061:2004年7月 第3週 ひぐらしひなつ
または、足を折るきりんの世界はしずかに崩れてゆく

フィルムに風をとどめて三脚は
      しずかに倒れる春の渚に

         ひぐらしひなつ『きりんのうた。』(BookPark)
 まだ春浅い海辺で写真を撮っているのだろう。春とはいえ風はまだ冷たい。三脚を使っての撮影だから、かなり本格的な撮影か、セルフタイマーを用いての本人を含めたスナップ写真と思われる。しかしシャッターが切れる瞬間に、三脚は風に煽られたのか、ゆっくりと静かに倒れていく。この「ゆっくりと静かに」というのがポイントである。カメラのレンズは撮すべき人物から逸れて、虚しく蒼穹を印画紙に定着する。写真に写っているのは春浅い空を吹く風ばかりである。ここはやはり撮そうとしたのは〈私〉と恋人で、セルフタイマーを使ってふたりの記念写真を撮ろうとしたのだと解釈したい。カメラのレンズがふたりから逸れて行くというのは短歌的喩であり、これからのふたりの関係が壊れて行くことを暗示している。現実において三脚が倒れるのは一瞬の出来事なのだが、それをまるでスローモーションのように無音の世界において描いており、この喩よって私たちに差し出される世界の崩壊感覚は、静かなだけにいっそう印象的である。ひぐらしの短歌を特徴づけるキーワードは、この「静かな崩壊感覚」だと言ってよい。それは「ももいろひとさしゆび」と題された章の冒頭の詞書きに明らかに示されている。

 芽吹くものが平衡を狂わせてゆく。
 絢爛と壊れながら、ぼくたちは何を見ていたのだろう。

 この「静かな崩壊感覚」は、次のような美しい歌群にとりわけ顕著である。

 ヴィヴァルディの春奏でつつ駐車場七階から墜ちるメルセデス

 グラスから矢車草は抜き取られわたしがしずかに毀れはじめる

 木漏れ日を吸い込むたびにゆるやかに崩れていった爪のさきから

 あたたかな雨が鎖骨を濡らす日はむかし滅んだ国の話を

 不眠症の駱駝の睫毛を震わせて異国の闇に燃え尽きる星

 特に一首目の、CDプレーヤーからヴィヴァルディの『四季』を大音量で流しながら、ゆっくりと駐車場ビルの上の階から墜ちて行くメルセデスというイメージは鮮烈である。それは絢爛たる崩壊であり、壮絶な蕩尽でありながら、奇妙に静謐な美しさを湛えている。私の知る限り、駐車場から墜落するメルセデスが短歌に詠まれたことは一度もないのではなかろうか。

 ひぐらしは1967年生まれ。プロフィールによれば、広告代理店勤務を経て、現在はフリーライターでドラム奏者でもあるという。注目すべきはひぐらしの詩的活動は、最初からインターネット上で行なわれたという点である。パソコン通信アサヒネットの歌会で短歌を作り始め、現在は「ラエティティア」を活動の場としている。『きりんのうた。』は荻原裕幸らの「歌葉」プロジェクトのプロデュースでオンデマンド出版された著者第一歌集である。その出自からして生粋のネット歌人だと言ってよいだろう。

 歌集のあとがきはおもしろい。殊にそれが処女歌集の場合は、作者も初めて自分の歌集が世に出ることに感慨ひとしおであり、驚くほど率直な内面の吐露が見られることがある。第一歌集のあとがきから韜晦をかましたり、読者を煙に巻くようなことをするのは、よほどの筋金入りのへそ曲がりである。

 ひぐらしのあとがきは「いつも雪が降っていたような気がする」という一文で始まる。もちろんこれは北海道に住んでいたというようなことではなくて、ひぐらしの心象風景であることは言うまでもない。ひぐらしは続けて、「ただ椅子に腰かけて、音も色もない世界をじっと見ていた」という。ここからまず、ひぐらしは世界を自身の心象風景として見る人であることがわかり、そこから生まれる短歌もまた作者の心象風景だろうという推測が成り立つ。これはひぐらしの作る短歌が、写実主義(アララギ派)や生活実感派の重んじる「素材主義」や「日々の思い」とは対極的な地点に成立するものだということを意味している。

 同じくあとがきによれば、ひぐらしの心象風景はある日「突然色づき」、音や色や臭いといったものが一斉に押し寄せて来たという。自分を世界から隔てていた堰がある日決壊したのである。しかし、本人はいまだに「うまくやれなかった自分」を意識しており、「人並みのしあわせ」の枠からはみだしてしまった自分を感じている。そんな自分にとって「一度は失いかけた自我の奪還を目指して」走る伴走者として短歌があったという。

 これはとてもよく出来た物語である。ここで「物語」という用語を使うのは、それが「作り話」だとか「自己劇化」だとか言っているのではない。なぜなら誰もが自分の「物語」を切実に必要としているからであり、誰にとっても「物語」は自分がこの世界にある理由を根拠づけるものであると同時に、ときに希望を未来に向かって投射する梃子だからである。ひぐらしに関して言えば、ひぐらしの作る短歌が上のような物語を基盤として成立しているということが重要なのである。だから、この歌集には言葉遊びのように記号をもてあそぶ歌が一首もない。短歌はひぐらしにとって楽しい遊びではないからである。また現実の出来事をそのまま詠んだ歌もひとつもない。現実の出来事はそのままでは何の意味を持たないからである。また次のように、一首のなかで自己を相対化し、自分で自分を距離を置いて見つめるような歌もない。

 高野(あいつ)にはちよつと優しくしてあげて飲ませてごらんあつぱらぱあとなる 
                     高野公彦『水苑』

 高野氏を離れて一夜(ひとよ)憩ひをる背広と靴と鞄、眼鏡ら

 このような自己相対化は、長らくこの世に生きてきた人にだけできるオジサン芸なので、若い人には無理だろう。

 このようにひぐらしの短歌世界は、自分を詠ったものではなく、自分と世界の関係を詠ったものでもなく、ひたすら自己の心に映じた心象風景を詠ったものなのである。ではその心象風景とはどのような色に彩られているか。先に「静かな崩壊感覚」というキーワードを使った。それ以外に目につくのは「未遂のもたらす不全感」である。

 組みかけの模型なくして湖のほとりに立てば深まるみどり

 「さよなら」の「ら」を鳴らせずにこときれたオルゴールからこぼれる明日

 読みかけの新潮文庫を閉じるときあのはつなつの開脚前転

 届かない小石は水面に落ちたままあなたのかたちを知るためのゆび

 あかまつの林に入れば描きかけの画帳が風に捲れるばかり

 春の星座になりそこなった白熊が眠るよ春の星座の下で

 模型は永遠に「組かけ」であり、オルゴールは最後の旋律を鳴らすことなく停止する。新潮文庫は読みかけであり、向こう岸に向けて投げた小石は届かない。画帳は書きかけのまま林のなかに置き忘れられ、白熊は星座になりそこなって眠るのである。この「未遂のもたらす不全感」は、ひぐらしの描く心象風景をほろほろと崩れるショートケーキのように、透明であると同時にはかなくせつないものにしている。

 ここでひとつ押さえておかなくてはならないことがある。ひぐらしの描く心象風景は、「わたしたちはなんて遠くへきたのだろう四季の水辺に素足を浸し」と詠った佐藤りえ(『フラジャイル』風媒社)の描く世界と、一見似ているようで実は微妙にちがうという点である。栞文で香川ヒサが的確に分析しているように(香川ヒサはいつでも論理的で的確である)、佐藤がバブル崩壊の90年代に歌人として出発したことが作品を決定づけており、佐藤の描く世界に充満する喪失感と無力感は、バブル崩壊後の失われた10年という時代情況を背景としている。ところがひぐらしの心象風景に満ちている崩壊感覚と不全感は、時代から来るものではなくもっと個人的であり、自分の心のなかの傾いた暗がりに端を発するものなのである。

 この点がひぐらしの作る短歌の位相を決定づけているようだ。なぜならば時代情況からは目を逸らすこともできるし、場合によっては時代に逆襲をかけることだってできる。人は時代情況に全的に規定される存在ではないからである。しかしひぐらしの方は自らの心象風景に満ちる崩壊感覚と不全感から逃れることはできない。それは自分を取り巻く時代情況という外部にあるのではなく、自分の内部にあるからである。だからひぐらしの作る歌は100%すべてが、〈私〉の内部の喩であるといってよい。

 文体について一言述べると、ひぐらしの短歌は口語定型である。俵万智以後燎源の火のごとく広まったライトヴァースは口語定型が基本なのだが、ひぐらしの歌はそのようなライトヴァースとははっきりと一線を画している。ひぐらしの歌を他の口語ライトヴァース短歌と並べてみればすぐわかる。 

 きんのひかりの化身のごとき卵焼きを巻き了へて王女さまの休日  山崎郁子

 コンビニの袋に入れて持ち帰る賑やかな孤独ポテトチップスの  杉山理紀

 自転車をこぐスピードで少しずつ孤独に向かうあたしの心  加藤千恵

 ケータイの普及のおかげで突然に女便所で振られた私  柳澤真実

 膝を折るきりんの檻に背をつけて雨より深いくちづけをして ひぐらしひなつ

 山崎の「きんのひかりの化身のごとき」は喩だが、それは「卵焼き」をにかかる直喩であると同時に、過剰の時代であった80年代の気分を一般的に表わす隠喩にすぎない。杉山の「コンビニの袋に入れて持ち帰る」「ポテトチップス」は「孤独」の喩であるが、それはささやかな感覚であり明日には解消されるものだ。加藤の「自転車をこぐスピードで」もまた、孤独に向かう心の喩ではあるが、これは単なる比喩であり、ひとつの世界を立ち上げるような短歌的喩ではない。ひぐらしの「膝を折るきりんの檻」はそのイメージの結像力のレベルがちがう。ひぐらしの心象風景の世界を立ち上げる喩であり、一首はこの喩を梃子として日常の世界から離陸するのである。

