167:2006年8月 第4週 便器の歌

 もともと和歌は雅の世界であり、至高の美をめざすものだったが、明治になって近代短歌が成立すると、人間の生活に関係するものすべてを素材とするようになった。そこには明治時代に大きな影響力を持った文学思想としての自然主義も関係している。蒲団を抱えて泣く例のアレですね。というわけで歌の世界には登場しにくかった便所も短歌に詠われるようになった。とはいえそれほど数があるわけではない。先ごろ上梓された労作『現代短歌分類集成』(おうふう)には、5首が収録されている。

 蒸しむしと暑き昼なり厠にて大きなる蜘蛛をたたき殺しぬ  川田 順

 セザンヌをトイレに飾るセザンヌはトイレに画きしものならなくに  岩田 正

 同じ家の中でも書斎や台所を詠った歌はたくさんあるので、劣勢はいかんともしがたい。ちなみに『現代短歌分類集成』の分類項目は曲者で、「台所」は立項されておらず「厨」が見出し語になっていたりして油断がならない。川田の歌は昔風の汲み取り便所の雰囲気が濃厚で、岩田の歌は表現も「トイレ」となっていてマンションの白いトイレを思わせる。おのずから時代の変化が反映されている。便所というと、短歌ではなく俳句だが、寺山修司の「便所より青空見えて啄木忌」という句が頭に浮かぶ人も多かろう。場所としての便所ではなく、物体としての便器の歌となるとさらに数が少ないが、ないわけではない。そこには短歌の表現領域をひたすら拡大しようとしてきた現代歌人たちの汗と涙が感じられるのである。

 ベダルきゅうと下げるやいなやTOTOの初雪色にあふれだす冬  十谷あとり

 ひとおらぬときしも洩るる朝かげに便器は照るらんかその白たえに  島田幸典

 便器から赤ペン拾うたった今覚えたものを手に記すため  玲はる名

 十谷の歌では、便器は代表的衛生陶器メーカーでロックバンドの名前にもなったTOTOと換喩的に表現されている。下句の「初雪色にあふれだす冬」は、水流が泡立つ様子と外の冬景色を重ね合わせているのだろう。島田の歌のポイントは、大袈裟なまでに古歌の語法をパスティーシュしているところにあり、その古語法と便器という素材との懸隔感が歌を成立させている。一方、玲の歌では便器は詠われる対象というよりも、もう少し作者の内的世界に関係する物象として把握されている。理由のよくわからない切迫感とせつなさを浮上させるために、便器は効果的なアイテムとして使われているのである。若い歌人の歌には、理由のよくわからないせつなさを表現しているものが多く見られる。玲の歌もまたその系譜に連なるものとして読める。だからここはどうしても便器でなくてはならないのだという意味で、理由のある便器の歌なのだ。

 つややかな便器がほつり陽をあびてまずしい広場の泉のそばに  小林久美子

 あたたかな便座に腰かけて両の掌をひざにはさみておりつ

 ろざりあは べんざにすわり なきじゃくる くちいっぱいに ものをおしこみ 

 小林には便器の歌が多い。好みの素材と思われる。小林独特の童話のような催眠的リズムで紡ぎ出される歌のなかで、便器は暖かく人を座らせて受け容れるものとして把握されているようだ。正の価値を付与された便器の歌としては出色のものと言えるだろう。

 抗菌仕様の便器から立ちあがって走れ! 聖なれ! 傲慢であれ!  早坂 類

 真夜中の二十ワットに照らさるる便器の白をしばし見おろす  浜名理香

 十戒につけ加へたきいましめぞ便器に立ちて説教するな  山田富士郎

 洋式便器ずらりとならぶ会議室疑ひもなく腰かけてゐる

 早坂の歌では抗菌仕様の便器は人を拘束するものとして捉えられているようだが、便器でなくてはならない必然性があまり感じられない。浜名の歌は極めて即物的に便器を詠っていて、即物的すぎてコメントのしようがない。山田の歌は一風変わっている。ロンドンのハイド・パークあたりに行くと、日曜の朝、道行く人に演説している人を見かけるが、たまたま便器に立って説教していた人がいたのだろうか。それにしても十戒に付け加えたいとは激しい怒りようである。山田は「世界はかくあるべきだ」という倫理性の高い歌人なので、このように怒るわけだ。山田の2首目はたぶん夢の光景だろう。「便器に腰掛ける」という行為の秘私性が夢の中の異和感を演出している。

 通庸のひまごの家でとまどひぬ西洋便器をまへにしてしまひ  仙波龍英

 極東製西洋便器に腰おろす水無月はるか霊界をおもふ

 通庸とは三島通庸(みちつね)で、幕末の薩摩藩士から明治政府の内務官僚となり、子爵にまで上り詰めた人。土木県令とまで呼ばれた人だったから、通庸の曾孫の家も立派な洋風建築だったのだろう。しかし私生活においては仙波も負けないほどの資産家の息子だったから、西洋便器にたじろいだとはちょっと考えにくい。2首目では便器に座って霊界に思いを馳せていて、便器が異界との交通機関のように捉えられている。そういえば、人気スクリーンセーバーのフライング・トースターのもじりで、空飛ぶ便器というのがあったと記憶している。ちなみに、この歌の前に詞書きのように「全長が十米ものキタミミズ羽帽あたりに棲むといふ恐ろし」という謎のような文言があり、注に「『スクラップ学園』(吾妻ひでお著)による」とある。『わたしは可愛い三月兎』にはおびただしい詞書きと注が付されており、誰か解読してくれないかと思うほどである。

 今日からはあげっぱなしでかまわない便座が降りている夜のなか  穂村 弘

角川『短歌』2006年1月号に発表された「火星探検」のなかの一首で、亡くなった母親への挽歌である。小用を足した後には便座を降ろしておいてくれと母親から常日頃言われていたのだろう。母親が亡くなった今ではもう降ろす必要がないのだが、それでも便座が無駄に降ろされているところに痛切な喪失感があり、便器を詠った歌のなかでは最も心を打つものとなっている。今までの穂村の歌とは感触が異なる点も注目されるのである

166:2006年8月 第3週 なみの亜子
または、吉野山中に新たな私を立ち上げる歌

われのみが内臓をもつやましさは
    森の日暮れの生臭きまで
         なみの亜子『鳴』

 略歴と歌集の栞の情報によると、作者は1963年生まれで、コピーライターとして活躍していた人らしい。「塔」短歌会に所属し、同人誌『D・arts』で評論に健筆をふるい、2005年には「寺山修司の見ていたもの」で現代短歌評論賞を受賞している。『鳴』は第一歌集で「めい」と読む。

 短歌には、作者の人生行路と不即不離の関係に立つものもあれば、作者の実人生を直接には反映しないものもある。前者は「人生派」であり、後者は「芸術派」「コトバ派」を旗印とする。歌集の構成に当たっては、前者は編年体を好み、後者は歌の制作年代に関係なく歌集一巻を緻密に構成することを好む。これらすべては作者と歌の関係に由来する。

 なみの亜子の『鳴』を一読してまず感じるのは、作者の人生行路を抜きにしてこの歌集を読むことはできないということである。なぜなら、作者は都会生活を捨てて、奈良県の吉野の山中に移住するという決断をしているからである。歌集は5章に別れているが、1章から4章までが移住前の歌で、5章が移住後の歌であり、両者の間で歌の質におおきなちがいがあるのである。前半からいくつか歌を引いてみよう。

 ゆっくりと紙飛行機を折るように部屋着をたたむあなた アディオス

 着て逢えばきまって雨になるシャツの 壊れ始めはこんなに静か

 もうあかんと言ってしまった女子トイレ角(かど)つきあわせタイルの並ぶ

 死ぬときもひとり 小型の掃除機の背筋を伸ばして立っている部屋

 雨音に気づいたのはきみ夜明け前細くサッシを開けて抱き合う

 不倫中ほどには結婚したくなくラップされてる秋の日向よ

 片方の靴ばっかりを売る男それを値切れる男に歯のなし

 きみはもうオレのかたちになったんか疑似餌(ルアー)見せ合うときの間に

 一首目、「アディオス」はスペイン語で「さようなら」だから、これは男との別れの歌である。歌全体がかもし出す雰囲気はあくまで都会的な男女の恋愛風景だろう。二首目も別れの歌で、下句の「壊れ始めはこんなに静か」にかすかな諦念が感じられる。三首目は職場におけるストレスを詠んだものだろうか。四首目は働いてひとりで生きて行く女性の決意が詠われている。五首目になると、作者は新たな愛に出会う。同じ愛かどうかはわからないが、六首目を見ると結婚して家族のいる男性との不倫関係を経た恋愛であることが知れる。一首跳んで最後の歌では、恋愛対象である相手の男性と渓流釣りに出掛けていて、やがて結ばれる幸福感が滲み出ている。

 というように、歌集前半の歌を眺めて行くと、都会で働く女性の感情生活を中心とした歌が並んでいて、恋愛の喜びと悲しみや孤独感が大きな位置を占めている。やや異色なのは先ほど跳ばした七首目で、天王寺界隈というディープな大阪の風景を詠んだ歌群である。このラインもなかなかおもしろいと思うのだが、おそらく作者にとってこの方向性の歌は単なる通過点に過ぎないだろう。吉野移住後の歌は次のように変化する。

