第122回 大森静佳『てのひらを燃やす』

忘れずにいることだけを過去と呼ぶコットンに瓶の口を押しあて
               大森静佳『てのひらを燃やす』
 この歌は集中白眉の歌ではないかもしれないが、本歌集の底深く流れる主題をよく表している。それは「時間」である。より正確に言うと「流れ去る時間に触れる悲しみ」である。「時間」は私もあなたも均並みに過去へと押し流す非情な客体であり、本来、私はそれに触れることはできない。私が触れることができるのは、私に操作可能な客体だけである。時間は私を支配するが、私は時間を支配できない。ここに何人も覆しえぬ非情な非対称性がある。
 私たちは時間に触れることはできないが、時間の流れを感じることはできる。これが〈私〉と時間とが取り結ぶ唯一の関係性である。掲出歌の上句「忘れずにいることだけを過去と呼ぶ」が意味するのは、時間はいずこかへと流れ去り消滅し、〈私〉の記憶に保存した情報のみが過去と呼ばれるということである。つまり過去とは記憶に他ならない。〈私〉が消えれば過去もまた消失するのだ。「コットンに瓶の口を押しあて」の下句が上句の観念性を希釈して、時間の流れを体感している〈私〉を押し上げる。よく出来た短歌的構造だと言えよう。
 作者が時間を強く意識していることは、次のような歌を見ればよくわかる。
蛍光ペンかすれはじめて逢えぬ日のそれぞれに日没の刻あり
日付から思い出せないものもあり柱にもたれる角度を真似る
浴槽を磨いて今日がおとといやきのうのなかへ沈みゆくころ
 大森静佳は1989年生まれ。「塔」「京大短歌」に所属。大学在学中の2010年に「硝子の駒」で角川短歌賞を受賞。審査員がほぼ満票に近い高評価を与えたことも記憶に鮮しい。その後、本人は大学院に進学し、現在は「塔」編集委員として活躍している。『てのひらを燃やす』は今年(2013年)の5月に刊行されたばかりの第一歌集。刊行から間がないのでまだあまり書評されてはいないだろう。前回取り上げた山崎聡子の歌集題名が『手のひらの花火』で、大森の歌集題名とよく似ているのは偶然とはいえおもしろい。この偶然の一致に現代の若手歌人の心の希求を読み取ることもできるかもしれない。
 角川短歌賞を受賞した「硝子の駒」50首では見ることができなかった歌人の資質が、歌集一巻を通読すると実によく見える。やはり歌集を持つのは大事なことなのだ。
 大森の短歌は現代では珍しいほど端正な定型短歌だが、『てのひらを燃やす』を特異な歌集としているのは、ほぼ全歌が相聞だということである。これは珍しい。
祈るようにビニール傘をひらく昼あなたはどこにいるとも知れず
痩身の父親として君がいつか立つという夏 カンナが光る
ワイシャツの背を流れゆく濃き葉陰わたしにばかり時間はあった
ビー玉の底濁る昼 くちづけて顔から表情を剥がしたり
栞紐のさきをほぐしぬ一月の心に踏みとどまる名前あり
 これらの歌を読んだだけでも大森の歌人としての資質がよくわかる。それは過度に自己主張しない、どちらかと言えば控えめな〈私〉と、感性に基づく世界の把握である。このうち前者は「ひとの背中を眺めるのが好きで、図書館ではいつも窓際の一番後ろの席に座っていた」という角川短歌賞受賞の言葉がよく物語っている。前に出るのではなく、後ろに下がって背中から世界を見るのを好むのである。また後者は角川短歌賞選考会で選者の永田和宏が何度も口にした「感性の重み」「感性の錘」という言葉に表れていよう。その意味するところは、自分の感性に頼ってしゃにむに突き進んだり、ただ言葉の組み合わせによってポエジーを立ち上げるのではなく、細部の具体性が感性の錘として働いて、歌に重みと具体性が加わっているということである。
 たとえば上に引いた一首目を見てみよう。下句の「あなたはどこにいるとも知れず 」は心のつぶやきで、これだけでは歌にならないが、上句のイメージの具体性が効いている。「ビニール傘」という詩的からはほど遠いアイテムと「祈るように」との組み合わせが、下句のつぶやきを発した主体の個別性を担保する。このイメージの具体性は、他の歌では夏に光るカンナであり、ワイシャツに背を流れる葉陰であり、底濁るビー玉であり、ほぐした栞紐である。
 では大森はこのような眼前の個別性にのみ目を注ぐのかというと、そうではない。
ハルジオンあかるく撓れ 茎を折る力でいつか別れるひとか
われの生まれる前のひかりが雪に差す七つの冬が君にはありき
くちと唇合わすかなしみ知りてより春ふたつゆきぬ帆影のように
遠い先の約束のように折りたたむ植物園の券しまうとき
後戻りするものだけがうつくしい枇杷の種ほど光る初夏
 ここには冒頭に指摘した大森の時間意識が色濃く滲み出ている。一首目には今自分の隣にいる人と別れることになるかも知れない未来の時間が詠まれている。つまりこの歌には「今」と「未来」のふたつの時間があり、自分はその間を漂う存在だと意識されているのである。二首目は恋人が自分より7歳年上であることを詠んだ歌だが、それを光差す7つの冬と美しく表現している。ここにあるのは未生の時間への眼差しである。三首目でふたつの春が帆影に喩えられているのは、時間の流れは捉え難いからである。四首目にはおもしろい時間の転倒がある。折りたたんでいる植物園の入場券は使用済みの券だろう。ふたりで植物園に行ったのである。だからこの券は過去に属する。しかしそれを遠い約束と意識するのは、過去と未来とを架橋するものとして自分を捉えているからである。また五首目の「後戻りするもの」とは過去にほかならない。
 このように大森の眼差しに捉えられるものは、眼前に今として存在し体感することができるものという狭いリアルだけではなく、〈私〉を流れる時間でもあるのだ。この時間意識が大森の短歌に奥行きを与えていることに注意しておこう。
 本歌集にはよい歌がたくさんあるのだが、特に印象に残った一首だけをあげておこう。
喉の深さを冬のふかさと思いつつうがいして吐く水かがやけり

