない軽い恋愛なのだ。俵のライトヴァースの基調をよく表わしている。佐佐木の歌では、「サキサキ」という絶妙の擬音と、セロリというこれまた都会的で女性的な食材が歌を支えている。

 このように複数の人間による飲食は、短歌の描く世界のなかで人と人との関係を浮上させる恰好の装置として用いられるのだが、飲食を詠った現代短歌では、一人が食材と向き合うという構図の方が多い。そのとき食材は個人の内面を投影する対象として前景化され、とりわけ濃密な象徴的意味を付与されることになる。このような構図は、次の歌に典型的に表れていると言えよう。

 悲しみをもちて夕餉に加はれば心孤りに白き独活食む 
                       松田さえ子

 箸先に生きて身をそる白魚をのみこみし夜半ひとりするどし
                       松坂弘

 松田の歌では作者はひとりではなく、家族の夕食の卓についているのだが、心はひとりの孤独を噛みしめている。食べているのは独活(うど)である。独活の白さとサクサクとした触感とその冷たさが、ひとり感じている孤独感と見事に呼応している。これが里芋の煮物とか鮎の塩焼きでは、こうはいかないのである。飲食の歌では何を食材に選ぶかがすべてを決める。松坂の歌では、生きた白魚の踊り食いをしているのだろう。食べたあと夜中にひとりになったときに、踊り食いの残酷さと自分の腹に入った命を噛みしめている。次の歌もおもしろい。

 真昼 紅鮭の一片腹中にしてしばし人を叱りたり
                       高瀬一誌

 昼食に食べた紅鮭が腹に収まっている。そんな自分が人を叱っているという場面を内省的に詠んだものだが、腹の中の紅鮭と人を叱るという偉そうな態度の対比がポイントである。

 人間は雑食性なので、実にさまざまな物を食べるのだが、短歌に詠まれることの多い食材と、そうでないものがある。『岩波現代短歌辞典』は歌語をたくさん収録しているので、こういう時に便利なのだが、野菜でいうとトマト・西瓜・キャベツ・茄子は立項されているのに、キュウリ・白菜はない。確かにキュウリを食べるというのはあまり絵にならないかもしれない。私の読書に偏りがあるのかも知れないが、なかではレバーを詠んだ歌が目につく。

 鵞肝羹(フォワグラ)のかをりの膜にわが舌は盲(し)ひゆめかよふみちさへ絶えぬ
                        塚本邦雄

 無理矢理に肥大させたる肝臓を抗ひがたく生きて味わふ
                        本多稜

 ほろほろと肝臓(レバー)食みつつふと思う扱いにくき人の二、三を
                        村上きわみ

 世界三大珍味のひとつフォワグラは、ガチョウに無理に餌を食べさせて、人工的に作った脂肪肝である。塚本の短歌には食材がよく登場するが、この歌は純粋にフォワグラの旨さを詠んだものだろう。あまりの美味に、ふだんなら働く想像力が封印されて、目の前のフォワグラが世界のすべてになるという歌である。本多の歌は少し屈折していて、無理矢理脂肪肝にさせられたガチョウの哀れさと、生きてそれを味わっている自分とのテーブルでの出会いを詠っている。村上の歌では、レバーの食感と苦みから扱いにくい人を連想するという構図だろう。「ほろほろ」という擬音が効果的だが、「扱いにくい人」との関係性の薄さを物語っている。

 果物もまたよく短歌に詠まれることがあるが、林檎・檸檬と並んで人気は葡萄である。『岩波現代短歌辞典』では大項目として立項しているほどだ。丸い果実が房をなしている形状、緑や紫のつややかな色、古代からワインの原料として地中海で栽培されてきたという歴史性が、葡萄を豊かな意味の器として成立させている。

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
                         春日井建

死者一切近づくなかれ哄笑しわれらかがやく葡萄呑みたり
                         小池光

口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも
                         葛原妙子

春日井と小池はいずれも葡萄を緑に輝くものとして描いていて、青春性の象徴的記号となっている。輝く葡萄を飲み込む人は不死となるかのごとくである。葛原はもう少し屈折していて、口に葡萄を潰すことから、心中の暗い思いが誘発されている。「球体の幻視者」葛原にとって、葡萄は自らの幻視を誘う対象である。

 私たちは四方を海に囲まれた島国に暮らしているので、魚もまた親しい食材である。魚が歌に詠まれるときにもまた、共通してある傾向が感じられることがある。

 夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのかに汚るる皿をのこして
                         小池光

 しかれども飲食清(すが)し魚汁は頭蓋、目の玉、腸(わた)もろともに
                         村上きわみ

 交(あざ)わらず愛遂ぐるてふいろくずの累卵のせて今朝の白米(しらいひ)
                         高橋睦郎

 小池の歌では、夏至という明るさの極まる日と、血に汚れた皿との対比が、私たちの生の有り様を浮き彫りにしている。「ほのかに」という語が、ひょっとしたら血の汚れには気づかずに日常を過ごすかも知れないことを暗示して特に効果的である。村上の歌では、「飲食清し」と宣言しているわりには、魚汁のなかには魚の頭も目玉も腸もいっしょくたに入っていて凄惨である。また高橋の歌では、交接することなく子孫を残す魚の卵を食べている今朝の食卓に、いやおうなく自分の不毛性を認識している。

 このように魚には高度の象徴性が込められている。魚は水の中では生きて、水から出ると死ぬという鮮やかな生死の対比があり、また調理するときに一匹を包丁でさばくことから、人間が生きていくために他の生命を奪うことをことさらに意識する食材だということが関係しているのかも知れない。

035:2004年1月 第3週 小池 光
または、ほの暗い人の世を照らす白桃の灯り

サフランのむらさきちかく蜜蜂の
   典雅なる死ありき朝のひかりに

            小池光『廃駅』
 気に入って愛唱する短歌はいろいろあり、好きな歌人もたくさんいるのだが、なかでもいちばん好きな歌人は誰かと問われたら、たぶん小池光だと答えるかもしれない。というわけで、いよいよ真打ち登場である。

 小池は昭和22年(1947年)生まれだから、私の兄や姉の世代に当たる。いわゆる団塊の世代である。この世代に属する多くの人と同じように、小池もまた東北大学理学部在学中に全共闘による学生運動を経験している。処女歌集『バルサの翼』で現代歌人協会賞を受賞したのが昭和54年(1979年)、小池が34歳のときだから、歌人としての出発は比較的遅いほうだろう。私はごく最近短歌を読み始めたので、私が出会った小池はすでに50歳を越えた現代短歌界を代表する論客だった。あとになって処女歌集『バルサの翼』を読んで驚いた。次のような歌が並んでいるのである。

 あかつきの罌粟ふるはせて地震(なゐ)行けりわれにはげしき夏到るべし

 青春のをはりを告ぐる鳥の屍の掌にかくばかり鮮しきかな

 ああ雪呼びて鳴る電線の空の下われに優しきたたかひあらず

 鳥よ ひとみをあけて死ぬるものよわれ一息におまへを裂きぬ

 いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は

 ここに並んでいるのは傷つきやすい心を持つ青年の鮮やかな抒情である。昭和40年代後半に登場した歌人たちの内向的傾向を、篠弘は「微視的観念の小世界」と呼び批判した。1941年生まれの高野公彦、42年生まれの成瀬有、40年生まれの玉井清弘たちのことをさすとされている。この世代の人たちが短歌を作るとき、外的な社会状況に向かう視線よりも、個人の内面へと沈潜する眼差しが色濃く反映される。小池は世代的にはこの歌人たちより少し年下なのだが、『バルサの翼』はまぎれもなくこの時代的な刻印を受けた歌集なのである。