 南天の赤き実のみが免れて雪の積もりのひたすらなるを

 みずうみの底へあなたは先にゆき待つべしぬるき岩礁として

 活け墓は一度しずかに陥没す人のようやく身を逃れる日

 唱えつつおばあら暗き振動体となりゆくさまを 覧娑婆訶(おんらんそわか)

 驟雨あらば 昨夜殺せしむかでよりたちくるものの濃ゆき土間なり

 作者を取り巻く風景は一変する。雪深い山里で、つい最近まで土葬が行なわれていて、昼でも暗い茅葺きの家のなかから、老婆達の唱える真言密教のマントラが響いて来る。このような生活風土の変化と連動するように、歌集前半で詠まれていた都会的恋愛風景は、二首目の歌のようにおだやかに自然と融合するかのごとき情感の表現へと変わるのである。

 風土の変化は作者の感性の変化を招来せずにはおかない。掲出歌「われのみが内臓をもつやましさは森の日暮れの生臭きまで」を見ると、深閑とした山の木々に囲まれて、「われのみが内臓をもつ」という認識に至り、生臭さの幻臭を感じるまでに至る。新たな環境に置かれた作者の感性の変化が、自己認識の方向へと歌を押し上げている様が手に取るように感じられる。歌集の白眉は隣り合う次の歌だろう。

 深く息をすい込むときに少しだけさざめく森のありなむ我に

 立ちおれば藻におおわれし沼なりきわたしのなかに沈みおる靴

 ある夜は羽蟻おびただしき卓の上わたしひとりのものを咬む音

 一首目は自分の体の中に森の存在を感じているのだが、その想像上の森は周囲に拡がる現実の森と秘やかに呼応している。二首目も外と内の呼応であり、身体の中に沼を感じているのだろう。三首目ではふだん意識しない咀嚼の音を、絶対的静寂のなかで見いだしている。歌集前半に見られた淡い喪失感や疎外感覚は、歌集後半では影を潜めてしまう。それらは厳しい山国の風土の中に静かに溶解し、生と死が露わに見える新しい環境が作者の新たな〈私〉を浮上させているのである。歌は風土と切り離すことができないという事実を今更ながらに思い出させてくれる歌集である。

165:2006年8月 第2週 加藤治郎
または、部分的意識に言語を与える歌人

くあとろとやわらかくなるキーボード
       ぼくらの待っているのは津波
           加藤治郎『ハレアカラ』

 現代短歌を語る上で加藤治郎の名前は外すことができない。だから加藤治郎について論じることはとても難しい。現代短歌シーンを駆動している大きな力に、加藤治郎・荻原裕幸・穂村弘のトリオがいることは誰しも認めるところだが、加藤は他の2人とはちがって「未来」という伝統的な結社に所属しており、選歌欄を任せられている。また『TKO』『短歌レトリック入門』といった評論集もあり、作歌と評論の両面で活躍している歌人なのである。ということは、加藤の視野には正岡子規に始まる明治以来の近代短歌とアララギの歴史がそっくり収められているのであり、加藤がいかに人を驚かせるような新しい歌を作ったとしても、それは一時の思いつきによるものではなく、短歌の歴史を踏まえたひとつの試みなのであり、だからこそ論じにくいのである。

 試しに掲出歌を見てみよう。初句「くあとろと」でいきなり驚かされるが、おそらくこれはイタリア語の数字の「4」(quattro)だろう。枕詞のように置かれているが、「くあとろ」の「とろ」が「とろとろ」という擬態語へと架橋され、次の「やわらかくなる」を連想的に導く仕掛けになっている。キーボードが柔らかくなることは現実には有り得ないので、読者はダリの超現実主義絵画でくにゃくにゃになった時計のようなイメージを思い浮かべる。夢の中の出来事なのかも知れないし、単なる印象を誇張して形象化したのかもしれない。「春のオラクル」という連作の中の一首で、この連作には「なにもうむことのできないコマンドのあるひ苺をあらうゆびさき」「オラクルのようなゆうばえ沈黙にふさわしきものなきぼくたちに」などの歌が並んでいる。「オラクル」とは神託のことであり、「ぼくたち」は神託を待っているのだが、並んでいる歌が醸し出すのは漠然とした不発感である。僕たちは津波を待っているというのだから、激しい破壊を希求しているのだが、くにゃくにゃになったキーボードが象徴しているように、津波は来ないのだろう。ちなみに次に置かれている連作は「ツナミ」と題されており、主題的に緊密に関連していることがわかる。

 『短歌レトリック入門』で加藤も書いているように、明治以来の近代短歌のテーゼのひとつに古典和歌の修辞の否定がある。枕詞・序詞・掛詞などの修辞的要素は写実に無縁の虚飾として否定された。ところが1980年代の後半に始まるニューウェーブ短歌は「修辞ルネサンス」の観を呈するほど、埋もれかけた修辞を復活させた。加藤もその牽引車の役割を果たしているのであり、意味を漂白された「くあとろと」の枕詞的使用は加藤が駆使する修辞のささやかなひとつの見本にすぎないのである。

 加藤は『TKO』のなかで、

 言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!

のような記号短歌だけが取り上げられて一人歩きしたのは「痛惜に堪えない」と述懐している。また「ねっここでしちゃおっふゆの陽はほそくフロアにしろいお墓を映す」のように大胆に口語を取り入れた歌群が話題になることもあるが、口語短歌は80年代のライトヴァース以来広く浸透しており、加藤一人のものではない。加藤の歌の独自性はどこにあるのだろうか。こう思案するるとき注目されるのは次の歌である。

 ウシロカラ画像ヲノゾキコムママノつめたい髪は頬に触れたり 『昏睡のパラダイス』

 この歌の特異性は上句と下句の激しい断絶にある。カタカナ書きされた上句は、パソコンに向かっている子供の意識を表しており、口語の使用とカタカナ書きがそれを表象している。ところが下句は一転して文語で書かれており、視点は子供から抽象的な第三者へと転調している。加藤はこの一首のなかで複数の視点を強引に混在させているのであり、それぞれの意識に対して異なる言語を割り当てているのである。つまりこの一首は意識のポリフォニーなのであり、これは今まで誰も試みなかった手法と言えるだろう。近代短歌には、「一首の歌は一貫した意識と視点から作られなくてはならない」という暗黙の了解事項がある。加藤のように複数の意識を混在させるのは、明らかにこの近代短歌の了解事項への意図的な挑戦なのである。

 加藤は第二歌集『マイ・ロマンサー』のあとがきに、話題になった連作「ハルオ」について次のように書いている。

「ハルオは、二十代後半のSEであり、詩人である。以前私は、社会状況と自分とのインターフェースとして、ザベルカとかチャップマンといった人物を抽出した。ハルオは”私自身”がインターフェースになったものだと言ってよい。」

 加藤が短歌の中に登場させるハルオやザベルカやチャップマンといった人物は、インターフェースとして位置づけられている。インターフェースとは、〈私〉と外界との接点であり、その特徴はひとつに限定されないという点にある。外界が呈する側面の数だけインターフェースがある。これは「多面的な〈私〉」を前提とし、結果として「複数の〈私〉」を産出する。前衛短歌は「虚構の〈私〉」を演出することで、短歌の中に劇性と多様性を導入することに成功したが、インターフェースが媒介する「多面的な〈私〉」はこれとはまったく位相を異にするものだと言ってよい。どこがちがうのだろうか。

 藤原龍一郎は「ギミック」という言葉をよく使う。gimmickとは、「手品師のトリック、(いかさまな)仕掛け」を意味する。お台場でラジオのプロデューサーというメディアの最前線で働き、夜な夜な六本木に出没する男というイメージの方が、平凡な中年サラリーマンというよりは、読者に興味を持ってもらえる、と藤原はどこかで発言していた。これは広い意味においては「虚構された〈私〉」と理解してもよいだろう。藤原はこのようなスタンスから、藤圭子について語り、日活ロマンポルノについて、プロレスについて饒舌に語るのである。藤原のギミックはこのように、〈私〉の全身を意図的にある色に染めようとする営為であり、その特徴は頭から爪先までの「全体性」にある。

 これに対して加藤のインターフェースの特徴は、その「断片性」にある。どのインターフェースを取ってみても、短歌作者としての加藤の〈私〉を全体的に代表するものにはならない。加藤は次のようにはっきりと述べている。

「人間にいろいろな意識があることは自然で、それがシンプルに反映されればいい。歌集をまとめるプロセスで、ある傾向の作品を除去することは簡単です。たとえば、文語を選んだ意識を取除き、口語の作品だけでまとめることも可能です。でもそうしないで、いろいろな文体があることをうまく組織して、逆用できないかと考えるわけです。先ほど論じていただいた「ハルオ」が、歌集『マイ・ロマンサー』全体のプロトタイプになっているように思います。複数の意識にそれぞれ固有の文体というか、言語体験を貼りつけること。」(三枝昂之『現代短歌の修辞学』)

