第319回 木下侑介『君が走っていったんだろう』

目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った

木下侑介『君が走っていったんだろう』

 『短歌という爆弾』が小学館文庫になったとき、巻末の特別インタビューで穂村はこの歌を取り上げて、「1000年も残るような歌」と評したと本歌集の解説で千葉は明かしている。和歌・短歌の歴史はおよそ千年くらいなので、今から千年後にも短歌が残っているかはわからないが、誇張法による最大級の褒め言葉である。なぜ穂村がこの歌を引いたかというと、木下は雑誌『ダ・ヴィンチ』に穂村が連載していた「短歌ください」の常連投稿者だったからだ。当時木下は木下ルミナ侑介というペンネームで投稿していた。「短歌ください」は雑誌の読者からの投稿欄ということになっていたが、実際は、やすたけまり、辻井竜一、虫武一俊、冬野きりん、九螺ささらなど、その後続々と歌集を出す手練れが投稿していて、さながら穂村選歌欄の観を呈していた。投稿された短歌を集めて出版された『短歌くだいさい その二』(2014年、株式会社KADOKAWA)を読んでいちばんたくさん付箋が付いたのが木下だった。その木下が2021年に上梓した第一歌集が本歌集である。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻で、編集と解説は千葉聡が担当している。解説によると木下は千葉の歌会にも出ていたようだ。

 千葉は1985年生まれで、『短歌という爆弾』を読んで作歌を始め、「短歌ください」や東直子が東京新聞に持っている「短歌の時間」などに投稿するようになる。まさに穂村&東チルドレンと言えるだろう。したがって、木下が追究するのも「愛の希求の絶対性」であり、その歌には「キラキラした言葉」が織りこめられている。掲出歌も例外ではなく、穂村の言うように特別な言葉は使っていないものの、「夏」「光」「出会った」がその空気感を十分に伝えている。ポスト穂村世代に当たり、わざとキラキラ感を払拭しようとしている永井祐らとはいささか異なる歌となっている。しかし考えてみれば、明治の短歌・俳句の革新以後、短詩型文学は青春と相性がよい。石川啄木や寺山修司や岸上大作らの短歌・俳句は、青春性と切っても切れない関係がある。マラソン・ランナーであり、ブルーハーツ、ハイロウズの音楽をこよなく愛するという木下の作る短歌はバリバリの青春短歌なのである。

水筒を覗き込んでる 黒くってキラキラ光る真夏の命

いっせいに飛び立った鳥 あの夏の君が走っていったんだろう

あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに

カッキーンって野球部の音 カッキーンは真っ直ぐ伸びる真夏の背骨

青空は青しかないね 感情のどれもが答えじゃない夏の日も

 巻頭から引いた歌の季節はいつも真夏である。一首目の水筒は遠足や運動部のクラブ活動と縁が深い。水筒の内部は断熱のために、昔はガラス、今はステンレスの反射材が使われているので、内部が暗くともキラキラ光る。それは青春の光そのものである。二首目は歌集タイトルが採られた歌。いっせいに飛び立つ鳥は旅立ちとも終焉とも取れる。しかし「あの夏」という言葉はもう遠くなって手の届かない季節を指すので、もう彼女はいないのだろう。三首目も同じ「あの夏」の記憶で、映像はすでにややセピア色だ。四首目の「カッキーン」は硬式野球の金属バットの音である。「真夏の背骨」という表現がいい。五首目は青春の逡巡を詠んだ歌である。

目を閉じる度に光が死ぬことや目を開ける度闇が死ぬこと

順番に蝶が死んでく夜の部屋まるで誰かの子宮のようだ

押し花も死の一つだと瞬きが呟く、春の、夏の、季節の

海だけが描かれた切手 僕たちが佇んでいた性善説

生まれたら、もう僕だった。水切りに向かない石の重さを思う

 青春時代はキラキラと明るいばかりではない。光ある所に影が生まれる。思春期に誰もが取り憑かれる思いは、「なぜ僕は僕なんだろう」や、その変奏の「なぜ僕は、運動があんなに得意な / 勉強があんなにできる / 女の子にあんなにもてる 彼に生まれなかったのだろう」が代表的なものだろう。それに加えて思春期には死が思いの他身近にある。上に引いた歌はいずれもそのような青春の影を詠んだものである。一首目は光と闇の対比を生と死になぞらえた歌。「眠りは短い死である」と言った人がいた。二首目の蝶が死んでゆく部屋をまるで子宮と表現しているので、そこからまた新たに生が始まるという予感があるのかもしれない。三首目、押し花もまた一つの死であるとの認識を詠んだ歌。四首目の海だけが描かれて、そこに遊ぶ人がいない切手は喪失感の象徴だろう。無邪気に性善説を信じていた若者は、誰かに裏切られたのかもしれない。五首目は若者の誰もが抱く不全感を詠んだ歌である。これらの歌もまたまぎれもない青春歌と言えるだろう。

 集中にはこれとはやや肌合いの異なる歌も収録されている。

額縁にきれいに入れた点点を絵として飾っている美術館

ホルヘ・ルイス・ボルヘスが書いたという短歌はちょうど42文字

たくさんの遺影で出来ている青い青い青い空を見上げる

描きかけの絵本の中の目をしてる動物園で生まれたライオン

 奇想というほどではないものの、現実を少し違った目で見た歌である。一首目の絵はリキテンシュタインだろうか、それとも抽象画だろうか、ふつうの人の目にはただの点点としか見えないものも、立派な額装をして美術館に展示すれば芸術となる。二首目、調べてみると確かにポルヘスのEl oro de las tigresという詩集に6首の短歌らしきものがあるようだ。三首目、青い空が遺影でできているというのは何かからの連想か。四首目、動物園で生まれてサバンナの自然を知らないライオンは、まるで描きかけの絵本のようだというのはとてもおもしろい発想だ。まだ描かれていないのは野性だろう。

 また次のような歌はさらに発想がおもしろく注目される。

はっとして荘周であったという時にはっとしていた荘周の顔

僕達は腹話術師の人形が夢で見ている真冬の星座

トンネルを抜ければ僕がだんだんと遠ざかっていくトンネルがある

手にはもう記憶は重いからふれば花びら 僕らは僕らの花器で

 一首目の荘周とは「胡蝶の夢」の荘子のこと。夢から覚めて自分が蝶ではなく荘周だったと気づいた時に、荘周がはっとした顔をしていたということなので、当たり前と言えばそうなのだが、不思議な循環性が感じられる形而上学的な歌である。二首目はずばり、この世はどこかで誰かが見ている夢に過ぎないという歌。三首目も不思議な歌だ。ふつうはトンネルを抜けると、トンネルがだんだん遠ざかるものだ。それを僕が遠ざかると表現すると、まるでトンネルと僕とが主客逆転して入れ替わったかのようである。四首目も不思議な魅力のある歌だ。手が花びらで身体が花器そのものということだろうか。これも何やら自分と外側とが入れ替わったような感覚が感じられる。子供の頃は自我と周囲の現実とを隔てる垣根が低いので、自分と他者との交通は大人よりも盛んである。しかし上に引いた短歌はそれとも違い、形而上学性が感じられる。本歌集のベースラインは青春歌なのだが、その中に混じる上のような歌に注目した。こういう歌に木下の個性が表れているように思う。

夏の朝 体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と

まなざしはいつも静かでまばたきは水平線への拍手のようで

お互いの傘を傾け行くときにこぼれた 雨に降る雨の音

比喩というとてもしずかに飛ぶ鳥をうつして僕ら、みずうみでした

でも、夜は拡げるだろう 塗る前の塗り絵のように僕らの街を

傘をさすようにだれかを思っても雨にはいつも問いしかなくて

 とりわけ上質なポエジーが感じられる歌を引いた。一首目の体育館の床がズックの底でキュッと鳴る音を羽ばたく鳥になぞらえたり、二首目のまなざしを拍手と捉えたりするのは清新な詩情である。遙か昔のことだが、「つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれをり」という小池光の歌を読んだときには思わず息を呑んだが、三首目の「雨に降る雨の音」の同語反復的表現もなかなか美しい。五首目の「塗る前の塗り絵」は、日が暮れて色を失った街の喩として的確だ。キラキラした青春性だけに目を奪われていると、このようなポエジーを立ち上げる措辞や喩を見落としてしまうが、木下の本領はこのような点に発揮されているように感じられる。

 

第318回 宇都宮敦『ピクニック』

水たまりに光はたまり信号の点滅の青それからの赤

宇都宮敦『ピクニック』

 宇都宮は2005年に『短歌ヴァーサス』10号誌上で発表された第4回歌葉新人賞で次席となって短歌シーンに登場した。新人賞を受賞したのは「数えてゆけば会えます」の笹井宏之である。笹井は選考委員の加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘の3人全員に候補作として選ばれた。笹井の候補作は、「ポエジーということでは際立った」(加藤)、「読んで鳥肌のたつような感覚が何度も起きました」(荻原)と評された。一方、宇都宮を推したのは穂村一人で、穂村は「言葉を使うことで、それ自身によって蓋をされて殺されてしまう『現場の生命感覚』を、一首のなかでうまく蘇生させている」、「言葉を『言葉以上のもの』として立ち上げるための工夫がこらされている」と宇都宮を高く評価した。

車窓から乗りだし顔のながい犬がみてるガスタンクはうすみどり

目をふせてあらゆる比喩を拒絶して電車を待ってる君をみかけた

イヤフォンではやりの歌を聴きながらあかるく雪ふるここで待ってる

             「ハロー・グッバイ・ハロー・ハロー」

 『ねむらない樹』別冊の『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井祐が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。その中で笹井と宇都宮の激突は「一種のスタイルウォーズ」つまり文体の戦いであったと述べている。「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮」、「表現の飛躍が魅力の笹井に対して、(…)葛藤や空気感を伝える宇都宮」と永井は書き、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた」と続けている。永井の言うキラキラした口語短歌とは、例えば次のような歌を指すのだろう。

ゼラチンの菓子をすくえばいま満ちる雨の匂いに包まれてひとり

                   穂村弘『シンジケート』

「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」

ほんたうのことはひかりにとけてゆく街角でふとみつめる左手

                 山崎郁子『麒麟の休日』

春雨は天使のためいきうすくうすくまぶたのうへにふりかかりくる

 宇都宮が2018年にようやく上梓した第一歌集が『ピクニック』(現代短歌社)である。まず歌集の見た目が衝撃的だ。版型は「少年ジャンプ」と同じ大きさで厚さは2cmあり、表紙はビビッドイエローである。どうみても電話帳にしか見えない。短歌は左ページにのみ印刷されていて、右ページは薄いペパーミントグリーンの四角形がほぼページ一杯にある。おまけに短歌は16ポイントで印刷されていて、まるで老眼の高齢者か弱視者用の大活字書籍のようだ。疑いなく最もインパクトの強い装幀の歌集である。現代短歌社もよくこんな本を出したものだ。机の上で開いて読もうとすると、開いた右側が反発で閉じようとする力が強いので、国語辞典を重石にして読む始末なのだ。

