第337回 木下こう『体温と雨』

さらさらとさみしき冬日 花の茎ゆはへて水にふかくふかく挿す

木下こう『体温と雨』

 本書は砂子屋書房から2014年に刊行された著者の第一歌集である。プロフィールが添えられていないので、本人の経歴や年齢はわからないのだが、大辻隆弘の解説によれば、木下は2007年頃に大辻が参加していた「三重山桜の会」という集まりに顔を出すようになり、やがて大辻らの同人誌「レ・パビエ・シアン」に参加し、未来に加入して大辻の選を受けるようになったという。2011年には未来年間賞を受賞している。

 なぜ本歌集を取り上げることとなったかというと、『現代詩手帖』2021年10月号の「定型と/ の自由」という短詩型の現在を問う特集のアンケートで、「刺激を受けた歌集・句集」という編集部の問に答えて、H氏賞詩人の高塚謙太郎が本歌集を挙げていたからである。藪内亮輔『海蛇と珊瑚』、平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』、笹井宏之『えーえんとくちから』など話題になった有名な歌集を挙げる人が多いなかで、高塚の挙げた『体温と雨』はひときわ異彩を放っていた。しかも高塚は「絶唱」とまで評しているのである。

 高塚が同アンケートで短歌の特性を述べた次の言葉がおもしろい。

短歌は、言葉(日本語)の、意味の上をいったんは、さっとすべりおちた韻律、その流れてやまない韻律(韻律は流れの最中でしか機能しないのですから)のみを、日本語として書いたものです。もちろん韻律は、調べ、です。

 高塚はブラジル生まれなので、殊更に日本語の韻律を意識するのかもしれない。この言葉の中に『体温と雨』が選ばれた理由がはからずも露呈しているように思われる。何が高塚の詩人の琴線に触れたのだろうか。

樹のかをり満ちくるやうなとひかけに金貨こぼるるごと頷きぬ

窓がみなゆふぐれである片時のアビタシオンに人のぼりゆく

エスパドリューつめたい波に濡らしゆく ちからまかせに引き寄せられて

透けやすき絹にあなたをとぢこめて満ちしほまでの時間を過ごす

木の床になにかけだるきものとして脱ぎ捨てられしままのシャツある

 歌集冒頭付近から引いた。木下の短歌を一首ごとに鑑賞するのはとても難しい。歌の精髄と思われるものが、説明しようとする言葉をひらりとかわしてすり抜けていくからである。それがなぜなのかはおいおい論じるとして、とりあえず歌の表層だけ見てみよう。

 他の人にない木下の短歌の特徴のひとつに喩がある。一首目には直喩がふたつもある。「樹のかをり満ちくるやうな」と「金貨こぼるるごと」である。これはふつうあり得ないことだ。本来、喩の役割は、歌の本旨をくきやかに浮き上がらせることにある。

反響のなき草原に佇つごときかかる明るさを孤独といふや 尾崎左永子

 「孤独」は形のないものである。味も手触りもない。それを「反響のなき草原に佇つごとき」という直喩が支えることによって、孤独の持つ果てしのない空虚感を知覚可能なものに変えている。

 しかるに木下の歌から直喩を取り除くと、「…とひかけに…頷きぬ」しか残らない。誰が発したどのような問い掛けなのかが、おそらくは意図的に隠されている。このため歌の本旨は、大量の蒸留水で希釈された塩酸のように(これは喩である)、限りなく薄くなる。すると歌の本旨と喩の比重が逆転する。読者の脳裏には、「樹のかをり満ちくるやうな」と「金貨こぼるるごと」が残り、朝の森を歩く時に漂ってくるフィトンチットと、きらめく金貨の輝きだけが、まるで白昼の幻のように揺曳する。

 他に集中から印象的な喩を挙げてみよう。

首飾りはづしてのちのくびすぢは昼の硝子のやうにさみしい

べたればかたち失ふものならむ牡鹿の息のやうなる手紙

雨垂れの音飲むやうにふたつぶのあぢさゐ色の錠剤を飲む

 二首目のポイントは、大辻も解説で触れているように「窓がみなゆふぐれである」だろう。アビタシオン (habitation) はフランス語で「住居」のことで、ここでは集合住宅だろう。フランス語にしてあるので、ル・コルビジェが設計したマルセイユのアパートなどが頭に浮かぶ。集合住宅のたくさんの窓のすべてに夕光が差している、あるいは夕焼けが映っていることを、「窓がみなゆふぐれである」と表現する詩的圧縮がある。

 三首目のポイントは「エスパドリュー」だろう。エスパドリーユとも言う。底が麻でできていて上部が木綿などの布製のサンダルをさす。地中海沿岸で広く用いられている履き物で、そのため海とは縁語である。〈私〉を引き寄せたのはもちろん恋人である。四首目は三首目と続きのような歌で、この歌のポイントは「透けやすき」だろう。

 五首目は部屋の床に脱いだシャツがそのままに置かれているというだけの歌だが、「なにかけだるきものとして」という一種の喩の作用によって、その時の作中の〈私〉の心のありようを表象するものとなっている。

 とまあこのようにふつうに歌を読み解いても、木下の短歌の魅力に1ミリも触れたことにならない。それはなぜかというと、上につらつらと書いた鑑賞は歌の「意味」に着目したものだからである。しかるに木下の短歌の精髄は歌の意味にはない。考えてみれば韻文とはなべてそのようなものであり、短詩型文学の俳句や詩も同じはずなのだ。それは散文の言語と韻文の言語の機能のちがいに由来する。

 散文は思考の乗り物であり、その役割は意味の伝達にある。「参議院議員の任期は、これを6年とする」のような法律・条例・規約の文章がその典型であり、曖昧性を排して万人に同一の意味を伝えるのが理想だ。論文や論評や批評の言語も同じである。ヴァレリーが喝破したように、散文の言語は意味の伝達が成立した瞬間にその役割を終えて消滅する。往年のTVドラマ「スパイ大作戦」で、部下のスパイに指令を与えるテープが自動的に燃え上がるごとく(これも喩である)。

 韻文の言語の機能は意味の伝達にはない。ではその機能は何かと正面切って問われると、あたりを見回しても出来合いの答は見当たらない。さしあたり口ごもりながら答えると、言葉の意味と言葉が喚起するイメージと韻律が混じり合い絡み合って、現実とは位相を異にする虚空間に彫琢され、そこを何度も訪れたくなるような形象を彫り上げることとでもなろうか。美術館に展示されている彫像、たとえばルーブル美術館の至宝「サモトラケのニケ」を思い浮かべてもよい。言葉を用いてニケを作り出すことが詩の言語の目指すところである。

 木下はこのことを深く理解しているように思われる。このことをさらに示すために歌を比較してみよう。たいへん申し訳ないが、比較の対象として新聞歌壇から歌を引く。

知らぬ間に減便廃線過疎の足返したくても返せぬ免許

     伊藤次郎(朝日歌壇2022年8月14日、永田和宏選)

きだはしを下りると雨につつまれてもう赤茶けた火のあとの蓮 

                  木下こう『体温と雨』

 伊藤の歌は、高齢者には免許の返納が推奨されているが、バスも鉄道も減便や廃線が続く地方では他に移動の手段がないという現実を描いている。現代の日本の地方都市や郡部ではどこも同じだろう。作者の主張は上手くまとめられていて、ストレートに伝わって来る。しかし、主張がストレートに伝われば伝わるほど、読んだ後に読者の頭の中に残るのはその主張であり、歌の姿は背後に隠れてやがては消えてしまう。それはこの歌が韻文の体裁を取りながら、散文の言葉と隣接しているからである。

 木下の歌の場面は池に下りる短い石段だろうか。池の水面には雨が降っていて、枯れ蓮が無惨な姿を晒している。どうということのない情景であり、特に伝えたい意味はない。しかしながら逆接的なことに、この「意味のなさ」が言葉の物質感を高めて、炉の高熱に溶けた硝子が冷えて形をなすように、歌の姿がひとつの形象となって読む人の脳裏に長く残る。意味を理解した後にも、その韻律に身を委ねてもう一度読みたいと思う。これが高塚の言う「言葉(日本語)の、意味の上をいったんは、さっとすべりおちた韻律」ということだろう。

はなびらの踏まれてあればすきとほり昼ふる雨の柩と思ふよ

梳かれつつわかれゆく髪はつなつの白きそびらを三角州デルタに変へて

火のことであらうか夢のまたたきのまぶしさのなか人の告げしは

ひえゆけば祈りの指も仄白きのかたちせむ雪ふりたまふな

枝を焼く冬のほのほの匂ひしてアルバムひらくは仄ぐらかりき

葉のすみをすこし燃やしてよごれざるままに冷えたるじふやくの白

雨の服脱ぎたるそびらや添ひをればゆふかたまけて夏終はるらむ

 たくさん付いた付箋の中から特に印象に残った歌を引いた。あらためて読み直してみると、隙なく組み上げられた言葉の韻律のため、一首の読字時間が長いことに気づく。さらにひと言付け加えるならば、木下の作る歌には永田和宏の言う「〈問〉と〈答〉の合わせ鏡」構造がほぼ見られず、その意味では近現代短歌というよりはむしろ王朝和歌に近いと言えるかもしれない。

 そういう賢しらな理屈は実はどうでもよいことである。本歌集を味読すれば、散文の言語ではない詩の言語とはどういうものであるかを、読者は十二分に感得することだろう。


 

第336回 笹公人『終楽章』

戦争で死にたる犬や猫の数も知りたし夏のちぎれ雲の下

笹公人『終楽章』

 本コラムを書き始める前にまず巻頭歌を選ぶのだが、これがけっこう楽しい作業なのだ。歌集を読むときに「これは」と思った歌には付箋を付けておくので、巻頭歌を選ぶときも付箋の付いた歌から選ぶことが多い。しかし時には付箋のない歌に目が止まりそれを選ぶこともある。あまり考察される機会のないテーマに、歌とそれを読む人の心の関係がある。その時その場のふとした心の翳りに触れて来る歌というものがどうやらあるらしい。

 日本の夏、とりわけ八月は死者に想いを致す月である。広島と長崎の原爆忌、終戦記念日、御巣鷹山の日航機墜落事故、そして死者の霊が戻ってくる盂蘭盆会と続く日々で、私たちの脳裏には顔のある死者のことも顔のない死者のことも浮かぶ。しかし巻頭歌で作者が想いを馳せるのは、戦火の犠牲となった犬や猫たちである。当然ながら飼われていた犬や猫にも空襲で死んだものがいただろう。しかし誰もその数を知らないという歌である。五・七・六・七・八という破調だが、韻律より意味が勝った結果だろう。意味が勝ると音数が増えるのはいたしかたない。

 笹公人といえば、『念力家族』『念力図鑑』に始まる念力短歌でその名を知られた歌人である。

注射針曲がりてとまどう医者を見る念力少女の笑顔まぶしく

                    『念力家族』

ベランダでUFOを呼ぶ妹の呪文が響くわが家の夜に

キムタクよ返事をしろと妹の焚く護摩のの冬空高く

                   『念力図鑑』

公園の鳩爺逝けば世話をした無数の鳩にそらに運ばれ

 ところが『終楽章』は今までの歌集とかなり趣が異なる。あとがきによれば、きっかけの一つは和田誠、大林宣彦、岡井隆という笹の三大師匠が相次いでこの世を去ったことだという。これによって笹はしばらく創作意欲を喪失した。もう一つのきっかけは父親が重篤な脳腫瘍を患って認知症となり、介護する日々が続いたことである。折から笹は『短歌研究』に三十首連作を書くように求められ、編集長の國兼秀二に現実の生活の歌を書くよう強く勧められたという。それが本歌集に収録された連作の一部となっている。いくつか引いてみよう。