 最後に心に残った歌をもう少しあげておこう。

 骨と骨つないでたどるゆるやかにともにこわれてゆく約束を

 心音はいつか途切れてゆうぐれの湖底を滑るぎんいろの魚

 膝がしら並べていたねゆるしあう術もないまま蝶を飛ばせて

 夜の河に金魚を放つ今つけたばかりの名前をささやきながら

 ゆるやかに漕ぎ出す舟は河口へと着く頃しずかに燃え尽きるだろう


ひぐらしひなつのホームページ Very Very WILD HEART

060:2004年7月 第2週 安藤美保
または、寒天質に閉じこめられた若さはそのまま永遠に

君の目に見られいるとき私は
    こまかき水の粒子に還る

       安藤美保『水の粒子』(ながらみ書房)
 「君」はもちろん私が心を寄せている男性である。君のまなざしは、私を即自的存在から対自的存在に変える。そのとき私は人間としての輪郭を失って、ばらばらの水の粒子に還るような気がすると詠っている。「還る」というからには、私は元は粒子から成る存在であったと認識している訳だ。青春のほのかな愛を詠った歌であり、愛を受動的態度で表現しているところに、作者の控え目な人柄と世界にたいするスタンスが滲み出ている。

 作者の安藤美保は1967年生まれ。心の花会員。お茶の水女子大学文教育学部国文科に学び、研究テーマは藤原(後京極)良経。1991年修士課程の学生のときに、京都研修旅行中、比叡山の急斜面で滑落死する。享年24歳。『水の粒子』は翌年出版された遺稿歌集である。巻末に佐佐木幸綱の悲痛な跋文と、歌集編纂にあたったご両親のあとがきがあり、これも心を打たれる。

 作者本人が歌集を編むとき、最も腐心するのは歌の取捨選択と配列であろう。なかでも配列は歌集の印象を決定づける。編年順の場合、作られた時代順に歌が並んでいるので、作者の技量の向上、短歌世界の深化を時系列で辿ることができるという読者にとっての利点がある。しかし、なかには逆編年順の配列もあり、この場合一番最近作った歌が最初に並ぶことになる(例 錦見映理子『ガーデニア・ガーデン』)。作者の意識からすれば、最近作った歌が今の自分に一番近い歌なので、近作を歌集冒頭に配したいということなのだろう。だから逆編年順は読者のためではなく、作者の自己意識の現われである。編年順と逆編年順は、時間という要素を基準とした配列だが、配列原理から時間を排除すると、作者の構成意識が前面に出る。例えば寺井淳『聖なるものへ』は、全体が35の節から、各節は10首の歌から成るという均整美を追求している。また節の表題が逆五十音順に並んでいるという凝りようである。

 作者の短歌観と歌の配列に相関関係はあるのだろうか。詳しく調べたことはないのだが、日々の歌、折々の歌を作る日常生活実感派(別名、人生派)は編年順を好み、短歌から日常の〈私〉を排して美的世界を追求する歌人(別名、ことば派)は、編年順によらない構成的配列を好むように思う。

 安藤美保『水の粒子』のような遺稿集は、作者本人の意思による配列を反映していない。残された家族や友人の手になる選歌・配列であり、ある意味で作者本人の意思を裏切ることを宿命づけられているとも言える。ご両親のあとがきは、夭折した娘を悼む言葉に満ちていて、歌集編纂の経緯や方針は一言も述べられていない。だがいろいろな手掛かりから推測すると、多少の出入りはありながらもおおむね編年順に構成されていると思われる。そしてこの選択は、結果的には安藤美保という歌人の個性とマッチしているように感じられる。

 歌集冒頭には1989年に「心の花」連作20首特集で一席となった「モザイク」が置かれている。家族に題材を採った日常詠であり、視線が及ぶ世界の狭さを感じさせると同時に、安藤が短歌に詠むことを望んだ心の肌理を率直に表わしている。それは時々は波立つこともあるが基本的には穏やかな日常の世界であり、決して燃え上がる情熱でも思想的煩悶でもないのである。

 木材でしきられた空間を住み処とし母は手長き蜘蛛に似ている

 縄跳びをうならせて跳ぶ弧のさなか、父と我とが見つめ合うなり

 世界に対するこのような態度は、多くの歌に詠まれた作者の木への偏愛にも感じることができる。

 「前世は木だったかもね」自動車の扉を開けて吾をふりかえる

 思うまま幹うねらせて芽ぶきたる樟のした男二人おり

 『歌壇』2004年6月号に、三枝昴之による山中智恵子のインタヴューが掲載されている。そのなかで三枝は「木が好きな人もいますが山中さんは空ですね」と述べ、山中も「そういえば私はあまり木をうたわないですね」と応じている。確かに山中は空と鳥をよく詠っている。

 わが生みて渡れる鳥と思ふまで昼澄みゆきぬ訪ひがたきかも

 青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや

 空と鳥はこの地上の人の世では叶わぬ魂の希求の象徴である。それに対して木は地上にどっしりと根を張る安定感のある存在であり、魂の飛翔よりは日常への愛着を表わしていると言えるだろう。安藤は手の届かない空と鳥を希求する歌人ではなく、目線低く日常のわずかな波紋に目を留めるタイプの歌人なのである。

 とはいえ日常にも心を騒がせるささいな揺らぎはある。揺らぎによって自意識は乱される。安藤の短歌の魅力は、その揺らぎを静かに内省的な態度でそっと捉えるところにある。

 ふくらみをつぶす小鳥の肋骨に指あててすいと押さえるように

 悔いありて歩む朝(あした)をまがなしく蜘蛛はさかさに空を見ており

 うす青き扉(ドア)になりたし叩く人のなきまま昼も灯に照らされて

 真紅の林檎胸に蔵(かく)して渡る人くつくつと笑い見ており川は

 手をつなぎ桜をくぐる少女らの頬に影さし影はうつろう

 そして誰もいなくなった座席には鋏で切り刻まれた春の陽

 『現代短歌全景 男たちの歌』(河出書房新社)巻末の「戦後夭折歌人の系譜」を執筆した山下雅人は、「この『うす青き扉』に象徴される硬質で透明な不在感覚が、もしかしたら安藤美保のたましいの原質であるかもしれない」と評し、その才能を惜しんでいる。確かに次のような歌がある。

 寒天質に閉じこめられた吾(あ)を包み駅ビル四階喫茶室光る

 自分を「寒天質に閉じこめられ」ていると感じるのは、自己に未決定の部分が多く、また社会と直接につながっていないという若さ故である。しかしその感覚を思想的にいじくり回すこともなく、かといって自虐的になることもなく、このように素直に表現できるのは、ひとつの才能なのだろう。

 河野裕子によれば、短歌を作り始めるきっかけのひとつに肉親の死があるという (『現代うた景色』 京都新聞社)。「あの夏の数かぎりなきそしてまたたつたひとつの表情をせよ」という絶唱を残し交通事故死した小野茂樹の夫人である小野雅子は、夫の死後作歌を始め『花筐』という歌集を残した。また「地震(なゐ)太く轟き過ぎし夜半にして青春に入る思ひひそけし」などの思春期の痛みと不安を詠い、18歳で宇都宮大学農学部の屋上から転落死した杉山隆の父親杉山浩もまた、息子の死後作歌を始め、歌集『夜半の地震』を出している。安藤美保の父聰彦氏もまた、歌集巻末のあとがきに「涙して娘の遺作編む窓越しに冬の曙光すでに拡がる」という自作短歌を一首だけ挿入している。短歌としての出来不出来を云々することなど論外である。ただただそのままに受け取るしかない歌というものもある。

059:2004年7月 第1週 尾崎まゆみ
または、光と闇の合わせ鏡で世界を知的に構築する短歌

花びらを掬ふてのひら染み透る
      面影はまだ指のあひだに

           尾崎まゆみ『酸つぱい月』
 邑書林の「セレクション歌人」叢書は、歌壇に暗い私にまだ馴染みのない歌人と出会う絶好の企画である。叢書12巻目として刊行された尾崎まゆみ集は、作者の第一歌集『微熱海域』のごく一部と、第二歌集『酸つぱい月』完本から構成されている。

 この叢書は巻末に詳しい作者略歴が添えられているのも特徴である。それによれば、尾崎は1955年生まれ、子供時代から文学に親しみ、1985年頃から短歌を作り始める。1987年塚本邦雄の「玲瓏」に入会。1991年に「微熱海域」30首で第34回短歌研究新人賞を受賞している。

 掲載歌はイメージの美しい歌なのだが、韻律の面であまり尾崎らしい歌とは言えない。歌集を読み始めて、なかなか作者の短歌世界に没入できないでいらいらするのだが、それは作者独特の文体のせいなのだとやがて気づくことになる。その文体に少し慣れて、尾崎がどのような工程を経て短歌を組み立てているのかがほの見えるようになると、その世界を味わうことができるようになる。それまで少し時間がかかるのだ。

 尾崎の文体の一番の特徴が、定型を守りながらも句割れ・句跨りを多用した破調のリズムだということは、大方の認めるところである。試しに尾崎らしい韻律の短歌をいくつか見てみよう。

 背中のくぼみばかりの並ぶ踏切を須磨行きの電車過ぎ昼過ぎ

 雨のまなざしの驟雨に消えさうな曼珠沙華またそり返る蘂

 月がふくらむまでの時間を両方の瞼上下をあわせてしまふ

 ひそかに眺められて三日月横顔の眠りの波へ呼吸合はせて

 一首目は33音の字余りである。自信はないが、一応定型に近い音数に区切ってみると、次のようになるだろう。音節数を数えやすくするため、拗音は現代風に表記する。

せなかのくぼみ(7)|ばかりのならぶ(7)|ふみきりを(5)|すまいきのでん(7)|しゃすぎひるすぎ(7)

 初句・二句が14音で破調なのに加えて句跨りがある。四句・結句は14音だが、ここにも語割れが見られ、全体として破調感の強い韻律である。ついでながら、「電車過ぎ昼過ぎ」には「紫野ゆき標野ゆき」の亡霊が揺曳しているようにも感じられる。

 残りの歌も同じように区切ってみる。二首目は31音で音数は定型だが、初句・二句に句跨りがある。

あめのまな(5)|ざしのしゅううに(7)|きえさうな(5)|まんじゅしゃげまた(7)|そりかへるしべ(7)

 三首目は33音の字余りで、初句・二句はどう区切ってよいのかわからないほど一体化している。

つきがふくらむ(7)|までのじかんを(7)|りゃうほうの(5)|まぶたじゃうげを(7)|あはせてしまふ(7)

 四首目は32音で、これも初句・二句のひと連なり感が強い。

ひそかになが(6)|められてみかづき(8)|よこがほの(5)|ねむりのなみへ(7)|こきゅうあはせて(7)