 穂村の評にあった「言葉を『言葉以上のもの』として立ち上げるための工夫」はどのような点に見られるのだろうか。宇都宮の短歌は完全な口語である。「かな」も「はも」も「けり」もない。しかし短歌は抒情詩なので、口語を用いてポエジーを立ち上げるには修辞が必要になる。宇都宮の文体の特徴のひとつは「喩を用いない」ということだろう。たとえば「東西にのびて憩へるいもうとの四肢マシュマロのごとく匂へり」(辰巳泰子『紅い花』)という歌では「マシュマロのごとく」という直喩が使われている。喩によって読者の脳内に白くてふわふわしたマシュマロを喚起することで、妹のむきだしの手足とマシュマロが二重映しとなり、手足の白さや若さや甘やかさが醸し出されるという仕掛けである。このように喩は短歌の修辞の大きな武器なのだが、宇都宮はその武器を意図的に放棄しているようだ。

長ぐつをはいた女の子が誰にするでもなくバレリーナのおじぎ

小綺麗な路地で迷った僕たちは走りぬけてく花嫁を見た

昼すぎの木立のなかで着ぶくれの君と僕とはなんども出会う

 例えばランダムに引いた歌のどこにも喩は見られない。一首目は雨上がりなのか、長靴を履いた小さな女の子が、道端かプラットホームで、バレリーナがするような足を折るおじきをしているという光景がそのまま描かれている。二首目では、路地で道に迷った〈私〉と彼女の目に、ウェディングドレス姿の花嫁が走り抜けるのが見えたという、往年の人気TVドラマ『ロング・バケーション』のワンシーンのような光景が詠まれている。走り抜ける花嫁が何かの喩ということはない。三首目では、冬枯れで葉を落とした木が立ち並ぶ公園か並木道で、〈私〉と彼女が木の陰に隠れてはまた姿を現すという遊びに興じている。

 では宇都宮は何を武器としてポエジーを立ち上げているのだろうか。一つ目はトリミングのような巧みな場面の切り取り方である。一首目のおじぎをする少女、二首目の走り抜ける花嫁、三首目の他愛ない遊びに興じる恋人たちという場面の切り取り方は、とても鮮明な像を読者の脳内に描き出す。日常の何気ない場面を鮮明に切り取ることによって、見慣れたはずの世界の見え方が少し変わる。二つ目は巧みに挟み込まれた語句である。一首目の「誰にするでもなく」や三首目の「なんども」が効果的に置かれている。「誰にするでもなく」によって、お辞儀をするという行為の無償性・無目的性が強調され、「なんども」によって恋人たちのずっと続く幸福感が高められている。永井も上に引いた文章で、宇都宮が歌に挟み込む「とりあえず」や「ふつうの」という語句が空気感を出していると指摘している。三つ目はたとえば次のような歌に見られる統辞の組み替えである。

やがて雨あしは強まり うつくしさ 遠くけぶったガードレールの

 散文ならば「やがて雨あしは強まり、遠くけぶったガードレールのうつくしさ(が心に届く)とでもなるところだが、統辞を攪乱することによって「うつくしさ」が行き場を失って宙ぶらりんになる。それによって、意味の伝達という実用に奉仕する日常言語の機能がスイッチオフされて、穂村の言う「言葉以上のもの」が立ち上がる。これは音数合わせや結句の単調さを回避するために使われる倒置法ではなく、もっと自覚的な統辞の組み替えである。

 永井がもうひとつ指摘する宇都宮の文体の特徴は一字空けだ。

対面の牌が横を向く スイングバイ軌道を外れる探査衛星

屋上でうどんをすする どんぶりを光のなかにわざと忘れる

水鳥を川にみた朝だったのに のに海鳥のでかさにびびる

 一首目は珍しく上二句と残りが喩的関係にあり、一字空けはその関係を強調しているのだろう。麻雀をしていて、対面の打ち手の牌が横を向くのが、まるで軌道を外れる衛星のようだという関係にある。麻雀の卓という小さな世界と探査衛星という大きな世界の対比が眼目となる。二首目の一字空けはこれとは少し異なる役割を果たしている。百貨店の屋上にあるフードコートで、テーブルに坐ってうどんを食べるという行動の客観的描写と、三句目以下の〈私〉の行為の説明という位相の異なる言葉を一字空けが分けている。三首目はまたこれとも違っていて、「のに」の反復で連接された川での出来事と海での出来事の場面転換が一字空けでなされている。

 本歌集を通読して感じるのは、宇都宮の描く彼女がとても魅力的に描かれていることである。

とうとつに君はバレリーナの友達がいないのをとても残念がった

左手でリズムをとってる君のなか僕にきけない歌がながれる

携帯電話に撮りためているパイロンの写真を厳選のうえ見せてくれた

コンビニへ いつものようにざっくりと君は髪ごとマフラーを巻く

君の寝まきジャージとおめかしジャージのとの違いがわからないまま夏に

 三首目のパイロンとは、工事現場などで使われてい円錐形のコーンのこと。彼女は街で見かけたパイロンの写真をスマホで撮り溜めているのである。これだけでも好きになりそうだ。宇都宮の作るこういう歌は、軽くて適度な湿度と透明感と幸福感があり、深刻になりがちな世界を少しだけライトなものに変えてくれるようだ。

 『ピクニック』の3分の2は「ウィークエンズ」と題された一つの章となっているが、残りは「ウィークエンズ拾遺」となっていて、その中に「東京がどんな街かいつかだれかに訊かれることがあったら、夏になると毎週末かならずどこかの水辺で花火大会のある街だと答えよう」という恐ろしく長いタイトルの連作がある。実はこの連作は枡野浩一の『ショートソング』という小説の中で引用短歌として使われているものである。どのような経緯でそうなったのかは詳らかにしないが、枡野のかんたん短歌と宇都宮の短歌は、地続きとは言えないまでも相性は悪くない。だから枡野も宇都宮の短歌を作中の引用歌として選んだのだろう。

 本歌集には好きな歌がたくさんあり、付箋がいっぱい付いたため選ぶのに苦労するほどだ。下に引くのは厳選した歌である。

腰のところで君は手をふる ちいさく さよならをするのとおんなじように

水面でくだける光がかなしくて世界はもはや若すぎるのだ

全自動卓が自動で牌を積む ダンスフロアに転がるピアス

冷房がきついと君がとりだして羽織ったカーディガンにとぶ鳥

ミントガムのボトルのわきに二眼レフのおもちゃが転がっている

圧倒的落葉のなかフルネームでお互いを呼び合う女の子たち

ケージの彼女は鳶色のワンピースに春を従えバットを逆手で構えた

キジトラが荷台に遊ぶガラス屋の軽トラに花びらの流れて

Tシャツの裾をつかまれどこまでも夏の夜ってあまくて白い

はなうたをきかせてくれるあおむけの心に降るのは真夏の光

炎天に拾い上げれば作業着のボタンホールに挿す鳥の羽根

 一首目は若い女性がよくする仕草で、手を上に上げるのではなく腰の横の所で振っている。「さよならをするのとおんなじように」なので、別れの挨拶ではないのだから、きっと出会った時の挨拶だろう。四首目の場面の移行が秀逸だ。夏に入った店で冷房が効き過ぎていることがある。女性はそんなときの用意にかばんに羽織るものを持っている。彼女が羽織ったカーディガンで場面が終わるのかと思えば、ズームインしてカーディガンの模様の飛ぶ鳥に着地している。また五首目のミントガムのボトルと二眼レフのカメラのおもちゃの取り合わせは、まるで安西水丸の透明感のあるイラストのようなお洒落さだ。八首目では「キジトラ」と「軽トラ」の韻が言葉遊びとなっていて、永井陽子の秀歌「あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ」を思わせる美しい歌となっている。

 集中で最も好きなのは次の歌だ。

あかんぼが抱き上げられてからっぽのベビーカーのなか充ちるアンセム

 「アンセム」(anthem) とは、一般的には教会の聖歌もしくは国家・応援歌・寮歌のようにある集団を代表する歌を意味するのだが、ここはヘビー・メタルバンドのアンセムのことだろう。一瞬、抱き上げられる前の赤ん坊が音楽プレイヤーでアンセムの曲を聴いていたのかと思うが、そんなことはないだろう。こういう不思議な展開もときどき宇都宮の歌にはある。ヘビメタではなく聖歌と解釈しても、それはそれで厳かな雰囲気が醸し出される。もっと話題になってよい歌集だと思う。


 

第317回 山崎聡子『青い舌』

背泳ぎで水の終わりに触れるとき音のない死後といわれる時よ

山崎聡子『青い舌』

 背泳ぎで泳ぐと耳は水の下に隠れる。そのために外の音は聞こえなくなる。水が跳ねる音と、自分のハーハーという息の音がくぐもって聞こえるばかりである。その情景が死後の世界に喩えられている。注目されるのは、作者が思い描く死後の世界が、生命のない世界でも光のない世界でもなく、無音の世界だというところだろう。第一歌集『手のひらの花火』で、「絵の具くさい友のあたまを抱くときわたしにもっとも遠いよ死後は」と詠んだ作者にとって、それから10年の歳月が流れた今、死後の世界はもっと身近なものとなっているようだ。

 山崎聡子は早稲田短歌会出身で、2010年に「死と放埒な君の目と」で短歌研究新人賞を受賞した。2013年に刊行した第一歌集『手のひらの花火』は第14回現代短歌新人賞を受賞している。『青い舌』は今年 (2021年) 上梓された第二歌集である。版元は書肆侃侃房で、現代歌人シリーズの一冊である。装丁は第一歌集に続いて「塔」の花山周子が担当している。歌集題名の「青い舌」は集中の「青い舌みせあいわらう八月の夜コンビニの前 ダイアナ忌」から採られている。

 第一歌集を評した時には、「世界にたいしてロシアン・ルーレットを仕掛けているような危うさ」が魅力だと書いた。また匂いと触覚で世界を捉えるところに特色があるとも書いた。そのような印象は第二歌集にも通奏低音のごとくに響いてはいるものの、山崎の描く短歌の世界は少しく変化しているようだ。その大きな原因は子供が生まれたことにあるだろう。ただ、よくある「子供可愛い」短歌になっていないところが独自である。

 この歌集のベースラインをなすと思われる歌を引いてみよう。

うさぎ当番の夢をみていた血の匂いが水の匂いに流されるまで

非常階段の錆びみしみしと踏み鳴らすいずれは死んでゆく両足で

烏賊の白いからだを食べて立ち上がる食堂奥の小上がり席を

水禽の目をして君は立ち尽くす水いちめんを覆う西日に

魚卵のいのちが真っ赤に灯る食卓でお誕生日の歌をうたった

 一首目は集中の所々で点滅する子供時代の回想で、うさぎ当番は小学校で飼っている兎の世話をする当番だろう。「血の匂い」と「水の匂い」に不穏な雰囲気が漂う。この「生の不穏さ」が第一歌集から変わらぬ山崎の特色である。二首目は死の予感を詠んだ歌で、集中に散見される。1982年生まれの山崎は今年39歳だから、まだ死を想うには早いのだが、そう思うには理由がある。ある程度の年齢になって子供が生まれると、自分はこの子が何歳になるまで見届けられるだろうかと考える。子供が成長することは、自分が死へと進むことに他ならない。そこに痛切な死の自覚が生まれるのである。三首目は飲食の歌で、烏賊の刺身か煮付けを烏賊のからだと表現することによって、生きものの生々しさと生命が喚起される。四首目の君は男性だろう。君が水鳥の目をしているという。それは何を表す目だろうか。「水いちめんを覆う西日」にうっすらと終末感が漂っている。五首目も三首目と似ていて、食卓に並ぶイクラを「魚卵のいのち」と表現したところがポイント。小池光の「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして」に通じる歌である。