 歌集を貫く基調となる旋律は、〈生の偶有性にたいする畏れ〉である。私たちは故なくこの生に投げ出されているという実存的不条理の感覚は、代表歌とされる次の歌によく現われている。

 バルサの木ゆふべに抱きて帰らむに見知らぬ色の空におびゆる

 バルサは模型飛行機の材料として使われる軽い木材である。少年は模型飛行機を作ろうとして、バルサ材を買って家に帰るところなのだ。出来上がった飛行機は、青空高く飛ぶはずで、このとき飛行機は少年の夢と未来への希望の象徴である。ところが少年の上に拡がる空は、不安な見知らぬ色に染められている。少年の作る飛行機は、きっと空高く飛ぶことはないことを予感させる。

 小池は喜ばしいはずの子供の誕生も次のように詠っている。

 さくらばな空に極まる一瞬を児に羊水の海くらかりき

 溶血の空隈なくてさくら降る日やむざむざと子は生まれむとす

 子供はきっと四月に生まれたのだろう。桜の季節である。しかし、子供が浮かんでいた母親の胎内の羊水は暗く、桜を映す空も血が滲んだような不吉な色に染まり、子供は「むざむざと」この世に生まれて来るのである。「私はなぜこの世に生まれて来たのか」という疑問は、多感な青春に特有のものである。

 だからといって小池のまなざしが生の暗い側面だけに向けられているというわけではない。小池の短歌では桃に特別の記号的役割が割り振られているようで、次のような歌では生を肯定する姿勢が感じられる。

 稚(わか)き桃ほのかに揺れゐる瞑れば時のはざまに泉のごとしも 『バルサの翼』

 暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき

 したたれる桃のおもみを掌に継げり空翔ぶこゑはいましがた消ゆ

 宙に置く桃ひとつ夜をささふべし帰るべしわが微熱のあはひ

 灯の下に真泉となる白き桃うつしよに在る悲哀をこめて  『廃駅』

 白桃は時間のはざまに泉のように清新なものをわき出させる何物かである。また中空に置かれた白桃は、それだけで夜の圧倒的な重みを支える力のある何かである。夜の底の食卓にひっそりと置かれた桃は、自らの力で発光するかのごとくであり、小池が短歌に込めた抒情を汲み上げる生の根源である。

 思うに小池における桃は、不遇の詩人・大木惇夫における朱欒(ざぼん)に相当するのだろう。大木にとって朱欒は、ついに到達することのない憧れの象徴であり、自らの薄明の生を照らす洋燈である。

 冬、ほのぐらい雨の日は
 朱欒が輝く、
 朱欒が
 これは、眼をひらいて見る夢なのか。
  (中略)
 わたしの身体は凍えている
 わたしは祈りをわすれている、
 そうして、わたしはただ見る、
 ほのぐらい雨の影のなかに
 ぽっかり朱欒の浮かぶのを 輝くのを。
          大木惇夫「雨の日に見る」 

 小池の処女歌集『バルサの翼』は、このように生の不条理に対する実存的不安と若々しい抒情を湛えたみずみずしい歌集なのである。

 小池のもうひとつの顔は、『街角の事物たち』(五柳書院)、『短歌 物体のある風景』(本阿弥書店)、『現代歌まくら』(五柳書院)などで、歌論やエッセーに健筆を揮う文章家としての顔である。山田富士郎は小池の散文を評して、「思い屈した時に読むと大変よろしい、というか、よく効く」とし、これを「メランコリーの妙薬」と呼んだ(『短歌と自由』邑書林)。まさに同感である。私は小池の散文が怜悧なのは、小池が理学部を出て高校で理数系の教員をしているということと関係があるのではないかと思っている。私も核物理学を志望して大学に入り、その後仏文科に転じた経歴があるのだが、小池の散文には短歌を論じていても、どこか理科系的な分析的思考が行き届いていて、心情に流れるということがない。これが心地よく感じられるのである。余談だが、私にとって最近の「メランコリーの妙薬」は、小池の散文以外では、佐藤雅彦『毎月新聞』(毎日新聞社)と、内田樹『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』(晶文社)である。いずれも「思い屈した」時に読むとたいへんよく効く。

 小池は第二歌集『廃駅』を経て、第三歌集『日々の思い出』で一転してそれまでの抒情を捨てて、作歌態度を変えた。そこに並んでいるのは、どうでもよいような日常の些事を取り上げた歌である。

 遮断機のあがりて犬も歩きだすなにごともなし春のゆふぐれ

 アパートの隣は越して漬物石ひとつ残しぬたたみの上に

 家ひとつ取り毀された夕べにはちひさき土地に春雨くだる

 しまったと思ひし時に扉閉まりわが忘れたる傘、網棚に見ゆ

 このような作歌態度を、「ただごと」歌に堕したと批判する意見と、小池の方法論的深化として評価する意見と、相半ばするようだ。

 ここからは私のまったくの私見なのだが、『バルサの翼』のようなハイトーンの青春の抒情は、長く続けられるものではない。人は歳を取り、日々の塵埃にまみれる。そのとき取りうる態度としては、20歳で詩を捨ててアフリカで武器商人になったランボーのように「歌のわかれ」をするという道がある。村木道彦、(かつての)春日井建、平井弘、寺山修司、中山明らがこの道をたどった。小池はどうやらこれとは違う道を選択したようだ。それは団地に住む小市民としての日常のなかに、歌を詠む根拠を見いだすという道である。これはなかなかに困難な道だと思われる。しかし、第四歌集『草の庭』に次のような歌を見つけるとき、小池は今までとはちがう抒情の根拠を見いだしつつあるのかとも思えるのである。

 みみかきの端なるしろき毛のたまよ触るるせつなにさいはひのあれ

034:2004年1月 第2週 ダリアの歌

黒きだりあの日光をふくみ咲くなやましさ
         我が憂鬱の烟る六月

                前田夕暮
 短歌を読む楽しみのひとつに、歌に詠み込まれた動物・植物・事物などとの出会いがある。なかでも植物は花の咲く季節が決まっているので、季節感と強く結びついている。古典和歌は花鳥風月の世界であり、ために季節感を大事にしたが、現代短歌は〈個人の内的感情〉を詠むことに軸足を移したため、歌に詠まれた植物は〈季節の記号〉ではなくなり、〈内的感情の記号〉または〈観念の形象化〉へと変質した。

 その日からきみみあたらぬ仏文の 二月の花といえヒヤシンス
                        福島泰樹

 傾きし緋牡丹の花思ひきり崩れはてよといふこころあり
                        齋藤 史

 向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
                        寺山修司

 大学の仏文科に所属する可憐な女子学生は、ぜひともヒヤシンスでなくてはならない。色は白か薄いブルーだろう。ヒヤシンスは作者が女子学生に寄せる淡い思慕の象徴である。齋藤の歌ではより直接に、緋牡丹が作者の激しく渦巻く心情の形象化となっている。花びらが少しずつ散るのではなく、花全体がぽっとり地上に落下する牡丹の性質が鍵である。寺山の歌では、枯れて頭を垂れたヒマワリの花が、父の墓に供えられた供花のようだというのだが、枯れた花と自分の身長より低い墓標に、父親に対する苦い感情が込められている。ここでも他の花ではなく、本来ならば真夏の明るい太陽のもとで咲くヒマワリであるところに、〈内的感情の記号〉としての意味がある。

