163:2006年7月 第4週 阪森郁代
または、形容動詞を梃子に虚空間へと相転移する歌

うす霜の降りたる冷凍庫の奥の
    豚肉(ポーク)やさしくたたまれてある
         阪森郁代『ナイルブルー』

 世の中には批評の言葉に乗りやすい短歌と乗りにくい短歌がある。乱暴に言うと、定型でリアリズム短歌は乗りやすく、非定型で非リアリズムの短歌は乗りにくい。定型のリアリズム短歌は、破調や破格はあれど最終的には期待値周辺に収束するが、非定型の非リアリズムの短歌の場合、非定型さと非リアリズムさの向かう方向が拡散してしまうので、捉えがたいのだ。今週取り上げた阪森郁代も批評の言葉に乗せにくい歌を作る人である。あまり論じられることがないのはそのせいかも知れない。

 以前に「冷蔵庫の歌」を集めて論じたことがあるが、掲出歌は冷凍庫の風景であり、冷蔵庫よりもさらに温度が下がっている。詠われているのは、冷凍庫の奥に豚の薄切り肉が畳まれて保存してあるという、どこのご家庭でもふつうに見かける光景である。豚肉は近所のスーパーで買って、余った分を冷凍してあるのかもしれない。問題はなぜこれが短歌になるのかである。それは言葉の注意深い選択と結合の魔術によって、日常よく見かける風景が非日常へと転位され、にわかに象徴的意味を帯びたり心象風景として昇華されることで、日常と個を超えた普遍的言語の世界に触れるからである。永田和宏風に「虚空間に触れる」と言ってもよい。この相転位はひとえに言葉の作用によるものである。阪森の掲出歌では具体的にどのような言葉の選択と結合がこの相転位を実現しているのかと言うと、それは「うす霜」の「うす」と「やさしく」のふたつである。ためしに上句を「いちめんに霜の降りたる冷凍庫に」と変えたり、下句を「豚肉きちんとたたまれてある」と変えたりすると、歌は突然表情を変貌させ、元の歌が持っていた相転位への飛翔力を喪失するのは誰の目にも明らかだろう。もっと具体的に言うと、「うす霜」の「うす」は現実感を希薄化することで象徴的地平への飛翔を触媒し、感情形容詞である「やさしく」は現実の地層の中に作者の受容した感覚の触手を忍び込ませる働きがある。ちなみに後者の語法は、現実の無機的描写に徹した小説家ロブ=グリエが嫌った語法である。

 阪森郁代は「玲瓏」に所属し、1984年に「野の異類」で角川短歌賞を受賞している。受賞作を収録した第一歌集『ランボオ連れて風の中』は1988年の出版で、サラダ現象の翌年である。ライトヴァースが話題になった時代の中では異色の歌集と受け止められたことだろう。先に掲出歌に見た阪森の語法は、第一歌集においてすでにはっきりと認められる。

 かろがろと空へ曳かれてひかる鳥われらの知恵のふいにさびしき

 盲ひたる山羊の眠りもそのままにゆふべの地震(なゐ)もやさしく過ぎぬ

 咽喉にはやはらかき夢ふふむゆゑつぐみもひよもわれに親しき

 いづへよりくるしく空の垂れ来しや麒麟ひつそり立ちあがりたり

 全首が写実とは一線を画する心象風景であるが、一首目の「かろがろと」「ふいに」、二首目の「やさしく」「そのままに」、三首目の「やはらかき」、四首目の「くるしく」「ひつそり」などの言葉が、上に指摘した相転位を促進して現実の風景を詩的空間へと転化する働きをしている。名詞は事物を指示し、動詞は出来事を指示し、それらは現実側に所属するものである。しかしながら形容詞と副詞は事物や出来事の有り様を述べるものであり、現実側というよりは知覚者側に帰属する。阪森が現実の情景を心象風景へと相転位するのに用いる語群のほとんどが形容詞と副詞であるのは、このような理由によるものである。

 今回読んだ『ナイルブルー』は2003年に出版された第四歌集である。全体として心象風景という特質は保持されながらも、いささかの変化が見られるのは時間の経過ゆえだろう。2001年の9.11テロと塚本邦雄令夫人の死去、作者の父と兄の他界を含む作歌期間であるためか、歌集の随所に死者の影が揺曳している。

 やがて来る凶事を視野に入れにつつ白き十字をひらくどくだみ

 だれもが死者として現われる汀(みづぎは)に水の羞ぢらひ満ちみちてをり

 冷たさに戸惑ひながら水鳥に呑まれてしまふ日々のゆふぐれ

 天心を逸れて陽はあり父に点(さ)す点眼水のこぼれてしまふ

 マンションはやがて霊廟 貯水槽深夜はみづのひしめき聞こゆ

 つばさてふかくもしなやかなるものに壊れしビルのたましひいづこ

 テロールの蜜の暗さを思ふさへ汗ばみし夜のうすら三日月

 街にほろびの雪はふりつつしかすがに更新されてゆく天使たち

 夏空がうながしてくる死もあらむ今日のココアは鳥の匂ひす 

 一首目は「ナイルブルー」と題された連作の中にあり、エジプト・聖書・イエス・神などの語が見られる連作であるので、「やがて来る凶事」とは中近東の地に起きる災厄、近くはイラク戦争を念頭に置いたものであり、「白き十字」は十字架を連想させる。二首目は作者の身辺に続いた親族の死去に触発されたものだろう。死者の集まる水は美しいイメージである。三首目は阪森特有の難解さがあるがなぜか惹かれる所がある歌。四首目は亡父の思い出で、太陽が天心を逸れることと、目薬が目にうまく入らずこぼれることのあいだに遠い呼応が見られる。五首目ではマンションが霊廟となる未来の幻視が、深夜に貯水槽に溜まる水のざわめきに象徴されており、黙示録的ヴィジョンとなっている。六首目と七首目は9.11テロとそれに続く恐怖の時代に想を得た歌である。直接には「ビルのたましひ」と詠われているが、その背後にテロの犠牲者を想定していることは言うまでもない。八首目は「三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ」という万葉集の歌の本歌取りかもしれない。かすかな終末感と地上の災厄への神の無関心を感じさせる。九首目は帯にも印刷されており、作者自信の作なのだろう。生の横溢するべき夏という季節に死の予感と感じとり、朝に飲むココアに鳥の幻臭を覚えるという取り合わせが見事である。鳥は生命のシンボルであると同時に、生命のはかなさを表し、ときに凶事の予兆ともなる。この歌ではかすかな鳥の幻臭が虚空間への入り口となっているのである。

162:2006年7月 第3週 河野美沙子
または、〈私〉は共感覚の世界の拡がりのなかにいて

冬の陽ざしにおもたさ生まれ寺町通(てらまち)の
         度量衡店に天秤ありつ
           河野美砂子『無言歌』

 梅雨時の蒸し暑い京都に居て河野美砂子の歌集『無言歌』を読んでいると、短歌とは微細な対象や些細な異和感を表現するのに適した文学形式だとつくづく思う。そう思わせる歌集なのである。たとえば掲出歌を見てみよう。この歌をほんとうに味わうには、京都の寺町通は茶屋や画廊や骨董店などが並ぶ昔を感じさせる通りだということを知っている必要がある。だから歌に登場する度量衡店も、近代的なピカピカの店ではなく、お爺さんとお婆さんが細々と経営している古びた店でなくてはならない。硝子の引き戸を開けて入るような店である。度量衡店だから天秤を売っているのは当然なのだが、もちろんこの歌のポイントは上句の「冬の陽ざしにおもたさ生まれ」にある。無風で明るい日差しが照る冬の日だろう。硝子越しに店の中に降り注ぐ透明な日差しを見て、そこに重さが生まれると感じたのである。この重さはほんの数グラムか数ミリグラムの微細な重さでなくてはならない。店のなかの天秤はわずかにどちらかに傾ぐかのように感じられる。これらすべては極めて微細な感覚的印象なのだが、それを捉えて歌に定着することによって、ひとつの視界が立ち上がる。これが短歌の内的生理である。

 作者の河野美砂子はピアニストで「塔」所属。1995年に「夢と数」50首で第41回の角川短歌賞を受賞している。受賞対象となった連作は改作されてこの歌集に収録されている。歌集のなかでまず目に付くのは、音楽とピアノ演奏に題材を採った歌である。

 どこからが音であるのか一本の指のおもさが鍵盤(キイ)になるとき

 椅子の距離やや遠くして弾きはじめ残響一・五秒をためす

 鍵盤のちがふ深さの沁みるまで指に腕に押さふる黒白を

 総休止(ゲネラルパウゼ) わが身は失せて空間のごとき時間が開(あ)くぽつかりと

芸術において異なるジャンルのあいだに架橋するのは一般に極めて難しい。音楽を言語で表現したり、思想を絵画で表現するには困難が伴う。河野が音楽を素材として作る歌が例外的に成功しているように見えるのは、音楽を単に音としてではなくピアニストとしての演奏者の肉体的感覚を通して把握しているからだろう。一首目では指でキーを押すときにどこからが音になるのかを問うているのだが、これは音楽を聴く側ではなく演奏する側に固有の感覚である。二首目では椅子とピアノの距離を調整しつつ理想的な残響を試しているが、ここにもまた空間に満ちる音を体感的に把握するスタンスがある。三首目は演奏会場のピアノを試し弾きしている情景だろう。一般の楽器奏者とは異なり、ピアニストはミケランジェリのような例外は別として、自分の楽器を持ち込むのではなく、ホールに備え付けの楽器を用いる。だから普段とはちがう鍵盤の深さを体で覚えているのである。ちなみにこの歌は角川短歌賞を受賞した「夢と数」では、「鍵盤のちがふ深さの沁みるまで黒白を指と腕に押さふる」となっていて、倒置語法で改作されている。四首目の総休止は音楽用語ですべての楽器が休止することを意味し、わずかな残響を除いて完全な沈黙となる。その休止に突入するさまを「空間のごとき時間が開く」と表現しており、時間の位相が空間へと転位されている様もなるほどと感じさせる。

