046:2004年4月 第1週 『西美をうたう – 短歌が美術と出会うとき』

 私はたまに東京に行くと、暇を見つけてはすることがいくつかある。明治・大正・昭和初期の擬西洋建築を中心とした建築探偵、東京の下町を歩き回る坂巡り、もうひとつは美術館巡りである。建築探偵と坂巡りは、私のホームページに一部を公開しているので、見ていただきたい。何と言っても東京にはたくさん美術館があるので、見て回る展覧会には事欠かない。展覧会だけでなく、美術館本体も見る価値がある。旧朝香宮邸の東京都庭園美術館は、アール・デコの内装が素晴らしい。砧公園にある世田谷美術館は、京都駅ホームで急死した内井昭蔵の建築と、素朴派のコレクションがよい。松濤美術館は孤高の建築家・白井晟一の思索的名建築として名高い。松濤公園の近くにあるTom美術館は、村山知義の娘さんがやっていて、「僕たちにもロダンを見る権利がある」と高らかに宣言している。「僕たち」とは目に障害を持つ子供たちである。

 上野公園にある西洋美術館にもときどき行く。日本唯一のル・コルビュジエの設計になる建築である。ある日、ミュージアムショップで『西美をうたう 短歌が美術と出会うとき』という本を見つけ、すぐに買った。「西美」は西洋美術館の愛称である。西洋美術館所蔵の絵画や彫刻を素材として短歌を詠むという趣向でまとめられた本なのだ。前書きには、現代歌人協会の協力により短歌を集めたとあり、第一線で活躍する歌人92名の短歌が収録されている。そうそうたる顔ぶれである。ただし、この本の成立経緯について詳しい説明がないので、個々の歌人がどのようにして絵画や彫刻と出会って歌を作ったのかは不明である。歌人がひとりひとり収蔵作品のなかから自分が好きなものを選んで歌にしたのか、それとも「この作品を題材にして歌を作ってください」と依頼されたのか、そのあたりがわからないのが残念だ。

 この本の成立経緯についてこだわるのは、俵万智が『短歌をよむ』(岩波新書)のなかで、「短歌とは日常のなかで心がフッと動いたときに、それを歌にするものだ」という趣旨のことを書いていて、「自分はわざわざ何かを見て短歌を作るのが苦手だ」と述べているからである。『サラダ記念日』の爆発的ヒットのあとで、「どこそこへ行って風景を詠む歌を作ってください」とか、「これこれの商品に合う歌をお願いします」という依頼が舞い込んだが、すべて断ったという。俵の言い分によれば、どこそこへ行って風景を見ても、心が動くとは限らない。心が動かなくては短歌は作れないということのようだ。〈内発的動機による作歌〉というプロセスを重視する俵の立場は、文芸を〈個人の内面の投射〉と見る近代的芸術観に基づいている。一方、古典的和歌の世界では、歌とはすべて機会詠・題詠であり、求められたあらゆる機会に歌が作れないようでは、練達の(プロの)歌人とは言えないとも考えられるのである。古典的和歌の世界を引きずったまま、近代的芸術観の洗礼を受けた近・現代短歌は、このふたつの要請のあいだで引き裂かれているとも言えよう。この点で西美の企画に歌人たちがどのように答えたのか、興味を引かれるのである。

 西美の試みがおもしろいと思えるもうひとつの点は、美術と詩歌の関係である。昔は、屏風絵や扇面に歌が書かれることがよくあり、南画などでも絵に賛が添えられていることが多かった。ある意味で絵画と詩歌は一体であり、全体としてひとつの美的世界を構成していた。例えば尾形光琳の築いた美の世界を見てみると、このことがよくわかる。しかし、近代的芸術観は、このようなジャンルの混淆を嫌い、絵は絵としての独立性を、詩歌は詩歌としての自立性を強く主張するようになった。絵と詩歌は以来、生き別れの状態にあり、それにより失ったものも多いはずである。西美の呼びかけに応じて歌を作った歌人たちも、このような絵画と詩歌の関係を意識しなかったはずはない。この関係は具体的には、見る主体である歌人が、見られる対象としての絵に対して、どのような距離感覚で接するかという問題として浮上することになる。

 例えば、西洋美術において風景画を確立したことで知られるクロード・ロランの『踊るサテュロスとニンフのいる風景』に藤岡武雄がつけた歌を見てみよう。

 喜びは森にあふれてニンフらの踊りに山羊まで踊り出したり

 この歌はロランの絵の忠実な描写なのだが、それだけに終ってしまっている。関西弁ではこんな時には「マンマやんけ」と言う。与えられた絵画を題材にということを意識する余り、対象に即して歌い過ぎたという例である。短歌が絵画の世界に吸収合併されてしまっている。「対象につきすぎた」例である。

 かと思えば、次の歌はこれとはまったく逆の方向性を持つ例といえるだろう。

 夕闇に溶けゆくネーブル・オレンジと蠅をみていたあのまなざしは  穂村弘

 いい歌だと思うのだが、さてこの歌を見て、どんな美術作品を題材として作られたか想像できるだろうか。マイヨールの『イル・ド・フランス』と題されたブロンズの裸婦像なのである。裸婦像にはオレンジも蠅も登場していない。像と穂村の歌のあいだに一対一の対応関係はなく、そもそもいかなる関係も認めることができない。穂村は像を見てある印象を内的に形成し、その印象を今度は穂村自身の言葉に変換して表現してみるとこのようになったとしか言いようがない。歌は見る対象から離陸し、それを見ている穂村の心内印象に重点が移っている。穂村にとって短歌とは、このような〈変換装置〉として機能しているのだ。かつてサルトルは文学批評で tourniquet というフランス語の言葉を使った。「転車台」という意味で、操車場で機関車の向きを変えるために使われる放射状の回転する車台のことである。穂村は「短歌を転車台として世界をねじる」という方法論を得意としているが、上にあげた歌においてもその技法が活かされている。「対象につかない」という例である。

 対象につかない点では人後に落ちないのが水原である。

 こころなき泉の精となり果ててきよきをのこも影とのみ見む  水原紫苑

 ジャン=マルク・ナティエというあまり知られていない18世紀の画家の描いた貴族の婦人像につけた歌である。婦人は緑のドレスを着てソファーに座っているので、泉もをのこも描かれてはいない。ここにもまた、絵画と短歌のあいだに要素間の単純な転写関係はないのである。

 三枝昴之『現代短歌の修辞学』(ながらみ書房)のなかで、水原自身がかなり率直にみずからの作歌技法について語っている。歌われた対象がある転換を得ることによって別次元にとべることが自分の喜びであると水原は述べている。水原の「別次元にとばす」という技法は、穂村の「短歌を転車台として世界をねじる」という方法論とは方向性が少し異なるのだが、見たものを見たまま詠わず(反リアリズム)、それを何らかの回路に流すことで次元の異なるものへと変換するという点では共通するところがある。

 次の歌も対象に即してはいないのだが、またちょっと対象との関係がちがう。

 肉体の思想激しく叫ばんに十九世紀夢の波濤よ  福島泰樹

 この歌の題材は写実主義を確立したクールベの『罠にかかった狐』という、雪の野原で前足を虎ばさみに挟まれて苦しげにもがく狐を描いた絵である。福島はこれを自らの浪漫主義のなかに取り込み、魂の叫びとしての絶叫短歌に仕立てあげている。完全に福島が主で、絵の方が従の関係である。福島がドン・キホーテで絵がサンチョ・パンザなのだ。この境地に到達すると、何を詠ってもそれは福島の魂の叫びになってしまう。

 水の上にかがやくをとめ。水底にともなふ翳をしらず漂ふ  岡野弘彦

 睡蓮は水の恋人、くれなゐのまぶた明るく閉ぢてひらきて  岡井 隆

 上の2首は題材との関連が明らかで、なおかつ歌としての自立性を失っていない例といえるだろう。ともに印象派の巨匠クロード・モネを歌ったものである。印象派の画家には日本趣味があり、おまけに水の風景は日本人にとって親しみのある風景である。短歌の世界にもともと親和性のある絵と言えるかも知れない。

キース・ヴァン・ドンゲン『カジノのホール』
  羅(うすもの)の女ささめくカジノの夜 “oui, oui,, “mais, non”,, 恋も賭けるの  松平盟子

マックス・クリンガー『手袋』
 人恋ふる夜明けの部屋にみづみづと春の花木となりし手袋  秋山佐和子

 おしゃれな短歌と言えば松平盟子、さんざめく社交場の雰囲気をよく映し出している。秋山の歌はクリンガーの絵のなかの要素とほとんど一対一の対応関係があるのだが、絵を離れても幻想的な一首として読むことができる名作である。

 こうしていると、展覧会の会場で絵を見て回っているように短歌を見て回るという楽しい感覚を覚え、西美の企画はなかなかの成功だと言えるかもしれない。

 最後に次の歌を見てみよう。この2首は他の作家の歌とは画然と区別される特性を有しているという点で、注目に値する。作者の名前を見れば、ひと筋縄ではいかないことがわかるだろう。

