第289回 『新城貞夫全歌集』

肉裂きて熟るる石榴よ優しくもわれを許すなにじり寄る父

『新城貞夫全歌集』

 前回の屋部公子に続いて沖縄の歌人を取り上げるが、別に沖縄特集をしているわけではなく単なる偶然である。寡聞にして新城貞夫の名前は知らなかった。大部の『新城貞夫全歌集』を読み、こんな歌人が沖縄にいたのかと驚愕した。

 巻末の略歴によれば、新城は1938年に当時日本領だったサイパンで生まれ、終戦後に沖縄に移住。琉球大学国文科に在学中に「琉大文学」や「沖縄タイムズ」などに短歌を発表。1962年「夏・暗い罠が」50首で第8回角川短歌賞次席に選ばれる。1963年に歌集『夏・暗い罠が……へんな運命が私を見つめている』刊行。その後、1979年に歌集『花明かり』や歌文集を上梓し、2017年に歌集『Café de Colmarで「フォアグラを食べに行かない?」と妻が言う』を刊行している。『新城貞夫全歌集』には第一歌集『夏・暗い罠が……へんな運命が私を見つめている』全編、略歴からは記載が洩れている歌集『朱夏』全編と、『花明り』全編および歌文集『ささ、一献火酒を』の短歌の部分、『Café de Colmarで「フォアグラを食べに行かない?」と妻が言う』全編に加えて、自選歌集『新城貞夫歌集 I, II』、未収録の歌、散文「アジアの片隅で」の一部が収録され、全部で2,000首を越す大部の本である。解説には沖縄在住の松村由利子も文章を寄せている。

 前回の屋部公子は少女時代と青春期を東京で過ごし、戦後沖縄に移り住んでいる。屋部は沖縄で地上戦は経験していないが、沖縄のアメリカ占領時代や現在の基地問題など、戦後の沖縄が置かれた状況に触れた歌は詠んでいる。ところが『新城貞夫全歌集』をぱらぱらと読んで驚くのは、沖縄の現状に触れた歌がまったくないことである。僅かに米兵、特に黒人兵が登場する歌があるだけだ。そればかりか新城が送った生活や職業に関する歌もほとんどない。だからどのような人生を送ってきた歌人なのかを推測する手がかりが皆無なのである。このことは作者の短歌観と深く関係しているのだろう。

 どのような短歌観に基づく歌なのか、いくつかランダムに引用してみよう。

呪禁の夏われが背に変身の雉子ふるえつつ闇を吸うくち

        『夏・暗い罠が……へんな運命が私を見つめている』

黒人の蜂起近づく真夏かも池は電柱逆さに吊りて

水銀の糸くだすとき喉灼けり青年死をもて愛遂げん未明

                           『朱夏』

失神の少女を診れば軟禁のサド侯のように医師は匂うや

衆に和さぬゆえ組織よりにくまるるも花をめぐりて道ある遠景

詩の核に言葉迫るをそぎ落とす悲しみあれば花ふりしきれ

                          『花明り』

黄昏れの野より帰ればまぎれなく敗者の貌をわが泛べたる

 一読して気づくのは使われている語彙の傾向である。「呪禁」「闇」「蜂起」「水銀」「青年」「死」「サド侯」「医師」と並べると、象徴的意味が濃い単語であることがわかる。第一歌集『夏・暗い罠が……へんな運命が私を見つめている』が刊行された1963年を短歌史の中で見てみると、すでに1956年頃には前衛短歌の流れが明らかとなり、1957年には岡井隆と吉本隆明の「定型論争」が起きている。1961年には塚本邦雄の『水銀伝説』も刊行されている。新城の第一歌集は明らかに当時の青年たちの心を掴んだ前衛短歌の影響を強く受けているのである。「水銀」や「逆さ吊り」は塚本を思わせる語彙だろう。歌集刊行当時の青年新城の心がどこにあったのかは、歌集冒頭に置かれているエビグラフから推測できる。引かれているのは『マルクス・エンゲルス選集』、『キルケゴール選集』、『レーニン選集』、『ボードレール全集』からの言葉である。青年は思想的にはコミュニズムに傾倒するかたわら、キルケゴールのペシミズムに心を浸され、呪われた詩人ボードレールの詩句から漂う死と腐敗の香りに魅了されていたのである。

 前衛短歌の語法の主軸は喩による象徴語法である。たとえば上に引いた一首目では、「呪禁」「変身の雉子」「闇を吸う唇」などは、何か特定の現実を指しているわけではなく、これらの語彙が持つ意味作用の干渉によって、ある思考なり気分を表しているのである。明らかなのは死への傾斜であり、自序に「僕にとって生とは、悦楽的にまた華麗なる死を語ることにほかならない。そうでないかぎり、僕らの生はまた一種の虚偽にすぎまい」と書かれていることからも明らかだろう。また「組織」「敗者」という語彙からは、左翼運動への共感とすでに色濃く漂う敗北感が滲み出ている。そのことは次のような歌からも読み取れる。

無階級への青年の頬が燃ゆる冬市街コンミューンに死もさと

犠牲死を伝えて寒き受話器おく党への呪いの声を残して

田舎教師となりて一生ひとよを終るとも革命に似て茜雲去らず

ああ日本光りてくらき婚ありき六月政変なし 口惜しも

 もうひとつ歌から読み取ることができるのは屈折した心情である。青春の鬱屈は誰にでも訪れる。しかし新城の場合少し違うようだ。

因習の根強いくびき、異邦人脱出すべき祖国を持たず

異邦人麦わら帽にて顔かくす常に〈撃たるる意識〉の中に

 異邦人とは新城自身のことである。サイパン生まれの新城の言葉は標準語だったようだ。戦後、沖縄の今帰仁に引き揚げたのは両親の故郷だったからだ。松村が解説に書いているように、新城は「私は今帰仁語の森の中で中央語をしゃべる異邦人であった」と述懐している。いったんは標準語を捨てた新城は、大学に進学すると今度は今帰仁語を捨てたという。その過程で短歌と出会っているのだから、歌に幾重にも屈折した心情が込められていても不思議はない。

 もうひとつ短歌によく出て来るのは「父」のテーマである。

父よことにこころざし違えて敗るとも帰りきたるな汝が母の村

もだふかく父よ胸門をひらかざれこころの磁石ぞ北に向わぬ

あかつきの雪の革命におくれたる母をも村をも棄てし父かも

こころざし敗れし父を野にさらし夕焼け小焼けを帰る首塚

 新城の父親はサイパンで空港建設に従事していたらしい。軍人ではなかったようだ。上のような歌を見ると、新城は父親にたいしてずいぶんと屈折した心情を抱いていたようだ。歌の中では父親は様々な姿で描かれており、その真の顔は多重露光の写真のように重なりとずれのかなたに没している。三首目の「あかつきの雪の革命」は二・二六事件のことだろう。

キリマンジャロ雪ふる嘘のかがやきてかえりみるなしわが足跡は

キリマンジャロまことしやかに雪ふれば珈琲色に苦しわが恋

珈琲の香りを病みし男らよキリマンジャロの雪のファシスト

キリマンジャロ雪ふるまことしやかな嘘、政治の友をかえりみるなし

 『花明り』の「キリマンジャロの雪のファシスト」から引いた。キリマンジャロというとどうしても、「君去りしけざむいあした  挽く豆のキリマンジャロに死すべくもなく」という福島泰樹の歌を思い出してしまうが、いずれもヘミングウェィの短編小説「キリマンジャロの雪」を踏まえたものである。1952年にグレゴリー・ペック主演で映画化されている。キリマンジャロの山頂の氷河の中には力尽きた豹の死骸が眠っているという話で、叶わぬ男の無惨な夢の象徴となっている。ちなみにキリマンジャロに雪が降るというのは嘘ではない。初期短歌のテンションの高い象徴主義語法はすでになく、静かに自らを振り返る内省の歌である。

祝祭歌祖母に捧げむ夏ゆきて地底えんえんと凍蝶は満てり

真夏哭くナルシストあわれパラシュート頭蓋に蒼く満ちいたりなば

ビラくばる肩よりひかる海みえて破船のごとく垂れている旗

激しつつわれらの時代を老いゆきてむらさきに垂る藤の花房

少年の汗ばむのなか一匹の蝉よ疼きつつ青空を恋う

 新城の歌と現代の若手歌人たちの歌との最大の相違はテンションの高さである。その相違の一部は生きた時代の違いと相関しているだろう。1960年台は日米安保条約と大学紛争に代表される政治の季節である。「愛と革命」は当時の青年たちを惹き付けた。この時代を生きた歌人の歌にはどこかにそれが刻印されている。詩法とは思想の高みと言葉の絶巓をめざすことであり、両者は一体にして不可分であるとこの時代の若者の多くは考えた。

 現在の口語短歌がめざしているのは「リアルの更新」であるとする言説が最近よく行われている。しかし本当にそうだろうかと考えることしきりである。リアルとは手の届く範囲に見えているものだけではあるまい。新城が晦渋な象徴語法で表現しようとしたものもまた、当時の作者にとっては目の前の現実以上にリアルなものだったのではなかろうか。そんなことを『新城貞夫全歌集』はリアルな本の重さとともに考えさせてくれるのである。

 

第288回 屋部公子『遠海鳴り』

雪降ると聞けば記憶の甦るとほき二月のとほき叛乱

 屋部公子『遠海鳴り』 

 本歌集の巻頭歌である。二月の叛乱といえば、1936年2月に起きた皇道派の青年将校によるクーデター未遂事件のニ・二六事件である。ふつう私たちは歴史の教科書で学ぶ出来事だが、作者には甦る記憶があるという。巻末の詳しい略歴によれば、作者の屋部公子は1929年(昭和4年)生まれである。ということは事件が起きた年には作者は7歳だから事件の記憶があってもおかしくない。本歌集を通読して改めて感じるのは降り積もる時間の重さと、昭和という激動の時代を丸ごと生きた作者の波乱の人生である。

 屋部公子は世界大恐慌の起きた1929年に沖縄で生まれる。就学のため6歳で東京に転居。やがて勃発する太平洋戦争の戦況激化のため、女学生の時に女子挺身隊に参加する。敗戦により父親は公職追放。1957年に故郷の沖縄に帰郷し結婚。作歌を始めて沖縄の様々な短歌団体に所属し、「沖縄タイムス」や「琉球新報」などの新聞歌壇の選者を務める。1995年に第一歌集『青い夜』を上梓。『遠海鳴り』は第二歌集である。巻末の長い略歴がひとつの読み物のようであり、その半生が丸ごと昭和史そのものと言ってもおかしくない。