居間に座す父に「どなた?」と問われれば脳内に壺の割れる音する

レントゲン写真に映るわが父の左脳に巣食うカモメの卵

真夜中に何度もトイレに行く父をエスコートする長男われは

浅き眠りの父のかたえに読みふける介護の歌なき万葉集を

流木のような足首持ちあげて最初で最後の親孝行せん

 今まで想像力が生み出した念力少女やオカルト雑誌『ムー』の世界を思わせる歌を作って来た笹も、怒濤のように押し寄せる現実を受け止めなくてはならなくなったのだろう。中学生の頃からまともに口をきいていない父親であっても、その最期は看取らなくてはならない。万葉集に介護の歌がない理由の一つは、当時はみんな早く死んだからである。平均寿命で世界のトップとなったこの国に、介護という新しい問題が生まれたということだ。

 作者の介護に対する態度も歌に向き合う姿勢も真摯であり、赤裸々に詠まれた歌は心を打つ。人生の重大事にあって歌に嘘や虚構はそぐわない。人生の重大事は常にリアルに迫って来るからであり、それには真摯に対処しなくてはならないからである。そんな怒濤のような日々の渦中にあっても、いかにも笹らしい視点の歌もある。

朝六時の母の電話に覚悟して出れば「来るときタッパー返して」

まだ遺品ではない本を整理する『完全なる結婚』の埃拭いつつ

断捨離でモーム全集捨てたこと言えずここまで来てしまいたり

エンディングノート見つけて色めくも全頁白紙のエンディングノート

引き出しに数多見つかる吾の記事の上にぽたんと落ちる涙よ

 一首目、かかって来る電話が怖くて、リンと鳴り出すとびくっと飛び上がるという経験は私もした。親が入院している病院からの知らせかと思うからだ。覚悟を決めて受話器を取ると、このあいだおかずを届けた時のタッパーを返してという母親の言葉に気が抜けるという歌。二首目の『完全なる結婚』はオランダの婦人科医師のファン・デ・フェルデが書いた夫婦生活のマニュアルである。親の本棚にあるとちょっと気恥ずかしい。三首目の断捨離はブームになった言葉だが、2009年に刊行されたやましたひでこの本で世に広まったそうだ。作者は親には内緒でモーム全集を処分したのだ。モーム全集というところに時代を感じる。四首目はくすっと笑える歌で、引き出しを片づけていたら父親のエンディングノートが見つかった。父親も意気込んで買い込んだのだろうが、結局は何も書かなかったのだ。白紙であったことに作者は心のどこかでほっとしただろう。もし何か書かれていたら、それを実行する心理的義務が生じるからである。五首目はほろりとする歌。笹の活動を認めていなかった父親が、笹についての新聞記事を切り抜いて密かに保管していたのだ。

 巻頭の「七転び八起き ~ 私の平成・令和仕事年表~」は、平成元年の中学二年生に始まり、令和三年の46歳までの履歴書のような連作である。一首一首に詞書きが付されている。

『寺山修司青春歌集』手にとれば歌詠みはじむ 約束のごと

岡井師も見ていたらしいレイザーラモンのコスプレで「フォ~」と叫んでいる吾を

 一首目は平成5年18歳の頃の歌である。『寺山修司青春歌集』は1971年に角川文庫から刊行されていて、中井英夫が解説を書き、寺山自身が後記を書いている。笹の出発点は寺山修司であり、笹もまた青春の寺山病に罹患した一人なのだ。二首目は平成17年の歌で、笹がNHK「日曜スタジオパーク」に出演した折のことを詠んでいる。私もたまたまこの番組を見た。お笑い芸人のレーザーラモンHGがハードゲイの扮装に身を包み、両手を上げて「フォ~」と叫ぶ芸はその頃TVでよく見かけた。笹はそのコスプレで何とNHKの番組に出演するという暴挙に出たわけだが、案の定大スベリだった。笹にはそういうところがあるが、たぶんサービス精神が人一倍旺盛なのだろう。笹は世の中に短歌をもっと広めたいという願望を強く持っている。そのために笹が始めたのは「歌人のキャラ化」だと思う。実は穂村弘も目立たないように歌人としての自分のキャラ化を行なっていると私は密かに考えているのだが。

 本歌集の他の連作にはかつての念力短歌風の歌も少なくない。

雪女溶けて残れる水たまりのみずは甘いか日本いたち

午睡するマタギの踵の角質は亀の子たわしで削られるべし

「百年は帰しませんよ」と微笑んだパブ竜宮のママのお歯黒

予定地に光の柱のぼらしめ宗教画めくマンションチラシ

さきの世でユニコーンの角に貫かれた証だという胸の黒子は

 このような歌はおそらく笹なりのロマンティシズムの発露なのだろう。ロマンティシズムの本質は、失われた世界への哀惜、手の届かない彼方にある世界への渇望である。笹の場合はそれがオカルトの方角に向けられたということだ。笹の師である岡井隆の『現代短歌入門』に次のような一節がある。もちろん笹のことを書いたわけではないが、師の慧眼は時代を超えて彼方から届くかのようだ。

 これらは、作者が、そう書きとめることによって、あるやすらぎを得、そう書きとめ、人に示すことを好んだという意味で、さまざまにあり得べき自らの姿の一つなのであり、いわば夢の実現なのである。これを、浪漫的と呼んでもさしつかえなく、生活の細部は、すべて〈浪漫的断片〉としてのみ、この定型詩にとどめられる。

 歌集後半には昭和ノスタルジーの香る歌が多く見られる。

大王との戦いに挑むマリオ氏の8ビットには映らない汗

河童みたいな名前の海外マジシャンが東京タワーを消したあの夜

富士の湯のえんとつの梯子錆びておりむかし信夫が登った梯子

サイレント映画のような悲しみが四十五歳の夏を包めり

団塊世代の青年の霊か髪長くコーラの瓶を持ちて怒れる

 二首目のマジシャンはデビッド・カッパーフィールドである。オカルトに目覚め、ノストラダムスが流行り、口裂け女の恐怖が囁かれた昭和は笹にとって発想の源泉なのだろう。そう言えば穂村弘も昭和の子供時代をよく歌に詠むようになった。どちらも相応の年齢を迎えたということもあろうが、平成を挟んで令和の世となった今、昭和という時代を距離を置いて眺めることができるようになったということなのかもしれない。昭和が歴史の一部になったということでもある。

 最後にちょっとカッコ良すぎる歌を挙げておこう。今は懐かしいオキシローの『ギムレットの海』に登場してもおかしくない場面である。しかし今の若者には刺さらないだろう。時代の感性は確実に変化したのだ。

透明な月球のごとき丸氷にバーボン注げば夏がきている

 余談ながら、今回『念力短歌トレーニング』を読み返していたら、この本の元になった「笹短歌ドットコム」に笹井宏之がよく投稿していたことを知った。

グリズリーに跳ねあげられた紅鮭の片方の眼に映る夕虹

ひとしれず海の底へと落とされた大王烏賊のなみだを思う

ひとすくいワイングラスに海をいれ夕陽のあたるテーブルへ置く

雨になるゆめをみていた シャンパンを冷蔵庫深くにねむらせて

 見覚えのある歌がある。笹井の短歌の透明なポエジーは投稿者の中では異質な輝きを放っている。

 

第335回 短歌と幻想

 近頃、短歌がはやっているという。にわかに信じがたいことである。しかし『短歌研究』8月号は「短歌ブーム」という特集を組んでいるし、『文學界』5月号は「幻想の短歌」という特集を組み、その冒頭に「最近、『短歌が流行っている』と耳にするようになった」と書いている。確かに検索してみると、『産経新聞』や『静岡新聞』が短歌の流行を取り上げた記事を掲載し、錦見映里子のインタビューなどが載っている。どうやら短歌がはやっているようなのである。

 とはいうものの、『短歌研究』8月号の「短歌ブーム」特集は、岡野大嗣を大きく取り上げた内容になっている。どうやら岡野の歌集『サイレンと犀』(2014年)『たやすみなさい』(2019年)、『音楽』(2021年)、木下龍也の『あなたのための短歌集』(2021年)、岡本真帆『水上バス浅草行き』(2022年)などの売れ行きが好調なのだという。

地球終了後の渋谷の街角に聞こえる初音ミクの歌声

              岡野大嗣『サイレンと犀』

サイダーのコップに耳をあててきくサイダーのすずしい断末魔

              岡野大嗣『たやすみなさい』

犬の顔に虹が架かって辿ったらとうふ屋さんのおとなしい水

              岡野大嗣『音楽』

 どこかに淡い諦念のようなものを漂わせた静かな抒情を感じさせる作風だ。文体は完全口語で、ポップでライトな感覚である。1996年に岡井隆の言挙げなどで論争となったライトヴァースの完成形のひとつと言ってよいかもしれない。

 折しも8月14日付けの朝日新聞(大阪版)の短歌時評で、山田航が岡本真帆の『水上バス浅草行き』を取り上げている。なんでも1万部を越える売れ行きだという。

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし傘もこんなにたくさんあるし

                    岡本真帆『水上バス浅草行き』

帰りつつ家賃の歌をつくったら楽しくなって払い忘れた

外に降る雪の様子をみてるからあなたは鍋の様子をみてて

 山田は岡本の歌の不器用な人を全肯定する明るさが応援歌として受け止められたとした上で、かつて穂村弘が指摘した「わがまま」の現在形なのではないかと述べている。これは穂村が1998年の角川『短歌』9月号に寄せた「〈わがまま〉について」という文章を踏まえているのだが、長くなるので詳細は省く。

 特集の中で天野慶が「『短歌ブーム』に誰が火をつけたのか」という文章を書いていて、書肆侃侃房、左右社、ナナロク社が共同で短歌フェアを開催するなど、出版社の戦略も大きく貢献していることを指摘していて、おそらくそうなのだろうと思う。またTwitterやInstagramなどのSNSと短歌の短さが相性が良いことも周知の事実である。岡本の歌は誰かに向けたものというよりはつぶやきのようなものであり、そのような歌の質もSNS向きなのかもしれない。

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 『文學界』5月号の「幻想の短歌」はなかなか読ませる内容だった。しかし一読した感想は、「短歌と幻想はまずまず相性が良いが、俳句と幻想はまったく馴染まない」というものだ。

 今回の特集の看板は「幻想はあらがう」という座談会で、大森静佳・川野芽生・平岡直子の三人が参加している。もうひとつは「短歌の幻想、俳句の幻想」と題された生駒大祐・大塚凱・小川楓子・堂園昌彦の座談会である。いずれも自分が幻想的と判じた短歌・俳句を五首・五句提出し、それをもとに論じるという形式である。堂園は「八十岐やとまたの園」と題して、幻想短歌80首のアンソロジーを編んでいる。

 しかし問題は何を幻想的ととるかである。これは人によって異なる。大森は「自分の身体から逃げ出すというか、現実の身体との距離感が遠いほど幻想と私は認識している」と述べて、自分の身体との距離感を幻想の基準に挙げている。一方、川野は「私は幻想というのは両目をカッと開いて対象を観察していく中でむしろ見えてくるものだと思う」と述べている。これは川野が挙げた「水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合わさりき」という葛原妙子の有名な歌を念頭に置いたものだろう。しかし座談会でも発言があったが、葛原の歌は写実と見ることもできる。葛原が時に「幻視の女王」と呼ばれるのは、「昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつをり」のように、ふつうは眼に見えないものを微細に描くためである。人間の感覚は不思議なもので、ハイパーリアリズムの絵画のように、画布全体に焦点が当たっていて超細密に描かれたものはかえって現実離れして見える。逆にベラスケスの描く紳士のレース飾りのように、遠くから見ると実に写実的に見えても、近くによってみると荒いタッチで描かれていることがある。

 『広辞苑』によれば「幻想」とは、「現実にないことをあるように感ずる想念。とりとめもない想像」とあり、あまり要領を得ない。言葉の意味に迷うとき、一つの手は外国語にどう訳されているかを見ることである。試しに『ライトハウス和英辞典』を見ると次のように書かれている。