 思うに山崎にとって、この世界と人の世は双手を挙げて肯定するようなものではない。そこには不穏な影があり、人として否応なく経験せねばならないこともある。そのような世界にたいするスタンスから山崎の歌は生まれている。言葉の組み合わせから歌ができるというよりも、自分の中の深い場所から言葉を汲み上げているような印象がある。

 このような山崎のスタンスは子供を詠むときにも変わらない。

生き直すという果てのない労働を思うあなたの髪を梳くとき

子どものあたまを胸の近くに抱いている今のわたしの心臓として

脱がせたら湿原あまく香り立つわたしが生きることない生よ

死後にわたしの小さな点が残ることライターの火を掲げて思う

水たまりを渡してきみと手をつなぐ死が怖いっていつかは泣くの

 一首目、子育てとは生き直しだとは多くの人が抱く感慨である。自分が子供の時もこうだったと回想することで、人は二度人生を生きる。二首目、今の自分の心臓は胸に抱く子供の頭だという愛しさがこみ上げる。三首目、着替えのために子供の服を脱がせている。すると子供の甘い香りが漂う。しかし子供は自分の生をこれから生きるのであり、それは私の生とはちがうという痛切な思いがある。四首目の小さな点とは自分がこの世に残す子供だろう。五首目、自分と子供の間にある水溜まりは、決して越えることができないものの喩だろう。子供の日々の成長は喜ばしいものだが、この子とはいつかは別れるのだという思いが、ライトモチーフのように背後に低く鳴っているのを聴くことができるだろう。

 本歌集を読んでいておやと思ったのは次のような歌である。

夢に見る母は若くてキッチンにバージニアスリムの煙がにおう

どうしてこの人に似てるんだろう夜の手前で暗さが止まって見えてた日暮れ

花柄のワンピース汗で濃くさせた母を追って追って歩いた水路

わたしはあなたにならない意思のなかにある淋しさに火という火をくべる

「この子はしゃべれないの」と言われ笑ってた自分が古い写真のようで

 これらの歌から漂って来るのは、母親との微妙な関係である。何かをはっきりと思わせることは詠われてはいないが、作者と母親との間に共役できないものが横たわっていることが感じられる。「わたしはあなたにならない」というのは作者が心に誓った決意だろう。

 その一方ですでに他界した祖母にたいしては強い思慕の念を抱いていたようだ。次のような歌には、若死にした祖母にたいする追憶の気持ちが、箱にしまわれたセピア色の写真のように懐かしく詠われている。

花の名前の若死にをした祖母よまた私があなたを産む春の雨

なんのまじないだったのだろう石鹸を箪笥のなかに入れていた祖母

アベベって祖母に呼ばれた冷蔵庫の前のへこんだ床に裸足で

あざみ野の果ての暗渠よ夏服の記憶の祖母をそこに立たせる

モノクロが色彩を得る一生を歪んだように笑ってた祖母

 主に歌集の後半から印象に残った歌を引いておこう。

死に向かう わたしたちって言いながらシロップ氷で口を汚して

伏せると影のようにも見える目をもってとおく昼花火聞いていた夏

テールランプのひかり目の奥でブレてゆく見てごらんあれは触れない海

くるう、って喉の奥から言ってみるゼラニウム咲きほこる冬の庭

ぶらさげるほかない腕をぶらさげて湯気立つような商店街ゆく

花柄の服の模様が燃えだしてわたしを焦がす夏盛りあり

菜の花を摘めばこの世にあるほうの腕があなたを抱きたいという

 私が軽い衝撃を受けたのは最後の歌の「この世にあるほうの腕」だ。作者がこのように感じているということは、もう一本の腕はもうこの世にないという感覚があるということだろう。ここに引いた歌から立ち上って来るのは、生と向き合うときに私たちが心のどこかの暗い隅に走る戦慄である。それは日常のふとした瞬間にやって来る。山崎の歌はそのような感覚を掬い上げて、独自の世界を作っていると言えるだろう。

 

第316回 野上卓『チェーホフの台詞』

交番の手配写真に過激派の若き微笑はながくそのまま

野上卓『チェーホフの台詞』

 詠まれているのは日常よく目にする景色である。町角の交番の前に手配写真が貼られている。たいていは逃亡中の殺人事件などの凶悪犯の写真だ。みなそれなりの顔をしている。他とちょっと違うのは、60年代末から70年代の初めにかけて、各地で爆弾事件などを起こしたかつての新左翼の過激派である。彼らは大学生だったのでみな若い。そして写真は事件を起こす前に撮影したものだから、ふつうの学生の表情で微笑んでいる。それから半世紀近くの時が流れた。結句の「ながくそのまま」に苦さを感じ取るのは、私もその時代を生きたせいかもしれない。

 野上卓は1950年生まれだから、いわゆる団塊の世代の尻に位置する。第一歌集『レプリカの鯨』(現代短歌社、2017年)に詳しい経歴が書かれている。野上はキリンビールに長く勤務し、子会社の物流会社の社長まで務めて58歳で定年退職したサラリーマンである。勤務のかたわら劇団櫂のために戯曲を書き、そのいくつかはかつて渋谷にあったジァンジァンで上演されたという。小椋佳のような例はあるものの、こういう二足の草鞋は珍しい。退職してから短歌を作り始め、新聞投稿を主な活動の場として、毎日歌壇賞、文部科学大臣賞賞などを受賞し、新年の歌会始にも入選している。一時「塔」に所属したが、現在は「短歌人会」所属。『レプリカの鯨』は第4回の現代短歌社賞で佳作となったもの。『チェーホフの台詞』は2021年に出版された第二歌集である。

 歌集を読み始めたとき、正直言えば私は最初「これはほんとうに短歌なのか」と感じたものだ。次のような歌がぶっきらぼうな顔をして並んでいるからである。

禿げよりも白髪がいいと思いきし白髪となりて薄くなりゆく

勉強さえできれば後はついてくる父の叱咤は半分真実

その昔とおい昔はバナナにも種があったが今はもうない

パルコ三棟過去に追いやりヒカリエのガラス細工のオベリスク建つ

王冠を二度叩いてから栓を抜く儀式もありぬ壜のラガーに

 一首目、若い頃は禿げより白髪の老人になりたいと願ったものだが、実際に歳を取ると、白髪にはなったものの禿げもまた進行しているという自嘲とユーモアの歌である。二首目と三首目は懐旧の歌で、いずれも断定が主で短歌的余韻というものがない。三首目は仙波龍英の「夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで」という秀歌を遠くに感じさせつつ、資本主義の欲望のままに変貌を遂げる東京を詠んだ歌である。五首目は若い人にはわからないかもしれない。そもそも缶ビールが主流となった現在では、茶色の壜ビールの栓を抜くことも少なくなった。なぜか昔のおじさんは、栓抜きで栓を二度コンコンと叩いてからシュポッと抜いたものだ。ちなみに作者の野上は酒をまったく飲まないという。私の父も酒造会社に勤めていたが、酒造会社には酒が飲めない人がけっこういるらしい。それを「もったいない」と思うのは酒飲みだけである。

 上に引いた四首目と五首目には少しくその影はあるものの、最初の三首には短歌的抒情というものがまったくない。しかし歌集を読み進めてゆくうちに、「こういうのもありかも」と感じ始め、最後まで楽しく読み終えることができた。

 ふつう短歌ではずばり真実を断定するのは避けることが多い。短歌は基本的に抒情詩なので、その目的は真実を断定することにはなく、心情を叙述し詠嘆することにある。たとえ世の不滅の真理を述べる場合でも、それを物に託し余韻を残して表現するのが常套である。

蒸しかえす議案もあればかたちなきほどに煮込まれ消ゆる論あり  

                    小高賢『本所両国』

 小高もまた出版社に勤務するサラリーマンであった。詠まれているのは会社の企画会議か何かだろう。一度は消えたはずなにの復活する議案があるかと思えば、あれこれ議論されているうちに原形を留めなくなったものもある。会議ではよくあることだ。しかし小高の歌の重点は、そのような会議の虚しさに徒労感を覚える〈私〉の方に傾いている。短歌が「自我の詩」であり、一人称の詩型であるゆえである。

 しかるに野上はあまり〈私〉には興味がないらしく、自分を見つめる眼は時に冷徹で皮肉も感じさせる。

ランボオの筆おる歳の三倍をいきてのうのうわれは歌よむ

アルバムにともに写りし部員らの半ばの名前もはや出でざる

祖父母父母それぞれもてる戒名を私は一つも覚えていない

他人には言えぬ濃厚接触の場所はこの先まがったところ

わが戯曲読まざる妻がしっかりと目を通しゆく給与明細

 ランボオの名が出るところに世代を感じる一首目は自嘲の歌で、このように自分を突き放して見るスタンスが野上のベースラインと思われる。歳を取ると記憶力の減退が著しいが、祖父母の戒名まで覚えている人は稀ではないか。四首目は新型コロナウィルス流行ならではの歌で、パンデミック以来、「三密」「濃厚接触」「社会的距離」「おうち時間」「オンライン授業」など新しい言葉が増えた。このような言葉を詠み込んだ歌は、数十年経った未来には、時代を感じさせる歌となるにちがいない。

遺伝子の組み換えなしと書かれたるポップコーンに塩がききすぎ

四十年過ぎて上海バンドにはあふれる光ビジネスの話

「感性の経営」という不可思議な言葉煌めき揺らぎ消えたり

メーカーの勤めを終えて十年余いまだに弊社の製品という

特攻機ゆきし出水の滑走路十八ホールのゴルフ場となる

 野上の視線はたやすく文明批評の色を帯びる。それは自らの裡の心の揺らぎよりも、現実と外部世界の有り様に興味を引かれる心性のなせる業である。そのような心性の持ち主には抒情よりも叙事が向いている。詠嘆よりも事実の提示が似合うのである。一首目、材料のじゃがいもは遺伝子組み換えではありませんと誇らしげに表示しているポップコーンに塩が利きすぎていて、そのほうが高血圧に悪かろうという歌。二首目、40年前に中国を訪れた時には、紅衛兵が毛沢東語録を振りかざして資本主義を攻撃していたが、今ではビジネスの話しかしないという歌。三首目、「感性の経営」というのはバブル経済の頃に言われたことだろう。四首目、会社を辞めて10年経っても弊社というサラリーマンの悲しい性を詠んだ歌。五首目の出水いずみは鹿児島県で旧日本軍の航空隊基地があった場所。そんな過去の記憶に満ちた場所も、資本主義はゴルフ場にしてしまうのである。