クールベ『もの思うジプシー女』
 百年の受容ののちの夕微光ここ出でて春の橋わたるべし  谷岡亜紀

デューラー『メランコリア』
 西洋細密画よりまなこを転じみるものは境もあらぬ大和の桜  小池 光

 谷岡の歌は抽象的でわかりにくいが、「百年の受容」を「上野の芸大が象徴している日本の西洋美術受容の百年の歴史」と読めば、この歌は輸入文化であった西洋美術そのものへの、過去の歴史を踏まえた呼びかけと取ることができる。それが「夕微光」なのだから、谷岡の目には衰弱したものと映ったということだろう。むずかしいのは下句の読みである。「ここ出でて春の橋わたる」の主語は何だろうか。直前の「夕微光」は主語として読むことはむずかしい。隠されている主語は「私」とも「展示されている絵」とも「西洋美術」とも取れる。「西洋美術」と取れば、薄暗い美術館を飛び出して、春爛漫の世界に出てゆけ、という擬人化された美術への呼びかけとなり、これはなかなか面白い読みだと思う。もちろん他の読みも可能かとは思うが。

 小池の歌に移ろう。デューラーの細密銅版画から視線を外して、美術館の窓の外を見れば、そこには日本の国花である桜が咲き拡がっている。美術館の内と外の対比が、西洋絵画と日本の桜すなわち〈洋と和〉の対比に重なり、絵から桜へと視線を移動させる観察主体がここにはある。絵に即するのではなく、絵から離れるのでもなく、絵を見ている〈私〉を介在させることで、対象を相対化すると同時に、〈見る〉という制度化された鑑賞行為そのものが意識される構造になっている。この企画に参加した92名の歌人のなかで、美術館の外まで視線を拡げて歌に詠んだ歌人が小池ただ一人であることは、注目されてよい。他の歌人たちはおそらく、課題の美術作品をいかに詠むかに腐心するあまり、目の前の美術作品だけを凝視し続けたのだろう。目の前の作品は建物のなかに展示されているが、建物の外には広い世界があり、また作品はソフト面・ハード面での美術館という〈制度〉の枠内に置かれているという点にまで、視線が拡がることはなかったのである。ことほど左様に、人は目の前のモノを見ているつもりでも、実は見えていない。谷岡の歌には抽象的ながら、美術館の外に拡がる世界へと志向する視点が組み込まれている。小池の歌ではさらに一歩進んで、歴史的・地域的発明品である美術館という〈制度〉を前景化している。これは「作歌の技術」の問題ではない。「何が見えているか」という問題である。小池の目には、他の歌人たちよりも多くのものが見えていたということだろう。

045:2004年3月 第5週 歌人が選ぶ代表歌

 季刊『短歌Wave』2003年夏号と、季刊『現代短歌雁』55号/56号が、「わたしの代表歌」という特集を組んでいる。『短歌Wave』は歌人ひとりにつき3首、『現代短歌雁』はひとりにつき1首を、歌人本人にアンケートして選んでもらうという趣向である。この特集を読んでいると、「代表歌とは何か」ということを考えさせられる。よく引用される歌を本人も選んでいるときは、「ああ、やっぱり」という気がするし、「えっ、これなんですか」というような意外な歌が選ばれていることもある。両誌の特集でかなりの歌人が共通しているのだが、一誌で選んだ歌を他誌では外していることもあり、歌人としても変化をつけたいという気持ちが働いているのかとも思う。

 『現代短歌雁』55号では、佐佐木幸綱・高野公彦・小高賢・小池光というそうそうたる顔ぶれが、「代表歌とは何か」という座談会を行なって、これが殊の外おもしろい。佐佐木によると、古典和歌の世界では「表歌」という概念があり、歌人は名刺がわりに自分の代表歌を決めていたという。現代のように短歌が私的な文芸と化した時代とはちがって、王朝時代には和歌は公的な文化に属しており、コミュニケーションのための公認ツールであったから、そのようなことが可能だったのだろう。私は歌人の方々とお付合いがないので知らないが、現代の歌人は自分の名刺に代表歌を印刷しているのだろうか。

 座談会でも話題になっているが、代表歌には客観的側面と主観的側面とがある。客観的な視点から見れば、世間でよく引用されているものがその歌人の代表歌ということになる。しかし、歌人本人の主観的視点から見れば、そんな歌がよく引用されるのは不本意で、自分で代表歌と見なしているものはこれだということになり、両者は一致しないことも多い。

 座談会では、佐佐木が「サキサキとセロリを噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず」のように、20代で作った歌をいつまでも代表歌と言われるのは困ると発言している。その後の自分の歩みや変化が無視されるのが嫌だということであろう。自分としては、「父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ」のような歌を代表歌と見なしてほしいと注文をつけている。佐佐木は実際に、『現代短歌雁』の特集ではこれをあげている。かと思えば、「佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子おらず」のように有名になった歌が代表歌と言われたらどうだと振られて、小池は「それは困りますよ」と応じている。ほんとうに嫌そうである。セルフイメージにかかわることなので、歌人もなかなか注文が多いのである。かくして本人もどれを選ぶべきか悩むことになる。

 『現代短歌雁』では次のような歌が代表歌として選ばれているのを見ると、なるほどと納得する。おおかたの期待を裏切らない選択で、自分の私的な好みというより、世間の判断を重視した結果だろう。あるいは両者が一致しているとも言える。

 家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな  大滝和子

 まだ何もしていないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す  萩原裕幸

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり  春日井建

 たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり  河野裕子

 何処までもデモにつきまとうポリスカーなかに無電に話す口みゆ  清原日出夫

 観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(ひとよ)  栗木京子

 白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり  高野公彦

 いずれも余りにも有名な歌ばかりである。しかし、『現代短歌雁』の座談会では、「たっぷりと」を代表歌と言われることを河野は嫌っていると小高が発言しているのだが、あんまり言われるのでもう匙を投げたのだろうか。「もうしょうがないわ」という〈あきらめに基づく代表歌〉というのもありそうである。

 かと思うと、次のような歌が選ばれていることもある。

 疾風にみどりみだるれ若き日はやすらかに過ぐ思ひゐしより 大辻隆弘

 人おのおの生きて苦しむさもあればあれ絢爛として生きんとぞ思ふ  尾崎左永子

 やぶこうじ、からたちばなの赤い実が鳥に食われてみたいと言えり 沖ななも

 明け方に翡翠のごと口づけをくるるこの子もしづかにほろぶ  黒瀬珂瀾

 大辻の選んだ歌はそれほどよい歌とも思えない。彼の代表歌はなんといっても、「わがごとく柿の萼(うてな)を見下ろすか熾天使は酸きなみだに濡れて」だと思うのだが、大辻は『短歌Wave』の方にもこの歌をあげていない。不思議なことである。

 尾崎左永子(松田さえこ)は、『彩紅帖』(平成2年)収録の歌を選んでいる。比較的近作であり、また自分の生き方を高らかに宣言する歌である。代表歌には〈セルフイメージを演出する〉という目的もあるので、このような選択も考えられるのである。しかし、松田さえこ時代の代表歌集『さるびあ街』の次のような歌の方が個性が光るようにも感じられる。

 いくばくか死より立ち直るさま見をり金魚を塩の水に放ちて

 悲しみを持ちて夕餉に加はれば心孤りに白き独活食む

 沖ななもは上にあげた歌を、『短歌Wave』の3首のうちの1首としても選んでいるので、本当に気に入っているのだろう。しかし、どれか1首と言われてあげるほどの強い個性があるかというと、いささかこの選択には疑問がある。沖は『短歌Wave』の方には、「空壜をかたっぱしから積みあげるおとこをみている口紅(べに)ひきながら」を入れていて、この歌は歌集『衣裳哲学』の巻頭歌なのだから、こちらの方が代表歌としてふさわしいようにも思う。

 また黒瀬は『黒燿宮』を構成する歌のなかで、よく引かれることの多い耽美的で衒学的意匠の濃厚な歌ではなく、上のような比較的おとなしい歌を選んでいる。これもまたおもしろい選択であり、歌人が自作に対して取っている微妙な距離感がほの見えてくる。

 『短歌Wave』は代表歌3首なので、世間で代表歌と言われている歌を1首入れておけば、あとは歌人が自分の好みで選ぶこともでき、比較的自由度が大きい選択になる。次にあげた三枝の1首目は万人の認める代表歌で異論のないところである。佐藤の1首目も歌集の題名となった歌で順当な選択と言える。佐藤には、「生きのびたひとの眼窩よあおじろく光る夜空のひとすみに水」という秀歌があるのだが、どこかで見てメモしたので出典がわからない。

 ひとり識る春のさきぶれ鋼よりあかるく寒く降る杉の雨  三枝昴之

 ゆっくりと悲哀は湧きて身に満ちるいずれむかしの青空となる

 人間の技美しき早苗田が水を呼び水が夏雲を呼ぶ

 風鈴を鳴らしつづける風鈴屋世界が海におおわれるまで  佐藤弓生

 ぼんやりと街のはずれに生えている水銀灯でありたいわたし

 こなゆきのみるみるふるは天界に蛾の老王の身をふるうわざ

 歌集を何冊も持つベテランはよいとして、第一歌集を出版したばかりという若い歌人に、代表歌を選べというのはいささか酷な気がする。

 とてつもなく寂しき夜は聞こえくる もぐらたたきのもぐらのいびき 石川美南

 西ヶ原書店閉まりて夕焼けを呑みこむ町へ行くのだといふ

 助走なしで翔びたちてゆく一枚の洗濯物のやうに 告げたし

 石川は第一歌集『砂の降る教室』を出したばかりの23歳の若手歌人である。一首のなかに漲るリズム感が心地よく、それは「たたき」「いびき」の脚韻にも現われている。「カーテンのレースは冷えて弟がはぷすぶるぐ、とくしやみする秋」もやはり言葉のリズム感覚で記憶に残る歌だと思う。しかし、まだ評価の確定しない若い歌人の場合、世評という外部の目を参照できない分だけ、代表歌を選ぶ際にためらいが出るだろう。