 歌の主題は、琉球の豊かな自然と風物、戦争の時代への想い、今はない家族の思い出、老いの日常のほぼ四つからなり、それらが入念に選ばれ配された厚みのある言葉によってていねいに綴られている。一巻のどこを開いて読んでも、思わず引き込まれるような歌がある。

泰山木のはなは楊貴妃おもはする風ゆるらかに香を揺らすとき

瀬底大橋くぐりて白き波しぶく舟は紺青の海を切りつつ

木下かげ小暗き奥の拝所ウガンジョに掌を合はすとき八方無音

道譲る身に月桃の花ふれてかすかに匂ふ六月の香の

常緑樹おほふ御獄ウタキにひとすぢの湧水ときをり落葉のせゆく

 琉球の自然と風物の歌から引いた。一首目、泰山木は本土でも大正から昭和初期に立てられた家の庭木によくある。初夏に大ぶりの白い花をつける常緑樹である。「風ゆるらかに」に琉球のおおらかな自然を感じる。二首目の瀬底大橋は、沖縄本島と瀬底島を結ぶ橋。橋の中央部は船が通行できるように高くしてある。三首目の拝所と五首目の御獄は琉球の宗教性と深く関係する。どちらも神の宿る場所であり、神を拝む場所である。かつて沖縄を訪れたときに南部の斎場御獄セーファーウタキに足を運んだことがあるが、神の島久高島を遠望できる霊気漂う聖地だった。四首目、月桃は沖縄を代表する植物のひとつで、甘い香りがして餅の香りづけなどにも利用される。狭い道で人とすれ違うときに道を譲ると、道端の月桃の花に触れて香りが漂うという歌である。五首目、御獄は木々に囲まれた森の奥に少し開けた土地などにあることが多い。清水が湧いていることもよくあり、湧き水の流れが落ち葉を運んでゆくという静かな歌である。

 とはいえ集中で最も多いのは、過去の戦争と現在の沖縄の置かれた状況を詠う歌である。

茶がら多き雑炊に配給の岩塩は苦みばかりを口に残しき

靴底を夜毎繕ひ工場に通ひし戦時の歩の重かりき

空襲をおそれし日々も多摩川の岸辺に小さく菫匂へり

焼夷弾さけつつ逃げし空襲の夢あざあざと今に汗ばむ

降りつける睦月きさらぎ心塞ぐ遺骨収集のときめぐりきて

辺野古の海はぐくむ命あるものを埋め立て進む基地新設に

薄雲のただよふ中に見え隠れオスプレイ一機迷鳥に似て

 一首目から四首目までは戦時を回想する歌である。作者は女子挺身隊員として若くして軍需工場に勤労動員されていた。靴底がすり減るので継ぎを当てて繕うのだ。作者は終戦後まで東京にいたので、沖縄の地上戦は体験していない。五首目からは現在の沖縄の置かれた状況を詠んだ歌。「戦死者の大腿骨に刺さりたるまま弾丸錆びつきてをり」といった歌を読むと、今更ながら沖縄の戦争の苛酷さを思う。宰相は「沖縄の人々に寄り添う」と口では言いながら、基地を新設し「寡婦製造機」と呼ばれた航空機を飛ばすのが現実である。オスプレイはミソサザイの英語名。

夜なべして六人の子のセーターを編みゐし母のかの細き指

つぎ当てし芭蕉衣バサーにさらに継ぎかさね祖母は在ましき戦後の沖縄シマ

父のかよひし国会議事堂を仰ぐわれにさくらは霏々と雪のごと降る

吉田山雨に霞めり校門の辺に追ふ父の面影もまた

 家族を回想した歌から引いた。昔は子供のセーターを編むのは母親の役目だった。父母と作者たちは東京に転居したが、祖母は沖縄に留まった。祖母を訪問したことが帰郷の一因となったらしい。自らの内なる琉球に目覚めたということか。三首目に国会議事堂とあるので、父君は議員だったのか。四首目は父母が若い頃を過ごした京都を訪れた際の歌。吉田山の校門とは現在の京都大学、昔の旧制第三高等学校と京都帝國大学の校門である。

一人いちにんの食器を洗ふ水の音しづかなる夜をしばし賑わす

秋の日の郵便受けに一枚の落ち葉のやうに友の訃はあり

住所録ためらひにつつ線を引く大歳の夜の卓を灯して

プルメリアの落ち花匂ふ夜の机いのちの白の衰ふるまで

 今の境涯を詠んだ歌から引いた。作者は子供たちや孫たちとは離れて一人暮らしをしている。一人で暮らしていると食器を洗う音さえも沈黙を賑わす音と感じられる。齢を重ねて父母は既に亡く、友人の訃報も次々と届くようになる。訃報が届いた友人の住所と電話番号は住所録から抹消するのだが、まるでその人の記憶を消すようでためらわれる。夜になると花の香がひときわ強く匂う。机に落ちたプルメリアの花の白は自らの命を象徴するかのようである。

戦没者まだ土深く眠る島掘られし遺骨は朽葉色見す

雨あとの清明祭シーミーの墓にぬかづきて焼く紙銭ウチカビの炎の低し

ゆふかげに縁取られつつ一舟の辷り出だしぬ名護なごの入り江を

人影に月桃の花をつと去りし喪章に似たる六月の蝶

かげを翼にまとふ白鷺の光ひきゆく水面にひくく

夜半の風に触れて散りたる月橘のいのちに余香よかういまだ木下に

定家葛いにしへの恋のかをり顕ち夜の香を追ふ生垣に沿ひ

 印象に残った歌を引いた。三首目などまるで一幅の水彩画を見るかのようで美しい。歌に詠み込まれた本土とは異なる植物の多彩さにも圧倒される。豊かな自然と風物の溢れる沖縄は戦争の記憶が色濃く残る鎮魂の島でもある。歌に降り積もる時間の重さを感じさせる歌集である。

 

第287回 石川美南『体内飛行』

銀紙で折ればいよいよ寂しくて何犬だらう目を持たぬ犬

石川美南『体内飛行』

 本年(2020年、令和2年)3月20日、新型コロナウィルスの流行が深刻化して来た頃に出版された石川の第5歌集『体内飛行』が、短歌研究社により創設された塚本邦雄賞の第1回受賞の栄に輝いた。折しも書肆侃侃房から現代短歌クラシックスとして新装復刊された第1歌集『砂の降る教室』でその才能を注目された石川だが、今まで短歌関係の賞には縁がなく、これが初めての受賞だろう。私が実際に会って言葉を交わしたことのある数少ない歌人で、その人懐っこい人柄に魅了されたこともあり、実にめでたいことだ。

 『体内飛行』はいろいろな意味で注目に値する歌集である。1つ目はその出版までの経緯で、これは2017年1月号から『短歌研究』誌に三ヶ月ごとに連載した30首詠をまとめたものである。石川は連載依頼をもらったとき、自分にいくつかのルールを課したという。そのうち重要なのは、毎回身体の一部をテーマとするというルールと、自分の身に起きたことを時系列に盛り込むというルールである。身体の方は途中からうやむやになったようだが、2つ目のルールはますます重要性を帯びることとなった。連載中に祖母の死去、自身の結婚と出産という人生のメルクマールとなる重要な出来事が立て続けに起きたからである。作者自身あとがきで、「もし作品連載がなかったら、私の人生は、これほど大きく変化していただろうか」と述懐しているほどである。

 注目に値する2つ目の点は、今まで物語性が濃厚で現実の〈私〉をあまり作中に投影させることのなかった石川が、かなり生身の〈私〉に近い主体を歌に詠んでいることだ。これは自分に課したルールの2つ目の「自分の身に起きたことを時系列に盛り込む」の帰結の一つではあるのだが、それ以上に結婚・出産という大きな出来事が歌の質を変化させたということもある。「体内飛行」という連載のタイトルを決めたときには思いもよらなかった妊娠・出産を経験して、「タイトルに実人生が追いついて来た」という転倒した感慨を抱くのも無理からぬところである。

 収録された歌を順を追って見てみよう。第1章「メドゥーサ異聞」からして今までの歌と感触がちがう。

中学生の頃が一番きつかつただらうな伏目がちのメドゥーサ

目を覗けばたちまち石になるといふメドゥーサ、真夜中のおさげ髪

遠視性乱視かつ斜視勉強はできて球技がすこぶる苦手

朗らかに答ふ 卒業アルバムの写真撮り直しは要らないと

〈柳眼〉の項ひらかれて詩語辞典はガラスケースに鎮もりゐたり

 一連のテーマは「目」なのだが、そこへ見ると石に変えられるというギリシア神話のメドゥーサを持って来た。もともと石川は具体的な物を出発点として想像を膨らませるのが得意なのだが、この一連には目が悪く眼鏡が離せない石川自身が投影されていると思えてならない。確かに石川は勉強はできるが球技は苦手そうに見える。

 第2章「分別と多感」のテーマは「手」だが、その中に次のような相聞が混じる。今までの石川の歌集にはあまり見られなかった感触の歌である。

空き壜を名残惜しげに愛でながらあなたが終へる今日の逢ひ引き

浅い雪 あなたと食事をするたびにわたしの胸の感触が変はる

逡巡の巡の湿り、今週はあなたが風邪を引いて会へない

 第3章「胃袋姫」のテーマは胃袋と食欲だが、ここにも次のような歌が混じる。「唐辛子マークふたつ」というのは料理の辛さを表すメニューの記号。「指のサイズ」はもちろん婚約指輪か結婚指輪である。

柏餅の餅含みつつ恋人の故郷の犬に吠えられてゐる

指のサイズ確かめたのち唐辛子マークふたつの肉と野菜を

 第4章「北西とウエスト」の「ウエスト」は西の意ではなく、胴回りの方。

人生のくびり辺りの暗がりで薄明かりなす人と落ち合ふ

試着室に純白の渦作られてその中心に飛び込めと言ふ

ウエストを締め上げらるる嬉しさに口から螢何匹も吐く

勘違ひだらうか全部 判押して南東向きの部屋を借りる

 これはどう読んでもウェディングドレスの試着の光景と、結婚して住む新居の賃貸契約である。結婚への準備が着々と進んでいることが知れる。続く第5章「エイリアン、ツー」では同居生活が始まる。婚姻届を出すと花をくれる自治体もあるらしい。

