第274回 齋藤芳生『花の渦』

その枝のあおくやさしきしたたりよひとは水系に傘差して生く

齋藤芳生『花の渦』

 青くて優しい滴りだから春の雨だろう。作者の住む福島県では内陸部の冬は雪が深い。春の雪解けの雨は豊かに川を流れる。水は生命と豊かな稔りをもたらす。「ひとは水系に」という部分に先祖から自分へと続く血脈が感じられ、福島に生きる覚悟が表されている。

 『花の渦』は、齋藤の第一歌集『桃花水を待つ』(2010年)、第二歌集『湖水の南』(2014年)に続く第三歌集であり、2019年末に現代短歌社からかりん叢書の一巻として刊行された。装幀は間村俊一。歌集題名は集中の「みちのくの春とはひらく花の渦  そうだ、なりふりかまわずに咲け」という歌から採られている。四部構成の編年体で、第二歌集刊行後の2014年から2019年までの歌が収録された歌集である。

 第一歌集『桃花水を待つ』、第二歌集『湖水の南』の評でも書いたように、作者はしばらく中東のアブダビに日本語教師として赴任し、帰国後故郷の福島に戻ったところで東日本大震災と東京電力福島第一発電所の原子炉苛酷事故に遭遇した。この出来事は多くの人と同じく、齋藤の人生を根底から変えたと言ってよい。『湖水の南』の後半はその記録であり、『花の渦』にはその後を引き続き福島で生きる作者の日常と感慨が描かれている。

 同じ印象を持った人は多いと想像するが、東日本大震災と原発事故という未曾有の災害の報に接して強く感じたのは東北に生きる人々の強い郷土愛である。それは厳しい自然条件と、歴史上しばしば不遇な扱いを受けてきたという事実のなせる業かとも思う。現代短歌がややもすれば忘れそうになっている「郷土性」が色濃く表されていることが、本歌集の最大の特徴ではないだろうか。

林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く

堪えかねて西日に光りはじめたり川はみちのくの生活たつきを濯ぐ

橋ごとにちがう川風ちがうみず文知摺橋に青草におう

阿武隈川あおく貫く市街地に白鷺ふえて水の香をよぶ

雪解けの水にたっぷり濡れている街へ花桃を購いにゆくなり

会津の冬の白さは太き息を吐く会津のひとの生活たつきの白さ

 一首目は巻頭歌であり、この歌に作者の心情はすべて表されていると言っても過言ではあるまい。三首目の「文知摺」は「もじずり」と読む。古来からの染色技法で、「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに」という古今和歌集の源融の歌に詠まれている。五首目にもあるように桃は福島県の名産品である。林檎の花が咲き桃がたわわに実り、阿武隈川の豊かな水に白鷺が遊ぶという豊かな風土である。しかしこの風土は齋藤の短歌に元からあったものではない。アブダビから帰国して自分探しをしていた齋藤が、震災と原発事故を契機に「発見」したものである。物は常にそこにあろうとも、見ようとしない人にとってはないのと同じである。辛い体験が齋藤をして「見る」よう仕向けたものと思われる。

 震災と原発事故から9年を経ても、東北の土地と人々の心が負った傷は癒えることがなく、作者はそのことにも目を向けざるをえない。

避難した子もしなかった子もその間のことには触れぬようにじゃれ合う

黙礼をするにあらねどすこし目を伏せて道路除染の前を過ぎたり

祖母のまだ在りしころ白きコンテナに除染土を詰めて深く埋めにき

モニタリングポストがこんなところにも裏に飛蝗が隠れているよ

「フクシマの桃をあなたは食べますか」問いしひとを憎まねど忘れず

 放射能を避けてよその地に避難した人とその地に留まった人の間には、言葉にならないわだかまりが残る。放射能が降り積もった土地は除染されるが、山林は手つかずのままだ。三首目にあるように除染土は最初は地中に埋めていたらしい。数年経ってから掘り出して搬出しているようだ。その間に作者の祖母は他界している。各地には放射線レベルを測定するためのモニタリングポストが設置されている。五首目はいわゆる風評被害を詠んだ歌で、放射能検査で異常なしと判定された桃であっても敬遠する人がいる。

 集中に「元教師の父母はつかう放課後の炉辺談話というよき言葉」という歌があり、祖母も教師であったようだ。教員一家の家庭に生まれた作者も国語教師となって学習塾に勤めている。塾の教室風景や通って来る子供を詠んだ歌も多くあり楽しい。

「だから学校は!」と私が怒る時「だから塾は!」と怒る教師あらん

消しゴムかすをいじっていた子も聞いているごみ箱を漁る駱駝の話

発声はよくよく丹田に気を溜めて初等部夏期講習会初日

草の穂のように子どもは(さようならまた明日)そう、きっとまた明日

新規入塾生三名ともいい子なり競合他社の見学を経て

 一首目は「これだから学校(塾)はだめなんだ」と愚痴を言い合う塾講師と学校教員を思い浮かべて詠んだもの。二首目のごみ箱は漁る駱駝の話とはどんな話か知らないが、お話の時間になると子どもの目が輝く。先生に聞いた話は長く子供の記憶に残るにちがいない。学習塾といえども競合他社との競争があり、塾生の獲得に走らねばならないのが現実である。

硝煙のにおうことなき長雨に火を噴くように柘榴花咲く

パレスティーン、と少年答えその眼伏せたり葡萄のように濡れいき

棗椰子噛むほどにいや増す怒り口腔に甘くあまくはりつく

ガザ遠く照らしにゆかん満月に大きく裂けてゆく柘榴あり

 柘榴の花が咲いたことをきっかけに3年間を過ごした中東に想いを馳せた歌である。集中にこのような歌が挟み込まれていることで、歌集に時間的・空間的な奥行きが生まれている。

余花に降る雨あたたかくやわらかくふるさと遠くひとを眠らす

ひとを恋う髪すすがんとする水のするどくてはつか雪のにおいす

うつくしき扇ひらきて持つのみのそれのみの手よ古りし雛の

からからになるまで生きた牡丹の木燃えながら照らすにんげんの顔

花もどりの人の歩みとすれちがう橋の上とはゆく春の上

山藤の花のむらさき濃きところ光をはこぶように蜜蜂

閉園の後の園舎の屋根の上に春来たり雀密かに番う

 印象に残った歌を引いた。一首目の「余花」とは、咲き残った花、あるいは春に遅れて咲いた花の意で、どちらに取ってもよかろう。冬の厳しい東北にあるので、春の訪れにひときわ思い入れが深いのだろう。二首目は洗髪の水に雪の匂いがするというのだからこれも春の歌である。三首目は震災にも壊れることのなかった雛人形を詠んだもの。おそらく祖父母の代から伝わる雛だと思われる。四首目、下句の「燃えながら照らす」という件に凄みがある。風土に生きる人間と自然との交感である。五首目の「花もどり」は花見に出かけた帰りの意味で春の季語。うららかな東北の春だ。

 集中で最も美しく、また本歌集の射程を象徴しているのは次の歌ではないかと思われる。

白木蓮の香り燦たり太き苞を割りひらきたる痛みののち

 白木蓮の灯し火のような花が開く様に苞を割る痛みを見るのは、作者の心が大きな痛みを抱えているからに他ならない。それは震災と津波と原発事故でフクシマの地が負った土地の痛みでもある。本歌集の到るところにその傷みが通奏低音のように響いていることに読む人の誰もが気づくことだろう。

 

第273回 楠誓英『禽眼圖』

さるすべり炎天にひらく形にて暗くよぢれる臓物わたもつわれら

楠誓英『禽眼圖』 

 百日紅はその名のごとく初夏から秋口にかけて長い間ピンクや白の花を咲かせる樹木である。排気ガスに強いせいか、車道の街路樹として植えられることも多い。上句の「さるすべり炎天にひらく形」までを読むと、読者の脳裏には夏の炎天下の百日紅の花のイメージがまざまざと甦る。ところが複合助詞の「にて」まで達すると、一転して百日紅は下句にかかる喩であることが判明する。百日紅は私達が腹の中に持つ内臓のイメージとして置かれているのだ。その喩の大胆さにも驚くが、百日紅の咲く炎天の明るさと、内臓を蔵した体内の暗さの対比がこの歌の眼目だろう。それと同時に目に見える百日紅を詠むことで、目に見えない内臓を喚起している点が重要である。どうやら作者は目に見えない世界に惹かれているようなのだ。

 歌集に添えられたプロフィールによると、楠誓英くすのきせいえいは1983年生まれの歌人で所属結社はないようだ。2013年に「青昏抄」300首で第1回現代短歌社賞を受賞。それを歌集として出版した『青昏抄』で2014年に第 40回現代歌人集会賞を受賞している。『禽眼圖きんがんず』は2020年1月に出版された第二歌集である。版元は書肆侃侃房で現代歌人シリーズの一巻。私は歌人としての楠の名を知らなかったのだが、『禽眼圖』を一読して感銘を受けたので今回取り上げてみたい。

 誰も知るように旧派和歌から近代短歌への転換には写生という技法が大きな役割を果たした。もっとも写生とは何かという問題を巡っては様々に論争があったこともよく知られている。「写生道」を提唱した島木赤彦に到っては、「吾人の写生と称するもの、外的事象の写生に非ずして、内的生命唯一真相の補足也」とまで述べている。今でも短歌の初心者に対しては、「自分の身の回りの物事をよく観察しなさい」というアドバイスが与えられるようだから、近代西洋絵画の影響下で生まれた「写生」という技法が、短歌を作るテンプレートとして有効に機能しているのだろう。

 しかし写生では捉えることのできない目には見えない世界を詠む歌人もいる。

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ  浜田到

死神は手のひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり  葛原妙子

少女らに雨の水門閉ざされてかさ増すみづに菖蒲溺るる  松平修文

 いずれも形而上的世界や天上的世界を詠む歌人、あるいは幻視・幻想の歌人などと呼ばれる歌人たちである。楠がこのような系譜に連なる歌人だというのではない。しかし楠が目に見える世界と目に見えない世界のどちらに惹かれているかと問えば、答は明らかに後者なのである。