 小説家や音楽家が、作品は子供のようなもので、世の中に産みだしてしまったら、あとは独り歩きして行き、それをコントロールすることはできないと言うことがある。確かにその通りで、文学作品についても、いかにして産み出されたかという制作サイドが重視され、なかでも作者の〈制作意図〉を金科玉条とする向きもあるが、それは正しくない。むしろ重要なのは、〈作品がいかに受け取られたか〉という読者論の方である。やはり代表歌というのは、「世間が代表歌と認めたもの」なのであり、この定義のなかには定義すべき事項が埋め込まれていて、循環的あるいは再帰的定義になってしまっている。だから論理的には定義の資格を満たしていないのだが、この矛盾にこそ代表歌の本質があるのではないだろうか。それは〈自己〉とは、〈世間が私と見なしているもの〉だというのと平行的である。もっとも、〈ほんとうの自分〉が、どこかに (インドかネパールあたりの道ばた) あるにちがいないと考えている若い人には納得できないだろうが。

044:2004年3月 第4週 大塚寅彦
または、ぬばたまの鴉よ時を得て月光に声高く鳴け

烏羽玉の音盤(ディスク)めぐれりひと無きのち
     われも大鴉を飼へるひとりか

            大塚寅彦『刺青天使』
 「烏羽玉(ぬばたま)の」は「黒」にかかる枕詞だから、古風に音盤と書かれたレコードは、黒光りするLPレコードか、ひょっとするとSPレコードかもしれない。時間は夜でなくてはならない。深夜一人でレコードに耳を傾けているのであろう。流れているのはバッハのゴールドベルク変奏曲か、マーラーの交響曲か。「大鴉」はもちろんエドガー・アラン・ポーの長詩 Ravenで、Nevermore と陰気にリフレインを響かせたあの鴉である。作者大塚は鴉に思い入れがあるらしく、他にも何首か鴉の歌がある。

 鴉らの影また黒しにんげんの影よりわづか濃き烏羽玉に

 らうらうと鴉は鳴けよ銃身の色なる嘴(はし)を冬空に向け

 選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て

 「われも大鴉を飼へるひとり」とは、自分の内部に鴉に象徴されるものを秘めているということだろう。それが何かは定かではないが、鴉の黒色とその陰気な鳴き声が示すように、自分の暗い斜面へと傾斜する何かであり、それが大塚の歌の源泉となっていることは確かである。上の二首目「らうらうと」に見られるように、身中の鴉は時を得て声高く鳴くのだ。またその黒色は、あらゆる色彩を吸収し黙する黒ではなく、月光という詩想を得ればみずから光を放つものでもある。

 わがうちに変形真珠(バロック)なして凝るもの月させばあはく光はなたむ

 大塚寅彦は1961年生まれ。19歳で中部短歌会に入会し、春日井建に師事している。1982年「刺青天使」30首により短歌研究新人賞を受賞。1985年に出版された『刺青天使』は第一歌集である。「刺青」は「いれずみ」ではなく、「しせい」と読む。ライトヴァースの火付け役となった俵万智の『サラダ記念日』と2年ちがいの刊行とは思えないほど、端正な文語定型を自在に乗りこなして、青年の清新な抒情を歌った歌集である。

 をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪

 洗ひ髪冷えつつ十代果つる夜の碧空色の瓦斯の焔(ひ)を消す

 ねむりばす咲(ひら)きぬ或るは水底に沈める者の永久(とこしへ)の夢想

 翼痕のいたみを忘るべく抱くと淡く刺青のごとき静脈

 わが鳥のふかき飛翔を容るるべく真冬真澄の空はあらむを

 中山明の章でも述べたことだが、このような短歌が20歳そこそこの若者の手によって作られたとは信じがたい奇跡である。今の20歳くらいの人が作る短歌はたとえば次のようなものなのだ。

 初めてのビキニ誰にも見られてはいけないようで海にころがる 平山絢子

 自転車を懸命にこぐ君の背に顔をうずめるこれ天国かな  丹下佳美

 このような短歌と大塚の短歌の間には、文語と口語のちがいを遙かに越えた超弩級のクレバスが口を開いているように感じるのだが、そのことはまた稿を改めて論じることとしよう。

 『刺青天使』に収録された短歌を読んでいると、そこには大きく分けてふたつの流れがあるように思う。ひとつの流れは上に引用した五首目「わが鳥の」や、「陽のなかにわが眸は澄めよひらかれし白き翼のごとし雪嶺」のように、青年のロマンチシズムが香るような歌で、視線を上げて上を「見上げる歌」と言えよう。そこには青年特有のいささかの背伸びがあってもよい。もうひとつの流れは上の三首目「ねむりばす」や「花の屍(し)ににじむつきかげ いもうとの匂ひ百花香(ポプリ)のうちにまじりて」のように、伏し目がちに呟く「うつむく歌」の系列である。つまり、内面に屈み込む姿勢を取る歌、内部からの夢想を紡ぎ出す空想の勝った歌をいう。私は子供のころから夢想癖があって根が暗いせいか、どうしても「うつむく歌」の方に惹かれてしまう。同じ血を感じるのである。

 私見によれば、「見上げる歌」と「うつむく歌」の両者を繋ぐのが、引用歌四首目の「翼痕の」ではないかと思う。これは『刺青天使』という歌集の題名のもととなった歌であり、作者自身も要の場所にある歌と位置づけていると取るのが自然だろう。肩に翼の痕があるとは、自分を翼をもがれた天使と捉えているとの謂である。そして皮膚を走る青白い静脈は刺青を思わせる。だから刺青天使なのである。なぜか故あって地上に落とされた天使は、天上の特性と地上の特性を合わせ持つ矛盾した存在である。今この世にこうして生きている不思議と不全感を象徴する喩として、歌集全体を紋章のように刻印していると言えよう。

 しかし、このアンビバレントな緊張感は、第二歌集『空とぶ女友達』、第三歌集『声』、第四歌集『ガウディの月』と読み進むにしたがって、だんだんと薄れて行くように感じられる。次のような歌が多くなってくるのである。

 生没年不詳の人のごとく座しパン食みてをり海をながめて 『空とぶ女友達』

 天使想ふことなく久してのひらに雲のきれはしなす羽毛享く

 ひとは争ふべく差異をもつ夕暮の雑踏ひとり瞰してをり 『声』

 吊革に立ちてすずろに思ふこと亀甲を出ず亀は生を終ふ

 倦怠を肝(かん)のせゐとし臥しをればジョニ赤の男(ひと)卓を歩めり 『ガウディの月』

 独り住むわれはも心萎えし夜は吃驚箱(びっくりばこ)に棲むジャック想ふ

 「天使想ふことなく久し」の句が象徴的に示しているように、かつて青年期には地上に落とされた天使と感じた自分だが、地上に長く住み暮らすうちに、だんだんと天上的特性が薄れ、地上的特性が優位を占めるようになる。それは年齢を重ね、日々の塵埃にまみれるということでもある。だから時に倦怠の色濃い歌が生まれるのだろう。上に引用した六首目「独り住む」のように、淋しさの滲む歌も多く見られる。ここには引かなかったが、9.11同時多発テロを詠んだ時事詠や、先輩歌人永井陽子の死去を悼んで作った歌もある。また次のような現代風俗を取り入れた歌もある。

 ルーズソックス脱皮過程の脚の群秋のひかりを乱しつつ過ぐ

 電脳をめぐれるワーム世界すでにバベルの網(ネット)に支配されつつ

 ローソンの若き店員ぎんいろのピアスは何を受信してゐむ

 しかし、大塚の魅力はその感性の鋭さと繊細な表現にあり、近作においてもその魅力は健在である。

 わがめぐりのみにゆらめき世界より隔つる冬の陽炎のあり

 淡水のなか貝らわづかにくち開けて吐きつつゐたり海の記憶を

 燐寸すれば燐寸となりし樹の夢のほのかに揺らぎ細りゆきたり

 蜻蛉は透き羽にひかりためながらわがめぐりを舞ふ死者の軽さに


 『現代短歌最前線』(北溟社)上巻に収められた自選100首は、「2033年トラヒコ72歳」と題されており、添えられた文章もまた、自分が72歳になった未来社会の情景である。ひょっとして作者は、老成をこそ求めているのかも知れないとも思えるのである。

043:2004年3月 第3週 『レ・パヒエ・シアン』の歌人たち

 京都の寺町二条に三月書房という本屋がある。木造二階建和風家屋の一階部分が売り場だが、その古ぼけた外観といい、奥にある風呂屋の番台のような帳場といい、古本屋を思わせる風情だが、れっきとした新本書店である。その地味な外観とは裏腹に、三月書房は知る人ぞ知る伝説的な有名書店なのだ。京都に住む読書好きの人で、三月書房を知らない人はいない。世の中の流行から超然とした独自の基準による選本がその理由である。売れ筋の雑誌や文庫本など、どこにも置かれていない。私は商売柄、出版社と付き合いが深いが、いつぞや東京の大手出版社の人が、京都に営業に行くときにはまず三月書房に挨拶に行くと言っていた。出版社からも一目置かれているのである。