第121回 山崎聡子『手のひらの花火』

セーターを脱げばいっせいに私たちたましいひとつ浮かべたお皿
                 山崎聡子『手のひらの花火』
 近年、学生短歌会の復活・創設ラッシュだという。一時は伝統ある國學院短歌会や立命館短歌会などが活動を停止し、まともに活動しているのは早稲田短歌会と京大短歌会くらいという時代もあったのだが、風向きが変わって全国で学生短歌会の活動が盛んになっている。詳しくはこちらを参照。いったいどういう風の吹き回しかと不思議に思うが、不思議に思うだけで原因に心当たりはない。いずれにしても若い人たちが短歌に興味を持ってくれるのは喜ばしいことである。当たり前のことだが、裾野が広がらなければ才能は出て来ない。また評論家の草森紳一に「才能はまとまって輩出する」という名言がある。少女マンガの花の24年組を見てもこの言が真実を突いていることは明らかで、この意味でも学生短歌会が活発に活動することで、若い人たちがお互いに刺激しあうのはよいことだ。
 若手歌人の歌集が相次いで出版され、また書肆侃侃房を版元とする「新鋭短歌シリーズ」の刊行も始まった。現代短歌シーンが少しずつ動き始めている気がする。これから何回かに分けて見ていこう。今回は山崎聡子の第一歌集『手のひらの花火』である。
 山崎は1982年生まれ。早稲田短歌会所属、ガルマン歌会・「pool」に参加。2010年に「死と放埒なきみの目と」で短歌研究新人賞受賞している。『手のひらの花火』は受賞作の一部を含む第一歌集で、栞文は日高堯子、加藤治郎、穂村弘、石川美南。装丁は「塔」の花山周子。あとがきによれば、短歌を作り始めた19歳の頃の作から最近の作まで250首を収録したという。ほぼ編年体だと思われる。
 若い歌人の歌集を読む時には、作歌技術の巧拙を論じてもしかたがない。若いのだから作歌技術に未熟な点があるのは当然だ。若い歌人の歌集を読む時に私が一番注目するのは、「言葉で構築された世界との距離の取り方」である。もちろんのこと短歌の世界はすべて言葉で構築されている。しかし、作り上げられた言葉の世界に対して、作者もしくは作者が投影された〈私〉がどのような立ち位置を取るかは人によって様々である。これは写実かそうでないかという位相とはまた異なる。
うすぐらき庭に枇杷の実ふとる夜半いさかう前に夫は眠りぬ
                後藤由紀恵『ねむい春』
りすんみい 齧りついたきりそのままの青林檎まだきらきらの歯型
             山田航『さよならバグ・チルドレン』
やはらかき手のあらはれて思ふさま入れる鋏のひびきは空に
                  鳴海宥『BARCAROLLE』
みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむ角をほこって
                    小林久美子『恋愛譜』
 後藤の歌の立ち上げる世界は〈私〉と肉薄する距離にある。作者の自宅の庭に本当に枇杷の木があるかどうかは関係ない。後藤の歌は〈私〉の歌である。これに対して山田の歌では、歌の世界と作者もしくは〈私〉はもう少し距離が離れている。歌に作者の感情が投入されているとしても、歌の世界は作者を少し離れた空間に浮遊している。鳴海の歌になるとさらにその距離は増す。言葉は〈私〉に奉仕するのではなく、短歌という文学形式を満たすことにもっぱら奉仕している。出来上がった歌は、作者を限りなく離れた空間に浮遊する。小林の歌ではさらにその度合いが進み、言葉は現実の意味をほぼ失ってポエジーを立ち上げることにのみ奉仕している。鳴海や小林の歌が漂っているのがもはや非人称と化した「文学空間」に他ならない。「言葉で構築された世界との距離の取り方」というのはこういう事情を指す。
 では山崎の『手のひらの花火』はどうかと言うと、まだスタンスが決まらないきらいはあるものの、独自の距離感を感じさせるものが確かにある。
塩素剤くちに含んですぐに吐く。遊びなれてもすこし怖いね。
理科室のホルマリンに似た甘い香が夏の土から匂い立つなり
「秘密ね」と耳打ちをして渡された卵がぐらぐら揺れるポケット
ソーダーのにおい仄かに立ちのぼる手首をきみに押し当てている
助手席のクーラーからは八月の土のにおいが漏れて 遠雷
 ここに引いた歌に共通するのは「どこか危険な香り」であり、「世界に対してロシアン・ルーレットを仕掛けているような眼差し」である。一首目は高校のプールの情景だが、殺菌のための塩素剤を口に含むのはもちろん危険な行為である。子供の無邪気な遊びというには、知りながらあえてする確信犯的な響きが感じられる。二首目、夏の土から立ち上る匂いは草いきれも混じってもっと爽やかなもののはずだが、動物の標本死体を入れたホルマリンの匂いだという。三首目には長い詞書のような散文が添えられているのだが、小学校の用務員が学校の門前のアパートに住んでいて、よく子供達を招き入れて遊んでいたという。子供に「秘密ね」と耳打ちして卵を渡しているのはこの用務員の男である。このシチュエーションだけでも十分に危険なのだが、それに加えて卵のぐらぐらである。四首目と五首目は短歌研究新人賞を受賞した連作「死と放埒なきみの目と」から引いた。この歌集には収録されていないが、受賞作には「罪深いおしゃべりばかり溢れだす、カローラ、義兄の白いカローラ」という歌があって、義兄との危険な場面だということがわかる。五首目には人物はいっさい登場しないにもかかわらず、何かが起こりそうという危機感がよく表現されている。
 これらの歌に表現された世界と作者・山崎との距離感は、20代前半の若い女性という作者の実像と照らし合わせて見れば、それほど理解が難しいものではない。子供時代は世界が大きく自分は小さい。自分は完全に受動的な立場に置かれる。大人になって経済的に自立し社会的立場を得ると、今度は能動的立場に立って社会を動かすことも多くなり、世界と自分の関係は変わる。しかし20代前半の若い女性というのは微妙な年齢である。受動と能動のきわどい均衡を利用して危険な火遊びをしているようにも見える。
 第一歌集を通読して感じるのは、山崎はこの自分と世界の距離感をよく掴んでいて、それを梃子にして短歌の世界を立ち上げているということである。そこがこの歌集の魅力だろう。ただし、歌集後半になるとさすがにそれだけでは短歌世界を支えきれなくなったのか、子供時代のノスタルジーや映画の世界や第二次大戦の風船爆弾の逸話などを素材にしているが、あまり成功しているとは思えない。山崎特有の「世界に対してロシアン・ルーレットを仕掛けているような眼差し」が感じられないからである。
 次にテーマ批評的に分析してみると、この歌集を通底するのは「匂いと湿り気」というテーマである。上に引いた五首のうち実に四首に匂いが詠まれているが、まだまだある。
虹色に塗り分けられた天井やピエロの動物じみた体臭
雨の日のひとのにおいで満ちたバスみんながもろい両膝をもつ
しっとりと湿る前髪そこに触れ泣かせてみたいと思うバスシート
演劇部顧問のあまい体臭が照明ルームの暗さににおう
右腕のつけねのやわい筋肉は夕立に似たにおいがしてる
 これは山崎が世界とどのような回路で繋がっているかをよく表している。それは匂いという嗅覚と湿り気という触覚である。世界を知的な構築物としてではなく、感覚を通して触れる知覚対象として捉えているということで、これが山崎の短歌に実感的手触りを与えていることに注意しておこう。
 細かい言葉の使い方とか、口語ベースにときどきぼつりと混じる文語表現とか、表現上気になる点はいろいろあるが、ここで言ってもしかたがない。
 歌集のなかから心に残った歌をあげておこう。
肺胞の模型図を陽に透かしつつ息をひそめて心音を聴く
ほおずきを口のなかから取り出せばいのちを吐いたように苦しい
ペディキュアを塗っては十の足指をひたむきにサンダルに沈める
放埒な光が宿るきみの目のひとなつで死に絶えるひぐらし
祖母の濁った目をおもう夏の日のそら豆のそのうすい皮膜に
小説のなか晩年を見たあとに市営プールに日陰はなくて
絵の具くさい友のあたまを抱くときわたしにもっとも遠いよ死後は
水辺にいるようなにおいだ花を抱き商店街に立ちつくす友
 これらの歌には山崎の〈私〉と世界との、一瞬後には壊れてしまうかもしれないような、危うい刹那的な関係がよく表現されている。そこが魅力なのだが、こういう世界の立ち上げ方で今後も歌を作り続けて行くのはいささか苦しいかもしれない。そのとき山崎に転機が訪れることは十分考えられるだろう。

第120回 後藤由紀恵『ねむい春』

隊列のほどける時にきわやかに鳥のかたちを取り戻したり
                 後藤由紀恵『ねむい春』
 何の鳥だろうか。隊列を組むのだから雁だろうか。隊列を組んでいる間は、飛行する速度や姿勢は他の鳥に従う。隊列が崩れて孤に戻る時に、鳥は本来の鳥の形を回復すると歌は云う。作者の心の深くに潜む希求を反映した心象風景で、写実ではあるまい。感情を形象に託した歌で、その感情の基調は〈不全感〉である。作者の後藤はこのように、日常の濃やかな感情の波立ちを具象化して言葉に落とし込む技に巧みである。
 『ねむい春』は2013年刊行の第二歌集。2004年の第一歌集『冷えゆく耳』で現代短歌新人賞を受賞してからの歌をほぼ編年体に収録している。かつて『冷えゆく耳』について、「後藤の歌の主題は同居する両親と祖母から構成される家族という舟だ」と書いたが、本歌集においてもその基本的姿勢は不変であり、収録された歌のベースには日々の暮らしが常にある。だから順番に読んでゆくと、まるで作者の人生行路を指でなぞるのように克明にたどることができる。後に触れるように、本歌集に収録された歌が作られた期間にはいろいろな出来事が作者の身辺に起きているのだが、歌は淡彩の絵のようにそれらを淡く描いている。粒がそろった真珠の首飾りのように、一首一首の粒がそろっているために印象が淡く見えるのだが、粒がそろっているということは歌の技術的レベルがそれだけ高いということだろう。逆に言えば集中でこの歌というように、一首を代表歌として挙げることがむずかしい。それは作者が短歌をあくまで生活に即したものとして捉えているということでもある。芸術派ではないということだ。
 さて収録された歌を順に見てみよう。
転倒をくりかえす祖母をささえつつ廊下を歩くわれのスリッパ
しずかなる馬の眼をもてかなしみを語らぬままに老いてしまえり
淡々と事実を告げられ病人になりゆく父とわれら家族と
胸にある葉の枯れゆくを指し示す医師の声のみしんと響いて
 第一歌集ですでに老いの兆していた祖母は、介護が必要になり認知症の傾向が出ている。父親は突然肺ガンの宣告を受け、入院し手術を受ける。このような家族の変化も大きいが、いちばん大きな出来事は大学の事務職員だった作者が結婚したことだろう。
うめさくら冬から春へうごきゆく季節に君と暮らしはじめつ
うすがみに筆圧つよく名をきざむ作業ののちに婚はととのう
薬屋とカラスの多き町と知るひとつの季節を君と暮らして
 やがて祖母は泉下の人となり、作者は新しい町で派遣社員として働き始める。また長年営業した実家の居酒屋は閉店することになる。
いくたびも撫でし額を死ののちもふたたび撫でるわれのてのひら
派遣会社ことなるわれら時給には触れずランチはなごやかに過ぐ
この春に店を閉めると一行の母のメールに風雲の立つ
 結婚生活も順調とは言えず、夫との間に越えがたい心の壁が出来ているようだ。
うすぐらき庭に枇杷の実ふとる夜半いさかう前に夫はねむりぬ
寄り添いて添わぬこころを冬ざれの馬橋公園のベンチの上に
夫という輪郭を持つとうめいな壁とわれとに冬の陽の射す
玄関のドアをあければ夫という夜の湿原われを待ちおり
 歌集の批評においてもこのように作者の実人生をたどらざるを得ないのは、それを離れては作者の短歌が意味を持たないからである。それはそれで短歌に対するひとつの態度であるので、文句をつける筋合いはない。
 後藤の短歌の特色として注目すべきなのは、濃やかな情感の表現と、体感を掬い上げるように言葉に落とし込む表現力だろう。
君の声しずむ身体もてあましひねもす春をふかく眠らな
六人の女のあしもと冷えてゆく事務室に置く硝子のりんご
背中からみどりに濡れてゆく午後のベンチにふたりとりのこされて
耳ふかく気圧は変わりトンネルを抜ければ夏の空だけがある
しびれるまで冬の真水にさらしおく十指につかむこの先のこと
緋の色の革手袋のうちがわに指先の知るくらやみがある
執拗に水切りしたる豆腐もて白和えつくる二月の厨
 一首目の「君の声しずむ」に見られる音声と重力を結びつける表現、二首目の冷えゆく室内と硝子のリンゴの呼応、三首目の色彩と濡れる感覚の照応など、身体感覚を何かと結合することでいっそう際立たせている。四首目の気圧の変化による耳の感覚や、五首目の指の感覚などにも同じことが言える。とても微細な身体感覚を掬い上げて、感情の表現へと昇華させているところが巧みである。読んで歌意が取れないという歌がほとんどない。七首目はいわゆる厨歌で、女性が得意といるところだが、「執拗に」という初句の副詞に圧がかかっているところが歌のポイントだろう。
 『ねむい春』はこのように表現力のレベルの高い歌集で、読者は読み進むうちに作者の感情の起伏や細かい襞に至るまでを、寄り添うようにたどることができる。本歌集の本来の批評はここまでである。残りは雑感で、私の勝手な感想である。
 読み終えた後に「しかし」という思いが残る。本歌集を通読して感じるのは〈閉塞感〉である。それは女性として妻としての社会的役割がもたらす閉塞感だろう。歌集巻末近くに、東日本大震災の後で津波に洗われた写真洗浄のボランティアに赴いた折りの歌がいくつか配されていて、〈私〉の枠を超えた社会的回路が感じられるが、それも僅かである。
 文学表現の理想は、個を描いて普遍に至ることだろう。個に閉じられることなく普遍への通路を開くことで、表現は共有され共感される。そのためには個を克明に描きながらも、どこかに普遍を意識しなくてはならない。普遍への回路を組み込むことで、文学表現は〈私〉の表現から〈私たち〉の表現へと変貌する。
 普遍への回路が組み込まれていると私が感じるのは次のような歌である。
軋みつつ人々はまた墓碑のごとこの夕暮れのオールを立てる
                 寺井淳『聖なるものへ』
観音のおゆびの反りとひびき合いはるか東に魚選るわれは
             大滝和子『人類のヴァイオリン』
まづ水がたそがれてゆきまだそこでためらつてゐる夜を呼ぶそつと
                   大辻隆弘『夏空彦』
 普遍への回路は、実生活においてはいざ知らず、少なくとも言語表現においては閉塞感から解き放たれるひとつの通路である。