干満のはざまに草魚腹見せて動かざるまま雨の駒形

夏の日は海の底から大空を見上げる色に暮れゆきにけり

苦瓜の蔓を払えばリビングの外に大きな秋空のあり

ダージリンティーにそえたる砂時計ひそかに吾のときを奪いぬ

皿の上にパセリ一片残されて窓の向こうは秋雨の街

欲望は果てなきものか寄り来たる鯉の口腔うつろに深し

棺桶に閉じ込められて君は去りわれら散りゆくクッキーを手に

 集中では珍しく抒情的な歌を引いた。最後の歌は友人の葬儀の場面を詠んだ歌で、クッキーは会葬者に配られたものだろう。「散りゆく」と「クッキー」が縁語になっている。

 野上の歌は、骨太でぶっきらぼうで断定的で批評的であり、冷徹な視線にユーモアがまぶしてある。昨今あまり「男歌」「女歌」という言い方は流行らないが、野上の歌はまぎれもない男歌である。それはまた短歌人会の伝統のひとつでもあるのだろう。

 

第315回 立花開『ひかりを渡る舟』

傘のまるみにクジラの歌は反響す海へとつづく受け骨の先

立花開『ひかりを渡る舟』

 この歌集を読んでいくつか新しい単語を覚えた。「受け骨」もそのひとつである。「受け骨」とは、傘の布やビニールを支えているホネのことだという。『広辞苑』には立項されていないので、おそらく業界用語なのだろう。

 掲出歌は初句七音である。TV番組「プレバト」の毒舌先生こと夏井いつきも言っているように、増音破調は初句に置くのがいちばん無理がない。傘の丸みからドームやパラボラアンテナへと連想が飛ぶ。そこに反響するのが鯨の歌というのだから、スケールが大きい。おもしろいのは下句である。湾曲した傘の受け骨の先端が海へと続いているという。先端が物理的に海まで伸びていることはないので、海まで続いているような気がするという見立てである。作りが大きく、作者の想いが遠くへと飛ぶ歌で、いかにも若い人が作る歌という印象を受ける。

 立花はるきは1993年生まれ。まだ高校生の2011年に第57回角川短歌賞を受賞して話題になった。受賞作の「一人、教室」は本歌集の最初に収められている。

君の腕はいつでも少し浅黒く染みこんでいる夏を切る風

うすみどりの気配を髪にまといつつ風に押されて歩く。君まで

やわらかく監禁されて降る雨に窓辺にもたれた一人、教室

 選考委員の中で二重丸を付けて推したのは島田修三と米川千嘉子で、島田は「ひりひりするような感覚を捕まえている」と評し、米川は「生々しくて痛々しい感じが非常に印象的だ」と述べている。立花が受賞となり、次席は藪内亮輔の「海蛇と珊瑚」となった。立花の受賞は小島なおに次ぐ最年少受賞であった。

 記憶が曖昧なのだが、たしか誰か「若年の栄光は災厄」と言った人がいる。若いうちに栄光を手にするのは、本人の将来にとって必ずしもよいことではないという意味である。その見本はフランスの小説家フランソワーズ・サガン (Françoise Sagan) だろう。若干19歳で書いた小説『悲しみよこんにちは』(Bonjour tristesse) が文学賞を受賞して富と栄光を手にしたサガンは、その後、度重なる恋愛遍歴、スピード狂による自動車事故、アルコール中毒、コカイン中毒など、多彩で波乱に満ちた人生を送った。そこまでは行かなくとも、若年で手にした栄光にその後苦しむ人は多い。立花の場合がどうだったかは詳らかにしないが、受賞を重荷と感じたこともあったのではないか。『ひかりを渡る舟』は今年 (2021年) 9月に角川書店から刊行されたばかりの第一歌集である。帯文は島田修三。「十年の歳月をかけて、生の根源に触れる深々とした立花短歌の魅力になった」という言葉を寄せている。

 本歌集の前半を読むと、やはり多くの人にとって短歌は「感情を盛る器」なのだなと改めて感じる。自分の思いの丈を三十一文字にこめるのだ。

 

三月の君の手を引き歩きたし右手にガーベラ握らせながら

鍵盤にとても優しく触れたなら届くでしょうか私の鼓動パルス

その唇にさびしきことを言わせたい例えば海の広遠などを

さみどりのグリーンピースのたましいよ憧れのまま蓋する心

去年より毛羽立つマフラー巻きつけた中でしかもう君の名を呼べぬ

 

 このような歌から伝わって来るのは、思春期を迎え、自分の手に負えないほど広い世界と異性に出会った俯きがちな少女が心に抱いた孤独な想いである。これらの歌では歌の中の〈私〉の輪郭と作者の輪郭はほぼ重なり、作者と歌の距離がとても近い。引き出しの奥にしまってある日記帳に、夜更けに紫色のインクで日々の想いを綴るのとそれほど変わらない。「作る」という意識よりも「表す」という意識の方が勝っていると言えるだろう。作者と歌の距離の近さから、「ひりひりする感じ」や「痛々しいさ」が伝わってくる。

 短歌にたいしてはこれとは異なるスタンスもある。『玲瓏』所属の歌人であり、俳句誌『芙蓉』主宰でもあった照屋眞理子は、「短歌を自己表現の手段と考えたことは一度もない」と生前常々言っていた。照屋にとって短歌を詠むということは、短歌定型という古くから伝わる楽器をできるだけ美しく響くように鳴らすことであった。

 

雪にまぎれ天降あもるまなこは見るものか地に眠りゆく哀しみのさま

                      『抽象の薔薇』

アルペジオ天の楽譜をこぼれ来て目のまぼろしを花降りやまず

 

 『ひかりを渡る舟』は五部構成になっており、おそらく編年体で編まれている。第1部は角川短歌賞受賞作の「一人、教室」と、確認はしていないがたぶん受賞後の第一作の「世界の終点」だけが置かれている。作者自身にとっても若い頃の作ということとで切り離しておきたいのだろう。

 歌集を順に読み進むうちに、歌の表情が変化してくることに気づく。歌集なかほどで場所を占めるのは相聞である。

二回目にみる花水木咲き始めだす道君を忘れゆく道

夕焼けで稲穂が金に燃えさかるどの恋もわたくしを選ばない

足踏み式オルガンに合わせ呼吸する 眠ればあなたに弾かれる楽器

呼び合うようにあなたの骨も光ってね龍角散飲み干す夜に

最後ゆえ華やぎ終われぬ会話なれば私からやめることを切り出す

 立花の歌がにわかに陰翳を帯びて来るのは、歌集ほぼ中程の第三部「夕陽に溶ける」あたりからである。

 

生きる世はまばゆしと人は言うけれど躰をまるめるだけである影

眼鏡なく浜を見やれば老犬は夕陽に溶ける美しき駒

果ての惑星ほしにキリンの檻は溢れおり こうしてばらまかれた生と死は

濡れたものはより朽ちやすく握られた右手で白い食器を洗う

初冬の浴そう磨く 水が揉む私といういつか消えてしまう影

 

 一首目と二首目は老衰で亡くなった愛犬を詠んだ歌である。人は生の輝きと言うけれど、老いの果ての愛犬はただ丸まる影にすぎないという現実がある。生老病死は近代短歌の変わらぬ主題である。立花はあとがきに、ここ数年で家族や知人を立て続けに失ったと書いている。家族では祖母、祖父、鳥と犬と猫で、自死した知人もいたようだ。喪失で失うのは命だけではなく、それが起きる前の自分の世界や言葉も失われるとも書いている。立花の言う通りだ。祖父母と交わした何気ない会話や、犬猫に話しかけた言葉は、その死とともにどこかに消えてしまう。

 三首目は読んでしばらく考えてから、「果ての惑星」とはこの地球のことだと気づく。ということは地球から遠く離れた視点から見ていることになる。動物園にはキリン舎が必ずと言っていいほどある。方舟は地球だったという歌もあり、確かに地上には生命が溢れている。しかしそれは同じ数だけの死でもある。そのことは自分もまた死ぬべき存在と自覚する五首目にも表れている。

 角川短歌賞受賞時に高校生だった立花はその後成長したのだが、成長するということはまた別れを経験することでもある。幾多の別れを通過することで、立花にとっての短歌は「感情を盛る器」から「思索をうながす器」へと変化したようだ。嬉しい、悲しいといった日々の感情を歌にするのではなく、歌を詠むという営為によって、自分と他者や世界との関係を探るという姿勢へと知らず知らずのうちに変わっているのである。

 

白魚の天麩羅噛めば小さけれど意思あるものの脂の味す

言葉とは重たいだろう淡き想い持つものだけが空へ近づく

この世の何処に眼はあるか くるりくるりと誰かのカレイドの中にいて

生き継いできたのに。今日の我が影もあなたの死後の冷感がある

赦しがない世界のかげをまだ知らぬ眩しき群れに目を細めたり

 

 一首目、白魚の天麩羅を食べて感じる脂の味は、生きていた時の白魚が自分の意思を持って行動していた証だという歌である。飲食の歌の体裁を取りながら、小さな命へのまなざしを語っている。二首目、言葉は重いもので、放ったとたん地上へ落下してしまうが、淡い想いを持つ人のみが空へと浮かぶことができるという。いろいろな解釈ができる歌である。三首目は、自分は誰かの万華鏡の中でくるくる回っている存在ではないかという想いを詠んだ歌である。万華鏡はきらきらと輝くが、その運動は外部の誰かの手によるものだ。私は果たして意思をもって生きているのだろうかという疑問を歌にしたものだろう。四首目、「生き継ぐ」というのはあまり使わない言葉だが、「継ぐ」とは絶やさないように続けることを言う。自分は人から生をもらい、それを続けてきた。しかし自分の影に恋人の死後を感じている。命の光と影を詠んだ歌である。五首目は幼い子供たちを前にした想いを詠んだもの。子供の世界には罪がない。しかし大人の世界には赦しのない罪もあると感じている。立花の歌の力点が、自分の想いを詠むというスタンスから大きく変化し、歌を作ることを通して自分と世界の距離を測り関係を探る方向に向かっていることは明らかだろう。

 

夏に咲く花々のこと眼裏に息づかせ今はただ広い海

でも触れてあなたを噛んでわたくしを残す日の万華鏡のかたむき

疚しさから裂けて溢れるやさしさの、くらぐらと瞼も思考の裂け目

ただひとつの惑星ほしに群がり生きたれどみな孤独ゆえ髪を洗えり

初夏の空がどの写真にも写り込みどこかが必ず靑、海のよう

だれの傍にも死はにおえども 発光する秋穂に触れる風が薫りぬ

黙という深き林檎を割る朝よ死者にも等しくこの光あれ

 

 歌集後半から印象に残った歌を引いた。技法的には、例えば一首目の下句の「息づかせ今は/ただ広い海」のように8音・7音の句跨がり的破調や、五首目の「どこかが必ず靑/海のよう」の10音・5音のように、下句を15音にして不均等に分割する手法がなかなか効果的に使われている。一巻を通読すると、ひとりの人間の成長が感じられる歌集となっている。

