第284回 北大路翼『見えない傷』

我が歩幅越ゆることなき蜷の道

北大路翼『見えない傷』 

 になは田螺に似た小さな巻き貝で、ここでは田んぼや小川にいる川蜷だろう。田んぼの水底の泥の上を川蜷が移動すると、轍のような後がかすかに残る。それが蜷の道である。蜷はとても小さく移動もゆっくりなので、移動した痕跡はいつも短く、私の一歩の歩幅を越えることがないという句である。季語は蜷で春。人と蜷の大小の対比のおもしろさ、ゆっくりと流れる春の時間、変わることなき自然の摂理といったものを感じさせる句である。

 北大路翼は1978年生まれの俳人。小学生の時に種田山頭火を知り、無季俳句を作り始めたというから、相当な早熟で無頼への憧れもすでに芽生えていたのだろう。中学に進むと国語の教師が今井聖だったというから驚きだ。田中槐の高校の国語の先生が村木道彦だったというのと同じくらいの出会いである。以来有季定型句に転校し現在に到る。新宿歌舞伎町を根城として俳句一家「屍派」の家元を名乗っている。『見えない傷』は『天使の涎』、『時の瘡蓋』に続く第三句集である。

 北大路というと昨年(2019年)の夏頃に、TV番組「激レアさんを連れて来た」でその姿を見た。めったにしないような特異な経験をした人を連れて来て、その一部始終をアナウンサー広中綾香が手書きのパネルで語るという番組である。北大路はツバサ君という名で紹介された。登場したとたん、ゲストの女優足立梨花が「あっ、歯がない!」とつぶやいたのをよく覚えている。前歯が何本か欠けていたのである。歯が欠けていると無頼メーターが跳ね上がる。しかし身にまとわせている無頼な空気とは裏腹に、作る俳句は実にまっとうな旧仮名遣いの有季定型句である。

刃物みな淑気に満ちて台所

ゴミ捨て場飛び出してゐる破魔矢かな

喰積や人来るたびに箸出して

リムジンが曲がれぬ垣根の落ち葉焚き

一月の茶碗の中の山河かな

 2017年新年から引いた。一句目の淑気は正月のめでたい気分のことで新年の季語。刃物が淑気に満ちていると感じられるのは、歳の暮れに慌ただしくおせち料理をこしらえた後、きれいに研いで仕舞われているからだろう。凜とした正月の空気を感じさせる。二句目、破魔矢は正月の縁起物として飾られるが、松が取れて用済みになるとふつうのゴミとして捨てられる。しかし長いのでビニールのゴミ袋を突き破って飛び出しているのである。決して美しい光景ではないのにこのような場面を詠むのは、俳句が些細なことにおかしみや哀感を感じ取る詩型だからである。この句では「飛び出してゐる」がポイント。三句目の喰積は重を重ねるおせち料理のこと。年始の客が来る度に祝い箸を出しておせちを勧めるという正月の場面である。四句目の季語は落ち葉焚きで冬。リムジンが道の狭い住宅街を通っている。リムジンの車体は長いので角を曲がれないのだ。リムジンは芸能人やセレブが好んで乗る車なので、なぜこんな庶民の住宅街に来ているのかという所に何か物語がありそうだ。五句目の山河は茶碗の内側の絵付けと取ることもできるが、ふつう茶碗の内側には絵付けをしないのでそうではなかろう。茶碗には五目ご飯か炊き込みご飯が盛られている。その具を山河と捉えたものと取る。この句では一種の誇張法によって、一椀の飯に山河を見る壮大さがポイントである。

 上に引いた句を読んでいると少しおかしいと感じることがある。時代がやや古いのである。今どき正月に年始の客が次々と来ておせち料理を食べる家があるだろうか。また住宅街の道で落ち葉焚きをしている光景もとんと目にすることがなくなった。下手をすると消防に通報されてしまう。北大路がこれらの句に詠んでいるのは、記憶の中にあるなつかしい日本ではないだろうか。

桃の花こぼれてゐたる名刺受

海市立つ流木踏めば骨の音

新学期画鋲の穴にまた画鋲

問診に嘘少しまぜ春の昼

石鹸玉祈る言葉がつぎつぎと

 一句目、ふつうの家に名刺受けはないので会社の光景だろう。花瓶に挿した桃の花だろうか、名刺受けに零れているという美しい場面。花びらが自然が寄越した名刺という見立もできる。二句目の海市は蜃気楼のことで春の季語。浜辺を歩いている場面である。風雨に曝された流木が骨に似ているというのはいささか普通か。三句目は小学校の教室の場面だろう。壁に画鋲の穴があいているのは掲示物を貼ったからである。新学期を迎えて新たに掲示物を貼るときに、その穴にまた画鋲を刺すという句である。「だから何だ」と言われると困るのだが、こういう些事におかしみを感じるのが俳句なのだ。四句目は会社の定期健康診断か。身長や体重測定、視力検査の後に医者の問診が控えている。「お酒はどのくらい飲みますか」とか「煙草は一日何本くらい吸いますか」という質問にやや過少申告しているのである。五句目、子供が庭でシャボン玉を作って遊んでいる。シャボン玉はくるくる回りながら虹のように煌めいたかと思うと、パチンと割れて消えてしまう。次々と生まれては消えてゆく様を眺めていると、永遠の輪廻という思いが浮かんで祈りの言葉が湧いて来るという句だ。

 こうして鑑賞しているときりがないので、付箋の付いた句を挙げておこう。山のようにあるので厳選する。

ブロッコリー緑の粒の謀

かげろひてをり海苔弁の蓋の裏

夏至の雨は泣いている男の子の匂ひ

硝子戸の雫は海で死んだ人

ヨガ用の小さきマットや獺祭忌

白菜の芯まで煮えて一人きり

大根も過去もいづれは透き通る

花冷えの麻雀牌の彫り深し

滅びゆくものの匂ひや缶ビール

冷蔵庫の小さくなつてゐた実家

薬局の白さの残る洋菓子店

境内の形に合はす踊りの輪

吃音の少年を買ふ寒の雨

 一句目「ブロッコリー」を読んで、穂村弘・東直子・沢田康彦『短歌はプロに訊け』に収録された「めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ」という本上まなみの歌を思い出した。ブロッコリーの緑の粒粒を見ていると、ふと何か陰謀を巡らせているのではという気がするという句。「ヨガ用の」の句は脊椎カリエスで寝たきりだった正岡子規へのオマージュ。ヨガ用の小さなマットから子規が寝ていた布団を思うという句である。「冷蔵庫」の句は、夫婦二人になり歳をとって料理も作らなくなって、電気代のかからない小さな冷蔵庫に買い換えたという句。「薬局の」は元は薬局だった建物を改装して洋菓子店を開いたのだが、塗装に白さが残っているのだろう。「吃音の」の句は特に無頼の匂いがする。

 特に感じ入ったのは次の句だ。

春巻の断面よぎる蝶の影

 春巻きの断面に蝶の影が差すことは現実にはあるまい。だからこれは幻影の句である。しかしながら春巻という庶民的な食べ物と、どこかふらふらと漂う死者の魂を思わせる蝶の取り合わせがよい。春巻を羊羹や蒲鉾に換えても句は成り立つが、やはりここは春巻がよく動かない。

 かねてより不思議に思うのは、同じ短詩型文学なのに短歌より俳句の方が無頼風狂の度合いが高いのはなぜだろう。俳句は短歌より短いために、逆説的ながらより自由度が高くて前衛・過激に向かうのかもしれない。

 

第283回 柴田葵『母の愛、僕のラブ』

 

ぼろぼろと光を零してはつ夏のきゅうりを交互に囓りあう朝

柴田葵『母の愛、僕のラブ』

 初夏の蒸し暑い朝のこと、冷房のない部屋の暑さをしのぐためか、冷蔵庫から出した冷たい胡瓜を二人でかわるがわる囓っている。一読して若いカップルだとわかる。「光を零して」とは、口から零れ落ちる胡瓜の欠片が朝の光に煌めく様を言っているのだろう。奇妙に詩的に描かれた場面だが、読んでまず抱いた印象は「どこか過剰なところがある」というものだ。そしてこの「どこか過剰」というのはこの歌に限定されるものではなく、本歌集の全体に漂う空気でもある。

 2019年12月に刊行された『母の愛、僕のラブ』は、短歌ムック『ねむらない樹』が主宰する第一回笹井宏之賞の大賞受賞者である柴田葵が、副賞として出版した第一歌集である。プロフィールによれば、柴田は1982年生まれ。銀行勤務ののち結婚して渡米し、それをきっかけに短歌を作るようになる。第6回現代短歌社賞候補、第2回石井遼一短歌賞次席にも選ばれている。笹井宏之賞の選考委員は、大森静佳、染野太朗、永井祐、野口あや子、文月悠光の5名で、他の短歌賞に較べれば圧倒的に若い。選考座談会では柴田を推す永井祐が議論をリードし、永井の読みに他の委員が影響され賛同する形で進行している。

 受賞作となった「母の愛、僕のラブ」は読むのに注意が必要な連作だ。まず「母とふたり暮らしだった」という詞書きが冒頭にあり、母子家庭という環境が暗示される。歌で「僕」と自分を呼んでいるのは実は女の子であることが読み進むうちに知れる。また連作中に【 】でくくられているのは母の声で、自分を僕と呼ぶ娘の声と母の声が交錯する交響楽的構成になっている。

僕は先生を漂白する役でドアノブを回すとへんな音

【神様はいないのこれは学問よしあわせになる勉強会よ】

てづくりをする信念のママの子に産まれて着色されない僕ら

【戦争にいかせたくない わたし自身が戦争になってもこの子だけは】

僕らはママの健全なスヌーピーできるだけ死なないから撫でて

あがりすぎて戻れない凧 凧からの糸を握った僕の手はハム

 「先生を漂白する役」とか「着色されない僕ら」などどう意味を取ればよいのかわからない箇所もある。しかし全体から湧き上がって来るのは、育児に独特な拘りを持つ束縛的な母親の下で、真綿で首を絞められるようにして暮らす子の窒息感だろう。その後、「母の家を出た僕は恋人からボクっ娘をやめろと言われた」、「母から、母の結婚式の招待状が来た」、「友達がいないことを母に隠している夢だった」という詞書きがあり、次のような歌が並んでいる。

自分ちにいるのに家に帰りたい刈っても刈っても蔦の這う家

殴られている音がする洗濯機 犠牲になるのは私でいいよ

バーミヤンの桃ぱっかんと割れる夜あなたを殴れば店員がくる

バイトバイト私はバイトの人になる駅前の鳩がねんねん増える

学校に行けない夢から目覚めればもう三十歳だったうれしい

汚れから私を護るエプロンをラブと名付けてラブが汚れる

 流れとしては恋人ができて母の下を離れ、恋人と暮らすようになるが、そこにDVを思わせる歌もある。母の束縛を逃れて幸福を求めても、母との関係を抜け出すことができずにもがく姿が詠われている。選考座談会で柴田を推した永井は、「作為が徹底している」「全体を構造化する手つきがしっかりとある」と評している。