 このような加藤の方法論から次のような歌が繰り出されるのである。

 ぎんいロノパグヲオモえばさみドリノユメノナかでモネムルキみのめ 『ハレアカラ』

 ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷ乱暴なママのスリッパうれしいな して

 オルガンが燃えつつ河におちてゆくぎゅんなあぎゅんぐ耳がつめたい

 ねばねばのパンドエイドをはがしたらしわしわのゆび じょうゆうさあん 『昏睡のパラダイス』

 きれまからとどくひかりはかあさんのスカートのようぼくは駆け出す

 一首目の文体は文語だが、平仮名と片仮名を句跨り的に混在させることで、結果的にキメラ的な意識を実現しようとする実験と見なせるだろう。

 二首目や五首目は、意図的に幼児語を使っている歌である。この幼児擬態については、現代短歌『雁』48号の企画した加藤治郎小特集に「時間は無垢か」という文章を寄稿した永田和宏も着目している。加藤の短歌に「恥ずかしいまでの幼児語が頻出する」事実を、永田は加藤が抱いている「無垢な時間」への憧憬に由来すると結論している。だがこれはあまりに単純すぎる解釈だろう。永田は加藤の用いる「インターフェース」という用語に注目し、それを〈私〉の問題と結びつけて論じているにもかかわらず、加藤の歌に巧妙に仕掛けられた「意識の複数性」に思い及んでいない。加藤がよく用いる幼児語もまたあるインターフェースから生み出されるものであり、加藤は意識のその審級に対して幼児的意識にふさわしい言語を与えているにすぎないのである。

 三首目の「ぎゅんなあぎゅんぐ」のようなオノマトペを加藤はよく使っているのだが、このようなオノマトペもまた明確に言語化できない意識の深層レベルに対して付与された言語形式と見なすことができる。

 四首目はオウム真理教事件に題材を採った歌である。教団の広報担当だった上祐史浩は、「ああいえば上祐」と揶揄されたほど雄弁で、女性ファンまで出現した。「ねばねばのパンドエイドをはがしたらしわしわのゆび」は上祐本人の喩であると同時に、序詞的にも機能しており、結句の「じょうゆうさあん」を導いている。「じょうゆうさあん」は女性の歓声の直接話法的引用だが、これもひとつの意識に割り当てられた言語と見なすこともできる。

 このように「複数の意識」が仕込まれた加藤の歌が指示しているのは、「断片化された〈私〉」であり、どれひとつとして〈私〉の全体性を志向しているものはない。これは極めて現代的現象であり、短歌に「一貫した〈私〉」しか認めない歌人には容認しがたい歌の解体と映るかもしれない。

 加藤はこのように「現代において短歌に何ができるか」と鋭く問いかけて自ら実践しているわけだが、その多様な試みはいずれどこかに収束してゆくのだろうか。第五歌集『ニュー・エクリプス』では上に取り上げたような実験的作品は少なくなり、故郷の鳴尾を詠んだ鳴尾日記には、次のような古典的写実の歌も並んでいる。

 幼子はホースを夏の樹に向ける水の届かぬさまはたのしも

 第六歌集『環状線のモンスター』が7月25日に刊行されたばかりである。この歌集はまだ見ていないが、加藤の歌は新たな展開を見せているのだろうか。

164:2006年8月 第1週 早坂 類
または、静かな透明感のなかに世界が遠ざかる

さりげなくさしだされているレストランの
      グラスが変に美しい朝
   早坂類『風の吹く日にベランダにいる』

 早坂類の第一歌集『風の吹く日にベランダにいる』は、1993年に河出書房新社から出版されたが、長らく入手不可能になっていた。このたび『短歌ヴァーサス』第9号誌上で復刻されたのは喜ばしい。このような誌上復刻には著作権を持つ作者以外に、出版社からも許諾を取らなくてはならないが、現代短歌のプロデューサー荻原裕幸の尽力あっての企画である。

 『風の吹く日にベランダにいる』は当初、河出書房新社による「(同時代)の女性歌集」シリーズの一巻として世に出た。初期の同シリーズでは、俵万智『かぜのてのひら』、道浦母都子『風の婚』、林あまり『最後から二番目のキッス』、李正子『ナグネタリョン』、太田美和『きらい』が1991年から刊行されている。早坂の歌集と時期を同じくして出版された第二シリーズには、沖ななも『ふたりごころ』、松平盟子『たまゆら草紙』、井辻朱美『コリオリの風』、干場しおり『天使がきらり』がある。河出書房新社のような大手出版社が歌集を手がけたのは、もちろん1987年のサラダ現象がきっかけであり、従来の歌壇以外の場所に歌集読者を掘り起こそうという意図によるものである。だから歌集としては例外的な初刷部数だったようだ。今では考えられないことである。表紙にも作者のオシャレな写真が添えられていて、従来の歌集のイメージよりもポップなものになっている。

 サラダ現象を受けての短歌バブルと、世の中を覆ったバブル経済末期の時代のムードに最もよくマッチしていたのは干場しおりの『天使がきらり』だろう。早坂の『風の吹く日にベランダにいる』も、収録されている歌を単語レベルで拾ってみると、消費経済を謳歌した時代背景が透けて見える。あくまで透明で軽やかなイメージの「アクリルの風」、「湘南」「道玄坂」「茅ヶ崎」「竹下通り」などのオシャレな地名、「リチャードと呼ばれていた奴」「クレープを焼く僕ら」「ライムソーダ」などのポップでライトなアイテムがあちこちに散りばめられている。ところが歌をよく読んでみると、その意外な暗さに驚かされるのである。一見明るく見えるのは次のような歌である。

 生きてゆく理由は問わない約束の少年少女が光る茅ヶ崎

 トーストを握ったまんま眠りこむ茅ヶ崎少女のシングルベッド

 ティンパニの音がかすかに鳴っている夢に出てくるみたいなカフェ

 秋空の絹層雲はたかくひろくクレープを焼く僕らの上に

 草を見に行こうよと言ったね まなざしが春のコーラによみがえっている

 彼方から見ればあなたはオレンジの光の森のようではないか

 しかしよく見れば一見明るい歌の背後にも、忍び寄る寂しさと虚無感が透けて見える。茅ヶ崎に遊ぶ若者たちは、「生きてゆく理由」への問いかけをあらかじめ封印しており、刹那の現在のみを生きる。それは未来がないということだ。トーストを握ったままの少女が眠るのは、わざわざシングルベッドと表現されている。また三首目に登場するカフェの描き方には、どこか離人症的な現実との懸隔感が感じられる。離人症の症状には、自分の存在感が希薄であるとか、自分と世界の間に透明なベールがかかっているように感じるとか、自分の意識が体から抜け出して外から自分の行動を見ているような気がするなどのものがあるという。早坂の歌に特徴的なのは目の前の現実との懸隔感であり、この感覚は四首目の高い秋空にも、六首目の彼方から眺める描き方にも感じられるのである。このため一見すると明るい歌の中にも、どこかしんと静まりかえったような寂しさ・切なさを感じさせる所があり、それが早坂短歌が若い人たちに人気がある秘密だろう。

 このような特徴を持つ早坂短歌の最良の部分は次のような歌である。

 四年前、原っぱだったねとうなずきあう僕らに特に思いはなくて

 ぼんやりとしうちを待っているような僕らの日々をはぐらかす音楽(おと)

 そらいろのセスナがとおく飛んでいてそればかりみているゆうまぐれ

 そしていつか僕たちが着る年月という塵のようなうすいジャケッツ

 カーテンのすきまから射す光線を手紙かとおもって拾おうとした

 ふと僕が考えるのは風のまま外海へ出たボールのことだ

 空っぽの五つの椅子が海沿いのホテルでしんと空を見ている

 これらの歌を読んでいると、「みずいろのゼリーがあれば 皿のうえにきままきまぐれのみつるゆうがた」と詠んだ村木道彦をつい連想してしまう。村木の短歌は徹底して青春の歌であり、早坂の短歌もまた過剰なまでの青春性を帯びている。若い人は村木の歌にハマる時期があるというが、早坂の歌にも若さを引きつける同じような強い磁力がある。

 その一方で早坂には次のような歌もある。

 閉ざされた体に黒く穿たれたのぞき穴から空を見ている

 にじみ出る汗でこの世を汚します僕の海辺は真っ赤な海です

 〈越えがたい死魔の領域〉という沼に生い茂ってゆけ夜の羊歯類

 しらじらという空の様子は死んでゆく肉の臭いにすこし似ている

このような自己の内の暗い辺土への傾斜には驚かされるが、歌集巻末に添えられた異例に長いあとがきに述べられている17歳の時の家出のエピソードを読むと、なるほどと納得するものがある。家と学校が代表する「不自由なチューリップ畑」から逃げ出すべく家出して鳥取砂丘まで行ったが、そこにあったのは風と誰も乗っていないリフトと遙かに見える海だけだったという。この無人の砂丘が早坂の原風景である。歌が暗く寂しいのは無理もない。

 短歌界での早坂の評価は定まってはいないようだ。『短歌ヴァーサス』第9号に荻原裕幸が「悲鳴の気配」と題して早坂短歌の受け容れにくさについて寄稿している。短歌はその短い詩形ゆえに省略的にならざるをえないが、その際、表現される全体の核となる部分を摘出し、残りの部分は読者の想像に任せるというのがふつうの手法である。一方、早坂の歌では逆であり、テキストの外に表現の核となる部分をはみ出させてしまい、決めどころになる部分を欠いているにもかかわらず、読んでいると泣きたくなると荻原は書いている。これはどういうことだろうか。比較的世代の近い歌人の歌と比較してみよう。