 作者は音楽家なので音感が鋭いのは当然で、このため聴覚によって世界を把握する傾向が強く、その資質が短歌のおもしろさとなっている。たとえば次の歌である。

 またちがふ蝉が鳴きだし窓のそとひとつづつふえてゆく距離があり

 家の窓の外でさっきまで鳴いていた蝉とはちがう蝉が鳴き出す様を作者はまず耳で音として捉え、それを空間的な距離感として把握している。蝉の鳴き声のわずかな差異が空間的奥行きに転換されているのである。さきほどの総休止の歌では時間が空間へと転位されていたが、蝉の歌では聴覚と空間感覚の間に転位が見られる。そしてこの感覚の間での転位現象は河野の歌では広くまた種々見られ、あたかもボードレールの「万物照応」Correspondance か共感覚の世界を作り出しているのである。

 錯覚のごとく匂へり沈丁花は受験ののちの日を匂へりき

 手套(てぶくろ)にさしいれてをりDebussyの半音にふれて生(なま)のままのゆび

 野をわたる草色の和声(ハーモニー)目に見えて〈幻想〉はながい旅をはじめる

 濡れ紙を切りゆく鋏の感触はどこかうすみどりいろをおびたる

 朴落葉ここに大きく落ちてゐて落ちてゐる音手にひろひたり

一首目は嗅覚が過去の記憶と結びついている。この結合はそれほど珍しいものではない。二首目は音と触覚のあいだの共感覚である。Debussyの半音の音の記憶が手の指にまだ生々しく残っているという感覚は演奏者固有のものだろう。三首目では聴覚と視覚の、四首目では触覚と視覚の共感覚が見られる。五首目では落ちている朴の葉を拾うのではなく、落ちている音を拾うという所に表現の共感覚的転換があり、強い詩的圧縮という効果を生んでいる。

 このような次第であるから、河野の歌を読んでいると、歌に対象を定着させるのが目的なのか、それとも対象から受ける感覚を詠むのが眼目なのかわからなくなることがある。そもそも私たちは感覚によって対象を認知するのであるから、対象と感覚は表裏一体であり不即不離だと言える。しかし実際の表現の位相においては、おのずといずれかに重点が置かれるのかふつうである。ところが河野の歌では、対象から受ける感覚を起点として、それが他の感覚へと転位されてゆく様に面白味のかなりの部分があり、これは他にあまり見られない独自の世界で作者の個性である。またこのように感覚の玉突き衝突のような事態を微細に描くことにより、歌のなかに広い空間性が確保されていることも付言しておきたい。

 共感覚を持つ人は、音を聴いて色を感じたり、色を見て形を感じたりすることがあるという。最相葉月は著書『絶対音感』のなかで、絶対音感を持つ人の一般人には想像もつかない世界を克明に描いたが、共感覚を持つ人に見える世界もまた、われわれには想像もできないものだろう。河野が共感覚を本当に持っているとは思わないが、ピアニストとして音を中心に生活するうちに、眼には見えないものを感じる力を身に付けたのだろう。その力と短歌の生理との幸福な結婚により、この歌集が生み出されたのである。

 共感覚的世界を描いたものではないが、次のような歌にもまた、眼には見えないものを透視しようとする意志が感じられる。

 ふかみどりの瞳の猫の額(ぬか)に透く小(ち)さき鳥小さき横向きの鳥

 秋冷の午後を見とほす硝子戸の向うがむかし あまくゆがめる

 百ほどの白い綿棒頭(づ)をならべ尼僧のごとくしづけきまひる

 夜の樹々みごもるやうに匂ひたつ天皇の骨を埋めあるあたり

 花揺るる大盞木のある街の母住む家に喪の服がある

 石の面を秋のはじめの水ながれ流れつづける死者の名に触れ

 特に二首目のガラス戸の向うに過去を幻視する感覚や、四首目の天皇陵の木立に身籠もるような匂いを感じる感覚は印象に残る。歌集題名の「無言歌」は一義的にはメンデルスゾーンの楽曲を指すが、あとがきにも書かれているようにもう少し広い意味で使われており、作者にとっては世界のすべてが言葉なく何かを歌うものと捉えられているのだろう。作者のスタンスをよく表す題名である。

161:2006年7月 第2週 松木 秀
または、奥行きのない世界に凡庸な引用として生きる私

日本史のかたまりとして桜花
    湧きつつ消える時間の重み
       松木秀『5メートルほどの果てしなさ』

 桜を詠んだ歌は古来数多いが故に、桜は歌人の鬼門でもある。先人の言葉によって良伝導化された回路が、私たちの感受性を強力に回収するからである。そのとき記号としての「サクラ」は、人を絡め取る巨大な回路の集積として立ち現れる。掲出歌はそれを「日本史のかたまり」と表現し、眼前に咲き誇る桜に時間軸を重ねて見ているのである。屈折した見方ではあるが、もはや私たちはこのように屈折した観点からしか桜を見ることはできないのだ、と作者は言いたいようだ。眼前の桜へと浸透しそうになる感受性を拒否する姿勢が鮮明で、この姿勢は歌集を一貫している。それは作者と言葉の距離でもまたある。

 松木秀は1972年(昭和47年)生まれで「短歌人」所属。第一歌集『5メートルほどの果てしなさ』で、日置俊次と並んで2006年度の現代歌人協会賞を受賞している。歌集題名は「青い雲天高く投げ5メートルほどの果てしなさへ歩むかな」という歌に由来する。歌人としての松木の視座はどこにあるのだろうか。

 日本に二千五百の火葬場はありてひたすら遺伝子を焼く

 千羽鶴五百九十四羽目の鶴はとりわけ目立たぬらしい

 機関銃と同じ原理の用具にてぱちんと綴じられている書類

 核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色とおもう

 なにゆえに縦に造るか鉄格子強度のゆえか心理的にか

 儀式とは呼べないまでも地球儀を運ぶとき皆丁寧となる

 新聞も読んでない今日まあいいか明日には明日の殺人が来る

この歌集に特徴的に並ぶ歌群を抜きだしてみるとわかるように、これらの歌は「漠然と言いたかったが今まで言えなかったこと」をズバリ述べた歌である。一首目は、火葬場では遺体を焼いているだけではなく、DNAも焼いているのだと指摘することで、個人の死が種としてのヒトの連綿たる進化の過程へとずらされる驚きがある。二首目は千羽鶴の群のなかの五百九十四羽目の鶴という無意味な数を挙げることで、忘れられる些事を掘り起こしている。三首目では、オフィス用具としてのホッチキスは機関銃の発明者であるベンジャミン・B・ホッチキスが考案したものだと指摘することで、オフィスの机の上に普段とは違う風が吹く思いがする。四首目もなるほどと膝を打つ歌で、確かに核ミサイルの発射ボタンは映画以外では誰も見たことがないが、何となく赤色だろうと感じる。五首目は、鉄格子はなぜ頑丈な縦の鉄棒からできていて、横棒ではだめなのかという歌であり、これまた答えに窮する疑問である。

 『5メートルほどの果てしなさ』の出版をプロデュースし、巻末に解題を執筆した荻原裕幸は、松木の文体を「風刺的文体」と呼び、その無名性や無私性ゆえに現代短歌が苦手としてきた文体であると指摘した。なぜ苦手かというと、現代短歌は「発語者の内面を構成し、そこから自己像を読みとらせることをある種の約束としてきたから」なのである。風刺的文体の無名性・無私性が内面を構成することを妨げ、結果として自己像が立ち上がらなくなるとすれば、現代短歌が立脚してきた〈言葉→内面→自己〉という指示関係の連鎖が成立しなくなる。荻原は松木が風刺的文体を、自己像をきわだたせる方向に活用していないという点を評価し、現代短歌の地平を拡げたと結んでいる。荻原は、伝統的な「自己像へと収斂する短歌」と対置されるべき「拡散する自己像」または「自己像を無化する短歌」の可能性をあちこちで語っている。この荻原の持論に賛同するかどうかはさておき、ここで考えたいのは松木の短歌を分析するに当たって、荻原の持論は果して有効か否かという問題である。というのも、〈言葉→内面→自己〉という連鎖が松木の短歌において、「生活者としての〈私〉」の水準においては確かに成立していないとしても、「〈私〉をいかに捉えるか」という「メタレベルの〈私〉」においては、やはり成立しているのではないかと思えるからである。