 小池光は「リズム考」(『街角の事物たち』所収)で破調の韻律を詳しく分析し、減音破調は増音破調に比べてパリエーションが圧倒的に少なく、そのほとんどが禁制であると指摘している。その理由は、増音破調は増えた音の上を駆け抜けるようにして読むことで、短歌の定型感を決定的に破壊することなく処理できるという点にある。尾崎の破調も残らず増音破調となっているのは、小池の分析を傍証しているようだ。また破調が上二句に集中していることも注意すべきだろう。

 伝統的和歌の韻律を破壊しようとしたのは、いうまでもなく尾崎の師に当たる塚本邦雄である。塚本が戦後の前衛短歌運動の旗手として立ったときに、当面対抗しなくてはならない相手は、桑原武夫の「第二芸術論」と、小野十三郎の「奴隷の韻律」論であった。「オリーブ油の河のなかにマカロニを流したような」和歌の韻律を意識的に壊すために、前衛短歌が句割れ・句跨りを駆使したということはよく知られている。尾崎の破調は塚本の影響下に生まれたものだろうが、塚本の短歌と比べたとき、破調感が一層強いのはなぜだろう。それはたぶん塚本が徹底して文語・旧字・旧かな遣いを墨守しているところに生じるある秩序感覚に対して、尾崎がひらがなを多用し一部口語を混ぜているためではないだろうか。文語ベースの口語に漂う独特の屈折感、屈曲感、抵抗感が、尾崎の文体の特徴なのである。

 しかし塚本譲りとは思えない文体上の特徴も指摘しておかなくてはならない。それは次の歌に見られるような名詞の羅列である。穂村弘はこの手法を「よこはま・たそがれ」式と呼んでいる。言うまでもなく「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」で始まる五木ひろしの歌を踏まえてのネーミングである。

 傲慢不遜あざみひと株帰り道紙の袋の底にカサッと

 オートリヴァースくちびるの線紅葉が思ひあふれて散りしきるなり

 名詞連続のいちばんの特徴は、名詞と名詞のあいだの論理的関係が表示されず、読む人が想像力で補わなくてはならない点にある。「よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残りは 煙草の煙」くらいならば、ありふれた歌謡曲的シチュエーションなので、理解するのに想像力はそれほど必要としない。しかし白状すると、私は「傲岸不遜」「あざみひと株」「帰り道」のあいだの関係や、「オートリヴァース」と「くちびるの線」の繋がりがわからない。「傲岸不遜にあざみひと株を持ち帰る」ということなのだろうか。カセットテープの「オートリヴァース」と「くちびるの線」にいったいどのような関係性があるのだろう。このように名詞を羅列する手法は、読者の理解をその場で停めてしまう危険性があることは留意すべきである。

 同じことは名詞連続ではないが、次のような文体にも言える。

 分解掃除された去年の蒼穹の空井戸深く眠るほほゑみ

 春風駘蕩午後あさく聴く青空を四方隈無く閉ぢるラベルと 

 これは「喩の畳みかけ」とでも呼べばいいのだろうか。「喩の速射砲」でもいい。読者は次々と繰り出されるイメージを着地させる場所を見つけることができず、ただ頭がくらくらしてしまうのである。

 尾崎が短歌の遺産を十分に踏まえて作歌していることは、次の例を見てもよくわかる。

 縄跳びを駆け抜けるため光・闇二面の鏡平行に置く

 これは塚本の「少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓驅けぬけられぬ」へのオマージュに他ならない。師の提示した公案に対する尾崎なりの解答であろう。光と闇は尾崎の短歌の至る所に見られるモチーフである。また次の歌は、後京極良経の名歌「手にならす夏の扇と思へどもただ秋風のすみかなりけり」の本歌取りであろう。

 「ゆふすげびと」のページ開きて手に鳴らす明日秋風はここより立たむ

 次の歌は伊勢物語第123段を踏まえており、横尾昭男の「深草の鶉のたまご下敷きのおほいなる愛母の臀あり」と響き合う。

 粗食は人をやはらかくする深草の草と鶉の卵を食べて

 尾崎の作歌上のもうひとつの特徴として、擬音語・擬態語をよく使う点があげられる。折しも『歌壇』6月号が「短歌におけるオノマトペの可能性」という特集を組んでいて、教えられる所が多かった。また小池清治『日本語は悪魔の言語か?』(角川oneテーマ21)には、俳句に比べて短歌ではオノマトペを余り使わないという指摘もある。なかなかおもしろい問題なのだが、考察はまたの機会に譲ることにして、尾崎の歌からいくつか例をあげるに留める。

 春までを眠りつくした錠剤のヴィタミンCをさりさりと噛む

 機知よりも理知の夕焼けピッカリと甘いピアスの三日月の先

 手の会話水の耳鳴りゆふまぐれ秋の硝子がひりひりと鳴る

 郵便切手少しななめに美しくしらしら眠る百合の蕾と

 文体の問題を離れて、歌われた意味の世界に話を進めよう。巻末に藤原龍一郎の評論があるが、これは見事に藤原節になっていておもしろい。尾崎は神戸に住んでいて1995年の阪神淡路大震災を経験している。そのため破壊された神戸の町と死者への鎮魂の歌が多く、これらの歌群は心に沁みる。藤原は、震災詠を離れても尾崎の歌には濃密な虚無と喪失があるというのだが、いささか自分の世界に引き寄せすぎかとも感じるところだ。生と死と破壊はいつも変わらぬ短歌のテーマである。

 酢と塩にふみしだかれた夏の日の残照のピクルスの苦瓜

 揚羽蝶一頭二頭たはむれにあるいは生命(いのち)とほりすぎたり

 ひかり媚態と観念と死とやはらかくかたちを変へるみづの感傷

 破壊もまた天使であるとグレゴリオ聖歌が冬の神戸を駆ける

 尾崎の描く短歌世界は、破調の抵抗感のある文体と、やや硬質な語彙の選択によって、知的に構築された短歌という印象が先行する。その印象はまちがいではなく、確かに知的に構築されてはいるのだが、私が魅力と感じるのは、その知的構築性が抽象的思念の世界から演繹的に発するのではなく、肉感的とも言える具体の地平から立ち上がっているという点である。例えば次のような歌がそうである。

 面影の玉葱を剥き二、三日前の世界を薄く刻めば

 たましひの重さの夢のワンピース睡りたゆたふ空におぼれて

 ゼムクリップにとどめるひかりとめどなく真夏あたしを溶かしつづけて

 空をただ溢れる雨がアスファルトを濡らす瞳の黒が抒情す

 今日が流れる酸つぱさ苦さ縦割りの檸檬を齧る役割の歯へ

 ふかき淵にも食卓はある親指の朱のマニキュアはひびに重ねて

 玉葱を薄く刻むという台所での日常的行為と、もはや面影しか残っていない別れた人、あるいは見知っていたはずの世界を対置させ、「世界を薄く刻む」という短歌的喩に合一させる、これが尾崎が好む手法である。「喩のカットバック」とでも呼ぶことができよう。「今日が流れる酸つぱさ苦さ」では、「今日が流れる」は日常の無為の流れを言うのだろうが、「酸つぱさ苦さ」はその日常を前にしての〈私〉の感慨であるともに、次の「檸檬」を導く序詞としても機能している。しかし歌の眼目がこうして導かれた檸檬にはなく、序詞に含まれた〈私〉の感慨にあることはいうまでもない。また三首目「ゼムクリップに」に見られる力強い一人称「あたし」もまた、尾崎の歌を肉感的に地上に繋ぎ止める役割を果たしている。

 第三歌集『真珠鎖骨』(短歌研究社)はまだ読んでいないのだが、尾崎の短歌世界がどのような深化を遂げたか楽しみである。今日にでも三月書房に買いに行こう。

058:2004年6月 第5週 寺井 淳
または、短歌的技巧を駆使して〈私〉への収斂を拒む方法論

死者はうたふあかときの窓むらさきの
       そのむらさきの葡萄のしづく

          寺井淳『聖なるものへ』(短歌研究社)
 6音の初句切れ「死者はうたふ」に続いて、「あかときの窓むらさきの」とくれば、窓の外に広がっている赤紫色の明け方の空の色が目に浮かぶ。しかし作者は上句で喚起されたそのイメージを下句で継承することなく、「そのむらさきの葡萄のしづく」と、色彩の共通性を梃子に、喩の橋を渡って葡萄のイメージへと着地する。現代短歌で葡萄は、青春性と生命のみずみずしさの象徴として詠われることが多い。

 童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり 春日井建

 さしのぶるをさな子の掌にわれは与ふみづ霧らふ紺の葡萄のひとふさ 小池光

 従って掲載歌では、死者→むらさき→むらさき→葡萄 (生命) という構図が成立していることになる。死者がうたう紫の空は死の匂いに満ちて不吉な紫だが、葡萄の紫は生命の象徴でありみずみずしい。つまりこの一首では、句の途中で「むらさき」の位相の転換が起きているのである。紫の位相の変化を転轍機のように中央に配することで、死と生とを一首のなかで結びつけた歌であり、一見素直な言葉の配置に見えるその外見とは裏腹に、なかなか技巧的な歌であることに注意すべきだろう。

 寺井は1957年生まれで、「かりん」会員。1993年に「陸封魚 – Island fish」により、第36回短歌研究新人賞を受賞している。『聖なるものへ』は第一歌集であり、栞には香川ヒサ、加藤治郎、小高賢が文章を寄せている。

 寺井は高校の国語教員で、大学の国文科での専攻は中世和歌史であったらしい。ということは和歌・短歌は専門中の専門であり、古典・古語の知識は尋常なものではない。古語や枕詞を駆使して作り上げるその短歌世界が一筋縄でいかないのは当然なのである。栞文で小高が、「歌人にはことば派と人生派がいる。寺井淳はいうまでもなく前者である。西行よりも定家、宮柊二よりも塚本邦雄である」と述べているが、寺井の短歌の特質をうまく言い当てている。だから寺井の短歌には、日々の思いや日常的出来事をそのままに詠う歌がない。多くは言葉を素材として入念に組み上げられた巧緻な世界である。

 悪友が美人局(デコイゲーム)の経緯(ゆくたて)を語りつつ割く落ち鮎の腹

 貴妃の喉縊らば洩れむ緋の吐息無花果の実をもぎていましも

 神よりの前借りならむ夏麻引(なつそび)く命をかたに馬券(うま)買へわが夫(せ)

