041:2004年3月 第1週 作歌信条

 『現代短歌100人20首』(邑書林)は、100人の歌人を選び、自薦20首と作歌信条30字以内をあわせて掲載した、なかなかおもしろい趣向のアンソロジーである。最年少の永田紅から最年長の浜田康敬までがずらりと並んでいる。編集は小池光、今野寿美、山田富士郎。こういうアンソロジーでは、それぞれの歌人が自薦20首に何を選んでいるかが興味深いが、これは別に論じる予定の代表歌に譲るとして、もっとおもしろいのは作歌信条30字以内の方だ。これは読んでいると興味尽きないのである。

 年の若い歌人は、概して初々しく生真面目に、優等生的な作歌信条を披瀝している。

永田紅
 定型を信頼して作り続ける。

横山未来子
 言葉のもつ力を活かしながら、生を基盤とした歌を作ってゆきたい。

吉川宏志
 言葉の手触りを大切にしつつ、生の実感に根ざした表現を生み出す。

 〈言葉〉と〈生〉の間に成立する関係性が短歌の核心であるのだから、作歌信条が両者をいかに架橋するかに集中するのはある意味当然と言えよう。結果としてよく似た信条となる。

 しかし、歌人も年を重ね経験を積むと、次のように煮ても焼いても食えない人たちと化すのである。

小池純代
 歌わなければからだにわるい。

小池光
 信条、そういうものはない。

穂村弘
 愛の希求の絶対性。

 小池光はこのアンソロジーの企画立案をした編者のひとりなのだから、「それはないだろう」とツッコミを入れたくなるが、この答えはいかにも小池らしい。決してはぐらかしているのではなく、この返答の背後には、短歌に対する小池の優れて戦略的思考が潜んでいるのである。一方、穂村の答えは、ある意味感動的ですらある。穂村の著書『世界音痴』の愛読者としては、このなかの「絶対性」は「不可能性」と等価交換できるように思う。この作歌信条を見てから、「サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」のような破天荒な歌を読み返すと、「そうだったのか!」という気になるから不思議である。

 何人かの歌人は、信条を短歌形式で披露している。こんなことができるのも、短歌のおもしろさだ。これは短歌を作る心構えを短歌で表現しており、「短歌についての短歌」だから、メタ短歌と言ってもよいのである。

加藤治郎
 ぼくはただ口語のかおる部屋で待つ遅れて喩からあがってくるまで

大塚寅彦
 一凡打にイチローは極意つかみしとふわれも凡打の歌かさねゆかむ

三枝昂之
 どんな日々にも放蕩はあり花はあり歌の汀へゆっくり歩む

藤井常世
 歌いつくすことあらざらむゆくすゑは花の山姥山めぐる歌

佐佐木幸綱
 直立せよ一行の詩 陽炎に揺れつつまさに大地さわげる


 加藤の歌はこの機会に作ったものではなく、第一歌集『サニーサイド・アップ』収録の歌の使い回しである。加藤がふだんからこのような歌を作っていることは、加藤の短歌には〈どのように短歌を作るか〉という技法論が、常設展示のように組み込まれているということを示している。大塚と三枝の歌が既作歌か新作かはよくわからない。三枝の七・七・五・七・七の初句二音余りの破調の歌は、とても美しくてうっとりしてしまう。佐佐木の「直立せよ」は、言うまでもなく『直立せよ 一行の詩』(1972)のタイトルともなった佐佐木の代表歌である。

 上にあげた永田・横山・吉川らは、すでに指摘したように、〈言葉〉と〈生〉の関係性に作歌の基軸を据えていた。しかし、〈言葉〉と〈生〉とがじかに触れ合うことは、そういつでもあることではなく、ふつうは両者の間にさまざまなものが介在する。そのひとつに、社会があり、歴史があり、ときに時代と政治がある。次の歌人たちはむしろ、〈言葉〉と〈生〉の間に否応なしに割り込んで来るものとして、社会や歴史にこだわり続けている人たちである。

谷岡亜紀
 言葉を恐れつつ、〈世界〉との対立葛藤のある作品を目指したい。

山田富士郎
 ここと今を手離さず、魂を歴史の搾木にかける、それも楽しく。

島田修三
 流動する時代・社会に生きて在る「私」の実感を歌いとどめること。

小嵐九八郎
 食いつなぎながら、失いしものらへの魂の吹きこみ。

福島泰樹
 直接伝達詩型短歌は、烈しく痛切な命の詩型である。

 山田と島田は1950年生まれ、谷岡は1959年でやや年下だが、こういう感じ方はこのあたりが年齢的に下限だろうか。小嵐と福島の信条には、それとわかる形では歴史や社会や政治という単語は含まれていないが、その履歴を知る者にとっては、行間に滲み出ていることは明白である。ふたりとも浪漫的方向に進んでいることは興味深い。小嵐が講談社のPR誌『本』に連載していた「蜂起には至らず 新左翼死人列伝」は愛読していたが、最近本になった。「鰰(はたはた)はどこさ逃げたか聴けばあだシベリアおろしの風っこ騒ぐ」のような、故郷秋田の方言を駆使した民衆的土俗的な短歌を作る人である。

 このようにさまざまなスタンスから披瀝された作歌信条があるが、私が一番心を打たれたのは次の村木の信条にとどめをさす。

村木道彦
 神も思想も信じない現代人の、人間自体に対する祈りが歌である。

 村木は自薦20首に、伝説的歌集『天唇』から一首も採らず、すべて歌集未収録歌から選んでいる。「歌のわかれ」を通過して、過去の自分を否定、もしくは否認しているからであることは言うまでもない。数首引いておこう。

 夭死なる齢にはるか杳(とほ)くきて谷おりゆけば水流の音

 傷口をこころにもてばガラス戸の雨滴は花のごとくひろがる

 壮年に春は深しも翔けのぼる雲雀を蒼天の冥きに吸われ

040:2004年2月 第4週 卵の歌

 若い人は知らないだろうが、卵は昔は貴重品だった。割れないようにもみ殻に入れて保存され、精がつくからという理由で、病人への見舞いによく使われた。近代以前の和歌に卵が詠まれた例をあまり知らないが、近代以降の短歌にはよく登場する。やや縦長の丸い形状、割れやすい殻、とりわけ内部に命を宿しているということが、豊かな象徴性を帯びる理由なのだろう。キリスト教では復活祭に彩色した卵を飾るが、これも生命の復活・再生を表わしていることは言うまでもない。またお隣の韓国には卵生神話というのがあり、伝説上の英雄は卵から生まれたとされているという。卵の持つ不思議な性質が、いかに昔の人々の想像力をかき立てたかをよく示している。

 近代短歌で卵の歌というと、どうしても次の歌が最初に頭に浮かぶ。

 突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼 塚本邦雄

 ここで焦点が当てられているのは、殻がもろくて割れやすいという性質である。卵の持つこの性質は、豊かな譬喩の揺籃となるが、塚本の譬喩は鮮烈なイメージを残す。卵が激しく割れて卵白と卵黄がごちゃまぜになって流れ出すように、撃ちぬかれた兵士の眼からも流れ出すものがあるはずだ。生卵のもろさは、戦争の惨禍の犠牲となった人間の生身のもろさと呼応している。ちなみに、結句七音からして、最後の「眼」は「まなこ」と読むべきだろう。

 取り落とし床に割れたる鶏卵を拭きつつなぜか湧く涙あり 道浦母都子

 同じように卵が割れる場面を詠みながら、塚本の短歌の高度の象徴性にくらべて、こちらはずっと日常性と作者の心情に傾斜している。言うまでもないことだが、泣いているのは卵を落として割ったからではなく、別のところに理由があるが、それが何かは定かではない。しかし、卵を落として割れば、流れ出した中身を復元することはできない。だから取り返しのつかない出来事の喩として成立するのである。