 ああまただまたはじまったとばかりに映像を観るただの映像

 Confusion will be my epitaph 凡庸な引用として生きる他なし

 ちょっとした拍子に欠ける消しゴムのように何かを落としたような

 夕暮れと最後に書けばとりあえず短歌みたいに見えて夕暮れ

 輪廻など信じたくなし限りなく生まれ変わってたかが俺かよ

 奥行きのある廊下など今は無く立てずに浮遊している、なにか

 一首目はイラク戦争に題材を採った歌である。遠国での戦争をただ映像で観るしかない無力感を詠った歌と解釈することもできるが、それよりも前景化されているのは世界の皮相化だろう。表面しかなく奥行きのない世界に生きて、表面をただ滑ってゆくしかない〈私〉と捉える視点がここにはある。二首目の英文は「混沌こそわが墓碑銘」という意味だが、注目されるのは下句の方で、「〈私〉は凡庸な引用でしかない」という自己の無名性を意識する〈私〉がここにある。三首目は言いさしのまま終わる結句が、効果的に自己像の不在と崩壊感覚を露わにしている。四首目は風刺的短歌と取ることも可能だが、むしろ「準拠体系」を喪失した〈私〉を描いているとも取るべきだろう。しかも結句を「見える夕暮れ」ではなく「見えて夕暮れ」と結ぶことで、実際に夕暮れを現出させて終わっているところが心憎い。五首目では輪廻転生を拒絶する作者の「たかが俺かよ」という投げ遣りな口調が、作者の〈私〉の立ち位置を確かに照射しているだろう。六首目は渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を踏まえた本歌取りだが、ここでも詠われているのは奥行きを無くした世界である。だから白泉の句では二本足でしっかり立っていた戦争も、松木の歌では名付けようもない何物かとして表層を浮遊するしかない。これらの歌の言葉は、通常の意味での喜怒哀楽を描くことで作者の内面を指示するものでは確かにない。しかし、これらの言葉は「メタレベルの〈私〉」を浮上させることで、依然として私性に深く関わるのではないだろうか。

 と、一応は荻原の説に反論してみたのだが、荻原の言うことにも一理ある。作者の〈私〉と言葉の距離感が今までの伝統的短歌の流れを汲む人とは異なるからである。作者と言葉の距離感を示すふたつの例をあげて松木と比較してみよう。

 一刷毛の夕焼けが来て鮃から泌み出る水を照らしていたり  吉川宏志

 くだもの屋の台はかすかにかたむけり旅のゆうべの懶きときを

 茄子の花小さく咲いていたりけり どう怒ればいいのだろう虹  江戸 雪

 切られたる髪落ちる肩ぐりぐらり夏草のまま遠いひとおもう

ともに「塔」所属の歌人だが、作者と言葉の距離感は対照的である。吉川は冷静な観察を通して言葉を自分の方へと手繰り寄せ、その結果、世界を自分へ静かに引き寄せる。言葉は作者が考案したものというよりは、見つめられた対象から自然に滲み出て来たようだ。巧みに手繰り寄せられる結果として、〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の距離は、それが一瞬の幻想であるにせよ、極小化されたように感じられる。〈言葉〉という中間項を挟んで、〈私〉と〈世界〉とが束の間合一するとき、強いカタルシスが得られる。一方、江戸においては事情はまったく異なる。江戸は言葉によって世界を引き寄せるのではなく、言葉に載せて〈私〉を世界へと投げ出すのである。それは吉川とは異なり、江戸にとっての世界は認識の対象ではなく、〈私〉がその中で何かを体験し何かを感じる場所と捉えられているからだろう。しかしながら、このようにスタンスは異なるとはいえ、吉川と江戸はともに〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の三項目のあいだの繋がりを信じており、それをゴムのように伸び縮みさせて距離感を測定しているのである。

 ところが松木の短歌を読んでいると、この三項目の距離感が喪失していると感じられてならない。

 ストローをくろぐろとした液体がつぎつぎ通過する喫茶店

 たった今天は配管工事中火花としての流れ星あり

 コピー機のひかりに刹那さらされて分裂をするなまぬるき文字

これらの歌には〈私〉―〈言葉〉―〈世界〉の三項目を適当な距離に置いて配置するべき奥行きがない。それは荻原の言うように無名性・無私性を旨とする風刺的文体のせいかと言うと、どうやら事はそれだけに留まらないように思える。〈私〉と〈言葉〉の距離と並んで、〈言葉〉と〈世界〉の距離もまた、現代短歌シーンにおいては以前とは異なる相貌を呈しているようである。それが松木個人の生理に基づくものなのか、それとも若手歌人に共有された言語観なのかは、もう少し検討を要する課題である。

 

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160:2006年7月 第1週 日置俊次
または、ノートルダム聖堂の堅い椅子

つり革にのぞく少女の切れかけた
      生命線が吸ふ晩夏光
        日置俊次『ノートルダムの椅子』

 通勤電車かバスのなかでの情景だろう。つり革を握る少女の掌の生命線が切れかけているという。作者は写実を作歌の基本としているので幻視とは解釈できないが、単にそのように見えたということかもしれない。それは重要なことではない。重要なのは「実際に生起した事実かどうか」ではなく、作者がそれをいかなる回路で受容し歌へと昇華したかである。「少女の切れかけた生命線」は、一般論として思春期の生の危うさを思わせ、特に拒食症やリスカという危険に囲繞されている現代の少女の生きる世界を浮上させる。少女の生の短さを象徴する切れかけた生命線に、晩夏の朝の光が降り注いでいる。その光景を受容する作者の心理は一縷の諦観が混入された〈戦き〉だろう。

 日置俊次は第一歌集『ノートルダムの椅子』で今年の第50回現代歌人協会賞を受賞した新鋭歌人である。青山大学文学部日本文学科で教鞭を取る日本文学研究者でもある。歌集題名ともなった集中の連作「ノートルダムの椅子」は、平成17年度の角川短歌賞の次席に選ばれていて、その折りに角川『短歌』誌上で読んだ記憶がある。連作「ノートルダムの椅子」は次の歌で始まっている。

 この留学より〈われ〉が始まる 原点をノートルダムのかたき椅子とす

作者はフランス政府給費留学生としてパリで留学生活を送った人で、留学中に短歌を作り始めたというから、これはまさに作者の歌人としての原点でもあるのだろう。フランス政府給費留学生というのは、選抜試験を受けてフランス政府から奨学金を受けて留学する制度をいう。かく言う私もずいぶん昔になるが、同じくフランス政府給費留学生としてパリで学んだので、日置の歌を読んでいると我が事のように共感できるものが多い。共感できすぎてしまうと言うべきか。

 プルースト好きの日本人(ジャポネ)がまたひとりと苦笑し教授が肩をたたきぬ

 長い髪のうしろに座りブロンドの斑(むら)見つめつつ心理学聴く

 「日本館」とふパリの学寮に伝はりし雪平鍋をかぷかぷ洗ふ

 〈ジャップ〉ですらもない希薄なる笑み泛かべパリに棲む 宮澤賢治抱へて

 わがために流れよセーヌ 批判されし『スワンの恋』論はこべ海まで

 一首目は業界の人でないとわかりにくいかも知れないが、フランスに留学する仏文研究者におけるプルースト研究者比率は異常に高い。だから「またプルーストか」という老教授の苦笑混じりの感想になるのだ。二首目のブロンドに斑があるのは染めた金髪だから。フランス人にもともと金髪は少ない。作者は留学生が暮す大学都市の日本館に在住していたようだ。帰国する人が残した代々伝わる雪平鍋があるのだろう。あり合わせの家財道具で暮す留学生のわびしい生活の一場面である。四首目は作者の自意識を描いたものだが、外国で長く暮らしているとこのような心理状態になるのは避けられない。「〈ジャップ〉ですらもない」という所に、アイデンティティーが希薄になる外国暮しの痛みが滲み出ている。最後の歌は論文かレポートを指導教授に批判された時の歌だろう。日本とちがって批判は容赦ないもので、批判されたときに落ち込みはたいへんなものがあるのだ。

 角川短歌賞で次席に選ばれた時の選評では、一位に押した高野公彦が「叙情的で、思索的、知的な要素がある」と高く評価し、小池光は「一つ一つの歌が単なる観念的なものではなくて、ディテールがある」と述べている。確かに作りがしっかりしていて破綻のない歌が多いのだが、それは逆の面から言うと意外性や飛躍がないということでもある。いくつか歌を引いてみよう。

 目白らを追ひはらひみかん食べつくす鵯と内気なわれの眼があふ

 手児奈池のなよれる亀か池袋東武デパートのペット売り場に

 二丁目のコンヴィニもつひに潰れたり朝ごとに買ひしあのメロンパン

 ゆりかもめの蹼(みづかき)といふ燠火みゆ 踏みこえられて風の鳴る音

 反りて火にしづみゆきたりわが想ひをこばみしひとの伸びのある文字

 一首目のような自省の歌が集中には比較的多いが、「内気な」のように心情に直接言及する表現はないほうがよかろう。二首目の手児奈は万葉集にも読まれた真間の手児奈のこと。作者は近くに在住しているらしく、手児奈に想を得た歌が他にもある。三首目は厳しい経済競争の結末がテーマだが、結句の「あの」という指示詞がきいている。四首目はゆりかもめの水掻きの色を燠火に譬えた歌で、静かな歌のなかに隠された激しさを感じさせる。五首目は思いを拒まれた人からの手紙を焼く場面で、沈んで行く自分の思いと、逆に伸びのある文字との対比が鮮やかである。いずれも描かれた場面が明瞭にイメージできるように作られており、情景を歌に定着させる作者の力量を示している。

 しかしイメージが明瞭だということは、逆に言うと歌が指し示す世界が言葉で説明された世界に限定されるということでもある。言語記号の最も大きな機能は指示機能で、「犬」という記号で〈イヌ〉という動物の概念を指す働きであることに異論はない。しかし、短歌で用いられる言葉には、単なる指示機能を超えて、通常は指し示されることのない何ものかを暗示する余剰的機能があるはずだ。それが発揮されていないと、短歌は「読んだままの世界」しか描くことができない。しかし、それでは読んだ人の感覚の非日常的拡大は望めない。その点から言うと、私が注目したのはむしろ次のような歌群である。