 蕭々と降れる紅葉よわれのうちの小暗き湖をゆくうつほ舟

 どの花に恋を擬(なぞ)へむ曼珠沙華さながら子等に首を折られて

 美人局を英語でデコイゲームと呼ぶ悪友は、人生をなめてかかっている軽い人間である。しかしそんな悪友が箸をつけているのは秋の季語である落ち鮎であり、秋という季節と落ち鮎の腸の苦みは、悪友の髪にも白いものが混じり始めていることを暗示する。歌意を標語風に要約すれば、「何人にも公平に人生の秋は訪れる」となり身も蓋もないが、寺井はこれを「悪友」「美人局」「落ち鮎」などの言葉が醸し出すイメージを重層的に一首のなかに配置することで、あたかも芝居の一場面のように生き生きと表現している。ため息が出るほどの技巧である。

 三首目「神よりの」にある「夏麻引く」は、古語辞典を引いて「命」にかかる枕詞であることを初めて知った。この命は神からの前借りであるという認識は、いつかは返済を迫られるということを暗示している。命をかたに馬券を買うというのは、いかにも破滅型人間の振る舞いのようにも見えながら、限りある生を一心に生きる者のいさぎよい爽快感も漂っている。

 五首目「どの花を」に登場する曼珠沙華はいかにも塚本邦雄好みの花である。「さながら子等に首を折られて」という下句は、曼珠沙華の花が盛りを過ぎて首を落した状態を描写しているのだが、「どの花に恋を擬へむ」などと言っておきながら、結局目が行くのは首を落した彼岸花なのだから、もちろん始めから成就する恋ではない。

 注目したいのは四首目「蕭々と降れる紅葉よ」に描かれた湖と舟のイメージである。自分の内部には湖がありそこに空の舟が漂っているという空虚な自己像は、寺井一人のものではなく、現代に生きる多くの人が共有する感覚であろう。この感覚を形象化したのが、短歌研究新人賞の対象となった「陸封魚」の連作である。

 水面よりたまゆら跳ねて陸封魚海の匂いを恋ふる日あらむ

 閉ぢられし世界に卵生みながら海にひかるる陸封魚われ

 水面より無数の指(および)たつといふたつべし或は北斗をささむ

 さざなみはつひにさざなみ 極彩の愛(は)しき疑似餌に釣られてゆかな

 軋みつつ人々はまた墓碑のごとこの夕暮れのオールを立てる

 湾の一部や汽水域が閉ざされて内陸に取り残された陸封魚のイメージは、大海原に出ることができないという不全感と、陸封されることで海の弱肉強食から守られているという生温い安逸の日常の両方を象徴する両義的喩であり、栞文で加藤治郎も指摘しているように、現代短歌が生み出したとりわけ美しい像と言えるだろう。

 陸封された湖に立つ波は、しょせんはさざ波程度のものでしかなく、刹那的快楽に身を委ねて疑似餌に釣られるというのは自嘲である。しかし、そんな波風の立たない日常にも、水面から無数の指が立ち、雄々しく北斗七星を指すこともあろうというのは幻視であり祈りである。とりわけ五首目「軋みつつ」は、現代に生きる私たちへの挽歌のように耳に響き心に残る。

 しかしながら寺井の短歌の紡ぐ世界は、上に引用した歌群のような短歌的技巧を凝らした歌や、現代人の置かれた状況を内省的に詠んだ歌だけではなく、社会を見つめる歌も含んでいる。

 神の贄なる鮑の太るわたつみは温排水の美しきたまもの

 ウツクシイニホンニ死せり日の丸の翩翻と予後不良の通知

 海風に揚がる奴凧(やつこ)の足にせる新聞の記事 たとへば「サカグチ」

 寸分も違はぬさまに礼(ゐや)なせる童顔の父子死者に何告ぐ

 一首目は原子力発電所を詠んだ歌、二首目は説明不要だろう。高校教員であれば日の丸は棘のように刺さる課題である。三首目の「サカグチ」はおそらく、連合赤軍浅間山荘事件と同時に起きた同志リンチ殺人事件で死刑を宣告された坂口弘だろう。四首目の「童顔の父子」とは昭和天皇と今上天皇をさす。戦没者慰霊碑にまったく同じ姿勢で礼をするふたりの天皇は、死者に何を語りかけているのかという批評性の強い歌である。

 あとがきで寺井は次のように書いている。「短歌 (和歌) という形式が、みえざる空虚にむけて矛盾をなしくずしに解消してしまう物語性を持つが故に」「一貫した〈私〉へと収斂することへの誘惑を断って、矛盾や違和が明晰に定着させられているか」を自問する。この言葉からもわかるように、寺井にとって短歌は「感情を吐露する手段」ではなく、「世界を認識する手段」なのである。虚構の物語性を拒絶して、短歌的抒情にたやすく回収されない短歌を作る、このような作歌態度から浮上する〈私〉は、なかなかしぶとい〈私〉であり、多様性の海のなかに埋没しかねない現代短歌のなかで、貴重な「方法論を携えた〈私〉」ということができるだろう。現代においてはもう誰も「無垢な裸の〈私〉」でいることはできないからである。

057:2004年6月 第4週 小島ゆかり
または、日常の風景のなかに〈私〉が〈私〉である不思議を歌う短歌

ゆふぞらにみづおとありしそののちの
     永きしづけさよゆうがほ咲(ひら)く

            小島ゆかり『月光公園』
 夕空にかすかに聞こえる水の音は、もちろん現実の音ではない。作者の心の耳に響く音であり、作者が天を仰いで聴こうとした音である。音がしてから長い時間がたち、夕顔の花がぽっかりと開いた。この夕顔は自分の庭に咲いた現実の花と解釈しても、心象を表現するための幻の花と理解してもよい。夕顔は別名黄昏草といいインド原産の植物で、その実はかんぴょうの原料として知られているが、夕暮れに大きく開く白い花を咲かせる。一首のほとんどを平仮名表記とし、四句目を八音に増音することで、二重に引き延ばされた時間の長さを表現している。この歌はふつうなら目には見えない時間の経過を具象化して詠むことに主眼があると見ることもできる。黄昏にぽっかりと咲いた夕顔の花は、何かの象徴のようでもありながら、即物的な花として一首を読んでも、そこには触れがたい不思議さの感覚が漂っていて、一読したら忘れることのできない歌である。また日常を詠いながらも、そのかなたにある目には見えないものを詠もうとする小島の詩的感性を、最もよく表わす一首でもある。

 小島ゆかりは1956年生まれだから、もう中堅歌人である。コスモス短歌会会員で宮柊二の指導を受けている。第一歌集『水陽炎』、第二歌集『月光公園』を皮切りに、『ヘブライ歴』、『獅子座流星群』、『希望』、『エトピリカ』と立て続けに歌集を上梓し、その他に歌論など著書も多い。

 『岩波現代短歌辞典』では、「自らの内的なものが生活のさりげない光景と出会う一瞬に生じる詩情を、清澄な感覚的表現を用いて端正に歌う歌人」(河田育子)と、『現代短歌事典』(三省堂)では、「平明穏和な言葉に芯の強い優しさがにじむ作風」「子育てや家事といった日常をモチーフとしつつ詩的に豊かに広がる世界」(川野里子)と評されている。的を射た評だとは思うが、どちらも代表歌としてあがっている歌がよくないのが残念だ。

 私は今回、『水陽炎』『月光公園』を合本にした雁書館の「2in1シリーズ」という便利な叢書で初めて小島の歌をまとめて通読したが、『水陽炎』で特に印象に残ったのは次のような歌である。

 闇に入りてさらなる闇を追ふごとき鳥いつよりかわが裡に棲む

 ものの影あはく揺れ合ふ春昼をひとつ光りてつばくらめ飛ぶ

 風かすか蜜を含みて天地(あめつち)のあはひ揺れをり花また人も

 炎昼を濡れゐるやうな石のうへ蜥蜴去りしのち緑金(りょくこん)の光(てり)

 帰り来し夫の背後に紺青(こんじやう)の夜あり水のにほひをもちて

 散薬の冥(くら)く降りゆく身の内の虚空をおもふ霜月の雨

 言葉遣いは端正・清澄で、歌の姿に無理がなく、言葉をいぢめることも定型を敢て歪めることもない。前衛短歌が駆使した奇抜な比喩、抽象語の使用、句割れや句跨りによる韻律の意図的破壊といったものも見られない。このような点において、優等生のコスモス的短歌である。あとがきによれば、『水陽炎』に収録する歌の選歌は、コスモスの先輩である高野公彦によったとある。確かにこれらの歌の味わいは、高野の短歌の開く世界と通じる所があり、同門の血を感じさせる。

 このようにある意味で平明で穏和な歌の姿なので、読む人の心の中にささくれを生じることがないのだが、その点が逆に歌の力のなさだと感じる人がいてもおかしくはないだろう。小島は自らの感情を強く押し出して歌にするという態度を採らない。燕の飛翔、走り去る蜥蜴、野に咲く花といった、日常誰もが目にする些細な事を素材として、そこにふと生じる感覚の更新、意識の小さな覚醒を歌に詠むのである。『水陽炎』は24歳から8年間に作った歌を収録しているので、なかには上にあげた一首目「闇に入りて」のように、自分の心に巣食う暗い面を詠う歌もあるのだが数は少ない。やがて就職・結婚・出産という人生の節目が小島を押し流してゆく。このような歌集の構成は女性歌人ならではのものだろう。

 集中には次のように、作者の心に湧く感情により重点の置かれた歌もある。

 灯をともし湯気を立たせて木枯しの夜はすつぽりと妻の座にをり

 家族とふがんじがらめの明るさの溢れかへつてファミリーレストラン

 明日へと繋がるものを育まずわれにいつまで細き二の腕

 一首目は妻となった自分の立場の安楽さを詠い、二首目には周囲に注がれた批評的眼差しが強く、三首目は結婚して子供ができない自分を嘆く歌である。しかし、やがて子宝に恵まれて出産して母となるというところで『水陽炎』は終っている。

