第44回 短歌における読みについて

 現代短歌の元気印・石川美南が主宰するホームページ「山羊の木」の期間限定企画「ゴニンデイッシュ」の第4回に依頼を受けて参加した。石川があらかじめ選んだ歌について、5人がそれぞれ一首評を書くという企画である。なお5人には自分以外の誰が選ばれたかは知らされていない。公開された時点で初めて知ることになる。
 「ゴニンデイッシュ」のカタカナ表記がまずおもしろい。「ゴニン」は「誤認」に通じ、「デイッシュ」は「ディッシュ」(dish)に通じるので、5人の人間がそれぞれ誤認に基づく読みを展開する、あるいは5人が同じテーブルで料理を囲んでいるなどと、あらぬ空想が膨らむ。
 与えられた歌は馬場あき子の『桜花伝承』に収録された「罪得てぞ月は見るべし犯さざる非力の腕に闇よせている」である。参加者は、『旧制度アンシャン・レジーム 』などの歌集のある実力派歌人高島裕、『ドームの骨の隙間の空に』で注目された新鋭歌人谷村はるか、「天体の凝視」で昨年度の短歌研究新人賞候補作に選ばれた早稲田短歌会の俊英服部真理子、笹ドットコムなどに投稿している虫武一俊、それに不肖私の5人である。
 高島は馬場の歌の背景となる古典和歌の主題に言及し、下句の口語にあふれ出す現代に生きる強い意志を指摘した。谷村は「犯さざる非力の腕」を、罪を犯すこともできない善人の私と単純に解釈すべきではないとした上で、下句の口語に罪に憧れる気弱さを嗅ぎ取っている。服部は月を見上げる無垢な少女が闇からの誘いに肯うときに、月を仰ぐにふさわしい女性となるという物語を一首から紡ぎ出している。虫武は「腕」が私の腕かそれとも月の腕かがこの歌のポイントだとして、「腕」は月のものだとするユニークな読みを展開している。私は「闇よせている」の「寄せる」が自動詞か他動詞かに若干こだわり、評では自動詞と取る見方を示したが、実は今でも自信がない。石川は他動詞と取り、「私が闇をよせている」という解釈のようで、その方がいいかも知れないとも今では思う。いずれにせよこの歌では、文語基調の馬場には珍しい下句の口語部分の解釈が難物だ。5人5様の読みが出たと言えるだろう。
 さて、この経験を機会に今回考えてみたいのは、短歌における読みの問題である。俳句や短歌などの短詩型文学の場合、作る人イコール読む人で、もっぱら読むだけの純粋読者はいない、もしくは非常に少ないとされている。桑原武夫の「第二芸術論」が、この点を俳句や短歌が近代文学たりえない理由のひとつとしているのは周知のことである。桑原が考える近代文学は、一人の天才の作品を読者大衆が読むというものなのだ。俳句や短歌に携わる人たちはもっぱら作ることに興味があるので、読むとしてもそれは作るという行為の原資としてという意味合いが強い。私もときどき「短歌を読んで批評を書くだけでおもしろいのですか」と不思議がられることがある。歌会で詠草に対する批評が行われるのは、もっとよい歌を作るという目的があるからである。だからほんとうの意味での短歌の読者論は存在しない。
 またここには近代短歌の歩んで来た道が影を落としていることにも注意しておきたい。永田和宏の『喩と読者』は、作る側ではなく読む側に比重を置いた数少ない評論だが、永田はこの中で概略次のようなことを述べている。近代短歌の歴史は〈個〉をいかに屹立させるかという歴史であり、私だけが感じたこと、私だけが経験したことを普遍化することに表現行為の基礎を置いている。このような自己肯定の果てに、作品は読者を歌から締め出すようになり、現代短歌はもはや真の意味での読者を必要としていない。永田がこう述べたのは昭和57年だが、それから30年近くの年月が経過する間に、永田が指摘した傾向は一段と進行したように見える。それは近代短歌が屹立をめざした〈個〉が、大衆消費社会のスーパーフラットの中に溶解してしまったからである。〈個〉なんて一人で屹立することは無理な相談で、明治以来の近代文学のめざした〈個〉は、当時の身分制度・家制度・富国強兵主義などが押しつけてくる抑圧への反抗として生まれたものである。〈個〉が溶解したかに見える現代にあって、短歌はほんとうに読者を必要としているか。これは考えてみるべき問題である。
 短歌が読者を締め出すことは、短歌にとって決して健全なこととは言えない。なぜなら愛誦歌は言うに及ばず、名歌は読みによって生まれるからである。愛誦歌とは多くの人に口ずさまれる歌であり、広汎な読者を必要とすることは当然である。また名歌は生まれた時から名歌なのではなく、優れた読みによって初めて名歌となり歴史に残る。他の芸術分野においても似たようなことは起きることがある。例えばバッハの無伴奏チェロ組曲は長い間忘れられていたが、20世紀になってパブロ・カザルスによってその価値が発見され、自身の名演奏によってチェロ曲の聖典となった。一般に楽曲は優れた解釈を施して演奏されることによって、初めて名曲として受容されるようになる。ところが短歌においては作歌は楽曲の作曲に当たるが、楽曲の演奏に相当する過程がない。短歌は一人一人の読者が読むことによって、自分の中で「演奏」するしかないのである。したがって優れた解釈による名演奏になるかどうかは、読者一人一人の読みにかかっている。読みが衰弱した時代に名歌は生まれない。
 私自身はどうかと言うと、私は桑原武夫がその存在を否定した純粋読者たらんとしているのだが、短歌の読みについては歌人が編んだアンソロジーに多くを学んだ。なかでも塚本邦雄の『現代百歌園』(花曜社、1990年刊)は何度も読み返した。古今東西の文学や芸術を引きながら作品の本質に肉薄する塚本の読みの鋭さには、他の追随を許さないものがある。塚本には俳句のアンソロジーに『百句燦燦』(講談社文芸文庫)があるが、こちらとなるともはや俳句の読みを超えて、塚本の解説自体が一編の掌編小説のごとき独立した生を獲得している。いずれも塚本という強烈な個性と美学が生み出した読みの極北と言えよう。他の歌人のアンソロジーは無難な読みを教えてくれるが、やや物足りないのはいたしかたない。
 今の若い歌人たちはどのようにして短歌の読みを学んでいるのだろうか。アンソロジーは貴重な手引きだが、たいていは明治・大正時代の近代短歌に多くのページを割いており、戦後の前衛短歌に始まる現代短歌に限ったアンソロジーは少ない。小池光・今野寿美・山田富士郎編『現代短歌100人20首』(邑書林)は確かに現代短歌の詞華集ではあるが、残念なことに一首ごとに読みを示した解説がない。若い歌人たちにとって明治・大正期の近代短歌は遠いものだ。今の大学生には「寄宿舎」も「お仕着せ」も「水屋」も「半ドン」も理解できない死語である。現代短歌の名歌を集めて読みを示した詞華集があってもよいのではないだろうか。