第119回 内山晶太『窓、その他』

よみがえるこころ、車窓を信号機のうつくしく過りゆく転瞬を
                 内山晶太『窓、その他』
 集中の最上の歌ではない。短歌として韻律のよい歌でもなく、結句の文法的な繋がり方も曖昧だ。しかし一読したときにまず惹かれた歌である。
 一日の仕事の果て、疲弊して夜の郊外電車に揺られている。空いている座席はなく、立ったまま吊革を握っている。仕事の澱と日々の塵埃に心は重く淀み、眼球は埃を被った玻璃のように鈍く曇っている。やがて電車は信号機のある踏切に差しかかる。赤く明滅する信号機を車窓から眺めたとき、作者の心にふいに転瞬が訪れる。闇に明滅する赤い光に、枯れかけた花が水を得たように心に生気が甦る。その一瞬を鮮やかに切り取った歌である。この歌には世界に対する作者のスタンスがよく顕れている。それをひと言で言おうとすると〈失墜と恩寵〉という言葉が頭に浮かぶ。失墜は私たちが生きる日々であり、恩寵はたまさか訪れる光である。掲出歌には微かな祈りすら込められているように感じる。
 内山晶太は1977年生まれ。「短歌人」「pool」所属。1998年に「風の余韻」で短歌現代新人賞を受賞している。『窓、その他』は2012年出版の第一歌集。タイトルは「まど、そのほか」と読む。タイトルに読点が含まれているのは珍しい。跋文はなく、プロフィールによれば作歌歴は20年になるという。満を持しての第一歌集と見た。それにふさわしい中身の濃い歌集である。
 内山の短歌世界はどのようなものか。まず次のような歌が並んでいる。
通過電車の窓のはやさに人格のながれ溶けあうながき窓見ゆ
「疲れた」で検索をするGoogleの画面がかえす白きひかりに
湯船ふかくに身をしずめおりこのからだハバロフスクにゆくこともなし
陸橋のうえ乾きたるいちまいの反吐ありしろき日々に添う白
口内炎は夜はなひらきはつあきの鏡のなかのくちびるめくる
自販機のひかりのなかにうつくしく煙草がならぶこのうえもなく
 この歌集に登場するのは都市・東京に労働する勤め人である。勤め人はいくばくかの対価のために労働を提供し、長い通勤時間を耐える。一首目はその通勤電車を詠ったものだが、電車の速度のため乗客の人格が溶けて見えるという。「ながき窓」の表現に、人間が溶けて固まったような不気味な印象がある。古典的な用語を使えば、これは「疎外」に他ならない。二首目、「疲れた」で検索する人は現実にはいないだろうが、思わずしてしまうほど疲れているのだ。集中全編にこの疲労感が漂っており、本歌集のライトモチーフのひとつとなっている。三首目、本当にハバロフスクに行きたいわけではなく、ハバロフスクは閉塞状況からの脱出の象徴に過ぎない。四首目、陸橋は鉄道を跨ぐ跨線橋だろう。酔漢が前の晩に吐いた反吐が乾いている。ありふれた都市風景だが、作者はその乾いた反吐の白に心を寄せている。「しろき日々」は平板な日常であり、自分をこの反吐と同じようなものと観じている。五首目は日常の細かなものに着目する作者の姿勢を表す歌。口内炎を「夜はなひらき」と表現したところがささやかに美しい。六首目は煙草の自動販売機を詠んだ歌で、都市生活者の乾いた抒情である。
 このように日々の労働と塵埃にまみれる都市生活者の日常と、そこに訪れる微かな希望と湧き上がる祈りとが、内山の短歌世界の中核を形成していると思われる。
 同じ短歌人会の生沼義朗とは2歳違いのほぼ同世代で、都市生活者の抒情を核にしている点は共通しているものの、生沼の神経症的傾向とサブカル好みは内山にはない。男歌の系譜を辿れば、先輩格の藤原龍一郎と小池光が控えているが、藤原のギミックと固有名の氾濫と慚愧、小池の韜晦と軽みともまた、内山は対照的である。内山には内省的という形容がふさわしい。
 本歌集のタイトルが示すように、内山には窓を詠んだ歌が多い。
四階の窓のむこうに老人の気配の綿毛ひかりつつ浮く
列車より見ゆる民家の窓、他者の食卓はいたく澄みとおりたり
閉ざしたる窓、閉ざしたるまぶたよりなみだ零れつ手品のごとく
夕闇の気配ひろがる午後五時の澄明、ひろき窓を隔てて
昼といえどうすぐらき部屋のひとところ泉に出遭うごとき窓あり
 なぜ窓なのだろうか。二首目を見てみよう。通勤列車から見た風景である。沿線の民家の窓の中にダイニングキッチンの食卓が見えている。食事時は過ぎており、テーブルに人はいない。特別な食卓ではないのに、「いたく澄みとおりたり」と作者には見える。なぜか。望遠鏡を逆さまに見た光景だからである。試してみたことはないだろうか。ふつう望遠鏡を覗くと遠くのものが近くに大きくみえる。望遠鏡を逆にして見ると、近くのものが遠くにあるように見える。それは身近にある親しいものが、妙に遠くに離れてしまい、私の属する世界の外にあるように見える奇妙な感覚である。
 二首目の作中の〈私〉と民家の食卓は別の世界に属しているのだ。移動する〈私〉と不動の民家はやがて離れてゆくという意味において別の世界に属している。それは内山が〈私の一過性〉を深く内面化していることに由来する。
 もっとも内山にとっての窓は決して一義的存在ではなく、多様な意味を与えられている。上に引いた一首目には別の世界という意味はなく、また三首目は窓と眼のアナロジーがあり、四首目や五首目では〈私〉を世界に開いたり、泉のような清新さを与えるものとして捉えられている。
 とはいえ逆さ望遠鏡の比喩が示すように、世界から一歩引いた立ち位置は内山の基本姿勢のように思える。
人界に人らそよげるやさしさをうすき泪の膜ごしに見き
夕闇のおさなき闇よ、かすみ草さわだつごとく人は群るるを
くびすじに触るる夜風を人としてすずしき肉をふかく憐れむ
いつか泣く日々ちらばりて見ゆるなり木の間隠れの街の明かりが
みずからを遠ざかりたし 夜のふちを常磐線の窓の清冽
 同じ連作から並んでいる五首を引いた。静かで内省的な抒情の漂う美しい歌群である。目の前の風景を「人界」と呼び、木の間隠れに遠くから街を眺めるのは、〈私〉がこの世界に含まれていないと感じているからである。それは単純な現代社会の疎外感とか離人感から来るものではなく、内山がキリスト者だからではないだろうか。
濁ることのふかさといえど雑居ビル四階のミサにこころ涵すも
にんげんの顔のゆがみを忠実にヨセフ描かるヨセフ物語に
コラールを聴く夜おのずとひらきゆく指よりコラールはあふれたり
福音のひびき及ばぬわが部屋を光にしみて朝のパンあり
 内山の聴くコラールはマリー=クレール・アランの演奏するバッハの「我深き淵より」だろう。部屋にころがるパンがキリストの肉の象徴であることは言うまでもない。宗教者とは、自分をこの世のみに属するものではなく、いつか行くあの世にも属する者と捉える人であり、ひいてはこの世よりもあの世に属していると捉える人である。こうしてあの世からこの世を眺める眼差しを内在化してゆく。内山の歌に見られる世界への距離感はここに起因するように感じられる。次の歌などはこのことをよく表している。
晩年のまなざしをもて風うすきプラットホームに鳩ながめおり
 内山の歌全体に漂う寂寥感と静かな内省、そして深い場所から湧き上がる祈りのような言葉は、内山が若くして「末期の眼」を持ったことによると思われる。私を「いつか死ぬ存在」と捉え、終点からこの生を逆向きに眺める。これが内山の逆さ望遠鏡の秘密である。
 しかし考えてみれば、私を過ぎゆくはかない存在と見る態度は、古典和歌の「あはれ」の基盤をなす世界観である。この意味で内山の歌は現代短歌でありながら、遠く古典和歌の精神に連なるものと見ることもできよう。
 次のような歌に特に心を惹かれた。
ドーナツの穴の向こうに見えているモルタルの壁はなみだあふれつ
帰宅とは昏き背中を晒すこと群なしてゆく他者の背中は
オランダにかなしみのある不可思議を雨の彼方の観覧車まわる
彼岸花あかく此岸に咲きゆくを風とは日々のほそき橋梁
ただよえる花ひとつずつ享け止めつしめやかにして水を病む河
人生はひとつらの虚辞ふる雪の降り沈みゆくまでを見守れば
高みへと吹き上げらるるはなびらへ手を振りながらなお生は冷ゆ
薄紙がみずに吸いつくときのまを何処の死者か肉を離るる
 いずれも内山の美質がよく現れた歌である。『窓、その他』は2012年度の収穫として記憶されるだろう。