 『水陽炎』ですでに明らかにされた小島の資質は、『月光公園』に至って全面的に開花したようだ。読みながら好きな歌に丸を付けていたら、あっと言う間に丸だらけになった。

 街路樹に暑のほてりあるゆふまぐれわが天秤は揺れはじめたり

 時間ふとゆるむおもひす蜂の屍のあたりに上(のぽ)る冬のかげろふ

 秋霊はひそと来てをり晨(あした)ひらく冷蔵庫の白き卵のかげに

 ペテルギウス氷(ひ)のにほひせりガラス窓(ど)に凭りつつはつか心臓燃ゆる

 時かけて林檎一個を剥きおはり生(き)のたましひのあらはとなれり

 ぶだう食む夜の深宇宙ふたり子の四つぶのまなこ瞬きまたたく

 在ることの貧を競ひてこの夜のわれとくれなゐいちご照らさる

 冷蔵庫に卵を並べたり、食卓でリンゴを剥いたり、子供とぶどうを食べるといった日常的な行為のなかに、日常からは離脱した場所にある死者の世界、目には見えない霊魂、果てしのない宇宙の深さを透かし見るところに、小島の短歌世界の真骨頂がある。歌に詠まれたリンゴは、リンゴであってリンゴでない。論理学の基本であるアリストテレスの同一律を侵犯するようなことが、短歌のなかでは平気に起きているわけだが、それは短歌の構成する世界がひとつの次元から成るものではないからである。私たちは短歌を読むときに、言葉を辿りながら一首の歌のなかに複数の次元を読みとり、それを想像力によって頭の中に再構成する。短歌に詠まれた複数の次元のあいだに乖離があればあるほど、私たちの心は爆風によって飛ばされたように遠い地平に着地することになる。それは例えばペテルギウスが輝く何万光年の宇宙のかなたであり、未生の前世であり、死者たちの眠る世界である。それをぽっかりと咲く夕顔や、道ばたにころがる蜂の死骸のような、具体的事物を導火線として実現するところに短詩型としての短歌の力がある。小島の短歌はこのような短歌の持つ〈複数次元性〉の潜在力を駆使しているのであり、現代短歌の到達したひとつの形と見てよいのである。

 このため小島の歌は一見静かで穏やかな歌でありながら、読む人の心のなかにしんと冷えた果実の核のようなものを残す。『月光公園』のあとがきに、「私が私であることの不思議をふかく覗き込んだ時期」であり、「世界に投げ出された者としての〈個〉の存在へのかなしみ」を詠ったとあるが、この小島の言葉は、「すべての人間は死といふものに向かつて時間の座標の上をゆつくりと (しかし確実に) 移動してゐる裸形の生命者」であるという高野公彦の言葉と遠く呼応して、私たちの心を打つのである。

056:2004年6月 第3週 アジサイの歌

天ふかく陽(ひ)の道ありぬあぢさゐの
     露けき青の花群(はなむら)のうへ

                  高野公彦
 梅雨の季節がまたやってきた。梅雨は嫌う人が多いが、私はまんざら嫌いでもない。湿度と降雨にアジアの湿潤を実感するからである。梅雨を代表する花といえばアジサイだろう。アジサイは6月という近代短歌の歌枕と結びついて、短歌ではよく登場する花である。漢字では紫陽花と書き、短歌では「あぢさゐ」と表記されることが多い。

 ものの本によるとアジサイは日本固有の植物で古くから自生し、万葉集にはアジサイを詠んだ歌が2首あるという。しかし短歌によく登場するようになるのは近代短歌の時代を迎えてからであり、特に戦後になってからだそうだ。

 『岩波現代短歌辞典』によれば、明治時代にアジサイを詠んだ歌には、即物的な花の形や色に焦点を当てたものが多く、特に何かの心情を託した歌は少ないという。次の宇都野研の歌はずばり形と色の変化に着目したものであり、与謝野晶子の歌はアジサイの花を花櫛に見立てたものである。

 球形(たまがた)のまとまりくれば梅雨の花あぢさゐは移る群青の色に 宇都野研

 紫陽花も花櫛したる頭をばうち傾けてなげく夕ぐれ  与謝野晶子

 アジサイの歌として有名なのは次の歌である。しかし、ここではアジサイの藍色という色彩に言及されているだけであり、この歌の眼目はむしろ下句の「ぬばたまの夜あさねさす昼」で、古風な枕詞をあえて連ねることで昼夜の交代から時間の変化を感じさせる仕掛けになっている。

 あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あさねさす昼 佐藤佐太郎

 アジサイの他の花にない特徴としては、やはりその丸く咲く球形花序という特殊な形と、色彩が変化するという点であり、この点に着目した歌が多くあるのは自然と言えるだろう。

 美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり 葛原妙子

 昼の視力まぶしむしばし 紫陽花の球に白き嬰児ゐる

 紫陽花のむらがる窓に重なり大き地球儀の球は冷えゐつ

 「幻視の女王」葛原は「球形」という形にこだわりがあり、球形花序を持つアジサイは特に好みの花だったと思われる。球形は幻視を誘う誘因であり、上にあげた3首でもその効果はいかんなく発揮されている。特に3首目では、アジサイの球形と地球儀の球とが重なるという趣向であり、葛原の球形への偏愛がダブルで現われているところがおもしろい。

 あじさいにバイロン卿の目の色の宿りはじめる季節と呼ばむ 大滝和子

 あじさいの色づく速さかなしみて吾のかたえに立ちたまえかし

 大滝の歌では特にアジサイの色に焦点が当てられている。バイロン卿の目の色が何色だったのか知らないが、おそらく透明感のあるブルーだと想像される。青または藍という表現ではなく、「バイロン卿の目の色」という措辞によって、一首に華やかさと象徴性と、一抹の悲劇性が付与されている。

 近代短歌において特に好まれたのは、アジサイの花にまとわりつくこの悲劇性という象徴的価値である。

 森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし 寺山修司

 寺山が15歳のときに作ったこの有名な歌には、色濃く現われている青春性と、それとは対照的なアジサイの「暗さ」が際立っている。同じ時期の「列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし」に見られるヒマワリの陽性とは逆である。ヒマワリが畑などの開けた場所に太陽を浴びて咲いているのとは異なり、梅雨どきの雨のなか下町の路地裏に咲くというアジサイがこの悲劇的なイメージの由来なのだろうか。

 60年安保闘争という戦後最大の社会史的事件は、短歌史にとっても重要な節目であるが、6月に咲くアジサイに決定的な象徴的価値を付与したと言ってよいだろう。

 色変えてゆく紫陽花の開花期に触れながら触れがたきもの確かめる 岸上大作

 あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前が歌え 福島泰樹

 結句の「確かめる」という終止形が岸上らしさを強く感じさせる一首である。「触れがたきもの」とは自分の揺れ動く心だろう。福島の歌は、岸上への10年後の挽歌である。6月という月もまた現代短歌の季語となり、アジサイの叙情的価値を増幅している。この世代にとって、敗北感と悔恨にまみれた6月の雨はひたすら暗いのである。

 小池光によれば、アジサイは現代短歌ではもっともよく詠われている花のひとつであり、どんな歌集を繙いても一首くらいはアジサイの歌が見つかるという。しかし歌人のなかには、特に好んでアジサイを詠う人もいる。掲載歌の高野公彦もそのひとりである。掲載歌は地上にうずくまるようにして咲くアジサイと、天上を移動する太陽の軌跡とを対比させた、いかにも高野らしい遠近感のある歌である。他には次のような歌もある。

 みづいろのあぢさゐに淡き紅さして雨ふれり雨のかなたの死者よ 高野公彦

 あぢさゐの毬寄り合ひて色づけり鬼(もの)籠(こ)もらする如きしづけさ

 アジサイにかなたの死者を思い、その球形花序に鬼神が隠れていると幻視する。どうもアジサイにはこのような連想を誘うところがあるようだ。

 小島ゆかりもまた好んでアジサイを詠う歌人のひとりである。

 紫陽花にひねもす眠りゆふまぐれ猫は水色の眸(まなこ)を瞠く 小島ゆかり

 雨に濡れあぢさゐを剪(き)りてゐる女(ひと)の素足にほそく静脈浮けり

 影もたぬ妖(あやかし)われは歩み来て雨中に昏きあぢさゐ覗く

 ものぐらく花塊(かたま)れるあぢさゐを過りて杳(とほ)し死までの歩み

 1首目では、猫の見開いた目の水色とアジサイの花の色とが呼応して、ボードレールの万物照応のごとき世界が開かれており、短歌の醍醐味を感じさせる一首である。2首目の眼目は、花の色と女性の足に浮く静脈の対比であり、そこはかとないエロチシズムを感じさせる。3首目では自分を怪しい存在と見立てているが、その怪しさを際立たせているのがアジサイを覗くという動作であることは言うまでもない。ここでもアジサイは昏いのである。4首目はものぐらく咲くアジサイの花群と、その傍らを通り過ぎる私の歩みの対比が、死までの歩みという時間の流れを浮き彫りにする構造になっている。

 最近の若い歌人は、古典的短歌の花鳥風月とは切れた地平で作歌しているので、植物を歌に詠み込むことが少ないようだ。それよりも、「歯ブラシ」とか「ペットボトル」とか「シュガーレスガム」のようなコンビニで売られている日常用品の方がよく歌に登場する。もうしばらくすると、近代短歌の歌人たちがアジサイに与えてきた象徴的価値もなくなってしまうかもしれない。

055:2004年6月 第2週 盛田志保子
または、天性の修辞力が生み出すひと味ちがうニューウェーブ短歌

十円じゃなんにも買えないよといえば
        ひかって走り去る夏休み

           盛田志保子『木曜日』(BookPark)
 盛田志保子は『短歌研究』が2000年に行なった公募による短歌コンクール「うたう」において、「風の庭」50首で最高賞である作品賞を受賞した。当時、若干20歳。岩手県出身で、早稲田大学に学び、水原紫苑の「短歌実作」という授業に出たことが作歌のきっかけだったという。

 短歌コンクール「うたう」の審査員は穂村弘、加藤治郎、坂井修一の3人である。『別冊フレンド』と『ホットドッグ・プレス』に募集要項を掲載し、インターネットを介しての添削アドバイスというユニークな試みが奏功し、新聞の短歌欄の常連投稿者とはまったく異なる作者層を発掘することに成功している。ここに集った歌人たちは、のちに「うたう」世代と呼ばれることになった。天道なお、雪舟えま、天野慶、玲はる名などは、すでに短歌結社や同人誌のメンバーとして活躍していた人たちだが、その他にも枡野浩一の隠し球である佐藤真由美や、加藤千恵、杉山理紀、脇川飛鳥といったマスノ教関係者が多く含まれている。その他にも、よくよく投稿者一覧を見ると、石川美南(『砂の降る教室』)、佐藤りえ(『フラジャイル』)、飯田有子(『林檎貫通式』)、入谷いずみ(『海の人形』)、佐藤理江(『虹の片足』)、五十嵐きよみ(『港のヨーコを探していない』)といった人たちも応募していたのだ。そんななかで盛田は作品賞を受賞し、その後「未来」に入会している。『木曜日』は2003年に出版された第一歌集で、「歌葉」からオンデマンド出版という新しい形式で刊行された。