 植物にも流行り廃りがある。最近めっきり見かけなくなった植物は、ダリア、カンナ、鶏頭だろう。昔は民家の庭や田舎の畑の傍らによく咲いていたものだ。ダリアはメキシコ原産で、18世紀にヨーロッパで園芸用に品種改良された。日本には1842年頃渡来し、当初は天竺牡丹と呼ばれていたという。日本にやって来たのは比較的遅いが、明治40年に大流行したようだ。しかし廃れて顧みられなくなるのも早かったようだ。今どき庭にダリアを植える家は珍しいだろう。

 小池光は『現代歌まくら』(五柳書院)の「ダリア」の項目で、掲載歌の前田の歌と並んで次のふたつを引き、短歌にダリアが詠まれたときには、決まって色は黒であり、どこか禍々しく倦怠感が漂う不吉なイメージだと指摘した。

 夜の机われのにほひを嗅ぐごとく黒きダリアを手にとりてみる
                        若山牧水

 ダリアは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり
                        斎藤茂吉

 若山の歌にはそれほど不吉なイメージはないが、他の二首には小池の言うとおりマイナスのイメージが濃厚である。この三首はいずれも大正2、3年に作られたものだが、おもしろいことにそれ以後作られた短歌においても、似たイメージが反復されている。

 おもかげに顕(た)ちくる君ら硝煙の中に死にけり夜のダリア黒し
                        宮柊二

 抱えゆく農婦のダリヤ一、二本こぼれ岬に地蔵盆来る
                        馬場あき子

 ダリア畑でダリア焼き来し弟とすれちがうとき火の匂うなり
                        佐藤通雅

 ダアリアの花園をゆくうつしみの人影は黒きころもを着たる
                        小池光 

 首細きダリア窓辺に揺れながら挫折していく君を見ていた
                       錦見映理子

 取り消しの効かないことを笑ひつつダリア植ゑつつ言ふ奴がゐて
                        黒瀬珂瀾

 マーラー忌さすらふ若人手のひらに塊根黒し五月のダリア
                        藤村益弘

 宮の歌に詠われた黒いダリアは死と鎮魂の象徴である。馬場の歌は不吉という訳ではないが、地蔵盆もまた先祖を偲ぶ行事であり遠い死と呼応しあっている。佐藤の歌ではダリアを焼くという行為に、何か激しく凶々しい鬱屈した感情が感じられる。小池の歌では、ダリアではなく登場人物の方が黒い服を着ている。錦見の歌ではダリアはずばり挫折の象徴である。黒瀬の歌でもまたダリアは、取り返しの効かないことを笑いながら告げるという、いささか常軌を逸した精神状態の表象として効果的に働いている。

 ダリアに罪はない。不吉なイメージは、目の前のダリアを見ている〈私〉の心理が外部に投影されたものである。モノの色がモノ自体に備わったものではなく、モノに当たる可視光線が反射して、私たちの網膜に映じたものであるように、ダリアにこめられた〈意味〉は、ダリア自体にあるのではなく、それを見ている私たちの側にある。こうして、ダリアを見ている私たちは、ダリアを通して私たち自身を見ているという屈折した関係が成立する。短歌の根底にはこのような、私とモノをめぐる〈再帰的構造〉が横たわっている。

 最後にもう一首ダリアの歌を挙げてみよう。この歌では珍しく、ダリアに過剰な意味を詠み込まず、モノ自体を即物的に詠おうとしている。クマバチの尻が乳首に、ダリアが乳房に見立てられているのだから、このダリアは黒ではないだろう。ロンドン郊外のキュー植物園での歌である。

 ぷつくりと葉月の黒き乳首見ゆダリアに潜るクマバチの尻
                        本多稜

033:2004年1月 第1週 錦見映理子
または、白の世界に繰り広げられる極彩色の心象風景

蜜満ちてゆくガーデニア・ガーデンを
        等圧線は取り囲み 雨

       錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』
 歌集の題にもなっているガーデニアとはくちなしのことである。梅雨時に白い花を咲かせるくちなしは、むせかえるような甘い香りを放つ。特に雨のときに香りが立つようだ。そんなくちなしばかりが咲いている庭が、ガーデニア・ガーデンなのだろう。日本で屈指の肉体派作家の丸山健二が安曇野の自宅に独力で作り上げたすばらしい庭は、『夕庭』(朝日出版社)で美しい写真とともに紹介されているが、白い花ばかりが咲く白の庭園である。くちなしばかりが咲いている庭もまた、濃いグリーンと白しかないどこか禁欲的であると同時に肉感的な庭園だろう。その庭を低気圧の混んだ等圧線が取り囲み、雨が降っているという光景である。私たちの目に見えるのは、降っている雨だけで、等圧線は目には見えない。このように、錦見の歌には、本来ならば目に見えないはずのものが多く詠われている。そしてこのことは、作者の資質と深く関係しているように思われる。

 錦見は1968年生まれで、短歌結社には所属せず、最初はカルチャー・スクールなどに通って独学で短歌を作り始めたという。後に田島邦彦の主宰する「開放区」に投稿するようになった。短歌を作って6年とあるから、逆算すると始めたのは1997年頃ということになる。言うまでもなく『サラダ記念日』以後に短歌を始めた世代に属する。私が年代にこだわるのは、『サラダ記念日』は宝塚歌劇団における「ベルサイユのばら」に相当し、「ベルばら」以前からのファンと以後のファンの質が本質的に異なっているように、『サラダ』以前の歌人と以後の歌人のあいだには乖離があると感じているからである。これは短歌の世界における「世代論」なのだが、また別に書く機会もあろうから、ここでは書かない。

 『ガーデニア・ガーデン』は著者の処女歌集で、本阿弥書店の新しいシリーズであるホンアミレーベルの第一巻として出版された。栞には藤原龍一郎、田中槐、田島邦彦、井上荒野が跋文を寄せている。私が好きな歌が最初の方に集中しているのは、制作時期とは逆順の構成を取っているからである。つまり最初の方に出てくる歌ほど最近作られた歌だということである。歌集を一読して感嘆した。溢れる才能とはこのことを言うのだろう

 極彩の鳥を見にきて見ざるまま夕闇或る一語を放つ

 かの夜の水を閉じ込めすきとおるままに腐りてゆくまでを見よ

 手をあげて腋下をさらす 祝祭の前夜くまなく奪われるため

 サフランの花柱の浮かぶ黄の水 淡き妬心のにじみて甘し

 飲食の最後にぬぐう白き布汚されてなお白鮮(あたら)しき

 ひと昔前の文学批評にテマティック批評というのがあった。作品に繰り返し出現する主題・テーマを拠り所として作家の世界に迫るという方法論である。この方法論に倣うならば、錦見の作品世界に反復されるのはすぐれて視覚的な映像であり、とりわけ色彩である。一首目の極彩の鳥、四首目のサフランの黄色、そして五首目のナプキンの白が、それぞれの歌の核をなしている。なかでも特に白という色にこだわりがあるようだ。白の登場する歌を引いてみよう。