 殻うすき鶏卵を陽に透かし内より吾を責むるもの何 松田さえ子

 卵を光線に透かすとぼんやり中身が見える。それが自分を責めているように感じるというのだが、もとより卵が責めているのではない。見ている作者の置かれた境遇と心情が、そのように見させているというにすぎない。松田は家庭の不幸をよく歌にしたので、嫁して数年経ても、いまだ子が生まれないことを婚家から責められているのかも知れない。ならば卵の喩ももっともである。

 冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生(ひとよ)のごとし 岡井隆

 冷蔵庫ひらきてみれば鶏卵は墓のしずけさもちて並べり  大滝和子

 ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は 穂村弘

 昔は薄暗い台所の片隅にザルに入れて置かれていた卵も、現代ではその定位置は冷蔵庫と決まっている。卵というとどうしても冷蔵庫が登場することになるが、こうして3首並べてみると、ずいぶん趣の異なる歌が並んだ。いちばんわかりやすいのは大滝の歌で、卵が墓のように整列して並んでいる様を詠んだものである。ポイントはふたつあり、ひとつは卵の殻の白さが墓標を連想させたこと。もうひとつは、卵は生命を胚胎しているにもかかわらず、それとは逆に墓場を連想したことである。この連合と飛躍がこの歌を成立させている。

 岡井の歌は少々わかりにくい。本来ならヒナを生むはずの卵が、冷蔵庫で食べられるのを待っているということが、だまされて来た一生を連想させるということかとも思うが、この読みに確信はない。しかし、ほのかに口中に苦さを感じさせる歌ではある。これに対して、穂村の歌では卵はたいした役割を演じていない。別に卵置き場でなくてもよい、やけっぱちの歌である。

 卵はもちろん食べるものであり、日本では和食・洋食を問わず、朝食の食卓にのることが多い。ただし、卵を食べるといっても、そこは歴戦の強者揃いの歌人のこと、一筋縄ではいかないのである。

 卵もて食卓を打つ朝の音ひそやかに我はわがいのち継ぐ 高野公彦

 鳥の卵ひとつのみほすあけぼのへ冷え冷えと立つをとこののみど 小池光

 うちつけに割つてさばしる血のすぢを鳥占とせむ春たつ卵 高橋睦郎

 卵黄吸ひし孔ほの白し死はかかるやさしきひとみもてわれを視む 塚本邦雄

 高野の歌はいちばん素直といえば素直だろう。卵を自分の命を明日につなぐ食料として捉えている。もちろんポイントは「ひそやかに」であり、これがないと歌として成立しない。卵を食卓に打ちつけているので、これは茹で卵だろう。しかし、昔は精をつけると称して生卵を飲むことがよくあった。小池の歌はその情景である。明け方に生卵を飲み干す男の上下に動く喉が、寒々しいと同時に奇妙に生々しい光景を作り出している。巧者高橋の歌は凝った作りだ。割った卵に赤い血の筋がついていることがある。これを鳥占に見立てている。鳥占とは、年の初めに山で捕った鳥の腹に穀物があれば豊作、なければ凶作と判定する年占の一種である。また「春たつ卵」も曲者で、本来「春立つ」は「春になる」の意だが、卵は春になると縦に立つという言い伝えをどこかで聞いた記憶がある。もしそうなら「春たつ卵」は両方の意味をかけていることになる。塚本の歌でも、生卵を吸っているのだが、ここでは卵そのものではなく、吸ったあとに殻に残った穴が問題である。それを自分を見つめる死の瞳に見立てている譬喩が秀逸と言えよう。七・七・五・七・七 (または七・七・五・九・五)の破調の韻律もまた、塚本らしい前衛短歌の一首である。

 生(あ)るることなくて腐(く)えなん鴨卵(かりのこ)の無言の白のほの明りかも 馬場あき子

 永遠にきしみつづける蝶番 無精卵抱く鳥は眠れり 錦見映理子

 鮮麗なわが朝のため甃(いしみち)にながれてゐたる卵黄ひとつ  小池光

 女学生 卵を抱けりその殻のうすくれなゐの悲劇を忘れ 黒瀬珂瀾

 半日かけて卵の歌を探していて不思議に思ったのは、卵が生命を孵すことをストレートに祝福する歌が見あたらないことだ。近代化された鶏卵業界では、私たちの手に届くのはパック詰めされた無精卵だからかも知れない。いずれにせよ、歌人が卵に注ぐ眼差しは、卵という形象の薄暗い方面へと収斂している様子である。上にあげた4首はそれぞれに、卵を不毛性の象徴として詠っており、そのトーンの類似は驚くばかりである。黒瀬の歌では「うすくれなゐ」となっているから、卵の色は白ではなく赤玉だと思われる。ふつう卵は白として形象されることが多い中では珍しい。ちなみにフランスでは卵はすべて赤玉で、白いものは売っていない。

 最後に、食材でもなく不毛の象徴でもなく、卵の存在そのものを詠った歌をあげる。

 卵ひとつありき恐怖(おそれ)につつまれて光冷たき小皿のなかに 前田夕暮

 てのひらに卵をうけたところからひずみはじめる星の重力 佐藤弓生

 前田の歌は、卵という物体そのものの存在感と不思議を歌にしたもので、卵の歌のなかでは白眉というべき名歌である。こういう歌を読むと、それまで茫洋としていた世界に、くっきりとした輪郭と深い彫りが与えられ、目が覚めるような気がする。また佐藤の歌では、卵を手のひらに置いたときの感触が詠われている点が、他の類歌とは異なり新鮮である。確かに卵の大きさのその曲面は、手のひらのくぼみにすっぽりと収まる。また大きさのわりに手に重みを感じるのは、中に命があるからか。その感触を「ひずみはじめる星の重力」と表現するところが、歌人の想像力なのである。

039:2004年2月 第3週 大滝和子
または、はるかかなたにあるものと感応する魂

家々に釘の芽しずみ
  神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな

                  大滝和子
 小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)の歌合二十四番勝負において、並み居る歌人たちをうならせ、小林をして「背筋に寒いものが走った」と書かせた名歌である。「釘の芽がしずむ」という表現から、市川昆が好んで映画に撮ったような、黒光りのする柱のある薄暗い日本家屋の室内が連想される。視線を移すと、一転して光溢れる庭に咲き誇る桜が目に入る。内と外、静と動、影と光の対比の鮮やかな歌である。何より桜の咲く様を「神御衣のごとく」と表現する措辞が衝撃的だ。

 作者の大滝和子は1958年生まれ、岡井隆の結社「未来」に所属し、「白球の叙事詩(エピック)」で短歌研究新人賞、第一歌集『銀河を産んだように』(砂子屋書房)で現代歌人協会賞を受賞している。第二歌集に『人類のヴァイオリン』(砂子屋書房)がある。

 現代短歌の担い手の多くは女性である。男性歌人はどちらかと言うと影が薄い。平安時代の古典和歌の世界でも女流歌人は活躍し、あまたの名歌を残しているのだから、不思議ではないという考え方も成り立つ。しかし、これはちょっとちがうと思う。どのようにちょっとちがうのか、きちんと説明しようとするとなかなか難しい。私にはそれだけの短歌史の知識もない。しかし、大滝和子の短歌を読むと、そのあたりの事情が薄明かりに照らすように、ほんのり解る気がする。それは例えば、『銀河を産んだように』に次のような歌を見つけるときだ。

 くるおしくキスする夜もかなたには冥王星の冷えつつ回る

 白鳥座(シグナス)の位置もかすかに移りたり君への手紙かきおえ仰げば

 はろばろと熱く射しくる日輪光われの頬にて旅おわるあり

 胎内にわれを編みているときの母の写真とまむかいにけり

 大海(わたつみ)はなにの罪かや張りめぐるこの静脈に色をとどめて

 一首目では、部屋の中で恋人とキスする自分と、太陽系の最も外側を公転する冥王星が対置されている。狂おしいキスは熱く激しく、冥王星は静かで冷たい。本来ならば両者の間には何の関係もない。しかし、この歌は明らかに両者の間に、目には見えない密やかな関係の糸があることを詠っている。そこがこの歌のポイントであり、すべてである。このように、本来離れたもののあいだに成立する関係性の感得はひとつの感応であり、どうやら女性は目に見えない感応を感じる能力が高い。そして短歌という定型は、日常の常識ではあり得ないような感応を、説明的にではなく、感覚的に提示するのに適した形式である。