 「うたう」の選評でも盛田の言葉の選択における詩人としての才能を評価する声が高いが、上に名前をあげたニューウェーヴ短歌の歌人たちとは、作品の伝える体温がいささか異なるように感じられる。それはたとえば次のようなちがいである。いずれも「うたう」の投稿作品から引く。

 すきですきで変形しそう帰り道いつもよりていねいに歩きぬ 雪舟えま

 投げつけたペットボトルが足元に転がっていてとてもかなしい 加藤千恵

 ビール缶つぶす感じでかんたんにぐしゃっとつぶれる時もときどき 杉山理紀

 台風は私にここにいてもいいって言ってくれてるみたいでたすかる 脇川飛鳥

 ここにあげた短歌に顕著に見られる特徴は、「対象性の不在」であり、そこから論理的に帰結する「対象と〈私〉との距離の不在」である。対象がなければ私との距離もない道理ということだ。言い換えれば、「私ベタベタ」だと言ってもよいかも知れない。

 たとえば、「おもむろに夜は明けゆきて阿蘇山にのぼる煙をみればしずけき」(伊藤保)のように、一見したところ対象を詠んだ単なる写生歌にしか見えない歌においても、その根底には対象である阿蘇山と、まんじりともせず一夜を明かしてそれを眺める〈私〉とのあいだに、距離があり対峙がある。作者伊藤が19歳のときにハンセン氏病療養所に入所した最初の夜が明けた時の歌だという実生活上の背景を知らなくても、その距離のもたらす緊張感は感じられるが、背景を知ればいっそう明らかだ。阿蘇山の風景を詠んだ景物歌ではなく、作者伊藤の心の奥底に沈む悲哀と絶望を詠んだ歌なのである。しかし伊藤は心情をそのままに吐露するのではなく、〈私〉とは関係なく存在し、ときには〈私〉を拒絶する阿蘇山という外的対象を描くことで、一首のなかに対象と〈私〉を対峙させた。それゆえこの歌は対立と緊張感をはらんだ歌となり、そのなかに作者の心情を透かし見る短歌として成立しているのである。そしてこのような歌だけが、時代を越えて読む人の心に届く。

 このようなことを踏まえてもう一度上にあげた歌を見てみよう。雪舟たちの短歌は、心に感じたことをつぶやきのように言葉に乗せたものであり、何かの対象が詠みこまれていたとしても、その対象と〈私〉のあいだには距離がない。だから短歌を一首の屹立する詩として成り立たせる緊張感がない。「ペットボトル」や「ビール缶」は、〈私〉と対峙するものではなく、むしろ〈私〉の一部であり〈私〉と全面的に感情を分け合ってくれるお友達のようだ。「私ベタベタ」とは、こういうことを言うのである。

 また、これらの歌に共通する特徴は、異様なまでに突出した「今だけ」感だ。今の私の感情を、今だけ通用する言葉で表現するこれらの歌は「賞味期限の短い歌」であり、そうあることを自ら欲しているのである。なぜなら「今の私」は移ろいやすいものであり、別れた彼氏とよりが戻ったら、また「新しい私」になるかもしれない。だから「今の私」の作る歌は、今だけ通用する言葉でよいのであり、またそうでなくてはならないのである。

  しかし、盛田の歌を読んでみると、このような点において他のニューウェーヴ短歌の作者とは微妙な位相の差が感じられる。

 少女の目少女漫画に描かれて黒い闇にも見開きいたり 盛田志保子

 制服を知らぬ妹まっしろな小鳥と分け合いし日々の朝

 天を蹴る少女の足を引き戻すべく冬の日のブランコが鳴る

 かなしみは夜の遠くでダンスする彼にはかれのしあわせがある

 ぼたゆきの影ふりつもる青畳天命を待つなんて知らない 

 たとえば、少女漫画に描かれた少女の目が暗闇に見開いているという一首目は、心象風景のようでもあり、目を見開く少女は謎に満ちた対象として、見る人に挑みかけているようにも見える。またそれよりもいっそう位相の差を感じるのは、「天を蹴る少女の足」「ぼたゆきの影ふりつもる青畳」という工夫された短歌的修辞だろう。「地を蹴る」「ぼたゆきが降り積もる」ならば、それは事実をそのままに表現したものに過ぎない。それを「天を蹴る」「ぼたゆきの影ふりつもる」と表現したところに、対象を見据える表現者としての〈私〉の視線が感じられるのである。このように修辞によって対象を描くとき、対象は〈私〉から離脱して〈見られるもの〉となり、そこに緊張関係が発生するのである。短歌に修辞が必要な所以と言えよう。

 このことは『木曜日』収録作品を見るとよりはっきりする。

 秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨

 暗い目の毛ガニが届く誕生日誰かがつけたラジオは切られて

 見ぬ夏を記憶の犬の名で呼べば小さき尾ふりてきらきら鳴きぬ

 人生にあなたが見えず中心に向かって冷えてゆく御影石

 一首目「秋の朝」の甘やかな喪失感は、「林檎の皮の川に降る雨」という意表をつく表現によって対象化されている。二首目の「暗い目の毛ガニ」という秀逸な措辞とそれに続く句により、私を拒む不吉な世界が鮮やかに描かれている。三首目の「見ぬ夏」の未来へ向かうベクトルと、「記憶の犬」の過去へ向かうベクトルが一首のなかで交錯する表現も手がこんでいる。四首目は「中心に向かって冷えてゆく御影石」という表現にすべてがかかっている一首だが、人生にあなたが見えないという、それだけならばよくある恋愛の不全感を、「中心に向かって冷えてゆく御影石」と対象化したときに、その感情は読む人にもまた追体験されうるものとして一首のなかに定着される。

 私がこの歌集で最良の歌と感じるのは次のような歌である。

 廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節

 息とめてとても静かに引き上げるクリップの山からクリップの死

 今を割り今をかじるとこんな血があふれるだろう砂漠のざくろ

 もちろんこの歌集には、若者特有の不全感や未発感も詠われている。世の中のルールの嘘くささをいささか幼い視点から詠う歌もある。

 藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜

 非常灯たどりつけないほど遠く自分自身だけ照らす真夜中

 幻想よたとえば人と笑いあうこと肩と肩を溶かしあいつつ

 なまいきと書かれた通信簿うわの空の国へ行けっていわれた

 しかし、盛田は言葉を選ぶ繊細な感覚と、修辞を駆使した対象との距離の取り方において、なかなか侮りがたい歌人ではないかと思うのである。


盛田志保子のホームページ
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054:2004年6月 第1週 生沼義朗
または、失われた10年を生きる都市生活者に短歌的突出は可能か

ペリカンの死を見届ける予感して
      水禽園にひとり来ていつ

         生沼義朗『水は襤褸に』(ながらみ書房)
 なぜ私はペリカンの死を見届ける予感がするのだろうか。それはわからない。またなぜペリカンなのかも不明だが、ペリカンが大型の鳥だということはこの歌には重要なポイントで、これがもっと小型の鳥だったら歌の意味は変わるだろう。鳥が大型だということはより悲劇性を増すからである。一人で人気のない水禽園に来て、ぼんやりとペリカンの死を待っているという場面には、漠然とした終末感と状況にたいする無力感が漂っていて、このトーンは生沼の歌集を貫く階調のひとつとなっている。

 生沼は1975年生まれで短歌人同人。「ラエティティア」にも参加しており、『水は襤褸に』は第一歌集である。20歳から26歳までのあいだに作った短歌が逆年順に収録されている。20歳というと1995年だから、世はバブル経済が崩壊して「失われた10年」と呼ばれることになる期間が始まって間もなくということになる。地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災の年として記憶されており、その年を代表する漢字は「壊」だったはずだ。生沼が短歌を作り始めたのがこんな時代だったということは記憶しておいてよい。

 『短歌ヴァーサス』に穂村弘が連載している「80年代の歌」は、短歌の世代論の試みなのだが、穂村はその中で80年代がいかに過剰の時代であったかをつぶさに論じている。

 空からはゆめがしぶいてくるでせう手にはきいろの傘のしんじつ
                   山崎郁子『麒麟の休日』

 わたくしが生まれてきたるもろもろの世のありやうもゆるしてあげる

 これらの歌にみられる「甘美でキッチュな傲慢さ」(穂村)は、80年代特有のものだ。今の若者が作った歌ならば、「世のありやうもゆるしてあげる」などと書くことができるだろうか。「空から夢がしぶいてくる」などと素朴に信じることができるだろうか。穂村は干場しおりの『そんな感じ』(1989)のあとがきも引用している。

 「銀の鎖をたぐるようにして、ブラインドを開く。窓鏡に映った自分から素早く目をそらせば、東京湾はまだ朝もやの中。
〈まぶしい〉
静まりかえったオフィスで、微かなつぶやきがきらきらと結晶になって響き渡っていった」

 ベイエリアと呼ばれて開発されていく東京湾岸を見下ろすオフィスは、一時期TVで流行ったトレンディー・ドラマのようだ。 若い人のために注釈しておくと、トレンディー・ドラマとは、おしゃれなオフィスを舞台に、登場人物が仕事そっちのけで恋愛ゲームに興じるという、バブル期を代表するドラマのことであり、石田純一あたりがよく出演していた。干場しおりの文章に充満する「キラキラ感」は、今振り返るとまぶしいほどである。思い出せば、80年代には渋谷のパルコと公園通りが話題になり、「消費の劇場性」が脚光を浴びた。時代のキーワードは糸井重里の「おいしい生活」という西武のコピーで、石岡瑛子は女性ボディービルダーのリサ・ライオンを起用した広告で注目されていた。強い女が強調され、女性用スーツに肩パッドが入っていた時代である。みんな肩で風を切っていた。私は当時大阪の電通に依頼されて、消費の記号学なんぞというやくざな講演をしていた。こんななかで俵万智の『サラダ記念日』は1987年に出版され、ライト・ヴァース論争が巻き起こったのである。