第118回 都築響一『夜露死苦現代詩』

作用の
仕天は
作極の
しずみを
焦す
いざつむえ

   友原康博
 今回の話題は歌集ではなく、都築響一『夜露死苦現代詩』(ちくま文庫)である。タイトルは「よろしく現代詩」と読む。「夜露死苦」は今ではもはや絶滅危惧種となった暴走族が、特攻服に刺繍したり、壁にペンキで落書きした当て字だ。
 都築は1956年生まれの写真家・文筆家で、『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』という写真集で写真界最高の権威とされる木村伊兵衛賞を受賞している。『TOKYO STYLE』という写真集は私も持っているが、東京に暮らす若者のアパートの室内を淡々と撮影した写真集で、見ているだけでものすごくおもしろい。『夜露死苦現代詩』は街角にころがっている詩や、ふつう詩とは見なされない言語表現を拾い集めたものである。死刑囚の作った俳句、老人介護施設で暮らす認知症の老人が垂れ流す言葉、玉置宏の歌謡曲の司会、暴走族の特攻服に刺繍された文章、見せ物小屋の呼び込み口上、湯飲み茶碗に印刷された説教詩、ラップ音楽のリリックなどが取り上げられている。冒頭に掲載したのは、統合失調症の青年がノートに書き綴った膨大な詩の一編である。断っておくが誤変換ではなく、原文のままである。
 都築自身はこの言葉を使っていないが、本書で都築が目ざしたのは考現学だろう。考現学とは、早稲田大学の建築学教授であった今和次郎こん わじろうが、考古学をもじって作った造語だ。考古学とは言うまでもなく、遺跡などを発掘して古い時代のことを調べる学問だが、これにたいして考現学とは、今まさに私たちが生きている現代そのものを観察対象とする学問である。今は1923年の関東大震災のあと、焼け野原に廃材を寄せ集めて作られたバラック建築を見て回り、住むための家という建築の根源的あり方を見た。今が提唱した考現学は、その後、赤瀬川原平のトマソン、藤森照信らの路上観察学会・建築探偵へと発展していった。ちなみに考現学にはもうひとつのルーツがあり、京都大学人文科学研究所の多田道太郎らを中心とする現代風俗研究会がそれである。
 『夜露死苦現代詩』はまさに詩の考現学と言えるのだが、本書のもうひとつの隣接領域はアウトサイダー・アートである。アウトサイダー・アートとは、主に知的障害や精神疾患などを抱えた人や、正規の美術教育を受けていない市井の人々が生み出す美術作品をさす。日本では1993年に世田谷美術館で開催された「パラレル・ヴィジョン – 20世紀美術とアウトサイダー・アート」で広く知られるようになった。ちなみに私はこの展覧会を見ており、衝撃を受けてぶ厚いカタログまで買って帰った。今では現代美術のアイドルと化した草間彌生を初めて見たのもこの展覧会である。草間は当時はまったく無名だった。この展覧会には、ジュネーヴの霊媒エレーヌ・スミスが描いた火星の風景や、フランスの郵便夫シュヴァルの理想宮の模型も展示されていた。『夜露死苦現代詩』には、都築が「痴呆系」と呼ぶ認知症患者の吐き出す言葉の洪水や、統合失調症の青年が綴る詩も、現代詩のひとつの姿として収録されている。
 都築の主張は前書きに書かれているが、要約すれば次のようになる。聞いてもちっとも気持ちよくならない現代音楽や、見ても楽しくない現代美術のように、読んでもわからない現代詩が溢れている。そもそも現代詩には読者がいるのかどうかも疑わしい。詩は死んではいない。死んでいるのは現代詩業界だけだ。街に出れば、ストリートという生きた時間が流れる場所で、詩人とは一生呼ばれないであろう人たちが、言葉の直球勝負を挑んで来る。そういうものを拾い上げたい。こういうことだろう。
 街歩きと路上観察を趣味とする私には、『夜露死苦現代詩』は実におもしろい本なのだが、俳句・短歌などの短詩型文学や現代詩にたずさわる人にとっては、考えさせられることの多い本でもある。それは〈詩と詩ではないものの境界線はどこにあるか〉という問題を突きつけられるからである。
 たとえば次のような暴走族の特攻服に刺繍された韻文である。
たとえこの華散ろうとも
一生一度の青春を
地獄で咲かせて天で散る
自分で選んだ道だから
命尽きても悔いは無し
我ら華麗な暴走天使
 見事な七五調で、最後だけ七七になっている。都築によれば暴走族のあいだでも他人の文章をパクるのはタブーなのだそうだ。だからこれは高校中退した左官見習いの青年が、ない脳みそを絞ってひねり出した韻文なのである。表現の稚拙さや陳腐さをあげつらうのはたやすいが、それが逆に、日本語が内蔵している最大公約数的コトバの貯金をあぶり出してくれる。
 あるいは駄菓子屋で売られている点取占いのくじに書かれた文章だ。
鉛筆で書くのはきらいだがけづるのはすきだ
おいもを食べすぎてお尻がやかましい
犬の背中にのってはしりたい
雨の降る日は天気が悪いとは知らなかった
 こういったくじの文句と谷川俊太郎の詩を区別するのは難しい。ひとつひとつ別のくじの文句だが、こうして並べると全体が一編の詩のようにも見えてくる。並べ替えればまた別の詩が出来るのは、偶然性の音楽のようだ。
 あるいは統合失調症の青年が書き殴った詩である。
小さく小さく小さく微生物のように
いつも動いている微生物どうしが
乱動を起す
小さな凶器が血を流す
ガラスビンの中は赤くおごれている
ガラスが波乱する
化学者は白い服を赤い血で
そまっている (後略)
 こうなるともうはっきり現代詩だ。違いはただ、これらのコトバたちは譫妄状態で機関銃のように吐き出されたもので、世間に発表することをまったく考えずに生まれたコトバたちであり、現在、中年になり症状も穏やかになった本人が、あれはすべて病気が書かせたもので、今の自分には関係ありませんと、著者性すら否定しているという点である。つまりこれらのコトバたちが生まれた位相は「詠み人知らず」ではなく「詠み人おらず」で、作者主体を喪失したコトバなのだ。作者は不在で、コトバだけが時空間を永遠に漂い続ける。この浮遊感覚は独特のものだ。
 『夜露死苦現代詩』のなかでとりわけ感銘深いのは、死刑囚の俳句と、自死者の残した遺書だろう。本書には『異空間の俳句たち』(海曜社発行、雄山閣発売、1992)に収録された俳句が紹介されているが、これ以外にも佐藤友之『死刑囚のうた』(現代書館、1996)という短歌を収録した本も刊行されている(ただしいずれも絶版で古書でも入手は困難)。
綱よごすまじく首拭く寒の水  和之
叫びたし寒満月の割れるほど  西武雄
秋天に母を殺せし手を透かす  祥月
 句が作られて状況を思えば沈黙するしかない俳句だが、これよりさらに衝撃的なのは「池袋母子餓死日記」という章で語られている事件である。1996年4月27日、池袋の古びた木賃アパートの一室で77歳の母と41歳の息子が餓死しているのが発見された。息子には障害があり、一家の収入はわずかな老齢年金だけだったという。少ない収入の中から電気代や家賃は律儀に払い、生活保護を受けるのは申し訳ないと餓死したらしい。死後、ノートにびっしりと書かれた老母の日記が発見された。
 今日までで、私共の食事は、終りと思っていたところ、子供が、明日から、お茶丈では苦しいからとて、毎日うすいせんべいを、三枚食べているのに、一枚明日のに残すと言って食べないで、残したが、私は、毎日、一枚のせんべい丈を、朝と、後からとの二回にわけて食べているので、明日に残すものがない、子供は、毎日、ひもじいのを、じっと、ガマンして、不足も言わないし、気げんも悪くしてないので、大変、助かるが、今後の事が、不安である。(後略)
 読点が異常に多く切れ目がなくて、ひとつの思考が次の思考を呼び寄せるように、うねるように続いていく特異な文体である。読んでいるとふと異空間に彷徨い出すような感覚すら覚える。日本語散文の頂点のひとつが「三日とろろおいしゅうございました」で始まるマラソンランナー円谷幸吉の遺書であることに同意する人は多い。池袋餓死老母の遺書にも形容し難いライブ感と、手に掴めるほどの言葉の生々しさが漂っていて、言語の極北を見る思いがする。試しに政治家や官僚の内容空疎な言葉と比べてみるがよい。
 『夜露死苦現代詩』を通読すると「人はなぜ表現するのか」という根源的な問いかけが立ち上がる。私もどうしても答を知りたいと願っている問である。
 独房で俳句を作る死刑囚は、作品を後世に残したいと願って作句したのではあるまい。極限状態に置かれた境涯がおのずと言葉へと向かわせたのである。池袋の老婆も誰かに読まれることを期待して日記を綴ったわけではない。吐き出さねばすまない表現衝動に追い立てられるように鉛筆を握ったのだろう。「窓緑なかのあたしは赤裸」「音の出る坂へバスで行きたいんですが」「おまえのおれをかえせ」など、意味不明の言葉を機関銃のように吐き出す痴呆老人に至っては、もはや通常に意味における表現という領域を超えている。
 極限状態においても人は言葉を発する。それが他者へと向けられた意味ある言葉でも、他者へと向けられず虚空に吸い込まれる意味のない言葉でも、人は言葉を発する。人類は言語を獲得して初めてホモ・サピエンスになったと考える人類学者もいる。もしそれが正しければ、人の属性の最も根源的な階層に言葉は埋め込まれていることになる。こう考えれば、極限的状況において人が言葉を発することに不思議はない。そして極限状況で発せられた言葉が私たちの心に届くことにも何ら不思議はない。
 『夜露死苦現代詩』を読んでいると、このように思われてくるのである。