 白き魚そよぐ甘藻に分け入りて階段状の快楽に落ちる

 弥生町四丁目裏 純白の魚のひとたび跳ねるを見たり

 風葬のごとくしずかに白き花ながれて止まぬ園に逃れん

 かなしみはかなしみのまま中空に一艘の白き舟発たしめよ

 うたたねのあなたの足に射すひかり白蛇のようにゆっくりよぎる

 いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る

 すぐに気が付くのは、これらの歌に詠われているのは、私たちが日常目にする白い物体ではないという点である。一首目の白い魚は実在の魚ではなく、溺れていく快楽を表わす心象風景である。二首目の純白の魚が弥生町四丁目裏で跳ねているというもの、現実の出来事とは思われない。また五首目の白い蛇は光の比喩である。この謎を解く鍵は六首目にあるようだ。「異常に白き終電」とは、車体の外装が白く塗られているということではあるまい。暗い夜に電車に乗ると、車内の蛍光灯の照明が明るすぎて、露出過剰の写真のようにハレーションを起こしている状態であろう。栞の跋文で田中槐が指摘しているように、この真っ白な世界は錦見の想像のなかにある世界であって、ある時には快楽の頂点を、ある時には悲しみの果てを表わす記号的価値を帯びた象徴世界なのである。このように見えない世界を見えるように詠うところに、錦見の歌人としての資質が端的に現われている。

 錦見の短歌が描くもう一つの世界は、自我を忘れて没入するような官能的な境地である。

 草いきれはげしく息をふさぎくるくちづけ濃闇まみれの愛

 ぬるい息外耳にふれてヴェルヴェット・ヴォイスの渦にしずむ薔薇園

 熱性の病見えざるままに身を冒しつくすをうっとりと待つ

 口中に金魚の泳ぐ心地してかみ殺したくなるディープ・キス

 うねうねと動くくちびる蛭に似て吸いつきやすき窪みを探す

 草いきれを嗅ぐ嗅覚、息が外耳に触れる触覚、ヴェルヴェット・ヴォイスを聴く聴覚、金魚が跳ねる口内感覚など、感覚器官の五感をフル稼働させて、極めて身体感覚的な歌の世界を作り上げている。

 2003年5月に創刊された「短歌ヴァーサス」に寄せられた歌も印象に残るものが多い。

 林間に声ひとつあり 身のうちに酸を満たして落ちる果実の

 オキシフル泡立つ床に黒白(こくびゃく)のタフタのリボンしずかにほどく

 みすいろは蜜色やがてゆうやみが来ましたという文字は滲みて

 これからが楽しみな歌人というと、いかにも月並みな表現だが、『ガーデニア・ガーデン』の巻末あたりに配された初期の歌と、巻頭の近作を比較すると、歌人が長足の進歩を遂げたことがひと目でわかるだけに、今後の活躍が待たれるところである。

 


錦見映理子のホームページ

032:2003年12月 第5週 田中 槐
または、観察点の公共性

気づかないふりしてただけ回転を
       終えた景色は遅れて止まる

        田中槐『退屈な器』(鳥影社)
 田中槐(えんじゅ)は1960年生まれ、「未来」の同人で、処女歌集として『ギャザー』(短歌研究社)がある。プロフィールによれば、浜松の高校に通っていたとき、教師に村木道彦がいて、それが短歌との出会いだったそうだ。何という幸福な出会いだろう。槐(えんじゅ)という名前はぺンネームで、今まで男性が女性かわからなかったのだが、今回歌集を読んで女性であることがわかった。

 掲載歌はメリーゴーラウンドに乗っている情景を詠んだものである。メリーゴーラウンドの回転は本当はすでに止まっているのだが、周りの景色はまだ回転しているように感じており、客観的現実と主観的意識のタイムラグがこの歌の趣旨である。しかし、この歌の前後には次のような歌が並んでおり、メリーゴーラウンドはひとつの比喩に過ぎず、本当のテーマは家族の崩壊であることがわかる。

 Merry-Go-Round が回る一周を「家族」のまま演じておりぬ

 つるつるで冷たい馬だわたしから逃げゆく父の乗れる白馬は

 いつまでも同じ速度で逃げてゆく父よ電池が切れてしまった

 空白の多いアルバム ぼろぼろの家族を螺旋の金具が綴じる

 雑踏にまぎれゆく母右の手に見ず知らずなる少年をひき

 母親が家族を捨てて別の男と結婚し、父親もまた新たな女性と再婚し、まるで「岸辺のアルバム」さながらに家族が崩壊する。残されたのは自分と弟のふたりとなる。田中はこの家族崩壊の苦しみを執拗に短歌にしている。

 家族崩壊という経験の深刻さはよくわかる。しかし、ご本人には悪いが、そのテーマが短歌として詠まれたときに、読者としての私に伝わって来るものは、田中の個人的経験にすぎず、あくまで個人的経験の域を出ていないと感じてしまうのである。これはなぜだろうか。

 ギブソンの創始した生態心理学には、「観察点の公共性」という概念がある。生態心理学では、主体としての自己は「環境に埋め込まれた」エコロジカル・セルフと規定され、自己の知覚と環境世界の知覚とは相補的であるとされている。つまり、「世界を知覚すること」は「私を知覚すること」であり、その逆もまた成り立つのである。環境世界のなかで知覚者としての自己が位置する場所を「観察点」と呼ぶ。観察点は言語においては、次のように働く。

 1) 八百屋は向かいにある

 2) 嵐が近づいている

この文には表現されない観察点がある。八百屋は知覚者である「私」から見て向かいの方向にあり、嵐は「私」がいる場所に近づいているのである。だから、「八百屋は向かいにある」は、実は「八百屋は(私の/私から見て)向かいにある」の省略形なのだ。このとき、知覚者である「私」は潜在的に含意されているが、文で表現された「見え」のなかには含まれない。このことは、次のような文についても成り立つ。

 3) 夜景がきれいだ

 4) 工事の音がうるさい

「きれいだ」「うるさい」と言うからには、そのように知覚している人がいなくてはならないが、それは表現されていない。これが知覚者としての自己、エコロジカル・セルフである。

 観察点は本来、知覚している自己に固有のものである。他の誰も私になりかわることはできないからである。しかし、観察点は「公共化」することができる。私が見ているものを、他の人も見ることができるようにするのである。

 5) 八百屋は交番の向かいにある

 6) 嵐が東京に近づいている

 このようにすれば観察点を「公共化」できる。公共化された観察点には、「私」の入る余地がもうない。だから、「八百屋は交番の向かいにある」には、1)の文と異なり、「私の/私から見て」を挿入することができない。ところが、なかには容易に公共化しがたいものがある。その代表は「うれしい」「悲しい」などの主観的感情、「痛い」「かゆい」などの感覚である。

 7) 父の死が悲しい

 8) 右膝が痛い

 表現されていなくても、「悲しい」「痛い」と感じている主体は、知覚者としての自己以外ではありえない。知覚主体を三人称にして、「山田君は父の死が悲しい」とするとおかしいことは、日本語の世界ではよく知られたことだ。「山田君は父の死が悲しいのだ」とか「悲しがっている」などとしなくてはならない。こうすると客観的報告になり、第三者でも表現可能になる。

 さて、長々と生態心理学におけるエコロジカル・セルフについて述べてきたのは、短歌はことのほか「うれしい」「悲しい」などの主観的感情をその主要なモチーフとしてきたからである。個人の心の内に湧き上がる感情は、本来他人が共有できるものではない。観察点を公共化することができない個的なものである。しかし、短歌に詠み込むためには、それを公共化しなくてはならない。このできないはずのことを可能にするのが短歌の力であると言えないだろうか。

 倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ 
                  小池光『パルサの翼』