思ひのほか上手に化けてゐるでせう絹ごし豆腐粗く崩して

市役所でもらつた薔薇を数日で枯らして眠たがるわたしたち

南にはネパール料理店がありあなたと掬ふ温かい豆

 第6章「飛ぶ夢」では様々な本からの引用と詞書きが多用されており、祖母の死と結婚式が描かれている。どうやら祖母のお葬式と自分の結婚式が数日違いだったらしい。さぞかし慌ただしかっただろう。四首目では自分の中のメドゥーサに優しく語りかけている。

祖母の好きな賛美歌流れ、わたしよりなぜかあなたが先に泣き出す

赤き目の伯父・父・伯母が順番に駄洒落を言つてそののち献花

をととひと同じ賛美歌、曇つては晴れてゆく視界、はい、誓ひます

親族も友人もやさしくてメドゥーサ、今日は寝てていいのよ

 何と言ってもおもしろいのは第7章「トリ」と第8章「予言」だろう。「トリ」とは胎内の我が子に石川が付けたニックネームである。子宮内の胎児はヒトの進化の過程と再現すると言われているので、胎児をヒトになる前のトリと捉えてもおかしくはない。

ごみピットの匂ひがすると振り向けば苺ひと箱提げてゐる人

淡々と人は告げたり「ピコピコしてゐる、これが心音です」と

見なくてもいいとやんはり断られひとりつくづく見る出べそかな

トリが人に育ちゆく頃新しい燕の家に燕どつと増ゆ

「西瓜さんが西瓜を切るよ」と歌ひつつ硬い丸みに刃を当ててをり

目を細め生まれておいで こちら側は汚くて眩しい世界だよ

薄明に目をひらきあふときのため枕辺に置く秋の眼鏡を

 一首目は妊娠悪阻に伴う異臭感覚で、二首目は妊娠初期のエコー検査だろう。三首目はお腹がずいぶん大きくなって出べそになった歌。最後の眼鏡の歌で連作「体内飛行」はぐるっと回って円環をなして第1章へと戻る。集中屈指の美しい歌だ。

 俗に「自然は芸術を模倣する」と言う。それをもじって言うならば、現実は想像力に追いつくことがある。連載の最初に「体内飛行」というタイトルを決めたとき、作者はまさか自分がこのようにほんとうに体内を経巡る濃密な体験をするとは夢にも思わなかったにちがいない。石川の得意とする想像力に現実の重みが加わって、これから石川の短歌がどのように変化してゆくのか楽しみでならない。

 個人的に私が楽しんだのは歌人が登場する楽屋落ち的な歌である。

『穀物』同人一人ひとつ担当の穀物ありて廣野翔一ひろのはコーン

「燕麦よ」「烏麦よ」と言ひ合つて奈実さん芽生さん小鳥めく

全開で笑ふ田口綾子たぐちよ「予言の書」と呼べば「医学書です!」と正して

「三十代で為し得たことは何ですか」光森さんに聞かれてキレる

 一首目は「京大短歌」「塔」の廣野翔一、二首目の奈実さんと芽生さんは本郷短歌会の小原奈実と川野芽生、三首目の田口綾子は「まひる野」所属、四首目は光森裕樹で、あちこちの短歌団体に出入りしている石川の交友関係の広さが窺える。

 

第286回 阿波野巧也『ビギナーズラック』

まぶしいものに近づいてみる近づいて舗道の上に柿はひしゃげる

阿波野巧也『ビギナーズラック』

 不思議な歌だ。作中の〈私〉が歩道を歩いていると、歩道の上にまぶしく光るものを見つける。近づいてみると、歩道に落ちて踏みつけられたのか、ひしゃげた柿の実であることがわかる。しかし柿の実は今ひしゃげたのではなく、すでにひしゃげているのである。それを「舗道の上に柿はひしゃげる」と表現しているということは、作中主体による出来事の認識と出来事の生起を同一視していることになる。つまり出来事は過去に起きたのではなく、〈私〉がそうと認識した現在に起きたと見なすのである。これは主体としての〈私〉と客体としての世界をはっきりと分けるデカルト以来の主客二分論への大胆な挑戦である。そしてそこには〈今〉の認識が深くかかわっていることは疑いを容れない。作者はこのような世界観を採用しているために、本歌集に収録された歌を読んでいると、何とも言い様のない浮遊感と視野の捻れのような感覚を覚えて立ち止まることしばしばであった。

 阿波野巧也は1993年生まれ。京都大学農学部に入学と同時に、京大短歌会と塔短歌会に入会。2015年塔新人賞を受賞。現在は塔短歌会を離れて同人誌「羽根と根」に所属している。2019年に第1回笹井宏之賞で永井祐賞受賞。『ビギナーズラック』は本年 (2020年)7月に上梓された第一歌集で、解説は斉藤斎藤。

 「すれ違うとき、ぼくはもらう」と題された斉藤斎藤の解説が出色だ。私はめったに解説から先に読むことはないのだが、書いているのが斉藤斎藤だけに今回は解説を先に読んでしまった。斉藤は近代短歌のOSである主客分離による「写生」から論を起こして、阿波野の世代はスマホの自撮り文化の洗礼を受けて、世界と同じ画面に写る〈わたし〉をどう詠むかという課題に直面した最初の世代だと述べている。

 斉藤の指摘は鋭い。近代短歌の写生は、画面の外から風景を見ている〈私〉つまり視点主体という構造に依存している。高野の次の歌も例外ではない。

精霊ばつた草にのぼりて乾きたる乾坤を白き日がわたりをり 高野公彦

 近景の小さな精霊ばったと遠景の日輪のスケールの大きな対比がこの歌の眼目だが、描かれた画面に見ている〈私〉はいない。視点主体はあくまで画面の外にある。しかるにスマホ世代の歌はそこがちがうのである。

冬のひかりにぼくの体があたたまる 都会で暮らしていたいとおもう

スーパーの青果売り場にアボカドがきらめいていてぼくは手に取る

ただの道 ただのあなたが振り返る 月明かりいまかたむいていく

暖房をつければ一回だけ鳴った風鈴 しばらくひとと会っていない

人身事故で電車が動かなくなって外にある桜を撮っている

 一首目の上句は内側から感じる〈私〉の体感で、下句は感慨の間接話法なので叙景部分はほぼない。初句の「冬のひかり」くらいである。二首目は四句の「きらめいていて」までが純粋な叙景だが、結句でいきなり〈私〉が登場してアボカドを掴む。まるでスマホの角度がいきなり変わって自分を写したかのようだ。三首目は「ただの」の反復がリズムを作っているが三段切れの歌である。見かけ上は〈私〉はいないが、「あなた」という二人称は一人称を前提とし、「振り返る」のは〈私〉に向かってなので、視点主体の色は濃い。四首目は上句と下句が切れている歌。上句の核はチリンと一度鳴った風鈴の知覚で下句は感慨だが、「問いと答えの合わせ鏡」(永田和宏)になっていない。五首目は構造としては、桜を撮影している作中の〈私〉を見ている視点主体がもう一人いることになる。

 このように多かれ少なかれ歌の中に〈私〉が写り込むとどうなるか。近代短歌の方法論であった主客分離による写生は不可能になり、客体としての世界は主体と対立するものではなく、世界は〈私〉込みの世界となるのである。デカルト流の主客分離に対抗しようとした現象学の哲学者メルロ=ポンティーは、「世界内存在」としての〈私〉を立ち上げたが、阿波野の短歌の〈私〉もちょっと似ているかもしれない。そのことは冒頭に挙げた掲出歌にも現れていて、作中主体の〈私〉の位置変化がそのまま歌に反映している。

 このように阿波野の歌が描く世界は〈私〉込みの世界であり、逆に〈私〉は世界込みの私である。したがって近代短歌のように世界と鋭く対立する屹立する〈私〉は影を潜め、ゆるやかに世界に溶け込む輪郭のはっきりしない〈私〉が中心となる。

 その〈私〉はいろいろな物に囲まれている。私が本歌集に収録された歌を読んでいて感じたのは、さまざまな物に囲まれて暮らし、街をゆっくりと遊弋する青年が、移動するたびごとに世界が拓かれてゆくという印象だ。

イヤフォンのコードをほどく夕ぐれの雑誌売り場に取り残される

ぼくの手にiPhoneだけが明るくて自分の身体で歩いてゆける

ツタヤ以外のレンタルビデオもあるんだねみたいな顔をきみにされてる

見てきたことを話してほしい生まれ育った町でのイオンモールのことを

デニーズのグラスワインで乾杯を 雨が降ったらあなたへ傘を

2016年もユニクロをこのように着古してすばらしいユニクロ

 阿波野の世代にとっての街とは、このようにコンビニの雑誌売り場やiPhoneやツタヤやイオンモールやデニーズやユニクロが形作る都市である。もちろん花や公園や雨などの自然も詠われてはいるが、歌の背景のほとんどはこのような都市風景である。

 では阿波野の修辞はどこにあるか。次のような修辞を凝らした歌を見てみよう。

お祭りが偶然あってそこにある空間へ透けてゆくさくらばな

風が吹き、けれど意外に揺れてないそこにある草 ゆっくりと坂

みんな立って丸く手首をぶら下げて空間に電車がやってくる

町じゅうのマンションが持つベランダの、ベランダが生んでいく平行

ガードレールがわずかにへこみ陰をなすところに触れる遠く半月

 一首目の「そこにある空間」が何を指すかは判然としないが、お祭りの屋台と屋台の間と取っておこう。そこに桜の花が透けてゆくという措辞がおもしろい。二首目では風が吹いているので草が揺れているのかと思いきや、意外に揺れていないと肩すかしを食らわせて、視線は坂へとそらされる。三首目はラッシュ時の駅の風景で、「丸く手首をぶら下げて」というのは鞄を握っているということか。この歌など吉野裕之の歌を思わせる。四首目も視点のおもしろさが光る歌。マンションには必ずベランダがある。ベランダの床はすべて平行で、都市空間にあまねく平行線があるという幾何学的な歌である。五首目、へこみに「触れる」のは〈私〉で、見上げると半月が空に輝いているという視線の交錯がある。