 二首目はたぶん恋人に長い手紙を書いているのだ。手紙を書き終わって夜空を仰ぐと、白鳥座の天球上の位置が少し変化している。その変化は時間経過の関数なのだが、目には見えない時間が白鳥座の位置の変化に写像されているところがポイントである。つまり、恋人に寄せる思いが、天球上の白鳥座の位置変化という壮大なスケールに変換されているわけだ。

 このスケール感は三首目にも顕著である。頬に射す陽光を、ただ暖かいと感じれば、それは普通の感覚だ。大滝はこれを、太陽に発して1天文学単位、すなわち1億4959万7870kmの宇宙空間を通り抜けて自分の頬で終わる旅だと感覚している。

 四首目と五首目は、空間的なスケール感が時間的なスケール感に転化したケースである。妊娠した母親の写真のなかに胎児の自分がいる。現在の自分と母の胎内の自分とが、何十年という時を隔てて相まみえている不思議がある。五首目はもっと時間幅が長く、進化の過程で海水と同じ塩分濃度を持つようになったヒトの血液を詠ったものである。

 大滝の短歌はこのように、大きな距離で隔てられた空間上のふたつの地点、長い時間で隔てられた過去と現在のあいだで〈感応する自己〉という基本的な図式のもとに成立している。大滝の短歌は、その感応の言語的表出なのである。

 『人類のヴァイオリン』でもこの図式は変わらないが、詠われる内容はもっと細やかになり、感覚も鋭敏になる。

 このノブとシンメトリーなノブありて扉のむこうがわに燦たり

 観音の指(おゆび)の反りとひびき合いはるか東に魚選(え)るわれは

 まぼろしの家系図の影ながく曳き青年は橋わたりつつあり

 暴風雨ちかづきてくる夜の卓まぶたを持たぬ魚食みており

 ドアのこちら側にノブがあれば、反対側にもあるというのは常識である。しかし、部屋の中にいてドアを閉めた状態で、こちら側のノブだけを見つめているとき、反対側のノブは決して見ることのできないものである。だから、ふたつのノブはドアの裏と表という隣り合わせにありながら、私と冥王星と同じくらい遠くにあるものでもある。この感応はすごい。また二首目の歌では、中国の観音像と遙か東方の日本にいる自分とが、市場の店先で魚を選ぶ指先の反りにおいて繋がり合い感応するところに、新鮮な発見がある。集中の白眉と言ってよい。

 だからこのような鋭敏な感応がないとき、大滝の短歌は次のように平凡なものになる。

 ブランコに吊されている亜麻色の髪の人形うごくともなし

 カーテンが拳のごとく結ばれるさみしき窓をわれは見たりき

 もちろん大滝にも、暗く鬱屈する内面や心の闇がないわけではなかろう。それは時折顔を出す次のような歌に垣間見ることができる。

 あたらしき闇たたえつつ白真弓ひきしぼるごと汝(な)を遠ざかる

 わが耳を前菜のごと眺めいる我あり暗き稲妻たてり

 しかし、大滝は鬱屈する内面を、水槽でハムスターを飼育するように飼い慣らしたりはしない。雨の釣り人のように自己の内面だけに屈み込むこともない。それはひとえに、大滝が〈ここにいる自分〉と感応する〈遙かかなたにあるもの〉との関係性に自己を開いているからである。

038:2004年2月 第2週 小川真理子
または、日々の息づかいのこもる低体温の歌

Jeという主語ざわめきて紫の
      燻るようなアテネ・フランセ

                 小川真理子
 作者は1970年生まれ,『母音梯形』(河出書房新社)が処女歌集である。集中にも収録された連作「逃げ水のこゑ」で第44回短歌研究新人賞を受賞している。短歌研究新人賞は1954年に始まった歴史ある短歌賞で、第1回は中城ふみ子、第2回は寺山修司が受賞している。その後も、井辻朱美、阿木津英、大塚寅彦、加藤治郎、萩原裕幸と、受賞者の顔ぶれはまぶしいほどだ。

 『母音梯形』はふつうに読めば「ぼいんていけい」だが、「トラペーズ」とルビが振ってある。「梯形」は「台形」の旧称で、「母音梯形」はフランス語を教えるときに、母音の調音を示すために口の開きと舌の位置に応じて母音を配した図形をさす。フランス語で trapèze vocalique 「トラペーズ・ヴォカリック」という。母音の数と性質から、日本語では逆三角形になるが、フランス語には12の口腔母音があるため、逆立ちした台形になるのである。私も大学でフランス語を教えているので、4月の教室では必ずこの図を黒板に描く。フランス語教師でこの図が描けない人はいない。仏文系の歌人というと、水原紫苑と黒瀬珂瀾がすぐ頭に浮かぶが、小川真理子もフランス語の教師なのである。

 掲出歌はフランス語の教室での一場面だ。生徒に「私」を意味する je の発音を教えている。日本語で「ジュ」は歯茎破擦音で、歯茎に押し当てた舌端をはじいて発音するが、フランス語の je は歯茎摩擦音で、舌端を歯茎に当てず隙間をあけて発音する。だからずっと柔らかく布が擦れるような音になる。生徒の je の発音が満ちる教室を、「紫の燻るような」と作者は表現しているのである。音から色を幻視する共感覚である。

 『母音梯形』はほぼ編年体に編まれた歌集なので、作者の人生の道筋を辿るように歌が現われて来る。この点で『母音梯形』は、先週取り上げた本多稜『蒼の重力』とは、おもしろいほどに対照的である。勇壮な男歌とたおやかな女歌、体育会系と文科系でも軟弱の筆頭の仏文というのは、むしろ表面的な対比だろう。本多の短歌に「折々の歌」がなく、すべてが強いテーマ性に貫かれているのに対して、小川の短歌はすべてが「折々の歌」であり、まるで夜更けに机に向かってその日その日の出来事を鍵のかかる日記に書きつけるように、歌が作られている。本多の短歌のようにテーマ性の強い歌を編年体に編集することなど、思いもよらないだろう。それと同じように、小川のような短歌を本多のようにテーマ別に編集することは、小川の短歌が拠り所とする〈日々の息づかい〉を消してしまう。小川の歌にとっては、日々の体温が重要なのだ。これは若い頃から病弱な肉体を持つ作者にとって、いわば宿命的な短歌への接近法と言えるかもしれない。

 小川の歌にはっきりと自己が現われるのは、フランスのリヨンに留学してからである。

 雨の名の乏しきフランスの雨よ、降るならばわが巡りに降れよ

 小道さへ名前をもてるこの国で昨日も今日も我は呼ばれず

 窓といふ窓外したしまざまざと一人つきりの生を映せる

 三十一文字積み重ね崩し積み重ねわがたましひの砦を築く

 甘辛き味を知らざる口をもて oui か non かと問ひ詰めてくる

 私も学生時代にフランスに留学しているので、このような歌を生みだした思いは痛いほどよくわかる。アジアの湿潤にたいして、ヨーロッパは乾燥する大陸で雨が少ない。湿潤に慣れたアジア人にとって、ヨーロッパの気候は湿り気と陰翳に乏しい。またイエス・ノーがはっきりしたフランス人の会話は、婉曲と曖昧を好む日本人には、とにかく攻撃的に感じられる。孤独をかこつ留学中の小川にとって、日本語で短歌を作ることは、文字通り「魂の砦を築く」作業だったにちがいない。

 帰国した小川はフランス語教師となる。外国語を教える職業だから、言葉に関する歌が多いのがこの歌集の特徴である。

 コーヒーにクリームの溶くる匂ひなり狭窄子音につづく鼻母音

 あやまたず enchaînement (アンシェヌマン)を成すこゑは新体操のリボンのうねり

 心ゆくまで蜜を吸ふ蝶となり流音(リキッド)に酔ふふたひらの耳

 新しき黒板に映え如月の星座のような母音梯形

 短歌の重要な要素として〈喩〉があるが、この点から見てもこれらの歌はおもしろいところがある。すでに掲出歌にはjeの発音から紫を連想する共感覚があることを見たが、上の一首目には音から匂いへの共感覚がある。二首目はフランス語の滑らかな音を生み出すアンシェヌマンから新体操の波打つリボンへの連想が、三首目にはl, r の流音から蜜を吸う蝶への連想がある。