 (夢うつつで見る理想的な幻想)vision

 (正しそうに見えて実は誤っている考え・錯覚)illusion

 (実現したいと考えている夢)dream

 (気まぐれな空想)fancy

 (夢のような途方もない空想)fantasy

 このうちvisionは「幻視」に近い。フランス語でvisionnaireは「幻視者」という意味になる。上の方は現実ではないものを現実だと思い込んでいるという意味だが、下半分は現実ではないことを知りながら空想しているということになろう。

 自分にとって誰が幻想的な作風の歌人かを考えてみるのも一興である。幻想と言われて私ならすぐに頭に浮かぶのは、まず松平修文、井辻朱美、水原紫苑の三人だろう。

床下に水たくはへて鰐を飼ふ少女の相手夜ごと異なる

                松平修文『水村』

ねむくなりしひとが乗りこむ真夜中の電車は地下のみづうみへゆく

干涸びた赤い蠍をその髪にかざり土曜日のゆふぐれに来る

                    『夢死』

心臓が透明な男ヴィオロンをひきつつ冬の角を曲がりたり

               井辻朱美『コリオリの風』

このゆい水晶のなかをあるくから大天使ガブリエルさえ風邪の目をして

                   『水晶散歩』

ノンシャランと夢をかおよりふりおとすとおいユラ紀の銀杏のカノン

胸びれのはつか重たき秋の日や橋の上にて逢はな おとうと

                  水原紫苑『びあんか』

白き馬うまに非ざるかなしみに卵生の皇子みこは行きてかへらぬ

方舟はこぶねのとほき世黒き蝙蝠傘かうもりの一人見つらむ雨の地球を

 ただしこの三人の歌人の中では幻想の分量と成分がいささか異なる。松平の歌に写実はほぼ皆無であり、その目が見つめるのは現実ではなく、脳裏に去来するほの暗い想念である。その意味で幻想が歌の主成分であると言える。一方、井辻の歌は幻想というよりファンタジーと呼ぶ方がふさわしい。ジュラ紀の恐竜や中世の騎士が登場する異世界に遊んでおり、その世界はRPGのように設定されたものである。水原の歌は、高野公彦が「現実と幻想の、どちらともつかぬ、そのあはひの簿明にあそぶたましひの歌」と評しているように、現実と幻想の「あはひ」、つまりその境界線あるいはインターフェイスにポエジーを求めるところに特徴がある。

 この三人に加えて挙げたいのは大津仁昭、小林久美子、そして石川美南だ。

改札に君現はるるまでを待つそのまま死後の出会ひのかたち

                   大津仁昭『霊人』

水含み重なりあへる吸殻に涼しき君の初夏の霊

あふ向けに砂に埋もれて目をひらく少女とわれの睡り重なる

解剖台のうえのミシンと女郎蜘蛛 出糸腺からあふれだす歌

                 小林久美子『恋愛譜』

大熊座から降りてきた妖精ニンフひと夜 若草いろにカーディガン手に

みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむつのをほこって

きのこたちに月見の宴に招かれぬほのかに毒を持つものとして

                 石川美南『砂の降る教室』

迷ひたる賢治に道を教へきと大法螺吹きの万年茸は

なにがあつたかわからないけど樅茸もみたけがいぢけて傘をつぼめてゐたよ

 大津は歌集タイトルを見ても、『異民族』『異星の友のためのエチュード』『霊人』『爬虫の王子』と異世界のオンパレードである。小林はポエジーの発想の根元に空想がある。また石川は好んで物語の世界に遊んでいる。

 最後に倉阪鬼一郎の『怖い短歌』(2018年、幻冬社新書)という本を挙げておこう。作者の目に怖い短歌と映ったものを集めたアンソロジーである。全部が幻想というわけではないが、幻想的な短歌も多く収録されている。酷暑の消夏によいかもしれない。

むらさきの指よりこの世の人となりこの世に残す指のむらさき

                        有賀眞澄

窓口に恐怖映画の切符さし出す女人の屍蝋の手首

                   江畑實

 ちなみに同じ著者に『怖い俳句』(2012年、幻冬社新書)という類書がある。

 思いがけなく長い文章になったので、「俳句と幻想はまったく馴染まない」ことを書く余裕がなくなった。

第334回 なかはられいこ『くちびるにウエハース』

火曜日の手首やさしい泥の中

なかはられいこ『くちびるにウエハース』

 川柳作家なかはられいこの第三句集が出た。第二句集『脱衣場のアリス』から何と21年振りだという。本コラムで『脱衣場のアリス』を取り上げたのが2008年だから、それから14年の月日が経ったことになる。14年と言えば生まれた子供が中学2年生になるまでの時間だと思うと気が遠くなりそうだ。今回も瀟洒なイラストによる装幀で、ちがいと言えば版元が北冬社から左右社に変わったことくらいだろう。『脱衣場のアリス』では巻末に川柳作家の石田冬馬・倉本朝世と歌人の穂村弘・荻原裕幸の座談会が収録されていた。今回は盟友の荻原裕幸の解説が添えられている。

 『脱衣場のアリス』は7つの章立てに分けられていて、それぞれ冒頭に「からだとこころ、こころとからだ、うそをつくのはいつでもこころ。」のようなエピグラフが添えられていた。『くちびるにウエハース』はエピグラフなしの普通の章立てになっているが、唯一の例外が「2001/09/11 」と題された9.11のアメリカ同時多発テロを詠んだ連作である。そこには「その日の夕食に秋刀魚を食べた」と始まる短文が添えられている。

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ

炎(息が)黒煙(できない)青い空

落下する、ひと、かみ、がらす、コップを倒す

ゆびのすきまはさみのすきまかみさまは

ほうふくとつぶやいてみる酢の匂い

 荻原の解説によれば、柳壇のみならず短詩型文学の世界で話題になったのは上に引いた一句目であったという。テロによるワールドトレードセンタービルの崩壊の様子を、句の統辞的分断と読点による分割を用いてアイコニックに表そうとした実験的作品だ。また二句目ではパーレンを用いることで句の内部に異なる発話主体を埋め込んでいる。現代短歌ではニューウェーヴ以来、よく用いられている手法である。しかしなかはらの愛読者には、これらの句が話題になったとしても、いかにもなかはららしい句だとは感じられないのではなかろうか。なかはららしい句はむしろ上に引いた中では四句目や五句目だろう。

 前句集に続いて本句集でも、身体部位、特に手足を詠んだ句が多くある。

踵から頭のてっぺんまでギニア

はじめてがいまだひそんでいるからだ

左腕から右腕へ舟はたどりつく

二の腕もすすきも月に触れたがる

つまさきは波打ち際の夢をみる

空に満月くちびるにウエハース

かろうじてかたち保っているからだ

 身体へのこだわりはなかはらの詩想の特徴だが、それは手足などの身体部位が詩的な発想や連想の起点となっているからではないだろうか。よく子供が手を使って狐の形を作ったりして遊ぶことがある。子供にとって手は最も身近な玩具だ。それと同じように、なかはらにおいては身体部位がどこかに向けて想いを向ける出発点になっているように思える。たとえば上の三句目では、左腕と右腕は川の両岸の喩と取ることもできる。そのとき舟は渡し船である。しかし子供が一人遊びをしていて、何かを舟に見立てて左腕から右腕へと移動しているのかもしれない。その両方がダブルイメージとなって、句の意味の未決定性を生み出している。

 一方、五句目はもう少しわかりやすい。私たちが波打ち際に立ったとき、波が真っ先に触れるのはつま先である。したがってつま先と波打ち際の間には隣接性 (contiguity) の関係がすでにある。しかしながらその関係がすでにあることが、句から新鮮味を奪っていることも指摘しておかなくてはならない。

 身体部位を詠んだこれらの歌と、上の二句目・七句目は少しちがうように思える。生まれたばかりの赤ちゃんにとっては何もかもが初めてだ。少し成長しても、初めて海を見た日、初めてタンポポの綿毛を吹いた日、初めてネコを撫でた日のように、「初めて」が一杯ある。ところが大人になると「初めて」は急速に減少する。しかしある日のこと、「私にもまだ初めてがあったんだ」と気づくことがある。そういう想いを詠んだ句だ。七句目は仕事で疲労困憊したか、あるいは失恋して落ち込んでいる時を詠んだものだろう。これらの句は身体部位ではなく身体全体の感覚を詠んでいる。このため句の意味が解釈しやすい。ということは何らかの現実の事態に対応しているということであり、その分だけ詩的飛躍力が少ないということでもある。

 なかはらの句に鳥を詠んだものが多いのも特徴のひとつだ。

ちゅうごくと鳴く鳥がいるみぞおちに

ポケットを出るまで指は鳥でした

びっしりと鳥が詰まっている頁

かろうじてキーホルダーの鳥の青

名簿からふいに飛び出す鳥一羽

 『短歌ヴァーサス』3号(2004年)になかはらは「『思い』は重い」という文章を寄稿している。それによれば、俳人と句会を開いた時に「砂時計」を詠んだ句が出詠された。なかはらが砂時計は川柳では「人生の残り時間」を表すと発言すると、俳人たちに大いに驚かれたという。俳句では砂時計は砂時計としてしか読まないからである。このエピソードを紹介したなかはらは、川柳は「思い」を読むものだとされていることに疑問を呈している。

 なかはらが書いているエピソードから判断すると、どうやら川柳の主流(と、なかはらが判断している傾向)は短歌に近いものらしい。短歌は抒情詩であり、物や出来事にこと寄せて作者の「思い」を詠むものだとされているからである。

 一方、俳句はどうもちがうようだ。『文學界』の今年の5月号は「幻想の短歌」という特集を組んでいる。この特集については別に書くことにして、生駒大祐・大塚凱・小川楓子・堂園昌彦の座談会「短歌の幻想、俳句の幻想」での小川の次の発言がおもしろかった。小川は俳句は最終的に「物」に着地すると述べている。小川は最初は短歌を作っていて、後に俳句に転じた人である。小川が俳句を始めた頃のこと、「水鳥の水離りゆくさびしさよ」という句を出したら、「そのポエジーは歌人には理解されても、俳人にはなぜ寂しいかわからない」と先生に言われたそうだ。そのとき小川は、俳句においては感情よりも物体としての「物」に着地することが衝撃だったと述懐している。

 この小川の発言と『短歌ヴァーサス』になかはらが書いていることを較べると、両者は同じベクトルを示していることがわかる。俳句において「物」は作中主体である〈私〉の感情の喩ではないのだ。

金魚大鱗夕焼の空の如きあり  松本たかし

天金こぼす神父の聖書秋夜汽車  齋藤慎彌

 松本の句において金魚は作者の心情を表す喩などではない。大ぶりの金魚が金魚玉の中で悠然と泳いでいる存在感が句のすべてである。能の家元の子として生まれながら、身体虚弱ゆえに家を継ぐことが叶わなかった作者の心情がどこかに投影されているのではない。同じく齋藤の句でも神父や聖書が何かの喩として置かれているわけではない。一方、次の小池の歌では、倒れた向日葵は若き小池が乗り越えようとする父親の喩であり、家を貧窮させた父親に向かう負の感情が顕わである。向日葵は単なる「物」として置かれているのではない。

倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ  

                  小池光『バルサの翼』

 このように、最終的に「物」に着地する俳句と、否応なしに「心情」へとなだれ打つ短歌の生理の差は明らかである。

 したがって上に引用したなかはらの句に現れる「鳥」は何かの喩と取るべきではない。たとえば「ポケットを出るまで指は鳥でした」では、男の子のポケットという素敵な秘密の場所にいる時は鳥だったのに、ポケットから外に出すとふつうの手の指になってしまったという読みができるのだが、だからと言って「鳥」が何かの喩というわけではなかろう。とはいえ空を天翔る鳥はなかはらにおいては、何かの憧れを象徴しているようではあるが。