検温計を静かにしまう昨日歩いた街のにおいを閉じ込めながら

やめたサークルの同期会のお知らせの通知、その通知の薄明かり

秋の光をそこにとどめて傘立てのビニール傘をひかる雨つぶ

みずうみのような眼でぼくを見てゆっくりと閉じられるみずうみ

入口はこちらと示す張り紙のラミネートがほんのりずれている

猫耳のままでお店を出たひとがたばこをくわえてはずす猫耳

キーボードの反力を指に灯しつつ書き換えられてゆくWikipedia

中華屋のショーウィンドウに麻婆茄子こぼれかけてる秋の日のなか

おばあさんがうぐいす色の乗り物でゆっくり進む夕べの歩道

 特に印象に残った歌を引いた。中には近代短歌のコードで読むことのできる歌もあり、それはそれでなかなか美しい抒情歌となっている。


 

第285回 近江瞬『飛び散れ、水たち』

開けっ放しのペットボトルを投げ渡し飛び散れたてがみのように水たち

近江瞬『飛び散れ、水たち』

 歌集題名が採られた歌である。「投げ渡し」という複合動詞で歌の場面には別の人がいることが知れる。同世代の若い友人だろう。目上の人や子供には、栓を開けたままのペットボトルを投げたりしないからである。中身の鉱泉水がかかっても、「おい、何するんだよ」で済む気の置けない相手だ。飛び散る水に、たてがみのように散れと命じている言葉は、実は自分たちに向けられた言葉でもある。たてがみはライオンや馬などの動物に見られるもので、ライオンでは雄に限られており、雄々しさの象徴である。次の歌のようにドアのノッカーと化していても、たてがみは凜々しい。

鬣に森の名残りの香を立たせ氷雨にむかうノッカーの獅子  

               山田消児『アンドロイドK』

 だから掲出歌は雄々しくありたいという願望を抱えた男子のまぶしいほどの青春歌なのである。

 結社誌『塔』の7月号で塔短歌会賞が発表され、昨年度の塔新人賞に続いて近江瞬が受賞した。よいタイミングなので『飛び散れ、水たち』を取り上げたい。

 近江瞬は1989年生まれ。短歌との出会いは書店の古本コーナーで偶然手に取った俵万智の歌集『あれから』だという。それから歌歴わずか5年だというから驚く。塔新人賞以外にも、歌壇賞、笹井宏之賞、短歌研究新人賞などで、最終候補や佳作に選ばれている。『塔』期待の新人と言ってよい。『飛び散れ、水たち』は今年 (2020年)の5月に刊行されたばかりの第一歌集で解説は山田航。

 山田も解説で指摘しているように、本書はまぶしいほどの青春歌集である。したがって詠まれている世界は少し過去のこととなる。そして季節は光溢れる夏である。

何度でも夏は眩しい僕たちのすべてが書き出しの一行目

僕たちは世界を盗み合うように互いの眼鏡をかけて笑った

黄昏に盗まれてゆく教室で君から充電コードを借りる

みずうみの波の始点となるような声にならない君の耳打ち

何歩目のグリコでしたか少年が大人の顔をし始めたのは

 一首目は巻頭歌。歌集を編む時は、誰しも巻頭にどの歌を置くかに腐心する。巻頭歌は歌集全体のトーンを決めるからである。「すべてが書き出しの一行目」は、それほど残りページがない身から見れば羨ましい限りだが、誰にもそういう時期があったのである。二首目、人の眼鏡を借りて掛けると、度数がちがうので世界が少しちがって見える。それを「世界を盗み合う」と表現している。この程度のことで笑い合えるのが若さに他ならない。三首目の教室は大学でもおかしくはないのだが、どうしても高校だと思えてしまう。四首目は女性の秘密の耳打ちを波の始点と捉えているところが美しい。五首目はじゃんけんでグーで勝ったら「グリコ」で3歩、パーで勝ったら「バイナップル」で6歩、チョキで買ったら「チョコレート」で6歩進むという子供の遊戯に子供から大人への変化を重ねた歌。

 上に引いた歌は屈託のないきらきらする青春である。しかし青春は光に満ちているばかりではない。そこには青春特有の影もまたある。

僕たちはまだ行き先すらも決められず丁字路にながくブレーキを踏む

てっぺんにたどり付けない服たちが落ち続けているコインランドリー

標識の行き先がみな未来だと突きつけられている帰り道

容器ではなくて剥がした蓋につくヨーグルトに似て、教室に僕

内側に未来を抱いてトイレットペーパーその芯だけは空白

 一首目は可能性と同義の将来の未決定という宙ぶらりんの状態におののく青春。二首目は、ドラムの中で回転して頂点に辿り着く前に落下する洗濯物に己の姿を見る歌。三首目も一首目と同工異曲の歌。四首目、自己評価の不安定もまた青春特有の現象である。特に同じ教室に学ぶ学友と自分を比較して、自分のランクはどのあたりと考えることが多い。この歌では自己評価は限りなく低く、蓋に付いたヨーグルトである。五首目、未来に広がる可能性という手形はもしかして不渡りかもしれず、自分の中身は空っぽだと詠う。しかしこのような影もまた確実に青春の一部である。

 はっきりと歌のトーンが変わるのは、三部構成の第三部からである。

塩害で咲かない土地に無差別な支援が植えて枯らした花々

上書き保存を繰り返してはその度に記事の事実が変わる気がする

あの時は東京で学生をしていましたと言えば突然遠ざけられて

僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空

避難路の整備のために立ち退いた寿司屋が廃業する八年目

 作者は宮城県の石巻市の生まれである。2001年の東日本大震災の時には、東京で大学生をしていた。実家に電話して「帰ろうか」と言うと、「食糧が一人分減るだけだから帰って来るな」と言われたという。それだけでも心が締め付けられる。大学を卒業後、東京で就職して働くが、思うところあって故郷に戻り新聞記者となる。第三部はそれからの歌である。

 一首目、被災地の支援は本来は現地の実情に即したものが必要だが、そうでないものもあるのが現実だ。善意で植えた花は塩を浴びた土地では育たない。二首目、同じ出来事でも何度も語るうちにその意味や重みが変化するように感じられる。三首目、震災の惨禍を共有できなかったという心の痛みは消えることがない。四首目、みんなが黙祷する時に目を開けているのは新聞のための写真を写すためである。仕事とは言え、ここでもみんなと気持ちを共有できないという心の屈折がある。だから翌日に「三月十二日の午後二時四十六分に合わせて一人目を閉じている」ということになる。五首目、震災からの復興事業のあおりをくらって廃業する店もある。間接的ながら震災の二次被害である。「あのときどうすればよかったのか」という問は、作者ならずとも多くの人の心にまだ棘のように刺さったままだろう。

 塔短歌会賞受賞作の「ネジCとネジE」にも触れておく。謎のような連作題名は、次の一首目に由来する。

ネジCが別の説明書の中でネジEとして使われている

売れているタンスを目立つ場所に置く売れているタンスが売れていく

クレームをアフターと言い換えている 貧乏ゆすりに気づいて止める

社員への打診があった片岡さんがそれから三ヶ月後に辞めた

どこまでを社員でいよう送別会終わりの駅で手を振りながら

退職後五日が過ぎたフロア内を客でも店員でもなく歩く

 作者は大学を卒業後、東京で家具店に勤務していた。受賞作は勤めを辞めるまでをていねいに構成した一連となっている。一首目は家具の組み立て説明書のなかで、同じネジがある説明書ではネジCと、別の説明書ではネジEと呼ばれていることに気づいた歌。ネジは汎用でありどこにでも使われる。唯一無二のネジというものはない。働く自分たちもまた交換可能な部品にすぎない。連作中で私がいちばんいいなと思ったのは六首目の歌である。ついこの間まで勤めていた店を、客でもなく店員でもなく歩いてみるというのは、会社を辞めてまだ次の勤めを始めていない宙ぶらりんの状態には解放感も伴うだろうが、同時にまるで自分が誰にも見えない幽霊になったような奇妙な感覚だったことだろう。

狭き空を飛行機雲が真四角に切り抜いて開く雨の入口

晩夏にブルーシートを掲げれば無数の光に変わりゆく傷

雨の降り始めた街にひらきだす傘の数だけあるスピンオフ

水風船ふくらんでゆく半分は蛇口のこぼす夏の吐息に

かごのなか収集車を待つ瓶たちの粉々になるほうの透明

飲み込んだ海の一部を返すとき魂のごと糸引く唾液

靴底に溜まった砂場の砂を捨て「あっ」とつかむ夏のひとかけ

句読点の付け足されゆく校正の各所で開く赤い雨傘

 印象残った歌を引いた。よく使われている語は「夏」「光」「青」「透明」で、これを見ても本歌集が青春歌集であることがよくわかる。ゼロ年代に登場した若手歌人たちは穂村弘に「ゼロ金利世代」と呼ばれ、リア充からはほど遠い不景気な日常を低いテンションで詠うスタイルが多かったが、近江はそれとは180度方向性を異にしている。その意味でも注目すべき歌集である。

 このようなキラキラした青春歌集を読むと時代の変化を感じないわけにはいかない。『現代短歌の全景 男たちの歌』(河出書房新社 1995)の座談会で小池光が、自分たちの若い頃は詩を作っていると言うと、尊敬されて大きな顔ができたが、短歌を作っていると言うと「おまえはばかじゃないか」と言われる雰囲気があったと発言している。小池の念頭にあった詩というのは、戦後詩を代表する田村隆一ら荒地派のことだろう。また別の所で小池は、俵万智の『サラダ記念日』の画期的な点は、それまでの短歌にまとわりついていたウラミから歌を解放したことだとも述べている。近江はおそらくそんな時代の雰囲気も短歌が内包する影も知らないだろう。そういう意味でも時代がひとつ回ったように感じるのである。

 

第284回 北大路翼『見えない傷』

我が歩幅越ゆることなき蜷の道

北大路翼『見えない傷』 

 になは田螺に似た小さな巻き貝で、ここでは田んぼや小川にいる川蜷だろう。田んぼの水底の泥の上を川蜷が移動すると、轍のような後がかすかに残る。それが蜷の道である。蜷はとても小さく移動もゆっくりなので、移動した痕跡はいつも短く、私の一歩の歩幅を越えることがないという句である。季語は蜷で春。人と蜷の大小の対比のおもしろさ、ゆっくりと流れる春の時間、変わることなき自然の摂理といったものを感じさせる句である。