 三月書房はまた短歌関係の本の品揃えでも知られている。京都ではここでしか見つからない本が多い。短歌の同人誌も数多く店頭に置いている。『レ・パピエ・シアン』も三月書房で見つけた月刊同人誌のひとつである。『レ・パピエ・シアン』のカナ表記と、「巴飛慧紙庵」という暴走族のチーム名のような漢字表記と、les papiers cyans というアルファベット表記が並んでいるので、どれが正式の誌名表記なのかわからないが、とりあえず『レ・パピエ・シアン』と書くことにしよう。「青い紙」という意味だという。ブルーの紙を使った瀟洒な雑誌で、同人誌らしく手作り感がにじみ出ている。短歌好きが集まって、ああだこうだと言いながら同人誌を作るのは、きっと楽しい遊びにちがいない。

 結社は主宰者の短歌観に基づく求心力をその力の源泉としているため、いきおい参加者の作歌傾向が似て来る。それにたいして同人誌は気が合う仲間で作るもので、作歌傾向はばらばらでもかまわないというルーズさが身上である。『レ・パピエ・シアン』も同人誌らしく、堂々たる文語定型短歌からライトヴァース的口語短歌まで、さまざまな傾向の短歌が並んでいる。同人のなかでいちばん名前を知られているのは、たぶん大辻隆弘だろう。しかし、私は今まで名前を知らなかった歌人の方々をこの同人誌で知ったので、気になった短歌・惹かれた短歌を順不同で採り上げてみたい。2004年1月号~3月号からばらばらに引用する。

 この同人誌でいちばん気になった歌人は、何といっても桝屋善成である。

 底ひなき闇のごとくにわがそばを一匹の犬通りゆきたり

 悪意にも緩急あるを見せらるる厨のかげに腐る洋梨

 なかんづくこゑの粒子を納めたる莢とし風を浴びをるのみど

 紛れなく負の方角を指してゆくつまさきに射す寒禽の影

 手元の確かな文語定型と、よく選ばれた言葉が光る歌である。なかでも発声する喉を「こゑの粒子を納めたる莢」と表現する喩は美しい。テーマ的には日々の鬱屈が強く感じられる歌が多い。日々の思いを文語定型という非日常的な文体に載せることで、日常の地平から飛翔して象徴の世界まで押し上げるという短歌の王道を行く歌群である。

 病む人のほとりやさしゑ枕辺を陽はしづやかに花陰はこぶ  黒田 瞳

 みなぎらふものを封じて果の熟るる子の頭ほどの固さかと思ふ

 さかしまに木を歩ませばいく千の夜世わたらむよそびら反らせて

 凍み豆腐やはらにたきて卵おとす卵はゆるゆる濁りてゆくを

 黒田も文語定型派だが、言葉遣いにたおやかさを感じさせる歌が多い。漢字とかなの配分比率、やまとことばの駆使、歌に詠み込まれた感興の風雅さが特に際立つ。ある程度の年齢の方と想像するがいかがだろうか。「さかしまに」の歌は幻想を詠んだものだが、木が歩くというのはマクベスのバーナムの森を思わせ、「夜世わたらむ」と定型七音に収めず、「夜世わたらむよ」と八音に増音処理したところに余韻を残す工夫があり手練れである。

 母を蘇らせむと兄は左脚、弟は身体全てを捧ぐ  服部一行

 最大の禁忌〈人体錬成〉に失敗す幼き兄弟は

 哀しみに冷えゆく〈機械鎧 (オートメイル)〉とふ義肢の右腕、義肢の左脚

 なかでも異色なのは、服部一行の「鋼の錬金術師」と題された連作だろう。TVアニメ化もされた荒川弘の同名マンガに題材を採った作品だが、「人体錬成」「機械鎧」(アーマー/モビルスーツ)というテーマは、サブカルチャーと隣接するとはいえ現代的である。短歌の世界では扱われたことのないテーマではないだろうか。ちょうどついこのあいだ、鬼才・押井守の傑作アニメ『攻殻機動隊』を貸ビデオで見たところなので、特に気になるのかもしれない。ちなみに、『攻殻機動隊』を見ると、『マトリックス』がいかに影響を受けたかがよくわかる。服部の短歌に戻ると、この連作が短歌として成功しているかどうかは疑問の余地があるが、短歌における新しい身体感覚の追求として興味深いことは事実である。

 もう一人異色歌人は渡部光一郎である。

 中井英夫は江戸っ子にてしばしば指の醤油を暖簾もて拭き

 見習いは苦汁使いに巧みにて主人の女房をはやくも寝取る

 豆腐屋「言問ひ」六代目名水にこだわり続けたりと評判

 江戸落語を思わせるような威勢のいい言葉がぽんぽんと並んだ歌は、俗謡すれすれながらもおもしろい。ちなみに2004年2月号は「都々逸の創作」特集だが、他の同人の作には都々逸になっていないものが多いのに、渡部はさすがに「椿つや葉樹(ばき)つんつら椿めのう細工と見てござる」と達者なものである。

 その他惹かれた歌をあげてみよう。


 わが額にうつうつとまた影生(あ)れて ふるへる朝のふゆの吐息よ  角田 純

 軋まないようにゆっくり動かして重たき今年の扉を閉じぬ  藤井靖子

 重ねたのは仮止めとしての問いの板だからだろうか神を忘れて  小林久美子

 抽出にさよならだけの文あるにまた会ふ放恣の盃満たさむと  酒向明美

 携帯を持たぬ我は今やっと時を操る力を手にする  渋田育子

 忘れゆく想ひのあはき重なりに花はうすくれなゐの山茶花  矢野佳津

 角田の「わが額に」の口中に残る苦みも短歌の味わいである。藤井の歌は年末風景を詠んだものだが、日常から1mほど浮き上がることに成功している。この空中浮遊ができるかどうかが作歌の決め手である。小林の歌は「舟をおろして」という連作の一首で、手作りで舟を作っているのだが、「仮止めとしての問いの板」という喩に面白みがある。短歌は完全に解説できてしまうと興趣が半減する。どうしても謎解きで説明できないものが残る短歌がよい歌だろう。

三月書房のホームページ
『レ・パピエ・シアン』のホームページ

042:2004年3月 第2週 中山 明
または、白鳥はラストトレインに乗って遠ざかる

歳月は餐をつくして病むものの
 かたへに季節(とき)の花を置きたり

            中山明『愛の挨拶』
 中山明の名前を最初に見たのは、塚本邦雄『現代百歌園』(花曜社1990年刊)のなかである。この本は塚本が100人の歌人を選び、それぞれの代表歌を挙げて、塚本特有の高いトーンで解釈を施したアンソロジーであり、私が短歌に興味を抱くきっかけとなった本でもある(現在は絶版)。塚本は中山の第一歌集『猫、1・2・3・4』(遊星舎1984年刊)から、その後よく引かれることになる次の歌を挙げている。

 あるいは愛の詞(ことば)か知れず篆刻のそこだけかすれてゐたる墓碑銘

 七・七・五・八・七(または四・十・五・八・七)の破調ながら、三句「篆刻の」の定型五音と漢字表記の強い存在感が、上二句のなだれ込むような十四音を静かに受け止め静止させ、下句にゆるやかに接続することで見事に定型として成立している。「そこだけかすれて/ゐたる墓碑銘」の句跨りも前衛短歌風である。塚本が代表歌とした理由がよくわかる選歌といえよう。「暗い可能性、甘美な断念、新鮮な古典主義、その他、種々の背反する美的要因を、ほとんど無傷のかたちで三十三音化した稀に見る佳品」と賛辞を呈している。

 孫引きになるが、第一歌集『猫、1・2・3・4』には、他に次のような歌が見られる。

 日常のほとりをあゆむ青鷺の脛うつ水もあやまたず見き

 月を見る平次の腰にくろがねの〈交換価値〉の束はゆれたり

 百億の華燭の径よ 婚畢(を)へて白き辛夷の宵を還らむ

 水風呂に夏の陽のさすひとときをわれは水夫の眸をしてをらむ

 誰もゐぬ椅子の描かれてあるごとく簡明に来る晩年をおもふ

 中山は1959年生まれで、第一歌集刊行時は25歳である。「あるいは愛の詞」は21歳の作だという。その年齢で文語定型を自由に操り、加えて前衛短歌の語法も自家薬籠中のものとしていたとは驚くべき早熟と言わねばならない。穂村弘は、「このような高度な文体を自由に使いこなす若者は彼らを最後に絶滅した」と述べている(連載「80年代の歌」第2回、『短歌ヴァーサス』2号)。ちなみに「彼ら」とは、中山、紀野恵大塚寅彦をさす。穂村は「八〇年代の終焉とともに若者たちは非日常的な言語にリアルな想いを載せるということが出来なくなったようだ」と続けているが、今の短歌の動向を考えるうえで考えさせられる言葉である。

 文体の早熟と並んで注意を引かれるのは、中山の歌に詠まれた〈想い〉である。墓碑銘のかすれを見て、愛の詞だったかも知れないという発想は、21歳の若者のものとは思えない。他の歌に見られる、「日常のほとりをあゆむ青鷺」とか、「婚畢(を)へて白き辛夷の宵を」なども同じである。引用歌の最後「誰もゐぬ椅子」の「簡明に来る晩年」など、ほとんど「老成」という言葉がふさわしいほどである。モラトリアムが限りなく引き延ばされた現代では、若者はいつまでも若く、歳を取ることができなくなったが、中山の感性は明らかにモラトリアム時代到来以前のものであり、ほとんど古典的とすら思える。