第117回 佐藤弓生『うたう百物語』

一本の避雷針が立ちじりじりと夕焼の街は意志もちはじむ
                   浜田到『架橋』
 今回話題にするのは佐藤弓生『うたう百物語』(メディアファクトリー、2012)である。あとがきによると、怪談専門誌『幽』に連載した文章をまとめたものだという。世に怪談専門誌などというものがあることにまず驚くが、お寺の住職を読者とする『寺門興隆』とか、養護教諭向けの『保健室』などという雑誌まであるのだから、怪談専門誌があってもおかしくはない。日本は世界に冠たる雑誌王国なのだ。ちなみに本書の帯文は道尾秀介と穂村弘。表紙装画は黒田潔。いつもの線描イラストではなく、黒の背景に花と昆虫を配した耽美的な絵である。装丁は名久井直子。錦見映理子の歌集『ガーデニア・ガーデン』の装丁を手がけた人で、今注目の装丁家である。
 『うたう百物語』の構成は、一回分が見開き2頁弱の掌編に短歌を一首添えるという形式になっている。題名の「百物語」は伝統的な怪談話の形式で、起源は不明ながら室町時代に遡るともいう。和室に百本の蝋燭を灯し、その場に集まった人が一人怪談話をするたびに蝋燭を一本消してゆく。百本の蝋燭を消したとき、本当の妖怪が出現すると言われている。時には99本の蝋燭を消した段階で話を止めて、朝を待つこともあるとされている。おもしろいことに『うたう百物語』も99話までは掌編と短歌の組み合わせだが、百話目は読者を怪談話会に誘う内容の掌編のみで、短歌は添えられていない。これは本書に佐藤が施した楽しい仕掛けで、百話目の歌は読者自身が詠ってくださいということである。
 注目したいのは掌編と添えられた短歌の関係性である。あとがきによれば、佐藤は連載を始めるに当たって、最初は怪しい短歌を選び、その中にある物語を読み解いてゆくつもりだったという。ところが物語は中ではなく外からやって来た。短歌の前に立ったとき、背後から別の物語が聞こえて来たという。つまり短歌と掌編とは独立したものであり、その間に交感し照応する関係があるということだろう。
 しかし「怪しい短歌」とは何だろうか。佐藤が選んだのは次のような歌である。
きりわけしマンゴー皿にひしめきてわが体内に現れし手よ  江戸雪
鉄門の槍の穂過ぎて春の画の少女ら常春藤きづたの門より入れり
                             山尾悠子
包丁に獣脂の曇り しなかつた事を咎めに隣人が来る  魚村晋太郎
鈍色の客車ひとつら黄昏を地下隧道に入りて出で来ず  山田消児
夕ぐれといふはあたかもおびただしき帽子空中を漂ふごとし  玉城徹
 確かに何やら不穏な気配の漂う歌ではある。江戸の歌の「わが体内に現れし手」は何かの比喩だと思われるが、字義通りに取るとシュールである。山尾の歌にも不思議な感じが満ちている。魚村の歌に登場する包丁はいったい何を切ったのだろう。玉城の歌も比喩なのだが、歌に置かれると比喩が実体的な視覚性を帯び、あたかもルネ・マグリットの絵を見ているような印象を与える。余談ながら山尾悠子の歌が引かれているのが嬉しい。佐藤自身もSFを書いているので、違う畑の人ではないのだ。
 ではこのような歌に佐藤が添えた掌編はどのようなものか。たとえば江戸の歌に寄り添う掌編は、お腹に胎児を宿した女性が数時間前に男から聞かされた偽りの言葉を反芻し、「どんな言葉も、自ら死ぬことはできない。異常細胞と同じだ。言葉は分裂と増殖を始めてしまった」と感じる。そして「傍らで眠るこの人の、偽りを話す口を、塞いでしまわくては」と締めくくられている。「わが体内に現れし手」を文字通り胎児の手に見立てて紡がれた幻想である。
 佐藤の紡ぎ出す掌編は、時に短歌に付き、時に短歌から離れた詩空間に飛翔して、読者を幻想の糸に搦め取る。できれば夏の夜か秋の夜長に、芳醇な香りのウィスキーをちびちびと舐めながら、ひと晩に一編を読むとよかろう。ふだん目にする機会の少ない夢野久作や中島敦の短歌に触れることができるのも楽しい。
 ちなみにいろいろな短詩型文学に触れることができるという点でお勧めなのは、斎藤慎爾編の三部作『短歌殺人事件』『俳句殺人事件』『現代詩殺人事件』(光文社文庫)である。それぞれ短歌・俳句・現代詩を素材に用いた推理小説を集めたアンソロジーで、『短歌殺人事件』『俳句殺人事件』では、頁の欄外に現代を代表する短歌と俳句が添えられていて、一粒で二度美味しい。『現代詩殺人事件』には佐藤弓生の「銀河四重奏のための6つのバガテル」という短編が収録されている。
 最後に集中で私が最も好んだ掌編を紹介しておこう。語り手はタクシーの運転手。深夜に大きな花束を抱えた一人の客を乗せる。客は隣の県の半島の南端まで行ってくれという。走り出すと、客は一人のはずが、後部座席にはいつのまにかもう一人いて、二人の輪郭は怪しく溶け合い、植物の芳香と動物の体臭が強く匂う。やがて夜明けとなり目的地が近くなったときに、「海岸まで降りますか」と問いかけると客は次のように答えた。「ここで、いいです。ここがいい。もう急ぐことはありません。分かれたあとは僕たち、とてもお腹がすくんです。」(原文では「分かれた」に傍点)
タクシーの後部座席が祭域となる 沈黙のぼくらを乗せて  黒瀬珂瀾