約束を匂いにすればヒヤシンス

ドアノブに雌雄があって雪匂う

まれびとと桜浅草十二階

ちょっと死ぬ銀杏並木の途切れ目で

付箋貼る(わすれるための)名前に空に

看板の欠けた一字はたぶん春

笊の目を豆腐はみでる十二月

 好きな句を挙げてみたが、句集を読み返して困った。最初に読んだ時と立ち止まった句がちがうのである。しかしそれは自然なことなのかもしれない。こちらの体調や心の有り様によって心に響く句はちがって当然である。上に引いた中では最後の「笊の目を」はもはや川柳と言うよりも俳句である。逆に解釈の容易な意味が充満しているのは「付箋貼る」の句だろう。それにしてもとても折口信夫的な「まれびと」と、かつて浅草にあった高層建築の浅草十二階を取り合わせたレトロ感溢れる「まれびとと」は若い読者にはわかりにくいかもしれない。大正ロマンの世界である。

 酷暑の夏の消夏法としては、『くちびるにウエハース』の世界に遊ぶのは悪くない選択である。本句集を携えて軽井沢あたりに行くことができれば申し分なかろう。書を開けば、凝り固まった脳のシナプスを柔らかく解きほぐしてくれる句が並んでいて、連想の飛躍と大胆な詩想が織り上げる言葉の世界にひととき遊ぶことができる。


 

第333回 『AI研究者と俳人 ― 人はなぜ俳句を詠むのか』

西行の爪の長さや花野ゆく

AI一茶くん

 川村秀憲×大塚凱『AI研究者と俳人 ― 人はなぜ俳句を詠むのか』(dZERO,

2022年)を読んだ。とてもおもしろかったので、今回はこの本について語りたい。

 川村秀憲は1973年生まれのAI研究者で、北海道大学大学院情報科学研究院教授。調和系工学研究室を主宰し、2017年から俳句生成人工知能の「AI一茶くん」を開発している。山下倫央、横山想一郎と共著で『人工知能が俳句を詠む』(オーム社、2021年)という著者がある。大塚凱は1995年生まれの若手俳人。俳句甲子園で活躍し、現在、俳句同人誌「ねじまわし」発行人。佐藤文香編著『天の川銀河発電所』から大塚の句を引く。

そのみづのどこへもゆかぬ火事の跡

腕時計灼けて帰つて来ない鳥

いもうとをのどかな水瓶と思ふ

 本書は理系のAI研究者と文系の俳人の対談という形式を採っているが、「人の知能とは何か」と並んで「人はなぜ俳句を作るのか」という問いにも肉薄していて興味が尽きない。しかしAIに不案内な向きにおいては、次のような疑問が頭に浮かぶにちがいない。

  ・AIがどうやって俳句を作るのか。

  ・AIに俳句を作らせて何がおもしろいのか / 何の役に立つのか。

  ・AIが生成した文字列をほんとうに俳句と呼べるのか。

 本書はこのような問いに次々と答えてくれるのだが、私なりに理解したことをまとめておこう。

 現在は第3次AIブームと言われている。AIの定義はさまざまだが、ここでは「自分で考えて課題に解答を出すコンピュータ・プログラム」としておこう。AIブームが再び到来した理由は、大量データの機械学習の手法の確立と、2006年に提唱されたディープ・ラーニング(深層学習)による。

 コンピュータに何かを判断させるとき、判断の基準となる特徴量をあらかじめ人間が与えてやる必要がある。たとえば果物の画像を見せてそれがリンゴか梨かを判断させる場合には、形はよく似ているため特徴量とはならず、リンゴは赤いか薄緑色で、梨は黄土色か茶色という色のちがいが特徴量となる。しかし人間がいちいち特徴量を教えるのでは手間がかかってしかたがない。AIはそれを大量データの機械学習でクリアした。また、ディープ・ラーニングとは学習した知識を階層化することをいう。「AI一茶くん」では教師データとして過去の俳句作品と、それだけでは言葉の組み合わせが不足するので散文データも使っているという。おそらく「AI一茶くん」はブログラミングに従って、読み込んだ言語データをまず文節に区切り、次に体言と助詞、用言の活用形と助動詞などに分解して、その組み合わせと出現頻度を学習するのだろう。

 さて、AIに俳句を作らせて何がおもしろいかである。人間と同じようなことができるコンピュータ、もしくは人間を超える能力を持つコンピュータを作ることは、コンピュータ工学者の長年の夢である。チェスの試合で人間に勝ったディープブルーは話題になった。川村のスタンスは少し異なる。川村が興味を抱いているのは「人間の知能とは何か」という問題であり、俳句はその課題にアプローチするためのひとつの手段だという。たとえば直立二足歩行をするロボットを作ろうとすると、人間がいかに複雑にして精妙な姿勢制御をしているかがわかる。それと同じように、AIに俳句を作らせることによって、人間がどのように知識を処理し言語を操っているかが少しずつ可視化されるということだ。これはAI研究者の立場からの答えである。

 では俳人の目から見たとき、AIに俳句を作らせて何か得られるものがあるのだろうか。大塚は次のように述べている。

 「AI一茶くん」が俳句をつくるとき、あらかじめ「こんなことを詠みたい」という動機のようなものはありません。季語、そして名詞や動詞、助詞などのさまざまな語が、いわば数式によって組み合わされ、一句として出てきます。動機のなさ、演算による句の生成、この二点だけを見ても、人間の俳句の作り方とはずいぶんちがっていると思う人が多いでしょう。けれども、私自身が俳句を作るときのことを考えてみると、「こんなことを詠みたい」と考えて俳句をつくるわけではないのです。ことばを使ってイメージを描くというよりも、イメージがことばに落としこまれていく。ことばが引っ張られて出てくる。イメージがことばを紡ぎ出すといえばいいでしょうか。そんな状況が頻繁に頭の中で、しかも無意識の次元で起こっています。そう考えると、「AI一茶くん」と自分はそれほどかけ離れているわけではない。むしろ共通する部分が多いのではないかと思います。(p.p.21~22)

 つまり俳人が作句するとき、あらかじめ表現意図があるのではなく、ぼんやりとしたイメージが言葉を引っ張り出すのであり、それはほとんど無意識の領域で行われているということである。創造の秘密は作者の手中にはない。だとすればブラックボックスの中で何が起きているのか、作者としても知りたくなるのは道理である。大塚は「AI一茶くん」がそれを知る手がかりになると考えているのだろう。

 では「AI一茶くん」の実力はどの程度のものだろうか。

初恋の焚火の跡を通りけり

てのひらを隠して二人日向ぼこ

ひとの世の遊びのれんの白絣

夢に見るただの西瓜と違ひなく

水洟や言葉少なに諏訪の神

ゆづられて月下美人にふれ申せ

栗の花少年の日の水たまり

シャガールの恋の始まる夏帽子

白鷺の風ばかり見て畳かな

 季語を一つ入れるとか、五・七・五の韻律を守るといったルールは教えてあるので、あとは何と何を組み合わせるかの問題である。また極端に無意味な句ははじいてあるそうなので、「AI一茶くん」がコンスタントに上に引いたような句を生成できるわけではない。比較的よい句だけを選んであるのだが、それを差し引いてもなかなかの実力である。「ひとの世の」や「栗の花」や「シャガールの」などの句は、誰かの句集に入っていてもおかしくない。

 本書の対談で明かされたことでいちばんおもしろかったのは、「AI一茶くん」は選句ができないということである。コンピュータは疲れを知らないので、動かしている限り無限に句を吐き出す。しかしその中から秀句を選ぶことができないのだ。本書に掲載されている句はすべて人間が選んだものである。

 上に述べたように、コンピュータに何かを判断させようとすると、判断の基準となる特徴量を与えなくてはならない。つまり秀句と秀句でないものを区別する基準を数値化して教える必要がある。ところが川村によれば、これはAIでことごとく失敗してきたことだという。

 そりゃそうだろう。秀句性を言葉で説明せよと言われても「うっ」と詰まってしまう。ましてや数値化するなど不可能事だ。たとえば私は次のような句を愛唱しているが、どこがよいのか説明せよと言われてもできない。

南国に死して御恩のみなみかぜ  摂津幸彦

愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子

天文や大食タージの天の鷹を馴らし 加藤郁乎

 俳句は「多作多捨」と言われている。たくさん作ってたくさん捨てる。選句とは捨てる行為である。高浜虚子は「選は創作なり」と言ったと伝えられている。大量に作句するとさまざまな言葉の組み合わせを得る。そのなかから「これはよい」と選ぶこともまた句作の一部なのである。創作の秘密に肉薄するこの作業はコンピュータで置き換えることが難しいようだ。

 本書を一読して大いに共感したのは、川村が句作における「共有」の重要性を指摘している部分である (p.p. 26~27)。川村が季語の重要性について俳人に聞いて回ったときに、季語の背後にある情報を俳人が共有していることに気づいたという。俳人は季語だけでなく、現在までに作られた膨大な句を知っている。この意味で俳句の世界はとんでもなく「高文脈文化」(high-context culture) なのである。

 このことは言語学や哲学にも大きな意味を持つ。これは「共有知識問題」と呼ばれている。〈A〉という情報を相手が知っている(あるいは知らない)ということを私はどうやって知ることができるかという根源的な問題である。読心術でもないかぎり、他人の頭の中を直接に知ることはできないはずだ。しかし私は常日頃から、言語コミュニケーションには共有知識が大きな役割を果たしていると考えている。極論すれば言語コミュニケーションとは、話し手と聞き手の間の共有知識の調整過程である。哲学の小難しい議論を俳人が日常の句作や読みにおいて苦もなくクリアしているのは痛快この上ない。

 短歌の世界では『短歌研究』2019年8月号に「歌人AIの歌力」という題名で、短歌を作るAIの開発の経緯が語られている。短歌研究社のHPにはすでに「恋するAI歌人」というページがあり、初句を入力するとAIが短歌を生成してくれる仕掛けだ。

 折しも朝日新聞が去る7月6日・7日(大阪版)に、「AIと創作の未来」と題して自社で開発した短歌AIの紹介をしている。それによると、任意の言葉を入力すると、それに続けて短歌を生成するプログラムらしい。また俵万智の句集を教師データとして覚えさせたものもあり、「二週間前に赤本注文す この本のこときっと息子は」などいう歌を生成するという。俵は「AIに名歌をつくってもらう必要はない」と否定的だが、永田和宏は、歌は作者だけのものではない、一番言いたいことは読者に引き出してもらうと述べて、読者論を展開する歌人らしく「読み」の重要性を改めて指摘している。

 本書であまり語られていないが、AIが俳句を作る際に大いに問題となりそうなのは、AIが詩的飛躍と詩的圧縮の度合いを判定できるかだろう。たとえば「抽象となるまでパセリ刻みけり」(田中亜美)という句がある。これがもし「粉々になるまでパセリ刻みけり」では俳句にならない。言葉の連接がふつうだからである。「抽象となるまで」と残りの部分の取り合わせの意外性と飛躍がポエジーを発生させている。AIにこの匙加減が判定できるとは思えない。

 最後に大塚によれば、AIが短歌を作る時の問題は短歌における「作者性」だという。俳句とは異なり、短歌は作者性が強く働く詩型である。果たしてAIは「歌の背後にみえるただ一人の顔」という一貫した人格までも生成することができるだろうか。それは難しいように思える。もっとも短歌にそのようなものを求めないという立場もある。日頃から「言葉だけの存在になりたい」と願っている井上法子のような歌人ならば、自分が作る短歌とAIが生成する短歌が並べて置かれることに抵抗はないかもしれない。