 北大路翼は1978年生まれの俳人。小学生の時に種田山頭火を知り、無季俳句を作り始めたというから、相当な早熟で無頼への憧れもすでに芽生えていたのだろう。中学に進むと国語の教師が今井聖だったというから驚きだ。田中槐の高校の国語の先生が村木道彦だったというのと同じくらいの出会いである。以来有季定型句に転校し現在に到る。新宿歌舞伎町を根城として俳句一家「屍派」の家元を名乗っている。『見えない傷』は『天使の涎』、『時の瘡蓋』に続く第三句集である。

 北大路というと昨年(2019年)の夏頃に、TV番組「激レアさんを連れて来た」でその姿を見た。めったにしないような特異な経験をした人を連れて来て、その一部始終をアナウンサー広中綾香が手書きのパネルで語るという番組である。北大路はツバサ君という名で紹介された。登場したとたん、ゲストの女優足立梨花が「あっ、歯がない!」とつぶやいたのをよく覚えている。前歯が何本か欠けていたのである。歯が欠けていると無頼メーターが跳ね上がる。しかし身にまとわせている無頼な空気とは裏腹に、作る俳句は実にまっとうな旧仮名遣いの有季定型句である。

刃物みな淑気に満ちて台所

ゴミ捨て場飛び出してゐる破魔矢かな

喰積や人来るたびに箸出して

リムジンが曲がれぬ垣根の落ち葉焚き

一月の茶碗の中の山河かな

 2017年新年から引いた。一句目の淑気は正月のめでたい気分のことで新年の季語。刃物が淑気に満ちていると感じられるのは、歳の暮れに慌ただしくおせち料理をこしらえた後、きれいに研いで仕舞われているからだろう。凜とした正月の空気を感じさせる。二句目、破魔矢は正月の縁起物として飾られるが、松が取れて用済みになるとふつうのゴミとして捨てられる。しかし長いのでビニールのゴミ袋を突き破って飛び出しているのである。決して美しい光景ではないのにこのような場面を詠むのは、俳句が些細なことにおかしみや哀感を感じ取る詩型だからである。この句では「飛び出してゐる」がポイント。三句目の喰積は重を重ねるおせち料理のこと。年始の客が来る度に祝い箸を出しておせちを勧めるという正月の場面である。四句目の季語は落ち葉焚きで冬。リムジンが道の狭い住宅街を通っている。リムジンの車体は長いので角を曲がれないのだ。リムジンは芸能人やセレブが好んで乗る車なので、なぜこんな庶民の住宅街に来ているのかという所に何か物語がありそうだ。五句目の山河は茶碗の内側の絵付けと取ることもできるが、ふつう茶碗の内側には絵付けをしないのでそうではなかろう。茶碗には五目ご飯か炊き込みご飯が盛られている。その具を山河と捉えたものと取る。この句では一種の誇張法によって、一椀の飯に山河を見る壮大さがポイントである。

 上に引いた句を読んでいると少しおかしいと感じることがある。時代がやや古いのである。今どき正月に年始の客が次々と来ておせち料理を食べる家があるだろうか。また住宅街の道で落ち葉焚きをしている光景もとんと目にすることがなくなった。下手をすると消防に通報されてしまう。北大路がこれらの句に詠んでいるのは、記憶の中にあるなつかしい日本ではないだろうか。

桃の花こぼれてゐたる名刺受

海市立つ流木踏めば骨の音

新学期画鋲の穴にまた画鋲

問診に嘘少しまぜ春の昼

石鹸玉祈る言葉がつぎつぎと

 一句目、ふつうの家に名刺受けはないので会社の光景だろう。花瓶に挿した桃の花だろうか、名刺受けに零れているという美しい場面。花びらが自然が寄越した名刺という見立もできる。二句目の海市は蜃気楼のことで春の季語。浜辺を歩いている場面である。風雨に曝された流木が骨に似ているというのはいささか普通か。三句目は小学校の教室の場面だろう。壁に画鋲の穴があいているのは掲示物を貼ったからである。新学期を迎えて新たに掲示物を貼るときに、その穴にまた画鋲を刺すという句である。「だから何だ」と言われると困るのだが、こういう些事におかしみを感じるのが俳句なのだ。四句目は会社の定期健康診断か。身長や体重測定、視力検査の後に医者の問診が控えている。「お酒はどのくらい飲みますか」とか「煙草は一日何本くらい吸いますか」という質問にやや過少申告しているのである。五句目、子供が庭でシャボン玉を作って遊んでいる。シャボン玉はくるくる回りながら虹のように煌めいたかと思うと、パチンと割れて消えてしまう。次々と生まれては消えてゆく様を眺めていると、永遠の輪廻という思いが浮かんで祈りの言葉が湧いて来るという句だ。

 こうして鑑賞しているときりがないので、付箋の付いた句を挙げておこう。山のようにあるので厳選する。

ブロッコリー緑の粒の謀

かげろひてをり海苔弁の蓋の裏

夏至の雨は泣いている男の子の匂ひ

硝子戸の雫は海で死んだ人

ヨガ用の小さきマットや獺祭忌

白菜の芯まで煮えて一人きり

大根も過去もいづれは透き通る

花冷えの麻雀牌の彫り深し

滅びゆくものの匂ひや缶ビール

冷蔵庫の小さくなつてゐた実家

薬局の白さの残る洋菓子店

境内の形に合はす踊りの輪

吃音の少年を買ふ寒の雨

 一句目「ブロッコリー」を読んで、穂村弘・東直子・沢田康彦『短歌はプロに訊け』に収録された「めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ」という本上まなみの歌を思い出した。ブロッコリーの緑の粒粒を見ていると、ふと何か陰謀を巡らせているのではという気がするという句。「ヨガ用の」の句は脊椎カリエスで寝たきりだった正岡子規へのオマージュ。ヨガ用の小さなマットから子規が寝ていた布団を思うという句である。「冷蔵庫」の句は、夫婦二人になり歳をとって料理も作らなくなって、電気代のかからない小さな冷蔵庫に買い換えたという句。「薬局の」は元は薬局だった建物を改装して洋菓子店を開いたのだが、塗装に白さが残っているのだろう。「吃音の」の句は特に無頼の匂いがする。

 特に感じ入ったのは次の句だ。

春巻の断面よぎる蝶の影

 春巻きの断面に蝶の影が差すことは現実にはあるまい。だからこれは幻影の句である。しかしながら春巻という庶民的な食べ物と、どこかふらふらと漂う死者の魂を思わせる蝶の取り合わせがよい。春巻を羊羹や蒲鉾に換えても句は成り立つが、やはりここは春巻がよく動かない。

 かねてより不思議に思うのは、同じ短詩型文学なのに短歌より俳句の方が無頼風狂の度合いが高いのはなぜだろう。俳句は短歌より短いために、逆説的ながらより自由度が高くて前衛・過激に向かうのかもしれない。

 

第283回 柴田葵『母の愛、僕のラブ』

 

ぼろぼろと光を零してはつ夏のきゅうりを交互に囓りあう朝

柴田葵『母の愛、僕のラブ』

 初夏の蒸し暑い朝のこと、冷房のない部屋の暑さをしのぐためか、冷蔵庫から出した冷たい胡瓜を二人でかわるがわる囓っている。一読して若いカップルだとわかる。「光を零して」とは、口から零れ落ちる胡瓜の欠片が朝の光に煌めく様を言っているのだろう。奇妙に詩的に描かれた場面だが、読んでまず抱いた印象は「どこか過剰なところがある」というものだ。そしてこの「どこか過剰」というのはこの歌に限定されるものではなく、本歌集の全体に漂う空気でもある。

 2019年12月に刊行された『母の愛、僕のラブ』は、短歌ムック『ねむらない樹』が主宰する第一回笹井宏之賞の大賞受賞者である柴田葵が、副賞として出版した第一歌集である。プロフィールによれば、柴田は1982年生まれ。銀行勤務ののち結婚して渡米し、それをきっかけに短歌を作るようになる。第6回現代短歌社賞候補、第2回石井遼一短歌賞次席にも選ばれている。笹井宏之賞の選考委員は、大森静佳、染野太朗、永井祐、野口あや子、文月悠光の5名で、他の短歌賞に較べれば圧倒的に若い。選考座談会では柴田を推す永井祐が議論をリードし、永井の読みに他の委員が影響され賛同する形で進行している。

 受賞作となった「母の愛、僕のラブ」は読むのに注意が必要な連作だ。まず「母とふたり暮らしだった」という詞書きが冒頭にあり、母子家庭という環境が暗示される。歌で「僕」と自分を呼んでいるのは実は女の子であることが読み進むうちに知れる。また連作中に【 】でくくられているのは母の声で、自分を僕と呼ぶ娘の声と母の声が交錯する交響楽的構成になっている。

僕は先生を漂白する役でドアノブを回すとへんな音

【神様はいないのこれは学問よしあわせになる勉強会よ】

てづくりをする信念のママの子に産まれて着色されない僕ら

【戦争にいかせたくない わたし自身が戦争になってもこの子だけは】

僕らはママの健全なスヌーピーできるだけ死なないから撫でて

あがりすぎて戻れない凧 凧からの糸を握った僕の手はハム

 「先生を漂白する役」とか「着色されない僕ら」などどう意味を取ればよいのかわからない箇所もある。しかし全体から湧き上がって来るのは、育児に独特な拘りを持つ束縛的な母親の下で、真綿で首を絞められるようにして暮らす子の窒息感だろう。その後、「母の家を出た僕は恋人からボクっ娘をやめろと言われた」、「母から、母の結婚式の招待状が来た」、「友達がいないことを母に隠している夢だった」という詞書きがあり、次のような歌が並んでいる。

自分ちにいるのに家に帰りたい刈っても刈っても蔦の這う家

殴られている音がする洗濯機 犠牲になるのは私でいいよ

バーミヤンの桃ぱっかんと割れる夜あなたを殴れば店員がくる

バイトバイト私はバイトの人になる駅前の鳩がねんねん増える

学校に行けない夢から目覚めればもう三十歳だったうれしい

汚れから私を護るエプロンをラブと名付けてラブが汚れる

 流れとしては恋人ができて母の下を離れ、恋人と暮らすようになるが、そこにDVを思わせる歌もある。母の束縛を逃れて幸福を求めても、母との関係を抜け出すことができずにもがく姿が詠われている。選考座談会で柴田を推した永井は、「作為が徹底している」「全体を構造化する手つきがしっかりとある」と評している。