ロッカーのわたしの名前の下にある死者の名前が透けて見えくる

軒下に寄れば自動でつく灯りものかげ消えて死後のあかるさ

右の靴ばかりがならぶ店の奥箱に眠れる左の靴よ

まなうらに羽ばたくかげあり 小禽を愛せし兄の弟なれば

人間が消えた車両かまひるまの校舎のかんの渡り廊下よ

 一首目、職員ロッカーには使用者の名札が貼られている。私が今使っているロッカーには前に使っていた人がいるはずだ。その人はずっと昔に鬼籍に入っているかもしれない。自分の名札の下にその死者の名が見えるという歌である。二首目、近頃は赤外線を用いた人感センサーというものがあり、人が近づくと自動的に点灯する。するとそれまで辺りを支配していた闇と影が消失する。周囲を満たす明るさがまるで死後の明るさということは、何かが失われたのである。三首目、場所を節約するために右の靴しか店頭に並べていない靴屋で、作者の想いは自然と靴箱の暗がりの中にひっそりと倉庫に仕舞われている左の靴へと向かう。四首目、後で述べるが作者の兄は亡くなっている。その兄を想うと、瞼の裏に小鳥の羽ばたきが見える。五首目、作者は学校に勤務しているようで、真昼の無人の渡り廊下が、まるで乗客が消失した幽霊列車の車両のように見えたという歌である。

 「叙景を述べて叙情に至る」というのが抒情詩としての短歌のあり方だが、その伝で言えば、「可視を述べて不可視に到る」のが楠の歌の骨法であるらしい。そのことはあとがきで作者が、「見えるものの向こう側に心を寄せていく。見えないものを視る『眼』が欲しいと苦しいまでに切望する時がある」と書いていることからも裏付けられよう。

 それは神戸に住んでいた作者が、1995年に起き、今年25年目を迎える阪神淡路大震災で兄を亡くしていることと関係があるのかもしれない。作者が12歳の時のことである。

跳ねている金魚がしだいに汚れゆく大地震おほなゐの朝くりかえしみる

柩なく死体はならびて窓とまどのほのほのあかり揺らめいてゐた

花の色素つきたる兄の骨いだくあの日のわれが雨降る奥に

この世では家族をもてぬ亡兄あにとゐて団地のあかりがやけにまぶしい

橋梁を渡るとこちらはあちらになりわたとぶなかに亡兄あにの立ちたり

人型の残りしシートに身をそはせ死なざるわれの手足を置きぬ

 兄は死に自分は生き残ったという想いが作者にはあるのだろう。震災で亡くなりそれ以後歳をとらなくなった兄を想うことは、幽明境を異にする不可視の世界に心を遊ばせるということでもある。

自傷痕隠す少女の瞳の奥 レニングラードに雪は降りけむ

組み伏せしきみのまなこに廃れたる灯台一つおく海がある

教室に残る少年となへたる論語のなかを渡りゆく鳥

 上に引いた歌では水から氷へと変化する相転移のごとくに、見えるものの背後に何かを見ようとするスイッチが働いているようだ。リストカットの跡を包帯で隠す少女の瞳の奥にはサンクトペテルスブルグという昔の名に戻った街に降り積む雪が見え、組み伏せたおそらく男性の瞳の中には廃灯台が、教室に居残って論語を暗唱する少年の背後には空を渡る鳥が見えるのである。

 闇より光を感じる歌は少年を詠んだ歌に多い。

桟橋にゆれるもやひの一束となりて眠れり水泳ののち

半身を窓より出して風を受く君はいつの世の水夫であったか

少年から青年にかはる身体にていだけば波に倒るる自転車

出窓にて膝をかかへて闇の後の光を話すきみとデミアン

 一首目には、体育の授業で水泳をした疲れから、まるで船と船をつなぐ舫のように眠る少年達が詠まれている。二首目はおそらく教室の窓から上半身を外に乗り出している生徒だろう。まるで西脇順三郎のギリシア詩のような陽光溢るる世界である。四首目のデミアンはもちろんヘルマン・ヘッセの名作『デミアン』に登場する謎の少年。

灯の下にとりどりのパン集まりて神の十指のごとく黄昏

青銅のかひなに抱かるる一瞬の暗さのありてうみは暮れたり

木の下の暗がりのなか雨をみるきんのまなこになりゆく真昼

継父に虐げられし少年と白皮厚き朱欒ザンボアを断つ

深夜灯てらす花屋にめぐり来て渇きて一夜香るダアリア

鞄のなか昨日の雨に冷ゆる傘つかみぬ死者の腕のごとしも

乾きたるプールの底に立つひとのまばゆし死後のひかりのやうに

もう一度弟になりたし鉄橋をすぐるとき川のひかりは満ちて

 特に印象に残った歌を引いた。いずれも言葉で立ち上げた世界のイメージ鮮明、と同時にどこからか熟れすぎた無花果の腐臭がかすかに漂うような美意識に貫かれている。フラットな口語短歌全盛の感のある現代の短歌シーンにあって、楠のような作風は奇貨とすべきだろう。「なづのき」の田中教子の回想によれば、楠は大学の卒業時からすでに戦前の文学青年のような雰囲気を身に纏っていて、かつての上海租界の豪奢と退廃が似合う青年だったというから、それほど不思議なことでもないのかもしれない。

 

第272回 黒﨑聡美『つららと雉』

約束はひとつもなくて日傘をささず帽子をかぶらずに行く炎天下

黒﨑聡美『つららと雉』 

 大きな破調の歌である。三句以下を意味で区切ると「日傘をささず/帽子をかぶらずに/行く炎天下」と七・八・七になり、定型の五・七・七からはみ出している。それを承知の上で言葉を重ねたいという想いが溢れている。さて中身を見ると、約束もないのに夏の炎天下に他出するという。おまけに日傘をささず帽子も被らないのだから熱中症を起こす危険もある。だから誰が見ても筋が通っておらず、因果を無視している。そこにこの歌のおもしろさがあり、作者の個性が際立つ。あえて常識に背く行動に出るのは、心の裡に押さえがたい衝動を抱えているからにちがいない。本歌集を一読して強く感じるのはこの言葉にされない内的衝動の強さと、歌作における因果のずれの効果である。

 黒﨑聡美は1977年生まれ。短歌人会に所属して小池光の選を受けている歌人である。2016年に結社内の高瀬賞を受賞。短歌研究新人賞にも応募していて、確認できた限りでは2011年、2012年、2016年に最終選考作品に残っている。『つららと雉』

は2018年に刊行された第一歌集。米川千嘉子、穂村弘、小池光が栞文を寄せている。

 黒﨑の作風の一角をよく表す歌を歌集の最初の方から引いてみよう。

わたしたち何かがきっと足りなくて流されそうな草を見ている

目薬をうまくさせない平日はすべての窓にうつる青空

見るたびにてんとう虫は増えていて乾いたものもいる西の窓

水色のペディキュアを塗り出かければうつむくばかりの夏だと気づく

まさかさまに家々うつす町川のかなしいことはひとつもなくて

 一首目、本歌集を読んでいればわかるが、「わたしたち」とは不特定の私たちではなく、作者と夫の二人を指す。「何かが足りない」ことのひとつは夫婦に子供がいないことなのだが、それだけではなく作者は心の裡に漠とした不全感を抱えているようだ。歌の多くがこの不全感を主題としている。それは二首目にも明白で、この歌では不全感に目薬をさせないという具体性が付与され、青空と対比されている。「平日」が上手い。三首目は不全感が天道虫に具象化されている。カフカの『変身』がちらっと頭を過ぎる。四首目では、せっかく塗った水色のペディキュアが夏の明るい陽光に輝くはずなのに、歌の〈私〉は下を向くばかりだ。五首目では上句と下句の修辞的断絶が効果的である。「まさかさまに家々うつす町川の」までは連体修飾句なので、読者はその次に体言を期待するが、その期待は裏切られ心内のつぶやきのような下句が後を引き受ける。この修辞的断絶によって「かなしいことはひとつもなくて」と言いながら、反語的に実は心の中に哀しみが宿っていることを感じさせる。このような歌を読んで頭に浮かぶキーワードは、「漠とした不全感」「閉塞感」「息苦しさ」といったものだろう。

どこまでも二人のままで沈むよう耳のかたちをくらべる夜は

言い付けを守るくるしさ思い出し蛇口は鈍く光をかえす

玄関に灯のともらないライターを集めていれば厚くなる雲

どこか、には行けないことを知っていてきみの耳には黒いイヤホン

窓のむこうはすべてがうるみ前世も来ていたような簡易郵便局

 濃厚に不穏な気配が漂う歌を引いてみた。同時にこれらの歌には歌を作る言葉の斡旋が感じられる。子供の作文によくある「昨日お父さんとお母さんと動物園に行きました。公園でお弁当を食べました。楽しかったです」のような文章がポエジーからほど遠いのは修辞がないからである。ポエジーは修辞が作り出すものだ。なぜ修辞がないかというと、この文章は出来事を時系列に沿って述べており、因果関係が説明的だからだ。それが散文の特徴である。韻文の修辞はこれらの要素のベクトルを反転させる。ポエジーでは出来事を時系列に述べず、因果関係を説明しない。だからそこに詩的飛躍が生まれる。

 一首目では、耳の形を較べることと二人で沈むことの因果関係が消されている。同時に「どこまでも二人のままで沈む」が心中を連想させて不穏である。二首目でも言い付けを守る苦しさと蛇口の光に因果の連鎖はない。どんな言い付けなのかも伏されていて意味の空白が残る。三首目ではなぜ火が付かないライターを集めるのかが謎である。ライターを集めるという行為自体が不穏だが、火が付かないライターというところが不毛である。四首目も不全感が濃厚で、黒いイヤホンがそれを助長している。イヤホンは私が話しかける言葉を遮るかのようだ。五首目は軽く離人症を感じさせる歌。窓の向こうがぼやけて見えるのは、現実には窓に結露ができていただけかもしれないが、それを前世と結びつけるととたんに別な意味を帯びてくる。

 黒﨑の歌にはよくがらんとした空白の空間が登場するのも印象的である。

ここは昔ガソリンスタンドだった場所 今は立葵の咲いている場所

休日の工業団地にふりむけば野良犬二匹のやさしげな貌

からっぽをわけあうようにカレンダー通りに休むコンビニの前

ソーラーパネルの土台ばけかりが放置されあかるい方へ向かされたまま

 米川は栞文の中で、作者にとってこのような空間が「切実な自身の内部と感じられていた」と的確に指摘している。まさにその通りで、明るいばかりのがらんとした何もない空間は、黒﨑が外部ではなく自分の内部に感じているものである。