 文芸の世界で早熟は栄光であると同時に災厄でもある。早熟はレエモン・ラディゲのような夭折を招き、アルチュール・ランボーのような歌のわかれの遠因となる。かつて同人誌「かばん」で中心的役割を演じた中山も、第二歌集『愛の挨拶』(沖積舎1989年刊)を最後に、短歌の世界から遠ざかってしまった。第三歌集『ラスト・トレイン』は中山のホームページ翡翠通信で読むことができるのみである。

 『愛の挨拶』からいくつか拾ってみよう。

 欲望の淵の深みに潜みゐる鮮紅の魚をおもひゐたりき

 わたくしはわたくしだけの河に行く 五月、非力な釣竿(ロッド)を提げて

 川下にあまたの街をちりばめてはなやぐごとし初夏の早瀬は

 追憶のかたちとなりてしのばずのみなもに浮かぶけふの鴨たち

 万物の日暮れにあをき雨ふりてつひに熟さぬ実は堕ちにけり

 文語定型の基本は守りながらも、第一歌集に比べて明らかにひらがな表記が増えている。これら定型の歌に混じって、次のような口語で非定型に近づく歌も見られる。

 逃げられてしまふのもいい わたしくをよぎるあまたのもののひとつに

 手ばなしの夏にあなたはゆれながら水のほとりにたたずんでゐる

 どこかで僕らを視てゐるのだらう 透明な湖水の底のしづかな鱒たち

 この傾向は、『ラスト・トレイン』ではさらに顕著となる。

 ぼうっとしてゐるあなたが好きでぼくはもうこんなところまできてしまった

 詳しくはしらないけれどロング・ボブみたいな髪型(かみ)でうつむきかげんで

 もうぼくはここにはゐない 校舎から自動オルガンの賛美歌が聞こえる

 もうそんなに薬を飲むのはやめないさい こんなしづかな星たちの夜に

 『愛の挨拶』にも破調の歌はあるのだが、その多くは上句に見られ、下句は定型でまとめられていることが多い。たとえば次の歌は七・七・五・七・七である。

 やがてかなしき狩りのロンドを吹き鳴らせ 十八世紀、春の小川に

 小池光「リズム考」(『街角の事物たち』五柳書院)によると、初句増音のうち、五音を七音に増やすのはいちばん無理がないという。だからこの増音は定型からの微妙なずれに留まる。

 ところが『ラスト・トレイン』になると、一転して下句の破調が多く見られるようになる。

 どうしやうもない僕たちのかたはらにエスケープ・ルートのやうな闇は降りたつ

 無理にでも「どうしやう/もない僕たちの」で区切るとすれば、五・八・五・十二・七となる。短歌の要である三句の「かたはらに」には、初句・二句の句跨り十三音を受け止める強さがなく、そのままなだれこむように四句の十二音に移行するため、ずいぶん定型から隔たった印象を残す。小池によれば、浜田到に「死に際を思いてありし一日のたとへば天体のごとき量感もてり」という四句十二音の例があり、小池の知る限りの最大増音の例だそうだが、中山のこの歌は同数音ながら浜田よりさらに破調の印象が強い。このように下句に非定型が増加していることは、中山の作歌態度の明らかな変化として捉えるべきだろう。第一歌集『猫、1・2・3・4』で塚本から「新鮮な古典主義」と評された歌風は、ライトヴァースへと変化しているのである。

 中山が短歌の世界から遠ざかったことを悲しんだ村上きわみは、「永遠のイノセント 中山明『ラスト・トレイン』小論」(『短歌ヴァーサス』2号)を書いた。この文章のなかで村上が強調しているのは、『ラスト・トレイン』全編に漲る〈訣れ〉〈これきり感〉〈喪失の気配〉であり、その白鳥の歌的印象である。確かに村上が引用している次のような歌は、不思議なほど透明で無音感に満ちたせつない世界である。

 さやうなら 訣れの支度ができるまで水鳥の発つさまをみてゐる

 いつかしづかな訣れの夜が来るまでのしらないふりのぼくたちのために

 ながれゆく風景の色 ぼくはただあなたのゆめをみてゐるだけだ

 ありがとうございました こんなにもあかるい別れの朝の青空

 村上は『ラスト・トレイン』のなかでも、特にライトヴァース的な短歌を選んで取り上げている。しかし、これを見て中山明の歌の世界だと思ってはいけない。このライトヴァース感覚の短歌は、文語定型の作歌技法を知り尽くした人だけが到達できる世界である。

 たしかに村上の指摘するように、『ラスト・トレイン』には喪失の気配が濃厚にたちこめている。それは中山の〈歌のわかれ〉と無縁ではあるまいが、もう一方ではすでに25歳の第一歌集『猫、1・2・3・4』に漂っていた老成の気配に由来するようにも感じられる。つまりは、中山は「見てしまった人」だということなのだ。

 私は村上とはちがって、『ラスト・トレイン』のなかではとりわけ次のような歌にかつての中山らしさを感じ、中山が遠ざかってしまった短歌の世界を愛惜するのである。


 薄墨の花に疲れてうつろへば昨日訣れし指をおもへり

 ゆるやかに死のあしもとへむかふきみのはぐれさうなそのまなざしをおもふ

 魅入られし者ゆゑふかく畏れたる死の蔭に降る春の淡雪

 モーツァルトを聴く部屋の椅子 いつか死ぬ者として在るこの世の隅に

 背(せな)青き魚のはこばれゆきたるはあふみ大津の春の花蔭

 鳥は樹にひとは泉に疲れたるたましひの緒をひたしゐたるかな

中山明のホームページ翡翠通信
http://www.ne.jp/asahi/kawasemi/home/

041:2004年3月 第1週 作歌信条

 『現代短歌100人20首』(邑書林)は、100人の歌人を選び、自薦20首と作歌信条30字以内をあわせて掲載した、なかなかおもしろい趣向のアンソロジーである。最年少の永田紅から最年長の浜田康敬までがずらりと並んでいる。編集は小池光、今野寿美、山田富士郎。こういうアンソロジーでは、それぞれの歌人が自薦20首に何を選んでいるかが興味深いが、これは別に論じる予定の代表歌に譲るとして、もっとおもしろいのは作歌信条30字以内の方だ。これは読んでいると興味尽きないのである。

 年の若い歌人は、概して初々しく生真面目に、優等生的な作歌信条を披瀝している。

永田紅
 定型を信頼して作り続ける。

横山未来子
 言葉のもつ力を活かしながら、生を基盤とした歌を作ってゆきたい。

吉川宏志
 言葉の手触りを大切にしつつ、生の実感に根ざした表現を生み出す。

 〈言葉〉と〈生〉の間に成立する関係性が短歌の核心であるのだから、作歌信条が両者をいかに架橋するかに集中するのはある意味当然と言えよう。結果としてよく似た信条となる。

 しかし、歌人も年を重ね経験を積むと、次のように煮ても焼いても食えない人たちと化すのである。

小池純代
 歌わなければからだにわるい。

小池光
 信条、そういうものはない。

穂村弘
 愛の希求の絶対性。

 小池光はこのアンソロジーの企画立案をした編者のひとりなのだから、「それはないだろう」とツッコミを入れたくなるが、この答えはいかにも小池らしい。決してはぐらかしているのではなく、この返答の背後には、短歌に対する小池の優れて戦略的思考が潜んでいるのである。一方、穂村の答えは、ある意味感動的ですらある。穂村の著書『世界音痴』の愛読者としては、このなかの「絶対性」は「不可能性」と等価交換できるように思う。この作歌信条を見てから、「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」のような破天荒な歌を読み返すと、「そうだったのか!」という気になるから不思議である。

 何人かの歌人は、信条を短歌形式で披露している。こんなことができるのも、短歌のおもしろさだ。これは短歌を作る心構えを短歌で表現しており、「短歌についての短歌」だから、メタ短歌と言ってもよいのである。

加藤治郎
 ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで

大塚寅彦
 一凡打にイチローは極意つかみしとふわれも凡打の歌かさねゆかむ

三枝昂之
 どんな日々にも放蕩はあり花はあり歌の汀へゆっくり歩む

藤井常世
 歌いつくすことあらざらむゆくすゑは花の山姥山めぐる歌

佐佐木幸綱
 直立せよ一行の詩 陽炎に揺れつつまさに大地さわげる


 加藤の歌はこの機会に作ったものではなく、第一歌集『サニーサイド・アップ』収録の歌の使い回しである。加藤がふだんからこのような歌を作っていることは、加藤の短歌には〈どのように短歌を作るか〉という技法論が、常設展示のように組み込まれているということを示している。大塚と三枝の歌が既作歌か新作かはよくわからない。三枝の七・七・五・七・七の初句二音余りの破調の歌は、とても美しくてうっとりしてしまう。佐佐木の「直立せよ」は、言うまでもなく『直立せよ 一行の詩』(1972)のタイトルともなった佐佐木の代表歌である。

 上にあげた永田・横山・吉川らは、すでに指摘したように、〈言葉〉と〈生〉の関係性に作歌の基軸を据えていた。しかし、〈言葉〉と〈生〉とがじかに触れ合うことは、そういつでもあることではなく、ふつうは両者の間にさまざまなものが介在する。そのひとつに、社会があり、歴史があり、ときに時代と政治がある。次の歌人たちはむしろ、〈言葉〉と〈生〉の間に否応なしに割り込んで来るものとして、社会や歴史にこだわり続けている人たちである。