第43回 王紅花『夏の終りの』

エル・グレコの〈ピエタ〉のイエスは晩年のプレスリーに似ると我に教えき
                   王紅花『夏の終りの』
 エル・グレコはスペインで活躍した16世紀~17世紀の画家で、その名はスペイン語で「ギリシア人」を意味する。現在ではマニエリスムを代表する画家として知られている。その巨匠の描くイエスが晩年肥満に悩んだロカビリーの帝王エルビス・プレスリーに似ているというのである。展覧会でのエピソードだろうか。確かに名画の人物が誰かに似ているということはある。イエスとプレスリーというかけ離れた連想が愉快ではあるが、それだけのことだ。王の短歌にはこのように「それだけのこと」を詠んだ作品が多い。まちがっても背後に深い意味が隠されているなどということはない。一般に短歌においては、喩を駆使して意味作用を重層的にしたり、掛詞・縁語などの修辞によって作品空間にブレと広がりを付与したりして、作品に31音以上の奥行きを持たせようとすることが多い。そんななかで王のようにあえて奥行きのない短歌を作る人は珍しいと言える。
 たとえば次のような作品を見てみよう。
ゆかに光るものあり しかし宝石など落ちてゐるやうな家にはあらず
マロニエと栃の違ひを書きやれど返事無し どうでもいいことならむ
丘の上の黄のクレーン車は放置され 五年は経つてしまつたかしら
とんかつ屋の壁に貼られた若き日のをぢさんとをばさんの並んだ写真
 見事に「読んだまんまの意味」しかない歌である。「床に光るものあり」と置けば、次は光るものに焦点を当てて残りを展開するのが常道である。ところが予想に反して「宝石など落ちているような家ではないのだが」と自分の想いへと軌道はそれてしまう。二首目でも前半ではマロニエと栃の違いを取り立てておきながら、後半ではあっさりと友への腹立ちに終えている。また三首目の放置されたクレーン車は、ふつうならば短歌的喩の絶好の対象なのだが、王は「五年は経つてしまつたかしら」という極めて日常的かつ散文的な感想へと収束させてしまう。四首目に至っては全体が〈連体修飾句+名詞〉で見たままを詠った歌となっている。
 ここには永田和宏の言う「問と答の合わせ鏡」という構造がない。「問と答の合わせ鏡」とは、永田が『短歌』昭和52年10月号(後に『表現の吃水』に所収)で提唱した概念である。志垣澄幸の「退くことももはやならざる風の中鳥ながされて森越えゆけり」を例に取った説明によれば、上句の「退くことももはやならざる」が作者の内的状態を表す「問」であり、下句の「鳥ながされて森越えゆけり」が「答」である。あるいはその逆の関係であってもよい。短歌定型において主体の〈私〉と対象とが、問と答の合わせ鏡のごとくにあい照らすことによって、一首のなかに緊張関係を構築する。この主体と対象との関係性を梃子として、「鳥ながされて森越えゆけり」が短歌的喩として成立するという説である。このように定義された「問と答の合わせ鏡」構造が王の短歌に不在であるということは、王の短歌における〈私〉と対象との関係性は、永田が想定する現代短歌のセオリーにおけるそれとはずいぶん異なったものだということになる。ではそれはいかなる性質のものか。次のような歌を見てみよう。
駅から青年会館まで老人の列続き何の会かとわれは訝る
海底はお花畑で AはBを食ひCはAを食ひDはCを食ふ
葬儀屋の薦めもありて松竹梅のうち竹コースで葬儀を頼む
読みかけの文庫本『斎藤茂吉歌集』にて百足を叩く 仕方なかりき
ベビー用品売り場に来たり犬のためやはらかき尻拭きテッシューを買ふ
グループ展「Cinco」は翌年「Cuatro」となり今年は「Tres」となりて、解散す
 これらの歌にあるのは乾いた諧謔である。老人が列を成して青年会館に参集するところにおかしみがある。海底はお花畑と聞けば、さぞかし美しい光景が広がっているだろうと思いきや、そこに展開するのは冷厳な食物連鎖だと言う。葬儀に値段によって松竹梅のコースがあるところがおかしい。歌聖茂吉の歌集でムカデを叩くとき、文庫本は単なる道具にすぎない。少子化をあざ笑うかのようにベビー用品売り場には物が溢れているが、赤ちゃん用の尻拭きテッシューを飼い犬のために買うのである。「Cinco」「Cuatro」「Tres」はスペイン語で5・4・3で、グループから一人抜け二人抜けしてゆく様を表している。ここにはブラック・ユーモアとまでは行かない諧謔と、シニカルにまでは傾斜しない批評精神が強く感じられる。外界の対象を〈私〉の位相の喩とするのではなく、外界に接した時に生じる軽い摩擦によるおかしみが、王の短歌の基層を成しているようだ。この諧謔と批評精神は大人のものである。若い人にはとっつきにくいかもしれない。
 では王の短歌に心情はないかといえば、そんなことはない。一巻を通読して私が嗅ぎ取ったのは通奏低音のように低く流れる死への想いである。
らつきようの皮剥きをればかたはらの人は『死後の世界』といふ本を読む
わかものが歌ふ鎮魂歌レクイエムわかものは死に遠ければ美しき声
訃報の回覧板持ちて夜更けの道行けばマンホールから水音響く
わたしの部屋へ行きわたしの飼犬は見ただらう 鳥獣の頭骨コレクション
墓場には派手な花こそ似合ふねと日照雨ふる日に来て我ら言ふ
 死は何十年かの彼方に遠いものとしてあるのではなく、日常の生とないまぜになってごく身近にある。王の短歌を読んでいると、現実と夢の境界や生と死の境界がだんだん曖昧になってゆくような不思議な感覚にふと襲われる。それは夕暮れの感覚に似ている。
この住宅地の流行はやりかあの家もこの家も黒き鶏頭を戸口や庭に咲かせて
夕暮れの町角に咲くコスモスの風にそよげるその白花不吉
自動車のフェンダーに孔雀蝶とまる この世の晩秋の夕暮れのとき
北窓に氷紋育ちゆき夜の更けてあの世の庭の入口となる
 黒い鶏頭や白いコスモスは、あたかも異界の一片がこの世に紛れ込んだかのようだ。フェンダーにとまる孔雀蝶もまた、私を異界へと誘うようである。氷紋の張る窓ははっきりとあの世への入り口と意識されている。このような異界感覚は、王が豊かな自然の残る青梅に暮らしていることと無縁ではあるまい。
 次のような歌を読むと、日々の塵埃にまみれて鈍磨した感覚が突然鋭くなり、腹の底に溜まったどす黒い感情も洗われてゆくように感じる。短歌の功徳である。
鰐のマークのポロシャツを着て本を読む少女 無臭のゆふまぐれなり
俎に載せられし鯉のまぶたなき目は寒の水滴らせをり
カーブ・ミラーがカーブの先を映しをり陽に輝る道は空へのぼりゆく
山葡萄飲みほして置くタンブラーの底に光のスペクトル見つ
反魂草の花咲く下にくちなはの抜け殻あり銀の棒のごとしも

第42回 正木ゆう子『夏至』

月はいま地球の真裏ふたつ蝶
        正木ゆう子『夏至』
 朝日新聞の毎週月曜の朝刊に歌壇・俳壇のページがある。中にコラムがあり、俳句時評と短歌時評が交互に掲載される。書き手は様々だが、まだ知らない歌人・俳人を紹介してくれるのが楽しい。2009年12月7日のコラムでは、加藤英彦が「押入をあけて眠れば藻の花の咲きゐるさむきみづうみへゆく」という松平修文の歌を引いて、この歌には微かに死の匂いが感じられるという趣旨のよい文章を書いていた。2009年11月30日には、俳人の五島高資が、「死界からの詩境」と題したコラムで高岡修の話題の詩集『火曲』に触れて、俳人でもある高岡の俳句を紹介している。私は浅学にして高岡修という俳人を知らなかったので、さっそく句集を買い求めようとしたが、版元のジャプランから品切れを詫びる手紙が届いた。それが何と高岡本人の直筆である。ジャプランは高岡の個人出版社らしい。私は歌人や俳人の方々からいただいた手紙や、寄贈された本に添えられた一筆箋などは、断簡零墨に至るまで保存しているので、高岡肉筆の手紙もありがたくファイルした。それにしても句集を読めないのが口惜しい。インターネットの古本サイトでも見つからない。現代詩人の城戸朱理がブログで紹介しているので、数句引いてみよう。
虚無の世に舌入れている縄の端 『蝶の髪』
雉一羽、暗喩の森を踏みまよう
猟銃の美しい思想である紅葉
死者の眼に朝の湖底となる葡萄
転生は北半球の花あやめ
たれもみな未完のさくら死にゆかむ
水のそら蝶生れるまで蝶を書く
 城戸がメタ・ポエム的傾向が強いと評する高岡の俳句世界には非常に惹かれるが、句集が読めないことにはいたしかたない。というわけで今回は、東大の沼野充義も今年の収穫として挙げていた正木ゆう子の第四句集『夏至』である。正木は1952年生まれ。句集『水晶体』『悠 HARUKA』『静かな水』で数々の賞を受賞した句界の中堅を担う逸材である。「しづかなる水は沈みて夏の暮」「やや甘き土になるべく落つる桃」「海鞘切れば海ほとばしる刃先かな」など、日頃から私の愛唱する句が多い。『静かな水』のテーマは月と水だったが、今回のテーマは太陽だという。句の配列は編年体を採らず、編集により巡る季節と座に配置されている。表紙には「俳句は世界とつながる装置」という言葉と、「半年後、私たちは太陽の向こう側にいる」という言葉が印刷されている。後者は安野光雅が「私たちは太陽は遠いと思っているけれど、半年後には太陽の向こう側にいるんですよ」と言ったのを受けている。もともと正木の俳句は対象にやわらかに入っていく感覚に優れているが、本句集ではそれに宇宙的感覚が加味されている。それが発揮されている句から引いてみよう。
つかのまの人類に星老いけらし
仰ぐほかなければ仰ぐ天の川
北辰のずれとことはに星月夜
月はいま地球の真裏ふたつ蝶
うすずみの洞なす雲へ鷹柱
   ヒトが地上に出現してたかだか数百万年なのにたいして、星々は数十億年の星霜を重ねているという対比が一句目の眼目で、スケール感が大きい。短歌でこのスケール感に匹敵するのは井辻朱美くらいではないか。二句目では「仰ぐほかなければ」が天の川の圧倒的な存在感を表現している。語句の斡旋が対象の存在をまざまざと感じさせるところに句の力がある。北極星は地球の自転軸を北方向に延ばした所に位置しているため、天球上で不動に見えるが、実は自転軸から一度ずれている。三句目の「北辰のずれ」はこの一度のずれのこと。一度という宇宙的尺度から見ればわずかな差異と、永遠を意味する「とことはに」の取り合わせにより、一句の中に天文学的空間と時間を閉じこめているところがすごい。四句目の「ふたつ蝶」は虚空を高速で移動する地球と月の喩と読んでもよいし、前二句とは切れていると読んでもよかろう。鷹柱とは、小型の鷹の一種であるサシバが南方へ渡る際に、上昇気流を利用して上空へと集団で昇る様を言い、秋の季語。天に駆け上る柱は壮大であり、またその陰にこれから渡る南方も揺曳する。
 こういったスケール感の大きな句の傍らで、逆に細やかな観察に基づく句が本来正木の得意とするところである。
蝉すでに老いて出でたる蝉の穴
あさがほの蘂さし出づるところ白
稲雀散るご破算をくりかへす
先ず土に固定をいそぐどんぐりぞ
暮れてゆくどの水底も蜷の道
 蝉は地中で10年にも及ぶ幼虫期間を過ごし、成虫期間はわずか二週間にすぎない。確かに地上に出た時にはすでに老いているとも言える。そう表現するとき微かに哀れさが漂う。朝顔は江戸時代から都市住民に好まれ、品種改良が進んで色も形も様々である。しかし萼が外から支え内側に蘂のある部分だけは白い。俳句はおもしろい形式で、当然の事実を改めて表現するところに発見があり、朝顔の姿が読者の脳裏にくっきり浮かぶ。朝顔は秋の季語。稲が実る田に群がる雀は、ささいなことに驚いて飛び立つ。その様を算盤のご破算に見立てている。どんぐりは地上に落ちて次代の生命を引き継ぐのだが、別に固定を急いでいるわけではない。しかし作者の目にそう見えるところがおもしろい。五句目は観察の句ではない。作者には川底は見えないからである。どの川底にも川になが棲息し、ゆっくり移動しているだろうというのは作者の想像である。いずれの句にも正木の対象を見るやわらかな眼差しが感じられる。
 次ははっとさせられる句。
進化してさびしき体泳ぐなり
地続きに狼の息きつとある
甲種合格てふ骨片や忘れ雪
鮠の子の水より淡く生まれけり
潜水の間際しづかな鯨の尾
ちょうど今たった今綿虫と居る
 一句目で作者はおそらくプールで水泳をしており、ヒトの祖先が太古に魚だった時代に思いを馳せている。「進化」は本来プラス方向への変化を意味するが、作者にはそうは思えないのだ。水中を自在に泳ぐ魚と比較して、ヒトはほんとうに幸福かという思いがある。この思いを軸に一句の中で現在と太古が交差する。二句目では、自分のいる場所と北方の狼の棲息する大地とは地続きなのだから、今私の頬を撫でている風の中にもきっと狼の息が混じっているにちがいないという。想像力を梃子に広大な空間を一挙に超えるところは、大滝和子の秀歌「観音の指の反りとひびき合いはるか東に魚選るわれは」と通じるものがある。しかし、俳句は短歌より少ない十七音でこの飛躍を実現するのだから、驚くべきことだ。このような句に出会うと、言葉の持つ潜在力が十二分に発揮されている奇跡に立ち会うような気がして、他に得られない深い喜びを感じる。三句目は父親の死を詠んだもの。この句の前にある「死もどこか寒き抽象男とは」と並んで慄然とさせられる句である。四句目も正木らしい句で、はやはウグイ・カワムツ・モツゴなどのコイ科の川魚の総称で、小型で細身の魚のこと。卵から孵ったばかりの透き通る稚魚を水より淡いと表現するところに、正木が対象に触れるやわらかさがある。五句目は鯨が身を翻して潜水する様を詠んだ句で、尾鰭が一瞬静止する瞬間を捉えるところに俳句の持つ瞬発力がある。六句目は私が特に好きな句。晩秋に空中を浮遊する綿虫が目の前に来た瞬間を詠んだもの。何でもない瞬間が、実は二度と反復されることのないかけがえのない瞬間であるという一期一会感覚が、一句の中から溢れだしている。俳句は小さな対象を捉えるに適した形式だが、対象自体は小さくとも、その対象が引き連れて来る世界は広大無辺である。こういう句を読むと、日々の塵埃にまみれて凝り固まった脳のシワが伸びる心地がする。
 最後にこれは参ったという句を。
さざなみはさざなみのまま夏の暮
 夏の夕暮れは凪で風が止み、海は一面夕日に煌めく漣である。しかしこう解説してもこの句の不思議な魅力は説明できない。二度繰り返される「さざなみ」に、対象を静かに肯定し、鎮魂のごとく魂を慰撫する眼差しすら感じられる。句の前に言葉が消え、清浄な感覚だけが残るのである。

