193:2007年3月 第3週 池田はるみ
または、数々の仕掛けを施した短歌の玉手箱

あふぎつつ泥濘ゆけば空のまほ
    水のきはかと思(も)ふひかりあり
         池田はるみ『奇譚集』

 かねてより探していた『奇譚集』が古書店より届き、包みを開いて驚いた。何という版型なのか知らないが、縦と横の寸法がほぼ同じで、子供向けの絵本のような厚紙を使った表紙にオレンジ一色の装幀なのだ。短歌の歌集としては破天荒な造本と言ってよい。栞が岡井隆・秋山律子・小池純代の3人の鼎談というのも珍しい。おまけに巻末には皇室系図と古代アジアの地図が添えられており、これまた異色である。

 池田はるみは1948年(昭和23年)生まれ。『奇譚集』に収録された「白日光」で1985年に短歌研究新人賞を受賞している。「未来」会員。『奇譚集』は1991年刊行の第一歌集。異色なのは何も造本だけではなく、収録された短歌もまた他に類を見ない肌合いのものである。現代短歌は、口語短歌の隆盛・ライトヴァースの流行・記号短歌の試みなどを経たあと、ほぼ「何でもアリ」の世界を生きているが、そんななかでも池田に比肩しうるものは見あたらない。TVのグルメ・レポーター彦摩呂のお約束のキメ科白を借用すれば、「短歌の玉手箱やァ~」なのである。そしてこの玉手箱の構造はなかなかに複雑なようだ。たとえば巻頭の「むすび松 有間皇子・囁」と題された連作には次のような歌が並んでいる。

 信号を無視してとばす 地上にも天にもおれを結ぶものなく

 エンジンのいかれたままをぶつとばす赤兄(あかえ)とポルシェのみ知る心

 縊らるる。天より下る皇子といへサンドバッグのやうな重さや

 「大兄のサアセカンドカーのボルトをサアゆるめておいた」と下司のささやき

 有間皇子は父・孝徳帝崩御のあと、政争を避けんがため佯狂の日々を送るも、蘇我赤兄の奸計により捕縛され19歳で刑死した。背後に中大兄皇子の陰謀があったと言われている。有間皇子は尋問されたとき、「天と赤兄と知る。吾もはら知らず」と答えたと伝えられる。そんな古代史の悲劇の主人公である有間皇子が、エンジンのいかれたスポーツカーを疾走させるという設定で歌は作られている。有間が現代の無軌道な若者に置き換えられることで、古代史の悲劇の上に現代的な疾走感・躍動感が塗り重ねられ、そこに重層的な意味の風景が現出していると言ってよかろう。池田の短歌はこのように、本歌取りではないものの、何か下敷きになる歴史上の素材を換骨奪胎して構成されている。弁当箱を開けて中身を食べ切ったら、実は箱は二重底になっていて、底を開いたらまた別の空間がそこにある、といった具合なのである。たとえば歌集前半の「松」シリーズは「中大兄皇子・偲」「間人皇后・瞳」「建内宿禰宜・謀」など、古代史に登場する人物が詠んだ歌という体裁を採っている。第二部の東南亜細亜奇譚は、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』を下敷きにしているようだ。また短歌研究新人賞を受賞した「白日光」も、「みづくみのをんなどれいとうまれたるかむなぎわれのひと世かたらむ」と、巫女の語りという体裁を採っている。ただしこれは単に歴史に素材を採った歌というわけではない。また福島泰樹のイタコ風「成り代り短歌」のように、死者に成り代ってその無念を詠うというのでもない。作者の素材の扱い方はもっと複雑で、どちらかと言えば意味の重層性に基づく遊びに近いのではなかろうか。

 このことは『奇譚集』に収録された歌の文体の多様性にも現れている。池田は折口信夫の唯一の女弟子といわれた穂積生萩(なまはぎ)の許で古典を学んでおり、古典の知識と古語を操る能力は抜群なのである。だから作ろうと思えば次のような正統古典調の歌も難なくできるのだ。

 たゆたひて沈みゆく髪 母王は海人ゆゑに水の御言(みこと)持ちてむ

 夏うづき瑞鳥とふがあらはれて垂直に指す うすずみの天

 おとうとの媛よぶこゑの透みとほりくぐもりわらふ夏の夕べに

 夕されば花も眠らむ時待ちて恍と咲きつつあどけなかりき

かと思えば次のような滑稽調の歌も散見される。歯切れのよい口調で、気っ風のよさを感じさせる。

 「むかしかの聖(ひぢり)おはしてうどん好き芸ありうどん鼻にて喰らふ」

 許しますなどといつてはやらせたる超絶技巧めちやめちやに好き

 ローソンに買ひにやつたが最後にてあのぐづをとこ二度と戻らぬ

さらに次のような口語の会話調の歌や、現代風俗を詠み込んだもある。上に引いた「大兄のサア」もこの部類に入る

 なべて世の憂きが好きなの とり分けてをとこの心のにんぴにん風

 おとうとはいつもそうだよ知らぬ間に乗りたがる兄(え)のモーターボート

 六本木踏み鎮めゆくすてつぷは ロックと呼べる後妻(うはなり)がわざ

 このように池田の歌は、古典の素養に裏打ちされながらも、1980年代に展開された現代短歌のさまざまな試みを咀嚼吸収し、それを自在に取り入れた所に成立している。池田の遊び心は所属する「未来」の指導者である岡井隆にまで及ぶのである。

 水中に鳥のあそびをしてゐるはうたびとRyu。そとのぞきたり

 ばら抱いて湯に沈めるもよく見えぬこんこんと夢ねむし眠しよ

 Ryuは「隆」の音読みで、この歌も岡井の本歌のいずれかを下敷きにしているのだろう。二首目は岡井の「薔薇抱いて湯の沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ」の換骨奪胎である。それを「よく見えぬ」と言い放つとはなかなかのものだ。池田の歌にしばしば辛辣な批評が込められていることにも注目してよい。

 さて、このように本歌取り・換骨奪胎・古代と現代の重ね合わせ・多彩な文体の駆使などを特色とする池田の短歌だが、ここで問題になるのは池田の〈私〉はいずこにありやということである。池田の短歌が〈私性〉の歌、すなわち自己表現としての近代短歌の枠に入らないことは自明である。この問題につついて栞の鼎談のなかで秋山律子は、「私性とか、岡井さんがおっしゃった近代的な自我と結びつけるのはおもしろくないですね。(…)物語の中に『私』があって、その『私』はなにが起ころうが、なにを言おうがいいという、そういう感じです。(…) そしてその外側に池田さんの『私』がいる」と述べており、おそらく真相はこのあたりが近いと思われる。

 聞くところによると池田の最新歌集は、カバーが二重になっており、それを広げて重ねると風呂敷として使えるのだそうだ。ここに池田のサーヴィス精神の発露がある。足を運んでいただいた以上は、何かお持ち帰りいただかないと申し訳ないというのは大阪人特有のサーヴィス精神である。おそらく『奇譚集』を構成する歌の複雑な入れ子構造もまた、池田の遊び心とサーヴィス精神が作り出したものである。歌集と歌に箱根名物のからくり箱のようなさまざまな仕掛けを施しておく。読者はその仕掛けをひとつひとつ解いてゆくことで楽しむことができる。おおむねこのような事情ではなかろうか。すると池田の〈私〉は複雑に仕掛けを施した歌に対して、俯瞰的位置にいることになる。神は自らの創造した世界の内部にではなく、それを外から眺める外部にいる。神は世界に含まれないのだ。それと同じように、池田の〈私〉は歌の外側にいることになる。だから歌の内部に作者の〈私〉を探しても無駄である。ひょっとするとこれはポストモダンと立場が似ているかもいれない。ポストモダンもその手法は過去の様式の引用とコラージュであり、ポストモダン的〈私〉もまた遊戯する〈私〉だからである。しかしこの連想はいささか先走りすぎだろう。読者は『奇譚集』に池田が仕掛けた数々の謎を楽しめばよいのである。そしてまた集中には次のように心に沁みる歌まであるのだから。

 かがみゆらゆらりとゆれてまぼろしのふるさとそこに桃あることも

 はまぐりのやうなくちづけ あそびとは死にゆく者とこのしづけさに

192:2007年3月 第2週 高橋みずほ
または、縦軸の時間のなかに言葉の奥底を追求する歌

石段の段の高さに刻まれて
 降りてゆきたり手に抱え持ち
      高橋みずほ『フルヘッヘンド』

 『フルヘッヘンド』は2006年に上梓された高橋みずほの第二歌集である。歌集題名の「フルヘッヘンド」はふつうの人には、セパタクロー(タイの球技)とかナーベラーヌプシー(沖縄のヘチマの煮物)などと同じように意味不明の単語である。あとがきに種明かしがあり、杉田玄白らが翻訳した『ターヘル・ナトミア』(解体新書)で語義推定に苦労したオランダ語であることがわかる。「堆(ウヅタカシ」すわわち「盛り上がり」という意味で、この「フルヘッヘンド」なる語を歌集題名に選んだことからも、作者の高橋がいかに「意味の病」から自由であるかがわかる。

 高橋は1954年(昭和32年)生まれ。加藤克巳の「個性」で作歌を学び、2002年に今井恵子吉野裕之と歌誌『BLEND』を創刊。第一歌集『凸』(1994)と、セレクション歌人『高橋みずほ集』(邑書林)がある。『フルヘッヘンド』には親交のある美術評論家の針生一郎が栞文を寄せているが、栞全部が一人の文章というのも珍しい。おまけに針生は文章を書くのに苦吟しているのである。私ももし、あらかじめセレクション歌人『高橋みずほ集』で第一歌集『凸』を読んでいなかったら、途方に暮れたにちがいない。なにしろ『フルヘッヘンド』には次のような歌が並んでいるのである。