 本歌集に収録された他の歌も見てみよう。

カロリーメイトメイトが欲しい雨あがり駅のホームでほろほろ食めば

水を買うその違和感で日々を買うわたしのすきなおにぎりはツナ

きみは私の新年だから会うたびに心のなかでほら 餅が降る

うんと眉根を凍らせてゆくビル街のどこからくるんだインドのかおり

美容院あるいはバーバー閉じられてすべての季節の造花が窓に

 一首目では駅のホームでカロリーメイトを食べている。カロリーメイトはゆっくり食事する時間がないときに手っ取り早くカロリーを取る手段だから、作中の〈私〉は仕事に追われているのだろう。カロリーメイトからの連想で、メイトつまり恋人か友人がほしいとつぶやく。二首目はコンビニで水を買う違和感をまず述べている。「日々を買う」は、にもかかわらず毎日コンビニで何かを買っているということだろう。そんな違和感があるのに、下句では好きなおにぎりはツナと言い放っている。三首目は思わず笑ってしまったが、私にとって恋人の君は新年と同じ価値を持っている。だから君と会うたびに心の中で餅が降るような喜びを味わうというのである。恋人を餅に喩えるそのストレートさに驚く。四首目の「眉根を凍らせて」はおかしな語法だが、「眉をひそめる」がさらに進行した状態を言うのだろう。作中の〈私〉は心中穏やかならぬものがあるのだ。そこにカレーの香りが漂って来る。五首目は美容院と理容院を兼ねた店だろう。閉じられているのだから、今日はもう閉店したかあるいは廃業したのだ。ここでは廃業と取りたい。窓の中を外からのぞくと季節に関係なく造花が飾られている。

 笹井宏之賞の選考座談会で染野が、他の賞では応募者の年齢もばらばらで文体の差がつくのだが、今回は口語短歌が目立つ気がして、細かい差異に敏感にならざるを得ずたいへんだったと述べているのが印象に残った。選考委員が若いこともあって、応募作品は口語短歌が多かったのである。柴田ももちろん口語短歌である。読んでいると口語短歌の持つある種の傾向と問題点に気づくことがあるので、今回はそのことに触れてみたい。

 大辻隆弘は著書『近代短歌の範型』(2015年、六花書林)所収の「多元化する『今」― 近代短歌と現代口語短歌の時間表現』という出色の文章の中で次のように述べている。近代短歌は作者がただ一つの「今」という時間の定点に立つことによって成立している。そして「今」より前の出来事は過去または完了として、「今」より後の出来事は推量として表現される。大辻は茂吉の次の歌を引いてこのことを解説する。

わたつみの方を思ひて居たりしが暮れたるみちに佇みにけり

 この歌では作者は最後の「けり」という詠嘆過去の助動詞を発した時点を「今」としている。そしてそれより前の出来事は「居たりしが」の助動詞「たり」と助動詞「き」によって過去完了となる。このように近代短歌の時間表現は、作者の立つ「今」という定点を軸に構成されるというのである。確かにその通りである。

 ここで「けり」は過去を表す助動詞なので、なぜ過去が「今」なのかという疑問を抱く向きもあろうかと思うので、大辻の文章の要約を離れて少し触れておこう。ここで言う「今」とは発話時現在の「今」ではない。発話時現在は文を発した時点をいうので、近代短歌であれ現代口語短歌であれ発話時現在は同じように存在する。大辻が問題にしている「今」は、作中人物の〈私〉が夕暮れの道に呆然と佇んでいることにハッと気づいた時点である。この「今」は発話時現在のように発話と外的世界との関係によって規定されるものではなく、作品の描く内的世界で〈私〉が生きている時間なのである。私たちは物語をするとき必然的に過去形を用いる。出来事の生起は過去形でしか表現できないからである。「私はころぶ」は予測か予言にしかならない。「私はころんだ」として初めて出来事になる。だから作中の〈私〉が「今」感じていることを語ろうとすれば過去形「けり」を用いることになる。だからこそドイツのテクスト言語学者ケイト・ハンブルガーは、たとえ未来を描くSF小説でも語りは過去形で行われると喝破したのである。

 大辻の文章にもどろう。大辻は続いて永井祐の歌を引いて、近代短歌の「今」とのちがいを次のように述べている。

白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう  永井祐

 現代の口語短歌には定点としての「今」がない。たとえば永井の歌では、「白壁にたばこの灰で字を書こう」と思いついた「今」①、「思いつかない」とあきらめた「今」②、「こすりつけよう」と考えた「今」③があり、「今」を一点に定めることができない。つまり作中主体の〈私〉は歌の中で一点に留まることなく時間を移動しているのである。「今」の裏側には〈私〉が張り付いているので、「今」の数だけ〈私〉があるとも言えるかもしれない。

 柴田の短歌を読んでいると大辻の言うことがよく当てはまる例があり、一人永井に限るものではないことがわかる。

ここからは僕がルールだその次にきみがルールだ白墨をひけ

朝からもうがんがん暑いイチゴジャム甘すぎる赤すぎるきれいだ

犬がゆくどこまでもゆくあの脚の筋いっばいの地を蹴るちから

 これらの歌の中には複数の「今」があり、作中主体の〈私〉は飛び石の上を渡るように次々と「今」を渡る。近代短歌の「今」が一点に固定されていることは、歌の中の視点もまた一点に固定されていることに通じる。そのことが近代短歌の結像性と、それを基盤とする歌の背後に現れる一人の〈私〉を担保していたことはまちがいない。ひるがえって現代の口語短歌では、複数の「今」の間を移動する〈私〉は視点の固定化とは逆の結果を生む。このために歌から析出される〈私〉の姿もまた変わらざるを得ないのである。柴田の作る短歌にどこか過剰で演技的なものがあることも、これと無関係ではないように感じられる。時点と視点が固定していない〈私〉を浮上させるには、何らかの強度が必要になるのではないだろうか。

 最後に印象に残った歌を挙げておこう。

土砂降りの高層ビルの応接にうつくしい水だけの水槽

熱帯に羽ばたく鳥のくちばしを捥いで合わせたような鋏よ

ほろぼされたまぼろしのきみ ひとすじの髪をアヤメの葉のように染め

冷えきったガードレールの歪みからたちのぼる過去を肺まで入れて

褪せた桃いろの毛布とはじめからそんな感じの空いろの毛布

イヤホンの右側だけを臍にあて音をわけあうとても寒い日

公園の蛸すべりだいはすり減って蛸を脱したすべらかなもの

結婚をした日の雨は地を廻りわれら果てなく限りある旅

第282回 橋場悦子『静電気』

歩道橋越えても踏切渡つてもだれかの家の前に行きつく

橋場悦子『静電気』

 おもしろい歌だ。歩道橋も踏切も人の移動を助けるために作られた設備だから、そこを通る人はやがては誰かの家に行き着く。それは当然のことである。しかし当然のことを頭の中でもう一度ひっくり返して改めて見つめると、なにやら不思議なことのように見えてくる。奥村晃作のただごと歌と似ているのだが、興味深いのは、作者が狙って作っているわけではなさそうだということである。歌集を読んでいると、作者の物の感じ方や立ち位置のベースラインがなんとなく体感されてくるものだ。本歌集を読むと掲出歌のような歌が少なからずあり、作者の物事の捉え方を直接反映しているようなのだ。実にユニークな歌集である。

 巻末のプロフィールによれば、橋場悦子は1980年生まれ。大東文化大学で開かれていた短歌実作入門講座に通った縁で「朔日」に入会し、外塚喬に師事する。『静電気』は2020年5月に刊行された第一歌集である。序文は師の外塚喬。

 文体は旧仮名遣いの文語定型で歌の多くは属目なのだが、読んでいて目に止まるのは次のようなぶっきらぼうで不思議な感触の歌である。

髪型を一昨日をととひ変へた「変はつたんぢやない」と訊かれてもいいやうに

「生きてるのが不思議なくらゐだ人間は」解剖医の声思ひ出す夏

相手からもわたしが見えるのを忘れひとを見つめてしまふときあり

あなたにはこのテストへの適性がないと言はれし適性テスト

マニキュアが男のためでないことは男以外はみな知つてゐる

壇蜜は嫌ひではない壇蜜を好きと言ひ張る女が嫌ひ

 一首目、「髪型を変えたんじゃない?」と訊かれてもいいように髪型を変えるとは、行為とその目的とが捻れているようで頭がくらくらする。二首目には「解剖医」という短歌では珍しい言葉が出て来るが、これについては後述する。「人間の身体は生きているのが不思議なくらい出鱈目だ」ということだろうか。三首目も意味は明らかだが、相手から自分が見えていることを果たして忘れるだろうか。四首目、適性テストを受ける適性がないとはまるでメタ適性みたいで、深い所で否定されたような気になるだろう。五首目、マニキュアが女性用の化粧品であることはある意味自明だ。しかし聞くところによると、ギタリストなど爪の保護が必要な人は男性でもマニキュアを使うらしい。六首目も四首目とちょっと似ていて、偶然かもしれないが「壇蜜が好きな女が嫌い」というメタ的関係になっている。

迷つても平気地球は丸いから 空の青さの沁みる十月

パンダには生きる意欲がないらしいクロレッツにはもう味がない

ボレロつて初めてぜんぶ聞いたけど最後のさいごまでボレロだね

足にまでひとには人差し指がありしかも我のはひときは長し

写真とは常に昔を写すもの鏡ほどにはおそろしくない

 一首目は大らかというか、いい加減というか。迷ったとしても地球は丸いのでぐるっと回って目的地に行き着くというとぼけた味のある歌。二首目、なぜパンダには生きる意欲がないと感じたのかわからないが、しばらく噛んだクロレッツに味がしなくなることとは何の関係もない。関係のないものが並置されることで妙な味わいが出る。三首目はラヴェルのボレロだろう。ボレロが最後までボレロなのは当たり前だ。途中からポロネーズになったりはしない。四首目、確かに足の指で人を差すことはしないので、足に人差し指があるのは不思議である。しかし自分の足の人差し指が長いことなど、取り立てて歌にするほどのことか。五首目、写真は昔なら撮影してから現像・焼き付けするまで時間がかかる。インスタント写真でも少しは待たなくてはならない。今のデジタルカメラでも、撮影してから保存し呼び出すのに少しかかる。だから写真とは常に過去の映像だというのである。言われてみれば確かにそうだと納得する。