第41回 藤原龍一郎『ジャダ』

朝食の卓に日は射し詩人の血わが静脈にこそ流るるを
               藤原龍一郎『ジャダ』
 藤原の短歌は、本コラム「橄欖追放」の前身である「今週の短歌」の第3回で取り上げたが、当時の私は現代短歌を読み始めて間もない頃で、歌集・歌書の類もそれほど持っていなかった。乏しい知識と浅い読書歴であんな文章を書いたのは汗顔の至りである。そこでリベンジという訳でもないが、今回は藤原の最新歌集『ジャダ』である。「ジャダ」とは、「ジャズ」と「ダダ」を合成したいわゆるかばん語で、1920年代に流行したとあとがきにある。「ダダ」は「ダダイスム」の略。この歌集題名が暗示するように、やがて戦争へと突入してゆく時代を下敷きにした歌が多く収録されているが、それは単なる懐旧ではない。装幀はクラフト・エヴィング商會で、jadaの文字が刻印された万年筆のイラストをあしらった瀟洒な造りになっている。読者にとっては造本の美しさも歌集の価値の一部だろう。
 本歌集の底に流れる基調を一言で要約すれば、詩歌の徒として選ばれた矜恃と悲惨、それとはうらはらな現代の定型詩の衰退を嘆く嗟嘆のうめきということになるだろう。掲出歌はその流れにある歌で、ここでは矜恃の方が全面に押し出されている。「詩人の血」はジャン・コクトーが1930年に制作した映画の題名。藤原の短歌に固有名が多いのは昔からだが、それ以外に芸術作品の題名や内容を暗示する表現も散りばめられていて、それを読み解くのもひとつの知的快楽となっている。言い換えれば、藤原は自分と同質の芸術世界に参入している読者に歌を送っているとも言える。共有なくして理解はないからである。詩歌の徒の歌をいくつか引いてみよう。
ブンガクと声に出すこのやましさを嘲るようにきつね雨ふる
無頼派と呼ばれることもなき日々を悔まざれども終に唾棄せよ
平成の終焉までを韻文に拠ると書きたる乱心なりや
浪漫の徒として後の日々までを生きめやも雨風強けれど
雑踏に詩を売る男ありてなき遊撃として真冬の驟雨
韻文の終末と打ちそののちを液晶のモニターの紺碧
 ブンガクという片仮名表記は発声を表すと同時に、テツガクという書き方と同じく矜恃と慚愧の背中合わせをも意味する。小池光がどこかの座談会で、「僕たちの若いころは短歌を作るというのは恥ずかしいことだった」と発言していた。当時の政治的文脈を背景とする文弱というニュアンスは薄れたものの、今でも私の知る若い歌人の中には、短歌を作っていることを周囲に秘密にしている人がいる。藤原の基調の心性はハードボイルドなので、浪漫と無頼に憧れるのだが、平成の御代に生きるサラリーマンとしてはそれもままならない。その慚愧から軋むように発せられるうめきが藤原の抒情の核である。
 欲望と虚飾の都市トーキョーの、それもお台場周辺を遊弋する都市生活者の上にはよく雨が降る。夜の暗闇と降りしきる雨はハードボイルドの記号に他ならない。
荒地派の詩の言葉なお重ければWastelandお台場の雨
大過なき日々の証のうたかたの朝のシャワーのぬるき曖昧
ドトールを出てPRONTOに遭遇し静かなる包囲進みゆくごとし
運河の水に鉄鎖浸れる誓子的夏の日暮れを 禿鷹が飛ぶ
街に棲む大鴉を我を祝福し霙にあらず/なまぬるき雨
 ここに引いた歌にも、戦後詩を代表する荒地派、俳人の山口誓子、大鴉のエドガー・アラン・ポーが散りばめられている。藤原の短歌は文学へのオマージュなのだ。
 次の歌はもっとストレートにハードボイルドである。
変身の恩寵あらば軍服のダーク・ボガード 濃き霧が降る
夜半深きホテルの闇に聞こえくるウールリッチがタイプ打つ音
回廊に闇は膿み光は凝りジョゼ・ジョバンニの深き眼窩を
ネズミの屍舗道にありて此処よりはアイソラ市87分署管内
 軍服のダーク・ボガードはカヴァーニの映画『愛の嵐』、コーネル・ウールリッチは『幻の女』の作者ウィリアム・アイリッシュの別名、ジョゼ・ジョバンニはアラン・ドロン主演の名作『冒険者たち』の原作を書いた冒険小説家、アイソラ市はエド・マクベインの87分署シリーズの舞台となっているアメリカの架空の町である。
 藤原の作歌の根幹には何かに事寄せてという発想があり、それが成功したとき印象深い歌が生まれるようだ。これは本歌集に収録された状況歌・挽歌・頌歌によく見てとれる。
円谷が抜かれしその名ヒートリー刹那憎みてその後忘れき
若き死の理不尽なれば悲歌となりこの卵殻の鈍き蒼白
象徴の詩法の末裔すえとして生きて砂金は孔雀過ぎゆく孔雀
絶対の魔王去りたり 言霊も滅びを急ぐ韻文の闇
田園に死すべく生きて東京の雑踏にながらえてのち死す
 円谷つぶらやは東京五輪で英人ヒートリーに抜かれながらも銅メダルを獲得し、後に自殺したマラソン選手の円谷幸吉である。食べ物を延々と列挙し、「おいしゅうございました」がルフランのように反復される遺書は、何度読んでも涙を禁じ得ない。二首目は岸上大作への挽歌で、三首目は西条八十への頌歌。「砂金」「孔雀」は西条のアイテムである。四首目は塚本邦雄、五首目は寺山修司への挽歌。藤原や福島泰樹のような浪漫派には挽歌がよく似合うようだ。
 日常生活の何気ない瑣事から歌を紡ぐ人は、叙景歌や景物に触発された心情を詠む歌を作るだろう。しかし藤原の作歌の発想にこれはない。本歌集にも叙景歌や写実の歌はほとんど見られない。写実は現実を描写するものであり、現実の中に意味はない。意味は主体が解釈することで発生する。したがって真に写実的な歌の中には意味は揺曳せず、ただ風景があるだけである。ところが藤原の歌には意味が充満しており、注目すべき点は、その意味はすでに存在する他の意味から作られているということである。円谷のドラマ、岸上の悲劇、それは現実に起き、多量の意味が既に備給済みの出来事である。藤原の歌を駆動するのは、存立する意味に対する反応もしくは応射だ。藤原の目が自然観照に向かわないのはこのような理由による。藤原の歌は高度に対人的な性格を持つと言ってもよい。モノの向かわず人に向かうのである。
 このような藤原の短歌の特質が遺憾なく発揮されているのが、本歌集の白眉とも言える俳句と短歌のコラボレーションの試みだろう。
 騎馬の青年帯電して夕空を負う (林田紀音夫)
コスプレとして電飾の軍服の少女一団堕天使のごと