 しかし、短歌を読んで感動したとして (あまつさえ涙ぐんだとして) 、その後で作者が実はAIだったと知ったとき、あなたがどう反応するかが最終的な問題だ。「私の感動を返せ」という反応もあるだろう。AIが句会や歌会に参加する日がいずれ来るかもしれない。そのときに問われるのは、大阪大学のロボット工学者石黒浩が人間そっくりなロボットを作って試しているように、人間がロボット (コンピュータ) という生命のないものにどのような感情的反応をするかだろう。

 

第332回 片岡絢『カノープス燃ゆ』

はるかなる処より矢が放たれて地に突き刺さりをり曼珠沙華

片岡絢『カノープス燃ゆ』

 曼珠沙華は別名彼岸花ともいう。秋の彼岸の頃に土手や田の畔に一列に咲く。赤い花がよく知られているが、白い花もある。田の畔によく植えられているのは、曼珠沙華が救荒植物だからである。根茎にデンプン質が蓄えられているが、南米でよく食べるキャッサバ (タピオカの原料) と同様アルカロイド系の毒があるので、摺り下ろしてよく水にさらしてから食べる。その特異な花序と燃え上がるような色から、死人花、火事花、捨て子花など、あまりよくないイメージの俗称もある。曼珠沙華と言えば塚本邦雄の次の歌がすぐ頭に浮かぶ人も多いだろう。

いたみもて世界の外につわれと紅き逆睫毛さかまつげの曼珠沙華

 片岡の歌では曼珠沙華は異界から放たれた矢に喩えられている。曼珠沙華はその特異な形状と彼岸花という呼称ゆえに、この世の外にある異界のイメージを喚起するようだ。塚本の歌では作中の〈私〉はこの世界の外に佇立しているが、片岡の歌では矢が異界からこの世界に放たれる。葛原妙子の歌の遠い残響を感じさせる。塚本の歌を知った後では、逆睫毛を連想せずに曼珠沙華の花を見ることができないほどだが、片岡の歌の場合はどうだろうか。「曼珠沙華の歌」を集めるとしたら採りたい一首である。

 歌集巻末のプロフィールによれば、片岡あやは1979年生まれ。コスモス短歌会、桟橋(すでに終刊)、COCOONの会所属。第一歌集『ひかりの拍手』(2009年)に続く第二歌集である。歌集題名は集中の「人を恋ふときの眼差し 死を想ふときの眼差し カノープス燃ゆ」から選歌を担当した高野公彦が付けたという。近年出色のタイトルだと思う。カノープスとはりゅうこつ座の一等星で、全天でシリウスに次ぐ明るさの恒星だそうだ。一説によれば、カノープスとは、トロイア戦争の時にスパルタ王の船を操った操舵手の名とも言われている。夜空に明るく輝く恒星にせよ、王の信頼篤い操舵手にせよ、とても前向きなイメージがあり、それはとりも直さず本歌集の主調音である。これほど明るい歌集を読んだのは久しぶりだ。

 歌集は部分けされておらず、内容から見て編年体だと思われる。20代の若い女性が社会に出て働き恋をし、やがて伴侶を得て結婚し子供が生まれ、子育てに追われる日々が続くというライフストーリーが詠われており、作中主体の〈私〉はほぼ等身大の作者だと考えてよい。

 巻頭あたりに置かれた歌は、大都市で会社勤めをする一人暮らしの女性のそれである。

ラジオからわつと笑ひが洩れるたび一人暮らしの部屋は明るむ

目覚めても寂しいままだらうけれど水でも飲んで眠らなければ

そそくさと野菜スープをこしらへて司馬遼太郎の続きを読みぬ

だんだんと減ってはきたが今年もう三度目である式に呼ばれる

母と来た母のふるさと母は今私の知らぬ佐賀弁になる

 会社勤めの日々と友人と家族という典型的な近景の歌が並ぶ。地域社会や職場という中景の歌や、国家や理想や宗教という遠景の歌はまだない。明治の短歌革新によって誕生した近代短歌は「自我の詩」であると同時に、日常に歌の素材を発見する眼差しを内面化する運動でもあった。そのことは、「浦遠くわたる千鳥も声さむし霜の白州の有明の空」(後二条天皇)のような古典和歌と較べてみるとよくわかる。都の宮中で暮らした作者はおそらく、冬の寒々とした浜辺を渡る千鳥を見たことも、霜の降りた中州に昇る朝日を見たこともないはずだ。念頭にあったのは「有明の月影さむみ難波潟沖の白州の有明の空」(俊恵)という先行歌だろう。高踏的な美の世界を詠う和歌が日常生活を詠む近代短歌となったときに民衆の詩としての性格を獲得したことは、今日でも新聞の短歌欄に多くの投稿があることを見ても明らかである。

 本歌集で次に登場するのは相聞である。

君に逢ふための電車はゆふぐれを遠くから来て我を入れたり

心臓を体にをさめ誰よりもしづか 逢瀬の帰りの我は

君は多忙ゆゑになかなか会へなくて君は火星に居るのと同じ

会へずとも君の姿は目の裏に印刷されてゐるのだと言ふ

夕暮れの東急東横線内であなたを想ふため眼を閉ぢる

 相聞が歌集に拡がりと膨らみをもたらす理由は、相聞が近景・中景・遠景という作者と素材の距離感に基づく便宜的な分類に収まらないからだ。相聞の相手はたいてい異性の恋人である。相聞の本来の意味は、相手の様子を尋ね消息を通じ合うことだ。つまりは遠距離恋愛ではなくても、今ここにいない恋人に想いを馳せるのが相聞である。遠くにいる人に想いを飛ばすことによって、歌は近景の範囲を飛び越えて空間的な広がりを得る。そのことはいずれも電車を読んだ一首目と五首目を見れば明らかである。一首目では主体と客体の逆転と「ゆふぐれを」の助詞「を」が特によい。

特徴のないわたくしは特徴のない一日を事務所で過ごす

せんべいを一体何枚食べたのかわからなくなる深夜の職場

六階の休憩室のこの場所に座ると見える〈青空のみ〉が

部下一人叱った後の上役の苦悩にゆがむ目を見てしまふ

「えべれすと。仕事の量がえべれすと」呟きながら歩く同僚

 職場詠を見ると、作者は事務職でオフィスワークであることがわかる。一首目は取り立てて技能があるわけではない自分の歌。二首目は残業だろう。腹が減るので引き出しにあったせんべいを齧るのだ。三首目は現状からの脱出を希求する歌。四首目は部下を叱った自分に苦しむ上司の歌で、「見てしまふ」が見てはいなけいものを見たことを示している。どの歌も歌意は解説の要がないほどに明確である。しかし一巻がわかる歌ばかりではおもしろくない。もう少し詩的飛躍や詩的圧縮があってもよいのではなかろうか。

 やがて作者は伴侶を得て結婚する。結婚生活を詠んだ歌の中で私が爆笑したのは次の一連だ。

「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃

実母から「アイロンぐらいかけてあげたら」と言はれた娘の衝撃

義両親から「アイロンをかけてやってほしい」と言はれた嫁の衝撃

「ワイシャツのアイロンがけはしません」と妻に言はれた夫の衝撃

 四首目で落ちがついているところが愉快だ。結婚生活とはある意味で絶えざる闘争の連続である。妥協点に落ち着くまでには時間がかかる。その後、作者は身籠もり男児を出産する。後半の大部分は子育ての歌だ。出産と育児は女性にとって大きな出来事で、生まれたわが子が可愛いのは当たり前なのだが、当たり前すぎてあるある感を抜け出した歌にはなりにくい。そんな中で私が注目したのは次の一連である。

公園に深緑あふれ 二歳児の宇宙語の語彙量も溢れる

物の名を教えへつつああかうやつて宇宙語の一つづつ奪ふのか

宇宙語の辞書は世に無く 無いものは皆うつくしい 死者達のやうに

 一首目には「喃語のことを宇宙語と呼んだりするらしい」という詞書きがある。子供に物の名を教えることで子供は言葉を習得するが、それは同時に宇宙語を失うことだという感じ方に共感を覚える。生まれたばかりの子供は世界のどんな言語の音も出す。よく聞いているとアラビア語の喉音も出せる。成長の過程で母語の音韻を習得するということは、それ以外の豊富な音を出す能力を捨てるということだ。人は多くの物を失いながら生きる。そこに一抹の淋しさがある。

 次のような歌に心を引かれた。

人体はかなしみなれば雲上の機体の中のかなしみ五百

生者なるわれにまだまだ幾人いくたりも生者は絡み お墓を洗ふ

重力に逆らって翔ぶ鳥の目よ 逆らふ者の美しい目よ

時かけて降りてくるものうつくしき 粉雪、花弁、生きものの羽

コピー機を操作してゐるわたくしの人差し指に迫る夕暮れ

 心を引かれる理由は、これらの歌が〈私〉と私の身めぐりという極小の空間を脱け出して、〈私〉を超えるものに想いを馳せているからだ。確かに近代短歌は基本的には「自我の詩」なのだが、自我そのものに詩はない。自我の正体は欲動のかたまりである。自我が自分以外の何かに触れるとき、自分を超える何か超越的なものに向かって手を伸ばすときに詩は生まれるのではないだろうか。


 

第331回 平岡直子『Ladies and』

夜型の髪へ獅子座の匂い降る

平岡直子『Ladies and』

 第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』で現代歌人協会賞を受賞した注目の若手歌人の川柳句集が出た。版元は左右社。左右社は最近続々と歌集・句集を出版していて、短詩型文学界の一翼を担う出版社となった感がある。

 本句集を手にして「えっ、何で歌人が川柳を?」という疑問が頭に浮かんだ人は多かろう。短歌と俳句はともに短詩型文学の代表格であり、両者の間を行き来する人は時々いる。よく知られているように寺山修司の出発点は俳句で、後に短歌を作るようになったし、藤原龍一郎も最初は赤尾兜子に師事して藤原月彦の名義で俳句を作っていた。塚本邦雄にも句集が二冊あり、『百句燦燦』(講談社文芸文庫)という現代俳句鑑賞の書は私のバイブルである。しかしながら短歌と俳句はその生理が大きく異なっているため、両者の間を自在に往還するのはたやすいことではない。短歌の言語と俳句の言語はその奉仕する先が異なるのである。「況んや川柳をや」なのだが、そもそも俳句と川柳のどこがちがうかが問題だ。常識的には有季定型俳句には季語が必要で、季重なりの禁止や切れ字の使用などが思いつく。川柳には季語は必要なくて、俳句に較べて口語性が強いのも特徴だろう。

 そういえば歌人の瀬戸夏子もしばらく前から川柳に接近していて、2017年には文学フリマで「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」というタイトルの催しが開かれていたようだ。若手川柳作家の暮田真名は、紀伊國屋書店で開かれていた「瀬戸夏子をつくった10冊」というブックフェアで川柳句集を手に取ったのが川柳の道に進むきっかけだったという。

 さて平岡の句集である。帯文にこう書かれている。「わたしにとって、男性社会にチェックインするという手続きを踏まずに使える言葉の置き場がひとつだけある。それが現代川柳である」。またあとがきにはこうある。

 わたしが川柳について知っているのは、川柳とはじぶんの主人をあきらかにせずに発語できる唯一の詩型だということだ。ここは「どんな言い方をしてもいい」とゆるされている場所だ。(…)わたしには、川柳がときどきどうしても短歌の美しい死骸にみえる。短歌から〈私〉を差し引いて詩情だけを残したような、そういう夢のようなものにみえてしまう。短歌は私性に支えられた詩だけど、支えのない詩情がなぜ立っているのかがわからない。どうしてこんなことが可能なのだろう。理論上ありえないのではないか、と首をかしげつづけてきた。

