第278回 芹澤弘子『ハチドリの羽音』

盆踊り同じ高さにそよぐ手のをわたりゆく魂のあるべし

芹澤弘子『ハチドリの羽音』

 盂蘭盆会に各地で行なわれる盆踊りの光景である。盂蘭盆会には家の前で火を焚き、茄子や胡瓜で馬を作って祖先の霊を迎える風習がある。掲出歌に詠まれた魂はそうして現世に戻って来た祖霊だろう。この歌のおもしろさは、盆踊りの輪を作る人ではなく、踊りにつれてそよぐ手に着目したところにある。描かれているのはイソギンチャクの触手のごとくゆらゆらとなびく手のみで、その下にいる人は夜の闇にまぎれて見えない。運動会で行われる「玉送り」という競技がある。一列に並んだ子供が両手を上げて、玉を順番に渡して行く速さを競う競技である。この歌ではまるでこの玉送りのように、なびく踊り手の手の上を祖霊が渡ってゆく。「魂」を「たま」と読ませて「玉」と掛けてのことである。

 芹澤弘子は1946年生まれで、「プチ★モンド」で松平盟子に師事している。プロフィールによると、最初は俳句を作っていて句集もあるという。2010年頃から短歌を始め、『ハチドリの羽音』は第一歌集だというから、俳句の素養があるとはいえ短期間の上達ぶりには驚かされる。跋文は松平盟子で、栞文は小島ゆかりと坂井修一。

 作者は独立した四人の子供がいて孫もいる家庭婦人のようなのだが、一読してまず感じるのは歌の素材の多彩さである。家庭婦人の場合は身辺詠が多くなる傾向があるが、芹澤はその例には当てはまらないようだ。

エジプトの路上にビーズ売りし子よアラブの春に砂嵐吹く

春立てば安達ヶ原の一つ家もおぼろ月夜に毒香るらむ

オキーフが描けば小さな幸せも大きく大きくそれだけを見る

シベリアンハスキーの曳く犬ぞりで白樺林を駆け抜ける快

バザールに乾燥果実買いおればざわめきの中アザーンの声す

雨が好きとウッディ・アレンが言いしゆえ雨を見に行くひとりの午後は

キリンの舌窓よりぬっと入れられて餌をやる手に涎したたる

 一首目は、アラブの春の報道に接して、昔エジプト旅行で見かけたビーズ売りの子供に思いを馳せる歌。春に嵐は付きものという感慨を表す。二首目は歌舞伎を鑑賞した折りの歌で、どこかに本歌がありそうだ。安達ヶ原の一つ家とは、鬼女が旅人を泊めては殺害した家のこと。三首目は展覧会の場面で、オキーフは花弁などを大きく描く絵で知られた画家で、歌の「大きく大きく」はそのことを指す。四首目はアラスカ旅行の折の歌で、五首目はトルコ旅行。バザールの雑踏もさることながら、街に高く響く礼拝を呼びかける声が印象的だったのだろう。六首目は一人居の身を感じさせる歌だが、決して湿っぽくはなく明るい。七首目は人が車の中にいるサファリパークの光景である。ざっと目を通しても驚くばかりの行動力で世界をめぐり、さまざまな物を見聞している。注目すべきは、見たものを記憶しそれを輪郭鮮やかに描く技術と、一貫して見られる明るさだろう。

 しかし明るいばかりではない。次のような歌もある。

一生の長さ一炷のそのあわい ながれる雲の速さ見ており

 「一炷」は「いっちゅう」と読み、線香が一本燃え尽きるまでの時間だという。一回の座禅の長さを時計代わりに線香で計るらしい。ここでは短い時間の喩として置かれている。流れる雲もまた時間を表すことは言を俟たない。ここには遥か昔から俳句や短歌など短詩型文学に脈々と流れて来た思想があることに注目しよう。

 第二次大戦後に桑原武夫が第二芸術論を著したことはよく知られているが、その際に桑原の念頭にあったのは西洋の芸術である。西洋の芸術は、その源流であるギリシア・ローマの彫刻・建築を見てもわかるように、永遠の美を理想とした。その根本は普遍と調和と完全である。バルテノン神殿のように、あるいはミロのビーナス像のように、完璧に調和の取れた永遠の美が理想とされたのだ。大理石像に注ぐ陽光はあくまで明るく、乾燥気候ゆえに光と影が織りなす明暗の境界は鋭く中間はない。矛盾律と排中律はギリシア哲学の基礎である。ひるがえって日本の和歌や俳句など伝統的詩型が重んじたのは移りゆく美であり、風に舞う落花飛花のようにはかなく消える美である。移ろうものや消えゆくものに心を寄せるのが習いで、湿潤気候も与って明暗の境界は曖昧であり、明快な二分法からは遁走する。このように俳句や短歌が掬い上げるものの背後には移ろう時間の影が常に揺曳している。坂井修一が見つめる毬の影もそれと異なるものではない(朝日新聞2020年4月5日付の朝日歌壇俳壇の文章)。芹澤の短歌もこのような大きな流れの中にあることが確認できるのである。

 作者の父上は大学の研究者だったらしく(馬の睫毛おさなき記憶につながりて研究室の父の顕微鏡)、夫君は医者で共にアメリカで暮らしていたこともあるらしい。その夫君が黄泉の旅路についた折りの一連は心を打つ。

これまでに成しとげしことただひとつ夫亡くなりて結婚の完

ひとつずつ生の痕跡消えてゆく眼鏡・免許証・Lサイズのシャツ

ごみ箱にゴルフグラブは捨てられたりクラブ握りし形のままに

墓石には〈夢〉の一字が刻まれて雪ふる中にゆらぎつつ浮く

爪研がぬウルフとなりて果てし人草原わたる風に眠れよ

アスファルトに爪つっかかりつっかかり歩みがたかりけむ現世の道

 三首目の、ゴルフグラブがクラブを握る形のままにゴミ箱に捨てられるという歌はリアルで心に迫る。人が亡くなるとはこういうことだ。最後の二首は、医者としての理想を曲げぬために周囲と衝突することがあったという夫君に思いを馳せての歌だろう。

色水は作れぬ白き朝顔は庭の余白を充たしつつ咲く

帰るなき魂ただようや鈍色の鐘の聞こゆ海見ておれば

灯をともし路地あかあかと立ちあがる海に夕日の沈むを待ちて

草の中ひそやかにある終点の線路の断面ぬらす霧雨

梅雨明けのきざしは窓にさす光白き花さえ濃き影を持つ

死はすぐに取り除かれて水槽のランプ明るし瞼なき魚

 印象に残った歌を引いた。少し驚いたのは四首目の歌で、鉄道の終点駅は確かに線路が終わる場所だが、切断された線路の断面が露出しているということはあるのだろうか。ふつうは車止めなどが置かれているはずだ。しかしもしこれが「断面は霧雨に濡れているにちがいない」という想像によって生まれた歌であるとするならば、それはそれで美しい。

 少し気になることがあるのであえて書いておきたい。

町中に監視カメラの眼が光る神になれぬは死角あるゆえ

歩道橋風に吹かれて渡るとき首を延べたるキリンの心地

みはるかす視界は天と地のふたつ点景なきことかくものびやか

 私にはこのような歌はおもしろいと思えない。それは歌意が一首の中で完結してしまっているからである。一首目は監視社会に対する嫌悪を表した歌だが、いくら監視カメラが設置されても神にはなれない、それは死角があるからだと、理由まで提示している。俳句と同じく短歌もまた「○○だから△△だ」という因果関係を嫌う。二首目は歩道橋の上で風に吹かれる心地よさを詠んだ歌であるが、それは首を延ばしたキリンの心地だと作者が特定している。三首目はモンゴルで草原に立った折の歌だが、「かくものびやか」は作者ではなく、歌を読んだ読者が感じなければならない感覚である。

 歌はどこで成立するか。永田和宏は短歌における読者論を展開している数少ない論者だが、永田は「歌は作者と読者のあいだで生まれる」と述べている。短歌は作られた時ではなく、読まれた時に歌となる。中島みゆきが作詞作曲し、平原綾香が歌っている「アリア」という歌に、「1人では歌は歌えない。受け止められて産まれる」という歌詞の一節があるが、まさにその通りである。

 では読者が受け止めてどうして歌の中に入ることができるのか。それは歌に通路が開かれているからである。通路が開かれていると、読者はそこを通って歌の中に入り、「ああ、そのとおりだなぁ」とか「そのときどんな気持ちになるのだろうか」などと、まるで自分が体験したことであるかのように思いを巡らせることができる。しかし一首の中で歌意が完結していると通路がなく、読者は示された読み方しかできなくなってしまう。

ブラインドの羽根より西日差しこめり壁のピエロにうつる濃き影

 この歌の歌意は完結しておらず、読者にたいして通路が開かれている。ブラインドから差し込む西日が壁に掛かっているピエロの絵に縞模様の影を落としているという光景が描かれているだけで、意味づけがされていないからである。読者は意味の隙間をすり抜けて歌の中に入り、自由に想像を巡らすことができる。そのような短歌の持つ生理をあらためて思わせてくれる歌集である。

 

第277回 笠木拓『はるかカーテンコールまで』

もうここへやってきている夕映えの手首まで塗るハンドクリーム

笠木拓『はるかカーテンコールまで』

 不思議な歌である。「もうここへやってきている」は「夕映え」にかかる連体修飾句だから、夕映えの時間が予想よりも早く訪れたことを意味する。あるいはここへは来ないと信じていた夕映えが訪れたのかもしれない。だとすれば歌の〈私〉は幼児のごとくあり得ないことを信じ、それにすがって生きていたとも考えられる。この歌の工夫は三句の「夕映えの」の連接のずれである。「夕映の」が直接に「手首」を修飾するのは無理がある。だからここには統辞の詩的なずらしがあり、上句までと下句は繋がるようで意味的に断絶している。四句以下は手にハンドクリームを塗るという極めて日常的な行為が描かれている。ところが意味的にレベルを異にする上句があるために、その日常的な行為に、例えばこれから最終決戦に赴くというような、何か特別な意味が付与されているように見えるのである。その効果によって歌全体に、取り返しのつかない一回性、追い詰められたような切迫感が生まれている。

 笠木拓は1987年生まれ。大学入学の頃から短歌を作り始め、京大短歌に所属。第58回角川短歌賞で「フェイクファー」50首により佳作、第6回現代短歌社賞次席。同人誌「遠泳」に参加している。『はるかカーテンコールまで』は2019年10月に刊行された第一歌集。版元は港の人で、たぶん京大短歌の先輩で角川短歌賞受賞者の光森裕樹に倣ったものだろう。

 笠木の作風が多くのポスト・ニューウェーヴ世代もしくはゼロ年代の歌人と共通しているのは、ゆるやかな定型意識、文語を交えた口語ベース、会話体の挿入、低体温で希薄な〈私〉という点だろう。

