028:2003年12月 第1週 葛原妙子
または、幻視と抽象の女王にひとたびは紫陽花の冠を

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて

              葛原妙子『葡萄木立』
 夏の終わりの薄暗くはなったが、まだ空には夏の光の名残が残る台所で、酢の瓶がまるで消えゆく光を集めるかのように立っている。ただそれだけの情景を詠んだ歌なのだが、その空気感と存在感が忘れがたい印象を残す。夏の光の透明感に、これも透明な酢の瓶の存在がふと際立ち、まるでふだんは見えないものが突然網膜に映ったかのようである。私はこの歌を読むたびに、モランディの静謐感溢れる絵を思い浮かべる。モランディもまた、「事物の存在」を執拗に描いた画家であった。ところがこの歌をもっとよく見ると、「酢の瓶が立っていた」のではない。「瓶の中に酢が立っていた」のであり、これは現実にはありえないことである。ここに葛原が「幻視の女王」(塚本邦雄)と呼ばれる理由がある。また初句の6・8音の破調に続き、一字空けて「酢は立てり」の5音で句切れがあり、5・7と続く韻律も印象的である。

 葛原は1907年(明治40年)生まれで、歌壇で注目されたのは処女歌集『橙黄』が刊行された1950年(昭和25年)頃だから、ずいぶん遅い出発というべきだろう。年代的には数年前亡くなった斎藤史が1909年生まれなので、ほぼ同世代なのである。葛原が1950年の『日本短歌』に寄せた歌は、もうまぎれもなく葛原の歌になっている。

 奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり

 わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

 中井英夫は「『わが歌にわれの紋章いまだあらず』と歌い据えたとき、その紋章すなわち文体は額の上に輝いたのである」と評した(『黒衣の短歌史』)。塚本は葛原の短歌の評釈に『百珠百華』(砂子屋書房)一巻を捧げ、「奔馬」の歌については、「まさに女王然として、ここに光を聚め、響きを吸い寄せた感のある一首」と、「わがうた」については、「今から思へば、この『あらず』を含む『紋章』一聨に、この歌集の『霧の花』でやうやく形をなしつつあつた紋章の原形が、ゆるゆると現われ」たとした。

 葛原の歌を特徴づけるのは、多くの評者の言うように、そのモダニスムと抽象への志向であろう。歌人自身が、「花ひらくこともなかりき抽象の世界に入らむかすかなるおもひよ」と、自らの姿勢を高らかに宣言している。身の回りのなにげない情景を詠んでも、単なる日常的詠嘆に終わることなく、現実を越えた眼に見えない世界を凝視しようとする視線が常にある。その視線の源は、たとえば次の歌に見られるルーペで現実を拡大するような微視的視線ではないだろうか。「現実を微分する視線」と言ってもいい。

 昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつおり

 乱立の針の燦(きらめき) 一本の目處より赤き絲垂れており

 一首目では卓上のケーキの粉砂糖が風に吹かれている情景を歌っていて、何ということのない情景かとも思えるが、よく見てみるとこれは異常な感覚である。細かい粉末である粉砂糖が風に吹かれて散る有様は、ふつう私たちが肉眼で目にできるものではない。空間だけでなく時間の流れもまた異常で、まるで微速度撮影を早回しして見ているような気がする。ここには現実への尋常でないズームインが行なわれている。二首目は針が無数に突き刺されていて、そのうち一本だけから赤い糸が垂れているという情景なのだが、その場の状況がわからないだけに一層不気味である。ふつう無数の針が突き刺されているというのは、裁縫箱の針山か寺院の針供養くらいだろう。しかしここでも垂れた一本の糸という微少な細部が異常にクローズアップされているところに、単なる叙景歌に終わらない特異性がある。ちなみに、次の柘榴や死神の歌にもあるように、赤色は葛原の好んで詠んだ色である。

 この微視的現実へのズームインは、さらに現実の風物のなかに別のものを幻視するという方向へ進む。

 止血鉗子光れる棚の硝子戸にあぢさゐの花の薄き輪郭

 夕雲に燃え移りたるわがマッチすなはち遠き街炎上す

 とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ

 医師の妻であった葛原にとって、止血鉗子は珍しい物ではない。ここでは止血鉗子がしまってある戸棚のガラス戸にアジサイの花が映っている。ごくふつうに捉えれば、庭に咲いているアジサイの色が室内のガラス戸に反映した情景ということになる。だがここには意図的なふたつの世界の重ね合せがあることは注意してよい。二首目では自分がすったマッチが夕雲に燃え映ったかのような夕焼けなのだが、そこから遠くの街の炎上を幻視している。三首目では柘榴が爆弾となって破裂するという見立てだが、柘榴のばっくりと口を開いた形状と、なかから覗く赤い実の密集がこの幻視を誘っていることはいうまでもない。

 葛原がもうひとつこだわるのは「球体」が誘う幻視である。

 死神はてのひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり

 美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり

 あやまちて切りしロザリオ転がりし玉のひとつひとつ皆薔薇

 なぜ死神が赤い球を持っているのかわからないが、エドガー・アラン・ポーの名作『赤死病の仮面』を彷彿とさせる死と赤の組み合わせが鮮烈な印象を残す。二首目ではアジサイの花が球形をしているところに眼目がある。その花が透視を誘っているのである。三首目では糸が切れて床にころがったロザリオの玉のひとつひとつが薔薇になるという美しい幻想である。

 このように葛原は、叙景を通して抒情にいたるという古典的短歌の方法論に満足せず、「現実世界の抽象化と微分化」により、さらに理知的に世界という謎に迫る方略を編み出した。この方法論が戦後の前衛短歌に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

 最後に私が葛原の代表作と考える二首をあげておこう。

 水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪黴びたり

 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

 二首目は多く人の引くところで、「水の歌」の項でも述べたので繰り返さない。一首目はテーブルの上でチーズが黴びている情景なのだが、もちろんここでは「恍惚として」が効いている。なぜチーズが恍惚とするのか常識では説明できないのだが、この歌によって卓上に現出した光景は、微光を放つフェルメールの絵画のように、なぜか目を離すことができないほど惹きつけられる世界なのである。

027:2003年11月 第4週 芽キャベツの歌

 歌会では「題詠」というものがある。「水」「桜」などの題が与えられ、各自その題を詠み込んだ歌を作って出来映えを競う。題は伝統的歌語から選ばれることが多い。昔の古典和歌は「個人の心情吐露」でもなく「個性の発露」でもなく、過去に読まれた歌のなかから言葉を拾い出し、それを組み合わせて新しい歌とするのが基本であったから、題詠の題もまた、過去に歌の世界で多く詠まれたものでなくてはならない。

 しかし、現代短歌の世界ではときどきこの理屈に合わないことがおきる。小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)の歌会で「オランウータン」という題が出たのがよい例である。韻律的には7音だからすんなり短歌のリズムに乗るのだが、問題は歌の世界には未登録で、意味の蓄積がないことである。参加者もさんざん苦労して歌を作ったようだ。