 細道は細道へとぶつかっていずれ線路に合う形する

 裏口を開け放した蕎麦屋に動く指あり一列の卵

 確かに現れるエスカレーター人もち上げる高さがありて

 店なかに服吊られ店なかに靴が積まれて川端長屋

 青栗の毬のなかへと霧雨がおちてゆく子のつまさきの

 どの歌も定型からいくらか外れており、起承転結がはっきりしない。歌を構成する言葉のどのレベルで受け止めればよいのかわからず、途方に暮れるのである。しかし第一歌集『凸』を読んだ目で『フルヘッヘンド』を読むと、作者の重心の移動を感じることでわかってくることがある。立ち位置が変化したことで、どのような場所に立っていたか、そして今どのような場所に立とうとしているかを計測することができるからである。『凸』から歌を引いてみよう。

 咲きかけの隙間に入りたる夏風の形となりて花びらの立つ

 樹にあたる風を散らす葉の揺れを集めて幹の伸びてゆく先

 電線が埋め込まれてしまう街空の刻み 放たれてゆく

 そがれつつ風はサッシの隙間から人工音に変えられてくる

 壁の線横に流れるものだけが速度のなかで消されずにある

 壁かけを外したあとの薄汚れ取り残したる鋲にとめられ

 坂道の半ばの墓場からきざまれている海がみえる

 セレクション歌人『高橋みずほ集』には、谷岡亜紀が周到な評論を寄稿している。谷岡は、高橋の歌に字足らずの破調が多いことに着目し、一回性の文体で現実を掬いとろうとしており、その根幹は視覚を中心とする感覚的表現であるとする。また高橋の歌は認識の歌であり、その多くは時間認識に関係し、きわめて方法論的意識のもとで作歌されていると結論づけている。高橋の短歌の本質を剔抉した明解な論旨である。基本的に谷岡の分析に賛同しつつ、変奏を加えることで高橋の短歌の立ち位置を考えてみよう。

 高橋の短歌が時間認識に重点を置いていることを明らかにする手掛かりがふたつある。ひとつは動詞の多さと、起動相の述語の多さである。たとえば上に挙げた2首目「樹にあたる」を見ると、「あたる」「散らす」「集める」「伸びてゆく」と1首のなかに4つも動詞がある。一般に作歌心得として1首に動詞はせいぜい3つまでと言われており、その心得に照らせば動詞過剰の歌である。動詞は「出来事」を表し、出来事は時間の中で生起する。だから動詞は歌の中に時間の流れを作り出す。高橋が動詞を多用する理由はここにある。また起動相(inchoative)とは、「~しはじめる」という動作・状態の開始を表すアスペクト表現をいう。3首目の「放たれてゆく」と4首目の「変えられてくる」の「ゆく」「くる」という複合動詞語尾がそれである。これらの動詞語尾は「変化」と「推移」を表す。もう少し歌語的に表現すれば、「移ろい」と「過ぎゆき」を表すと言ってもよい。いずれも時間の流れを前景化するものであることは言うまでもない。しかし、「Aの次にBが起きる」とか「AだったものがBになる」という時間推移は、出来事レベルの時間である。高橋はこれを事柄の展開に関わる「横軸の時間」と呼んでおり、高橋がめざす時間にはもう一つあることは後述する。

 次に谷岡が指摘する感覚的表現という点だが、これは師の加藤克巳にその深源があると見てよかろう。

 ざくろの不逞な開口 沈黙の白磁の皿にのけぞっている 『球体』

 あかときの雪の中にて 石 割 れ た

 西洋のさまざまな芸術運動に深い関心を示し、短歌においてそれを表現しようとしたモダニストの加藤の短歌においても視覚の優位は紛れもない。情景を説明的に描写するのではなく、むしろ表現を削ぎ落すことで感覚的印象をざっくりと定着しようとするその手法は、吃音的で前衛俳句に近づくことがある。上に引用した高橋の歌でも、「坂道の半ばの墓場からきざまれている海がみえる」などは前衛俳句の香りがする。

 このような手法から帰結する特徴として、上句と下句の照応の不在と、それと深く相関する表面上の〈私〉の不在を指摘することができる。永田和宏が「問と答の合わせ鏡」と呼んだように、伝統的な短歌においては上句=問に下句=答が応答する (またはその逆)という照応関係、あるいは上句=叙景に下句=抒情 (またはその逆)という応答において一首の完結性を担保し、その照応関係の結節点として抒情の主座たる〈私〉を浮上させるという構造があった。ところが高橋の短歌においては、たとえば「不確かに寄せる力というがまな板の豆腐のゆがみの線にある」(『凸』)を例に取ると、頭から一気に読み下す形になっており、上句と下句の照応という構造がない。そのため照応関係を支える結節点としての〈私〉もまた表面上は見えなくなっている。高橋の短歌は、読者が作者の〈私〉の位置に想像上身を置くことで得られる安易な感情移入を峻拒するのである。

 空間に線を引きつつ遠景をなお遠ざけて雨の町

 暮れた空金槌音はとまらずに木を組みつつ空間を割る

 空間認識をテーマとする歌を2首引いた。これらの歌からも明らかなように、高橋の歌に登場する景物は作者の内的感情の相関物(もしくは象徴)ではまったくない。そのようなレベルに歌意を汲み取るダイアルの波長を合わせても、聞こえてくるのは空電のみである。唐突な連想だが、高橋はきっとモンドリアンの絵が好きなのではないか。空間分割と色面の配置から成り立つ構成主義的なモンドリアンの絵は高橋の短歌と共通点があるように思う。

 では高橋の短歌は何をめざしているのか。「縦軸の時間」と題された散文(初出『BLEND』No.5)において、高橋は子規と牧水の短歌を素材として、事柄の展開を追う「横軸の時間」とは異なるもうひとつの「縦軸の時間」の存在を指摘している。

 つるむ小鳥うれたる蜜柑おち葉の栴檀家をめぐりて夕陽してあり 牧水

 「つるむ小鳥」「うれたる蜜柑」「おち葉の栴檀」ひとつひとつに焦点を当てることで時が生まれ、それは言葉の奥に畳まれている時間だという。韻文はこの縦軸に生まれる時間のなかで育まれるものであり、事柄主義的理解によって言葉の襞に畳み込まれた時空間を見落としてはならないと高橋は説く。高橋の言わんとするところを十分に理解しているかどうか心もとないのだが、私の理解したのは次のようなことである。私たちの日常言語や散文の言語の目的は意味の伝達にあり、そこで重要なのは「AだからBだ」という論理関係と、「Aが起こりBが起きた」という出来事の継起関係である。これが「横軸の時間」である。水平方向に時間軸がイメージされているので、時間の進行する方向が横軸になる。横軸の時間は論理と説明の支配する領域である。これに対して時間軸に垂直に交わる縦軸の時間とは、いわば言葉の内部に重層的に降り積もったイメージの集積体である。たとえば「桜散る」を例に取ると、「風が吹いたから桜が散る」という因果関係の説明や、「桜が散るから私は悲しい」という感情表現へと移行することなく、「桜散る」という単体の表現それ自体の奥に仕舞われているイメージということになる。それを事柄主義的な理解に回収するのではなく、それ自体として歌のなかにひっそりと置く、これが高橋のめざしていることではないだろうか。栞文を書いた針生が呻吟の末に、『凸』の認識論から『フルヘッヘンド』の存在論へという図式を描いて見せたのも、このような事情と無縁ではなかろう。事柄の連鎖へと回収されずにそのものとして有るというあり方は、確かに存在論的色彩を帯びるからである。

 冬木立空に向かいて手を放つ ままに途切れた  『フルヘッヘンド』

 竜の描かれてある襦袢の藍の深みは裾元薄れ

 まな板に死にて目をむく魚の遠い海色透きて鱗

 これらの歌では意図的に短歌の韻律をずらし、字足らずの破調を形式として選択しているが、これもまた言葉が事柄の連鎖へと回収されるのを阻害し、言葉がそれ自体の奥から輝くことを願ってのことと考えられる。

 もしこのような読みが的を射ているとするならば、高橋のめざす道はなかなか険しいものと言わなくてはなるまい。針生も栞文のなかで「作者の意図や方法論がわかったということと、作品に魅惑されるということのあいだには、大きな距離があってその距離に苦しんでいる」と述懐している。高橋の短歌は読む人に高度な読みを要求する。その意味で読む人を選ぶと言えるかもしれない。しかしそれもまた歌人の選択であることは言うまでもない。

高橋みずほのホームページ 蓑虫の揺れ 

191:2007年3月 第1週 辺見じゅん
または、歴史のほの暗い闇から立ち上がる血族の歌

花々に
眼のある夜を晩年の
父あらはれて
川渉りゆく
    辺見じゅん『闇の祝祭』

 短歌を多行書きにする場合、縦書きだとよいのだが、横書きにするとどうも様にならない。インターネット上のホームページの制約ゆえご勘弁いただきたい。『闇の祝祭』は1頁2首、すべて多行書きという異色の歌集である。ただし掲出歌のように、初句、2・3句、4句、結句と4行になっているものと、上句・下句の2行書きとが混在している。ブックデザインはかの菊池信義。「造本全体に配慮をいただいた」とあとがきにあるので、おそらくは対角線を基本とした歌の配置も助言によるものだろう。贅沢な造りの歌集である。

 「花々に眼のある夜」とは、オディロン・ルドンばりの幻想的風景で、その高い幻視性ゆえに現実ならざる世界へと誘う入り口となる。「晩年の父」は角川書店の創業者角川源義(げんよし)。父の後を襲って角川書店社長になった角川春樹は実弟。源義は折口信夫の弟子で『河』を主宰する俳人であった。辺見は第3歌集である『闇の祝祭』で現代短歌女流賞を受賞しており、歌集以外にも最近映画化された『男たちの大和』(新田次郎文学賞)などの多くの著書がある。