谷岡亜紀
 言葉を恐れつつ、〈世界〉との対立葛藤のある作品を目指したい。

山田富士郎
 ここと今を手離さず、魂を歴史の搾木にかける、それも楽しく。

島田修三
 流動する時代・社会に生きて在る「私」の実感を歌いとどめること。

小嵐九八郎
 食いつなぎながら、失いしものらへの魂の吹きこみ。

福島泰樹
 直接伝達詩型短歌は、烈しく痛切な命の詩型である。

 山田と島田は1950年生まれ、谷岡は1959年でやや年下だが、こういう感じ方はこのあたりが年齢的に下限だろうか。小嵐と福島の信条には、それとわかる形では歴史や社会や政治という単語は含まれていないが、その履歴を知る者にとっては、行間に滲み出ていることは明白である。ふたりとも浪漫的方向に進んでいることは興味深い。小嵐が講談社のPR誌『本』に連載していた「蜂起には至らず 新左翼死人列伝」は愛読していたが、最近本になった。「鰰(はたはた)はどこさ逃げたか聴けばあだシベリアおろしの風っこ騒ぐ」のような、故郷秋田の方言を駆使した民衆的土俗的な短歌を作る人である。

 このようにさまざまなスタンスから披瀝された作歌信条があるが、私が一番心を打たれたのは次の村木の信条にとどめをさす。

村木道彦
 神も思想も信じない現代人の、人間自体に対する祈りが歌である。

 村木は自薦20首に、伝説的歌集『天唇』から一首も採らず、すべて歌集未収録歌から選んでいる。「歌のわかれ」を通過して、過去の自分を否定、もしくは否認しているからであることは言うまでもない。数首引いておこう。

 夭死なる齢にはるか杳(とほ)くきて谷おりゆけば水流の音

 傷口をこころにもてばガラス戸の雨滴は花のごとくひろがる

 壮年に春は深しも翔けのぼる雲雀を蒼天の冥きに吸われ

040:2004年2月 第4週 卵の歌

 若い人は知らないだろうが、卵は昔は貴重品だった。割れないようにもみ殻に入れて保存され、精がつくからという理由で、病人への見舞いによく使われた。近代以前の和歌に卵が詠まれた例をあまり知らないが、近代以降の短歌にはよく登場する。やや縦長の丸い形状、割れやすい殻、とりわけ内部に命を宿しているということが、豊かな象徴性を帯びる理由なのだろう。キリスト教では復活祭に彩色した卵を飾るが、これも生命の復活・再生を表わしていることは言うまでもない。またお隣の韓国には卵生神話というのがあり、伝説上の英雄は卵から生まれたとされているという。卵の持つ不思議な性質が、いかに昔の人々の想像力をかき立てたかをよく示している。

 近代短歌で卵の歌というと、どうしても次の歌が最初に頭に浮かぶ。

 突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼 塚本邦雄

 ここで焦点が当てられているのは、殻がもろくて割れやすいという性質である。卵の持つこの性質は、豊かな譬喩の揺籃となるが、塚本の譬喩は鮮烈なイメージを残す。卵が激しく割れて卵白と卵黄がごちゃまぜになって流れ出すように、撃ちぬかれた兵士の眼からも流れ出すものがあるはずだ。生卵のもろさは、戦争の惨禍の犠牲となった人間の生身のもろさと呼応している。ちなみに、結句七音からして、最後の「眼」は「まなこ」と読むべきだろう。

 取り落とし床に割れたる鶏卵を拭きつつなぜか湧く涙あり 道浦母都子

 同じように卵が割れる場面を詠みながら、塚本の短歌の高度の象徴性にくらべて、こちらはずっと日常性と作者の心情に傾斜している。言うまでもないことだが、泣いているのは卵を落として割ったからではなく、別のところに理由があるが、それが何かは定かではない。しかし、卵を落として割れば、流れ出した中身を復元することはできない。だから取り返しのつかない出来事の喩として成立するのである。

 殻うすき鶏卵を陽に透かし内より吾を責むるもの何 松田さえ子

 卵を光線に透かすとぼんやり中身が見える。それが自分を責めているように感じるというのだが、もとより卵が責めているのではない。見ている作者の置かれた境遇と心情が、そのように見させているというにすぎない。松田は家庭の不幸をよく歌にしたので、嫁して数年経ても、いまだ子が生まれないことを婚家から責められているのかも知れない。ならば卵の喩ももっともである。

 冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生(ひとよ)のごとし 岡井隆

 冷蔵庫ひらきてみれば鶏卵は墓のしずけさもちて並べり  大滝和子

 ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は 穂村弘

 昔は薄暗い台所の片隅にザルに入れて置かれていた卵も、現代ではその定位置は冷蔵庫と決まっている。卵というとどうしても冷蔵庫が登場することになるが、こうして3首並べてみると、ずいぶん趣の異なる歌が並んだ。いちばんわかりやすいのは大滝の歌で、卵が墓のように整列して並んでいる様を詠んだものである。ポイントはふたつあり、ひとつは卵の殻の白さが墓標を連想させたこと。もうひとつは、卵は生命を胚胎しているにもかかわらず、それとは逆に墓場を連想したことである。この連合と飛躍がこの歌を成立させている。

 岡井の歌は少々わかりにくい。本来ならヒナを生むはずの卵が、冷蔵庫で食べられるのを待っているということが、だまされて来た一生を連想させるということかとも思うが、この読みに確信はない。しかし、ほのかに口中に苦さを感じさせる歌ではある。これに対して、穂村の歌では卵はたいした役割を演じていない。別に卵置き場でなくてもよい、やけっぱちの歌である。

 卵はもちろん食べるものであり、日本では和食・洋食を問わず、朝食の食卓にのることが多い。ただし、卵を食べるといっても、そこは歴戦の強者揃いの歌人のこと、一筋縄ではいかないのである。

 卵もて食卓を打つ朝の音ひそやかに我はわがいのち継ぐ 高野公彦

 鳥の卵ひとつのみほすあけぼのへ冷え冷えと立つをとこののみど 小池光

 うちつけに割つてさばしる血のすぢを鳥占とせむ春たつ卵 高橋睦郎

 卵黄吸ひし孔ほの白し死はかかるやさしきひとみもてわれを視む 塚本邦雄

 高野の歌はいちばん素直といえば素直だろう。卵を自分の命を明日につなぐ食料として捉えている。もちろんポイントは「ひそやかに」であり、これがないと歌として成立しない。卵を食卓に打ちつけているので、これは茹で卵だろう。しかし、昔は精をつけると称して生卵を飲むことがよくあった。小池の歌はその情景である。明け方に生卵を飲み干す男の上下に動く喉が、寒々しいと同時に奇妙に生々しい光景を作り出している。巧者高橋の歌は凝った作りだ。割った卵に赤い血の筋がついていることがある。これを鳥占に見立てている。鳥占とは、年の初めに山で捕った鳥の腹に穀物があれば豊作、なければ凶作と判定する年占の一種である。また「春たつ卵」も曲者で、本来「春立つ」は「春になる」の意だが、卵は春になると縦に立つという言い伝えをどこかで聞いた記憶がある。もしそうなら「春たつ卵」は両方の意味をかけていることになる。塚本の歌でも、生卵を吸っているのだが、ここでは卵そのものではなく、吸ったあとに殻に残った穴が問題である。それを自分を見つめる死の瞳に見立てている譬喩が秀逸と言えよう。七・七・五・七・七 (または七・七・五・九・五)の破調の韻律もまた、塚本らしい前衛短歌の一首である。

 生(あ)るることなくて腐(く)えなん鴨卵(かりのこ)の無言の白のほの明りかも 馬場あき子

 永遠にきしみつづける蝶番 無精卵抱く鳥は眠れり 錦見映理子

 鮮麗なわが朝のため甃(いしみち)にながれてゐたる卵黄ひとつ  小池光

 女学生 卵を抱けりその殻のうすくれなゐの悲劇を忘れ 黒瀬珂瀾

 半日かけて卵の歌を探していて不思議に思ったのは、卵が生命を孵すことをストレートに祝福する歌が見あたらないことだ。近代化された鶏卵業界では、私たちの手に届くのはパック詰めされた無精卵だからかも知れない。いずれにせよ、歌人が卵に注ぐ眼差しは、卵という形象の薄暗い方面へと収斂している様子である。上にあげた4首はそれぞれに、卵を不毛性の象徴として詠っており、そのトーンの類似は驚くばかりである。黒瀬の歌では「うすくれなゐ」となっているから、卵の色は白ではなく赤玉だと思われる。ふつう卵は白として形象されることが多い中では珍しい。ちなみにフランスでは卵はすべて赤玉で、白いものは売っていない。

 最後に、食材でもなく不毛の象徴でもなく、卵の存在そのものを詠った歌をあげる。

 卵ひとつありき恐怖(おそれ)につつまれて光冷たき小皿のなかに 前田夕暮

 てのひらに卵をうけたところからひずみはじめる星の重力 佐藤弓生

 前田の歌は、卵という物体そのものの存在感と不思議を歌にしたもので、卵の歌のなかでは白眉というべき名歌である。こういう歌を読むと、それまで茫洋としていた世界に、くっきりとした輪郭と深い彫りが与えられ、目が覚めるような気がする。また佐藤の歌では、卵を手のひらに置いたときの感触が詠われている点が、他の類歌とは異なり新鮮である。確かに卵の大きさのその曲面は、手のひらのくぼみにすっぽりと収まる。また大きさのわりに手に重みを感じるのは、中に命があるからか。その感触を「ひずみはじめる星の重力」と表現するところが、歌人の想像力なのである。