 冷蔵庫の上に一昨日求めたるバナナがバナナの匂いを放つ 吉野裕之『空間和音』

 貝柱スライスされて卓にありその他の臓器既に洗はれ  大津仁昭『異民族』

 吸い終えたたばこ灰皿に押しつけて口惜しそうな夏の唇  武田ますみ『そしてさよなら』

早坂の短歌との質感の相違は明白だろう。歌が描写し提示する素材は、香るバナナであり貝柱の刺身であり君の唇であり、それらは歌の中心に確実にある。作者はその素材をある見方で、ある角度から、ある修辞を用いて言語空間に定位し、それによって作者である〈私〉が反照的に照射される。描写される素材は31文字の一首全幅を占めており、余白はない。これに対して早坂の歌の欠落感はずっと大きい。

 特別なことではなくてスリッパの片方ずつをゴミの日に出す

 海沿いにひるがえっているTシャツとただ吹くだけの風の一日

「スリッパの片方ずつをゴミの日に出す」という日常の行為が詠われていて、当然ながら読者は「どうして両方一度にゴミに出さないのか」という疑問を抱くのだが、この疑問はあらかじめ「特別なことではなくて」という意味のない措辞によって封印されている。二首目においても、もともと風はただ吹くだけなのだが、それをわざわざ「ただ吹くだけの風の一日」と表現することにより、過剰ではなくむしろ欠落が生じている。「テキストの外に表現の核となる部分をはみ出させてしまう」という荻原の言い方ももっともなのだが、それよりも目立つように感じられるのは上にも述べたどこか離人症的な現実との懸隔感なのである。しかし、そのことがかえって早坂の短歌に読者が容易に共感できる入り口を与えているとしたら、それはそれで考えてみるべき問題ではないかという気もするのである。

163:2006年7月 第4週 阪森郁代
または、形容動詞を梃子に虚空間へと相転移する歌

うす霜の降りたる冷凍庫の奥の
    豚肉(ポーク)やさしくたたまれてある
         阪森郁代『ナイルブルー』

 世の中には批評の言葉に乗りやすい短歌と乗りにくい短歌がある。乱暴に言うと、定型でリアリズム短歌は乗りやすく、非定型で非リアリズムの短歌は乗りにくい。定型のリアリズム短歌は、破調や破格はあれど最終的には期待値周辺に収束するが、非定型の非リアリズムの短歌の場合、非定型さと非リアリズムさの向かう方向が拡散してしまうので、捉えがたいのだ。今週取り上げた阪森郁代も批評の言葉に乗せにくい歌を作る人である。あまり論じられることがないのはそのせいかも知れない。

 以前に「冷蔵庫の歌」を集めて論じたことがあるが、掲出歌は冷凍庫の風景であり、冷蔵庫よりもさらに温度が下がっている。詠われているのは、冷凍庫の奥に豚の薄切り肉が畳まれて保存してあるという、どこのご家庭でもふつうに見かける光景である。豚肉は近所のスーパーで買って、余った分を冷凍してあるのかもしれない。問題はなぜこれが短歌になるのかである。それは言葉の注意深い選択と結合の魔術によって、日常よく見かける風景が非日常へと転位され、にわかに象徴的意味を帯びたり心象風景として昇華されることで、日常と個を超えた普遍的言語の世界に触れるからである。永田和宏風に「虚空間に触れる」と言ってもよい。この相転位はひとえに言葉の作用によるものである。阪森の掲出歌では具体的にどのような言葉の選択と結合がこの相転位を実現しているのかと言うと、それは「うす霜」の「うす」と「やさしく」のふたつである。ためしに上句を「いちめんに霜の降りたる冷凍庫に」と変えたり、下句を「豚肉きちんとたたまれてある」と変えたりすると、歌は突然表情を変貌させ、元の歌が持っていた相転位への飛翔力を喪失するのは誰の目にも明らかだろう。もっと具体的に言うと、「うす霜」の「うす」は現実感を希薄化することで象徴的地平への飛翔を触媒し、感情形容詞である「やさしく」は現実の地層の中に作者の受容した感覚の触手を忍び込ませる働きがある。ちなみに後者の語法は、現実の無機的描写に徹した小説家ロブ=グリエが嫌った語法である。

 阪森郁代は「玲瓏」に所属し、1984年に「野の異類」で角川短歌賞を受賞している。受賞作を収録した第一歌集『ランボオ連れて風の中』は1988年の出版で、サラダ現象の翌年である。ライトヴァースが話題になった時代の中では異色の歌集と受け止められたことだろう。先に掲出歌に見た阪森の語法は、第一歌集においてすでにはっきりと認められる。

 かろがろと空へ曳かれてひかる鳥われらの知恵のふいにさびしき

 盲ひたる山羊の眠りもそのままにゆふべの地震(なゐ)もやさしく過ぎぬ

 咽喉にはやはらかき夢ふふむゆゑつぐみもひよもわれに親しき

 いづへよりくるしく空の垂れ来しや麒麟ひつそり立ちあがりたり

 全首が写実とは一線を画する心象風景であるが、一首目の「かろがろと」「ふいに」、二首目の「やさしく」「そのままに」、三首目の「やはらかき」、四首目の「くるしく」「ひつそり」などの言葉が、上に指摘した相転位を促進して現実の風景を詩的空間へと転化する働きをしている。名詞は事物を指示し、動詞は出来事を指示し、それらは現実側に所属するものである。しかしながら形容詞と副詞は事物や出来事の有り様を述べるものであり、現実側というよりは知覚者側に帰属する。阪森が現実の情景を心象風景へと相転位するのに用いる語群のほとんどが形容詞と副詞であるのは、このような理由によるものである。

 今回読んだ『ナイルブルー』は2003年に出版された第四歌集である。全体として心象風景という特質は保持されながらも、いささかの変化が見られるのは時間の経過ゆえだろう。2001年の9.11テロと塚本邦雄令夫人の死去、作者の父と兄の他界を含む作歌期間であるためか、歌集の随所に死者の影が揺曳している。

 やがて来る凶事を視野に入れにつつ白き十字をひらくどくだみ

 だれもが死者として現われる汀(みづぎは)に水の羞ぢらひ満ちみちてをり

 冷たさに戸惑ひながら水鳥に呑まれてしまふ日々のゆふぐれ

 天心を逸れて陽はあり父に点(さ)す点眼水のこぼれてしまふ

 マンションはやがて霊廟 貯水槽深夜はみづのひしめき聞こゆ

 つばさてふかくもしなやかなるものに壊れしビルのたましひいづこ

 テロールの蜜の暗さを思ふさへ汗ばみし夜のうすら三日月

 街にほろびの雪はふりつつしかすがに更新されてゆく天使たち

 夏空がうながしてくる死もあらむ今日のココアは鳥の匂ひす 

 一首目は「ナイルブルー」と題された連作の中にあり、エジプト・聖書・イエス・神などの語が見られる連作であるので、「やがて来る凶事」とは中近東の地に起きる災厄、近くはイラク戦争を念頭に置いたものであり、「白き十字」は十字架を連想させる。二首目は作者の身辺に続いた親族の死去に触発されたものだろう。死者の集まる水は美しいイメージである。三首目は阪森特有の難解さがあるがなぜか惹かれる所がある歌。四首目は亡父の思い出で、太陽が天心を逸れることと、目薬が目にうまく入らずこぼれることのあいだに遠い呼応が見られる。五首目ではマンションが霊廟となる未来の幻視が、深夜に貯水槽に溜まる水のざわめきに象徴されており、黙示録的ヴィジョンとなっている。六首目と七首目は9.11テロとそれに続く恐怖の時代に想を得た歌である。直接には「ビルのたましひ」と詠われているが、その背後にテロの犠牲者を想定していることは言うまでもない。八首目は「三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ」という万葉集の歌の本歌取りかもしれない。かすかな終末感と地上の災厄への神の無関心を感じさせる。九首目は帯にも印刷されており、作者自信の作なのだろう。生の横溢するべき夏という季節に死の予感と感じとり、朝に飲むココアに鳥の幻臭を覚えるという取り合わせが見事である。鳥は生命のシンボルであると同時に、生命のはかなさを表し、ときに凶事の予兆ともなる。この歌ではかすかな鳥の幻臭が虚空間への入り口となっているのである。

162:2006年7月 第3週 河野美沙子
または、〈私〉は共感覚の世界の拡がりのなかにいて

冬の陽ざしにおもたさ生まれ寺町通(てらまち)の
         度量衡店に天秤ありつ
           河野美砂子『無言歌』

 梅雨時の蒸し暑い京都に居て河野美砂子の歌集『無言歌』を読んでいると、短歌とは微細な対象や些細な異和感を表現するのに適した文学形式だとつくづく思う。そう思わせる歌集なのである。たとえば掲出歌を見てみよう。この歌をほんとうに味わうには、京都の寺町通は茶屋や画廊や骨董店などが並ぶ昔を感じさせる通りだということを知っている必要がある。だから歌に登場する度量衡店も、近代的なピカピカの店ではなく、お爺さんとお婆さんが細々と経営している古びた店でなくてはならない。硝子の引き戸を開けて入るような店である。度量衡店だから天秤を売っているのは当然なのだが、もちろんこの歌のポイントは上句の「冬の陽ざしにおもたさ生まれ」にある。無風で明るい日差しが照る冬の日だろう。硝子越しに店の中に降り注ぐ透明な日差しを見て、そこに重さが生まれると感じたのである。この重さはほんの数グラムか数ミリグラムの微細な重さでなくてはならない。店のなかの天秤はわずかにどちらかに傾ぐかのように感じられる。これらすべては極めて微細な感覚的印象なのだが、それを捉えて歌に定着することによって、ひとつの視界が立ち上がる。これが短歌の内的生理である。

