033:2004年1月 第1週 錦見映理子
または、白の世界に繰り広げられる極彩色の心象風景

蜜満ちてゆくガーデニア・ガーデンを
        等圧線は取り囲み 雨

       錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』
 歌集の題にもなっているガーデニアとはくちなしのことである。梅雨時に白い花を咲かせるくちなしは、むせかえるような甘い香りを放つ。特に雨のときに香りが立つようだ。そんなくちなしばかりが咲いている庭が、ガーデニア・ガーデンなのだろう。日本で屈指の肉体派作家の丸山健二が安曇野の自宅に独力で作り上げたすばらしい庭は、『夕庭』(朝日出版社)で美しい写真とともに紹介されているが、白い花ばかりが咲く白の庭園である。くちなしばかりが咲いている庭もまた、濃いグリーンと白しかないどこか禁欲的であると同時に肉感的な庭園だろう。その庭を低気圧の混んだ等圧線が取り囲み、雨が降っているという光景である。私たちの目に見えるのは、降っている雨だけで、等圧線は目には見えない。このように、錦見の歌には、本来ならば目に見えないはずのものが多く詠われている。そしてこのことは、作者の資質と深く関係しているように思われる。

 錦見は1968年生まれで、短歌結社には所属せず、最初はカルチャー・スクールなどに通って独学で短歌を作り始めたという。後に田島邦彦の主宰する「開放区」に投稿するようになった。短歌を作って6年とあるから、逆算すると始めたのは1997年頃ということになる。言うまでもなく『サラダ記念日』以後に短歌を始めた世代に属する。私が年代にこだわるのは、『サラダ記念日』は宝塚歌劇団における「ベルサイユのばら」に相当し、「ベルばら」以前からのファンと以後のファンの質が本質的に異なっているように、『サラダ』以前の歌人と以後の歌人のあいだには乖離があると感じているからである。これは短歌の世界における「世代論」なのだが、また別に書く機会もあろうから、ここでは書かない。

 『ガーデニア・ガーデン』は著者の処女歌集で、本阿弥書店の新しいシリーズであるホンアミレーベルの第一巻として出版された。栞には藤原龍一郎、田中槐、田島邦彦、井上荒野が跋文を寄せている。私が好きな歌が最初の方に集中しているのは、制作時期とは逆順の構成を取っているからである。つまり最初の方に出てくる歌ほど最近作られた歌だということである。歌集を一読して感嘆した。溢れる才能とはこのことを言うのだろう

 極彩の鳥を見にきて見ざるまま夕闇或る一語を放つ

 かの夜の水を閉じ込めすきとおるままに腐りてゆくまでを見よ

 手をあげて腋下をさらす 祝祭の前夜くまなく奪われるため

 サフランの花柱の浮かぶ黄の水 淡き妬心のにじみて甘し

 飲食の最後にぬぐう白き布汚されてなお白鮮(あたら)しき

 ひと昔前の文学批評にテマティック批評というのがあった。作品に繰り返し出現する主題・テーマを拠り所として作家の世界に迫るという方法論である。この方法論に倣うならば、錦見の作品世界に反復されるのはすぐれて視覚的な映像であり、とりわけ色彩である。一首目の極彩の鳥、四首目のサフランの黄色、そして五首目のナプキンの白が、それぞれの歌の核をなしている。なかでも特に白という色にこだわりがあるようだ。白の登場する歌を引いてみよう。

 白き魚そよぐ甘藻に分け入りて階段状の快楽に落ちる

 弥生町四丁目裏 純白の魚のひとたび跳ねるを見たり

 風葬のごとくしずかに白き花ながれて止まぬ園に逃れん

 かなしみはかなしみのまま中空に一艘の白き舟発たしめよ

 うたたねのあなたの足に射すひかり白蛇のようにゆっくりよぎる

 いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る

 すぐに気が付くのは、これらの歌に詠われているのは、私たちが日常目にする白い物体ではないという点である。一首目の白い魚は実在の魚ではなく、溺れていく快楽を表わす心象風景である。二首目の純白の魚が弥生町四丁目裏で跳ねているというもの、現実の出来事とは思われない。また五首目の白い蛇は光の比喩である。この謎を解く鍵は六首目にあるようだ。「異常に白き終電」とは、車体の外装が白く塗られているということではあるまい。暗い夜に電車に乗ると、車内の蛍光灯の照明が明るすぎて、露出過剰の写真のようにハレーションを起こしている状態であろう。栞の跋文で田中槐が指摘しているように、この真っ白な世界は錦見の想像のなかにある世界であって、ある時には快楽の頂点を、ある時には悲しみの果てを表わす記号的価値を帯びた象徴世界なのである。このように見えない世界を見えるように詠うところに、錦見の歌人としての資質が端的に現われている。

 錦見の短歌が描くもう一つの世界は、自我を忘れて没入するような官能的な境地である。

 草いきれはげしく息をふさぎくるくちづけ濃闇まみれの愛

 ぬるい息外耳にふれてヴェルヴェット・ヴォイスの渦にしずむ薔薇園

 熱性の病見えざるままに身を冒しつくすをうっとりと待つ

 口中に金魚の泳ぐ心地してかみ殺したくなるディープ・キス

 うねうねと動くくちびる蛭に似て吸いつきやすき窪みを探す

 草いきれを嗅ぐ嗅覚、息が外耳に触れる触覚、ヴェルヴェット・ヴォイスを聴く聴覚、金魚が跳ねる口内感覚など、感覚器官の五感をフル稼働させて、極めて身体感覚的な歌の世界を作り上げている。

 2003年5月に創刊された「短歌ヴァーサス」に寄せられた歌も印象に残るものが多い。

 林間に声ひとつあり 身のうちに酸を満たして落ちる果実の

 オキシフル泡立つ床に黒白(こくびゃく)のタフタのリボンしずかにほどく

 みすいろは蜜色やがてゆうやみが来ましたという文字は滲みて

 これからが楽しみな歌人というと、いかにも月並みな表現だが、『ガーデニア・ガーデン』の巻末あたりに配された初期の歌と、巻頭の近作を比較すると、歌人が長足の進歩を遂げたことがひと目でわかるだけに、今後の活躍が待たれるところである。

 


錦見映理子のホームページ

032:2003年12月 第5週 田中 槐
または、観察点の公共性

気づかないふりしてただけ回転を
       終えた景色は遅れて止まる

        田中槐『退屈な器』(鳥影社)
 田中槐(えんじゅ)は1960年生まれ、「未来」の同人で、処女歌集として『ギャザー』(短歌研究社)がある。プロフィールによれば、浜松の高校に通っていたとき、教師に村木道彦がいて、それが短歌との出会いだったそうだ。何という幸福な出会いだろう。槐(えんじゅ)という名前はぺンネームで、今まで男性が女性かわからなかったのだが、今回歌集を読んで女性であることがわかった。

 掲載歌はメリーゴーラウンドに乗っている情景を詠んだものである。メリーゴーラウンドの回転は本当はすでに止まっているのだが、周りの景色はまだ回転しているように感じており、客観的現実と主観的意識のタイムラグがこの歌の趣旨である。しかし、この歌の前後には次のような歌が並んでおり、メリーゴーラウンドはひとつの比喩に過ぎず、本当のテーマは家族の崩壊であることがわかる。

 Merry-Go-Round が回る一周を「家族」のまま演じておりぬ

 つるつるで冷たい馬だわたしから逃げゆく父の乗れる白馬は

 いつまでも同じ速度で逃げてゆく父よ電池が切れてしまった

 空白の多いアルバム ぼろぼろの家族を螺旋の金具が綴じる

 雑踏にまぎれゆく母右の手に見ず知らずなる少年をひき

 母親が家族を捨てて別の男と結婚し、父親もまた新たな女性と再婚し、まるで「岸辺のアルバム」さながらに家族が崩壊する。残されたのは自分と弟のふたりとなる。田中はこの家族崩壊の苦しみを執拗に短歌にしている。