 本歌集に収録された他の歌も見てみよう。

カロリーメイトメイトが欲しい雨あがり駅のホームでほろほろ食めば

水を買うその違和感で日々を買うわたしのすきなおにぎりはツナ

きみは私の新年だから会うたびに心のなかでほら 餅が降る

うんと眉根を凍らせてゆくビル街のどこからくるんだインドのかおり

美容院あるいはバーバー閉じられてすべての季節の造花が窓に

 一首目では駅のホームでカロリーメイトを食べている。カロリーメイトはゆっくり食事する時間がないときに手っ取り早くカロリーを取る手段だから、作中の〈私〉は仕事に追われているのだろう。カロリーメイトからの連想で、メイトつまり恋人か友人がほしいとつぶやく。二首目はコンビニで水を買う違和感をまず述べている。「日々を買う」は、にもかかわらず毎日コンビニで何かを買っているということだろう。そんな違和感があるのに、下句では好きなおにぎりはツナと言い放っている。三首目は思わず笑ってしまったが、私にとって恋人の君は新年と同じ価値を持っている。だから君と会うたびに心の中で餅が降るような喜びを味わうというのである。恋人を餅に喩えるそのストレートさに驚く。四首目の「眉根を凍らせて」はおかしな語法だが、「眉をひそめる」がさらに進行した状態を言うのだろう。作中の〈私〉は心中穏やかならぬものがあるのだ。そこにカレーの香りが漂って来る。五首目は美容院と理容院を兼ねた店だろう。閉じられているのだから、今日はもう閉店したかあるいは廃業したのだ。ここでは廃業と取りたい。窓の中を外からのぞくと季節に関係なく造花が飾られている。

 笹井宏之賞の選考座談会で染野が、他の賞では応募者の年齢もばらばらで文体の差がつくのだが、今回は口語短歌が目立つ気がして、細かい差異に敏感にならざるを得ずたいへんだったと述べているのが印象に残った。選考委員が若いこともあって、応募作品は口語短歌が多かったのである。柴田ももちろん口語短歌である。読んでいると口語短歌の持つある種の傾向と問題点に気づくことがあるので、今回はそのことに触れてみたい。

 大辻隆弘は著書『近代短歌の範型』(2015年、六花書林)所収の「多元化する『今」― 近代短歌と現代口語短歌の時間表現』という出色の文章の中で次のように述べている。近代短歌は作者がただ一つの「今」という時間の定点に立つことによって成立している。そして「今」より前の出来事は過去または完了として、「今」より後の出来事は推量として表現される。大辻は茂吉の次の歌を引いてこのことを解説する。

わたつみの方を思ひて居たりしが暮れたるみちに佇みにけり

 この歌では作者は最後の「けり」という詠嘆過去の助動詞を発した時点を「今」としている。そしてそれより前の出来事は「居たりしが」の助動詞「たり」と助動詞「き」によって過去完了となる。このように近代短歌の時間表現は、作者の立つ「今」という定点を軸に構成されるというのである。確かにその通りである。

 ここで「けり」は過去を表す助動詞なので、なぜ過去が「今」なのかという疑問を抱く向きもあろうかと思うので、大辻の文章の要約を離れて少し触れておこう。ここで言う「今」とは発話時現在の「今」ではない。発話時現在は文を発した時点をいうので、近代短歌であれ現代口語短歌であれ発話時現在は同じように存在する。大辻が問題にしている「今」は、作中人物の〈私〉が夕暮れの道に呆然と佇んでいることにハッと気づいた時点である。この「今」は発話時現在のように発話と外的世界との関係によって規定されるものではなく、作品の描く内的世界で〈私〉が生きている時間なのである。私たちは物語をするとき必然的に過去形を用いる。出来事の生起は過去形でしか表現できないからである。「私はころぶ」は予測か予言にしかならない。「私はころんだ」として初めて出来事になる。だから作中の〈私〉が「今」感じていることを語ろうとすれば過去形「けり」を用いることになる。だからこそドイツのテクスト言語学者ケイト・ハンブルガーは、たとえ未来を描くSF小説でも語りは過去形で行われると喝破したのである。

 大辻の文章にもどろう。大辻は続いて永井祐の歌を引いて、近代短歌の「今」とのちがいを次のように述べている。

白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう  永井祐

 現代の口語短歌には定点としての「今」がない。たとえば永井の歌では、「白壁にたばこの灰で字を書こう」と思いついた「今」①、「思いつかない」とあきらめた「今」②、「こすりつけよう」と考えた「今」③があり、「今」を一点に定めることができない。つまり作中主体の〈私〉は歌の中で一点に留まることなく時間を移動しているのである。「今」の裏側には〈私〉が張り付いているので、「今」の数だけ〈私〉があるとも言えるかもしれない。

 柴田の短歌を読んでいると大辻の言うことがよく当てはまる例があり、一人永井に限るものではないことがわかる。

ここからは僕がルールだその次にきみがルールだ白墨をひけ

朝からもうがんがん暑いイチゴジャム甘すぎる赤すぎるきれいだ

犬がゆくどこまでもゆくあの脚の筋いっばいの地を蹴るちから

 これらの歌の中には複数の「今」があり、作中主体の〈私〉は飛び石の上を渡るように次々と「今」を渡る。近代短歌の「今」が一点に固定されていることは、歌の中の視点もまた一点に固定されていることに通じる。そのことが近代短歌の結像性と、それを基盤とする歌の背後に現れる一人の〈私〉を担保していたことはまちがいない。ひるがえって現代の口語短歌では、複数の「今」の間を移動する〈私〉は視点の固定化とは逆の結果を生む。このために歌から析出される〈私〉の姿もまた変わらざるを得ないのである。柴田の作る短歌にどこか過剰で演技的なものがあることも、これと無関係ではないように感じられる。時点と視点が固定していない〈私〉を浮上させるには、何らかの強度が必要になるのではないだろうか。

 最後に印象に残った歌を挙げておこう。

土砂降りの高層ビルの応接にうつくしい水だけの水槽

熱帯に羽ばたく鳥のくちばしを捥いで合わせたような鋏よ

ほろぼされたまぼろしのきみ ひとすじの髪をアヤメの葉のように染め

冷えきったガードレールの歪みからたちのぼる過去を肺まで入れて

褪せた桃いろの毛布とはじめからそんな感じの空いろの毛布

イヤホンの右側だけを臍にあて音をわけあうとても寒い日

公園の蛸すべりだいはすり減って蛸を脱したすべらかなもの

結婚をした日の雨は地を廻りわれら果てなく限りある旅

第282回 橋場悦子『静電気』

歩道橋越えても踏切渡つてもだれかの家の前に行きつく

橋場悦子『静電気』

 おもしろい歌だ。歩道橋も踏切も人の移動を助けるために作られた設備だから、そこを通る人はやがては誰かの家に行き着く。それは当然のことである。しかし当然のことを頭の中でもう一度ひっくり返して改めて見つめると、なにやら不思議なことのように見えてくる。奥村晃作のただごと歌と似ているのだが、興味深いのは、作者が狙って作っているわけではなさそうだということである。歌集を読んでいると、作者の物の感じ方や立ち位置のベースラインがなんとなく体感されてくるものだ。本歌集を読むと掲出歌のような歌が少なからずあり、作者の物事の捉え方を直接反映しているようなのだ。実にユニークな歌集である。

 巻末のプロフィールによれば、橋場悦子は1980年生まれ。大東文化大学で開かれていた短歌実作入門講座に通った縁で「朔日」に入会し、外塚喬に師事する。『静電気』は2020年5月に刊行された第一歌集である。序文は師の外塚喬。

 文体は旧仮名遣いの文語定型で歌の多くは属目なのだが、読んでいて目に止まるのは次のようなぶっきらぼうで不思議な感触の歌である。

髪型を一昨日をととひ変へた「変はつたんぢやない」と訊かれてもいいやうに

「生きてるのが不思議なくらゐだ人間は」解剖医の声思ひ出す夏

相手からもわたしが見えるのを忘れひとを見つめてしまふときあり

あなたにはこのテストへの適性がないと言はれし適性テスト

マニキュアが男のためでないことは男以外はみな知つてゐる

壇蜜は嫌ひではない壇蜜を好きと言ひ張る女が嫌ひ

 一首目、「髪型を変えたんじゃない?」と訊かれてもいいように髪型を変えるとは、行為とその目的とが捻れているようで頭がくらくらする。二首目には「解剖医」という短歌では珍しい言葉が出て来るが、これについては後述する。「人間の身体は生きているのが不思議なくらい出鱈目だ」ということだろうか。三首目も意味は明らかだが、相手から自分が見えていることを果たして忘れるだろうか。四首目、適性テストを受ける適性がないとはまるでメタ適性みたいで、深い所で否定されたような気になるだろう。五首目、マニキュアが女性用の化粧品であることはある意味自明だ。しかし聞くところによると、ギタリストなど爪の保護が必要な人は男性でもマニキュアを使うらしい。六首目も四首目とちょっと似ていて、偶然かもしれないが「壇蜜が好きな女が嫌い」というメタ的関係になっている。

迷つても平気地球は丸いから 空の青さの沁みる十月

パンダには生きる意欲がないらしいクロレッツにはもう味がない

ボレロつて初めてぜんぶ聞いたけど最後のさいごまでボレロだね

足にまでひとには人差し指がありしかも我のはひときは長し

写真とは常に昔を写すもの鏡ほどにはおそろしくない

 一首目は大らかというか、いい加減というか。迷ったとしても地球は丸いのでぐるっと回って目的地に行き着くというとぼけた味のある歌。二首目、なぜパンダには生きる意欲がないと感じたのかわからないが、しばらく噛んだクロレッツに味がしなくなることとは何の関係もない。関係のないものが並置されることで妙な味わいが出る。三首目はラヴェルのボレロだろう。ボレロが最後までボレロなのは当たり前だ。途中からポロネーズになったりはしない。四首目、確かに足の指で人を差すことはしないので、足に人差し指があるのは不思議である。しかし自分の足の人差し指が長いことなど、取り立てて歌にするほどのことか。五首目、写真は昔なら撮影してから現像・焼き付けするまで時間がかかる。インスタント写真でも少しは待たなくてはならない。今のデジタルカメラでも、撮影してから保存し呼び出すのに少しかかる。だから写真とは常に過去の映像だというのである。言われてみれば確かにそうだと納得する。

 橋場の短歌はこのように生活上の些事を取り上げ拡大鏡で大きく見せて提示するものが多く、当たり前のことをことさら言い立てるとぼけた味わいがあったり、改めて言われるとなるほどと納得したりするものが多いのである。意図がやや違うかも知れないが、奥村晃作のただごと歌と一脈通じるものがあり、とぼけた味わいは相原かろと少し似ている。要するに他にあまり似た作風の歌人がいない、とてもユニークな歌のである。