 おもかげに顕(た)ちくる君ら硝煙の中に死にけり夜のダリア黒し
                  宮柊二『晩夏』

 亡き人のショールをかけて街行くにかなしみはふと背にやはらかし
                  大西民子『雲の地図』

 小池の歌は不遇の小説家であった父の死を詠ったものである。父の死を悼みつつも、小池には家族に貧乏を強いた父に対して複雑な感情がある。その感情が、父の形象化である倒れたヒマワリを跨ぎ越すという仕草によって表現されている。宮の歌は戦死した友人を悼む歌であり、行き場のない追悼の気持ちはかたわらに咲く黒いダリアに深くこめられている。大西の歌は、家庭的に不遇であった歌人がたった一人の肉親である妹を失ったあとのもので、遺品のショールをかけて街を歩けば、悲しみの量が減ることはないが、ショールの暖かみに妹が感じられて悲しみが和らぐ気がすると詠っている。いずれも本来は他人と共有できないはずの深刻な個的感情を詠った歌だが、それを読む私にはその感情が十分に公共化されていると感じられる。私にもその感情の一端が伝わり、短歌として成功している例である。本当ならば本人にしかわからないはずの感情が、倒れた向日葵や黒いダリアや遺品のショールに形象化され詠われることで、「観察点の公共性」に到達しているのである。

 ひるがえって田中の短歌を見直してみると、表現がいかにも直截であり、短歌として昇華することなく、感じたことをそのままに投げつけている感じがする。ここには作者である〈私〉の視点だけが充満している。そのような作り方をされた歌には、読者はなかなか共感を持って入っていくことができないのである。

 それに引き替え、同じ歌集にある次のような歌は共感できる。

 ふかみどり色の服来た郵便夫鮟鱇のごとき鞄をさげて

 手袋の左右の差ほどの違和感でくちづけに知る心変わりを

 渡るべき橋の長さを思いつつ水鳥の美しさを言おうか

 待つときにやわき腋窩をさらすこと諾しより恋は始まりぬ

 郵便配達夫のはちきれそうな鞄を鮟鱇に見立て、恋人の心変わりを手袋に喩えたとき、〈私〉(=田中)と読み手である私のあいだに、鮟鱇や手袋という第三の項が象徴的に介在することで、「観察点の公共性」の実現する継起が生まれている。

 最近の歌を読んでいると、田中のようなタイプの短歌の作り方をする人が増えて来たように感じられる。これは佐佐木幸綱が「短歌のカラオケ化」と呼んだ現象と関係しているのだろうか。ちなみに「短歌のカラオケ化」とは、誰もがマイクを持って歌いたがり、誰も人の歌を聴いていないというカラオケボックス的状況をさすのであるが。


田中槐のホームページ

031:2003年12月 第4週 水原紫苑
または、カテゴリーを自在に越境する美の探索者

美しき脚折るときに哲学は
   流れいでたり 劫初馬より

          水原紫苑『びあんか』
 私の知り合いで、水原と早稲田大学の仏文科で同級だったという人がいる。その人の話では、当時から水原は独特の雰囲気のある女性で、「あんな風に生まれていたら、ちがう人生を送れただろう」と周囲に思わせる何かを持っていたという。

 水原は高校生の頃から短歌を作っていたらしいが、第一歌集『びあんか』で1990年に現代歌人協会賞を受賞して、はなばなしく歌壇にデピューした。1987年に俵万智の『サラダ記念日』が出版され、口語によるライトヴァースの時代と騒がれた直後だけに、水原の端正な文語短歌は驚きを持って迎えられたという。その作品世界は解説を書いた高野公彦により、「透明伽藍」と形容された。確かにその作品群は透明な輝きを持つと同時に、寺院の伽藍に喩えられるスケールの大きさを感じさせる。水原の短歌の魅力は、端正な古典的語法を駆使することで、伝統的和歌の世界の美意識を踏まえながら、時に強引なまでのイメージの衝突を恐れない大胆な発想にある。

 掲載歌では、馬の脚の骨折と哲学の起源という、本来ならばまったく相いれないものがひとつに歌われている。なぜ馬が脚を折るときに哲学が流れ出るのか、散文的で合理的な説明は難しい。しかし、サラブレッドがその華奢な脚を骨折するという、悲劇的でありながら限りなく美的なイメージと、古代ギリシアにおける哲学の起源という形而上学的問題とがひとつの歌のなかで出会うとき、そこには火花を散らす磁場のような共鳴世界が現出する。こうして何とか説明しようとすることが虚しく思えるほど、そこには美しい世界があると感じてしまうのである。

 炎天に白薔薇(はくそうび)断つのちふかきしづけさありて刃(やいば)傷めり

 殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あきつ) 行け

 われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる

 天球に薔薇座あるべしかがやきにはつかおくれて匂ひはとどく

 白鳥はおのれが白き墓ならむ空ゆく群れに生者死者あり

 水原の師は中部短歌会の春日井建であり、アララギ系統のリアリズム短歌ではなく、実生活とは無関係な美的世界を言葉の力で構築する短歌世界をめざしている。処女歌集『びあんか』に収録された第一首の「炎天に」の薔薇と刀の組み合わせには、春日井の濃厚な影響が感じられる。

 水原の個性としてよく指摘されるのは、人間と動物、生物と無生物、動物と植物といったカテゴリーを自在に飛び越える想像力である。『新星十人・現代短歌ニューウェイブ』(立風書房)に解説を書いた川崎賢子は、「水原紫苑は、ひととモノ、ひととケモノ、自己と他者との差異の消滅する境地を歌う」と評した。例えば、上にあげた第三首の「われらかつて」で詠われている夕暮れの風景は、ヒトの祖先がかつて魚であったカンブリア紀の水中の藻の蔭に喩えられている。また次の歌では、自分がガラスや貝や時計を生むという、まさに種を越えた幻想が詠われている。

 宥されてわれは生みたし 硝子・貝・時計のやうに響きあふ子ら

 岡井隆によればこの歌の眼目は、時計のようにチクタクと鳴り、貝殻のように響きを発するという、物件のおもしろさの方にあるという(『現代百人一首』朝日出版社)。岡井は水原の短歌について、「平成短歌特有の没歴史的な抒情」と、手厳しい批評を下していることも付け加えておこう。確かに岡井のように、かつて人生を賭けた政治活動に基づく歴史意識を作歌の基盤としている歌人から見れば、水原のように自在な幻想を呼び込む短歌世界は、いかにも甘い絵空事に見えるのかも知れない。

 しかし、水原の持ち味である強引なイメージの結びつきは、時には難解という評価を生むことになる。例えば、次の歌は『短歌パラダイス』(岩波新書)の歌会で、「パラシュート」の題詠で出された歌である。

 パラシュートひらきし刹那わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ

選評ではこの歌の意味をどう解釈するかで意見が分かれた。問題は「わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ」の部分である。パラシュートが開いた瞬間に、「私の顔を象ったステンドグラスが見える」ならば、見ている人は地上にいる。パラシュートをステンドグラスに喩えたと見ることもできる。しかし、見方によっては自分自身がパラシュートで降下しているともとることができる。解釈が分かれて、吉川宏志は「水原の歌の特徴は主体と客体の区別がない点だ」と弁護に回っているが、いかにも苦しい。

 しかし、公平を期するために、水原の短歌は難解なものばかりではなく、次のようなのびやかな歌もあることも付け加えておこう。

 菜の花の黄溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに

 坂くだる少女の爪のはらはらと散るくれなゐを聴きつつゆくも

 みづうみ、と呼びかけしなり名をもたぬみづうみわれらを抱かむと来つ

 水原は人前に出るときはいつも着物姿で、梅若流の能に入門し、古典芸能に造詣が深い。年齢を重ねるとともに古典の世界に入って行くのは、馬場あき子の例を引くまでもなく歌人のひとつの王道である。ここから次のような歌が生み出される。