 家族崩壊という経験の深刻さはよくわかる。しかし、ご本人には悪いが、そのテーマが短歌として詠まれたときに、読者としての私に伝わって来るものは、田中の個人的経験にすぎず、あくまで個人的経験の域を出ていないと感じてしまうのである。これはなぜだろうか。

 ギブソンの創始した生態心理学には、「観察点の公共性」という概念がある。生態心理学では、主体としての自己は「環境に埋め込まれた」エコロジカル・セルフと規定され、自己の知覚と環境世界の知覚とは相補的であるとされている。つまり、「世界を知覚すること」は「私を知覚すること」であり、その逆もまた成り立つのである。環境世界のなかで知覚者としての自己が位置する場所を「観察点」と呼ぶ。観察点は言語においては、次のように働く。

 1) 八百屋は向かいにある

 2) 嵐が近づいている

この文には表現されない観察点がある。八百屋は知覚者である「私」から見て向かいの方向にあり、嵐は「私」がいる場所に近づいているのである。だから、「八百屋は向かいにある」は、実は「八百屋は(私の/私から見て)向かいにある」の省略形なのだ。このとき、知覚者である「私」は潜在的に含意されているが、文で表現された「見え」のなかには含まれない。このことは、次のような文についても成り立つ。

 3) 夜景がきれいだ

 4) 工事の音がうるさい

「きれいだ」「うるさい」と言うからには、そのように知覚している人がいなくてはならないが、それは表現されていない。これが知覚者としての自己、エコロジカル・セルフである。

 観察点は本来、知覚している自己に固有のものである。他の誰も私になりかわることはできないからである。しかし、観察点は「公共化」することができる。私が見ているものを、他の人も見ることができるようにするのである。

 5) 八百屋は交番の向かいにある

 6) 嵐が東京に近づいている

 このようにすれば観察点を「公共化」できる。公共化された観察点には、「私」の入る余地がもうない。だから、「八百屋は交番の向かいにある」には、1)の文と異なり、「私の/私から見て」を挿入することができない。ところが、なかには容易に公共化しがたいものがある。その代表は「うれしい」「悲しい」などの主観的感情、「痛い」「かゆい」などの感覚である。

 7) 父の死が悲しい

 8) 右膝が痛い

 表現されていなくても、「悲しい」「痛い」と感じている主体は、知覚者としての自己以外ではありえない。知覚主体を三人称にして、「山田君は父の死が悲しい」とするとおかしいことは、日本語の世界ではよく知られたことだ。「山田君は父の死が悲しいのだ」とか「悲しがっている」などとしなくてはならない。こうすると客観的報告になり、第三者でも表現可能になる。

 さて、長々と生態心理学におけるエコロジカル・セルフについて述べてきたのは、短歌はことのほか「うれしい」「悲しい」などの主観的感情をその主要なモチーフとしてきたからである。個人の心の内に湧き上がる感情は、本来他人が共有できるものではない。観察点を公共化することができない個的なものである。しかし、短歌に詠み込むためには、それを公共化しなくてはならない。このできないはずのことを可能にするのが短歌の力であると言えないだろうか。

 倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ 
                  小池光『パルサの翼』

 おもかげに顕(た)ちくる君ら硝煙の中に死にけり夜のダリア黒し
                  宮柊二『晩夏』

 亡き人のショールをかけて街行くにかなしみはふと背にやはらかし
                  大西民子『雲の地図』

 小池の歌は不遇の小説家であった父の死を詠ったものである。父の死を悼みつつも、小池には家族に貧乏を強いた父に対して複雑な感情がある。その感情が、父の形象化である倒れたヒマワリを跨ぎ越すという仕草によって表現されている。宮の歌は戦死した友人を悼む歌であり、行き場のない追悼の気持ちはかたわらに咲く黒いダリアに深くこめられている。大西の歌は、家庭的に不遇であった歌人がたった一人の肉親である妹を失ったあとのもので、遺品のショールをかけて街を歩けば、悲しみの量が減ることはないが、ショールの暖かみに妹が感じられて悲しみが和らぐ気がすると詠っている。いずれも本来は他人と共有できないはずの深刻な個的感情を詠った歌だが、それを読む私にはその感情が十分に公共化されていると感じられる。私にもその感情の一端が伝わり、短歌として成功している例である。本当ならば本人にしかわからないはずの感情が、倒れた向日葵や黒いダリアや遺品のショールに形象化され詠われることで、「観察点の公共性」に到達しているのである。

 ひるがえって田中の短歌を見直してみると、表現がいかにも直截であり、短歌として昇華することなく、感じたことをそのままに投げつけている感じがする。ここには作者である〈私〉の視点だけが充満している。そのような作り方をされた歌には、読者はなかなか共感を持って入っていくことができないのである。

 それに引き替え、同じ歌集にある次のような歌は共感できる。

 ふかみどり色の服来た郵便夫鮟鱇のごとき鞄をさげて

 手袋の左右の差ほどの違和感でくちづけに知る心変わりを

 渡るべき橋の長さを思いつつ水鳥の美しさを言おうか

 待つときにやわき腋窩をさらすこと諾しより恋は始まりぬ

 郵便配達夫のはちきれそうな鞄を鮟鱇に見立て、恋人の心変わりを手袋に喩えたとき、〈私〉(=田中)と読み手である私のあいだに、鮟鱇や手袋という第三の項が象徴的に介在することで、「観察点の公共性」の実現する継起が生まれている。

 最近の歌を読んでいると、田中のようなタイプの短歌の作り方をする人が増えて来たように感じられる。これは佐佐木幸綱が「短歌のカラオケ化」と呼んだ現象と関係しているのだろうか。ちなみに「短歌のカラオケ化」とは、誰もがマイクを持って歌いたがり、誰も人の歌を聴いていないというカラオケボックス的状況をさすのであるが。


田中槐のホームページ

031:2003年12月 第4週 水原紫苑
または、カテゴリーを自在に越境する美の探索者

美しき脚折るときに哲学は
   流れいでたり 劫初馬より

          水原紫苑『びあんか』
 私の知り合いで、水原と早稲田大学の仏文科で同級だったという人がいる。その人の話では、当時から水原は独特の雰囲気のある女性で、「あんな風に生まれていたら、ちがう人生を送れただろう」と周囲に思わせる何かを持っていたという。

 水原は高校生の頃から短歌を作っていたらしいが、第一歌集『びあんか』で1990年に現代歌人協会賞を受賞して、はなばなしく歌壇にデピューした。1987年に俵万智の『サラダ記念日』が出版され、口語によるライトヴァースの時代と騒がれた直後だけに、水原の端正な文語短歌は驚きを持って迎えられたという。その作品世界は解説を書いた高野公彦により、「透明伽藍」と形容された。確かにその作品群は透明な輝きを持つと同時に、寺院の伽藍に喩えられるスケールの大きさを感じさせる。水原の短歌の魅力は、端正な古典的語法を駆使することで、伝統的和歌の世界の美意識を踏まえながら、時に強引なまでのイメージの衝突を恐れない大胆な発想にある。

 掲載歌では、馬の脚の骨折と哲学の起源という、本来ならばまったく相いれないものがひとつに歌われている。なぜ馬が脚を折るときに哲学が流れ出るのか、散文的で合理的な説明は難しい。しかし、サラブレッドがその華奢な脚を骨折するという、悲劇的でありながら限りなく美的なイメージと、古代ギリシアにおける哲学の起源という形而上学的問題とがひとつの歌のなかで出会うとき、そこには火花を散らす磁場のような共鳴世界が現出する。こうして何とか説明しようとすることが虚しく思えるほど、そこには美しい世界があると感じてしまうのである。

 炎天に白薔薇(はくそうび)断つのちふかきしづけさありて刃(やいば)傷めり

 殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あきつ) 行け

 われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる

 天球に薔薇座あるべしかがやきにはつかおくれて匂ひはとどく

 白鳥はおのれが白き墓ならむ空ゆく群れに生者死者あり

 水原の師は中部短歌会の春日井建であり、アララギ系統のリアリズム短歌ではなく、実生活とは無関係な美的世界を言葉の力で構築する短歌世界をめざしている。処女歌集『びあんか』に収録された第一首の「炎天に」の薔薇と刀の組み合わせには、春日井の濃厚な影響が感じられる。