 

第314回 奥村知世『工場』

ある覚悟静かに示すヘルメット血液型を大きく書いて

奥村知世『工場』 

 工場で働く作業員が被るヘルメットに自分の血液型が、たとえば「O型」とか「B型」のように大きく書かれている。なぜ書かれているかというと、事故に遭って怪我をして病院で輸血を受けなくてはならなくなったときに、血液型を調べる手間を省くためである。ということはそのような事故が十分起こり得るような、危険を伴う職場だということになる。ヘルメットに書かれた血液型が「ある覚悟」を示しているのはこのためである。

 本歌集は「心の花」に所属する作者が2021年に上梓した第一歌集である。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻として出版された。監修と解説は藤島秀憲が担当している。本歌集は現代にあって独自の異彩を放っていると言わねばならない。作者はかなりハードな業務の工場に勤務していて、本歌集に収録されている歌の多くは工場での労働を主題としているからである。

夏用の作業着の下をたらたらと流れる汗になる水を飲む

昼休み防塵マスクのゴムの跡くっきりさせて社食へ向かう

ミドリ安全帯電防止防寒着「男の冬に!」の袋を破る

油圧式フォークリフトはカクカクと冬の寝起きのオイルはかたい

男らの血管のように配管が浮き出る黄昏時の工場

 過不足なく言葉を選んで詠まれているので歌意は明確で、解説の必要はなかろう。防塵マスクが必要で、別の歌にもあるが安全靴を履いて働く職場である。

 かつて近代短歌には職場詠・職業詠というジャンルがあった。特にプロレタリア短歌では当然のことながら労働の歌が作られた。しかし現代短歌では徐々に職場詠・職業詠は少なくなっている。そのためもあってか、『短歌研究』2020年3月号では「歌人、『わが本職』を歌う」という特集を組んでいるほどだ。ちなみに本歌集の作者奥村もこの特集に寄稿している。自らの仕事の現場を詠う職場詠・職業詠が減少したのは、生活即短歌というアララギ的リアリズムが重んじられなくなったためだろう。生活と短歌の距離は時代によって小さくも大きくもなるが、ニューウェーヴ短歌・ポストニューウェーヴ短歌を経た現在では、生活と短歌の距離はかつてなく離れている。そんな中で自らの労働現場をリアルに詠う奥村の短歌は、ひときわ異彩を放っていると言えるのである。

 上に引いた五首目のように、夕暮れ時に照明で煌煌と照らされた工場の景観を詠んだ歌がないわけではない。今で言うなら「工場萌え」である。

銀色に装置かがやき工場は城なせり惨苦茅屋ヤンマーヘーレンの彼方

                   前田透

川上は長く夕光をとどめつつ迷彩剥げし工場群見ゆ

                  宮地伸一

 しかしながら近代短歌に散見されるこのような歌は、産業の振興とともに出現した工場群やコンビナートという新しい風景を詠んだ都市詠である。工場の中で働いているという職場詠・職業詠ではない。そこがちがう点だろう。

 本歌集には男ばかりの職場でいわゆるリケジョとして働く違和感を詠んだ歌も散見される。

実験室の壁にこぶしの跡があり悔しい時にそっと重ねる

労災の死者の性別記されず兵士の死亡のニュースのごとく

プレハブの女子更衣室に女子トイレ暗い個室に便座はピンク

実験の組成の相談ひとさじの試薬を砂金のごとくにすくう

職場では旧姓使用 家族とは違う名字のゼッケン付ける

 作者はどうやら実験室で研究開発を行う部署で働いているようだ。うまく行かない時は壁を拳で叩く人もいるのだろう。労災の死者はまるで戦死者のようだというところに労働環境のシビアさがうかがえる。

 本歌集に収録された歌は上に引いたような職場詠が多いのだが、もうひとつの幹を成すのは家族詠である。作者は働きながら二人の子供を産み育てているのだ。

保育園のにおいする子を風呂に入れ家のにおいにさせて眠らす

子の影をはじめて作る無影灯長男次男は手術で生まれ

太陽を抱えるように二歳児は水風船を両手で運ぶ

スリッパが私の分だけ傷みゆく主婦とは主に家にいるもの

父親のみ「不存在」という項もあり保育園申請理由記入書

 子供を育てた人ならばわかるが、保育園のにおいというのは確かにある。無影灯は手術室で用いられる照明。影のない胎内から生まれた我が子の初めての影を作ったのが無影灯だというところには、ハッとさせられる発見がある。保育園の申込書には、理屈の上では「母不在」もありうるのだが、実際にあるのは父不在の項目だけだという。育児の負担が母親に局在している証左だろう。

 理科系の人ならではの歌もある。

近づけばよりひかれあう寂しさはファンデルワールス力の正体

はなかなる水平線を切り取って実験台に置くメニスカス

 ファンデルワールス力とは分子間に働く引力のこと。メニスカスは試験管などに液体を入れたとき、壁面に当たる部分が表面張力によって盛り上がる現象をいう。このように理科系の専門用語から発想を飛ばして抒情を発生させる手法はとてもよい。ちなみに上の二首は、2017年の短歌研究新人賞の候補作になった「臨時記号」の中にあり、目にした記憶があった。

工場の道路に花びら降り積もりフォークリフトの轍がのびる

嘘という臨時記号よ二歳児の言葉のしらべに黒鍵混じる

フライパンにバター落として溶けるまでふと長くなる十月の朝

投げられた花びらはすぐ掃除され花だけを吸う掃除機がある

ひそやかに温湿度計ふるわせて私の吐く息課長の吐く息

噴水に子どもが次々入りゆく夏に捧げる供物のように

 職場と日々の仕事をリアルに歌に詠むときに問題となるのは、いかにして抒情詩としてのポエジーを立ち上げるかである。労働のシビアさは読む人の共感を得ることはあっても、それだけでポエジーは発生しない。何らかの言葉の技法が必要である。上に引いた一首目では、フォークリフトといういかにも無骨な運搬器具と桜の花びらの「取り合わせ」がポエジーを生む。二首目では幼子の嘘をピアノの黒鍵に喩える「喩」である。三首目のポイントは「ふと長くなる」にある。物理的時間が長くなることはないので、これはその折りの作者の心理を表している。四首目は何の情景だろうか、「花だけを吸う掃除機」に意外性がある。ゴミパックを捨てるために取り出すと、中には花びらがぎっしり詰まっているのだろうか。五首目では部屋にいる人の吐く息に湿度計が反応するという微細な点がポイントである。六首目は子供を夏の神に捧げる供物に喩えた「喩」だ。

 こうして見ると奥村は明らかに「人生派」の歌人で「コトバ派」ではない。言葉の統辞法を日常のそれとは違ったものにしたり、本来は共存しない言葉をぶつけて発する火花をポエジーに昇華したり、言葉の意味を脱臼することで非日常の空間にダイブするということがない。そのような手法を少し試してみると、表現の幅が拡がるように思う。

 

第313回 永井祐『広い世界と2や8や7』

横浜はエレベーターでのぼっていくあいだも秋でたばこ吸いたい

永井祐『広い世界と2や8や7』

 2020年に左右社から上梓された永井の第二歌集である。永井が2002年に第一回北溟短歌賞で次席に選ばれて短歌シーンに登場した時は、「トホホ短歌」「緩い短歌」の代表格と見なされて、年長歌人たちからずいぶん叩かれたものだ。しかし、その後の時間の流れの中で、永井が作る短歌の本質の理解はずいぶん進んだ。そのような変化の契機は大きく3つあったように思う。

 一つ目は2005年に行われた第4回歌葉新人賞である。この回の新人賞は笹井宏之が「教えてゆけば会えます」で受賞した。次席は宇都宮敦の「ハロー・グッバイ・ハロー」である。書肆侃侃房から「ねむらない樹」別冊として刊行された『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。永井は全部で5回行われた新人賞の選考会では、第4回がベストだったと書いている。その理由は、笹井と宇都宮の対決は「一種のスタイルウォーズだった」からである。 

 少し抜き出して引用してみる。

「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮の歌。表現の飛躍が魅力の笹井に対して、一字空けの間や『とりあえず』『ふつうに』などの言い回しから葛藤や空気感を伝える宇都宮」。「笹井の歌は一首での引用に向いている」が、「宇都宮の歌は三十首の流れやうねりにキモがある」。「その対立は口語短歌の行方にとって本質的である」、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた。」

 宇都宮の「ハロー・グッバイ・ハロー」には次のような歌が含まれていた。これも年長の歌人の目から見れば相当な「緩い歌」と見えるだろう。選考委員で宇都宮を推したのは穂村弘一人だったという。

真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは

それでいてシルクのような縦パスが前線にでる 夜明けはちかい

牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ

 明らかに宇都宮は永井と同じ方向性をめざしていた。キラキラした言葉ではなく、近いところの見方を変える歌という永井の言は、そのまま自身の短歌の特徴を語っていると見てよい。

 『短歌研究』2020年6月号は「永井祐と短歌2010」という特集を組んでいる。そのインタビューの中で永井は次のように語っている。歌を作り始めた頃は、穂村弘の影響が大きかった。しかしそれではだめだと感じて、自分の持っているものを自覚して文体に落としていく作業に時間がかかった、と。聞き手の梅崎実奈は、第一歌集の『日本の中でたのしく暮らす』に北溟短歌賞の「総力戦」が収録されているが、穂村っぽい部分が全部カットされていると指摘すると、永井は、テンションの高さやキラキラした部分はカットしたのだと明かしている。永井の短歌の文体は自覚的に作り上げたものであることがわかる。

 永井の評価の潮流が変化した第二の契機は、永井が何をやろうとしているかについての年長歌人の理解が深まったことである。たとえば『レ・パビエ・シアン II』2012年9月号の「若手歌人を読む」という特集に、大辻隆弘が「新しき『てにをは派』」という永井論を書いている。大辻は2011年7月に長浜ロイヤルホテルで開かれた現代歌人集会の「口語のちから・文語のチカラ」というシンポジウムに登壇した永井が語った言葉に瞠目したと明かしている。永井は、口語・文語・外来語といった様々な言語を「ツール」として選ぶという言語観を否定する。言葉とは、自分の存在を規定している「身体の延長」であり、口語は「自分が生まれた国」であるとする。またニューウェーヴ世代の短歌の不自然な口語と文語の混交に違和感を感じていたとも述べている。詳しく引くのは避けるが、大辻は永井の文体のキモは「てにをは」つまり助詞であり、助詞の選び方に永井独自の工夫があると熱く語っている。これはユニークな視点である。

 第三の契機は、ゼロ年代のリアル系歌人と呼ばれる若手に永井フォロワーが増えたことである。試しに『現代短歌』2021年9月号の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」から引いてみよう。

特別な何かを手に入れたとしても幸せになれるかは、わからない

                          中野霞

気をつけてねと送り出されたこの道で死ねば気をつけなかったわたし

                          乾遙香

てきとうな感じで生きている人がいたっていいしいたってふつう

                         中澤詩風

 このような若者のしゃべり言葉に限りなく近い口語短歌は、永井や宇都宮が始めたものである。前衛短歌が積み残した使命として現代短歌の口語化を挙げる加藤治郎の短歌と較べてみると、そのちがいは一目瞭然だろう。