 その結果と言えるかどうかよくわからないが、秀歌として取り立てる歌があまりない。というかもともと作者が秀歌を狙っていないと言ったほうがよいかもしれない。序文で外塚は、「意識して内容を詩的にするとか、表現をする上で奇を衒うことはしい。自然体で詠んでいる作品が詩的と見られるのは、天性と言ってもよいのかも知れない。(…)多くの人が見逃しているような些事を、的確に掬い取って作品として昇華させているのだ」と書いている。もし作者が自然体で詠んでいてこのような歌が出来上がるのだとしたら、それはおそろしい天賦の才と言わなくてはなるまい。

 そのことは作者の独特の喩にも見て取れる。

閉めきつた部屋にも深くはひり込む切り取り線のやうな虫の音

空つぽの弁当箱を持ち帰るやうだ心臓ことこと揺れて

胃袋は赤きほらあな最後にはどんな魚も溺れるだらう

 虫の音が切り取り線のようだとか、心臓の鼓動が空の弁当箱のようだとか、胃袋が赤い洞窟だというのは実にユニークな喩ではないだろうか。

 歌に詠まれた素材のユニークさには作者の職業から来るところもある。

押送車あふそうしや並んで停まる横を行く湿気の重きけふの東京

真顔より気持ち目元を緩ませて接見室の扉を開けぬ

特段の意味はなからう裁判所地下で圏外になる携帯電話けいたい

ダルメシアンは器物扱ひとなることが開廷前の雑談となる

卓上の鋏は仕舞へ取調修習前に指導されたり

カツ丼は食はせるのかと真顔にて尋ねられたる飲み会ありき

刑事より被疑者の署名の字のうまき供述調書もまれにはありき

 「押送車」なんて言葉は初めて見た。広辞苑を引いて「受刑者、刑事被告人を護送する車両」だと知った。作者の職場は裁判所なのである。裁判所と言ってもたくさんの職種がある。裁判官、事務官、書記官、廷吏などがいて、弁護士も裁判所に行くことがある。しかし「取調修習」という言葉があるので作者はおそらく検事だろう。前に出てきた「解剖医」という言葉もこの文脈に収まる。法曹界の様子が短歌に詠まれるのはとても珍しい。六首目を読んで思わず笑ってしまったが、容疑者の取り調べでカツ丼を食べさせるというのは、ひと昔前の刑事ドラマのクリシェだ。

 外塚の言う「些事を取り上げて詩とする」というのは次のような歌によく現れている。

最後尾の札は立てかけられてゐて誰も並んでゐない店先

動物に細胞壁がないことを満員電車でふと思ひ出す

春にまだ濃淡のあり黒猫がただ寝そべつてゐるごみ置き場

 だから私が付箋を付けた歌を引いておくが、次のような歌が橋場の個性をよく表しているというわけではないのである。こんなもって回った言い方をしなくてはならないのは、ひとえに作者のユニークな個性の故である。

跳びたくてイルカは跳んだと思つてた遠い夏の日の水族館

いかに深き穴にも言へぬことありて空濁る日のベランダに立つ

封印を解かれしごとく夏は来て泡立ち止まぬ雑踏の声

義母の手を握りて塗りしクリームの薔薇の香の残るてのひら

暗闇も熱を帯びゐる路地裏に白粉花の強く匂へり

はつなつの真昼の長き散歩して影の中では影を失ふ

贖(あがな)ひて帰る道みち片方の頬を翳らす竜胆の花

食べ終へた弁当箱に骨のあり魚を食べるといきものになる

ためらひの後ほそき橋渡るとき後ろ姿の華やぎて見ゆ


 

第281回 笹原玉子『偶然、この官能的な』

切れ長の目をしてゐるね半島の朝、瞼の縁でゆれるバラソル

笹原玉子『偶然、この官能的な』

 

 初句の「切れ長の目をしてゐるね」は終助詞「ね」によって会話だと知れる。おそらく男性が女性に向かってそう言ったのだ。場所はどこかの半島で、時刻は朝である。半島は世界にごまんとあるのでどこだかわからず、どこでも当てはまる。しかしここはシンガポールのラッフルズホテルあたりを想像しておきたい。パラソルという単語から避暑地を連想するからである。下句の瞼の持ち主は男性から「君は切れ長の目をしているね」と言われた女性だろう。すると避暑地の朝の恋の予感の場面ということになる。

 意味のみに頼って読み解くとそのようになるが、韻文は意味と形式の融合体であり、時には意味より形式が優ることもある。目につくのは三句「半島の朝」の字余りである。小池光が何度も力説しているように、三句の字余りはふつう御法度だ。三句は上二句と下二句を繋ぐ蝶番の役目を担い、歌の内的韻律を形成する。しかも掲出歌ではその後に読点まで打ってある。明らかに作者は三句から蝶番としての役割を剥奪して、上三句と下二句を切り離したいのだ。師の塚本邦雄譲りの「辞の断絶」である。これは上二句と下二句とで人物が交代していることに対応する。三句が蝶番の役目を果たさなくなると、内的韻律の凝集力がなくなり、歌は溶けたゼリーのように外に流れ出す。この「外への流出」が笹原の短歌の大きな特徴なのである。

 『偶然、この官能的な』は、第一歌集『南風紀行』(1991年)、第二歌集『われらみな神話の住人』(1997年)に続く第三歌集である。書肆侃侃房のユニヴェール叢書の一巻として2020年4月に刊行された。第二歌集から実に23年の歳月が流れている。あとがきによれば、敬愛する山中智恵子と師の塚本が相次いでこの世を去ってから、作歌の意欲をすっかり喪失し、10年余のブランクがあったという。栞には林和清、佐藤弓生、石川美南が文章を寄せている。

 笹原の第一歌集と第二歌集は2006年 5月に本コラムの前身「今週の短歌」で取り上げて批評した。もう14年も前に書いた文章をあらためて読み返してみると、ほとんど付け加えるものがないことに驚く。ならば本稿はこれで擱筆となるのだが、笹原の歌に変化がまったくないわけではなく、私も昔は気づかなかったこともあるのでしばらく続けて書くことにする。

 栞文で石川美南が、図書館で歌集を借りては短歌をノオトに書き写していた頃、笹原の『われらみな神話の住人』は愛読書のひとつだったと書いている。これを読んでなるほどと得心するところがあった。笹原と石川の短歌に共通するのは「物語性」である。石川は笹原の歌に自由に羽ばたく物語の想像力を見たのだろう。

犬戎けんじゅうの頭目なれば文盲にして星辰の列すべて暗んじ

みづいろにひたされつづける廊下を歩くこの天体の淵のあたりを

およびから滑る骰子さいころ 卓上が砂漠へつづくアレキサンドリア

みそなはせ宴もたけなはやうやくに流竄の帝のご登場

形代かたしろは詩歌ばかりの島なれば軽羅のむすめがとほく手招く

 一首目の犬戎は古代中国の周辺民族で、定家が「紅旗征戎非ズ吾事」と書いた西戎の一部族。三首目の「および」は指のことで、アレキサンドリアは現在のエジプトにあるヘレニズム文化の中心他。四首目の流竄の帝はおそらく隠岐島に流された後醍醐天皇だろう。五首目の形代は紙の人形に厄を移して川に流すもの。いずれも歴史の時の流れと地理の空間的広がりを縦横無尽に跨ぎ越して、一首の中に物語を紡いでいる。物語性の強い歌人というと、井辻朱美と紀野恵がすぐ頭に浮かぶ。

陶製の浴槽バスに体をはめこみて森の国カレドニアでの暮れぬたそがれ 井辻朱美『水晶散歩』

中国の茶器の白さが浮かぶ闇ここ出でていづれの煉獄の門

王女死せし砂漠のうへを吹き来し吾がほそ道の火の躑躅揺る 紀野恵『架空荘園』

女東宮にょとうぐうあれかし庭に雀の子遊ばせてゐる二十五、六の

 井辻はファンタジー文学の研究者であり、もともと物語は得意なテリトリーである。また紀野においてはその詩想の高踏性が物語と親和性が強い。井辻や紀野の歌が短いながらも一行の物語を語っているのにくらべて、笹原の歌の物語はその未完性と断片性にある。笹原は一つの物語を語り終えることをめざしておらず、むしろ物語を未完のままにし断片化することによって、歌を外へと開いている。自身次のように詠んでいるとおりだ。

大鴉さいごの章を銜へ来よ此処は未完のものがたりゆゑ

 もうひとつ注目されるのは、言葉を用いて歌を作っているにもかかわらず、言葉以前への憧憬が繰り返し述べられていることである。

まだことば生まれぬまへに祈りはあつた綺羅めく空に膝を折りし日

身ぬちにて昏くさゆらぐ月のみづうみ言の葉をまだ知らぬさひはひ

 言葉がまだない昔に人間はより良き状態にあったというのはルソーの『言語起源論』を思わせる。言葉を自在に操る達人ならばこそ、言葉が捉えきれない始原の意味に憧れるのかもしれない。それは次のような歌にも繋がっているようだ。

いつよりかわれらひそかにもちしは心 神の訪ふ日の木末こぬれに隠し

 本歌集を読んで私が心惹かれたのは次のような歌である。このような人生詠は以前の歌集にはあまり見られなかったものだ。

 

のちの世はよみひとしらずの詩となりてこどくなあなたの灯火の友に

うつつでは忘れられたるゆめみどり私のノオトでたゆたふことを

放物線そのはじまりが水滴でをはりが風跡そんな一生ひとよ

ひとはゆめみる儚ごと もみぢならもみぢのかたちに散るまでを

 あとがきに「このつたない歌集がたとえば深夜、孤独な人の灯火の友にでもなればそれにまさる喜びはありません」と書かれているので、一首目はその願いをストレート詠んだ歌である。「自分の歌が後の世で詠み人知らずとならんことを」という願いは、「消私」の願望に他ならない。つまり作者は〈私〉とは何ほどのものでもないと思っている。ならば当然、短歌は自己表現の手段ではない。笹原の短歌の背後に「たった一人の私」を求めても無駄である。かくのごとくに笹原は近代短歌の王道とは異なる道を歩んでいるのである。

 では笹原にとって短歌とは何かということが二首目に詠まれている。「ゆめみどり」は蝶の古名で、今はもう忘れられた古い名だ。効率と営利追求の現代社会にゆめみどりの居場所はない。ならば私のノオトの中に安らぐがよい。これが笹原にとっての短歌である。

 三首目と四首目は人生詠に分類できる。特に四首目は心に沁みるが、若い人にはなかなかわからないかもしれない。「紅葉なら紅葉のかたちに散るまで」というのは、人生の残り時間を数えるようになってわかる境地である。