 水原の個性としてよく指摘されるのは、人間と動物、生物と無生物、動物と植物といったカテゴリーを自在に飛び越える想像力である。『新星十人・現代短歌ニューウェイブ』(立風書房)に解説を書いた川崎賢子は、「水原紫苑は、ひととモノ、ひととケモノ、自己と他者との差異の消滅する境地を歌う」と評した。例えば、上にあげた第三首の「われらかつて」で詠われている夕暮れの風景は、ヒトの祖先がかつて魚であったカンブリア紀の水中の藻の蔭に喩えられている。また次の歌では、自分がガラスや貝や時計を生むという、まさに種を越えた幻想が詠われている。

 宥されてわれは生みたし 硝子・貝・時計のやうに響きあふ子ら

 岡井隆によればこの歌の眼目は、時計のようにチクタクと鳴り、貝殻のように響きを発するという、物件のおもしろさの方にあるという(『現代百人一首』朝日出版社)。岡井は水原の短歌について、「平成短歌特有の没歴史的な抒情」と、手厳しい批評を下していることも付け加えておこう。確かに岡井のように、かつて人生を賭けた政治活動に基づく歴史意識を作歌の基盤としている歌人から見れば、水原のように自在な幻想を呼び込む短歌世界は、いかにも甘い絵空事に見えるのかも知れない。

 しかし、水原の持ち味である強引なイメージの結びつきは、時には難解という評価を生むことになる。例えば、次の歌は『短歌パラダイス』(岩波新書)の歌会で、「パラシュート」の題詠で出された歌である。

 パラシュートひらきし刹那わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ

選評ではこの歌の意味をどう解釈するかで意見が分かれた。問題は「わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ」の部分である。パラシュートが開いた瞬間に、「私の顔を象ったステンドグラスが見える」ならば、見ている人は地上にいる。パラシュートをステンドグラスに喩えたと見ることもできる。しかし、見方によっては自分自身がパラシュートで降下しているともとることができる。解釈が分かれて、吉川宏志は「水原の歌の特徴は主体と客体の区別がない点だ」と弁護に回っているが、いかにも苦しい。

 しかし、公平を期するために、水原の短歌は難解なものばかりではなく、次のようなのびやかな歌もあることも付け加えておこう。

 菜の花の黄溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに

 坂くだる少女の爪のはらはらと散るくれなゐを聴きつつゆくも

 みづうみ、と呼びかけしなり名をもたぬみづうみわれらを抱かむと来つ

 水原は人前に出るときはいつも着物姿で、梅若流の能に入門し、古典芸能に造詣が深い。年齢を重ねるとともに古典の世界に入って行くのは、馬場あき子の例を引くまでもなく歌人のひとつの王道である。ここから次のような歌が生み出される。

 わらふ狂女わらはぬ狂女うつくしき滝の左右に髪濡るるかも

 白色尉・黒色尉の昼夜より濃き千歳が朝焼けあらむ

 ヴェネツィアングラスを投げし僭主あり梅若大夫いかに応へし

 しかし、これは水原の短歌にさらなる難解さを加えることになっていないだろうか。舞台芸術や古典芸能は、知っている人、見た人でなくてはわからない世界である。短歌のなかに舞台芸術や古典芸能を自在に引用することは、水原の短歌の美の世界を広げることになるかも知れないが、逆に読者を遠ざける結果にもなりかねない。

 本がどうしても見つからないのでうろ覚えの引用だが、かつて赤江瀑が歌舞伎の名優・中村歌右衛門を題材にした短編を書いたとき、中井英夫が巻末の解説で、「美の毒は作者にまっさきに回ったのだろうか」という意味の手厳しい批評を書いていた。作者は美の毒をコントロールしなくてはならないのであり、自分がその毒に溺れてはならないということである。水原の古典芸能への接近がそのような結果にならないことを祈るばかりである。

030:2003年12月 第3週 村上きわみ
または、大きな物語が終ったあとで河原に修辞を探す

酢のなかでゆっくりと死ぬ貝類の
       声聞く七月某日真昼

            村上きわみ『fish』
 短歌は結社と歌誌を発表の場とするというのが、伝統的な歌の世界の方法だった。歌壇で重きをなす歌人の主宰する結社に所属し、歌会で短歌を発表して批評を受け、選ばれて歌誌に掲載されることで、自分の作った短歌が公の場に出て行くという経路である。しかし、世はインターネット時代である。もっとライトな感覚で短歌を詠み、人に読んでもらうということがふつうになった。そんな時代の変化に呼応して、新しい歌誌『短歌ヴァーサス』(風媒社)が創刊されたのは今年(2003年)の5月である。特集は桝野浩一と「歌葉」新人賞というところが、この歌誌の性格をよく表わしている。短歌や文章を寄せている人をあげてみると、この歌誌の顧問格と思われる加藤治郎・穂村弘・萩原裕幸という新しい短歌の旗手を筆頭に、玲はる名・天道なお・黒瀬珂瀾・天野慶といった、いずれ劣らぬポップでライトな歌人が集結した感がある。

 掲載歌の村上きわみもその一人で、1961年生まれ北海道在住、北限短歌会とラエティティアに所属している歌人。『短歌ヴァーサス』には、「かみさまの数え方」30首を寄稿している。印象に残った歌を拾ってみよう。

 夜の斧しんから冷えてもう誰も神様のことを言わなくなった

 足首を沼地にしずめ待っているいっせいに歌い出す鳥たちを

 光らせておきましょう 皿におそろしい色の豆料理が盛られても

 みずうみにゆきましょう次の日曜日 紺色のスパイ手帳を捨てに

 さかなから歌を教わるはずだった 「ください」と喉ひらけば水泡

 俵万智の『サラダ記念日』以後、いっせいに短歌を作り出した若い女性の例に漏れず、短歌の定型をおおむね守りつつ、口語とひらがなを多用して、まるで独り言あるいは日記のように書かれる短歌とひとくくりにすることができるかも知れない。しかし、私はそれとは微妙にずれる印象を持った。「夜の斧」「紺色のスパイ手帳」や、ここにはあげなかった歌にある「踵からねむる人」「理髪師の縦縞のシャツ」「えいえんの三角帽子」といった表現に、もう少し短歌的に練られた技巧を感じるからである。そこで歌集『fish』(ヒヨコ舎)を取り寄せて読んでみた。

 『短歌研究』創刊800号記念臨時増刊号「うたう」(2000年12月)で、作品賞の選評をしている穂村弘が、「棒立ちのポエジー」と「一周まわった修辞のリアリティー」というおもしろい概念を提案している。穂村は加藤千恵の「あの人が弾いたピアノを一度だけ聴かせてもらったことがあります」という歌が、よい歌なのかそうでないのか決められなくて困ったという。穂村が「棒立ちのポエジー」と呼ぶ種類の短歌を作る人は、「天然でこれしか書けない人」のことである。つまり「素」の人であって、和歌・短歌の膨大な伝統とは完全に切れており、短歌的技巧とは無縁な人である。その人の作る歌がおもしろいとすれば、それは技巧や作為によるものではなく、その人自身がおもしろい人だからである。一方、「一03わった修辞のリアリティー」とは、「定型をよく知っているんだけど、意識してもう一度、平凡なものの鮮度を回復しようとしている」人の歌の作り方をいう。こっちはわざと周回遅れのランナーのふりをしているので、一見したところ「棒立ちのポエジー」と区別がつきにくいのである。村上きわみの「銀紙を裂いてあげます やさしくて狂いそうです 野蛮なんです」などという歌を見ると、ひょっとしてこれは穂村の言う「棒立ちのポエジー」かと思うのだが、実はそうではなく、「一周まわった修辞のリアリティー」の方である。なぜなら、村上の歌集『fish』を読むと、実に短歌的な次のような歌があるからである。