 わらふ狂女わらはぬ狂女うつくしき滝の左右に髪濡るるかも

 白色尉・黒色尉の昼夜より濃き千歳が朝焼けあらむ

 ヴェネツィアングラスを投げし僭主あり梅若大夫いかに応へし

 しかし、これは水原の短歌にさらなる難解さを加えることになっていないだろうか。舞台芸術や古典芸能は、知っている人、見た人でなくてはわからない世界である。短歌のなかに舞台芸術や古典芸能を自在に引用することは、水原の短歌の美の世界を広げることになるかも知れないが、逆に読者を遠ざける結果にもなりかねない。

 本がどうしても見つからないのでうろ覚えの引用だが、かつて赤江瀑が歌舞伎の名優・中村歌右衛門を題材にした短編を書いたとき、中井英夫が巻末の解説で、「美の毒は作者にまっさきに回ったのだろうか」という意味の手厳しい批評を書いていた。作者は美の毒をコントロールしなくてはならないのであり、自分がその毒に溺れてはならないということである。水原の古典芸能への接近がそのような結果にならないことを祈るばかりである。

030:2003年12月 第3週 村上きわみ
または、大きな物語が終ったあとで河原に修辞を探す

酢のなかでゆっくりと死ぬ貝類の
       声聞く七月某日真昼

            村上きわみ『fish』
 短歌は結社と歌誌を発表の場とするというのが、伝統的な歌の世界の方法だった。歌壇で重きをなす歌人の主宰する結社に所属し、歌会で短歌を発表して批評を受け、選ばれて歌誌に掲載されることで、自分の作った短歌が公の場に出て行くという経路である。しかし、世はインターネット時代である。もっとライトな感覚で短歌を詠み、人に読んでもらうということがふつうになった。そんな時代の変化に呼応して、新しい歌誌『短歌ヴァーサス』(風媒社)が創刊されたのは今年(2003年)の5月である。特集は桝野浩一と「歌葉」新人賞というところが、この歌誌の性格をよく表わしている。短歌や文章を寄せている人をあげてみると、この歌誌の顧問格と思われる加藤治郎・穂村弘・萩原裕幸という新しい短歌の旗手を筆頭に、玲はる名・天道なお・黒瀬珂瀾・天野慶といった、いずれ劣らぬポップでライトな歌人が集結した感がある。

 掲載歌の村上きわみもその一人で、1961年生まれ北海道在住、北限短歌会とラエティティアに所属している歌人。『短歌ヴァーサス』には、「かみさまの数え方」30首を寄稿している。印象に残った歌を拾ってみよう。

 夜の斧しんから冷えてもう誰も神様のことを言わなくなった

 足首を沼地にしずめ待っているいっせいに歌い出す鳥たちを

 光らせておきましょう 皿におそろしい色の豆料理が盛られても

 みずうみにゆきましょう次の日曜日 紺色のスパイ手帳を捨てに

 さかなから歌を教わるはずだった 「ください」と喉ひらけば水泡

 俵万智の『サラダ記念日』以後、いっせいに短歌を作り出した若い女性の例に漏れず、短歌の定型をおおむね守りつつ、口語とひらがなを多用して、まるで独り言あるいは日記のように書かれる短歌とひとくくりにすることができるかも知れない。しかし、私はそれとは微妙にずれる印象を持った。「夜の斧」「紺色のスパイ手帳」や、ここにはあげなかった歌にある「踵からねむる人」「理髪師の縦縞のシャツ」「えいえんの三角帽子」といった表現に、もう少し短歌的に練られた技巧を感じるからである。そこで歌集『fish』(ヒヨコ舎)を取り寄せて読んでみた。

 『短歌研究』創刊800号記念臨時増刊号「うたう」(2000年12月)で、作品賞の選評をしている穂村弘が、「棒立ちのポエジー」と「一周まわった修辞のリアリティー」というおもしろい概念を提案している。穂村は加藤千恵の「あの人が弾いたピアノを一度だけ聴かせてもらったことがあります」という歌が、よい歌なのかそうでないのか決められなくて困ったという。穂村が「棒立ちのポエジー」と呼ぶ種類の短歌を作る人は、「天然でこれしか書けない人」のことである。つまり「素」の人であって、和歌・短歌の膨大な伝統とは完全に切れており、短歌的技巧とは無縁な人である。その人の作る歌がおもしろいとすれば、それは技巧や作為によるものではなく、その人自身がおもしろい人だからである。一方、「一03わった修辞のリアリティー」とは、「定型をよく知っているんだけど、意識してもう一度、平凡なものの鮮度を回復しようとしている」人の歌の作り方をいう。こっちはわざと周回遅れのランナーのふりをしているので、一見したところ「棒立ちのポエジー」と区別がつきにくいのである。村上きわみの「銀紙を裂いてあげます やさしくて狂いそうです 野蛮なんです」などという歌を見ると、ひょっとしてこれは穂村の言う「棒立ちのポエジー」かと思うのだが、実はそうではなく、「一周まわった修辞のリアリティー」の方である。なぜなら、村上の歌集『fish』を読むと、実に短歌的な次のような歌があるからである。

 しかれども飲食(おんじき)清(すが)し魚汁は頭蓋、目の玉、腸(わた)もろともに

 はかなきは水棲のもの一対の朱(あけ)の扇を呼吸器とせり

 小笠原義肢装具店しんとして米町袋小路夕刻

 ほろほろと肝臓(レバー)食みつつふと思う扱いにくき人の二、三を

 明け方の夢なお著(しる)く色彩をとどめて犬の舌まがまがし

 少年が横抱きにして届けくる黄の水仙ふとなまなまし

 「しかれども」「もろともに」「まがまがし」「著(しる)く」などの文語が的確に使われており、塚本邦雄の「山川呉服店」を思わせる「小笠原義肢装具店」という固有名を効果的に用いている。また句跨りの破調は立派に前衛短歌のものになっている。これは短歌の修辞を知っている人の歌である。

 これらの歌に共通する感覚は、「世界の開示が見せる非日常の異物感」の発見ということができるだろう。それは次の歌に象徴的に歌われている。

 出刃たてて鰍(かじか)ひらけば混沌はいまだ両手にあふれるばかり

 出刃包丁で魚の腹を割いたとき、両手にあふれる臓物を混沌と表現するのは、それが生きているときに外から見た魚の美しさと調和からは想像もできないものだからである。同じことは、魚の鰓を赤い扇のようだと感じるとき、また垂れ下がった犬の舌に不気味さを感じるときにも言える。また夕暮れ時に袋小路に迷い込んで、小笠原義肢装具店の看板を見つけたときの感覚も、同じく見慣れたはずの世界が一瞬変貌する感覚である。ここにあるのは、定型に基づきながら「世界の開示が見せる非日常の異物感」を詠む、短歌の王道を行くような短歌世界である。

 しかし、村上の歌集には、このような短歌とならんで次のような歌も溢れている。こちらは現代のライトヴァースの典型とも言える、誰だかわからないが確かに誰かに向けられた女子高生のつぶやきのような歌だ。