 作者の河野美砂子はピアニストで「塔」所属。1995年に「夢と数」50首で第41回の角川短歌賞を受賞している。受賞対象となった連作は改作されてこの歌集に収録されている。歌集のなかでまず目に付くのは、音楽とピアノ演奏に題材を採った歌である。

 どこからが音であるのか一本の指のおもさが鍵盤(キイ)になるとき

 椅子の距離やや遠くして弾きはじめ残響一・五秒をためす

 鍵盤のちがふ深さの沁みるまで指に腕に押さふる黒白を

 総休止(ゲネラルパウゼ) わが身は失せて空間のごとき時間が開(あ)くぽつかりと

芸術において異なるジャンルのあいだに架橋するのは一般に極めて難しい。音楽を言語で表現したり、思想を絵画で表現するには困難が伴う。河野が音楽を素材として作る歌が例外的に成功しているように見えるのは、音楽を単に音としてではなくピアニストとしての演奏者の肉体的感覚を通して把握しているからだろう。一首目では指でキーを押すときにどこからが音になるのかを問うているのだが、これは音楽を聴く側ではなく演奏する側に固有の感覚である。二首目では椅子とピアノの距離を調整しつつ理想的な残響を試しているが、ここにもまた空間に満ちる音を体感的に把握するスタンスがある。三首目は演奏会場のピアノを試し弾きしている情景だろう。一般の楽器奏者とは異なり、ピアニストはミケランジェリのような例外は別として、自分の楽器を持ち込むのではなく、ホールに備え付けの楽器を用いる。だから普段とはちがう鍵盤の深さを体で覚えているのである。ちなみにこの歌は角川短歌賞を受賞した「夢と数」では、「鍵盤のちがふ深さの沁みるまで黒白を指と腕に押さふる」となっていて、倒置語法で改作されている。四首目の総休止は音楽用語ですべての楽器が休止することを意味し、わずかな残響を除いて完全な沈黙となる。その休止に突入するさまを「空間のごとき時間が開く」と表現しており、時間の位相が空間へと転位されている様もなるほどと感じさせる。

 作者は音楽家なので音感が鋭いのは当然で、このため聴覚によって世界を把握する傾向が強く、その資質が短歌のおもしろさとなっている。たとえば次の歌である。

 またちがふ蝉が鳴きだし窓のそとひとつづつふえてゆく距離があり

 家の窓の外でさっきまで鳴いていた蝉とはちがう蝉が鳴き出す様を作者はまず耳で音として捉え、それを空間的な距離感として把握している。蝉の鳴き声のわずかな差異が空間的奥行きに転換されているのである。さきほどの総休止の歌では時間が空間へと転位されていたが、蝉の歌では聴覚と空間感覚の間に転位が見られる。そしてこの感覚の間での転位現象は河野の歌では広くまた種々見られ、あたかもボードレールの「万物照応」Correspondance か共感覚の世界を作り出しているのである。

 錯覚のごとく匂へり沈丁花は受験ののちの日を匂へりき

 手套(てぶくろ)にさしいれてをりDebussyの半音にふれて生(なま)のままのゆび

 野をわたる草色の和声(ハーモニー)目に見えて〈幻想〉はながい旅をはじめる

 濡れ紙を切りゆく鋏の感触はどこかうすみどりいろをおびたる

 朴落葉ここに大きく落ちてゐて落ちてゐる音手にひろひたり

一首目は嗅覚が過去の記憶と結びついている。この結合はそれほど珍しいものではない。二首目は音と触覚のあいだの共感覚である。Debussyの半音の音の記憶が手の指にまだ生々しく残っているという感覚は演奏者固有のものだろう。三首目では聴覚と視覚の、四首目では触覚と視覚の共感覚が見られる。五首目では落ちている朴の葉を拾うのではなく、落ちている音を拾うという所に表現の共感覚的転換があり、強い詩的圧縮という効果を生んでいる。

 このような次第であるから、河野の歌を読んでいると、歌に対象を定着させるのが目的なのか、それとも対象から受ける感覚を詠むのが眼目なのかわからなくなることがある。そもそも私たちは感覚によって対象を認知するのであるから、対象と感覚は表裏一体であり不即不離だと言える。しかし実際の表現の位相においては、おのずといずれかに重点が置かれるのかふつうである。ところが河野の歌では、対象から受ける感覚を起点として、それが他の感覚へと転位されてゆく様に面白味のかなりの部分があり、これは他にあまり見られない独自の世界で作者の個性である。またこのように感覚の玉突き衝突のような事態を微細に描くことにより、歌のなかに広い空間性が確保されていることも付言しておきたい。

 共感覚を持つ人は、音を聴いて色を感じたり、色を見て形を感じたりすることがあるという。最相葉月は著書『絶対音感』のなかで、絶対音感を持つ人の一般人には想像もつかない世界を克明に描いたが、共感覚を持つ人に見える世界もまた、われわれには想像もできないものだろう。河野が共感覚を本当に持っているとは思わないが、ピアニストとして音を中心に生活するうちに、眼には見えないものを感じる力を身に付けたのだろう。その力と短歌の生理との幸福な結婚により、この歌集が生み出されたのである。

 共感覚的世界を描いたものではないが、次のような歌にもまた、眼には見えないものを透視しようとする意志が感じられる。

 ふかみどりの瞳の猫の額(ぬか)に透く小(ち)さき鳥小さき横向きの鳥

 秋冷の午後を見とほす硝子戸の向うがむかし あまくゆがめる

 百ほどの白い綿棒頭(づ)をならべ尼僧のごとくしづけきまひる

 夜の樹々みごもるやうに匂ひたつ天皇の骨を埋めあるあたり

 花揺るる大盞木のある街の母住む家に喪の服がある

 石の面を秋のはじめの水ながれ流れつづける死者の名に触れ

 特に二首目のガラス戸の向うに過去を幻視する感覚や、四首目の天皇陵の木立に身籠もるような匂いを感じる感覚は印象に残る。歌集題名の「無言歌」は一義的にはメンデルスゾーンの楽曲を指すが、あとがきにも書かれているようにもう少し広い意味で使われており、作者にとっては世界のすべてが言葉なく何かを歌うものと捉えられているのだろう。作者のスタンスをよく表す題名である。

161:2006年7月 第2週 松木 秀
または、奥行きのない世界に凡庸な引用として生きる私

日本史のかたまりとして桜花
    湧きつつ消える時間の重み
       松木秀『5メートルほどの果てしなさ』

 桜を詠んだ歌は古来数多いが故に、桜は歌人の鬼門でもある。先人の言葉によって良伝導化された回路が、私たちの感受性を強力に回収するからである。そのとき記号としての「サクラ」は、人を絡め取る巨大な回路の集積として立ち現れる。掲出歌はそれを「日本史のかたまり」と表現し、眼前に咲き誇る桜に時間軸を重ねて見ているのである。屈折した見方ではあるが、もはや私たちはこのように屈折した観点からしか桜を見ることはできないのだ、と作者は言いたいようだ。眼前の桜へと浸透しそうになる感受性を拒否する姿勢が鮮明で、この姿勢は歌集を一貫している。それは作者と言葉の距離でもまたある。

 松木秀は1972年(昭和47年)生まれで「短歌人」所属。第一歌集『5メートルほどの果てしなさ』で、日置俊次と並んで2006年度の現代歌人協会賞を受賞している。歌集題名は「青い雲天高く投げ5メートルほどの果てしなさへ歩むかな」という歌に由来する。歌人としての松木の視座はどこにあるのだろうか。

 日本に二千五百の火葬場はありてひたすら遺伝子を焼く

 千羽鶴五百九十四羽目の鶴はとりわけ目立たぬらしい

 機関銃と同じ原理の用具にてぱちんと綴じられている書類

 核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色とおもう

 なにゆえに縦に造るか鉄格子強度のゆえか心理的にか

 儀式とは呼べないまでも地球儀を運ぶとき皆丁寧となる

 新聞も読んでない今日まあいいか明日には明日の殺人が来る

この歌集に特徴的に並ぶ歌群を抜きだしてみるとわかるように、これらの歌は「漠然と言いたかったが今まで言えなかったこと」をズバリ述べた歌である。一首目は、火葬場では遺体を焼いているだけではなく、DNAも焼いているのだと指摘することで、個人の死が種としてのヒトの連綿たる進化の過程へとずらされる驚きがある。二首目は千羽鶴の群のなかの五百九十四羽目の鶴という無意味な数を挙げることで、忘れられる些事を掘り起こしている。三首目では、オフィス用具としてのホッチキスは機関銃の発明者であるベンジャミン・B・ホッチキスが考案したものだと指摘することで、オフィスの机の上に普段とは違う風が吹く思いがする。四首目もなるほどと膝を打つ歌で、確かに核ミサイルの発射ボタンは映画以外では誰も見たことがないが、何となく赤色だろうと感じる。五首目は、鉄格子はなぜ頑丈な縦の鉄棒からできていて、横棒ではだめなのかという歌であり、これまた答えに窮する疑問である。

