鳴海 宥『BARCAROLLE [舟唄] 』
鳴海宥は1957年生まれ。「未来」に所属し『BARCAROLLE [舟唄] 』は1992年刊行の第一歌集。同歌集で現代歌人協会賞受賞。デッキチェアにくつろぐ人を配した瀟洒な表紙で、跋文は岡井隆。1992年(平成4年)といえば、87年のサラダ現象が巻き起こしたライトヴァース論争が一段落し、同年には穂村弘『ドライドライアイス』、荻原裕幸『あるまじろん』が刊行されてニューウェーブ短歌の時代が到来した頃である。前年はソビエト連邦が崩壊し、湾岸戦争が勃発している。世界情勢も現代短歌も激動の時代を迎えていたわけだが、『BARCAROLLE [舟唄] 』はそんな時代の駆流からは超然とした静かな歌集である。作者はピアノを職業としていると跋文にあり、それは Preludio(前奏曲)、Intermezzo (間奏曲)、Sonata (奏鳴曲)、Suite (組曲)と題された歌集の章の構成にも現れている。表紙裏にはショパンが作曲しシュトックハウゼン男爵夫人に捧げた ピアノ曲Barcarolleの楽譜が印刷されているが、歌集の中には音は流れておらず、読み手が受けるのは磁器の肌に触れたような冷ややかで静謐な印象である。
まずいくつか歌を引いてみよう。
やはらかき手のあらはれて思ふさま入れる鋏のひびきは空に例えば一首目、視界の外からズームインするのは手だけであり、その手の持ち主は歌の中にない。また結句は言いさして余韻を残す終わり方である。このため歌に大きな謎が残る。読者には一幅の絵が提示されているのだが、その絵には風景の全体が描かれておらず、トリミングを施した一部だけしか見えない。まるで作者の魔術によって私たちの視界の一部が切り取られているかのようだ。このため一首で完結したイメージが結像せず、読者は意味の不全感とともに残される。どうやらこの不全感が鳴海の詩法においては言語の詩的浮揚力を生み出しているようだ。私たちは意味の不全感に晒されると、その欠落を想像力によって埋めようとする。この本能的な補填反応によって、私たちは本来は目に見えていないものを幻視するのである。
輪郭の見えぬひとりが歩み出でてかがやく駅舎くづれむとすも
うつくしき耳と耳とのあはひには流れむとして腐る夕映
見てあればおまへのやうな円卓の腐った縁(へり)から垂れ落つる魚油
ドアを出てドアへむかへるつかの間の海は怒れる髪のごとしも
しまはれてありしあまたの語録より夏の嵐を曳きいだす海
二首目でも「輪郭の見えぬひとり」とは誰のことか説明は一切ない。かがやく駅舎が崩れるというのもまた、本当に崩壊するのか今にも崩れそうなのか定かでない。三首目の「うつくしき耳と耳」を岡井は跋文で二人の人間の別々の耳と解釈しており、私もその読みに賛同するが、ここでも作者のトリミングは大胆に施されていて、耳の持ち主である人間は歌から消されているのである。五首目のドアとドアの間に逆巻く海のイメージは、まるでルネ・マグリットの絵を思わせる。マグリットの絵は現実にはあり得ない風景を描いており、知的な高等遊技という色彩が強いが、鳴海の詩法もまた情より知に傾くのである。
では鳴海の歌の直示 (denotation)は何か。これに答えるのはなかなか難しい。迂回路を行くため他の歌人の歌と比較してみよう。
新宿は遙かなる墓碑――聳え立つ都庁を濡らし雨降り始む藤原の歌が指し示しているものは、虚の都市東京で日々の塵埃にまみれて泡のごとき生を生きる〈私〉の慚愧の想いである。その慚愧の念に自嘲をまぶし死者への哀惜を交えて詠うところに抒情が発生する。だから藤原の歌の直示は〈私〉の想いであり、すべての措辞は最終的にひとつの想いへと収斂する。横山の歌が指し示すのもまたひとつ想いであると言ってよい。横山の繊細で瑞々しい措辞から浮かび上がるのは人を恋う気持ちであり、そのような気持ちを抱いて日々を生きる〈私〉である。藤原や横山の歌を読む人にその直示は放たれた矢のように的を違わず届く。
ああ! 渋谷猥雑にしてカラフルな廃墟生きつつ死ぬ恩寵は
東京のザリガニ男こそ我とフリーク・ショウに生きて死ぬとも