森のみどりそれより空のふかみどりしたる罰か手のひらに森

パンゲアにいつの日か帰ることあらむとほき始祖も知らぬ悔恨

ゆたけしな黒髪さわぐ秋篠ゆ朱色の櫛を拾ふゆふぐれ

かの御手みてに掴まれたくて蒼穹にさしいれてみるとがふかき手を

耳底じていはもみづうみに聴くセレナーデが奏でしかはるかなるねぎ

悦楽園園丁がのこす花式図は緋色の迷路シラクーサ

花積みの舟が港に着いた朝こめかみからまづ冷える如月

 特に印象に残った歌を引いた。いずれも塚本邦雄が「上質の不可解」と評した笹原短歌の美質を遺憾なく発揮している歌である。意味を説明しろと言われると言葉に窮するが、意味を超えた明滅するイメージの美しさがある。「悦楽園園丁」や「花積みの舟」はいかにも塚本好みだ。

 中でも特に印象に残ったのは次の歌である。

ふるさとで綺麗な着物をきて生きる おほよそのことはあとのゆふぐれ

 「おほよそのことはあとのゆふぐれ」と言い切る潔さが素晴らしい。笹原の短歌は「自我の詩」である近代短歌の王道からはずいぶん外れた歌なので、決して短歌シーンの主流になることはないだろう。それは本人がいちばん自覚しているにちがいない。そのうえで「主流とは何ほどのもの」というつぶやきが聞こえて来そうである。

 

第280回 富田豊子『漂鳥』

死に急ぐ者にはあらぬわが影をふたたび蝶のよぎる突堤

富田豊子『漂鳥』

 上句で「死に急ぐ者にはあらぬ」と断っているのは、一人ポツンと港の突堤に佇立する姿が、これから身投げしようとしている人に見えるからである。しかしわざわざ断る言葉に含まれる否定形が、歌の〈私〉が死を意識していることを否応なしに照らし出す。歌に描かれているのは〈私〉の影だけである。その影を一頭の蝶が横切る。それも一度ならず二度までも。それを吉兆と取るか凶兆と取るかはその時の心の有り様によるだろう。あるいはその両方かもしれない。どことなく不穏な気配の漂う歌で、これが作者の持ち味なのである。

 富田豊子は昭和14年(1939年)生まれ。1974年に安永信一郎主宰の歌誌「椎の木」に入会。安永蕗子の指導を受ける。1985年に「花粉症の猫」で第28回短歌研究新人賞候補となる。『漂鳥』は1987年刊行の第一歌集である。他に『薊野』(2004年)、『火の国』(2010年)、『霧のチブサン』(2016年)がある。

 短歌を読み始めた頃は、気に入った短歌や気になった短歌をノートに書き写していた。その中に富田の歌があった。

黄昏が黄泉へとつづく時の間を一輪車漕ぎ児は遊びをり

 出典まではメモしなかったので、どこで見た歌かはわからない。一読して心を捉えられた歌である。この歌を書き留めたのはもう15年以上も前のことなのだが、富田の短歌をもっと読みたいと思い、第一歌集『漂鳥』(1987年)を入手した。それまでに作った千首を超える歌から441首を選んだ堂々たる第一歌集である。跋文は安永蕗子、装幀は小紋潤。版元は富士田元彦の雁書館である。

 刊行された1987年という年号を見ると、現代短歌に親しんでいる人ならばピンと来るにちがいない。そう、俵万智『サラダ記念日』が出た年である。その他にも小島ゆかり『水陽炎』、大津仁昭『海を見にゆく』、加藤治郎『サニー・サイド・アップ』などが刊行され、短歌年表には「この年、ライトヴァースの是非をめぐる議論が白熱」とある。しかしライトヴァースを担った歌人たちよりずっと年長で、肥後の国熊本在住の家庭婦人である富田は、日本の中央で起きている短歌の流れとはまったく無関係に自分の個性を作り上げている。

 富田のベースは旧仮名の端正な文語定型であり、その主な主題は「生と死が絡み合いあざなえる日常」である。

葬り処の風を背負ひて来し我か黒きコートをぬぐ夜の部屋

トラックに満載されし鶏卵のかすかうめくがごとき坂みち

泣きながら足袋のこはぜをとめてをりかの屈葬のかたちのままに

影といふまがまがしきが従きてくる豆腐一丁下げゆく時も

卵白をかきまぜてゐる朱の箸自が骨片を拾ふことなし

 一首目は友人の葬儀から戻って来た場面。安全な場所であるはずの我が家にまで、死の臭いのする風が吹いて来る。二首目は養鶏場から鶏卵をトラックに乗せて出荷する場面だろう。何ということはない農村の日常風景だが、作者はそこに鶏卵のうめき声を聞いている。それは無精卵としてこの世に生まれたからか、それとも間もなく食べられてしまう運命にあるからか。三首目はなぜ泣いているのか理由は明かされていないのだが、足袋を履いているので和服の正装で出かける支度をしているのだ。かがんでこはぜを止める姿勢が古代の甕棺に埋葬する屈葬の姿勢と同じだという。喪服を着て葬儀に出かける前かもしれない。四首目は近所の豆腐屋で豆腐を買って帰る場面。ふつうならばこれから夕食と家庭の団欒が待っているはずなのだが、作者の目につくのは禍々しい影である。五首目は台所で卵白をかき混ぜている場面。手に持っている箸からの連想で、火葬場で焼かれた火との骨を拾うことを思っている。確かに骨を拾うのは他の人で、自分の骨を拾うことはない。

 これらの歌に登場する「鶏卵」「足袋」「豆腐」「卵白」「箸」などはごく日常的な家庭的アイテムなのだが、富田はそこに「あざなえる生と死の影」を見てしまう。日常生活の折節にふと顔を覗かせる不穏な気配を感じてしまう。それを歌に詠むことが作者の個性となっている。あとがきには「天翔るものへのひそかな思慕を抱きながら残光の坂をくだった」とあり、跋文で安永は「ふと垣間見た何ほどもない風景に、思いがけぬ人生の深淵を見てしまう。謂うならば不幸な感性を身につけている人である」と作者を評している。師の慧眼恐るべしである。また安永は、「文芸の業に身を入れたもののそれは不幸でもあるが、毒のうま味のある自己剖見が、表白の舌をよろこばせるのである」とも述べている。玩味すべき言葉であろう。「毒のうま味のある自己剖見」は次のような歌にある。

 

椅子盗りの椅子にはぐれてゐし日より幸運などの来ることのなし

風のなか人の乗らざる回転の木馬は回る汚れて回る

きりわりし南瓜が笊に乾きゆく自滅の過程みるごとき日々

小鰈の白き胞子はららご食ひつくすわれのうちなる辛酸の管

人間の貌を曝して夕ぐれの腸詰ひさぐ店先を過ぐ

 

 二首目の汚れた回転木馬や三首目の乾きゆく南瓜は眼前に自己投影された客体である。四首目の「辛酸の管」は自分の消化器で、五首目では自分は人前では人間の顔をしているが、実は人間ではない面も持っているという独白。富田は夫も子供もいる「普通の妻」(安永)だそうだが、「文芸の業に身を入れたもの」であるために、家庭婦人という立場を振り切っている。そこに歌の凄みが生まれる理由がある。

 富田の目は日常の取るに足りない細部にも注がれるのだが、その描き方が普通ではない。

昨日よりおく塵芥に濡れてゐる使ひ捨てたる水色のペン

ドラム缶のへりにそこばく溜りゐる雨水を時に風が吹きゆく

晩春の雨を吸ひゐるダンボールどのあたりより崩れはじむる

焼きすてし畑田にのこるまくわ瓜大き頭蓋のごとく転がる

少年の含羞のごときハムの耳截り落としたる俎の上

 ゴミ袋に入った捨てられたペンや、ドラム缶の縁に溜まった雨水や、雨を吸って膨れあがったダンボールなどは、美的観点から言えば歌に詠まれるような美しいものではない。畑に打ち捨てられたまくわ瓜や、ハムの切れ端も同様である。しかしながらこのような物もまた私たちの生活の一部であり、人生を彩るものでもある。まくわ瓜を「頭蓋のごとく」と喩え、ハムの切れ端を「少年の含羞のごとき」と喩えるとき、そこにふだん私たちが目にしているものとは異なる風景が現出する。

 

白蓮の花瓣のごとき軟骨が瓶に浮かびて在るガラス棚

喪の服の気付けをなして得たる銭折りじわつきてわがたなの内

方形の朱の壺ひとつ卓の上わが骨充たすことも幻

川の面に白き網打つ少年の網にとらるる夜の星群

西へき流るる野川に青き菜の帰命とおもひ石橋わたる

忽ちに雨の匂ひとなりてゆくバスを降りたる現し身われの

くもりたる天の片処にほのかなる井水と見えて冬の日輪

段丘をのぼりつめても冬の土蝶の青濃きしかばねに逢ふ

 

 印象に残った歌を引いた。いずれも日常の風景が作者の感性のフィルターによって濾過され、それが確かな措辞によって硬質の叙情へと昇華されている。バブル経済の前夜、世が口語短歌とライトヴァースへと向かっている時代に、その流れに敢然と逆らうような硬質の抒情詩が作られていたことに改めて驚く。もっと読み返されてよい歌集である。

 

第279回 宮川聖子『水のために咲く花』

夏すべて壊れものなり指先に切子の波は鋭く立ちて

宮川聖子『水のために咲く花』

 上句にまずあるのは、「夏には何もかもが壊れてゆく」というシオラン張りの崩壊感覚である。歌は二句切れで三句以下は叙景に転ずる。「指先に切子の波」はややわかりにくい。切子とは江戸切子や薩摩切子などで知られる硝子の器のことだろう。すると手に硝子の器を持っていることになる。指先で切子の鋭い角に触れる。すると硝子の角は波のように鋭く立ち上がるように感じられる。最後まで読んでから上句に立ち戻ると、「壊れもの」と「切子」とが縁語関係で反照し合い、また「夏」と「切子」の涼しげな様子が結びついて、一首に統一感を与える。なぜ作中の〈私〉は切子硝子の角が波のように鋭いと感じたのかは語られていないが、切子の波は作中の〈私〉の心の波を反映していることはまちがいない。なかなか美しい歌である。

 『水のために咲く花』は2019年に書肆侃侃房からユニヴェール叢書の一巻として刊行された歌集である。巻末の短いプロフィールによれば、著者の宮川は2003年に未来短歌会に入会し、加藤治郎の選を受けている。本書は著者の第一歌集である。監修と跋文は加藤治郎。歌集題名は集中の「葉に露の流るる深き朝の底水のために咲く花を見ていた」から採られている。

