花山周子『屋上の人屋上の鳥』
『屋上の人屋上の鳥』(2007年)は1980年生まれの花山の第一歌集で、ながらみ書房出版賞を受賞している。花山の母親は花山多佳子、祖父は玉城徹。本人は「塔」に所属し同人誌「豊作」同人。美術大学に学んだ画家で、歌集の装丁は本人が手がけている。表紙の大部分を白が占め、残りの青に白い鳥が飛ぶ図案である。一見した印象はとても淋しい風景である。その理由は、屋上から見た空に鳥はいても人はいないからで、人は空を見ている花山一人だからである。この表紙の印象は、収録された歌から受ける印象とよく符合する。
歌集を手に取って感じたことを以下に3点述べてみたい。その一は収録歌数の多さ、その二は文語と口語のバランスの問題、その三は「〈私〉を挿入するポイント」である。この順に、歌の外形的性質から内的性質へと踏み込んでゆくことになる。
この歌集には本人申告によれば860首が収録されている。私は最初そのことを知らずに読み始めたので、読めども読めども終わりが訪れないのはいかなることかといぶかしみ、途中でへばって一度歌集を投げ出してしまった。島田幸典氏によれば、こんなに収録歌数が多いのは斉藤茂吉の『あらたま』ぐらいだそうで、歴史的なことなのである。作者はあとがきで、「作品(自身のものも他者のものも)とは長い時間をかけて付き合いたいと思っている。歌集に収めておけばいつでも読める」とその理由を述べている。しかしこれは自分のための理由であり、読者のための理由ではない。歌集には読者がいることを忘れるべきではなかろう。
歌集はほぼ編年体で、巻頭にはおそらく十代の頃のものと思われる初期作品も収録されている。しかし初期作品は若書きで質が見劣りすることが多いため、巻末にひっそり配置することもある。そうせずに時系列に並べるということは、作者には歌集を「構成する」という意識がほとんどないことを意味する。なぜ花山は歌集を緊密に構成された音と意味の結晶体として構成しないのか。その理由は私見によればふたつある。その一は、一分の隙もなく構築された美の世界に対して、現代の若い人は憧憬の念を抱くどころか、逆に嘘臭いものとして敬遠する傾向があるからだ。その結果として形式美や完成を嫌い、不定形や未完成をそのままに露出することになる。『屋上の人屋上の鳥』にこの間の事情を窺わせる歌があるのは偶然ではあるまい。
経験で物言う友の横顔に失恋の色のすっかり失せる作者が経験を嫌うのは、経験が大人と分別の世界を開くからであり、完成と円熟へと通じるからだろう。あらゆる青春は未完成であることをブリキの勲章とするのである。
私が未来を嫌うその理由に経験という言葉もあるのだ
歌集の構成意識の乏しさは、歌の一首一首の水準では破調として現出する。破調は定型あってこその謂だが、『屋上の人屋上の鳥』には破調の歌が多い。先に掲出歌が作者の個性を代表するものではないと述べた理由のひとつがここにある。掲出歌のように定型にぴったり収まっている歌の方が少ない。破調の歌をランダムに拾ってみよう。
あり得ないことばかりが聞こえくる見れば制服のニキビ少年少し措辞を工夫すれば定型に収まる歌もあるから、定型に詠い収めないというのは作者の選択なのだろう。「定型で詠い上げたくない」という強固な意志すら紙面から漂って来るようだ。
今年のインフルエンザはよくないと毎年聞いて毎年言う
一筋の風過ぎてのち往来に水たまりは光失う
私と弟が言い争うとき母の集中力がアップするらし
大きな薬缶にゆびを触れてみぬ虹色の指紋点きては消ゆる
音楽のように生きたい」英語の授業に眠りつつ聞く
花山の構成意識の低さのもうひとつの理由は、花山が「ことば派」ではなく「人生派」の歌人だからである。ことば派は言語の世界が紡ぎ出す形式美を追究し、人生派は日々を送る〈私〉の感情を歌に盛ることを重んじる。『屋上の人屋上の鳥』の主調をなすのは、未来が見えない美大生の逡巡と葛藤の日々を綴った青春歌である。歌集を事後的に構成しなおすのは、歌を作った時の自分の気持ちと情況の複合物を作為的に粉飾することでもあるため、これを嫌うのだろう。
この歌集を一読して奇妙な感触を受けるのは、口語と文語の不思議な共存である。確かに現代の歌人のほとんどは口語と文語の折衷によって短歌を作っている。だから口語と文語の共存自体は珍しいことではない。若い歌人の場合、口語優位になるのは当然だが、花山が特異なのは文語の方である。