 辺見の歌の特徴として誰もが挙げるのは、父親の色濃い影である。たとえば次のような歌が並んでいる。

 炎天の野の駅はるかパナマ帽/若き父なれ清きまぼろし

 この夕べ/ふるき頁に書き込みの/朱は父なりき創(きず)のごとしも

 死のきはも馬兵なりしよ日盛りに/父のたてがみ濡れて光るも

 かなかなの啼くゆふまぐれちちのみの/父に手紙を書きてゐたるも

 書き沈む父の背中に沼ありて/この世あの世の万燈会かな

思慕の念溢れる父恋いの歌であり、幻想の父親は常に懐かしい姿として現われている。源義と春樹のあいだには父子の確執があったようだが、娘であった辺見には父は異なる姿で映っていたようである。辺見の歌の根底には、血族の血と故郷という人間にとって根源的な要素が色濃く流れていて、それが歌の色彩を決定している。

 わが頬の/あたりに痣のかがよふは/母よ夜火事をとほく見しかや

 おとうとの/地図降りこめて父なるは/標的なりや/戦ぎあるべし

 樹木より耳さとくしておとうとの/眩しきかぎり母といふ海

 蒼穹のこの地に五月晴るる日を/いもうとの逝くはただに明るし

 おとうとよ/旅にしあればかぎりなく/眠れる額の蒼くかがよへ

 血族を詠んだ歌を拾ってみた。辺見に母を詠んだ歌は少なく、父親の圧倒的影響下に育ったことを伺わせる。1首目は集中に少ない母の歌。2首目と3首目は弟の春樹を詠んだ歌だが、姉の目から見ても弟と父との確執は明らかだったようだ。弟に注ぐ眼差しは暖かい。4首目はおそらく自死した異母妹を詠んだ歌。このように辺見の歌の根底には、血のほの暗い色が流れているのである。それは戦後民主主義の明るい近代とは異なる肌合いであり、民俗学的素養を武器に自らの血の根源へと遡行しようとする辺見の態度は、反近代主義と呼んでもよいだろう。辺見の父方の故郷は富山で、故郷の伝統と祭に題材を得た歌も多い。

 ふるさとの古井に水の動かねば/祖母の小櫛のくらきくれなゐ

 越後路は雪のまほろばはろばろと/わが形代のとほき夕映え

 一脈の血のくらがりにさざめくは/夜の谷間の山櫻かな

 いづくにか牲の祭りの桃実り/河口に近き空燃えてをり

 水音の闇ほどきゆく坂町に/風の祭りのはててゆきけり

 雪ふれば秘色のやうなとんど火に/異類の妻のみごもりてゐる

これらの歌に登場する「古井」「櫛」「形代」「山櫻」「桃」などの語彙のどれをとっても、呪的意味をたっぷりと帯びており、私たちが生きている現代とすでに忘れ去られた古代的世界とのあいだの転轍器として作用する。

 しかし何といっても辺見の歌が暗い磁力を帯びるのは、死者を詠った歌においてである。3首目や4首目は、『レクイエム・太平洋戦争』などの著書のある辺見が、南洋に散った学徒兵に寄せる鎮魂歌である。

 花終へしみどりをぐらき物の根に/逝きたる者らささめきやまず

 みんなみに骨洗ふをみな並びゐて/陰(ほと)のくらきにしろく月射す

 手つなぎの学徒兵きみは還らざりし/夕づつの邑あをくつゆけき

 みんなみのニューブリテン島の螢の樹/遺書に記して二十一歳なりき

 ひとすぢの/水のくらきを離れきて/いのちの嵩の/朴のしら花

 たましひの遊びすぎたる夜の明けを/螢火うすく草に濡れゐつ

私たちは命によって過去の死者とつらなるという意味において、命を詠うことと死を詠うことは同じことである。短歌は相聞と挽歌において魂を揺さぶる力をフルに発揮すると言われているが、辺見のこれらの歌を読むとそれが一際重く実感されてくる。そして、そのことは短歌という歴史の重みを背負った短詩形式の奥深い所に根差すのではないかと思えてならない。

190:2007年2月 第4週 本多忠義
または、意味の陰圧により外部へとつながる歌

この世には善はないって言い切った
     きみの口からこぼれるアイス
          本多忠義『禁忌色』

 「禁忌色」という単語は広辞苑に採用されていないが、一般にはふたつの意味で使われているようだ。ひとつは美術の分野で「混ぜ合わせると濁った汚い色になるので避けるべき色の組み合わせ」という意味で、もうひとつは古代に身分の高い人だけが身につけることができ、身分の低い人には禁じられていた衣服の色という意味である。後者は「禁色」として辞書に収録され、三島由紀夫の小説の題名にもなった。本多忠義の歌集の題名は、「泣きながら夢を見ていたあの空が混ぜてはいけない色に変わって」という歌があるので、前者の意味で使われているのだろう。「禁忌」とはタブーのことであり、「犯してはならないもの」「触れてはならないもの」である。その根底には「畏れ」の感覚が横たわっている。本多の歌集にもまた畏れの感覚が溢れているが、それはおそらく生への畏れなのだろう。

 本多忠義は1974年 (昭和49年) 生まれで歌誌「かばん」に所属している。養護学校の教員をしている人だという。もともと詩を書いていた人らしく、二冊の詩集があるようだ。『禁忌色』は2005年に刊行された本多の第一歌集で、解説を「かばん」の先輩である東直子が書いている。「かばん」は「詩歌」に所属していた中山明らが、前田透の突然の事故死により「詩歌」が解散した後に創刊した同人誌である。前田夕暮・前田透の系譜を引くので、もともと口語律・自由律に親和性がある。そんな「かばん」に拠る本多の短歌は定型の枠は守っているが、ほぼ完全な口語短歌となっている。

 冬が来る前にいつかの坂道であなたに触れて僕は壊れた

 ありふれた激しい雨に邪魔されて口笛はまた「レミ」でかすれる

 何色の雲なのだろう夕暮れに遠く泣きだす声が聞こえる

 ブランコもうんていも同じ水色に塗り直されている夏休み

 標的を外れた孤独な弾丸が行くあてもなく刻む夕凪

 もう二度と子供の産めない君を抱く世界は思ったよりも静かで

 花びらが何枚あるか数えてるきみに解(ほど)かれてゆく春の日

 本多の描く歌の世界は静かな喪失感に満ちている。一首目の結句の「壊れた」が象徴する世界がどこかで壊れてゆく感覚、二首目の初句「ありふれた」が物語る世界のフラット感、四首目の「水色」が志向する透明で純粋なものへの希求、こういったものが会話調に接近する口語脈に載せて詠われている。この喪失感やフラット感覚は、90年代以降に短歌シーンに登場した若い作者に共通して見られる。この感覚は口語脈にとても載りやすく、逆に文語脈では表現しにくい。現代の口語短歌において静かな喪失感やフラット感覚が詠われることが多いのは、団塊ジュニア世代以降の人たちのあいだでこのような感覚が共有されているという世代論的背景もあるだろうが、口語脈の選択という方法論による部分もあるのではないだろうか。

 本多の短歌をきっかけに口語短歌の問題を考えてみたい。「口語の短歌はどこか間延びしたものになりがちだが、その弊を免れる方法の一つに〈ねぢれ〉の導入があるだらう。ねぢれは、言葉の組織にアクセントを与へる有効な破格表現である」と高野公彦は述べている (『うたの前線』)。この言葉を引用した加藤治郎は、「こでまりをゆさゆさ咲かす部屋だからソファにスカートあふれさせておく」という江戸雪の歌を引いて、この歌が醸し出す柔らかいエロスは「あふれさせておく」という微妙な修辞にあり、高野の言うねぢれというよりゆるやかな撓みだとした(『短歌レトリック入門』)。「ねぢれ」や「アクセント」や「撓み」は、自然な言葉の流れを塞き止めて方向を変える修辞を様々に表現したものである。

 31音の定型詩である短歌において韻律を重んじるならば文語に軍配が上がる。おなじ「背」でも「せ」「せな」「そびら」と複数の読みが可能で韻律に載せやすい。音数調整が自在にできるからである。また現代語の大きな欠点は文末表現の乏しさで、下手をすると「学校へ行った」「弁当を食べた」のように「~た」が連続する小学生のような文章になってしまう。その点、文語には「き」「けり」「ぬ」など1音節か2音節の助動詞が豊富にあり、文末終止の多彩さにおいても現代語より優れている。したがって韻律を重視し凝集力のある歌をめざすのなら、どうしても文語脈を選択することになる。高野が「口語の短歌はどこか間延びしたものになりがちだ」と述べたのは、このような事情をさしている。それゆえ口語脈を選ぶならば、一首が屹立するような凝集力のある歌ではなく、フラットに歌の外部へとつながっているような余白感のある歌をめざすことになるのは当然の成り行きなのである。

 魚(うを)食めば魚の墓なるひとの身か手向くるごとくくちづけにけり  水原紫苑

 もういくの、もういくのってきいている縮んだ海に椅子をうかべて  東 直子

 一例を挙げたが、一首の独立性では抜きんでている水原の歌と並べてみれば、東の口語脈の歌は意味的欠落は明白だろう。「もういくのってきいている」のが誰であるのか、誰が「もういく」のかは語られないまま余白へと落ちてゆく。また「縮んだ海」が何かの喩であるとしても、それを解明する鍵は隠されている。どこからともなく声が聞こえて来て、それがある情感を醸し出している、そのような作りになっているのである。このような作り方は、修辞的には「意味の陰圧」の技法によっていると言えるだろう。「陰圧」とは、密閉された容器の外部より内部の圧力が低い状態をいう。内圧の低さが圧力が補填されることを求める吸引装置となり、容器に小さな穴があいたら外部から空気が流れ込むのである。東の歌に見られる意味の空白感覚はこのようにして生まれる。本多の歌にも同じような意味の陰圧が観察される。