 いずれも考えさせられる言葉である。帯文のそれは短歌のジェンダー論に深く関わる言葉だ。句集題名は集中の「Ladies and どうして gentleman」という句から採られている。英語の世界のLadies and gentlemen「淑女ならびに紳士の皆様方」という決まり文句に疑問を呈した句だが、読みは多義的である。ladiesには何も形容詞が付いていないのに、なぜmenにだけgentleという形容詞が付されているのかという疑問とも取れる。ただし、その答はladyという呼び方にはすでにgentleという意味が含まれているからなのだが。次にladiesだけでいいのに、何で次にgentlemenが付いて来るのかという疑問とも解釈できる。そうすると女性だけで事足りる社会を夢想する man hating / misandryの表明ということになる。しかしここではもっと単純に、一般社会のみならず短歌の世界でも横行している男性中心主義への疑問乃至は異議申立と取ることにしよう。平岡は川柳を男性中心主義から離れた表現の場と捉えているのだろう。

 あとがきの言葉はもっと短歌の生理に迫る言葉である。子規の改革によって近代短歌が「自我の詩」となって以来、濃淡はあれど「私性」が短歌を支えて来たことはまぎれもない事実である。しかしどうも近頃の若手歌人からは、この「私性」に対する疑問の声が聞こえて来ることが多くなった印象がある。それをはっきり述べているのは井上法子である。角川『短歌』2020年11月号の「青年の主張」で井上は、「わたしは私的なものごとを詠わない」と書いている。「書くわたしと生身と、たましいのディメンション」がまったく異なっていて、決して交わることがない。そのために「おのれ」を詠う理由がわからない。自分は「ことばだけの透明な存在になりたい」と続けていて、はっきりと「コトバ派」宣言をしている。また同じく角川『短歌』の2021年2月号の「時代はいま」と題されたリレーエッセイで、大森静佳が「嵐が丘へ」という文章を書いている。大森は、子供はまだかと無遠慮に尋ねたり、河野裕子論を書いているときに「若いのに子育ての歌が読めてすごい」と感想を述べたりする人たちへの違和感を表明している。続けて作品の評価に実人生を絡める読みに否定的な意見を述べ、エミリー・ブロンテは生涯のほとんどをヨークシャーの牧師館で過ごして『嵐が丘』を書いた。芸術の創作と実人生は関係ないと断じている。井上ははっきりと短歌の「私性」を拒否し、大森は短歌の「私性」はあるとしても作品の中にだけあるとして、安易に作者の境涯を読み込むことに警鐘を鳴らしているのである。平岡があとがきに川柳は「短歌から〈私〉を差し引いて詩情だけを残した」ようなものだと書いているのは、このような文脈で読むべきかと思われる。『Ladies and』の栞文は川柳作家の榊陽子となかはられいこが書いている。当たり前のことだが川柳作家なので、平岡の川柳を川柳の観点からのみ読んでいる。もし歌人に栞文を依頼したならば、異なる観点から平岡の川柳を論じたことだろう。

 前置きが長くなった。平岡の川柳を見てみよう。

白鳥のように流血しています

銀盆で運ばれてくる課題図書

さくらさくらマネキン買いをしましたね

コーヒーゼリー誕生石を聞いたのに

いないって感じを出しているボトフ

 短歌とちがって俳句や川柳では、一句ごとに意味を解釈して解説するのが難しい。俳句や川柳では、日常言語の言葉の連接を避けて、言葉を遠くに飛ばして非日常的な組み合わせを発見することでポエジーを発生させようとするからである。たとえば一句目。「白鳥のように」と来れば、「優雅に泳いでいる」とか、バレエなら「優雅に舞っている」と続くのが日常言語である。ところが続くのは「流血しています」という報告体の文である。白鳥の優雅なイメージと流血という惨事を並置することである種の詩情が立ち上がる。何かは知らぬがどこかで悲劇が起きているようだ。

 二句目の「課題図書」はたぶん小学生か中学生を対象とした夏休みの作文コンクールか何かだろう。図書館に行って課題図書の閲覧を申し込むと、うやうやしく銀のお盆に載せられて運ばれて来る。ふつう銀盆で運ばれて来るのは高級な料理かお茶セットである。銀盆の典雅さ・高級さと課題図書の日常性の落差におかしみがある。

 三句目の「さくらさくら」は歌のリフレインか。「マネキン買い」とはマネキンを買ったという意味ではなく、レコード・CDの「ジャケ買い」が中身ではなく表装で買うことを意味するのと同じく、ショーウィンドウのマネキンが着ている様子が気に入って服を買ったという意味だろう。「しましたね」の終助詞「ね」によって対話相手が浮上する。相手に語りかけるような文体もまた、俳句にはない川柳の特徴である。

 四句目の「誕生石をきいたのに」は、せっかく相手の誕生石を聞いておいて、誕生日にプレゼントしようと思っていたのに、お付き合いが誕生日まで続かずに別れてしまったという意味だろう。問題は初句の「コーヒーゼリー」である。まさかコーヒーゼリーが付き合っている相手ということはなかろうから(だったらとてもシュールな句になる)、コーヒーゼリーは作中の〈私〉が喫茶店で注文し、目の前に置かれていると取るのがよかろう。コーヒーゼリーに手を付ける暇もなく、相手は別れを切り出して立ち去ったのだ。

 五句目をなかはられいこは、食卓に置かれて湯気を立てているポトフが誰かの不在を際立たせていると読み解いている。しかしそう読むと「出している」という能動性を表す動詞にやや無理が感じられる。ここはポトフを擬人化して、自らがそのような感じを醸し出していると読んでおこう。ポトフは取り立ててご馳走ではないごく庶民的な料理である。だから食卓で自分の存在を声高に主張することなく、ひっそりと片隅に存在している。そう取っておく。

 四句目に作中の〈私〉の存在が感じられるものの、どの句も短歌的な「私性」とは無縁である。醸し出される詩情を作者の境涯が裏打ちしていることはない。その理由はかんたんで、俳句や川柳は「私性」を注入するには短かすぎるからである。ルナールの「蛇、長すぎる」ではないが、「俳句・川柳、短すぎる」のだ。

うつし身のわが病みてより幾日いくひへし牡丹の花の照りのゆたかさ

                       古泉千樫『青牛集』

 この歌の下句の「牡丹の花の照りのゆたかさ」には取り立てて「私性」はない。「ゆたかさ」に牡丹の花の色を豊かと観じる主観性はあるがそれだけに留まる。この歌の「私性」を作り出しているのは上句である。古泉は貧困と病弱に苦しみ41歳で肺結核で亡くなっている。上句にはそのような古泉の境涯が詠われている。上句で作中の〈私〉の境涯を、下句で景物を詠み、叙景のなかに抒情が滲むという近代短歌の王道を行く名歌だと言ってよい。

 俳句や川柳は境涯を詰め込むための字数がないのでこういうことはできない。ではどうやってポエジーを立ち上げるか。それはひとえに言葉に頼るのである。このときの「言葉」という概念には注意しなくてはならない。「言葉」は単なる言葉ではないからである。

 平岡は私性という支えのない詩情がどうして成り立つのかという疑問を呈していた。その答はおおむね次のようになると思われる。

 言葉には指示的意味がある。「机」は机という家具を指し、「低気圧」は気候現象を指す。これが指示的意味である。辞書にはまっさきにこの意味が記載されている。しかし言葉は指示的意味の周辺にさまざまな背景的情報を身に纏っている。「黒板」と言えば小学校の教室が目に浮かぶだろう。私の世代ならば木の床に引いたオイルの匂いまで感じられる。これを共示的意味(コノテーション)という。「ざらざらの」と言えば皮膚感覚が喚起される。「苦い」と言うと味覚領域が立ち上がる。認知言語学ではこのように単語が喚起する領域を言葉のactive zoneという。言葉は私たちのいろいろな場所に働きかけるのである。このように言葉は体感まで含めてさまざまな意味や感覚や感情を惹起する。俳句・川柳を読む読者は、句に書かれた言葉を弾機として、句には書かれてはいない意味や感覚や感情を心の中に呼び起こす。その様は池に小石を投げ込んだときに、落下点を中心として周囲に静かに波紋が拡がってゆく様に似ている。波紋はお互いに複雑に干渉してさらに拡がってゆく。そのさざなみのゆらぎが俳句や川柳のポエジーを立ち上げる。したがって短歌に較べて俳句・川柳は読む人に委ねられている部分が大きいことになる。その様子を具体的に見てみよう。

雪で貼る切手のようにわたしたち  

洗面器に夏のすべてがあったのに

 一句目「雪で貼る」にもう詩情がある。ふつう封筒に切手を貼るときは、水で濡らすか舌で嘗めるものだ。雪で切手を湿らせるという行為がすでに日常を越えている。切手とわたしたちが「のように」という直喩で結ばれている。切手は手紙を遠い誰かに届けるものだ。わたしたちの思いも手紙のように誰かに届いてくれればという願いが読み取れる。ここには特定の個人の境涯や心理に収束するような私性はない。しかし句に置かれた言葉が共鳴し合い、読者の心の中に何かを呼び覚ますことでポエジーが発生する。

 二句目、洗面器に冷たい水を満たして顔をジャブジャブ洗う。あるいは捕まえて来たザリガニを洗面器に入れて飼う。どれも子供時代を喚起し、洗面器は幼年期の夏の象徴である。下五の「あったのに」でそれがもう失われていることが知れる。私たちは大人になり、もうあの夏の煌めきをなくしてしまった。この句もまた特定の個人の境涯に凭り掛かることなく、誰にでも感じられる詩情を立ち上げている。

 「私性」に縛られている短歌に較べて、川柳はより自由に振る舞うことができる詩型と平岡が感じている背景には、このような事情があるのではないかと思う。

 最後に特に気に入った句を挙げておこう。

木漏れ日のようね手首をねじりあげ

南国まで逃げて目覚まし時計

黄ばんだらポストに入れる絶縁状

食べおえてわたしに踏切が増える

ボクサーか寝ているしずかな輪のなかに

いいだろうぼくは僅差でぼくの影

夏服はほとんど海だからおいで

窓たちよ手ぶれのなかの桐一葉

ついたての奥へいざなう渡り鳥

 いちばん気に入った一句をと言われれば、冒頭の掲出句だろう。

夜型の髪へ獅子座の匂い降る

 夜という時間帯、髪という人体、獅子座という天空の星座、匂いという感覚が混じり合うことで、一句の中に複雑な意味の混交と空間的な広がりが実現されている。

 若手歌人のあいだでは今後も「私性」への問いかけが続くかもしれない。興味深いことである。


 

第330回 橘夏生『大阪ジュリエット』

「お母さん」と亡きがらにこそ呼べ時計屋の針いつせいにかがやく五月

橘夏生『大阪ジュリエット』

 本コラム橄欖追放の第300回で取り上げた『セルロイドの夜』の作者橘夏生の第二歌集である。第一歌集『天然の美』が1992年刊で、本歌集『大阪ジュリエット』が2016年、『セルロイドの夜』が2020年刊なので、第三歌集と第二歌集の順番が逆になってしまった。『大阪ジュリエット』は青磁社から出版されていて、水原紫苑と藤原龍一郎が栞文を寄せている。

 『大阪ジュリエット』という歌集題名を見たとたんに、森下裕美の名作コミック『大阪ハムレット』(双葉社 2006年)を思い出した。ジュリエットとハムレットは同じシェークスピアでも違う戯曲の登場人物なので対にはならないが、作者の頭にはこのコミックの題名があったかもしれない。

 寺山修司に短歌を勧められ、塚本邦雄の選歌欄で世に出た橘の本来の作風は、文学・芸術への言及と空想の飛翔を組み合わせた華麗なものであり、『セルロイドの夜』ではそれが遺憾なく発揮されて魅惑的な歌集となっていた。しかし同じ作風の歌を本歌集に期待して繙いた人は落胆させられるであろう。本歌集は慟哭と解放の書である。本歌集は六部からなり、第I部はパートナーであった短歌人会同人の川本浩美の死を悼む歌で満ち溢れている。