 丸善の封筒を買う春のくれ (戸板康二)
封筒を選びてのちを春愁の洋書売場に魯庵と我鬼と

 鮭ぶち切って菫ただようわが夕餉 (赤尾兜子)
卓上の鮭と菫を画布に塗り込めて食事ののちの房事も

「ふく風やまつりのしめのはや張られ」てんやわんやの慈姑呑み込む

「恐慌を夕刊に読む柘榴かな」わが眼に秋の星滲みたり
 最初の三首は俳句に短歌を合わせたもの。四首目は久保田万太郎の俳句を上句に配して付け句を試みたもので、五首目は自作の俳句への付け句である。藤原は若い頃に赤尾兜子に師事して前衛俳句を学んでおり、藤原月彦名義で『貴腐』という句集もある。上に引いた歌は俳句と短歌の対決というよりも、むしろ現代俳句へのオマージュであり、遊び心を多分に含んだ試みで、俳句と短歌の付かず離れずの照り返しを楽しむのが正しい鑑賞だろう。
 浪漫派の藤原の眼差しはもっぱら社会と人に向かうのだが、もしかしたら付け句の試みのように、言葉と言葉が響き合いひとつの世界を形成するような歌の境地に、ほんとうは惹かれているのかも知れないと思えるのである。

第40回 天草季紅『青墓』

食べてゐてふと明るさに気がつきぬわが負ふ影のなかより見つむ
                     天草季紅『青墓』
  掲出歌は、食事をしていてふと身の回りが明るいことに気づいたというのである。私の影の中から何かが私を見つめている。「見つむ」の主語は明示されていないが、前後の歌を読めばそれは死者だと知れる。「わが負ふ影」という措辞が〈私〉に陰影と重力を与える。彼方より死者が〈私〉を訪れたのか、それとも〈私〉が死者の界に彷徨いこんだのか、歌からは不明でありそれは実はどちらでもよいのだ。作者の描く歌の世界は死の光に照らされた世界であり、生者と死者が分かちがたく併存している世界だからである。
 天草季紅は1950年生まれ。「氷原」に入会して1986年に『夢の光沢』という第一歌集を出している。しかし『青墓』のあとがきによれば、一時期短歌から遠ざかり、その後筆名を改めて『Es』に参加したとあるので、過去の自分とは決別する気持ちがあったのだろう。現在『Es』誌上で短歌と評論の両方で活躍している。評論では2005年に『遠き声 小中英之』を上梓している。小中に傾倒するのは天草自身の作品の世界と通底するところがあるからである。
 ちなみに『Es』は一巻ごとに副題を変えるおもしろい雑誌で、試しに近年のものを拾うと、No.13『Es滾滾』No.14『Es叉路』No.15『Esカント゜』No.16『Es間氷期』No.17『Es白い炎』などである。『Es』に拠る歌人たちはリアリズムからは遠く、表現の強度を備えた新しい詩歌をめざしているようだ。
 歌集題名の『青墓』は街道の宿名から採ったとあとがきにある。美濃国不破郡垂井と赤坂の間の地名で、現在の大垣市内にあるらしい。ゆかしい地名だが、この語句はただちに「人間じんかん至る所青山あり」という文句を連想させる。冒頭に書いたように、天草の作品世界は死の光の照らす世界であり、歌集の中で母親や友人や愛猫の死が点々と影を落としている。
おそろしくつめたき手をして触れにくる人体くらき火をいだくかな
火床には骨にまじりて黒き花ある日は激せしこころのあたり
行くひとを待つ雨のなか渡り来し鳩の弔問おごそかなりし
龍の玉ひとつ悔なき嘆きせよこの世の海を逃れきるまで
すこしづつたましひ抜けてゆくねこがふはりふはりと水のみにゆく
なきがらを見るとはつねに見おろして悲しき一夜よりそひ眠る
 最初の二首は母親の死を詠った歌で、一首目は帯に印刷されており、本歌集の基調を示す歌と見なしてよい。「おそろしくつめたき手」とは死に瀕した人の手か。人体がいだく暗き火は生命に他ならない。二首目は火葬の場面を詠った歌。「黒き花」は作者の幻視だが、肉体とともに消滅する心の残滓を希求する気持ちが見せたものだろう。三首目は女優金久美子キムクミジャの死、四首目は闘病中の友人に寄せた歌。最後の二首は愛猫そらの死を詠んだ歌である。平仮名書きで読みのリズムを緩慢にし、あたかも愛猫の最後をできるだけ引き延ばそうとしているかのごとくである。また「なきがらを見るとはつねに見おろして」に残された者の悲しみが漂う。
 このように具体的な死を詠んだ歌以外の歌にも他界の光が揺曳し、歌の基底をなしている。
雲ひくく影をおとせば知るひとの降りくるごとし草生へ入りゆく
かへるとはひとりびとりの身にかへる中陰すぎて臘梅の花
水打つて空やはらげる裾野には虹の子供が来てゐて笑ふ
年ごとに彼岸花さく一画をいらくさ占めて眉うすき夏
床のうへ行き交ふなんの影の群れ日ざしにまぎれて入りきて蒼し
 どうやら天草においては生者の界と死者の界とは截然と分かれるものではなく、どこかで繋がっていて、日常身辺に常に死にし者たちの影が漂っているようだ。それは一首目の「知るひとの降りくるごとし」や五首目の「床のうへ行き交ふなんの影の群れ」に見て取れる。天草が評論を書いた小中英之もまた、「黄昏にふるるがごとく鱗翅目ただよひゆけり死は近からむ」の歌が示すように、体内に死を宿して生きた歌人であった。
 天草の拠る形式は文語定型短歌なのだが、本歌集では形式上の試みをしていることも注目される。
氾濫の夏こえがたき空に風立ち 黄葉のまづ散る一羽となりしひよどり
春の陽の集まるとなくかげろふあたり 淡きもの数多生れてくちびるとざす
朝の光は東方より 渚に及ぶ水のいろ 眠りのなかに見えそめて みどりご生るる時刻あり
花の終りし木蓮は 昏れゆく空につつまるる 静かなるもの美しく 夜は菩薩となりたまふ
 最初の二首は五・七・七・五・七・七の旋頭歌で、残りの二首は七・五の句を四度繰り返す和讃である。いずれも五・七・五・七・七の持つ完結感が希薄で、たゆたうようなリズムに乗って連綿と続く印象を与える。古代的もしくは宗教的な香りのするこれらの形式は、幽界と顕界とがない交ぜになった天草の作品世界と親和性が高く、独特の効果を上げていると言えるだろう。ちなみにリズムの持つ力は圧倒的で、これらの歌を読んだあとに通常の定型歌を読むとき、歌のリズムにただちに入ることができず苦労した。
 最後に印象に残ったその他の歌をあげておこう。
雨あがりまだ水にほふ朝空になんのしるしの眼や爪ひかる
日の光うつろふ柱に日暦の束なすじかんのかげもうつろふ
水底の鯉は記憶のかげりにて春のぼりくる死者をうべなう
日をかへすことりの羽はやはらかに花ともなりて咲くたかぞらに
花びらの開閉しづか血の河を領せしひかり天にうつろふ
古きページに声刻まれてゐたりけりまぎれず青しそのかきつばた