 ポケットで震えはじめる携帯が教える後戻りはできないって

 真夜中のチェーン着脱場でしか取り交わせない約束がある 

 1首目の「後戻りはできない」がいったいどのような状況をさすのか不明であり、また「真夜中のチェーン着脱場でしか取り交わせない約束」もある切迫した感じは伝わるものの、その内実は語られていない。読者は「ある感じ」を心に抱いたまま取り残される。このような歌の作り方は、本多がもともと詩を書いていたことと関係があるかもしれない。詩はふつう一行で完結するものではなく、多くの行がまとまってひとつの詩編となる。本多の歌を読んでいると、より大きな詩のなかから一行を切り取って来たようにも見えるのである。このような歌の作り方が口語短歌を豊かにするものなのか、それとも逆の効果をもたらすものなのかはにわかに決めがたい。しかし伝統的な文語脈の短歌の根幹であった内的韻律を解体する方向に向かうことだけは確かだろう。

189:2007年2月 第3週 恩田英明
または、隅々までピントの合ったマジック・リアリズム

針先は蟻酸したたり濡れながら
   くまん蜂ひとつ空よりくだる
        恩田英明『白銀乞食』

 一見すると徹底した写実の歌で、〈私〉の感情が入る余地はない。一首から〈私〉は消去されており、外界の〈現実〉だけが詠まれているように見える。しかしそれはまちがった印象である。結句の「空よりくだる」は方向性を持つ述語であり、地面に位置し上を見上げて情景を眺めている観察者の存在を前提とする。認知言語学者ラネカーの云う言語表現における〈主観化〉subjectification の好例だが、ここで言いたいのはそのことではない。蜂の針先から滴る蟻酸の一滴が、そんな距離から肉眼で見えるはずがないということである。離れた所から見えるはずのない細部が克明に描かれることによって、一首が立ち上げる視覚的イメージはハイヴィジョン並みの解像度を獲得する。同じ一枚の絵のなかに、部分的にクローズアップされた拡大映像が嵌め込まれているかのような印象と言ってもよい。ふつう肉眼で観察しているときには、焦点の当たっている近くの物は鮮明に見え、焦点から外れている遠くの物はぼやけて見える。これが通常の視覚である。しかるに掲出歌はあたかも視野のすべてに焦点が当たっているかのような鮮明度である。現実にはこのようなことは起こり得ない。だからこの方法でリアリズムを追求すると、逆説的ながら現実には有り得ない魔術的なマジック・リアリズムを生みだしてしまうのだ。だから恩田の作る歌のリアリズムは素朴な写実ではなく、技巧と想像力が生みだしたものである。

 恩田英明は1948年 (昭和23年)生まれ。「コスモス」で宮柊二に師事したのち、「うた」に移っている。『白銀乞食』は1981年刊行の第一歌集。他に『人馬藻』『壁中花弁』の二歌集がある。ちなみに『白銀乞食』は「しろがね・かたい」と読む。選歌を依頼された宮の命名だという。白銀は雪のイメージではなく、桜花にちなむものだそうだ。「コスモス」は北原白秋の「多摩」の衣鉢を継ぐ歌誌だから、恩田のリアリズムがアララギ系の写実と位相を異にするのもうなずける。

 1971年に「コスモス」に入会して10年後に上梓された第一歌集だが、収録された歌の完成度は高い。高すぎるほどである。

 緑金の胸夕風にたちむかひ孔雀は冬の園を歩める

 産卵に河遡り海潮の香を残す鮭雨に打たるる

 蒲の葉の茂りのあはひ日の辻を間なくひそかに漣匂ふ

 馬上盃を掲げ立ちつつ干さむとぞして火明りに照らし出さるる 

 古典的な歌語を駆使する措辞の確かさもさることながら、恩田の歌が描き出す光景は常にピントがぴしっと決まっていて過不足がなく、場面設定が明確で茫洋・難解であることがない。一首目は巻頭歌で自信作と思われるが、映像鮮明で描写にかすかな矜持を含む。これらの歌で視覚の優位は揺るがないが、聴覚・嗅覚にも訴えるため、時間・空間に加えて音・光・匂いがフルセットで動員されている。これが歌の中に深い奥行きを与えている。また二首目の潮の香りや三首目の漣の匂いのように、感覚にかすかにしか届かないものを掬い上げるところがマジック・リアリズムの面目躍如である。また四首目では歌の中に光源を配置することにより、レンブラントのような陰影の効果を上げていることも注目される。

 時間・空間と音・光・匂いがフルセットで動員されて、歌の中に広大な空間を作り出すことに成功している歌がよい。次のような歌である。

 寒々と月照りわたる空なかばひとひらの雲消えて跡なし

 パナマ帽くるくるまはりかがやけり昼更(ひるふけ)にして蒼穹のもと

 海の辺は遠くに人語 鯵刺の一羽浮けたる空ふかきかな

 とのぐもる沖つ辺暗き鳰の湖いづべともなく鳥が音きこゆ

 塩焼の潮汲み海人ぞ遠く見ゆ鄙の浜辺の「須磨明石の図」

 なめらかにすりつつ墨の「鉄斎」の香はたちわたる秋夜(しうや)すがらに

 例えば一首目では一度登場させた雲片を最後に消すことでかえって空の広さを感じさせる。二首目のかすかなノスタルジーを感じさせるパナマ帽と蒼穹の対比も鮮やかである。三首目では「遠くに人語」と音を導入することで距離感を生みだしている。五首目は展覧会の出品作品を詠んだ歌だが、ここにも絵の中に巧みに遠近感が演出されていることに注目しよう。六首目では墨の香りに「たちわたる」という移動を感じさせる古典的な動詞を用いることで、秋の夜の空間的拡がりと静けさを作り出すことに成功している。しかし次のような歌はどうだろうか。

 空なかば富士の嶺より雪煙(せつえん)の片なびきつつ日の輝りわたる

 ふつふつともの沸く泥にあたらしき蓮の葉浮かぶ露の珠置きて

 一首目では「片なびきつつ」という的確な措辞が冴えているが、あまりに完成されすぎた一幅の絵のように見える。また二首目では泥田に浮かぶ蓮の若葉に最後に露の珠を配することで絵として完成するが、ここまで破綻がないと逆に嘘くさい感がすることも事実であり瑕疵と見る向きもあるだろう。

 このように恩田の歌はマジック・リアリズムによる抑制の効いた叙景歌が中心だが、抒情に傾いた歌もないわけではない。

 握りたる蝉鳴かせつつ水際ゆく少年ひとり昼のふかきを

 青年のとき過ぎにつつ春昼を落花限りなししばらく酔はむ

 夜の卓に桃剥きてをりしくしくと青春晩期の痛む指もて

 口付けてなにか危ふし笑み割るる柘榴(せきりう)は種子こぼれむとして

 わが愛(を)しき背(せな)を晒してゐたりけり汝碧色(あをいろ)の蜥蜴のやうに

 最初の三首は青年期特有の憂愁がテーマであり、残りの二首は性愛を含む相聞だが、ここでも恩田は抑制の効いた描写を外れることがない。恩田は人事を詠むこと少なく、その眼差しは主として世界のなかでの自らの生の確認へと注がれているようである。

 藤原龍一郎は『短歌の引力』のなかで、「自分はなぜ短歌に魅かれるのか」と自問し、それは短歌を読んで興奮と慰藉を得られるからであり、作者が挑発と感傷を一首のなかに仕掛けた時に得られることが多いと述べている。例えば「せつなしとミスター・スリム喫ふ真昼夫は働き子は学びをり」(栗木京子)では、表面上は上句が挑発で下句が感傷だが、意味を読み込むと逆転して上句が感傷、下句が挑発になるとしている。現代短歌の前線を疾駆する藤原には、短歌の刺激としての挑発が不可欠の要素で、それは都市詠を主軸とする藤原独自の抒情観に立脚している。

 このような短歌観に照らせば、恩田の歌には挑発に該当する要素がほとんど見られないので食い足りないと感じられるかもしれない。それでは短歌を読むときに求める興奮と慰藉が得られないかというと、そんなことはない。恩田の短歌のようにぴしっとピントの合った的確な描写によって時空間が立ち上がるとき、私たちはそれまでのぼやけた目では見たことのない世界の現出を目の当たりにする。私たちがどのような世界に生きているのかを改めて実感することができる。歌に導かれて私たちが新たな眼差しを獲得するとき、世界の豊かさと私たちの生の有り様に思いを致すことになる。これもまた短歌を読む静かな喜びだろう。

188:2007年2月 第2週 小嵐九八郎
または、死屍累々の歴史の中で俗調を求める歌

駆けて逃げよわが血統は短距離馬
    かわされざまに詠むな過去形
       小嵐九八郎『叙事がりらや小唄』

 小嵐は米山信介というペンネームも持つ小説家である。1944年(昭和19年)に生まれ、早稲田大学在学中から新左翼運動に参加。銃刀法違反などの容疑で逮捕され刑務所に服役している。その折りの塀の中での見聞を描いた『刑務所物語』など40冊を越える著書があり、吉川英治文学新人賞の受賞歴がある。かたわら「未来」で岡井隆に師事する歌人でもあり、『叙事がりらや小唄』は平成2年刊行の第一歌集。題名の「がりらや」は聖書に登場するガリラヤ湖のことで、青年イエスの物語がこの歌集のひとつの軸になっていることから題名に取られたものだろう。私が小嵐の名前を始めて知ったのは、講談社のPR誌『本』に連載されていた「蜂起には至らず 新左翼死人列伝」がきっかけだった。後に本になったこの連載を愛読していたのだが、題名が示すように死屍累々の物語で、小嵐は新左翼の内部からの歴史を語る語り部の役回りを演じていた。生き残った語り部というこのスタンスは『叙事がりらや小唄』にもまた見てとれる。

 安保闘争と全共闘運動は多くの短歌と歌人を生んだ。『現代短歌事典』(三省堂)では「安保闘争詠」(岩田正執筆)が立項されており、『岩波現代短歌辞典』では「安保闘争と短歌」(佐々木幹郎執筆)と「全共闘運動と短歌」(小嵐九八郎執筆)のふたつの項目が立てられている。岸上大作、清原日出夫、福島泰樹、三枝昂之、道浦母都子、坂口弘らの名前がすぐに挙がるが、小嵐もまたこの系譜に連なる歌人であることはまちがいない。例えば集中に次のような歌がある。