第116回 菊池孝彦『まなざさる』『彼の麦束』

雨が降り出す前の暗さに蛍光灯は二、三度力を込めて点きたり
                  菊池孝彦『まなざさる』
 思わず「あるある」と膝を叩きたくなる歌である。おそらく夕方であろう。ふだんならまだ火点し頃ではないが、空は雨を含んでいつもより暗い。蛍光灯はそろそろ寿命らしく、グロー球の一度の放電で点灯しない。2・3度放電してようやく灯る。「力を込めて」はグロー球自身が力んでいるようにも見え、またそれを見ている知覚主体としての〈私〉が思わず力んだようにも取れる。対象と〈私〉とのこの一瞬の交叉がこの歌の眼目であり、作者の注意はそこに注がれている。
 菊池孝彦は2010年に満を持して第一歌集『声霜』を刊行した。その出版記念パーティーの席で、第二歌集と第三歌集を同時刊行すると宣言し出席者を驚かせたという。第二歌集『まなざさる』は自由律・新仮名、第三歌集『彼の麦束』は文語定型・旧仮名の歌集になっている。題名の『まなざさる』は「まなざし」の動詞形「まなざす」の受動態だという。栞文を三井ゆきが書いている。『彼の麦束』の方はヴィクトル・ユゴーの詩「彼の麦束は欲深くもなく、恨み深くもなかった」に由来する。
 栞文を読んで作者と「短歌人」の先輩である高瀬一誌との交流の深さを改めて知った。作者が栞文を三井ゆきに依頼したのはこのような事情による。三井は『まなざさる』のゲラを読んで幾度も高瀬の作品を想起したという。
 特段理由もないのに読む機会を失している歌人がいて、高瀬は私にとってその代表格である。私は高瀬の作品としては、どこかに引用されていた第一歌集『喝采』の数首以外ほとんど知らないのである。
真昼 紅鮭の一片を腹中にしてしばし人を叱りたり  『喝采』
伯父の墓より伸びる蔓は川崎の女の方にのびたり
わがつぶやきを諳んずる鸚鵡の急死をよろこびとせよ
 自由律ではないものの定型から時に大きく外れるその韻律は、高瀬節とも呼ばれていたらしい。このリズムの反照が菊池の第二歌集にも散見される。
まあまあととりなしていたはずがみずから怒れる人となりたり
アマデウスは地を踏まず翔けゆきしがからから笑う声のみのこす
帰らんとする者さまよいはじめる者ありて今が夕暮れ時ぞ
   完全な自由律ではなく、背後に微妙に定型が見え隠れする文体で、その揺らぎの部分をを味わえるかどうかで評価が異なるだろう。全体として抒情よりは理と知とユーモアに傾く内容になっている。こういう自由律は集中の「とどのつまりは行き場を失うことからしか始まらぬ」「この道を行くと決めたからにはこの道を往く さびしくてよし」などのように、ややもすれば人生訓に接近する。下手をすると相田みつをの色紙のようになってしまう。
 この歌集の眼目は次のような歌にあるようだ。
見られているのがわかってから少しずつ見ることがはじまるらしい
人形に見られているにわれはおごそかなるまなざしを返したり
 いずれも「見る / 見られる」の関係性を詠っている。見るのは主体であり、見られるのは客体である。しかし事情はそれほど単純ではない。この歌では見る主体が実は見られている客体でもあるという二重の関係性になっている。「見る」と「見られる」の二重の相互関係から立ち上がるものが歌の主題であろう。
 自由律と定型という形式上の差はあるものの、このことは第三歌集『彼の麦束』にも通底している。今回三井ゆきの栞文を読んで、作者が精神科医であることを知った。そのことによって得心するものがある。
いちにちが終はる夜更けを無意識は侵しゆくなりわれの意識を
防波堤のごとき意識は眠れるに無意識はいよよ脳にむづかる
ゆふぐれにさまよひいづるすべもなき魂と魄とが歌つむぎゆく
木漏れ日のさゐさゐと降る秋の道わが魂と魄ほのわかれゆく
 上の二首は人間を意識と無意識の二元論で捉えたものであり、作者が精神科医であることを思えばなるほどと納得する。二元論は優れてユダヤ・キリスト教的思考スタイルであり、日本人が不得手であることにも留意しておこう。情緒纏綿とした世界を描いていた和歌の世界に、明治の近代とともに主客二元論が流入して近代短歌が成立したと言ってもよいが、それはあくまで〈私〉=主体、〈モノ〉=客体という二元論である。菊池は〈私〉=主体をさらに分割して、意識と無意識の二元論を導入している。しかし歌を統べているのは一貫して意識の側なので、異なる意識の審級に異なる位相の言語を配布する加藤治郎などの試行とは一線を画している。
 おもしろいのは上の三首目・四首目で、魂を意味する「魂魄」という漢語が「魂」と「魄」とに分けられている。本来、「魂」も「魄」も魂を表すのだが、「魄」は中身を落とした形・輪郭の意も有する。ならば「魂」は魂を、「魄」はからっぽの肉体を表すことになり、これは心身二元論ということになる。
 第一歌集『声霜』では「物自体」(choses en soi)への菊池の偏執を指摘したが、本書ではその眼差しは主として「われ」に向いているようだ。
われありとおもふたまゆらわれなしといふ確言の空を降りくる
さびしさの出どころあはれ「われ」といふ部分が我のうちにあること
難解歌 おもへば「われ」の難解さいづれといへど知れることなし
ばうと燃えばうと消えゆく流星のしゆんかんは見ゆわれの持続にうちに
他者の死をわれ繰り返す「われの死」といふ他者の死にわれをはるまで
 一首目はもちろんデカルトの「我思うゆえ我あり」(Cogito ergo sum)を踏まえている。この確言はフロイトの無意識の発見によって大きく揺らいだ。「われ」の地滑りが起こったのである。二首目は「我」のうちに「われ」という部分があると捉えており、ここにも自我の捉え難さが見られる。四首目は少し注意が必要だ。ふつう歌の世界では人生が須臾の間に過ぎることを詠うが、この歌では逆に現象の瞬間性と「われ」の持続性が対置されている。私たちは一瞬一瞬を生きるのだが、〈私〉はそれらの瞬間を架橋する持続の中にしか把握されない。一瞬前の〈私〉との同一性が〈私〉を担保するのである。五首目の「他者の死をわれ繰り返す」は、他人の死に多く立ちあうと解釈する。難しいのは後半の「『われの死』といふ他者の死」である。ここでは、私が死んだときにはもう私はいないのだから、それは他者の死であると解しておく。この歌にも主客の入れ替わりが見られるように思う。
 第一歌集『声霜』について「くぐもった声でつぶやくような歌が多い」と書いた。それは第三歌集『彼の麦束』でも変わらない。分別盛りのはずの人生の途上で当惑し、中年の苦みが滲み出るような歌も多い。
傘さして何防備せむぬかるみの一歩だに死へ近づかぬ無し
風やみて風におくれし花びらはなほとどまれりわが中空なかぞら
レコードの溝欠けてをりそこよりは前に進まぬアパッショナータ
ぼた雪の重き舗道を行くときのつま先さむしもの言はねども
床に就きてのちに見む夢そののちに見むあしたあらむ なべて「む」の中
 ところが「帰雁かへるかりをよめる」という詞書のある巻頭の次の歌を読んで驚いた。詩魂高みに飛翔するがごとき絶唱ではないか。
花を地を見捨てて去ぬるかりがねの飛翔うるわし昏るる地平に
わが視野の夕闇いよよ濃きなかを地平にしづむ雁の列見ゆ
こゑとなりしわれやさすらふかりがねの群れ鳴きかはす夢のはたてに
 おそらく菊池は短歌人会の先輩である小池光と同様に、大きな翼を持っていて飛翔することのできる人なのに、翼を閉じて地上をとぼとぼと歩いている歌人なのだ。なぜ地上を歩くかというと、それは陶酔を忌避する知的冷静と、抒情に身を委ねることへの一抹の含羞のためだろう。それもまた歌人の選択である。