第39回 関口ひろみ『あしたひらかむ』

ししむらを借りてたましひ傷めるをさくらまばゆき闇に還さむ
              関口ひろみ『あしたひらかむ』
  作者の関口ひろみは1961年生まれで、1988年に歌林の会に入会して馬場あき子に師事している。『あしたひらかむ』は1998年刊行の第一歌集。掲出歌では、肉体を借りて魂が傷んだというから、魂が先に存在し、現世においてかりそめに肉体に宿ったということだろう。それを闇に返すという。その闇を「さくらまばゆき」と形容するのは短歌的修辞である。その実体は、私たちがそこからやって来て、そこへ帰ってゆく、決して知ることを得ない領域である。短歌的工夫を凝らして作られた歌だが印象に深く残る。
 実は『あしたひらかむ』の前にある若い人の歌集(と称するもの)を読んでいた。しかしその言葉の平板さと作品世界の幼稚さに辟易して途中で投げ出した。時間を無駄にしたのも業腹である。おさまらぬ腹の虫を抱えつつ『あしたひらかむ』を読み始めるや、干天の慈雨のごとくに言葉が染み込み、波だった心が平らかに静まる。ああ、短歌はやはりこうでなくてはならない。
 さて関口の作風であるが、馬場あき子麾下の歌林の会にふさわしく、古典の素養に裏打ちされた端正な言葉遣いによる本格定型短歌である。
公園に泣きゐしをさな新緑はふたつのまみをしたたりて落つ
を容れず拒まず海は銀ねずのまなぶた薄くひらきゐるなり
ひと恋へばたちまち濁る鏡かな虚空燦々夏はわたるを
きみへ漕ぐ櫂とはつひにならざりしかひなを二本さげて佇む
虫のこゑかそか残れるあかときを樹はみづからの翳より目覚む
 歌集冒頭近くから引いた。あとがきに「I章の歌を作っていたころは、ひたすらたましいを鎮めたく、(…)古風といわれるのを恐れないでつくろうと」とあり、習作期を脱しつつ主題を模索し表現を試みていた時期の作と思われる。作者には「たましいをしずめる」逼迫した必要があり、それは二首目の「吾を容れず拒まず」に遠く感じられる。作者の凝らした短歌的工夫は、一首目の「ふたつの眸をしたたりて落つ」や、二首目の「まなぶた薄くひらきゐるなり」に顕著であり、あえて古風な表現は三首目の「ひと恋へば」と鏡と夏の取り合わせに看て取れる。
昏るる田に火色ひらめきむらぎもの心の在り処たまゆら照りつ
ささなみの眠りのにたてり万葉の相聞に咲く沖つ藻の花
夏麻引くいのち傾けひひややけき山手線に舟漕ぐわれは
手酌してゑふに似るなり閑吟集 空櫓の音がころりからりと
わがこころ浦渚うらすの鳥ぞ 地下ホームに銀の車輌が風を起こし来
 一首目の「むらぎもの」や三首目の「夏麻引なつそびく」はよく知られた枕詞であり、古風を恐れぬ姿勢はここにも見える。二首目の「ささなみの」は本来は大津・志賀・比良などの地名や、波が寄ることから「夜」にかかる枕詞で、「夜」から「眠り」へと続いている。四首目の「空櫓」は水に浅く入れた櫓のことで、下句の「空櫓の音がころりからりと」は閑吟集からの引用。五首目の「浦渚」は浦辺にある州のことで、「わが心浦州の鳥ぞ」は古事記からの引用である。これらの歌はおそらく言葉から発想された歌で、実景から出発したものではなく、狭義のリアリズムに立脚していない。
 もちろん本歌集には言葉の世界に遊ぶ歌だけではなく、作者の身辺生活に材を得た歌もある。作者は出版社の校正部で働いているらしく、次のような歌がある。
フィットネス特集の校正刷ゲラ配られて校正室は定番の春
流れもののやうに集へる校正者おのれを隠しつつおのれ濃し
校正者のさかしらがほは疎まれて消さるべきメモこまごま記す
 フィットネスが定番になるのはコートを脱ぎ捨てる春を迎えた女性誌だろう。おもしろいのは二首目で、校正係が流れ者のような人たちだとは知らなかった。校正係は表に出ない黒衣役なので「おのれを隠しつつ」なのだが、その実個性豊かなので「おのれ濃し」なのである。三首目には校正係の心情がよく出ている。私も仕事柄書いた原稿を校正されることが多いが、大手出版社や新聞社の校正係の仕事にはいつも舌を巻く。誤字脱字や送り仮名の不統一は言うまでもなく、人名表記や年号の間違いに始まり、TV番組「笑っていいとも!」には最後に感嘆符が必要なことまで指摘してくれる。私はいつも校正係の訂正はほぼそのまま受け入れているが、人によっては「さかしらな!」と怒り出す人もいるのだろう。
 また歌集後半を中心に次のような瑞々しい相聞歌もある。
きみを恋ふわれはもつともわれなるか草のもみぢをまみに充たしぬ
いつ逢ひても見慣れざる貌きみはもちおのが寒さのうちに棲むなり
きみとゐる春の茶房にやはらかく水押す鳥の胸おもひたり
きみの黙のみなもとに掌をふれたきをフォークにパスタからめゐるのみ
手を洗へばみちくるうしほきみがゐてわがゐる暮らしかりそめならず
 作者は恋に不器用な自分を感じているらしく、相手との距離感に淋しさを感じているようだ。「きみ」と詠われている人かどうかは不明ながら、やがて作者は結婚して五首目のようなふたりの暮らしを始めるところで歌集は終わっている。第一歌集としては抜群の完成度を備えた歌集と言えよう。関口は2008年に第二歌集『ふたり』を上梓している。難しい病を得て療養生活を送っているらしく闘病詠が中心である。作者には切実な主題だが、読んでいると辛い。
 『あしたひらかむ』は構成の手を加えてはいるが、ほぼ編年体で編まれている。注目した歌に付箋を付けてゆくと、付箋は前半に多く後半に進むほど少なくなった。これはどういうことだろう。ふつう年月を経るにつれて作者の技量は向上し、歌境は深まるはずではないか。これについて考えるところがあった。
 同じ時期に穂村弘の対談集『どうして書くの?』を読んだ。長嶋有との対談で穂村は次のように発言している。
 「いま時代全体の趨勢として『ワンダー (驚異)』よりも『シンパシー(共感)』ですよね。読者は驚異よりも共感に圧倒的に流れる。ベストセラーは非常に平べったい、共感できるものばかりでしょう。以前は小説でも、平べったい現実に対する嫌悪感があったから、難解で驚異を感じる、シュールでエッジのかかったものを若者が求めていた。でも今は若者たちも打ちのめされているから、平べったい共感に流れるのかな。(…) すると、詩歌にあるような、言葉と言葉同士が響きあう衝撃みたいなもの、俳句でいう切れになるような感覚は、圧倒的に読みにくいという話になりますよね」
 私は穂村よりさらに上の世代なので、もちろん文学はワンダーの世界を構築するものと思っている。穂村の発言を読んであらためてそうなのかと再認識したのは、一読者として短歌を読むときにも私はシンパシーよりもワンダーという態度で臨んでいるということだ。若い作者の短歌に不満を感じることがあるのも同じ理由で、短歌でも若い作者はシンパシーに傾斜しているのは明らかである。関口の第一歌集を読んでいて、むしろ前半の方に付箋の付く歌が多くあったのはこのような理由による。するとこれは作者の技量の向上とか歌境の深化という問題ではない。もちろん作者関口の責任でもなく、その歌の価値を貶めるものでもない。関口は短歌をより自分に引きつけて捉えるようになっただけである。
 俳句や短歌などの短詩型文学では、〈読み手=作り手〉という構図が成立する。私のように自分では短歌を作らず読むだけという純粋読者はほとんどいない。私が短歌にワンダーを求めるのは読者としての私の嗜好にすぎない。と、ここまで言うと議論は終わってしまうのだが…。言葉でワンダーを立ち上げる短歌を読みたいと思うのである。

第38回 眉村卓『霧を行く』

過去追ひて眼鏡に障子歪みをり 
眉村卓『霧を行く』


  今回取り上げるのは歌集ではなく、今年(2009年)7月に深夜叢書社から刊行されたSF作家として名高い眉村卓の句集である。長大なあとがきによれば、眉村は高校生のときから俳句を作っており、赤尾兜子の知遇を得て句誌「渦」に投稿するなど、断続的に句作は続けて来たが、このたび句集としてまとめることになったという。一説によれば俳句人口は短歌人口の10倍はいるという話で、各界で句作に親しむ人は多い。しかしあとがきに綴られた人生の軌跡を見ると、眉村にとって俳句は小説家の余技ではなく、自身の文学的営為により深く埋め込まれたもののようだ。
 帯文に署名はないものの、おそらく深夜叢書社社主で自身俳人でもある斎藤愼爾の手になるものと思われるが、次のように書かれている。「日本SF史上に不滅の金字塔を樹立した泉鏡花文学賞作家は、高校時代から半世紀に亘り俳句界を疾走してきた前衛俳人でもある。生と死をめぐる象徴的、神秘的、幻想的、夢幻的、そして根源的な情念の表白の結晶、ここに成る。」そして次のような句が抜粋されている。

木犀の香の闇ふかし別れ来て
灯の中に鬼灯夢も暗からむ
亡妻佇つ桜もつとも濃きところ
冬麗や切絵のごとき姫路城

 眉村の句を「象徴的、神秘的、幻想的、夢幻的」と評するのは、「蝶殺めおれば日月入れ替わる」「月光の創かくれなし蟻地獄」などの句のある斎藤愼爾自身の美学に基づく判断である。帯文の抜粋句もまた同じ美学に基づいて選ばれている。
 斎藤の指摘はそれとして、私が眉村の句を読んで強く感じるのは濃密な物語性である。あとがきで眉村は、SFの本質はセンス・オブ・ワンダーであるとの説に触れ、「SF的感覚を援用して言えば、私の俳句とは、時空の集約が感じられるものでありたい」と述べている。俳句の王道は二物衝撃だが、二物の出会いによる衝撃に止まらず、宇宙をクルミの大きさに閉じこめるように、時空が圧縮されたような感覚をめざすということだろう。その圧縮された時空間に物語が匂い立つのは、ショート・ショートという得意ジャンルを持つSF作家の故にちがいない。たとえば次の句はどうだろう。