手を振っているばかりだね僕たちは別な海辺の町で生まれて

映写機の中の世界を思わせてゆるやかに夜の市バスは過ぎる

噴水ふきあげは水の額か この手のひらを添えたいけれどどうにも遠い

ビニールの撥水加工うつくしと傘の内側より見ておりぬ

(永遠は無いよね)(無いね)吊革をはんぶんこする花火の帰り

 一首目の「僕たち」は恋人か恋人未満の関係だろう。「僕たち」には深く繋がりたいという欲求があるのだが、それを叶えることができずに手を振るばかりである。二首目、夜の町を市バスが過ぎる光景がまるで映画に映し出されたのように見えるのは、現実に対して疎外感を抱いているからだろう。自分はこの世界に生きているのだが、そこにほんとうに参画しているという実感が持てないのである。三首目はストレートに対象に手が届かない焦燥感を表している。四首目、ビニール傘の内側は何かに守られた世界であり自閉した空間である。その内側からビニール傘を通して外を見ている。五首目の(永遠は無いよね)(無いね)は、一首目の「僕たち」の会話だろう。花火大会を見た帰りにバスか電車に乗っている。車内は混んでいるので一つの吊革を二人で握っている。それは普通に考えればとても親密な空間である。しかし二人は睦言を交わす代わりに永遠など存在しないことを確認しあっている。それは裏を返せば二人が共有する「今」こそが大事なのだということでもある。

 ポスト・ニューウェーヴ世代の短歌の特徴については、もうひと昔以上前になるが、2007年の『短歌ヴァーサス』終刊号に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生とは違う」という文章が今でも有効である。斉藤はまず短歌の私性を論じるときの私を二つに分ける。「私」は「私は身長178cmである」と言うときの私で、客体用法と呼ばれる。これは言わば公的な私であり、誰が見てもそう見える私である。一方、「私は歯が痛い」「私には黄色く見える」と言うときの〈私〉は主体用法と呼ばれていて、一人称の私が内側からしか知ることのできない私である。知ってか知らずか斉藤が例を挙げるとき、「痛い」という感覚述語、「見える」という知覚動詞を選んでいるところに注意しよう。日本語では「うれしい」「悲しい」のような感情述語、「寒い」「痛い」のような感覚述語は一人称でしか使えない。「私はうれしい」はよいが、「太郎はうれしい」とは言えない(ただし過去形ではこの制約は解除され、「太郎はうれしかった」と言える。それは語りになるからである)。また「ある」「いる」などの存在動詞、「ほしい」「したい」などの願望動詞と並んで、感覚動詞・知覚動詞は終止形で現在を表すことができる稀な動詞である(そうでない「走る」で現在を表すには「太郎は走っている」のようにテイル形を用いねばならない)。だからこれらの動詞は主体用法の〈私〉と親和性が高いのである。その上で斉藤は次のように述べている。

 近代短歌において、「私」とは実在の「私」であった。前衛短歌において、虚構の「私」が導入された。(…)ニューウェーヴでは、前衛短歌にあった大きな物語が否定 / 無化され、「私」の特殊さが〈私〉に接続され、「わがまま」な歌となった。そしてポストニューウェーヴ世代において、「私」の特殊さは歌から排除され、あるいは「私」まるごと歌から排除され、そして〈私〉が生きるが残った。「私」から切り離された〈私〉というわかもののたたずまいは、若いころ威勢のよかった人々には羊のように歯がゆく映るかもしれない。しかし、若者が〈私〉に尊厳の根拠を置かざるを得ないのは、社会が流動化し、中長期的な「私」の安定が失われたからである。

 要するに、現代の若手の短歌では、他者と共役することを初めから考えない極私的な自我に作歌の根拠が置かれているということである。その上で、ポストニューウェーヴ世代の短歌には「今ここの〈私〉を生きる」感覚が溢れていることを、中田有里の歌を引いて論じている。

本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある

カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる

 曰く、「断続的につらなる〈今ここ〉の意識が流れつく先で、〈私〉が「水」や「歯磨き粉」に出くわしている」、「「私」の心情は全く投影されていない」とし、「〈私〉のかけがえのなさをたいせつにするということが、ポストニューウェーヴのわかものをつらぬく特徴である」と結論している。

 なかなか急所を突いた議論で、ポストニューウェーヴ世代の短歌の特徴を剔抉していると言えるだろう。確かに笠木の歌集にもそれを思わせる歌がある。

つま先が飛行機雲に触れるまでブランコをただただ軋ませる

捨てられた傘へと傘を差しかける最終バスを待つ束の間は

水切りにいい石が見つからないね うんと先まで残照の川

地下街の花にも雨をみせたくて背丈の低いひまわりを買う

 しかしながら本歌集を通読すると、「今ここの〈私〉を生きる」からは遠く離れた感覚を詠む歌が多いことに気づく。そのことが笠木の歌の個性になっている。たとえば次のような歌である。

青鷺、とあなたが指してくれた日の川のひかりを覚えていたい

遠いものばかりを許し僕たちは雨の港に船を見送る

もう何も入れなくてもいい額縁をレインコートの腕がいだきぬ

テーブルを拭う夕べはさよならをしなかったひとばかりが遠い

乳液を貸すのもこれが最後だと気づいて朝の雨をみている

忘れた、といつか答えて笑うだろうこの夕暮れの首のにおいも

 一首目、川の中州に佇む鳥をあなたが青鷺だと教えてくれたあの日はもう二度と戻らない。二首目、遠いものばかりを許すということは、近いものは許さないということだ。雨の港を出港する船は誰を乗せているのだろう。三首目、絵か写真を収めてあった額縁は今は空っぽだ。中身はとうに失われてしまい戻って来ない。四首目、夕食後にダイニングテーブルを布巾で拭いている。「さよなら」とちゃんと別れを告げた人に較べて、挨拶をせずに曖昧に別れた人の方を遠くに感じている。五首目、アパートに泊まった彼女に翌朝乳液を貸してあげる。それも今朝が最後なのは別れを決めたためである。六首目、今隣にいる恋人に頬を寄せると漂う首の匂いも、いつかは忘れてしまうだろうという予感がする。

 これらの歌に通底しているのは切実な「喪失感」であり、「あの時は二度と戻って来ない」感ではないだろうか。どうやら作者にとっては、「今がいちばん輝いている」と感じることが難しく、現実の過去もしくは想像上の世界で輝く瞬間を哀惜する気持ちが強いのである。哀惜することによってその時はいっそう輝くという構図になっている。これは斉藤斎藤が指摘した、ポストニューウェーヴ世代の「今ここ」感覚とはほど遠いものと言わねばならない。なぜ失われたものを哀惜するのか。それは内向し漂流する〈私〉の繋留点を探し求めているからである。〈今ここ〉に輝きを認めることができないならば、探し求める〈私〉の繋留点は過去か想像界の中にしかない。未来はもとより射程の埒外である。

 

飛ぶものを目で追いかけた夏だった地表に影を縫われて僕は

鳥はその喉に触れえず鳴くものを地上の声を飛び越えてゆく

夏の日の空をめがけて投げ上げるラムネの瓶の喉元の玉

母からの花の絵文字を川べりにひらいて閉じるまでの黄昏

弟の頬に灯れりおそなつのテレビ小説のその照り返し

いつか死ぬそのいつかを鳥は鳴き渡りあなたは夜へ踵を返す

カーディガンのボタンの上を揺れていた木彫りの小鳥まどべのひかり

あめひかる夏のゆうべは浅瀬めく駅前広場踏み越え ゆかな

 

 印象に残った歌を引いた。過去形で詠まれていなくても、〈今ここ〉は失われることを宿命づけられているかのように描かれている。そのために夏の光がきらきらと輝く歌でも、色彩にはすでにセピアの影が忍び寄っている。集中でいちばん好きな歌を挙げておこう。光と影とが交錯する歌である。

日の照れば返すひかりのはかなさのさくらばなとは光の喉首のみど

 最後に歌集タイトルに触れておく。カーテンコールとは、演劇で幕が下りた後に、観客に拍手に応えるように緞帳が上がり、舞台に出演者が並んで挨拶する場面をいう。芝居の余韻を味わう終幕の一瞬である。「はるか」には、終幕がまだ遠く先にあり、その瞬間まで平板な日常を生きねばならないという認識と、その瞬間までは何とか生き延びようという意志が込められているのだろう。よいタイトルである。


 

第276回 松本実穂『黒い光 2015年パリ同時多発テロ事件・その後』

坂道の続くゆふぐれ死んでゐる魚を提げて女歩めり

松本実穂『黒い光 2015年パリ同時多発テロ事件・その後』 

 夕暮れの坂道の光景から始まる初句において、すでに統辞が詩的にずらされている。「坂道が続く」という連体修飾句は、ふつうは「街」「界隈」という場所名詞にかかる。ところがここでは「ゆふぐれ」という時間名詞にかかっている。ということは、夕暮れという時間を体験している不可視の〈私〉(認知言語学では概念化主体 conceptualizerという)が背後にいて、「坂道が続く」という空間把握と「ゆふぐれ」という時間把握を架橋していることになる。このように短歌では統辞のずれが歌の背後に〈私〉を浮上させることがある。

 問題は三句目の「死んでゐる」だ。夕刻の買物帰りの女性を詠んでいるので、買物籠の中にあるのは市場の魚屋で買った魚だ。だから死んでいるのは当然なのだが、私たちは普段、魚屋で売られている魚を「死んでいる」とは言わない。それは私たちが「食材」としてカテゴライズしており、「生き物」としてカテゴライズしていないからである。このように私たちの認識は、日々無意識に行なっているカテゴライゼーション(範疇化)に依存している。範疇化とは「区別する」ことに他ならない。フランスで異邦人として暮らす作者には、そのことが一層強く感じられるのだろう。

 本歌集は「心の花」所属の歌人松本実穂の第一歌集である。プロフィールによれば、作者はフランス在住17年に及ぶ。もともとはご主人の転勤によってリヨンに暮らすことになったが、持ち前の行動力でセミプロカメラマンとして日本大使館の公式カメラマンを務めたり、ソムリエの資格を取得してワインコンクールの審査員をしたりと実に多彩である。本書にも作者撮影の写真が多数収録されており、歌集というより歌集・写真集となっている。帯文は佐佐木幸綱で、栞文は作者の広い交友関係を反映して、写真家ハービー・山口、心の花の大口玲子、画家の赤木曠児郎。

 2012年に佐佐木幸綱がリヨンを訪れたことがきっかけとなり、リヨン在住の日本人を中心としてリヨン歌会が結成された。最近マルセイユに抜かされたようだが、リヨンは長らくフランス第二の都市で、絹織物で栄えた街である。ポール・ボキューズを始めとする美食の街としても知られている。松本も佐佐木幸綱のリヨン訪問をきっかけに作歌を始めたようだ。