 作者の日常は淡々と過ぎて行くのだが、歌集後半になって結婚し、結婚相手が戦火のパキスタン、アフガニスタンに取材に行くというあたりから、にわかに慌ただしくなって来る。

 地雷埋められたる土地へなぜ君が行かねばならぬ死ぬかもしれぬ

 夏帽子被りて報道する夫は戦時生命保険を掛けつ

 緑色わづかなる迷彩服よ人間だけが戦ぐ地なのか

 しかし、作者の体温はどうやらこのような劇的展開には向いておらず、もっと日常のささいな感覚を詠むことの方に適しているようだ。小川の短歌は、総じて体温の低い歌なのである。

 小豆煮る鍋に砂糖をなじませて死者たちの闇照らしてゆけり

 まづ我がはじかれそうで生徒らが円形に座ることを拒みつ

 林檎にも試さるる夜 半分に割れば蜜濃きロールシャッハが

 傘干せば甘ゆるやうにかたむきてその内側のさみしさを見す

 わが部屋へ君が来る夏 木々の名を記しただけの地図を渡さう


 最後に特にいいなと思った歌をあげておこう。

 魚座なす星を結べば群肝(むらぎも)の心ならむかその闇の嵩

 鳥小屋で身じろがぬ冠鷺の目交ひの鬱金したたるばかり

 次の世も野鳥なるべし路上にて翼を仕舞ひこまずに死せり

037:2004年2月 第1週 本多 稜
または、折々の歌を否定する行動派の抒情

蒼穹に重力あるを登攀の
  まつ逆さまに落ちゆくこころ

            本多稜『蒼の重力』
 作者は1967年生まれ。処女歌集『蒼の重力』(本阿弥書店)で1998年に第9回歌壇賞を受賞している気鋭の新人である。私は作者について何の予備知識もなく、歌壇に疎いので失礼ながらそのお名前も受賞歴も知らなかった。ある日、郵便で作者から歌集が送られて来た。歌人から直接歌集の贈呈を受けるのは初めてだったので、ちょっとわくわくしてしまった。栞文には、佐佐木幸綱、栗木京子、小池光が寄稿するという強力布陣である。

 ふつう私はどこかで目にした短歌が気に入り、その人の歌集を買う。だから私が買う歌集は、基本的には好きな歌人のものばかりだ。自分で買ったのではない歌集を読むというのは、考えてみれば初めてのことである。行き先のわからない列車に乗せられたようなもので、期待もあるが不安も大きい。しかし、一読して期待は裏切られなかった。

 作者はどうやら外資系の証券会社か商社に勤めていて、海外勤務も長いらしい。「フランクフルトからロンドンに異動させ即座に解雇せし米系は」「先物に振り回さるる現物の価値の霞にまぎれてゆくも」といった職場詠を見ると、グローバル化した資本主義の最先端で、生き馬の目を抜くような為替取引か先物取引の仕事をしているようだ。こういう現実まみれのタフな職業と、伝統的な詩形である短歌の取り合わせが、まず珍しいことだ。

 次にこの歌集には海外詠が多いのだが、それがパックツアーによる物見遊山の旅行ではなく、本格的なアルプスやヒマラヤ登山、沖縄でのスキューバダイビング、ブータン旅行、聖地アトス山と、秘境に分け入って行く体育会系肉体派の旅行なのである。ラグビー選手だった佐佐木幸綱のような例はあるが、だいたい文学をやる人は軟弱派が多いので、これまた珍しい取り合わせである。

 このように本多の短歌は〈行動派〉の文学である。その結果、生み出された歌は、自己の内面を観照する内省的なものではなく、自然と肉体とが格闘する外向的なものになる。

 真向かへば斬りかかりくる雪稜の空の領地を奪い取るなり

 我が足よ雪の峰々つらなりて天の果(はたて)に怒濤をなせり

 くれなゐを闇にしづむる雪嶺よ眼を灼く山の一切放下(ほうげ)

 いずれも勇壮な歌で、肉体と骨のきしみが聞こえて来るようだ。形式はおおむね文語定型を遵守し、前衛短歌が駆使した破調の句割れや句跨りはほとんど使われていない。このような文体的選択も、端正な男歌という印象を強めている。

 単に雪山を詠めばそれは叙景歌になる。「風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬわが思哉」という西行の歌は、「叙景を通して抒情に到る」という古典和歌の中心的美学の実現である。ここでは力点は山ではなく私の心のゆくへの方にある。雪山を見ている人は、こちら側にいて対象と向き合っているのだが、思いはいつのまにか内面へと移動している。この視線のなめらかな推移が31文字の短歌のリズムに乗ったとき、古典和歌はフルパワーを発揮する。

 ところが本多の歌では、作者は山を見ているのではなく、山に分け入っていて、対象と斬り結ぶという関係になる。だから掲出歌のように、天地が逆転して頭の上の青空が重力を帯びて、自分の体を引きつけるというような特異な肉体感覚が生まれるのである。作者と対象のこのような関係の類例を過去に探すと、写実を重んじたアララギと実感尊重を唱えた自然主義文学の影響から生まれたとされる次のような歌に近いと言えるかもしれない。

 槍が岳そのいただきの岩にすがり天(あめ)の真中に立ちたり我は

                         窪田空穂

山の次は海である。

 おもむろにイトマキエイの糸巻を垂らして海を覆ひたりけり

 わたつみのはらわた見するやさしさや身の丈ほどの海鼠に遇へり

 わが吐きし息のふるへる銀粒を目に追ひながら海面へ向かふ

 スキューバダイビングから生まれたこれらの歌にもまた同じ構造がある。ここには情景を観照する静止した自己がない。自分もまた自然に動的に参入することにより、自意識の核としてのエゴが水中に溶解している。このことを端的に示しているのが次の歌だろう。

 チョモラリの峰頂ふふむ天心を見霽(みはる)かすなり 我在りて無し

 しかし集中の歌のすべてが、このような行動派の勇壮な歌ばかりというわけではない。そのことがこの歌集の印象の厚みとして表れている。

 古生代シルル紀末の海水に妻はわが子を泳がすらしも

 響き合ふいのち水輪うつしよに吾子のみなわのひろがりはじむ

 若き木を額(ぬか)に育つる観音の微笑みながら潰えてゆくも

 たまゆらに夜空一点輝きぬ我を狙へる星あるあはれ

 最初の二首ははじめて子供が産まれたときの歌である。古代から綿々と続く命の連鎖に思いを馳せつつも、ここにも外へと自己を開く視線が強く感じられる。次の二首はアンコールワットとバリ島を訪れたときの旅行詠だが、木々に浸食され崩壊していく観音像を見ても、滅びの感傷に流れないところに作者の位置取りが明確に表れていよう。

 金色の海の底より細雪ル・シャンパーニュ空へ降り積む

 ローマ風オッソブッコの骨髄のとろみのやうな奴であるべく

 熟したるロックフォールの緑青の黴ピリピリと進む月蝕

 読んでいて楽しいのは、上のような飲食の歌だ。立ち上る泡を降り積もる雪に見立てて天地を逆転したり、ブルーチーズの青黴を月蝕に見立てるなど、作者も楽しんで歌を作っていることは明らかだろう。

 栞文で小池光が指摘しているように、この歌集には「折々の歌」がない。日々の生活のなかでふと感じた些細なことを歌にしたというものがないのである。すべては主題詠であり、何かを明確な主題として作られている。これが本多の短歌意識の根源であり、対象から主題を掴み出さずにはおかない強靱な意志が、本多の短歌の骨格を作っていると言えるだろう。