氷菓出て転職依頼ためらひつ
獄塔出て異郷の蜂がつきまとふ
風花や女がくだる螺旋階
ぶらんこがどこかで軋み濠の昼
終着駅近しまだ在る冬の虹

 一句目、「氷菓出て」はアイスクリームが食卓に出されたという意味だから、誰かの家にお邪魔しているか、レストランでの情景だろう。自分は転職を頼みに来ているのだが、どうしても言い出せないという、一片の人生風景を切り取ったような句である。季語は氷菓で夏。二句目、「獄塔」は監獄の塔屋で、どこかよその国で昔監獄として使われていた建物を観光しているのだろう。監獄ゆえに幽閉されていた人物の物語が立ち上がり、「異郷の蜂」にも意味がまとわりつく。季語は蜂で春。三句目、螺旋階段を下りる女性には、色鮮やかなワンピースを着ていてほしい。階段を下りる回転動作にワンピースの裾が広がって美しい弧を描くという高度に視覚的な句。螺旋階段を下りる女というだけで一編の掌編小説のようだ。季語は風花で冬。四句目、濠とあるので皇居のお濠のような城の環濠が目に浮かぶ。ぶらんこは春の季語なので、うららかな春の昼である。そこにぶらんこが軋む。近所に公園があれば子供がぶらんこに乗って遊んでいてもおかしくはない。しかし「どこかで」の一語が句に潜む危うさをあぶり出す。五句目、終着駅まで列車に乗っている男がいるのだが、「まだ在る」により男がずっと虹を見ているという時間の流れが句に生まれている。虹は夏の季語だがここでは冬。このように一句17音に凝縮された時空間にどこか物語が感じられるのである。
 眉村は句友から「言葉の使い方が俳句のそれとはどこか違う」と言われたそうだ。それはこのような眉村の句に潜む物語性に関係するのかもしれない。この間の事情を詳らかにするのは私の手には余るが、ざっくり言って近代俳句の骨法は写実であり、現代俳句はそれに言葉の彫琢が加わる。

白葱のひかりの棒をいま刻む  黒田杏子
腐みつつ桃のかたちをしていたり  池田澄子
万緑や死は一弾を以て足る  上田五千石

 白葱を光りの棒と見たとき黒田の句は生まれたのであり、腐ってゆく桃にまぎれもない桃の形を見たとき池田の句は生まれたと言える。カメラが対象に肉薄し、眼前の極小の対象をこれ以外にないという見方で的確に捉えた瞬間に、ベクトルが反転してそこに極大の世界が生まれる。また現代俳句のひとつの特徴として、上田の句のように情け容赦のない断言が定型を屹立させるというものがある。いずれも言葉を削ぎ落としてゆくことで到達する世界である。これにたいして眉村の俳句では、言葉を削ぎ落とすのではなく、逆に物語を呼び込むような言葉の選び方がされている。このことが「言葉の使い方が俳句のそれとはどこか違う」ということにつながるのではないだろうか。
 掲出句「過去追ひて眼鏡に障子歪みをり」はこれだけ読むと解読が難しいが、眉村の妻が病を得て亡くなった直後の歌である。

妻元気並木の辛夷咲き始め
紫陽花よ妻確実に死へ進む
西日への帰途の彼方に妻はなし
妻逝きし病院を訪ふ秋の雲
際限もなく銀杏散る明る過ぎる

 ふつうは「妻元気」とは書かないから、すでに病が進行していることが知れる。一連は慟哭の句であり、最後の句の「明る過ぎる」もこの文脈で見れば哀切の句となる。掲出句の過去は妻が生きていた過去であり、眼鏡に障子が歪むというのも悲しみの表現であろう。次のような句も印象に残る。

哀歓の涯は枯木に触れゐたる
雨後黒く馬と藁塚まじり佇つ
永くバス待ちて案山子の視野の中
草にまぎれ得ぬ秋蝶をみつめをり
春愁や不意に鉄橋轟々と
路地幻視秋の夕日が嵌め込まれ
剃られつつ刃を感じゐる五月かな
加速する時間の雫鬱王忌

 最後の句の鬱王忌は赤尾兜子忌のこと。「大雷雨鬱王と会うあさの夢」の句のある兜子は鬱病に苦しみ自死している。「加速する時間の雫」は兜子に捧げるSF作家のオマージュだろう。ふつうの俳句作家の発想ではない。
 眉村の父の村上芳雄は夕刊紙の記者をしており、歌人だったという。父は短歌で息子は俳句というわけだが、おもしろいことに眉村の長女の村上知子は短歌を作っており、旅行記の散文と短歌を組み合わせた『上海独酌』(新人物往来社、2004年)という著書がある。歌を二三引いてみよう。

既に死にたなびく君の魂をつなぎとめむと秋刀魚焼きたり
大叔父の残せし煙草ピース菊の紋誰も昭和を喫いきれぬまま
水引の花は穂先を天の川星の高みに詠記すなり

 短歌と俳句とジャンルは違え、三代に亘って短詩型文学の血が脈々と流れているのは興味深い。親子の継承がほとんどない小説や詩と、短歌や俳句という短詩型文学の生理の差だろう。その生理の差とは、言葉の中に込められる〈私〉の分量と位相に集約される。言葉の中に〈私〉が塗り込められる機序はいかに、というのが積年の私の疑問なのだが、それはまた別の話である。

第37回 柏原千恵子『彼方』

おほ空に色かよひつつ桐さけり消ぬべく咲けり消ぬべく美しも
                 柏原千惠子『彼方』
 柏原千惠子さんが今年2009年6月に徳島の病院で亡くなった。享年89歳の長逝である。第三歌集に収録する歌をまとめて、あとがきを長女の三久潤子さんに口述筆記するところまで準備が進んでいたのだが、出版された歌集を見ることなく亡くなられた。したがって『彼方』は遺歌集ということになる。柏原さんは「未来」同人だが、中央に背を向けて徳島を離れず、歌誌「七曜」を主催しておられた。歌集に『水の器』『飛去飛来』があり、『彼方』は第三歌集ということになる。華やかな受賞歴とは無縁ながらも、素晴らしい歌を作っておられた。ご冥福をお祈りしたい。
 掲出歌は大木となり空の高みに紫の花を咲かせる桐を詠んでいる。その様を「おほ空に色かよひつつ」と表現する広大な空間感覚が、柏原の歌の特徴のひとつである。花は短い命を終えてやがて散る。「咲く」ことの中には「散る」ことがあらかじめ内包されている。花はそのようなものとして在る。語調の静かさが印象に残る歌である。
 私は角川『短歌』平成16年8月号の「101歌人が厳選する現代秀歌101首」という特集で、紀野恵が挙げていた「とぶ鳥を視をれば不意に交じりあひわれらひとつの空のたそがれ」という歌で柏原を知った。鳥とそれを見る〈私〉とが交じり合うという主客混淆の感覚が、スケールの大きな空間把握の中で表現されている秀歌である。この歌に出会ったときは、一首が不意に私を打つという感覚に見舞われたが、『彼方』を通読して作者の歌境の深化に震える思いすら感じたのである。柏原の独特な主客混淆の感覚は、この歌集にもまた散見される。
山峡に瀧みれば瀧になりたけれなりはてぬればわれは無からむ
聲なくて見てをるわれとこゑなくてひたゆく雁と朝あけむとす
硬貨とり落して拾はぬ拾へざる戸外にわれはわれを捨てゆく
とほざかる感じのしばしつづきつつ桐の花あるままを歩めり
 一首目、〈私〉が瀧になればもう〈私〉はなく〈私〉が瀧であるというのだが、「なりはてぬれば」という完了形が示すように、完全になりきるまでは〈私〉のいくぶんかは瀧であり、瀧のいくぶんかは〈私〉なのである。柏原の歌では「視る」ことが大きなウェイトを占めているが、どうやら「視る」こと即、対象の一部と同化するという感覚を持っていたと思われる。二首目では雁と〈私〉の混淆ではなく平行共存が歌われているが、天の雁と地のわれとに深い呼応があることは言うまでもない。三首目、誤って戸外に硬貨を落としてそのままにするのだが、〈私〉を捨ててゆく気持ちがするというのである。四首目は少し不思議な歌だが、咲いている桐の花から〈私〉が遠ざかると読みたい。歩を進めるという空間移動を「とほざかる感じのしばしつづきつつ」と自身の内的感覚に変換して表現するところに、独自の感性を感じるのである。
 『彼方』は歌誌「七曜」に長年にわたって発表した歌を集めたものだと推察されるが、老境に入るにつれて「〈私〉を超えるもの」と「存在と非在の往還」という境地が加わったものと見える。
内に向くものかもまして冬の夜は知らざる界の奥深きまで
冬の夜を細りほそりて卓上に鉛筆はありぬいづくより来し
見えざればまして迫りて夕ぐれの海は一枚の手紙とおぼし
在らずして在るもののごとゆふぐれのかなかなのこゑ空に華やぐ
刈田未明鴉一羽がわたりをりゆるぎなく低く遠世わたれる
 一首目の「内に向く」は内面を凝視することだが、冬の夜はどこまで深く降りてゆくのか知れぬほどで、その果てにあるものはもはや〈私〉ではあるまい。二首目、卓上にころがる鉛筆は確かにそこに在るのだが、その存在は非在の感覚と背中合わせである。三首目、夕暮れの海は見えないからこそ迫って来るのであり、時に非在は存在よりも生々しい。四首目、姿は見えず鳴き声だけが聞こえる蝉を「在らずして在るもののごと」と表現している。五首目は、稲刈りの終わった冬田の上を鴉が低く飛ぶ光景を詠んだ歌だが、結句に至り転調して、この世のものではない光景に転じている。先に柏原の歌の特徴として「スケールの大きな空間表現」を挙げたが、ここに至って「〈私〉を超えるもの」と「存在と非在の往還」という次元が加わり、その歌の世界はますます重層的かつ多元的なものになっているのである。
 その一方で次のような歌もある。
この町のひとつのビルの片面が夕日浴びをりしばらくのこと
いづこにか在るゆえ映る古びたる外国の街の海岸通り
雨戸より落ちしは守宮おちたれば落ちたるものの體重の音
曇るとも晴るるともなきはるぞらに高らかに犬の声になく犬
 一首目はビルの片面が夕日を浴びているという、ごく日常的な当たり前の光景を詠んだ歌である。それが結句の「しばらくのこと」によって、毎日繰り返される日常風景から今ここでしか経験できないかけがえのない景色へと転じる。そこに浮上するのは「生の一回性」の感覚に他ならない。二首目でTVの画面に映る外国の風景は、どこかにあるから映っているのだという、これまた当たり前のことが詠われている。しかしそれがたまらなく愛おしいことに思えるのは何故だろう。落ちたヤモリが体重相応の小さな音を立てるのも、犬が犬の声で鳴くのも当たり前のことである。しかし、私たちが日頃当然のこととして看過していることを、殊更に取り立ててこのように表現されると、私たちの目に入っていなかった世界が浮上する。それはほとんど魔術的と言ってもよいのである。
 柏原は晩年は体が不自由になり、老人ホームに入所していたらしく、体の不如意を詠った歌も集中にはある。しかしそれにも増して視線を遠く虚空に、また時には非在の世界へと遊ばせる歌が多く、感性の自在さと言葉の斡旋の巧みさは驚くばかりである。
傷口に集りをれる血球のざはめくまでに夏のゆふぐれ
夕映えにひととき早き真澄には柿の裸のこずゑの自在
おもおもと緋桃はひらく夜の底のまぶたのうらのときじくの花
「ハルシオン」しづかに溶けよ概念の青き藻屑の夜のねむりに
水のような光のような自由欲りわれらがわれにかへるゆふぐれ
 いずれも絶唱というにふさわしい。なかでも最後の歌は、作者が不自由な状況に置かれていただけに心に染みる。作者は歌集題名のごとく彼方へと去り、私たちには三冊の歌集が残された。あらためてご冥福を祈りたい。