 橋場の短歌はこのように生活上の些事を取り上げ拡大鏡で大きく見せて提示するものが多く、当たり前のことをことさら言い立てるとぼけた味わいがあったり、改めて言われるとなるほどと納得したりするものが多いのである。意図がやや違うかも知れないが、奥村晃作のただごと歌と一脈通じるものがあり、とぼけた味わいは相原かろと少し似ている。要するに他にあまり似た作風の歌人がいない、とてもユニークな歌のである。

 その結果と言えるかどうかよくわからないが、秀歌として取り立てる歌があまりない。というかもともと作者が秀歌を狙っていないと言ったほうがよいかもしれない。序文で外塚は、「意識して内容を詩的にするとか、表現をする上で奇を衒うことはしい。自然体で詠んでいる作品が詩的と見られるのは、天性と言ってもよいのかも知れない。(…)多くの人が見逃しているような些事を、的確に掬い取って作品として昇華させているのだ」と書いている。もし作者が自然体で詠んでいてこのような歌が出来上がるのだとしたら、それはおそろしい天賦の才と言わなくてはなるまい。

 そのことは作者の独特の喩にも見て取れる。

閉めきつた部屋にも深くはひり込む切り取り線のやうな虫の音

空つぽの弁当箱を持ち帰るやうだ心臓ことこと揺れて

胃袋は赤きほらあな最後にはどんな魚も溺れるだらう

 虫の音が切り取り線のようだとか、心臓の鼓動が空の弁当箱のようだとか、胃袋が赤い洞窟だというのは実にユニークな喩ではないだろうか。

 歌に詠まれた素材のユニークさには作者の職業から来るところもある。

押送車あふそうしや並んで停まる横を行く湿気の重きけふの東京

真顔より気持ち目元を緩ませて接見室の扉を開けぬ

特段の意味はなからう裁判所地下で圏外になる携帯電話けいたい

ダルメシアンは器物扱ひとなることが開廷前の雑談となる

卓上の鋏は仕舞へ取調修習前に指導されたり

カツ丼は食はせるのかと真顔にて尋ねられたる飲み会ありき

刑事より被疑者の署名の字のうまき供述調書もまれにはありき

 「押送車」なんて言葉は初めて見た。広辞苑を引いて「受刑者、刑事被告人を護送する車両」だと知った。作者の職場は裁判所なのである。裁判所と言ってもたくさんの職種がある。裁判官、事務官、書記官、廷吏などがいて、弁護士も裁判所に行くことがある。しかし「取調修習」という言葉があるので作者はおそらく検事だろう。前に出てきた「解剖医」という言葉もこの文脈に収まる。法曹界の様子が短歌に詠まれるのはとても珍しい。六首目を読んで思わず笑ってしまったが、容疑者の取り調べでカツ丼を食べさせるというのは、ひと昔前の刑事ドラマのクリシェだ。

 外塚の言う「些事を取り上げて詩とする」というのは次のような歌によく現れている。

最後尾の札は立てかけられてゐて誰も並んでゐない店先

動物に細胞壁がないことを満員電車でふと思ひ出す

春にまだ濃淡のあり黒猫がただ寝そべつてゐるごみ置き場

 だから私が付箋を付けた歌を引いておくが、次のような歌が橋場の個性をよく表しているというわけではないのである。こんなもって回った言い方をしなくてはならないのは、ひとえに作者のユニークな個性の故である。

跳びたくてイルカは跳んだと思つてた遠い夏の日の水族館

いかに深き穴にも言へぬことありて空濁る日のベランダに立つ

封印を解かれしごとく夏は来て泡立ち止まぬ雑踏の声

義母の手を握りて塗りしクリームの薔薇の香の残るてのひら

暗闇も熱を帯びゐる路地裏に白粉花の強く匂へり

はつなつの真昼の長き散歩して影の中では影を失ふ

贖(あがな)ひて帰る道みち片方の頬を翳らす竜胆の花

食べ終へた弁当箱に骨のあり魚を食べるといきものになる

ためらひの後ほそき橋渡るとき後ろ姿の華やぎて見ゆ


 

第281回 笹原玉子『偶然、この官能的な』

切れ長の目をしてゐるね半島の朝、瞼の縁でゆれるバラソル

笹原玉子『偶然、この官能的な』

 

 初句の「切れ長の目をしてゐるね」は終助詞「ね」によって会話だと知れる。おそらく男性が女性に向かってそう言ったのだ。場所はどこかの半島で、時刻は朝である。半島は世界にごまんとあるのでどこだかわからず、どこでも当てはまる。しかしここはシンガポールのラッフルズホテルあたりを想像しておきたい。パラソルという単語から避暑地を連想するからである。下句の瞼の持ち主は男性から「君は切れ長の目をしているね」と言われた女性だろう。すると避暑地の朝の恋の予感の場面ということになる。

 意味のみに頼って読み解くとそのようになるが、韻文は意味と形式の融合体であり、時には意味より形式が優ることもある。目につくのは三句「半島の朝」の字余りである。小池光が何度も力説しているように、三句の字余りはふつう御法度だ。三句は上二句と下二句を繋ぐ蝶番の役目を担い、歌の内的韻律を形成する。しかも掲出歌ではその後に読点まで打ってある。明らかに作者は三句から蝶番としての役割を剥奪して、上三句と下二句を切り離したいのだ。師の塚本邦雄譲りの「辞の断絶」である。これは上二句と下二句とで人物が交代していることに対応する。三句が蝶番の役目を果たさなくなると、内的韻律の凝集力がなくなり、歌は溶けたゼリーのように外に流れ出す。この「外への流出」が笹原の短歌の大きな特徴なのである。

 『偶然、この官能的な』は、第一歌集『南風紀行』(1991年)、第二歌集『われらみな神話の住人』(1997年)に続く第三歌集である。書肆侃侃房のユニヴェール叢書の一巻として2020年4月に刊行された。第二歌集から実に23年の歳月が流れている。あとがきによれば、敬愛する山中智恵子と師の塚本が相次いでこの世を去ってから、作歌の意欲をすっかり喪失し、10年余のブランクがあったという。栞には林和清、佐藤弓生、石川美南が文章を寄せている。

 笹原の第一歌集と第二歌集は2006年 5月に本コラムの前身「今週の短歌」で取り上げて批評した。もう14年も前に書いた文章をあらためて読み返してみると、ほとんど付け加えるものがないことに驚く。ならば本稿はこれで擱筆となるのだが、笹原の歌に変化がまったくないわけではなく、私も昔は気づかなかったこともあるのでしばらく続けて書くことにする。

 栞文で石川美南が、図書館で歌集を借りては短歌をノオトに書き写していた頃、笹原の『われらみな神話の住人』は愛読書のひとつだったと書いている。これを読んでなるほどと得心するところがあった。笹原と石川の短歌に共通するのは「物語性」である。石川は笹原の歌に自由に羽ばたく物語の想像力を見たのだろう。

犬戎けんじゅうの頭目なれば文盲にして星辰の列すべて暗んじ

みづいろにひたされつづける廊下を歩くこの天体の淵のあたりを

およびから滑る骰子さいころ 卓上が砂漠へつづくアレキサンドリア

みそなはせ宴もたけなはやうやくに流竄の帝のご登場

形代かたしろは詩歌ばかりの島なれば軽羅のむすめがとほく手招く

 一首目の犬戎は古代中国の周辺民族で、定家が「紅旗征戎非ズ吾事」と書いた西戎の一部族。三首目の「および」は指のことで、アレキサンドリアは現在のエジプトにあるヘレニズム文化の中心他。四首目の流竄の帝はおそらく隠岐島に流された後醍醐天皇だろう。五首目の形代は紙の人形に厄を移して川に流すもの。いずれも歴史の時の流れと地理の空間的広がりを縦横無尽に跨ぎ越して、一首の中に物語を紡いでいる。物語性の強い歌人というと、井辻朱美と紀野恵がすぐ頭に浮かぶ。

陶製の浴槽バスに体をはめこみて森の国カレドニアでの暮れぬたそがれ 井辻朱美『水晶散歩』

中国の茶器の白さが浮かぶ闇ここ出でていづれの煉獄の門

王女死せし砂漠のうへを吹き来し吾がほそ道の火の躑躅揺る 紀野恵『架空荘園』

女東宮にょとうぐうあれかし庭に雀の子遊ばせてゐる二十五、六の

 井辻はファンタジー文学の研究者であり、もともと物語は得意なテリトリーである。また紀野においてはその詩想の高踏性が物語と親和性が強い。井辻や紀野の歌が短いながらも一行の物語を語っているのにくらべて、笹原の歌の物語はその未完性と断片性にある。笹原は一つの物語を語り終えることをめざしておらず、むしろ物語を未完のままにし断片化することによって、歌を外へと開いている。自身次のように詠んでいるとおりだ。

大鴉さいごの章を銜へ来よ此処は未完のものがたりゆゑ

 もうひとつ注目されるのは、言葉を用いて歌を作っているにもかかわらず、言葉以前への憧憬が繰り返し述べられていることである。

まだことば生まれぬまへに祈りはあつた綺羅めく空に膝を折りし日

身ぬちにて昏くさゆらぐ月のみづうみ言の葉をまだ知らぬさひはひ

 言葉がまだない昔に人間はより良き状態にあったというのはルソーの『言語起源論』を思わせる。言葉を自在に操る達人ならばこそ、言葉が捉えきれない始原の意味に憧れるのかもしれない。それは次のような歌にも繋がっているようだ。

いつよりかわれらひそかにもちしは心 神の訪ふ日の木末こぬれに隠し

 本歌集を読んで私が心惹かれたのは次のような歌である。このような人生詠は以前の歌集にはあまり見られなかったものだ。

 