 乳のむと胸にすがれる太郎次郎オランウータンの母はいとしむ  小池光

 おまえだよ、オ・ラ・ン・ウ・ー・タ・ン七つぶん階段のぼってうしろを見るな  東直子

 急行を待つ行列のうしろでは「オランウータン食べられますか」  大滝和子

 小池の歌はオランウータンの母子を登場させて、人間の親子への感情移入という回路に乗せる手堅い方法を採った。名前は知らないが子供の遊戯で、ジャンケンをして、グーで勝ったら「グリコ」と3歩、チョキなら「チヨコレート」で6歩、パーなら「パイナップル」で6歩進む遊びがあるが、東の歌はオランウータンを音節を区切ってその遊戯に乗せた。そして、ホラー風の不気味な「うしろを見るな」という結句を置くことで、オランウータンという言葉の持つ異様さを浮き彫りにした技ありの歌である。大滝の歌はさらに異様で、「オランウータン食べられますか」はほとんど悪食かスプラッタの世界である。この歌の着眼点は、駅で列車を待つという日常のなかに不意に侵入する異物感を浮き彫りにすることにある。小池の手堅いが伝統的な読み込み方は別として、東と大滝の歌の面白さは、ひとえに「オランウータン」という題が、日本語の世界ではこなれた意味をその身にまとっていない異質な語であるという事情に由来する。歌を詠む(読む)とは、日本語を詠む(読む)ことである。それは、私たちが日常生活を通じて、言葉にまといつかせてきた意味(言語学では共時的意味connotation という)を読み解くことに他ならない。

 編集者・沢田康彦が主宰する素人FAX短歌会「猫又」でも、「芽キャベツ」というおもしろい題が出されたことがある。この会は、屈指の名作ぞろいになったのだが、それは「芽キャベツ」という題のユニークさに負うところが大きい。

 「芽キャベツ」は英語で Brussels sproutという。ベルギーのブリュッセル地方で古くから栽培されてきたからである。寒冷地に適した作物なのである。日本には明治初年に導入され、最初は大阪・横浜で栽培されていたという。そのころ日本人で食べる人がいなくて、神戸と横浜の居留地に住む外国人が食べたからだろう。今でも日本人になじみの食材とは言い難い。このため、「芽キャベツ」にまとわりつく意味は、共有化された意味ではなく、歌を作る人が自分で発見したものになる。

 芽きゃべつも靄でしっとり緑色おやすみなさいいつも寂しい 吉野朔実

 漫画家・吉野朔実は、畑で靄に濡れている芽きゃべつを連想している。「おやすみなさい」とあるのは、固く結球を閉じている有様が、目を閉じて眠っている様子を思わせるからだろう。

 めきゃべつは口がかたいふりをして超音波で交信するのだ  鶯まなみ

 鶯まなみは、女優・本上まなみのペンネームである。「口がかたい」という連想はやはり結球の様子から来ている。芽キャベツには、その形状から「内に閉じる」という連想が働く。「超音波で交信する」というのは意外な発想だが、言われてみればそんなふうにも感じられる。

 そこはだめあけてはならぬ芽キャベツの親戚一同が待ち伏せているから  肉球

 芽キャベツを思い浮かべるとき、一個だけをイメージする人は少ないだろう。芽キャベツは必ず同じ形をした複数個としてイメージされる。「芽キャベツの親戚一同」はこの複数のイメージで、「待ち伏せている」というところに、何を考えているかわからない不気味なよそよそしさが現われている。大根やトマトのように食卓に日常的に供される食材とはちがって、芽キャベツが身近でないところに、このよそよそしさという発想の源がある。

 芽キャベツはつやめきながら湯にうかぶ<生まれる前のことを話して> 東直子

 芽キャベツは煮るとつやが増すらしい。「湯にうかぶ」のは茹でているのだろう。<生まれる前のことを話して>は、芽キャベツに話しかけているととるのがふつうだろう。ここには上の歌にあったような芽キャベツの不気味さはなく、キャベツの赤ちゃんと捉えて愛おしむ視線が感じられる。

 芽キャベツは明治初年に日本に渡来したそうだが、斎藤茂吉や正岡子規は芽キャベツを食べたのだろうか。食べたとしても歌に詠むという発想はなかっただろう。斎藤茂吉にはトマトを詠んだ歌があり、「赤茄子」と表記されている。しかし、これはトマトそのものを詠んだものではなく、トマトが腐っている場所から現在自分が居る場所の物理的近さと心理的遠さの対比に眼目がある。

 赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり

『岩波現代短歌辞典』は見出し語として歌語をたくさん収録していて、「トマト」は立項されているが芽キャベツはない。やはり身近なものではないのだ。芽キャベツを詠んだ歌というのもあまり思い浮かばないのだが、ひとつ見つけた。

 壁ぎわに影は澄みゆく芽キャベツがこころこころと煮えるゆうべを 佐藤弓生

 この歌の眼目は芽キャベツが煮える「こころこころ」という擬音語にある。芽キャベツの形状から「ころころ」ところがる有様が連想されるが、それを「こころこころ」としたのには、言葉遊びの要素もあるだろうが、目の前のキャセロールの中で煮えている芽キャベツを、自分の心のようだと感じる気持ちもあるからではないだろうか。しかし、この煮え方は、「倖せを疑はざりし妻の日よ蒟蒻ふるふを湯のなかに煮て」(中城ふみ子)のように、不倫と離婚にまつわる激情を感じさせるものではなく、むしろ穏やかで幸せな夕暮れを思わせる。ここでは芽キャベツは、台所で夕食の支度をするささやかな日常の幸福の記号として働いている。芽キャベツが私たちに喚起する意味は、新参者であるがゆえにこのように多彩なのである。

026:2003年11月 第3週 固有名の歌

 短歌に詠み込まれた固有名でいちばん多いのは地名である。古来より地名は歌枕の筆頭であり、地名の喚起力は歌に力と奥行きを与えてきた。ここでは地名以外の固有名を詠み込んだ歌を取り上げたいのだが、そうすると残るは人名ということになる。人名が詠み込まれた歌で忘れがたいのは次の歌だろう。

 佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子おらず
                   小池光『日々の思い出』

 小池は高校教師である。それが「佐野朋子のばかころしたろ」とは穏やかではない。岡井隆はこの歌を論じて、「教師と生徒の関係が著しく感情を剥き出しにするレヴェルへと変わっていった時代をにおわせる」(『現代百人一首』朝日新聞社)と評した。そうかなとも思うが、そこまで深読みしない読み方もできる。佐野朋子はもちろん架空の人名であり、どこにでもいそうな女子高生である。「佐野朋子のばかころしたろ」というのも、多忙な日常を送る高校教師が毎日のように感じる怒りやストレスの表現であり、佐野朋子という固有名はそのささいな日常性を前景化する記号として働いている。固有名の持つ記号性をよく示す歌だと言ってよい。