 乳母車見下ろす母をおしつつみ水木の葉うら這ふみづあかり

 破傷風の接種を受けしよりパリの路地には馬のにほひ満ちたり

 さつくりした陽ざしの底に白鳥はみなカリエスを病みて浮かべり

 火の卵を抱きて走る その火にて身を炎やしいつか孵すたまごを

 たれもゐぬ他界にたれか白頭鳥(ひよどり)の咽しめながら翔けるゆふぐれ

 黒揚羽そこびかりしてふりむかぬ僧にもみたびかげをこぼしぬ

 ゆふぐれの宇宙は百合のなかへ入りあまやかな疵(きず)ほつかりひらく

 一首目は今までの歌とはちがって、描かれた場面がそれほど明瞭ではない。「母」はいったい誰の母なのかも語られていない。しかし、「水」「みづ」の繰り返しを含む下句には魔術的な喚起力があって惹きつけられる。二首目は角川短歌賞の選評で高野公彦も褒めていた歌だが、破傷風の予防接種を受けた後で馬の匂いを感じるという所に感覚的拡がりがある。三首目は白鳥とカリエスの結合が残酷で幻視的である。四首目はイラク戦争を詠った連作のなかの一首で、火の卵はおそらく爆弾の暗喩だろう。自爆テロをテロリストの心情の側から詠ったもので、集中では異色の一首である。五首目は幻想的な心象風景を詠ったものと思われる。六首目は写実のようでありながら、限りなく幻視に近付いている点がミソ。七首目は百合の花が開花した情景を詠んだものだが、極小の百合に極大の宇宙を感じている点にスケールの大きさがある。

 角川短歌賞の選評で選者たちが評価したのは、「知的要素」と「ディテールがしっかりある」という点だから、ここに引用したような歌はその基準からはいささか外れている。先に引用したような歌群の方が、むしろその基準に合致している。ここから先は好みの問題と言ってしまえばそれまでなのだが、私は言葉の魔術で普段は見えない世界を見せてくれる短歌が好きなので、上に引用したような歌が心に残った。それが作者の本意かどうかはまた別の話である。

159:2006年6月 第4週 噴水の歌

 今は6月末で梅雨の最中だが、うっとうしいこの時期になると涼しさを感じさせるお題シリーズに走りたくなる気持ちがふつふつと湧く。というわけで今回は「噴水の歌」である。噴水は夏の季語だが、冬の噴水を詠んだ歌もまた多い。

 水の表面は原則として水平であり、また水は土地の高低に沿って低きに流れる。水を高く噴き上げる噴水は人為によるものであり、自然と対置された人工の極致と考えることができる。ヨーロッパでは古代ローマ時代から噴水は庭園に不可欠の要素で、現在でもイタリアの庭園には噴水が多い。グラナダのアルハンブラ宮殿にも美しい噴水があり、アラブ世界においても噴水は楽園のイメージと結びついていた。日本における近代的噴水は、1903年に日比谷公園に作られたものが最初だという。「喨々とひとすぢの水吹きいでたり冬の日比谷の鶴のくちばし」という北原白秋の歌はその最初の噴水を詠んだものだろうか。収録されている『桐の花』は1913年刊行だから可能性は高い。

 小池光の『現代歌まくら』も噴水を立項していて、次の3首が引用されている。

 自動車の後ろに高き噴水の立つと思ふがここちよきかな  与謝野晶子

 天上を恋ふる噴きあげ環となりて水堕つるなり都市の空間  前登志夫

 冬の日の光かうむりて噴水の先端がしばしとどまる時間  佐藤佐太郎

 与謝野晶子の歌は洋行中の歌で、まだ日本では珍しかった風物としての噴水が詠まれている。小池は、前登志夫の歌では都市空間を形成する垂直線としての噴水を、佐藤佐太郎の歌では噴水の先端が表している空間が反転した時間の停止を指摘している。

 噴水を眺めるとき、ポイントはいくつかある。水が勢いよく吹き上がる様、いったん上がった水が落ちる様、水柱が風に揺れる様、そして水の噴き上げが止まる様などで、歌人はそれぞれ自分の感性に応じて諸相のなかから取捨選択している。その選択の様子が興味深い。

 噴水の水燦燦とひらきおり薔薇のごとくに水は疲るる  阿木津英

 噴き上げの白しぶく秀(ほ)の縺るるがさすらいびとのごとく立てるも  阿木津英

 照らされし空間にして水柱打ち合いしびるる如くなる個所  高安国世

 時雨過ぎて青める夕べ噴泉は人なきときを音あらく噴く  玉井清弘

 上の歌群はいずれも噴水が水を噴き上げる様子に焦点を当てている。阿木津の一首目は噴水の華麗さを上句で前景化し、そのイメージは下句の薔薇の喩を導出するが、結句の「水は疲るる」に至って作者の感情の注入がある。阿木津の二首目では、噴き上がる噴水が「さすらいびとのごとく」と形容されることにより、全体として心象の喩に転化している。高安の歌では、「空間」「個所」という硬質の抽象語彙の使用によって景は抽象化され、「しびるる如くなる」という表現によってさらに観念化されていると言えるだろう。モダニスムの香りが高い表現となっている。また玉井の歌は人気のない公園で水を噴き上げる噴水を詠んだもので、一首の見るべきポイントはもちろん「音あらく」にある。

 絵師はきて噴水散らす風をいふ世界は風に満つるといへり  坂井修一

 噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々たりきらめける冬の浪費よ  葛原妙子

 冬の噴水ときおり折れて遠景に砲丸投げの男あらわる  佐佐木幸綱

 上の歌群は、噴水の水が風で散らされる様に着目している。定常流となって噴き上がる噴水は不動の柱とも見えるが、水が散らされ水柱が折れることによって、不可視の風の存在が前景化される。坂井の歌は噴水よりも目に見えない風を詠うことに主眼があり、スケール感の大きな歌となっている。葛原の歌はあまりにも有名な歌で、水が風に飛び散る様を「冬の浪費」とする主観的断定の強さと下句の大幅な破調が印象的である。佐佐木の歌は噴水の向こう側に砲丸投げの男を配することで一首に遠近感を生み出している。マラソンでもなく幅跳びでもなく砲丸投げであるところがミソ。

 噴水のしぶき微かにふたたびを横ぎるときに翳る微笑み  高安国世

 音もなく霧をひろぐる噴水のとらえがたなき哀しみに遭う  高安国世

 待つ側に立つ人たちの腰かける噴水広場の円形のいす  嵯峨直樹

 高安には噴水を詠んだ歌が多い。上の歌は噴水そのものを即物的に詠ったものではなく、噴水の回りに集う人を詠んだものである。一首めの微笑が翳るのは相手の女性でこの歌は相聞と読むべきだろう。二首目では噴水を眺める〈私〉の心情に焦点が当てられている。噴水の多くは公園にあり、その回りに集う人々がいるはずなのだが、以外にそのような視点から詠まれた歌は少ない。嵯峨の歌では噴水の周囲で人を待っている人々が詠われているが、この歌では必ずしも噴水でなくてもよいような気もする。

 噴水は挫折のかたち夕空に打ち返されて円く落ちくる  吉川宏志

 ほんとうに若かったのか 噴水はゆうやみに消え孔を残せり  吉川宏志

 流星の痕なき空へ噴水の最後の水がしばしとどまる  林和清

 水の涸れた噴水のみを点景に佇てり消滅だけを信じて  光栄堯夫

 青銅の天使の噴ける水まるくひらきぬ水の腐臭かすかに  佐伯裕子

 上の歌群では噴水がネガティブな視点から把握されている。吉川の一首目では、噴水の水が噴き上げられて落ちる様に焦点が当てられて、それが「挫折のかたち」と表現されることで心情の喩となっている。二首目では上句のつぶやきと下句の叙景が対となり、描かれているのは夜になり水が止められた噴水である。林の歌でも噴水が噴き上げる最後の水が焦点化され、全体として希望のなさが浮かび上がる。光栄の歌ではもはや水を噴き上げることのない噴水が取り上げられており、その象徴的価値は明白だ。佐伯の歌は嗅覚に訴える肉感的な歌で、作りに間然とするところがない名歌だと思う。

 噴水のまばゆい冬のひるさがり少女は影に表情がある  加藤治郎

 噴水のしぶきを頭にあびながらベンチに待てり、不発弾処理  加藤治郎

 現代短歌シーンを疾走する加藤の噴水を詠んだ二首をあげた。一首目を見ると、冬の噴水が詠まれることが多い理由のひとつは、モノトーンになりがちな冬の情景に彩りを与えるためだということがわかる。二首目はいかにも現代短歌という作りで、四句目までは伝統的な近代短歌と言っても通るが、結句の「不発弾処理」で一気に世界のキナ臭さが前景化されるという仕組みになっている。極小から極大へと飛躍する点もまた、現代短歌が切り開いた手法のひとつである。結句によるこのような転換は「未来」の得意技だと三枝昂之が指摘したことがあるが、この意味で加藤は岡井隆の直系の弟子と言えるかもしれない。