 しかれども飲食(おんじき)清(すが)し魚汁は頭蓋、目の玉、腸(わた)もろともに

 はかなきは水棲のもの一対の朱(あけ)の扇を呼吸器とせり

 小笠原義肢装具店しんとして米町袋小路夕刻

 ほろほろと肝臓(レバー)食みつつふと思う扱いにくき人の二、三を

 明け方の夢なお著(しる)く色彩をとどめて犬の舌まがまがし

 少年が横抱きにして届けくる黄の水仙ふとなまなまし

 「しかれども」「もろともに」「まがまがし」「著(しる)く」などの文語が的確に使われており、塚本邦雄の「山川呉服店」を思わせる「小笠原義肢装具店」という固有名を効果的に用いている。また句跨りの破調は立派に前衛短歌のものになっている。これは短歌の修辞を知っている人の歌である。

 これらの歌に共通する感覚は、「世界の開示が見せる非日常の異物感」の発見ということができるだろう。それは次の歌に象徴的に歌われている。

 出刃たてて鰍(かじか)ひらけば混沌はいまだ両手にあふれるばかり

 出刃包丁で魚の腹を割いたとき、両手にあふれる臓物を混沌と表現するのは、それが生きているときに外から見た魚の美しさと調和からは想像もできないものだからである。同じことは、魚の鰓を赤い扇のようだと感じるとき、また垂れ下がった犬の舌に不気味さを感じるときにも言える。また夕暮れ時に袋小路に迷い込んで、小笠原義肢装具店の看板を見つけたときの感覚も、同じく見慣れたはずの世界が一瞬変貌する感覚である。ここにあるのは、定型に基づきながら「世界の開示が見せる非日常の異物感」を詠む、短歌の王道を行くような短歌世界である。

 しかし、村上の歌集には、このような短歌とならんで次のような歌も溢れている。こちらは現代のライトヴァースの典型とも言える、誰だかわからないが確かに誰かに向けられた女子高生のつぶやきのような歌だ。

 西陽さすあたりに下肢を投げ出してvaginaゆっくりあたためてやる

 懐かしいような泣きたくなるような空だつないだ指をほどけば

 「どれくらいキライかというとずぶずぶになるまで熟したアボカドくらい」

 作者のホームページを見ると、最近作った短歌がアップされているが、だいたい同じような傾向の歌である。

 点をいくつも打ってここからはわかりやすいお別れのはじまり

 よく通る声をしていた靴紐をきれいにむすぶ指先だった

 至急至急と打電しました(死んでゆく螢のように)スグ来ラレタシ

 するときはむごい心であたらしい星のうまれる音聴きながら

 これを見ると、村上はかつての文語定型による王道的短歌を意図的に捨てたようだ。しかし、だからといって最近の歌が、穂村の言う「一周まわった修辞のリアリティー」と呼べるほど成功しているかというと、これはなかなかむずかしい。私は「しかれども」の一連のような村上の短歌を、また読んでみたいと思ってしまうのである。


村上きわみのホームページ

029:2003年12月 第2週 女歌

 『女うた、男うた』(リブロポート)は、歌人・道浦母都子と京都教育大学教授(当時)で俳人の坪内稔典が、大阪読売新聞紙上で毎回決まったお題に関する短歌と俳句を取り上げて、短い文章を添えた楽しい読み物である。「海」のお題では、道浦が「海のかなたはなべて戦場二人子に添寝ののちの身を引き起こす」という花山多佳子の歌を、坪内は「しんしんと肺碧きまで海の旅」という篠原鳳作の俳句をあげている。版元のリブロポートが廃業してしまったので絶版になっていたが、平凡社から復刊されたのは喜ばしい。ふたりの対談形式の後書によると、当初は短歌や俳句を通してフェミニスムや女性の問題を考える企画だったらしい。しかし、出来上がったものは全然ちがうものになっていて、タイトルの『女うた、男うた』は羊頭狗肉の感がある。

 男の歌と女の歌とはちがうのだろうか。私にはどうもちがうように思えてならない。そのちがいは日本で女性が置かれてきた社会的立場に由来するという社会学的・フェミニスト的分析ももちろん成り立つだろう。しかし、もっと大きな理由は、男と女の目の付け所がちがうからではないかと思う。

 日本における分子生物学の草分けである慶応大学の渡辺格博士のおもしろいエピソードがある。アメリカ滞在中に、クリック博士と会えることになった。クリックといえば、ワトソンと共同でDNAの分子構造を解明したノーベル賞学者である。渡辺博士は和服で正装した夫人とともに、緊張してクリック博士の自宅に赴いた。クリック博士は思いのほか気さくな人柄で、楽しいひとときを過ごして辞去することになった。お宅を出たところで、夫人がため息をついて「あなたは絶対にノーベル賞なんか取れないわよ」とのたもうたというのである。渡辺博士は驚いて、なぜかと問いただした。その理由は、何とクリック博士が右と左で色のまったく違う不揃いの靴下をはいていたからということだった。つまり、左右で不揃いの靴下をはいて客を迎えても気づかないほど実生活には無頓着で、朝から晩まで学問のことだけを考えているような人間でないと、ノーベル賞なんか受賞できないという意味なのだ。この小話のポイントは、偉大なノーベル賞学者に会えて興奮している渡辺博士には、不揃いな靴下はまったく目に入っておらず、同伴した夫人はバッチリ目に留めていたという点である。女性である夫人にとっては、ノーベル賞学者といえども身なりに少々だらしない子供のような男にしか見えていないということなのだ。男と女のものの見方はかくのごとくちがうのである。

 あなたが女性であったとして、イネドの白のスカートにル・ヴェルソーのピンクのセーター、フェンディのバッグとコクシネルの靴に4°Cのネックレスをつけて彼氏とデートして、翌日自分がどんな服装をしていたかたずねて見られるとよい。男はまったく答えることができない。「ええっと、赤っぽいセーターだったかな」などと答えて怒られるのがおちである。そんなもの見ていないのである。しかるに女性は、彼氏と道を歩いているときでも、向こうから来る若い男のイケメン度をチェックしているばかりか、同性の服装までもしっかり目に収めているのである。

 前振りが長くなってしまった。さて、女歌である。

 空壜をかたっぱしから積みあげるおとこをみている口紅(べに)ひきながら 沖ななも

 男はTシャツか何かを着て、汗をかきながら単純肉体労働をしている。女はたぶん向かいの建物の二階の窓から男を見下ろしている。ただそれだけの光景なのだが、私はこの歌を読んでまいったと思った。山下雅人はこの歌について、「男の不毛な行為と、それをアイロニカルに見据える女のしたたかさ」と評した。「空壜をかたっぱしから積みあげる」男の行為は、男が熱中しがちな、そして女から見れば不毛な行為の象徴である。それは権力闘争であり、出世競争であり、昆虫か切手かミニカーのコレクションであり、壮大な世界理論である。男はこういうことが好きでたまらない。しかしこの不毛の行為にふける男を、女は口紅を引きながらどこか醒めた視線で見下ろしているのである。たぶん、心のなかでは「あんな空壜の山なんか、ひと蹴りで壊してやれるわ」と考えているにちがいない。この微妙な危うい距離感と、斜め30度あたりから見下ろす視線がこの歌のポイントだろう。

 梨をむくペティ・ナイフしろし沈黙のちがひたのしく夫(つま)とわれとゐる 松平盟子

 これはなかなか恐い歌である。夜のリビングで食後の梨をむいている。夫と妻には会話がなく、沈黙があたりを支配している。しかし、夫が黙っている理由と妻が黙っている理由は同じではないのだ。そして妻の方はそのちがいを「楽しい」という。ペティ・ナイフの白い輝きが何を暗示しているのか、あまり考えたくない。一般に男はこのように、家庭内の触れれば放電するような磁場に鈍感である。

「妻」という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの 俵万智
 焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き 

 先日シングル・マザーになったと報じられた俵万智の歌であるが、これも恐い歌だ。ずばり不倫の歌である。どんなに男を愛していても、葬式や墓参などの行事に同行できるのは本妻である。それを妻という立場に安住する「安易」と捉えている。電柱の陰から覗いているような視線がある。また二首目ではどういう理由からか、好きな男の娘と話しているのだが、ここでは男が「焼き肉」や「グラタン」と同列に並べられているところがポイントである。少女にとってグラタンが好物なのと同じように、私にはあなたのお父さんが好物だというわけだ。この割り切り方が小気味よい。