ガソリンの投入口から立ちゆらぐ気化した影を見る真夏日

手紙から音をたてずにこぼれゆくもののようだねのうぜんかずら

水たまりはきれいに消えてこの道にとびこえるものは何ひとつ無い

炭酸のあかるさ満ちる街のなかたった一日で融けた大雪

逆光の強い日曜 白い車ばかり並んだ宗教施設

てのひらが瓜科植物のにおいしてはじめからただなかにいる夏

逃げ水にむかってアクセル踏むときの遠のくようなわたしの横顔

いくつもの不安は過り口中に存在感を増してゆく舌

ながいながい晩年のような路地をゆくふくらみ光る木洩れ日のなか

立葵咲かせる屋敷を過ぎたのちからだのなかに満ちる夕暮れ

 集中で付箋の付いた歌を引いた。書き写していて気づいたのだが、黒﨑の歌は無音の世界を感じさせるものが多い。例えば一首目は真夏のガソリンスタンドでの給油の光景だが音が感じられない。二首目の凌霄花は夏の花で、民家の壁などからこぼれ出すように咲くが、これも静かな光景である。五首目の宗教施設の歌も完全に無音の光景だ。そのしんとした光景が安らぎを感じさせる暖かなものではなく、どこかに不安を孕む不穏なものであることが作者の強い個性となっている。

 私が特に好きなのは最後の立葵の歌だが、おもしろいのは七首目の「逃げ水に」だろう。まず「逃げ水にむかってアクセル踏む」には無目的な暴力性があり、それは作者が内心に宿すものである。問題は下句の「遠のくようなわたしの横顔」で、私の横顔は私には見えないのだから、それを見ている人が別にいるはずだ。かといってそれは示されていないので、まるで私が車の運転席と助手席で二重の役を演じているようにも見える。近代短歌が許さない視点の分裂の例である。

 どうやら作者は心の中の何かと日々戦っているようだ。注目すべき歌集である。

 

第271回 五十子尚夏『The Moon Also Rises』

月までを数秒で行く君の名のひかりと呼べばはつ夏の空

五十子尚夏『The Moon Also Rises』

 光速はおよそ秒速30万kmで地球と月の距離は384,400kmだから、地球から月まで光が届くのには数秒どころか1秒ちょっとしかかからない。しかしそれはまあどうでもよく、掲出歌では「月までを数秒で行く君の名の」までが「ひかり」を導く序詞として置かれている。恋人の名が「ひかり」なのだ。恋人の名をおずおずと呼ぶと、そこには初夏の蒼天が広がっていて、溢れるような光に満ちているという青春歌である。近頃このように曇りのない青春歌は珍しい。この歌集はもう失ってしまった青春を哀惜するかのように編まれたものと思われる。

 作者の五十子尚夏いかごなおかについては、巻末に記載された「1989年滋賀県生まれ、2015年短歌を始める」という二行のみのプロフィール以外何もわからない。五十子尚夏というのも工夫してこしらえた筆名だろう。ちなみに作者は男性である。『The Moon Also Rises』は2018年12月に上梓された第一歌集で、書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻。跋文と監修は加藤治郎。五十子は毎日新聞の短歌欄に投稿する常連だったようで、同欄の選者を務めていた加藤の目に止まったものと思われる。

 さてその作風だがこれがなかなかおもしろいのである。

枕詞のピロートークと訳されて夜のあわれを踊る流星

プレイエルに伏せたる君の背中へと月の光のとけゆく夕べ

憂鬱な春の陽射しに深さ増すカーネル・サンダースのほうれい線

音楽をするひとはみな美しき種族ひと ジャクリーヌ・デュ・プレも君も

ひとり、またひとり忘れてゆく夜のどこかで奏でているムーン・リヴァー

 一首目、翻訳ソフトは枕詞をうまく訳せない。pillow talkは男女の寝物語であり、その意味のずれがおもしろい。下句にはそれほど意味はなかろう。二首目、プレイエルはフランス製のピアノ。歌の〈私〉は男性なので、「君」は女性である。練習に倦んだか、女性はピアノに顔を伏せている。背中の開いたドレスを着ているのか、白い背中に月光が射しているという光景である。集中によくピアノと音楽が詠まれているのは作者の好みか。三首目、KFCの店先に立っているカーネル・サンダースの人形のほうれい線が春の陽射しに深さを増すという歌。憂鬱な春とカーネル・サンダースの取り合わせがおもしろいが、何より人形のほうれい線に着目したのが秀逸である。四首目のジャクリーヌ・デュ・プレ (Jacqueline du Pre)はフランスのチェロ奏者。幼少より楽才を発揮するも20代で多発性硬化症を発症した悲劇の天才である。この人を主人公にした『風のジャクリーヌ』という映画まで作られた。確かジャクリーヌ・デュ・プレ が使っていたストラディバリウスを、その後ヨーヨーマが弾いていたと記憶する。五首目は『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンへのオマージュだ。

 写実を旨とする流派に限らず短歌は〈私〉の歌であり、〈私〉の事実を詠めとよく言われる。TV番組「プレバト」の人気俳句コーナーの毒舌先生こと夏井いつきもよく、「事実より強いものはない」「そのまま詠めばいいのよ」と言っている。しかし事実を詠まない短歌や俳句もある。五十子の作風はまさにそれである。上に引いた歌の中に作者が見聞し体験した事実は一つもない。すべて頭の中で作り出した「コトバでできた歌」である。「私性」などという用語が裸足で逃げ出すほどの徹底ぶりだ。

 加藤は跋文の中で、私性が作歌と批評の軸となってきたことに照らせば本歌集は異端であると断じ、その源流として塚本邦雄らの前衛短歌や、荻原裕幸・西田政史らのニューウェーヴ短歌を挙げている。確かに前衛短歌やニューウェーヴ短歌を通過した現在だからこそ五十子の作風も成立するのだが、かといって五十子の歌に前衛短歌やニューウェーヴ短歌の影響がそれほど感じられるという訳でもない。五十子は自分の流儀で自由に作っているという印象を受ける。

 ではその着想の源泉はどこにあるかというと、その多くは書物や映画や芸術作品である。そのため過去の作品や作者への言及が増えることになり、夥しい数の固有名が登場する。

 

手のひらで雪を感じたあの冬の心もとないグレート・ギャツビー

フラニーもゾーイも大人になれなくて夜から剥がれた緑の付箋

モノクロームの帝都に消える天の詩を紡ぐ地上のピーター・フォーク

夭折のJulyに緋色の天蓋を アルノルフィーニ夫妻像

8 1/2はっかにぶんのいちオクターヴ彼方からマルチェロ・マストロヤンニの悲鳴

探査機の名前のような子を産んで 朝焼け スタニスラム・レムの死

 

 一首目のグレート・ギャツビーはフィッツジェラルドの小説。ロバート・レッドフォード主演で映画化もされた。二首目のフラニーとゾーイはサリンジャーの小説。三首目はヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン・天使の詩』で、ピーター・フォークは『刑事コロンボ』で名を馳せた俳優である。四首目のアルノルフィーニ夫妻像は、ファン・エイクが描いた油絵の傑作。五首目の『8 1/2』はフェリーニの映画で、マストロヤンニはその主演男優である。六首目の探査機のような名前とはタルコフスキーによって映画化された『惑星ソラリス』のこと。スタニスラム・レムは原作者である。

 プロフィールの1989年生まれという記述を信ずるならば作者は今年30歳のはずなのだが、それにしては歌に詠まれた固有名の時代が古い。私の世代が親しんだ芸術作品で、五十子の親に当たる世代の教養なのだ。それがとても不思議な気がする。私の邪推かも知れないが、五十子尚夏という凝った筆名にその鍵が隠されているように思えてならない。尚夏は「なお夏」つまりいまだに青春と読めるのだ。挿入された「パリ再訪」という散文を読んでも、30歳では年齢の計算が合わない。

レイモンド・チャンドラーの名を出して口説く女の煙草のけむり

夕景をあるいは夜景と呼ぶころに竹内まりやは身に染みてくる

「僕としたことが」に自信をのぞかせて駆けてゆくのが杉下右京

 固有名のオンバレードもここまで行くといささかやり過ぎの感なしとしない。二首目の「夜景」は「インウィのほのかに香るこの手紙を」という歌詞で始まる竹内まりやの歌で、「僕としたことが」は人気TVドラマ『相棒』の主人公杉下右京の口癖である。ニューウェーヴ短歌の遺産を感じさせるのは次のような歌だろう。

シャンメリーにあわくおぼれた金粉のすくいようもないぼくらだね

言いそびれたことがあったと告げるとき〈そびれ〉に抜けてゆく風があり

フローレス・トスカ夜ごとに落ちてゆくabcdef字孔

来ぬ人をまつしまななこの涙もて強がるきみもやまとなでしこ

バルセロナに振るアクセントの美しく未完のように呼ぶバルセロナ

 一首目では「シャンメリーにあわくおぼれた金粉の」までが「すくい」を導く序詞になっていて、加藤治郎の言う「修辞ルネサンス」の遺産と言える。二首目では「そびれ」で言葉遊びをしている。三首目の「f字孔」はヴァイオリンやチェロなどの胴にある筆記体のfの形をした穴のこと。四首目の「やまとなでしこ」は2000年に放映された松嶋菜々子主演のTVドラマ。五首目では初句と結句にバルセロナがくり返されていてとてもおもしろい。永井陽子に「ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまわり」という歌があり、これに触発された歌かもしれない。ちなみにバルセロナのアクセントは「ロ」にある。

銀の義指波打つごとく思い出す海底ピアノの眠れる音を

遠浅の海の渚にファルセット響きわたって暮れる八月

夏服の袖の白さを見つめ合い鋼のように飲み干すサイダー

ゆるゆかにわずか一秒弧を描く夏の夕日に照るグラブトス

遠い日をただ思い出と言う君が彼の墓前に置くサリンジャー

遠雷に微か震える聴覚のどこかにあわれバイオリン燃ゆ

美しき午睡のようなデスマスク浅く沈める春の湖

 特に印象に残った歌を挙げてみたが、改めて見ると作者の好みの季節は光溢れる夏であり、青春への挽歌の趣が濃厚である。現代の若い歌人の多くはハイテンションの歌や決めポーズが透けて見えるような短歌を好まず、等身大の低いテンションで日常を詠むことが多い。しかし五十子の短歌はその逆で、特に下句でカッコ良く決める歌が多いのは、現代の短歌シーンでは珍しいと言える。下句の着地が非常に上手いので、読んでいると五十子の仕掛けた罠にはまってしまいそうになる。印象深い歌集だが、問題作と言えるかもしれない。