158:2006年6月 第3週 大島史洋
または、想像力は遂に現実を越えられないか

ピカソ展見終えて濠に光あり
    静かに充ちてわが日々を撃て
         大島史洋『時の雫』

 1944年生まれの大島史洋のように歌歴の長い歌人の場合、時間軸に沿って作風が大きく変化していてとても論じにくい。歌人論的には、アララギ会員だった父親の影響で作歌を始め、近藤芳美と土屋文明に傾倒したというリアリズムの骨格に加えて、未来に入会して岡井隆の前衛短歌の影響をもろに被ったという重層的な短歌的自己形成を経ている。ひと筋縄では行かないのである。第一歌集『藍を走るべし』(1970年)は、語法と発想において前衛短歌の影響が濃厚だが、それ以上に作者と時代の若さが痛いほど感じられる歌集となっている。前衛短歌の影響は次のような歌群に顕著だろう。

 「大公」の調べ悲しき寒の夜幾千の眼に見おろされつつ

 ひそやかにあけがたの野を走りゆく熱情のあるカタピラーのうえ

 汗ながす緑のボンベ遠き世は吾が憎しみのうらがわの牡蠣

 真昼間に感電死する工夫あれ かの汗の塩をも吾は愛さむ

 炒められて緑輝く 父よ越えられぬ子を知らず眠るな

 写実を旨とする伝統的近代短歌に対抗する前衛短歌の戦略のひとつは、思想を暗喩を通じて表現するというものだが、一首目などは浜田到や塚本邦雄がいなければ書かれなかった歌だろう。二首目はとりわけ思想を肉感的な言葉で表現する技法を開発した岡井の影響が色濃い。四首目の「感電死する工夫」は塚本好みである。また五首目のような二句切れも、伝統的な短歌の韻律を壊そうとする前衛短歌の常套手段であることは今日ではよく知られていることだ。写実を排する道を取り観念の喩による形象化という手法を採用する代償は、難解・晦渋・読者への伝達度の低下である。大島もまたその例外ではなく、『藍を走るべし』はさまざまな作歌の試みが詰まった実験箱のようだ。この歌集が出版されたとき、どのように受け止められたのか知りたいものだ。作者と時代の若さは次のような歌群にまぎれもない。

 手のなかの鶸のぬくもりしめあげてゆけばひとつのいのちくるしむ

 生き方を問われていたる青年のコーラを一気にのみほせる見ゆ

 ゴム鉄砲犬のシールを撃ちつづくこの焦燥の沈みゆくまで

 部屋隅にたまりし埃をつまみもち誰も経てゆく夢のかなしき

 いま僕におしえてほしいいちにんの力のおよぶ国のはんいを

 いつの世にも青年は自意識の塊であり、自負とその裏返しの自己嫌悪と無力感に浸されている。歌集が出版された年代を考えれば、それに政治的挫折という時代の空気もまた付け加わるだろう。これらの歌には眼前に突然拡がる生に戦き、自己とは何かを問い自我の確立に葛藤する青年の姿がある。その清潔感は抜きん出ており、またこの青春のトーンの高さはまぎれもなく60年代から70年代初めの時代の空気を背景としている。「短歌には青春がよく似合う」と言われるが、このような青春らしい青春歌集は現代においては、女性歌人ならいざしらず(例えば横山未来子)、男性歌人には絶えて見られなくなった。わずかに黒瀬珂瀾が『黒耀宮』で一人気を吐くのみである。

 時として観念的過ぎて晦渋な歌も散見するとはいえ、第一歌集『藍を走るべし』は意欲的な試みを盛り込んだ歌集なのだが、大島の作風は大きく変化してゆく。第二歌集『わが心の帆』(1976年)あたりからすでに、平凡な日常に題材を採った歌が多くなり、初期の観念性と晦渋は影を潜めるようになる。その背景には作者の就職・結婚に続き子供が生まれ、実人生にがっちりと組み込まれたという事情があるだろう。

 捨てられし子猫が濡れて寄りくるをエセヒューマニズムの眼もて見おろす

 川なかの杭に生いたる青草を朝々に見て妻のよろこぶ

 明確におのれの立場を示せとぞいさぎよしとは思わぬものを

 職場には友はいらぬと言いしかば波ひくごとくうとまれてゆく

第三歌集『炎樹』(1981年)になるとさらにその傾向に拍車がかかり、何でもない日常を描くリアリズムとつぶやくように心情を述べる歌ばかりになる。

 妻の病めば子供もいたく静かにて襖を少しあけて見ている

 子をつれて絨毯などを見に来しがバド・パウエルのレコードを買いぬ

 休日を個の解放のごとくいう貧しく群れて孤立する個か

 わが買いしさくら草を貧弱と妻は言いぬこういう感じが好きなのである

 器には耐うる術なきかなしさの夕陽を見上ぐオランウータン

 季刊現代短歌『雁』53号(2002年)は大島の小特集を組んでいる。「下降志向のリアリズム」という題名の文章を寄稿した島田修三はそのなかで、社会的地位や収入が上がることを願う上昇志向ならぬ「下降志向」が大島にはあり、「より豊かな生活への果てしのない階梯を上がりつづけることを共同幻想とする現代」に、あえて逆の方向を行く「確信犯的な低い文学的視座」が心理的リアリズムを支えていると論じている。

 要するに大島は第一歌集『藍を走るべし』で展開した世界を「若気の至り」と断じ、その世界を封印してしまったのである。そのとき拠るべきものは、作歌を開始した頃からのもともとの骨格であったリアリズムである。しかし大島の興味は世界をリアルに写実することにあるのではなく、むしろリアルな世界に囲繞された〈私〉をドラマ化と観念抜きに描くことにあると思われる。かくして大島は目線低く日々変わりない日常と日常にまみれた自己を歌うのである。

 神田川の濁りの底を進みゆく緋鯉の群の数かぎりなく  『時の雫』

 自意識を諸悪のもとと思うまで畳屋の香につつまれている 『いらかの世界』

 神田川の潮ひくころは自転車が泥のなかより半身を出す 

 紫蘇の葉のにおいのなかにしゃがむときなまぐさき身よたたかうなかれ 『四隣』

 マンションの屋上にして金網のなかなる下着がおりおり光る   『幽明』

 こともなく日は過ぎゆくをいま少し深く悲しめみずからのため  『燠火』

 しかし、とここで考えてしまう。小池光も第一歌集『バルサの翼』の輝くような世界を封印してしまい、「ながながと板の廊下に寝そべれる一本棒の先端尻尾」のような歌を作るようになった。男性歌人はどうしてもこのような道を辿るものなのだろうか。リアリズムに着地しない中年(老年)短歌というものは不可能なのだろうか。

 ここからは大島の短歌とは関係なく私の勝手な夢想である。私が気になってしかたがない画家にヘンリー・ダーガー(1892-1973)がいる。シカゴ生まれのダーガーは不幸な生い立ちで、病院の雑役夫として孤独で貧しい生涯を送った。亡くなった後の狭いアパートから『非現実の王国として知られる地におけるヴィヴィアン・ガールズの物語』という1万5000ページに及ぶ長大な作品と、水彩とコラージュによる多数の絵画が発見された。その絵画は少女たちが巻き込まれる戦争物語で、少女が磔にされ切り刻まれるシーンが続く妄想の産物である。古雑誌とゴミの散乱する狭いアパートの孤独と、物語世界の波瀾万丈の絢爛さはこれ以上ないほど対照的である。しかし私がダーガーが気になって展覧会があると遠路足を運び、画集まで買って眺めてしまうのは、作品自体に不思議な魅力が漂っていることもさることながら、ダーガーの孤独な営みに芸術のひとつの原点があると感じるからに他ならない。それは想像力で現実を超えることである。ダーガーはそれを最も純粋な形で実践したと言える。さて短歌の世界はどうだろうか。

157:2006年6月 第2週 勝野かおり
または、生活と内面の混沌は蓮根の穴から立ち上る

たこ焼きのたこを楊枝にいらいつつ
    薄い利益にわれはも泣かゆ
          勝野かおり『Br』

 歌集題名の『Br』は元素記号で、臭素(ブロム)を表す。臭素は自然界には単体として存在しない元素で、名前の通り強い刺激臭がある。元素記号が題名になっている歌集も珍しいが、よりによって臭素である。この選択をした作者がただものではないことはただちに明らかだろう。勝野は昭和44年(1969年)生まれで、「まひる野」「ラエティティア」に所属しており、『Br』が第一歌集である。巻末のプロフィールを見ると、島田修三に師事し、島田が勤務する愛知淑徳大学国文科で学んでいる。先週取り上げた島田修三のお弟子さんだったのだが、これはまったくの偶然である。

 さて、勝野が作る短歌だが、言葉を使いこなす妙にこなれた達者な側面と、短歌形式に沿うことをあまり考えない側面とが混じり合っているというのが一読した印象である。掲出歌は妙に達者な方で、これはまるで啄木である。働いても暮しが楽にならずじっと掌を見つめる啄木と、営業成績がなからかあがらず上司に叱られ、たこ焼きをいじくっている勝野の姿は、まるでパロディーのようにぴったりと重なる。しかし、勝野には換骨奪胎のパロディーを作る意図はないのであり、ただ短歌に託すものが似通っているということなのだろう。

 小説での立身出世を志した啄木にとって、短歌は「悲しき玩具」であったが、啄木が作る短歌には泣かせる抒情とかなりの量の自己憐憫が混じっていた。思うに任せない情けない自分の姿は、啄木の筆によってやや甘いが美しい絵として定着された。一方、勝野の視線は美しくないものばかりへと向かうようである。