 付 記

『蒼の重力』は2004年度の第48回現代歌人協会賞を受賞しました。おめでとうございます。(2004年4月30日記)

黒瀬珂瀾歌集『黒燿宮』書評:〈絶対的不可能〉を希求する悲劇性

 まず表紙のデザインが目を引く。黒一色で、蔓植物に首を絡まれた長髪の美青年の絵がある。蔓植物は青年の首を絞めようとしているのだが、青年は抗うどころか恍惚として迫り来る死を受け入れている。この表紙絵の青年は、黒い服、とりわけJ.P. ゴルティエを好んで着るという黒瀬本人だろう。いや、このように言うことは著者が周到に張り巡らした陥穽に陥っていることになる。表紙絵の青年は、著者が「他者からこのように見られたい」と望む自己像であり、黒瀬が入念に作り上げた「歌人黒瀬珂瀾」という〈虚構の私〉に他ならない。歌会に化粧をして現われ、NHKの番組にスカートをはいて登場したという黒瀬は、髪型や服装もまた歌人の構成要素であると考える演劇的歌人であり、黒瀬の作り上げた短歌宇宙はひとつの劇場なのだ。表紙の絵はそのことを教えてくれる。

 表紙絵には作品世界のテーマの主音も現われている。青年特有のナルシシズムと死への誘惑と官能である。

 The world is mine とひくく呟けばはるけき空は迫りぬ吾に

 わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を

 からみあふぼくらを常に抱く死とは絶巓にして意外と近し

 「巴里は燃えてゐるか」と聞けば「激しく」と答へる君の緋き心音

 復活の前に死がある昼下がり王は世界をご所望である

 「世界は我が物」と呟くのは青年の倨傲である。これを声高に叫んだらヒトラーになってしまう。しかし青年は低く呟く。世界が我が物であるのは、自らの主観の中でしかないことを知っているからである。青年は「わがために塔を」と叫ぶ。塔は世界を統べる権力の象徴である。しかし、その塔が建つのは打ち捨てられた廃園の中なのである。これらの歌は、黒瀬の作品世界を貫くひとつのベクトルを示している。それは「あらかじめ失われた愛」であり、「瓦解するべく建てられた塔」である。これは〈絶対的不可能の希求〉と言えよう。絡み合う二人が死を間近に感じるのは、快楽の頂点が死と触れ合うように、プラスの頂点がいきなりマイナスに転じるという逆説的構造がそこにあるからである。世界を支配する権力への渇望が、全世界を焼き払う破壊衝動に転じるのもまた、同じ理屈による。同性愛のモチーフが頻出するのも、それが結婚というゴールのない〈不可能な愛〉だからに他ならない。黒瀬が縦横に引用する三島由紀夫、ジル・ド・レ、サド、バタイユらの文学もまた、〈絶対的不可能の希求〉を重要な縦糸としたことを想起すればよい。

 黒瀬の描く短歌世界には、パゾリーニやヴィスコンティの映画、マーラーの音楽、バルテュスの絵画と並んで、若者のサブカルチャーがよく登場することも特筆に値する。

 エドガーとアランのごとき駆け落ちのまねごとに我が八月終る

 June よ June、君が日本に一文化なる世を生きてわが声かすむ

 darker than darkness だと僕の目を評して君は髪を切りにゆく

 エドガーとアランは、萩尾望都の少女マンガ『ポーの一族』に登場する不死を運命づけられた吸血鬼の少年。Juneは1978年創刊の雑誌で、美少年同性愛もの(いわゆる「やおい」)の舞台となった。darker than darknessはヴィジュアル系バンド BUCK-TICHが1993年にリリースしたアルバムのタイトルである。このようにハイカルチャーとサブカルチャーが同じ地平で扱われていることに、世界で最も大衆化された消費社会である現代日本の典型的な光景を見る思いがする。

 ではこのような世界に住む歌人にとって抒情とは何か。ここにもアンビバレントが顔をのぞかせる。絶対的不可能を希求する矜持と、自らの営為の不毛性の自覚が背中合せに同居することになるからである。ここに歌集の主調低音である悲劇のトーンが生まれる。

 穢れ、時にきらびやかなり。汝は傷を受け燔祭におもむきたまふ

 血の循る昼、男らの建つるもの勃つるものみな権力となれ

 ふと気付く受胎告知日 受胎せぬ精をおまへに放ちし後に

 砂漠なる雨のごとしも指の間ゆ自涜の果ては落ちて冷めゆく

 『黒燿宮』の代表歌として「地下街を廃神殿と思ふまでにアポロの髪をけぶらせて来ぬ」を挙げた菱川善夫に、硬派の批評家である山田富士郎は激しく反発した(季刊『現代短歌雁』五六号)。いかにも黒瀬が意図した劇場的で耽美的意匠を施したこのような歌ではなく、山田は歌集後半に多い「少女らは光の粒をふりまきぬクラミジアなど話題にしつつ」のようなおとなしい歌を代表歌としている。では黒瀬本人はどうかといえば、同じ号の特集「わたしの代表歌」では意外なことに、「明け方に翡翠のごと口づけをくるるこの子もしづかにほろぶ」を挙げている。華麗な耽美的意匠の少ない静かな歌である。黒瀬の短歌に溢れる演技性と耽美的装飾は、おそらくは計画的にデザインされた意匠なのであり、その背後には等身大の二十代の青年の清新な抒情が隠されているのではないだろうか。私が集中で最も心に沁みると感じるのもまた、このような歌なのである。

 ピアノひとつ海に沈むる映画見し夜明けのわれの棺を思ふ

 線路にも終わりがあると知りしより少年の日は漕ぎいだしたり

 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく

 女学生 卵を抱けりその殻のうすくれなゐの悲劇を忘れ

 

『短歌』(中部短歌会) 2004年2月号掲載

036:2004年1月 第4週 飲食の歌

 短歌的には「飲食」は「いんしょく」ではなく「おんじき」と読む。『岩波現代短歌辞典』によれば、飲食はプライベートな側面が強いので、古典的和歌の世界ではあまり詠われることがなかったという。そう言えば源氏物語などの古典の世界では、女性が物を食べている姿を人に見られることは恥であったと高校時代に習った。近代短歌になって、歌の世界が花鳥風月から個人の内面へと移行することで、本来プライベートであるべき飲食の場面は、にわかに前面に出ることになった。飲食は個的行為であり、そこに個人の内的生活を投影させるには絶好の素材だからである。

 飲食は本来、生命維持のために不可欠の行為であるが、もちろん生活のささやかな楽しみでもある。だから純粋に飲食の快楽を詠んだ歌も数多い。

 味噌汁尊かりけりうつせみのこの世の限り飲まむとおもへば
                        斎藤茂吉

 寒鮒の肉を乏しみ箸をもて梳きつつ食らふ楽しかりけり  
                        島木赤彦

 また家族で食卓を囲む場合は団欒の象徴であり、恋人同士がふたりでいるときは、親密な関係を記号化することもある。

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
                          俵万智

 サキサキとセロリを噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず
                        佐佐木幸綱

 俵の歌はあまりにも有名な『サラダ記念日』の題名にもなった歌だが、食材がステーキや味噌汁ではなく、サラダという都会的で軽い副食だという点がポイントである。サラダが記号化するのは、深刻にならない軽い恋愛なのだ。俵のライトヴァースの基調をよく表わしている。佐佐木の歌では、「サキサキ」という絶妙の擬音と、セロリというこれまた都会的で女性的な食材が歌を支えている。

 このように複数の人間による飲食は、短歌の描く世界のなかで人と人との関係を浮上させる恰好の装置として用いられるのだが、飲食を詠った現代短歌では、一人が食材と向き合うという構図の方が多い。そのとき食材は個人の内面を投影する対象として前景化され、とりわけ濃密な象徴的意味を付与されることになる。このような構図は、次の歌に典型的に表れていると言えよう。