 土砂振りの雨を浴びきて肉体を激しきものと思ひかえしつ 雨宮雅子

 今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき 河野裕子

 雨宮の歌は、突然の雨に遭い、たぶん家まで走って帰って来たのだろう。雨に濡れて冷たいが、走って来たので体はほてっている。そのためふだんは意識しない自分の肉体の激しさを感じたのである。河野の歌は女性の性的な感覚を素直に歌っている。女性の歌には、このように自分の身体感覚を肯定的に表現したものが多い。男はどうも頭でっかちな存在なのか、自分の身体感覚を歌にすることが少ないようだ。それどころか、自分とは何かなどという疑問に突然捉えられて、インドかネパールに肉体をいじめる旅に旅立ってしまうのである。

 すこし私をほうっておいてください ぶあつい水に掌をしずませる  江戸 雪
 うすうすとわたしを平たくうつす窓 街はダリアのように病んでいる

 ライオンの塑像によりそい眠るときわたしはほんの夏草になる  東 直子
 日常は小さな郵便局誰かわたしを呼んでいるよな

 短歌に「私」が現われるとき、それは多かれ少なかれ<虚構の私>であることが多い。寺山修司がまだ存命の母を死んだものとして歌い、いもしない弟を歌うとき、寺山が入念に作り上げたのは演劇的<虚構の私>である。また塚本邦雄がリアリズム短歌で矮小化された「私」を批判したときも、短歌における<私性>の拡大を主張したのである。『岩波現代短歌辞典』の「私性」の項目で、穂村弘が歴史的に跡づけているように、短歌における「私」は近代短歌成立そのものにかかわる問題であった。

 しかるに、上にあげた江戸や東ら現代の女性短歌に歌われた「私」は、このような歴史的桎梏からまったく自由に振る舞っているように見える。この「私」はリアリズム短歌の埃臭い「生活者」としての私からはほど遠く、かといって寺山や塚本がめざしたような芸術的な「虚構の私」でもない。篠弘が「微視的観念の小世界」と呼んだウジウジ男の「内向する私」でもない。特に江戸や東の短歌を読んでいて感じられるのは、「浮遊する私」である。男はデカルト座標のように、固定した視点から世界を眺めることを好む。ところが女性は視点の浮動性により寛容であり、視点の未決定という状態に順応性が高い。江戸や東の短歌に見られるこの「浮遊する私」という感覚は、ひょっとしたら短歌の歴史において初めて登場した新しい「私」なのではないかとすら思えてくるのである。

028:2003年12月 第1週 葛原妙子
または、幻視と抽象の女王にひとたびは紫陽花の冠を

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて

              葛原妙子『葡萄木立』
 夏の終わりの薄暗くはなったが、まだ空には夏の光の名残が残る台所で、酢の瓶がまるで消えゆく光を集めるかのように立っている。ただそれだけの情景を詠んだ歌なのだが、その空気感と存在感が忘れがたい印象を残す。夏の光の透明感に、これも透明な酢の瓶の存在がふと際立ち、まるでふだんは見えないものが突然網膜に映ったかのようである。私はこの歌を読むたびに、モランディの静謐感溢れる絵を思い浮かべる。モランディもまた、「事物の存在」を執拗に描いた画家であった。ところがこの歌をもっとよく見ると、「酢の瓶が立っていた」のではない。「瓶の中に酢が立っていた」のであり、これは現実にはありえないことである。ここに葛原が「幻視の女王」(塚本邦雄)と呼ばれる理由がある。また初句の6・8音の破調に続き、一字空けて「酢は立てり」の5音で句切れがあり、5・7と続く韻律も印象的である。

 葛原は1907年(明治40年)生まれで、歌壇で注目されたのは処女歌集『橙黄』が刊行された1950年(昭和25年)頃だから、ずいぶん遅い出発というべきだろう。年代的には数年前亡くなった斎藤史が1909年生まれなので、ほぼ同世代なのである。葛原が1950年の『日本短歌』に寄せた歌は、もうまぎれもなく葛原の歌になっている。

 奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり

 わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

 中井英夫は「『わが歌にわれの紋章いまだあらず』と歌い据えたとき、その紋章すなわち文体は額の上に輝いたのである」と評した(『黒衣の短歌史』)。塚本は葛原の短歌の評釈に『百珠百華』(砂子屋書房)一巻を捧げ、「奔馬」の歌については、「まさに女王然として、ここに光を聚め、響きを吸い寄せた感のある一首」と、「わがうた」については、「今から思へば、この『あらず』を含む『紋章』一聨に、この歌集の『霧の花』でやうやく形をなしつつあつた紋章の原形が、ゆるゆると現われ」たとした。

 葛原の歌を特徴づけるのは、多くの評者の言うように、そのモダニスムと抽象への志向であろう。歌人自身が、「花ひらくこともなかりき抽象の世界に入らむかすかなるおもひよ」と、自らの姿勢を高らかに宣言している。身の回りのなにげない情景を詠んでも、単なる日常的詠嘆に終わることなく、現実を越えた眼に見えない世界を凝視しようとする視線が常にある。その視線の源は、たとえば次の歌に見られるルーペで現実を拡大するような微視的視線ではないだろうか。「現実を微分する視線」と言ってもいい。

 昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつおり

 乱立の針の燦(きらめき) 一本の目處より赤き絲垂れており

 一首目では卓上のケーキの粉砂糖が風に吹かれている情景を歌っていて、何ということのない情景かとも思えるが、よく見てみるとこれは異常な感覚である。細かい粉末である粉砂糖が風に吹かれて散る有様は、ふつう私たちが肉眼で目にできるものではない。空間だけでなく時間の流れもまた異常で、まるで微速度撮影を早回しして見ているような気がする。ここには現実への尋常でないズームインが行なわれている。二首目は針が無数に突き刺されていて、そのうち一本だけから赤い糸が垂れているという情景なのだが、その場の状況がわからないだけに一層不気味である。ふつう無数の針が突き刺されているというのは、裁縫箱の針山か寺院の針供養くらいだろう。しかしここでも垂れた一本の糸という微少な細部が異常にクローズアップされているところに、単なる叙景歌に終わらない特異性がある。ちなみに、次の柘榴や死神の歌にもあるように、赤色は葛原の好んで詠んだ色である。

 この微視的現実へのズームインは、さらに現実の風物のなかに別のものを幻視するという方向へ進む。

 止血鉗子光れる棚の硝子戸にあぢさゐの花の薄き輪郭

 夕雲に燃え移りたるわがマッチすなはち遠き街炎上す

 とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ

 医師の妻であった葛原にとって、止血鉗子は珍しい物ではない。ここでは止血鉗子がしまってある戸棚のガラス戸にアジサイの花が映っている。ごくふつうに捉えれば、庭に咲いているアジサイの色が室内のガラス戸に反映した情景ということになる。だがここには意図的なふたつの世界の重ね合せがあることは注意してよい。二首目では自分がすったマッチが夕雲に燃え映ったかのような夕焼けなのだが、そこから遠くの街の炎上を幻視している。三首目では柘榴が爆弾となって破裂するという見立てだが、柘榴のばっくりと口を開いた形状と、なかから覗く赤い実の密集がこの幻視を誘っていることはいうまでもない。

 葛原がもうひとつこだわるのは「球体」が誘う幻視である。

 死神はてのひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり

 美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり

 あやまちて切りしロザリオ転がりし玉のひとつひとつ皆薔薇

 なぜ死神が赤い球を持っているのかわからないが、エドガー・アラン・ポーの名作『赤死病の仮面』を彷彿とさせる死と赤の組み合わせが鮮烈な印象を残す。二首目ではアジサイの花が球形をしているところに眼目がある。その花が透視を誘っているのである。三首目では糸が切れて床にころがったロザリオの玉のひとつひとつが薔薇になるという美しい幻想である。

 このように葛原は、叙景を通して抒情にいたるという古典的短歌の方法論に満足せず、「現実世界の抽象化と微分化」により、さらに理知的に世界という謎に迫る方略を編み出した。この方法論が戦後の前衛短歌に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