やりなおすことはできないどこからもどこからも鈍器のひかりあれ

                        『噴水塔』

韻律の香りのなかに言葉ありさよふけぬれば風は囁く

ひらがなの流れるような雲がゆくふるえるばかりひとひらの舌

 加藤の歌は美しいとは思うが、永井が違和感を感じたという文語と口語の混交とはまさにこのような文体を指すのだろう。日常の生活で、「さよふけぬれば」とか、「ふるえるばかり」なんて言う人はいない。

 「口語によるリアリズムの更新」という問題意識は、加藤治郎らのニューウェーヴ世代にもあったが、永井の特徴は、一見ハードルが低そうで、つい真似をしてみたくなるところにあると穂村弘は指摘している(『短歌研究』2020年6月号所収「作り手を変える歌」)。永井が北溟短歌賞でデビューしたときにはそれと意識されていなかった「リアリズムの更新」というテーゼが、その後時間が経つにつれて短歌シーンに徐々に浸透していったということになろう。

 前置きが長くなったが『広い世界と2や8や7』である。まず数字に意味があるのかと考えてしまう。合計すると17になるが、俳句ではないのでこれには意味はあるまい。収録されている連作のタイトルにも、「それぞれの20首」「7首ある」「12首もある」のようにとぼけたものがある。永井は意識的に不必要な意味を消去しているのだ。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

オレンジ色に染まってる中央通り 市ヶ谷方面 酒屋を右に

雪の日に猫にさわった 雪の日の猫にさわった そっと近づいて

待てばくる電車を並んで待っている かつおだしの匂いをかぎながら

 永井は単に歌を不自然な文語から解放して、若者の日常のしゃべり言葉で書こうとしているわけではない。日常の言葉を写しただけでは詩にならないからである。できるだけ口語で書いてポエジーを発生させるには文体の工夫が必要である。永井は意識的な文体派なのだ。穂村の言うように、ハードルが低そうでつい真似をしてしまう人とのちがいはそこにある。

 一首目は巻頭歌である。ここには手の込んだ倒置法が使われている。正置に戻すと、まず三句目までと残りを「ジャケットでジャケットでしないことをするからよれよれにジャケットがなる」とひっくり返し、次に「よれよれにジャケットがなる」を「ジャケットがよれよれになる」とまたひっくり返す。残りは「[ジャケットでしないこと]をジャケットでするから」と入れ子構造になっているという複雑な文になっている。穂村と山田航はこの歌を「これはやりすぎだね」と評しているが無理もない。

 二首目の工夫は「青いから」にある。ライターを手の中で回すのは、人が無意識によくする行為だ。しかし「青いから」と「そこでなにかが起こったような」の間に論理的連関はない。論理的連関を断ち切ることによって意味の脱臼が起こり、言葉は日常の地平を離れて浮遊し始めるのである。三首目は意図的に助詞と述語を省略することによって、言葉の連接を疎外して、「言いさし感」と「言い足らず感」を浮上させている。四首目は永井を「てにをは派」とする大辻ならば喜びそうな歌である。「雪の日に猫にさわった」の「雪の日に」は時間指定を行う連用修飾句であり、文全体に掛かる。一方、「雪の日の猫にさわった」の「雪の日の」は「猫」に掛かる連体修飾句であり、「雪の日の猫」という大きな体言内部で完結している。「雪の日に猫にさわる」という体験を通して、猫は単なる猫ではなく「雪の日の猫」という一回限りの特性を帯びることになる。言わば外部が内部へと浸透するのである。五首目は通勤のために駅のホームで電車を待っている光景だろう。かつおだしの匂いというのは、駅のホームにある立ち食い蕎麦の店から漂う匂いだろうか。この歌でおもしろいのは「待てばくる」だろう。駅なのだから待てば来るのは当たり前である。当たり前のことをわざわざ言うのはどこかおかしい。そのどこかおかしい感が日常の言葉と少しずれを生んでいる。

 永井の短歌のもうひとつの特徴を挙げておきたい。ものすごく乱暴に短歌を二分すると、「名詞中心の歌」と「動詞中心の歌」に分けられる。名詞中心の歌の代表格は何と言っても塚本雄だろう。

煮られゐる鶏の心臓いきいきとむらさきに無名詩人の忌日

                   『日本人霊歌』

ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の脚

                    『緑色研究』

 名詞は基本的に動きを表さず、時間性を内包しない。このため名詞中心で描かれた光景は、あたかも一幅の絵画のごとく凍り付いたように空間に固定される。それゆえ結像性が高く、読む人の心に視覚的印象が深く刻まれる。永井の歌集にこのような歌は一首もない。永井は動詞中心派なのである。

デニーロをかっこいいと思ったことは、本屋のすみでメールを書いた

目をつむり自分が寝るのを待っている 猫はどこかへ歩いて行った

とおくから獅子舞を見る 駅ビルの階段の上でゆっくりうごく

 永井が動詞中心派なのは、ふつうの世界に生きている〈私〉の「今」を表現したいからだろう。一首目や二首目のように過去形の「タ」で終わる歌もあるが、三首目のように非過去形の「ル」で終わる歌も多くあり、この歌のように一首の中に動詞が複数使われているものもある。それが〈私〉の「今」とどうつながるかは、別の所に書いたのでここでは繰り返さない。

 文体派の永井の面目躍如の歌集である。本歌集は今年の大きな話題となるだろう。

 

第312回 山下翔『温泉』

檀弓まゆみ咲くさつきのそらゆふりいづる母のこゑわれにふるへてゐたり

山下翔『温泉』

 山下翔は1990年(平成2年)生まれで、2007年頃から作歌を始めたという。17歳だからまだ高校生か。九州大学理学部に入学後、しばらくしてから短歌に力を入れるようになり、九州大学短歌会を創設して代表になる。第一歌集『温泉』に収録された50首の連作「温泉」は、『九大短歌』第4号 (2006年) に掲載されている。他の会員が10首や20首の出詠の中で、50首の連作は異例である。早くから連作を構成する技量を持っていたことがうかがえる。山下が注目されたのは、現代短歌社賞で二度にわたって次席になったことによる。第1回目のタイトルは「湯」、第2回目が「温泉」であった。選考委員だった外塚喬は、「二十代の若者ならもう少しかっこいいタイトルを付けてもよいだろうと思った」と栞文に書いている。

 『温泉』は2018年に現代短歌社から上梓された第一歌集である。栞文は島田幸典、花山周子と外塚喬。本歌集は第44回現代歌人集会賞、第63回現代歌人協会賞、福岡市文学賞を受賞している。現在「やまなみ」所属。

 瀬戸夏子は『はつなつみずうみ分光器』で山下を紹介する文章を「いぶし銀の新人の登場であった」と始めている。「現代短歌ではなく、近代短歌の継承者が突然姿を現した」、「とにかくいい意味でいまどきの若者らしくない」と続けて、「大物だ」と締めくくっている。どうやら、いまどきの若者らしくない近代短歌というのがキーワードのようだ。さてその作風はというと、なかなかに個性的で確かにおおかたの現代の若手歌人の短歌とはひと味ちがうのである。

店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである

厚切りのベーコンよりもこのキャベツ、甘藍キャベツ愛しゑサンドイッチに

そんなに握りつぶしてどうするまた展く惣菜パンの袋であるに

みりん甘くて泣きたくなつた銀鱈の皮をゆつくり噛む夏の夜

食べをへた西瓜の皮のうつすらと赤みがかつて夕空かるし

 一首目、熟れた枇杷の実の橙色が飲み屋街の店の灯りのようだと述べる韻律のよい上句は突然分断され、下句はつぶやくような口語の感慨へと転じている。この転調は山下の得意技である。二首目はキャベツとベーコンを挟んだサンドイッチの歌で、後でも述べるが山下には飲食の歌が多い。山下はよほどキャベツが好きなのか、キャベツの歌が他にもある。この歌では特に統辞の工夫に注目したい。三句目で体言止めして、「甘藍愛しゑ」といったん感慨し、最後にサンドイッチという正体を明かす。この出し方に工夫がある。三首目は口語脈で独り言のような歌で、惣菜パンを入れた袋を強く握りすぎているという瑣事を詠む脱力系である。こういうとぼけた味わいの歌も多い。四首目は男一人の飲食の歌に侘しさが漂う。侘しさは短歌によく似合う。高額の宝くじに当選したという短歌は見たことがない。五首目は三句目までが「赤み」を導く序詞のように作られていて、山下はこのような技法を好んでいるようだ。次のような歌もある。

朝食のふぐのひらきのしろたへのウエディングスーツきみも着るのか

 栞文で島田幸典は「この歌集で最も輪郭濃く描かれた登場人物は、お母さんである」と述べている。確かに島田の言うように、本歌集には両親を詠んだ歌、とりわけ母親を詠んだ歌が多くあり味わいが深い。

母がまだ煙草を吸つてゐるとしてやめようよなんて言つてはいけない

母の日を過ぎてそろそろ誕生日の母をおもへど誕生日知らず

母の通ひ詰めたるパチンコ店三つひとつもあらずふるさと日暮れ

四十代さいごの年を生きてゐむ母にさいはひあるならばあれ

会はないでゐるうちに次は太りたる母かもしれず 声を思へり

 歌に描かれた母は、パチンコ屋に通い煙草を吸うというなかなか豪快な女性である。これらの歌にとりわけ味わいがあるのは、何か事情があって母親は作者と離れて暮らしているからである。「母にかはつてとほくから来るバスを見きつぎつぎに行き先を母へ伝ふる」という幸福な子供時代を回想する歌もあり、母親は作者にとって記憶の中に生きている思慕の対象であるようだ。

 記憶があやふやだが、永井祐の作る短歌は舞台が東京でないと成立しないと山田航がどこかで書いていた。それはひょっとしたら西田政史の『ストロベリー・カレンダー』(1993年)あたりからはっきりした傾向となって、現在まで続いているのかもしれない。無機質で風土性の欠如した都市空間は様々なものを漂白して提示する。どこまでも続くユークリッド空間のように凹凸と陰翳がない。しかし山下の歌には強い風土性が感じられ、これも現代の若手歌人にはあまり見られない特色となっている。

この墓がどこに通じる友人の精霊しやうろう流しの手伝ひに来て

新盆の家をまはると細き路地に船押す人と曳く人とあり

母がしてゐたやうに花買ひ水を買ひ生家の墓へと坂をのぼりつ

鬼灯を今年は買つてまぜてみる墓に冷たく祖父が来てゐる

ふるさとに見過ごすもののおほきゆゑ今年は咲いて百日紅あり

 お盆に故郷で墓参りをする光景が描かれていて、九州なので精霊流しの船もある。生家の近くには先祖の墓があり祖父も眠っている。私の世代ならごく普通の景色だが、現代の都市に暮らす若い人たちには「日本昔ばなし」の世界だろう。こういうところにも山下が近代短歌の血脈を継ぐと言われる理由があるのかもしれない。