 『5メートルほどの果てしなさ』の出版をプロデュースし、巻末に解題を執筆した荻原裕幸は、松木の文体を「風刺的文体」と呼び、その無名性や無私性ゆえに現代短歌が苦手としてきた文体であると指摘した。なぜ苦手かというと、現代短歌は「発語者の内面を構成し、そこから自己像を読みとらせることをある種の約束としてきたから」なのである。風刺的文体の無名性・無私性が内面を構成することを妨げ、結果として自己像が立ち上がらなくなるとすれば、現代短歌が立脚してきた〈言葉→内面→自己〉という指示関係の連鎖が成立しなくなる。荻原は松木が風刺的文体を、自己像をきわだたせる方向に活用していないという点を評価し、現代短歌の地平を拡げたと結んでいる。荻原は、伝統的な「自己像へと収斂する短歌」と対置されるべき「拡散する自己像」または「自己像を無化する短歌」の可能性をあちこちで語っている。この荻原の持論に賛同するかどうかはさておき、ここで考えたいのは松木の短歌を分析するに当たって、荻原の持論は果して有効か否かという問題である。というのも、〈言葉→内面→自己〉という連鎖が松木の短歌において、「生活者としての〈私〉」の水準においては確かに成立していないとしても、「〈私〉をいかに捉えるか」という「メタレベルの〈私〉」においては、やはり成立しているのではないかと思えるからである。

 ああまただまたはじまったとばかりに映像を観るただの映像

 Confusion will be my epitaph 凡庸な引用として生きる他なし

 ちょっとした拍子に欠ける消しゴムのように何かを落としたような

 夕暮れと最後に書けばとりあえず短歌みたいに見えて夕暮れ

 輪廻など信じたくなし限りなく生まれ変わってたかが俺かよ

 奥行きのある廊下など今は無く立てずに浮遊している、なにか

 一首目はイラク戦争に題材を採った歌である。遠国での戦争をただ映像で観るしかない無力感を詠った歌と解釈することもできるが、それよりも前景化されているのは世界の皮相化だろう。表面しかなく奥行きのない世界に生きて、表面をただ滑ってゆくしかない〈私〉と捉える視点がここにはある。二首目の英文は「混沌こそわが墓碑銘」という意味だが、注目されるのは下句の方で、「〈私〉は凡庸な引用でしかない」という自己の無名性を意識する〈私〉がここにある。三首目は言いさしのまま終わる結句が、効果的に自己像の不在と崩壊感覚を露わにしている。四首目は風刺的短歌と取ることも可能だが、むしろ「準拠体系」を喪失した〈私〉を描いているとも取るべきだろう。しかも結句を「見える夕暮れ」ではなく「見えて夕暮れ」と結ぶことで、実際に夕暮れを現出させて終わっているところが心憎い。五首目では輪廻転生を拒絶する作者の「たかが俺かよ」という投げ遣りな口調が、作者の〈私〉の立ち位置を確かに照射しているだろう。六首目は渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を踏まえた本歌取りだが、ここでも詠われているのは奥行きを無くした世界である。だから白泉の句では二本足でしっかり立っていた戦争も、松木の歌では名付けようもない何物かとして表層を浮遊するしかない。これらの歌の言葉は、通常の意味での喜怒哀楽を描くことで作者の内面を指示するものでは確かにない。しかし、これらの言葉は「メタレベルの〈私〉」を浮上させることで、依然として私性に深く関わるのではないだろうか。

 と、一応は荻原の説に反論してみたのだが、荻原の言うことにも一理ある。作者の〈私〉と言葉の距離感が今までの伝統的短歌の流れを汲む人とは異なるからである。作者と言葉の距離感を示すふたつの例をあげて松木と比較してみよう。

 一刷毛の夕焼けが来て鮃から泌み出る水を照らしていたり  吉川宏志

 くだもの屋の台はかすかにかたむけり旅のゆうべの懶きときを

 茄子の花小さく咲いていたりけり どう怒ればいいのだろう虹  江戸 雪

 切られたる髪落ちる肩ぐりぐらり夏草のまま遠いひとおもう

ともに「塔」所属の歌人だが、作者と言葉の距離感は対照的である。吉川は冷静な観察を通して言葉を自分の方へと手繰り寄せ、その結果、世界を自分へ静かに引き寄せる。言葉は作者が考案したものというよりは、見つめられた対象から自然に滲み出て来たようだ。巧みに手繰り寄せられる結果として、〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の距離は、それが一瞬の幻想であるにせよ、極小化されたように感じられる。〈言葉〉という中間項を挟んで、〈私〉と〈世界〉とが束の間合一するとき、強いカタルシスが得られる。一方、江戸においては事情はまったく異なる。江戸は言葉によって世界を引き寄せるのではなく、言葉に載せて〈私〉を世界へと投げ出すのである。それは吉川とは異なり、江戸にとっての世界は認識の対象ではなく、〈私〉がその中で何かを体験し何かを感じる場所と捉えられているからだろう。しかしながら、このようにスタンスは異なるとはいえ、吉川と江戸はともに〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の三項目のあいだの繋がりを信じており、それをゴムのように伸び縮みさせて距離感を測定しているのである。

 ところが松木の短歌を読んでいると、この三項目の距離感が喪失していると感じられてならない。

 ストローをくろぐろとした液体がつぎつぎ通過する喫茶店

 たった今天は配管工事中火花としての流れ星あり

 コピー機のひかりに刹那さらされて分裂をするなまぬるき文字

これらの歌には〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の三項目を適当な距離に置いて配置するべき奥行きがない。それは荻原の言うように無名性・無私性を旨とする風刺的文体のせいかと言うと、どうやら事はそれだけに留まらないように思える。〈私〉と〈言葉〉の距離と並んで、〈言葉〉と〈世界〉の距離もまた、現代短歌シーンにおいては以前とは異なる相貌を呈しているようである。それが松木個人の生理に基づくものなのか、それとも若手歌人に共有された言語観なのかは、もう少し検討を要する課題である。

 

松木秀のホームページへ

160:2006年7月 第1週 日置俊次
または、ノートルダム聖堂の堅い椅子

つり革にのぞく少女の切れかけた
      生命線が吸ふ晩夏光
        日置俊次『ノートルダムの椅子』

 通勤電車かバスのなかでの情景だろう。つり革を握る少女の掌の生命線が切れかけているという。作者は写実を作歌の基本としているので幻視とは解釈できないが、単にそのように見えたということかもしれない。それは重要なことではない。重要なのは「実際に生起した事実かどうか」ではなく、作者がそれをいかなる回路で受容し歌へと昇華したかである。「少女の切れかけた生命線」は、一般論として思春期の生の危うさを思わせ、特に拒食症やリスカという危険に囲繞されている現代の少女の生きる世界を浮上させる。少女の生の短さを象徴する切れかけた生命線に、晩夏の朝の光が降り注いでいる。その光景を受容する作者の心理は一縷の諦観が混入された〈戦き〉だろう。

 日置俊次は第一歌集『ノートルダムの椅子』で今年の第50回現代歌人協会賞を受賞した新鋭歌人である。青山大学文学部日本文学科で教鞭を取る日本文学研究者でもある。歌集題名ともなった集中の連作「ノートルダムの椅子」は、平成17年度の角川短歌賞の次席に選ばれていて、その折りに角川『短歌』誌上で読んだ記憶がある。連作「ノートルダムの椅子」は次の歌で始まっている。

 この留学より〈われ〉が始まる 原点をノートルダムのかたき椅子とす

作者はフランス政府給費留学生としてパリで留学生活を送った人で、留学中に短歌を作り始めたというから、これはまさに作者の歌人としての原点でもあるのだろう。フランス政府給費留学生というのは、選抜試験を受けてフランス政府から奨学金を受けて留学する制度をいう。かく言う私もずいぶん昔になるが、同じくフランス政府給費留学生としてパリで学んだので、日置の歌を読んでいると我が事のように共感できるものが多い。共感できすぎてしまうと言うべきか。

 プルースト好きの日本人(ジャポネ)がまたひとりと苦笑し教授が肩をたたきぬ

 長い髪のうしろに座りブロンドの斑(むら)見つめつつ心理学聴く

 「日本館」とふパリの学寮に伝はりし雪平鍋をかぷかぷ洗ふ

 〈ジャップ〉ですらもない希薄なる笑み泛かべパリに棲む 宮澤賢治抱へて

 わがために流れよセーヌ 批判されし『スワンの恋』論はこべ海まで

 一首目は業界の人でないとわかりにくいかも知れないが、フランスに留学する仏文研究者におけるプルースト研究者比率は異常に高い。だから「またプルーストか」という老教授の苦笑混じりの感想になるのだ。二首目のブロンドに斑があるのは染めた金髪だから。フランス人にもともと金髪は少ない。作者は留学生が暮す大学都市の日本館に在住していたようだ。帰国する人が残した代々伝わる雪平鍋があるのだろう。あり合わせの家財道具で暮す留学生のわびしい生活の一場面である。四首目は作者の自意識を描いたものだが、外国で長く暮らしているとこのような心理状態になるのは避けられない。「〈ジャップ〉ですらもない」という所に、アイデンティティーが希薄になる外国暮しの痛みが滲み出ている。最後の歌は論文かレポートを指導教授に批判された時の歌だろう。日本とちがって批判は容赦ないもので、批判されたときに落ち込みはたいへんなものがあるのだ。

 角川短歌賞で次席に選ばれた時の選評では、一位に押した高野公彦が「叙情的で、思索的、知的な要素がある」と高く評価し、小池光は「一つ一つの歌が単なる観念的なものではなくて、ディテールがある」と述べている。確かに作りがしっかりしていて破綻のない歌が多いのだが、それは逆の面から言うと意外性や飛躍がないということでもある。いくつか歌を引いてみよう。