 最後に私が葛原の代表作と考える二首をあげておこう。

 水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪黴びたり

 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

 二首目は多く人の引くところで、「水の歌」の項でも述べたので繰り返さない。一首目はテーブルの上でチーズが黴びている情景なのだが、もちろんここでは「恍惚として」が効いている。なぜチーズが恍惚とするのか常識では説明できないのだが、この歌によって卓上に現出した光景は、微光を放つフェルメールの絵画のように、なぜか目を離すことができないほど惹きつけられる世界なのである。

027:2003年11月 第4週 芽キャベツの歌

 歌会では「題詠」というものがある。「水」「桜」などの題が与えられ、各自その題を詠み込んだ歌を作って出来映えを競う。題は伝統的歌語から選ばれることが多い。昔の古典和歌は「個人の心情吐露」でもなく「個性の発露」でもなく、過去に読まれた歌のなかから言葉を拾い出し、それを組み合わせて新しい歌とするのが基本であったから、題詠の題もまた、過去に歌の世界で多く詠まれたものでなくてはならない。

 しかし、現代短歌の世界ではときどきこの理屈に合わないことがおきる。小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)の歌会で「オランウータン」という題が出たのがよい例である。韻律的には7音だからすんなり短歌のリズムに乗るのだが、問題は歌の世界には未登録で、意味の蓄積がないことである。参加者もさんざん苦労して歌を作ったようだ。

 乳のむと胸にすがれる太郎次郎オランウータンの母はいとしむ  小池光

 おまえだよ、オ・ラ・ン・ウ・ー・タ・ン七つぶん階段のぼってうしろを見るな  東直子

 急行を待つ行列のうしろでは「オランウータン食べられますか」  大滝和子

 小池の歌はオランウータンの母子を登場させて、人間の親子への感情移入という回路に乗せる手堅い方法を採った。名前は知らないが子供の遊戯で、ジャンケンをして、グーで勝ったら「グリコ」と3歩、チョキなら「チヨコレート」で6歩、パーなら「パイナップル」で6歩進む遊びがあるが、東の歌はオランウータンを音節を区切ってその遊戯に乗せた。そして、ホラー風の不気味な「うしろを見るな」という結句を置くことで、オランウータンという言葉の持つ異様さを浮き彫りにした技ありの歌である。大滝の歌はさらに異様で、「オランウータン食べられますか」はほとんど悪食かスプラッタの世界である。この歌の着眼点は、駅で列車を待つという日常のなかに不意に侵入する異物感を浮き彫りにすることにある。小池の手堅いが伝統的な読み込み方は別として、東と大滝の歌の面白さは、ひとえに「オランウータン」という題が、日本語の世界ではこなれた意味をその身にまとっていない異質な語であるという事情に由来する。歌を詠む(読む)とは、日本語を詠む(読む)ことである。それは、私たちが日常生活を通じて、言葉にまといつかせてきた意味(言語学では共時的意味connotation という)を読み解くことに他ならない。

 編集者・沢田康彦が主宰する素人FAX短歌会「猫又」でも、「芽キャベツ」というおもしろい題が出されたことがある。この会は、屈指の名作ぞろいになったのだが、それは「芽キャベツ」という題のユニークさに負うところが大きい。

 「芽キャベツ」は英語で Brussels sproutという。ベルギーのブリュッセル地方で古くから栽培されてきたからである。寒冷地に適した作物なのである。日本には明治初年に導入され、最初は大阪・横浜で栽培されていたという。そのころ日本人で食べる人がいなくて、神戸と横浜の居留地に住む外国人が食べたからだろう。今でも日本人になじみの食材とは言い難い。このため、「芽キャベツ」にまとわりつく意味は、共有化された意味ではなく、歌を作る人が自分で発見したものになる。

 芽きゃべつも靄でしっとり緑色おやすみなさいいつも寂しい 吉野朔実

 漫画家・吉野朔実は、畑で靄に濡れている芽きゃべつを連想している。「おやすみなさい」とあるのは、固く結球を閉じている有様が、目を閉じて眠っている様子を思わせるからだろう。

 めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ  鶯まなみ

 鶯まなみは、女優・本上まなみのペンネームである。「口がかたい」という連想はやはり結球の様子から来ている。芽キャベツには、その形状から「内に閉じる」という連想が働く。「超音波で交信する」というのは意外な発想だが、言われてみればそんなふうにも感じられる。

 そこはだめあけてはならぬ芽キャベツの親戚一同が待ち伏せているから  肉球

 芽キャベツを思い浮かべるとき、一個だけをイメージする人は少ないだろう。芽キャベツは必ず同じ形をした複数個としてイメージされる。「芽キャベツの親戚一同」はこの複数のイメージで、「待ち伏せている」というところに、何を考えているかわからない不気味なよそよそしさが現われている。大根やトマトのように食卓に日常的に供される食材とはちがって、芽キャベツが身近でないところに、このよそよそしさという発想の源がある。

 芽キャベツはつやめきながら湯にうかぶ<生まれる前のことを話して> 東直子

 芽キャベツは煮るとつやが増すらしい。「湯にうかぶ」のは茹でているのだろう。<生まれる前のことを話して>は、芽キャベツに話しかけているととるのがふつうだろう。ここには上の歌にあったような芽キャベツの不気味さはなく、キャベツの赤ちゃんと捉えて愛おしむ視線が感じられる。

 芽キャベツは明治初年に日本に渡来したそうだが、斎藤茂吉や正岡子規は芽キャベツを食べたのだろうか。食べたとしても歌に詠むという発想はなかっただろう。斎藤茂吉にはトマトを詠んだ歌があり、「赤茄子」と表記されている。しかし、これはトマトそのものを詠んだものではなく、トマトが腐っている場所から現在自分が居る場所の物理的近さと心理的遠さの対比に眼目がある。

 赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

『岩波現代短歌辞典』は見出し語として歌語をたくさん収録していて、「トマト」は立項されているが芽キャベツはない。やはり身近なものではないのだ。芽キャベツを詠んだ歌というのもあまり思い浮かばないのだが、ひとつ見つけた。

 壁ぎわに影は澄みゆく芽キャベツがこころこころと煮えるゆうべを 佐藤弓生

 この歌の眼目は芽キャベツが煮える「こころこころ」という擬音語にある。芽キャベツの形状から「ころころ」ところがる有様が連想されるが、それを「こころこころ」としたのには、言葉遊びの要素もあるだろうが、目の前のキャセロールの中で煮えている芽キャベツを、自分の心のようだと感じる気持ちもあるからではないだろうか。しかし、この煮え方は、「倖せを疑はざりし妻の日よ蒟蒻ふるふを湯のなかに煮て」(中城ふみ子)のように、不倫と離婚にまつわる激情を感じさせるものではなく、むしろ穏やかで幸せな夕暮れを思わせる。ここでは芽キャベツは、台所で夕食の支度をするささやかな日常の幸福の記号として働いている。芽キャベツが私たちに喚起する意味は、新参者であるがゆえにこのように多彩なのである。

026:2003年11月 第3週 固有名の歌

 短歌に詠み込まれた固有名でいちばん多いのは地名である。古来より地名は歌枕の筆頭であり、地名の喚起力は歌に力と奥行きを与えてきた。ここでは地名以外の固有名を詠み込んだ歌を取り上げたいのだが、そうすると残るは人名ということになる。人名が詠み込まれた歌で忘れがたいのは次の歌だろう。

 佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子おらず
                   小池光『日々の思い出』

 小池は高校教師である。それが「佐野朋子のばかころしたろ」とは穏やかではない。岡井隆はこの歌を論じて、「教師と生徒の関係が著しく感情を剥き出しにするレヴェルへと変わっていった時代をにおわせる」(『現代百人一首』朝日新聞社)と評した。そうかなとも思うが、そこまで深読みしない読み方もできる。佐野朋子はもちろん架空の人名であり、どこにでもいそうな女子高生である。「佐野朋子のばかころしたろ」というのも、多忙な日常を送る高校教師が毎日のように感じる怒りやストレスの表現であり、佐野朋子という固有名はそのささいな日常性を前景化する記号として働いている。固有名の持つ記号性をよく示す歌だと言ってよい。