【追記】
 この歌評を公開後、作者ご本人からいただいたメールによると、てっきり筆名だと思っていた五十子尚夏というお名前は本名だということだ。また生年もプロフィールにある1989年のとおりだという。私の誤解だったわけで、不明を恥じて内容を書き直そうとしたら、ご本人は「そのままでよい」と言う。私も思い直してそのままにすることにした。作者が意識したかどうかはわからないが、私は作者が仕掛けた美しい罠にはまったのだ。その事実を残すためにも書き換えない方がよいと思う。ミステリーがその極北だが、読者は作者が仕掛けた罠に美しくはまることを期待して作品に臨む。私が結果的に五十子の罠にはまったのは見事な結末と言えるかもしれない。(2019年12月29日記)

第270回 江國梓『桜の庭に猫をあつめて』

故郷を離れし人と失くしたる人のにほひの混ざり合ふ街

江國梓『桜の庭に猫をあつめて』


 掲出歌の情景は大都市ならばどこにでも当てはまるが、何と言ってもその筆頭は首都東京だろう。就職のために、仕事を求めて、人は故郷を離れて東京に出る。こちらは積極的な離郷である。その一方で、故郷に住めなくなってやむなく東京に来る人もいる。東京電力福島第一原発事故で父祖の地に住めなくなった方々がそうである。こちらは消極的離郷だ。すべての人を呑み込んで大都市は鼓動する。その様をちがう匂いが混じり合うと表現した所がポイントで、そこに詩の発見がある。

 江國梓えくにあずさは歌林の会所属の歌人で、2014年に第一歌集『まだ空にゐる』を上梓している。2019年からかりん編集委員。簡素な巻末のプロフィールからはこれくらいしかわからない。しかし、読み進むに連れて、作者の人生航路や嗜好や人柄までも掌を指すようにわかるのが短歌のおもしろさというものだ。『桜の庭に猫をあつめて』は2019年刊行の著者第二歌集である。歌集題名は「いつの日か我が家も空き家となるのだらう桜の庭に猫をあつめて」という歌から採られている。

 旧仮名の文語定型に口語を交える詠み方は、現代の歌人の多くが採っている手法だが、江國の短歌に個性があるとすれば、それは周囲の物事への強い好奇心と探究心が生み出す素材の多彩さにあると言える。身巡りの半径50mの景物を詠むことでも短歌は成立するが、作者はどうやら好奇心からか遥か遠くの事物にまでも目が届くようだ。

明神池の渡りをやめたマガモたち翔びたいわれのスマホに游ぐ

デング熱の風評は蚊より疾く飛びて鳩もデモ隊も消えた公園

ヤブイヌに狩られることもなき檻にアルマジロけふもつひに動かず

さかなにも託卵ありてシクリッドの卵に混じる曲者のあり

「餓死するか象を殺すか」二つしかないと思ひしトゥルカナ族は

 一首目、もう北国へ帰らないマガモは馴化された生物で、それは近代の便利な生活に慣れきった私たちを鏡に映しているようだ。マガモは飛ばないのだが、作者は飛びたいのである。二首目、数年前、東京の代々木公園の蚊からデング熱のウィルスが発見され、しばらく立ち入り禁止になった。そのせいで鳩もデモ隊もあっという間にいなくなったという歌。三首目、ヤブイヌは原始的な犬の種で、南米に多く生息する。作者は動物園に行っているのだろうか。檻の中でアルマジロが微動だにしない。四首目、シクリッドとはアフリカに生息する淡水魚で、卵を口の中に入れて育てるという。しかしナマズがそこに自分の卵を潜ませて、生まれたナマズの幼魚はシクリッドの幼魚を餌にして育つそうだ。歌の曲者とはナマズのこと。五首目、トゥルカナ族とはケニアに住む民族で本来は遊牧民である。どういう事件を詠んだものかはわからないが、トゥルカナ族が生きるために象を狩ったのだろう。このように歌に詠まれている素材の多彩さはたいへんなものだ。

 短歌は抒情詩である。その定義上、短歌には人間の喜怒哀楽の心情が詠まれるのだが、心情は目には見えない内的感情であるので、目に見える事物に託して詠む。心情と事物とがない混ぜになり、有機的一体となったものが歌である。しかしながら心情と事物のパランスは歌人によって異なる。心情にウェイトを置く歌人もいれば、事物に傾く人もいる。見たところ江國は、心情よりも事物に視線が行く歌人のようだ。

 また作者は才気煥発な人のようで、出来事に対する反応が鋭敏でおもしろい。読んでいてくすっと笑ってしまう歌も多くある。

微笑みてゐればやすけき世間なら厠に長く留まりてをり

生肉のごとき夕焼けせまるとき関西弁になるこころの叫び

われ知らずきみの知りたるわれの増ゆ夜毎聞かるる歯軋りのおと

われと目を合わさぬ数多の医学生ギャラリーとなる今朝のマンモグラフィー

アメリカの飛び地なるらし舞浜は基地に漂ふジャンクフードの香

一票の死にかた選ぶ投票所の七百億円とふえんぴつ倒し

 一首目はニコニコしていれば暮らしやすい世間に反発してトイレに籠もるという歌。二首目はまず「生肉のごとき」という喩に驚く。心に湧く叫びは「なんでやねん」だろう。三首目は、歯軋りの音は自分には聞こえないが、横で就寝している夫には聞こえているという歌。四首目は乳癌の検査を受けている情景で、医学生がずらりと並んで見学しているのだ。五首目はあのネズミのいるランドを詠んだ歌。六首目は国会議員の投票で、作者が投票する候補者は決まって落選するのである。だから「一票の死にかた」となる。七百億円は選挙に投入される税金で、こんな無駄遣いするくらいならいっそえんぴつ倒しで決めたらどうだと言っている。

 本歌集には生き物を詠んだ歌が多くあり、特に昆虫がよく登場するのだが、それは作者の再婚のゆえである。馬場あき子が寄せた帯文に、「中年にしてみつけた大人の恋からはじまり、双方の家族ぐるみで結婚するというドラマが、俗ともならずいきいきと展開する」とある。どうやら再婚相手は昆虫学者らしいのである。

それぞれに忘れられないときを秘しあなたと晩夏の夕暮れに逢ふ

ひきだしの広口瓶に秘事のごと君の匿ふヤマトシロアリ

これがニンフこれがワーカーと白蟻を指さすきみと暮れてゆく部屋

先妻の頃より鼠はゐたといふ 鼠に負けたやうな気になる

非常勤講師の最後の日に夫は「インカのめざめ」の種芋買へり

婚六年夫から青虫の贈りもの紋白蝶にもう驚かず

 再婚相手との穏やかな暮らしが描かれているが、その後、自分の子にも再婚相手の子にも子供が生まれ、子に会いにアメリカまで行くことやら、母親の死去、父親の老い、師と仰いだ岩田正の死去など、歌の主題は人事にも及びこれまた多彩である。作者の生年は記されていないので年齢はわからないが、歌に詠まれた景物から、私や藤原龍一郎の少し下の世代だろうと知れる。

ゲリラはもう豪雨を飾るしかなくて風の新宿西口広場

われ十二歳じふにフォークゲリラにくみしたく泣けども兄は一人で行きぬ

終焉はモノクロ画像に記憶せり三島の割腹、浅間山荘

フランシーヌの場合はどうか?焼身のメッセージつひに見えなくなりぬ

 フォークゲリラとは、1960年代の後半に起きた街頭で反戦的なフォークソングを歌う運動で、新宿西口広場がその場所として有名だった。フランシーヌ・ルコントは1969年に焼身自殺したフランス人女性で、その事件を歌った「フランシーヌの場合」はヒット曲となった。私の世代の人間ならば、今でもメロディーは空で歌える。

くびすぢのロザリオ揺れて妬心かなし諫めるものは肌に冷たく

行者にんにく入れてむすめと包む餃子ひだの数など微妙に違へど

落葉には塵とは違ふ意地ありて箒のさきを転がりゆきぬ

ワイパーに消されては生るる水滴の夕暮れてゆく胸走りの街

ばんえい競馬にケンタウロスの前脚の微妙な立場を思ふ夕映え

新生児みな岡本太郎の手振りする無垢なるもののほとばしるとき

 四首目の「胸走り」とは胸騒ぎのこと。六首目の岡本太郎の手振りとは、「芸術は爆発だ」とやるときの振りのことだろう。新生児は特に目的もなく、おそらく反射によって手を大きく振ることがある。最近生まれた孫を観察しての発見だろう。ケンタウロスの歌にも思わず笑ってしまう。

 母親の死去や岩田正の死去に際しての歌にも心打つものがあるが、江國の真骨頂は並外れた好奇心と探究心から事物と出会い、出来事にぶつかり、その時の反応を歌にしたものではないかと思われる。

 

【後記】あろうことか日付をまちがえて、本来ならば第一月曜の12月 2日に掲載すべきものが今日になってしまいました。この勢いで次回は第四月曜の23日に掲載します。

第269回 山階基『風にあたる』

手羽先にやはり両手があることを骨にしながら濡れていく指

山階基『風にあたる』

 おもしろい歌だ。中華料理店か居酒屋で鶏手羽先の唐揚げを食べている。するとある時、手羽先にも右手と左手があることにふと気づく。手や羽根のある生物なら左右があるのは当然のことである。しかし手羽先は食べ物としか見てこなかったので、今の今まで右手と左手があることに気づかなかったという発見の歌だ。

 山階基やましなもといは平成3年(1991年)生まれ。早稲田短歌会を経て未来短歌会に所属。「陸から海へ」で黒瀬珂瀾の選を受ける。2016年の第59回短歌研究新人賞で次席となる。この年の新人賞は武田穂佳。2018年の第64回角川短歌賞で次席。この年の短歌賞は山川築。同年第6回現代短歌社賞でも次席に選ばれている。『風にあたる』は2019年7月に上梓された第一歌集で、東直子と枡野浩一が帯文を寄せている。

 プロフィールによると、山階は2010年(平成22年)頃から短歌を作り始めたようだ。するとゼロ年代歌人の次の世代ということになる。同じ早稲田短歌会出身の永井祐が1981年生まれで、2000年から短歌を作り始めたというから、山階はちょうど永井のひと回り下の世代だ。さてこの若い世代の歌人はどのような歌を作るのだろうかと興味深く歌集を繙いた。