 目白らを追ひはらひみかん食べつくす鵯と内気なわれの眼があふ

 手児奈池のなよれる亀か池袋東武デパートのペット売り場に

 二丁目のコンヴィニもつひに潰れたり朝ごとに買ひしあのメロンパン

 ゆりかもめの蹼(みづかき)といふ燠火みゆ 踏みこえられて風の鳴る音

 反りて火にしづみゆきたりわが想ひをこばみしひとの伸びのある文字

 一首目のような自省の歌が集中には比較的多いが、「内気な」のように心情に直接言及する表現はないほうがよかろう。二首目の手児奈は万葉集にも読まれた真間の手児奈のこと。作者は近くに在住しているらしく、手児奈に想を得た歌が他にもある。三首目は厳しい経済競争の結末がテーマだが、結句の「あの」という指示詞がきいている。四首目はゆりかもめの水掻きの色を燠火に譬えた歌で、静かな歌のなかに隠された激しさを感じさせる。五首目は思いを拒まれた人からの手紙を焼く場面で、沈んで行く自分の思いと、逆に伸びのある文字との対比が鮮やかである。いずれも描かれた場面が明瞭にイメージできるように作られており、情景を歌に定着させる作者の力量を示している。

 しかしイメージが明瞭だということは、逆に言うと歌が指し示す世界が言葉で説明された世界に限定されるということでもある。言語記号の最も大きな機能は指示機能で、「犬」という記号で〈イヌ〉という動物の概念を指す働きであることに異論はない。しかし、短歌で用いられる言葉には、単なる指示機能を超えて、通常は指し示されることのない何ものかを暗示する余剰的機能があるはずだ。それが発揮されていないと、短歌は「読んだままの世界」しか描くことができない。しかし、それでは読んだ人の感覚の非日常的拡大は望めない。その点から言うと、私が注目したのはむしろ次のような歌群である。

 乳母車見下ろす母をおしつつみ水木の葉うら這ふみづあかり

 破傷風の接種を受けしよりパリの路地には馬のにほひ満ちたり

 さつくりした陽ざしの底に白鳥はみなカリエスを病みて浮かべり

 火の卵を抱きて走る その火にて身を炎やしいつか孵すたまごを

 たれもゐぬ他界にたれか白頭鳥(ひよどり)の咽しめながら翔けるゆふぐれ

 黒揚羽そこびかりしてふりむかぬ僧にもみたびかげをこぼしぬ

 ゆふぐれの宇宙は百合のなかへ入りあまやかな疵(きず)ほつかりひらく

 一首目は今までの歌とはちがって、描かれた場面がそれほど明瞭ではない。「母」はいったい誰の母なのかも語られていない。しかし、「水」「みづ」の繰り返しを含む下句には魔術的な喚起力があって惹きつけられる。二首目は角川短歌賞の選評で高野公彦も褒めていた歌だが、破傷風の予防接種を受けた後で馬の匂いを感じるという所に感覚的拡がりがある。三首目は白鳥とカリエスの結合が残酷で幻視的である。四首目はイラク戦争を詠った連作のなかの一首で、火の卵はおそらく爆弾の暗喩だろう。自爆テロをテロリストの心情の側から詠ったもので、集中では異色の一首である。五首目は幻想的な心象風景を詠ったものと思われる。六首目は写実のようでありながら、限りなく幻視に近付いている点がミソ。七首目は百合の花が開花した情景を詠んだものだが、極小の百合に極大の宇宙を感じている点にスケールの大きさがある。

 角川短歌賞の選評で選者たちが評価したのは、「知的要素」と「ディテールがしっかりある」という点だから、ここに引用したような歌はその基準からはいささか外れている。先に引用したような歌群の方が、むしろその基準に合致している。ここから先は好みの問題と言ってしまえばそれまでなのだが、私は言葉の魔術で普段は見えない世界を見せてくれる短歌が好きなので、上に引用したような歌が心に残った。それが作者の本意かどうかはまた別の話である。

159:2006年6月 第4週 噴水の歌

 今は6月末で梅雨の最中だが、うっとうしいこの時期になると涼しさを感じさせるお題シリーズに走りたくなる気持ちがふつふつと湧く。というわけで今回は「噴水の歌」である。噴水は夏の季語だが、冬の噴水を詠んだ歌もまた多い。

 水の表面は原則として水平であり、また水は土地の高低に沿って低きに流れる。水を高く噴き上げる噴水は人為によるものであり、自然と対置された人工の極致と考えることができる。ヨーロッパでは古代ローマ時代から噴水は庭園に不可欠の要素で、現在でもイタリアの庭園には噴水が多い。グラナダのアルハンブラ宮殿にも美しい噴水があり、アラブ世界においても噴水は楽園のイメージと結びついていた。日本における近代的噴水は、1903年に日比谷公園に作られたものが最初だという。「喨々とひとすぢの水吹きいでたり冬の日比谷の鶴のくちばし」という北原白秋の歌はその最初の噴水を詠んだものだろうか。収録されている『桐の花』は1913年刊行だから可能性は高い。

 小池光の『現代歌まくら』も噴水を立項していて、次の3首が引用されている。

 自動車の後ろに高き噴水の立つと思ふがここちよきかな  与謝野晶子

 天上を恋ふる噴きあげ環となりて水堕つるなり都市の空間  前登志夫

 冬の日の光かうむりて噴水の先端がしばしとどまる時間  佐藤佐太郎

 与謝野晶子の歌は洋行中の歌で、まだ日本では珍しかった風物としての噴水が詠まれている。小池は、前登志夫の歌では都市空間を形成する垂直線としての噴水を、佐藤佐太郎の歌では噴水の先端が表している空間が反転した時間の停止を指摘している。

 噴水を眺めるとき、ポイントはいくつかある。水が勢いよく吹き上がる様、いったん上がった水が落ちる様、水柱が風に揺れる様、そして水の噴き上げが止まる様などで、歌人はそれぞれ自分の感性に応じて諸相のなかから取捨選択している。その選択の様子が興味深い。

 噴水の水燦燦とひらきおり薔薇のごとくに水は疲るる  阿木津英

 噴き上げの白しぶく秀(ほ)の縺るるがさすらいびとのごとく立てるも  阿木津英

 照らされし空間にして水柱打ち合いしびるる如くなる個所  高安国世

 時雨過ぎて青める夕べ噴泉は人なきときを音あらく噴く  玉井清弘

 上の歌群はいずれも噴水が水を噴き上げる様子に焦点を当てている。阿木津の一首目は噴水の華麗さを上句で前景化し、そのイメージは下句の薔薇の喩を導出するが、結句の「水は疲るる」に至って作者の感情の注入がある。阿木津の二首目では、噴き上がる噴水が「さすらいびとのごとく」と形容されることにより、全体として心象の喩に転化している。高安の歌では、「空間」「個所」という硬質の抽象語彙の使用によって景は抽象化され、「しびるる如くなる」という表現によってさらに観念化されていると言えるだろう。モダニスムの香りが高い表現となっている。また玉井の歌は人気のない公園で水を噴き上げる噴水を詠んだもので、一首の見るべきポイントはもちろん「音あらく」にある。

 絵師はきて噴水散らす風をいふ世界は風に満つるといへり  坂井修一

 噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々たりきらめける冬の浪費よ  葛原妙子

 冬の噴水ときおり折れて遠景に砲丸投げの男あらわる  佐佐木幸綱

 上の歌群は、噴水の水が風で散らされる様に着目している。定常流となって噴き上がる噴水は不動の柱とも見えるが、水が散らされ水柱が折れることによって、不可視の風の存在が前景化される。坂井の歌は噴水よりも目に見えない風を詠うことに主眼があり、スケール感の大きな歌となっている。葛原の歌はあまりにも有名な歌で、水が風に飛び散る様を「冬の浪費」とする主観的断定の強さと下句の大幅な破調が印象的である。佐佐木の歌は噴水の向こう側に砲丸投げの男を配することで一首に遠近感を生み出している。マラソンでもなく幅跳びでもなく砲丸投げであるところがミソ。

 噴水のしぶき微かにふたたびを横ぎるときに翳る微笑み  高安国世

 音もなく霧をひろぐる噴水のとらえがたなき哀しみに遭う  高安国世

 待つ側に立つ人たちの腰かける噴水広場の円形のいす  嵯峨直樹

 高安には噴水を詠んだ歌が多い。上の歌は噴水そのものを即物的に詠ったものではなく、噴水の回りに集う人を詠んだものである。一首めの微笑が翳るのは相手の女性でこの歌は相聞と読むべきだろう。二首目では噴水を眺める〈私〉の心情に焦点が当てられている。噴水の多くは公園にあり、その回りに集う人々がいるはずなのだが、以外にそのような視点から詠まれた歌は少ない。嵯峨の歌では噴水の周囲で人を待っている人々が詠われているが、この歌では必ずしも噴水でなくてもよいような気もする。