 鯖味噌に箸を汚せる午後八時なしくずし的に夜が更けていく

 音もなくはるかかなたの夕空をむだにはらはらひらける花火

 姓を捨て瓦礫を捨てし週末の手元に残る文のいくばく

 偽物のような夕陽はしずみゆく 偽物としちゃあ泣けてくるのだ

 爽やかな朝のイトナミ御不浄に切なく蠅は足場を求む

 鍋縁をこごる豆味噌生娘のどて煮の串はのびやかなりき

 味噌がよく登場するのは、勝野が名古屋周辺に暮らしているからである。1首目は下句の「なしくずし的に」という部分に予定調和崩壊のやるせなさがたゆたい、それが鯖味噌に形象化されているところに中年オジサン的抒情を見るべきだろう。これは師である島田修三の直接の影響かもしれない。2首目は本来は美しく詠うべき花火の歌なのだが、それが「むだにはらはら」と詠まれているところに勝野の心情がある。同じ花火を詠んだ歌をあげてみるとちがいがよくわかる。

 つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれたり 小池 光

 酒の席はづしてひとり倚る窓の遠く音なく花火あがれり  山崎一郎

 小池の歌には「つつましき」という部分に庶民への共感があり、花火が夜の水の存在を浮き上がらせるという発見があるだけで、作者の個人的心情はない。山崎の歌には逆に個人的心情が底ごもっていて、群の中の孤独か窓際族的状況の悲哀が花火に託されている。山崎の歌も勝野の歌も、花火から音を奪うことによって花火を心象化しているという手法は同じなのだが、山崎の歌があくまで短歌の形式美を志向しているのにたいして、勝野は短歌の形式美の追究にそれほど興味がないようだ。

 引用歌に戻ると、3首目はおそらく離婚の時の歌だろう。「姓」と「瓦礫」とが同列に置かれている所がポイントで、この辺に勝野の男性的と言ってもよい思い切りの良さが見られる。結婚生活の思い出の品々が「瓦礫」とはすさまじい。4首目は結句の伝法な口語文体が師の島田を彷彿とさせる。5首目は短歌にはあまり登場しないトイレの歌で、トイレを飛び回る蠅を歌に詠むところに勝野の面目がある。そういえば島田もしきりに放屁の歌を作っていた。

 OA機器の販売業界で働く女性である勝野を取り巻く現実はなかなか厳しいようで、「職場詠」というのんびりした呼び方が似合わないほどである。もうほとんど「ストレス短歌」と呼んでもよいくらいだ。

 X社C社当社の相見積の果てなる今日の陸橋は見よ

 キツイキタナイクルシイカナシイ4Kの職場 日清の「どん兵衛」を食う

 あはれ濁机に蕎麦をすすれる深夜なり妄想(ゆめ)の奥処にアニムスは来よ

 なわのれん突っ伏して哭く同僚の鬢の際まで不揃いである

 堀川に浮かぶ瀬もなしクレームの果てなる夕べにひん曲がる杭

 X社はゼロックスでC社はキャノンらしい。相見積とは、購入元が複数の業者から見積を取ることを言う。業界では「アイミツを取る」と言う。いちばん低い価格を出した業者が買ってもらえるのだから必死である。結句「今日の陸橋は見よ」の雰囲気からすると競争に負けたのかもしれない。引用した5首目は古典和歌の語法と雰囲気を「ストレス短歌」に強引に移植したもので、こういう路線に勝野のおもしろさがあるように思う。

 この歌集の描くもうひとつの世界は、私たちが生きている現代世界の状況である。オフィスで夜中にどん兵衛を食べるのが小世界だとすれば、こちらは大世界の短歌ということになる。ずばり「くさい」という題名の連作であり、勝野の臭素感覚はここで爆発している。

 国境はないと言いうる東(ひんがし)の亜細亜 桃も傷めば臭い

 チャルメラはとぎれぬ夕闇どろどろと脂ぎりつつ硝煙臭し

 知らざるは悪、またシアワセ 大東亜共栄圏にはYENの臭素が

 なにもかもきわどいところにある、あいもせかいももりの郭公の巣も

 声なき少数派(サイレント・マジョリティ)は店奥の蠅取りリボンに絡め取られて

 1首目は「フロアまで桃のかおりが浸しゆく世界は小さな病室だろう」という加藤治郎の歌とどこかで呼応しているようだ。これらの歌が描いているものを一言で言うと「きな臭い世界」であり、歌集題名の『Br』は最終的にはこのような次元へと漂ってゆくべきものと把握されている。4首目のように平仮名を多用して童謡のような世界へと持ってゆく手法や、5首目のように言いさしの喩にまとめる手法は、80年代終わり頃から目立ち始めた修辞で、不機嫌に周囲を罵倒するスタイルの師の島田には見られないという点に、世代論的展開を感じることもできるだろう。

今まで引いた歌とやや傾向が異なるのは次のような歌である。

 ほんの僅かな歪みのありて鍵穴に挿し込む鍵がまわらないのだ

 直線を引く間際のことゆくりなく直線定規の欠けたるを知る

 語弊とはこうして生ずコンパスの支点の針は少しく歪みて

 切り口を水にさらされ白々と蓮根の穴に問う謎はなし

 1首目から3首目はいずれも「微細な歪み」を取り上げた歌で、近代短歌が唱道して来た写実と観察が現代短歌の新しい修辞の文脈でもまた有効であることを示している。4首目は奥村晃作の「タダゴト歌」を連想させるが、実はかなり機能のちがう歌で注目した。「蓮根の穴には問う謎がないほど白々と明白だ」と断定するということは、蓮根を観察している〈私〉の方は逆に内部がドロドロで迷走して謎だらけだということを浮かび上がらせる。光が闇を際立たせ、闇が光を明るく感じさせるように、「AはBである」という断定は、「AでないものはBではない」という論理学的には誤謬の含意を浮上させることがある。そして、「AはBである」という断定が明白で陳腐 (trivial) な命題であればあるほど、その効果は増大する。陳腐な命題をわざわざ発話するのは、隠された語用論的意図があるからである。かくして蓮根の歌は、蓮根の穴を覗く〈私〉の混沌を逆照射するのである。これは短詩型としての短歌の力を十全に発揮したものだと言わねばならない。静を詠んで動を感じさせ、動を詠んで静を幻視させるというように、一首の外部に意味の場を投影するところに、極小の詩形である短歌の磁場の強度があるのだ。蓮根の歌はそうした短歌の機微を感じさせる歌となっているところに注目すべきだろう。

156:2006年6月 第1週 島田修三
または、露悪と自嘲の裏に死者の陰の揺曳する歌

純喫茶〈ミキちゃん〉出でたる路地裏に
   風太郎しんと尿(ゆまり)しており
       島田修三『晴朗悲歌集』

 島田が問題歌人であることは、短歌界では広く知られたことと想像する。短歌界とは付き合いがないので断言はできないが、十中八九そうだろう。島田のような短歌を作っていると、友人を失くしそうな気がする。それほど他に類を見ない過激な短歌なのである。その過激さは、第一歌集『晴朗悲歌集』(1991年)の冒頭から炸裂している。

 まことにも教師世界はアホくさく草生に寝れば草の香くさし

 女房のコブラツイスト凄きかな戯れといへ悲鳴ぞ出づる

 口笛にコロブチカ吹きゆく速足は離婚協議に勝ちたる講師ぞ

 〈道〉を逸れ〈義〉に悖りたる富貴にてあはれ大和はさ蠅なすクソ

 左翼とふ神学世界のコエダメゆ出るわ出るわヨシフの悪行

 職場である大学という象牙の塔を嘲笑し、家庭では妻を戯画化して描き、同僚を揶揄し、日本を呪詛し、左翼に毒づく。このような調子だから、読んでいて快哉を叫ぶことも稀ならず、川柳・狂歌を読むような痛快さを覚えることもあるが、次第に内臓に響いて来る。長時間ボディーブローを浴びたボクサーのような気分になるが、読後脳裏に残る作者のイメージは、土砂降りの雨に濡れそぼつ孤影悄然であり、フィリップ・マーロウのようにトレンチコートの肩がしとどに濡れていると言ったら言い過ぎか。

 島田は早稲田大学大学院で国文学を学び、さる大学で教鞭を取る万葉学者である。現在は学部長の要職にあるという。和歌・短歌の世界は専門分野であり、該博な知識に裏付けられた技法の冴えは尋常ではない。しかし、古典和歌は基本的に雅の世界であるはずなのだが、島田が作る短歌は雅と俗の奇妙な混淆であり、雅よりは大幅に俗に傾斜している。そしてそれは、現代短歌の置かれた状況に対する島田の現状認識に基づく意図的な戦略なのである。現代短歌文庫『島田修三集』の巻末に収録された散文「戦後短歌と現在」(初出「まひる野」平成7年1月)のなかで、島田は佐藤佐太郎・宮柊二・近藤芳美らの戦後短歌を耽読し技法を吸収しようとしたと回想し、続けてこう述べている。

 「しかし、これらを作歌当時のぼくがメッセージの水準で享受すると、当然のことだが、どれも後者のように醜くユガムのであった。ぼくは、こうした一見バカバカしい歌を作ることで、わが内なる《戦後》とわが外なる1980年の《現在》との遙かな距離をはかろうとしていたのだと思う。」

 文中の「後者」「こうした一見バカバカしい歌」」というのは、島田が戦後短歌の名作を基にして作った次のようなパスティーシュを指す。

 夕映えのおごそかなりしわが部屋の襖をあけて妻がのぞきぬ (原作)

 夕映えの厳粛きはまるわが部屋に入り来て女房が奥歯をせせる (島田作)