 さて、『黒い光 2015年パリ同時多発テロ事件・その後』という題名を見てもわかるように、本歌集の大きなテーマは2015年にフランスで起きた同時多発テロである。

十三日の金曜日にテロはなされしと新聞にあり煽るごとくに

追悼、愛国、右へ倣へといふごとくトリコロールの顔が増えゆく

劇場惨状伝ふる中継の声に重なるイマジンの歌

戦争が始まつたんだね月曜日の市場に花と水を買ひにゆく

パタクラン劇場前の路地の上に四本の薔薇濡れて横たはる

 イスラム過激派によるテロはパリ市内の劇場と郊外のサッカー場を標的として多くの犠牲者出した。大統領はただちに戒厳令を敷き、警察と犯人グループの間で大規模な銃撃戦も起きた。無差別テロは耳目を集める大きな事件であるが、歌人としての松本は犠牲者を悼みつつも、事件の周辺に目を配っていることに留意しよう。一首目、テロが13日の金曜日に実行されたと報じる新聞は、大衆の怒りを煽っているかのごとくである。13日の金曜日を不吉とする習慣は、キリストが十字架に架けられたのが13日の金曜日であったことに由来するので、キリスト教徒独自のものである。二首目、犠牲者を哀悼する気持ちはたやすく愛国心を鼓舞し、異教徒や移民を排斥する動きへと繋がることに作者は危惧の念を覚えている。三首目、にもかかわらずlove and peaceを歌うジョン・レノンのイマジンは、荒ぶる魂を慰撫するようにラジオから流れる。四首目の「戦争が始まつたんだね」はおそらく子供の言葉だろう。日本では考えられないが、フランスでは普段から小銃や機関銃を携帯した警察官や兵士を町中でよく見かける。ましてや戒厳令ともなれば軍は総動員されて町は兵士だらけとなる。五首目のパタクラン劇場は90人近い犠牲者を出した劇場で、作者の目は追悼のバラの花が雨に濡れそぼる様に向かっている。

命を産む女に生まれ爆弾を体に巻かれ死にてゆきしか

三色の雲を引きゆくミラージュはいづこを爆撃せし戦闘機

それぞれに人うつむきて座りをり〈兵隊募集〉のポスターの下

国籍を再び問はるテロ警戒巡視パトカー戻り来しのち

Mission vigipirateテロ特別警戒〉パトカーのミラーより見られてをらむ三叉路にて

 フランスは報復としてシリアを空爆した。革命記念日にパリ市の上空を飛行するミラージュ戦闘爆撃機ももしかしたらシリア空爆に加わった機体かもしれない。同時多発テロ以来、軍隊を志願する若者が増えたと聞く。テロはまたフランス在住の外国人に注がれる眼差しを変化させる。フランスで暮らしていると、道で警官が寄ってきて「Vos papiers, s’il vous plait」(身分証を見せてください)と言われることがある。職務質問だが、テロが起きるとその頻度は増す。作者も在仏外国人としてその眼差しの変化を体感しているのである。

 短歌は小さな器なので、同時多発テロのような大きな出来事を詠うことは難しい。出来事自体が大きすぎて、短歌という器をはみ出してしまう。松本が取った手法は、出来事自体を詠うのではなく、出来事に接してさざ波のように生じた〈私〉のゆらぎ、もしくは〈私〉と「世界」(あるいは「社会」)の関係のゆらぎを描くというものである。おそらくそれが短歌で大きな出来事を詠う唯一可能なやり方だろう。

 本歌集にはもちろん異なる主題の歌も収録されている。その多くは松本が撮影する写真と同じように、フランスの日常の街角の光景である。

ハーモニカの音かすれをり地下道に投げ銭を待つ小さき子どもの

マカロンのかさこそ箱に鳴るやうに売られてゆきぬ朱き小鳥は

乗り換への人の流れを割く岩のやうに座れりシリアの母子

曇り日の日時計の影ほの蒼く人とわれとの隔たりを告ぐ

言ひつぱなしの約束のやう夕空に残されてある細き梯子は

 一首目は地下鉄の通路で芸をして投げ銭を待つ異邦人の子供。二首目は小鳥市で売られてゆく小鳥。三首目は大勢の人が行き交う地下鉄の乗り換え駅の階段に座るシリア人の親子である。書き写していて気づいたが、どの歌にも対象に注ぐ眼差しに、見る〈私〉と見られる対象とを隔てる距離感が、光に寄り添う影のごとくまとわりついている。この距離感は紛れもなく異国で暮らす異邦人の眼差しである。言うまでもないがこれはいわゆる海外詠とはちがう。海外旅行に行き珍しい光景や事物を詠む海外詠は、ややもすれば観光絵葉書のようになりがちである。それは物珍しさが先に立ち、短時間の滞在では眼差しが対象に食い込むことがなく皮相な印象に終始するからだ。松本は長くフランスに住んでいるので旅行者ではない。従って海外詠に付きものの弊は免れてはいるものの、対象との距離はやはり異邦人のそれである。そのような意味でも興味深い歌と言えるだろう。

汗のにじむはだへのごとく街の灯を浮かべて昏く流れゆく川

絹雨のマルシェの隅の花籠にミモザは淡き光をあつむ

人に名を初めて呼ばるその声の新しきまま夏となりゆく

靴ひもを丁寧に結ぶ指先のきゆつと止まりてわれに夕凪

握りゐる掌をひらきゆくひんやりと魚の化石のやうな夕どき

さつきまでパンだつたはずパン屑がテーブルに落とす十月の影

 印象に残った歌を引いた。同時多発テロのその結果暮らしに生じたさざ波のような変化が本歌集の主な主題なのだが、上にも書いたように出来事の規模が大きいため、その発端から帰結までを頭で理解しようとすると、「○○が起きた、その結果こうなった」という因果関係が主軸となりがちだ。そのこと自体は悪いことではなく、大きな出来事を詠むときには避けがたいことでもある。しかし因果関係を主軸とすると歌が痩せるのもまた事実である。歌意を100%説明できる歌は魅力を減ずる。読む人が想像力で膨らませる余地がないからである。例えば上の五首目を見てみよう。掌を握っていたのはなぜか、またその掌を今度は開くのはなぜか、まったく説明されておらず、ただ事象として差し出されている。「ひんやりと」は魚の化石にかかるのか、それとも夕どきにかかるのかも両義的である。そもそも「ひんやりと」は連用修飾語だから体言にはかからないはずで、ここにも統辞のずれがある。また夕どきの喩として「魚の化石のやうな」は意外でありながら、その冷たさ、不完全さ、脆さ、またすでに絶滅した種という隔絶感を通じてよそよそしい夕どきの喩として成立している。

 作者は17年にわたるフランス滞在を切り上げて日本に帰国したようだ。長年海外で暮らして帰国すると、今度はリップヴァンウィンクルよろしく日本で異邦人となる。それがどのような短歌となって結実するのか楽しみではある。

 

第275回 遠藤由季『鳥語の文法』

聴いている。茗荷ふたつに切り分けた静けさに耳ふたつひろげて

遠藤由季『鳥語の文法』 

 おもしろい歌だ。「聴いている。」という倒置法から始まる。読む人の心には「はて誰が何を聴いているのだろう」という疑問が湧く。するといきなり茗荷が登場する。包丁で縦に二つに切り分けた茗荷は、宝珠を二分した形をしている。「茗荷ふたつに切り分けた静けさに」まで読んでもまだわからない。「耳ふたつ」に至って茗荷が耳たぶの喩であることがわかる。従って歌意は「歌中の〈私〉は何かに静かに耳を傾けている」となる。しかし〈私〉が何に耳を傾けているのか明かされてない。

 言い伝えによれば、釈迦の弟子に周梨槃特スリバンドクという人がいて、自分の名すら忘れるほど物忘れの激しい人だったという。その弟子の墓に生えて来た植物に、弟子にちなんで茗荷と名付けたと伝えられている。茗荷とは「名を荷う」つまり「名前を忘れないように持って行く」」という意味である。俗に茗荷を食べ過ぎると物忘れすると言われているのはこの故事にちなむものだろう。

 さて〈私〉は何に耳を傾けているのか。それは自分の心の中の洞に湧く音だろう。作者はどうやら鬱屈を抱えている。それは同じ連作内の「鬱の字を一画ごとに摘まみ抜き息吹きかけて飛ばしてみたし」や「三億円当てたら何が楽になる黄のパブリカを半分に切る」といった歌を見ればわかるのである。読者は一巻を通じてこの作者が抱える心の屈折に出会うことになる。

 『鳥語の文法』(2017年)は、第11回現代短歌新人賞を受賞した『アシンメトリー』(2010年)に続く第二歌集である。「鳥語」は「ちょうご」ではなく湯桶読みで「とりご」と読む。本コラムの『アシンメトリー』の歌評で、この歌集の特徴は相聞であるといささか独断的に述べたのだが、『鳥語の文法』は第一歌集とずいぶんトーンと主題を異にする。それは作者の人生に大きな変化があったためである。

息つまる夕食ふたり終えたのち月の照る場所見失いたり

照明を点けず荷造りしておりぬ追い立ててくる影はいくつも

空の壜捨てるこころは痛みおり婚解きにゆく霜月の朝

障子にて包まるる感覚あらぬ家父、母、われは仕切られて居り

もやしからひげ根を取ってゆくような経理の仕事今日もこなさむ

 一首目の「ふたり」は作者と夫の二人である。結婚生活は破綻し、もうこの家に月が照る場所はない。作者は何かに追い立てられるように、夜中に荷物をまとめて家を出る。そして離婚届けを出すのだが、空き瓶を捨てるのにも心が痛むのは、自分が結婚生活を捨てようとしているからに他ならない。家を出た作者は実家に戻る。今まで暮らしていた日本家屋とはちがって、実家はマンションである。作者は実家で両親と暮らし始め、会社勤めをして経理の仕事をすることになる。その仕事はもやしからひげ根を取るような根気を必要とし、徒労感をもたらす仕事である。

 短歌は〈私〉の文芸なので、至る所に〈私〉が顔を出すのは当然なのだが、本歌集の特徴は、作者が内側から感じる〈私〉だけではなく、外側から見ている〈私〉が多く感じられることだろう。

戸の軋む食器棚にはガラス板疲れ切りたるわれを映せり

サルよりも暗きこころを持つましらつり革握り締めてわれ立つ

灯を消したロッカー室に標本となりたるわれが立ち尽くしいむ

ガラス戸に翳り映れるわが顔もわが顔 鳩が白く過ぎりぬ

 一首目、食器棚の扉が軋むのは、それなりの年月を経ているからで、それはまた家庭の歴史でもある。この歌ではガラス戸に映る〈私〉を見ている〈私〉という二重構造がある。二首目、「ましら」は猿の古語なので同じものなのだが、作者はあえてそこに違いを見出している。より暗い心を抱えた〈私〉はヒトと呼ばれる生物とはいささか異なるものに化しているということか。三首目は職場のロッカー室に人体標本となった〈私〉がいるだろうという想像の歌。標本になっているのは中身を抜かれてカラカラになっているからである。四首目もガラス戸に映った自分の顔の歌である。