 形容詞過去形教へむとルーシーに「さびしかった」と二度言わせたり
               大口玲子『海量(ハイリャン)』

 このルーシーもまた他の名前に置換可能などこにでもあるアメリカ人の名前である。しかし、この名前が歌のなかに組み込まれることで、歌の内容が抽象的レベルから具体的地平へと着地させられる。固有名にはたとえそれが無名のものであっても、このような働きがある。「痛み」や「悲しみ」は抽象的だが、「ルーシーの痛み」や「佐野朋子の悲しみ」は具体的なのである。次の歌も同じ手法で作られている。

 夕雲は蛇行しており原子炉技師ワレリー・ホムデチェック遺体無し
                     吉川宏志『夜光』

 短歌に詠み込まれた固有名のなかには、これとはまた異なる作用を果たすものがある。

 いくほどもなき夕映にあしひきの山川呉服店かがやきつ
                     塚本邦雄『詩歌變』

 山川呉服店破産してあかねさす昼や縹の帯の投げ売り
                        『不変律』

 あさもよし紀州新報第五面山川呉服店店主密葬
                        『波瀾』

 山川呉服店未亡人ほろびずて生甲斐の草木染教室
                        『魔王』

 塚本は歌集のどこかに必ずと言っていいほど、山川呉服店を詠み込んだ歌を潜り込ませている。小池光は、このような固有名の使用を、特定の継続的読者にだけ範囲をしぼって成立する極私的な歌枕だとした(『現代歌まくら』五柳書院)。どうやら、山川呉服店は店主が死に、店は倒産して、でも未亡人はめげずに草木染教室なんぞを生甲斐に暮らしているらしい。塚本の忠実な読者ならば、とびとびに報じられる山川呉服店の消息をつなぎ合わせると、ちょっとした市井のドラマが浮かび上がる仕掛けになっている。「あしひきの」とか「あかねさす」という大仰な古典的枕詞が、三面記事のような内容とミスマッチでおかしみを醸し出している。この場合、短歌の固有名は非常にローカルなドラマを生み出す手段として用いられている。

 短歌における固有名の使い方として、古典的歌枕に通じるのは、よく知られた固有名を引用することで、歌のなかにその固有名が喚起する世界全体を取り込むことで、歌に広がりを与えるという手法である。

 クリムトの金の絵の具のひと刷毛の一睡の夢をわれら生きたり
                    加藤孝男『十九世紀亭』

 黄金のひかりのなかにクリムトの口吻ふ男ぬばたまの髪
                   山中智恵子『夢之記』

 二首ともクリムトの絵のなかで最も印象に残る背景の金色を詠み込んでいる。クリムトという固有名を継起として、その死と愛をめぐる退嬰的な世紀末の作品世界が一気に立ちあがり、短歌のなかに通底する世界を開く。固有名ならではの歌枕としての本来の力であり、固有名の呪的機能がここにある。次の歌も同じ部類に属する。ただ、大野の歌では作者の心情に重点が置かれていて、加藤の歌はシュルレアリズム短歌の旗手らしく、意外性と視覚的効果にその眼目がある。

 絶望に生きしアントン・チェホフの晩年をおもふ胡桃割りつつ
                    大野誠夫『薔薇祭』

 照りかげる砂浜いそぐジャコメッティ針金の背すこしかがめて
                    加藤克巳『球体』

 次の歌はこれともちがう固有名の使い方を示している。

 ポール・ニザンなんていうから笑われる娘のペディキュアはしろがねの星 
                    小高賢『本所両国』

 瘡蓋(かさぶた)のごとく凍土に生きながらわれはたつとぶモハメッド・アリ
                   時田則雄『北方論』

 日溜りに革手袋が五指をまげ干されていたり さらば岸上
                   福島泰樹

 『アデン・アラビア』の作者で、全共闘世代のアイドルのひとりだったポール・ニザンを、ペディキュアをしてどこかに出かけて行く娘の世代はその名すら知らない。ポール・ニザンという固有名は作者の青春の記号である。また北の大地に住む農民歌人の時田にとって、モハメッド・アリは不屈の精神のシンボルなのだろう。福島のように学園闘争を戦った世代には、夭折した岸上大作は記号以上のもので、自身の理想を仮託する対象であると同時に、苦い思い出の中の遠景ともなっている。固有名が自分の過去の特定の体験と結びついているとき、その固有名は過去を呼び出す呪文として機能する。ただし、呼び出された過去はたいてい苦いものだが。

 最後に、固有名を主原料として編みあげられた歌の世界というものもある。

 中島みゆき「遍路」にサナトリウムなる単語はありて、闇、深き闇
                  藤原龍一郎『花束で殴る』

 湾岸の駅に降り立ちマーロウのフィリップ・マーロウのような翳りを

 新橋の雨にうたれる裸身見ゆレプリカントのゾーラと蛇と

 歌姫中島みゆき、探偵小説家レイモンド・チャンドラーの主人公フィリップ・マーロウ、リドリー・スコットの映画『ブレード・ランナー』の人造人間ゾーラ、これらは神なき現代を生きる藤原の私的歌枕である。ラジオ局のプロデューサーとして、めまぐるしい流行と消費の世界に生きる藤原の描く世界は、奔流のような固有名の羅列で織り上げられており、その表層性が際立っている。そこにふと現われる自嘲と矜持に抒情の根拠があるのだろう。

025:2003年11月 第1週 東 直子
または、ヴェポラップを優しく塗ってくれる染み込み系短歌

廃村を告げる活字に桃の皮
   ふれればにじみゆくばかり 来て

        東 直子『春原さんのリコーダー』
 東直子の短歌は「しみこみ系短歌」である。本人が「しみこみ系の歌が好きだ」と公言している。では「しみこみ系」短歌とは何か。東自身の定義によると、「具体的なことはあまり書かれていなくても、しかしゲル状になってひたひたと心に「しみこんで」くるような歌のことです」(穂村弘・東直子『短歌はプロに訊け』本の雑誌社)ということなのだが、当人があまりよく説明できていないのがおもしろいところである。ふつう読者の立場から見た短歌は、「読む」(刺激の受容)→「理解する」(内容の把握)→「咀嚼する」(把握した内容を自分の経験などと照らし合わせる)→「共感」(内容が心に届く)というプロセスをたどると考えることができる。東のいう「しみこみ系短歌」とは、このプロセスのなかの「理解する」と「咀嚼する」の部分をすっとばして、「読む」がいきなり「共感」へと回路を開くような短歌ということになる。

 掲載歌の「廃村を告げる活字」は、おそらく新聞が廃村を記事にしているのだろう。「桃の皮」とあるのは、その新聞紙の上で桃をむいているにちがいない。桃の汁が新聞紙に滲んで行く。ここまではわかるのだが、最後にいきなり「来て」とあるのは、いったい誰に呼びかけているのだろうか。ある意味で理解を前提としない作り方なのだが、全体としてみると、廃村と桃の組み合わせは、人のいなくなった村に桃がなっているという牧歌的情景を成立させ、廃村という淋しい現実と並べてあると、最後の「来て」という呼びかけが、ある種の切実さを感じさせることに成功している。