 時間は前後するがその少し前に、東直子・穂村弘の『しびれる短歌』(ちくまプリマー選書)でなるほどと思う一節に出会った。第六章「豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌」で、「何をしてもムダな気がして机には五千円札とバナナの皮」、「大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円」という永井の歌を引き、他の歌人のお金の歌も引用してひとしきり論じた後、加藤治郎や俵万智ら80年代に登場した歌人と永井たち若い世代の感覚の差に触れて、穂村は次のように言う。

永井くんは、そういう僕らの世代の口語の文体では、自分たちの生活実感は歌えないっていう確信があったと言っていて、それはそうだろうなと思う。斉藤斎藤も、何でこんなにハイテンションなのか理解できないって言っていて、それもそうだろうと思う。ただ、ぼくらが岸上大作がなんであんなに青臭いのか理解できないっていうのと同じで、理解できないと言いつつ時代の中で見れば理解できるし、もちろん彼らだって時代の中で見た時の感触はわかるとおもう。だから「理解できない」というのは、自分たちには、受け入れがたいってことなんだよね。

 つまり同じ口語短歌でありながら、バブル世代の加藤治郎や俵万智らの短歌に見られる欲望の素直な肯定とテンションの高さは、穂村が「ゼロ金利世代」と名付けた若手歌人たちには理解できず、彼らはまた異なった文体で自分たちの生活実感を描こうとしているということである。山階の歌集を一読したとき、まっさきに頭に浮かんだのはこの穂村の言明だった。

 ではゼロ年代のひと回り下に当たる山階はどのような文体で詠っているのだろうか。

洗濯機に絡まっているこれはシャツこれはふられた夏に着ていた

覚えたての道を行くとき曲がりたいのをこらえれば目印に着く

暮らすほどではなくしかし面白くみんなしばらく立ち寄る小島

いつまでが湯上がりだろう室温の野菜ジュースに濡れるストロー

あらわれてただ抱きとめるだけになる夏のスクランブルのほとりに

 一首目、洗濯機を回している日常風景である。他の洗濯物と絡まっているシャツにふと目が行くと、それはあの人に振られた夏に着ていたシャツだと気づく。「これは」の繰り返しと、「夏に着ていた」の倒置法によって短歌の文体になってはいるが、詠まれている素材はごく日常的なものである。二首目、馴れない場所に行くときには目印の建物が必要になる。しかし歩いていると曲がりたくなるおもしろそうな道がある。曲がりたいのをぐっと堪えて目印に辿り着く。「曲がりたい/のをこらえれば/目印に着く」の句跨がりがかなり無理筋だ。三首目、この「小島」は現実のものではなく、ゲームの中のものだろうか。四首目、「湯上がり」というのは浴槽を出てから何分後までを言うのか。そんなことは誰にもわからない。独り言のような問い掛けの後に、それとは何の関係もない野菜ジュースのパックに刺したストローが登場する。五首目、上句を読んだだけでは何が現れるかわからない。下句まで読んで初めて、渋谷のスクランブル交差点で彼女と待ち合わせしているのだとわかる。

 このように2010年世代の短歌は完全な口語である。加藤治郎が前衛短歌がやり残したこととして挙げていた短歌の口語化はほぼ完全に実現されている。それと同時に気づくのは、歌に詠まれている素材・主題がすべて日常卑近なもので、短歌の体温が低く、テンションもなべて低いことだ。「歌い上げる」のではなく、むしろ「歌い下げる」とさえ言いたくなる。ずっと上の世代の短歌とちょっと較べてみよう。

昼顔のかなた炎えつつ神神の領たりし日といづれかぐはし  小中英之

青春に逐はれしわれら白樫のいのち封じし幹に倚り立つ  小野茂樹

睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月  大塚寅彦

 永井祐たちゼロ年代以下の若い歌人たちには、このようにテンションが高く格好よく決めるような歌は嘘臭く見えてしまうのだろう。どうしてこんなにハイテンションなのか理解できないのである。歌の素材が日常卑近であることは問題ではない。短歌や俳句のような短詩型文学は、もともと小さなことを掬い上げるのが得意な形式である。しかし永井祐たちゼロ年代以下の若い歌人らは、小さなことを低いテンションで歌にする。ここが大きなちがいだろう。

 本歌集から注目した歌をいくつか引いてみよう。

気にいった服が小さくなることはもうないね真夜中の息継ぎ

さかさまにペダルを漕げばあともどりできる白鳥ボートはすてき

乗るたびに減る残額のひとときの光の文字を追い越して行く

八月の墓にやかんで持って行く水ゆれているのが手にわかる

満ちていく水のすがたに鎖骨まで引きあげてから脱ぐカットソー

 本歌集では歌集をどのように構成したか述べられていないのでわからないが、最初の二首はかなり若い時の歌ではないか。一首目は成長期が過ぎて大人の体格になったことを過去への哀惜を交えて詠んだもの。二首目の後退するスワンボートは時間を遡ることの比喩である。青年期を迎えた時には少年期を懐かしむ気持ちになるものだ。三首目はプリペイドカードをかざして改札を抜ける時の光景。光の文字とは改札口の表示板に表示される残額の数字である。新世代の抒情だなあと感じる。四首目は一転して昔ながらのお盆の墓参の様子で、薬罐の中で揺れる感覚で水の存在を感じているという絞り込みによって実感が生まれている。五首目はカットソーの裾を持って脱ぐ動作を詠んだ歌。裾がだんだん上に上がる様を水が満ちる様子に喩えたところが秀逸で清新な抒情を感じる。

卯の花がすきなあなたと手を組んでふたり暮らしという寄り道を

にぎやかな港のように恋人をとおく呼び寄せようたまにはね

生まれた町の川風のなかこの岸をきみと歩いた気になっている

同居する相手の性をいちばんに訊かれるんだな部屋を探すと

結婚はないんですけど 大丈夫、ふたりで住めばそう見られます

恋人をまじえて水炊きをかこむ呼びようのない暮らしの夜だ

 角川短歌賞の次席に選ばれたときの連作「コーポみさき」から引いた。選考委員の東直子が熱心にプッシュしつつ解説している。それによると作中の〈私〉の同性の「恋人」が遠くに住んでいて、作中では「きみ」と呼ばれている。一方、〈私〉は友人とコーポみさきに部屋を借りて同居生活を始める。相手は異性で「あなた」と呼ばれている。だから最後の歌は、遠くから来た同性の恋人と、同居している異性の友人と〈私〉の三人で鍋を囲んでいるという複雑な関係である。東は「新しい時代のジェンダー問題に触れつつ日常を繊細に描いている」と評価する一方で、小池は「三人出て来るのは多過ぎる。短歌は二人まででないと話が複雑になる」と否定的で、「わからないんだよ、私」と述懐している。私は今ひとつ自信がないが、もし東の読み方が正しいとしたら、相当に新しい新時代の人間関係ということになるだろう。選考委員の永田和宏が、「新しい歌ではあるけれど、『歌に拉致される』という喜びからは遠い」と結論しているのが印象に残った。

 その他に注目した歌を挙げておこう。

火みずからついえるすべのないことをそれでも熾されたあまたの火

添い遂げるだろう互いにゆがみつつ靴のかたちは足のかたちは

路地に雨たまりやすくて波のようによぎる車のはやさやおそさ

とねりこの枝葉ぱらぱら落ちていく枝葉のなかに鋏と庭師

金属の文字がはずれたあとにあるコーポみさきのかたちの日焼け

使おうとペッパーミルをつかむたび台にこぼれている黒胡椒

回送電車の窓はひかりを曳きながら合図のように繋ぎなおす手

指先にはじいて鳴らす缶のふた飲みかけのままココアはゆるむ

 一首目は何の光景を詠んだものかよくわからないのだが、墓参の歌の後に置かれていることもあり、私は震災など災害の記念日に灯す灯火を思い浮かべた。集中ではやや異色の歌である。二首目の足と靴の歪み、三首目の水溜まりを通り過ぎる自動車の遅速への着目が光る。四首目は、枝葉の中から鋏と庭師が現れるというアングルとトリミングが秀逸だ。

 『現代詩手帖』の2010年6月号の「短詩型新時代 詩はどこに向かうのか」という特集で黒瀬は次のように述べている。

俳句では私性を薄くしていく形になってきているというのに対して、短歌は私性を表面張力のように強くしていると感じます。その私性とは、単純な自己のドラマ化ではなく、「私」がいまここに存在して、この世界を見ているという意味での私性です。おそらくこれはある意味、かつてなく強い「私性」です。

 黒瀬が念頭に置いているのは永井祐や斉藤斎藤の短歌なのだが、黒瀬の言うことはゼロ年代世代以下の若い歌人におおよそ当てはまる。山階も例外ではない。たとえば集中の「食べかけた森永ミルクキャラメルの箱を鳴らして合いの手にする」などという歌を読むとそう感じる。これを読む他人の私は「だからどうした?」としか言いようがないのだが、歌を作った作者本人には思い当たる経験があったのだろう。だがそれは自分にしかわからないことである。その経験を他者へと修辞によって架橋することが課題かもしれないと思う。


 

第268回 藤島秀憲『ミステリー』

三月のわが死者は母左折する車がわれの過ぎるのを待つ

 藤島秀憲『ミステリー』

 「心の花」所属の歌人藤島の第三歌集である。第一歌集『二丁目通信』(2009年)は現代歌人協会賞を受賞し、第二歌集『すずめ』(2013年)は寺山修司短歌賞と文部科学省の芸術選奨新人賞をダブル受賞している。第一歌集は本コラム「橄欖追放」の第50回で、第二歌集は第133回で取り上げて批評している。別に自慢するわけではないが、本コラムで批評した歌集は直後に受賞することが多い。

 第一歌集については、〈私〉を等身大より少し小さく描くことによって、虚実皮膜の異空間を作り出していると述べ、第二歌集については、濃密な空間と意味性への挽歌と表現した。第二歌集の終わりでは、作者が長年介護した父親が亡くなり、濃密な意味空間であった自宅を離れて新しい町に引っ越して、もう今までのような歌は作れないとあとがきに書かれていた。人生を画するような大きな出来事を経て、藤島はどのような境地に到ったのだろうか。

 意外かも知れないが、歌集を通読して私が抱いた印象は「等身大」である。しかも介護をしている長い間無職だった作者が、新しい職に就き、新しい町に引っ越して結婚しているのである。歌集題名の『ミステリー』は、人生は何が起きるかわからないミステリーだという気持ちから付けられたものだが、本歌集は作者の再出発の歌集となっている。