 形容詞過去形教へむとルーシーに「さびしかった」と二度言わせたり
               大口玲子『海量(ハイリャン)』

 このルーシーもまた他の名前に置換可能などこにでもあるアメリカ人の名前である。しかし、この名前が歌のなかに組み込まれることで、歌の内容が抽象的レベルから具体的地平へと着地させられる。固有名にはたとえそれが無名のものであっても、このような働きがある。「痛み」や「悲しみ」は抽象的だが、「ルーシーの痛み」や「佐野朋子の悲しみ」は具体的なのである。次の歌も同じ手法で作られている。

 夕雲は蛇行しており原子炉技師ワレリー・ホムデチェック遺体無し
                     吉川宏志『夜光』

 短歌に詠み込まれた固有名のなかには、これとはまた異なる作用を果たすものがある。

 いくほどもなき夕映にあしひきの山川呉服店かがやきつ
                     塚本邦雄『詩歌變』

 山川呉服店破産してあかねさす昼や縹の帯の投げ売り
                        『不変律』

 あさもよし紀州新報第五面山川呉服店店主密葬
                        『波瀾』

 山川呉服店未亡人ほろびずて生甲斐の草木染教室
                        『魔王』

 塚本は歌集のどこかに必ずと言っていいほど、山川呉服店を詠み込んだ歌を潜り込ませている。小池光は、このような固有名の使用を、特定の継続的読者にだけ範囲をしぼって成立する極私的な歌枕だとした(『現代歌まくら』五柳書院)。どうやら、山川呉服店は店主が死に、店は倒産して、でも未亡人はめげずに草木染教室なんぞを生甲斐に暮らしているらしい。塚本の忠実な読者ならば、とびとびに報じられる山川呉服店の消息をつなぎ合わせると、ちょっとした市井のドラマが浮かび上がる仕掛けになっている。「あしひきの」とか「あかねさす」という大仰な古典的枕詞が、三面記事のような内容とミスマッチでおかしみを醸し出している。この場合、短歌の固有名は非常にローカルなドラマを生み出す手段として用いられている。

 短歌における固有名の使い方として、古典的歌枕に通じるのは、よく知られた固有名を引用することで、歌のなかにその固有名が喚起する世界全体を取り込むことで、歌に広がりを与えるという手法である。

 クリムトの金の絵の具のひと刷毛の一睡の夢をわれら生きたり
                    加藤孝男『十九世紀亭』

 黄金のひかりのなかにクリムトの口吻ふ男ぬばたまの髪
                   山中智恵子『夢之記』

 二首ともクリムトの絵のなかで最も印象に残る背景の金色を詠み込んでいる。クリムトという固有名を継起として、その死と愛をめぐる退嬰的な世紀末の作品世界が一気に立ちあがり、短歌のなかに通底する世界を開く。固有名ならではの歌枕としての本来の力であり、固有名の呪的機能がここにある。次の歌も同じ部類に属する。ただ、大野の歌では作者の心情に重点が置かれていて、加藤の歌はシュルレアリズム短歌の旗手らしく、意外性と視覚的効果にその眼目がある。

 絶望に生きしアントン・チェホフの晩年をおもふ胡桃割りつつ
                    大野誠夫『薔薇祭』

 照りかげる砂浜いそぐジャコメッティ針金の背すこしかがめて
                    加藤克巳『球体』

 次の歌はこれともちがう固有名の使い方を示している。

 ポール・ニザンなんていうから笑われる娘のペディキュアはしろがねの星 
                    小高賢『本所両国』

 瘡蓋(かさぶた)のごとく凍土に生きながらわれはたつとぶモハメッド・アリ
                   時田則雄『北方論』

 日溜りに革手袋が五指をまげ干されていたり さらば岸上
                   福島泰樹

 『アデン・アラビア』の作者で、全共闘世代のアイドルのひとりだったポール・ニザンを、ペディキュアをしてどこかに出かけて行く娘の世代はその名すら知らない。ポール・ニザンという固有名は作者の青春の記号である。また北の大地に住む農民歌人の時田にとって、モハメッド・アリは不屈の精神のシンボルなのだろう。福島のように学園闘争を戦った世代には、夭折した岸上大作は記号以上のもので、自身の理想を仮託する対象であると同時に、苦い思い出の中の遠景ともなっている。固有名が自分の過去の特定の体験と結びついているとき、その固有名は過去を呼び出す呪文として機能する。ただし、呼び出された過去はたいてい苦いものだが。

 最後に、固有名を主原料として編みあげられた歌の世界というものもある。

 中島みゆき「遍路」にサナトリウムなる単語はありて、闇、深き闇
                  藤原龍一郎『花束で殴る』

 湾岸の駅に降り立ちマーロウのフィリップ・マーロウのような翳りを

 新橋の雨にうたれる裸身見ゆレプリカントのゾーラと蛇と

 歌姫中島みゆき、探偵小説家レイモンド・チャンドラーの主人公フィリップ・マーロウ、リドリー・スコットの映画『ブレード・ランナー』の人造人間ゾーラ、これらは神なき現代を生きる藤原の私的歌枕である。ラジオ局のプロデューサーとして、めまぐるしい流行と消費の世界に生きる藤原の描く世界は、奔流のような固有名の羅列で織り上げられており、その表層性が際立っている。そこにふと現われる自嘲と矜持に抒情の根拠があるのだろう。

025:2003年11月 第1週 東 直子
または、ヴェポラップを優しく塗ってくれる染み込み系短歌

廃村を告げる活字に桃の皮
   ふれればにじみゆくばかり 来て

        東 直子『春原さんのリコーダー』
 東直子の短歌は「しみこみ系短歌」である。本人が「しみこみ系の歌が好きだ」と公言している。では「しみこみ系」短歌とは何か。東自身の定義によると、「具体的なことはあまり書かれていなくても、しかしゲル状になってひたひたと心に「しみこんで」くるような歌のことです」(穂村弘・東直子『短歌はプロに訊け』本の雑誌社)ということなのだが、当人があまりよく説明できていないのがおもしろいところである。ふつう読者の立場から見た短歌は、「読む」(刺激の受容)→「理解する」(内容の把握)→「咀嚼する」(把握した内容を自分の経験などと照らし合わせる)→「共感」(内容が心に届く)というプロセスをたどると考えることができる。東のいう「しみこみ系短歌」とは、このプロセスのなかの「理解する」と「咀嚼する」の部分をすっとばして、「読む」がいきなり「共感」へと回路を開くような短歌ということになる。

 掲載歌の「廃村を告げる活字」は、おそらく新聞が廃村を記事にしているのだろう。「桃の皮」とあるのは、その新聞紙の上で桃をむいているにちがいない。桃の汁が新聞紙に滲んで行く。ここまではわかるのだが、最後にいきなり「来て」とあるのは、いったい誰に呼びかけているのだろうか。ある意味で理解を前提としない作り方なのだが、全体としてみると、廃村と桃の組み合わせは、人のいなくなった村に桃がなっているという牧歌的情景を成立させ、廃村という淋しい現実と並べてあると、最後の「来て」という呼びかけが、ある種の切実さを感じさせることに成功している。

 現代短歌は前衛短歌を経て、ますます多様性を深めた。その結果、ならべて読んだとき、果たして同じ「短歌」というジャンルに属するのかという疑問すら湧くほど、表現の振幅は大きい。

 さくら花畿春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり 馬場あき子

 あひ逢わば告げむことばの数々をめぐらして夜半の心冴えまる 藤井常世

 一読して、短歌というより和歌だと感じる。調べはあくまで流麗かつたおやかで、古語・雅語を駆使して定型にきちんと収まっている。これも現代短歌である。

 ゆく水の飛沫き渦巻き裂けて鳴る一本の川、お前を抱く 佐佐木幸綱

 現代には珍しい男歌の担い手である佐佐木の歌は、格調高くて大きな声で朗唱するのに向いている感じがする。どこか直立不動で筋肉に力が入っている印象を受ける。空手の型が決まった時の感じといったらいいだろうか。