 現代短歌は前衛短歌を経て、ますます多様性を深めた。その結果、ならべて読んだとき、果たして同じ「短歌」というジャンルに属するのかという疑問すら湧くほど、表現の振幅は大きい。

 さくら花畿春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり 馬場あき子

 あひ逢わば告げむことばの数々をめぐらして夜半の心冴えまる 藤井常世

 一読して、短歌というより和歌だと感じる。調べはあくまで流麗かつたおやかで、古語・雅語を駆使して定型にきちんと収まっている。これも現代短歌である。

 ゆく水の飛沫き渦巻き裂けて鳴る一本の川、お前を抱く 佐佐木幸綱

 現代には珍しい男歌の担い手である佐佐木の歌は、格調高くて大きな声で朗唱するのに向いている感じがする。どこか直立不動で筋肉に力が入っている印象を受ける。空手の型が決まった時の感じといったらいいだろうか。

 東直子の歌は、これらの短歌のいずれからも対極にあると言ってよい。古典に連なる和歌の伝統からは完全に切れており、かつまた前衛短歌の内包する思想性からもほど遠い。その本質は自己の体内の奥深く生暖かいあたりから、体感的に感得される名付け得ないものを汲み上げコトバにする能力である。

 駅長の頬そめたあと遠ざかるハロゲン・ランプは海を知らない

 神様の選びし少女ほのぼのと春のひかりに鞦韆(しゅうせん)ゆらす

 好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ

 鳩は首から海こぼしつつ歩みゆくみんな忘れてしまう眼をして

 もういくの、もういくのってきいている縮んだ海に椅子を浮かべて

 水かきを失くした指をたまさかに組み交わすとき沁み合うものを

 「理解する」と「咀嚼する」の部分をすっとばすというこの作歌傾向が極端になると、次のような歌になる。

 みずのなかてっぺんまでひたひた すーんとするママンあたしはとかげ 本名陽子

 いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どうしたかという、5つのWとひとつのHが全部抜け落ちていて、オノマトペがかもしだす体感だけが残る。澤田康彦の主催するFAX短歌会「猫又」で、評者の穂村弘はこのような傾向の短歌を評して、「フレームのない脳で作るとこういう歌になる」と言い、もうひとりの評者である東に、「東さんはそっちの達人ですね」と続けている(「短歌があるじゃないか」『本の旅人』2003年2月号、角川書店)。もちろん親しみとユーモアを込めての評だが、言い得て妙である。

 これをもう少し難しい言葉でいうと、「言語の身体性」ということになるのだろう。言葉が観念を指示するのではなく、言葉が記憶のなかに呼び起こす状況のなかで私の身体が感じた感覚の方が浮上することによって、読者の側にある種の共感が生まれる、そのような場所に東の短歌は成立しているように思う。

 つっと走る痛みのような稲妻が遠ざかったらぬるめのお茶を

 駅前のゆうぐれまつり ふくらはぎに小さいひとのぬくもりがある

 「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの

 ゆうだちの生まれ損ねた空は抱くうっすらすいかの匂いのシャツを

東直子のホームページ
http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/

024:2003年10月 第5週 黒瀬珂瀾
または、塔の廃墟のかたわらに破船のように眠る青年

わがために塔を、天を突く塔を、
   白き光の降る廃園を

        黒瀬珂瀾『黒耀宮』(ながらみ書房)

 歌集はふつう、ながらみ書房・沖積舎・不識書院・砂子屋書房といった短歌専門の小規模な出版社から出版され、印刷部数も少ないので書店には並ばない。日販・東販といった取次店を通した本の流通経路に乗らないので、その辺の本屋さんで注文しても届かない。これだけ本や雑誌が溢れている現代日本で、多くの人に知られることなくひっそりと流通しており、めったに手に入らないという珍しい種類の本なのである。まるで、代価をもって人に購われることを拒否するかのようだ。

 ところが最近珍事が起きた。歌集が大学生協の書籍売り場に平積みになったのである。これはたいへん珍しいことである。その平積みになったのが、黒瀬珂瀾の『黒耀宮』であった。作者の名前は「くろせ からん」と読む。なぜ大学生協の書籍売り場に平積みになったのかというと、1977年生まれの若い作者が、関西の某国立大学文学部の現役大学院生だからである。

 作者プロフィールによれば、黒瀬は三宅千代が主宰する子供の短歌誌『白い鳥』に参加して短歌を作り始めた、とある。子供の短歌誌などというものがあるとは知らなかった。その後、中部短歌会に所属して、春日井建に師事している。『黒耀宮』は黒瀬の処女歌集で、春日井が跋文を寄せているところは、まずは型どおりと言えよう。しかし、中身はなかなか型どおりというわけにはいかないのである。

 十代の儀礼にかかり死ぬことの近しと思へばわれは楽しも

 血の循る昼、男らの建つるもの勃つるものみな権力となれ

 咲き終へし薔薇のごとくに青年が汗ばむ胸をさらすを見たり

 鶸(ひは)のごと青年が銜(くは)へし茱萸(ぐみ)を舌にして奪ふさらに奪はむ

 これらの歌に登場するキーワードを眺めると、どこかデジャ・ヴュを見る思いがする。それは、師の春日井が1960年に上梓した伝説的歌集『未青年』を代表する次のような歌のことである。

 火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ

 火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔を持てり

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり

 中井英夫は、「紫陽花いろに病む太陽の下、現代の悪を負う少年ジャン・ジュネの歌」と評し、三島由紀夫は「うら若い裸の魂が、すりむけて血を流している」と述べ、「われわれは一人の若い定家をもった」とまで激賞した。春日井の歌の世界が黒瀬の歌に通底していることは、一見して明らかである。「薔薇」「青年」というキーワードから立ち上がる同性愛の耽美的世界への惑溺は両者に共通しており、評者の三島もまたこの系譜に連なることはよく知られている。また、第一首目の「十代の儀礼」は、もちろん三島の名作『午後の曳航』で、世界が無意味であることを証明するために少年たちが行なう殺人儀礼であり、黒瀬はその犠牲となることを願っているのである。このように、黒瀬の詠う短歌の世界は、そそり立つ塔の示す権力への憧れと、同性愛と死への願望に彩られている。

 春日井の『未青年』は、当時の三島を驚喜させるほど十分に衝撃的だったはずだ。それは歌集が出版された1960年という時代を考えなくてはならない。まだビートルズ以前の世界で、若者は黒いズボンと白いワイシャツ以外に着るものを持たなかった時代である。森茉莉が男の同性愛を扱った『恋人たちの森』を書いたのがようやく1962年だが、当時はマイナーな異端的作品と受け取られたはずである。