 驚くのは本歌集が「父の声」と題された父親の死をめぐる連作から始まることである。

声のする処置室の前のカーテンの下にうごめくゴムのスリッパ

病室の天井並んで見た夜の闇を囲んだ新緑の木々

春雷の伝わる空気に揺れながら煙の父は消えてしまった

枕には郵便受けあり父からの白紙の電報届く夜毎に

フォーマットされてはいないからだにはなにも書きこめないことを知る

 一首目、スリッパを履いているのは医師と看護師である。処置の間、患者の家族はカーテンの外に出されて文字通り蚊帳の外である。スリッパだけが描かれているところが悲しい。二首目は付き添いのために病室に泊まった折の歌だろう。病室からの灯りで外の庭の木々が見えるのか、それとも消灯しているので木々の新緑は昼間の記憶なのか。三首目、春雷の遠く轟く日に父親は旅立った。四首目、亡き父から夜毎の夢に届くのが手紙ではなく電報なのは、急ぎ娘に知らせたいことがあるためか。五首目は父親の死の悲しみから何も手につかない状態を、フォーマットされていないハードディスクに喩えた歌。

 あとがきによれば、父親の病室で付き添いながら、闘病記録の片隅に短歌を書いたのが、短歌に手を染めたきっかけだという。短歌の永遠のテーマは生老病死である。人は誰も生きて老いて病を得て死ぬ。宮川がノートの片隅に短歌を書き始めたのは、病者に付き添う長い夜の時間潰しではあるまい。心の中に何か吐き出したいものがあったからにちがいない。

 歌人に限らず芸術家の個性の二大巨頭は主題と文体である。画家ならば何をどのような筆致で描くか、歌人ならば何をどのような文体で詠むかだ。現代芸術は「何を」つまり主題より「どのように」という手法にウェイトを置く傾向をどんどん強めた。その典型は現代音楽であるが、短歌も例外ではなく、前衛短歌も口語短歌もニューウェーヴ短歌も「どのように」を主戦場とした。しかし「何を」つまり主題も短歌の重要な構成要素であることを思えば、歌人が何に着目し何を取り上げているかに個性が出るのもまた当然のことである。

 そのような目で宮川の短歌を眺めてみると、次のような歌が目に着くのである。

ワンスモア同じではないワンスモア薄まるしかない二回目の茶葉

ウィンカーのカチカチという方角は行きたい場所とは限らないよね

ほんとうは吊り上げられたくないのです水風船のゆらめきの光

立つ人のいない白線続きおり無人駅にはベンチとわたし

消しゴムに聞いてはみます消しカスの行方を気にしたことはあるかと

手紙束まとめ続けてはりついた切れる間際の輪ゴムによろしく

 一首目、ティーバッグの紅茶を淹れるとき、一度目は濃く二度目は薄くなる。ワンスモア「もう一度」と唱えれば同じことがくり返されるように思えても、二度目は一度目と同じではないというのが厳正な真実である。二首目、ウィンカーを出すとカチカチと音がする。しかしウィンカーの示す方角が自分行きたい方角とは限らない。三首目は夜店の風船つりの光景で、作者には吊り上げられる風船が実は吊り上げられることを望んでいないように見えている。四首目、無人駅には乗客が誰もおらず、一人でベンチに腰掛けている。五首目は消しゴムの消しカスを詠んだ歌で、六首目では劣化してプチンと切れる間際の輪ゴムが詠まれている。

 短歌はもともと大きな物語を入れる器ではなく、小さなものを掬い取るのが得意なのだが、それにしても取り上げられているのが出涸らしのティーバッグや切れる間際の輪ゴムというのはあまり見られない選択である。このような主題の選択が示しているのは、作者が心の深い所に不全感を抱えているということだ。不全感のような負の感情もまた作歌の発条となるのである。

 その不全感の全部ではないものの大きな原因となっているのは、作者に子供ができないということである。

待ち合いの一方を向く顔顔顔産みます産みたい産めぬが座る

産みたいと産みたくないはひとくくり少子化要因にわれも入りたり

「二人でも家族なりけり」立て札に書かれてあった不妊の頂上

生まれ来ぬわが子よあなたがいたのならわたしが何かわかったものを

いくたびも画数を尋ねどちらにも合う名をつける透明な子に

 「夫婦二人でも家族ですよ」というのは、誰かから掛けられたなぐさめの言葉かも知れないが、本人たちにとっては残酷な言葉だ。「自分は何者であるか」という対他的な自己規定に子供という項目が含まれているとき、その欠落は大きな不全感の要因となるのはまちがいない。歌に詠まれた光景のどこかに寂しさがいつも漂っているように見えるのはそれゆえだろう。

落陽の部屋にこの日も箱があり開ければひとつまた箱がある

海岸の小鳥は歌うかつて見たみどりの記憶とこもれびのゆめ

手を開けば風を選んだ灰である意味などないとあとかともなく

オールのないボートと気づくこの画面あなたが鳥と思えた朝に

何回もダイヤルしてはやり直す夢の歩道に無数の電話

 いずれも実景ではなく心象風景を淡いタッチの水彩画のように詠んだ歌だが、どこを切っても寂しさが滲み出て来るような歌である。おそらく作者にとって短歌は、その時々に感じたことを描く心のメモのようなものなのだろう。歌は展覧会に出品する作品として彫琢されているというよりも、もっと作者の心の近くに置かれているように思える。

今を摘み今を束ねるてのひらの野に蒔かれゆく青き種子たち

夕焼けの搾り出したるオレンジを飲み干すばかりの遠い欄干

グレナデンソーダに遊ぶ炭酸がおさまるまでの恋する時間

グラウンド端の蛇口に初夏のひかり一滴落ちる間に間に

手のひらに真夏の点眼のせてみる幽かな青のかけら見るから

薄桜散り急ぐ日は花曇り空か花かを見紛うように

 特に印象に残った歌を引いた。書き写していて気づいたが、作者にとって青という色は希望の色であり、良きものを象徴しているようだ。

 本書でユニークなのは「昭和ファンタスティック」と題された連作である。

わぁっすれられないのぉ~ピンキーの山高帽にかかる指先

飛び出した笠谷幸生の着地見て夜毎布団にダイブする兄

美しく窒息しつつ咲くのだと教える「愛の水中花」ゆら

 一首目は1968年にヒットしたピンキーとキラーズの「恋の季節」、二首目は1972年の札幌冬季オリンビックのスキージャンプの金メダル、三首目は1979年にヒットした松坂慶子の歌謡曲。平成の世を経てもはや令和となった現在では、「昭和は遠くなりにけり」なのだと改めて感じたことである。


 

第278回 芹澤弘子『ハチドリの羽音』

盆踊り同じ高さにそよぐ手のをわたりゆく魂のあるべし

芹澤弘子『ハチドリの羽音』

 盂蘭盆会に各地で行なわれる盆踊りの光景である。盂蘭盆会には家の前で火を焚き、茄子や胡瓜で馬を作って祖先の霊を迎える風習がある。掲出歌に詠まれた魂はそうして現世に戻って来た祖霊だろう。この歌のおもしろさは、盆踊りの輪を作る人ではなく、踊りにつれてそよぐ手に着目したところにある。描かれているのはイソギンチャクの触手のごとくゆらゆらとなびく手のみで、その下にいる人は夜の闇にまぎれて見えない。運動会で行われる「玉送り」という競技がある。一列に並んだ子供が両手を上げて、玉を順番に渡して行く速さを競う競技である。この歌ではまるでこの玉送りのように、なびく踊り手の手の上を祖霊が渡ってゆく。「魂」を「たま」と読ませて「玉」と掛けてのことである。

 芹澤弘子は1946年生まれで、「プチ★モンド」で松平盟子に師事している。プロフィールによると、最初は俳句を作っていて句集もあるという。2010年頃から短歌を始め、『ハチドリの羽音』は第一歌集だというから、俳句の素養があるとはいえ短期間の上達ぶりには驚かされる。跋文は松平盟子で、栞文は小島ゆかりと坂井修一。

 作者は独立した四人の子供がいて孫もいる家庭婦人のようなのだが、一読してまず感じるのは歌の素材の多彩さである。家庭婦人の場合は身辺詠が多くなる傾向があるが、芹澤はその例には当てはまらないようだ。

エジプトの路上にビーズ売りし子よアラブの春に砂嵐吹く

春立てば安達ヶ原の一つ家もおぼろ月夜に毒香るらむ

オキーフが描けば小さな幸せも大きく大きくそれだけを見る

シベリアンハスキーの曳く犬ぞりで白樺林を駆け抜ける快

バザールに乾燥果実買いおればざわめきの中アザーンの声す

雨が好きとウッディ・アレンが言いしゆえ雨を見に行くひとりの午後は

キリンの舌窓よりぬっと入れられて餌をやる手に涎したたる

 一首目は、アラブの春の報道に接して、昔エジプト旅行で見かけたビーズ売りの子供に思いを馳せる歌。春に嵐は付きものという感慨を表す。二首目は歌舞伎を鑑賞した折りの歌で、どこかに本歌がありそうだ。安達ヶ原の一つ家とは、鬼女が旅人を泊めては殺害した家のこと。三首目は展覧会の場面で、オキーフは花弁などを大きく描く絵で知られた画家で、歌の「大きく大きく」はそのことを指す。四首目はアラスカ旅行の折の歌で、五首目はトルコ旅行。バザールの雑踏もさることながら、街に高く響く礼拝を呼びかける声が印象的だったのだろう。六首目は一人居の身を感じさせる歌だが、決して湿っぽくはなく明るい。七首目は人が車の中にいるサファリパークの光景である。ざっと目を通しても驚くばかりの行動力で世界をめぐり、さまざまな物を見聞している。注目すべきは、見たものを記憶しそれを輪郭鮮やかに描く技術と、一貫して見られる明るさだろう。

 しかし明るいばかりではない。次のような歌もある。

一生の長さ一炷のそのあわい ながれる雲の速さ見ており

 「一炷」は「いっちゅう」と読み、線香が一本燃え尽きるまでの時間だという。一回の座禅の長さを時計代わりに線香で計るらしい。ここでは短い時間の喩として置かれている。流れる雲もまた時間を表すことは言を俟たない。ここには遥か昔から俳句や短歌など短詩型文学に脈々と流れて来た思想があることに注目しよう。

 第二次大戦後に桑原武夫が第二芸術論を著したことはよく知られているが、その際に桑原の念頭にあったのは西洋の芸術である。西洋の芸術は、その源流であるギリシア・ローマの彫刻・建築を見てもわかるように、永遠の美を理想とした。その根本は普遍と調和と完全である。バルテノン神殿のように、あるいはミロのビーナス像のように、完璧に調和の取れた永遠の美が理想とされたのだ。大理石像に注ぐ陽光はあくまで明るく、乾燥気候ゆえに光と影が織りなす明暗の境界は鋭く中間はない。矛盾律と排中律はギリシア哲学の基礎である。ひるがえって日本の和歌や俳句など伝統的詩型が重んじたのは移りゆく美であり、風に舞う落花飛花のようにはかなく消える美である。移ろうものや消えゆくものに心を寄せるのが習いで、湿潤気候も与って明暗の境界は曖昧であり、明快な二分法からは遁走する。このように俳句や短歌が掬い上げるものの背後には移ろう時間の影が常に揺曳している。坂井修一が見つめる毬の影もそれと異なるものではない(朝日新聞2020年4月5日付の朝日歌壇俳壇の文章)。芹澤の短歌もこのような大きな流れの中にあることが確認できるのである。