 十九はかく寒かりしゲバの夜の早稲田の地下の旗のシーツの

 果てしなく我が炎瓶(えんびん)は心臓を掴みしままに行方も知らず

 終着駅に着けざることの九割を信じなお革命の切符切る 母よ

 分裂はいまし顕つらし夜の細胞会議(フラク)〈同志!〉と呼ぶはまことせつなし

 ああさらば別れむ朝の鶏早しゲバなき明日を信じてさらば

 あした起つアジトの火燵(こたつ)に十四の踝埋めて 予報は雨と

 左翼運動に身を投じていた頃のリアルタイムの歌ではなく、後日回想して作られた歌なので、国家権力との衝突とそこから生じる身の危険の切迫感は少なく、この点において岸上や道浦の歌とは趣を異にする。例えば「ヘルメットついにとらざりし列のまえ屈辱ならぬ黙祷の位置」(岸上大作)では、機動隊の列の前で女子学生の死に黙祷する自らの立ち位置を、「屈辱ならぬ」と表現している所に身を灼くような自意識のうねりがある。これに比べて小嵐の短歌は全共闘運動の苦い結末を経験しているせいか、回想と愛惜を基調とする挽歌の風情が歌全体に漂う。また青年が理想郷とした社会主義国家の実態が明らかになるにつれ、次のような苦みを帯びた歌が生まれるのもまた無理からぬことだ。

 沈黙は死者のしごと。ひたむきに歌をうたわむGPU(ゲーペーウー)の歌

 まじまじと《ぽと政権は?》と問うつまよ雑草(あらくさ)に酔う雨季もありせば

 アンドロポフ括弧ひみつ警察出身かっこを閉じて斃れたり

 ああ灰とダイオモンドの灰に死すらすとしーんを知りてなお娘(こ)よ

「沈黙は死者のしごと」という言葉は重い。GPUは旧ソ連の国家政治保安部。「ぽと政権」はカンボジアを殺戮の舞台と化したポル・ポトのこと。「灰とダイヤモンド」はアンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画で、反ソ・テロリストの若者が主人公。最後に若者が身をよじって空しく死ぬ場面が印象的。アンドロポフは在任期間が短命に終わった旧ソ連書記長だが、この歌は記号短歌の逆張りという意味でおもしろい。「アンドロポフ(ひみつ警察出身)」とパーレンを用いるかわりに「括弧…かっこを閉じて」と読み上げており、記号短歌のベクトルを逆方向に転じている。しかも「かっこ閉じる」ではなく「かっこを閉じて」と歌の地の文に連接しているだけでなく、「閉じて斃れたり」は意味の上でもつながっている。「括弧…かっこを閉じて」は音数を合わせるためや言葉遊びのおもしろさのためにあるのではなく、間に挟まれた「ひみつ警察出身」が小声でささやかれるべき事柄でありながら、もう周知の事実であることを大声で公言するかのような効果がある。

 小嵐は秋田県能代市の出身で、自らの出自に根ざした短歌も試みている。

 鰰(はたはた)はどこさ逃げたか聴けばあだシベリアおろしの風っこ騒ぐ

 お父(ど)よお父、行がねでくれね淋しども漬物(がっこ)の湯漬け耳に鳴るでや

 夜汽車っこさァ帰るべし微かなるうす血の翳り土を嗅ぎわけ

 大麦を焙(い)って潰した珈琲はまだ見ぬ上野のこなふく味が

 とうきょう、という語はかくも切なくてもどりし淳子の耳を傷つけ

 方言を多用したり、漬物に「がっこ」というルビを振ったりするのは土俗性の志向であり、また4首目や5首目は東京と地方という対立の構図に基づく憧れと悲哀で、啄木や寺山修司の先例がある。しかし「上野」と「コーヒー」はあまりに既視感があり、歌に詠まれた情意もステロタイプ的であることにすぐ気づく。これについて岡井は「喩が俗な所が気になる」と跋文で違和感を述べている。しかし小嵐の作る短歌には、俗に流れることを気にしないというか、むしろあえて小唄や歌謡曲調の俗を求めている所があるように感じる。たとえば次のような歌である。

 使用価値は捨てられてからがカチなのよ早稲田のローザの白き喉もと

 児を捨てむプロレタリアか浮萍(うきくさ)のルンペンプロか サワーおかわり

 ねえ浩二、あの時シャツの釦とび赤い伝言突き刺さったわ

 だれひとり振り向かないの純子だけ、祭りのあとの街で踊るの

 韻律は夜ごと目醒めて妬みけりカスバのおんな外人部隊

 1首目のローザはスパクタクス団を結成した革命家ローザ・ルクセンブルグで、ローザと「白き喉もと」は付き過ぎなのだが作者は気にしない。2首目の「サワーおかわり」の落し方も歌謡曲のような調子だがこれも望んでそうしているように見える。3首目と4首目は全共闘学生に熱烈に支持された任侠映画を演じる鶴田浩二と藤純子の歌で、任侠映画自体が美と雅を信条とする短歌には登場しない素材である。また5首目のカスバの女と外人部隊は映画や俗謡で使い古された常套的イメージである。俗に堕することを嫌わない作りはこのように、言い古された喩やどこかで聞いたような言い回しに支えられている。なぜ小嵐はこのような道を行くのだろう。ここからは私の想像に過ぎないが、それは「対象に入れ込み過ぎず距離を置く」という姿勢の表われではないだろうか。詠うべき対象が重過ぎるとき、対象に肉薄することは身の危険を伴う。対象を世間に流布する俗なイメージに回収することで対象と距離を置くことができる。そのような機微が働いているのではないか。岡井はそれを短歌の立場から批判しているのだが、作者は十分承知でやっているような気がする。

 方言を用いた土俗的な歌や歌謡曲風の俗調の歌に混じって、極めて近代短歌的な抒情の歌が多くあることも見逃してはなるまい。

 新しき時刻表を買うくせはきのうの俺を捨てるにあらず

 少女らがいし蹴るいしを見失い昏(くら)かりけるな夏のゆうぞら 

 ああ我ら間のびせし青年物語ねじ式パイプのかろさ知るゆえ

 椎の木のしいの実ゆっくり落ちるときわたしはおもう銃撃のおと

 いそぐものみな美(は)しきこと死を知りし人も鋼(はがね)も巡るハレーも

 (ああ、いまよ)明日は朽ちなむ唇は盗るとき老いし夏至の少女は

 歌の作りの点では、2首目の「いし」の繰り返しや、4首目の「椎の木のしいの実」に注目したい。椎の木から椎の実が落ちるのは当たり前であり、別の木から椎の実が落ちることはない。言葉を極端に節約する俳句ならば、それはすでに用いられた語に含まれているとして切り捨てられるところだが、短歌では事情がちがう。「椎の木のしいの実」と冗長に繰り返すとき、歌謡のリズムが生まれる。そのリズムがしばしば俗に流れることはすでに指摘したことだが、死屍累々の歴史を身をもって生きた小嵐の場合、それは強すぎる毒を薄めて歌謡へと転換する働きがあるのだろう。

 最後に気になった歌を引いておく。

 この詩型もしやアナアキイこの抒情必ず「陛下」へ ― 短歌史序説

「この詩型」はもちろん短歌形式のことで、「この抒情必ず『陛下』へ」は和歌・短歌が奉仕して来た歴史性を指していると思われる。反体制・反権力の運動に参加する人間が最も伝統的な詩型である短歌を作るという矛盾は大きなテーマになるはずだが、小嵐はここでも諧謔と飄逸の方向へ矛先を逸らしている。これは残念なことだということだけは付け加えておくべきだろう。

187:2007年2月 第1週 上野久雄
または、世界からの剥離感は隠されたもののなかに

沈むとき上下にくらくゆれたりし
     飯の茶碗を思うときあり
         上野久雄『夕鮎』

 単純に解釈すれば折々にふと頭をよぎる回想の歌である。しかしその内容が水に沈んでゆく飯茶碗だというから尋常ではない。飯茶碗は沈むとき上下に揺れるが、それはふつうのことである。しかし挿入された「くらく」という措辞が歌の風景を一変させている。飯茶碗が水に沈む様子に暗いも明るいもない。その様を「くらく」と捉えるのは、ひとえに作者が心の中に暗い物を抱えているからである。飯茶碗が水に沈む様子といい、それを「くらく」と表現した作者の心情といい、相当なものを抱え込んだ人の歌だとわかる。なまくらな人間とは覚悟の質がちがう。不用意にそばに近寄ると、裂帛の気合いでばっさり斬られそうだ。小心者の私はこういう人のそばには近寄らないようにしている。

 上野久雄は1927年(昭和2年)生まれで、現在は山梨にあって歌誌『みぎわ』を主宰しているが、それまでの道のりは決して平坦ではなかったようだ。年譜によると父親の影響で12歳から自由律俳句を作るとある。専門学校在学中に結核を発病し、療養所で作歌指導をしていた近藤芳美を知り短歌を作り始めている。当時結核は青年の宿痾であり、上野は療養歌人として出発したわけだ。病院で短歌を作り始める人は多いようで、近藤芳美らが熱心に病院で作歌指導していたことは短歌史において忘れてはならないことだ。上野はその後「アララギ」を経て当然のように「未来」創刊に参加。83年より『みぎわ』を拠点として活動している。私は知らなかったが、山梨はもともと短歌不毛の地なのだそうだ。飯田蛇笏・龍太父子の影響力が強すぎたせいか。三枝昂之・浩樹兄弟も山梨の産だが、上野も含めて「志」という文字が似合う倫理的な香りが強く感じられるのは風土のせいだろうか。私が暮している京都という町には絶えてないことである。