 悲しみをもちて夕餉に加はれば心孤りに白き独活食む 
                       松田さえ子

 箸先に生きて身をそる白魚をのみこみし夜半ひとりするどし
                       松坂弘

 松田の歌では作者はひとりではなく、家族の夕食の卓についているのだが、心はひとりの孤独を噛みしめている。食べているのは独活(うど)である。独活の白さとサクサクとした触感とその冷たさが、ひとり感じている孤独感と見事に呼応している。これが里芋の煮物とか鮎の塩焼きでは、こうはいかないのである。飲食の歌では何を食材に選ぶかがすべてを決める。松坂の歌では、生きた白魚の踊り食いをしているのだろう。食べたあと夜中にひとりになったときに、踊り食いの残酷さと自分の腹に入った命を噛みしめている。次の歌もおもしろい。

 真昼 紅鮭の一片腹中にしてしばし人を叱りたり
                       高瀬一誌

 昼食に食べた紅鮭が腹に収まっている。そんな自分が人を叱っているという場面を内省的に詠んだものだが、腹の中の紅鮭と人を叱るという偉そうな態度の対比がポイントである。

 人間は雑食性なので、実にさまざまな物を食べるのだが、短歌に詠まれることの多い食材と、そうでないものがある。『岩波現代短歌辞典』は歌語をたくさん収録しているので、こういう時に便利なのだが、野菜でいうとトマト・西瓜・キャベツ・茄子は立項されているのに、キュウリ・白菜はない。確かにキュウリを食べるというのはあまり絵にならないかもしれない。私の読書に偏りがあるのかも知れないが、なかではレバーを詠んだ歌が目につく。

 鵞肝羹(フォワグラ)のかをりの膜にわが舌は盲(し)ひゆめかよふみちさへ絶えぬ
                        塚本邦雄

 無理矢理に肥大させたる肝臓を抗ひがたく生きて味わふ
                        本多稜

 ほろほろと肝臓(レバー)食みつつふと思う扱いにくき人の二、三を
                        村上きわみ

 世界三大珍味のひとつフォワグラは、ガチョウに無理に餌を食べさせて、人工的に作った脂肪肝である。塚本の短歌には食材がよく登場するが、この歌は純粋にフォワグラの旨さを詠んだものだろう。あまりの美味に、ふだんなら働く想像力が封印されて、目の前のフォワグラが世界のすべてになるという歌である。本多の歌は少し屈折していて、無理矢理脂肪肝にさせられたガチョウの哀れさと、生きてそれを味わっている自分とのテーブルでの出会いを詠っている。村上の歌では、レバーの食感と苦みから扱いにくい人を連想するという構図だろう。「ほろほろ」という擬音が効果的だが、「扱いにくい人」との関係性の薄さを物語っている。

 果物もまたよく短歌に詠まれることがあるが、林檎・檸檬と並んで人気は葡萄である。『岩波現代短歌辞典』では大項目として立項しているほどだ。丸い果実が房をなしている形状、緑や紫のつややかな色、古代からワインの原料として地中海で栽培されてきたという歴史性が、葡萄を豊かな意味の器として成立させている。

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
                         春日井建

死者一切近づくなかれ哄笑しわれらかがやく葡萄呑みたり
                         小池光

口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも
                         葛原妙子

春日井と小池はいずれも葡萄を緑に輝くものとして描いていて、青春性の象徴的記号となっている。輝く葡萄を飲み込む人は不死となるかのごとくである。葛原はもう少し屈折していて、口に葡萄を潰すことから、心中の暗い思いが誘発されている。「球体の幻視者」葛原にとって、葡萄は自らの幻視を誘う対象である。

 私たちは四方を海に囲まれた島国に暮らしているので、魚もまた親しい食材である。魚が歌に詠まれるときにもまた、共通してある傾向が感じられることがある。

 夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのかに汚るる皿をのこして
                         小池光

 しかれども飲食清(すが)し魚汁は頭蓋、目の玉、腸(わた)もろともに
                         村上きわみ

 交(あざ)わらず愛遂ぐるてふいろくずの累卵のせて今朝の白米(しらいひ)
                         高橋睦郎

 小池の歌では、夏至という明るさの極まる日と、血に汚れた皿との対比が、私たちの生の有り様を浮き彫りにしている。「ほのかに」という語が、ひょっとしたら血の汚れには気づかずに日常を過ごすかも知れないことを暗示して特に効果的である。村上の歌では、「飲食清し」と宣言しているわりには、魚汁のなかには魚の頭も目玉も腸もいっしょくたに入っていて凄惨である。また高橋の歌では、交接することなく子孫を残す魚の卵を食べている今朝の食卓に、いやおうなく自分の不毛性を認識している。

 このように魚には高度の象徴性が込められている。魚は水の中では生きて、水から出ると死ぬという鮮やかな生死の対比があり、また調理するときに一匹を包丁でさばくことから、人間が生きていくために他の生命を奪うことをことさらに意識する食材だということが関係しているのかも知れない。

035:2004年1月 第3週 小池 光
または、ほの暗い人の世を照らす白桃の灯り

サフランのむらさきちかく蜜蜂の
   典雅なる死ありき朝のひかりに

            小池光『廃駅』
 気に入って愛唱する短歌はいろいろあり、好きな歌人もたくさんいるのだが、なかでもいちばん好きな歌人は誰かと問われたら、たぶん小池光だと答えるかもしれない。というわけで、いよいよ真打ち登場である。

 小池は昭和22年(1947年)生まれだから、私の兄や姉の世代に当たる。いわゆる団塊の世代である。この世代に属する多くの人と同じように、小池もまた東北大学理学部在学中に全共闘による学生運動を経験している。処女歌集『バルサの翼』で現代歌人協会賞を受賞したのが昭和54年(1979年)、小池が34歳のときだから、歌人としての出発は比較的遅いほうだろう。私はごく最近短歌を読み始めたので、私が出会った小池はすでに50歳を越えた現代短歌界を代表する論客だった。あとになって処女歌集『バルサの翼』を読んで驚いた。次のような歌が並んでいるのである。

 あかつきの罌粟ふるはせて地震(なゐ)行けりわれにはげしき夏到るべし

 青春のをはりを告ぐる鳥の屍の掌にかくばかり鮮しきかな

 ああ雪呼びて鳴る電線の空の下われに優しきたたかひあらず

 鳥よ ひとみをあけて死ぬるものよわれ一息におまへを裂きぬ

 いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は

 ここに並んでいるのは傷つきやすい心を持つ青年の鮮やかな抒情である。昭和40年代後半に登場した歌人たちの内向的傾向を、篠弘は「微視的観念の小世界」と呼び批判した。1941年生まれの高野公彦、42年生まれの成瀬有、40年生まれの玉井清弘たちのことをさすとされている。この世代の人たちが短歌を作るとき、外的な社会状況に向かう視線よりも、個人の内面へと沈潜する眼差しが色濃く反映される。小池は世代的にはこの歌人たちより少し年下なのだが、『バルサの翼』はまぎれもなくこの時代的な刻印を受けた歌集なのである。

 歌集を貫く基調となる旋律は、〈生の偶有性にたいする畏れ〉である。私たちは故なくこの生に投げ出されているという実存的不条理の感覚は、代表歌とされる次の歌によく現われている。

 バルサの木ゆふべに抱きて帰らむに見知らぬ色の空におびゆる

 バルサは模型飛行機の材料として使われる軽い木材である。少年は模型飛行機を作ろうとして、バルサ材を買って家に帰るところなのだ。出来上がった飛行機は、青空高く飛ぶはずで、このとき飛行機は少年の夢と未来への希望の象徴である。ところが少年の上に拡がる空は、不安な見知らぬ色に染められている。少年の作る飛行機は、きっと空高く飛ぶことはないことを予感させる。

 小池は喜ばしいはずの子供の誕生も次のように詠っている。

 さくらばな空に極まる一瞬を児に羊水の海くらかりき

 溶血の空隈なくてさくら降る日やむざむざと子は生まれむとす

 子供はきっと四月に生まれたのだろう。桜の季節である。しかし、子供が浮かんでいた母親の胎内の羊水は暗く、桜を映す空も血が滲んだような不吉な色に染まり、子供は「むざむざと」この世に生まれて来るのである。「私はなぜこの世に生まれて来たのか」という疑問は、多感な青春に特有のものである。