桜咲く無言のこゑのざわめきを聞きつつあゆむきみのゐぬ春

きみがゐるもうひとつの街へ空いろのあの路面電車がはこんでくれる

ジャズ喫茶「しあんくれーる」にきみはゐるおとぎ話のやうな永遠

ショット・グラスに薔薇さしたまままどろみぬほら、川本くんがほんのそこまで

まるで世界中が赤信号のやう川本くんがゐなくなってから

 作者の嘆きは深く、それは時には定型の形を歪ませるほどである。二首目のように、路面電車が自分をあの世に運んでくれないかという願望を抱くこともあり、「リストカット用のカッターを手放せず『いつか世界中の子と友達になれる』」、「たしかにきみがゐたといふあかしにこのナイフで消えない消せない傷をつけて」などという危ない歌もある。ちなみに「シャンクレール」は京都の荒神口にあったジャズ喫茶で、「世界中の子と友達になれる」は日本画家の松井冬子の絵のタイトルである。

 第III部まで読み進むと、作者は再婚したことがわかる。藤原龍一郎の栞文によれば、順番は川本との離婚、再婚、そして川本の死去ということらしい。

そよそよとうすものを脱ぐそのあひだわが人生に迷ひこんできた夫

前妻の遺影の代はりにつまが飾るラファエロ前派の絵のをんな

わが死後もこのアバアトの一室でしづかに髭を剃らむ夫は

まだ知らぬははの実家の鏡台に桃の花クリームあればよからむ

襟もとの琅玕の首飾り冷え冷えとFAKEとしての人妻われは

 「人生に迷い込んで来た」とはご挨拶だが、再婚相手の人は前妻と死別したようだ。ラファエロ前派の絵の女とは、ダンテ・ガブリエル・ロゼッティが描いたウィリアム・モリスの妻のジェーン・バーディンか。五首目の琅玕とは碧玉のような緑色の貴石のこと。作者には自分は世間の十全な意味で妻ではなく、レプリカントのような偽物だという意識があるらしい。とはいうものの「かにかくに夫はの子われはただ米研ぎしことなき掌を慈しむ」という歌が示すように、心穏やかな暮らしを手に入れたようだ。

 第IV部に至って本歌集のもうひとつの大きな主題である「母親の桎梏からの解放」が顔を現す。

父がゐていもうとがゐて母が笑ふただそれだけのポラロイドの夏

「イグアナの娘」のわれに恋ヲスル日ガ来タルとは母は教えず

われを撲ちし母の手が巻く太巻の甘き酢の香を憎みはじめき

母の胎内はらよりとほく逃れ来し朝ああああからすの鳴きごゑ母音

鶴の肉くらふごとくにわれを喰ひし母なればわれも鶴をくらふか

 一首目は楽しかった幼年時代の回想だろう。ポラロイドの写真はもちろんセピア色に変色している。『イグアナの娘』は萩尾望都のコミックで、娘を愛することができない母と娘の葛藤が描かれており、萩尾自身の体験が投影されていると言われている。五首目のように驚くほど激しい憎悪を詠んだ歌もある。ただしその一方で集中には「一滴の塩みづとしてなみだこぼれたり留守番電話に聞く母のこゑ」という歌もあって、長年の間に絡まりあった感情の糸の錯綜は決して単純なものではない。母親がこのように墨痕黒々と激しく描かれているのに対して、父親は「菜の花の畑のむかう父が呼ぶ微熱の朝の夢のさめぎは」という歌が示すように、あくまで輪郭の淡い思慕の対象として描かれている。

 息子は父親を乗り越えなくてはならないという宿命があるため、『エデンの東』から『スター・ウォーズ』に至るまで、父と息子の葛藤を描いた作品は数多い。その一方で母親と娘は双生児のような関係になることもあり、葛藤の側面はあまり強調されなかったきらいがある。最近は「毒親」(toxic parents)という言葉もあり、親の過度な支配の弊害が指摘されるようになった。橘の母親はそのようなタイプの人だったのだろう。

 「果たして文学は人間を救済するか」というのはなかなか答を出しにくい問題である。そもそも「短歌は文学であるか」というもう一つ別の問いもあるのだが、それはひとまず措くとして、文学や演劇にカタルシス効果があることはアリストテレスの時代から言われて来たことである。私たちは映画や演劇で人が殺されるようなドラマをなぜ好んで見るのか。それは葛藤や憎悪の果てに殺人にまで至ることもあるドラマを見て、感情の起伏や亢進を擬似的に体験することによって心が浄化されるというのがカタルシス理論である。同じことは短歌を作る場合にも言えるだろう。自らの心の奥底に溜まりに溜まった情動を短歌にして吐き出すことによって心が解放される。それまで固く閉じられていたものが再び動き出す。『大阪ジュリエット』はかつて愛したバートナーの死という体験と、母親との葛藤的関係性という桎梏から自己を解放するために書かれた書である。

 本歌集の主調音は上に書いたとおりなのだが、その合間に挟み込まれている歌にも良い歌が多くある。

金魚玉に金魚揺れをり「神の火」の踏み絵をふみし夜より幾夜

マンモグラフィーの被曝量のいくばくか時経て骨となる白き花

死者の領あれば五月の死者つかはせよレインコートの寺山修司

悉皆屋三代目当主秀太郎なにはの雪を舌で受けたり

産みしことなしと答へよ白昼にほむらたちたるさざんくわの群れ

 一首目と二首目は東日本大震災と東京電力福島原発事故を詠んだ歌である。「神の火」は高村薫の小説の題名で、ギリシア神話のプロメテウスの火が念頭にある。三首目は安部内閣による安保関連法案採決に寄せた歌。「めつむりていても吾を統ぶ五月の鷹」は寺山の代表句である。四首目の悉皆屋とは和服の洗い張りなどをする業者のこと。まるで時代小説の一節のようで、橘はこういう歌を作るのが抜群に上手い。歌舞伎の一場面を見ているようだ。五首目は自分が子供を産まなかったことを詠んだ歌で、「都こんぶ噛みつつおもふ夜の底森茉莉にさへ子がありしこと」という歌も集中にある。「炎たちたる」は「これやこの一期のいのち炎立ちせよと迫りし吾妹よ吾妹」という吉野秀雄の歌と、それをタイトルに借りた福本邦雄の『炎立つとは』(講談社、2004年)が念頭にあると思われる。

 橘の得意技の一つは固有名を詠み込んだ歌である。それも芸能人から芸術家まで実に幅広い。

炎昼につまなじれば目を醒ますわたしのなかの〈春川ますみ〉

姉が貼りしポスターはデビッド・ハミルトン少女を噛めば蜜があふるる

加藤一彦死にたればおもふ完璧な生、完璧な死といふものはある

昭和といふ昨日きのふのわたしを呼んでゐる大西ユカリと愛の新世界

オートバイを真紅の薔薇で埋めたりしアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ

端正をはみだすところに極まる美 セルフ・プロデューサー「タマラ・ド・レンピッカ」

 一首目には「赤い殺意」という詞書きがある。春川ますみはドラマに出演した女優。二首目のデビッド・ハミルトンは少女のポートレートを得意とした写真家。三首目の加藤一彦はフォーク・クルセダーズのメンバーであった音楽家で、軽井沢のホテルの一室で自死した。四首目の大西ユカリは新世界ゆかりの歌手。五首目のマンディアルグはフランスの小説家。『オートバイ』という小説がある。六首目のタマラ・ド・レンピッカはポーランド生まれで表現主義的な画風の画家。これらの固有名には全体にうっすらと昭和という時代が漂っている。

 橘は『大阪ジュリエット』の刊行後わずか4年で第三歌集『セルロイドの夜』を出して本来の耽美的な作風に戻っている。栞文で水原紫苑が書いているように、書かなければならなかった歌だったのだろう。


 

第329回 『現代詩手帖』2021年10月号 特集「定型と╱の自由」

 いささか遅きに失した感は拭えないが、今回は昨年 (2021年)の『現代詩手帖』10月号を取り上げたい。「定型と╱の自由 ― 短詩型の現在」という特集を組んでいるからである。同誌は2010年の6月号でも「短詩型新時代 ― 詩はどこに向かうのか」という特集を組んでいたので、それから約10年を経ての再び短詩型特集となる。

 2010年の特集では、「滅びからはじめること ― 岡井隆とゼロ年代の詩歌」と題された松浦寿輝(詩人)・小澤實(俳人)・穂村弘(歌人)とゲストの岡井隆の座談会、黒瀬珂瀾による「ゼロ年代の短歌100選」、高柳克弘によるゼロ年代の俳句100選」、城戸朱理・黒瀬珂瀾・高柳克弘の「いま短詩型であること ― 短歌・俳句100選をめぐって」という鼎談が主な内容であった。当時は21世紀を迎えて10年が経過し、「ゼロ年代」という世代による括り方が話題になっていたので、それを踏まえての企画だったと思われる。

 2021年10月号の特集では、巻頭に「俳句・短歌の十年とこれから ― 現代にとっての詩歌」という題目で、佐藤文香(俳人)・山田航(歌人)・佐藤雄一(詩人)の三人による座談会が置かれている。しかしよく考えてみると、現代詩の雑誌が定型の特集を組むのはいささか奇妙なことだ。なぜなら現代詩は自由詩であり、定型詩ではないからである。なぜ現代詩が短歌や俳句のような定型詩に秋波を送るかというと、現代詩自身がある種の行き詰まり感を覚えているからだろう。

 座談会に佐藤文香と山田航が呼ばれたのは、佐藤が『天の川銀河発電所 ― 現代俳句ガイドブック Born after 1968』(2017年)、山田が『桜前線開架宣言 ― 現代短歌日本代表 Born after 1970』(2015年)という一対をなすアンソロジーを編んでいるからである。両方とも左右社から刊行されている。ちなみに左右社からは瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器 ― 現代短歌クロニクル after 2000』(2021年)も出ていて、これに小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、2021年)を加えると、ほぼ現在の短詩型文学の全貌を見渡すことができる。アンソロジーは文芸の発展にとって重要なものであり、特に入門者に便利なものなので、このように優れたアンソロジーが陸続と刊行されたのは喜ばしいことだ。

 座談会で山田は2000年代の短歌の動向を次のように総括している。まず加藤治郎・穂村弘・荻原裕幸による『短歌ヴァーサス』の創刊 (2013年)と、同誌による歌葉新人賞によって斉藤斎藤、永井祐、宇都宮敦ら若手歌人が輩出したことを挙げる。山田は当時の短歌のテーマは「主体からいかに自由になるか」であったとする。作者と作中主体の分離を高度に体現したのが笹井宏之だったが、笹井の死と短歌自動生成装置を考案した星野しずるによって2000年代の短歌は終了し、2010年代に登場した歌人たちがそれを乗り越えてゆく。山田は2000年代以降の短歌のポイントは口語によるリアリズムの復権だとして、永井祐や鈴木ちはねの名を挙げている。「口語によるリアリズムの更新」は近年の山田の持論で、『短歌研究』2021年7月号では山田が企画・立案した特集を組んでいるほどだ。座談会での山田による2000年代の短歌の動向のまとめは、いささか我田引水の感がなくもない。

 佐藤による2000年代の俳句動向のまとめも興味深い。佐藤が編纂した『天の川銀河発電所』以降、「俳句好きによる俳句の時代」が訪れたという。それは「俳句の参照性」を軸に、積み上げられたものの上で俳句が書かれるべきだという考え方だという。佐藤が名前を挙げているのは、生駒大祐、岡田一実、西村麒麟、安里琉太、小津夜景といった作家たちである。生駒大祐『水界園丁』、小津夜景の『フラワーズ・カンフー は確かによい句集だった。