 このような歌は次の歌へと地続きに繋がっている。

眼底を覗かれており隠されていたわたくしのダム湖の昏さ

一台のレントゲン車に技師こもりひとりひとりの洞を撮りゆく

 一首目は眼科医院での眼底検査の情景で、私の眼底を覗くと隠れた暗いダム湖が見えるだろうと詠んでいる。二首目は職場での健康診断の光景で、レントゲン写真を撮影すると誰もが心の中に抱えている空洞が映るだろうという。

 短歌を視線の方向で分類すると、おおまかに「上を見上げる歌」と「下を俯く歌」に分かれるように思う。しかし遠藤の上のような歌は「中を覗き込む歌」とでも言えるだろうか。なぜ中を覗き込むかというと、それは心の中にぼっかりと大きな空洞を抱えてしまったからである。その空洞が遠藤の歌に屈折を与えている。

事務所にはスープの匂いが入り乱れ昼の男らもくもくと吸う

おにぎりとペヤングソース焼きそばの昼食ののち読書する社長

午後五時半ピースの嵌るパズルなりみなパソコンに向かう事務所は

段ボールを束ねるという地味な作業終えて夕暮れむっつり帰る

カステラの弾力のうえで休みたし働いても働いてもひとり

 職場詠からいくつか引いた。このような生活感漂う具体性は第一歌集『アシンメトリー』には見られなかったものである。これもまた実人生の経験が遠藤の歌に与えた変化と言えるかもしれない。

重き頭を揺らさずに立つ紅き菊 影身じろがずゆうやみのなか

御茶ノ水LEMON画翠に眺めいる色鉛筆は色彩増えおり

日本人われのみ傘をひらきおり翡翠の雨降る永華路よんふぁるぅ

わけのわからぬものが心に。まくわうりぺちりと叩けば水ゆがむ音

駅頭に夜の花屋は開かれて影ごと花を売りさばきおり

質量の見本のような羊羹の並ぶとらやはデパ地下の奥

夕立を崩さぬように入りたる洋菓子店にレモン水冷ゆ

コンビニはそのうち影も売るだろう闇をなくした夜を背負いつつ

あおむきの蝉をすべらす風吹きぬ渋谷の深き谷の底から

 集中で印象に残った歌から引いた。一首目、大輪の菊が風に揺れることなく夕闇に立つ様はそれだけで美しいが、右へ左へと揺らぐ作者の憧れが投影されているようでもある。二首目、LEMON画翠は駿河台駅前などに店舗のある画材屋で、その界隈は作者には思い出のある場所のようだ。昔は24色くらいだった色鉛筆は色の数が増えて160色などというものもある。作者はそこに時間の流れを感じている。三首目は台湾旅行の羇旅歌。日本人は雨に濡れることを嫌う民族ですぐ傘を差すが、台湾の人は多少の雨は気にしない。「翡翠の雨」と「よんふぁるぅ」という音が美しい。四首目はまくわうりを叩いた時の音を「水ゆがむ音」と聞いているのがおもしろい。五首目、夜になると路上で花を売る花屋は主に繁華街の駅前にある。これから夜の街にくりだそうという人を目当てにしているのだろう。客に手渡される花には夜ならではの影がまとわりついている。この影に着目するのがいかにも短歌的である。六首目は思わずくすりと笑った歌。作者は中央大学で化学系の学科を卒業した理系女子である。確かに黒々としてずっしり重い羊羹を見ると、キログラム原器のように見えなくもない。少なくとも食品からは遠い外観だ。七首目、「夕立を崩さぬように」というのがどのような心情を表しているかはわからないが、下句が美しい。八首目は文明批評的な歌。深夜まで煌煌と明るいコンビニには闇がない。なくなったものなら価値があるので、そのうち闇も売るだろうというのだろう。九首目は蝉が寿命を終える晩夏の光景である。渋谷の深い谷から吹く風は、バッハのオルガンコラールDe Profundis「我深き淵より御名を呼びぬ」を連想させる。

 あとがきで作者は、「自らのけはいは、ほとんどの歌の背後に揺らめいているように思う。消そうとしても消せなかったのだとも思う」と記している。短歌が「私性」の文学である以上そのことはあらゆる短歌に言えることなのだが、遠藤が述懐しているように本歌集には〈私〉が多く顔を覗かせている。それは作者の人生の変化とおそらく連動しているのだろう。

 

第274回 齋藤芳生『花の渦』

その枝のあおくやさしきしたたりよひとは水系に傘差して生く

齋藤芳生『花の渦』

 青くて優しい滴りだから春の雨だろう。作者の住む福島県では内陸部の冬は雪が深い。春の雪解けの雨は豊かに川を流れる。水は生命と豊かな稔りをもたらす。「ひとは水系に」という部分に先祖から自分へと続く血脈が感じられ、福島に生きる覚悟が表されている。

 『花の渦』は、齋藤の第一歌集『桃花水を待つ』(2010年)、第二歌集『湖水の南』(2014年)に続く第三歌集であり、2019年末に現代短歌社からかりん叢書の一巻として刊行された。装幀は間村俊一。歌集題名は集中の「みちのくの春とはひらく花の渦  そうだ、なりふりかまわずに咲け」という歌から採られている。四部構成の編年体で、第二歌集刊行後の2014年から2019年までの歌が収録された歌集である。

 第一歌集『桃花水を待つ』、第二歌集『湖水の南』の評でも書いたように、作者はしばらく中東のアブダビに日本語教師として赴任し、帰国後故郷の福島に戻ったところで東日本大震災と東京電力福島第一発電所の原子炉苛酷事故に遭遇した。この出来事は多くの人と同じく、齋藤の人生を根底から変えたと言ってよい。『湖水の南』の後半はその記録であり、『花の渦』にはその後を引き続き福島で生きる作者の日常と感慨が描かれている。

 同じ印象を持った人は多いと想像するが、東日本大震災と原発事故という未曾有の災害の報に接して強く感じたのは東北に生きる人々の強い郷土愛である。それは厳しい自然条件と、歴史上しばしば不遇な扱いを受けてきたという事実のなせる業かとも思う。現代短歌がややもすれば忘れそうになっている「郷土性」が色濃く表されていることが、本歌集の最大の特徴ではないだろうか。

林檎の花透けるひかりにすはだかのこころさらしてみちのくは泣く

堪えかねて西日に光りはじめたり川はみちのくの生活たつきを濯ぐ

橋ごとにちがう川風ちがうみず文知摺橋に青草におう

阿武隈川あおく貫く市街地に白鷺ふえて水の香をよぶ

雪解けの水にたっぷり濡れている街へ花桃を購いにゆくなり

会津の冬の白さは太き息を吐く会津のひとの生活たつきの白さ

 一首目は巻頭歌であり、この歌に作者の心情はすべて表されていると言っても過言ではあるまい。三首目の「文知摺」は「もじずり」と読む。古来からの染色技法で、「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに」という古今和歌集の源融の歌に詠まれている。五首目にもあるように桃は福島県の名産品である。林檎の花が咲き桃がたわわに実り、阿武隈川の豊かな水に白鷺が遊ぶという豊かな風土である。しかしこの風土は齋藤の短歌に元からあったものではない。アブダビから帰国して自分探しをしていた齋藤が、震災と原発事故を契機に「発見」したものである。物は常にそこにあろうとも、見ようとしない人にとってはないのと同じである。辛い体験が齋藤をして「見る」よう仕向けたものと思われる。

 震災と原発事故から9年を経ても、東北の土地と人々の心が負った傷は癒えることがなく、作者はそのことにも目を向けざるをえない。

避難した子もしなかった子もその間のことには触れぬようにじゃれ合う

黙礼をするにあらねどすこし目を伏せて道路除染の前を過ぎたり

祖母のまだ在りしころ白きコンテナに除染土を詰めて深く埋めにき

モニタリングポストがこんなところにも裏に飛蝗が隠れているよ

「フクシマの桃をあなたは食べますか」問いしひとを憎まねど忘れず

 放射能を避けてよその地に避難した人とその地に留まった人の間には、言葉にならないわだかまりが残る。放射能が降り積もった土地は除染されるが、山林は手つかずのままだ。三首目にあるように除染土は最初は地中に埋めていたらしい。数年経ってから掘り出して搬出しているようだ。その間に作者の祖母は他界している。各地には放射線レベルを測定するためのモニタリングポストが設置されている。五首目はいわゆる風評被害を詠んだ歌で、放射能検査で異常なしと判定された桃であっても敬遠する人がいる。

 集中に「元教師の父母はつかう放課後の炉辺談話というよき言葉」という歌があり、祖母も教師であったようだ。教員一家の家庭に生まれた作者も国語教師となって学習塾に勤めている。塾の教室風景や通って来る子供を詠んだ歌も多くあり楽しい。

「だから学校は!」と私が怒る時「だから塾は!」と怒る教師あらん

消しゴムかすをいじっていた子も聞いているごみ箱を漁る駱駝の話

発声はよくよく丹田に気を溜めて初等部夏期講習会初日

草の穂のように子どもは(さようならまた明日)そう、きっとまた明日

新規入塾生三名ともいい子なり競合他社の見学を経て

 一首目は「これだから学校(塾)はだめなんだ」と愚痴を言い合う塾講師と学校教員を思い浮かべて詠んだもの。二首目のごみ箱は漁る駱駝の話とはどんな話か知らないが、お話の時間になると子どもの目が輝く。先生に聞いた話は長く子供の記憶に残るにちがいない。学習塾といえども競合他社との競争があり、塾生の獲得に走らねばならないのが現実である。

硝煙のにおうことなき長雨に火を噴くように柘榴花咲く

パレスティーン、と少年答えその眼伏せたり葡萄のように濡れいき

棗椰子噛むほどにいや増す怒り口腔に甘くあまくはりつく

ガザ遠く照らしにゆかん満月に大きく裂けてゆく柘榴あり

 柘榴の花が咲いたことをきっかけに3年間を過ごした中東に想いを馳せた歌である。集中にこのような歌が挟み込まれていることで、歌集に時間的・空間的な奥行きが生まれている。

余花に降る雨あたたかくやわらかくふるさと遠くひとを眠らす

ひとを恋う髪すすがんとする水のするどくてはつか雪のにおいす

うつくしき扇ひらきて持つのみのそれのみの手よ古りし雛の

からからになるまで生きた牡丹の木燃えながら照らすにんげんの顔

花もどりの人の歩みとすれちがう橋の上とはゆく春の上

山藤の花のむらさき濃きところ光をはこぶように蜜蜂

閉園の後の園舎の屋根の上に春来たり雀密かに番う

 印象に残った歌を引いた。一首目の「余花」とは、咲き残った花、あるいは春に遅れて咲いた花の意で、どちらに取ってもよかろう。冬の厳しい東北にあるので、春の訪れにひときわ思い入れが深いのだろう。二首目は洗髪の水に雪の匂いがするというのだからこれも春の歌である。三首目は震災にも壊れることのなかった雛人形を詠んだもの。おそらく祖父母の代から伝わる雛だと思われる。四首目、下句の「燃えながら照らす」という件に凄みがある。風土に生きる人間と自然との交感である。五首目の「花もどり」は花見に出かけた帰りの意味で春の季語。うららかな東北の春だ。