 作者の父上は大学の研究者だったらしく(馬の睫毛おさなき記憶につながりて研究室の父の顕微鏡)、夫君は医者で共にアメリカで暮らしていたこともあるらしい。その夫君が黄泉の旅路についた折りの一連は心を打つ。

これまでに成しとげしことただひとつ夫亡くなりて結婚の完

ひとつずつ生の痕跡消えてゆく眼鏡・免許証・Lサイズのシャツ

ごみ箱にゴルフグラブは捨てられたりクラブ握りし形のままに

墓石には〈夢〉の一字が刻まれて雪ふる中にゆらぎつつ浮く

爪研がぬウルフとなりて果てし人草原わたる風に眠れよ

アスファルトに爪つっかかりつっかかり歩みがたかりけむ現世の道

 三首目の、ゴルフグラブがクラブを握る形のままにゴミ箱に捨てられるという歌はリアルで心に迫る。人が亡くなるとはこういうことだ。最後の二首は、医者としての理想を曲げぬために周囲と衝突することがあったという夫君に思いを馳せての歌だろう。

色水は作れぬ白き朝顔は庭の余白を充たしつつ咲く

帰るなき魂ただようや鈍色の鐘の聞こゆ海見ておれば

灯をともし路地あかあかと立ちあがる海に夕日の沈むを待ちて

草の中ひそやかにある終点の線路の断面ぬらす霧雨

梅雨明けのきざしは窓にさす光白き花さえ濃き影を持つ

死はすぐに取り除かれて水槽のランプ明るし瞼なき魚

 印象に残った歌を引いた。少し驚いたのは四首目の歌で、鉄道の終点駅は確かに線路が終わる場所だが、切断された線路の断面が露出しているということはあるのだろうか。ふつうは車止めなどが置かれているはずだ。しかしもしこれが「断面は霧雨に濡れているにちがいない」という想像によって生まれた歌であるとするならば、それはそれで美しい。

 少し気になることがあるのであえて書いておきたい。

町中に監視カメラの眼が光る神になれぬは死角あるゆえ

歩道橋風に吹かれて渡るとき首を延べたるキリンの心地

みはるかす視界は天と地のふたつ点景なきことかくものびやか

 私にはこのような歌はおもしろいと思えない。それは歌意が一首の中で完結してしまっているからである。一首目は監視社会に対する嫌悪を表した歌だが、いくら監視カメラが設置されても神にはなれない、それは死角があるからだと、理由まで提示している。俳句と同じく短歌もまた「○○だから△△だ」という因果関係を嫌う。二首目は歩道橋の上で風に吹かれる心地よさを詠んだ歌であるが、それは首を延ばしたキリンの心地だと作者が特定している。三首目はモンゴルで草原に立った折の歌だが、「かくものびやか」は作者ではなく、歌を読んだ読者が感じなければならない感覚である。

 歌はどこで成立するか。永田和宏は短歌における読者論を展開している数少ない論者だが、永田は「歌は作者と読者のあいだで生まれる」と述べている。短歌は作られた時ではなく、読まれた時に歌となる。中島みゆきが作詞作曲し、平原綾香が歌っている「アリア」という歌に、「1人では歌は歌えない。受け止められて産まれる」という歌詞の一節があるが、まさにその通りである。

 では読者が受け止めてどうして歌の中に入ることができるのか。それは歌に通路が開かれているからである。通路が開かれていると、読者はそこを通って歌の中に入り、「ああ、そのとおりだなぁ」とか「そのときどんな気持ちになるのだろうか」などと、まるで自分が体験したことであるかのように思いを巡らせることができる。しかし一首の中で歌意が完結していると通路がなく、読者は示された読み方しかできなくなってしまう。

ブラインドの羽根より西日差しこめり壁のピエロにうつる濃き影

 この歌の歌意は完結しておらず、読者にたいして通路が開かれている。ブラインドから差し込む西日が壁に掛かっているピエロの絵に縞模様の影を落としているという光景が描かれているだけで、意味づけがされていないからである。読者は意味の隙間をすり抜けて歌の中に入り、自由に想像を巡らすことができる。そのような短歌の持つ生理をあらためて思わせてくれる歌集である。

 

第277回 笠木拓『はるかカーテンコールまで』

もうここへやってきている夕映えの手首まで塗るハンドクリーム

笠木拓『はるかカーテンコールまで』

 不思議な歌である。「もうここへやってきている」は「夕映え」にかかる連体修飾句だから、夕映えの時間が予想よりも早く訪れたことを意味する。あるいはここへは来ないと信じていた夕映えが訪れたのかもしれない。だとすれば歌の〈私〉は幼児のごとくあり得ないことを信じ、それにすがって生きていたとも考えられる。この歌の工夫は三句の「夕映えの」の連接のずれである。「夕映の」が直接に「手首」を修飾するのは無理がある。だからここには統辞の詩的なずらしがあり、上句までと下句は繋がるようで意味的に断絶している。四句以下は手にハンドクリームを塗るという極めて日常的な行為が描かれている。ところが意味的にレベルを異にする上句があるために、その日常的な行為に、例えばこれから最終決戦に赴くというような、何か特別な意味が付与されているように見えるのである。その効果によって歌全体に、取り返しのつかない一回性、追い詰められたような切迫感が生まれている。

 笠木拓は1987年生まれ。大学入学の頃から短歌を作り始め、京大短歌に所属。第58回角川短歌賞で「フェイクファー」50首により佳作、第6回現代短歌社賞次席。同人誌「遠泳」に参加している。『はるかカーテンコールまで』は2019年10月に刊行された第一歌集。版元は港の人で、たぶん京大短歌の先輩で角川短歌賞受賞者の光森裕樹に倣ったものだろう。

 笠木の作風が多くのポスト・ニューウェーヴ世代もしくはゼロ年代の歌人と共通しているのは、ゆるやかな定型意識、文語を交えた口語ベース、会話体の挿入、低体温で希薄な〈私〉という点だろう。

手を振っているばかりだね僕たちは別な海辺の町で生まれて

映写機の中の世界を思わせてゆるやかに夜の市バスは過ぎる

噴水ふきあげは水の額か この手のひらを添えたいけれどどうにも遠い

ビニールの撥水加工うつくしと傘の内側より見ておりぬ

(永遠は無いよね)(無いね)吊革をはんぶんこする花火の帰り

 一首目の「僕たち」は恋人か恋人未満の関係だろう。「僕たち」には深く繋がりたいという欲求があるのだが、それを叶えることができずに手を振るばかりである。二首目、夜の町を市バスが過ぎる光景がまるで映画に映し出されたのように見えるのは、現実に対して疎外感を抱いているからだろう。自分はこの世界に生きているのだが、そこにほんとうに参画しているという実感が持てないのである。三首目はストレートに対象に手が届かない焦燥感を表している。四首目、ビニール傘の内側は何かに守られた世界であり自閉した空間である。その内側からビニール傘を通して外を見ている。五首目の(永遠は無いよね)(無いね)は、一首目の「僕たち」の会話だろう。花火大会を見た帰りにバスか電車に乗っている。車内は混んでいるので一つの吊革を二人で握っている。それは普通に考えればとても親密な空間である。しかし二人は睦言を交わす代わりに永遠など存在しないことを確認しあっている。それは裏を返せば二人が共有する「今」こそが大事なのだということでもある。

 ポスト・ニューウェーヴ世代の短歌の特徴については、もうひと昔以上前になるが、2007年の『短歌ヴァーサス』終刊号に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生とは違う」という文章が今でも有効である。斉藤はまず短歌の私性を論じるときの私を二つに分ける。「私」は「私は身長178cmである」と言うときの私で、客体用法と呼ばれる。これは言わば公的な私であり、誰が見てもそう見える私である。一方、「私は歯が痛い」「私には黄色く見える」と言うときの〈私〉は主体用法と呼ばれていて、一人称の私が内側からしか知ることのできない私である。知ってか知らずか斉藤が例を挙げるとき、「痛い」という感覚述語、「見える」という知覚動詞を選んでいるところに注意しよう。日本語では「うれしい」「悲しい」のような感情述語、「寒い」「痛い」のような感覚述語は一人称でしか使えない。「私はうれしい」はよいが、「太郎はうれしい」とは言えない(ただし過去形ではこの制約は解除され、「太郎はうれしかった」と言える。それは語りになるからである)。また「ある」「いる」などの存在動詞、「ほしい」「したい」などの願望動詞と並んで、感覚動詞・知覚動詞は終止形で現在を表すことができる稀な動詞である(そうでない「走る」で現在を表すには「太郎は走っている」のようにテイル形を用いねばならない)。だからこれらの動詞は主体用法の〈私〉と親和性が高いのである。その上で斉藤は次のように述べている。

 近代短歌において、「私」とは実在の「私」であった。前衛短歌において、虚構の「私」が導入された。(…)ニューウェーヴでは、前衛短歌にあった大きな物語が否定 / 無化され、「私」の特殊さが〈私〉に接続され、「わがまま」な歌となった。そしてポストニューウェーヴ世代において、「私」の特殊さは歌から排除され、あるいは「私」まるごと歌から排除され、そして〈私〉が生きるが残った。「私」から切り離された〈私〉というわかもののたたずまいは、若いころ威勢のよかった人々には羊のように歯がゆく映るかもしれない。しかし、若者が〈私〉に尊厳の根拠を置かざるを得ないのは、社会が流動化し、中長期的な「私」の安定が失われたからである。

 要するに、現代の若手の短歌では、他者と共役することを初めから考えない極私的な自我に作歌の根拠が置かれているということである。その上で、ポストニューウェーヴ世代の短歌には「今ここの〈私〉を生きる」感覚が溢れていることを、中田有里の歌を引いて論じている。

本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある

カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる

 曰く、「断続的につらなる〈今ここ〉の意識が流れつく先で、〈私〉が「水」や「歯磨き粉」に出くわしている」、「「私」の心情は全く投影されていない」とし、「〈私〉のかけがえのなさをたいせつにするということが、ポストニューウェーヴのわかものをつらぬく特徴である」と結論している。

 なかなか急所を突いた議論で、ポストニューウェーヴ世代の短歌の特徴を剔抉していると言えるだろう。確かに笠木の歌集にもそれを思わせる歌がある。

つま先が飛行機雲に触れるまでブランコをただただ軋ませる

捨てられた傘へと傘を差しかける最終バスを待つ束の間は

水切りにいい石が見つからないね うんと先まで残照の川

地下街の花にも雨をみせたくて背丈の低いひまわりを買う

 しかしながら本歌集を通読すると、「今ここの〈私〉を生きる」からは遠く離れた感覚を詠む歌が多いことに気づく。そのことが笠木の歌の個性になっている。たとえば次のような歌である。