 ながながと回顧にふけったのは、生沼の短歌がバブル崩壊とともに始まった失われた10年世代の刻印をまともに受けているからにほかならない。生沼の歌集に溢れているのはまず、掲載歌にも色濃く滲み出ている終末感である。

 盛塩が地震(ない)に崩れる。神々ももはや時間を使い果たした

 日の丸は廃止にします。代案は落暉のなかにのたうつ蛇(くちなわ)

 ほろびゆく世界のために降りしきれ 墓地いっぱいのあんずのはなびら

 神々は時間を使い果たしたという感覚は終末感そのものであろう。生沼の目に日本という国は、落日のなかにのたうつ蛇として形象される。またほろびゆくこの世界は一面の墓地の様相を呈している。わかりやすいといえばそうなのだが、このような強い終末感は生沼の世代から顕著になり、現在20歳前後のエヴァンゲリオン世代までずっと継承されているのである。

 このような終末感と並んで、生沼の歌集に滲み出ているのは、東京というメガロポリスに暮す都市生活者の倦怠である。

 錆ついた銅貨のごとく太陽は曇天の空に吊り下がりおり

 都市に生(あ)れ都市に死すこと嫌になり枯れてしまった鉄線花あり

 弁当の烏賊食むほどに無力感増してゆきたり詰所まひるま

 東京をTOKIOと表記するときに残像のみの東京がある

 ここにはかつてトレンディー・ドラマに描かれたキラキラする都市、劇場として消費を刺激してやまない東京の姿は微塵も感じられないのである。

 生沼の短歌にはまた、「何かが汚れてゆく」という感覚を詠ったものも多い。

 少しずつ垢じみてゆく青春の象徴としてジェノサイド・コミケ

 ナウシカがかつて纏いし衣服さえ思想のなかにはつかよごれて

 指先に染みたる檸檬の香を嗅ぎて感傷ももはや思わざりしかど

 コミケとは、コミック・マーケットの略で、やおいマンガ同人誌を販売したり、愛好者がコスプレしたりするオタク文化の文化祭のような祭典である。ナウシカはもちろん宮崎駿のアニメ『風の谷のナウシカ』で、檸檬はやはり梶井基次郎だろう。生沼はその世代の青年らしく、アニメに代表されるサブカルチャーも、梶井基次郎のようなかつてのハイカルチャーも、同じ地平で短歌に詠う。村上隆の提唱する「スーパーフラット」はもうすでに目の前に実現しているのだ。村上らの仮説は、「おたく世代以降は世界の認識のしかたがちがう」「世界はおたく世代以降にとって、全共闘世代とは違ったふうに見える」というものである(永江朗『平らな時代』原書房)。ナウシカの思想もいつかは汚れ、レモンに仮託された青年の熱情も遠くなったというのは、生沼の年齢にしては老人じみているが、生沼の世代に蓄積された疲労感はそれほど深いということなのだろう。

 この歌集にはもうひとつ目立つトーンがある。都市生活者の神経症的現実と、それが高じて精神を病むことへの怖れである。

 金属音重くしずかに響くとき内在律は狂いはじめて

 過ぐる日々に神経叢は磨り減ってまぶたの裏に白き靄立つ

 躁鬱の境目に居る 脳幹に白黴びっしり貼り付くごとし

 地中へと埋めてやれば何か出てくるかも知れぬ千のハルシオン

 ハルシオンとは睡眠導入剤の商品名である。蛇足ながら、前まえからハルシオンという薬の名前は美しいと思っていた。ここまで書いて来て、これは何かに似ていると思い始めたが、藤原龍一郎の短歌の描く世界と似たところがあるのだ。藤原の短歌も徹頭徹尾都市生活者の歌である。また、藤原の短歌の世界には、リドリー・スコット監督の映画『ブレード・ランナー』の描く近未来のようにいつも雨が降っているのだが、生沼の短歌にも雨と水がよく詠われているのはおもしろい共通点だ。

 初夏の東京の空切り裂かれ襤褸となって水は落ちくる

 砂と血と汗に汚れたアポリアを洗い流せる水はあらぬか

 あまりにもあからさまゆえ怖れたり雨に濡れたる路上の石榴

 雨というアイテムばかりに頼りいる自分を捨てよと声が聞こえる

 ヒートアイランド化したメトロポリスに暮して、汚れを洗い流してくれる雨と水を待望する。余りにわかりやすい謎解きのような気もするが、まあそういうことなのだろう。「路上の石榴」は現代版の檸檬に他ならない。フランス語では石榴と手榴弾は同じ単語である。疲労感に苛まれる現代の青年にも、手榴弾の爆発を夢見ることがあるということだ。ただし、梶井の描いた青年のように爆発を夢想して丸善の店先にそっとレモンを置くのではなく、路上に不意打ちのようにころがっている石榴を怖れるというところに時代の差が感じられる。

 ただし生沼の短歌が全部、上に解析したような座標に回収されるというわけではない。こんな現実を抱えつつも、生沼が短歌に託しているものは抜き差しならぬものに思える。次のような歌に注目しよう。

 泡立ちし緑茶のごときせつなさは晩夏の午後に不意に兆せり

 浅きから深きへ睡りがうつるとき夜の汀のにおいが籠る

 晩秋のみどりの部屋に天球儀を回しているは女男(めお)にあらぬ手

 人の死が人語の死へとなるときに礼服のごとく飛ぶ揚羽蝶

 生沼の短歌の言葉遣いは時に生硬で、「あまりにもあからさま」なことがあるが、上にあげた歌などは、「あからさま」の地平を脱して普遍的な象徴の領域へと昇華されているように思う。よい歌である。ただし、それがいかなる方法論によっているのか、たぶん生沼自身もまだ気づいていないのではなかろうか。栞に文章を寄せた小池光は、「生沼義朗はとりわけ平たさにあらがって相当もがいている、という印象を持ってきた」と述べている。スーパーフラットと化したこの世界のなかで、いかにして短歌の言葉を突出させるか。これはなかなかむずかしい課題である。生沼がこの第一歌集でその答に到達したとは思えないが、答を模索して呻吟しているのだろう。栞文で花山多佳子も小池光も、異口同音に「出発の歌集」と評しているのは、そのあたりに理由があると思えるのである。

生沼義朗のホームページ

053:2004年5月 第4週 小林久美子
または、〈私〉のかなたから思いがさらさらと降り落ちて来る歌

さまよえる夢のおわりを棄てるとき
     飛沫があがる砂嘴 (さし) の向こうに

           小林久美子『恋愛譜』(北冬舎)
 掲載歌は描かれた情景に具体性がなく、どんな情景を描いているのかよくわからないのだが、わからないながらも心に迫って来るものがある不思議な歌である。「さまよえる夢」とは何か。寝て見る夢ではなく、不可能な希求という意味だろう。『恋愛譜』という歌集題名を勘案すると、遂げられない恋愛感情にちがいない。叶わなぬ思いを抱いてさまよっていたのだが、遂にあきらめて断念することになった。夢の終わりを棄てるのだが、その夢は形象化されて、放り投げると小石を投げたときにように、川のなかに飛沫があがるのである(ちなみに「飛沫」にルビは振られていないが「ひまつ」ではなく「しぶき」と読む方がいい)。全体がソフトフォーカスのかかった遠い情景のように、意識の中天にぼんやり浮かび、そこからさらさらとせつない気持ちが垂れ落ちてくるような美しい歌である。

 小林久美子は1962年生まれ。「未来」所属で、「未来」の結社内同人誌『レ・パピエ・シアン』の編集発行人でもある。すでに第一歌集『ピラルク』(砂子屋書房,1998)があり、『恋愛譜』は第二歌集にあたる。新仮名遣いで基本は口語だが、「はなれたり」とか「黄金いろなり」のように、主として結句に文語が少し混じるという混合文体で書かれている。しかし、専門家からは叱られるかも知れないが、歌の作り方において文語か口語かということは、それほど本質的な問題かという気もする。口語ライトヴァースの火付け役となった俵万智の短歌と比較してみると、問題なのは文語か口語かではなく、〈私〉と〈世界〉の関係性の定義であることがわかる。俵の短歌も口語だが、詠われた内容や描かれた情景は極めて明確なのである。

 思い出の一つようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ 『サラダ記念日』

 愛人でいいのと歌う歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う

 さみどりの葉をはがしゆくはつなつのキャベツのしんのしんまでひとり 『かぜのてのひら』

 一首目「思い出の」では、麦わら帽子のへこみ(=対象)を眺める〈私〉がいて、私にはそれにまつわる夏の甘酸っぱい思い出がある。〈対象〉である麦わら帽子と〈私〉の関係はとてもわかりやすい。二首目「愛人でいいの」では、歌を聴いている〈私〉がいて、「言ってくれるじゃないの」は〈私〉の心に湧いた感想だから、ここでもその関係は明確である。三首目「さみどりの」でも、はがしているキャベツの葉と、そのとき〈私〉が感じている孤独感が、〈対象〉とそれが表象する〈心情〉、つまりソシュール流に言えばシニフィアンとシニフィエの関係を構成しており、これまた驚くほどわかりやすい。俵の歌の特徴は、単に文体が口語だという点にあるのではない。歌中における〈私〉の位置どりがはっきりしていてブレがなく、〈私〉と〈対象〉の関係性もまた明確なところにある。ここまでわかりやすくなければ、あれほどのミリオンセラーにはならなかっただろう。

 翻って小林の短歌を眺めると、俵のような作歌態度とは言わば対極的な地点に成立している歌であることが感得される。試しに次の歌を見てみよう。

 ほそく長くかすかに揺れるしろい崖 わたしがあなたの記憶に落ちる

 遠くに立っていただいたのはよく視たいからだったのに しずかな径で

 はぐれるということを得る荷をすべて下ろしおわった船はひそかに

 これらの歌には、命題を構成する「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どのように」「なぜ」という5つのWとひとつのHが決定的に欠落している。あえて状況に具体性を持たせていないのだ。一首目の「しろい崖」は現実の風景というより心象風景と取るべきなのだろうが、私とあなたという人物のみは特定されているものの、「私があなたの記憶に落ちる」が何を意味するのか不明である。二首目では「立っていただいた」という待遇表現があるので、立つ主体は「あなた」であることがわかるが、なぜよく見たいと遠くに立ってもらうのか、さっぱりわからない。三首目はもっと難解で、荷物を下ろして身軽になった船がはぐれることを得るというのだが、「いつ」も「どこで」も「なぜ」も宙ぶらりんのため、理詰めの解釈は不可能となっている。