 集中で最も美しく、また本歌集の射程を象徴しているのは次の歌ではないかと思われる。

白木蓮の香り燦たり太き苞を割りひらきたる痛みののち

 白木蓮の灯し火のような花が開く様に苞を割る痛みを見るのは、作者の心が大きな痛みを抱えているからに他ならない。それは震災と津波と原発事故でフクシマの地が負った土地の痛みでもある。本歌集の到るところにその傷みが通奏低音のように響いていることに読む人の誰もが気づくことだろう。

 

第273回 楠誓英『禽眼圖』

さるすべり炎天にひらく形にて暗くよぢれる臓物わたもつわれら

楠誓英『禽眼圖』 

 百日紅はその名のごとく初夏から秋口にかけて長い間ピンクや白の花を咲かせる樹木である。排気ガスに強いせいか、車道の街路樹として植えられることも多い。上句の「さるすべり炎天にひらく形」までを読むと、読者の脳裏には夏の炎天下の百日紅の花のイメージがまざまざと甦る。ところが複合助詞の「にて」まで達すると、一転して百日紅は下句にかかる喩であることが判明する。百日紅は私達が腹の中に持つ内臓のイメージとして置かれているのだ。その喩の大胆さにも驚くが、百日紅の咲く炎天の明るさと、内臓を蔵した体内の暗さの対比がこの歌の眼目だろう。それと同時に目に見える百日紅を詠むことで、目に見えない内臓を喚起している点が重要である。どうやら作者は目に見えない世界に惹かれているようなのだ。

 歌集に添えられたプロフィールによると、楠誓英くすのきせいえいは1983年生まれの歌人で所属結社はないようだ。2013年に「青昏抄」300首で第1回現代短歌社賞を受賞。それを歌集として出版した『青昏抄』で2014年に第 40回現代歌人集会賞を受賞している。『禽眼圖きんがんず』は2020年1月に出版された第二歌集である。版元は書肆侃侃房で現代歌人シリーズの一巻。私は歌人としての楠の名を知らなかったのだが、『禽眼圖』を一読して感銘を受けたので今回取り上げてみたい。

 誰も知るように旧派和歌から近代短歌への転換には写生という技法が大きな役割を果たした。もっとも写生とは何かという問題を巡っては様々に論争があったこともよく知られている。「写生道」を提唱した島木赤彦に到っては、「吾人の写生と称するもの、外的事象の写生に非ずして、内的生命唯一真相の補足也」とまで述べている。今でも短歌の初心者に対しては、「自分の身の回りの物事をよく観察しなさい」というアドバイスが与えられるようだから、近代西洋絵画の影響下で生まれた「写生」という技法が、短歌を作るテンプレートとして有効に機能しているのだろう。

 しかし写生では捉えることのできない目には見えない世界を詠む歌人もいる。

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ  浜田到

死神は手のひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり  葛原妙子

少女らに雨の水門閉ざされてかさ増すみづに菖蒲溺るる  松平修文

 いずれも形而上的世界や天上的世界を詠む歌人、あるいは幻視・幻想の歌人などと呼ばれる歌人たちである。楠がこのような系譜に連なる歌人だというのではない。しかし楠が目に見える世界と目に見えない世界のどちらに惹かれているかと問えば、答は明らかに後者なのである。

ロッカーのわたしの名前の下にある死者の名前が透けて見えくる

軒下に寄れば自動でつく灯りものかげ消えて死後のあかるさ

右の靴ばかりがならぶ店の奥箱に眠れる左の靴よ

まなうらに羽ばたくかげあり 小禽を愛せし兄の弟なれば

人間が消えた車両かまひるまの校舎のかんの渡り廊下よ

 一首目、職員ロッカーには使用者の名札が貼られている。私が今使っているロッカーには前に使っていた人がいるはずだ。その人はずっと昔に鬼籍に入っているかもしれない。自分の名札の下にその死者の名が見えるという歌である。二首目、近頃は赤外線を用いた人感センサーというものがあり、人が近づくと自動的に点灯する。するとそれまで辺りを支配していた闇と影が消失する。周囲を満たす明るさがまるで死後の明るさということは、何かが失われたのである。三首目、場所を節約するために右の靴しか店頭に並べていない靴屋で、作者の想いは自然と靴箱の暗がりの中にひっそりと倉庫に仕舞われている左の靴へと向かう。四首目、後で述べるが作者の兄は亡くなっている。その兄を想うと、瞼の裏に小鳥の羽ばたきが見える。五首目、作者は学校に勤務しているようで、真昼の無人の渡り廊下が、まるで乗客が消失した幽霊列車の車両のように見えたという歌である。

 「叙景を述べて叙情に至る」というのが抒情詩としての短歌のあり方だが、その伝で言えば、「可視を述べて不可視に到る」のが楠の歌の骨法であるらしい。そのことはあとがきで作者が、「見えるものの向こう側に心を寄せていく。見えないものを視る『眼』が欲しいと苦しいまでに切望する時がある」と書いていることからも裏付けられよう。

 それは神戸に住んでいた作者が、1995年に起き、今年25年目を迎える阪神淡路大震災で兄を亡くしていることと関係があるのかもしれない。作者が12歳の時のことである。

跳ねている金魚がしだいに汚れゆく大地震おほなゐの朝くりかえしみる

柩なく死体はならびて窓とまどのほのほのあかり揺らめいてゐた

花の色素つきたる兄の骨いだくあの日のわれが雨降る奥に

この世では家族をもてぬ亡兄あにとゐて団地のあかりがやけにまぶしい

橋梁を渡るとこちらはあちらになりわたとぶなかに亡兄あにの立ちたり

人型の残りしシートに身をそはせ死なざるわれの手足を置きぬ

 兄は死に自分は生き残ったという想いが作者にはあるのだろう。震災で亡くなりそれ以後歳をとらなくなった兄を想うことは、幽明境を異にする不可視の世界に心を遊ばせるということでもある。

自傷痕隠す少女の瞳の奥 レニングラードに雪は降りけむ

組み伏せしきみのまなこに廃れたる灯台一つおく海がある

教室に残る少年となへたる論語のなかを渡りゆく鳥

 上に引いた歌では水から氷へと変化する相転移のごとくに、見えるものの背後に何かを見ようとするスイッチが働いているようだ。リストカットの跡を包帯で隠す少女の瞳の奥にはサンクトペテルスブルグという昔の名に戻った街に降り積む雪が見え、組み伏せたおそらく男性の瞳の中には廃灯台が、教室に居残って論語を暗唱する少年の背後には空を渡る鳥が見えるのである。

 闇より光を感じる歌は少年を詠んだ歌に多い。

桟橋にゆれるもやひの一束となりて眠れり水泳ののち

半身を窓より出して風を受く君はいつの世の水夫であったか

少年から青年にかはる身体にていだけば波に倒るる自転車

出窓にて膝をかかへて闇の後の光を話すきみとデミアン

 一首目には、体育の授業で水泳をした疲れから、まるで船と船をつなぐ舫のように眠る少年達が詠まれている。二首目はおそらく教室の窓から上半身を外に乗り出している生徒だろう。まるで西脇順三郎のギリシア詩のような陽光溢るる世界である。四首目のデミアンはもちろんヘルマン・ヘッセの名作『デミアン』に登場する謎の少年。

灯の下にとりどりのパン集まりて神の十指のごとく黄昏

青銅のかひなに抱かるる一瞬の暗さのありてうみは暮れたり

木の下の暗がりのなか雨をみるきんのまなこになりゆく真昼

継父に虐げられし少年と白皮厚き朱欒ザンボアを断つ

深夜灯てらす花屋にめぐり来て渇きて一夜香るダアリア

鞄のなか昨日の雨に冷ゆる傘つかみぬ死者の腕のごとしも

乾きたるプールの底に立つひとのまばゆし死後のひかりのやうに

もう一度弟になりたし鉄橋をすぐるとき川のひかりは満ちて

 特に印象に残った歌を引いた。いずれも言葉で立ち上げた世界のイメージ鮮明、と同時にどこからか熟れすぎた無花果の腐臭がかすかに漂うような美意識に貫かれている。フラットな口語短歌全盛の感のある現代の短歌シーンにあって、楠のような作風は奇貨とすべきだろう。「なづのき」の田中教子の回想によれば、楠は大学の卒業時からすでに戦前の文学青年のような雰囲気を身に纏っていて、かつての上海租界の豪奢と退廃が似合う青年だったというから、それほど不思議なことでもないのかもしれない。

 

第272回 黒﨑聡美『つららと雉』

約束はひとつもなくて日傘をささず帽子をかぶらずに行く炎天下

黒﨑聡美『つららと雉』 

 大きな破調の歌である。三句以下を意味で区切ると「日傘をささず/帽子をかぶらずに/行く炎天下」と七・八・七になり、定型の五・七・七からはみ出している。それを承知の上で言葉を重ねたいという想いが溢れている。さて中身を見ると、約束もないのに夏の炎天下に他出するという。おまけに日傘をささず帽子も被らないのだから熱中症を起こす危険もある。だから誰が見ても筋が通っておらず、因果を無視している。そこにこの歌のおもしろさがあり、作者の個性が際立つ。あえて常識に背く行動に出るのは、心の裡に押さえがたい衝動を抱えているからにちがいない。本歌集を一読して強く感じるのはこの言葉にされない内的衝動の強さと、歌作における因果のずれの効果である。

 黒﨑聡美は1977年生まれ。短歌人会に所属して小池光の選を受けている歌人である。2016年に結社内の高瀬賞を受賞。短歌研究新人賞にも応募していて、確認できた限りでは2011年、2012年、2016年に最終選考作品に残っている。『つららと雉』

は2018年に刊行された第一歌集。米川千嘉子、穂村弘、小池光が栞文を寄せている。

 黒﨑の作風の一角をよく表す歌を歌集の最初の方から引いてみよう。

わたしたち何かがきっと足りなくて流されそうな草を見ている

目薬をうまくさせない平日はすべての窓にうつる青空

見るたびにてんとう虫は増えていて乾いたものもいる西の窓

水色のペディキュアを塗り出かければうつむくばかりの夏だと気づく

まさかさまに家々うつす町川のかなしいことはひとつもなくて

 一首目、本歌集を読んでいればわかるが、「わたしたち」とは不特定の私たちではなく、作者と夫の二人を指す。「何かが足りない」ことのひとつは夫婦に子供がいないことなのだが、それだけではなく作者は心の裡に漠とした不全感を抱えているようだ。歌の多くがこの不全感を主題としている。それは二首目にも明白で、この歌では不全感に目薬をさせないという具体性が付与され、青空と対比されている。「平日」が上手い。三首目は不全感が天道虫に具象化されている。カフカの『変身』がちらっと頭を過ぎる。四首目では、せっかく塗った水色のペディキュアが夏の明るい陽光に輝くはずなのに、歌の〈私〉は下を向くばかりだ。五首目では上句と下句の修辞的断絶が効果的である。「まさかさまに家々うつす町川の」までは連体修飾句なので、読者はその次に体言を期待するが、その期待は裏切られ心内のつぶやきのような下句が後を引き受ける。この修辞的断絶によって「かなしいことはひとつもなくて」と言いながら、反語的に実は心の中に哀しみが宿っていることを感じさせる。このような歌を読んで頭に浮かぶキーワードは、「漠とした不全感」「閉塞感」「息苦しさ」といったものだろう。