 しかし、時代は変わった。黒瀬の描く耽美的世界が既視感しか生まないのは、黒瀬のせいではなくむしろ時代のせいだろう。1974年萩尾望都『ポーの一族』、1975年竹宮恵子の『風と木の詩』に始まる少女マンガの同性愛ものは、1978年のJUNE創刊とともに大流行し、俗に「やおい」と呼ばれる一大ジャンルを生んだ。「やおい」とは、「ヤマなし、落ちなし、意味なし」の略語で、物語上の必然性もなく男の同性愛の場面を描く少女マンガをさす。やおい物の氾濫とともに、少なくともメディアの上では男の同性愛はタブーでなくなり、奇妙なことに少女たちの消費の対象となったのである。もちろん、黒瀬がやおいだと言っているのではない。黒瀬が描く世界を受け取る私たちの準備がすでに出来すぎてしまっていて、どうしても「どこかで見た」という既視感が付きまとうということなのである。まるで予行演習しすぎた運動会で、ようやく本番当日を迎えたようなものだ。このよう見方があながち独断でないことは、黒瀬自身の次の歌が示している。

 エドガーとアランのごとき駆け落ちのまねごとに我が八月終る

エドガーとアランは、萩尾望都の連作『ポーの一族』に登場する、不死を運命づけられた吸血鬼の少年である。黒瀬の世界の源泉は、春日井・三島・サドやジル・ド・レだけでなく、萩尾・竹宮・栗本薫なのである。

 耽美的装飾が入念に施された歌よりも、次のような歌の方がむしろ新鮮に心に届くように、私には感じられる。

 ピアノひとつ海に沈むる映画見し夜明けのわれの棺を思ふ

 世界かく美しくある朝焼けを恐れつつわが百合をなげうつ

 水飲みし夢より覚めて渇くとき生死はともに親しき使徒か

 天使魚に与ふる餌の真白くて真白くて君は白きもの欲る

 線路にも終わりがあると知りしより少年の日は漕ぎいだしたり

 父一人にて死なせたる晩夏ゆゑ青年眠る破船のごとく

 女学生 卵を抱けりその殻のうすくれなゐの悲劇を忘れ

 これらの歌には上質の抒情があり、青年期の脆い自我と世界の危うい関係を、まるで振動する薄い蝉の羽のように、かそけき微動として私たちの耳に伝えている。短歌にこれ以上のことが望めようか。

 

黒瀬珂瀾のホームページ

023:2003年10月 第4週 歌集の題名について、知っている二・三のことがら

 昔ならレコード、今ならCDの買い方のひとつに「ジャケ買い」というのがある。ジャケとはジャケットの略で、収録された楽曲の内容ではなく、レコード・CDのカバージャケットの写真やデザインに惹かれて買うことをいう。本を買うときにも似たようにことがあって、カバーのブックデザインは買うか買わないかを決める重要な要素である。だからこそあれほど装丁に手間とお金をかけるのだ。

 本の場合にはもうひとつ大事な要因がある。それは本のタイトルである。「ジャケ買い」になぞらえて言うならば、「タイトル買い」とでも言えそうな買い方があって、何を隠そう、私はけっこうタイトル買いをする方だ。例えば最近では、西崎憲『世界の果ての庭』(新潮社)、ローレン・アイズリー『星投げびと』(工作舎)などはタイトル買いした本である。

 自分が惹かれるタイトルにはある傾向があって、私はどうも名詞ではなく文のかたちをした長いタイトルが好きなことに気が付いた。たとえば、西谷修『夜の鼓動にふれる』(東大出版会)は、社会学者による戦争論だが、見たとき何ていい題名なのだろうとほれぼれしてしまった。村上春樹も長いタイトルをつけるのが好きなようで、『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(平凡社)、『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社)、レイモンド・カーヴァーの翻訳『ぼくが電話をかけている場所』(中央公論)、『必要になったら電話をかけて』(中央公論)、『愛について語るとき我々が語ること』(中央公論)、『月曜はいやだとみんな言うけれど』(中央公論)もじつにうまい。技ありという感じである。

 タイトルに凝るので知られていたのはヘミングウェイで、いつも手帳には思いついたタイトルの候補が並んでいたという。『武器よさらば』 A farewell to arms、『男だけの世界』 Men without women、『移動祝祭日』 A movable feast、『午後の死』 A death in the afternoon、『川を渡って木立のなかへ』 Across the river into the trees など、みんないい題名ぞろいである。

 さて、歌集の題名だが、昔の歌集は二文字の題名が多いようだ。斎藤茂吉を見ると『赤光』、『白桃』、『暁紅』、『寒雲』と並んでいるし、斎藤文は『魚歌』、『暦年』、『朱天』と来て、後年になってやっと『風に燃す』、『渉りゆかむ』とやや長く散文的な題名が登場する。歌集の題名にはふくらみと余韻のある雅語・詩語を選ぶという美学があったので、いきおい漢語二文字が多くなるのだろう。今でも短歌の世界ではこの傾向が強いようだ。

 私が好きな歌集の題名を並べてみよう。最初はどうしても文の題名が並ぶ。

  岡井隆『土地よ、痛みを負へ』

  春日井建『行け帰ることなく』

  平井弘『顔をあげる』

  杉山隆『人間は秋に生まれた』

  山崎方代「陽のあるうちに飯をすませて」

 最後の山崎方代の題名は、歌集ではなく合同歌集に収められた連作のタイトルなのだが、まるでヘミングウェイの『川を渡って木立のなかへ』 のようだ。中身が日常卑近なところもいかにも方代らしくてよい。岡井と春日井のタイトルは、どちらも命令形になっている。命令形のタイトルは、昂揚感を煽るという特徴があり、岡井の歌集が出版された1961年という政治的に昂揚した時代を感じさせる。こういう風に、自己を社会に開く緊張感に満ちた題名は、みんなケータイの私的空間に閉じこもり、「仲間以外はすべて風景」という今の時代にはつけにくいだろう。

  寺山修司『空には本』 

  高野公彦『汽水の光』

  松田さえ子『さるびあ街』

  松平盟子『帆を張る父のように』

  山田富士郎『アビーロードを夢みて』

  小池光『廃駅』

  小池光『バルサの翼』

 小池の『バルサの翼』にあるバルサは、模型飛行機に使われる柔らかい木材である。模型飛行機には軽くてよいが、もちろん現実の飛行機を支えるだけの強度はない。この題名には、優しく傷つきやすいが、空に飛び立つだけの力のある翼を持たない自分を見つめる目が感じられ、そこにすでに内省的抒情がある。題名そのものに抒情があるというのはすごいことだ。しかし、小池の最近の歌集の題名は『日々の思い出』という人を食ったようなもので、何とかならないだろうか。

 こう並べてみると、みんなひと昔前の歌集ばかりで、最近のものがない。最近の歌集にはあまり惹かれるタイトルのものがないようだ。しかし、出色は佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』、これはタイトル買いしてしまった歌集だが、内容もなかなかいい。ごく最近出た穂村弘と東直子の『回転ドアは、順番に』も好きな題名だ。