 噴水は挫折のかたち夕空に打ち返されて円く落ちくる  吉川宏志

 ほんとうに若かったのか 噴水はゆうやみに消え孔を残せり  吉川宏志

 流星の痕なき空へ噴水の最後の水がしばしとどまる  林和清

 水の涸れた噴水のみを点景に佇てり消滅だけを信じて  光栄堯夫

 青銅の天使の噴ける水まるくひらきぬ水の腐臭かすかに  佐伯裕子

 上の歌群では噴水がネガティブな視点から把握されている。吉川の一首目では、噴水の水が噴き上げられて落ちる様に焦点が当てられて、それが「挫折のかたち」と表現されることで心情の喩となっている。二首目では上句のつぶやきと下句の叙景が対となり、描かれているのは夜になり水が止められた噴水である。林の歌でも噴水が噴き上げる最後の水が焦点化され、全体として希望のなさが浮かび上がる。光栄の歌ではもはや水を噴き上げることのない噴水が取り上げられており、その象徴的価値は明白だ。佐伯の歌は嗅覚に訴える肉感的な歌で、作りに間然とするところがない名歌だと思う。

 噴水のまばゆい冬のひるさがり少女は影に表情がある  加藤治郎

 噴水のしぶきを頭にあびながらベンチに待てり、不発弾処理  加藤治郎

 現代短歌シーンを疾走する加藤の噴水を詠んだ二首をあげた。一首目を見ると、冬の噴水が詠まれることが多い理由のひとつは、モノトーンになりがちな冬の情景に彩りを与えるためだということがわかる。二首目はいかにも現代短歌という作りで、四句目までは伝統的な近代短歌と言っても通るが、結句の「不発弾処理」で一気に世界のキナ臭さが前景化されるという仕組みになっている。極小から極大へと飛躍する点もまた、現代短歌が切り開いた手法のひとつである。結句によるこのような転換は「未来」の得意技だと三枝昂之が指摘したことがあるが、この意味で加藤は岡井隆の直系の弟子と言えるかもしれない。

158:2006年6月 第3週 大島史洋
または、想像力は遂に現実を越えられないか

ピカソ展見終えて濠に光あり
    静かに充ちてわが日々を撃て
         大島史洋『時の雫』

 1944年生まれの大島史洋のように歌歴の長い歌人の場合、時間軸に沿って作風が大きく変化していてとても論じにくい。歌人論的には、アララギ会員だった父親の影響で作歌を始め、近藤芳美と土屋文明に傾倒したというリアリズムの骨格に加えて、未来に入会して岡井隆の前衛短歌の影響をもろに被ったという重層的な短歌的自己形成を経ている。ひと筋縄では行かないのである。第一歌集『藍を走るべし』(1970年)は、語法と発想において前衛短歌の影響が濃厚だが、それ以上に作者と時代の若さが痛いほど感じられる歌集となっている。前衛短歌の影響は次のような歌群に顕著だろう。

 「大公」の調べ悲しき寒の夜幾千の眼に見おろされつつ

 ひそやかにあけがたの野を走りゆく熱情のあるカタピラーのうえ

 汗ながす緑のボンベ遠き世は吾が憎しみのうらがわの牡蠣

 真昼間に感電死する工夫あれ かの汗の塩をも吾は愛さむ

 炒められて緑輝く 父よ越えられぬ子を知らず眠るな

 写実を旨とする伝統的近代短歌に対抗する前衛短歌の戦略のひとつは、思想を暗喩を通じて表現するというものだが、一首目などは浜田到や塚本邦雄がいなければ書かれなかった歌だろう。二首目はとりわけ思想を肉感的な言葉で表現する技法を開発した岡井の影響が色濃い。四首目の「感電死する工夫」は塚本好みである。また五首目のような二句切れも、伝統的な短歌の韻律を壊そうとする前衛短歌の常套手段であることは今日ではよく知られていることだ。写実を排する道を取り観念の喩による形象化という手法を採用する代償は、難解・晦渋・読者への伝達度の低下である。大島もまたその例外ではなく、『藍を走るべし』はさまざまな作歌の試みが詰まった実験箱のようだ。この歌集が出版されたとき、どのように受け止められたのか知りたいものだ。作者と時代の若さは次のような歌群にまぎれもない。

 手のなかの鶸のぬくもりしめあげてゆけばひとつのいのちくるしむ

 生き方を問われていたる青年のコーラを一気にのみほせる見ゆ

 ゴム鉄砲犬のシールを撃ちつづくこの焦燥の沈みゆくまで

 部屋隅にたまりし埃をつまみもち誰も経てゆく夢のかなしき

 いま僕におしえてほしいいちにんの力のおよぶ国のはんいを

 いつの世にも青年は自意識の塊であり、自負とその裏返しの自己嫌悪と無力感に浸されている。歌集が出版された年代を考えれば、それに政治的挫折という時代の空気もまた付け加わるだろう。これらの歌には眼前に突然拡がる生に戦き、自己とは何かを問い自我の確立に葛藤する青年の姿がある。その清潔感は抜きん出ており、またこの青春のトーンの高さはまぎれもなく60年代から70年代初めの時代の空気を背景としている。「短歌には青春がよく似合う」と言われるが、このような青春らしい青春歌集は現代においては、女性歌人ならいざしらず(例えば横山未来子)、男性歌人には絶えて見られなくなった。わずかに黒瀬珂瀾が『黒耀宮』で一人気を吐くのみである。

 時として観念的過ぎて晦渋な歌も散見するとはいえ、第一歌集『藍を走るべし』は意欲的な試みを盛り込んだ歌集なのだが、大島の作風は大きく変化してゆく。第二歌集『わが心の帆』(1976年)あたりからすでに、平凡な日常に題材を採った歌が多くなり、初期の観念性と晦渋は影を潜めるようになる。その背景には作者の就職・結婚に続き子供が生まれ、実人生にがっちりと組み込まれたという事情があるだろう。

 捨てられし子猫が濡れて寄りくるをエセヒューマニズムの眼もて見おろす

 川なかの杭に生いたる青草を朝々に見て妻のよろこぶ

 明確におのれの立場を示せとぞいさぎよしとは思わぬものを

 職場には友はいらぬと言いしかば波ひくごとくうとまれてゆく

第三歌集『炎樹』(1981年)になるとさらにその傾向に拍車がかかり、何でもない日常を描くリアリズムとつぶやくように心情を述べる歌ばかりになる。

 妻の病めば子供もいたく静かにて襖を少しあけて見ている

 子をつれて絨毯などを見に来しがバド・パウエルのレコードを買いぬ

 休日を個の解放のごとくいう貧しく群れて孤立する個か

 わが買いしさくら草を貧弱と妻は言いぬこういう感じが好きなのである

 器には耐うる術なきかなしさの夕陽を見上ぐオランウータン

 季刊現代短歌『雁』53号(2002年)は大島の小特集を組んでいる。「下降志向のリアリズム」という題名の文章を寄稿した島田修三はそのなかで、社会的地位や収入が上がることを願う上昇志向ならぬ「下降志向」が大島にはあり、「より豊かな生活への果てしのない階梯を上がりつづけることを共同幻想とする現代」に、あえて逆の方向を行く「確信犯的な低い文学的視座」が心理的リアリズムを支えていると論じている。

 要するに大島は第一歌集『藍を走るべし』で展開した世界を「若気の至り」と断じ、その世界を封印してしまったのである。そのとき拠るべきものは、作歌を開始した頃からのもともとの骨格であったリアリズムである。しかし大島の興味は世界をリアルに写実することにあるのではなく、むしろリアルな世界に囲繞された〈私〉をドラマ化と観念抜きに描くことにあると思われる。かくして大島は目線低く日々変わりない日常と日常にまみれた自己を歌うのである。

 神田川の濁りの底を進みゆく緋鯉の群の数かぎりなく  『時の雫』

 自意識を諸悪のもとと思うまで畳屋の香につつまれている 『いらかの世界』

 神田川の潮ひくころは自転車が泥のなかより半身を出す 

 紫蘇の葉のにおいのなかにしゃがむときなまぐさき身よたたかうなかれ 『四隣』

 マンションの屋上にして金網のなかなる下着がおりおり光る   『幽明』

 こともなく日は過ぎゆくをいま少し深く悲しめみずからのため  『燠火』

 しかし、とここで考えてしまう。小池光も第一歌集『バルサの翼』の輝くような世界を封印してしまい、「ながながと板の廊下に寝そべれる一本棒の先端尻尾」のような歌を作るようになった。男性歌人はどうしてもこのような道を辿るものなのだろうか。リアリズムに着地しない中年(老年)短歌というものは不可能なのだろうか。

 ここからは大島の短歌とは関係なく私の勝手な夢想である。私が気になってしかたがない画家にヘンリー・ダーガー(1892-1973)がいる。シカゴ生まれのダーガーは不幸な生い立ちで、病院の雑役夫として孤独で貧しい生涯を送った。亡くなった後の狭いアパートから『非現実の王国として知られる地におけるヴィヴィアン・ガールズの物語』という1万5000ページに及ぶ長大な作品と、水彩とコラージュによる多数の絵画が発見された。その絵画は少女たちが巻き込まれる戦争物語で、少女が磔にされ切り刻まれるシーンが続く妄想の産物である。古雑誌とゴミの散乱する狭いアパートの孤独と、物語世界の波瀾万丈の絢爛さはこれ以上ないほど対照的である。しかし私がダーガーが気になって展覧会があると遠路足を運び、画集まで買って眺めてしまうのは、作品自体に不思議な魅力が漂っていることもさることながら、ダーガーの孤独な営みに芸術のひとつの原点があると感じるからに他ならない。それは想像力で現実を超えることである。ダーガーはそれを最も純粋な形で実践したと言える。さて短歌の世界はどうだろうか。