どこまでも二人のままで沈むよう耳のかたちをくらべる夜は

言い付けを守るくるしさ思い出し蛇口は鈍く光をかえす

玄関に灯のともらないライターを集めていれば厚くなる雲

どこか、には行けないことを知っていてきみの耳には黒いイヤホン

窓のむこうはすべてがうるみ前世も来ていたような簡易郵便局

 濃厚に不穏な気配が漂う歌を引いてみた。同時にこれらの歌には歌を作る言葉の斡旋が感じられる。子供の作文によくある「昨日お父さんとお母さんと動物園に行きました。公園でお弁当を食べました。楽しかったです」のような文章がポエジーからほど遠いのは修辞がないからである。ポエジーは修辞が作り出すものだ。なぜ修辞がないかというと、この文章は出来事を時系列に沿って述べており、因果関係が説明的だからだ。それが散文の特徴である。韻文の修辞はこれらの要素のベクトルを反転させる。ポエジーでは出来事を時系列に述べず、因果関係を説明しない。だからそこに詩的飛躍が生まれる。

 一首目では、耳の形を較べることと二人で沈むことの因果関係が消されている。同時に「どこまでも二人のままで沈む」が心中を連想させて不穏である。二首目でも言い付けを守る苦しさと蛇口の光に因果の連鎖はない。どんな言い付けなのかも伏されていて意味の空白が残る。三首目ではなぜ火が付かないライターを集めるのかが謎である。ライターを集めるという行為自体が不穏だが、火が付かないライターというところが不毛である。四首目も不全感が濃厚で、黒いイヤホンがそれを助長している。イヤホンは私が話しかける言葉を遮るかのようだ。五首目は軽く離人症を感じさせる歌。窓の向こうがぼやけて見えるのは、現実には窓に結露ができていただけかもしれないが、それを前世と結びつけるととたんに別な意味を帯びてくる。

 黒﨑の歌にはよくがらんとした空白の空間が登場するのも印象的である。

ここは昔ガソリンスタンドだった場所 今は立葵の咲いている場所

休日の工業団地にふりむけば野良犬二匹のやさしげな貌

からっぽをわけあうようにカレンダー通りに休むコンビニの前

ソーラーパネルの土台ばけかりが放置されあかるい方へ向かされたまま

 米川は栞文の中で、作者にとってこのような空間が「切実な自身の内部と感じられていた」と的確に指摘している。まさにその通りで、明るいばかりのがらんとした何もない空間は、黒﨑が外部ではなく自分の内部に感じているものである。

ガソリンの投入口から立ちゆらぐ気化した影を見る真夏日

手紙から音をたてずにこぼれゆくもののようだねのうぜんかずら

水たまりはきれいに消えてこの道にとびこえるものは何ひとつ無い

炭酸のあかるさ満ちる街のなかたった一日で融けた大雪

逆光の強い日曜 白い車ばかり並んだ宗教施設

てのひらが瓜科植物のにおいしてはじめからただなかにいる夏

逃げ水にむかってアクセル踏むときの遠のくようなわたしの横顔

いくつもの不安は過り口中に存在感を増してゆく舌

ながいながい晩年のような路地をゆくふくらみ光る木洩れ日のなか

立葵咲かせる屋敷を過ぎたのちからだのなかに満ちる夕暮れ

 集中で付箋の付いた歌を引いた。書き写していて気づいたのだが、黒﨑の歌は無音の世界を感じさせるものが多い。例えば一首目は真夏のガソリンスタンドでの給油の光景だが音が感じられない。二首目の凌霄花は夏の花で、民家の壁などからこぼれ出すように咲くが、これも静かな光景である。五首目の宗教施設の歌も完全に無音の光景だ。そのしんとした光景が安らぎを感じさせる暖かなものではなく、どこかに不安を孕む不穏なものであることが作者の強い個性となっている。

 私が特に好きなのは最後の立葵の歌だが、おもしろいのは七首目の「逃げ水に」だろう。まず「逃げ水にむかってアクセル踏む」には無目的な暴力性があり、それは作者が内心に宿すものである。問題は下句の「遠のくようなわたしの横顔」で、私の横顔は私には見えないのだから、それを見ている人が別にいるはずだ。かといってそれは示されていないので、まるで私が車の運転席と助手席で二重の役を演じているようにも見える。近代短歌が許さない視点の分裂の例である。

 どうやら作者は心の中の何かと日々戦っているようだ。注目すべき歌集である。

 

第271回 五十子尚夏『The Moon Also Rises』

月までを数秒で行く君の名のひかりと呼べばはつ夏の空

五十子尚夏『The Moon Also Rises』

 光速はおよそ秒速30万kmで地球と月の距離は384,400kmだから、地球から月まで光が届くのには数秒どころか1秒ちょっとしかかからない。しかしそれはまあどうでもよく、掲出歌では「月までを数秒で行く君の名の」までが「ひかり」を導く序詞として置かれている。恋人の名が「ひかり」なのだ。恋人の名をおずおずと呼ぶと、そこには初夏の蒼天が広がっていて、溢れるような光に満ちているという青春歌である。近頃このように曇りのない青春歌は珍しい。この歌集はもう失ってしまった青春を哀惜するかのように編まれたものと思われる。

 作者の五十子尚夏いかごなおかについては、巻末に記載された「1989年滋賀県生まれ、2015年短歌を始める」という二行のみのプロフィール以外何もわからない。五十子尚夏というのも工夫してこしらえた筆名だろう。ちなみに作者は男性である。『The Moon Also Rises』は2018年12月に上梓された第一歌集で、書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻。跋文と監修は加藤治郎。五十子は毎日新聞の短歌欄に投稿する常連だったようで、同欄の選者を務めていた加藤の目に止まったものと思われる。

 さてその作風だがこれがなかなかおもしろいのである。

枕詞のピロートークと訳されて夜のあわれを踊る流星

プレイエルに伏せたる君の背中へと月の光のとけゆく夕べ

憂鬱な春の陽射しに深さ増すカーネル・サンダースのほうれい線

音楽をするひとはみな美しき種族ひと ジャクリーヌ・デュ・プレも君も

ひとり、またひとり忘れてゆく夜のどこかで奏でているムーン・リヴァー

 一首目、翻訳ソフトは枕詞をうまく訳せない。pillow talkは男女の寝物語であり、その意味のずれがおもしろい。下句にはそれほど意味はなかろう。二首目、プレイエルはフランス製のピアノ。歌の〈私〉は男性なので、「君」は女性である。練習に倦んだか、女性はピアノに顔を伏せている。背中の開いたドレスを着ているのか、白い背中に月光が射しているという光景である。集中によくピアノと音楽が詠まれているのは作者の好みか。三首目、KFCの店先に立っているカーネル・サンダースの人形のほうれい線が春の陽射しに深さを増すという歌。憂鬱な春とカーネル・サンダースの取り合わせがおもしろいが、何より人形のほうれい線に着目したのが秀逸である。四首目のジャクリーヌ・デュ・プレ (Jacqueline du Pre)はフランスのチェロ奏者。幼少より楽才を発揮するも20代で多発性硬化症を発症した悲劇の天才である。この人を主人公にした『風のジャクリーヌ』という映画まで作られた。確かジャクリーヌ・デュ・プレ が使っていたストラディバリウスを、その後ヨーヨーマが弾いていたと記憶する。五首目は『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンへのオマージュだ。

 写実を旨とする流派に限らず短歌は〈私〉の歌であり、〈私〉の事実を詠めとよく言われる。TV番組「プレバト」の人気俳句コーナーの毒舌先生こと夏井いつきもよく、「事実より強いものはない」「そのまま詠めばいいのよ」と言っている。しかし事実を詠まない短歌や俳句もある。五十子の作風はまさにそれである。上に引いた歌の中に作者が見聞し体験した事実は一つもない。すべて頭の中で作り出した「コトバでできた歌」である。「私性」などという用語が裸足で逃げ出すほどの徹底ぶりだ。

 加藤は跋文の中で、私性が作歌と批評の軸となってきたことに照らせば本歌集は異端であると断じ、その源流として塚本邦雄らの前衛短歌や、荻原裕幸・西田政史らのニューウェーヴ短歌を挙げている。確かに前衛短歌やニューウェーヴ短歌を通過した現在だからこそ五十子の作風も成立するのだが、かといって五十子の歌に前衛短歌やニューウェーヴ短歌の影響がそれほど感じられるという訳でもない。五十子は自分の流儀で自由に作っているという印象を受ける。

 ではその着想の源泉はどこにあるかというと、その多くは書物や映画や芸術作品である。そのため過去の作品や作者への言及が増えることになり、夥しい数の固有名が登場する。

 

手のひらで雪を感じたあの冬の心もとないグレート・ギャツビー

フラニーもゾーイも大人になれなくて夜から剥がれた緑の付箋

モノクロームの帝都に消える天の詩を紡ぐ地上のピーター・フォーク

夭折のJulyに緋色の天蓋を アルノルフィーニ夫妻像

8 1/2はっかにぶんのいちオクターヴ彼方からマルチェロ・マストロヤンニの悲鳴

探査機の名前のような子を産んで 朝焼け スタニスラム・レムの死

 

 一首目のグレート・ギャツビーはフィッツジェラルドの小説。ロバート・レッドフォード主演で映画化もされた。二首目のフラニーとゾーイはサリンジャーの小説。三首目はヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン・天使の詩』で、ピーター・フォークは『刑事コロンボ』で名を馳せた俳優である。四首目のアルノルフィーニ夫妻像は、ファン・エイクが描いた油絵の傑作。五首目の『8 1/2』はフェリーニの映画で、マストロヤンニはその主演男優である。六首目の探査機のような名前とはタルコフスキーによって映画化された『惑星ソラリス』のこと。スタニスラム・レムは原作者である。

 プロフィールの1989年生まれという記述を信ずるならば作者は今年30歳のはずなのだが、それにしては歌に詠まれた固有名の時代が古い。私の世代が親しんだ芸術作品で、五十子の親に当たる世代の教養なのだ。それがとても不思議な気がする。私の邪推かも知れないが、五十子尚夏という凝った筆名にその鍵が隠されているように思えてならない。尚夏は「なお夏」つまりいまだに青春と読めるのだ。挿入された「パリ再訪」という散文を読んでも、30歳では年齢の計算が合わない。