 西陽さすあたりに下肢を投げ出してvaginaゆっくりあたためてやる

 懐かしいような泣きたくなるような空だつないだ指をほどけば

 「どれくらいキライかというとずぶずぶになるまで熟したアボカドくらい」

 作者のホームページを見ると、最近作った短歌がアップされているが、だいたい同じような傾向の歌である。

 点をいくつも打ってここからはわかりやすいお別れのはじまり

 よく通る声をしていた靴紐をきれいにむすぶ指先だった

 至急至急と打電しました(死んでゆく螢のように)スグ来ラレタシ

 するときはむごい心であたらしい星のうまれる音聴きながら

 これを見ると、村上はかつての文語定型による王道的短歌を意図的に捨てたようだ。しかし、だからといって最近の歌が、穂村の言う「一周まわった修辞のリアリティー」と呼べるほど成功しているかというと、これはなかなかむずかしい。私は「しかれども」の一連のような村上の短歌を、また読んでみたいと思ってしまうのである。


村上きわみのホームページ

029:2003年12月 第2週 女歌

 『女うた、男うた』(リブロポート)は、歌人・道浦母都子と京都教育大学教授(当時)で俳人の坪内稔典が、大阪読売新聞紙上で毎回決まったお題に関する短歌と俳句を取り上げて、短い文章を添えた楽しい読み物である。「海」のお題では、道浦が「海のかなたはなべて戦場二人子に添寝ののちの身を引き起こす」という花山多佳子の歌を、坪内は「しんしんと肺碧きまで海の旅」という篠原鳳作の俳句をあげている。版元のリブロポートが廃業してしまったので絶版になっていたが、平凡社から復刊されたのは喜ばしい。ふたりの対談形式の後書によると、当初は短歌や俳句を通してフェミニスムや女性の問題を考える企画だったらしい。しかし、出来上がったものは全然ちがうものになっていて、タイトルの『女うた、男うた』は羊頭狗肉の感がある。

 男の歌と女の歌とはちがうのだろうか。私にはどうもちがうように思えてならない。そのちがいは日本で女性が置かれてきた社会的立場に由来するという社会学的・フェミニスト的分析ももちろん成り立つだろう。しかし、もっと大きな理由は、男と女の目の付け所がちがうからではないかと思う。

 日本における分子生物学の草分けである慶応大学の渡辺格博士のおもしろいエピソードがある。アメリカ滞在中に、クリック博士と会えることになった。クリックといえば、ワトソンと共同でDNAの分子構造を解明したノーベル賞学者である。渡辺博士は和服で正装した夫人とともに、緊張してクリック博士の自宅に赴いた。クリック博士は思いのほか気さくな人柄で、楽しいひとときを過ごして辞去することになった。お宅を出たところで、夫人がため息をついて「あなたは絶対にノーベル賞なんか取れないわよ」とのたもうたというのである。渡辺博士は驚いて、なぜかと問いただした。その理由は、何とクリック博士が右と左で色のまったく違う不揃いの靴下をはいていたからということだった。つまり、左右で不揃いの靴下をはいて客を迎えても気づかないほど実生活には無頓着で、朝から晩まで学問のことだけを考えているような人間でないと、ノーベル賞なんか受賞できないという意味なのだ。この小話のポイントは、偉大なノーベル賞学者に会えて興奮している渡辺博士には、不揃いな靴下はまったく目に入っておらず、同伴した夫人はバッチリ目に留めていたという点である。女性である夫人にとっては、ノーベル賞学者といえども身なりに少々だらしない子供のような男にしか見えていないということなのだ。男と女のものの見方はかくのごとくちがうのである。

 あなたが女性であったとして、イネドの白のスカートにル・ヴェルソーのピンクのセーター、フェンディのバッグとコクシネルの靴に4°Cのネックレスをつけて彼氏とデートして、翌日自分がどんな服装をしていたかたずねて見られるとよい。男はまったく答えることができない。「ええっと、赤っぽいセーターだったかな」などと答えて怒られるのがおちである。そんなもの見ていないのである。しかるに女性は、彼氏と道を歩いているときでも、向こうから来る若い男のイケメン度をチェックしているばかりか、同性の服装までもしっかり目に収めているのである。

 前振りが長くなってしまった。さて、女歌である。

 空壜をかたっぱしから積みあげるおとこをみている口紅(べに)ひきながら 沖ななも

 男はTシャツか何かを着て、汗をかきながら単純肉体労働をしている。女はたぶん向かいの建物の二階の窓から男を見下ろしている。ただそれだけの光景なのだが、私はこの歌を読んでまいったと思った。山下雅人はこの歌について、「男の不毛な行為と、それをアイロニカルに見据える女のしたたかさ」と評した。「空壜をかたっぱしから積みあげる」男の行為は、男が熱中しがちな、そして女から見れば不毛な行為の象徴である。それは権力闘争であり、出世競争であり、昆虫か切手かミニカーのコレクションであり、壮大な世界理論である。男はこういうことが好きでたまらない。しかしこの不毛の行為にふける男を、女は口紅を引きながらどこか醒めた視線で見下ろしているのである。たぶん、心のなかでは「あんな空壜の山なんか、ひと蹴りで壊してやれるわ」と考えているにちがいない。この微妙な危うい距離感と、斜め30度あたりから見下ろす視線がこの歌のポイントだろう。

 梨をむくペティ・ナイフしろし沈黙のちがひたのしく夫(つま)とわれとゐる 松平盟子

 これはなかなか恐い歌である。夜のリビングで食後の梨をむいている。夫と妻には会話がなく、沈黙があたりを支配している。しかし、夫が黙っている理由と妻が黙っている理由は同じではないのだ。そして妻の方はそのちがいを「楽しい」という。ペティ・ナイフの白い輝きが何を暗示しているのか、あまり考えたくない。一般に男はこのように、家庭内の触れれば放電するような磁場に鈍感である。

「妻」という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの 俵万智
 焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き 

 先日シングル・マザーになったと報じられた俵万智の歌であるが、これも恐い歌だ。ずばり不倫の歌である。どんなに男を愛していても、葬式や墓参などの行事に同行できるのは本妻である。それを妻という立場に安住する「安易」と捉えている。電柱の陰から覗いているような視線がある。また二首目ではどういう理由からか、好きな男の娘と話しているのだが、ここでは男が「焼き肉」や「グラタン」と同列に並べられているところがポイントである。少女にとってグラタンが好物なのと同じように、私にはあなたのお父さんが好物だというわけだ。この割り切り方が小気味よい。

 土砂振りの雨を浴びきて肉体を激しきものと思ひかえしつ 雨宮雅子

 今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき 河野裕子

 雨宮の歌は、突然の雨に遭い、たぶん家まで走って帰って来たのだろう。雨に濡れて冷たいが、走って来たので体はほてっている。そのためふだんは意識しない自分の肉体の激しさを感じたのである。河野の歌は女性の性的な感覚を素直に歌っている。女性の歌には、このように自分の身体感覚を肯定的に表現したものが多い。男はどうも頭でっかちな存在なのか、自分の身体感覚を歌にすることが少ないようだ。それどころか、自分とは何かなどという疑問に突然捉えられて、インドかネパールに肉体をいじめる旅に旅立ってしまうのである。