 作者の人生航路を辿る歌を歌集から拾ってみよう。

父が建てわれが売りたりむらさきの都わすれの狂い咲く家

医学生が父の解剖する午後をチラシ配りに歩くわたしは

わが部屋を君おとずれん訪れん座布団カバーを洗うべし洗うべし

これからをともに生きんよこれからはこれまでよりも短けれども

君のいる町に越さんと決めてより秋の深まり早くなりたり

お知らせがあります五月十五日今日から君を妻と詠みます

味噌汁が俺の好みに合っている なれば勤めてみよう久しく

 一首目は父親が死んで自宅を売却した折のことを思い出して詠んだ歌である。父親は献体を申し出たので、医学生が実習のために解剖する。何でも遺骨は二年後に戻されるようで、文部科学大臣から感謝状が届いたという歌もある。余談だが、本郷の東大構内を散歩していた時、旧解剖学教室の建物の裏口に古びた木製の解剖台が展示してあり、添えられた説明文に「初代解剖学教室教授の某先生と、第二代教授の某先生は、ともにその身をこの解剖台に横たえられき」と書いてあり驚いた。三首目は後に妻となる女性を初めて家に迎える時の浮き浮きした気分を詠んだ歌。「おとずれん訪れん」「洗うべし洗うべし」のリフレインがいかにも浮ついた気分をよく表している。四首目のように結婚の意思を固めて、五首目のようにお相手の住む街に越す。六首目は結婚届けを出した日の歌だ。七首目にあるように、作者は就職して働き出す。あとがきに「この時期、わたしの生活にはさまざまな変化がありました」と率直に書かれているが、確かに大きな変化である。実生活の変化と連動するように、藤島の歌風にも変化が見られる。

 いささかの自虐を含む目線の低い歌は、前歌集や前々歌集と連続している。

足の爪あすは切らんと寝る前に思えり明日の夜も思うべし

三分のたちたるチキンラーメンに箸をさしても母を思えり

「自由業ねえ」と小首をかしげつつコーヒーはまだわれに出されず

わが腰の湿布は燃えるゴミにして日曜に貼り火曜に剥がす

納豆をかき混ぜながら この低くひびける音を母も聞きしか

 足の爪を切ろうと決めてもすぐに忘れてしまう〈私〉、一人淋しくカップ麺のチキンラーメンを食べる〈私〉、就職面接に持参した履歴書の職歴欄に書いた、父親を介護していた期間に当たる「自由業」に小首をかしげられる〈私〉は、等身大より少し小さく描かれた〈私〉だ。

 しかし藤島は『二丁目通信』で次のように詠んだ父親の介護とその死という辛い現実から解放された。望む望まずにかかわらず、何事にも終わりがあるのだ。

家じゅうに鍵かけ父を閉じ込めてわれは出掛ける防犯パトロール 『二丁目通信』

たばこ屋のおばさんがもう泣いている路地より父が運び出される

二年後に父のお骨を取りに来んわたしは二歳老いた私は

 父親が建て自分が売却した親の家という濃密な意味空間から離れた作者は、何に生の根拠を求めるのかしばらく迷っているようにも見える。

越してきて五ヶ月過ぎぬ思いつつ知らせぬままにあの人もあの人も

駅から五分の町にわが住みまだ知らぬ六分の町七分の町

早春の庭をの子は駆けていん昔わが家でありたる家の

 引っ越して来た町にまだ馴染めず、知人に引っ越し通知も出していない。頭を過ぎるのは住み慣れた昔の家の楽しそうな光景である。しかし後に妻となる人との出逢いを分水嶺として、藤島の歌には冬の陽のごとく明るさが増す。

にぎやかな冬のすずめを聞きながら君と歩めりわが住む町を

それぞれの五十五年を生きて来て今日おにぎりを半分こ、、、する 

少年を追い白球は海に入り港にはもう弾むものなし

はじめての教会なれば名前のみカードに書きぬローマ字綴りで

足裏あなうらを汚さずわれは暮らしきて父の聖書をこの冬ひらく

朝の湯にさくらの香り満たしおり耳鳴りを連れて身をしずめおり

 父親の蔵書だった書き込みのある聖書を繙き、それに誘われるように初めて教会に足を運ぶという新しい経験もしている。それは母親を亡くし父親を看取った藤島の心の最奥には、死への想いが蟠踞しているからである。

引き出せば二百枚目のティッシュかな死ぬことがまだ残されている

床屋にて顔蒸されおり死んでから数ミリ伸びる髭われにあり

はるのゆきふればこごえる木々の花ふりかえりふりかえりしてわれも死を待つ

 作者の人生が滲み出るような歌も心に響くが、本歌集の中で私が注目したのは次のような歌である。

食べこぼす和菓子の栗のほろほろと木の長椅子にもみじちる秋

まなぶたを二つ持てるを幸いに日にいくたびも閉じるまなぶた

手のひらに打ち込まれたる釘の影ななめに伸びんイエスの腹を

降る花はみるみるうちに君に積むいよよ手に持つのり弁に積む

 「食べこぼす」で少し崩してはいるものの、一首目はまるで古典和歌のような正調ぶりの歌である。二首目は瞼が上下二つあり、瞼は時折閉じるという実に当たり前のことを詠んだ歌だが、当たり前のことを詠めば詠むほど藤島の歌の上手さが際立つ。ここまで来るともう何でも歌の素材になるのだ。『すずめ』のあとがきに、「もう今までのような歌は作れない」と書いた作者だが、大きな試練を乗り越えて歌の水脈を保っているのが喜ばしい。三首目は聖書を詠んだ一連の中にある歌で、倒置法を用いて「イエスの腹を」を結句に配したところが上手い。四首目も一首目と同様に「のり弁」で少し崩しているが正調の歌である。

 最後に集中で最も美しいと感じた歌を挙げておこう。

噴水を噴き出て白を得たる水白を失うまでのたまゆら

 水は本来透明である。しかし噴水から噴き上がる水が白い噴流に見えるのは、空気を取り込んだことと光が当たったことによる。水は自ら白いわけではなく、空気と光という外部の要因によって白という色を帯びるのだ。またここには時間の流れもある。噴き上がった水はやがて重力の作用で水盤に落ちて、元の透明な水に戻る。白い色を帯びるのはほんの一瞬のことだ。噴水は現代の歌人の好む素材でよく歌に詠まれるが、この歌はその中でも屈指の秀歌と言えるだろう。

 作者五十代の充実を示す歌集である。


 

第267回 小林久美子『アンヌのいた部屋』

ゆめみられるかたちになり

時をゆく

夢みる者が

きざんだ柱

小林久美子『アンヌのいた部屋』 

 本歌集は『ピラルク』(1998年)、『恋愛譜』(2002年)に続く小林の第三歌集である。第二歌集から数えて実に17年ぶりの歌集だ。私は小林の短歌がとても好きなので、包装を解くのももどかしく歌集を開いたのだが、中身を見て驚いた。四行書きの短歌とも言えないものが、一ページに二首配されているのである。

 小林は1962年生まれで「未来」所属。東直子の姉に当たる。『ピラルク』、『恋愛譜』ではポルトガル語のかな書きなども交えて、透明感のある口語短歌を作っていた。

やせた子ら夢中になって喧嘩する窓の下には夏時間あふれ  『ピラルク』

つぶる目に雨粒ふたつにじんでるきのうだまって遊んだ犬の

さいはての森のふたりをむぞうさにかこむ写真のあかいマーカー

はぐれるということを得る荷をすべて下ろしおわった船はひそかに  『恋愛譜』

みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむつのをほこって

橋の影をくぐり寄る魚うっすらと楕円にのびて陽のなかにでる

 

 『アンヌのいた部屋』から数首引くが、スペースの関係で四行書きにせず一行とする。

ひとりへのためにのみ / 炎えつきる蝋燭 / 灯のほとりに / ひとを映し

画のなかで汝が/ ほほえむ / 汝からはなれることが / できたかのように

うす塗りの画のつめたさ/ 伏し目の像のしずけさ  / こおりが張る朝の

ひっそりと / 一緒になっているところ / ながくつづいた / 二本の径が

そらをゆく鳥が迷わないように / 季の時計になる / 一本欅

 まず頭に浮かぶのは、これは果たして短歌だろうかという疑問である。試しに字数を指折り数えてみると、1首目は10+9+6+6で31字となり、以下すべて31字である。ちなみに「汝」は「なれ」と読み、「季」は「き」と読んでいる。最初は「季」を「とき」と読んでいたのだが、それだと32字になる。しかしながら総数は31字でも、いずれも5・7・5・7・7の韻律からは大きく離れている。もっとも中には短歌の韻律で読める歌がないわけではないが、少数に止まる。

ゆきすぎた / 思いを照らし気づかせる / 未熟なものによりそえる / 灯は

在ることが命であると / かたよせた皿を / 配膳台にならべる

ひだり手をじぶんの / 右の肩に掛け 夏の / 午睡にしずんで人は

 やはりこれは伝統的な意味での短歌ではなく、31字という総枠規制だけを守って中身を換骨奪胎した四行詩と見るべきだろう。もともと小林は「人生派」といよりは「コトバ派」の歌人であり、コトバへの追求を先鋭化させた末に行き着いた形式なのかとも感じる。

 さて、本歌集に収録された歌または詩を通読するときに立ち上がって来るのは、通常の短歌の場合のような韻律と意味のアマルガムではなく、「肌合い」というか「手触り」というか表現に困るのだが、夜中に淹れたアールグレイの紅茶から室内に漂う香気のようなものである。これは伝統的な短歌を読むときにこちらに打ち寄せて来るものとはずいぶん異なるものであり、読んでいて非常に珍しい体験をした。これに似たものを記憶に探すと、旅先ですることのない雨の日の午前中に、ふと立ち寄った小さな美術館の人もまばらな展示室で、壁に掛けられた淡いタッチの水彩画を見ているときの気分に近い。小林はもともと画家であり、本歌集の歌または詩を一幅の絵画のように差し出しているのではないかと思う。たとえば次のような歌を見てみよう。