第115回 永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

思い出を持たないうさぎにかけてやるトマトジュースをしぶきを立てて
               永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
 兎の記憶力がよいのかどうか私は知らない。しかし兎の顔を眺めていると、確かに思い出を持たないようにも思えて来る。「思い出を持たない」とは、永遠の現在を生きるということだ。瞬間を生きて、通過した瞬間は過去へと振り捨てるということである。兎にトマトジュースをかけるという行為に特に象徴的意味はない。白い兎の毛皮に真っ赤なトマトジュースが飛び散る視覚的映像が鮮烈だ。意味の深読みを拒絶する、もしくは深読みできないように歌を作る永井にしては、いろいろな意味を読み込める歌である。曰く、瞬間を生きる兎はバブル崩壊後の失われた20年を生きる低成長・省エネ若者の喩である、とか。しかしそれは永井の本意ではあるまい。ここではちゃんと修辞が用いられ、短歌として立派に成立しており、詩的世界の構築に成功していることだけを指摘しておこう。
 永井は1981年生まれだから、10歳でバブル経済が崩壊した1991年を迎え、2000年前後から作歌を始めている。まさにゼロ年代歌人である。学生短歌会の名門ワセタンこと早稲田短歌会の出身。2002年に北溟短歌賞の次席に選ばれている。正賞は今橋愛、もう一人の次席は石川美南。2005年の第3回歌葉新人賞では最終候補に残る。この年の受賞者は「卓球短歌カットマン」のしんくわ。『日本の中でたのしく暮らす』は永井の第一歌集で、Book Parkから歌葉叢書として刊行されている。北溟短歌賞の審査員は穂村弘と水原紫苑で、歌葉新人賞の審査員は加藤治郎・穂村弘・荻原裕幸だから、永井は一世代上のニューウエーヴ短歌世代に選ばれ見いだされた歌人と言える。しかしその歌風はニューウエーヴ短歌とは似ても似つかぬもので、そこに永井の独自性を見る。
 2000年の短歌研究社「うたう作品賞」以後、ゼロ年代の短歌シーンは、「棒立ちのポエジー」「修辞の武装解除」「一周回った修辞のリアリティー」という穂村の巧みな言い回しを一つの参照点として議論されることが多くなった。棒立ち短歌の代表格として永井の次のような歌が引かれることが多い。
あの青い電車にもしもぶつかればはね飛ばされたりするんだろうな
わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる
 おおむね否定的な文脈で議論の対象になるのだが、方向性は大きく分けて2種類見られる。一つは作歌技法という観点から修辞の不在、もしくは稚拙さを批判する意見である。もう一つは低体温で内向きの世界観を批判する論調だ。どちらにせよ上の世代からは「トホホな歌」(島田修三)、「ゆるい歌」の代表格として否定的に見られがちな永井の短歌であるが、「レ・パピエ・シアン II」の2012年9月号が組んだ特集「若手歌人を読む」で大辻隆弘が永井を高く評価する論陣を張っていて注目される。
 大辻が評価する点は二つある。一つは永井の口語の選択である。あるシンボジウムで永井は自分が完全口語を用いて歌を作る理由を明快に説明したという。曰く、自分は口語・文語・外来語といった様々な言語をツールとして自由に選び取るという言語観を否定する。自分にとって言語とは自己の存在を規定している身体の延長であり、口語は「自分の生まれた国」であるという。また永井の作歌の原点には、ニューウエーヴ短歌の不自然な口語と文語の混在があるとも述べている。つまり永井の短歌のフラットともとれる口語表現は意識的に選択されたものなのである。
 大辻が永井を評価するもう一つのポイントは、助詞の「てにをは」を駆使する「てにをは派」だという側面である。大辻は「たよりになんかならないけれど君のためのお菓子を紙袋のままわたす」という歌を取り上げ、「君のために」ではなく「君のための」とするところに修辞を見て、それが微妙な解釈の揺らぎを生み出していると評価する。
 大辻のこのような指摘には頷くところもあるのだが、いささか「てにをは」に拘りすぎて、贔屓の引き倒しの観もなくはない。しかし永井の短歌は「修辞の武装解除」などではなく、短歌的修辞が用いられているという見方には同意したい。ではそれはどのような修辞なのだろうか。そしてなぜ上の世代から「ゆるい歌」と見られてしまうのだろうか。
終電を降りてきれいな思い出を抜けて気付けばああ積もりそう
日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たち
コーヒーショップの2階はひろく真っ暗な窓の向こうに駅の光
 品詞を体言と用言に分けると、永井の短歌には用言が多い。たとえば一首目には「降りる」「抜ける」「気付く」「積もる」と動詞が4つもある。また用言の連接も独特である。「降りて」「抜けて」や「ひろく」のように、テ形や連用形で次と繋いでいる。この語法から二つのことが帰結する。まず動詞は基本的に動作・行為を表し、時間的展開をその意味の中核とする。「降りて」「抜けて」「気付けば」の連続で時間が推移している。つまりここで表現されているのは「流れる時間の中を生きている〈私〉」であり、それは日々を暮らす私たちの基本的経験である。一般に動詞が多い短歌は批判される。動詞に内在する時間性が叙景を一幅の絵のように定着することを阻害するからである。永井が嫌うのは、まさにこの「一幅の絵のように定着する」無時間性の不自然さなのではなかろうか。そこに揺曳する「きめポーズ」、TV番組の表現を借りれば「ドヤ顔」を嫌っているのではないだろうか。ゼロ年代歌人の等身大の「リアル」感と相容れないのであろう。
 同じことは三首目にも言える。「コーヒーショップ」で始まり、私たちの視線は2階へと誘導される。するとそこには広い客席があり、次に窓へと導かれ、窓の外の駅の光へと誘われる。ここには動詞は一つもないが、視線誘導による時間の推移がやはり見られる。読者が感じるのは時間の中の移動の感覚であり、最終的に叙景として定着する風景は存在しない。永井の歌に修辞があるとすれば、それは用言の多用や巧みな視線の誘導によって、時間の中を生きている今の〈私〉を描いていることではないだろうか。
 用言の連接から帰結するもう一つの点は、知的再構築による因果の否定である。たとえば上に引いた一首目、「終電を降りて」と「きれいな思い出を抜けて」はテ形で繋がれているが、テ形は隣接関係を表すだけで因果関係を示さない。たとえば「私は朝食を食べて、家を出た」は単に二つの行為を並べただけである。従って次の「気付けば」も単に隣接しているだけである。「気付けば」自体もくせ者だ。「気付けばもう12時になっていた」では、気付いたことと12時であることに何の関係もない。だから次の「ああ積もりそう」は因果の連鎖から遊離した感慨なのである。同じように二首目の「日曜の夕方吉祥寺でおりてそこにいるたくさんの若い人たち」でも、「日曜の夕方吉祥寺でおりて」までとそれ以下との間には、ただ隣り合って存在しているという隣接関係しかない。おまけにここには修辞の捻れまである。「日曜の夕方吉祥寺でおりて」と来れば、次には「○○した」と同一主語の行為が続くのが定石である。ところが実際には「そこにいるたくさんの若い人たち」という連体修飾句付きの体言が控えていてうまく連接しない。この修辞の捻れこそが永井の意図的な工夫なのである。
 なぜこのような作り方をするのか。それは上に述べた一つ目のポイントと同じように、「今を生きる〈私〉のリアル」を表現するためだろう。私たちがAという事象とBという事象に因果関係を認めるのは、コトが済んでから世界を知的に再構築するからである。たとえば、昨日私が寝坊していつも乗る電車に乗り損ね、会社に遅刻したとする。ホームへの階段を駆け上がっているときは、「どうか間に合ってくれ」ということしか考えていない。私たちの頭の中は、その時その時の時点で切実なことで一杯に占められているのがふつうだ。「寝坊したので遅刻した」という因果関係を考えるのは、後ほど時間の余裕ができて、世界のあり方を知的に再構築したときである。しかしそうやって再構築された世界は知的処理を経たものであり、その時点で私が生きていた世界ではない。このようなことではなかろうか。
 永井の歌集を通読していて気付く語法の一つに次のようなものがある。
バスタブに座って九九を覚えてる 遠くにデルタブルースが聞こえる
明け方の布団の中で息を吐く部屋の空気がわずかに動く
電車の音で電話の声が聞こえない 鉄橋の下、マンガをつかむ
 どれも上句と下句が「覚えてる」「聞こえる」のように動詞の終止形で終わっている。ここにも事象の並列があり、因果による世界の構造化は拒否されている。なぜか。事後の知的処理を拒否することによって、まさに私たちが生きる一瞬一瞬の生の有り様である「世界に投げ出された〈私〉」を表現することができるからではないか。そのように思われる。もしこの解釈が正しいとするならば、永井の歌は「棒立ち」などではなく、周到に作り込まれた歌だということになるだろう。
 修辞に関しては、多くの歌に微妙な歪みが施されていることにも注意したい。
春雨は窓を打ちつつこの本に何かがきっと書かれるだろう
まあまあと言い合いながら映画館を出てからしばらくして桜ある
水のりの匂いのようなものがする秋をスーツの人しかいない
 一首目では「春雨は窓を打ちつつ」で断絶があり、この後に続くべき句はどこかへ消えてしまっている。二首目は「桜ある」までは通常の話し言葉のつながり方で、その後が「喫茶店に入る」(字余りだが)ならわかるが、「桜ある」が異常である。三首目の「水のりの匂いのようなものがする」の最後を連体形と取ると、次の「秋を」まではうまくつながるが、その後で断絶している。これもおそらく意図的であり、永井の考えるリアルの一部なのだろう。
 永井の短歌には確かに修辞がある。その修辞のめざしているものが、近代短歌のセオリーとは方向が異なっているというだけだ。それにしてもそんなに有効射程の短いリアルでよいのかという疑問は残るだろう。その疑問に答えることができるのは作者だけしかいるまい。

第114回 江田浩司『まくらことばうた』

こもりぬのそこの心に虹たちてあふれゆきたり夢の青馬
            江田浩司『まくらことばうた』
 「未来」「Es」に拠る気鋭の歌人・江田浩司がおもしろい歌集を出した。『まくらことばうた』(北冬舎)である。すべての歌の初句に枕詞を置き、頭音のいろは順に配列するという技巧的な造りである。たとえば掲出歌では「こもりぬの」(隠り沼の)は「下」にかる枕詞だが、少しずらして「そこ」にかけてある。「こもりぬの」は本来は意味のある言葉だが、ここでは「そこ」を引き出すための装置として使われている。「隠り沼の底のように私の心の奥底には」という意味だから、直喩の構造を持ちながら言語的には直喩ではない連辞となっていて、その微妙な接点に歌に立ち上がる喩の姿がある。
 あとがきには「初句の『枕詞』と、それにより導き出される『被枕詞』に触発されて創作したものである」とある。「被枕詞」とは聞き慣れない造語だが、これについては後に触れる(注)。ぱらばらと見ると「いはばしる」「ちはやぶる」「つきくさの」「ぬばたまの」などよく知られた枕詞もあるが、見慣れないものも少なくない。
をぐるまのわが身に響む鳥の声、少女をとめらのこゑ風やいたまむ
くもりびの影にもあらぬわれなればうす墨色の受難を恋へり
ちりひぢの数にもあらぬわが身にて賽の宴の流刑地ならむ
やくしほの辛き思ひに爪を立てうたの在りかとなれる千鳥よ
かやりびの下燃え蜜を垂らす世に骨太の声ひびきわたりぬ
 一首目、「をぐるまの」の「を」は「小」だから「小さな車」つまり「小さな牛車」だろう。はて、これは枕詞か。『全訳古語例解辞典』(小学館)にも片桐洋一『歌枕歌ことば』(笠間書院)にも掲載がない。おそらく江田の創作枕詞なのだろう。「くもりびの」(曇り日の)、「ちりひぢの」(塵泥の)、「やくしほの」(焼く塩の)、「かやりびの」(蚊遣り火の)なども言葉としては存在するが枕詞ではない。とするとこの歌集での「枕詞」とは、狭義の枕詞ではなく、広く歌語・歌枕と解釈すべきなのだろう。
 見ようによっては時代錯誤的な枕詞を配した歌をなぜ平成の世に作るのだろうか。短歌の方法論に自覚的な江田のような歌人が、単なる気まぐれや戯れで作ったとは思えない。以下、私の勝手な想像を交えて考えてみたい。
 明治期に近代短歌が成立したとき、それまでの和歌で多用されていた枕詞・序詞・掛詞などの修辞は古くさく不用なものとして排除された。近代短歌のモットーは「自我の詩」である。詠うべき主題は〈私〉だ。とりわけ写実は言葉とモノとの一対一の対応を前提とすることから、指示物のない枕詞・序詞・掛詞は異物である。以後、短歌を自己の真情を盛る器と見なし、言葉を〈私〉を表現するための道具とする態度が生じた。かくして言語記号は歴史・神話に深源を持つ本来の不透明性を失い、限りなく透明な媒体となった。今日、現代短歌の「棒立ち」化や短歌の言葉のフラット化が指摘されるが、この現状は近代短歌が選択した道の延長線上にあると見なすこともできる。
 さて、江田があとがきで書いた「初句の『枕詞』と、それにより導き出される『被枕詞』」に立ち戻ってみよう。
いはばしの間近き君に深むかも真水に浮かぶ天体の香よ
 「いはばしの」は「間」「近し」「遠し」にかかる枕詞である。したがってこの歌では「間近き」が枕詞によって導き出された「被枕詞」に当たる。枕詞と被枕詞の間には呼応関係があるため、枕詞に続く語の選択は自ずと制限される。歌の作り手はここで語の選択権を言語の側に譲渡する。これは近代短歌の原則に反する行為である。
 また古語辞典を繙くと、「うつせみの人目を繁みいははしの間近き君に恋ひわたるかも」という万葉集の歌が掲載されている。これは「いははしの」の用例であると同時に、江田の短歌の本歌である。つまり江田は枕詞を用いることで語の選択権を言語に譲り渡しただけではなく、大規模な本歌取りをしているのだ。これもまたオリジナルな自我の詩であれとする近代短歌のセオリーに反している。
 なぜそんなことを試みるのか。その意図は本歌集のあとがきに過不足なく述べられている。「古代の、異質な言葉の世界に刺激を受けながら、内省的な言葉との内なる出逢いを即興的に表出し、言葉自体に内在する超越的な力を創造性へと発揮させることを目的としている」とある。つまりは作歌の重心を〈私〉の側から言語の側へと転移させるということだ。いったん〈私〉を括弧に入れて、言葉が言葉を導き出し、言葉が別の言葉と呼応する膨大な関係性の網の目の律動に身を委ねるのである。
 この態度から二つのことが帰結する。ひとつは和歌の修辞が立脚していた「美の共同体」と歴史性への意識であり、もうひとつは枕詞の少なからずが地名に由来することから来る「地霊」(genius loci) の復権である。旧来の「美の共同体」はとうに崩壊しているから、江田は自力で新たな共同体をめざすのだろう。地霊については江田もあとがきで触れており、東日本大震災後に本歌集を上梓する意味のひとつとして意識している。
 おそらく江田には現代の歌語が痩せ細ってしまったという認識がある。枕詞を通じて言語の自立的な律動と呪的強度を賦活することで、新たな詩語を志向しているのだろう。次の歌はその述志とも読める。
ちはやぶる神にしあれば言の葉は明るき闇を秘めにけるかも
 神=logosに秘められた明るい闇とは、言葉に定着され陳腐化する以前の豊饒な意味の世界をさすのだろう。実際に本書を読んでいると、密教の声明か延々と続く念仏を聴いているときのように、母音と子音に分解された音のうねりに呑み込まれそうになり、ふと吾に返る瞬間がある。興味深い経験である。本歌集が現代短歌シーンでどのように受け止められるか見守りたい。