藤原龍一郎『日々の泡、泡の日々』
きみの指に展かるるまでほのぐらき独語のままの封書一通
共にゐたる記憶のやうに頒ちあふ干し無花果のひなたの匂ひ
横山未来子『水をひらく手』
ところが鳴海の詩法においては事情が異なる。鳴海の歌では〈想い〉の含有量は限りなく少ない。作者自身が音楽家らしく「クレッシェンドのように配置した」と述べているように、歌集後半にはなるほど次のように感情が波立つ歌があるにはある。しかしこれらの歌は鳴海の詩法の真骨頂ではない。
牛乳のおもて波立つつかの間に吊り上げらるるジェルジンスキー鳴海の詩法は、自分の〈想い〉と相似形の風景を描いて読者をそこへと誘い込み、共感力という回路を用いることで最終的に〈私〉を押し上げるという方法ではない。素材としての風景に知的トリミングを施すことによって意味の不全感を演出し、読者の想像力を刺戟することで言葉に虚の空間への詩的浮揚力を与えるというのが鳴海の技法である。もしこの読みが正しければ、鳴海の歌に直示 (denotation)はないということになる。私たち読者はピースの欠けたジクソーパズルのように眼前に提示されるトリミングされた情景を手がかりとして、言葉に与えられた浮揚力を味わうということになる。これはなかなか高級な作業であり、このため例えば次のような歌では読みが安定せず謎の方が多く残る。読む人の数だけ読みが生まれるだろう。
爆笑を強ひられてゐるテレビゆゑしばし与えてやる黙秘権
権力を隣る器にながし込む見せ物なればむしろ楽しく
土塊(つちくれ)は天にのぼりてわが皿に両替機より夜半球が穂村弘は『文藝』2004年冬号に「『想い』の圧縮と解凍」という文章を書いている(『短歌の友人』所収)。穂村は短歌が散文より難しく感じられるのは、短歌では書かれた情報に圧縮がかかっているためで、読者の側に解凍という作業が求められるからだとする。その上で、俵万智の短歌が解凍しやすいのは、もともと圧縮率が高くないことに加えて、作品の構成上読者が解凍の方法を自然に会得するように作られているからだと述べている。
はるかなるひづめの音に充たされて背より燃ゆる柱ありにき
胴体のいまだ見えねど森を経て河を率いて来しその首の見ゆ
風景より風景としてバス停のそばにひねもす栗売る男 『かぜのてのひら』「風景より風景として」の部分には軽く圧縮がかかっているが、同じ歌集にある「風よりも風」のような類似の作歌コードに慣れることによって、読者は自然に解凍する術を習得するというのである。
ピストルの音 いっせいにスタートをきる少女らは風よりも風
明晰な分析だがこれは鳴海の短歌にはどうもうまく当てはまらないという気がする。たとえば「窓」と題された連作を見てみよう。
この岸の窓洗はれてかがやくはいづれの謎にいたるゆふぐれこれらの歌には、解凍すれば手に入る圧縮される前のわかりやすい〈想い〉があるとは思えない。むしろ「窓」というテーマから自由に想像力を飛翔させて、捕まえて来た言葉たちを連接させることによって詩を生み出しているという印象が強い。だとすれば読者には解凍のコードはなく、言葉の連接に詩を感じる高度な能力を求められることになる。これは80年代終わり頃から始まったライトヴァースの潮流に逆行する行き方であり、師の岡井を通じてもたらされた前衛短歌の技法にその深源を求めるべきかもしれない。
むらさきの月に静脈浮きてありなに祈るとや窓をつらねて
永遠の窓をくぐりて帰り来よ夜を夜とせしその言葉もて
生れやまぬかなしき音を聴くためにあはれこの窓盲ひてありき
鳴海の歌は短歌にリアルを求める現代の若い歌人には歓迎されないだろう。しかし次のような歌を読むとき、言葉の海から飛沫のように吹き上がる詩情は、たとえようもなく美しいのである。
すべり寄るくるまの窓のゆるやかに下がりて夜が別の夜を呼ぶ
見えざりしものり隣りて夜を奏けばおのれひとつの貝がらの舟
ものの名の糸曳くごときゆふぐれや植木の皿にはつかなる水
空にある死者のてのひらあはあはと芽吹く小楢の樹下をいづれば
ゆるやかにピアノの中にさし入れる千年前の雨の手紙を