第36回 尾崎朗子『蝉観音』

カフェの壁あまりに白しエンダイヴこの苦さこそわれを在らしむ
                   尾崎朗子『蝉観音』
 短歌を読むときの理想的な形は、私の前に一冊の歌集があり他には何もないという状態である。とりわけ目の前の歌集と表紙に印刷された著者名以外に、予備知識が一切ないことが望ましい。私は何の予備知識も持たず、裸の心で歌に出会う。これが理想である。嗚呼しかし、なかなかこうはいかない。要りもせぬ知識や雑多な情報を知らぬ間に身につけてしまっている。しかし今回取り上げる尾崎朗子については、幸い何の予備知識もない。白紙の心で歌の世界に踏み入る喜びを味わうことができた。
 米川千嘉子の解説によれば、尾崎は1999年に「かりん」に入会し、2001年には結社内の「かりん賞」を受賞している。2008年に上梓された『蝉観音』は第一歌集である。掲出歌のエンダイヴはときにチコリとも呼ばれる外国野菜で、白菜をうんと小型にしたような紡錘形の形状をしている。ほぼ純白で葉先がほんのり黄色い。欧州ではサラダかグラタンにして食する。生のままざく切りにし、干しぶどうを混ぜてドレッシングで和えると美味しい。その特徴は苦みであり、歌でもその味覚に焦点が当てられている。カフェの壁の白さとエンダイヴの白さが照応しているのだが、「あまりに白し」とあるから〈私〉はその白さを受け止め切れない心理状態にあるのだろう。口に感じるエンダイヴの苦みだけが〈私〉の存在の証だという実存的な歌である。「この苦さ」という近称の指示表現が強さを生んでいる。叙景よりは叙情、なかんずく〈私〉に執した立ち位置であり、それは収録されたほぼすべての歌に共通する特徴でもある。
円満はあきらめに似てリビングにはつか漂ふ熟柿のかをり
ぎざぎざの微妙に異なる鍵七つ持ちゐるあなたが持たぬわたしく
薄目して月見れば月ふたつありあなたに一つわれにも一つ
うららかな春に戸籍を作りたり筆頭者われに続くものなし
生ぬるき水道水を火にかけて中途半端をくつくつ沸かす
画材屋で槐多のガランス求めたり逃げごしなこの恋に塗らむと
 最初の四首は離婚の歌で、気持ちのすれ違いから離婚に至るまでの心の動きがかなり率直に詠まれている。表面的には円満に見えても実は心が通わない夫婦の状態を象徴する熟柿の退廃的な香りや、すれ違う心を象徴する鍵のぎざぎざなどに一応短歌的な工夫は施されてはいるのだが、作者のねらいはそこにはないだろう。これは芸術的完成をめざす歌ではなく、自己を確認し鼓舞するための歌だからである。芸術至上主義者は芸術の無用性をおのれの勲章とするが、尾崎の歌の向かうベクトルは逆方向である。風邪薬のごとくに有用な歌なのだ。たとえば上にあげた五首目や六首目の歌を見るとそのことはよくわかる。水道水の生ぬるさは自己の優柔不断の喩であり、作者はそれを何とかしようと鼓舞している。六首目のガランス (garance)はフランス語で植物のアカネまたは茜色の染料のこと。茜色の絵の具を塗ることで村山槐多の絵の激しさを自分の恋に与えようとしている。このように歌の中に〈私〉のすべてを投げ込もうとするのは、女性の歌のひとつの特徴かもしれない。
顔知らぬ父の記憶を燻らせむ十五歳じふごのわれのいとなむ煙草忌
われ産みし人のうはさを聞くゆふべ肉じやが煮すぎてじやが崩れたり
祖母の家祖母逝きたれば消え去りぬ更地売地のわが本籍地
産まぬこと決めてをりしが初夏の軒のつばめの子ひとつ盗ろか
モルヒネのポジ借りられず「骨転移」特集記事の余白埋まらず
 両親の離婚か父親の早世によって作者には父親の記憶がなく、また訳あって祖母のもとで育てられたことが歌から透けて見える。このため最初の三首のような血縁をめぐる歌があり、それはかなり重い。二首目は秀歌で、「肉じやが煮すぎてじやが崩れたり」の下句は、小笠原和幸の「ただ二人この家に住む日が来たら継母よ蜆が煮え立っている」の下句と遠く呼び交わす趣がある。作者は働く女性であり、歌から察するに雑誌か新聞に関わる仕事に就いているようだ。次に引くのはそんな働く女性の日常を描いた歌である。
闘牛の角あはせのごと乗り込める朝の車輌にひとの声なし
駅前のストアは終電まで開いて今夜の豆腐は木綿と決めぬ
蜻蛉をつきしたがへてわたくしを奪還しにゆく日曜の朝
東京タワーには東京タワーの疲れあるらしく踏ん張つてゐて経絡凝る
多摩川にその身さらして都鳥きつつなれにしもの脱ぎすてよ
 労働はときに心を磨り減らすが、三首目以下のように女子の覚悟を詠う歌が多い。「蜻蛉をつきしたがへて」はそのかみの女王のごとき風格である。四首目は東京タワーの疲労に自己を託した歌。東京タワーにも経絡があるという見立てがおもしろい。五首目は業平の歌に心情を託した決意の歌である。近年、男性の歌より女性の歌にいさぎよい歌が見られるのも時代の流れか。
 「アポトーシス」「細胞年齢」などおそらく仕事で接したと覚しき単語が歌にうまく取り入れられている点も見逃すべきではないが、食へのこだわりを感じさせる歌に特に目が行く。掲出歌もそうだが食材を詠んだ歌がかなりある。飲食は人間の基本的行為だが、歌の中では食べ物にも心情がからまっているのであり、その心情の多くは恋である。
底冷えのする夜もづく酢すすりたりひとつの沼を飲み込む心地
黄金なすカルボナーラのしつこくて右肩さがりに暮れてゆく秋
別れても冷奴など食むならむめうがきりりと食みて泣くらむ
奈落には奈落の息抜きありぬべし 石焼ビビンバぐちやぐちや混ぜる
 最後に特に注目した歌を引いておく。
瑪瑙玉みがきみがけり雨月の夜わが掌中に木星はあり
むらさきの胡桃の雌花ひらきたりつつましくわれら交感せしのち
鶏卵を割ればひとすぢの血のありぬ満ちることなき月を抱へて
みづからの泪に渇き癒すとふ砂漠のとかげのその泪はや
酢にひたし蓮のカルマをぬぐひたり ああ今生では添えぬのだらう
腐蝕せしのちにあらはる線勁し銅版画の鳥われより発てよ
 最後の歌は巻末に置かれた歌で、腐蝕した後の線こそ勁いという言挙げに作者の決意を見るべきだろう。作者の歌の力が十分に発揮された第一歌集である。