 純粋の国語も教へ育てむとおもふ幼子畳に匍ひつつ  (原作)

 純粋の国語知らざる父親のハナモゲラ語にぞ二人子わらふ  (島田作)

 戦後短歌を生み出した時代情況と、島田が置かれた80年代のバブル期の社会状況との落差の痛切な自覚が根底にある。島田は「時代を超えて変わらない価値」などというウソ臭いお題目を信じることができないのであり、逆にその落差を過剰な演技で増幅することが、真実の認識に至る道だと信じているのだ。だから、島田の短歌の基調となるトーンは怒り・自嘲・呪詛・揶揄・露悪であり、それはつまるところ「不機嫌」の短歌ということになる。それらがストレートに出た歌を挙げてみよう。

 鼻翼よりあぶらぬるりと滲ませてすれ違へるは論的タカハシ

 やがて来む死の日の孤独語りつつああこの朋よたまらなきデブ

 夕暮れを俺が俺へと帰るとき奥歯のうろより腐臭ぞしるき

 不機嫌は魔の憑るごとく来て去れば夕靄のなか陸橋を越ゆ

 健康を時代の義務とか説くファッショ死にぞこなひの昭和の資本が

このような悪口をたたきつつ、島田はせっせとニコチンを摂取し、中性脂肪を体内に蓄積し続けるのであり、その様もまた過剰に偽悪的である。しかし、このような面ばかりに気を取られていてはいけない。島田の短歌の特質をより細かく見てみよう。

 該博な古典の知識を持ちながら、古典の語法と世界観では現在短歌を作ることができないとの認識に立つので、島田の作る歌は古典の雅と現代の俗の混淆となる。それはまるで近代短歌という短歌史の途中の過程を省略したかのような奇妙な光景である。

 秋の気の紛れなければしみじみとゆくへ思ほゆぴんから兄弟

 人ひとり吊し上げたる宴果てて寒夜の雲ゆのぞく月しろ

 一首目は古典和歌のように始まるが、結句に至ってぴんから兄弟が登場する所で読み手は肩すかしを食らう。高雅の空に飛翔するかと思うと、俗に着地するのである。二首目は逆のコースを辿り、俗に始まりやけに古典的情景描写に回収されている。この違和感を作り出すことが島田の眼目なのである。

そして雅に俗を混入するために多用されているのが固有名である。

 例ふればちあきなおみの唇(くち)の感じああいふ感じの横雲浮くも

 つる姫なる漫画のヒロイン愛しけれ多く糞尿におよぶことなれど

 転落のぼろぼろの生にいま在るは清しきかなや一条さゆり

歌謡曲歌手のちあきなおみ、少女漫画の主人公つる姫、ストリッパーの一条さゆりなど、主としてサブカルチャーに属する固有名は、極めて有効に俗の記号として働く。

 このような固有名とはまた異なり、歴史上の人物を折り込んだ歌も多く見られるが、それらの歌は歌集の基調をなす「不機嫌の歌」とは肌合いが微妙に異なり、魅力的な歌群となっていることにも注目すべきだろう。掲出歌「純喫茶〈ミキちゃん〉出でたる路地裏に風太郎しんと尿しており」もそのひとつであり、読み込まれているのは小説家の山田風太郎である。「純喫茶〈ミキちゃん〉」という場末感もほどよく、路地裏に立ち小便するところが決然と戦争に背を向けわが道を行く風太郎とよくマッチしている。

 BVDのブリーフつけて血に濡れてかの日の川俣軍司いとほし

 夏目家の便所に滑り落ちしとぞ岩波茂雄という人物(ひと)ぞ変

 芥川龍之介なる〈苦しみ〉はギン蠅嚥みて自死せむとしき

 たましひは粛然として示現すなり死の三日前の秋聲の風貌(かほ)

 姉小路より蛸薬師へと歩みたれ中原中也と二度すれちがふ

一首目の川俣軍司は1981年に起きた深川通り魔事件の犯人で、逮捕されたときブリーフに猿ぐつわという異様な風体であった。「不機嫌の歌」の基調は否定であるが、これらの固有名の登場する歌はどこか肯定的である。

 80年代のバブル経済の時期に編まれた『晴朗悲歌集』は、浮か騒ぐ妙に明るい時代への呪詛に満ちている。しかしそれは単なる拗ね者の悪口なのではなく、1950年生まれの島田は戦後という時代を見つめているのである。島田の歌の背後には、死者の影が揺曳している。それは亡くなった父親を詠んだ次の歌に明らかである。

 復興といふ名の神話を担ぎつつ短躯のシジフオス戦後を生きたる

 兵であり再建者であり悪であり俺の中なる父すぐならず

 死はすでに優しき和解を奪へども戦後を負ひて父子まぎれなし

 招集されて兵として戦い、戦後は日本の復興に汗を流した父親。島田がこの父親の世代に自分を重ねていることは最後の歌からも読み取ることができる。死んだ父は昭和の死者たちの一人である。そして死者の影は至るところにある。

 炭酸のキックに蹴られ寒の夜をギネス飲みつつ死者をこそ思へ

 死者がまた死んでゆくかな夢見より醒めてしばらく神(しん)冷えやまず

 しんねりと暮色まつはり染みてゐむわが猫背にも背後の死者にも

 死を歌へば世界しづかによみがへる永劫回帰のかの夕べはや

 黄昏(くわうこん)の翳たまりゆく廊の果て死者か生者か杙のごと彳つ

 島田は常に「背後の死者」を感じているのだろう。悲憤のなかに底ごもる悲哀はそこに由来する。そして呪詛・悪口・自嘲の歌のおちこちに冷たい泉のように抒情的な歌が紛れ込んでいるのを発見するとき、私たちは島田の歌の本質を得心するのである。

 夾竹桃紅(こう)さえざえと咲く一樹けだかきものをわたくしは仰ぐ

 振りいでて夕べの雨の激しきにレニー・ブルースしんと聞こゆる

 辞書の上に日ごと埃の積もりゆくさばかりならむわが死の後も

 くちびるに冷えゆく脂ぬぐふときいま喰ひ了へしけものはにほふ

 大ばさみするどく研がれ置かれ在り眠られぬまま卓を灯せば

155:2006年5月 第4週 兵庫ユカ
または、状況の未決定性のなかに漂う世界

手の甲に試し塗りする口紅を
     白い二月の封緘として
      兵庫ユカ『七月の心臓』     

 第2回歌葉新人賞で次席に選ばれた兵庫ユカの『七月の心臓』が刊行された。歌葉新人賞は現代短歌を推進している荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘が選考委員を務めており、新感覚の短歌を作る作者を世に送り出している。応募して来る人たちもそのような傾向の作風を持つ人が多い。兵庫もまたその一人である。

 掲出歌は収録作品のなかでは従来の短歌的コードに比較的寄り添った作品である。口紅を手の甲に試し塗りするのだから、隠された〈私〉は女性、しかも若い女性であり、作者自身と同一視してもよいほどだ。「白い二月」は季節から雪や吐く息を連想させる。二月を封緘するというのは、二月に別れを告げるというほどの意味だろう。歌集では「わたしにわたしが」と題された章に配置されているが、連作と呼ぶほど緊密な意味的関連性はなく、前後の歌から意味を補填することはできない。かと言って外部からの意味の補填を必要としないほど一首が屹立しているわけではなく、逆に外部へと溶解してゆく意味の淡さがある。

 ここに挙げた特徴、すなわち作者自身と同一視してもよいほど等身大の〈私〉と、一首の意味的屹立の弱さ、そのアンチテーゼとして一首の外へと意味と感情が溶解してゆく傾向と、その言語表現的対応物である平仮名の多用は、近年の歌人、特に女性歌人の作る短歌に共通する特徴である。他の歌も見てみよう。 

 遠くまで聞こえる迷子アナウンス ひとの名前が痛いゆうぐれ

 ポップコーンこぼれるみたい 簡単に無理だって言う絶対に言う

 使い方まちがわれてる駒のようにだれもわたしと目を合わせない

 朝焼けを見たことがないどんなことして生きてきたのだろうわたしは

 おもいでは常に夕暮れあのひとのはちみつ色の誤字を匿う

 一首目は遊園地の情景か。短歌には「ひと」と書いて特定の人物を指す修辞があるが、ここではそうではなく単に他人という意味だろう。「ひとの名前が痛いゆうぐれ」という下句はなかなか美しいが、表現されているのは漠然とした理由のない孤独感だろう。二首目の「ポップコーンこぼれるみたい」はいかにも現代的なライトヴァースの口語的表現である。短歌に会話体を導入すると、誰が話しているのかを示す必要性が生じ、その処理が技術的問題となる。「簡単に無理だって言う」の主語が〈私〉なのか誰か他人なのかが未決定で、そのため意味の浮遊感が生まれている。この浮遊感が作者の意図したものならか、それとも技術的未熟さから来る発話主体の非明示が生み出してしまったものなのかは不明だが、いずれにせよこの歌に見られる「状況の非決定性」は、まるで量子力学におけるシュレディンガーの波動方程式のように、結果的に確率論的世界像を生んでいるようだ。三首目は比較的意味のはっきりした歌であり、「使い方まちがわれてる駒のように」という直喩も所を得ている。しかし表現されているのはこれも淡い疎外感である。四首目は、「朝焼けを見たことがない」というささやかな発見と、下句の人生全般に関わる省察との不釣り合いが短歌的磁場を生んでいると言えるかもしれない。五首目では、「あのひと」という具体的人物が登場し、世界に〈私〉しかいないそれまでの自閉的世界とは異なっている。しかし、「はちみつ色の誤字を匿う」は意味がよくわからない。