 先にも書いたように本歌集には飲食の歌が多く、どれもおもしろい。

それでキャベツを齧つて待つた。焼き鳥は一本一本くるから好きだ

戻り鰹のたたきの下のつましなれば玉ねぎのうすらうすら甘かり

円卓をまはせばここに戻りくる あと一人分の酢豚をさらふ

ざく切りのキャベツちり敷く受け皿にまづバラが来てズリ、皮、つくね 

ほの甘いつゆにおどろくわが舌がうどんのやはきにもおどろきぬ

 どの歌もいかにもおいしそうに詠まれていて、作者にとって飲食が楽しみであることが伝わってくる。四首目は焼き鳥の歌だが、「回転の方向はそれ左回り穴子来て鮪来てイカ来て穴子」という小池光の回転寿司の歌を想起させる。「つましなれば」をさらりと潜ませるなどなかなかの腕だ。このような飲食の歌もまた、近代短歌に通じるところがある。よく知られているように、斎藤茂吉もまた食べることに人一倍執着があり、大好物は鰻だったというのは有名な話である。

ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは樂しかりけり

 山下は本歌集の巻頭に、「山道をゆけばなつかし眞夏まなつさへつめたき谷の道はなつかし」という斎藤茂吉の『つゆしも』の歌を引いているくらいだから、茂吉の短歌世界に引かれているのだろう。『現代短歌』2021年9月号の「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」で山下は、最も影響を受けた一首として「たくさんの鉢をならべて花植ゑし人は世になし鉢ぞ残れる」という小池光の歌を挙げて、助詞の「ぞ」による係り結びにことに打たれると書いている。いまどきこんなことを書く若手歌人は他にはいない。

 本歌集で特に印象に残った歌を挙げておこう。

 

はつなつのものみな影を落としゐる真昼もつともわが影が濃し

橋ひとつ渡りをへたるかなしみは朝、後ろから抜けていく風

前に出す脚が地面につくまへの、ふるはせながら人ら歩めり

追ふともう二度と会へなくなるんだよとほく原付のミラーひかつて

ほとんど平らな橋の広さを見下ろせば雪のゆふぐれに人は行き交ふ

思ひ出すだけならあなたは死者になる冬の終はりの長い長い雨

真中なるもつとも長きひと切れのロースカツ食べつ春はさみしよ

スケートボード足に吸はせて跳ね上がる六月はじめの空あかるくて

たれの死にもたちあふことのないやうなうすい予感に体浮くことあり

 

 『温泉』のモノトーンの表紙は良く言えば渋く、悪く言えば地味だ。中の紙も上質紙ではなく、わざとざらつきの多い粗悪な感じの紙を使っていて、装幀にもポリシーが感じられる。瀬戸夏子は目を懲らして見ると、表紙には斎藤茂吉の写真がシルエットになっていると書いているが、私はいくら目を懲らしても見えなかった。目が悪いのだろうか、確かに老眼ではあるけれど。山下は第二歌集『meal』を準備中だという。タイトルから想像するに、全篇飲食の歌だろうかとも思うが、まさかそんなことはあるまい。

 蛇足ながら山下は九大短歌会の代表を辞していて、後任は石井大成だという。石井はいくつかの短歌賞で佳作・次席になり、「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」にも取り上げられているので少し引いておこう。

はたはたとティッシュ舞う夏の洗濯よ不在は在の、あなたの影だ

雪見だいふくだとあまりにふたりで感なのでピノにして君の家に行く 月

気持ちはもう思い出せずにただ白い箱が窓辺で日を浴びている


 

第311回 上村典子『草上のカヌー』

トライアングルぎんいろの海をみたしつつ少年が打つ二拍子ほそし

上村典子『草上のカヌー』

 学校の音楽の授業の場面である。男子生徒がトライアングルを鳴らしている。トライアングルは音楽室の窓から射し込む陽光に鋭く光り、そこに三角形の海があるように見える。少年は二拍子を叩いているのだが、その音はか細い。この歌のポイントは結句の「ほそし」にある。その理由は、少年が特別支援学級の生徒で、障碍を持っているからである。そのことはこの歌のある連作全体を見れば明らかだが、この一首には書かれていない。短歌は一行詩だが、その性格上、そこに書かれていない情報を補填しつつ読まれる。昨今、そのような短歌の性格に疑義を呈する向きもあるが、それは短歌の本質に関わる問題である。

 瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、2021)をおもしろく読んだ。タイトルに「はつなつ」とあるせいか、どことなく夏向きの本である。穂村弘の『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』の「まみ」のモデルが小林真実(雪舟えま)で、この歌集は二人の共同幻想から生まれたと書かれていて、そのことをまったく知らなかった私は驚いた。『はつなつみずうみ分光器』は改めて論じることにして、今回は収録されたある歌人について書くことにしたい。

 この本で取り上げられている歌集はほとんど読んでいるが、二人だけ知らない歌人がいた。『開放弦』の上村典子と、『アネモネ・雨滴』の森島章人である。森島の歌集は古書価が高すぎてあきらめた。一方、上村典子は現代短歌文庫の『上村典子歌集』(砂子屋書房、2011)があるので、それを取り寄せて読んだ。一読して、こんなに美しく切ない歌を詠む歌人がいることに驚いた。

 プロフィールによると、上村典子は1958年生まれ。高校生の時から作歌を始め、26歳の時に「音」に入会して武川忠一・玉井清弘らの薫陶を受けている。第一歌集『草上のカヌー』(1993)、第二歌集『開放弦』(2001)、第三歌集『貝母』(2005)、第四歌集『手火』(2008)、第五歌集『天花』(2015)がある。高校・中学校の教員を務めた後、郷里に戻り特別支援学校の教員として勤務している。

 瀬戸が『はつなつみずうみ分光器』に上村の第一歌集ではなく第二歌集『開放弦』を取り上げたのは、2000年以後に出版された歌集を論じるというこの本の制約のせいだろう。『上村典子歌集』には『開放弦』が抄録されているが、全篇収録されている第一歌集『草上のカヌー』の瑞々しさは圧倒的なのである。

並び立つ書架にどよめく死者のこゑ樟のひかりにしずむ図書館

けふひと日海の呼吸をおもふかなほのあかりする布を纏ひつつ

ソーダ水みたし透かせるおとうとのガラスコップか春はあけぼの

はつ夏のひかりめぐりて駆けゆける自転車の輪のこぼすアレグロ

兄妹とおもはれし写真ピンで留め五たびの夏のしほの香はする

 上村の短歌の特徴のひとつは、五感に訴える描写の巧さにあり、それが清新な抒情を生み出している。一首目はおそらく大学生時代の歌だろう。図書館の書架に並ぶ無数の本に死者の声を聞き、窓外の樟の木を通して届く光を感じている。ここには聴覚と視覚の交感がある。二首目の「呼吸」は聴覚、「ほのあかり」は視覚で「布」は触覚だろう。身に付ける服が微光を放ち、潮の香を漂わせるかのようだ。三首目の「ソーダ水」からは、透明さと冷たさとパチパチと弾ける炭酸の音が聞こえてくる。かと思えば四句までは結句の「春はあけぼの」の喩であることが最後に明かされるという仕掛けになっている。四首目の「ひかり」は視覚に、「アレグロ」は聴覚に訴えることで紛れもない青春性を感じさせる。五首目では「写真」が視覚で、「潮の香」は嗅覚である。写真に写る自分と恋人は兄妹と見られてしまうほどまだ若い。

姉ならぬ母ならぬわれ透明な鋭角体の生徒にむかふ

頭ひとつわれより高き十五歳まづ坐らせて諭しはじめつ

常夜燈に坂はかがやくバス降りてわれを憎める少女を訪ねゆく

 大学を卒業して中学校の国語教師になった頃の歌である。「透明な鋭角体」とは生意気盛りで尖った中学生を表現したものだろう。生徒をまず座らせるのは、生徒が自分より背が高いため、教師としての優越的ポジションを確保するためである。三首目はおそらく家庭訪問の情景だろう。担任をしている生徒たちとの細やかな関係性がよく描かれている。

 佳品が多いのは特別支援学校に転勤してからの歌である。

スタッカートの勢ひもちて駆けてこし少年今朝のわがかほを抱く

発語なき生徒のおもてを奔りゆく音楽のごときに手触れてをりぬ

ビー玉に川がながれてゐるといふ弱視の生徒は瞳を寄せて

失禁をはぢらふ少女わが髪を掴みて指に力こめくる

プールにて抱きとるをさなき体温のどこかいたまし水の秋来ぬ

少女にはことばともりぬくちびるのア音はきよきランプのかたち

 特別支援学校に通う生徒はどこかに障碍を抱えている。その種類は様々だが、体が不自由な生徒との日常には身体の接触が多くなるのだろう。「かほを抱く」、「手触れて」、「髪を掴みて」、「抱きとる」のように、普通の学校の教員と生徒の間にはあまりない濃密な身体的触れ合いが描かれており、そのことが歌に力強さとリアリティーを与えている。六首目のみ『開放弦』から引いた。発語のなかった児童が初めて言葉を発した瞬間を詠んだ歌で、それを「灯りぬ」と表現して縁語の「ランプ」と続けている。ここにも音(聴覚)と灯火(視覚、触覚)の交感が、初めての発語という特別な時間を描いている。

 家族を詠んだ歌も多い。

雪はるか森に降れると窓に寄りわれの森なる父の告げしか

わがために母のつくりし和紙の雛いつかなくして雪降る節句

亡兄ひとり冷えゆくまでを泳ぐかな星降る夜の屋上プール

いまだ独身ひとりの弟眠る籐椅子に泳ぎしあとの髪みだす風

 作者には弟の他に、死産で生まれた兄がいる。父母と弟と亡兄が家族のすべてで、家族にたいする細やかな愛情は読んでいて羨ましいほどだ。特に弟にたいする愛情

は深いようだ。

おとうとと左右さうに坐りて連弾のあのころひと日ゆつくり過ぎき

                           『開放弦』

鎖骨より真珠をはづすさやうならおとうと婚のはつなつゆふべ

おとうとの体をめぐる透析のきらきらとして銀河の浮力

                    『貝母』

おとうとに分かたむ腎臓夜半にはつぼむ百合ほど灯りてふたつ

わが左腎右腹腔にをさめられおとうとの手指しづかに置かる

 一首目は子供の頃にピアノの連弾をした思い出である。二首目は弟が結婚した折の歌。ところが弟は腎臓病を患い人工透析を受けることになる。作者は自分の腎臓をひとつ提供して腎移植を行なうのである。肉親とはいえ大きな決断であることにはちがいない。

 こうして上村の短歌を時系列に読んでいると、つくづく短歌とは特別な文学形式だと改めて感じる。桑原武夫の第二芸術論が発表されたとき、アララギの総帥高浜虚子は「とうとう俳句も芸術になりましたか」とうそぶいたと伝えられている。俳句と同じように、短歌も文学ではないとする見解も可能ではあろう。しかし百歩譲っても短歌が言葉を綴る芸であることには変わりはない。作者の人生の軌跡と日々の思いに留まらず、家族の様子や同僚・生徒の有り様に至るまでこれほどつぶさに描かれ、そしてそれが抒情詩として成立しているという文学形式は、世界広しといえども短歌以外にはない。稀有なことと思うべきであろう。