 最後に極め付きをひとつ。

  穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

 これほどインパクトのある題名も珍しい。末尾のカッコ書きも「ウン?」と思わせ効果的である。あなたがこういう題名の歌集を手に取る気になるかどうかは、また別の話だが。

022:2003年10月 第3週 松野志保
または、無性の背を希求するやおいの魂

人は去りゆくともめぐる夏ごとに
    怒りを込めて咲くダリアなれ

          松野志保『モイラの裔』
 本書は作者の第一歌集で、福島泰樹の編集になる月光叢書の第4巻として洋々社から2002年に上梓された。ほやほやの歌集である。松野は1973年生まれだから、まだ30歳の若い女性である。東京大学文学部を卒業、放送局(NHKか)に勤務。大学在学中から福島泰樹が主宰する月光の会に所属というプロフィールを持つ。福島にとっては自分の結社の若い歌人のデビュー作であり、そのためか巻末に50枚にのぼる解説「ネオロマンチシズムの荒野へ」を寄稿するという力の入れようである。

 デビュー作には、その作家の自己形成の土壌が色濃く映し出されるのがふつうだ。両親が教員という家庭に育った松野は、本に囲まれた子供時代を送ったにちがいない。それはこの歌集が引用の織物でできていることからわかる。各章のはじめにエピグラフが配されているが、その出典が興味深い。

 萩尾望都「半身」
 田村隆一「幻を見る人」
 ガルシア・ロルカ「水に傷ついた子供のカシーダ」
 高河ゆん「Love songs」
 旧約聖書「ヨブ記」
 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
 ベルトルト・ブレヒト「あとから生まれるひとびとに」
 森茉莉「甘い蜜の部屋」
 E.M.フォスター「モーリス」
 アーシュラ・ル・グィン「闇の左手」

 そもそも歌集の題名モイラは、森茉莉『甘い蜜の部屋』の主人公で、母親に早く死なれ父に溺愛された少女である。モイラは父が見つけてきた男と結婚するが、ファザコンが治らず夫は服毒自殺する。一見してわかるように、モイラは森茉莉の分身であり、松野は自分もまたモイラの一族だと宣言している。ここには自分の少女時代と父に固着するインセスト的香りが濃厚である。

 昭和48年に山梨県に生まれた少女はどんな本を読むのだろうか。田村隆一、宮沢賢治、ロルカ、ブレヒトというラインナップは、ちょっと教科書的な匂いがする。むしろ残りの方が個人的愛読書である可能性が高い。萩尾望都が名作『ポーの一族』を連載したのは1972年、傑作『トーマの心臓』は1974年である。『少女コミック』で萩尾望都のマンガを貪り読んだのは、当時20歳前後の女性だから、松野はずいぶん遅れて来た萩尾望都の読者である。同じ少女マンガでも高河ゆんのほうがはるかに実年齢に近い。

 この愛読書ラインナップに松野の作品世界を読み解く鍵のひとつが潜んでいる。萩尾望都が『ポーの一族』『トーマの心臓』で、竹宮恵子が『風と木の詩』で初めて少女漫画で描いたのは、「美少年同性愛もの」というまったく新しいジャンルであった。また、映画化されたE.M.フォスター『モーリス』も同性愛の物語である。このラインはそのまま『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラの友情に、また宮沢賢治と保阪嘉内の友情に繋がっていく。このように松野が執拗に固着するのは、「性の越境」もしくは「性の未決定」というテーマである。これは近代少女マンガのメイン・テーマのひとつであり、それ自体特に目新しいものではない。

 松野は歌のなかで女性である自分を「ぼく」と呼ぶ。これも少女マンガ、少女小説(コバルト文庫)の常套ですらある。吉本ばなながデビューしたとき、少女マンガとの類似性が何度も指摘されたが、松野の短歌も同じで、いかにハイカルチャーの領域にマンガの影響力が浸透しているかを物語っている。

 好きな色は青と緑と言うぼくを裏切るように真夏の生理

 もしぼくが男だったらためらわずに凭れた君の肩であろうか

 短夜に美しい声をして誰か無性の背(せな)よりぼくを愛せよ

 無性の背へと送られる相聞の歌はいかにもか細いものである。「性の未決定」に固着して無性の背を求めることは、結局は自己の相似形を求める自己愛へと収斂するのであり、モイラが甘い蜜の部屋に閉じこもってそこから出ようとしなかったように、他者との遭遇を回避するコクーニング(繭に籠もる行為)に他ならないからだ。

 青い花そこより芽吹くと思うまで君の手首に透ける静脈

 半欠けの氷砂糖を口うつす刹那互いの眼の中に棲む

 金雀枝の黄はこんなにもわななきやすくぼくらは生まれ

 酸の雨しずかに都市を溶かす夜も魂は魂を恋いやまぬ

 君去りてのちの暗室 シャーレには不可逆反応進みつつあり

 しかし無性の背を求めた作者もいつまでも夢見る少女ではいられない。この世に生きる限り、いやおうなしに他者は向こうからやって来る。福島泰樹も言うように、本書の圧巻は「二重夏時間」で、作者はどうやらエルサレムあるいはパレスチナのどこかの町に来ているようだ。松野が詠むのはもはや幻のような自己の相似形ではない。掲載歌「人は去りゆくとも」もこの一連にある。

 戒厳令を報じる紙面に包まれてダリアようこそぼくらの部屋へ

 エルサレムの丘には芥子の花赤く満ちたりいかなる旗も立てるな

 紫陽花を捧げ持ちつつ小さくて冷たい君の頭蓋を思う

 それでは九月 噴水の前でトカレフを返そう花梨のジュースを飲もう

 作者は成長とともに徐々にモイラを脱して繭の外に出て、広い世界と出会いつつあるようだ。そのとき松野が、自らの叙情の根拠となるどのような新たな視座を獲得するのかは、おおいに興味のあるところだ。

松野志保のホームページ

021:2003年10月 第2週 山崎方代
または、しどろもどろの湯呑み茶碗のなつかしさ

ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壺の
   底にゆられてわがかえる村

        山崎方代

 日本の詩歌には風狂と漂泊の伝統がある。佐藤義清改め西行は、取りすがる妻子を足蹴にして出家し、詩歌の道に身を投じた。唐木順三が『無用者の系譜』(筑摩叢書)で取り上げたのは、「身を用なき者に思ひなし」た在原業平と惟喬親王であった。近くは自由律俳句の種田山頭火と尾崎放哉の例がある。山崎方代もまた、まちがいなく現代の風狂の系譜に連なる歌人である。

 1914年に生まれ、先の大戦でチモール島クパンの戦闘で右目を失明、左目も0.01の弱視となり生還。生涯定職につかず家族も持たず、鎌倉の草庵に暮して1985年に没する生涯は、まさに「無用者」のそれである。

 こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

 こんなところに釘が一本打たれいていじればほとりと落ちてしもうた

 甲州の柿はなさけが深くして女のようにあかくて渋い

 仕舞湯に漬け込んでおきし種籾がにっこりと笑って出を待っている

 茶碗の底に梅干の種が二つ並びおるああこれが愛と云うものだ

 寂しくてひとり笑えば茶ぶ台の上の茶碗が笑い出したり

 岡井隆は山崎の歌に感じられる懐かしさのようなものは、長くこの列島に住んで農業に従事してきた文化の懐かしさであると論じている(『現代百人一首』朝日新聞社)。確かにここに詠われた甲州右左口郷(うばぐちむら)への望郷の念、卓袱台と種籾のある風景は、農家の庭先に柿が実る日本の農村の風景を既視感のように描き出している。しかし、それは障害者として復員した方代が、戦後復興と高度成長から疎外された者として後半生を生きたことの裏返しであることも忘れてはならないだろう。

 方代の短歌は、定型と口語使用の混淆と評されることがある。確かに全体として短歌の定型の枠内にはあるのだが、随所に「落ちてしもうた」「並びおる」「愛と云うものだ」のような口語が顔を出す。口語と言っても俵万智以後の口語短歌のような若者言葉ではなく、どちらかというと田舎臭い老人の口語である。それが歌に何とも言えない苦みを含んだペーソスと軽みを与えていて、方代の歌が広く愛誦される理由のひとつとなっている。

 没後、『方代研究』という研究誌が刊行されており、坂出裕子『道化の孤独 歌人山崎方代』(不識書院1998)、田澤拓也『無用の達人 山崎方代』(角川書店2002)、大下一真『山崎方代のうた』(短歌新聞社2003)など研究書の刊行も相次いでいる。確かにぎすぎすした現代の管理社会に生きる私たちにとって、方代のような一所不住と漂泊の風狂の人生は魅力あるものと映るのかも知れない。

 方代は岡野桂一郎に勧められてフランスの泥棒詩人フランソワ・ヴィヨンの詩集を知り、擦り切れるほど愛読したという。鈴木信太郎訳の『ヴィヨン詩鈔』である。

 フランソア・ヴィヨンの詩鈔をふところに一ッ木町を追われゆくなり

 気分はもう泥棒である。ヴィヨンに影響されて次のような歌まで作っている。

 宿無しの吾の目玉に落ちて来てどきりと赤い一ひらの落葉

 どうも方代は自らをヴィヨンになぞらえる意図があったようだ。また私生活ではなかなかのお洒落で、まとまった金が入ったときに白い麻のスーツを誂えたという。玉城徹が指摘するように、方代には自己演出があり、「自分の作品世界のなかに<方代>という象徴的主体を設定して、さらのその主体を現実生活の中でみずから演じて見せた」ということなのかもしれない。それは障害者として復員し、戦後の日本に居場所を持たなかった方代の、自己を失わずに生き延びる方法論でもあったにちがいない。短歌は人にこのような生きる場所を与えることもある。

020:2003年10月 第1週 山尾悠子
または、幻想の夜の紅玉を砕けば言葉の光る粒

昏れゆく市街(まち)に鷹を放たば紅玉の
   夜の果てまで水脈(みを)たちのぼれ

        山尾悠子『角砂糖の日』

 短歌の世界で山尾悠子の名を知る人は少ないだろう。山尾はもっぱら幻想的SF作家として知られており、熱狂的愛好者がいる作家で、若干20歳で『SFマガジン』にデビューを果たしている。その作品は、『SFマガジン』や『幻想文学』誌上に発表されたまま単行本化されなかったため、長らく読者の手の届かない所にあったが、幸い『山尾悠子作品集成』(国書刊行会)が2000年に刊行され、いささか高価な代価さえ支払えば、主要な作品を読むことができるようになった。

 『集成』から作品名を拾ってみると、「夢の棲む街」「耶路庭園異聞」「私はその男にハンザ街で出会った」「破壊王」「支那の禽」「夜半楽」と並んでいて、山尾作品の内容をおぼろげながら感じてもらえるかと思う。こんな文章を書く作家である。

「仰角45度、月齢13.5の辺境の月は、依然として純粋な夜の青さの光源となっている。もはや抵抗の気力も失せた。”神”の美少年は、胴上げの姿勢で何処かへ運び去られていったようだ。」

 その作品は、ときにE.A.ポーの短編の趣を湛え、ときに倉橋由美子の不条理な世界に近づくこともある。『集成』巻末の石堂藍による解題に、山尾が自身の精神形成を回想するインタビューが引かれている。曰く、「あの頃の大学生の流行は、倉橋由美子、アイリス・マードック、ロレンス・ダレル、高橋たか子だった。アナイス・ニンやパシュラールとか。京都に住んでいましたから、生田耕作の『るさんちまん』は必読で、高橋たか子の『誘惑者』を読んで、赤江瀑を読んで。周りの人がみんなそうでしたから」「あの頃」とは、山尾が京都の同志社大学に入学した1973年の頃である。山尾が並べる名前は、涙が出るほど懐かしい名前ばかりである。「周りの人がみんなそうだった」というほど、みんな知的憧憬に駆動されて読書に耽溺した時代だったのだ。文学が必須の教養の座から滑り落ちて久しい現代から見れば、隔世の感がある。

 山尾は小説家としての活動のかたわら、若い頃から短歌を作っているという。『角砂糖の日』は山尾唯一の歌集で、1982年に深夜叢書社から刊行されている。歌集の存在は知っていたがもはや絶版で、古書店のカタログにも載らず、私にとっては長らく幻の歌集であったが、短歌を愛好する旧友のおかげで最近入手することができた。

 山尾は深夜叢書社の斎藤慎爾から、「きれいな本を作ってあげるから」と誘わてこの歌集を編んだという。深夜叢書社は、社主の斎藤慎爾が山形大学生のときに創設したひとり出版社である。黒鳥館館主・中井英夫が短歌界の裏の仕掛け人であったように、斎藤慎爾もまた、俳句の世界では知らない人はいない。その軌跡を辿りたい向きは、久世光彦他編集になる大型ヴィジュアル本『寺山修司・斎藤慎爾の世界』(柏書房)を見られるがよい。斎藤にはまた、遊び心溢れた『短歌殺人事件』『俳句殺人事件』(いずれも光文社文庫)という、短歌と俳句が重要な役を演じるミステリーのアンソロジーがあることも付け加えておこう。

 試みに斎藤の句をいくつかあげてみよう。

 百日紅死はいちまいの畳かな

 天金こぼす神父の聖書秋夜汽車

 人妻に致死量の花粉こぼす百合

 その斎藤が注目し、歌集の出版を勧めたのだから、山尾悠子の短歌が凡庸なものであるはずがない。掲載歌「昏れゆく市街に」は、集中最も山尾らしい歌だが、次のような歌が目に留まる。