あわ雲の / 真下にひとりつ国の / 女性が立って / フェンシングする

書見台にひとり / 佇つ少女 / 袖のふくらんだタフタの / 襯衣シャツを着て

 画像が鮮明でとても絵画的だ。一首目では、頭上に薄いふわふわした雲があり、外国人女性が白い防具を着けてフェンシングの練習に励んでいる。空の青、雲と防具の白、防具からのぞく金髪の金が鮮やかだ。二首目では、書見台があるのは教会か講堂だから、聖書の一節を朗読しているのか、あるいはスピーチコンテストか。いずれにせよ高校生くらいの年齢の少女が光沢のあるタフタの服を着て立っている。「シャツ」とあるが、おそらくバルーンスリーブのブラウスだろう。薄暗い室内にタフタの光沢が映える。

 本歌集の歌を一幅の絵画のように感じるもうひとつの理由は、歌が孕む物語性である。たとえば次のような歌に描かれた情景の背後には何かの出来事があったと強く感じられる。

ひとの手に折り畳まれて / 二夜を越え / 君の手のなかに開かれる紙

消極の会話のなごり / 今はだれもいないへやの / 椅子のほとりに

古書室の壁の灯のもとで / 汝は愛の調べものに / 没頭する

 一首目に描かれた紙切れにはいったい何が書かれていたのだろうか。二首目の二人は途切れがちな会話の中で何を話していたのだろう。三首目の汝はカビ臭い古書のなかにどんな愛の秘密を探していたのだろうか。こうした歌の多くに漂っているのは喪失感である。

投げ返さなければ / ならなかったのに / 達しえないと / 分かっていても

見えていたものが / みえなくなるところ 紙に / 落とした消失点は

点景に画いた汝を / 見ておもう / 解いてはならない / 問いであったと

部屋のわずかな調度が / 汝の背景になる / もう汝はいなくても

 歌に描かれた「汝」が男性なのか女性なのかも定かではなく、歌の中の「吾」との関係性もおぼろにしかわからない。そういえば歌集題名の『アンヌのいた部屋』も奇妙だ。アンヌとは歌の中の汝なのか、それとも吾なのか、あるいはまったく無関係の人物なのか。「いた」というからにはもうその部屋にはいないのだ。ここにも喪失感がある。また技法の面では、小林は倒置法をよく用いているため、結句に言いさし感が残ることも関係しているだろう。

 最後に連作タイトルの美しさと造本に触れておきたい。目次には「素描のための右手の模型」、「鉤にかかる布巾」、「双つの塔のある小鳥の飼育籠」、「修復を終えて扉は」など、そのまま絵の題名になるような連作タイトルが並んでいる。また何という名前の紙なのか知らないが、用いられているやや黄味がかった少しざらつきのある紙は、昔のフランス装の本に使われていた用紙によく似ている。造本もシンプルで、カバーを剥がすと何も印刷されていない白無垢の表紙になる。歌集冒頭に配された「時の静かなものの巡りで」というエピグラフは、本歌集が身に纏っている空気をよく表している。

 

第266回 生駒大祐『水界園丁』

枯蓮を手に誰か来る水世界

 生駒大祐『水界園丁』

 

 先週日曜(2019年9月29日)の朝日新聞の俳句時評で、青木亮人が生駒大祐の句集『水界園丁』を取り上げて、「後生まで令和俳句の第一歩と語られるだろう」と書き、「ゆと揺れて鹿歩み出るゆふまぐれ」という句を引いていた。そこで早速版元の港の人から取り寄せた。

 まず句集の題名がよい。「水界」には、水の世界という意味と、水と陸の境界という二つの意味があるが、おそらく前者だろう。小学館の日本国語大辞典には、山水経の「世界に水ありといふのみにあらず、水界に世界あり」という件が引かれている。この句集は水がテーマなのだ。園丁はgardenerであり庭師だ。広大な庭を一つの世界として作り上げる庭園は人類の昔からの夢の一つである。園丁はその管理人であり、創造者でもある。

 次に装幀がよい。ぶ厚い厚紙を表紙に用いたハードカバーで、表紙の色は薄墨色。「水界」と「園丁」という文字が色違いで大きく圧押しされている。歌人で俳人で造本作家の佐藤りえがこの装幀について詳しく解説している。驚いたのは用いられている紙で、片側がつるつるでもう片側がざらざらの紙なのだ。佐藤によればおそらくキャピタルラップという名前の紙だそうだ。ふつうは包装に用いられるもので、本の用紙として使うのは異例らしい。装幀はセプテンパーカーボーイの吉岡秀典。1ページに二首配されて155ページある。構成は、冬、春、雑、夏、秋の部立てとなっている。

 生駒大祐は1987年生まれ。「天為」「オルガン」「クプラス」を経て現在は無所属。第三回摂津幸彦記念賞、第五回芝不器男俳句新人賞を受賞というかんたんなプロフィールが添えられている。私の印象では短歌よりも俳句の方が師系が重要である。そこで調べてみると、「天為」は元東大学長の有馬朗人によって東大ホトトギス会をベースに作られた俳誌で、師系は山口青邨とある。山口は東大工学部教授で、東大俳句会、東大ホトトギス会の創始者であり、有馬の師でもある。ということは生駒も有馬のもとで東大俳句会で活動していたのだ。したがってルーツはホトトギス系の伝統俳句ということになる。「オルガン」は鴇田智哉を中心とする同人誌で、「クプラス」は高山れおなや佐藤文香らが編集する俳句文芸誌のようだ。

 さらに調べてみると、生駒は俳句甲子園に三重県の高田高校のチームBのメンバーとして出場している。2003年の第6回大会である。生駒は「水槽に緑夜浮かびてアンデルセン」と「河童忌や火のつきにくい紙マッチ」という句を出している。その年の優勝校は俳句甲子園常連の開成高校で、大将は山口優夢。決勝戦の句は「火蛾二匹われにひとつの置き手紙」であった。

 前置きが長くなったが中身の句である。前半から水のからむ句を引く。

鳴るごとく冬きたりなば水少し

水の世は凍鶴もまたにぎやかし

金澤の睦月は水を幾重かな

初空や水とはうしなはれやすき

水の中に道あり歩きつつ枯れぬ

水は日の光に涸れてゐたりけり

二ン月はそのまま水の絵となりぬ

雪解水に溶けゐるくれなゐを思へ

水折れて野原を進む薺かな

広がりし桜の枝の届く水

 いずれも端正な有季定型句である。句意の取りやすいものを挙げると、三句目は正月を金沢に遊ぶと町を流れる川の印象が残ったか。最後の句は水面に枝を広げる桜で、例えば琵琶湖北端の海津大崎の光景が目に浮かぶ。残りの句には水が少ないとか水が涸れる様を詠んだ句が目につく。七句目も美しく、二月の風景がそのまま水の絵になったという。本句集にはよく「絵」の語彙が登場するのも一つの特徴である。

 しかし俳句の鑑賞は短歌よりも難しい。何か手がかりはと探すと、佐藤文香編『天の川銀河発電所 現代俳句ガイドブック Born after 1968』(左右社 2017)があった。その中で上田信治と佐藤文香が生駒について語っている。曰く、「この人は誰よりも俳句が好き」、「生駒さんは何かを踏襲して書く人。そしてそこに添加されるロマンチックさがある」、「ルービックキューブの揃っている色をがちゃがちゃにするみたいにして、言葉とかイメージをすこし複雑錯綜したものにしていくんだけど、でもモチーフは、世界に対する愛情、あるいはかって実現された俳句のよさにある」、「言葉を自己運動させて書いているんだって言い張りながら、それでもなお、ああ、と声が漏れるところに真価があるような気がする」等々。

 どうやら生駒は言葉を自己運動させて句を作ると言いながらも、過去の俳句を踏まえているという作風らしい。どこが過去の俳句を踏まえているかを論じるのは私の手に余る課題なので、虚心坦懐に鑑賞することにしよう。

真昼から暗むは雨意の帰り花

せりあがる鯨に金の画鋲かな

にはとりの首見えてゐる障子かな

霜の野を立つくろがねの梯子かな

幸せになる双六の中の人

 一句目、「雨意」は雨の降り出しそうな気配の意。真昼間に今にも雨が降り出しそうな暗い空となり、ふと見ると季節外れの花が咲いている。季語は「帰り花」で冬。暗むのは空なのだが、帰り花が暗んでいるかのように見え、そこに憂愁が感じられる。二句目はなかなかシュールな句だが、鯨は実景ではなく絵ととってはどうだろう。ならば画鋲が打ってあるのも頷ける。画鋲で壁に留めるのは子供の絵である。季語は「鯨」で冬。三句目、障子の隙間から鶏の首が見えているという句。季語は「障子」で冬。四句目、霜の降りた冬の野原に鉄製の梯子が立っているという句である。しかし梯子は自立しないので、何かに立て掛けてあるはずなのだが、それが示されておらず不思議な光景である。双六遊びは正月に親戚の子供たちが集まる折などによくする。骰子を振って駒を進めるが、これが人生ゲームだと吉凶が分かれる。しかし正月のお約束のように結末は幸せなのである。

 平井照敏編『現代の俳句』(講談社学術文庫)所収の平井照敏「現代俳句の行方」という文章は1992年に書かれたものだが、俳句を考える上で今でも参考になる。平井は近代の俳句の辿った歴史を「詩」と「俳」という二要素の相克として読み解くことを提案している。「俳」とは伝統的な俳味を守ろうとする態度で、「詩」とは伝統を打ち破り新しいポエジーを俳句に求める運動である。虚子に対する秋桜子がそれだという。降っては飯田龍太や森澄雄は俳の側、金子兜太や高柳重信は詩の側だとする。しかし時代が進むにつれて、詩と俳の二分法は複雑錯綜して分けがたくなるという。

 確かに頷ける論だが、一人の俳人が俳から詩へと移ることもあれば、一人の中に俳と詩とがある配分で共存することもあるだろう。その伝で行くと、生駒は俳に軸足を置きながらもその中に詩を求めて行くというようになろうか。

薄紙が花のかたちをとれば春

のぞまれて橋となる木々春のくれ

星々のあひひかれあふ力の弧

西国の人とまた会ふ水のあと

瓜の花冷たし水の中の手も

列車の灯糸引きて去る緑雨かな

夏の櫂冷たく差し出されにけり

 美しい句が並ぶ。一句目、何かの包装紙か、薄紙が花の形を取ると春になるという。春の花はまとこに薄紙のごとくに脆く儚い。二句目、山に立つ木が切り倒されて材木となりやがて橋となる。しかし今はまだ山に聳えており、不思議な時間の経過を感じさせる。三句目はスケールの大きくダイナミックな句である。星と星が引き合う引力を詠んでいるが、もちろん引力は目に見えない。従って写生の句ではない。作者が心の目で感じているのである。「私に初期値を与えれば、何百年後の星々の位置を計算してご覧にいれよう」と豪語したラプラスを思わせる句だ。四句目は句意が取りにくいながらもどこか魅力的な句である。俳句にはこういうことがあって、「南国に死してご恩のみなみかぜ」という摂津幸彦の句も意味がよくわからないながらに忘れがたい。六句目、雨のために列車の灯火が残像として糸を引くように流れてゆく光景。季語は緑雨で夏。