遺影とふ触るるをこばむ笑みありてみづつるなく封じゆく生

木の階を夕光ゆふかげと折れてのぼりゆくわれが運べるものの寡し

たれまつにあらずわれへと還りゆくたそがれにがきみづくぐる刻

卓上にわたしそこねる月いろの水差カラフ砕けて夏はじまりぬ

古詩一篇脚韻ぬらすほどを降る梅雨の季果てむ夜のとほり雨

少年の体にあかずめぐりゐむこくんと陽射しうけつつ水車

うち捨てにされたる智惠の輪のやうにゆふべ路上になはとび光る

ゆふされば母撒くみづにちまよふあかねあきつのはねふるひつつ

 特に印象に残った歌を引いた。二首目のような内省の歌にも佳品が多い。歌い上げるような造りではなく、逆に内へと沈むような作風である。

 上村は何度か短歌賞の候補に残っているが、受賞は逃している。田島邦彦編『現代短歌の新しい風』(ながらみ書房、1995)の『草上のカヌー』の解説(栗木京子執筆)には、「1993年は第一歌集の当たり年で、個性豊かな歌集が出揃った感がある。それらの多彩な歌集の中にあって、『草上のカヌー』の端正な抒情はやや地味な印象を与えがちだったかもしれない」とある。確かに同じ年には、尾崎まゆみ『微熱海域』、早坂類『風の吹く日にベランダにいる』、西田政史『ストロベリー・カレンダー』、谷岡亜紀『臨界』、早川志織『種の起源』、中津昌子『風を残せり』などが出版されていて、前年の1992年には、穂村弘『ドライドライアイス』や荻原裕幸『あるまじろん』が出ている。世はライトヴァースからニューウェーヴへと雪崩を打って多彩な修辞の季節を迎えていた頃である。そんな時代の流れの中では『草上のカヌー』のような作風はあまり目立たなかったのだろう。しかしそんな時代の流行も「様々なる意匠」にすぎない。『草上のカヌー』は現在読んでも清新さをいささかも失っておらず、まるで青春をタイムカプセルに閉じ込めたような歌集である。おそらくそれは短歌には作者が生きる〈今〉が刻印されているからだろう。


 

第310回 北辻一展『無限遠点』

われの血の通いてちいさな臓器となるその一瞬の蚊を打ちりぬ

北辻一展『無限遠点』 

 夏の蚊が体に止まって血を吸っている。それが見えるのだから止まっているのは腕か足だろう。血液は蚊の口吻を通って体内へと運ばれてゆく。その有り様を、蚊が私の臓器の一部となると捉えているところがユニークだ。確かに血を吸われているときは、〈私〉の血液が蚊の内部に通うことになり、〈私〉と蚊とは一体となると見ることもできる。とはいえ次の瞬間には蚊を手で叩き殺すのではあるが。

 北辻一展は1980年生まれ。同人誌「豊作」の2006年第3号のプロフィールには「歌歴3年」とあるので、2003年頃から歌作を始めたようだ。「京大短歌会」「塔」に所属し、「アークの会」や「豊作」などでも精力的に活動している。今までは北辻千展(きたつじ ちひろ)の名前で短歌を発表していたが、本歌集から北辻一展(きたつじ かずのぶ)の筆名で活動することにしたようだ。『無限遠点』はかなり遅めに上梓された北辻の第一歌集である。解説は「塔」の主宰で師でもある吉川宏志。歌集題名の無限遠点とは、ユークリッド平面では交差することのない平行線が交差すると考えると理論的にうまくゆくことがあり、そのために考案された仮想的な点のことらしい。つまり現実には存在しない点である。大学院に在学中に量子力学に熱中していたという理系の作者らしいタイトルである。作者は理系の研究者であり、また医師でもある。研究者としてはタンパク質の制御機構の研究をしていたようだ。「塔」には元主宰の永田和宏や永田紅のような先蹤がいるが、私はかねてより理系と短歌の抒情は相性がよいと考えている者である。本歌集もそのことを実証しているように思える。

 北辻の歌風はいかにも「塔」らしく、言葉が派手に煌めくことなく、生活実感に根差した静謐な詠いぶりである。文体は文語に適度に口語が混じるという、現代の多くの歌人が採っているものだ。

吹雪の日は望遠鏡にいるようで白さの中に人吸われゆく

起きぬけのしずかなマウス裏返し腹の黒きに薬剤を打つ

早朝に起きて出てゆくのみの部屋 線描ほどの淡さを持ちぬ

会える日を告げえざるときはつ夏の立葵のごとのみどは伸びる

一日のデータをノートに記載する染色液ダイにて青く汚れた指で

 一首目は作者が北海道にいた頃の歌である。激しい吹雪は視界を閉ざしてしまう。その視野狭窄を望遠鏡の中に閉じ込められたようだと表現している。二首目は理系の研究者の歌で、実験に用いるマウスを処理している場面。ポイントは「腹の黒き」だろう。三首目、理系の研究者は長い時間を研究室で過ごす。時には研究室で毛布にくるまって寝泊まりすることもある。夜中に大学の研究棟の横を通ると、窓に煌煌と明かりが灯ってまるで不夜城のようだ。だから借りているアパートの部屋はただ寝に帰るだけの部屋となり、生活感が薄くなる。それを線描と表現しているのである。四首目は相聞歌である。恋人と別れるとき、次に会える日を告げることができない。多忙で予定が立たないのか、それとも遠方に転居を控えているのか。言いたくても言えない状態を喉が伸びると表現している。五首目も研究の場面の歌。実験データは何より重要なものである。研究者は必ず日付のあるノートに実験の結果を書き留める。第一発見者が誰か係争が生じた時のためである。

月光の香り満ちたり核磁気共鳴分光測定棟に

かたちほぐして細胞をとるぽつねんと胎児のくろき眼はのこる

放射光科学研究施設フォトン・ファクトリーよりひとは戻りくる夕立が降る気配をつれて

戦争イソスポーラは目のかたちしてわれらを見つむ顕微鏡下に

皮膚も歯もあらわな鼠ハダカデバネズミその長寿遺伝子DeBAT1(デバワン)

 理系の用語が詠み込まれている歌を引いた。一首目の核磁気共鳴装置はMRAと呼ばれていて、大きな病院では診断に用いられている。そんな装置が置かれている研究棟なのだろう。漢字が連なる厳めしい名前と月光の香りという詩情の組み合わせがよい。二首目には「マウス胎児繊維芽細胞」という詞書が付されている。繊維芽とは細胞の結合組織を形作っているもの。組織を採取した後に、黒い目だけが残ることに作者は哀れを感じているのだろう。三首目、放射光とは、陽子や電子を猛スピードで加速するシンクロトロンで生まれる光のこと。物質の成分分析などに用いられる。この歌でも放射光科学研究施設という硬質の名と夕立が降る気配という日常的感覚とが並置されている。四首目の戦争イソスポーラは寄生虫の一種で、第一次世界大戦時に流行したためにこの名があるらしい。五首目のハダカデバネズミはアフリカの地中に暮らしているネズミの一種で、文字どおり体毛がなく大きな前歯がある。ネズミの寿命がふつう2年程度なのにたいして、ハダカデバネズミは何と30年も生きる。その長寿遺伝子がDeBAT1(デバワン)なのだが、何というネーミングだろう。

祖父の死を考慮に入れて組み立てる大腸菌培養のスケジュール

焦点の合わぬまなこに呼びかければまなこはわれに焦点の合う

祖父と写るはすべて幼きわれなりき日付の赤き数字ぼやけぬ

わが顔を祖父は凝視し祖父はその記憶を持ちていずこへゆきしか

祖母がまだ生きている間に編集を急ぎぬ祖父の文学全集

 祖父の死を詠んだ一連から引いた。三首目の「赤き数字」とは、撮影した日付を写真に写し込む、昔のフィルムカメラの機能である。大人になってから祖父と写真を撮ることはなかったのだ。五首目にあるように、作者の祖父は作家だったようだ。二首目の「まなこ」と「焦点」の繰り返しと、四首目の「祖父」の反復が、どこかのっぴきならないような印象を歌に与えている。

少年天使像つくらんとする父のためわれの背中を見せしあの頃

木塊をのみで大きくえぐるたび青年の厚き胸になりゆく

おまえのは趣味だろうがと前置きし父は語りぬ芸術論を

 北辻の父親は彫刻家の北辻良央で、その装画が歌集の表紙に使われている。一首目は父親のモデルとなった幼少時の記憶である。父親は北辻が研究者・医師をしながら短歌を作っていることを単なる趣味・余技としか見ていない。その悲しみは感じつつも、芸術論を語ることができる親子関係は羨ましいものでもある。

サイレンでプールサイドに浮上して黙祷をする長崎の夏

戦争は総力戦にて供されし馬ありそして青銅馬あり

銃声とともに畔へと倒れこみ死んだふりした幼き祖母は

列なせる島民たちの胸元に聴診器おき眼閉じたり

漁船にて往診をする医師たちと雲間より降るひかり見ており

 故郷の長崎に医師として赴任した時の歌である。長崎に原爆の記憶は消えることがなく、それを歌に詠むこともまた歌人としてのひとつの選択である。長崎には離島が多くある。四首目と五首目は離島に船で島民の健康診断に赴いた折の歌だろう。近年このような職業詠が少なくなったように感じられる。職業詠は近代短歌が生み出したジャンルであり、もっと試みられていいように思う。

袋詰めのキャベツを食めばさきの世の馬のたましいさめてゆく夜

コインランドリーの乾燥機より蝶いづる冥界からの手紙のごとく

風景の折り目のごとく目のまえに蜘蛛の糸垂れ夏は閉じゆく

わが喉ときみの耳管はうつくしい言葉を待ちぬ鮮やかな夕に

生きるとはなにか死ぬとは ハンドソープがわが手に吐きし白きたましい

寄り添いの言葉を選りて話すときマスクの内で擦れる唇

 特に印象に残った歌を引いた。北辻の歌の造りの骨格のひとつは、「ケージの隅でかたまりて寝るマウスたち桜の花片のごとき耳もつ」のように、直喩を用いた「見立て」にある。日常的に出会う事物に「見立て」の操作を施すことによって、日常の空間から詩的な空間へとワープするところにポエジーが発生する。「マウスの耳」と「桜の花片」という異なる領域に属するふたつの事物が喩によって近接することによって詩が立ち上がる。これは短歌に限らず、詩や俳句にも通じる技法だろう。

 しかし上に引いた六首目の歌は造りが少しちがう。医師として患者に寄り添う言葉を選んで語りかけている場面を詠んでいるのだが、下句がそのような言葉を発している自分にたいする違和感を滲ませている。これは他者へと向かう眼差しが自己へと戻って来る自意識の歌である。いらぬおせっかいかもしれないが、本歌集にはまだ少ないこのような歌が増えることで歌境がいっそう深まることだろうと思えるのである。