 東直子の歌は、これらの短歌のいずれからも対極にあると言ってよい。古典に連なる和歌の伝統からは完全に切れており、かつまた前衛短歌の内包する思想性からもほど遠い。その本質は自己の体内の奥深く生暖かいあたりから、体感的に感得される名付け得ないものを汲み上げコトバにする能力である。

 駅長の頬そめたあと遠ざかるハロゲン・ランプは海を知らない

 神様の選びし少女ほのぼのと春のひかりに鞦韆(しゅうせん)ゆらす

 好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ

 鳩は首から海こぼしつつ歩みゆくみんな忘れてしまう眼をして

 もういくの、もういくのってきいている縮んだ海に椅子を浮かべて

 水かきを失くした指をたまさかに組み交わすとき沁み合うものを

 「理解する」と「咀嚼する」の部分をすっとばすというこの作歌傾向が極端になると、次のような歌になる。

 みずのなかてっぺんまでひたひた すーんとするママンあたしはとかげ 本名陽子

 いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どうしたかという、5つのWとひとつのHが全部抜け落ちていて、オノマトペがかもしだす体感だけが残る。澤田康彦の主催するFAX短歌会「猫又」で、評者の穂村弘はこのような傾向の短歌を評して、「フレームのない脳で作るとこういう歌になる」と言い、もうひとりの評者である東に、「東さんはそっちの達人ですね」と続けている(「短歌があるじゃないか」『本の旅人』2003年2月号、角川書店)。もちろん親しみとユーモアを込めての評だが、言い得て妙である。

 これをもう少し難しい言葉でいうと、「言語の身体性」ということになるのだろう。言葉が観念を指示するのではなく、言葉が記憶のなかに呼び起こす状況のなかで私の身体が感じた感覚の方が浮上することによって、読者の側にある種の共感が生まれる、そのような場所に東の短歌は成立しているように思う。

 つっと走る痛みのような稲妻が遠ざかったらぬるめのお茶を

 駅前のゆうぐれまつり ふくらはぎに小さいひとのぬくもりがある

 「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの

 ゆうだちの生まれ損ねた空は抱くうっすらすいかの匂いのシャツを

東直子のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/

024:2003年10月 第5週 黒瀬珂瀾
または、塔の廃墟のかたわらに破船のように眠る青年

わがために塔を、天を突く塔を、
   白き光の降る廃園を

        黒瀬珂瀾『黒耀宮』(ながらみ書房)

 歌集はふつう、ながらみ書房・沖積舎・不識書院・砂子屋書房といった短歌専門の小規模な出版社から出版され、印刷部数も少ないので書店には並ばない。日販・東販といった取次店を通した本の流通経路に乗らないので、その辺の本屋さんで注文しても届かない。これだけ本や雑誌が溢れている現代日本で、多くの人に知られることなくひっそりと流通しており、めったに手に入らないという珍しい種類の本なのである。まるで、代価をもって人に購われることを拒否するかのようだ。

 ところが最近珍事が起きた。歌集が大学生協の書籍売り場に平積みになったのである。これはたいへん珍しいことである。その平積みになったのが、黒瀬珂瀾の『黒耀宮』であった。作者の名前は「くろせ からん」と読む。なぜ大学生協の書籍売り場に平積みになったのかというと、1977年生まれの若い作者が、関西の某国立大学文学部の現役大学院生だからである。

 作者プロフィールによれば、黒瀬は三宅千代が主宰する子供の短歌誌『白い鳥』に参加して短歌を作り始めた、とある。子供の短歌誌などというものがあるとは知らなかった。その後、中部短歌会に所属して、春日井建に師事している。『黒耀宮』は黒瀬の処女歌集で、春日井が跋文を寄せているところは、まずは型どおりと言えよう。しかし、中身はなかなか型どおりというわけにはいかないのである。

 十代の儀礼にかかり死ぬことの近しと思へばわれは楽しも

 血の循る昼、男らの建つるもの勃つるものみな権力となれ

 咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり

 鶸(ひは)のごと青年が銜(くは)へし茱萸(ぐみ)を舌にして奪ふさらに奪はむ

 これらの歌に登場するキーワードを眺めると、どこかデジャ・ヴュを見る思いがする。それは、師の春日井が1960年に上梓した伝説的歌集『未青年』を代表する次のような歌のことである。

 火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ

 火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔を持てり

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり

 中井英夫は、「紫陽花いろに病む太陽の下、現代の悪を負う少年ジャン・ジュネの歌」と評し、三島由紀夫は「うら若い裸の魂が、すりむけて血を流している」と述べ、「われわれは一人の若い定家をもった」とまで激賞した。春日井の歌の世界が黒瀬の歌に通底していることは、一見して明らかである。「薔薇」「青年」というキーワードから立ち上がる同性愛の耽美的世界への惑溺は両者に共通しており、評者の三島もまたこの系譜に連なることはよく知られている。また、第一首目の「十代の儀礼」は、もちろん三島の名作『午後の曳航』で、世界が無意味であることを証明するために少年たちが行なう殺人儀礼であり、黒瀬はその犠牲となることを願っているのである。このように、黒瀬の詠う短歌の世界は、そそり立つ塔の示す権力への憧れと、同性愛と死への願望に彩られている。

 春日井の『未青年』は、当時の三島を驚喜させるほど十分に衝撃的だったはずだ。それは歌集が出版された1960年という時代を考えなくてはならない。まだビートルズ以前の世界で、若者は黒いズボンと白いワイシャツ以外に着るものを持たなかった時代である。森茉莉が男の同性愛を扱った『恋人たちの森』を書いたのがようやく1962年だが、当時はマイナーな異端的作品と受け取られたはずである。

 しかし、時代は変わった。黒瀬の描く耽美的世界が既視感しか生まないのは、黒瀬のせいではなくむしろ時代のせいだろう。1974年萩尾望都『ポーの一族』、1975年竹宮恵子の『風と木の詩』に始まる少女マンガの同性愛ものは、1978年のJUNE創刊とともに大流行し、俗に「やおい」と呼ばれる一大ジャンルを生んだ。「やおい」とは、「ヤマなし、落ちなし、意味なし」の略語で、物語上の必然性もなく男の同性愛の場面を描く少女マンガをさす。やおい物の氾濫とともに、少なくともメディアの上では男の同性愛はタブーでなくなり、奇妙なことに少女たちの消費の対象となったのである。もちろん、黒瀬がやおいだと言っているのではない。黒瀬が描く世界を受け取る私たちの準備がすでに出来すぎてしまっていて、どうしても「どこかで見た」という既視感が付きまとうということなのである。まるで予行演習しすぎた運動会で、ようやく本番当日を迎えたようなものだ。このよう見方があながち独断でないことは、黒瀬自身の次の歌が示している。

 エドガーとアランのごとき駆け落ちのまねごとに我が八月終る

エドガーとアランは、萩尾望都の連作『ポーの一族』に登場する、不死を運命づけられた吸血鬼の少年である。黒瀬の世界の源泉は、春日井・三島・サドやジル・ド・レだけでなく、萩尾・竹宮・栗本薫なのである。

 耽美的装飾が入念に施された歌よりも、次のような歌の方がむしろ新鮮に心に届くように、私には感じられる。

 ピアノひとつ海に沈むる映画見し夜明けのわれの棺を思ふ

 世界かく美しくある朝焼けを恐れつつわが百合をなげうつ

 水飲みし夢より覚めて渇くとき生死はともに親しき使徒か

 天使魚に与ふる餌の真白くて真白くて君は白きもの欲る

 線路にも終わりがあると知りしより少年の日は漕ぎいだしたり

 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく

 女学生 卵を抱けりその殻のうすくれなゐの悲劇を忘れ

 これらの歌には上質の抒情があり、青年期の脆い自我と世界の危うい関係を、まるで振動する薄い蝉の羽のように、かそけき微動として私たちの耳に伝えている。短歌にこれ以上のことが望めようか。

 

黒瀬珂瀾のホームページ