 このように小林の短歌では、「5つのWとひとつのH」の具体性が欠落しているが、その結果何が起きるだろうか。「5つのWとひとつのH」という媒介変数と相対的に定位されるはずの〈私〉が浮遊し始めるのである。なぜなら〈私〉とは、対他的には関係性の網の目の交点としてのみ定義される存在だからである。しかるに小林の歌には関係性を具体化すべき媒介変数が欠落している。だから歌のなかの〈私〉は、糸の切れた風船のように、読者が捉えようとしてもふわふわと手を逃れてしまうのである。〈私〉がブレない俵の歌と比較すると、そのちがいがよくわかるだろう。

 では短歌における修辞という地平で考えたとき、この〈私〉の浮遊はどのような効果を発揮するのだろうか。歌われた思い、例えば「失恋の悲しみ」は、本来ならば歌のなかに定位された〈私〉に凝縮する形で読者に感得される。ところが〈私〉が定位されず浮遊していると、思いもまた凝縮することなく歌のなかを浮遊することになる。その結果、〈私〉が感じている感情や思いだけが、言葉のかなたからひたひたと伝わって来ることになる。『不思議の国のアリス』でチェシャ猫が消えたあとに、笑いだけが中空に残るようなものである。言語による伝達という点から見れば、これはある意味で高度なテクニックと言うべきだろう。小林はこのような語法において、実に巧みなのである。

 だから小林の短歌には、写生による鋭い現実観察とか、ぴしっと決まった比喩のように、歌の輪郭をくっきりさせるものがない。また心情をそのまま吐露するような激しさもない。ふわふわと漂うような淡い印象の歌が多いのはそのためである。このことは語彙の選択にも反映していて、「そっと」「しずかに」「かそけき」「ひそかに」のような語彙が多く、また降る雪はドカ雪ではなく「あわ雪」で、雨も豪雨ではなく静かな雨なのである。

 もっともなかには輪郭のはっきりした歌もある。

 みずうみのあおいこおりをふみぬいた獣がしずむ角(つの)をほこって

 屠られるのを待つ馬がうつくしい闇へ吐きだす口中の青

 ひっそりと砂浴びをして去りし鳥 砂のくぼみに夕陽溜まれり

 一首目は季刊『短歌Wave』2003年夏号の特集「現代短歌の現在647人の代表歌集成」で、アンケートに答えて小林本人が代表歌3首を選んだ中に含まれているので、本人としても自信作なのだろう。いずれも姿かたちの美しい歌だが、ここにも上に述べた小林の歌の特徴は現われている。

 集中でちょっとおもしろいのは、ポルトガル語の歌と日本語の歌とをならべた連作である。

 あお そある ど しの あんちご ぺそあす ぱさん ふぁぜんど しなう で くるす

 きょうかいの ふるびたかねが なりだすと ひとはよこぎる じゅうじをきって

 小林はブラジルのサンパウロに住んでいたことがあるらしく、ブラジルの風物やインディオの暮しを詠んだ歌もある。日本語の歌もひらがな表記で、会津八一の歌のように分かち書きされており、どことなく童話風の趣があるが、ポルトガル語をひらがな表記すると、芥川龍之介の短編「れげんだ あうれあ」のようにキリシタン伴天連風の歴史性と寓意性を感じさせておもしろいのである。小林の言葉への強いこだわりを示しているように感じられる連作である。

 栞に文章を寄せた大辻隆弘によると、小林は「深い声でゆっくり話す女性」だという。そんな本人の個性が歌集に収められたどの歌にも感じられる。これほど本人の個性で塗り上げられた歌集も珍しいのではないだうか。

もういくつか美しいと思った歌を引いておこう。

 深い河わたるとき手を取ったのはあなたではないと気づき目覚めぬ

 橋の影をくぐり寄る魚うっすらと楕円にのびて陽のなかにでる

 バスが発ちさってしまった夢にさめ泥水が澄むまでを待ちおり

 水死するうつくしい魚そこしれぬほどふかまった愛の不在に

小林久美子のホームページ「直久

052:2004年5月 第3週 桝屋善成
または、煮崩れて沈む大根を見つめる腹に来る短歌

落胆はうすかげの射す目に顕ちて
      煮くづれをして沈む大根

          桝屋善成『声の伽藍』(ながらみ書房)
 桝屋はたぶん1964年生まれで、『未来』『レ・パピエ・シアン』同人。『声の伽藍』は2002年に出版された第一歌集である。岡井隆が行き届いた解説を書いている。「古いなつかしいタイプの文学青年」で、「古風といへば古風だが、格調ある短歌をつくる」と評し、「印象としては地味である。手堅いのであつて、奔放ではない」と続けている。なるほど結社の主宰者は会員の特徴をよく見ているものだ。

 昨今流行している口語・文語混在文体の絵記号を駆使したニューウェーブ短歌など、いったいどこの世界のことかと思わせるほど古典的な文語定型短歌で、確かに岡井の言うように格調ある歌ばかりである。新古典派の代表格と目されている紀野恵も文語を駆使するが、紀野には「白き花の地にふりそそぐかはたれやほの明るくて努力は嫌ひ」のように、肩すかしを食らわせるように日常的語法を混ぜたりする遊びと、軽さを感じさせる才気がある。これにたいして、桝屋の短歌には軽さや遊びを思わせる要素が少なく、どこまでも重厚で「腹に来る短歌」なのである。男性歌人の作る短歌には、程度の差こそあれ、どうも共通して重くて「腹に来る」傾向がある。イマ風のノリは「ブンガクを気取らない」「ジンセイを賭けない」というスタンスなのだが、桝屋は超然と流行を無視して、文学としての短歌に「人生を賭ける」姿勢を取るのである。桝屋の短歌が腹に来る理由はここにある。

 『短歌ヴァーサス』第3号の荻原裕幸と加藤治郎の対談で、ふたりはなかなかおもしろい発言をしている。加藤千恵、杉山理紀、盛田志保子らの若い女性歌人に共通する特徴は、モチーフに生活の匂いがしないことだが、男性歌人のなかには「日常べったり」で書いている人がいて、モチーフ的に変化に乏しく「不景気」に見えてしまうというのである。もっとはっきり言えば「ビンボー臭い」ということだろう。そう言えば、ニューミュージックと呼ばれた荒井(松任谷)由美が登場した時にも、「生活の匂いがしない」と手厳しく批判されたものだ。その少し前までの主流は「生活の匂いのする」四畳半フォークソングだったからだ。30年の時を隔てて、同じような現象が生まれているのだろうか。女性はひたすら軽く華麗でファブリースしたように生活臭がなく、男性は地を這うような不景気という構図である。もっともいささかも不景気を感じさせない黒瀬珂瀾のような人もいるが。

 断っておくが桝屋の短歌が不景気だという訳ではない。しかし、モチーフとしては作者の日常から汲み上げたものがほとんどで、このような作歌態度は『未来』の伝統である。桝屋の短歌をいくつか見てみよう。

 色のない夢ばかりみし手にのこれ今朝摘みとりしローズマリーの香

 ひと刷けの落暉の雲のむかうには夕星光り鳥の訃をきく

 狂気へといたる畏れを抱き初むアンモナイトの断面幽か

 月の海喚起力冴えひろごりぬロールシャッハテストのごとく

 最初期の歌群から意図的に選び出したものだが、これらの歌は日常の生活実感から生まれたものというよりは、「短歌という特殊な文学を作る」という強い意識のもとで作られたものに見える。モチーフは想像力から生み出されたもので、作者の日常生活に根を持つものではない。だから歌のなかに〈私〉を感じさせる要素が少ないのである。

 しかし、歌集のなかで4つの時期に分類された歌群を年代順に読んで行くと、このような初期の作歌傾向は急速に姿を消してゆく。代わって目につくようになるのは、次のような歌である。

 河豚刺しの歯ざはりしまし愉しみて薄くうすく鬱の削がれぬ

 今年もまた柚子湯につかるよろこびを臘梅などをながめておもふ

 飲み会のさそひを断り家居して火難ののちの茂吉を読みぬ

 土手脇に首のねぢれた自転車がこゑを失ひ捨てられてあり

 最初の歌に比べてずっと〈私〉を感じさせる要素が増えている。「河豚を食べている私」「柚子湯につかっている私」「茂吉を読んでいる私」が明白であり、歌の重心が〈私が目にしている光景〉から、〈光景を見ている私〉へと移行し、さらには〈何気ない行為に物思う私〉にまで移動していることがわかる。作者の視線が内向きに変化しているのである。

 これがさらに進むと、「手許を見つめる歌」とでも呼びたくなるような鬱屈を滲ませた歌に出会うことになる。冒頭の掲載歌もそのひとつである。落胆を象徴する煮崩れた大根が煮汁に沈んでゆく様を眺める視線は、決して世界に向けられてはいない。次の歌もそうだろう。

 為すことのなべてをさなく蔑されて魚の鱗をゆふべに削がむ

 ひんがしに打ち据ゑられに来し旅の夜半に蕎麦湯を一人のみたる

 焼き蟹の身のはぜをりて名声の壊れやすさの見ゆる思ひせり

 この苦みもまた短歌の味わいであり、さらに言えばオジサンにしかわからない味である。子供の好きなオムライスやアイスクリームではなく、涙とともに食べるサンマの腸とかサザエの肝や熟成しすぎた青黴チーズの味だ。これはこれでひとつの境地であり、桝屋はこの境地を深化しつつあるように見える。

 桝屋の歌にもうひとつ感じられるのは、静かな怒りと祈りである。

 永遠(とことは)に非戦闘員としてわれ在るや まなこ深くに沁めよ蒼穹

 広き額わたれる鳥の影もなくああ射干玉のミロシェビッチよ

 オムライスの胴を匙もて抉るとき非戦闘地帯とふ言葉をぐらし

 一首目は歌集末尾の歌であり、この場所に配置したのは桝屋の祈りである。三首目だけは『レ・パピエ・シアン』2004年3月号から採った近詠だが、静かな怒りがある。市井の人として静かに日常を暮す人の短歌に込められた祈りは、華やかな文学運動に身を投じる才気とは次元の異なるものだが、読む人の心を打つという点においてどちらに軍配が上がるか、答は人それぞれだろう。私は祈りの方をとりたい。


桝屋善成のホームページ「迷蝶舎