青鷺、とあなたが指してくれた日の川のひかりを覚えていたい

遠いものばかりを許し僕たちは雨の港に船を見送る

もう何も入れなくてもいい額縁をレインコートの腕がいだきぬ

テーブルを拭う夕べはさよならをしなかったひとばかりが遠い

乳液を貸すのもこれが最後だと気づいて朝の雨をみている

忘れた、といつか答えて笑うだろうこの夕暮れの首のにおいも

 一首目、川の中州に佇む鳥をあなたが青鷺だと教えてくれたあの日はもう二度と戻らない。二首目、遠いものばかりを許すということは、近いものは許さないということだ。雨の港を出港する船は誰を乗せているのだろう。三首目、絵か写真を収めてあった額縁は今は空っぽだ。中身はとうに失われてしまい戻って来ない。四首目、夕食後にダイニングテーブルを布巾で拭いている。「さよなら」とちゃんと別れを告げた人に較べて、挨拶をせずに曖昧に別れた人の方を遠くに感じている。五首目、アパートに泊まった彼女に翌朝乳液を貸してあげる。それも今朝が最後なのは別れを決めたためである。六首目、今隣にいる恋人に頬を寄せると漂う首の匂いも、いつかは忘れてしまうだろうという予感がする。

 これらの歌に通底しているのは切実な「喪失感」であり、「あの時は二度と戻って来ない」感ではないだろうか。どうやら作者にとっては、「今がいちばん輝いている」と感じることが難しく、現実の過去もしくは想像上の世界で輝く瞬間を哀惜する気持ちが強いのである。哀惜することによってその時はいっそう輝くという構図になっている。これは斉藤斎藤が指摘した、ポストニューウェーヴ世代の「今ここ」感覚とはほど遠いものと言わねばならない。なぜ失われたものを哀惜するのか。それは内向し漂流する〈私〉の繋留点を探し求めているからである。〈今ここ〉に輝きを認めることができないならば、探し求める〈私〉の繋留点は過去か想像界の中にしかない。未来はもとより射程の埒外である。

 

飛ぶものを目で追いかけた夏だった地表に影を縫われて僕は

鳥はその喉に触れえず鳴くものを地上の声を飛び越えてゆく

夏の日の空をめがけて投げ上げるラムネの瓶の喉元の玉

母からの花の絵文字を川べりにひらいて閉じるまでの黄昏

弟の頬に灯れりおそなつのテレビ小説のその照り返し

いつか死ぬそのいつかを鳥は鳴き渡りあなたは夜へ踵を返す

カーディガンのボタンの上を揺れていた木彫りの小鳥まどべのひかり

あめひかる夏のゆうべは浅瀬めく駅前広場踏み越え ゆかな

 

 印象に残った歌を引いた。過去形で詠まれていなくても、〈今ここ〉は失われることを宿命づけられているかのように描かれている。そのために夏の光がきらきらと輝く歌でも、色彩にはすでにセピアの影が忍び寄っている。集中でいちばん好きな歌を挙げておこう。光と影とが交錯する歌である。

日の照れば返すひかりのはかなさのさくらばなとは光の喉首のみど

 最後に歌集タイトルに触れておく。カーテンコールとは、演劇で幕が下りた後に、観客に拍手に応えるように緞帳が上がり、舞台に出演者が並んで挨拶する場面をいう。芝居の余韻を味わう終幕の一瞬である。「はるか」には、終幕がまだ遠く先にあり、その瞬間まで平板な日常を生きねばならないという認識と、その瞬間までは何とか生き延びようという意志が込められているのだろう。よいタイトルである。


 

第276回 松本実穂『黒い光 2015年パリ同時多発テロ事件・その後』

坂道の続くゆふぐれ死んでゐる魚を提げて女歩めり

松本実穂『黒い光 2015年パリ同時多発テロ事件・その後』 

 夕暮れの坂道の光景から始まる初句において、すでに統辞が詩的にずらされている。「坂道が続く」という連体修飾句は、ふつうは「街」「界隈」という場所名詞にかかる。ところがここでは「ゆふぐれ」という時間名詞にかかっている。ということは、夕暮れという時間を体験している不可視の〈私〉(認知言語学では概念化主体 conceptualizerという)が背後にいて、「坂道が続く」という空間把握と「ゆふぐれ」という時間把握を架橋していることになる。このように短歌では統辞のずれが歌の背後に〈私〉を浮上させることがある。

 問題は三句目の「死んでゐる」だ。夕刻の買物帰りの女性を詠んでいるので、買物籠の中にあるのは市場の魚屋で買った魚だ。だから死んでいるのは当然なのだが、私たちは普段、魚屋で売られている魚を「死んでいる」とは言わない。それは私たちが「食材」としてカテゴライズしており、「生き物」としてカテゴライズしていないからである。このように私たちの認識は、日々無意識に行なっているカテゴライゼーション(範疇化)に依存している。範疇化とは「区別する」ことに他ならない。フランスで異邦人として暮らす作者には、そのことが一層強く感じられるのだろう。

 本歌集は「心の花」所属の歌人松本実穂の第一歌集である。プロフィールによれば、作者はフランス在住17年に及ぶ。もともとはご主人の転勤によってリヨンに暮らすことになったが、持ち前の行動力でセミプロカメラマンとして日本大使館の公式カメラマンを務めたり、ソムリエの資格を取得してワインコンクールの審査員をしたりと実に多彩である。本書にも作者撮影の写真が多数収録されており、歌集というより歌集・写真集となっている。帯文は佐佐木幸綱で、栞文は作者の広い交友関係を反映して、写真家ハービー・山口、心の花の大口玲子、画家の赤木曠児郎。

 2012年に佐佐木幸綱がリヨンを訪れたことがきっかけとなり、リヨン在住の日本人を中心としてリヨン歌会が結成された。最近マルセイユに抜かされたようだが、リヨンは長らくフランス第二の都市で、絹織物で栄えた街である。ポール・ボキューズを始めとする美食の街としても知られている。松本も佐佐木幸綱のリヨン訪問をきっかけに作歌を始めたようだ。

 さて、『黒い光 2015年パリ同時多発テロ事件・その後』という題名を見てもわかるように、本歌集の大きなテーマは2015年にフランスで起きた同時多発テロである。

十三日の金曜日にテロはなされしと新聞にあり煽るごとくに

追悼、愛国、右へ倣へといふごとくトリコロールの顔が増えゆく

劇場惨状伝ふる中継の声に重なるイマジンの歌

戦争が始まつたんだね月曜日の市場に花と水を買ひにゆく

パタクラン劇場前の路地の上に四本の薔薇濡れて横たはる

 イスラム過激派によるテロはパリ市内の劇場と郊外のサッカー場を標的として多くの犠牲者出した。大統領はただちに戒厳令を敷き、警察と犯人グループの間で大規模な銃撃戦も起きた。無差別テロは耳目を集める大きな事件であるが、歌人としての松本は犠牲者を悼みつつも、事件の周辺に目を配っていることに留意しよう。一首目、テロが13日の金曜日に実行されたと報じる新聞は、大衆の怒りを煽っているかのごとくである。13日の金曜日を不吉とする習慣は、キリストが十字架に架けられたのが13日の金曜日であったことに由来するので、キリスト教徒独自のものである。二首目、犠牲者を哀悼する気持ちはたやすく愛国心を鼓舞し、異教徒や移民を排斥する動きへと繋がることに作者は危惧の念を覚えている。三首目、にもかかわらずlove and peaceを歌うジョン・レノンのイマジンは、荒ぶる魂を慰撫するようにラジオから流れる。四首目の「戦争が始まつたんだね」はおそらく子供の言葉だろう。日本では考えられないが、フランスでは普段から小銃や機関銃を携帯した警察官や兵士を町中でよく見かける。ましてや戒厳令ともなれば軍は総動員されて町は兵士だらけとなる。五首目のパタクラン劇場は90人近い犠牲者を出した劇場で、作者の目は追悼のバラの花が雨に濡れそぼる様に向かっている。

命を産む女に生まれ爆弾を体に巻かれ死にてゆきしか

三色の雲を引きゆくミラージュはいづこを爆撃せし戦闘機

それぞれに人うつむきて座りをり〈兵隊募集〉のポスターの下

国籍を再び問はるテロ警戒巡視パトカー戻り来しのち

Mission vigipirateテロ特別警戒〉パトカーのミラーより見られてをらむ三叉路にて

 フランスは報復としてシリアを空爆した。革命記念日にパリ市の上空を飛行するミラージュ戦闘爆撃機ももしかしたらシリア空爆に加わった機体かもしれない。同時多発テロ以来、軍隊を志願する若者が増えたと聞く。テロはまたフランス在住の外国人に注がれる眼差しを変化させる。フランスで暮らしていると、道で警官が寄ってきて「Vos papiers, s’il vous plait」(身分証を見せてください)と言われることがある。職務質問だが、テロが起きるとその頻度は増す。作者も在仏外国人としてその眼差しの変化を体感しているのである。

 短歌は小さな器なので、同時多発テロのような大きな出来事を詠うことは難しい。出来事自体が大きすぎて、短歌という器をはみ出してしまう。松本が取った手法は、出来事自体を詠うのではなく、出来事に接してさざ波のように生じた〈私〉のゆらぎ、もしくは〈私〉と「世界」(あるいは「社会」)の関係のゆらぎを描くというものである。おそらくそれが短歌で大きな出来事を詠う唯一可能なやり方だろう。

 本歌集にはもちろん異なる主題の歌も収録されている。その多くは松本が撮影する写真と同じように、フランスの日常の街角の光景である。

ハーモニカの音かすれをり地下道に投げ銭を待つ小さき子どもの

マカロンのかさこそ箱に鳴るやうに売られてゆきぬ朱き小鳥は

乗り換への人の流れを割く岩のやうに座れりシリアの母子

曇り日の日時計の影ほの蒼く人とわれとの隔たりを告ぐ

言ひつぱなしの約束のやう夕空に残されてある細き梯子は

 一首目は地下鉄の通路で芸をして投げ銭を待つ異邦人の子供。二首目は小鳥市で売られてゆく小鳥。三首目は大勢の人が行き交う地下鉄の乗り換え駅の階段に座るシリア人の親子である。書き写していて気づいたが、どの歌にも対象に注ぐ眼差しに、見る〈私〉と見られる対象とを隔てる距離感が、光に寄り添う影のごとくまとわりついている。この距離感は紛れもなく異国で暮らす異邦人の眼差しである。言うまでもないがこれはいわゆる海外詠とはちがう。海外旅行に行き珍しい光景や事物を詠む海外詠は、ややもすれば観光絵葉書のようになりがちである。それは物珍しさが先に立ち、短時間の滞在では眼差しが対象に食い込むことがなく皮相な印象に終始するからだ。松本は長くフランスに住んでいるので旅行者ではない。従って海外詠に付きものの弊は免れてはいるものの、対象との距離はやはり異邦人のそれである。そのような意味でも興味深い歌と言えるだろう。