 だからといって小池のまなざしが生の暗い側面だけに向けられているというわけではない。小池の短歌では桃に特別の記号的役割が割り振られているようで、次のような歌では生を肯定する姿勢が感じられる。

 稚(わか)き桃ほのかに揺れゐる瞑れば時のはざまに泉のごとしも 『バルサの翼』

 暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき

 したたれる桃のおもみを掌に継げり空翔ぶこゑはいましがた消ゆ

 宙に置く桃ひとつ夜をささふべし帰るべしわが微熱のあはひ

 灯の下に真泉となる白き桃うつしよに在る悲哀をこめて  『廃駅』

 白桃は時間のはざまに泉のように清新なものをわき出させる何物かである。また中空に置かれた白桃は、それだけで夜の圧倒的な重みを支える力のある何かである。夜の底の食卓にひっそりと置かれた桃は、自らの力で発光するかのごとくであり、小池が短歌に込めた抒情を汲み上げる生の根源である。

 思うに小池における桃は、不遇の詩人・大木惇夫における朱欒(ざぼん)に相当するのだろう。大木にとって朱欒は、ついに到達することのない憧れの象徴であり、自らの薄明の生を照らす洋燈である。

 冬、ほのぐらい雨の日は
 朱欒が輝く、
 朱欒が
 これは、眼をひらいて見る夢なのか。
  (中略)
 わたしの身体は凍えている
 わたしは祈りをわすれている、
 そうして、わたしはただ見る、
 ほのぐらい雨の影のなかに
 ぽっかり朱欒の浮かぶのを 輝くのを。
          大木惇夫「雨の日に見る」 

 小池の処女歌集『バルサの翼』は、このように生の不条理に対する実存的不安と若々しい抒情を湛えたみずみずしい歌集なのである。

 小池のもうひとつの顔は、『街角の事物たち』(五柳書院)、『短歌 物体のある風景』(本阿弥書店)、『現代歌まくら』(五柳書院)などで、歌論やエッセーに健筆を揮う文章家としての顔である。山田富士郎は小池の散文を評して、「思い屈した時に読むと大変よろしい、というか、よく効く」とし、これを「メランコリーの妙薬」と呼んだ(『短歌と自由』邑書林)。まさに同感である。私は小池の散文が怜悧なのは、小池が理学部を出て高校で理数系の教員をしているということと関係があるのではないかと思っている。私も核物理学を志望して大学に入り、その後仏文科に転じた経歴があるのだが、小池の散文には短歌を論じていても、どこか理科系的な分析的思考が行き届いていて、心情に流れるということがない。これが心地よく感じられるのである。余談だが、私にとって最近の「メランコリーの妙薬」は、小池の散文以外では、佐藤雅彦『毎月新聞』(毎日新聞社)と、内田樹『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』(晶文社)である。いずれも「思い屈した」時に読むとたいへんよく効く。

 小池は第二歌集『廃駅』を経て、第三歌集『日々の思い出』で一転してそれまでの抒情を捨てて、作歌態度を変えた。そこに並んでいるのは、どうでもよいような日常の些事を取り上げた歌である。

 遮断機のあがりて犬も歩きだすなにごともなし春のゆふぐれ

 アパートの隣は越して漬物石ひとつ残しぬたたみの上に

 家ひとつ取り毀された夕べにはちひさき土地に春雨くだる

 しまったと思ひし時に扉閉まりわが忘れたる傘、網棚に見ゆ

 このような作歌態度を、「ただごと」歌に堕したと批判する意見と、小池の方法論的深化として評価する意見と、相半ばするようだ。

 ここからは私のまったくの私見なのだが、『バルサの翼』のようなハイトーンの青春の抒情は、長く続けられるものではない。人は歳を取り、日々の塵埃にまみれる。そのとき取りうる態度としては、20歳で詩を捨ててアフリカで武器商人になったランボーのように「歌のわかれ」をするという道がある。村木道彦、(かつての)春日井建、平井弘、寺山修司、中山明らがこの道をたどった。小池はどうやらこれとは違う道を選択したようだ。それは団地に住む小市民としての日常のなかに、歌を詠む根拠を見いだすという道である。これはなかなかに困難な道だと思われる。しかし、第四歌集『草の庭』に次のような歌を見つけるとき、小池は今までとはちがう抒情の根拠を見いだしつつあるのかとも思えるのである。

 みみかきの端なるしろき毛のたまよ触るるせつなにさいはひのあれ

034:2004年1月 第2週 ダリアの歌

黒きだりあの日光をふくみ咲くなやましさ
         我が憂鬱の烟る六月

                前田夕暮
 短歌を読む楽しみのひとつに、歌に詠み込まれた動物・植物・事物などとの出会いがある。なかでも植物は花の咲く季節が決まっているので、季節感と強く結びついている。古典和歌は花鳥風月の世界であり、ために季節感を大事にしたが、現代短歌は〈個人の内的感情〉を詠むことに軸足を移したため、歌に詠まれた植物は〈季節の記号〉ではなくなり、〈内的感情の記号〉または〈観念の形象化〉へと変質した。

 その日からきみみあたらぬ仏文の 二月の花といえヒヤシンス
                        福島泰樹

 傾きし緋牡丹の花思ひきり崩れはてよといふこころあり
                        齋藤 史

 向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
                        寺山修司

 大学の仏文科に所属する可憐な女子学生は、ぜひともヒヤシンスでなくてはならない。色は白か薄いブルーだろう。ヒヤシンスは作者が女子学生に寄せる淡い思慕の象徴である。齋藤の歌ではより直接に、緋牡丹が作者の激しく渦巻く心情の形象化となっている。花びらが少しずつ散るのではなく、花全体がぽっとり地上に落下する牡丹の性質が鍵である。寺山の歌では、枯れて頭を垂れたヒマワリの花が、父の墓に供えられた供花のようだというのだが、枯れた花と自分の身長より低い墓標に、父親に対する苦い感情が込められている。ここでも他の花ではなく、本来ならば真夏の明るい太陽のもとで咲くヒマワリであるところに、〈内的感情の記号〉としての意味がある。

 植物にも流行り廃りがある。最近めっきり見かけなくなった植物は、ダリア、カンナ、鶏頭だろう。昔は民家の庭や田舎の畑の傍らによく咲いていたものだ。ダリアはメキシコ原産で、18世紀にヨーロッパで園芸用に品種改良された。日本には1842年頃渡来し、当初は天竺牡丹と呼ばれていたという。日本にやって来たのは比較的遅いが、明治40年に大流行したようだ。しかし廃れて顧みられなくなるのも早かったようだ。今どき庭にダリアを植える家は珍しいだろう。

 小池光は『現代歌まくら』(五柳書院)の「ダリア」の項目で、掲載歌の前田の歌と並んで次のふたつを引き、短歌にダリアが詠まれたときには、決まって色は黒であり、どこか禍々しく倦怠感が漂う不吉なイメージだと指摘した。

 夜の机われのにほひを嗅ぐごとく黒きダリアを手にとりてみる
                        若山牧水

 ダリアは黒し笑ひて去りゆける狂人は終にかへり見ずけり
                        斎藤茂吉

 若山の歌にはそれほど不吉なイメージはないが、他の二首には小池の言うとおりマイナスのイメージが濃厚である。この三首はいずれも大正2、3年に作られたものだが、おもしろいことにそれ以後作られた短歌においても、似たイメージが反復されている。