 すこし私をほうっておいてください ぶあつい水に掌をしずませる  江戸 雪
 うすうすとわたしを平たくうつす窓 街はダリアのように病んでいる

 ライオンの塑像によりそい眠るときわたしはほんの夏草になる  東 直子
 日常は小さな郵便局誰かわたしを呼んでいるよな

 短歌に「私」が現われるとき、それは多かれ少なかれ<虚構の私>であることが多い。寺山修司がまだ存命の母を死んだものとして歌い、いもしない弟を歌うとき、寺山が入念に作り上げたのは演劇的<虚構の私>である。また塚本邦雄がリアリズム短歌で矮小化された「私」を批判したときも、短歌における<私性>の拡大を主張したのである。『岩波現代短歌辞典』の「私性」の項目で、穂村弘が歴史的に跡づけているように、短歌における「私」は近代短歌成立そのものにかかわる問題であった。

 しかるに、上にあげた江戸や東ら現代の女性短歌に歌われた「私」は、このような歴史的桎梏からまったく自由に振る舞っているように見える。この「私」はリアリズム短歌の埃臭い「生活者」としての私からはほど遠く、かといって寺山や塚本がめざしたような芸術的な「虚構の私」でもない。篠弘が「微視的観念の小世界」と呼んだウジウジ男の「内向する私」でもない。特に江戸や東の短歌を読んでいて感じられるのは、「浮遊する私」である。男はデカルト座標のように、固定した視点から世界を眺めることを好む。ところが女性は視点の浮動性により寛容であり、視点の未決定という状態に順応性が高い。江戸や東の短歌に見られるこの「浮遊する私」という感覚は、ひょっとしたら短歌の歴史において初めて登場した新しい「私」なのではないかとすら思えてくるのである。

028:2003年12月 第1週 葛原妙子
または、幻視と抽象の女王にひとたびは紫陽花の冠を

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて

              葛原妙子『葡萄木立』
 夏の終わりの薄暗くはなったが、まだ空には夏の光の名残が残る台所で、酢の瓶がまるで消えゆく光を集めるかのように立っている。ただそれだけの情景を詠んだ歌なのだが、その空気感と存在感が忘れがたい印象を残す。夏の光の透明感に、これも透明な酢の瓶の存在がふと際立ち、まるでふだんは見えないものが突然網膜に映ったかのようである。私はこの歌を読むたびに、モランディの静謐感溢れる絵を思い浮かべる。モランディもまた、「事物の存在」を執拗に描いた画家であった。ところがこの歌をもっとよく見ると、「酢の瓶が立っていた」のではない。「瓶の中に酢が立っていた」のであり、これは現実にはありえないことである。ここに葛原が「幻視の女王」(塚本邦雄)と呼ばれる理由がある。また初句の6・8音の破調に続き、一字空けて「酢は立てり」の5音で句切れがあり、5・7と続く韻律も印象的である。

 葛原は1907年(明治40年)生まれで、歌壇で注目されたのは処女歌集『橙黄』が刊行された1950年(昭和25年)頃だから、ずいぶん遅い出発というべきだろう。年代的には数年前亡くなった斎藤史が1909年生まれなので、ほぼ同世代なのである。葛原が1950年の『日本短歌』に寄せた歌は、もうまぎれもなく葛原の歌になっている。

 奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり

 わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

 中井英夫は「『わが歌にわれの紋章いまだあらず』と歌い据えたとき、その紋章すなわち文体は額の上に輝いたのである」と評した(『黒衣の短歌史』)。塚本は葛原の短歌の評釈に『百珠百華』(砂子屋書房)一巻を捧げ、「奔馬」の歌については、「まさに女王然として、ここに光を聚め、響きを吸い寄せた感のある一首」と、「わがうた」については、「今から思へば、この『あらず』を含む『紋章』一聨に、この歌集の『霧の花』でやうやく形をなしつつあつた紋章の原形が、ゆるゆると現われ」たとした。

 葛原の歌を特徴づけるのは、多くの評者の言うように、そのモダニスムと抽象への志向であろう。歌人自身が、「花ひらくこともなかりき抽象の世界に入らむかすかなるおもひよ」と、自らの姿勢を高らかに宣言している。身の回りのなにげない情景を詠んでも、単なる日常的詠嘆に終わることなく、現実を越えた眼に見えない世界を凝視しようとする視線が常にある。その視線の源は、たとえば次の歌に見られるルーペで現実を拡大するような微視的視線ではないだろうか。「現実を微分する視線」と言ってもいい。

 昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつおり

 乱立の針の燦(きらめき) 一本の目處より赤き絲垂れており

 一首目では卓上のケーキの粉砂糖が風に吹かれている情景を歌っていて、何ということのない情景かとも思えるが、よく見てみるとこれは異常な感覚である。細かい粉末である粉砂糖が風に吹かれて散る有様は、ふつう私たちが肉眼で目にできるものではない。空間だけでなく時間の流れもまた異常で、まるで微速度撮影を早回しして見ているような気がする。ここには現実への尋常でないズームインが行なわれている。二首目は針が無数に突き刺されていて、そのうち一本だけから赤い糸が垂れているという情景なのだが、その場の状況がわからないだけに一層不気味である。ふつう無数の針が突き刺されているというのは、裁縫箱の針山か寺院の針供養くらいだろう。しかしここでも垂れた一本の糸という微少な細部が異常にクローズアップされているところに、単なる叙景歌に終わらない特異性がある。ちなみに、次の柘榴や死神の歌にもあるように、赤色は葛原の好んで詠んだ色である。

 この微視的現実へのズームインは、さらに現実の風物のなかに別のものを幻視するという方向へ進む。

 止血鉗子光れる棚の硝子戸にあぢさゐの花の薄き輪郭

 夕雲に燃え移りたるわがマッチすなはち遠き街炎上す

 とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ

 医師の妻であった葛原にとって、止血鉗子は珍しい物ではない。ここでは止血鉗子がしまってある戸棚のガラス戸にアジサイの花が映っている。ごくふつうに捉えれば、庭に咲いているアジサイの色が室内のガラス戸に反映した情景ということになる。だがここには意図的なふたつの世界の重ね合せがあることは注意してよい。二首目では自分がすったマッチが夕雲に燃え映ったかのような夕焼けなのだが、そこから遠くの街の炎上を幻視している。三首目では柘榴が爆弾となって破裂するという見立てだが、柘榴のばっくりと口を開いた形状と、なかから覗く赤い実の密集がこの幻視を誘っていることはいうまでもない。

 葛原がもうひとつこだわるのは「球体」が誘う幻視である。

 死神はてのひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり

 美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり

 あやまちて切りしロザリオ転がりし玉のひとつひとつ皆薔薇

 なぜ死神が赤い球を持っているのかわからないが、エドガー・アラン・ポーの名作『赤死病の仮面』を彷彿とさせる死と赤の組み合わせが鮮烈な印象を残す。二首目ではアジサイの花が球形をしているところに眼目がある。その花が透視を誘っているのである。三首目では糸が切れて床にころがったロザリオの玉のひとつひとつが薔薇になるという美しい幻想である。

 このように葛原は、叙景を通して抒情にいたるという古典的短歌の方法論に満足せず、「現実世界の抽象化と微分化」により、さらに理知的に世界という謎に迫る方略を編み出した。この方法論が戦後の前衛短歌に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

 最後に私が葛原の代表作と考える二首をあげておこう。

 水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪黴びたり

 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

 二首目は多く人の引くところで、「水の歌」の項でも述べたので繰り返さない。一首目はテーブルの上でチーズが黴びている情景なのだが、もちろんここでは「恍惚として」が効いている。なぜチーズが恍惚とするのか常識では説明できないのだが、この歌によって卓上に現出した光景は、微光を放つフェルメールの絵画のように、なぜか目を離すことができないほど惹きつけられる世界なのである。