039:2004年2月 第3週 大滝和子
または、はるかかなたにあるものと感応する魂

家々に釘の芽しずみ
  神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな

                  大滝和子
 小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)の歌合二十四番勝負において、並み居る歌人たちをうならせ、小林をして「背筋に寒いものが走った」と書かせた名歌である。「釘の芽がしずむ」という表現から、市川昆が好んで映画に撮ったような、黒光りのする柱のある薄暗い日本家屋の室内が連想される。視線を移すと、一転して光溢れる庭に咲き誇る桜が目に入る。内と外、静と動、影と光の対比の鮮やかな歌である。何より桜の咲く様を「神御衣のごとく」と表現する措辞が衝撃的だ。

 作者の大滝和子は1958年生まれ、岡井隆の結社「未来」に所属し、「白球の叙事詩(エピック)」で短歌研究新人賞、第一歌集『銀河を産んだように』(砂子屋書房)で現代歌人協会賞を受賞している。第二歌集に『人類のヴァイオリン』(砂子屋書房)がある。

 現代短歌の担い手の多くは女性である。男性歌人はどちらかと言うと影が薄い。平安時代の古典和歌の世界でも女流歌人は活躍し、あまたの名歌を残しているのだから、不思議ではないという考え方も成り立つ。しかし、これはちょっとちがうと思う。どのようにちょっとちがうのか、きちんと説明しようとするとなかなか難しい。私にはそれだけの短歌史の知識もない。しかし、大滝和子の短歌を読むと、そのあたりの事情が薄明かりに照らすように、ほんのり解る気がする。それは例えば、『銀河を産んだように』に次のような歌を見つけるときだ。

 くるおしくキスする夜もかなたには冥王星の冷えつつ回る

 白鳥座(シグナス)の位置もかすかに移りたり君への手紙かきおえ仰げば

 はろばろと熱く射しくる日輪光われの頬にて旅おわるあり

 胎内にわれを編みているときの母の写真とまむかいにけり

 大海(わたつみ)はなにの罪かや張りめぐるこの静脈に色をとどめて

 一首目では、部屋の中で恋人とキスする自分と、太陽系の最も外側を公転する冥王星が対置されている。狂おしいキスは熱く激しく、冥王星は静かで冷たい。本来ならば両者の間には何の関係もない。しかし、この歌は明らかに両者の間に、目には見えない密やかな関係の糸があることを詠っている。そこがこの歌のポイントであり、すべてである。このように、本来離れたもののあいだに成立する関係性の感得はひとつの感応であり、どうやら女性は目に見えない感応を感じる能力が高い。そして短歌という定型は、日常の常識ではあり得ないような感応を、説明的にではなく、感覚的に提示するのに適した形式である。

 二首目はたぶん恋人に長い手紙を書いているのだ。手紙を書き終わって夜空を仰ぐと、白鳥座の天球上の位置が少し変化している。その変化は時間経過の関数なのだが、目には見えない時間が白鳥座の位置の変化に写像されているところがポイントである。つまり、恋人に寄せる思いが、天球上の白鳥座の位置変化という壮大なスケールに変換されているわけだ。

 このスケール感は三首目にも顕著である。頬に射す陽光を、ただ暖かいと感じれば、それは普通の感覚だ。大滝はこれを、太陽に発して1天文学単位、すなわち1億4959万7870kmの宇宙空間を通り抜けて自分の頬で終わる旅だと感覚している。

 四首目と五首目は、空間的なスケール感が時間的なスケール感に転化したケースである。妊娠した母親の写真のなかに胎児の自分がいる。現在の自分と母の胎内の自分とが、何十年という時を隔てて相まみえている不思議がある。五首目はもっと時間幅が長く、進化の過程で海水と同じ塩分濃度を持つようになったヒトの血液を詠ったものである。

 大滝の短歌はこのように、大きな距離で隔てられた空間上のふたつの地点、長い時間で隔てられた過去と現在のあいだで〈感応する自己〉という基本的な図式のもとに成立している。大滝の短歌は、その感応の言語的表出なのである。

 『人類のヴァイオリン』でもこの図式は変わらないが、詠われる内容はもっと細やかになり、感覚も鋭敏になる。

 このノブとシンメトリーなノブありて扉のむこうがわに燦たり

 観音の指(おゆび)の反りとひびき合いはるか東に魚選(え)るわれは

 まぼろしの家系図の影ながく曳き青年は橋わたりつつあり

 暴風雨ちかづきてくる夜の卓まぶたを持たぬ魚食みており

 ドアのこちら側にノブがあれば、反対側にもあるというのは常識である。しかし、部屋の中にいてドアを閉めた状態で、こちら側のノブだけを見つめているとき、反対側のノブは決して見ることのできないものである。だから、ふたつのノブはドアの裏と表という隣り合わせにありながら、私と冥王星と同じくらい遠くにあるものでもある。この感応はすごい。また二首目の歌では、中国の観音像と遙か東方の日本にいる自分とが、市場の店先で魚を選ぶ指先の反りにおいて繋がり合い感応するところに、新鮮な発見がある。集中の白眉と言ってよい。

 だからこのような鋭敏な感応がないとき、大滝の短歌は次のように平凡なものになる。

 ブランコに吊されている亜麻色の髪の人形うごくともなし

 カーテンが拳のごとく結ばれるさみしき窓をわれは見たりき

 もちろん大滝にも、暗く鬱屈する内面や心の闇がないわけではなかろう。それは時折顔を出す次のような歌に垣間見ることができる。

 あたらしき闇たたえつつ白真弓ひきしぼるごと汝(な)を遠ざかる

 わが耳を前菜のごと眺めいる我あり暗き稲妻たてり

 しかし、大滝は鬱屈する内面を、水槽でハムスターを飼育するように飼い慣らしたりはしない。雨の釣り人のように自己の内面だけに屈み込むこともない。それはひとえに、大滝が〈ここにいる自分〉と感応する〈遙かかなたにあるもの〉との関係性に自己を開いているからである。

038:2004年2月 第2週 小川真理子
または、日々の息づかいのこもる低体温の歌

Jeという主語ざわめきて紫の
      燻るようなアテネ・フランセ

                 小川真理子
 作者は1970年生まれ,『母音梯形』(河出書房新社)が処女歌集である。集中にも収録された連作「逃げ水のこゑ」で第44回短歌研究新人賞を受賞している。短歌研究新人賞は1954年に始まった歴史ある短歌賞で、第1回は中城ふみ子、第2回は寺山修司が受賞している。その後も、井辻朱美、阿木津英、大塚寅彦、加藤治郎、萩原裕幸と、受賞者の顔ぶれはまぶしいほどだ。

 『母音梯形』はふつうに読めば「ぼいんていけい」だが、「トラペーズ」とルビが振ってある。「梯形」は「台形」の旧称で、「母音梯形」はフランス語を教えるときに、母音の調音を示すために口の開きと舌の位置に応じて母音を配した図形をさす。フランス語で trapèze vocalique 「トラペーズ・ヴォカリック」という。母音の数と性質から、日本語では逆三角形になるが、フランス語には12の口腔母音があるため、逆立ちした台形になるのである。私も大学でフランス語を教えているので、4月の教室では必ずこの図を黒板に描く。フランス語教師でこの図が描けない人はいない。仏文系の歌人というと、水原紫苑と黒瀬珂瀾がすぐ頭に浮かぶが、小川真理子もフランス語の教師なのである。

 掲出歌はフランス語の教室での一場面だ。生徒に「私」を意味する je の発音を教えている。日本語で「ジュ」は歯茎破擦音で、歯茎に押し当てた舌端をはじいて発音するが、フランス語の je は歯茎摩擦音で、舌端を歯茎に当てず隙間をあけて発音する。だからずっと柔らかく布が擦れるような音になる。生徒の je の発音が満ちる教室を、「紫の燻るような」と作者は表現しているのである。音から色を幻視する共感覚である。

 『母音梯形』はほぼ編年体に編まれた歌集なので、作者の人生の道筋を辿るように歌が現われて来る。この点で『母音梯形』は、先週取り上げた本多稜『蒼の重力』とは、おもしろいほどに対照的である。勇壮な男歌とたおやかな女歌、体育会系と文科系でも軟弱の筆頭の仏文というのは、むしろ表面的な対比だろう。本多の短歌に「折々の歌」がなく、すべてが強いテーマ性に貫かれているのに対して、小川の短歌はすべてが「折々の歌」であり、まるで夜更けに机に向かってその日その日の出来事を鍵のかかる日記に書きつけるように、歌が作られている。本多の短歌のようにテーマ性の強い歌を編年体に編集することなど、思いもよらないだろう。それと同じように、小川のような短歌を本多のようにテーマ別に編集することは、小川の短歌が拠り所とする〈日々の息づかい〉を消してしまう。小川の歌にとっては、日々の体温が重要なのだ。これは若い頃から病弱な肉体を持つ作者にとって、いわば宿命的な短歌への接近法と言えるかもしれない。