汗のにじむはだへのごとく街の灯を浮かべて昏く流れゆく川

絹雨のマルシェの隅の花籠にミモザは淡き光をあつむ

人に名を初めて呼ばるその声の新しきまま夏となりゆく

靴ひもを丁寧に結ぶ指先のきゆつと止まりてわれに夕凪

握りゐる掌をひらきゆくひんやりと魚の化石のやうな夕どき

さつきまでパンだつたはずパン屑がテーブルに落とす十月の影

 印象に残った歌を引いた。同時多発テロのその結果暮らしに生じたさざ波のような変化が本歌集の主な主題なのだが、上にも書いたように出来事の規模が大きいため、その発端から帰結までを頭で理解しようとすると、「○○が起きた、その結果こうなった」という因果関係が主軸となりがちだ。そのこと自体は悪いことではなく、大きな出来事を詠むときには避けがたいことでもある。しかし因果関係を主軸とすると歌が痩せるのもまた事実である。歌意を100%説明できる歌は魅力を減ずる。読む人が想像力で膨らませる余地がないからである。例えば上の五首目を見てみよう。掌を握っていたのはなぜか、またその掌を今度は開くのはなぜか、まったく説明されておらず、ただ事象として差し出されている。「ひんやりと」は魚の化石にかかるのか、それとも夕どきにかかるのかも両義的である。そもそも「ひんやりと」は連用修飾語だから体言にはかからないはずで、ここにも統辞のずれがある。また夕どきの喩として「魚の化石のやうな」は意外でありながら、その冷たさ、不完全さ、脆さ、またすでに絶滅した種という隔絶感を通じてよそよそしい夕どきの喩として成立している。

 作者は17年にわたるフランス滞在を切り上げて日本に帰国したようだ。長年海外で暮らして帰国すると、今度はリップヴァンウィンクルよろしく日本で異邦人となる。それがどのような短歌となって結実するのか楽しみではある。

 

第275回 遠藤由季『鳥語の文法』

聴いている。茗荷ふたつに切り分けた静けさに耳ふたつひろげて

遠藤由季『鳥語の文法』 

 おもしろい歌だ。「聴いている。」という倒置法から始まる。読む人の心には「はて誰が何を聴いているのだろう」という疑問が湧く。するといきなり茗荷が登場する。包丁で縦に二つに切り分けた茗荷は、宝珠を二分した形をしている。「茗荷ふたつに切り分けた静けさに」まで読んでもまだわからない。「耳ふたつ」に至って茗荷が耳たぶの喩であることがわかる。従って歌意は「歌中の〈私〉は何かに静かに耳を傾けている」となる。しかし〈私〉が何に耳を傾けているのか明かされてない。

 言い伝えによれば、釈迦の弟子に周梨槃特スリバンドクという人がいて、自分の名すら忘れるほど物忘れの激しい人だったという。その弟子の墓に生えて来た植物に、弟子にちなんで茗荷と名付けたと伝えられている。茗荷とは「名を荷う」つまり「名前を忘れないように持って行く」」という意味である。俗に茗荷を食べ過ぎると物忘れすると言われているのはこの故事にちなむものだろう。

 さて〈私〉は何に耳を傾けているのか。それは自分の心の中の洞に湧く音だろう。作者はどうやら鬱屈を抱えている。それは同じ連作内の「鬱の字を一画ごとに摘まみ抜き息吹きかけて飛ばしてみたし」や「三億円当てたら何が楽になる黄のパブリカを半分に切る」といった歌を見ればわかるのである。読者は一巻を通じてこの作者が抱える心の屈折に出会うことになる。

 『鳥語の文法』(2017年)は、第11回現代短歌新人賞を受賞した『アシンメトリー』(2010年)に続く第二歌集である。「鳥語」は「ちょうご」ではなく湯桶読みで「とりご」と読む。本コラムの『アシンメトリー』の歌評で、この歌集の特徴は相聞であるといささか独断的に述べたのだが、『鳥語の文法』は第一歌集とずいぶんトーンと主題を異にする。それは作者の人生に大きな変化があったためである。

息つまる夕食ふたり終えたのち月の照る場所見失いたり

照明を点けず荷造りしておりぬ追い立ててくる影はいくつも

空の壜捨てるこころは痛みおり婚解きにゆく霜月の朝

障子にて包まるる感覚あらぬ家父、母、われは仕切られて居り

もやしからひげ根を取ってゆくような経理の仕事今日もこなさむ

 一首目の「ふたり」は作者と夫の二人である。結婚生活は破綻し、もうこの家に月が照る場所はない。作者は何かに追い立てられるように、夜中に荷物をまとめて家を出る。そして離婚届けを出すのだが、空き瓶を捨てるのにも心が痛むのは、自分が結婚生活を捨てようとしているからに他ならない。家を出た作者は実家に戻る。今まで暮らしていた日本家屋とはちがって、実家はマンションである。作者は実家で両親と暮らし始め、会社勤めをして経理の仕事をすることになる。その仕事はもやしからひげ根を取るような根気を必要とし、徒労感をもたらす仕事である。

 短歌は〈私〉の文芸なので、至る所に〈私〉が顔を出すのは当然なのだが、本歌集の特徴は、作者が内側から感じる〈私〉だけではなく、外側から見ている〈私〉が多く感じられることだろう。

戸の軋む食器棚にはガラス板疲れ切りたるわれを映せり

サルよりも暗きこころを持つましらつり革握り締めてわれ立つ

灯を消したロッカー室に標本となりたるわれが立ち尽くしいむ

ガラス戸に翳り映れるわが顔もわが顔 鳩が白く過ぎりぬ

 一首目、食器棚の扉が軋むのは、それなりの年月を経ているからで、それはまた家庭の歴史でもある。この歌ではガラス戸に映る〈私〉を見ている〈私〉という二重構造がある。二首目、「ましら」は猿の古語なので同じものなのだが、作者はあえてそこに違いを見出している。より暗い心を抱えた〈私〉はヒトと呼ばれる生物とはいささか異なるものに化しているということか。三首目は職場のロッカー室に人体標本となった〈私〉がいるだろうという想像の歌。標本になっているのは中身を抜かれてカラカラになっているからである。四首目もガラス戸に映った自分の顔の歌である。

 このような歌は次の歌へと地続きに繋がっている。

眼底を覗かれており隠されていたわたくしのダム湖の昏さ

一台のレントゲン車に技師こもりひとりひとりの洞を撮りゆく

 一首目は眼科医院での眼底検査の情景で、私の眼底を覗くと隠れた暗いダム湖が見えるだろうと詠んでいる。二首目は職場での健康診断の光景で、レントゲン写真を撮影すると誰もが心の中に抱えている空洞が映るだろうという。

 短歌を視線の方向で分類すると、おおまかに「上を見上げる歌」と「下を俯く歌」に分かれるように思う。しかし遠藤の上のような歌は「中を覗き込む歌」とでも言えるだろうか。なぜ中を覗き込むかというと、それは心の中にぼっかりと大きな空洞を抱えてしまったからである。その空洞が遠藤の歌に屈折を与えている。

事務所にはスープの匂いが入り乱れ昼の男らもくもくと吸う

おにぎりとペヤングソース焼きそばの昼食ののち読書する社長

午後五時半ピースの嵌るパズルなりみなパソコンに向かう事務所は

段ボールを束ねるという地味な作業終えて夕暮れむっつり帰る

カステラの弾力のうえで休みたし働いても働いてもひとり

 職場詠からいくつか引いた。このような生活感漂う具体性は第一歌集『アシンメトリー』には見られなかったものである。これもまた実人生の経験が遠藤の歌に与えた変化と言えるかもしれない。

重き頭を揺らさずに立つ紅き菊 影身じろがずゆうやみのなか

御茶ノ水LEMON画翠に眺めいる色鉛筆は色彩増えおり

日本人われのみ傘をひらきおり翡翠の雨降る永華路よんふぁるぅ

わけのわからぬものが心に。まくわうりぺちりと叩けば水ゆがむ音

駅頭に夜の花屋は開かれて影ごと花を売りさばきおり

質量の見本のような羊羹の並ぶとらやはデパ地下の奥

夕立を崩さぬように入りたる洋菓子店にレモン水冷ゆ

コンビニはそのうち影も売るだろう闇をなくした夜を背負いつつ

あおむきの蝉をすべらす風吹きぬ渋谷の深き谷の底から

 集中で印象に残った歌から引いた。一首目、大輪の菊が風に揺れることなく夕闇に立つ様はそれだけで美しいが、右へ左へと揺らぐ作者の憧れが投影されているようでもある。二首目、LEMON画翠は駿河台駅前などに店舗のある画材屋で、その界隈は作者には思い出のある場所のようだ。昔は24色くらいだった色鉛筆は色の数が増えて160色などというものもある。作者はそこに時間の流れを感じている。三首目は台湾旅行の羇旅歌。日本人は雨に濡れることを嫌う民族ですぐ傘を差すが、台湾の人は多少の雨は気にしない。「翡翠の雨」と「よんふぁるぅ」という音が美しい。四首目はまくわうりを叩いた時の音を「水ゆがむ音」と聞いているのがおもしろい。五首目、夜になると路上で花を売る花屋は主に繁華街の駅前にある。これから夜の街にくりだそうという人を目当てにしているのだろう。客に手渡される花には夜ならではの影がまとわりついている。この影に着目するのがいかにも短歌的である。六首目は思わずくすりと笑った歌。作者は中央大学で化学系の学科を卒業した理系女子である。確かに黒々としてずっしり重い羊羹を見ると、キログラム原器のように見えなくもない。少なくとも食品からは遠い外観だ。七首目、「夕立を崩さぬように」というのがどのような心情を表しているかはわからないが、下句が美しい。八首目は文明批評的な歌。深夜まで煌煌と明るいコンビニには闇がない。なくなったものなら価値があるので、そのうち闇も売るだろうというのだろう。九首目は蝉が寿命を終える晩夏の光景である。渋谷の深い谷から吹く風は、バッハのオルガンコラールDe Profundis「我深き淵より御名を呼びぬ」を連想させる。

 あとがきで作者は、「自らのけはいは、ほとんどの歌の背後に揺らめいているように思う。消そうとしても消せなかったのだとも思う」と記している。短歌が「私性」の文学である以上そのことはあらゆる短歌に言えることなのだが、遠藤が述懐しているように本歌集には〈私〉が多く顔を覗かせている。それは作者の人生の変化とおそらく連動しているのだろう。