 金魚の屍(し) 彩色のまま支那服の母狂ひたまふ日のまぼろしに

 角砂糖角(かど)ほろほろと悲しき日窓硝子唾(つ)もて濡らせしはいつ

 腐食のことも慈雨に数へてあけぼのの寺院かほれる春の弱酸

 鏡のすみに野獣よぎれる昼さがり曼陀羅華(まんだらげ)にも美女(ベル)は棲みにき

 夢醒めの葛湯ほろろに病熱の抱きごころ午後うす甘かりき

 春を疲れ父眠りたまふあかときはひとの音せぬ魂(たま)もたつかな

 山尾の短歌はきらきらとした言葉でできている。『山尾悠子集成』巻末の解題で、昔『幻想文学』誌上のインタビューで、「<世界は言葉でできている> というのが山尾悠子を象徴する言葉ではないか」と問われ、山尾が肯定したというエピソードが紹介されている。確かに山尾の幻想的SF小説が克明に描き出す世界は、現実のなかにその対応物を持たない。いわんや作者の実生活とはまるで接点がない。描かれた世界は<虚構> であり、<観念>である。それと同じように、山尾の短歌もまた「言葉でできている」のであり、われわれは、その中に過剰な<意味>を読みとろうとすることなく、歌のなかに散りばめられた煌めく言葉が目を射、視神経を辿って脳細胞に突き刺さる感覚を味わえばよい。これが、山尾のような視座から短歌を作る作家の正しい鑑賞態度である。

 小林恭二は『俳句という遊び』(岩波新書)のなかで、高橋睦郎の俳句世界について、「高橋が俳句を作るとき、そこには外的世界に求められるモチーフというものはなく、言葉がすべてである。上質の言葉を発見しそれを研磨しおえた時点で作品は完成する」と述べているが、この小林の言葉はそのまま山尾の作品世界にも当てはまるのである。

019:2003年9月 第4週 早川志織
または、ゆっくり溶け出してベゴニアになる〈私〉

木曜の夕べわたしは倦怠を
   気根のように垂らしてやまず

        早川志織『種の起源』

 歌人のなかで、短歌を作ることだけで生活が成り立っている人は、大きな結社の主宰者を除けば稀だろう。この点が小説家との大きなちがいである。歌人は実生活においては短歌以外の職業を持っている。私の印象に過ぎないが、なかでも多いのは出版社の編集者と高校教員のようだ。これは歌人の多くが文学部出身者であることと関係している。出版社と国語の先生は、文学部を卒業した人の定番就職先である。このラインの果てには釈超空(折口信夫)のように、生活全部が国語漬けの国文学者のイメージが控えている。

 ところが歌人のなかには理科系の人もかなりいる。これも小説家との大きなちがいだろう。SFとミステリを除くと、理科系の人で小説家になる人はあまりいない。歌人では、坂井修一が東大の情報科学の教授、永田和宏が京大医学部の再生医科学研究所教授、その子の永田紅は京大理学部の大学院生、小池光は東北大学理学部を出て高校で理科の教員をしている。岡井隆、上田三四二、浜田到は医者である。理科系の人の思考回路と短歌とは、決して水と油のように相いれないものではなく、むしろ引き合う点があるのではないか。

 掲載歌の作者も東京農大を卒業しており、理科系の人である。それは処女歌集『種の起源』の題名にも明らかだ。おそらくは植物・遺伝関係の勉強をしたらしく、歌のなかに植物の名前が数多く詠われている。

 傾けて流す花瓶の水の中 ガーベラのからだすこし溶けていたり

 薄青きセーターを脱ぐかたわらでペペロミアは胞子をこぼしていたり

 異性らよ語りかけるな八月のクレオメが蘂をふるわせている

 アロエベラの花立ちあがる傍に来てわれはしずかに脛を伸ばしぬ

 歌集に折り込まれた栞に、小池光が跋文を寄せていて、そのなかで小池はおもしろい指摘をしている。曰く、「短歌で植物を素材にするとき、ふつうはその植物に蓄積された観念を詠う。桜なら散華の精神、ひまわりなら陽性の若々しさ、紫陽花なら挫折のシンボルというふうに」この方向を徹底させると、短歌に詠み込まれたすべての事物は、シンボルであり隠喩であるということになる。小池には、そのような視点からさまざまな事物を縦横に論じた『現代歌まくら』(五柳書院)という秀作がある。それはさておき、小池は先の引用に続けて、早川詩織の歌に詠み込まれた植物が、その裏側に張り付いた観念から自由であるのみならず、観念からどんどん逃げて行くところが特異だと述べている。確かにそのとおりである。

 これに加えてもうひとつ早川の歌で特異な点は、対象である植物とそれを見ている(詠んでいる)自分との関係の取り方にある。掲載歌では「気根のように」という直喩を用いているのでわかりやすいが、自分と植物が〈自己〉対〈対象〉という対峙する関係ではなく、逆に自分が植物と同化していく感覚が顕著である。「傾けて」の歌のなかのガーベラがすこし溶けているのと同じように、自分の体もまた植物的世界に溶融していくかのごとくである。これは植物に限ったことではない。

 今日われはオオクワガタの静けさでホームの壁にもたれていたり

 露まとう青虫のわれは朝の陽に白き背中をたわめて起きる

 シャワー浴びる男のからだを透視すれば一匹の鯨ただようが見ゆ

 塚本邦雄の短歌の世界は、強烈な観念の世界である。塚本が「赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へと咲くジギタリス」、「いたみもて世界の外に佇つわれと紅き逆睫毛の曼珠沙華」のように植物を短歌に詠み込むとき、その植物は文字通りの存在ではなく、塚本が詠おうとした観念を表象する象徴である。これは現代短歌が構造的に作り上げた〈世界〉と〈われ〉を拮抗させる対峙関係に、塚本が忠実に従っているからである。

 早川の歌に溢れている特異な身体感覚は、このような〈世界〉と〈われ〉の対峙関係に歌の根拠を求めないという態度に由来するのだろう。男の身体に鯨が透けて見えるように、動物とヒトは進化という連鎖において見れば、断絶ではなく連続している。それはヒトの血液の塩分濃度が海水のそれと同じだという事実や、細胞内のミトコンドリアはもともとは別の生物で、細胞内のエネルギー変換のために体内に取り込んだものだという事実に思い到るとき、私たちが遅まきながら気づくことである。植物ですらも巨視的な進化の階梯においてみれば、ヒトとつながるものだ。早川の身体感覚はおそらくこのような視座に基づくものなのだろう。これは理科系の発想である。ヨーロッパ中世のキリスト教神学と、デカルトに始まる近代哲学は、人間に世界の中心としての特権的地位を与えた。早川の親しむ近代科学の世界では、ヒトは決して特権的な生物ではなく、ただバクテリアから始まる進化の終端に位置しているにすぎない。観念は絶対であるが、進化は相対的である。早川の歌の世界はこのようにヒトが相対化された世界なのだ。そこで詠われた植物や動物が、塚本の歌におけるように観念と直結することなく、ヒトのかたわらにただ〈在る〉存在なのは、むしろ当然と言うべきだろう。早川の歌を読むと、どこかホッとするような開放感を感じることがあるのはそのためである。しょせんヒトといえども、DNAの遺伝情報によって作り上げられたタンパク質の塊にすぎない。もっとも、その塊の上になぜか宿ることになった〈意識〉というやっかいなしろものを考慮しなければの話なのだが。