これから桜が咲いて躑躅が咲いてあとは緑になりてゆくかも「ゆくかも」「けるかも」はまるで茂吉である。「これから桜が咲いて」や「家にいて考えることは」は完全な現代口語なので、読み進むと下句に至って突如老人に変身したかのような奇妙な印象を受ける。三首目の「べらぼうに」、四首目の「たくさん」、六首目の「もろに」は文語脈の中では浮く。五首目の「夕暮れ」「秋風」という古典和歌の語彙や「ぞ」に導かれる「誘われ出で来」の係り結びは、口語脈優位の歌と並ぶと異様にすら感じられる。この文体の不統一が意図的なものなのか、それとも自然にそうなったものなのかは判然としない。しかしこのような文体の混在が青春の豊穣と混沌を感じさせる一方で、粗削りな歌が多いという印象を与えていることもまた事実として認めざるをえないだろう。
家にいて考えることは引き籠もりの気配を帯びてゆきにけるかも
降り止まぬ雨の匂いのここに来てべらぼうに濡れて猫は佇む
ゴキブリをたくさん殺しし夜の明け朝焼けを見に家を出でたり
半日を寝て過ごしたる夕暮れを秋の風にに(ママ)ぞ誘われ出で来
目の色の少しおかしい鳩がくる炎昼もろに後退りせり
三つめの話題は「〈私〉を挿入するポイント」である。たとえ表面上は一人称が現れていなくとも短歌の背後に〈私〉がある以上、歌には〈私〉を挿入するポイントがあるはずだ。外見上は100パーセント叙景歌であっても、〈私〉が密かに外挿されることによって言葉は歌となるというのが近代短歌のセオリーである。先達の実例を見てみよう。
曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径 木下利玄思いつくままランダムに選んだらすべて切れのある歌になったが、そのことは今は措く。木下の歌では「燃えて」に既に〈私〉が微弱ながら挿入されている。曼珠沙華が「燃えるような赤だ」と感じたのは〈私〉だからである。しかしこの歌の〈私〉の主な挿入ポイントは下句の「そこ過ぎてゐるしづかなる径」である。曼珠沙華の横に伸びる道を目でたどる視線の動きと、それを「しづかなる」と感じる主体がある。この措辞によって一首の内部に〈私〉が挿入されることで、単なる叙景は主観化された風景へと変貌する。
銀盤にプリンをのせて売りに来る浜名のうみにさしかかるころ 小池 光
くだもの屋の台はかすかにかたむけり旅のゆうべの懶きときを 吉川宏志
小池の歌は新幹線に打ち跨った現代の羈旅歌だが、この歌の挿入ポイントは「銀盤」と「浜名のうみ」の喩的関係にある。詩聖ボォドレェルなら万物照応 correspondanceと言うところだが、小池はこれを見立ての軽みに持ってゆく。「銀盤」と「浜名のうみ」の照応関係の発見は主体的行為であり、そこに〈私〉を挿入するポイントがある。言い換えればこの措辞によって風景が〈私〉化されたのであり、そこに新しい世界がゆらゆらと立ち現れるのである。
吉川がポイント作りの名手であることは、万人の認めるところだろう。実例は枚挙に暇がないが、上に引いた歌の〈私〉の挿入ポイントは、「旅のゆうべの懶きときを」という感情表現ではなく、「かすかにかたむけり」という現実描写の方であることに注意しよう。逆説的に聞こえるかも知れないが、〈私〉の挿入ポイントは「嬉しい」「悲しい」という主情述語ではなく、「かたむけり」のような客観描写述語である。ただし、ここで例示したのは、広義の写実を基本とする近代短歌の語法に基づく短歌作法であり、水原紫苑・紀野恵・佐藤弓生・小林久美子・東直子らの反写実の詩法はこの限りではない。
では花山の場合はどうか。次のような歌には〈私〉の挿入ポイントが確かにある。
影の中にふと飛び込みし黒猫は影より黒き体もて去るところが次のような歌には〈私〉の挿入ポイントがないか、あっても薄弱である。
一つ二つじゅずだまのごと影の落つでんしん柱の影の間を
鯉の背の赤き浮上はどんよりと明日の形を思わせて消ゆ
水平に窓を過ぎりし鳥一羽空間は部屋の中でずれゆく
仰向けば忽ちのぼる陽炎にガラス玉の中の夏と思えり
曼珠沙華投げ合いて子らはときめきぬ祭りの終りのぬるき香のして
白壁は150号のキャンバスのわが曇天を光らしめたり
透明な定規に夏の鈍き陽が四角くたまり立つ缶カラに
このごろは冬に疲れた外へ出る覚悟のたびに肩の怒りてこれを見ても花山にこれから求められるのが選歌という自己推敲の作業であることがわかるだろう。確かに集中にはよい歌がある。しかし収録するには及ばない歌もあり、あまりに粗削りな歌もある。仄聞するところによると、俳句の世界では膨大な数の句を作って捨てるのだという。捨てて残ったものが自分の句となる。捨てる作業も作歌の一部である。人生においてもまた然り。人は何を選ぶかではなく、何を捨てるかによって自己を規定することがあるのは、誰でも知っていることなのである。
三月が味気なく過ぎ気がつけば人を見るのが億劫である
ただ鳥を指差して立っていれば勝手に人が集まってくる
アトリエに酒持ち込めばどこよりか人の集り宴会となる
一年はレシートの中早く過ぐ、お金を使っただけの一年
雨のごと風のごとキャンバスに豚毛の筆が線を引きゆく