(注)「被枕詞」は万葉学者の古橋信孝氏が使った用語だとのご指摘をいただいたので、訂正したい。

第113回 高木佳子『青雨記』

刈られたる草の全きたふれふし辺りの空気あをみ帯びたり
                 高木佳子『青雨記』
 高木佳子たかぎ よしこは1972生まれで「潮音」に所属。2005年に「片翅の蝶」で「短歌現代」新人賞と「潮音」新人賞を受賞。この一連を収めた第一歌集『片翅の蝶』(2007年)で日本歌人クラブ新人賞を受賞している。『青雨記』(2013年)はそれ以後の作を収録した第二歌集である。
 確か小池光だったと思うが、次のようなことをどこかに書いていた。歌人にとって大事なのは第二歌集である。第一歌集はそれまでに作り溜めた歌を集めれば出せる。それを青春の記念や一生の思い出として、そこで終わる人も多くいる。ほんとうに歌人として立つのは第二歌集においてである。確かこんな内容だった。
 実は私は『片翅の蝶』も出版された時すぐに読んだのだが、読み進むうちに息苦しくなり、途中で巻を閉じてしまった。歌から滲み出るあまりの閉塞感に圧倒されてしまったのである。
いつよりか無援となりて驟雨にも寄るべき軒を見い出せずゐる
妻として撮らるるときに目をそらすわれの理由を誰か質せよ
父母の血は閉ざさむと若き日に立てし誓いひのかく脆きかな
われに優位を誇示するごとく高らかに笑ひ声あぐる三人子の母
脂臭き歯の向かう側その生を飲みこみて来し父よ語れよ
 『片翅の蝶』の主旋律は出産と子の成長という女性の物語なのだが、妻の座に安住する自分への不安、子を持つことへの畏れ、父との根深い確執など、負の感情が横溢する歌集だった。確かに歌集後半まで読み進めば、「をのこ児の髪はいつでもみじかくて深まりてゆく櫛のあめいろ」のように、心穏やかに子供の成長を見つめる歌もあって、閉塞から解放へ、闇から光へという構成の歌集であることが知れる。私は途中で挫けてしまったわけだ。ただそのことを差し引いても、『片翅の蝶』収録の歌には叙景が少なく、主情に大きく傾いた歌集だという印象が強い。反アララギ、反写実の立場を貫いた太田水穂の「潮音」の影響もそこには働いているかもしれない。
 ところが『青雨記』を一読して驚いた。作風ががらりと変わっているのである。
てのひらに蟻歩ましめてのひらに限りのあれば戻りきたりぬ
いちまいの花びら咬みて小鳥遊びそのはらびらのあまたなる傷
つよき陽射しうけとめかねて夾竹桃に寄れば夾竹桃にならむよ
いつくしく薄暮となりて青鷺はとけゆくごとく片脚に立つ
金木犀および少女ら香りけふの日をうしなひながら生きつつあらむ
 『片翅の蝶』の至る所に顔を覗かせていた「悩める〈私〉」はすっかり影を潜めて、対象に寄り添う視線が勝る歌になっている。歌は景物(=対象)とそれを見る〈私〉(=主体)との出会いを契機として生まれるものであるが、その際に対象の側に比重を置くか、それとも主体の側に比重を置くかで歌の性格が大きく異なる。対象に比重を置いた歌がいわゆる客観写生であるが、100%対象側ということは理論上あり得ない。なぜなら対象を認識するには主体の能動的活動が必要で、対象描写には必然的に主体の把握が混じるからである。逆に主体に比重を置いた歌はロマン的かつ抒情的性格を色濃くすることになり、その中には幻想的世界を描くものもあるだろう。『片翅の蝶』には主体に比重が置かれた歌が多く見られたが、『青雨記』では振り子が反対側に振れるように主体を離れた歌が中心となっている。
 では高木は対象に即した写実に転向したのかといえば、ことはそれほどかんたんではない。上に引いた一首目を見てみよう。自宅の庭か公園で、戯れに蟻を手の平に乗せている情景が描かれている。手の平は狭いため、端まで行った蟻がまた戻る。それだけを詠んだ歌である。これは客観写生だろうか。そうではあるまい。「てのひらに限りのあれば」は主体側の認識である。では子規の「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」はどうか。「藤の花ぶさみじかければ」も同様に主体側の認識だから同断ではないか。子規の歌の核は対象認識にあり、歌意は対象の認識と認識した主体という契機に回収されるが、高木の歌ではそこに回収されない何かが残る。それは「てのひら」の反復によって生じる非現実感である。リフレインは童謡でよく用いられる手法で、現実を虚構の世界へと転轍する作用がある。対句的定型が反復されることによって、その話は現実のことではなく昔々ある所で起きたとさ、へと変換されて時空を超える。よく見ると上に引いた二首目にも「はなびら」の反復がある。
 おまけに一首目は蟻、二首目は小鳥が嘴で花びらに付けた傷という、超微細世界である。これが高じると「つばさより鱗粉こぼれ紋白の揚がりゆくなり幾らかかろく」となって、こぼれた鱗粉の分だけ体重が軽くなっただろうというマイクログラムの世界になる。ここまで行くともはや幻視の世界である。そう考えれば「潮音」には葛原妙子がいたことが思い出されないだろうか。高木は第一歌集『片翅の蝶』の主情的歌風を脱して客観写生へと向かったのではなく、対象と主体の二項対立という図式を超える幻視の領域へと踏み出したのだろう。そう考えれば次のような歌も了解できるのである。
透きとほるそれら雨滴のふくらみてあをく動きつ傘の傾きに
しづみゆく糖の崩れを見送りぬアールグレイのその深さまで
skypeにみづうみの映ゆすぎゆきに潜水士帰らざりしみづうみ
ゆくらかに点灯夫来て空の鳥海の魚を灯すゆふぐれ
琥珀石透かすいつときゆふぐれは右の眼にのみ訪れぬ
 四首目の点灯夫の歌や五首目の琥珀石の歌はうっとりするほど美しい。高木は第二歌集に至って独自の歌の世界を確立したと言えるだろう。
 最後になったが高木は福島県いわき市の在住であり、東日本大震災で爆発事故を起こした福島第一原子力発電所による放射能被害を受けた。歌集巻末には原発事故を詠んだ歌が置かれている。
見よ、それが欠伸をすればをののきて逃げまどふのみちひさき吾ら
海嘯ののちの汀は海の香のあたらしくして人のなきがら
繊すぎる雨の降りきてをさなごのやはき身体を汚しゆくなり
 いずれも一読して沈黙するしかない歌である。あとがきに「雨は、青葉を潤すものとしての雨から、汚染される悪しき雨へと変わった」とあり、いまだに除染作業が進まない地元の現状が窺われる。この苛酷な体験が高木の短歌をどのように変えるかは今後を見守るしかあるまい。