 小川の歌にはっきりと自己が現われるのは、フランスのリヨンに留学してからである。

 雨の名の乏しきフランスの雨よ、降るならばわが巡りに降れよ

 小道さへ名前をもてるこの国で昨日も今日も我は呼ばれず

 窓といふ窓外したしまざまざと一人つきりの生を映せる

 三十一文字積み重ね崩し積み重ねわがたましひの砦を築く

 甘辛き味を知らざる口をもて oui か non かと問ひ詰めてくる

 私も学生時代にフランスに留学しているので、このような歌を生みだした思いは痛いほどよくわかる。アジアの湿潤にたいして、ヨーロッパは乾燥する大陸で雨が少ない。湿潤に慣れたアジア人にとって、ヨーロッパの気候は湿り気と陰翳に乏しい。またイエス・ノーがはっきりしたフランス人の会話は、婉曲と曖昧を好む日本人には、とにかく攻撃的に感じられる。孤独をかこつ留学中の小川にとって、日本語で短歌を作ることは、文字通り「魂の砦を築く」作業だったにちがいない。

 帰国した小川はフランス語教師となる。外国語を教える職業だから、言葉に関する歌が多いのがこの歌集の特徴である。

 コーヒーにクリームの溶くる匂ひなり狭窄子音につづく鼻母音

 あやまたず enchaînement (アンシェヌマン)を成すこゑは新体操のリボンのうねり

 心ゆくまで蜜を吸ふ蝶となり流音(リキッド)に酔ふふたひらの耳

 新しき黒板に映え如月の星座のような母音梯形

 短歌の重要な要素として〈喩〉があるが、この点から見てもこれらの歌はおもしろいところがある。すでに掲出歌にはjeの発音から紫を連想する共感覚があることを見たが、上の一首目には音から匂いへの共感覚がある。二首目はフランス語の滑らかな音を生み出すアンシェヌマンから新体操の波打つリボンへの連想が、三首目にはl, r の流音から蜜を吸う蝶への連想がある。

 作者の日常は淡々と過ぎて行くのだが、歌集後半になって結婚し、結婚相手が戦火のパキスタン、アフガニスタンに取材に行くというあたりから、にわかに慌ただしくなって来る。

 地雷埋められたる土地へなぜ君が行かねばならぬ死ぬかもしれぬ

 夏帽子被りて報道する夫は戦時生命保険を掛けつ

 緑色わづかなる迷彩服よ人間だけが戦ぐ地なのか

 しかし、作者の体温はどうやらこのような劇的展開には向いておらず、もっと日常のささいな感覚を詠むことの方に適しているようだ。小川の短歌は、総じて体温の低い歌なのである。

 小豆煮る鍋に砂糖をなじませて死者たちの闇照らしてゆけり

 まづ我がはじかれそうで生徒らが円形に座ることを拒みつ

 林檎にも試さるる夜 半分に割れば蜜濃きロールシャッハが

 傘干せば甘ゆるやうにかたむきてその内側のさみしさを見す

 わが部屋へ君が来る夏 木々の名を記しただけの地図を渡さう


 最後に特にいいなと思った歌をあげておこう。

 魚座なす星を結べば群肝(むらぎも)の心ならむかその闇の嵩

 鳥小屋で身じろがぬ冠鷺の目交ひの鬱金したたるばかり

 次の世も野鳥なるべし路上にて翼を仕舞ひこまずに死せり

037:2004年2月 第1週 本多 稜
または、折々の歌を否定する行動派の抒情

蒼穹に重力あるを登攀の
  まつ逆さまに落ちゆくこころ

            本多稜『蒼の重力』
 作者は1967年生まれ。処女歌集『蒼の重力』(本阿弥書店)で1998年に第9回歌壇賞を受賞している気鋭の新人である。私は作者について何の予備知識もなく、歌壇に疎いので失礼ながらそのお名前も受賞歴も知らなかった。ある日、郵便で作者から歌集が送られて来た。歌人から直接歌集の贈呈を受けるのは初めてだったので、ちょっとわくわくしてしまった。栞文には、佐佐木幸綱、栗木京子、小池光が寄稿するという強力布陣である。

 ふつう私はどこかで目にした短歌が気に入り、その人の歌集を買う。だから私が買う歌集は、基本的には好きな歌人のものばかりだ。自分で買ったのではない歌集を読むというのは、考えてみれば初めてのことである。行き先のわからない列車に乗せられたようなもので、期待もあるが不安も大きい。しかし、一読して期待は裏切られなかった。

 作者はどうやら外資系の証券会社か商社に勤めていて、海外勤務も長いらしい。「フランクフルトからロンドンに異動させ即座に解雇せし米系は」「先物に振り回さるる現物の価値の霞にまぎれてゆくも」といった職場詠を見ると、グローバル化した資本主義の最先端で、生き馬の目を抜くような為替取引か先物取引の仕事をしているようだ。こういう現実まみれのタフな職業と、伝統的な詩形である短歌の取り合わせが、まず珍しいことだ。

 次にこの歌集には海外詠が多いのだが、それがパックツアーによる物見遊山の旅行ではなく、本格的なアルプスやヒマラヤ登山、沖縄でのスキューバダイビング、ブータン旅行、聖地アトス山と、秘境に分け入って行く体育会系肉体派の旅行なのである。ラグビー選手だった佐佐木幸綱のような例はあるが、だいたい文学をやる人は軟弱派が多いので、これまた珍しい取り合わせである。

 このように本多の短歌は〈行動派〉の文学である。その結果、生み出された歌は、自己の内面を観照する内省的なものではなく、自然と肉体とが格闘する外向的なものになる。

 真向かへば斬りかかりくる雪稜の空の領地を奪い取るなり

 我が足よ雪の峰々つらなりて天の果(はたて)に怒濤をなせり

 くれなゐを闇にしづむる雪嶺よ眼を灼く山の一切放下(ほうげ)

 いずれも勇壮な歌で、肉体と骨のきしみが聞こえて来るようだ。形式はおおむね文語定型を遵守し、前衛短歌が駆使した破調の句割れや句跨りはほとんど使われていない。このような文体的選択も、端正な男歌という印象を強めている。

 単に雪山を詠めばそれは叙景歌になる。「風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬわが思哉」という西行の歌は、「叙景を通して抒情に到る」という古典和歌の中心的美学の実現である。ここでは力点は山ではなく私の心のゆくへの方にある。雪山を見ている人は、こちら側にいて対象と向き合っているのだが、思いはいつのまにか内面へと移動している。この視線のなめらかな推移が31文字の短歌のリズムに乗ったとき、古典和歌はフルパワーを発揮する。

 ところが本多の歌では、作者は山を見ているのではなく、山に分け入っていて、対象と斬り結ぶという関係になる。だから掲出歌のように、天地が逆転して頭の上の青空が重力を帯びて、自分の体を引きつけるというような特異な肉体感覚が生まれるのである。作者と対象のこのような関係の類例を過去に探すと、写実を重んじたアララギと実感尊重を唱えた自然主義文学の影響から生まれたとされる次のような歌に近いと言えるかもしれない。

 槍が岳そのいただきの岩にすがり天(あめ)の真中に立ちたり我は

                         窪田空穂

山の次は海である。

 おもむろにイトマキエイの糸巻を垂らして海を覆ひたりけり

 わたつみのはらわた見するやさしさや身の丈ほどの海鼠に遇へり

 わが吐きし息のふるへる銀粒を目に追ひながら海面へ向かふ

 スキューバダイビングから生まれたこれらの歌にもまた同じ構造がある。ここには情景を観照する静止した自己がない。自分もまた自然に動的に参入することにより、自意識の核としてのエゴが水中に溶解している。このことを端的に示しているのが次の歌だろう。

 チョモラリの峰頂ふふむ天心を見霽(みはる)かすなり 我在りて無し

 しかし集中の歌のすべてが、このような行動派の勇壮な歌ばかりというわけではない。そのことがこの歌集の印象の厚みとして表れている。

 古生代シルル紀末の海水に妻はわが子を泳がすらしも

 響き合ふいのち水輪うつしよに吾子のみなわのひろがりはじむ

 若き木を額(ぬか)に育つる観音の微笑みながら潰えてゆくも

 たまゆらに夜空一点輝きぬ我を狙へる星あるあはれ

 最初の二首ははじめて子供が産まれたときの歌である。古代から綿々と続く命の連鎖に思いを馳せつつも、ここにも外へと自己を開く視線が強く感じられる。次の二首はアンコールワットとバリ島を訪れたときの旅行詠だが、木々に浸食され崩壊していく観音像を見ても、滅びの感傷に流れないところに作者の位置取りが明確に表れていよう。

 金色の海の底より細雪ル・シャンパーニュ空へ降り積む

 ローマ風オッソブッコの骨髄のとろみのやうな奴であるべく

 熟したるロックフォールの緑青の黴ピリピリと進む月蝕

 読んでいて楽しいのは、上のような飲食の歌だ。立ち上る泡を降り積もる雪に見立てて天地を逆転したり、ブルーチーズの青黴を月蝕に見立てるなど、作者も楽しんで歌を作っていることは明らかだろう。

 栞文で小池光が指摘しているように、この歌集には「折々の歌」がない。日々の生活のなかでふと感じた些細なことを歌にしたというものがないのである。すべては主題詠であり、何かを明確な主題として作られている。これが本多の短歌意識の根源であり、対象から主題を掴み出さずにはおかない強靱な意志が、本多の短歌の骨格を作っていると言えるだろう。


 付 記

『蒼の重力』は2004年度の第48回現代歌人協会賞を受賞しました。おめでとうございます。(2004年4月30日記)