 おもかげに顕(た)ちくる君ら硝煙の中に死にけり夜のダリア黒し
                        宮柊二

 抱えゆく農婦のダリヤ一、二本こぼれ岬に地蔵盆来る
                        馬場あき子

 ダリア畑でダリア焼き来し弟とすれちがうとき火の匂うなり
                        佐藤通雅

 ダアリアの花園をゆくうつしみの人影は黒きころもを着たる
                        小池光 

 首細きダリア窓辺に揺れながら挫折していく君を見ていた
                       錦見映理子

 取り消しの効かないことを笑ひつつダリア植ゑつつ言ふ奴がゐて
                        黒瀬珂瀾

 マーラー忌さすらふ若人手のひらに塊根黒し五月のダリア
                        藤村益弘

 宮の歌に詠われた黒いダリアは死と鎮魂の象徴である。馬場の歌は不吉という訳ではないが、地蔵盆もまた先祖を偲ぶ行事であり遠い死と呼応しあっている。佐藤の歌ではダリアを焼くという行為に、何か激しく凶々しい鬱屈した感情が感じられる。小池の歌では、ダリアではなく登場人物の方が黒い服を着ている。錦見の歌ではダリアはずばり挫折の象徴である。黒瀬の歌でもまたダリアは、取り返しの効かないことを笑いながら告げるという、いささか常軌を逸した精神状態の表象として効果的に働いている。

 ダリアに罪はない。不吉なイメージは、目の前のダリアを見ている〈私〉の心理が外部に投影されたものである。モノの色がモノ自体に備わったものではなく、モノに当たる可視光線が反射して、私たちの網膜に映じたものであるように、ダリアにこめられた〈意味〉は、ダリア自体にあるのではなく、それを見ている私たちの側にある。こうして、ダリアを見ている私たちは、ダリアを通して私たち自身を見ているという屈折した関係が成立する。短歌の根底にはこのような、私とモノをめぐる〈再帰的構造〉が横たわっている。

 最後にもう一首ダリアの歌を挙げてみよう。この歌では珍しく、ダリアに過剰な意味を詠み込まず、モノ自体を即物的に詠おうとしている。クマバチの尻が乳首に、ダリアが乳房に見立てられているのだから、このダリアは黒ではないだろう。ロンドン郊外のキュー植物園での歌である。

 ぷつくりと葉月の黒き乳首見ゆダリアに潜るクマバチの尻
                        本多稜

033:2004年1月 第1週 錦見映理子
または、白の世界に繰り広げられる極彩色の心象風景

蜜満ちてゆくガーデニア・ガーデンを
        等圧線は取り囲み 雨

       錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』
 歌集の題にもなっているガーデニアとはくちなしのことである。梅雨時に白い花を咲かせるくちなしは、むせかえるような甘い香りを放つ。特に雨のときに香りが立つようだ。そんなくちなしばかりが咲いている庭が、ガーデニア・ガーデンなのだろう。日本で屈指の肉体派作家の丸山健二が安曇野の自宅に独力で作り上げたすばらしい庭は、『夕庭』(朝日出版社)で美しい写真とともに紹介されているが、白い花ばかりが咲く白の庭園である。くちなしばかりが咲いている庭もまた、濃いグリーンと白しかないどこか禁欲的であると同時に肉感的な庭園だろう。その庭を低気圧の混んだ等圧線が取り囲み、雨が降っているという光景である。私たちの目に見えるのは、降っている雨だけで、等圧線は目には見えない。このように、錦見の歌には、本来ならば目に見えないはずのものが多く詠われている。そしてこのことは、作者の資質と深く関係しているように思われる。

 錦見は1968年生まれで、短歌結社には所属せず、最初はカルチャー・スクールなどに通って独学で短歌を作り始めたという。後に田島邦彦の主宰する「開放区」に投稿するようになった。短歌を作って6年とあるから、逆算すると始めたのは1997年頃ということになる。言うまでもなく『サラダ記念日』以後に短歌を始めた世代に属する。私が年代にこだわるのは、『サラダ記念日』は宝塚歌劇団における「ベルサイユのばら」に相当し、「ベルばら」以前からのファンと以後のファンの質が本質的に異なっているように、『サラダ』以前の歌人と以後の歌人のあいだには乖離があると感じているからである。これは短歌の世界における「世代論」なのだが、また別に書く機会もあろうから、ここでは書かない。

 『ガーデニア・ガーデン』は著者の処女歌集で、本阿弥書店の新しいシリーズであるホンアミレーベルの第一巻として出版された。栞には藤原龍一郎、田中槐、田島邦彦、井上荒野が跋文を寄せている。私が好きな歌が最初の方に集中しているのは、制作時期とは逆順の構成を取っているからである。つまり最初の方に出てくる歌ほど最近作られた歌だということである。歌集を一読して感嘆した。溢れる才能とはこのことを言うのだろう

 極彩の鳥を見にきて見ざるまま夕闇或る一語を放つ

 かの夜の水を閉じ込めすきとおるままに腐りてゆくまでを見よ

 手をあげて腋下をさらす 祝祭の前夜くまなく奪われるため

 サフランの花柱の浮かぶ黄の水 淡き妬心のにじみて甘し

 飲食の最後にぬぐう白き布汚されてなお白鮮(あたら)しき

 ひと昔前の文学批評にテマティック批評というのがあった。作品に繰り返し出現する主題・テーマを拠り所として作家の世界に迫るという方法論である。この方法論に倣うならば、錦見の作品世界に反復されるのはすぐれて視覚的な映像であり、とりわけ色彩である。一首目の極彩の鳥、四首目のサフランの黄色、そして五首目のナプキンの白が、それぞれの歌の核をなしている。なかでも特に白という色にこだわりがあるようだ。白の登場する歌を引いてみよう。

 白き魚そよぐ甘藻に分け入りて階段状の快楽に落ちる

 弥生町四丁目裏 純白の魚のひとたび跳ねるを見たり

 風葬のごとくしずかに白き花ながれて止まぬ園に逃れん

 かなしみはかなしみのまま中空に一艘の白き舟発たしめよ

 うたたねのあなたの足に射すひかり白蛇のようにゆっくりよぎる

 いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る

 すぐに気が付くのは、これらの歌に詠われているのは、私たちが日常目にする白い物体ではないという点である。一首目の白い魚は実在の魚ではなく、溺れていく快楽を表わす心象風景である。二首目の純白の魚が弥生町四丁目裏で跳ねているというもの、現実の出来事とは思われない。また五首目の白い蛇は光の比喩である。この謎を解く鍵は六首目にあるようだ。「異常に白き終電」とは、車体の外装が白く塗られているということではあるまい。暗い夜に電車に乗ると、車内の蛍光灯の照明が明るすぎて、露出過剰の写真のようにハレーションを起こしている状態であろう。栞の跋文で田中槐が指摘しているように、この真っ白な世界は錦見の想像のなかにある世界であって、ある時には快楽の頂点を、ある時には悲しみの果てを表わす記号的価値を帯びた象徴世界なのである。このように見えない世界を見えるように詠うところに、錦見の歌人としての資質が端的に現われている。

 錦見の短歌が描くもう一つの世界は、自我を忘れて没入するような官能的な境地である。

 草いきれはげしく息をふさぎくるくちづけ濃闇まみれの愛

 ぬるい息外耳にふれてヴェルヴェット・ヴォイスの渦にしずむ薔薇園

 熱性の病見えざるままに身を冒しつくすをうっとりと待つ

 口中に金魚の泳ぐ心地してかみ殺したくなるディープ・キス

 うねうねと動くくちびる蛭に似て吸いつきやすき窪みを探す

 草いきれを嗅ぐ嗅覚、息が外耳に触れる触覚、ヴェルヴェット・ヴォイスを聴く聴覚、金魚が跳ねる口内感覚など、感覚器官の五感をフル稼働させて、極めて身体感覚的な歌の世界を作り上げている。

 2003年5月に創刊された「短歌ヴァーサス」に寄せられた歌も印象に残るものが多い。

 林間に声ひとつあり 身のうちに酸を満たして落ちる果実の

 オキシフル泡立つ床に黒白(こくびゃく)のタフタのリボンしずかにほどく

 みすいろは蜜色やがてゆうやみが来ましたという文字は滲みて

 これからが楽しみな歌人というと、いかにも月並みな表現だが、『ガーデニア・ガーデン』の巻末あたりに配された初期の歌と、巻頭の近作を比較すると、歌人が長足の進歩を遂げたことがひと目でわかるだけに、今後の活躍が待たれるところである。

 


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