 上野を解説する人は例外なく「長身のダンディー」という言葉から始めているのがおもしろい。しかし出色の文章は、現代短歌文庫『上野久雄集』の巻末に収録され、その後『短歌と自由』に収められた山田富士郎の「倫理的遊戯人の肖像」だろう。山田は次のように書いている。「未来」には一般社会ではお目にかかれないタイプの毛色の変った人がたくさんいる。例えば近藤芳美や岡井隆はその合理主義・個人主義がふつうの日本人のレベルとは異なっているという意味で際立った存在である。そして上野もまた毛色の変った一人だが、近藤や岡井にはない謎めいたところと茫洋としたところがある、と。山田はその後、上野を「生き延びてしまった短歌の太宰治」とする論を展開するのだが、その内容には触れない。題名の「倫理的遊戯人の肖像」に肝心な点が尽くされているからである。山田自身が根底に倫理的地層を深く持つ歌人であることは別に述べた。その山田と上野のあいだで共鳴する地点が「倫理的」というキーワードであることに何ら不思議はない。しかしどうやら上野は単に倫理的なだけの人ではなく、生活においてすべてを蕩尽する過激な人でもあるらしい。石田比呂志に「黒鹿毛一つ花の曇りあるギャンブラーへの献辞」という上野論があるらしいのだが、この題名に暗示されているように、上野は競馬に入れ込むギャンブラーでもあるのだ。上野・石田・山田という取り合わせは相当な硬派であることはまちがいない。

 短歌から浮かび上がる上野の肖像には、「孤」と「無頼」の文字がつきまとう。例えば次のような歌を見てみよう。

 この重み離さば焉(おわ)りゆくらんと一つ石塊を吊せり吾は

 ああ、ああと答えていしがどちらかが酔いつぶれたる冬物語

 パイパスに出て喰う店の三つほど思いめぐらしていたるさびしさ

 いずれ又俺を探すさというように芝生に埋もれいたる刈鎌

 許せとて妻に手をのべ息絶えし主人公よりいくらか悪し

 我はもち彼はもたざるものとして口髭さむく猿と真対(まむか)う

 みな吾を拒まん今朝は頭上なる時計の鳩が息絶えていつ 

一首目の石塊は作者をこの世に繋ぎ止めている何かの比喩だと思うが、「これを離したら俺は終わり」という切迫感がまるで絶壁の上に立っているかのようだ。三首目は昼飯をどこで食べようかと思案している場面だが、とてもそうは思えない悄然感が漂う。措辞的には「三つほど」という数の絶妙さと、「思いめぐらして」という表現が効果的。五首目のような露悪的な歌も多く見られるのだが、ほんとうには懲りていないような雰囲気がどこかに漂う。六首目のような猿の歌は世に数多いが、そのほとんどが孤猿に自己を投影したものである。ここでは自分を髭あるものとして、猿を髭のないものとして対置しつつ、それが鏡の関係になっているところが独自である。七首目にはどこか石川啄木の香りがし、「世に容れられぬ人」という肖像が浮かび上る。

 シクラメン選りいる妻をデパートに見て年の瀬の街にまぎるる

 銀行の混み合う午後に一途なる瞳(め)にあいしかどはやく忘れつ

 しずしずと駅前の木に雪降ると告げいたりしが電話は切らる

 戻り来し家にシナモンの香はのこり常におそらく妻子らは留守

 家のためにはならない父の朝食を今朝も待ちいし甲州タマゴ

 スリッパもタオルも家のものら決めて隔離患者のごと父は居る

 これらの歌に詠われているのは疎外感だろう。妻子に苦労ばかりかけて家のなかでは居場所がない父親という肖像が見えてくるが、それだけではない。一首目や二首目には世の人や家族から疎外されるのではなく、作者自身がふっと人混みを離れてどこかへ去ってしまうような頼りなさがある。そこに独特の浮遊感と軽みが感じられ、歌が過度に深刻なものになることから免れている。これを「世界からの剥離感」と呼んでみたい。この「世界からの剥離感」が時に浮遊と漂泊の色合いを歌に付与し、ときにかすかなユーモアとして働いている。これは上野が自由律俳句からスタートしたことと関係しているのかもしれない。この剥離感はときに次のようなおもしろい歌を生み出す。

 吾が部屋より子の部屋に這うコードあり或る朝音もなく動き出づ

 前方(まえ)を行く乗用車(くるま)の窓に手が出でて眼にはとまらぬ物捨て落す

 ものの音絶えたる夜半激しくも棚より落下したる一冊

 液状の糊こんもりと冬の夜の机に洩れていることのある

 何ということのない情景を詠んでいるが不思議な味わいのある歌である。現代短歌文庫『上野久雄集』に「身体のはかなさ/隠す歌」という文章を寄稿した吉川宏志は、「液状の糊」の歌を取り上げて、「結果だけが明確に描写されていて、その途中がまったく消去されている」という特徴を指摘し、上野の歌を「隠す歌」だと分析しているが、的確な指摘である。例えば二首目では、道路に物を捨てる手だけがクローズアップされていて、手の持ち主である人間は隠されている。しかし一首目の歌などを読むと、どうもそれ以上のことがあるのではないかという気もしてくる。ここには世界が自分とは関わりのない所で動いており、自分はその結果だけを見せられているという感覚があるのではないか。「液状の糊」の歌についても同じことが言えるように思う。もしそうだとするならば、この感覚は上に指摘した「世界からの剥離感」とどこかで繋がっていると考えられる。

 我が儘なテリヤを連れてくるときの老美容師を吾は好めり

 畑堀りて湯の出ずる待つ一人に折々会いに来る女あり

 口さむく歯科医出てきて公園にパン喰う父子の傍を過ぐ

 ステーキにナイフを当ていて想う犬がくわえていたハイヒール

 ここにあげた歌を読むとやはり何か大事なことが隠されている気がする。一首目の我が儘なテリヤを飼っている老美容師という描写はキャラクターが立ち過ぎて、その分背後に物語を想定させる。老美容師をなぜ作者が好むのかも説明されていない。二首目は畑で温泉を掘っているのか、そこに会いに来る女とはいかにもいわくありげである。三首目も何でもない光景でありながら、何かが隠されている気がするのは「口さむく」のせいか。四首目のハイヒールをくわえた犬からも物語を紡ぎ出せそうな気がするが、作者は何も語らない。このようなあえて語らない歌の作りが一首の意味作用に微妙な余韻を付け加えているのである。それが上野の歌にどこか意味の器に収まりきらない不思議な味わいを生み出している。

186:2007年1月 第4週 都築直子
または、私たちの空間把握に垂直の次元を加える歌

蒼蒼と瞠(みひら)くまなこ森のうへに
      降る点ありてこゑを放たず
        都築直子『青層圏』(雁書館)

 「蒼蒼(そうそう)と」は、(1) 空・海などが青い様、(2) 草木が生い茂っている様、(3) 薄暗い様を表す連用修飾語である。したがって「蒼蒼と瞠くまなこ」は「青い瞳」とも「薄暗い瞳」とも解釈することができる。このような場合、両方のイメージが重なることが多くそれでよい。「青い瞳」ならば西洋人である。尋常でないのは下の句である。「降る点」とはパラシュートを用いてスカイダイビングをしている人なのだ。この前に「いつまでも開かぬ主傘もがきつつ降る人体をわれは見たりき」という歌があり、パラシュートが開かず地面に激突しようとしているダイバーのことだと知れる。現代短歌はさまざまな情景を詠ってきたが、空から降って来る人をこのように描いたことはかつてなかったのではなかろうか。素材の新しさに流されることなく結句を「こゑを放たず」と静かに締めくくった短歌的手腕にも注目したい。

 歌集巻末の略歴によると、都築直子は1955年生まれ。上智大学のフランス語科を卒業してスカイダイビング・インストラクターになり、その後小説家に転身したという異色の経歴を持つ人である。中部短歌会を経て日本歌人社に所属。『青層圏』は第一歌集で前川佐重郎が跋文を寄せている。歌集題名の「青層圏」は「成層圏」を踏まえた造語で、作者がもとは空を職場としていたことと関係しているのだろう。「青」の一字は歌集が捧げられている春日井建の記憶にもつながる。青一色の表紙に半透明のプラスチックカバーをかけて空の色を再現した瀟洒な造りの本だ。

 収録歌のなかでまず注目されるのは、何と言ってもスカイダイビング・インストラクターとしての経験から生まれた歌だろう。

 わがうへにふつと途切れしセスナ機のおとの航跡よぞらにのこる

 着地場の暗がりの中に聞きとめよ にんげんが夜をおりてくるおと

 青ふかく引かるるままに落ちてゆく からだしづかに浮かびはじめぬ

 旋回の機よりにんげん減るたびに床の面積広さを増しぬ

 地上より仰がばひるの花火ならむいま宙空を散りゆくわれら

 まひるまの地へおりゆけばねつとりと熟れた空気が手足にからむ

 一首目の飛行機の爆音や二首目の降下音には体験のみが生み出す迫真性が感じられる。三首目は落下の身体感覚を詠っており、パラシュート降下ならばまっさきにテーマとなるだろうが、作者は四首目のように降下が進行するにつれ飛行機の床が広く見えるという細部にも周到な視線を送っている。また最後の歌のように降下後の身体感覚を詠んだものもあり、上空と地上の最も大きな体感の差は温度と湿度だということがわかる。

 さまざまな素材を貪欲に取り入れる現代短歌においても、スカイダイビングの歌は少ない。『現代短歌分類集成』(おうふう)を見ても、「水平に身を伸べて翼負ふ人ら漂ひゆけり万緑の上」(三国玲子)というパラグライダーの歌と、「ハングライダー群の一つが遠ざかり消えにし空の夢幻の如く」(千代國一)というハンググライダーの歌は収録さているがスカイダイビングの歌はない。これらの歌にしても、自分で飛んでいるのではなく、地上から飛ぶ人を見ている歌である。パラシュートの歌といえば、『短歌パラダイス』(岩波新書)の「パラシュートひらきし刹那わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ」という水原紫苑の歌がすぐに思い浮かぶが、これは100パーセント想像で作られた歌である。

 おもしろいのはスカイダイビング・インストラクターという職業経験のゆえに、空間把握が地上に縛り付けられた人とは異なるという点だろう。パラシュート降下は垂直落下であり、このため作者の空間把握は空へと続く垂直軸を加えた三次元になっている。