 生駒の俳句はこのように写生の句ではない。コトバから作る句である。しかし葛粉を作るときに、何度も何度も水で洗って不純物を流して精製するように、コトバを洗って濾過して抽象化する一歩手前で留め、それを使って廃園の園丁のように世界を組み立てる、そのように感じるのである。

天体のみなしづかなる草いきれ

夕凪の水に遅れて橋暗む

流されて靴うしなへる氷旗

水澄みて絵の中の日も沈むころ

七夕待つ水のおもてを剪り揃へ

次の絵に変はれば秋の揚羽蝶

 

第265回 相原かろ『浜竹』

通らない時にもレールがあることの表面に降り濡れてゆく雨

相原かろ『浜竹』

 去る8月24日に、京都の宝ヶ池にあるグランドプリンスホテル京都で開催された塔のシンポジウム「言葉と時間」に足を運んだ。シンポジウムは二部構成で、第一部は高橋源一郎の講演会である。東京から新幹線に乗る前に弁当を買い忘れ、京都駅に着いて何か腹に入れようと思ったら、塔の人に拉致されて会場まで連れて来られたので、ハイチュー一つしか食べていないという話に始まり、大阪にいる弟と久しぶりに会ったら、墓をどうしようかという話になったとか、二転三転するヨタ話が続いてどうなることかと思ったら、フィリピンで戦死した伯父の足跡を辿る旅のあたりから真面目な話になり、結局「過去からの声を聞くことの大事さ」に着地する話芸はなかなかのものだった。第二部は「古典和歌の生命力」と題した吉川宏志と小島ゆかりの対談で、小島の話のうまさに舌を巻いた。会場には短歌関係の出版社もブースを出していて、たくさんの歌集・歌書が販売されていた。塔は大きな結社だから一大イベントなのだ。

 そんな「塔」の結社誌を読んでいて、いつも感心するのは相原かろのユニークさだが、その相原が第一歌集を出した。版元は青磁社で、装幀は「塔」の花山周子である。ふつう第一歌集を出すときには本人も力が入っていて、結社の主宰か重鎮に跋文や帯文を書いてもらったり、栞文を寄せてもらったりするものだが、そういうものは一切ない。今気がついたが帯もない。あとがきと略歴も実に簡素である。そこに作者の人柄を見る。

 相原の短歌のどこがユニークかは、何首か読めば誰でもわかるだろう。

満員の電車のなかに頭より上の空間まだ詰め込める

アンコールし続けている手の平がかゆくてかゆくて出てこい早く

椅子の背にタオルを一枚かけますとあなたの椅子になるわけですね

いま闇に点っているのは蚊を落とす装置の赤いランプそれだけ

屋根のあるプラットホームに屋根のないところがあってそこからが雨

 一首目、満員の通勤電車にも頭上に空いた空間がある。それはそうなのだが、「まだ詰め込める」と言われてもそれは無理だ。「満員寿司詰め」で「立錐の余地もない」電車にも実は空いた空間があるという当たり前のおかしみがある。二首目、コンサートの最後に観客がアンコールの拍手をしている。ところが演者がなかなか再登場しないので、拍手のしすぎで手がかゆくなるというあるあるだ。三首目、座席を取る時、あるいは中座する時に持ち物を置く。掛けられたタオルは「これは私の席です」というサインである。ただの椅子が「私の椅子」になるのは、大げさに言えば存在論的変容である。四首目、何と言うのか知らないが、電動の蚊取り装置が作動している。作動中であることを示す表示ランプが点灯している。ただそれだけを詠んだ歌である。五首目、プラットフォームの屋根のある部分には雨が降っていない。屋根が雨を遮断しているからである。ところが一部に屋根のない部分があって、そこには雨が降っている。本当はどこにも雨は降っていて、ただ屋根が雨を防いでいるだけで、そのことは誰もが知っているのだが、結句で「そこからが雨」と言われると、「雨の降っている世界」と「雨の降っていない世界」とが並立して存在しているように思えて、頭の中でコトリと音がする。

 特に短歌の素材となるとは見えない日常の些細な事柄を取り上げて、それを実に真面目に増幅して詠うところにそこはかとないユーモアが漂う。一見すると奥村晃作の「ただごと歌」と似ているように見えるかもしれない。

これ以上平たくなれぬ吸殻が駅の階段になほ踏まれをり  奥村晃作

あのとりはなぜいつ来ても公園を庭のごとくに歩いてゐるか

一定の時間が経つと傾きて溜まりし水を吐く竹の筒

 しかし奥村が『抒情とただごと』(本阿弥書店 1994)に書いているように、奥村にとって最も重要なのは抒情であり、近代短歌の写実は方法論として破綻したという認識から、それに替わる方法としてただごとを選択しているのである。ところが相原の短歌を読んでいると、相原にとっていちばん重要なのが抒情だとはあまり思えないのである。では相原にとって何がいちばん重要なのか。それを明確に特定するのは難しいのだが、「世界がかくあることを改めて認識する」ことと、「かくある世界の手触り」ではないかと思う。ただ、これは相原の短歌を読んだ私の勝手な想像なので、本人から「いや、私はそんなつもりで短歌を作っているのではない」と否定されるかもしれないが。

 とにかく尋常でないのは肩の力の抜け方である。

階段を松ぼっくりが落ちてきてあと一段の所で止まる

男子用公衆トイレ掃除する女性の横で男性はする

ポケットの中で紙片の手ざわりを小さく固く折りたたんでゆく

透明なケースに画鋲に犇めいてどれもどこにも刺さっていない

新しい年になったが手のほうが去年の年を書いてしまった

 近年「脱力系短歌」という言葉が使われるようになった。永井祐や笹公人らの短歌を指すことがあり、しばしば否定的な意味で用いられている。相原の短歌も広い意味では脱力系に入るのかもしれない。しかし「脱力系」などというラベルを貼ってひと括りにしても何がわかるわけでもない。

 例えば上に引いた一首目である。あと一段落ちれば地面に到達できたのだが、そこで止まってしまった松ぼっくりは、挫折した人生の喩と読むことも可能だろう。しかし二首目の公衆トイレの歌や、四首目の画鋲の歌はどう見ても何かの喩ではない。ましてや五首目をやである。もしそうだとすると、一首目の松ぼっくりも何かの喩で、それが作者の感情を表していると読むべきではないだろう。おそらく相原は松ぼっくりがあと一段の所で止まったという事実を事実として詠んだのであり、それ以上でも以下でもない。ではこういう歌のどこがおもしろいのか。それは誰も注目しないような細かいことを歌にすることによってそこに生じる「世界の手触り」もしくは「存在の肌理」のようなものが感じられるからである。それはたとえば次のような歌によく感じ取ることができるだろう。

用水路に膝まで入れた両足が生み出している水のふくらみ

枇杷の葉のかたさを指でかるく曲げ戻ろうとする力に触れる

 私はイタリアの画家モランディの絵が好きなのだが、モランディは次のようなことを述べている。曰く、私たちは物を見るとき「これはコップだ」と概念を通して見ている。もし「コップ」という概念を取り払って見ることができたならば、それは抽象的で非現実的なものとなる、と。おそらくそこに顕ち現れるものは、言葉以前の「存在の肌理」のようなものなのである。

 かと言って相原の歌に抒情や感情の吐露が皆無だということはない。

 

くっついた餃子と餃子をはがすとき皮が破れるほうの餃子だ

煌々とコミュニケーション能力が飛び交う下で韮になりたい

履歴書の空白期間訊いてくるそのまっとうが支える御社

吊り革を両手で握りうつむいて祈る姿で祈らずなにも

前任の方は大変いい人であったそうですそのあとの俺

今日からは二十五分で一台を作れと言われ作れてしまう

将来をあきらめたふうする日々にちにちをわれ歯磨きの習いをやめえず

 

 どうやら相原は雇用の不安定な職業に就いているようである。一首目の餃子は言うまでもなく〈私〉の喩である。このように自己を低く捉える歌を読むと、自然と石川啄木の歌が思い浮かぶ。相原の歌には啄木に通じるペーソスがある。おそらく相原も啄木が好きなのではないだろうか。奥村晃作もどこかで啄木は脱力系だと書いていた。

象の目は濡れていたのか横ざまに倒れたときの風はもうない

みぎひだり重なり合うことない耳が傾けているそれぞれの雨

炎天下を駅まで歩く道の辺にひるがおの花、花のひるがお

サイレンが鳴り出す前はわずかなる空気の引きがありて怖れる

雪の死はいつからだろう既にして見られてしまった時かもしれぬ

この犬のあるじこの世にもうおらず犬の中にも過ぎるか時は

憎しみは蜜柑の皮の剥きかたもつかまえてくる季節を越えて

枯れながら生えている草かぜ吹けばうつつに在りて線路のわきの

 印象に残った歌を挙げた。一首目と二首目は続きの歌で、耳は象の耳である。象の大きな左右の耳が雨を傾けているというのはおもしろい捉え方だ。相原の歌は一見すると棒立ち短歌にも見えるが、きちんと短歌的修辞は押さえている。たとえば三首目の「ひるがおの花、花のひるがお」という逆転リフレインや、八首目の結句の「線路のわきの」のいいさしのような置き方は工夫されたものである。

 とりわけおもしろいのが連作のタイトルだ。「ずっとパン生地」「強制的にゴリラ」「くりぬいた日のソネット」「いい夫婦落ちています」「まさか助六」」といった具合だ。どうやって作っているかというと、たとえば「強制的にゴリラ」だと次の二首から語句を切り取って貼り付けているのである。

止まったら強制的に電源を切って再び入れれば直る

幼稚園のゴリラ先生とすれ違うもうゴリラではなくなっていた

 最後に二首とても美しい歌を引いておこう。

水面に吸い付きやすく花びらはついぞ流れの底に届かず

夢のそとにも降っていたかと覚めぎわを降る雨の音さかのぼる