第35回 笹公人『抒情の奇妙な冒険』

デンジマスク作り終えたる青年のハンダゴテ永遠とわに余熱を持てり
                  笹公人『抒情の奇妙な冒険』
 念力短歌の笹公人が放つ第三歌集である。歌集としては異例なことに、早川書房の「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」叢書の一巻として刊行された。ということは笹の短歌はもはやSFの領域に突入したのかと思われる。しかし巻末の栗木京子の解説は至極まっとうな歌集の解説である。また「寺山修司は『架空の私』を、笹公人は『他人のノスタルジイ』を手に入れた」という山田太一の帯文は、さすがに笹の本質を突いて鋭い。寺山修司の抒情を最も色濃く現代に受け継いでいるのは、喜多昭夫と笹公人だと思うからである。ただし、喜多は寺山の青春短歌の抒情に、笹は想像力による自己変身願望により比重がかかっているという違いはあるが。短歌がフラット化して短歌的抒情からますます遠くなる現代短歌シーンにあって、やや変則球ながら正面から抒情を詠う笹は独自のスタンスを築きつつあると言えるだろう。
 歌集題名の『抒情の奇妙な冒険』は、週刊少年ジャンプに連載された荒木飛呂彦のマンガ『ジョジョの奇妙な冒険』のもじりである。笹自身はこのマンガに特に思い入れがあるわけではなく、題名だけを借用したらしい。スタンドと呼ばれる超能力を持つ登場人物の戦いが中心のマンガだが、数々の奇抜なスタンドを考案する想像力と、ありえない姿勢を取る人物画の魅力と、散りばめられた洋楽へのオマージュなどから、特に美術系の若者に熱狂的な支持を得た。登場人物のポーズをまねる「ジョジョ立ち」なる言葉も誕生し、毎週集まってポーズを競うサークルまであると聞く。かく言うわが家にも全63巻が揃っており、第5部のイタリアを舞台とするエピソードのゆかりの地をめぐる旅行を家族でしたほどなのだ。 
 さて掲出歌だが、「デンジマスク」はTVの戦隊もの電子戦隊デンジマンの登場人物がかぶる戦闘用ヘルメットだろう。青年はそのマスクを自作しているのだから、週末に秋葉原でコスプレをするオタク青年で、場所は木造アパート2階の四畳半がふさわしい。ラジオ工作の必須アイテムのハンダゴテは役割を終えて机に置かれているのだが、ハンダゴテが放散する余熱は言うまでもなく青年の熱い魂の喩である。下句「ハンダゴテ永遠に余熱を持てり」の8・7音の収め方が短歌的にうまい。
 歌集巻頭に置かれた「大きなる手があらわれてちゃぶ台にタワーの模型を置きにけるかも」という歌が、「大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも」という北原白秋の歌の本歌取りであることからも推察されるように、笹はある意味で現代短歌というより近代短歌の流れの中に位置すると言ってよい。というのも現代短歌は音数律の組み替え・暗喩の多用・枕詞などのレトリックの復活など、短歌の表現面の革新に腐心してきたが、笹の興味は表現面にはなく、短歌という古い革袋にどのような酒を入れるかという点にあるからである。古い革袋に古い酒を入れてはおもしろくない。しかし短歌的抒情は古い酒である。これをいかに新しく見せて古い革袋に入れるかに工夫が必要だ。その工夫は今までは念力というキーワードだったのだが、今回笹はあえて念力を封印して、新しい試みに挑戦している。それが山田太一の帯文にあった「他人のノスタルジイ」なのだ。この歌集では過ぎ去った昭和という時代への郷愁が、全体を支える文化装置として採用されていることがわかる。
ベーゴマのたたかう音が消えるとき隣町からゆうやみがくる
しのびよる闇に背を向けかき混ぜたメンコの極彩色こそ未来
人攫いのうわさが少女を暗くして真っ赤に燃える東京タワー
東京に負けた五郎の帰り来て大工町の名はまた保たれる
鉄人を地下に隠して夕暮れる博士の洋館やかたは蔦に覆われ
 巻頭の「四丁目の夕焼け」と題された章から引いた。この題名そのものが映画「Always 三丁目の夕日」のもじりであることは言うまでもない。歌に登場する「ベーコマ」「メンコ」は、1975年生まれの笹にはすでに過去形の遊びだろう。「東京に負けて地方に戻る」という図式もまた高度成長期特有のものである。「鉄人」は横山光輝のマンガ「鉄人28号」だから、笹はリアルタイムで見てはいない。だからこれらの短歌に散りばめられたアイテムは笹自身のものではなく、「他人のノスタルジイ」なのである。ちなみに「大工町」は寺山へのオマージュかと思われる。
鞘鳴りの音にふりむけば花の森 MISHIMAに降りる武士の魂
鉄球が俺の部屋までぶっ壊す夢から醒めて外は大雪
暑中見舞いのハガキをくれたお姉さん陽炎のなかで永遠とわに微笑む
廃駅に兆せる凶事のまぶしさに金田一耕助が手を振る
 一首目は三島由紀夫割腹事件に材を採ったもので、「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに畿とせ耐へて今日の初霜」という三島の辞世と、初期作品「花ざかりの森」と映画「MISHIMA」の題名を詠み込んだ凝った作りである。二首目は連合赤軍浅間山荘事件、三首目はキャンディーズ解散、四首目は角川映画の金田一耕助シリーズで、70年代から80年代にかけての時事を背景としている。四首目はひょっとして、「廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり」という小池光の歌を踏まえているのか。
 なぜ笹は古い革袋に抒情という古い酒を盛るのに「他人のノスタルジイ」という仕掛けを必要としたのか。その背景には、リアリズム近代短歌における〈私〉イコール「作者の私」という図式がすでに壊れていることがあるだろう。この点において笹は寺山の直系の子孫と言ってよい。寺山は新しい〈私〉を立ち上げるために、経歴の塗り替え・地理的遁走・犯罪といった物語を創作した。これらに替わるものが笹においては念力であり「他人のノスタルジイ」だと言えるだろう。抒情を詠うにはどうしても〈私〉が要る。フラット化した現代社会に抒情の芯となる手応えのある〈私〉が見あたらないならば、時代や場所をずらして作り出すしかない。こういうことだろうと考えられる。先に表現面において笹は近代短歌の流れの中にいると書いたが、この〈私〉の位相に関しては笹はまぎれもなく現代短歌の地平にいるのである。
 この点に関しては少し気になることがなくもない。2008年度の短歌研究賞受賞作「楽しい一日」や受賞後第一作「チャイムが違うような気がして」で、穂村弘がやはりノスタルジーという文化装置を濃密に用いていることである。
グレープフルーツ切断面に父さんは砂糖の雪を降らせていたり
                         「楽しい一日」
もう一度やってくれたら真剣にみるからラーマ奥様インタビュー
超特急ひかりの鼻に散らばった2年2組のプリクラたちは
ザリガニが一匹半になっちゃった バケツは匂う夏の陽の下
                 「チャイムが違うような気がして」
夕闇の部屋に電気を点すとき痛みのようなさみしさがある
魚肉ソーセージを包むビニールの端の金具を吐き捨てる夏
 穂村の歌が単純な子供時代の回想ではないことは言うまでもないが、歌に散りばめられたアイテムは確かに懐かしさを演出する子供時代のものである。笹の場合ほど明らかなゲーム世界の設定という訳ではないが、共通する匂いがあると感じるのは私だけだろうか。現代短歌があまりのフラットさに耐えかねて、時間の流れを漂流し始めたということなのだろうか。
 さて笹の方は「他人のノスタルジイ」によって抒情を発生させることに成功したのか。
あしひきの山下清におにぎりを持たせたという曾祖母トメは
鳥占の鳥を逃がした老師いてきらめく正月の中華街
町はいま既視感デジャ・ヴュの火事のほの明かり だれもかれもが顔をなくして
えんぴつで書かれた「おしん」の三文字にベータのテープを抱きしめており
 これらの歌を読むと確かにここには短歌の抒情がある。「おしん」の歌など涙が出そうだ。ただ笹の場合、昭和という時代設定やサブカルチャーなどのアイテムが余りに露出しすぎているので、不真面目だと感じる人もいるかもしれないのが心配だ。私は笹が不真面目だなどとはまったく思わないが。
 ほぼ同時期に笹は『念力短歌トレーニング』(扶桑社)を刊行している。こちらはブログの「笹短歌ドットコム」に寄せられた念力短歌を笹師範がコメントし、模範作を提示する趣向になっている。編集担当は扶桑社に移った藤原龍一郎らしい。知らなかったがこのブログには急逝した笹井宏之や『5mほどの果てしなさ』の松木秀も投稿していたのだ。笹井は念力短歌でも透明感溢れる笹井ワールドであるところがさすがだ。
グリズリーに跳ねあげられた紅鮭の片方の眼に映る夕虹  笹井宏之
ひとしれず海の底へと落とされた大王烏賊のなみだを思う
鉄筋にリサイクルされるUFOという身も蓋もなさもSFとして  松木秀
『にぎやかな未来』の世界で一番に売れる「4分33秒」
 このブログに集められた短歌を見ても、枡野浩一のマスノ短歌教と並んで笹の念力短歌が、今の時代に短歌を作ろうという若い人たちの一部を確実に引き寄せていることがわかる。
 先日このコラムで取り上げた寺山修司の遺稿集『月蝕書簡』に次のような歌がある。これに笹の短歌を並べてみてもあまり違和感がない。
少年が目を洗いいるたそがれを鞍馬天狗が帰る蹄音  『月蝕書簡』
包帯を巻かれて消えしわが指が恋し小学校の吸血鬼かな
六本木の黒人の喧嘩止めにゆく 魔太郎風の薔薇のシャツ着て
                     『抒情の奇妙な冒険』
花子さんの手をふりほどき逃げてきた少女の髪は焚き火のにおい
 歌集あとがきで笹は、念力という看板を外したことで自分は歌人として新たな冒険の時代に入ったと書いている。抒情をめぐる冒険の今後が期待される。