 高層の壁の真下にわれ一人のけぞるやうにいただき仰ぐ

 足もとより空に直ぐ立つ垂線をふたつまなこに追ひ飽かずけり

 緋の色はあらはとなりて壁面に立ちあがりたるけふの朝焼け

 空中にふかくねむれる者らありて機内映画のましろきひかり

 五十階、屋上プールに浮く女男(めを)をしづかに覆ふ夜のあをぞら

 垂直の街に来る朝われらみな誰か生まれむまへの日を生く

 パラシュート降下で地上を見下ろす眼差しは、反転すれば地上から上空を見上げる眼差しとなる。この視線は地上を歩くのみで二次元平面で暮しているわれわれとは質の異なるものである。また四首目で航空機の乗客を「空中にふかくねむれる者ら」と表現したり、五首目の高層ビルの上にあるプールに泳ぐ人を空中に浮遊する人と表現したりするのもまた、同じ三次元的眼差しがもたらすものである。このように都築の歌はスカイダイビングという素材の新鮮さのみに寄りかかったものではなく、空間把握の新しさという点においても目を引く。優れた詩や歌は世界の新しい見方を提示するものだ。それを読んだ後では、もう世界は今までのようには見えなくなるというのが究極の理想型である。このことに鑑みても都築の短歌が提示する空間把握は注目に値すると言えるだろう。

 素材が新奇な場合、ネタの新鮮さだけで勝負する寿司屋のように、素材と実体験に基づく実感が過度に前面に出てしまい、歌の姿を損なうことがままある。都築のスカイダイビングの歌にもその徴候を感じる歌がないわけではないが、実感を越える修辞の力がそれを救っている。たとえば次のような歌である。

 てのひらに夜を握りて水となしその水ふかく入りてゆきなむ

 ひきしぼりたわめたるもの一瞬にときはなちたり光のなかに

 大空をいのち激ちて駆くるもの傘を開きて吊さるる肉

 くれなゐの光を引いて落ちゆけば闇の底より夜せりあがる

 すべてスカイダイビングの歌なのだが、ここでは具体的な素材が消されており、説明的になることを免れている。素材が消されたなかから言葉がある感覚や印象を掬い上げるように詠われている。これらの歌には確かな修辞の力が感じられるのであり、一首目「てのひらに」などは秀歌だと思う。

 この歌集には他にもタイ旅行やチベット旅行の羈旅歌も多く収録されており、作者はなかなかの行動派でハードボイルドな人生を送っているようだ。第9回歌壇賞を受賞した本多稜の『蒼の重力』を読んだときも、スキーやスキューバダイビングで世界を駆け回る行動力に驚嘆した覚えがあるが、本多や都築の歌が現代短歌に新たな次元を付け加えていることは確かだろう。

 その他にも次のような歌が特に印象に残った。

 ショスタコーヴッチながれこむ夜半の骨迷路うつむいてわれはまなこ閉じたり

 ビル風が吹き落ちる昼の植ゑこみにみどりごは青銅のまなこ開けり

 白鳩は願ひをもたぬ骨組を柵にひろげて飛びたてりけり

 斉唱は地に触るるごとながれたり明かりともれるゆふべの伽藍

 椅子ひとつ朝の戸口にはこばせて雨待つやうに僧待つをんな

185:2007年1月 第3週 今井恵子
または、私からものの存在へと深化してゆく歌

陽の下に島国の文字わわらかし
       遅れて届く春の絵葉書
         今井恵子『分散和音』

 歌を書き写していて今更ながら気がつくのは、歌人によって漢字と仮名の配分が日常の日本語とほぼ変らない場合と、大きく異なる場合とがあるということだ。漢字と仮名の使い分けの規則としてよく知られているのは、同じ語彙を一首の中で二度使うときには、一度を漢字にもう一度は平仮名にするというものである。 

 つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれたり 小池 光

これは同じ語彙の反復による単調さを避けるという一般的な修辞的意識のなせる業だが、次の歌の平仮名の使い方はもっと特殊な修辞意識によるものだ。

 みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむ角(つの)をほこって  小林久美子

 一般論としてこのような文字感覚を駆使する歌人は「コトバ派」であり、「人生派」の写実から距離を置いた地点で歌を構築しようとしている人である。今井恵子の歌について言うと、私たちが日常書いている日本語の漢字・仮名配分とほとんど変らない。ということは今井は紛れもなく「人生派」歌人なのである。

 今井恵子は1952年(昭和27年)生まれ。早稲田大学在学中に「まひる野」に参加して作歌を初めている。ということは窪田空穂の流れを汲むわけで、近代短歌の王道であった写実と民衆の詩としての短歌がベースにあることになる。その後1982年に武川忠一を中心として結社「音」が結成されたときに今井も加わっている。現在では「音」も離れて、2002年に吉野裕之・高橋みずほと創刊しした歌誌「BLEND」を拠点に活動している。『分散和音』は1984年刊行の第一歌集。「分散和音」とは音楽用語でアルペジオのこと。この題名といい、第二歌集『ヘルガの裸身』といい、今井は歌集の題名の付け方が巧みだ。

 さて今井の歌は第一歌集『分散和音』を見る限り王道を行く「人生派」で、中学教員をしていた頃の歌、そして結婚・出産・子育ての歌と並んでいて、歌人の人生行路を見るようである。しかし読んでいてふと気づくのは、自然詠が少なく人事の歌がとても多いことだ。第一部の最初には「ウィンドのシャツの帆船風をはらみ夢売るごとし夕暮れの街」のような瑞々しい叙景歌があるが、集中の今井らしい歌は次のようなものだろう。

 わが裸心見すかすごとき声ありて顔あげしとき舌かわきいき

 究極は泥をかぶらぬわれがいて海の日没などを語りぬ

 ことさらに高く笑いて水飲める人のかたえに送りたる午後

 許されて今あるわれの立場かと人のやさしさ憎む夜の卓

 開き直れと思いつつ頭(ず)よりシャワー浴び身の冷ゆるまで眼を閉ずる

 つば広き帽子を買いぬあるときは狭き視界に身を置かんため

 一言で言うならば「対他関係における自意識の屈曲」を詠んだ歌である。例えば一首目を見ると、自分の本心を見透かすような人の発言に驚いて顔を上げた時、口の中が乾いているように感じるというように、ここには他者との関係における自意識の動きが生起順序のままに叙述されている。このとき今井の視線は、発言をした他者にではなく、乾く口中を持つ自分へと向けられている。ここに挙げた他の歌にも同じ動きがあることが見てとれよう。この傾向は初期歌篇を代表する最後の歌にすでに顕著である。帽子を買うという女性らしい行動が身を飾るためではなく、自分の視界を狭めるためであるという。これは自己分析に長けた人の感覚であり、この視線が今井の歌に理知的色彩を濃厚に与えているのである。まぎれもなくこれは〈私〉の歌であり、このとき〈私〉の輪郭は生身の作者とほぼ同一である。

 短歌に何を求めるかは人によって異なる。私は今まで多くの短歌を読んできて、自分がどんな歌が好きなのかがようやく分かってきた。それはどうやら〈私〉に収斂する歌ではなく、逆に〈私〉をはみ出して行く歌、場合によっては〈私〉の輪郭を壊して拡散するような歌なのである。だから『分散和音』で今井らしい歌は上に引用したような歌だとは知りつつも、次のような歌に心を惹かれるのだ。

 透かし見ればあまた傷ありガラス器に天より秋陽の降り注ぎいて

 指の長さ比べてたわいなき会話われら地上に濃き影を曳き

 このような歌には生身の作者とほぼ同一のものと措定された〈私〉を越える眼差しがあると感じられる。

 第二歌集『ヘルガの裸身』、第三歌集『白昼』と歌歴を重ねるにつれて、今井の作風は変貌を遂げている。その変化を言い表すと、作歌の重心を〈私〉から〈ものの存在〉へと徐々に移動させていると言えるだろうか。

 噴水の石組はだらに濡れている見ており暗き袋にて〈私〉  『ヘルガの裸身』

 キッチンの床にころがしおく西瓜ひと眠るころ動くことあり

 工事場の穴の深みを覗きこむときの眼(まなこ)は眼らしくあり

 手が見えて顔見えるまで壁ぎわに母が立つまで濃く時間あり  『白昼』

 明るみにうっすりと埃。見ていしが次第に埃の重さに気づく

 降りだして白き雨脚いつのまに鞄の中が濡れたのだろう

 例えば『ヘルガの裸身』よりの一首目では、噴水の石組みが濡れているのを見ている〈私〉を暗い袋と感じているのだが、眼差しが全面的に〈私〉に収斂するのではなく、濡れた石組みもまた〈私〉と同等かそれ以上の存在感を持っているように感じられる。二首目の西瓜の歌は人を喰ったような歌だが、丸ごとの西瓜には確かな存在感がある。また三首目の眼の歌には自意識の欠片もなく、穴という非在との関係で眼そのものが即物的に詠われている。『白昼』所収の歌を見ると、歌の作りはさらに自在さを増しているようだ。『BLEND』10号から近作を引く。

 鍋底の暗きに落す粗塩の粒はざらりと指先を過ぐ

 ホームにて電車待つ間に拾いたる百円硬貨に咲く桜あり

 放課後の少女らの声のらりるれろ青きレールをわれに思わす

 長電話切りたる後はつくづくとつくづくと見つスリッパの裏

 眉のなき少女の顔に一歩ずつ近づきぬレジの列に並べば

 歌の「読み」とは不思議なもので、最初からこのような歌を示されたとしたら、どこがおもしろいのかを具体的に言語化することは難しいだろう。しかし作歌の過程においてどこに重心が置かれているかを通時的に見てゆくと、重心の変遷そのものが興味深いものと見えてくる。今井の場合、重心は〈私〉から〈私〉の外部へシフトしている。歌集を通読するとそのことがよく感じられる。それが今井の短歌に自在さの感触を与えているように思うのである。

 

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184:2007年1月 第2週 由季 調
または、私と他者との間に浮かび上がる歌