レイモンド・チャンドラーの名を出して口説く女の煙草のけむり

夕景をあるいは夜景と呼ぶころに竹内まりやは身に染みてくる

「僕としたことが」に自信をのぞかせて駆けてゆくのが杉下右京

 固有名のオンバレードもここまで行くといささかやり過ぎの感なしとしない。二首目の「夜景」は「インウィのほのかに香るこの手紙を」という歌詞で始まる竹内まりやの歌で、「僕としたことが」は人気TVドラマ『相棒』の主人公杉下右京の口癖である。ニューウェーヴ短歌の遺産を感じさせるのは次のような歌だろう。

シャンメリーにあわくおぼれた金粉のすくいようもないぼくらだね

言いそびれたことがあったと告げるとき〈そびれ〉に抜けてゆく風があり

フローレス・トスカ夜ごとに落ちてゆくabcdef字孔

来ぬ人をまつしまななこの涙もて強がるきみもやまとなでしこ

バルセロナに振るアクセントの美しく未完のように呼ぶバルセロナ

 一首目では「シャンメリーにあわくおぼれた金粉の」までが「すくい」を導く序詞になっていて、加藤治郎の言う「修辞ルネサンス」の遺産と言える。二首目では「そびれ」で言葉遊びをしている。三首目の「f字孔」はヴァイオリンやチェロなどの胴にある筆記体のfの形をした穴のこと。四首目の「やまとなでしこ」は2000年に放映された松嶋菜々子主演のTVドラマ。五首目では初句と結句にバルセロナがくり返されていてとてもおもしろい。永井陽子に「ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまわり」という歌があり、これに触発された歌かもしれない。ちなみにバルセロナのアクセントは「ロ」にある。

銀の義指波打つごとく思い出す海底ピアノの眠れる音を

遠浅の海の渚にファルセット響きわたって暮れる八月

夏服の袖の白さを見つめ合い鋼のように飲み干すサイダー

ゆるゆかにわずか一秒弧を描く夏の夕日に照るグラブトス

遠い日をただ思い出と言う君が彼の墓前に置くサリンジャー

遠雷に微か震える聴覚のどこかにあわれバイオリン燃ゆ

美しき午睡のようなデスマスク浅く沈める春の湖

 特に印象に残った歌を挙げてみたが、改めて見ると作者の好みの季節は光溢れる夏であり、青春への挽歌の趣が濃厚である。現代の若い歌人の多くはハイテンションの歌や決めポーズが透けて見えるような短歌を好まず、等身大の低いテンションで日常を詠むことが多い。しかし五十子の短歌はその逆で、特に下句でカッコ良く決める歌が多いのは、現代の短歌シーンでは珍しいと言える。下句の着地が非常に上手いので、読んでいると五十子の仕掛けた罠にはまってしまいそうになる。印象深い歌集だが、問題作と言えるかもしれない。

【追記】
 この歌評を公開後、作者ご本人からいただいたメールによると、てっきり筆名だと思っていた五十子尚夏というお名前は本名だということだ。また生年もプロフィールにある1989年のとおりだという。私の誤解だったわけで、不明を恥じて内容を書き直そうとしたら、ご本人は「そのままでよい」と言う。私も思い直してそのままにすることにした。作者が意識したかどうかはわからないが、私は作者が仕掛けた美しい罠にはまったのだ。その事実を残すためにも書き換えない方がよいと思う。ミステリーがその極北だが、読者は作者が仕掛けた罠に美しくはまることを期待して作品に臨む。私が結果的に五十子の罠にはまったのは見事な結末と言えるかもしれない。(2019年12月29日記)

第270回 江國梓『桜の庭に猫をあつめて』

故郷を離れし人と失くしたる人のにほひの混ざり合ふ街

江國梓『桜の庭に猫をあつめて』


 掲出歌の情景は大都市ならばどこにでも当てはまるが、何と言ってもその筆頭は首都東京だろう。就職のために、仕事を求めて、人は故郷を離れて東京に出る。こちらは積極的な離郷である。その一方で、故郷に住めなくなってやむなく東京に来る人もいる。東京電力福島第一原発事故で父祖の地に住めなくなった方々がそうである。こちらは消極的離郷だ。すべての人を呑み込んで大都市は鼓動する。その様をちがう匂いが混じり合うと表現した所がポイントで、そこに詩の発見がある。

 江國梓えくにあずさは歌林の会所属の歌人で、2014年に第一歌集『まだ空にゐる』を上梓している。2019年からかりん編集委員。簡素な巻末のプロフィールからはこれくらいしかわからない。しかし、読み進むに連れて、作者の人生航路や嗜好や人柄までも掌を指すようにわかるのが短歌のおもしろさというものだ。『桜の庭に猫をあつめて』は2019年刊行の著者第二歌集である。歌集題名は「いつの日か我が家も空き家となるのだらう桜の庭に猫をあつめて」という歌から採られている。

 旧仮名の文語定型に口語を交える詠み方は、現代の歌人の多くが採っている手法だが、江國の短歌に個性があるとすれば、それは周囲の物事への強い好奇心と探究心が生み出す素材の多彩さにあると言える。身巡りの半径50mの景物を詠むことでも短歌は成立するが、作者はどうやら好奇心からか遥か遠くの事物にまでも目が届くようだ。

明神池の渡りをやめたマガモたち翔びたいわれのスマホに游ぐ

デング熱の風評は蚊より疾く飛びて鳩もデモ隊も消えた公園

ヤブイヌに狩られることもなき檻にアルマジロけふもつひに動かず

さかなにも託卵ありてシクリッドの卵に混じる曲者のあり

「餓死するか象を殺すか」二つしかないと思ひしトゥルカナ族は

 一首目、もう北国へ帰らないマガモは馴化された生物で、それは近代の便利な生活に慣れきった私たちを鏡に映しているようだ。マガモは飛ばないのだが、作者は飛びたいのである。二首目、数年前、東京の代々木公園の蚊からデング熱のウィルスが発見され、しばらく立ち入り禁止になった。そのせいで鳩もデモ隊もあっという間にいなくなったという歌。三首目、ヤブイヌは原始的な犬の種で、南米に多く生息する。作者は動物園に行っているのだろうか。檻の中でアルマジロが微動だにしない。四首目、シクリッドとはアフリカに生息する淡水魚で、卵を口の中に入れて育てるという。しかしナマズがそこに自分の卵を潜ませて、生まれたナマズの幼魚はシクリッドの幼魚を餌にして育つそうだ。歌の曲者とはナマズのこと。五首目、トゥルカナ族とはケニアに住む民族で本来は遊牧民である。どういう事件を詠んだものかはわからないが、トゥルカナ族が生きるために象を狩ったのだろう。このように歌に詠まれている素材の多彩さはたいへんなものだ。

 短歌は抒情詩である。その定義上、短歌には人間の喜怒哀楽の心情が詠まれるのだが、心情は目には見えない内的感情であるので、目に見える事物に託して詠む。心情と事物とがない混ぜになり、有機的一体となったものが歌である。しかしながら心情と事物のパランスは歌人によって異なる。心情にウェイトを置く歌人もいれば、事物に傾く人もいる。見たところ江國は、心情よりも事物に視線が行く歌人のようだ。

 また作者は才気煥発な人のようで、出来事に対する反応が鋭敏でおもしろい。読んでいてくすっと笑ってしまう歌も多くある。

微笑みてゐればやすけき世間なら厠に長く留まりてをり

生肉のごとき夕焼けせまるとき関西弁になるこころの叫び

われ知らずきみの知りたるわれの増ゆ夜毎聞かるる歯軋りのおと

われと目を合わさぬ数多の医学生ギャラリーとなる今朝のマンモグラフィー

アメリカの飛び地なるらし舞浜は基地に漂ふジャンクフードの香

一票の死にかた選ぶ投票所の七百億円とふえんぴつ倒し

 一首目はニコニコしていれば暮らしやすい世間に反発してトイレに籠もるという歌。二首目はまず「生肉のごとき」という喩に驚く。心に湧く叫びは「なんでやねん」だろう。三首目は、歯軋りの音は自分には聞こえないが、横で就寝している夫には聞こえているという歌。四首目は乳癌の検査を受けている情景で、医学生がずらりと並んで見学しているのだ。五首目はあのネズミのいるランドを詠んだ歌。六首目は国会議員の投票で、作者が投票する候補者は決まって落選するのである。だから「一票の死にかた」となる。七百億円は選挙に投入される税金で、こんな無駄遣いするくらいならいっそえんぴつ倒しで決めたらどうだと言っている。

 本歌集には生き物を詠んだ歌が多くあり、特に昆虫がよく登場するのだが、それは作者の再婚のゆえである。馬場あき子が寄せた帯文に、「中年にしてみつけた大人の恋からはじまり、双方の家族ぐるみで結婚するというドラマが、俗ともならずいきいきと展開する」とある。どうやら再婚相手は昆虫学者らしいのである。

それぞれに忘れられないときを秘しあなたと晩夏の夕暮れに逢ふ

ひきだしの広口瓶に秘事のごと君の匿ふヤマトシロアリ

これがニンフこれがワーカーと白蟻を指さすきみと暮れてゆく部屋

先妻の頃より鼠はゐたといふ 鼠に負けたやうな気になる

非常勤講師の最後の日に夫は「インカのめざめ」の種芋買へり

婚六年夫から青虫の贈りもの紋白蝶にもう驚かず

 再婚相手との穏やかな暮らしが描かれているが、その後、自分の子にも再婚相手の子にも子供が生まれ、子に会いにアメリカまで行くことやら、母親の死去、父親の老い、師と仰いだ岩田正の死去など、歌の主題は人事にも及びこれまた多彩である。作者の生年は記されていないので年齢はわからないが、歌に詠まれた景物から、私や藤原龍一郎の少し下の世代だろうと知れる。

ゲリラはもう豪雨を飾るしかなくて風の新宿西口広場

われ十二歳じふにフォークゲリラにくみしたく泣けども兄は一人で行きぬ

終焉はモノクロ画像に記憶せり三島の割腹、浅間山荘

フランシーヌの場合はどうか?焼身のメッセージつひに見えなくなりぬ

 フォークゲリラとは、1960年代の後半に起きた街頭で反戦的なフォークソングを歌う運動で、新宿西口広場がその場所として有名だった。フランシーヌ・ルコントは1969年に焼身自殺したフランス人女性で、その事件を歌った「フランシーヌの場合」はヒット曲となった。私の世代の人間ならば、今でもメロディーは空で歌える。

くびすぢのロザリオ揺れて妬心かなし諫めるものは肌に冷たく

行者にんにく入れてむすめと包む餃子ひだの数など微妙に違へど

落葉には塵とは違ふ意地ありて箒のさきを転がりゆきぬ

ワイパーに消されては生るる水滴の夕暮れてゆく胸走りの街

ばんえい競馬にケンタウロスの前脚の微妙な立場を思ふ夕映え

新生児みな岡本太郎の手振りする無垢なるもののほとばしるとき

 四首目の「胸走り」とは胸騒ぎのこと。六首目の岡本太郎の手振りとは、「芸術は爆発だ」とやるときの振りのことだろう。新生児は特に目的もなく、おそらく反射によって手を大きく振ることがある。最近生まれた孫を観察しての発見だろう。ケンタウロスの歌にも思わず笑ってしまう。