 上に引用した歌に較べて、次のような歌にはそれぞれ感心させられる所がある。 

 もう雪はふりましたかという下書きが残る四月の寒い弾倉

 穂を垂らすかたちのわたしの幾つもの体言止めのけだるい実り

 必然性を問うたびに葉は落ちてゆくきみは正しいさむいさむい木

 あすゆきをふらせる雲を指している結膜炎の気象予報士

 ながれだす糸蒟蒻を手で受けてこれがゆめならいいっておもう

 日が暮れてからの空気も春らしくティースプーンを溢れるみりん

 ふるい詩の中の一字を滲ませる苺か毒か判らぬように

 折ればより青くなるからセロファンで青い鶴折る無言のふたり 

 一首目、上句の口語的文体から下句の名詞の連射への流れが心地よく、謎めいていながら背後に日常の〈私〉を超えた物語を感じさせる。二首目も「~の」の連続がリズムを作っており、短歌を詠んだメタ短歌である。三首目は「きみ」と呼ばれている人を「さむい木」に喩えている。「なぜ」という必然性を問うことが生命を削ることになるという認識が、短歌的喩のなかに過不足なく表現されている。四首目は「結膜炎」にポイントのすべてがある歌。五首目は「ながれだす糸蒟蒻」がポイントが高い。確かにパックから取り出した糸コンニャクを手で受けようとすると、水といっしょに流れてしまうことがある。もちろん「取り返しのつかないこと」の喩である。六首目も感心したのは、「ティースプーンを溢れるみりん」で、春の日の緩んだ空気と、金色に光りねっとりとティースプーンに盛り上がる味醂はよくマッチする。七首目は「苺」の字と「毒」の字が似ていることから発想した歌だろう。指に水か何かを付けて意図的に滲ませるという行為は、悪意とも取れるが、詩の意味を未決定にしておきたいという意志の発露とも取ることができる。八首目は青いセロファンで鶴を折ると、青をいっそう青くすることができるという点に、孤独な希求を感じることができるだろう。現代短歌で「青」が何を象徴するかは別のところで論じたことがある。

 描かれた世界の淡さや、状況の未決定性、言い差しで終わりがちな語法は、兵庫の短歌の欠点というわけではなく、おそらく作者か意図したものだろう。結果として生まれた歌の形は、伝統的な短歌の持つ形式と意味の両面にわたる凝集性とは無縁なものとなっている。このような歌の世界を受け入れるかどうかは、好みが分かれるにちがいない。私はなかなか悪くないと思うのだが。

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154:2006年5月 第3週 笹原玉子
または、意味が外部へ溶解してゆく物語性

十指とふこの十全なかたちのゆゑに      
     かなしみのくる秋の食卓
        笹原玉子『われらみな神話の住人』

 世に難解な短歌というものがあるが、それとは別に不思議な短歌というものもまた存在する。笹原の短歌はその代表格であり、師の塚本邦雄は「良質の不可解」と断じたという。どれほど不思議かは実際に笹原の歌を見てみればわかる。

 色鉛筆が折れてばかりゐる春がくる いつそあつまれやはらかきもの 『南風紀行』

 鶴の骸は折鶴を折るやうに 思ひ出はハンカチを畳むやうに

 乙女達が花冠を編みをはるころ丘は陸よりしづかにはなれる

 ひと夏の蝶の骨もてつくらるる首飾りして最後の恋を

 雪が舞ふ よこたはりゐる父の手に識れるかぎりの蝶の名を書く

第一歌集『南風紀行』(1991年)から引用した。写実からはほど遠く、かといって心象風景でもなく、一首全体が夢想の断片か物語の一片のごとき観を呈している。近代短歌の方程式である叙景と叙情の対位法、もしくは永田和宏の言う「問いと答えの合わせ鏡」の構造はこれらの歌には皆無であり、読者は一首の中のどこを繋留点として全体の意味を構築するべきか判断できず、いわく言い難い宙吊り感覚に捕われる。そう感じたとき読者はすでに笹原の言葉の魔術の術中に墜ちているのであり、解釈過程における宙吊り感覚が生み出す意味の空白に、ポエジーがするりと滑り込むという仕掛けなのである。

この仕掛けを実感するために、写実派の吉川宏志の歌と比較してみよう。

 うすあかきゆうぞらのなか引き算を繰り返しつつ消えてゆく鳥  『海雨』

吉川の歌に夢幻的要素は皆無である。夕暮れ時、電線に留まっている鳥が一羽また一羽と塒に飛び去る光景を詠んだ歌で、歌意は解説の要もないほど判明である。私たちは歌の言葉が立ち上げる世界像と、現実に私たちが体験により知っている世界像のあいだに、安定した対応関係を確認する。こここに意味の宙吊り感覚はない。では吉川の歌のどこを味わうべきかと言うと、作者が現実に目にしたと思われる鳥が一羽また一羽と飛び去る様を「引き算を繰り返しつつ」と表現した所にある。しかるに笹原の歌を前にしたとき、このような解釈過程を辿ることはあらかじめ拒絶されているのであり、そのような歌の造りにどうしても馴染めない人がいることは当然予想される。吉川の歌も笹原の歌も、言葉によって組み上げられた心的世界であることは同様なのだが、それが現実世界(と私たちが信じているもの)との対応関係へと誘うのか、その回路を意図的に遮断するのかのちがいが、言葉に対するふたりの歌人の態度の差なのである。

 第二歌集『われらみな神話の住人』(1997年)でも笹原のこのような作歌態度は不変であり、それは笹原の歌人としての生理そのものなのだろう。

 その踝から濡れてゆけ 一行の詩歌のために現し世はある

 白馬(あを)にまたがり野を焼きはらふいもうとは異教徒だった、断髪の

 霧の日に振ればはつかに鳴りはじむカランコロンとそんな空函

 われらみな神話の住人。風の鎖につながれてそよぐ岸辺の

 この髪だ、きみのからだでみづうみのにほひもつともしてゐるところ

 秋を汲まばや旅人よ深井には今日をいのちの蛍火の群れ

 骨組みのいとやはらかき身をもてばみんなみの風、風の一枚

一首目の「一行の詩歌のために現し世はある」という断言は、芸術至上主義の言挙げであり、第二歌集の巻頭に置かれたこの歌は、作者の信条表明と受け取ることができよう。

 笹原の短歌で特徴的なのは、短歌定型へと凝縮して収斂するよりも、定型の韻律から逃れ去ることで、一首を詩の世界へと開く態度が顕著に見られることである。笹原にとって短歌とは、おそらく「一行の詩」なのであり、一首の核へと内的に収斂してゆく凝集性が希薄である。それよりも、セピア色のインクが紙に滲んでゆくように、一首の外へと広がる詩的世界へと意味を溶解させようとする力学が働いているように思える。このことは次のようなタイプの歌に顕著に感じられる。

 孤児がうつくしいのは遺された骨組みから空が見えるからです  『南風紀行』

 みんなみのましろき町はあかるくて目隠などして遊んでゐます

 月桂樹のしたでルカ伝を読むことが夏期休暇の宿題です

 そのかみの私の星は三分の光の洪水に溺死しました  『われらみな神話の住人』

 ここはくにざかひなので午下がりには影のないひとも通ります

 主に「です・ます調」で書かれているこれらの歌には、もはや五・七・五・七・七の短歌韻律はなく、まさしく一行詩となっている。内的リズムによる凝集性がある場合には、短歌の意味は一首の内部へと収斂するが、それがない場合には意味は逆に拡散する傾向がある。そうすると上のような歌は、唐突で尻切れとんぼの散文であるかのごとき相貌を呈するのだが、文脈による意味の充填があらかじめ拒まれているため、読者は語られていないより大きな詩的世界の断片だと理解せざるをえない。「一首の外へ広がる」というのはこのような意味形成過程をいうのである。より短歌的韻律を備えた歌群のなかに、上のような一行詩が織り交ぜられている。そうすると従来の短歌文脈で読める歌すらも、その韻律的凝集性に疑いが生じてくる。読者は今までの短歌文脈で読んで来た歌もまた、実はその本質は一行詩ではなかったかと感じるてしまうのである。

 『われらみな神話の住人』の栞に文章を寄せた井辻朱美は、笹原短歌における用言の多さと速度感を指摘した。用言の多さは体言止めの少なさの裏返しであり、体言止めが一瞬の光景をあたかも一幅の絵画であるかのごとく定着するのに適した文体であるのにたいして、用言による結句は一首に物語性を帯びさせ、時間の流れを感じさせる。井辻が指摘した速度感はここに由来する。

 では笹原は何の物語を語りたいのか。それはおそらくシェラザードのように千夜一夜語っても語り尽くすことのない「〈私〉と世界の物語」であろう。笹原にとっては、写実によって世界の一隅を切り取って提示することで世界と〈私〉の関係性を暗示するという手法はまどろっこしいのであり、いきなり主体的立場から「〈私〉と世界の物語」を語ろうとするのである。これは大胆不敵な試みと言わねばならない。笹原の歌が描く世界に参入することができるのは、作者自身が認可した人に限られるだろう。しかしお墨付きを得てその世界に足を踏み入れた人は、シェラザードのように倦むことなく、百億の昼と千億の夜にわたって、星々の誕生と消滅の物語を語る人の声を聴くことになるのである。その世界の住人はおそらく不死だろう。それは物語なのだから。