のちの世はよみひとしらずの詩となりてこどくなあなたの灯火の友に

うつつでは忘れられたるゆめみどり私のノオトでたゆたふことを

放物線そのはじまりが水滴でをはりが風跡そんな一生ひとよ

ひとはゆめみる儚ごと もみぢならもみぢのかたちに散るまでを

 あとがきに「このつたない歌集がたとえば深夜、孤独な人の灯火の友にでもなればそれにまさる喜びはありません」と書かれているので、一首目はその願いをストレート詠んだ歌である。「自分の歌が後の世で詠み人知らずとならんことを」という願いは、「消私」の願望に他ならない。つまり作者は〈私〉とは何ほどのものでもないと思っている。ならば当然、短歌は自己表現の手段ではない。笹原の短歌の背後に「たった一人の私」を求めても無駄である。かくのごとくに笹原は近代短歌の王道とは異なる道を歩んでいるのである。

 では笹原にとって短歌とは何かということが二首目に詠まれている。「ゆめみどり」は蝶の古名で、今はもう忘れられた古い名だ。効率と営利追求の現代社会にゆめみどりの居場所はない。ならば私のノオトの中に安らぐがよい。これが笹原にとっての短歌である。

 三首目と四首目は人生詠に分類できる。特に四首目は心に沁みるが、若い人にはなかなかわからないかもしれない。「紅葉なら紅葉のかたちに散るまで」というのは、人生の残り時間を数えるようになってわかる境地である。

森のみどりそれより空のふかみどりしたる罰か手のひらに森

パンゲアにいつの日か帰ることあらむとほき始祖も知らぬ悔恨

ゆたけしな黒髪さわぐ秋篠ゆ朱色の櫛を拾ふゆふぐれ

かの御手みてに掴まれたくて蒼穹にさしいれてみるとがふかき手を

耳底じていはもみづうみに聴くセレナーデが奏でしかはるかなるねぎ

悦楽園園丁がのこす花式図は緋色の迷路シラクーサ

花積みの舟が港に着いた朝こめかみからまづ冷える如月

 特に印象に残った歌を引いた。いずれも塚本邦雄が「上質の不可解」と評した笹原短歌の美質を遺憾なく発揮している歌である。意味を説明しろと言われると言葉に窮するが、意味を超えた明滅するイメージの美しさがある。「悦楽園園丁」や「花積みの舟」はいかにも塚本好みだ。

 中でも特に印象に残ったのは次の歌である。

ふるさとで綺麗な着物をきて生きる おほよそのことはあとのゆふぐれ

 「おほよそのことはあとのゆふぐれ」と言い切る潔さが素晴らしい。笹原の短歌は「自我の詩」である近代短歌の王道からはずいぶん外れた歌なので、決して短歌シーンの主流になることはないだろう。それは本人がいちばん自覚しているにちがいない。そのうえで「主流とは何ほどのもの」というつぶやきが聞こえて来そうである。

 

第280回 富田豊子『漂鳥』

死に急ぐ者にはあらぬわが影をふたたび蝶のよぎる突堤

富田豊子『漂鳥』

 上句で「死に急ぐ者にはあらぬ」と断っているのは、一人ポツンと港の突堤に佇立する姿が、これから身投げしようとしている人に見えるからである。しかしわざわざ断る言葉に含まれる否定形が、歌の〈私〉が死を意識していることを否応なしに照らし出す。歌に描かれているのは〈私〉の影だけである。その影を一頭の蝶が横切る。それも一度ならず二度までも。それを吉兆と取るか凶兆と取るかはその時の心の有り様によるだろう。あるいはその両方かもしれない。どことなく不穏な気配の漂う歌で、これが作者の持ち味なのである。

 富田豊子は昭和14年(1939年)生まれ。1974年に安永信一郎主宰の歌誌「椎の木」に入会。安永蕗子の指導を受ける。1985年に「花粉症の猫」で第28回短歌研究新人賞候補となる。『漂鳥』は1987年刊行の第一歌集である。他に『薊野』(2004年)、『火の国』(2010年)、『霧のチブサン』(2016年)がある。

 短歌を読み始めた頃は、気に入った短歌や気になった短歌をノートに書き写していた。その中に富田の歌があった。

黄昏が黄泉へとつづく時の間を一輪車漕ぎ児は遊びをり

 出典まではメモしなかったので、どこで見た歌かはわからない。一読して心を捉えられた歌である。この歌を書き留めたのはもう15年以上も前のことなのだが、富田の短歌をもっと読みたいと思い、第一歌集『漂鳥』(1987年)を入手した。それまでに作った千首を超える歌から441首を選んだ堂々たる第一歌集である。跋文は安永蕗子、装幀は小紋潤。版元は富士田元彦の雁書館である。

 刊行された1987年という年号を見ると、現代短歌に親しんでいる人ならばピンと来るにちがいない。そう、俵万智『サラダ記念日』が出た年である。その他にも小島ゆかり『水陽炎』、大津仁昭『海を見にゆく』、加藤治郎『サニー・サイド・アップ』などが刊行され、短歌年表には「この年、ライトヴァースの是非をめぐる議論が白熱」とある。しかしライトヴァースを担った歌人たちよりずっと年長で、肥後の国熊本在住の家庭婦人である富田は、日本の中央で起きている短歌の流れとはまったく無関係に自分の個性を作り上げている。

 富田のベースは旧仮名の端正な文語定型であり、その主な主題は「生と死が絡み合いあざなえる日常」である。

葬り処の風を背負ひて来し我か黒きコートをぬぐ夜の部屋

トラックに満載されし鶏卵のかすかうめくがごとき坂みち

泣きながら足袋のこはぜをとめてをりかの屈葬のかたちのままに

影といふまがまがしきが従きてくる豆腐一丁下げゆく時も

卵白をかきまぜてゐる朱の箸自が骨片を拾ふことなし

 一首目は友人の葬儀から戻って来た場面。安全な場所であるはずの我が家にまで、死の臭いのする風が吹いて来る。二首目は養鶏場から鶏卵をトラックに乗せて出荷する場面だろう。何ということはない農村の日常風景だが、作者はそこに鶏卵のうめき声を聞いている。それは無精卵としてこの世に生まれたからか、それとも間もなく食べられてしまう運命にあるからか。三首目はなぜ泣いているのか理由は明かされていないのだが、足袋を履いているので和服の正装で出かける支度をしているのだ。かがんでこはぜを止める姿勢が古代の甕棺に埋葬する屈葬の姿勢と同じだという。喪服を着て葬儀に出かける前かもしれない。四首目は近所の豆腐屋で豆腐を買って帰る場面。ふつうならばこれから夕食と家庭の団欒が待っているはずなのだが、作者の目につくのは禍々しい影である。五首目は台所で卵白をかき混ぜている場面。手に持っている箸からの連想で、火葬場で焼かれた火との骨を拾うことを思っている。確かに骨を拾うのは他の人で、自分の骨を拾うことはない。

 これらの歌に登場する「鶏卵」「足袋」「豆腐」「卵白」「箸」などはごく日常的な家庭的アイテムなのだが、富田はそこに「あざなえる生と死の影」を見てしまう。日常生活の折節にふと顔を覗かせる不穏な気配を感じてしまう。それを歌に詠むことが作者の個性となっている。あとがきには「天翔るものへのひそかな思慕を抱きながら残光の坂をくだった」とあり、跋文で安永は「ふと垣間見た何ほどもない風景に、思いがけぬ人生の深淵を見てしまう。謂うならば不幸な感性を身につけている人である」と作者を評している。師の慧眼恐るべしである。また安永は、「文芸の業に身を入れたもののそれは不幸でもあるが、毒のうま味のある自己剖見が、表白の舌をよろこばせるのである」とも述べている。玩味すべき言葉であろう。「毒のうま味のある自己剖見」は次のような歌にある。

 

椅子盗りの椅子にはぐれてゐし日より幸運などの来ることのなし

風のなか人の乗らざる回転の木馬は回る汚れて回る

きりわりし南瓜が笊に乾きゆく自滅の過程みるごとき日々

小鰈の白き胞子はららご食ひつくすわれのうちなる辛酸の管

人間の貌を曝して夕ぐれの腸詰ひさぐ店先を過ぐ

 

 二首目の汚れた回転木馬や三首目の乾きゆく南瓜は眼前に自己投影された客体である。四首目の「辛酸の管」は自分の消化器で、五首目では自分は人前では人間の顔をしているが、実は人間ではない面も持っているという独白。富田は夫も子供もいる「普通の妻」(安永)だそうだが、「文芸の業に身を入れたもの」であるために、家庭婦人という立場を振り切っている。そこに歌の凄みが生まれる理由がある。

 富田の目は日常の取るに足りない細部にも注がれるのだが、その描き方が普通ではない。

昨日よりおく塵芥に濡れてゐる使ひ捨てたる水色のペン

ドラム缶のへりにそこばく溜りゐる雨水を時に風が吹きゆく

晩春の雨を吸ひゐるダンボールどのあたりより崩れはじむる

焼きすてし畑田にのこるまくわ瓜大き頭蓋のごとく転がる

少年の含羞のごときハムの耳截り落としたる俎の上

 ゴミ袋に入った捨てられたペンや、ドラム缶の縁に溜まった雨水や、雨を吸って膨れあがったダンボールなどは、美的観点から言えば歌に詠まれるような美しいものではない。畑に打ち捨てられたまくわ瓜や、ハムの切れ端も同様である。しかしながらこのような物もまた私たちの生活の一部であり、人生を彩るものでもある。まくわ瓜を「頭蓋のごとく」と喩え、ハムの切れ端を「少年の含羞のごとき」と喩えるとき、そこにふだん私たちが目にしているものとは異なる風景が現出する。

 

白蓮の花瓣のごとき軟骨が瓶に浮かびて在るガラス棚

喪の服の気付けをなして得たる銭折りじわつきてわがたなの内

方形の朱の壺ひとつ卓の上わが骨充たすことも幻

川の面に白き網打つ少年の網にとらるる夜の星群

西へき流るる野川に青き菜の帰命とおもひ石橋わたる

忽ちに雨の匂ひとなりてゆくバスを降りたる現し身われの

くもりたる天の片処にほのかなる井水と見えて冬の日輪

段丘をのぼりつめても冬の土蝶の青濃きしかばねに逢ふ

 

 印象に残った歌を引いた。いずれも日常の風景が作者の感性のフィルターによって濾過され、それが確かな措辞によって硬質の叙情へと昇華されている。バブル経済の前夜、世が口語短歌とライトヴァースへと向かっている時代に、その流れに敢然と逆らうような硬質の抒情詩が作られていたことに改めて驚く。もっと読み返されてよい歌集である。