 本特集でおもしろかったのは、「詩人に聞く『刺激を受けた歌集・句集』」というアンケートである。詩人がこんなに歌集・句集を読んでいるのかという素朴な驚きがまずあった。そして句集より歌集を挙げた人が多かったのも意外だった。というのも詩人で短歌も作るという人は、詩人で俳句も作る人よりも少ないからである。今年の3月に泉下の人となった清水哲夫や『貨物船句集』の辻征夫は詩人で句集もある。感覚としても現代詩の生理は俳句の持つ言葉の飛ばし方と親和性が高いように思う。なのに歌集を読む詩人が多いというのは驚いた。

 アンケートに答えて挙げられている歌集・句集はばらけているが、句集では小津夜景『フラワーズ・カンフー』を挙げた詩人が二人いた。また歌集では服部真里子の『行け広野へと』と答えた人が二人いた。千種創一を挙げた人も二人いたのだが、『千夜曳獏』と『砂丘律』とで割れている。あとは笹井宏之『えーえんとくちから』、大森静佳『カミーユ 、藪内亮輔『海蛇と珊瑚』、𠮷田恭大『光と私語 など短歌の世界でも話題なった歌集ばかりで、詩人もよく情報収集していることがわかる。弱冠17歳で中原中也賞を受賞した文月悠光は、狩野悠佳子名義で同人誌『穀物』などに短歌を書いており、短歌愛が止まらないのか、「一冊を」と指定されているにもかかわらず十冊も歌集を挙げている。筆頭に掲げたのは平岡直子の『みじかい髪も長い髪も炎』だった。

 ほとんどの詩人が名前を挙げたのは話題になった歌集や賞を受賞した歌集ばかりだが、おやと思ったのは木下こう『体温と雨』(砂子屋書房)という知らない歌集を挙げた人がいたことである。引用されていた歌に惹かれて買い求めようかとも思ったが、古書価が高くて断念した。

夢の手もうつつの指もかなしけれ白ひといろの花瓶を洗ふ

ひえゆけば祈りの指も仄白きのかたちせむ雪ふりたまふな

 アンケートの第2問「詩作をする上で短歌・俳句の定型を意識することはあるか、影響を受けることはあるか」という問いに対する回答も興味深い。例えば鈴木一平は次のように答えている。

 優れた詩は、みずからにおいてのみ固有なものでありながら、当のテキストから転用可能な思考の論理を持っているように思います。このとき、俳句や短歌がその名に付随する定型概念を負っていることは、個人的にかなり重要なことだと感じます。というのも、定型は具体的な作品を通してのみ知覚される(定型そのものを純粋に知覚することができない)にもかかわらず、あたかも当の作品から独立して「定型なるもの」が存在しうることの確信を読み手に与えるからです。

 詩人たち一人一人の回答を読むとさまざまなことを考えさせられてこちらの思考も深まって行く。それがおもしろい。

 本特集のおそらく目玉企画は歌人と俳人に詩を作らせるというものである。歌人から大森静佳、千種創一、井上法子、川野芽生が、俳人から鴇田智哉、小津夜景、中嶋憲武、生駒大祐が挑戦している。千種創一は「遊ぶための園」という題名で、中東での過激派組織の指導者殺害という架空の新聞記事と、それに基づいた散文詩を寄せている。井上法子の作風はもともと現代詩に近い所にあるので、「沈石」(いかり)と題された詩はどこかの詩集に収録されていても不思議はない。

そらにはらわた

水は喃語をあやつって

玻璃には

いくつかの皮脂

かもめたちとぶ

わたしは岸を食み

朝、

たちどころに破れる郷里

 こうして書き写していると、井上の詩はどこか自由律の短歌にも見えて来るから不思議である。

無垢は

あなたが足を踏み出すとき

かわりに失われる新雪ではない。

という一節から始まる川野芽生の「その炎の白」はいかにも川野らしい断定に満ちた詩になっていて、短歌の世界と通底しているところがおもしろい。

 現代詩の詩人たちが「定型」を強く意識していることが感じられる特集である。

第328回 小佐野彈『銀河一族』

マーブルの光まばゆき煉獄にたつたひとりのをみな、わが母

小佐野彈『銀河一族』 

 本歌集は2021年も暮れようとする頃に刊行された著者第二歌集である。小佐野彈は1983年生まれ。作歌を始めたきっかけは、もやもやとした内面を抱えていた14歳の頃に俵万智の『チョコレート革命』を読んだことがきっかけだという。2017年に「無垢な日本で」により第60回短歌研究新人賞を受賞。翌年、第一歌集『メタリック』を上梓し話題になった。第63回現代歌人協会賞を受賞している。最近は小説の分野にも進出しているらしい。

 本歌集を一読して驚いた人はある程度の年配の人だろう。なんと小佐野彈はあの小佐野賢治に連なる家系の一人だというのである。歌集題名の「銀河一族」はその家系を指している。若い人は知らないだろうが、小佐野賢治といえば、戦後最大の疑獄事件と言われた1976年のロッキード事件に連座した政商である。ロッキード事件とは、全日空の新型航空機の購入がらみで田中角栄ら数人の大物政治家が逮捕起訴された汚職事件である。小佐野は国会に証人として喚問された時の偽証罪で実刑判決を受けている。ロッキード社のコーチャンとクラッターと、賄賂を意味する隠語のピーナッツを合わせて「コーチャン・ピーナッツ・クラッター(食らった)」という駄洒落がマスコミを賑わせた。詞書き付きの連作「政商の人生」に詳しく書かれているが、小佐野賢治の末弟の政邦が彈の祖父に当たるという。

諦念を振り払ひつつらんらんと野を駆けてゆけ 賢治少年

哲学を愛でる者らの行き交へる街でひたすらナットを絞る

二等兵・小佐野は進む まづ北京、そして漢口 砂塵の中を

政商といつか呼ばるる青年の前に強盗慶太あらはる

頂に立ちて見下ろすジパングは黄金もとい砂の帝国

判決は実刑 妻が「あら、さう」とつぶやきてぷくぷく花豆を煮てゐる

告げられし病名に濁音のなく耳障りよきひびき〈すいえん〉

 詞書きは略して「政商の人生」から引いた。山梨の貧農に生まれ、終戦後進駐軍相手に商売を広げ、田中角栄の「刎頸の友」となって政商として権勢と富を誇った小佐野の生涯が一代記風に詠まれている。彈の母は政邦の一人娘で、彈の兄と彈が生まれて後に離婚して実家に戻っている。弾は賢治の死後、国際興業の社長となった祖父と一人娘の母親と暮らし成長したのである。

父のなき日々はあかるく始まりぬ忘却といふ術を覚えて

夏近き夜の湿度のくるしさよ ひとりでゐてもうるさきわが家

銀の匙嘗めつつ生まれ出たるをとうに忘れてわれは鬼の子

マイセンの白まろやかな食卓をこの世ならざる場所として、いま

アイボリー色の令状畳まれてつましく家宅捜索終はる

カツレツに檸檬だらだら垂らすごと終はりなきものならむ 親子は

 彈がどのように成長したのかが歌からよく読み取れる。一首目、母親が離婚して父親が去り、小佐野家での暮らしは過去を忘却する明るさから始まる。二首目、思春期を迎えた彈にとって、家は自分を護ってくれるものであると同時に、抵抗と反発を覚えるものだったにちがいない。三首目、イギリスでは洗礼式を迎えた子供にスプーンを贈る習慣があり、裕福な家庭の子供には銀製のスプーンを贈るという。そこから「銀の匙をくわえて生まれて来た」という言い回しが出来て、裕福な家庭に生まれることを言う。彈もまさしく銀の匙をくわえて生まれたのだが、三首目は反抗期を迎えた気持ちを詠んだものだろう。四首目、マイセンはドイツ製の高級磁器で、それがふだんの食卓に使われるということから裕福さが知れる。五首目はロッキード事件で小佐野賢治が逮捕され、関係先として家宅捜索された折の歌。六首目は母親との関係を詠んだ歌である。親子関係はたとえ切ろうとしても、なかなか切ることのできないものと捉えられている。

 彈は実に特殊な家庭に生まれ育ったと言えるのだが、これらの歌を読んで私の頭に浮かんだのは仙波龍英である。仙波については、彼を短歌の世界に引き込んだ盟友である藤原龍一郎が『仙波龍英歌集』(六花書林、2007年)に書いた「メモワール仙波龍英」に詳しいが、藤原の文章は仙波との個人的交流に限っていて、仙波の家庭的背景には触れていない。仙波龍英の父親は、その訃報が新聞に載るほどの著名な人だったらしい。田園調布に豪邸があり、葉山に別荘があってマリーナにはクルーザーが停泊しているという暮らしである。12歳と10歳年齢の離れた二人の姉がおり、龍英は遅く生まれた長男だった。本名は龍太といい、小児結核を患って病弱だったようだ。「結核のくすりは苦し少年はマイジュースにて飲みくだしたり」という歌がある。

〈ローニン〉の大姉〈ポンジョ〉の姉ふたり東洋の魔女より魔女である

「東大の医学部だけが大学よ」ふたりの姉にも接点はあり

戸籍には父のみの血を継ぐ姉があれば恐ろし本牧に佇つ

スティングレーのりまはす姉ワルキューレ狂ひのおほあね撲りあふ朝

葬列のなかに妾のむすめあり怒る姉妹をはあきれたり

 一首目には「’61葉山・姉21歳と19歳、少年は9歳」という詞書きがある。少年は龍英である。東大医学部をめざして多浪を重ねる長姉はシボレ-・コルベット・スティングレーを乗り回して慶応の学生たちと遊び、日本女子大学に通っている次姉は葉山にある別荘でヨットに乗るという家庭である。そんな家庭にあって仙波は「あるときは渋谷のそしてあるときは田園調布の憂鬱燿ふ」という歌を詠んでいる。龍英の内面の鬱屈が明らかな歌である。

 しかしどうやら小佐野彈は自らがその一員として生まれるよう運命づけられた一族にたいして、仙波とは異なったスタンスを取っているようだ。本歌集に収録された歌を読む限り、母親との関係の微妙さ・難しさは感じられるものの、仙波に見られたような反発と屈折は彈には見当たらない。いろいろな意味で華麗な一族を誇るでもなく、かといって恥じるでもなく、距離を置いて冷静に眺めるという精神の健全さを身に付けているようだ。この健全さが彈の持ち味であり、本歌集の魅力となっているように思われる。

 とはいうものの彈の内面に別の陰翳があることは、第一歌集『メタリック』を読んだ人はすでに知っていることである。

けんと君が好きと言へない春が来てちひさき窓に降る小糠雨

メデューサのやうにはだかり女教師せんせいは咎めき僕の性のゆらぎを

またひとり枯れてゆきたる一族のすゑにつらなり子をなさぬわれ

行き先のわからぬ舟にゆくりなくわれら乗り合はせてしまひたり

「女子は家庭科、男子は技術」と分かたれて土曜の朝の廊下うらめし

 しかしながら本歌集を貫く主題はあくまで銀河一族なので、上の歌に見られる陰翳に触れた歌は少数に留まる。

家族とふ長き真昼を終はらせて花降るなかを父は去りゆく

撫でられてますます曇るむなしさを映すでもなく金の手すりは

硝子とて武器となりうる家だからバカラは棚で眠らせておく

身悶えの果てに緋色の糸を吐き出して妖しきははそはのひと

サンタモニカの空の碧さを語るとき父の瞳に空はなかりき

真四角になりたる祖父を幾千の黒いつむじが取り巻く真昼

 最後の歌には「国際興業・帝国ホテル・日本バス協会合同葬」という詞書きが添えられている。祖父政邦の葬儀の折の歌である。「父のなきわれら兄弟ふたりにはとことん重い死の床でした」という歌が語っているように、一族の長であった祖父の病気と死は彈と兄にとって背負うのが重いものであったにちがいない。しかしながら祖父の死をもって銀河一族は事実上終焉を迎える。彈にとってそれを機会に自らの一族を語ることは、家族と血脈にひと区切りを付ける意味があったにちがいない。それは一族から自己を解放することになる。そういう意味で特異な歌集と言えるかもしれない。