 母親の死去や岩田正の死去に際しての歌にも心打つものがあるが、江國の真骨頂は並外れた好奇心と探究心から事物と出会い、出来事にぶつかり、その時の反応を歌にしたものではないかと思われる。

 

【後記】あろうことか日付をまちがえて、本来ならば第一月曜の12月 2日に掲載すべきものが今日になってしまいました。この勢いで次回は第四月曜の23日に掲載します。

第269回 山階基『風にあたる』

手羽先にやはり両手があることを骨にしながら濡れていく指

山階基『風にあたる』

 おもしろい歌だ。中華料理店か居酒屋で鶏手羽先の唐揚げを食べている。するとある時、手羽先にも右手と左手があることにふと気づく。手や羽根のある生物なら左右があるのは当然のことである。しかし手羽先は食べ物としか見てこなかったので、今の今まで右手と左手があることに気づかなかったという発見の歌だ。

 山階基やましなもといは平成3年(1991年)生まれ。早稲田短歌会を経て未来短歌会に所属。「陸から海へ」で黒瀬珂瀾の選を受ける。2016年の第59回短歌研究新人賞で次席となる。この年の新人賞は武田穂佳。2018年の第64回角川短歌賞で次席。この年の短歌賞は山川築。同年第6回現代短歌社賞でも次席に選ばれている。『風にあたる』は2019年7月に上梓された第一歌集で、東直子と枡野浩一が帯文を寄せている。

 プロフィールによると、山階は2010年(平成22年)頃から短歌を作り始めたようだ。するとゼロ年代歌人の次の世代ということになる。同じ早稲田短歌会出身の永井祐が1981年生まれで、2000年から短歌を作り始めたというから、山階はちょうど永井のひと回り下の世代だ。さてこの若い世代の歌人はどのような歌を作るのだろうかと興味深く歌集を繙いた。

 時間は前後するがその少し前に、東直子・穂村弘の『しびれる短歌』(ちくまプリマー選書)でなるほどと思う一節に出会った。第六章「豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌」で、「何をしてもムダな気がして机には五千円札とバナナの皮」、「大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円」という永井の歌を引き、他の歌人のお金の歌も引用してひとしきり論じた後、加藤治郎や俵万智ら80年代に登場した歌人と永井たち若い世代の感覚の差に触れて、穂村は次のように言う。

永井くんは、そういう僕らの世代の口語の文体では、自分たちの生活実感は歌えないっていう確信があったと言っていて、それはそうだろうなと思う。斉藤斎藤も、何でこんなにハイテンションなのか理解できないって言っていて、それもそうだろうと思う。ただ、ぼくらが岸上大作がなんであんなに青臭いのか理解できないっていうのと同じで、理解できないと言いつつ時代の中で見れば理解できるし、もちろん彼らだって時代の中で見た時の感触はわかるとおもう。だから「理解できない」というのは、自分たちには、受け入れがたいってことなんだよね。

 つまり同じ口語短歌でありながら、バブル世代の加藤治郎や俵万智らの短歌に見られる欲望の素直な肯定とテンションの高さは、穂村が「ゼロ金利世代」と名付けた若手歌人たちには理解できず、彼らはまた異なった文体で自分たちの生活実感を描こうとしているということである。山階の歌集を一読したとき、まっさきに頭に浮かんだのはこの穂村の言明だった。

 ではゼロ年代のひと回り下に当たる山階はどのような文体で詠っているのだろうか。

洗濯機に絡まっているこれはシャツこれはふられた夏に着ていた

覚えたての道を行くとき曲がりたいのをこらえれば目印に着く

暮らすほどではなくしかし面白くみんなしばらく立ち寄る小島

いつまでが湯上がりだろう室温の野菜ジュースに濡れるストロー

あらわれてただ抱きとめるだけになる夏のスクランブルのほとりに

 一首目、洗濯機を回している日常風景である。他の洗濯物と絡まっているシャツにふと目が行くと、それはあの人に振られた夏に着ていたシャツだと気づく。「これは」の繰り返しと、「夏に着ていた」の倒置法によって短歌の文体になってはいるが、詠まれている素材はごく日常的なものである。二首目、馴れない場所に行くときには目印の建物が必要になる。しかし歩いていると曲がりたくなるおもしろそうな道がある。曲がりたいのをぐっと堪えて目印に辿り着く。「曲がりたい/のをこらえれば/目印に着く」の句跨がりがかなり無理筋だ。三首目、この「小島」は現実のものではなく、ゲームの中のものだろうか。四首目、「湯上がり」というのは浴槽を出てから何分後までを言うのか。そんなことは誰にもわからない。独り言のような問い掛けの後に、それとは何の関係もない野菜ジュースのパックに刺したストローが登場する。五首目、上句を読んだだけでは何が現れるかわからない。下句まで読んで初めて、渋谷のスクランブル交差点で彼女と待ち合わせしているのだとわかる。

 このように2010年世代の短歌は完全な口語である。加藤治郎が前衛短歌がやり残したこととして挙げていた短歌の口語化はほぼ完全に実現されている。それと同時に気づくのは、歌に詠まれている素材・主題がすべて日常卑近なもので、短歌の体温が低く、テンションもなべて低いことだ。「歌い上げる」のではなく、むしろ「歌い下げる」とさえ言いたくなる。ずっと上の世代の短歌とちょっと較べてみよう。

昼顔のかなた炎えつつ神神の領たりし日といづれかぐはし  小中英之

青春に逐はれしわれら白樫のいのち封じし幹に倚り立つ  小野茂樹

睡りゐる麒麟の夢はその首の高みにあらむあけぼのの月  大塚寅彦

 永井祐たちゼロ年代以下の若い歌人たちには、このようにテンションが高く格好よく決めるような歌は嘘臭く見えてしまうのだろう。どうしてこんなにハイテンションなのか理解できないのである。歌の素材が日常卑近であることは問題ではない。短歌や俳句のような短詩型文学は、もともと小さなことを掬い上げるのが得意な形式である。しかし永井祐たちゼロ年代以下の若い歌人らは、小さなことを低いテンションで歌にする。ここが大きなちがいだろう。

 本歌集から注目した歌をいくつか引いてみよう。

気にいった服が小さくなることはもうないね真夜中の息継ぎ

さかさまにペダルを漕げばあともどりできる白鳥ボートはすてき

乗るたびに減る残額のひとときの光の文字を追い越して行く

八月の墓にやかんで持って行く水ゆれているのが手にわかる

満ちていく水のすがたに鎖骨まで引きあげてから脱ぐカットソー

 本歌集では歌集をどのように構成したか述べられていないのでわからないが、最初の二首はかなり若い時の歌ではないか。一首目は成長期が過ぎて大人の体格になったことを過去への哀惜を交えて詠んだもの。二首目の後退するスワンボートは時間を遡ることの比喩である。青年期を迎えた時には少年期を懐かしむ気持ちになるものだ。三首目はプリペイドカードをかざして改札を抜ける時の光景。光の文字とは改札口の表示板に表示される残額の数字である。新世代の抒情だなあと感じる。四首目は一転して昔ながらのお盆の墓参の様子で、薬罐の中で揺れる感覚で水の存在を感じているという絞り込みによって実感が生まれている。五首目はカットソーの裾を持って脱ぐ動作を詠んだ歌。裾がだんだん上に上がる様を水が満ちる様子に喩えたところが秀逸で清新な抒情を感じる。

卯の花がすきなあなたと手を組んでふたり暮らしという寄り道を

にぎやかな港のように恋人をとおく呼び寄せようたまにはね

生まれた町の川風のなかこの岸をきみと歩いた気になっている

同居する相手の性をいちばんに訊かれるんだな部屋を探すと

結婚はないんですけど 大丈夫、ふたりで住めばそう見られます

恋人をまじえて水炊きをかこむ呼びようのない暮らしの夜だ

 角川短歌賞の次席に選ばれたときの連作「コーポみさき」から引いた。選考委員の東直子が熱心にプッシュしつつ解説している。それによると作中の〈私〉の同性の「恋人」が遠くに住んでいて、作中では「きみ」と呼ばれている。一方、〈私〉は友人とコーポみさきに部屋を借りて同居生活を始める。相手は異性で「あなた」と呼ばれている。だから最後の歌は、遠くから来た同性の恋人と、同居している異性の友人と〈私〉の三人で鍋を囲んでいるという複雑な関係である。東は「新しい時代のジェンダー問題に触れつつ日常を繊細に描いている」と評価する一方で、小池は「三人出て来るのは多過ぎる。短歌は二人まででないと話が複雑になる」と否定的で、「わからないんだよ、私」と述懐している。私は今ひとつ自信がないが、もし東の読み方が正しいとしたら、相当に新しい新時代の人間関係ということになるだろう。選考委員の永田和宏が、「新しい歌ではあるけれど、『歌に拉致される』という喜びからは遠い」と結論しているのが印象に残った。

 その他に注目した歌を挙げておこう。

火みずからついえるすべのないことをそれでも熾されたあまたの火

添い遂げるだろう互いにゆがみつつ靴のかたちは足のかたちは

路地に雨たまりやすくて波のようによぎる車のはやさやおそさ

とねりこの枝葉ぱらぱら落ちていく枝葉のなかに鋏と庭師

金属の文字がはずれたあとにあるコーポみさきのかたちの日焼け

使おうとペッパーミルをつかむたび台にこぼれている黒胡椒

回送電車の窓はひかりを曳きながら合図のように繋ぎなおす手

指先にはじいて鳴らす缶のふた飲みかけのままココアはゆるむ

 一首目は何の光景を詠んだものかよくわからないのだが、墓参の歌の後に置かれていることもあり、私は震災など災害の記念日に灯す灯火を思い浮かべた。集中ではやや異色の歌である。二首目の足と靴の歪み、三首目の水溜まりを通り過ぎる自動車の遅速への着目が光る。四首目は、枝葉の中から鋏と庭師が現れるというアングルとトリミングが秀逸だ。

 『現代詩手帖』の2010年6月号の「短詩型新時代 詩はどこに向かうのか」という特集で黒瀬は次のように述べている。

俳句では私性を薄くしていく形になってきているというのに対して、短歌は私性を表面張力のように強くしていると感じます。その私性とは、単純な自己のドラマ化ではなく、「私」がいまここに存在して、この世界を見ているという意味での私性です。おそらくこれはある意味、かつてなく強い「私性」です。

 黒瀬が念頭に置いているのは永井祐や斉藤斎藤の短歌なのだが、黒瀬の言うことはゼロ年代世代以下の若い歌人におおよそ当てはまる。山階も例外ではない。たとえば集中の「食べかけた森永ミルクキャラメルの箱を鳴らして合いの手にする」などという歌を読むとそう感じる。これを読む他人の私は「だからどうした?」としか言いようがないのだが、歌を作った作者本人には思い当たる経験があったのだろう。だがそれは自分にしかわからないことである。その経験を他者へと修辞によって架橋することが課題かもしれないと思う。