あはあはとあはいあはひをあはせつつ
      うたひあひゐるしやぼん玉はも
              由季調『互に』(ながらみ書房)

 京都は寺町二条に三月書房という本屋がある。京都では歌集を多く置いている唯一の本屋で、短歌好きのあいだではよく知られている。いつぞやも短歌の書棚を見ていたら、「こないだテレビで(文部大臣賞の)授賞式のお父さん見たわ。疲れたはるみたいやったな」と店主が店に入ってきた男性に親しげに話しかけている。その男性は青磁社社主の永田淳さん(永田和宏氏のご長男)だった。そんな雰囲気の本屋である。歌集だけではなく他の点でもユニークな本屋で、2000年に解散したペヨトル工房の本を今でも販売していると言えば、本好きの人ならばその意味する所はただちにわかるだろう。私は数ヶ月に一度の割合で三月書房に行き、手提げの紙バッグ一杯の歌書・歌集を買う。店主はきっと奇特な客だと思っているにちがいない。今週取り上げる由季調『互に』も、そんな折りに偶然手に取った歌集である。

 著者は「ゆき・しらべ」、歌集の題名は「かたみに」と読む。2006年にながらみ書房から熾叢書の一巻として出版されている。装幀も著者の自装で白地に漢字の「互」という文字を図案化した模様が配されている。直線が支配的な昭和モダン調で、昔の資生堂のポスターを思わせるアールデコ調である。由季調は「詞法」改め「熾」に所属しており、沖ななもが序文を書いている。私はまったく知らない歌人で、インターネットで検索してみても、『短歌往来』2006年6月号に黒瀬珂瀾氏が書いた書評が氏のホームページに掲載されているくらいで他に情報はない。おそらくは第一歌集を上梓したばかりの新人歌人だと思われる。このように情報がないのは、歌集を繙くとき予断を持たずに歌に入り込むことができるので、むしろ歓迎すべき事態である。歌集を開いてたちまち私は由季調の歌の世界に引きずり込まれ、短い至福の時間を味わった。

 由季の短歌の世界は上に挙げた巻頭歌によって余す所なく言い尽くされている。これほどまでに自分に世界を言い尽くした歌も珍しい。それは由季の歌人としての膂力を示している。由季の短歌の基本は平仮名書きにごく僅かの漢字を混ぜるという書法で、まず視覚的印象としてやわらかくたおやかな感じを受ける。次に平仮名書きの故に、文節の切れ目が自明でなく、読む私たちの視線は庭に置かれた踏み石をたどるように、平仮名のひとつひとつを追わなくてはならない。そのため一読して短歌のリズムに収めることは難しく、再読・三読してようやく定型のリズムが脳裏に生まれる。その過程に若干の時間を要するのだが、このタイムラグが実は重要で、それは日常の言語から詩の言語へと跳躍するための助走時間として働いている。ここに歌の浮上に不可欠の「修辞」がある。

 次に掲出歌の上句「あはあはとあはいあはひをあはせつつ」を見ると、ア音で頭韻を踏んでおり、本来の文語ならばク活用の「あはき」となるべきところを敢て口語の「あはい」にしたのは、「あはい」と「あはひ」の音を揃えるためである。このように著者は歌の韻律に対して並々ならぬ注意を払っていることがわかる。では「あはいあはひ」とは何かというと、漢字に直せば「淡い間」で「わずかの間の空間」ということである。つまり、ふたつのしゃぼん玉が浮遊していて、その間にわずかの隙間があり、そのふたつのしゃぼん玉は互いに歌を歌い合っているという美しい情景が詠まれているのだ。平仮名書きのたおやかさがしゃぼん玉のはかなさと見事に共振している点にも注意しよう。互いに歌を歌い合うしゃぼん玉は、相聞を交わし合う男女の喩と解釈することもできる。しかしそのことは重要ではない。重要なのはしゃぼん玉がふたつ存在し、またふたつのしゃぼん玉の間が「あはい」ことである。意味と形式が美しく融合した歌の世界を、意味の過剰な分析的言語を用いて語ると、ふたつのしゃぼん玉は「相互性」を、その間の空間は「関係性」を象徴するのであり、由季の短歌の世界は「相互性」と「関係性」の世界なのである。やさしく言い換えると、「相互性」とは〈私〉と〈あなた〉がいるということ、または〈私〉と〈世界〉があるということであり、「関係性」とは〈私〉と〈あなた〉もしくは〈私〉と〈世界〉の間に繋がりがあるということである。しかもその繋がりは「あはい」、つまり僅かしか離れていないと同時に、すぐに切れてしまいそうなほどに弱い。このように規定された「関係性」が由季の短歌が抒情を汲み上げる源泉である。

 収録された歌を見て行こう。

 かげさへもすきゐるやうなはるあさきひかりのなかにさくらがひあはれ

 ゆびさきにすこしべとつくぱすてるの白ぐわやうしに白をうかべぬ

 あゐいろのわづかにのこるいんくびんかたむけながら未明にをりぬ

 きまぐれなときをながして砂時計わたしのいまを傍流にせり

 いうりしてゐるかのやうにむきあふはかがみにうつるわれとわがこゑ 

 うすあをくたゆたひながら〈一瞬〉はひかりのなかにかへりてゆけり

 べうしんを目でおひゐればさゐさゐのなかから刻めるおときこえきて

 一読してわかるように由季の短歌世界には光と白色が過剰なほどに溢れており、その中に僅かに色彩が配されているが、そのほとんどは「うすべに」か「うすあを」である。それは一首目の「さくらがひ」の色であり、三首目のインクの青、六首目の〈一瞬〉の青である。「相互性」と「関係性」はしばしば光と影として形象化されていて、一首目や六首目がそのことを示している。光と影はときには「実体」と「虚像」という形を取ることもあり、五首目に登場する鏡もまた「何かを映すもの」で「相互性」と「関係性」を象徴するアイテムであることは言を待たない。歌に詠まれている情景はさまざまでありながら、これらの歌はすべて「間(あはひ)」を詠っているのであり、日常に潜む微細な「間(あはひ)」に視線を注いで歌に掬い上げる力はなかなかのものである。なかでも興味深いのは四首目と七首目の時間を詠んだ歌である。ここには時間の複数性が見られる。砂時計が刻む時間とは別に私の存在する時間があるという認識、秒針が刻む時間とは別のもうひとつの時間があるという意識がテーマである。そういえば「間(あはひ)」には時間的意味もあるのだった。これらの歌から浮かび上がる〈私〉は、美しく張られた蜘蛛の巣の糸のような関係性の網の目の中で、世界に向かって静かに手を差し出す姿をして、私たちの目に迫ってくるのである。

 これにたいして次の歌群は〈私〉と〈あなた〉の関係性に焦点を当てた相聞である。

 やさしさもあまさもひかへてしまつては あなたとのあはひを うたえぬのでは 

 私から光(かげ)をときはなしてくるる あなたとふひと なのか あなたは

 だきしめてもらへるのなら胸のなかのかたくなさにまでおしあてるから

 目のあつてしまはぬうちに この角度で きみをかがみにふうじこめたし

 かりそめにあふも片頬(かたほ)で かりそめにも、われをみようとしてはくれない

 はなびらのながれいるまで間(あひ)といふものをしらずにゐしか ふたりは

 このあひをながるる花片(はなびら)のささやきぬ ひとつあはひをもちあふ ふたり と

 いずれも激しい恋愛というよりは、淡い片思いといった風情の相聞だが、〈私〉と〈世界〉の歌群と比較するとより現代語で口語的であり、新仮名遣いも混じるようになる。相聞という恋愛感情のレベルになると、どうしても古語より現代語の方が感情を言葉に載せやすいという事情があるのかもしれない。短歌の形式と韻律の面ではやや緩んだ造りになっているのも、感情を盛り込もうとしているためなのだろう。しかし形式と韻律の緩みは歌に独り言の呟きといった趣きを与えてしまい、歌の訴求力を減殺することにも注意すべきだろう。しかし相聞も六首目「はなびらの」や七首目「このあひを」のように強い修辞意識に支えられて生まれ出ると、とたんに歌としての輝きを増すのである。

 なないろをせしくりすたるまひるとふ壺のなかにてしろくこほれり

 まだあをいうちにもがれた水蜜桃がにほひはじめるゆびのあとから

 かうすいの瓶たふるればかくれぬのそこへかをりのしづもりてゆく

 かぎばりをとがらせてあむあらべすく空(くう)にひろごる虚(くう)をはらみて

 ひとしづくの力ためつつふくらむる雫の端(さき)に完結はあり

 こゆるぎのせくかぜいなすふうりんのひきゆくなみのねいろをしをり

 あまたへにあをきかけらをあつめつつあめねく咲(ひら)くあさのひかりは

 一首目のクリスタルの花瓶が白く凍るという見立ても美しいが、真昼を壺と形容するのも見事な捉え方である。二首目には水蜜桃の熟して行く時間の推移が感じられる。三首目の「かくれぬ」は隠れ沼の意。香水の瓶が倒れて中身が漏れだしたところを隠れ沼と形容したのだろう。四首目は特に好きな歌。アラベスク模様のレース編みの情景だと思われる。レースは細い糸を編んで織り上げるものだが、糸という物質が占める部分よりも、透けた虚の空間の占める部分の方が多い。つまりはレースは虚を編み上げたものだということで、これは短歌にも通じることである。

 巻末には他の歌とは別立てにして次の一首が掲げてある。

 ふたひらのしろいてふてふのあやなせるこのあかるさをまひるとおもふ

この歌は巻頭のふたつのしゃぼん玉の歌と対をなして見事に呼応している。最初にふたつのしゃぼん玉、最後に二頭の蝶々を配することで、『互に』一巻は円環をなして完結する。あたかも最初に登場したふたつのしゃぼん玉が二頭の蝶々に姿を変えて虚の空間へと飛び去るかのごとくである。そこに聞こえるはずのない蝶の羽ばたきを聴くのが詩人の役割なのである。